飯吉光夫 『パウル・ツェラン』 (小沢コレクション)

「大きな一般的状況に立ちむかう者にはいくらでも逃げ途がある、しかし個別的な、個人的な境遇に立ちあわせられたものには真の苦痛よりない。」
(飯吉光夫 「『誰でもないものの薔薇』」 より)


飯吉光夫 
『パウル・ツェラン』

小沢コレクション 28

小沢書店 
1990年6月20日 初版発行
202p 
四六判 丸背紙装上製本 カバー 
定価2,060円(本体2,000円)


「本書初版は昭和五十二年九月、小沢書店より刊行された。」



本書「あとがき」より:

「パウル・ツェランについて過去十一年のあいだに書きためた文章を、小沢書店の長谷川郁夫氏のご好意によって、一冊の本にまとめることになった。」
「一九七三年から七四年にかけてパリでツェランの未亡人や次男エリック、そして彼の友人である画家や詩人に会ったおり、ふと口の端にのぼった苦悩(ドルール)ということばに対する表情は、どこまでも悲痛の底に落ちていきかねないものだった。」



飯吉光夫 パウルツェラン


帯文:

「一九七〇年四月、セーヌの流れに身を投げた戦後ドイツ最高のユダヤ詩人――パウル・ツェラン。苦闘にみちた生涯と、狂気を孕んだ言葉のかがやき。すぐれた翻訳によってツェラン詩を紹介しつづける著者が、共感をこめて描いた詩人の肖像。」


帯背:

「ユダヤ詩人
その哀しみの魂と
言葉の光――」



帯裏:

「パウル・ツェランによって開示された〈もう一つの世界〉を体験することができたのは、飯吉光夫という病める光学者の訳業の力による。ツェランの非在の世界は、言語によってかろうじて存在しながら、一瞬のうちに、ダイヤモンドのごとき硬度の光を発する。この危機的な逆説のうちにしか存在しえない硬物質の詩を、病める光学者はあざやかに捉えた。本書は、その劇的な詩と批評である。
田村隆一」



目次 (初出):

ツェラン素描 (『死のフーガ』(パウル・ツェラン詩集) あとがき 1972年9月刊)
飛ぶ石・石たちのまなざし (「国学院大学新聞」 1966年10月10日号)
狂気の光学の下の…… (「ユリイカ」 1970年1月号)
砕かれたことばから (「Walpurgis '67」(国学院大学外国語研究室紀要) 1967年6月)
〈亡きものたち〉への祈り――ネリ・ザックスへ (「都立大学人文学報」第72号 1969年3月)
『誰でもないものの薔薇』 (「都立大学人文学報」第65号 1968年3月)
亡きパウル・ツェランへ――一九七〇年 (「ユリイカ」 1970年11月号)
Ich の闇へ (「現代詩手帖」 1970年10月号)
迫りくるもの――十九世紀の劇作家ビュヒナー (「文芸」 1970年10月号)
ツェランとその周辺――ひとつの想い出 (原題: パウル・ツェランその死/「芸術生活」 1971年3月号)
ツェランの墓 (「日本読書新聞」 1975年5月12日号)

あとがき
パウル・ツェラン年譜




◆本書より◆


「ツェラン素描」より:

「普段のツェランは、異常なほど人怖じするたちだったと報告されている。パリにおいては、ボンヌフォアやジャック・デュパン、ルイ=ルネ・デ・フォレ、ミシェル・レリス、アンドレ・デュ・ブーシェらとの季刊雑誌『エフェメール』の同人でありながら、交友はあまりなく、文字通りひっそりと暮していたという。妻ジゼルは、彼にとって看護婦のような存在だったのではないか? ツェランがドイツへ旅行した回数は、朗読会のためとか文学賞受賞講演のためとかの限られたものだったらしいが、そのような際の彼はいつも極度に緊張したり、聴衆のまえに出る以前の控えの間でがたがた震えたりしていたという。そのくせ彼は、聴衆のひとりひとりに対して異常なまでの心くばりを示して、彼の詩朗読の合間に咳をする者があると、どのようにして彼がそれを待ち、その相手を傷つけないような間合いで再び次の詩の朗読にとりかかるかは(録音のレコードで聞いていても)感動的なほどである。」


「亡きパウル・ツェランへ」より:

「あなたは権威というものとおよそ関係のない存在でした。ぼくが資質上あなたに最も近いと考えるホフマンスタールすら晩年にもってしまった代表者意識、(中略)ありとあるこれまでの偉大といわれたドイツの詩人たちがどうしても持ってしまった何ものかを代表している意識、それとおよそ無縁なところにあなたは一生涯、まるで普段着姿のままに暮しつづけていました。風采のあがらぬセーターを着て、恰好のつかぬ襟を出し、しかもあなたの眼は鬱積のうちにも虐げられたもののみが知る隅ずみまでの優しみをこめて、あるときは日蔭でひっそりと、あるときは日当で眩しげに写っているのでした。」

「あなたの晩年が精神錯乱の症候を見せていたという記事には、しかし、保留つきでなければ同意できません。あなたのようなプロセスをとった人間の日常が、たとえば生きているもの(引用者注: 「生きているもの」に傍点)を極端に怖れるといった外見をとらないことがどうしてありえましょう。外目には異常に見えようとも、あなたのような詩的出発点をもつ人間が自殺へいたるまでにたどった内面の進行は、正常な必然的なものであったとぼくは理解します。」




こちらもご参照下さい:

川村二郎 『黙示録と牧歌』








































































スポンサーサイト

ペーター・ヴァイス 『敗れた者たち』 (飯吉光夫訳)

「ぼくはぼくの弱さを保持しようと思う。ぼくはいつまでも弱者でとどまろうと思う。」
(ペーター・ヴァイス)


ペーター・ヴァイス 
『敗れた者たち』 
飯吉光夫 訳


筑摩書房 
1987年6月30日初版第1刷発行
174p 
四六判 丸背紙装上製本
カバー プラカバー 
定価2,600円
Peter Weiss : Die Besiegten



本文中カラー図版4点、モノクロ図版2点(著者による油絵、ペン画)。


ヴァイス 敗れた者たち 01


帯文:

「帰ってきたぼくに、ベルリンは死んだ街だった。
占領兵、闇市、孤児、暴行、飢え……
『マラー/サド』の作者による鮮烈な戦後シーン。」



帯背:

「戦後の光景」


カバー裏文:

「ペーター・ヴァイスは、ユダヤ系ドイツの現代作家である。ピーター・ブルック演出の映画『マラー/サド』の原作者としても知られる。1916年に生まれた彼は、第2次大戦前夜、スウェーデンに亡命することを余儀なくされた。
 第2次大戦後、スウェーデンのある新聞が、当時戦禍によって廃墟と化していたベルリンに、すぐれた特派員を送りたいと考えた。ペーター・ヴァイスが選ばれて、彼はこの旅行の報告を新聞記事に綴った。フルトヴェングラーの戦後初演その他を題材とする数篇が、本書の後半3分の1を占める《ルポルタージュ》である。
 帰国後のペーター・ヴァイスは、このときの印象を作品化することを思いついた。散文集『敗れた者たち』がそれで、この本は1948年にストックホルムで出版された。この散文集(本訳書の前半)は、ペーター・ヴァイスが、戦後ドイツの検分を、単なる報道記事から離れて、詩的に、心情的に再現しようとしたものである。30数年後のヴァイスは、押しも押されぬ大作家になっていたが、このころのことを振り返って、こう述べている。「外国人として、スウェーデン人として、ぼくは自分が一度放逐されて出て来たこの国に舞い戻ってきた。ぼくとこの国とをつなぐものは何もなかった。しかし、ぼくを取り巻くこの廃墟は、ぼくにナチスのいまわしい政治を想い起こさせた。敗れた者たちは完全に誤った針路をとった歴史の刻印を帯びていたのだ」。
 彼は戯曲『マラー/サド』『追求』『亡命のトロツキー』のほか、散文『決闘・歩いている三人の会話』『両親との別れ』や『御者のからだの影・消点』を遺したが、本書『敗れた者たち』は、ごく最近そのスウェーデン原書が独訳出版されたものの邦訳である。
なお、装画、挿し絵として、作者ペーター・ヴァイス自身の油絵、ペン画を用い、《あとがき》に未亡人グニラ・ヴァイスの文章を用いた。
飯吉光夫」



ヴァイス 敗れた者たち 02


目次:

敗れた者たち
 敗れた国への着地
 ホテルへの道
 ホテルの部屋
 塔と戦場
 廃墟
 ぼくという廃墟
 旧居捜し
 内部の真実
 ぼくと弟と妹と
 ぼくの立場
 虜囚
 復員兵
 聴講
 砂浜
 ぼくの父
 伐採
 歴史上の人間たち
 占領者
 被占領民代表
 権力機構
 被占領下の行政府
 街頭風景
 避難民
 放心
 内面
 恋人
 間奏
 敗れた者たち
 兵士たち
 強者と弱者
 連行、暴行
 墓
 接収
 子ども連れの父親
 子どもたち
 時代精神
 工場
 瀕死の老人
 列車
 落下傘

「ストックホルム新聞」のための
六篇のドイツ・ルポルタージュ――一九四七年六月~八月
 ベルリンにおける政治演奏会 (ベルリン、六月)
 ベルリンにおける書籍見本市 (ベルリン、六月)
 ベルリンの子どもたち (ベルリン、七月)
 闇生活 (ベルリン、七月)
 人間的同胞愛 (ベルリン、七月)
 暗黒の中の文学 (ベルリン、八月)

あとがき Gunilla Palmstierna-Weiss (ヴァイス未亡人)



ヴァイス 敗れた者たち 03



◆本書より◆


「ぼくという廃墟」: 

「ぼくという人間の屋根は榴弾によって剥ぎ取られている。ぼくの敷地を地雷が木端微塵にした。ぼくの内部は焼夷弾にいぶし出された。ぼくの目の窓は風圧に押し潰された。ぼくのあらわな神経索は、無情の風の中にさらされて、だらりと垂れさがっている。ぼくの叫びは破壊されてねじ曲った鉄の梁(はり)のようだ。ぼくの溜息は廃墟の瓦礫とともに滑り落ちる。ぼくの涙はローム層の土の中の地下水とともにこみ上げ、降る雨とともに落ちる。
 ぼくのぐるり一面にぼくの廃墟がひろがっている――石の断片、鉄の裂片、木の破片。ぼくの想念は階段のように空無の中へと昇っていく。ぼくの希望は外の、死体が浮ぶ泥沼へ通じるドアだ。ぼくのからっぽの部屋を飢えた鼠たちがかけずり回っている。
 墓堀り人よ、ぼくの墓を掘れ!」



「放心」: 

「突然、大きな安らぎを覚える。周囲で腐敗していく何百万という死者に対しても何の憂慮も悲哀も感じない。大きな無関心を覚える。放心を感じる。自分の夢想に耽っている。安らぎ。
 花や雲に耳をすましている。
 ついで、苛酷な壁にはっと目覚める。呻きや押し殺された叫びを聞く。痛みが立ち戻ってくるのを感じる。乾いた砂にとめどもなく涙をこぼす。」



「敗れた者たち」: 

「大きな視野を持つ落下傘で下界へ降っていくと、自分が共同体の運命とどれほど離れがたく結びついているかが分る。眼下の廃墟は一国の廃墟ではない。ここにはぼくらの全時代が埋没されている。ここには石の時代の人間が埋没されている。
 ぼくらは全員、敗れた者たちだ。人間はその時代に敗北する。
 最もひどく敗北したのは、人工的に安全な小さな島の上で判断し判決を下した者らの合唱だ。この呑気な者らは起こったことを知らず、いま何が起きているかを知らない。
 きちんとシーツの敷かれたベッド、膳立てされたテーブルは、崩壊した空間に浮ぶ蜃気楼だ。
 廃墟の中に人間の打ち砕かれた価値を求める者にのみ、勝利の希望がある。
 自分の敗北を思い知った者にのみ、勝利の希望がある。自分は何かとたずねることができる者にのみ、勝利の希望がある。」



「六篇のドイツ・ルポルタージュ」より:

「自分の運命を理解すること、それを受け入れ、今後の数十年間をもつつむだろう大きな闇の中でひたすら待つこと――このような力を持つ者の数は少ない。」


ヴァイス 敗れた者たち 04





































































飯吉光夫 『傷ついた記憶 ベルリン、パリの作家』

「ネリー・ザックスは、物質的な事柄に関しては、まったくアナクロニスティクな人間でした。資本主義が分らない人間がいるが、彼女はそのような一人でした。お金に無関心な人がいるが、彼女はその一人でした。きれいな着物とか、ご馳走とかには関心がなく、それにほとんど外出することもないし、ともかくも、そんなことはみんな、どうでもいいことだった。宗教的な諦念のようなものも持っていました。アナクロニスティクだったのはこのような点でばかりではなく――ぼくはいまアナクロニスティクということばをいい意味でつかいますが――彼女は、そもそもこの時代の社会にまるで適応しないという点でも、アナクロニスティクでした。しかも、それは彼女にとって不幸なことでさえありませんでした。彼女にとってのほんとうの不幸は、他人の不幸でした。」
(エンツェンスベルガー)


飯吉光夫 
『傷ついた記憶 
ベルリン、パリの作家』


筑摩書房 
1986年11月30日第1刷発行
226p 
四六判 角背紙装上製本 カバー 
定価1,800円



本書「あとがき」より:

「現代ドイツ文学についてこれまでに書いたものを一つにまとめて出すことになった。
 エンツェンスベルガー、グラス、ヘレラー、ツェランに関するものである。このうちツェランについては、別書『パウル・ツェラン』(一九七七年、小沢書店)がある。
 第二次大戦によって、これら一口に《(一九)四七年グループ》と呼び慣わされる文学者たちが心に受けた傷がテーマになっていると思う。
 この傷は心の傷にはちがいないが、戦後という困難な時期を生きていく上でこれらの文学者たちの生活に影響を及ぼし、彼らの文学にも微妙な影を落していると思われる。」



本文中図版(モノクロ)多数(レナーテ・フォン・マンゴルトによる各作家の肖像写真、ギュンター・グラスによる版画ニ点、その他)。


飯吉光夫 傷ついた記憶01


カバー表紙: レナーテ・フォン・マンゴルト(Renate von Mangoldt)のベルリンの廃墟の写真。
カバー裏表紙: ジゼル・ツェラン=レストランジュ(Gisele Celan-Lestrange)の銅版画「Sans Ciel」。


カバー文:

「die>Gruppe 47<:
Enzensperger, Grass,
Hoellerer und Celan.
爆撃によって廃墟と化し
たこの街の瓦礫をつみあ
げて造られた《悪魔の山》
にも、今では草木が生い
茂る。しかし世界は崩れ
つづけ、不吉な《怪獣(シメーレン)》は
徘徊しているのだ。ふた
つの都市を往復して、困
難な戦後を生き抜いた者
たちと語り、生を断念し
た者を想う、予感に満ち
たこの書物は……」



目次 (初出):

プロローグ――白樺の林 (「学燈」 1974年10月号)
1 椅子とゴミ Hans Magnus Enzensberger 1929~
 椅子とゴミ (「暮しの設計」 1975年6月号)
 エンツェンスベルガー宅で (「ユリイカ」 1976年5月号、7月号)
 エンツェンスベルガーの詩の性格 (『エンツェンスベルガー全詩集』 人文書院)
2 厨房から閨房へ Guenter Grass 1927~
 動物園駅 (「青春と読書」 1974年9月号)
 厨房から閨房へ (「みずゑ」 1975年12月号)
 グラスの詩をめぐる暴論 (「ユリイカ」 1969年9月号)
 『ひらめ』を味わう (「図書新聞」 1981年4月号)
 ダンツィヒからの流浪民 (「プレイボーイ」 1978年6月号)
3 悪魔の山 Walter Hoellerer 1922~
 悪魔の山 (『世界文学大系』65 筑摩書房)
 グランヴィル再発見 (「青春と読書」 1975年4月号)
 忌わしい機会からの文学 (「ユリイカ」 1986年4月号)
 ヘレラーの詩の拠点 (「海」 1982年3月号)
 ヴァルター・ヘレラーと戦後 (「Brunnen」 1984年10月号、後半部は書き下し)
4 もう一枚の空 Paul Celan 1920~1970
 もう一枚の空 (「暮しの設計」 1975年6月号)
 ネルヴァルとツェラン (「カイエ」 1979年2月号)
 離群の詩人 (「ユリイカ」 1975年10月号)
エピローグ――わが昇天 (「ユリイカ」 1974年10月号)

あとがき



飯吉光夫 傷ついた記憶02



◆本書より◆


「プロローグ」より:

「ロシアのがらんとした空間はわれわれにふと、われわれがいつかはこのような自然本来のひろがりの中に目に見えないものとして没していく存在であることを実感させる。」
「ウィーンでは子供っぽいものが実に楽しかった。きらびやかなお菓子屋、紫色の野苺のジュースを飲ます地下の円形レストラン、そして(中略)大遊園地プラーターへ行くと、東京ではついぞお目にかかったことのない殺人的勾配のジェット・コースターがあった。(中略)偏屈者の女流詩人クリスティーネ・ラーヴァントが田舎から出て来てやはりそれに乗り、その話ばかりして帰っていったとのことだった。すでに物故したこの詩人は聾者だったが、まったくの片田舎に隠棲して編物などしながら、痛苦にみちた核をもつ詩を書いていた。」
「ベルリンといわずドイツの町には東京以上に緑地が多い。しかしその雰囲気を東京のごみごみした路地以上に〈牧歌的〉と呼べないのは、この緑地の中にいつも人間の手が、管理し保護する人間の手が見えているためだ。あまりに整いすぎている美というものは、ぼくには結局、人間の気もちを救うところのないもう一つの野蛮さ、一種のノイローゼの産物のように思えた。」
「人間のどのような悲哀をも晴朗なものに転換しようとする力があるとすれば、それはもっとアルプス寄りの、例えばザルツブルクの空だろう。冬期であったにもかかわらず、ぼくが見た空はメルヘン的というほかない真青な空だった。飛行機雲が縦に一直線に走り、あまりにもお伽話めいていて、滑稽ですらあった。(中略)この笑いだしたくなるような無垢の青空を見ただけで十分だった。」
「パウル・ツェランは悲劇的な死をとげた詩人だったが、そのあとネリー・ザックスもギュンター・アイヒも苦悩にみちた晩年を経過して死を迎えた。ネリー・ザックスについて、ドイツ人の詩人の中で彼女に最も近かったエンツェンスベルガーは、「あのひとは何しろ、自分だけが助かったことをいつも苦にしていたから」と言った。迫害されたユダヤ人としてネリー・ザックスが背負っていた心の傷を言ったものだった。ギュンター・アイヒの晩年は死病を通しての生の不協和の凝視であったと言われる。そして、パウル・ツェランの場合も、ユダヤ人詩人としての心傷は測り知られざるほど大きかった。そのような傷は、われわれの内なる自然の傷ではないだろうか? 外なる自然も、そして詩=芸術もついには救うことのできない傷。」



「エンツェンスベルガー宅で」より:

「E (エンツェンスベルガー): ところでぼくは、きのうまったく偶然日本の映画を見ました(中略)。脱走したアメリカ兵が、西も東も分らなくなってしまう。アメリカ兵は冗談をやるのだが、日本人はそれをまったくイヤなことだと思う。とても面白い映画です。日本でまったく孤立してしまった外国人の物語だから、文化の問題だ。異国人のやることが何もかも間違ってしまう。日本人の冗談も、こっちにはまったく通じない。政治的な映画だが、異文化の中でまったく孤立してしまった人間の問題を政治的な題材で扱ったものと見たほうがずっと面白い。そのような実存的な問題を理論的に取扱ったものでしょう。(中略)日本では、ぼく自身まるで文盲になって、徹頭徹尾文盲になって、一つの文化の中を右往左往して、いつも自分が何か間違ったことをしているのではないかと疑わなければならない、もちろん事情は多少は分るが、いちばん肝心なことが分っていないらしい、というようなわけだったんです。(中略)ぼくらがただ一つの世界を、同質の世界をもっているというのは本当じゃない、フィクションです。」
「主人公はまったくのアウトサイダーだ。泣きたいほど切ないことですよ、外国へ来てやることが何もかも間違っていて、誰にも分ってもらえないのは。おまけに日本人が自分にやってくれることも、何もかも間違っている。一方でとても滑稽な状況ですが、滑稽というなら、むしろ残酷なユーモアとでもいうべきです。
 この映画では、アメリカ兵は娼婦と知りあいになって、二人ともアウトサイダーである点で理解しあえるのですが、それもある点以上になると、おたがいまったく分らなくなる。」
「ぼくはペシミスティクじゃない。ぼくは、世界がどこからどこまで同質でないのがいいと言っているのです。世界中にいまでも大きな違いがあることは、いいことだ。どこからどこまで同じになったらおぞましい限りだ。」

「I (飯吉): ネリー・ザックスのことについて少しうかがいたいのです。(中略)たとえば、彼女は、どの程度貧乏だったのですか、どの程度みじめだったのですか、病気だったのですか。
E : ええ、彼女はもちろんノーベル賞を受けたあとは、それほど貧乏ではなかった。でも、病気だったし、その暮らしがとてもつましかった。戦後最初の時期は、つまり一九四〇年代の後半は、とても貧乏だった。その後、暮らしがつましいだけになりましたが、でもどっちみち、そのようなことはまったく彼女の問題ではなかった。ネリー・ザックスは、物質的な事柄に関しては、まったくアナクロニスティクな人間でした。資本主義が分らない人間がいるが、彼女はそのような一人でした。お金に無関心な人がいるが、彼女はその一人でした。きれいな着物とか、ご馳走とかには関心がなく、それにほとんど外出することもないし、ともかくも、そんなことはみんな、どうでもいいことだった。宗教的な諦念のようなものも持っていました。アナクロニスティクだったのはこのような点でばかりではなく――ぼくはいまアナクロニスティクということばをいい意味でつかいますが――彼女は、そもそもこの時代の社会にまるで適応しないという点でも、アナクロニスティクでした。しかも、それは彼女にとって不幸なことでさえありませんでした。彼女にとってのほんとうの不幸は、他人の不幸でした。彼女が精神的に破綻したのは自分の不幸のせいではなく、他人の不幸のためでした。彼女はいい家庭の娘だったが、婚約者を強制収容所で失い、よくは知りませんが、結婚はしなかったようです。このベルリンに一九四〇年までずっと住んでいました。ということはつまり、ユダヤ人として七年間をヒットラー政権下に過ごし、そのあとは、亡命できたほんとうに最後のユダヤ人として、ストックホルムの女流詩人ラーゲルレフのもとに逃れました。しかし、彼女の周囲の人間の多くは殺された。(中略)彼女の家庭は大ブルジョアだったけれど、彼女はそれを無視して、(中略)遺産と関係のある家族関係には無関心だったし、ついでに言うなら、町の人々とのつきあいにも無関心でした。掃除婦のおばさんには、まるでスウェーデン女王みたいな口をきいていました。そういう意味では、彼女は、矛盾した言い方になるかも知れないけれど、まるで“聖者”のようだった。現代にはもはや“聖者”はいないという意味の上での矛盾したアナクロニスティクな“聖者”です。でも彼女は、この一風変った位置から、もう一度というか、たぶんこれを最後に、ひじょうに古典的な詩人の立場を、たとえばヘルダーリンの立場を、とっていた。ぼくらの文学史の上で、ヘルダーリンは完全に“外(そと)”の人間だった。このぼくらの社会的規範の外に立って、ヘルダーリンは狂気の淵へおちていったのですが、ネリー・ザックスも(中略)ひじょうに重い精神の病気をやんでいました。ひどいデプレッションのために病院に入れられたりしていました。」

































































































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー

最近の記事
カテゴリー
ブログ内検索
リンク
フリーエリア
netakiri nekotaroの最近読んだ本