アンドレ・ブルトン 『シュルレアリスムと絵画』

「眼は野生の状態で存在する。」
L'œil existe à l'état sauvage

(アンドレ・ブルトン)


アンドレ・ブルトン 
『シュルレアリスムと絵画』 
瀧口修造・巖谷國士 監修

粟津則雄・巖谷國士・大岡信・松浦寿輝・宮川淳 訳

人文書院 
1997年5月25日初版 第1刷印刷
1997年5月30日初版 第1刷発行
584p 
A5判 丸背布装上製本 カバー 
定価9,500円+税
装幀: 中島かほる



本書「解題」より:

「本訳書の底本は計三百四十六点の図版(うち色刷のもの三十六点)をふくむ高価な大型豪華本だが、定価を低く設定したいという人文書院編集部の意向により、今回はモノクロ図版で二百六点のみを本文共刷にし、判型もA5判サイズに縮小してある。」


アンドレ・ブルトン『シュルレアリスムと絵画――増補改訂新版、一九二八―一九六五』。
André Breton : Le Surréalisme et la peinture, nouvelle édition revue et corrigée première parution en 1928, Edition Gallimard, 1965


ブルトン シュルレアリスムと絵画 01


帯文:

「今世紀最高の「美」と「生」の書
眼は野生の状態で存在する
綿密な解題、訳注、人名解説を付す
30年におよぶ訳業、ついに完成!」



帯背:

「歴史的名著
待望の完訳」



帯裏:

「この大著は、今世紀にあらわれたもっとも重要な美術書のひとつである。それはシュルレアリスムという大規模な運動に加わった多くの芸術家たちや、その前後あるいは周辺にあった多くの芸術家たちの作品を、当の運動の指揮者・体現者として愛しつつ語り、鮮烈な言葉でたたえつつ位置づけているからだけではない。現実社会とのかかわりにおいて画家の生きかたを探りながら、またときには新しい「眼」で歴史を読みかえながら、二十世紀芸術そのものの方向を鮮明に示している書物だからでもある。
――巖谷國士「解題」」



目次:

刊行者のノート

Ⅰ シュルレアリスムと絵画 (一九二八)

Ⅱ シュルレアリスム芸術の発生と展望 (一九四一)

Ⅲ 断章 (一九三三―一九六一)
 マルセル・デュシャン
  「花嫁」の灯台 (一九三四)
 パブロ・ピカソ
  ピカソ――その生の棲み処 (一九三三)
  アンケート回答 (一九五五)
  80カラットの……だが瑕が (一九六一)
 ヴィクトル・ブローネル
  束、白い薔薇 (一九三四)
  犬と狼のあいだに…… (一九四六・七・一四)
 オスカル・ドミンゲス
  あらかじめ対象を想定しないデカルコマニーについて (一九三六)
 サルバドール・ダリ
  ダリの「症例」 (一九三六)
 ヴォルフガング・パーレン
  帽子についたダイヤモンドではもはやなく…… (一九三八)
  大道の交叉点にいる男 (一九五〇)
 フリーダ・カーロ・デ・リベラ (一九三八)
 シュルレアリスム絵画の最近の諸傾向 (一九三九)
 アンドレ・マッソン
  アンドレ・マッソンの幻惑 (一九三九)
 マックス・エルンスト
  マックス・エルンストの伝説的生涯 (一九四二)
  グラフィック作品 (一九五〇)
 ヴィフレド・ラム
  詩人たちの久しい郷愁と…… (一九四一)
  ハイチの夜…… (一九四六)
 イヴ・タンギー
  プロローグ (一九三八)
  タンギーの隠すもの、顕わすもの (一九四二)
 マッタ
  真珠は私の見るところ、そこなわれて…… (一九四四)
  三年前のこと…… (一九四七)
 エンリコ・ドナーティ (一九四四)
 アーシル・ゴーキー (一九四五)
 ジャック・エロルド (一九四七)
 トワイヤン
  トワイヤンの作品への序 (一九五三)
  「夢遊病の女」 (一九五八)
 エドガー・イェネ (一九四八)
 リオペル
  ひそひそ話 (一九四九)
 フランシス・ピカビア
  目隠しをした目のためのオペラグラス (一九五〇)
  手紙 (一九五二)
 ジェローム・カムロウスキ (一九五〇)
 ルフィノ・タマヨ (一九五〇)
 わが友セーグル (一九五一)
 シモン・ハンタイ (一九五三)
 ユディト・レーグル (一九五四)
 マックス・ワルター・スワーンベリ
  ヴァイキングの女 (一九五五)
  私は大きな出会いのひとつに数え…… (一九六一)
 ピエール・モリニエ (一九五六)
 エンドレ・ロジュダ (一九五七)
 ヤーヌ・ル・トゥームラン (一九五七)
 イヴ・ラロワ (一九五八)
 ジョアン・ミロ
  「星座」 (一九五八)
 ル・マレシャル (一九六〇)
 ルネ・マグリット (一九六一)

Ⅳ 周辺
 オブジェの危機 (一九三六)
 シュルレアリスムのオブジェ展 (一九三六)
 ポエム - オブジェについて (一九四二)
 カンディンスキー (一九三八)
 甘美な死骸、その顕揚 (一九四八)
 「素朴派」と呼ばれる独学者たち (一九四二)
 デモンシー (一九四九)
 ミゲル・G・ビバンコス (一九五〇)
 ジョゼフ・クレパン (一九五四)
 エクトール・イポリット (一九四七)
 狂人の芸術、野をひらく鍵 (一九四八)
 マリア (一九四七)
 アグスティン・カルデナス (一九五九)
 ガリア芸術の勝利 (一九五四)
 ガリアからの贈り物 (一九五五)
 十月の教え (一九五四)
 引き綱をかけるデュヴィリエ (一九五五)
 雲のなかの剣、ドゴテクス (一九五五)
 マルセル・ルブシャンスキー (一九五六)
 打倒、悲惨主義! (一九五六)
 近代美術館における百二十五点の傑作 (一九五二)
 アロイス・ツェートル (一九五六)
 象徴主義について (一九五八)
 ギュスターヴ・モロー (一九六一)
 彫刻家アンリ・ルソー? (一九六一)
 シュルレアリスム国際展への序文 (一九五九)
 ジャン・ブノワ、ついに大いなる儀式をはたす (一九六二)
 ミミ・パラン (一九六〇)

Ⅴ 他の流入、接近 (一九六三―一九六五)
 エンリコ・バイ (一九六三)
 ルネ・マグリットの全幅 (一九六四)
 熱帯林に立ちむかうカマチョ (一九六四)
 シルベルマン、「この代価を払えばこそ」 (一九六四)
 ウーゴ・ステルピーニとファビオ・デ・サンクティス (一九六四)
 コンラート・クラフェック (一九六五)

訳注 (巖谷國士)
解題 (巖谷國士)
図版目録 (巖谷國士)
人名解説 - 索引 (巖谷國士)

監修者・訳者略歴



ブルトン シュルレアリスムと絵画 02



◆本書より◆


「シュルレアリスムと絵画」より:

「眼は野生の状態で存在する。地上三十メートルの高さの〈不思議〉も、海中三十メートルの深さの〈不思議〉も、すべてを色彩として虹と関係づけてしまうこの猛々しい眼のほかには、ほとんど目撃者をもっていない。それは精神の航海に欠かせぬものらしい信号の慣習的な交換を司っている。だが、だれが見ることの階梯を立てるのだろうか? 私がすでにいくども見たもの、他の人々もまた見ると私にいったものがあり、気にかけるにせよかけないにせよ、私が見わけられると思っているもの、たとえばパリのオペラ座の正面とか、あるいは一頭の馬とか、あるいは地平線とかいうようなものがある。私がごく稀にしか見たことのないもの、いつも忘れるようにきめていたわけではないもの、また場合によっては、忘れないようにきめていたわけではないものがある。私がいくら目をむけても、あえて見ることはけっしてできないもの、私の愛するすべてのもの(その前では、私は他のものもまた見ない)がある。他の人々が見たもの、見たというもの、他の人々が私に暗示して見せることに成功するもの、成功しないものがある。さらに、私が他のどんな人々ともちがったふうに見るもの、それどころか、私が見はじめる目に見えないものまである。以上がすべてではない。」


「ヴィクトル・ブローネル」より:

「犬と狼のあいだに(夕暮れどきに)という表現は、これ以上ないかたちで、私たちが幼年期にはじめてそれを耳にしたときとかわらぬ恐怖感をおいたまま、戦争の直前にヴィクトル・ブローネルの達成した作品に、感情の境界をあたえていたものだ。」

「そうした関心はドイツ・ロマン派において頂点に達しており(たとえばモーリッツが確言するように、「それを見ることによってわれわれの生活全体の、否おそらくわれわれの人生全体の漠とした展望を得られるような、ある種の物質的な対象が存在する」)、その発展の過程を説明できるわけではないにしても、少なくとも古代以来、原始人以来、こんにちまでつづいていることを確証できるものである。こうした関心、この懸念、この心配は、魔法道士たち、異端者たち、すべての教団の「秘儀体得者」たち、偉大な反抗者たち、偉大な恋人たちだけでなく、その名にふさわしい者にかぎられた詩人たち、芸術家たちをへてきている。人がいわゆる普遍的同意に抗して、あらゆる領域にひろまっている批判にまず専心することを望まず、この世界をおおむね考えうる、住みうる、あるいは安直に改良しうるものとして理解しているかぎり、つくられたものにもつくるべきものにもならないこの世界に叛逆するようなすべての者たちに、こうした関心の刻印がのこされているわけだ。ためらわずいうが、この点で、私の考えはいつも、シャルル・フーリエのそれに支えられている。彼は一八〇八年にはじめて、絶対的懐疑(幾世紀ものあいだ人間が獲得したつもりでいる適合性に対しての)と、絶対的隔離(彼以前に教えこまれてきたすべてのものからの)とを、自分の法則として宣言したのである。」






















































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アンドレ・ブルトン 『狂気の愛』 笹本孝 訳 (新装版)

「La beauté convulsive sera érotique-voilée, explosante-fixe, magique-circonstancielle ou ne sera pas.」
(André Breton)


アンドレ・ブルトン 
『狂気の愛』 
笹本孝 訳

シュルレアリスム文庫

思潮社 
1994年7月1日 新装版第1刷発行
177p 
四六判 丸背紙装上製本 カバー
装幀: 芦澤泰偉



André Breton : L'amour fou, 1938
図版(モノクロ)8点。


ブルトン 狂気の愛 01


目次:

Ⅰ 華麗なレヴューに列をなして登場する男性のダンサー達は
Ⅱ あなたの人生で、もっとも主要な出逅いは何であったか?
Ⅲ 航海者たちが初めて新大陸を望見した瞬間から、新大陸の岸辺に
Ⅳ 包み隠さず言えば、わたしはこの種の飛躍にはためらいを覚える
Ⅴ カナリア諸島最大の島テネリフの高峯テエードの山頂は
Ⅵ 寓話は、美の女神ヴィーナスが、三美神の織りなす衣服をまとっていても
Ⅶ 一九五二年の春、おまえはやっと十六歳になったばかりだろうが

あとがき (笹本孝)



ブルトン 狂気の愛 02



◆本書より◆


「美だけが、世界を押し広げ、世界を部分的にせよ薄暗い森の上に回帰させ、世界のなかに、精神の無限の要求に応じたさまざまの異例な隠れた能力をわれわれに知らしめる。(中略)わたしは内心、舞台の袖で囁かれる会話のように、きわめて無意識裡に感受される知覚こそが、象徴的なものであろうとなかろうと、人間が自分自身に抱えこんでいる何らかの困難を解決するものと確信している。要は迷路のなかを突き進む術を心得ること、それしか解決の糸口はないのだ。妄想的なものの見方がはじまるのは、無用心にも森に迷いこんだ人間が、そうした標識の森のなかでふいに恐怖に襲われるときをおいてない。だが、わたしは、ひとりの人間にとって、彼の欲望が表面的なものに留まっていることに一時的にせよ安住していることよりも、最大限の集中力で手錠をはずしてしまうような生き方に感動するのだ。」

「痙攣的な美は、エロティックであると同時にヴェールに被われ、爆発的であると同時に静止の状態をつづけ、魔術的であると同時に状況的なものであろう。さもなくば、存在しないであろう。」

「今日でもなお、わたしは自分を待命の状態におくこと以外に、期待をよせるものは何ひとつない。またあらゆるものとの出逅いを求めてさまよう渇きの状態以外から期待すべきものなどない。わたしは確信するが、こうした出逅いの状態こそが、わたしに、やはり待命の状態にある他者との神秘的なコミュニケーションを保たせ、あたかも突然の結びつきででもあるかのように、たがいに呼応しあう事態が生じるのだ。わたしの人生は、そのような出逅いを経験したら、待伏人の鼻歌、期待を裏切るための歌のような呟きしか、あとに残さないようにしたい。それは何が起ころうと起こるまいと無関係に、待つことだけが最高に素晴らしいものだからだ。」

「現代的思考の最大のもろさは、わたしには、この先知るべく残されているものに比して、既知のものに対する異常なまでの過大評価にあるように思える。この点で、現代の思考に努力というものに対して徹底した嫌悪を抱く姿勢に従う以外何の方策もないことを納得させるには、何よりもヘーゲルの次の言葉をその証人として呼びよせる以外に有益なものはないだろう。ヘーゲルは言う。《精神は、今なお白日のもとにさらけだされない神秘的なものがオブジェのなかに残されていればいるほど、わずかにオブジェに相対したときに、精神が大きく飛躍したいという生き生きとした欲望にかられ、つねに眼ざめ、状態が保たれるのだ》と。この言葉から、次のように演繹することは可能だろう。すなわち、全的な異様性というものは、明白な確認事項から発せられるかぎり、いかなる口実をもってしても、告発されえぬものである、ということを。」

「《狂気の愛》、この言葉は、おまえの出生の神秘をおまえに解き明かすことのためだけに生まれた。そのためあるいはおまえの期待にそぐわないことがままあるかもしれない。わたしは長い間、子供を作ることを最悪の狂気と考えていたのだ。ともかく、わたしに生命というものを与えた人たちをうらみつづけていた。おまえも、ある時期には、わたしをうらむようになるかも知れないね。」
「わたしの小さな娘、まだわずか八ヶ月で、いつもにこにこ笑い、サンゴと真珠が合わさったように生れついた娘、つまりおまえは、十六歳になったとき、おまえの生誕にはいっさいの偶然がとりのけられていたこと、おまえの生誕は早すぎも遅すぎもせず、まさに産み出さるべきときに産み出されたこと、そうして、おまえの柳のゆりかごの上にはいかなる影も待ちうけていなかったことを、知るようになるだろう。」












































アンドレ・ブルトン 『秘法十七』 入沢康夫 訳

「子供のころ、墓地へ連れて行かれるようになってまだはじめのある時――数多い、気も滅入るような、あるいはばかばかしい、墓碑のあいだに――「神なく主人なく」という傲然たる銘が赤い大文字で刻んであるだけの一枚の簡素な花崗岩の碑板を発見したことによって私にひきおこされた、心の安らぎや高揚や誇りを、私は決して忘れないだろう。」
「反抗なのだ、反抗だけなのだ、光を創り出すものは。」

(アンドレ・ブルトン 『秘法十七』 より)


アンドレ・ブルトン 
『秘法十七』 
入沢康夫 訳


人文書院 
1993年8月25日 初版第1刷印刷
1993年8月30日 初版第1刷発行
217p 
四六判 丸背紙装上製本 カバー
定価2,472円(本体2,400円)



本書「訳者覚え書」より:

「アンドレ・ブルトンの『秘法十七』 Arcane 17 の本邦における初訳は、故宮川淳氏の手になるもので、一九六七年の秋に、『秘法十七番』の題名で晶文社から刊行されている。
 いっぽう、ここに収めた拙訳は、宮川氏の訳書刊行の数年後、「アンドレ・ブルトン集成」収録のために二年がかりでなされたものだが、(中略)収録予定の巻の刊行を見ないうちに同全集の刊行が中断され、(中略)訳稿は約二十年間にわたって、版元のロッカーで冬眠状態になっていた。それが今度、完結しなかった全集の枠をはなれ、同じ社から単行本として上梓されることになった次第である。
 上記宮川淳氏の訳本は一九四四年刊の初版本にもとづいているが、拙訳は、一九四七年にフランスで出た、巻末に「透し彫り」 Ajours と題された三章からなる文章が追補された増補改訂版(中略)を底本としている。」



André Breton: Arcane 17
本文中図版1点(キルヒャー『エジプトのオイディプス』より「女神イシス」)。


ブルトン 秘法十七 01


帯文:

「いまシュルレアリスムに注がれる
熱いまなざし!
詩と自由と愛への限りない欲望。」



内容:

秘法十七 付: 透し彫り

訳者覚え書



ブルトン 秘法十七 02



◆本書より◆


「あの愛、私がその愛のうちに真の万能薬を、どんなにそれが宗教的その他の目的ゆえに、うちまかされ、声価を傷つけられ、嘲けられていようとも、見ようと固執するのを、何物も妨げるわけにはいかないだろう。贖罪という欺瞞的でがまんのならないいっさいの観念を別にすれば、実存と本質との最高度の融合が実現されるのは、まさしく愛によって、ただただ愛によってのみなのであり、愛なくしてはつねに不安で対立的でありつづけるこれら二つの概念を、ただただ愛だけが、苦もなく、完全な調和において、曖昧さなしに、和解させることに成功するのである。当然のことながら、私が言っているのは、全権能をほしいままにする愛、生の全持続に合致する愛、その対象をもちろん唯一人の存在のなかにのみ認めることしか肯(がえ)んじない愛のことだ。」

「ここでは、(中略)人間よりもずっとずっと遠くから来て、そしてまたずっとずっと遠くまで行く何物かがあるのだ。」
「そもそもの最初からあって、いまもわれわれにとってなによりも有害でありつづけている誤りの筆頭にあげられるのは、宇宙のもつ意味はただ人間だけが感知できるのであって、そのとき、たとえば動物たちには意味を欠いている、という考えである。人間は、万物創造における大いなるエリートであると慢心している。」
「人間の思想とは、一つの総和である。そうだ、厳密性を欠いたさまざまの仮定の総和であって、それらはいずれも、かならずしもそれでなくてもよいようなものであり、その大部分は決定的に無効が宣告されているというのにそれでもどこ吹く風とみずからの結論をまくし立てている。こうした思想の運命は、何が起こっても、おのれの辿ってきたそれまでの道筋を引返すことができないということであるようだ。」

「いかなるものであれ通念となっているものが、あらゆる先入見からまぬがれた定義によって検討され、すみからすみまで検査されることを条件としてでなければ、もはや受けいれられない。そういったまったく新しい実験室ができるのは、一体いつのことか?」

「何よりもまず良いことは、もろもろの概説書が喧伝しているような、人間の文化というものは秩序整然たる必然的な活動の所産であるなどという考えから、手を切ることだろう。」

「芸術が、いわゆる女性の《非合理性》に、決然として優先権を認めんことを。うぬぼれて自分を確実なもの強固なものと思っているが、実は男性の非妥協性の刻印を受けているものすべてを、芸術が遠慮会釈なく敵とみなさんことを。(中略)今はもはや、はっきり言うが、(中略)芸術においては男性に反対し女性の味方をすると何のあいまいさも止めずに宣言すべきときであり、男性がこれまで存分に悪用して来たことが明白になった権力を、男性から取り上げて女性の手に返すべきときであり、女性がこの権力のうち自分の公正な持ち分をとりもどすまで、それももはや芸術のなかでなく生のなかでとりもどすまでは、男性のあらゆる要求をはねつけるべきときなのだ。」

「子供であり女であるもの。芸術が組織的に用意せねばならぬのは、感性が支配する国全体への、彼女の到来である。」

「自由はあらゆる形式の隷属や強制に対する反対ということで非常によく定義づけられる。この定義のただ一つの弱身は、自由を一般に一つの状態として、つまり不動性において、表わしていることで、ところが、その不動性がたちまち自由の破産をひきおこすことは人間の経験があげて立証しているところなのである。人間の自由へのあこがれは、絶え間なく自らを再創造する力として維持されなければならない。だからこそ、自由は、状態としてではなく、絶えざる前進をひきおこす生きた力として、想いえがかれねばならないのである。その上、これは、やはり絶え間なく、この上なくたくみなやり方で自らを再創造する強制や隷属に対して、反対しつづけることのできる唯一のやり方なのである。」
「自由の観念は、(中略)自分で自分を完全に統御している観念であって、人間の特性をなすものについての無条件な見通しを反映しており、これだけが人間の生成に、尊重に価いする一つの意義を賦与するのである。自由は、解放とはちがって、病気に対する闘いではない。それは健康である。」

「ふたたび、ここで見出されたその星は、大いなる明けの明星、窓で他の諸天体を蝕せんばかりの勢いだったあの星だ。」
「反抗なのだ、反抗だけなのだ、光を創り出すものは。そして、この光は自分にただ三つの道しか認めることができないが、その三つの道、詩と自由と愛とは、いずれも同一の熱狂を鼓吹して、人間の心のもっとも秘められた、もっとも光を吸収しやすい地点へと、それを永遠の若さの杯(さかずき)そのものに作り成すまでに、集中されなければならないのである。」



本書「透し彫り」より:

「ある若く美しい婦人で、私がしたしんでいる予言風な夢想の一つに打ち込んでいる人が、いつか私に言ったものである。「ねえ、差当っては、固いことは何一つ言ってはいけないのですわ。固いの反対は何でしょう? (中略)今日は雲の子供たちを作らなくては。よくって、雲のような子供たちではなく、体の部分部分が雲の子供たち、そう、雲の子供たちですの。」

「くる日もくる日も、あらゆる点で、敵の行なったのと同様の一連の行為を、必要にひきずられ、不承不承、果たしていかねばならないわれわれは、敵とともに、一つの共通の限界を持つに至るのを、どうやって避けられるだろう? その点に用心しよう。敵が用いた手段を採用せざるをえないという、まさにその事実のゆえに、われわれは、われわれが勝利をおさめたと思っている当のものによって汚染されるという危険を、おかしているのである。」




こちらもご参照下さい:

アンドレ・ブルトン 『秘法十七番』 宮川淳 訳 (晶文選書)























































アンドレ・ブルトン 『秘法十七番』 宮川淳 訳 (晶文選書)

「わたしは決して忘れることはないだろう、こどものころ墓地につれてゆかれてまだごくはじめのあるとき――たくさんの気分を滅入らされるか、さもなければ愚劣な墓碑にまじって――「神も主人ももたず」という尊大な格言が赤い大文字で刻まれただけの簡素な一枚の花崗岩の板を見出したことがわたしにひき起したほっとした思い、高揚感、そして誇らしさを。」
(アンドレ・ブルトン 『秘法十七番』 より)


アンドレ・ブルトン 
『秘法十七番』 
宮川淳 訳

晶文選書 2

晶文社 
1967年10月30日 初版
1971年1月20日 3刷
125p 
四六判 角背紙装上製本 カバー 
定価480円
ブックデザイン: 平野甲賀



本書「訳者による後註」より:

「神話といい、エゾテリスムといい、それは想像力を発条としての反世界への、自由への欲望なのであって、重要なことはそのような人間精神の根源的な力学としての神話の認識こそであろう。そしてこの認識は必然的に新しい神話への志向と表裏したものでしかありえないが、それが『秘法十七番』の(そして本書以後のブルトンの)主題であり、同時にテクスチャーをなしている。」


André Breton: Arcane 17


ブルトン 秘法十七番 01


帯文:

「シュルレアリスムの頂点をなす ブルトンの後期を飾る代表作 詩と自由と愛をめぐる真の幻想的エッセー」


目次:

秘法十七番

訳者による後註



ブルトン 秘法十七番 02



◆本書より◆


「この愛、わたしがそこに真の万能薬を、いかにそれが宗教的その他の目的のために打ちまかされ、けなされ、嘲笑されようとも、どうしても見ようとするのをなにものも妨げることはないだろう。贖罪という偽りで、耐えがたい一切の観念を別として、実存と本質との融合がもっとも高度に実現されるのは愛によって、そして愛によってのみであり、愛のみが、その外ではつねに不安な、敵対的なものでありつづけるこの二つの概念を、一挙に、充全な調和のうちに、なんの曖昧さもなく和解させることに成功するのだ。わたしが語っているのはもちろん、全権限を掌握した愛、生命の持続するかぎり与えられる愛、その対象をいうまでもなくただひとりの存在の中にしか認めようとしない愛である。」

「自由はあらゆる形態の隷属や束縛に対する反対によってきわめてよく定義される。この定義の唯一の弱点は一般的に自由をひとつの状態として、いいかえれば不動性においてあらわすことであって、ところがこの不動性がそのまたたくまの廃墟をひきずっていることはおよそ人間の体験が立証しているところなのだ。自由への人間の渇望はたえず創り直されうるように保たれていなければならない、自由が状態としてではなく、持続的な前進を伴う生き生きとした力として理解されなければならないのはこのためである。それに、これは自由が、たえず、この上なく巧妙に創り直される束縛や隷属に反対しつづけてゆくことができる唯一のやり方なのだ。」
「自由の観念は自分自身を充全に支配する観念であり、人間を特質づけるものの無条件な展望を反映し、これのみが人間の生成に感知しうる意味を与える。自由は、解放のように病いに対するたたかいではない、それは健康だ。」

「ここでまた見出された星は、明けの明星、窓の他の星たちをかげらせていたあの星だ。」
「光を創り出す者はほかならぬ反抗であり、反抗だけなのだ。そしてこの光はただ三つの道しか自分に認めない、同じ熱中を吹き込み、この熱中を永遠の若さの輪郭そのものとすべく、人間の心の明かされることの少なく、もっとも照らされうる地点に集中しなければならない詩、自由、そして愛。」




こちらもご参照下さい:

アンドレ・ブルトン 『秘法十七』 入沢康夫 訳































































アンドレ・ブルトン 『通底器』 足立和浩 訳

「ふたたび、私は私個人の孤独のことだけを考え、それだけで私の頭は一杯だった。だまし絵の中でのように一瞬その横顔を浮びあがらせて消えていったこれら二人の女たちは、私を耐えがたい妄執から、つまり粉砕することのできないものを粉砕するというあの妄執から(中略)私を解放してくれることはできたけれど、別の形で人生の、私の人生のむなしさを、つまり他者の人生と結びつくことがどうしてもできない私の人生のむなしさを、私の眼にくっきりと映しだしていた。」
(アンドレ・ブルトン 『通底器』 より)


アンドレ・ブルトン 
『通底器』 
足立和浩 訳


現代思潮社 
1978年1月30日 第1刷
291p 別丁図版14p 
四六判 丸背紙装上製本 カバー 
定価2,200円



本書「訳者あとがき」より:

「シュールレアリスムというものを如何なるものと規定するにせよ、シュールレアリスムがまずレアリスムの批判から出発し、現実にたいして超現実を対置しつつ、しかも超現実を現実を完全に超越した何らかの特殊な実体として措定することはせず、むしろ現実/超現実という対立を無効にするような地点、両者を「通底する」ような地点に照準を合わせたことを考えるなら、本書の『通底器』という標題は、シュールレアリスムの問題意識の核心をきわめて簡潔に射抜いていると言うことができる。」


Andre Breton: Les vases communicants
口絵モノクロ図版15点。


ブルトン 通底器 01


目次:

通底器

Ⅰ 「……そして、左手でドレスの裾をちょっと持ち上げると、グラディーヴァの蘇りであるツォエ・ベルトガングは、ハーノルトの夢見るようなまなざしを背に受けて、あのしなやかな落着いた足どりで、陽光のさんさんとふりそそぐ飛び石を伝いながら、通りの向う側へ渡って行った。」
(ヴィルヘルム・イェンゼン 『グラディーヴァ』)

Ⅱ 「私が長いこと愛してきた一人の女性、その人をこれからはオーレリアとよぶことにするが、私にとってその人はすでに失われてしまったのだ。」
(ジェラール・ド・ネルヴァル 『オーレリア』)

Ⅲ 「この星はあなたには、私が見ていたように見えることはけっしてないでしょう。おわかりにならないのね、この星が心をもたない花の、その心みたいなものだってことが。」
(『ナジャ』)

付録
 ジグムント・フロイトからアンドレ・ブルトンに宛てた三通の書簡
 返答


訳者あとがき



ブルトン 通底器 02



◆本書より◆


「一九三一年という年は、私にとってはきわめて暗い見通しと共にはじめられていた。心は悪い状態に停滞したままであり、読者はこのことを、本書の第二部で私が或る目的のために当時の私の錯乱の幾つかを公開せねばならなくなるときに、いやでも御覧になれる筈である。Xはもうそこには居らず、いつの日かそこに帰ってくるということも、もはやありそうになかった。(中略)私は自分に力があるなどとはほとんど思わないが、私は自分の力について長いあいだこう考えていた、もし私に力があるとすれば、その力は全部、彼女をいつまでもひきとめることに役立てられねばならない、と。唯一無二で相互的な愛、いっさいのものを敵に回してでも実現し得る愛という或る種の理想が、実際にはこんな有様であった。この女性に関しては、彼女がどうなったか、今後どうなるのかということは、もはやいっさい私には知ることができないと覚悟せねばならなかった。それは堪え難いことだった。ひどいことだった。いま私はそのことを話している。私がそのことを話すというみじめな思ってもみなかった事態、この不思議で冷酷な事態が現におこっているのだ。私がそのことを話したという事態そのものが、いづれ今度は語られることになるのだろう。」

「ふたたび、私は私個人の孤独のことだけを考え、それだけで私の頭は一杯だった。だまし絵の中でのように一瞬その横顔を浮びあがらせて消えていったこれら二人の女たちは、私を耐えがたい妄執から、つまり粉砕することのできないものを粉砕するというあの妄執から――私の欲望(それはいかなる切れ目もなしに私の人生の持続全体をまきこむ態のものだった)の実現にとって障害物となっていた一切のものを粉砕するという妄執に他ならなかったあの妄執から――私を解放してくれることはできたけれど、別の形で人生の、私の人生のむなしさを、つまり他者の人生と結びつくことがどうしてもできない私の人生のむなしさを、私の眼にくっきりと映しだしていた。それから少したったとある日曜日、私はマルヌ河畔をぶらつきながら、一週間働いてあとの一日を――天気がよければ――青草の生えた一隅ではしゃぎ回ってすごす人たちのことが急に羨ましくなった。私は皮肉な気持をいささかもこめずに、彼らの間におそらく存在するであろう断ち切りがたい、こともなげな関係を思ってみた。二人ずつかたまっている彼らは、或る日さっさと相手を選んだのであり、それ以後はもうたがいに別れることなど問題にもならなかったのだ。(中略)もちろん、ところどころうまくいかないこともたしかにあろうが、彼らの人生はまずまずのところである。それは実質的で、あまり生産的ではないが、少なくとも異論の余地ないものである(引用者注: 「異論の余地ない」に傍点)。(中略)世界を少しは理解しようという欲求、他の人々とは違ったものになろうとする心構え、解決されていない事柄の解決に手をかそうという希望、人の心をかきたてると同時にがっかりさせもするようなこういう要素は、完全に生活の外に締めだされていた。それにしても、森の中に苺が実っているのはこういった連中のためなのだ! 勿論、私が彼らのような生活に適応するにはすでに手遅れであったけれど、彼らが或る程度まで幸福だということをどうして認めないわけにいこう?(中略)私については事情は全く別であり、繰返すが私は一人ぼっちだった。これほど憔悴してしまう前なら私にも実行することができたかも知れない活動について、私は考えていた。しかし、そんなことに言及する価値があるのだろうか、知的な場面で自分がかつて何ごとかをなし得たかも知れないと考え得るためには、どれほどの自惚れが必要なことだろう!」













































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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