ミルチャ・エリアーデ 『19本の薔薇』 住谷春也 訳

「「それは自己暗示の訓練だね」と私は言った。「つまり一種の魔術的儀式だ」
 「それもありますけれど、秘密はもっと深いのです。それは記憶回復(アナムネシス)の訓練なのです」」

(ミルチャ・エリアーデ 『19本の薔薇』 より)


ミルチャ・エリアーデ 
『19本の薔薇』 
住谷春也 訳


作品社
1993年6月5日 第1刷印刷
1993年6月10日 第1刷発行
230p
四六判 丸背紙装上製本 カバー
定価2,200円(本体2,136円)
造本: ミルキィ・イソベ



本書「訳者あとがき」より:

「翻訳の底本とした Mircea Eliade: Nouăsprezece trandafiri, Editura Românul, Bucharest, 1990 は、ルーマニア語オリジナル(一九八〇年パリの Ioan Cuşa 発行)の復版である。」


エリアーデ 19本の薔薇


帯文:

「チャウシェスク政権下の
ルーマニアを舞台に、
「絶対的自由」の
獲得に向けて
世界の記憶回復[アナムネシス]を
希求する老文豪、
その探究の旅に
秘められた
謎とは?

今世紀最大の
宗教学者
エリアーデの
最後の
長編幻想小説!

この小説が文学的に
成功していることは疑いない。
しかし、これほど巧妙に
カムフラージュされた
メッセージが
解読されるかどうかは
疑わしい。
――ミルチャ・エリアーデ」



帯裏:

「◆中沢新一◆
小説家エリアーデは、ときに小説家エーコを凌ぐ。エーコのローマ的知性は、神秘を手玉にとるという不遜をおかしがちだが、ルーマニア人エリアーデはあくまで神秘を愛し、神秘のなかにすみつこうとするからだ。今世紀最大の宗教学者は、最後に書いたこの大小説のなかで、小説が学問を完成し、現代の知性が古代の神話の語りえなかったものを語りつくす、という彼の生涯の理想に、すばらしい実現をあたえてみせたのだ。」



内容:

19本の薔薇
 1~25

訳者あとがき ミルチャ・エリアーデの幻想




◆本書より◆


「さて、肝心なこと。例の非凡そのものの若い二人は、どちらも孤児なのだ。そのためにあれほどみごとに理解し合い、そのために愛し合った、同時に、お互いに。」

「本物の適性をもった生徒が見つかると、セルダルはキャンプの入口の魚のいる池の前へ連れて行き、泳ぐ魚を長い時間眺めさせる。それから、生徒が池の中で自分も体を魚と同じように軽々と自然に動かすようになる(引用者注: 「自分も体を~」以下に傍点)ところを想像させる。もっと正確には、その想像に身をゆだねよ、そう夢見よとうながすのだという。
 「それは自己暗示の訓練だね」と私は言った。「つまり一種の魔術的儀式だ」
 「それもありますけれど、秘密はもっと深いのです。それは記憶回復(アナムネシス)の訓練なのです」」

「「若い連中は決まり文句を乱用する。でも、正しいことが多い。肉体的、精神的なあらゆる技法の大秘密、それは記憶回復(アナムネシス)つまりイデアの想起なのだ」」

「「そもそも」とイエロニムは声を落として、「セルダルはわれわれの祖先の何人かは魚だったという。私は信じる気になりませんが……」
 つまり、これもまた同じだ、と私は自答した。身振りによる、歌唱による、スペクタクルによる記憶回復。イエロニムによれば、これがあらゆる芸術の目標である。それは、どれほど卑俗でも低級でも、あらゆる物体または動作またはできごとのもつ宇宙的次元、言いかえれば精神的意味を啓示することである。
 「だが劇的なスペクタクルによれば」とイエロニムはさらに付け加えて、「いかなる種類の事件でも、そのシンボリックな意味、ゆえに宗教的な意味の解読が、啓蒙の手段となり得ます。もっと正確に言えば、大衆の救済の手段となり得るのです」」

「アルビニは大げさな驚きを見せてまた私を見つめ、それから顔を輝かせた。今にも吹き出しそうに見えた。
 「あんたは眠れないことがあるかね」
 「ごくたまに、何年かに一度。それに、つい何日か前……」
 「そりゃあ結構。私は若い頃から不眠症でしてね。今は分かった。もう治そうとは思わず、睡眠薬も飲まない。不眠症にもそれなりの意義があり、それを専門家もまだ発見していないだけだと思うようになった。とは言え、私の場合はその意義を理解したつもりでいる。不眠症は、さもなければ開くこともなさそうな本を私に読ませてくれるのです。そういうわけで、ここ数年、私は毎夜しばらくグノーシス派の文書とグノーシス主義についての本を読んでいる」
 私の目の不審の念を捕らえたのであろう、説明を加えた。
 「そら、あの古代オリエントの宗派ですよ、キリスト以前にもあり、キリスト以後にも、異教としてあり……」
 「よく覚えていません」と私は言い訳した。「実際、はっきりしたことは何も知りません」
 「私もそうだった、つい三、四年前、ハンス・ライゼガングのグノーシス主義についての本が手に入って、それに夢中になるまではね。特に、グノーシス派の大思想家ワレンティヌスの体系に興味を引かれた。で、さっきあんたが父親を捜すニクリナのことを話すのを聞いていて、私の思い出したのが、宇宙の創造とこの世の悪の存在についてのワレンティヌスの説明だったというわけですよ。ワレンティヌスの言うには、悲劇の始まりは、ソフィア(引用者注: 「ソフィア」に傍点)……。だが、退屈じゃないかね」と、突然彼は尋ねた。」

「「今度は、パンデレ先生はどうなったか、私にも話してくれるでしょうね」
 アルビニは顔をしかめて肩をすくめた。」
「「われわれは何があったか知らないし、あんたの話は何があったか知る役に一つも立たなかった。事実は、パンデレ先生とニクリナとセルダルが消えたということだ……」
 ふっと言葉を切り、しばらく黙ったまま私の目をのぞきこんだ。
 「というと……」と、しばらくして私はつぶやいた。
 「その夜から彼らを見たものはいない。彼らがどうなったのか誰も知らない」」

「イエロニムは長いことだまって思いに沈んでいた。
 「君をだます気はないし、どんなたぐいであれ、幻想をもたせる気はない。君にはあたうかぎり正直にするつもりです。(中略)現実を直視すれば誰でも理解することですが、私たちがまもなく入って行く世界史の局面では、やっと知り始めたばかりの諸々の自由がすべて不可能となるでしょう。これが核戦争の破局を避けるための代価です。だから、明日の社会の諸制度の中で生き残れるように、今から準備しなくてはならない。われわれの同時代人のうち郷愁の目を過去へ向けているものにとっては、近い将来われわれを待ち受けているのは、オーウェルの『一九八四年』やその種の未来小説が描くさまざまな地獄のどれかと同じものです。確かにそうもなり得るでしょう、もしわれわれが明日の社会的政治的組織体の中に、今日(引用者注: 「今日」に傍点)のわれわれのままで、つまり素朴かつ無準備で統合されるならば」」
「「さて、すべての種類のあらゆる(引用者注: 「あらゆる」に傍点)自由の段階的で致命的な喪失は、私たちが絶対的自由と名付けたものによってしか償い得ない。民俗舞踊、演劇、体技、バレエ、詩の朗唱、歌、こういうものすべて(引用者注: 「すべて」に傍点)が禁止されることはあり得ないと私は思う(引用者注: 「思う」に傍点)し、思いたい(引用者注: 「たい」に傍点)。いずれにせよ、瞑想、内面的祈願(夜々、または孤独のときに心の中で繰り返す祈り)、慣れない目には気づかないほどゆっくりしたリズムのある種の肉体運動、すべてこういったものは禁止できない。そうしてこうした瑣末なこと――身振り、歌、習ったのとは違う唱え方による詩、瞑想、内面的祈願、呼吸と視覚化の訓練、これらが脱出の技法となり得る」
 「脱出とは、どこへ(引用者注: 「どこへ」に傍点)?」と私は自分でもほとんど気づかずに口を出した。「どの国へ、どの大陸へ?」
 イエロニムはきょとんとして、耳を疑うかのように私を見た。
 「ほかならぬ君がそう質問するのですか? 君は、少なくとも私に言ったところでは、二十五年前に消滅した森の中へ入って行った、家じゅうの明りがつき、食卓が用意され、シャンパンが冷やされて、一九三八年のクリスマス・イブのままの家に入った、その君がそう尋ねるの? そうして、そのあと、街道の脇の切株に腰掛けて、半分雪に埋まって発見されたその君が?」
 私はまごついて、顔が赤くなった。」
「「いま君に話した脱出には、よその国も、町も、未知の大陸も関係ない。ただそれまで生活していた時間と空間から〈脱出する〉のです、不幸にもかなり近い将来に巨大な収容所の完全にプログラムされた生活と同じことになりそうなその時間と空間から。われわれの子孫は、もし脱出の技法を発見できなければ、そうして、肉体をもちながら自由な存在という、人間の条件の構造そのものの中に与えられ(引用者注: 「与えられ」に傍点)てある絶対的自由(引用者注: 「絶対的自由」に傍点)を活用することを知らなければ、われわれの子孫は自分たちが本当に(引用者注: 「本当に」に傍点)ドアも窓もない牢獄に終身禁固されていると見なし、――そうして、結局、死ぬでしょう。というのは、人間は、限定つきにせよなんらかの自由が可能だとの信念がなければ、そうして、いつの日かその自由を獲得できるだろう、あるいは再獲得できるだろうという希望がなければ、生きて行けないからです」」
「「幻想をもたせる気はないと言いましたね」とイエロニムは続けた。「君は先生とあとの二人はどうなったのかと尋ねた。包まず言うけれど、正確なことは知りません。何も知らせるニュースはない。生きていると思う。そうして生きていればいつかそのしるしを私たちに見せるだろう。それまで何も生きているしるしがないとしても、それは生きていないという意味ではない。どんな生を選んだのか、あるいは選ばされたのか、それは知らない。ただ知っているのは、絶対的自由が実在している(引用者注: 「実在している」に傍点)こと、そうしてそれを認識するもの、あるいは恵みとして受け取るものは、われわれには想像もできない可能性を自由に使えるということだけです。それを私は知っている(引用者注: 「知っている」に傍点)。なぜなら、人間にも、宇宙(コスモス)にも、ここ西洋でおよそ三千年このかた学校で教えてきた次元よりもはるかに多くの次元があると、私は骨の髄から確信しているから」」



「訳者あとがき」より:

「エリアーデ『世界宗教史』によれば、記憶喪失(自分が何者であるかを忘れること)や睡眠は、さまざまな文化で根本的堕落を象徴するが、それは特にグノーシス派に特徴的なイメージである。霊魂は、肉体の快楽を知ろうと望んだとき、本来の住居を忘れ、自分の真の中心と自分の永遠の存在を忘れる。
 また、四章(中略)でニクリナとセルダルが演じるマチエンドラナートのパントマイムは、中世インドの民間説話である。偉大なヨーガ行者マチエンドラナートはカダーリの国の女性たちの虜となって自分が何者であるか忘れる。それを知って弟子のゴークラナートが踊り子の姿で近づき、不可解な歌を歌いながら踊る。するとマチエンドラナートは自分が何者かを次第に思い出し、肉の道が死へ至ること、記憶喪失は、不死という自分の真の性質を忘れて失うこと、カダーリの女の魅力とは、俗世の夢のかげろうであることを理解する。この伝承の由来はウパニシャッドにまで遡れるという。」




◆感想◆


本書で女性が霊的指導者の役割を果たしていたり、婚礼が大きな意味を持たされていたりするのも、ヴァレンティヌス(本書の表記では「ワレンティヌス」)に由来します。

本書には「もしもヘーゲルが正しければ、われわれはおしまいです」という発言がありますが、『エリアーデ日記』には次のようにあります。

「西欧がヘーゲル、マルクス、と歴史主義を通して唯一の可能な解決(自らを歴史の作品と認め、この状態を引き受けること)と見なしていることはインドでは奴隷状態、苦難、そして無知と評価される。絶対的自由はカルマの廃棄、すなわち要するに歴史の廃絶によってしか得られないのである。」

この小説の最後に、サルトルの「Nous sommes condamnés à la liberté」(本書では「われわれは絶対的自由という罰を受けている」と訳されています)が引用されていますが、エリアーデにおいては絶対的自由=歴史の廃棄なので、ここでサルトルの言葉と対になっている「A bon entendeur, salut!」(本書では「それだけ言えば分かるはず」と訳されています)つまり〈聞く耳を持つ者=理解する者は救われる〉は、自由は自由でもサルトルのいうような自由ではなくグノーシス的な自由が問題なのであって、ヘーゲルやサルトルのような歴史主義的アンガジュマン(社会参加)では人類は救われない、救いはむしろグノーシス(認識)を得、歴史から逃れ社会から姿を消して別の次元で「人知れず(インコグニト)」生きる人々によってもたらされる、ということだとおもいます。

「一番難しいこと、さらに言えば今日西洋では得られないもの、それは非人格的意識である。最近の数世紀に至ってなおこのような意識を実現できたのは数人の神秘家だけであった。」
「こうしたことを私はかずかずの長いトランス状態のなかで知った。そのなかで私は壮麗をきわめるシャンバラを見る。雪を載く山々のあいだの緑の仙境を、異形の家々を、ほとんど言葉を交わさずによく理解し合っている不老の人びとを見る。ほかのすべての人のために祈り考えているこの人びとがもし存在しなかったら、ルネサンスこのかた近代世界が解き放った悪魔的諸力のために全大陸は崩壊しただろう。」
(「ホーニヒベルガー博士の秘密」より)

「19本の薔薇」が何を意味するのかはよくわからなかったですが、永遠の(無時間の)世界に亡命したパンデレ(父)/ラウリアン(子)/ニクリナ(聖霊=ソフィア)のトリニティから語り手のもとに贈られてくる19本の薔薇が、最初に語り手が買った19本の薔薇そのものであり、全く同じ薔薇が何度も贈られてくるのだ、ということはわかります。

ところでわたしは睡眠が好きなので、睡眠のために弁護しておきたいですが、それは、グノーシスでは、地上の生活にいそしんでいっしょうけんめい前向きに社会生活を営むことを「睡眠」と呼び、政治経済歴史地理などの社会生活に役に立つ知識や社会人としての常識を身につけることを「記憶喪失」と呼んでいるということです。










































































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ミルチャ・エリアーデ 『令嬢クリスティナ』 住谷春也 訳

「「私はときどき夢を見ているような気がする」と、ナザリエ氏は独り言のように続けた。
 「ぼくもそんな気がするのです」とエゴールが呟いた。」

(ミルチャ・エリアーデ 『令嬢クリスティナ』 より)


ミルチャ・エリアーデ 
『令嬢クリスティナ』 
住谷春也 訳


作品社
1995年2月20日 第1刷印刷
1995年2月25日 第1刷発行
245p
四六判 丸背紙装上製本 カバー
定価2,200円(本体2,136円)
造本: ミルキィ・イソベ



本書「訳者あとがき」より:

「現代ルーマニア文学の巨匠ミルチャ・エリアーデ(一九〇七―一九八六)の(中略)『令嬢クリスティナ』(Domnișoara Christina, 1936, Bucharest)は、少年時代の習作を別にすれば、最初の幻想小説である。エリアーデはインドでの恩師の娘との悲恋を実名で赤裸々に回顧した『マイトレイ』で一躍流行作家となって以来、(中略)立て続けに長篇小説を発表していた。それは(中略)いずれもリアリズムの小説だった。ところが、(中略)『令嬢クリスティナ』以降は、国内でも、亡命後も、もっぱら幻想小説を書き続けた。(中略)『令嬢クリスティナ』は作家エリアーデの第二の出発点だったと言うことができる。」


エリアーデ 令嬢クリスティナ


帯文:

「今世紀最大の宗教学者
エリアーデの
処女幻想小説

巨匠
エリアーデが描いた
妖しくも
エロティックな
吸血鬼伝説」



帯裏:

「これは若くして死んで現実を離れ切れぬ女の幽霊の恋物語だ。Z村の貴族屋敷の住人たち、モスク未亡人とその娘二人は、令嬢クリスティナの美しい絵姿を生前の寝室に飾り、さながら聖画像のように渇仰していた。令嬢は未亡人の姉で、ルーマニア全土を震撼させた1907年の大農民一揆に巻き込まれたのだ。まだはたち前だった。死骸は見つからなかった。物語の舞台はそれから30年近く経っていて、貴族屋敷を訪れた青年画家と考古学者は、令嬢クリスティナについて村では身の毛もよだつような噂がささやかれていることを知る……。」


内容:

令嬢クリスティナ
 1~19

訳者あとがき




◆本書より◆


「「素晴らしい夜だ……」と、しばらくしてナザリエ氏がバルコニーへ顔を向けて言った。
 闇の中に、うっすらとではあるが、木々の大きな輪郭が見分けられた。エゴールも振り向いた。」
「「長い間じっとしていて」とナザリエ氏が、「急がないで、ゆっくりと息を吐くと、ドナウ川の匂いがしますよ……。私は感じます」
 「でもずいぶん遠いはずですが」とエゴールは言った。
 「三十キロばかり。もうちょっと近いか。でも同じ夜です、すぐにそれが感じられますよ……」
 ナザリエ氏は立って、バルコニーへ歩み寄る。いいや、月夜はまだ何日か先だと、闇を見てすぐ気づいた。
 「空気も同じです」と付け加えて、頭をゆっくりとめぐらせ、口を大きく開けて空気を吸い込んだ。「あなたはどうやらドナウ近辺に滞在したことはないようですね。さもなければ、この匂いに気づかないことは、まずないはずだ。私はバラガン平野[ルーマニア平原の頭部の称。穀倉地帯、かつては一面の森林]を流れるドナウ川を感じます」
 相手は笑い出した。
 「バラガン平野とはオーバーじゃありませんか」
 「いや、いや」とナザリエ氏は説明する。「というのは、水の匂いではない、湿った空気ではないのです。それはむしろけだるい匂いです、粘土と、ある種のとげのある雑草からもたらされる……」
 「かなり漠然としていますね」とエゴールは笑いながら言葉をはさんだ。
 「でもすぐにそれと分かりますよ、どこにいても」とナザリエ氏は続けて、「ときどき、遥か遠いところで森林がそっくり腐っているというような気がすることがあります、これほど複雑でしかも自然そのものの匂いを風が運んでくるのですからね。昔はこの近くに森が広がっていました。テレオルマン森です」」

「「ドナウ川を感得する度に、私はどれほどの喜びにひたることか、それがたとえこのような場所からであっても」と、彼は声を落とした。「それは別の魔力です、受け入れ易い魔力で、恐ろしくはない。(中略)しかし、見なさい、森は君をおびえさせ、狂わせるのだ……」
 エゴールは笑いだした。部屋の中へ一歩進んだ。ランプの明かりがまた全身を照らした。
 「もちろん、分かります」とナザリエ氏が続けた。「森林は、君のように教育を受けた、迷信をもたない若い人でさえ恐れさせる。だれも逃れようのない恐怖です。植物生命があまりにも多い。そして老樹はあまりにもよく人間に似ている、特に人間の体に……」
 「怖くなって窓際を離れたとは思わないでください」とエゴールが言った。「煙草に火をつけようと思ったのです。今そこへ戻ります」
 「それには及びませんよ。そうですな。こんなアカシアの林では怖いはずはありませんね」とナザリエ氏は言い、部屋に戻って長椅子に腰を下ろした。「でも今私が言ったことは本当ですよ。もしドナウ川がなかったら、このあたりの人間は頭がおかしくなっただろう。もちろん二、三千年前の人間のことだが……」」

「「羊飼の息子が死んだお姫様に恋をするお話なの」とシミナは静かに話しだした。
 あどけない口元から発されたその言葉の異様な響きにエゴールは思わず震え上がった。」
「「おとぎ話ですもの。それが羊飼の息子のさだめだったの……」
 「人間のさだめということが君に分かるの?」
 「さだめ、人の運命または宿命」とシミナはすぐに授業のときのように答えた。「人はそれぞれある星の下で、それぞれの運勢をもって生まれるの。それよ……」
 「君の言うとおりかもしれない」とエゴールは微笑んだ。
 「むかしむかしあるところに一人の羊飼がありました」とシミナはもう口を出す間を与えずにせかせかと話しだした。「生まれるとき、巫女が言いました、『この子は死んだお姫様に恋をするだろう』。母親はそれを聞いて泣きだしました。巫女は三人いて、別の巫女が母親の嘆きがかわいそうなので言いました。『お姫様の方でもおまえに恋をするだろう』」
 「そのお話をどうしてもおしまいまでしたいの?」とエゴールが口をはさんだ。
 シミナはきょとんとしてエゴールを見た。無邪気だが冷たい、高慢な目つき。
 「あなたがお話を聞きたいと言ったのよ……」」

「エゴールは逆らった。窓際へ身を引いた。力を奮い起こして言った。
 「あなたは死んでいる。あなたは自分が死んだことを知っている(引用者注: 「知っている」に傍点)……」
 マドモアゼル・クリスティナは悲しく微笑み、またエゴールに近寄る。さっきよりも青白く見えた。月の光を浴びているのだろう。〈突然に、思わぬところへ現われた月〉とエゴールは考えた。
 「でもエゴール、あなたを愛しているの」とささやくように、「そうしてあなたのために、遠い遠いところから来るのよ……」」

「「私はときどき夢を見ているような気がする」と、ナザリエ氏は独り言のように続けた。
 「ぼくもそんな気がするのです」とエゴールが呟いた。」

「(エゴール、あなたのために私が何をしたのか、決して分からないでしょうね。私の勇気が分からないわね……。私にかかる呪いの重さを思ってみて……。生者との恋!)さびしげに微笑んだ。その目は、やるせないメランコリーに涙ぐんだようだ。」
「(私はもう夢の中にいたくはないわ)とマドモアゼル・クリスティナはエゴールに思考を続けさせる。(もう冷たい不死はいやなのよ、エゴール、愛しい方!)……」

「エゴールはおののいた。けれども、それはもう恐怖ではなくて、全身の期待だった、われを忘れて陶酔を待ちわびる全身の錯乱だった。肉は、息も詰まる悦楽にひれ伏し、狂い砕ける。クリスティナの口は夢の果物の味がした、すべての呪われた禁断の酩酊の味がした。思い描けるかぎりの破廉恥な情事にも、これほどの毒が、これほどの甘露が滴ったことはない。クリスティナの腕の中でエゴールは、不埒(ふらち)極まる歓喜とともに、すべてを分かち合う無上の寂滅を感じていた。近親相姦、犯罪、狂気――恋人、妹、天使……。すべてがこのめらめらと燃える生命なき肉体のもとに集まり、そうして溶け込むのだった。
 「クリスティナ、これは夢なのか」と呟くエゴールは蒼白、瞳には霞がかかっている。
 娘は微笑みを向けた。その唇の露は揺らぎもせず、口許には微笑が彫り込まれたまま、それにもかかわらず、エゴールには答えがはっきりと聞こえた。
 (……こうして、片目をつぶると、両目で見るよりもこの手が小さく見えるの……。実は、この世界は人間の魂の見る夢なのよ(引用者注: 「こうして~」以下に傍点)……)
 〈そうだ〉とエゴールの頭を思考が通る。〈彼女の言うとおりだ。ぼくは今夢を見ているのだ(引用者注: 「ぼくは今~」に傍点)。そうして揺り起こすものはもうだれもいない〉」





TRAILER DOMNISOARA CHRISTINA















































































ミルチャ・エリアーデ 『マイトレイ』 住谷春也 訳

「この本は冒頭から結末まで真実です。……私はある種の真正さというものを愛し、支持しています。文学は個人的であるほど時代の魂を捉える可能性が高いと思っています。そもそも、私の書く物はほとんどが個人的なものです、学問的な仕事のばあいでさえも……」
(ミルチャ・エリアーデ)


ミルチャ・エリアーデ 
『マイトレイ』 
住谷春也 訳


作品社
1999年7月5日 第1刷印刷
1999年7月10日 第1刷発行
253p
四六判 丸背紙装上製本 カバー
定価2,200円(税別)
造本: ミルキィ・イソベ

付録「ミルチャ・エリアーデへのオマージュ」(8p):
ミルチャ・エリアーデについて(平野啓一郎)/小説家エリアーデ讃(若島正)/図版(モノクロ)3点



本書「訳者あとがき」より:

「『マイトレイ』 Mircea Eliade: Maitreyi, Ed. Cultura nationalia, Bucharest, 1933 は現代ルーマニアの代表的作家ミルチャ・エリアーデの青春の告白小説である。」


エリアーデ マイトレイ


帯文:

「私があれほど夢み、
そして愛したインドは
決定的に閉ざされた。

生涯の師の逆鱗に触れた
インドでの
恋愛スキャンダルを
赤裸々に綴った
若きエリアーデの
〈悦楽の神話〉」



内容:

マイトレイ
 1~15

訳者あとがき 『マイトレイ』――永遠への告白




◆本書より◆


「そうして、片手にパイプ、片手に鞭を持ってゆくうりと歩きながら――まだ日光は野を燃やさず、小鳥のさえずりもまだ香料と肉桂の香りのする野薔薇の茂みの中だった――突然身内を異常なものが走るのを覚え、そうだ、おれは孤独だった、一人で死ぬのだと気づいた。それは悲しい思いではなかった。逆に、静かに、晴れやかに、まわりの野原となごみ合う自分を感じた。そうして、おまえはあと一時間で死ぬと告げられても悔いはなかったろう。草に寝て、腕を頭の下に組み、上に広がる青の大海原を眺め、分秒が流れるのを、数えもせず、急きたてもせず、ほとんど感じもせずに待ったろう。そのとき私の中で息づいていた自然な、人間離れした壮大なものは何だったのか。なに一つ望みはしなかったが、何でもやってのけたろう。驚異に満ちたこの世界における孤独の味わいに酔いしれた。」

「「木のお話をしてよ」とチャブーが、言葉遣いが正しいかと姉の顔をうかがいながら言った。
 私は、なにか考え出せそうだと思って始めた。
 「むかしむかし一本の木がありました。木の根元には宝物が隠してありました。一人の騎士が……」
 「それなあに、騎士って?」とチャブーが訊ねた。マイトレイがベンガル語で説明している間、私はその先言うことを考えた。
 「一人の騎士がある夜のこと夢で妖精に宝物のありかを教わりました。(ばかばかしいことを言っているような気がして女の子たちの顔が見られず、うつむいて靴の紐を結びなおした。)魔法の鏡の力で騎士は宝物を見つけました。(もう続ける力がなくなった。マイトレイが私の困惑を察しているような気がしたが、眼を上げると、娘は一心に耳を傾けていて、見たところ、続きを知りたがっているようだ。)けれども、宝物の上には生きた竜が燠(おき)のような目を光らせ、口から火を吐いていたので、騎士はびっくりしました。(こう言いながら私は赤面した。)そのとき……」
 「でも木は? 木は何と言ったの?」とチャブーが口をはさんだ。
 「それは魔法の木ではなく、話すことはできません。だから何も言いませんでした」
 「でも話すのにどうして魔法が要るの?」とチャブーは訊ねる。
 私は少々まごついて、頭の中でつぶやいた。汎神論か。
 「とにかくお話はそうなっていてね、魂はどの木にもあるわけじゃなくて、魔法の木だけなんだよ」
 チャブーはひどく興奮してマイトレイに何か言った。そのとき初めて私はベンガル語が一言も分からないのを残念に思った。」
「「何と言っているの?」と、マイトレイに声をかけた。
 「この子の木には魂があるかと訊くの。木はみんな魂を持っていると言って上げました」
 「でもその子は自分の木を持っているの?」
 「木というより灌木ですけれど。中庭の、ベランダの手すりに枝を張っているあれ。チャブーは毎日食べ物をやっているの。タルトやケーキや、自分の食べ残しを何でも」
 私はたのしくなって頭の中で繰り返した。汎神論だ、汎神論。目の前にその貴重なサンプルがあるのだ、と考えていた。
 「そうか。でもね、チャブー、木はタルトを食べないよ」
 「だって私は食べるもの!」と、チャブーは私の言い方にひどくびっくりして答えた。」

「「わたしは一本の木を愛していました。ここの言葉で七つ葉(引用者注: 「七つ葉」に傍点、以下同)という木なの」
 「今はチャブーも自分の木を持っているわ。でもわたしのは大きかったわ、そのころわたしたちはアリポールに住んでいて、そこにはたくさん、力強い木があって、わたしが好きになった木は、高くて、凜(りん)としていて、でもとても優しくて、心を慰めてくれる木なの……その木から別れられなくなって。もう一日中抱きしめて、話しかけて、口づけして、泣いていたの。詩を捧げて、文字には書かないで、木にだけ読んで聞かせたわ、ほかのだれにもわたしの気持ちは分からないでしょう? そうして木が枝をたわめて葉でわたしを撫でてくれると、あまりうれしくて気持ちがよくて、息もできないの。倒れないように、幹に寄り掛かるの。夜になると、服も着ないで抜け出して、わたしの木に登るの。一人では眠れなかったの。上で、葉の間で泣いて、朝が近づくと震え出して。(中略)そのときからわたしは心臓の病気になったのよ。そうして、毎日七つ葉の木の新しい枝を持ってきてもらわないと、ベッドにいられなかったの……」
 おとぎ話を聞くような気分で耳を傾けていたが、同時に、マイトレイが私から遠ざかるのを感じていた。これはなんとややこしい魂だろう。改めて思い知らされること、それは、単純で、素朴で、明瞭なのはわれわれ文明人の方だということだ。私がその一員になりたいと思うほどに深く愛しているこの人たちは、その一人一人が測り知れない歴史と神話を秘めている、彼らは分厚く、深く、ややこしく、理解しがたいということだ。」

「チャブーはますます悪くなった。呼ばれた医師たち(中略)には診断がつかなかった。ある医者はたぶん早発性痴呆だろうと考えた。あるものは子宮転位から来る性的神経症と言った。(このかわいそうな少女は、最近何度か木から危険な飛び降りをしたし、階段があれば必ず段を飛ばして跳ねるのだった。)今では、セン夫人の寝室の隣部屋で寝かされていた。ほとんどものを言わず、(中略)ひとりになると必ず抜け出してバルコニーで道を眺め、歌を歌い、道へ向けて腕を振り、泣くのだった。」

「ラクナウ行きの急行を縮こまって待つ間、(中略)この逃避行を最初からたどり直して見ようとした。欠落の時間、欠落の夜があり、この記憶の空白がひどく気になった。もし頭がおかしくなったとすると、と自問する。何も考えるな、と自分に命じた。《すべては過ぎ去るだろう、すべては過ぎ去るのだ》とつぶやいた。(そのときに学んだこのリフレーンが後に私の人生のライトモチーフになった。)」

「なぜ育つのか、だれのためにそのまれな美を顕わすのかと森に問うものはだれ一人いない。この森よりも意味のあるものがほかにあり得るか? 私はガンジスの流れにゆったりと朗らかに酔いしれて浮かぶ切り株になりたい。もう何も感じず、何も思い出さないように。鉱物への、たとえば水晶への回帰は、果たして実存の一つの意味ではないのか? 水晶になること、水晶のように生きて光を分け与えること……。」









































































ミルチャ・エリアーデ 『ムントゥリャサ通りで』 直野敦 訳

「しかしもっと後では、地下の生活を知りたいというこの願いが、一種の執念となって彼をとらえるにいたったことは疑う余地がありません。」
(ミルチャ・エリアーデ 『ムントゥリャサ通りで』 より)


ミルチャ・エリアーデ 
『ムントゥリャサ通りで』 
直野敦 訳


法政大学出版局 
1977年2月15日 初版1刷 
1988年5月30日 2刷
174p 
四六判 丸背紙装上製本 カバー 
定価1,300円



本書「訳者あとがき」より:

「テキストはルーマニア語のオリジナル版(Pe strada Mântuleasa..., 1967)を使用し、またズーアカンプ社のドイツ語版(Auf der Mântuleasa-Strasse, 1972)をも参照した。」


エリアーデ ムントゥリャサ通りで


カバー絵はアルフレート・クービン『対極』挿絵より。



◆本書より◆


「理解して頂くには、すべてがあの先ほど話したタタール人の少年、アブドゥルに端を発していることをご承知願わねばなりません。あなたにお話しましたように、この子が仕事しているところを私も目にしたのです。部屋に入ると、床にトルコ式に膝を組んで、ふところから革製の袋のようなものをとり出すと、自分の言葉タタール語で、私には皆目わけもわからない文句をとなえはじめました。その時、私はそれまで見たこともない光景を目のあたりに見ました。部屋中の蠅が彼の頭の上あたりに黒い群れをなして集まり、そしてひと塊の糸巻のように固まったと思うと、その袋の中へすぽんと入ったのです。アブドゥルは袋の口をしめると、それをまたふところに入れ、微笑しながら立ち上がりました。私は彼に半レウ銀貨をやりました。そして丸一週間のあいだ、それも本当にかっきり一週間だけは、私の部屋にただ一匹の蠅も見かけませんでした。廊下でぶんぶんとんでいましたし、何匹かは窓ガラスにもとまっていました。しかし部屋に入ってくるのは一匹もいなかったのです。一週間後に、アブドゥルはあとの半レウ銀貨を貰いにやってきました。その翌日、すなわち少年が呪(まじな)いをして八日目に、蠅どもは、前よりも数が多いような感じでしたが、どっとまた部屋になだれこんできました。もちろん私は、またその蠅退治に少年を呼びよせました。(中略)……それが私の実際に見たことです。しかしアルデアは、もうその一年前にアブドゥルと親しくなっていたのでした。アブドゥルが彼になにを語ったのか、またどこまで語ったのかは知りませんが、ずっと後に私がリクサンドルから聞いたところでは、アルデアが秋にブクレシュティへ帰ってきた時には、アブドゥルからある秘密を教わってきていました。私の理解した限りでは、その秘密というのはどうやらこんな話です。すなわち、もしいつか、人の住んでいない、水の溜まった地下室があったならば、どんなものか知りませんがあるしるしを探せ、そしてそのしるしが全部揃っていたら、その地下室は魔力にしばられていて、そこからはあの世へ渡っていけると考えていいというものです。」

「彼の本当の名前が何だったのか、それを知っていたのは森番だけです。彼はドクトルを子どもの頃から知っていたからです。人々が彼をドクトルと呼んでいたのは、彼がいろんな薬草に詳しく、またしょっちゅう遠いよその国々に出かけていたからです。(中略)しかし、彼の最大のおはこは奇術でした。」
「私は、彼が仕事をしている、いやつまり手品をやっているところを幾度か見ました。(中略)ある日曜日の夕方で、私たちは帰りの馬車に馬がつながれるのを待っていました。(中略)《まあ、ちょっと待ってくれ、いまいいものを見せてやるから!》とドクトルが叫んで、みんな静まるようにポンポンと手を打ち鳴らしました。それから両手をポケットにつっこみ、眉をしかめて考えこんだ様子で、私たちの前を行ったり来たりしはじめました。急に片手を上に振りあげてなにかを掴みました。私たちが目をこらして見ると、それは一種の長い定規のようなものでしたが、ただしガラス製のものでした。それを地面において、引っ張り、長く延ばしはじめました。そしてあっというまに、それは厚くて高さが一メートル半くらいのガラス板になりました。それをしっかり地面に据えつけると、その一方の側を掴んでまた引っ張りはじめました。するとガラスは彼の後についてどんどん延びていくのです。そして二、三分のうちに数メートル四方のガラスの水槽、あの水族館にある水槽を巨大にしたようなものができ上りました。そして私たちは、地面から水がすごい勢いで噴出して水槽の縁まで水がいっぱいになるのを見ました。ドクトルがさらに幾つかの形を手で空中に描くと、大きい、色とりどりの、種々様々の魚が水槽の中で泳ぎはじめたのを私たちは見ました。私たちはまるでその場に凍りついたようになっていました。ドクトルは煙草に火をつけ、私たちの方を向いて言いました。《近づいてごらん、そして魚たちをよく見て、君たちにどれをあげたらいいか私に言いなさい》 私たちは近づきました。そして青色のひれをつけ、ばら色の目をした大きな魚に目をとめました。《ほう》とドクトルは言いました。《君たちはいいのを選んだね。これは Ichtys columbarius (イクティス・コルンバリウス)といって、熱帯地方の海にいる珍しい魚だ》 そう言うと、煙草を口にくわえたまま、まるで影のようにガラスの中を通り抜けて水槽の中へ入りました。そして、私たちみんなによく見えるように、しばらくの間、水槽の真中の水の中で魚たちに囲まれて立っていました。口に煙草をくわえて、それをふかしながら歩きまわっていました。それから片手を延ばしてコルンバリウスを掴みました。入って行った時とまったく同じように、口の端に煙草をくわえ、片手に魚をつかんだまま、ガラスを通り抜けて出てきました。そしてその魚を私たちに見せてくれました。私たちは、ドクトルの手の中でもがいている魚も眺めましたが、それよりも目を皿のようにして見つめていたのは、彼の姿でした。ドクトルの身体にも顔にも服にも一滴の水もついていませんでした。私たちのうちのひとりが魚を片手に受けとりましたが、すぐに草の上に落としてしまいました。そして、私たちはみんなそれを捕えようとしてとびかかりました。ドクトルは笑っていました。魚を掴みあげると、水槽に近づき、ガラス越しに片手を延ばして魚を水に放ちました。それから両手をうち鳴らすと、たくさんの魚もろとも水槽は忽然と消え去ってしまいました……」

「おそらく、こういった西ヨーロッパから来た職人たちのひとりから、ヨルグ・カロンフィルは、あの伝説や迷信をはじめて聞いたのでしょう。地中に魔法をかけられて埋められている水晶や宝石、それを見つけ出すのは大変に困難で、ある種の人間にだけそれができるのだという例の言い伝えと迷信です。」
「しかしもっと後では、地下の生活を知りたいというこの願いが、一種の執念となって彼をとらえるにいたったことは疑う余地がありません。(中略)西ヨーロッパから来た職人たちが彼に話してきかせたあらゆる伝説や迷信のたぐい、太陽と月の作用によって鉱石や宝石がどんなふうにできていくかという話、山中でどういうふうに鉱脈が大きくなり、そして仙女に守られているかという話、その他これに似たような話を聞いてからヨルグは、ルーマニアの百姓たちが、復活祭に赤く染めた卵の殻を小川に流して、川の流れがそれをプラジン――地底のどこかに住んでいる、魔法にかけられた生物ですが――そのプラジンたちの国へ運んで行き、復活祭の来たことを告げ知らせるのだ、と話していたことを思い出しました。
 そこでヨルグは、もうヨーロッパの職人たちや山師たちのことは忘れてしまって、田舎に出かけて自分の領地やその周辺を歩きまわり、古老や老婆を探し出しては、彼らがプラジンと地下のその国について知っていることをすべて語らせるということをはじめたのです。けれどもこの老人たちにしても、世間のだれもが知っていること、すなわちこのプラジンたちがとても温和な、情深い生物たちで、そこ、すなわち地中で、人間たちの捨てた残りものを食べて生きていて、たえず祈りを捧げているということ以上には知りませんでした。ただプラジンたちについては、大昔には地面の上に住んでいて、ある事件が起きてから地下に移り住んだということが知られていました。ところでヨルグは、この言い伝えがなにか衝撃的な真理を秘めており、人はその意味を理解することさえできれば、プラジンの国へ降りて行く道を見出せるばかりでなく、同時に、教会が洩らしてはならないとされているその他のすべての秘密にも通じることになるのだ、という考えを持つにいたったのです。」

「その夜、すなわち結婚式の前の土曜日の夜に、オアナはこの夢を見て、それを日曜日の晩の結婚式の祝宴で私たちに話したのです。(中略)《私がドナウ川で泳いでいたの。それもずっと上流の方で泳いでいて、そのうちどれほど時間が経ったか分らないけれども、源に、ドナウ川の水源にまで来ていたの。そしていつのまにか私は水底から地中へもぐって行き、果てもなく深い洞窟へ入りこんでいたの。その洞窟の壁は宝石でできていて、何千というろうそくで照らされ、まぶしいほど光り輝いていたわ。
 すると、そこで私のすぐそばにいた一人の神父様が囁き声で言ったの。“復活祭だよ。だからあんなにたくさんのろうそくをともしたのだ”と。でも私にはその時どこか見えないところから、別の声がこう言うのが聞こえたの。“ここには復活祭などない。この土地では私たちはまだ旧約聖書の世界にいるのだから!”そこで私は、そのたくさんのろうそくや光、その宝石などを眺めて、深い喜びを感じたの。そして心のうちでこう思ったの。“私もとうとう旧約聖書がどんなに神聖なものであるか、旧約聖書の時代に生きていた人々を神様がどんなに愛していたかを理解できる幸せを得たんだわ”って。そして、そこで私は目がさめたの……》 これが、オアナが私たちに話してくれた夢でした」














































ミルチャ・エリアーデ 『ダヤン・ゆりの花蔭に』 野村美紀子 訳

「ぼくらにはつねに多種多様なしるしが与えられているんだよ。よく眼を開けて、その意味を理解するようにつとめたまえ」
「ぼくたちがみんな天国のゆりの花の蔭に集まるときには、この とかげ が今ぼくに言っていることもわかるようになる」

(ミルチャ・エリアーデ 「ゆりの花蔭に」 より)


ミルチャ・エリアーデ 
『ダヤン・ゆりの花蔭に』 
野村美紀子 訳


筑摩書房 
1986年9月30日 初版第1刷発行
165p 
四六判 丸背紙装上製本 カバー 
定価1,600円
装幀: 藤原哲朗



本書「訳者あとがき」より:

「ここに訳出したのは、高名な宗教学者ミルチャ・エリアーデの晩年の小説二篇である。(中略)「ダヤン」は一九七九年十二月から一九八〇年一月まで、「ゆりの花蔭に」は一九八二年四月から八月までに書かれている。」
「本書の翻訳には DAYAN (LE TEMPS D'UN CENTENAIRE suivi de DAYAN, Édition Gallimard, 1981), À L'OMBRE D'UNE FLEUR DE LYS... (À L'OMBRE D'UNE FLEUR DE LYS..., Édition Gallimard, 1985), Dayan/Im Schatten einer Lilie (Suhrkamp Verlag, 1984) を用いた。ルーマニア語の原題はそれぞれ Dayan, La umbra unui crin である。
 実際の翻訳作業としては、先に手に入った独訳からまず訳出して、そのあとで仏訳と対照してできるだけ改善するという形をとった。」



そういうわけで、本書は重訳ですが、それはそれでよいです。
本書の主題は「想起(anamnesis)」と「世界の更新(renovatio)」です。


エリアーデ ダヤン ゆりの花蔭に


帯文:

「物質・エネルギー系を統合する〈世界の最終方程式〉を発見した、若き天才数学者ダヤンのたどる悲劇的運命。――優れた文学作品のみがもつ深い謎、哀しみ、不条理感を漂わせ、心と脳を垂直に刺激する、エリアーデ最晩年の問題の二作。」


帯背:

「最晩年の二作」


帯裏:

「永遠のユダヤ人と名のる老人に導かれて、アインシュタインがハイゼンベルクに遺言した〈最終方程式〉をゲーデルを通じて発見したダヤンは、そのため危険人物と見做され秘密警察に囚えられる。時空を自在に往還するダヤンはそこでさまざまの不思議な行いを見せるが、彼はその方程式の解を知っていたわけではなかった。……他にデラシネの不安に慄きつつ、新しいノアの方舟を待つ亡命ルーマニア人集団を描く『ゆりの花蔭に』を収録。」


目次:

ダヤン
ゆりの花蔭に

訳者あとがき




◆本書より◆


「ダヤン」より:

「「かつて、人びとが伝説をまだ愛していて、伝説を解釈するというのでなく、ただ熱心に感激して耳を傾けたことによって、この世の多くの謎の解きあかしを得ていた、それでいながらこうした寓話や言伝えを聴いたり語り継いだりすることによって自分がどれほど多くのことを学び発見しているかには気づいていなかった――そのころには、わたしはアハシュヴェル、永遠のユダヤ人だと思われていた。そして実際、人びとがわたしについての話を真に受けていたかぎり、わたしは事実永遠のユダヤ人だった。(中略)ところが永らくわたしがあんたたちにまじっているうちに、そのこと自体が独特の意味を、深い、重大な意味をもつようになった。だからいつか裁き主の前に立つときには、地球上のこの地域に住む者はすべて、信心深いキリスト教徒でもユダヤ教徒でも、あるいは懐疑主義者でも無神論者でも一切区別なく、わたしの話をどのように受けとったかに応じて判定されることになるだろう……」」
「「想像力を総動員すれば理解できる。だがとりわけ伝承を想い起せ。それがわたしと関係があるということは忘れて、伝承が述べていることを考えろ。日々の終りに、つまり最後の審判の少し前に憩いを得るという、すなわち死んでよいという恵みがようやくわたしに与えられるだろう、と伝承は述べているんだよ。だとすれば二千年前からこっち、わたしほど激しく世の終りを待ち望んだ人間はいなかったことがわかるだろう。(中略)最近になって、この間の熱核爆発のあとだが、また確信が高まってきたんだよ……」」
「「わたしは水素爆弾とコバルト爆弾に『望み』をかけている。(わたしが望みという語にかぎかっこをつけていることはわかるだろうね、わたしが思っているのは、この語のふつうの意味とはまるで違うことなのだから。さてわたしはまるかっこを開いたんだから、いいかね、ダヤン、日常会話の言いまわしから新しい意味を読みとることに、あんたは慣れなきゃいかん。この一見『遊び』にみえる方法を、あんたはきっとすぐにのみこむだろう。あんたは数学者なんだし、おまけに文学も好きなんだから……)これで、かっこ閉じだ」」

「「ダヤン、九十九は神秘の数だよ。あんたの数学的手段によってその秘密を探ろうなどとするなよ。あんたにゲームを教えようと思ったのだ。日常の語法の背後に隠れている言語に通暁するように、いっぺんになってほしくてね。その言語を理解することをあんたが学ぶように……」
 オロベテはにこやかに言った。「隠された言語ですね、プロヴァンスやイタリアやフランスの愛に真実な者たち(フェデーリ・ダモーレ)が十字架の言葉(パルラール・クルス)とよんでいた。ずっと前に少し読んだことがあります。今でもすっかりちゃんと思出せますよ」
 老人はかれの腕をとった。そのまなざしは失望を示していた。「読んだから思出せるって? それだけかね? 精神を集中してみろ、ダヤン! そうすれば、一度も読んだことのないことだって、あんたはいくらでも思出すさ」」



「ゆりの花蔭に」より:

「階段を駆けおりてゆく二人の足音がきこえた。家の主人は戸口に立ちつくしていた。やがてかれが疲れきって椅子に坐りこむと、エフティミエが低い声で言った。
 「かれらに全部は言わなかったのが、よかったかどうか……」
 マルガリットは驚いてかれを見た。
 「ヴラディミルの伝言を伝えただけなんだよ。貨物自動車が消えたことからイリエスクがどういう推論をしているかは言わなかった……イリエスクが言ったのはね、『ヴラディミルは正しかった。新しいノアの方舟が準備されているんだ……』」
 「それはどういうことだ?」マルガリットは動転した声をだした。
 「あのふしぎな車は、世界中の邦々から選ばれた人間を運んでいる。消えるんじゃなくて、われわれの空間とは別の次元をもつ空間へ入ってゆくんだそうだ」
 「もっとわかりやすく言ってくれよ」マルガリットがじれた。
 エフティミエは憂鬱な笑いを浮かべた。「ぼくだって、どうなっているのか、そんなにはっきりわかったわけじゃない。ただイリエスクが言ったんだ。これは要するに偽装だ。つまり、偽装の機能はつねに同じだが、なにごとかを隠蔽し、同時にそのことを知っている人間の注意を逸らして自分のほうへ惹きつけることだ。イリエスクはこう説明した――一語も変えずに復唱することができるよ――ノアの方舟、すなわち別の次元をもつ空間へは、一瞬のうちに目に見えず移動することができる、だがぼくらのために、貨物自動車による輸送という偽装を採るんだと……」
 「なぜわれわれのためなのかね?」博士が言った。
 「そこまで説明する時間がかれにはなかったんだが、かれが言ったことから考えてみるに、それはわれわれにしるしを与えているんだ。そしてわれわれのうちのある者はその意味を察知する、ということらしい。だってかれはくり返して言ったんだ、『ねえ、エフティミエ、ぼくらにはつねに多種多様なしるしが与えられているんだよ。よく眼を開けて、その意味を理解するようにつとめたまえ……』」」



参考:

『エリアーデ日記』(石井忠厚 訳、未来社)より:

「1959年11月6日
 先週、私に原子爆弾について訊ねた(中略)学生達に、私は応えた、キリスト教徒は爆弾を恐れ過ぎないようにすべきだろうと。
 彼にとって世界の終りは一つの意味を持っているのだから。それは最後の審判となろう。ヒンドゥー教徒も気にかけるべきではないだろう。カリ=ユガはカオスへの後退で終えられるのだから。その後には新世界が現われるだろう、等々。」





















































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

Koro-pok-Guru
Away with the Fairies

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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