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Michel Leiris 『The Ribbon at Olympia's Throat』 tr. by Christine Pichini

「Spade that bleeds black.」
(Michel Leiris 『The Ribbon at Olympia's Throat』 より)


Michel Leiris 
『The Ribbon at Olympia's Throat』
 
Translated by Christine Pichini
Foreword by Marc Augé
SEMIOTEXT(E) NATIVE AGENTS SERIES


Published by Semiotext(e)
Distributed by The MIT Press
286pp, 23.6x15.8cm, clothbound, dust jacket
Printed in the United States of America

Originally published as *Le ruban au cou d'Olympia*



本書には発行年月日の記載がありませんが、版元サイトによると2019年7月刊です。
マネのオランピアの首に巻かれた黒いリボン=ロラン・バルトのいわゆる「プンクトゥム」(気になる細部)を導きの糸として手繰りつつ、自己と世界と現代についてのチラシの裏的考察を繰り広げるレリス晩年の著書(主に断片と詩から成っています)の英訳です。邦訳(『オランピアの頸のリボン』)も出ていますが英訳(クロス装ハードカバー)の新品がアマゾン(マケプレじゃないほう)でなぜか568円(送料込)で売られていたので注文しておいたのが届いたのでよんでみました。



leiris - the ribbon at olympias throat 01



leiris - the ribbon at olympias throat 02



内容:

Leiris and Olympia: *Modernité, merdonité* (Marc Augé)

The Ribbon at Olympia's Throat

About the author




◆本書より◆


「While smoking a cigarette and drinking tea in my bedroom in Paris, the desire often strikes me - irrational but acutely felt - to smoke a cigarette. But I am already smoking, and thus it is absurd to wish to do soemthing that, quite simply, I'm in the middle of doing. Probably, what I actually want is the sense of peace that the act of smoking provides」

(煙草を吸っていて、不意に煙草が吸いたくなる。もう吸っているのに。私がほんとうに欲しているのは、煙草を吸うことによって得られるはずの心の平安なのだろう。)

「Standing upright and casting a shadow that, as time passes, travels around me like the needle of shadow around a sun dial, am I not at the center of the outside world, annular scenery that my eyes reduce to a horizon whose straight line I know to be an illusion, know that in fact it curves until it bites its own tail?」
「Thrown into the world like a pebble, I may join it in any number of ways but will produce nothing that contributes to it and remain, as long as I live, the creator of my own prison: the horizon (nature's apparent limit) that my fall has drawn around me.」


(佇立している私のまわりを回る影、日時計のように。私が世界の中心であり、世界は私を取り巻いて自らの尾を噛む蛇のような地平線なのではなかろうか。
世界のなかに石ころのように投げ出されて、私が作り出すものといえば自らを閉じ込める牢獄すなわち地平線だけだ。)

「*The only poetry is something that you don't think about and that takes shape on its own. It should be a blind and deaf force. And above all, it must never look back at itself. . . *」

(詩とは作者の意図にかかわらず、おのずから形を成すものであり、みずからを振り返ったりしないものだ。)

「I will have, in short, retreated in order to advance, given that this will be the way in which I devote myself to the game, one that is extremely important to me even though its lack of measurable results, or the fact of my not devoting myself to it completely, will become a pattern of remorse.」

(私は前進するために後退するだろう、ゲーム(賭け)に没頭できる限りは。このゲームは結果を出す必要がない。後悔するとすれば完全に没頭できなかった場合だろう。)

「The pasture, the forest, or the river whose view brings us peace, and the thought that the Nature into which we are born and die is not only something that cities hide behind sometimes sordid disguises, but also this, something into which it wouldn't seem so terrible to disappear.」

(見ていると心が落ち着く牧場、森、川。そうした自然のなかにこそ我々は生まれ、そして死んでいく。心安らかに。)

「*Star with branches too spiky
 to gaze at safely.
Blue sky to drown in.
Night whose dawn struggles to scrub itself clean.
Sun that's visible only when one is ill.
Moon, empty plate or silent gong.*」


(目を刺す星芒。青空に溺れる。暁が身の汚れをこすり落とす夜。病者にしか見ることができない太陽。月、からっぽの皿あるいは音のしない銅鑼。)

「Communicating is not a trade (a matter of exchange or give-and-take) but finding yourselves in tune and sharing - albeit in the absence of any serious debate or any confidence worthy of mention - an intimate resonance.」

(コミュニケーションは交易(ギブアンドテイク)ではなく調和と共有、討議したり信任したりする必要のない共振。)

「The final obstacle to total nudity, ( . . . ) the neck-ribbon - almost a thread - whose knot, ( . . . ) forms a double loop ( . . . ) that looks as if it could be undone merely by pullilng on one of its ends.
 More than just an ornament, this bauble that, ( . . . ) was perhaps nothing more than a capricious black line cutting through the whiteness of the nude, is for us the unnecessary detail that hooks us and makes *Olympia* real.」


(わずかに身につけているものといえば、すぐにも外れそうな首のリボンだけ。しかし裸体の白を横断するこの黒い線こそが見る者の関心を引き付け、オランピアにリアリティを与える。)

「. . . Or rather, what fascinates me is less the result, and the help that I theoretically expect from it, than the bricolage itself, whose supposed goal is, when all is said and done, only a pretext.」

(結果を出すとか役に立つとかよりも、私が惹かれるのはブリコラージュの作業そのものであって、作業の目的は口実にすぎない。)

「*Modernity, eternity*: it isn't simply an aesthetic taste for assonance, or even for wordplay, that brings me to draw a parallel between these two notions; I think that in fact there are no better words to describe the two poles I swung between until they ended up nearly merging with, or at the very least superimposing themselves upon, each other.」

(現代性、永遠性。このふたつの極点の間を私は行ったり来たりする、このふたつが混り合ってしまうまで、あるいは少なくとも互いに重なり合ってしまうまで。)

「Priest of no cult, either religious or poliltical, but a magician ( . . . ), a *thief of fire* ( . . . ), impious ( . . . ), idolatry ( . . . ), solitary ( . . . ), the artist or writer who, more likely than the rest of the people in his profession to be deemed "modern" because he is the most radical, has only a slim chance of escaping being damned - as a maverick, an outcast, or even a black sheep - or of receiving anything more than dubious recognition: hence Picasso, crowned by glory with an incomparable halo whose rays, for many philistines, were tinged with evil.」

(宗教的あるいは政治的カルトの司祭ではなく、魔法使い。そして(プロメテウスのような)盗人、不信心者、偶像崇拝者、単独者、芸術家・作家といった存在は、他の人々よりも「現代的」であるとみなされるだろう。最もラディカルな者は、異端者・外道・社会の鼻つまみ者といった、呪われた存在であることをまぬかれない。あるいは怪しい奴の烙印を押されるか。それゆえピカソはこの上ない栄光に包まれながらも、立派な社会人たちにとっては悪党だった。)

「The past in ruins, the present in disarray, the future in tatters: little remains for me apart from the clear awareness of this disaster, catastrophic but minor compared to the one that has begun to break apart the world, in which many of us have lived foolishly believing that the men of our era would at least ensure that it would survive.」

(過去は廃墟、現在は混乱、未来はボロ切れ。そうした自己の破局の認識も、愚かな人類がみずからの存続を当て込んで世界をこなごなにしつつある破局に比べれば些事にすぎない。)

「All the same - and this saddens me - that ribbon, whatever value I may attach to it, is only a poor spider's thread, and I wouldn't dream of claiming it to be a humble strand of the noose that could strangle these monsters in multiple forms: racism ( . . . ), fascism of all kinds ( . . . ), and the other ignominies that, although founded on the most hackneyed ideas, seem to be defiling the world more irrevocably with every passing day.」

(私がどれほど重要視しようと、あのリボンは、結局は弱々しい蜘蛛の糸にすぎず、日々世界を汚染しつつある人種差別主義やあらゆる種類のファシズムやその他の破廉恥(それは人類の本性に即したものであるのだが)を絞め殺すロープでないのは残念だ。)



◆感想◆


本書ではリボンを首に巻いて横たわるオランピアについて再三にわたって言及されていますが、レリス自身が1956年に自殺を試みて失敗し、気管切開の手術跡にマフラーを巻いて病院のベッドに横たわっていたことへの言及はありません。そしてまた、オスカー・ワイルド/リヒャルト・シュトラウス『サロメ』のヨカナーン(ヨハネ)の切られた首への言及はありますが、ゲーテ『ファウスト』の次のようなセリフへの言及はありません。

「フアウスト
 それに妙なのはあの美しい頸の頸飾だな。
 小刀のみねより廣くないやうな、
 赤い紐が一本卷いてあるなあ。
メフイスト さうです。わたしにも見えてゐます。
 ペルセウス(Perseus)に切られた首ですから、
 肩から卸して手に持つことも出來ます。」






こちらもご参照ください:

ミシェル・レリス 『ゲームの規則 Ⅰ 抹消』 岡谷公二 訳
ロラン・バルト 『明るい部屋 ― 写真についての覚書』 花輪光 訳
ジョルジュ・バタイユ 『沈黙の絵画』 宮川淳 訳 (ジョルジュ・バタイユ著作集)
石原吉郎 『石原吉郎全詩集』










































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ミシェル・レリス  『ゲームの規則 Ⅳ 囁音』  谷昌親 訳

「一度もわたしに起こったことはないし、おそらくこれからもけっして起こることのないこと、それを少なくとも紙の上で生じさせて歓ぶというのは、許されないことだろうか。」
(ミシェル・レリス 『囁音』 より)


ミシェル・レリス 
『ゲームの規則 Ⅳ
囁音』 
谷昌親 訳



平凡社
2018年2月23日 初版第1刷発行
477p 著者・訳者略歴1p
四六判 丸背紙装上製本 カバー
定価3,800円(税別)
装幀: 細野綾子



Michel Leiris "La Règle du jeu IV: Frêle bruit" (1976)



レリス ゲームの規則 4



帯文:

「フレール・ブリュイ
詩か革命か、その結び目をもとめて、
些細な出来事の断片を集めるレリス。
落穂拾いの如き彼の耳に響くかそけき物音」



目次:

囁音

訳者あとがき




◆本書より◆


「もし、くるりと輪を描き、そこから出発した虚無に立ち返らなければならないとしたら、人生全体を要約すると零――尾を咬む蛇あるいは環状鉄道――になってしまうのではないか。ただ、円環の内側の白さを黒く塗りつぶす何か、空虚を充実に転換させ、底なしの湖を島にする何かを書き殴る、という問題が残る……。とはいえ、この零は、わたしたちが拠り所とできるものが何もないと示しているのに、いったい何を書き殴ればいいのか。」

「それは、わたしが知らないでいた意味を担って、わたしの人生の一段階などではなく、ある局面をそっくり丸ごと予告していたのではないか。
 まだ年端のゆかないころ、台本は『ヴィルヘルム・マイスター』〔ゲーテの小説〕の一挿話から(かなり間接的ではあるが)着想を得ているオペラ=コミックの『ミニョン』〔一八六六年に初演されたアンブロワーズ・トマの歌劇〕に出てくる「卵の踊り」の場面を、姉が語ってくれたのを聞いて同情してしまったのだが、そのむずかしい踊りが自分に課せられた場合にほぼ匹敵するほどの不安を、わたしは感じていたのだ。その踊りを見せればもらえるいくばくかの金を欲しがったロマ人の団長たちに強制され、かわいそうな少女は、卵があちこちに置かれた狭い空間で、卵をひとつも割らずに動きまわらねばならないはめになり、もし割ろうものなら、ひどい虐待を目にすると怒るような人がその場からひとりもいなくなったとたん、すぐに叩かれてしまうのだ!
 やろうとした芸当をしくじっても、わたしがいかなる体罰も受けることがないのは確かだし、わたし以外の誰もわたしを精神的に鞭打ったり、叩いたりはしない。だがそれでも、眠っているときでさえ、わたしは自分の内的な曲芸を最後までやり遂げられないのではないかという恐れに悩まされるのだ。」

「取るに足らない気がかり(書かねばならない手紙やかけなければいけない電話、やっておくべきちょっとした働きかけ、実行しないといけないわずかな移動)でできた針穴から、不安だらけの世界がわたしのなかに入り込んでくる――それが原因であらゆることが問い直される、といった具合にそのささいな行為がつきまとい、死活問題並みに重要視するはめに陥るかのようにして――のと同様に、それに劣らずごく微細な事柄がきっかけで、不安がそっくりなくなってしまうようにも思えたりするのだが、その微細な事柄というのは、なぜだかよくわからないがわたしの心を打つ場所の眺めとか、束の間の出会いとか、散歩をしている人はそこらあたりのあれやこれやを楽しんでしまうものだが、それと同じで現実的な影響力をあまり持たないような外界の出来事とかだ……。驚くべきは、不安の巨大さとそれを引き寄せたり押しやったりするもののくだらなさのあいだの不釣り合いで、あたかもこうした場合、量的な価値は機能せず、何であれ数量化されるようなものとは関係のないままで、悪い結果や良い結果をもたらす性質だけが問題となるといった具合だ。」

「すべてが無駄で、できたこともできなかったことも意味がなかったと考えてみても悲しみは和らがず、自分の人生で記憶に残る価値のあるようなことはたいしてないと彼は思っていた。至るところで失敗を重ねていて、作家として失敗したが、それは自分に向ける視線を超えた境地に至ることがほとんどできず、詩に到達したのはごく稀にすぎなかったからだし、さらに、絞首刑や狂気、さもなければ永遠に帰ってこられない旅立ちといった宿命を背負った人間の器でないと自分でわかっていたからで、反抗者としても失敗したが、それはブルジョワの快適さをけっして避けなかったからだし、さらに、革命家となる意志を漠然とながらもずっと持ちつづけてはいても、暴力も犠牲も嫌いで、闘士の資質はまったく持ち合わせていないと認めざるをえなかったからで、愛人としても失敗したが、それは彼の人生のなかで恋愛に関する部分はきわめて平凡で、恋の激情はすぐに衰えたからで、旅行家としても失敗で、というのも、母語である唯一の言語に事実上閉じこもり、たとえ自分の国にいても、生物にしろ無生物にしろ何かを前にしてくつろぐのは誰よりもおそらく苦手だったからだ。民族誌学者という職業から彼が引き出したのは、ほんのわずかなことだけで、スーダンの秘儀加入者の言語に関しての、そしてエチオピアの儀礼的憑依に関してのきわめて特異な研究、「黒人芸術」についての間接的な研究と、恭しい意図を抱いてのものではあっても、たいして力を持たない反人種主義的な方向にむけられたその他の研究、そして最後に(これこそが、最も記録しておくに値する自分の業績だと、ひどく陰鬱な気分に襲われたときに彼は考えていたものだが)、民族誌学を、西洋の科学のためではなく、第三世界の人びとに役立つものとするという意思を示した何本かの論文があり、その意思はいかにも素朴なもので、それというのも当事者たちはもっと別のことを心にかけていたからだ……。
 非常にうつろな虚空のなかにあっても、自分を総合的に評価した場合に、いずれにしてもひとつはよいおこないに分類できるものがあったとそれでも考えることが彼にはあったが、それは、子どもを作るというおこないの否定だった。骨の髄まで反抗者であったわけではないが、少なくとも協力はしなかったという点を自慢にして、当時は誇らしく感じることのできた行動回避。」

「その主な――それどころか唯一の――効用は、おそらくは、源泉を見つけたいという望み、そしてその源泉を今度ばかりは霞のなかや幕越しにではなく正面から見据える力をわたしに与えてくれたことだった、とそう言ってもよさそうな複雑さを、あんなにもたくさん経て、単純さに(可能なら、馬鹿みたいな簡単さといったものに)到達しようとすること。そうした自己への回帰を、(以下略)」





Egg-Dance (Oil painting by John Collier)
The New Art Gallery Walsall

ミシェル・レリス 『ゲームの規則 Ⅰ 抹消』 岡谷公二 訳
































































































ミシェル・レリス  『ゲームの規則 Ⅲ 縫糸』  千葉文夫 訳

「詩法と生きる作法を同時に完成させる仕事に取り組むよりも、むしろ最大限自分の力を使って、賢者と狂人、あるいは占い師と大道芸人が同居するあの詩人と呼ばれる存在になることこそが重要なのではあるまいか。」
(ミシェル・レリス 『縫糸』 「Ⅳ」 より)


ミシェル・レリス 
『ゲームの規則 Ⅲ 
縫糸』 
千葉文夫 訳



平凡社
2018年2月24日 初版第1刷発行
386p 著者・訳者略歴1p
四六判 丸背紙装上製本 カバー
定価3,600円(税別)
装幀: 細野綾子



Michel Leiris "La Règle du jeu III: Fibrilles" (1966)



レリス ゲームの規則 3



帯文:

「フィブリーユ
還暦を間近にひかえた1967年5月末、
自殺未遂事件をひき起こしたレリスは
夢と幻覚のなかで記憶の縫合手術を試みる」



目次:






訳者あとがき




◆本書より◆


「Ⅰ」より:

「だいぶ前から、私はどんな分野でも、少なくとも滑稽な味わいをもたずになしえるものは大したものでありはしないと考えるようになっている。モーツァルトが『ドン・ジョヴァンニ』を「ドランマ・ジオコーゾ」(要するに、陽気な喜劇)と名づけ、ロマン派が独自の「アイロニー」(場合によっては皮肉たっぷりの)を身にまとったのは瑣末なことではない。」

「私という人間は、ごく平凡な日常的ふるまいにおいても、しかるべきやり方で自分を説明する能力に欠けるという思いにほとんど偏執狂的といえるほどしつこく苛まれるのだが(たとえばつまらない表現でも、どんな言い方をすればよいのか、あらかじめ頭のなかで反芻しなければ、買い物のために店に入れないほどであり、結果としてパリ市内を歩いて買い物をするときに、市街の光景を楽しむのではなく、ひとつのフレーズを繰り返し思い浮かべることで散歩の楽しみの大半が失われてしまい、しかも店に入れば入ったであらかじめ考えておいたのとは違った口の利き方をしたりする)、人と話す際には――幸運が左右する場合、それにまた話し相手に信頼感が抱ける稀な場合を除いて――何を言ったらよいのか、私が口にしうる事柄をどんなふうに言うべきか、ということが気がかりで、ぎこちない話し方しかできないし、(以下略)」

「帰宅の翌日から、寝床から起き上がれない状態が続いた。四十度以上の熱が出て、往診に来た医者は、マラリアに罹ったという診断を下した。この医者による丁寧な治療の甲斐もあり、数日間で熱は下がった。ふだんの自分は読むのが遅いし、注意の集中にたいへんな努力が必要となるが、隔離されていたこの時期は一日に一冊の割合で本を読んで過ごした。読んだのは、さまざまな姿に変身する悪漢の冒険が語られるパリを舞台とする冒険小説『ファントマ』の一部である。(中略)熱が引いたあとも、汗が盛んに出て、シーツは完全に濡れ、病気が治っても、私自身は、まずはじっとりと濡れた寝具類という吸取り紙に、その後はまた別の吸取り紙に吸い上げられ、最後は、横になって寝ていた長椅子に接する壁紙の上に大きくひろがる濡れた染みと一体化したのだった。」

「「生きるべきか死ぬべきか」という問いは、自分にとって、歯をへし折る思いでぶつかってゆくものだったわけではない。いるのか、それともそこにいないのか、ここにいるのか、それともよそにいるのか、私にとってみれば、むしろこうしたものこそが白熱した問いであるはずだ。よそにいたいと思うとき、ここをあとにするのが怖い。そしてよそは、そこに到着したとき、少しも休息をもたらさない。相変らずよそであり続け、そこにいる私が行き場を失うか、私があとにしたものを惜しむ気持ちになおもつきまとわれるか、よそがこことなるにはあまりにも頼りなくて大した評価ができないかのどれかである。きわめて軽微なものも、きわめて深刻なものも、ただ単に舞台装置にかかわるものでも、事態の展開にかかわるものでも(中略)、どれをとってみても時計の振り子のこの無益な遊戯、つまりどこに私がいても、私が何をしていても、その正確無比な進行が心に重くのしかかり、そこから逃れるのは難しい。」

「どんなことになるのか先をよく考えずに突進し、コインを投げてその裏表で決めるようなやり方で自分の命をあずけるに似た向こう見ずなふるまいを成し遂げること。睡眠薬を嚥むことで私がなおも求めていたのは(あらゆる批判をかわすためには、一連の愚行の最後の仕上げとして、輪をかけてそれ以上の愚行を付け加えざるをえなかったというかのように)、無に帰すというよりも、ある種の貪欲さの極限に深く落ちてゆくことだった。」

「「一切は文学だ……」として、文学が心の奥底まで私を腐らせ、私という人間がもはやそれ以外のものではなくなっているというだけでなく、通常の三次元のうちの少なくとも一次元を欠いた世界にあって、もはやインクと紙によって作り出されるものを上回る重みのある事柄は私には訪れることがないということもまたその意味に含めながら、私はそう自分に言い聞かせるのだった。」



「Ⅱ」より:

「私の行動は、自分の身を蝕む病の深さを示すばかりではなく、そもそも私のごとき不出来な人間が他人にどのような思いを強いるのか、そのことにあまりにも無頓着でいることを明らかにする結果しかもたらさなかったのである。」

「ヨンキントの作品は、記憶によれば、描き出される平野のひろがりを受けて、水平方向に長く引き伸ばされたような雰囲気をもち、たしか風車があり、小川や運河には船が浮かび、黄色い大地の上にひろがる空には雲が散在し、痩せこけた樹木が見える風景画の数々であったが――正確な中身がいかなるものであれ、美術館の厳粛な壁に人を吃驚させる風穴があいているように思えたのだった。このように優しさと悲しみが混じり合ったどっちつかずの状態は、それよりずっとあとに、意を決してフェノバルビタールによる昏睡状態に身を投じる行為が、言葉の完全な意味において、完結とも破滅とも言いうるかたちで対応しているといえるかもしれないのだが、私はこれらの風景画を前にして、そんな曖昧な状態の予告を遥か昔に感じていたようにも思われるのであり、いまもなお、風景画に関しては、静かに心に染み入る力が何に起因するのかを明らかにしえぬままだ。北国の寒冷な風土に密生する黄水仙もしくはいぐさを思わせるヨンキントなる名をもつこの画家が、淡色の筆触をもって呼び出す場所は、疑いなく現実のどこかにありながら、境界を区切るというよりも消去するように思われる筆触を眺めながら、私は胸が潰れそうになり、自分が外に引きずり出され、さらにまた無限の彼方に退いてゆく地平線に向かって投げ出されたように感じた。悲嘆と高揚感が混じり合った奇妙な感覚は、それ以後、現代の優れた才能が生み出した作品の数々にひそかに流れていると私が思った要素に通じるものであるが――純粋絵画とはまったく別な水準にあって――要は私の琴線に触れるものがそこにあったということなのだ。これに関して選集を編むというほどではないが、幾つか例をあげてみれば、ピカソの道化師およびバレエ『パラード』のための緞帳画、ベージュ色と灰色の積み重ねがイギリス人少女の一団のためのラグタイムのようにシンコペーションを響かせるキュビスム絵画、詩そのものが詩の主題となるマックス・ジャコブおよび何人かの詩人の手になる作品の一節、友人ランブール(ル・アーヴル生まれ)の物語『極地の子供』、サティ(周知のごとくオンフルール生まれ)の奇妙なまでに裸の音楽といったぐあいだ。さらに言葉を選んでいうと、それは知的判断あるいは美的判断の枠の外にあり、たしかに憂鬱であっても、私にはそれ以上に好ましい何かがありえるとは思われない瞬間に、甘美な旋律の単純さをもって、――少なくともこの魅惑が持続するあいだは――わが真実と思われ、翻訳すれば理解不可能となるものを表現するのだ。」



「Ⅲ」より:

「本書には、さまざまな種類の記述、記憶のなかにある人物の肖像、夢および現実の出来事の叙述、精神状態についてのメモ、雑多な話題についての所見を整理されぬままに投げ入れる結果になったが、すべてはこれといった成果をあげぬままに折り重なってバロック的な繁茂の状態を生み出している。」
「いまやこの状態から脱出しなければならない……。」

「あまりにも長々と続くので時間の目印をつけようにもできないでいるこのとりとめのない記述に、歳月の経過とともに生じる変遷と出来事の彼方に、一撃のもとに、私が言い当てようと望む本質を、把握可能な塊として凝縮させるための最終的な努力に先立って、あえて現在時を導入すべきと思われたとき――本はどこまでも勝手にひろがり出し、すでに執筆が終わった部分も溶けて私の背後で輪郭の定まらぬ塊に変わり、目標が見えなくなる――私の足元は覚束ないものになったのだ。結局のところ、私の思考が強固なものとなるどころか稀薄になるように思われるのはあまりにも緩慢だからであり、時間の観念が固定観念と化すまでに私に取り憑くのであり、その一方では時を挫折させるための文章行為に対する狂おしい執着が強まるのだった。それでもなお、いわゆるバロック趣味なるものに誘われて、まっすぐ目標に向かって進むのではなく、装飾模様と脱線話の寄せ集めとなる(あたかもそれらがわが探求の直接の帰結だというかのように)道筋ははっきり見えていて、そこにあるのはすみやかに目的地に達したいという思いを邪魔するやり方なのである。だがそれと同じくらいによく見えているのは、諦めてそうした道に突き進めば、自分独自のものである本来の主題から逸れてしまうことになり、こうしたバロック趣味はすでに美的感性の問題に関する自分の性癖の一要素となっており、(望んでいるかそうでないかは別として)真理といってもあまりにも微妙で感覚的なものであって、美と深いつながりをもつので、現実の生活のなかで私の心を動かしたり、私の心を惹いたりするもの、そしてまた文学面にあっては、抗しがたい魅惑があって否応なく私をゲームのなかに引きずり込むものを通じて追求をおこなうほか手立てはない。」





こちらもご参照ください:

千葉文夫 『ファントマ幻想 ― 30年代パリのメディアと芸術家たち』
ミシェル・レリス  『ゲームの規則 Ⅳ 囁音』  谷昌親 訳









































ミシェル・レリス  『ゲームの規則 Ⅱ 軍装』  岡谷公二 訳

「守られていたい、庇護されていたいというある種の欲求こそは、たぶんつねに変わらぬ僕の特徴の一つだ。」
(ミシェル・レリス 「スポーツ記録板」 より)


ミシェル・レリス 
『ゲームの規則 Ⅱ 
軍装』 
岡谷公二 訳



平凡社
2017年11月10日 初版第1刷発行
287p 著者・訳者略歴1p
四六判 丸背紙装上製本 カバー
定価3,200円(税別)
装幀: 細野綾子



Michel Leiris "La Règle du jeu II: Fourbis" (1955)



レリス ゲームの規則 2



帯文:

「フルビ
死を飼い馴らし、正しく振る舞い、
おのれの枠を超え出る……
〈生きる/書く〉信条の一件書類」



目次:

死(モルス)
スポーツ記録板
「おや! もう天使が……」

訳者あとがき




◆本書より◆


「死」より:

「夜に対するおびえ。闇に対するおびえ。しかし問題となっているのは、物がはっきり見えないとか、闇の黒い塊しか見えないということではない。一日の時刻の中で眠りが支配する謎めいた部分についての思いがそこにはある。それこそは神秘の世界であり、その異常さは、自分ひとりは目ざめていて、他の人々はもはや限られた生しか生きていないと気づくとき実感される。(中略)夏の夕方、たそがれといわれる時刻(覚醒の世界と眠りの世界の国境地帯であると同時に、昼と夜のはざま)に、四十五年ほど前にはまだかなり田舎だった郊外を散歩するのは、たしかに、僕がいつもそうであったような不安に襲われやすい子供にとっては、あまり安心できることではなかった。まず夕暮という、一日の中で、不安にはお誂えむきの時(大人になってからでさえ、アフリカへの最初の旅から戻ってきて、パリの夕暮に再び馴染むのにある種の苦労をしたとき、僕はそのことを実感した。夕暮というものがほとんど存在しないといっていい熱帯地方に比べ、パリの夕暮はあまりにも長く、物悲しく、耐えがたかった)。それから、町の幼い住人であった僕の目に、たかが郊外にすぎなかったが、見慣れていた都会の外観より様子がずっと鄙びた風景の帯びていたエキゾティシズム。最後に、夜が近づく頃合、ヴィロフレのような村のごく近辺ですらが、両親が住んでいた、当時はとても静かだった界隈にいてさえ、町の通りのある種の賑わいに慣れていた子供にとっては強い印象を与えたほど、寂漠として、ひと気がなかったという事実。」

「他の一切が眠りこんでいる(あるいはそう見える)とき、異様にもひとり目ざめている者。時間を端折る(あるいは否定する)ことができたと信じる者のめまい。地下世界というあの逆さの世界での、閉ざされた空間の広大さへの一瞥。」

「目を背けようとしている――にもかかわらずそこにあることを知っている――この死は、僕の人生をそれが終わる前にもう変質させてしまっているのだから、恐怖を抑え、眼を大きく開け、明晰な精神をもって、迷うことなく、自分を待っている運命を避けようとせず、勝負を賭ける気持で、それが来るのをみつめるという根本条件がみたされないかぎり、この人生をなにか価値あるものにしようとするのは、愚の骨頂ということになろう。だから僕がしなければならない転換は、一切を変革するほど重大なものとなる。その転換とは、先祖代々形成されてきた集団への帰属は死の保証だからといって家族を憎む――一種子供っぽい拒否の念から――かわりに、血統に逆らうことなく、共通の恐怖に同調しないことによって自分を他の遊星の一員にしたいのなら、それとは反対に死を軽蔑しようと努めるといったたぐいのものであろう。」
「僕を捕えないかぎり、死は総じて、遠ざけるべきではなく、むしろ飼い馴らすべき観念だ。」



「スポーツ記録板」より:

「競馬に情熱を燃やしたこの時期を通じて、兄と僕とは、大きくなったら騎手になるといつも考えていた――貧しい界隈の多くの少年たちが自転車競技の選手やボクサーになることを夢見るように。宗教の創始者や偉大な革命家や偉大な征服者と同様、宿命のもとに生まれ、そしてもっとも恵まれない階層の出身であることの多いチャンピオンのめくるめくようなその出世は、梯子を一気に駆け上り、普通の人間が、たとえ生まれつきどれほど恵まれていようと、常識で考えて期待できるものとは桁の違う社会的地位――たしかにいくらか埒外のものではあるが――に達することを許す例外的な幸運――あるいは魔法の力――のしるしのように思われる。ある点で、チャンピオンは魔法使い、とくに一般にアルカイックと呼ばれている社会のシャーマンを思わせる。シャーマンもまた、多くの場合、最初は単なる不遇な人間にすぎなかったのに、他の人々とは違って彼ひとりだけが精霊たちと結ばれているという事実によって、運命に対してめざましい復讐をとげる人物なのだ。」

「レースの大きな楽しみは、競走馬のうちの一頭が他を制しつづけるのを見ることではなく、それが順位を上げて、他の馬を一頭ずつ、時にはやすやすと、時には苦心して抜いてゆくのを見ることにある。長いこと後れをとっていたのに、(中略)すでにレースに勝ったと思われていた相手をゴール寸前で抜き去るとなれば、喜びは頂点に達する。」
「このように急に飛び出してくる馬、有望株(カミングマン)(中略)、若いので身をかばう必要のないこのような人間は、周知のように、真っ向勝負を挑み、そして(頭角をあらわすため、著名な闘牛士になったらもう冒さないような危険を冒す新米(ノヴィレロ)のように)、つねに全力を尽くす。だから、彼の呼び起こす熱狂的な関心には一種の愛情が加わる。それは、(中略)そのやり方にまだ駆引きのない人間に対する共感であり、栄光の座に収まり返っている連中をそこからひきずり下ろしてくれるかもしれない者への期待である。」
「僕が現在、支配階級に対してチャレンジャー(引用者注: 「チャレンジャー」に傍点)の位置に立つ抑圧された階級に共感を抱くとき、また、長年世に認められてきた大天才よりも、数世紀にわたって待機レースをしている――もしかすると、彼が考えさえしなかったかもしれない勝利を知るには、あまりにも早く死んだ――呪われた作家や芸術家を好むとき、まったく違った心の動きに従っているとは思わない。」



「「おや! もう天使が……」」より:

「たぶん、僕が情熱よりもむしろノスタルジーの人間だからだ。それに対する欲求を抱きつづけるためやそれを懐かしむために、物事を遠くに置いておくこと。(中略)つねに幸福感を求め、力や支配は決して求めないこと。欲求する主体や欲求された客体の破壊をひき起こしかねないので、わがものにしようと努めるかわりに、味わい楽しむのに夢想や絶えざる思いの対象とすること。漠たる思いを抱く人間、未開の土地へ向かっていつも飛び立つ(ただしほとんど動くことなく)人間のままでいること。」







ミシェル・レリス  『ゲームの規則 Ⅲ 縫糸』  千葉文夫 訳
























ミシェル・レリス 『ゲームの規則 Ⅰ 抹消』 岡谷公二 訳

「この苦悩は、不毛しか期待できないほどきわめつきのものであって、どんな魔法の杖のひと振りをもってしても、はなはだしい枯渇を情熱に変えることはないのではないだろうか。たぶん僕は、古代の錬金術師や神秘思想の哲学者たちが「決してあと戻りできない道」と呼んだような道に入りこんでしまっているので、もう前に進む以外に出口を見出すことはできない。」
(ミシェル・レリス 「太鼓=ラッパ」 より)


ミシェル・レリス 
『ゲームの規則 Ⅰ 
抹消』 
岡谷公二 訳



平凡社
2017年11月10日 初版第1刷発行
357p 著者・訳者略歴1p
四六判 丸背紙装上製本 カバー
定価3,400円(税別)
装幀: 細野綾子



本書「訳者あとがき」より:

「第Ⅰ巻の原題 Biffures とは元来「削除」を意味するが、(中略)同音の bifur (分岐)という語がその中にひそんでいて、彼は両様の意味で使っている。二十年以上前に第Ⅰ巻だけを訳出したときは、詮方なく『ビフュール』のままにした。」
「今般、全巻の三訳者間で相談した結果、原題はカタカナの音写ではなく、可能なかぎり原題の多義的なニュアンス総体を汲みとって訳すこと、しかも漢語二字で統一することを決した。こうした次第で、とてもレリスの意図すべてを反映しているとはいえないが、第Ⅰ巻は『抹消』とした。」



Michel Leiris "La Règle du jeu I: Biffures" (1948)



レリス ゲームの規則 1



帯文:

「ビフュール
未来が暗い穴でしかなかった日々の
幼少期の記憶の執拗な重ね書き
〈日常生活の中の聖なるもの〉の探求」



目次:

「……かった!」

アビエ=アン=クール
アルファベ
ペルセポネー
昔々ある時……
日曜日
太鼓=ラッパ

訳者あとがき




◆本書より◆


「ペルセポネー」より:

「ことほどさように、幼いころ教えこまれた事柄は、僕に対していまなおこのように強い支配力をもつのであり、昔、話してきかされた架空の物語のいくつかなどは神聖不可侵であって、真実は論議の余地なく、その検証などまったく思い及ばないことなのである。」

「なにしろ僕は、両端へと引っ張りあう互いに正反対の動きによって身動きがとれなくなっているのであり、自分と現実とのあいだに直接の接触を作り出したいといくら望んでいるにせよ、事実へ直行することに対するいわれのない嫌悪だけが動機となって、多くの回り道を強いられ、ぐずぐずしているのである。」

「時には羅針盤で、時にはナルシスの僕は、最初自分をもともと不確かで動きやすいものに、ついでほとんど石と化すまでおのれを観照しつづけて動かぬ人物になぞらえたあと、どのような手を使ってそのあと切り抜けたらいいのかなかなか分からなかった。そぞろ歩きを介入させ、長い二つの観照のあいだの幕間のような――あるいは遊び時間のような――湖の周辺の彷徨に助けを求めたらいいと気づいたのはそのときだ。こうして、かなり苦心したあげく、僕は最初に持ち出した相反する二つの言葉、すなわち彷徨い(羅針盤の針が「方角を見失った」とき、あらゆる方角に動くような)と不変(何について話そうと、いつも自分に立ち戻る人間が変わらないような)とを折り合わせることに成功した。(中略)こういうわけで、僕はいまや、森の中を走りまわり、幼年時代の記憶の眠っているあの湖へたえず立ち戻るナルシスだ。(中略)けれどまだそのあと、飛び込みを、解放の跳躍をしなければならない。それは、幼年時代の水の中に身を浸すことを可能にしてくれるはずであり、水はその瞬間から現実のものとなるのだ(中略)。しかしここで事は複雑になり、比較ははっきりと中途半端なものになる。なぜって、最小限いえることは、ナルシスの跳躍は「死の跳躍」であり、それが彼を解放するとしても、その解放は彼の消滅を条件としているからである……。すると僕のほうはどうなるのか。
 だから冗談はやめだ。そして僕は単刀直入にこれらの幼年時代の思い出の懐の中に飛びこみたい。」

「空気の精や小妖精よりも、水の精(中略)よりも、地の精グノムは子供たちの仲間だ。たぶん、長い髭をはやしているくせに、子供にそっくりの小人のような背丈のせいで。もっと正確にいうと、この貧弱な背丈と周囲のものとの関係のせいで。たとえば、子供たちがテーブルの下に隠れるのと同様、傘の中に入るみたいに彼らがその下で雨宿りをする樹木とか、大人たちの脚の森の中に簡単に入りこんでゆくごく幼い子供たちさながら、彼らが根のまわりをぐるぐるまわる大木とか、(中略)背丈が似ているため、グノムと同じ視角(引用者注: 「視角」に傍点)(体がモラルを作るということを認めるなら、観点といっても同じ)を共有している子供は、彼の中に子供の枠から出ないままで年寄になった場合の自分の姿を認める。グノムの挙動についてきかされたり、絵で見たりするすべて――習慣、いたずら、受難、悩み――は、共犯者たる子供の耳目をそばだたせるだろう。」

「そのヴィロフレで、ずっと昔の夏のある日、日蝕に立ち会う機会に恵まれた。(中略)正確にいって何を見ることが問題になっていたのかあまりよくおぼえていない。重要なのは、別に空で起こっていることではなく(中略)、いぶしガラスのほうだった。(中略)日蝕にあって関心をひいたのは、感光板のように僕の眼と太陽(中略)のあいだに挿入されたいぶしガラスの扱い方だった。見なければならないものなどどうでもよかった。眺めるための方法のことしかほとんど眼中になかった。(中略)真の日蝕とは僕にとって、眼のごく近くにあり、(中略)透明な長方形の板の上にひろがっている闇の層だった。この眼鏡の中にひそかに、怪奇現象――実際に太陽の運行に影響を与える――が不思議な形で入りこんでいるように思われたのだった。」



「昔々ある時……」より:

「なにしろ僕は偏執的なほど秩序好きで、半端なものが大嫌いだから)」


「日曜日」より:

「とことんまでの社会的零落とはしばしば一種の使命感の結果ではないだろうか。それに世にいう「成功者」とは、どんな目的をめざそうと、その野心がどうであろうと、どう転んでも凡庸の域を出ない人たちにすぎぬのではないだろうか。」


「太鼓=ラッパ」より:

「「bifur」という用語――かつて敷砂利のへりの立札に大文字で記されているのを見たとき、強烈な印象を受けた――を引合いに出したとき、僕はむしろ、転轍機の命ずるままに方向を変える汽車がするような、また、時折言葉のレールによって、なにやら知れぬ、めくるめく場所にみちびかれたり、一方で、ビフュール(biffure〔抹消、削除〕)と名づけることのできる動きの中にひきこまれたりする思考が行うような、分岐し(bifurquer)、逸れる(dévier)行為そのものにアクセントを置いたつもりだった。biffure と言ったのは、この言葉にはどっちつかずのものが、道の分岐点や交叉点で僕の舌が道を間違えた瞬間の、つまり「私は言い間違いをした(C'est ma langue qui a fourché〔fourcher は分岐するの意〕)」と思った瞬間の言い間違い(言うはしから取り消すような)の場合に生ずるがごとき、人々のすぐ撤回する仕損じの意味が認められたからである。」

「こうしたテーマは、筋道をつけるためのいわば関節の役割を果たすようになった、連鎖関係を重んじる僕の書き方のおかげで、ありとあらゆる照明の下で検討され、他のテーマと突き合わされて正確なものとなり、こうして全体が、分岐や曲折やさまざまな逸脱からなる線の迷路の中から浮かび出るこれまで知られていなかった形さながらに、次第に姿をあらわしてきたのである。(この種の形の断片としては以下のものがある。すなわち、言葉に僕の与える優越、決まって伝説的な色合を帯びていて、原形質みたいなものを形作っている過去への沈潜、震えおののく感覚の世界にも鉱物界にも抱く執着、砂漠が映し出す僕の拡大されたイメージ、甲冑としての衣服、金銭におぼえる罪悪感、社会階級から離脱するための、時間の支配から逃れるための手段としての文学、いくつかのものを一つに集めたいと思う欲求、多かれ少なかれ僕が疎外感をおぼえている世界の共犯者になりたいという渇望。)だから、まだ bifurs ないし biffures があるとしても、それらは僕にとって、精神をそのわだちから飛び出させ、「踏み固められた道の外に」幸運を探しにゆかせるか、精神を「脱線」させる(中略)、異常な、本来の意味における déroutant〔「道からはずれた」が原意。そこから「面くらわせる」という意になる〕な現象としてしか、もはやあまり意味はない。」



「訳者あとがき」より:

「本書の「日曜日」の章でレリスが、自分が文学者になったのは、文学に対する関心よりも、言葉に対する関心からだといっているのは興味深い。」
「その点で、冒頭の「……かった!」の章は、(中略)『ゲームの規則』全体のテーマを典型的な形で示している。
 これは幼いころ、おもちゃの兵隊をテーブルの上から落とし、それが壊れていないのを見て思わず「……かった!(...reusement!)と叫んだところ、「よかった(heureusement)」と言わなければいけないと大人から注意された、というだけの話である。自分ひとりだけで使っていた、間投詞にひとしい「……かった!」が、「よかった」と訂正されることによって、彼の外にあって、「四方八方にひそかな触手をのばす」、言語というコミュニケーションの手段の一要素に昇格したとき、レリスの感じた、なんともいいがたい不思議な感情、一種のめまいが一篇の眼目となっている。
 こうして人は言葉と出合う。そして大概の人間が「……かった!」を忘れ、「よかった」を受け入れて大人になってゆく。しかしレリスは、「……かった!」を決して手放すことができない。」
「「よかった」をそのまま受け入れることのできなかった彼は、当然、言葉に関して辞書の指定する意味だけに甘んじることができない。辞書の中の言葉はよそよそしく、(中略)他人のものにすぎない。他人の言葉(引用者注: 「他人の言葉」に傍点)に対して彼の言葉(引用者注: 「彼の言葉」に傍点)、記憶がつめこまれていて、濃密な樹液のごときものが通い、互いにひそかに連絡しあう彼ひとりだけの言葉(引用者注: 「彼ひとりだけの言葉」に傍点)がある。」
「「よかった」をそのまま受け入れないとは、この世界を受け入れないことである。「よかった」と「……かった!」のあいだには、思いがけないほどの深淵が口を開いている。それを埋めるか、そのあいだに架橋するのでなければ、彼はあらゆる意味でコミュニケーションを失い、孤立化し、狂気か死へと追いこまれるだろう。彼か、世界か、どちらかが変わらねばならない。しかし「……かった!」を手放せなかった彼が、どうしてこの世界に順応することができようか。変わらなければならないのは世界のほうだ。」





憑依者の自画像
――描写と断片の人、ミシェル・レリス
対談:谷昌親×千葉文夫
(図書新聞)


ミシェル・レリス  『ゲームの規則 Ⅱ 軍装』  岡谷公二 訳























































































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
 
うまれたときからひとでなし
なぜならわたしはねこだから
 
◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

Koro-pok-Guru
Away with the Fairies

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。
歴史における自閉症の役割。

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