『ミシェル・レリスの作品 3 獣道』 後藤辰男 訳

「マリネットの夢・《黒毛の小犬たちと白い小猫一匹の一隊を連れて、散歩していたの。犬たちには綱がついていたけど、猫にはないの。犬たちも猫も、雲になっちゃったわ。》」
(ミシェル・レリス 「不可能事バタイユから途方もないドキュマンへ」 より)


ミシェル・レリス 
『獣道』 
後藤辰男 訳

ミシェル・レリスの作品 3

思潮社
1971年12月15日 発行
388p 「内容」4p
口絵(カラー)1葉
21.6×13.6cm 
角背紙装上製本 機械函
定価1,800円
装幀: 田辺輝男



本書「訳者あとがき」より:

「ここに訳出したのは、Michel Leiris: Brisées, avec un portrait de l'auteur par Picasso (Mercure de France, 1966) である。これは、(中略)一九二五年から一九六五年の四〇年間に書かれた作品ノート、書評、劇評、雑報、展覧会用パンフレット記事、単行本序文、単行本別刷り折り込み宣伝文、講演原稿、雑誌論文等を収録したものであり、文学は言うまでもなく、演劇、映画、音楽、絵画、彫刻、はては民族誌学というように、多様な領域にわたってレリスを捉えたことがらの、いわば一覧表とでもいうべきものを構成している。」


本体表紙にレリスの署名が金箔押しされています。栞ひも(赤)付。


レリス 獣道 01


帯文:

「内部透視への執念が晦渋かつ特異な批評様式に結晶する評論集。
1920年代より今日に至るまでのエッセイを収録した本書は、詩人として、美学者、人類学者、また「私」にひたすら関ってゆく個人としてのレリスの基底のありようの上に、複雑に屈折し、また見遁される尖孔を通って眩暈くばかりによじれひろがる内的地平を望見させるものである」



内容:

語彙集(私の註釈をおし込んで) 一九二五年
ジャン=アルチュール・ランボーの冒険的生涯
聖刻文字モナド
アーノルド・シェーンベルクについて
隠喩
文明
ホアン・ミロ
トーキー
ハンス・アルプ
よだれ
瓦壊(デバークル)
一九二九年の『フォックス・ムーヴィートン・フォーリーズ』
人間とその内部
幻のアフリカ
フレッド・アステア
私は私の作品のあるものをどう書いたか
スペイン 一九三四年~一九三六年
エリック・サティのユーモア
ニーム、十月九日のラファエリヨ
語彙集(私の註釈をおし込んで) 一九三九年
癲癇
導師マラルメ
オレステースと市民
ミシェル・ファルドゥーリス=ラグランジュと詩的小説
殉教者、聖マトレル
エリ・ラスコー
アンリ・ローランス、あるいは名匠の彫刻
『逃亡』紹介
ベルナルダの家
六月の数日間
神の言葉
アンケート《カフカは焚書にすべきか?》への回答
マルセル・デュシャンの工芸
サルトルとボードレール
植民地主義を前にした民族誌学者
アルベルト・ジャコメッティのごとき芸術家にとっての石
ハイチ・ヴォードゥー教徒のカトリック教色彩石版画利用法についてのノート
ポール・エリュアールの思想における芸術と詩
ユビュのマリオネット人形
ピカソと人間喜劇、または大足(グロ・ピエ)の栄枯盛衰史
この空虚、ジャン・オービエ
『悲しき熱帯』横断
彼らの道徳とわれわれの道徳
ミシェル・ビュトールの神話的レアリスム
ルヴェルディ、日常性の詩人
レイモン・クノーについて
郵便切手の、あるいはメダルのアルベルト・ジャコメッティ
アルフレッド・メトロー管見
不可能事(アンポシーブル)バタイユから途方もない(アンポシーブル)ドキュマンへ
アンドレ・マソンの想像的世界
エーメ・セゼールとは何者か?
オペラ、プロット化した音楽

原著者解題

原・訳註
訳者あとがき



レリス 獣道 02



◆本書より◆


「語彙集(私の註釈をおし込んで) 一九二五年」より:

「奇怪な錯誤が、人々に、言語活動とは自分たちの相互関係を円滑にするために生まれたと信じさせている。このような実利的目的から、彼らは慣用と語源を基盤として、明確に定義された(と、彼らが信ずる)意味をもつもろもろの語のカタログである辞典を作成するのだ。ところが、語源学とは、全く空虚な学問であり、ある語の真の意味、各人が自分の精神的愉楽に従って当の語に賦与する特殊で、個人的な意味については何も教えてはくれない。」
「ある語の通常的な意味と語源学的意味がわれわれ自身について何も教え得ないのは、それらが言語の集団的な部分、つまり、すべての人々のために出来ていて、われわれ各人のために出来ているのではない部分を表わしているからである。
 語源学に従うことや、一般に認められている意義に従うことに頓着せず、愛する語を解体するならば、それらの語がもつ最も奥深い美質、あるいはそれらの音、形態、観念の連合をとおして互いに連絡し合う、密やかな、言語全体にわたる分枝的組織を、われわれは発見することになろう。そのとき、言語は神託と化す、そして、われわれは、そこでこそ、(中略)われわれの精神のバベルの塔の導きの糸を手にするのだ。」



「アーノルド・シェーンベルクについて」より:

「しかし、この魔術師が、周囲を溝で絶縁されて純粋状態におかれ(互いに連結し合ってはいるが)永久に他とは分離されている稀元素より成る世界、――その構成要素の各々が、それぞれ特性を保ち、いかなる関係からも独立的で、一体的ではあるが、同時に細かく分割されてもいる一宇宙である(中略)大空間を組み上げるとき、彼はまさに自分の音楽のなかに海の緑したたる一世界(ヴィジョン)を復原するのである。それはあたかも、岩石、植物、動物が間隙をおきながらも常時作用を止めぬ神秘的な照応関係によって緊密に結ばれていながら、それぞれが固有の生命を有し、独立の小世界を織りなす古典魔術の世界なのである。」


「人間とその内部」より:

「前世紀に出版された大衆的書物(エミール・コロンベ著『臨終時の奇人たち』パリ、一八六二年、エツェル文庫、E・ダンテュ書店刊、一〇五頁)の中で私は次のごとき挿話を読んだことがある。

   潔癖症
 
 臓物を裂かれた一頭の牛が肉屋の爼板の上に乗せられているのを見たある婦人が、非常に深い嫌悪を覚え、危うく気絶しそうになった。彼女を捕えた危機状態について質問されたとき、彼女は言った。
 ――私どもの身体の中にも、同じようにああいういやしいものがあるのでしょうか?
 彼女が得た答は、彼女に飢え死にする決心をさせた。

 動物あるいは人間の内臓を見るということはおおよそいつでも不愉快なことであるが、それら内臓を図に表わしたものは必ずしも同様ではない。古い医学書を飾る解剖図を、もし厳密に医学的見地から見るだけで、そこに鮮かに刻まれている数多くのただならぬ美しさに普通以上の考慮をしないならば、それは正しくはないであろう。このただならぬ美しさ、それは諸形態の何らかの明白さに結びついたものというよりは、むしろ人間の身体がその目に見えぬ部位、かくされた諸反応ともども、その最も内奥の神秘をそのまま露わにしているという事実に関係があるのであり、隠された反応ということからすれば、人間の身体というものは、簡単に言って縮尺された宇宙の魔術的価値を人体に賦与してくれるすべてのものを備えた諸反応の劇場なのである。」



「アンケート《カフカは焚書にすべきか?》への回答」より:

「真の作家とは、書くことによって自分自身を一層よく認識し、作品のお蔭で彼が磨き上げ、あるいは明らかにすることが出来た――はじめは彼自身の為ですが――特殊な経験的事柄を、出版することによって他の人々に伝え、人々が一層よく自分というものを認識するよう教える人であります。
 それゆえ、(中略)このような作家にとっては、社会的な命令、政治的命令に従うことは――彼らがいかなる根拠をもとうとも――問題ではありません。彼にとって、書くという行為は自覚の方法でありますから、白紙状態でその仕事がすすめられるよう彼はあらゆる先験的推理を(倫理面でも美的面でも)捨て去らねばなりません。」



「ピカソと人間喜劇、または大足(グロ・ピエ)の栄枯盛衰史」より:

「芸術家はつねに、過剰あるいは、欠陥によって、通常的なるものの外にある。すなわち、彼は征服の神あるいは責めさいなまれる神であり、啓示を与える予言者あるいは人々の嘲弄の的たる気違いである。《その巨いなる翼は彼の歩みを妨げる》のであり、この世に唯一なるもの、この俗世に対立するこの例外的存在は、娼婦のごとく、その栄華と悲惨をもつのである。昔、ピカソは乞食、不具者、病人、娼婦あるいはその友人たちを(中略)、おのれの孤独の中でとらえて描いた。これらの人物の共通の特色はアウトカーストの人間、すなわち、芸術家もその中に数えられる周辺社会のものたちであるということであり、魔法の組織者であると同時に飢えた浮浪人といういかがわしい人間である軽業師たちがそのもっとも完成されたイメージを提供してくれているのである。」


「『悲しき熱帯』横断」より:

「香りを吸い、親しい動物と共犯的な視線を交す一つの鉱物を瞑想しつつ、最後に彼が人間に認める《自己を解放する》可能性というものは実際は何であり得ようか? われわれを空間的に取り巻き、神話と詩の時間に混ざり合う或る時間の中にわれわれをひたすところのこの自然のなかへの沈下によって、歴史と労働とが記録されるクロノメーター的時間を間歇的ながらも抛棄する可能性でないとしたら。」


「レイモン・クノーについて」より:

「彼にあって私に印象を強く与えているもう一つの特色は、エキゾティシズムへの彼の嫌悪である。恐らく御存知のことと思うが、彼は余り旅行が好きでない。(中略)彼が旅行するのは、新しいものを発見するためであるというより、よその土地で、自分の聞き慣れた民謡を再発見するためである――この全く個性的な民謡を、半ば真面目に、半ば皮肉たっぷりと、一つ、あるいはいくつかのレトリックを用いて、彼は見事に、最も高度な意味での独特さと効果に富む詩に作り変えてしまうのである。」


「エーメ・セゼールとは何者か?」より:

「詩人というものが、本来、この世界においてはどこにも真に自己の根を下すべき場所を見出だせないがゆえに、自己のために別の一世界を建設しなければならない人間であるとするならば、自分が暴虐と不平等のなかで形成されたばかりか、すべてに移植の刻印を受けて形成された、ちぐはぐで狭小な一社会の所産であることを自覚しているがゆえに、誰よりも一層根こそぎにされた人間であるセゼールは、誰よりも一層詩人たるべき最良の条件のなかにおかれていたと考えたくなるのである。」


レリス 日常生活の中の聖なるもの ほか




「人間とその内部」については、こちらもご参照下さい:

Robert Burton 『The Anatomy of Melancholy』 (Everyman's University Library)





















































































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『ミシェル・レリスの作品 4 日常生活の中の聖なるもの』 岡谷公二 訳

「私にとって聖なるものとは何だろうか? もっと正確にいえば、私の聖なるものとは、どのようなものから成立っているのだろうか? あの恐怖と愛着との混淆を、魅力的であると同時に危険なもの、心をうばうと同時に拒まれているものに近づくとき生じるあの相反する態度を、聖なるものについての心理的徴候とみなすことのできるあの畏れと恐怖とのまじりあった感情を、私のうちによびおこす事物や場所や情況とはどのようなものだろうか?」
(ミシェル・レリス 「日常生活の中の聖なるもの」 より)


ミシェル・レリス
『日常生活の中の聖なるもの』 
岡谷公二 訳

ミシェル・レリスの作品 4

思潮社
1972年5月25日 発行
290p 索引xxxiv 
口絵(モノクロ)4p
21.6×13.6cm 
角背紙装上製本 機械函
定価1,500円
装幀: 田辺輝男
表紙: Paul Klee: Kranker im Boot
見返し: Paul Klee: Flucht vor sich



本書「解題」より:

「本書は、ミシェル・レリスの民族学者乃至民族誌学者としての側面に照明を与えるために、訳者が編集したものである。」
「「日常生活の中の聖なるもの」 Le sacré dans la vie quotidienne は、最初「新フランス評論」(N・R・F)の一九三八年七月号に発表された。」
「「アフリカ黒人の美的感情」 Les noirs Africains et le sentiment esthétique は、西ドイツのシュトットガルトにあるゲルト・ハッティエ社から一九六五年に出た『カンウェイレルのために』という表題の論文集に発表された。」
「レリスのこの一文は、のちに(中略)『黒人アフリカの美術』(一九六八)の一章となった。」
「「ゴンダルのエチオピア人にみられる憑依とその演劇的諸相」 La possession et ses aspects théâtraux chez les Éthiopiens de Gondar は、一九五八年にプロン社から「人間の土地」叢書の一巻として出版された。これはその全訳である。」
「「マルティニック、ガドゥループ、ハイチ」 Martinique, Guadeloupe, Haiti は「レ・タン・モデルヌ」誌の一九五〇年二月号に発表された。」



本体表紙にクレーのデッサンが金箔押しされています。栞ひも(赤)付です。


レリス 日常生活の中の聖なるもの 01


帯文:

「心の内襞より憑依の諸相へと屈折しながらも貫走する表現の営為
黒人アフリカ・西印度諸島に向けられた対象化する視点を、やがては自ら自身にまで適用しようとする意図を含みつつ、詩=《私》から民族誌学=《われわれ》への脱皮を賭した試行を聖・禁忌を視軸に据えて論究する本論集は、きわめて独自な個性レリスの深く重い屈折の徴憑である。」



レリス 日常生活の中の聖なるもの 02


目次:

解題 (岡谷公二)

日常生活の中の聖なるもの
マルティニック、ガドゥループ、ハイチ
アフリカ黒人の美的感情
ゴンダルのエチオピア人にみられる憑依とその演劇的諸相
 はしがき
 第一章 ザール信仰とシャーマニズム
 第二章 憑依のもつ遊戯的、美的側面
 第三章 一つのあり方の象徴としての、一つの行為を促す存在としてのザール
 第四章 憑依の諸場面の主役たちにみられる意識と無意識
 第五章 ザール信仰における生きられた演劇と演じられた演劇

民族学者にならねばならなかった詩人――ミシェル・レリスの場合 (岡谷公二)
インデクス――訳註つき



レリス 日常生活の中の聖なるもの 03



◆本書より◆


「日常生活の中の聖なるもの」より:

「私にとって聖なるものとは何だろうか? もっと正確にいえば、私の聖なるものとは、どのようなものから成立っているのだろうか? あの恐怖と愛着との混淆を、魅力的であると同時に危険なもの、心をうばうと同時に拒まれているものに近づくとき生じるあの相反する態度を、聖なるものについての心理的徴候とみなすことのできるあの畏れと恐怖とのまじりあった感情を、私のうちによびおこす事物や場所や情況とはどのようなものだろうか?」
「明白に思われるのは、子供のころ私たちを魅惑し、このようなとまどいの記憶を私たちのうちにのこしたものすべてが、まず第一に問いただされねばならないということです。といいますのも、私たちの扱うことのできる素材のうち、幼年期の霧の中からとり出されたこれらの素材こそ、多分最も装われることすくないものではないか、と思われるからです。」

「客間――お客をよんだ日には、私たちの立入ることのできなかったオリンポス山――にくらべると、こうした便所は、人々がやってきては、もっとも混沌とした、もっとも地下的なもろもろの力と接触することによって、生気をとり戻す洞窟や穴ぐらの役割を果たしているのです。(中略)そこはまた、私達が、家族の他の全員に対し、自分をもっとも埒の外へ出た、切り離された存在と感じる場所であり、一方私達兄弟二人で形づくっていた萠芽の形の秘密結社の中にあって、互いをもっとも身近な、心のかよいあう存在と感じる場所でもありました。要するに私たちにとっては、あらゆる種類の契約というこのすぐれて聖なる事柄が問題なのでした。」
「母か姉が私たちをブーローニュの森か、パリ市立温室園附属の公園へ散歩につれていってくれるとき、よくこのなんとも名づけようのない空間(《未開》と言われている社会に属する人たちにとって、村という位置のきちんときまった世界に対し、ブッシュ、即ち村を離れた途端にはじまる、神話的な冒険や異常な遭遇に出会いがちの、境界のあいまいな世界が対立するように、家々のブルジョワ的世界に対立する空間)、実際に強盗たちの出没するこの《地帯》を横切ることがありました。そのような折、たとえば遊ぶためにそこに足をとめる場合、私たちは、まことしやかな口実を作って私たちを茂みの方へひきずってゆこうとするかもしれぬ見知らぬ人たち(今日、私はサテュロスというものの意味がよくわかります)を警戒するようにといわれたものでした。そこは、ことさらにタブーとされた特別の場所であり、超自然的なものと聖なるものとに重大なかかわり合いを持つ、公園とは全く違った地帯でした。公園の方はといえば、そこでは一切があらかじめ解っており、秩序立てられ、かきならされていて、芝生に立入ることを禁じる貼札さえも、タブーのしるしとはいいながら、ごく冷やかな聖性しかその場所に与えることができませんでした。
 兄たちの一人と私とを魅惑したもう一つの野天の場所は、オートゥイユの競馬場です。(中略)そこは、そこでくりひろげられる光景と、そこでかせいだり、すったりする莫大な金額のために、特別輝かしい場所であり、そこでは一切が運不運によってはかられるだけに、また、大きくなって私たちが賭博好きになるかもしれないと心配して、父が糞味噌に非難していただけに、特別不道徳な場所でした。」
「兄と私とは、(中略)大きくなったら競馬の騎手になろうとしばしば想像したものでした。宗教の創始者、大革命家や大征服家と同様、チャンピオンは特別の運命を持っているらしい。そして、社会のもっともめぐまれない階層の出身者であることが多い彼の、めくるめくような高みへのその上昇は、幸運の、呪力の――例外的なマナのしるしのように思われます。このマナのおかげで、彼はあらゆる階級を一気にとびこえ、たしかにいくらかアウトサイダー的なところはあるが、一般の人々が、その生まれの如何を問わず、まともにしていて期待できるものとは桁違いの社会的地位に達することができるのです。ある点で彼は、シャーマンを思わせます。シャーマンもまた、その当初において、多くの場合一介のめぐまれない人間にすぎません。しかし彼は、他人とは違って彼一人だけが精霊たちとむすびついた部分を持つという事実によって、運命に対し華々しい復讐をとげるのです。」

「私は言語についての、もっとくわしくいえば、それ自身ゆたかに意味を拡大できる言葉についての、また、よく理解していなかったり、読み違えたりしていて、それまで信じていた意味とは違う意味を持つことに気づいた途端、不意に一種のめまいをおこさせた言葉についてのある種の事実をお話ししたいのです。そのような言葉は、私の幼年時代にあって、そのひびき自体からおどろくべき展望がひらけた場合にせよ、以前いつもそれらの言葉を不正確に発音していたのに気づき、一気にそれらを完全に理解して、ヴェールが不意にはがれたり、何かの真実が明らかになったりするのに似ていくらか啓示に似た思いを味わった場合にせよ、しばしばの役目を果たしました。」

「私がこれらのさまざまな事柄――父の権威のしるしとしてのシルクハット、彼の勇気と力のしるしとしての弾倉つきのスミス・エンド・ウェッソン銃、(中略)彼が持っていると私の考えていた富のしるしとしての金貨入れ、元来は家の守護神だけれども、私たちがやけどをすることもあるストーブ、夜の縮図である両親の寝室、その中にかくれて、神話的な物語を話しあったり、性的な事柄の性質についてあれこれ仮設をめぐらしたりする手洗い、城壁のむこうにひろがっている危険な地帯、運に対して、あるいは服装も仕種も見る者の心を恍惚とさせる騎手たちの手綱さばきに対して大金が賭けられる競馬場、言語のある種の要素を通じて、これまで右も左も分らなかった世界にひらかれた窓――を比較するならば、そして私が子供であった頃の日常生活から借りたこれらの事実をことごとく集めるならば、私にとっての聖なるものの輪郭が少しずつ形づくられてゆくはずです。
 それは、父の持物や岩の大きな家のように、心をうばうなにか、競馬騎手のはなばなしい衣服や、エキゾチックなひびきをもつある種の言葉のように、人の意表をつくなにか、赤くもえている石炭や、あちこちにいかがわしい人々のさまよい歩いているブッシュのように、危険ななにか、胸をひき裂く一方で、私を悲劇の主人公にかえる咳の発作のように、異なった二つの性質を持つなにか、大人たちが儀礼をとり行なう客間のように、禁じられたなにか、便所の悪臭の中での秘密会議のように、秘密ななにか、ギャロップで走る馬の跳躍や、言葉の持つ底が何重にもなっている箱のごとき性質のように、めくるめくなにか、要するに、何らかの形で超自然的なものの刻印を打たれているなにか、とよりほかに私にはうまく考えられないなにかなのです。」



「アフリカ黒人の美的感情」より:

「もう一人の観察者ロラン・コランは、アフリカの芸術家がリズムを非常に重んずることを示す次のような事実を報告している。即ち、マリのシカソ地方に住むサモロ族の彫刻家ファコ・クリバリは、夜しか彫刻せず、その際には木を刻む音を伴奏に歌をうたう。《この歌は中断してはいけません。こうすれば(中略)歌とリズムが材木の中に入りこむのです。〔中略〕もしこのならわしにそむけば、作品全体が台無しになるでしょう。》」

「多かれ少なかれ社会の中心をはずれた部分に一つの階層を形成しているアフリカの鍛冶師は、単なる技術家ではなく、金属に加工する能力と、扉、錠、腰掛けなどの木工品を彫刻する能力とを兼ね備えた芸術家である。」
「バウレ族の地方では、彫刻家は村会に対して特別の発言力を持つ。重大な問題に関して首長が彼に意見をきくこともある。これは首長が鍛冶師に対してもすることで、後者は技術や呪術の知識に通じているため、意見を傾聴すべき人物とみなされているのである。」

「アフリカ内陸の偉大な発見者のひとりゲオルク・シュヴァインフルトは、芸術本能や、生活を整え美化するための作品をつくり出す喜びがもっとも手つかずに残っているのは、もっとも孤立した、もっとも粗野なアフリカ人、綿織物を用いることを知らず、今なお食人の風習を行なっている人々のあいだだとさえ書いているではないか?」



「ゴンダルのエチオピア人にみられる憑依とその演劇的諸相」より:

「《多数の異なったザールが憑くマルカーム・アッヤフの場合、彼女の日常の行動の一つ一つに、それぞれ特別のザールが割り当てられているように思われた。(中略)マルカーム・アッヤフの暮しぶりをみていて、私は、ザールとは彼女にとって一種の洋服ダンスのようなものであって、彼女は、日常生活の必要やさまざまな機会に応じて、洋服をとりかえるように、そこから人物をとり出して身につけるのだと考えるに到った。》」

「ある種のザールによる憑依は世襲とみなされており、治病を職業としていた憑依者が死ぬと、生前彼にとりついていた精霊の少なくとも一部が、家族の誰か、あるいは彼の信奉者の一人にのり移り、その人物が彼の後継者となるというのが規範とされている。」

「一般に容姿の美しさ(中略)は、ザールによる憑依に関係があるとしばしばみなされている。美しい人々はとくにとり憑かれやすい、というのが一般の意見だ。(中略)また(中略)マルカーム・アッヤフの家で行なわれたワダージャーの最中、トランスが終わって、精霊が離れ去った女たちを見ていた一人の男の口から出た次のような考察は、つねに意味深い。《ザールがいっちまうと、女たちの魅力もいっちまう。ああ、連中の顔が奇麗になるのはザールのせいなんだ。》」



レリス 日常生活の中の聖なるもの ほか


























































































































ミシェル・レリス 『ピカソ ジャコメッティ ベイコン』 岡谷公二 編訳

「芸術作品によって乗り越えられるとき、きわめてきびしい真実も、別の様相を呈します。絶望の詩は人を絶望させません。すぐれた作品は、決して人の心をくじきはしません。」
(ミシェル・レリス 「人間的苦悩の画家」 より)


ミシェル・レリス 
『ピカソ 
ジャコメッティ 
ベイコン』 
岡谷公二 編訳


人文書院 
1999年2月1日 初版第1刷印刷
1999年2月5日 初版第1刷発行
304p 著者・編訳者略歴1p 口絵(カラー)4p
A5判 丸背紙装上製本 カバー 
定価3,900円+税



岡谷公二編訳によるミシェル・レリス美術論集。本書は全二冊のうちの第一冊です。


レリス イマージュのかげにⅠ 01


帯文:

「現代におけるリアリズムの系譜を
「愛するものだけについて語る」という規則の下に綴った
特異な美術論
人物評から作品論まで、ほぼすべてのテクストを独自編集」



帯背:

「ミシェル・レリス――
稀有な鑑識眼」



帯裏:

「ブルトンやバタイユらと交流していた若い詩人、モースの弟子にして『幻のアフリカ』を残した民族学者、特異な語彙感覚を駆使し遠大な『ゲームの規則』を著した自伝作家……。文学者、民族学者として著名なレリスには、じつは美術評論家としての顔がある。本書は、現代美術のリアリズムの三巨匠――ピカソ、ジャコメッティ、ベイコン――について書かれたほぼすべてのテクストを独自編集し、レリスのこの知られざる一面を初めて紹介するものである。同時代人として、また親しい友人として、その人物や作品を愛情こめて語りながら、三人の本質を大胆かつ的確に描きだす才は非凡である。読者は、偉大な芸術家とすぐれた鑑識眼とのスリリングな出会いという稀有な瞬間に立ち会うことができるだろう。」


目次:

パブロ・ピカソ
 ピカソの近作について
 通知状
 ルイ・カレ画廊でのピカソ展
 ピカソと人間喜劇、或いは大足の災難
 ピカソの初歩読本
 小文字のバルザックと大文字なしのピカソ
 ピカソとベラスケスのラス・メニーナス
 ピカドールのロマンチェロ
 「やあ、レリス! じゃあ君は仕事をしてるんだね?」
 「絵画は私より強い……」
 複製
 「時間の外に、ではなく……」
 画家とそのモデル
 言いあらわすこと
 台座のない天才
 作家ピカソ、或いは忘我の詩
 補遺
  ピカソのデッサン、ガッシュ、水彩
  マックス・ラファエル『プルードン―マルクス―ピカソ』
  言葉の仙境・一九四四年三月十九日……

アルベルト・ジャコメッティ
 アルベルト・ジャコメッティのような人物のためのいくつかの石
 切手やメダルのなかのジャコメッティ
 アルベルト・ジャコメッティ
 他の「石たち……」
 別の刻、別の痕跡……
 語り、書くジャコメッティ

フランシス・ベイコン
 フランシス・ベイコンの絵画が私に語ったもの
 人間的苦悩の画家
 フランシス・ベイコンの現在
 フランシス・ベイコンの大いなる賭
 アウトローの画家ベイコン
 フランシス・ベイコン、その顔と横顔
 リアリズムについて――フランシス・ベイコン宛ミシェル・レリスの五通の未発表書簡

レリスと画家、彫刻家たち――解説にかえて (岡谷公二)

図版一覧
初出一覧
主要人名索引



レリス イマージュのかげにⅠ 02



◆本書より◆


「「やあ、レリス! じゃあ君は仕事をしてるんだね?」」より:

「アストール通り二十九番地二号の画廊にもう一度行ったあと、私はラ・ボエシー通りを上っていた。そのとき私は、同じ歩道を、反対の方向から歩いてくるピカソをみかけた。したがって私たちは、数秒後にはすれちがうはずだった。どうすべきか? 挨拶すべきか(そうなれば、先日のまことに束の間の出会いをいいことにして、大画家に私のことを思い出させる、といった風に見えるだろう)。眼を真直ぐ前に据えたまま歩き、まるで彼の姿が眼に入らないかのようにするべきか(しかし相手がたまたまこちらを見覚えていたならば、途方もなく無礼に見えかねないだろう)。二つの解決法のどちらも気に入らなかった。それで私は、進退谷まってしまった。私はどちらとも決めかねるまま、どちらがいいかをまだ考えていた。そのとき私は、すぐ眼の前まで来たピカソが、私のほうに手を差し出し、まるで昔からの知合いででもあるかのように、「やあ、レリス! 元気かい? じゃあ、君は仕事をしてるんだね?」と言う姿を見た。私はもちろん、ひどく赤くなりながら、はい、と答えた。
 私がこうした逸話を話すのは、それが後に私にとって持つことになる極度の重要性のためだけからではない。それは、ピカソの天才のもっとも感嘆すべき面の一つを示しているように思われるからである。即ち他人がすることに対する無限の好奇心であり、誰をも対等に扱うことのできるすばらしい心の広さであり、台座の上にのってあがめたてまつられるようなことにはならず、探究心を少しも失わないように彼を仕向けた――生涯を通して――一種の方法的懐疑である。」



レリス イマージュのかげにⅠ 03

ピカソによるレリスの肖像。


「別の刻、別の痕跡……」より:

「アルベルト・ジャコメッティのアトリエの貧寒さと殺風景な有様とは、その日常生活のどのような面でも、彼をピューリタンだと思わせるものがなにひとつないだけに、厳格さのしるしとみなすべきではない。そこに吝嗇の証拠を見てとることもできまい。なにしろアルベルト・ジャコメッティは、耐久財に投資する性癖はまるでなかったけれども、束の間のもの――タクシー、レストラン、夜決まって出かけていったバー――には惜し気もなく金を使ったし、場合によっては、人並以上に気前よく振舞ったのだから。認めなければならないのは、この貧寒さが、彼にあってほとんど当初から現れている、どうしても必要なものと彼には思われないものに対する無頓着さ(無関心であって、道徳的な拒否ではない)からきているということだ。それをもってすれば核心に達すると思えるような、きわめて基礎的なものに固有の魅力にとらえられることと、アルベルト・ジャコメッティの芸術の発展とは、おそらく無縁ではないだろう。」


「語り、書くジャコメッティ」より:

「すすんで逆説を弄する一方で、正真正銘心を打ち割って語ることもある、きわめて話好きの人間だったアルベルト・ジャコメッティは、しばしば、弁護しにくいものを弁護する立場をとるのを、そして一般に、人の意見に異を立てるのを好んだ。といって、目立ちたいという気持はそこには微塵もなく、物の考え方にはさまざまな面があるのだという事実を人に感じさせる喜び、これが、(中略)この芸術家の心を駆り立てていたものだった。」


レリス イマージュのかげにⅠ 04

ジャコメッティによるレリスの肖像。


「人間的苦悩の画家」(ジャン・クレイとの対談)より:

「ベイコンにあって私をとりこにするのは――ジャコメッティの場合もそうですが――、彼の絵には有無を言わさぬ、まぎれもない存在感があるからなのです。人々がそれを美しいと思おうと、醜いと思おうと、そんなことはどうでもいい。ベイコンの絵は、人生そのものと同じくらい生き生きとしており、存在し、絵が掛けられている壁から私たちに向かって、比類なく力強く、輝かしく語りかけてきます。画家にとっての真の問題は、絵というこの自然の再現が、独立した生をそなえるようにすること、見る者に伝染し、たとえば一本の樹木や一脚の椅子と同様の、いやそれ以上のリアルな存在感を作品に授ける密度を持つようにすることです。」

「ああ、ベイコンは人を安心させたり、気持を和らげたりはしません。彼は、おだやかな絵画の作り手ではない。しかし先刻言いましたように、時代もそういう時代ではないのです。(中略)彼も戦争を生き、ナチズムや、死の収容所や、広島の話を聞いたのです。彼は事柄の根本を示そうとする。外見のかげには、恐怖があります。間近に見ると、真実は愉快なものではない。それは彼の過失ではない。ベイコンは理想主義者ではないのです。物事を正面からみつめようとしない人たちは、関心に価しません。」

「芸術作品によって乗り越えられるとき、きわめてきびしい真実も、別の様相を呈します。絶望の詩は人を絶望させません。すぐれた作品は、決して人の心をくじきはしません。私について言えば、愉快なものなど少しも必要ではありません。むしろそんなものは苛々させるでしょうね。」



「アウトローの画家ベイコン」より:

「ミリアム・グロスとのインタヴューのなかで、フランシス・ベイコンは、他のどんなつきあいよりも、道楽者とごろつきとのつきあいを好む事実を隠していない。ところでその芸術家としての活動のなかで、彼は、ホールドアップやハイジャックに類する行為を、現実に対し、実際に行っているように思われる。現実を画面に「胸を突き刺すようなかたち」で表現するためには、画家は、尋常の手段では目的とするところのものを手に入れることのできない火事場泥棒さながらの大胆さをもって、表現したいと思うものを鷲づかみにし、場合によっては強奪する必要があるのではあるまいか? それと並行して、(中略)賭博場とカジノの常連であるフランシス・ベイコンが、多くの絵において、しかるべき計画を立てて慎重に行動するよりも、一か八かの投機に出ているように見えることも指摘しておいてよい。」


「リアリズムについて――フランシス・ベイコン宛ミシェル・レリスの五通の未発表書簡」より:

「リアリズムをどう考えているかについて、小生のためにお教えくださり、ありがとうございます。小生も同様に、われわれが現実を把握するのは、われわれの主観性を通してであり、そのことからして、われわれが全く「客観的」になることなど決してありえないばかりか、われわれがトランスクリプトするのは、事物に対して抱くわれわれの知覚であって、事物そのものではないだけに、客観的であろうとすることなど全く馬鹿げている、と考えます。」

「結局小生がリアリズムに関して考慮するのは、外的現実との一致よりは、少なくとも一つの現実と同じだけの重みを持つなんらかのものに達しようとする主観的欲求です。」



レリス イマージュのかげにⅠ 05

ベイコンによるレリスの肖像。



こちらもご参照下さい:

ミシェル・レリス 『デュシャン ミロ マッソン ラム』 岡谷公二 編訳













































































ミシェル・レリス 『デュシャン ミロ マッソン ラム』 岡谷公二 編訳

「私は、七十歳まで、正道をはずれた、全くどうしようもない画家とみなされてきたんです。」
「私はフランスで、フランス芸術の癩病患者とみなされている、という印象を、一生持ち続けてきました。」

(アンドレ・マッソン)


ミシェル・レリス 
『デュシャン ミロ 
マッソン ラム』 
岡谷公二 編訳


人文書院 
2002年9月20日 初版第1刷印刷
2002年9月30日 初版第1刷発行
251p 著者・編訳者略歴1p 口絵(カラー)8p
A5判 丸背紙装上製本 カバー 
定価3,900円+税



「レリスとマッソン、ラム――解説にかえて」より:

「本書は、『ピカソ ジャコメッティ ベイコン』に続く、ミシェル・レリスの美術評論集の第二弾で、シュルレアリスムの画家たちに関するものを選んで、訳者が編集したものである。」


レリス イマージュのかげにⅡ 01


帯文:

「イマージュのかげにⅡ
シュルレアリスム
オートマティックな奔流
「愛するものだけについて語る」という規則の下に綴った特異な美術論」



帯背:

「イマージュのかげに**
ミシェル・レリス」



目次:

マルセル・デュシャン
 マルセル・デュシャンの工芸
 彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも
 キュビスム展

ジョアン・ミロ
 「ジョアン・ミロをめぐって」、付載「修正と加筆」
 ジョアン・ミロ
 ミロのための彫刻した栗(マロン)
 ジョアン・ミロ
 バレエ「子供たちの遊び」の舞台装置

アンドレ・マッソン
 伝記 抄
 アンドレ・マッソン
 闘牛士(マタドール)の画家アンドレ・マッソン
 『アンドレ・マッソンとその世界』から
  アンドレ・マッソン
  手の砂漠
  アンドレ・マッソン
  スペイン (一九三四~一九三六年)
  大地
  神話
  偶像
  肖像画
 マルティニク島、蛇使いの女
 アンドレ・マッソンの想像世界
 手綱をはなたれた線
 アンドレ・マッソンとともに祝祭を
 ブロメ通り四十五番地
 演劇人アンドレ・マッソン

ウィフレード・ラム
 ウィフレード・ラム
 ウィフレード・ラムに
 ジレンマ
 ウィフレードのために
 穂、或いは墓碑銘

レリスとマッソン、ラム――解説にかえて (岡谷公二)

図版一覧
初出一覧
主要人名索引



レリス イマージュのかげにⅡ 02

口絵: ラム「蠅の皇帝ブリアル」(1948)



◆本書より◆


「闘牛士(マタドール)の画家アンドレ・マッソン」より:

「時代錯誤の衣裳、硬直化した儀式、姿勢を規制するさまざまなしきたりにもかかわらず、闘牛は、いま現在だけが価値を持つ芸術の好例である。(中略)予測できないものをすすんで認めるような部分がないため、生気を失っている多くのスペクタクルのなかで、闘牛(コリーダ)は、真の悲劇であるというはかりしれない長所をそなえているように見える。(中略)死と危険という高い代価で、一切が現金で、しかも一括で即金払いされねばならない闘牛という芸術のなかに、私たちが信用取引を認めるからこそ私たちに対してなにがしかの力を持つ多くの嘘っぱちで類型化したたくらみとは雲泥の違いのこの芸術のなかに、アンドレ・マッソンのような画家が、その天才にきわめてふさわしい、踏み台にすべき素材の一つを見出したとしても、そこには、単なる「幸運な偶然」といったようなものはなにもなく、むしろ、なんらかの宿命のしるしでないようなものはなにもないのである。」


「手綱をはなたれた線」より:

「マッソンにあって、線は、自分のやりたいようにしかやらない。(中略)めくら滅法に進むことを苦行として選んだマッソンにとって、線はアリアドネの糸以上のものでさえある。それは、迷宮の中でどこに自分がいるかを知るための手引だけでなく、刻々否応ないものとなって、測量士たる彼をひきずってゆく力でもある。」
「このことは強調しなければならない、線はここではおのれの思うままに振舞っていると。反復することもなく、悔いることもなく、決して「打ち消される」こともなく。その飛翔や、迂回や、気まぐれや、矛盾に委ねられて、線は自由に進み、こうして画家を、彼自身のもっとも内奥の部分まで連れてゆく。」

「流星、花押、泡の渦。直線であろうが曲線であろうが、線が自分のために切り開く道は、小学生たちの道、いたずら遊びをしながら行くのに好都合な唯一の道だ(ニーチェがダンスや鳩の歩みについて語ったのにならい、ここで、学校をさぼっての(エコール・ビュイソニエール)野歩きを云々してもいい)。
 それは、どんなに広かろうが、箱のような硬直した空間ではなく、これらの軌道を容れてくれる、ぽっかりとあいた、方向づけさえされていない空間だ。」



「ブロメ通り四十五番地」より:

「アンドレ・マッソンを通して、私は、ジョアン・ミロ(中略)だけでなく、私同様、ブロメ通り四十五番地の常連だった作家たちとも親しくなった。アントナン・アルトー(中略)、ジョルジュ・ランブール(中略)、といった人たちである。その一方少し後に、当時古代学の研究をしていたものの、そのような学問に少しも満足しておらず、そしてその優雅な、ブルジョワ的な外貌からは、タブー侵犯の精神などは毛ほどもうかがえなかったジョルジュ・バタイユの紹介者になったのは、私であった。」

「私たちはお互いにどれほど異なっていようと、そこには共通のトーンがあった。それは、驚異に対する激しい希求、日常の現実と縁を切ろうとする、或いはともかくそれを変容させようとする欲望から(と私には思われる)生れていた。少なくとも当初は、私たちにとって、改革するための改革も、なんであれ、革命を起こすことも問題にはなっていなかった。労働、家族、祖国、私たちを教育した人たちが認めていたこれらの価値観を、私たちは忌避――公然と、或いは暗黙裡に――した。だからといって私たちは政治家ではなかった。直接、或いは芸術的活動を通しての詩の探究が、私たちにふさわしい唯一の生活様式であり、加えて、社会が私たちに押しつける論理的な規則や道徳上の制約の束縛をこんな風にして振り払う――たとえ想像上だけのことであろうと――ことを楽しんでいたのだった。それを乗り越えるのが私たちの作品の目的だったこのような偏狭な文化の支配に対して、マッソンは、猛然と立ち上がっていたが、このような態度は、負傷兵として入院しているあいだ、狂人扱いされたほどの激しさで、西欧文明に対する否応ない嫌悪を表明した折に、すでに彼が示したものである。」



レリス イマージュのかげにⅡ 03

マッソン「賭をする男――ミシェル・レリスの肖像」(1923)


「ウィフレード・ラム」より:

「この時期を通じ、ウィフレード・ラムは、子供のときにかいまみ、いまでは一層よく知るに至った呪術と、同時に古典神話および西欧のオカルティスム(彼にとって無縁ではない。なにしろ彼は政治のうえではマルクシストであるにもかかわらず、その精神は、いかなる教条主義にもとり憑かれておらず、至るところに幸便を求めるのだから)が行った綜合の試みにも依拠しつつ、人間としてのあらゆる権利を要求するアンティル諸島の有色人種たる彼の運命と、同じように、人類が他の類よりまさっているといういわれはないのだから、もはや見下してはならない動植物のあいだにあって、一連のたえざる変動と破局に巻きこまれている人類の運命とを明らかにしようと企てたかのようだ。「一時期のあいだ、私は木であり、鳥であり、海底の黙した魚であった」、これは、アレホ・カルベンティエルがウィフレード・ラムに捧げた一文のなかで引用したソクラテス以前の哲学者エンペドクレスの言葉だが、ラムがこの時期に描いたすべての絵――そしてそれらに続く絵も――は、この言葉を、鋭い、或いは消えがての線と、或るときはおぼろな色彩による言葉、時によって変化はするが、習得した知識を越え、スタイル上の一切の先入観の外にあって、おのれの限界をとりのぞきたい、そして、宇宙においてまでも、単にアンティル諸島だけでなく、ほとんど至るところにおいて人間の生活を窒息させている障壁が消え去るのを見たいという同じ熱烈な欲求が画家に書きとらせた言葉によって翻訳したもののように見える。」


デュシャン ミロ マッソン ラム 5

ラム「蠅の皇帝ブリアル」(部分)。


岡谷公二「レリスとマッソン、ラム――解説にかえて」より:

「日本におけるマッソンに対しての無理解には、おそらく本国での評価も影響しているのであろう。実はフランスでもマッソンがピカソと並ぶ二十世紀の大画家と認められるようになったのは、比較的近年のことなのだ。晩年に行われたジルベール・ブロウンストーヌとの対話のなかで彼は言う。

  掛値なしに、呪われた画家を気どることなしに、国立近代美術館での回顧展のときまで、このような無理解が続いたと言えます。ですから私は、七十歳まで、正道をはずれた、全くどうしようもない画家とみなされてきたんです。

  私はフランスで、フランス芸術の癩病患者とみなされている、という印象を、一生持ち続けてきました。

 このような無理解はどこから生れたのか? 彼の描いた多くのエロティックな絵画やデッサン、虐殺といったテーマが一因をなしているのはたしかであろう。しかしそれは、表面的なことにすぎない。真の理由は、彼が、理性、秩序、均衡というフランスの伝統に真向から逆ったからである。」




こちらもご参照下さい:

ミシェル・レリス 『ピカソ ジャコメッティ ベイコン』 岡谷公二 編訳






























































ミシェル・レリス 『レーモン・ルーセル ― 無垢な人』 (岡谷公二 訳)

「この文章を終えるに当たり、私は、私の作品がほとんど至るところで、敵意ある無理解にぶつかるのを見ていつも感じたつらい気持ちに再び思いおよぶ。」
「今のところ私には、私の本が、死後いくらか成功を博するだろうという希望をあてにするしか手がない。」

(レーモン・ルーセル 「私はいかにして或る種の本を書いたか」 より)


ミシェル・レリス
『レーモン・ルーセル
― 無垢な人』
岡谷公二 訳


ペヨトル工房 
1991年11月10日発行
187p 
21×13.4cm 
並装(フランス表紙) 函 函カバー
定価2,200円(本体2,136円)
装幀: ミルキィ・イソベ



本書「あとがき」より:

「本書は、Michel Leiris, Roussel l'ingénu, Editions Fata Morgana 1987 の翻訳である。
 これは、一九九〇年に物故したレリスの、ルーセルに関する文章、談話の集録で、発表年月は半世紀にわたる。レリスは、人嫌いだったルーセルを身辺に知っていた唯一の文学者と言ってよく、その証言はきわめて貴重だ。」
「付録として、ルーセルの「私はいかにして或る種の本を書いたか」を訳載した。これは彼が、その死後、遺言の形で自己の特異な創作方法を公にした文章で、ルーセルの理解には不可欠のものである。」



巻頭にレリスの肖像写真(モノクロ)。


レリス レーモンルーセル


帯文:

「ルーセルのもっとも身近にいた人、ミシェル・レリスによるルーセル読本。
ブルトンをはじめ、シュルレアリストたちが読み誤った、
ルーセルの綺想の謎。
ついに翻訳されたルーセルの遺稿
「私はいかにして或る種の本を書いたか」を
併録し、ルーセル独自の創作方法が明かされる。」



目次:

レーモン・ルーセルに関する資料
旅行者とその影
私はいかにして或る種の本を書いたか
『新アフリカの印象』をめぐって
レーモン・ルーセルにおける想念と現実
レーモン・ルーセルについての対話 (聞き手: ピエール・バザンテ)

◆付録
私はいかにして或る種の本を書いたか (レーモン・ルーセル)

◆解説
『アフリカの印象』から『幻のアフリカ』へ (岡谷公二/初出: 「ユリイカ」 1974年4月号)

あとがき (岡谷公二)




◆本書より◆


「レーモン・ルーセルに関する資料」より:

「車で旅行をする時、彼は、風景はそっちのけで、読書をしていた。丸々一冊は持ってゆかず、一部のページを破って、ポケットにつっこんでいったのだが、それは、何を読んでいるかを人に知られるのが嫌だったからである。」


「旅行者とその影」より:

「ルーセルが行った最初の旅行の一つは、第一次大戦の数年前に、母とともにしたインドへのクルージングだった。この母親は、途中で死ぬかもしれないという考えにとりつかれていて、棺を持って行った。ルーセルはといえば、船が南十字星を見ることができる緯度まで南下する随分前から、いつ見えるかと毎日船員たちに訊ね、これから彼を待ち構えているどんな変った風景や住民よりも、はるかにこの星に関心があるように見えたという。」

「いくつかの町、とりわけ子供の頃の幸福な思い出の結びついている町は、彼にとってタブーだった。(中略)思い出を台なしにするのを怖れて、これらの町へもう一度行こうとは決してしなかった。」

「こうした特徴を集めてみると、ルーセルが、厳密な意味での旅行は少しもしなかった、ということがわかる。実際、彼は、いついかなる時も観光には心をうばわれず、外部は、彼が心の中に持っていた世界と決して相わたることなく、どの国を訪ねても、予め心の中に持っていたもの、つまり彼固有のこの世界と完全に一致した要素しか見ようとしなかったらしい。(中略)想像されたものを至上と考える彼は、芝居や、だまし絵や、みせかけに類するものに対して、現実に対してより、はるかに強い魅力を感じていたかに見える。『私はいかにして或る種の本を書いたか』の中で、彼はたとえば、『新アフリカの印象』の出発点となったのは、現実の風景では少しもなく、最初は、「イヤリングに飾りとしてさげるごく小さな双眼鏡の、目に当てる幅二ミリの筒形部分に、ガラスに貼ってはめこまれた写真――一枚はカイロのバザールの、もう一枚はルクソルの河岸のもの――だった」と断言している。」

「すべての真の詩人同様、誰よりも、この世界で自分は一人きりだと感じていたにちがいないルーセルは、おのれの天使と悪魔の行列を、至るところにひきつれて歩いた。つまりそれは、星に対する固定観念であり、贅沢さと快適さに対する嗜好であり、甘いものに対する好みであり、最高の名誉や、格付けされた奇蹟や、ゴーダ名鑑に名が出ることへの偏執や、老化と死に対する強迫観念、幼児期へのノスタルジー、(中略)強い不安であった。彼は、その習慣、固定観念、幼時をなつかしむ情とを、丁度彼の母がインドへゆく時棺を持っていったのと全く同様、必携の荷物として必ずや持ち歩いていて、どこにいても、いつでも、変ることない同じ自分を見出すのだった。」



「レーモン・ルーセルにおける想念と現実」より:

「レーモン・ルーセルがつねに想像力に賭けていたこと、彼にとっては、作り出された世界、つまり「想念」の世界と、与えられた世界(中略)、つまり「現実」の世界とのあいだに、明確な対立があったことがわかる。
 現実に関して言えば、レーモン・ルーセルは(中略)、それに何一つ期待を抱いていなかったのはたしかである。」

「現実にはあちこちに罠が仕掛けられているため、それと日々接触するには、ルーセルには、多くの用心が必要だった。たとえば、トンネルの中にいると不安でならないので、それに、自分がどこにいるかをいつも知っていたかったので、或る期間、彼は夜汽車で旅行するのを避けた。また、ものを食べることは、「心の平静さ」を損なうと考えて、ある時期のあいだずっと、数日間断食しては、そのあと「ランベルマイヤー」の店へいって多量の菓子を食べるという習慣を繰り返していたこともあった。(中略)会話で傷つけられたり、人を傷つけたりするのを怖れていた彼は、危険な話をさけるためには、相手に質問するに限る、と言っていた。」

「その新しいもの嫌いは、必然的な結果として、先例に対する敬意を彼のなかに生み出した。「新しいものは何でも、私には気づまりなんです」と彼は言ったものだった。シャルロット・デュフレーヌ夫人によると、彼は一度或ることをすると、それが先例となって強制力を持つに至り、そのために同じことを繰り返すことがよくあったそうだが、それほど彼の変化に対する嫌悪は深かった。
 このように彼は、現実に何とか順応するために戦術を用いなければならなかったが、そこから彼自身が「規則マニア」と呼んだもの、即ち規則に従って一切を秩序づけようとする欲求が生れた。この規則は、倫理的な性格を持たぬ、純粋状態の規則であって、彼が作品の中で従った規則が、厳密な意味での美的な狙いを一切持っていなかったのと同様である。」

「自然や、感情や、人間性に属するものから全くといっていいくらい超脱しようとし、彼自身さえ気がつかなかったほど外見は動機のない素材に営々と取り組みながら、レーモン・ルーセルは、このような逆説的な方法によって、真の神話の創造に達したのだった。」

「ルーセルは、「現実よりも想念の分野」を好むと明言したけれども、こうして彼が日常生活の世界と対立させる世界は、結局のところ超自然的なものに対する信仰を、少しも基礎としていなかったように思われる。「私はいかにして或る種の……」の中で、ルーセルは、自分は論理家だと言って自慢している。(中略)彼の努力は、現実とは何一つ共通するところのない、すべてがこしらえものの虚構の世界の創造をめざしている。彼が作り出すものは、ひたすら、こしらえものであればあるほど、現実に少しも頼らず、彼の天才の力だけで真実となっていればいるほど、価値があるのだ。想念の世界と現実とのきずなをことごとく断ち切ろうとする、このような、別して否定的努力が、観念論者ではなかった彼レーモン・ルーセルを、自殺という決定的な解放へとみちびいていったのは、理の当然だった。」

「一九三二年、レーモン・ルーセルはもはや書かない。彼はチェスをはじめ、睡眠薬(バルビツール剤)の中毒になる。(中略)この時期、彼は、(中略)同性愛者と麻薬中毒患者たち、つまり、つねに変わらず彼の心を占めつづけてきた性的嗜好と、最近の、薬に対する彼の偏愛とを共有する人たちの屯ろする、ピガール街七五の家具つきホテルに腰を落ちつけていた。」
「一九三三年の初め頃、熱帯アフリカから戻った私は、自分の参加した民族学調査団の出資者の一人であったルーセルに会いに行った。(中略)相変わらず優雅で美しかったけれども、少し重苦しくなり、年をとり、とても遠いところから話しているような口のきき方をした。二年近く私と会っていなかったので、沢山の私の身内や親戚について、次々と消息を訊ねた。それから、「時間が経つのが段々早くなるよ」という人生に関してのメランコリックな考察(微笑を浮かべながら)。暇乞いをすると、控えの間まで送ってきて、私たちは長い間立話をした(暇乞いをした人間を長々とひきとめるいつもの習慣――小心のせいだろうか? 追い払うという印象を与えたくないからだろうか? それとも一人きりになるのが怖いのだろうか?――にしたがって)。同じ訪問の際、私が書いているかどうか訊ねると、彼は「むずかしくてね」と答えた。」

「ルーセルは、子供の頃をのぞいては、ひとときたりとも幸福な時を過したことがないと言っていた。そしてその苦しみを、一種の息切れ乃至息苦しさのようなものだと記していた。しかしパレルモで、彼は完全な《至福感》を見出す。彼はもはや、認められることのなかった《栄光》にも、著作にも心を労さない。一ときの至福感を得るためなら、どんなものでも引きかえにする、と彼は言う。或る日薬が切れたとき、彼は、「切れ! 切れ! さもなきゃ薬をくれ!」と叫ぶ。これは、両手足の切断の方が、このような薬の切れた状態よりましだという意味だった。
 シャルロット・デュフレーヌ夫人によると、薬をのむようになってから、ルーセルは、以前は怖れていた死を好むようになったという。
ある朝、七時頃、浴槽の中で血だらけになっている彼の姿が発見された。彼は、かみそりで静脈を切りひらき、「静脈を切るなんて何てやさしいんだ……。何でもありゃあしない」と言いながら、けたたましく笑いつづけていた。」
「当時彼は、コップを持ち上げるのがやっとで、殆んど食べさせてやらねばならなかったほど体が弱っていた。薬をのんでいるので、寝台から落ちるのを心配し、床にじかにマットレスを敷いて寝ていた。」
「或る日彼は、シャルロット・デュフレーヌ夫人をわずらわせて、パリにいる召使いに手紙を書いて貰った。その中で彼は、××番の箱の郵送を頼み、この箱の中にはピストルが入っており、それを送って貰いたいのだと述べた。パレルモでは、自分は外国人なので、別のを買いたいと思っても買えない(と彼は考えていた)のだと言うのである。彼は夫人に対し、残念ながら引金をひく勇気はないが、多分あなたが、そうしてくれるだろう、と言った。夫人が拒絶すると、承知させようとして小切手帖をとり出し、いくら欲しいのかとたずね、彼女がことわるたびに、値をつりあげていった。とうとうその手紙は、出されずに終わった。
 シャルロット・デュフレーヌ夫人の懇願に従い、ルーセルはついに、スイスのクロイッリンゲンに睡眠薬中毒の治療を受けにゆく決心をする。七月十三日の朝、彼はこのために電報を打たせた。晩、彼は夫人に向い、今夜はあなたはゆっくり寝てほしい、今日はとても気分がいいし、睡眠薬も余り沢山はのまなかったから、と言った。さかいのドアは、以前は開け放しになっていたのに、数日前から閉されていた。
 十四日の朝、物音がきこえないので、夫人は、二つの部屋のさかいのドアを叩く。答えがないので、彼女はボーイをよぶ。ボーイは、廊下のドアから入る。こちらは鍵がかかっていなかったのだ。夫人とボーイとは、さかいのドアの方まで押していったか、ひきずっていったマットレス(彼の衰弱状態からすれば、これは超人的な努力だった)の上によこたわっているルーセルの姿を認める。ルーセルの顔はおだやかで、落着いていて、このドアの方をむいていた。
 遺骸をパレルモからつれ戻すためには、防腐処理を施さねばならなかった。」

「私は、ルーセルが死のうとした(禁止される前に、睡眠薬が与える至福感を、いつもより余計に手に入れようとしたのでないならば)のが、隣室に通じるドア(porte de communication)――何でも打ち明けられる女友だちの部屋に通じていたドア――の裾であることを強調せずにはいられない。彼の直接の動機や、死ぬに際してこのような場所を選んだ理由――このドアのすぐ近くにいたかったのか、それともドアをバリケードでふさぐつもりだったのか?――が何であれ、彼は、少なくとも生前は不可能と認めていたこの communication (交流の意)の閾で、彼の心の奥底をほんの少しだけ分け持ってくれた唯一の人間のいる場所の方へ眼をむけて、自ら望んで死んだのだった。」



「レーモン・ルーセルについての対話」より:

「おっしゃる通り、彼はほとんど気違い扱い、病人扱いされていました。」

「実を言うと、彼がこんな地位を占めようとは考えていませんでした。むしろ、偉大なアウトサイダーのままだろうと思っていましたよ。今日、彼が有名になったことについては、もちろん遅すぎたと思っています。でも、あの人が持っていもしなかったものを持っていただなんて言われると、うんざりします。あの人は、ああした先見の明も、哲学的な計画も持っていはしませんでした。彼は、悪い意味ではなく、単純素朴な人でしたよ。」
「私は「レーモン・ルーセルにおける想念と現実」の中で、彼にとって、純粋なこしらえごとの持つ重要性を強調しておきました……。言葉による構築、言葉遊び、それだけです。でもこれで十分じゃありませんか? 全然神秘家なんかじゃありませんでした。あの人が錬金術の秘儀に通じていたとブルトンが考えたのは間違いです。あの人は実証主義者で、そのために苦労もしました。今日人々は、彼をたたえると称して、彼を卑小化し、彼が持っていたすばらしい素朴さをとりあげてしまっています。」



岡谷公二「『アフリカの印象』から『幻のアフリカ』へ」より:

「ルーセルは、同時代の文壇からは全く孤立していた。彼は成功を熱望し、世間の無理解に一生苦しんだが、この孤立と無理解とは、彼の作品の本質に由来しているように思われる。(中略)彼の作品はやはり少数者のものだ、という思いを私は禁じえない。
 ルーセルは同時代の文学にも美術にも全く関心を持っていなかった。同時代の存在そのものさえ認めていなかったのではないか、とさえ思えるふしがある。」

「彼はシュルレアリストの唾棄する世間的名声にあこがれ、そのためには自己宣伝の記事を書くことも、俳優たちに金品をふりまくことも辞さなかった人間であり、政治的にはむしろ保守反動で、変化と進歩を怖れ、自己を解放するより自己を束縛することを望み(束縛することによって自己を解放すると言うべきか?)、その作品を、自動記述法とは反対に、厳密な方法にもとづいて書いた。
彼が崇拝していた同時代の作家は、(中略)ジュール・ヴェルヌであり、次いでピエル・ロティだった。この好みはきわめて特異で人の意表をつく。とくにヴェルヌに対する彼の尊敬の念は、限度を知らなかった。」

「十九世紀から二十世紀はじめにかけてのフランス近代文学の成果は、全くといっていいほど彼の視野に入っていなかった。この首尾一貫した好みと、この好みに対するファナティックな固執の仕方を通じて、私たちは、彼の深い現実嫌悪、幼児のように頑なで、やわらげようのない現実拒否をみてとることができる。文学のヴェクトルは、現実をさしてはならなかった。文学は彼を現実から逃れさせ、運び去って、酔わせ、夢みさせるものでなければならなかった。
 それは彼自身の創作の場合においても守られねばならない。現実と一切かかわらないこと――、それは彼が自分に課した鉄則である。」

「二人(引用者注: ルーセルとレリス)に共通する言語観とは、言葉を対象を表現する手段としてでなく、そのなかに神話のひそむ一つの世界とみなすことである。それは言葉そのものに対する関心であり、呪物に対するように言葉に執着することだ。彼らは言葉の裂け目から、或る深い声をきこうとする。彼等は言葉が万人共通のものであることを拒否し、それをあくまで私的なものとし、記録の闇の中で一つ一つの言葉の持つ、真実の意味―彼等にとっての―を見出そうとする。
 この、言葉に対する病的と言っていいほどの鋭敏さ――そこにレリスの出発点があった。病気でないような才能などあるはずもないが、レリスもまたこの病魔との戦いにその半生を費すのである。」



こちらもご参照下さい:

岡谷公二 『レーモン・ルーセルの謎』
「夜想」 27 特集: レーモン・ルーセル』
































































































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

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