ミシェル・レリス 『ピカソ ジャコメッティ ベイコン』 岡谷公二 編訳

「芸術作品によって乗り越えられるとき、きわめてきびしい真実も、別の様相を呈します。絶望の詩は人を絶望させません。すぐれた作品は、決して人の心をくじきはしません。」
(ミシェル・レリス 「人間的苦悩の画家」 より)


ミシェル・レリス 
『ピカソ 
ジャコメッティ 
ベイコン』 
岡谷公二 編訳


人文書院 
1999年2月1日 初版第1刷印刷
1999年2月5日 初版第1刷発行
304p 著者・編訳者略歴1p 口絵(カラー)4p
A5判 丸背紙装上製本 カバー 
定価3,900円+税



岡谷公二編訳によるミシェル・レリス美術論集。本書は全二冊のうちの第一冊です。


レリス イマージュのかげにⅠ 01


帯文:

「現代におけるリアリズムの系譜を
「愛するものだけについて語る」という規則の下に綴った
特異な美術論
人物評から作品論まで、ほぼすべてのテクストを独自編集」



帯背:

「ミシェル・レリス――
稀有な鑑識眼」



帯裏:

「ブルトンやバタイユらと交流していた若い詩人、モースの弟子にして『幻のアフリカ』を残した民族学者、特異な語彙感覚を駆使し遠大な『ゲームの規則』を著した自伝作家……。文学者、民族学者として著名なレリスには、じつは美術評論家としての顔がある。本書は、現代美術のリアリズムの三巨匠――ピカソ、ジャコメッティ、ベイコン――について書かれたほぼすべてのテクストを独自編集し、レリスのこの知られざる一面を初めて紹介するものである。同時代人として、また親しい友人として、その人物や作品を愛情こめて語りながら、三人の本質を大胆かつ的確に描きだす才は非凡である。読者は、偉大な芸術家とすぐれた鑑識眼とのスリリングな出会いという稀有な瞬間に立ち会うことができるだろう。」


目次:

パブロ・ピカソ
 ピカソの近作について
 通知状
 ルイ・カレ画廊でのピカソ展
 ピカソと人間喜劇、或いは大足の災難
 ピカソの初歩読本
 小文字のバルザックと大文字なしのピカソ
 ピカソとベラスケスのラス・メニーナス
 ピカドールのロマンチェロ
 「やあ、レリス! じゃあ君は仕事をしてるんだね?」
 「絵画は私より強い……」
 複製
 「時間の外に、ではなく……」
 画家とそのモデル
 言いあらわすこと
 台座のない天才
 作家ピカソ、或いは忘我の詩
 補遺
  ピカソのデッサン、ガッシュ、水彩
  マックス・ラファエル『プルードン―マルクス―ピカソ』
  言葉の仙境・一九四四年三月十九日……

アルベルト・ジャコメッティ
 アルベルト・ジャコメッティのような人物のためのいくつかの石
 切手やメダルのなかのジャコメッティ
 アルベルト・ジャコメッティ
 他の「石たち……」
 別の刻、別の痕跡……
 語り、書くジャコメッティ

フランシス・ベイコン
 フランシス・ベイコンの絵画が私に語ったもの
 人間的苦悩の画家
 フランシス・ベイコンの現在
 フランシス・ベイコンの大いなる賭
 アウトローの画家ベイコン
 フランシス・ベイコン、その顔と横顔
 リアリズムについて――フランシス・ベイコン宛ミシェル・レリスの五通の未発表書簡

レリスと画家、彫刻家たち――解説にかえて (岡谷公二)

図版一覧
初出一覧
主要人名索引



レリス イマージュのかげにⅠ 02



◆本書より◆


「「やあ、レリス! じゃあ君は仕事をしてるんだね?」」より:

「アストール通り二十九番地二号の画廊にもう一度行ったあと、私はラ・ボエシー通りを上っていた。そのとき私は、同じ歩道を、反対の方向から歩いてくるピカソをみかけた。したがって私たちは、数秒後にはすれちがうはずだった。どうすべきか? 挨拶すべきか(そうなれば、先日のまことに束の間の出会いをいいことにして、大画家に私のことを思い出させる、といった風に見えるだろう)。眼を真直ぐ前に据えたまま歩き、まるで彼の姿が眼に入らないかのようにするべきか(しかし相手がたまたまこちらを見覚えていたならば、途方もなく無礼に見えかねないだろう)。二つの解決法のどちらも気に入らなかった。それで私は、進退谷まってしまった。私はどちらとも決めかねるまま、どちらがいいかをまだ考えていた。そのとき私は、すぐ眼の前まで来たピカソが、私のほうに手を差し出し、まるで昔からの知合いででもあるかのように、「やあ、レリス! 元気かい? じゃあ、君は仕事をしてるんだね?」と言う姿を見た。私はもちろん、ひどく赤くなりながら、はい、と答えた。
 私がこうした逸話を話すのは、それが後に私にとって持つことになる極度の重要性のためだけからではない。それは、ピカソの天才のもっとも感嘆すべき面の一つを示しているように思われるからである。即ち他人がすることに対する無限の好奇心であり、誰をも対等に扱うことのできるすばらしい心の広さであり、台座の上にのってあがめたてまつられるようなことにはならず、探究心を少しも失わないように彼を仕向けた――生涯を通して――一種の方法的懐疑である。」



レリス イマージュのかげにⅠ 03

ピカソによるレリスの肖像。


「別の刻、別の痕跡……」より:

「アルベルト・ジャコメッティのアトリエの貧寒さと殺風景な有様とは、その日常生活のどのような面でも、彼をピューリタンだと思わせるものがなにひとつないだけに、厳格さのしるしとみなすべきではない。そこに吝嗇の証拠を見てとることもできまい。なにしろアルベルト・ジャコメッティは、耐久財に投資する性癖はまるでなかったけれども、束の間のもの――タクシー、レストラン、夜決まって出かけていったバー――には惜し気もなく金を使ったし、場合によっては、人並以上に気前よく振舞ったのだから。認めなければならないのは、この貧寒さが、彼にあってほとんど当初から現れている、どうしても必要なものと彼には思われないものに対する無頓着さ(無関心であって、道徳的な拒否ではない)からきているということだ。それをもってすれば核心に達すると思えるような、きわめて基礎的なものに固有の魅力にとらえられることと、アルベルト・ジャコメッティの芸術の発展とは、おそらく無縁ではないだろう。」


「語り、書くジャコメッティ」より:

「すすんで逆説を弄する一方で、正真正銘心を打ち割って語ることもある、きわめて話好きの人間だったアルベルト・ジャコメッティは、しばしば、弁護しにくいものを弁護する立場をとるのを、そして一般に、人の意見に異を立てるのを好んだ。といって、目立ちたいという気持はそこには微塵もなく、物の考え方にはさまざまな面があるのだという事実を人に感じさせる喜び、これが、(中略)この芸術家の心を駆り立てていたものだった。」


レリス イマージュのかげにⅠ 04

ジャコメッティによるレリスの肖像。


「人間的苦悩の画家」(ジャン・クレイとの対談)より:

「ベイコンにあって私をとりこにするのは――ジャコメッティの場合もそうですが――、彼の絵には有無を言わさぬ、まぎれもない存在感があるからなのです。人々がそれを美しいと思おうと、醜いと思おうと、そんなことはどうでもいい。ベイコンの絵は、人生そのものと同じくらい生き生きとしており、存在し、絵が掛けられている壁から私たちに向かって、比類なく力強く、輝かしく語りかけてきます。画家にとっての真の問題は、絵というこの自然の再現が、独立した生をそなえるようにすること、見る者に伝染し、たとえば一本の樹木や一脚の椅子と同様の、いやそれ以上のリアルな存在感を作品に授ける密度を持つようにすることです。」

「ああ、ベイコンは人を安心させたり、気持を和らげたりはしません。彼は、おだやかな絵画の作り手ではない。しかし先刻言いましたように、時代もそういう時代ではないのです。(中略)彼も戦争を生き、ナチズムや、死の収容所や、広島の話を聞いたのです。彼は事柄の根本を示そうとする。外見のかげには、恐怖があります。間近に見ると、真実は愉快なものではない。それは彼の過失ではない。ベイコンは理想主義者ではないのです。物事を正面からみつめようとしない人たちは、関心に価しません。」

「芸術作品によって乗り越えられるとき、きわめてきびしい真実も、別の様相を呈します。絶望の詩は人を絶望させません。すぐれた作品は、決して人の心をくじきはしません。私について言えば、愉快なものなど少しも必要ではありません。むしろそんなものは苛々させるでしょうね。」



「アウトローの画家ベイコン」より:

「ミリアム・グロスとのインタヴューのなかで、フランシス・ベイコンは、他のどんなつきあいよりも、道楽者とごろつきとのつきあいを好む事実を隠していない。ところでその芸術家としての活動のなかで、彼は、ホールドアップやハイジャックに類する行為を、現実に対し、実際に行っているように思われる。現実を画面に「胸を突き刺すようなかたち」で表現するためには、画家は、尋常の手段では目的とするところのものを手に入れることのできない火事場泥棒さながらの大胆さをもって、表現したいと思うものを鷲づかみにし、場合によっては強奪する必要があるのではあるまいか? それと並行して、(中略)賭博場とカジノの常連であるフランシス・ベイコンが、多くの絵において、しかるべき計画を立てて慎重に行動するよりも、一か八かの投機に出ているように見えることも指摘しておいてよい。」


「リアリズムについて――フランシス・ベイコン宛ミシェル・レリスの五通の未発表書簡」より:

「リアリズムをどう考えているかについて、小生のためにお教えくださり、ありがとうございます。小生も同様に、われわれが現実を把握するのは、われわれの主観性を通してであり、そのことからして、われわれが全く「客観的」になることなど決してありえないばかりか、われわれがトランスクリプトするのは、事物に対して抱くわれわれの知覚であって、事物そのものではないだけに、客観的であろうとすることなど全く馬鹿げている、と考えます。」

「結局小生がリアリズムに関して考慮するのは、外的現実との一致よりは、少なくとも一つの現実と同じだけの重みを持つなんらかのものに達しようとする主観的欲求です。」



レリス イマージュのかげにⅠ 05

ベイコンによるレリスの肖像。



こちらもご参照下さい:

ミシェル・レリス 『デュシャン ミロ マッソン ラム』 岡谷公二 編訳













































































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ミシェル・レリス 『デュシャン ミロ マッソン ラム』 岡谷公二 編訳

「私は、七十歳まで、正道をはずれた、全くどうしようもない画家とみなされてきたんです。」
「私はフランスで、フランス芸術の癩病患者とみなされている、という印象を、一生持ち続けてきました。」

(アンドレ・マッソン)


ミシェル・レリス 
『デュシャン ミロ 
マッソン ラム』 
岡谷公二 編訳


人文書院 
2002年9月20日 初版第1刷印刷
2002年9月30日 初版第1刷発行
251p 著者・編訳者略歴1p 口絵(カラー)8p
A5判 丸背紙装上製本 カバー 
定価3,900円+税



「レリスとマッソン、ラム――解説にかえて」より:

「本書は、『ピカソ ジャコメッティ ベイコン』に続く、ミシェル・レリスの美術評論集の第二弾で、シュルレアリスムの画家たちに関するものを選んで、訳者が編集したものである。」


レリス イマージュのかげにⅡ 01


帯文:

「イマージュのかげにⅡ
シュルレアリスム
オートマティックな奔流
「愛するものだけについて語る」という規則の下に綴った特異な美術論」



帯背:

「イマージュのかげに**
ミシェル・レリス」



目次:

マルセル・デュシャン
 マルセル・デュシャンの工芸
 彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも
 キュビスム展

ジョアン・ミロ
 「ジョアン・ミロをめぐって」、付載「修正と加筆」
 ジョアン・ミロ
 ミロのための彫刻した栗(マロン)
 ジョアン・ミロ
 バレエ「子供たちの遊び」の舞台装置

アンドレ・マッソン
 伝記 抄
 アンドレ・マッソン
 闘牛士(マタドール)の画家アンドレ・マッソン
 『アンドレ・マッソンとその世界』から
  アンドレ・マッソン
  手の砂漠
  アンドレ・マッソン
  スペイン (一九三四~一九三六年)
  大地
  神話
  偶像
  肖像画
 マルティニク島、蛇使いの女
 アンドレ・マッソンの想像世界
 手綱をはなたれた線
 アンドレ・マッソンとともに祝祭を
 ブロメ通り四十五番地
 演劇人アンドレ・マッソン

ウィフレード・ラム
 ウィフレード・ラム
 ウィフレード・ラムに
 ジレンマ
 ウィフレードのために
 穂、或いは墓碑銘

レリスとマッソン、ラム――解説にかえて (岡谷公二)

図版一覧
初出一覧
主要人名索引



レリス イマージュのかげにⅡ 02

口絵: ラム「蠅の皇帝ブリアル」(1948)



◆本書より◆


「闘牛士(マタドール)の画家アンドレ・マッソン」より:

「時代錯誤の衣裳、硬直化した儀式、姿勢を規制するさまざまなしきたりにもかかわらず、闘牛は、いま現在だけが価値を持つ芸術の好例である。(中略)予測できないものをすすんで認めるような部分がないため、生気を失っている多くのスペクタクルのなかで、闘牛(コリーダ)は、真の悲劇であるというはかりしれない長所をそなえているように見える。(中略)死と危険という高い代価で、一切が現金で、しかも一括で即金払いされねばならない闘牛という芸術のなかに、私たちが信用取引を認めるからこそ私たちに対してなにがしかの力を持つ多くの嘘っぱちで類型化したたくらみとは雲泥の違いのこの芸術のなかに、アンドレ・マッソンのような画家が、その天才にきわめてふさわしい、踏み台にすべき素材の一つを見出したとしても、そこには、単なる「幸運な偶然」といったようなものはなにもなく、むしろ、なんらかの宿命のしるしでないようなものはなにもないのである。」


「手綱をはなたれた線」より:

「マッソンにあって、線は、自分のやりたいようにしかやらない。(中略)めくら滅法に進むことを苦行として選んだマッソンにとって、線はアリアドネの糸以上のものでさえある。それは、迷宮の中でどこに自分がいるかを知るための手引だけでなく、刻々否応ないものとなって、測量士たる彼をひきずってゆく力でもある。」
「このことは強調しなければならない、線はここではおのれの思うままに振舞っていると。反復することもなく、悔いることもなく、決して「打ち消される」こともなく。その飛翔や、迂回や、気まぐれや、矛盾に委ねられて、線は自由に進み、こうして画家を、彼自身のもっとも内奥の部分まで連れてゆく。」

「流星、花押、泡の渦。直線であろうが曲線であろうが、線が自分のために切り開く道は、小学生たちの道、いたずら遊びをしながら行くのに好都合な唯一の道だ(ニーチェがダンスや鳩の歩みについて語ったのにならい、ここで、学校をさぼっての(エコール・ビュイソニエール)野歩きを云々してもいい)。
 それは、どんなに広かろうが、箱のような硬直した空間ではなく、これらの軌道を容れてくれる、ぽっかりとあいた、方向づけさえされていない空間だ。」



「ブロメ通り四十五番地」より:

「アンドレ・マッソンを通して、私は、ジョアン・ミロ(中略)だけでなく、私同様、ブロメ通り四十五番地の常連だった作家たちとも親しくなった。アントナン・アルトー(中略)、ジョルジュ・ランブール(中略)、といった人たちである。その一方少し後に、当時古代学の研究をしていたものの、そのような学問に少しも満足しておらず、そしてその優雅な、ブルジョワ的な外貌からは、タブー侵犯の精神などは毛ほどもうかがえなかったジョルジュ・バタイユの紹介者になったのは、私であった。」

「私たちはお互いにどれほど異なっていようと、そこには共通のトーンがあった。それは、驚異に対する激しい希求、日常の現実と縁を切ろうとする、或いはともかくそれを変容させようとする欲望から(と私には思われる)生れていた。少なくとも当初は、私たちにとって、改革するための改革も、なんであれ、革命を起こすことも問題にはなっていなかった。労働、家族、祖国、私たちを教育した人たちが認めていたこれらの価値観を、私たちは忌避――公然と、或いは暗黙裡に――した。だからといって私たちは政治家ではなかった。直接、或いは芸術的活動を通しての詩の探究が、私たちにふさわしい唯一の生活様式であり、加えて、社会が私たちに押しつける論理的な規則や道徳上の制約の束縛をこんな風にして振り払う――たとえ想像上だけのことであろうと――ことを楽しんでいたのだった。それを乗り越えるのが私たちの作品の目的だったこのような偏狭な文化の支配に対して、マッソンは、猛然と立ち上がっていたが、このような態度は、負傷兵として入院しているあいだ、狂人扱いされたほどの激しさで、西欧文明に対する否応ない嫌悪を表明した折に、すでに彼が示したものである。」



レリス イマージュのかげにⅡ 03

マッソン「賭をする男――ミシェル・レリスの肖像」(1923)


「ウィフレード・ラム」より:

「この時期を通じ、ウィフレード・ラムは、子供のときにかいまみ、いまでは一層よく知るに至った呪術と、同時に古典神話および西欧のオカルティスム(彼にとって無縁ではない。なにしろ彼は政治のうえではマルクシストであるにもかかわらず、その精神は、いかなる教条主義にもとり憑かれておらず、至るところに幸便を求めるのだから)が行った綜合の試みにも依拠しつつ、人間としてのあらゆる権利を要求するアンティル諸島の有色人種たる彼の運命と、同じように、人類が他の類よりまさっているといういわれはないのだから、もはや見下してはならない動植物のあいだにあって、一連のたえざる変動と破局に巻きこまれている人類の運命とを明らかにしようと企てたかのようだ。「一時期のあいだ、私は木であり、鳥であり、海底の黙した魚であった」、これは、アレホ・カルベンティエルがウィフレード・ラムに捧げた一文のなかで引用したソクラテス以前の哲学者エンペドクレスの言葉だが、ラムがこの時期に描いたすべての絵――そしてそれらに続く絵も――は、この言葉を、鋭い、或いは消えがての線と、或るときはおぼろな色彩による言葉、時によって変化はするが、習得した知識を越え、スタイル上の一切の先入観の外にあって、おのれの限界をとりのぞきたい、そして、宇宙においてまでも、単にアンティル諸島だけでなく、ほとんど至るところにおいて人間の生活を窒息させている障壁が消え去るのを見たいという同じ熱烈な欲求が画家に書きとらせた言葉によって翻訳したもののように見える。」


デュシャン ミロ マッソン ラム 5

ラム「蠅の皇帝ブリアル」(部分)。


岡谷公二「レリスとマッソン、ラム――解説にかえて」より:

「日本におけるマッソンに対しての無理解には、おそらく本国での評価も影響しているのであろう。実はフランスでもマッソンがピカソと並ぶ二十世紀の大画家と認められるようになったのは、比較的近年のことなのだ。晩年に行われたジルベール・ブロウンストーヌとの対話のなかで彼は言う。

  掛値なしに、呪われた画家を気どることなしに、国立近代美術館での回顧展のときまで、このような無理解が続いたと言えます。ですから私は、七十歳まで、正道をはずれた、全くどうしようもない画家とみなされてきたんです。

  私はフランスで、フランス芸術の癩病患者とみなされている、という印象を、一生持ち続けてきました。

 このような無理解はどこから生れたのか? 彼の描いた多くのエロティックな絵画やデッサン、虐殺といったテーマが一因をなしているのはたしかであろう。しかしそれは、表面的なことにすぎない。真の理由は、彼が、理性、秩序、均衡というフランスの伝統に真向から逆ったからである。」




こちらもご参照下さい:

ミシェル・レリス 『ピカソ ジャコメッティ ベイコン』 岡谷公二 編訳






























































ミシェル・レリス 『レーモン・ルーセル ― 無垢な人』 (岡谷公二 訳)

「この文章を終えるに当たり、私は、私の作品がほとんど至るところで、敵意ある無理解にぶつかるのを見ていつも感じたつらい気持ちに再び思いおよぶ。」
「今のところ私には、私の本が、死後いくらか成功を博するだろうという希望をあてにするしか手がない。」

(レーモン・ルーセル 「私はいかにして或る種の本を書いたか」 より)


ミシェル・レリス
『レーモン・ルーセル
― 無垢な人』
岡谷公二 訳


ペヨトル工房 
1991年11月10日発行
187p 
21×13.4cm 
並装(フランス表紙) 函 函カバー
定価2,200円(本体2,136円)
装幀: ミルキィ・イソベ



本書「あとがき」より:

「本書は、Michel Leiris, Roussel l'ingénu, Editions Fata Morgana 1987 の翻訳である。
 これは、一九九〇年に物故したレリスの、ルーセルに関する文章、談話の集録で、発表年月は半世紀にわたる。レリスは、人嫌いだったルーセルを身辺に知っていた唯一の文学者と言ってよく、その証言はきわめて貴重だ。」
「付録として、ルーセルの「私はいかにして或る種の本を書いたか」を訳載した。これは彼が、その死後、遺言の形で自己の特異な創作方法を公にした文章で、ルーセルの理解には不可欠のものである。」



巻頭にレリスの肖像写真(モノクロ)。


レリス レーモンルーセル


帯文:

「ルーセルのもっとも身近にいた人、ミシェル・レリスによるルーセル読本。
ブルトンをはじめ、シュルレアリストたちが読み誤った、
ルーセルの綺想の謎。
ついに翻訳されたルーセルの遺稿
「私はいかにして或る種の本を書いたか」を
併録し、ルーセル独自の創作方法が明かされる。」



目次:

レーモン・ルーセルに関する資料
旅行者とその影
私はいかにして或る種の本を書いたか
『新アフリカの印象』をめぐって
レーモン・ルーセルにおける想念と現実
レーモン・ルーセルについての対話 (聞き手: ピエール・バザンテ)

◆付録
私はいかにして或る種の本を書いたか (レーモン・ルーセル)

◆解説
『アフリカの印象』から『幻のアフリカ』へ (岡谷公二/初出: 「ユリイカ」 1974年4月号)

あとがき (岡谷公二)




◆本書より◆


「レーモン・ルーセルに関する資料」より:

「車で旅行をする時、彼は、風景はそっちのけで、読書をしていた。丸々一冊は持ってゆかず、一部のページを破って、ポケットにつっこんでいったのだが、それは、何を読んでいるかを人に知られるのが嫌だったからである。」


「旅行者とその影」より:

「ルーセルが行った最初の旅行の一つは、第一次大戦の数年前に、母とともにしたインドへのクルージングだった。この母親は、途中で死ぬかもしれないという考えにとりつかれていて、棺を持って行った。ルーセルはといえば、船が南十字星を見ることができる緯度まで南下する随分前から、いつ見えるかと毎日船員たちに訊ね、これから彼を待ち構えているどんな変った風景や住民よりも、はるかにこの星に関心があるように見えたという。」

「いくつかの町、とりわけ子供の頃の幸福な思い出の結びついている町は、彼にとってタブーだった。(中略)思い出を台なしにするのを怖れて、これらの町へもう一度行こうとは決してしなかった。」

「こうした特徴を集めてみると、ルーセルが、厳密な意味での旅行は少しもしなかった、ということがわかる。実際、彼は、いついかなる時も観光には心をうばわれず、外部は、彼が心の中に持っていた世界と決して相わたることなく、どの国を訪ねても、予め心の中に持っていたもの、つまり彼固有のこの世界と完全に一致した要素しか見ようとしなかったらしい。(中略)想像されたものを至上と考える彼は、芝居や、だまし絵や、みせかけに類するものに対して、現実に対してより、はるかに強い魅力を感じていたかに見える。『私はいかにして或る種の本を書いたか』の中で、彼はたとえば、『新アフリカの印象』の出発点となったのは、現実の風景では少しもなく、最初は、「イヤリングに飾りとしてさげるごく小さな双眼鏡の、目に当てる幅二ミリの筒形部分に、ガラスに貼ってはめこまれた写真――一枚はカイロのバザールの、もう一枚はルクソルの河岸のもの――だった」と断言している。」

「すべての真の詩人同様、誰よりも、この世界で自分は一人きりだと感じていたにちがいないルーセルは、おのれの天使と悪魔の行列を、至るところにひきつれて歩いた。つまりそれは、星に対する固定観念であり、贅沢さと快適さに対する嗜好であり、甘いものに対する好みであり、最高の名誉や、格付けされた奇蹟や、ゴーダ名鑑に名が出ることへの偏執や、老化と死に対する強迫観念、幼児期へのノスタルジー、(中略)強い不安であった。彼は、その習慣、固定観念、幼時をなつかしむ情とを、丁度彼の母がインドへゆく時棺を持っていったのと全く同様、必携の荷物として必ずや持ち歩いていて、どこにいても、いつでも、変ることない同じ自分を見出すのだった。」



「レーモン・ルーセルにおける想念と現実」より:

「レーモン・ルーセルがつねに想像力に賭けていたこと、彼にとっては、作り出された世界、つまり「想念」の世界と、与えられた世界(中略)、つまり「現実」の世界とのあいだに、明確な対立があったことがわかる。
 現実に関して言えば、レーモン・ルーセルは(中略)、それに何一つ期待を抱いていなかったのはたしかである。」

「現実にはあちこちに罠が仕掛けられているため、それと日々接触するには、ルーセルには、多くの用心が必要だった。たとえば、トンネルの中にいると不安でならないので、それに、自分がどこにいるかをいつも知っていたかったので、或る期間、彼は夜汽車で旅行するのを避けた。また、ものを食べることは、「心の平静さ」を損なうと考えて、ある時期のあいだずっと、数日間断食しては、そのあと「ランベルマイヤー」の店へいって多量の菓子を食べるという習慣を繰り返していたこともあった。(中略)会話で傷つけられたり、人を傷つけたりするのを怖れていた彼は、危険な話をさけるためには、相手に質問するに限る、と言っていた。」

「その新しいもの嫌いは、必然的な結果として、先例に対する敬意を彼のなかに生み出した。「新しいものは何でも、私には気づまりなんです」と彼は言ったものだった。シャルロット・デュフレーヌ夫人によると、彼は一度或ることをすると、それが先例となって強制力を持つに至り、そのために同じことを繰り返すことがよくあったそうだが、それほど彼の変化に対する嫌悪は深かった。
 このように彼は、現実に何とか順応するために戦術を用いなければならなかったが、そこから彼自身が「規則マニア」と呼んだもの、即ち規則に従って一切を秩序づけようとする欲求が生れた。この規則は、倫理的な性格を持たぬ、純粋状態の規則であって、彼が作品の中で従った規則が、厳密な意味での美的な狙いを一切持っていなかったのと同様である。」

「自然や、感情や、人間性に属するものから全くといっていいくらい超脱しようとし、彼自身さえ気がつかなかったほど外見は動機のない素材に営々と取り組みながら、レーモン・ルーセルは、このような逆説的な方法によって、真の神話の創造に達したのだった。」

「ルーセルは、「現実よりも想念の分野」を好むと明言したけれども、こうして彼が日常生活の世界と対立させる世界は、結局のところ超自然的なものに対する信仰を、少しも基礎としていなかったように思われる。「私はいかにして或る種の……」の中で、ルーセルは、自分は論理家だと言って自慢している。(中略)彼の努力は、現実とは何一つ共通するところのない、すべてがこしらえものの虚構の世界の創造をめざしている。彼が作り出すものは、ひたすら、こしらえものであればあるほど、現実に少しも頼らず、彼の天才の力だけで真実となっていればいるほど、価値があるのだ。想念の世界と現実とのきずなをことごとく断ち切ろうとする、このような、別して否定的努力が、観念論者ではなかった彼レーモン・ルーセルを、自殺という決定的な解放へとみちびいていったのは、理の当然だった。」

「一九三二年、レーモン・ルーセルはもはや書かない。彼はチェスをはじめ、睡眠薬(バルビツール剤)の中毒になる。(中略)この時期、彼は、(中略)同性愛者と麻薬中毒患者たち、つまり、つねに変わらず彼の心を占めつづけてきた性的嗜好と、最近の、薬に対する彼の偏愛とを共有する人たちの屯ろする、ピガール街七五の家具つきホテルに腰を落ちつけていた。」
「一九三三年の初め頃、熱帯アフリカから戻った私は、自分の参加した民族学調査団の出資者の一人であったルーセルに会いに行った。(中略)相変わらず優雅で美しかったけれども、少し重苦しくなり、年をとり、とても遠いところから話しているような口のきき方をした。二年近く私と会っていなかったので、沢山の私の身内や親戚について、次々と消息を訊ねた。それから、「時間が経つのが段々早くなるよ」という人生に関してのメランコリックな考察(微笑を浮かべながら)。暇乞いをすると、控えの間まで送ってきて、私たちは長い間立話をした(暇乞いをした人間を長々とひきとめるいつもの習慣――小心のせいだろうか? 追い払うという印象を与えたくないからだろうか? それとも一人きりになるのが怖いのだろうか?――にしたがって)。同じ訪問の際、私が書いているかどうか訊ねると、彼は「むずかしくてね」と答えた。」

「ルーセルは、子供の頃をのぞいては、ひとときたりとも幸福な時を過したことがないと言っていた。そしてその苦しみを、一種の息切れ乃至息苦しさのようなものだと記していた。しかしパレルモで、彼は完全な《至福感》を見出す。彼はもはや、認められることのなかった《栄光》にも、著作にも心を労さない。一ときの至福感を得るためなら、どんなものでも引きかえにする、と彼は言う。或る日薬が切れたとき、彼は、「切れ! 切れ! さもなきゃ薬をくれ!」と叫ぶ。これは、両手足の切断の方が、このような薬の切れた状態よりましだという意味だった。
 シャルロット・デュフレーヌ夫人によると、薬をのむようになってから、ルーセルは、以前は怖れていた死を好むようになったという。
ある朝、七時頃、浴槽の中で血だらけになっている彼の姿が発見された。彼は、かみそりで静脈を切りひらき、「静脈を切るなんて何てやさしいんだ……。何でもありゃあしない」と言いながら、けたたましく笑いつづけていた。」
「当時彼は、コップを持ち上げるのがやっとで、殆んど食べさせてやらねばならなかったほど体が弱っていた。薬をのんでいるので、寝台から落ちるのを心配し、床にじかにマットレスを敷いて寝ていた。」
「或る日彼は、シャルロット・デュフレーヌ夫人をわずらわせて、パリにいる召使いに手紙を書いて貰った。その中で彼は、××番の箱の郵送を頼み、この箱の中にはピストルが入っており、それを送って貰いたいのだと述べた。パレルモでは、自分は外国人なので、別のを買いたいと思っても買えない(と彼は考えていた)のだと言うのである。彼は夫人に対し、残念ながら引金をひく勇気はないが、多分あなたが、そうしてくれるだろう、と言った。夫人が拒絶すると、承知させようとして小切手帖をとり出し、いくら欲しいのかとたずね、彼女がことわるたびに、値をつりあげていった。とうとうその手紙は、出されずに終わった。
 シャルロット・デュフレーヌ夫人の懇願に従い、ルーセルはついに、スイスのクロイッリンゲンに睡眠薬中毒の治療を受けにゆく決心をする。七月十三日の朝、彼はこのために電報を打たせた。晩、彼は夫人に向い、今夜はあなたはゆっくり寝てほしい、今日はとても気分がいいし、睡眠薬も余り沢山はのまなかったから、と言った。さかいのドアは、以前は開け放しになっていたのに、数日前から閉されていた。
 十四日の朝、物音がきこえないので、夫人は、二つの部屋のさかいのドアを叩く。答えがないので、彼女はボーイをよぶ。ボーイは、廊下のドアから入る。こちらは鍵がかかっていなかったのだ。夫人とボーイとは、さかいのドアの方まで押していったか、ひきずっていったマットレス(彼の衰弱状態からすれば、これは超人的な努力だった)の上によこたわっているルーセルの姿を認める。ルーセルの顔はおだやかで、落着いていて、このドアの方をむいていた。
 遺骸をパレルモからつれ戻すためには、防腐処理を施さねばならなかった。」

「私は、ルーセルが死のうとした(禁止される前に、睡眠薬が与える至福感を、いつもより余計に手に入れようとしたのでないならば)のが、隣室に通じるドア(porte de communication)――何でも打ち明けられる女友だちの部屋に通じていたドア――の裾であることを強調せずにはいられない。彼の直接の動機や、死ぬに際してこのような場所を選んだ理由――このドアのすぐ近くにいたかったのか、それともドアをバリケードでふさぐつもりだったのか?――が何であれ、彼は、少なくとも生前は不可能と認めていたこの communication (交流の意)の閾で、彼の心の奥底をほんの少しだけ分け持ってくれた唯一の人間のいる場所の方へ眼をむけて、自ら望んで死んだのだった。」



「レーモン・ルーセルについての対話」より:

「おっしゃる通り、彼はほとんど気違い扱い、病人扱いされていました。」

「実を言うと、彼がこんな地位を占めようとは考えていませんでした。むしろ、偉大なアウトサイダーのままだろうと思っていましたよ。今日、彼が有名になったことについては、もちろん遅すぎたと思っています。でも、あの人が持っていもしなかったものを持っていただなんて言われると、うんざりします。あの人は、ああした先見の明も、哲学的な計画も持っていはしませんでした。彼は、悪い意味ではなく、単純素朴な人でしたよ。」
「私は「レーモン・ルーセルにおける想念と現実」の中で、彼にとって、純粋なこしらえごとの持つ重要性を強調しておきました……。言葉による構築、言葉遊び、それだけです。でもこれで十分じゃありませんか? 全然神秘家なんかじゃありませんでした。あの人が錬金術の秘儀に通じていたとブルトンが考えたのは間違いです。あの人は実証主義者で、そのために苦労もしました。今日人々は、彼をたたえると称して、彼を卑小化し、彼が持っていたすばらしい素朴さをとりあげてしまっています。」



岡谷公二「『アフリカの印象』から『幻のアフリカ』へ」より:

「ルーセルは、同時代の文壇からは全く孤立していた。彼は成功を熱望し、世間の無理解に一生苦しんだが、この孤立と無理解とは、彼の作品の本質に由来しているように思われる。(中略)彼の作品はやはり少数者のものだ、という思いを私は禁じえない。
 ルーセルは同時代の文学にも美術にも全く関心を持っていなかった。同時代の存在そのものさえ認めていなかったのではないか、とさえ思えるふしがある。」

「彼はシュルレアリストの唾棄する世間的名声にあこがれ、そのためには自己宣伝の記事を書くことも、俳優たちに金品をふりまくことも辞さなかった人間であり、政治的にはむしろ保守反動で、変化と進歩を怖れ、自己を解放するより自己を束縛することを望み(束縛することによって自己を解放すると言うべきか?)、その作品を、自動記述法とは反対に、厳密な方法にもとづいて書いた。
彼が崇拝していた同時代の作家は、(中略)ジュール・ヴェルヌであり、次いでピエル・ロティだった。この好みはきわめて特異で人の意表をつく。とくにヴェルヌに対する彼の尊敬の念は、限度を知らなかった。」

「十九世紀から二十世紀はじめにかけてのフランス近代文学の成果は、全くといっていいほど彼の視野に入っていなかった。この首尾一貫した好みと、この好みに対するファナティックな固執の仕方を通じて、私たちは、彼の深い現実嫌悪、幼児のように頑なで、やわらげようのない現実拒否をみてとることができる。文学のヴェクトルは、現実をさしてはならなかった。文学は彼を現実から逃れさせ、運び去って、酔わせ、夢みさせるものでなければならなかった。
 それは彼自身の創作の場合においても守られねばならない。現実と一切かかわらないこと――、それは彼が自分に課した鉄則である。」

「二人(引用者注: ルーセルとレリス)に共通する言語観とは、言葉を対象を表現する手段としてでなく、そのなかに神話のひそむ一つの世界とみなすことである。それは言葉そのものに対する関心であり、呪物に対するように言葉に執着することだ。彼らは言葉の裂け目から、或る深い声をきこうとする。彼等は言葉が万人共通のものであることを拒否し、それをあくまで私的なものとし、記録の闇の中で一つ一つの言葉の持つ、真実の意味―彼等にとっての―を見出そうとする。
 この、言葉に対する病的と言っていいほどの鋭敏さ――そこにレリスの出発点があった。病気でないような才能などあるはずもないが、レリスもまたこの病魔との戦いにその半生を費すのである。」



こちらもご参照下さい:

岡谷公二 『レーモン・ルーセルの謎』
「夜想」 27 特集: レーモン・ルーセル』
































































































ミシェル・レリス 『成熟の年齢』 松崎芳隆 訳

「ぼくは自分が変わりようのないこと、それに、もしも変えようとするならぼくは値打ちのない人間になってしまうことを、知っているのだ。」
(ミシェル・レリス 『成熟の年齢』 より)


ミシェル・レリス 
『成熟の年齢』 
松崎芳隆 訳


現代思潮社 
1969年12月 初版発行
1990年7月25日 第4刷発行
287p 
四六判 丸背紙装上製本 カバー 
定価2,678円(本体2,600円)



本書「訳者あとがき」より:

「一九三〇年―三五年に書かれ、三九年に出版され、四六年には「闘牛として考察された文学について」を附して再刊された」
「レリスは彼の生活の「決算」として『成熟の年齢』を書いたといっているが、そうした決算を彼にせまったものは、一方では一九二九年ごろに彼をおそった極度の精神的沈滞と、失敗に終った精神分析療法と、〈地獄くだり〉すなわち自殺の試みであり、他方ではアフリカへの旅であった。」
「原題の《L'age d'homme》は直訳すれば成年期あるいは成人の年齢ということであろうが、レリスが初版の広告文で主張していることや、また別の書物で「第一の成熟の年齢」と言いかえていることなどを考え併せて、『成熟の年齢』と訳したことを申しそえておきたい。」



レリス 成熟の年齢


内容:

口絵 クラーナハ作 ルクレティアとユディット

闘牛として考察された文学について

成熟の年齢
 ぼくは一生の半ばの、三十四歳になったところだ
 老化と死
 超自然
 無限
 魂
 主体と客体
 悲劇
 古代
 古代の女性
 騎士の妻
 供犠(くぎ)
 娼家と博物館
 家庭の守護神
 ドン・ジュアンと騎士
 ルクレティア
 軽業師の伯父さん
 えぐられた目
 懲罰される娘
 殉教の聖女
 ユディット
 カルメン
 ラ・グリュ
 サロメ
 エレクトラ、デリラ、フロリア・トスカ
 幽霊船
 ナルシス
 ホロフェルネスの首
 切られた喉
 炎症をおこしたセックス
 傷ついた足、咬まれた尻、傷口をひらいた頭
 悪夢
 仲のわるい兄
 仲のよい兄
 縫合
 ルクレティアとユディット
 ホロフェルネスの愛
 ケイ
 ホロフェルネスの祝宴
 メドゥサ号の筏
 いまから一年半ほど前
 ターバンの女
 血のしたたる臍

作者ノート

訳者あとがき



本書より:


「闘牛として考察された文学について」より:

「つまり文学活動は、精神の修練という特殊性によって、「ある種のことがらをおのれのために明るみに出し、同時にそれを他人にも理解できるようにする」という以外に正当性をもちえない、そして、その純粋なかたち、つまり詩に帰せられている最高の目的のひとつは、ある強烈な、具体的に経験されて意味をもつに至った状態を、ことばによって復原し、そのようにしてことばとして表現することである。」

「さらに、彼は知性あるいは情念の面に位置しながら、われわれの現在の価値体系の訴訟に証拠物件を提出し、彼がそれによってしばしば圧迫される重みのことごとくを、すべての(引用者注: 「すべての」に傍点)人間の解放という方向にかけなくてはならぬということも残るであろう、さもなければ、いかなる人も彼の個人的解放には到達しえないだろうから。」



「無限」より: 

「ぼくが無限の概念と最初にはっきりした接触をもったのは、オランダ商標のついた、ぼくの朝食の糧であるココアの箱のおかげだ。この箱のひとつの面はレースの帽子をかぶったひとりの百姓娘を描いた絵で飾られていたが、その娘は、左手に、同じ絵で飾られた同じ箱をもち、ばら色のさわやかな顔にほほえみをうかべながらその箱を指さしていた。こうしてぼくは、同一のオランダ娘を無限回も際限する同じ絵の無限の連続を想像しては、いつまでも目まいのようなものにとらえられていた、なぜなら、理論的にいうならこの娘はけっして消え去ることなく、だんだんに縮小されていき、嘲笑するような様子でぼくを眺め、彼女自身が描かれている箱と同じココアの箱の上に描かれている彼女みずからの肖像を、ぼくに見せてくれたから。」


「悲劇」より: 

「ぼくの性格の根深い特徴のひとつである「憎まれ者」という一面には、これもまた芝居のそれである、次のような思い出が結びついている、それは、戦争の始まる何年か前にアンビギュ座で上演された『少年徒刑場』という、感化院に題材をとったレアリスムふうの芝居の身の毛もよだつポスターであった。そのポスターには、木靴をはき、青いベレーをかぶり、肉のこけた蒼白い顔の若者たちと、口ひげの濃い、目に怒りを含み、腹の出た、荒々しい大男の監督官とが描かれていた。この思い出は警察というものにたいして、ぼくの深い憎しみと嫌悪が現われる最初の思い出である、そしてこうした憎しみは、ぼくがポスターの若い囚人たちを見たときに感じた二重の感情のように、「泥棒仲間」がぼくにいだかせるいささか魅力のまじった曖昧で本能的なおそろしさと平行していたのである、つまりこの気持ちは、一方では蒼白い不良少年たちの顔にたいする耐えがたい嫌悪感であったし、また他方では、ぼく自身が、父親によって――ちょっとしたあやまちのために――感化院にいれられついには首をくくって死んでしまう良家の少年というこの芝居の主人公であるとも想像し、さらに、あの不良少年たちの一人でもあるとも想像した事実から生まれる、彼らの不幸にたいする憐れみと同情であった。」


「古代」より: 

「ぼくはつねに寓意(引用者注: 「寓意」に傍点)に魅せられてきた、寓意とは、解かねばならない謎であると同時にイメージによる教訓であり、また、自身の美しさと象徴というものに原則的に含まれる漠としたもののすべてとを兼ねそなえた魅惑的な女性の像である。かなりはやい時期に、ぼくは姉からこうした神話的表象のいくつかについて手ほどきを受けた――例えば、鏡を手にして井戸からはだかで出てくる「真理」や、魅力的な微笑をたたえ、豪華に着飾った女、「嘘」。ぼくはこの後者の出現にすっかり魅入られてしまったので、いまはもうそれが現実の女性だったか物語の女主人公だったか忘れてしまったが、ある女性のことを姉と話しているうちに、「彼女は嘘の女神のようにきれいな人だね!」といったことがある。」

「今日、ぼくが錬金術的秘法(エルメティスム)にもっている趣味の大部分は「寓意」への昔からの好みと同じ心の動きからきているし、さらに、ぼくが象徴的表現や類比やイメージによって思考する習慣――ぼくが意志するとしないとにかかわらず、この書物はそうした心的技術の応用にすぎない――のも、同様にそうした「寓意」への愛好と関係づけねばならぬ、とぼくは確信している。」



「ルクレティア」より:

「闘牛を見るとき、ぼくは剣がからだに突きささる瞬間の牛と同化するか、さもなければ、彼がいとも鮮やかに男性らしさを発揮するその瞬間に、角の一突きで殺される(あるいは去勢される?)危険を冒す闘牛士(マタドール)に同化する傾向がある。」


「軽業師の伯父さん」より:

「芝居にうつつをぬかし、それに、かなり喜劇的才能にも恵まれていたので、伯父はいずれは「テアトル・フランセ」の座付にでもなるつもりでまず演劇の勉強をはじめた、けれども、勿体ぶった大根役者どもと鼻をつきあわせていなくてはならないのにうんざりして、メロドラマの俳優になり、地方や場末の舞台でチャンバラ芝居に出ていた。やがてこの環境も、不自然で気取りすぎているように思えてくると、今度はミュージック・ホールの歌手に、ついでサーカスの軽業師になった。そこではじめて彼はくつろいだ気分になった、身も心も芸に捧げきっているまったく単純で実直な人びとを見出したので。」

「伯父にくり返し言われた教訓は、ぼくの頭の中に刻みこまれており、いまでもぼくはその通りだと思っている、例えばこれはとくに伯父に教えてもらったのだが、ミュージック・ホールの歌やだし物をマスターするには、多くの野心的な芸よりもはるかに才能が必要とされることがあると。「古典悲劇の中によりも三文歌謡曲の中により多くの詩が」あるかもしれぬ、そう教えてくれたのもやはり彼であった。
 勇気という点で自分をこの伯父にくらべようとは思わないけれど、ぼくは彼に親近感を覚える、というのも、彼は一生涯、他人には堕落としかみえないことをみごとな執念で追い求め、妻たちの一人をサーカスの競技場のおがくずの中で、もう一人はほとんど往来で拾い上げたほど、それほど伯父は赤裸々で本当のものへの、貧しい人たちのところでしか出会えないものへの趣味をもっていたし、また、それほどまでに彼は、自己を犠牲にすることによろこびを見つけなければならなかったからだ――この点で彼はぼくにきわめて似ている、なぜなら、ぼくも長いあいだ、苦悩や、破滅や、贖罪(しょくざい)や、懲罰などをさまざまなかたちで(恐れると同時に)追い求めてきたのだから。」

「伯父の死んだ日も、(その数年後)父が死んだ日のように雪が降っていた。伯父は一生のあいだ、雪が降るのを見るとかならず一種目まいのようなものにおそわれたそうだ。」



「ホロフェルネスの首」より:

「それは、アブラハムの犠牲を描いた絵で、両手を組んでひざまずき、喉をつき出している子供の真上に、大きな刀を手にした族長の腕があげられていた、そしてその老人は、息子をいけにえとして差し出す意地わるい神に同意を求めて、皮肉の色もみせずに目を天のほうに向けていた。
 この挿画(中略)から、ぼくは消すことのできない感銘を受けた、そればかりか、その他のいくつかの思い出もそれを中心にめぐっている。 まず第一に、歴史や神話の教科書で読んだその他の伝説、例えば、禿鷹に肝臓をついばまれているプロメーテウスの神話や、子狐を盗んでシャツの下にかくし、その狐にはげしく胸をかまれていながら盗みを白状するくらいなら千回も死んだほうがましだと思っているスパルタの子供の逸話。」

「ぼくの人生はこうした幼年時代の恐怖によってすっかり支配されてしまっているので、たえず迷信的恐怖のとりこになっている民族や、暗く残酷な神秘の影響下におかれた民族の運命にも似ているようだ。人間は人間にたいして狼であり、動物たちは人間をたべるか人間にたべられるかにしか適していない。こうした恐怖(パニック)的なものの見方は、ぼくが傷ついた人間(引用者注: 「傷ついた人間」に傍点)にたいしていだくさまざまな思い出と結びついているらしい。」



「ルクレティアとユディット」より:

「いつでもぼくは純粋なもの、民話的なもの、子供っぽく、未開で、無邪気なものを愛してきた。ぼくは厳格主義者が善(引用者注: 「善」に傍点)と呼ぶものの中にいるときには悪を希う、なぜなら気晴らしにある種の悪が必要となるから、悪(引用者注: 「悪」に傍点)と呼ばれるにふさわしいものの中にいるときには、ほのかな郷愁を善に感じる、あたかもたいていの人が善と呼んでいるものは、実際にそこから渇をいやしてくれる乳を吸うことのできる母親の乳房であるかのように。ぼくの生活はすべて次のような平衡から成り立っている、静かにしているとぼくは死ぬほど退屈になり、どんな混乱でも望むようになるけれど、生活の中に擾乱的な要素がわずかに生じるだけで、ぼくはたいてい途方にくれたり、ためらったり、回避したり、あきらめたりしてしまう。とにかくぼくは故意に言いおとしたり、後悔したりせずには行動できないし、言いなおすという底意なしには打ち明けないし、また、反省的でありつづけるにしても、はげしく望んでいるあの投げやり(引用者注: 「投げやり」に傍点)への哀惜の念がないわけではけっしてない。大人になってからもぼくは、ある人びとが下劣さと悪徳への卑小な耽溺と見なしているものと同時に、理想的な友情とプラトニックな恋愛への不断の欲求をもちつづけている。」


「ホロフェルネスの愛」より:

「ぼくの友人だったら誰でも知っているように、ぼくは告白の専門家、というか告白マニアだ、そして(中略)告白をぼくに強いるのはぼくの臆病さだ。」

















































ミシェル・レリス 『幻のアフリカ』 岡谷公二/田中淳一/高橋達明 訳

「今人生の曲り角にあって(中略)僕は呪っている、子供時代のすべてを、僕の受けてきた教育のすべてを、僕がその中で育てられた愚かな慣習を、この子のためだ、この子を立派にするためだと信じこんで、よしと判断され、僕に叩きこまれた道徳を、僕を縛りつけ、僕を健全に性の交わりをし、健全に生活することができない、感情上の非民(パリア)たる今の僕にするしか能がなかったすべての規則を。もし僕が、今後も自分を苦しめ、絶えず新しい惨劇と責苦を作り出しては、僕を愛してくれる人たちを苦しめるなら、どうか、過ちの責任を僕のせいにも、僕を教育した人たちのせいにもせず(中略)、昔ながらの価値に死に物狂いでかじりついている、この腐りきった社会のせいにしてほしい。」
(ミシェル・レリス 『幻のアフリカ』 より)


ミシェル・レリス 
『幻のアフリカ』

岡谷公二/田中淳一/高橋達明 訳

河出書房新社 
1995年4月10日 初版印刷
1995年4月20日 初版発行
570p 口絵(モノクロ)8p
A5判 丸背紙装上製本 カバー 
定価7,800円(本体7,573円)
装幀: 鈴木成一



本書「解題」より:

「本書は、ミシェル・レリスがダカール=ジブチ、アフリカ横断調査団に加わって旅をしているあいだ、一九三一年五月十九日から一九三三年二月十六日までほぼ一年八ヵ月にわたって一日も欠かさずつけ続けた日記『幻のアフリカ』の全訳である。本書は、一九三四年にガリマール書店から初版が出た。しかし(中略)一九四一年十月十七日、つまりナチス・ドイツによるフランスの占領下、(中略)発禁処分にあい、残部を押収された。理由は植民地政策に対する批判にあったと思われる。戦後、すなわち一九五一年に序文と註と写真を加えて再版が、一九八一年にはさらにまえがきを加えて新装版が出た。本訳書が底本としたのは、一九五一年版である。
 この三つの版は、本文に関しては、若干の誤謬や誤植の訂正以外にまったく異同はない。初版には、再版とは異なる序文が付いているが、内容そのものはほとんど同じで、しかもはるかに短い。」
「レリス自身の言に従うなら、初版の評判は、(中略)概して芳しくなかたっという。とりわけ民族学者たちのあいだでそうだった。いや、芳しくないどころではなく、スキャンダルでさえあった。なにしろ厳密な客観性にもとづく科学的民族学を押し進めようとしていた彼らの前に、民族誌学上の記述のあいまあいまに、夢や、エロティックな妄想や、個人的すぎる悩みの赤裸な告白の入りまじった途方もない日記があらわれたのだから。
 とりわけ激怒したのは団長のグリオールだった。(中略)グリオールは、この本は将来、植民地における民族学者の調査を危うくするものだと言って、きびしく非難した。
 レリスは、「秘書兼文書係」として調査団に参加したのであり、一日も欠かさず日記をつけることは、旅行中、彼に課せられた義務であり、この日記は調査団の公的な日記であり、報告書であるはずだった。ある意味でグリオールの怒りは当然である。」
「本書の先駆性が明かになり、その内容が真に理解されて、広い読者層を得るに至るのは、再版以後のことである。本書は今や古典であり、本書を抜きにしてフランス民族学を語ることはできない。」
「本書は二部にわかれており、その第一部の部分がある出版社から『幻のアフリカ 1』として出版された。その後、訳稿はできていたにもかかわらず、出版社側の都合で出版は一日のばしになり、ついに二十余年が経ってしまった。」
「この機会に、(中略)全巻を新たに訳し直した。訳注もできるかぎりふやし、地図も詳細なものにして読者の便に供した。」



Michel Leiris : L'Afrique fantôme
本文二段組。口絵図版17点。


レリス 幻のアフリカ 01


帯文:

「《聖なるもの》の
探求者レリスの
名著、待望の完訳!!

詩人にして民族学者、バタイユの盟友
レリスの未知なるアフリカへの旅。
夢の断片、仮面の祭祀、供犠、異邦の女…。
民族誌であり、詩であり、
告白である空前絶後の書物!!」



帯背:

「記念碑的な大作
待望の完全版!!」



帯裏:

「『幻のアフリカ』は、多面性を持った、分類しにくい、不思議な書物である。
それは旅日記であり、アフリカについての民族誌であると同時に、
省察録、赤裸な告白、夢の記録でもあって、
しかも時には序文の草稿だの、小説の下書きまでが挿入されている有様だ。
単なる文学でも、単なる民族誌でもない、
未分化の、混沌としたところに本書の大きな魅力がある。
――『幻のアフリカ』について より」



内容:

口絵
地図

解題 (岡谷公二)
 1 本書の成立について
 2 ダカール=ジブチ、アフリカ横断調査団について
 3 調査団の団員について
 4 ミシェル・レリスについて
 5 翻訳について

はじめに

第1部
第2部

原注
訳注

『幻のアフリカ』について (岡谷公二)



レリス 幻のアフリカ 02



◆本書より◆


「第1部」より:

「豊富な掻き画のあるいくつもの岩庇。しかし、やはり説明は得られない。ただ、それらの岩庇の一つの近くで、毎年羊が一頭生贄にされることだけがわかる。しかしこの供犠と岩に記された画とのあいだにはなんの関係もないらしい。人々はすべて、これらの線画はフランス人の到来以前にさかのぼるもので、大昔の人間の作品、あるいは悪魔のしわざだと断言する。要するに、彼らは、線画の意味をまったく知らず、その起源を解く鍵さえ持っていないということだ。」
「キタの住民は僕たちの山での行動に不安を感じているらしい。(中略)山には危険で不吉な悪魔が住んでいる。(中略)そして悪魔の一人は真っ白で、僕たちの列車の車輌一台と同じくらいの大きさらしい。」
「僕は、グリオールが写真をとっているあいだとりとめもなくしゃべっていて、ワニの洞窟――この断層の近くで、僕たちは先日羊の綱を拾ったのだ――に、ミノタウロスの物語のような話が結びついていることを知る。雨期のあいだ水が溢れると、ワニは時として村まで出て来て、子供たちを食べるのだ。」

「うっとうしい、だらだらとした一日。小さなスーダンの町であっても、とにかく町というものにはいらいらする。昨日の老婆と調査の続き。陰核切除の手術に使う剃刀を見せてもらう。ムサ・トラヴェレは自分の割礼の話をする。割礼はウォロフ族の風習にしたがって行なわれた。性器を樽の上に置き、しかるべき場所にたがねを当て、ハンマーで一撃するのだ。」

「また、夢精。その上、アンドレ・ブルトンと仲直りをする夢を見た。精神分析などくたばってしまえ。」

「僕はある村を散歩する。例によって住民のかなりの部分がついてくる。一人の娘が突然放屁し、みな大笑いする。ある片隅では、赤く化粧して獣皮にくるまった一人の末期症状の嗜眠性脳炎患者が筵によこたわって、かすかに身体を動かしている。人々は病人を癒してほしいという意向を僕に伝える。だがどうしたらよいというのだ!」

「ここに公刊する覚え書(中略)は、もっぱら個人的な性格のものである。とはいえ、ある人々が《わが個性》と呼ぶものに僕はさほど重きを置いてはいないし、また(中略)僕の印象を大きく育てようと努めたわけでもない。
 旅行中の出来事については僕自身がかかわりをもったことだけに切りつめ(中略)、あえて主観的に自分の考えを述べることで、僕はこれらの覚え書に最大限の真実を賦与しようと試みた。
 なぜなら具体的なもの以外には真実なものはないからだ。特殊なものに徹底することで人は普遍に到達し、最大限の主観性を通じて人は客観性に達する。」
「アフリカについて語ろうというときに、僕がかくかくの日に上機嫌であったか否か、さらにどんなふうに排泄をしたかを述べる必要はないと言う人もあろう。(中略)しかしそうした出来事があった場合に伏せておく理由も見当らない。それ自体としてみても、かくかくの樹木、かくかくの服装の原住民、またはかくかくの動物が、かくかくの瞬間に路傍にいた、といった事実に劣らず重要であるばかりでなく、記述の真正さという点でもそれなりの価値があるのだから、こうした排泄現象は記載されて当然なのである。
 記述を完全なものにするためにではない(中略)――そうではなく、個人的係数を白日のもとにさらけだすことによって誤差の計測を可能にするためである。」



「第2部」より:

「僕にとって《名誉》という言葉はごくあやふやな意味しかないので、《名誉にかかわる》問題でかっとなるのも、あるいは単にやり返すのも、誰よりも反応が鈍いのだ……。」

「大きな花が生えてきた。白と赤の百合のような花が一本の茎にいくつも集まって咲いている様子は、モダンスタイルの燭台に似ている。やがては草が僕たちを侵食してゆくのだろうか……。」

「現在の僕の生活とのかかわりから、旅という大きい伝説的テーマと、それに結びつくものについて考える。

 天空の横断と地獄落ち。
 遠方へ赴く旅の途中で父を殺したオイディプス。
 秘儀を伝授される者は常に遠方で啓示を受ける(中略)。
 眠れる美女の探索と青髭の不在。
 一流選手となるための初心者たちのツール・ド・フランス、さまよえる騎士たちの遍歴。旅をする錬金術士たち(中略)。
 今日においては、ある点まで試練の役割を果す長距離耐久スポーツなど。

 僕自身に関しては、まだ啓示を待っているところだということを認めざるをえない……。僕の心を一番打つ旅の話とは、家から出て行って戻ってきてみると、百歳を越えているので、誰一人見覚えがないという男の話である。」

「エマワイシュは昨日たまたま、ラヒエロに病気にされるのが心配で、一番下の息子の身体を洗わないのだと漏らす。ところで、ラヒエロとは、彼女の母親にとり憑いているザールの一人だ……。ということは、母親の頭の中に住む精霊の一人が彼女の子を殺すかもしれないと考えていることだ。しかし彼女は、それについて母親には責任がないと思っており、二人がやり合うとき、母親に対し、家庭の問題とか金の問題についてしか苦情を言わない。こういう次第で、各人、エマワイシュもその母親も、狩人のカサフンも(殺した動物のアッビガムが憑いている)、アッバ・ジェロームも僕自身も、要するに全員が、頭の中に僕たちのすべての行為(各分野にわたる)を支配するらしい沢山の小さな精霊を持っていて、僕たちはそれらの行為に少しも責任がないのである。これは、僕の友人たちのすべての行動、すべての言葉からの帰結だ。」
「すばらしいと同時に息もつけない風土だ。少なくとも、すべての事柄を、えてして呪術ではなく、モラルがらみにしてしまう文明からどうあがいても抜け出せない僕にとっては。」

「午後、近所の二人の女と一緒に悔みにやってきたエマワイシュが、奇妙な夢の話をする。
 一匹の黒犬が追いかけてきて、彼女が腕に抱いている子供を食べようとする。子供を救うため、彼女はシャンマの中に彼を隠す。しかし犬は、裾の方からシャンマの中に入ってきて、子供を八つ裂きにする。エマワイシュは、赤い服を着た人々から成る、とても密集した陰気な群衆のところに来る。しかし彼女はこの群衆には立ち交らない。犬がひどくこわかったので、彼女はもっと遠くへゆこうと思う。」

「僕は人嫌いなので、集団生活をしていても、皆から離れていたいとつい思ってしまう。こんな距離を手に入れるのには、男としての自分を否定するのがもっとも確実な手段の一つではないだろうか。
 僕は今、精神分析家たちが僕の《去勢コンプレックス》と呼んでいるものの局面の一つに触れている……。男たちへの憎悪、父への憎悪。彼らに似まいとする固い意志。優雅は人間離れしているから、優雅な服装をしたいという欲望。清潔は人間離れしているから、清潔でありたいという欲望。しかも、たちまち、このわざわざこしらえあげてしまった深い孤独に嫌悪を覚え、他の道を通って、ごく一般的な人間らしさに立ち戻りたいと激しく望むのだ……。そこから抜け出す手段はおそらく見つからないまま。」

「愛は僕たちを結びあわせ、僕たちを離れさせる。愛は僕たちをただ一つのものに凝縮させ、僕たちと残りの者とのあいだに深い淵をえぐる。愛は僕たちに他者を憎悪させる。愛はまさに僕たちが一人であることと僕たちの孤独との輝かしい確認なのだから。愛は人道主義とキリスト教の泣き言との生れながらの敵だ。
 今人生の曲り角にあって――僕は三十二歳になろうとしており(もう青二才とはいえない)、ここ二年近くのあいだ《まじめ》と言われる人々が正しく妥当だと評価している仕事に参加してきて、自分でも契約を厳しく守ってきたと評価できる(おそらく、初めて)――僕は呪っている、子供時代のすべてを、僕の受けてきた教育のすべてを、僕がその中で育てられた愚かな慣習を、この子のためだ、この子を立派にするためだと信じこんで、よしと判断され、僕に叩きこまれた道徳を、僕を縛りつけ、僕を健全に性の交わりをし、健全に生活することができない、感情上の非民(パリア)たる今の僕にするしか能がなかったすべての規則を。もし僕が、今後も自分を苦しめ、絶えず新しい惨劇と責苦を作り出しては、僕を愛してくれる人たちを苦しめるなら、どうか、過ちの責任を僕のせいにも、僕を教育した人たちのせいにもせず(彼らにはわかっていなかったのだし、彼らの唯一の誤りは、結局のところ僕をこの世に生み出したことなのだ)、昔ながらの価値に死に物狂いでかじりついている、この腐りきった社会のせいにしてほしい。」




岡谷公二「『幻のアフリカ』について」より:

「しかしレリスもまたラディカルであった。この世界の変革を求める人間が、ラディカルでないわけがあろうか? 中途半端な変更や一部修正では世界を変えたことにはならないのであり、彼が望むのは、言葉の真の意味での革命なのだ。彼が中国革命やキューバ革命にかけた期待を進歩的文化人の甘さと嘲る人々に対して彼は言う。「ああいうことにだまされなかったと言って自慢する人たちの心のありようを私は嫌悪します。だまされるべきだったんですよ」。」































































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ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー

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