ジャック・タチ 『プレイタイム (新世紀修復版)』 DVD

ジャック・タチ 
『プレイタイム (新世紀修復版)』


アスミック AEBF-10191 
2004年 DVD 片面2層 ステレオ 定価4,935円(本体4,700円) 
本篇125分
日本語字幕翻訳: 寺尾次郎
映像特典:
①短篇 『ぼくの伯父さんの授業』 (1967年/13分)
②メイキング映像
③スクリプトガールの思い出
④オリジナル予告篇



1967年フランス映画。

どうも。私だよ。「新世紀修復版」というのがなんなのか、よくわからないけど、完全版ではないみたいだよ。
私がいちばんすきなジャック・タチの映画は、幽霊役で出ている『乙女の星』(オータン=ララ監督)だよ。『ぼくの伯父さん』はユロ氏がすんでいる下町のところだけ好きだよ。正直いうと『プレイタイム』は苦手だよ。都会だし、人がたくさんでてくるしね。映画通の人は『ぼくの伯父さん』より『プレイタイム』を評価するみたいだけど、私は「通」じゃないもんね。

さてそこで、本作は、ひとことでいうと、いかにして管理社会の画一化された機能的ビジネス空間を脱臼させて、そこに囚われている仕事人間たちを救出するかという映画だよ。ユロ氏は仕事でジファール氏に会うために鉄とガラスの都会のビルディングにやって来たよ。だだっぴろいオフィス空間の直線で囲まれた檻のなかの人々の映像からは、いやでもオーソン・ウェルズの『審判』を連想するよ。うっかりしたらユロ氏もヨーゼフ・Kみたいな運命を辿ってしまうのではないか、ちょっと心配だね。管理社会に取り込まれて殺されないためにはどうすればいいのかな。
そこで「逃走の線」(ドゥルーズ)だよ。
映画の冒頭では直線が世界を支配しているよ。ユロ氏とその分身たちはちょっとずつテロを仕掛けて(たとえばガラスのドアを壊したり、レストランを崩壊させたり、飛行機を溶かしたりするよ)、機能不全を惹き起こして、ビジネスの魔法をかけられた人間たちを管理社会から奪還するよ。ビジネスとレジャー産業に支配された直線的世界は、レストランでのオルギアをきっかけにして、日常生活と遊びの曲線的世界にシフトするよ。ユロ氏のビジネス契約はたぶん不成立だろうけれど、アメリカ女性のバーバラにはどうにかお土産を贈ることができたよ。曲線はつまり世界への無償の愛(友愛)だよ。


プレイタイム1


『E/M ブックス④ ジャック・タチ』所収「タチの民主主義」より:

「この作品の構成はとてもしっかりしています。(中略)最初のうち人物の動きは構造物に沿っただけで、曲ったりはせず、ある線から別の線に動くだけです。映画が進むと、人物は踊るようになり、カーブを描いたり、一回転したり、そこに留まるために何回転も回ったりするようになります。それが私の好みなんです。」
「二~三回観た後で、これがぼくのではなく「観た人」の映画と感じられるようにする、というのがこの映画のイメージの狙いです。(中略)これは(中略)作者のサインを入れるような映画ではないんです。」

「『プレイタイム』を誇りに思います。それはまさにぼくの作りたかった映画そのものです。(中略)ぼくは挑戦し、そして成し遂げました。そのため肉体的にも経済的にも相当に苦しみましたが、これこそまさにぼくの撮りたかった映画そのものです。」



プレイタイム2


プレイタイム3
















































































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『E/M ブックス 4 ジャック・タチ』

「ぼくが言いたいのは、喜劇映画は、体制批判に他ならないということです。」
(ジャック・タチ)


『E/M ブックス 4 ジャック・タチ』
監修: 坂尻昌平
編集: 遠山純生

エスクァイア マガジン ジャパン 1999年2月25日初版第1刷発行
207p A5判 並装 カバー 定価2,000円+税
アート・ディレクション: 岡本明彦(レスポンス)
デザイン: 阿部素子(レスポンス)



本書(ムック)は、ジャック・タチの長篇インタビューがまるっと翻訳紹介されているので有難いです。あと映画ポスターなど図版がたくさん掲載されているので楽しいです。


タチ1


帯文:

「――映像を記憶する――e/m ブックス④
「ジャック・タチ」
「伯父さん」から遠く離れて……。
従来の「伯父さん」イメージではとらえきれなかった、
まったく新しいジャック・タチ像を徹底究明。
真にハードコアなタチ映画理解がここから始まる。
豪華グラビアも満載のお得な一冊。」



タチ2


目次:

カラーグラビア①
カラーグラビア②

序にかえて 「さよなら、伯父さん。こんにちは、タチヨン!」 (坂尻昌平)
ジャック・タチ年代記 (坂尻昌平)
ジャック・タチ・インタヴュー① (聞き手: アンドレ・バザン/フランソワ・トリュフォー) (細川晋 訳)

論考+インタヴュー 「タチの民主主義」 (ジョナサン・ローゼンバウム) (都筑はじめ 訳)

ジャック・タチ・インタヴュー② (聞き手: ジャン=アンドレ・フィエスキ/ジャン・ナルボニ) (細川晋 訳)
対談 「タチ作品における音楽/音声/音響」 (小柳帝・鈴木惣一郎)
ジャック・タチ・インタヴュー③ (聞き手: セルジュ・ダネ/ジャン=ジャック・アンリ/セルジュ・ル・ペロン) (細川晋 訳)

論考 「ジャック・タチの映画的宇宙」 (坂尻昌平)
追悼文 「ユロの死」 (ジョナサン・ローゼンバウム) (細川晋 訳)

主要長篇作品解説
 『のんき大将脱線の巻』
 『ジャック・タチののんき大将』
 『ジャック・タチの新のんき大将』
 『ぼくの伯父さんの休暇』
 『ぼくの伯父さん』
 『プレイタイム』
 『トラフィック』
 『パラード』

主要短篇作品解説
 『左側に気をつけろ』
 『郵便配達の学校』
 『ぼくの伯父さんの授業』

コラム 「リトル・ティッチとタチ」
コラム 「『家庭』と『プレイタイム』の関係」
コラム 「タチ作品のヴァージョン違い」
コラム 「ジャン=クロード・カリエールとタチ」
コラム 「日本におけるタチ作品受容の変遷」
コラム 「コレットによるタチへの絶賛文」
コラム 「ピエール・エテックスとタチ」
コラム 「タチの影響下にある監督たち」

CD紹介
ビブリオフラフィ
フィルモグラフィ

(作品解説およびコラム執筆: 坂尻昌平)



タチ3


本書所収「ユロの死」(ジョナサン・ローゼンバウム)より:

「彼は知識人でも読書家でもなかった」
「タチはいつも、大人たちより子供たちを信用していた。動物たちは、多くの注目と、さらに尊敬を引き出すことができた。彼がレストランの中の誰かの犬に対してたっぷり十分は演技をしてみせたことを私は思い出す。あきらかに、彼は自分の滑稽な身ぶりに対する人間の見物人の反応以上に、犬の反応に興味を示していた。」



本書「ジャック・タチ・インタヴュー①」より:

「今一番困っているのは、そうしたことのすべてです。パリが解体されているということです。ぼくはもううんざりです。(中略)そうしたものを壊すことが得策とは思いません。(中略)それはぼくが嫌いな画一化です。(中略)昔は、誰もが個性を持っていました。(中略)今では、診療所で食べているような雰囲気です。客はショーケースの中です。(中略)ぼくはまったく賛成しません。それに、みんなは、適応できませんでした。あまりにも早すぎたんです。それに、あまりに早いので、大勢の人たちは後に置き去りにされる。ああ、しかし、ご注意ください! それで何をしようとしているのか? やはり深刻ですよね? それに、気のきいた会話もなくなりました! 昔は、自転車で通る若造は、口笛を吹いていました。今では、小さな原付です。ぼくはこう言われます。「このほうが実用的です。ペダルを漕ぐ必要がないんです」。その通りですが、原付だと、もう口笛が聞こえません。」
「自分が映画でしたいことをする権利を持つのはブレッソン氏とぼくだけです。なぜでしょう? それは、たぶん、そうしたことを扱うのは、ぼくらだけだからです。」
「「タチは一本の映画を作るのに二年以上かけている」と言われます。(中略)『ぼくの伯父さん』を三週間で撮れるとは思いません! 三ヵ月でも無理です。」
「ぼくは、(中略)自分が撮りたくないもののために、何かを撮ることはできません。」
「結局、最終的には、ぼくはそのために生きているんです。――ぼくが撮っているように撮るべきなんです。そうでなければ、やめるべきです。」
「ぼくが気がかりなのは、若い人たちがますます自分の主題を選べなくなり、俳優を選べなくなり、自分のやりたいことがますますできなくなっているということです。今では、映画は産業になりました。(中略)自動車産業の水準にあるんです。」



本書「タチの民主主義」より、タチの発言:

「まず何より車は人の性格を変えてしまう。バーなんかで見かける素敵な紳士がいたとしましょう。車に乗るやいなや彼は全く変わってしまう。よほど性格のしっかりした人でないと変わらないのは難しい。次に言えるのは、技術が向上すればするほど、ぼくたちが運転するときにやることは少なくなります。昔は、人々はドライブに「参加」していました。エンジンの音でギアを切り替えるタイミングを知りました。(中略)車のことを良く知っていなければならなかったんです。今では最新式のアメリカ車では、運転手がどれだけ車について知っていようがいまいが、あまり関係ありません。(中略)ぼくはいつもすべての映画やショットで、自分の手で何かを直そうとするシンプルな人物を擁護しています。」
「たしかにおかげでより速く便利にはなるでしょう。それが計画をたてた連中の目的なのだから。しかし実際に決断をするのは金を持った連中です。これから何が建てられることになるのか知らないけど、本当に政策を変えられるほどの力を持った政党はひとつもありません。あなたみたいに若くてしがらみのない人々ならば彼らと闘うことができるでしょう。それでもかなりがんばらねばならない。なぜなら計画を進める連中の方が、あなたたちよりずっと賢いからです。連中は我々をやっつけるでしょう。我々よりもいろいろと画策するでしょう。」
「我々には常に受け入れるしかありませんでした。だから若い世代はノーと言ったんです。彼らは真実を望んでおり、ごまかしは通用しません。彼らが戦争に反対なのは、多くの人々が食料を必要としている一方で、ものすごい額の金を破壊に費やすことが馬鹿げていると感じているからです。」
「もし良くないものと知らずに新しいシェービングクリームを使ったり、人々を笑わせるようなやり方に基づいて作られたコメディを面白いと思ったり、とにかくすべてのものをそのまま受け入れてしまった場合、我々もまたその集団の一部になってしまうでしょう。金を持っている連中はものすごいパワーを持っていますからね。」



本書「ジャック・タチ・インタヴュー②」より、『プレイタイム』について:

「ユロが、(中略)この映画に出てくるギャグのほとんどをやる、実行するかわりに、こう言ってよければ、そのギャグをほかの人にまかせるんです。それを実現するのに最適な人物を選んでね。あるボタンがどのようにして、ある人物の来訪をオフィス内に告げるのかを知るためにそのボタンを押してみるのはユロではありません。ぼくが選んだのはボタンを押すのに最もうってつけの人物でした。つまり年金生活者の小柄な紳士です。(中略)ユロならおそらくボタンを押す際に別の可能性があった。ボタンを間違えて、ボタンに専念し、それらのボタンを怖がり、困惑する。」

「何が起こっているのかを観察していなければ、退屈するのは間違いありません。この映画に出てこないものを期待して時を過ごせば、出てくるものがなんだかわからない。」

「観客は十分に観察していないんです。(中略)観察すれば、すべては違って見えるんです。すべてが好奇心のきっかけとなります。一枚の葉っぱ、ドアの取っ手……。」



本書「ジャック・タチ・インタヴュー③」より:

「こう言ってよければ、ぼくが『プレイタイム』でやろうとしたこと(中略)は、中心となる喜劇的キャラクターのスター性を撤廃することなんです。」

「ぼくが言いたいのは、喜劇映画は、体制批判に他ならないということです。」

「いろいろお話ししました…。自分が正しいのかどうかもわかりません。なぜでしょう? 百のうち百が正しいなんてことはありえません…。百のうち百が間違っているということもありません…。誰かが言ったように「誰にでも趣味の悪いところがある」。」



タチ4








































































マルク・ドンデ 『タチ 「ぼくの伯父さん」ジャック・タチの真実』 (佐々木秀一 訳)

マルク・ドンデ 
協力: ソフィー・タチシェフ
『タチ 
「ぼくの伯父さん」 ジャック・タチの真実』 
佐々木秀一 訳



国書刊行会 2002年4月20日初版第1刷発行
334p 22.8×15.5cm 
丸背紙装上製本 カバー 定価2,400円+税
装幀: 桂川潤
Marc Dondey : Tati, 1989



タチ1


カバー裏文:

「生涯たった6本の映画しか撮らなかった映画作家、栄光の頂点でも孤独なアウトサイダーだった男――ジャック・タチ。飄々とした「ユロ伯父さん」が風のように通り過ぎるその作品群は、一方で途方もなく精緻な音響的・視覚的創意に満ちていた。喜劇映画の歴史に特異な足跡を記したその革新的作業は映画の枠をはるかに超え、音楽、舞踏、美術、さらには建築の領域にすら及ぶ。ヌーベル・ヴァーグの映画作家たちにも多大なる影響を及ぼしたこの分類しがたい天才の真実に、遺族の協力を得て多数の写真とともに迫る力作評伝。」


タチ2

本体表紙。


目次:

謝辞

序文 タチのまなざし (ギイ・テセール)

第1章 スポーツの印象
第2章 郵便配達人フランソワ
第3章 海岸ホテル
第4章 アルペル邸
第5章 タチヴィル
第6章 トラフィック、パラード、コンフュージョン

略年譜
フィルモグラフィー

訳者あとがき



タチ3


本書「序文」より:

「タチは繰り返す、「私はただ、眺めることを学んでほしいのです。喜劇は目の前にあります。見るだけで充分なのです」。(中略)タチはチャップリンのようなギャグ製造屋と同一視されることを常に拒み、あくまで観察者の役柄にこだわった。(中略)「私の作品を理解してくれるのは子供たちだけです。なぜなら、彼らだけが見るすべを心得ているから。」
「経済学者で、タチが所属していたラグビーチーム「レーシング」の主将でもあったアルフレッド・ソヴィーは、のちにこのように語る。タチはその高貴な家系から、いかなる「傲慢な階級的優越感も、追放貴族のコンプレックスも」引き出してはいなかった。(中略)そしてソヴィーは簡潔に、タチという人間と、その宿命を結論づける、「彼には観察者としての天賦の才があった。それゆえ彼は反逆した。文化に対して。文化という、他者がつくりあげた妄想に対して」。
ジャック・タチの姉ナタリーは、この血筋ともいうべき天分に早くから気づいていた。(中略)「わたし自身も観察するのは大好きでしたが、ジャックはもっと沈潜していました。弟は何時間でも、ひとことも喋らず周囲の物や人を眺めて飽きませんでした。憂いに沈んでいるように見えるときもあれば、反対に夢中で面白がっているときもありました。(中略)」。」
「モノクロームに生まれ、カラーに死した風来坊ユロ。今日、私たちがタチに心から感謝できるのは、タチがこの人物を消費しなかったおかげである。戦後の「休暇」から生れたユロは、別の時代に属すべき人物だった。慢性的不適応に苦しみ、現代社会の陥穽にはまりこんだ。(中略)ユロは誰とも似ていないのである。結局ユロは、亡霊に近いのかも知れない。一九四五年、オータン=ララ監督の『乙女の星』でタチが演じた、古城に出没する白ずくめの亡霊に。」
「タチは妥協の人ではなかった。何年か前、ある夕刊紙から連載の仕事を依頼されたとき、タチは私に言ったものだ、「結局断わろうと思うのです。なぜって、ノンと言うのが、ますます性に合ってきたから」。」



本書より:

「ユロには一つ癖がある。においを嗅ぐことである。犬のように、何でもクンクンにおいを確かめる。食器でも、パイプでも、いま開いた本のしおりでも。そしてそのしおりを挟まないで本を閉じたりする。ユロがぼんやり者だからだ。」
「ユロは一生、場ちがいな存在なのだろう。
しばしばユロは怯える。そして子供みたいに逃げ出す。自分が悪いわけでないときも。」

「タチは解説する、「(中略)『ユロ氏の休暇』で、主人公は良きヴァカンスを過ごすことだけが望みでした。それなのに周りでは、実業家は商売をやめない、退役将校は戦争の話をやめない、インテリはヨーロッパの再編を夢見て飽きない。ユロは、そういう一同から受け入れられない。この映画は、そんなユロのドラマなのです」。」

「「私は、散歩するのが大好きです。口笛を吹けるのが、とくに嬉しいんです。はたからは間抜けに見えるでしょう。でも、他人が通りで口笛を吹いている姿を眺めるのも好きです。通りで口笛も吹けない日がやって来たら、それは深刻な事態です」。」

「監督タチの役目は、証人であることだ――描こうとしている二つの世界の双方に、自身は深く根をはっているのだから、その分だけますます公正な証人であること。過去と現在、パントマイムと映画、優しさと現代性。タチは片一方だけを選びたくはなかった。自分は自分自身の世界を創ろう。調停に向かって開かれた空間。バランスを取るチャンスが残された空間。(中略)二つの生活環境、二つの共同体、互いに相容れぬ二つの世界。だが真ん中に、必ず空き地はあるはずだ。」

「ユロは世界の不条理に、あきれるような無邪気さで対抗しているが、これはキートンの主人公も同様である。タチは言う、「バスター・キートンは笑いを構築しません。彼は事をわが身にこうむるのです」。(中略)キートンについて訊かれたタチは、その所作の完璧さへの、なかんずく目をみはるようなその脚の動きへの賛嘆の念を明かした。いっぽうキートンのほうも、『ユロ氏の休暇』から、とりわけそのサウンドトラックから受けた感動を表明した。二人が会った際には、いずれからともなく、キートンの作品にタチが音をつけるという提案がなされた(中略)。二人の映画作家には、イメージの奇抜な連合や融合を好むという共通点もあり、これがドタバタ喜劇を幻想へ転化させる。(中略)ユロも、またキートンも、価値観を計る試金石として、世界の奇異さの証人として、われわれの前に姿を現わす。」



タチ5

上: 「一九五三年度ルイ・デリュック賞授与式でのタチの登場」
下: 「タチが感服したリトル・ティッチ」


本書より:

「授賞パーティーに招かれたタチは、カメラマンが待ちかまえるなか、いかにも彼らしく登場した。間仕切りを飛び越えて現われたのだ。」

「リトル・ティッチは、今世紀初頭、パリやロンドンで名声を博した芸人である。(中略)リトル・ティッチの才気と飾り気のなさに、タチは感激した。そのうえ、この喜劇役者の背丈は、タチのそれと意味深いコントラストをなしていた。片方は標準よりだいぶ大きく、もう一方は断然小さい。この正反対ではあるが共通の特異さが、人間社会のみならず道化師集団においてすら、二人を奇抜な存在たらしめる。(中略)二人は、喜劇の世界で最も孤独な存在なのである。(中略)リトル・ティッチの実演映像に触れ、タチは自己の主人公のルーツをあらためて発見する思いであった。ユロは、リトル・ティッチ同様、アウトサイダーなのだ。」



タチ4


本書より:

「腕を伸ばして甥っ子の手を握るユロの後ろ姿。やさしさとでこぼこさ、無言の絆。このショットが『ぼくの伯父さん』を要約している。」














































































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー

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