『ホフマンスタール詩集』 (川村二郎 訳/岩波文庫)

「声もなく歩みつつ
白い眼で
闇に見入る
蒼ざめた少女たち」

(ホフマンスタール 「メルジーネ」 より)


『ホフマンスタール詩集』 
川村二郎 訳

岩波文庫 赤 32-457-2

岩波書店
2009年1月16日 第1刷発行
243p 編集付記1p
文庫判 並装 カバー
定価660円+税


「本書は川村二郎編・訳『ホフマンスタール詩集』(双書・20世紀の詩人10、小沢書店、一九九四年刊)を文庫化したものである。」



ホフマンスタール詩集


カバー文:

「ウィーン生まれの詩人・劇作家ホフマンスタール(1874-1929)は、早熟の神童として10代から20代にかけて詩を作ったが、若くして詩を放棄して本格的に劇作に向かった。西欧の詩的伝統を踏まえたその詩は、温柔であり幽艶であり典雅である。ホフマンスタールの〈幻視的世界認識〉は、常に大いなる連関へと向けられていた。」


目次:

詩篇
   Ⅰ
 早春
 体験
 夜のひきあけ
 旅の歌
 二人
 人生の歌
 きみの顔には
 世界の秘密
 外側の生のバラッド
 三韻詩(テルツィーネ)
 もとより中には
 大魔術の夢
 短唱三篇
 さまざまな姿
  風景のなかの青年
  囚われの船のコックが歌う
  老人の夏へのあこがれ
  童児賛歌
  シナの皇帝が語る
  祖母と孫
  まどい
 青年と蜘蛛
 小さな絵
   Ⅱ
 人生
 たそがれの雨
 プシュケー
 メルジーネ
 クリスマス
 少年
 不思議をはらんだ夜
 心静かなる者
 対話
 南国の月夜
 ハインリヒ・ハイネの追憶に
 幸福な家
 思念の魔
 生の罪
 一人の死者の影が
 芸術家の浄め
 魂のソネット
 通り過ぎるひとに
 預言者
 冷え冷えと夏の朝が
 わたしは降(くだ)って行った
 春の宵
 夜の道
    ★
詩論・エッセイ
 チャンドス卿の手紙
    ★
詩人論
 ロリス (フリードリヒ・グンドルフ)
 拒否された「あとがき」 (マックス・コメレル)
    ★
解説 (川村二郎)
年譜 (川村二郎)




◆本書より◆


「体験」:

「銀鼠(ぎんねず)の靄は うすらあかりの谷あいを
ひたひたとひたしていた 月かげが雲間から
もれ出る時とも思われたが 夜ではないのだった
暗い谷間の 銀鼠の靄と溶け合って
ほのかなわたしの思いはただよい流れた
そして静かに わたしは ゆれ動く
澄みとおった海に身を沈め 人生をはなれた
暗く燃え立つ蕚(うてな)を抽(ぬ)いて そこに
何と妖しい花が咲いていたことか! 生いしげる
植物に 黄玉(トパーズ)をさながらの樺色の光が
あたたかく流れながらしみ透りきらめいて
この世界全体には 盛りあがる深い音色の
憂鬱な音楽がみちあふれていた そしてわたしは知っていた
どうしてかわからないが わたしは知っていた
これは死だ 死が音楽になったのだ
はげしくこがれながら 甘く また暗く燃えながら
この音楽は かぎりなく深い憂鬱のようだと
                しかし何というふしぎさ!
いい知れぬ郷愁が 人生にあこがれて
わたしの心の中で 声をしのばせて泣いた
日ぐれ時 黄色の大きな帆をかかげた
大きな船に乗って 深青の水の上を行き
故郷の町のほとりをすぎる そのとき
涙する人のように泣いた
そのとき彼は小路を見 さざめく吹上(ふきあげ)を聞き
リラの繁みの香を嗅ぎ 今にも泣きだしそうな
恐れをたたえた眼をして岸辺に立っている
小さな子供のうちに われとわが身を見
あけ放たれた窓の中に わが部屋の灯を見る――
しかし大きな船は彼をはこび去る
黄色い 見なれぬ形の大きな帆をかかげて
音もなく 深青の水の上をすべりながら」



「旅の歌」より:

「水は落ちかかる ぼくらを嚥(の)むために」


「二人」:

「少女は盃を手に捧げていた
――少女の顎と口は 盃の縁に似ていた――
その歩みの軽やかさ たしかさ
盃からひとしずくのこぼれることもないほどに

少年の手の軽やかさ 力強さ
少年は若駒に打ちまたがり
さりげないそぶりで手綱をしぼれば
駒はふるえて 歩みをとめた

けれども 少年が少女の手から
軽い盃を取ることとなれば
それは二人にはむずかしすぎた
二人ながらに身をおののかせ
手は手にめぐりあうこともなく
暗い酒は地にまろびこぼれた」



「世界の秘密」より:

「深い泉はそれを知っている
昔はだれもが深く 沈黙していた
そしてだれもがそれを知っていた」



「大魔術の夢」より:

「われとわが身の感覚を たしかめるように
万人の運命を彼は感じ取っていた 夢のように明らかに
遠近大小 ものみなすべて 彼にはなんの差別もなかった」



「たそがれの雨」:

「道の上をさまよう風は
甘いひびきにみちていた
小暗くかすみながらさざめく雨は
あこがれにしっとりひたされていた

したたり流れ鳴る水は
夢の声をうっとりとかきみだし
夢はいよいよ蒼ざめて
ただよう霧に溶けて行った

ゆれる柳の中の風
岸辺に沿うてさまよう風は
たそがれにひそむ あこがれる
心の悩みを うっとりとゆすっていた

小暗くかすむ夕べの風の吹く
道はどこにも行きつかなかった
それでも さざめく雨の中を
歩いて行くのは楽しかった」



「対話」より:

「つまりわたしには 一つの尺度が与えられているのだ
変化を知らぬ確実な尺度が
それが いつもあやまったことなく守ってくれるので
わたしは空虚な物を充実と思ったり
あさはかなものに精力をついやしたり
他人の感じや学びおぼえた考えを
血管の一筋にすらしみこむことを許したりはしない
いかにも 病気や悲惨や死が これから後
わたしを脅かすことはあろうが 虚偽に脅かされることはない」



「生の罪」より:

「きみの抱擁は破壊ではなかったか
きみの権利は犯罪ではなかったか?……」



「春の宵」:

「彼は歩いて行った 家々はすべて大きかった
明るい空にはもう星が出ていた
大地は冬からまた解放されていた
彼は咽喉に声が湧きおこるのを感じた
自分に手があるのが また快かった

彼はひどく疲れていたが さながら子供のようだった
多くの馬たちのあいだを縫って 大通りを歩きながら
馬たちの額を撫でてやりたい気持だった
そして彼らの以前の生活を 心の内に呼びかえしていた
無意識に 愛撫のしぐさをくり返しながら」



「拒否された「あとがき」」(コメレル)より:

「どうして彼に、人格の一貫性に対して責任を負えと要求することができるだろう、いかにも彼は、運命の裂目の下でにわかに凍えて行く顔に浮ぶ、諦念の素朴な真面目な表情を、格別好んでいるのではあるが。彼の人格としてのありようはイロニーである。彼には人格でいるための暇がない――彼はいつも旅をしているのだ。(中略)彼の魂には壁がない。物はみないつでも、霊が部屋に立ち入るように、この魂に立ち入ることができる。ところでその物とは? それは、おのれの刻限を迎えて甘やかな不安にひたされているもの――激しく膨れ上るよりほかないもの――つまりは移り行く過程のうちにある物たちである。ひとひらの雲、一挺のヴァイオリン、古い葡萄酒の一盞(いっさん)、(中略)移ろいのうちにある物たち、大いなる息吹が彼らに寄せる時、彼らは初めて自分自身をまざまざと感じ取りながら、しかも呆然とみずからを失わねばならない。こうしたことが彼にとっては肝腎なのだ、というのも彼自身がこのようであるからなのだ。」

「変幻を除いて真の存在はあり得ないのだ。」

「詩が深遠なことを述べているのはすべて、うっかりしくじったという按配なのだ――詩そのものが実の所、うっかりしたために生れてしまっているのだ。そしてそれらが賢くあるとすれば、生が介入して口を夾(はさ)んでいるからにほかならない。それらの詩は生に対して無類なまでに謙虚なのである。おそらく彼らの父、つまり詩人自身に由来する謙虚さだ。彼は誰よりも社交的な人物だった――ただしいつも、この上もなく痛ましいほどに、一人ぼっちで耐えねばならぬことにもなるのだが。だが彼はすべてをおのれのもとに引き入れた。(中略)彼はすべてのものを、かかわってくるままに、何の成心もなく無限に受け入れた、というのも、一つ一つのものがすべてのものであったから。彼は社交的な詩人であり、社交的なものがデモーニッシュになる所が、彼の場、彼の瞬間なのである。」

























































































































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ホフマンスタール 『チャンドス卿の手紙|アンドレアス』 川村二郎 訳 (講談社文芸文庫)

「現実の側からすればたわいない夢想。しかしその夢想に身をゆだねて幸福を味う人間にとっては、現実に即した成長や進歩は、およそ何の意味も持たない。そのような人間を主人公にした作品は、「教養小説」としては挫折するにきまっている。だからこそ、この『アンドレアス』序章は、断片として、まれに見る美しい夢の結晶たり得ているのである。」
(川村二郎 「解説」 より)


ホフマンスタール 
『チャンドス卿の手紙 
アンドレアス』 
川村二郎 訳

講談社文芸文庫 ホ-A-1

講談社 
1997年4月10日 第1刷発行
221p 
文庫判 並装 カバー 
定価850円+税
デザイン: 菊地信義



「本書は、一九七〇年八月講談社刊『世界文学全集―38 ホーフマンスタール/ムージル』を底本とした。」


ホフマンスタール チャンドス卿の手紙 アンドレアス


カバー裏文:

「19世紀末より今世紀にかけ戯曲、小説等多彩な作品を書いた
ホフマンスタールは、ユダヤ人、イタリヤ人、ドイツ人の
混った血統と伝統の都ウィーンの文化に育まれた。
「チャンドス卿の手紙」は17世紀イギリスの貴族
チャンドス卿が友人にあてた手紙という形式をとり、
表現とその根底にある認識を追求した作品で、
「アンドレアス」と並んで現代小説の出発点である。」



目次:

チャンドス卿の手紙
六百七十二夜の物語
騎兵物語
バソンピエール元帥の体験
アンドレアス

解説 (川村二郎)
年譜・著書目録・参考文献 (川村二郎)




◆本書より◆


「チャンドス卿の手紙」より:

「それにしても、友よ、地上的な概念すら、同じようにぼくから離れて行くのです。どのようにして、この奇妙な精神の苦しみをあなたにお伝えしたらいいのでしょう。さし伸べた両手から、果実をつけた枝がすばやくはね上がり、渇いた唇からさざめく水がさっと遠ざかるような、この苦しみを?
 ぼくの場合はといえば、つまり、こうなのです。何にもせよ、首尾一貫させて考えたり口にしたりする能力が、ぼくからは完全に失われてしまったのです。
 第一にぼくには、高級な、あるいは普遍的な主題について語りながら、誰もが気安くあっさりと用いている種の言葉を口にするのが、次第に不可能になってきたのです。「精神」、「魂」また「肉体」、これらの言葉を発音するだけですら、ぼくはいうにいわれぬ落ちつきの悪さを感じたのです。宮廷の諸行事、議会の事件、その他なんでも、それについてはっきりした判断を述べる力がなくなっているのにぼくは気がつきました。しかもこれは、どういう意味にもせよ、あれこれのことを配慮してそうなったというのではありません。御存じの通り、ぼくは軽はずみといっていいほど率直なたちなのですから。そうではなくて、抽象的な言葉、なんといっても、ある判断を公にするためにはそれを口にのぼせざるを得ないのですが、その抽象的な言葉が、ぼくの口中で腐った茸のように砕け散ってしまったのです。」

「顕微鏡で小指の皮膚の一部を観察したことがありますが、その皮膚が溝や穴のある原野に似て見えた、ちょうどそれと同じような感じが、人間たちとその営みを眺める時、ぼくを襲ってきたのです。ぼくにはもう、何事も単純化してしまう習慣の目でもってそれを捉えることができなかった。すべてが解体して部分に分かれ、その部分がまた細分化し、何物ももう一つの概念で覆いつくすことができなくなったのです。」

「それは、ある法外な関与でした、あの動物たちへと流れこみ、溶け入る動きでした、いいかえれば、生と死との、夢とめざめとの流動体が、一瞬彼らの中へ注ぎ入ったという感覚――それにしても、どこから注ぎ入ったのか? たとえば、また別の日の夕ぐれ、胡桃の木の下に、庭師の徒弟が置き忘れた、半分水のはいった如露を見つける、この如露と、木の影に蔽われて小暗くかげる、その中の水と、水の面を、暗い一方の岸から他方の岸へと泳いでいるげんごろうと、こうした取るに足らぬものの組み合わせが、無限なる存在の現前をありありと感じさせながら、ぼくを総毛立たせる、髪の毛の根元から踵の骨の髄に到るまで、ふるえおののかせる、その結果ぼくは、何ごとか叫びださずにはいられない気持ちになってくる。こうしたことが、同情となんのかかわりがあるでしょう。明白な人間的思念の連合と、なんのかかわりがあるでしょう、もしその時、叫ぶ言葉を見いだしていれば、その言葉は、ぼくがその存在を信じているわけではありませんが、あの天上の知天使なるものさえも、この下界へ引きずりおろす力があるにちがいないのです。」



「六百七十二夜の物語」より:

「彼はいらいらと歩き廻り、憤ろしい心のたかぶりに任せて、上衣と帯をかなぐり捨てるなり、両足で踏みにじった。こよなく貴重な財宝を悪しざまにいわれ、おびやかされたかのような心地、自分自身から遠ざかれ、愛するものを否認せよと強いられたかのような心地だった。われとわが身があわれになり、こうした時いつもそうである通り、自分が子供に戻ったような気がした。」「おのが生の内実をなすすべて、すべての痛ましく甘美な追憶、なかばおぼろげなすべての期待、口にはつくしがたいすべての思いが、音もなくかすめ取られ、一束の海草か藻くずのようにどこかへ投げだされ、三文の値打ちもないもののように扱われるのではないか、と彼は思った。今にしてはじめて彼は、少年時代いつも腹立たしく思っていた、父のあの戦々兢々とした愛情を理解することができた。まさしくこう呼びたいほどの愛情を、父は、みずからが手に入れたものに、円屋根の倉庫に積み上げた富、あこがれもとめ、丹精こめて育てる、この美しい無感覚な子供たち、おのが生の奥底にひそむおぼろげな願望が生みだした、この謎めいた産物に、切なくそそぎかけていたのだった。遠い昔の偉大な王も、もしその領土を奪い去られたならば死を選ぶよりほかなかったろうということを、彼は理解した。」


「バソンピエール元帥の体験」より:

「われわれはからだを起こした。とうとう朝になったのだと思った。しかし窓の外にあるのはおよそ朝のようにはみえなかった。世界のめざめのようにはみえなかった。そこにあるのはどう見ても街路のようではなかった。それとさだかに見分けられるものは何ひとつない――そこにあるのは色もなければ実体もない混沌で、時を知らぬ妖怪どもがそのなかを右往左往しているのかもしれなかった。どこか、遠いかなたから、思い出のなかからひびいてくるかのように、塔の時計が時を打った。どの時刻のものでもないひやりとした湿っぽい風は、次第に勢いを強めて窓から吹きこみ、ぞっと寒気を感じながらわれわれはからだを寄せあった。」


川村二郎による「解説」より、「アンドレアス」について:

「しかし完成稿を見る限り、この作品が終点まで行き着かなかったのも無理はないという気がする。つまり作品の趣旨では、人生経験に乏しいうぶな若者が、旅に出、世間にふれる経験を通じて、次第に賢くなり、人生の真実を悟るという筋立が考えられていただろう。しかし序章に現われた主人公は、すでにどんな教育をも必要としないほど、自己完結的な姿を示している。賢いということではない。逆に、限りなく愚かなままなのだといってよい。(中略)手荒い人生の洗礼を受けたわけだし、そこで現実のきびしさを知り、一段、世間知の階段を登ったとしてもおかしくはない。だが実のところ、彼は何一つ学んではいないのだ。
 いかにも、ひどい目に合わされて、彼は絶望に沈み、悲嘆にくれる。だからといって、深く反省した様子は見えない。現実は結局彼にとって、夢を呼び起すための契機にすぎず、夢の中の真実を捉えたと思った時、彼は幸福感にひたされる。ヴェネチアで回想された山中の挿話は、「これこそ彼の生涯の最も幸福な瞬間だった」という一行で結ばれる。これは現実の中で希望が実現されたとか、心願が満たされたとかいうこととは関係がない。ただ。大空を舞う鳥の力をわが身の内に感じながら、自然の中に存在する一切のものの連関を直観し、その直観のうちに、山中で知った愛らしい少女の姿を幻視するのが、「生涯の最も幸福な瞬間」なのである。現実の側からすればたわいない夢想。しかしその夢想に身をゆだねて幸福を味う人間にとっては、現実に即した成長や進歩は、およそ何の意味も持たない。そのような人間を主人公にした作品は、「教養小説」としては挫折するにきまっている。だからこそ、この『アンドレアス』序章は、断片として、まれに見る美しい夢の結晶たり得ているのである。」





こちらもご参照下さい:

ジム・ウードリング 『フランク白黒ストーリーズ』




































































































ホフマンスタール 『チャンドス卿の手紙 他十篇』 (檜山哲彦 訳/岩波文庫)

「なにかしら奇異な事柄にだれよりもはやく気がつくというのは容易なことではないものである。概して人間には、あるがままにものを見る力はそなわっていないのだ。」
(ホフマンスタール 「ルツィドール」 より)


ホフマンスタール 
『チャンドス卿の手紙 他十篇』 
檜山哲彦 訳

岩波文庫 赤 457-1

岩波書店 
1991年1月16日第1刷発行
320p 
文庫判 並装 カバー 
定価570円(本体553円)



本書「解説」より:

「ホフマンスタールの初期から中期にかけての、主として短い散文の作品を集めた。(中略)まず小説を四篇、ついで架空の手紙と対話とをそれぞれニ篇ずつ、さらに紀行文およびそれに類するものを三篇、あわせて十一篇の作品を、ほぼ発表年代にしたがって並べてみると、ごく自然に、フィクションからノンフィクションへのゆるやかな移行、とでも呼ぶべきかたちの構成になった。」


ホフマンスタール チャンドス卿の手紙


カバー文:

「何ごとかを語ろうにも「言葉が腐れ茸のように口のなかで崩れてしまう」思いに、チャンドス卿は詩文の筆を放棄する。――言葉と物とが乖離した現代的状況をいち早くとらえた「チャンドス卿の手紙」こそは、新しい表現を求めて苦悩する20世紀文学の原点である。ホフマンスタール(1874―1929)の文学の核心をなす散文作品11篇を精選。」


目次:

第六七二夜のメルヘン
騎兵物語
バッソンピエール元帥の体験
ルツィドール
   *
チャンドス卿の手紙
詩についての対話
恐れ
帰国者の手紙
   *
道と出会い
美しき日々の思い出
ギリシャの瞬間

解説 (檜山哲彦)




◆本書より◆


「ルツィドール」より:

「フォン・ムルスカ夫人は真の教養を身につけた人であり、しかもその教養にはいささかも浅薄月並なところはなかった。(中略)ところが、その頭のなかは、さまざまな体験、臆測、予感、錯覚、激情、見聞、不安といったものでひどく入り乱れており、本から得たことなどにかかずらわっている暇はなかった。夫人の話はひとつの対象から別の対象へとギャロップで進み、まったく思いもよらない飛躍をみせた。その落ちつきのなさは同情をもひきおこす底のものであり――話を聞いていると、本人みずからがことさら言わなくとも、彼女が狂わんばかりの不眠症に悩まされていて、気がかりなことや不安なことや実現しなかった願望のために憔悴していることがよくわかった。とはいえその話に耳傾けているとじつに楽しく、またじっさいそれはふしぎな体験でもあった。みずから望んで慎みを忘れるというわけではないながらも、ときとしてすさまじく無分別になることがあった。(中略)とても気立てがよく、とどのつまりはチャーミングであり、けっして並みの女性ではなかったのだ。しかし、生活の苦労に堪えきれないままに頭が混乱してしまい、四十二にしてはや夢幻(ゆめまぼろし)めいた人物になりおおせてしまっていた。夫人の下す判断や抱いている観念のほとんどは独特なもので、魂の繊細さをよく示していたが、ほとんどの場合、いま話題にのぼっている当の人物ないし状況へのかかわり方がひどく誤っているために、その判断や観念はまったく見当ちがいになってしまうのである。」


「詩についての対話」より:

ガブリエル (中略)象徴とはなにか、君は知っているか。……犠牲がどんなふうに生じたのか、想像してみる気があるかな。前にいちど話しあったような気がする。ほら、生贄(いけにえ)の動物、犠牲として捧げられる牛や牡羊や鳩の血と生命(いのち)のことだ。どうやって思いつくことができたのだろうか、犠牲を捧げることによって怒った神々を宥(なだ)めようなどと。そうしたことを考えるには、ふしぎな感覚が必要だ。朦朧(もうろう)として生命(いのち)に酔い痴れるオルフェウスめいた感覚が必要なのだ。最初に生贄を捧げた男の姿が眼に浮かぶような気がする。その男は神々が自分を憎んでいると感じた。(中略)そのとき男は、狭苦しい小屋と心の不安の二重の闇のなかで、そりかえった鋭いナイフに手をのばし、この眼に見えぬ恐ろしいものを喜ばせるために、自分の咽喉から血を流そうと覚悟をきめた。不安と激情とまぢかな死とに興奮して、そのとき男の手はなかば無意識のうちに、いまいちどあたたかくゆたかな牡羊の毛をまさぐっていた。――この生き物、この生命(いのち)、闇のなかで息づき、血の温(ぬく)みをもったこのものが、自分にかくも身近に、かくも親しく……と、とつぜんナイフがこの動物の咽喉にさっとひらめき、温かな血が、牡羊の毛を、男の胸を、腕をしたたり落ちた。そしてその一瞬のあいだ、男はそれが自分の血だと信じたにちがいない。肉体の歓びに満ち足りて自分の咽喉からもれてくる声と、牡羊の死にぎわの呻き声とがまじりあうその一瞬のあいだ、高潮した生存の快楽を、迫りくる死の最初の痙攣(けいれん)だと思ったにちがいない。その男は一瞬のあいだ、その動物のなかで死んだにちがいない。ただそのようにしてのみ動物は男の身代りとなって死にえたのだ。動物が身代りとなって死にえたという事実が、偉大なる秘儀となり、神秘にみちた大いなる真理となった。それ以来動物は象徴的な犠牲の死を身に受けることになった。しかしすべては、男もまた一瞬のあいだ動物のなかで死んだ、ということにかかっていた。男の存在がひと呼吸のあいだ他の存在のうちに溶けあったという事実に。――これがあらゆる詩(ポエジー)の根源だ。」

クレメンス 男は動物のなかで死んだ。そしてぼくらはさまざまな象徴のなかに溶けこむ。そう言うんだね。
ガブリエル そうだ。ぼくらを魅惑する力が象徴にそなわっているかぎりにおいては。
クレメンス その力はどこから象徴にやってくるんだ。どのようにして男は動物のなかで死ぬことができたんだ。
ガブリエル それは、ぼくらと世界とが別々のもの異なったものではない、ということからだ。
クレメンス その考えにはなにかしら奇異なところがある。不安な気持をおこさせるものがある。
ガブリエル 逆だよ。限りなく心安らかなるものだ。自分の重さの一部がなにものかにゆだねられているのを知ることは唯一心地よいことなのだ、たとえそれがほんのひと呼吸の限られた神秘の時間であるにせよ。ぼくらの肉体のうちには息苦しくなるくらい宇宙万物森羅万象が凝縮されている。この恐るべき重さからいくえにいくども解放されるのはなんという歓びだろう。」

ガブリエル (中略)ぼくらの魂を養い育むもの、それこそが詩なのだ。刈ったばかりの牧場(まきば)をなでる夏の夕風のように、詩にあっては生と死の息吹きが同時にぼくらへと吹き寄せてくる。開花の予感が、死滅の戦慄が、「今」が、「ここ」が、そして同時に、彼岸が、おそるべき彼岸が吹き寄せてくる。完璧な詩は予感であると同時に現在、憧憬であると同時に充足なのだ。」



「帰国者の手紙」より:

「ラーマ・クリシュナという名をこれまでに聞いたことがあるだろうか。なくてもいっこうにかまわないが。(中略)その生涯については少なからず知ってはいるが、なかでもいちばん心を打つのは、その悟りないし覚醒がいかにしておこったか、つまり、ラーマ・クリシュナを人々のうちから選び出し聖者とならせるにいたった体験についての短い言い伝えだ。要はただこういうことだ。十六歳の少年の頃、畑のあいだの田舎道を歩きながら眼を空に向け、はるか高みを一列になった鷺が横切ってゆくのを見た。ただこれだけのことなのだ。まさにこの紺碧の空のもとを羽ばたきゆく生き物の白、まさにこのふたつの色の対照、この永久に名づけうべくもないものが、その瞬間クリシュナの魂のなかへはいりこみ、結ばれていたものを解きほぐし、解かれていたものを結び合わせたのだ。」



こちらもご参照下さい:

川村二郎 『チャンドスの城』

















































































ヘルマン・ブロッホ 『ホフマンスタールとその時代』 菊盛英夫 訳 (筑摩叢書)

ヘルマン・ブロッホ 
『ホフマンスタールとその時代
― 二十世紀文学の運命』 
菊盛英夫 訳

筑摩叢書 174

筑摩書房 
1971年5月25日 初版第1刷発行
1983年5月10日 初版第2刷発行
284p 
四六判 並装 カバー 
定価1,300円



文学論集。


ブロッホ ホフマンスタールとその時代


目次:

ホフマンスタールとその時代――一つの試論
 第一章 十九世紀末における芸術とその非様式
  1 合理性と装飾
  2 装飾の放棄
  3 ドイツ芸術の価値真空
  4 一八八〇年頃のウィーンの楽天的黙示録
  5 政治的真空
  6 楽天的黙示録の社会学
 第二章 真空の真只中での人格の構築と保持
  1 同化の歴史
  2 神童、奇跡を見る子
  3 夢は人生――詩人たらんとの決意
  4 第二の同化
  5 生は象徴――様式への決意
 第三章 散文作品
  1 抒情詩の放棄と『チャンドス卿の手紙』
  2 物語作品
  3 叙事作品の放棄とエセー活動

ジェームズ・ジョイスと現代
全体小説論――『罪なき人々』の成立をめぐって

解説 (菊盛英夫)




◆本書より◆


「解説」より:

「ここに訳出したヘルマン・ブロッホの三篇のエセーによって彼の文学論のすべてが尽くされたわけではもちろんないが、しかしこれらの所論はそれぞれいかにもブロッホらしいユニークな洞察に充ちており、芸術・文学に対する彼の根本の認識がどこにおかれていたかをうかがうに充分なものだと考えられると同時に、われわれの当面している今日的課題にも応えるだけの示唆を含んでいる。」
「なかんずく「ホフマンスタール論」はその厖大な分量によっても、また特異な内容においても最も注目すべき力作であるといえよう。(中略)このエセーはブロッホの作家活動の最後の段階における所産であり、それゆえ彼の詩作と思考を規定して来た全モティーフがそこにあらためていま一度包括的にくりひろげられている。同国人の天才的作家ホフマンスタールの仮面を借りて、実はブロッホ自身の作家的課題に対する総決算的解答を与えようとしたものであることに、まずわれわれは留意しなければならない。この中でブロッホはしばしばホフマンスタールの「自我沈黙」について語っているが、彼が他の作家を対象に取りあげるというまわり道を経ながら、鋭い自己解明の企図を果そうと試みていることは、いいようによってはブロッホ自身の「自我沈黙」のあらわれだと見なすことができる。(中略)同じことはすでに「ジョイス論」についても云える。したがってこれらの所論には確かに独断的だという非難を受ける理由はあるのだが、それをもってただちにその価値を疑うように云うのは、ブロッホの本質にひそむ秘密を理解しない陳腐な批判にすぎないだろう。この自我沈黙の作家は、他者を語ることによってしか自己を語ることができないのである。」



「ホフマンスタールとその時代」より:

「ある時代の本質的特徴は一般にその建築術上の正面(ファサード)によって読み取られるものだが、十九世紀の後半、つまりホフマンスタールが生まれた時代こそは、たぶん世界史上もっとも見すぼらしい時期の一つだと云えよう。それは折衷主義の時代であり、擬似バロック、擬似ルネッサンス、擬似ゴシックの時代であった。その当時西欧の人間が生の様式の規定点をどこにおいたにしろ、彼らの生の様式は市民的狭隘さと同時に市民的虚飾と化し、安全であるだけにまた息苦しいものでもあった社会的連帯形式と化したのである。まさにこの時代は、実質の貧しさが外面の豊かさによって隠蔽された、歴史上稀有の時代であった。」

「ホフマンスタールは決して跳び込めぬ人ではなかった。ただ、跳び込むことを妨げられたのであった。いってみれば、永久に跳び込むための身構え状態にあったのだ。この身構えはいうまでもなく、『アンドレーアス』の場合などははなはだ大掛かりなものだったけれども、深淵を前にしてたじろぐ気持を初めて克服したのは『塔』においてであった。それは、深淵の一番端に立つという、いかにも彼らしい中間的立場であった。」











































































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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