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野尻抱影 『新星座巡礼』 (中公文庫 BIBLIO)

「それと一方に、星のおもな興味は神話やそれに因む星座の形にあるのでなく、星の色・瞬き・推移、また偶然の配置と思われないシンメトリーの美にある事などが年と共に判って来た。」
(野尻抱影 「星は周る」 より)


野尻抱影 
『新星座巡礼』
 
中公文庫 BIBLIO B-12-6 


中央公論新社 
2002年11月15日 初版印刷
2002年11月25日 初版発行
198p 
文庫判 並装 カバー
定価686円+税
カバーデザイン: 吉田悟美一、山影麻奈(EOS Co., Ltd.)


「本書は『新星座巡禮』(角川文庫、一九五七年刊)を底本とし、旧字旧仮名遣いは新字新仮名遣いに改めました。」



本文中図38点、表1点。



野尻抱影 新星座巡礼



カバーそで文:

「四季の夜空をめぐる星座の数々を月を追って紹介するほか、南半球の星座、星座の歴史までを豊富なエピソードを添えて易しく語る。大正十四年に刊行された処女著『星座巡礼』を改稿した星座入門の決定版。」


目次:

はしがき

Ⅰ 星座四季
 冬の星座
  一月の星
   オリオン座
   双子座
   エリダヌス座
   兎座
  二月の星
   大犬座
   小犬座
   一角獣座
   鳩座
   アルゴ(船)座
   黄道光
 春の星座
  三月の星
   獅子座
   海蛇座
   蟹座
  四月の星
   大熊座
   小熊座
   猟犬座
  五月の星
   乙女座
   牛飼座
   烏座
   髪座
   コップ座
 夏の星空
  六月の星
   冠座
   ケンタウルス座
   狼座
   ヘルクレス座
   龍座
  七月の星
   蛇遣座
   蛇座
   天秤座
   蝎座
   射手座
  八月の星
   琴座
   白鳥座
   鷲座
   楯座
   海豚座
   矢座
   山羊座
 秋の星空
  九月の星
   カシオペヤ座
   ケフェウス座
   ペガスス座
   水瓶座
   南魚座
   天の川
  十月の星
   アンドロメダ座
   三角座
   牡羊座
   魚座
   対日照
  十一月の星
   ペルセウス座
   鯨座
   獅子座流星群
   アンドロメダ座流星群
  十二月の星
   牡牛座
   馭者座
Ⅱ 南極周囲の星座
 南半球の星
   南方の三十五座
   エリダヌス座
   ケンタウルス座
   南十字星
   天の南極
   マゼラン雲
Ⅲ 星座の歴史
Ⅳ 術語解説
Ⅴ 星は周る(随想)

解説 (松岡正剛)




◆本書より◆


「冬の星空」より:

「しかし、星に親しむ者には、こういう冬の夜がどんなに楽しいか知れない。地上の花の凋落(ちょうらく)の候に、天上の花が、反(かえ)って撩乱(りょうらん)と開く事実には、何か偶然と言い切れる以上の微妙なものがある。「星が降るようだ。あしたの朝は霜が強かろう」こう言って忙しく雨戸を繰る声を聞く時ほど、冬の星の凄(すさま)じいばかりの美しさを思うことはない。私などはこんな晩、きっと凍った庭に出ている。
 こうして北半球の冬の魅惑(みわく)はまったく夜の星空にある。下界がプロメトイスのように「冬」の鉄鎖に縛られている間に、星は寧ろ放縦と思われるほどにその豪華に傲(おご)っている。(中略)殊に新雪の降りしいた夜、野末に真黒な杉林がジグザグと連なっている処などで、そこの空一面に、夥(おびただ)しい星々がプリズム光(こう)を放っているのを仰ぐと、暫くは人間界の興味を忘れてしまうほどである。」



「春の星空」より:

「蟹座(Cancer (カーンケル))

 海蛇座の上方の空、または、双子座のカストールとポルックスとを結んで延長した線よりやや左方の空に目を凝らすと、こまかい星がかたまっているのが見出だされます。これが蟹座の星団で、普通ラテン名でプレーセペ(秣桶)と呼ばれ、英国ではビー・ハイヴ(蜂の巣)です。晴れた晩に双眼鏡で見ると更に美しいでしょう。ガリレオは望遠鏡で初めて観察して、四十余の星を算(かぞ)えたと書いています。それ以前は、これは「星雲」の中に入れられていて、哲学者プラトーの一派は、プレーセペを人間が地上に生れる時、その肉体に宿る霊魂が天国から下りて来る出口であると説いていました。
 蟹座にはこの星団の他に目に立つ星はありません。強いて求めればプレーセペを囲んで、四つの淡い星が四辺形を成しており、上と下の三等星を「北の驢馬」、「南の驢馬」と呼んで、それが銀の秣桶から餌を食べていると言われました。そして、ギリシャ・ローマ時代にこの星団の隠現で天気を占ったことは多くの文献に見られます。中国ではこの星座は鬼宿で、星団は積尸気(せきしき)という不気味な名で呼ばれていました。

〈神話〉ヘルクレスが怪蛇とヒドラを退治した時に、沼から這い出てその足に喰いつき、踏み潰された化蟹です。」



「星は周る(随想)」より:

「こんな風で、私は星の夢をも絶えず見た。或る夢では、雲までとどく二本の大木の根がたに、緑衣と紅衣の童子が立っていた。両人(ふたり)がするするとせり上ると見ると、いつか姿が消えて、大きな青い星と赤い星とが木の梢に輝いていた。風邪で熱の高かった夜の夢では、東の海から昇る大きな星を見る為に広い野原を歩いていた。そして野の果の川を渡って、真黒な崖の上に坐って、ヴェーガに似た紫の星の昇るのを見ると共に――夢によくあるように――崖の上からふわふわと下へ落ちて行った。そして落ちながら見上げると、頭の真上にその星が爛々と輝いていた。また海中の大岩に寝て、南十字星を見た夢もあった。(中略)夜の夢を見れば、きっと星が輝いている。こうして一と頃は夢が楽しくてならなかったのも事実である。」

「私がオリオンとその周囲を仰いで感じるのは、もっと深い、もっと静かな、しかし、しだいに息のはずんで来るようなセンティメントである。シリウスの光などを見つめていると、呼吸がその瞬きに一致しようとしているのを感じる。」



「解説」(松岡正剛)より:

「ところで野尻さんは星座の専門家であるとともに、実は乞食と泥棒の専門家でもあった。そこはジャン・ジュネなのだ。
 なぜ星の専門家が乞食と泥棒に関心をもつのかというと、これは私が直接に聞いたことだが、「あなたねえ、天には星でしょ、地には泥棒、人は乞食じゃなくちゃねえ」というのである。もっと理由を訊ねてみると、あのね、星も泥棒も乞食も、手の中には何もないということですよ。そういう純粋無雑というものって、いまないでしょう。そうじゃない?
 この話になる前は、エマニエル夫人が坐るような大きな籐椅子に腰をかけたまま、足をトンと踏んでみせ、「あなた、いまあたしが何をしたかわかりますか」であった。むろん私はさっぱり見当もつかず目を白黒させていたのだが、そこで野尻さんが言うには、「いまね、あたしの足の下で地球がくるっと回ったんですよ」なのである。
 そのとき野尻さんは九〇歳を越えていた。ただただ呆気にとられている私のことなどおかまいなく、つづいてこういう御託宣をくだすのだった。「一カ月に一度くらいは地球の上に乗って回っているんだということを思い出しなさいね」。「あっ、ついでにもうひとつね、五十歳までは人間じゃないよ。まあ六十歳くらいから人間になっていくんですよ」。」









こちらもご参照ください:

野尻抱影  『大泥棒紳士館』
『幻影の人 西脇順三郎を語る』















































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野尻抱影 『続 星と伝説』 (中公文庫 BIBLIO)

「生き霊が取りつくてえと、肩と背中のまん中へんがムズムズして、虫かなンかがはってるような気がします。だが、死霊のほうは足がムズムズして、けったるくなるから、ちゃんとわかりますのさ。
 わしら、こうして生きてたって、タマセエというものは、いつも出たり入ったりしてるンですね。」

(野尻抱影 「悪星退散」 より)


野尻抱影 
『続 星と伝説』
 
中公文庫 BIBLIO B-12-8 


中央公論新社 
2004年2月25日 初版発行
207p 「編集付記」1p 
文庫判 並装 カバー
定価895円+税
カバーデザイン: EOS Co., Ltd.



本書「編集付記」より:

「本書の底本には角川文庫版『星と伝説』(一九七一年刊)を用いた。」
「本書の底本となった一九七一年版『星と伝説』は、一九五五年に角川文庫として出版された『星と伝説』を大幅に増補して刊行された。今回、一九五五年版収録分を『星と伝説』、一九七一年版の増補分を『続 星と伝説』として中公文庫BIBLIOに収録した。」



本文中図版(モノクロ)12点。



野尻抱影 続星と伝説



カバーそで文:

「「キリストのもとに東方三博士を導いた『ベツレヘムの星』とはどの星か」「『西郷星』とは何ぞや」洋の東西を問わず、星や星座はさまざまな伝承の中で語り継がれてきた。そこにこめられた人々の想いとは――「星の抱影」と呼ばれる著者が、夜空にかける飽くなき探求心と、天文に関する広汎な知識、民俗学的手法で、伝承の謎を解き明かす。『星と伝説』に続く珠玉の天文随筆集。」


目次:

北辰尊星王
沙漠の北極星
エジプト天図の謎
卍と北斗七星
大犬・小犬の星
春の白羊宮
暮春の海蛇座
お伽草子の星
王女の冠星
星の巨人像
むじなと星
悪星退散
浜芝居
夏日星
「客星帝座を犯す」
西郷星
朝鮮の星
秋の水瓶座
三日月物語
望遠鏡以前の二大星雲
古代マヤ族と星
南十字星を思う
信西入道と星
南洋の星
ベツレヘムの星
バビロン新年の星

解説 (林完次)




◆本書より◆


「卍と北斗七星」より:

「卍(まんじ)というものを私が初めて見たのは、横浜で小学生のころ、よく独楽(こま)を回しに行った赤門寺のピラミッド形の茅葺(かやぶき)屋根の頂上に、金色に光っていたこの謎(なぞ)の大字だった。それを「マンジ」と読むことを知ったころ、アメリカみやげにもらった絵はがきの袋に、インデアンの革(かわ)の天幕に、動物の絵にまざって卍の描いてあるのを見た。中学生になって、ウェブスターの辞書を開いてみたら、図のアポロ神の胸に、この卍を見いだして、しだいに不審がきざし始めた。後に美術史を学んで、法隆寺の勾欄(こうらん)に卍つなぎのギリシア文様(もんよう)のある理由を知ったが、一方に仏教渡来前の日本の土棺に角丸の卍の彫刻があったことを読んで、何が何やらわからなくなった。
 ナチスのハーケン・クロイツ――赤地の白丸の中に斜めに傾いた卍を、東京でもちらちら見かけた時代には、日本労働同盟の黒地に赤丸、中に白の卍の旗が、建国祭なる日に行列していた。と思うと、中国には紅卍字会というのがあり、印半纏(しるしばんてん)のような制服の背に、白丸に赤い卍を染め出して担架を運んで行く写真を見た。当時は、世界をあげて卍だらけのような気がした。」

「卍が何を意味していたかについては、十字と同じ生殖象徴説から、ウーセイの章魚(たこ)の足の図案化説に至るまで異論百出である。一般には、これを太陽、電光、電火、火、水などの天然物の形と運動を表現したとする説、したがって日神、水神、雨神、火神などの象徴とするものが最も行なわれている。そして、この一つに北斗七星の形と回転を卍の起源とする説がある。」



「むじなと星」より:

「ずっと前に愛読した小池直太郎氏の『小谷(おたり)口碑集』に、つぎのような話が載っていた。
 小谷というのは、信越国境の糸魚川(いといがわ)街道の貫いている地方で、その本の「貉(むじな)の怪異」という章に、小谷の字雨中(うちゅう)――私もかつて白馬へ登って帰りにここに泊まったことがある――で、聞いた話とあって、

  貉の中には星見といって、よく死んでいあるのがある。貉はかがんで歩くものであるが、晴れた夜空の星を仰いで死んでしまうのだという。

とある。さらに氏の郷里、川中島地方の話として、

  秋のころ犀川(さいがわ)に張る鮭(さけ)川(産卵のために上って来る鮭を漁獲するためにこしらえる迷路)の竹簀(たけす)に貉の死体が漂着することがある。これは上流の山谷で巌頭に立ち空を仰いでいる貉が、感興の増すとともに、いよいよ仰ぎ、さてはまっさかさまに墜落し岩角に頭を打っつけて惨死し、山沢へ流れ込んだのが、大水の時などに平地に流出して来るのだと説明されている云々(うんぬん)。

とあって、ただし、「その肉は泥臭く、ただ脂(あぶら)っこくばかりあってまずい」と付け加えてあった。
 だいぶなまなましい話になったが、むじなの星見とはさても殊勝である。」

「戦争の初期だったある年の正月、磯貝勇君が、奥多摩の秋川谷へ民具の採集に行った帰りに、土産(みやげ)があると電話をかけてきた。
 雪もよいの七草の午後で、渋谷のカフェーで落ち合ったのだが、(中略)磯貝君が鬼の首でも取ったように話したのは、カワハリ(皮張り)という星だった。これは冬の夜明け前、三、四時ごろ南に、むじなの皮を張った形に出て、炭焼きや馬方が、「カワハリが出たで、起きるだんべし」と、時刻を知る星だと聞いたという。
 これは紛れもなく、春の宵には南の中空に見える烏(からす)座で、四つの星がやや縦長の梯形(ていけい)を描いているものに違いない。ずっと後に能登(のと)の漁夫からホカケボシという美しい名を知らせてもらったが、むじなの皮の四すみに釘(くぎ)を打ち、壁に張りつけた形とは、なんという荒削りの野趣横溢(おういつ)した見方だろう。下の方でひろがっているのも、後足の感じによく通じている。」
「私はこの話を、後に茶飲み話に来る八王子生まれの老棟梁(とうりょう)(今年は八十四歳)に聞かせたところ、幾度か感心してから、「そうやって乾(かわ)かしたむじなの皮は、鍛冶(かじ)屋のフイゴになくてならねえものでした。ゴワゴワしてるんで、持ちがいいし、それに足が短(みじけ)えので、板の四すみに折り返すのにつごうがいいでしてね」と教えてくれた。ピストンの板に張るのだが、「足が短いので」が、カワハリの形を眼前に見せて、これにも哀れを感じた。」



「悪星退散」より:

「棟梁が永年師事している「お山の先生」は、川向こうの真言宗の寺の住職で、そこは星祭りで聞こえているので、「星の寺」と通称している。」
「年末の夜の星祭りにも、以前はよくお山から招いてくれたが、いつも行きそびれてしまった。その時に、斎戒沐浴(もくよく)して護摩木を焚くのは棟梁の役だった。」
「ところで棟梁は、星祭りから生き霊と死霊の存在を断然信じている。その説明に曰(いわ)く、「生き霊が取りつくてえと、肩と背中のまん中へんがムズムズして、虫かなンかがはってるような気がします。だが、死霊のほうは足がムズムズして、けったるくなるから、ちゃんとわかりますのさ。
 わしら、こうして生きてたって、タマセエというものは、いつも出たり入ったりしてるンですね。せんだって、お山のご新造がわざわざ電車に乗ってコワメシを持って来てくだすったンで、なぜですかと聞いたら、中座(なかざ)(霊媒)をやんなさる娘さんに、わしが取っついて、ひどく腹をへらしてることがわかったもンで、こせえて届けに来たと言ってました。ところが、そのあとで、死んだ女房のやつがわしの真似(まね)をして出たもンで、亭主にばかり食べさせたのを恨んでるとわかって、スシをこせえて供養してくだすったって話でしたよ。あらたかなもンでござんすね」」
「それから数年たったころ、棟梁は久しい間腰痛に悩んで、私の縁先へ来るにも竹の長い杖をついて、フラフラ歩いて来た。それがある日、杖もつかずに、シャンとした腰つきでやって来て、こんな話をした。
 あんまり切ないので、お山の娘さんを中座に頼んだところが、吉兵衛とか吉右衛門とかいうのが現われて、それが棟梁の腰にぶら下がっていることが判明した。
 「腰だから死霊ですね。そんな名のやつに知り合いはねえんですが、でも、ようく考えてみたら、ずっと昔、吉なンとかいうやっこが、しばらくわしンとこでムダ飯を食ってたことがありましたっけ。ハハア、あいつめ、どこかで亡くなって、餓鬼になってこの腰にぶら下がって、一年足らずもわしを悩ましてるンだな。ふていやっこだと思いましたが、ホトケにゃかないませんでね。
 そこで、お山の先生に伺うと、おまえの家の辰巳(たつみ)に門か木戸があるだろう。吉兵衛はそこから出入りしては、おまえにぶら下がって、何か食わせてくれと、ねだってるのだとおっしゃる。木戸なンかござんせん。もっとも垣根が一(ひと)とここわれていて、野良犬が出入りしてるとこはありますが。そこだ、そこに違いない。そこで施餓鬼(せがき)をしてやんなさい」
 こういうわけで、棟梁はさっそく、その垣根の穴の手前に握り飯を供え、線香をたき、いとねんごろに供養をし、目には見えねど吉兵衛に説法して、むろん九字を切り、エイオッをやった。それでたちまち死霊退散、「もう杖なしで、お茶をよばれにめえられるようになりました。あらたかなもンでござんす」
 こういう話で、私もまったく、あらたかなものだと感心した。」



「浜芝居」より:

「相馬君(引用者注:相馬御風)も私も早稲田を卒業した夏のことで、まだ直江津から西へは汽車がなかった。相馬君は高田まで迎えに出て来てくれて、旧盆のおけさ踊りを夜更(よふ)けまで見てから、翌日、あの海沿いの街道を、幾里か糸魚川まで歩いた。」
「糸魚川では、少し前から来ていた太田三郎画伯と一週間ほど泊まった。」
「その間の一日、触れ太鼓が人力で回って、大阪下りの名題俳優の一座が町にかかったことを知らせて来た。前の年の冬に大火があって、劇場のあった目ぬきの通りも焼き払われたとかで、その芝居は浜べの野天小屋で打つという話だった。」
「蒸し暑い晩だった。雪よけの石を積んだ低い屋根つづきの海岸町を、浴衣の男女や、大漁(まいわい)着を引っかけた大兵の漁夫たちが、ぞろぞろと歩いていた。
 小屋は、暗い横町を海辺へ出はずれたところに、葭簀(よしず)囲いで立っていた。もう内部から三味線の音にもつれて、せりふ(引用者注:「せりふ」に傍点)の声が聞こえたり、時々見物のどよめく声が聞こえたりしていた。
 外の砂地には、西瓜(すいか)屋、氷屋、その他いろいろの露店が並んでいて、カンテラの油煙が海から来る風に臭(にお)っていた。人ごみの間を抜けると、木戸口で、人家の潜(くぐ)り門を丸太の柱に縛りつけてあるのが、鼠木戸(ねずみきど)というものを思わせた。その手前には、もう一つ小さい門を立てて、ほおずき提灯(ちょうちん)の揺れる下に細い庵看板(いおりかんばん)が並んでおり、紺や紅の紋とともに勘亭流の文字で名優たちの擬似芸名がれいれいと列(つら)ねてあった。」
「木戸をくぐると、むっと鼻をついたのは、人いきれと、煙草(たばこ)の臭いと、日なたくさい海の香いだった。低い葭簀天井のところどころにつるしたランプの薄暗い光で、砂地や丸太組みの桟敷(さじき)から、明るい舞台を熱心にながめている見物の白い浴衣や、赤光りのする裸体が浮き上がっていた。」
「下駄をぶらさげ、見物の間の砂地を拾って行って丸太の梯子(はしご)を上ると、すぐ天井に頭がつかえた。すわった蓆(むしろ)がじとじとしているのは、昼の夕立のためらしかった。後ろの葭簀の外では浪の音が時々聞こえていた。
 むしむしと濁った空気のかなたに、神楽(かぐら)堂ほどの狭い舞台が、ランプを幾つかつるした下に開いていた。形ばかりの花道が、向こう側の桟敷の下に通っていて、それが揚げ幕で終わるところにも、赤裸の連中が五、六人、腰を据えていた。」

「それから光秀は三宝に片足を踏んがけて、刀をかつぎ、天下を取った豪傑笑いをやろうとすると、三宝がなかった。いつの間にか黒衣が片づけてしまったものらしい。けれど、光秀はいっこうに狼狽(ろうばい)しなかった。刀をかついだまま金襖の方を振り向いて、桟敷のはしの私たちにも聞こえるような声で、「三宝だよ、三宝をどうした」と叫んだ。
 「おお」と応ずる声が聞こえて、のそのそと三宝をぶらさげて出て来たのは、これも鉢巻きに赤褌で、舞台の照明に、きわだっててらてら光る裸ん坊だった。「ここらでいいかね」と、光秀の指図を聞いてから、三宝をばか丁寧に正面に据えて、また、のそのそと引込んで行った。
 緊張している見物は、その間もおとなしく鎮(しず)まり返っていた。光秀も落ちついたもので、ゆっくりと片足を三宝に載せてから、目玉をほとんど白眼ばかりにして、「ムムハハ、ムムハハハハハ」と笑った。
 幕になると、見物は一時にざわめきだした。団扇(うちわ)が目まぐるしく動き、海の男らしいだみ声が八方へ飛び、そういう団扇や頭の上をまたいで、果物売りや菓子売りの裸男がうろつき歩いた。
 ひとりの梨売りが桟敷の下から、何か愛想を言った。「暑くてたまらんの」と相馬君が土地言葉で答えると、その男はわざわざ桟敷へ上がって来て、「こうすればええに」言いながら、梨をむく薄刃で、私たちの後ろの葭簀の合わせ目をブツリ、ブツリと切りはじめた。すると、そこがばらりと半間余りも開いて、潮風がぱっと顔を打った。
 私は思わず息を呑(の)んだ。外は眼のとどくかぎり、蒼(あお)黒い夜の海と、星月夜の空だった。漁火(いさりび)の明滅している方角が佐渡だろうか。見なれている星もちょっと見当がつかないほど無数に出ている中を、天の川が驚くばかりあざやかに、はば広く流れて、末は潮曇りにぼやけていた。小屋の下はすぐ磯ぎわで、波がここの海に多い夜光虫で燐光(りんこう)に輝きながら、ザアザアと崩れていた。」
「中幕が開いて、私たちはなお浪の音を近く聞き、潮の香を強く嗅(か)ぎながら、「だんまり」を見た。」
「幕外六法で、白旗をくわえた山賊の張本が、花道をきしませながら跳んでいくと、揚げ幕の手前には相変わらず裸の漁夫たちが大あぐらをかいていた。
 天明太郎はそこで六法(ろっぽう)を止めて「親方、ちょいと退いてやってください、乗り込めませんから」と言って、腰をかがめて手首を上へしゃくった。すると、侠気の強いのは磯のならいという顔で「おい、来た」と腰をそろえて、花道から砂地へずり落ちた。
 天明太郎は、そこで再び頭をぐいと反らせ、腕を大きく回転させてから、勇しく揚げ幕へ暴れこんだ。」
「十二時も過ぎてから、芝居はドロドロと打ち出しになった。」



「夏日星」より:

「夏日星(なつひぼし)は、日本における火星の名として最も古いもので、聖徳太子に関する珍しい説話を伴っている。文献としては『扶桑(ふそう)略記』『聖徳太子伝暦』がある。つぎに前書き(原漢文)から引いてみる。

  敏達(びだつ)天皇の九年庚子夏六月、人あり奏して曰く、土師連八島(はじのむらじやしま)ありて唱歌絶世なり、夜人ありて来たり相和し、歌を争う音声常にあらず。八島これを異(あやし)み、追い尋ねて住吉の浜に至る。天暁海に入れり。耳聡(みみさと)王子奏して曰く、これ熒惑星(けいこくせい)なり。この星降り化して人となり、童子の間に遊ぶ。好んで謡歌を作り、未然の事を歌う。けだしこの星なるか。天皇ただ喜ぶ。

 耳聡王子は聖徳太子で、熒惑星は火星の異名である。また、江戸の寺島良安の『和漢三才図絵』に、河内(かわち)志賀郡土師里(はじのさと)道明寺の縁起に次の文(原漢文)がある。

  河内の国志賀郡道明寺は、推古天皇の御願、聖徳太子の開基なり。土師連八島勅を奉じて寺を造り、土師の里に五部の大乗経を埋む。地上にて木槵(むくろ)樹を生ず、人しばしばその子(み)を取りて念珠(ねんず)となすなり。八島は声大にして、よく時世粧(いまよう)を謡う。熒惑星(けいこくせい)彼の歌に感じて相共に唱う。

  (八島)我宿のいらかにかたる声はたそ、たしかになのれよもの草とも
  (星返歌)あまの原南にすめる夏火星、豊聡(とよさと)にとへよものくさとも

  所謂夏火星者熒惑也、豊聰者聖徳太子別号。

 夏日星、時に日夏星の名は、この説話以外にはあまり見いだされないが、火星の和名としては誠にすぐれている。そして新村博士が『史記』や『漢書』に、「熒惑南方火、主夏」とあるのを直訳したものに違いないと書かれたのは図星である。
 鎌倉時代の『梁塵秘抄口伝集(りょうじんひしょうくでんしゅう)』巻一、断簡には、土師連のことを「用明天皇の御時」のことと記して、「これは熒惑星の此哥をめでて化しておはしけるとなん。聖徳太子の転(伝)に見えたり。今様と申事のおこり」で断たれているが、歌謡道には神聖な事件として伝えられていたことがわかる。」
「さて新村博士も、かつてこれを聖徳太子伝中の説話として紹介されてから、熒惑が地に下って童子になることの出所について、『晋書』「天文志」を引いておられた。ここには、それと大同小異の「暦林問答」(原漢文)を引いてみる。

  天文抄に曰く、五星盈縮(えいしゅく)度を失えば、すなわちその星地に降る。歳星降りて貴臣となる。熒惑降りて童児となり、歌謡嬉戯(きぎ)す。塡星(てんせい)降りて老人婦女となる。太白降りて壮夫となり、林麓(りんろく)に処(お)る。辰星降りて婦人となる。およそ諸星皆かくのごとし。云々。」



「西郷星」より:

「明治十年西南戦争の当時、八月上旬のころ、毎夜大きな星が現われ、晃々(こうこう)たる光を放った。それを西郷隆盛の乱に結びつけ、西郷星と呼んだもので、当時の錦絵(にしきえ)はしばしばこの怪星を描いたものがあった。」
「大森貝塚発見で有名なモースの『日本その日その日』には、一八七七年〔明治十年〕九月八日の項にこう記してある。

  往来を通行していると、戦争画で色とりどりな絵画店の前に人がたかっているのに気づく。薩摩の反逆が画家に画題を与えている。絵は赤と黒とで色もあざやかに、士官は最も芝居がかった態度をしており、血なまぐさい戦争が、我々の目からは怪奇だが事実描写されている。一枚の絵は気にかかる星(火星)を示し、その中心に西郷将軍がいる。将軍は叛徒(はんと)の大将であるが、日本人は皆彼を敬愛している。鹿児島が占領された後、彼ならびに他の士官たちはハラキリをした。昨今、一方ならず光り輝く火星の中に、彼がいると信ずる者が多い。(石川欣一氏訳)」

「火星の大接近は平均十五年ごとに起こる現象だが、特にこの年の火星には、イタリアのスキアパレリが、望遠鏡で異様な線条を発見して canalli (水路)と名づけ、それが canals (運河)と英訳されて、火星人実在説にまで進展する緒(いとぐち)となった。さらにワシントン海軍天文台のホールは八月十一日と十六日とに、初めて火星の二個の衛星を発見して学界を驚かせた。英詩人テニスンが、『芸術の宮』の最初の作(一八三一)に、「月なき火星の、雪に閉ざされし両極」と歌ったのを、「火星の、雪に閉ざされし両極と月ら」と訂正したのもこの時だった。」







こちらもご参照ください:

野尻抱影 『星と伝説』 (中公文庫 BIBLIO)
郡司正勝 『地芝居と民俗』 (民俗民芸双書)
村山修一 『日本陰陽道史話』 (朝日カルチャーブックス)
J・バルトルシャイティス 『幻想の中世 Ⅰ』 西野嘉章訳 (平凡社ライブラリー)




















































野尻抱影 『星と伝説』 (中公文庫 BIBLIO)

「こういう、地方によって少しずつずれて伝えられている点に、伝説・口碑の面白さがある。」
(野尻抱影 「浪速の名船頭」 より)


野尻抱影 
『星と伝説』
 
中公文庫 BIBLIO B-12-7 


中央公論新社 
2003年2月15日 初版印刷
2003年2月25日 初版発行
262p 
文庫判 並装 カバー
定価857円+税
カバーデザイン: EOS Co., Ltd.


「本書は『星と伝説』(角川文庫、一九五五年刊)を底本とし、旧字旧仮名遣いは新字新仮名遣いに改めました。」



本書「はしがき」より:

「鳥獣・草木・花々、すべてに和名があり、学名は専門家だけのものであるのに対して、星に限って常に学名か、少くも外国名で呼んでいることに不自然さを感じていた。それがその後、(中略)純粋の和名を続々と発見するに及んで、星の見方にも争えない国民性が現れていることや、それがしばしば他の民族に通じていて、中には明らかに伝播の痕跡の認められるものもあることに気づいてから、単なる和名の集成を超えた比較考証に自分の途を見出だすようになった。民俗天文学と呼んでいいかと思う。」


本文中図版(モノクロ)13点。
『星と伝説』初版は1952年刊の「創元文庫」です。講談社学術文庫版『星の民俗学』(1978年刊)は本文に関しては本書とほぼ同一ですが、句読法や文字遣い、振り仮名等に細かい差異があります。学術文庫版では本文中の星座カットは少女漫画タッチで描き改められています。また学術文庫版には新村出による創元文庫版「序文」が掲載され、「はしがき」にもそれに関する言及がありますが、本書では割愛されています。



野尻抱影 星と伝説



カバーそで文:

「霜夜にきらめくシリウスに老ホメロスを思い、夏の宵の紅いアンタレースに酔李白を思う。星座にまつわる東西の伝説、星界の神秘と人界との交渉を、香気あふれる流麗な文体で綴った三十篇の天文随筆。」


目次:

はしがき

北極星を語る
浪速の名船頭
北斗七星
寿命星
三つ星覚書
下田の三ドル星
天狼を射る
ナイルの星シリウス
聖エルモの火
南極老人星を見る
房州の布良星
獅子座の「大鎌」
織女三星
アイヌの星と伝説
蝎座の赤星
星の追いかけ伝説
バビロニヤの蝎人
南斗と北斗
「偽りの東明」
銀河物語
「女王の椅子」
スバル星東西
見上げ皺・頭巾落し
星と天気占い
ヒヤデス星団
白昼の星
宇治拾遺の星
蒙古の星
ポリネシヤの星
星の音楽

解説 (鏡リュウジ)




◆本書より◆


「北極星を語る」より:

「北極星は中国伝来の学者的な名で、日本固有の名は、上記のネノホシ、ネノホーノホシ、またはキタノヒトツボシか、それを略したヒトツボシが言われ、現在でも広く言われている。」
「ネノホシはもちろん、スバル、ミツボシなど、海上で大切な星は、昔からアテボシ、ヤクボシ(役星)などと呼ばれて、その見方は言いつぎされてきた。そして各地には特に星の利用法や天気占いの熟練家がいて、その知識を弘めていた。
 例えば、内田武志氏が聞いた話では、昔志摩の鳥羽(とば)に(中略)ナギを見る名人がいて、東へ行く船も西へ行く船も鳥羽に寄って、その人に天気や風の具合いを聞き、その人が江戸へ出る時などは争って自分の船に乗せようとした。また、その人は星に詳しくて、夜何度も裏の小山に立って星を見、空を見て天候を測ったと言われる。(中略)伊豆大島にも島の主と呼ばれて、この種の知識で有名な老人が今もいるが、若い友人草下君が近年訪ねてみたら、息子が戦死した落胆ですっかり老いこみ、何もかも忘れてしまったと言って、得るところはなかった。」

「江戸時代の俚謡集『松の葉』に、長崎の唄として、

  昔より今に渡りくる黒船、縁が尽きればフカの餌(え)となる サンタ・マリア

というのがある。いかにも異国情緒に満ちた南蛮哀唱で、これを口に繰り返していると、浩蕩(こうとう)たる大洋のまん中に漂っている黒船(蘭船)が目に浮んでくる。」
「この俚謡が、海上で難儀に逢った時のサンタ・マリヤへの祈願から生まれたことは容易に頷けるが、注意に値するのは、北極星がマリヤの星であったという事実である。
 北極星は昔からステルラ・マリスとも呼ばれて、専ら「海の星」と訳されている。しかしこの名はもと第四世紀のラテン教会の教父セント・ジェロームが聖母マリヤをあがめた名で、ステルラ(星)は聖女の象徴だが、マリスは少しも「海の」の意味はなく、マリヤのユダヤ名に基いているのだと言う。それがいつとなく海(マーレ)に結びついて、「海の星」の意味に移り、公教会の聖日課にも「亜物海の星」(アベ・ステルラ)というのがあり、その中でマリヤの星=海の星、すなわち北極星を讃美している。だから、荒天の海でサンタ・マリヤの救いを祈る水夫たちの眼は、飛雲の間に北極星の光を求めていたことと想われる。」



「北斗七星」より:

「唐の太宗の時代に、七人の和尚が、どこからともなく西京に現われて、酒を飲み歩くこと二石に及んだ。同時に北斗七星が空から光を消したので、さてこそこの七人は北斗の精に違いないと、太宗が召して酒を飲ませようとしたが、忽ち姿を隠してしまい、その夜から再び北斗が輝き出たという伝説もある。
 こういうふうに、中国には、星が人になったり、動物になったりする伝説は珍しくない。有名な『水滸伝』の百八人の豪傑が、伏魔殿を破って八方へ飛び散ったのは、天こう星、地さつ星の生まれ変りとなっているが、これも北斗七星のことである。
 また、七星の中の或る星が散ると、龍馬(りゅうめ)になり、或る星は虎になり、或る星は猪になる。甚しいのは、人参(にんじん)となって、その生えている土地の空には紫の気がたなびくといわれていた。」



「寿命星」より:

「ところで、アラビヤ人は普通、北斗七星の四辺形を大きな棺クブラーと呼び、柄の三星をそれを運ぶ三人の娘と見て、バナート・シュ・アル・クブラー(大きな棺の娘たち)と呼んで来た。そして略して三星をバナート又はナーシュと呼び、これが西洋に伝わって、柄のはしの星(中国の破軍星)をベナトナッシュと呼ぶようになった。
 これに就いて十九世紀のドイツの批評家ウエッツシュタインがペルシャ湾沿岸のアラビヤ人に聞いた話では、北極星アル・ジャディがアル・ナーシュを殺した。それでその三人の娘が父を棺に入れて夜な夜な北極星に怨を返す隙を窺い、その周囲を廻っている。三人の中の一人は生まれたばかりの赤児を抱いている。これがアルコルだというのである。そして北極星アル・ジャディは今普通にアル・ギェディと呼ばれるが、これは「人殺し」のことだという。」



「聖エルモの火」より:

「星にはみな宿霊があって、人間の運命を支配し、茫々(ぼうぼう)たる大洋は海魔のすだくところと信じられていた。そして、この種の迷信には(中略)今日でも、船乗の間に残っているものがあるし、私たちにしても、父祖が嘗て異常な自然現象に対して抱いた恐怖や驚異が、時として胸の扉をたたくことを否定できない。」


「アイヌの星と伝説」より:

「スバル アルワン・ノチウ(なまけ星)」
「昔、大へん恵まれた六人の姉妹が住んでいたが、或る時父は熊に殺され、母は夫の死を悲しんで家出してしまった。それ以来六人の姉妹は急に仕事をしなくなり、春夏は山の中で遊んで暮し、秋に枯葉が散る頃になると、そろそろ部落に姿を現わして部落の人々に食物を貰って過し、また春になると山の中に入って遊んで暮す。(中略)天の神は、(中略)六人を星に変え、(中略)空に上げた。」
「この伝説はむろんスバルの出没の季節に応じている。これを怠け者の姉妹と見たのは、牽牛三星の中の光の淡い星を怠け者としているのと同じように、スバルがぼうっ(引用者注:「ぼうっ」に傍点)と霞んで見える印象から出ているかと思われる。」



「銀河物語」より:

「銀河に関する中国の伝説として、世界東西にも有名であるのは、もちろん七夕の牽牛織女説話であって、これが日本へ伝来したのは奈良朝の時代と見られている。(中略)これの成長した話のいろいろある中にも、晋の張華の『博物志』に、

  海のほとりに住んでいる男が、年々八月に期を違えず浮木の流れて来るのを不審に思って、多くの糧(かて)を用意して筏に乗って海に浮んだ。十余日の間は日月星辰を観たが、その後のことは茫々として覚えていない。昼夜十余日を経てから、一つの城市のあるところへ来かかった。遥かに宮中を望むと機を織っている女が多い。そして、渚では一丈夫が牛を牽いて来て水を飲ませているのを見た。その者にここは何処かと尋ねると、「君還って蜀郡に至り、厳君平を訪はば則ち之を知らん」と答えた。それで岸に上らずに、河をもとのように下って、後に蜀に至り君平に尋ねたところが、「某年某月客星あり、牽牛宿を犯す。旧年月正に是れ此人の天河に到る時也」と答えた。

と言う物語の載っているのは、銀河と海とを結びつけたところに、自然な空想を誘われるし、いわゆる客星の伝説としても無類である。
 七夕の伝説を離れると、中国では、月のある晩に、銀河の光の淡く見えるのは、銀色の魚が月光を恐れて水に隠れるからで、殊に新月のかかる宵には、それを釣針だと思って、魚がひどく恐れると言っている。
 こうして、銀河に関する伝説を世界の国々に就いて検べてみると、何といっても多いのは、天上に懸る川と見るものである。」

「川に次いでは、銀河を天上に懸る道と見る伝説が古今を通じて豊富である。」
「ギリシャ人は、神々の神殿が、あの銀色に輝く道を挟んで列(つら)なっていると考えていたし、インドでは、この道は漸く一人が通れる且つジグザグな険路で、神々はこれを通って天に昇ると伝えていた。
 しかし、同じ道でも、亡い魂があの世へ行く道と見た伝説が更に多く発見される。」
「現在のスウェーデンでは、銀河を「冬の道」と呼んで、大きな炉の火に更ける真冬の、夜寒々ときらめく天上の「冬の道」を、亡い魂の群が影のように渡って行くと信ぜられている。」

「パリー天文台の十九世紀末頃の報告に、フランスとスペインとを境するピレネー山脈のビク・ドュ・ミディでは、大気が非常に明澄で、銀河と星の光で本が読めるし、スバルの如きは、肉眼で六つ見えるのを普通としているのに、十五六も見えると書いてあった。」



「スバル星東西」より:

「スバルのギリシャ名は、前に書いたようにプレヤデスと言い、神話では、天を荷(にな)うアトラスと精女プレイオネーとの七人の娘で、月の女神アルテーミスの侍女だった。或る日ボイオティヤの森で遊んでいると、猟夫オリオンが現われて挑みかかったので、空へ逃げのび、女神の衣の裾に隠れた。オリオンが去ってから、女神が裾を上げてみると、七羽の鳩になって空へ舞い上った。大神は、更にそれを星にしたと伝えている。
 その後七姉妹の一人エレクトラは、わが子ダルダノスが建てたトロヤの城市が亡びるのを見るに忍びず、彗星となって姿を隠した。(中略)それで、残る六人がいつも泣いているので、この星団は青白くかすんでいると伝えられる。」
「これを神話では「行方知れずのプレーヤド」といって、他の民族の間にもこの星の群を今も七つと数えるもの、昔は七つ見えていたと言い伝えているものは珍しくない。」

「アメリカ・インディアンの伝説では、昔、七人の子供が星月夜の森の中で手をつないで星の歌を合唱しながら踊っていた。すると、星がその可愛さに見とれて、目をぱちぱちさせた。それに誘われて、七人の子供は空へ昇って行き、スバルボシになった。しかし、一人が下界を恋しがって泣いている。それで、一つの星の光が暗くて見えないと伝えている。」



「白昼の星」より:

「白昼に星が見える理窟は至って簡単である。太陽が漲らす光に消されぬだけの光の星であれば、また高い空まで昇れば、見えるのに何も不思議はない。音速飛行で成層圏を飛んだXSI号のイーガ大尉は、鈍い黒紫色の空で、ぎらぎら輝く太陽と共に無数の星の瞬くのを見たと報告している。」

「昔は、三年の間茄子を食べずにいると、又は、三百六十五日の間梅干を一つずつ食べると、昼でも星が見えるようになると言ったものである。」

「白昼に現われる星が主として金星であることは大方の人が知っている。」
「日本の記録では、文武帝の大宝二年十二月の「星昼見」が最も古いらしい。」

「彗星の大きなものが白昼に見える場合のあるのはこれ亦(また)不思議ではない。記録で有名なのは、一八五三年三月のクリンケルフュウス彗星、更に一九一〇年一月、ハレー彗星の出現を待ちあぐんでいた全地球の人間を驚かした「白昼の彗星」 Daylight Comet は、今もしばしば話題に上っている。私は、その当時甲府にいたが、夕方近くに往来で騒ぐ声に飛び出してみたら、南アルプス白峰の雲を縫って、白銀のジャヴェリンのように直立しながら落日を逐って沈んで行くところだった。その美観は、やがて四月に到来したハレー彗星と共にいつまでも忘れまい。」



「ポリネシヤの星」より:

「タヒチ島には、蝎座に就いてこういう伝説がある。
 ピピリとレファの小さい兄妹が、自分たちが寝ている間に、両親がこっそり魚を料理して食べているのを見て、不平で家を抜け出した。両親が狂気のように「ピピリ達(マ)! ピピリ達(マ)!」と叫びながら逐って来るのを見て、前を通った大きなかぶと(引用者注:「かぶと」に傍点、以下同)虫の背中に這い上ると、忽ちかぶと虫は、天上して二人を高みへ連れて行ってしまった。両親がなおも「ピピリ達(マ)、帰っておいで! 帰っておいで!」と叫ぶ。すると、子供達は「いやだい、炬火でとったお魚はまずいよ。子供に食べさすお魚なぞ一尾もないよ。」こう叫びながら、とうとう空まで達いて、星になってしまった。
 それで、タヒチ島の善良な土人たちは、今も蝎座の燦爛たる星の列を指さしながら、「そら、あすこに星になったピピリ達(マ)が動いている。あの子供達は、或る晩かぶと虫に乗って天上したのだ。そのかぶと虫も星になって、あすこに真赤に光っている。おお、ピピリ達(マ)」と、しまいには童謡になるそうである。」
「ピピリとレファは、私たちが蝎の尾の針と見ている二つの星ラムダとウプシロンとで、妹の方は小さい後者である。そして、土人の子供たちは、今も唱っている。――

  「おお、ピピリ達(マ)帰っておいでよ」
  「いやだい帰るもんかい
  炬火でとったお魚はまずいとさ
  子供に食べさすお魚なんかは無いとさ」
  ふたりは、とうとう行っちまった
  薔薇のようなふたご(引用者注:「ふたご」に傍点)星が生れた。」




◆感想◆


この地上には子どもの居場所などないので、大人になって地上にとどまるか、子どものまま天上の星になるか、どっちかであります。
そして又、天文知識豊かな島の主も息子がいなくなると落胆して何もかも忘れてしまい、恵まれた六人姉妹も父母がいなくなると山にひきこもってしまう。まさに人情の機微でありまして、それを「得るところがない」だの「怠け者」だのと罵るのはさもしい地上の価値観・倫理にすぎません。かれらは生きながらにして星になった(「昼のお星はめにみえぬ 見えぬけれどもあるんだよ」)ゆかしくも懐かしい人々であります。






こちらもご参照ください:

野尻抱影 『続 星と伝説』 (中公文庫 BIBLIO)
大林太良 『銀河の道 虹の架け橋』
武田雅哉 『星への筏 ― 黄河幻視行』
斉藤国治 『星の古記録』 (岩波新書)
たむらしげる 『フープ博士の月への旅』
多田智満子 『長い川のある國』










































































野尻抱影 『星三百六十五夜』 (新装版)

「私は、ポリネシアの土人が死ぬ前に、思い思いの星を指さして、「自分が死んだらあの星に住む」と言つて息を引き取るという話を思いだした。そう心から信じられることは死ぬ者にも、その周囲にも幸福に違いない。」
(野尻抱影 「霊魂の門」 より)


野尻抱影 
『星三百六十五夜』

歳時記型天文随筆

恒星社厚生閣
昭和63年8月30日 新装版発行
383p 口絵(モノクロ)1葉
13.3×18.7cm
角背布装上製本 カバー 函
定価3,000円
装画: 松島靖



本書「あとがき」より:

「『星三百六十五夜』は初め、敗戦後の虚脱感から救いを星空に求めて日夜書きつづけた随筆集であつた。それが図らずも中央公論社から求められて、一九五五年の秋に豪華な限定版を出し、次いで普及版をも出した。その後しばらく絶版となつていたが、六〇年の秋、恒星社の厚意で改装新版を出すこととなり、添削を加えた上に約二十篇を新稿と入れ代えた。
 ここにさらに新版を出すに当たつて再び添削加筆し、同時にこれまで「更科にて」の前書きで配置してあつた宇都宮貞子さんの山村の星日記をすべて割愛して、二十四篇の新稿とした。従つてスモッグの東京となつてからの随筆も加わつている。」
「本書は毎夜の観察による星の随筆を収めるのが目的だつたが、関東地方の気象ではとても無理なので、戦前からの日記や思い出を補なつて、大体の月日に当たる星座や星に配し、時に愛誦する唐宋の詩、西詩、またギリシア・ローマ古詩の初訳など、すべて星にちなむものをはさむことにした。(中略)仏独の詩は多く諸家の名訳を拝借したことをお礼申し上げる。」
「扉画の星座の図案は、野間仁根画伯が初版に描いて下さつた、十二枚の一つで、中扉のカットはその月々に当る十二宮の図である。」
「一九六九年 初夏
野尻抱影」



野尻抱影 星三百六十五夜 01


函はダンボール製のシェル型(身と蓋がつながっている)ボックスに題箋が貼付されています。題箋には定価(税込価格)と本体価格が併記されているので、消費税導入後に函だけ差し換えられたものとおもわれます。


野尻抱影 星三百六十五夜 02


目次:

一月
 元旦明星
 山市初買
 ひさかたの空
 大オリオン
 銀座の星
 雪晴れ
 七草
 「看参星」
 オリオン頌
 冬の大曲線
 靴下星
 三ダイショー
 ふくろうの声
 冥府のオリオン
 エリダヌスの流れ
 広重の月
 蝎とオリオン
 天狼
 寒月
 平家星
 きら星
 寒夜オリオン
 白昼の彗星
 雪とヨキ
 アトボシ
 三星
 星空
 横関という星
 博物誌
 投げ松明
 「夜中ミツブシ」
二月
 声なき聖歌隊
 『イリアス』の星
 蟹の眼
 節分
 黄道光
 血紅星
 丑の時参り
 梅花村
 オリオン星群
 いびたれ星
 旧紀元節
 道行きの星
 双子座讃歌
 いざり車
 天狼南中
 三チョーレン
 月光に濡れて
 天狼を射る
 浦安の星
 軍靴
 星曼荼羅
 サモトラーケの女神
 源五郎星
 星に憑かれて
 よろめくシリウス
 梅花と星
 鳴門星
 『ハムレット』
三月
 早春
 昇る獅子座
 織代ちゃん
 夜、左氏の荘に宴して
 義宮殿下
 北斗美学
 大熊座の神話
 星の天気占
 星の納豆箱
 暁の明星
 春霞
 霊魂の門
 餅食い星
 河馬の片股
 親荷い星
 馬祖火
 朱鳥の星
 ヒヨコの墓
 神の花櫛
 極の王座
 彼岸
 星の秣桶
 夜霧
 大熊とオリオン
 ゴールド・ラッシュ
 黄道の行方
 クレオパトラ
 蒙古の星
 星雲
 ロング・トム
 星盗人
四月
 白羊宮
 吉野天人
 星座新生
 亀鳴くや
 寒食
 ローマ春日
 三宝荒神
 明星
 夜桜
 志摩の船長
 レオの連星
 長安の春
 足跡の星
 朧月夜
 星のトパーズ
 燕来る
 酒星
 金蓮
 磯の小貝
 金星の月
 星と花
 金星の申し子
 揚げ雲雀
 遠蛙
 沈むオリオン
 瞑想
 赤い手鏡
 遠い惑星
 曠野の声
 双眼鏡
五月
 若葉
 超巨星
 八十八夜
 帆かけ星
 ナンボヤ踊
 占星道士
 本命日
 星の大獅子
 ガンダル・チンチン
 麦星
 あらしの星
 星の幾何図形
 カーライルの嘆き
 角笛の星
 望遠鏡
 マタギの星
 象と星
 タレース先生
 ハレー彗星
 「大熊」の尾
 隕石
 真珠星
 八陣
 星章
 常住の星に
 北斗も曲がる
 アンジェリュスの鐘
 求聞持法
 漂流記
 牢壁の北斗
 サーチライト
六月
 宵の明星に
 弓部隊
 長谷寺
 北斗星君
 甘露
 星の天秤
 那須高原
 漁船のアテボシ
 北斗の杓
 王妃の髪
 カナに寄する
 落ち梅
 冠座
 雨声
 星の戯れ
 南十字星
 踊り子星
 短夜
 プラネタリウム
 白毫の光
 日食と星
 独歩忌
 邪眼
 須弥山儀
 狗賓星
 蝎昇天
 化けた月
 へつついぼし
 葉巻の火
 クモの糸
七月
 宣義の池亭
 神医と大蛇
 ゴッホの星
 螢ぶくろ
 空よりの客
 天の川
 七夕雨
 空の瓜畑
 夜光虫
 七夕秀歌
 天鼓
 織女に思う
 夏の夜
 鵲の橋
 幻霊
 送り火
 ドーナツ星雲
 蝎南中
 螢火を見る
 土用三郎
 星のピエロオ
 菱の実
 南方のサソリ
 冥府のヘルクレス
 脚布奪い星
 金剛山
 傳説という星
 朝顔
 木の間の星
 難破船
 錯覚
八月
 炎昼
 隠岐の島から
 竜昇天
 木暮理太郎氏
 遠花火
 星無情
 仙台の七夕祭
 立秋
 駒鳥の谷
 明河篇
 緒絶の橋
 青い星
 鷲
 アルビレオ
 ソビエスキーの楯
 杯中の星影
 蔵王の小屋から
 星池石
 土星を覗く
 北十字星
 グリンデルワ゛ルト
 盲目と星
 天文台
 浜芝居
 沈むに遅き
 白馬山頂
 葛葉峠
 星とマスト
 天狗舞
 石鎚山
 淀の夜船
九月
 二百十日
 夜行に星を観る
 大震と星
 縁日
 傾く蝎
 いかりぼし
 牽牛三星
 射手の大弓
 飛行機
 青金の月
 ひしぼし
 斗牛
 里神楽
 箕星
 七星剣
 大火流る
 魚山羊
 女の手
 白昼金星
 一本の白樺
 夜、西湖に泛ぶ
 空のダイヤモンド
 星の大鍵
 虫声
 夜明けの星
 初対面
 鴨川の星
 葡萄摘み
 野づらの道
 中秋名月
十月
 夜
 伯耆大山
 定家・為家の星
 北斗の壁
 九曜と五曜
 白い月夜
 星の三つ矢
 道明寺
 南のひとつ星
 早く南湖を過ぐ
 露
 紫の星
 星祭
 月夜の銀貨
 オリオン現わる
 星を撫でる
 大星雲
 海鳴り星
 星と菌
 銀河けぶる
 北落師門
 すばらしき偶然
 菊と星
 アマチュアAI
 月下の栗
 天上の大豚
 雁
 隴頭吟
 小判の壺
 鹿と三日月
 バグダッドの床屋
十一月
 太白三章
 三角と牡牛
 明治節
 銀河
 鯨座
 牧野先生
 アレースに祈る
 神絃曲
 あんどろめだ
 山火事
 「こんばんは」
 山国晩秋・1
 山国晩秋・2
 プレイアデス
 ペルセウスの曲線
 稲架の星
 レオニズ
 木枯し
 「悪魔」の星
 星の飛天
 ヒヤデス星団
 「教祖さま」
 星の追いかけくら
 タコとスバル
 バビロンの星
 釣鐘星
 司天台
 夜なべと星
 秋山のカノープス
 雨降り星
十二月
 星月夜
 ギロチン
 入り山形
 三国初冬
 子山羊の星
 消えたプレヤード
 月畢に宿る
 モズと三つ星
 オリオンが来た
 蟹星雲
 冬空の梁
 参商相見ず
 奈良法師
 明治の夜
 台湾の星
 モツレンサマ
 甲斐ケ根おろし
 ナイル新月
 星に酔うもの
 クサボシなど
 星の眼
 大犬・小犬
 旄頭胡星
 六部と狐
 ベツレヘムの星
 お夏狂乱
 ムヅラバサミ
 オリオン
 三人の甥
 イカ漁の灯
 除夜

あとがき



野尻抱影 星三百六十五夜 04


野尻抱影 星三百六十五夜 03



◆本書より◆


「血紅星」より:

「兎座がオリオンの下で、ほとんど同時に南中している。」
「特に見るものもない星座だが、この右のはずれに、Rという六等星が見える。これが有名なクリムズン・スター(真紅の星)である。
 赤い星というと、まず夏の蝎(さそり)座のアンタレースがあるが、これは火の色に近い。もう一つは北のケフェウス座のガーネット・スター(ざくろ石星)だが、これは紫をふくんでいる。ところが、Rは小望遠鏡で窺うと、血を滴らしたような真紅である。
 分光器で判つたのでは、この星は濃いガスに包まれて、それで光をほとんど吸収されている。そして、わずかに残るエネルギーを集めてはガスの雲を貫ぬいて輝くのだが、やがてまた力が弱る。それで四百三十六日を周期として、光が六等から十等まで落ちては、また六等にもどる。いわば断末魔のあえぎで、こうしてだんだん衰えて行き、(中略)死んで黒い星となる。
 われらの宇宙には、こういう暗星が、輝いている星と同数ぐらいに存在しているだろうと言われる。そして、その存在はただ、かつてそれを見た人類の記憶に残つているか、でなければ、その近くに輝く星に働きかけている引力で知り得るのみである。やがて又これが、何十億年後のわれらの太陽の運命であるか、どうか、誰れも知らない。」



「丑(うし)の時参り」:

「奈良の水門町にいる女性から、「オリオンが大杉の梢(こずえ)に出て、すごいようです」と書いて来た。以前宇治の療養所から、二月の半ば、京都盆地の山ぎわに出たカノープスを見つけたと、喜びにはずんだ手紙をよこした人で、今では全快して奈良へ帰つている。
 水門には、私の妻も子供のころ暮したことがある。遠い明治の話で、人家も少なく、すぐ近くから老杉の木立がつづき、でこぼこの細い坂路を行くと二方に分かれて、左は大仏さんの裏の蓮池に通じ、右は南大門の前に出て、そこにも古池があつた。夜は、外はまつ暗で人通りもなく、子供たちはランプの光で、土地生まれのばあやの昔ばなしに聞きほれたり、おびえたりしていた。鹿の声が夕がたから聞こえて、子供心にもひどくさびしかった。
 ある冬の晩だつた。このごろ夜ふけに丑(うし)の時参りが外を通るといううわさを、ばあやが聞いてきて、「のぞいてはあきまへんぞ。見られると願(がん)がかなわんいうて、見たもんを取り殺すと言いますさかいにな」と言つた。
 子供たちが、それはどんなものかとせがむので、ばあやは話して聞かせた。
 ――丑(うし)の時というのは、夜なかの二時ごろで、女の人が恨みのある人をのろい殺すために、あの古池の島にある祠(ほこら)にお参りして、祈り杉にわら人形をクギで打ちつける。それには白衣(びゃくえ)を着て、髪をさばき、頭のかな輪(わ)に三本のろうそくをともして、はだしでぴたぴた歩いて行く。「途中にきつと白牛が寝てましてな、それをまたいで行かなならんと言いまつせ。……」
 この話に子供たちはすつかりおびえて早くから床にもぐりこんだ。すると次ぎの朝、母が、ゆうべ夜なかにふと目をさましたら、雨戸の外で何かカランカランという音がして、戸のふし穴からうす赤い光がさした。それでこわいもの見たさにのぞいて見ると、頭につけているらしい ろうそく の火と白い着物が見えたので、急いで床にもどつたと話した。
 ばあやは、「そのカランカランという音は、ふくろの中の五寸クギがかちあう音にちがいありまへん」と言つた。」



「いざり車」より:

「信濃更科(さらしな)の夫人が、三月の夜、離れた山の上に赤い大きな星らしいものを見つけ、目をこらしていると、それが時々見えつかくれつして山を下つてくる。そして半時間もたつと、炭焼きが親子四人連れで、風呂へ入りに来た。さつき星の光と思つたのは、この人たちのちようちんの明りだつた。」


「霊魂の門」より:

「雨上りで、蟹(かに)座の星団がすぐと目に入つた。」
「二十八宿ではここは鬼宿で、鬼は亡魂である。つまり星団が鬼火のように見えるためで、そしてこれを積尸気(ししき)と呼んでいるのも不気味である。英訳で "Exhalation of Piled-up Corpses" と読むと、いつそう陰惨である。
 しかし、プラトンやその門下が、この星団を霊魂の出てくる門で、それらがここから下つて人間の身体に宿ると説いていたのも、同じく星々を魂と見ることから来ているらしい。
 こんなことを思いながら、星団から目をあちこちの星に移している間に、私は、ポリネシアの土人が死ぬ前に、思い思いの星を指さして、「自分が死んだらあの星に住む」と言つて息を引き取るという話を思いだした。そう心から信じられることは死ぬ者にも、その周囲にも幸福に違いない。また科学がどんなに進んでも、これを否定し、霊魂の門を閉めきるほどの断案は永久に下だせないはずだ。」



「錯覚」より:

「夕立が過ぎ、虹が現われて夜になつた。庭に立つとすばらしい星で、天の川のクレヴァスも鮮かに走つているし、蝎(さそり)座の大カーヴが初めてでも見るように、実に奔放で、雄麗である。
 こんな晩こそヘルクレスの星団が見えるだろうと思つて、まず南の天頂に高いその星座の鼓形を見つけ、その右辺を上にたどると、果して青白い光のしみを見出だした。」
「ところが、そうしてうんと仰向いている間に、私はふと自分が上になり、空を見下ろしているような感じがした。一面に星をちりばめた暗い広大な深淵が直下にひろがつていて、そこへ自分が落ちこもうとするのを、ごく短時間ながら感じたのである。」
「愚かなことと言えばそれまでである。人間はむろん地球の重力に支えられているので、下というのは大地であり、上というのはいつも天である。けれど、私たちが直立していることは、見方を変えれば、頭を下にしてぶら下がつていることである。そのぶら下がつている自分をこの瞬間感じたと言つて、言えないことはない。
 人は宇宙の神秘を太陽に、月に、そして星に求める。しかし、この脚下で直径一万三千キロメートルの巨大な球が、この刹那にも、果てもない空間を秒速三十キロという猛烈なスピードで走つている事実を、時に瞑想すると慄然とさせられる。ただ、それを実感しないままに、無限運動の球ころがしの上に日夜安住もし、いがみ合いもしている。
 だから、たまには天地が転倒して人間が逆立ちし、今にも星空へ墜落しようとする錯覚ぐらいは時々感じていい。それだけでも、人間を謙虚にする足しにはなるだろう。――こんなことを空想している中にふと、戦争の間、地軸が少しぐらつけば、万事 けり がつくのにと考えたことを思い出した。」



「青い星」より:

「夕明りの空に生まれて、静かにきらめいている青い星は、見つめていると、何かそれにまつわる思い出があるようで、しかもどんなことだつたか形をなさず、それをくるむ情調だけが感じられて、時には胸の しん がうづくようなこともある。私には早春の三つ星がそれで、交わるがわる瞬いては何かひどく遠い昔のことを思い出させようとするが、つまりは生きている淋しさだけに終る。
 夏から秋の織女もそうである。しかしこの星には、ある程度まで形のある一つの思い出を呼び出される。と言つて、どうというほどのものでもなく、少年の頃どこかの木橋に立つてこの星を見ていたということである。」
「横浜で生まれて小学と中学を過したのだから、そこの橋で、家のあつた町から遠くない橋だつたろうと考えてみる。」
「日の暮れには人通りもろくにない。そういうどの橋かの欄干に、小さい中学生の私がよりかかつて、青くきらめきはじめた織女を見上げたことがあるのかも知れない。しかし、どうも思い出せない。はつきりしているのは、私を星へ導いてくれた、そして後に狂死したKという同級の少年が川向うへ帰るのを時々送つて行つて、いつしよに星を見たことである。けれど、思い出の中の私はいつも独りぼつちで橋の上にいる。
 ルナールは、自分の知らない国に対して感じるノスタルジヤは、前世の旅行でめぐり歩いた地方の思い出かも知れぬと書いている。私がひとり木橋に立つて見上げる織女も、また三つ星も、あるいは今の世で見たものでなかつたのかも知れない。」



「北落師門」より:

「南魚座の一等星(フォーマルハウト)は、漢名を北落師門という。晉書(しんしょ)の註を見ると「北は宿北方に在るなり。落は天の藩落なり、師は衆なり。師門はなほ軍門の如きなり。長安の北門を北落門というは、これに象(かた)どるなり」とある。」
「それはともかく、私は「北落師門」という名と響きとが、何かこの孤独な星の印象に通じているようで、ひどく好きである。」



野尻抱影 星三百六十五夜 05






































































































野尻抱影 『ロンドン怪盗伝』 (野尻抱影の本 4)

「死刑囚がニューゲートからタイバーンへ送られる日は、まるで祭日のような騒ぎだった。ジャック・シェパードの処刑に押し出した人数は二万人を越えたといわれる。ぼろ着物の野次馬がえんえんと行列を作って、人気のある死刑囚には歓声をあびせかけ、いせいよく死ぬようにと声援し、さもない囚人は口汚く罵り、憎しみを買っていた者には、腐れ卵や、鼠の死骸などを投げつけた。」
(野尻抱影 「ニューゲート牢獄」 より)


野尻抱影 
『野尻抱影の本 4 
ロンドン怪盗伝』 
池内紀 編


筑摩書房 
1989年3月25日 第1刷発行
415p 
四六判 丸背紙装上製本 カバー 
定価2,500円
装幀: 安野光雅



池内紀による「解説」より:

「ここでは、(中略)次の二著を中心に編み、未刊のエッセイ、またこのシリーズに未収録の本から少し選んでみた。

 『英文学裏町話』 研究社・昭和三十年(一九五五)刊。
 『ろんどん怪盗伝』 鱒書房・昭和三十一年(一九五六)刊。」



野尻抱影 ロンドン怪盗伝


帯文:

「裏町の星は瞬いて
宇宙と文学をこよなく愛した「星の翁」の全仕事!
(全4巻・第3回配本 池内紀 編・解説)」



帯背:

「星影清かに」


帯裏:

「ここに居並ぶ面々は、いわばイギリス版「白浪五人男」といったところだ。日本駄右衛門もいれば弁天小僧もいる。(略)たとえば王もうらやむダンディで侠盗として聞こえたクロード・デューヴァル。同じく大の洒落者で、賭博で大負けに負けても顔色一つ変えなかった殿様強盗ジェームス・マクリーン。街道にひそんで神出鬼没、愛馬ブラック・ベスにうちまたがったディック・ターピン、七ヵ月の間に四つの牢破りをやってのけて、ロンドン子のやんやの喝采をあびた脱獄の名人ジャック・シェパード。いずれも十七世紀から十八世紀にかけてのイギリスで人気のあった悪い奴らである。つまりは野尻版「悪党列伝」。
(池内紀「解説」より)」



目次:

Ⅰ 英文学裏町話
 はしがき
 クロード・デューヴァル
 ニューゲート牢獄
 ジャック・シェパード
 セント・ジャイルズの鉢
 ジョナサン・ワイルド
 ディック・ターピン
 ジェームス・マクリーン
 クリノリン奇談
 ロンドン大火記
 英国の占星家
 仮髪と結髪
 「宝島」と海賊の唄
 キャプテン・キッド

Ⅱ ろんどん怪盗伝
 まえがき
 1
  ジャック・シェパード
  謎の宝石箱
  貴族の兄と妹
  招かれざる客
  ジョナサン・ワイルド
  落しわな
  セント・ジャイルズ拘置所
  母親
  ワイルドの邸
  河上の朝霧
 2
  悪の巣窟
  ウィルズデンの寺院
  村の牢小屋
  ブルースキン
  クラーケンウェル脱獄
  不敵な計画
  古ギツネ
  久しい対面
  ニューゲート牢獄
  第一回ニューゲート脱獄
 3
  地下室の惨劇
  恐ろしい拷問
  キングの画家
  第二回ニューゲート脱獄
  第六の扉
  追われるジャック
  村の鍛冶屋
 4
  留守の出来事
  ロンドン市庁
  ブルースキン脱走
  暴動
  その前夜
  ニューゲート出発
  タイバーン行
  セント・ジャイルズの鉢
  ジャックの最後
  悪のボスの最後

Ⅲ 私の好奇心
 旅行書・猟奇書など (「学鐙」 昭和16年)
 バガブー (「鶴の声」 昭和47年)
 繍花鞋杯 (「学鐙」 昭和49年)
 竹夫人 (「鶴の声」 昭和47年)
 龍涎香記 (「星まんだら」 昭和31年)
 鰹談義 (昭和47年秋)

解説 悪い奴ほどおもしろい (池内紀)




◆本書より◆


『英文学裏町話』「はしがき」より:

「この選書の一冊としては、これは恐らく型破りのものだろう。十七、八世紀の、ロンドン郊外がまだ荒涼とした野っ原と森であった時代に、盛んに出没した剽盗(ひょうとう)や、貴族から掠めた金で貧民を賑わした「義賊」や、脱獄の名人と謳われた怪盗や、悪漢どもを搾取したボスの大盗などの実話、また彼等を足カセでつないだニューゲートの牢獄や、昇天させたタイバーンの仕置場、日乾しにしたテムズ河畔の海賊曝し場などの物語が中心になっているから。しかし、彼等のこういう実伝、それを踏まえた小説は、当時の英国で争い読まれて、文学史上に少なくも半世紀を画していた。この書はそれら文学の裏話を語るもので、必ずしも猟奇趣味のみから生まれたものでない。
 この型の小説はいわゆるやくざ小説である。初め十六世紀後半のスペインで、それ以前の空想的な中世騎士物語の反動として起り、たちまちに欧州各国を風靡した。(中略)この影響がやがて十七世紀末の英文学にも及んで、十八世紀前半を盛期として当代名うての盗賊たちが主人公となった。民衆には国を問わず、こういう悪漢を恐れると共に一種英雄視して、その死を惜しむ心理がある。スタンダールは「カストロの尼僧院長」の初めに、ブリガンテ(剽盗)の物語のヒロイズムは、庶民階級のうちに常に脈動している芸術家気質を魅惑すると書いている。
 それはともかく、これらのやくざ(引用者注: 「やくざ」に傍点)物は大いに流行して、(中略)ディフォーの「モル・フランダース」、「ジョン・シェパード」、スモレットがル・サージュを模倣した「ロデリック・ランダムの冒険」、フィールディングの「大ジョナサン・ワイルド氏伝」、(中略)ジョン・ゲイの「乞食のオペラ」などはこの代表作であり、十九世紀に入ってはエインズワースの「ジャック・シェパード」その他や、ディケンズの諸作にもスモレットの影響で不逞のやからが現われている。
 私はこういう文学を読むための資料としてこの本を書き、それらにもしばしば言及してみたが、当時のロンドンの世相や風物、盗賊たちと多少交渉のあった文学者、芸術家、時に政治家たちの挿話も、読者の興味を惹くかと思う。ニューゲート牢獄の話は「ニューゲート牢獄暦報」から書き、併せてこの書から、海賊キャプテン・キッドの正伝をも紹介した。
 それから十七世紀の大事件であり、文学にも反映したロンドンの大火や疫病、これに関連した占星術師の物語、またクリノリン(フープ・スカート)や、仮髪(かつら)と結髪の奇異な時世粧(じせいそう)、及び私が対訳を試みた「宝島」のシャンテーの元唄や、類似のバラッドをも考証してみた。」



『ろんどん怪盗伝』「まえがき」より:

「「大盗・怪盗華やかなりし時代」などといっては、語弊がないではないが、少なくも十七世紀末から十八世紀前半にかけてのイギリスはこれに近い時代だったといえるだろう。今日のような大英帝国の完全な形はまだ成していず、貴族富豪は上にのさばり、官吏は腐敗し、下民は貧苦にあえいでいた。この社会相への抵抗として現われたのが、“街道の騎士”とよばれた追剥や大賊、義賊の群れで、民衆は当時の不安の間にも、鬱憤のはけ口を彼らに託した気持ちで、ひそかに痛快を叫ぶ者が少なくなかった。さればロンドン市民は、一ギニーの入場料を払ってもニューゲート牢獄の死刑囚に会いに出かけたり、郊外のタイバーン刑場まで、行列をぞろぞろとつくって、花をくわえて処刑される盗賊に喝采を送ったり、涙を流したりしたものである。」
「ところで、彼らを代表する怪盗は本書の主人公ジャック・シェパードである。華やかな点では、チャールズ二世の小姓から侠盗となったクロード・デゥーヴァルや、名馬ベスを駆って月夜ヨーク街道百五十マイルを突破したディック・ターピンなどには及ばないが、数回も重ねて大胆不敵な牢抜けをやり、特に最後のニューゲート牢獄六ヵ所の鉄の扉を破った冒険は、人間わざとは思われない。英国犯罪史上でも驚異の記録で、当時彼を獄中に訪れた「ロビンソン・クルーソー」の作者ディフォウはその実伝を書き、同じくジョン・ゲイは歌劇「三文オペラ」の主人公に彼を用いている。」
「さて、私はこの怪盗の詳しい物語を書きたいと思って、資料を十九世紀の小説家エインズワースの「ジャック・シェパード」に求めた。これは小説ではあるが、「ニューゲート牢獄暦報」や当時の記録を博く漁った作品であることは、事件の年、月、日や曜日までも一々示してある上に、ジャックがまだ大工の徒弟であった当時、ニューゲートの死刑囚を真似て梁(はり)に刻みつけた姓名が当時まだ残っていたのを図版にしているし、ジャックの二人の情婦エッジワス・ベスとポル・マゴットや、兄貴分の強盗ブルースキンのことなども実録をふまえている。特にニューゲート牢獄の描写、さらにジャックの最後の大脱獄とタイバーン刑場へ引かれる道中の光景は、ジャック伝の最も興味ある部分だが、実に詳細を尽している。本書でもここは力めて忠実に訳してみた。(中略)私の本旨はどこまでもジャックの実伝を書くことにあるので、あまり岐路にわたる部分は思いきって料理して、辻つまの合うまでに留めておいた。だから、エインズワースの小説七分というところだろう。
 同時にジャックとワイルドに関する資料は、他の記録からも抜いて、あちこちに挿入してみた。とくにジャックの最後の捕縛は、エインズワースでは、その母の葬儀の場面になっているが、私は、ジャックがロンドン市長の就任式にギルトホールへのこのこと出かけて行き、たわいもなく捕われたというのんきな話を他の資料から選んで一章とした。および、大盗ワイルドの最後も、エインズワースにはないが、これは読者が必ず知りたいことに相違ないので、フィナーレにつけ加えておいた。
 終りに、エインズワースの原著は、日本では非常に入手が困難で、私はようやく早大図書館にあるものを借り受けることができた。この本での思わぬ発見は、坪内逍遥先生の蔵書印があり、書中のあちこちに先生の鉛筆の書き入れがあって、例えば「雷小僧」「狸穴偽次郎」「青蠅段八」「およね」「おみな」などの人名や、「裏長屋」「五千円」「孤児」「二階を見上げる」「ここは前後すべし」などの字が見えることで、ある時代の先生はこの小説を粉本として白浪小説を腹案されていたらしい。これには、明治文学初期の作者気質の一面がうかがえて、ひどくおもしろいと思った。」



「繍花鞋杯」より:

「古代のギリシアとローマはサンダルを履いていた。アテネの婦女は裸足で小指を地面から浮かせて歩き、足の美を守っていた。彫像のサンダルの足も、緒で分かれた親指と四本の指とがまっ直ぐ並行する形が美しい。
 これが皮靴の時代に入ると足が虐げられ、とくに小指がゆがんで醜くなってしまった。何かの本に靴を "leathern prison" (革の牢獄)とあったのを感心して覚えている。」



「解説」(池内紀)より:

「ボルヘスの『悪党列伝』や、コリン・ウィルソンの『殺人百科』のお株を奪う列伝だが、単に面白おかしい悪い奴らの物語ではないだろう。そもそものタイトルにあった「裏町話」からもわかるとおり、一風変わった十七・十八世紀同時代史であって、裏の視線につらぬかれている。盗賊たちは奇妙なほど自由に、白昼公然と大手を振って徘徊していた。それもそのはず、当時、ロンドンの町を一歩出ると荒涼とした野山があり、深い森がひろがっていた。うしろ暗い連中は雲行きがあやしくなると、さっさと町から退散して森に隠れた。町の四方に広大なアジール(避難所)があったわけだ。この点、十二世紀の遠い昔、緑の森から出没して悪代官をこらしめたロビン・フッドの時代と、たいして変わっていなかった。
 ロンドン市外の野山がアジールとしての機能を失うのは少しあと、イギリスがいち早く産業革命に突入する十九世紀になってのことである。森が伐りひらかれ、野が整地されて工場が並び立った。黒煙を吐いて機関車が走りだす。とともに悪党たちも自由な逃げ場を失なった。あとは都会の闇にひそむしかない。冷やかにせせら笑う、頭ばかり発達した可愛げのない悪人たちだ。これは庶民の英雄になることもなく、当然のことながら野尻抱影の関心をひかなかった。」





こちらもご参照下さい:

野尻抱影  『大泥棒紳士館』
森洋子 編著 『ホガースの銅版画』 (双書 美術の泉)
ガーミニ・サルガードー 『エリザベス朝の裏社会』 松村赳 訳
R・D・オールティック 『ヴィクトリア朝の緋色の研究』 村田靖子 訳



























































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
 
うまれたときからひとでなし
なぜならわたしはねこだから
 
◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

Koro-pok-Guru
Away with the Fairies

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。
歴史における自閉症の役割。

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