野尻抱影 『星の民俗学』 (講談社学術文庫)

「こういう、地方によって少しずつずれて伝えられている点に、伝説・口碑(こうひ)の面白さがある。」
(野尻抱影 「浪速の名船頭」 より)


野尻抱影 
『星の民俗学』
 
講談社学術文庫 279

講談社
昭和53年8月10日 第1刷発行
230p
文庫判 並装 カバー
定価320円
装幀: 蟹江征治
カバーデザイン: 深山重樹
カット: 布浦翼



本書「解説」より:

「今回発行された(中略)『星の民俗学』は、もと『星と伝説』の標題の下に発行されたものである。今回の再刊に当たり、すでに当学術文庫に、『星の神話・伝説』の一冊が収録されているので、これとまぎらわしい旧名をさけて、『星の民俗学』を編集部で選定されたと聞いているが、この処置は、(中略)非常に適切であったと思う。」


本書「はしがき」より:

「鳥獣・草木・花々、すべてに和名があり、学名は専門家だけのものであるのに対して、星に限って常に学名か、少くも外国名で呼んでいることに不自然さを感じていた。それがその後、(中略)純粋の和名を続々と発見するに及んで、星の見方にも争えない国民性が現れていることや、それがしばしば他の民族に通じていて、中には明らかに伝播(でんぱ)の痕迹(こんせき)の認められるものもあることに気づいてから、単なる和名の集成を超えた比較考証に自分の途を見出だすようになった。民俗天文学と呼んでいいかと思う。」


『星と伝説』初版は1952年刊(創元文庫)です。
カットは少女漫画タッチで描き改められています。


野尻抱影 星の民俗学


カバー裏文:

「星についての民間伝承には、洋の東西を問わず興味深いものが多い。本書は、星の研究家として知られた著者が、我が国をはじめ、広く世界各地の民族の星の呼び名やそのいわれ、また、星にまつわる神話・伝承や民俗などを集大成し、これに一つ一つ詳細に考察を加えることにより、星と民族との深い結びつきをあますところなく描き出していく。星空に限りない情熱を傾けた博識の著者ならではの、天文学と民俗学を結ぶロマンあふれる名著。」



目次:

序文 (新村出)
はしがき

北極星を語る
浪速(なにわ)の名船頭
北斗七星
寿命星(じゅみょうぼし)
三つ星覚書
下田の三ドル星
天狼(てんろう)を射(い)る
ナイルの星シリウス
聖エルモの火
南極老人星を見る
房州(ぼうしゅう)の布良星(めらぼし)
獅子(しし)座の「大鎌(おおがま)」
織女(しょくじょ)三星
アイヌの星と伝説
蝎(さそり)座の赤星
星の追いかけ伝説
バビロニヤの蝎人(さそりびと)
南斗と北斗
「偽(いつわ)りの東明」
銀河物語
「女王の椅子」
スバル星東西
見上げ皺(じわ)・頭巾(ずきん)落とし
星と天気占い
ヒヤデス星団
白昼(はくちゅう)の星
宇治拾遺(うじしゅうい)の星
蒙古(もうこ)の星
ポリネシヤの星
星の音楽

解説 (広瀬秀雄)




◆本書より◆


「北極星を語る」より:

「北極星は中国伝来の学者的な名で、日本固有の名は、上記のネノホシ、ネノホーノホシ、またはキタノヒトツボシか、それを略したヒトツボシが言われ、現在でも広く言われている。」
「ネノホシはもちろん、スバル・ミツボシなど、海上で大切な星は、昔からアテボシ、ヤクボシ(役星)などと呼ばれて、その見方は言いつぎされてきた。そして各地には、特に星の利用法や天気占いの熟練家がいて、その知識を広めていた。
 例えば、内田武志氏が聞いた話では、昔、志摩(しま)の鳥羽に(中略)ナギを見る名人がいて、東へ行く船も西へ行く船も鳥羽に寄って、その人に天気や風の具合を聞き、その人が江戸へ出る時などは争って自分の船に乗せようとした。また、その人は星に詳(くわ)しくて、夜、何度も裏の小山に立って星を見、空を見て天候を測(はか)ったと言われる。(中略)伊豆大島にも島の主と呼ばれて、この種の知識で有名な老人が今もいるが、若い友人草下君が近年訪ねてみたら、息子が戦死した落胆(らくたん)ですっかり老いこみ、何もかも忘れてしまったと言って、得るところはなかった。」

「江戸時代の俚謡集(りようしゅう)、『松の葉』に、長崎の唄として、
  昔より今に渡りくる黒船、縁が尽(つ)きればフカの餌(え)となる サンタ・マリア
というのがある。いかにも異国情緒に満ちた南蛮哀唱(なんばんあいしょう)で、これを口に繰り返していると、浩蕩(こうとう)たる大洋のまん中に漂っている黒船(蘭船(らんせん))が目に浮んでくる。」
「この俚謡が、海上で難儀(なんぎ)に逢(あ)った時のサンタ・マリヤへの祈願(きがん)から生まれたことは容易に頷(うなず)けるが、注意に値するのは、北極星がマリヤの星であったという事実である。
 北極星は昔からステルラ・マリスとも呼ばれて、もっぱら「海の星」と訳されている。しかしこの名はもと第四世紀のラテン教会の教父セント・ジェロームが聖母マリヤをあがめた名で、ステルラ(星)は聖女の象徴だが、マリスは少しも「海の」の意味はなく、マリヤのユダヤ名に基(もとづ)いているのだと言う。それがいつとなく海(マーレ)に結びついて、「海の星」の意味に移り、公教会の聖日課にも「亜物海の星」(アベ・ステルラ)というのがあり、その中でマリヤの星=海の星、すなわち北極星を讃美している。だから、荒天の海でサンタ・マリヤの救いを祈る水夫たちの眼は、飛雲の間に北極星の光を求めていたことと想われる。」



「北斗七星」より:

「唐の太宗の時代に、七人の和尚(おしょう)が、どこからともなく西京に現われて、酒を飲み歩くこと二石に及んだ。同時に北斗七星が空から光を消したので、さてこそこの七人は北斗の精に違いないと、太宗が召して酒を飲ませようとしたが、たちまち姿を隠してしまい、その夜から再び北斗が輝き出したという伝説もある。
 こういうふうに、中国には、星が人になったり、動物になったりする伝説は珍しくない。有名な水滸伝(すいこでん)の百八人の豪傑が、伏魔殿(ふくまでん)を破って八方へ飛び散ったのは、天こう星、地さつ星の生まれ変りとなっているが、これも北斗七星のことである。
 また、七星の中のある星が散ると、龍馬になり、ある星は虎になり、ある星は猪になる。はなはだしいのは、人参となって、その生えている土地の空には紫の気がたなびくといわれていた。」



「寿命星」より:

「ところで、アラビヤ人は普通、北斗七星の四辺形を大きな棺(ひつぎ)クブラーと呼び、柄の三星をそれを運ぶ三人の娘と見て、バナート・シュ・アル・クブラー(大きな棺の娘たち)と呼んで来た。そして略して三星をバナートまたはナーシュと呼び、これが西洋に伝わって、柄のはしの星(中国の破軍星)をベナトナッシュと呼ぶようになった。
 これについて十九世紀のドイツの批評家ウエッツシュタインがペルシャ湾沿岸のアラビヤ人に聞いた話では、北極星アル・ジャディがアル・ナーシュを殺した。それでその三人の娘が父を棺に入れて夜な夜な北極星に怨を返す隙(すき)を窺(うかが)い、その周囲を廻っている。三人の中の一人は生まれたばかりの赤児を抱いている。これがアルコルだというのである。そして北極星アル・ジャディは今普通にアル・ゲディと呼ばれるが、これは「人殺し」のことだという。」



「聖エルモの火」より:

「星にはみな宿霊(しゅくれい)があって、人間の運命を支配し、茫々(ぼうぼう)たる大洋は海魔のすだくところと信じられていた。そしてこの種の迷信には、(中略)今日でも船乗りの間に残っているものがあるし、私たちにしても、父祖がかつて異常な自然現象に対して抱(いだ)いた恐怖や驚異が、時として胸の扉をたたくことを否定できない。」


「アイヌの星と伝説」より:

「スバル アルワン・ノチウ(怠け星)」
「昔、大へん恵まれた六人の姉妹が住んでいたが、ある時父は熊に殺され、母は夫の死を悲しんで家出してしまった。それ以来六人の姉妹は急に仕事をしなくなり、春夏は山の中で遊んで暮し、秋に枯葉が散る頃になると、そろそろ部落に姿を現しては部落の人々に食物を貰(もら)って過し、また春になると山の中に入って遊んで暮す。」




引用の途中ですが睡魔が襲ってきたのでこれにて退散します。

天文知識豊かな島の主も息子がいなくなると落胆して何もかも忘れてしまい、恵まれた六人姉妹も父母がいなくなると山にこもってしまう。まさに人情の機微であります。それを「得るところがない」だの「怠け者」だのと罵るのは世俗の価値観・倫理観でありまして、かれらは生きながらにして星になった(昼のお星はめにみえぬ 見えぬけれどもあるんだよ)ゆかしくも懐かしい人々であります。




























































































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野尻抱影 『星三百六十五夜』 (新装版)

「私は、ポリネシアの土人が死ぬ前に、思い思いの星を指さして、「自分が死んだらあの星に住む」と言つて息を引き取るという話を思いだした。そう心から信じられることは死ぬ者にも、その周囲にも幸福に違いない。」
(野尻抱影 「霊魂の門」 より)


野尻抱影 
『星三百六十五夜』

歳時記型天文随筆

恒星社厚生閣
昭和63年8月30日 新装版発行
383p 口絵(モノクロ)1葉
13.3×18.7cm
角背布装上製本 カバー 函
定価3,000円
装画: 松島靖



本書「あとがき」より:

「『星三百六十五夜』は初め、敗戦後の虚脱感から救いを星空に求めて日夜書きつづけた随筆集であつた。それが図らずも中央公論社から求められて、一九五五年の秋に豪華な限定版を出し、次いで普及版をも出した。その後しばらく絶版となつていたが、六〇年の秋、恒星社の厚意で改装新版を出すこととなり、添削を加えた上に約二十篇を新稿と入れ代えた。
 ここにさらに新版を出すに当たつて再び添削加筆し、同時にこれまで「更科にて」の前書きで配置してあつた宇都宮貞子さんの山村の星日記をすべて割愛して、二十四篇の新稿とした。従つてスモッグの東京となつてからの随筆も加わつている。」
「本書は毎夜の観察による星の随筆を収めるのが目的だつたが、関東地方の気象ではとても無理なので、戦前からの日記や思い出を補なつて、大体の月日に当たる星座や星に配し、時に愛誦する唐宋の詩、西詩、またギリシア・ローマ古詩の初訳など、すべて星にちなむものをはさむことにした。(中略)仏独の詩は多く諸家の名訳を拝借したことをお礼申し上げる。」
「扉画の星座の図案は、野間仁根画伯が初版に描いて下さつた、十二枚の一つで、中扉のカットはその月々に当る十二宮の図である。」
「一九六九年 初夏
野尻抱影」



野尻抱影 星三百六十五夜 01


函はダンボール製のシェル型(身と蓋がつながっている)ボックスに題箋が貼付されています。題箋には定価(税込価格)と本体価格が併記されているので、消費税導入後に函だけ差し換えられたものとおもわれます。


野尻抱影 星三百六十五夜 02


目次:

一月
 元旦明星
 山市初買
 ひさかたの空
 大オリオン
 銀座の星
 雪晴れ
 七草
 「看参星」
 オリオン頌
 冬の大曲線
 靴下星
 三ダイショー
 ふくろうの声
 冥府のオリオン
 エリダヌスの流れ
 広重の月
 蝎とオリオン
 天狼
 寒月
 平家星
 きら星
 寒夜オリオン
 白昼の彗星
 雪とヨキ
 アトボシ
 三星
 星空
 横関という星
 博物誌
 投げ松明
 「夜中ミツブシ」
二月
 声なき聖歌隊
 『イリアス』の星
 蟹の眼
 節分
 黄道光
 血紅星
 丑の時参り
 梅花村
 オリオン星群
 いびたれ星
 旧紀元節
 道行きの星
 双子座讃歌
 いざり車
 天狼南中
 三チョーレン
 月光に濡れて
 天狼を射る
 浦安の星
 軍靴
 星曼荼羅
 サモトラーケの女神
 源五郎星
 星に憑かれて
 よろめくシリウス
 梅花と星
 鳴門星
 『ハムレット』
三月
 早春
 昇る獅子座
 織代ちゃん
 夜、左氏の荘に宴して
 義宮殿下
 北斗美学
 大熊座の神話
 星の天気占
 星の納豆箱
 暁の明星
 春霞
 霊魂の門
 餅食い星
 河馬の片股
 親荷い星
 馬祖火
 朱鳥の星
 ヒヨコの墓
 神の花櫛
 極の王座
 彼岸
 星の秣桶
 夜霧
 大熊とオリオン
 ゴールド・ラッシュ
 黄道の行方
 クレオパトラ
 蒙古の星
 星雲
 ロング・トム
 星盗人
四月
 白羊宮
 吉野天人
 星座新生
 亀鳴くや
 寒食
 ローマ春日
 三宝荒神
 明星
 夜桜
 志摩の船長
 レオの連星
 長安の春
 足跡の星
 朧月夜
 星のトパーズ
 燕来る
 酒星
 金蓮
 磯の小貝
 金星の月
 星と花
 金星の申し子
 揚げ雲雀
 遠蛙
 沈むオリオン
 瞑想
 赤い手鏡
 遠い惑星
 曠野の声
 双眼鏡
五月
 若葉
 超巨星
 八十八夜
 帆かけ星
 ナンボヤ踊
 占星道士
 本命日
 星の大獅子
 ガンダル・チンチン
 麦星
 あらしの星
 星の幾何図形
 カーライルの嘆き
 角笛の星
 望遠鏡
 マタギの星
 象と星
 タレース先生
 ハレー彗星
 「大熊」の尾
 隕石
 真珠星
 八陣
 星章
 常住の星に
 北斗も曲がる
 アンジェリュスの鐘
 求聞持法
 漂流記
 牢壁の北斗
 サーチライト
六月
 宵の明星に
 弓部隊
 長谷寺
 北斗星君
 甘露
 星の天秤
 那須高原
 漁船のアテボシ
 北斗の杓
 王妃の髪
 カナに寄する
 落ち梅
 冠座
 雨声
 星の戯れ
 南十字星
 踊り子星
 短夜
 プラネタリウム
 白毫の光
 日食と星
 独歩忌
 邪眼
 須弥山儀
 狗賓星
 蝎昇天
 化けた月
 へつついぼし
 葉巻の火
 クモの糸
七月
 宣義の池亭
 神医と大蛇
 ゴッホの星
 螢ぶくろ
 空よりの客
 天の川
 七夕雨
 空の瓜畑
 夜光虫
 七夕秀歌
 天鼓
 織女に思う
 夏の夜
 鵲の橋
 幻霊
 送り火
 ドーナツ星雲
 蝎南中
 螢火を見る
 土用三郎
 星のピエロオ
 菱の実
 南方のサソリ
 冥府のヘルクレス
 脚布奪い星
 金剛山
 傳説という星
 朝顔
 木の間の星
 難破船
 錯覚
八月
 炎昼
 隠岐の島から
 竜昇天
 木暮理太郎氏
 遠花火
 星無情
 仙台の七夕祭
 立秋
 駒鳥の谷
 明河篇
 緒絶の橋
 青い星
 鷲
 アルビレオ
 ソビエスキーの楯
 杯中の星影
 蔵王の小屋から
 星池石
 土星を覗く
 北十字星
 グリンデルワ゛ルト
 盲目と星
 天文台
 浜芝居
 沈むに遅き
 白馬山頂
 葛葉峠
 星とマスト
 天狗舞
 石鎚山
 淀の夜船
九月
 二百十日
 夜行に星を観る
 大震と星
 縁日
 傾く蝎
 いかりぼし
 牽牛三星
 射手の大弓
 飛行機
 青金の月
 ひしぼし
 斗牛
 里神楽
 箕星
 七星剣
 大火流る
 魚山羊
 女の手
 白昼金星
 一本の白樺
 夜、西湖に泛ぶ
 空のダイヤモンド
 星の大鍵
 虫声
 夜明けの星
 初対面
 鴨川の星
 葡萄摘み
 野づらの道
 中秋名月
十月
 夜
 伯耆大山
 定家・為家の星
 北斗の壁
 九曜と五曜
 白い月夜
 星の三つ矢
 道明寺
 南のひとつ星
 早く南湖を過ぐ
 露
 紫の星
 星祭
 月夜の銀貨
 オリオン現わる
 星を撫でる
 大星雲
 海鳴り星
 星と菌
 銀河けぶる
 北落師門
 すばらしき偶然
 菊と星
 アマチュアAI
 月下の栗
 天上の大豚
 雁
 隴頭吟
 小判の壺
 鹿と三日月
 バグダッドの床屋
十一月
 太白三章
 三角と牡牛
 明治節
 銀河
 鯨座
 牧野先生
 アレースに祈る
 神絃曲
 あんどろめだ
 山火事
 「こんばんは」
 山国晩秋・1
 山国晩秋・2
 プレイアデス
 ペルセウスの曲線
 稲架の星
 レオニズ
 木枯し
 「悪魔」の星
 星の飛天
 ヒヤデス星団
 「教祖さま」
 星の追いかけくら
 タコとスバル
 バビロンの星
 釣鐘星
 司天台
 夜なべと星
 秋山のカノープス
 雨降り星
十二月
 星月夜
 ギロチン
 入り山形
 三国初冬
 子山羊の星
 消えたプレヤード
 月畢に宿る
 モズと三つ星
 オリオンが来た
 蟹星雲
 冬空の梁
 参商相見ず
 奈良法師
 明治の夜
 台湾の星
 モツレンサマ
 甲斐ケ根おろし
 ナイル新月
 星に酔うもの
 クサボシなど
 星の眼
 大犬・小犬
 旄頭胡星
 六部と狐
 ベツレヘムの星
 お夏狂乱
 ムヅラバサミ
 オリオン
 三人の甥
 イカ漁の灯
 除夜

あとがき



野尻抱影 星三百六十五夜 04


野尻抱影 星三百六十五夜 03



◆本書より◆


「血紅星」より:

「兎座がオリオンの下で、ほとんど同時に南中している。」
「特に見るものもない星座だが、この右のはずれに、Rという六等星が見える。これが有名なクリムズン・スター(真紅の星)である。
 赤い星というと、まず夏の蝎(さそり)座のアンタレースがあるが、これは火の色に近い。もう一つは北のケフェウス座のガーネット・スター(ざくろ石星)だが、これは紫をふくんでいる。ところが、Rは小望遠鏡で窺うと、血を滴らしたような真紅である。
 分光器で判つたのでは、この星は濃いガスに包まれて、それで光をほとんど吸収されている。そして、わずかに残るエネルギーを集めてはガスの雲を貫ぬいて輝くのだが、やがてまた力が弱る。それで四百三十六日を周期として、光が六等から十等まで落ちては、また六等にもどる。いわば断末魔のあえぎで、こうしてだんだん衰えて行き、(中略)死んで黒い星となる。
 われらの宇宙には、こういう暗星が、輝いている星と同数ぐらいに存在しているだろうと言われる。そして、その存在はただ、かつてそれを見た人類の記憶に残つているか、でなければ、その近くに輝く星に働きかけている引力で知り得るのみである。やがて又これが、何十億年後のわれらの太陽の運命であるか、どうか、誰れも知らない。」



「丑(うし)の時参り」:

「奈良の水門町にいる女性から、「オリオンが大杉の梢(こずえ)に出て、すごいようです」と書いて来た。以前宇治の療養所から、二月の半ば、京都盆地の山ぎわに出たカノープスを見つけたと、喜びにはずんだ手紙をよこした人で、今では全快して奈良へ帰つている。
 水門には、私の妻も子供のころ暮したことがある。遠い明治の話で、人家も少なく、すぐ近くから老杉の木立がつづき、でこぼこの細い坂路を行くと二方に分かれて、左は大仏さんの裏の蓮池に通じ、右は南大門の前に出て、そこにも古池があつた。夜は、外はまつ暗で人通りもなく、子供たちはランプの光で、土地生まれのばあやの昔ばなしに聞きほれたり、おびえたりしていた。鹿の声が夕がたから聞こえて、子供心にもひどくさびしかった。
 ある冬の晩だつた。このごろ夜ふけに丑(うし)の時参りが外を通るといううわさを、ばあやが聞いてきて、「のぞいてはあきまへんぞ。見られると願(がん)がかなわんいうて、見たもんを取り殺すと言いますさかいにな」と言つた。
 子供たちが、それはどんなものかとせがむので、ばあやは話して聞かせた。
 ――丑(うし)の時というのは、夜なかの二時ごろで、女の人が恨みのある人をのろい殺すために、あの古池の島にある祠(ほこら)にお参りして、祈り杉にわら人形をクギで打ちつける。それには白衣(びゃくえ)を着て、髪をさばき、頭のかな輪(わ)に三本のろうそくをともして、はだしでぴたぴた歩いて行く。「途中にきつと白牛が寝てましてな、それをまたいで行かなならんと言いまつせ。……」
 この話に子供たちはすつかりおびえて早くから床にもぐりこんだ。すると次ぎの朝、母が、ゆうべ夜なかにふと目をさましたら、雨戸の外で何かカランカランという音がして、戸のふし穴からうす赤い光がさした。それでこわいもの見たさにのぞいて見ると、頭につけているらしい ろうそく の火と白い着物が見えたので、急いで床にもどつたと話した。
 ばあやは、「そのカランカランという音は、ふくろの中の五寸クギがかちあう音にちがいありまへん」と言つた。」



「いざり車」より:

「信濃更科(さらしな)の夫人が、三月の夜、離れた山の上に赤い大きな星らしいものを見つけ、目をこらしていると、それが時々見えつかくれつして山を下つてくる。そして半時間もたつと、炭焼きが親子四人連れで、風呂へ入りに来た。さつき星の光と思つたのは、この人たちのちようちんの明りだつた。」


「霊魂の門」より:

「雨上りで、蟹(かに)座の星団がすぐと目に入つた。」
「二十八宿ではここは鬼宿で、鬼は亡魂である。つまり星団が鬼火のように見えるためで、そしてこれを積尸気(ししき)と呼んでいるのも不気味である。英訳で "Exhalation of Piled-up Corpses" と読むと、いつそう陰惨である。
 しかし、プラトンやその門下が、この星団を霊魂の出てくる門で、それらがここから下つて人間の身体に宿ると説いていたのも、同じく星々を魂と見ることから来ているらしい。
 こんなことを思いながら、星団から目をあちこちの星に移している間に、私は、ポリネシアの土人が死ぬ前に、思い思いの星を指さして、「自分が死んだらあの星に住む」と言つて息を引き取るという話を思いだした。そう心から信じられることは死ぬ者にも、その周囲にも幸福に違いない。また科学がどんなに進んでも、これを否定し、霊魂の門を閉めきるほどの断案は永久に下だせないはずだ。」



「錯覚」より:

「夕立が過ぎ、虹が現われて夜になつた。庭に立つとすばらしい星で、天の川のクレヴァスも鮮かに走つているし、蝎(さそり)座の大カーヴが初めてでも見るように、実に奔放で、雄麗である。
 こんな晩こそヘルクレスの星団が見えるだろうと思つて、まず南の天頂に高いその星座の鼓形を見つけ、その右辺を上にたどると、果して青白い光のしみを見出だした。」
「ところが、そうしてうんと仰向いている間に、私はふと自分が上になり、空を見下ろしているような感じがした。一面に星をちりばめた暗い広大な深淵が直下にひろがつていて、そこへ自分が落ちこもうとするのを、ごく短時間ながら感じたのである。」
「愚かなことと言えばそれまでである。人間はむろん地球の重力に支えられているので、下というのは大地であり、上というのはいつも天である。けれど、私たちが直立していることは、見方を変えれば、頭を下にしてぶら下がつていることである。そのぶら下がつている自分をこの瞬間感じたと言つて、言えないことはない。
 人は宇宙の神秘を太陽に、月に、そして星に求める。しかし、この脚下で直径一万三千キロメートルの巨大な球が、この刹那にも、果てもない空間を秒速三十キロという猛烈なスピードで走つている事実を、時に瞑想すると慄然とさせられる。ただ、それを実感しないままに、無限運動の球ころがしの上に日夜安住もし、いがみ合いもしている。
 だから、たまには天地が転倒して人間が逆立ちし、今にも星空へ墜落しようとする錯覚ぐらいは時々感じていい。それだけでも、人間を謙虚にする足しにはなるだろう。――こんなことを空想している中にふと、戦争の間、地軸が少しぐらつけば、万事 けり がつくのにと考えたことを思い出した。」



「青い星」より:

「夕明りの空に生まれて、静かにきらめいている青い星は、見つめていると、何かそれにまつわる思い出があるようで、しかもどんなことだつたか形をなさず、それをくるむ情調だけが感じられて、時には胸の しん がうづくようなこともある。私には早春の三つ星がそれで、交わるがわる瞬いては何かひどく遠い昔のことを思い出させようとするが、つまりは生きている淋しさだけに終る。
 夏から秋の織女もそうである。しかしこの星には、ある程度まで形のある一つの思い出を呼び出される。と言つて、どうというほどのものでもなく、少年の頃どこかの木橋に立つてこの星を見ていたということである。」
「横浜で生まれて小学と中学を過したのだから、そこの橋で、家のあつた町から遠くない橋だつたろうと考えてみる。」
「日の暮れには人通りもろくにない。そういうどの橋かの欄干に、小さい中学生の私がよりかかつて、青くきらめきはじめた織女を見上げたことがあるのかも知れない。しかし、どうも思い出せない。はつきりしているのは、私を星へ導いてくれた、そして後に狂死したKという同級の少年が川向うへ帰るのを時々送つて行つて、いつしよに星を見たことである。けれど、思い出の中の私はいつも独りぼつちで橋の上にいる。
 ルナールは、自分の知らない国に対して感じるノスタルジヤは、前世の旅行でめぐり歩いた地方の思い出かも知れぬと書いている。私がひとり木橋に立つて見上げる織女も、また三つ星も、あるいは今の世で見たものでなかつたのかも知れない。」



「北落師門」より:

「南魚座の一等星(フォーマルハウト)は、漢名を北落師門という。晉書(しんしょ)の註を見ると「北は宿北方に在るなり。落は天の藩落なり、師は衆なり。師門はなほ軍門の如きなり。長安の北門を北落門というは、これに象(かた)どるなり」とある。」
「それはともかく、私は「北落師門」という名と響きとが、何かこの孤独な星の印象に通じているようで、ひどく好きである。」



野尻抱影 星三百六十五夜 05






































































































野尻抱影 『ロンドン怪盗伝』 (野尻抱影の本 4)

「死刑囚がニューゲートからタイバーンへ送られる日は、まるで祭日のような騒ぎだった。ジャック・シェパードの処刑に押し出した人数は二万人を越えたといわれる。ぼろ着物の野次馬がえんえんと行列を作って、人気のある死刑囚には歓声をあびせかけ、いせいよく死ぬようにと声援し、さもない囚人は口汚く罵り、憎しみを買っていた者には、腐れ卵や、鼠の死骸などを投げつけた。」
(野尻抱影 「ニューゲート牢獄」 より)


野尻抱影 
『野尻抱影の本 4 
ロンドン怪盗伝』 
池内紀 編


筑摩書房 
1989年3月25日 第1刷発行
415p 
四六判 丸背紙装上製本 カバー 
定価2,500円
装幀: 安野光雅



池内紀による「解説」より:

「ここでは、(中略)次の二著を中心に編み、未刊のエッセイ、またこのシリーズに未収録の本から少し選んでみた。

 『英文学裏町話』 研究社・昭和三十年(一九五五)刊。
 『ろんどん怪盗伝』 鱒書房・昭和三十一年(一九五六)刊。」



野尻抱影 ロンドン怪盗伝


帯文:

「裏町の星は瞬いて
宇宙と文学をこよなく愛した「星の翁」の全仕事!
(全4巻・第3回配本 池内紀 編・解説)」



帯背:

「星影清かに」


帯裏:

「ここに居並ぶ面々は、いわばイギリス版「白浪五人男」といったところだ。日本駄右衛門もいれば弁天小僧もいる。(略)たとえば王もうらやむダンディで侠盗として聞こえたクロード・デューヴァル。同じく大の洒落者で、賭博で大負けに負けても顔色一つ変えなかった殿様強盗ジェームス・マクリーン。街道にひそんで神出鬼没、愛馬ブラック・ベスにうちまたがったディック・ターピン、七ヵ月の間に四つの牢破りをやってのけて、ロンドン子のやんやの喝采をあびた脱獄の名人ジャック・シェパード。いずれも十七世紀から十八世紀にかけてのイギリスで人気のあった悪い奴らである。つまりは野尻版「悪党列伝」。
(池内紀「解説」より)」



目次:

Ⅰ 英文学裏町話
 はしがき
 クロード・デューヴァル
 ニューゲート牢獄
 ジャック・シェパード
 セント・ジャイルズの鉢
 ジョナサン・ワイルド
 ディック・ターピン
 ジェームス・マクリーン
 クリノリン奇談
 ロンドン大火記
 英国の占星家
 仮髪と結髪
 「宝島」と海賊の唄
 キャプテン・キッド

Ⅱ ろんどん怪盗伝
 まえがき
 1
  ジャック・シェパード
  謎の宝石箱
  貴族の兄と妹
  招かれざる客
  ジョナサン・ワイルド
  落しわな
  セント・ジャイルズ拘置所
  母親
  ワイルドの邸
  河上の朝霧
 2
  悪の巣窟
  ウィルズデンの寺院
  村の牢小屋
  ブルースキン
  クラーケンウェル脱獄
  不敵な計画
  古ギツネ
  久しい対面
  ニューゲート牢獄
  第一回ニューゲート脱獄
 3
  地下室の惨劇
  恐ろしい拷問
  キングの画家
  第二回ニューゲート脱獄
  第六の扉
  追われるジャック
  村の鍛冶屋
 4
  留守の出来事
  ロンドン市庁
  ブルースキン脱走
  暴動
  その前夜
  ニューゲート出発
  タイバーン行
  セント・ジャイルズの鉢
  ジャックの最後
  悪のボスの最後

Ⅲ 私の好奇心
 旅行書・猟奇書など (「学鐙」 昭和16年)
 バガブー (「鶴の声」 昭和47年)
 繍花鞋杯 (「学鐙」 昭和49年)
 竹夫人 (「鶴の声」 昭和47年)
 龍涎香記 (「星まんだら」 昭和31年)
 鰹談義 (昭和47年秋)

解説 悪い奴ほどおもしろい (池内紀)




◆本書より◆


『英文学裏町話』「はしがき」より:

「この選書の一冊としては、これは恐らく型破りのものだろう。十七、八世紀の、ロンドン郊外がまだ荒涼とした野っ原と森であった時代に、盛んに出没した剽盗(ひょうとう)や、貴族から掠めた金で貧民を賑わした「義賊」や、脱獄の名人と謳われた怪盗や、悪漢どもを搾取したボスの大盗などの実話、また彼等を足カセでつないだニューゲートの牢獄や、昇天させたタイバーンの仕置場、日乾しにしたテムズ河畔の海賊曝し場などの物語が中心になっているから。しかし、彼等のこういう実伝、それを踏まえた小説は、当時の英国で争い読まれて、文学史上に少なくも半世紀を画していた。この書はそれら文学の裏話を語るもので、必ずしも猟奇趣味のみから生まれたものでない。
 この型の小説はいわゆるやくざ小説である。初め十六世紀後半のスペインで、それ以前の空想的な中世騎士物語の反動として起り、たちまちに欧州各国を風靡した。(中略)この影響がやがて十七世紀末の英文学にも及んで、十八世紀前半を盛期として当代名うての盗賊たちが主人公となった。民衆には国を問わず、こういう悪漢を恐れると共に一種英雄視して、その死を惜しむ心理がある。スタンダールは「カストロの尼僧院長」の初めに、ブリガンテ(剽盗)の物語のヒロイズムは、庶民階級のうちに常に脈動している芸術家気質を魅惑すると書いている。
 それはともかく、これらのやくざ(引用者注: 「やくざ」に傍点)物は大いに流行して、(中略)ディフォーの「モル・フランダース」、「ジョン・シェパード」、スモレットがル・サージュを模倣した「ロデリック・ランダムの冒険」、フィールディングの「大ジョナサン・ワイルド氏伝」、(中略)ジョン・ゲイの「乞食のオペラ」などはこの代表作であり、十九世紀に入ってはエインズワースの「ジャック・シェパード」その他や、ディケンズの諸作にもスモレットの影響で不逞のやからが現われている。
 私はこういう文学を読むための資料としてこの本を書き、それらにもしばしば言及してみたが、当時のロンドンの世相や風物、盗賊たちと多少交渉のあった文学者、芸術家、時に政治家たちの挿話も、読者の興味を惹くかと思う。ニューゲート牢獄の話は「ニューゲート牢獄暦報」から書き、併せてこの書から、海賊キャプテン・キッドの正伝をも紹介した。
 それから十七世紀の大事件であり、文学にも反映したロンドンの大火や疫病、これに関連した占星術師の物語、またクリノリン(フープ・スカート)や、仮髪(かつら)と結髪の奇異な時世粧(じせいそう)、及び私が対訳を試みた「宝島」のシャンテーの元唄や、類似のバラッドをも考証してみた。」



『ろんどん怪盗伝』「まえがき」より:

「「大盗・怪盗華やかなりし時代」などといっては、語弊がないではないが、少なくも十七世紀末から十八世紀前半にかけてのイギリスはこれに近い時代だったといえるだろう。今日のような大英帝国の完全な形はまだ成していず、貴族富豪は上にのさばり、官吏は腐敗し、下民は貧苦にあえいでいた。この社会相への抵抗として現われたのが、“街道の騎士”とよばれた追剥や大賊、義賊の群れで、民衆は当時の不安の間にも、鬱憤のはけ口を彼らに託した気持ちで、ひそかに痛快を叫ぶ者が少なくなかった。さればロンドン市民は、一ギニーの入場料を払ってもニューゲート牢獄の死刑囚に会いに出かけたり、郊外のタイバーン刑場まで、行列をぞろぞろとつくって、花をくわえて処刑される盗賊に喝采を送ったり、涙を流したりしたものである。」
「ところで、彼らを代表する怪盗は本書の主人公ジャック・シェパードである。華やかな点では、チャールズ二世の小姓から侠盗となったクロード・デゥーヴァルや、名馬ベスを駆って月夜ヨーク街道百五十マイルを突破したディック・ターピンなどには及ばないが、数回も重ねて大胆不敵な牢抜けをやり、特に最後のニューゲート牢獄六ヵ所の鉄の扉を破った冒険は、人間わざとは思われない。英国犯罪史上でも驚異の記録で、当時彼を獄中に訪れた「ロビンソン・クルーソー」の作者ディフォウはその実伝を書き、同じくジョン・ゲイは歌劇「三文オペラ」の主人公に彼を用いている。」
「さて、私はこの怪盗の詳しい物語を書きたいと思って、資料を十九世紀の小説家エインズワースの「ジャック・シェパード」に求めた。これは小説ではあるが、「ニューゲート牢獄暦報」や当時の記録を博く漁った作品であることは、事件の年、月、日や曜日までも一々示してある上に、ジャックがまだ大工の徒弟であった当時、ニューゲートの死刑囚を真似て梁(はり)に刻みつけた姓名が当時まだ残っていたのを図版にしているし、ジャックの二人の情婦エッジワス・ベスとポル・マゴットや、兄貴分の強盗ブルースキンのことなども実録をふまえている。特にニューゲート牢獄の描写、さらにジャックの最後の大脱獄とタイバーン刑場へ引かれる道中の光景は、ジャック伝の最も興味ある部分だが、実に詳細を尽している。本書でもここは力めて忠実に訳してみた。(中略)私の本旨はどこまでもジャックの実伝を書くことにあるので、あまり岐路にわたる部分は思いきって料理して、辻つまの合うまでに留めておいた。だから、エインズワースの小説七分というところだろう。
 同時にジャックとワイルドに関する資料は、他の記録からも抜いて、あちこちに挿入してみた。とくにジャックの最後の捕縛は、エインズワースでは、その母の葬儀の場面になっているが、私は、ジャックがロンドン市長の就任式にギルトホールへのこのこと出かけて行き、たわいもなく捕われたというのんきな話を他の資料から選んで一章とした。および、大盗ワイルドの最後も、エインズワースにはないが、これは読者が必ず知りたいことに相違ないので、フィナーレにつけ加えておいた。
 終りに、エインズワースの原著は、日本では非常に入手が困難で、私はようやく早大図書館にあるものを借り受けることができた。この本での思わぬ発見は、坪内逍遥先生の蔵書印があり、書中のあちこちに先生の鉛筆の書き入れがあって、例えば「雷小僧」「狸穴偽次郎」「青蠅段八」「およね」「おみな」などの人名や、「裏長屋」「五千円」「孤児」「二階を見上げる」「ここは前後すべし」などの字が見えることで、ある時代の先生はこの小説を粉本として白浪小説を腹案されていたらしい。これには、明治文学初期の作者気質の一面がうかがえて、ひどくおもしろいと思った。」



「繍花鞋杯」より:

「古代のギリシアとローマはサンダルを履いていた。アテネの婦女は裸足で小指を地面から浮かせて歩き、足の美を守っていた。彫像のサンダルの足も、緒で分かれた親指と四本の指とがまっ直ぐ並行する形が美しい。
 これが皮靴の時代に入ると足が虐げられ、とくに小指がゆがんで醜くなってしまった。何かの本に靴を "leathern prison" (革の牢獄)とあったのを感心して覚えている。」



「解説」(池内紀)より:

「ボルヘスの『悪党列伝』や、コリン・ウィルソンの『殺人百科』のお株を奪う列伝だが、単に面白おかしい悪い奴らの物語ではないだろう。そもそものタイトルにあった「裏町話」からもわかるとおり、一風変わった十七・十八世紀同時代史であって、裏の視線につらぬかれている。盗賊たちは奇妙なほど自由に、白昼公然と大手を振って徘徊していた。それもそのはず、当時、ロンドンの町を一歩出ると荒涼とした野山があり、深い森がひろがっていた。うしろ暗い連中は雲行きがあやしくなると、さっさと町から退散して森に隠れた。町の四方に広大なアジール(避難所)があったわけだ。この点、十二世紀の遠い昔、緑の森から出没して悪代官をこらしめたロビン・フッドの時代と、たいして変わっていなかった。
 ロンドン市外の野山がアジールとしての機能を失うのは少しあと、イギリスがいち早く産業革命に突入する十九世紀になってのことである。森が伐りひらかれ、野が整地されて工場が並び立った。黒煙を吐いて機関車が走りだす。とともに悪党たちも自由な逃げ場を失なった。あとは都会の闇にひそむしかない。冷やかにせせら笑う、頭ばかり発達した可愛げのない悪人たちだ。これは庶民の英雄になることもなく、当然のことながら野尻抱影の関心をひかなかった。」





こちらもご参照下さい:

野尻抱影  『大泥棒紳士館』
森洋子 編著 『ホガースの銅版画』 (双書 美術の泉)
ガーミニ・サルガードー 『エリザベス朝の裏社会』 松村赳 訳
R・D・オールティック 『ヴィクトリア朝の緋色の研究』 村田靖子 訳



























































野尻抱影  『大泥棒紳士館』

「日本の泥棒では、落語にでてくる泥棒がいちばん好きだね。とんまでまぬけでどぢで、でも人情もろい。」
「盗みはすれど非道はせず、なんて、こんなふざけた居直りがおもしろいやね。春もおぼろに白魚の……などと粋がってみせたりしてね。」
「水滸伝の群盗たちは星の精だった。」
「泥棒には、義侠も反権力もダンディもあるけれど、一種の本質的な悲哀がある。」

(野尻抱影)


野尻抱影 
『大泥棒紳士館』


工作舎 
1976年12月10日 印刷
1977年1月1日 発行
318p 
21×13.8cm 並装 カバー 
定価1,700円
エディトリアル・デザイン: 十川治江
ブック・デザイン: まりの・るうにい+十川治江
表紙・本文イラストレーション: まりの・るうにい



「ロンドン白波五人男」列伝である本書は、旧著『英文学裏町話』(1955年)所収の怪盗伝五篇を再編集、というか、元の文章を生かしつつ書き改めたものです。ジャック・シェパードの章には『ろんどん怪盗伝』(1956年)も利用されています。
『英文学裏町話』『ろんどん怪盗伝』は筑摩書房「野尻抱影の本」第四巻『ロンドン怪盗伝』に収録されています。
本書は1988年に「プラネタリークラシクス」の一冊として再刊されています。


野尻抱影 大泥棒紳士館 01


カバー文:

「ロンドンのダンディな怪盗と
世界泥棒史上の一流たち」



カバーそで文:

「幾百の貧しい紳士・淑女諸君!
すべての泥棒仲間、夜の街をひと晩中うろつきまわる働き者、
売笑婦、こそ泥、色男たち!
お聞きのとおり、俺はいま、牢にぶちこまれている。
しょげかえっちゃあいない。
この手錠の音だって、決して悪くはないもんだ。
俺がだました間抜けどもときたら、まったくいいざまだ。
やつらから頂戴したお宝の場所は、
この俺さまの胸先三寸よ。
――ジョン・シェパード最後の書簡
(デイリー・ジャーナル誌 1724年11月16日付)」



野尻抱影 大泥棒紳士館 02


カバー裏そで文:

「泥棒に出会ったのはただ一度っきり。
それも家に入られたのではなくて、掏摸なんだ。
新橋から電車に乗ってね。当時、黒い厚地のマントを羽織っていたんだが……
それがえらい混みようで。ところがふと気が付くと、
腋のあたりをごそごそする手があるんだ。
気のせいかなと思っていたら、やはり掏摸だ。
そこでね、気付かれないように、そっと手を懐に入れて、
ギュッとその入って来ている手を握ってやった。
それは、何とも変な感じだったなあ。忘れられないね。
じっとりしていて、それでいて臘のようなんだ――野尻抱影」



野尻抱影 大泥棒紳士館 03


目次:

華麗な侠盗 クロード・デューヴァル (1643―1670)
街道の騎士 ディック・タービン (1706―1739)
脱獄の天才 ジャック・シェパード (1702―1724)
悪の総元締 ジョナサン・ワイルド (1666―1725)
殿様強盗 ジェームス・マクリーン (16??―1740)

泥棒資料集成 (構成: 高橋秀元・十川治江・松本淑子・田辺澄江)
 世界泥棒年表
 泥棒列伝102選
 泥棒名言集
 
野尻抱影略年譜

ハシラ
 世界泥棒論アンソロジー
 泥棒語源小辞典



野尻抱影 大泥棒紳士館 04


「もちろん独力でやりとげました
神さまのほかに
手伝ったものはありません」




◆本書より◆


「クロード・デューヴァル」より:

「錬金道士は、ばらの茂みが深ぶかと蔽う白壁の家に住んでいた。黄ばんだ羊皮紙のような顔に、まっ黒な目の老人で、長い絹の上衣を着けていた。デューヴァルがキングの内意を伝える間、身動きもせずにいたが、やがて、
 ――謹んで承わりました。
と答えた。
 それから、花が咲き乱れ、蜜蜂が快くうなっている庭先まで、デューヴァルを送ってきたが、急に、
 ――若いお人、自分の運命を開いてみたいと思いませぬか。
と言った。デューヴァルが笑顔で、
 ――私も、頭ばかり下げている御殿勤めを一生やっている気はありません。いずれ、ひと花咲かせるつもりです。
と言うと、
 ――うむ、それはそのきつい目つきで判る。もそっと広い世界へ出て、運を開きなされ。西の新大陸(アメリカ)へ行かれるかな、それともオランダ人との戦いに行かれるかな?
 デューヴァルが、
 ――では、私に開かれている道はどれでしょう。
と尋ねると、
 ――あなたは率直なお人じゃから、わしも率直に物を言うが、人間が生きて行くためには、働くか、盗むか、二つに一つじゃ。仕事というのも我慾を下に隠しておるので、体裁を変えた盗みに過ぎぬ。見たところ、若いお人は、正直に働く手は打っていなさらぬ。それゆえ、盗んで世渡りをなさることじゃ。さすれば、未来はおのずと開けて行く。
と言った。」



ちなみに、同じ部分を『ロンドン怪盗伝』所収の『英文学裏町話』版から引用すると、


「錬金師は、ばらの茂みに深ぶかと蔽われた白壁の家に住んでいた。黄ばんだ顔に、まっ黒な目の老人で、長い絹の上衣を着けていた。デューヴァルがキングの内意を伝える間、身動きもせずにいたが、やがて――謹んで承りました、と答えた。
 それから老人は、花が咲きみだれ、蜜蜂が快くうなっている庭先まで、デューヴァルを送って来たが、急に、――若いお人、自分の運命を聞いてみたいと思いませぬか、と言った。
 デューヴァルが笑顔で、――私も、頭ばかりさげている御殿勤めを一生やっている気はありません。いずれひと花咲かせるつもりです、と言うと、――うむ、それはそのきつい目つきでも判る。もそっと広い世界へ出て、運を開きなされ。西の新大陸(アメリカ)へ行かれるかな、それともオランダ人との戦いに行かれるかな?
 デューヴァルが、――では、私に開かれている道は? と尋ねると、――あなたは率直なお人じゃから、わしも率直に物を言うが、人間が生きて行くためには、働くか、盗むか、二つに一つじゃ。仕事というのも、我慾を下にかくしておるので、体裁を変えた盗みに過ぎぬ。見たところ、若いお人は、正直に働く手を持っていなさらぬ。それ故、盗んで世渡りをなさることじゃ。さすれば、未来は開けて行く、と言った。」



となっています。
最大の違いは、じつをいうと、

「若いお人、自分の運命を開いてみたいと思いませぬか」

「若いお人、自分の運命を聞いてみたいと思いませぬか」

「見たところ、若いお人は、正直に働く手は打っていなさらぬ」

「見たところ、若いお人は、正直に働く手を持っていなさらぬ」

でありまして、前者では「運命を聞いて」が「運命を開いて」の誤植、後者では「手は打って」が「手は持って」の誤植なのではなかろうかとおもわれます。



◆参考◆


種村季弘『書物漫遊記』所収「泥棒繁盛記」より:

「野尻抱影といえば誰しもが知っているように星の大家だが、(中略)一言にしていえば、徹底して「星と泥棒」の話ばかりを書きつづけてきた作家なのである。
 一八八五年生まれだから今年で九十二歳にもなる。矍鑠(かくしゃく)たる老年である。高齢の秘密は、ラフカディオ・ハーンの愛弟子として処女作の『星座巡礼』以来、一貫して星と冒険を夢見る少年のための文学を書きつづけてきたせいであろう。地上の雑事などこの高雅な精神につけ込む余地はまるでなかったのである。」
「それにしても泥棒にはどうしてそんなに人気が沸騰したのだろう。一言でいえば、泥棒は生まれてくる時代を間違えてやってきた騎士なのである。中世の騎士道華やかなりし頃なら、クロード・デューヴァルやジャック・シェパードは、しかるべき女王や王に仕えて、大胆な行動力や無敵の腕っぷしで数々の勲功を立て、これにふさわしい褒賞をもってねぎらわれたものに違いない。」
「世が世ならきらめく星と輝いていたことだろうに、ご時世ばかりに首にお縄を頂戴する不運にも遭う。みずからも生き難い浮世の悲哀をかこつ大衆にとっては、どうして他人事ではないのだ。
 クロード・デューヴァルのように正真正銘の騎士気質の侠盗に人気があったのは、したがって至極当然であった。では身分の低い階層から躍り出て、身なりだけ騎士のダンディズムを真似ていたジャック・シェパードの場合はどうか。デューヴァルが天上から地上に失墜したのにひきかえ、シェパードの方は地上の泥から悪の道を通じて輝く天上の星に成り上がったのだと考えればいい。
 星は犯人(ホシ)。同じ一つのものが、天上にあれば星として明るく輝き、地上に落ちれば犯人(ホシ)として暗く輝く。これは国文学者松田修氏の卓見である。そしてそう考えてくると、野尻抱影が星と犯人(ホシ)の話だけを一生涯書きつづけて、そのほかのごたごたには一切見向きもしなかった理由が実によくわかるではないか。」




























































































野尻抱影 『日本の星 ― 星の方言集』 (中公文庫)

野尻抱影 
『日本の星
― 星の方言集』
 
中公文庫 M 28

中央公論社
昭和51年6月25日 印刷
昭和51年7月10日 発行
346p
文庫判 並装 カバー
定価380円
表紙・扉: 白井晟一
カバー: 芹沢銈介



本書「解説」より:

「この本は野尻抱影がライフワークとして採集された星の和名七百種を解説したもの(昭和三十二年五月、中央公論社刊)である。」


本文中図版(モノクロ)多数。


野尻抱影 日本の星


カバー裏文:

「三十余年の歳月にわたって収集した星の和名七百種を紹介し、四季の夜空をいろどる星の生い立ちを日本の農山漁村に生きてきた人々の実生活の中にさぐる。」


目次:

春の星
 ほくと(北斗) 大ぐま座
 ななつぼし(七つ星)
 しそうのほし(四三の星)
 ひちようのほし(七曜の星)/ななよのほし(同)
 ひしゃくぼし(柄杓星)/かぎぼし(鍵星)
 かじぼし(舵星)
 ふなぼし(船星)
 けんさきぼし(剣先星)/はぐんせい(破軍星)
 そえぼし(輔星)
 といかけぼし(樋掛け星) しし座
 よつぼし(四つ星)/だいがらぼし(台碓星) からす座
 むぎぼし(麦星) うしかい座
 しんじゅぼし(真珠星) おとめ座

夏の星
 くるまぼし(車星)/たいこぼし(太鼓星) かんむり座
 かまどぼし(竈星)
 くびかざりぼし(首飾り星)
 うおつりぼし(魚釣り星) さそり座
 かごかつぎぼし(籠担ぎ星)/あきんどぼし(商人星)
 あわいないぼし(粟荷い星)
 さばうりぼし(鯖売り星)
 あかぼし(赤星)
 すもとりぼし(角力取り星)/からすぼし(唐臼星)
 きゃふばいぼし(脚布奪い星)
 おとどいぼし(兄弟星)
 しょくじょ(織女)/たなばた(棚機) こと座
 ひこぼし(彦星)/いぬかいぼし(犬飼星) わし座
 じゅうもんじぼし(十文字星)/あまのがわぼし(天の川星) はくちょう座

秋の星
 ほっきょくせい(北極星) 小ぐま座
 ほくしん(北辰)/みょうけん(妙見)
 ひとつぼし(一つ星)/しんぼし(心星)
 ねのほし(子の星)
 やらいぼし(遣らい星)/ばんのほし(番の星)
 みぼし(箕星) いて座その他
 なんと(南斗) 
 ひしぼし(菱星) いるか座
 みなみノひとつぼし(南の一つ星) みなみノうお座その他
 ますがたぼし(桝形星)/よつまぼし(四隅星) ペガスス座
 とかきぼし(斗掻き星) アンドロメダ座
 いかりぼし(錨星)/やまがたぼし(山形星) カシオペヤ座
 ごようのほし(五曜の星)

冬の星
 ごかくぼし(五角星) ぎょしゃ座
 ふたつぼし(二つ星)/かどぐい(門杭) ふたご座
 がにのめ(蟹の眼)
 すばる・すまる(昴) おうし座
 むつらぼし(六連星)
 いっしょうぼし(一升星)
 くさぼし(草星?)
 はごいたぼし(羽子板星)
 つとぼし(苞星)
 くようのほし(九曜の星)
 つりがねぼし(釣鐘星)
 あとぼし(後星)
 みつぼし(三つ星) オリオン座
 さんこう(三光)
 さんちょうのほし(三丁の星)
 さんじょうさま(三星様)
 さんだいしょう(三大星)
 しゃくごぼし(尺五星)
 おやにないぼし(親荷い星)/おやこうこうぼし(親孝行星)
 かせぼし(桛星)
 たけのふし(竹の節)
 はざのま(稲架の間)
 たがいなぼし(手桶荷い星)
 どよう さぶろー(土用三郎)
 こみつぼし(小三つ星)/いんきょぼし(隠居星)
 からすきぼし(柄鋤星)
 さかますぼし(酒桝星)
 よこぜき(横関)
 へいけぼし(平家星)/げんじぼし(源氏星)
 つづみぼし(鼓星)
 あおぼし(青星)/おおぼし(大星) 大いぬ座
 さんかくぼし(三角星)/くらかけぼし(鞍掛星)
 いろしろ(色白) 小いぬ座
 めらぼし(布良星)/ろうじんせい(老人星) アルゴ座

琉球の星
奄美の星
アイヌの星
クルス星(南十字)

古典の星
 古典の星
 暁の明星/宵の明星
 流星の和名
 彗星の和名
 保井春海の星名
 二十八宿の星名

解説 (石田五郎)

索引



野尻抱影 日本の星 03



◆本書より◆


「めらぼし(布良星)
ろうじんせい(老人星)
――アルゴ α」より:

「これはアルゴ座の一等星カノープスの和名で、昭和七年の冬、初めて静岡在住の内田武志氏から報ぜられた。
 この星は、中部地方の緯度では、一月から三月へかけ、南の地平とすれすれに濛気の中でどんよりと赤く輝き、間もなく引っこんでしまうので、天文ファンのあこがれになっている。わたしは関東大震災のあと、偶然野づらの果てに見とどけたのだが、その後も数回しか対面していない。
 内田氏はわたしの判断をも聞いてから、「静岡郷土研究」に次ぎの文を発表した。――
   伊東の老漁夫の語る処によると、自分が二十歳の頃マグロを釣る縄船が盛んだった時代に、稲取港から三平丸という漁船に乗込んで出航した。ところが南東方約五十浬の地点で、生死も危ぶまれるほどの大暴風雨に遭遇した。
   その時遙か水平線に大きく明るい一つの星が見えた。すると同船していた房州布良(めら)港出身の一老漁師が、あれはメラ星(ぼし)といって、海上より十間も上れば、まだ見えている中に海中に下ってしまう星だと教えてくれた。そしてあの星が現れると必ず暴風雨になるといった。それからこの漁夫が八年間の縄船乗船中に、二度この星を見ることができたが、いつも暴風雨だったという。
   そんな具合で、伊東の人でも漁師ならば大ていメラ星を知っていて、この星が現れると暴風雨になると信じているという。メラ星の名は、房州の布良の漁師がいうのを聞いたからそう名づけたのだそうで、布良地方でも同じ名で呼ぶということである。
 わたしも内田氏に同意して、これはカノープスの和名だろうと答えておいた。
 中国では昔からこれを老人星、南極寿星などと呼び、「老人星現るれば、治(ち)安く、見えざれば兵起る」などといった。七福神の寿老人は、宋の嘉祐八年にこの星が老人の姿となって都に現れた時の姿を写したものという。
 日本にもこの名を伝えて、陰陽道に老人星祭があり、醍醐天皇の延喜の改元は、老人星が出現したためである。(中略)この寿星がメラボシとなっては、暴風雨の前兆の星というのである。
 さて、これより以前、わたしは上総のオショウボシ(和尚星)の伝説を、故高木敏雄氏の本で読み、後に地元の市川信次、河村翼両氏から別々に報告を受けた。
 それは、昔上総の和尚が常陸に旅していた間に、所持金に目をつけられ、むごたらしく殺された。最後に、わしの怨念は星となって雨の降る前夜には必ず出るから南の空を見よといい残した。果して雨もよいの前の晩には、南の上総の山ぎわにもうろうと、さも怨めしげな星が現れるという話で、殺された村も鹿島郡の××村となっていた。
 なお、市川氏が新治郡牛渡村の漁夫から聞いたという話には、
   寒い頃に汀から向うの岸を見て、上総の山の上に四、五寸離れたところに星がギラギラ見えると、明くる日には風が吹く。土地ではその星を上総の和尚星という。云々
とあった。
 旅僧が殺されたという話は当時としてはありそうだし、それに結びついた星は、後の話では、見える季節・方向・高度もはっきりしているので、架空の星でないことは判る。そして、冬の天気の変り目に南の山ぎわに低く現れ、うらめしげな印象であるというのは、もしやカノープスではないかと、わたしは考えていた。
 そこへメラボシの報告を受けたので、オショウボシもこれと同じ星で、共にカノープスをいうものと思いはじめた。
 次いで房州勝浦で冬を過していた三田派の作家、故松本泰君から、
   この地方に布良(めら)星というのがある。西南風の強い日に限って、南の空に妖しくきらきら光るのが、それだという。何でも房州の突端布良は引網の盛んなところで、よくその舟が沖へ出たまま行方不明になる。その不幸な漁師たちの霊がその星に移っているのだと言われている。
と知らせてきた。これで、メラボシは地元に移って、西南風の強い旧二月に見えるのでは、いよいよカノープスと決まった。そして、死んだ漁夫の霊が移っているという星は、自然に上総の和尚星へと結びついたが、まだ同一視するまでは無理があった。」
「その間に、わたしの台所へ来た浦安の魚売は、ロクブノホシというのがあって、海よりいくらも昇らないと話した。これもカノープスらしいと思ったのだが、この意味が判明したのは、戦争の半ばごろ、新村先生から次ぎのお便りに接してからであった。――
   本日(四月三日)俚言集覧(太田全斎)を見てゐしに偶〃西心星(引用者注: 「西心星」に傍点)といふ名にあたり申候、すでに何かにて御発表と存候へ共申上候。房州布良に見ゆる星、其土俗に云ふ、西心と云ふ道心者化して星となりしといへり。老人星か、或はさもなくとも南方に見ゆる異星の眼にたつものにや御示し可被下候。
 先生の判断されたように、これが老人星のカノープスであるのはもちろん、これでメラボシは西心という坊さまの化したものとも見られ、浦安でいうロクブノホシは「六部の星」に相違なく、同時に上総で殺された旅僧も西心のことであろうと、性急に推断を進めた。
 ところが終戦後、草下英明君が房州の館山から洲ノ崎へ行く途中で、元漁夫だった老人から、メラボシはその辺ではニュウジョウボシ(入定星)と呼んでいて、昔布良から一里ほどの横渚(よこすか)村で入定した僧が、自分が死んだら星になって現れるが、それが出たら必ず しけ になるから船を出すなといい残したことや、その村には今でも「入定さん」の墓も残っていることを聞いた。それで、後にその横渚村を訪ねたところ、小さい不動堂の前に、西春(引用者注: 「西春」に傍点)法師位と寛文七年三月十八日と刻んだ石碑が立っていて、これが入定の日で、毎年当日に立つ市を入定市ということをも確かめた。
 そして近くに住む老漁夫の話では、入定星は、雨がボジボジ降るような日か、あらしの来る前など、南の方角で水から一ひろほど離れたところに見える星で、天気予報になるということだった。これで、草下君は、「俚言集覧」の「西心星」が「西春星」であり、その道心が入定した遺跡までつき留め得たのだから、予期以上の収穫だった。
 興味が深いのは、同じカノープスが一里を隔てると、メラボシがニュウジョウボシとなり、さらに上総から常陸ではカズサノオショウボシとなって亡魂の主を異にし、死んだ理由が変化していることである。
 しかし、どれも天気占になっているのは、土地がら、荒天で死んだ漁師の怪談にひきいられているからで、西春坊の話をした老漁夫も、(中略)自分も波の上にころがる火の玉や幽霊船を見たと熱心にいっていたという。」



野尻抱影 日本の星 02



















































































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ひとでなしの猫

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