阿部謹也 『中世賤民の宇宙 ― ヨーロッパ原点への旅』

阿部謹也 
『中世賤民の宇宙 ― ヨーロッパ原点への旅』


筑摩書房 1987年10月30日第1刷発行
318p 目次1p 口絵(カラー)i
20.8×15.4cm 丸背紙装上製本 カバー 定価2,200円



本書「あとがき」より:

「社会史研究を志してから(中略)この二十余年の間に個別研究はいろいろ行なってきたが、わが国における社会史研究の位置について、あるいはヨーロッパ史研究の意味について省察を加えながら、正面から自分の問題としての社会史研究について考察した論文はそう多くはない。本書におさめた三論文がその主なものである。ヨーロッパをわれわれに直接かかわる面と、ヨーロッパ固有の面との両面からとらえてみようとする意図をもって書かれたものである。第一論文は『社会史研究』創刊号に書かれたもので、私はこの論文をもって社会史研究の新たな一歩を踏み出したと考えている。第二論文はその延長線上にあるものだが、第一論文がわれわれにとってヨーロッパとは何かという問題から出発しながら、ヨーロッパと日本に共通の地盤にまで到達し、そこからヨーロッパに固有なものがどのような形で生まれてくるかを論じたのに対し、第二論文はヨーロッパに固有な公的社会のあり方が生まれてくる最も深いところに探りをいれた論文である。
第三論文は第一、第二論文をふまえて、ヨーロッパ内部における影の部分に注目し、ヨーロッパ中世の人々の心的構造の核にあるものに接近しようと試みたものである。この問題はわが国の被差別部落の成立史とも深い関連をもっていると考えている。
第四、五の文章は講演やエッセイであるが、いずれも第三論文の延長線上で中世における怪異なるものと近代オーケストラ成立の歴史的前提について考察したものである。いずれも試論の域を出ないが、第三論文の二つの宇宙とその一元化という主題がヨーロッパ史においてはどのような分野についても極めて重要な構想となりうることを示すために補論として収めたものである。」


本文中図版(モノクロ)多数。


中世賤民の宇宙1


帯文:

「ヨーロッパ中世の人びとの
心的構造の核にあるものは何か
大宇宙と小宇宙という二つの宇宙のなかで生きていた中世人が、キリスト教の浸透による時空観念の一元化、死生観の転換によって、畏怖の対象であった職業を賤視の対象としてみるようになってゆく過程を考察。」



中世賤民の宇宙2


目次(初出):

私たちにとってヨーロッパ中世とは何か (「國文學」 1987年6月/原題 「いま歴史学から〈中世〉を見る」に加筆)

ヨーロッパ・原点への旅――時間・空間・モノ (「社会史研究」 1 1982年10月)
 一 中世社会史研究の方法によせて――出発点としての自己省察
  「生を捉ふるに学問の……」
  近代の物理的時間意識
  空間観念の構造
  モノをめぐる人間と人間の関係
 二 原点としての中世後期(十一―十五世紀)ヨーロッパの意味
  十二世紀革新論
  歯車時計出現の意味
  「抽象的時間」を示す
  空間観念の革命
  モノをめぐる関係の変化
  売買の関係へ
 三 過ぎゆかぬものを見る目――二人の歴史家
  「われわれの現在」――H・ハインペル
  「さまざまな現代の存在」――上原専禄
 四 初期中世ヨーロッパにおける時間意識
  現代人は急ぐ人
  具体的・人間的な時間意識
  経験のなかにあるもの
  キリスト教的時間意識の形成
  時間意識をめぐる相克
 五 初期中世ヨーロッパにおける贈与慣行
  心性の底を流れる潮流
  贈与・互酬の慣行
  宴会と贈物の役割
 六 ヨーロッパにおける「公的」なるものの成立――贈与から売買へ
  人間と人間の関係の絆としての富
  神への贈与
  「公」的なるものの成立
   1 プレカリア
   2 罰則 Poenformel について

死者の社会史――中世ヨーロッパにおける死生観の転換 (「社会史研究」 4 1984年4月)
 一 死生観の変化
 二 初期中世における死者と生者
  「生ける死体」の観念
  死者の持分
  記憶のイメージ
  生きつづける死者
 三 キリスト教の浸透と死者
  肉体と霊の分離
  神への贈与
 四 遺言書の成立
  キリスト教と個人財産の形成
  遺言書の研究
  宗教的な文言
  寄進と霊の救済
  救済のための寄進の合理化
  自由分の成立と起源
  一方的な相続行為
 五 現世観の変化

ヨーロッパ中世賤民成立論 (「中世史講座」 7 1985年)
 一 賤民研究の問題点
 二 人間狼について
 三 二つの宇宙
 四 小宇宙としての共同体
 五 賤民の成立と解体

中世ヨーロッパにおける怪異なるもの (「千葉史学」 1986年12月)
 賤視の根底にあるもの
 中世の人々の怖れ
 怪異なるもののさまざまな形
 宇宙観の違い
 時間の可逆性
 二つの宇宙
 大宇宙との交流
 畏怖の対象
 被差別民の位置
 メルヘンの誕生
 歴史研究とは

ヨーロッパの音と日本の音 (「is」 35号 1987年3月)
 騒音に対する感性
 目に見えない絆としての音
 二つの「宇宙」の音
 モノフォニーとポリフォニー


あとがき



中世賤民の宇宙3



◆本書より◆


「ヨーロッパ・原点への旅」より:

「水時計、砂時計、日時計などと違って歯車時計においては均一な、周期的な運動が組みこまれ、自然の知らない新たな拍子が創り出されている。ここで「この別の時間とともに私たちの意味での近代がはじまる」とユンガーがいうとき、彼は近代文明の核心をついているのである。何故なら十四世紀半ばには一時間を六十分、一分を六十秒に分割することが通例となってゆくが、このように抽象的な時間の分割が人間の行動と思考の枠を規定してゆくようになるのが近代社会の特徴だからである。(中略)それ以前の世界においてはあとで詳しくみるように時間とは人間存在の外を流れる抽象的なものではなく、あくまでも人間的事象であり、人間の行動が時を定めたのであって時が人間の行動を規定していたのではなかった。昼の時間も夜の時間も一日毎にずれていったし、脈拍や呼吸数が気分や行動によって変化するように、時間の方が人間の行動に合せて変化していたのである。狩の獲物がつかまえられた時が狩の終りの時となり、農民にとっては日の沈むときが仕事の終りでもあった。かつて修道士は詩篇を何回読んだかによって時の経過を計っていたし、ライン河の船曳きも、作業場の職人も歌を唱って仕事のリズムをとっていた。しかるに機械時計は仕事の内容とは関係のない抽象的時間によって仕事を測る装置として以後今日にいたるまで全人類の間に絶大な重要性をもつ座標軸となったのである。」

「かつて空間は均質的なものではなかった。聖なる空間があってそれは聖所、森、墓地などに示されており、一種の不可侵の空間のアジールをなしていた。しかし、すでに十三世紀頃から都市内部では家のアジールは公権力によって認められなくなってゆく。アジールの消滅ほど空間感覚の変化を如実に示している現象はないだろう。」



「ヨーロッパ中世賤民成立論」より:

「ところで中世における賤視のあり方をみてゆくとき、私たちはそれがはじめは畏怖の感情から生じていることを見過すわけにはいかない。現在の私たちにとって賤業とみなされがちな塵芥処理や道路清掃すら、ただきたないという理由だけで賤視されたのではない。私たちはゴミをきたないものと感じ、その感じの底にあるものに目を向けようとはしていない。私たち人間が自らの肉体を通して生み出したものがゴミなのである。糞尿がきたないという感覚すら新しいものであって、古代・中世の人びとは糞尿をただきたないものとみたのではなく、怖れの念をもってみてもいた。だからときに聖者の尿は薬として用いられもしたのである。森羅万象に対する感覚が中世人のばあい現代人とはかなり異なっており、その違いを認識することが中世における賤視の原因を探るうえで、まず第一に行なわねばならないことなのである。ということは、私たちが現代の人間としてもっている基本的な世界像をいったん捨て去ることを意味している。ではその捨て去るべき世界像とは何か。それは近代科学によって構築されてきた均質的な時間、空間観念によって貫かれている世界像である。中世の人間は現在の私たちと同じ目で森羅万象を、世界を見ていたのではなかったのである。賤視とはまず第一に人やモノを見るときの視線の行方であり、その結果生ずる心の動きであり、そこから生ずる行動である。それを規定しているのが人間の世界像であることはいうまでもない。
中世の人間は均質的な時空観念のなかで生きていたわけではなかった。彼らは二つの宇宙のなかで生きていたのである。わかり易くいってしまえば、自然界の諸力を人間が辛うじて制御しうると考えられていた範囲内が小宇宙 Mikrokosmos であり、その外側に人間にはとうてい制御しえない諸霊や巨人、小人、死などの支配する大宇宙 Makrokosmos が広がっていた。この両宇宙は排他的なものではなく、同じ要素からなりたっており、ひとつの宇宙をなしてもいた。」

「汚物や糞尿が生命の源泉であるという考え方は、近世にいたるまで一般的にみられたものであって、魔女や呪術師が治療にこれらのモノを用いたことはよく知られている。汚物や糞尿は人間が辛うじて掌握している人体や共同体から外部へ排泄されたモノであり、排泄された瞬間にそれらの汚物は小宇宙としての人体や共同体の外に出てゆき、大宇宙の要素となるのである。それ故に汚物を処理し、扱う道路清掃人などは大宇宙を相手に仕事をする人間として特別な能力を備えた者とみなされ、畏怖のまなざしでみられたのである。」

「大宇宙と小宇宙という分け方は普遍的なものであり、どこの民族にも程度の違いこそあれみられるものである。賤民は本来どこにおいても、この二つの宇宙の狭間に成立するのではないかと思う。ただし二つの宇宙の狭間に生きる人びとが賤視されるようになるのは、感覚の次元で二つの宇宙の存在が前提とされているにも拘らず、観念の次元で(あるいは教義のうえで)二つの宇宙の枠がとり払われ、一元化されてゆくときではないかと思う。国王や司祭は同じ立場にありながら、一元的に世界を解釈してゆく側に立ったために賤視を免れたのである。」



「中世ヨーロッパにおける怪異なるもの」より:

「われわれが賤視の根源を明らかにしたいということはどういうことかと言いますと、その賤視と同じものを自分の中に発見するという作業だと思うんです。だからヨーロッパ社会を理解するということはヨーロッパ社会の中にあるメンタルな構造というものと対応するものを自分の中に発見する作業だと思うんですね。(中略)ですから賤視ということはどういう事なのか、差別とはどういうことなのかに関心を持つとすれば、それはやはり自分の中に差別する心と言いますか、差別する意識とかそういうものを発見するという作業が同時に必要であって、そういう問題だと思うんです。」


中世賤民の宇宙4


















































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阿部謹也 『ハーメルンの笛吹き男 ― 伝説とその世界』 (平凡社)

「中世都市には「社会復帰(リハビリテーション)」という概念はなかった。貧民、癩者、乞食、盲人、淫売婦なども含めた多様な人間存在がおりなす生活空間が社会そのものなのであった。」
(阿部謹也 『ハーメルンの笛吹き男』 より)


阿部謹也 
『ハーメルンの笛吹き男 ― 伝説とその世界』


平凡社 1974年10月28日初版第1刷/1982年10月15日初版第14刷
223p あとがき2p 参考文献4p 口絵(カラー2点/モノクロ15点)10p
20×15.5cm 角背紙装上製本 カバー ビニールカバー 定価1,800円



本書「あとがき」より:

「民衆史を中心にした社会史はどうしたら可能なのか。これが本書が私に課した大きな課題である。この課題は何よりもまず、これまでの歴史研究、即ち生活現実を理知的に解明せんとして、長い間知識人が行なってきた知的営為そのものに対する批判的反省として、出発しなければならないだろう。」


ハーメルンの笛吹き男1


帯文:

「それは童話の世界の出来事ではなかったのか?
グリムの童話を通じて広く世界に知られている伝説はどうして生まれたのか――笛吹き男はなぜ鼠捕り男なのか――失踪した子供たちはどこへ行ったのか……悲哀の影を宿す伝説の謎を手懸りに、その背後に展がる中世庶民の生の在り方をたずねた書下ろし歴史エッセイ。」



帯裏:

「書名の伝説はグリムやブラウニングを通じて、広く日本にも知られているが、それらの素材となった原伝説は様々な歴史的経緯に彩られている。本書は歴史学の立場から、植民者をめぐる伝説成立の要因を辿るとともに、中世庶民生活の種々相に分け入ってゆく。……生活の苦しさや祭の興奮、子供や寡婦、ユダヤ人や放浪芸人……。さらに伝説の変貌過程で、笛吹き男の登場した理由、政治的宣伝に利用された事情や研究史にまつわるエピソードなどを交えて、伝説を支えてきた世界を明らかにしようとした意欲的な書下ろしエッセイである。
本文中挿図47点・別刷10頁(うち原色版2頁)収載」



ハーメルンの笛吹き男2


目次:

第一部 笛吹き男伝説の成立
 はじめに
 第一章 笛吹き男伝説の原型
  グリムのドイツ伝説集
  鼠捕り男のモティーフの出現
  最古の史料を求めて
  失踪した日・人数・場所の確認
 第二章 一二八四年六月二六日の出来事
  さまざまな解釈をこえて
  『チューネブルク手書本』の信憑性
  ハーメルン市の成立事情
  ハーメルン市の散策
  ゼデミューンデの戦とある解釈
  「都市の空気は自由にする」か
  ハーメルンの住民たち
 第三章 植民者の希望と現実
  東ドイツ植民者の心情
  失踪を目撃したリューデ氏の母
  植民請負人と集団結婚の背景
  子供たちは何処へ行ったのか
  ヴァン理論の欠陥と魅力
  ドバーティンの植民遭難説
 第四章 経済繁栄の蔭で
  中世都市の下層民
  賤民=名誉をもたない者たち
  寡婦と子供の受難
  子供の十字軍・舞踏行進・練り歩き(プロセッション)
  四旬節とヨハネ祭
  ヴォエラー説にみる笛吹き男
 第五章 遍歴芸人たちの社会的地位
  放浪者の中の遍歴楽師
  差別する側の怯え
  「名誉を回復した」楽師たち
  漂泊の楽師たち

第二部 笛吹き男伝説の変貌
 第一章 笛吹き男伝説から鼠捕り男伝説へ
  飢饉と疫病=不幸な記憶
  『ツァイトロースの日記』
  権威づけられる伝説
  笛吹き男から鼠捕り男へ
  類似した鼠捕り男伝説
  鼠虫害駆除対策
  両伝説結合の条件と背景
  伝説に振廻されたハーメルン市
 第二章 近代的伝説研究の序章
  伝説の普及と「研究」
  ライプニッツと啓蒙思潮
  ローマン主義の解釈とその功罪
 第三章 現代に生きる伝説の貌
  シンボルとしての笛吹き男
  伝説の中を生きる老学者
  シュパヌートとヴァンの出会い

あとがき
参考文献



ハーメルンの笛吹き男3



本書より:

「どんな人間でも乞食になったり、盲目、跛になったりする可能性はある。だから中世都市の住民は現代のようにこれらの悲惨な運命をになった人々をまったくの他者として隔離したりせず、自分たちの目にふれるところで見守っていたのである。中世都市には「社会復帰(リハビリテーション)」という概念はなかった。貧民、癩者、乞食、盲人、淫売婦なども含めた多様な人間存在がおりなす生活空間が社会そのものなのであった。」

「これまで述べてきた庶民の祭のあり方をみれば、子供の十字軍やエルフルトの子供たちの舞踏行進が、庶民の鬱屈した日常生活からの瞬時の解放としての祭の延長線上にあったことが容易に推察出来るだろう。日頃の苦しみが深いだけに、大人は祭の興奮のなかにわれを忘れてのめりこんでゆき、子供のことなどは忘れてしまう。子供も祭の喧噪のなかで大人以上の興奮につき動かされ、とどめる者がないまま危険な行動に駆りたてられてゆく。」

「世俗の支配・共同体秩序からも、教会の懐からも閉め出されてしまった人々がどんな悲惨な生涯を送らなければならなかったか、わが国の村八分の例をみるまでもなく、容易に想像しうるところである。」
「当時の放浪者のなかには、(中略)詐欺師的な者も多く、(中略)人文主義者の側から当時の社会の腐敗のあらわれとして痛烈に非難されている。しかしすでにみたところからも容易に推測しうるように、これらの下層民の詐欺行為などは、むしろ差別の結果なのであって原因ではない。こうした放浪者の中に各地を遍歴する楽師の姿もあった。
中世の都市や農村の祭の時に、どこからともなく現われては人々とともに唱い、ひとときの慰めを与えては、どこへともなく去っていった遍歴楽師。彼らは一体どのような存在なのか。この問に一義的に答えることは難しい。彼らはひとつのまとまった身分を形成してはいなかった。王侯の前で演奏していた者があるかと思えば、村々の農民の祭にささやかな演奏で人々を楽しませてもいた。(中略)そもそも彼らの音楽はほとんどみな即興曲であり、(中略)常に聴衆のなかで、聴衆との直接的な触れ合いのなかで彼らの音楽が生み出されていたのである。」

「日々の生活の苦労から瞬時の解放を求める祭の興奮のなかでは、遍歴楽師の身分の低さは問題にもならなかっただろう。むしろ祭の進行や興奮に大きな役割を果す存在として、人々の、とりわけ子供たちの注目を集めさえしただろう。〈一三〇人の子供たちの失踪〉という歴史的事件そのものには、遍歴楽師はほとんどかかわりをもたなかった、と私には思える。彼らが関係していたとすれば祭のなかにおいてであり、それは事件の直接的原因ではなかった。だから中世史料においては歴史的な存在としての〈笛吹き男〉はほとんどその具体的な姿をみせていないのである。それにもかかわらずこの事件がのちに〈ハーメルンの笛吹き男〉の伝説として知られるにいたったのは、遍歴楽師の社会的地位が近代にいたるまで疎外されたものであったという事実と、彼らを差別の目で眺め、悪行の象徴とみたてた人々や「学者」たちがいたからなのである。」

「飢えはいつの時代にも人間をギリギリの状況にまで追い込んでしまう。一三世紀を通じて中部ヨーロッパで人肉食が行なわれたことは確かである。」
「こうして飢えた人々は常に食物を求めて移動する。農民ですら家と耕地を捨てて、あてのない放浪の旅に出る。飢饉の時にはこうして極めて多数の貧民が、全ヨーロッパを食物を求めてうろつきまわっていたのである。われわれは中世政治史や文化史のロマネスクやゴシックの建築に象徴される華麗な叙述の背後に、痩せさらばえ、虚ろな顔をして死にかけた乳児を抱いて、足をひきずるように歩いていた無言の群衆を常にみすえていなければならないのである。」
「飢饉、不作、疫病による人口の絶対的減少だけでなく、このような難民の流浪によっても一定地域の人口は急速に減少した。中世においてはこうした事態はすでにみたように繰り返し生じていたから、ハーメルンにおいても人々が同様な事態に遭遇し、(中略)人口の減少を経験するたびに、彼らのこうした体験の原点ともいうべき一二八四年の〈一三〇人の子供の失踪〉があらためて回想され、語りつがれていったと考えられる。」

「〈鼠捕り男伝説〉に共通していることは、鼠その他の害虫の被害に対して一般の人々は何のなすすべもなく、ただ被害を一方的に受けるばかりであったことと、鼠などを退治し、一般の人々を救ったのは、例外なく見知らぬ男、あるいは都市や農村の共同体内には住まない、非日常的な生活を営む人間であったことである。」
「多くの伝説に共通している〈鼠捕り男〉への報酬の不払い、忘恩というモチーフは〈鼠捕り男〉が前に述べた遍歴楽師と同様に土地に定住しえず、遍歴して歩いていたために共同体的秩序からはみ出した被差別民であったことと、彼らに対する一般の人々の日常の態度・処遇が対等な権利を有する者に対するそれではなかったことを示している。」

「〈笛吹き男と一三〇人の子供の失踪〉の伝説はハーメルンという一都市の伝説でしかなかったが、市参事会の裏切りに対する鼠捕り男の復讐というモチーフが加わったことによって、この伝説は普遍的な意味をもつことになった。
どのような土地にも、自然的・人為的災害が絶えることはなく、どこにおいても庶民の苦しみに対して当局は無為無策であり、無名の英雄によって庶民の苦しみの根源が除去されても、当局はそのような英雄を正しく処遇せず、往々にしてむしろ断罪し、その結果生ずる災難もすべて結局は庶民が担わねばならない。しかも大人の世界で営まれるこうした醜悪な所業の責任をとらされるのは、しばしばいとけない子供たちである。このような「現実」を人々が日々味わわされている限り、この伝説は全世界の人々に訴えかけてゆく力をもっていた。」

「たしかに〈鼠捕り男伝説〉と結合した、〈ハーメルンの一三〇人の子供の失踪伝説〉は歴史的真実の核はもっていても虚像であった。しかしその虚像を史実でないとして否定した啓蒙思想家の多くは、民衆にとって長い年月の辛苦のなかから滴りおちるようにして生み出されて来た虚像の方が、無味乾燥な「史実」よりも重い意味をもっているということを理解しえなかったのである。」

「人間が他の人間を差別の目でみることをやめない限り、〈笛吹き男〉はいつの世にも登場するだろう。」



ハーメルンの笛吹き男4
























































阿部謹也 『中世の窓から』

阿部謹也 『中世の窓から』

朝日新聞社 昭和56年3月30日第1刷発行/昭和57年12月20日第12刷発行
307p 目次3p あとがき2p 参考文献v 口絵(カラー)ii 図版(モノクロ)ii
20×15.3cm 角背紙装上製本 カバー 定価1,600円
装幀・扉挿絵: 安野光雅



本書「あとがき」より:

「一九八〇年二月から七月にかけて朝日新聞夕刊に連載した「中世の窓から」(百回)に加筆訂正をし、さらに第四章第二・三節を新たに書き加えて一書としました。」

本文中図版(モノクロ)多数。
本書は1993年に朝日選書470として再刊されています。


中世の窓から1


帯文:

「大佛次郎賞受賞
現代におけるヨーロッパの、人と人との関係の根源を、中世社会にさかのぼってとらえる。」



中世の窓から2


見返し。


中世の窓から3


目次:

はじめに

I 聖と俗の間――中世都市
 1 市民の暮らし
  中世都市ニュルンベルク
  オイレンシュピーゲルのいたずら話から
  聖者伝説と富の蓄積と
  ニュルンベルク、町の生活
  アジールとしての家、都市
 2 貨幣の役割
  かつて貨幣は主たる交換の手段ではなかった
  税金と人口構成
  貨幣の世界、人間の世界
 3 つきあいの形
  兄弟団を軸として
  つきあいは集団を単位としていた
  兄弟団の序列、ひとはなぜ兄弟団に入ったのか

II 職人絵の世界
 1 一二人兄弟の館
  「一二人兄弟の館」創立
  メンデル家の人びと
  「館の書」・職人絵をとおして
 2 靴職人の世界
  仕事場のなかの職人たち
  靴をめぐる呪術的伝承
  古靴修理職人
  靴屋の仕事場
 3 衣服のタブー
  二枚の肖像画
  衣服規制の変遷
  なぜ中世において衣服規制令が現れたか
  仕立屋の仕事――親方と徒弟と
 4 石と鉄――呪術的世界
  遍歴して歩く石工と都市の石工と
  大聖堂ができあがるまで
  贖宥と聖遺物
  石工の伝統
  ロレンツ教会
  鉄の文様――多彩な中世の鍛冶職人たち
  剣と刀鍛冶の歴史

III 人と人を結ぶもの
 1 仮面の祭り
  シェンバルト祭
  仮面と祭り――シェンバルト廃止の意味するもの
 2 飛脚
  人と人を結ぶ手紙
  飛脚の登場
 3 子供の遊び
  春の遊び
  「鬼ごっこ」他――社会の中の子供、子供の中の社会
  駆けっこ、格闘技、石投げ他……
  ネーデルランドの子供の遊び
  犬と猫へのまなざし

IV 原点への旅
 1 一一世紀の大転換
  「ヨーロッパ」の成立
  巡礼――聖地への旅立ち
  三圃農法の導入と人口増加
  都市へ――千年王国の夢
  一一世紀以前のヨーロッパの状況
 2 贈物で結ばれた世界
  かつて交換や契約は進物のかたちでなされた
  古ゲルマンの世界では――贈与行為の有償性
  贈与をめぐる社会慣行の変容
  市場の形成
  キリスト教と贈与慣行
 3 女性と異端
  貨幣は人間の絆を生まない
  娼婦も市民権をもっていた
  婦人はほとんどの職種から排除されていなかった
  修道院や「神の家」ベギン会での生活
  聖なる絆をもとめて
  異端とされた人びと
 4 時代のはざまで――ユダヤ人
  ユダヤ人の中世と近世
  なぜユダヤ人を?
  ニュルンベルクのユダヤ人
  「自由な人びと」ユダヤ人

V ふたたび町へ
 1 聖性の喪失
  賭博の流行と禁制
  宗教改革、ローマ法の採用と市参事会
 2 音で結ばれた世界
  中世都市は豊かな音の交錯する世界だった
  職人の歌、学生の歌、マイスタージンガーの登場
  どの町にも固有な音の世界があった
  人びとの生活は鐘の音にあわせて営まれた
  共同体のシンボルとしての鐘

あとがき
参考文献



中世の窓から4



◆本書より◆


「市民の暮らし」より:

「たしかに現在でも、ヨーロッパの多くの町に中世のあとを留めている建物や彫刻は、私たちをも魅了するほどですが、これらの文化はフロワサールがいうように、都市の商業活動によって支えられていたのです。中世都市の文化の根底に商業に基づく富の蓄積があったことは明らかなのですが、その富がそのままで文化を生んだわけではなく、富の蓄積に対する反発、あるいは富を否定しようとする根強い意志が他方で強い流れとして存在していたために、傑出したさまざまな作品が生まれたとすら考えられるのです。貨幣経済の展開によって、経済とは全く関係のない学者や文人、芸術家などの活動がはじめて可能となる半面で、これらの人びとの活動が貨幣経済の進展とは異なった方向に文化を導いてゆくことになります。」


「貨幣の役割」より:

「貨幣をめぐる民間伝承は大変古く、すでに紀元前のケルトの金貨について、雷雨のあと、虹の一方の端が地上におりているところに、天からおちてきたものだといわれていました。その貨幣に彫られた像も神を示しているものだといわれていたのです。」
「ここでみておかなければならないのは、貨幣が護符、お守りとして用いられていたことです。」
「紙幣と違って、金属貨幣には金属のもつ呪術的な力が宿っているとみられていたのです。」

「日常生活のなかでの人と人との関係において、貨幣が大きな意味をもちはじめると、ときには奇妙な事態も生じてきます。一六九〇年のことですが、ある小都市の教会の祭壇画が傷んでしまい、実直な画家の親方が修復をしたことがありました。この親方は修復が終わると、教区教会に次のような計算書をつけて代金の請求をしたのです。
 計算書明細
 一、十戒に手を加え、第六戒にニスをぬる……二クローネ
 一、ピラトの前と後ろにラッカーを塗る……三クローネ
 一、大天使ガブリエルに新しい翼をつける……二クローネ
 一、天を広げ、新しい星を描く……二クローネ
 一、全くはげてしまった聖マグダレナを新しくする……三クローネ
 一、賢き乙女を調べ少し筆を入れる……一クローネ
 一、紅海についた蠅のしみをきれいにする……三クローネ
 一、世界の終末を少しのばす、短かすぎるから……四クローネ
 一、地獄の火を大きくし、悪魔の顔をゆがめる……五クローネ」



「子供の遊び」より:

「春になると子供たちの遊びは数えきれないほどありました。子供たちが葦笛を吹きならしていたことを、すでにヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハは伝えています。(中略)子供たちは花輪をつくり、わらしべをぬいては占いをしました。ヴァルター・フォン・デア・フォーゲルヴァイデも、わらしべの長さを測り、恋人が思いを聞き入れてくれるかどうか、「聞いてくれる、くれない、くれる、くれない」と占った歌をのこしています。わらしべは、中世の社会においては所有権の移転の際に象徴として用いられ、法慣習のなかで重要な役割を果たしていました。一五〇二年の文書でも、所領を兄弟に譲ろうとした男が裁判所において裁判官からわらしべを与えられ、それを兄弟に手渡すよう命ぜられています。」


「女性と異端」より:

「かつて次のようにいった人がいます。「人間は自分がそのなかに住んでいる現実の状況を、自分がそれにうまく適応している限り、理論的に把握しえない。そのような存在条件のもとでは、人間は自分の環境を、いかなる問題をも提起しない自明の世界秩序の一部とみなしがちである。」この言葉は学問をする者だけでなく、すべての人びとにとって物事をみるときの重要な視点を教えてくれます。
中世社会をみようとするときも、この社会のなかでうまく適応出来る人びとだけをみていたのでは、この社会の本質をとらえることはできないでしょう。」



「音で結ばれた世界」より:

「ヨーロッパの人びとは、中世においてなお、おそろしい未知の世界にとりかこまれていると感じていました。中世の森はオオカミや野生の人が棲む未知のおそろしい世界でしたし、夜になると森の世界は家の戸口までおしよせてくるのです。夜は森の世界でした。オオカミも森とともに戸口の近くまでやってきます。
朝になって陽が昇ると森は再び昼間の境界線まで後退してゆくのです。夜になって森が戸口までおしよせてきたとき、オオカミや野獣の叫び声や梢を渡る風の音は、おそろしい未知の悪霊の世界からの叫び声と考えられていました。」



中世の窓から5


扉絵は安野光雅。


中世の窓から6























































阿部謹也 『中世を旅する人びと ― ヨーロッパ庶民生活点描』

阿部謹也 
『中世を旅する人びと
― ヨーロッパ庶民生活点描』


平凡社 1978年6月14日初版第1刷/1979年11月9日初版第10刷
251p あとがき2p 文献目録vi 口絵(カラー)ii
20×15.5cm 角背紙装上製本 
カバー ビニールカバー 定価1,900円
装幀: 勝井三雄



本書「あとがき」より:

「『月刊百科』に連載した「中世庶民生活点描」を集めて一書とした。新たにI、II-3、III-5、Vのあわせて六章を加えた。「中世庶民生活点描」は一九七五年五月号から一九七七年九月号まで一〇回にわたって連載されたものだが、再録にあたって必要な部分にわずかの修整を加え、図版を追加した。」


中世を旅する人びと1


帯文:

「中世民衆の生活にもう一つのヨーロッパを探る
遍歴職人、放浪者、ジプシー、羊飼い、農民、粉ひき、パン屋、肉屋、さらに渡し守、居酒屋、旅籠、共同浴場などを経めぐって庶民の生活を掘り起し、民衆本オイレンシュピーゲルから庶民の笑いの肉声を聞きだす。前著『ハーメルンの笛吹き男』につづき、新たな歴史をめざす労作。」



帯裏:

「農民という〈身分〉はいつごろ、いかにして生れたか、そして都市の市民の眼に農民はどのように映っていたのか? 肉屋、パン屋、石工等々の同職組合はどのような役割を果してきたのか、また職人たちはなぜ遍歴の旅に出るようになったのか? 風呂屋や粉ひきはしばしば賤民視される一方、共同浴場や水車小屋は犯罪者が追っ手から逃れるアジール(避難所)でもあったが、それはなぜか? 放浪の民ジプシーの眼に定住民の世界はどのように映り、また定住民は彼らをどう見てきたのか?――民衆の生活と習俗に即して、人間と人間の関係の変化を探る意欲的な試み。
図版65点収載」



中世を旅する人びと2


目次:

I 道・川・橋
 1 村の道と街道
 2 川と橋

II 旅と定住の間に
 3 渡し守
 4 居酒屋・旅籠

III 定住者の世界
 5 農民
 6 共同浴場
 7 粉ひき・水車小屋
 8 パンの世界

IV 遍歴と定住の交わり
 9 牧人・羊飼い
 10 肉屋の周辺

V ジプシーと放浪者の世界
 11 ジプシー
 12 放浪者・乞食

VI 遍歴の世界
 13 遍歴する職人
 14 ティル・オイレンシュピーゲル

あとがき
文献目録



中世を旅する人びと3



◆本書より◆


「農民」より:

「市民は都市のなかで独自な文化を築きあげ、都市の人文主義を生みだしていった。市民の都市的教養が都市文化の擡頭とともに教養のすべてを意味するようになって、市民的教養から排除されていた農民は無教養な存在として、人間的価値においても劣るものとみなされたのである。都市の住民の目には農民は泥くさい者として皆の嘲笑をあびる存在であり、おかしな格好をして、馬鹿な振舞いをする奇妙な者たちであった。このように農民を馬鹿にすることによって、農民が都市の住民のために働いていること、そして都市の住民が農民を搾取していることをみずから覆いかくしていたのであった。」
「しかしどんなに田舎者を馬鹿にしてみたところで、ヨーロッパ中・近世都市の住民は本来農村の出身者であり、都市の原理すら農民的思考世界のなかから生れたものであった。」
「ションガウアーの粉ひきの絵にみられるような動物的な表情や、(中略)セバスチャン・ブラントの『阿呆船』に登場する単純で虚栄心にあふれた農民の姿は、市民的教養を絶対化するところから生れた市民層の農民蔑視を示しているといわれる。彼らは農民と深く付き合ってこのようなイメージをえたのではない。市場などでたまたまみかける農民の姿に嫌悪感をいだき、農民を嘲笑しながら市民としての自分の生活を、それとは違ったものとして意識しようとするところから生れたものである。農民を嘲笑し、蔑視することによってようやくわが身を支えたのである。市民もさかのぼれば農村の出だったからである。」

「人と人との関係において最大の問題はいうまでもなく刑罰である。中世における刑罰は一見残酷にみえるが、その根底には代替可能性と偶然性の思想があった。村落共同体においては境界侵犯者に対する「刑罰」規定は峻厳を極めた。たとえば境界標石を掘り起した者はその場所にベルトまで埋められ、頭を犂でけずりとられる。しかしこのばあいにも、犂の扱いに慣れていない者が耕作に慣れていない馬または牛を使っておこない、三回走って頭を犂で切り落せないときは、犯人の命は助けられたのである。(中略)中世、とくに一三世紀以前における「刑罰」は近代法のそれと違い、命をとることに目的があったのではなく、「犯罪」によってけがされた世界の秩序を回復するための儀式であったから、一定の処置(儀式)が終れば犯人も助けられたのである。この意味で多くの「処刑」は偶然に左右される「不十分」なものでよしとされた。
森の木は農村の生活にとって不可欠なものであったから、森の木の皮をはいだ者は木に縛られ、腹から腸を引きだされ、その腸は木の皮が再び生えるまで木のまわりにまかれる。木を切った者も頭を切り落され、木の芽が再び生えるまで幹の代りにおいておかれる。」
「これらの「刑罰」は大変残酷であるが、現実に執行された例は少ないといわれる。もしこれらの犯罪について法が執行されればこのようになるということを、あらかじめ示すためのものであったと考えられるのである。現実には賠償金でほとんどの刑は代替しえた。」
「以上はいずれも現行犯のばあいであって、現行犯で捕えた者は殺人犯のばあいは、被害者の縁者がその場で殺してもよいことになっていた。しかし犯人が家のなかや墓場、教会、その他避難所(アジール、フライウング)と認められている場所に逃れたばあいは、誰も手を出すことができない。逃亡者は六週間と三日の間、避難所にとどまることができた。その間に被害者側と示談の交渉をするのである。」



「パンの世界」より:

「穀物食用の発展の一つの極としてのパンはどこでも大きな力を秘めているとみなされ、人間の生命を維持する食物とされていた。」
「種子蒔きと収穫のさいの成長と実りのシンボルとしてのパンは中世の人びとの家庭にとってはかけがえのない食糧であり、生存と家族の絆のシンボルでもあった。」
「キリスト教が浸透してゆくなかで、成長や実りの霊への畏怖はその教義のなかにとり込まれ、中世の説教ではマリアは耕地であり、それが神の露をうけて穀物を生むとされ、イエスは生命のパンであると説かれていた。パンは天の贈物でもあり、パンを誤っておとしたらただちに許しを乞わねばならない、といわれた。ラインラントでも子どもがパンをおとすと神様が来るぞと叱られた。チロルでもパン屑を大切にして貧民に分け与えるよう子どもらに教え、そうしないとフラウ・ヒュットのようになるぞとおどされた。フラウ・ヒュットはほかに何もなかったので、自分の子どもの汚れをパン屑で拭いたため、罰として石にされたのである。」



「ジプシー」より:

「前章までわれわれは主としてドイツの民衆のなかでもこれまであまり注目されることのなかった下積みの人びとを観察してきた。農民、浴場主、粉ひき、牧人・羊飼いなどは、当時の西欧世界のなかでは自分の意志を政治の世界に反映させることのできない、いわば忍苦の生活を強いられた人びとであった。ところがこの民話の主人公であるジプシーの目からみればこれらの人びとですら、ドイツ語ができるというただそれだけの理由で「どこでも渡ってゆける人びと」にみえたのである。
ではこのように西欧社会のすべての層に対して、「俺たちとは違う連中なのさ」という目でみるしかなかったジプシーとは一体何者なのだろうか。」
「彼らが文書に姿を現わした一五世紀の最初の数十年を除いて、西欧におけるジプシーの歴史は弾圧と受難の歴史であったといってもいいすぎではない。」
「トーマス・マンの『トニオ・クレーゲル』のなかでも、「僕たちは緑色の馬車に乗っているジプシーなんかではなく、ちゃんとした人間なのだ」とトニオはいっている。「ちゃんとした人間」の対極にあるのが今でもジプシーのイメージなのである。
しかし社会史の研究においてはちゃんとした人間だけが対象となるのではない。(中略)われわれはジプシーの世界を観察することを通じて、ヨーロッパの民衆の世界をみなければならないのである。これほど長い間、現代にいたるまでヨーロッパ世界のほとんどすべての人びとから賤視されつづけてきたジプシーの目には、ヨーロッパの定住民の側に立つかぎりみえない何かがみえていたに違いないからである。」
「どのような理由、事情からにせよ、数百年以上にわたって放浪生活をつづけるかぎり、そこには定住生活にはみられない独自の価値観と人生観が生れざるをえない。
ごく当然自明なことだけをみても彼らは土地を所有しない。放浪者にとって当然なこととはいえ、これは大変重要な事実である。彼らは農業を営まない少数の民族のひとつなのである。定住文化のほとんどすべてが農耕文化としてはじまったことを考えると、この基本的事実が大きな意味をもっていることがわかるだろう。ついで農耕生活=定住文化から必然的に生じてくる階層分化が彼らの間にはみられない。ひらたくいえば、彼らの間では立身出世という考え方も生き方も皆無なのである。当然、立身出世や社会的序列のシンボルである衣服による差別はない。そもそもジプシーは古着しか着ないのである。」
「ジプシーは自分たちのことをロム Rom (人間)とよんでおり、ジプシーもチゴイナー Zigeuner もヒタノス Gitanos もすべてヨーロッパ人が彼らをよんだ名前なのである。」
「ジプシーは客を歓待する民族であったといわれる。彼らは定住民の側からはみだした「犯罪者」であろうと、どんな人物であっても助けを求めてきた者を泊め、飲食物を与えた。(中略)官憲から追われた人びとにとってはジプシーの群れは格好の隠れ場所であった。」
「いたるところで「犯罪者」や詐欺師、放浪者とともに旅をしているジプシーの姿がみられた。これらの人びととともにあるとき、肌の色も目の色も違っていたとはいえ、ジプシーは民族の違いをこえて心安らかであった。しかしそれと同時にジプシー迫害の歴史がはじまったのである。」
「五〇〇年以上にわたる激しい弾圧と極端な差別のなかにありながら、ジプシーは誇り高い自負心と人間に対するやさしさを決して失うことはなかった。彼らの内面生活は大変豊かで自足しているが、そのことは定住民、とくに物質文化の価値を至上のものとして信じて疑わない人びとには理解しえない。しかしジプシーの毅然とした態度、人に媚びることなく、豊かさを羨むこともない、自信にあふれた生活様式は、彼らの群れに神秘的な深みをそえ、西欧人はジプシーをただの乞食とは違った不可解な存在としてみたのである。」
「定住民のなかを旅する放浪者ほど孤独なものはない。ジプシーは定住民に受けいれてもらわなければ生きてゆけない。そのために彼らは定住民の言語を学び、定住民の宗教も受容し、定住民の好みに合せた音楽を演奏し、踊りを見せる。こうした演技のために彼らと定住民との間の溝はますます深くなる。ジプシーの素顔は、仲間とロマーニ語で話すときにしかみられないという。ヤン・ヨアーズはジプシーの群れのなかで成長し、あるとき果樹園に盗みに入ったところを農民に散弾銃で撃たれ、農民の非人間的行為に大変腹をたてた。そのとき養父がいった。
 「お前はまだお前を泣かせたり、怒らせたりする相手にうんと愛着をもっている……愛着があるからこそ憤り、彼らから良いことを期待するのだ。……ジプシーにとって人生とははてしのない水の流れであり、形を定めず、ゴールもなく、清濁あわせのむ急流のようなもので、そのなかで人が占める位置とは倦怠と疑惑というあまりに人間的な弱みを許さずに、たえず自己をかたちづくる作業のようなものである。人生における根本的なるものをもとめるあくなき衝動があるかぎり、人はそのさまざまな試練に自分のやり方でたち向かい、自分でなれるものになることは自由だ。これこそ自由というものだ。」
ジプシーの生活は二重生活である。定住民が彼らを理解することは絶対にといってよいほどない。その定住民に対して演技しつづける生活と、星空のもと、仲間の集いで歌を唱い、食事を楽しむ心の安らぐ生活、このいずれも彼らにとって不可欠な生活の実体をなしている。
ひとたびすべての人を他者とみたとき、あたかも世界中の樹木や小川が故郷となるように、個々の人間や村への執着から自由となって、人間そのものがジプシーにとっては親しいものにみえてくる。」



「ティル・オイレンシュピーゲル」より:

「正規の職人とは(中略)両親が当該の町の生れで、賤民出身ではない、身分も素姓も明らかな者で、町の親方のもとで真面目に徒弟期間を勤め、職人に採用された者のことをいう。氏、素姓も明らかではない農民の子弟には職人になるチャンスもそう多くはなかったのである。正規の職人には、数年の遍歴期間が過ぎれば、保証されているわけではないがどこかで親方になる可能性はあった。しかし本来職人に採用されたわけでもないもぐりの職人には、何年つとめても親方になる可能性はまったくない。こういった連中は社会的上昇の可能性を絶たれているから屈辱に耐えることができない。せいぜい、今日、明日の飲食のためにしばしの屈辱に耐えるのみであって、春が廻って来て遍歴の季節が到来するまで我慢に我慢をかさねて冬をすごし、腹立たしい、憎んでも憎みきれない親方にも礼儀正しく挨拶をして別れを告げ、「人間的に成長してゆく」必要すらないのである。カッと腹をたてれば、「どんなに冬の寒さが厳しくても思い知らせずにはおくものか」と考えて、仕返しをしてとび出してしまう。」


中世を旅する人びと4




























































阿部謹也 『「世間」とは何か』 (講談社現代新書)

「わが国の文学の世界はいかに多くを一種の「隠者」に負うてきたことだろう。隠者とは日本の歴史の中では例外的にしか存在しえなかった「個人」にほかならない。日本で「個」のあり方を模索し自覚した人はいつまでも、結果として隠者的な暮らしを選ばざるをえなかったのである。」
(阿部謹也 『「世間」とは何か』 より)


阿部謹也 『「世間」とは何か』 
講談社現代新書 1262

講談社 1995年7月20日第1刷発行/2007年2月13日第25刷発行
259p 新書判 並装 カバー 定価740円(税別)
カバー・表紙デザイン: 中島英樹
章扉デザイン: 赤崎正一



ドイツ中世史の阿部謹也が、ヨーロッパは (/ー ̄)/置いといて、万葉集から金子光晴に至る日本の文学作品に読む、「差別」意識の温床としての「世間」に対する「隠者」たちの闘いの諸相。


世間とは何か1


目次:

はじめに

序章 「世間」とは何か

第一章 「世間」はどのように捉えられてきたのか
 1 歌に詠まれた「世間」
 2 仏教は「世間」をどう捉えたか

第二章 隠者兼好の「世間」
 1 「顕」と「冥」がつくりなす世の中
 2 神判と起請文
 3 近代人兼好

第三章 真宗教団における「世間」――親鸞とその弟子達
 1 親鸞の「世間」を見る眼
 2 初期真宗教団の革新性

第四章 「色」と「金」の世の中――西鶴への視座
 1 西鶴の時代
 2 恋に生きる女達
 3 「金」と世の中
 4 「色」と「金」で世をみる
 5 「艶隠者」西鶴

第五章 なぜ漱石は読み継がれてきたのか――明治以降の「世間」と「個人」
 1 「社会」の誕生
 2 「世間」の内と外――藤村の「破戒」
 3 「世間」の対象化――「猫」と「坊っちゃん」
 4 「世間」と付き合うということ――「それから」と「門」

第六章 荷風と光晴のヨーロッパ
 1 荷風の個人主義
 2 光晴の歌った「寂しさ」

主要引用・参考文献

おわりに



世間とは何か2



◆本書より◆


「隠者兼好の「世間」」より:

「最も注目されるのは、兼好がこれまでの歌人や文人と違って、世間のしきたりを無視する姿勢を評価している点である。そのような例として第六十段があげられるだろう。
いもがしら(さといもの球茎)ばかり食べ、貧しい暮らしをしていた高僧が銭二百貫と僧坊を師匠から遺産として貰い、それをすべて芋に代えて食べてしまった話である。「世を軽(かろ)く思ひたる曲者(くせもの)」である。この高僧は、すべてのことに勝手気ままに暮らし、朝廷の宴席でも作法を守らず、眠いといきに眠り、食べたいときに食べていた。このように「尋常(よのつね)ならぬさま」であったが、「人に厭(いと)はれず、よろづ許されけり。徳の至れりけるにや」とある。いわば世間の掟を守らなかった男の行動を評価しているのである。」

「兼好と漱石を結んでいるものは個人主義だといってよいだろう。わが国で個人主義を貫くことは容易ではないが、二人ともそのために努力したのである。第二百四十三段に、兼好が八歳のとき、父に「人は何(なん)として仏には成り候ふやらん」と質問したことが書かれているが、誰でも子供のときにはこのような質問をするかもしれないとしても、長ずるに及んでこのような質問自体を忘れてしまうものである。兼好は自己を主にして、ある意味で自己本位に生きようとしたのであり、この質問も子供のときのものという形をとっているが、年をとった兼好のものともいえよう。
兼好の場合は世のはかなさを歌っているわけではない。世がはかないものであることを十分承知の上で、その世の中でどのように生きてゆくかを説いているのである。これまで扱ってきた歌人達とはまったく姿勢が違うのである。ただ兼好が生きていた時代は近代ではなかったから、兼好が自ら納得が行く生き方をしようと思えば隠遁するしかなかった。それは今でもある意味では同じであるが。」



「「色」と「金」の世の中」より:

「西鶴が幕藩体制的支配機構をどのように捉えていたかについては簡単には答えられないが、「好色一代男」という主題からして暗示的である。幕藩体制社会においては家の存続は何よりも優先される目的であった。好色もその面から認められていたのである。したがって(中略)「一代限り」を表題にしたこの話は、そもそも当時の社会体制に正面から対決するものでもあったのである。」

「すでに「徒然草」についてみてきたように、わが国の歴史上の人物の中で世間や世の中を対象化して捉えようとしたり、し得た人は非常に少なかったが、その稀な一人である兼好法師は隠者であった。兼好に次いで世の中や世間を対象化し得た人物が西鶴であったと私は考えているのだが、(中略)西鶴は町人の出であるが、いわゆる「艶隠者(やさいんじゃ)」とされる人物であった。」
「隠者とは、すでに述べたようにそのときどきの世間や俗を離れて暮らそうとする人々のことであった。その世間や俗は時代によって一様ではなく、ときには僧の世界そのものが俗であることもあった。しかし一般的にいって隠者的な暮らしをした者こそが、この国において「世間」や俗を相対化することができたのである。」



「なぜ漱石は読み継がれてきたのか」より:

「society という言葉は、それぞれの個人の尊厳が少なくとも原則として認められているところでしか本来の意味を持たない。わが国で individual という言葉の訳語として個人という言葉が定着したのは、(中略)明治十七年(一八八四)頃であり、社会という訳語に約七年遅れていた。それ以前にはわが国には個人という言葉がなかっただけでなく、個人の尊厳という考え方もわずかな例外を除いて存在していなかったから、この訳語の成立は決定的な意味をもっていた。しかし現実にはいまだ西欧的な意味での個人が成立していないところに西欧の法・社会制度が受け容れられ、同時に資本主義体制がつくられ、こうして成立した新しい状態が社会と呼ばれたのである。」
「しかしわが国においては、個人の意識はこの百年間の事態の推移にもかかわらず、十分な形で確立しなかった。個人の尊厳がいまだ十分には認識されていないことはすでに序章において述べたとおりである。(中略)こうした事態の中で一般民衆は従来の人間関係を感性の次元ではもち続け、それが部落差別の存続という形で残り、またそれが世間という言葉を存続させる契機ともなっているのである。」
「島崎藤村の「破戒」(中略)。丑松が自分の人生を振り返る場面で、「あゝ、あゝ、捨てられたくない、非人あつかひにはされたくない、何時迄も世間の人と同じやうにして生きたい」と考える場面がある。ここではっきりと世間の中には非人は入っていないことになる。世間は被差別部落の人達を差別し、自分達はそれらの人達とは区別される人間であるということを暗に示す言葉となっているのである。
このとき以来「世間」という言葉は百年の間数えられないほど使われてきたが、このような意味合いをすっかり払拭してきたといえるのだろうか。そのような努力をせずにこの言葉を使っているとしたら、学究としては怠慢といわねばならないだろう。(中略)私達はこの言葉を日常会話の中で温存し、文章語からは追放して実態を糊塗(こと)してきたのである。」

「漱石の作品が読み継がれてきた一つの理由には、世間や社会に背を向けようとしたその視点があったといえよう。このような視点に立って初めて日本の社会と個人の主要な一面が見えてくるからである。」
「このように見てくると(中略)、わが国の文学の世界はいかに多くを一種の「隠者」に負うてきたことだろう。隠者とは日本の歴史の中では例外的にしか存在しえなかった「個人」にほかならない。日本で「個」のあり方を模索し自覚した人はいつまでも、結果として隠者的な暮らしを選ばざるをえなかったのである。」



「荷風と光晴のヨーロッパ」より:

「荷風はアメリカを経てフランスで暮らし、日本に帰ってきたとき、父親から今後どうするつもりかと問われ、「世の中に何(なん)にもする事はない。狂人か、不具者と思つて、世間らしい望みを嘱(ぞく)して呉(く)れぬやうに」(「監獄署の裏」)と答えている。」

「西欧における個人主義は、原理としては個々人は互いに理解しえないものだという点をふまえながらも、この個人がどのようにして社会をつくるのかという展望を持ち、社会との絆を拒否する人にもそれなりの場が用意されていた。しかし、日本で荷風を取り巻いていたのは、社会ではなく「世間」であったから、荷風には西欧流の個人を生きる道はなかったのである。」

「日本の世間や世の中からできるだけ身を離し、世間的な付き合いを避け、非情に生きることを選んだ荷風だからこそ、このように当時の社会と政治を突き放して見ることができたのであった。しかし荷風自身は自分をそれほど信用していなかった。」




こちらもご参照下さい:
キャサリン・サンソム 著/西脇マージョリー 挿絵 『東京に暮す』 (岩波文庫)

「日本人は国民の幸福のためには個人の権利を放棄しなくてはならないと考えます。それで個人の自由を大切にする私たち西洋人が、日本人と同じように国民の幸福を望んでいることが理解できないのです。
現在の変化しつつある世の中では、よいものを一部の人が占有するのでなく、みんなが共有するためには自由に制限を加える必要があるというのはもっともな意見で、私たちイギリス人も賛成です。それでも私たちにとっては命ともいえる個人の自由を放棄することは拒みます。」

こちらもご参照下さい:
フィリップ・K・ディック 『スキャナー・ダークリー』 (浅倉久志 訳)
P. F. Neumeyer (ed.) - Floating Worlds: The Letters of Edward Gorey and Peter F. Neumeyer
















































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー

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