服部幸雄 『江戸歌舞伎論』 (叢書・日本文学史研究)

「江戸時代のさまざまの文化はまさしく「紋切型」であった。「紋切型」であることによって、それは雑草のごとくにたくましく、したたかであり、反権力的であり得たのだ。」
(服部幸雄 「「紋切型」の攻撃性」 より)


服部幸雄 
『江戸歌舞伎論』
 
叢書・日本文学史研究

法政大学出版局 
1980年12月30日 初版第1刷発行
416p 目次3p 索引13p 
口絵4p(うちカラー2p)
四六判 丸背紙装上製本(背バクラム) 機械函 
定価3,800円



本文中図版多数。


服部幸雄 江戸歌舞伎論 01


帯文:

「江戸歌舞伎の作者・演技者・観客それぞれの成立背景を舞踊、浮世絵、文学、俳諧、庶民信仰、社会生活にわたる江戸文化への多角的考察を通して浮彫にし、江戸時代250年間における都市民衆の実生活と生活意識の変遷の中に歌舞伎創造の秘密を探る独自の文化論。」


帯背:

「作者・演者・観客の
文化史的背景を探る」



目次 (初出):


歌舞伎の類型の論理について――序にかえて (「演劇」 昭和53年5月)


歌舞伎――構造の形成 (『日本の古典芸能 8 歌舞伎』 昭和46年4月)
花道考 (「劇場技術」 16 昭和48年4月)
江戸歌舞伎の観客 (「芸能史研究」 昭和50年7月)
「序びらき」の意義 (『国語国文学論集』 松村博司教授定年退官記念 昭和48年4月)


「紋切型」の攻撃性 (「学士会報」 昭和52年1月)
化粧の図像学 (「肉体言語」 昭和54年3月)
歌舞伎の俳諧性 (『鑑賞日本古典文学 33 俳句・俳論』 昭和52年10月)
変化舞踊の構成法に見る俳諧精神 (「舞踊芸術」 昭和45年10月―46年6月)
江戸歌舞伎と浮世絵の聖性 (「古美術」 昭和52年12月)
都市民衆の宗教意識 (「季刊 現代宗教」 昭和51年6月)


「ふり」をめぐっての断章 (「舞踊芸術」 昭和46年7月―47年6月)
日本人の身ぶり表現 (「言語生活」 昭和46年12月)


合巻などより見た三代目瀬川如皐 (「季刊 歌舞伎」 昭和49年1月)
黙阿弥の白浪物 (「季刊 歌舞伎」 昭和44年1月)

初出一覧
あとがき
索引



服部幸雄 江戸歌舞伎論 02



◆本書より◆


「歌舞伎――構造の形成」より:

「いまさら言うまでもあるまいが、「かぶく」とは、傾くことであり、正統でない異端のものであることを行為によって示すことである。因襲や既成の秩序に反抗して、新鮮なものに無鉄砲に憧れを示すことである。「かぶく」ことは、中庸を得た常識人のなし得ることではない。しかし、あらゆる人間の本能的な潜在的欲求であると言える。それは自由への憧れである。いささかも理性的ではなかったが、なまの生の発現であった。それは、町人層が内心に秘めた解放のエネルギーの表象でもあった。いま眼前にある歌舞伎踊の芸能に対して、彼らは、彼らの最も大切な、今日を生きる「ちから」を見た。そして、これに合一することに生命の喜びを託した。それが、これこそ「かぶき」だとして、その名を与えたことの真意であったろう。」

「後世の歌舞伎芸が、ごく写実的な演技を中心とするようになってもなお、一面に舞台機構や仕掛けの工夫を駆使して、早替り・宙のり・水からくりなどの見世物芸的要素を最後まで切り離すことをしなかったのは、それが歌舞伎の体質として当初から持っていたものであるからだ。
 女歌舞伎・若衆歌舞伎から伝えた「好色」(芸態としては能・狂言の様式をわがものとして改革した)の要素、若衆・野郎歌舞伎から伝えた「変化(へんげ)――新鮮な驚き」(見世物芸の導入による)の要素、そして野郎歌舞伎時代にわがものとした「異常――残酷・再生など」(物語り性と同時に浄瑠璃から吸収した)の要素、その三つの要素が、歌舞伎の基本的性格を形成していると私は考えている。そして、その各要素を大きく包みこんでいるのが、近世の都市芸能の特殊な性格を決定している「体制への反抗精神」であり、また「奢侈への憧憬の実現」であると考える。つまり「かぶく」精神である。」

「河原乞食・制外者として賤視され、金銭で購われて売色をする、その暗くよどんだ精神と肉体が、金銭および四民と対等になり得るに足る名声獲得への飽くなき情熱を支えとして、彼らを芸の修行へとかり立てたのだ。同じ境遇の遊女が吉原という城郭にならった廓(くるわ)に立てこもる限りは、その主(あるじ)であったように、役者も芝居小屋に立てこもる限りにおいては、一城の主として君臨した。表面いかにはなやかで、きらびやかな錦繍をもって飾ったとしても、その底には常に「かげり」が漂っており、そこに、ひねものの、ふてくされた居直りの強靭さをさえ感じさせられるのは、こうした歌舞伎役者とそれを取り巻いている芝居者の置かれた特殊な立場が生み出したアウトローの精神だった。それは、とりもなおさず、幕末に至るまで担い続けた歌舞伎の肉体と言うべきであった。」



「江戸歌舞伎と浮世絵の聖性」より:

「「絵」は畏敬すべき呪具であり、図像は礼拝すべきものと考える観念は、永く日本人の深層の心意となって伝承されつづけていたと考えねばならない。とりわけて、鑑賞すべき対象としての「絵」を持った経験の皆無である庶民大衆にとって、絵画が宗教以外の目的を持つものであるなどとは、とうてい考えられなかったに違いない。
 有名なキリシタン弾圧の際、長崎における「踏絵」にしても、当時の庶民たちが「絵」そのものに対して抱いていた格別の信仰心と極度の懼れを背景にして考えるのでなければ、「絵」を踏まされた人たちの心情を正しく理解することは難しかろう。後のいわゆる隠れキリシタンが、まるで密教における「隠し神」を祀るかのように、納戸神(なんどがみ)と呼んでひそかに聖母マリアとキリストの画像を祭祀していたのを見ても、庶民信仰と絵画との根の深い結び付きを知らされよう。」

















































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服部幸雄 『変化論 ― 歌舞伎の精神史』 (平凡社選書)

「風流の踊りは、演者自身が御霊に変身して狂うことを本義としていた。念仏踊りのあるものが、踊り手はすべて黒い布で顔を覆う、異様なスタイルで踊るのが、その本義を伝えている。踊り手は、亡者の霊そのものだったのである。役者はその本質を受けついで変身者の資格を身につけた。そして彼らは、社会的には体制から疎外された賤民であった。体制から徹底的に卑賤視されることによって、かえって彼らは神に変じ得る身となった。かくして、日本の芸能は「怨念の劇」を育てた。」
(服部幸雄 「喪われた怨霊」 より)


服部幸雄 
『変化論
― 歌舞伎の精神史』
 
平凡社選書

平凡社 
昭和50年6月2日 初版第1刷発行
269p 
四六判 丸背布装上製本 カバー 
定価860円
装幀: 原弘



本書「変化論」より:

「「変化」をヘンゲと訓ずるのは、もと仏語から出ている。同じ表記の「変化」でも、これをヘンカと発音する場合とは意義と用法を異にしている。(中略)いま私が問題にするところは、ヘンゲであって、ヘンカではない。」


巻末に「死霊解脱物語」(国立国会図書館所蔵本)が翻刻掲載されています。
本文中図版多数。


服部幸雄 変化論 01


帯文:

「グロテスクな怪談から絢爛たる舞踊劇へ――
様々に洗練され変容する歌舞伎の変化(へんげ)の世界に光をあて、見立て絵、死絵を素材に遊びと宗教が微妙に交錯する江戸庶民の精神史を探る」



帯背:

「江戸庶民の信仰と
遊びに光をあてる」



挟み込み「平凡社 新刊と近刊 1975 5」より:

「累(かさね)の怨霊譚は鶴屋南北をへて円朝にいたるまで、250年もの間、芝居、舞踊、講談とさまざまに変容し、洗練されつつくりかえし上演された。累狂言に代表される変化の世界に、江戸民衆の独自な信仰と精神の軌跡を探る。」


目次:


ひとつの伝統芸能論――生活・宗教・遊び
変化論
 はじめに
 「変化」の語義
 「変化」と芸能
 変化舞踊というもの
 変化舞踊の成立と展開
 「変化」の本質、その社会的基盤
 近世都市における宗教と芸能の間
 結び
累曼荼羅
喪われた怨霊
怪談狂言――口伝と芸談
 幽霊伝受
 幽霊の「こころ」
 「こころ」と表現
 幽霊の顔――死の表情
 手の位置
 幽霊の運歩
 幽霊の拵らえ
 ことばと笑い
 おわりに


「見立て」考
一枚の錦絵をめぐって


『死霊解脱物語聞書』おぼえがき
死霊解脱物語聞書

あとがき



服部幸雄 変化論 02



◆本書より◆


「ひとつの伝統芸能論」より:

「江戸時代の支配者は、幕藩制封建体制を維持するために、庶民階層に対して平等と解放を意識させずにいない「まつり」を恐れねばならなかった。そのために、遊里・芝居に通うことを倫理的な悪であると規定し、これに「悪所」の称をつけて、弾圧を加えつづけた。当然、その重要な要素である「遊」を悪と見なす道徳律が押しつけられ、それが近代に尾を引いた。そこへ近代合理主義の性急な輸入が加わって、「遊」の罪悪感はいよいよ強調せられるに至った。
 分析好きの近代人は、「遊び」と「宗教」と「生活」とを分離して見なければ気が済まなかったようである。近代に生き残った伝統芸能は、もはや「遊び」でもなく、「宗教」でもなく、「生活」の反映でもなかった。かつての「まつり」の構造は否定され、形骸と化した。
そしてこんにちに残ったのは、「教養」という冷えた姿勢であった。そして、現代人に課されたものは、その教養のために、伝統「遺産」を保護し、後代に継承するという責任だけであったということになるのではないか。」
「日本の芸能は、本質的に熱っぽく激しく燃えるものであった。したがって、演技の質は身体全体を使って表現する様式が本流で、激しく、エキセントリックな動きを要求するのである。内容も、むろんこの志向に添って作られていた。世阿弥以後貴族化し、武士階級の式楽となった能だけは特殊な発達のしかたをしたけれども、庶民大衆の芸能はエネルギーを外に向けて発散する方向で育ってきたのである。観客もまた積極的な創造者の一員であった。
 これを成り立たせてきたのは、右に述べた「まつり」の構造であり、その底を流れていた宗教的共感であった。」



「喪われた怨霊」より:

「それにしても、他ならぬ歌舞伎役者と幽霊譚との特殊なつながりは、いまひとつ深いところに根ざしていると考えざるを得ない。
 それは日本の前近代演劇として歌舞伎が、その根源的なところで、「怨念の演劇」と見なすべき面を強く持っていたことと無関係とは思われないからである。
 桜の釣枝を一面に飾り、眼も覚めるばかりにはなやかな衣裳を着飾った傾城が居並び、男伊達のさわやかな悪態や情緒豊かな音楽が聞える『助六』の舞台――。あの、絵画的にも彫刻的にも、また音楽的にも、美しくはなやかな舞台のいったいどこに「怨念」があろうと思われるかも知れぬ。なるほど、『助六由縁江戸桜(すけろくゆかりのえどざくら)』の舞台面だけを、現代の歌舞伎座で見るときは、はなやかで、ただ美しいだけである。
 しかし、この劇が作られ、演じられ、見られた、江戸時代の歌舞伎の構造そのものを問題とするとき、『助六』もまた江戸市民の「怨念」の所産以外の何ものでもない。そこには幕藩制封建体制の強固に閉じられた壁の中で、どこに向けて発散することもできない、疎外された芝居者と無力な庶民の怨念のかたまりが、悪所の祭りである歌舞伎の舞台において燃えているのである。歌舞伎の赤は、太陽のように澄んで明るい赤ではない。どす黒く濁った、泥絵具をなすりつけた赤である。それは、血の赤であり、怨念の赤ではなかろうか。かつて岸田劉生が「卑俗なる卑近美」といい「グロテスクな美」と呼んだ、おどろおどろしい歌舞伎の美は、それが演ずる者・見る者をひっくるめた作る者の総体――すなわち江戸時代の無名の共同体としての市民たち――の怨念の結果だったからに他ならないのではないだろうか。
 そういう怨念の劇としての性格を歌舞伎はすでに成立の当初から担っていた。中世末期から近世初頭にかけて、戦国乱世の益のない戦乱の果てに、無数の人間が犠牲となり、現世に怨みを残して死んでいった。巷にはその眼に見えぬ怨霊が満ち満ちた時である。その時に当って、怨霊――御霊を慰撫するための宗教行事として全国的に行なわれたのが風流(ふりゅう)の芸能であった。風流の踊りは、演者自身が御霊に変身して狂うことを本義としていた。念仏踊りのあるものが、踊り手はすべて黒い布で顔を覆う、異様なスタイルで踊るのが、その本義を伝えている。踊り手は、亡者の霊そのものだったのである。役者はその本質を受けついで変身者の資格を身につけた。そして彼らは、社会的には体制から疎外された賤民であった。体制から徹底的に卑賤視されることによって、かえって彼らは神に変じ得る身となった。かくして、日本の芸能は「怨念の劇」を育てた。」

「歌舞伎は近代以後にしだいに体質を変え、「怨念の劇」は技術本位の見世物に傾きがちになることをどうしようもない。
 何よりもまず、平民となり、驚くほどの高給を得て、何不自由なく生活を楽しむようになった現代の歌舞伎俳優に「庶民の怨念」の実感はない。かつて河原乞食の、アクの強い創造エネルギーには、怨念を一身にまとったがゆえのねばっこさがあった。それがもう今はない。彼らの演技は清潔で至極あっさりとしている。
 一方、観客もまた現代の歌舞伎に自分たちの精神的ないしは思想的解放の夢を托そうなどとは期待していない。しかし(中略)「怨念」がなくなったわけではない。かえって、現代人はより悲劇的な人間不信の情況の中で、どこにもやり場のない「怨念」をかかえ込み、煩悶しているといえるのではないだろうか。歌舞伎がそれを解消するに足る演劇ではなくなった――歌舞伎は燃えるものを持っていない娯楽になってしまった――というだけのことである。
 それでは、現代における「怨念の演劇」は何であろう。私は、それを唐十郎や白石加代子の「芝居」の中に見出す。」



「あとがき」より:

「江戸時代の庶民たちが生活の中で抱いていた宗教心は、決して崇高な思索に導かれた思想ではなかった。浅薄な勧善懲悪・因果応報・輪廻転生を素朴に信じ、一途に来世の極楽往生を願った、いわば俗信仰である。しかも、信仰は娯楽と分かち難いまでにないまぜられて、極めて独得な表われかたをしていた。それは、近代知識人の純粋好み、清潔好みの眼には「堕落した宗教」の姿としか映らず、およそ価値のないものとして否定されても止むを得ないところであったかも知れない。だが、そうした宗教の特殊な在り方を指して、「仏教の世俗化」という都合のいいキャッチフレーズで片づけてかえりみない従来の文化史の傾向には賛成できない。
 抑圧された社会体制の中で喘ぎながらも、苦しみの多い生を明るく楽天的な日常に転換し得た彼らの異常なまでのエネルギーを支えていたのは、近代人から俗悪視された〈祈るこころ〉の存在であることを、私は軽んじる気になれない。そういう素朴な庶民の〈こころ〉が、「慰み」の志向を抱えこんで、歌舞伎をはじめ各種の芸能・錦絵・読本・草双紙などさまざまな形の近世文化を生み出す基盤になっていたのは確かな事実だからである。
 儒教思想を尊しとし、神道を勧め仏教を排し、西欧移入の近代合理主義をもって指導理念とした日本の近代は、その強行によって短期間にめざましい発展を遂げた。(中略)しかし、その過程において、人は生きることの意味について思惟し、合理を超えて存在する人間の〈こころ〉を信ずることが必要であるという真理を見喪ってこなかっただろうか。」





















































服部幸雄 『江戸歌舞伎文化論』

「あらためて言うまでもないが、「かぶく」とは傾くことであり、正統を嫌い新奇・異端を求める精神のありようを風俗や行動の誇示によって表すことを意味している。因襲や既成の秩序にさからい、無鉄砲に新しいものに憧れることである。したがって「かぶく」ことは、世間の常識から逸脱することになる。それが「かぶき」の本質である。」
(服部幸雄 「歌舞伎の成立」 より)


服部幸雄 
『江戸歌舞伎文化論』


平凡社 
2003年6月25日 初版第1刷発行
343p 
A5判 丸背紙装上製本 カバー 
定価4,600円(税別)
装幀: 小泉弘



本書「あとがき」より:

「本書で用いる「江戸歌舞伎」という表現は、いわゆる「近代歌舞伎」に対応する概念である。したがって、「江戸時代の」歌舞伎をその対象と考えている。一方に「江戸の」歌舞伎、すなわち「江戸」の都市社会で生成された歌舞伎に限定した表現もあり得る。その場合は、主として京、大坂など「上方」の歌舞伎に対応する表現になる。」
「このことを本書で扱った対象に限って言えば、「江戸」の地で発達し、変遷した歌舞伎に関する課題を論じた文章が多い。「江戸時代」における「江戸」の歌舞伎という性格が色濃く表れている。(中略)論ずる意識としては、原則的に「近代以降の歌舞伎」と異なる「江戸時代の歌舞伎」の全体に置いている。」
「江戸時代の歌舞伎について考え、論じる場合には、常にその背後にある時代と社会の諸相、江戸時代人の生活、思想、宗教、心情、美意識などがどのように動き、江戸時代の人びとが何を求めていたかにつき、幅の広い分野にわたる認識を得る努力をしなければならない。つまり、歌舞伎の本質を「江戸文化論」の課題として論じるのでなければ、本当のものが見えてこない。」
「本書は主として一九九〇年代に公にしたエッセイの中から、とくに本書のテーマに即していると考えられる二十余編を選んで構成した。多くは書肆の需(もと)めに応じて執筆したものであり、すべての文に加筆・修正を施したが、なお記述に重複があることを御許し願いたい。
 あえて付言しておきたいことがある。それは、本書に、近代以降に創作された「出雲のお国」関係の小説・戯曲などの文芸作品の記録を掲載したことである。(中略)膨大な記録は、それを提示するだけでも雄弁に現代の歌舞伎誕生に寄せる関心の高さを語りかけるに違いない。(中略)私の歌舞伎成立史研究における重要な作業の一環と考えての所業である。」



本文中図版多数。


服部幸雄 江戸歌舞伎文化論


帯文:

「歌舞伎生誕400年
江戸を飾った満開の桜花
江戸歌舞伎の誕生・成熟・背景」



帯背:

「江戸桜花爛漫」


帯裏:

「江戸の文人は、歌舞伎を「陽の器」に譬えていた。明るく、はなやかで、楽しい道具だというわけである。「浮きに浮く」という表現がある。春の日の陽の気に誘われて、万事明るく、楽天的になり、人の心がすっかり浮かれ立つことである。歌舞伎は本質的に、そういう明るくて、はなやかな演劇だった。とくに「江戸歌舞伎」にあっては、この性格が顕著に表れていた。(本書より)」


目次:

江戸歌舞伎の桜――序に代えて

Ⅰ 歌舞伎の成立をめぐって
 第一章 歌舞伎の成立
 第二章 出雲のお国の出身地と経歴
 第三章 歌舞伎成立とキリシタンの時代
 第四章 綾子舞について
 第五章 出雲のお国を題材にした近代以降の文芸作品
 第六章 初期歌舞伎の歌謡

Ⅱ 江戸歌舞伎の文化的環境
 第一章 歌舞伎と仏教
 第二章 歌舞伎と浮世絵
 第三章 歌舞伎と「俳諧之連歌」
 第四章 蕪村と歌舞伎界
 第五章 相撲と歌舞伎の接点

Ⅲ 江戸歌舞伎の成熟
 第一章 成田山と市川團十郎
 第二章 五代目團重郎の天明時代
 第三章 寛政期前後の江戸文化
 第四章 江戸の「かざり」文化――歌舞伎の大道具の「かざり」性をめぐって

Ⅳ 本と人と――江戸歌舞伎をめぐって
 第一章 いわゆる「芝居本」の世紀――時代の分水嶺としての「享和」
 第二章 式亭三馬の芝居番付蒐集
 第三章 『市川栢莚舎事録』のことなど――芝居関係の随筆あれこれ
 第四章 関根只誠と『東都劇場沿革誌料』
 第五章 柳沢信鴻 『宴遊日記』の世界
 第六章 小笠原恭子著 『かぶきの誕生』を読む
 第七章 高田衛著 『江戸の悪霊祓い師(エクソシスト)』を読む

資料 お国を題材としたその他の文芸作品

あとがき
初出一覧




◆本書より◆


「江戸歌舞伎の桜――序に代えて」より:

「ところで、石川五右衛門や日本駄右衛門のような大泥棒が、なぜ大寺院の山門の楼上に陣取って夜桜見物としゃれこんだりしているのだろう。荒廃した寺の山門上に盗賊の群が住み着き、街へ出ては乱暴狼藉を行なっていたことは『今昔物語集』他にも書かれているとおりの史実であろうから、その知識が働いていたかもしれない。しかし、それだけならば、何もことさら泥棒と桜とを関係づけることもあるまい。どうやら江戸時代人にあって、体制からはみ出した反逆者(アウト・ロー)の「かぶき者」を満開の桜の中に置いて見ることが、彼らの普遍的な美意識に適(かな)ったらしいのである。」


「歌舞伎の成立」より:

「あらためて言うまでもないが、「かぶく」とは傾くことであり、正統を嫌い新奇・異端を求める精神のありようを風俗や行動の誇示によって表すことを意味している。因襲や既成の秩序にさからい、無鉄砲に新しいものに憧れることである。したがって「かぶく」ことは、世間の常識から逸脱することになる。それが「かぶき」の本質である。戦国乱世が終熄し、闊達(かったつ)で開放的な空気の溢れていたこの時代、新しい町の人たちは享楽的・刹那的に現世を肯定する新芸能「女歌舞伎」を育てた。女歌舞伎は、貴賤、老若男女の大衆が、我を忘れて酔い痴(し)れる対象であることにこそ、その存在理由があったのである。しかも女歌舞伎の芸能は官能的であり、近世風の好色の求めに応えた。女歌舞伎の興行があるところ、きまって派手な喧嘩や刃傷の沙汰があったのは、見物たちが熱狂のあげくにひどい興奮状態になっていたからのことである。風俗が乱れるのは当然であろう。ことばを換えて言えば、大衆がおのずから風俗を乱し、権力に反抗し、本能的な愛欲・好色に身を任せて、夢の「浮世」を狂って生きたいと願う時代が生み落としたのが女歌舞伎なのであってみれば、権力者の忌避すべき風俗紊乱(ぶんらん)の世情と女歌舞伎とは表裏一体と考えるべきだった。
 しょせん女歌舞伎は弾圧されねばならない。封建体制の確立・維持に向かおうとする権力者にとって、人の心を浮きに浮かせ蕩(とろ)かさずにいない三味線の音、茶屋あそびのまねや風呂あがりと称する淫蕩な女性たちの乱舞はとうてい放置できるものではなかったからである。女歌舞伎の禁止以後、幕末に至るまでのおよそ二世紀半を通じ、都市の大小の歌舞伎も農村の地芝居もきびしい弾圧を蒙ることになる。これほどの長期間にわたり、監視と弾圧を受けつづけ、しかもそれにひるまず発展をつづけた演劇は世界演劇の歴史にもあまり例がないが、そのように宿命づけられた演劇であることが、実は「かぶき」の名称に象徴的に示されていた。」



「出雲のお国の出身地と経歴」より:

「私は、(中略)日本芸能史、歌舞伎成立史研究にとって、史料的な限界のあるお国の出身地や経歴をあれこれ詮索することは決して有効なこととは考えていないので、これまでほとんど論じたことはなかった。「出雲のお国の出自は、現在もなお謎に包まれているにしても、彼女およびその一座を構成した人たちが、身分賤しい賤民の出身であり、遊女兼帯――すなわち売春を兼ねた女性たちの集団であったことは、ほぼまちがいがない。出雲大社巫女という、その名のりに縁を求めるとするなら、彼女は散所出身のアルキ巫女のひとりだったという見方もできる」というのが、(中略)こんにちまで一貫して私が持ちつづけている持論である。」


「初期歌舞伎の歌謡」より:

「いわゆるかぶき踊は、ややこ踊と呼ばれた女性芸能から展開したものであった。ややこ踊という芸能の芸態に関しては史料に乏しく、具体的に知ることが難しい。しかし、少なくとも言えることは、それが中世末期から近世初頭にかけて全国的に流行を見せた風流踊の脈を汲む小歌踊を、大衆の参加芸能としてではなく、観賞芸能に転化せしめ、これを舞台上で演じたものだということである。演者は「ややこ」――すなわち少女芸能者で、それはおそらくは放浪専業の芸能民の一群だったと思われる。」
「ややこ踊が「かぶき踊」と呼び換えられていく直接の契機はどこにあったのであろうか。それは、「かぶきたる姿・かぶきたる振り・かぶきたる歌」が彼女らの芸能の上にはっきりとした形として顕現したゆえとしなくてはなるまい。ややこ踊は、仮装を特色とする風流踊の流れを汲む小歌踊だったと想像されるけれども、踊り手の姿そのものは異相ではなかった。「イタヰケニ」おもしろいと評されたその芸態は、たとえ官能的な振りを伴ったにもせよ、少女の踊りとして素朴かつ単調なものであったことは否めないと思う。商品として、勧進の興行をするためには、おそらくは狂言師の力を借りて、滑稽な物真似芸を挿むことによって芸態に変化をつける必要があったろう。
 そこで、まったく新しい舞台上のくふうが実現する。それが、巷間を闊歩する伊達男、当時流行のことばでいえば「かぶき者」の風俗を舞台に採り入れ、男女愛欲の享楽的世界を現出させようとする試みであった。」














































服部幸雄 『大いなる小屋 ― 近世都市の祝祭空間』 (叢書 演劇と見世物の文化史)

「提灯は〈飾る〉ものである。大小さまざまの提灯の飾ってあるところ、そのもとに大勢の人が蝟集(いしゅう)する。さんざめく喧噪、色彩の交錯と乱舞。人々はハレの日特有の底抜けに明るく解放的な気分で、浮きに浮いた心ばえで提灯のもとに集まってくるのだ。明りが灯されていれば無論それに越したことはないが、かりに火が入っていなくても、人はあの形に祝祭性を見ていた。あのまるい空洞――ウツボの中に、神霊や人の魂が宿っていると考える、そういう古代以来の記憶が提灯に祝祭性を感じさせる根底に存在していたからである。」
(服部幸雄 「積物・看板・提灯」 より)


服部幸雄 
『大いなる小屋
― 近世都市の祝祭空間』

叢書 演劇と見世物の文化史

平凡社 
1986年5月12日 初版第1刷
304p 
20×15.4cm 
丸背紙装上製本 カバー 
定価2,100円
装幀: 福栄治憲
カバー図版: 歌川国虎画「浮絵 三芝居春狂言大当之図」(表・裏)/「江戸名所図屏風」(そで)



本書「あとがき」より:

「かつて歌舞伎を演ずる劇場は〈小屋〉であった。しかし、それは、文字が表しているような〈小さい建物〉だったわけでは決してない。逆に、町家では許されない三階の部分さえ備える〈大きな建物〉であった。
 江戸幕府はこれを指して「大造(おおづく)りの小屋」と苦しい表現で呼んだが、そこで演じられる演劇――歌舞伎――を育て支えた町人大衆の側から言えば、彼らの祝祭を行い、共同幻想の実現を可能にする時空という意味で、これは何にも増して「大いなる小屋」に違いなかった。劇場は近世都市にあって、大衆の願望が創り出した偉大な祝祭空間に他ならなかった。
 本書は、われわれの伝統演劇である歌舞伎と、これを上演する〈場〉としてもっともふさわしかった芝居小屋とのかかわりをめぐって考え、日本人、とくに前近代の人々が〈芝居〉と〈劇場〉に託した精神史の地平、すなわちそれらの〈かたち〉の深層に横たわる激しい創造エネルギーの根源を探ろうとしたこころみである。結果として、私なりの〈劇場論〉になっていると思う。
 本書を構成する文章のうち、Ⅰの「櫓」以下、Ⅱの「見得」までの合計十二編は、季刊雑誌“is”(ポーラ文化研究所発行)の第十一号(昭和五十五年十二月)から第二十七号(昭和六十年三月)まで、足かけ六年間十七回にわたって連載した文章に手を加えたものである。連載の表題は「劇場と演劇の精神史」であった。序章は「夜想」第四号(「劇場・観客」特集、昭和五十六年十月)に、Ⅲは雑誌「太陽」(昭和六十年十月号)に、それぞれ掲載した文章をもとにしている。それに、Ⅰの「都市の中の芝居町」の章を新たに書き下ろして加えた。すべての旧稿には大幅な加筆を行なっている。
 本書には、内容の性質上豊富な図版・写真を掲げた。これらの図版・写真は、長い期間に私が寓目し得た厖大な量の中から厳選したもので、それだけでも楽しんでいただけるものと思う。」



本文中図版(モノクロ)多数。
本書は1994年に「平凡社ライブラリー」版が、2012年に「講談社学術文庫」版が刊行されています。


服部幸雄 大いなる小屋 01


目次:

芝居小屋論序説


都市の中の芝居町

積物・看板・提灯
鼠木戸
桟敷
上手・下手
橋・道


稲荷町


役者の紋
役者の名
見得


讃州金毘羅大芝居訪問記

あとがき
索引



服部幸雄 大いなる小屋 02



◆本書より◆


「芝居小屋論序説」より:

「江戸の庶民大衆は、吉原の遊里を指して、北里・北州と呼び、また「アリンス国」とも名づけて、これをひとつの別天地と見なした。その吉原と並ぶ劇場国もまた、日常性を拒否する非日常的時空に他ならなかった。そして、この二つの宇宙は、為政者の側の命名によれば、倫理的「悪」の世界、いわゆる悪所場であった。」

「劇場は小屋であった。」
「「小屋」とは、粗末な家、仮設の家に与えられる名である。民家に例を採れば、産小屋・作業小屋・物置小屋・炭小屋など、いずれも仮小屋である。しかし、たとえば産小屋がそうであるように、火を別にして精進潔斎をする者はすべて母屋と離れた独立の小屋を使うのが、日本の古い民俗であった。「小屋」は単に粗末な仮設の小家というだけでなく、そこに聖の感覚を宿す宗教的性格を帯びることが多かった。換言すれば、「小屋」ということばには、聖と俗との両義を併せ持つ存在としての独特なイメージが付随しているのであった。常設の大劇場を指して、為政者がことさらに「大造ノ小屋」と呼んだのは、芸能者(役者)の身分が不当にその扱いを受けたのと同様、「小屋」の語に賤視のニュアンスを含めていたことを否定できない。「非人小屋」「蒲鉾(かまぼこ)小屋」「見世物小屋」の類である。歌舞伎役者の賤称のひとつに「小屋者」というのがあったのは、右の事情を如実に物語っているだろう。」
「為政者の命名による「大造ノ小屋」とは、「物」(建物)としての劇場を指していた。しかし、近世都市民の精神史にあって、この「小屋」は、「物」の大きさをはるかに超える大きな存在であった。彼らは、その独特な空間において役者の肉体が創り出す、目くるめく劇的宇宙を幻想し、憧憬し、体験することにより、これを「偉大なる小屋」に転換せしめた。それは、「大いなる小屋」の名で呼ぶことこそもっともふさわしかった。」



「都市の中の芝居町」より:

「寺社と河原、寺社境内と芝居町、祭礼と芝居といった取り合わせは、表面だけを見ると、一方は「聖」を、一方は「俗」を、それぞれ代表する、その点からいうと矛盾しあう関係のようにうつるかも知れない。しかし、(中略)「祝祭性」あるいは「祝祭空間」という概念を用いて、この両者を視野におさめるとき、寺社も河原も芝居も、そして廓も、いずれも聖俗の両義を具有する「場」であった。遊楽・歓楽を「悪」と見なす権力者の眼を用いれば、寺社もまた、それが現世的解放が実現されるハレの持続する空間であるという意味の限りにおいては「悪所」に他ならなかった。寺社と河原とが同一画面の構図となって描き出されるのは、むしろ当然のことであったのだ。」
「近世における河原・芝居町と寺社の風景を同一画面におさめる風俗画の構図は、「名所図」「遊楽図」という命名の意味する範囲を超え、両地区の聖域性を共通項とすることによって読み解かれるに違いない。」

「このように眺めてみると、江戸の芝居町は、初期にあっては江戸の町づくり――為政者による都市計画に従って人為的に形成され、後期には政治的意図にもとづく弾圧によって強制的に作り出された土地であったことがわかる。
 そして、明暦三年(一六五七)の大火を機に浅草の北方、辺鄙の地に移転させられた新吉原の遊廓と並んで、二大悪所と称され、常に監視されつづけたのであった。
 だが、かえってここには庶民大衆のしたたかな居直りの姿勢と、権力に反抗する強靭さが育った。大衆の屈折したエネルギーは、その「場」に大輪の花を開かせた。猿若町は常に猥雑であり、笛や太鼓や三味線の音、洪笑と歓声の渦、ごてごてと隙間なく飾り立てた装飾に満ち溢れた「芸能」の「庭(にわ)」でありつづけたのである。
 為政者から忌避され、辺境に追いやられた「悪所場」ゆえに、大衆の創造精神に溢れた祝祭空間たり得る条件を満たしていたのだと言えなくもない。」









































服部幸雄 『歌舞伎歳時記』 (新潮選書)

服部幸雄 
『歌舞伎歳時記』
 
新潮選書

新潮社 
1995年7月25日 発行
1996年7月20日 2刷
242p+1p 
四六判 並装 カバー 
定価1,100円(税別)
装幀: 新潮社装幀室



本書「あとがき」より:

「本書の内容は、現代にもしばしば上演される歌舞伎の代表的な作品を選び出し、これに即しつつ、構成、ストーリー、見せ場、あるいは登場人物たちのせりふ、心情、行為などの中に投影している日本人の美意識について考えてみようとしたものである。」
「本書執筆の発想は、月刊誌『UP』(東京大学出版会)の依頼を受け、一九八八年一月号から同年十二月号まで十二回、「日本人の美意識」の表題のもとに執筆した「歌舞伎十二月」の連載だった。月刊誌の連載なので、毎回その季節にふさわしい内容の作品を選んで書いたエッセーであった。
私はこの内容を発展させ、さらに多くの作品を取り上げ、「江戸人の美意識」を総合的に浮かび上がらせることはできないだろうかと思案していた。幸いに機会が与えられ、歌舞伎座の宣伝部で編集出版している月刊誌『ほうおう』に、やはり「日本人の美意識」の表題で執筆した。連載は一九八九年七月号から一九九三年十二月号までの四年半、五十四回に及んだ。本書の文章は、これを基にして、加筆ならびに補訂を施したものである。」



本文中図版多数。


服部幸雄 歌舞伎歳時記


カバー文:

「日本人の心情や共同幻想を反映し、また「美しいもの」への憧憬を投影しているのが歌舞伎の芸術世界である。ここには江戸時代の精神文化の粋が結実している。歌舞伎についての〈知〉を共有するための書物を書きたいと考え、民俗・絵画・生活風俗などの江戸文化論、ひいては日本文化論に向けての視野の広がりを意識しつつ執筆した。本書を通じて歌舞伎の世界のおもしろさを再認識・再発見していただければ幸いである。
著者」



カバー裏文:

「江戸からの贈り物 皆川博子(作家)
歌舞伎は、江戸からの巨大な素晴らしい贈り物である。包みをひらかず見過ごすのは、あまりにもったいない。
『歌舞伎成立の研究』『江戸歌舞伎』『大いなる小屋』『歌舞伎のキーワード』……と、服部幸雄氏は、現代の私たちの心にふれる言葉で、常に、刺激的に、新鮮に、この贈り物について語ってこられた。
新たに、一書がくわわった。日本人の美意識という視点から歌舞伎を語る本書である。
一つ一つの短い文章は、それぞれの狂言のストーリーの面白さとともに、豊饒なイメージを描きだす。
歌舞伎というフィールドにとどまらず、歴史、民俗、美術と、日本の文化全体を、本書はひろく包み込む。
芝居小屋というトポスに江戸の人々が共有した〈美〉を、私たちもまた、本書によって体感し、共有することができる。
それは、年月によって朽ちることのない、普遍的な強靭な美である。」



目次:

歌舞伎の美意識について



正月の章
 復活・再生の祝祭――三番叟(さんばそう)
 初春の儀礼――寿曾我対面(ことぶきそがのたいめん)
 除魔の呪術――矢(や)の根(ね)

春の章
 悪の華――三人吉三廓初買(さんにんきちさくるわのはつがい)
 戦争の悲傷――一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき)・組打、熊谷陣屋
 伊達(だて)・寛闊(かんかつ)――鞘当(さやあて)
 梅は飛び――菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)・寺子屋(てらこや)
 意気と張りの美学――助六由縁江戸桜(すけろくゆかりのえどざくら)
 稚気・父性愛――御所桜堀川夜討(ごしょざくらほりかわようち)・弁慶上使(べんけいじょうし)
 異形の美――青砥稿花紅彩画(あおとぞうしはなのにしきえ)・浜松屋(はままつや)
 花びら二片(ひら)――妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)・吉野川(よしのがわ)
 えぐりの美――桜姫東文章(さくらひめあずまぶんしょう)
 恩愛の鼓の音――義経千本桜(よしつねせんぼんざくら)・河連法眼館(かわつらほうげんやかた)
 堪(た)える女――鏡山旧錦絵(かがみやまこきょうのにしきえ)
 夫婦愛のきずな――傾城反魂香(けいせいはんごんこう)・吃又(どもまた)
 卑近美の宇宙(コスモス)――金門五山桐(きんもんごさんのきり)

夏の章
 反逆の勇者――絵本太功記(えほんたいこうき)・十段目
 市井人の知恵くらべ――梅雨小袖昔八丈(つゆこそでむかしはちじょう)
 色悪(いろあく)の黒――仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)・五段目
 滅びの美――仮名手本忠臣蔵・六段目
 若衆美礼鑽――鈴ケ森(すずがもり)
 異国憧憬(しょうけい)――音菊天竺徳兵衛(おとにきくてんじくとくべえ)
 男の執着(しゅうじゃく)――鳴神(なるかみ)
 諧謔(ユーモア)の英雄――毛抜(けぬき)
 因果・輪廻(りんね)――色彩間苅豆(いろもようちょっとかりまめ)
 執念の炎(ほむら)――隅田川続俤(すみだがわごにちのおもかげ)・双面(ふたおもて)
 侠客の達引(たてひ)き――夏祭浪花鑑(なつまつりなにわかがみ)
 怨嗟――東海道四谷怪談(とうかいどうよつやかいだん)
 ニヒルな不義士――いろは仮名(がな)四谷怪談(よつやかいだん)
 黒いユーモア――三世相錦繍文章(さんぜそうにしきぶんしょう)
 世紀末の女性美――杜若艶色紫(かきつばたいろもえどぞめ)
 愛ゆえの狂気――五大力恋緘(ごだいりきこいのふうじめ)

秋の章
 風流(ふりゅう)のかざり――鬼一法眼三略巻(きいちほうげんさんりゃくのまき)・菊畑(きくばたけ)
 恨み葛(くず)の葉――蘆屋道満大内鑑(あしやどうまんおおうちかがみ)
 別離の悲歌――菅原伝授手習鑑・道明寺(どうみょうじ)
 継母(ままはは)の恋情――摂州合邦辻(せっしゅうがっぽうがつじ)・合邦庵室(がっぽうあんじつ)
 悲壮の美――義経千本桜(よしつねせんぼんざくら)・大物浦(だいもつのうら)
 世間の義理――双蝶々曲輪日記(ふたつちょうちょうくるわにっき)・引窓(ひきまど)
 子ゆえの闇――伊賀越道中双六(いがごえどうちゅうすごろく)・沼津(ぬまづ)
 烈女の気迫――伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)・御殿(ごてん)
 妻を恋う――平家女護島(へいけにょうごのしま)・俊寛(しゅんかん)
 恋の苧環(おだまき)――妹背山婦女庭訓・御殿
 恋慕愛執――苅萱桑門筑紫〓(漢字: 車+榮)(かるかやどうしんつくしのいえづと)・守宮酒(いもりざけ)
 深謀の人――仮名手本忠臣蔵・七段目
 トリック成就――近江源氏先陣館(おおみげんじせんじんやかた)・盛綱陣屋(もりつなじんや)
 いがみの直情――義経千本桜・鮓屋(すしや)
 自己犠牲――艶容女舞衣(はですがたおんなまいぎぬ)・酒屋(さかや)
 武士(もののふ)の情――勧進帳(かんじんちょう)

冬の章
 静謐(せいひつ)の気合――仮名手本忠臣蔵・九段目
 ほとばしる激情――本朝廿四孝(ほんちょうにじゅうしこう)・奥庭(おくにわ)
 愛あればこそ――ひらかな盛衰記(せいすいき)・源太勘当(げんたかんどう)、無間(むけん)の鐘(かね)
 一日千秋――天衣紛上野初花(くもにまごううえののはつはな)・入谷寮(いりやのりょう)
 「待て」のドラマ――暫(しばらく)
 歳末の廓(くるわ)情緒――廓文章(くるわぶんしょう)

あとがき




◆本書より◆


「復活・再生の祝祭――三番叟」より:

「歌舞伎舞踊の中に数ある三番叟物の中で、もっともユニークなものは「舌出し三番叟」(『再春菘種蒔(またくるはるすずなのたねまき)』である。かの有名な初代中村仲蔵を経て三代目中村歌右衛門に伝わった古風な三番叟で、要所要所で真赤な舌をペロリと出す演出がおもしろい。」
「赤い舌を出して見せることは世界各地で見られ、悪魔払いの呪術的表現と見なされている。それを祝言性に置き換えて、儀礼芸能の三番叟に取り入れたものに違いなかろう。」



「えぐりの美――桜姫東文章」より:

「幕末の文化文政期(一八〇四―一八三〇)になると、江戸の町に住む人たちの好みは随分変ったものになって来た。それまでは常識的に美しいと見られたり、おもしろいと感じられたりしていたものが、あまり美しいと思われず、またつまらないと感じられたりするようになってきた。つまり既成の権威、秩序、美意識など、あらゆる常識が価値を失ってきて、それらを逆転させたり破壊したりして、思いがけないことを考えてみたり実行したりすることが喜ばれるようになっていた。」
「新しく現われて来た美意識を、仮に「えぐりの美」と名付けてみようと思う。「えぐり」とは「抉(えぐ)り」または「刳(えぐ)り」で、表面的な綺麗事(きれいごと)の真・善・美に満足できず、それらをえぐって、隠されていた生(なま)の姿を赤裸裸(せきらら)に白昼のもとに引き出してくることである。文化六年(一八〇九)に出版された式亭三馬(しきていさんば)の『浮世風呂』の中に、「今は役者(やくしゃ)贔屓(ひいき)もひねつて、濡事師(ぬれごとし)よりは敵役や半道(はんどう)(敵役で滑稽な演技をする役柄の役者)を引く(ひいきにする)世の中。女郎も好(い)い男を廃(す)てて、醜夫(ぶをとこ)を見えにするさうだから、人もだんだんゑぐりとやらになつたのさ」と言わせるところがある。世の中の心情が、随分ひねって来て、えぐりを喜ぶようになったことがわかる。この世情は、爛熟頽廃と見られる面を含んでいるし、世紀末的と考えられているところと重なるかも知れない。」






















































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー

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