大室幹雄 『桃源の夢想』

「カニバリズム以上に残酷な、とはいえ、人間的な、あまりにも人間的な所行を現在ではあまりにも多くわれわれは知り過ぎてしまっている。いかなる社会と文化に所属していようと、人間が人間でしかない以上、彼は自惚れているわけにはいかないのである。」
(大室幹雄 『桃源の夢想』 より)


大室幹雄 
『桃源の夢想
― 古代中国の反劇場都市』


三省堂 1984年3月15日第1刷発行/1988年10月10日第4刷発行
461p 目次4p
A5判 丸背紙装上製本 カバー
定価4,200円



「都市」シリーズ第二巻。本文中図版(モノクロ)多数。

都市を出て山にこもるのも都市のなかでひきこもるのも反=都市(父性原理)的な自然(母性原理)回帰のかたちであって、父性原理の手によってこもるべき山すら奪われてしまったわれわれが家にひきこもったり自閉したりするのは危機を察知する生きものの智慧であるとしかいいようがないです。


大室幹雄 桃源の夢想1


帯文:

「都市の余白(マージン)としての桃源。
鳴雞吠狗、煙火万里の和楽の記憶。
都市の陰画(ネガティヴ)としての桃源。
沸々とわきおこる反都市の情念。
山川草木と禽獣幽鬼の境位から
人肉嗜食(カニバリズム)と奢侈遊戯(ポトラッチ)の「劇場なき都市」を射て
古代中国文明の虚栄と光耀を鮮烈に描ききる。
歴史を読む眼差しに転換をもたらした『劇場都市』
を承前して、次巻『園林都市』に中継する待望の第二作。」



帯背:

「歴史の中の都市の肖像 II」


目次:

第一章 都市(コスモス)の解体学
 暴君暗殺と遺骸の凌辱
 野人の生い立ち
 首都洛陽
 張衡「東京賦」
 世界の中心と皇帝の儀礼
 皇帝の生命衰弱
 皇帝の私人化
 世界の混乱
 生命と権力の輪舞
 ことば人間たち
 ポトラッチ演技
 人物テキストの評論
 大評論家郭林宗
 ことば遊び
 聖童偏重

第二章 野人の行動学
 粛清合戦
 学生運動
 闘争組織
 ナンバリングと政治言語
 武力行使
 首都への呪詛
 匪賊と妖賊
 赤眉の叛乱
 黄巾の叛乱
 世界救済の理念
 裏の帝国
 野人の登場
 皇帝のあきない
 首都の無法
 長安遷都と強制移住
 野性の首都侵入
 都市再生の人身供犠
 世界の崩壊

第三章 反都市の倫理学
 賢者は村に住む
 鳴雞吠狗・煙火万里の和楽
 小国寡民
 窮乏農民
 農村の政治工学
 漢代の地図
 郷里の生活
 反都市理念の中間性
 豪族と農夫の家計
 さまざまな力
 旱魃・洪水・蝗害・飢饉・餓死
 カニバリズム
 噉人賊
 人間狩りの仁義
 トポスの群と世界の構成

第四章 流民と匪賊の生態学
 中心の喪失
 政治経験の単一性
 天に二日無く、土に二王無し
 歴史意識の過剰
 複数の中心
 乱世の自由感覚
 城郭を去る
 群盗山に満つ
 生活空間の構造
 長老と塁
 弾圧と説得
 妖賊と女賊
 平地と山地の連続性

第五章 塢堡と桃源の地勢学
 流民劉備
 豪族の自衛と流亡
 乱に習う
 僻地と中央名士
 行主
 塢主
 山地の共同体
 塢主の平地帰還
 庾袞の個人的民主性
 塢の形態と機能
 塢の独立と抗争
 景観の記憶
 トポフィリア
 歴史愛
 下魚城の伝説
 桃花源記
 アルカディア複合
 井崗山の塢主毛沢東

第六章 隠者の社会学
 山地への逃匿
 山地のアンビヴァランス
 万歳塢の幼児性
 易京の退行願望
 囲い込みの狂気
 山荘の逸楽
 深林に投ず
 隠者の道化ぶり
 変装による匿名化
 洞窟と蝸牛廬
 草茅の人は狐兎と群を同じくす
 精舎の教師
 史のコード
 処士と隠士
 招聘拒絶ゲーム
 文化的強迫観念
 謎なぞ遊び
 山草の人

第七章 囲い込みの心理学
 生き残るための山地逃亡
 山林回帰の再生
 大同コンプレックスの普遍性
 単独者
 囲い込みさまざま
 母性への回帰
 腑ぬけの皇帝
 皇帝のクーデター
 暗愚皇帝
 美少年と醜女皇后
 つかのまの世界統一
 世界の崩壊

第八章 権力の経済学
 世界の中心の田舎芝居
 無学の王たち
 権力争奪のポトラッチ
 政治の消滅
 通貨としての権力
 蛮族登場
 江統「徙戎論」
 蛮族のシニシゼイション
 生成へのパトス
 「中国」に丈夫なし
 皇天の意志
 金墉城
 機智合戦と奢侈合戦
 吝嗇の美学
 銭の神の世界支配
 虱と銭の孔
 中心の無化と明け渡し




大室幹雄 桃源の夢想2



◆本書より◆


「第六章 隠者の社会学」より:

「囲い込むこと、一見それは外部の世界に背を向けて自身を孤立させ閉塞させるようでありながら、その孤立において逆にこころが周囲にひろがり、山地の多様な事物と親しみ融合する、そういう微妙な消息をそれは秘め、また表現している。別言すれば、個人による囲い込みには何かしら幼児めいた、母胎回帰の願望の所在を暗示するような秘めやかな、悦楽に満ちた期待がみてとれるのである。」

「桓帝の延熹年間(一五八―六六)の終りころ、党錮の粛清が起ころうとするのを予測した袁閎は世間と交わりを絶って深林に逃げ匿しようと欲した。しかし老母があるので遠く遁げるわけにいかず、彼は庭の四周をぐるりと囲い込む土室を築いて自身をその中に封じ籠めたのである。土室には出入口を設けず、たったひとつの窓から飲食物をさしいれさせた。その生活ぶりは、朝に室中で東に向かって母に拝をし、心配した母がときどきやってくると窓を開いて面会し、彼女がたち去ればすぐに窓を自分で掩(おお)い閉じてしまい、兄弟と妻子も彼を見ることはできないという具合、母が死んだときにも外へ出ず、正規の喪に服することもなく、人びとの評価は下落し、彼を「狂生」だとみなす人もいた。こうして「身を潜めること十八年、黄巾の賊が蜂起して郡県を襲撃し陥落させると、民衆は驚き逃散したが、袁閎は儒教の経典を誦して動こうとしなかった。賊が彼の閭(りょ)に入らないことを約束しあったから、郷里の人びとは彼のちかくに避難し、みんな被害を免れることができたのだった」。こうして袁閎は土室に自身を完全に密封したまま、その中で生涯を終えた。ときに年五十七であったという。
 時人のうちに彼を狂人とみなすものがあったように、この囲い込みが狂気めいた印象を与えるのは否定しがたい。しかしそれと同時にここには一種の稚気、滑稽と形容するにふさわしい極後の偏執が認められるであろう。とはいえ、彼はけっして狂人ではなかったのであって、それは彼が閉じ籠もった土室の一種合理的ともいうべき設計を考慮すれば明白である。」
「考えようによっては、これはなかなか快適な住宅だったといってさしつかえないだろう。(中略)人間に飲食物を摂取する入口と排泄する下半身のふたつの出口とがあるように、この土室にも外部から飲食物などをさしいれる窓と排泄物を外部へ送りだす穴とが具わっていた。だから風変わりな土室は主人袁閎の身体の親密な延長だったのに相違なく、この内臓に直結するような親密性にこの住宅の居心地よさの秘密が潜んでいたであろう。」
「そして彼の伝記は、こういうとっぴょうしもない自己閉鎖に到達する心理的な傾向がすでに若年のころから彼の言行にあったかに述べているのだが、それを検討することは省略しよう。」

「しかし全体的にはやはり隠逸の原理と気分とは老荘の哲学に属した。というのも儒教同様に爛熟した古代都市文明の所産でありながら、儒教とは対照的に、老子や荘子の思想は複雑に発達した都市文明にたいする批判と嘲笑から出発し、その論理と感情のくまぐまにわたって反都市、反社会、反文明のイメージを展開して、究極的には単独者の心術において都市と社会から離脱して無歴史的な永遠のここのいまを創り出そうと企図しているからである。」

「洞穴より快適かどうかはべつにして、それよりは文化の範疇にちかづいた居住に蝸牛廬(かぎゅうろ)というのがあった。蝸牛とはでんでん虫のこと、それが背負い歩いている殻に形が似ていることにちなむ命名である。
 前漢最末期、建安の末年のころ、大陽(山西省平陸県付近)の長朱南(しゅなん)は衣服も履物も身につけず河辺を放浪している男を望見、亡命者と思い船をやって逮捕しようとした。と、彼を識るものあり、「これ狂痴の人のみ!」という。そこで戸籍に編入して、日ごとに五升の食糧を与えて保護した。のち疫病が発生、多勢の死者が出たので、県庁ではその男に埋葬させ、子どもたちはみんな彼をばかにした。ところが彼は耕地を行くときは近道をしないで必ず畔道を歩き、落穂拾いにも大きな穂は拾わず、草を編んで衣服にし、無帽ではだし、婦人をみかけると身を隠してやりすごすのだった。「自分でひとつの蝸牛廬を作り、その中を掃き浄め、木を組んで臥牀(ねどこ)を作り草をそのうえに敷き、寒い季節になると火を燃やしてあたり、独りでぶつぶつつぶやいてる」。飢えれば出かけていって日傭い仕事をやり、腹がいっぱいになればやめて、賃金を受け取らない。道で人に出会うと、道を下りて匿れてしまう。たれかが理由を問うと、「草茅の人 狐兎と群を同じくす」――わたしは狐や兎の仲間だから、というだけ、平生からめったなことでは口をきかなかったのである。」
「あるとき、杖をついて浅い川を渡ろうとして、まだ渡れないとひとりごとをつぶやいた。それで人びとは「其(そ)の狂ならざるを頗(すこぶ)る疑がった」というが、おそらく彼は狂人ではなかったのである。彼には悲痛な経験があったのだ。
 男の姓名は焦先(しょうせん)、字は孝然、河東郡の人であった。中平年間(一八四―八)、彼の郷里を白波の匪賊が荒しまわった。二十歳を出たばかりの焦先は乱を避け、東方の揚州に逃れ、そこで妻をめとり、建安の初めに郷里ちかくへ帰ってきた。しかし建安十六年(二一一)、戦乱が起こり、彼は家族を失ない、「独り河渚の間に竄(に)げ、草を食い水を飲み、衣履無し」、すっ裸で河原を放浪し、草で露命を繋ぐという生活を始めた。大陽の長が彼を発見したのはこのときであるが、明らかに彼の内部で生きることの関節がはずれてしまっていたのである。けれども、公平にみて、焦先の悲惨な経験が彼ひとりのものでなかったことはいうまでもない。戦乱、殺人、掠奪、飢餓、疫病、食人、流民化、匪賊化が彼の時代の社会を蔽っていたのをわれわれは知悉している。彼の流亡も、家族喪失も、この全体のささやかな部分にすぎなかった。それでも生き残った人びとは、彼らも親兄弟や妻子を失ない、そのうちのだれかれは他人を食ったことがあるかも知れないのに、いっときの平安が恢復するともとの通常の生活にもどった。が、焦先のばあい、正常な状態に回帰する機能が狂ってしまった。その消息はわれわれには不明である。分かることは彼はもう通常の平穏安楽な生活に帰らず、他人から「狂痴の人」とみなされる逸脱を開始した一事にすぎない。
 焦先は山林に遯入しなかった。蝸牛廬をどこへ立てたか分からないけれど、町か村に居住して彼は「客作」、臨時雇いの労働にたよって生活を保った。だが、人と交わることを避け、婦人から逃げ、何よりも他人とことばをかわすことを嫌うことによってやはり彼は自身を封じ籠めた。ある意味では梁鴻や台佟らの山林隠棲による自己囲い込みよりも、彼の蝸牛廬の籠居のほうが反都市性の表出としてはるかに強い効果をもっていたであろう。その効果はほとんど教育的だったといっていいかも知れない。(中略)ここには老荘的な愚者の智慧、無知の大智の微光がほのみえるのであって、魏と呉とのあいだに戦争が勃発したさいに、だれかがこっそりその予測を尋ねたというのも、彼の蝸牛廬の枯草の寝台の中からそういうほんものの智慧がぼんやり暈(かさ)のように周辺にひろがっていて、(中略)或る人びとがその智慧の輪光に感じていたことを証するのに相違ない。(中略)彼らの社会の文化にも愚者が秘匿するほんものの智慧を、それと認知できさえすれば、尊崇せずにはおかない伝統が古来からあったのだ。
 焦先が表現していた智慧は一言で反都市的な価値だったということができる。彼の振舞いのすべてが都市に栄える明知、雄弁、虚栄、貪欲、奢侈などとちょうど反対の方向にむかい、しかもそれらにたいする無言の批判になっていた。が、それはたぶん彼の振舞いの結果でしかなく、彼自身は、実存のレベルにおいて自分が都市のみならず文化の範疇をぬけおちて自然の野性にあることを自覚していた。(中略)蝸牛廬に住み、(中略)沈黙で厚く自分を囲い込むことによってそのまま彼は自然に帰ってしまった。」


















































































































































































































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大室幹雄 『パノラマの帝国』

「「我 性は落魄、自(みずか)ら拘検せられず、惟(た)だ高歌し大酔するを愛す」」
(大室幹雄 『パノラマの帝国』 より)


大室幹雄 
『パノラマの帝国
― 中華唐代人生劇場』


三省堂 1994年12月10日第1刷発行
376p xiv
四六判 丸背紙装上製本 カバー
定価3,800円(本体3,689円)
装丁: 間村俊一



本書「語りのあとで」より:

「この本に収められた論文、物語、エッセエ、そのほかどう呼んでもいい作品のうち、初めの四篇(中略)は、松平いを子と私によって翻訳されたR・H・ファン・フーリックの推理小説、ディー判事シリーズの四冊『中国黄金殺人事件』『中国湖水殺人事件』『中国鉄釘殺人事件』および『中国梵鐘殺人事件』(いずれも三省堂、一九八九年刊行)の解説として書かれた。いま一冊の本にまとめるに当って、それぞれ若干の修正をほどこしたのはむろんだが、どあれも解説というには異例に長いのは、そのころ計画していた私自身の唐代都市解読の一環として書いたからであり、もともとフーリックの小説を翻訳したのも同じ動機が働いたからであった。」
「あとの二篇(中略)はこの春に書かれた。他の四篇同様に、どちらもフーリックが彼の小説に採りいれたモチーフを私なりにパラフレーズして歌ったつもり、ただ、文体をできるだけ他の四篇のそれに近づけようと努めたけれど、両者の間に介在した歳月がその努力を妨げているらしいことを認めないわけにはいかない。」
「とはいえ、これら六篇の作品はフーリックとは無関係に読むことができるはず、(中略)どれも論文ともエッセエともつかない作品だが、全体として六篇からなる物語集として読まれるならば、幸いにも著者の企図は達せられたということができる。」



都市の内部では悪少年や刺客少女が、都市の外部ではまつろわぬ先住民や虎たちが、死にまで至る生の過剰と夢だけをたよりに、昼に対する夜の、父性原理に対する母性原理の、果敢なる抵抗戦を繰り広げているのでありました。

本文中図版(モノクロ)。


大室幹雄 パノラマの帝国1


帯文:

「中世中国の巨大帝国に繰りひろげられる
有象無象の人生を、目もあやに溌剌と
再現する歴史語りの妙!
麗しの人妻や悪少年、富裕商人や受験浪人、強盗や
酷吏、刺客や詐欺師、そして野性の先住民、はては人
虎や幽鬼まで。」



帯背:

「歴史の見世物小屋へようこそ!」


目次:

パノラマの帝国――まえがきにかえて

第一章 遊侠たちの社会史
 遊侠たちの昼と夜
 刺青と詩書画――モード(一)
 牡丹と墓誌――モード(二)
 遊侠・盗賊・富豪の共棲――エートス
 結社と単独者

第二章 放浪する知識人
 流浪生活さまざま――生態(一)
 世界劇場の舞台仕掛け――生態(二
 生への楽天的な意志――エートス
 旅の情景――環境

第三章 解放された女たち
 旅の情景
 恋する女たち
 妻たちさまざま
 暴力と女たち
 夫を殺す女たち

第四章 虎の妖怪学ノート
 烟嵐と登高――変身の宇宙論
 人 変じて虎に化す――狂気と憑依(ひょうい)
 虎 人を食い、人 人を棄てる
 虎狩りの情景
 虎の皮、輝き燃える……

第五章 冥界行――メガロポリスの夢
 迎え または不意撃ち
 逮捕と連行について
 冥界の政治地理
 冥界民族誌ノート
 魂の時空
 巨大都市長安の夢

第六章 梅嶺の南――ひとつの未開と文明
 梅の花咲く峠のかなた
 嶺南経済特別区
 広州の解放経済
 環境志向文化と物質志向文明
 蠱憑きの歴史人類学

語りのあとで



大室幹雄 パノラマの帝国2



◆本書より◆


「第一章 遊侠たちの社会史」より:

「韓愈(かんゆ)といえば、古代の散文の風骨に倣(なら)って独特の雄勁な文体を作り出した文人として文学史に名高いが、江淮(こうわい)(安徽省)から甥に相当する遠縁の若者を長安へ呼び寄せたことがあった。学問を仕込み、科挙の試験に合格させて世に出そうというので、一族の子弟たちと勉強させたが、いじめられてばかりいるのを知り、韓愈は西街の某僧院に若者を寄宿させて読書させた。十日ばかりすると、今度は寺からとてもあずかれないと苦情をいってきた。少年が「狂率(きょうそつ)」、調子が狂っていて落着きがなく、始末におえないという訴え。
 即刻呼びもどして、市場の商家といった賤しい類(ともがら)だって、衣食を営むについては何か一つくらい長所はあるものである、汝のやったことがこんなだとすれば、いったいこれからどうするつもりかと叱責した。寺での狂率の内容がよほど無惨だったのであろう。甥は頭を下げ陳謝し、それからおずおずといった、私には一芸があります、残念ながら叔父上がご存じないだけです。それから中庭に降りる石の階段の際の牡丹を指さして、叔父上がこれに青、紫、黄、赤の花をつけさせたいとお望みならば、唯だ命のままに、と彼はいった。韓愈はその発言を奇異に思い、甥が必要とする物を給して試させた。
 少年はまず牡丹の株を堅固な箔(すだれ)で真四角に囲って人が覗き込めないようにすると、四面から根に及ぶまで、人が坐れるほどの窠(あな)を掘っていった。それから紫鉱の朱紅色の粉末を入れて、朝な夕な、根の面倒を見ていたのである。七日ほどすると、坑(あな)を填(うず)めて、残念なことに挍(みだ)すのが一月遅れました、と叔父に告げた。時に冬の初めであった。牡丹はもと紫だったのだが、花が発してみると、色は紅白で、すべてに緑が混っていて、しかも一枝ごとの花に紫の文字がくっきりと一聯の詩を浮び上らせているのだった。
 詩は韓愈の良く知られた作品だが省略する。叔父は少年の魔術めいた園芸の伎倆を大いに驚異とし、甥は叔父の訓育を離れて故郷の江淮へ帰っていった。そして「竟(つい)に仕えるを願わず」、自分の素質にはまるで合わない受験勉強の詰込みをやって、皇帝に仕える官吏になろうとは願わなかったという。
 故郷へ帰った若者が、その魔術師なみの天才によって、秀れた園芸師に成長したか否かは判らない。けれども、周知のとおり、彼の社会でも、学問をするとは、柔らかな欲求と感情を圧し潰し、ひたすら知識の暗記に励み、生活の安楽と見栄の満足をかなえてくれるという科挙の試験に及第することのみを意味した。「狂率」を理由にこの知識の呪縛的世界から弾き出された、この愛すべき天才の持主はつまり落ちこぼれたのにほかならない。そのまま彼が首都に留められ、受験勉強を強いられていたら、彼が悪少年の仲間入りをした蓋然性はかなりに高かったともいえよう。優しい彼の精神の一傾向、その狂率は遊侠の不良少年たちにもそろって分有されていたに相違ないからである。」

「端的にいって、任侠の悪少年はあらゆる階級から生まれたのである。いわば任侠という社会的な現象は超もしくは汎階級的なのだった。つまるところ、劉某が悪少年になり、崔某が忠良な官吏あるいは善良な農民でありつづけるというのは、それぞれが生得している資質の差異によるのだといってもいいようなので、この場合の差異というのはきわめて個体的なもの、前に用いた言葉でいえば、それぞれの個体が生の過剰を有しているか否かに尽きている。少なくとも環境が個体に作用する教育学的影響など、遊侠の誕生にとっては副次的、だから偶然のきっかけにすぎない。」

「奢豪とは、こういう万事が過剰にほかならない生の中から、蕩尽を、いいかえれば生そのものの否定を目指して表出された行為の謂(いい)なのである。」
「遊侠無頼の豪侠は露骨に直接的な生の過剰の表出であった。彼らの生はしばしば生活の窮乏、財貨の欠乏に飢え凍え、その飢寒の患(うれい)の真中から生への熾烈な意志がむきつけに迸(ほとばし)るとき悪少年が誕生した。何なら物質の欠如が精神を生み出した、だから任侠の生とは精神それ自体なのだ、ほんものの貧しい哲学者の場合と同じように、といってもいいようなのである。少なくとも、生の過剰において己れの生を無化する強い傾向を有する、彼らに固有の或る種の苛烈な精神主義に遊侠のエートスの核心があったのだということはできる。」



「第三章 解放された女たち」より:

「すれっからしの老朽した読者にほかならぬ私たちの心には、ちょっと風変りなという印象を与えるに過ぎないにしても、それらの説話(ナラティヴ)はすべて世界の隠喩(メタファ)なのだった。つまり、旅の商人を噛み殺した鬼女、欣然と盗賊の舟に乗り移った美少女、夫に置き去られてわけの判らぬ死にようをした浮かれ女、夫とその親の犠牲に自分を食肉に売りとばした商人の妻、それにまた夫の復讎に失敗して自刃した旅芸人の女も、そろって彼女らを取り囲む世界と社会のリアリティを開示し、と同時に彼女らのこころに潜む不可思議な深みを世界の表層に噴き出していた。」

「大都市長安の迷楼めいた面白さは、(中略)健康な美人が仇敵を捜して奇蹟の庭(クール・ド・ミラクル)に暗躍する殺人者でもあったことである。この都市の暗黒街の英雄は男だけに限定されてはいなかったので、十六、七の薔薇のような美少女が、さまざまな武術や雑技に習熟した強く撓(しな)やかな軽薄の悪少年たちを指揮して、皇帝の宮殿深く侵入し財宝を掠めることもあったと記録は語る(中略)。その美少女は超自然的な跳躍者、鳥人でもあり、不思議な空中飛行の秘技によって、皇城の地下牢に投ぜられた学生を救出したりもする。そうして無論、彼女らの軽快な自由は彼女らを首都の中心や空中や地下に活躍させただけでなく、帝国中のいたる地方に、街道や逆旅や田舎の町に、旅する彼女らの秘密の姿を見え隠れさせていたのだった。」

「聶隠娘(じょういんじょう)は貞元年中に魏博(ぎはく)(中略)の大将軍聶鋒(じょうほう)の女(むすめ)であった。十歳の時、一人の尼が聶鋒の屋敷に乞食(こつじき)に来て、彼女を見て喜び、貰い受けたいと請うた。父親が大怒して叱りつけると、たとえ鉄の櫃(ひつ)の中に匿したって偸(ぬす)み去りますよ、と尼はいい、果してその夜、隠娘の所在は失われ、父は八方手を尽して捜したけれど、影も響(うわさ)もなく、父母は相対して涕泣するほかなかった。
 五年後、尼が隠娘を送り帰し、教育はすでに成りました、お受け取り下さるようと聶鋒に告げ、ふっと見えなくなったのである。父母は悲喜こもごも、娘に何を学んだのかと問うた。(中略)本当の事をお話ししても、恐らくお信じなさらないでしょう、と娘。ただ本当の事を話してくれればいいのだよ、と父。そこで娘はその修行の次第を語った――。
 初め私は幾里とも知らず尼に連れられていったけれど、明けがたになって大きな石穴(ほらあな)の中に入った。(中略)十歳ほどの二人の少女がいた。二人とも聡明で婉麗(かわいら)しく、食物をたべずに峭(けわ)しい壁(がけ)の上を飛走し、(中略)木に登り、蹶(つま)ずき落ちたりすることはないのだった。尼は私に一粒の薬を与え、また一口(ひとふり)の宝剣を持たせた。(中略)尼は二人の女の子に攀縁(よじのぼ)りかたを私に教えさせ、やがて身体が風のように軽くなったのを知覚した。
 一年後には、猿狖(さる)を刺して百に一匹の失(しくじ)り無く、後には虎や豹を刺せば、すべてその首を決(た)って持ち帰った。三年後には、飛んで鷹や隼(はやぶさ)を刺すよう命じられても中(あた)らぬことは無く、宝剣の刃は漸(ようや)く五寸に減っていて、私が飛走しているのに出遇っても、人は気づかなくなったのである。
 四年目になると、二少女に石穴の留守をさせ、尼は私を都会へ連れていった。何処とも判らなかったけれど、目当ての人をいちいち指さして、その過ちを数(せ)め、その首を刺して持っておいで、知覚させてはならないよ、胆を定めれば飛鳥のように容易なのだよといって、羊角型の、刃の長さ三寸の匕首(あいくち)を私に授けた。私は白日に都市でその人を刺した。誰もそれが見えなかったのだ。その首を嚢(ふくろ)に入れて尼の宿舎に返ると、尼は薬で以て化して水にしてしまった。
 五年目、尼はまたいった、某大官には罪がある、故無く何人もの人を殺害したのだよ、夜、その部屋に入って首を決(た)っておいで。私は匕首を持って部屋に入った。忍び入るのに何の障礙(しょうがい)もなかったのだけれど、梁(はり)の上に伏せて、瞑(くら)くなってから大官の首を得て持ち帰った。すると尼は大怒して、何でこれほど晩(おそ)くおなりだえ? といった。あの人が小さな児と戯(たわむ)れ弄(ふざ)けているさまが愛すべきものに見えて、すぐさま手を下すに忍びなかったと私が答えると、今後は、そういう場合に遇ったら、自分の愛する気持を先ず断ってしまうのだよと尼は叱った。私は拝礼をして謝罪したのである。
 その後、尼は、そなたのために脳(あたま)の後ろを開き、匕首をその中に蔵(しま)って傷も残さず、用いる時には、そこから抽(ひ)き出せるようにしてやろうといった。その後また、そなたの術はもう完成しました、家に帰ってもよろしいといって、尼は私を送り還してくれた。別れに当って、二十年後にまた会うでしょうと彼女はいったのである。
 ――聴き終って、父の聶鋒は五年ぶりに戻ったわが娘の変身ぶりに恐怖を覚えた。その後も娘は夜になるとどこかへ出かけて姿を消し、夜明けに返ってくることをやった。父親はもう敢て詰問しようとはせず、娘をそんなには憐愛(れんあい)しなくなった。
 逆に見れば、山中隔離の五年間に、尼僧の課した、身心両面にわたるさまざまな試錬を通過したことによって、彼の愛娘は、彼の情愛や日常的な思量の及びもつかない、彼にとっては不気味な異質の世界に再生してしまっていたのである。今や娘は暴力行使の専門家、熟練した暗殺者、夜の闇黒を徘徊する刺客なのである。昼の公的な世界に住み慣れてきた父親には、特異なシャーマニスティックな改造を頭脳に加えられたのだという娘の身体からは、血腥(ちなまぐさ)い犯罪の臭気さえ絶えず沁み出しているのが察知されるのだ。尼に洗脳された娘の道徳はそれが正義なのだと主張する。しかし一介の地方武官に過ぎない父親には、それの哲学的根拠を検証する義務などあるわけもなく、またそうする素養も決定的に欠けていたであろう。一言で、父親にとり彼の娘は不気味(ウンハイムリヒ)なものそれ自体だったのである。」
「聶隠娘(じょういんじょう)の物語る、飛ぶ女への再生のイニシエイション体験が虚構であるのはいうまでもない。だが、その物語を支えている変身のリアリティまでを否定してしまうのは能がなさ過ぎる。(中略)そのリアリティはあげて、記録、書くこと、物語ること、即ち現実に関する解釈が産み出す、世界の深さへの夢見心地な面白さにかかっている。換言すれば、世界の隠喩(メタファ)としての説話(ナラティヴ)の広汎な包摂力のうちに聶隠娘の変身のリアリティも見出されるのである。」
「死者は語らないし、生者は死んだことがない。にもかかわらず、私たちは死について語ることを許されていて、それを語ることもできるのであり、現に語っていることのうちにしか死のリアリティは現われてこない。それと全く同じように、殺人を犯したことのない者も、殺人の恐怖と解放と快楽と嫌悪について語ることができるはずなのであり、そのことのうちに殺人の行為のリアリティは浮び上がってくる。というのも、世界は現実ではなくて、解釈であり、物語ること、書くことであるのだから。」

「生の過剰は狂奔する。そのこと自体に善と悪、正と邪、賢と愚があるわけではないので、そういう判断は彼女たちの超越の後から、圧倒的多数者の安住の低所から恣意的に彼女たちの行為に向って放たれる悪声に過ぎない。」



「第四章 虎の妖怪学ノート」より:

「周知のとおり、陰陽説は全体と部分、宇宙と個体、事物と生物、動物と人、女と男との間に絶対的な断絶を認めない。これら一見対立し相反しているかのような二項間の差異は、それぞれが存在の原基として負荷されている陰気と陽気の配合、陰気と陽気との相対的な多寡にかかわっているに過ぎない。例えば、私が女で、あなたが男であるのは、あなたの身体を構成している気の集合にあって陽気が物量的に陰気に勝っているからであり、私においてはその逆であるからだという具合に。」

「鄴(ぎょう)中(中略)に楊真という者がいた。家は富んでいて、平生好んで虎の絵を画き、家中にそれを飾って喜んでいたのだが、老年に及ぶと、家人に命じてきれいさっぱり撤去させてしまった。齢九十、臨終の枕辺へ息子と孫たちを呼び寄せて、私は虎好きが昂じて「癖(マニア)」となり、夢の中で虎の群に混って遊ぶに至り、晩年には散策や遊覧の途上でもちょいちょい虎を見かけるのに、連れは誰ひとり見たものがないという始末、それで虎の絵を破棄させたのだが、今も夢の中で虎に変わり、目覚めると人に復していた、死後には恐らく化して虎となるのであろう、おまえたち、虎に遭っても慎しんで殺してはならぬと遺言し、その夕べ彼は死んだ。そして家族が葬式の相談をしていると、不意にその屍体が虎に化して跳躍して外へ出た。息子の一人が目撃して後を追う。虎は戻って彼を食って去った。数日後、家人の夢に虎が出て、私はもう虎になった、調子は甚だ好く、家を離れる時に人ひとりを食ったから腹もくちいと告げたのだった。
 記録(『瀟湘(しょうしょう)記』)は、この椿事に関する「有識者」の論評を付記している。曰く、「人であれば父子の関係が分るが虎には分らぬ。人と虎とは知性に差異あり、虎が前生の事を憶えているなら人は当然そうであるはず、しかるに人にして前生を憶えていないのだから、虎が我が子を食うのは当り前である」というので、人が変じて虎に化する怪事を彼が訝しんだ様子は見られない。どうやら、老いたる虎癖(マニア)の心理的な偏執が身体の変化を惹起したのは自然もしくは必然と、平静に受けとめていたらしくある。」

「革命後の中国では、約四十年の間に、当初四億と称された人口が十一億以上に爆発的に増加したのに反比例して、虎の個体数はずいぶん減少したらしい。しかし前世紀後半から今世紀初頭にかけて、欧米人によって書かれた中国旅行記を繙(ひもと)くと、彼ら異邦の旅行者が時に虎狩りのゲームを楽しんで山野を駆けめぐったとか、時に虎に遭遇したと稀ならず記しているのには驚かされる。過去の中国に虎がどれほど棲息していたか、勿論、その統計学的数値は知りようもないが、高く厚い城壁に堅固に囲まれた都市に背を向けて、田園や山野に暮す常民の世界に多少でも目を放つと、狐たちの優美な狡智とともに、高貴な虎族の孤高な獰猛がそこでは文化の特異な一ジャンルを形成していることに気づかないではいられない。」



「第六章 梅嶺の南」より:

「現在でも嶺南地方には、漢(ハン)-シナ人に属さない、多くのさまざまな先住民族がそれぞれの伝統的な環境のうちに生きている。」
「「巣居」とは古代以来、いわば原始的な樹上生活を表わす慣用語だが、幸いにも、宋代になって周去非が著わした興味深い嶺南民族誌にやや詳しい観察が見出される。
 「深広(広州の奥地)の民は、柵を結んで以て居(す)む。上には茅屋(ぼうおく)を設け、下には牛豕(ぶた)を豢(か)い、柵上は竹を編んで棧(すのこ)(床)となし、椅(いす)、卓(テーブル)、牀(ベンチ)、榻(ベッド)を施さず、唯だ一牛皮のみ有りて裀席(しきもの)と為し、斯(ここ)に寝食す。牛豕の穢は、昇(のぼ)りて棧の罅間(すきま)より聞(にお)い、向邇(ちかづ)く可からざるも、彼は皆な習(なら)い慣(なじ)んで、之(これ)を聞(か)ぐこと莫(な)き也。其の然(しか)る所以(ゆえん)を考えるに、蓋(けだ)し虎狼多く、是(かく)の如くならざれば、則ち人畜は皆な安きを得ざればなり。乃(すなわ)ち上古の巣居の意は無からん歟(か)!?」(『嶺外代答』巻四)というので、いわゆる巣居の形態は如実に浮んでくるに相違ない。そしてこれが唐代の記録でないことは全く意に介する必要がない。というのも、この形式の草葺き屋根と竹床の、家具の備えを持たない高床式の住居は、ロングハウスか一戸建てかの差異はあるものの、南および西南中国の広東、広西、貴州、雲南からビルマ、北部インド、タイ、ラオスおよびベトナムの広域をおおう照葉樹林の山地諸民族の間に、現在でも建てられ生きられているからである。
 それにしても注意深い読者ならば、周去非の即物的な観察と簡潔的確な記述、それに先入見から自由な思考にお気づきであろう。竹の棧の隙間から牛や豕の糞尿の悪臭が昇ってきても気にかけず、茅葺きの高床式住宅に家畜と同居している「深広の民」の生活も、彼らを環(めぐ)る固有の風土へ適応して生きていることの自然であって、「上古の巣居」の原始未開とは無関係だと書く明晰な省察に注目。これは中国の歴史の中で最もモダンで、明るく生きいきとしていた宋代にのみ認められる、軽快に弾む知性の作用のささやかな一例である。」



「語りのあとで」より:

「「梅嶺の南」で私が漢-シナ人(ハン・チャイニーズ)の南方進出、嶺南地方の都市化・文明化、最終的にシナ化だと呼んでいる現象は、進出される原住の人びとにとっては被征圧と被支配にほかならず、その歴史を通じて、彼らの心理は相対的に強力な文明に対する讃仰や同調とともに反感・恐怖・憎悪などの混った複雑なものだったに相違ない。」
























































































































大室幹雄 『劇場都市』

「郷愁とやましさは哲学の存立根拠であり、その魅力の源泉なのだ。(中略)その底流に、いわばヘーシオドス風の黄金の世代への郷愁とそれから背離してあることのやましさを漾わせている。」
(大室幹雄 『劇場都市』 より)


大室幹雄 
『劇場都市
― 古代中国の世界像』


三省堂 1981年6月10日第1刷発行
466p 目次その他4p
A5判 丸背紙装上製本 カバー
定価3,800円



大室幹雄「都市」シリーズ第一弾。

「大同」: 母権制―共同体―アルカディア―バロック―西遊記
「小康」: 父権制―都市/国家―ユートピア―クラシック―水滸伝

本書は1994年に「ちくま学芸文庫」として再刊されています。
本文中図版(モノクロ)多数。


大室幹雄 劇場都市1


目次:

序章 都市がなぜ問題になるか――荒野
第一章 都市の出現とその自覚――劇場 I
第二章 大同コンプレックスと小康コンプレックス――劇場 II
第三章 知識人の登場と退場――演出
第四章 宇宙の鏡――舞台 I
第五章 権力の結晶――舞台 II
第六章 遊戯の半都市――舞台 III
第七章 日常生活の文法――演技 I
第八章 文法からの逸脱――演技 II
第九章 漢代バロックの生活――演技 III
第十章 遊侠と倡優――興行
終章 アルカディア複合とユートウピア複合――台本
続いて現われる都市どもへの展望――前口上



大室幹雄 劇場都市2



◆本書より◆


「序章」より:

「前二〇〇〇年以前から、それまで同一の地域に隣接して共存していた、(中略)十種、またはたぶんそれよりも多かった初期の地方文化は融合を開始した。そして数世紀して高シナ文化が形成されていき、同時に地方文化の一部は高シナ文化のうちに融合したが、他の一部はそれとのあいだに摩擦を起こし、その結果地方文化として留まり、それ自体の統一性を発展させて周辺諸民族文化になった。これら周辺諸民族文化は前二世紀の交にはすでに十分にその特色を発展させていた。しかしそれらもまた、一部は高シナ文化に統合されて消滅し、一部は北中国から他の地方、とりわけ南中国と東南アジア地域へ移動していった――そして、この過程は現在もなお進行しつつある。
 高シナ文化は次章以下本書の直接の対象となる。ここでは地方文化(ローカルカルチャー)もしくは周辺文化(ボーダーカルチャー)がいかに中国の(引用者注: 「中国の」に傍点)文化に融合同化、つまり sinicization されていったか、また反対にどう中国(引用者注: 「中国」に傍点)文化によって駆逐されていったか、それを物語るいくつかの例を古代から現代にいたる過程のうちに拾ってみよう。
 漢-シナ人の北方から南方への不断の移住の歴史は、そこに先住していた非漢民族の人々にとっては災厄と受難の歴史にほかならなかった。(中略)原住民は彼らの古い定住地、良好な耕作地から浮動し、固有の生活様式を保存するためにもっと定住者の稀な周辺地帯の劣悪な自然条件の土地へ移動した。」

「ミアオ人の叛乱が示しているように、この地方における中国人移民と原住民各族との関係は不安定であって、それは両者間に成立した住み分けによる共棲(引用者注: 「住み分けによる共棲」に傍点)関係とでも称すべき居住の方式にもみごとに表現されている。貴州省をいく旅人は住民は中国人が圧倒的に多いという印象をもつ。なぜなら彼は都市と町とそれらを結ぶ街道しか通らないからである。もし彼がそれらを避けて、その後背地に道をとれば彼は完全に反対の感想をいだくだろう。すなわち、ここへ移住した中国人は都市と町と街道筋に定着する、それにたいし主要な原住民であるロロ、ミアオ、チュン-チア人らは山地に住んで都市と街道から退避しているのである。」

「このような南西中国における諸民族の中国化を、雲南省のロロ人の場合について、H・R・デイヴィースは名著『雲南』のなかで明確に析出している。中国文化あるいは中国人(チャイナマン)による「吸収の過程は雲南で現実に進行しつつあることをまだ見ることができる。私はこの過程のすべての段階にあるロロ人の諸部落を見出した。原則として男たちが中国語を読むことを学び中国人の服を着ることで、それは始まる。しだいに彼らは中国語を話し、中国人の宗教的儀式のいくらかを実行するようになるであろう。そうなると女たちまでが中国語を話すことを学び、中国人の服を着て、彼女らの足を纏足しさえもするであろう。最後にロロ語は次第に見放され、若者たちは中国語以外は何も知らずに成長する。いちどこの段階に達すれば、変形はほとんど完璧である。次の世代はたぶん憤慨して彼らのロロ起原を拒絶するであろう」。こう書かれたのは(中略)一九〇九年である。」

「中国における辺境の開発、城壁都市の建設は一面で歴代にわたり棄民的性格をもつ。たとえば(中略)探険家張騫(ちょうけん)の成功に刺戟され、武帝の西域への帝国主義的な拡張政策に強制され加担して、おびただしい兵士の軍団と商人の集団と冒険者の群が中央アジアのステップやオアシス地帯にむかって流出した。その彼らのほとんどが犯罪者、逃亡農民、無頼漢、食いつぶれ者であったこと、換言すれば中華大帝国の中心の大都市、その近辺の中小都市や農村部から弾きだされた落伍者の群にほかならなかったことを記録は記述している。」

「都市はその本質においてアンビヴァレントである、生がそうであるように。生の背後に誕生を契機に死が潜伏しているように、都市は数々のすばらしく明るく華やかな魅力の面紗のかげにそのまま地獄に通う非情を秘めていて、どちらも都市の本性なのである。それなのに、だから、死は一分後の私自身の死ではないと信じきっているのに等しい逞しい楽観をいだいて、人々は都市の魅力に惹かれて集まってくる。(中略)都市は閉じられていると同時に開かれてもいて、(中略)そしてこの開放性は中国において非中国人をも例外視しない、もともと中国人(引用者注: 「中国人」に傍点)というのがエーバーハルトのいうとおり〈理念〉であるのだし。」

「シェイクスピアがいっているように、人の一生が芝居であるとすれば、都市はその芝居が上演される最良の劇場である。(中略)この劇場に対してわれわれは純粋に観客の位置を占めている。そしてそこで演じられる歴史という芝居はその都市のもろもろの表現の解読を純粋な対象性においてわれわれに迫るであろう。」



「第一章」より:

「しかも存在するものへの省察は、存在者自体がそれの存在以前の非在と、それの消滅以後に予想される非在とを前提としてあるものであるから、当然のこととして省察の対象の成立以前の状態と存在しつつある状態および消滅したのちの非在の状態までを包みこんで行なわれなければならない。すなわち、都市に関していうなら、現存する都市と滅亡した都市に限らず、都市が成立する以前の無都市の位相、そしてまた都市の未来への展望、とりわけ終末論的な位相への透視までを包括して対象としているときに、都市をめぐる省察ははじめて正当に評価することができるであろう。この意味における真正な都市の省察として、古代中国の社会のばあい、われわれは『礼記(らいき)』礼運篇の記述を採りあげることができる。」
「この「大同」の社会は一つの社会類型であると同時に一つの歴史的な時代でもあった。(中略)「大道が実践されていた」この社会が都市の成立以前の存在であるとされていることが何よりも注視される。それを形成する第一の原理は「世界は公共のものである」ということであって、そこには、徳性と能力とによって選抜された指導者はいても支配者はなく、人々は個人のためではなく公共のためにひとしく労働に従事し、労働の成果たる財貨も個人の所有にではなく社会全体に帰属したのである。家族は存在したが孤立して閉鎖的な集団としてではなく、他の家族の父母と子どもとを自分のそれと同一視して愛する開かれた倫理と感情とに満たされていた。男と女とのあいだの最も基本的な分業はすでに存していたが、全体としては分業が成立する以前の牧歌的な共同体であって、失業の問題はなく、老人、寡婦、幼児、病人、廃疾者といった社会的な弱者に暖い保護が与えられ、人々の言行は誠意あって虚偽をたくらまず互に睦みあい親しみあっているという。これは「大同」の美名にふさわしい調和と平安の親睦にひたされた統合的な集団であり、その自足性の生みだす平和は、この社会を転覆しようとする謀略を企てるものなく、また窃盗と叛乱を計る匪賊も起こることなく、人々は戸を立てることはあっても閉ざすことはないという生活のうちに素朴に表現されている。
 通常、虚構された理想社会はそれの諸属性を逆転すれば作者の時代の社会そのものの表現となる。前者に見出される数々の長所は後者に存在せず、そのかわりにそれらを百八十度逆転した矛盾と欠陥のみが作者自身の社会の特色となる。(中略)興味をひくのは、「大同」の世界からすれば数々の欠陥と矛盾に満ちている作者の時代が直接に「大同」の世界から現われたのではなく、その間に「小康」と呼ばれる時代と社会があってそれら相互の変移が時間の系列にそった漸次的な経過、それも衰退の過程として考えられていることである。(中略)礼運篇の著者の解釈によれば、歴史は「大同」の世界から現代までの継続的な衰退の過程にほかならず、この衰退の要因は道徳的であるとともに宇宙論的でもある、「大同」社会の根本原理たる「大道」が湮滅してしまったことにあるとだけ述べられている。」
「「大同」の社会に比して、「小康」、文字どおりに小さな平安の世界は相対的にわれわれの社会に近づいているといえよう。(中略)「小康」の世界が「大同」のそれとは完全に異質の社会類型を示しているのは明らかである。(中略)ここにはすでに強力な権力を所有し、それを家族内で後継者に伝授する支配者が存在している。家族はもう共同体全体への開いた帰属性を失なって閉鎖的な集団と化し、自他の親属への関係にははっきりとした亀裂が生じ、同一家族内にあってさえ、個人と個人との間柄は、「大同」社会の自然生的な慈愛の紐にかわって、「礼義」なる客観的で他律的な綱紀によって、君臣関係のような家族外的関係と同様に律せられなければならない。財産は個人の所有となり、労働もまた公共のためにではなく個人的な契機から個人の財貨のより多い蓄積のために行なわれる。(中略)この社会で重視される人間はもはや誠実と親睦の感覚を具えた美徳ある賢者ではない。そこでは勇気と知力があり、めざましい功績を、それも自身のために遂げた人間が高い評価を獲得するのである。権謀が企てられ、戦争が起こり、そのため「大人」=権力者は城郭で囲み溝池(ほりわり)をめぐらした堅固な都市に拠って彼の利益を防禦しなければならず、さらにこの城壁都市の維持のためにその後背地として、「制度」を設定して農耕地とその耕作に従事させるべき農民の村落とを建設し管理しなければならない。
 「大同」と「小康」との二つの社会の差異は明瞭である。それは二つの社会の組織の根本原理とそれを具現する個々の社会現象とにおいて把握され、ゆえにそれは両者をきわだった対照のうちに類型として映しだしている。そして作者の念頭に、小さな平安の社会のあとに彼にとっての現代(中略)、さらに衰微したもう一つの社会類型があったのはいうまでもない。」



「第二章」より:

「哲学は同時にやましさと郷愁へと通じている、とはG・ギュスドルフの警句であるが、世界の哲学の長い歩みは、西欧近代における少数の例外を除けば、それがほぼ絶対的に真実であったことを教えているように思われもする。郷愁とやましさは哲学の存立根拠であり、その魅力の源泉なのだ。(中略)その底流に、いわばヘーシオドス風の黄金の世代への郷愁とそれから背離してあることのやましさを漾わせている。孔子に仮託された礼運篇の筆者の嘆きも由来するところはこのやましさと郷愁にほかならない。「大同」の世界から「小康」の社会への変移は衰退または没落の一過程であると観ずる歴史解釈の根底には、精神史的には、神話的原古(ウアツァイト)の黄金時代に回帰することを希求する憧憬とその実現をはばむ彼の現代にたいする慨嘆が潜んでいる。」


「第三章」より:

「男は尊く女は卑(いや)しい、というのはこの社会の自明にちかい通念であった。しかしそれは(中略)つまり男権社会に通有の観念であったが、この男権的父権的社会の存立そのものが、女たちに独占された生命創造の秘儀から男たちが疎外されていることに由来する羨望と嫉妬と報復との結果であったともいえよう。前章で述べたように、都市出現の心理学的な意味は母性原理にたいする父性原理の優越、より歴史的には先行して社会を支配していた前者を後者が駆逐し交替したことにあったのである。」


「第四章」より:

「城壁の一般的な機能は都市を文化として野や鄙などの自然から分断すること、農村と都市とを分割すること、外部の人々にたいして威圧を加え、その侵入を防禦すること、またこれらの機能の効果を増幅するために都市を誇大に装飾することにある。だが、すぐ気づかれるようにこれらの機能はすべて都市の外部にのみ向けられて、いずれも都市の権力意志、征服欲のためにだけその効力を発揮するよう設定されている。あきらかにそれは頭上と脚下と背後とにたいして致命的な欠陥をもっているのである。すなわち城壁を構築することによって水平方向へ外部に向って権力を拡張しようと欲する都市は、世界にたいするその倨傲な独立性をいよいよ鞏固にしていく一方で、上は父なる天空神から、下は母なる大地の神からの背馳を深刻化して都市住民の心理-精神的な頽廃をひきおこし、それは背後の危機の発生と顕在化として現われるであろう。ひたすら外部へ向い備える機能である城壁は内部の分裂と裏切と叛乱によって容易に無力化してしまうのである。」


「第七章」より:

「都市が人間を家畜のように馴致すること、それがF・エンゲルスが告発したマンチェスターのような産業都市に近代にいたって突発したのでないのは無論であって、問題は家畜化の量、つまり程度にかかっているのであり、産業社会の都市においてそれが恐るべき速度で進捗し顕在化しただけだともいえよう。由来は都市の成立とともに古く遠い。」


「終章」より:

「かつて狂気は聖なるものであった、といってよかろう。われわれが対象とした社会についていえば(中略)原古に人は容易に神がかりして生のレベルを変換することが可能であった。逆にいえば、生は日常的に境界的なものの脅威にさらされていたのであって、狂気と生とは共棲していたのである。その共棲を切断したのは人間の生の維持にかかわる技術の進歩、それが喚起した社会の変化、都市化と歴史化である。都市の成立とともに狂気の聖性は衰退していったが、その過程中の、比較的進行の速度が緩慢な或る時期に世界各地の文明圏で狂気の価値の再発見が前後して行なわれた。その時期とはいわゆる世界史の枢軸時代のことである。ヘブライの予言者、ソクラテス、仏陀、孔子と老子――彼らをつなぐ共通の印は日常の生の背後に通常人には見わけることのできない存在の亀裂を発見する特異な感覚、いわば狂気とより名づけようのない見者の眼ざしであった。技術の相対的な発達と歴史の経験によって人々の生が比較的な安全性を確信しはじめたその時点に、彼らは深淵へすべり落ちる生の危機の断層を随所に発見したのである。老荘風に譬喩をもってすれば、大地を歩行するさい、われわれが要する地面の幅はせいぜい三十センチもあれば十分であり、それが視界内に連続しているかぎり安心してわれわれは歩いていくことができる。それが日常の生活感覚の正常というものだ。だが、ほんとうにそうであろうか、と彼らは問う。仮りにわれわれが歩行に要する三十センチ幅を残して他はすべて削り去られてしまったとしたら、それでもわれわれは安心して歩いていくことが可能であろうか。答は明白に否定的であろう。通常人と彼らとのありようはこの素朴な設問をあえて問うか否かを境界として分岐する。つまり前者は自分の歩行する三十センチの地面の両側に堅固な大地の連続しか見られないが、後者はそこに怖るべき奈落を、それどころか現にいま彼が佇立する足もとの地面がすでに欠落している現実(引用者注: 「現実」に傍点)を透視する独特の眼ざしを有しているゆえに、恐怖してその場に立ちすくむ特異な才能を所有しているのである。彼ら一群の見者にとって人間の生はこの細いひとすじの道であり、それを充実して歩みきるためには左右前後を脅やかす顕在かつ潜在的な欠落、生の輪郭の境界とその向うを見定める明らかな視線をもたなければならないと彼らは考え、世界にむかってその確信を説いた。
 狂気の現われは社会ごとに異なっているし、それへの評価もそれぞれ変化してきた。狂気も文化の一部だからである。」

「個人の魂ノレベルにおける境界情況として、それだけを論ずるためにならわれわれは「狂」に傾き、一瞬の忘我や恍惚にシャーマニックな憑依にちかく生きた老荘の神秘主義者たちを描かねばならなかったであろう。彼らもまた都市という現象の本質的かつ根源的な装飾変数の一つであったのだから、シャーマン詩人司馬相如や有名無名の遊侠や倡優と同様に。だが、都市という表現も日常的には陳腐で退屈な環境でしかない。われわれがその分割が支配する日常性の記述にかなり紙幅を割いたのは、この都市の常態をあきらかにし、それとの対比で周辺的なものの境界性とその特徴を描きだすためであった。
 こう言うことを許されるならば、第三章以下本章にいたるまでのわれわれの記述は境界情況を核とする変化の図式と、分割と結合を根本原理とする大同と小康の二つのコンプレックスの対抗の図式とを根底にして継続されてきた。」
「そこでいまわれわれはあらためて、あの二つの対極的なイメージのコンプレックスをアルカディア複合とユートウピア複合として置換しよう。(中略)ただし図示するにとどめて、解説は省略に付する、というのも、その論理的な対立ならすでに述べた大同と小康両コンプレックス間のそれに相違するところはないのだから。」



大室幹雄 劇場都市3





















































































































大室幹雄 『囲碁の民話学』 (岩波現代文庫)

「阮籍(げんせき)の母が死んだ。籍は人と碁を囲みつづけた。それで相手は止めようと申し出たのだが、籍は中止するのを承知せず、勝ったのである。」
(大室幹雄 『囲碁の民話学』 より)


大室幹雄 
『囲碁の民話学』

岩波現代文庫 学術 G-123

岩波書店 2004年6月16日第1刷発行
x 304p 付記1p
文庫判 並装 カバー 
定価1,100円+税

「本書は一九七七年五月、せりか書房より刊行された。」



本文中図版(モノクロ)多数。

フィリップ・K・ディックの小説『スキャナー・ダークリー(暗闇のスキャナー)』は、「遊び人間」たちが、「カタギ」の仕事人間たちの支配下にある現世でいかに敗北し、廃人と化していくかを描いた、身につまされるお話でした。ディックは「著者覚え書き」で、彼らが「遊び人間」たろうと志したことは間違ってはいなかった、ただ「遊びかた」が間違っていたのだ、と語っています。
映画『ビューティフル・マインド』は、「ゲーム理論」のジョン・ナッシュが数学という「遊び」の世界から政治という「カタギ」の世界へ引っ張り出されることで廃人と化していく様子を描いた、身につまされるお話でした。
大室氏の著書『滑稽』および『正名と狂言』では、遊び人間(「異人」)たちと仕事人間(「通常人」)たちとの全面的な対立抗争と、前者の敗北の様相が描かれていました。
それでは、われわれ異人(エトランジェ)はどのように遊べばよいのか。
そこで本書、『囲碁の民話学』です。


大室幹雄 囲碁の民話学


カバーそで文:

「正方形の盤面上で黒白の石によって競われる囲碁は、壮大深遠なシンボリズムを蔵する宇宙論的世界である。碁盤は大地の隠喩であり、四隅は四季をあらわし、三六一目は一年に相当する。童子や老賢者が碁に興じる民話は、文化の深層へとわれわれを誘っていく。囲碁を入り口にして中国の豊かな精神世界を旅する歴史人類学の代表作。」


目次:

序文 (林裕)

第一章 囲碁の魔術性
 『国性爺合戦』碁立軍法の幻想
 囲碁の神秘
 囲碁のシンボリズム
第二章 碁盤の空間的象徴性
 「天円地方」の宇宙像
 方形の世界
 都市と建築の方形プラン
 世界を戯場とする遊び
第三章 爛柯考(らんかこう)
 遊びぎらいと思考ぎらいのための余談
 爛柯説話の諸要素
 童子のトポス
 神童・奇童・聖小児たち

第四章 老賢者
 碁をうつ神仙たち
 老翁と幼児たち
 老人の心の円熟について
 老賢者――老子とマーリン

第五章 少年と小鳥
 老賢者の死
 神童の誕生
 青衣童子と小鳥たち
 「野田黄雀行」

第六章 石室の宇宙論
 洞窟彷徨
 民話の洞窟学
 任昉と石室山
 腐爛のモチーフ

第七章 桃(もも)と棗(なつめ)の時間論
 山中の自然と文化
 桃花源にて
 飽満のモチーフ

第八章 碁盤と碁石の時間的象徴性
 天体の模像としての碁局
 碁石による宇宙の創造

むすび


岩波現代文庫版あとがき

解説 囲碁の万華鏡、あるいは盤上遊戯の桃源郷 (鎌田東二)




◆本書より◆


「「爛柯」とは何なのか。(中略)梁(五〇二―五七)は任昉(にんぼう)の撰にかかるとされる『述異記』巻上のつぎの故事を読まれたい。
  信安郡に石室山がある。晋の時代に、王質が木を伐りにやってきた。数人の童子が歌いながら碁を打っているのを見て、質は歌を聴いて見物した。童子が棗(なつめ)の核(たね)みたいなものをくれたから、質が口に含むと饑えを覚えなかったのである。しばらくして童子がいうことに、「どうして行かないの?」。質が起ちあがって斧を視ると、柯(え)はぼろぼろに爛(くさ)れ尽していた。山から里に帰ってみれば、すでに時人なし。」

「経験的にいえば、童子の清浄は空白にちかい無知の裏がえしにすぎないのであろう。それで小児の晴れやかさ、軽さ、明るさ、美しさは哀しいことにひどくもろい。人の世の知識が加えられる、と、たちまちに子どもは鈍重に陰鬱に醜悪に重苦しく真黒に汚されてしまう。それでも人間の想像力が文芸に音楽に絵画に彫刻に芝居にさまざまな形で童子の無垢の魂を造形しつづけてきたのは大きな慰めであろう。それら多彩な小児の形象に眺め入ると、幼童の魂には成人のノスタルジヤをそそりたてる以上の何か奥底の知れない秘密が潜んでいるのに相違ない。
 中国最大の神秘家老子は幼児の魂をくりかえし讃えている。彼にとり嬰児もしくは赤子は知識に満たされ分別に迷わされている精神が復帰すべき根源的な一者のイメージなのだった。」
「老子にあって嬰児をめぐる表象は母性的なものへの回帰、生理的なレベルにおいては調息導引の実践(プラクシス)によって母の胎内における胎児の呼吸のリズムを回復すること、心理-精神的なレベルにおいてはいまだ自己と外界との分別もなく世界の中心に安らう根源的無意識と再統合することを意味した。すなわち、嬰児は根源的な生のシンボルだったのである。」

「マーリンは己の呪縛の森の山査子の繁みのなかで原母ニニアンの蠱惑にとらえられ、彼女の呪縛によって「最も偉大な愚者」に帰って、アーサー王と円卓の騎士たちのまえから消え去った。伝承にしたがえば、老子は自身の意志で西の関門を通過して西方へ旅だち、やがてインドで仏陀として再生したのだった。つまりこの中国の老賢者は死ななかったのである。歴史的にのみならず精神的にも彼は時間と生命の桎梏を脱解して生きつづけたのだった。(中略)彼は玄牝の潜勢力たる道(タオ)をわがものとしたのだ。だから彼は形を超越することができたし、いくたびとなく赤子として生まれ、老翁として解体して谷神の子宮に帰り、また嬰児として玄牝之門からその胸乳のあいだに再生することが可能なのであった。――老子のほぼ同時代の分身たる老莱子が七十歳にして幼児にかえって父母の膝下に小鳥と嬉遊したという説話のイメージの根底には、玄牝と合体した老子に顕現する変化隠身(へんげおんしん)の方術の至高の活動が認められる。そして時代ははるかに下るけれども唐の時代の老賢者の説話として生彩に富むイメージが伝えられている。
 銭易の『洞微志』に記された話である。李員は皇帝の詔を奉じて使者となり海を渡って瓊州道(けいしゅうどう)にやってきたとき、一人の老翁に逢った。自称楊避挙といい、年は八十一であった。その父と叔父はともに百二十余歳で、祖父宋卿に会ったら百九十五歳だというのである。さらに雞の巣のなかに一人の小児がいて頭を出して下を視ているのにあった。宋卿がいうには、「これは九代まえの祖先の忌であって、食べもせず語りもせず、何歳なのかはわからない」というのであった。」




この本をよんだ人はこんな本もよんでいます:

R・A・ラファティ 『昔には帰れない』 (ハヤカワ文庫)
























































































































大室幹雄 『新編 滑稽』

「異人(ストレンジャー)はその個人的な危機によって通常思考の諸前提をもっていない。それで異人は、定住社会の成員にとって疑問の余地なきものにもつねに疑問をいだくのだし、定住社会の文化の型に特有の歴史が彼の個人史の統合的な部分とならず、定住者からみると彼は「歴史をもたない人間」である。つまり履歴のわからぬ、うさんくさいよそ者なのである。」
(大室幹雄 『新編 滑稽』 より)


大室幹雄 
『新編 滑稽
― 古代中国の異人(ストレンジャー)たち』


せりか書房 1986年11月18日発行 
357p 
四六判 丸背紙装上製本 
定価3,000円
装幀: 工藤強勝



本書「あとがき」より:

「この本はもと一九七五年一〇月二五日に評論社から刊行された。」
「版を改めるにさいして、七三年九月の雑誌「思想」に発表した「都市的人間――古代中国知識人の行動の構造」を序章として、また七八年に「山梨大学教育学部研究報告」に載せた「雞鳴考」を第八章として収録した。」


本書は2001年に「岩波現代文庫」の一冊として、再編(追加された二論文を「付論」として巻末に移動)して刊行されています。

本文中図版(モノクロ)多数。


大室幹雄 滑稽


帯文:

「茫漠たる中国の地平線を横断する遊侠の徒、孔子、孟子らの遊説家たち旅人は都市=定住社会において異人へと変貌を遂げる。世界を渾沌へとひきずりこむ異人たちの演劇的生の輝きを、ことば、モード、性、暴力などの織りなす一大パノラマとして描くユニークな異人論。」


目次:

序章 都市的人間――古代中国知識人の行動の構造
 1 祭祀から演劇へ
 2 孟嘗君田文のライフ・ヒストリー
 3 都市的人間の行動
 4 劇場としての都市
 5 演出としての思想

第一章 〈滑稽〉合戦
 1 『孟子』の笑い
 2 笑われるもの 孟子
 3 〈滑稽〉淳于髠
 4 淳于髠対孟子

第二章 胡服騎射
 1 予祝された生 趙の武霊王
 2 哲学的精神
 3 文化論争
 4 歴史的地平の発見と限界

第三章 羈旅の臣
 1 東西南北の人
 2 地平線について
 3 都市の地勢学(トポグラフィ)
 4 都市と異人
 5 異人の〈滑稽〉

第四章 進取と自完
 1 冒険者の懐郷と帰郷
 2 定住者のエートス
 3 ある変革者の死
 4 故郷を呪うもの

第五章 姦人と聖人
 1 中心の認識者
 2 中心の演出者

第六章 暴君の鏡
 1 痴呆列伝
 2 世界の余白
 3 腑ぬけのモチーフをめぐって
 4 祖型としての桀・紂たち

第七章 〈滑稽〉の帝国
 1 〈滑稽〉の世界観的構造
 2 〈滑稽〉の心理学的構図
 3 〈滑稽〉のまねび
 4 完全無欠の〈滑稽〉漢の武帝

参考文献

第八章 雞鳴考

あとがき




◆本書より◆


「都市的人間」より:

「いかなる社会も漠然とではあれ、こうした異常に対する許容と排除の識閾をもっているが、とりわけ純粋な消費と奢侈の小社会である王侯貴顕の宮廷は異常への特殊な嗜好を有しており、そこではしばしば異常が制度化されている。武帝の廷臣たちから「狂人」と嘲られつつも、なお碌々として人を笑わせ生命をつないでいた東方朔のばあいはその典型であり、滑稽とは「いわば狂気のことばの制度化」たる道化者にほかならなかったのである。」

「孟嘗君の憤激と野蛮な都市殺戮は個人心理学的には彼のアイデンティティの損傷に起因する。しかしそれを彼の個人的な怨恨に閉じこめず、都市の大路で数百人を斫撃して惨殺し、疾風のように立ち去ったという戦士集団の狂暴にまで激昂させたものは彼の滑稽性であった。スザンヌ・K・ランガーもいうように、滑稽、すなわち道化とは「人格化された生命の飛躍」、「善人でもなければ悪人でもなく、道徳にはまったく無関係」であり、「〈生命〉であり、〈意志〉であり、〈知力〉であり」、「動物界に近い」存在、文明と歴史の真唯中につまり都市の核心に闖入して都市を形成する正常で牢固たる日常性の秩序を攪乱し破壊し原古の渾沌へと叩き還す始原の〈生〉そのものなのである。」



「羈旅の臣」より:

「ミルチャ・エリアーデによれば、周壁に囲繞された都邑は、寺院や祭壇や家屋などと共有する祖型において、天空と大地とを結ぶ宇宙軸(アクシス・ムンディ)が貫通している世界の中心、聖所である。そして周壁はファントムやデーモンの跳梁する渾沌たる外部の荒地から聖なる世界の中心である都市の内部を分割し渾沌の侵入から防護するものにほかならない。この祖型的な世界解釈においていわば城郭なる境界は地平線の涯へと無限にひろがる人外境(カオス)と車軸が触れあい人々の袖が絡みあう都市内部の世界(コスモス)とを明確に分割しているのである。旅人は地平線の彼方、人外境の奥深くからゆっくりとこの聖所の境界に到着し、ついで東西南北四方にあけられた城門のどれか一つをくぐって世界の中心に踏みいる。迎える定住者に本来的な世界意識からすればいまや旅人は闖入者というべきだ。さなくとも通常人のこころあたたかな歓迎にかこまれながらやはり異人(デア・フレムデ)である、そこが彼の生まれた故郷ではないという単純な事実によって。
 城門をくぐって都市内部に歩みいった瞬間に旅人は異人に変身する。(中略)ゲオルク・ジンメルの浪曼的な表現にかりていえば、すでに彼は「今日来て明日去る旅人」ではなくて「今日来て明日は留まる」ところの異人(デア・フレムデ)なのである。しかし彼は明後日にはふたたび旅立ってしまうかもしれない。すくなくともそのつぎの日には旅へと出発することの可能な不安な特権を彼は保持してあるだろう。すなわち異人とは「いわば潜在可能的な旅人」(G・ジンメル)にほかならず、一つの都市が彼の「富貴を欲する」意欲の実現にふさわしくなければ、彼は(中略)重い失望と既知という重荷をせおって、誘引と拒絶、限定と無限が描きなす地平線を志向していくつもの地峡の険道を辿るのである。」

「司馬遷は怨恨――彼のいわゆる「怨毒」が大好きであった。もっと正確にいうと、列伝中の少なからぬ主人公たちに、不遇時代に怨毒を舐めつくし、それに発憤し富裕尊貴の地位を獲得した男たちは怨毒をいやすべく仇讎に報復して、死の瞬間に至るまで苛烈な生涯を生きたというプロットを彼は演じさせているのである。怨毒の誘因はほとんどのばあい都市から都市へと遊説遍歴する旅人=異人(ストレンジャー)たる主人公と都市に定住し既成の秩序のうちに安楽な日常生活を享受している通常人との全面的な対立抗争であった。」

「これほどまでに細緻に計算し尽された言葉と行為――それは都市の中心たる宮廷に、定住者の敵視反感を侵して闖入した遊説家知識人たる異人(エトランジェ)が己の欲望を実現するために絶対不可欠の才能であった。」

「孤独者同士の全「人格的」で緊密な絆の成立。常套的とはいえ旅わたらいする羈旅の臣にとって、権力の中枢にあって孤独をかこつ有力な定住者とのかかる心理-精神的一体化ほど定住者との闘いにおける強力な武器はなかった。境界の外部と境界内部の中心との奇妙な同伴。だが都市そのものが拒絶すると同時に誘引する両義性(アンビヴァレンス)を有している。城壁の外部からの侵入者は都市内部の矛盾が凝集する時と所へならばいつでも容易に闖入することができる。都市の統合性が外部への拒絶力に支えられているとすれば、内部の矛盾はそれにとってかわる誘引力の増加を意味するからである。」

「旅人が地平線を踏みこえるだけを快楽とし、都市をすどおりするのみであったら、最後まで彼は放浪者(デア・ヴァンデルンデ)でしかない。都市の城壁の内部に停止したとき彼は異人(デア・フレムデ)に変容し、都市に固有な力学のアンビヴァレンスとの鋭い葛藤に捲きこまれることになる。」



「〈滑稽〉の帝国」より:

「重要なことは古代中国において象徴的二元論にもとづく世界解釈が、意識的にも無意識的にも、これほどまでに根ぶかく浸透していたにもかかわらず『史記』滑稽列伝に登録された典型的〈滑稽〉たちがその本質においてこの二元的対立からずりおちていたということである。」
「〈滑稽〉なる烏滸者は「非を是であるかのように説き、是を非であるかのように説き、言説によって異同を混乱させる」、同一律も矛盾律も超越した精神だという。つまりその言説において世界解釈を構成するあの二元的対立の原理をくつがえす存在だというのである。しかも彼らは単純に言語的人間であったのではなかった。司馬遷が滑稽列伝に選択した烏滸者たちはそろって偏奇(ストレンジ)な属性をそなえていた。」

「端的にいって狂人はその生を構成するあらゆる負性の極致のゆえに人間外の存在、嬰児とひとしくいっさいの社会的責任からはずれた局外者とみなされていたのである。いわば彼は世界の秩序の外部にこぼれおちた生だったのだ。」
「狂人および準狂人と〈滑稽〉との親近な関係はすでに明白であろう。げんに古今を通じて〈滑稽〉の第一者であった東方朔は同時代人から「狂人」と呼ばれていた。」

「すでにあきらかであろう、〈滑稽〉とは、それ自体がお芝居である世界の中心いわば世界戯場の舞台の真ん中に、中心の中心の中心たる帝王をとりまいて喋り唱い跳ね踊って嬉遊する異人(ストレンジャー)だったのである。彼もまた一身に体現した過剰の境界逸脱性すなわち偏異性(ストレンジニス)を武器に世界の中心に闖入し、日常生活の秩序を攪乱し、通常人の安固な世界感覚を混乱に陥れて無気味な怪訝と新鮮な驚愕によって彼らにもう一つの世界の所在を開示する鏡の創造者にほかならなかった。」




こちらもご参照下さい:
レスリー・フィードラー 『フリークス ― 秘められた自己の神話とイメージ』 (伊藤俊治・旦敬介・大場正明 訳)










































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

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