ヴァルター・ベンヤミン 『ドイツ悲劇の根源』 川村二郎/三城満禧 訳 (叢書・ウニベルシタス)

「ルネサンスは宇宙を探査し、バロックは図書館を渉猟する。バロックの思念は、書物という形をとる。」
(ヴァルター・ベンヤミン 『ドイツ悲劇の根源』 より)


ヴァルター・ベンヤミン 
『ドイツ悲劇の根源』 
川村二郎/三城満禧 訳
 
叢書・ウニベルシタス

法政大学出版局
1975年4月10日 初版第1刷発行
1977年4月25日 第2刷発行
308p 目次3p
四六判 丸背布装上製本 カバー
定価1,800円



カバーそで文:

「「バロック時代のドイツ悲劇の哲学的解明および展開のなかで、彼にとって何よりも重要になったのは、この悲劇およびバロックの世界一般にとって決定的な範疇、すなわち寓意(アレゴリー)の哲学的名誉回復であったが、寓意の隠れた生命をベンヤミンがこの書物でしたほどに感動的に呼び覚ました者は、ひとりもいない。」(ゲルショム・ショーレム)」


ベンヤミン ドイツ悲劇の根源


目次:

認識批判的序論
 トラクタートの概念
 認識と真理
 哲学的美
 概念における分割と拡散
 配置としての理念
 理念としての言葉
 分類とは無縁の理念
 ブルダッハの唯名論
 真実主義、混合主義、帰納
 クローチェにおける芸術ジャンル
 根源
 単子論
 バロック悲劇に対する軽蔑と誤解
 「評価」
 バロックと表現主義

バロック悲劇とギリシア悲劇
 バロックの悲劇論
 無視できるアリストテレスの影響
 バロック悲劇の内実としての歴史
 主権理論
 ビザンチンの原典
 ヘロデ劇
 優柔不断
 殉教者としての専制君主、専制君主としての殉教者
 殉教者劇の過小評価
 キリスト教的年代記とバロック悲劇
 バロック劇における内在性
 遊戯と内省
 被造物としての君主
 名誉
 歴史的エートスの壊滅
 舞台
 聖者および陰謀家としての廷臣
 バロック悲劇の教育的意図

 フォルケルトの『悲劇的なるものの美学』
 ニーチェの『悲劇の誕生』
 ドイツ観念論の悲劇理論
 ギリシア悲劇と伝説
 王位とギリシア悲劇
 新しい「悲劇」と古い「悲劇」
 枠としての悲劇的死
 ギリシア悲劇の対話、訴訟の対話、プラトンの対話
 哀しみと悲劇性
 シュトゥルム・ウント・ドラングと古典主義
 政治劇と人形劇
 三枚目としての陰謀家
 運命劇における運命の概念
 自然的罪過と悲劇的罪過
 小道具
 丑三時と幽霊の世界

 義化の教義、平静(アパティア)、憂鬱
 君主の憂愁
 身体的および心的な憂鬱
 土星論
 いろいろな象徴、犬、球、石
 アケーディアと不忠
 ハムレット

寓意と近代悲劇
 古典主義における象徴と寓意
 ロマン派における象徴と寓意
 新しい寓意の根源
 様々な例証
 秘義解釈の二律背反
 廃墟
 寓意による奪霊
 寓意による細断

 寓意的人物
 寓意的幕間狂言
 標題と金言
 隠喩法
 バロックにおける言語理論的なもの
 アレクサンダー詩格
 言葉の細断
 歌劇
 リッターの文字論

 寓意画としての屍
 キリスト教における神々の肉体
 寓意の根源における悲しみ
 悪魔の恐ろしさと約束
 沈思の限界
 「神秘的均衡」

解説 (川村二郎)
主要作品解題 (岡部仁)




◆本書より◆


「バロック悲劇とギリシア悲劇」より:

「生成しつつあったバロック悲劇の形式のもつ表現力は、当時の神学的状況に含まれていた諸々の観想的必然性の発展したものと十分考えられるのである。その必然性の一つは、一切の終末論の欠落に必然的に伴うものであるが、聖寵の状態を断念して、単なる被造物の状態に立ち返ることの内に慰みを見出そうとする試みである。(中略)この場合も、もともと時間的なデータを、空間的な非本来性と同時性に転換するというのが決定的な特徴である。この転換は、バロック演劇形式の構造の奥深くにまで及んでいるのである。中世が世界のできごとや被造物のはかなさを救済の道程の宿駅として見せてくれるのに対して、ドイツのバロック悲劇は、現世の絶望的な状態の中に埋没したままである。救済というものがバロック悲劇にあるとすれば、それは神の救済計画の遂行の中にあるのではなく、このような宿命の奥底にひそんでいるのである。宗教劇の終末論に背を向けたことが、ヨーロッパ全体の新しい演劇の特徴をなしている。にもかかわらず、恩寵に恵まれない自然の中へやみくもに逃げこむのは、とくにドイツ的である。というのはヨーロッパバロック演劇の最高峰であったスペイン演劇では、バロック的な特徴が、カトリックの文化の高い国において、はるかに絢爛と、はるかに顕著に、はるかに適切に展開されていったのであるが、このスペイン演劇は、被造物の恩寵のない状態における葛藤を、世俗化された救済力としての王権を取り巻く宮廷世界の中において、いわば遊びとして、縮小した形で解決するのである。」


「寓意と近代悲劇」より:

「象徴においては、没落の美化とともに、変容した自然の顔貌が、救済の光のもとで、一瞬その姿を現わすのに対して、寓意においては、歴史の死相が、凝固した原風景として、見る者の目の前にひろがっている。歴史に最初からつきまとっている、すべての時宜を得ないこと、痛ましいこと、失敗したことは、一つの顔貌――いや一つの髑髏の姿をとってはっきり現われてくる。このような髑髏には、たとえ表現の「象徴的」な自由が一切欠けていようとも、また、顔貌のもつ古典的な調和や人間的なものがことごとく欠けていようとも、――人間存在そのものの本来の姿ばかりでなく、一個人の伝奇的な歴史性が、自然のこのもっとも荒廃せる姿の内に、意味深長な一つの謎として現われているのである。これが、寓意的見方、歴史を世界の受難史としてみるバロックの世界解釈の核心である。世界は、凋落の宿駅としてのみ意味をもつ。」

「とくに、バロック演劇は残酷場面や拷問場面をことのほか好むが、その背後には一体どのような事情がひそんでいるのであろうか。(中略)この点について原典からは、直接の解答はほとんど何もえられない。しかし、次のようなかくれた、それだけ貴重な答えもないわけではない。「五体完全な人体は、象徴的な像とはなりがたいが、人体の一部は、しかしながら、象徴になる適性を欠いているわけではない」と、寓意画評の規範をめぐる論争について述べたものの中にある。(中略)破片から真の、固定された、文字のような意味を読み取ることのできるように、有機的なるものは破壊されなければならないとする掟に対して、人体だけが例外をなすわけにはいかなかった。」

「死によって精神が霊となり、自由になれば、そのとき初めて身体はその権利を完全に取り戻す。というのも、身体の寓意化は、屍体により初めて、徹底的に行なわれうるのであるから。そして、悲劇の登場人物が死ぬのも、彼らがそうしてのみ、つまり屍体になって初めて、寓意の故郷に入ることができるからである。不滅になるためではなく、屍体になるために、彼らは滅びるのである。」

「十七世紀の悲劇にとっては屍体は、寓意画的な小道具の中の文字通り最高に位するものであった。」

「壮大な建築物の設計理念は、良く保存されたそのわずかな部分よりも、むしろその廃墟に、より印象的にうかがえることを考えると、ドイツのバロック悲劇は、解釈されるだけの意味がある。それは、寓意の精神に則って、当初から、廃墟として、断片として構想されたものである。他の形式が人類の最初の日のような光輝を放っているとすれば、この形式は、最後の日における美しきものの像を確保しているのである。」





こちらもご参照ください:

ジャン・ルーセ 『フランス・バロック期の文学』 伊東廣太・齋藤磯雄 他 訳 (筑摩叢書)






































































































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ヴァルター・ベンヤミン 『パサージュ論 第5巻』 今村仁司・三島憲一ほか 訳 (岩波現代文庫)

「ところで、ぼくはときおり次のような誘惑にかられます。すなわち外見上は全然似通っているはずのないバロックの著作〔『ドイツ悲劇の根源』〕とこの〔パサージュをめぐる〕著作のあいだの内的な構造上の類似を浮かび上がらせたいという誘惑です。(中略)ここでも一個の継承された概念を展開することが中核となるのです。それはバロックの方では悲劇という概念でしたが、パサージュの方では商品の物神的性格という概念になります。」
(ヴァルター・ベンヤミン)


ヴァルター・ベンヤミン 
『パサージュ論 第5巻』 
今村仁司・三島憲一ほか 訳
 
岩波現代文庫 G 105

岩波書店
2003年11月14日 第1刷発行
2011年3月15日 第4刷発行
viii 302p 
「『パサージュ論』全巻構成」1p 
付記1p 索引・文献142p
文庫判 並装 カバー
定価1,400円+税



「岩波現代文庫版訳者あとがき」より:

「今回、岩波現代文庫に収められたベンヤミンの『パサージュ論』(Walter Benjamin, Das Passagen-Werk, Herausgegeben von Rolf Tiedmann, Shurkamp Verlag, Frankfurt am Main, 1982)の翻訳はすでに一九九三年から一九九五年にかけて五巻本で岩波書店より上梓されている。その際に、(中略)ベンヤミンによるテーマごとのABC順の分類記号にしたがった配列を、出版上の配慮からテーマ的なつながりを考えながら、多少とも崩して、並べ直した。
 だが、今回は、(中略)そうした「編集」をやめて、元来の原書の配列を守ることにした。」
「さらに今回は、本第五巻に全巻の人名索引を九〇ページにわたってつけ加えた。」



全五巻。本文中図版(モノクロ)5点。


ベンヤミン パサージュ論 05


カバーそで文:

「一九世紀の事物や歴史の中に眠り込まされていて現われることのなかった夢の巨大な力を解放する試み――それがベンヤミンのパサージュ・プロジェクトだった。「文学史、ユゴー」「無為」などの重要断章を収録。『パサージュ論』をめぐる書簡、編者ロルフ・ティーデマンの長文解説、引用文献一覧、人名総索引を付す。全五巻完結。」


目次:

凡例

 覚え書および資料
b: ドーミエ
d: 文学史、ユゴー
g: 株式市場、経済史
i: 複製技術、リトグラフ
k: コミューン
l: セーヌ河、最古のパリ
m: 無為
p: 人間学的唯物論、宗派の歴史
r: 理工科学校

 初期の草稿
土星の輪あるいは鉄骨建築

『パサージュ論』に関連する書簡

付論『パサージュ論』を読むために (ロルフ・ティーデマン)

岩波現代文庫版訳者あとがき
引用文献一覧
人名総索引




◆本書より◆


「m 無為」より:

「無為は、無為に過ごす者の果たす労働とのいかなる関係をも、最終的には労働過程一般とのいかなる関係をも回避しようとする。これが無為と閑暇の違いである。」

「無為という条件の下では孤独は重要な意味をもつ。(中略)孤独は、感情移入を通じて、どんな偶然の通行人をも、事件の背景に役立てる。感情移入は孤独な人間にのみ可能である。それゆえに孤独は真の無為の条件なのである。」

「探究者、賭博師、遊歩者に共通している自発性はひょっとしたら猟師のそれではなかろうか。つまり、すべての労働の中で無為ともっとも密接に絡み合っている、労働のこのもっとも古い形態のもつ自発性なのではなかろうか。」

「「知的遊牧民(引用者注: 「知的遊牧民」に傍点)である文明人は、再び純粋なミクロコスモスとなる。彼はまったく祖国をもたず、狩人と牧人が身体において自由であったように、精神において自由である。」シュペングラー」








































































































ヴァルター・ベンヤミン 『パサージュ論 第4巻』 今村仁司・三島憲一ほか 訳 (岩波現代文庫)

「私は人間たちの中ではいつも感じる心をもつ唯一の人形であった。」
(アマーリエ・ヴィンター)


ヴァルター・ベンヤミン 
『パサージュ論 第4巻』 
今村仁司・三島憲一ほか 訳
 
岩波現代文庫 G 104

岩波書店
2003年9月17日 第1刷発行
2008年5月23日 第3刷発行
vii 407p 
「『パサージュ論』全巻構成」1p 付記1p
文庫判 並装 カバー
定価1,300円+税


「本書は、一九九三年九月から一九九五年八月に岩波書店より刊行された『パサージュ論』Ⅰ~Ⅴを新編集したものである。」



全五巻。本文中図版(モノクロ)1点。


ベンヤミン パサージュ論 04


カバーそで文:

「産業と技術の進展によってユートピアは訪れるのか。初期社会主義者の注目されなかった側面に光をあてる「サン=シモン、鉄道」「フーリエ」、商品生産や価値理論を取り上げて人間と労働の意味を考察する「マルクス」、技術がもたらした社会変容を論じる「写真」などの断章項目を収録。進歩思想と一線を画すベンヤミンの世界。」


目次:

凡例

覚え書および資料
U: サン=シモン、鉄道
V: 陰謀、同業職人組合
W: フーリエ
X: マルクス
Y: 写真
Z: 人形、からくり
a: 社会運動




◆本書より◆


「Y 写真」より:

「自分自身についてのナダールの言葉。「生まれつき束縛されるのが大嫌いで、礼儀作法などはどれもじれったくてたまらず、手紙の返事を二年後になってやっと書くような次第。暖炉に足をのせられないようなご立派な家のしきたりにはとんと縁がない。そのうえ――足りないものが何一つないようにするためには、身体上のつまらぬ欠陥さえも欠けてはならじと、また、かの魅力的な美徳の数々なんぞは踏みにじり、さらに友だちの一人や二人も増やしてやろうと――近眼の度を進めてもはや盲も同然、そのせいか鼻先一五センチの距離から二五回以上は見かけた顔でないと覚えられない、無礼千万な健忘症にかかっている。」」


「a 社会運動」より:

「六月蜂起のエピソード。「女たちが煮えたぎった油や熱い湯を兵隊たちに注ぎかけながら、叫びかつわめくさまが見られた。蜂起側の者たちにはいたるところでブランデーが配られたが、このブランデーにはさまざまな成分が混入されていて、彼らを狂気に近いまでに興奮させた。……女たちの何人かは、捕まえた国民軍遊撃隊の兵隊たちの生殖器を切り取った。女の服を着た蜂起側の一人が、捕まえた何人かの将校の頭をはねたことも知られている。……兵隊たちの首がバリケードの上に突き立てられた槍の穂先に掲げられているのが見えた。たしかに語り伝えられていることの多くはでっち上げであった。例えば、蜂起側は、捕まえた国民軍遊撃隊の兵隊たちを二枚の板のあいだに挟んで、生きたまま鋸でばらばらに引いてしまったなどというのが、それである。だが、これとまったく同じほど残酷な個々の事例が実際に起きたこともたしかである。……蜂起側の多くの者たちが用いた弾丸は、傷口から引きぬくことのできないものであった。弾のなかに張り金が通っていてそれが両側から飛び出しているのである。いくつものバリケードの後には噴射機が設置されていて、攻めてくる兵隊たちに硫酸を吹きかけるようになっていた。両陣営が行った悪魔のような残虐行為のすべてを挙げることは不可能である。ただ世界史はこれに類似したものを今まで知らないというだけで、十分である。」エングレンダー」

「一八四〇年頃は、労働者の頭の中で自殺はごくなじみのことであった。「生活費を稼げなくなり、絶望して自殺するイギリスの労働者を描いた石版画が競って求められた。シューの作品の場合にも、こんな書き置きを手にして首を吊る労働者が登場する――「私は絶望ゆえに自殺する。私を愛し擁護してくれる者とおなじ屋根の下で死ねるなら、死ぬこともきっと辛くはないだろう。」労働者に大変よく読まれた小さな本の作家であった植字工のアドルフ・ボワイエもまた、絶望ゆえに自殺する。」シャルル・ブノワ「一八四八年の人」」




























































































ヴァルター・ベンヤミン 『パサージュ論 第3巻』 今村仁司・三島憲一ほか 訳 (岩波現代文庫)

「子どもが(中略)、母親の衣服のすそにしがみついていたときに顔をうずめていたその古い衣服の襞のうちに見いだすもの――これこそが、本書が含んでいなければならないものなのである。」
(ヴァルター・ベンヤミン 『パサージュ論』 より)


ヴァルター・ベンヤミン 
『パサージュ論 第3巻』 
今村仁司・三島憲一ほか 訳
 
岩波現代文庫 G 103

岩波書店
2003年8月19日 第1刷発行
2010年11月25日 第4刷発行
viii 459p 
「『パサージュ論』全巻構成」1p 付記1p
文庫判 並装 カバー
定価1,500円+税


「本書は、一九九三年九月から一九九五年八月に岩波書店より刊行された『パサージュ論』Ⅰ~Ⅴを新編集したものである。」



全五巻。本文中図版(モノクロ)3点。


ベンヤミン パサージュ論 03


カバーそで文:

「亡命先パリで爛熟から崩壊へと向かう市民社会の運命を読み取り、ありえたかもしれない歴史の別の可能性にベンヤミンは思考をめぐらせた。歴史認識のコペルニクス的転換について考察する[K]、遊歩者の認識をつづる[M]、売春と賭博の考察[O]など、思想的方法論と都市に関する断章群。」


目次:

凡例

 覚え書および資料
K: 夢の街と夢の家、未来の夢、人間的ニヒリズム、ユング
L: 夢の家、博物館、噴水のあるホール
M: 遊歩者
N: 認識論に関して、進歩の理論
O: 売春、賭博
P: パリの街路
Q: パノラマ
R: 鏡
S: 絵画、ユーゲントシュティール、新しさ
T: さまざまな照明




◆本書より◆


「K 夢の街と夢の家、未来の夢、人間的ニヒリズム、ユング」より:

「歴史を観るに当たってのコペルニクス的転換とはこうである。つまり、これまで「かつてあったもの〔das Gewesene〕は固定点とみなされ、現在は、手探りしながら認識をこの固定点へと導こうと努めているとみなされてきたが、いまやこの関係は逆転され、かつてあったものこそが弁証法的転換の場となり、目覚めた意識が突然出現する場となるべきなのである。(中略)実際に、目覚めとは、こうした想起の模範的な場合、つまり、われわれがもっとも身近なもの、もっとも月並みなもの、もっとも自明なものを想起することに成功するような場合である。(中略)かつてあったものについてのいまだ意識されざる知が存在するのであり、こうした知の掘り出しは、目覚めという構造をもっているのである。」

「子どもが(そして、成人した男がおぼろげな記憶の中で)、母親の衣服のすそにしがみついていたときに顔をうずめていたその古い衣服の襞のうちに見いだすもの――これこそが、本書が含んでいなければならないものなのである。」



「L 夢の家、博物館、噴水のあるホール」より:

「集団の夢の家とは、パサージュ、冬用温室庭園(ジャルダン・ディヴェール)、パノラマ、工場、蠟人形館、カジノ、駅などのことである。」

「パサージュを噴水のあるホールと考えること。伝説的な泉、パリのど真ん中に湧き出るアスファルト製の泉が中心にあるパサージュ神話に出会いたいと人は望んでいる。(中略)病が治ることは一つの通過儀礼、一つの過渡的体験であるという考え方が、病める者のいわば治癒に向かって歩いて行く古典的な遊歩ホールで生き返ってくる。こうしたホールもパサージュである。」

「扉が閉まらないのでぎょっとする体験は誰もが夢の中でしている。正確に言うと、その扉は閉まっているように見えるのに、実際は閉まっていないのである。こうした現象を私は夢の中で強烈なかたちで知った。夢の中で、私は友人と一緒にいたのだが、私たちの右側にあった一軒の家の一階の窓の中に幽霊がいた。私たちが先へ歩いて行くと、どの家の中にまでもその幽霊は後をつけて来た。幽霊はどんな壁も通り抜けて、いつも同じ高さで私たちについて来た。夢の中では私の目は見えないのに、幽霊は見えた。私たちがパサージュを通って行く歩みは、結局は、こうした幽霊の道なのであって、そこでは扉もないに等しく、壁も消えてしまう。」

「「都市は、森のように、そのもっとも邪悪で、もっとも恐ろしいことどものすべてが隠れている巣窟をもっている。」ヴィクトール・ユゴー『レ・ミゼラブル』第三部」



「M 遊歩者」より:

「「私がボヘミアンということで言わんとしているのは、その生活ぶりが不可解で、身分が神話的で、財産が謎めいているといった連中のあの階層である。彼らには決まった住処も、世間から認められた安息の場所もない。彼らはどこにもいないが、彼らにはいたるところで出会えるのだ! 彼らにはただ一つの定職もないのに、五〇もの職業を営んでいる。彼らの大部分は朝に目覚めた時には、夕食をどこでとることになるのかわからない。今日は金持ちであっても明日には飢えている。できれば正直に生きようとする気持ちはあるが、それができない場合には別の生活を送ることになる。」アドルフ・デヌリー/グランジェ『パリのボヘミアン』」

「痕跡(シュプール)とアウラ。痕跡は、痕跡を残したものがたとえどんなに遠くに離れていようとも、近くにあることの現われである。アウラは、それを呼び起こすものがたとえどんなに近くにあろうとも、遠くにあることの現われである。痕跡の中にわれわれは事柄を捉えるが、アウラにおいては事柄がわれわれを取り押さえる。」

「遊歩者における感情移入の陶酔について、フローベールの見事な一節を挙げることができる。『ボヴァリー夫人』に専念していた頃のものだろう。「今日、たとえば、男性かつ女性であり、両性の恋人である私は、秋の午後、黄色い葉の下を通って、馬に乗り森を散歩したが、私は馬であり、木の葉であり、風であり、人の語る言葉であり、恋に溺れたまぶたを半ば閉じさせる赤い太陽だった……。」」

「ボードレールにも見られる、遊歩者における感情移入の陶酔についてのフローベールの次の一節。「私は、歴史上のさまざまな時代にいる自分の姿がとてもはっきりと見える。……私は、ナイル川では船頭だったし、ポエニ戦争時代のローマでは奴隷商人[??]だったし、次には、スブラでギリシア人の修辞学教師だったが、そこで南京虫に食われた。十字軍遠征中に、シリアの海岸で葡萄を食べ過ぎて私は死んだ。私は、海賊や修道士、軽業師や御者、おそらく東洋の皇帝だったし、それに……。」」



「N 認識論に関して、進歩の理論」より:

「これまで狂気がはびこるだけだった地域を耕作できるようにすること。原始林の奥から誘いかけてくる恐怖に引き込まれないように、理性の研ぎ澄まされた斧を手にして、右顧左眄せずに突き進むこと。いかなる土地も耕作可能な土地へと理性によっていつかは変貌されねばならない。そして、狂気と神話の錯綜した藪を除去しなければならない。一九世紀という土地についても、このことがここでなされなければならない。」

「この仕事を支えているパトス、それは衰亡の時代などないという考えだ。ちょうど私が悲劇論〔『ドイツ悲劇の根源』〕で一七世紀を見ようと努めたように、一九世紀を徹底してポジティヴに見る試みである。衰亡の時代があるなどと信じないこと。それゆえに私にとってはどのような町も(その境界の外に立つと)美しいのであり、言葉には価値の高いものと低いものとがあるなどという言い方は受け入れがたいのである。」

「この仕事は、引用符なしで引用する術を最高度に発展させねばならない。その理論はモンタージュの理論ともっとも密接に関係している。」

「何年にもわたって一冊の書物の中のふとした引用の一つ一つに、何げない言及の一つ一つに鋭敏に耳を傾ける必要がある。」



「P パリの街路」より:

「「本当のパリは、もちろん、黒い、泥だらけの、くさい〔maleolens〕、街路が狭くせせこましい都市で、……袋小路や行き止まりや得体の知れぬ路地や、悪魔の家に通じる迷路がたくさんある。しかも黒ずんだ建物の尖った屋根は雲にも届くほどに聳え、だから、北国の空がこの大都会に恵んでくれるわずかな青空もあまり見えない。……本当のパリは、手に負えない連中や魔術幻灯的早変わり人間どもが一晩三サンティームで泊まれる貧民窟(クール・デ・ミラクル)だらけだ。……そこでは、アンモニアくさい湯気がもうもうと立ちこめる中……天地創造以来一度も整え直したことのない寝床に、何百何千もの客引き、マッチ売り、アコーデオン弾き、せむし、めくら、びっこ、小人、いざり、けんかで鼻を喰いちぎられた者、ゴム人間、初老の道化師、刀飲み芸人、宝棒を歯で支える曲芸師などが並んで横になっている。……四本足の子ども、バスク人その他の大男、二〇代目の親指トム、手や腕から青々とした木が生えていて、その木から毎年枝や葉がたくさん出てくる植物人間、生きた骸骨、耳をすませばかすかな声が聞こえてくる……透明人間……、人間並みの知恵のあるオラウータン、フランス語を話す怪物などがいるのだ。」(中略)ポール=エルネスト・ド・ラティエ『パリは存在しない』」


「R 鏡」より:

「二つの鏡がたがいを映しあうようにすれば、悪魔は、もっともお気に入りのトリックを使って、彼らしいやり方で(中略)その鏡のなかに無限の遠近法を開く。パリは、それが神的なものにせよ、悪魔的なものにせよ、たがいに映しあう鏡像のような遠近法への情熱をもっている。凱旋門やサクレ=クール教会、パンテオンでさえ、遠くから見れば低空に浮かんでいるように見え、建築を通して蜃気楼を作り出すのである。」


「S 絵画、ユーゲントシュティール、新しさ」より:

「憂鬱(スプリーン)のとりこになっている者の意識は、世界精神のミニチュア・モデルである。そこには永遠回帰の思想も数え入れられるかもしれない。」






































































































ヴァルター・ベンヤミン 『パサージュ論 第2巻』 今村仁司・三島憲一ほか 訳 (岩波現代文庫)

「世界の歩みを妨げること――これがボードレールのうちにある一番強い決意だった。」
(ヴァルター・ベンヤミン 『パサージュ論』 より)


ヴァルター・ベンヤミン 
『パサージュ論 第2巻』 
今村仁司・三島憲一ほか 訳
 
岩波現代文庫 G 102

岩波書店
2003年7月16日 第1刷発行
2010年10月5日 第5刷発行
vii 475p 
「『パサージュ論』全巻構成」1p 付記1p
文庫判 並装 カバー
定価1,500円+税


「本書は、一九九三年九月から一九九五年八月に岩波書店より刊行された『パサージュ論』Ⅰ~Ⅴを新編集したものである。」



全五巻。本文中図版(モノクロ)1点。


ベンヤミン パサージュ論 02


カバーそで文:

「同一商品が大量に流通するようになると、新しいものがいっそう求められる。使用価値とは無縁の流行(モード)が現われ、社会は移ろいやすさに覆われる。ボードレールの用語「現代性(モデルニテ)」は資本主義の特質をうがち、ベンヤミンの歴史哲学に影響を与えた。『パサージュ論」」最大の断章項目「ボードレール」ほか、「蒐集家」「室内、痕跡」を収録。」


目次:

凡例

 覚え書および資料
H: 蒐集家
I: 室内、痕跡
J: ボードレール




◆本書より◆


「H 蒐集家」より:

「ヴォルフスケールの友人である大蒐集家パヒンガーは、葬り去られたものや零落したものから成っているという点で、ウィーンのフィクドル・コレクションにも匹敵しうるコレクションをつくり上げた。彼は、事物が実生活のなかでどうであるかにはもはやほとんど興味がない。彼は訪問客たちに、じつに古めかしい器具だけではなく、ハンカチや手鏡などの説明をする。ある日彼がシュタッフス広場を通りかかって、何かを拾うためにかがみこんだときの様子が伝えられている。それによれば、彼が何週間も探していたものが、つまり、ほんの二、三時間しか売られなかった市街電車の乗車券の刷りそこないが、そこに落ちていたのである。」


「I 室内、痕跡」より:

「ガラスと鉄の装備に対抗して、壁布張りの技術はその布地でもって身を守る。」

「「しかし、わが家にいながら郷愁を覚えること、それこそは〔回想の〕技術だろう。そのためには幻想に熟達していなければならない。」キルケゴール(中略)。これこそ室内(インテリア)の定式である。」

「「すべての珊瑚の枝や藪の下から彼らは泳ぎ出してきた。どの机の下からも、どの椅子の下からも、またこの奇妙なクラブ・ルームにある流行遅れの箪笥や衣装ケースの引き出しからも彼らは泳ぎ出してきた。要するに、もっとも小さな魚が隠れられる手の幅ほどのところならどこでも突然活発な動きがあり、彼らは表に出て来たのである。」フリードリヒ・ゲルシュテッカー『沈める都市』」



「J ボードレール」より:

「コンサートでのボードレールの姿。「鋭く、見すかすような黒い両目が、独特にきらめき輝やいていて、そのきらめきだけが、殻の中にとじこもってこわばっているように見える人物に生気を与えていた。」ロレダン・ラルシュ『回想断章』」

「テリーヴは、ボードレールに「不器用さ」を見出しているが、「これは現在では崇高な特徴なのではないかと考えられている」としている。」

「「子どもの頃からすでに孤独感(引用者注: 「孤独感」に傍点)。家族がいるのに、そして特に友だちにまじっているときに、――永遠に孤独な運命の感情。」(中略)(「赤裸の心」)」

「世界の歩みを妨げること――これがボードレールのうちにある一番強い決意だった。」

「「秋のソネット」〔『悪の華』〕の次の詩句によってボードレールの短気の程度がわかる。「私の心は、何にでも苛立つ、/太古の動物の無邪気さだけは別として。」」

「ボードレールに、もし詩人たちが通常持ち合わせているような詩への動機しかなかったなら、彼は詩など書かなかっただろう。」

「霧は孤独な者の慰めとして現われる。霧は孤独な者の回りにある深淵を満たす。」

「ボードレールの憂鬱(スプリーン)は、アウラの衰退から生まれる苦悩である。「素晴らしい春も匂いがなくなってしまった〔!〕」〔『悪の華』「虚無の味」〕」

「アウラの衰退の経済的な主因は大量生産であり、社会的なそれは階級闘争である。」

「勤勉と有用は灼熱した剣を帯びた死の天使である。この天使は、人間が楽園へと帰ることを妨げるのだ。……そしてこの世のいたるところで高貴なる者と卑俗なる者を分けるのは無為の権利であり、それこそが貴人の真の原理である。」シュレーゲル『ルツィンデ』」

















































































































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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