ノーマン・マルコム 『ウィトゲンシュタイン』 板坂元 訳 (講談社現代新書)

「僕の頭は、どんどんバカになっていく」
(ウィトゲンシュタイン)


ノーマン・マルコム 
『ウィトゲンシュタイン
― 天才哲学者の思い出』 
板坂元 訳
 
講談社現代新書 345

講談社
昭和49年3月28日 第1刷発行
昭和61年3月17日 第12刷発行
175p 
新書判 並装 カバー
定価480円
装幀: 杉浦康平+辻修平



本書「訳者あとがき」より:

「本書の原題は NORMAN MALCOLM: LUDWIG WITTGENSTEIN, A MEMOIR, with a Biographical Sketch by Georg Henrik von Wright で、一九五八年にオックスフォード大学出版局から出版されたものである。原本ではライトの略伝がはじめにあり、マルコムの分がそれにつづいているが、新書としての内容を顧慮して順序を逆にし、見出しをつけた。」
「なお、翻訳をほとんど終ったころ、すでに藤本隆志氏による翻訳が出版されていることを知った。」



マルコム ウィトゲンシュタイン


カバー文:

「世界と生とは一つである
Die Welt und das Leben sind Eins.

冷徹犀利な分析的知性と
火のような情熱をあわせもつ神秘の哲学者。
現代哲学の方向を決めた今世紀最大の哲学的天才。
彼、ウィトゲンシュタインは、
その哲学によって何をあらわそうとしたのか。
その生涯をかけて何を求めようとしたのか。
本書は、死の日にいたるまで親しい交りをつづけた著者が、
天才の素顔と、日々の哲学的求真の姿を、
愛惜と敬慕の思いをこめて描きだした感動の名著である。
G・H・フォン・ライト「ウィトゲンシュタイン小伝」併載。」



カバーそで文:

「哲学は何のために――哲学を勉強することは何の役に立つのか。
もし論理学の深遠な問題などについてもっともらしい理窟が
こねられるようになるだけしか哲学が君の役に立たないなら、また、
もし哲学が日常生活の重要問題について君の考える力を進歩させないのなら
哲学なんて無意味じゃないか。“確実性”とか“蓋然性”とか
“認識”などについて、ちゃんと考えることは難しいことだと思う。けれども、君の生活について、
他人の生活について、真面目に考えること、考えようと努力することは
哲学よりも、ずっと難しいことなんだ。それは、
学問的にははりあいのないことだし、まったくつまらないことが多い。しかし、
そのつまらない時が、実は、もっとも大切なことを考えている時なんだ。
――ウィトゲンシュタインの手紙から」



目次:

第一部 回想のウィトゲンシュタイン (ノーマン・マルコム)
 1 真理の狩人
 2 戦争の時代
 3 ケンブリッジの講義
 4 自信と不安
 5 ウィトゲンシュタイン神話
 6 アイルランドからの手紙
 7 アメリカの日々
 8 最後の焰

第二部 ウィトゲンシュタイン小伝 (G・H・フォン・ライト)
 1 哲学と出合うまで
 2 『論理哲学論考』の時代
 3 過渡期
 4 『哲学研究』の時代
 5 天才の素顔

訳者あとがき
略年譜




◆本書より◆


「回想のウィトゲンシュタイン」より:

「いい加減な妥協のできない人、いつも完全に理解できなければ気のすまない人だった。」
「先生としても個人的なつきあいの面でも、近よりにくいというか、おそろしい人という印象を人に与えたのは、他人はおろか自分自身も容赦しない潔癖さに原因があったわけである。」

「二時間の講義で、ウィトゲンシュタイン自身も、いつも消耗してしまった。そして、講義にあいそをつかしていた。自分の言ったことにも、自分自身にも、いや気がさしたのである。そのため、講義が終わるやいなや、映画に飛んで行ったものだった。(中略)彼はスクリーンが視野を完全にふさぐように、最前列にすわることを主張した。それは講義のときに考えたことがらや、自己嫌悪をふりはらうためなのだった。(中略)映画をみるときも、くつろいだとか、いいかげんな見方をしなかった。からだを前にのり出して食い入るように画面を見つめ、よそ見することなどほとんどなかった。けれども、あとで映画の内容について、ひとこともふれることはなく、一緒に見た人の意見も聞きたがらなかった。(中略)要するにただ画面に心を奪われることが彼の目的であって、彼を苦しめ精魂をすりへらす哲学から、ただのひとときなりと解放されるための映画だったのだから。」

「上機嫌のときには、ほがらかな調子で冗談をよく言ったものだった。(中略)あるとき彼は私たちが通りすぎる木を、ぜんぶ私にくれると言いだした――切り倒したり手を加えてはいけない、また前の所有者が手をつけることに口を出さないというただしつきで。そういう条件つきだからこそ私に所有権があるというのだった。」

「ほとんどの場合、彼の心の中は暗くしずんでいた。おそらく、哲学の上での問題が解決できないために、たえず憂鬱(ゆううつ)になっていたものと思う。いや、それよりも彼の心をいためたものは、いやおうなしに従わされる馬鹿げてたえがたい俗世間のしきたりだったらしい。日常生活の中で、彼の注意をひくものは、どれひとつとして彼の心を楽しませなかった。いや多くのものが彼を悲歎にちかい気持におとしいれるものだった。」

「ウィトゲンシュタインは清潔ということにひどくうるさかった。(中略)皿洗いぶきんだけより効果が上がると、皿洗いブラシを私の妻に持ってきてくれたこともある。」

「「たとえば、野っ原の距離を、はしからはしまで歩いて、その歩数ではかる土人を考えてみたまえ。同じところを歩いてちがった距離が出ても、彼らはそんなことは何とも思わない! はかった距離の多少によって払われる金の額がちがっても、彼らはかまわない。もし、君が来合わせて、巻尺を使う方法を知っているからと言っても、彼らは興味を示さないかもしれない。そしてこう言うだろう。「めんどうな道具を使って、いつも同じ結果が得られるなんて、変わったやり方だなあ! おれたちのやり方の方がましだ」と。
 彼等のよりも正確なはかり方という考えは、彼等の生活とは無縁なものだ。また、本当の(引用者注: 「本当の」に傍点)距離などという考えも彼等には無縁だ。もし、われわれが「彼らは本当の距離という観念を学ぶべきだ」と言うとすれば、それはただわれわれが、あるはかり方が他のはかり方よりもよいと考えられている複雑な社会生活を頭においているからに過ぎない。けれども、それは土人の生活とは別ものなのだ。」」

「「ひとが本当に何を見ているかについて、哲学上の問題がある。人は、遠近を本当に見ているか、物体を見ているか、悲しさや顔などを見ているか。それは“解釈”あるいは“仮説”であるとつい言いたくなる。あるいはまた本当に(引用者注: 「本当に」に傍点)見ているものは、紙のような平面になっている色つきの断片の集まりなのだという思いにかられる。
 しかし、もし私が「何を見ているか」を口に出して説明しろと言われたら、私は立体的な物体を表現する言葉で説明する。たとえば「茶色のテーブルの上が見える。その右端の方にインキ瓶がある」等々。色つきの断片の集まりのことだけを言っていたのではそれを描写することはできないだろう。言葉に出して描写できなくても、絵にかくことぐらいはできよう、と考えられるかもしれない。しかし、どんな物体をえがこうとするのかを知らなければ、私はおそらくそれを絵にかくことさえもできない、というのが本当のところである。」」
「「われわれは、われわれが見るものについて、いつも典型的なモデルや典型的な記述があるという考えを持っている。だが、典型的な記述などというものは存在しない。(中略)われわれは見たものについてどんなときにも正確に記述することができるという、間違った考えを持っているのだ。」」
「「ふつう哲学では、ある概念を、あるきまった見方で見るように強いられていると感じるものだ。私の教えることは、べつな見方がありうるということを教え、あるいは進んでそういった見方を創造することである。今まで考えたこともないような見方がありうることを教える。君たちが、一つの、あるいはせいぜい二つの見方しかないと思っていたのに、外の見方もあると考えるようにさせたのだ。それからさらに、概念のあり方がせまい範囲にかぎられると思いこむのが馬鹿らしいということに気がつくように指導したのだ。こうして、君たちを身うごきできないようにしている考え方から解放して、自由に言葉を使えるように、また、いろいろちがった種類の用法に気がつくようにした。」」

「ある晩、夕食後にウィトゲンシュタインと私たち夫婦はミッドサマー・コモンを散歩した。歩きながら私たちは天体の運行について話していた。と、ウィトゲンシュタインが思いついて、われわれ三人がそれぞれ太陽・地球・月の立場になって、たがいの運行関係をやってみようと言いだした。私の妻が太陽で、ずっと同じ歩調で草の上を歩く。私は地球で妻の廻りを駈け足でまわる。ウィトゲンシュタインは、いちばんたいへんな月の役を引き受けて、妻の廻りをまわる私の廻りを走ってまわった。ウィトゲンシュタインは、この遊びに熱中し、走りながらわれわれに大声で指示を与えた。」
「彼は銅貨を転がして、止まったところの数字によって賞品がとれる遊びを好んでした。ただ銅貨を手から離すとき、方向を定めるということを絶対にしなかった。離す際に目をつぶることさえあった。「すべて偶然にまかせねばいかん」というのが彼の意見だった。彼は私の妻が銅貨のねらいをきめようとするのにも、あまり賛成でなかった。また彼は的に向かってボール投げをするゲームを私にすすめ、私が投げるのを見て昂奮した。そして、そのあとであまり上手ではない私の腕前を激賞した。」

「ウィトゲンシュタインと一緒にいるのは、どんなときでも気ぼねの折れることだった。彼との話が知力をふりしぼる必要があっただけでなく、それに加えてきびしい物言い、遠慮えしゃくもない批評、せんさく好きの傾向、それに加えて陰鬱(いんうつ)に沈みこんでしまうくせが、つきまとったのだから。」

「ウィトゲンシュタインは、一般に彼を知らない人たちから、神秘的で奇矯な人物だと思われていた。敵意の対象であったばかりでなく、数えきれないほど多くの奇抜な噂を立てられた人だった。」
「もっとも、つぎのような事実はあった。トリニティー・カレッジのウィトゲンシュタインの一階下か二階下に学部の学生が住んでいたが、ピアノを持っていてよく練習をした。この音がウィトゲンシュタインの部屋に漏れてくるので、彼はカンカンに怒った。とくに、馴染みのある曲の場合は、たいへんだった。ピアノの音がきこえてくると、彼は何も考えられなくなるからだった。彼は、まことに彼らしい方法で、この問題を解決した。大きな中古の扇風機を買ってきて、ピアノの音を消すくらいの音をたえず立てさせるという方法だ。(中略)このウナリ声はまったくひどいものだった。ところが、ウィトゲンシュタインは、騒音はいっこう気にとめていなかった。」

「ある日ウィトゲンシュタインがフットボール試合が進行中の球場を通っているとき、「言語生活の中で、われわれは言葉を使ってゲームをする」という考えが頭に浮かんだ。彼の哲学の中心となる考え、すなわち「言語ゲーム」という考えは、この逸話に起源があるようだ。」

「ムーアは(中略)医者から興奮しすぎたり疲労しすぎたりしないようにとの注意を受けていた。そのため、ムーア夫人は、医者の指示を守って哲学の議論をムーアに一時間半以上は誰ともやらせないことにしていた。ウィトゲンシュタインは、このムーア夫人の規則を、猛烈に嫌っていた。(中略)好きなだけ議論をつづけるべきだ。もしそれで興奮しすぎたり疲れたりして、脳溢血を起こして死ぬとしても――言ってみれば、それは学者冥利に尽きることじゃないか。騎士が馬上に死ぬのと同じだ。ムーアが真理への情熱を持っているのに、議論がまだ終わってもいないのに途中で打切らせられるなどというのは、学者の風上にもおけないことだとウィトゲンシュタインは思っていた。(中略)人間は、自分の才能に課せられた仕事に全精力全生涯を傾けるべきである。長生きをしたいというだけのことで、この努力の出し惜しみをしてはならない。」

「あるとき彼は、図面や地図を使って、自動車事故の発生と場所が説明されている新聞を見て、「地図は命題であり、その中に命題の重要な性格、つまり、現実を写像で示すという性格があらわになっている」という考えが浮かんだのであった。」

「彼は、私に、自分は若いとき宗教をバカにしていたが、二十一歳ぐらいの時、あるできごとによってその態度が変わった、と語ったことがある。できごとというのは、ウィーンで、芝居を見たときのことで、芝居そのものはありきたりのものだったが、その中の登場人物の一人が、この世に何が起ころうと、自分は困らない、という考えを述べるところがあった。つまり、この人物は運命や環境に対して毅然(きぜん)として自立している。ウィトゲンシュタインは、このストイックな考え方に打たれ、この時はじめて宗教の可能性ということをさとった。」
「ウィトゲンシュタインは、神という考えは、人が自分自身の罪を自覚するときに、その人の心に存在する、という場合にかぎっては、自分も分かるような気がすると、言ったことがある。そのとき、世界の創造者としての神という考えは、理解できない、ともつけ加えて言った。神の審判・赦(ゆる)し・贖罪(しょくざい)という考えは、彼の心の中にあった自己嫌悪の気持や純粋さに対する強いあこがれ、人間世界をよりよいものにしようとしながら、それを果たしえない無力感、といったものにつながるものがある点では、彼にも相当に理解できるものだったのではないかと思う。」

「ウィトゲンシュタインは、霊魂不滅というものは、人が自分には死ぬことによっても免かれることのできない義務があると感じることによって、意味のある言葉になるのだ、という風なことを言ったことがある。」

「自分自身の前途についても、人間全般の前途に対しても、非常に悲観的であるのが、ウィトゲンシュタインの性質だった。彼の身近にいた人なら誰でも、彼が、われわれ人間の生は醜く、われわれの心は暗黒につつまれているという気持を心の中にいだいていることに気がついていたはずである。――この気持は、しばしば絶望に近いものでもあった。」

「「御存じの通り、なやみの主な原因は私にあるのですから、不幸にして、私の行くところどこにでもついてまわるのです。」」

「彼は、キチンとした職人仕事に対しては賞讃の言葉を惜しまなかったが、いい加減なデタラメな仕事に対しては、純粋に道義的な立場から許そうとしなかった。自分の仕事を完璧にしようとガンばるような職人がこの世にいるだろうと、ウィトゲンシュタインは考えたがった。本来そうあるべきだという、。ただそれだけの理由からそう思っていたのである。」

「この年は例年にない暑さで、ウィトゲンシュタインのいた二階の部屋は、非常に居心地の悪い日が多かった。虫除けの金網が風通しを悪くしているが、あれは取りはずせないものだろうかと、彼は言い出したこともある。はずしたら、虫がものすごく入って来て、暑さよりもひどいことになる、と私が答えても、ウィトゲンシュタインは、信用しなかった。イギリスもヨーロッパ大陸も、窓に金網がないのが普通だと彼は主張した。私が、アメリカはヨーロッパよりも虫が多いのだと言っても信用しなかった。そして、その日散歩に出たとき、はたして、よその家もみんな網戸をしているかどうかを確かめようとしたらしい。けっきょく全部そうなっているということがわかったが、それだけの理由があるにちがいないと考えないで、アメリカ人は、金網が必要だという点について、こぞって浅はかな偏見にとらわれているという、奇妙な結論に達して、イライラした顔をして私にこの結論を教えてくれた。」

「四月二十七日、金曜日、彼は昼すぎ散歩にも出たが、その夜、病状が急に悪化した。頭はずっとハッキリしていて、医師から、あと二、三日しか持たないだろうと言われたとき、「わかりました!」と叫んだ。意識を失う前に彼はベバン夫人に(夫人は夜っぴて彼に付き添っていた)、「僕の人生はすばらしかった、とみんなに言って下さい」と言った。(中略)彼の底しれないペシミズム、たえず持ちつづけた道義的な苦しみ、冷酷なまでにきびしく自分を追いつめていった知識への情熱、そして愛情を必要としながらも、愛情を遠ざける結果となった他人に対するきびしさ、といった彼の人となりに思いをいたすとき、ウィトゲンシュタインの人生はひどく不幸なものだったと私は考えたくなる。けれども、その生涯の終りに、彼自身はすばらしい人生だったと叫んだ。」










































































































































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「現代思想」 臨時増刊 総特集: ウィトゲンシュタイン


「現代思想」 臨時増刊
総特集: ウィトゲンシュタイン

第13巻第14号 1985年12月臨時増刊

青土社 
1985年12月20日発行
422p 
22×14.2cm 並装 
定価1,500円
編集人: 斎藤公孝
発行人: 清水康雄
カット: 福井晋



ページ数には別丁モノクロ図版16pが含まれます。本文中にも図版(モノクロ)多数。


現代思想 ウィトゲンシュタイン 01


目次:

柄谷行人 「語ることと教えること――ウィトゲンシュタイン論」
黒崎宏 「クリプキの『探究』解釈とウィトゲンシュタインの世界」
C・ライト 「クリプキと反私的言語論」 (訳: 松本洋之)
J・マクダウェル 「規則に従うこと――ウィトゲンシュタインの見解」 (訳: 永井均)
室井尚 「説得と争異(ディフェラン)――ウィトゲンシュタイン、リオタール、ローティ」
立川健二 「誘惑について」
池内紀 「ウィトゲンシュタイン地理学散歩」
宇佐美圭司 「ウィトゲンシュタイン・セザンヌ・デュシャン」
山田正紀 「パッション・呪文・救済」
丘沢静也 「ウィトゲンシュタイン・ゲームの同窓生」
高山宏 「ぼくも負けずに《Wittgenspiel》――いくつかの見取り、敢えて『トラクタトゥス』にこだわり」
Ch・ノリス 「文字の自己主張――ウィトゲンシュタインの後期哲学におけるテクストと隠喩」 (訳: 森本浩一・佐藤英明)
D・ラカプラ 「『ウィトゲンシュタインのウィーン』と『論理哲学論考』」 (訳: 加藤泰史)
中村元 「ウィトゲンシュタインにおける沈黙――東洋思想との対比」
橋爪大三郎 「仏教の言語戦略――言語ゲーム・ルール・テキスト」
岡本由紀子+野家啓一 「ウィトゲンシュタインと超越論哲学」
P・リクール 「フッサールとウィトゲンシュタインにおける言語」 (訳: 内藤俊人)
D・ハドソン 「「文法としての神学」」 (訳: 岡田雅勝)
H・ピトキン 「ウィトゲンシュタインと政治――政治理論と現代の苦悶」 (訳: 柴田正良)
S・キェルップ 「ウィトゲンシュタインと像言語の哲学」 (訳: 大沢秀介)
野本和幸 「現代意味論における『論考』の位置」
G・ピッチャー 「ウィトゲンシュタイン、ノンセンス、ルイス・キャロル」 (訳: 栂正行)
S・ガブリック 「言葉の用法――マグリットの作品における」 (訳: 岩佐鉄男)
滝浦静雄+藤本隆志+村上陽一郎 「〈言語ゲーム〉の多様性――ウィトゲンシュタインの提起」

図版構成(付詳細年譜) Recollections of Wittgenstein 1889-1951
ウィトゲンシュタイン著作目録 1912-1951



現代思想 ウィトゲンシュタイン 02



◆本書より◆


ジョージ・ピッチャー「ウィトゲンシュタイン、ノンセンス、ルイス・キャロル」より:

「ウィトゲンシュタインとキャロルは、(中略)ともに専門家の立場からノンセンスに関心を抱いていた――しかも非常に似かよった類のノンセンスに。」
「ウィトゲンシュタインのノンセンスもキャロルのノンセンスもともに極端な当惑を生み出す。ウィトゲンシュタインによれば、哲学者は、自分たちが知らず知らずのうちに口にするノンセンスによって惑わされ、混乱させられるのだが、ちょうどそれと同じように、アリスは冒険の過程で耳にするノンセンスによってたえず当惑し、混乱させられる。どちらの場合もノンセンスは一種狂気に似た様相を呈するのだ。アリスの世界は狂気の世界であり、彼女はその犠牲者だ:アリスは自分の出会う気ちがいたちのノンセンスに対してまったく無力である――彼女は決して勝つことはない。ウィトゲンシュタインの見解によれば、哲学者の精神とはまさしく内面化されたアリスの狂気の世界なのだ。

   哲学者とは、健全な人間悟性の概念に到達する以前に、自分の悟性の多くの病気を直さなければならない人のことである。
   われわれが生において死に取り囲まれているとすれば、われわれはまた悟性の健康にあって狂気に取り囲まれているのである。
                [『数学の基礎』、第四部、五三]

アリス同様に、哲学者は狂気(ノンセンス)の無力な犠牲者である――これもまたアリス同様、哲学者が目覚めて、あるいは目を覚まされて正気に戻るまでは。
 たしかにウィトゲンシュタインとキャロルはノンセンスに対して根本的に異なる態度をとった。それはウィトゲンシュタインを苦しめ、キャロルを歓喜させた。キャロルは現実に背を向け、われわれを(不思議な)寓話と幻想の世界へとたくみに導いた。一方哲学者ウィトゲンシュタインは、あらゆる手を尽して寓話と幻想の世界から現実へとわれわれを引き戻そうとした。しかしこの二人はかなり似かよった領域に目を向けていたのだ:キャロルが単に直観しただけの多くの点をウィトゲンシュタインは概念化し、それを哲学へと応用したとさえ看做すことができるかもしれない。」



現代思想 ウィトゲンシュタイン 03


ウィトゲンシュタイン年譜より:

「1889
四月二六日の夕方、オーストリアの首都ウィーン、アレー通り一六番地に生まれる。(中略)十四歳まで家で教育される。」

「1902
四月、長兄のハンスがキューバで自殺。」

「1904
五月二日、次兄のルドルフがウィーンで自殺をする。」

「1914
十一月六日、トラークル自殺。
五月から六月にかけて、ショルデン(ソグネ・フィヨルドの奥の小さな湖畔の断崖中腹)に小屋を建てる。」

「1918
十月二七日、兄のクルト、自殺。」

「1926
五月、修道院で庭師の助手をする。
夏、ヒュッテルドルフの「慈悲の友修道士会」で庭仕事の手伝いをする。
秋から二年にわたり、一番年下の姉マルガレーテ(ストンボロウ夫人)のため、邸宅の建築にロースの弟子のエンゲルマンとともに従事。そのかたわらドゥロービルのスタジオで少女の胸像を制作する。」

「1936
夏、ショルデンの小屋に引き籠る。」

「1938
イギリスに帰化する。」

「1951
四月二九日、死す。」



現代思想 ウィトゲンシュタイン 04

































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

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