ポール・ゴーガン 著/前川堅市 訳 『ノア・ノア ― タヒチ紀行』 (岩波文庫)

「たばこは、すっかり煙になってしまった。彼女は立ち上った。そして、
「ね、ゴーガン」といった。「私は、お前の国のラ・フォンテーヌはすきではない」
「どうして! われわれは、善良なラ・フォンテーヌと呼んでいる」
「善人かも知れない。でもあの人のいやな道徳は虫がすかない。
蟻! (彼女の口元には嫌悪の情が現われた)
蝉! どんなに私は蝉が好きだろう。それは、たいへんきれいで、ほんとに上手に歌う。
常に歌う。
常に与う……常に」
そして彼女は、ほこらしげにつけ加えた、
「私たちの国は、どんなに美しい国だったことか、人も土地も同じようにその恵みを受けていた。年中私たちは歌っていた。
私はひどくアブサンを飲んだような気がする。もう帰る。何だか、つまらない事をしそうだから」

(ポール・ゴーガン 『ノア・ノア』 より)


ポール・ゴーガン 著/前川堅市 訳 
『ノア・ノア ― タヒチ紀行』
 
岩波文庫 赤 32-549-1

岩波書店 1932年3月25日第1刷発行
1960年10月25日第16刷改版発行/1982年4月20日第38刷発行
118p 口絵i 文庫判 並装 定価150円
Paul Gauguin : Noa Noa



本文中図版(モノクロ)12点。

訳者による「序」より:

「ゴーガンは、タヒチの最初の旅から帰ると(一八九三)、その友シャルル・モーリスのすすめにより、「画家の題材に関する文学的作品を書こう」と考えた。そして、それを二度目のタヒチへの旅(一八九五―一九〇一)でも書き、その臨終の地ドミニーク(一九〇一―一九〇三)でも書き、最初は雑誌ルヴュ・ブランシュに掲載されたが、後に、出版会社の見つからぬままモーリスが自費出版したのである。
この翻訳に用いたジ・クレース社による一九二四年の決定版には、モーリスの修正したゴーガンの紀行と、モーリス自身の詩が、交互に章を交えている。しかし訳者は、そのモーリスの詩を全部除くことにした。」
「本文中に挿入した木版画は、ゴーガンの絵をその友ダニエル・ド・モンフレが刻んだものである。」
「ノア・ノアは、マオリー語で、香気ある、芳ばしい、などの意味である。」



ノアノア1


帯文:

「文明の国フランスを脱出、原始の島タヒチに渡った情熱の画家ゴーガンの滞在記。その絵の如く新鮮に印象的に島の風土と人間を描く。」


ノアノア2


内容:

序 (「一九六〇年四月 訳者」)

ノア・ノア タヒチ紀行
 第一章
 第二章
 第三章
 第四章
 第五章
 第六章

解説 (「昭和三十五年八月 前川堅市」)



ノアノア3


ノアノア4


本書より:

「「La orana Gauguin. ごめんなさい、ゴーガン」
こういって私の部屋を訪ねてきたのは王女であった。私は腰にただパレオを巻いたきりで床の上に横になっていた。こうした身分のある婦人を迎えるには、全くよくない格好であった。
「ご病気ですの」と彼女はいった。「お目にかかりにきました」
「お名前は?」私は彼女にいった。
「ヴァイチュア」
ヴァイチュアは、まことの王女であった。ヨーロッパ人がこの国のすべてを彼らの水準にまでひき下げてからも、なお存在しているものとすればである。しかし、ここへきている彼女はやはりはだしだ。そして、耳には花をつけ、黒い服を着ている。彼女はこの間死んだ叔父ポマーレ王の喪に服しているのだ。その父タマトアは、ヨーロッパ人との接触や、将官のレセプションがあるにもかかわらず、怒った時には巨人のように人をなぐり、宴席ではおそろしいミノタウロスとなる、マオリーの一王族よりほかのものにはなりたがらなかった。
ヴァイチュアは、その父によく似ているといううわさであった。
私は、白帽をかぶってこの島に上陸するあらゆるヨーロッパ人のように、疑惑をもった唇の上に微笑を浮かべながら、この昔の権勢を失った王女を見つめた。しかし、礼儀正しくしたいと思った。そして、
「よくきてくれました。いっしょにアブサンでもお飲みになりませんか」といって、つい最近お客用に買ってきた瓶を指した。
彼女は冷淡に、しかしひどく素直に指した方へ歩いて行った。そして、身をかがめて瓶を取った。彼女の軽い透明の着物は、地球をも支え得る程がっしりした腰の上に張りきっていた。しかも彼女は、何の疑いもなく、たしかに王女であった。――その祖先は? 勇猛にして偉大なる巨人たちであった。彼女の頑丈な肩の上には、頭が厳然としてくっついている。一瞬私は、その食人のあご、いまにも食い荒らそうとしている歯、動物的なずるさをもった捉えどころのない目、そんなものしか見ないような気がした。だから私には、彼女が非常にきれいな、しかも高貴な額をしているにもかかわらず、ひどく醜く思われた。ことに、もしも彼女が、この私の床の上にすわりにでもこようものなら、たちまちこの軽い細工品は、われわれ二人を支え得ないに違いない。ところが、まさしく彼女はそれをやったのだ。ベッドは、これに逆らって、メリメリと音をたてた。私たちは酒を飲みながら話し合った。しかし、お互いの話はそうはずまなかった。沈黙は私を困らせた。私は彼女を観察した。彼女は私をじっと見つめた。しかし、酒だけは汲み交わした。……ヴァイチュアはしっかり飲んだ。太陽は早く傾いていった。ヴァイチュアは、タヒチのたばこをふかしながら、床の上に寝そべった。その二本のはだしの爪先は、まるで勇猛な虎の舌が頭蓋骨をなめるように、ベッドの端の木を撫(な)でまわしていた。彼女の顔は、ふしぎに柔らいで生き生きしてきた。(中略)この時私は、彼女を美しいと思ったのである、すばらしく美しいと思った。」
「やがて彼女は、ひどく低く、しかもよくひびく声で、ラ・フォンテーヌの童話「蝉(せみ)と蟻(あり)」を全部暗誦(あんしょう)した。
(それは、彼女を教育した「修道院」での少女時代の楽しい思い出である)
たばこは、すっかり煙になってしまった。彼女は立ち上った。そして、
「ね、ゴーガン」といった。「私は、お前の国のラ・フォンテーヌはすきではない」
「どうして! われわれは、善良なラ・フォンテーヌと呼んでいる」
「善人かも知れない。でもあの人のいやな道徳は虫がすかない。
蟻(あり)! (彼女の口元には嫌悪の情が現われた)
蝉(せみ)! どんなに私は蝉が好きだろう。それは、たいへんきれいで、ほんとに上手(じょうず)に歌う。
常に歌う。
常に与う……常に」
そして彼女は、ほこらしげにつけ加えた、
「私たちの国は、どんなに美しい国だったことか、人も土地も同じようにその恵みを受けていた。年中私たちは歌っていた。
私はひどくアブサンを飲んだような気がする。もう帰る。何だか、つまらない事をしそうだから」
庭の戸口で、一人の青年が、ヴァイチュアに何か尋ねた。それは、すべての事を知っている風をしているが、しかも何も知らないあの青年たちの一人であった。(役所では、彼らを作家と呼んで区別している)
ヴァイチュアは彼を Uri(犬)と呼びながら遠ざかっていった。私は、枕に頭を伏せた。私の耳には次のような言葉が、私語(ささやき)のように残っていた。
 La orana Gauguin.
 La orana Princesse.
私は眠りに落ちていった……」



ノアノア5
































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ダニエル・ゲラン 編 『ゴーギャン オヴィリ 一野蛮人の記録』 岡谷公二 訳

「私は、自分がこのごろでは、前よりどんどん老けてゆくような気がする。(中略)そして日毎に痩せてゆく。しかし戦い続けねばならない。いつも、いつも。間違っているのは社会なのだ。お前は未来を信じていない。しかし私は信じている。なぜなら、信じようと思っているから。さもなければ、ずっと前に脳天を打ちぬいていたろう。」
(ゴーギャン)


ダニエル・ゲラン 編
岡谷公二 訳
『ゴーギャン オヴィリ 
一野蛮人の記録』


みすず書房 
1980年2月15日 印刷
1980年2月25日 発行
iv 370p 人名索引viii 編者・訳者略歴1p
A5判 丸背紙装上製本 カバー 
定価4,000円



本書「訳者あとがき」より:

「本書は、ガリマール書店で出している《イデー叢書》中の一冊、Paul Gauguin, Oviri - Écrits d'un sauvage (一九七四)の翻訳である。」
「本書は、ゴーギャンが書き残した尨大な文章の、世界で唯一の、そしてもっとも信頼できる選集である。」
「ゲラン氏の編輯は大胆である一方、きわめて周到、良心的である。」



ゴーギャン オヴィリ 01


カバー裏文:

「本書は、ポール・ゴーギャンが書き残した尨大な文章(自伝、回想、エッセイ、論文、紀行、書簡)を集成したもので、フランス本国においても未紹介の資料や、新発見のテクストを多数おさめている。ゴーギャンの《生と芸術》に関心をいだく読者にとって待望の書といえよう。
 わが国でもっとも広く読まれているゴーギャンの著作は、タヒチ紀行「ノア・ノア」であろう。しかし、これまでの流布本は、友人の象徴派詩人シャルル・モーリスが大幅に手を加えたものを底本にしており、オリジナルにくらべると〈はるかに真実味の薄い、誇張された〉ものであった。ゴーギャン自筆の原稿をはじめて翻訳した本書は従来看過されていた真の意図を明らかにし、彼の素顔を示してくれるであろう。また、レンブラント、ドガ、セザンヌ、ゴッホ、ルドン、マラルメ、ランボー等に関する思い出やエッセイはこの創造的な芸術家・思想家の内面を語ると同時に、魅力的な作家論ともなっている。
 〈私は単純な、ごく単純な芸術しか作りたくないんです。そのためには、汚れない自然の中で自分をきたえなおし野蛮人にしか会わず、彼等と同じように生き、子供がするように原始芸術の諸手段をかりて、頭の中にある概念を表現することだけにつとめなければなりません。こうした手段だけが、すぐれたものであり、真実のものなのです〉(タヒチに発つ前、1891年)
 〈私は野蛮人だし、今後も野蛮人のままでいるつもりだ〉(死の直前)」



目次:

まえがき (ダニエル・ゲラン)

第一章 フランスでのゴーギャン
 ゴーギャンのデビュー
 総合的ノート (1884―5)
 装飾芸術について (執筆年代不明)
 万国博覧会にみられる芸術についてのノート (1889)
 ここでは誰がだまされているのか? (1889)
 ユイスマンスとルドン (1889)
 J・F・ウィルムセンへの手紙 (1890)
 自作を前にしたポール・ゴーギャン (1891)

第二章 第一次タヒチ滞在
 マオリの古代信仰 (1892)
 アリーヌのための手帖 (1892)

第三章 フランス帰国
 ノア・ノア (1893)
 二つの緯度のもとで (1894)
 セーヴルと最後のかまについて (1895)
 ゴーギャンとのインタヴュー (1895)

第四章 第二次オセアニア滞在
 シャルル・モーリスへの手紙 (1897)
 偶感抄 (1896―7)
 シャルル・モーリスへの手紙 (1897)
 ダニエル・ド・モンフレエへの手紙 (1898)
 カトリック教会反対論
  Ⅰ カトリック教会と近代 (1897)
  Ⅱ 近代精神とカトリシズム (1897―1902)
 《微笑》と《蜜蜂》 (1899―1900)
 へぼ絵描きの駄法螺 (1902)
 前後録 (1903)
  Ⅰ 小序
  Ⅱ 若い頃の思い出
  Ⅲ ヴィンセント・ヴァン・ゴッホについて
  Ⅳ エドガー・ドガについて
  Ⅴ 芸術について
  Ⅵ タヒチとマルキーズ群島にて
  Ⅶ 七宝焼の壺
 最後の記録 (1902―3)
 死の帝国 (1903)

訳者あとがき
人名索引



ゴーギャン オヴィリ 02



◆本書より◆


編者による「まえがき」より:

「タヒチ語で《野蛮人》を意味するオヴィリとは、ゴーギャンがエルネスト・シャプレのかまで焼き、一八九五年の国民美術協会展(サロン・ド・ラ・ソシエテ・ナシヨナル・デ・ボーザール)に出品して拒否された、異様で、野蛮な、両性具有の陶製彫刻の題名である。」
「ゴーギャンは実際、男神にして女神でもあるこの野蛮な神に自分をなぞらえていた。着色した石膏製の横顔の自刻像に、彼はやはり、「オヴィリ」というこの単純な言葉を刻んでいる。(中略)彼はことに優れた文明人だが、その彼の著作には、野蛮人になりたいというライト・モティーフ――彼の存在のもっとも深いところにある矛盾――が、たえず立ち戻ってくる。」



本書より:

「美しいものを産み出す方法はあるか? 学校では、こうした方法を教える。しかし、
――なんて美しいんだ! と人に言わせるような作品は、学校からは生まれてこない。」

「現在私たちが感嘆する画家たちとは、どのような連中か? みな学校を非難し、自然の個人的な観察から、その知識をひき出した人たちだ。」

「クーリエの次の言葉は、つねに正しい。「国家が奨励するものは不振となり、それが保護するものは死ぬ。」」

「私はこれまで、あまり他人に損われることがなかった。今後はますます、他人には理解できない存在になるつもりだ。」

「オディロン・ルドンが何を素材にして怪物を作りあげるのか、私には分らない。これらは、想像上の存在であり、彼は夢想家で、想像力のゆたかな人間だ。醜さについて。これは、近代芸術とその批評にとって情熱をかきたてる問題であり、その試金石だ。ルドンの深みのある芸術をよく検討してみるならば、そこには、ノートルダム寺院の彫刻と同様、《怪物》の痕跡はほとんど見出すことができない。たしかに、私たちがこの目で見ることのできない動物は、一見怪物と見えるが、そう見えるのは、普段見なれている大多数のものだけを、真実で正常のものと認めるあの性癖のせいなのである。
 自然は、無限の神秘と、想像力をそなえている。自然は、つねに千変万化するそのさまざまな産物を通して姿をあらわす。芸術家自体、自然の手段の一つであり、私にとってオディロン・ルドンは、自然がこのような創造をつづけてゆくためにえらんだ人々のうちの一人と映る。彼にあって夢は、いかにも真実らしい様子を付与されているために、一個の現実となっている。」

「私はかの地に向って出発し、文明社会と言われているものから身をひいた男として暮らし、野蛮人と言われている人たちとしかつきあわないつもりだ。」

「私にとっては、個々の傑作というものは存在しません。あるとすれば、その画家の全作品が傑作なんです。巨匠であることは、粗描きされた一枚の下絵を見ても分ります。(中略)レンブラントは、あらゆるものに、力強い、個性的な爪あとを残し、人間の想像力の最高峰といっていい神秘思想を表現しました。彼にあって私の感嘆するのは、この偉大な頭脳です。
 二流の画家はいつも、仕上げの知識と称するものに首をつっこみすぎると思います。きわめて巧みな筆さばきはすべて、マティエールを思い出させることによって、想像的な作品を損うだけです。ごく抽象的な教えを適切に、しかもごく単純な形で用いることのできる人間だけが、真に偉大な芸術家なのです。」

「今晩はなんて美しい夜だろう。沢山の人たちが、今夜私と同じようにしているにちがいない。ここの人たちは気楽に暮らし、子供たちはひとりでに育っている。彼等は、どこの村であろうが、どんな路であろうが、どこにでも出かけてゆき、他人の家の中で眠り、食事をし、礼一つ言わない。お互同士おなじことをしあっているからだ。彼等を野蛮人と呼べるものだろうか? 彼等は歌い、決して盗まず――私の家の戸は、何時も開けっ放しだ――人殺しをしたりしない。二つのタヒチの言葉に、彼等の性質がよく出ている。「イア・オラナ」(今日は、さようなら、有難う、などの意)と「オナトゥ」(かまうもんか、どうでもいいさ、などの意)だ。それでも彼等を野蛮人と呼べるものだろうか?」

「お前は今パリにいることと思う。私について色々と、よいこと、悪いことをきくだろう。そんなことはみなどうでもいい。世間のために生きちゃだめだ。私は他人のことなど眼中にない。」

「お前は、私が芸術の中心地から離れているのは間違いだと言う。そうじゃない。私は正しいのだ。私は、自分が何を創造しているのか、なぜそれを創造しているのかということを、ずっと前から心得ている。私の芸術の中心は、私の脳髄の中にあるので、よそにはない。私が強いのは、他の人々にまどわされず、自分の中にあるものを創造しているからなのだ。
 ベートーヴェンは、つんぼで盲だった。彼はみんなから孤立していた。だから彼の作品は、己の遊星の上に生きている芸術家を感じさせるのだ。」

「私は、自分がこのごろでは、前よりどんどん老けてゆくような気がする。食事にこと欠いているので、胃がひどくいたんでしまっている。そして日毎に痩せてゆく。しかし戦い続けねばならない。いつも、いつも。間違っているのは社会なのだ。お前は未来を信じていない。しかし私は信じている。なぜなら、信じようと思っているから。さもなければ、ずっと前に脳天を打ちぬいていたろう。」

「自尊心を人一倍持っているおかげで私はついに多くのエネルギーを手に入れ、意志を意志することができるようになった。自尊心は欠点だろうか? それともそれを発達させるべきだろうか? 私はそうすべきだと思う。それにそれは、私たち人間の中に住む獣と戦うには最良の手段だ。」

「私のはだしの足は、毎日砂利をふみ、大地になじんだ。ほとんどいつも裸の私の体は、もはや太陽を怖れない。文明は私から少しずつ離れてゆく。私は、単純な考え方をするようになり、わが同胞にほとんど憎しみを抱かなくなった。私は動物のように、自由に、今日と同じ明日を確信して働く。毎朝太陽は、みなのためにも、私のためにも、はれやかにのぼる。私は、無頓着になり、落着き、優しくなった。」

「オセアニアの単純な生活を知って以来、私は、人間どもから離れて、つまり名誉から離れて、ひきこもることしか考えていない。できるだけ早急に、野蛮人の中に自分の才能を埋もれさせにゆくつもりだ。私の噂など誰もしなくなるだろう。多くの人にとって、こうした行為は、罪だろう。私には、そんなことはどうでもいい! 罪は、多くの場合徳にとても近いのだ。虚栄ぬきで、単純な暮しをすること。私は、何としてでも、そうするつもりでいる。私の理性と気質とが、そう命じているんだ。
 ……絵を捨てないとは、あえて言わない。絵を捨て、想像が生み出すものを樹木に刻みながら森の中で暮らすことを、私自身考えているんだから。」

「北斎の描く武士の中に、あなた方は、ラファエルの「聖ミカエル」の高貴な様子と、同じ純潔な線と、それに加えてミケランジェロのような力強さを見出さないだろうか? しかもこれは、もっとはるかに単純な手段を以て、影と光のたわむれなしに描かれているのである。自然からかけ離れていて、しかも自然に近いのだ。」
「率直に描くとは、(中略)思想を偽りかくさぬ絵画上の表現法を用いる、ということだ。間違うことを怖れ、或いは世間を怖れて、自作の調和に必要な真実の色彩を思い切って用いることをせず、不明確な他の色彩を代わりに用いる画家は、嘘をついているのであり、たわけたことを言っているのである。一般に日本人にあっては、率直さがいちじるしい。」

「「メルキュール」誌上で、ステファヌ・マラルメの死を知った。とても悲しかったよ。これでまた一人、芸術の殉教者が死んだ。彼の生涯は、少なくとも彼の作品と同じくらい美しかった。」

「賢明なオランダ人である彼の先生たちの教えに逆って、ヴィンセントは、貧しい人々を愛するイエズスを信じたのだ。慈愛にみちあふれた彼の心は求めた、慰めの言葉を与え、身を犠牲にすることを。つまり弱い人々のために、お偉方たちと戦うことを。まったくの話、ヴィンセントは、すでに気が狂っていたのだ。」
「ある日、陰気で暗い坑道の中に、クローム・イエローが氾濫した。坑内ガス爆発のおそろしい焔の光、金持ちのダイナマイトも揃っている。そのとき、炭鉱の中をはいずり、土にまみれてうごめいていた人々は、神をののしることもなく、人生に、人々に別れをつげたのだった。
 手足にひどい傷を負い、顔にやけどをしたその中の一人が、ヴィンセントにひきとられた。《でもこいつはもうだめだよ。奇蹟でもなけりゃ、母親のように、費用を惜しまず、面倒をみてやるのでなけりゃね。だめだ、こいつにかかわりあうなんて気違いだ》と会社の医者は言ったのだった。
 ヴィンセントは、奇蹟を、母親のような愛を信じた。
この気違い(彼はたしかに気違いだった)は、四十日間、瀕死の男の枕頭で徹夜をした。彼は、容赦なく吹きこんでくる風が傷に当るのを防ぎ、薬代を支払った。人を慰める聖職者として、彼は語った(彼はたしかに気違いだった)。気違いじみた行為が、一人の死者を、一人のキリスト教徒を蘇らせた。
 怪我人がついに救われ、再び坑内に下りて仕事についたとき、額に後光をいただく殉教したイエズスの顔を見るみたいだった、とヴィンセントは言ったものだ。坑夫の土色の額にある赤い傷痕は、いばらの冠に見えたと。……
たしかに、この男は気違いだった。」
「たしかに偶然の結果ではあるが、私の一生のあいだに、私と頻繁につきあい、私と議論した何人かの男が、気違いになった。
 ヴァン・ゴッホ兄弟も、その一例である。そして或る人たちは悪意から、他の人たちは軽率さから、彼等の狂気を私のせいにした。たしかに或る人たちが、その友人に対して、多かれ少なかれ影響力を持つということはある。しかしだからといって、それが発狂の原因になったとは、言えるものではない。破局後随分たってから、ヴィンセントは、入院していた精神病院から手紙を書いてきた。彼は言ったものだ。《パリにいるなんて、本当にあなたは幸せだ。最高のものがあるのは、やはりそこなんですから。あなたは、精神病を治すために、専門医にかからねばなりますまい。私たちはみな精神病じゃないでしょうか?》
 その忠告は適切だった。だから、多分は天邪鬼から、私はそれに従わなかった。」
「私が受けとった最後の手紙は、ポントワーズの近くのオーヴェールからのものだった。彼は、治って、ブルターニュまで私に会いに来たいが、現在のところは、治癒が不可能であることを認めざるをえない、と書いていた。《先生(彼がこの言葉を使ったのは、この時きりだ)、あなたを知り、あなたを苦しめたあとでは、悪化した状態より、精神状態のよいときに死ぬ方が、ふさわしいことだと思っています。》
 そして彼は、自分の腹をピストルで一発射った。彼が、寝台によこたわり、パイプを吸いながら、精神の明晰さを保ち、自分の芸術に対する愛を抱き、他人への憎悪を持たずに死んだのは、それからわずか数時間後のことであった。
 「怪物」の中で、ジャン・ドランは書いている。《ヴィンセントの名を口にするとき、ゴーギャンの声はやさしくなる。》事情は知らないのに、見抜いていたのだ。ジャン・ドランの言うことは正しい。」


























































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー

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