マルグリット・ユルスナール 『黒の過程』 岩崎力 訳

「素裸になりひとりになってみると、彼をとりまく状況などは、服と同じく彼から脱げ落ちていた。彼は、事物の中心に位置をしめ、他所(よそ)ではどこでも拡散してしまい言葉として表現されないものが、そのなかにあってはあきらかとなりはっきり表現されるという、錬金術哲学者のいわゆるアダム・カドモンになった。この茫漠(ぼうばく)たるひろがりのなかでは、なにものも名前をもたなかった。」
(ユルスナール 『黒の過程』 より)


マルグリット・ユルスナール 
『黒の過程』 
岩崎力 訳


白水社
1990年7月10日第1刷発行
1991年1月10日第2刷発行
413p 口絵i 別丁図版8p
四六判 丸背紙装上製本 カバー
定価2,600円(本体2,524円)



本書「訳者あとがき」より:

「本書は Marguerite YOURCENAR: L'Œuvre au Noir (Paris, Ed. Gallimard, 1968) の翻訳である。底本として用いたのは、作者自身が訂正を施したうえ(中略)送ってきた版本であるが、一九六九年七月には、さらにタイプ用紙四枚におよぶ訂正事項が送られてきたので、訳出にあたっては、それらの事項もすべて取り入れた。」


邦訳『黒の過程』初版は1970年、白水社「現代フランス小説」 2 として刊行され、1981年に「白水社 世界の文学」の一冊として再刊、本書はその新装版です。


ユルスナール 黒の過程 01


帯文:

「錬金術や降霊術の
妄想にかぶれた
天才と
恥ずべき無神論の
狭間に位置する
精神の彷徨

ユルスナールの形而上学的
歴史小説の最大傑作
1968年度フェミナ賞満票受賞

映画化▼’91年新春公開(PARCO提供)
’88年カンヌ国際映画祭正式出品作品」



帯背:

「知的ロマネスク」


目次:

第一部 放浪
 大街道
 ゼノンの幼年時代
 夏の閑暇
 ドラヌートルの饗宴
 ブリュージュを去る
 世間の噂
 ミュンスターにおける死
 ケルンのフッゲルス家の人びと
 インスブルックでの会話
 アンリ=マクシミリアンの経歴
 ゼノンの最後の旅

第二部 蟄居
 ブリュージュに帰る
 深淵
 僧院長の病気
 肉の惑い
 砂丘の散歩
 罠

第三部 牢獄
 告発状
 美邸
 教会参事の訪問
 ゼノンの最期

作者の覚え書き
訳者あとがき



ユルスナール 黒の過程 02



◆本書より◆


「――ぼくはアルプスのほうに行く、とアンリ=マクシミリアンが言った。
 ――ぼくはピレネのほうだ、とゼノンが言った。
 二人は黙りこんだ。ポプラの並み木に縁どられた平坦な道が、自由な宇宙の断片を彼らのまえにくりひろげていた。権力を求める冒険者と知識を求める冒険者が二人並んで歩いていた。」

「しかしたいていはゼノンはひとりで、夜の明けがた、覚え書きのための手帳を手にもって出かけ、これといってきまったわけではないにしても事物から直接くる知識を求めて田園のなかに遠ざかっていった。輪郭のすべやかな、あるいは荒くごつごつした石、錆(さび)や黴(かび)の色が歴史を物語り、それを形作る金属や、かつてその成分を溶けこませ、あるいはその形に凝固させた火や水を証拠だてる石を拾っては、飽きもせずにその重さを手で量り、好奇心を燃やして調べるのだった。それらの石の下から虫が逃げ出すこともあった、それは地獄の動物を思わせる奇妙な虫だった。丘の上に腰をおろし、灰色の空の下で波打っている平野、ところどころ長い砂丘でふくれあがっている平野をながめながら、彼は、いまでは麦の生えているこの大きな空間を海が占めていた太古を思い、その海が引いていって同じ形を作る波の印を残した時代を夢みるのだった。なぜならすべては変わるのだ、世界の形も、この自然が作り出すものも。自然は動いており、その一瞬は何世紀にもわたるのだった。あるいはまた、彼の注意は突然密猟者のそれのようにじっと動かず人目を忍ぶものになり、森の奥を走ったり飛んだり這(は)ったりしている動物たちに目をむけ、歩いたあとに残される正確に同じ足跡、動物たちの発情や番(つがい)、食物や合図や戦術、あるいはまた棒で打たれて死んでゆくときの死にかたに興味をもった。恐怖や人間の迷信から悪くばかり言われる爬虫(はちゅう)類に彼は親しみを覚えた、冷たく、慎重で、なかば地下に棲(す)み、這(は)うのに使う輪のひとつひとつには鉱物的な叡智(えいち)がひそんでいるように思われた。」

「人間が自分の宿命をゆがめるように、吹きよせる風が木々の幹をねじまげていた。神学生は動物のように自由な、しかしまた動物たちと同じように脅威にさらされている自分を感じた、木々のように低い世界と高い世界とのあいだで揺れている自分を感じ、自分の上にのしかかり死ぬまではやまないはずの圧力で撓(たわ)められている自分を感じた。」

「隠者にも似た孤独のなかで暮らしているその三人の男たちは、世のなかのできごとをほとんど全部忘れてしまっていた、というよりはそもそもなにも知らずにいるのだった。フランドルの支配者がだれであろうが、その年がキリスト降誕後一五二九年目にあたろうが、そんなことは彼らには関係のないことだった。話すというよりはむしろ身体をぶるぶるっとふるわせて、彼らはゼノンを迎え入れた、ちょうど森の動物が他の動物を迎え入れるように。」
「しばらく行くと首になった織工に出会った。彼は他所(よそ)で暮らしをたてるために乞食袋をぶらさげて歩いていたが、ゼノンは自分より束縛のないその乞食がうらやましく感じられた。」

「半世紀近くもまえから彼は、四方八方からわれわれを閉じこめている壁の隙間(すきま)を押しひろげるための楔(くさび)として自分の精神を使ってきたのだった。亀裂(きれつ)がひろがっていった、というよりは、壁が不透明さを失いはしないまでもひとりでにその堅さを失っていくように思われた、あたかも壁を作っているのが石ではなく煙であるかのように。事物は有用な小道具の役割を演じるのをやめた。マットレスのなかに詰めた毛が突きでてくるように、それらの事物は実体が外に現われるのをほうっていた。森が部屋を満たした。腰かけた人間の尻と床の距離にあわせて作られた脚立(きゃたつ)も、書きものや食事をするのに使うテーブルも、仕切りに囲まれた空気の立方体を、隣の空気の立方体に開く扉も、職人がそれらにあたえた存在理由を失ってしまい、教会の絵によくみられる聖バルテルミーのように皮を剥(は)ぎとられた幹や枝になり、幻の葉をつけて目に見えぬ鳥をひそませ、はるか昔に静まってしまった嵐に枝をきしらせており、鉋(かんな)があちこちに樹液の瘤(こぶ)を作っているのであった。この毛皮や釘(くぎ)に吊(つ)りさげたあのぼろ着は、脂肪と乳と血の匂いを漂わせていた。寝台のそばでぽっかり口を開けている靴は、草の上に寝そべった牛の息に動き、靴屋がそれに塗りつけた脂(あぶら)のなかでは、血を絞られて白くなった豚が鳴いていた。屠殺(とさつ)場ないしは仕切られた絞首台でのように、非業の死はいたるところに見られた。永遠に残す価値があると思える思想を古い紙きれに書きつけようとして取りあげたペン先のなかでは、首をしめられた鵞鳥(がちょう)が叫んでいた。すべてが別物なのであった。ベルナール会の修道女たちが洗ってくれるこのシャツは空よりも青い亜麻畑であると同時に、運河の水に浸された繊維の束なのだった。いまは亡き皇帝カルロスの肖像を打刻したポケットのなかのフロリン金貨は、ほんのいっとき彼が自分のものと思いこむよりまえに、千回も交換され、あたえられ、盗まれ、計量され、端を削り落とされたのであったが、アダムが生まれるよりもまえに地脈に注入されて、金属それ自体として動くことなく存続した時間にくらべれば、守銭奴にせよお大尽にせよ人間の手から手へと渡り歩いた時間はものの数でもなかった。煉瓦の壁は泥に溶けこみ、いつかはまた泥に戻るはずであった。いま彼がどうやら寒さに悩まされることもなく、身を覆(おお)うものもあたえられているフランチェスコ会原始会則派修道院の別館は、家、つまり人間の住む幾何学的な場所、肉体よりはむしろ精神をしっかりとかくまう隠れ家であることをやめつつあった。それはせいぜいのところ、森のなかの掘っ立て小屋、街道の縁に張られたテント、無限とわれわれとのあいだに投げ出されたぼろ布でしかなかった。屋根瓦(がわら)は霧を通し、不可解な星々を透視させた。何百人という死者がその家を占領しており、死者に劣らず生者もまたなす術(すべ)も知らず途方に暮れているのであった。」
「SOLVE ET COAGULA... (溶解と凝固……)彼は、そういった思想の断絶や事物のなかに起こる亀裂(きれつ)がなにを意味するかを知っていた。若い神学生だったころ、彼はニコラ・フラメルの著作のなかで《opus nigrum》(黒の過程)つまり、化金石の探求のなかでもっとも困難をきわめる部分、形態の溶解と煆焼(かしょう)の試みの描写を読んだことがあった。ドン・ブラス・デ・ベラは、人が望むと望まざるとにかかわらず、条件が満たされさえすればその操作は自然に起こるのだ、としばしばおごそかに断言したものだった。」
「いまや放物線の二本の枝が結び合わされつつあった。mors philosophica (哲学の死)は成就していた。探求に用いられるさまざまな酸に焼かれた実験者は主体であると同時に客体であり、こわれやすい蒸留器であり、受け皿の底に残る黒い沈殿物であった。実験室のなかだけに閉じこめておけると思っていた実験がすべてに拡大された。その結果として、錬金術という冒険の次の段階が夢想ではないほかのなにものかになり、いつかは彼も白の過程の禁欲的な純粋さを知り、赤の過程の特徴であるあの精神と感覚を結びつけた凱歌(がいか)をあげることができるのであろうか? 壁の亀裂(きれつ)の底から、空想の怪獣が生まれてきた。彼は大胆に肯定した。かつて同じく大胆に否定したのと同じように。突然彼は足をとめると満身の力をこめて手綱をひいた。錬金術の最初の過程だけでも彼の生涯のすべてを必要としたのだった。その先にも道があり、その道が人間にも通れる道だとしても、さらに歩を進めるためには時間が足りず、その力も残されてはいなかった。あるいは、この思考の腐敗、本能の死、人間の性(さが)にとってほとんど耐えることのできないこの形態の摩滅のあとには、たちまちのうちにほんとうの死が襲ってくるのかもしれず、その場合、いったいどんな道筋をたどるのか見たいものだと思わずにはいられなかったし、あるいはまた、眩惑(げんわく)の領域からたち戻った精神が、より自由な、あたかも洗い清められたかのような能力だけを備えて、すでに慣れきったしきたりに従い続けるのかもしれなかった。その効果を自分の目で確めるのも興味深いことにちがいなかった。」

「素裸になりひとりになってみると、彼をとりまく状況などは、服と同じく彼から脱げ落ちていた。彼は、事物の中心に位置をしめ、他所(よそ)ではどこでも拡散してしまい言葉として表現されないものが、そのなかにあってはあきらかとなりはっきり表現されるという、錬金術哲学者のいわゆるアダム・カドモンになった。この茫漠(ぼうばく)たるひろがりのなかでは、なにものも名前をもたなかった。」



「作者の覚え書き」より:

「この本の表題として用いられた《黒の過程》という表現は、錬金術に関する論考のなかで物質が分離し溶解する段階、化金石を実現するのにもっとも困難とされる段階を意味する言葉である。この表現が、物質それ自体にたいする大胆な実験をさしていたのか、それともよりひろく象徴的な意味をこめて、しきたりと偏見から脱け出るさいの精神の試練をさしていたのかはいまなお論議の的となっている。おそらくは次々に、あるいは同時にその両者を意味したものであろう。」


ユルスナール 黒の過程3


右は本書口絵、左はフォリオ版原書です。
フォリオ版は近所の古本屋で300円くらいで売っていたので買いました。原書の方は通読はしていないですが、本作劈頭の文章は、
「Henri-Maximilien Ligre poursuivait par petites étapes sa route vers Paris.」(「アンリ=マクシミリアン・リーグルはこまめに足をとめながらパリへの道をたどっていた。」)
で、本作の掉尾は、
「Et c'est aussi loin qu'on peut aller dans la fin de Zénon.」(そしてそれが、ゼノンの最期をたどって行きつくもっとも遠い地点であった。」)
となっていて、本作が「権力を求める冒険者」アンリ=マクシミリアンの名(固有名詞)で始まり、「知識を求める冒険者」ゼノンの名(固有名詞)で終わっていることがわかります。



L'OEUVRE AU NOIR
7 decembre 1979
Marguerite YOURCENAR parle de son roman "L'Oeuvre au noir", avec un personnage inventé, Zénon, pauvre, en fuite la plupart du temps contre les préjugés de l'époque (le 16ème siècle).


















































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マルグリット・ユルスナール 『目を見開いて』 岩崎力 訳 (ユルスナール・セレクション)

「私はヒッピーに敬意を抱いています。彼らは、人が彼らに押しつけたものや、間違っているだけではなく有害でもある多くのものをはねつけようと努力しています。」
(マルグリット・ユルスナール)


マルグリット・ユルスナール 
聞き手: マチュー・ガレー 
『目を見開いて』 
岩崎力 訳

ユルスナール・セレクション 6

白水社 
2002年4月15日印刷
2002年4月30日発行
418p 口絵i 別丁図版12p 
四六判 丸背装上製本 カバー 
定価3,200円+税
装幀: 東幸央
口絵写真: Yves Dejardin



Marguerite Yourcenar, Matthieu Galey "Les yeux ouverts" (1980)。
マルグリット・ユルスナール長編インタヴュー。


ユルスナール 目を見開いて 01


帯文:

「自作解説はもとより、
環境、戦争、宗教、
フェミニズムなど……
気取りなく率直に
吐露された
心情と信条。」



マチュー・ガレーによる「序」より:

「このような作家の孤独、彼女には肝要なものと思え、自分の芸術の遂行には不可欠とさえ思えるこの孤独は、もちろん彼女の世界観に由来する。連帯に関していえば、彼女が連帯するのは、ある種の社会集団ないし民族集団よりも、むしろ人類一般となのである。アメリカに数多いさまざまな運動に彼女は進んで参加する。アザラシ、鯨、生物学的平衡、風景、海岸、海などの保護運動、あるいは予想される大災害と戦う運動など。しかし政治には顔をそむける。なぜなら彼女にとって政治運動は、歴史の流れのなかであまりにもはかないものに思えるからだ。それゆえ、ラテンの大理石から切り出された文体をもち、規則正しくきちょうめんな生活を送っているこの古典的小説家の共感は、むしろ、所有や偏見を無視し、社会の周辺で生きる人びとに向けられるといえる。シェイクスピアを読み、サン=シモンを読む合間に、ボブ・ディランを聞くこともある……」
「数年にわたってつづけられ、ここにとり集められ、整理され、編集されたこれらの対話は、私が久しい前から特別の賛嘆の念を抱いている作家の、能うかぎり正確な肖像であること以外になんの望みももっていない。(中略)私は意図的に自分の発言を、いわばボールを投げ返すこと、跳ね返すことにとどめた。私がたえず心がけたのは、マルグリット・ユルスナールの声が、そして彼女の声だけが聞えるようにこの会話をみちびくことだったからである。」



ユルスナール 目を見開いて 02


目次:

序 (マチュー・ガレー)

1 幼女時代
2 父のこと
3 教育について
4 影響について
5 詩と構想について
6 『アレクシス』
7 愛について
8 エウリュディケとマルチェッラ
9 お金について
10 文学から情熱へ
11 夢と麻薬について
12 オリエントから政治まで
13 会談
14 アメリカの島
15 トランクと皇帝――ある本の歴史
16 ある「黒の過程」……
17 ……およびその延長
18 小説の周辺
19 翻訳の技術
20 自己の源へ
21 職人仕事
22 役に立つための孤独
23 作家たちと賢人たち
24 神が死んだときに聖人であること
25 人種差別について
26 そしてフェミニズムは?
27 世紀のなかの作家
28 明日のための政策
29 知性による共感
30 目を見開いて

ユルスナールをめぐって 6 白の過程 (堀江敏幸)
解題=訳者あとがき (岩崎力)



ユルスナール 目を見開いて 03



◆本書より◆


「早くから孤独に慣れることは限りなく良いことだと思います。(中略)孤独は人びとの存在ぬきに生きるすべを教えてくれます。そして人びとをもっと愛するすべを教えてくれます。さらに言えば、子供のなかには根本的に無関心な部分があるのですが、その部分が描写されることはめったにありません。(中略)子供たちを見ていると、自分だけの世界で生きているのに驚きます。(中略)子供をとりまく大人たちは、素性や身元がかならずしもはっきりしておらず、ひとりは父親だといわれ、(中略)もうひとりは母親で、三人目は女中だったり料理人だったり、あるいは郵便配達夫だったりするのだけれど、そういった人たちが全部「大人たち」で、ある種の重要性をもってはいるけれども子供とあまり強い絆で結ばれているとはいえない。子供はそういう人たちが触れることのない、子供だけの生をもっているのです。」

「前にも述べたように私にとって年齢は問題ではなかったのです。相手が六歳の子供でも六十歳の人でも、私の話し方は変わらないと思います。私自身、自分の年齢をまったく感じません。」

「――あなたを学校に入れないと決めたのは、お父上ですか?
 そんなことは誰も決めませんでした。いわば否定と消去の結果決まったのです。当時、家で育てられる子供たちは決して珍しくありませんでした。もちろん一連の住み込みの家庭教師はいました。しかしその存在はあまり重要ではありませんでした。いや、全然ものの数に入らなかったと言えます。(中略)自分で勉強しておぼえるほうがはるかによかったように思いますし、事実そのとおりでした。」

「過去への愛について話すときは気をつけなければなりません。問題は生命への愛なのです。生命は現在よりはるかに過去のものなのです。(中略)生を愛するとき、人は過去を愛するのです。なぜならそれは人間の記憶のなかで生きのびた現在なのですから」

「子供のころ私は宗教上の祝典や、天使たち聖人たちの造形表現にとても敏感でした。(中略)いわば放射能をもつ世界、目には見えないけれども非常に強い世界があることを、とても強く感じていたのです。私の宗教教育は非常に早い時期に中断されましたが、しかしとにかくその教育を受けたことを喜んでいます。なぜならそれは、目に見えぬもの、あるいはこう言うほうがよければ「内面」への通路だからです。」

「――つまりあなたはいまもカトリックの神秘思想に敏感だということですね?
 儀式が美しく、なんらかの理由でそれが損なわれていないとき、儀式から生まれてくる神秘思想が好きなのです。聖像も好きです。今日ブリュージュの教会で、侮辱を受けるキリスト、「苦悩の人」の彫像を見るとき、私は八歳のとき北フランスの村の教会で感じたのと正確に同じ感情をおぼえるのです。そのころすでに漠然とではありますが、私は彼のなかに、すべての侮辱された人を感じていたのです。」

「私は信仰というものを信じません。少なくとも信者たちが今日この言葉を使うときに込める意味では、言い換えれば、ほとんど攻撃的に話すときの意味では。自分たちは証明されていないなにかを信じている、あるいは信じることを自分に課している、だからそれを信じつづけることこそが自分たちの主要なメリットなのだ――彼らはそんなふうに言っているような感じです。そして私たちは、彼らの信仰のなかに意志の努力があり、独占への意志もあるのを感じ、見抜くのです。私たちはこういう信仰をもっている、それは私たちのものだ、こういう信仰をもたない連中は可哀相だ、あるいは逆に、そういう連中は不愉快なやつらだ、そういう連中の伝統だの個人的反応などは無視して、彼らを改宗させねばならぬ、というわけです。だとすれば、私はそんな気持ちを感じるどころではありません。
 かつて信仰はもっと本能的なものでした。ですからもっと受け入れやすかったのです。奇跡、亡霊、幽霊――そういうものがなぜあってはいけないんでしょう? 結局のところ、あの鳥はもしかしたら天使だったのでは? (中略)世界はとても広大です。ですからそういうものの実在も受け入れていけないわけがあるでしょうか? 事実、非常に素朴な人たちは、摩訶不思議なものと現実、目に見えるものと見えないものを混ぜ合わせていました。」

「十九世紀の偉大な作家たちは、しばしば反抗的、秩序破壊的であり、彼らの時代、彼らの周囲と対立し、人間の凡庸さと戦っていました。」

「私はいつも時事的なものを警戒してきました。文学においても、芸術においても、人生においてもです。少なくとも人びとが時事問題と考えているものには用心しました。それらはしばしば、事物のもっとも皮相な層にすぎないのです。」

「それはひとつの特権です。しかし巨万の富などもっていなくても、そういう特権を手に入れることはできるのです。いわゆる庶民のなかで、そういう例を非常に頻繁に見かけます。未来の安全を確保しようとするのはブルジョワの考え方です。」
「私が隷属状態のひとつと考えるのは、不幸な人のことです。部長あるいは所長として年俸が十五万ドルであろうが、サラリーマンとして一万ドルであろうが関係なしに、自分の工場が公害で汚染されているというのに、馘になりはしまいかと思って震えているとか、危険な製品あるいは愚かにも全く無益なものを作っているというのに、自分の利益やら退職金を失うことばかり恐れているのです。それこそまさに奴隷状態です。なぜならそういう人間は、なにが起こっても抗議する勇気をもてないからです。彼はまた政治や社会に関する非個人的な理由で抗議することもできません。「状況」の奴隷なのです。
 私についていえば、安全か自由か、どちらかを選ばなければならないときは、つねに自由を選んできました。それに、とにかく私の場合、所有への嫌悪、獲得への嫌悪、貪欲さへの嫌悪、あるいは、成功とはお金の蓄積にあるという考えへの嫌悪が、ことのほか強いのです。アメリカ滞在の最初のころは(中略)「やはり必要なときに備えてお金を蓄えておかなければ」と考えていました。それで私は当面使わずにすむわずかばかりのお金で、おまり選びもせずに株を買いました。ある日新聞で、黒い煙をもくもくと吐き出している工場の写真を見たのです。私はそれを自分の小さな株の綴りに貼りつけました。その後はもう株を買うなどということは問題になりませんでした。」
「――それにしても、ことお金に関するかぎり、あなたの立場は貴族的ですね。
 もしそれを貴族的と呼ぶのなら、貴族階級バンザイと言うしかありませんね。でも私はあなたが正しいかどうか確信はもてません。なぜなら、お金が必要で借金をしていた貴族たちも、今日の資本家としてお金をかき集めた場合と同じく、「金」に牛耳られていることに変わりはないのですから。そう、貴族的といえるのは、「けっこうだ、それなら他のことをしよう、新聞の売り子になろう」と考えながら、古ぼけたマントをまとい、スーツケースを抱えて、どこかへ立ち去ることができる場合の話です。」

「キャリアを築かなければならないと感じたことは一度もありません。よくこう考えたものです、もし文学をやっていなかったら、他のことがやれたろう、あるいは全然なにもしなかったかもしれない、と。」

「この国(引用者注: アメリカ)の若者たちが若者として、あるがままの若者のために、大人としての最初の開花というか、最初の選択をほんとうに見せはじめたのは、ベトナム戦争の惨憺たる結果、黒人の平等を支持する六〇年代の大飛躍、正誤を問わずサブカルチャーと呼ばれたさまざまな運動、そしてエコロジー、つまり地球上の生命をおびやかすさまざまな危険を解消するための手段を自覚するようになってからでした。(中略)以前の若者たちは、体制と繁栄を信じすぎており、結局生涯そういう考えに腰を据えていたのです。」

「これまでいつも私は島が好きでした。(中略)島はひとつひとつそれ自体が小世界であり、宇宙のミニアチュールなのです。」

「私は偶然をたいへん重要視しています。与えられた事物、与えられた人生の受容を信じます。立ち現われるがままに受け入れなければならないのです。多くの人が哲学者という資格を否認するにちがいない作家、というのもそれはカサノヴァのことだからですが、その彼がしばしば運命への服従を語り、〈amor fati〉について語っています。のちにニーチェが重々しい感じにしたあの言い方を、彼は使っていません。はるかに巧みに〈sequere deum〉つまり神に従うことと言っています。」

「私はヒッピーに敬意を抱いています。彼らは、人が彼らに押しつけたものや、間違っているだけではなく有害でもある多くのものをはねつけようと努力しています。たとえば、人の存在には所有が絶対に必要だと、なにがなんでも信じようとすること。買う、買う、買う……それは間違いなのです。
 大仰な言葉を使わせてもらえば、私は自分の哲学を作りました。それなしにすませることはできないかどうか自問せずには、絶対になにも買わないという哲学です。すでに溢れんばかりの世界に、どうして付け加えるのでしょう? そもそも私は、なんの苦もなくドアの下に鍵を置いてここを去ることができます。鳥たちやリスのジョゼフを懐かしく思うでしょうが、それだけです。どこで死のうと、ある惑星の上であることに変わりはないのです。」

「この土地で私が好きなのは、風景の美しさと、気楽に話しあえる住民たちです。家そのものは、あまり重要なものとは考えておりません。それは避難所であり、聖カテリーナ・ダ・シエナが言ったように、自分を知るための小部屋なのです。道教の老道士のような賢人なら、自分の個室から一度も出ることなく、自分の家のなかで、世界周遊を何度でもできるのだろうと私は想像しています。
 ――夢のなかで部屋から出るのでしょうね。
 もっとすばらしいのです。彼は思考によって外に出るのです。」

「私自身についていえば、結局のところ、個々人の生命は必ずしも「幸運」(=良いチャンス)とは限らないと考えるほうに心を引かれます。人生が私たちになにかを教えるという意味では、それがひとつの恩恵(=特権)であるのは確かです。しかし私は私にこう言った聡明な友人を思い出します――「生まれるというのは歯車装置に巻き込まれることで、抜け出るときには擦り切れ、打ちのめされているしかない」。しかも、なお悪いことに、自分のまわりで、擦り切れ打ちのめされた他の人びとを見たあとなのです。幸福の瞬間があることを否定はしません。しかし、漠然としていて一般的な言葉で「人生は美しい」と断言する人たちはすべて、心の底に無分別とエゴイズムを秘めていると思うのです。」

「書物というものは、おのずから形作られるのを待たなくてはならないのです。」

「悲観主義も楽観主義も、私が拒否する言葉です。目を見開いていることが大事なのです。病人の血液と便を分析し、熱を計り、血圧を測定する医師は、楽観主義者でも悲観主義者でもありえません。あるがままの状態から出発して最善を尽くす、それだけです。」

「――アッシジの聖フランチェスコの教えはいまでも理解されうるとお考えですか?
 かつてないほど理解されています。そして多くの若い人たちがそのことを知っています。フランチェスコは私たち皆の師です。『被創造者讃歌』の聖フランチェスコ、あらゆる異議申立者よりも激しい異議を唱えたひと、裕福な織物商だった父親の顔に、着ていた服を投げつけた人、私たちのなかの何人かがふたたび習得に努めているように、貧しさを貧しさ自体のゆえに愛した人。やはり思い出しておきたいのは、フランチェスコが肉欲の興奮に打ち勝つために、裸のまま刺(とげ)の上をころげまわったことです。私たちの大部分は同じことをやれといわれても受け入れないでしょう。しかし私には理解できます。彼は自分の肉欲からも自由でありたかったのです。」

「私たちをおびやかす危険は差し迫っており、肉体を襲うものなので、必然的に、イデオロギーの葛藤などはほとんど無に等しいものにしてしまいます。もし人間が生きのびるなら――それは確かではないのですが――、脱工業社会を夢みることができるかもしれません。(中略)しかし世界じゅういたるところを揺り動かす、ほとんど地震のような動きは、黄金時代の夢にはあまりそぐいません。一世代後になにが起こるか、どうして予見できましょう。」

「――社会全体がまちがった道を突き進んでいるとき、個人の行動はほとんど取るに足りないように思えるのですが。
 すべては人間から出発するのです。すべてをなし、すべてを始めるのは、つねにひとりの人間です。(中略)神について語るゼノン(引用者注: 小説『黒の過程』の主人公)に、私はこう言わせました――「もしかしたら存在するかもしれぬものが、生命全体の大きさに合わせて人間の心をふくらましてくだされるように」。私にとってこれは本質的な言葉であり、あらかじめ自分の墓石に彫らせたほどです。人間が他のすべての人間の運命を、共感をもって分かち合う必要があります。いやそれ以上に、他のあらゆる生物の運命をと言わなければなりません。
 作家にとって重要なのは、自分特有の個性を消し去り(なにも恐れることはありません。個性はつねに充分に残りますから!)、すべてを他の人びとに捧げることだと思います。とどのつまりそれは、真実の愛とさほどちがいません。というのも真の愛は、ある人や人びとに良いことがありますようにと願うことにほかならないのですから。」

「おそらく、人びとの不信を解き、彼らの孤独感を打ち破るほど愛さなければならないのだと思います。アメリカ合衆国には、かつてアナーキストであり、いまなおアナーキーなカトリック信者であるドロシー・デイの運営する協会(The Catholic Worker)があります。その人たちはニューヨークのもっとも汚れた地域にいくつかの家を持っており、街で拾った人びとを迎え入れます(ニューヨークのマザー・テレサといえるでしょう)。彼らはまた農場を持っており、アルコールや麻薬の中毒患者をそこに住まわせています(患者たちを信頼しているのです)。彼らはいっしょにパンを焼き、庭仕事をします。年会費として二十五ドル送金するとき(基本額は二十五セントです)、私は謙虚な気持ちと同時に光栄だと思う気持ちをおぼえます。なぜならその人たちは、私のできないことをやってくれるのだからです。」

「銀行家や裕福な実業家は、暇がないことを自慢します。愚かにも彼らはそれを得意がっているのです。人類に暇がないのは、大部分、人間と社会全体が、無益あるいは危険な生産を基準として時間と人間の力を量っているからなのです。冬のあいだは火のそばに腰を下ろし、ときどき灰の上に唾を吐きながら、ナイフで木の匙を作っていた農夫には暇がありました。テレビで流されるスローガンに抵抗する力もない現代の人間より、彼のほうがもっと自由だったのです。」

「奇妙なことに私は子供のころから肉を食べるのを拒んできました。周囲の人びとが無理に食べさせようとしなかったのは、非常に賢明なことだったと思います。もっとあと、十五歳ごろでしたが、「皆と同じようでありたい」と思う年ごろになって私は意見を変えました。その後四十歳近くになって、六歳のときの考え方にもどりました。」

「私はしばしば考えるのですが、まったく非人間的な状況で屠殺場に送り込まれる動物たちが、動物輸送車のなかで窒息したり、何頭もの牛や馬が脚を折ったりする、そんな状態を私たちが何世代も前から容認しているのでなかったら、一九四〇年から四五年にかけて走りつづけた、あの封印された貨車(訳注: ナチスがユダヤ人を強制収容所に送り込むのに用いた貨車)には、誰も耐えられなかったでしょう。輸送を命じられた兵士たちさえ我慢できなかったはずです。」

「――そんなふうに動物たちに興味を抱くのはなぜでしょう?
 私にとって大事に思えるのは(人間とは)異なる形のなかに閉じこめられた生命への感覚をもつことなのです。生命というものは、私たちがふだん生きるのに慣れている形だけにふくまれるものではないこと、腕のかわりに翼をもち、私たちのそれよりはるかに高性能な目をもち、肺ではなく鰓(えら)をもつこともありうること、そういったことに気づくのがすでにたいへんな勝利なのです。」
「それに、(中略)私たちがあまりにもしばしば奪い取ってしまう生命そのものを除けば、他にはなにも持っていない動物たちという側面には驚嘆せずにはいられません。なによりもまず動物たちの、あの限りない自由があります。(中略)「生きている」という、ただそれだけの現実を、私たちが存在感に付け加えるあの偽りなしに生きているのです。動物の苦悩がこれほど私の心を打つのはそのためです。子供たちの苦しみについても同じことが言えます。私がそこに見てとるのは、全くなんのとがもない人びとを、私たちの過失ないし狂気の沙汰に巻き込むという、ほんとうに独特のおぞましさです。なにか手痛い打撃を受けるようなことがあっても、私たちはいつでも、自分には知性があるから窮地を脱することができると考えることができます。そしてそれはある程度本当です。しかしまた、悲しいことにやはり本当なのですが、私たちはつねにこうも考えるのです。つまり、事実上私たちは巻き込まれている、ある程度まで私たち皆が罪を犯している、あるいはなお悪いことにそういう状態を放置していた、と。他方、自分の身になにが起こっているか理解できない子供や動物の完全な無垢に、暴力で応えるのはおぞましい犯罪なのです。
 ――それは動物の心理を、人間心理ときわめて同形に近いものとみる考え方ですね。
 人間と同形(アントロポモルフィック)という言葉を使うのはやめておきましょう。ひとつには、動物の知能とお互いのコミュニケーションに関してきわめて興味深い研究がなされた結果、動物生理学はたいへんな進歩をとげているのですが、この言葉はそういう進歩以前のものに思われますし、他方、「動物を人間と同形」と考えるよりも、むしろ人間は自分を動物化することによって神聖化するほうを選んだことを示した人類学上の研究以前のものでもあるからです。未開人は豹を人間の列まで「引き上げる」のではありません。みずから豹になるのです。犬のまねをして遊ぶ子供は、自分を犬だと思い込んでいるのです。生理学上の細部にいくつか異なる点があるにせよ、同じ生命、同じ内臓、同じ消化過程、同じ生殖方法が、この限りない形の多様さを通して、ときには私たちにはない能力をもって機能している――それこそが奇跡であり、子供と未開人はそれを感じとっているのです。」

「――敬意というのはどんな意味でしょうか。
 他者の自由と尊厳を尊重する感情、あるがままの存在を、いっさいの幻想なしに、しかしまたどんな敵意も軽蔑もなしに受け入れること。それに、ある程度の相互性も必要です(中略)。そのほうがよければ、動物や植物や石を友達にすることもできます。」

「――ご自分が仲立ちというか、媒体のようなもの、なにかが自分のなかを通って伝わっていく存在だと感じることはありませんか?
 まったくそのとおりです。私が私自身について限られた関心しかもっていないのは、結局そのためなのです。自分は電流を通し振動を伝えるための道具だという印象があるのです。(中略)もしかしたらあらゆる人の人生がそうなのかもしれません。そして私たちのなかの最良の人びとも、もしかしたら通過された結晶にすぎないのかもしれません。(中略)すべては私たちより遠くから来て遠くへ行くのです。言い換えれば、すべてが私たちを超越するのです。そしてそんなふうに貫流され超越されたことを知って、人は自分を取るに足らぬものと感じると同時に驚嘆の念もおぼえるのです。
 ――そんなふうに考えていると、人生にたいして受身の姿勢をとるようなことになりませんか?
 いいえ、全然。最後まで苦しみ、最後まで戦わなければならないのです。川に支えられると同時に運び去られながら川のなかを泳ぎ、沖に運ばれて沈むという結末を、あらかじめ受け入れなくてはなりません。しかし誰が沈むのでしょう? 他の人びとの苦痛、心配ごと、病気、私たち自身のそれ、他の人びとの死、自分の死を受け入れさえすれば、それらを生の自然な部分にすることができます。たとえば私たちのモンテーニュのように、西欧にあって道教の哲学者にもっとも似ていたかもしれない人もそう考えたはずです。(中略)死、それは生の最後の形……
 その点についていえば、私の考えはユリウス・カエサルの考えと正反対です。彼はできるだけ時間をかけずに死にたいと願っていたのですから(中略)。私としては、意識を完全に保ったまま死にたいと考えています。病気の進行が充分に緩慢で、いわば私の死が私のなかに入り込み、全体に広がる時間を与えたいのです。
 ――なぜですか?
 生から死への移行という最後の体験をしくじらないためです。ハドリアヌスは目を見開いたまま死ぬことについて語っています。私がゼノンに彼の死を生きさせたのも、そう考えてのことです。」



























































ユルスナール 『東方綺譚』 多田智満子 訳

「彼女たちは、人間がまだ存在せず、大地が樹々と動物と神々しか生まなかった頃の、若かりし日の世界を夢みながら眠っているのだ。」
(ユルスナール 「燕の聖母」 より)


ユルスナール 
『東方綺譚』 
多田智満子 訳


白水社
1980年6月20日印刷
1980年7月10日発行
204p
四六判 丸背紙装上製本 函
定価1,600円
装丁: 野中ユリ



本書「解題」より:

「はじめて『東方綺譚』をひもといたとき、冒頭の作品『老絵師の行方』の神韻縹渺たる趣きに魅せられたことが、この度この翻訳を手がけることになった主な理由である。「老絵師の行方」とは私の恣意でつけた題で、原題は「ワン・フォーはいかにして救われたか」あるいは「ワン・フォーの救われたる次第」。」
「一九三八年に初版の出た『東方綺譚』(Nouvelles Orientales)を、ユルスナールは一九七六年の改訂版上梓の際にかなり手を加えている。おおむね文体上の配慮による修正であるが、『斬首されたカーリ女神』だけは話の結末を新しく書き改めて、インド的形而上学の雰囲気を出そうとしている。また、初版では全部で十篇あった物語のうち、不出来で手直しの価値なしを認めた『クレムリンの囚人』をはずすなど、作者としては若書きの綺譚集は、成熟した後年の作家の眼できびしく検証し直されている。」



ユルスナール 東方綺譚 01


帯文:

「『東方綺譚』はユルスナール女史の極めて才気に満ちた風変りな短篇集である。私はそのなかで「源氏の君の最後の恋」という一篇に出会った。それは『源氏物語』のなかで表題だけあって、内容が一行もない例の奇妙な「雲隠」の巻の奇想溢れる偽作なのである。ジードの弟子にふさわしい、そしてまた、トーマス・マンの推重する古典的な雅致のある彼女の文体は、つとにその代表作『ハドリアヌス帝の回想』の美しい訳によって知られる多田智満子さんの筆を通して見事な日本語となって甦った。
中村真一郎」



帯背:

「ユルスナール
珠玉の短篇集」



目次:

老絵師の行方
マルコの微笑
死者の乳
源氏の君の最後の恋
ネーレイデスに恋した男
燕の聖母
寡婦アフロディシア
斬首されたカーリ女神
コルネリウス・ベルクの悲しみ

解題 (多田智満子)



ユルスナール 東方綺譚 02



◆本書より◆


「老絵師の行方」より:

「老画家汪佛(わんふお)とその弟子玲(りん)は、漢の大帝国の路から路へ、さすらいの旅をつづけていた。
 のんびりした行路であった。汪佛は夜は星を眺めるために、昼は蜻蛉(とんぼ)をみつめるために、よく足をとめたものだ。二人の持ち物はわずかだった。汪佛は事物そのものではなく事物の影像を愛していたからである。絵筆、顔料と墨を容れる壺、絹の巻物、通草紙(とうし)の画箋紙、それ以外のものはこの世で手に入れるに値するとは思えなかった。彼らは貧しかった。汪佛は金銭をいやしみ、自分の画を一碗の粟(あわ)の粥(かゆ)ととりかえるのだった。」

「玲は自分の血が師の衣服を汚さぬように、前へ一跳びした。兵士の一人が刀を振りあげ、玲の首が切られた花のように胴を離れた。下役人どもが屍を運び去ったあと、汪佛は絶望しながらも、弟子の血が緑の甃(いしだたみ)につけた美しい真紅の汚点(しみ)を感嘆して眺めた。
 皇帝が合図すると、二人の宦官が汪佛の眼を拭った。皇帝は言った。
 ――聴け、汪佛、涙をかわかすがよい。今は泣いている時ではない。眼に残されたわずかの光が涙で曇ることのないよう、汝の眼はまだ明るくみひらかれていなければならぬ。というのは、余が汝の死を望むのは、ただ遺恨のみによるのではない。汝を苦しませようと欲するのは、ただ残酷さのみによるのではない。余には他のもくろみがあるのだ、老いたる汪佛よ、余の所有する汝の画のなかには、山と河口と海とが反映し合う驚嘆すべき一幅がある。むろん現実の景色よりはるかに縮小されているものの、それは天球の鏡面に姿を映す形象の如く、事物の明白さを凌ぐ明証性をそなえている。しかしながら、汪佛、この画は未完成なのだ。(中略)おそらく、淋しい谷蔭に坐して汝がこれを描いていたとき、横ぎる鳥影か、あるいはその鳥を追う童の姿に気をとられたのであろう。鳥の嘴か、童の頬が、波の蒼いまぶたを忘れさせたのであろう。汝は海の裳裾の総(ふさ)飾りも、岩にからむ藻の髪も、仕上げておらぬ。汪佛よ、余は欲するのだ、汝が残された光明の時を、この画を完成するために捧げることを。そして汝の長い人生の道すがら蓄積した最後の秘密が、この画にすべてそそぎこまれることを。間もなく切り落される汝の手が絹の画布のうえで震えることはよもやあるまい。そして疑いもなく無限が、この不幸のもたらす陰翳によって、汝の作品のなかに浸透するであろう。また、間もなく盲いる汝の眼は、必ずや人間の感覚の限界まで、万象のゆたかさを見出すであろう。」
「皇帝がわずかに指をうごかして合図すると、二人の宦官がうやうやしく汪佛の未完の山水図を運んできた。汪佛は涙を流すのをやめて微笑した。この小さな下絵が彼に若き日を想い起させたからである。この画のすべては彼が今ではいくら望んでもえられぬ魂のみずみずしさを証していた。とはいえ何かが欠けている。汪佛がこれを描いた時期には、彼は山々や、露わな腹を海にひたした岩々を、まだ十分観照していなかったし、黄昏の悲哀がまだ十分身にしみていなかったからである。汪佛は奴隷のさし出す筆の一つをえらび、大らかな筆致で未完の海に青い色彩をひろげはじめた。彼の足もとにうずくまった宦官が顔料を砕いたが、その仕事ぶりがいかにも拙劣なので、汪佛は弟子の玲を亡くしたことがいやが上にも惜しまれるのであった。
 汪佛は手はじめに山巓にかかる雲の翼の端を薔薇色に染め、次に、海面に、その晴朗感をひとしお深めるさざなみの皺を描きそえた。翡翠の甃(いしだたみ)が奇妙にしめってきたが、画に心奪われた汪佛は、足を水に浸して仕事していることに気付いていなかった。
 絵師の筆のうごきにつれて大きくなった小舟は、今や絹の巻物の前景一面を占めていた。突然、はるか彼方から、櫂をあやつる律動的な音がひびいてきた。翼の羽搏きのように速く、いきいきした響きである。その音が近づいて、広間全体にやさしくひびきわたり、そしてぴたりと止んだ。漕ぎ手の櫂から垂れた雫が、不動のまま、震えている。汪の眼を焼くために刑吏の火鉢の中で赤熱した鉄は、とうの昔に冷えきっている。肩まで水に浸った廷臣たちは、礼儀上身動きもせず、爪先立って身をもちあげている。水は遂に帝の心臓の高さにまで達した。」
「それはまさしく玲であった。古びたふだん着をきて、その右袖は、今朝兵士らに踏みこまれるまでに繕うひまのなかったかぎ裂きをそのまま残していた。しかし首には見馴れぬ赤い衿巻きを巻いている。
 汪佛は絵筆をうごかしながらやさしく声をかけた。
 ――おまえは死んだと思っていたよ。
 ――先生が生きておられますのに、どうしてわたしが死ねましょう。
 と玲はうやうやしくこたえ、師に手をかして舟にのせた。翡翠の天井が水を映し、そのために玲はあたかも洞窟の内を漕いでいるかに見えた。水に沈んだ廷臣たちの三つ編みの髪が蛇のように水面にたゆたい、皇帝の蒼白い顔は蓮の花のように漂った。
 ――ごらん、弟子よ、と憂鬱そうに汪佛が言った。この人たちは、気の毒に、死んでしまうよ、まだ死んでいなければな。皇帝を溺れさすほど海に水があろうとは思ってもみなかった。どうしたものかな?
 ――師よ、御懸念には及びませぬ、と弟子は呟いた。この人たちはすぐに乾いてしまい、自分の袖が濡れたことなど思い出しもしますまい。帝だけが、心にいささか海の苦みをとどめるでしょうが。この人々は画のなかで死ぬようにはできていないのです。
 それから彼は付け加えた。
 ――海は美しく、風は順調で、海鳥は巣をつくっています。船出いたしましょう、師よ、波の彼方の国に向って。
 ――行こう、と老絵師が言った。」



「ネーレイデスに恋した男」より:

「御存知ないでしょうが、われわれのこの島にはふしぎなあやかしだの亡霊だのがいっぱい住みついていましてね。ここのお化けは、昼間は墓地にひそみ真夜中にさまよい出るあなたのお国の北方系の幽霊とは似ても似つかないのです。わたしどもの幽霊は白い衣をきていないし、骨はちゃんと肉で覆われています。しかし彼らは、少なくとも洗礼を受け、人生を知り、悩みとは何かを知った死者の魂よりも、たぶん危険な存在でしょう。この田舎のネーレイデスたちは、人間を時には保護し時には滅ぼす自然と同じように、無邪気で性悪なのです。古代の男神女神たちはたしかに死に絶え、博物館は彼らの大理石の屍しか保存していません。わたしどものニンフは、あなたがたがプラクシテレスの彫像から想像されるようなイメージよりも、むしろお国の妖精(フェアリ)に似ています。しかしここの民衆はニンフの力を信じていて、ニンフたちは土や水や危険な太陽と同じく実在しているのですよ。夏の光はニンフのうちに肉化されている、だからこそニンフを見ると目がくらみ、放心してしまうのです。彼女たちは悲劇的な正午の刻にしか姿を現わしません。まるで真昼の神秘に浸っているかのようにね。百姓が昼寝する前に家の戸口をしっかりふさぐとすれば、それは陽(ひ)ざしをよけるためでなく、彼女たちから身を守るためです。じつに宿命的なこの妖精たちは、美しくて、裸で、熱病の病原菌を含んでいる水のように、みずみずしくさわやかで不吉なのです。彼女たちを見た男は、けだるさと欲望にさいなまれて少しずつやつれて行きます。大胆にも近づいた男は一生唖になります。ニンフの愛の秘密は俗人どもに洩らしてならぬものですからね。」

「ネーレイデスたちはこの気の狂った若者に、島の娘たちが獣の牝とちがっているのと同じくらい、島の娘たちとはちがう一つの女性的世界への接近をゆるしたのです。(中略)ニンフたちは自分たちの遊戯にもっとうまくとけこめるように、まるで無邪気な野獣なみに、彼を愚かしくしてしまったのです。彼はもう働かなくなり、月日のたつのにも心をわずらわさなくなりました。いつでも腹一杯食えるように、乞食になりました。島中うろついて廻りますが、できるだけ広い通りは避けて、野原や、人里はなれた丘のくぼみの松林などに入りこむのです。そして、かわいた石壁の上においたジャスミンの花とか、糸杉の根もとの白い小石とかは、妖精たちの伝言をつたえるものなので、彼はその合図から次の逢引の時と場所を読みとるのだ、といわれています。百姓たちの主張によると、彼は年をとらないのです。(中略)しかし膝はふるえ、失った正気は二度ともどらないし、唇に言葉が再び生れることもありますまい。(中略)でもわたしはパネギヨティスが羨ましいのですよ。彼は幻想の世界に入るために事実の世界をぬけ出したのです。」



「燕の聖母」より:

「半透明のくらがりから、湧き出る泉の音がきこえた。松林をわたる微風のようにやさしいかすかな音が息づいているのは、ニンフの寝息であった。彼女たちは、人間がまだ存在せず、大地が樹々と動物と神々しか生まなかった頃の、若かりし日の世界を夢みながら眠っているのだ。」


「コルネリウス・ベルクの悲しみ」より:

「ローマの屋根裏部屋に年久しく住みついていた老いたる肖像画家コルネリウスは、一生の間に人々の顔をあまりにも探索しすぎたので、今はいらだたしい冷淡さで人々に背を向けているのだった。彼は、動物を描くのもいやだ、動物は人間に似すぎているから、とまで言っていた。」

「――神は森羅万象を描かれる。
 そして、低い声で、苦々しげに、
 ――何たる不幸でしょう、シンディックさん、神が風景画だけにとどめておかれなかったのは。」



ユルスナール 東方綺譚 03

見返し。




























































































マルグリット・ユルスナール 『青の物語』 吉田加南子 訳

「影が、商人たちの踵にぴったり貼りついている。小さくて黒い影は蝮のようだ。女だけが影を持っていなかった。商人たちはそれを見て、女はたぶん幽霊なのだろうと思った。」
(マルグリット・ユルスナール 「青の物語」 より)


マルグリット・ユルスナール 
『青の物語』 
吉田加南子 訳


白水社
1994年8月25日印刷
1994年9月10日発行
144p 
19.4×12.4cm 
丸背紙装上製本 カバー
定価1,700円(本体1,650円)
装丁: 東幸央



本書「解題」より:

「三篇ともすべて一九二七年から一九三〇年の間に書かれている。一九二七年にはマルグリット・ユルスナールは二十四歳だった。」
「この短い作品集を構成している三篇のうちで『青の物語』だけが未発表である。『初めての夜』は、一九二九年十二月に『ルヴュ・ド・フランス』誌(九巻六号、通巻二十三号)に、マルグ(Marg)・ユルスナールの署名のもとに発表された。「マルグリット・ユルスナール」と署名された『呪い』は、一九三三年一月に『メルキュール・ド・フランス』誌の八二九号(四十四巻)に発表された。」



Marguerite Yourcenar: Conte Bleu, Le Premier Soir, Maléfice, préface de Josyane Savigneau, Editions Gallimard, 1993。


ユルスナール 青の物語


帯文:

「ユルスナールが
若き日に遺した三つの物語
サファイアの青のイメージで彩られた、
西欧とオリエントの幻想的な
からみ合いを描く表題作ほか、いずれも
未発表の短篇を収める。」



帯背:

「初期の未発表短篇」


目次:

青の物語
初めての夜
呪い

解題 (ジョジアーヌ・サヴィニョー)
訳者あとがき――情念の辺境あるいは辺境の情念 (吉田加南子)




◆本書より◆


「青の物語」より:

「彼らは洞窟の中を膝をついて進まなければならなかった。洞窟を外界と繋げているのは、狭くてひび割れた口だけだった。だが深い窪みは初めに考えたよりも広く、目が闇に慣れると、あちらこちらの岩の割れ目の間から、かけらのような空がのぞいているのがわかった。地下の中央部には、水のとても澄んだ湖があった。イタリアの商人が深さを測ろうと硬貨を投げると、その落ちてゆく音は聞こえず、水の表面に沸き立つような泡が立った。まるで不意に目覚めたセイレーンが、青い肺を満たしていた空気をすっかり吐き出したようだった。ギリシアの商人は、貪欲な手を水に差し入れてみた。水は染物屋の桶の中で煮えたぎっている汁のように手首まで染めたが、サファイアを掴み取ることはできなかった。サファイアはまるで、海の水よりも濃いこの水の上を進んでゆく鸚鵡貝の船隊のようだった。すると若い女は、編んだ長い髪をほどいて水に浸した。サファイアは、髪が編む黒い網の、絹のようになめらかな目に引っかかるように捉えられた。」

































































































『集英社版 世界の文学 24 ユルスナール/ガデンヌ』 若林真/菅野昭正 訳

「当時イタリア半島を訪れた多くの作家たちは、あいも変らずイタリアの絵のように美しい伝統的なものに魅せられるか、あるいはまた列車が(少なくとも理屈の上では)定刻どおりに発車するのを見て喝采(かっさい)を送るにとどまり、発車がどんな終点に向かってなのだろうかなどとは夢にも考えないのであった。」
(ユルスナール 『夢の貨幣』 「序文」 より)


『集英社版 世界の文学 24 
ユルスナール 夢の貨幣
ガデンヌ スヘヴェニンゲンの浜辺』 
若林真/菅野昭正 訳


集英社
1978年2月20日 印刷
1978年3月20日 発行
415p 口絵i 
四六判 丸背クロス装上製本 
貼函 函プラカバー
定価1,300円
装幀: 坂野豊

月報《25》 (2p):
壮麗な作家の「歴史」(多田智満子)/訳者紹介/次回配本



Marguerite Yourcenar "Denier du rêve" (1934/1959)
Paul Gadenne "La plage de Scheveningen" (1952)

ニ段組。本文中図版(『スヘヴェニンゲンの浜辺』参考図)1点。


ユルスナール 夢の貨幣 01


帯文:

「ファシズム下のローマ――人々は
10リラの銀貨のように歴史の流れに翻弄されていた。
解放後のパリ――昔のパリは消え、
人々は孤独の中に閉じ籠もっていた。
第2次大戦末期のヨーロッパを舞台に描く
フランスの2大作家の意欲作。」



帯裏:

「『夢の貨幣』(一九七一年)
舞台はムッソリーニが支配するファシズムのローマ。人々はそれぞれの情念と孤独の中にのめりこみながらも、政治的陰謀、流刑、恋愛など様々な他者とのかかわり合いの中を揺り動かされていく。まるで人間の手から手へと渡っていく10リラ銀貨の運命のように……。時間の枠を超えて、人間存在の宿命を描き出すユルスナールの野心作。

『スヘヴェニンゲンの浜辺』(一九五二年)
連合軍による解放直後のパリで再会したギョームとイレーヌは、北仏の海辺の町へ旅する。三日間の短い旅だったが、その瞬間は二人にとっての心の再会でもあった。それから約一ヵ月後、二人はまた旅するのだが、彼女イレーヌの口から出た言葉は「もう浜辺をやり直すことはできない」という別れの言葉だった…。

ユルスナール
(一九〇三~    )
フランスの女流作家。貴族の末裔を父に持ち、母はベルギーの名門の出。いわゆる学校教育を受けず、主として家庭教師によって教養を身につけた。その特異な経歴から、フランス国内の作家とは異なった視野の持主。

ガデンヌ
(一九一八~一九五六)
フランスの作家。三十八歳で死亡。死後十年以上を経て、この不遇なままに死んだ小説家の作品は再評価された。「三十年に一人か二人しか現われぬ小説家」と激賞される。」



※帯裏にはガデンヌの生年が一九一八年とありますが、正しくは一九〇七年生、四十九歳で死亡。同じく『夢の貨幣』の出版年が一九七一年とありますが、初版は一九三四年、改訂版は一九五九年刊です。


目次:

ユルスナール
 夢の貨幣 (若林真 訳)
ガデンヌ
 スヘヴェニンゲンの浜辺 (菅野昭正 訳)

解説 (若林真/菅野昭正)
著作年表



ユルスナール 夢の貨幣 02



◆本書より◆


ユルスナール『夢の貨幣』「序文」より:

「一九三四年刊行の『夢の貨幣』の初版は、いくぶん短いものであった。今度の版は単なる再刊の態(てい)にとどまるものでもなければ、訂正をほどこして、未発表のいくつかの文章を追加した再版の態にとどまるものでさえない。いくつかの章はほぼ全面的に書き改めたし、相当に長くなった場合もあった、いくつかの個所では、修正や削除や語順転換をしているうちに、旧版の一行も残らなくなってしまった、またある個所では、一九三四年版の大部分が未変更のままになっている。今日こうしてお目にかけている小説は、ほぼ半分が一九五八年から一九五九年にかけて構成し直されたものであるけれど、新しいものと旧(ふる)いものが緊密にからみあっている再構成なので、作者にとってすら、いつ一方が始まり、いつ他方が終っているのか、ほとんど判別不可能である。」
「旧版から新版への変化がなく、変化があるわけもないのは、なかんずくこの作品の政治的雰囲気(ふんいき)である。この小説の状況は、ファシズム第十一年のローマであり、何はさておいても正確な日付を持たなければならないのだ。これらの想像上の諸事件、すなわち、カルロ・ステーヴォの流刑と死、マルチェッラ・アルデアーティの陰謀などは、一九三三年、つまり、体制の敵に対する特別法が数年前から猛威をふるい、独裁者に対する同種のいくつかの陰謀がすでに実行された時期にあたる。それらの事件はまた、エチオピオア侵略の前、ムッソリーニ体制がスペイン市民戦争に加担する前、同体制がヒットラーに接近しやがて屈服する前、人種差別法発布の前、ということはもちろん、混乱と破局、しかし同時に、現代の第二次大戦のパルチザンの、雄々しい抵抗の数年間の前に起こったことである。したがって、一九二二年~一九三三年の時期に早くもすべての発端が含まれているあの時期の決着がつく、はるかに暗い数年間の世相を、一九三三年の世相に混ぜあわせないことが肝要であった。マルチェッラの行為に、悲劇的に孤立した、いうなれば個人的抗議の様相を残すこと、彼女のイデオロギーに、かつてイタリアの分裂にたいそう深い刻印を押したアナーキズムの教義の影響の痕跡(こんせき)を残すことが、必要な配慮であった。カルロ・ステーヴォに、一見したところ時代遅れで役にたたない政治的理想主義を、そして、体制それ自体に、いわば積極的な勝利をおさめているがごとき様相を、残しておく必要があった。実を言って、そんな様相は、おそらくイタリア国民自体よりも外国の世論を、長いことたぶらかす態のものだったのである。『夢の貨幣』が再刊に値すると思われた理由の一つは、この作品が、当時において、ファシズムのこけおどしの表玄関の裏に隠されている空虚な現実を直視した最初のフランス小説の一つ(おそらく最初の小説)だったからである。当時イタリア半島を訪れた多くの作家たちは、あいも変らずイタリアの絵のように美しい伝統的なものに魅せられるか、あるいはまた列車が(少なくとも理屈の上では)定刻どおりに発車するのを見て喝采(かっさい)を送るにとどまり、発車がどんな終点に向かってなのだろうかなどとは夢にも考えないのであった。」



ガデンヌ『スヘヴェニンゲンの浜辺』より:

「我々は人間であったが、人間であるということは、我々の死刑執行人同様の犬畜生になりさがることだと見破っていた。」

「しかしギョームは彼女の話を聞きながら、我々はどこまで生れながらにして罪人であるか、いっそうよく理解した。《この異変においては我々は誰もがすべて罪があったのだ》、エレーヌの家の階段を降りながら彼はそう考えた、《我々は誰もがすべて悪が成し遂げられるに任せていたのだ》。巨大で、集団的で、祖先伝来の、とはいうものの各自がおのがじし個人としてそこに加担している過失という観念が、我々の意識のなかに、日毎に少しずつ深く根づいていくのだった。我々は虚構の時代を生きることをたしかにもう終っていた。」

「彼らはかつてある風景のなかで知りあったのだが、その風景が彼ら二人の離れ離れの生活を、遠くから、長いあいだ支配しつづけてきたと考えることを彼は好んでいたし、また一時期、ある何人かの巨匠の作品にその風景の反響を探して二人で楽しんでいたこともあった。あの『スヘヴェニンゲンの浜辺』を描きながら、たぶん、ロイスダールは絵画術を革新しようなどとは夢にも思わなかったかもしれない。しかし、彼らはその生涯のある時期に――なんと二人は若かったことか!――想像力のための糧をそこに見出したのであった。」












































































































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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