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『図説 百鬼夜行絵巻を読む』 (ふくろうの本)

「これらの画家たちは、もしかしたら、中心に向って整序される一神教的な秩序をきらい、かえって周辺に向って拡散される汎神論的な無秩序を愛したのかもしれない。それは自然界に遍在して、いろいろな物体のなかに入ったり出たりする霊魂、(中略)小さな庶物の精霊にふさわしい世界だった。このような観点から見るならば、百鬼夜行とは、精霊的な自然の無秩序の別名であるかもしれないのだ。自然そのものが、百鬼夜行と言えるかもしれないのだ。」
(澁澤龍彦 「付喪神」 より)


田中貴子/花田清輝/澁澤龍彦/小松和彦
『図説 
百鬼夜行絵巻をよむ』

ふくろうの本


河出書房新社 
1999年6月15日 初版印刷
1999年6月25日 初版発行
111p 
21.5×17cm 並装 カバー 
定価1,800円(税別)
装幀: 天野誠
本文デザイン: 吉岡和子



本書扉文より:

「恐ろしげで奇々怪々な風情の妖怪たちが、
いずこからともなくぞろぞろと現れて行列をなし、
闇の京都を徘徊している……。
この怪異現象を平安時代は「百鬼夜行」と呼んだ。
一方、室町時代に「百鬼夜行絵巻」という妖怪画のジャンルが流行し、
やがてそれは江戸時代に隆盛をきわめたお化け絵の源流となった。
だが、平安時代と室町時代以降では「百鬼夜行」の性格が異なる。
奇怪な「百鬼夜行絵巻」は、なぜ生まれ、何をテーマとしていたのか。
本書は、この日本の「闇の文化史」の謎を解読する試みである。
論考として、早くからこのジャンルに注目した
花田清輝氏、澁澤龍彦氏のエッセイ、さらに民俗学の視点から
これらを受けて書かれた小松和彦氏の論文を収録し、
巻頭に「百鬼夜行図」研究に新地平を拓いた国文学者
田中貴子氏に研究の現状を要約・解説していただいた。
図版は、「百鬼夜行絵巻」の名品、大徳寺の真珠庵本をはじめ、
新発見を含む諸本、あまり紹介されることのなかった
「付喪神(つくもがみ)絵巻」(および現代語訳「付喪神記」田中貴子氏新訳)も収録し、
また江戸時代の鳥山石燕や河鍋暁斎などの作品を加えて
「百鬼夜行図」の全体像が分かるように構成した。」



花田清輝・澁澤龍彦・小松和彦による文章は既刊本からの再録です。


百鬼夜行絵巻を読む 01



帯文:
 
「奇妙な
妖怪たちが
闇の京都を
行列をなし
徘徊する…。
 
日本のお化け絵の
源流「百鬼夜行絵巻」
はなぜ生まれ、
何を描いたのか。
異界の達人たちが
日本の「闇の文化史」
の謎を解読する。
 
妖怪の宝庫「百鬼夜行図」
多数収録。
お化けの饗宴!!」



目次:
 
絵巻コレクション① 『百鬼夜行絵巻』(真珠庵本)
絵巻コレクション② 『百鬼夜行絵巻』(京都市立芸術大学蔵)
前説『百鬼夜行絵巻』はなおも語る (田中貴子)
現代語訳『付喪神記』 (田中貴子 訳)
画人伝(抄) (花田清輝)
絵巻コレクション③ 『百鬼夜行絵巻』(東京国立博物館蔵・模本)
絵巻コレクション④ 『百鬼夜行絵巻』(大阪市立美術館蔵)
付喪神 (澁澤龍彦)
器物の妖怪 付喪神をめぐって (小松和彦)
「百鬼夜行図」コレクション 河鍋暁斎『暁斎百鬼画談』より
河鍋暁斎 百鬼夜行図 (澁澤龍彦)




◆本書より◆


「現代語訳『付喪神記』」より:

「こうして、報復のためにみなの意見を聞くと、古文書の古文先生がこう言った。
 「天地創造のころは、人間も物も草木も形がなかった。しかし、陰陽の気によって仮に万物が生まれたのだ。我等がもし陰陽の気にあえば、必ずただの「物」から魂のある存在になれるはずである。中国の故事でも、陰陽によって変化した物の例もあることだ。だから、今度の節分を待て。節分とは、陰陽が反転して物が形を改める時である。我等もその時造化の手に身をゆだねればきっと化け物になれるだろう」
 古道具たちは、おのおの古文先生の言ったことを古紙の端に書き付けて帰っていった。」
「さて、既に節分の夜となったので、古文先生の教えに従い、古道具たちは身を虚にして造化の神に祈った。彼等は既に百年を経た年の功があり、変化する徳を備えていたので、忽ちに化け物となりおおせた。ある者は人間の男女・老少の姿となり、またある者は魑魅悪鬼の体をなし、あるいは狐狼などの獣の形を表す。いろいろな化け物の恐ろしい有様は、言うにも及ばないほどである。
 化け物たちは住むべき所を決めようとしたが、あまりに人里遠くでは食物を調達する手だてがないので、京の北西にある船岡山の後ろ、長坂の奥を本拠地と定めた。そして、常日頃は京・白川へ出ては捨てられた報復をし、人間は言うに及ばず牛馬家畜までもを取って食べたので、京の人々はみな悲しむこと限りなかった。けれども、目に見えない化け物なので、退治しようにも手だてがなく、ひとえに神仏に祈ることしか出来なかった。
 化け物たちは肉の城を築き、血の泉を湛えて酒盛りをし、遊び狂った。そして、人間の楽しみや天上の快楽なんぞ羨ましくもない、などと豪語しあった。
 ある時、化け物のなかにこんなことを言う者があった。
 「そもそもわが国は神国であって、みな神道を信じ奉っている。だから、我等も造化の神をあがめ奉らないのは心ないことだ。今よりこの造化の神を氏神と定めて祭礼を催せば、我等の運命久しく保たれ、子孫繁栄することは疑いない」
 そこで、この山の奥に社を建て、その名を「変化大明神」と号し奉ることになった。立烏帽子の化け物を神主とし、八乙女、神楽男などを決めて、朝夕神をまつった。他の社の例にならって祭礼を行うべしと、御輿をあつらえ、四月初めの五日の真夜中、一条通りを東に向かって祭礼行列は進んで行った。」




百鬼夜行絵巻を読む 02


『百鬼夜行絵巻』(真珠庵本)より。



百鬼夜行絵巻を読む 03


『百鬼夜行絵巻』(京都市立芸術大学蔵)より。



百鬼夜行絵巻を読む 04



百鬼夜行絵巻を読む 05



百鬼夜行絵巻・付喪神絵巻リンク:

国際日本文化研究センター
百鬼夜行絵巻 前半
http://www.nichibun.ac.jp/graphicversion/dbase/esugata/hyakki1.html
百鬼夜行絵巻 後半
http://www.nichibun.ac.jp/graphicversion/dbase/esugata/hyakki2.html
東京大学附属図書館
百鬼夜行図
http://gazo.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/hyakki/
東北大学狩野文庫
百鬼夜行で検索
http://dbr.library.tohoku.ac.jp/infolib/meta_pub/G0000002kano
京都大学附属図書館
付喪神絵巻 
http://edb.kulib.kyoto-u.ac.jp/exhibit/tsuroll/tsukumoindex.html







こちらもご参照ください:

小松和彦 『百鬼夜行絵巻の謎』 (集英社新書ヴィジュアル版)
鳥山石燕 『鳥山石燕 画図百鬼夜行全画集』 (角川ソフィア文庫)






































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小松和彦 『日本妖怪異聞録』

「いまでこそ玉藻前の名を知る日本人は少ないが、江戸時代ではたいへん有名な妖怪であった。京の王権を倒すべく御所内に入り込んだ妖怪は、後にも先にも、この狐のみであったのだ。」
(小松和彦 『日本妖怪異聞録』 より)


小松和彦 
『日本妖怪異聞録』
 


小学館 
1992年5月10日 初版第1刷発行
1992年7月1日 第2刷発行
221p 口絵(カラー)8p 
四六判 丸背紙装上製本 カバー
定価1,700円(本体1,650円)
装丁: 中山銀士
人形制作: 野崎一人



本書「あとがき」より:

「わたしにとって、妖怪とは人間と人間との関係のなかから立ち現われてくる幻想であって、しかも、それは自分(たち)の否定的分身であると理解している。それが、あるときは、特定の集団の敵、もしくは影、つまり反権力の象徴として形象化され、また、あるときは、特定の個人の敵、もしくは影として形象化される。したがって、現状を肯定しようとすれば、妖怪は否定されるべき存在となるわけであるが、現状を改善しようとしている者にとっては、肯定すべき存在となるわけである。」
「この本は、中学・高校生向けの「小学館スペシャル ワンダーライフ」に寄稿した原稿をもとにして作られているため、参考文献をほとんどあげていないが、その作成にあたっては、多くの方々の研究を利用したり、協力を得ている。」



口絵カラー図版11点、本文中モノクロ図版39点。
でてきたのでひさしぶりによんでみました。



小松和彦 日本妖怪異聞録 01



帯文:

「日本の
八大妖怪
完全分析
大江山の酒呑童子、
那須野の妖狐・玉藻前、
大天狗となった崇徳上皇――
日本文化史の
裏面を蠢いてきた妖怪たちを、
異界研究の第一人者・
小松和彦(大阪大助教授)が
解読する!」



帯背:

「妖怪たちの
実像に迫る!」



帯裏:

「「われ深き罪におこなはれ、愁鬱(しゅううつ)浅からず。速(すみ)やかにこの功力をもって、かの科(とが)を救はんと思う莫大の行業を、しかしながら三悪道になげこみ、その力をもって、日本国の大魔縁となり、皇(すめらぎ)取って民となし、民を皇となさん」と、自らの舌先を食いちぎり、その血潮で大乗経に呪詛の誓文を記し、海底に沈めたという。こうして崇徳上皇は魔界に去っていった。しかしそれは敗者の反撃の到来でもあった…。(「日本の大魔王・崇徳上皇」より)
 妖怪とは、敗れ去った者、敗れ去った神々の姿なのだ。そしてそれはまた、ときには自然それ自体だったのかもしれない。日本史の背後を彩ってきた妖怪たちの実像に迫る最新作!」



目次:

第一章 大江山の酒呑童子
 日本妖怪変化史最強のヒーロー
 酒呑童子物語を推理する
 酒呑童子は越後生まれ?
 酒呑童子の父はヤマタノオロチ?
 酒呑童子の怨念は非征服民の魂の叫び

第二章 玉藻前
 狐は人をばかすもの
 朝廷転覆を狙う、スケールの大きな妖狐譚
 陰陽師の呪術が物語をリードする
 歴史的事実と宗教的背景
 各地に残る殺生石譚
 狐は必ず美女に化ける?

第三章 是害坊天狗
 天狗とはそもそも何か?
 僧をだます天狗の敵は仏教
 天狗とはもともとなんだったのか

第四章 日本の大魔王 崇徳上皇
 実在の人 崇徳上皇
 呪われた崇徳院の出生の秘密
 『太平記』にみる怨霊天狗の暗躍
 天狗の内裏に行き着いた牛若丸
 いまなお続く崇徳上皇の怨念

第五章 鬼女 紅葉
 鬼伝説から創作された『鬼女紅葉』
 語り続けられた戸隠の鬼伝承
 なぜ、鬼女物語が語り継がれたのか?

第六章 つくも神
 妖怪たちのパレード『百鬼夜行絵巻』
 百鬼夜行の目的はなにか?
 百鬼夜行から器物の夜行へ
 『付喪神絵巻』は『是害坊絵巻』の真言宗版?

第七章 鈴鹿山の大嶽丸
 宝物倉に納められた三大妖怪
 鈴鹿山の鬼神・大嶽丸
 大嶽丸蘇り、またも暴れ回る

第八章 宇治の橋姫
 捨てられた女が鬼女となる
 宇治の橋姫伝説と丑の時参り

あとがき




小松和彦 日本妖怪異聞録 02



◆本書より◆


「大江山の酒呑童子」より:

「以上の物語からわかることは、酒呑童子は、比叡山が伝教大師によって天台宗の総本山として開かれる前の先住の神であった、ということである。にもかかわらず、里からやってきた伝教大師はこれを追い払い、制圧しようとしたのである。(中略)つまり、先住民=敗者=鬼、征服者=勝者=人間という、まことに単純な図式がここには見えるわけである。」

「酒呑童子は山の神や水の神と深いつながりを持っている。彼ら鬼たちは龍神=大蛇=雷神のイメージと重ね合わされており、酒呑童子が大酒飲みと描かれているのは、近江誕生説にしたがえば、彼がヤマタノオロチ=伊吹明神の血を引く異常な「人間」であったからである。
 酒呑童子は仏教によって、もともと棲(す)んでいた山を追われてしまう。それは山の神が仏教に制圧されたプロセスと同じであろう。酒呑童子を迎えてくれる山は、仏教化されていない山、土着の神々が支配する山であった。
 酒呑童子は、たしかに京の都の人びとにとっては極悪人で、仏教や陰陽道など、京の人びとの生活を守る信仰にとっても敵であり、妖怪、化物であったろう。しかし、退治される側の酒呑童子にとっては、自分たちが昔から棲んでいた土地を奪った仏教の僧や、欺(だま)し殺す武将や陰陽師たち、さらに、その中心にいる帝の方こそ、極悪人なのである。
 酒呑童子の物語から、土着の神や人びとの哀しい叫び声が聞こえてくる。征服者への怨(うら)み声が……そしてその声は、自然それ自体が征服されていく悲鳴であるのかもしれない。」



「妖狐 玉藻前」より:

「ここで取り上げる妖怪は、日本の妖怪狐のなかでも、もっとも名高い、京都の王権を倒そうというとてつもない野望を持った狐の物語である。」

「荼吉尼天信仰と玉藻前伝説が関係があることは、何人かの研究者に指摘されている。この荼吉尼天信仰は、真言宗、とくに近くにある伏見稲荷を東寺(とうじ)が支配下に置いたことから、東寺系の密教僧たちの間で信仰され出し、それが広く流布することになったと考えられている。
 東寺を中心とする真言僧徒は、狐を辰狐王菩薩(しんこおうぼさつ)と称して神仏化し、天照大神(あまてらすおおみかみ)に比定した。ここから、奇怪なことに、天照大神が天岩戸(あまのいわと)に隠れたとき、狐の形になって入ったとの説も生まれることになった。玉藻前の身体から光が放たれたのは、天照大神の光とも通じるところがあるわけである。
 東寺の高僧たちの間では、辰狐王菩薩つまり荼吉尼天が、王法守護の神とみなされていた。しかし、その一方では、斑足王が祀った塚の神ともみなされ、この場合では、王法を破壊する神であった。荼吉尼天は両義的神であったのだ。もし玉藻前に荼吉尼天の影響があるとすれば、そこには、明らかに王法破壊の側面が組み込まれているということになるだろう。」

「その遺骸(いがい)はただちに京に運ばれ、院の叡覧(えいらん)があったのちに、うつぼ舟に乗せて流し捨てられたという。もっとも、多くの伝本は、酒呑童子と同様に、宇治の平等院の宝蔵に納められた、と記しているのが興味深い。
 すなわち、王権は、こうした王法を破壊しようとする妖怪を退治したというしるしを、今日でいえば博物館に相当するところに収納しておくことによっても支えられていたのである。イギリスの大英博物館が、かつて大英帝国が盛んなりし頃に、植民地から収奪した宝物を並べ立てていることを思えば、宇治の宝蔵の意味するところがよくわかるはずである。」

「いまでこそ玉藻前の名を知る日本人は少ないが、江戸時代ではたいへん有名な妖怪であった。京の王権を倒すべく御所内に入り込んだ妖怪は、後にも先にも、この狐のみであったのだ。」



「是害坊天狗」より:

「鳥類タイプの天狗がしきりに活動していたのは、平安時代であった。この頃の天狗をめぐる伝承の多くは、仏教とりわけ比叡山、つまり天台宗の僧たちにかかわるかたちで語られている。
 すなわち、天狗は仏法をおとしめようとして、人間界に出現してくる妖怪として描き出されているのである。」
「安倍晴明(あべのせいめい)や安倍泰成(あべのやすなり)といった陰陽師たちがその呪力(じゅりょく)で、あるいは源頼光(みなもとのらいこう)や源頼政(よりまさ)といった武将が、その武力で、妖狐や鬼などを退治して名声を獲得したのと同様のことを、僧たちは天狗を相手に演じていたのである。」

「高僧に従う神的童子たちを「護法童子(ごほうどうじ)」という。この護法童子は、さまざまなものに変化する能力を持ち、空中を飛び、恐ろしい能力さえ持っている。それは、いってみれば、もう一つの「天狗」、天狗の反転したイメージであるといっていいだろう。」



「日本の大魔王 崇徳上皇」より:

「白峰神宮の創建は、慶応四(一八六八)年、明治維新政府軍が奥州列藩同盟軍への攻撃を開始しようとしていた年のことである。それに先立ち、「もしものことがあっては」と怖(おそ)れた明治天皇は、父孝明天皇の遺志を継いで、「日本国の大魔縁となり、皇(すめらぎ)を取って民となし、民を皇となさん」と、自らの舌先を食いちぎり、その血潮で大乗経に呪詛(じゅそ)の誓文を記し、また死後は怨霊(おんりょう)、天狗となって人の世を乱し続けたとされる崇徳上皇の霊を、讃岐(さぬき)の白峰御陵から乞い招いて、神に祀(まつ)りあげることで、その恐ろしい霊威(れいい)の発現を封じ込めようとした。」

「こうして、崇徳上皇は魔界に去っていった。しかし、それは敗者の反撃のときの到来でもあった。
 ほどなくして、京の疫病の流行や貴族の病気や死は、崇徳上皇の怨霊のなせるわざだ、という風評が流れるようになった。このパターンは菅原道真(すがわらのみちざね)が死後に怨霊(おんりょう)となって天皇の病気や死、あるいは疫病の流行をもたらしたというのと、まったく同じであった。」

「承和(しょうわ)五(一三四九)年六月二十日のことであった。東山の今熊野というところに宿をえていた羽黒山の山伏の雲景(うんけい)が、天竜寺見物に出かけたとき、町で知り合った六十歳ばかりの老山伏に、「天竜寺も立派だが、われわれの住む山こそ日本に並びない聖地である。ぜひ見物しなさい」と誘われ、愛宕山に案内される。
 愛宕山の仏閣を見物して感心していると、老山伏はさらに「せっかくここまで来たのですから、この愛宕山の秘所もお見せしましょう」といって、雲景を、本堂の後にある座主(ざす)の僧坊と思われる建物へ案内したのである。
 「本堂の後」とは、「後戸(うしろど)の空間」などともいわれ、「表」に対して「裏」、「光」に対して「闇(やみ)」に対応する、「魔多羅(またら)神」などの怖しい邪神や荒ぶる神、祟り神のたぐいが祀られる空間であった。」
「そこにはたくさんの人が座っていた。(中略)とりわけ目立つのは、高御坐(たかみくら)に「大きな金色の鳶(とび)が翼をつくろって着座」している方であった。あまりに怖し気で不思議に思われたので、案内する老山伏に、「この集まりはなんなのですか」と尋ねたところ、山伏は次のように説明してくれたのである。
 「上座の金の鳶の姿をしたお方こそ崇徳院であらせられる。そのそばの大男こそ源為義入道の八男八郎為朝である。左の座には代々の帝王、淡路の廃帝、井上皇后、後鳥羽院、後醍醐院、いずれも帝位につきながらも悲運の前世を送らざるをえなかったために、悪魔王の棟梁(とうりょう)になられた賢い帝たちであらせられる。次の座の高僧たちは、玄肪(げんぼう)、真済(しんざい)、寛朝(かんちょう)、慈彗(じけい)、頼豪(よりいえ)、仁海(じんかい)、尊雲(そんうん)たちで、やはり同じように大魔王となられて、ここにお集まりになり、天下を大乱に導くための評定(ひょうじょう)をしておられるのである」。」
「政争で敗れて怨みをいだきつつ世を去った天皇やその近親者、あるいはそれに巻き込まれて殺されたり、自死したりした武士や高僧たちの怨霊が天狗と化して、それが手を結び合って一団となって、時の支配者たちに挑戦し怨みを晴らそうとしているのである。いささか乱暴ないい方をすれば、この世に生じたあらゆる災厄はすべて魔界に棲む怨霊天狗の仕業とみなす、というのが『太平記』に見られる天狗観であるといっていいだろう。」
「天狗界にやってくる人間は、人間界に怨みを残して死んだ者である。そして、その怨みを晴らすために、しきりに天下騒乱の計略を練っている。その計略が実現したのが、歴史上の災厄・騒乱だと、当時の人びとは、というか『太平記』の作者たちは、みなしていたのである。」

「崇徳上皇は白峰陵で、じっと自らの出番を待っている、と考えられていたのだ。(中略)皇族が天下を治めていないかぎりは、その霊力を発現させるには至らない。というのは、崇徳上皇の敵は、朝廷であったからである。」
「孝明、明治の両天皇は、王政復古のときがやってきたとき、まず思い浮かべて恐怖したのは、この崇徳上皇の怨霊の発現であり、その政道への妨害であった。
 それを封じるために、崇徳上皇の霊を京に招いて、神に祀りあげようとしたわけである。」




小松和彦 日本妖怪異聞録 03






こちらもご参照ください:

宮田登 『江戸の小さな神々』
ハインリヒ・ハイネ 『流刑の神々・精霊物語』 小沢俊夫 訳 (岩波文庫)
阿部正路 『日本の妖怪たち』 (東書選書)
中野美代子 『中国の妖怪』 (岩波新書)
『定本 柳田國男集 第四卷 遠野物語 山の人生 他』 (新裝版)







































小松和彦 編 『民衆宗教史双書 30 憑霊信仰』

「狐は今でこそ人間に駆逐されて姿をあまり見せなくなったが、古くは、人里近く姿を現し、鹿などとともにきわめて親しみやすい動物であった。田や畑のほとりで無心に遊び、あるいは野ネズミをとってくれる狐の群れを見て、いつとはなく、人々は狐を田の神、稲荷神の使徒であると考え、神聖視するようになってきた。」
(速水保孝 「狐持ちの発生を探る」 より)


小松和彦 編 
『憑霊信仰』

民衆宗教史叢書 第30巻

雄山閣 
平成4年5月1日初版発行
389p はじめに・目次7p 口絵4p 
A5判 丸背布装上製本 機械函 
定価6,000円(本体5,825円)



口絵図版(モノクロ)4点、本文中図版多数。


小松和彦編 憑霊信仰 01


帯文:

「「つきもの」――多様な憑霊信仰の諸相を探る!
神霊がなにかに乗り移るという宗教的観念、つまり憑霊信仰は、古代から連綿と続いてきた信仰である。しかし、その体系的研究の動向が出始めてからさほど歳月が経っておらず、本格的な研究はむしろこれからである。本書は、特に「悪霊憑き」に比重を置いた論文を収録し、課題を示す。」



帯背:

「宗教史・地方史・民俗学・民族学・歴史学関係者など必備の叢書」


目次:

はじめに (小松和彦)

第一篇 憑霊信仰の歴史と展開
 憑きもの (石塚尊俊、昭和37年)
  一 憑きものの種類と分布
  二 憑きもの筋と社会的緊張
  三 憑きもの使いの問題
  四 憑きものと家の神
  五 憑きもの研究の問題点
 憑霊現象と特殊家系 (桑田忠親・島田成矩、昭和34年)
  一 霊魂の憑依(のりうつ)り
  二 どんなものが憑くのか
  三 憑けられやすい人
 狐持ちの発生を探る (速水保孝、昭和51年)
 乱心/狐憑き/指籠入れ (昼田源四郎、昭和60年)

第二篇 憑霊信仰の機能と構造
 中央高地における一迷信の地域的基礎 (千葉徳爾、昭和41年)
  一 問題のいとぐち
  二 クダ狐の分布と性質
  三 木曾谷を中心とするクダギツネの諸類型
  四 つきもの迷信の類型と要素分析
  五 動物信仰の原型とその変革
  六 族団的地域社会とその結合
  七 族団における対立と緊張
  八 今後の課題
 憑きもの現象と社会構造――社会人類学的アプローチ (吉田禎吾・上田将、昭和44年)
  はしがき
  一 憑きもの筋と憑きの事例
  二 憑きもの筋と憑きの現象
  三 憑きもの現象と社会構造との連関
 群馬県南西部におけるオサキモチ信仰とサンリンボー信仰の社会的意味 (板橋作美、昭和53年)
  一 はじめに
  二 社会的背景
  三 オサキモチとサンリンボー
  四 近隣関係とオサキモチ・サンリンボー
  五 社会、経済的位置とオサキモチ・サンリンボー
  六 親族関係とオサキモチ
  七 結び
第三篇 憑霊信仰と宗教者
 憑霊と除祓――「憑く・憑ける・憑けられる」の三元構造 (山折哲雄、昭和51年)
 神道の憑きもの落とし――「蟇目の法」をモチーフとして (長谷部八朗、昭和62年)
  一 はじめに
  二 「蟇目の法」について
  三 事例の紹介
  四 手法の特徴
  五 小括と課題
 カミ、つきもの、ヒト――島原半島の民間信仰をめぐって (石毛直道・松原正毅・石森秀三・鷹巣和則、昭和49年)
  一 はじめに
  二 神とつきものの世界
  三 神と人をつなぐ者
  四 カミとの交流
  五 おわりに
第四篇 憑霊信仰研究の回顧と展望 (小松和彦)
  一 悪霊信仰研究の回顧と展望
  二 収録論文解説
  憑霊信仰 主要文献目録



小松和彦編 憑霊信仰 02

口絵より。

上: 「伏見稲荷神社の裏の稲荷山の光景。かつて狐落しの験力を身につけるため、多くの行者がここで修行したという。」
下: 「犬神落しで知られる賢見神社。」



◆本書より◆


「はじめに」(小松和彦)より:

「「憑霊信仰」という用語は、まだ充分に世間一般に流通している語とは言えないのではなかろうか。もっとも、このような用語が学術用語として文化人類学や民俗学、宗教学などの研究者たちによって用いられるようになってから、まだ十数年ほどしか経っていないと思われるので、それも当然のことかもしれない。
 しかし、憑霊信仰という語が指し示している信仰現象については、日本人ならば誰でもが知っているはずである。それは読んで文字のごとく、神霊がなにかに、つまり、人や事物に乗り移るという宗教的観念についての総称なのである。
 神霊が人や事物に乗り移る――それはいったいどういうことなのか。乗り移るという状態はどのような状態であり、なんのために乗り移るのか。憑霊信仰研究とは、こうした問題に答えようとすることから生まれてきた。
 上述のように、憑霊信仰という語は新しい用語であるが、この語が生まれるまで、憑霊信仰研究が扱うような内容の信仰についての研究がまったくなされなかったわけではない。いや、むしろ民衆宗教研究史のなかでも相当蓄積のある研究対象であったといっていいだろう。
 憑霊信仰は、それまでの二つの大きな憑霊信仰研究を総合するような形で生まれてきた概念であった。一つは、人に善霊が憑くという信仰についての研究で、それは「シャーマニズム」とか「巫覡信仰」とか呼んで研究してきたものである。もう一つは悪霊・邪霊のたぐいが人に憑く信仰についての研究で、こちらの方は「憑きもの信仰」と呼ばれてきたものである。同じ神霊憑きでありながら、なぜか、両者が別の信仰のように区別され、そのために両者を統一的に把握しようとする努力があまりなされなかったのである。その反省をこめて、「憑霊信仰」という語が新たに用いられ始めたわけである。
 では、このような研究態度をとることの利点はどこにあるのだろうか。一番の利点は、憑霊現象をよりダイナミックに把えることが可能となってくることであろう。たとえば、人を病気や死におとしめるような霊に憑かれた者は、当然その霊を「悪霊」と判断するわけであるが、もしそのような霊を送りつけることができる者がいれば、その者にとってその霊は「善霊」とみなされていることになる。また、日本では、そうした悪霊を祓い落して祀り上げ、守護神(=善神)に変えてしまうことも可能なのである。このあたりのプロセスを理解していく上で、憑霊信仰という語はまことに便利な用語だといえよう。」
「理想をいえば、本巻は、「憑霊信仰」と銘うってある以上、善霊憑きと悪霊憑きの双方を含んだ論文集とすべきであろう。しかし、そのためには本巻一冊では、とても重要論文を収め切れない。そこで、私は本巻を悪霊憑きの方に比重を置いた論文を中心に一冊を編むことにした。それでも、収録した論文を一読されればおわかりになると思うが、その内容の多様性に驚かされることであろう。とくに、悪霊憑きが、民衆のなかに差別を作り出したり、病気や死の説明になったり、社会集団の編成に利用されたりしていたということに留意していただきたいと思う。つまり、憑霊信仰の研究は、人間とはなにか、集団とはなにか、神霊とはなにか、病気とは、狂気とは、等々、を考えるための重要な手がかりを私たちに提供しているのである。」



「乱心/狐憑き/指籠入れ」(昼田源四郎)より:

「前節で、われわれの日常的常識的世界が類型化した知識の集積からなっており、そのなかでわれわれは「慣れ親しんだ世界」として安心しきって生きていることを述べた。こうした安定した日常世界を乱す外集団は、「反発、不快、嫌悪、反感、憎悪、恐怖の対象として捉えられる」(Schütz, A.: Collected papers, 1962-70)ことが知られている。そして「狂気の者」こそがまさしく、われわれの平穏な日常世界に異議申し立てをおこなう「正常者」にとっての「外集団」にほかならないと言えるのではないだろうか。じっさい彼らの異議申し立ては非常にラジカルなもので、われわれが自明と信じて疑わないもろもろのことがけっして自明ではないことを暴(あば)きたて、われわれの日常世界を根底から崩しかねない暴力的な力を潜在させている。べつの見方をすれば、それだけのラジカルな破壊的な力をもっているからこそ、それは芸術や宗教などの分野で、新しい文化を創造するひとつの大きな原動力にもなってきた。しかし、われわれはそのラジカルさに恐れ反発し、「気違いの言うこと」だからと蔑視ないし無視することで、自分たちの日常世界の「正しさ」を守りとおそうとする。このような形で、基本的に狂気は日常世界から排除され隔離されざるをえない宿命にあったように思う。その抑圧が解かれ、あるいは積極的に「狂気」が利用されることがあったにせよ(中略)、それはあくまで宗教や芸術活動という、枠付けられた「非日常」のうちで、しかなかった。」


「中央高地における一迷信の地域的基礎」(千葉徳爾)より:

「昭和三十年ころ、木曾谷で生活改善のモデル地区として名高かった某村、結婚の相手をえらぶとき、憑きものの家筋を嫌う迷信をやめることを青年会で申合せ、各人の決心を表明した。その席上では、この家筋だと噂される家の子女から、それぞれの困惑の体験が語られ、新生活への意識が強調されて感激は大きかったそうである。ところが、これでふだんの噂が公認されてしまうと、それまで漠然とした「もしかしたらそうかもしれぬ」という不安だったものが、「やはりそうだった」という確証を得たわけで、そうした家系の出身者と進んで縁組をしようという人は、さっぱり現われない。いわば藪をつついて蛇を出したかたちで、こればかりはいまだに後味の悪いものになっているという。」
「こうした不幸は一日も早くなくすべきである。ただ、それにはこのような迷信が成立し維持されている根源を明らかにすることが先決であって、某村青年会のような、一片の決議によって人心を一新するといった方法は、効少なく害が多いことに心せねばなるまい。」


















































































小松和彦 『酒呑童子の首』

「教えの通り、千人の法師を招いて大般若経を読ませると、六百巻の大般若経が高さ四十余丈、六重の鉄の築地と化し、箱は上の蓋となって、古端の家を取り囲んだ。これを聞いた牛頭天王は八万四千の眷属に、鉄の築地をよく調べよ、千人の法師のなかに目にキズのある法師がおり、その法師が経文の文字を一字でも読み落とせば、その文字の部分が窓になって侵入することができる、と命令する。」
(「祗園牛頭天王の縁起」/小松和彦 「簑着て笠着て来る者は……」 より)


小松和彦 
『酒呑童子の首』

SHUTENDOJI


せりか書房 
1997年4月25日 第1刷発行
258p 
四六判 角背紙装上製本 カバー
定価2,400円+税



本文中図版(モノクロ)多数。



小松和彦 酒呑童子の首



帯文:

「鬼や妖怪とはなにか。また彼らの棲む異界とはどこか。天皇の支配する都(王土)を外からおびやかす大江山の酒呑童子を典型とする反権力の存在に光をあてながら中世民衆の想像力がつむぎだす闇の世界のイメージを説話・お伽草子・絵巻のなかに探った著者の最新評論集」


内容 (初出):

Ⅰ 鬼と権力
酒呑童子の首――日本中世王権説話にみる「外部」の象徴化 (書下し)
「虎の巻」のアルケオロジー――鬼の兵法書を求めて (「楽」 第6冊 京都芸術短期大学 1987年)
簑着て笠着て来る者は……――もう一つの「まれびと」論に向けて (『これは「民俗学」ではない』 福武書店 1989年)

Ⅱ 生と死の境界
流される神々――「小栗判官譚」を手がかりに (『日本の神』 2 平凡社 1995年)
輪廻転生譚をめぐって (『過去世回帰』 宝島社 1992年)
生と死の境界 (「現代詩手帖」 思潮社 1995年6月号)
「目には目を」から「目には性器を」 (『身体の現在形 芸術はからだからだ』 愛知芸術文化センター 1992年)
日本の地下世界のイメージ (「is」 57号 ポーラ文化研究所 1992年)

Ⅲ 異類と異界
影のオカルティズム (「is」 67号 ポーラ文化研究所 1995年)
占いの精神史 (「is」 72号 ポーラ文化研究所 1996年)
傘お化けの出自 (INAX BOOKLET 「傘」 INAX出版 1995年)
お伽草子の狐の物語 (「図書」 岩波書店 1989年8月号・11月号/一部改稿)
怪異の美学 (新編日本古典文学全集 78 『英草紙 西山物語 雨月物語 春雨物語』 月報 20 小学館 1995年)
百物語怪談と妖怪研究 (叢書江戸文庫 『百物語怪談集』 月報 27号 国書刊行会 1993年)

あとがき
初出一覧




◆本書より◆


「酒呑童子の首」より:

「日本文化は、「外部」を「タマ」という概念を設定することで形象化し、そのタマの操作を通じて「外部」を制御しうると考えてきた。(中略)タマは不可視の霊的存在である「魂」を指示するが、それは他方では、形象化された「珠(玉)」と深い結びつきを持っていた。つまり、「魂」の形象化したものが「珠」であったのである。もっとも、この「珠」はむき出しのままの姿で人の前に姿を現わすことは少なく、龍とか鬼とか狐といった、その時代の特定の社会集団が表象する「外部」の形象の衣を身にまとって現われてくる。」
「人間社会を脅かしその秩序を乱すものは、古代では「アラタマ(荒魂)」とされた。そのアラタマが、人間社会の側からの操作によって秩序の側に吸収されると、「ニギタマ(和魂)」と呼ばれた。そのプロセスは、「自然」を「文化」へと変換するプロセスともいえるであろう。」
「では、「珠」をめぐる物語とは、いかなる内容の物語であろうか。ひと言でいえば、「外部」の象徴たる「珠」を人間世界に持ち帰り、人間の管理下に置く、というモチーフを持った物語である。人間社会を乱すモノが出現すると、それと交渉を持つことによって、あるいはモノと戦うことによって、モノが所有するその生命ともいうべき「珠」を手に入れて帰還する。そしてこの「珠」の所有者が「王」となるのである。
 日本人は古代から、こうした「珠取り」をめぐるさまざまな物語を語り伝えてきた。とりわけ王権説話がこの物語を好んだ。というのは、王権は「外部」を排除しつつ、「外部」を占有しようとしたからである。「外部」の侵入を排除することが王権の使命であり、そのために王権は絶えず「外部」の象徴たる「珠」を奪い取り、その手中に収めなければならなかったのである。」

「いずれにしても、酒呑童子の首や大嶽丸の首、那須野の狐の遺骸は、王権を脅かした「外部」の象徴であった。」
「酒呑童子の首のなかに、「宝珠」が納まっていたのかはわからない。しかし、酒呑童子の首は、その凶悪さによって、王権の「中心」に建つ幻想の博物館としての「宇治の宝蔵」に納めるに価する「宝物」であった。つまり酒呑童子の首は、「王権」の生命力の源の一つであったといえよう。」



「「虎の巻」のアルケオロジー」より:

「では、鬼とは何なのだろうか。人間は恐怖する動物である。見知らぬ者、異形の者、異文化に属する者を恐怖する。そして、おのれの権力にまつろわぬ者を恐怖し、その結果、葬り去った者の怨念を恐怖する。こうして恐怖の対象になったものが、「鬼(おに)」と名づけられたのである。その一方では、恐怖する人間はその恐怖から逃れるために、社会集団をつくり、さらに国家までつくりあげた。したがって、集団や国家は程度の差こそあれ、それが存続しようとする限り、その「外部」に具体的な鬼を、あるいは目に見えない想像上の鬼をつねに必要としているわけである。」
「あらゆる人間集団はその「外部」に鬼を、もしくは鬼に相当する存在を想定している。したがって、村落にも、都市にも、山村にも、農村にも、そこにふさわしい鬼たちがその「外部」に存在している。存在していなければ、社会は存在しえない。現代の日本国家もその「外部」に〈仮想敵国〉という「鬼の国」を設定し、それからの攻撃を恐怖するために、軍備を増強しているのは周知の通りである。
 ところで、注意しておきたいのは、社会の「外部」の鬼は、社会集団が占めている地域の物理的な意味での「外部」にのみ存在しているわけではない。ある社会集団が生活している同じ地域内で別の社会集団や人びとも生活している場合には、そうした人びとを鬼とみなしてしまうこともあるのである。」
「では、日本において鬼と呼ばれた人びとはどのような人びとであったのだろうか。ここで、私たちは日本国家という権力装置を強く意識せざるをえなくなる。というのは、民俗学的な資料ではなく、天皇や貴族などの記録を中心とする文献史料を扱う場合、そうした人びとにとっての「鬼」を問題とせざるをえないからである。彼らから「鬼」と呼ばれた人びとは、彼らを恐怖させ、排除しようとさせ、そして差別しようとするほど強烈なパワーをもった人びとであった。したがって、支配者たちの側の記録を、反転させて鬼とされた人びとに身を寄せつつ、支配者たちの記録を読み直していくとき、日本の鬼の歴史は、これまでとはまったく異なったものとして私たちの前に浮かび上がって来ることになるはずである。」



「流される神々」より:

「「祀り棄て」は祀り上げたものを人間社会から分離・追放することで、「祓い棄て」とほぼ重なる概念であるが、「祀り棄て」の場合は、消極的な形ではあるが「祀り上げ」という行為が棄てる際にともなっているのである。」
「「祀り棄て」が生活領域からの邪悪な神秘的存在・力の追放であるのにたいし、「祀り上げ」は邪悪な神秘的存在・力の制御であるということができる。つまり、「祀り棄て」と「祀り上げ」は、邪悪な存在に対して「排除」と「包摂」という逆の対応をしているのである。この二つの儀礼行為を結合させると、「祀り棄て」の儀礼によって人々の生活領域から排除した神秘的存在を、一定の期間と手続きを経て、今度は生活領域に儀礼によって回収して「祀り上げる」という、一種の円環構造を示すプロセスが描き出されることになる。」

「疫病や天変地異が発生する。社会が穢れたと判断される。穢れの発生原因がなんであるかを占いなどで特定する。特定の「カミ」が犯人として挙げられる。「祓い清め」の儀式が執りおこなわれる。災厄を蒙っている特定の社会集団が積極的に祀り上げている「カミ」の力を発動させ、災厄を引き起こしている邪悪な「カミ」を社会から除去する。ここまでが、「祓い清め」である。」
「追放・除去すべき邪悪な「カミ」をなかなか追放できないことがある。これに対処する方法が「祀り上げ」である。「祀り上げられる」ことは、邪悪な「カミ」の邪悪さを封じ込めることでもあったのだ。邪悪な「カミ」は追放しただけでは再び災厄をもたらす可能性がある。そうした可能性を停止・封鎖するわけである。
 さらに、そのような封じ込められた「カミ」の力を人間に好ましい形で発揮してもらうために、その「カミ」と特別な関係が取り結ばれることになる場合もある。そうなると、今度は、この「カミ」が別の災厄を引き起こしている「カミ」を除去するために働くことにもなる。」

「「小栗判官」の物語をはじめとする貴種流離譚やその背後に存在していたと思われる「祓い」もしくは「祀り上げ」と「祀り棄て」の習俗から、なにが浮かび上がってきたのだろうか。それは、日本の神々のなかに、人間世界に生じる罪・穢れを一身に背負って追放される役目をもったスケープゴート的神々ないし身代わりに立つことを任務とする神々が存在していたということである。(中略)それは、共同体や家の穢れを背負わせて流し棄てられる人形の「流し雛」や、晴や雨を期待して吊される「照々坊主」のイメージとも響きあい重なりあうものがある。小栗のイメージの暗さはこのあたりから由来しているのではなかろうか。」
「祓い棄てられ、苦難の遍歴のなかから立ち現れてくる聖なる存在――それが民衆のなかに生きる多くの日本の神の姿であった。」



「日本の地下世界のイメージ」より:

「日本の地下世界――それは、もうひとつの「この世」の世界であり、そしてその深奥には、日本人が精一杯思い描いた理想郷、富に満ちあふれた、美しい自然のある、不老不死の王国があった。」


「お伽草子の狐の物語」より:

「異類の世界から人間の世界をみること――それは作者が人間社会に一定の距離をとり、相対化し、人間社会を眺め渡すことで、ときには人間社会を批判しうるような立場に立っていることを意味している。」

「藤原氏の全盛期、道長の別荘であった宇治院を寺に改めて晩年にその長男頼道が移り住んだ平等院は、以後摂関家の氏寺として一族の崇敬を集め、その経蔵には権力にまかせて蒐集した天下の名品が収蔵されていたといい、(中略)藤原氏の権力・権威の象徴であった。そして藤原氏自体は平安末から衰退していったものの、この宇治の宝蔵の方は逆にますます特別視され、神秘化されていったのであった。なぜ神秘化したのだろうか。その理由はこの蔵の奥深くしまい込まれた名品を普通の人びとは見ることができなかったということはもちろんだが、田中貴子が的確に指摘しているように、それに加えて、人びとがいつの頃からか、現実には存在しない、少なくとも今日まで伝わっていないような品々、フィクションのなかの品々がここには納まっているのだとまことしやかに語り伝えるようになっていたことも見逃すわけにはいかないだろう。」
「興味深いことに、この宇治の宝蔵には、玉藻前に化けた妖狐の外に、大江山に棲んで京の姫をさらっていったために、源頼光たちに退治された鬼の首領酒呑童子の首と、藤原俊宗将軍が鬼女の鈴鹿御前の援助をえてようやく退治したという、鈴鹿山に居を構えていた鬼神大嶽丸の首、の二人の鬼の首も納められた、と伝えている。」







こちらもご参照ください:

佐竹昭広 『酒呑童子異聞』 (平凡社選書)
谷川健一 『鍛冶屋の母』
馬場あき子 『鬼の研究』 (ちくま文庫)

















小松和彦 『悪霊論 ― 異界からのメッセージ』

小松和彦 
『悪霊論
― 異界からの
メッセージ』



青土社 
1989年10月20日 第1刷発行
1992年6月15日 第3刷発行
269p 初出一覧1p  
四六判 丸背紙装上製本 カバー 
定価1,700円(本体1,650円)
装幀: 篠田昌三+土橋公政



本書「あとがき」より:

「この本は、四年前に出版した論文集『異人論』以降に書いた論文やエッセイのうち、なんらかの形で『異人論』の続稿としての性格をもっていると思われるものを選び出し、若干の加筆・修正等を行なって一冊にまとめたものである。」
「この間、私がもっとも力を注いできたのは、悪霊が人びとに祟りをなし、人に憑いて「なぜ祟るのか、なぜ憑いたのか」を自ら語るという憑霊現象についての考察であった。この問題は、「異人殺し」伝説の分析の過程で発見された。というのは、「異人殺し」伝説もまた、その生成の現場に赴いてみると、殺された異人の怨霊つまり悪霊の託宣という憑霊現象が存在していたからである。
ここで、私は「異人殺し」をめぐるフォークロアの考察をしばらく脇に置き、その分析から立ち現われてきた「悪霊」一般へ、もう少し具体的にいうと、「悪霊憑き」および「悪霊祓いの儀礼」とそこに立ち現われてくる「悪霊が自ら語る物語」へと、考察の重心を移動させることにしたのであった。つまり、悪霊たちが語る託宣=語りに、耳を澄ませてみようと考えたわけである。」



本文中図版(モノクロ)9点、図4点。
カバー中央の四角い部分はエンボス加工されています。帯は金色。見返し及び扉ページは銀紙。



小松和彦 悪霊論



帯文:

「異人と妖怪の民俗学
怨霊・悪霊そして鬼や天狗など、異形のものが跋扈する時こそ社会は乱れ秩序は危機に瀕する。錯乱するコスモロジーの蘇生をはかるために、悪霊祓いの儀礼はいかに催されるのか。モノ憑き・怨霊譚の深奥に分け入り、日本人固有の精神構造を解明する画期的視座。」



目次 (初出):

Ⅰ 異人の歴史学
異人殺し伝説の生成――民俗社会の歴史創造 (『日本民俗の伝統と創造』 弘文堂 1988年)
 はじめに
 伝説の概要
 人類学的歴史の生成
 「六部の鉦」事件の分析
 シャーマンの役割
異人殺し伝説の歴史と意味――歴史社会の民俗創造 (『日本伝説大系』 別巻I みずうみ書房 1989年)
 巨視的立場からのアプローチ
 「異人殺し」伝説の生成
 なぜ異人が殺されたのか
 異人の聖性の衰退と「異人殺し」
 御霊信仰の変質
 村落共同体の変質と「異人殺し」の発生
 「異人殺し」は「貨幣殺し」である
 変貌するフォークロア
 解体する村落共同体

Ⅱ 支配の始源学
村はちぶをめぐるフォークロア――排除の民俗の事例として (原題 「村はちぶ」/『日本民俗研究大系』 第8巻 国学院大学 1987年)
 「村はちぶ」の定義
 「村はちぶ」の実態
 “犯人”排除のシステム
 宇宙論的な秩序の乱れ
 社会的秩序の乱れ
 「排除の民俗学」に向けて
支配者と御霊信仰――天皇制との関係をめぐって (原題 「天皇と御霊信仰」/『天皇制の原像』 「現代のエスプリ」 別冊 1986年11月)
 御霊信仰の本質
 民俗社会のなかの「御霊」
 平安初期の御霊会
 政治権力者と御霊信仰
 御霊信仰と近代天皇制
天皇制以前あるいは支配者の原像――民俗における「天皇」問題 (『叢論日本天皇制』 第III巻 柘植書房 1988年)
 はじめに
 民俗文化のなかの「天皇」
 家族国家観成立の民俗的基盤
 天皇=現人神信仰の民俗的基盤
 「日和見」としての村の支配者
 「王殺し」からの照射
 天皇制以前から天皇制へ

Ⅲ 妖怪の伝承学
雨風吹きしほり、雷鳴りはためき……――妖怪出現の音 (「is」 第35号 1987年)
 民俗のなかの妖怪
 『稲生物怪録』にみる怪音
 雷雨と妖怪
 鬼の芸能――「乱声」と「つけ」
鬼の太鼓――雷神・竜神・翁のイメージから探る (「たいころじい」 第1号 1988年)
 昔話のなかの雷神のイメージ
 中世説話のなかの雷神のイメージ
 雷神と雨乞い
 鼓・笛の起源
 雨乞面の翁・猿楽の翁・大黒舞
鬼を打つ――節分の鬼をめぐって (原題 「節分の鬼」/『仏教行事歳時記・節分』 第一法規 1988年)
 「年かえ」の晩
 鬼と福の神と祖霊
 「鬼の子小綱」と鬼払い
江戸の稲荷と狐――江戸市民のトリックスター (「朝日ジャーナル」 1987年12月11日号)
 江戸の稲荷信仰ブーム
 「狐火」と「狐の嫁入り」
 狐憑きと祈祷師

Ⅳ 悪霊の人類学
悪霊憑きから悪霊物語へ――憑霊信仰の一側面 (「待兼山論叢」(日本学篇) 第22号 大阪大学文学会 1988年)
 はじめに
 託宣が伝説を創る
 悪霊憑きと悪霊祓い
 狐霊祓いの儀礼
 悪霊が語る物語
 今後の課題
悪霊祓いの儀礼、悪霊の物語――憑霊信仰の一断面 (『密儀と修行』 「仏教と日本人」 第三巻 春秋社 1989年)
 悪霊と憑霊
 江戸の悪霊憑き
 悪霊祓い儀礼のなかの悪霊物語
 密教の悪霊祓いシステム
 天狗と護法童子
 悪霊退治の物語
 悪霊語りと物語絵

あとがき
初出一覧




◆本書より◆


「異人殺し伝説の生成」より:

「「異人殺し」伝承における「異人」とは、村落共同体の外部からその共同体を訪れる旅人のことで、六部(回国聖六十六部)、山伏、高野聖、巫女、遍路(四国八十八か所巡礼)、西国や坂東などの観音の聖地を訪れる巡礼、などの遊行の宗教者であることが多い。こうした宗教者が、訪れたさきの村落で金品強奪の目的のため殺害されるというモティーフをもった伝承が、ここでいう「異人殺し」伝承である。」

「シャーマンの役割は、人類学者にとってまことに魅力に満ちた役割である。彼は「情報」あるいは出来事の意味の解読者であり、解読された「情報」つまり「物語」の語り手である。その物語が村びとには“歴史”となるのである。したがって、シャーマンは村びとの“歴史”の創り手でもあるわけである。人類学者は、運がよければ調査地においてそうした“歴史”の生成の場に立ち会うこともできる。」
「しかしまた、シャーマンは恐ろしい存在でもある。シャーマンの託宣によって「異人殺し」事件がでっち上げられ、その事件を介して村内に“殺人者”の家もでっち上げられてしまうからである。そしてその家はシャーマンの語り出した“殺人”の罪のために、私たちからみればまさにいわれなき差別や排除を受けて苦しめられることにもなったのである。
もちろん責められるべきはシャーマンだけではない。無意識のうちにであれシャーマンにそのような託宣を要求していた当時の多くの村びとたちこそ実は責められるべきなのである。」






















































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
 
うまれたときからひとでなし
なぜならわたしはねこだから
 
◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

Koro-pok-Guru
Away with the Fairies

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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