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佐竹昭広 『古語雑談』 (岩波新書)

「「心だにまことの道に叶ひなば祈らずとても神や守らん」
「この歌には何となく人を励ます力があるような感じがする。また、自分にとって「まことの道」とは何であるかと内省を促してくるような所のある歌だと思う。」

(佐竹昭広 『古語雑談』 より)


佐竹昭広 
『古語雑談』
 
岩波新書(黄版) 350 


岩波書店 
1986年9月22日 第1刷発行
vii 207p 
新書判 並装 カバー 
定価480円



本書「あとがき」より:

「小著『古語雑談』は、『東京新聞』(夕刊)に連載した「古語雑談」(昭和五十年四月五日から十月十五日まで)を母胎としている。」
「新書のための修訂加筆を依頼されたのが本年三月、以後、折を見て増益改刪の事に従い、今日に至った。」



本文中図版20点。



佐竹昭広 古語雑談



カバーそで文:

「古歌にいわく「見もわかぬ書籍をつづり読まんより物知る人の雑談を聴け」――一つ聴いては惹きこまれ、二つ聴けば座を立てなくなる雑談の形式により、古語の表記と読み・意味をめぐって、先学の達成を紹介しつつ、著者再審の知見を自在に語った百二十余語。和語に漢語に難解語、歌俳句あり絵本あり、万葉語から江戸語まで。」


目次:

はなしは庚申の晩
 1 はなし
 2 噺と話
 3 雑談
 4 話と放し
 5 もたれる
 6 やすい
 7 やさしい
 8 やさしいしびり
 9 「やさし」の美学
かなしき時は身一つ
 10 身こそやすけれ
 11 「たのし」と「かなし」
 12 ねぶた流し
 13 賀の「たのし」
 14 宴の「たのし」
草薙の剣
 15 民間語源
 16 天の蛇
 17 クソヘビ
 18 蛇の剣
 19 ヤマトタケル
 20 アギの渡り
 21 アキの渡り
 22 サシ野とタシ野
 23 『風土記』の地名譚
二色の虹
 24 青
 25 青と黄
 26 英訳『古事記』
 27 青・赤・白・黒
 28 赤と黄
 29 黄塗りの舟
 30 赤い舟
 31 紫
花ぞ昔の香りににほひける
 32 紫のにほへる妹を
 33 咲く花のにほふがごとく
 34 つつじ花にほへる君が
 35 今は盛りににほふらむ
 36 橘のにほへる香かも
青葉若葉の日の光
 37 光
 38 雪の光 
 39 川の瀬光り
 40 光儀
慇懃に我が思ふ君は
 41 慇懃
 42 朝参
 43 過所
 44 戯笑の歌
はや教へなん九九の算用
 45 二八十一
 46 二九十八
 47 九九
 48 九九と一一
 49 二九と四九
 50 『乳母の草子』
 51 公家と高利貸
 52 そろばん
 53 算木とそろばん
 54 半弓と鉄砲
右は弁当、左は不便
 55 疲労
 56 不弁と不便
 57 弁当
 58 抄物ヲ読マウゾ
 59 さとりのわっぱ
 60 『法華経直談鈔』
貧窮殿
 61 無力
 62 乏少
 63 貧乏神
 64 貧窮
ずつなし者の節句ばたらき
 65 術ない
 66 ずつなし
 67 黒豆かぞへ
 68 方言辞典
 69 ずくなし
 70 大ズク、小ズク
 71 惰けもの
 72 不精の悪魔
 73 懶惰と懈怠
雲霧といへば俳諧なり
 74 鶯の狂言
 75 雅と俗
 76 俳言
 77 漢語の俳諧性
 78 俳諧師宗祇
 79 畳字連歌
 80 和語と漢語
物皆は新まるよし
 81 展転と灼然
 82 いちじるしい
 83 火気
 84 ほけ・ほのけ
 85 可能な訓
 86 占相
 87 昼か夜か
 88 左 右
 89 まで・まかぢ・まそで
大かた誤字にぞありける
 90 誤写
 91 『校本万葉集』
 92 本文校訂
 93 沢瀉注
 94 木の暮闇
文字を余す事好む人多し
 95 田舎宗匠
 96 指を折る
 97 字余り
 98 一字千金
 99 西行と宣長
 100 宣長の法則
 101 あらはに余りたり
 102 と思ふ
 103 夢といふものぞ
 104 母音の重出
 105 母音の脱落
 106 石垣謙二先生
 108 字余りの例外
 109 「火気」再説
人さまざま
 110 たまゆら
 111 ゆら・ゆらく
 112 たまかぎる
 113 玲瓏
 114 滂動
 115 人麻呂の名歌
よき子を持ちぬれば
 116 五右衛門忌
 117 『本朝二十不孝』
 118 死一倍
 119 『文正草子』
 120 別本『文正草子』
 121 孝子
祈らずとても神やまもらん
 122 北野の秘歌
 123 『天神大事』
 124 まことの道

あとがき




◆本書より◆


「3 雑談」:

「現代では「雑談」の二字を何のためらいもなく、ザツダンと読む。古くはこれをザウタンと読んだ。十七世紀初頭、キリシタンの宣教師たちも「雑談」の語をローマ字ではっきり Zŏtan と記録している。ザウタンがいつごろからザツダンに変わるのか、『節用集(せつようしゅう)』の類を手がかりに、大まかに時代を下ってみる。
 徳川九代将軍家重の時代、寛延三(一七五〇)年の『懐宝節用集綱目大全』では、昔のままザウタン、ただし、ザウの部分はつとに開合(かいごう)の別をうしない、ゾウと発音されていたはずだ。文政元(一八一八)年『倭節用悉皆袋増字』に「雑談(ザフダン) トリマゼタセケンバナシ」、「談」が濁音ダンに変わっている。一八六七年、ヘボン編『和英語林集成』も Zōdan である。そうして、明治二十三年刊『増補東京節用集』、明治二十六年刊『新撰日本節用』に及んでようやくザツダンという読みが見つかった。
 この語形が明治二十三年以前のどの辺までさかのぼれるか、さらに深い調査を必要とすることは勿論であるが、とにかくザツダンという語形の成立が歴史的に相当新しいものだということは言えそうである。」



「24 青」:

奄美大島方言で青大将をオーナギという、そのオーは青(あお)のことであった。南の島々では「青色(あおいろ)」ということばもオールと発音される。しかもオールは青系統の色ばかりを指すとは限らない。
 富家直(とみいえただし)氏の「「あお」について」(『国際文化』二〇七号)という論文に、常見純一氏の調査による沖縄本島西海岸地方の挿話が紹介されている。お婆さんが嫁に向かって「オールのタオルを取っておくれ」と言った。「そんなタオルはありません」と嫁は答える。「そこにあるオールのタオルだよ」と、お婆さんの指さしたタオルは鮮やかな黄色のタオルだった。
 よく似た挿話は南から北へ飛んで秋田県にもある。秋田市の小学校の校長先生が自宅へ「机の上のアオイ表紙の本をこの人に渡してくれ」と書いたメモを持たせてやった。届けられて来たものは、青色の表紙ではなく、黄色い表紙の本だったという(柴田武『生きている方言』)。
 「あお」という語を黄色に対しても使う方言は、その他、越後・飛騨・八丈島など各所にあることが判明している。」



「29 黄塗りの舟」より:

「従来『万葉集』における色名「黄(き)」は、左の歌の「黄」の字をキと読むことによって存在が認められていた。

   沖つ国うしはく君が塗り屋形(やかた)黄(引用者注:「黄」に傍点)塗りの屋形神が門(と)渡る (巻十六、三八八八)

 『万葉集』に、船体を赤く塗った船が「朱(あけ)のそほ舟」「赤(あか)ら小舟」「さ丹(に)塗りの小舟」などと呼ばれて洋上を通行しているが、黄色に塗った舟のごときは他にも例を見ない。「黄塗りの舟」が果たして黄(き)に塗った舟であったかどうかは、はなはだ疑問である。」



「30 赤い舟」:

「海神は赤い色を禁忌とする。
 承平五(九三五)年一月、土佐の国より海路帰任の旅を急ぎつつあった紀貫之(きのつらゆき)は、「舟には紅(くれなゐ)濃く良き衣着ず。それは海の神に怖ぢて」のことだと『土佐日記』に記している。
 海神の気に障らぬよう赤い色を避ける消極的対処法に対して、逆に海神がいやがり寄りつかぬよう積極的に赤い色を採用する対処法もあった。神功(じんぐう)皇后は、船体から乗員の着衣までことごとく赤土で染め、航海のつつがなきを期したと伝えられる(『播磨風土記』逸文)。これこそ海神を赤色の呪力で制圧する積極的対処法である。『万葉集』の赤い舟、「朱(あけ)のそほ舟」「赤ら小舟」「さ丹(に)ぬりの小舟」なども同様、聖なる赤の呪力に負う。
 問題の「黄塗りの屋形」(三八八八)にしても、中国風の「黄」字に惑わされず、黄色を「赤」の範疇で把えた日本古代の色彩感覚に照らして、日本語の読みとしては赤色をあらわす「に」という色名を当てれば疑問は解消しよう。すなわちこの舟は船体を赤く塗った「にぬり」の舟であり、「きぬり」の舟ではなかったと見たい。」



「43 過所」:

「和歌(やまとうた)の原則は和語(やまとことば)にある。
 『万葉集』の歌は「光儀」「乾坤」「黄葉」「慇懃」「丈夫」「猶預」等々おびただしい数の漢語を駆使して表記されているが、それらはみな、「すがた」「あめつち」「もみち」「ねもころ」「ますらを」「たゆたふ」といった和語を中国風に表意した用字であって、音読させるための表記ではない。純粋に音読したと認められる語は、和語には絶対翻訳できない語、すなわち「餓鬼(がき)」「布施(ふせ)」「法師(ほふし)」「檀越(だにをち)」「婆羅門(ばらもに)」あるいは「塔(たふ)」「香(かう)」など、仏教関係の語を中心とする少数の例しかない。例えば「双六(すぐろく)」は外来の遊戯だったし、「過所(くわそ)」も当時の法制用語で、現代のパスポートに当る。

   過所(引用者注:「過所」に傍点)なしに関飛び越ゆるほととぎす…… (『万葉集』巻十五、三七五四)

 ほととぎすがパスポートなしに関所の空を越えて行くとは、ずいぶん奇抜な発想である。「過所」などという固い漢語はこうした奇抜な歌のなかでこそ使って面白がられたのである。」



「76 俳言」より:

「滑稽を旨とする俳諧では、滑稽さを出すために俳言(はいごん)を用いる。俳言とは、正統的な和歌・連歌では使用しないが、俳諧の世界では使用する俗語・漢語の類を称する。」


「115 人麻呂の名歌」:

「かりに十人の万葉学者に全四千五百余首の読み下しを作らせれば、十人の間におそらく何百箇所という相違が出てくること必定である。それぞれの人がおびただしい数のことばを『万葉集』から消し、あるいは新しく加えることであろう。文庫本に収めてしまえばせいぜい二冊分しかない歌ではあるが、十人十様の読み解きが行われる以上、意地悪く言うなら、結局どの本に拠ってみたところで全面的な信用は置けない。柿本人麻呂の代表作、

   東(ひむがし)の野にかぎろひの立つ見えてかへり見すれば月傾きぬ (巻一、四八)

の歌にせよ、本当にこういう歌だったという保証はどこにもない。右の読み下しは賀茂真淵(かものまぶち)の案出したもので、かれ以前の読みは、

   あづま野のけぶりの立てる所見てかへり見すれば月傾きぬ

であった。真淵の読み方があまりにも美しいために、疑問を残しながらも下手に手が出せないというのが正直なところである。
 原文は、次の十四字から成る。

   東野炎立所見而反見為者月西渡」






こちらもご参照ください:

橋本進吉 『古代国語の音韻に就いて 他二篇』 (岩波文庫)
西郷信綱 『日本の古代語を探る』 (集英社新書)














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佐竹昭広 『酒呑童子異聞』 (平凡社選書)

「世に受け入れられない鬼子の運命は、結局、殺されるか、山へ捨てられるか、寺へやられるか、以上三つくらいしかなかった。」
「しかし、寺に送られたところで鬼子の「不調」な心はいつか必ず事を起さずにはすまない。戎を破って寺から追放されれば、「心の不調」は一段と燃えさかり、荒れ狂う。」

(佐竹昭弘 「酒呑童子異聞」 より)


佐竹昭広 
『酒呑童子異聞』
 
平凡社選書 55

平凡社 
1977年10月11日 初版第1刷発行
254p 
四六判 丸背紙装上製本 カバー 
定価950円



「子どもの館」(福音館)昭和50年7月号から51年10月号まで「お伽草子の人びと」として連載(ただし「諸本点描(四)」は「文学」昭和52年6月号に掲載)。
「文明開化と民間伝承」は「文学」昭和50年10月号、11月号に掲載。

本文中図版16点。


佐竹昭広 酒呑童子異聞 01


カバー文:

「シュテン童子の前身を〈捨て童子〉だったとするお伽草子《伊吹童子》は、シュテン童子なる者の原像をはからずも露呈しているかのようだ。室町時代末、シュテン童子が一般には〈酒呑〉童子の意で理解されていたことは事実であっても、これはむしろ原義を忘れた二次的三次的意味づけだったのではなかろうか。」


カバー裏文:

「大江山の酒呑童子は、江戸時代
渋川板お伽草子の一篇に加えられて流布し、
明治以後も、巌谷小波の〈日本昔噺〉以下
数々の絵本や童謡によって一層普及した。
だが、この話も室町時代に遡れば
決して単純ではなく、実に錯雑した諸相を持つ。
本書は、渋川板以前の酒呑童子を、
資料を縦横に駆使し
さまざまな角度から検討を行って、
お伽草子の世界に新鮮な展望をもたらす。
あるいは江州伊吹山を舞台とする酒呑童子説話の発生、
あるいは中世における山中〈捨て童子型〉人物像の復原、
あるいは絵巻物・絵草子の絵の側から照し出す
酒呑童子説話変貌の姿など、
興味深い問題が展開される。
別章の〈文明開化と民間伝承〉は、
明治初年の変革期に頻発した
戸籍法・徴兵令などをめぐる
一揆や騒動の心理的基底を、
民間伝承の共通基盤に見出そうとする
独自の試論。」



目次:

酒呑童子異聞
 弥三郎風 伊吹童子と酒呑童子(一)
 捨て童子譚 伊吹童子と酒呑童子(二)
 童形垂髪 伊吹童子と酒呑童子(三)
 川柳礼記 大江山酒呑童子(一)
 渋川板まで 大江山酒呑童子(二)
 二代目と似せ者 伊吹山酒呑童子
 古法眼本について 諸本点描(一)
 曼殊院本について 諸本点描(二)
 香取本について 諸本点描(三)
 糸井文庫本・龍門文庫本について 諸本点描(四)
 鬼隠しの里 酒呑童子没後
 明治の酒呑童子 赤本と「日本昔話」

文明開化と民間伝承
  Ⅰ
 開化期の民心
 武一騒動
 膏取騒動
 血税一揆
 墨江処士
  Ⅱ
 民話の「油取り」
 「人は知れぬ国の土仏」
 纐纈城
 西鶴の手法
 再び墨江処士

あとがき



佐竹昭広 酒呑童子異聞 02



◆本書より◆


「捨て童子譚」より:

「霊山には、遠い古代から山の神の産育に関する信仰が伝わっていた。霊山のあるところ、厚く山の女神が尊崇され、神子誕生の伝承が信じられていた。中世にはこうした山中誕生のモチーフがいろいろな形をとって現われている。
 いまわしい鬼子を山奥に捨てたところが、山の動物に守られて、いよいよ強く育ったというモチーフは、山中異常誕生譚の一類型としてとらえるべきである。捨てられた鬼子がただひとり山中で生育するという筋立ては、並はずれた威力を発揮する英雄の生い立ちを説明するのに、たいへん似つかわしい。」

「不思議な誕生をした子どもが深山に捨てられ、山の動物に守護されつつたくましく成人し、威力を世に振るうというモチーフは、中世口承文芸の典型的な一類型であった。この類型を、山中異常誕生譚「捨て童子」型と命名することができよう。伊吹童子、役行者、武蔵坊弁慶、平井保昌、かれらはおしなべて山中の「捨て童子」だったと言える。
 伊吹山中の「捨て童子」は、後の酒呑(しゅてん)童子である。シュテン童子の前身を「捨て童子」だったとするお伽草子『伊吹童子』は、シュテン童子なる者の原像をはからずも露呈しているかのようだ。」



「童形垂髪」より:

「鬼子の誕生を鬼神の誕生と畏怖した古人の心理は、「鬼子(おにご)」ということば自体に体現されている。」
「鬼子はあくまで鬼の子であり、長じては鬼になるものと確信されていたのである。
 柳田国男の『山の人生』に「鬼の子の里にも生れし事」という題の一章がある。そのなかで紹介された『徒然慰草』と『東山往来』は、近世以前の鬼子の処置を知る最適の資料と言える。」
「「日本はおろかなる風俗ありて、歯の生えたる子を生みて、鬼の子と謂ひて殺しぬ」
と、徒然慰草の巻三には記してある。江戸時代初め頃の人の著述である」(『定本柳田国男集』 第四巻)」
「世に受け入れられない鬼子の運命は、結局、殺されるか、山へ捨てられるか、寺へやられるか、以上三つくらいしかなかった。」
「しかし、寺に送られたところで鬼子の「不調」な心はいつか必ず事を起さずにはすまない。戎を破って寺から追放されれば、「心の不調」は一段と燃えさかり、荒れ狂う。寺に送られて稚児となっても、なおかつ「心の不調」を持てあました二人の鬼子のうち、一人はみずから「かぶろ」頭を剃り落し、鬼をもひしぐ悪僧となった。一人は「童子のかたち」のままで、生きながらこの世の悪鬼となった。」



「文明開化と民間伝承」より:

「徴兵令にしても戸籍法にしても、それに応ずれば血を絞られるの、膏を取られるのといった恐怖は、現代ならばマスコミの威力でその日のうちに日本中に通報され、全国民に伝達されます。しかし強力な伝達手段がまだほとんど発達していなかった明治の初年に、どうして各地の人々がかくも同一の恐怖心を抱いて騒ぎ出したのでしょう。たとえ口づてにいちはやく伝わって来た事だとしても、ただちにその風説に共感し、同じ形の恐怖におののき得た人々の心理の同質性をいったいどう理解すればいいのでしょう。実はその前に、想像力の共通基盤とも言い得るような何ものかが民衆の間に存在していたのではなかったでしょうか。私の答を先に申し上げますと、想像力の共通基盤はたしかにあった、今の場合、それは民話という伝承によってつちかわれて来た共通の真理的基盤であったと思います。
 民話の世界には、主人公が恐しい所で恐しい奴(やつ)から膏や血を絞り取られるという見聞を語った昔話が、現在もなお日本の全土に分布しています。」























































佐竹昭広 『閑居と乱世』 (平凡社選書)

「「自然」の命ずるところに従って、己れの「まじめ」をいきるべく一歩二歩踏み出したかれは、その結果、絶体絶命の窮地に追い詰められた。」
「時代に蟷螂の斧をかざしつつ、「まじめ」に生きようとあがく人間の前途に待ち受ける運命は、発狂か入信か、はたまた死か。漱石は、「それから」先、「門」「彼岸過迄」「こゝろ」「行人」「明暗」と、執拗にこの問題を追求して行く。」

(佐竹昭弘 「代助と二郎」 より)


佐竹昭広 
『閑居と乱世
― 中世文学点描』
 
平凡社選書 224


平凡社 
2005年11月22日 初版第1刷発行
259p 初出一覧2p 
四六判 丸背紙装上製本 カバー 
定価2,800円(税別)
基本デザイン: 中垣信夫
カバーデザイン: 東幸央



本書は1969年から1999年にかけて様々な機会に書かれた文章を集めたものです。



佐竹昭広 閑居と乱世



帯文:

「方丈の讃歌(方丈記)から、倍々果報の祝言(文正草子)まで
乱世の無常の現実のなかで、方丈の記へと彫琢された閑居の愉楽。
求道と懈怠をめぐる兼好の周到な認識、御伽草子に満ち溢れる哄笑と寿福、
乱世に身を沈め、乱世に乗ずる、文学の中世の多様な展開を
自在な筆が点描するとき、この時代のこころがその大きな輪郭を見せる。」



カバー裏文:

「文学史の中世は、12世紀半ばの保元の乱に始まり、17世紀初め、大坂落城後の元和偃武、泰平の世の謳歌に終わる。「保元以後ノコトハミナ乱世」(愚管抄)の時代のなかで、文学は多様な展開を遂げる。乱世が強いる無常の認識のなかで、方一丈の庵室をすみかとする閑居独処の愉楽を結晶させた鴨長明の方丈の記、懈怠をつづけていきなり無常に肩をつかまれてしまう惧れを繰り返し警告する一方、あまりに「明日なしと思ふ心」をも斥ける徒然草の透徹した思考、また、上杉本洛中洛外屏風に描かれた「面白の花の都」の衆庶の多様な声と言葉、乱世のエネルギーを身にたいして、あるいは乱世のさなかの福徳を祈願して、哄笑と祝言に満ちた御伽草子の世界……。蓮如はおろか、漱石、荷風にも筆を及ばせ、中世文学の意味(こころ)の多彩なきらめきを自在にとりだしてみせる、宝石箱のごとき論集。」


目次 (初出):

閑居の文学 (『岩波講座文学6 表現の方法3――日本文学にそくして 上』、岩波書店、1976年/原題: 中世の言語表現――閑居の文学)
方丈記を読む (『日本文学全史3 中世』、學燈社、1978年/原題: 方丈記)
方丈記再読 (新日本古典文学大系39 『方丈記 徒然草』、岩波書店、1989年/原題: 方丈記管見)
方丈記三読 (『千年の息吹き 京の歴史群像』 上巻、京都新聞社、1993年/原題: 鴨長明――失意のはてに「方丈」賛歌)
「死なざるが故に」 (『いまは昔むかしは今5 人生の階段』、福音館書店、1999年)
雪山の烏 (「国文学 解釈と教材の研究」 14-4、1969年3月/原題: 懈怠ということ)
代助と二郎 (「国文学 解釈と教材の研究」 15-5、1970年4月+同 16-12、1971年9月/原題: 漱石における「真面目」+漱石における「怠惰」)
上杉本洛中洛外屏風 (岡見正雄・佐竹昭広 『標注 洛中洛外屏風 上杉本』、岩波書店、1983年/原題: 絵を見る人あれども――標注抄記)
放下の歌 (『いまは昔むかしは今4 春・夏・秋・冬』、福音館書店、1995年)
矢走舟 (『いまは昔むかしは今2 天の橋 地の橋』、福音館書店、1991年)
御文様 (「文学」 41-4~8、1973年4~8月/原題: 御文様+あなかしこ+自然の時+鶯の狂言+烏を鷺)
東寺の塔 (『いまは昔むかしは今3 鳥獣戯語』、福音館書店、1993年)
御伽草子の位相 (鑑賞日本古典文学26 『御伽草子・仮名草子』、角川書店、1976年)
乳母二人 (『いまは昔むかしは今1 瓜と龍蛇』、福音館書店、1989年/原題: 二人の姫君――『乳母の草紙』について)
文正草子再読 (「古典と現代」、中央公論社、1974年)
文学史の中世 (『岩波講座日本歴史26 別巻3 日本史研究の現状』、岩波書店、1977年/原題: 中世の思想文化 二 文学と芸能)

あとがき
初出一覧




◆本書より◆


「方丈記三読」より:

「閑居を一人楽しむ生活の中から「方丈」の「記」という一編の讃歌が生まれた。最終段、方丈の楽しみを懐疑するかのような文章は、「記」という形式の約束であって、楽しみの否定ではない。最終段は「自謙」の文と解されねばならない。方丈記の本質は、一貫して方丈の讃歌である。」
「方丈記の文章は冒頭から否定表現で始まる。否定表現は肯定表現よりも時に遥かに強い。(中略)方丈記は方丈の讃歌であるが故に、長明の昂揚した気分は自ら強い否定表現を採り、その結果、逆に方丈閑居の全肯定という性格を露わにしているように私には思われる。」



「「死なざるが故に」」より:

「「死なざるが故に已むことを得ず生きてゐる」(『日乗』 昭和二十年九月二十二日)」
「荷風には『新方丈記』を書く構想があった。しかし、成稿には至らなかった。」
「「人と栖」の転変に寄せる荷風の感慨は、すべて東京の転変に帰する。」
「東京という都の「人と栖」の幾変転を叙した断腸亭日乗の四十余年は、それ自体、江戸・東京半世紀の点鬼簿であり、壮大な『東京方丈記』であった。」




























































佐竹昭広 『民話の思想』 (中公文庫)

「儒仏ともに、不孝者はかくのごとく憎まれ、かくのごとくきびしい罰を受ける。ところが、本格昔話の領野では、不孝者を罰したり、孝行者を賞讃したりする話が無きに近いようだ。」
(佐竹昭弘 『民話の思想』 より)


佐竹昭広 
『民話の思想』
 
中公文庫 さ-34-1

中央公論社 
1990年11月25日 印刷
1990年12月10日 発行
271p 
文庫判 並装 カバー 
定価560円(本体544円)



本書「あとがき」より:

「第Ⅰ部「善人と悪人」は、昭和四十五年一月から十二月まで、筑摩書房の『国語通信』に「古譚と古語」という題で十回にわたり連載した。第Ⅱ部「民話と外来思想」は、昭和四十七年一月から十二月まで、平凡社の『月刊百科』に「民話の思想」と題して連載した。ただし、第Ⅱ部は、連載十二回分のうち、第一、二回分を一章にまとめ直し、第八回分を除外したので、計十章となった。」


本書は平凡社選書の一冊として1973年9月に刊行された『民話の思想』を文庫化したもので、著者による「文庫版あとがき」と、井筒俊彦による解説が新たに付されています。
第Ⅰ部では昔話の理想的な主人公の人物像である「またうど=正人」の意味について、第Ⅱ部では仏教(因果応報)・儒教(天命)などの思想の介入によって道徳的教訓話へと変形される以前の、本来の日本の「昔話」が、「徹底して現世中心主義」であったことについて論じられています。


佐竹昭広 民話の思想


カバー裏文:

「花咲かせ爺、食わず女房、猿地蔵、竜宮童子、藁しべ長者…私たちに馴染み深い昔話は、なぜ幾世紀もの歳月を生きつづけたのか。昔話に登場する善悪の思想、儒教倫理は果たして日本本来の思想だったのだろうか。昔話を縦横に分析し、儒仏思想の底にある民衆の逞ましい現実主義、人間主義を見出す実証的研究。」


目次:

Ⅰ 善人と悪人
 一 又九郎左衛門のこと
 二 枯木に花咲かせ爺のこと
 三 食わず女房のこと
 四 猿地蔵のこと (前)
 五 猿地蔵のこと (後)
 六 見るなの座敷のこと
 七 かくれ里のこと
 八 天人女房のこと
 九 竜宮童子のこと
 十 隣の爺のこと

Ⅱ 民話と外来思想
 一 因果屋のこと
 二 報い犬のこと
 三 屁ひり爺のこと
 四 福富長者のこと
 五 マメ祖のこと
 六 綾つつ、錦つつ、黄金さらさらのこと
 七 美目は果報の基のこと
 八 果報は寝て待てのこと
 九 藁しべ長者のこと
 十 パッチリ爺さのこと

あとがき
文庫版あとがき

意味論序説――『民話の思想』の解説をかねて (井筒俊彦)




本書より:

「「またうど」は、「またい」の語幹「また」と「ひと」の複合形であるから、その漢字表記も、「完人」もしくは「全人」と書くのが語構成に忠実な書き方であることはいうまでもないが、一般には、「正直な人」「真率な人」という意味を汲んだ、「正人」「真人」などの宛て字も流布していた。」
「「心すなをなる」「正直爺」、かれこそは(中略)「正人(またうど)」であった。」
「正直爺は、いくらひどい目にあわされても、はたから見てはがゆいくらい腹を立てることのない、「正直坊の腹立てず」(『驢鞍橋』中ノ八七)である。(中略)愛犬を惨殺され、いじわる爺から(中略)叱られながら、腹も立てず、文句も言わずに松の木を受け取ってかえる「オトナシイ」性格。「オトナシイ」という性格は、「弱い」という性格に通ずる一面を持つ。特に、「またい」の語を「弱い」という意味で使用している高知県方言の存在をかえりみるとき、正直で温和なこの爺さんが、いかに昔話の主人公たるにふさわしい善良な弱者だったかということがよく理解されると思う。」
「馬鹿だろうが、お人よしだろうが、伝統指向型の社会においては、「正人(またうど)」こそが善の理想像であった。」
「仮名草子『犬枕』に、「人に侮らるゝもの」の一つとして「余りまたき人」が挙げられているが、正直でお人よしで、はたからはばか扱いされるくらいの「またうど」が、「鬼にこぶを取られた」り、「枯木に花を咲かせ」たりするのである。」

「ユートピアの語源は、u-topia すなわち「存在しない場所」の意に求められる。しかし、「かくれ里」の方は、そうではない。地上地下を問わず、厳然とかくれて存在する場所、古代語でいう「こもりく下びの国」(『倭姫命世記』)である。ユートピアが、存在しない場所、そして無条件に到達不可能な場所だったのに反して、「かくれ里」は、見えないながらも存在する場所であるとともにまた条件付きで到達可能な場所であった。条件とはなにか。それは、当人が「またうど」であるということである。」



井筒俊彦「意味論序説――『民話の思想』の解説をかねて」より:

「そしてこのことは、本書における佐竹氏の狙いが、最初から「またうど」の一義的意味ではなく、それの意味論的「意味」の解明にあったことを物語る。様々に異る個々の意味ではない、それらの全体が問題だったのだ。全体、すなわちそれらの個別的意味が「またうど」の周囲に繰り拡げる有機的な全一的意味フィールドが。
 この意味フィールドを構成する諸要素のうちの、どのひとつに焦点を絞るかによって、「またうど」は温良無比な好人物ともなり、また「うすのろ」、極端な場合には「怠け者」にすら頽落しかねない。この驚くべき意味のフレクシビリティーに、我々は意味論的「意味」としての「またうど」の本性を見る。」
「例えば「またうど」の意味フィールドは、積極的・肯定的構成要素ばかりでなく、「またうど」にたいして否定的・破壊的で、その意味フィールドの形成を阻止し妨害しようとする要素(正直者の反対の、慳貪者、意地悪、強慾者、邪悪など)が自己否定的な形(慳貪者でない、意地悪でない、等々)で、反対の側から「またうど」の意味フィールドの構成に参与している。そしてこのような否定的要素の参加によって、予想外の新側面が付加され、「またうど」の意味フィールドはさらにその地平を限りなく拡大していくのだ。
 もともと意味フィールドの構成を阻止するはずの否定的要素が、自己否定によって逆に意味フィールドを構成するものとして機能する、この事実は、人間の心のメカニズムの奥底にひそむ根源的逆説性、あるいはパラドクス、を垣間見せるものではないだろうか。」





































































佐竹昭広 『下剋上の文学』 (新装版)

「世のなかには、怠惰と見られることを恐れることなく、どこまでもおのれの内心の要求を貫徹しようとする態度を、勇気があると名づけなければならないばあいも、またたしかにあるのだ。かれはふてぶてしいまでに勇気のある人間であった。」
(佐竹昭広 「下剋上の文学」 より)


佐竹昭広 
『下剋上の文学』


筑摩書房 
1967年9月30日 初版第1刷発行
1982年12月10日 新装版第1刷発行
264p 口絵(モノクロ)i
四六判 丸背紙装上製本 カバー 
定価1,400円



本書「あとがき」より:

「本書は、けっして「下剋上の文学」全般にわたる通時的な研究でも共時的な研究でもない。たんに、わたくしの室町文学ノートを、要約的に「下剋上の文学」ということばで表現してみただけのものである。」


中世の「反抗的人間」としての「ものぐさ太郎」。


佐竹昭広 下剋上の文学 01



目次 (初出):

怠惰と抵抗――物くさ太郎 (「国語と国文学」 1965年3月号、「物くさ太郎」)
成りあがり――一寸法師と物くさ太郎 (「文学」 1965年7月号、「成りあがり――『小おとこのそうし』から」)
無知と愚鈍――物くさ太郎のゆくえ (「文学」 1967年2月号)
   *
弱者の運命――御伽草子と狂言 (「文学」 1966年6月号、「鏡男――御伽草子と狂言」)
勝利の歌――狂言の主従 (「国語国文」 1963年9月号、「狂言の主従――『武悪』のばあい」)
嘲笑の呪文――狂言の山伏 (「国語国文」 1960年12月号、「狂言の山伏」)
有世の面影――狂言の陰陽師 (「国語国文」 1962年5月号、「狂言の陰陽師」)
喜劇への道――狂言の「をかし」 (「国語国文学」 1965年1月号、「釣狐――『をかし』の性格」)
転落の序章――天正狂言本「こけ松」のばあい (「国語国文」 1966年4月号、「転落――天正狂言本『こけ松』のばあい」)
   *
下剋上の文学――民話のクッチャネたち (「展望」 1967年10月号、「日本の怠けもの――民話のクッチャネたち」)

あとがき (1967年9月)
新装版あとがき (1982年12月)



佐竹昭広 下剋上の文学 02



◆本書より◆


「怠惰と抵抗」より:

「田舎での太郎は言語道断の「ものくさ」であった。都での太郎は、反対に類のないほど「まめ」であった。極限から極限へ、かれの性格はどうしてかくも急激に、あたかも別人のごとく転換しえたのだろう。」
「「ものくさ」の核心には「のさ」なる心がある。ではその「のさ」とはいったいなにか。」
「太郎の「ものくさ」を、「のさ」という一語で掌握しさえすれば、後半、都へでてからのかれの行動も、けっして不可解でなくなってくる。後半のやまばは、なんといっても、(中略)清水門前での「辻取り」とそれにつづく女のあくなき追求である。人目もはばからず、暴力で女をわが物にしようとするかれの行動は、その臆面もない横柄さにおいて、「のさ」の極致ですらある。前半部の「ものくさ」が「長々と寝る」意の「のさばり」なら、後半部の鉄面皮なまでにずうずうしく女を追いまわす行動は、「横柄にふるまう」意の「のさばり」である。
 このように、前半の太郎と後半の太郎は、「のさ」もしくは「のさばり」という原理によって、完全に統括することができる。かれは終始一貫「のさ」なる精神の持ち主であった。ただ、静かな田舎にあっては「のさ」の消極面が、活気みなぎる都へのぼっては「のさ」の積極面が、現象として表面にでただけのことである。」
「太郎の全行動を支配した「のさ」の本質は、そのふてぶてしさにあったと結論すべきであろう。太郎は「のさ」を硬質のエネルギーとして所有していた。」
「物くさ太郎は、名こそ「ものくさ」といったが、ほんとうは「もののさ」太郎とでも呼んだ方がふさわしいような「のさ者」であった。「のさ者」は中世的人間の一つのタイプであった。」
「物くさ太郎には、ごろりと横になったまま、地頭をも恐れはばからない、抵抗的人間のつらがまえさえうかがわれた。世のなかには、怠惰と見られることを恐れることなく、どこまでもおのれの内心の要求を貫徹しようとする態度を、勇気があると名づけなければならないばあいも、またたしかにあるのだ。かれはふてぶてしいまでに勇気のある人間であった。(中略)徹底した「のさ者」であるかれは、静にあってはどこかふてぶてしく、動にあってはあつかましい不羈奔放な人物であった。」



「成りあがり」より:

「「反抗の源には、横溢する活動性とエネルギーの原則がある。(中略)反抗者はあるがままの自分を擁護する。それは、彼が持っていない、あるいは奪われたのかも知れない善を、要求することではない。彼が現に持っているものを、みとめさせようとするのだ。(中略)シェラーによれば、反感は(中略)現にあるもの以外のものになろうとする。反抗者は、逆に、最初の行動では、現にあるものが動かされることを拒否する。(中略)かちとることを要求するのでなくて、自分を押しつけようとするのだ。」(カミュ 『反抗的人間』)」
「物くさ太郎には、反抗の源として、「まめ」という活動性および「のさ」というエネルギーの原則があった。かれはあるがままの自分を擁護し、最初の行動では、げんにあるものが動かされること、具体的には、長々とのさばっている自己の存在が動かされることを拒否した。女に対しては、かれがげんに持っているもの、物くさ太郎以外のなにものでもないものをそのままみとめさせようとした。典型的反抗の姿勢である。」



「無知と愚鈍」より:

「「ものくさ」は、エネルギーの欠乏からくる逃避だったのではなく、エネルギーの過剰からくる現実放棄であった。かれは、勇気ある男の一人だった。もろもろの勇気があり、人によってそれがことなることを、ただ、人びとが見ぬけないでいただけのことである。」
「現実をのがれることが目的ではなく、現実をのりこえるためにしごとを放棄していたような、(中略)ふてぶてしい「のさ者」」



「下剋上の文学」より:

「「笑話」は徹底した実力の世界である。主人公は、どんなに狡猾でも、不正直でもさしつかえない。というより、かれは、その邪悪な能力を武器に、権力者や富者に挑戦し、相手を翻弄して勝者の地位につく。神仏の庇護などいささかも期待しないし、神罰・仏罰などもとより恐れるところではない。」
「御伽草子の物くさ太郎が、(中略)ごろりと寝ころんでいる姿、それは、勤勉にはたらくことの無意味さを自覚した「のさ者」の、断乎たる拒否のポーズにほかならなかった。」
「狡智とうそで身を守り、敵を翻弄しなければ、ささやかな自由さえ獲得できない環境に身を置く人びとは、時代を超越して、必然的に三年寝太郎的思想の選択を余儀なくさせられている。かれらが存続するかぎり、放棄と反権力の確信にみちた乱世のエネルギーは、絶対にその有効性を失いはしない。」
「どだい、問題はかれの怠惰とか狡智とかそういうところにあるのではない。かれらを主人公とする笑話のなかに燃えさかっている炎のような反権力的精神こそが、こんにちのわれわれの問題なのだ。見せかけの太平のムードのなかで、乱世の反権力的精神がいまほど切実に要求されているときはないはずである。なによりも警戒を要することは、この太平ムードのぬるま湯に首までつかり、自己主張の権利を忘れさってしまうことだ。体制に順応して、おのれの分際を守り、知らず知らず、その安逸のなかに陥没してゆくことだ。およそ、無抵抗の勤勉ほど不毛の努力はなく、無批判の従順ほど利敵行為となるものはない。われわれの前には、われわれ自身のために、われわれ自身の判断と意志にもとづいて行動し、解決しなければならない問題が山積している。その難問に、おめず臆せず対決する主体的な意志と知恵を、乱世の笑話のエネルギーに学びたいとおもう。
 自分の置かれた状況のなかで、熱心であることはやさしいが、ほんとうの意味でまじめであることは、じつにむつかしいことである。われわれは、とかく、このまじめと熱心、真剣と勤勉とを混同しがちな傾向がある。まじめであることと熱心であることとは根本的にちがう。わたくしはそれを二葉亭四迷から教えられた。
 「今の文学者が文学に対する態度は真面目になつたと云ふが、真面目ぢやなくて熱心になつただけだらう。(中略)自分の存在は九分九厘は遊んでゐるのさ。真面目と云ふならば、今迄の文学を破壊する心が、一度はどうしても出て来なくちやならん。」(「私は懐疑派だ」)
 自己の全存在をかけて既成の権威を「破壊する心」、すなわち、ここに、わたくしは、真の「まじめ」さのもつはげしいエネルギーを発見したのである。」



こちらもご参照下さい:

ジョルジュ・バタイユ 『呪われた部分』 生田耕作 訳
井筒俊彦 『ロシア的人間』 (中公文庫)
エドワード・ゴーリー 『うろんな客』 柴田元幸 訳
E・M・シオラン 『歴史とユートピア』 出口裕弘 訳
フィリップ・K・ディック 『スキャナー・ダークリー』 浅倉久志 訳 (ハヤカワ文庫)
アンドレ・ブルトン 『シュルレアリスム宣言・溶ける魚』 巖谷國士 訳 (岩波文庫)

































































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
 
うまれたときからひとでなし
なぜならわたしはねこだから
 
◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

Koro-pok-Guru
Away with the Fairies

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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