渡邊昌美 『巡礼の道 ― 西南ヨーロッパの歴史景観』 (中公新書)

渡邊昌美 
『巡礼の道
― 西南ヨーロッパの歴史景観』
 
中公新書 566

中央公論社 
昭和55年2月15日 印刷
昭和55年2月25日 発行
257p 目次3p
新書判 並装 カバー 
定価490円(本体476円)
装幀: 白井晟一



本書「あとがき」より:

「サンチャゴ巡礼は中世美術の観点から説かれるのがふつうで、研究も進んでいる。本書はこの面には、ほとんど触れなかった。中世の人々の心象の風景をほんのわずかでも覗いて見たい、とりわけなぜ人々はあのように歩きつづけたのかを知りたい、という点に著者の主たる関心があったからである。マークしたのは十一世紀から十三世紀、中世のなかでもいちばん中世らしい時代だが、材料の関係で叙述はその前後にかなりはみ出している。」


図版(モノクロ)多数。


渡辺昌美 巡礼の道


カバーそで文:

「一千年にわたって西欧各地から、夥しい巡礼を集め続けた路がある。スペインはサンチャゴへ至る道である。最盛期、路上には奇蹟が生じ、聖遺物が氾濫し、数多の信仰譚と民間説話が結晶した。当時の『巡礼の案内』を手引きに参詣路を行けば、中世における技術・情報伝播や武勲詩と吟遊詩人の正体が明され、公式信仰と民衆信仰の接点に生きる庶民の思いとともに、南欧世界の土俗性と変り始めるヨーロッパの心の風景が映し出される。」


目次:

一 大帝の星
 天と地の二つの銀河
 聖ヤコブの書
 カール大帝事績録
 我が骸はガリシアにあり
 偽テュルパン問題
 作意とその基盤
 伝説の結合と西欧の成立
 聖ヤコブ像の三類型
 プロヴァンスの星屑

二 巡礼の案内
 四つの道
 パリのサン・ジャック
 オルレアンからトゥールへ
 聖マルタンとフランス
 中世初期の巡礼
 ポアティエへ
 マーク・トゥエインと遣欧使節
 死骸の霊力への信仰
 大衆信仰と教理との接線
 アンジェリーとサント
 ブライユからボルドーまで
 シーズの峠へ

三 ピレネーまで
 ル・ピュイの道
 ヴェズレーとマリア・マグダレナ
 タラスコ伝説
 聖者伝説の淵叢ブルゴーニュ
 いま一つのマリア
 さらにいま一つのマリア
 聖遺物の争い
 死者の都
 サン・ジル
 サン・ギエム
 トゥールーズを経て

四 聖ヤコブの謎
 西の果てガリシア
 ヤコブ伝説の諸要素
 使徒と地域配当
 ヤコブ、スペインに現わる
 七司教伝説
 縁起
 レオの手紙
 遺骸の謎
 伝説の底にあるもの
 孤立した前線の象徴として
 聖ヤコブと揺がぬスペイン

五 旅の心
 巡礼の諸相
 罪滅ぼしの旅
 旅に駆り立てる内心の衝迫
 変りはじめる心の風景
 聖性の浸透
 聖遺物の売買
 敬虔な盗み
 現代とは異なる論理
 聖遺物開帳の日
 奇蹟を招く
 マリア信仰
 民衆信仰の成熟
 旅の心

六 サンチャゴまで、天国まで
 ピレネー越え
 ナバラの国
 フランス人の道
 路上の奇蹟
 道を維持する人々
 サンチャゴ講
 一日五十キロの行程
 宿と路銀
 身分としての巡礼
 歓びの丘

あとがき




◆本書より◆


「いまでもヨーロッパの寺院を訪れるなら、ガラス越しに見えるように工夫した遺物匣に、聖者の遺髪や乾からびた腕、ときには正装の法衣に包まれた骸骨の安置してあるのに行きあうことがある。(中略)『巡礼の案内』が私たちに指示するのはいずれも聖者の遺骸の在る所である。この種の遺骸、またはその破片、それがなければゆかりの品を一口に聖遺物(レリキア)という。中世、聖遺物への帰依が民衆の信仰のもっとも標準的な形態であった。聖遺物のある所に奇蹟が生じ、巡礼が集まる。多くの巡礼地点を連ねた長大な旅路の果てには、サンチャゴが、つまり聖ヤコブの遺骸がある。」
「聖遺物崇拝を抜きにしては、巡礼も、サンチャゴの成立そのものも、理解できないであろう。」

「聖遺物崇拝は、それだけ見れば庶物崇拝である。具体的な対象に固着するものだけに、これが際限もなく繁茂し始めた場合、キリスト教の教義そのものが分断され崩壊しかねないのだが、結果から言えばそのようなことはまったく生じていない。統一は見事に保たれ、大衆信仰が独走して教義の大枠から逸脱することはついになかった。あれだけ流行し、ほとんど着想のおもむくままに発見あるいは創出された、大量の聖遺物にも明確な限界がある。早い話、イエスや聖母についてはゆかりの遺品はあっても、遺骸はおろかその断片すら崇拝された例がない。イエスは昇天しマリアは天に挙げられたので、肉体が地上に残るわけがないのである。ここに、教理による厳しい限界設定の跡を見てもまちがいはないであろう。ただ福音書に、イエスは割礼を受けたとある。とすれば、その時切り取られたはずの微小な組織は地上に残っていてもよい。十三世紀の末、ジェノア大司教ジャック・ド・ヴォラジーヌが多くの聖者伝を集めて編んだ『黄金伝説(レゲンダ・アウレア)』は、大衆の宗教感情をよく汲み上げて広く世におこなわれた本だが、そのなかにこの残片が論じられている。「天使は、それをカール大帝のところにはこんでいった。大帝は、それをアーヘンの聖母教会にうやうやしく葬らせた。しかし、その後、彼は、それをアーヘンからさらにシャルトルに移した。いまは、ローマの至聖所小聖堂(サンクタ・サンクトリウム)にあるということである。だから、この小聖堂には、ここにキリストのご割礼の聖肉片、聖へその緒および聖靴を安置すと書かれている」(前田・今村訳『黄金伝説』人文書院)。ここにはおそらく、押しひろがろうとする大衆信仰とこれを鼓舞しながらも統制しなければならない教理との、ぎりぎりの接線がある。
 個々の聖者とその遺骸がどんなに崇拝されていても、それを奨励する教会側の文書は、これをより高次のイエスに、あるいは使徒を通じてイエスに結合することを忘れなかった。」

「十一世紀の末頃から目につく一つの動きは、隠遁者、苦行者の発生である。僧院を出て遁世する者もあったから、あきらかに旧来の修道制度の枠を超えている。教会の許可を受けたり、特定の誓願を立てるわけではない。全くの内的衝迫に従って、家財を棄て生業を離れて森に入るのである。聖徳の名がひろがれば追随者が集まり、集団の形成される場合もあった。発心の動機はさまざまだが、追い求めた理想はだいたい共通している。すなわち、所有の否定と一所不在つまり放浪である。むろん、労働もしない。日々の糧は喜捨を仰ぐか、草の根を噛むかで、一切の日常生活を放棄する。ひたすら福音書に見るイエスと弟子たちの生活に範を取り、それに密着しようとしているのである。この種の理想ないし運動は、ふつう、福音的貧困(パウペリタス・エヴァンゲリカ)ないし使徒的生活(ヴィタ・アポストリカ)と呼ばれた。要するに、福音に回帰しようがための清貧運動である。
 星雲にも似た運動のなかから、新しい修道会が誕生することもあった。教会側の誘導と組織化が成功した場合である。大修道会シトーがその典型だが、十二世紀に成立する新修道会は、ほとんどが清貧運動に起源をもっている。逆に統制を逸脱して異端に傾く者もあった。所有の否定と放浪、つまり日常生活を遮断しようという衝動のなかには、もともと過激な要因がふくまれている。異端化する場合には、教会の蓄財、それに幼児洗礼を攻撃する例が多い。安易な救済、便宜主義化に反撥するのである。」
「この種の実践はだれにでもできはしない。特別な宗教的資質に恵まれ、しかも強靭な意志を持つ少数者の特権であった。そこで、思うのである。巡礼は、この使徒的生活の理想実践の大衆版だったのではないか。一時的な日常の放棄、遁世だったのではないか。当人が意識していたかどうかは別として、名もない人々を危険な長途の旅に駆り立てる衝動めいたものが働いていたとすれば、それはすでに与えられた救済を挺(ぬきん)でたところに真の救済が感じられたからではないか。」
「巡礼は、ただ一つを除いて、宗教的にはなんの義務も課せられてはいなかった。そして、その義務とは、ひたすら歩きつづけてとどまらないことだけであった。巡礼(ペレグリヌス)とは、語源的には通過者、異邦人を意味した。もと、キリスト教徒そのものが、この世を拒否し、またこの世に容れられぬ漂泊の異邦人だったのである。」


























































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渡邊昌美 『異端カタリ派の研究 ― 中世南フランスの歴史と信仰』

「持戒の要諦は悪神の所産たる物質界と能う限り没交渉に生きるにあり、信者個人の次元ではまず肉欲と肉食を徹底的に憎悪した。(中略)社会次元では、権力、家族、所有、生産等一切に価値を認めない。現世そのものが悪の世界だからである。」
(渡邊昌美 『異端カタリ派の研究』 より)


渡邊昌美 
『異端カタリ派の研究
― 中世南フランスの歴史と信仰』


岩波書店 
1989年5月25日 第1刷発行
ix 464p 地図2p 略年表・略語表7p
A5判 丸背バクラム装上製本 機械函
定価9,900円(本体9,612円)



本書「あとがき」より:

「本稿第一部ではイタリア・カタリを軸として扱った。南フランス史への接近を意図しながらイタリアから始めるのは錯誤に似るが、これはもっぱら史料状況による。諸時期にわたってカタリ派教義と組織の断面を観察した、それも精度の高い報告が残っているという恵まれた状況は、南フランスには到底望めない。」
「第二部で南フランスを考えた。この苛烈で悲観的な教説があれほど濃密な展開を見せたのには、もちろん第一部で考えた外来信仰継受に際しての西欧側の宗教的関心が土台ではあっても、それにとどまらない何か南フランス固有の事情があって、それに教団側の条件が対応したはずである。南フランスの場合、(中略)審問関係の記録が豊富で、異端の具体的な言動を見ることができる。」
「今までに発表した二、三の論文の使用できる部分は、手直しした上本稿の中に取入れた。」



渡辺昌美 異端カタリ派の研究


目次:

序論
  1 オルレアンの火刑台からアルビジョア十字軍まで
  2 二元論異端とその名称
  3 系譜をめぐる諸説
  4 史料状況

第一部 カタリ派の輪郭
 第一章 諸教団の分布
  1 一二五〇年の状況
  2 諸教団の分類
  3 二大分派
 第二章 分裂と展開
  1 伝来の第一および第二段階
  2 第三段階
  3 分裂の決定化
 第三章 穏和派と絶対派
  1 教団と教説の連続
  2 穏和派二教団の教説、および相違点
  3 絶対派の輪廻転生説と終末観
 第四章 絶対派の内部分派
  1 ヨハネス・デ・ルギオと『両原理論』
  2 二元論神学の発達――デュラン・ド・ユエスカの周辺
 第五章 穏和派の内部分派――ナザリウス派の形成と「秘伝書」の伝来
 第六章 救済の構造
 第七章 源流と継受
  1 東欧の史料状況
  2 ボゴミリ派の教説と慣習
  3 カタリ絶対派の淵源と小パオロ派
  4 継受の諸階梯
 第八章 「山の彼方の司教」と謎の教団

第二部 南フランスのカタリ派
 第九章 禁欲の戒律
  1 人間観と倫理規範
  2 日常の禁忌
  3 慣行の拒否
 第一〇章 行動の様態
  1 耐忍(自発殉教)の問題
  2 宣教と司牧
 第一一章 南フランス教団の出現
  1 異端気運の醸成
  2 サン・フェリクス異端会議
  3 『宗会要録』論争の現状
  4 南フランス諸教団の確立
 第一二章 展開と受容の範囲
  1 濃密地帯と地理的限界
  2 実勢力推計の試み
  3 階層分布
  4 中小領主の異端傾斜
 第一三章 教団の構造
  1 社会的適合の問題
  2 救慰礼の構造
  3 救慰礼の性格
  4 教団の均質性と参進礼
 第一四章 カタリ派と社会の接線
  1 帰依者の儀礼――致善礼と結縁礼
  2 禁欲と乱倫
  3 帰依者の本質
  4 ラングドック的諸条件
  5 展望

あとがき

略語表
略年表




◆本書より◆


「序論」より:

「一〇二二年、オルレアンで異端が発覚した。騎士アレファストなる者の密告によったのである。異端らは密かに集会している所を急襲され捕縛されたが、高位の聖職者も含まれていたために問題が重大化する。」
「司教座サント・クロワ聖堂の会議場に引出された異端たちは、ほぼ終日にわたる「鉄よりも厳しい」訊問に曝されたが自説を、つまり異端の信仰を堅持して譲らなかった。(中略)死刑囚一四名のうち助命を乞うたのはわずか一名、他は全員進んで火中に入り、中にはまことの信仰のゆえに焔の中にあっても火熱を感じないと呼号する者すらあったという。
 オルレアンの一〇二二年は、中世異端史上一つの劃期である。もとより、ここで異端発生が始まるという意味ではない。異端は、ある意味では、キリスト教とともに古いのである。ただ、中世に入って以来それまでは異端出現件数の比較的少い時期が続き、発生してもほとんどが神学次元のものであったこともあって教会内部で処理され、「世俗の腕」 bras seculier を借りて処刑する例は見られなかった。オルレアンの事件は、異端特有の刑罰として火刑を用いる先例を開いた点で、まず注目に値する。それも、その苛酷さよりも、世俗権力の強力な介入、つまり異端の社会化ないし政治問題化という点で注目に値する。第二に、これは一連の異端続発の開始を告げる事件であった。」

「カタリ派の基本教義は二元論である。善悪二神の対立を想定し、それぞれの属性と創造の系列を考える。善神の属性は不変不朽、不可視の霊性でその領域は霊界である。悪神(悪魔)のそれは変転常なき物質、形而下の世界、つまりは現実世界である。現世の創造者たる旧約の神、モーセの神は悪神にほかならず、もちろん旧約聖書は排撃せねばならない。善神の創造にかかる霊(天使)が肉体の獄舎に捕えられ、現世に繋がれているのが、とりもなおさず人間である。キリストは人間の聖なる起源と救済を啓示すべく来臨した天使であって、降誕、奇蹟、受難等の事件はいずれもそのように見えたにすぎない(仮現論)。完全な天使が物質にかかわることはあり得ぬからである。ここでは贖罪の教理、まして三位一体論は成立たない。救済に到達するには、キリストの樹てた教会(カタリ教団)に参入してその戒律を保たねばならぬ。持戒の要諦は悪神の所産たる物質界と能う限り没交渉に生きるにあり、信者個人の次元ではまず肉欲と肉食を徹底的に憎悪した。教会次元では、カトリック教会とその秘蹟、職階、諸制度をはじめ、十字聖号、会堂、聖遺物、墓地等々、当時一般の信仰生活を全面的に否定した。ローマ教会は悪神の教会だからである。社会次元では、権力、家族、所有、生産等一切に価値を認めない。現世そのものが悪の世界だからである。欣求浄土、現世厭離の極、彼らはただちに肉体の呪縛を脱せんとして自殺を儀典化し、耐忍(エンドゥラ)と称したとの説がある。その事実関係は検証が必要だが、論理的には教義の帰着するところで、矛盾はない。戒律や慣行は全カタリを通じて変らないが、教義の基本部分の理解には同派内部でも若干の出入りがある。一方には善悪二神をともに永遠と見て、いわば対等に置く者たちがあり、絶対派と呼ばれる。現在の歴史的時間は両世界が部分的一時的に混合した状態にあり、究極的には原初の分離併立に帰ると見るのである。他方には、悪は善より派生したもので終局においては滅亡すべきもの、つまり善に対して劣位に立つと考える者たちがあり、穏和派ないし究極一元派と呼ばれる。ただし、歴史的時間における二神の相関の捉え方は絶対派に変らない。さらに教義の細部に至ると、両派内部にも見解の分れる場合があった。
 このような教説のゆえにカタリ派は、同時代にあっては特別に危険視されたし、後世にはまず「悲観主義(ペシミズム)」、「虚無思想(ニヒリズム)」として興味を引いたのである。そして西欧的、つまりキリスト教とは無縁の教説であるとか、ひいては、全カタリ派共通の信念であったと誤解された輪廻転生説を手掛りに、仏教思想の影響があるなど、特異性に着目した解釈が行われた。
 この種のある程度猟奇的な関心が先行する理解は別にしても、それでも、特異な点がないわけではない。このような教説がどこで成立したか。南フランスに十字軍導入という非常手段を必要とするまでに展開し得たのは何故か。アルビジョア十字軍前後における、現地、フランス、ひいては西欧の状況変化にはかなり大きなものがある。むろん、それらすべてが異端問題の結果であるわけではないにしても、異端が契機となっている部分はある。とすれば、この教説はその過程でどのような機能を果したのか。そもそも、このような教説がなぜ社会に受容されたのか。」

「カタリ派の語源は一般に、ギリシア語のカタロイ(清浄者)で、彼らが極端な禁欲主義だったところから清浄派の意味で用いられたとされる。厳密に言えば、この解釈を証明するような材料はどこにもない。十二世紀末、神学者、というより文人であったアラン・ド・リールが語源説を三つ並べている。(中略)言うところは道聴塗説に依拠して混乱しているが、要するに同時代人にとっても語義はすでに不明だったのである。」
「いずれにせよ、カタリ派とは外部からの命名で、異端自身がカタリと称した例の見当らないことは留意しておかねばならない。」







































































渡邊昌美 『フランス中世史夜話』 

「メリュジーヌは嘆いた。(中略)そして窓がまちに跳び乗ると、たちまち有翼の大蛇と化した。塔のまわりを三度めぐり、窓を通り過ぎる度に悲しげに鳴いたが、やがていずかたともなく飛び去った。」
(渡邊昌美 「蛇体の妃」 より)


渡邊昌美 
『フランス中世史夜話』
 

白水社 
1993年2月10日 印刷
1993年2月25日 発行
226p 
四六判 丸背紙装上製本 カバー
定価2,000円(本体1,942円)
装幀: 田淵裕一



本書「あとがき」より:

「本や史料を読んでいると、大抵は本筋とは関係なしに、印象に残る言葉や文章に出合うことがある。そういう言葉を思い出すまま、それを手がかりに書き連ねて見た。」
「一九八七年四月号から翌年三月号まで、同じ題で白水社の雑誌『ふらんす』に連載した。本書中の比較的短い一二編がその時のもので、ごく僅かの手直しを加えてある。その他は新たに書きおろした。



図版(モノクロ)5点/カット46点。


渡辺昌美 フランス中世史夜話 01


帯文:

「騎士道、聖者伝説、海底に消えた都、魔法を使う法王の話など、興味深いエピソード、あまり知られていない逸話を、中世史料とくに年代記に即して語る。赤々と燃える暖炉の傍らでの一夜の楽しい語りのごとき中世史譚の数々。」


帯背:

「中世史譚の玉手箱」


目次:

騎士のおそれ
建国者コナン
海底の都
大帝の墳墓
魔法を使う法王
死者の巻物
騎士気質
絵巻物
僧院
クリュニーの栄光
白い兄弟たち
院長シュジェ
十二世紀の群像
ジェヴォーダンの魔獣
パン屋の一ダース
紋章
暗夜のつどい
蛇体の妃
幽明の境
亡霊
黒い聖母
東方の博士たち
審問の教科書
死の季節
リュブロンの惨劇
話好き

あとがき



渡辺昌美 フランス中世史夜話 02



◆本書より◆


「ジェヴォーダンの魔獣」より:

「一七六四年年夏の初め、ランゴーニュの近くで羊飼いの少年が食い殺された。これが発端で、以後頻々と被害があいつぐ。翌年三月にはジャヴォル村で九歳のフランソワが襲われた。「今朝運ばれて来たのを見ると、頭の骨は噛み砕かれ、肺も心臓も食い尽くされていた」、と村の司祭が書いている。牛を連れて帰った八歳のジャンは自宅の門口で哀れな目にあった。「叫び声に驚いて父親が出てみると、獣が何かを引きずるのが見えた。人を集めて森に踏み込んだところ、まず子供の木靴、次には帽子、そして最後に子供が見つかった。子供は噛まれていた。連れ帰ったが、間もなく絶命した。様子から見て、獣は子供をもてあそんだとしか考えられない」。これは役人の報告である。
 一七六七年までの二年半の間に、約百人の死者が出ている。ほとんどが年少者で、しかも女児が多い。地理的にはジェヴォーダン六八名、オーヴェルニュ三〇名、ヴィヴァレーとルエルグ各一名、つまりフランス中南部山地の大部分にわたっている。
被害の集中発生という点でこの事件が異例なのは確かだが、それよりもそれが引きおこした恐慌状態の方にこの事件の特色がある。実は当時、誰もこれを狼害とは考えなかったので、一頭の巨大な「けだもの」が広大な領域を疾風のように駆けめぐっていると思ったらしい。」
「狼群の間に狂犬病が蔓延したというのが実態だったらしいが、狼害の記録は何もこの時突然出現するわけではない。有名な『パリ市民の日記』一四二一年の記事には、「昨今の狼どもはひどく飢えていて、夜間町々に入り込んで害をなす。しばしばセーヌその他の川を泳ぎ渡る。墓地を掘り起こして埋葬したばかりの死者や、市門に吊された刑死者の屍(しかばね)に跳びついて脚を食い切る。女子供の食われたことも稀ではない」とある。狼は『日記』に何度か登場するが、一四二三年にはパリの街路を疾駆しているし、一四三九年にはサン・タントワーヌ門付近で一四名を襲った化け物狼「クールトー」の記事がある。」
「ジェヴォーダンの狼に新しい型の農民文化の形成を見たのは歴史家ル・ロワ・ラデュリである。農山村に行商人が浸透し、特に絵入りの小冊子、いわゆる青表紙本(リーヴル・ブルー)が流布するようになった結果、農民の空想力が活発化して恐慌となったので、「魔獣」はいわばマス・メディアの産物だというのである。別の歴史家ドロールは、戦乱や飢饉で社会の活力が低下する時に狼が出現する。狼は一つの社会が病んでいるかどうかを計るバロメーターだ、と言った。つまり、人間社会は人々が思うような確固たる基盤の上どころか、自然との危うい均衡の上に立っているので、少しでも均衡が破綻すれば狼、とりもなおさず自然が侵入して来るというのである。」



「パン屋の一ダース」より:

「十一世紀の初め、「トゥルニュスの市場では、おぞましくも人間の肉を獣肉同様に調理して売る者があった」という有名な話がある。この時はよほどの大飢饉だったらしい。「神の怒りから逃れるには神にすがるほかはないのだから、森の木の根を掘り、流れの水草をむしって食った末、万策尽きた。今思い出しても、果たして信じられるだろうか。あの悲惨な時代は回想するだに厭わしい。物狂おしいまでの飢渇の果てに、歴史に稀なる残虐行為が繰り拡げられた。人が人を貪り食ったのである。公道で旅人を襲い、手足を引き裂き、火に焙って食べた。故郷を捨てて逃れる者に宿を貸し、夜中に喉笛を掻き切って糧とした。また、卵や菓子で子供をおびき寄せては飢を満たした。至るところで死骸を掘り出しては陰惨な饗宴に供した」。」


































































渡邊昌美 『異端審問』 (講談社現代新書)

「いうまでもないが、異端は異教とは違う。あくまでも教会内部の問題で、正統を前提として成り立つ相対的な概念であることはいうまでもない。教義内容、教会の組織原理や統制に異を立てるものが異端となる。異端(ハエレシス)の原義は「選択」だというが、教えられるままに順応せず、自分自身で選び取って信念を確立した者は異端とされる危険が大きい。異端と聖者はまさに紙一重という場合もないでもない。運命を分けるのは外部の条件、多くは教会の判断である。
 だから、異端者側には自分たちこそ真の正統だという自意識がある。」

(渡邊昌美 『異端審問』 より)


渡邊昌美 
『異端審問』
 
講談社現代新書 1312

講談社 
1996年7月20日 第1刷発行
218p 
新書判 並装 カバー 
定価650円(本体631円)
装幀: 杉浦康平+赤崎正一
カバー: ゴヤ「異端審問の場面」(部分)



本書「あとがき」より:

「異端審問といえばスペイン、というのも一面においてはごく自然な連想である。理論上、異端審問は全カトリック世界的な制度だったのだが、国により時代によってひどく様子が違う。異端状況が違ったのだから当然のことだが、それだけではない。異端審問を成立たせる不可欠の要件は「世俗の腕」、つまり世俗権力の強力だったが、そのありようが違っていたからである。そのなかで、十五世紀後半以降のスペイン異端審問は国家権力と結合して、おそらくもっとも強固かつ永続的な制度となったので、我々の異端審問に関するイメージは、多くスペインのそれに基づいているといってもよいかと思う。
 本書では、それ以前、南フランスで異端審問が誕生してから制度として安定するまでの時期に力点を置いてスケッチしてみた。」



図版(モノクロ)多数。


渡辺昌美 異端審問


カバー文:

「ヨーロッパ中世を血の色に染めた狂熱の炎。
徹底的に排除され裁かれた「異端」の脅威とは何か。
史料を渉猟し、
キリスト教社会の闇に迫る。」



カバーそで文:

「異端の認定――それよりも驚くのは、異端の認定の峻厳さである。
異端者数名とともに人目を避けて葡萄畑に行き、そこで異端の書物を読み、一緒に食事をしたという聖職者が、
職務を停止されてサンチャゴ巡礼を科せられたのは理解できないこともないが、
少年時代に異端らしい者を見た男、それと知らずに異端者を対岸に渡した渡し船の船頭、
渡し船に異端者と乗り合わせたことのある男、
異端とは知らずに怪我人の腕に包帯を巻いてやったことのある医師、
ある病人の家に異端者が入るのを見かけたことのある男、
病児のために医術の評判の高かった異端者に相談した男などが、
長途の巡礼を命じられているのだ。
異端者が社会の底辺にまで浸透していた時代、彼らと何らかの接触の経験のない者はいなかった。
それをしも「幇助者」「迎接者」「秘匿者」と見るならば、全住民が有罪である。
事実、この頃の異端審問官は全住民を信仰の敵と考えていたのかもしれない。
――本書より」



目次:

第一章 薪と硫黄の匂い――異端審問とは何か
 ボヘミアのフスの処刑
 「異端者として焼け」
 世俗の腕
 死骸を焼き尽くす
 アウトダフェ
 恐るべき見世物
 火刑台での悔悛
 異端審問とは何か
 異端審問の教科書

第二章 剣と火と異端者――異端審問の誕生まで
 創設期の記憶
 オルレアンの火刑台
 異端の時代の開幕
 清貧運動
 ワルドー派と千年王国系譜派
 悪魔の下僕
 異端の人々
 背徳の饗宴
 異端審問官気質
 何が正統で何が異端か
 追従者の大群
 異端カタリ派
 帰依者(クレデンテス)たち
 カタリ派の出現
 教会の危機感
 ドミニコ会のはじまり
 「すべて殺せ」
 地獄図絵
 異端審問への道

第三章 異端審問創設の頃
 トゥールーズ教会会議
 裁判か審問か
 異端贔屓(びいき)
 トゥールーズのドミニコ会士
 狂熱の独走
 コンラート・フォン・マールブルク
 三人組の悪夢
 グレゴリウス九世の勅令
 ロベール・ル・ブーグル
 「袋に詰めてタルンに投げ込め」
 嘘を吐くから正統だ
 死骸の断罪
 執政対ドミニコ会
 ドミニコ会の追放
 一触即発の危機
 贖罪の巡礼
 アヴィニョネの惨劇

第四章 異端審問の制度化
 ナルボンヌの騒動
 熱狂から組織化へ
 法整備のはじまり
 一連の南フランス教会会議
 記録を義務づける
 法王庁の態度
 法学と神学
 異端審問官の著作
 手引書の数々
 『異端審問の実務』

第五章 審問官ベルナール・ギー
 『薔薇(ばら)の名前』
 ギーとはどのような人物か
 院長の職務
 反ドミニカンの嵐
 使徒といえども
 コアック、コアック
 記録魔
 つかみにくい実像
 ギーの異端審問
 司教としてのギー
 意志と秩序

第六章 裁かれる者たち
 審問の記録
 司教ジャック・フルニエ
 偽使徒派とベガン派
 カタリ派の再生
 ジョッフロワ・ダブリの探索
 尋問の順序
 ピエール・オーティエの捕縛
 ベルナール・クレルグの場合
 カルカッソンヌの審問塔
 法廷の攻防
 拷問と陳述
 拷問の手順
 審問官の勝利
 調書と手続き主義
 総説教(セルモ・ゲネラーリス)
 判決の後

第七章 スペインの火刑台
 聖庁(サント・オフィシオ)
 ユダヤ人とイスラム教徒
 異教徒と異端者
 「豚を食せざる者」
 お身内の衆
 身元証明
 犠牲者たち

参考書目抄
あとがき




◆本書より◆


「フスの死骸を徹底的に焼却していかなる断片も残さず、その場所の土さえ撤去したというのは、フスの死骸の断片が異端者側の聖遺物となって、彼らの信仰の拠(よ)り所(どころ)にならないようにとの予防措置である。ブレッシアの異端者アルノルド処刑の時にも、フィレンツェのサヴォナローラの時にもこの処置が取られている。フスの場合、それでも、ひそかにその場所の土を持ち帰るボヘミア人の巡礼は長く跡を絶たなかったという。」

「教会は公式に定められた教義から逸脱した者、あるいは教会の制度を否認する者、つまり異端者を矯正し、あるいは排除した。その責任と権限は教団の長たる司教に属するので、この原則は古今を通じて変わっていない。」

「いうまでもないが、異端は異教とは違う。あくまでも教会内部の問題で、正統を前提として成り立つ相対的な概念であることはいうまでもない。教義内容、教会の組織原理や統制に異を立てるものが異端となる。異端(ハエレシス)の原義は「選択」だというが、教えられるままに順応せず、自分自身で選び取って信念を確立した者は異端とされる危険が大きい。異端と聖者はまさに紙一重という場合もないでもない。運命を分けるのは外部の条件、多くは教会の判断である。
 だから、異端者側には自分たちこそ真の正統だという自意識がある。つまり異端をもって自任する異端者は存在しないということだ。教会が断定してはじめて、異端となる。一一四三年にケルンで露見した異端はほぼ確実にカタリ派だったと考えられるが、尋問に対して「我らは真に使徒の生活を実践する者」、「我らの信仰は殉教者の時代よりギリシアその他の地に人知れず伝わって今に至った」と答えたというし(エヴェルヴィヌス『説教』)、同じ頃リエージュで捕縛された異端も「おのれらのもとにのみ真の教会は存すると号する」と報告されている(『リエージュ教会書簡』)。」



































































渡邊昌美 『中世の奇蹟と幻想』 (岩波新書)

「夕方、修道僧たちが火のある部屋に集まって談話を許される時刻には、さまざまの不思議な話が語られた」
「修道僧はなかば夢幻のうちに生きていたのではないかとさえ思われる。彼らには可視の世界と不可視の世界の境界がない。死者と話をしても、生きている人間と話すのと同じく、少しも驚かなかったらしい」

(E・マール 『十二世紀フランスの宗教芸術』 より)


渡邊昌美 
『中世の奇蹟と幻想』

岩波新書 98

岩波書店 
1989年12月20日 第1刷発行
1990年2月9日 第2刷発行
目次iv 220p 
新書判 並装 カバー 
定価520円(本体505円)



カバーそで文:

「キリストの涙にふれる時、病は癒え、死者は蘇る。中世はまさに奇蹟の続発する時代であった。奇蹟はなぜ起こるのか。中世史研究の第一人者である著者が、聖者伝、奇蹟録から興味深い説話や妖異譚をとり上げて語りつつ、各地に叢生した霊場とそこをめざす巡礼の急増に民衆の信仰の実態を見出し、ヨーロッパ民衆の心性史に新しい光をあてる。」


図版(モノクロ)多数。

渡辺昌美 中世の奇蹟と幻想 01


目次:

第一章 不思議な物語
 亡き子の歌声
 メリダの花
 聖堂の盗賊
 墓地の怪
 十字の奇蹟
 聖ジブリアン
 ブリウドの嵐
 スミルナ教会の書簡
 聖サトゥルスの血
 需要と供給
 誰も知らぬ聖者
 筆頭殉教者ステパノ
 パオロとパラディアの治癒
 一つまみの埃
 懐疑と警戒
 四、五世紀の奇蹟
 悪霊憑き
 どの神が強いか
 火中の聖母
 遅参した聖者
 『聖ジュリアン奇蹟録』
 霊力の転移

第二章 僧坊の夜語り
 暗夜の葬列
 夢と幻想
 騎士レノーの劫罰
 かたくなな尼僧
 少年の夢魔
 死せる院長ステファン
 僧坊の夜語り
 共有財産としての幻想
 幻想の意味づけ
 亡霊の戸籍
 フランク王シルペリック
 お前はキケロ教徒だ
 ウェッティの幻想
 霊界の旅
 善き王ダゴベール
 王権と僧院
 偽寄進状
 夢の民主化
 消えない燈明

第三章 世々の伝え
 『黄金伝説』
 『ヒエロニムス殉教者暦』
 聖者の審査
 世界の苦しみ
 まだ洗礼も受けぬのに
 物語から歌謡まで
 移葬記
 神聖盗掠
 聖母と軽業師
 業務日誌
 ある限りの聖者たちを
 中世人の心性
 献堂
 宣伝
 奇妙な証明
 ヨーロッパは白き衣をまとう
 書かれなかったこと
 文字の威力
 ルイ・ド・トゥールーズ
 豚のミサ
 黄金像の集会
 偶像崇拝の匂い
 呪われた踊り子
 聖ギイの舞踏
 悪魔と一緒に踊ったからは
 教会の時間と民俗の時間
 踊る尼僧
 さて若い衆私のように
 異端審問官ベルナール・ギイ
 外側の世界

第四章 さまざまの聖者たち
 古塚の大蛇
 聖ベニーニュの殉教と奇蹟
 おぼろな影の告白
 ブルターニュの聖者
 山の民の聖ベッソ
 岩山の祭り
 山を降りた聖者
 羊飼いの若者
 テーベ軍団
 ピレネーの谷間
 邪信の岩を砕け
 忠犬ギヌフォール
 生死を問わずご利益を
 取換え子
 神秘の森
 我に触るるな
 霊場ヴェズレー
 マドレーヌの出生証書
 雪花石膏の柩
 ベタニアの一族
 英雄ジラールの物語
 森の炭焼き
 今こそ仕事が始まる
 罪あればこそ
 エジプトのマリア
 ラザロの骨
 聖女マルタのタラスク退治
 大理石の柩

第五章 生ける聖遺物
 ヌルシアの聖ベネディクトゥス
 フルーリ僧院
 遺骨の鑑定
 これ以上奇蹟は起さないで
 遺骨の旅
 この骨によって勝利を
 募金の旅
 行き過ぎの警告
 聖母の肌着
 聖杯
 おん臍の緒
 キリストの吐息
 犬のように食いちぎったぞ
 聖遺物匣
 感謝の拝礼
 奇蹟発生のサイクル
 商売がたき
 聖堂の殺人
 ベケット・ウォーター
 治癒者トマス
 呼びかけ
 同じことなら酒で
 謝礼の督促
 聖者の困惑
 生きている聖者は気難しい
 利益と祟り
 生き聖者
 躍動する死骸
 ノリッジの少年聖者
 未完成の聖遺物
 ただ神のみが

あとがき
参考書目



渡辺昌美 中世の奇蹟と幻想 02



◆本書より◆

「呪われた踊り子(ダンスール・モーディ)、というのはどこかで聞いた言葉であります。制止を聞かずに神聖な場所で踊り始めたがために倒れて死ぬまで止まらなくなったという、涜聖の匂いのするお話であります。実はただの説話でなく実際の事件ですし、先ほどから気にしています文字の世界と無文字の世界、教会の統制下にある世界とその外側の世界の接線上に出没する現象でもありますので、しばらくこれを眺めることにします。事件はドイツ、アンハルト公領のケルビック(スラヴ名でコレビッチェ)という村で起りました。一〇二〇年、またはその翌年、降誕祭前夜と推定されています。
 当の踊り手の一人オトベルトゥスなる者の口述書が残っております。「私ども一八名はサクソニアの国、コレビッチェなる所に住んでおりました。男が一五名、女が三名。殉教者マグヌスの堂のある村であります。主の降誕の聖なる夜、ミサに出ねばならぬところ、悪魔に唆かされて墓地で円舞を踊ったのであります」。司祭が叱りますがいっこう止めようともせず、「私どもは堂の中まで入り込みました。蔑(ないがし)ろにされたのに立腹して、司祭は声を荒げて呪ったのであります。神のお力と聖マグヌスの霊験でもって、一年中騒がしく踊り続けるがよい。私どもは歌っていて、この言葉を気にも致しませんでした。三人の女の一人、メルシントは実に司祭の娘でありましたが、司祭の兄弟ヨハネスが腕を掴んで踊りの環から引き出そうとしましたところ、腕は胴から千切れました。ただ一しずくの血も流れず、言うも不思議なことながら、司祭の呪った通り一年間腕のないまま私どもとともに歌い、かつ足を踏み鳴らし続けたのであります。六箇月にして大地は窪んで膝に達し、一年後の同じ降誕祭には脇まで没しましたが、この日ケルン司教聖ヘルベルトゥスによって癒されたのであります」。」
「何らかの事実を踏まえていると申しますのは、実は突発的な集団乱舞はあちこちで見られる現象だったからであります。一般的には聖ギイ(あるいは聖ヴィトゥス)の舞踏と呼びます。四世紀のこの殉教者は狂犬や蛇の咬傷、それに神経障害にご利益があると信じられていました。おそらく、集団ヒステリの一種だったのでありましょう。」
「教会が警戒したのは、放恣という風俗上の観点からではありません。まぎれもなく、異教の匂いを嗅ぎつけたからであります。六世紀、アルルのカエサリウスが言っています。「一月一日の祭りともなれば、愚かなお前たちは打ち集うて泥酔し、欲情を唆る歌謡、いかがわしき遊戯に熱中する。これは悪霊を招き寄せて犠牲を捧げるに等しい。男が女の身なりをするがごとき、愚かさの極みである。悪霊そのものが怯えるほどの化粧をするがごとき、痴(うつ)けと言うほかない。歓喜の余り悪徳を讃えて歌い、淫らな姿態で乱舞するに至っては、狂気の沙汰である。神の姿に似せて造られた人間が山羊や鹿の扮装をするならば、それは人間が山羊や鹿になることである。これこそ、悪霊への供犠である」(『説教集』)。
 八二六年のローマ会議でも「異教徒の習俗より残りしもの」と言っていますし、十二世紀の典礼学者でありましたオータンのホノリウスも「古代の異教徒が声を挙げて偶像を讃え、全身をもって仕えたような舞踏」と言っておりまして、教会側の態度は一貫しています。つまり、この種の舞踏と歌唱は、教会の外側、異教的民衆の世界の象徴であります。ところが驚いたことに、この習俗は教会内部にかなり深く侵入していました。」
「オーセールの大聖堂では、復活祭に身廊(ネフ)で役僧(シャノワーヌ)たちがオルガンに合わせ讃歌を歌いながら踊ったと言いますし、リモージュでも聖マルシアル祭に堂内で讃歌と舞踏が行なわれたと申します。本来キリスト教の祭式儀典に舞踏の要素はまったくないのですから、教会が新しい要素を組込んだ例と言えるでしょう。」

「一一四四年、ノリッジ郊外の森で一体の死骸が発見されます。誰のものとも知れぬ死骸でありましたが、家族と称する者が現われて、革細工師のもとで徒弟奉公中の少年ウィリアムの遺骸だと主張し、さらに異教徒による秘密の祭儀殺人の犠牲になったのだという流言が生じました。「スティーヴン王治世中の事件について述べておきたい。ノリッジのユダヤ人たちは復活祭の前にキリスト教徒の少年を買取り、先きに彼らが我らの主に加えたと同じ拷問を加えて苦しめた。(中略)僧たちは遺骸を取上げ、盛儀を営んで僧院に埋葬した。驚くべきことながら、彼はさまざまの奇蹟を現わした。少年の名は聖ウィリアムという」(『アングロサクソン年代記』)。」
「少年の母親と称する女はユダヤ人が殺したと叫んで街を走り廻り、叔母と称する女は祭儀殺人の情景を幻想の中に見たと語りました。叔母の情人でもあった僧ゴドウィンは教会関係に盛んに工作し、僧トマス・オヴ・モンマスは『聖ウィリアム伝』を執筆して司教に献呈しました。」
「リンカーンの聖ヒュー(中略)、一二五五年、九歳の少年だった彼は何者かに殺害され井戸の底から発見されます。ユダヤ人がさらい、荊の冠をかぶせ、磔(はりつけ)にした。大地が拒んだために埋めることができず、結局井戸に投棄したのだ、という確信が住民の間に定着します。この事件でコッピン以下一九人のユダヤ人が処刑され、ヒュー少年の墓所には奇蹟が続発しました。(中略)フランスではポントワーズのリシャール(一一七九年)、ドイツではトリエルに近いバッハラッハの(またはオーベルヴェーゼルの)ヴェルナーの事件(一二八七年)が有名であります。
 ウィリアム少年をはじめいずれも聖者、殉教者と呼ばれているものの厳格に言えば教会の公認を受けてはおりません。ヴェルナー少年の場合には列聖審査まで行きますが、それも大分後、十五世紀のことであります。彼の殺害と奇蹟の直後、ユダヤ人迫害、掠奪と虐殺が拡がりました。」
「この種の少年聖者を成立させた原動力がユダヤ人憎悪の風潮だったことはいうまでもありませんが、奇蹟はほとんどが病気治癒で、特別の色彩は認められません。」
「日常的な奇蹟の本体は、どう見ましても、現実の恩寵と懲罰、平たく言えばお蔭と祟りが聖遺物から発現するところにありました。そのためには、どうやら聖遺物の存在が必要で十分な条件だったらしいことは、生前の聖性が欠落しているノリッジのウィリアムの場合からも推察がつきます。奇蹟を待望する立場からすれば、生前の聖者はまだ生きている未完成の聖遺物にすぎず、ただその表面に宗教的敬虔というよけいな外被が付着していたのではないか。人々はやがて遺骸となった時に発揮されるはずの霊験の予感を、生ける聖者の中に見ていたのではないだろうか。そう思われてならないのであります。
 トマス・アキナスは生前から聖徳の誉れが高かったのでありますが、彼の臨終の情景をある歴史家が巧みに描写しています。(中略)「フォッサノーヴァで、トマス・アキナスは臨終の床にありながらも最後の三段論法を完成させようと思いめぐらしていた。回りで、これは見事な聖遺物になるに違いないと、彼の体をじろじろ眺めているのに気づくよしもなかった」(R・ブレンターノ『二つの教会』)。」




































































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー

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