『スキャナー・ダークリー』 浅倉久志 訳 (ハヤカワ文庫)

フィリップ・K・ディック 
『スキャナー・ダークリー』 
浅倉久志 訳


早川書房/ハヤカワ文庫SF(SF1538)
2005年11月20日印刷/同30日発行
478p 文庫判 並装 カバー 定価880円+税
訳者あとがき: 浅倉久志
Philip K. Dick : A Scanner Darkly, 1977



ひさしぶりにディックをよみました。


スキャナーダークリー


カバー裏文:

「カリフォルニアのオレンジ郡保安官事務所麻薬課のおとり捜査官フレッドことボブ・アークターは、上司にも自分の仮の姿は教えず、秘密捜査を進めている。麻薬中毒者アークターとして、最近流通しはじめた物質Dはもちろん、ヘロイン、コカインなどの麻薬にふけりつつ、ヤク中仲間ふたりと同居していたのだ。だが、ある日、上司から麻薬密売人アークターの監視を命じられてしまうが……P・K・ディック後期の傑作、新訳版」



ディックの小説のあらすじは、どれも「ことわざ」ひとことで表現できるような気がします。デビュー作「ウーブ身重く横たわる」なら「You are what you eat」(あなたは、すなわち、あなたが食べるところのものである=健康になりたければ、健康によいものを食べなさい)、『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』なら「汝自身を知れ」、本作なら「ミイラとりがミイラになる」。それだけディックの小説のテーマは普遍的だということになるかとおもいますが、しかしながらディックは、常識としてみんなが正しいとおもいこんでいることを、みごとにひっくり返してみせるのです。さてさて、ミイラとミイラとりと、どっちがはたして「人間的」なのでしょうか。

おとり捜査官のフレッドは、仕事の必要上、ジャンキーたちとつるみながら、みずからもドラッグに手を染めている、いわば「カタギ」と「ヤク中」の〈辺境〉にいる危うい存在です。そんなフレッドは、上司からボブ・アークターなる人物を監視することを命令されますが、ボブ・アークターこそ「ヤク中」としてのフレッド自身に他なりません。自宅に「ホロ・スキャナー」が設置され、自分で自分を監視するフレッド=ボブ。
ここで本作のタイトルですが、以前の訳では「暗闇のスキャナー」という、とてもわかりやすい・かっこいい邦題がついていたのですが、原題は「A Scanner Darkly」です。なぜ定冠詞(the)ではなく不定冠詞(a)なのか、なぜ形容詞(dark)や名詞(darkness)でなく副詞(darkly)なのか、疑問に思わずにいられないところですが、これは本文にもあるように(p.354)、聖書の引用句「Through a glass, darkly」(われわれは真実そのものではなく、真実の鏡像をおぼろげに見ているにすぎない)のもじりなのです。スキャナーの向こうに監視官としてのフレッドが見るボブの姿は、ボブの真実の姿ではなく、「カタギ」の目によって歪められたボブの像なのかもしれません。
「みんなの使う標準フォーマット」(p.43)を守りつつ、おとり捜査官フレッドは、「中立的な立場」(p.96)に身をおくこと、ことばをかえていえば、冷酷で非「人間」的になることを強制されていました。「仕事にたずさわる専門家と、仕事を離れた個人。ひとりの人間にその両方を兼ねるエネルギーはない」(p.98)。それゆえ、自己の内部で人格の入れかえを行わざるを得なかったのです。「フレッドの内部のこの変化は、いわば感情の経済学だ。消防士も、医師も、葬儀屋も、めいめいの仕事でおなじトリップをしている」(p.98)。
そんなある日、心理テストを受けたフレッドは、「物質D」の影響によって、じぶんの脳の右半球と左半球が「競合」し、ふたつの脳が互いに矛盾する情報を伝え、妨害しあっている、ということを知らされます。「それぞれの脳半球は、別個のはっきり区別された思考、または推論の過程を、同時に進行させることができる」(p.184)。「物質D常用者には、脳の右半球と左半球の分裂が発見されることが多い」。「左右の脳半球の分離によって、ひとつの頭蓋の内部に、いいかえれば、ひとつの生体のなかに、ふたつの独立した意識の球が作りだされることは、すべての証拠が示すとおりである」(p.198)。「カタギ」としてのフレッドと「ヤク中」としてのボブ。「ひょっとすると、おれが同時に両方、つまり、正しい向きと、裏返しの向きで物を見てるってことは、あべこべの像とあべこべでない像を同時に見てる、つまり、まともなほうがちらっとでも見える、人類史上で最初の人間なのかも。たとえふだんは、もう片方の、おきまりのやつを見てるにしても。ところで、どっちがどっちなんだ? どっちがあべこべで、どっちがまともなんだよ?」(p. 358)と、フレッドは考えます。そしてボブもまた「しかし、おれはだれなんだ? ふたりのうちのどっちがおれなんだ?」と考えるのです(p.161)。

「「まるで年とった囚人みたいに、おんなじ話ばっかり何度もくりかえしやがって。どうしてやつらはあんなことをやってんだ? じっとすわって、バカ話ばっかり」
「どうしておれたちはこんなことをやってんだ? これだって相当に退屈だぜ。はっきりいえば」
「だけど、そうしなきゃならない。これが仕事だから。ほかに選択の余地はない」
「囚人とおんなじさ」スクランブル・スーツのひとりが指摘した。「おれたちにも選択の余地がない」」

(p.333)

本書のテーマは、つまるところ、「仕事」と「遊び」のどちらがより「人間的」な行為なのか、「カタギ」と「ヤク中」のどちらがより「人間的」なのか(もちろん、ディックは「遊び」であり「ヤク中」だといいたいのです)ということ、そして、「遊び人間」たちにとって、「カタギ」の「仕事人間」たちがおしつけてくる「シンボルと現実」と戦うこと、すなわち「悪との戦い」(P.399)はいかにして可能なのか、ということにほかなりません。

「きゃしゃでエレガントなカタギの女が、蚊を食べてくれてむしろ人間の役に立っている、一ぴきの無害な虫を殺してくれとたのみにきたのだ(中略)その虫がトンボだとわかり、みんなでそのへんを説明してやったら、女はこんなことをいった。

おとなしいとわかってたら
わたしが自分で殺したのに
(IF I HAD KNOWN IT WAS HARMLESS
I WOULD HAVE KILLED IT MYSELF)

あれは、もしおれたちに敵がいるとしてだが、カタギである敵のどこが信用できないかをいいつくした言葉だ。(中略)
上流階級の裕福なカタギの夫婦から証言をとったことがある。留守中に自宅の家具が、明らかにヤク中たちの手で荒らされたというのだ。(中略)その夫婦がこういったことはいまも忘れない。「他人の家に忍びこんでカラーテレビを盗んでいくような人間は、動物をみな殺しにしたり、貴重な美術品を破壊したりする人間の同類だ」それはちがう、と(中略)ボブ・アークターは説明したものだ。どうしてそんなことを信じるんです? 常用者は、すくなくともわたしの経験からすると、めったに動物をいじめません。ヤク中が、傷ついた動物を長いあいだ世話をして、餌をやっているのを、わたしは何度も見ました、と。カタギの連中なら、おそらくその動物たちを“眠らせた”ことだろう。これこそまぎれもないカタギ用語―それと同時に、殺人を意味するむかしのギャング用語でもある。いつだったか、ヨレヨレのヤク中ふたりが、割れた窓ガラスに首をつっこんでけがをした猫をひっぱりだすという悲しい苦行にとりかかっているのに手を貸したことがある。ヤク中ふたりは、ほとんど目が見えず、なにもわからない状態なのに、小一時間もかけてそろそろと器用に猫をひっぱりだす努力をつづけた。猫とおなじようにすこし血を流し、両手で猫を抱いてなだめていた。(中略)ふたりはその猫に餌をやった。だれの飼い猫かはわからなかった。腹をすかせていて、割れた窓ごしに食べ物のにおいを嗅ぎつけ、(中略)家のなかへ飛びこもうとしたらしい。猫の悲鳴を聞くまでヤク中たちはなにも気づかなかったが、いろいろなトリップや夢のことはしばらく忘れ、猫のためにひと肌ぬぐことにしたわけだ。
“貴重な美術品”となると、あんまり自信がない。その意味がよくわからないからだ。ベトナム戦争中に、ミライ村ではCIAの命令で四百五十の貴重な美術品が破壊され、殺された―貴重な美術品といっしょに、牛や、ニワトリや、そのほかリストに出ていない動物たちもだ。」

(pp.156-159 括弧内の原文は引用者が補いました)

「カタギ」の人々の安定した生活を維持するためには、「犠牲の羊」が必要とされます。

「セルマはいろんなものをつかもうとして、つかみそこねた。それを見ながら、ブルースはその少女の動きがどこか不自由なのを知って、ぎくりとした。いまはじめてそれに気づき、悲しみを味わいながら、どうしてそんなことがありうるのか、どうしてこの子が障害者なのかと考えた。」
「それでもセルマは手さぐりし、足をひきずり、そしてころんだ。それでも障害はつづいている、と彼は気づいた。これはどういうことだろう……

わたしは不運なアトラスだ! 世界のために
世界ぜんたいの苦しみを双肩にになう身、
背負いきれない重荷を背負い、体のなかで
自分の心がはり裂けるのを感じている

……そんな悲しいこともあるんだ。ブルースはそこからひきあげた。
彼の背後ではまだ少女が遊びつづけていた。少女はつまずいてころんだ。ころぶのはどんな気分だろう? ブルースはそう考えた。」

(pp.638-639)

ル・グインは短篇「オメラスから歩み去る人々」で、マイノリティの犠牲の上に成り立つ文明の虚偽を告発しましたが、文明を救うことができる者がいるとしたら、それはそのようなマイノリティ――「苦界」に身を落とした「無縁」の人々――に他なりません。

「とびっきりでっかい知恵(the greatest kind of wisdom)が必要だわ、とドナは思った。いつ、不正な仕打ち(injustice)をすべきか、それを知るためには。どうして正義(justice)が、正しいこと(what is right)の犠牲にならなきゃいけないのさ? どうしてこんなことが起きるわけ? それはこの世界に呪いがかかっているからよ。このすべてがそれを証明してる。(中略)どこかで、可能なかぎりのいちばん深いレベルで、いろんなもののメカニズムというか、構造がばらばらになって、その残骸のなかからもやもやと浮かびあがってくるのは、いちばん賢明な選択(the wisest choice)であたしたちを行動させてるもの、つまり、いろいろのあいまいな不正を犯す必要性(the need to do all the various sort of unclean wrongs)だ。それがはじまったのは、きっと何千年も前にちがいない。いまでは、あらゆるものの性質のなかへそれが染みこんじゃってる。そして、あたしたちみんなの心のなかにもだ。どんな人間も、それをしなくては、向きを変えることも、口をあけてしゃべることも、なにかを決めることもできない。それがどんなふうにして、いつ、なぜはじまったのかなんで、もうどうでもいい。ただ、いつかはそれが終わってほしいだけ。(中略)いつの日か、あざやかな色の火花の雨がもどってきて、こんどはあたしたちみんなでそれを見れたらいいのに。せまい戸口。その向こう側にあるのは平安。彫像、海、それに月明かりに似たもの。なにひとつ動かず、なにひとつその静けさをかき乱さない。
遠い遠い大昔。呪いがくだる前、あらゆるものとあらゆる人間がこんなふうになる前。黄金時代。そこでは知恵(wisdom)と正義(justice)がおなじものだった。すべてが砕けて、鋭い破片になる前のことだ。もう二度と組み合わせることができず、いくら努力しても二度ともとどおりにならない破片の山になる前のことだ。」

(pp.395-396 括弧内の原文は引用者が補いました)

「もし、ごく幼い時期に人間の脳が分割されれば、その結果、どちらの半球も別個に独立をとげ、これまで正常な人間の左半球でのみ到達できたレベルまで、高次の精神機能を発達させることはじゅうぶん可能である」
(p.198)

「〈ニュー・パス〉の職員がふたり、足もとの床の上に横たわった生き物を見おろした。その生き物はゲロを吐き、身ぶるいし、便をもらしている。ひどい身ぶるいの原因である寒さから身を守るように、両腕で自分の体を抱いている。
「なに、これ?」("What is it?")職員のひとりがきいた。
ドナは答えた。「人間」("A person.")
(中略)
「頭を食われたんだな。またひとりの敗北者」
彼女はそのふたりにいった。「勝つのは簡単。だれでも勝てる」」
("It's easy to win. Anybody can win.")

(pp.397-398)


本書「著者覚え書き」より:

「この小説は、おのれの行為に対して、あまりにも苛酷な刑罰を受けた人びとを描いている。彼らはたのしい時間を過ごそうと考えたが、それは路上で遊ぶ子供たちのようなものだった。彼らは自分の仲間がつぎつぎに殺されていくのを見ることになった――車に轢かれたり、手足をもがれたり、めちゃくちゃにされたり――だが、それでも彼らは遊びつづけた。しばらくのあいだ、われわれみんなはとてもしあわせだった。あくせく働かずに、みんなで輪になってすわり、冗談をいいあったり、遊んだりしていたが、その時期は恐ろしいほど短く、そのあとにやってきた刑罰は信じられないほど重かった。」
「麻薬乱用は病気ではなく、ひとつの決断だ。しかも、走ってくる車の前に飛びだすような決断だ。それは病気ではなく、むしろ判断ミスと呼べるかもしれない。」
「この小説にはなんの教訓もない。(中略)この連中は働くべきときに遊んだのがいけない、とは説いていない。ただ、そのてんまつを物語っただけだ。古代ギリシア劇は、ひとつの社会として、科学というか、因果律を発見しかけていた。この小説には復讐の女神ネメシスが存在する。運命ではない。なぜなら、登場人物のだれもが、路上で遊ぶのをやめようと思えばやめられたはずだから。しかし、わたしが自分の人生と、そして心の奥底から物語ったとおり、遊びつづけた人間から見れば、それは恐ろしいネメシスだ。」
「できることなら、もう一度この人びとがなにかべつのやりかたで遊べますように。そして幸福になれますように。」



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プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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