埴谷雄高 『死霊』 (定本)

生類の 反故(ほご)還魂死霊(すきかへ)す 般若の忌


埴谷雄高 『死霊』

講談社 1976年4月22日第1刷発行
452p 「掲載誌・発表年月」1p
A5判 角背布装上製本 貼函
定価1,700円
装幀」 辻村益朗



本書は五章までを収めています。『死霊』をよむのには三通りありまして、各巻に三章ずつ収められている全三巻の版でよむのと、全集の「死霊」の巻でよむのと、本書とそれ以降に発表された六~九章がそれぞれ一章ごとに単行本として刊行されたものを集めてよむのとです。あと、本なしでテレパシーでよむのをいれると四通りあることになりますが、最後の方法は一般的にはオススメできないです。


死霊1


目次:

自序 (昭和23年10月真善美社版)
新版への自序 (昭和31年9月近代生活社版)
最新版への自序 

一章 癲狂院にて
二章 《死の理論》
三章 屋根裏部屋
四章 霧のなかで
五章 夢魔の世界



死霊2



◆本書より◆


「最新版への自序」:

「ここに最新版を上梓するにあたって、僅か一冊の書物がその傍らに携えもっている運命について深い悲哀に充たされた感慨なきを得ないのは、この数頁前に記されている「自序」と「新版への自序」が載せられたのが、それぞれ、その時期において果敢な文学活動を懸命に支えてきた出版社においてであって、その誠実な努力にもかかわらず、その二つの社ともいまは跡かたもなく瓦解してしまったことである。さながらこの著作自体が吉兆ならざる暗い一つの刻印を帯びつづけてきたかのごときこの遠い事態について、真善美社及び近代生活社の二つの社の名をここに記して、衷心から哀悼したいと思う。
さて、ところで、この最新版が上梓されるのはかかる事態を惹起することのあり得ぬ社であるから、この著作がこれまで負いつづけてきたその古い一つの伝説がここでいまたちきられるであろう。私自身そのことを信じ、また、開かれた前方をひたすら希求して、この最新版への序を書いているのであるが、私の予定では定本と無理に名づけられているこの版では五つの章を多く収め、そして将来出されるであろう一般的な版においては、それぞれ、旧版と同じく三つの章ずつを収めてゆきたいと思っている。そして、この最新版からこれまでの版にない目次を新たに附することにしたのは、五章を雑誌に発表したとき、その章に単独の表題がつけられ、そして、今後もまた章の発表ごとに異なった表題がそれぞれ附せられるだろう故に、この新らしい版を機会に目次面だけにそれぞれの章の表題を記しておくことにしたのである。
これで自序と名づけるものを私は三度書くことになったが、もはやこれ以上自序など書くことなく、まだ遠い前途を抱懐しているひきつづく次々の章が出来得るかぎり早く書かれることを、自らの力なさを敢えて横において、心から望みたいと思う。」







































































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埴谷雄高 『死霊 III』

「長い長い生物史のはじめの原始の単細胞が、そのままそこに停ってしまった理由は、やがておこなわざるを得ぬ兄弟殺しをも、その後の全生物殺しをも、すべて、いさぎよしとせぬためで、そのはじめのはじめのはじめに停ったままいまも停っておりまする。」
(埴谷雄高 『死霊』 より)


埴谷雄高 『死霊 III』

講談社 1996年7月30日第1刷発行
264p 「掲載誌・発表年月」1p
A5判 角背布装上製本 貼函
定価2,600円(本体2,524円)
装幀: 辻村益朗



未完の長篇ひきこもり小説「死霊(しれい)」最終巻は七章から九章までの三章を収録。

夢野久作も「胎児の夢」で喝破したごとく、生命の進化の歴史は兄弟殺しの殺戮の歴史でした。宮沢賢治の「ビジテリアン大祭」をさらに徹底させたような本書「最後の審判」において、イエスの「人間」中心主義はイエスに食べられた「ガリラヤ湖の大きな魚」によって断罪され、釈迦の「自己」中心主義は釈迦に食べられた「チーナカ豆」によって断罪されます。最後に残ったものは「生へ向って踏みだしたくないあまり、単細胞のままで停っているもの」と、「何らかの存在になりたくないままその場に停っている無限大者」でした。「大人になりたくない」など甘っちょろいです。「生きものになりたくない」「存在するものになりたくない」――そうこなくてはウソです。


死霊3-1


目次:

七章 《最後の審判》 (「群像」 1984年10月特大号)
八章 《月光のなかで》 (「群像」 1986年9月号)
九章 《虚体》論――大宇宙の夢 (「群像」 1995年11月号)



死霊3-2



◆本書より◆


「七章」より:

「全天は、眩ゆい白熱の円盤が一片の綿雲もない蒼穹を震えのぼっていた午前とはまったく一変して、幾重にも厚く重なって薄暗い魔の棲処となっている暗黒の大きな塊りをここかしこにひきつれながら、その何処にも一筋の裂け目も見えぬ分厚い濃灰色の層を、そのはしからはしまで不機嫌に果てもなく拡げていた。」

「――まあ、まあ、あの気味悪い高志兄さんのお友達とやらいうひとのこの上なく困った病気の名は、いまよく聞きとれませんでしたけれど、いったい何んといわれたのですの?
――默狂、です。
と、そのふっくら膨らんだ円い顔も弾みあがる躯も二倍近く肥った津田夫人と正面に向きあったまま、長身な岸博士は短く答えた。
――え、默狂ですって……? ほーら、そんな変った言葉はいまはじめて聞きますけれど、それはいったいどういうふうに貴方達の前で振舞っている患者さんなんですの?
――患者としては最も穏やかといわねばなりません。つまり、文字通り、終日、まったく一語も発せず黙ったまま坐りつづけているのです。
――まあ、まあ、まあ、なあんですって? 私達の誰でも胸のなかの心の奥になどとてもしまっておけぬいろんなことがつぎつぎときりもなくでてきて、とうてい一日中黙っていつづけることなどできる筈もないのに、そのひとはいったいどうしてひとことも口に出さずに黙っているんでしょう……?
――黙らざるを得ない理由がそこにあるからです。勿論、病理的な障害のため失語状態におちいった患者が一般的ですけれども、しかしまた、これは極めて奇妙な症例ですけれど、自分自身で敢えてそうすることにあらかじめ決めてしまったため一語も発せず終日黙っている「患者」もいるのです。」

「――ふむ、というと、もう一度あらためてお前のすぐ上の兄であるこの俺の真実こめて訊き直すが、決して考えてはならず、また、決していってはならぬことが、薄暗い地下室の黙狂であるお前のほかの誰かにもまた起り得るのかな。
――必ず起ります。
――ほほう、とすると、誰の頭蓋のなかにでも起り得るそれはどういう言葉かな。
――もうそれ以後、なんらつけ加えるものも、また、言い換える言葉もないところの最後の言葉です。
――ほほう、それ以後何らのつけ加えも言い換えもできない最後の言葉だって……?
――そうです。
――ふーむ、いったい、それは何に向っての……?
――すべて、に向っての言葉です。
――ぷふい、すべてに向って、だって……? (中略)
――そう、壮大無比な悲哀と壮大無比な苦悩がともにそこにあります。
――あっは、黙狂がその永劫の沈黙を破ってついに喋りはじめたら、確かにそれは絶妙奇抜で途方もなく壮大無比なお喋りになり果てるより仕方もないだろうな。
――そうです。決していってはならぬことをついにいってしまう事態に立ちいたると、そこにはまた、決していってはならぬことをいわねばならぬ底知れぬ悲哀もいってはならぬことをいいきってしまうこの上ない壮大な苦痛も決していってはならぬことをいってしまったきびしすぎる自己呵責も、それらのすべてがあります。
――そこまで聞けば、もうお前がこれまで不思議なほど八方ふさがりの重く閉ざされた苦悩の底に深く沈みこんだまま長く黙りつづけなければならなかった何かの馬鹿げた理由はどうやら解ってきたような気がするが、だが、それにしても、さて、いいかな、お前が長く長く黙りに黙りつづけなければならなかったその窮極の内容とかいう「決していってはならぬ最後の言葉」とは、いったい、何かな。
――最後の審判、です。
――えっ、なんだって? もう一度はっきりといってみてくれ!
――この宇宙のすべてへ向っての最後の最後の審判です。
と、全暗黒を直視するようなその内部から眩ゆいほどに輝きでてきらきらと光っている彼特有の大きな眼を凝っと見開いたまま、この数年間まったく一語も発せぬ黙狂であった矢場徹吾は、何か貴重な砕け易い小さな小さな事物でもすぐ眼前の宙へそっと置くように低くいった。」

「「そうか。お前達にそれぞれ聞けば、すべては、この全宇宙の生と死の流れのように、はっきりしてきたぞ。罠だ! いいか、まず食ったものがつぎに食われ、そして、そのつぎに食われたものもその前に他を食っている! この『かくて無限に』の果てしもない連鎖こそ、窮極的な弾劾をついになりたたせまいとするこの上なく巧妙狡猾に考えぬかれつくりあげられたところの罠だ。それこそ俺達すべてに等しく絶妙狡猾に投げられた生の罠だ。そして、その生を讃えに讃える何ものかは、自分のこの上ない罪と誤りを認めたくなくて、その罠を《食物連鎖》だと名づけて、この生と存在の必当然的な自然のかたちのように声高く呼びつづけてきているのだ! (中略)まさにそうにほかならぬのだ。食物連鎖とやら、やつらは自分に都合よく、自分の生だけを讃えに讃えるためにその言葉をこの上なく勝手にうまく使いこなしていいつづけているのだ!」」

「「あっは! これでついに決った。食って食って食いつくす全的死のもたらし手の生の上限は――『人間』にほかならなかったのだ……。よーし、その食って食って俺達を食いつくす生の上限の『人間』について、食われたもののすべては、まず、お前達の何をやつらに向ってぶちまけて、とうてい許しがたい尽きせぬ思いの弾劾の上の弾劾の特別に際だったかたちを如何に愚かしいただの憎悪のみにとどまらぬところのこの影の影の影の国の最上の言葉としてやつらに投げつけ得るか、お前達の暗い暗黒のなかの死の底の底の底で考えに考えつくしておいてくれ!」」

「いいかな、ガリラヤ湖の大きな魚よ、小さなチーナカ豆よ、「死のなかの生」の胎児よ、いいかな、この生のなかには二つの型がある。この生と存在の暗い秘密をただただ解くためにのみ生きているものと、死ぬまで生きているから生きているものとの二つの型だ。その第一を、思索の極限をついに超えて或る絶対へまで飛躍してしまおうとする一種狂気のなかのヴィジョン型、その第二を日常に密着したところの着実堅固な生活型、と呼び換えてもいいのだ。そして、勿論、存在の底もない深い罠にかかった生と、果てもない横拡がりの生の罠にかかった心と魂のすべての暗黒の秘密、とうていついに解きあかしおおせることなどできぬであろうほどの暗黒のなかの大暗黒の怖るべき秘密に向ってなお直進しつづけてただひたすらやまないものこそは、この第一の型のいわば狂気のなかの永劫探求者にほかならぬのだ。」

「光あれといいて、光そこにあれば、
すべての悪、その光よりはじまりぬ。」

「おお、間違えてはならない。(中略)探すべき唯一無二の真の加害者たる初源の相手こそは、まさに(中略)「光」そのものにこそほかならぬのだ!」



「八章」より:

「――この小さな活字がみんな「さかさま」に彫られていながらそれぞれ意味をもっているのは、何か違った世界からの伝言でももたらしているようで奇妙な気がしますわ。」
「――そう、「さかさま」ね。(中略)だけど、お嬢さん、それぞれ小さな魂をもっているこの黒い活字の彫られ方も組み方も、すべてが「さかさま」になっているからこそ、逆さまでない生きた魂の意味をお嬢さんにはっきりと伝えるのね。」

「――私は、姉の夢をみたいと、毎晩、思っています。(中略)ところが、姉の夢は、数年に一回くらいで……何時も、安寿子さん、何時も、ですよ、まったく見知らぬひとやものやところが、出てきます。
――あっ……!
と言葉にならぬ低い胸奥からの叫びが、津田安寿子から洩れでた。
――見知らぬひとや、ものや、ところが、私のなかに、限りもなく「なくてある」のです。それは、(中略)私にも、安寿子さんにも……そしてまた、与志さんのなかにも、「隠れて」います。私がみた見知らぬものの「ほか」に、なおまだ、私が一生みないままに「隠れて」いるものは、それこそ、奥の奥の何処かの隅に「出てこぬまま」に、数限りもなくあります。そして……。
――そして! それが、人類滅亡のとき……その私達のなかに「隠れて」いる無数の何かが、「われならざる虚在のわれ」についになるんだわ! 解りました。黒川さんから話されてまるで解らなかった「未出現宇宙を引きだす創造的虚在」とかいう難かしい言葉を、これほどはっきり解り易く教えていただいたのは、貴方からがはじめてです!」



「九章」より:

「――左様で……。ここにひとりの人間が寝ていまして、その重さをはかりつづけている裡に、彼は夢をみますが、さて、夢をみましても、彼の重さにいささかの増加も変動もございません。つまり、夢、には、重さがございません。ところで、無限のなかの嘗ての「異宇宙」も無限を通ずる「未出現」も、そしてまた、無限のなかにやがてくる「異出現」も、まざまざと眺め得てしまうのは、夢、しかございません。これまた、つまり、夢のなかにあります「もの」のみこそ、無限存在的「存在」にほかなりませぬ。
――はーて、またまた異なことをうけたまわるものじゃな。もし、夜、目を閉じたまま、わしの頭の奥でみる、夢のなかでのもの、のみが、存在、なら、昼間、わしがこの確かな自分の眼でみるこの世のもろもろの存在のほうは、どうなるのかな。
――それを、通常、存在、と呼んでおりまするが、それは、谷間に架かった虹、の現象のごとくつかのまに消え失せる、いわば、医学で申しまする一過性の現象的存在にすぎませぬ。」



















































































埴谷雄高 『死霊 II』

「「そと」からつくられた私でなく、自らつくる私について考えに考えつづけて、全存在のすべてのすべてから「自身」をきっぱりとひき離す全存在への反抗と拒否を敢えて唯一の自己課題としたのは、この長い長い存在史のなかで、三輪ひとりしかいません。そして、その踏み出しの踏み出しを考えに考えつづけて、三輪は、そのはじめのはじめにいまも立ちどまっているのです。」
(埴谷雄高 『死霊』 より)


埴谷雄高 『死霊 II』

講談社 1981年9月8日第1刷
260p A5判 角背布装上製本 貼函 
定価1,400円
装幀: 辻村益朗



本書は長篇小説『死霊』の第四~六章を収録しています。
『死霊』には「マルクス兄弟」の影響があるに違いないです。「津田夫人」はマーガレット・デュモンそっくりです。観念スラップスティック自閉症ギャグ炸裂です。
そして『死霊』に最も近い文学作品は『大菩薩峠』です。


死霊2


目次:

四章 霧のなかで (「近代文学」 昭和23年5、9月号/昭和24年4月号、5・6合併号、7、8、11月号)
五章 夢魔の世界 (「群像」 昭和50年7月号)
六章 《愁いの王》 (「群像」 昭和56年4月特大号)




◆本書より◆


「四章 霧のなかで」より:

「すると、何処か遠くから……地殻が収縮しきって或る眼に見えない層をなしているような非常に遠い何処かの果てから、ゆるい、ひくい地響きが細々と、きれぎれに聞えはじめてきた。それは大地の上をのろのろと這って、回転してくるような地響きであった。それははじめはひくい、かすかな遠雷のように顫え、鳴り響いていたが、次第に近く、次第に速くなりゆくにつれて、霧粒と霧粒にはさまれた幅せまい乳白色の層も、暗い虚空も、ゆらぎ漂う霧の壁を押しゆるがす風も、すべてがざわめき、どよめきはじめた……。目に見えぬざわめきはざわめきを呼び、どよめきはどよめきを呼んで、顫えるような地響きが虚空を回転しゆくにつれて、彼をかこむ何処か真近かなあたりからかすかな忍び笑いすら起ってくるように思われた。それは厚くたれこめた霧の壁の裏側から起ってくるようにも思われた。
この果てもなく伝ってゆくざわめきを彼は知っていた。その目に見えぬざわめきが彼をかこむまわりに果てもなく起りはじめると、あの針の先端にそそりたつかぼそい一点へするすると化してゆくその自身が見えはじめるのであった。それは彼自身が《無限の縮小感覚》と呼んでいる瞬間であった。彼は次第に目に見えぬほどの一つのかぼそい微粒へ化してゆく……。それは彼にはっきりと見えた。巨大な孔口を開いてその内部が目眩む白銀色に輝いている漏斗の遙か底知れぬ彼方にぽつんと覗かれるかぼそい一点へまで一歩一歩踏み降りてゆく果てもなく微細な自身がはっきり見えるのであった。それは既に彼に親しい《宇宙的な気配》だったのである。」



「六章 《愁いの王》」より:

「――三輪の位置は、それ以前なのです。
――え、なんの以前なのですって……?
――私達が成立するまでの遠い前です。
――なあんですって? 私達が成立するまでの遠い前というのは、いったいどういうことでしょう……?
――それは、つまり、男と女の成立以前です。
と、なお瞑想しつづけて半ば眼を閉じたまま、(中略)黒川建吉は穏やかに答えた。」
「――というと……男と女の成立以前の与志さんは、どういうところにいるんです……?
――はじめのはじめ、です。
――なあんですって? 与志さんは、はじめのはじめ、といったところにいるんですって?
――そうです。そのはじめのはじめの位置に、三輪は立ちどまっているのです。
――まあ、まあ、まあ、しかも、与志さんはそこに動きもせず立ちどまっているのですって……。
――そうです。
――すると、そんな遠いところに動きもせず立ちどまっている与志さんはいったい何んなのでしょう……。
――まったく孤独に考える単細胞、それがほかならぬ三輪の位置です。」
「――そうです。ほかのものがそれぞれ目標もなしにやたらに動き廻るさまざまな生物になりおおせたのに、三輪はそこに立ちどまったまま考えているのです。
――でも、何故与志さんは孤独に考えたままその場に立ちどまっているのでしょう……?
と、足先をまた冷たい掌にでも不意に掴まれたふうにぶるんと身顫いしながら、津田夫人はやっと聞き返した。
――そのままで、細胞分裂したくないからです。
と、なお半ば眼を薄暗く閉じた黒川建吉はゆっくりとつづけた。
――私達がよく知っている種類の細胞分裂は、すべて、「外界」を自身に取りいれることによって、第二の自身に辿りゆくのです。そうした自ら気づかぬ自己偽瞞へ向って踏み出したくないので、三輪はそのはじめのはじめに立ちどまったまま考えているのです。
――まあ、なんてことでしょう! 自分から自分を生み出す細胞分裂が自ら気づかぬ自己偽瞞だなんて――自然を、この自然の営みをまるで侮辱していますよ。
――いや、あらゆる細胞分裂は、「外界」から何かを盲目的にとりいれ、これまでの存在以外の何ものにもなり得ぬことによって、むしろ自分自身を侮辱しているのです。三輪は、そうした種類の「自己増殖」を拒否しているのです。」
「――そんな細胞分裂がしたくなければ、どんな自己分裂を与志さんはしたいのでしょう?
――自分自身だけによる唯一無二の自己増殖です。
――まあ、まあ、まあ、そんな無理をつづけて、与志さんはいったいこの世で何になりたいというんでしょう?
――これまでの存在のなかにも、これからの存在のなかにもまったくない三輪自身による「自己自身」のまったく新しい、まったく怖ろしい「宇宙はじめて」の創出がそこにあります。そのとき、この世界のすべては一変する筈です。
――なあんですって? これからの存在のなかにもまったくない宇宙はじめての「自己自身」とはいったいどういうものでしょう? はじめからお願いしているように、もっと解り易く私にものみこめるようにいって下さいな。
――「そと」からつくられた私でなく、自らつくる私について考えに考えつづけて、全存在のすべてのすべてから「自身」をきっぱりとひき離す全存在への反抗と拒否を敢えて唯一の自己課題としたのは、この長い長い存在史のなかで、三輪ひとりしかいません。そして、その踏み出しの踏み出しを考えに考えつづけて、三輪は、そのはじめのはじめにいまも立ちどまっているのです。」






































































『埴谷雄高作品集 1 死靈』

「惡意と深淵の間に彷徨いつつ
宇宙のごとく
私語する死靈達」

(埴谷雄高 『死靈』 より)


『埴谷雄高作品集 1 死靈』

河出書房新社 
1971年3月25日初版発行/1974年3月1日9版発行
324p A5判 角背紙装上製本 貼函 定価2,000円
装画: 駒井哲郎
装本: 杉浦康平

月報 1:
『死靈』成立の外的条件(荒正人)/埴谷雄高(堀田善衛)/埴谷さんの存在(寺田透)/非地球的人間(北杜夫)



本著作集は基本的に新字・新かなづかいですが(ただし拗促音(「っ」「ゃ」「ゅ」「ょ」)は大きい「つ」「や」「ゆ」「よ」で表記されています)、本巻(長篇小説『死靈』の第三章までを収録)に限り、本文は正字・新かなづかいになっています。


埴谷雄高作品集1-1


目次:

死靈 (「近代文学」 昭和21年1月号~23年3月号)
 一
 二
 三

『死靈』考 (吉本隆明)
解題 (白川正芳)



埴谷雄高作品集1-2



◆本書より◆


「自序」より:

「ここにやつと序曲のみまとまつたこの作品について、その意圖を述べるつもりはない。けれども、この作品が非現實の場所を選んだ理由については一應觸れておきたい。開巻冒頭にこの世界にあり得ぬ永久運動の時計臺を掲げたのは、nowhere, nobody の場所から出發したかつたためであり、また、そのような小さな實驗室を設定することなしにこの作品は一歩も踏み出し得なかつたのだから。
非現實――この言葉はそれ自身多くの問題を含んでいる。私自身の解釋によればこうである。そこは虚妄と眞實が渾沌たる一つにからみあつた狭い、しかも、底知れぬ灰色の領域であつて、嚴密にいえば、世界像の新たな次元へ迫る試みが一歩を踏み出さんとしたまま、はたと停止している地點である。謂わば、夢と覺醒の間に横たわる幅狹い地點である。私はかかる地點を愛する。けれども、また同時にかかる地點から一歩も踏み出し得ない自身に私は苛らだつ。私はそこから一歩も踏み出したくない。にもかかわらず、私はその一歩を踏み出さねばならない。」



「死靈 一」より:

「最近の記録には嘗て存在しなかつたといわれるほどの激しい、無氣味な暑氣がつづき、そのため、自然的にも社會的にも不吉な事件が相次いで起つた或る夏も終りの或る曇つた、蒸暑い日の午前、××風癲病院の古風な正門を、一人の痩せぎすな長身の青年が通り過ぎた。」

「凡ての寄宿生の義務として、寄宿舎外に寝起きすることは許されなかつたが、長い期間にわたる一種説明もなしがたいほどの固執の結果、黑川建吉は寄宿舎外の小圖書館の一室内に一人住みこむ許可を得たのであつた。彼は醫しがたい變人と見做された。放課後の大半の時間を圖書館内に据えつけた彼は、就寝時間となつても寄宿舎内へ戻らなかつた。集團生活に約束された規定を無視した彼の態度は、はじめ鎭めがたい紛議を學内にもたらした。集團生活に於ける義務についての充分な説得が行われたし、また屡々、舎監自身小圖書館へ足を運んで訓戒したが、凡てが徒勞に終つた。」

「――つまり……療りつつあるのですか?
と、無感動な調子で訊いた三輪與志に、岸博士は落着いて答えた。
――療ることは……不可能でしよう。
――不可能ですつて? あの娘は痴呆症のようですが……。
――そう、麻痺性痴呆です。
と、岸博士は人懷こそうな微笑を再び浮べながら、双方の掌を三輪與志の前へ差し出した。
――あの娘は……綾取りの天才です。こう兩方の掌へ絲をかけて色んな模様にしてみる遊戲ですね。私は患者を診察するとき、最初に、一本の鉛筆と紙を與えて何時までも放つて置くんです。すると、あの娘は實に見事な圖式を畫きました。美しい曲線と直線が組み合わされた、雜多な、複雜な構圖でした……。こうした觀察法は、醫者にとつても必ずしも效果のある仕事ではないのでして……そんな方法を全然無視する人もありますが、私自身はちよつとした興味をもつています。私が患者に求めるのは、一つの觀念なのです。
――一つの觀念……ただ一つの觀念を求められるのですか。
と、三輪與志は低い聲で訊き返した。
――そう、そこから出て、また、そこへ歸つてゆく一つの觀念ですね。醫者が患者の裡にこの一つの觀念を發見出來れば――治療の方法は單純化されます。思想家が或る基本觀念を求めるように、醫者が患者の裡に一つの觀念――一つの意志の原型に似た觀念を發見出來れば、醫者は直ちに或る單純な訓練の處方箋を書くことが出來るのです。つまり、患者は醫者にとつての子供に――そして、醫者は母になれば好いのです。貴方自身、子供の頃、お母さんから受けた教育をどんな風に記憶していますか。それは、單純な、しかも、繰り返された忍耐であつた筈です。
――一つの習慣……強制された習慣だつたといえるでしよう。
と、三輪與志は無表情に口をはさんだ。
――そう、絶えざる強制だつたのです。一つの觀念から生ずるさまざまな聯想を整理し、一定の聯想のみを絶えず習慣づける強制です。或る觀念から特定の行動のみしか生じさせなくする苛酷な訓練です。そして、私達が一定の型にはまると……おお、ところで、貴方は、私達が特定な、完全な型へはまると信じてられますか。
――信じて……いません。
――ふむ。私達は信じたくないのですね。けれども――まだ中學生の頃、教師の講義など聞かずに、小刀を巧みに使つて机の上へ彫刻ばかりしていた一人の友達を、私はよく想い出すことがあるんです。この友達は化學の實驗がことに嫌いで、化學實驗室は後方が高くなつた階段風な教室でしたが、その教室の机で彼の彫刻を施されていない場所は殆んどない位でした。他の學生達が或る知識を増加させてゆく時間に、まあ、それと同一量の彫刻を彼は増加させて行つて――知識と技能を比較し得るものとすれば、獲得されなかつた知識を補つてあまりあるほどの優れた技術を彼は會得した、といい得るのです。この友達が、いま、優れた彫刻家になつているかどうか、私は知りません。私が知つているのは――彼が來る日も來る日も一本の同一の線ばかり彫つていると假定すると、彼は果して何になり得たかということです。私は、彼と同じような患者を扱つたことがあります。
――ふむ、それは一つの觀念です!
と、三輪與志は低く呟いた。三輪與志を凝つと注視した若い醫者は輕く爪立つように躯を搖すつた。
――精神病醫にとつて躓きの石となる患者は、まあ、何らの意欲も認められぬ患者です。勿論、精神病自體が一つの意志障害も含んでいるのですから、その微かな意欲を探り出す作業が困難なことは當然ですが、患者のなかには、時折、あまりに美しすぎる精神の持主がいて、私達をまどわすことがあるんです。つまり、そこに生の痕跡も認められないような――つまり、精神と精神の在り方との間に一分の間隙もない患者ですね。
――おお、解りました!
と、三輪與志はゆつくり頷いて、つづけた。
――貴方が、先刻、あの娘の治療が不可能だといわれたのは、あの娘の描いた構圖と……綾取りとの間に、一定の生きた――つまり若しそういつてよければ、相互に齟齬した醜い觀念を、いまだに發見出來ないという意味だつたのですね。」

「――貴方はあの時計臺を御覧でしたか。
と、若い醫師は、少女達に聞えぬほどの低い聲で呟いた。
――此處からはつきり見えませんが、あの時計の文字盤には十二支の獸の繪が描かれています。長年この病院にいた一人の偏執狂があの時計の内部を製作したんです。手先の器用な男で、機械をいじつている姿は、精神病者とも見えなかつたのですが、非常な偏執狂で、奇妙なことに十二支の獸を守護神と崇め、部屋中に馬だの羊だのの繪をはりつけ――まあ、この部屋の有樣と同樣だつたのです。そう、この娘達の父親がその男で――時計職人の頃から、その守護神を大切にしたのも理由あつてのことでした。彼は、つまり、天空に祈りながら、永遠にとまらぬ時計を製作しようと目論んだのです。
――おお、永遠にとまらぬ時計……それは、『永久運動』の罠ではないですか?
――勿論、それは躓きの石でした。然し、自然は永久運動ではないか――と喝破した先人の言葉が、彼の腦裡に深く刻みこまれてしまつたのです。そして、少くとも、原理的には、彼は成功したといい得るんです。そこに二つ以上のものが存在すれば……例えば、そこに蛇と牛に似たようなものがいて互いに鬪えば、それは永遠ではないか、というのが彼の出發點でした。彼は苦心の果、非常に精妙な共鳴盤とぜんまいを製作して――時を敲つ震動が微妙にぜんまいへ作用し、絶えざる充足が行われるように、工夫を凝らしたんです。
――おお、それは成功です!
――そう、成功でした。
と、岸博士は微笑しながら、興味深そうに答えた。三輪與志はかすかに叫んだ。
――すると……あの時計は今もとまらずに動いてるんですか?
――動いてます。ところで、遺憾なことは、その永久運動たるや、彼に工夫された装置のみによつてでなく……あの時計が今も動いている理由は、彼が結局それて行つた出發點の原理によつて動かされているんです。つまり、二つ以上のものが存在する自然は、永久運動の基盤だ、という原理です。」



「死靈 二」より:

「それは眞夏にしては陽射しの弱い薄曇つた日の午後であつた。顫える大氣は蒸し暑く、何處からか漂つてくる強い潮風の匂いがした。ひよろ長い街路樹は熱つぽい波に洗われ、乾いた埃に白けきつた裏葉をきらめかせながらそよいでいた。雜沓が不意にとぎれ、そして、人々が再び動き出す瞬間、一種静謐な透明な空白が眼前に音もなく崩れてゆくような氣がする――そうした十字路でのことであつた。弱い陽射しは斜めに街路を横切つてその光線の彼方に窓に鎧戸をおろした高い建物が暗く凹んだ陰影をたたえて立つていた。夏季休暇中地方の高等學校から歸省していた三輪與志はその頃鋭い形をとりはじめた或る想念にその表情を酷しくひきしめながらふと立ち止つた。十二三の少女が斜めにすれ違いかけたまま立ち止つたのであつた。それは背丈の高い、瘠せぎすな、扁平な胸部をもつた羸弱そうな少女であつた。その瞳は大きく見開かれ、化石したような凝視が彼へ向けられていた。高い建物の蔭から流れ出た弱い陽射しを少女はその半面にうけていた。少女の頬へさしかかつて薄い陽炎をゆらめかせている微弱な光線の凝¥つと止つた鮮やかな形を、その後も三輪與志は刻印されたようにはつきり記憶していた。この斜めの琥珀色の陽射しを彼自身も正面から浴びていた筈なのであつた。少女はその位置に化石していた。呼吸を忘れたような鋭いひきつりが咽喉元をかすめ過ぎると、淡黄色の陽をうけた顔色がすーつと紙のように白くなつた。病氣だなと、三輪與志は氣付いた。彼はそのとき卒倒という發作がまるで石塔か何か重い垂直な物體をそのまま横倒しにするように起ることを知つたのである。彼はふいと手を差し出した。その少女が棒のように強直したまま斜め後ろへのめつた瞬間に抱きとめたが、彼はそのとき時間を微細な瞬間へ至るまで一瞬の狂いもなく嚴密に分割出來るような氣がした。一瞬一瞬に物體としての堅い固定した重みが加わつてくるのであつた。それは小さな玩具屋の店先であつた。彼は少女をかつぎこむとき道路際に陳列してある細い首をもたげた木製の白鳥をがらがらと押し倒し、そして、店奥から出てくるあわただしい人影や街路から寄り集つてくる人々から遁れるようにその場を立ち去つた。
すると、それから數日後、三輪與志は自宅でそれと同じ現象に遭つたのであつた。彼は二階から降りてくると階段脇の薄暗い部屋の扉をあけた。書庫になつているその部屋から本をとり出そうと思つたのである。彼は眼前に何か硝子のようなものがゆらりと浮び上つたような氣がした。數日前の少女の瘠せぎすな顔が思いがけず彼の眼前にあつた。薄暗い光線のなかで白く眼を光らせた少女のほのぐらい輪郭だけが浮んでいた。彼は思わず手を延ばした。すると、あの街上と同じようにその少女は棒のように前へよろめいたのである。」

「少年の頃、彼は森の境で一人遊んでいるときなどに、不意と怯えた。ひつそりと靜まつた森の何處かからかすかな地響きが起つてくるような氣がするのである。或は、何らの障害物もなく寂莫たる周圍から不意に湧きおこつてくる。それは驅りたてるような氣配であつた。如何に泣き喚いて駈け出そうとも、そこからの逃亡は不可能だと思われるような氣配であつた。」
「彼は愈々物靜かな、瞑想的な少年になつた。そうだ。自分の物想いに耽つて、とりとめもない視線を何處かに注いでいる少年になつたのである。成長した後の彼は、そうした子供らしからぬ瞑想的な風貌をもつた少年を見かけるたびに、胸を締めつけられるような物悲しさを覺えた。」
「少年にそぐわぬ瞑想的な顔付きをした彼は自身をひたすら掘つた。這い擴がつてくる煤煙がその空間から或る層を押しのけ驅りやるように、意識の奥を横切つてゆく氣配を、彼は涯の涯まで追い索めた。それは、暗い洞窟に沿つて羽ばたく蝙蝠の影のようなものの本體は是非とも明らかにされぬばならなかつた。それは、怯えやすい少年の魂をもつていた彼にとつて一種の自覺の機縁をなしていたばかりでなく、こうした謂わば宇宙的な氣配の怯えなくしては、自身自體があり得ぬとすら思われる貴重なものであつた。そして、彼は次第に悟つた、彼の暗い内面に觸手をもちあげ匍いまわりはじめる彼自身の怯えなくしては、如何なる氣配の増大もないことを。そして、さらに彼は豫感した、彼の怯えとくいちがつたように彼の意識を驅け抜けるこの宇宙的な氣配は何處かの果てで彼自身と合致せねばならぬことを。」
「彼が少年から青年へ成長するにつれて、少年期の彼を襲つたその異常感覺は次第に論理的な形をとつてきた。彼にとつて、あらゆる知識の吸収は彼自身の異常感覺に適應する説明を索める過程に他ならなかつた。それは一般的にいつて愚かしいことに違いなかつたが、《俺は――》と呟きはじめた彼は、《――俺である》と呟きつづけることがどうしても出來なかつたのである。敢えてそう呟くことは名状しがたい不快なのであつた。誰からも離れた孤獨のなかで、胸の裡にそう呟くことは何ら困難なことではない――そういくら自分に思いきかせても、敢えて呟きつづけることは彼に不可能であつた。主辭と賓辭の間に跨ぎ越せぬほどの怖ろしい不快の深淵が龜裂を擴げていて、その不快の感覺は少年期に彼を襲つてきた異常な氣配への怯えに似ていた。それらは同一の性質を持つていて、同一の本源から發するものと思われた。」



「死靈 三」より:

「ただ一度彼はその世に見捨てられたような、つつましげな老人の姿を見たことがある。それは蒼白い、靜かな月夜であつた。ひとびとも寝しずまつた夜更け、運河と橋の街から歸つてきた彼は、すでに遠くからその響きを聞いていた。彼は鑄掛屋の小舎の傍らの空地で、足をとめた。あの異國の若い男が街路へ持ち出した床机に腰をおろして、胡弓を彈いているのであつた。その傍らに一人の老人が身動きもせず、蹲つていた。彼等は滿身に蒼白い光をあびて、この世のものならぬような、或いは、それと把えがたい魂そのもののような、ひつそりと靜まりきつた氣配を漂わせていた。胡弓は啜りなき、噎びあげる、物悲しい音をたてた。蒼白い大氣のなかへ、こまかに震え沁みいるような響きであつた。それが亡國の響きとひとびとに呼ばれるのも誤りであるまいと思われるほどの侘しく、寂寥たる響きであつた。けれども、國が亡びようと、地球が冷えきつてしまおうと、それは彼等にとつていささかも關わりないことだつたのだろう。こんな靜かな蒼白い光のなかにこの世の身を月の光と化し、胡弓の音と化し得れば、それで好いといつたふうに、彼等はその悲痛な響きに深く沈みこみ、とけこんでいた。」

「もはや薄闇が四邊を覆つている或る夏の夕方、運河にそつて細長い建物を裏側から眺めている時、彼の屋根裏部屋上の高く大きく展いた破風から黑く羽ばたきたつ影があつた。薄闇の夜空へ斜めに切れるような影であつた。」
「この蝙蝠が彼の新たな隣人となつたのであつた。それは一匹の蝙蝠であつた。薄闇のなかに眼を光らせ、不安に顫え、脅かすような他からの音に全身を逆立てて怒つている一匹の蝙蝠なのであつた。この新たな隣人達の置かれた位置はなにかしら互いに似ていた。そしてもしそういつてよければ、僅か一枚の薄板を隔てたのみの彼等は、やがて互いに姿も見ぬ氣配のみの相手を愛するようになつたのであつた。孤獨者の場合、互いに見捨てられたような相手をふとした氣分から無性に虐めてみたくなることが、それにしても、あるものらしかつたが、然し、黑川建吉はそんな風にその蝙蝠を扱つたことは一度もなかつた。彼の性質は、愛するものをその位置に何時もそつと置いておき、ひたすら穏やかに見護つているのであつた。彼は、時折、ビール箱をひき寄せると、こつこつと低く天井板を叩いた。その屋根裏の蝙蝠はこうした彼の穏やかな音にやがて次第に慣れ、そして、その眞上へ這い寄つてくると、翼をゆするようにばさばさと答えた。時折は、その爪だつた後肢でそのあたりを輕く踏み歩いてみたり、下を窺つて躯を寄せてくる場合すらあつた。そういつて好ければ、彼等は互いに穏和な氣配を感じあつていたのである。そして、そんな親しい挨拶がすんだのち、その蝙蝠がまず宵闇のなかへもんどり打つて羽ばたき、飛び立つのであつた。その翼の音をゆつくり聞いて、それから、夕暮の街へ出てゆくのが、やがて、黑川建吉の日課になつたのであつた。」

「黑川建吉は深い息をひくと、この數年間胸裡に秘めつづけられた最後の言葉が泡立つ奔騰のように溢れ出てきたのであつた。
――おお、私は、肉體と精神の裡、精神へ賭ける。人間の優位を主張する。この宇宙が自然的に衰滅することなど決してなく、必ず人間的なものによつて破壊されると信ずる。人間は、この唯一無二の證明によつて、偉大な自己否定に達するのです!」

「三輪は可哀想です。
と、彼はぽつんと云つた。そして、彼は薄暗い隅へまたゆつくりと歩き出した。
――私には解る。彼は苦しいのです。あまり苦しいので、自身に負いきれぬ課題を自身の課題としなければ、とうてい、彼は生きてゆけないのです。彼は、考えてはならぬこと、不可能なことのみを考えた。重苦しい、どうしようもないほど巨大な、名状しがたい苦痛なしには、彼は何一つ考えられなかつた。(中略)おお、彼がとうてい存在し得ぬ場所を、彼の存在の立脚點とすること――それは怖ろしい矛盾だ。それは確かに、苦痛のみをもたらす怖ろしい矛盾に違いない。そして、その怖ろしい矛盾自體が、彼の生と思考を支える唯一の地盤になつた。そうなのです。その身をひき裂かれた場所へしか、彼はその身を置くことが出來なかつたのです。」

「――あの「ねんね」を君はよく知つている……?
――いや、向うから挨拶するだけだよ。
と、黑川建吉は短く答えた。
――僕はむしろ「神樣」の友達といつて好い。君が病院で見たという白痴の妹……その「神樣」や同じくらいな年頃の子供達を遊ばせてやることが、僕にはあるんだ。そう、あの大運河を通つている小蒸氣に「神様」を乘せてやつたことが何度かあつた。あの氣の好い白痴の妹は、水の上が好きなんだよ。何も話せないことが、却つて、美しい。そうなんだ、三輪。そして、僕もあの大運河を下つてゆくことが好きなんだ。」




埴谷雄高作品集






























































『埴谷雄高作品集 5 外国文学論文集』

「生を抑圧し、生を虐げるあらゆるものは、生を抑圧したというだけですでに認容されることはできない。」
(埴谷雄高 「ドストエフスキイに於ける生の意味」 より)


『埴谷雄高作品集 5 外国文学論文集』

河出書房新社 1972年5月10日印刷/同15日発行
315p 図版(モノクロ)i
A5判 角背紙装上製本 貼函 定価2,000円
装画: 駒井哲郎
装本: 杉浦康平

月報 2:
埴谷さんと存在感覚(椎名麟三)/埴谷雄高の永遠の女性(佐々木基一)/埴谷雄高的に(日野啓三)/瀕死の就床体験(遠丸立)



どうも、昼行灯です。リアルには屈しません。現実社会との交渉にも応じません。
「Boys be autistic !」


埴谷雄高作品集5


目次:

序詞――隕石 (「文芸」 昭和38年2月号)
ドストエフスキイと私 (筑摩書房 「ドストエフスキー全集」 月報 昭和37年10月~38年1月)
ポオについて (創元新社 「ポオ全集」 月報 昭和38年6、8、12月)
サドについて (現代思潮社 「白夜評論」 昭和37年6月号)
ドストエフスキイの方法 (『偉大なる憤怒の書』 後書 昭和18年6月)
ドストエフスキイの位置 (「文学」 昭和31年9月号)
ドストエフスキイに於ける生の意味 (『現代ヒューマニズム講座』 第4巻 昭和31年8月)
ドストエフスキイの二元性 (青木書店 「文学講座」 第8巻 昭和31年12月)
三冊の本と三人の人物 (ドストエフスキイ全集 月報 昭和28年3月)
一冊の本 『白痴』 (「朝日新聞」 昭和40年4月11日)
私の古典 (「東京新聞」 昭和40年7月7日)
読者と作中人物 (「世界文学全集」 月報 昭和31年11月)
若者の哲学――六月一五日の記憶 (「教養」 昭和37年3月号)
ラムボオ素描 (「コスモス」 3号 昭和21年8月)
ニヒリズムとデカダンス (筑摩書房 「文学講座」 第5巻 昭和26年4月)
メフィストフェレスの能動性 (中央公論社 「世界の文学」 月報 昭和39年7月)
モンテーニュとパスカル (筑摩書房 「世界人生論全集」 月報 昭和38年2月)
ルクレツィア・ボルジア――バルトロメオ・ダ・ヴェネツィアの絵 (「潮」 昭和44年8月号)
二十世紀文学 (「近代文学」 昭和30年1月号)
二十世紀文学の未来 (「東京新聞」 昭和33年2月4、5、6日)
証人エレンブルグ (「集英社世界文学全集 エレンブルグ」 解説 昭和40年8月)
権力の国境 (自立学校講義 「インデペンデント、レヴュ」 昭和38年6月)
悲劇の肖像画 (有斐閣 『人間と政治』 昭和35年2月)
転換期における人間理性 (筑摩書房 「講座現代倫理」 第7巻 昭和33年9月)
自由とは何か (筑摩書房 『理想の社会に至る道』 昭和35年10月)
自閉の季節 (「朝日ジャーナル」 昭和42年1月1日号)
宇宙のなかの人間 (「中央公論」 昭和36年6月号)
黒いランプ (「世界」 昭和42年1月号)

埴谷雄高の「場所」 (大江健三郎)
解題 (白川正芳)



埴谷雄高作品集5-2



◆本書より◆


「ドストエフスキイと私」より:

「私は、どちらかといえば、はっきりした夜型で、自分でもしかと解らぬような漠とした物思いに耽りながら昼中ぼんやりした顔つきをして黙つているのに、夕方、黄色い灯がともつてあたりが薄闇のヴェールにつつまれてくると、自分でも不思議なほど魂の奥底から活気づいてきて、何かを話しはじめるともはや停まらなくなるのであつた。ほら、こいつがとめどなくしやべりはじめたぞ、と、私の父はまだ少年である私を奇妙なやつだといつた、からかう眼つきで眺めながら、家族のものに知らせるのであつた。」
「私は、昼行燈(ひるあんどん)、と父から名づけられるほどそこにいるのかいないのか解らぬような無音なぼんやりした存在であつたが、やや長じるにしたがつて活字の魅力を覚えると、その無音の傾向はいよいよ増大したらしい。後年、私の少年時代を見知つている年長の知人は、私がよく茂つた高い樹の上にのぼつて枝に腰かけたまま読書している姿を記憶しているといつて、すでに輪郭がぼやけかけている遠い時代の記憶のさまざまな部分を私に思い出させるきつかけをつくつてくれたが、その薄暗い記憶のいくつかの断片を脳裡の奥から拾い出してみると、身体を悪くするから外で遊べ、としじゆう言われていた私は、ひそかに押入れの中に隠れ蝋燭の黄色い光の輪を書物にあてながら長い時間読み耽つていて、夕方がきたのも知らないでいたことが幾度もあつた遠い事態に気づいた。」

「夜と昼が逆さまになつたその生活の中で、闇は絶えず顔をつきあわせているところの私の親密な時間になつた。闇という伴侶がいなければまた私もないというぐらいの不思議な緊密な相補関係が私たちのあいだにできあがつてしまつたごとくであつた。そうなると、私はまだ夜の暗黒がやつてこない白昼においても、なんらかの闇を傍らにひきつれていなければ私自身でないような不安定な空虚を覚えざるをえないのであつて、まだ明るい午後に目覚めると、私は一冊の書物の中に閉じこめられた深い闇であるところの悪魔学の本を、さて、机の上に展くことになつたのである。」

「おそらく、わが国の歴史を通じて《ルンペン時代》と総括できるところのその不景気時代ほど多くの非就業者の大群を社会がかかえていた時代はなかつただろう。私はなんらの仕事にもつく見込みがないままにぼんやり過ごしたその長い期間に、昼まで寝ている怠惰な習慣をついに身につけ、一生是正されることもない永遠の怠け者となつてしまつた感がある。」



「ポオについて」より:

「私達の裡の誰もが、自分自身だけに属するところの孤独な、しかも果て知れぬ壮大な無限感に裏打ちされた一つの宇宙をもとうとしていることは、部屋の隅に何時までも遊んでいる子供が、たつたひとりで、倦きもせずに積木細工のバベルの塔を懸命に積み上げようとしていたり、足許に波が寄せてくるのを小さな堤防でふせぎながら砂の城を無心に築きつづけているさまを想い浮べただけで、明らかである。けれども、この子供のなかのひとには説明できないほど充実した果て知れぬ無限感をもつた宇宙も、バベルの塔が数段の高さで倒れたり、砂の城が寄せる波のなかで崩れたりするさまを幾度か繰り返して眺めている裡に、次第に積み重ねられてゆく微かな徒労感とともに、何処かの隅に置き忘れられた玩具のごとくに、暗い頭蓋の何処かにしまいこまれてしまいがちである。そして絶えず押し寄せてくる日常性の事物の波のなかで、それは、ついに、しまいこまれた場所も解らぬままに埋められてしまうのである。
ところで、そのとき、もしその子供に《闇への偏奇》といつた性質があれば、事態の推移はまつたく異なり、絶えず押し寄せてくる日常性の事物の波は、いつてみれば、小人国の海のさざ波といつた具合に、その小指の先を洗うくらいで、《闇への偏奇》をもつた彼の本質をいささかも覆いつくすことができぬばかりか、却つて逆に、日常性の事物の波に埋められようとすればするほど、闇への志向はひと筋に強まり、自分自身だけに属するところのその孤独な宇宙のかたちは、益々、自己増殖ふうにふくらんでゆくのである。」
「日常の生活は彼から灰色に断絶してしまい、不思議な生成の法則をもつたところの暗い、果てしもない拡がりをもつた彼の宇宙のみが彼の生活の本質となつてしまう。彼は自己のみが読む書物を書くところの詩人にして哲学者、即ち、飽くことのない妄想家になつてしまうのである。
恐らく、ポオの『ユリイカ』は、日常の生活から見捨てられた、このような暗い種属に支えられている。自己独自の宇宙のかたちを、いわば創造主になつたごとくに、妄想してみないものには、『ユリイカ』は、絶対に、無縁なのである。」

「ドストエフスキイが『カラマーゾフの兄弟』のなかの「大審問官」の章を書いたとき、中世のスペインに現われるキリストを前に置いた大審問官のとどまるところなき弁証の方向は私達の歴史の枠を越えようと懸命に試みているのであつて、私はこのような方向へ敢えてむかうところの文学を《不可能性の文学》と呼んでいるが、ポオの『ユリイカ』もまた《不可能性の文学》の一種に数えることができるだろう。一方、「大審問官」が歴史のなかの人間性を扱つて歴史そのものを越えてしまおうとしているのに対して、他方、『ユリイカ』は時空のなかの存在を扱つて、(中略)時空をも越えた何かに敢えて触れようという不思議な不可能性へ向かつているのである。このような方向へむかう文学は甚だ稀であるけれども、ポオやドストエフスキイの現存は、或る境界でもなお立ちどまらぬ人間性の不屈な駆使のたゆみなきかたちを私達に示すものとして、私達をなお彼等の先に駆りたてる力である。それは、私達に、いつてみれば、苦悩に充ちた暗い喜びと、悲痛な不屈の勇気を与える。」



「ドストエフスキイの位置」より:

「『白痴』についてストラーホフへ宛てた手紙のなかでよく知られている次のような言葉、「私は現実(芸術における)というものについて、独特の見解をもつています。大多数の人が殆んど幻想的なもの、例外的なものと見なしているものが、私にとつては時として現実の真の本質をなしているのです。現象の日常性や、それに対する公式的な見方は、私にいわせると、まだリアリズムではありません。」は、ただに確信ばかりでなく、実際だつたのである。」

「ドストエフスキイの弁証法は、恐らく原理的には未出発の弁証法と言い得る。一つのテーゼが言表し終らない裡にすでにアンチ・テーゼが出現してきて、さらにまたそれが出現し終らない裡に、もはや第三のテーゼが頭を擡げてくるのであつて、従つて、出発点の一点の上に立つてまさに足を挙げて走り出さんとして走り出し得ざるその「かくて無限に……」の系列のなかに閉じこもることの勇気は、絶えず同一の問題の出発点へ立ち戻つてくる極度の苦悩に耐えることと同義語である。」



「二十世紀文学」より:

「一流の作品がもつ陰翳と深みにまでサルトルが達しないのは、一口にいえば、デーモンが彼に憑いていないからであると思われる。払つても払つても彼につきまとつて解決を強要しつづける重し石のような問題が、窮極には、彼にないのである。」


「自閉の季節」より:

「狂おしい怒りがラムボオをパリの戦争へかり立てながら、しかも彼を引きとめていた思想というのは、「あらゆる感覚の、久しい、際限のない、合理的な錯乱によつて見者となる」見者論のことである。
このようなかたちの古典的自閉は、さて、いまもなお価値を失つていない。なぜなら、組織から戦争におよぶ現代のすべてにわたつて顛倒し、硬化している体系をさらに全面的に顛覆させるためには、一つの強烈な思想――いわば、久しい、際限のない、合理的な思考の錯乱によつてようやくその端緒がつかめるほどの思想の強烈さが必要だからである。」
「おそらく、秩序の側から非難と抑圧の措置をうけない種類の衝撃は、なんらの衝撃力にならないのである。そして、たとえわずか一歩の衝撃力にしても、ありきたりの軌道にのらないその発想には、まず、彼を呼んでいるパリ・コンミュンに対して敢然とストライキをおこなつたラムボオの自閉症に似た「合理的な錯乱」の長い考究と討論の期間が先行したに違いない。
しかし、これもまだわずか一歩を踏みだした衝撃力にすぎないのであつて、より苦痛な核心に進みゆくため、私たちはまだまだこの巨大な解体の時代のなかで「久しく、際限もなく」長くなお自閉しつづけなければなるまい。それが徒労になるか、あるいはパリ・コンミュンに匹敵する一つの思想に達するか判定できぬけれども、「達せねばならぬ」長い、長い自閉症の時期はまだつづいている。そして、それをやりとげないかぎり、現在、何においても、堕落せる知識人たらざるをえない私たちの心情の奥には、武田泰淳が『風媒花』において衝撃的に示したところのテーゼ、私たちが生きていること自体が他の何者かを殺すことになつているのではないか、という暗い情念が潜んでいなければならぬはずである。」
「現在は大量の戦闘方式より少数分散のゲリラ方式のほうが有効な時期である。けれども、大量方式にせよ、ゲリラ方式にせよ、殺人効果をもつ技術の優秀性によつて判定される殺人法にすぎぬのであるから、ゲリラの一兵士がなすべきことの第一は、森のなかの広い休閑地に横たわつて昼寝しながら、夕ぐれのうす暗い西の高い空間を国境を無視してかすめすぎる人工衛星の輝きをながめて、国家廃絶の何らかの思念の仄かな微光をまず追いもとめてみることからはじまるといえよう。」





















































































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

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