荒井献 『原始キリスト教とグノーシス主義』

「グノーシス主義は元来、歴史的文脈とは無関係に、いつ、どこででも生起しうる、反宇宙的・二元的実存理解による現存在の解明なのである。」
(荒井献 『原始キリスト教とグノーシス主義』 より)


荒井献 
『原始キリスト教とグノーシス主義』


岩波書店
1971年9月25日 第1刷発行
1990年11月5日 第8刷発行
xvi 402p 
A5判 丸背バクラム装上製本 機械函
定価3,800円(本体3,689円)



本書「序」より:

「本書は、既刊の拙著 Die Christologie des Evangelium Veritatis. Eine religionsgeschichtliche Untersuchung, Leiden 1964 の原稿脱稿(1963年)以後、1971年1月に至るまでの間に、わが国において、元来単独の形で公刊された19の論文から成り立っている。その意味で、本書はいわゆる論文集に過ぎない。しかし、われわれは各論文を本書の統一テーマに従って配列しただけではなく、それらに新しく手を加え、更に未発表の二つの論文を付加することによって、本書全体に一貫性を持たせたつもりである。」


横組み左開きです。


荒井献 原始キリスト教とグノーシス主義 01


目次:

はしがき
記号
略号
序: 本書の課題と構成

第Ⅰ部 原始キリスト教
 1 原始キリスト教の成立
  (1) 後期ユダヤ教
  (2) パレスチナ教団の成立
  (3) ヘレニズム教団の成立
  (4) 地域教会の成立
  (5) 初期カトリシズムの成立へ――結論にかえて
 2 エルサレム原始教団におけるいわゆる財産の共有制について
 3 エルサレム原始教団におけるいわゆる「ヘブライオイ」と「ヘレーニスタイ」の問題をめぐって――使徒行伝6章1―6節に関する教会史的考察
 4 義人ヤコブの殉教に関する新資料について
 5 原始キリスト教における教育思想の展開

第Ⅱ部 グノーシス主義
 第1章 いわゆる「グノーシス」とその発展
  1 反異端論者の「グノーシス」観――エイレナイオスの場合を中心として
  2 「魔術師」シモンとその伝承について
  3 バルベロ・グノーシス派とオフィス派について
  4 ヴァレンティノスの教説
  5 プトレマイオス派のグノーシス神話――その展開と構造
 第2章 ナグ・ハマディ文書のグノーシス主義
  1 ナグ・ハマディ文書の発見とグノーシス主義研究史上におけるその意義
  2 『アダムの黙示録』におけるフォーステール
  3 『ヨハネのアポクリュフォン』におけるソフィア・キリスト論
  4 いわゆる『この世の起源について』における創造と無知
  5 古代教会の伝承における使徒トマス――その宣教と神学
  6 『トマスによる福音書』――特に福音書正典との関係について
  7 『トマスによる福音書』におけるイエス
  8 『ピリポによる福音書』におけるイエス・キリスト
  9 『真理の福音』におけるキリスト論
 第3章 グノーシス主義の問題点
  1 グノーシス主義のイエス理解――いわゆる「グノーシス救済者神話」批判
  2 グノーシス主義の本質と起源について

引用文献
英文要約(Summary in English)
付記



荒井献 原始キリスト教とグノーシス主義 02



◆本書より◆


「グノーシス主義の本質と起源について」より:

「とにかく、動機史的方法が特定の宗教史的モチーフを史的に遡って説明しようとする限り、それは一種の regressus in infinitum のアポリアに陥らざるをえないであろう。」

「この意味で、ヨナス(H. Jonas)がグノーシス主義研究に導入した「実存論的」(existenzial)方法は、いままでの方法の持つアポリアを越えるものである。ヨナスは、グノーシス主義を、その内側からではなく、外側からとらえることに満足しない。彼によれば、グノーシス主義は決して単なる宗教混交現象ではなく、古代末期に固有な「反宇宙的」(akosmisch)「現存在の姿勢と、それに担われた根元的存在の説明」(Daseinshaltung und eine von dieser her getragene ursprüngliche Seinsdeutung)である。しかし、このようなヨナスによるグノーシス主義の実存論的解釈は、決してグノーシス主義の成立に関する既存の方法を排除するものではない。現にヨナス自身、グノーシス的 Daseinshaltung 成立の背景に、社会的「危機」に由来する人間の「不安」と「自己疎外」を想定しており、また、動機史的には明らかに「オリエント」の陣営に身を寄せているからである。」

「いずれにしても、われわれは現在、グノーシス主義に関する実存論的研究の成果を高く評価しなければならない。特に、それはたとえばビアンキ(U. Bianchi)による今日の宗教史的、なかんずく比較宗教学的研究の成果によっても支持されるからである。つまり、ビアンキによれば、グノーシス主義は、いつ、どこででも、お互いに史的な関係なしに自己を主張できる、反宇宙的・二元的 Geisteshaltung に基づく宗教思想運動であり、その意味でこれは、他の宗教思想から動機史的に導入できない、特定の実存理解なのである。シュンケが、「グノーシスはもともと導入できない」と言うとき、この場合のグノーシス」とは、グノーシス主義に固有な実存理解のことを指しているのであろう。
 しかし、ここでわれわれが注意しなければならないことは、グノーシス的 Geisteshaltung または Daseinshaltung が、それだけでグノーシス主義の全体を覆うものではないということであろう。それは、ヨナスが言うように、Daseinshaltung と、それによって担われた Seinsdeutung をも含むのである。そしてグノーシス主義者が、彼に固有な Daseinshaltung によってその Sein を deuten するとき、その客観化としての Seinsdeutung に当然用いられる宗教的諸モチーフは史的に導入できる、否、歴史家にとって、それは導入されなければならぬのである。ここで、あの動機史的方法が新しくその意味を持ってくるであろう。」

「さて、このような性格を持つグノーシス的 Daseinshaltung が、ユダヤ教―キリスト教という歴史的文脈の中で自己を客観化して、一つの歴史的形体としてのいわゆるキリスト教的グノーシス主義を成立せしめるとき、われわれはその中に、その本質を形成すると思われる三つのモチーフを確認できるのである。
 その第一は、究極的存在と人間の本来的自己がその本質において一つであるという認識(グノーシス)に救済を見出すという、救済的自己認識のモチーフである。人間がどこから来て、どこへ行くか、人間の本来的自己は何か、という問いへの答が、グノーシス主義におけるいわば「福音」である。そしてこの福音は、ナグ・ハマディ文書全体に共通する根本モチーフであるが、これは、なかんずくいわゆる『真理の福音』の主題を形成する。」
「ここでは明らかに、人間の起源と目的、つまり本来的自己を「認識する」(saune=γινώσκειν)ことが、「自己自身」(ûaleef=έαυτός)に帰ること、「自己に属するもの」(ïnnetenûf=τά ἑαυτοῦ)を回復すること、すなわち、人間の救済であることが告知されている。」

「さて、ここで人間の本来的自己の認識が救済であるとみなされている限り、救済さるべき人間の現実は、非本来的倒錯状況にあることが前提されている。つまりここには、本来的自己と非本来的自己という二元的人間観が前提されているのである。ここから当然、もし本来的自己が究極的存在に直接由来するとすれば、非本来的自己は何に由来したのであろうか、という問が起こってくるであろう。それは、宇宙そのものの創造者に由来する。そして、この創造者は究極的存在に対して敵対関係に立つのである。ここにわれわれは、グノーシス主義の本質を形成する第二のモチーフとして、反宇宙的二元論をあげることができるであろう。」
「しかし、『真理の福音』の主題は、このような人間観に即応する宇宙論そのものではない。従って、われわれはそれをむしろ、人間論・宇宙論をテーマとする『ヨハネのアポクリュフォン』の中に確かめるべきであろう。」
「究極的存在(父)の末端(ソフィア)が「無知」によって degradieren した結果、創造神(ヤルダバオト)が生じる。人間の魂(ψυχή)とからだ(σώμα)はこの創造神と彼に属する「諸力」(δυνάμεις)または「アルコーンたち」に由来するが、その「霊」(πνεύμα)は究極的存在に遡源する。つまり、人間は霊・魂・からだという三つの実体から成立しているが、現実には創造神とそれによって遣わされた「模倣の霊」(άντίµιµον-πνεύµα)の支配下にあって、本来的自己(霊)の由来と目的に関して無知になっている。究極的存在はその女性的属性である πνεύµα、ἐπίνοια、なかんずくソフィアを人間に遣わして、人間を救済する認識をもたらす――。ここにわれわれは、父とヤルダバオト、霊と模倣の霊、霊とからだという、二元論的宇宙論・人間論を確認できるであろう。」

「以上要約すれば、グノーシス主義はそれに固有な Daseinshaltung に基づく創作神話を伴うが、その本質は次のような三つのモチーフによって形成されている。(1)究極的存在と人間の本来的自己は本質において一つであるという救済の認識。(2)その前提としての反宇宙的二元論。(3)その結果として要請される、「自己」の啓示者または救済者。」

「以上の考察から、グノーシス主義の起源に関してわれわれは次のような結論を導き出すことができるであろう。グノーシス主義の本質を形成する第一のモチーフの素材はプラトニズムに、第二、第三のモチーフの素材はユダヤ教に遡源される。この二つの素材が出会いえたのは、ヘレニズム・ユダヤ教の領域において――ヨナスと共に注意深く言えば、「ユダヤ教に隣接し、それに自己をさらしている領域において(in a zone of proximity and exposure to Judaism)」――であろう。この領域において――おそらく社会的・心理的原因に誘発されて――反宇宙的・グノーシス的 Daseinshaltung が突発した。人々はこれによって、この領域に属するテクストを解釈して、彼らに固有なグノーシス主義を形成した。その時期がキリスト教成立以前であったか否かを正確に確かめることはできないが、しかし、グノーシス主義は少なくともキリスト教とは無関係に成立した。ナグ・ハマディ文書で見る限り、その成立地はエジプトであろう。そして、それがキリスト教と接触し、それに固有な救済者(たとえば「ソフィア」)を「キリスト」化することによって、いわゆるキリスト教グノーシス主義が成立したのである。」



























































































スポンサーサイト

大貫隆 訳・著 『グノーシスの神話』

「するとその雲が輝いた。その雲の中に一つのヌースが現れた。(中略)そのヌースは生まれざる霊に向かって突進した。それにはその霊との類似性が備わっていたからである。」
(「シェームの釈義」 より)


大貫隆 訳・著 
『グノーシスの神話』


岩波書店 
1999年1月27日 第1刷発行
307p 参考文献表5p
四六判 丸背紙装上製本 カバー
定価3,300円+税
装丁: 司修
カバー: ナグ・ハマディ文書写本Ⅶのパピルス断片



本書「あとがき」より:

「グノーシス主義は古代末期から近代に至るまで、地中海およびヨーロッパ文化の実にさまざまな領域(中略)において、表の文化に対する裏の文化として見え隠れしながら、連綿とその影響を及ぼし続けた。」
「グノーシス主義が有するこのような思想史的・文化史的な重要性にもかかわらず、わが国ではこれまで、グノーシス主義が生み出した本文そのもののまとまった形での紹介が立ち遅れていた。」
「しかし、今やこの欠も(中略)邦訳『ナグ・ハマディ文書』全四巻(中略)によって埋められることとなった。」
「その多種多様なナグ・ハマディ文書の本文を、多くのグノーシス主義教派がそれぞれ依拠した基礎神話を準拠枠として可能な限り整理した上、マンダ教とマニ教の神話も加え、必要最小限の解説を添えて読みやすい読本の形で提供することが本書の役割である。」



本書は2011年11月に「岩波人文書セレクション」版、2014年5月に「講談社学術文庫」版として再刊されています。
本文中図版(モノクロ)25点。


大貫隆 グノーシスの神話 01


帯文:

「人間の起源と終末を語る、もう一つの宗教的思考
ナグ・ハマディ文書、マンダ教・マニ教神話のエッセンス
アンソロジー: グノーシスとは何か」



帯背:

「グノーシス
入門」



目次:

Ⅰ グノーシス主義とは何か
 一 グノーシス主義の世界観と救済観
 二 グノーシス主義の系譜学
  1 史料
  2 歴史
  3 社会学的根拠

Ⅱ ナグ・ハマディ文書の神話
 一 世界と人間は何処から来たのか
  トポス1 否定神学
  トポス2 神々の流出
  トポス3 ソフィアの過失
  トポス4 造物神
  トポス5 造物神による世界の創造
  トポス6 造物神の思い上がり
  トポス7 造物神による人間の創造
  補論・シェームの釈義
 二 世界と人間は何処へ行くのか
  トポス8 啓示者の到来
  トポス9 仮現論と反仮現論
  トポス10 世界史
  トポス11 世界の終末
 三 今をどう生きるか
  トポス12 自己の認識と霊的復活
  トポス13 性的禁欲
  トポス14 洗礼
  トポス15 殉教か禁欲か
  トポス16 個々人の運命(個人的終末論)

Ⅲ マンダ教の神話
 一 マンダ教について
 二 『ギンザー(財宝)』の神話
  1 光の世界
   至高神
   第二、第三、第四の神々
   その他の神々(ウトラ)
  2 闇の世界
  3 世界(この世)の創造
  4 人間の創造
  5 救済論(終末論)

Ⅳ マニ教の神話
 一 マニとマニ教について
 二 マニ教の神話
  二つの原理・光と闇(§1)
  光の大地(『学術書目録』のみ)(§2)
  闇の大地(『学術書目録』のみ)(§3)
  サタンの生成(『学術書目録』のみ)(§4)
  二つの原理の闘い(§5)
  原人の出現(§6)
  原人が闇に呑み込まれる(§7)
  第二の召命「光の友」(§8)
  天と地の創造(§9)
  「光の船」の創造、光の濾過装置(§10)
  第三の召命(『評注蒐集』のみ)(§11)
  「光のアダマス」の派遣(『評注蒐集』のみ)(§12)
  闇の娘たちの出産(『評注蒐集』のみ)(§13)
  アダムとエバ(ハヴァー)(§14)
  イエスの派遣(§15)
  カインとハービール(アベル)(『学術書目録』のみ)(§16)
  シャーティール(セツ)の誕生と成長(『学術書目録』のみ)(§17)
  個々人の運命(『学術書目録』のみ)(§18)
  終末時の原人の再臨、楽園と奈落(『学術書目録』のみ)(§19)
  光の回収、世界大火(『学術書目録』のみ)(§20)
  図表・神々の系譜

結び グノーシス主義と現代
 グノーシス主義の終焉と残された傷痕
 移植されたグノーシス主義とその克服
 新霊性運動とグノーシス主義
 「終りなき日常」とグノーシス主義
 グノーシス主義のメッセージ
 グノーシス主義を超えて

あとがき
参考文献表



大貫隆 グノーシスの神話 02



◆本書より◆


「グノーシス主義の世界観と救済観」より:

「ストアでは宇宙万物と人間がマクロコスモスとミクロコスモスとして、(中略)大小の同心円として対応する。」
「ところが、このような同心円的な世界観と人間観が、ある日ある時、古代地中海とオリエントの世界の一隅で突如として破綻し、宇宙万物と人間の肉体が一転して暗黒の牢獄に見え始めたのである。」
「人間は自分が肉体と魂、すなわち本来の自己に分裂していること、その本来の自己がこの世界の何処にも居場所を持たないことを発見する。この世界に対する絶対的な違和感の中で、本来の自己がそれらを無限に超越する価値であると信じる。これこそグノーシス主義の世界観に他ならない。
 肉体の死こそは魂が解放される瞬間に他ならない。しかし、解放された魂は何処へ行くのか。その行く先は、(中略)魂の「いにしえの故郷」である。当然その在り処は惑星を超え、黄道十二宮を超え、目に見える宇宙万物を超えた彼方、ストアの哲人には思いも寄らなかった「世界ならざるもの」、すなわち世界の外でなければならない。」



「ナグ・ハマディ文書の神話」より:

「一口にナグ・ハマディ文書に含まれるグノーシス主義の救済神話と言っても、(中略)さまざまなグループによって生み出されたものの集まりであって、内容的には部分的に似たものはあっても、全く同じものは二つとして存在しない。」


「マンダ教の神話」より:

「マンダ教の人間観は強烈に二元論的である。人間の身体は地上の世界に由来し、魂は光の世界から来る。はじめに人間の身体が創造されるが、闇の世界の存在によって造られた肉体は、まだ魂が入っていないので、起き上がることができない。そこで光の世界からマーナー(魂)を連れてきて、その肉体の中に入れる。ゆえに、魂は地上の世界では捕らわれの身なのである。」
「従って、死こそ魂が肉体から解放され、光の世界へ帰還(上昇)すること、すなわち救済の出来事として捉えられる。とは言え、魂はただ死ぬだけで光の世界へ帰ることができるわけではない。その資格を得るためにこそ、マンダ教徒はさまざまな儀礼を遵守するのである。その中でも主要な儀礼は洗礼と死者儀礼の二つである。洗礼は生きている間から身を清め、活ける水、すなわち流水と接触することで光に触れ、光の世界出自の者にふさわしい状態を保つように務めるためのものである。死者儀礼は、マンダ教徒が死んだ後、その魂が光の世界への上りの道行を安全に乗り切り、無事光の世界へ到着できるように、地上に残された者たちが支援するための儀式である。」
















































































































































ハンス・ヨナス 『グノーシスの宗教』 秋山さと子/入江良平 訳

「異邦のものとはどこか他の場所からやって来て、ここには属さぬものである。したがって、ここに属する人々にとり、それは異質(ストレンジ)なもの、見慣れぬもの、不可解なものだ。だが逆にその世界の方も、そこに住む羽目に陥った異邦のものにとっては同じく不可解であり、故郷から遙か離れた異国のごときものである。かくして彼は余所者(ストレンジャー)の運命を忍ばねばならない。彼は危険に満ちた状況のなかで、孤独であり、庇護も受けず、理解されず、また理解することもない。苦悩と郷愁とが余所者の運命の一部をなしている。異国の地の風習を知らぬ余所者は、そのなかで迷い彷徨する。また、もし異国の地の風習にあまりに馴染んでしまえば、彼は自分が余所者であることを忘れ、そして別な意味で迷うことになる。すなわち彼は異邦の世界の誘惑に屈服し、みずからの出自から疎遠になってしまうのだ。(中略)この自己疎外(alienation from himself)のなかで悲嘆は消え去るが、実はこれこそ余所者の悲劇の頂点なのだ。そして復帰への第一歩は、みずからの異邦性を想起し、流離の地を流離の地として認識することである。郷愁が目覚めるところから帰還への道が始まるのだ。」
(ハンス・ヨナス 『グノーシスの宗教』 より)


ハンス・ヨナス 
『グノーシスの宗教
― 異邦の神の福音とキリスト教の端緒』 
秋山さと子/入江良平 訳


人文書院 
1986年11月30日 初版第1刷発行
1990年9月30日 初版第4刷発行
486p 
A5判 丸背紙装上製本 カバー
定価4,944円(本体4,800円)



本書「訳者後記」より:

「本書は Hans Jonas: The Gnostic Religion. The Message of the Alien God and the Beginnings of Christianity, 2nd. rev. ed., Boston, 1964 の全訳である。」


ヨナス グノーシスの宗教


目次:

謝辞
序文
第二版への序文
第三刷に際しての注記(一九七〇年)

 第一章 序論――ヘレニズムにおける東方と西方
  a 西方の役割
  b 東方の役割
第一部 グノーシスの文学――主要教義、象徴言語
 第二章 グノーシスの意味とグノーシス運動の広がり
  a 時代の精神的風土
  b 「グノーシス主義」という名称
  c グノーシス主義の起源
  d グノーシス的「知識」の本質
  e 資料の概観
  f グノーシス主義の基本信条の概要
 第三章 グノーシス的イメージとその象徴言語
  a 異邦のもの(エーリアン)
  b 「彼方」、「外」、「この世」、「他の世界」
  c 諸世界、アイオーン
  d 宇宙での居住と余所者の滞留
  e 「光」と「闇」、「命」と「死」
  f 「混合」、「散乱」、「一」、「多」
  g 「転落」、「沈下」、「捕囚」
  h 遺棄、恐怖、郷愁
  i 麻痺、眠り、酩酊
  j 世界の騒音
  k 「外からの呼び声」
  l 「異邦の人」
  m 呼び声の内容
  n 呼び声への応答
  o グノーシス的アレゴリー
  第三章付録 マンダ教語彙
第二部 グノーシス主義の諸体系
 第四章 シモン・マグス
 第五章 『真珠の歌』
  a テクスト
  b 注釈
 第六章 世界を創造した天使たち。マルキオーンの福音
  a 世界を創造した天使たち
  b マルキオーンの福音
 第七章 ヘルメス・トリスメギストスのポイマンドレース
  a テクスト
  b 注釈
 第八章 ヴァレンティノス派の思弁
  a ヴァレンティノス派の思弁的原理
  b 体系
  第八章への補遺1――諸元素のなかの火の位置
  第八章への補遺2――『ヨハネのアポクリュフォン』の体系
 第九章 マニによる創造、世界史、そして救済
  a マニの方法。彼の召命
  b 体系
  c グノーシス思弁――二類型の再論
第三部 グノーシス主義と古典精神
 第十章 コスモスのギリシア的評価とグノーシス的評価
  a 「コスモス」の観念とそのなかにおける人間の地位
  b 宿命と星たち
 第十一章 ギリシアの教説とグノーシスの教説における徳と魂
  a 徳の観念――グノーシス主義におけるその欠如
  b グノーシス的道徳
  c グノーシス的心理学
  d 結び――知られざる神
 第十二章 グノーシス主義の領域における最近の発見
  Ⅰ ケノポスキオン文庫について
  Ⅱ 真理の福音
  第十二章への付記
 第十三章 エピローグ――グノーシス主義、実存主義、ニヒリズム

訳者あとがき (秋山さと子)
訳者後記 (入江良平)
参考文献・文献補遺
固有名詞索引




◆本書より◆


「グノーシス的イメージとその象徴言語」より:

「「光の諸世界より来た大いなる第一の異邦の〈命〉、一切の業(わざ)の上に立つ至高のものの名において」――これはマンダ教文献に典型的な冒頭の句である。「異邦の」は「〈命〉」に常に付与される属性である。「命」はその本性からしてこの世にたいし異邦のものであり、状況によっては異邦のものとしてこの世のなかにある。」
「異邦の〈命〉という概念は、グノーシス言語の中で人が出会うきわめて印象的な言語象徴の一つであり、人間の言語の歴史全体の中でも以前には見られなかったものである。グノーシス文献全体を通じて、これと等価な表現は種々存在する。たとえば、マルキオーンには「〈異邦の神〉」ないし「〈異邦の者〉」、「〈他者〉」、「〈知られざる者〉」、「〈名を持たぬ者〉」、「〈隠れたる者〉」などの概念があるし、キリスト教的グノーシス文献の多くには「知られざる〈父〉」という概念がある。哲学でこれに対応するのは、新プラトン主義思想における「絶対的超越者」だ。しかし、それを神ないし至高の存在の属性とする神学的用法を別にしたとしても、「異邦の」という語(およびその等価語)には根源的人間経験の表現としての象徴的な意味がある。そしてその根底にある経験に関してとりわけ示唆的なのは「異邦の命」という組合せである。
 異邦のものとはどこか他の場所からやって来て、ここには属さぬものである。したがって、ここに属する人々にとり、それは異質(ストレンジ)なもの、見慣れぬもの、不可解なものだ。だが逆にその世界の方も、そこに住む羽目に陥った異邦のものにとっては同じく不可解であり、故郷から遙か離れた異国のごときものである。かくして彼は余所者(ストレンジャー)の運命を忍ばねばならない。彼は危険に満ちた状況のなかで、孤独であり、庇護も受けず、理解されず、また理解することもない。苦悩と郷愁とが余所者の運命の一部をなしている。異国の地の風習を知らぬ余所者は、そのなかで迷い彷徨する。また、もし異国の地の風習にあまりに馴染んでしまえば、彼は自分が余所者であることを忘れ、そして別な意味で迷うことになる。すなわち彼は異邦の世界の誘惑に屈服し、みずからの出自から疎遠になってしまうのだ。このとき彼は「家の息子」となる。これもまた異邦のものの運命の一部である。この自己疎外(alienation from himself)のなかで悲嘆は消え去るが、実はこれこそ余所者の悲劇の頂点なのだ。そして復帰への第一歩は、みずからの異邦性を想起し、流離の地を流離の地として認識することである。郷愁が目覚めるところから帰還への道が始まるのだ。これまで述べたことはすべて異邦性のこうむる「苦難」の側面に属している。だがこの異邦性をその出自の面から見るならば、これは同時に卓越のしるしでもある。それは力と秘められた命との源泉である。それは環境によっては知られず、窮極的には傷つけられることもない。というのも、この世の被造物はそれを把握しえないからだ。異邦的なるものの優越性はこの世にあってすら――たとえ秘かにであっても――彼を他のものとは区別しているが、その故郷ではこれが明らかな栄光となる。そしてその故郷はここの世の外にある。かくのごときが異邦的なるものの身分である。したがってそれは遠きにあるもの、到達しえぬものであり、その余所者性(ストレンジネス)〔ここのものでないこと〕はまさにその光輝を意味する。したがって窮極において異邦のものとは、完全に超越的なもの、「彼方のもの」である。つまりそれはまさに神の卓越せる属性をもつものなのだ。」

「放逐された者の原型、神により地上の「逃亡者にして放浪者」〔『創世記』四・一四〕に定められた者であるカインがプネウマの象徴へと昇格され、キリストに連なる系統の名誉ある地位をあたえられる。これはもちろん深い伝統に根づいた価値観にたいする意図的挑戦である。この選択は「もう一方の」側、すなわち伝統が忌み嫌うものの側に与しようとする異端の一つの方法であって、たんなる感傷的な判官びいきではなく、まして思弁的自由に淫するといったことではなくて、それよりずっと深い意義をもっている。(中略)おそらくこのような事例において問題なのは(中略)論争の一形式だと考えるべきかもしれない。いいかえれば、原典の解釈ではなく、その「偏向的」な書き換えなのだ。実際、このような場合グノーシス派が原典の正しい意味を取り出したと主張することはめったになかった――つまり「正しい」という語がその著者の意図した意味と解されるかぎりにおいては。なぜなら、聖書の著者とは、直接的であれ間接的であれ、彼らの大いなる敵対者、暗愚なる創造神に他ならないからである。」
「みずからカイン派を称したグノーシス宗派もあるが(中略)、カインの像そのものは、いま述べた方法の機能をもっとも顕著に示す一例というにすぎない。あらゆる時代にわたってこのような否定的人物を網羅した系列を構成することにより、歴史全体の反逆的解釈が成立し、これが意識的に公認の歴史に対立せしめられる。カインに味方するという立場は、聖書における「否認された人々」すべてに一貫して拡大される。」



「ギリシアの教説とグノーシスの教説における徳と魂」より:

「放埓主義にかわるものは禁欲主義である。この二つの行動の型は対立的であるが、グノーシス派の場合それらは同一の根から生まれており、同一の根本主張によって支えられていた。一方は過剰によって、他方は禁欲によって、それぞれ自然への忠誠を拒絶する。両者はともに世俗的規範の外側で生きるのだ。濫用による自由と不使用による自由とは、その無差別性において等価であり、同一の非宇宙主義の異なったあり方にすぎない。放埓主義は形而上学的反抗のもっとも傲慢な表現であり、その挑発的態度そのものが、世界への極度の軽蔑を意味する。世界は危険や苦難としてさえも相手にするに値しないのである。他方、禁欲主義は世界の腐食的な力を認める。それは世界に汚染される危険を真剣に受けとり、したがってその動機となるのは軽蔑よりもむしろ恐怖である。」


































































































































大貫隆 『グノーシス考』

大貫隆 
『グノーシス考』


岩波書店 
2000年1月26日 第1刷発行
xvii 390p 人名索引7p
A5判 丸背紙装上製本 カバー
定価7,600円+税
装丁: 高麗隆彦



本書「はしがき」より:

「荒井献氏と私との責任編集で一九九七年から九八年にかけて岩波書店から刊行されたナグ・ハマディ文書全四巻には、(中略)九文書の拙訳が収録されている。」
「本書に収めた計六篇の論考の内の四篇(Ⅰ―Ⅳ部)は、その試訳蓄積の過程で、特に最近の十年間に書き下したものであり、それぞれが扱う文書の試訳のために予め解決しておかなければならなかった問題、あるいは翻訳の途中で見えてきた問題を取り上げている。そのためにどの論考も文献学的研究となっており、内容的にはかなり専門的な議論も繰り広げているので、一般読者の方々には読みやすいものではないかも知れない。」



大貫隆 グノーシス考 01


帯文:

「異端、性的オルギア、カルト――
古代より、この宗教運動にまつわるイメージの被膜を裂いて、
グノーシス主義の本質に迫る
ナグ・ハマディ文書の日本語訳に結実した精密な文献研究を基礎に、宗教思想としてのグノーシスの可能性と限界を明らかにする。」



帯背:

「グノーシス主義
の実像」



カバーそで文:

「――グノーシスとは、古代末期の地中海世界に発生したもう一つの宗教運動の名であり、また中世からルネサンスへと諸教派の盛衰を閲して、精神史の太い流れをつくったある系譜の名称でもある。そして、神秘主義的思想と交差しながら伏流水となって近・現代に流れ込んだその水脈は、優に世界観上の代案と目されるようになる。
――宗教としてのグノーシスの本質に迫る四つの主題が、本書の構造を決定している。世界と向き合う実践的な態度を象徴する極端な禁欲の形、キリスト教正典との比較を通して鮮明に浮かび上がる独自の救済論・救済者論、至高の存在を指し示そうとする否定神学の思考構造とその限界、そしてそれらの神話と教説を統合する物語のユニークな戦略である。
――グノーシスとは何か。その緻密な神話・教義体系を組み上げる原理とスタイルは、ストアや中期プラトニズムなど、同時代の思潮とのどのような影響関係から生成したものか。宗教思想としてのポジとネガには、現代を考える上で参照されるべきヒントが果たして隠されているのだろうか――文献の精密な解読を基礎として、これらの問いに答えようとする、三十年におよぶグノーシス研究の集大成。」



目次:

はしがき
旧約・新約聖書 諸文書略号表

Ⅰ 古代キリスト教における禁欲主義の系譜
    ――グノーシス主義、外典使徒行伝、初期修道制
 はじめに
 第1章 子宮としての世界――グノーシス主義の性的自然観と禁欲主義
  一 グノーシス主義における「子宮」のイメージ
  二 子宮としての世界
   1 肉体の死、すなわち子宮からの脱出
   2 肉体の誕生、すなわち子宮への墜落
   3 実践的帰結――世界を破滅させるための禁欲
  三 「子宮としての世界」をめぐる思想的類例
 第2章 禁欲の闘技者――外典使徒行伝の性倫理
  一 性をめぐる葛藤の三つのパターン
  二 エンクラティズム
 第3章 「人類を神と和解させるために」――エジプトにおける独居型および共住型修道制の禁欲主義
  一 アントニウスとパコミオス
  二 禁欲の実践と神学
 結びにかえて 慎み深い結婚生活――正統主義の性倫理
 [補論] 狂犬病――悪霊と砂漠の媒介項
  一 犬のイメージとマタイ福音書一二章43―45節/ルカ福音書一一章24―26節
  二 ユダヤ教およびキリスト教文献の証言
  三 ヘレニズム文化圏の証言
  まとめ

Ⅱ ヨハネの第一の手紙序文とトマス福音書語録一七
    ――伝承史的関連から見たヨハネの第一の手紙の論敵の問題
 第1章 本文の分析・問題提起
 第2章 トマス福音書語録一七の伝承史的位置
  一 コリント人への第一の手紙二章9節との類似性
  二 伝承の起源
  三 伝承の経路
  四 礼典式文の系譜
  五 グノーシス主義の系譜
  六 「主の言葉」の系譜
  七 「手がまだ触れず」の問題
  八 コリント人への第一の手紙二章9節との伝承史的関係
 第3章 ヨハネの第一の手紙一章1節とトマス福音書語録一七の伝承史的相互関係

Ⅲ 女性的救済者バルベーロー・プロノイアの再来
    ――『ヨハネのアポクリュフォン』の文献学的研究
 はじめに――問題の所在
 第1章 バルベーローとプロノイアの同一視とその役割の拡大
  一 単語「プロノイア」の分布
  二 短写本の現況
  三 長写本の現況
 第2章 バルベーロー・プロノイアと世界史
 第3章 『ヨハネのアポクリュフォン』の枠場面におけるプロノイア

Ⅳ 三つのプロノイア
    ――グノーシス主義、ストア、中期プラトン主義の関係をめぐって
 はじめに
 第1章 グノーシス主義のプロノイア論
  一 『ヨハネのアポクリュフォン』
  二 『この世の起源について』
  三 その他のグノーシス主義文書
  まとめ
 第2章 中期プラトン主義のプロノイア論
  一 偽プルータルコス『宿命について』
  二 アプレイウス『プラトンの生涯と教説』
  三 アルキノス『プラトン哲学要綱』
  四 学派伝承の起源の問題
 結びにかえて――評価と展望

Ⅴ 否定神学の構造と系譜
    ――中期プラトン主義とナグ・ハマディ文書
 はじめに
 第1章 アルキノス『プラトン哲学要綱』(抜粋)
 第2章 『ヨハネのアポクリュフォン』との比較
  一 否定神学
  二 イデアとプレーローマの神々
  三 質料と「物質」
  四 「世界霊魂」とヤルダバオート、「他の神々」とアルコーンたち
  五 人間の魂
  六 人体解剖学
  七 魂の移住と人間の相異なる死後の運命
  八 宿命論
 結びにかえて――評価と展望

Ⅵ グノーシスと現代思想
 はじめに
 第1章 実存主義とグノーシス――寄る辺なき自己の神話
 第2章 深層心理学とグノーシス
  一 魂の内なる旅の神話
  二 「自己」の無限膨張と他者喪失
 第3章 新約聖書とグノーシス――結びにかえて
  一 神の到来と自己放棄
   1 イエス
   2 パウロ
   3 ユングへの答え
   4 ヨハネ
  二 強迫観念の体系――初期カトリシズム

初出一覧
人名索引



大貫隆 グノーシス考 02



本書からはとくに引用したい文章はないです。






































































































































荒井献+柴田有 『ヘルメス文書』

荒井献+柴田有 訳 
『ヘルメス文書』


朝日出版社 
1980年12月25日 初版発行
1993年6月15日 第四版発行
456p 文献表xiv 口絵(カラー)4p
A5判 丸背クロス装上製本 カバー
定価6,000円(本体5,825円)



本書「解説」より:

「古代ヘルメス文書は前三―後三世紀、エジプトで生れた。本書はその一部を対象とした訳註である。一部と言うのは、訳者が適宜選択したという意味ではなく、中世以前からひとまとまりのものとして扱われてきた、ヘルメス文書中の一部である。この部分を欧文では「コルプス・ヘルメティクム」(Corpus Hermeticum)と呼びならわしており、我々は『ヘルメス選集』と試訳する。『ヘルメス選集』は第I―XVIII冊子まであり、ほとんど全冊子が宗教・哲学的な内容のものとなっている。今日知られているヘルメス文書の範囲で最も代表的な部分であることは、周知の通りである。」
「実は『ヘルメス選集』の訳註は、今回初めてなされたのではなく、荒井献と私との共訳として既に月刊「エピステーメー」(朝日出版社)に連載してあった。これは、一九七五年一〇月号(創刊号)から一九七八年五月号にわたる長期連載であった。今回はこの連載稿に手を加えた上で単行本にまとめたのである。連載時との違いは、何よりも無数の追加・さく除・訂正であり、この外、第I冊子「ポイマンドレース」は全面的に改めた。」



本書は、荒井・柴田共訳となっていますが、本書「あとがき」によるといろいろ大人の事情があったようで、実質的には柴田訳(柴田氏に文責がある)ということであります。


ヘルメス文書 01


目次:

略号・記号について

解説 (柴田)
 Ⅰ 本訳註について
 Ⅱ ヘルメス文書
 Ⅲ ヘルメス選集

ヘルメス選集 訳・註 (訳: 荒井・柴田/註: 柴田)
 CH I  ヘルメース・トリスメギストスなるポイマンドレース(略称「ポイマンドレース」)
 CH II  (表題欠)
 CH III  ヘルメースの聖なる教え
 CH IV  ヘルメースからタトへ――クラテールあるいは一なる者(略称「クラテール」)
 CH V  ヘルメースから子タトへ――不明なる神が最も鮮明なること
 CH VI  善は神のうちにのみあり、ほかにはどこにもないこと
 CH VII  神に対する無知が人間における最大の悪であること
 CH VIII  存在するものは何一つ消滅しないのに、迷妄の輩は変化を消滅とか死と呼んでいること(略称「回帰」)
 CH IX  知性と感性について
 CH X  ヘルメース・トリスメギストスの『鍵』(略称「鍵」)
 CH XI  ヌースからヘルメースへ(略称「アイオーン」)
 CH XII  ヘルメース・トリスメギストスからタトへ――普遍的叡知(ヌース)について(略称「普遍的叡知(ヌース)」)
 CH XIII  ヘルメース・トリスメギストスが山上で子タトに語った秘められた教え――再生と沈黙の誓いについて(略称「再生」)
 CH XIV  ヘルメース・トリスメギストスからアスクレーピオスへ――ご機嫌よう
 CH XV  (欠番)
 CH XVI  アンモーン王に宛てたアスクレーピオスの解義――神について、質料(ヒュレー)について、悪について、運命(ヘイマルメネー)について、太陽について、叡知的本質について、神的本質について、人間について、統一的な構成について、七つの星辰について、像にかたどられた人間について(略称「統一(プレーローマ)」)
 CH XVII  (表題欠)
 CH XVIII  身体の受動の下に阻害されている魂について

あとがき (荒井/柴田)
文献表 (柴田)




◆本書より◆


「ポイマンドレース」より:

「「さて、神なるヌースは男女(おめ)であり、命にして光であるが、ロゴスによって造物主(デーミウールゴス)なるもう一人のヌースを生み出した。彼は火と霊気の神であって、ある七人の支配者を造り出した。この者たちは感覚で把握される世界(コスモス)を円周によって包んでいて、その支配は運命(ヘイマルメネー)と呼ばれている。

神のロゴスはただちに下降する元素から飛び出して、フュシスの清い被造物の中に入り、造物主(デーミウールゴス)なるヌースと一つになった――それ(ロゴス)は(造物主なるヌースと)同質であったからである。そこでフュシスの下降する元素は、ロゴス無きままに取り残され、質料(ヒュレー)は孤立して存在した。

さて、造物主(デーミウールゴス)なるヌースはロゴスと共にあって、(世界の)円周を包み、(これを)シュルシュルと回す者であって、自分の被造物を回転させ、限りない始めから無限の終りの時まで回転するままにしておいた。それは、終る所で始まるからである。ところで、被造物の円転運動は、ヌースの意のままに、下降する元素からロゴス無き生き物をもたらした――それはロゴスを持っていないのである。すなわち、空は飛ぶものを、水は泳ぐものをもたらした。それから、土と水とは、ヌースの意のままに、互いに分離し、〈土〉は自分の中から孕んでいたもの、すなわち四足獣〈と〉這うもの、野獣と家畜とを産出した。

さて、万物の父であり、命にして光なるヌースは自分に等しい人間(アントローポス)を生み出し、これを自分だけの子として愛した。と言うのも、彼は父の像を持っていて甚だ美しかったからである。すなわち、父も本当に自分の似姿を愛したので、自分の全被造物をこれに委ねたのである。

そこで人間(アントローポス)は(天界の)火の中に造物主(デーミウールゴス)の創造を観察し、自らも造物したいと思った。そして彼は(これを)父から許可された。(世界の)全権を得ようとして彼は造物の天球に至り、兄弟の被造物(七人の支配者)を観察した。すると、彼ら(七人)は彼を愛し、それぞれが自分の序列(に属するもの)を(彼に)分け与え始めた。彼らの本質を学び尽し、彼らの性質に与ると、彼は円周の外輪を突き破り、火の上に坐する者の力を観察したいと思ったのである。

そして、死ぬべき、ロゴス無き生き物の世界に対する全権を持つ者(人間(アントローポス))は、天蓋を突き破り界面を通して覗き込み、下降するフュシスに神の美しい似姿を見せた。フュシスは、尽きせぬ美しさ〈と〉、支配者たちの全作用力と、神の似姿とを内に持つ者を見た時、愛をもって微笑んだ。それは水の中に人間(アントローポス)の甚だ美しい似姿の映像を見、地上にその影を見たからである。他方彼は、フュシスの内に自分に似た姿が水に映っているのを見てこれに愛着し、そこに住みたいと思った。すると、思い(プーレー)と同時に作用力が働き、彼はロゴス無き姿に住みついてしまったのである。するとフュシスは愛する者を捕え、全身で抱きしめて、互に交わった。彼らは愛欲に陥ったからである。

この故に、人間はすべての地上の生き物と異り二重性を有している。すなわち、身体のゆえに死ぬべき者であり、本質的人間のゆえに不死なる者である。不死であり、万物の権威を有しながら、運命(ヘイマルメネー)に服して死ぬべきものを負っている。こうして(世界)組織の上に立つ者でありながらその中の奴隷と化している。男女(おめ)なる父から出ているので男女(おめ)であり、眠ることのない父から出ているので眠りを要さぬ者であるのに、〈愛欲と眠りによって〉支配されているのだ」。」

「「よし、おまえは正しく知解した。それでは、神の言葉(ロゴス)が言うように『自己を知解した者は彼(神)に帰る』のはなぜか」。
私は言う、
「それは、一切の父が光と命とから成り、人間(アントローポス)は彼から生れたからです」。
「おまえの答は正しい。神にして父なる者は光であり命である。人間(アントローポス)は彼から生れた。そこで、神が光と命とからなることを学び、自らもこれらから成ることを学ぶなら、お前は再び命に帰るであろう」、
こうポイマンドレースは語った。
私は言った、
「でも、もっと私に語って下さい。この私はどのようにして命に帰るのでしょうか、わがヌースよ。」」

「これについてポイマンドレースは語った、
「先ず、物質的な身体の分解において、お前は身体そのものを変化に引き渡し、お前の有する形姿は見えなくなる。そして(身体の)性向(エートス)をダイモーンに引き渡して無作用にする。また身体の諸感覚は、部分部分に分れ、共々に上昇して再び作用力を得つつ、自分の源へと帰昇する。また、情熱と情欲とはロゴスなきフュシスの中に帰る。

こうして人間は、界面を突き抜け、さらに上へと急ぎ、第一の層には増滅の作用を、第二の層には悪のたくらみを、計略を、無作用のまま、第三の層には欲情の欺きを、無作用のまま、第四の層には支配の顕示を、(もう)願わしくないまま、第五の層には不遜な勇気と敢えてする軽卒を、第六の層には富の悪しき衝動を、無作用のまま、第七の層には隠れ潜んだ虚偽を返す。

すると、彼は組織の作用力から脱し、本来の力となって第八の性質(フュシス)に至り、存在する者たちと共に父を讃美する。そこに居る者たちは彼の到来を喜ぶ。彼は共に居る者たちと同化され、また、第八の性質(フュシス)の上にいる諸力が何か甘美な声で神を讃美しているのを聞く。すると、彼らは秩序正しく父のもとに昇り、諸力に自らを引き渡し、諸力となって、神の内になる。神化、これこそが認識(グノーシス)を有する人々のための善き終極である。」」





























































































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー

最近の記事
カテゴリー
ブログ内検索
リンク
フリーエリア
netakiri nekotaroの最近読んだ本