大貫隆 訳・著 『グノーシスの神話』

「するとその雲が輝いた。その雲の中に一つのヌースが現れた。(中略)そのヌースは生まれざる霊に向かって突進した。それにはその霊との類似性が備わっていたからである。」
(「シェームの釈義」 より)


大貫隆 訳・著 
『グノーシスの神話』


岩波書店 
1999年1月27日 第1刷発行
307p 参考文献表5p
四六判 丸背紙装上製本 カバー
定価3,300円+税
装丁: 司修
カバー: ナグ・ハマディ文書写本Ⅶのパピルス断片



本書「あとがき」より:

「グノーシス主義は古代末期から近代に至るまで、地中海およびヨーロッパ文化の実にさまざまな領域(中略)において、表の文化に対する裏の文化として見え隠れしながら、連綿とその影響を及ぼし続けた。」
「グノーシス主義が有するこのような思想史的・文化史的な重要性にもかかわらず、わが国ではこれまで、グノーシス主義が生み出した本文そのもののまとまった形での紹介が立ち遅れていた。」
「しかし、今やこの欠も(中略)邦訳『ナグ・ハマディ文書』全四巻(中略)によって埋められることとなった。」
「その多種多様なナグ・ハマディ文書の本文を、多くのグノーシス主義教派がそれぞれ依拠した基礎神話を準拠枠として可能な限り整理した上、マンダ教とマニ教の神話も加え、必要最小限の解説を添えて読みやすい読本の形で提供することが本書の役割である。」



本書は2011年11月に「岩波人文書セレクション」版、2014年5月に「講談社学術文庫」版として再刊されています。
本文中図版(モノクロ)25点。


大貫隆 グノーシスの神話 01


帯文:

「人間の起源と終末を語る、もう一つの宗教的思考
ナグ・ハマディ文書、マンダ教・マニ教神話のエッセンス
アンソロジー: グノーシスとは何か」



帯背:

「グノーシス
入門」



目次:

Ⅰ グノーシス主義とは何か
 一 グノーシス主義の世界観と救済観
 二 グノーシス主義の系譜学
  1 史料
  2 歴史
  3 社会学的根拠

Ⅱ ナグ・ハマディ文書の神話
 一 世界と人間は何処から来たのか
  トポス1 否定神学
  トポス2 神々の流出
  トポス3 ソフィアの過失
  トポス4 造物神
  トポス5 造物神による世界の創造
  トポス6 造物神の思い上がり
  トポス7 造物神による人間の創造
  補論・シェームの釈義
 二 世界と人間は何処へ行くのか
  トポス8 啓示者の到来
  トポス9 仮現論と反仮現論
  トポス10 世界史
  トポス11 世界の終末
 三 今をどう生きるか
  トポス12 自己の認識と霊的復活
  トポス13 性的禁欲
  トポス14 洗礼
  トポス15 殉教か禁欲か
  トポス16 個々人の運命(個人的終末論)

Ⅲ マンダ教の神話
 一 マンダ教について
 二 『ギンザー(財宝)』の神話
  1 光の世界
   至高神
   第二、第三、第四の神々
   その他の神々(ウトラ)
  2 闇の世界
  3 世界(この世)の創造
  4 人間の創造
  5 救済論(終末論)

Ⅳ マニ教の神話
 一 マニとマニ教について
 二 マニ教の神話
  二つの原理・光と闇(§1)
  光の大地(『学術書目録』のみ)(§2)
  闇の大地(『学術書目録』のみ)(§3)
  サタンの生成(『学術書目録』のみ)(§4)
  二つの原理の闘い(§5)
  原人の出現(§6)
  原人が闇に呑み込まれる(§7)
  第二の召命「光の友」(§8)
  天と地の創造(§9)
  「光の船」の創造、光の濾過装置(§10)
  第三の召命(『評注蒐集』のみ)(§11)
  「光のアダマス」の派遣(『評注蒐集』のみ)(§12)
  闇の娘たちの出産(『評注蒐集』のみ)(§13)
  アダムとエバ(ハヴァー)(§14)
  イエスの派遣(§15)
  カインとハービール(アベル)(『学術書目録』のみ)(§16)
  シャーティール(セツ)の誕生と成長(『学術書目録』のみ)(§17)
  個々人の運命(『学術書目録』のみ)(§18)
  終末時の原人の再臨、楽園と奈落(『学術書目録』のみ)(§19)
  光の回収、世界大火(『学術書目録』のみ)(§20)
  図表・神々の系譜

結び グノーシス主義と現代
 グノーシス主義の終焉と残された傷痕
 移植されたグノーシス主義とその克服
 新霊性運動とグノーシス主義
 「終りなき日常」とグノーシス主義
 グノーシス主義のメッセージ
 グノーシス主義を超えて

あとがき
参考文献表



大貫隆 グノーシスの神話 02



◆本書より◆


「グノーシス主義の世界観と救済観」より:

「ストアでは宇宙万物と人間がマクロコスモスとミクロコスモスとして、(中略)大小の同心円として対応する。」
「ところが、このような同心円的な世界観と人間観が、ある日ある時、古代地中海とオリエントの世界の一隅で突如として破綻し、宇宙万物と人間の肉体が一転して暗黒の牢獄に見え始めたのである。」
「人間は自分が肉体と魂、すなわち本来の自己に分裂していること、その本来の自己がこの世界の何処にも居場所を持たないことを発見する。この世界に対する絶対的な違和感の中で、本来の自己がそれらを無限に超越する価値であると信じる。これこそグノーシス主義の世界観に他ならない。
 肉体の死こそは魂が解放される瞬間に他ならない。しかし、解放された魂は何処へ行くのか。その行く先は、(中略)魂の「いにしえの故郷」である。当然その在り処は惑星を超え、黄道十二宮を超え、目に見える宇宙万物を超えた彼方、ストアの哲人には思いも寄らなかった「世界ならざるもの」、すなわち世界の外でなければならない。」



「ナグ・ハマディ文書の神話」より:

「一口にナグ・ハマディ文書に含まれるグノーシス主義の救済神話と言っても、(中略)さまざまなグループによって生み出されたものの集まりであって、内容的には部分的に似たものはあっても、全く同じものは二つとして存在しない。」


「マンダ教の神話」より:

「マンダ教の人間観は強烈に二元論的である。人間の身体は地上の世界に由来し、魂は光の世界から来る。はじめに人間の身体が創造されるが、闇の世界の存在によって造られた肉体は、まだ魂が入っていないので、起き上がることができない。そこで光の世界からマーナー(魂)を連れてきて、その肉体の中に入れる。ゆえに、魂は地上の世界では捕らわれの身なのである。」
「従って、死こそ魂が肉体から解放され、光の世界へ帰還(上昇)すること、すなわち救済の出来事として捉えられる。とは言え、魂はただ死ぬだけで光の世界へ帰ることができるわけではない。その資格を得るためにこそ、マンダ教徒はさまざまな儀礼を遵守するのである。その中でも主要な儀礼は洗礼と死者儀礼の二つである。洗礼は生きている間から身を清め、活ける水、すなわち流水と接触することで光に触れ、光の世界出自の者にふさわしい状態を保つように務めるためのものである。死者儀礼は、マンダ教徒が死んだ後、その魂が光の世界への上りの道行を安全に乗り切り、無事光の世界へ到着できるように、地上に残された者たちが支援するための儀式である。」
















































































































































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ハンス・ヨナス 『グノーシスの宗教』 秋山さと子/入江良平 訳

「異邦のものとはどこか他の場所からやって来て、ここには属さぬものである。したがって、ここに属する人々にとり、それは異質(ストレンジ)なもの、見慣れぬもの、不可解なものだ。だが逆にその世界の方も、そこに住む羽目に陥った異邦のものにとっては同じく不可解であり、故郷から遙か離れた異国のごときものである。かくして彼は余所者(ストレンジャー)の運命を忍ばねばならない。彼は危険に満ちた状況のなかで、孤独であり、庇護も受けず、理解されず、また理解することもない。苦悩と郷愁とが余所者の運命の一部をなしている。異国の地の風習を知らぬ余所者は、そのなかで迷い彷徨する。また、もし異国の地の風習にあまりに馴染んでしまえば、彼は自分が余所者であることを忘れ、そして別な意味で迷うことになる。すなわち彼は異邦の世界の誘惑に屈服し、みずからの出自から疎遠になってしまうのだ。(中略)この自己疎外(alienation from himself)のなかで悲嘆は消え去るが、実はこれこそ余所者の悲劇の頂点なのだ。そして復帰への第一歩は、みずからの異邦性を想起し、流離の地を流離の地として認識することである。郷愁が目覚めるところから帰還への道が始まるのだ。」
(ハンス・ヨナス 『グノーシスの宗教』 より)


ハンス・ヨナス 
『グノーシスの宗教
― 異邦の神の福音とキリスト教の端緒』 
秋山さと子/入江良平 訳


人文書院 
1986年11月30日 初版第1刷発行
1990年9月30日 初版第4刷発行
486p 
A5判 丸背紙装上製本 カバー
定価4,944円(本体4,800円)



本書「訳者後記」より:

「本書は Hans Jonas: The Gnostic Religion. The Message of the Alien God and the Beginnings of Christianity, 2nd. rev. ed., Boston, 1964 の全訳である。」


ヨナス グノーシスの宗教


目次:

謝辞
序文
第二版への序文
第三刷に際しての注記(一九七〇年)

 第一章 序論――ヘレニズムにおける東方と西方
  a 西方の役割
  b 東方の役割
第一部 グノーシスの文学――主要教義、象徴言語
 第二章 グノーシスの意味とグノーシス運動の広がり
  a 時代の精神的風土
  b 「グノーシス主義」という名称
  c グノーシス主義の起源
  d グノーシス的「知識」の本質
  e 資料の概観
  f グノーシス主義の基本信条の概要
 第三章 グノーシス的イメージとその象徴言語
  a 異邦のもの(エーリアン)
  b 「彼方」、「外」、「この世」、「他の世界」
  c 諸世界、アイオーン
  d 宇宙での居住と余所者の滞留
  e 「光」と「闇」、「命」と「死」
  f 「混合」、「散乱」、「一」、「多」
  g 「転落」、「沈下」、「捕囚」
  h 遺棄、恐怖、郷愁
  i 麻痺、眠り、酩酊
  j 世界の騒音
  k 「外からの呼び声」
  l 「異邦の人」
  m 呼び声の内容
  n 呼び声への応答
  o グノーシス的アレゴリー
  第三章付録 マンダ教語彙
第二部 グノーシス主義の諸体系
 第四章 シモン・マグス
 第五章 『真珠の歌』
  a テクスト
  b 注釈
 第六章 世界を創造した天使たち。マルキオーンの福音
  a 世界を創造した天使たち
  b マルキオーンの福音
 第七章 ヘルメス・トリスメギストスのポイマンドレース
  a テクスト
  b 注釈
 第八章 ヴァレンティノス派の思弁
  a ヴァレンティノス派の思弁的原理
  b 体系
  第八章への補遺1――諸元素のなかの火の位置
  第八章への補遺2――『ヨハネのアポクリュフォン』の体系
 第九章 マニによる創造、世界史、そして救済
  a マニの方法。彼の召命
  b 体系
  c グノーシス思弁――二類型の再論
第三部 グノーシス主義と古典精神
 第十章 コスモスのギリシア的評価とグノーシス的評価
  a 「コスモス」の観念とそのなかにおける人間の地位
  b 宿命と星たち
 第十一章 ギリシアの教説とグノーシスの教説における徳と魂
  a 徳の観念――グノーシス主義におけるその欠如
  b グノーシス的道徳
  c グノーシス的心理学
  d 結び――知られざる神
 第十二章 グノーシス主義の領域における最近の発見
  Ⅰ ケノポスキオン文庫について
  Ⅱ 真理の福音
  第十二章への付記
 第十三章 エピローグ――グノーシス主義、実存主義、ニヒリズム

訳者あとがき (秋山さと子)
訳者後記 (入江良平)
参考文献・文献補遺
固有名詞索引




◆本書より◆


「グノーシス的イメージとその象徴言語」より:

「「光の諸世界より来た大いなる第一の異邦の〈命〉、一切の業(わざ)の上に立つ至高のものの名において」――これはマンダ教文献に典型的な冒頭の句である。「異邦の」は「〈命〉」に常に付与される属性である。「命」はその本性からしてこの世にたいし異邦のものであり、状況によっては異邦のものとしてこの世のなかにある。」
「異邦の〈命〉という概念は、グノーシス言語の中で人が出会うきわめて印象的な言語象徴の一つであり、人間の言語の歴史全体の中でも以前には見られなかったものである。グノーシス文献全体を通じて、これと等価な表現は種々存在する。たとえば、マルキオーンには「〈異邦の神〉」ないし「〈異邦の者〉」、「〈他者〉」、「〈知られざる者〉」、「〈名を持たぬ者〉」、「〈隠れたる者〉」などの概念があるし、キリスト教的グノーシス文献の多くには「知られざる〈父〉」という概念がある。哲学でこれに対応するのは、新プラトン主義思想における「絶対的超越者」だ。しかし、それを神ないし至高の存在の属性とする神学的用法を別にしたとしても、「異邦の」という語(およびその等価語)には根源的人間経験の表現としての象徴的な意味がある。そしてその根底にある経験に関してとりわけ示唆的なのは「異邦の命」という組合せである。
 異邦のものとはどこか他の場所からやって来て、ここには属さぬものである。したがって、ここに属する人々にとり、それは異質(ストレンジ)なもの、見慣れぬもの、不可解なものだ。だが逆にその世界の方も、そこに住む羽目に陥った異邦のものにとっては同じく不可解であり、故郷から遙か離れた異国のごときものである。かくして彼は余所者(ストレンジャー)の運命を忍ばねばならない。彼は危険に満ちた状況のなかで、孤独であり、庇護も受けず、理解されず、また理解することもない。苦悩と郷愁とが余所者の運命の一部をなしている。異国の地の風習を知らぬ余所者は、そのなかで迷い彷徨する。また、もし異国の地の風習にあまりに馴染んでしまえば、彼は自分が余所者であることを忘れ、そして別な意味で迷うことになる。すなわち彼は異邦の世界の誘惑に屈服し、みずからの出自から疎遠になってしまうのだ。このとき彼は「家の息子」となる。これもまた異邦のものの運命の一部である。この自己疎外(alienation from himself)のなかで悲嘆は消え去るが、実はこれこそ余所者の悲劇の頂点なのだ。そして復帰への第一歩は、みずからの異邦性を想起し、流離の地を流離の地として認識することである。郷愁が目覚めるところから帰還への道が始まるのだ。これまで述べたことはすべて異邦性のこうむる「苦難」の側面に属している。だがこの異邦性をその出自の面から見るならば、これは同時に卓越のしるしでもある。それは力と秘められた命との源泉である。それは環境によっては知られず、窮極的には傷つけられることもない。というのも、この世の被造物はそれを把握しえないからだ。異邦的なるものの優越性はこの世にあってすら――たとえ秘かにであっても――彼を他のものとは区別しているが、その故郷ではこれが明らかな栄光となる。そしてその故郷はここの世の外にある。かくのごときが異邦的なるものの身分である。したがってそれは遠きにあるもの、到達しえぬものであり、その余所者性(ストレンジネス)〔ここのものでないこと〕はまさにその光輝を意味する。したがって窮極において異邦のものとは、完全に超越的なもの、「彼方のもの」である。つまりそれはまさに神の卓越せる属性をもつものなのだ。」

「放逐された者の原型、神により地上の「逃亡者にして放浪者」〔『創世記』四・一四〕に定められた者であるカインがプネウマの象徴へと昇格され、キリストに連なる系統の名誉ある地位をあたえられる。これはもちろん深い伝統に根づいた価値観にたいする意図的挑戦である。この選択は「もう一方の」側、すなわち伝統が忌み嫌うものの側に与しようとする異端の一つの方法であって、たんなる感傷的な判官びいきではなく、まして思弁的自由に淫するといったことではなくて、それよりずっと深い意義をもっている。(中略)おそらくこのような事例において問題なのは(中略)論争の一形式だと考えるべきかもしれない。いいかえれば、原典の解釈ではなく、その「偏向的」な書き換えなのだ。実際、このような場合グノーシス派が原典の正しい意味を取り出したと主張することはめったになかった――つまり「正しい」という語がその著者の意図した意味と解されるかぎりにおいては。なぜなら、聖書の著者とは、直接的であれ間接的であれ、彼らの大いなる敵対者、暗愚なる創造神に他ならないからである。」
「みずからカイン派を称したグノーシス宗派もあるが(中略)、カインの像そのものは、いま述べた方法の機能をもっとも顕著に示す一例というにすぎない。あらゆる時代にわたってこのような否定的人物を網羅した系列を構成することにより、歴史全体の反逆的解釈が成立し、これが意識的に公認の歴史に対立せしめられる。カインに味方するという立場は、聖書における「否認された人々」すべてに一貫して拡大される。」



「ギリシアの教説とグノーシスの教説における徳と魂」より:

「放埓主義にかわるものは禁欲主義である。この二つの行動の型は対立的であるが、グノーシス派の場合それらは同一の根から生まれており、同一の根本主張によって支えられていた。一方は過剰によって、他方は禁欲によって、それぞれ自然への忠誠を拒絶する。両者はともに世俗的規範の外側で生きるのだ。濫用による自由と不使用による自由とは、その無差別性において等価であり、同一の非宇宙主義の異なったあり方にすぎない。放埓主義は形而上学的反抗のもっとも傲慢な表現であり、その挑発的態度そのものが、世界への極度の軽蔑を意味する。世界は危険や苦難としてさえも相手にするに値しないのである。他方、禁欲主義は世界の腐食的な力を認める。それは世界に汚染される危険を真剣に受けとり、したがってその動機となるのは軽蔑よりもむしろ恐怖である。」


































































































































大貫隆 『グノーシス考』

大貫隆 
『グノーシス考』


岩波書店 
2000年1月26日 第1刷発行
xvii 390p 人名索引7p
A5判 丸背紙装上製本 カバー
定価7,600円+税
装丁: 高麗隆彦



本書「はしがき」より:

「荒井献氏と私との責任編集で一九九七年から九八年にかけて岩波書店から刊行されたナグ・ハマディ文書全四巻には、(中略)九文書の拙訳が収録されている。」
「本書に収めた計六篇の論考の内の四篇(Ⅰ―Ⅳ部)は、その試訳蓄積の過程で、特に最近の十年間に書き下したものであり、それぞれが扱う文書の試訳のために予め解決しておかなければならなかった問題、あるいは翻訳の途中で見えてきた問題を取り上げている。そのためにどの論考も文献学的研究となっており、内容的にはかなり専門的な議論も繰り広げているので、一般読者の方々には読みやすいものではないかも知れない。」



大貫隆 グノーシス考 01


帯文:

「異端、性的オルギア、カルト――
古代より、この宗教運動にまつわるイメージの被膜を裂いて、
グノーシス主義の本質に迫る
ナグ・ハマディ文書の日本語訳に結実した精密な文献研究を基礎に、宗教思想としてのグノーシスの可能性と限界を明らかにする。」



帯背:

「グノーシス主義
の実像」



カバーそで文:

「――グノーシスとは、古代末期の地中海世界に発生したもう一つの宗教運動の名であり、また中世からルネサンスへと諸教派の盛衰を閲して、精神史の太い流れをつくったある系譜の名称でもある。そして、神秘主義的思想と交差しながら伏流水となって近・現代に流れ込んだその水脈は、優に世界観上の代案と目されるようになる。
――宗教としてのグノーシスの本質に迫る四つの主題が、本書の構造を決定している。世界と向き合う実践的な態度を象徴する極端な禁欲の形、キリスト教正典との比較を通して鮮明に浮かび上がる独自の救済論・救済者論、至高の存在を指し示そうとする否定神学の思考構造とその限界、そしてそれらの神話と教説を統合する物語のユニークな戦略である。
――グノーシスとは何か。その緻密な神話・教義体系を組み上げる原理とスタイルは、ストアや中期プラトニズムなど、同時代の思潮とのどのような影響関係から生成したものか。宗教思想としてのポジとネガには、現代を考える上で参照されるべきヒントが果たして隠されているのだろうか――文献の精密な解読を基礎として、これらの問いに答えようとする、三十年におよぶグノーシス研究の集大成。」



目次:

はしがき
旧約・新約聖書 諸文書略号表

Ⅰ 古代キリスト教における禁欲主義の系譜
    ――グノーシス主義、外典使徒行伝、初期修道制
 はじめに
 第1章 子宮としての世界――グノーシス主義の性的自然観と禁欲主義
  一 グノーシス主義における「子宮」のイメージ
  二 子宮としての世界
   1 肉体の死、すなわち子宮からの脱出
   2 肉体の誕生、すなわち子宮への墜落
   3 実践的帰結――世界を破滅させるための禁欲
  三 「子宮としての世界」をめぐる思想的類例
 第2章 禁欲の闘技者――外典使徒行伝の性倫理
  一 性をめぐる葛藤の三つのパターン
  二 エンクラティズム
 第3章 「人類を神と和解させるために」――エジプトにおける独居型および共住型修道制の禁欲主義
  一 アントニウスとパコミオス
  二 禁欲の実践と神学
 結びにかえて 慎み深い結婚生活――正統主義の性倫理
 [補論] 狂犬病――悪霊と砂漠の媒介項
  一 犬のイメージとマタイ福音書一二章43―45節/ルカ福音書一一章24―26節
  二 ユダヤ教およびキリスト教文献の証言
  三 ヘレニズム文化圏の証言
  まとめ

Ⅱ ヨハネの第一の手紙序文とトマス福音書語録一七
    ――伝承史的関連から見たヨハネの第一の手紙の論敵の問題
 第1章 本文の分析・問題提起
 第2章 トマス福音書語録一七の伝承史的位置
  一 コリント人への第一の手紙二章9節との類似性
  二 伝承の起源
  三 伝承の経路
  四 礼典式文の系譜
  五 グノーシス主義の系譜
  六 「主の言葉」の系譜
  七 「手がまだ触れず」の問題
  八 コリント人への第一の手紙二章9節との伝承史的関係
 第3章 ヨハネの第一の手紙一章1節とトマス福音書語録一七の伝承史的相互関係

Ⅲ 女性的救済者バルベーロー・プロノイアの再来
    ――『ヨハネのアポクリュフォン』の文献学的研究
 はじめに――問題の所在
 第1章 バルベーローとプロノイアの同一視とその役割の拡大
  一 単語「プロノイア」の分布
  二 短写本の現況
  三 長写本の現況
 第2章 バルベーロー・プロノイアと世界史
 第3章 『ヨハネのアポクリュフォン』の枠場面におけるプロノイア

Ⅳ 三つのプロノイア
    ――グノーシス主義、ストア、中期プラトン主義の関係をめぐって
 はじめに
 第1章 グノーシス主義のプロノイア論
  一 『ヨハネのアポクリュフォン』
  二 『この世の起源について』
  三 その他のグノーシス主義文書
  まとめ
 第2章 中期プラトン主義のプロノイア論
  一 偽プルータルコス『宿命について』
  二 アプレイウス『プラトンの生涯と教説』
  三 アルキノス『プラトン哲学要綱』
  四 学派伝承の起源の問題
 結びにかえて――評価と展望

Ⅴ 否定神学の構造と系譜
    ――中期プラトン主義とナグ・ハマディ文書
 はじめに
 第1章 アルキノス『プラトン哲学要綱』(抜粋)
 第2章 『ヨハネのアポクリュフォン』との比較
  一 否定神学
  二 イデアとプレーローマの神々
  三 質料と「物質」
  四 「世界霊魂」とヤルダバオート、「他の神々」とアルコーンたち
  五 人間の魂
  六 人体解剖学
  七 魂の移住と人間の相異なる死後の運命
  八 宿命論
 結びにかえて――評価と展望

Ⅵ グノーシスと現代思想
 はじめに
 第1章 実存主義とグノーシス――寄る辺なき自己の神話
 第2章 深層心理学とグノーシス
  一 魂の内なる旅の神話
  二 「自己」の無限膨張と他者喪失
 第3章 新約聖書とグノーシス――結びにかえて
  一 神の到来と自己放棄
   1 イエス
   2 パウロ
   3 ユングへの答え
   4 ヨハネ
  二 強迫観念の体系――初期カトリシズム

初出一覧
人名索引



大貫隆 グノーシス考 02



本書からはとくに引用したい文章はないです。






































































































































荒井献+柴田有 『ヘルメス文書』

荒井献+柴田有 訳 
『ヘルメス文書』


朝日出版社 
1980年12月25日 初版発行
1993年6月15日 第四版発行
456p 文献表xiv 口絵(カラー)4p
A5判 丸背クロス装上製本 カバー
定価6,000円(本体5,825円)



本書「解説」より:

「古代ヘルメス文書は前三―後三世紀、エジプトで生れた。本書はその一部を対象とした訳註である。一部と言うのは、訳者が適宜選択したという意味ではなく、中世以前からひとまとまりのものとして扱われてきた、ヘルメス文書中の一部である。この部分を欧文では「コルプス・ヘルメティクム」(Corpus Hermeticum)と呼びならわしており、我々は『ヘルメス選集』と試訳する。『ヘルメス選集』は第I―XVIII冊子まであり、ほとんど全冊子が宗教・哲学的な内容のものとなっている。今日知られているヘルメス文書の範囲で最も代表的な部分であることは、周知の通りである。」
「実は『ヘルメス選集』の訳註は、今回初めてなされたのではなく、荒井献と私との共訳として既に月刊「エピステーメー」(朝日出版社)に連載してあった。これは、一九七五年一〇月号(創刊号)から一九七八年五月号にわたる長期連載であった。今回はこの連載稿に手を加えた上で単行本にまとめたのである。連載時との違いは、何よりも無数の追加・さく除・訂正であり、この外、第I冊子「ポイマンドレース」は全面的に改めた。」



本書は、荒井・柴田共訳となっていますが、本書「あとがき」によるといろいろ大人の事情があったようで、実質的には柴田訳(柴田氏に文責がある)ということであります。


ヘルメス文書 01


目次:

略号・記号について

解説 (柴田)
 Ⅰ 本訳註について
 Ⅱ ヘルメス文書
 Ⅲ ヘルメス選集

ヘルメス選集 訳・註 (訳: 荒井・柴田/註: 柴田)
 CH I  ヘルメース・トリスメギストスなるポイマンドレース(略称「ポイマンドレース」)
 CH II  (表題欠)
 CH III  ヘルメースの聖なる教え
 CH IV  ヘルメースからタトへ――クラテールあるいは一なる者(略称「クラテール」)
 CH V  ヘルメースから子タトへ――不明なる神が最も鮮明なること
 CH VI  善は神のうちにのみあり、ほかにはどこにもないこと
 CH VII  神に対する無知が人間における最大の悪であること
 CH VIII  存在するものは何一つ消滅しないのに、迷妄の輩は変化を消滅とか死と呼んでいること(略称「回帰」)
 CH IX  知性と感性について
 CH X  ヘルメース・トリスメギストスの『鍵』(略称「鍵」)
 CH XI  ヌースからヘルメースへ(略称「アイオーン」)
 CH XII  ヘルメース・トリスメギストスからタトへ――普遍的叡知(ヌース)について(略称「普遍的叡知(ヌース)」)
 CH XIII  ヘルメース・トリスメギストスが山上で子タトに語った秘められた教え――再生と沈黙の誓いについて(略称「再生」)
 CH XIV  ヘルメース・トリスメギストスからアスクレーピオスへ――ご機嫌よう
 CH XV  (欠番)
 CH XVI  アンモーン王に宛てたアスクレーピオスの解義――神について、質料(ヒュレー)について、悪について、運命(ヘイマルメネー)について、太陽について、叡知的本質について、神的本質について、人間について、統一的な構成について、七つの星辰について、像にかたどられた人間について(略称「統一(プレーローマ)」)
 CH XVII  (表題欠)
 CH XVIII  身体の受動の下に阻害されている魂について

あとがき (荒井/柴田)
文献表 (柴田)




◆本書より◆


「ポイマンドレース」より:

「「さて、神なるヌースは男女(おめ)であり、命にして光であるが、ロゴスによって造物主(デーミウールゴス)なるもう一人のヌースを生み出した。彼は火と霊気の神であって、ある七人の支配者を造り出した。この者たちは感覚で把握される世界(コスモス)を円周によって包んでいて、その支配は運命(ヘイマルメネー)と呼ばれている。

神のロゴスはただちに下降する元素から飛び出して、フュシスの清い被造物の中に入り、造物主(デーミウールゴス)なるヌースと一つになった――それ(ロゴス)は(造物主なるヌースと)同質であったからである。そこでフュシスの下降する元素は、ロゴス無きままに取り残され、質料(ヒュレー)は孤立して存在した。

さて、造物主(デーミウールゴス)なるヌースはロゴスと共にあって、(世界の)円周を包み、(これを)シュルシュルと回す者であって、自分の被造物を回転させ、限りない始めから無限の終りの時まで回転するままにしておいた。それは、終る所で始まるからである。ところで、被造物の円転運動は、ヌースの意のままに、下降する元素からロゴス無き生き物をもたらした――それはロゴスを持っていないのである。すなわち、空は飛ぶものを、水は泳ぐものをもたらした。それから、土と水とは、ヌースの意のままに、互いに分離し、〈土〉は自分の中から孕んでいたもの、すなわち四足獣〈と〉這うもの、野獣と家畜とを産出した。

さて、万物の父であり、命にして光なるヌースは自分に等しい人間(アントローポス)を生み出し、これを自分だけの子として愛した。と言うのも、彼は父の像を持っていて甚だ美しかったからである。すなわち、父も本当に自分の似姿を愛したので、自分の全被造物をこれに委ねたのである。

そこで人間(アントローポス)は(天界の)火の中に造物主(デーミウールゴス)の創造を観察し、自らも造物したいと思った。そして彼は(これを)父から許可された。(世界の)全権を得ようとして彼は造物の天球に至り、兄弟の被造物(七人の支配者)を観察した。すると、彼ら(七人)は彼を愛し、それぞれが自分の序列(に属するもの)を(彼に)分け与え始めた。彼らの本質を学び尽し、彼らの性質に与ると、彼は円周の外輪を突き破り、火の上に坐する者の力を観察したいと思ったのである。

そして、死ぬべき、ロゴス無き生き物の世界に対する全権を持つ者(人間(アントローポス))は、天蓋を突き破り界面を通して覗き込み、下降するフュシスに神の美しい似姿を見せた。フュシスは、尽きせぬ美しさ〈と〉、支配者たちの全作用力と、神の似姿とを内に持つ者を見た時、愛をもって微笑んだ。それは水の中に人間(アントローポス)の甚だ美しい似姿の映像を見、地上にその影を見たからである。他方彼は、フュシスの内に自分に似た姿が水に映っているのを見てこれに愛着し、そこに住みたいと思った。すると、思い(プーレー)と同時に作用力が働き、彼はロゴス無き姿に住みついてしまったのである。するとフュシスは愛する者を捕え、全身で抱きしめて、互に交わった。彼らは愛欲に陥ったからである。

この故に、人間はすべての地上の生き物と異り二重性を有している。すなわち、身体のゆえに死ぬべき者であり、本質的人間のゆえに不死なる者である。不死であり、万物の権威を有しながら、運命(ヘイマルメネー)に服して死ぬべきものを負っている。こうして(世界)組織の上に立つ者でありながらその中の奴隷と化している。男女(おめ)なる父から出ているので男女(おめ)であり、眠ることのない父から出ているので眠りを要さぬ者であるのに、〈愛欲と眠りによって〉支配されているのだ」。」

「「よし、おまえは正しく知解した。それでは、神の言葉(ロゴス)が言うように『自己を知解した者は彼(神)に帰る』のはなぜか」。
私は言う、
「それは、一切の父が光と命とから成り、人間(アントローポス)は彼から生れたからです」。
「おまえの答は正しい。神にして父なる者は光であり命である。人間(アントローポス)は彼から生れた。そこで、神が光と命とからなることを学び、自らもこれらから成ることを学ぶなら、お前は再び命に帰るであろう」、
こうポイマンドレースは語った。
私は言った、
「でも、もっと私に語って下さい。この私はどのようにして命に帰るのでしょうか、わがヌースよ。」」

「これについてポイマンドレースは語った、
「先ず、物質的な身体の分解において、お前は身体そのものを変化に引き渡し、お前の有する形姿は見えなくなる。そして(身体の)性向(エートス)をダイモーンに引き渡して無作用にする。また身体の諸感覚は、部分部分に分れ、共々に上昇して再び作用力を得つつ、自分の源へと帰昇する。また、情熱と情欲とはロゴスなきフュシスの中に帰る。

こうして人間は、界面を突き抜け、さらに上へと急ぎ、第一の層には増滅の作用を、第二の層には悪のたくらみを、計略を、無作用のまま、第三の層には欲情の欺きを、無作用のまま、第四の層には支配の顕示を、(もう)願わしくないまま、第五の層には不遜な勇気と敢えてする軽卒を、第六の層には富の悪しき衝動を、無作用のまま、第七の層には隠れ潜んだ虚偽を返す。

すると、彼は組織の作用力から脱し、本来の力となって第八の性質(フュシス)に至り、存在する者たちと共に父を讃美する。そこに居る者たちは彼の到来を喜ぶ。彼は共に居る者たちと同化され、また、第八の性質(フュシス)の上にいる諸力が何か甘美な声で神を讃美しているのを聞く。すると、彼らは秩序正しく父のもとに昇り、諸力に自らを引き渡し、諸力となって、神の内になる。神化、これこそが認識(グノーシス)を有する人々のための善き終極である。」」





























































































柴田有 『グノーシスと古代宇宙論』

「グノーシスは伝統的宇宙論を神話によって否定した。それは星辰論の政治イデオロギー的側面に対する反発を前面に押し出しているが、当時の文化一般をより原理的に踏まえた上での批判となりかねないのであった。」
(柴田有 『グノーシスと古代宇宙論』 より)


柴田有 
『グノーシスと古代宇宙論』
 

勁草書房
1982年1月20日 第1版第1刷発行
1987年7月15日 第1版第5刷発行
ix 284p
A5判 丸背紙装上製本
カバー ビニールカバー
定価3,500円



著者はグノーシスの本質規定(ある文献が「グノーシス主義」文献であるかどうかを判断する基準)として「星辰拒否」をあげています。
古代宇宙論では星は地上の万物の支配者ですが、グノーシス神話によると宇宙は悪しき造物主(デミウルゴス)が作ったものなので、星もまた悪しきものなのであります。グノーシス主義者によると、人間はデミウルゴスとかそんなんでなしに、ほんとうのたった一人の神さまに由来するものなので、星なんかよりずっと偉いのであります。
わたしなどはたいへん厭世的ですが、冬の星空についうっかりみとれてしまったりするので、まだまだであります。


柴田有 グノーシスと古代宇宙論 01


帯文:

「ヘレニズム世界を駆け抜けた異端思想グノーシス。グノーシスとは何か、なに故異端なのか? 古代宇宙論に着目、初めてグノーシスの本質規定を明らかにした画期的ヘレニズム思想史」


目次:

はじめに
略号について

第一章 「ポイマンドレース」とその情況
 1 「ポイマンドレース」の情況
 2 「ポイマンドレース」の教え
  《世界の原理》
  《世界の素材》
  《世界の原型》
  《世界の創造》
  《人間創造と堕落》
  《人間の救済》
  《宣教と頌栄》
 3 「ポイマンドレース」のグノーシス思想
  「アスクレピオス」との比較
  「鍵」との比較
 4 結び
 補遺一 二つの二元論
 補遺二 「ポイマンドレース」全文

第二章 古代宇宙論の伝統
 1 伝統陣営のグノーシス反駁
  我々の課題
  Pグノーシス思想の再構成
  プロティノスの応答
  他のプラトン主義者の応答
 2 「古代宇宙論」の定義
  人間生活の原理としての星辰界
  人間の最高身分としての星辰界
 3 文化中枢としての古代宇宙論
 4 結び

第三章 古代宇宙論を継承する者
 1 アレクサンドリアの神学
 2 “キリストもカエサルも”
  カエサルの昇天
  ユスティノスのキリスト観
  キリストの昇天
 3 帝国国教への転回
  ラクタンチウスとコンスタンチヌス
  「継ぎ木」の思想構造
  ラクタンチウスの法理論
 4 中世へ
 結論

あとがき

文献表
索引



柴田有 グノーシスと古代宇宙論 02



◆本書より◆


「はじめに」より:

「本書は古代宇宙論についての一考察である。宇宙論という言葉から、ギリシア以来の古代天文学とか天体論を想像していただけるなら、それは我々の対象とほぼ一致する。ただし我々が取り上げたのは、天体の構造や運動といった自然学そのものではなく、自然学的知識と不可分に結びつく観念や思想の面である。
 古代以来、知識は常に宗教との密接な関連をもっている。自然学ももちろんその例外ではない。宇宙論はなおさらである。このことをもっとも端的に示すのは、宇宙論において新説を唱えた者が、決まって無神論者(とか反国家)の烙印をおされた事実である。古代の地動説を唱えたアリスタルコス、星辰は「神々」ではなく、「火」にすぎぬものと主張したエピクロス、星辰を悪魔視したグノーシス主義者、星辰神を否定して唯一の神をかかげたキリスト教徒、さらに後世のコペルニクスたちは皆そうであった。したがって宇宙論の前景を天文学とするなら、後景には宗教が配置されていると見ることができる。宇宙論はそういう奥行きを持った知識なのである。」
「大づかみに言えば、本書は、宗教思想と融合した面での宇宙論を論じている。宇宙論の奥行きには宗教と見分け難く混じた部分があり、ここに主として注目した。そこで我々の基本課題は、宇宙論のそうした側面を照らし出し、言表化し、自覚的に把握することである。」
「したがって、誤解を避けるために一言させていただくと、我々は古代宇宙論と宗教との結びつきを問題にしているのであって、純自然学的な宇宙論については価値判断を試みていない。(中略)知識はそれぞれの時代と生活の中で生きている。そういう知のあり方をこそ描こうとしているのだ。」
「我々の議論は、次の章区分にしたがって展開するだろう。第一章“「ポイマンドレース」とその情況”は、グノーシス主義の研究である。(中略)私見によれば、グノーシスの本質規定の問題はまだ未解決であり、このことは「グノーシス」という用語の混乱と表裏一体である。(中略)したがって我々は、グノーシス思想の本質規定からやり直さなければならなかった。その際、古代宇宙論に着目することが、有効な方法であることを認識するはずである。」
「第二章“古代宇宙論の伝統”は本稿の意味での古代宇宙論を主題としており、したがって、宗教(いわゆる異教)との接合部に着目しつつ宇宙論の輪郭を描いている。」
「第三章“古代宇宙論を継承する者”は、古代宇宙論とキリスト教との切り結びを扱っている。前章が異教と宇宙論の関連に触れるとすれば、本章はキリスト教と宇宙論という問題に眼を向けている。(中略)キリスト教教父たちの作品をおもに考察した。」
「最後に、本書の表題について述べよう。「グノーシスと古代宇宙論」としたのは、全体の構成をグノーシス研究から始めていることと関連する。古代宇宙論が宗教と結び合っている事実とその意味は、グノーシス思想を理解することによって鮮明な輪郭をともなったものとなる。グノーシス研究は古代宇宙論への視覚を決めるものである。こういうわけでグノーシスは我々の出発点であり、宇宙論は目標なのである。表題はここから来ている。」












































































































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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