『マルセル・シュオッブ全集』

「彼らは世間や社会道徳と格闘し、非業の死をとげると知りながら全人類を相手に個我を肯定した(中略)巨人であります。」
(マルセル・シュオッブ 「『アナベラとジョヴァンニ』講演」 より)


『マルセル・シュオッブ全集』 
大濱甫/多田智満子/宮下志朗/千葉文夫/大野多加志/尾方邦雄 訳

国書刊行会 
2015年6月25日 初版第1刷発行
2015年8月23日 初版第2刷発行
933p 訳者略歴1p
A5判 角背布装上製本(背バクラム) 
貼函
定価15,000円+税
装丁: 柳川貴代

栞(24p):
シュオッブ、コレット、その他(山尾悠子)/地上遊覧(西崎憲)/モナドの鏡(千葉文夫)/シュオッブとヴィヨン(宮下志朗)/図版(モノクロ)40点(『二重の心』挿絵 フェルナン・シメオン画/『架空の伝記』挿絵 フェリックス・ラベース画/『擬曲』原本挿絵/その他)



シュオッブ全集 01


画期的な久生十蘭全集を出した国書刊行会が今度は画期的なマルセル・シュオッブ(Marcel Schwob)全集を出したので遅ればせながら購入してみました。全一巻です。小説作品のほかに評論も収録されています。多田智満子氏および大濱甫氏による既訳があるものはそれを収録し、両者で重複している作品については多田訳を優先して収めています。多田氏による訳書はマルセル・シュウォッブ『少年十字軍』(森開社、1978年)および同書に短篇を増補した王国社版(1990年)、大濱氏による訳書は未完の「マルセル・シュオブ小説全集」(既刊三冊、南柯書局、1977年~)および『黄金仮面の王――シュオブ短篇選集』(国書刊行会、1984年)です。


シュオッブ全集 02


目次:

二重の心 (大濱・多田・大野訳)
 Ⅰ 二重の心
  吸血鬼 (大濱)
  木靴 (大濱)
  三人の税関吏 (大野)
  〇八一号列車 (多田)
  要塞 (大濱)
  顔無し (大濱)
  アラクネ (大濱)
  二重の男 (大濱)
  顔を覆った男 (大濱)
  ベアトリス (大濱)
  リリス (多田)
  阿片の扉 (多田)
  交霊術 (大濱)
  骸骨 (大濱)
  歯について (大濱)
  太った男 (大野)
  卵物語 (多田)
  師(ドン) (大濱)
 Ⅱ 貧者伝説
  磨製石器時代 琥珀売りの女 (大野)
  ローマ時代 サビナの収穫(とりいれ) (大濱)
  十四世紀 メリゴ・マルシェス (大濱)
  十五世紀 「赤文書(パピエ・ルージュ)」 (大野)
  十六世紀 放火魔 (大野)
  十八世紀 最後の夜 (大濱)
  革命時代 人形娘(プーペ)ファンション (大濱)
  ポデール (大濱)
  アルス島の婚礼 (大野)
  ミロのために (大野)
  病院 (大濱)
  心臓破り (大野)
  面 (大野)
  サン・ピエールの華 (大濱)
  スナップ写真 (大濱)
  未来のテロ (大濱)

黄金仮面の王 (大濱・多田・宮下・千葉訳)
 黄金仮面の王 (多田)
 オジグの死 (宮下)
 大地炎上 (多田)
 ミイラ造りの女 (大濱)
 ペスト (多田)
 贋顔団 (宮下)
 宦官 (宮下)
 ミレトスの女たち (大濱)
 オルフィラ五十二番と五十三番 (千葉)
 モフレーヌの魔宴(サバト) (大濱)
 話す機械 (千葉)
 血まみれのブランシュ (大濱)
 ラ・グランド・ブリエール (千葉)
 塩密売人たち (千葉)
 フルート (大濱)
 荷馬車 (千葉)
 眠れる都市(まち) (多田)
 青い国 (大濱)
 故郷への帰還 (千葉)
 クリュシェット (大濱)

擬曲(ミーム) (大濱訳)

モネルの書 (大濱訳)
 Ⅰ モネルの言葉
 Ⅱ モネルの姉妹
  利己的(エゴイスト)な娘
  官能的な娘
  倒錯的な娘
  裏切られた娘
  野生の娘
  忠実な娘
  運命を負った娘
  夢想する娘
  願いを叶えられた娘
  非情な娘
  自分を犠牲にした娘
 Ⅲ モネル
  彼女の出現について
  彼女の生活について
  彼女の逃亡について
  彼女の辛抱強さについて
  彼女の王国について
  彼女の復活について

少年十字軍 (多田訳)
 托鉢僧の語り
 癩者の語り
 法王インノケンティウス三世の語り
 三人の児の語り
 書記フランソワ・ロングジューの語り
 回教托鉢僧の語り
 幼ないアリスの語り
 法王グレゴリウス九世の語り

架空の伝記 (大濱訳)
 エンペドクレス
 ヘロストラトス
 クラテース
 セプティマ
 ルクレティウス 
 クロディア
 ペトロニウス
 スーフラー
 修道士(フラーテ)ドルチノ
 チェッコ・アンジョリエーリ
 パオロ・ウッチェルロ
 ニコラ・ロワズルール
 レース作りのカトリーヌ
 アラン・ル・ジャンティ
 ゲイブリエル・スペンサー
 ポカホンタス
 シリル・ターナー
 ウィリアム・フィップス
 キャプテン・キッド
 ウォルター・ケネディ
 ステッド・ボニット少佐
 バーク、ヘアー両氏
架空の伝記 補遺 (千葉訳)
 モルフィエル伝

木の星 (大濱訳)
 
単行本未収録短篇 (大野・尾方訳)
 金の留め針 (尾方)
 ティベリスの婚礼 (大野)
 白い手の男 (尾方)
 悪魔に取り憑かれた女 (大野)
 黒髭 (大野)
 栄光の手 (大野)
 ランプシニト (尾方)
 素性 (尾方)
 閉ざされた家 (尾方)
 ユートピア対話 (尾方)
 マウア (尾方)

拾穂抄 (大濱・宮下・千葉訳)
 フランソワ・ヴィヨン (宮下)
 ロバート・ルイス・スティーヴンソン (千葉)
 ジョージ・メレディス (千葉)
 プランゴンとバッキス (千葉)
 歓待の聖ジュリアン (千葉)
 怖れと憐れみ (千葉)
 倒錯 (千葉)
 相違と相似 (千葉)
 笑い (千葉)
 伝記の技法 (大濱)
 愛 (千葉)
 藝術 (千葉)
 混沌 (千葉)

記憶の書 (大野訳)

単行本未収録評論 (大野訳)
 ラシルドの『不条理の悪魔』
 『アナベラとジョヴァンニ』講演
 スティーヴンソンの『爆弾魔』
 デフォーの『モル・フランダーズ』
 シェイクスピアの『ハムレット』序文

解説――マルセル・シュオッブの生涯と作品 (ピエール・シャンピオン) (大野訳)
解題 (瀬高道助)
年譜 (大野多加志 編)



シュオッブ全集 03



◆本書より◆


「擬曲(ミーム)」より:

「善王プトレマイオスの治下コース島に住んでいた詩人ヘーロンダースが、かつてこの世で恋をしたことのあるほっそりした幽霊を私のもとへ送り届けてきた。私の部屋は没薬(ミルラ)の香りに満たされ、ほのかな息吹が私の胸を冷たくした。そして私の心は死者の心となった。というのは、私は現世を忘れてしまったのだ。
 やさしい幽霊は寛衣の襞の間からシシリアの乾酪(チーズ)、無花果(いちじく)の入った華奢な籠、黒葡萄酒の入った小瓶、それに金でできた蝉を振い出してくれた。たちまち私は何篇かの擬曲(ミーム)を書いてみたくなり、新しい羊毛についている脂肪の匂いと、アクラガースの料理の油っこい湯気と、シラクサの魚屋の強い臭いで鼻孔をくすぐられた。」



「架空の伝記――エンペドクレス」より:

「彼に言わせれば、あらゆる存在が、憎悪が忍びこんだために砕けてしまったこの愛の球体の破片に他ならないのだった。そしてわれわれが愛と呼ぶもの、それは不和によって打ちこわされた球体である神のなかに、かつてそうであったように結合し、融合し、混合しようとする願いなのである。彼は霊たちがあらゆる変容をとげたあと、神聖な球体が円くふくらむ日が来るのを希求していた。なぜなら、現にわれわれの知っている世界は憎悪が造り出したものであり、それを解体することが愛の仕事となるからである。こうして彼は町から町、野から野へと唄って歩き、その足もとではラコーニア産の青銅のサンダルが鳴り、その面前ではシンバルが鳴り響いた。一方、エトナ山の火口からは一柱の黒い煙が立ち昇り、シシリアにその影を投げかけていた。」


「架空の伝記――クラテース」より:

「彼は塵芥のなかに素裸で暮し、パンの皮や腐ったオリーブの実や乾からびた魚の骨を拾い集めて、頭陀袋に詰めこんだ。」
「彼はたとえ嘲るためであっても公事には口を出さず、諸国の王を罵るふりもしなかった。(中略)彼は人間に対してやさしかった。なにごとも気にかけなかった。傷口さえいつくしんだ。(中略)また、固形物を食べ、水を飲まねばならないことを嘆いていた。(中略)神々のことはめったに口にせず、神々を気にかけることもなかった。神々が存在するかしないかは大した問題ではなく、神々が彼に対してなにもなし得ないことをよく承知していたのだ。」
「生活は決して楽ではなかった。アッティカの刺すような埃に目を曝しすぎたので目脂が出た。未知の皮膚病のために躯は腫瘍で蔽われた。彼は、一度も剪ったことのない爪で躯を引っ掻き、こうすると痒みが和らぐと同時に爪が擦りへるので二重の利益があると考えた。長く伸びた髪は厚いフェルト状になり、彼はそれを雨や陽の光を防ぐように頭の上に按配した。」
「彼らは互いに殆ど話し合うことがなかった。何ごとをも恥じなかった。犬どもは同じ汚物の山を漁りながらも彼らを敬っているように見えた。(中略)われわれが知っているのは、クラテースが年取って死んだこと、ついにはいつも同じ場所に暮すようになり、水夫たちが港の荷をしまっておくペイレイウスの倉庫の庇の下に横たわっていたこと、齧(かじ)る肉を求めてさまようこともやめてしまったこと、腕を上げようとさえしなくなったこと、そしてある日飢えのために干からびて死んでいるのを見つけられたことである。」



「架空の伝記――修道士ドルチノ」より:

「数年来、法官たちが民衆に語りかけてきたパルマの高い石壇の上から、ドルチノは新たな信仰を説いた。聖フランチェスコ修道会の食堂のランプに描かれている使徒たちのように、白い亜麻布の短外套をまとわねばならぬ、と人々に言い聞かせた。洗礼を受けるだけでは足りないと主張し、完全に幼児の無垢に還るために、揺籠をしつらえ、襁褓(むつき)をあててもらい、(中略)もう仕事はやめて野の動物のように暮さなければいけないと公言した。」


「架空の伝記――パオロ・ウッチェルロ」より:

「セルヴァッジャは、ウッチェルロが宇宙の形相を描いている壁の前に、終日蹲っていた。彼がなぜ彼をふり仰ぐ自分の可愛い顔を眺めることよりも、直線やアーチ型の曲線を眺めることを好むのか、どうしても理解できなかった。夜、ブルネルレスキかマネッティがウッチェルロと勉強するためにやって来ると、彼女は真夜中を過ぎてから、入り組んだ直線の下で、ランプの下に拡がる影の環のなかで眠った。朝、彼女はウッチェルロより先に目を醒まし、絵に描かれた鳥や彩色された獣たちに取り囲まれているので嬉しくなった。」


「フランソワ・ヴィヨン」より:

「彼が貧しくて、逃亡者、犯罪者で、あわれな恋人であって、恥ずべき死を宣告され、何か月も投獄された男であることに思いをはせるとき、人は、彼の作品の痛ましい調子を見くびることはできない。ヴィヨンの作品をしっかりと理解して、詩人の誠実さについて判断をくだすためには、神秘的なまでにこみいった、彼の生涯を、できるかぎりの真実さによって復元する必要がある。」

「力や、権力や、勇気だけが、なにがしかの価値を持った世紀にあって、彼は小さく、弱く、卑怯で、嘘つきであった。ヴィヨンは背徳・退廃(ペルヴェルシテ)において巧みであったが、まさにこの背徳・退廃から、彼のもっとも美しい詩の数々が生まれたのである。」



「ロバート・ルイス・スティーヴンソン」より:

「ここでスティーヴンソンにおけるこの能力の特異性について述べてみたい。自分の思い誤りでなければ、この能力はほかのどの作家にもまして格段と衝撃的で魔術的なものとなっている。その理由は、彼の写実性がロマン主義に根ざしている点にあると思われる。あるいはこう書いてもよいだろう。スティーヴンソンの写実性は完璧なまでに非現実的であり、だからこそ彼は向かうところ敵なしなのであると。スティーヴンソンが物を見るときは、必ず想像力の目を用いている。」

「このような絵空事の息吹によってわれわれの感情は美しく花開く。」



「伝記の技法」より:

「芸術は一般的観念とは逆の立場に立ち、個人的なことしか描かず、独自なことしか望まない。(中略)一枚の木の葉を見つめてみたまえ。それは独特の葉脈を持ち、翳っているか陽に曝されているかによって色合も異なり、雨垂れに打たれて脹れ上がっていたり、虫に食われた穴があったり、蝸牛(かたつむり)の這った銀色の跡が残されていたりして、まったく同一の葉は地上のいかなる森を探しても見つからない。一枚の葉の外皮、一個の細胞の繊維、一本の静脈の反り具合、一人の人間の奇癖、一つの性格の変化を研究する学問などは存在しない。(中略)偉人たちの思想は人類の共有財産だが、個人としての彼らは、実のところそれぞれの奇矯さを具えていたというに過ぎない。一人の人間をそのすべての異常さにおいて描き出す書物は芸術作品であり、それはちょうど、とある昼下りに見かけた小さな毛虫の姿を克明に描いている日本の版画のようなものである。
 歴史はこうしたことについては沈黙している。証拠が提供する材料の粗い寄せ集めのなかに、独自無類な断片が大量に含まれているはずもない。」

「個性的なものに対する感覚は、近代になって発達した。ボズウェルの仕事は、もし彼がそこにジョンソンの書簡やその著作についての余談を引用する必要があると考えなかったら、完璧なものとなっていただろう。オーブリーの『小伝記集』はより満足できるものである。(中略)残念なのは、このすぐれた好古家の文体がその構想に比して余りにも貧しいことである! そうでなければ彼の著作は思慮深い人たちを永遠に楽しませたに違いない。オーブリーは、個人的な細事と一般的な観念とを結びつける必要を感じなかった。他の誰かがある人たちの名声について書いているのを読んでも、彼はその人となりのほうに興味を覚えるのだった。彼の扱った人物が、多くの場合、数学者なのか、政治家なのか、詩人なのか、あるいは時計屋なのかすら読者にはわからない。だが、各人がそれぞれ独自の特徴を具え、それによって他の人たちとはっきり区別されている。」

「残念ながら、一般に伝記作家たちは自らを歴史家であると思いこんできた。それ故、彼らはすばらしい肖像を提供しえないできた。彼らは偉人の生涯だけがわれわれの興味を引くと考えていたが、芸術はこういう考え方とは無縁である。画家の目にとっては、クラナッハの描くある見知らぬ男の肖像も、エラスムスの肖像と同じ価値を持つ。(中略)伝記作家の技術は、シェイクスピアの生涯にも、一大根役者の生涯にも、同じ価値を付与することにあるのだろう。(中略)ボズウェルとオーブリーが得意とした技術を試みようとするのなら、同時代最大の偉人を綿密に描写したり、過去において最も有名だった人物を描くのではなく、神に近い人であれ、凡人であれ、犯罪者であれ、その人独自の生活を同じ心遣いをもって語るべきであろう。」



「記憶の書」より:

「大好きな本を最初に読んだ時の記憶は、奇妙にも場所の思い出と時刻と光の思い出と混じり合っている。今日でも当時そのままに、本の頁は、十二月の緑がかった霞の向こうに浮かび、あるいは六月の日光を浴びて光り輝き、そのかたわらに今はもうなくなってしまった家具調度が姿を現す。長いこと窓をみつめた後で、目を閉じると、闇の中を浮動する窓の幻が透けて見えるように、記憶の中で、文字が書かれた紙片が、かつての輝きのままに、輝き出す。匂いもまた過去を呼び起こす。(中略)印刷されて間もないイギリスの本はいつまでもクレオソートと真新しいインクのきつい匂いがした。(中略)私はその本で読書を学んだ。しかし今でもその匂いに、新しい世界を垣間見る時の慄(おのの)きを、そして知性の渇きを、私は覚える。今もイギリスから新しい本が届くと、本を綴じる糸に届かんばかりに頁の間に顔を埋め、かの地の霞と靄を吸い込み、また幼年時代の喜びの残り香をあまさず吸い込むのだ。」

「本物の読者は作者とほぼ同等に創作する。ただし彼は行間で創作するのだ。頁の余白を読む術を知らない読者はけっして本のよき美食家となることはないだろう。」



「『アナベラとジョヴァンニ』講演」より:

「彼ら(引用者注: シェイクスピア、ジョン・フォード、シリル・ターナー)は世間や社会道徳と格闘し、非業の死をとげると知りながら全人類を相手に個我を肯定した三人の巨人であります。」


「解説」(ピエール・シャンピオン)より:

「シュオッブはもはや創造の賜物を信じていなかった、オリジナリティーを信じていなかったと言ってもいい。すべては語られ、忘れ去られたということを彼は知っていた。彼の芸術とは選択とアマルガムの才能だった。彼は本という本の起源を突き止めていた。彼の本もまた他の多くの本から作られたことを知らないわけではなかった。「形式以外この世に新しきものなし」と好んで繰り返した。また「見事に書く」以外我々には何も残されていないと言ったものだった。」



それでは、最後になりましたが、『架空の伝記』の大濱甫訳と渡辺一夫訳(本書未収録)を並べて引用しつつお別れしたく存じます。


大濱甫訳「架空の伝記――パオロ・ウッチェルロ」より:

「鳥絵師は老人になった、が、もう誰もその絵を理解しなかった。人はその絵のなかにごちゃまぜになった曲線しか認めなかった。大地も植物も動物も人間も見分けなかった。長年に亘って彼は最高の製作にとりかかっていたが、それをあらゆる人の目から隠していた。それは彼のすべての探求を綜合するはずのものだった。キリストの傷痕を確かめている疑い深い聖トマスの絵だった。ウッチェルロはその絵を八十歳になって完成した。彼はドナテルロを呼び、その前でうやうやしく覆いを取りのけた。するとドナテルロは叫んだ。「おお、パオロ、君の絵を覆ってくれ!」鳥絵師はこの大彫刻家に問いただした、が、彫刻家はそれ以外のことは言おうとしなかった。それでウッチェルロは自分が奇蹟をなしとげたのだと思いこんだ。だが、ドナテルロには乱雑に重なり合った線しか見えなかった。」


渡辺一夫訳「泰西畸人伝――絵師パオロ・ウッチェロ」より:

「鳥は齢をとり、彼の絵を理解できる者は誰一人としてゐなかつた。彼の絵には、曲線が錯雑したものしか見えなかつた。どれが大地の眺めであり、植物動物の形であり、人間の姿であるか全然見分けがつかなかつた。長年前から、彼は、その最高至上の制作に励んでゐたが、それを誰にも見せなかつた。この作品は、彼の探究の一切を包含すべきものであり、彼の考へでは、この作品によつてそれを表さうとしたのである。それは、疑ひ深い聖トマがキリストの傷痕を検(しら)べてゐる絵だつた。ウッチェロは、八十歳になつて、この絵を描き終へた。彼は、ドナテルロを呼んできて、その前で恭(うやうや)しく覆布を取つて見せた。すると、ドナテルロは、《おゝ、パオロ! その絵を、しまつてくれ》と叫んだ。鳥は、この大彫刻家に、わけを訊ねたが、相手は外(ほか)に何とも言はうとしなかつた。従つて、ウッチェロは、自分が奇蹟をなしとげたといふことを知つた。しかし、ドナテルロには、たゞ線がごちやごちやに引いてあるのが見えただけだつたのである。」




こちらもご参照ください:

マルセル・シュウォッブ 『少年十字軍』 多田智満子 訳
マルセル・シュオブ 『黄金仮面の王』 大濱甫 訳 (フランス世紀末文学叢書)
マルセル・シュオブ 小説全集 V 『モネルの書』 大濱甫 訳





















































































スポンサーサイト

マルセル・シュオブ 『黄金仮面の王』 大濱甫 訳 (フランス世紀末文学叢書)

「さようなら、お部屋さん。マイとミシェルは青い国に旅立ちました。」
(マルセル・シュオブ 「青い国」 より)


マルセル・シュオブ 
『黄金仮面の王
― シュオブ短篇選集』 
大濱甫 訳

フランス世紀末文学叢書 2

国書刊行会 
1984年8月20日 初版第1刷印刷
1984年8月25日 初版第1刷発行
308p 口絵1葉
四六判 フランス装 貼函
定価2,800円
装幀: 山下昌也
口絵選定: 澁澤龍彦

月報 6 (8p):
シュオブに関する断片(山尾悠子)/《世紀末の庭から》 三島由紀夫と世紀末(野島秀勝)/世紀末画廊VI シュオブとD・G・ロセッティ(澁澤龍彦)/図版(モノクロ)2点(シュオブ『夢の扉』挿絵 ジョルジュ・ド・フール画/ル・ガリエンヌ)



本書「訳者後記」より:

「本書はマルセル・シュオブ(一八六七―一九〇五)の短篇小説集『黄金仮面の王』(一八九二)中の十二篇、『二重の心』(一八九一)中の二十三篇と、『小児十字軍』(一八九六)全八篇の翻訳である。」


マルセル シュオブ 黄金仮面の王 1


帯文:

「象徴派短篇の白眉
古代エジプト、ローマ、中世そしていつとも知れぬ未来まで、時空を超えて展開する奇譚輯。グールモンに「小さな奇跡の書」と賛えられた傑作「小児十字軍」を併録。
口絵=D・G・ロセッティ
フランス世紀末文学叢書 2 (第6回配本)」



目次:

口絵: ダンテ・ガブリエル・ロセッティ 《花飾りの女》

黄金仮面の王
 黄金仮面の王
 地上の大火
 ミイラ造りの女
 ペスト
 ミレトスの女たち
 モフレーヌの魔宴
 血まみれのブランシュ
 フルート
 眠った都
 青い国
 クリュシェット
 バルジェット

二重の心
 吸血鬼
 木靴
 〇八一号列車
 要塞
 顔無し
 アラクネ
 顔を覆った男
 ベアトリス
 リリス
 阿片の扉
 交霊術
 骸骨
 歯について
 師
 サビナの収穫
 メリゴ・マルシェス
 最後の夜
 人形娘ファンション
 ポデール
 病院
 サン・ピエールの華
 スナップ写真
 未来のテロ

小児十字軍
 遍歴僧の話
 癩者の話
 法王インノケンティウス三世の話
 三人の少年の話
 書記フランソワ・ロングジューの話
 回教托鉢僧の話
 少女アリスの話
 法王グレゴリウス九世の話

訳者後記



マルセル シュオブ 黄金仮面の王 2



◆本書より◆


「黄金仮面の王」より:

「――こうしてお前はどこに行く? と盲の王は言った。
 ――帰るところよ、と彼女は答えた。「不幸者」の町へ。そこで王は、王国の人里離れたところに病気や犯罪のために生活から締め出された人たちが逃げこむ隠れ場があることを思い出した。彼らは自分たちで建てた小屋に暮らすか、地面に掘った洞穴にとじこもっていた。そしてひどく孤独だった。
 王はその町に行こうと決心した。」

「――おそらく、眼から迸り出た心臓の血があの人の病気をいやしたのであろう。そしてあの人は自分が惨めな風貌(マスク)を持つものと思いながら死んでしまった。だが、いまや、すべての仮面(マスク)を、黄金の、癩の、肉の仮面(マスク)を脱ぎ捨てたのだ。」



「ミレトスの女たち」より:

「突然、だれにも理由がわからないままに、ミレトスの乙女たちが首を吊りはじめた。まるで精神の疫病だった。女部屋の扉を押しあけると、梁からぶら下った白い躯のまだ顫えている足にぶつかった。嗄れた溜息、指輪や腕輪や足輪が床にころがる音におどろかされた。首を吊った女たちの胸は締め殺される鳥の翼のように盛り上った。その眼は恐怖というより諦めの念をたたえているように見えた。」


「青い国」より:

「もう二度と行き着けそうもないある田舎の町でのことだが、その坂になった町並は古く、家々はスレート葺き。雨は彫刻された柱をつたって流れ、その滴はいつも同じ場所に同じ音を立てて落ちる。」
「そこにはまた、(中略)赤っぽい角燈や、錫の燭台に立てられた細い蝋燭や、硫黄マッチの箱や、そのうしろでかつては緑色や青い色の液を容れた奇妙な形の小壜が眠っている、影に覆われほこりにまみれたガラス戸がある。皺だらけの寝間帽がガラス窓のところで揺れ、ときに子どもの蒼白い顔とか、色褪せた操人形や木の鵞鳥やまだらな色のはげかけた毬をいじるひ弱そうな指が見える。
 そこである冬の晩、暗い玄関で、小さな冷たい手がぼくの手のなかにすべりこむと、子どもっぽい声がぼくの耳に「いらっしゃい!」と囁いた。」
「ぼくたちは部屋に入ったが、扉はいまにもはがれそうな四枚の板で、掛金代りの紐がついており、燃えるとき音のする蝋燭が点されて壜に差しこまれた。横にはまだぼくの手を握ったままの十三歳の小娘がいたが、その細い金髪は肩まで垂れ、黒い眼は満足そうに輝いていた。だが、その娘(こ)は痩せて小さく、肌は飢えからくる色をしていた。
 ――あたしマイという名なの、と彼女は言い、それから指を突き出した。「恐ろしい怪物さん、あたしが手を取ったとき恐わくはなかったでしょう?」
 それからぼくを引っぱって部屋のなかを廻った。「今日は、きれいな鏡さん」と彼女は言った。「あんたは少しこわれているけど、かまわないわ。ほら、とてもやさしいお友だちが来たから紹介するわ。――こんにちは、脚が三本しかないきたない机さん、あんたはきたない机だけど、それでもあたしはあんたが好きよ。(中略)――こんにちは、お部屋さん、あんたにお仲間の挨拶をおくるわ、今日はお連れがいるのですもの。」
 ぼくはひどい机の上に金をいくらか置いた、らしい。マイはぼくの頸にとびついた。「いいわね」と彼女は言った。「大きなパンを買いに行ってくるわ、(中略)――じゃあね、お部屋さん、あたしの留守の間おとなしくしているのよ。(中略)」」
「喰べ終ると溜息をついた。「あたしお腹がすいてたの」と彼女は言った。「そしてミシェルも多分そうよ。いま頃までどこに行ってるんだろう、あの腕白坊や?――ねえ、ミシェルはとても不仕合せな男の子で、お母さんもお父さんもなくて、醜くて、せむしなんだけど、あたしが火を起こすのを手伝ってくれるし、水を汲んできてくれるので、あたしと一緒に喰べさせて、お金があれば銅貨も上げてるの。」」
「彼女は子どもっぽいことばで自分の生活を語って聞かせた。彼女は善も悪も知らなかった。醜い男の子たちと田舎をさまよい歩き、芝居をした。九つのとき、納屋の奥で王女様になり、素足に麦を巻きつけ、頭に金色の紙の冠をかぶった。役のせりふをいまでも憶えていて、暗誦してくれた。「あら! 美しいお芝居があったのよ。」と彼女は言った。「『青い国』という題だったと思うわ。(中略)山も青く、木も青く、草も青く、動物も青かったの。(中略)青い国があるって本当かしら? あたしはきっとそこへ行くわ。でも、あたしと一緒にお芝居をした男の子はみんな監獄へ入れられてしまったの。(中略)でもその後あの子たちに会っていないの。それで、それからは町に住むようになったのだけれど、悲しいことよ。いつも雨が降ってるの。スレートか暗い小さな店しか見えないもの。」
 彼女はこんなふうに喋ったが、やがて怒りだした。「ミシェル、部屋を皮でよごしてはいけません。拾いなさい。このろくでなし、ええ!」彼女は靴を片方脱いでミシェルの顔めがけて投げつけた。」
「そのうちにぼくは小さなマイのもとを辞さなければならなくなったが、また来ると約束した。ぼくは彼女と毎日会い、彼女はストーブの前で手を休めずに縫物をした。いまでは色物のぼろ布を縫い合わせて、奇妙な衣裳をいく組も作った。(中略)だが貧しさが遠のくにつれて、彼女は悲しそうになった。雨の降るのを眺めていた。「怪物さん、いやな怪物さん」と彼女は、うつろな眼をし、唇をたるませて言った。一度、扉を細目にあけたとき、彼女がこわれた鏡の前で、(中略)鋏で切り抜いた紙の冠を頭にかぶっているのを見た。物音を聞きつけると彼女は冠を隠した。「ミシェルは悪い子よ」と彼女は言った。「龍になってしまうかもしれないわ。」
 冬が終りかけていた。空はまだ暗かったけれども、いくらかの光がスレートの縁を輝かせた。雨は前ほどしげく降らなかった。
 ある晩、行ってみると部屋はからだった。机も椅子もストーブも水差しもなかった。窓から眺めると、曲った肩が中庭の奥に消えてゆくのが見えるような気がした。そして、階段を上るときに使う糸蝋燭の薄明りで、ぼくは太い字で次のように書かれた板が壁にピンでとめてあるのを見た。
 さようなら、お部屋さん。マイとミシェルは青い国に旅立ちました。」



「バルジェット」より:

「あんたたちにわからないでしょう? あたし庭を、きれいなお庭を家のなかに造ろうとしたことがあるわ。外は風が強すぎるもの。真中の床板を剥がして、いい土を入れて、それから草とばらと夜とじる赤い花を植えて、お喋りするためにきれいな小鳥や鶯や頬白や紅ひわも放つつもりだったの。でも父さんがだめだって。そんなことをすると家がいたむし、湿気が多くなるって言ったの。」

「――嘘つき! あんたたちみんな嘘つきよ。」



「顔無し」より:

「二人とも焦げた草の上に並んで横たわっているところを拾い上げられた。衣服は切れ切れに飛び散ってしまっていた。火薬の火が番号札の色を消し、洋銀板は粉々に砕けてしまっていた。二つの人間のパイとでも言いたいところだった。というのは、二人は風を切ってはすに飛んできた一枚の銅鉄の破片に顔を削がれ、先端の赤い二本の円筒となって芝草の上で倒れていたのだ。彼らを車に収容した軍医は、とくに好奇心から拾い上げたのだが、事実、特異な負傷例であった。鼻も、頬骨も、唇も残っていなかったし、眼は砕かれた眼窩から跳び出し、口は漏斗状に裂け、切り残されてぴくぴく顫える舌の一部を具えた血みどろな孔となっていた。これほど奇妙な眺めは想像もできなかった。同じ体格の、顔のない二つの生きものだった。」
「二人は野戦病院で「顔無し一号」と「顔無し二号」という名をつけられた。」































































































マルセル・シュウォッブ 『少年十字軍』 (多田智満子 訳)

「――そうやってお前はどこへ行く、と盲目の王が言った。
 ――帰るのよ、と彼女は答えた。みじめなる者の町へ。」

(マルセル・シュウォッブ 「黄金仮面の王」 より)


マルセル・シュウォッブ 
『少年十字軍』 多田智満子 訳


王国社 1990年9月20日初版発行
174p 
四六判 丸背紙装上製本 カバー 
定価1,480円(本体1,437円)
装幀: 山本美智代
Marcel Schwob : La Croisade des Enfants



多田智満子訳「少年十字軍」の初版は1978年、森開社刊。本書は短篇を増補した新版です。

本書「訳者あとがき」より:

「本書に収めた諸篇は、むろんその撰択には訳者の好みが反映しているものの、いずれも多くの評家の推す粒ぞろいの名品である。」
「訳出した作品のうち、「黄金仮面の王」「大地炎上」「ペスト」「眠れる都市(まち)」の四篇は、短篇集『黄金仮面の王』(一八九二年)から、「〇八一号列車」「リリス」「阿片の扉」「卵物語」の四篇は、短篇集『二重の心』(一八九一年)から採った。
 『少年十字軍』はややおくれて一八九六年の刊行であるから、短命なこの作家としては中期の作品といえようが、それにしても三十歳に満たぬ青年の作であることに変りはない。」



マルセル シュウォッブ 少年十字軍 1


帯文:

「夜、ぼくらを呼んだのは白い声だ。
その声はすべての子供を呼んだのだ。
世紀末フランスの天才作家シュウォッブの心震える傑作短編。」



帯背:

「聖なる彼方へ」


帯裏:

「*多田智満子「訳者あとがき」から*
シャンピオンのことばを借りれば「マルセル・シュウォッブは幼年期をもたなかった。幼にしてすでに大人であり、青年ともなればもう決定的存在、完璧な芸術家である」ギリシア古文書学やヴィヨン研究に打ちこんだとはいえ、彼は決して単なる学究ではなかった。その作品群は驚くべき博識に裏づけられながら衒学臭がなく、絢爛たる幻想をくりひろげながら人間的なあたたかみを失わずまさしき天才の刻印をとどめている。」



目次:

黄金仮面の王
大地炎上
ペスト
眠れる都市(まち)
〇八一号列車
リリス
阿片の扉
卵物語

少年十字軍
 托鉢僧の語り
 癩者の語り
 法王インノケンティウス三世の語り
 三人の児の語り
 書記フランソワ・ロングジューの語り
 回教托鉢僧の語り
 幼ないアリスの語り
 法王グレゴリウス九世の語り

訳者あとがき



マルセル シュウォッブ 少年十字軍 2



◆本書より◆


「黄金仮面の王」より:

「王は黄金仮面を外した。すると見ていた人々の喉から叫び声が上った。火盤の薔薇色の炎が癩病やみの白いかさぶたを照らし出したからである。
 ――予を欺いたのは彼ら――すなわち歴代の王なのだ、と王は叫んだ。先祖たちは予と同じく癩を病み、王権とともに業病を遺してくれた。彼らは予をあざむき、其方たちに偽りを強いたのである。
 広間の、空に向かって開かれた窓から、沈みかけた月がその黄色い仮面を見せた。
 ――このようにして、と王は言った。いつも同じ黄金の面をわれらに向けるあの月も、おそらく暗く残忍な別の面をもつのであろう。同様に予の王権も予の癩病を蔽うことによって保たれてきたのだ。けれども予はもはやこの世の表面(うわべ)など見たくない。暗いものに眼を向けたいのだ。ここで、其方たちの眼の前で、予は自らの癩と嘘偽のゆえに自分を罰する、己れとともに己が民を。
 王は黄金の仮面をさし上げた。黒い玉座の上に立ちあがり、一同のざわめきと愁嘆のうちに、仮面の両側についている鉤を、苦痛の叫びとともにわれとわが眼に突き立てた。これを最後として一条の赤い光が眼前に輝き、血潮がどっと顔を流れ、両手を流れ、玉座の黒い壇を流れた。彼は衣服を引き裂いて、よろめきながら階(きざはし)を下りた。恐怖のあまりおし黙った衛兵を手さぐりでかきわけ、たったひとり夜の中に出ていった。」

「――そうやってお前はどこへ行く、と盲目の王が言った。
 ――帰るのよ、と彼女は答えた。みじめなる者の町へ。
 それをきくと王は、自分の王国の人里離れたところに、業病や犯罪のために世間から締め出された人々の逃げこむ隠れ場があることを思い出した。彼らは自分の手で建てた小屋や、地面に掘った洞穴にとじこもって暮している。孤独の極みというべき人々であった。
 王はその町へ行こうと決心した。」

「――おそらく眼からほとばしり出た心臓の血がこの人の病を癒したのであろう。みじめな相貌(マスク)をもっているものと思いこんで彼は亡くなった。しかし、今やすべての仮面(マスク)を、黄金の、癩病の、肉の仮面(マスク)を、この人はことごとく脱ぎすてたのだ。」



「少年十字軍――癩者の語り」より:

「「他の人々の御主(おんあるじ)よ、われをも救いたまえ!」御救い主(ぬし)はわたくしの蒼白い罪業を贖うてはくだされなんだ。この身は復活のその日まで忘れられてあるのだ。(中略)わたくしはこの地上で蒼ざめた苦患(くげん)にかこまれてある。わたくしは主に属する子らの頸から無垢の血を吸いとろうとて、機をうかがっていた。」

「そこでわたくしはまた笑って問いかけた。
 ――主なる神とは何なのだ?
 かれはこたえた。
 ――知りません。白いおかたです。
 このことばにわたくしはかっといきり立ち、頭巾のかげに口をひらいて歯を剥き、みずみずしいうなじのうえに身をかがめたが、かれはすこしもひるまない。そこでわたくしは言った。
 ――なぜこわがらぬ?
 その子は言った。
 ――どうしてこわいことがあるの、あなたは白いひとなのに。
 このとき大粒の涙がはらはらとこぼれおち、わたくしは地にひれ伏した。(中略)
 ――だって、わしは癩病やみなんだぞ。
 テュートンの子はこの身をみつめていたが、冴え冴えとした口調で言った。
 ――この子はわたくしをこわがらぬ! こわがらぬ! この身のおぞましい白さが、この子には主(しゅ)の白さと同じに見えるのだ。わたくしはひとつかみの草をむしりとって、かれの唇を拭いてやった。そして言った。
 ――おまえの白き主のもとへやすらかにお行き。そして、主がわたくしを忘れておられると申し上げておくれ。」



「少年十字軍――三人の児の語り」より:

「ぼくらの十字架はいつもみずみずしい。こうしてぼくらは大きな希望を抱いている。やがて青い海が見られるだろう。青の海の彼方にはイエルサレムがある。主(しゅ)はすべての幼児(おさなご)を御墓へみちびいてくださるだろう。白い声は夜の闇にひびいてよろこばしいことだろう。」


「少年十字軍――幼ないアリスの語り」より:

「この国では何もかも白いわ、家も着物も何もかも。(中略)かわいそうなユスタースはこの白さが見えないけれど、わたしが話してあげるとよろこんでいるの。なぜかというと、白は終りのしるしだってあの子は言うの。」



◆感想◆

この世に適応している大人たちの目にはなんとも不可解な信念にかられて、ふいにいなくなってしまう子供たち。バルジェット(『黄金仮面の王』所収「バルジェット」)が行こうとした「太陽のあるところ」も、マイとミシェル(『黄金仮面の王』所収「青い国」)が行ってしまった「青い国」も、モネル(『モネルの書』)がいる「白い国」も、少年十字軍がめざした「白い果て」のイエルサレムも、大人の「嘘」が作り出した架空のユートピアにすぎないですが、しかしかれらはたしかに目的地にたどり着いたにちがいないです。「嘘から出たまこと」とはよくぞいったものです。



最後になりましたが、ついでなので、多田智満子訳「少年十字軍」と大濱甫訳「小児十字軍」の訳文を比較のために並べて引用しておきたいとおもいます。


「少年十字軍」(多田智満子訳)より:

「「他の人々の御主よ、われをも救いたまえ、われは癩者なり。」わたくしは孤独で、恐れを抱いておる。わたくしの歯だけが天然の白さを保っている。けものらもこの身を恐れる、逃げ出したいのはわたくしの魂のほうであるのに。天道(てんとう)様もわたくしを避ける。救い主(ぬし)がかれらをお救いなされてから千二百十二年経つが、主(しゅ)はわたくしをあわれんではくだされなんだ。主をつき刺した血染めの槍がこの身には触れなかったのだ。おそらく他の人々の御主(おんあるじ)の御血がこの身を癒やしたであろうに。わたくしはよく血を想う。この歯でなら咬みつけよう、この真白い歯でなら。主はわたくしに与えようとはなされなんだので、わたくしは主に属する血がむやみにほしくなる。そういうわけでわたくしは、ヴァンドームの地からロワールの森へとやってくる子どもらを待伏せていたのだ。」


「小児十字軍」(大濱甫訳)より:

「他ノ人々ノ主ヨ、我ヲ罪ナキ者トナシタマエ。我ハ癩ヲ病ム者。私は孤独で、怖れている。生まれながらの白さを保っているのは歯だけだ。動物たちも私に怯え、私の魂も逃げ出そうとしている。陽の光も私には近づかぬ。千と二百十二年の間、救世主は他の人々を救ってこられたのに、この私をあわれんでは下さらなかった。主(しゅ)を刺し貫いた血染めの槍が私に触れてはくれなかった。他の人たちが持っている主の御血が私を癒してくれるかもしれぬ。私はたびたび血のことを想う。この歯でなら噛みつくこともできよう、歯は白いのだから。主が私に血を与えて下さらなかったから、私は神の御血を奪い取りたい欲望に駆られるのだ。だから、ヴァンドーム地方からロワールの森へ下って来たあの子供たちを待ち伏せたのだ。」



この記事をよんだ人は、こんな記事もよんでいます:
谷川健一 『青と白の幻想』











































































マルセル・シュオブ 小説全集 V 『モネルの書』 (大濱甫 訳)

「彼女は叫んだ。
 ――白い王国! 白い王国! 私は白い王国を識っている!」

(マルセル・シュオブ 『モネルの書』 より)


マルセル・シュオブ 小説全集 V 
『モネルの書』 大濱甫 訳


南柯書局 昭和52年11月30日印刷/同年12月15日発行
168p 四六判 
丸背紙装上製本(背革) 貼函
定価2,100円
限定970部
Marcel Schwob : Le Livre de Monelle (1895)

シュオブ小説全集・栞一: 
マルセル・シュオブの家(曾根元吉)/図版(モノクロ)1点



マルセル シュオブ モネルの書 1


帯文:

「フランス十九世紀末のもっともすぐれた短篇作家であり、至上の愛を恐怖とあわれみとに求めて狂気のなかに夭折した幻視家シュオブの本邦初訳全集。」


目次:

I モネルの言葉
II モネルの姉妹
 利己的な娘
 官能的な娘
 倒錯的な娘
 裏切られた娘
 野生の娘
 忠実な娘
 運命を負った娘
 夢想する娘
 願いを叶えられた娘
 非情な娘
 自分を犠牲にした娘
III モネル
 彼女の出現について
 彼女の生活について
 彼女の逃亡について
 彼女の王国について
 彼女の復活について

あとがき (大濱甫)



マルセル シュオブ モネルの書 2



◆本書より◆


「モネルは、ぼくが野原をさまよっているのを見つけて、ぼくの手を取った。

 ――おどろかないで、と彼女は言った。これは私であって、私ではないの。
 あなたはこれからもまた私を見つけ、また私を見失うでしょう。なぜなら、私を見た人は少ないし、私を理解した人はいないのだから。
 そしてあなたは私を忘れ、また私を認め、また私を忘れるでしょう。」

「そしてモネルはさらに言った。破壊について話しましょう。

 破壊せよ、破壊せよ、というのが格言なの。あなたの内部で破壊しなさい。あなたの周囲で破壊しなさい。あなたの魂とほかの人たちの魂のために場所を作りなさい。
 すべての善とすべての悪を破壊しなさい。残骸はすべて似たようなもの。人間の古い棲処(すみか)と魂の古い棲処を破壊しなさい。死んだものは物の形を歪める鏡。
 破壊しなさい。なぜなら、すべての創造は破壊から生れるのだから。
 そして、高次の善良さのため低次の善良さを破壊しなくてはいけない。だから新しい善は悪に飽和したように見える。
 そして、新しい芸術のために、古い芸術を破壊しなさい。だから新しい芸術は一種の偶像破壊のように見える。
 なぜなら、どんな建設も残骸から造られるのだし、この世に新しいものは形式しかないのだから。
 でも形式も破壊しなくてはいけない。」


     *     *     *

「するとルーヴェットは思い出した。愛し苦しむことを選び、白衣のままぼくのそばにやって来た。ぼくたち二人は野を横切って逃げた。」


マルセル シュオブ モネルの書 3


栞。














































































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

最近の記事
カテゴリー
ブログ内検索
リンク
フリーエリア
netakiri nekotaroの最近読んだ本