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マックス・ピカート 『沈黙の世界』 佐野利勝 訳

「これらの人物たちは、ちょうど幾つかの都市が海底に沈んでしまったように、沈黙のなかに沈んでいる。そして、たとえば太古の獣が地中に保存されているように、この沈黙の水底に彼らは保存されているのである。
 海からあがってきた者から雫(しずく)がたれるように、これらの人物たちの顔からは沈黙がしたたり落ちる。ピエロ・デルラ・フランチェスカの絵の人物たちは、いわば一つの器官として、一つの新しい感覚器官として、沈黙を身につけている。彼らは、まるで沈黙が言葉であるかのように、沈黙を通して語るのである。」

(マックス・ピカート 『沈黙の世界』 より)


マックス・ピカート 
『沈黙の世界』 
佐野利勝 訳



みすず書房 
1964年2月5日 第1刷発行
1987年4月10日 第30刷発行
278p 著者・訳者略歴1p 
B6判 丸背布装上製本 カバー
定価1,700円



「訳者あとがき」より:

「この本はマックス・ピカートの „Die Welt des Schweigens“ Eugen Rentsch Verlag (1948) を全訳したものである。」


「仏はつねにいませども うつつならぬぞあはれなる ひとの音せぬ暁に ほのかに夢に見えたまふ」
というわけで、でてきたのでひさしぶりによんでみました。



ピカート 沈黙の世界



目次:

まえがき

沈黙の相(すがた)
始原の現象としての沈黙
沈黙からの言葉の発生
沈黙と、言葉と、真理
言葉における沈黙
沈黙と言葉との中間にある人間
沈黙におけるデモーニッシュなるものと言葉
言葉と身振り
古代の言葉
「自己」と沈黙
認識と沈黙
事物と沈黙
歴史と沈黙
形象と沈黙
愛と沈黙
人間の顔と沈黙
動物と沈黙
時間と沈黙
幼児と、老人と、そして沈黙
農夫と沈黙
沈黙における人間と事物
自然と沈黙
詩と沈黙
詩と沈黙―例―
美術と沈黙
騒音の言葉
ラジオ
沈黙の残部
病と死と沈黙
沈黙なき世界
希望
沈黙と信仰

訳者あとがき




◆本書より◆


「LINGUA FUNDAMENTUM
SANCTI SILENTII
言葉は聖なる沈黙にもとづく

マリア・クルム寺院祭壇の銘
ゲーテの日記より」



「沈黙の相」より:

「沈黙は決して消極的なものではない。沈黙とは単に『語らざること』ではない。沈黙は一つの積極的なもの、一つの充実した世界として独立自存しているものなのである。」
「沈黙には始めもなければ、また終りもない。沈黙は、万事がまだ静止せる存在であった、あの歴史以前の時代に由来しているものと思われる。沈黙は、いわば創造に先だって在(あ)った永劫不変の存在のようなのだ。」

「沈黙は今日では『利用価値なき』唯一の現象である。沈黙は、現代の効用価値の世界にすこしも適合するところがない。沈黙はただ存在(引用者注:「存在」に傍点)しているだけである。それ以外の目的はなにも持っていないように思われる。だから、人々はそれを搾取することが出来ないのである。」
「沈黙は効用世界のそとにある。(中略)それは『非生産的』である。」
「それでも、沈黙からは、他の効用価値あるあらゆるものからよりも一層大きな治癒力と援助の力とが放射しているのである。この無目的的な無益なものが、あまりにも目的追求的なもののかたわらに立ち現われる。それは突如として、あまりにも目的追求的なもののかたわらにたち現われる。そして、その無益さによって世人を驚愕せしめ、あまりにも目的追求的なものの流れを切断するのである。それは、もろもろの事物のなかに蔵されている侵すべからざるものを強め、搾取と掠奪とが諸事物にあたえた傷害をやわらげる。そして、諸事物を破壊的利用の世界から全き存在の世界へと奪いかえすことによって、それらをふたたび完全にするのである。それは、もろもろの事物に、あの聖なる無用性から汲みあたえる。何故なら、沈黙自身が、あの聖なる無用性に他ならないのだから。」



「始原の現象としての沈黙」より:

「つまり、沈黙のなかで、われわれはふたたび太初の発端のまえに立つのだ。そこでは、万事があらためてもう一度開始されることが出来る。万事がもう一度あたらしく創造されることが出来るのである。人間は、沈黙によって毎瞬間ごとに元初的なるもののもとに居合わせることが出来るのである。」

「沈黙は、いわば太古のもののように、現代世界の騒音のなかへと聳え立っている。死せるもののようにではなく、沈黙は一個の生きた太古の生物のようにそこに蟠居している。今なお沈黙の巨大な背はそこに見える。しかし、この太古の生物のすがた全体が、現代の満目騒音のみの藪林のなかで、刻々に沈みゆきつつある。それはあたかも、この太古の生物が、次第に自己自身の沈黙の深みのなかで姿を消し去ろうとしているかのようだ。にもかかわらず、今日のあらゆる騒音も、しばしば、この太古の生物の――他ならぬ沈黙の――巨大な背のうえにとまっている昆虫の羽音に過ぎないように見えることもまれではない。」



「沈黙からの言葉の発生」より:

「言葉は沈黙から、沈黙の充溢から生じた。」
「今もなお、一人の人間が語りはじめる場合には、言葉はふたたび沈黙から生れ出てくるのである。
 まるで、言葉は裏返された沈黙、沈黙の裏面に他ならないかのように、そのように自明的に、そして目立つこともなく、言葉は沈黙から生ずる。」



「言葉における沈黙」より:

「人間は、自己がそこから生じ来たった沈黙の世界と、自己がそこへと入ってゆくところの他の沈黙の世界――即ち死の世界――との中間に生きている。人間の言葉もまた、沈黙のこの二つの世界の中間に生きており、そしてこの二つの世界によって支えられる。だから、言葉は二重の反響を――つまり、言葉がそこから生じ来たった世界からの反響と、そして、死の世界からの反響とを――持っているのだ。」

「言葉は沈黙から来たり、ふたたび沈黙へかえる、と私は言った。あたかも、沈黙の背後には絶対的なる言葉(das absolute Wort)があって、人間の言葉は、沈黙をとおって、そこへと動いて行くかのようなのである。人間の言葉はこの絶対的言葉によって支えられているかのようなのだ。」
「沈黙は、いわばあの絶対的言葉を回想しようとする努力なのである。」



「沈黙におけるデモーニッシュなるものと言葉」より:

「沈黙のなかには単に治癒力や慈愛が存在しているだけではなく、そこにはまた暗黒なもの、地下的なるもの、怖るべきもの、敵意あるもの、つまり沈黙の地底から迸(ほとばし)り出てくるかも知れないもの、冥界的なもの、魔的(デモーニッシュ)なものが宿されている。「無限なる宇宙の永遠の沈黙は、私の心のなかに戦慄を喚びおこす。」(パスカル)」


「古代の言葉」より:

「古代の言葉においては、二つの言葉の中間には沈黙が横たわっていた。言葉は沈黙を呼吸し、沈黙を語っていた。」


「「自己」と沈黙」より:

「自己の本質のなかにまだ沈黙が生きている人間は、この沈黙から外部の世界へとうごいてゆく。沈黙はその人間の中心なのである。そのような場合には、人間のうごきは、ひとりの人間から直接に他の人間へとはたらきかけるのではなく、ひとりの人間の沈黙から他の人間の沈黙へとはたらきかけるのである。」


「歴史と沈黙」より:

「歴史を形づくるあらゆるものの傍には、つねに沈黙がある。たとえば、沈黙に対する喧噪の蜂起のようであった第二次世界大戦の終結に際して、少くとも二三日間、沈黙が厳然としてそこにあった。戦争についてはもはやただの一語(ひとこと)もかたられなかった。戦争に関するさまざまの言葉は、口に出して語られる以前に、沈黙によって吸収されてしまったのである。沈黙は、あらゆる残虐よりも一層偉大で、そして強力だったのである。もしもあの沈黙が旧態依然たる喧噪の世界によって突き倒され破壊されなかったとすれば、この非常に強烈に存在していた沈黙は治癒的作用を及ぼし得たであろう。世界はこの沈黙のなかで転生し、新たに生れかわることも出来たであろう。まことに、沈黙が喧噪の世界によって破壊されたこと、……これこそ戦後の人間の重大な敗北であった。」


「動物と沈黙」より:

「動物たちは、沈黙を背負って人間の世界、言葉の世界を歩きまわり、そして、人間のまえに絶えず沈黙を置くところの生物なのだ。人間の言葉によって搔き乱された多くのものが、動物たちの沈黙によってふたたび静められるのである。」


「時間と沈黙」より:

「冬には、沈黙は眼で見うるものとなってそこにある。雪は沈黙なのである。」
「天と地のあいだの空間は雪によって占められていて、天と地とはいまや雪を孕んだ沈黙の縁(へり)にすぎない。」
「人間たちは道路の縁(へり)に黙って立っている。人間の言葉は、沈黙の雪に覆われているのだ。」

「時間は沈黙によって引き伸ばされ、ゆるやかに流れすぎて行く。」



「沈黙における人間と事物」より:

「時折、どこかの道路の脇に一脚のベンチがある。そのうえに一匹の猫がうずくまって、ひと休みしている。そして、自然石で舗装された道の向うがわには、ただ一枚の牧草地しかない。そしてそこの牧草地からは、一つの斜面が急な傾斜をなして谷の方へと降りている。ベンチと、猫と、道路と、そして一片の牧草地とは、そのうえにある空と下の傾斜した土地とのあいだに浮んでいるようにみえる。そして、この、まさにこの幾つかの事物のなかに、沈黙自身が静かに休らっているのである。それはあたかも、沈黙がその他の世界から抜け出て来て、これらの事物に身を寄せて休らうために、このような僅かの事物を携えて来たかのようだ。
 猫は身じろぎ一つしない、……まるで、つい先刻(さっき)まで、ドームのうえで永久に待っているあの石の獣たちの一匹、沈黙をみずから見張ることの出来る沈黙の獣であったかのように。
 猫、日向のベンチ、石で舗装された道、一片の牧草地、……これら幾つかの事物は、沈黙によって遽しい日常世界の流れから救い上げられている。猫、ベンチ、そして土地は、まだ言葉が存在せず沈黙だけが存在していたあの太初の状態へと還っているのだ。」



「美術と沈黙」より:

「ピエロ・デルラ・フランチェスカの人物たちは、たとえば、神々が人間を創造する以前に、神々の夢のなかを逍遙していたかのようである。そして、神々の夢のなかを逍遙することによって、彼らは沈黙で充たされたのである。
 時として彼らはまた夢のようだ。……沈黙がもろもろの事物を覚醒の世界へ送り出すまえに、沈黙自身がゆめみた夢のようだ。
 これらの人物たちは、ちょうど幾つかの都市が海底に沈んでしまったように、沈黙のなかに沈んでいる。そして、たとえば太古の獣が地中に保存されているように、この沈黙の水底に彼らは保存されているのである。
 海からあがってきた者から雫(しずく)がたれるように、これらの人物たちの顔からは沈黙がしたたり落ちる。ピエロ・デルラ・フランチェスカの絵の人物たちは、いわば一つの器官として、一つの新しい感覚器官として、沈黙を身につけている。彼らは、まるで沈黙が言葉であるかのように、沈黙を通して語るのである。」



「騒音の言葉」より:

「現代世界の言葉は、言葉に対して、同時にまた沈黙に対して意味をあたえるところの精神の行為によって、沈黙から生れ出るのではない。そうではなくて、何か一つの他の言葉から、いや、他の言葉の騒音から生れるのである。したがってまた、言葉は決してふたたび沈黙のなかへ帰ることはない。それはもはや沈黙のなかで終るのではなく、何か他の一つの騒音の言葉のなかで終る。そして、その騒音の言葉の喧噪のなかで滅びるのである。何か言葉めいたものが騒音のなかに絶えず現われ、その言葉めいたものが繰りかえし騒音のなかで消えてゆくのだ。
 言葉はもはや精神として存在しているのではなく、音声学的に、単なる騒音として存在しているに過ぎない。」

「沈黙から生ずる真の言葉はそれとは逆に、沈黙から言葉へとうごいて行き、そしてふたたび沈黙へと帰るのである。そうして、この沈黙からまた新しい言葉へとうごいてゆき、また沈黙へと帰る。こういう運動をつづけるのである。だから言葉は常に沈黙を中心としてそこから生ずるのだ。このようにして、文章のながれは繰りかえし沈黙によって中断される。沈黙の垂線がつねに文章のながれの水平線に突き当り、それを中断するのである。」

「今日では、人間の存在はただ騒音語のなかからの継続的出現、そして騒音語のなかでの継続的消滅でしかない。」

「騒音語は実に広範に、到るところへさまよい歩き、到底見渡し得ないものであるから、人間は騒音語のなかで、何がどこで始まりどこで終るか、いや、彼自身がどこで始まりどこで終るか、まるで勝手がわからない。たとえて言えば、騒音語はうようよする昆虫の群のようである。……ただ一種の不明確な雲、一種の昆虫の雲が見えるだけだ。この雲からぶんぶんと唸りが発し、それが万事を覆い万事を均等化するのである。」

「独裁者の獅子吼、彼の日々命令(にちにちめいれい)は、騒音語が待ち設けているところのものなのだ。一方では独裁者の獅子吼とその明確さ、――他方では騒音語と、そして騒音語の不明確さ、……両者は互いに呼応するものなのだ。」



「ラジオ」より:

「今日では、騒音語は世界の一部であるだけではない。一つの世界が騒音語のうえにうち建てられているのである、――即ちラジオの世界が。
 ラジオは、純然たる騒音語を製造するための機械装置である。そこでは内容はほとんど問題ではなく、一つの騒音が生ずるということだけが問題なのだ。」
「ラジオは沈黙のあらゆる空間を占領した。……沈黙はもはや全く存在してはいない。ラジオのスウィッチが切られている時でも、ラジオの騒音は依然として存在していて、耳に聞えることなく継続しているように思われる。」

「ラジオ世界の人間を不機嫌にし、人間のなかに一種の身体的不快感を喚び起すのは、万事がラジオを通して人間に投げ与えられ、しかも何物も真に存在してはおらず、すべてが彼の手許から滑り落ちるという、このことである。」

「ラジオの騒音……これが現実なのだ。ただラジオの騒音のなかに含まれているもの、ただラジオの騒音によって生ずるものだけが、承認されるのである。一つの事件は、それがラジオの騒音の一部となる時にのみ――それがラジオの騒音から生れてくる時にのみ――真実なものと看做される。誰かのまえで爆弾が炸裂する、どこかの工場が倒壊する、……言うまでもなくそれは眼の網膜に映じはする、しかし、それは殆んど知覚されはしない。それは普遍的なラジオの騒音によって受けいれられるときにはじめて、真実のものとして通用するのである。人々は自分自身が現に見ているものを信じないのだ。」

「もしも今日、戦争についての報告がたて続けにラジオによってわめき散らされないならば、大砲の轟きや戦場で死につつある者の絶叫が到るところに聞こえることであろう。沈黙のなかで、人々は戦死する者の絶叫を聞くであろう。そして、その叫びは大砲の轟音を圧倒することであろう。ところが、戦況報告の持続的な騒音は、大砲の轟きや死者の絶叫を水準化し、普遍的な騒音にしてしまうのである。戦争は普遍的なラジオの騒音の一部となり、(中略)人間は戦争をちょうどラジオの騒音のなかに現われる雑多なものと同様に、自明的なものとして平気で受けとるのである。」

「世界中がラジオの騒音と化してしまった。ただラジオの騒音のなかに出現するものだけが承認されるのである。」

「ラジオは、もはや言葉に耳を傾けないように人間を教育するのである。」



「病と死と沈黙」より:

「今日、人間が眠りを失っているのは、彼が沈黙を失っているからに他ならない。眠りのなかで、人間は、彼自身のうちにある沈黙をたずさえて、普遍的な偉(おお)いなる沈黙へと帰るのである。しかし、現代の人間には、(中略)彼自身の内部の沈黙が欠けている。今日では眠りは喧噪による疲労、喧噪に対する反動でしかない。それはもはや独自の世界ではないのである。
 「眠れる人々もはたらく。そして宇宙において生じつつあるものに参与するのだ。」(ヘラクレイトス)」

「病の周囲には、今日でも――この喧噪の世界のなかでも――一種の沈黙があって、医者たちの正しい談話も間違った談話もそれを追い払うことは出来ない。あたかも、沈黙が四方八方から攻めたてられて、病人を隠家(かくれが)としてそこに身をひそめたかのようなのである。沈黙は、たとえば地下墓地のなかに身を匿すようにして、病人たちのもとに生きのびているのだ。」

「L教授は脳溢血のために、非常にゆっくりものを言わざるを得ない状態になった。ところが教授は、言葉が沈黙から音声へと達するのが困難になったことを損失とは感じていなかった。彼はこう言っていた、『以前にはものを言うことがたやすかった。言葉はあまりにも容易に出て来た。しかし、それは何か他の言葉から急速にとびだして来るものであって、決して沈黙からゆっくりと浮びあがって来る言葉ではなかった。ところが今は、病気のおかげで、一つの言葉が音声になれば、それはまるで一事件だ。一つの言葉をふたたび沈黙から取り出すことに成功すれば、それは一種の創造のようだ。』彼の場合には、ちょうど中世の人間――沈黙から言葉へのあらゆるうごきが一つの行為であったあの中世の人間――におけるようであった。彼が健康であったときには決して到達出来なかったこと、つまり、沈黙からの言葉の発生を驚異的なものとして体験すること、そのことを病気のおかげでやっとなし遂げることが出来る次第だ、と彼は言っていた。
 かくてL教授は彼の病気を克服した。しかも単に克服しただけではない、……彼は病気によって以前の彼以上のものになったのである。」



「沈黙なき世界」より:

「僧たちの共同体、つまり修道院のなかには、沈黙はたしかに今なお真に沈黙として存在している。中世においては、これらの修道僧たちの沈黙が他の人々と――修道院外の人々の沈黙と――結びついていた。ところが今日では、沈黙は修道院に隔離されている。沈黙は密室のなかに隠遁しているのだ。」








ブリジット・フォンテーヌ 「ラジオのように」 (英語ヴァージョン)
































































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ヘーベル 『ドイツ炉辺ばなし集』 木下康光 編訳 (岩波文庫)

「この男はまた、たまたま子供の躾(しつけ)のことが話題になったとき、こう言った。「おいらに餓鬼(がき)どもがいなくて餓鬼どもは幸せじゃ。おいらは腹を立てると餓鬼どもをみんなぶっ殺してしまいかねんからのう。」」
(ヘーベル 「ミラノの頓馬の話」 より)


ヘーベル 
『ドイツ炉辺ばなし集
― カレンダーゲシヒテン』 
木下康光 編訳
 
岩波文庫 赤/32-445-1 


岩波書店 
1986年4月16日 第1刷発行
260p 
文庫判 並装
定価450円



本書「解説」より:

「本書はヘーベルの書いた三百足らずの暦話の中から、比較的物語性に富んだ、そして現代の日本の読者にも親しみやすいと思われるもの五十八篇を選んだものである。」
「底本には Wissenschaftliche Buchgesellshaft 版を用い(中略)、併せてインゼル版およびレクラム版等を適宜利用参照した。訳注のかなりの部分はレクラム版に拠っている(中略)。挿し絵も W. B. 版から採られた。これは一八四六年コッタ書店刊の『珠玉集』につけられた、シュタウバーとシュモルツェの手になるものである(中略)。」



Johann Peter Hebel
KALENDERGESCHICHTEN
1808-15, 19

本文中挿絵図版28点、解説中に図版3点、巻頭に図版(ヘーベルが編集した暦の表紙)1点。



ヘーベル ドイツ炉辺ばなし集 01



帯文:

「ドイツの人々に広く親しまれてきたヘーベルの小話。笑話・逸話・人情話・とんち話等々、人間性とユーモアにあふれる58篇を精選。」


目次:

ヘルスフェルトの司令官と歩兵たち
三つの願い
東洋であった心にとどむべき話
安い昼めし
名裁判官
うずら
雨さまざま
 一 硫黄の雨
 二 血の雨
 三 蛙の雨
 四 石の雨
 五 帽子の雨
歯医者
道案内
歩哨中の結婚
モグラ
ライデン市の被災
夢を見るにも用心深い人の話
フリードリヒ大王の近衛兵
ワカーネンさん
大都会ではどれだけ消費されるか
恐ろしい事件が卑しい肉屋の犬によってあばかれた次第
三人の泥棒
風変わりな処方箋
ヤーコプ・フンベル
一番安全な道
ナポレオン皇帝とブリエンヌの果物売りの女
水泳の達人
気のいい裁判官
ゼグリンゲンの床屋の小僧
奇妙なろばの旅
考え深い乞食
ツンデルフリーダーとその兄がまたも赤毛のディーターにいたずらをした次第
ゼグリンゲンの椋鳥(むくどり)
一番楽な死刑
なおった病人
水汲み
縄屋の返事
苦(にが)い報酬
ずるい軽騎兵
フリードリヒ大王とその隣人
おふくろさん
ふらちな道化
ある若いイギリス人の数奇な運命
新兵
叱るより賞めよ
感謝
奇妙な妖怪ばなし
見そこない
儲(もう)けのいいなぞなぞ商売
ナイセの軽騎兵
よい処方箋
ミラノの頓馬(とんま)の話
二人の御者
うまい返答
改宗
人間とはいかに奇妙な存在であることか
二人の正直な商人
らちのあかぬ返事
禍福
ペンザの仕立て屋
聞きまちがい
思いがけぬ再会

訳注
解説 (木下康光)




◆本書より◆


「夢を見るにも用心深い人の話」:

「スイス・ベルン州の小さな町ヴィトリスバッハで、あるときひとりの旅人が宿をとった。さて彼は床に就こうとして、服を脱いで肌着一枚になると、包みの中からスリッパを一足ひっぱり出して履(は)き、さらにそれを靴下留めで足にしっかり結(ゆわ)えつけて、こうしてベッドに入ったのである。これを見て、同じ部屋に泊まっていたもうひとりの旅人が、「もしもし、どうしてそんなことをなさるのですか」と尋ねた。それに対して先の旅人のした返事はこうだ。「用心のためなのです。というのも、私は一度夢の中でガラスのかけらを踏んだことがあるのですが、そのとき寝ていてととも痛い思いをしたものですから、それからは金輪際(こんりんざい)はだしで寝ようとは思わないのです。」」


「新兵」:

「シュヴァーベン地方の管区司令部に一七九五年、とても立派な体格をした若者が新兵としてやってきた。士官が彼に何歳かと尋ねた。新兵が答えていわく、「二十一歳です。自分は丸一年病気をしておったものですから。さもなければ二十二歳になっているはずであります。」」


「思いがけぬ再会」より:

「スウェーデンのファールンで今からたっぷり五十年以上前のこと、ひとりの若い坑夫が若く可憐(かれん)な許嫁(いいなずけ)に口づけしてこう言った。「聖ルツィアの日に僕たちの愛は牧師様の手から祝福を受ける。そうすればようやく僕たちは夫婦になれるんだ。そして二人で力を合わせて自分たちの家庭を築いていこう。」「きっとなごやかで平和な家庭にいたしましょう」と美しい許嫁はやさしいほほえみを浮べて言った。「あなたは私にとってこの世のすべてです。あなたがいらっしゃらなければお墓のほかのどんなところにも住みたいとは思いません。」(中略)翌朝、若者は黒い坑夫服を着て――坑夫はいつも死装束(しにしょうぞく)をしているものなので――、愛する人の家のかたわらを通ったとき、彼女の窓をとんとんとたたいて、なお一度「おはよう」と言ったけれど、もう「こんばんは」は言えなかった。彼は二度と鉱山から戻ってこなかったのだ。その朝彼女は、結婚式の日に彼の頸(くび)につけてもらおうと、黒いスカーフに赤い縁(ふち)飾りを縫(ぬ)いつけていたのだが、それも無用の物となった。もう二度と戻ってこないとわかったとき、彼女はそのスカーフをしまい、彼を悼(いた)んで泣き、そして片時も彼のことを忘れなかった。(中略)ところが一八〇九年の聖ヨハネの日近くに、ファールンの坑夫たちが二つの縦坑の間に通路を掘り抜こうとしたとき、優に三百エレはある地下の深いところで、瓦礫(がれき)と緑礬水(りょくばんすい)の中からひとりの若者の遺骸を掘り出したのである。遺骸にはすっかり緑礬が浸みこんでいたけれど、ほかにはどこにも腐敗や変化は認められず、そのためこの若者の顔立ちや年齢はまだ完全に見分けることができた。それはまるで、やっと一時間前に亡くなったばかりか、あるいは仕事中にちょっとうたた寝してしまった、といったふうに見えた。遺骸が明るいところに運び出されたとき、父や母はもちろん、親類や知り合いの者もとうに亡くなっていて、このまどろんでいる若者を知っていたり、彼を襲った不幸についてなにか聞いていると言う者はひとりとしていなかった。が、とうとう、ある日作業方(かた)に出かけたきり二度と戻ってこなかった、あの坑夫のかつての許嫁がやってきた。髪は白く、皺(しわ)だらけの老婆となって、杖にすがってやってくるや、そこに自分の花婿(はなむこ)を認めた。そして悲しみよりもむしろ歓喜にあふれて、愛する人の亡骸(なきがら)の上にくずおれたのであった。(中略)彼女はこう言った。「この人は私の花婿です。私はこの人のために五十年間喪(も)に服してきました。そして今、神様は私がこの世を去る前に、もう一度この人に会わせて下さったのです。結婚式の一週間前に地下へ降りていったきり、二度と上がってこなかったのですが。」(中略)しまいに彼女は、私はこの人のただひとりの身寄りで、この亡骸(なきがら)に対する権利を持つただひとりの者ですから、墓の用意ができるまで、と言って、坑夫たちに頼んで遺骸を自分の小さな部屋まで運んでもらった。翌日、墓地で埋葬の用意ができ、坑夫たちが迎えにきたとき、彼女は小匣(こばこ)をあけて赤い縁飾りのついた黒い絹のスカーフを取り出し、それを彼の頸に巻きつけた。そして晴れ着を身につけて亡骸(なきがら)のあとからついていった。まるで、彼の葬式の日ではなく、彼女の結婚式の日であるかのように。」


「解説」より:

「ここで、ヘーベルの暦話の本質を理解するために、暦というものについて考えておきたい。(中略)さてドイツについて言うと、書かれたものとしての暦は、とりわけ十五世紀における印刷術の発明以後、民衆の間に急速な普及を見せるようになったのであった。このようないわゆる民衆暦には、月日、曜日、祝日、その日の守護聖者の名、その日支配する黄道十二宮の星座(獣帯記号)、月の満ち欠けなどを記した通常の暦日表のほかに、瀉血(しゃけつ)などの健康上の指示や農業上の助言、あるいはその日に起った過去の歴史的事件やその日にちなむ聖者の伝説、その年の作物の豊凶や戦争・疫病などの占星術的予言(中略)などが掲載されていたが、十七世紀半ば頃からさらに、教訓的な、あるいは愉快な読み物も載せられるようになり、また前年に起ったさまざまな珍しい、あるいは恐ろしい出来事の報道をするなど、情報・教化・娯楽の機能を具えた暦は民衆の生活の中に深く溶けこみ、十九世紀に至るまで、暦は聖書、賛美歌集、教理問答集とともに、一般民衆にとってほとんど唯一の読み物だったのである。(中略)ヘーベルの暦はいわゆる啓蒙的暦で、占星術予言などはむろんもう含まれていない。」

「トルストイはヘーベルを愛読したと言われるし、カフカ、E・ブロッホ、ベンヤミン、ハイデッガーらからも彼の暦話は心からの讃辞を呈されたのであった。ドイツでは(中略)、彼の暦話は国民文庫のような形で広く国民大衆の間で読まれ(中略)、また早くから学校の国語教科書に非常にしばしば採られるなどして、「その話のいくつかを読まずに育ったドイツ人はいないだろう」と言われるほど、ドイツ人には親しい作家なのである。」




ヘーベル ドイツ炉辺ばなし集 02



ヘーベル ドイツ炉辺ばなし集 03



























フロイド/イェンゼン 『文学と精神分析 《グラディヴァ》』 安田徳太郎/安田洋治 訳 (角川文庫)

「なぜなら、彼女は普通と違った歩き方をしていたので、どんな人とも違う足跡を、火山灰の中に、残したにちがいないからである。」
(イェンゼン 「グラディヴァ」 より)


フロイド/イェンゼン 
『文学と精神分析 
《グラディヴァ》』 
安田徳太郎
/安田洋治 訳
 
角川文庫 1905 

角川書店 
昭和35年6月10日 初版発行
平成2年11月15日 四版発行
227p
文庫判 並装 カバー
定価440円(本体427円)
カバー・デザイン: 鈴木一誌+浦谷孝夫



本書「訳者のまえがき」より:

「この本はヴィルヘルム・イェンゼンの『グラディヴァ――ポンペイの空想小説』(一九〇三年)と、この小説を分析したフロイドの『ヴィルヘルム・イェンゼン作グラディヴァにおける妄想と夢』(一九〇七年)を、収めたものである。フロイドの論文のほうは一九二九年(昭和四年)私の三十代のはじめにロゴス書院から刊行したものであるが、本文庫に収めるにあたって、一九四一年刊行の新しい『フロイド全集』をテキストにして、私の子供に改訳させ、またロゴス書院版になかったイェンゼンの小説を新しく訳出させた。」


本文中地図(ポンペイ)1葉。
角川文庫リバイバルコレクション。


フロイド イェンゼン 文学と精神分析


カバーそで文:

「ドイツの作家イェンゼンの
空想的な著作「グラディヴァ」を
フロイドが精神分析的アプローチで読み解く。
精神分析の文学への
最初の応用として絶賛された
画期的著述。」



目次:

訳者のまえがき (安田徳太郎)

グラディヴァ――ポンペイの空想小説 (イェンゼン)
「グラディヴァ」における妄想と夢 (フロイド)

解説 (安田一郎)




◆本書より◆


「グラディヴァ」より:

「ローマのあるすぐれた古美術展を見に行ったとき、ノルバート・ハーノルトは一つの浮彫(うきぼり)を見つけて、いつになく心をひかれた。ドイツに帰ってから、彼はそのすばらしい石膏(せっこう)模型を手に入れてこおどりして喜んだ。これはもう数年のあいだ、三方を本箱でふさがれた書斎の残りの一つの壁にかかっていた。ほんのわずかなあいだとはいえ西日のさすこの壁の上で、それは光をまともに受けるのに絶好の場所をしめていた。浮彫には、ほぼ三分の一等身大の歩いている女性の全身像が描かれてあった。」
「彼女は、少しうつ向き加減で、首から踝(くるぶし)までを包む、とても襞(ひだ)のたくさんある服を左手でちょっと持ち上げていたので、サンダーレ(ギリシア・ローマ人がはいていた革靴)をはいた足が裾(すそ)からのぞいていた。左足を前に踏み出し、それに続く右足はつま先が軽く地面に触れているだけで、足の裏と踵(かかと)はほとんど垂直に上がっていた。この動作がまれに見る軽快さと自信にみちた落着きとの二重の印象を与え、飛ぶような姿勢はしっかりした足取りとあいまって、彼女に一種独特のしとやかさをそえていた。
 彼女はこうしてどこへ歩いて行ったのだろう、どこへ行くところだったのだろうか。」

「彼はこの浮彫に名前をつけようと思って、自分でグラディヴァ、「すばらしい歩き方の娘」と呼んだ。」

「夢の中で、彼は古代のポンペイにいて、紀元七九年八月二十四日のヴェスヴィオ火山の噴火をまのあたりに見た。神々はこの悲運の町を真黒な煙のマントで包みかくした。ただあちらこちらで、火口から噴き出る焰のゆらめく束が、破裂孔を通して、血のような赤い光の中に漬かっているものを照らし出していた。(中略)小石や灰の雨がノルバートにも降り注いだが、夢のふしぎな癖(くせ)のために、それで怪我(けが)をすることもなかった。それと同じに、命にかかわる硫黄の臭気をかいでも、別に息が詰まることもなかった。こうして、ちょうどユピテルの神殿に近い広場(フォルム)の片隅に立っていたとき、突然彼は自分のすぐ前にグラディヴァの姿を見つけた。(中略)彼は最初ひと眼で彼女だと分かった。(中略)彼は思わず「ゆっくり急ぐ人(レンテ・フェスティナンス)」と呼んだ。彼女は特有なあの快活な落着きと、周囲への静かな無関心とをもって、広場を横切って、アポロの神殿へと足早に歩いて行った。彼女はさし迫ったこの町の運命などには、少しも注意を払わずに、何かしきりと考えているようだった。(中略)彼女は神殿の柱廊にのぼって行って、柱のあいだの石段に腰をおろし、その上に頭をそっとおいた。(中略)彼女は突き出た屋根に保護されて、広い石段の上に、まるで眠っているように、身を横たえていたが、これは明らかに硫黄のガスのために窒息して、すでに死んでいたのであった。ヴェスヴィオから噴き出る真紅の輝きが、彼女の顔の上でゆらめいていた。眼を閉じた顔は、ひじょうに美しい彫刻を思わせた。恐怖も、ゆがみもなく、逃れることのできない運命に静かに従った、ふしぎな落着きが、その顔に現われていた。だがそれも、風がその場に灰の雨を吹きつけるとすぐに、ぼんやりしてきた。最初それは灰色の薄絹のヴェールのように彼女の顔をおおい、つぎにその最後の輝きを包みかくした。まもなく、それは北国の吹雪のように、全身をすっぽり埋めつくした。そとではアポロの神殿の柱も、降りつもる灰のために埋まり、今はわずかにその半分が突き出ているだけだった。」

「こうして、ノルバート・ハーノルトは、まったく思いがけなく、北ドイツからポンペイへ、二、三日のうちにはこばれてきた。」

「そのとき、ふと――
 彼は眼を見ひらいて、通りをずっと見わたした。しかし、夢の中でそうしているようだった。突然少し右手に、何かがカストレとポルセの家(カサ・ディ・カストレ・エ・ポルセ)から出てきた。その家からメルクリオ通り(ストラダ・ディ・メルクリオ)の反対側に続いている熔岩の飛び石伝いに、グラディヴァが快活に歩いて行くではないか。」

「羽の上の内側の端を、うっすらと、赤く染めた金色の蝶が一匹、ひらひらと、ケシ畑から柱の方へ飛んできて、グラディヴァの顔のまわりを、二、三回飛びまわったかと思うと、その額の上の、褐色に波打った髪の毛に止まった。そのとたんに、彼女は立ち上がった。(中略)彼女は足を踏み出し、例の特徴のある足取で、古びた柱廊の柱に沿って、歩いて行った。しばらくは、その姿も見えていたが、それもつかの間(引用者注:「つかの間」に傍点)だった。彼女は、しまいには、地面の中に、吸いこまれて行くようだった。
 彼はかたずをのんで、あっけにとられて、つっ立っていた。しかしやっとのことで、眼の前の出来事を理解した。真昼の霊の時間はすぎて、羽を持った使者が蝶の姿になって、死人に帰るようにと、よみの国(ハイデース)のアスフォデロス(ツルボラン。天国に咲く不凋花をもいう)の花咲く牧場から、知らせにきたのだ。」

「「よみがえるためには、人間は死ななければなりません。」」



「妄想と夢」より:

「抑圧の道具にえらばれたもの(中略)こそ、再帰するものを、はこぶものになる。抑圧するものの中で、抑圧するもののうちで、抑圧されたものが、最後に凱歌を奏するのである。フェリシアン・ロプスの有名なエッチング(蝕刻画)は、あまり注目されていないが、ぜひとも評価しなければならないこの事実を、たくさんの説明よりも、もっと印象的に描いている。しかも聖者と贖罪者(しょくざいしゃ)との生活における、抑圧の典型的な場合を描いている。禁欲している牧師は――たしかに俗世の誘惑に直面して――十字架にかかった救世主の像へ、逃げたのである。ついで、この十字架はまぼろしのように、沈んで行き、まったく同じ場所に、救世主のかわりに、豊満な肉体の裸女の像が、十字架上に、同じ姿勢で、後光を発しながら登って行った。心理学的な炯眼(けいがん)をほとんどもっていない別の画家たちは、『誘惑』をこのように描写するにあたって、罪業を大胆不敵なもの、勝ち誇ったものとして、十字架上の救世主の近くのどこかに描いた。ところが、ロプスだけは、罪業に十字架上の救世主自身の場所を、しめさせたのである。彼は、抑圧されたものが再現する場合、それは抑圧したもの自体から、現われてくるということを、意識していたかのように思われる。」
「性から心をそらすものとして、数学はいちばん大きい名声を博している。すでにルソーは、彼に満足しなかった一婦人から、Lascia le donne e studia le matematiche. (女性を去って、数学を学べ)という忠告を受けねばならなかった。これと同じく、私の見た逃避者も、特別熱心に、学校で教わる数学と幾何学に熱中したが、ある日のこと、彼の理解力は、突然、なんでもないある問題の前で、麻痺してしまった。この二つの問題のうちの一つは、「二個の物体が衝突するとき、一個の物体の速度は……」であり、他は「m なる直径を有する一個の円筒に、一個の円錐体を插入する……」という文章であった。他の人には、別に性的な事象を、はっきりほのめかしているとは思われない、この文章にでっくわして、彼は数学からも裏切られ、数学からも逃避したのである。
 幼な友達への愛情とその記憶を、考古学で追い払ったノルバート・ハーノルトが、現実の生活から借りてきた人間であるなら、あの古代の浮彫こそ、子供らしい感情で愛していた、あの少女についての、忘れ去った記憶を、彼の心によびさましたものであるということは、合理的であるし、また正しいであろう。彼がグラディヴァの石像にほれこんだのは、彼の当然の運命であろう。というのは、その石像のうらで、なんとも説明のつかない類似の力によって、彼から捨てられた生きたツオエが、作用を及ぼしていたからである。」




◆感想◆


そういうわけで、父親の遺志を継いで考古学の研究に没頭するノルバート・ハーノルトは、幼馴染のツオエ・ベルトガングのことをすっかり忘れていたが、ある日、美術展で見た浮彫の女性(グラディヴァ)に理由もわからないまま惹かれ、夢でヴェスヴィオ火山の噴火で灰に埋もれるグラディヴァを見るが、それは抑圧されたツオエの記憶である。ハーノルトはグラディヴァを探してポンペイまで行き、そこでツオエに再会し、みずからの「生」を取り戻すのであった。ハーノルトがグラディヴァに惹かれたのはその独得な歩き方がツオエの歩き方を彷彿させるものだったからで、ラテン語の「グラディヴァ」はドイツ語の「ベルトガング」と同じ意味であった、という話です。

「グラディヴァ」
en.wikipedia.org/Gradiva
フェリシアン・ロップス「聖アントニウスの誘惑」
en.wikipedia.org/Félicien_Rops_-_La_tentation_de_Saint_Antoine.jpg




こちらもご参照ください:

カール・ケレーニイ 『ディオニューソス ― 破壊されざる生の根源像』 岡田素之 訳
ホフマン/フロイト 『砂男/無気味なもの』 種村季弘 訳 (河出文庫)










































G・マイリンク 他 『現代ドイツ幻想短篇集』 前川道介 編・訳 (世界幻想文学大系)

「わたしのそばに奇妙なものが、やわらかな、軟体動物じみた塊りがいるのを見たのだ。そのものは、上の方で一つの醜怪な顔に終っているようだった。こいつには手も足もなく、大きな楕円形の頭といった様子をしていて、これから随意に四方八方にねばねばした肢体があっという間に生え出てくるらしかった。全体は白味がかった緑色で、ほとんど澄明に近かったが、その色が無数の線をなして入り乱れて走っていた。」
(ハンス・ハインツ・エーヴェルス 「C・3・3」 より)


G・マイリンク 他 
『現代ドイツ幻想短篇集』 
前川道介 編・訳
 
Deutsche phantastische Erzählungen der Gegenwart: Gustav Meyrink u.a. 
世界幻想文学大系 13 

国書刊行会 
昭和50年9月1日 印刷
昭和50年9月15日 初版第1刷発行
昭和60年2月15日 初版第3刷発行
357p 訳者紹介1p 
口絵(折込)1葉
四六判 丸背紙装上製本 
貼函 函カバー
定価2,200円
造本: 杉浦康平+鈴木一誌

月報 5:
白昼の妖異(石川実)/壁・闇・死(麻井倫具)/乱世と夢と幻滅 フランス幻想小説の成立――世界幻想文学小史④(稲生永)/日々の泡――編集ノート(鈴木宏)/図版1点、カット3点



口絵図版(モノクロ)12点。
本書所収エーヴェルス「スターニスラワ・ダスプの遺言」はダニエル・シュミットの映画「ラ・パロマ」の原作であります。


現代ドイツ幻想短篇集 01


函カバー文:

「マイリンク、エーヴェルス、
シュトローブルをはじめとする
二十世紀ドイツの多彩な幻想作家たちの
神秘と恐怖、夢と狂気に満ちた
短篇小説のアンソロジー!

「信じてくれたまえ」とオスカー・ワイルドは、魚夫がぼくたちを小船に乗せて戻ってゆくときに言った。
「信じてくれたまえ。疑いの余地はないのだ。君の崇高な人間観など捨てたまえ。
人の一生とそれから全世界史は、ある珍妙な生き物が、
ある異界のものが、わたしたちについて見ている夢にすぎんのだよ」
――H・H・エーヴェルス「C・3・3」より」



函カバー背:

「神秘と恐怖、
夢と狂気を綴る
二十世紀ドイツ
幻想小説
アンソロジー!」



函カバー裏:

「「あれから体温は八十度まで上昇しました……」
教授は、焦立たしげに、何か防禦するような
動作をみせた。それでどうだというのだ?
「患者は十年前にチフス、十二年前に
軽いジフテリヤをやっております。
父親は頭蓋〈シェーテル〉骨折で死亡、
母親は脳震盪で死んでおります。
祖父の死因は頭蓋〈シェーデル〉骨折、
祖母のそれは脳震盪であります!
――患者並びにその家族は、つまるところ、
ボヘミアの出身であります。」
軍医副官は、そんな註釈をつけ加えた。
「所見、体温以外は正常――腹部機能、
総じて緩慢――外傷、後頭部の軽度打撲
以外には認められません。――患者は、
噂によりますと、行者ムクホパダヤの小屋で
オパール色の液体によって……」
――G・マイリンク「灼熱の兵士」より

絢爛たる夢想と圧倒的な幻想とを繰り
広げたドイツ・ロマン派以来、今日に至るまで
ドイツは、西欧諸国のうちで最も豊かな
幻想文学の鉱脈を有する国として識られている。
本書は、この幻想文学の総本山ドイツの
二十世紀を代表する幻想作家の短篇小説を
精選した珠玉のアンソロジーであり、
錬金術と狂気と諷刺の巨人マリンク、
流血と神秘と形而上学に溢れるエーヴェルス、
恐怖とエキゾチシズムのシュトローブルの、
今世紀初頭のグロテスク派の三作家を筆頭に、
ヴァッサーマン、ショルツ、フライ、
シェッファー、ベルゲングリューン、K・マンなどの
多彩な幻想小説、更には、
ライニヒ、アンデルシュなど現在活躍中の作家の
幻想小説が集録されている。本書によって
今世紀ドイツの幻想文学の輝かしい成果は
余すところなく伝えられるであろう。」



目次:

グスタフ・マイリンク (藤井倫具 訳)
 灼熱の兵士
 壜の上の男
 石油綺譚
 ひそかに鼓動する都会――プラークの魅力①
 神秘の都――プラークの魅力②
ハンス・ハインツ・エーヴェルス (石川實 訳)
 C・3・3
 カディスのカーニヴァル
 スターニスラワ・ダスプの遺言
カール・ハンス・シュトローブル (前川道介 訳)
 ファン・セラノの手記
ヴィルヘルム・フォン・ショルツ
 噂 (前川道介 訳)
 窓の顔 (鈴木潔 訳)
ヤーコプ・ヴァッサーマン (石川實 訳)
 ヴィンチガウのペスト
アルブレヒト・シェッファー (石川實 訳)
 ハーシェルと幽霊
アレクサンダー・M・フライ (波田節夫 訳)
 人殺し
クラウス・マン (波田節夫 訳)
 楽しい一日
クリスタ・ライニヒ (前川道介 訳)
 エリダノス号
アルフレート・アンデルシュ (波田節夫 訳)
 ヴェニスの或る暖爐取付け工の身の毛もよだつ体験
ヴェルナー・ベルゲングリューン (深見茂 訳)
 シュペルトの旅籠(はたご)
 踊る足
 冥合(めいごう)の術

ドイツ的恐怖と幻想の文学 (前川道介)



現代ドイツ幻想短篇集 02



◆本書より◆


グスタフ・マイリンク「壜の上の男」より:

「人形管絃楽団とマリオネットたちは、蠟細工のように身じろぎもしない。
フルート奏者は、ガラスのような放心した表情で天井を凝視している。鬘(かつら)をつけ羽帽子をかぶって、耳を澄ますかのように指揮棒を振り上げ、尖った指先をいわくあり気に唇に押し当てているロココ風俗の女指揮者の表情は、恐ろしく淫らな笑いに歪んでいる。舞台の前面にはマリオネットたち――石灰のように白い顔の痀瘻(せむし)の小人、ニヤリと笑(え)みを浮かべる灰色の悪魔、そして、土色に化粧し、ヒビ割れた唇だけが真赤な歌姫――彼らは、鬼畜のごとき陰険な心のうちに、恐るべき秘密を知っているらしい。そして、その秘密が彼らの躰(からだ)を激しい緊張で麻痺させていたのだ。
この動きを失った訳者の一群の上に靄(もや)のように垂れこめているのは、仮死の世界が醸しだす身の毛のよだつような恐怖だ。
壜の中のピエロだけは、不安そうに動いている――フェルトのとんがり帽子を振りまわし、身をかがめ、時おり上方を見上げては、両脚をくんで壜の蓋の上にじっと動かずに坐っているペルシャ王子に挨拶を送ったかと思うと――こんどは、気違いじみた渋面をつくる。彼が飛んだり跳ねたりするたびに、観客は笑い声をあげる――何とグロテスクなことだ!
厚いガラスが、彼の姿をひどく異様に歪める。ときどき、今にも飛び出しそうに不思議な光を放つ大目玉をギョロリとむき出すかと思うと、次にはもう眼球はすっかり消え失せて、額と顎(あご)しか見えない――あるいは、三つに重なった面貌。ときに肥った青ぶくれの姿とみると、こんどは骸骨のように痩せほそり、蜘蛛(くも)のような細長い脚。かと思うと、腹は膨れあがって風船玉になる。
観衆は、自分の視線が落ちるところによって、それぞれ異なったピエロの姿を見るのだった。
ある短い時間に、それと認められるような論理的な脈絡もなしに、舞台の上の人物たちのなかに、幽霊のような一瞬の生命がピクリと動くが、それは忽ちまた、もとのゾッとするような死後硬直のなかへ沈んでゆく。ちょうど、この生命の映像は、死という合間を越えて一つの印象から他の印象へと跳び移ってゆくように見える。――塔の時計の針が、夢幻のごとく、一分また一分と瞬時に動くように。」



グスタフ・マイリンク「ひそかに鼓動する都会」より:

「ひょっとすると、狂気の人間たちのほうが「健全な」人間理性をそなえた人たちよりも、終末に近いところに立っているのであろう。そして、プラークに住むマリオネットたちの大多数は、何らかの形で――まったく人知れず、隠された姿において――狂気にかられているのだ。あるいは、ある種の奇妙な観念に取り憑かれているといっていい。」

「月光が明るくさす夜、わたしはよく何時間も、小河岸(クラインザイテ)――プラークの心臓部ともいうべき、モルダウ河の向う岸の市区――を逍遙したものだ。そのたびに、わたしは道に迷うのだった。太古の宮殿がある。その前に立てば、何十年このかたそのなかには人間が住んでいたなどということはあり得まいと感じるのだ。緑青におおわれた門扉の把手には、それほど厚く灰のような土埃がつもっている。その隣には、オパール色に微光を放つ窓のあるバロック風の館(やかた)がある。(中略)それから再び、漆喰のボロボロに崩れかけた、大人の丈の三倍ほどもある土塀が、無限のかなたへと伸びている。その表面には、この都会の亡霊の手によって、幻想の世界の動物たちの頭や、硬ばったその面貌が描き込まれてきたのだ。それらはじっと動かぬように見えるが、実は、見る者が視線を注ぐたびに、つねにその表情を変えるのである。ジャスミンであろうか、にわとこであろうか、官能を陶酔させる花の香りが空中から舞いおりる。どうやらこの辺りに庭園か、とほうもなく大きな公園が隠されている気配だ。ひょっとすると、それらの庭には、人間の記憶が始まって以来、まだだれ一人として足を踏み入れたものは無かったのであろう。あの庭のなかにある館の、荒廃に瀕した一室には、とうに朽ち果てたベッドがあって、生前こちら側の世界ではその存在がすでに忘却されてしまっていたひとりの女が、ボロボロに崩れた死骸となって横たわっているかもしれない。」

「小路は、肘のところでちぎれかかった腕のように鋭角をなして曲り、嶮しい登りになっている。そして、その頂きに第二の館がそびえているのだ。そのなかには奇妙な人物が住んでいる。かん高い女の声で語り、背が低く、髭もなく、ナポレオンのような風采のその男は、来訪者たちに、ヘブライ文字で書かれた二折判の巨大な書物のなかから予言を授けるのである。わたしは一度この男を訪ねていったことがある。彼の部屋の敷居をまたごうとしたとき、一人の見知らぬ男に片言のドイツ語でしゃべっている彼の声が聞えた。「あの人たちが、その夜、《最後の灯火邸》の塀のまえで聞いた太鼓の響きは、兵士たちが叩いたものではありません。あれは死せるツィスカの打つ太鼓の音です。彼は死ぬ前に、自分の皮膚を剝ぎとって太鼓に張るよう命じたのでした。死後もなお人々が彼の言葉を聞くことができるようにと」――「さっきのお話しで、あなたは何をおっしゃりたかったのですか?」とわたしは彼と二人きりになってから尋ねた。彼は驚いたような素振りをみせたが、あるいは本当に驚いたのだろう。そして、そんなことを言った覚えはないと否定するのだった。後になってわたしは、その男は何でも口にした途端にたちまち全部忘れてしまうのだと聞かされた。彼は、白昼でも――夢遊病者だというのである。」



グスタフ・マイリンク「神秘の都」より:

「「現在は永遠にして、全ゆる解答をば瑕瑾(かきん)なくその胎内に蔵す。過ぎし世を問い、かつまた来るべき世を問う者は、如何なる時たりとも、現在の諸々の事象のうちより解決を得らる。それらの問を正しく呈し、生命の閾を越えて彼岸へ呼びかくる術(すべ)を心得たるかぎりは」――わたしは、以前にそんな言葉をある古いカバラの書物のなかに読んだことがあったのを突然思い出す。」


ハンス・ハインツ・エーヴェルス「C・3・3」より:

「この夜、わたしは馬鹿げた夢を見たのだ。わたしのそばに奇妙なものが、やわらかな、軟体動物じみた塊りがいるのを見たのだ。そのものは、上の方で一つの醜怪な顔に終っているようだった。こいつには手も足もなく、大きな楕円形の頭といった様子をしていて、これから随意に四方八方にねばねばした肢体があっという間に生え出てくるらしかった。全体は白味がかった緑色で、ほとんど澄明に近かったが、その色が無数の線をなして入り乱れて走っていた。こういうものとわたしは話をしたのだが、何のことを話したかはもう憶えてはいない。がとにかく、わたしたちの話は時とともに熱を帯びていった。遂にこの醜怪な顔はわたしに向って嘲りの笑いを見せてこう言った。
『尻尾を巻いて逃げるんだな。お前とお喋りするのは無駄骨だぜ』
『何だと』とわたしは言い返した。『そいつはひどすぎるぞ。わたしの夢の中で生れた馬鹿げた幻影にすぎないものが、そういうずうずうしい態度に出るとはなんたることだ』
醜怪な顔はゆがんでゆき、耳まで裂けた口を開けたにやにや笑いとなって二、三度身を曲げ、それからくつくつ笑って言った。『こいつは驚きだ。俺がお前の夢の中で生れた幻影だと。ちがうな、あわれな奴め、事実はその逆だ。俺が夢を見ているのだ。そしてお前は俺の夢の中の小さな点にすぎんのだ(引用者注: 「俺が夢を~」以下に傍点)』
こう言いながら、そのものはますますにやにや笑いを広げてゆき、頭全体が一つの大きなにやにや笑いになってしまったように見えた。それから顔は消え、空中に浮んだ耳まで裂けた口を開いたにやにや笑いだけが見えていた。」



ハンス・ハインツ・エーヴェルス「スターニスラワ・ダスプの遺言」より:

「スターニスラワ・ダスプが、丸二年というものヴァンサン・ドル=トニヴァル伯爵をひどい目に会わせ続けてきた、というのは本当である。伯爵は、彼女がセンチメンタルな唄を歌っているときには、毎晩一階の一等席に来ていたし、彼女の旅興行の後を追ってゆき、毎月別の町に出かけていった。伯爵の捧げたバラを、彼女は舞台に抱えて出た白い兎に食べさせ、贈ったダイヤは、一座の仲間や、取巻きのボヘミアンに御馳走するために、質に入れてしまった。一度などは、酔っぱらって、しがない新聞記者と一緒に千鳥足で御帰宅の途中、どぶにはまったところを伯爵が引き上げてやったことがあった。すると、この女は彼に嘲笑を叩きつけて言ったものである。「じゃあ一緒においでよ。そんなら、あたしたちのために提灯持ちをしておくれよね」
この女には、どんなに下劣な侮辱でも、伯爵に対してこれだけは控えておこうということがなかった。」

「そうしてある晩、またしても乾いた唇からほんの一声も出せぬほどに声が嗄れてしまって、ここの小屋の連中の掛りつけの医者が、さっと診察した後で、お前さんは結核の末期だ――そんなことは彼女はとっくの昔に知っていた――まだこんな風な放埓な生活を続けるんだったら、二、三ヶ月でお陀仏だろうね、とづけづけと言ってのけたとき、女は伯爵を楽屋に呼んでこさせた。伯爵が入ってくると、彼女はぺっと唾を吐いてから、お前さんの情人(おんな)になる覚悟ができたよ、と言った。手に口づけをしようとして伯爵が身をかがめると、この女は彼を突き退けて、笑い声を上げた。」

「スターニスラワ・ダスプというのはこういう女だった。しかし、この娼婦があっという間に一人の貴夫人になったというのも否定出来ないことである。伯爵はこの女をヨーロッパ中連れ歩き、サナトリウムからサナトリウムへと連れていった。(中略)彼女は死にはしなかったのである。一月また一月と生きのび、一年また一年と生きてゆき、極くゆっくりとではあるが、次第次第に回復していった。」

「スターニスラワは伯爵と結婚した。それから数ヶ月彼女の送った生活は不思議なものだった。自分は彼を愛してはいない――そのことは彼女によく分っていた。それでいながら、彼女はまるで、暖炉の前で柔らかな毛皮の上に静かにうずくまっているような気持だった。この穏やかなほてりが彼女の冷い肉をやさしくさすってくれるのである。彼女は何時もものうい気分だった。それは本当に快いものうさだった。伯爵が暖めてくれる愛の夢うつつの中で、彼女はそうしてぼうっと夢心地でいた。彼女が満足気にごくかすかにひとり微笑んでいると、伯爵はその手に口づけした。彼は、この女は今は仕合せなのだろうと思っていたのである。けれども、彼女が微笑みを浮べたのは、仕合せだったからではなかった。相変らず、あの不可解な愛のことを考えたからなのである。この愛は宇宙のように無限で、彼女はその愛の中で穏やかな微風に軽々と乗って、まるで南風にひらひらと舞う一枚の葉のように漂っていた。この頃は、彼女の心の中のすべての渇望は消え、遠い過去のことはみな姿を隠していった。彼女の信念は大きくなっていった。そして、自分の置かれている状況はよく分っており、彼女のために伯爵の愛のなしえないような事は決して存在しないということを知っていた。
時折、本当にごく稀にすぎなかったが、彼女は、この不思議な愛、このなんでもできる神秘な力を誇ってみた。オトゥーユの競馬場で、ある駄馬に数枚の金貨を賭けたのである。「それは止めておきなさい」と伯爵は言った。「全然値打がないよ」 すると彼女は伯爵をまじまじと見詰め「でもヴァンサン、これがやっぱり勝つんじゃないかしら。勝ってもらいたいの」 そして競走の行われている時は、馬を見ず、下の方の馬の集り場所にいる伯爵ばかりを見ていた。彼が手を組み合せるのを見、彼の唇がかすかに動くのを見ていたのである。その時、彼女は彼が祈っているのだということが分っていた。それから、人気のある馬たちが右へ左へとコース外に飛び出してしまい、みすぼらしい人気のない馬が一等になったとき、これが彼の仕業であり、彼の大きな愛の力であることを悟ったのである。」

「スターニスラワ・ダスプの遺言

我が埋葬より三年の後、我身より残れるものを棺より取出し、礼拝堂の骨壺に納めよ。(中略)時は午後にして、且つ照る日なること。日没に先立ち、我身より残れるものを礼拝堂の骨壺に安置されよ。
――伯爵の我への大いなる愛の記念に(引用者注: 「伯爵の~」以下に傍点)。
ロンヴァルの館にて   ××〇四年六月二十五日。
ドル=トニヴァル伯爵夫人、スターニスラワ」

「庭師たちは慎重に仕事にかかった。深く打ち込んで一区劃全体の地面を切取り、根を下ろしたバラと共にこの土を用心深く持ち上げて、そばの骨壺の横に置いた。(中略)ここかしこに、ちぎられたバラの花が、血の滴のように地面に散っていった。」
「伯爵はゆっくりと池の回りを歩き、時折白樺の下に戻ってきた。彼には、庭師たちが恐ろしくのろのろと仕事をしているように思えた。」
「伯爵が戻ってきたとき、連中のうちの二人は穴の中で肩まで没して立っていたが、それからは仕事の進みが早くなった。伯爵は庭師の間に棺が横たわっているのを見た。彼等は手で湿った土の最後の残りを取り除いていた。それは頑丈な銀製の飾り金具を付けた黒色の棺だったが、銀はとっくに黒くなり、木材は土地の暖かな湿気にひどく侵されて、もろもろねばねばとしたものになっていた。伯爵は、隠しから大きな白絹のハンカチーフを取り出し、老庭師に渡し、この中に遺骨を集めるように言った。
穴の中にいる他の二人はねじを廻しにかかっていた。道具がすべってはずれる度に、きいきいといやな音がした。だが大方のねじは、朽ちた木の中で十分ゆるくなっていたので、指で抜くことができた。さてそれから、庭師たちは棺の蓋を少しばかり上げ、その下にさっと綱をすべりこませ、しっかりと結んだ。一人が穴から飛び出し、老人が蓋を引き上げるのを手伝った。
伯爵の合図でもう一人が遺骸を覆っていた白いリンネルを取り除き、それからさらに首だけを包んでいる二番目のより小さな布を取った。
と、そこにスターニスラワ・ダスプが横たわっていた。――しかも死の床にあったときと同じ姿でそこに横たわっていたのである(引用者注: 「しかも~」以下に傍点)。体全体を包むレースの肌着は湿っている様子で、黒や赤錆色のしみを見せていた。しかしあの華奢な手は、蠟細工のように胸の上に静かに置かれ、しっかりと象牙の十字架を握っていた。(中略)彼女は、名人の手になる蠟人形のように見えた。その唇は息づいてはいなかったが、微笑を浮べていた。」

「伯爵は、振り向くと、眼は西の空低くかかる紅(くれない)の太陽に落ちた。「日の沈む前に」と彼は叫んだ。「急がなくては」」

「「やらなくてはならん、やらなくてはならん。誓ったのだ」
それから、彼は墓の穴へ身をおどらせた。手はぶるぶる震えていた。「聖母様、力をお与え下さいませ」 斧を取り上げ、頭の上高く振り上げ、目を閉じると渾身の力をこめ激しく風を切って打ち下した。
その一撃は手もとが狂った。刃は朽ちた木材に切り込み、砕き、底まで切り裂いた。
そして伯爵夫人はにっこり笑った。」



現代ドイツ幻想短篇集 03



こちらもご参照ください:

種村季弘 編 『ドイツ怪談集』 (河出文庫)











































































































G・マイリンク 『西の窓の天使』 佐藤恵三+竹内節 訳 (世界幻想文学大系) 全二冊

「「普通の人間は……ぼくのことを……もう目にすることができないわけだな?!」私は呆然となって訊いた。ガードナーは、さも愉快げに笑う。「人間が君のことをどう思っているか、知りたいのか」」
(G・マイリンク 『西の窓の天使』 より)


G・マイリンク 
『西の窓の天使 上』 
佐藤恵三+竹内節 訳
 
世界幻想文学大系 38-A
責任編集: 紀田順一郎+荒俣宏

国書刊行会 
昭和60年6月5日 印刷
昭和60年6月10日 初版第1刷発行
341p 口絵(折込)1葉
四六判 丸背紙装上製本 
貼函 函カバー
定価3,000円
造本: 杉浦康平+鈴木一誌
挿画(縁飾): 渡辺冨士雄


G・マイリンク 
『西の窓の天使 下』 
佐藤恵三+竹内節 訳
 
世界幻想文学大系 38-B
責任編集: 紀田順一郎+荒俣宏

国書刊行会 
昭和60年8月5日 印刷
昭和60年8月10日 初版第1刷発行
334p 口絵(折込)1葉
四六判 丸背紙装上製本 
貼函 函カバー
定価3,000円
造本: 杉浦康平+鈴木一誌
挿画(縁飾): 渡辺冨士雄



Gustav Meyrink: Der Engel vom westlichen Fenster
巻末に地図各1点。下巻本文中図版(モノクロ)1点。口絵図版(モノクロ)上巻10点、下巻12点。


マイリンク 西の窓の天使 01


上巻 函カバー表文:

「オカルティスト・マイリンクの傑作大長篇!
此岸と彼岸で進行する奇怪な事件の真相は、
次第に二つの世界の間(あわい)に漂う
中間世界の闇の中に消えてゆく――。
ヨーロッパ・マニエリスムの中心地プラハが育てた
現代ドイツ幻想文学の最高峰!

その時、「お前は誰だ」と訊いたのはわしだったのか、
それともプライスだったのかは、
もう覚えていない。唇が動いた気配もないのに、
天使は冷やかに語勢に力を籠めて言った。まるでわしの胸の奥から共鳴して来るかのようにも聞こえる声だった。
「余はイル、西方の門の使者だ」わしは全力をふり絞って、天使の顔の方に目を上げようとした。
――G・マイリンク『西の窓の天使』より」



上巻 函カバー背:

「ジョン・ディーは
私なのか?
時空を超えた
第三の世界への旅!」



上巻 函カバー裏:

「刑場の周囲はしんと静まり返った。
刑吏だけではない、
邏卒、裁判官、牧師、貴族達までが、
不安と恐怖に足が竦み、声も立てられない。
やがて炎に包まれたバートレット・グリーンの
歌声が、すっかりやんだかと思うと、
司教が一声叫び声のようなものを上げて、
有罪を宣告された人間さながら、
よろよろ立ち上がるのを見た。
一陣の風が処刑台に吹きつけたのだろうか、
それとも実際に魔神の力が働いたのだろうか、
突然、薪の山の一番上の辺りから、
橙色の舌にも似た炎の塊が上がり、
ゆらゆら揺れて拡散し、渦を巻いて
夕暮れの空に斜めに上がったかと思うと、
まさしく司教の玉座が置かれている方向に
向かい、その頭の真上を越えて云った。
――G・マイリンク『西の窓の天使』より

グスタフ・マイリンクは、一八六八年、ウィーンに
生まれ、一八三二年、ミュンヘンで没した。
ルートヴィヒ・トーマに認められ、
パウル・ブソン、M・ブロート、A・クビーン等
ドイツ世紀末文学の担い手達と交遊した彼は、
ブラヴァツキーやシュタイナーに影響されつつ
西洋隠秘学の研究に没頭し、
東洋神秘思想に耽溺するのみならず、実際に
十指に余る秘教的団体と接触もしていた。
本書は、出世作『ゴーレム』と並ぶ、
代表的傑作長篇小説で、
一九二七年に発表された。
錬金術の奥儀を究め、十六世紀英国の王位を狙う
降霊術師ジョン・ディーが、
今世紀初頭のプラハで
ディーの足跡を追う主人公に乗り移り、
両者は時空を超越して一体化する――。
マイリンク・オカルト哲学の全面展開!」



下巻 函カバー表文:

「人間の限界を
踏み超える主人公――
波瀾万丈の終幕!
ジョン・ディーは目指した、
この地上にはない「異なる国」を、
コロンブスが「アメリカ」へ旅立ったように。
――マイリンクの傑作長篇、完訳なる!
解説中に自作解説文を訳載。

目の前には、光輝く人形〈ひとかた〉たちが
金色の数珠を形づくる。そして、ひとつの環が抜け、
私を新しい一員に加えようとしているのを感ずる。
それは、ある別世界での現実的で生き生きとした、活気を与える出来事なのだ、と私は気づいてもいる。
――「受け入れられ、召喚され、選ばれるようになりますよ、ジョン・ディー!」
――G・マイリンク『西の窓の天使』より」



下巻 函カバー背:

「過去と現在が
交錯する
同時進行小説〈ドッペルロマーン〉!」



下巻 函カバー裏:

「こうした秘儀信奉の根底には、
次のような偉大な思想がひそんでいるのです。
動物のように子供を殖やしていくエロスを、
自分を偽るような仕方で犠牲に
供するのではなく、性の神秘そのものというべき
男女間の憎悪だけが、世界の救済や
世界創造者〈デミウルゴス〉の潰滅を図れるのだ、
という思想がね。――低劣な人間なら誰しも、
性の磁極の作用でいつでも
惹きつけられたがっている力、
どうせ嘘なのに、たかをくくって
「愛」という言葉で表面を飾ろうとする力、
これこそデミウルゴスが、自然という無頼の徒を
いついつまでも生かしておく手なのだ、
とイサイス教の奥に秘められた智恵は
教えているのです。
ですから「愛」などというのは卑俗なのです。
――G・マイリンク『西の窓の天使』より」



マイリンク 西の窓の天使 02


上巻 目次:

西の窓の天使 上

イギリス略図・テムズ川沿岸略図



下巻 目次:

西の窓の天使 下

解説 (佐藤恵三)
グスタフ・マイリンク年譜
プラハ略図・フラチャニ城略図



マイリンク 西の窓の天使 03



◆本書より◆


上巻より:

「グラッドヒル侯、ジョン・ディーとかいう人間が書いたものなど、私になんの関係があるんだ? 偏屈な昔のイギリス人であるこの男が、ひょっとしたら母の祖先かもしれないからだというのか?」

「夢のお告げに素直に従って、たった今、最後に手にふれた紙束をつかんだところだ。そこから抜き出して、鼻祖たるジョン・ディーの述懐らしきものを書きとめ始める。」
「こんなことをしてどんな結果になるかは、バフォメットのみぞ知るということかもしれない。」

「緑色のモロッコ革で装丁してあるものの、ぼろぼろになったページがつづいている。ところどころ読みあわせてみてわかったことだが、羊飼はバートレットに密儀を教えたのだ。得体の知れぬ古代の女神の崇拝と、月の満ち欠けの不思議な影響力とに関係しているらしい。また、今日でもスコットランドに民間俗信の形で伝えられている、あの恐ろしい「タイグハーム」という名の儀式とも関係があるのかもしれない。」

「――――羊飼に言われた通り、五十匹の黒猫を入れた荷車を後ろに曳いて来ていた。火を焚いて、満月の禍々しい力を祓い清めた。その時、何とも言いようのない恐怖を感じ、血が奔騰し出して、思わず口から涎を垂らしてしまった。それも収まると、やおら最初の一匹を檻から取り出して串刺しにし、炎で焙りながらゆっくり廻して、『タイグハーム』を始めた。猫の恐ろしい叫び声が耳をつんざくように響いていたのは、三十分程のことだったろうか、(中略)どうしたらこんな恐ろしいことを、五十回もやり遂げられるだろうか、と一人ごちた。最後の一匹まで手を休めてはならぬ、叫び声が跡切れぬよう片時も注意を怠ってはならぬ、と言われていたのは、頭ではわかっていた。(中略)羊飼は俺にこう言ったのさ。お前の中にある恐怖と苦痛は、その隠れた根っこの部分まで拷問責めの手口で、女神に奉納する動物の黒猫にすっかり移し変えてしまえ、というのが『タイグハーム』の意味なのだ。その隠れた根は五十ある、とな。」

「いつかどこかで読んだことがある。年代がかったものには祟りや、人を虜にする魅力や、魔力があって、家に持ちこんでいじくりまわしたりするうちに、その力にやられる、とかいうのだ。夜散歩していて偶然出くわす野良犬に、こっちへ来いと口笛を吹くことがあっても、この先どんな事態になるか誰にもわからないのだ! 仮に、同情して野良犬を暖かい部屋に入れてやったとする。と、突然、悪魔が黒い毛皮のなかから顔を出すことがあるものだ。
私にも――つまりジョン・ディーの後裔にも――かつてのファウスト博士の場合と同じことが起こっているのだろうか?」

「うつらうつらしていると、わしのいる牢の重い鉄の扉が、全く謎としか言えないような仕方で開き、バートレット・グリーンがつかつかと入って来たような気がした。(中略)全くもって啞然たる思いだった。(中略)バートレットが二、三時間前に火焙りにされた事実は、もちろん一瞬だって忘れていなかったのだから、尚更のことだ。(中略)三位一体の御名においてこうj尋ねた。あんたは幽霊なんだろう、それとも、どんな現われ方か、しかとは言えぬにしても、あの世から送られて来たバートレット・グリーンご本人なのか、と。そう訊かれて、バートレットは、例によって例の如く胸の奥底から呵々と笑い、こう答えた。「もちろん幽霊などじゃない。健康で五体満足なバートレット・グリーンさ。それにあの世のものでもない。れっきとしたこの現世の人間だ。今はただ現世を引っくり返して住んでいるだけだ。と言っても、『彼岸』なんかじゃない。俺の言っているそうした世界は、数としては少ないが、現世の至るところに転がっているのさ。その点で多くの、いや無数の透視界と透過現象があって、もちろん俺の住む世界とお前の世界とは、少しばかり違うという訳だがな」」

「イサイスというのは、どんな女の中にも潜む女で、あらゆる女性たる生き物が変身を遂げれば――イサイスとなるのだ!! ということが今になってわかったような気がする。」

「とそのとき、まったく理解を絶することが起こった。私がもう私ではなく、それにもかかわらず私だったのだ。此岸にいると同時に彼岸にいた。(中略)私は「私」であって、他人だった――私は記憶のなかでも、今の今たる意識のなかでも、同時にジョン・ディーだったのだ。」

「「わたしは、シュタイヤーマルクの小作人の娘(こ)です。ひとりっ娘で、なに不自由なく育ちました。(中略)子供の頃、何度か小旅行はしましたが、オーストリアの国外へ出たことは一度もありません。(中略)ですが、子供の頃ある家や土地のことをよく夢に見ました。意識がはっきりしているときには、一度も見たことのないものです。これはイギリスの建物であり風景なんだな、と、その当時はいつも意識の底にありました。でもどうしてわかったか、またそう思ったかは、わかりません。(中略)子供だったあの頃、古くて陰気な町の夢もよく見ましたが、それがとても正確ではっきりしていましたから、いつしかその町をぶらぶらしたり、通りや広場、家々をなんの不安も抱かずに訪れることができるまでになりました。そこでは、わたしが探していたものが、いつでも見つけられましたし、ですから、夢のなかの話だとは、とても言えないのです。(中略)その町は中ぐらいの川の両側に開け、両端が薄暗い門と防塞塔となっているところから伸びる古い石の橋でつながっていました。川のこちら側の家々がぎっしり立てこんでいて、その上方の緑豊かな丘の間から、ものすごく巨大な城が堂々とそびえ立っています。――いつの日でしたか、それはプラハだ、と言われたことがあります。でも、いろいろわたしが事細かに話してみせたことも、多くは今ではなくなってしまっているか、変ってしまっているようでした。かなり古い地図には、わたしが正確に覚えているものにぴったりのところが、相当ありましたが。――わたしは今日まで、プラハへは行ったことがございません。その町が怖いのです。(中略)その町のことを長く考えていると、激しい恐怖に襲われ、頭にひとりの人が浮かんできて、その人を見ると――なぜかはわかりませんが――血も凍りつくのです。(中略)わたしにはその人が、あの恐ろしい町の悪霊のように思えるのです。」」
「「わたしはその気になれば、意識がはっきりしているときでも、昔のイギリスにあったと言えるあの家に、身をおき換えることができます。その気になれば、何時間でも何日でも、そこで暮らすことができるのです。長くいればいるほど、そこにあるものがなにもかもはっきりしてくるのです。(中略)そんなときわたしは、そこでひとりの老紳士と結婚しているのだ、と空想しているのです。その気になれば、その人をありありと見ることができますが、ただ、見えるものは全部が全部、緑がかった光のなかに浮かんでいます。まるで古い緑の鏡を見ているような、そんな感じなのです――――」」

「大悪党で詐欺師のバートレット・グリーンは、思い上がったわしの一時の迷いのために鴉の頭団一味と盟約を結んだ最初の日から、実に卑劣にもわしを誑かし、悪辣極まる手段を用いて、とんでもない迷路や脇道へと誘い込んでいたのだ。そんなことが恐らくほとんどすべての人間に起こり、この地上で苦難を背負い込む仕儀となる。それもそのはず、掘り起こすべきなのが彼岸で、この地上ではないことがわからないからだ。楽園からの追放という呪いがわからない訳だ! 「彼岸」を見つけるという意味でこそ、此岸が掘り起こさるべきなのを知らないのだ。バートレットは、わしに精神的に堕落する道を辿らせようと考えていたから、王冠が「彼岸」にあることをわしが気づかぬよう、この地上で名誉欲を全うしろと吹き込んだのだ。」

「それからケリーは、目に見えぬ世界の法則に従う緑の天使が、われわれの目の前や、われわれの感覚でも捉まえられるように姿を現わすには、どんな準備をすべきかも打ち明けた。われわれ以外に、特に妻のジェーンは是非ともケリーのすぐ隣りの席に坐らせ、更にもう二人、友人を列席させるように、それも月の欠け始めた夜、ある一定の時間を限って、西向きの窓がある部屋にしなければならない、と言うのだった。」

「この仕事部屋に坐っていると、まるで全世界から切り離されていながら、ひとりぽっちではないような気持だ――空ろな宇宙のどこか、人間の時間とはかけ離れた世界に坐っているような気持だ――。
もう間違いない、私の遠祖に当るジョン・ディーは生きている! ディーが出て来ているのだ、ここに。この部屋のここに、ここの椅子の傍らに、私の傍らに――――ひょっとしたら私のなかかもしれない!――よしっ、きっぱりと言おう、十中八九、私が――この私がジョン・ディーなのだ!……ひょっとしたら、ずっと前からそうだったのかもしれない!」
「つまりこういうことだ。ジョン・ディーは断じて死んではいない。ディーは、(中略)これこそというはっきりした願望なり、目標なりをもって働きかけ、実現しようと努力をつづけている、ひとりの彼岸の人物なのだ。謎深くも血でつながっている軌道は、その生命力の「良導体」なのかもしれない。(中略)――仮に、ジョン・ディーの不滅の部分が、電線を流れる電流のように、この軌道を流れるとすれば、さしずめ私はこの銅線の末端といったところで、「ジョン・ディー」という電流は、完全にその彼岸意識というものをこの銅線の切り口に充電しているのだ。(中略)――――あの使命(ミッション)こそ私のものだ。あの目標を達成して王冠を獲得し、バフォメットになることこそ、私がやるべきことだ! 私が――ふさわしければだが! 私が持ち堪えればだが! つまり、私が熟達すれば、ということになる。――――最後の人間たるこの私にかかっているのだ、成功するか永遠に失敗するかは!」

「「わたしは緑の国と呼んでいます。ときどきそこへ行くのです。水中みたいなところで、そこへ行くと呼吸が止まります。そこは水中深いところで、海のなかにあるんです。なにもかも緑色の光に染まっています」
「そこでは、なにひとつよいことは起こりません。そこに行くたびにわかります」と、フロム夫人はつづけた。」

「陰陽の象徴が東アジアでは最高の崇敬の的だぐらいのことは、もちろん知っている。全体は円だが、ひと筆の紆曲線で分けられ、梨形をしたふたつの面が――ひとつは赤で、もうひとつは青の――互い違いにくいこむようにした組み合わせ図形になっているやつだ。つまり天と地という、男性原理と女性的原理の結婚を表わす幾何学的な模様なのだ。」
「リポーティンは話をつづけた。
「ヤンの宗派の考えですと、その模様に隠された意味は、ふたつの原理が持つ磁力の保持、または固定なのであって、両性の互いの離反に磁力を浪費することではありません。宗派の人々はそれを――半陰陽(ヘルマフロディト)の結婚のようなものだと思っているのです……」」
「またも目の前に雷が空から真っ逆様に落ちたように、ひらめくものがあった。(中略)陰陽、これはバフォメットじゃないか! まったく同じだ!……まったく同じだ!!――」

「私が「向こうで」体験したと考えられることは、全然と言ってよいほど頭に残っていなかった。(中略)フロム夫人が、ガラスのような光を発するところで、黒きイサイスに出会った、と一面緑色に閉ざされた深海のことを話していたが、それと似たような世界を目撃し、渡り歩いたのだな、とぼんやり思い出せるにすぎない。――――私はそこでも、なにか総毛だつものにも出会っていた。私は死にもの狂いの速さで逃げた。そいつは、そいつは――――猫だったと思う。燃えるような大口をあけ、ぎらぎら目を輝かした黒猫だったと思う。」
「それから、想像を絶するような恐怖感にとらわれ、闇雲に逃げているうちに、土壇場で苦肉の策が浮かんだ。「木が生えているところまで行けたらなあ!――母親、母親のところまでたどりつければなあ、赤と青の輪円具足の母親のところまで――あるいはそういったもののところまで……そうすれば助かるぞ」ガラスの山脈とか、渡りきれない沼沢地とか、厄介至極な障害物のはるか上空に、バフォメットの姿を目撃したと思った! (中略)緑色の水底で何世紀にもわたる体験を経たのち、やっと目覚めたのだという気がした。」


「今ふたりに明らかになったのは、ジェーン・フロモントとヨハンナ・フロムが――――私とジョン・ディーが――――いや、どう言ったらいいのだろう――私たちが何世紀にもわたって織りなされる絨毯のひとつの編み目、模様ができあがるまでくり返し結びあわされてゆくひとつの編み目なんだな、ということだった。」



下巻より:

「胸の高さぐらいに灰色の石を方形に組んだものが、次第に目に見えてくる。歩みよって見ると、石積みの囲いで、縦横ともほぼ大人の背丈ほどもあろうか、なかは奈落のような穴がぱっくり口をあけている。「聖パトリックの穴」のことを思い起こさずにはいられない。この穴のことや、これにまつわる世間の噂のことを、ハーイェク博士も話してくれたことがある。その深さは測りかねる。ボヘミアに拡がる伝説では、垂直に地球の中心まで達し、下は淡緑色の丸い湖になっていて、そこにある島に闇の母、母神ガイアが住んでいる、という。松明を落としてみると、何度も見え隠れするうちに、暗闇の毒ガスにやられたか、そう深くもないところに達したなと思ったとたん、消えてしまう。
私は拳大の石を蹴り出す。それを拾って奈落に投げこんでみる。胸壁に身を乗り出して聞き耳をたてる。ひたすら聞き耳をたてる。石が底に達する音は、ことりともしない。石は音もなく深みに消え、まったくの虚無の世界に雲散霧消してしまったかのようだ。」

「ジェーンの姿が、緑がかった光に包まれて浮かんできたように思われた。さびしそうに笑って、こっくりと私に頷いて見せた。ゆらゆら揺れたかと思うと、緑色の水中にすっと吸いとられて消えた。――ジェーンは、今の私と同じように、またも「向こうの」緑色の海底にいるのだ……そういう思いが突如として起こった。」

「「ジェーン! ジェーン!」今度も私は、心のなかに向かって助けを求めようと、叫び始めた。私の心の支えが消えてしまいそうな気がしたからだ。」
「この叫びも徒労に終った。ジェーンは遠くに、私から無限に遠いところにいるのだ、とはっきり感じた。ひょっとしたら、ジェーンはぐっすり眠りこんでいるのかもしれない。自分でも助ける手立てがなく、心ここにあらずとなり、私との精神的な結びつきも一切断たれてしまって。」

「これから先どうなるものか、アジアへと足を運んだものか、これまでもずっと逃避を決めこんでいた夢の世界に沈潜したものか、私にはわからない!――――こうなったら、ますます酔生夢死の生活を送り、周囲の状況もこのまま放ったらかして、さながら一世紀という時の流れも、窓べのそとをただなんとなくかすめ過ぎていくだけ、といったことになるかもしれない。
私の住んでいる場所が、実は中身が食い荒らされてしまった木の実で、表面は黴と埃におおわれ、なかでは私が、もの心もつかぬ幼虫さながら、蛾となる時期を寝すごしてとり逃がしてしまったのでないか、そんな不愉快な気持に急に襲われる。この不快感が、どうしてこんなに不意に湧いたのだろう、と自問してみる。すると唐突にも、なにかが起こったような気がしてならない。今しがた、けたたましく呼鈴が鳴らなかっただろうか。――この家で? 違う、まさかこの家じゃあるまい! 荒れるに任せた家の呼鈴なんか、押してみるほどもの好きな奴がいるものか! それじゃ、私の空耳だったのだろう! 仮死状態になっていた者が再び蘇生するときは、まず聴覚が戻り、それから蘇るものだ、そんな話を前にどこかで読んだことがある。はっと思い当って、われとわが身にこう話してみることもできるようになる。どれだけつづくか口にも言えぬほど長い間、死んだジェーンが蘇生して戻って来るのを、私は待って待って、待ちつづけているのだ、と。昼といわず夜といわず、部屋のあちこちを這いずりまわって、膝頭をついたり爪先立ちながら、ジェーンが現われる兆候を示してくれるように、と天に向かって長いこと祈った。あげくには、時の流れも感ずることすらなくなった。」
「ジェーンは、もはや姿を現わさないどころか、その気配すら感じさせてくれない。この三世紀の長きにわたって、ずっと正式の夫でありつづけたこの私の前に。」



マイリンク 西の窓の天使 04



◆感想◆


本書はだいぶまえに古書店で購入して途中で挫折したまま放置しておいたのを今回ちゃんとよんでみました。
ところで、上巻に登場する儀式「タイグハーム」の訳注に、

「作者は Taighearm と表記しているが、恐らくは Taghairm の誤記か、この別形かと思われる。
後者はスコットランド高地で見られた俗信のこと。剝いだばかりの雄牛の皮に人をくるみ、
谷川などに放置して瞑想に耽けるがままにしておくと、予知などの霊力が授かるという。」


とあるのは、なにやら内田百閒の短篇「件」を連想させるではありませんか。
「Taghairm」に関しては英語版ウィキペディアに記事がありました。
https://en.wikipedia.org/wiki/Taghairm
Taghairm にはいくつかのやり方があって、マイリンクは黒猫を使う方法について記述していますが、雄牛を使う方法についてはウォルター・スコットが「湖上の美人」第四章への注で述べています。

「The Highlanders, like all rude people, had various superstitious modes of inquiring into futurity. One of the most noted was the Taghairm, mentioned in the text. A person was wrapped up in the skin of a newly-slain bullock, and deposited beside a waterfall, or at the bottom of a precipice, or in some other strange, wild, and unusual situation, where the scenery around him suggested nothing but objects of horror. In this situation, he revolved in his mind the question proposed; and whatever was impressed upon him by his exalted imagination, passed for the inspiration of the disembodied spirits, who haunt these desolate recesses.」

そういうわけで、内田百閒「件」の元ネタがウォルター・スコットであったことがわかりました。スコットといえば百閒の先生である夏目漱石の専門分野(英文学)なので、漱石から聞いたのかもしれないです。
スコットは岩波文庫版(『湖の麗人』)を以前もっていて一応通読しているはずなのですが迂闊でした。
なにはともあれ、本はよんでみるものであります。




Bill Nelson - The Angel at the Western Window




Tangerine Dream - The Angel from the West Window






こちらもご参照ください:

グスタフ・マイリンク 『ゴーレム』 今村孝 訳 (河出海外小説選)
フランセス・イエイツ 『魔術的ルネサンス ― エリザベス朝のオカルト哲学』 内藤健二 訳
ピーター・J・フレンチ 『ジョン・ディー エリザベス朝の魔術師』 高橋誠 訳 (クリテリオン叢書)
『エリアーデ著作集 第十一巻/第十二巻 ザルモクシスからジンギスカンへ ― ルーマニア民間信仰史の比較宗教学的研究』 斎藤正二・林隆 訳












































































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
 
うまれたときからひとでなし
なぜならわたしはねこだから
 
◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

Koro-pok-Guru
Away with the Fairies

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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