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ゲーテ 『イタリア紀行 (下)』 相良守峯 訳 (岩波文庫)

「今の私は世間からも世俗的な一切の事物からも全くかけ離れているので、新聞などを読むと非常に妙な気がする。この世の状態(ありさま)は過行(すぎゆ)くべければなり、である。私は永続的な関係を有しているものにのみ関わりたく、(中略)かくてこそ初めて自分の精神に永遠性を付与し得るであろう。」
(ゲーテ 『イタリア紀行 (下)』 より)


ゲーテ 
『イタリア紀行 
(下)』 
相良守峯 訳
 
岩波文庫 赤/32-406-1 


岩波書店 
1942年6月25日 第1刷発行
1960年5月5日 第8刷改版発行
1987年5月11日 第24刷発行
324p 
文庫判 並装 カバー
定価500円



全三冊。



ゲーテ イタリア紀行 下



カバーそで文:

「ゲーテは、古代ならびにルネサンスの建築・彫刻・絵画に心を惹かれ、また鉱物・植物・気象の観察に熱心であった。そうした中で、自己の使命が詩人であることを改めて自覚し、芸術の祖国イタリアへの別れの文を、オヴィディウスの哀歌をもって結んだのだった。」


目次:

第二次ローマ滞在 (一七八七年六月より一七八八年四月まで)
 六月
 七月
  煩わしい自然観察
 八月
 九月
 十月
 十一月
 十二月
  語原学者としてのモーリッツ
  諧謔聖人フィリッポ・ネリ
 一月
  アルカディア協会への入会
  ローマの謝肉祭
 二月
 三月
  美の造形的模倣について
 四月





◆本書より◆


「六月」より:

「六月十六日、ローマ。」
 親愛な諸兄よ、私にまた一言書かしてもらいたい。私は大へん元気に暮らしている。そしてますます自己の中に沈潜し、自己本来のものと自己に固有でないものとを区別することを学んでいる。私は精を出してあらゆる方面から摂取し、内部から生長しつつある。この数日はティヴォリーに行っていた。そして、最もすぐれた自然の光景を一つ眺めた。そこの瀑布は廃墟や全体の風景と共に、それを見聞するものの心の奥底をゆたかにするような物象に属している。」



「七月」より:

「三十日、月曜日。」
「このごろの月夜は、本当と思えぬほどに美しい。靄(もや)を通りぬけて昇ってくるまでの月の出は、黄色い温みを帯びてイギリスの太陽のごとく(come il sole d'Inghilterra)、あとは夜じゅう澄みわたって、すがすがしい。涼風が吹きはじめると、一切が蘇ってくる。明け方まで、通りには始終群衆がいて、歌ったり奏でたりし、様々の二重唱がきかれるが、なかなか立派で歌劇や音楽会の時などよりいいくらいである。」

「一七八七年五月十七日、ナポリ。」
「植物の生産および組織の神秘が私には大分はっきりとわかってきた。しかもそれは思いもよらぬほど簡単なものである。(中略)原形植物は世にも不思議な植物で、それを発見した私は、自然によって羨まれてもしかるべきである。この典型と鍵とによってわれわれは植物を無限に発見できるし、それらの植物は首尾一貫したものでなくてはならぬ。すなわちたといそんな植物が存在しないにしても、存在し得るものであり、絵画や文学上の影像や仮象とは違って、内的な真実性と必然性とをもっているのである。同様の法則は、すべての他の生物にもあてはまるであろう。」
「ここでは簡単に次のことだけを言っておきたい。われわれが通常葉であると主張しつけている植物のあの器官中には、あらゆる形成物の中に隠れたり現われたりできる真に変幻自在な海神プロテウスがいるということを、つまり私は悟ったのであった。前にも後にも植物はただ葉のみであり、将来の胚種(はいしゅ)とは、その中の一なくしては他を考え得ないほど不可分的に結び合っている。」



「一月」「ローマの謝肉祭」より:

「コンフェッティ」
「多分はある婦人が偶然のことから、通りすがった彼女の親しい男友達に、群衆と仮装者とのただ中にいる自分のことを知らせようと、砂糖をかためた粒を投げつけたことがあったのであろう。こすうれば、打ちあてられた男は当然ふりかえって、茶目な女友達を発見せずにはいまい。これが今や一般の風習となり、一と投げの後に親しげな顔と顔とを互に見交わしているのをよく見うける。しかしながら、本当の糖果をむやみに使うのはあまりに不経済なことに思われたし、また、濫用するためにはより廉価なものをたくさん貯えておく必要があった。
 今では、漏斗(じょうご)をとおして作られた、フランス製の糖果に似ている、錠剤形の砂糖菓子を模して石膏で作ったものを、大籠に入れて群衆のまんなかに売りにくる特別な商売ができている。
 一人として攻撃される恐れのないものはいない。誰も彼も防禦の構えをしていなければならないのである。そして、或は悪戯気分から、或は必要上から、二人同士の間に、或は数人にわかれて、または一群と一群との間に、闘争がそこここと展開されてるのである。歩行者も車行者も、家の窓や棧敷や椅子で見物しているものも、すべてお互に攻撃し、お互に防ぎあうのである。
 婦人連はこうした小粒で一ぱいになっている、金色または銀色に塗られた小籠をもっており、また附添いの男たちは婦人連を甲斐甲斐しく防戦してやろうとする。馬車の窓をおろして攻撃に備えているものがある。知人とは面白半分にやり合い、未知の人にたいしては頑強に防戦に努めているものがある。
 この闘争が一ばん熱心に、また誰彼の差別なくされるのは、ルスポリ宮の附近においてである。ここに腰をおろしている仮装者たちはすべて、小籠や小袋や、ハンカチの結び合わされているものなどに弾丸を入れてもっている。彼らは攻撃されることより攻撃することの方が多い。いかなる馬車といえども、少なくとも数人の仮装者に痛めつけられずに通りすぎることはできない。いかなる歩行者も彼らの攻撃をまぬかれることは不可能である。ことに、黒衣の教区僧が現われでもしようものなら、彼らはあらゆる方向から弾丸を投げつけ、投げた白い石膏や白墨は黒衣を汚し、そのために、こうした教区僧はやがてまっ白になり、或は灰色の斑点をつけたようになる。が、時おりは、この争いがすこぶる生真面目(きまじめ)なものとなり、一般に波及することがあるが、そうなると、嫉妬と個人的な憎悪とがいかにほしいままにされるかを、呆(あき)れ返りながら眺めるのである。
 人目をしのんで仮装の姿が一つ抜き足差し足で近より、もっとも美しい婦人の一人をめがけて片手一ぱいに摑んでいるコンフェッティをあまりにも激しく正面から投げつけたため、仮面は音をたて、美しい項(うなじ)は傷さえつけられる。両側にいる彼女の附添人たちは大いに怒って、小籠や小袋からコンフェッティを摑みだし、攻撃してきたものに激しく立ち向う。が、この仮装は非常にうまくできており、十分頑丈に武装しているので、投げつけられてもさして痛痒(つうよう)を感じない。彼は自分の装いが十分であればあるほど、一そう激しく攻撃を継続する。防戦するものたちは、目標にされた婦人を長い袖無し外套で庇(かば)う。そのうちに、攻撃するものは闘いが激しくなるにつれて附近の人たちをも傷つけ、また彼の狂暴さや猛烈さがすべての人を怒らせるため、やがて周囲に腰掛けている人々もこの闘いに参加し石膏の粒を惜しまず投げつける。そして彼らは、こうした場合のためにちょうど砂糖の塗(まぶ)してある巴旦杏ぐらいの大きさの、多少大き目な弾薬を大ていは予備に持っているものであるが、この弾薬のために攻撃者は終いに散々な目に会わされ、四方八方から襲撃され、どうにも退却するよりほかに仕方がなくなる。ことに、彼がコンフェッティを投げ尽くしてしまいでもすればなおさらのことである。
 こうした冒険を企てるものは、通例、弾薬をこっそり自分に渡してくれるような一人の介添人をつれているものである。一方、こうした石膏製のコンフェッティを商う男たちは、闘いのあいだには、籠をもって忙しげに立ちまわり、求められただけの斤量をいくらでも、大急ぎで秤(はか)って各人にわたすのである。
 こうした闘いの一つを身近に、親しく眺めたことがあった。その際はついに闘い合っているものの弾薬が欠乏してしまい、金色の小籠を互に頭に投げつけ、そば杖をひどく食った衛兵たちが警告しても、防止することはできなかった。
 たしかに、こういう争いの多くは、方々の町角に処刑索が掲げられていなければ、刃傷沙汰にまでおよぶに相違あるまい。ただ、この有名なイタリア警察の処刑具があるばかりに、祝祭のただ中にいる各人は、危険な武器を用いることがこの際非常に危いことであるということを、思い起すのである。
 こういう争いは無数にあるが、そのうちの大部分は真剣というよりはむしろ愉快なものである。
 例えば、道化役を一ぱいにのせた無蓋馬車がルスポリへと近づいてくる。馬車に乗っている連中は、見物人のそばを通りすぎながら、みなを順々に攻撃してゆこうとしている。しかるに不幸にも雑踏があまりに激しすぎて、馬車はそのまんなかに停まってしまう。周囲の連中はとたんに志を同じくして、四方八方から馬車に雨霰とコンフェッティをなげつける。道化役は彼らの弾薬を射ちつくし、しばしの間は八方から振りかかる十字砲火に身を曝(さら)すこととなる。こうして、馬車は終いにはまるで雪や雹(ひょう)にすっかり被われたようになり、大衆の笑い声のなかを、非難めいた調子に送られながら、のろのろとその場を立ち去るのである。」

「この物語にふさわしくないことであるかも知れないが、まじめな話をもう少しつづけさせてもらえるならば、われわれは次のことを述べておきたい。すなわち、最も生き生きした最高の喜悦というものは、眼前を疾駆(しっく)し去った競馬の馬のごとく、ただ一瞬われわれの眼にうつり、心を揺り動かし、それでいて心の中にはほとんど何の痕跡をも残さないものであること、また、自由や平等は陶酔的な狂乱の中においてのみ享受しうるものであるということ、さらに、最大の快楽は、それが危険と紙一重の状態となり、その状態にありながら夢中になって、怖(こわ)さのまじった甘美な感情を享楽する時にのみ、最も力づよく刺激するものであるということの三つである。」










こちらもご参照ください:

ゲーテ 『イタリア紀行 (上)』 相良守峯 訳 (岩波文庫) 〔全三冊〕
















































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ゲーテ 『イタリア紀行 (中)』 相良守峯 訳 (岩波文庫) 〔全三冊〕

「それから私たちは海辺にゆき、あらゆる魚類や不思議な形をしたものが、波間から躍り出るのを眺めた。絶好の日和で北風もそうひどくなかった。」
(ゲーテ 『イタリア紀行 (中)』 より)


ゲーテ 
『イタリア紀行 
(中)』 
相良守峯 訳
 
岩波文庫 赤/32-406-0 


岩波書店 
1942年6月1日 第1刷発行
1960年4月25日 第10刷改版発行
1987年5月11日 第26刷発行
247p 
文庫判 並装 カバー
定価400円



全三冊。



ゲーテ イタリア紀行 中



カバーそで文:

「ゲーテのイタリアへの憧れがどれほど強烈であったかは「この地には全世界が結びついている。私はこのローマに足を踏み入れたときから、第二の誕生が、真の再生がはじまるのだ」という記述からもうかがえる。この旅にゲーテはその一生を賭けていたのである。」


目次:

ナポリ (一七八七年二月および三月)
シチリア (一七八七年三月から五月まで)
ナポリ (一七八七年五月から六月まで)





◆本書より◆


「ナポリ」より:

「二月二十四日、聖アガタ館にて。
 寒い部屋の中で、私は愉快な一日の報告を書かなければならない。フォンディを出るとちょうど夜が明けた。そしてすぐに私たちは道の両側に塀(へい)の上から垂れ下った橙(だいだい)の出迎えを受けた。木という木には、想像も及ばぬほどにぎっしりと生(な)っている。若葉は上の方は黄ばんでいるが、下と中ほどはしたたるばかりの緑である。ミニヨンが、こうした所に来たがったのも、もっとも千万だったわけである。
 それから私たちは耕作の手入れの行き届いた小麦畑を通りぬけた。適宜の間隔をおいてオリーヴが植えつけてあった。風に揺れては銀色をした葉の裏側があらわれ、小枝は軽く品(ひん)よくしなった。曇った朝だったが、北風が強いので雲もすっかり吹き散らされそうな様子に見えた。」
「網状の細工のしてある古代建築の石垣の名残りを見て私たちはびっくりした。高いところはどこも岩だらけである。それでもほんのちょっとでも土地のあいているところにはオリーヴの木が植えつけてある。やがてオリーヴの生えた平地を一つ越え、それから小さな町を一つ通りぬけた。そのとき気がついて見ると、祭壇や古代の墓石や、あらゆる種類の断碑遺石が庭園の石垣に塗りこめられていた。そればかりか見事に築き上げられた古い別荘の階下は、今は土で埋まり、もうオリーヴが方々に植えつけてある。やがてのことに山頂に煙の雲をなびかしたヴェスヴィオが見えてきた。
 モラ・ディ・ガエタにつくと、またも橙の木が鬱蒼(うっそう)として私たちを迎えた。私たちは二三時間そこに留まった。この町の前の入江は眺望がすこぶるよく、海は足もとの渚(なぎさ)を洗っている。右手の岸沿いに眼を放って最後に半弧の尖端にゆきつくと、かなり遠く岩上にガエタ城が見える。左の岬は遙か遠くまで伸びている。まず一と並びの連峰が見え、次にヴェズヴィオ山、それから幾つかの島。イスキア島はだいたい中ほどの沖合にある。
 ここの渚で初めて私は、海星(ひとで)と海胆(うに)が打ち上げられているのを見つけた。最上の模造羊皮紙のようなきれいな緑の葉、それから珍奇な漂石、一ばん数の多いのはふつうの石灰石、それに蛇紋石、碧玉、石英、硅石の角礫岩(かくれきがん)、花崗岩、斑岩、大理石、緑色や青色の玻璃(はり)等である。ただし最後に並べたような種類の石は、この地方ではほとんど産出されないので、恐らく古代建築の遺物ででもあろう。してみると私たちの眼前で波が弄んでいるのは、前世界の栄華の跡なのである。ここで野蛮人のように振舞っている人たちの気質が面白くって、なかなか立ち去りがたかった。モラを遠ざかるにつれて、海は見えなくなるけれど、眺望は相変らず美しい。海の最後の名残りにきれいな入江が見えたので写生をしておいた。やがて蘆薈(ろかい)の生垣をした肥沃な田圃(たんぼ9がつづく。水道が一本、山の方から見るかげもなく荒れ果てた廃墟の方へ通じているのが見えた。」

「ヴェズヴィオは依然左方にあって猛烈に煙を噴いている。私は、この名物もとうとう眼のあたりに見るを得たということが、心ひそかに嬉しくてならなかった。」

「二月二十八日、ナポリ。」
「それから私たちは海辺にゆき、あらゆる魚類や不思議な形をしたものが、波間から躍り出るのを眺めた。絶好の日和で北風もそうひどくなかった。」

「三月六日、ナポリ。」
「ナポリへ帰る途中、二階建の奇妙な構造の小さい家が眼についた。窓がなくて、部屋の採光は通りに面した入口によるのみである。住んでいる人たちは早朝から夜になるまで門口に蹲(うずくま)っており、いよいよ暗くなってから洞窟の中に引っ込むのだ。」
「ちょっと風変りな夕方の町の雑沓を見て、私はどうしてもここに暫く滞在して、賑かなこの有様をできるだけ、描いて見たいという望みをそそられた。」

「三月十六日。カゼルタ。」
「ナポリは楽園だ。人はみな、われを忘れた一種の陶酔状態で暮している。私もやはり同様で、ほとんど自分というものが解らない。全く違った人間になったような気がする。「お前は今まで気が狂っていたのだ。さもなければ、現在気が狂っているのだ」と昨日私は考えた。」

「三月十九日、月曜日、ナポリ。」
「街の中をぶらついて、しかも眼を持っていさえすれば、とても真似のできない光景に接する。
 昨日私は市中での一ばん賑かな波止場で、一人の道化役者(プルチネル)が板張りの仮舞台で、小猿と喧嘩しているのを見た。その上方には露台があって、綺麗な女の子が愛嬌を売っていた。その猿のいる舞台の傍らでは、山師医者が万病退治の秘伝薬(アルカーナ)を悩める信者たちに売りつけていた。」



「シチリア」より:

「四月七日、土曜日、パレルモ。
 波止場のすぐ傍らにある公園で、私はもの静かな、楽しい時間をすごした。ここは世にも不思議なところである。この公園は法則どおりに設計されているが、それでいて仙境めいた感じがする。樹木を植えたのはさして古くはないのに、まるで古代にあるかのような思いを禁じ得ない。緑色の花壇の縁が外国産の植物を取り囲み、レモン樹の格子垣は清楚な拱廊を形づくっている。そして石竹のような無数の赤い花で飾られた夾竹桃の高い垣が、われわれの眼を引きつける。また珍奇な、私などのまったく見たことのない、恐らくより南方の産らしい樹が、まだ葉もつけないで奇妙なふうに枝をひろげている。平らな空地の背後にある一段高くなっているベンチからは、珍しく錯綜した植物が見わたされ、最後に視線は大きな泉水へと移って行く。その泉水には金色銀色の魚がいかにも楽しそうに泳いでいて、或は苔むす蘆の下に隠れ、或は一片のパンに誘われ、群をなして集まってくる。植物はまったくわれわれの見なれぬ緑色を呈し、ドイツのよりも黄色がかったのもあれば、青味がかったのもある。しかし全体に魅惑的な雅致を与えているのは、あらゆる物の上に一様にひろがっている濃い靄(もや)であって、これが著しい作用を及ぼしているため、物象はお互にわずか数歩はなれると判然と薄青に浮きたち、そのために植物本来の色はついに失われてしまうか、または少なくとも非常に青味がかって眼に映るのである。」
「あの不思議な公園の印象は、深く私の心に刻みこまれた。北方の水平線に見える黒味がかった波、それが紆余曲折(うよきょくせつ)の入江におし迫る有様、水蒸気の昇っている海の独特の香り、このすべてが私の感官にもまた記憶の中にも、幸福なファイアケスの島を呼び起したのだ。」

「四月九日、月曜日、パレルモ。
 今日私たちは終日、パラゴニア親王の無軌道にかかり合って、時間を費やしてしまった。」
「邸宅への道は普通のよりも幅が広く、障壁は高い台石の形となって遠くまでつづき、その台石の上には立派な礎壁が珍しい群像を高く支えており、その群像の合間には多数の花瓶がおいてある。平凡な石工の手になった不細工な彫刻の厭わしさは、それが極めて粗悪な貝殻凝灰岩でできているだけに、なおさら目立つ。けれども材料がもっとよかったなら、形式の無価値もなお一そう眼につくことだろう。私はいま群像といったが、これはこの場合あてはまらない間違った言葉である。というのは、この像の纏め方はなんら考慮を費やして成ったものでもなければ、奔放な感情から出たものでもなく、ただ雑然と取り集めたに過ぎないからである。すなわち三個ずつの像がこういう四角の台座の飾りになっているのだが、それらの台脚はいろいろな位置を占め、それらがともかく一緒になって四角の空間をさえ満たせばよいという風なのである。最も優秀なのは大抵は二つの像から成り、その台脚は基底の前面の大部分を占領している。これらの彫刻は多くは動物や人間の形をした怪物である。基底のうしろの空間を埋めるためになお二つの像が必要だが、その内の中ぐらいの大きさのは普通は、男または女の羊飼、騎士、貴婦人、踊っている猿や犬となっている。さてもう一つ隙間(すきま)が基底に残るわけであるが、これは多くの場合侏儒(しゅじゅ)で充たされている。」
「パラゴニア親王の狂気沙汰の諸要素を十分に伝えるために、われわれは次のような目録を作る。人間(引用者注:「人間」に傍点)の部では、乞食、女乞食、スペイン人、スペイン女、黒人、トルコ人、佝僂(せむし)、いろいろな畸形者、侏儒、音楽師、道化役、古代の服装をした兵士、神々、女神、古代フランスの服装をしたもの、弾薬盒とゲートルとをつけた兵士、それにまた道化役をつれたアキレウスとキロンといったような、異様なお供を連れた神話的人物。動物(引用者注:「動物」に傍点)の部では、部分的に表現したものばかりで、人間の手をした馬、人間の身体に馬の頭をつけたもの、歪(ゆが)んだ顔をした猿、たくさんの竜や蛇、さまざまな姿にいろいろな格好の前足をつけたもの、頭を重複ささたり取り換えたりしたもの。花瓶(引用者注:「花瓶」に傍点)の部では、怪物と渦巻の有りとあらゆる種類で、その下部は花瓶の腹部および台となって終っている。
 こんな格好をした物が六十ぐらいずつも作られて、別になんの意味も理解もなくできており、またなんの選択も目的もなく並べてあるさまを想像して見給え。またこの基底や台脚や不格好な物が、一列をなして遙かに立ち並んでいる様子をも想像して見給え。そうすれば、妄想の尖った鞭で追われるときに誰もが襲われる不快の感情を、諸兄は私と同様に感じることであろう。
 邸宅に近づくと、われわれは半円形をなした前庭の両腕に迎え入れられる。正面の、門のついている主壁は、城壁のような造りである。この中にわれわれは、塗りこめられたエジプトの像、水のない噴水、記念碑、散在する花瓶、わざと俯伏(うつぶ)せに倒してある彫像などを見出す。邸宅の前庭にはいると、小さな家屋に囲まれた伝統的な円陣が、変化に富むようにと更に小さく幾つかの半円形に張り出してある。
 地面はその大部分に草が生えている。そこにまるで荒廃した墓地におけるがごとく、父王時代からの珍奇な渦巻模様の花瓶や、新しい時代の産物たる侏儒その他いろいろの畸形が、未だに自分の居るべき場所を一つとして見出し得ずに、雑然と立っている。そのうえ四阿(あずまや)までできていて、その中には古い花瓶やその他渦巻模様をした石が、一杯に詰めこんであった。
 こうした没趣味な考え方の不合理さは、小家屋の飾縁が全然或る一方に傾いているところに、最も強く表われている。そのために、あらゆる調和の根本であり、われわれ人間に固有であるところの水平並びに垂直の感情が破壊され、惑わされてしまう。そしてこの並んでいる屋根にもやはり、九頭の蛇だとか、小さい胸像、音楽を奏でている猿、およびそれに類した妄想の産物が縁飾りになっている。神々と入れかわって竜がいるかと思うと、天球のかわりにぶどう酒の樽をかついだアトラス神がいたりする。
 こういうすべての物から逃れて、父王の建築に成り、比較的条理ある外観をそなえた邸宅へはいろうとすると、玄関からほど遠いところに、海豚(いるか)に乗っている侏儒の胴体の上に、月桂冠をいただいたローマ皇帝の頭の載っているのが見える。
 邸宅の外観からすれば、内部はそんなにひどくはなさそうに見えるが、一歩中へはいると親王の無軌道ぶりは、またしても暴威を振うのである。椅子の足は違った長さに挽(ひ)き切ってあるので、腰を掛けることができず、たまに掛けられそうな椅子があるかと思うと、城番が、ビロードの下に針が隠れているから、と注意する始末である。シナ製の焼物でできた燭台が隅々においてあるが、注意して見ると、皿や茶碗や茶碗の下敷を接ぎ合わせたものにほかならぬ。どの片隅を見ても、なんらかの我儘の現われていないものはない。しかも岬を越して海を見渡す美しい眺望は、色のついたガラスのために興を殺がれてしまう。このガラスは色調が出鱈目(でたらめ)なので、この地方の景色は寒々と見えたり、燃え立って見えたりする。それから、鍍金(めっき)した古い枠を細かく切り刻んで並べ、それで壁を張ってある小さな室についても、私はなお一言述べなければならない。幾百種の彫刻模様や、多少とも塵にまみれて損じた鍍金の新旧さまざまの度合いのものが、目白押しに並んで壁全体を蔽い、まるでがらくた(引用者注:「がらくた」に傍点)の寄せ集めといった感じである。
 礼拝堂のことを書くとなると、それだけでも一冊のノートが必要となるだろう。ここに来ると人々は、頑迷な信仰家においてのみ、これほどまでに蔓延(はびこ)り得るところの狂信ぶりの全貌をば、はじめて理解できるのである。信仰の生んだ奇怪な像がいかに沢山ここにあるかは御推察に任せるとして、ただ私は最もよいものだけをお知らせしようと思う。すなわち、かなりの大きさの彫刻された十字架像が平らに天井に打ちつけてあって、それには自然の彩色を施し漆をかけてあるが、ところどころに鍍金も混っている。十字架にかけられているキリストの臍(へそ)のところに鉤(かぎ)が螺旋(らせん)で止めてあり、それから鎖が下っていて、その鎖は跪いて祈りを捧げながら空中に吊り下っている男の頭に結びついているのである。この男には教会にある他の像と同様、彩色をほどこして漆が塗ってあるが、これは所有主の絶えざる信心を表徴したものであろう。
 それはともかく、この邸宅は完成しているのではない。父王によって多彩にかつ豊富に設計され、しかも厭わしい装飾のない大きな広間は、未完成のまま残っている。当主の果て知らぬ無軌道ぶりも、その馬鹿さ加減をまだ十二分には発揮し得なかったようである。
 私はクニープがいらいらしているのを始めて見た。彼はこの精神病院のような家の中で、その芸術心が自暴自棄の状態に駆りたてられたのだ。私がこの奇怪な創作の諸要素を一つ一つ心中に描き出して、範式を組み立てようとしていると、彼は私を急(せ)き立てて進んで行った。それでも人のよい彼は最後に群像を一つ描いたが、絵になり得るものとしては、これが唯一のものなのだ。それは馬の頭を有する一婦人が椅子に坐りながら、身体の下部に古代風の衣裳を纏って怪鳥の頭をもち、それを王冠と大きな鬘(かつら)とで飾っている一人の騎士を相手にカルタ遊びをしているのを表わしたもので、これはパラゴニア家のいかにも馬鹿馬鹿しいが、しかしまた極めて珍しい紋章を想い起させるものだ。その紋章とはすなわち、山羊の足を持つ森の神ザテュロスが、馬の頭をした婦人に鏡をさし向けているところを描いたものである。」










こちらもご参照ください:

ゲーテ 『イタリア紀行 (下)』 相良守峯 訳 (岩波文庫) 〔全三冊〕





















































ゲーテ 『イタリア紀行 (上)』 相良守峯 訳 (岩波文庫) 〔全三冊〕

「ヴェズヴィオの火山は盛んに石と灰を噴き出し、夜には嶺が赤く燃えて見える。活動する自然が、熔岩の流れを見せてくれればよいが! こうした偉大なものをわが眼底に収めてしまうまでは、私は焦燥(しょうそう)の念に駆られどおしである。」
(ゲーテ 『イタリア紀行 (上)』 より)


ゲーテ 
『イタリア紀行 (上)』 
相良守峯 訳
 
岩波文庫 赤/32-405-9 


岩波書店 
1942年6月1日 第1刷発行
1960年4月5日 第11刷改版発行
1987年5月25日 第33刷発行
271p 別丁口絵(モノクロ)1葉
文庫判 並装 カバー
定価450円



本書「解説」より:

「本書は Johann Wolfgang von Goethe(1749-1832): Italienische Reise の翻訳で、続篇ともいうべき「第二次ローマ滞在」(Zweiter Römischer Aufenthalt)をも含むものである。」
「なおこの翻訳は、最初改造社版ゲーテ全集に入れたものを、(中略)補正を加えて岩波文庫に入れたのであるが、このたび全篇に筆を加えて版を新たにしたものである。」



地図「イタリアにおけるゲーテの旅路」1点。口絵はティッシュバイン作「カンパニアのゲーテ」。全三冊。



ゲーテ イタリア紀行 上



カバーそで文:

「一八七二年九月、ゲーテ(一七四九-一八三二)はワイマルでの煩瑣な生活からのがれるため、長年の憧れの土地イタリアへと、まっしぐらに駅馬車を駆り出した。この出発こそ、詩人ゲーテを完成し、ドイツ古典主義を確立させるきっかけとなるものであった。(全3冊)」


目次:

解説

カールスバートからブレンナーまで (一七八六年九月)
ブレンナーからヴェロナまで (一七八六年九月)
ヴェロナからヴェネチアまで (一七八六年九月)
ヴェネチア (一七八六年九月および十月)
フェララからローマまで (一七八六年十月)
ローマ (一七八六年十一月から一七八七年二月まで)





◆本書より◆


「ヴェネチア」より:

「一七八六年九月二十八日。」
「私の乗っている船のところへ初めてゴンドラがやってきたとき――それは先を急ぐ旅客を素早くヴェネチアへ連れてゆくためであるが――私は恐らく二十年来思い出したことのない、あの昔の玩具を心に浮べた。私の父はイタリアから携えてきた美しいゴンドラの模型を持っていた。父はそれをひどく珍重していたが、いつか私がそれを弄ぶことを許された時などは、非常に喜んだものだ。今、ぴかぴか光る鉄板の船首や、黒いゴンドラの船体や、すべてのものが昔馴染のように私に挨拶をした。私は久方ぶりになつかしい少年時代の印象を味わうことができた。
 私は「イギリス女王」という旅館に気持のいい宿を取っている。聖(サン)マルコの広場から程遠からぬところにあるが、これがこの宿の一番の取柄である。私の室の窓は、高い家並の間にある狭い運河に面しており、窓のすぐ下には虹形の橋が懸っていて、その向うには一本の狭い賑やかな小路がある。(中略)これまで幾度か渇望した孤独を、私は今やしみじみと味わうことができる。なぜかというに、たれ一人知る人もない雑沓の中をかき分けて行くときほど、痛切に孤独を感じることはないのだから。」

「九月三十日。
 夕方私はふたたび案内者もなしに、市のもっとも遠い地区へ迷いこんで行った。このあたりの橋にはすべて階段がついていて、アーチ形の橋の下をゴンドラや、もっと大きな船が自由に航行しているのである。私は誰にも道を尋ねないで、またしても方位だけをたよりに、この迷路に出たり入ったりしてみた。結局はそこから抜け出すことができるのであるが、道路が互に入り組んでいることはまったく意想外である。」
「実に多数の家屋がじかに運河のなかに建っている。しかし立派に舗石のしてある堤防が所々にあって、その上を歩いて水面や寺院や邸宅のあいだを気持よく往来することができる。」

「十月八日。」
「リドーというのは、潟を仕切って、海から隔てている地峡である。私たちは舟から下りて、地峡を横切って歩いて行った。私は強い音響を耳にしたが、それは海であって、間もなく眼にも見えてきた。波は引きながら高く岸辺を打ちつけていた。真昼ごろで、干潮の時刻である。こうして私もとうとう海を眼のあたりに眺めたのである。私は引いて行く潮のあとに残されている美しい土を踏みながら、波のあとを追って行った。貝がたくさんあるので、子供たちがいたらと思った。そこで自分自身が子供になって、たくさんそれを拾い集めた。しかしこれは私がある事に利用したいためであって、すなわちここにふんだんに流れている烏賊(いか)の墨を、少し乾かして見ようと思うのだ。
 海から遠くないリドーの上に、イギリス人の墓があり、その先にユダヤ人の墓がある。彼らはともに普通の墓地に葬られるわけにいかなかった人たちである。」
「その墓は、ただに浄められていないばかりでなく、半ば埋もれかけている。リドーは常にたんなる砂丘と見なさるべきものであって、砂がそこまで運ばれ、風に吹きまくられ、積み上げられ、また到るところに押しあげられるのである。いくぶん小高くなっているこの記念碑も、間もなく人の目にとまらなくなってしまうであろう。」

「十月九日。」
「私は話題をもう一度海に取りたい。今日私は海で海蝸牛(うみかたつむり)、陣笠貝、小蟹(こがに)などの活動を眺め、心から楽しんだ。生物というものはなんと貴重な、すばらしいものであろう。なんとその状況によく適応し、なんと真実で、かつ現実的であるであろう。」
「小さな食用蝸牛、殻が一つの陣笠貝、その他なお動きまわる生き物、殊に小蟹など、潮に従って海の生物がやってくる。しかしこれらの動物が滑かな防波壁を占領するかしないうちに、もう海は押し寄せてきたときと同じように、一進一退しながら引き始める。初めのうちはこれらの動物群もどうしたらいいのか見当がつかず、潮がふたたび帰ってくることを依然として期待しているが、しかし潮は引いたままであり、太陽は照りつけて忽ち乾燥させる。そこでここに退却が始まるのである。この機会に乗じて小蟹は餌を探す。(中略)義足のような両腕をもって歩きまわるかのようにみえ、一匹の陣笠貝が甲殻に隠れつつ位置を転ずるや否や、それを襲っていって、鋏を甲殻と地面との狭い隙間に突込み、屋根をひっくり返して、中の牡蠣(かき)を御馳走になろうとする。陣笠貝の方ではじょじょに歩いてゆくのであるが、敵が近づくのを感ずるや否や、しっかりと石に吸いついてしまう。そこで蟹は小さい屋根の周囲を奇妙な格好でさがしまわる。(中略)しかし蟹にはこの柔かい貝の強い筋肉に打ち勝つだけの力がないので、この獲物には諦(あきら)めをつけて、別の動いているのをねらってゆく。すると先の貝はそっとまた動き出す。かくして、私は二つの平面とその間にある階段を這いおりてゆくこの群衆の退却を幾時間も見守っていたが、ついに一匹の小蟹すらその目的を達し得たのを見なかった。」



「フェラーラからローマまで」より:

「十月二十日夕、ボローニャにて。」
「それから私は、最近の豪雨に洗われて崩壊した山峡に下りていって、求める重晶石をそこここに発見して大いに喜んだ。多くは不完全な鶏卵状をなしており、ちょうど崩壊しつつある山の所々に露出していた。一部分はかなり純粋であり、一部分は粘土に包まれて、その中にひそんでいる。(中略)私が捜し出した塊りは、大きいのも小さいのも、不完全な卵形に近く、そのうち最も小さいものは不明瞭な結晶体に移りかけている。私が発見した最も大きな塊りは十七ロートの重量がある。私はまた同じ粘土の中から、分離した完全な石膏の結晶を見出した。専門家は、私が持って帰る標本によって、一そう綿密な鑑定を進めることができよう。私はまたもや石を背負いこむことになってしまった。八分の一ツェントナーの重晶石を私は荷造りした。」



「ローマ」より:

「二月二日。
 満月の光を浴びてローマを彷徨(さまよ)う美しさは、見ないで想像のつくものではない。個々の物の姿はすべて光と闇との集団に呑みつくされ、そして最も大きく最も一般的な形像のみが、われわれの眼に映る。すでに三日このかた、私たちは非常に美しい晴れわたった夜を心ゆくまでに味わった。特に眺めのいいのはコリセオである。夜は門を閉めるが、一人の隠者が小さな堂宇に住まっており、乞食どもが荒廃した円天井に巣食っている。ちょうど彼らは平土間で火を焚いていたが、静かな風が煙をまずアレーナの方へ吹き寄せ、そしてその煙が廃墟の下部だけを包んで、上方の巨大な城壁がその上に暗くそそり立って見えた。私たちは格子戸の側からその有様を眺めたのであるが、折しも月は中天にかかっていた。煙はだんだんに壁、隙間、窓などを抜けて出てゆき、月の光に照らされてまるで霧のようである。実にすばらしい眺めであった。パンテオン、カピトル、ピエトロ寺院の前庭、その他大通りや広場もそんなふうに照らされているところを見ておくべきである。雄大なしかも洗練されたこの地の物象を前にしては、太陽や月もちょうど人間の精神と同じように、他の場所とは違った作用をするようになるのだ。」









こちらもご参照ください:

ゲーテ 『イタリア紀行 (中)』 相良守峯 訳 (岩波文庫) 〔全三冊〕














































ゲーテ 『西東詩集』 小牧健夫 訳 (岩波文庫)

「死して成れよのこの意(こころ)を
その身にさとり得ぬかぎり
汝は暗き地上にて
かなしき客にすぎざらん」

(ゲーテ 「めでたき憧れ」 より)


ゲーテ 
『西東詩集』 
小牧健夫 訳
 
岩波文庫 赤/32-407-3 


岩波書店 
1962年6月16日 第1刷発行
1987年11月5日 第3刷発行
480p 
文庫判 並装
定価700円


「WEST-ÖSTLICHER DIVAN
Johann Wolfgang von Goethe」




ゲーテ 西東詩集



目次:

詩人の巻
ハーフィスの巻
愛の巻
観照の巻
不興の巻
箴言の巻
ティームルの巻
ズライカの巻
酌人の巻
寓喩の巻
パルゼ人の巻
天国の巻
遺稿から

註記・論考 (春田伊久蔵 訳)

訳註
訳者解説

跋 (吹田順助)




◆本書より◆


「詩人の巻」より:

「逃走」より:

「北 西 南は砕け散り
王座は裂け 国々は搖らぐ
逃れよ 清き東方にて
族長の邦の大気を味わわんために
恋しつ 酒くみつ 歌うたいつ
きみは不老(キーゼル)の泉に若やがん

かしこ清く正しきところに
われは人類の
原始の深奥を窮めなん
そこにはひとびと今なお神より
天の教えを地の言葉にて受け
心を悩ますことなかりき」

「隊商とともにさすらいて
肩掛 珈琲 麝香を商(あきな)うときは
われも牧人の群に加わりて
オアシスに心なぐさめん
いかなる小径をも辿り行き
砂漠より町々に入らん

嶮しき岩道の登り降りに
ハーフィスよ おんみが歌に慰められん
導者 驢馬の高き背に騎(の)り
星々の夢をさまし
劫賊を驚かさんと
心たのしくおんみの歌をうたうとき」


「めでたき憧れ」:

「賢者のほかには何人にも語るな
大衆はすぐにも嘲るならんを
炎の死へとあこがるる
生きたるものをわれはたたえん

愛の夜々の涼しさに
汝は生れまた生みしが
静かにもゆる燭のともれば
汝はまだ知らぬ願いにおそわる

闇のくらき影のうちに
もはや汝は囚われじ
新しき希求(ねがい)汝を駆りて
より高き交合(まじらい)に赴かしむ

隔たりも汝は物ともせず
追わるるごとく飛びきたる
ついには光をこがれしたいて
蝶なる汝は焼けほろびぬ

死して成れよのこの意(こころ)を
その身にさとり得ぬかぎり
汝は暗き地上にて
かなしき客にすぎざらん」



「ハーフィスの巻」より:

「窮まりなく」より:

「終るときなきこと それぞおんみを偉大にし
始めるときなきこと そはおんみの宿業なり
おんみの歌は星みつる穹窿(おおぞら)のごとく循環し
初めと終りとはつねに同じくして
中央のもたらすものは明かに
終りにのこるものは初めにありしものなり」



「不興の巻」より:

「そを世にありふれし火花なりと
君たち思い誤るなかれ
測り知れぬ遠き彼方
星みつる空に
われはわが道を失わず
新たに生れしごとかりき」

「かくて道はいよいよ進み
道はいよいよ拡がりぬ
われらの旅は
永久の逃走のごとかり」

「超人をこの世から追放することの
できないのはきみたちも感じられるだろう」

「わたしは自由に生き
決して欺かれずに生きよう

というのは 人間は善良だが
一人のするとおりを
他人もしないですむのなら
もっと善いことであろう」

「或る人をわたしは愛する それは必要である
何人をもわたしは憎まない もし憎むべしとなら
それもわたしは厭いはしないが
わたしは群団として全体を憎もう」

「わが小唄はしのび音に呻く
「かつてかかりし こののちもしからん」と」

「メジュヌンというは――われはいうまじ
そが狂者を意味することを
されど汝われを咎むるな
われ己れをメジュヌンとたたうるとも」



「酌人の巻」より:

「われらはみんな酔わなければならぬ」

「酔いはふしぎな徳である
憂いのために心を労するのは生であるが
憂いを消すものは葡萄である」



「註記・論考」より:

「東方の詩人は無造作に、われわれを大地から天上にひきあげ、天上からまたもや下へと突きおとし、かと思うと、その反対をやったりする。ニザミは、腐った犬の死骸から、一つの道徳的な見かたをひっぱりだしてくる術を心得ており、そうした見かたに、われわれははっと驚かされ、同時に薫化される。

  世界を経めぐる主イエス
  たまたま市場のほとりにさしかかりぬ。
  路上、さる門前にひきよせて、
  死せる犬、うちすててあり。
  一群の人、死屍をかこみて立てり
  禿鷹の腐肉に集うがごと。
  一人の男いう、わが脳
  この悪臭に消し飛びぬ。
  次なる男いう、いうにやおよぶ、
  墓屑のもたらすは禍のみ。
  各人、それぞれに
  犬の死屍を罵りて、うたえり。
  巡りて、イエスの番となる。
  善心のイエス、つゆ罵らず
  仁慈の性よりいえり、
  「あの歯、真珠のごとく白し。」
  この言葉、並いる者の身を、
  煆かれし貝殻のごとくに熱くせり。

 慈愛深く機智に富んだ予言者が、彼独特のやりかたでいたわりと憐れみをもとめると、だれもがはっとする。彼はなんとあざやかに、ざわめく群集をわれにかえらせたことか! そして、忌みきらい呪うことを恥じて、いままで気のつかなかった長所に、感服してながめいらせ、どうかすると羨望の眼をさえ注がせる! 立ちならんでいる者はみな、いま、自分の歯列のことを考える。美しい歯はどこの国でも、わけても東国では、神の恵みとして大いによろこばれる。腐りつつある一生物が、のこった一つの完全なもののために、讃嘆といと敬虔な反省の対象になる。
 この寓詩の結びとなっている卓抜な譬喩は、必ずしもはっきりせず、ひしと迫ってこないから、これを具象化する労をとっておく。
 石灰層をもたない地方では、貝殻をある不可欠な建築材料の製造に利用しており、生貝を乾いた粗朶のあいだあいだへならべて層とし、燃えあがる熖で煆くのである。それを見ていると、次のような感懐が湧くのを制することができない。この生物は、ついさっきまでは海の中にいて元気に養分をとり、成長し、生存のおしなべての歓喜を自分流儀にたのしんでいたのに、いまは、焼かれて灰になってしまうならまだしも、姿はそっくり元のままで、全体が灼熱されて生命の根はすっかり断たれている! さらに、おりから日が暮れて暗くなりはじめたために、この生物の骸の真赤に煆けていることが、見ている人間の眼に見えてくることを想像して見よ。魂をひそかに深く苦悶させるこれ以上見事な光景を眼のまえにすることができるだろうか。この事実をじっさいに見たいとのぞむ者は、化学者に乞うて、牡蠣の殻を燐光状態に化してもらうがよい。それを見たならば、自信満々の自意識からいい気になっている最中に、不意に、正当な非難を浴びせられて全身に感じたたぎりたつ熱い感情を、これ以上恐ろしくいいあらわすことはできないことを、われわれとともにみとめるだろう。」



「訳者解説」より:

「Divan の成立はゲーテの東方への逃走である。東洋の研究にその端を発し、二回のライン旅行に由って成熟した。即ち、主として一八一四年及び一五年の両年に亘って作られた詩の集成が Divan であるが、是は単にこの時期の詩を一集に寄せ集めたと云うようなものでなく、一の不思議な、独特の世界を形作っているのである。この世界を流れる基調は東洋的精神、ゲーテの観た東洋的精神である。Divan の精神――東洋的と云う点に統一せられる――は次の諸点に要約されるであろう。
 一、凡ての現世の出来事を象徴的に見る
 二、あらゆるものに神を見る
 三、現世の生活を楽しむ喜びを肯定する
 四、素朴な、ささやかなものに価値を見出す」
















































ヨーゼフ・ロート 『聖なる酔っぱらいの伝説』 池内紀 訳 (白水uブックス)

「神よ、われらすべてのものどもに、飲んだくれのわれら衆生に、願わくは、かくも軽(かろ)やかな、かくも美しい死をめぐみたまえ!」
(ヨーゼフ・ロート 「聖なる酔っぱらいの伝説」 より)


ヨーゼフ・ロート 
『聖なる酔っぱらいの伝説』 
池内紀 訳
 
白水uブックス 110 海外小説の誘惑


白水社 
1995年8月10日 印刷
1995年8月31日 発行
171p 
新書判 並装 カバー
定価880円(本体854円)
ブックデザイン: 田中一光
カバーイラスト: 河内利衣


「本書は1989年に単行本として小社から刊行された。」




ロート 聖なる酔っぱらいの伝説



カバー裏文:

「セーヌ河の橋の下に住まうボヘミアン、アンドレアスは、ある日思いがけなく立派な紳士から二百フランの金を恵まれる。その幸運を契機に、美しくも不思議な奇跡の日々が彼の人生の最後を飾ることになった。こよなく酒を愛した作家ヨーゼフ・ロートのこの絶妙の中編はエルマンノ・オルミ監督による映画化で大きな感動を呼んだ。」


目次:

聖なる酔っぱらいの伝説
四月、ある愛の物語
皇帝の胸像

解説 (池内紀)
Uブックス版に寄せて (池内紀)




◆本書より◆


「聖なる酔っぱらいの伝説」より:

「一九三四年のある春の宵のこと、かなりの年配の紳士が、セーヌ川にかかる橋の一つの石段を下りていった。川岸には、ほぼ、どの国にもおなじみの光景がひらけるものだ。(中略)パリの宿なしが寝ている。より正確には、野営をしている。」
「このかなりの年配の紳士と、ある宿なしとが、偶然にも往きあった。」

「「宿なしは、おたがいさま」
 と、かなりの年配の紳士が言った。
 「わたしだって橋の下でその日ぐらしの身の上だ。それはそれとして二百フランを受け取ってもらえないものだろうか。(中略)返済についてだが、(中略)いいかね、少々説明させていただくよ。わたしときたらリジューの小さな聖女テレーズさまの物語を読んだばかりにキリスト教徒になってしまったのさ。それでこの節はバティニョルのサント・マリー礼拝堂の聖女さまをおがんでいる。(中略)だから二百フランができたら、ほんのはした金ながら、気になるようだとバティニョルのサント・マリー礼拝堂へおおさめしておくれ。ミサを終わった司祭さんの手にわたしてくれればそれでいい。借りがあるとしたら、小さな聖女テレーズさまなのだ。いいかね、バティニョルのサント・マリー礼拝堂だよ」
 「どうやらわかってくれたようだな」
 と宿なしは言った。
 「このおれって男と、その誇りを、ちゃんとわかってくれたんだな。約束しよう。約束は守るとも。しかし、おいらは日曜日しかミサに行けない」
 「それでいいとも」
 年配の紳士は財布から二百フランをとり出すと、足元のあやしい浮浪者にわたしながら礼を言った。
 「ありがとうよ!」
 「遠慮なくいただきますぜ」
 そんなひとことをのこして、宿なしは闇に消えた。
 この間にも川岸はすっかり暗くなっていたのである。いっぽう、橋の上や川沿いには銀色の街灯があかるくともり、あでやかなパリの夜のはじまりを告げていた。」

「アンドレアスはもうながらく自分の姓を忘れていた。無効になった旅券をながめていて気がついた。そうそう、カルタクだった、アンドレアス・カルタク! 久しぶりに自分をふたたび見つけ出したような気になった。」

「その日いちにち、彼は酒場をはしごした。心はすでに安らかだった。要するに奇蹟はいっときのことで、それはとっくに終了した。もはや呼び返すすべがない。とすれば奇蹟以前に立ちもどるまでのこと、落ちぶれるのが身の定め、飲み助であってどこが悪い――しらふ(引用者注:「しらふ」に傍点)にはわかりっこない覚悟だった!――アンドレアスはセーヌの川岸に立ちもどった。この橋の下が終(つい)のすみか。
 その橋の下で、昼間に半分、夜に半分、ねむるのが一年前からの習慣だった。同じ宿なしの誰かにたかって、酒瓶の一つも手に入ればしめたもの――そうこうするうちに木曜日がくれて金曜日。
 そして夜がきて、アンドレアスは夢をみた。小さな聖女テレーズさまが、ブロンドの巻き毛の娘姿でやってきて、こう言った。
 「どうしてこの前の日曜日に来てくれなかったの?」
 小さな聖女さまは、アンドレアスがずっと以前に夢にみた自分の娘と瓜ふたつだった。娘などいるはずがないのだが! ともあれアンドレアスは夢のなかで、小さなテレーズさまを叱りとばした。
 「なんて口のきき方をする。なんといっても、わたしはおまえのお父さんなんだよ」
 すると小さな人は言った。
 「ごめんね、お父さん。でもどうか、あしたの日曜日はわたしのところに来てくださいな。いいこと、バティニョルのサント・マリー礼拝堂よ」
 そんな夢だった。夜が明けたときアンドレアスは、たてつづけに奇蹟がおこった一週間前と同じように、爽快な気分で起きあがった。夢がすでに奇蹟の一つのような気がした。」



「四月、ある愛の物語」より:

「幼かった私は、(中略)紙屑や、葉巻の吸いさしや、いろんな屑が大好きだった。床に落ちているものはなんであれ、祖母のほうきの先まわりをしてポケットにすくいとった。とくに麦わらが好きだった。(中略)おりおり雨が降ると、私は窓から外をながめた。雨水が無数の流れとなって流れていくなかに小さなわら屑があらわれる。浮いたり沈んだり、これみよがしにクルリとまわったり、いずれ押し流されて消えていく運命とも知らず、たのしげに水とたわむれている。私は通りに走り出た。重い雨つぶが怒ったようにたたきつけてくる。私は麦わらをひろいあげるために走った。そして鉄格子のついた水路に流れこむ寸前ですくいとった。」








こちらもご参照ください:

ヨーゼフ・ロート 『果てしなき逃走』 平田達治 訳 (岩波文庫)
モルナール 『リリオム』 飯島正 訳
ホフマンスタール 『チャンドス卿の手紙|アンドレアス』 川村二郎 訳 (講談社文芸文庫)
ゲーテ 『西東詩集』 小牧健夫 訳 (岩波文庫)































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
 
うまれたときからひとでなし
なぜならわたしはねこだから
 
◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

Koro-pok-Guru
Away with the Fairies

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。
歴史における自閉症の役割。

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