武満徹 『時間の園丁』

「私は、作曲という仕事を、無から有を形づくるというよりは、むしろ、既に世界に遍在する歌や、声にならない嘯(つぶや)きを聴き出す行為なのではないか、と考えている。」
(武満徹 「私たちの耳は聞こえているか」 より)


武満徹 『時間の園丁』

新潮社 1996年3月25日発行/同年7月5日7刷
177p ディスコグラフィ4p
22×17.4cm 
丸背バクラム装上製本 カバー
定価2,800円(本体2,718円)
装幀・装画: 宇佐美圭司



『時間(とき)の園丁』。
作曲家・武満徹の没後刊行第六エッセイ集。


船山隆『武満徹 響きの海へ』より:

「 時間(とき)は生命(いのち)の木の葉
 そして、私はその園丁だ。
 時間は、緩(ゆ)っくりと、落ちてゆく。
  (Hours are leaves of life
 and I am their gardener...
 Each hour falls down slow)」
「武満はこの十一歳の少女の詩を特に好んでいたようで、『時間の園丁』というタイトルを、最晩年の『毎日新聞』の音楽時評のタイトル、そして病床で校正刷に目を通した最後の著書のタイトルとしても用いたのである。」



武満徹 時間の園丁1


目次:

I
人間への眼を欠くヴィデオ時代の映画
第二回芥川音楽賞を審査して
夏から秋へ 音楽の収穫
カザルスホール・クワルテットのラヴェルを聴く
翼をもった希望――ジョセフ・コーネル展を観る
     *
仏映画に不思議な懐かしさ――『めぐり逢う朝』を観る
映画音楽 音を削る大切さ
テレビと感性の鈍磨
「創造」としての蒐集(コレクション)
川喜多和子さんの突然の死に
未知へ向けての信号(シグナル)
人間の「存在」について
     *
私たちの耳は聞こえているか
音、それは個体のない自然
新緑の季節に
物語る意志としての旋律
生命連鎖の宇宙的構造
革新的であると同時に伝統的――リゲティ「ヴァイオリン協奏曲」を聴く
垣間見た大江さんの書斎
詩、言葉そして余韻
     *
地球の一体化と文化の多様性
日本人作曲家の作品を聴く
感嘆した映画音楽祭
読書の様態
二律背反
エピソード――安部公房の「否(ノン)」
20世紀オペラの贈物
晩年のミロの陰影
忘れられた音楽の自発性

II
希望
国際交流基金賞・受賞挨拶
ひとはいかにして作曲家となるか
現代音楽と「わかりやすさ」
『Confront Silence』への序
『エクリプス(蝕)』回想
日本の庭と音楽
歌うこころ
記憶の底から蘇る、ディキシーランド・ジャズ
『Spirit Garden――精霊の庭』世界初演に寄せて
若いひとのための音楽詩《Family Tree》
海へ!

III
鶴田錦史さんのこと
芥川也寸志と映画音楽
芥川也寸志と私
渡邊康雄に期待するもの
東京クヮルテットの理想
山口恭範の音(色)
     *
譚盾(タン・ドゥン)
マグヌス・リンドベルイ
マリー・シェーファー
ピエール・ブーレーズの音楽
ヤニス・クセナキス――知の情熱
ポール・クロスリー
天才バシュメット
ブリームとラトル
リチャード・ストルツマンとの午後
ジョージ・ラッセルのリディア概念
バイラークの音楽
     *
ジョン・ケージの死
弔辞 鶴田錦史さんを悼む

あとがき

武満徹・年譜 (池藤なな子 編)
武満徹の音楽 主要CDディスコグラフィ (池藤なな子 編)



武満徹 時間の園丁2



◆本書より◆


「翼をもった希望」より:

「大声で大義を論じたりすることの愚からは、いつも、遠く離れていよう。コーネルがその生涯の大半を過ごしたニューヨーク州のユートピア・パークウェイにあやかって、私も残された自分の時間を、少しでも、内なる理想郷(ユートピア)の建設に当てよう。現在(いま)は、それしか無い。」


「未知へ向けての信号」より:

「それにしても「人間」がそれぞれに自立した自由な人間になるためには、殆ど無限の時間(とき)が必要だろう。矛盾を抱え、打ちひしがれそうになりながら、なお私が音楽を止めないでいるのは、その無限の時間(とき)を拓く園丁のひとりでありたいという希望を捨てきれずにいるからだ。」


「私たちの耳は聞こえているか」より:

「ジョセフ・コーネルは、その六十九年の生涯を、殆ど、ニューヨーク州から外に出ることなく過ごした。住居がある、ロングアイランドのユートピア・パークウェイと、マンハッタンの間の、きわめて限定された空間の中からあの豊饒なイメージが産み出されたことには、たんなる驚き以上のものを感じる。」
「そういえば、コーネルが愛した詩人、エミリー・ディッキンソンも、生涯、彼女の住居から出ることなく、隠棲にも似た孤独な生活のなかで、あの豊かな詩的イメージを言葉にした。
 それに較べて、今日の私たちの生活は、無制限に送られてくる人工的な情報を受け容れることに多忙で、それを咀嚼することにさえ倦(う)んでいる。私たちは、いま、個々の想像力が自発的に活動することが出来難(にく)いような生活環境の中に置かれている。眼や耳は、生き生きと機能せず、この儘(まま)、退化へ向かってしまうのではないか、という危惧すら感じる。」
「コーネルが、雑貨屋で売られているような僅か10セントほどの身の回りの物から、日常、私たちが気付かずに見落としているような思いがけない性質を見出し、それらをイメージの豊かな語彙として新しい美の世界を現出したように、私たちは、もう少し積極的に、この世界を、見たり聴いたりすべきではないだろうか。
 遠い記憶が遺伝子に刷りこまれているように、既に、あらゆる歌はうたわれ、私たち(ひとりひとり)が待ち期(のぞ)む美も、世界に遍在している。それらは、実は、私たちの身近な生活環境の中にさえ見出せるはずのものだろう。」
「私は、作曲という仕事を、無から有を形づくるというよりは、むしろ、既に世界に遍在する歌や、声にならない嘯(つぶや)きを聴き出す行為なのではないか、と考えている。」



「ひとはいかにして作曲家となるか」より:

「ある外国の友人に、「君が日本の楽器を使って書いた作品より、オーケストラを使って書いた作品の方に『日本』を感じる」と言われたことがあります。心あたりと言えば、同じ楽器を使ってもその使い方によって創り出している響きが違うんだろうということです。西洋人にとってはありきたりな楽器でも、自分にはその使い方の基礎的な知識がない。もしかしたら、そのことが僕の個性をつくり出しているのかも知れない。
 欧米の作曲家の場合、楽器の使い方が機能主義的です。自分の主張したい主題がはっきりしていて、その展開が論理的です。すべての楽器はそのテーマに奉仕するためにある。
 僕はむしろ各楽器の響きの個性を大切にしたいし、結論は聴衆にゆだねたい。」

「海の中には、温度や速度の異なった潮流が絶えず流れている。それらがすれ違ったり、ぶつかり合ったりしながら、いろんな海の表情をつくりだしている。そんな「海」みたいな音楽を作りたい。そう思うようになりました。西洋音楽の場合、一つのテーマを強調します。そのために、正と反の対立と止揚という弁証法が用いられる。でも、僕は一つの音楽の中にいろいろな流れを作りたい。」



「ジョン・ケージの死」より:

「昔、神戸でケージの作品を演奏した時、音の出る物体(オブジェ)を街路で拾ってそれで演奏するように指示されたことがあった。私は永い時間をかけて、少しでも美しい音が出るようなものを、またオブジェとしても意味ありげなものを、苦労して、蒐(あつ)めた。だがケージは、私が集めたものをよろこんではいないようだった。(中略)ケージは私の作意をよろこばなかったのだ。
 ジャスパー・ジョーンズの口から、これも昔、トオルは美に拘りすぎる、ということを聞いた時、直ぐそれが、ケージの私に対する批判ではないかと思ったものだ。美に拘泥しないというケージの信条は、いまの私には痛いほど解るが、その本質を理解したうえで、私は、未だに美に拘っている。そうした優柔不断さを、ケージの死でなおさら(私は)恥じるのだが、私の一生は、私自身がつくるしかないのだ。」




















































































































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武満徹 『遠い呼び声の彼方へ』

「音楽は、もっと開かれたものであるべきだろう、と(私は)思う。恋愛や性をうたうことは、それがほんとうにつきつめたものであれば、その反社会性の故に、反(かえ)ってそこから、開かれた社会性が獲(え)られる。私が西洋音楽から学ぶのは、そうした社会性というものであり、(中略)それはまた確固とした個というものを前提として成り立つものである。」
(武満徹 「少しでも遠くへ」 より)


武満徹 『遠い呼び声の彼方へ』

新潮社 1992年11月20日発行
171p ディスコグラフィ3p
22×17.4cm 
丸背バクラム装上製本 カバー
定価2,600円(本体2,524円)
装幀・装画: 宇佐美圭司



武満徹、第五エッセイ集。
本文中図版(モノクロ): 楽譜2点、写真3点、装画8点。

本書収録「骨月」は、1973年12月に私家版で刊行された短篇小説。


武満徹 遠い呼び声の彼方へ


目次:

I
東の音・西の音――さわりの文化について
普遍的な卵(ユニヴァーサル・エッグ)
「消える音」を聴く
往復書簡 アジアの音、地球の音 (西村朗/武満徹)
インタビュー 透明性の住む場所 (インタビュアー: ダニエル・カタン/訳: 野谷文昭)

II
可能性に目を向ける
 文化の保守化
 怠惰な繰返し
 素晴らしい音の場
 「文化」の現実
 「現代」を生きる意味
 響きの多義性
 批評について
 西も東もない、海を泳ぐ

III
世界史的転換期を見つめる

IV
夢窓――ドリーム/ウィンドウ
憂うつな春に――タルコフスキーのことなど
時間(とき)の園丁
正直、私は恐ろしい

V
祝辞 オリヴィエ・メシアンを讃えて
サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンドを聴く――今更ビートルズについて
上村昇の演奏
少しでも遠くへ
誰もが模倣できない個の世界――デューク・エリントン
三人の詩人たち“音楽と自然”
地方都市と文化――オーケストラ・アンサンブル金沢
鶴田錦史さんのこと
ホセ・マセダ――アジア音楽の結実
TEMPUS NOVUM
個性と共存――カザルスホール・クァルテット

VI
谷川俊太郎――豊かなことばの世界へ
仲代達矢素描(スケッチ)
宇宙夢――サム・フランシス
テキサスの空、ベルリンの空――ヴィム・ヴェンダース
小林正樹と映画音楽
中川幸夫の花
Ember Glance――永遠なる記憶
静けさのなかに泡立つもの――難波田龍起小論
申楽乃座――反核平和のための能と狂言の会
宇宙の欲望――大竹伸朗
表現の基準(モデュール)――宇佐美圭司の絵画

VII
弔辞 石川淳先生
ルイジ・ノオノ追悼 ……だが進まねばならない
フェルドマン、ノオノ、メシアンの死
「音楽は生活すること」――“典雅な革命家”ジョン・ケージ

VIII
骨月――あるいは a honey moon

後記

武満徹・年譜 1986年1月~1992年10月 (秋山邦晴 編)
武満徹の音楽・主要CDディスコグラフィ (秋山邦晴 編)




◆本書より◆


「東の音・西の音」より:

「一九六七年十一月、既にかなり寒いニューヨークに、琵琶と尺八の演奏家と出かけました。」
「十一月のニューヨークは、東京と違って、異常に乾燥していました。あまり乾燥が激しいために、ホテルに置いた尺八のひとつが割れてしまいました。また、琵琶も壊れそうなほど乾いてしまい、弦(いと)も張りつめて、二人の演奏者はすっかり困ってしまいました。日本でそういうトラブルが起こるようなことは、まずありえません。
 それで二人の演奏家は、ホテルの床に水を撒いたり、ガーゼを水で濡らして楽器を包んだり、また、マーケットからレタスをいくつか買いこんで、葉を一枚ずつ剥き、それで楽器をくるんだりもしました。そうでもしないと楽器が壊れてしまうのです。
 これは単に物理的な現象に過ぎませんが、日本の音楽を外国に持っていくのはむずかしいものだなと、つくづく実感したものです。反対に、ヨーロッパの楽器を日本に持ってきた場合、日本は湿度が高いから幾分音が鳴りにくかったり、ピアノの調律が狂い易いというようなことはありますが、だが比較して考えた場合、いまお話した琵琶や尺八のようなことはない。ヨーロッパの楽器はどこへでも持っていけるようにという、前提の上につくられています。
 そのとき私は、日本の楽器はずいぶん不自由なものだと思いました。ところが、その不自由さは芸術にとってどういう意味があるか、ということを、だんだん考えるようになったのです。(中略)私が琵琶や尺八に感じた不自由な側面、だがそれが日本の音楽をつくる上ではまたたいへん大事な要素なのだということに、だんだん気付いたのです。」
「琵琶が西洋の楽器と異なる大きな特徴は、西洋楽器がその近代化、機能化の過程で捨てていった雑音を、積極的に音楽表現として使うということです。美しいノイズというのは、矛盾したおかしな言い方ですが、それが出せるような装置を琵琶はもっています。それを「さわり」といいます。」
「琵琶において「さわり」というのは、楽器の首(ネック)の一部に象牙が張られその上を四、五本の弦が渡っているのですが、その象牙の部分を削って溝をつくり、その溝の間に弦を置き、弦を撥(はじ)くと、弦が象牙の溝に触れて雑音を発する。その象牙の凹部は「さわりの谷」と称ばれ、凸部は「さわりの山」と称ばれています。そして、その全体をきわめて曖昧に「さわり」といっています。象牙の溝に弦がさわって、ビーンという雑音を伴った音を出す。(中略)「さわり」は、琵琶という楽器の一部を指す呼称にすぎないのですが、その言葉には、日本人の美意識を知るうえで、たいへん広く深い意味が隠されているように思います。
 江戸時代に書かれた本を見ると、琵琶を演奏するには、蝉が鳴くような音を出すよう心がけるべきだ、というようなことが書かれています。わざわざ昆虫の鳴声のような雑音をつくるために、琵琶は「さわり」という特別な仕掛けをもっています。」
「「さわり」という言葉には、さわる、触れるということのほかに、障害という意味があります。「さわり」は、障害の装置といってもいいのです。あるい意味で、それはたいへん不自由な装置ですが、それをわざわざ音の表現にとり入れる。障害装置を意図的に設けるというのは、他の音楽、殊に西洋の近代音楽と較べた場合、ずいぶん違った音の在り方だと思います。」
「つまり、音が出にくいような不自由さを人為的につくって、そこでひとつの音を生み出す。そうして得られた音は、力強く、また意味深く、多義的なものになるわけです。したがって日本の琵琶は、西洋楽器に近い中国の琵琶(ピパ)のように、技巧的な速いパッセージを弾いたりするのには不自由ですが、複雑な味わい深い音色を出すためには、たいへん素晴らしい楽器なのです。」
「日本の音楽は(中略)、旋律より、むしろ音色を大事に考えています。つまり、先ほどの蝉の声に象徴されるような雑音の中に、音の響きの複雑さを味わい、楽しむ、という方向に日本の音楽は向かったのです。」
「西洋の近代というものが機能主義的に、物事を便利に、また能率的にしようという方向に向かって、私たち日本人も(たぶん、今日では、世界でいちばんといっていいかもしれませんが)その恩恵に浴して生きていますが、しかしこの地上には、オーストラリア原住民(アボリジニーズ)の音楽や日本の伝統音楽のように、不自由さの中で、反って、最大限の自由を獲得している音楽文化というものが、未だに数多く存在しています。」
「能楽で使われている笛、能管は、元来は雅楽で用いられている竜笛というものです。もちろんこれも中国から渡って来たものですが、能ではそれをそのまま使わず、竜笛の管の中に竹の舌のような異物を挿入して、楽器の調律を意図的に壊して使っています。それがあの独特な能管の響きをつくっています。(中略)つまり、調律された楽器の調律を意図的に壊したところから生じる響きの意味合いは、西洋の近代的な楽器が発する音とは全く違うものなのです。そのひとつの響きの中に、やや大袈裟に言うなら、神が宿っているのです。」



「透明性の住む場所」より:

「……それは戦争の末期で私は十四、五歳でした。私は軍隊とともに山の中にいました。その当時西洋音楽を聴くことは禁止されていて(中略)軍歌とドイツのマーチだけが許されていました。ある日のこと、とても若く知的な見習士官が軍に配属されました。大学の学業半ばに徴兵された彼は、戦争を憎んでいました。その彼の行なったことが私の人生を変えました。彼は西洋音楽のレコードを一枚持ってきていたのです。それは禁止されていたシャンソンのレコードでした。私たちはひそかに集まり、隠れて聴きました。(中略)そんなに美しいものが存在するとは想像したことさえなかったので、私はびっくりしてしまいました。『パルレ・モワ・ダムール』、何とすばらしい音楽でしょう! あの経験は死ぬまで忘れられないでしょう。その時です、いつか戦争が終わったら作曲家になろうと決めたのは。」


「時間(とき)の園丁」より:

「昔、感心して読んだ、オーストラリアの少女の、俳句のような、短詩を憶いだす。
  時間(とき)は生命(いのち)の木の葉、
  そして、私はその園丁だ。
  時間は、緩(ゆ)っくりと、落ちていく。
 下手な訳(やく)だが、大意はおよそこんなものだった。」



「誰もが模倣できない個の世界」より:

「ともすると近代管弦楽法が、単に物理的な量によって規定され、自由さを喪いがちであるとき、エリントンのオーケストラの響きは、多数の異なる質が共存し織りなして行く有機的(オルガニック)な時間空間であり、私たちがそこから学ばなければならないものは大きい。」


「フェルドマン、ノオノ、メシアンの死」より:

「フェルドマンは、(中略)死の間際まで、ニューヨーク州のバッファローに住んでいた。昔、激しい吹雪(ブリザード)のために、私と妻は、数日、その住居に滞在したことがあった。私は、早朝、いつもかれが弾くピアノの音で目を覚ました。かれの音楽さながらに、その音はいかにも小さかったが、雪が静寂を深くする中で、その振動は、冷えた空気を伝って、私の耳に届いた。
 「トオル、ちょっと来てみないか」と、かれが呼んだ。ピアノの前に、屈(かが)みこむようにしたフェルドマンの巨躯(きょく)は、鍵盤(けんばん)すれすれに顔を近づけて、ひとつの和音(コード)を、静かに、繰り返し叩(たた)いている。私の気配に気付いて、まるで壜(びん)の底のように分厚い、度の強い眼鏡を掛けた顔を私に向けた。そして、「どうだい、なんて美しいんだろう」と云って笑った。」
「かれの音楽には、激しい変化や、声を荒だてた主張は無い。研ぎ澄まされた感性が、あの比類ない、独自の、ミニマルな様式を生んだのだ。余分はなにひとつ無い。そのために、かれの音楽の内実は、いっそう確固としたものになる。」



「「音楽は生活すること」」より:

「私がケージから教わったことは、「生活」、つまり生きるということであり、音楽はとりもなおさず生活することと別に在るのではない、ということだった。この単純で自明とも思えることが随分久しく忘れられていた。芸術と生活は分離して、専門家は形骸化した方法論に拘泥(こだわ)り続けてきた。」
「その時、ジョン・ケージが突きつけた問題は、欧米の音楽芸術を根底から揺るがすものだった。忘れられていた音そのものの性質を、そして、音を生み出す母体としての沈黙の存在を、楽天的ともいえるほどの明朗さで、喚起したのだ。ジョン・ケージによって、音はまた、自由さをとり戻した。彼の革命は、芸術上に存在するあらゆるヒエラルキーをとり壊すことだった。(中略)ケージのとり壊し作業は、ダダイストたちのそれとは違って、たんなる否定からではなく、大きな肯定に立脚するものだった。」



「骨月」より:

「私に狂死した伯母がいたことは話したと思う。」
「伯母はよくこんなことを言った。
 「肉体(からだ)のなかに骨があるのではありません。ほんとの肉体(からだ)は骨のなかにはいっているのです。この骨の周囲(まわり)にまといついているぶよぶよした肉はみせかけのものです。血は海水といわれているけれど、骨の中には、月を流れているのとおんなじ白いすきとおった水が流れているのです。血や肉はかならず腐るし、海の水はやがて涸れるでしょう。それでも骨は残ります。なぜなら、骨を流れているその流れは、血や海のようには波立たないからです。」」
「伯母は、骨にはそれ自体の生命(いのち)というものがあって(中略)骨は、その形態をとどめたまま、たえずそのなかに新しい生命を充たしているのだという。そして、骨は永遠の時を目指して白く白くその姿を変えてゆき、ついに、それは人間の眼には、確かめようもない透明となる。
 「ほんとの変化というものは、そのように眼で認められるものではないでしょう。」」

「昔、母方の者が家を出て、豊前から江戸へ上り、前野良沢を訪うたことは、前に記した。前野良沢は、杉田玄白のようなリアリストではなく、学究に徹した人物であったようで、時には侍医としての役職をもおろそかにするようなことがあったらしい。(中略)良沢は特別の天分の人で、終生を蘭学に没頭した。」
「玄白は、良沢という人は、生れつきの多病と称して、『解体新書』の翻訳のころからは、いつも門を閉めきって外出もせず、他人との交際を避けてこの仕事にかかりきり、それを楽しみとして日を送っていた、蘭学が開けるためには、これは天の助けのようなものであった、と書いている。」

「「原養沢の日誌には、その腑分けの模様が細心に描写されていました。朱色の布で目を蓋われた老婆の屍体は、腑分けに備えて、斬首の刑ではなく、細い革紐で縊(くび)られていたと謂います。(中略)とりだされる臓器は、全てオランダの解剖図に照合されました。裂かれた腹部、抉ぐられた胸部、晒された臓器のひとつひとつを視ていた人間の眼は、いったいどんな眼だったかしらね――。原養沢は、臓腑、脈絡、骨節の様が、夷狄の図譜と寸分の違いなきことに驚愕(びっくり)しています。これによって人間の内外は共に明らかにされたのだと、昂ぶった筆で書いています。
 人間は冥府よりも暗い闇を現世で背負っています。遠い過去から、そしてこれから先も、闇は緩慢に垂直な満干(みちひ)をくりかえしています。太陽の淫乱な力で闇は肉体に注がれるのです。
 白日の砂の上で、寸断され虐げられた屍体は、どのように弔(とむら)われたんでしょうね――。」」
「「前野良沢はのちに原養沢へ書き送った手紙に、身体内外のこと分明(ぶんみょう)を得しと覚えたのは悉く錯覚であったように思えてくる。身体のことが明らかになれば心の闇はいやさらに濃さをまし、私はまるで盲(めしい)のように真直ぐな迷路を手探りしている。なぜこのように業を曝らさねばならないのだろうか――、と書いています。そして、燈(あかり)をおとした部屋には、骨だけが皓く月のようにみえる、と書かれていたともうします。」」
「骨ヶ原での解剖を見学した良沢等が、刑場に散乱する骨片を拾って観察したことについて、玄白は、「――さて、その日の解剖こと終り、とてものことに骨骸の形をも見るべしと、刑場に野ざらしになりし骨どもを拾ひとりて、かずかず見しに、――云々」と書いている。原養沢の日誌には、良沢が骨片を秘かに役宅に持帰り、観察をつづけていた様子が誌してある。
 ある一日、良沢の役宅を訪ねた養沢に、良沢は、「いかにも呪い深き死である。骨に滲んだ血は、拭うほどに鮮かに、消えない。わたしはこれを眺めていると、事物の理(ことわり)のいっさいは虚しく思えてくる。(中略)ひとつが明らかになると、その脚下(あしもと)で闇がすかさずぽっかと口をあける。(中略)この仕事が、今日治療の上の大益あるべきを疑うのではないが、さりとて人間(ひと)それぞれが負った業(ごう)は如何ともしがたい。」と語ったと謂う。良沢は、奇妙に白く透きとおる一片の骨をしめして、「骨は心の闇に懸(かか)る月、闇深い夜(世)に皓く冴える」という内容のうたを添えて、その骨片を養沢に手渡した。」

「「わたしは没くなった息子や、没くなった父母たちのためにわたしの琴をお聞かせしていたんです。」」





















































































武満徹 『音楽を呼びさますもの』

「核もまた、人間が自らの手で生んだ技術の結果にほかならない。しかし、その「核」は、もはや人間の手によって、コントロールできぬほどの巨大なモンスターに育ってしまった。
 そうした時に、「ジャパネスク」に代表されるような、口あたりのいい表現で、国家主義的な思潮が、潜在的にジワジワと大国のなかに生じつつある。その足音が聞こえてくるようで、空恐ろしい気がする。
 先日、ガンジーが書いた手紙を読んだ私が新鮮な感動を覚えたのは、無抵抗、丸腰がいかに勇気を必要とするかを知ったからである。低次元のリベラリストたちは、核による抑止力に期待をもっているようだが、人類を破滅へと追いやる甘い理想は忘れて、もっと勇気をもつべきであろう。」

(武満徹 「「個」への志向が先決」 より)

「核と、この自然環境破壊の問題は、今日もっとも真剣にとり組まなければならない課題だろう。「防衛」などはそれに比せば瑣末の事柄である。」
(武満徹 「随想」 より)


武満徹 『音楽を呼びさますもの』

新潮社 1985年12月5日発行/1996年6月5日4刷
183p ディスコグラフィ5p 22×17.4cm 
丸背バクラム装上製本 カバー
定価2,900円(本体2,816円)
装画: 堂本尚郎
写真: 木之下晃



武満徹、第四エッセイ集。
本文中図版(モノクロ)11点(楽譜7点/写真4点)。


武満徹 音楽を呼びさますもの1


目次:

I
「美の再定義」へ
音とことばの多層性
私の受けた音楽教育
二つのもの――作家の生活
音楽の時――創造の現場
音の誕生
調和の幻想

II
「自然」から学ぶこと
日常生活の重み
日本人の自然観
「個」への志向が先決

III
グルート島素描
グルート島紀行
グルート島の祭典

IV
飛翔する音
中国の音楽
日本の形――琵琶
ウードから琵琶への距離(ディスタンス)

V
随想
“伝達のされ方”が分岐点
夏の歌
彩(いろどり)の記

舌の感受性
酒の歓び

VI
小澤征爾の音楽
楽譜の風景
札響と私
文化の交配――ヨーロッパ音楽・第三世界
ピーター・ゼルキンの音楽
瀧口修造と音楽
瀧口修造展に寄せて
眼の背後の暗闇

VII
堂本の「円」
飛翔をつづける
サム・フランシス
カンツォネリ断想
『アレクサンダー大王』について
『オーケストラ・リハーサル』について

後記

武満徹・年譜 1980年5月~1985年10月 (秋山邦晴 編)
武満徹の音楽・ディスコグラフィ (秋山邦晴 編)



武満徹 音楽を呼びさますもの2



◆本書より◆


「「美の再定義」へ」より:

「鳥や獣たちが、危険を予知しておびえるように、私たち人間は、なぜ、もっと危機におびえないのだろう? 人間の生物としての感受性は、それほどまでに退化したのか? 私たち人間が、他の動物たちより進化したものであるという驕りが、いつの間にか、人間をこんなにも愚鈍にしてしまった。」


「音とことばの多層性」より:

「音楽だけのことに限っていえば、ヨーロッパ音楽芸術というものと、(中略)非ヨーロッパ的な音楽芸術というものの二つがあって、それはいかにしても、自分のなかで、同じ次元でまぜ合わせたり、同じ次元で同じようなものとして考えたりすることができない、ということにも気がついた。つねにその二つのものが自分のなかでせめぎ合っていて、それはうっかりすると自分のアイデンティティを見失わせるほどに強くせめぎ合っているのです。
 いま音楽の面で考えたその二重性とは、現在こういう日本の状況のなかで一人の人間として生きているときに、日本人であれば誰しもきっと各自の生活のなかで突き当たらざるをえない二重性というものであると思うんです。そしてそのことを逆に考えれば、人間の内面には、ひとつの国に属するとか、ひとつの文化に属するとかいうことから離れて生きたいというコスモポリティックな志向があるということでもあるでしょう。音楽の場合はとくに、非常に強い宇宙的な志があると思います。」

「ぼくが音楽の音というものを考えるとき、もちろんその一つの音だけでは音楽にはならないわけですけれども、一つの音においても、そのなかにたくさんの音を聴きだしたいと思うのです。実際に一つとして同じ音というものはないわけで、音というのは生命と同じように多様で、たとえばド・レ・ミ・ファのドの音にしてもフルートが吹く音とオーボエが吹く音では性格がぜんぜんちがう。(中略)同じピッチ、同じような奏法であっても、実際には全く違う音なのです。だから一つの音であっても、それはいつでもある混合されているものとしてしかありえない。ぼくは音楽を考えるときにはそういう認識がまず必要だと思うし、ぼくの場合はそれがないと音楽が始まらない。一つの音でありながら、同時にヘテロフォニックなものだということ。
 東洋の楽器、特に東洋に限ったことではないけれども、いわゆる近代的な音楽ではないもの、ネイティブなものでは、一つの音というのは、必ず西洋的な観念からいえば濁っているというか、いろんな夾雑物がそこに混在している。西洋の音楽は歴史的に、趨勢としては純音、ピュアな音を求めていく方向にきている。(中略)しかし、ぼくの方向はそうではなくて、一つの音には測り知れないほどの夾雑物があると考えている。そうじゃないと、その音を具体的な音として支えることができない、したがってその音は存在できないと思うからです。(中略)音というものを存在させているのはただ一つのものではなくて、二つあるいはもっと多くの違うものが同時に存在することでその存在を支えていると思うんです。
 それはもしかすると次のようにいうこともできるでしょう。音楽全体の構造と一つの音の関係というものは、一つの音のなかに全体の構造が既に見えていないとだめだと。ぼくはそういう意味でミニマルということを、(中略)もうこれ以上余分を捨てられないというところにあるところのひとつの多層性としてとらえたいのです。」

「雅楽『秋庭歌』は、(中略)つくる上での苦しみは比較的少なかった。その理由は、ふだんどうもあまり接していない楽器を用いたにもかかわらず、もしかしたら自分の深層のなかでは、それらがさほど異質なものではなかったということからくることなのかもしれない。」
「一ついちばん大きなことは、実は楽器が備えている不自由さということにあったと思うのです。笙にしても篳篥(ひちりき)にしても、西洋の楽器と具体的に比べて考えれば、本当にこれほど不自由なものはない。笙などでも出る音や指づかいは全て決まっていますし、篳篥なんかは実に幅の狭い音域であるし、笛もほとんど決まった音です。そこに新しくなにかをつけ加えていくことはほとんど不可能でそれは徒労に終ってしまうかもしれない。どうしてそう不自由になったかというと、次のように考えたいのです。雅楽は、それが非常に特殊な歴史ではあるにしても、長い歴史をもっている。が、それは別にしても、楽器として雅楽で用いられるそれは、日本では非常に変則的にある特殊な階級のなかで特殊な温存のされ方をして、特殊な人たちだけにしか演奏されなかった。だがそれでも人間が演奏してきたわけで、その楽器にみられるその不自由さというものはたぶん人間がつくっていったもの、人間自身がつくり出した不自由さというものだと思うのです。その不自由さは、いま不自由ということをいうと、「不自由」という言葉自体が非常にネガティブな響きをもっているように受けとられるかもしれないけれども、必ずしもそうではなくて、ぼくは肯定的にその不自由さということを考えたのです。
 たとえば、雅楽に典型的に見られるいくつかのリズムというものがあります。それはだいたいは太鼓とか、羯鼓(かっこ)とか、鉦鼓(しょうこ)というようなものでつくられるのだけれども、その音楽的なリズムのパターンは、さっきぼくがいったミニマルな構造なのですね。もうこれ以上は削れないという形のリズムで、西洋的なリズムとはたいへん違うものをもっているということ。(中略)それは楽器の場合にもいえることで、それはその不自由さということではなくて、ミニマルなものとしてそれがあるということなのです。
 西洋楽器は機能化へ向って開発され、それこそその自由さは、雅楽の楽器や他の日本楽器に比して際限ないほどのものになったといえるでしょう。しかし、それによって、ぼくが述べてきた音の多層性、ミニマルな構造というものは逆に薄められ、稀薄になってしまった。」



「私の受けた音楽教育」より:

「私は音楽を小学校でしか習いませんでした。おおむね、先生の前に出て、ピアノの伴奏で歌をうたうのですが、上手に歌えば音楽の成績は良いし、調子外れに歌うと低い点がつけられた。たぶんその音楽の先生もそんな採点の仕方が馬鹿馬鹿しいと気付いていたでしょうが、どうも日本では音楽というものに対しての見方に、歌を上手に歌うかどうかということがあるように思うのです。私なんかが奇異に感じるのは、(中略)私は全く音楽がわからないのです、という言葉です。音楽というものをわかるとか、わからないという次元で問題にしている態度こそ、実は私にはわからないのです。
 音楽がわからないというひとは、たぶんいないだろうと思うのです。なのに音楽がわからないというのは、専門的な知識がないと理解できないというような先入観や思い込みがあるからです。(中略)世界の音楽の中で音符(記譜)というものをもっている音楽は、ごくわずかでしかありません。日本の伝統的な音楽にしても、譜がいくらかあるかも知れないけれど、それは近代的な意味合いでの記譜法ではないですし、アフリカの音楽のあの素晴らしいリズムの構造にしても特別に譜面があってやられているわけではありません。
 音楽というものの根本を考えれば、それはある意味では、未分化の挙動というか、生の挙動そのものだともいえましょう。それは、泣いたり、笑ったり、あるいはクシャミをしたり、というようなこととも深いつながりをもっているだろうと思います。
 そういうところから、音楽は生まれてくるのであり、音楽を教養とか、知識として理解しようとするのは間違いです。」

「私は学校で教えたこともないし、自分には一人の生徒もいませんから、実際に大学の音楽科など見たこともないのですが、どうも音楽大学の卒業生たちの作品を見ても、概して“音”のつかまえ方というものが、(中略)“音”を単に機能としてのみとらえているようです。」
「先程申しましたように、音楽というのは、人間(ひと)が泣いたり笑ったり、叫んだりすることから、人間の歌が生まれました。(中略)私たちが音楽というものを素朴に考える時には、それは歌というものです。声を出して歌う、すると、昨日はとても上手に歌えたように思えても、今日はいまひとつ、次の日にもし風邪でもひいてしまえば上手に歌えない。それに、天性いい声の人、悪い声の人があり、これも、なぜいい声悪い声があるのか、また、いい悪いというのは何なのか、ちょっとわかりませんが、ダミ声の人も澄んだ声の人も歌はいろんな響きをもっています。それぞれの人の命の響きというものをもっているわけです。どんな新しい音楽、例えば電子音楽をやる場合でもこのことを忘れてはならないでしょう。なのにただソナタ形式だとか、ロンド形式とかを単なる知識として学ぶ。またそれを教養としてしまうことに私は反対です。それは誤りです。
 音楽は、生活の中から生まれて、常に個人から出発して、そしてまた個人へもどるものです。音楽というのは、抽象的なものだといわれていますが、(中略)音楽というものはやはり具体的なものなのです。」



「二つのもの――作家の生活」より:

「私は(中略)自分の音楽表現がより多層なものになって行くことを希む。私は一つのことよりは、二つの異なることを同時に言いたいと思う。そして、自分の位置を確かめるために座標を単純化するのではなく、錯綜する網目のようにして行きたい。そして、生きている間は、無限への不逞な欲望を捨てずにいたい。二つのものの間に均衡を図るのではなく、二つのものの間に起るべき永久運動を想像しよう。
 現在(いま)私が書いている音楽について考えてみると、この数年「夢(ドリーム)」と「数(ナムバー)」、そして曖昧な「水(ウォター)」というものに強く影響を受けていることに気付く。(中略)「夢」という不定形への欲望と、「数」の定形を目指す意志との衝突が、思考を静的なものに止(とど)めない。「水」は、「夢」と「数」の統合された貌(すがた)であり、その両者の異なる性質を同時に具えている。身近かな死の汀(みぎわ)から無限の死の涯までを満たしているもの。」



「音の誕生」より:

「アメリカの作曲家、ジョン・ケージが面白いことを言っています。
 かれは、ある時、実験的につくられた無響室というものにはいる機会がありました。それは反響を意図的に、物理的手段によって極端に抑えた空間で、つまり空気振動を、人為的に九四%まで不能にした、反響の無い箱のような空間です。ジョン・ケージは、はじめ、その無響室は全くの無音の状態なのだろうと考え、完全な静寂、沈黙というものは一体どんなものだろうと想ったそうです。無響室にはいって、だが暫くすると、かれには二つの音が明瞭に聴こえてきました。ケージは、それらの音を驚きをもって聴いたのです。最初はそれが何の音であるか戸惑いました。だが、そのひとつはかれ自身の心臓の鼓動であり、他の音は、かれの体内を奔流のように走っている血液の音だということに気付いたのです。その体験を経てジョン・ケージは、沈黙は無数の音によって充填されている状態なのだ、というひとつの哲理を得たのです。」

「音は、音自身の運動を、私たち(人間)とは無関係につづけているのですが、私たちが、その音のたたずまいや、変化を、注意深く聴きとるとき、私たちは、人間にとっての音の生成の瞬間と立ち合うのです。音楽作品が、もし、人間(ひと)を感動させないものであるとすれば、それは、因習にとらわれた方式のなかで、すっかり形骸化してしまった音で作りあげられたものだからです。
 音楽は、つねに生成しつづける音(の変化、様相)を聴きだし、それを内面的な持続へ変換する行いなのです。」



「日常生活の重み」より:

「多くの政治家が、この経済成長を誇らしげに語っている。幹線道路や新幹線はさらに拡張されて、それは目に見えて大きな成果をもたらそうが、それによって、異なる諸地域の生活空間は画一化へ向かい、東京や大阪のような、自然から孤絶した異様な空間が国土を蔽うだろう。
 宇宙衛星から送られてくる気象の相とは別に、ヨーロッパで出会ったひとびとは、それぞれの固有の生活空間のなかで固有の気象図を描き、太陽や雨や風とともに、生活の表情を豊かなものにしている。能率がすべてに優先する私たちのポリシーとは別の、人間本来の生き方を順守しようとしている。能率が先行する社会では、曲がった小径は直線にただされ、森林は迂回されずに伐採され、小川は暗渠に閉ざされる。鳥や魚の姿は私たちの目から失われ、化学的に育成された野菜や果実が、季節の貌を無表情なものにしている。」



「日本人の自然観」より:

「日本人が、今日のように、自然に対して驕慢な態度で接するようになったのは何時(いつ)ごろのことか? たぶんそれは、西洋の文明文化を輸入してからのことに違いないが、近代化ということが、闇雲に能率を先行させることであるかのような錯覚に落入り、有史以来の自然との共存関係を忘れて、私たちは、自然に背を向けることがあたかも近代化であるかのような、間違った考えに捕らわれてしまった。」
「ヨーロッパにおいても当然、環境汚染や自然破壊は、深刻な問題として人びとによって受けとめられている。そして、それへの対処は、どうも日本の場合より、速やかであり、真摯である。自然の助けを得なければ人間は生きて行けないという認識は、どうやら西洋人の方が強く、深いように思う。それは、かれらの社会習慣のなかで、他者を敬うが、だがけっして他者に立ち入らないという、それぞれの「個」を守る規則(ルール)と無関係ではないような気がする。」



「夏の歌」より:

「秋は間もなくやってくる。どうせひとりで歩くなら、なにも、仕切られた狭い通路を窮屈な思いで歩くことはない。好き勝手に、ひとの思惑など気にせずに行く。」


「瀧口修造と音楽」より:

「瀧口修造の存在なくして、作曲家としての私は無かったろう。(中略)瀧口さんは、私にとって、かけがえのない音楽教師であった。」








































































武満徹 『音楽の余白から』

「詩人の広大な領域に至る道は、己れの狭い鉱道にしかないのではありませんか。そして、そこから、磨かれない鉱石をとりだすことの出来る者だけが、真に詩人たり得るのだと思います。」
(武満徹 「職業としての詩」 より)


武満徹 『音楽の余白から』

新潮社 1980年4月20日発行/1992年11月15日3刷
182p 22×17.4cm 
丸背バクラム装上製本 カバー
定価2,800円(本体2,718円)
装幀・デザイン・カット: 宇佐美圭司



武満徹、第三エッセイ集。
本文中図版(楽譜)7点。


武満徹 音楽の余白から1


目次:

序にかえて

〔I〕
鏡と卵 a mirror and an egg
自と他
私の中の日本人――ある見習士官など
中国の時
「木遣」と「常徳絲弦」のこと

〔II〕
ルドン幻想
一本の線――画家・村上華岳
生を写す――村上華岳
墨の速度
一疑ということ――篠田桃紅の書
能と無常
「井筒」断想

〔III〕
瀧口修造の死
死の巡り
そして、風が、……――吉増剛造の詩文
不可視の空間
小説の中の地名
職業としての詩
友へ――佐藤慶次郎
友へ――TASHI のこと
窓(ヴィトリーヌ)――山口勝弘の仕事
弧――福島秀子の絵画
劉詩昆の音楽
友へ――高橋アキ

〔IV〕
夢の樹
人間と樹

地下鉄のオルフェ
アメリカの時
ニューヨークの貌
冬の視点
間奏曲
音楽の司祭
廃墟の音
テレヴィと聴衆
映画とその音響
ラジオの思想性

〔V〕
武満との対話 (インタヴュー: ジェラール・コンデ/翻訳: 鷲見洋一)
武満徹――私の紙ピアノ (インタヴュー: ルイ・ダンドレ/翻訳: 鷲見洋一)
シネ・ジャップによるインタヴュー (インタヴュー: マックス・テシェ/翻訳: 鷲見洋一)

後記

武満徹 年譜 1975年8月~1980年3月 (秋山邦晴 編)
武満徹 ディスコグラフィ (レコード目録) 1975年8月~1980年3月 (秋山邦晴 編)



武満徹 音楽の余白から2



◆本書より◆


「瀧口修造の死」より:

「今日人間が発する言葉の多くは、物と物を別け隔てる機能のなかで痩せばみ、人間各自(それぞれ)の固有の思想や感情が肉感的なまでの直接さで示されることは稀である。氾濫するのは、生気を喪い発せられた途端にそこで途絶えてしまうような言葉であり、また、正確さを目指しながら、しかし真実から遠退いて行く言葉だ。」


「死の巡り」より:

「昭和五年の春に、父は、私を妊った母を残して、単身大連(旧満洲)へ赴任した。そして私は十月に東京で生まれた。湯島天神から遠くなく、本郷座という芝居小屋が近くにあった。東京の留守家族や祖父母は、私に荘一郎と謂う名を考えていたようだが、大連からの電報で徹(とおる)となった。「テツスルノトオルニセヨ」と謂うのが、父からの電文であったそうだ。母の話では、父はおよそ粘着力に欠けていたようで遣り手ではなく、怠惰で幾らか人嫌いで、「毎朝会社へ出すのにひと苦労した」らしい。部屋いっぱいに置かれた鳥籠の小鳥を相手に、終日擂餌をすっていた父の姿を覚えている。そのひとが「徹するの徹(とおる)にせよ」とはどうしたものか。」
「私は本郷曙町の伯母の家から小学校へ通った。伯母から父の容態について知らされていたが、死ということには思い及ばなかった。
 教室の窓から見下せるプールに水が蒼くはられていたから、夏休みの前か、初秋のことだろう。窓際にプールがあり、そこからもっとも遠く離れた校庭の隅に桜の木が立っている。その下に、父が黒い外套を着て、頭に愛用していたアストラカンのキャップを冠って立っていた。じっと此方を窺うようにしている。私は誰かから凝視(みつめ)られているような気配を感じて目をあげ、校庭のコンクリートが眩しく反射する向うの暗がりを見遣った、そして桜の下に立つ父の姿を発見したのだが、私はそれを少しも訝しく感じなかった。父が私の様子を気にかけて訪ねてきたのだろうと理解し気持が安らぐのを憶えた。だが、父はなぜ冬の厚い外套に、耳まで隠すアストラカンの帽子を冠って、暑い日射しの中に立っているのだろうかと思った。すると父の姿は忽ちに消えた。」
「父はそれから二度、校庭の隅の桜の下に顕われた。だが、私はそのことを、伯母にもまた他の誰にも口外しなかった。
 翌年三月、私は父の死を知らせる電報を受取った。私は哀しくもなく泣きもしなかった。」
「「生とか死はとるに足らない様態であって、たとえば植物であるとか、鉱物であるとかいうのと同じなのだ」とル・クレジオは書いているが、それだから、この生から死への移行を司る大きな意識、私たち人間の個々に分散して在る無限の意識の実在を信ずることができる。死はけっしてひとつの終末ではない。(中略)死は停止ではない。私たちは生と謂う形容(かたち)を借りて、感覚では把え難い超越的な意識の海を漂っているのだ。そして個々の死は、そのプラズマ状の意識の電離層をとび交う原子核(ヌクレア)なのだ。死によって私たちは、「言語につくせぬ認識の大海」に浸ることになる」

「軈て私も死の巡る夜へ向って行くのだ。
 「……この夜はわれわれの光よりも明るく、この空虚はわれわれの現存よりも濃密かつ現実なのだ。それらは、結び合わされて、ぼくの生命の向う側にあり、そしてぼくを待っている。ぼくはそれらのほうへ向って行くのだ、降りることによってではない、崩折れることによってではない、そうではなくて、ぼく自身となることによってなのだ。ぼくはぼくの生命以上のもの、ぼくの運動以上のものであるべく固定のほうへ向って行くのだ。ぼくは充たされるのだ。……(ル・クレジオ)」」



「職業としての詩」より:

「ところで私には、詩人が言葉で語りかける時代はすでにすんだようにも思えるのです。詩人は、その存在のすべてによって語りかけるものでなければならない。」
「詩人の広大な領域に至る道は、己れの狭い鉱道にしかないのではありませんか。そして、そこから、磨かれない鉱石をとりだすことの出来る者だけが、真に詩人たり得るのだと思います。」



「人間と樹」より:

「ポンジュは、「極めて複雑な法則のひとつの総体が、言いかえれば、もっとも完全な偶然が、植物の誕生と地球の表面への着床とを司る」と書いている。地上における樹の存在は、あるいは神の意志をも、況んや人知を超えたものであろうが、いまや人間の邪悪な謀(くわだ)ては、地上からその樹を抹消しかねない。そして、これまで保たれていた、人間と樹との歓ばしい動的で親密(インティメート)な関係さえ失おうとしている。
 樹は、どのように陰蔽された場所に生まれても、つまり、他の存在に自己を知らしめることはなくても、〈自分の独特な形態を複雑化することに、自己表現を達成することだけに熱中して〉いる。彼らは、ただ《樹》でしかない。この無為の存在は、自らを偽らず、他を欺くこともない。だが、人間の小賢しさは、そのことの偉大さを忘れてしまったのだ。
 ル・クレジオは、ピエール・ロストとの対話の中で、「樹は魅力的なところを持っている。それは、いつまでも同じ場所に在り、動かず、どんな運動も、またいかなる種類(たぐい)の自己肯定もしないで永い生命を生きるからだ。それに比較して、われわれ人間は自己中心的で、異常な存在なので、人間が、自分のことと自分の小さな問題しか考えないということを知るとき、また、樹が誰にも迷惑をかけず、他のものから何も奪いもせず、空に向って枝を伸ばして立って満足し、じっとしていることを知るとき、樹は(人間にとって)一種の不断の非難となり、また一種の理想ともいえる。」と語っている。」



「武満徹――私の紙ピアノ」より:

「中学校にも満足に行きませんでした。戦後、すべてがひどく混乱していたので、私は一人で勉強することに決めました。学校は時間の無駄でした。すこしずつ、本や、楽譜や、レコードを集めました。音譜の読みかたも覚えましたが、ピアノはまあまあというところで、むろん上手ではありません。なにしろ今でもまだ困るのですからね。でも、作曲はしていました。そしてある日のこと(中略)ストラヴィンスキーが私の曲を聴いてほめてくれたのです。私をふるいたたせるにはそれで十分でした。」

「あなたがたの音楽も論理的なのですが、それは弁証法的なのです。音は互いに関係しあって構成されています。
 日本では、たった一音で、すでに音楽「そのもの」なのです。その音は自然を内包しうるし、時間に関係して存在しているのです。」

「でも進歩というものに騙されてはならないのです。人間は二つの石をこすって火を作りだしました。それから、これまた火を生みだす原子力を発明しました。私の音楽家としての役目は、石の摩擦が爆弾よりもはるかに創意に富んでいることを分らせることなのです。私のつとめは、人間の裡にその自然の感覚、その自然な感情を呼びさましてやることなのです。」

「あなたがたには韻律やメトロノームや時間の単位のシステムがありますね……。たとえば、室内合奏団の理想は一人で弾いているように弾くことなのです。
 ところが、日本の音楽というのは異った時間の層を重ねあわせます。合奏する三人の演奏家はめいめいが自分のリズムを守るでしょう。一人はゆっくり、もう一人はより速く、三人目は二人の間ぐらい。そしてこの間(ま)の中にこそ日本人は美を見いだすのです。
 人々は音と同じように、音を分け隔てる間(ま)にも耳を傾けます。能においては、長い沈黙をおいてうつ鼓があります。ある音の終りと次の音の始まりとの間に何もないとは言えません。一つの持続があり、その持続のおかげで音の変化が知覚されるのです。沈黙は音と同じくらい大切なのです。」
「音楽の周囲にはつねに沈黙がたちこめています。」














































































































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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