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グレン・グールド/ジョナサン・コット 『グレン・グールドは語る』 宮澤淳一 訳 (ちくま学芸文庫)

「ああそうでした。(中略)話をもとに戻すのを忘れていました。」
(グレン・グールド 『グレン・グールドは語る』 より)


グレン・グールド 
ジョナサン・コット 
『グレン・グールドは語る』 
宮澤淳一 訳
 
ちくま学芸文庫 ク-19-1 


筑摩書房 
2010年10月10日 第1刷発行
189p+36p
文庫判 並装 カバー 
定価1,100円+税
装幀: 安野光雅
カバーデザイン: 高柳一郎
カバー写真: オーモンド・ジリ、1965年



本書「訳者解説」より:

「一九七三年六月下旬の晩、社員の帰ったあとの『ローリング・ストーン』ニューヨーク支社で、コットはトロントにいるグールドと電話で話した。三晩を費やした通話でのインタヴューは合計六時間に及び、コットはそれを二部構成にまとめた。
 かくして「グレン・グールドへのローリング・ストーン・インタヴューは、翌七四年の通巻第一六七号(八月一五日)と第一六八号(八月二九日)の二号にわたって掲載された。」
「一九八四年、コットは(中略)新たなエピソード「ジョージ・セル事件」を加えて、(中略)小さな本を作った。それが本書の原書、Jonathan Cott, *Conversations with Glenn Gould* (Boston: Little, Brown and Company, 1984; Chicago: University of Chicago Press, 2005)であり、(中略)グレン・グールドの思い出に捧げられた。」
「原書にはグールド本人の写真しか掲載されていないが、今回、(中略)関連する写真をところどころにちりばめ(中略)た。小見出しを独自に付し、索引も整えた。巻末付録は、(中略)訳者の判断で補足を試み、日本での「カレント・ディスコグラフィー」も加えた。」
「カバーには(中略)オーモンド・ジリ(Ormond Gigli)による肖像を求めた。」



本文・解説中に図版(モノクロ)37点、楽譜1点。
本書はヤフオクストアで550円(3,000円以上購入で送料無料)で出品されていたのを落札しておいたのが届いていたのをよんでみました。



グレン・グールドは語る



カバー裏文:

「1955年録音の《ゴルトベルク変奏曲》以来、群衆を圧倒し続けたピアニスト、グレン・グールド。精緻で独創的な解釈に裏打ちされた演奏で聴衆を熱狂させた一方、奇矯なステージマナーや不可解な生活スタイルで神話化された天才が、みずからの音楽や思想を、心を開いて語り尽す。独特な演奏法について、ピアノのタッチについて、ポップミュージックについて……。1970年代アメリカを象徴する『ローリング・ストーン』誌に掲載されたロング・インタヴュー。新訳・写真多数。」


目次:

謝辞

はじめに

第1部

グレン・グールド・フォトアルバム

第2部

ジョージ・セル事件

訳者解説 (宮澤淳一)

付録
 レパートリー・リスト
 カナダ放送協会所蔵のテープ・コレクションより
 ラジオ番組
 テレビ番組
 フィルモグラフィー
 カレント・ディスコグラフィー (宮澤淳一 編)
 索引




◆本書より◆


「第1部」より:

「ムカデの気持ちになるから、と言って、シェーンベルクは音列の使い方を質問されるのを恐れていた。ムカデは百本の足の動かし方を考えるのが嫌いです。能力を損なわれるからです。動かし方を考えるとまったく歩けなくなるのです。」

「場所はテルアヴィヴ。(中略)私は演奏旅行の最中でしたが、使ったピアノが本当にお粗末な楽器でした。(中略)十八日間で十一回の公演をこなしていました。(中略)十一回のうち八回は、この怪物ピアノでやったと思います。
 とにかく、曲目を切り替える日が来ました。困ったのはむしろこのときです。なぜなら、それまでは昔のレパートリーを弾いたときの経験に基づく触感の記憶でうまく済ませていたのですが、今度は急に切り替えなくてはならなくなったからです。(中略)それは惨めなものでした。実にぶざまな弾き方になってしまった。というのは、怪物ピアノに屈したからです。(中略)そのときの私はピアノという媒介物を通して即時に与えられるものにしか反応できなくなっていたらしいのです。
 そこで私は自動車に乗り込みました。」
「砂丘まで車を走らせ、こう考えた。今日の演奏会をやり遂げる唯一の方法は、自分の知る限り最良の触感的環境を再現させることだ、と。当時その触感的環境とは、(中略)世紀の変わり目(一八九五年頃)のチッカリングです。おそらくアメリカ大陸で作られた最後のクラシック・ピアノでしょう。」
「私は砂丘の上に停めた自動車の席に座ったまま、居間にいる自分を想像しました。まず居間を想像しましたが、これには努力が要りました。その時点で三ヵ月も離れていたからです。次に居間のどこに何があるかをすべて想像し、それからピアノを映像化しました。」
「とにかく私は車内にいて、海を見つめながら、すべてを頭の中にきちんと収め、その日の残りの時間、その触感のイメージを失うまいと必死に努めました。(中略)その結果ですが、少なくともピアノが最初に入ったときには、ぞっとしました。音がほとんど出なかったのです。」
「でも、ふとこう思いました。そうか、こんな鳴り方をするのも当然だ。別の触感をイメージして弾いているのだから、と。そのうち楽器とのあいだで譲歩も生まれ、調整ができました。」

「私はあまり練習をしなかった。今はまったくと言ってよいほど練習しませんが、当時でさえ楽器の奴隷になりようがなかった。ピアノから離れて楽譜を勉強する癖があったからで、完全に暗譜してからピアノに向かうようにしていたのです。もちろんこれも、何らかの強い表現行為から触感を切り離す作業と考えられます。」

「結局、どんなピアノを弾くときでも触感の問題は避けられない。だからこそ、その現実認識をそっくり拭い去るようなピアノへの接し方を、まず見つけることが肝要なのです。」
「つまり、分析的な完全性(引用者注:「完全性」に傍点)(completeness)は、ピアノから離れてさえいれば理論的には獲得可能です。ピアノに向かった瞬間、触感上の妥協を強いられ、完全性の程度は下がります。そして必ず妥協点を見つけることになりますが、理想を追求した分だけ妥協しないで済むのです。」

「■なぜ鼻歌を歌うのか」
「あの歌声には何の価値もありません。ただどうしても歌ってしまうのです。子供の頃、九歳か十歳で、本当に子供だった頃、学生コンサートで得意の曲を弾くと、今の私が最新盤について指摘されるのとまったく同じことを言われました。本質的に変わっていない。歌うのをやめないからです。」

「オルガンとハープシコードのレコードを作ったとき、それぞれの楽器でまったく練習をしませんでした。いずれも事前の練習に使ったのはピアノだけです。」

「一九四〇年代、私が十代の頃、彼女(引用者注:ロザリン・テューレック)は繊細なバッハを弾いていると思える唯一の人でした。当時の十四歳、十五歳、十六歳の私は、バッハの弾き方をめぐって、教師と闘っていました。白旗を掲げる気はありませんでしたが、彼女のレコードはどれも、私が孤軍奮闘しているのではないことの最初の証拠となりました。」

前からお尋ねしたかったのは、あなたのラジオやテープの実験で現われる分身(ドッペルゲンガー)症候群の拡張部分のことです。これまでに小さなテープ・ドラマをいくつか作られていて、そこにはあなたの頭の中に住んでいると思われるたくさんの「人格(パーソナリティ)」が登場します。
「ラジオで、(中略)私にとって最も楽しい瞬間とは、物真似を演じるときです。」
「真面目な話、私ははっきりこう確信しているのです。すなわち、自分の人格のある部分は、特定の生き方や特定の名前が決める構造の中でこそ効果的に機能するのだと。また、人格の別の部分は、これらの要素を変化させない限り、最良の機能を果たさないかもしれないのです。たとえばこの私がユーモラスなスタイルを持続させて文章を書けるようになったのは、変名でみずからを語る能力を発達させてからです。」
「それまでは心理的な規制が働いてできなかった。でも水門が開いてからは、季節ごとに新しい人物を生み出せるようになったのです。」



「第2部」より:

「どの程度が効果的な比率なのかわかりませんが、他人と一緒に一時間を過ごせば、あとでそのX倍の時間をひとりで過ごさなくてはならない。いつもそう感じてきました。(中略)いずれにせよラジオは子供の頃からとても身近なメディアで、私はほとんど途切らすことなく聴いていました。だから私にとっては壁紙なのです。ラジオをつけたまま眠りましたし、実際、今の私はラジオをつけておかないと眠れないのですよ、睡眠薬のネンブタールを服用しなくなって以来(笑)。」
「人はそれなりに孤独な生活を送ることができるという仮定と、四六時中背景でラジオを流すことが心の支えとなるという事実とのあいだに決定的な矛盾があると思ったことは一度もありません。これについては、ラジオの地からの純物理的な実行例を先週お話ししましたね。精神的な妨害を遮断する力です。」
「私の生涯で最良の一ヶ月は――しかも、かなり孤独でいられたため、いろいろな意味で最も大切な一ヶ月でしたが――それは、ハンブルクでの滞在でした。実はそこで病気になりまして……。」
「治るのに約一ヶ月かかる病気でした。とにかく私はなかば隔離された状態でフィーア・ヤーレスツァイテンに滞在しなくてはならなかったのですが、ハンブルクに知り合いが誰もいなかったことが、いちばんありがたかったですね。あれは私のハンス・カストルプ〔トーマス・マンの『魔の山』の主人公。山中の療養施設に滞在〕時代だったと思います。本当に素晴らしかった。
 そこには昂揚感(a sense of exaltation)がありました。慎重に使うべき言葉ですが、あの独特な孤立感を的確に表現する言葉はこれしかありません。大半の人が体験をみずからに禁じている感覚です。それは確かです。(中略)しかし、バランスを取り戻し、私がさきほど論じた比率を回復させる方法があるはずです。遅かれ早かれ、私は闇の中で冬を過ごす予定です。これも確かです。」

「創意とは、自分に期待されるものとはいくぶん違った前提を固守するときに用いる精妙さと関係があると思います。」




◆感想◆


本書に指揮者ジョージ・セルのグールド評「あいつは変人だが天才だよ」が引用されていますが、セルがいいたいのは、音楽の天才だから変人であることは大目に見る、ということですが、わたしなどがグールドに興味を抱くのはひとえにグールドが「変人」であるゆえでありまして、「天才」などどうでもよい、というか、「変人」であることがすなわち「天才」であって、音楽の才能も「変人」あってこそです。






こちらもご参照ください:

フェルナンド・ペソア 『不穏の書、断章』 澤田直 訳編
ノーマン・マルコム 『ウィトゲンシュタイン』 板坂元 訳 (講談社現代新書)
Th・W・アドルノ 『アルバン・ベルク』 平野嘉彦 訳 (叢書・ウニベルシタス)




























































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ダニエル・パウル・シュレーバー 『ある神経病者の回想録』 渡辺哲夫 訳 (講談社学術文庫)

「私自身はといえば、黒い外套と黒いシルクハットを身につけて庭園の椅子にすわっているときには、遠い過去の時代から別の世界に戻ってきた石のように硬く冷たい旅人のようであったろう。」
(ダニエル・パウル・シュレーバー 『ある神経病者の回想録』 より)


ダニエル・パウル・シュレーバー 
『ある神経病者の回想録』 
渡辺哲夫 訳
 
講談社学術文庫 2326 


講談社 
2015年10月9日 第1刷発行
629p 付記1p 
文庫判 並装 カバー 
定価1,500円(税別)
装幀・カバーデザイン: 蟹江征治


「本書の原本は、一九九〇年に筑摩書房から刊行されました。」



本書「凡例」より:

「本書は、Daniel Paul Schreber: *Denkwürdigkeiten eines Nervenkranken*, Leipzig: O. Mutze, 1903 の全訳である。」


本書「学術文庫版訳者あとがき」より:

「このたび、(中略)訳文は可能なかぎり磨き上げた。」


シュレーバー ある神経病者の回想録


帯背:

「世界を震撼させた男の
壮絶な記録」



帯裏:

「フロイトは「非理性という自由な地平」(ミシェル・フーコー)と言われるときの「自由」を期せずしてシュレーバーと共有し、その体験の恐ろしさを痛感している、と言っていい。……享受の神学と夢幻の至福という激しい上昇気流を抑えつけ、その巨大な圧力に耐えつつ破綻し、破裂しそうになっている言語連合の巨大な緊張に接するとき、この書を読む方々は、想像を絶する強度をおびたシュレーバーの「自由」度の苛烈さを感受されると思う。
(本書「学術文庫版訳者あとがき」より)」



カバー裏文:

「「神」の言葉を聞き、崩壊した世界を救済するために女性となって「神」の子を身ごもる……そんな妄想に襲われ、苦しめられた男は、みずからの壮絶な闘いを生々しく記録した。フロイト、ラカン、カネッティ、ドゥルーズ&ガタリなど、知の巨人たちに衝撃を与え、二〇世紀思想に不可逆的な影響を与えた稀代の書物。第一級の精神科医による渾身の全訳!」


目次:

凡例

緒言
枢密顧問官・教授フレクシッヒ博士への公開状

序章
第一章 [神と不死性]
第二章 [神の国の危機?/魂の殺害]
第三章
第四章 [最初の神経病と二度めの神経病の初期における個人的体験]
第五章 [続き/神経言語(内なる声)/思考強迫/世界秩序が要請する事情としての脱男性化]
第六章 [個人的体験の続き/幻影/「視霊者」]
第七章 [個人的体験の続き/独特の病的現象/幻影]
第八章 [ピエルゾン博士の精神病院での入院生活期間における個人的体験/「試練に曝された魂」]
第九章 [ゾンネンシュタインへの移送/光線交流における変化/「記録方式」/「天体への接合」]
第十章 [ゾンネンシュタインでの個人的体験/光線交流の随伴現象としての「妨害」/「気分造り」]
第十一章 [奇蹟による肉体的な完璧さの損傷]
第十二章 [声のおしゃべりの内容/「魂の考え」/魂の言葉/個人的体験の続き]
第十三章 [牽引の要因としての魂の官能的快楽/帰結としての現象]
第十四章 [「試練に曝された魂たち」/それらの運命/個人的体験の続き]
第十五章 [「人間遊戯」と「奇蹟遊戯」/助けを呼ぶ声/話をする鳥たち]
第十六章 [思考強迫/その現れかたと随伴現象]
第十七章 [前の続き/魂の言葉の意味における「描き出し」]
第十八章 [神と創造/自然発生/奇蹟によって生じた虫たち/「眼差し調整」/試験方式]
第十九章 [前の続き/神の全能と人間の意志の自由]
第二十章 [私という人物に関する光線の自己中心的な見解/個人的状況のさらなる明確化]
第二十一章 [矛盾する関係にある至福と官能的快楽/この関連からの個人的状況にまつわる帰結]
第二十二章 [結語/将来の見通し]

「回想録」のための補遺
第一部 (一九〇〇年十月から一九〇一年六月まで)
 Ⅰ 奇蹟に関して
 Ⅱ 神の知性の人間の知性に対する関係について
 Ⅲ 人間遊戯に関して
 Ⅳ 幻覚に関して
 Ⅴ 神の本性に関して
 Ⅵ 将来に関する考察、雑録
 Ⅶ 火葬に関して
第二部 (一九〇二年十月および十一月)

付録
 いかなる前提条件のもとで、精神病とみなされた人物が、その公然と言明された意志に反して精神病院の中に拘留されることが許されるのであろうか?
 追記
 追記 その二
付録 (禁治産訴訟の審理からの公文書記録)
 A 司法医官の鑑定
 B 精神病院地区医官の鑑定
 C 控訴理由
 D 枢密顧問官ヴェーバー博士の鑑定書(一九〇二年四月五日付)
 E 王立ドレスデン控訴院の判決(一九〇二年七月十四日付)

訳者あとがき
参考文献
学術文庫版訳者あとがき
索引




◆本書より◆


第六章より:

「世界没落の観念と関連している幻影は、すでに述べたように、私はこれを無数に持った。一方では身の毛のよだつような恐ろしいものであったが、他方では言葉では書き表せない雄大なものであった。私は二、三のわずかなことだけ述べておこう。この幻影の中で、私はさながら鉄道車輛の中で、もしくは昇降機にすわったまま、地球の深部に下降して行き、同時に言わば人類あるいは地球の全歴史を逆行するかたちで経験し尽くした。より上方の層には濶葉樹林がまだ存在していたし、下方の層はますます暗く、さらに黒々としていた。一時的に乗り物から離れ、巨大な墓地のような所を歩いたが、そこで私は特にライプツィヒ市民が横たわっている場所、また私自身の妻の墓の側を通り過ぎた。再び乗り物にすわり、第三地点まで前方へ突き進んだ。人類の原始原を示しているという第一地点に足を踏み入れるのはためらわれた。帰還の際、同時にそこにいた「太陽神」の危険に常に曝されていたため、私の後方の立坑は崩れ去ってった。これに関係するが、そのとき二つの立坑が存在していた(神の国の二元論に対応するか?)とのことであった。第二の立坑も崩壊したとの知らせが届いたとき、すべては失われた。別の折には、ラドガ湖からブラジルまで地球を横断し、そこで城のような建物に、ひとりの看護人と共同で押しよせる黄色い高潮から神の国を保護するための壁を建造した――私はそれを梅毒の伝染の危険に関係づけた。また別の折には、私自身が至福へと引き上げられたかのような気持ちになった。そのとき私はさながら天上界の高みから、青い大空のもとに静かに存在する地球全体を、比類ない華麗さと美しさの像を自分の下に眺めているようであった。(中略)他の出来事については、単なる幻影なのか、あるいは少なくとも部分的には現実の体験ではないのか、私には疑問のままである。何らかの内的な衝動によってベッドから離れたのち、夜間に非常に頻繁に下着姿で(衣類はすべて没収されていた)寝室の床板の上にすわっていたことを憶い出す。背後で床につけていた両手が、そのとき熊のようなもの(黒い熊)によって、時々感触できるかたちで(引用者注: 「感触できるかたちで」に傍点)高く持ち上げられた。他の「黒い熊たち」、大きなものや小さなものが燃えるような目で私の身近にすわっているのを見た。私の寝具は、言わば「白い熊たち」のかたちになっていた。寝室のドアの明かり窓を透して、注(28)でわれわれの統治王に関して述べられているのと似たような様式で、中背より小さい黄色い男たちが時折寝室のドアの前に現れるのを見、私は彼らと何らかの争いをする体勢をとらざるを得なかった。まだ覚醒状態にあったとき、すなわち夕刻遅くに、精神病院の庭園の樹々の上に時折、燃えるような目を持つネコたちが現れた。さらに、しばらくの間どこかの海に面した城の中にいたが、この城はさし迫った洪水のため放棄されなければならなくなった。私はそこから出て、長い長い時間ののちにフレクシッヒの精神病院に戻り、そこで突然、以前からよく知られた状況の中で我に返った、という思い出もある。寝室の窓の前に、早朝、雨戸が開かれるとき、窓の前方ほんの数メートルの距離に、私は思い出せるが、主としてシラカバとトウヒからなる深い森を見た。声たちは、それを聖なる森と呼んだ。」


第七章より:

「私は憶えているが、一八九四年三月半ば頃、超感覚的な力との交流がすでにかなりの強さで現れていたとき、私に一枚の新聞が見せられ、そこには私自身の訃報のようなものが読み取れた。私はこの出来事を、自分はもはや、いずれにせよ人間の共同体への帰還を期待できないということの合図として理解した。」


第八章より:

「ピエルゾンの精神病院に滞在している間に私が感受した、これ以外の超感覚的な諸印象に関して、私はなお若干のことを述べておきたい。私の前をいわゆる月光の至福(引用者注: 「月光の至福」に傍点)が長い列をなしてふわふわと飛んだ(この光景を記述するのは困難である。たぶんいわゆる、秋の静かな空中に浮動するクモの糸に比較され得るだろうが、それはひとつひとつの繊維ではなく、一種の密な織物のようであった)。月光の至福は女性の至福を表現しているとのことであった。それにはふたつの種類が存在していて、一方はぼんやりとして生気がなく、他方はより力強いものであった。おそらく前者の中には子供の至福が見てとれるのであろう。すでに先の章で述べられた世界没落の観念には、いかなる程度において創造物の復活が可能であるかなどに関連した知らせが続いた。あるときには、それは魚までしか達しないと言われ、あるときには下級の哺乳動物までだなどと言われた。この知らせの基礎に存していたのが単なる将来への懸念であったのか、それとも何か現実的な事柄であったのか、私は決定せずにおかなければならない。それとは別に、どこか遠く離れた天体において実際に新たな人間世界(それ以来数えきれないほど幾度も用いられた、大抵は嘲笑的に思われた言い回しで呼ばれた「シュレーバーの精神から生じる新たな人間」)を創造する試みが、本当に、それゆえ私の神経の一部を利用してなされたと私は想定せざるを得ない。」


第十一章より:

「この「チビ男たち」は最も不思議なもののひとつで、私自身にとっては、いずれにせよ最も謎めいた現象であった。この出来事の客観的現実性に関しては、精神の眼で「チビ男たち」を見、それらの声を聴いたという夥しい事実からして、私はいささかの疑念も抱いていない。不思議なのは、魂たちや魂たちの個々の神経が一定の条件と特定の目的に従って、ごく小さな人間の形姿をとっていたことであり(すでに以前記しておいたように、数ミリメートルの大きさしかない)、そのような姿で肉体のありとあらゆる部分で、肉体の内部で、あるいは肉体の外表面でその本領を発揮していたことである。眼の開閉に関与していた者たちは、眼の上の眉毛の中に立ち、そこからクモの巣のような細い糸で思うがままに眼瞼を引っぱり上げたり引き下ろしたりしていた。(中略)私が時折、眼瞼の引き上げ、引き下ろしに我慢できなくなって逆らおうとすると、「チビ男たち」の怒りを惹き起こし、「売女」という呼びかけで挨拶されるのが常であった。かつて折にふれて私がこの者たちをスポンジで眼からこすり落としたとき、この行為は光線から神の奇蹟の権威に対する一種の犯罪とみなされた。それにしても、拭き取ることも一時的な効果しかもたらさなかった。というのも、「チビ男たち」はいつでもただちに再び新たに据え置かれたからである。そのほかの「チビ男たち」は当時ほとんど常に夥しい数で頭の上に集合していた。ここでは「チビ悪魔たち」と呼ばれていた。この者たちは文字通り私の頭の上を散歩し、奇蹟によって私の頭部に惹き起こされた何らかの新たな破壊が見える場所なら、いつでもどこでも好奇心を持ってやって来た。そればかりか、ある意味で私の食事にも関与していた。この者たちは、私が食べた食物の一部を、もちろんきわめて少量ではあるが食べてしまうのである。そうすると、この者たちは一時的にいくぶんか膨張し、同時に動きがより緩慢になって、意図もより無害なものになるように思われた。「チビ悪魔」の一部の者たちは、頭脳に対して惹き起こされた頻繁に繰り返された奇蹟にも関与していた。私はこの機会にこのことを恨みをこめて付け加えておきたい。それは――胸部圧迫奇蹟と並んで――あらゆる奇蹟の中でも最も忌まわしいものであった。このとき用いられた表現は、私の正確な記憶によれば「頭脳締めつけ機械」であった。とりわけ多くの光線の行列などによって、私の頭蓋骨には、大体その中央部に、おそらく外部からは見えないが内部からなら見えるような深い裂隙あるいは切れ目が生じてしまった。この裂隙に面した両側には「チビ悪魔たち」が立ち、螺旋ハンドルでねじを回すような仕方で、螺旋圧搾機を用いるようなやり方で私の頭脳を圧迫したため、頭脳は、ときどき上の方に長く延びてしまい、洋梨のようなかたちになってしまった。」


第十三章より:

「私はこの時期のことをよく憶えている。美しい晩秋の日々にあたり、エルベ河の上には毎朝濃い霧が立ちこめていた。この時期、私の肉体には女性化の徴候が大変強く現れ、そのため私はすべての出来事の展開が到達せんとめざしている内在的な目標を認識するのを、もはやこれ以上忌避するわけにはゆかなくなった。もし私が男性的な尊厳の昂揚によって断固たる意志を対抗せしめるべきだと思わなかったら、その前日の夜のうちにもおそらく男性性器の取り込みが現実に起こっていたであろう。それほどまでに、この奇蹟は完成に近づいていた。」
「この出来事を続いて観察した数日間は、意志の方向の完全な変化を私の中に惹き起こすのに十分なものであった。それまで私は常に自分の生命が厖大かつ脅威的な奇蹟の犠牲にならないのであれば、自殺して人生に終止符を打つしかないという可能性を考えてばかりいた。自分以外には、人間界に決して存在しなかった何か別の恐怖すべき結末しか残されていないように思われた。しかし、今や私が個人的に好むと好まざるとにかかわらず、世界秩序が有無を言わさず脱男性化を欲していること、そして私には理性的根拠から(引用者注: 「理性的根拠から」に傍点)して、ひとりの女に変身するという思想に親しむこと以外に何も残されていないことが疑う余地もなく自覚された。脱男性化のさらなる結果として、当然ながら、新たな人間の創造を目的とする神の光線による受胎のみが問題になり得た。私は当時、まだ私以外の本当の人間というものの存在を信じておらず、私が見た人間の形姿をしたすべての者を「束の間に組み立てられた」ものとしかみなしていなかったが、それによって意志の方向の変化は私にとって楽なものになった。つまり、脱男性化の中に存する何がしかの恥辱は問題になり得なかった。」
「それ以後、私は十分な自覚を持って女らしさをはぐくむことを自分の目的とした。そして事情が許すかぎり、超感覚的な根拠を知らされていない他の人間たちは私について好き勝手に考えるであろうが、私はこれをさらに続けてゆくつもりである。」



第十六章より:

「さまざまな防衛手段には、とりわけピアノ演奏、読書あるいは新聞を読むこと――私の頭脳の状態が許すかぎりではあるが――があり、その際には極度に長く引き伸ばされた声もついに消滅する。夜間の場合、このような手段を十分に利用できない時間帯には、あるいはまた別の行為への転換が精神的に必要になったときには、詩を想起することが大抵の場合、有効な方策となった。私は厖大な数の詩を、わけてもシラーの物語詩、シラーとゲーテの戯曲の数多くの場面を、さらにまた特に『マックスとモーリッツ』やシュトルヴェルペーターの童話絵本やシュペクターの寓話、オペラのアリアや戯詩を暗記していたので、それらを無言のうちに逐語的に暗誦するわけである。その際、詩的作品の詩的な価値自体は、もちろん問題ではない。どれほど無意味な詩句でも、それどころか卑猥な言葉ですら、そうしなければ私の神経が否応なく聴かざるを得ない恐るべき無意味に対して、すべて心の糧として常に黄金のような価値を持っているのである。」


「付録 A 司法医官の鑑定」より:

「患者の妄想体系は、世界を救済すべく、そして失われてしまった至福を人類に再びもたらすべく彼が使命を受けている、ということにおいて頂点に達する。彼が主張するところによれば、彼は直接的に神的な啓示を受けてこの任務に到達したのであり、これはちょうど預言者の場合と似ているという。(中略)彼の救済の使命遂行にあたって最も本質的なのは、何をおいてもまず彼の女性への変換(引用者注: 「女性への変換」に傍点)が起こらねばならないということだという。これは、彼が自分から女性になろうと欲する(引用者注: 「欲する」に傍点)ことではない。むしろ、世界秩序において根拠づけられた「ねばならない」こそが重要なのである。実際、名誉ある男性的な人生上の立場にとどまることが彼にとって個人的にははるかに好ましいとしても、彼はこの「ねばならない」から絶対に免れられない。しかも、何がどうあろうとも彼および全人類にとって、来たるべき世界は、数年もしくは数十年の歳月の流れののちに待ちうけているであろう、神の奇蹟という手段による女性への変換によらなければ、獲得できない。彼は、これは彼にとって確実なのであるが、神の奇蹟の唯一無比の対象であり、それゆえ、これまで地上に生存してきた人間の中で最も注目に値する特別な人間である。何年もまえから毎時間、そして毎分、彼はこの奇蹟を彼の肉体において経験し、その奇蹟を彼と話をする声を通じても確実に体験している。彼は病気が始まった当初の数年間、彼以外の人間なら誰であれとっくの昔に死んでいるに違いないような、肉体の諸器官の破壊を経験してきたという。長い間にわたって胃も腸もないまま、肺もほとんどないまま、引き裂かれた食道で、膀胱も失って、こなごなに砕かれた肋骨で生きてきたとのことである。折にふれて彼自身の喉頭の一部を食物とともに食べてしまった、などなどとのことである。」



◆注◆


第十六章で言及されている本のなかで、「マックスとモーリッツ」と「シュトルヴェルペーター」(もじゃもじゃペーター)はよいとして、「シュペクターの寓話」は、オットー・シュペクター(Otto Speckter)が絵を描いたヴィルヘルム・ヘイ(Wilhelm Hey)の「子どものための50の寓話(Fünfzig Fabeln für Kinder)」(1833年)の通称です。




こちらもご参照ください:

宇野邦一 『アルトー 思考と身体』
エリアス・カネッティ 『群衆と権力 下』 岩田行一 訳 (叢書・ウニベルシタス)
ハンス・プリンツホルン 『精神病者はなにを創造したのか ― アウトサイダー・アート/アール・ブリュットの原点』 林晶/ティル・ファンゴア 訳
Wilhelm Busch 『Max and Moritz』















































『アドルフ・ヴェルフリ 二萬五千頁の王国』 (2017年)

「ごきげんよう、紳士、淑女のみなさん:?
私に、何を、お望みかな?
私は飼いならされてはおりませんぞ:
野生動物というわけでもありませんがね。
署名、アドルフ・ヴェルフリ、ベルン」

(アドルフ・ヴェルフリ 『揺りかごから墓場まで』 より)


『アドルフ・ヴェルフリ 
二萬五千頁の王国』

Adolf Wölfli: A Kingdom of 25,000 Pages

監修: 服部正
編集: 兵庫県立美術館/名古屋市美術館/東京ステーションギャラリー/中日新聞社/国書刊行会

国書刊行会
2017年1月11日 初版第1刷発行
2017年6月1日 初版第2刷発行
231p 
26.3×21.8cm
丸背紙装上製本(薄表紙) カバー
定価2,500円+税
デザイン: 西岡勉


兵庫県立美術館
2017年1月11日―2月26日
名古屋市美術館
2017年3月7日―4月16日
東京ステーションギャラリー
2017年4月29日―6月18日



出品作品74点の図版および部分拡大図(カラー)。ヴェルフリの肖像写真やスイス連邦鉄道特別列車アドルフ・ヴェルフリ号の写真その他参考図版(モノクロ)多数です。
展覧会図録ですが、書籍として流通しています。本書はアマゾン(マケプレじゃないほう)で新品を購入したのですが、オビに少ヤブレ・イタミがあったので残念でした。


ヴェルフリ 01


帯文:

「アール・ブリュットの
「王」が描いた
夢物語

少年ドゥフィが世界中を冒険する空想の自伝的旅行記『揺りかごから墓場まで』、地球全土を買い上げ「聖アドルフ巨大創造物」を作り上げる方法を説く壮大なる創世記『地理と代数の書』、自身のレクイエムとも言われる呪文のような果てしなきマントラ『葬送行進曲』……。ジャン・デュビュッフェ、アンドレ・ブルトンらが絶賛した、叙事詩・絵画・楽譜・数字・表計算などあらゆるものが横溢する比類なき作品世界。アウトサイダーアート/アール・ブリュットを代表する伝説的芸術家の魅力を凝縮した
本邦初の本格画集。」



帯背:

「描くとは、
もう一つの人生を
生きること」



帯裏:

「アール・ブリュットとは、芸術的創作をできるところまで押し進めたものです。
他の芸術家たちは、自分の芸術をほんの半分しか信じられず、芸術の外側にある慣習的な人生を生きていたのです。
狂気とは偉大な芸術です。たとえば、ヴェルフリがそうであったように。
●………ジャン・デュビュッフェ」



目次:

ごあいさつ (主催者)
Introduction (The Organizers)

序文 (ヒラー・シュタトレ)
Vorwort (Hilar Stadler)
アドルフ・ヴェルフリ (ダニエル・バウマン)
Adolf Wölfli (Daniel Baumann)

[図版]
 1章 初期のドローイング/楽譜(1904―1907)
  Early Drawings / Musical Compositions (1904-1907)
  Frühe Zeichnungen/Musikalische Kompositionen (1904-1907)
 2章 揺りかごから墓場まで(1908―1912)
  From the Cradle to the Grave (1908-1912)
  Von der Wiege bis zum Graab (1908-1912)
 3章 地理と代数の書(1912―1916)
  Geographic and Algebraic Books (1912-1916)
  Geografische und Allgebräische Hefte (1912-1916)
 短い自伝 (アドルフ・ヴェルフリ)
  Shor Life Story (Adolf Wölfli)
  Kurze Lebensbeschreibung (Adolf Wölfli)
 ヴェルフリの形態語彙 (エルカ・シュペリ、マルクス・レーツ描画)
  Wölfli's Vocabulary of Forms (Elka Spoerri/Markus Raetz)
  Wölflis Formenvokabular (Eila Spoerri/Markus Raetz)
 4章 歌と舞曲の書(1917―1922)/歌と行進のアルバム(1924―1928)
  Books with Songs and Dances (1917-1922) /
  Album Books with Songs and Marches (1924-1928)
  Hefte mit Liedern und Tänzen (1917-1922) /
  Albumm-Hefte mit Liedern und  Märschen (1924-1928)
 5章 葬送行進曲(1928―1930)
  Funeral March (1928-1930)
  Trauer-Marsch (1928-1930)
 6章 ブロートクンスト――日々の糧のための作品(1916―1930)
  Bread Art (1916-1930)
  Brotkunst (1916-1930)

アール・ブリュットの体現者としてのアドルフ・ヴェルフリ (服部正)
Adolf Wölfli: The Embodiment of Art Brut (Tadashi Hattori)
ハラルト・ゼーマンがみるアドルフ・ヴェルフリ――3つの展覧会をめぐって (河田亜也子)
Adolf Wölfli through the Eyes of Harald Szeemann: A Consideration of Three Exhibitions (Ayako Kawada)

アドルフ・ヴェルフリ年譜
Adolf Wölfli Chronology
展覧会歴/Exhibtions
参考文献/References
出品リスト/List of Works/Verzeichnis der Werke



ヴェルフリ 03



◆本書より◆


「アドルフ・ヴェルフリ」(ダニエル・バウマン)より:

「孤児であり、(中略)農場の下男、放浪労働者、こそ泥、囚人、あるいは精神疾患者である彼は、人々から社会の範疇外とされた者としての人生を送り、幾重にもアウトサイダーであり、またそうあり続けるべきだった。当時は、今日でもそうなのだが、社会はアウトサイダーや抑圧された人が独自の言語を持ちそれを発揮することを望まない。全くその逆だ。ポスト植民地主義やフェミニズムの研究が示したように、言語は、むしろこれらの除外を助長するものであり、抑圧の重要な道具でもあった。ヴェルフリにおいてもしかり、まさに、自身を除外することに使われた、その言語を奪取するほかなかったのだ。そうすることで、彼自身が権限を得、彼の芸術とそれに密接した「自分自身」の新たな発見が、他の人から見れば雑多な誇大妄想以外の何物でもなかったとしても、文字通り並外れたとてつもない大事業になったのだ。ヴェルフリにしてみれば、彼自身の言語(とはいえ、それはたえずよそ者であることを特徴づけるものなのだが)を発展させてひとつの作品を構成しようと、他人の言語で理解したのである。」

「外の世界は彼にとってはほとんど架空の世界なのだ。一方、内面世界は現実である。あるいは、内面世界を現実にさせたかったのだ。」



「アール・ブリュットの体現者としてのアドルフ・ヴェルフリ」(服部正)より、ジャン・デュビュッフェの言葉:

「あっぱれなヴェルフリは、違反という点で言うまでもなくステーよりも遠くまで行った。医者たちはためらうことなく決断を下す。これは取り返しがつかないほど狂っていると。しかし、狂気というものについて、ここで自問してみなければならない(少なくとも、偉大なる創造者であるステーやヴェルフリに押し付けられたこの狂気については。なぜなら、まったく共通性のないあらゆる種類の違反が、狂気というひとつの便利なかごに一緒に放り込まれているからだ)。ここでの狂気とは、あらゆる領域における既存の秩序を見直すという断固たる態度や、それを解体して革新する強い意志とただ同一視されているだけなのではないか。」

「ヴェルフリやアロイーズのような人は、単に彼らが芸術家であるという理由で監禁されていたのです。彼らは自分の芸術を可能な限り押し進めました。彼らは彼らの芸術を生きていたのです。アール・ブリュットとは、芸術的創作をできるところまで押し進めたものです。他の芸術家たちは、自分の芸術をほんの半分しか信じられず、芸術の外側にある慣習的な人生を生きていたのです。狂気とは偉大な芸術です。たとえば、ヴェルフリがそうであったように。」



ヴェルフリ 02



























































































服部正 『アウトサイダー・アート』 (光文社新書)

「アウトサイダー・アートは、すべてがひとりの作者から始まりひとりの作者で終わる。誰かの種を拾い上げて、それを別の誰かが育てるという歴史的な積み上げが存在しないのである。その孤立無援の一代限りぶりこそが、アウトサイダー・アートの「独自性」と呼ばれるものの本質ではないかと思う。」
(服部正 『アウトサイダー・アート』 より)


服部正 
『アウトサイダー・アート
― 現代美術が忘れた
「芸術」』
 
光文社新書 114 

光文社
2003年9月20日 初版1刷発行
2008年4月15日 3刷発行
237p 付記1p 
口絵(カラー)8p
新書判 並装 カバー
定価740円+税
装幀: アラン・チャン



カラー口絵9点、本文中図版(モノクロ)72点。


服部正 アウトサイダーアート 01


カバーそで文:

「「アウトサイダー・アート」とは、精神病患者や幻視家など、正規の美術教育を受けていない独学自修の作り手たちによる作品を指す。20世紀初頭にヨーロッパの精神科医によって「発見」されたこの芸術は、パウル・クレー、マックス・エルンスト等の前衛芸術家たちにも多大な影響を与えた。戦後には、フランスの画家ジャン・デュビュッフェがヨーロッパ各地から作品を収集し、それを「アール・ブリュット(生の芸術)」と呼んで賞賛したことから「価値」が高まった。近年、日本でもそれらの作品への関心が急速に高まりつつある中、モダン・アートが置き忘れてきた「もうひとつのアート」の魅力に迫る。」


目次:

はじめに

第一章 アウトサイダー・アートとは何か
 美術を分類する概念のあいまいさ
 二つの誤解
 美術教育とは無縁の作者たち
 「パラレル・ヴィジョン――二〇世紀美術とアウトサイダー・アート」展の影響
 無意識に刷り込まれたイメージ
 枠組みを突き抜ける表現
 「それはいつも私たちが予期しないところにある」

第二章 ヨーロッパ前衛芸術家たちによる賞賛
 作品の価値を決める者
 パウル・クレーによる注目
 子どもの絵とアウトサイダー・アート
 シュルレアリストたちが信じた可能性
 エルンストの作品への影響
 シュルレアリストたちの限界
 「一枚の絵のために一〇〇キロ歩く人物」
 ブルジョア趣味の対極にあるもの
 一枚の絵を見極める目
 
第三章 アウトサイダー・アートの「発見」
 限られている絵の情報
 プリンツホルンの衝撃
 アウトサイダー・アートに魅せられた精神科医
 「狂気の美術館」
 レジャ=ミュニエの先駆性
 アウトサイダー・アートへの否定的見解
 キュビスムを非難するための材料
 退廃芸術展と意識の方向付け

第四章 日本のアウトサイダー・アート
 アートとさえ見られてこなかったもの
 いち早くアウトサイダー・アートに着目した日本人
 ゴッホ研究への情熱
 東京・深川《二笑亭》の研究
 先見の明と出版計画の頓挫(とんざ)
 急速に影をひそめたアウトサイダー・アートへの関心
 一般大衆の支持と美術界の黙殺
 「日本のゴッホ」山下清のプロモーション
 医師としての使命感
 「教育」という十字架

第五章 未知の領域
 純粋な楽しみとしてのアート
 日本に存在しなかったもの
 ヨーロッパと日本の相違
 教育現場に辿り着く日本のアウトサイダー・アート
 アーティストとアーティストの対等な関係
 みずのき寮の実践
 特殊なアウトサイダー・アート
 美術教育者としての実践の場
 日本のアウトサイダー・アートの重荷

第六章 描かずにはいられないから描く――五つの展示室から
 1 アラベスクの中の物語
  四〇歳、突如絵を描き始める
  交霊術による制作
  死後に発見された五〇〇点以上の絵
  描かずにはいられないから描く
  「突然に絵が描けるようになった」
  「あなたはいつの日か画家になるだろう」
  未知なるものへの敬意
  地球の太古の記憶を描く
  「手が脳で勝手に描いていく」
 2 光の呪縛をのがれて
  作品そのものの動きを身体で感じる
  全盲の画家と遠近法
  目に頼らない世界把握
 3 歩く人、拾い集める人
  ゴミとアート
  「廃物」か「作品」か
  独力で建設した《理想宮》
 4 大いなる自叙伝
  沈黙の時間と対話する
  結婚式の絵を何度も何度も描く
  二万五〇〇〇ページに及ぶ壮大な叙事詩
  制作に没頭した人生
 5 繰り返せばアートになる
  作品効果と表現への衝動
  独房生活で生まれた芸術
  量が質を凌駕する
  孤立無援、一代限りのアート
  そこまで「表現」へと駆り立てるものは何か

おわりに
参考文献



服部正 アウトサイダーアート 02



◆本書より◆


第一章より:

「つまり、障害のある人の作品がアウトサイダー・アートなのではなく、視覚イメージの社会的な操作という網をかいくぐった表現であるアウトサイダー・アートには、結果的に障害のある人の作品が多く含まれているということだ。アウトサイダー・アートという言葉は、障害のある人の表現を部外者として差別するものではなく、学校教育やマスメディアの商業戦略によって制度化された美術の枠組みを突き抜けるような、大胆な表現に対して用いられる言葉である。」
「アウトサイダー・アートは、そのような美術教育とは無縁の作者たちが作り出すものだ。」
「独学とはいっても、(中略)美術の枠組みへとみずから望んで入り込んでいくような種類の独学は、アウトサイダー・アートのいう独学と本質的に異なるものだ。
 また、フランス語圏では、アール・ブリュット(art brut)という言葉が用いられることが多い。(中略)これは、(中略)ジャン・デュビュッフェ(Jean Dubuffet 一九〇一―八五)が一九四五年頃に考案した言葉で、直訳すると「生の芸術」「加工されていない芸術」というような意味である。デュビュッフェは、精神障害のある人や幻視家などが制作した絵画や彫刻をアール・ブリュットと呼び、それを「芸術的教養に毒されていない人々が制作した作品」と定義した。」



第二章より:

「一九一二年という早い時期に、クレーは子どもの描く絵や精神障害者の絵についてこう書き記している。

  子どもたちも芸術的才能を持っていて、そこには英知すらある。それらが役に立たないものに見えるとすれば、それだけ私たちにとって示唆的なものである。(中略)同じことが、精神に障害をもった人の作品にも当てはまる。子供じみているとか、狂っているという言い方は、普通私たちが思っているのとは反対に、まったく侮辱的な言葉ではない。今日の芸術を改革するためには、どんなギャラリーに並んでいる作品よりも、彼らの作品のことを真剣に考えるべきである。」
「クレーの言葉にも明白なように、ドイツ表現主義の画家たちは、子どもの絵と精神障害をもつ人の絵を同じ価値観で見ていたようだ。」
「だが、この両者は本質的に異なったものである。子どもは、成長の過程で周囲を模倣する。周りにいる大人の反応にも敏感である。(中略)子どもは、社会の影響力や約束事を好んで受け入れるのが普通である。彼らは、周囲の期待や自分の関心事、それに技術的な熟練によって、めまぐるしく描き方や描く内容を変えていく。
 それは、アウトサイダーの芸術家たちが、病気との闘いや周囲との軋轢(あつれき)の中で見つけ出した表現と比較すべきものではない。アウトサイダーの芸術家たちは、周囲の評価をまったく省みることなく、場合によっては何十年も同じスタイルで作り続けるものだ。」

「デュビュッフェの話に戻ろう。一九四七年には、パリのルネ・ドゥルーアンという画廊の地下室に「アール・ブリュット館」を設置し、(中略)さらに一九四九年には、(中略)大規模なアール・ブリュット展も企画している。」
「アール・ブリュットはこう定義されている。(中略)

  それ(中略)は、芸術的教養に毒されていない人々が制作した作品を指す言葉だ。知識人によって行われている芸術とは反対に、彼らの場合には、模倣がまったくない。彼らは、主題、使う材料の選択、配置のやり方、リズム、描き方などのすべてを自分自身の心の奥から引き出し、古典芸術や流行芸術などの凡作から引き出すことはしない。ここで私たちが目にするのは、作者が自分自身の衝動のみから始め、あらゆる段階においてすべてを自分自身で再発見した、完全に純粋で生の芸術行為だ。」
「デュビュッフェは、ヨーロッパの伝統的な芸術や文化を強烈に批判し、「教養」や「知識人」を毛嫌いしている。」

「アウトサイダー・アートは、社会の内部にいる者がそのシステムに安住しないこと、確立された制度に疑問をもつことの大切さを教えてくれる。」



第三章より:

「シュルレアリスムの芸術家たちやデュビュッフェにとって、最大の情報源は一九二二年にドイツで出版された『精神病患者の創造(Bildnerei der Geisteskranken)』だった。著者はハイデルベルク大学付属精神病院の医師ハンス・プリンツホルン(Hans Prinzhorn 一八八六―一九三三)である。」
「この本には多くの図版が掲載されていたので、ドイツ語を読まない画家たちにとってさえも、それが重要な資料となっただろうと想像できる。」

「もうひとりの特筆すべき人物として、(中略)ポール・ガストン・ミュニエ(Paul Gaston Meunier 一八七三―一九五七)が挙げられる。」
「一九〇七年にミュニエは、マルセル・レジャの名前で精神障害をもつ患者の作品を紹介した著作『狂人の芸術(L'art chez les fous)』を出版する。」
「それまでの精神医学の分野では、患者が描くテーマや画材が通常と異なっているのは、それだけ芸術的に劣っていることの証明と考えられてきた。レジャはそれに反論し、「考えや経験が新奇なものなら、それを伝えるのに新奇な表現を用いるのはむしろ当然のことだ」と述べる。「すべての芸術家は何らかの形式化を行っている。だから、描かれたものが自然のモデルからかけ離れているからといって、それを狂気と呼ぶ権利は誰にもないはずだ」という言葉からは、レジャの患者に対する強い共感が感じられる。」



第四章より:

「次に私たちは、アウトサイダー・アートやアール・ブリュットという言葉が存在しなかった場所にも目を向けてみるべきだろう。日本の事情である。ここは、アウトサイダー・アートという理解の枠組みをもたなかったために、多くのものを失ってきた場所である。そのことを示すために、早い時期にアウトサイダー・アートに関心をもっていたと思われる日本人を取り上げてみたい。精神科医、式場隆三郎(しきばりゅうざぶろう)(一八九八―一九六五)である。」

「こんにち、美術の領域における式場の最大の功績と目されているのは、昭和初期に東京深川に実在した奇妙な家屋《二笑亭》の研究かもしれない。」

「式場には、教育者としての自覚があった。」
「日本におけるアウトサイダー・アートは、(中略)大衆や知的障害者の教育という理念に飲み込まれてしまった。」



第五章より:

「西欧の場合、精神科医が提示する資料に反応し、それをアートの領域とつなげたのは、前衛的なアーティストたちだ。日本には、アウトサイダー・アートと積極的に関係し、その価値を社会に訴えかけるアーティストがほとんど存在しなかった。その結果、積極的に山下清を世に送り出した式場隆三郎の活動だけが突出することになった。」
「式場は、山下清や落穂寮を紹介する中で、美術がもつ教育的効果を強調した。(中略)これは、現場主導で障害者の作品が紹介されてきた日本での、特徴的な方向性といえるだろう。」
「戦後間もない一九五〇(昭和二五)年から、神戸市立盲学校で粘土造形を行った福来四郎(ふくらいしろう)も、教育の重要性を強調している。(中略)先駆的とも言われる視覚障害者の造形も、やはり教育による発達の歴史として語られるのである。」
「障害者をどう教育するかという問題は、アートの問題ではない。アウトサイダー・アートは障害者のアートではなく、既存の美術教育の外部で生み出されるアートだからだ。だが、日本の歴史の中で、アウトサイダー・アートに関係のありそうな題材を探していると、そのほとんどが多少なりとも教育と関わる現場へと行き着いてしまう。」

「ここで私が思い出すのは、福祉施設に通うある男性のことだ。自閉症という障害をもつ彼は、日々の生活においてさまざまなこだわりをもっている。そのひとつは、バスの座席についてのこだわりだ。バスの一番前に座りたい彼は、その座席が空いたバスが来るまで、何台でもバスを見送り、家に帰ろうとしない。福祉施設からすれば、彼のその行動は「問題行動」と呼ばれるものである。だが、この話を聞いた時に、なんとエレガントなバスの乗り方だろう、と私は思った。(中略)彼のバスの乗り方にはアートの匂いがする。」
「芸術という領域で考えるなら、彼に障害があるかどうかは関係がない。したがって、これは障害者の教育の問題でも、社会環境の改善という使命感でもありえない。アウトサイダー・アートという考え方は、世間の常識から見た時に風変わりと思えるような態度を、そのものとして積極的に評価するものだ。」



第六章より:

「彼らは、それをお金にする気がないどころか、発表して第三者に見せる気さえない。それだからこそ、そこには描かずにはいられないという、内的な衝動が感じられる。」

「展覧会などに出品を依頼されると、同時に作者の経歴を問われることが多い。その際に坂上(引用者注: 坂上チユキ)は、「五億九千万年前プレカンブリアの海で生を授かる」と書く。地球上の生物の起源は太古の海の中だったというのが通説だから、坂上のこの記述に間違いはない。細胞の次元でいえば、二一世紀を生きる私たちにも太古の記憶は残っているはずだ。坂上チユキの作品は、古い時代の記憶、それも想像を絶するほど遠い過去の記憶と響きあっているように、私は感じている。
 最近の作品では、ラピスラズリやアズライト、水晶などの鉱石の粉末が使われている。その美しさに魅せられたからだと坂上はいう。それによって、作品はますます繊細になり、きらめくような美しさを増している。考えてみれば、鉱石は火山活動や地殻の変動といった地球そのものの太古の記憶にほかならない。そして、あの繊細な点(ドット)。丹念に描き込まれる無数の点は、リズムを刻むような抑揚がなければならないという。(中略)そのためには音楽が欠かせない。指揮をするように点を打っていくのだという。一番好きなのはエリック・サティだというが、中世の音楽から現代音楽まで、彼女自身が時には胡弓(こきゅう)の演奏もする。
 アフリカ生まれの生態学者ライアル・ワトソンは、(中略)『シークレット・ライフ』(中略)で次のように述べている。

  わたしたち人間と石との特別な関係がいつの時代にも音響にあふれ、リズミックな儀式や歌、反復的な詠唱や祈りなどをともなっていた。

 坂上の制作も、ひとつのリズミックな儀式である。そこでは、反復的な手の動きによって、太古からの石と人間との特別な関係が繰り返し再生されている。
 そのようにして微細な線と点で埋め尽くされた画面には、具象的なモチーフは見当たらない。一見すると、それは完全な抽象画のようである。だが、坂上が絵を描く時の発想は、必ずしも抽象的な思考によるものではない。(中略)作品に童話風の物語を付けたこともある。」
「絵画とは言葉にできない思いがあるからこそ描かれるものだ。自分の作品を評論家の言葉だけで片付けられたくないと、坂上は語気を強める。そのために、自分で物語を書くのだ。(中略)私生活をも含めて、「分析して分類する学者先生たち」に反感をもつ坂上は、展示室の入り口に白衣と眼鏡を身に着けた人は立ち入り禁止である旨を掲示したこともある。」

「ここまで紹介してきた作り手たちに共通しているのは、装飾的に画面を埋め尽くすという衝動と、それに拮抗(きっこう)する具象的なモチーフや物語性だった。」
「近代の抽象絵画は、そのようなある種の文学的要素を完全に取り払うことを目指していたとさえいえる。
 一方、アウトサイダー・アートの作り手たちの場合は、作品が結果として抽象的な模様になったとしても、そこには内的な物語がある。本人にとってだけ首尾一貫した内的な理屈ともいえるかもしれない。それはもはや、芸術上の問題ではない。全人格をかけて、それを描かずにはいられない理由としての物語性なのだ。」





MEM 坂上チユキ
http://mem-inc.jp/artists/sakagami_j/



◆感想◆


本書は出た時に図書館で借りてよんだのですが今回ネットオフで255円でうられていたのを注文しておいたのが届いたので再読してみました。まえよんだときもそうでしたが、5億年の生命の記憶をエレガントに描く青の坂上チユキさんと結婚式(なぜか裸)をすばらしい稚拙感で描く赤の小幡正雄さんがすばらしいとおもいました。


ネットオフ 2018年8月


3,000円以上で送料無料。




こちらもご参照ください:

ハンス・プリンツホルン 『精神病者はなにを創造したのか ― アウトサイダー・アート/アール・ブリュットの原点』 林晶/ティル・ファンゴア 訳
『ジャン・デュビュッフェ展』 (1997年)










































ハンス・プリンツホルン 『精神病者はなにを創造したのか ― アウトサイダー・アート/アール・ブリュットの原点』 林晶/ティル・ファンゴア 訳

「最後は、もうほとんど何もしゃべらなくなり、見たところ絶えず幻覚に従事しているかのようであった。その沈黙の理由を一度、自分はテレパシーによって全世界と交信しているのであって、何も話す必要はないのだと、はっきりと説明している。」
(ハンス・プリンツホルン 『精神病者はなにを創造したのか』 より)


ハンス・プリンツホルン 
『精神病者はなにを創造したのか
― アウトサイダー・アート/
アール・ブリュットの原点』 
林晶/ティル・ファンゴア 訳


ミネルヴァ書房
2014年9月30日 初版第1刷発行
xiii 462p 索引10p 著者紹介1p
口絵(カラー)16p
A5判 丸背紙装上製本 カバー
定価8,000円+税
カバー図版: フランツ・ポール「死の天使」



本書「訳者解説」より:

「本書は、Hans Prinzhorn, *Bildnerei der Geisteskranken. : Ein Beitrag zur Psychologie und Psychopathologie der Gestaltung,* Verlag von Julius Springer. Berlin, 1922. の全訳である。翻訳のタイトルは『精神病者はなにを創造したのか――アールブリュット/アウトサイダーアートの原点』となっているが、直訳は『精神病患者の創造』である。さらに『造形の心理学かつ精神病理学への一貢献』というサブタイトルがついている。」


口絵カラー図版16点、本文中モノクロ図版187点。
「パラレル・ヴィジョン」展図録では本書のタイトルは『精神病者の芸術性』と訳されています。
本書はヤフオクで5,010円(+送料700円)で出品されていたのを落札しておいたのが届いたのでよんでみました。


プリンツホルン 精神病者はなにを創造したのか 01


帯文:

「〈交差する芸術〉の起源
シュルレアリストのバイブルとして、アンドレ・ブルトン、マックス・エルンストを魅了し、日本では、芥川龍之介、古賀春江の作品に影響を与えた。アール・ブリュット、アウトサイダー・アートにおける古典の全訳。」



帯裏:

「レンブラントのきわめて卓越した絵画においても、麻痺患者のきわめて貧弱な殴り書きにおいてもまた、その核となる事象は本質的に同じである。すなわち、それは心的な表現だという事実である。あらゆる価値付けから開放されて、だれかある者がどのようにしてこうした極端な価値の矛盾に無条件に身を委ねられるかを理解するためには、おそらく造形された物へ立ち入る美学的かつ文化的入り口を完全に理解しておかねばならないだろう。
(「はしがき」より)」



そで文:

「本書は、一九二二年にドイツの精神科医で美術史家のハンス・プリンツホルンが一五〇余枚に及ぶ図版とともに精神病患者の創作物を紹介した記念碑的著作である。その後、シュルレアリストをはじめ、ヨーロッパの芸術界と文化行政に多大なインパクトを与えた。また、大正末期の日本にも伝播され、芥川龍之介、古賀春江などが自身の作品に取り込んだ。アール・ブリュット、アウトサイダー・アートの原点の全訳。」


目次:

はしがき

A 序章
B 理論の部 造形的創作の心理学上の基礎
 Ⅰ 造形の形而上学的な意味
 Ⅱ 表現の欲求と造形傾向の図式論
 Ⅲ 遊戯本能(活動への衝動)
 Ⅳ 装飾本能(環境の豊饒化)
 Ⅴ 秩序への傾向(リズムと規則)
 Ⅵ 模写への傾向(模倣衝動)
 Ⅶ 象徴への欲求(含意性)
 Ⅷ 直観像と造形
C 作品群
 Ⅰ 精神医学上の前書き
 Ⅱ 対象を欠いた無秩序な殴り書き
 Ⅲ 秩序への傾向の著しい遊戯的素描(オーナメントとデコレーション)
 Ⅳ 模写への傾向の著しい遊戯的素描
 Ⅴ 生々しい幻想性
 Ⅵ 高められた意味――象徴的表現
 Ⅶ 精神分裂症の造形美術家、十人の経歴
  1 カール・ブレンデル(カール・ゲンツェル)
  2 アウグスト・クロッツ(アウグスト・クレット)
  3 ペーター・モーク(ペーター・マイヤー)
  4 アウグスト・ネーター(アウグスト・ナッテラー)
  5 ヨハン・クニュップファー(ヨーハン・クニュプファー)
  6 ヴィクトル・オルト(クレーメンス・ヴォン・エルツェン)
  7 ヘルマン・バイル(ヘルマン・ベーレ)
  8 ハインリッヒ・ヴェルツ(ヒアチント・フライヘル・ヴォン・ヴィーザー)
  9 ヨーゼフ・ゼル(ヨーゼフ・シュネッラー)
  10 フランツ・ポール(フランツ・カール・ビューラー)
D 結論と問題点
 Ⅰ 造形作品に関する個々の考察のまとめ
  1 殴り書きと最も単純な素描の特徴
  2 より複雑な造形作品の造形の特徴
  3 表現欲求の心的基盤
 Ⅱ 比較の領域
 Ⅲ 精神分裂症的造形の特徴
 Ⅳ 精神分裂症的造形と芸術
 Ⅴ 精神分裂症的世界感情と我々の時代
 Ⅵ 要約


訳者解説 (林晶、ティル・ファンゴア)
人名・事項・作品索引



プリンツホルン 精神病者はなにを創造したのか 02



◆本書より◆


「序章」より:

「ここで、わたしたちの資料の種類と由来について簡単に述べておきたい。第一に、資料のほとんどが施設の住人の、すなわち、その精神病が疑いの余地のない人間の作品である。第二に、これらは、誰かある他の者のいかなる要求もなしに、患者自身の欲求から生じた自発的な作品である。第三に、これら患者の大多数が、スケッチ、絵画、等々の素人であり、学校時代以外は美術のいかなる教育も受けたことがない。従って、コレクションの内容を主として形成しているのは、美術教育を受けていない精神病患者が、自発的に作り出した造形作品である。」

「患者たちの造形作品は、造形の試みであり、この点では心理学的に『芸術』と共通している。(中略)さらに昔から、これらの造形作品と子供や原始民族のそれとの驚嘆すべき類似性が強調されてきた。(中略)最後に繰り返し強調されてきたことは、患者の作品が、他の比較領域のどの作品よりも現代芸術とより親密な関係にあるという事実である。」



「C 作品群」より:

「精神分裂病の自閉的症状の特別なところは、外部からは何も影響されず、いかなる現実感覚も受け入れないという点である。(中略)とりわけ強調されてしかるべきことは、自閉症は、単純な心的機能(知覚、記憶、論理的な関連づけ)の障害なしでも発生するばかりではなく、まさしくこの機能正常こそが自閉症にとって本質を成しているのである。ただ機能正常と言っても、この概念は、外的に左右されなくなった独断的自我の恣意的な法則のもとで、『機構』としてのその機能のなかで妨害されない心的事象の関連づけと使用に関連しているにすぎない。そしてそのためには、とりわけ、『現実』と『非現実』との従来の区別は破棄され、そしてこの自我の管轄下に置かれる必要がある。この自我は、いかなる体験をも、それが感覚的印章、着想、記憶像、夢、幻覚、あるいは連想であれ、その一切を意のままに支配している。――この自我は誰にも責任を負わない専制君主であり、この自我がそうと望めば、あらゆるものが現実に存在していると見なされる同等の権利を有することになる。(中略)こうして精神分裂症患者は、ただ独りで、自分自身の内部に沈潜して、衝動的な思いつきから勝手気ままに自らの世界を構築するのである。――これが精神分裂症患者の自閉症である。」


プリンツホルン 精神病者はなにを創造したのか 03


「C 作品群」より:

「スイス西部の田舎出身の労働者M氏(中略)の作品である。」
「図版51の『山羊の前でお辞儀をする牧童』(中略)の最も奇抜なところは、山羊の足のモティーフが、絵の全体に無条件に使用されている点である。このモティーフは、牧童の両足や、木と灌木の根として再現されているばかりではなく、牧童の両腕さえも代用し、彼の膝の飾りにもなっている。ここでは、一個のフォルムのモティーフが、自然に即した生来の関連性を度外視して、これ以上ないといったやり方で自由に使われている。これは、音楽的、ライトモチーフ的方法と言ってよい。ただ残念ながら、ここでのそれは現実との結びつきをまだ払拭しておらず、オーナメント-デコレーション的結びつきも見出していない。」
「図版52の『死んだ少女』で、M氏は素朴でぎこちない描き方で感動的な魂の表現に成功している。消え入りそうな慎ましい小さな体、砕けそうな輪郭と、斜めに平行したアーモンド形の大きな目を持つ大きな頭、それに左側の豊かなブドウの木と、右側の幻想的な果実をつけた灰かぶり姫のキンチャクソウ――こうしたすべてが奇妙に混じり合って、この絵は、何かしら理屈ぬきに感動的な印象を与えている。」



プリンツホルン 精神病者はなにを創造したのか 05


「C 作品群」より:

「事例26 図版57 『大気現象』 幻覚(鉛筆)」

「図版57の絵について彼のカルテはこう報告している。『同封の「幻想的スケッチ」は、彼が「空気のスケッチ」とも呼んでいるなかの一枚である。これらはそもそも「空想の産物」ではなく、すでに数世紀前の人々の絵に描かれ、「空気の流れ」によって彼に受け継がれたものだそうだ。彼によれば、彼は時々これらを空気のなかに見出し、そあれからそれを描くと、彼はもはやそれを見ることはなく、それから空気の新たな展開が始まるのだそうだ。(中略)それは空気の流れによって吹き消され、別な人たちの手に渡り、その人たちがふたたびそれを描くのである。彼はあれこれ考えたりはせず、空気が彼に生じさせるものを描くのみである。つまり空気がその絵を生じさせるのである。彼の他の絵でも事情は似たようなもので、沼地がそのような絵を生じさせている。時には、この「空気の絵」に、彼は自分の先祖を認めることができるそうだ』。」



プリンツホルン 精神病者はなにを創造したのか 04


「C 作品群」より:

「事例27 図版58 『水の精』 幻覚(鉛筆)」

「彼は教養のない日雇い労働者であり浮浪者でもあった。彼に得体の知れない姿が最初現れたとき、それが夢であったのか、目覚めていたときの体験だったのか、彼にはいまだに定かではない。『ベッドに腰を下ろしていたとき、水の中からそんな――何て言えばいいのか? ――そんな動物ばかりが出て来たのだ。そのなかにおれのお袋もいた。そいつらは、半分は人間、半分は動物だった。おれははっきりと見たのだ。おそらく妖術が関係していたのだろう。お袋はおれを一緒に水の中に引きずり込もうとしていた。こうしておれもくたばってしまうのかと、今にしてみれば思う。――静かに横になっていると、そいつは今でもときどき姿を現すのだ。――空気のなかにおれはそいつを見るし、薄暗がりであれば、なおさらのことさ』。」



プリンツホルン 精神病者はなにを創造したのか 06


「C 作品群」より:

「事例18 図版123 『奇跡の羊飼い』 (鉛筆)」

「『最初に、メガネヘビが、綠と青に色を変えながら空中に立っていた。そしてそこに足が現れた(蛇に寄り添って)。それから別の足がそれに加わった。その足はカブ(Rübe)から作られていた(私の質問に答えて)。山の精のリューベツァール(Rübezahl)のメルヘンだ。後悔を償え(Reue bezahll)ということだ! ――この二番目の足に、Wの私の舅の顔が姿を見せた。世界の不思議だ。額に皺を寄せていた。――そして皺の一つひとつがそれぞれの季節となった。それから一本の樹木となった。木の樹皮が先の方で剝ぎ取られており、その裂け目が顔の口を形作っていた。髪の毛が木の枝を成していた。それから脛と足の間に、女性の生殖器の一部が現れ、これが男の足を折り取っている。(中略)――もう一方の足は、天に逆らって突っ張っている、これは地獄へ落ちることを意味している(中略)。それから一人のユダヤ人が、羊飼いが、やって来て、彼は羊の毛皮を羽織っていた。その表面には毛織物(Wolle)が付いており、それはWだけで成り立っていた。すなわち、それは多くの痛み(Weh)がやってくるということだ。――このWは狼たち(Wölfe)に姿を変えられた。肉を食らう狼たちだ。そしてこの狼たちは羊に姿を変えられた。羊の衣を着た狼たちであった。それから羊たちは羊飼いの回りを走り回った。この羊飼いとは私のことだ――善良な羊飼い――神だ!』」



「C 作品群」より:

「ハインリッヒ・ヴェルツ」

「彼の妄想はこうした魔術的連関で充満していた。例えば、彼は一日中目を閉じていなければならなかった。もし彼が目を開ければ、彼は兄弟姉妹たちからその力強さを奪ってしまうからだ。あるいは彼は、庭の樹木に家族の名前や社会学的概念の名前をつけていた。そして、このさまざまに規定された樹木にいろいろな方向から目を向けることで、彼は思いがけない関連性を発見し、それをすぐに現実性を持った認識として使用していた。あるいは彼は、何時間も窓辺に立ち、手にはスプーンを握って、『私の意志で、私は星の位置を変えるのだ』と言いながら、空をじっと見上げていた。」

「最後は、もうほとんど何もしゃべらなくなり、見たところ絶えず幻覚に従事しているかのようであった。その沈黙の理由を一度、自分はテレパシーによって全世界と交信しているのであって、何も話す必要はないのだと、はっきりと説明している。」

「ヴェルツの晩年は、まったく口もきかず彼は自分自身の殻に引きこもってしまった。それに応じて、絵も描かなくなった。わたしたちの往診に興奮して、一度、久々に口を開いたことがあった。そして彼は、話すことを放棄した同じ理由で、描くことも放棄したのだとそっと教えてくれた。その理由は、もはや彼にそれが必要でないからであった。これからは、紙の上に石墨の粉を無造作にふりかけ、目でその上を軽くなぞりながら、その粉を線や形に仕上げていくという話であった。」

「ヨーゼフ・ゼル」

「『病的な状態のとき幻影を正当に評価した人だけが、健康状態でもまた、幻影を期待することができるでしょう。――しかし、幻影の獲得、奇跡の働き、そして隠されたものの真相を徹底して究明するこの世で最高の学問に携わっていながら、ただ現世の仕事のためだけに働いている人には、これはいつまでも立ち入りが不可能な門のままであり続けることでしょう。――私はただ、超自然的な存在は、何ものにも邪魔されず接近可能であるということを言いたいのです。しかもそれは、抽象的な現象としてではなく、抽象的なものからざわめきのうちに生きた具体的な天使に姿を変えて現れるのです。(中略)私の宗教の礎石は、ざわめきのうちに姿を現した天使の到来だったのです。
 同様のことが医師の先生たちが病的だと見なしたいわゆる幻聴についても言えるでしょう。なにしろ動物の言葉を理解したり、摩擦が原因で引き起こされたあらゆる音からその言葉を聞き取ったりすることほど興味深いものはないのですから。例えば、木の葉の葉擦れの音、泉や小川のせせらぎの音、風や嵐の吹きすさぶ音、夕立のときの雷鳴、砂利や床を踏みしめるときの音、教会の鐘の音、そして楽器が奏でる旋律。ならびに自らの肉体の筋肉が動くとき、そこから発せられる言葉を聞き取ることも素晴らしいことです。つまり、私にとって死んだ肉体というものは存在しません。あらゆる肉体は、そして石さえも、原子の構成物として言葉を語っているのです。そう、石はかつての生命の原子が構成され、一つにまとまった存在なのですから。従って、異教徒が石を崇拝してきたことは決して笑うべきことではありません。神にとっては最高に評価すべきことなのです。なぜなら、石はたいていの人間に対しては沈黙を守っていますが、神自身からは有機的な物体と見なされており、他のあらゆる物体よりもはるかに長い生涯を証明できる存在であるからです。』」

「『来世からは私は認められ、現世では私は軽蔑されているのです。』」



「D 結論と問題点」より:

「『精神分裂症的』世界感情に心を惹かれるこの傾向は、前の世代から横行していた合理主義からの救済を、二十年前に子供と未開人の表現形式や世界感情に求め始めた傾向と主として同じものである。この合理主義で窒息しそうに感じたのは、何も弱者だけではなかったのである。」




こちらもご参照ください:

『パラレル・ヴィジョン ― 20世紀美術とアウトサイダー・アート』
徳田良仁 『創造と狂気』 (講談社現代新書)
坂崎乙郎 『イメージの変革』 (新潮選書)
















































































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
 
うまれたときからひとでなし
なぜならわたしはねこだから
 
◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

Koro-pok-Guru
Away with the Fairies

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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