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オリヴァー・サックス 『火星の人類学者』 吉田利子 訳

「じっさい、定義に凝り固まった「健常」を基準にせず、変化した特殊な性質や必要に応じて新しい組織や秩序をつくりだす有機体の能力という面から、「健康」や「病気」という概念をとらえるべきではないかと、よく思う。」
(オリヴァー・サックス 『火星の人類学者』 より)


オリヴァー・サックス 
『火星の人類学者
― 脳神経科医と
7人の奇妙な患者』 
吉田利子 訳



早川書房 
1997年3月15日 初版発行
1997年7月15日 4版発行
317p(うち別丁図版16p)
四六判 丸背紙装上製本 カバー
定価2,500円+税
装幀: Y's Lightning
装画: ヘルマン・セリエント「火の番人」


「AN ANTHROPOLOGIST ON MARS
by
Oliver Sacks」



本文に図版2点。別丁図版29点(うちカラー18点)。



サックス 火星の人類学者 01



カバーそで文:

「脳神経に障害をもち、不可思議な症状に悩まされる7人の患者たち。しかし、彼らは超越的な能力を引き出して、困難を創造力に変えていく。
突然、色覚を失ってしまった画家は、絶望に満たされる。だがある日、真っ黒な朝焼けを見て衝撃を受け、白と黒の世界の日の出を描きはじめる。
跳びはねたり、何かに触ったりせずにはいられない奇妙なチックを起こしながら執刀するトゥレット症候群の外科医。しかし手術に没頭しているあいだは、チックは、消えてしまうのだ。
自閉症の女性動物学者は、自分を「火星の人類学者」のようだと言う。なぜなら人の感情のつながりかたが理解できないからだ。その代わり彼女には動物の心が手に取るように分かる。
彼らは皆、一様に言う。たとえ、病気が治せるとしても治したいとは思わない、これが世界に唯一の自分自身だからだと。世界的に著名な脳神経科医サックス博士が深い洞察で描く、一般人の病気観をくつがえす全米ベストセラーの医学エッセイ。」



目次:

謝辞

はじめに
色覚異常の画家
最後のヒッピー
トゥレット症候群の外科医
「見えて」いても「見えない」
夢の風景
神童たち
火星の人類学者

訳者あとがき




◆本書より◆


「はじめに」より:

「担当医師は(中略)こう言った。「一般的な指針とか制約、助言というものはあります。だが、具体的なことは自分で見つけなければならないんですよ」物理療法士のジェイも同じようなことを言った。「適応の仕方はひとによってちがうんです。神経系が自然に道を見出すのでしょう。(中略)」」
「わたしは医者だから、健康と病気という現象に、つまり、さまざまな困難や身体的変化に直面した人間という有機体がその状況に適応し、自らを再構成していくかたちの多様性に、自然の豊饒さを見てとる。
 そうした意味で、欠陥や障害、疾病は、潜在的な力を引きだして発展、進化させ、それがなければ見られなかった、それどころか想像もできなかった新たな生命のかたちを生みだすという逆説的な役割を果たすことができるのである。この疾病のパラドックス、言ってみれば「創造的な」力が本書の主なテーマである。」

「脳には驚くべき可塑(かそ)性があり、神経や知覚の障害という特殊な(往々にして絶望的な)状況にあってさえも、驚異的な適応能力があることを、患者とその人生を見ていてつくづくと感じる。じっさい、定義に凝り固まった「健常」を基準にせず、変化した特殊な性質や必要に応じて新しい組織や秩序をつくりだす有機体の能力という面から、「健康」や「病気」という概念をとらえるべきではないかと、よく思う。」

「本書に登場するひとたちは、トゥレット症候群、自閉症、健忘症、全色覚異常など、さまざまな神経学的異常の持ち主である。伝統的医学の見地では彼らは典型的な「症例」だ。しかし、同時にじつに個性的な存在でもある。ひとりひとりが独特の世界に住んで(ある意味ではそれぞれの世界を創りだして)いる。」



「色覚異常の画家」より:

「失ったものへの関心はしだいに減って、最初はあれほどこだわっていた色への関心そのものも薄れていった。」
「色を忘れて、色から離れると同時に、それまでの暮らしの色にかかわる好みや習慣、戦略からも遠ざかったI氏は、事故から二年たつと、明るい昼間ではなく薄暗い時間やたそがれにいちばんよく見えることに気づいた。光が明るすぎると、目がくらんで一時的に見えなくなるが――これも視覚システムが損われている印である――夜や夜の生活は肌にあった。彼の言葉を借りれば「白と黒でデザインされて」いるからだ。
 彼は「夜型人間」になり、よその都市や場所を探検するようになったが、それも夜に限られた。彼はボストンやボルティモア、あるいは小さな町や村にいきあたりばったりに車を走らせ、日暮れに着くと、深夜まで通りを歩き回って、通行人と話したり、小さなレストランに入ったりする。「夜になると、窓さえあれば、レストランのすべてが変わる。闇が忍び入ってきて、どれほど光があっても闇をおしのけることはできない。夜の場所へと変容するんです。わたしは夜が好きなんですよ」とI氏は言った。「わたしはだんだん夜型人間になりました。夜はべつの世界です。ひろびろとしている。通りやひとでさえぎられることはない……まったく新しい世界です」」
「(彼の言う)夜の世界では、彼も「正常な」ひとと平等か、もっと優れていると感じられる。「わたしは異常者ではないとわかるから、心が安らぎます……とても鋭敏な夜型人間になりました。わたしの視力ときたら、すばらしいですよ――夜なら四ブロック離れていても、車のナンバープレートが読めるんです。ふつうのひとなら、一ブロック離れたら見えないでしょうがね」」
「なによりも興味深いことは、頭部損傷後まもない頃にはあれほど強かった深い喪失感、それに不快感や違和感が消えたというか、逆転すらしたように思われることだ。(中略)いまでも悲しんでいることは事実だが、色に煩わされずに、純粋な形を見られるようになった自分の視覚が「高度にとぎすまされた」「恵まれた」ものだと感じるようになった。色があるためにふつうは感じとれない微妙な質感や形が、彼にははっきりとわかる。彼は、色に惑わされるふつうの者にはわからない「まったく新しい世界」を与えられたと感じている。もう、色のことを考えたり、焦がれたり、喪失を嘆いたりはしなくなった。それどころか、色覚異常を新しい感覚と存在の世界への扉を開いてくれた奇妙な贈り物だとすら考えるという。」
「事故から三年ほどたったころ、イズレアル・ローゼンフェルドが、I氏は色覚を回復できるかもしれないと言った。(中略)意外だったのはI氏の返事だった。事故の数カ月後だったら、その話を聞いて喜んだだろうし、「治療」のためなら何でもすると考えただろう、と彼は言った。だが、いまでは世界をべつの見方で見ているし、調和のとれた完全なものと感じているから、治るかもしれないと言われてもぴんとこないし、むしろ反感を覚えるという。」



「最後のヒッピー」より:

「グレッグには一九七〇年以降の記憶はないも同然だった。(中略)彼は一九六〇年代に置き去りにされている。彼の記憶、発達、精神生活はそこでストップしていた。」

「父の死以来、グレッグがあまり沈んでいるので、わたしはなにか気晴らしをさせてやりたいと考えた。そこで、一九九一年八月、彼の大好きなロック・グループ、グレイトフル・デッドが数週間後にマディソン・スクウェア・ガーデンでコンサートを開くと聞いたとき、これだと思った。しかも、この夏のはじめ、上院で音楽の治療的効果について証言したときに、ドラマーのミッキー・ハートと一緒だったので、彼とは面識があった。期日が迫っていたが、ハートの力でチケットを入手することができ、車椅子でグレッグを連れていって、音響効果が最高のサウンドボードの近くに特別の席をとってもらうことになった。」
「マディソン・スクウェア・ガーデンはものすごいひとで、ほとんどが絞り染めのTシャツを着ていた。絞り染めのTシャツを見るなど、わたしにとっては二十年ぶりのことだった。一九六〇年代に逆戻りしたような、あるいは一度もそこから離れなかったような感じだった。(中略)雰囲気に刺激されたのか、グレッグは珍しく自分から、六〇年代の思い出を話しはじめた。」
「グレッグが現在形を、あるいは近過去形を使い、すべてを遠い過去ではなく、もちろん終わったことでもなく、「たぶん一年ぐらい」前の出来事だと(したがって、またいつでも起こりうる出来事だと)思っていることは、臨床テストの結果としてみれば病理的な時代錯誤でしかないが、マディソン・スクウェア・ガーデンの六〇年代さながらの群衆のなかにいると、自然で正常なことのように感じられた。
 会場に入ると車椅子のグレッグのために、サウンドボードのそばに特別席がしつらえてあった。グレッグは時間とともにますます興奮し、群衆の叫び声を聞いてわくわくしていた。「巨大な動物のようだね」と彼は言った。それからマリファナの甘い匂いがする空気を「なんて偉大な匂いなんだ」と深呼吸した。「世界でいちばん、愚かしくない匂いだよ」」



「トゥレット症候群の外科医」より:

「トゥレット症候群のひとの目や耳を惹き、真似やくりかえしにつながるのは、奇妙な、あるいは特徴的で戯画的な事柄である。このことは、一九〇二年にメージュとフェンデルが引用した手記にも、よく現われている。」
「「わたしはいつも真似に対するこだわりを意識してきた。誰かの奇妙な動作やおかしな行動を見ると、たちまち真似したくなったし、それはいまでも同じだ。同様に、変わった単語や文章、発音、イントネーションなどもすぐに真似してしまう。
 十三歳のとき、おどけて目と口をゆがめたひとを見て、完璧に真似ができるまでやめられなくなった……数ヵ月のあいだ、わたしはその老人のしかめ面を無意識のうちに真似しつづけていた。つまり、チックになったのだ。」」

「ベネット博士は「フー、フー」とつぶやきながら、ヘレンの髪をぴんと伸ばした指先で対称的に叩いたりする。ヘレンは従順になされるがままになっていた。(中略)「わたしはありのままの彼を愛しているんです」とヘレンは言った。「変わってほしいとは思いませんわ」ベネット博士も同じだという。「奇妙な病気ですが……わたしはこれを病気だとは思わず、自分の一部だと感じています。いま『病気』と言いましたが、あんまりぴったりした言葉だとは思いませんね」」



「「見えて」いても「見えない」」より:

「モーリス・フォン・センデンは古典的な著書『空間と視力』(一九三二年)のなかで、三百年あまりにわたって明らかにされた症例をすべて見直し、新たに視力を回復した成人はすべて、遅かれ早かれ「動機づけの危機(モティベーション・クライシス)」に直面するという結論に達した。しかも、すべての患者がこの危機を克服できるとはかぎらないという。彼は、ある患者が見えることに恐怖を感じたあまり(見えるようになることは盲人用の施設を離れ、そこにいる婚約者とも別れることを意味した)両眼をくりぬこうとしたと述べている。また彼は、「盲人のようにふるま」ったり、「見ることを拒否」した患者の例を次々にあげ、そのほかにも見えるようになったらどうなるかを恐れて、手術を拒否した患者たちがいたと記している(中略)。グレゴリーとヴァルヴォも盲人に新しい知覚を強要することが、彼らの心をどれほど動揺させるかをくわしく記し、最初の有頂天のあと、深刻な(ときには致命的な)鬱状態がやってくると述べている。
 まさにそれと同じことが、グレゴリーの患者S・Bに起こった。病院にいるあいだ、S・Bは非常に興奮していたし、認知力も進歩していた。だが、期待どおりにはいかなかった。手術の六ヵ月後、グレゴリーはつぎのように書いている。

   どうやら、彼は視力にまったく失望したようだ。見えるようになって、できることは多少増えた……だが、視力の回復によって与えられるチャンスは彼が想像したほどのものではなかった……彼はいまでも、かなりの部分は盲人として暮らし、夜になっても明かりをつけないことすらある……隣人たちともうまくいかなくなった。隣人たちは彼を「おかしい」と考え、職場の同僚は(以前は、彼に感心していたのに)いたずらをしたり、字が読めないとからかったりしはじめた。

 S・Bの鬱はだんだんひどくなり、体調を崩し、手術の二年後に世を去った。以前はどこも悪いところがなく、健康で生活を楽しんでいた彼は、亡くなったとき、まだ五十四歳だった。」

「盲目になるとはじめは恐ろしい喪失感と無力感を味わうだろうが、時とともにその思いは薄れ、適応や性向の変化が進めば、非視覚的世界を再構築し、それに慣れていく。非視覚的世界では条件も存在形態も異なるが、そこには独自の感覚と一体感、感情がある。ジョン・ハルはこれを「深い盲目」と呼び、「人間のあり方のひとつ」だと言っている。」

「こうして、「奇跡的に」視力を回復した盲人ヴァージルの物語は、(中略)過去三世紀の何人かと同じ経過をたどったが、最後は奇妙に皮肉なひねりがきいていた。」
「視力が戻った当初には驚き、感激したし、ときには喜びもあった。(中略)だが、やがて見ることと見ないこととの葛藤が生じた。見える世界をつくりあげられないのに、自らの世界は捨てなければならないという葛藤だ。彼はふたつの世界のあいだで引き裂かれ、どちらにいても落ち着けなかった。逃げ場のない苦しみである。だが、皮肉なことに二度目の決定的な盲目というかたちで、救いが与えられた。盲目を彼は贈り物のように受けとった。ついにヴァージルは見なくてもすむようになった。わけのわからないまばゆい視覚の世界と空間から逃れることを許され、ほぼ五十年慣れ親しんだべつの感覚の世界に、ようやく身を落ち着けることができたのである。」



「夢の風景」より:

「精神分析医のアーネスト・シャクテルはプルーストに関して述べており、プルーストについて、「過去のものごとの思い出」を追い求めるために、「活動や現在の楽しみ、将来への懸念、友情、社会的つながりなど、ふつうひとが生き生きした暮らしと考えるものをすべて否定してはばからない」と見ている。」

「フランコはつねにポンティトに戻る夢を抱いていた。いつも「再会」や「帰郷」について話していたし、ときには母がまだ生きていて、うちで彼の帰りを待っているかのような話し方をした。だが、帰る機会は何度もあったのに、彼は帰ろうとしなかった。「ポンティトに戻るのを引きとめるなにかがあった」とボブ・ミラーは言う。「どんな力、恐れなのか、わたしにはわからないが」フランコは一九七〇年代にポンティトの写真を見てショックを受けた。畑や果樹園が消えて、草が生い茂っている風景に、彼はすくみあがった。一九八七年にシュワルツェンバーグが撮った写真もろくに見られなかった。それは彼のポンティト、子供時代のポンティト、彼が二〇年以上も幻や夢に見、描いてきたポンティトではなかった。
 ここには皮肉なパラドックスがある。フランコはいつもポンティトのことを考え、幻を目にし、描き、限りなく求めつづけてきた。だが、どうしてもそこへ戻る気にはなれなかった。しかし、ノスタルジーの核心にあるのは、まさにこうしたパラドックスである。ノスタルジーというのは、決して実現しない幻想、満たされないからこそ持ち続ける夢だからである。(中略)偉大なる懐旧のひとプルーストについて、精神分析医のデヴィッド・ウェアマンは「ノスタルジーの美的結晶」を語っている。芸術と神話のレベルにまで昇華されたノスタルジーである。」
「私たちは結局は過去からの亡命者なのだ。だが、フランコの場合、とくにその思いが強い。彼は自分を、永遠に失われた世界の記憶をもつたったひとりの生き残りだと感じている。」



「神童たち」より:

「デヴィッドはスティーヴンの素性について話してくれた。(中略)二歳上の姉のアネットとちがって、赤ん坊のスティーヴンは発達の目安となるお座り、たっち、手の動き、歩行などの運動能力に遅れが見られ、抱かれるのをいやがった。二歳から三歳のころには、さらに問題が生じた。ほかの子供と遊ばず、そばによってくると悲鳴をあげたり、隅っこに隠れたりするようになった。また、両親とも誰とも視線をあわせようとしなかった。ひとの声に反応しないこともあったが、聴覚は正常だった(彼は雷にひどく怯えた)。なによりも心配なことは、言葉が出ないことだった。」
「小児自閉症という診断がくだされ、発達障害児のための特殊学校に入学することになった。(中略)四歳で入学したスティーヴンはひどく孤立していたという。彼はほかのひとたちの存在に気づかないようで、周囲にまったく関心を示さなかった。」

「クリストファー・ギルバーグは、癌で母親をなくした十五歳の自閉症の少年について書いているが、どんな具合かと聞かれて、少年はこう答えたという。「ああ、だいじょうぶです。ぼくは自閉症だから、愛するひとを失っても、ふつうのひとほど傷つかないんですよ」」

「(彼は不器用そうだが、ある種の運動能力は抜群だった。自閉症のひとたちによくあるように、何の練習も必要ない。アムステルダムでは、初めてなのに、ハウスボートにかかった狭い渡り板をためらいもなく渡ったという。その話を聞いて、わたしは以前会った自閉症児を思い出した。その子はサーカスで綱渡りを見たあと、いきなり恐れることなく巧みに綱渡りをしたのである)。」

「スティーヴンには限界があり、変わった特異な人間で、自閉症かもしれない。だが、そのおかげで、彼は重要な世界の表現と探索というめったに成し得ないことができるのだ。」

「自閉症は誰ひとりとして同じではない。病態や現われ方はすべてちがう。」

「ウタ・フリスは『自閉症の謎を解き明かす』のなかにこう書いている。「自閉症は……消えない……(中略)修正したり置き換えたりできないなにかがそこにはある」彼女は、その「なにか」には逆の側面もあるのではないかと推測する。それは、一種の倫理的、知的な強さ、あるいは純粋さといったもので、通常とはあまりにかけ離れているがゆえに、常人の目には高貴であるとか、馬鹿げているとか、恐ろしいと見えるかもしれない。フリスはこのことから、昔のロシアの聖なる愚者、フランシスコ修道会の最初の信徒だったジネプロ修道士、(中略)変人で奇妙なこだわりが強かったシャーロック・ホームズと、その「百四十種類のパイプや葉巻、紙巻きタバコの灰に関する小論文」、「ふつうの人間の日常的な感情に曇らされない明晰な観察力と推理力」、そして通念にとらわれた警察が解決することのできない事件の解決を可能にする非因襲性について考える。アスペルガー自身も「自閉的知性」について、伝統や文化にほとんどとらわれない知性の一種で、非因襲的で非正統的で、奇妙に「純粋」で独創的な、真の創造的知性に似たものであると記している。」



「火星の人類学者」より:

「テンプルは学校で友達に強く憧れ、(二、三年、彼女は空想のなかで友達をつくっていた)友達になると徹底的に忠実だったが、彼女の話しぶりや行動には他人を遠ざけるなにかがあり、(中略)仲間として完全には受けいれてくれなかった。「自分がどんな悪いことをしたのかわかりませんでした。不思議なことに、自分がひととちがっているという認識がわたしには完全に欠けていたのです。わたしは、ほかの子供が変わっているのだと思っていました。どうして、自分が仲間に入れないのか、さっぱりわかりませんでした」ほかの子供たちにはなにかが起こっていた。非常な勢いでつねに変化している微妙ななにかだ。意思のやりとり、交渉、相互理解のすばやさ、それらがあまりに驚異的なので、ほかの子供たちにはテレパシーがあるのではないかと思ったほどだった。彼女にはそうした社会的な信号の存在が感じとれなかったからだ。いまでは推測できるが、しかし感じとることはできないし、この魔法のようなコミュニケーションに直接参加することもできず、その裏にある重層的で万華鏡のような心の状態を理解することもできないと、彼女は言った。(中略)だから、ときおり自分をのけもの、エイリアンだと感じるのだ。」

「決定的な出来事が起こったのは、十五歳の時だった。彼女は家畜を押さえるのに使う締め上げシュートに魅せられた。科学の教師は彼女のこだわりを馬鹿にせず、まじめに受けとめて、自分でつくってみたらどうかと勧めた。(中略)このときテンプルは、日常的な言葉や社会的な言葉に対する理解はあいかわらずおかしかったけれど――ほのめかしや仮定、皮肉、比喩、冗談がわからなかった――科学および技術の言葉の世界は非常に楽なことに気づいた。そちらは明晰で明示的で、暗黙の前提に左右されることがずっと少なかった。彼女にとって社会的な言葉はむずかしかったが、技術的な言葉はずっと容易だった。そこから科学への道が開かれたのだ。」

「知的、感情的エネルギーの大半を科学に向けることによって、あるレベルの問題は解決したとしても、ほかの部分の緊張や不安、さらには苦悶が残っていた。(中略)テンプルは自分が決して「ふつうの」人生は送れず、それにともなう「ふつうの」満足――愛情や友情、娯楽、社交――は味わえないかもしれないことを認識させられはじめた。この年頃の才能ある自閉症の若者には悲惨で、絶望や自殺の原因にすらなりかねないことだ。」

「じっさい、自閉症のひとたちの一部は、緩和できない強烈な異質感をもつあまり、なかば冗談に自分たちは別の種なのだと思うという(中略)。彼らに言わせれば、自閉症は特殊な医学的状態で、症候群として病理現象扱いされるとしても、それと同時にある全的なあり方、まったく異なった存在の態様あるいはアイデンティティとして見るべきであり、そこを意識し、誇りをもつ必要があるという。」




サックス 火星の人類学者 02








こちらもご参照ください:

シモーヌ・ペトルマン 『詳伝 シモーヌ・ヴェイユ』 杉山毅/田辺保 訳 (全二冊)
阿部謹也 『「世間」とは何か』 (講談社現代新書)
サミュエル・ベケット 『ジョイス論/プルースト論 ― ベケット 詩・評論集』 高橋康也 他 訳
マルグリット・ユルスナール 『目を見開いて』 岩崎力 訳 (ユルスナール・セレクション)
『夢野久作全集 6』 (三一書房版)















































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中井久夫 『西欧精神医学背景史』 (みすずライブラリー)

「近代ヨーロッパにおけるアラビア文化の過小評価には、しばしば不当な点がある。」
「実際八世紀に始まる彼らの最盛期には、バグダッドをはじめとする主要な都市において完備した精神病院があり、休息、音楽、水浴、体操など、古代世界の精神病院の伝統を継承し、それを発展させた医療が行なわれていた。(中略)この精神病院はその文化に対応して、オアシスをモデルとして精神的オアシスを指向したのではないかとも読みとれる。」

(中井久夫 『西欧精神医学背景史』 より)


中井久夫 
『西欧精神医学背景史』
 
みすずライブラリー


みすず書房 
1999年12月10日 第1刷発行
2002年3月20日 第4刷発行
237p 目次iii 索引ix 
付記・著者略歴2p
四六判 並装 カバー
定価2,200円+税
カバー: フェルメール《小径路》、描かれているのは養老院の建物。



本書「あとがき」より:

「私が中山書店の「現代精神医学大系」にこれを書いたのは、一九七〇年代後半、私の年齢は四〇歳代前半であった。」
「以来、世界も私も四半世紀を生きた。その間に多くの研究がなされ、多数の書物が出版された。しかし、敢えて私は、注や参考文献に至るまでほぼ当時のままを、最小限の訂正と追加で出版することにした。私には、もはや、これを書き直して、別の書籍とする気力、体力、知力、整理力と、おそらく時間がない。この一九七〇年代というコンテクストのもとに、私が当時の私の乏しい全てを投げ込んだ、西欧精神医学理解のための西欧史、必ずや初歩的な誤りさえを含むにちがいない若書きを読者の前に投げ出す他はない。」



本文中「図」15点、「表」1点。



中井久夫 西欧精神医学背景史



カバー裏文:

「〈精神医学史を書こうとする試みは、いつもヨーロッパの歴史そのものに入り込み、そこに湧く疑問に取り組むことになる。それ抜きにただの「精神医学史」を書くことを私はいさぎよしとしなかった〉――「あとがき」より
 古代ギリシアから中世の魔女狩りを経て、市民社会の成立へ、ヒポクラテース、ガレノスからブールハーフェ、ピネル、そしてフロイト――幾多の分水嶺を持ちながら現代に至る精神医学の流れを、西欧の宗教的倫理観・人間観との関連の中で縦横無尽に論じたユニークにして驚嘆すべき幻の書。
 キリスト教と意識概念との関連、1970年代以後の動向についての一文を新たに付す。」



目次:


1 古代ギリシア
2 ギリシア治療文化の外圧による変貌
3 ヘレニズムに向かって
4 ローマ世界とその滅亡
5 中世ヨーロッパの成立と展開
6 魔女狩りという現象
7 魔女狩りの終息と近代医学の成立――オランダという現象
8 ピネルという現象――一つの十字路
9 ヨーロッパ意識の分利的下熱
10 ピューリタニズムと近代臨床
11 フランス革命=第一帝政時代と公式市民医学の成立
12 啓蒙君主制下の近代臨床建設
13 新大陸の“近代”
14 大学中心の西欧公式精神医学
15 力動精神医学とその反響
16 一九世紀の再展望と二〇世紀における変化
17 西欧“大国”の精神医学
18 西欧“小国”の精神医学
19 ロシアという現象
20 “向精神薬時代”と巨大科学の出現
21 神なき時代の西欧精神医学
22 ヨーロッパという現象


参考文献
一九九九年の追記
あとがき
人名索引




◆本書より◆


「1 古代ギリシア」より:

「アルカイク期の緊張の中で狂気への対処が大きな問題となってきた。プラトーンは狂気を「神の働きにより、習慣となった社会のしきたりを逸脱することにより生じるもの」として、予言的狂気(アポルローン)、密儀的狂気(ディオニュソス)、詩的狂気(ムーサ)、エロス的狂気(アフロディテー、エロース)の四つを区別したが、このおのおのは狂気であると同時にその治療でもあった。
 アポルローンの予言者は、自分の中にダイモーンの声とされる第二の声をもち、その声と対話し、未来を予言した。彼は世界の一見の混沌の背後に知と目的があることを保証し、未来や隠された現在の意味を教え、「人間としての分際をわきまえ、父の言いつけどおりに行動すればあなたは明日(引用者注:「明日」に傍点)安全に過ごせるだろう」と告げた。(中略)保守的・権威的・個人的治療であり、選ばれた少数者、男性文化に属しているといいうるだろう。」
「ディオニュソス的治療は差別されたもの、特に女性に訴え、集団で、ともに叫喚し脱魂状態で笛や太鼓に合わせて舞踊(オルギア orgia)した。オルギアは伝染性だった。ドッズはいう。「ディオニュソスは自由を差し出した……「差別を忘れなさい。そうすればあなたは合一を発見するでしょう。信徒の群に加わりなさい。そうすればあなたは今日(引用者注:「今日」に傍点)幸福になれるでしょう」」。すなわち前者の未来の予見に基づく知的説得に対して、後者は現在の自由と幸福の体験の中で生命的更新を体験するものである。アポルローンの予言が形骸化しつつ、後代まで為政者が思案に余ったときに仰ぐものになるのに対して、ディオニュソス的治療は後述の多くの密儀的治療の先駆となる。
 第三の詩的狂気は例外者のためのものである。ムーサイ(ミューズ)は元来、山のニムフであった。詩人となる運命の者はその出立期に荒寥たる山中や風の吹き荒ぶ峠でムーサイに出会い、山を降りてムーサイの解釈者=詩人となる。しかし一方でムーサイに会うことは危険を伴うことという認識があった。(中略)これはエランベルジェが“創造の病い”とよぶものに近いかもしれない。恍惚状態において詩作する熱狂的詩人という観念は前五世紀以後のものらしく、おそらくディオニュソス運動の副産物であろう。デモクリトスは狂気なくして偉大な詩人たることを否定し、プラトーンは「われわれの最大の祝福は狂気によって生ずる、もしそれが神の贈与による狂気ならば」(『パイドロス』二四四A)といった。」



「2 ギリシア治療文化の外圧による変貌」より:

「アスクレピオスは素性の知れない神であり、その出自についてはいろいろな説がある。アスクレピオスの表徴である杖、犬、蛇はバビロニアにおける医師のマークであり、フェニキアの医神エシュムンとの異同が問題になるなど、東方起源の疑いがあり、ギリシア世界での初の登場は辺境テッサリアのトリッカの地下の巣窟(アデュトン adytōn)に住む神としてである。しかし不思議な力(デュナミス dynamis)をもって病人を癒し人々の驚きと喝采を博し、時に「もう一人のゼウス」、「陰府の国のゼウス」といわれ、町から村へと杖を片手に病人をたずね歩く姿が死者の霊あるいは地霊のごとくであった。」


「3 ヘレニズムに向かって」より:

「プラトーンは多くの点で、当時すでに数千年の伝統をもつ古代オリエント世界の最後の哲学者であるといえるだろう(中略)。詩人として出発し、神話と象徴をもって語り、思弁的、一切包括的、超越的な構想力、理念型“アイオーン”による認識であり、著しくシンタグマティズム(syntagmatism 統合主義)的であり、僭主ディオーンとの関係もオリエントの賢者のごとくである。これに対してアリストテレースは、直示的言語を用い、論理的厳密さ、言語批判、世界内の実例枚挙、分類による認識すなわちパラディグマティズム(paradigmatism 範例主義)的であるといえよう。(中略)この師弟の懸隔は、(中略)“世界の荷託を受けた人”と“職業哲学者”との相違といってもよい。」
「プラトーンがわれわれの問題の範囲では回教圏における哲学者(賢者政治家にして医師)の範例として存在しつづけ(中略)、近代ヨーロッパにおけるプラトニズムの系譜に継承されるのに対し、アリストテレースはさしあたりヘレニズム時代の職業的科学者の範例となる。」



「5 中世ヨーロッパの成立と展開」より:

「近代ヨーロッパにおけるアラビア文化の過小評価には、しばしば不当な点がある。」
「実際八世紀に始まる彼らの最盛期には、バグダッドをはじめとする主要な都市において完備した精神病院があり、休息、音楽、水浴、体操など、古代世界の精神病院の伝統を継承し、それを発展させた医療が行なわれていた。(中略)この精神病院はその文化に対応して、オアシスをモデルとして精神的オアシスを指向したのではないかとも読みとれる。ヨーロッパ世界はアラビアの精神病院をモデルとして、まずスペインに同様の施設を建設するが、オアシス的休息の意味は、勤勉を価値とするヨーロッパ文化に継承されなかった。」

「修道院は今日もなおその姿をとどめているように、一つの閉鎖的、経済的な全体性をもっており、多くの職人とともに俗人としての医師が住み込み、事実、少なくとも四床のベッドを設置することが義務づけられていた。今日でもアトリック圏では看護婦の相当数が尼僧であるように、修道院において古代世界の事実上まったく知らなかったもの、すなわち病人の看護という医学的実践が神への奉仕の名の下にせよ行なわれはじめた。悪魔に憑かれたと信じた多くの人たちは、それを告解したのち修道院に送り込まれ、祓魔術(エクソルシスム exorcismus)を受けたが、それには今日の精神療法に近い要素が含まれていた。また病人として看護され、ある者は生涯修道院にとどまり、そこで絵画、工芸、農耕など自らの選んだものをなしつつ一生を終えることもありえた。」

「中世封建時代においては、今日精神障害者とよばれる人たちが、今日よりも閉鎖的な社会において、ある一定の役割をしていたと考えられるふしがある。たとえば、聖盃伝説の登場人物などにその跡を辿ることができるように、“阿呆”や“気狂い”は最も端的に真理を告知する役割を果たすものとして一種の畏敬の念さえもたれていた。中世においては、現在の「正常対異常」の対概念が存在しなかったことを注意しておく必要がある。一般にいずれが神に近いかが問題であり、知的傲慢は宗教当局によってむしろ警戒された。」



「6 魔女狩りという現象」より:

「魔女狩りが中世の産物であるという通念はまったくの誤りである。魔女狩りはおおよそ一四九〇年、すなわち、まさにコロンブスがアメリカを発見し、ヴァスコ・ダ・ガマがインドに到達するのとほぼ同時期に行なわれ、一七世紀――ヨーロッパでは一八世紀後半、メキシコでは一九世紀まで継続した、三―四世紀にわたる現象であって、ルネサンスから近世への転換期におけるほとんど全ヨーロッパ規模の精神病者狩りを含むものである。」

「以上のように魔女狩りには実に種々の要因があるけれども、基本的に生産力の減退に関わるもの、それと関連してその地の政治家官僚の責任転嫁であったことを支持する証拠は、第一に魔女狩りがつねにその地域の問題であったことである。(中略)魔女狩りはたとえ宗教戦争によって激化された面があるとしても、それは二次的なものであった。この問題に関してだけはカトリックとプロテスタントがその立場を越えて互いに協力するという現象がみられるからである。(中略)また教会人も世俗人もともに協力しあった。つまり魔女狩りは非常に広範な“合意”、“共同戦線”によって行なわれたのである。(中略)すべての魔女を火刑にするという酷薄さには、ペストに対してとられたと同様に酷薄な手段、すなわち患者を放置し患者の入市や看護を死刑をもって禁ずるという方法が有効であったことが影響を与えているだろう。」
「むろんすべての精神病者が魔女狩りの対象になったわけではなかった。彼らの多くは癩者に代わって施設に収容された。」

「おそらく近代のヨーロッパはその誕生の時期にあたって、その試練に対し未来の予知による知的、全体的解決という統合主義 syntagmatism による幻想的応答を行なったのであり、これを取り消して現実原則にのっとった勤勉の倫理による応答に変化するためには、自らに代わって無垢なる少女が贖罪の山羊として燃やされねばならなかったのであろう。」
「ヨーロッパや日本でみられた方向転換と逆に宗教政治の方向に徹底改革したのが、チベットのツォン・カパによる黄帽派改革であろう(中略)。」



「9 ヨーロッパ意識の分利的下熱」より:

「人々の心は現世的なものに向かい、巡礼に代わる旅行、参詣に代わる観劇が前景にでてきた。(中略)多くの修道院は廃墟と化した。それは今日テラワーダ(いわゆる小乗)仏教がもつ一時僧の機能のごとき、現世を避ける人々(いわば“嫌人権”を行使する人々)を受容する場をヨーロッパが失ったことである。人々は容赦なく貨幣経済に巻き込まれ、労働か投機に身を投じなければならなかった。」


「10 ピューリタニズムと近代臨床」より:

「ピューリタニズムの倫理自体を人を精神病に追いやるものとして最初に告発した人はおそらくサリヴァンである。彼自身はアイルランド系カトリックの家系に生まれ、彼の母にはキリスト教以前のアイルランド民間伝承の世界さえ残っていたが、聖アウグスティヌスの流れに立つアイルランド・カトリシズムはいちじるしく清教徒的であった。(中略)そして、自分に最も近い宗教はフレンド協会(クェーカー)であると漏らしていた。
 第二次大戦後、すでに富裕な医師となっていた長老教会牧師の子R・D・レイン(中略)が、妻が南フランスに別荘を求めようとしたのを契機に反精神医学にはいる。二人に共通な点は、プロテスタント家庭の幼児教育の告発に重点があることと(サリヴァンはまた、アメリカ合衆国の青少年・成人における「成功の原理」 achievement principle を告発している)、彼ら自身の禁欲性であって、ピューリタニズムの倫理がピューリタン的に告発されているということができるかもしれない。(中略)さかのぼれば、カルヴィニスト牧師の子であって自然への還帰を唱えたジャン=ジャック・ルソーが、(中略)予告者・先駆者といえなくもない。彼の教育論『エミール』は今日ならば反教育論といわれるであろう。彼は精神医学に直接関係しないが、アンシャン・レジームにおける精神病院改革に始まる、その影響は今日までなお十分測深できぬ深さがある。」



「11 フランス革命=第一帝政時代と公式市民医学の成立」より:

「一八世紀の収容所は今日のインドの停車場さながらであった。船を待つ流刑囚や売春婦と彼らは共にあった。しかし彼らにはある種の自由があった。そこは「安心してクレージーになれる場所」(ホワイト)であり、ときにホガースの版画にみるごとく王と思うものは王の服装をしてよかった世界であった。」


「22 ヨーロッパという現象」より:

「西欧は、また、世界が次第に好ましい方向に向かい、人類社会が進歩するとみる点で特異である。大多数の文明はむしろ世界は次第に頽落しつつあるという信念あるいは神話を持っていた。」
「進歩とはなかんずく、邪悪なるものの排除であった。この観点からする時、魔女も、働かざる者も、理性をもたざる者も、伝染病者も、いな病いもその原因たとえば細菌も、(中略)ひとしく排除清掃されるべきものであった。病気あるいは病者との共存は今後の課題となろう。
 進歩と排除の伝統は次第に前景に出て、近代においては、神にとって代わる科学をその表象とする「進歩の宗教」(ドースン)に近づいた。「神は死んだ」とニーチェが宣告してから久しい。」



「一九九九年の追記」より:

「一九七〇年代の学園紛争とフラワー・チルドレンの後を継いだ、その申し子は、フェミニズムとエコロジズムであった。フェミニズムによる女性虐待の告発と、ベトナム帰還兵症候群の研究は、DSM体系に、疾患の原因を問わない操作主義診断の例外として、「外傷後ストレス症候群」(PTSD)を加えさせた。内的生活史と心内葛藤に重点を置く従来の精神医学に対して、虐待の歴史と外傷体験に重点を置く精神医学が、社会批判を伴って登場した。外傷を重視しつづけたジャネが一世紀を隔てて新しく読まれるようになった。」







こちらもご参照ください:

エドワード・W・サイード 『オリエンタリズム』 今沢紀子 訳 (平凡社ライブラリー) 全二冊
澁澤龍彦 『ヨーロッパの乳房』
アッタール 『イスラーム神秘主義聖者列伝』 藤井守男 訳
ハンス・プリンツホルン 『精神病者はなにを創造したのか ― アウトサイダー・アート/アール・ブリュットの原点』 林晶/ティル・ファンゴア 訳
ガーミニ・サルガードー 『エリザベス朝の裏社会』 松村赳 訳






































































グレン・グールド/ジョナサン・コット 『グレン・グールドは語る』 宮澤淳一 訳 (ちくま学芸文庫)

「ああそうでした。(中略)話をもとに戻すのを忘れていました。」
(グレン・グールド 『グレン・グールドは語る』 より)


グレン・グールド 
ジョナサン・コット 
『グレン・グールドは語る』 
宮澤淳一 訳
 
ちくま学芸文庫 ク-19-1 


筑摩書房 
2010年10月10日 第1刷発行
189p+36p
文庫判 並装 カバー 
定価1,100円+税
装幀: 安野光雅
カバーデザイン: 高柳一郎
カバー写真: オーモンド・ジリ、1965年



本書「訳者解説」より:

「一九七三年六月下旬の晩、社員の帰ったあとの『ローリング・ストーン』ニューヨーク支社で、コットはトロントにいるグールドと電話で話した。三晩を費やした通話でのインタヴューは合計六時間に及び、コットはそれを二部構成にまとめた。
 かくして「グレン・グールドへのローリング・ストーン・インタヴューは、翌七四年の通巻第一六七号(八月一五日)と第一六八号(八月二九日)の二号にわたって掲載された。」
「一九八四年、コットは(中略)新たなエピソード「ジョージ・セル事件」を加えて、(中略)小さな本を作った。それが本書の原書、Jonathan Cott, *Conversations with Glenn Gould* (Boston: Little, Brown and Company, 1984; Chicago: University of Chicago Press, 2005)であり、(中略)グレン・グールドの思い出に捧げられた。」
「原書にはグールド本人の写真しか掲載されていないが、今回、(中略)関連する写真をところどころにちりばめ(中略)た。小見出しを独自に付し、索引も整えた。巻末付録は、(中略)訳者の判断で補足を試み、日本での「カレント・ディスコグラフィー」も加えた。」
「カバーには(中略)オーモンド・ジリ(Ormond Gigli)による肖像を求めた。」



本文・解説中に図版(モノクロ)37点、楽譜1点。
本書はヤフオクストアで550円(3,000円以上購入で送料無料)で出品されていたのを落札しておいたのが届いていたのをよんでみました。



グレン・グールドは語る



カバー裏文:

「1955年録音の《ゴルトベルク変奏曲》以来、群衆を圧倒し続けたピアニスト、グレン・グールド。精緻で独創的な解釈に裏打ちされた演奏で聴衆を熱狂させた一方、奇矯なステージマナーや不可解な生活スタイルで神話化された天才が、みずからの音楽や思想を、心を開いて語り尽す。独特な演奏法について、ピアノのタッチについて、ポップミュージックについて……。1970年代アメリカを象徴する『ローリング・ストーン』誌に掲載されたロング・インタヴュー。新訳・写真多数。」


目次:

謝辞

はじめに

第1部

グレン・グールド・フォトアルバム

第2部

ジョージ・セル事件

訳者解説 (宮澤淳一)

付録
 レパートリー・リスト
 カナダ放送協会所蔵のテープ・コレクションより
 ラジオ番組
 テレビ番組
 フィルモグラフィー
 カレント・ディスコグラフィー (宮澤淳一 編)
 索引




◆本書より◆


「第1部」より:

「ムカデの気持ちになるから、と言って、シェーンベルクは音列の使い方を質問されるのを恐れていた。ムカデは百本の足の動かし方を考えるのが嫌いです。能力を損なわれるからです。動かし方を考えるとまったく歩けなくなるのです。」

「場所はテルアヴィヴ。(中略)私は演奏旅行の最中でしたが、使ったピアノが本当にお粗末な楽器でした。(中略)十八日間で十一回の公演をこなしていました。(中略)十一回のうち八回は、この怪物ピアノでやったと思います。
 とにかく、曲目を切り替える日が来ました。困ったのはむしろこのときです。なぜなら、それまでは昔のレパートリーを弾いたときの経験に基づく触感の記憶でうまく済ませていたのですが、今度は急に切り替えなくてはならなくなったからです。(中略)それは惨めなものでした。実にぶざまな弾き方になってしまった。というのは、怪物ピアノに屈したからです。(中略)そのときの私はピアノという媒介物を通して即時に与えられるものにしか反応できなくなっていたらしいのです。
 そこで私は自動車に乗り込みました。」
「砂丘まで車を走らせ、こう考えた。今日の演奏会をやり遂げる唯一の方法は、自分の知る限り最良の触感的環境を再現させることだ、と。当時その触感的環境とは、(中略)世紀の変わり目(一八九五年頃)のチッカリングです。おそらくアメリカ大陸で作られた最後のクラシック・ピアノでしょう。」
「私は砂丘の上に停めた自動車の席に座ったまま、居間にいる自分を想像しました。まず居間を想像しましたが、これには努力が要りました。その時点で三ヵ月も離れていたからです。次に居間のどこに何があるかをすべて想像し、それからピアノを映像化しました。」
「とにかく私は車内にいて、海を見つめながら、すべてを頭の中にきちんと収め、その日の残りの時間、その触感のイメージを失うまいと必死に努めました。(中略)その結果ですが、少なくともピアノが最初に入ったときには、ぞっとしました。音がほとんど出なかったのです。」
「でも、ふとこう思いました。そうか、こんな鳴り方をするのも当然だ。別の触感をイメージして弾いているのだから、と。そのうち楽器とのあいだで譲歩も生まれ、調整ができました。」

「私はあまり練習をしなかった。今はまったくと言ってよいほど練習しませんが、当時でさえ楽器の奴隷になりようがなかった。ピアノから離れて楽譜を勉強する癖があったからで、完全に暗譜してからピアノに向かうようにしていたのです。もちろんこれも、何らかの強い表現行為から触感を切り離す作業と考えられます。」

「結局、どんなピアノを弾くときでも触感の問題は避けられない。だからこそ、その現実認識をそっくり拭い去るようなピアノへの接し方を、まず見つけることが肝要なのです。」
「つまり、分析的な完全性(引用者注:「完全性」に傍点)(completeness)は、ピアノから離れてさえいれば理論的には獲得可能です。ピアノに向かった瞬間、触感上の妥協を強いられ、完全性の程度は下がります。そして必ず妥協点を見つけることになりますが、理想を追求した分だけ妥協しないで済むのです。」

「■なぜ鼻歌を歌うのか」
「あの歌声には何の価値もありません。ただどうしても歌ってしまうのです。子供の頃、九歳か十歳で、本当に子供だった頃、学生コンサートで得意の曲を弾くと、今の私が最新盤について指摘されるのとまったく同じことを言われました。本質的に変わっていない。歌うのをやめないからです。」

「オルガンとハープシコードのレコードを作ったとき、それぞれの楽器でまったく練習をしませんでした。いずれも事前の練習に使ったのはピアノだけです。」

「一九四〇年代、私が十代の頃、彼女(引用者注:ロザリン・テューレック)は繊細なバッハを弾いていると思える唯一の人でした。当時の十四歳、十五歳、十六歳の私は、バッハの弾き方をめぐって、教師と闘っていました。白旗を掲げる気はありませんでしたが、彼女のレコードはどれも、私が孤軍奮闘しているのではないことの最初の証拠となりました。」

前からお尋ねしたかったのは、あなたのラジオやテープの実験で現われる分身(ドッペルゲンガー)症候群の拡張部分のことです。これまでに小さなテープ・ドラマをいくつか作られていて、そこにはあなたの頭の中に住んでいると思われるたくさんの「人格(パーソナリティ)」が登場します。
「ラジオで、(中略)私にとって最も楽しい瞬間とは、物真似を演じるときです。」
「真面目な話、私ははっきりこう確信しているのです。すなわち、自分の人格のある部分は、特定の生き方や特定の名前が決める構造の中でこそ効果的に機能するのだと。また、人格の別の部分は、これらの要素を変化させない限り、最良の機能を果たさないかもしれないのです。たとえばこの私がユーモラスなスタイルを持続させて文章を書けるようになったのは、変名でみずからを語る能力を発達させてからです。」
「それまでは心理的な規制が働いてできなかった。でも水門が開いてからは、季節ごとに新しい人物を生み出せるようになったのです。」



「第2部」より:

「どの程度が効果的な比率なのかわかりませんが、他人と一緒に一時間を過ごせば、あとでそのX倍の時間をひとりで過ごさなくてはならない。いつもそう感じてきました。(中略)いずれにせよラジオは子供の頃からとても身近なメディアで、私はほとんど途切らすことなく聴いていました。だから私にとっては壁紙なのです。ラジオをつけたまま眠りましたし、実際、今の私はラジオをつけておかないと眠れないのですよ、睡眠薬のネンブタールを服用しなくなって以来(笑)。」
「人はそれなりに孤独な生活を送ることができるという仮定と、四六時中背景でラジオを流すことが心の支えとなるという事実とのあいだに決定的な矛盾があると思ったことは一度もありません。これについては、ラジオの地からの純物理的な実行例を先週お話ししましたね。精神的な妨害を遮断する力です。」
「私の生涯で最良の一ヶ月は――しかも、かなり孤独でいられたため、いろいろな意味で最も大切な一ヶ月でしたが――それは、ハンブルクでの滞在でした。実はそこで病気になりまして……。」
「治るのに約一ヶ月かかる病気でした。とにかく私はなかば隔離された状態でフィーア・ヤーレスツァイテンに滞在しなくてはならなかったのですが、ハンブルクに知り合いが誰もいなかったことが、いちばんありがたかったですね。あれは私のハンス・カストルプ〔トーマス・マンの『魔の山』の主人公。山中の療養施設に滞在〕時代だったと思います。本当に素晴らしかった。
 そこには昂揚感(a sense of exaltation)がありました。慎重に使うべき言葉ですが、あの独特な孤立感を的確に表現する言葉はこれしかありません。大半の人が体験をみずからに禁じている感覚です。それは確かです。(中略)しかし、バランスを取り戻し、私がさきほど論じた比率を回復させる方法があるはずです。遅かれ早かれ、私は闇の中で冬を過ごす予定です。これも確かです。」

「創意とは、自分に期待されるものとはいくぶん違った前提を固守するときに用いる精妙さと関係があると思います。」




◆感想◆


本書に指揮者ジョージ・セルのグールド評「あいつは変人だが天才だよ」が引用されていますが、セルがいいたいのは、音楽の天才だから変人であることは大目に見る、ということですが、わたしなどがグールドに興味を抱くのはひとえにグールドが「変人」であるゆえでありまして、「天才」などどうでもよい、というか、「変人」であることがすなわち「天才」であって、音楽の才能も「変人」あってこそです。






こちらもご参照ください:

フェルナンド・ペソア 『不穏の書、断章』 澤田直 訳編
ノーマン・マルコム 『ウィトゲンシュタイン』 板坂元 訳 (講談社現代新書)
Th・W・アドルノ 『アルバン・ベルク』 平野嘉彦 訳 (叢書・ウニベルシタス)




























































ダニエル・パウル・シュレーバー 『ある神経病者の回想録』 渡辺哲夫 訳 (講談社学術文庫)

「私自身はといえば、黒い外套と黒いシルクハットを身につけて庭園の椅子にすわっているときには、遠い過去の時代から別の世界に戻ってきた石のように硬く冷たい旅人のようであったろう。」
(ダニエル・パウル・シュレーバー 『ある神経病者の回想録』 より)


ダニエル・パウル・シュレーバー 
『ある神経病者の回想録』 
渡辺哲夫 訳
 
講談社学術文庫 2326 


講談社 
2015年10月9日 第1刷発行
629p 付記1p 
文庫判 並装 カバー 
定価1,500円(税別)
装幀・カバーデザイン: 蟹江征治


「本書の原本は、一九九〇年に筑摩書房から刊行されました。」



本書「凡例」より:

「本書は、Daniel Paul Schreber: *Denkwürdigkeiten eines Nervenkranken*, Leipzig: O. Mutze, 1903 の全訳である。」


本書「学術文庫版訳者あとがき」より:

「このたび、(中略)訳文は可能なかぎり磨き上げた。」


シュレーバー ある神経病者の回想録


帯背:

「世界を震撼させた男の
壮絶な記録」



帯裏:

「フロイトは「非理性という自由な地平」(ミシェル・フーコー)と言われるときの「自由」を期せずしてシュレーバーと共有し、その体験の恐ろしさを痛感している、と言っていい。……享受の神学と夢幻の至福という激しい上昇気流を抑えつけ、その巨大な圧力に耐えつつ破綻し、破裂しそうになっている言語連合の巨大な緊張に接するとき、この書を読む方々は、想像を絶する強度をおびたシュレーバーの「自由」度の苛烈さを感受されると思う。
(本書「学術文庫版訳者あとがき」より)」



カバー裏文:

「「神」の言葉を聞き、崩壊した世界を救済するために女性となって「神」の子を身ごもる……そんな妄想に襲われ、苦しめられた男は、みずからの壮絶な闘いを生々しく記録した。フロイト、ラカン、カネッティ、ドゥルーズ&ガタリなど、知の巨人たちに衝撃を与え、二〇世紀思想に不可逆的な影響を与えた稀代の書物。第一級の精神科医による渾身の全訳!」


目次:

凡例

緒言
枢密顧問官・教授フレクシッヒ博士への公開状

序章
第一章 [神と不死性]
第二章 [神の国の危機?/魂の殺害]
第三章
第四章 [最初の神経病と二度めの神経病の初期における個人的体験]
第五章 [続き/神経言語(内なる声)/思考強迫/世界秩序が要請する事情としての脱男性化]
第六章 [個人的体験の続き/幻影/「視霊者」]
第七章 [個人的体験の続き/独特の病的現象/幻影]
第八章 [ピエルゾン博士の精神病院での入院生活期間における個人的体験/「試練に曝された魂」]
第九章 [ゾンネンシュタインへの移送/光線交流における変化/「記録方式」/「天体への接合」]
第十章 [ゾンネンシュタインでの個人的体験/光線交流の随伴現象としての「妨害」/「気分造り」]
第十一章 [奇蹟による肉体的な完璧さの損傷]
第十二章 [声のおしゃべりの内容/「魂の考え」/魂の言葉/個人的体験の続き]
第十三章 [牽引の要因としての魂の官能的快楽/帰結としての現象]
第十四章 [「試練に曝された魂たち」/それらの運命/個人的体験の続き]
第十五章 [「人間遊戯」と「奇蹟遊戯」/助けを呼ぶ声/話をする鳥たち]
第十六章 [思考強迫/その現れかたと随伴現象]
第十七章 [前の続き/魂の言葉の意味における「描き出し」]
第十八章 [神と創造/自然発生/奇蹟によって生じた虫たち/「眼差し調整」/試験方式]
第十九章 [前の続き/神の全能と人間の意志の自由]
第二十章 [私という人物に関する光線の自己中心的な見解/個人的状況のさらなる明確化]
第二十一章 [矛盾する関係にある至福と官能的快楽/この関連からの個人的状況にまつわる帰結]
第二十二章 [結語/将来の見通し]

「回想録」のための補遺
第一部 (一九〇〇年十月から一九〇一年六月まで)
 Ⅰ 奇蹟に関して
 Ⅱ 神の知性の人間の知性に対する関係について
 Ⅲ 人間遊戯に関して
 Ⅳ 幻覚に関して
 Ⅴ 神の本性に関して
 Ⅵ 将来に関する考察、雑録
 Ⅶ 火葬に関して
第二部 (一九〇二年十月および十一月)

付録
 いかなる前提条件のもとで、精神病とみなされた人物が、その公然と言明された意志に反して精神病院の中に拘留されることが許されるのであろうか?
 追記
 追記 その二
付録 (禁治産訴訟の審理からの公文書記録)
 A 司法医官の鑑定
 B 精神病院地区医官の鑑定
 C 控訴理由
 D 枢密顧問官ヴェーバー博士の鑑定書(一九〇二年四月五日付)
 E 王立ドレスデン控訴院の判決(一九〇二年七月十四日付)

訳者あとがき
参考文献
学術文庫版訳者あとがき
索引




◆本書より◆


第六章より:

「世界没落の観念と関連している幻影は、すでに述べたように、私はこれを無数に持った。一方では身の毛のよだつような恐ろしいものであったが、他方では言葉では書き表せない雄大なものであった。私は二、三のわずかなことだけ述べておこう。この幻影の中で、私はさながら鉄道車輛の中で、もしくは昇降機にすわったまま、地球の深部に下降して行き、同時に言わば人類あるいは地球の全歴史を逆行するかたちで経験し尽くした。より上方の層には濶葉樹林がまだ存在していたし、下方の層はますます暗く、さらに黒々としていた。一時的に乗り物から離れ、巨大な墓地のような所を歩いたが、そこで私は特にライプツィヒ市民が横たわっている場所、また私自身の妻の墓の側を通り過ぎた。再び乗り物にすわり、第三地点まで前方へ突き進んだ。人類の原始原を示しているという第一地点に足を踏み入れるのはためらわれた。帰還の際、同時にそこにいた「太陽神」の危険に常に曝されていたため、私の後方の立坑は崩れ去ってった。これに関係するが、そのとき二つの立坑が存在していた(神の国の二元論に対応するか?)とのことであった。第二の立坑も崩壊したとの知らせが届いたとき、すべては失われた。別の折には、ラドガ湖からブラジルまで地球を横断し、そこで城のような建物に、ひとりの看護人と共同で押しよせる黄色い高潮から神の国を保護するための壁を建造した――私はそれを梅毒の伝染の危険に関係づけた。また別の折には、私自身が至福へと引き上げられたかのような気持ちになった。そのとき私はさながら天上界の高みから、青い大空のもとに静かに存在する地球全体を、比類ない華麗さと美しさの像を自分の下に眺めているようであった。(中略)他の出来事については、単なる幻影なのか、あるいは少なくとも部分的には現実の体験ではないのか、私には疑問のままである。何らかの内的な衝動によってベッドから離れたのち、夜間に非常に頻繁に下着姿で(衣類はすべて没収されていた)寝室の床板の上にすわっていたことを憶い出す。背後で床につけていた両手が、そのとき熊のようなもの(黒い熊)によって、時々感触できるかたちで(引用者注: 「感触できるかたちで」に傍点)高く持ち上げられた。他の「黒い熊たち」、大きなものや小さなものが燃えるような目で私の身近にすわっているのを見た。私の寝具は、言わば「白い熊たち」のかたちになっていた。寝室のドアの明かり窓を透して、注(28)でわれわれの統治王に関して述べられているのと似たような様式で、中背より小さい黄色い男たちが時折寝室のドアの前に現れるのを見、私は彼らと何らかの争いをする体勢をとらざるを得なかった。まだ覚醒状態にあったとき、すなわち夕刻遅くに、精神病院の庭園の樹々の上に時折、燃えるような目を持つネコたちが現れた。さらに、しばらくの間どこかの海に面した城の中にいたが、この城はさし迫った洪水のため放棄されなければならなくなった。私はそこから出て、長い長い時間ののちにフレクシッヒの精神病院に戻り、そこで突然、以前からよく知られた状況の中で我に返った、という思い出もある。寝室の窓の前に、早朝、雨戸が開かれるとき、窓の前方ほんの数メートルの距離に、私は思い出せるが、主としてシラカバとトウヒからなる深い森を見た。声たちは、それを聖なる森と呼んだ。」


第七章より:

「私は憶えているが、一八九四年三月半ば頃、超感覚的な力との交流がすでにかなりの強さで現れていたとき、私に一枚の新聞が見せられ、そこには私自身の訃報のようなものが読み取れた。私はこの出来事を、自分はもはや、いずれにせよ人間の共同体への帰還を期待できないということの合図として理解した。」


第八章より:

「ピエルゾンの精神病院に滞在している間に私が感受した、これ以外の超感覚的な諸印象に関して、私はなお若干のことを述べておきたい。私の前をいわゆる月光の至福(引用者注: 「月光の至福」に傍点)が長い列をなしてふわふわと飛んだ(この光景を記述するのは困難である。たぶんいわゆる、秋の静かな空中に浮動するクモの糸に比較され得るだろうが、それはひとつひとつの繊維ではなく、一種の密な織物のようであった)。月光の至福は女性の至福を表現しているとのことであった。それにはふたつの種類が存在していて、一方はぼんやりとして生気がなく、他方はより力強いものであった。おそらく前者の中には子供の至福が見てとれるのであろう。すでに先の章で述べられた世界没落の観念には、いかなる程度において創造物の復活が可能であるかなどに関連した知らせが続いた。あるときには、それは魚までしか達しないと言われ、あるときには下級の哺乳動物までだなどと言われた。この知らせの基礎に存していたのが単なる将来への懸念であったのか、それとも何か現実的な事柄であったのか、私は決定せずにおかなければならない。それとは別に、どこか遠く離れた天体において実際に新たな人間世界(それ以来数えきれないほど幾度も用いられた、大抵は嘲笑的に思われた言い回しで呼ばれた「シュレーバーの精神から生じる新たな人間」)を創造する試みが、本当に、それゆえ私の神経の一部を利用してなされたと私は想定せざるを得ない。」


第十一章より:

「この「チビ男たち」は最も不思議なもののひとつで、私自身にとっては、いずれにせよ最も謎めいた現象であった。この出来事の客観的現実性に関しては、精神の眼で「チビ男たち」を見、それらの声を聴いたという夥しい事実からして、私はいささかの疑念も抱いていない。不思議なのは、魂たちや魂たちの個々の神経が一定の条件と特定の目的に従って、ごく小さな人間の形姿をとっていたことであり(すでに以前記しておいたように、数ミリメートルの大きさしかない)、そのような姿で肉体のありとあらゆる部分で、肉体の内部で、あるいは肉体の外表面でその本領を発揮していたことである。眼の開閉に関与していた者たちは、眼の上の眉毛の中に立ち、そこからクモの巣のような細い糸で思うがままに眼瞼を引っぱり上げたり引き下ろしたりしていた。(中略)私が時折、眼瞼の引き上げ、引き下ろしに我慢できなくなって逆らおうとすると、「チビ男たち」の怒りを惹き起こし、「売女」という呼びかけで挨拶されるのが常であった。かつて折にふれて私がこの者たちをスポンジで眼からこすり落としたとき、この行為は光線から神の奇蹟の権威に対する一種の犯罪とみなされた。それにしても、拭き取ることも一時的な効果しかもたらさなかった。というのも、「チビ男たち」はいつでもただちに再び新たに据え置かれたからである。そのほかの「チビ男たち」は当時ほとんど常に夥しい数で頭の上に集合していた。ここでは「チビ悪魔たち」と呼ばれていた。この者たちは文字通り私の頭の上を散歩し、奇蹟によって私の頭部に惹き起こされた何らかの新たな破壊が見える場所なら、いつでもどこでも好奇心を持ってやって来た。そればかりか、ある意味で私の食事にも関与していた。この者たちは、私が食べた食物の一部を、もちろんきわめて少量ではあるが食べてしまうのである。そうすると、この者たちは一時的にいくぶんか膨張し、同時に動きがより緩慢になって、意図もより無害なものになるように思われた。「チビ悪魔」の一部の者たちは、頭脳に対して惹き起こされた頻繁に繰り返された奇蹟にも関与していた。私はこの機会にこのことを恨みをこめて付け加えておきたい。それは――胸部圧迫奇蹟と並んで――あらゆる奇蹟の中でも最も忌まわしいものであった。このとき用いられた表現は、私の正確な記憶によれば「頭脳締めつけ機械」であった。とりわけ多くの光線の行列などによって、私の頭蓋骨には、大体その中央部に、おそらく外部からは見えないが内部からなら見えるような深い裂隙あるいは切れ目が生じてしまった。この裂隙に面した両側には「チビ悪魔たち」が立ち、螺旋ハンドルでねじを回すような仕方で、螺旋圧搾機を用いるようなやり方で私の頭脳を圧迫したため、頭脳は、ときどき上の方に長く延びてしまい、洋梨のようなかたちになってしまった。」


第十三章より:

「私はこの時期のことをよく憶えている。美しい晩秋の日々にあたり、エルベ河の上には毎朝濃い霧が立ちこめていた。この時期、私の肉体には女性化の徴候が大変強く現れ、そのため私はすべての出来事の展開が到達せんとめざしている内在的な目標を認識するのを、もはやこれ以上忌避するわけにはゆかなくなった。もし私が男性的な尊厳の昂揚によって断固たる意志を対抗せしめるべきだと思わなかったら、その前日の夜のうちにもおそらく男性性器の取り込みが現実に起こっていたであろう。それほどまでに、この奇蹟は完成に近づいていた。」
「この出来事を続いて観察した数日間は、意志の方向の完全な変化を私の中に惹き起こすのに十分なものであった。それまで私は常に自分の生命が厖大かつ脅威的な奇蹟の犠牲にならないのであれば、自殺して人生に終止符を打つしかないという可能性を考えてばかりいた。自分以外には、人間界に決して存在しなかった何か別の恐怖すべき結末しか残されていないように思われた。しかし、今や私が個人的に好むと好まざるとにかかわらず、世界秩序が有無を言わさず脱男性化を欲していること、そして私には理性的根拠から(引用者注: 「理性的根拠から」に傍点)して、ひとりの女に変身するという思想に親しむこと以外に何も残されていないことが疑う余地もなく自覚された。脱男性化のさらなる結果として、当然ながら、新たな人間の創造を目的とする神の光線による受胎のみが問題になり得た。私は当時、まだ私以外の本当の人間というものの存在を信じておらず、私が見た人間の形姿をしたすべての者を「束の間に組み立てられた」ものとしかみなしていなかったが、それによって意志の方向の変化は私にとって楽なものになった。つまり、脱男性化の中に存する何がしかの恥辱は問題になり得なかった。」
「それ以後、私は十分な自覚を持って女らしさをはぐくむことを自分の目的とした。そして事情が許すかぎり、超感覚的な根拠を知らされていない他の人間たちは私について好き勝手に考えるであろうが、私はこれをさらに続けてゆくつもりである。」



第十六章より:

「さまざまな防衛手段には、とりわけピアノ演奏、読書あるいは新聞を読むこと――私の頭脳の状態が許すかぎりではあるが――があり、その際には極度に長く引き伸ばされた声もついに消滅する。夜間の場合、このような手段を十分に利用できない時間帯には、あるいはまた別の行為への転換が精神的に必要になったときには、詩を想起することが大抵の場合、有効な方策となった。私は厖大な数の詩を、わけてもシラーの物語詩、シラーとゲーテの戯曲の数多くの場面を、さらにまた特に『マックスとモーリッツ』やシュトルヴェルペーターの童話絵本やシュペクターの寓話、オペラのアリアや戯詩を暗記していたので、それらを無言のうちに逐語的に暗誦するわけである。その際、詩的作品の詩的な価値自体は、もちろん問題ではない。どれほど無意味な詩句でも、それどころか卑猥な言葉ですら、そうしなければ私の神経が否応なく聴かざるを得ない恐るべき無意味に対して、すべて心の糧として常に黄金のような価値を持っているのである。」


「付録 A 司法医官の鑑定」より:

「患者の妄想体系は、世界を救済すべく、そして失われてしまった至福を人類に再びもたらすべく彼が使命を受けている、ということにおいて頂点に達する。彼が主張するところによれば、彼は直接的に神的な啓示を受けてこの任務に到達したのであり、これはちょうど預言者の場合と似ているという。(中略)彼の救済の使命遂行にあたって最も本質的なのは、何をおいてもまず彼の女性への変換(引用者注: 「女性への変換」に傍点)が起こらねばならないということだという。これは、彼が自分から女性になろうと欲する(引用者注: 「欲する」に傍点)ことではない。むしろ、世界秩序において根拠づけられた「ねばならない」こそが重要なのである。実際、名誉ある男性的な人生上の立場にとどまることが彼にとって個人的にははるかに好ましいとしても、彼はこの「ねばならない」から絶対に免れられない。しかも、何がどうあろうとも彼および全人類にとって、来たるべき世界は、数年もしくは数十年の歳月の流れののちに待ちうけているであろう、神の奇蹟という手段による女性への変換によらなければ、獲得できない。彼は、これは彼にとって確実なのであるが、神の奇蹟の唯一無比の対象であり、それゆえ、これまで地上に生存してきた人間の中で最も注目に値する特別な人間である。何年もまえから毎時間、そして毎分、彼はこの奇蹟を彼の肉体において経験し、その奇蹟を彼と話をする声を通じても確実に体験している。彼は病気が始まった当初の数年間、彼以外の人間なら誰であれとっくの昔に死んでいるに違いないような、肉体の諸器官の破壊を経験してきたという。長い間にわたって胃も腸もないまま、肺もほとんどないまま、引き裂かれた食道で、膀胱も失って、こなごなに砕かれた肋骨で生きてきたとのことである。折にふれて彼自身の喉頭の一部を食物とともに食べてしまった、などなどとのことである。」



◆注◆


第十六章で言及されている本のなかで、「マックスとモーリッツ」と「シュトルヴェルペーター」(もじゃもじゃペーター)はよいとして、「シュペクターの寓話」は、オットー・シュペクター(Otto Speckter)が絵を描いたヴィルヘルム・ヘイ(Wilhelm Hey)の「子どものための50の寓話(Fünfzig Fabeln für Kinder)」(1833年)の通称です。




こちらもご参照ください:

宇野邦一 『アルトー 思考と身体』
エリアス・カネッティ 『群衆と権力 下』 岩田行一 訳 (叢書・ウニベルシタス)
ハンス・プリンツホルン 『精神病者はなにを創造したのか ― アウトサイダー・アート/アール・ブリュットの原点』 林晶/ティル・ファンゴア 訳
Wilhelm Busch 『Max and Moritz』















































『アドルフ・ヴェルフリ 二萬五千頁の王国』 (2017年)

「ごきげんよう、紳士、淑女のみなさん:?
私に、何を、お望みかな?
私は飼いならされてはおりませんぞ:
野生動物というわけでもありませんがね。
署名、アドルフ・ヴェルフリ、ベルン」

(アドルフ・ヴェルフリ 『揺りかごから墓場まで』 より)


『アドルフ・ヴェルフリ 
二萬五千頁の王国』

Adolf Wölfli: A Kingdom of 25,000 Pages

監修: 服部正
編集: 兵庫県立美術館/名古屋市美術館/東京ステーションギャラリー/中日新聞社/国書刊行会

国書刊行会
2017年1月11日 初版第1刷発行
2017年6月1日 初版第2刷発行
231p 
26.3×21.8cm
丸背紙装上製本(薄表紙) カバー
定価2,500円+税
デザイン: 西岡勉


兵庫県立美術館
2017年1月11日―2月26日
名古屋市美術館
2017年3月7日―4月16日
東京ステーションギャラリー
2017年4月29日―6月18日



出品作品74点の図版および部分拡大図(カラー)。ヴェルフリの肖像写真やスイス連邦鉄道特別列車アドルフ・ヴェルフリ号の写真その他参考図版(モノクロ)多数です。
展覧会図録ですが、書籍として流通しています。本書はアマゾン(マケプレじゃないほう)で新品を購入したのですが、オビに少ヤブレ・イタミがあったので残念でした。


ヴェルフリ 01


帯文:

「アール・ブリュットの
「王」が描いた
夢物語

少年ドゥフィが世界中を冒険する空想の自伝的旅行記『揺りかごから墓場まで』、地球全土を買い上げ「聖アドルフ巨大創造物」を作り上げる方法を説く壮大なる創世記『地理と代数の書』、自身のレクイエムとも言われる呪文のような果てしなきマントラ『葬送行進曲』……。ジャン・デュビュッフェ、アンドレ・ブルトンらが絶賛した、叙事詩・絵画・楽譜・数字・表計算などあらゆるものが横溢する比類なき作品世界。アウトサイダーアート/アール・ブリュットを代表する伝説的芸術家の魅力を凝縮した
本邦初の本格画集。」



帯背:

「描くとは、
もう一つの人生を
生きること」



帯裏:

「アール・ブリュットとは、芸術的創作をできるところまで押し進めたものです。
他の芸術家たちは、自分の芸術をほんの半分しか信じられず、芸術の外側にある慣習的な人生を生きていたのです。
狂気とは偉大な芸術です。たとえば、ヴェルフリがそうであったように。
●………ジャン・デュビュッフェ」



目次:

ごあいさつ (主催者)
Introduction (The Organizers)

序文 (ヒラー・シュタトレ)
Vorwort (Hilar Stadler)
アドルフ・ヴェルフリ (ダニエル・バウマン)
Adolf Wölfli (Daniel Baumann)

[図版]
 1章 初期のドローイング/楽譜(1904―1907)
  Early Drawings / Musical Compositions (1904-1907)
  Frühe Zeichnungen/Musikalische Kompositionen (1904-1907)
 2章 揺りかごから墓場まで(1908―1912)
  From the Cradle to the Grave (1908-1912)
  Von der Wiege bis zum Graab (1908-1912)
 3章 地理と代数の書(1912―1916)
  Geographic and Algebraic Books (1912-1916)
  Geografische und Allgebräische Hefte (1912-1916)
 短い自伝 (アドルフ・ヴェルフリ)
  Shor Life Story (Adolf Wölfli)
  Kurze Lebensbeschreibung (Adolf Wölfli)
 ヴェルフリの形態語彙 (エルカ・シュペリ、マルクス・レーツ描画)
  Wölfli's Vocabulary of Forms (Elka Spoerri/Markus Raetz)
  Wölflis Formenvokabular (Eila Spoerri/Markus Raetz)
 4章 歌と舞曲の書(1917―1922)/歌と行進のアルバム(1924―1928)
  Books with Songs and Dances (1917-1922) /
  Album Books with Songs and Marches (1924-1928)
  Hefte mit Liedern und Tänzen (1917-1922) /
  Albumm-Hefte mit Liedern und  Märschen (1924-1928)
 5章 葬送行進曲(1928―1930)
  Funeral March (1928-1930)
  Trauer-Marsch (1928-1930)
 6章 ブロートクンスト――日々の糧のための作品(1916―1930)
  Bread Art (1916-1930)
  Brotkunst (1916-1930)

アール・ブリュットの体現者としてのアドルフ・ヴェルフリ (服部正)
Adolf Wölfli: The Embodiment of Art Brut (Tadashi Hattori)
ハラルト・ゼーマンがみるアドルフ・ヴェルフリ――3つの展覧会をめぐって (河田亜也子)
Adolf Wölfli through the Eyes of Harald Szeemann: A Consideration of Three Exhibitions (Ayako Kawada)

アドルフ・ヴェルフリ年譜
Adolf Wölfli Chronology
展覧会歴/Exhibtions
参考文献/References
出品リスト/List of Works/Verzeichnis der Werke



ヴェルフリ 03



◆本書より◆


「アドルフ・ヴェルフリ」(ダニエル・バウマン)より:

「孤児であり、(中略)農場の下男、放浪労働者、こそ泥、囚人、あるいは精神疾患者である彼は、人々から社会の範疇外とされた者としての人生を送り、幾重にもアウトサイダーであり、またそうあり続けるべきだった。当時は、今日でもそうなのだが、社会はアウトサイダーや抑圧された人が独自の言語を持ちそれを発揮することを望まない。全くその逆だ。ポスト植民地主義やフェミニズムの研究が示したように、言語は、むしろこれらの除外を助長するものであり、抑圧の重要な道具でもあった。ヴェルフリにおいてもしかり、まさに、自身を除外することに使われた、その言語を奪取するほかなかったのだ。そうすることで、彼自身が権限を得、彼の芸術とそれに密接した「自分自身」の新たな発見が、他の人から見れば雑多な誇大妄想以外の何物でもなかったとしても、文字通り並外れたとてつもない大事業になったのだ。ヴェルフリにしてみれば、彼自身の言語(とはいえ、それはたえずよそ者であることを特徴づけるものなのだが)を発展させてひとつの作品を構成しようと、他人の言語で理解したのである。」

「外の世界は彼にとってはほとんど架空の世界なのだ。一方、内面世界は現実である。あるいは、内面世界を現実にさせたかったのだ。」



「アール・ブリュットの体現者としてのアドルフ・ヴェルフリ」(服部正)より、ジャン・デュビュッフェの言葉:

「あっぱれなヴェルフリは、違反という点で言うまでもなくステーよりも遠くまで行った。医者たちはためらうことなく決断を下す。これは取り返しがつかないほど狂っていると。しかし、狂気というものについて、ここで自問してみなければならない(少なくとも、偉大なる創造者であるステーやヴェルフリに押し付けられたこの狂気については。なぜなら、まったく共通性のないあらゆる種類の違反が、狂気というひとつの便利なかごに一緒に放り込まれているからだ)。ここでの狂気とは、あらゆる領域における既存の秩序を見直すという断固たる態度や、それを解体して革新する強い意志とただ同一視されているだけなのではないか。」

「ヴェルフリやアロイーズのような人は、単に彼らが芸術家であるという理由で監禁されていたのです。彼らは自分の芸術を可能な限り押し進めました。彼らは彼らの芸術を生きていたのです。アール・ブリュットとは、芸術的創作をできるところまで押し進めたものです。他の芸術家たちは、自分の芸術をほんの半分しか信じられず、芸術の外側にある慣習的な人生を生きていたのです。狂気とは偉大な芸術です。たとえば、ヴェルフリがそうであったように。」



ヴェルフリ 02



























































































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
 
うまれたときからひとでなし
なぜならわたしはねこだから
 
◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

Koro-pok-Guru
Away with the Fairies

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。
歴史における自閉症の役割。

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