『荘子 雑篇』 森三樹三郎 訳注 (中公文庫)

「「霊公がなくなったとき、先祖代代の古い墓に葬ろうとして占いを立てたところ、不吉という兆がでた。そこで沙丘という土地に葬ることを占ったら、吉とでた。そこで数十尺ほど掘りさげたとき、石棺があらわれた。洗ってみると、銘がきざまれていて、『わしの子はあてにならぬ。墓守りもできまい。そのうち霊公がこの墓をうばって自分の身を埋めるだろう』とあった。」」
(『荘子 雑篇』 「第二十五 則陽篇」 より)


『荘子 雑篇』 
森三樹三郎 訳注
 
中公文庫  D 11-3 

中央公論社
昭和49年8月10日 初版
昭和54年3月5日 再版
354p
文庫判 並装 カバー
定価420円
表紙・扉: 白井晟一
カバー画: 呉彬



読み下し、口語訳、注釈、内容解説。原文(漢文)は掲載されていません。


荘子 雜篇


カバー裏文:

「〈内篇〉の無為自然に始まった「荘子」は、現世享楽主義ともいうべき盗跖篇を含む〈雑篇〉に発展し、雄大に完結する。総索引付。」


目次:

荘子雑篇
 第二十三 庚桑楚篇
 第二十四 徐無鬼篇
 第二十五 則陽篇
 第二十六 外物篇
 第二十七 寓言篇
 第二十八 譲王篇
 第二十九 盗跖篇
 第三十 説剣篇
 第三十一 漁父篇
 第三十二 列御寇篇
 第三十三 天下篇

解説 (森三樹三郎)
荘子全篇索引(重要語句・人名)




◆本書より◆


「第二十三 庚桑楚篇」より:

「足切りの刑にあって不具になったものが、自分の容貌を飾ろうとしないのは、もはや世間の毀誉(きよ)の評判を気にする必要がないからである。鎖でつながれた囚人が、高いところへのぼっても恐れることがないのは、もはや生きる望みを失い、生死を忘れる心境になっているからである。このように生死の恐れを感じないものや、外聞を恥じないものであってこそ、人間であることを忘れることができるのである。人間であることを忘れることによって、天人――自然の人となることができるのである。同様に、たとえ他人が尊敬してくれても喜ぶことがなく、他人が侮っても怒らないということは、ただ自然の安らかさに同ずるものだけにできることである。」


「第二十四 徐無鬼篇」より:

「そこで魯遽(ろきょ)は二つの琴(こと)を用意して音律をととのえ、一つを堂(テラス)におき、一つを室内においた。一方の琴で宮(きゅう)の音律をならすと、他方の琴もひとりでに宮の音をたて、一方の琴で角(かく)の音律をならすと、他方の琴もひとりでに角の音をたてた。これは音律が同じだから、そうなったのである。
 魯遽はまた、一本の弦の調子を変えた。これは宮商角徴(ち)羽の五音階のどれにも相当しないものである。これをならすと、琴の二十五本の弦がいっせいに音を立てた。この一本の弦も、特別の音声をもつものではないが、このばあいは音声の主役を演じたので、そうなったまでである。」

「足で大地をふむとき、足はその幅だけのひろさをふむものである。だが足の幅だけの土地があればよいというのではなく、足のふまない周囲のあるおかげで、安心して足のふむ範囲をひろげてゆくことができるのである。
 同様に、人間の知識の範囲はせまい。だが、そのせまい知識も、その周囲にひろがる未知の範囲に助けられて、はじめて広大無辺な自然のはたらきを知ることができるのである。
 この広大無辺な世界の根原となっている「大一」――自然の道を知ること。この世界において陰の原理となっている「大陰」――あたえられた天命のままに従うという柔順の原理を知ること。差別の相によってくらまされない「大目」があるのを知ること。万物をすべて均(ひと)しいとみる「大均」の立場を知ること。あらゆる方向に開かれた「大方」の態度を知ること。ありのままの真理を忠実に守る「大信」を知ること。道を体得したものがもつ安らぎである「大定」を知ること。これらの条件をみたしたとき、人知の最高をきわめたことになろう。」





『荘子 内篇』 森三樹三郎 訳注 (中公文庫)
『荘子』 金谷治 訳注 (岩波文庫) 全四冊



こちらもご参照ください:

中野美代子 『奇景の図像学』
































































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『荘子 外篇』 森三樹三郎 訳注 (中公文庫)

「あるとき、宋(そう)の元君(げんくん)は画をかかせようとしたことがあった。多くの画工が集まってきたが、命令を受けると一礼して立ちあがり、筆をなめ、墨を調合して、いまやおそしと待ちかまえ、半数のものが室外にあふれるというありさまであった。
 すると、ひとりの画工がおくれてやってきたが、ゆっくりと構えて、走り出すようすもない。命令を受けて一礼したものの、立ちあがって待つこともせず、そのまま宿舎に帰っていった。元君が人をやってようすを見させると、その画工は着物をぬぎ、両足を投げ出し、裸のままで平然としていた。
 これを聞いた元君は「なるほど、これでこそ真の画家というものだ」といった。」

(『荘子 外篇』 「第二十一 田子方篇」 より)


『荘子 外篇』 
森三樹三郎 訳注
 
中公文庫  D 11-2 

中央公論社
昭和49年4月10日 初版
昭和53年3月1日 再版
388p
文庫判 並装 カバー
定価420円
表紙・扉: 白井晟一
カバー画: 郎世寧「柳蔭八駿図」(部分)



読み下し、口語訳、注釈、内容解説。原文(漢文)は掲載されていません。


荘子 外篇


カバー裏文:

「外なる自然を運命と把える内篇の立場をこえて、人間の内なる自然――人間性のあり方を追求する外篇は、老子の思想との親近感を示している。」


目次:

荘子外篇
 第八 駢拇篇
 第九 馬蹄篇
 第十 胠篋篇
 第十一 在宥篇
 第十二 天地篇
 第十三 天道篇
 第十四 天運篇
 第十五 刻意篇
 第十六 繕性篇
 第十七 秋水篇
 第十八 至楽篇
 第十九 達生篇
 第二十 山木篇
 第二十一 田子方篇
 第二十二 知北遊篇

解説 (森三樹三郎)




◆本書より◆


「第八 駢拇篇」より:

「世の中には、常然――常に変わることのない自然の性質というものがある。その常然とは何か。たとえば曲がる本性をもつものは、鉤形(かぎがた)定規をあてるまでもなく自然に曲がり、まっすぐな性質のものは墨縄(すみなわ)をあてるまでもなく自然にまっすぐである。円(まる)くなる性質のものは規(ぶんまわし)の必要はなく、四角になる性質のものは矩(さしがね)の必要はない。自然に固着する性質のものは膠(にかわ)や漆(うるし)を必要としないし、自然にひきしまる性質のものは纆索(なわ)を必要としない。このように天下のものはすべて自然のいざないのままに生まれてくるものであり、なぜそのように生まれてきたのか、理由を知ることもない。すべてがひとしく自己の完成を得ながら、しかもなぜ得たかを意識することがない。」


「第九 馬蹄篇」より:

「太古の赫胥(かくしょ)氏の時代には、民は家にいても何の仕事をしてよいかを知らず、外出しても目的地を知らないという、無知そのもののありさまであり、ただ食物を口にほおばって楽しみ、腹鼓(はらつづみ)をうって遊ぶという生活を送っていた。民にできることといえば、これがすべてであったのである。
 ところが聖人が現われるようになって、礼楽(れいがく)にあわせて身を折りかがめ、これによって天下の民の身ぶりを正そうとしたり、仁義を行なうためにむりに背のびをし、これによって天下の民の歓心を買おうとするようになった。それからというものは、民は心力を尽くして知を追い求めるようになり、争って利におもむくようになって、もはやその勢いをとめることもできなくなった。これまた聖人の過失であるといえよう。」



「第十一 在宥篇」より:

「静かでなく、安らかでない状態は、人間の自然の徳(もちまえ)ではない。自然の徳(もちまえ)をそなえないで、長久の生命を保ちえたものは、天下にひとりとしてないのである。」

「だから、もし君子がやむをえず天下に君臨しなければならないようなことがあれば、無為の政治をするのが最もよい。無為であってこそ、民ははじめて自然の性命(もちまえ)のあるがままに安んずることができよう。」



「第十四 天運篇」より:

「北門成(ほくもんせい)が黄帝にたずねていった。
 「あなたは咸池(かんち)の音楽を、洞庭(どうてい)の野で演奏されました。私は始めて聞いたときには恐ろしさを感じ、二度目に聞いたときには、けだるい思いがし、最後に聞いたときには不思議な気分におそわれて、惑いの心がうまれ、まるで見当もつかず、ことばも出ないありさまで、自分のことがわからないような気もちになりました」
 すると黄帝は答えた。」
「「わしがこの音楽を奏するときは、人間の立場をもととし、それを天道に照応させ、礼義にしたがって演奏をすすめ、その根本を空虚の上に立てるようにしたのだ。
 およそ至高の音楽というものは、まず最初は人情に適応することから始め、次にはこれを天の法則に従わせるようにし、さらにこれを五徳によっておしすすめ、最後は自然の道に順応させるものだ。このようにして始めて四季を順調にし、万物に壮大な調和をもたらすことができるのである。
 だからこの音楽は、四季が次から次へと移るありさま、万物がそれに従って成生するありさまを描写する。あるときは盛んな夏のありさま、あるときは衰えた冬のありさま、あるときは春の恵みをしめす文、あるときは秋のきびしさをしめす武、というように自然のもつ秩序を表現する。あるときは清らかに高いしらべ、あるときは低く濁ったしらべというように、陰陽の調和をあらわし、その音声によどみのない流れと輝きとをあたえるのである。
 冬ごもりの虫が始めて地上にあらわれる春のところでは、わしは雷のひびきをとどろかせて人びとを驚かせる。その演奏を終えるときにも、どこか終わりということもなく、その始めるときも、どこが始めということがない。あるときは死の静けさ、あるときは生の躍動、あるときは地上にたおれ、あるときは立ちあがるありさまをあらわす。一定の法則といえば、変化してきわまりがないということだけで、まったく予想を許さないものである。だから、お前さんは恐ろしさを感じたのだよ」」
「黄帝は、ことばをつづけた。
 「わしはまた二度目の演奏のときには、陰陽の調和を主題にし、これを日月のかがやきで明るくしようとした。その調べは長と短、剛と柔を自在に駆使し、変化をきわめながら統一があり、ありきたりの常識にとらわれることがない。
 谷にあえば谷をみたし、穴にあえば穴をみたすというように、あまねく万物にゆきわたって残すところがないが、しかもみずからは感覚の門をとじ、その精神の安らかさを保ち、物の量をそのままわが欲望の量とする。その調べは雷声のとどろきとひろさがあり、その表現は高大明朗である。だから、この音楽の流れるところ、鬼神は幽界にとどまって人間にたたりをすることもなく、日月や星もその正しい運行をつづけて災いをもたらすことがない。
 わしは、この音楽を、時には有限の世界にとどめ、時には無限のかなたに流してゆく。お前さんは、いくらこの調べのゆくえを思いはかろうとしても、それを知ることはできまい。いくら目をやっても、見きわめることはできまい。いくらその跡を追っても追いつけないだろう。ただぼんやりと四方に果てのない道にたたずみ、あるいは古桐(ふるぎり)の机にもたれたまま、うめきにも似た声をあげるほかはあるまい。
 目による知識は、見きわめようとする努力の限界でゆきづまり、足の力は追いすがろうとする努力の限界でつきはてるであろう。もはや自分の力ではどうすることもできない、というほかはない。このように身体のうちに無力感が満ちるようになれば、すべてをなりゆきにゆだねる心境になる。お前さんは、そのなりゆきにまかせる心境になったのだ。だから、けだるい気分になったのだよ」」
「黄帝は最後にいった。
 「わしは三度目に、けだるい気分を一掃する調(しら)べを演奏するとともに、これを天地自然のもつ生命のリズムで和げることにした。すべてが入りまじって次から次へと群り生じ、あたかも林のざわめきにも似た音をたて、一定のかたちをもつことがない。あまねく万物をゆり動かしながら、しかもおのれに従わせようとせず、そのひびきは幽暗であるため、あたかも声なきかのようである。
 それはあらゆる方向に動きまわるかと思えば、また底しれぬ薄暗い世界に身をおく。あるものはこの音楽に死を感じ、あるものはこれに生を感じ、あるものはこれに充実をおぼえ、あるものはこれに形の美しさをおぼえるであろう。それは、あらゆる方向に流転し移動してやまないものであり、一定の音楽の法則に拘束されることがない。そのため、世の人はこの音楽の意味を理解することができず、聖人にうかがいを立てることになるのである。
 聖人とは、あらゆる存在の真の姿を知り、天地の命のままにしたがうものである。かれは自然からあたえられた心身の機能を人為的に増すことはせず、しかも耳目鼻口心の五官のはたらきは完全そのものである。このような状態こそ、天楽――自然がもたらす楽しみであり、自然のおりなす音楽であるといえよう。それは無言のままに心たのしむ境地である。だから上古の聖人である有焱(ゆうえん)氏も、この音楽をほめて次のように歌っている。
 『これを聞こうとしても、その声は聞えない。これを見ようとしても、その形は見えない。天地に満ちあふれ、六方をつつみかくす』
 お前さんはこの音楽を聞きとろうとしたのだが、その耳で感じとることができなかったのだ。そのために不思議な思いにとりつかれて、惑いの心が生まれたのだよ。
 音楽というものは恐れの感じから始まるものだ。恐れを感じるところから、何ものかの祟(たた)りを受けたような不安におそわれる。そこで、わしは次いで、けだるい気分をさそう調べを奏した。けだるい思いがするために、不安の思いから一往のがれることができる。そこで最後には、惑いを起こさせる調べでしめくくった。惑いは無知をさそうものであり、無知こそ自然の道である。道こそ、すべてをその上に載せて、目的の地につれてゆくことができるものである」」





『荘子 雑篇』 森三樹三郎 訳注 (中公文庫)















































































『荘子 内篇』 森三樹三郎 訳注 (中公文庫)

「死の世界に行ったものも、行ってみれば案外に楽しいので、なぜ死ぬ前にあれほど生きることばかり願っていたのだろう、と後悔しないとはかぎるまい」
(『荘子 内篇』 「第二 斉物論篇」 より)


『荘子 内篇』 
森三樹三郎 訳注
 
中公文庫  D 11 

中央公論社
昭和49年3月10日 初版
昭和61年12月25日 7版
213p
文庫判 並装 カバー
定価360円
表紙・扉: 白井晟一
カバー画: 呉杏芬「胡蝶図」(部分)



読み下し、口語訳、注釈、内容解説。原文(漢文)は掲載されていません。


荘子 内篇


カバー裏文:

「「内篇」七篇は、荘子その人の思想を確実にあらわしているとされる。その中心となる「万物斉同の説」(絶対無差別論)は、一切の価値を越えて、何ものにもとらわれない自由思想の極限を示している。」


目次:

荘子内篇
 第一 逍遙遊篇
 第二 斉物論篇
 第三 養生主篇
 第四 人間世篇
 第五 徳充符篇
 第六 大宗師篇
 第七 応帝王篇

解説 (森三樹三郎)




◆本書より◆


「第一 逍遙遊篇」より:

「地上には野馬(かげろう)がゆらぎたち、塵埃(ちり)がたちこめ、さまざまな生物が息づいているのに、空は青一色に見える。あの青々とした色は、天そのものの本来の色なのであろうか。それとも遠くはてしないために、あのように見えるのであろうか。おそらくは後者であろう。とするならば、あの大鵬(たいほう)が下界を見おろした場合にも、やはり青一色に見えていることであろう。」

「「お前さんは、せっかく大木をもちながら、役にたたないことを気にしておられるようだ。それなら、いっそのことこれを無可有(むかゆう)の郷(さと)、広漠(こうばく)としてはてしない野原に植えて、そのかたわらに彷徨(さまよ)いつつ無為にすごし、その木陰でゆうゆうと昼寝したら、どうかね。」」



「第二 斉物論篇」より:

「もしこのような自然の立場、相対差別という人為を越えた立場からみれば、是(こ)れと彼(か)れとの区別はなく、彼れと是れとは同じものになる。たとえ是非を立てるものがあったとしても、彼れは彼れの立場をもととした是非を立てているにすぎず、此(こ)れは此(こ)れの立場をもととした是非を立てているにすぎない。それに、もともと彼れと是れという絶対的な区別がはたして存在するのか、それとも彼れと是れとの区別が存在しないのか、根本的に疑問ではないか。
 このように彼れと是れとが、その対立を消失する境地を、道枢(どうすう)という。」

「世の人は、もともと一つであるはずのものを可と不可に分け、可であるものを可とし、不可であるものを不可としている。だが、それは、ちょうど道路が人の通行によってできあがるように、世間の人びとがそういっているからという理由で、習慣的にそのやり方を認めているにすぎない。
 それでは、かれらは何をそうであるとして是認するのであろうか。世の人が習慣的にそうであるとすることを、そうであるとしているまでのことである。何をそうではないとして否定するのであろうか。世の人がそうではないとすることを、そうではないとしているにすぎない。
 だが、先に述べた無差別の道枢(どうすう)の立場からみれば、あらゆる対立が無意味なものになる。したがって、この立場からすれば、どのような物にも必ずそうであるとして肯定すべきところがあり、可として認められるべきところがある。いいかえれば、いかなる物もそうであるとして肯定されないものはなく、いかなる物も可として是認されないものはない。」
「この自然の道の立場からみれば、分散し消滅することは、そのまま生成することであり、生成することは、またそのまま死滅することでもある。すべてのものは、生成と死滅との差別なく、すべて一つである。」
「自然の作用とは、すべてを通じて一である道のはたらきである。すべてに通じて一であるものを知るとは、道を体得することにほかならない。この道を体得した瞬間に、たちまち究極の境地に近づくことができるのである。
 究極の境地とは何か。是非の対立を越えた是(ぜ)に、いいかえれば自然のままの道に、ひたすら因(よ)り従うことである。ひたすら因り従うだけで、その因り従うことさえ意識しなくなること、これが道の境地である。」

「道に完全と毀損の区別ができるのは、たとえば琴(こと)の名手の昭氏(しょうし)が、琴を奏(かな)でる場合である。琴を奏でる以前の状態は、まだ道が完全な状態にあるときである。ところが昭氏が演奏をはじめるやいなや、道はそこなわれる。昭氏がいくら多くの音を奏でたとしても、それは琴に秘められた無数の音の一部分でしかない。かれは琴を奏でるという人為によって、無限であるべき自然の道に限定を加え、これをそこなっているのである。」

「このようにして、すべては一つである。一つであるとすれば、対立差別を本質とすることばを用いて表現することは不可能であるから、「一つである」ということも、さしひかえなければなるまい。」

「多の世界に向かうことをやめよ。是非の対立を越えた、自然のままの道に従うがよい。」

「いつか荘周(わたし)は、夢のなかで胡蝶(こちょう)になっていた。そのとき私は喜々として胡蝶そのものであった。ただ楽しいばかりで、心ゆくままに飛びまわっていた。そして自分が荘周(そうしゅう)であることに気づかなかった。
 ところが、突然目がさめてみると、まぎれもなく荘周そのものであった。
 いったい荘周が胡蝶の夢を見ていたのか、それとも胡蝶が荘周の夢を見ていたのか、私にはわからない。
 けれども荘周と胡蝶とでは、確かに区別があるはずである。それにもかかわらず、その区別がつかないのは、なぜだろうか。
 ほかでもない、これが物の変化というものだからである。」



「第三 養生主篇」より:

「あるとき庖丁(ほうちょう)が、文恵君(ぶんけいくん)のために牛を料理したことがあった。庖丁の手がふれるところ、肩をゆるがすところ、足のふむところ、膝(ひざ)をかがめるところ、あるいはばりばりと、あるいはざくざくと、刀がたてる音はさえわたり、どれも音楽の調べに合っている。その姿は桑林(そうりん)の舞いもこのようであるかと思わせ、その音は経首(けいしゅ)の楽章の演奏そのままである。
 これを見た文恵君は、「ああ、みごとなものだ。技術もここまでくるものかな」と嘆息した。
 すると、庖丁は刀をおいて答えた。
 「私が好きなのは道でありまして、技術以上のものです。私が牛の料理をはじめましたころは、目に映るものは牛の姿ばかりでした。ところが三年後には、牛の全体の姿がまるっきり目につかないようになりました。
 いまでは、私は心だけで牛に向かっており、目では見ておりません。感覚のはたらきは止まってしまい、ただ心の作用だけが動いているのです。ひたすら自然のすじめのままに刀を動かし、骨と肉とのあいだにある大きなすきまを切り開き、骨節にある大きな穴のところに刀を通し、牛のからだにある自然のすじめを追っておりますから、刀が骨と肉のからみあった難所にぶつかることはありませんし、まして大骨(おおぼね)にあたることはありません。
 腕のよい料理人でも、一年ごとに刀を取り替えますが、それはすじのところを切り割(さ)くことがあるためです。(中略)ところが私の刀は、いまでは十九年になり、料理した牛は数千頭にもなっていますが、まるで砥石(といし)からおろしたてのようで、刃こぼれ一つありません。
 もともと骨の節と節とのあいだにはすきまがあるのですし、刀の刃には厚みというものがありません。厚みのないものを、すきまのあるところへ入れるのですから、いくら刀の刃をふりまわしても、必ずじゅうぶんすぎるほどの余裕があります。
 とは申しますものの、骨やすじがからまり集まっているところに出あいますと、私はこれは手ごわいなとみてとり、いきおい心がひきしまって慎重になり、視線はそこにくぎづけとなって、手の動きもおそくなり、刀のさばきもたいへん微妙になります。やがて、すっかり切り終えますと、ちょうど土のかたまりが地面に落ちるように、肉の山が地上に横たわります。そこで私も刀をぶらさげたまま、あたりを見まわし、しばらくはその場を立ち去らず、少しばかり満足感にひたっている次第ですが、やがて刀をぬぐって収めることになります」」

「「あの先生が、この世に生まれてきたのは、生まれるべきときに偶然にめぐりあったまでのことであり、いまこの世を去って行くのは、たまたま去るべき運命に従うまでのことだ。めぐりあった時のままに安んじ、与えられた運命のままに従っていれば、喜びや悲しみのはいりこむすきはない。」」

「「すべて、物事のなりゆきのままに身をのせて、心を労することなく自由に遊ばせ、やむにやまれぬ必然の運命のままに身をゆだねて、自然のままの中正の道を養うようにすれば、それが最上の道である。何事かを行なって、よい結果を得ようなどと思ってはならない。ただひたすら、天命のままに従うのが、いちばんよい。」」



「第四 人間世篇」より:

「支離疏(しりそ)という男があった。ひどいせむしで、あごが垂れ下がってへそをかくし、両肩は頭のてっぺんよりも高く、頭髪のもとどりが天をさし、五臓は頭の上にあり、両股(もも)が脇腹(わきばら)をはさむ、といったありさまである。
 だが、かれは縫い物や洗たくをすることで、自分の暮らしをたてることができるし、箕(み)をゆすって米とぬかとをえりわける仕事をすれば、十人を養うこともできる。そのうえ、お上(かみ)が兵士を徴集するようなときでも、かれは不具者で徴兵免除になるから、大手をふって人なかをあるきまわることができる。また、お上が大工事のための人夫を徴発するときにも、かれは不具者であるために、仕事の割当てを受けることがない。逆に、お上が病人に食糧の施しをするときには、三鍾(しょう)の食糧と、十束の薪(たきぎ)をいただくことになる。」

「やめよ、やめよ、徳をもって人に臨むことを。
あやういかな、あやういかな、礼儀をもって人を縛ろうとすることは。」



「第六 大宗師篇」より:

「ところが突然、子輿(しよ)が病気になった。子祀(しし)が見舞いに行くと、子輿はこういった。
 「造物者というのは偉大なものだな。わしをこんな曲がりくねった身体にしてしまったよ」
 なるほど、背はひどいせむしになり、五臓は頭の上にきており、あごは垂れ下がって臍(へそ)をかくし、両肩は頭のてっぺんよりも高く、もとどりは天をさす、というありさまであった。このように身体のうちにある陰陽の気は乱れているものの、子輿の心はのんびりして平静そのものであった。よろめきながら井戸ばたに行き、水に姿を映して、つぶやいた。
 「うん、造物者のやつは、よくもここまでわしの身体をひん曲げてしまったものだわい」
 これを見た子祀がいった。
 「お前さんだって、こんなせむしになるのはいやだろう」
 すると、子輿は答えた。
 「いやいや、わしはいやだとは思わないよ。もし造化のはたらきがだんだんにひろがって、わしの左の肘(ひじ)を鶏(にわとり)に化けさせたなら、ひとつ鶏になって時を告げてみようではないか。(中略)また造化のはたらきが次第にひろがって、わしの尻を車輪に化けさせ、わしの心を馬に化けさせたなら、ひとつそれに乗ってみようではないか。馬車の世話にならなくてすむよ。
 それに、人間がこの世に生を得るというのは、生まれるべき時にめぐりあったまでのことであり、その生を失って死んでゆくのは、死すべき運命に従うまでのことだ。めぐりあった時のままに安んじて逆らわず、与えられた運命のままに従っていれば、哀楽の情がはいりこむ余地はない。このような境地を、昔の人は県解(けんかい)――生死の束縛からの解放とよんでいた。それにもかかわらず、なおこの束縛から解放されないとすれば、その心に外界の物が結びついているからだ。
 だが、その物も、天命に勝つことはできず、やがては消え去ってゆくのが昔からの定めである。その束縛は必ず解ける時がくるのだから、わしは運命を憎んだりはしないつもりだ」」

「「奇人――風変わりな人間というのは、どのような人間をいうのでしょうか」
 「奇人というのは、ふつうの人間とはちがっているが、天とひとしい人間、つまり自然のままの人間のことである。」」

「「考えてみれば、自分ではこれが変化だと思いこんでいることが、実は少しも変化していないことであったり、まだ変化していないと信じていることが、実はすでに変化してしまっていることだってあるのだ。このような話をしている私だって、お前といっしょに夢を見ていて、その夢からさめていないのかもしれない。」」



「第七 応帝王篇」より:

「「ところが泰(たい)氏は、その眠るときは安らかに眠り、目ざめるときは目を見ひらくばかりで、ものを思うことがない。自分が人間であることさえ忘れ、あるときは自分が馬であるかと思い、あるときは牛ではないかと思いまどう始末である。それゆえにこそ、泰氏の知は真実をつかみ、その徳は天真そのものである。だから舜(しゅん)のように、人の是非を区別するという境地に陥ることがなかったのだ」」

「このことがあってのち、列子は自分の学問がまったくなっていないことをさとり、そのまま家に帰った。そして三年間というものは、ひきこもったままで、一歩も外に出ることがなかった。妻のために炊事をしてやり、豚を飼うにもまるで人間を養うようにたいせつにして、差別の心を去るようにつとめ、特定のことだけに心をひかれて親しむことがないようにした。
 このようにして人為を削り去って素朴の状態にかえり、まるで心のない土くれのような姿をしたまま立ち、すべてを混沌(こんとん)にゆだね、そのまま生涯(しょうがい)を終えた。」

「南海の帝を儵(しゅく)といい、北海の帝を忽(こつ)といい、中央の帝を渾沌(こんとん)という。
 あるとき儵と忽とが、渾沌のすむ土地で出会ったことがある。主人役の渾沌は、このふたりをたいへん手厚くもてなした。感激した儵と忽とは、渾沌の厚意に報いようとして相談した。
 「人間の身体にはみな七つの穴があって、これで、見たり、聞いたり、食ったり、息をしたりしている。ところが、渾沌だけにはこれがない。ひとつ、穴をあけてあげてはどうだろうか」
 そこでふたりは、毎日一つずつ、渾沌の身体に穴をあけていったが、七日目になると渾沌は死んでしまった。」





『荘子 内篇』 森三樹三郎 訳注 (中公文庫)



◆今日の一枚◆


Yes - Going for the One (1977)




物質文明に闘いを挑むニューエイジ裸男。「さあ、今度はおれとお前の勝負だ!」。

季節の変り目や年末年始は精神的に不安定になりがちなので、ひきこもって過ごすことにしていますが、よく考えたらわたしは一年中ひきこもっているので、もうこれ以上はひきこもれない……いや、ひきこもりの限界点を超えたところでさらにひきこもることによってひきこもりの地力を上げる、それを今年の目標にしてもいいし、しなくてもよいです。精神的に不安定なので頭も混乱しています。
そんなときには子どものころに好きだったものごとに没頭するのが精神衛生上よいので、年末年始は「イエス」をきいてすごしました。YouTube にはライブ映像&音源がいっぱいあがっているし、ライノからは1972年のライブだけを集めた14枚組CDなども出ているのでたいへん有難いです。
「ピンク・フロイド」「キング・クリムゾン」「マグマ」なども好きなのですが、それらに没頭すると鬱状態が加速しそうなので、やはり「イエス」が肯定的かつ楽天的でよいのではないでしょうか。ことに『究極』(Going for the One)はタオイズムというかネオプラトニズムというかニューエイジ思想にかこつけた壮大なラブソングなので、ELPでいえば『ラブビーチ』みたいなものですが、いや、『ラブビーチ』はイエスでいえば『トーマト』ですが、しかしそれはどうでもよいです。
イエスといえばロジャー・ディーンによるSF山水画ふうイラストが呉彬(中公文庫版『荘子』雑篇のカバーに使用されています)みたいでかっこいいですが、『究極』のヒプノシス(三面見開きジャケ)もこれはこれでよいです。
ちなみにいうとわたしが好きなイエスの人はスティーヴ・ハウですが、よくきくアルバムは『イエスの世界(ファースト・アルバム)』と『時間と言葉』です。そして好きなイエスの曲は「エヴリデイズ」「アイ・シー・ユー」「おれ達にはチャンスも経験もいらない」(これは曲はそれほどでもないですがタイトルがタオイスト的ですばらしいです)それと「アメリカ」ですが、よく考えたら全部カバー曲(しかもアメリカ人の)ではありませんか。



























































































































『論語』 金谷治 訳注 (岩波文庫)

「春の終わりごろ、春着もすっかり整うと、五六人の青年と六七人の少年をともなって、沂水(きすい)でゆあみをし雨乞(ご)いに舞う台のあたりで涼みをして、歌いながら帰って参りましょう。」
(『論語』 「先進第十一」 より)


『論語』 
金谷治 訳注
 
岩波文庫 青/33-202-1 

岩波書店
1963年7月16日 第1刷発行
1988年8月5日 第37刷発行
280p 索引22p
「春秋時代(論語関係)要図」1p
文庫判 並装 カバー
定価500円



本書「凡例」より:

「この書は、『論語』の原文・読み下し・現代語訳を合わせ載せたうえ、簡単な注を加えたものである。」


巻頭に図版(「孔子像」)1点。


論語


カバー文:

「古代中国の大古典「四書」のひとつで、孔子(B.C. 551―479)と彼を中心とする人々の言行録。古い道徳主義のイメージをもつ人もあろうが、決してむずかしいことが書かれているのではない。人間として守るべき、また行なうべき、しごく当り前のことが簡潔な言葉のうちに盛られている。原文とその読み下し文に現代語訳と注をつけて親しみやすくし、索引を付した。」


目次:

はしがき
凡例

巻第一
 学而第一
 為政第二
巻第二
 八佾第三
 里仁第四
巻第三
 公冶長第五
 雍也第六
巻第四
 述而第七
 泰伯第八
巻第五
 子罕第九
 郷党第十
巻第六
 先進第十一
 顔淵第十二
巻第七
 子路第十三
 憲問第十四
巻第八
 衛霊公第十五
 季氏第十六
巻第九
 陽貨第十七
 微子第十八
巻第十
 子張第十九
 堯曰第二十

付録
 孔子略年表
 関係地図
 索引




◆本書より◆


「公冶長第五」より:

「先生がいわれた、「道が行なわれない、〔いっそ〕いかだに乗って海に浮かぼう。わたくしについてくるものは、まあ由(ゆう)かな。」」


「雍也第六」より:

「先生がいわれた、「知っているというのは好むのには及ばない。好むというのは楽しむのには及ばない。」」


「子罕第九」より:

「先生がいわれた、「破れた綿いれの上衣を着ながら、狐や貉(むじな)の毛皮を着た人と一しょにならんで恥ずかしがらないのは、まあ由(ゆう)(子路)だろうね。」」


「先進第十一」より:

「閔子騫(びんしけん)はおそばにいて慎しみ深く、子路はほこらしげで、冉有(ぜんゆう)と子貢(しこう)はなごやかであった。先生は〔優秀な門人にかこまれて〕楽しまれた。ただ、「由(ゆう)のような男は、ふつうの死にかたはできまい。」といわれていた。」

「子路と曾晳(そうせき)と冉有(ぜんゆう)と公西華(こうせいか)とがおそばにいた。先生がいわれた、「わたしがお前たちより少し年うえだからといって、遠慮をするな。ふだんいつもは『わたし〔の真価〕を知ってくれない。』といっているが、もしだれかお前たちのことを知って〔用いて〕くれたとしたら、どうするかな。」子路がいきなりお答えしていった、「兵車千台を出すていどの国が〔万台を出すような〕大国の間にはさまり、さらに戦争が起こり飢饉が重なるというばあい、由(ゆう)(このわたくし)がそれを治めれば、三年もたったころには〔その国民を〕勇気があって道をわきまえるようにさせることができます。」先生はそのことばに笑われた。「求(きゅう)、お前はどうだね。」お答えしていった、「六七十里か五六十里四方の〔小さい〕ところで求が治めれば、三年もたったころには人民を豊かにならせることができます。礼楽(れいがく)などのことは、それは君子にたのみます。」「赤(せき)、お前はどうだね。」お答えしていった、「できるというのではありません、学びたいのです。宗廟(そうびょう)のおつとめや諸侯の会合のとき、端(たん)の服をきて章甫(しょうほ)の冠(かんむり)をつけ、いささかの助け役になりたいものです。」「点、お前はどうだね。」瑟(しつ)をひいていたのがとまると、カタリとそれをおいて立ち上り、お答えしていった、「三人のような立派なのと違いますが。」先生が「気にすることはない。ただそれぞれに抱負をのべるだけだ。」といわれると、「春の終わりごろ、春着もすっかり整うと、五六人の青年と六七人の少年をともなって、沂水(きすい)でゆあみをし雨乞(ご)いに舞う台のあたりで涼みをして、歌いながら帰って参りましょう。」といった。先生はああと感歎すると「わたしは点に賛成するよ。」といわれた。」



「微子第十八」より:

「楚(そ)のもの狂(ぐる)いの接輿(せつよ)が歌いながら孔子のそばを通りすぎた、「鳳(ほう)よ鳳よ、何と徳の衰えたことよ。過ぎたことは諫めてもむだだが、これからのことはまだまにあう。やめなさい、やめなさい、今の世に政治するとは危ういことだ。」孔子は〔車を〕降りて彼と話をしようとされたが、小走りして避けたので、話すことができなかった。」
















































































































『荘子』 金谷治 訳注 (岩波文庫) 全四冊

「ことさらに交際するということがなくて交際し、ことさらに助けあうということがなくて助けあうことのできる者が、だれかいるだろうか。天に昇(のぼ)り霧の中で遊んで限りない広がりの中をめぐりあるき、有限の生を忘れて窮(きわ)まりのない変化にまかせてゆくことのできる者が、だれかいるだろうか。」
(『荘子』 「大宗師篇 第六」 より)


『荘子 
第一冊 
(内篇)』 
金谷治 訳注
 
岩波文庫 青/33-206-1 

岩波書店
1971年10月16日 第1刷発行
1983年4月10日 第15刷発行
236p 索引32p
文庫判 並装
定価400円


『荘子 
第二冊 
(外篇)』 
金谷治 訳注
 
岩波文庫 青/33-206-2 

岩波書店
1975年5月16日 第1刷発行
1982年12月1日 第9刷発行
283p
文庫判 並装
定価400円


『荘子 
第三冊 
(外篇・雑篇)』 
金谷治 訳注
 
岩波文庫 青/33-206-3 

岩波書店
1982年11月16日 第1刷発行
334p
文庫判 並装
定価450円


『荘子 
第四冊 
(雑篇)』 
金谷治 訳注
 
岩波文庫 青/33-206-4 

岩波書店
1983年2月16日 第1刷発行
246p 索引61p
文庫判 並装
定価400円



第一冊「はしがき」より:

「本書は『荘子』三十三篇の全訳で、この第一冊はその「内篇」七篇を収めている(以下第二冊には「外篇」十篇、第三冊には「外篇」及び「雑篇」八篇、第四冊には「雑篇」八篇を収める)。原文である漢文と、その読み下し文と、口語訳とを、各段ごとに対照してかかげ、簡単な注をつけてある。」


全四冊。第一冊巻頭に図版(モノクロ)1点。


荘子 岩波文庫


第一冊 帯文:

「道家の代表的古典として古代中国思想の重要な一翼をなす荘子。人為を超越した悠久の世界で人間が獲得するこの自由な精神。(全四冊)」


第二冊 帯文:

「外篇のうち先ず10篇を収める。本冊からは荘子没後の記録。その思想は時代とともに他派の影響を受け、様々な変形を伴って展開する。」


第三冊 帯文:

「外篇5篇と雑篇3篇を収める。内篇にくらべ現実的・世俗的な面が強まり、政治への関心、異派の思想への反撥等が現われる。(全4冊)」


第四冊 帯文:

「雑篇8篇を本冊に収め、32篇の翻訳は完結し、ここに『荘子』の全思想が明らかにされる。巻末に外・雑篇の辞句・人名索引を付す。」


第一冊 目次:

はしがき
解説

内篇
 逍遙遊篇 第一
 斉物論篇 第二
 養生主篇 第三
 人間世篇 第四
 徳充符篇 第五
 大宗師篇 第六
 応帝王篇 第七

索引



第二冊 目次:

解説

外篇
 駢拇篇 第八
 馬蹄篇 第九
 胠篋篇 第十
 在宥篇 第十一
 天地篇 第十二
 天道篇 第十三
 天運篇 第十四
 刻意篇 第十五
 繕性篇 第十六
 秋水篇 第十七



第三冊 目次:

外篇(承前)
 至楽篇 第十八
 達生篇 第十九
 山木篇 第二十
 田子方篇 第二十一
 知北遊篇 第二十二

雑篇
 庚桑楚篇 第二十三
 徐無鬼篇 第二十四
 則陽篇 第二十五

付録――荘子のその後



第四冊 目次:

雑篇(承前)
 外物篇 第二十六
 寓言篇 第二十七
 譲王篇 第二十八
 盗跖篇 第二十九
 説剣篇 第三十
 漁父篇 第三十一
 列御寇篇 第三十二
 天下篇 第三十三

あとがき
索引(外篇・雑篇)




◆本書より◆


「逍遙遊篇 第一」より:

「北の果(は)ての海に魚がいて、その名は鯤(こん)という。鯤の大きさはいったい何千里あるか見当もつかない。〔ある時〕突然形が変わって鳥となった。その名は鳳(ほう)という。鳳の背中は、これまたいったい何千里あるか見当もつかない。ふるいたって飛びあがると、その翼(つばさ)はまるで大空一ぱいに広がった雲のようである。この鳥は、海の荒れ狂うときになると〔その大風に乗って飛びあがり、〕さて南の果(は)ての海へと天翔(あまかけ)る。南の果ての海とは天の池である。」


「斉物論篇 第二」より:

「始めということが有る。また始めということさえ、もともと無いということが有る。また始めということさえもともと無いということ、それさえもともと無いということが有る。有るということが有る。無いということが有る。無いということさえ、もともと無いということが有る。また無いということさえもともと無いということ、それさえもともと無いということが有る。〔事物の始源をたずねれば、果てしもないのだが、現実世界では〕にわかに有無の対立が生まれることになる。そしてその有無の対立は〔要するに相対的なものだから〕どちらが有でどちらが無だか分からない。いま自分はまたここで言葉を述べたが、自分の述べたことで、本当にものを言ったことになるのかそれともものを言ったことにならないのか、それも分からない。」

「むかし、荘周(そうしゅう)は自分が蝶(ちょう)になった夢を見た。楽しく飛びまわる蝶になりきって、のびのびと快適であったからであろう。自分が荘周であることを自覚しなかった。ところが、ふと目がさめてみると、まぎれもなく荘周である。いったい荘周が蝶となった夢を見たのだろうか、それとも蝶が荘周になった夢を見ているのだろうか。荘周と蝶とは、きっと区別があるだろう。こうした移行を物化(ぶっか)(すなわち万物の変化)と名づけるのだ。」



「大宗師篇 第六」より:

「むかしの真人は、生を悦ぶということを知らないし、死を憎むということも知らなかった。生まれてきたからといって嬉しがるわけではなく、死んでいくからといって厭(いや)がるわけでもない。悠然(ゆうぜん)として去り、悠然として来るだけである。〔どうして生まれてきたのか〕その始まりを知らず、〔死んでどうなるか〕その終わりを知ろうともしない。生命を受けてはそれを楽しみ、万事を忘れてそれをもとに返上する。こういう境地を、「心の分別で自然の道理をゆがめることをせず、人のさかしらで自然の働きを助長することをしないもの」というのである。」

「ただ人間の形にはまって出てきただけでもそれを喜んでいるが、人間の形などというものは、さまざまに変化して決して窮(きわ)まりのないものである。」

「子桑戸(しそうこ)と孟子反(もうしはん)と子琴張(しきんちょう)とが、三人でいっしょに語りあった、「ことさらに交際するということがなくて交際し、ことさらに助けあうということがなくて助けあうことのできる者が、だれかいるだろうか。天に昇(のぼ)り霧の中で遊んで限りない広がりの中をめぐりあるき、有限の生を忘れて窮(きわ)まりのない変化にまかせてゆくことのできる者が、だれかいるだろうか。」三人はこういうと、顔を見あわせてにっこり笑い、心からうちとけて、そのまま互いに友だちとなった。何事もなく、しばらくの時が過ぎてから、子桑戸が死んだ。埋葬(まいそう)にならないうちに、孔子がそのことを聞いて、門人の子貢(しこう)を手伝いにやらせた。〔ところが、孟子反と子琴張の二人は、〕一人が蚕棚(かいこだな)のすだれをあみ、一人が琴をひいて、声をあわせて歌っていた。「ああ桑戸よ、ああ桑戸よ、君はもはや君の真実へとたち帰った。われわれはまだ人間のままだ。」子貢は小走りに進み出て、「おたずねしますが、屍(しかばね)の前で歌うのは礼のきまりでしょうか。」とたずねた。二人は顔を見あわせて笑うと、「この男には礼の意味はわからないよ、」とつぶやいた。」
「子貢は帰ってきてそのことを孔子に知らせると、こうたずねた、「彼らは何ものでしょうか。礼儀正しいふるまいはさっぱりなくて、人としての形を整えることもせず、死骸の前で歌をうたって、悲しそうな顔つきもしない。何ともいいようがありません。彼らは何ものでしょうか。」孔子は答えた、「彼らはこの世間の外で遊ぶものだが、このわたしは世間の内で遊ぶものだ。世間の外と内とではかかわりを持つべきでないのだが、わたしはお前を弔問に行かせてしまった。わたしとしてはまずいことだった。彼らはちょうど造物者と仲間になって、天地の根源の一気に心を放っていたのだ。彼らは生きていることを こぶ や いぼ がくっついているように〔邪魔なことと〕考え、死ぬことを かさ や はれもの がつぶれたように〔自然なことと〕考える。いったいこういう人間が、またどうして死と生との後先(あとさき)がどうかなどと考えたりしようか。さまざまな異類の物を借り集めてかりに一つの〔人間の〕体になり、その肝臓(かんぞう)や胆嚢(たんのう)などの内臓のことも忘れ、耳や目などの外形のことも忘れ、生死の循環をどこまでもくりかえして、その始まりがどこかわからない。とらわれのないありさまで俗塵の外で気ままにふるまい、無為自然のはたらきをのびのびと楽しんでいる。けばけばしく世俗の礼儀をとりつくろって、世人の耳目をひくようなことが、彼らにどうしてできようか。」」



「駢拇篇 第八」より:

「あの最高の標準を身につけたものは、その性命(うまれつき)の自然なありかたにそむくことがない。だから、指がくっついていても指のたりない奇形とは思わず、指がよけいに分かれていても指の多い奇形とは思わず、長いからといってそれを余分だとは考えず、短いからといってそれを足りないとは考えない。(中略)生まれつき長いものは〔長いからといって〕たち切るべきではなく、生まれつき短いものは〔短いからといって〕継ぎ足すべきではない。」


「譲王篇 第二十八」より:

「真実の道を体得した古人は、逆境におちこんだ場合も楽しんでおり、順調に成功した場合も楽しんでいた。楽しみとするところは、逆境とか順調とかいう世俗の関心をこえていたのである。真実の道が体得できたなら、逆境か順調かということは、寒暑風雨が移り変わるていどのことになってしまうのだ。だから、許由(きょゆう)は潁陽(えいよう)に隠棲して悠々と楽しみ、共伯(きょうはく)は丘首(きゅうしゅ)に隠棲して、悠々自適の生活を送ったのである。」


「列御寇篇 第三十二」より:

「荘子の臨終のときのことである。弟子たちは手厚く葬りたいと思っていたが、荘子はこういった、「わしは天と地との間のこの空間を棺桶(かんおけ)とし、太陽と月とを一対(つい)の大玉と見なし、群星をさまざまな珠玉と考え、万物を送葬の贈り物と見たてている。わしの葬式の道具は、もうじゅうぶんに整っているではないか。どうしてさらにつけ加える必要があろう。」弟子たちはいった、「わたしどもは烏(からす)や鳶(とび)が先生の体をついばむのを心配するのです。」荘子はいった、「地上にさらしておけば烏や鳶の餌食(えじき)となろうが、地下に埋めれば螻(けら)や蟻(あり)の餌食になる。あちらのものを奪ってこちらに与えるだけだ。どうしてまた えこひいき なことをするのかね。」」




こちらもご参照ください:

『荘子 内篇』 森三樹三郎 訳注 (中公文庫)

















































































































































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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