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『李商隠詩選』 川合康三 選訳 (岩波文庫)

「星沈海底當窗見
雨過河源隔座看」
「星(ほし)の海底(かいてい)に沈(しず)むは窓(まど)に当(あ)たりて見(み)
雨(あめ)の河源(かげん)を過(す)ぐるは座(ざ)を隔(へだ)てて看(み)る」
「星が海の底に沈むのを窓ごしに眺め、雨が黄河の源を通り過ぎるのをすぐ向かいに見る。」

(李商隠 「碧城三首 其一」 より)


『李商隠詩選』 
川合康三 選訳
 
岩波文庫 赤/32-042-1 


岩波書店 
2008年12月16日 第1刷発行
359p 地図2p 索引2p
文庫判 並装 カバー
定価800円+税
カバー: 中野達彦
カバー画: 伝馮大有『太液荷風図』(南宋、台北 国立故宮博物院蔵)



本書「凡例」より:

「李商隠の詩九十四首を選んで、訳、注及び補釈を施した。」
「詩の本文は旧字体、訓読は通行の字体を用いた。」




李商隠詩選



カバーそで文:

「夢とうつつ、過去と現在、そのはざまにたゆたう愛のまぼろし。朦朧とした時空に透明な抒情を結晶させた晩唐・李商隠(りしょういん)(八一一―八五八)。散りばめられた典故、比喩と象徴を駆使した技巧――艶詩を恋愛詩に高めた珠玉の詩篇は、中国古典詩の極みともいうべき複雑な陰翳を燦めかす。」


目次:

錦瑟
重ねて聖女祠を過ぎる
霜月
異俗二首
 其の一
 其の二

潭州
劉司戸を哭す二首
 其の一
 其の二
楽遊
北斉二首
 其の一
 其の二)
南朝 (玄武湖中)
夜雨 北に寄す
陳の後宮
石榴
初めて起く
駱氏亭に宿り懐いを崔雍・崔袞に寄す
風雨
夢沢
七月二十八日の夜 王・鄭二秀才と雨を聴きし後の夢の作
漫成三首
 其の一
 其の二
 其の三
無題 (白道縈廻して)
蠅蝶鶏麝鸞鳳等もて篇を成す
薬転
杜工部蜀中離席
隋宮
二月二日
屏風
武侯廟の古柏
即日
無題二首
 其の一 (昨夜の星辰)
 其の二 (聞道らく)
無題四首
 其の一 (来たるとは是れ空言)
 其の二 (颯颯たる東風)
 其の三 (情を含みて)
 其の四 (何れの処か)
無題 (梁を照らして)
無題二首
 其の一 (八歳)
 其の二 (幽人)
落花
破鏡
無題 (紫府の仙人)

有るが為に
無題 (相い見る時は難く)
碧城三首
 其の一
 其の二
 其の三
牡丹
馬嵬二首
 其の一
 其の二
歎くべし
代わりて贈る二首
 其の一
 其の二
南朝 (地険は悠悠)
聖女祠
独居 懐う有り
感有り二首
 其の一
 其の二
重ねて感有り
春雨
楚宮
安定城楼
相思

常娥
細雨 (帷は飄る)
無題二首
 其の一 (鳳尾の香羅)
 其の二 (重幃 深く下ろす)
昨日
房中曲
当句有対
随師東す
細雨 (瀟洒として)
鸞鳳
漫成五章
正月 崇譲の宅
柳枝五首 序有り
 其の一
 其の二
 其の三
 其の四
 其の五
燕台詩四首
 其の一
 其の二
 其の三
 其の四
河内詩二首
 其の一
 其の二
驕児の詩
井泥四十韻
無題 (万里の風波)

解説
李商隠年譜
李商隠関係地図
詩題索引




◆本書より◆


「楽遊」より:

「樂遊
向晩意不適
驅車登古原
夕陽無限好
只是近黄昏」

「楽遊(らくゆう)
晩(くれ)に向(なんな)んとして意(い)適(かな)わず
車(くるま)を駆(か)りて古原(こげん)に登(のぼ)る
夕陽(せきよう) 無限(むげん)に好(よ)し
只(た)だ是(こ)れ黄昏(こうこん)に近(ちか)し」

「たそがれるにつれて、心は結ぼれる。車を走らせ、いにしえの跡がのこる楽遊原(らくゆうげん)に登る。
 夕日は限りなく美しい。ひたぶるに日暮れに迫りゆくなかで。」

「〇楽遊 長安の東南に位置する行楽の地、楽遊原。周囲を一望できる高台にあった。(中略) 〇向晩 日暮れに近づいていく。(中略) 〇古原 楽遊原は漢代の廟があったので古原という。 〇只是 ただひたすらに。」

「落日を詠じた絶唱。夕暮れに近づくにつれて鬱屈する詩人は、心を解き放とうと見晴らしのいい場所に向かう。(中略)そこで目にした落日、その美しさを説明することもなく、「好」という一番単純な、しかし何もかも含まれた、感嘆詞に近い語だけを発する。「只是」は「ただしかし」という逆接の意味で読まれることもあるが、「只管」と同じように「ひたすら」の意がよい。(中略)やがて地平に没し、夕闇に閉ざされるであろうことを知りながら、刻々と変化していく夕陽に目も心も奪われているのだ。」



「解説」より:

「李商隠の表現を特徴づける一つは、典故とか用事とかいわれる手法の過剰なまでの使用である。彼の詩作は宋代の頃から「獺祭魚(だっさいぎょ)」と称されてきた。カワウソが捕った魚を祭るかのように並べる、それと同じようにまわりに書物を敷き広げて典故を駆使するというのだ(中略)。しかもその典故が正統ならざる稗史(はいし)小説のたぐい、道教に関わる書物など、「僻典(へきてん)」――ふつうは用いられないような事柄――を用いている。出処をたどれない典故も稀ではない。」
「李商隠の場合、典故は複雑な事象を単純化せず、複雑なまま表現するための手段として使われる。一つの意味に還元されず、茫漠とした意味の拡がりがそのまま響き合うのだ。(中略)そして多義的、重層的な意味の錯綜のなかに曖昧模糊とした世界が立ちあらわれるに至る。」
「このような典故の手法からもうかがわれるように、李商隠は詩と現実との結びつきを故意に曖昧にする。(中略)もとになる出来事を塗りつぶし、現実との接点をうやむやにする。(中略)現実の切り離しは日常を隠蔽するためよりも、日常から遊離したもう一つの世界を現出させるためではなかったか。」

「李商隠が不遇のまま終わったのは、科挙出身だけでは昇進がかなわなくなっていた時代の変化、複雑きわまる官界の人間関係、そうした外的要素のほかに、李商隠自身の性格も関わっていたのではないか。(中略)詩人の資質と現実の場での有能さはもともと相い容れぬものであった。四十八歳の生を終えるまで、次々と庇護者を求めながら、めまぐるしいまでに職を換え、各地を転々としている。なんともうだつのあがらない官人人生であった。」
「梁・劉勰(りゅうきょう)『文心雕龍』は「蚌(ぼう)病(や)みて珠を成す」、貝の苦痛から真珠が生まれると詩人と詩の関係を美しく比喩したが、李賀、孟郊、李商隠いずれもみずからの痛みと引き替えに稀有の表現を生み出した詩人であった。日常生活の安定をうち捨ててまで表現にのめり込むところも三者に共通している。そのなかでもとりわけ美しい詩的世界を創り出した李商隠の詩は、病める貝から生まれた珠玉そのものであった。」








こちらもご参照ください:

『李商隱』 高橋和巳 注 (中国詩人選集)
『李賀』 荒井健 注 (中国詩人選集)
武田雅哉 『星への筏 ― 黄河幻視行』
『マラルメ詩集』 渡辺守章 訳 (岩波文庫)
















































































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『平妖伝』  太田辰夫 訳  (中国古典文学大系)

「ちょうどその酒宴の際、ふとその四望亭の柱の上で大きな音がしましたので、太尉から家来の者までことごとく吃驚(びっくり)しました。見れば誰か知らないが、弾丸をこの庭園に打ちこんだのです。」
「皆が騒いでおりますと、その弾丸は亭の地上をピョンピョンと何度か跳ね、糸巻きのようにクルクルと千百回も回りました。太尉、
 「どうも不思議じゃわい」
 すると、パン! と、大きな音がして、弾丸から一人の小さな人間が飛び出しました。」

(『平妖伝』 より)


馮夢竜 作 
『平妖伝』 
太田辰夫 訳
 
中国古典文学大系 36


平凡社
昭和42年11月5日 初版発行
426p 目次5p
菊判 丸背バクラム装上製本 貼函
定価1,100円
装幀: 原弘

月報 2 (8p):
『平妖伝』と『魯迅伝』(増田渉)/明代の思想(増井経夫)/中国小説の歴史(二)――唐の伝奇――(内田道夫)/編集部より/次回配本/図版(モノクロ)2点。



本書「解説」より:

「『平妖伝(へいようでん)』という小説は、『水滸(すいこ)伝』『西遊(さいゆう)記』などと同様に、その源を民間の語り物に発していると推測される。北宋(ほくそう)の仁宗(じんそう)皇帝の代に、貝州(ばいしゅう)(河北省)で宗教的色彩をおびた農民暴動が起こったが、その主謀者たちは妖人で、妖術を使い官軍を悩ましたことが史書に記されている。(中略)その話がふくらんで明代になるとついに全二十回の中編小説となった。その著者としては、かの有名な羅貫中の名が記されている。(中略)この小説は『水滸』と『西遊』を兼ねたおもしろ味があるという評判であったが、明代に流行した長編小説に伍しては量的に貧弱であるし、ストーリーの構成にも不完全なところを有していた。これに眼をつけたのが明末の文学者馮夢竜(ふうむりょう)で、かれはこれを増訂して四十回とし、話の筋をととのえて読みごたえのあるものとした。」
「『平妖伝』は史実に基づくとはいえ、王則らの反乱は第三十二回以後になってはじめて現われる。つまり、それ以前、全書の四分の三以上はその伏線として、妖人たちの銘々伝のかたちを採っている。それゆえ『平妖伝』は、(中略)本質的には『西遊記』などと同じ「神魔小説」に属すべきものである。ではこの妖術とは何かというに、これは道教に源を発したものであると考えられる。(中略)道教の実践面の一つがいわゆる「方術」で、まじない・祈禱(きとう)・おはらい・錬金術など、みなこれに属する。」
「これら妖人たちの法術は、正統的な「方術」そのものではなく、それを現実的に歪曲(わいきょく)し応用したものである。」



二段組。本文中に挿絵図版(モノクロ)80点。「解説」中に図版(モノクロ)6点。



平妖伝 01



目次:

主要人物一覧

引首

第一回
 剣術を授け処女(しょじょ) 山を下り
 法書を盗み袁公(えんこう) 洞(どう)に帰る
第二回
 修文院に斗主 獄を断じ
 白雲洞(どう)に猿神(えんしん) 霧を布(し)く
第三回
 胡黜児(こちゅつじ) 村裏にて貞娘(ていじょう)を鬧(さわ)がし
 趙大郎(ちょうたいろう) 林中に狐(きつね)の跡を尋ぬ
第四回
 老狐(ろうこ) 大いに半仙(はんせん)堂を鬧(さわ)がし
 太医(たいい) 細かに三支脈を弁ず
第五回
 左黜児(さちゅつじ) 廟(びょう)中にて酒を偸(ぬす)み
 賈(か)道士 楼下にて花に迷う
第六回
 小狐精(こせい) 智(ち)もて道士を賺(あざむ)き
 女魔王 夢にて聖姑(せいこ)に会う
第七回
 楊(よう)巡検 経を迎えて聖姑(せいこ)に逢(あ)い
 慈(じ)長老 水を汲んで異蛋(いたん)を得たり
第八回
 慈(じ)長老 単(ひとり) 大士の籤(くじ)を求め
 蛋和尚(たんおしょう) 一たび袁公(えんこう)の法を盗む
第九回
 冷(れい)公子 はじめて厭人(えんじん)符を試み
 蛋和尚(たんおしょう) ふたたび袁公(えんこう)の法を盗む
第十回
 石頭陀(せきずだ) 夜 羅家畈(らかはん)を鬧(さわ)がし
 蛋和尚(たんおしょう) 三たび袁公(えんこう)の法を盗む
第十一回
 道法を得て蛋(たん)僧 師を訪(たず)ね
 天書に遇(あ)い聖姑(せいこ) 弟を認む
第十二回
 老いたる狐精 灯を挑(かきたて)て法を論じ
 癡(おろか)なる道士 月に感じ懐(こころ)傷(いた)む
第十三回
 東荘を閉じ楊春(ようしゅん) 金を点じ
 法壇を築き聖姑(せいこ) 法を煉(ね)る
第十四回
 聖姑宮(せいこきゅう)にて紙虎(しこ) 金山を守り
 淑景園(しゅくけいえん)にて張鸞(ちょうらん) 媚児(びじ)に逢(あ)う
第十五回
 雷(らい)太監 饞眼(うらやましく) 乾妻(なばかりのつま)を娶(めと)り
 胡媚児(こびじ) 癡心(ちしん)もて内苑(ないえん)に遊ぶ
第十六回
 胡(こ)員外 喜んで仙画(せんが)に逢(あ)い
 張(ちょう)院君 怒って妖胎(ようたい)を産む
第十七回
 博平(はくへい)県にて張鸞(ちょうらん) 雨を祈り
 五竜壇にて左黜(さちゅつ) 法を闘(たたか)わす
第十八回
 張(ちょう)処士 舟に乗って聖姑(せいこ)に会い
 胡(こ)員外 雪を冒して相識を尋ぬ
第十九回
 陳善(ちんぜん)・留義(りゅうぎ) 雙(ふたり)ながら銭を贈り
 聖姑(せいこ)・永児(えいじ) 私(ひそか)に法を伝う
第二十回
 胡洪(ここう)怒って如意冊(にょいさつ)を焼き
 永児(えいじ) 夜 相国寺に赴(おもむ)く
第二十一回
 平安街に員外 重ねて興り
 胡永児(こえいじ) 豆人紙馬を戦わす
第二十二回
 胡(こ)員外 媒(なこうど)を尋ねて親(えんぐみ)を議し
 蠢憨哥(うすのろむすこ) 洞房(どうぼう)に花燭を点ず
第二十三回
 蠢憨哥(うすのろむすこ) 誤って城楼の脊に上り
 費将仕(ひしょうし) 遊仙枕(ゆうせんちん)を撲(う)ち砕く
第二十四回
 八角鎮(はっかくちん)にて永児(えいじ) 異相を変(あらわ)し
 鄭(てい)州城にて卜吉(ぼくきち) 車銭を討(もと)む
第二十五回
 八角井 衆(おおく)の水手 屍(しかばね)を撈(さら)い
 鄭(てい)州堂 卜(ぼく)大郎 鼎(かなえ)を献ず
第二十六回
 野猪林(やちょりん)にて張鸞(ちょうらん) 卜吉(ぼくきち)を救い
 山神廟(びょう)にて公差(やくにん) 雙月(ふたつのつき)を賞(め)ず
第二十七回
 包竜図(ほうりゅうと) 新たに開封府を治め
 左瘸師(さかし) 大いに任(じん)・呉(ご)・張(ちょう)を悩ます
第二十八回
 莫坡(ばくは)寺にて瘸師(かし) 仏の肚(はら)に入り
 任(じん)・呉(ご)・張(ちょう) 夢に聖姑姑(せいここ)に授かる
第二十九回
 王(おう)太尉 大いに募縁の銭を捨て
 杜(と)七聖 狠(むご)く続頭の法を行なう
第三十回
 弾子(だんし)僧 変化して竜図(りゅうと)を悩まし
 李二哥(りじか) 妖(よう)を首(つ)げ跌死(てっし)に遭(あ)う
第三十一回
 胡(こ)永児 泥蠟燭(どろろうそく)を売り
 王(おう)都排 聖姑姑(せいここ)に会う
第三十二回
 夙(ふる)き姻縁にて永児 夫を招き
 銭米を散じて王則 軍を買う
第三十三回
 左瘸師(さかし) 神を顕(あら)わして衆を驚かし
 王(おう)都排 夥(なかま)を糾(あつ)めて仇(あだ)を報ず
第三十四回
 劉彦威(りゅうげんい) 三たび貝(ばい)州城にて敗れ
 胡(こ)永児 大いに河北の地を掠(かす)む
第三十五回
 趙無瑕(ちょうむか) 生(いのち)を拚(す)てて賊を紿(あざむ)き
 包竜図(ほうりゅうと) 詔に応じて賢を推す
第三十六回
 文相国(そうこく) 三路より師(ぐん)を興し
 曹(そう)招討 喞筒(そくとう)にて賊を破る
第三十七回
 白猿(はくえん)神 信香にて玄女に求め
 小狐妖(こよう) 磨(うす)を飛ばし潞(ろ)公を打つ
第三十八回
 多目神 徳に報いて銀盆に写(か)き
 文招討 路(みち)に失(まよ)いて諸葛(しょかつ)に逢(あ)う
第三十九回
 文招討 曲を聴(き)いて馬遂(ばすい)を用い
 李魚羹(りぎょこう) 直諫(ちょくかん)して王則を怒らす
第四十回
 潞(ろ)国公 凱(がい)を汴京(べんけい)城に奏し
 白猿(はくえん)神 重(かさね)て修文院を掌(つかさど)る

解説

付録 三遂平妖伝国字評(抄) 滝沢馬琴編輯

あとがき




◆本書より◆


第一回より:

「さても大唐は開元の御代(みよ)、鎮沢(震沢のこと。いま江蘇省呉江県西南の地)という所の劉直卿(りゅうちょくけい)と申すお方、諫議(かんぎ)大夫をなされました時、宰相、李林甫(りりんぽ)を弾劾(だんがい)する上奏文をたてまつりましたが失敗し、職を捨て、閑居の身となりました。奥方はかねがね大夫に口を慎まれるよう忠告いたされておりましたので、お役ご免となりますと、つい、はしたない言葉も出ようというもの。ところが大夫はまがったことの嫌(きら)いな一本気の殿方、どうして負けておりましょう。かくていさかいがありましたので、奥方は心に屈託のあまり、病いの床につかれました。くすし(引用者注:「くすし」に傍点)を招き調治いたしましたが、一進一退、いっこうすっきりいたしませぬ。
 とある晩、夫人は寝床の上に起き上がり、少しばかりの粥(かゆ)を召し上がりましたが、腰元を呼んで碗(わん)を下げさせますと、にわかに銀の燭台が暗くなりました。腰元、
 「おくさま、おめでたいことがございますわ。あんな大きな丁字頭(ちょうじがしら)(灯心のもえさしの先端にできる塊、吉兆とされる)ができましたもの」
 「わたしにおめでたいことがあるものかね。それより早くかきたてておくれ。眼(め)さきが明るくなれば気分もさっぱりするだろうから」
 腰元は進みでますと、二本の指で棒をつまみ、まっ赤な丁字頭をかき落としました。丁字頭が卓の上に落ちると、燭台の背後より一陣のつめたい風が吹き起こり、その丁字頭を右に左に吹きころがして、まるで火の玉のようです。腰元は笑って、
 「おくさま、おもしろいじゃございませんか。丁字頭が生きてるようですわ」
 と言いも終わらぬうち、その丁字頭は、二、三度、ころころまわると、たちまち茶碗ほどの大きさの火の玉となり、床へころげ落ちますと、
 ――パン!
 と爆竹のように炸裂(さくれつ)し、あたり一面、火花が散って消えてしまいました。見ると身のたけ三尺ほどの老婆がそこに立っております。老婆は夫人に向かい、
 「ごきげんよう。ご病気とおききしたので仙薬をおとどけに来ましたよ」」

「袁公は森の中で折り目正しく玄女を八拝いたしますと、玄女は拝を受け、袖から竜眼肉ほどの大きさの二つの弾丸をとりだして、袁公に与えました。袁公はかしこまって頂戴いたしましたが、てのひらにのせてよく看(み)れば、白色で、鉛で鋳たようにあまり光沢がありません。袁公は口にこそ出しはしませんでしたが、心中いささか不審に想(おも)いました。
 ――これが粉でつくった団子なら一時の飢えをしのぐことができよう。銀でつくったものならまず二十匁ぐらいのもの、たいした値打ちではない。もしただの鉛の弾(たま)なら、おれは弾(はじ)き弓を習う気はないのだから、もらっても役には立たないし……。
 と考えておりますと、玄女は早くもそれに気づき、その弾丸に息を吹きつけると、
 「カッ!」
 と叫びました。見ると弾は光を放ち、たちまち右に左にとびはね、さながら二匹の金色の蛇(へび)が、袁公にまきつき、はいまわっている如く、頭から首のあたりを、往(ゆ)きつもどりつ、万条の寒光を発し、その寒さ堪えがたく、耳には千刀万刃の打ちあい触れあう音が聞こえます。あわてたのは袁公、眼(まなこ)をかたく閉ざしたまま、
 「師父よ! わたくしめには師父のご威光がよくわかりました。どうかお許しのほどを……」
 と叫ぶのみです。もともとこの二つの弾丸は、仙家で煉(ね)りあげた雌雄の二剣でありまして、伸縮は自在、変化は無窮、もし光を収めたときには鉛弾のようですが、一たび活動をはじめれば、よく百万の軍中を飛び交(か)い、来(きた)るときは矢の如く、去るときは風の如く、さてこそ仙家が剣を飛ばせ妖を斬るは百発百中というわけなのであります。」



第三回より:

「さて、もろもろの虫・獣はいろいろと変化のことが多いものでして、たとえば黒魚の漢(おとこ)、白螺(ら)の美人とか、また虎は僧となり嫗(おうな)となり、牛は王と称し、豹(ひょう)は将軍と称し、犬は主人となり、鹿(しか)は道士となり、狼(おおかみ)は小児となる。これらは他の小説に見えており、数えきれぬほどでございます。とりわけ猿と猴(こう)の二種は、最も霊性がありますが、何と申しましても、妖となり怪をなすことの多いのは、狐にかなうものはありませぬ。この狐というもの、生まれつき口鋭く鼻尖り、頭は小さく尾は大、毛は黄色です。もっとも玄(くろ)狐白(しろ)狐というのがありますが、これは寿(よわい)永くして毛色の変わったものでございます。『玄中記』というご本を見ますと、「狐は五十歳にしてよく変化して人となり、百歳にしてよく千里の外の事を知る。千歳にしては天と相通じ、人も制する能(あた)わず。名づけて天狐という。性よく蠱惑(こわく)し、変幻万端なり」とございます。」
「さて皆さま、わたくし、これよりこの狐媚の二字を講釈つかまつります。およそ牝(めす)の狐が男子を誘惑しようとするときは、美貌の婦人に化けまする。また牡(おす)の狐が婦人を誘惑しようとするときは、美貌の男子に化けます。これらはみな人間の陰精陽血を採って、修煉を完成する助けとするものです。ではどのような手で化けるかと申しますれば、生まれつき不思議な術を心得ておりまして、たとえば牝狐が婦人に変ずるときには、婦人のされこうべを用い、牡狐が男子に変ずるときには、男子のされこうべを用い、これを頭にかぶりまして、月に向かって拝するのです。もしも、化けてはならぬときには、そのされこうべはコロコロところがり落ちてしまいますが、もし、しっかりと頭上についておりまして、七七四十九拝を拝みおえますと、たちまち男女の姿に変わります。そこで木の葉や花弁をとって身をおおえば、五色の真新しい衣服となります。人々はその美しい容貌と華(はな)やかな衣裳(いしょう)を見、そのうえ、それが言葉巧みに近づいてまいりますので、フラフラにならない者とてはございません。(中略)それで狐媚と申すのです。それどころか、僧に逢えば仏となり、道士に逢えば仙人と称し、人を欺いて礼拝供養させまする。それで唐のころには狐神というものがあり、戸ごとに祭って怠らなかったといいます。当時の諺(ことわざ)に『狐がいなければ村はなりたたぬ』と申し、これは五代の時のことですが、その種(たね)は今にいたるも絶えてはおりませぬ。」

「とある日、銭氏が朝起きて身づくろいをしますと、髻(まげ)にさす銀の簪(かんざし)が見えません。着物・籠・箱・化粧箱・夜具など、いたるところ捜しましたが見えません。壁の根元に鼠(ねずみ)の穴がありましたので、明りをつけて何べんも照らしてみましたが、それらしい影もありませぬ。昼になってご飯が炊(た)きあがり、蓋をとってみますと、その簪はきちんと釜(かま)のまん中につきささっておりました。抜きとってみればあら不思議、やけどもしかねない釜の中にありながら、簪ばかりは冷たいのです。銭氏は言っても夫が信じまいと思い、黙っておりました。またある日、朝起きて寝台を下り、ぬいとりをした靴をはこうとしますと、片方がありません。趙壱、
 「おおかた猫(ねこ)でもくわえて行ったのだろう。ほかのをはいていたらいい」
 その日、趙壱は出かけると間もなくもどってまいりまして、袖から刺繡(ししゅう)をした靴を一つとり出し、銭氏に見せました。
 「おまえのじゃないかな」
 「そうです。どこで拾って来ました」
 「半里(みち)ほど先のざくろの木に懸かっていたが、不思議なことではないか」
 銭氏はそこではじめて銀の簪の一件を、夫に告げますと、趙壱、
 「これはきっと野山の妖精のしわざだ。諺にも、怪しいものを見ても怪しいと思わなければ自然に消え失せる、という。とりあわないのがいい」
 これより趙家には不思議が絶えませんでしたが、別に損傷はありません。夫婦二人はどうすることもできず、構わずにおきました。後になると慣れてしまい、いよいよ気にとめなくなりました。」



第五回より:

「もともと三人は狐の精でございます。飢えては花や実を食べ、渇しては水を飲み、夜は深い林や茂った草の中で眠るのですから、途中で幾日か暇どってもたいしたことではありません。これが人間でしたら、外へ出ればやたらに金がかかり、たとい昼間の一杯の粥(かゆ)、夜の一枚のござ(引用者注:「ござ」に傍点)にしろ、懐に何文かの銭がなければ手にはいりません。こうなりますと、かえって畜生の方が便利でございます。
 さて三匹の狐の精、数日の旅を重ねましたが、さいわい好い天気がつづきました。ある日たちまち大風が吹きだし、濃い雲がひろがると、春の雪が降りだしました。もともとこの雪と申しますもの、いくつかの名前がございます。一片のものは蜂児(ほうじ)、二片のものは鵝毛(がもう)、三片のものは攅(さん)三、四片のものは聚(しゅう)四、五片のものは梅花、六片のものは六出と呼ばれまする。この雪というものはもともと陰の気の凝結したものですから、六出は陰の数に応じております。立春以後になりますと、みな梅花の雑片で、六出はさらにございません。」



第七回より:

「ある日、州内のある家から法要に呼ばれましたので、慈長老、思案いたしました。
 ――身につける衣を、かれこれひと月も洗濯(せんたく)していない。さりとて着換えもない。ひとつ湯を沸かして洗うことにしよう。
 桶(おけ)を持ち、寺の前の淵(ふち)へ水を汲みにいきます。見ると、丸いものが水面を浮きつ沈みつしておりましたが、みるみる押し流されて桶の近くまでくると、慈長老が水を汲む拍子に、ポトンと桶の中へころがりこみました。長老は卵の殻だとおもい、すくいあげて見ると、まるのままの卵で、鵝鳥(がちょう)の卵のようです。」
「卵を日光に照らして見ますと、内側は充満して、種があります。急いで朱大伯の家をたずね、鶏の巣の中へ置いてもらい、もし鵝鳥が孵ったらおまえさんにやる、と言いましたので、朱大伯も承知いたしました。ところが大変、めんどりに抱かせて七日目に、朱大伯が餌(えさ)をやりにいきますと、めんどりは傍(かたわら)に死んでおり、身の丈(たけ)六、七寸の子供がその卵の殻を破って生まれ出(い)で、巣の中に坐っております。ほかの鶏の卵はみな空(から)になり、ひと山に積んであります。」
「慈長老、この話を聞いては、返す言葉もありません。是非なく墨染めの衣(ころも)を脱ぎ、巣ごと包んで寺へ持ちかえります。そして弟子たちにも告げずに、そのまま後ろの菜園へいき、鋤(すき)で土塀(どべい)の一隅の地面を掘りおこすと、鶏の巣をその子供の棺桶として、深く深く埋めてしまいました。」



第八回より:

「この蛋子和尚は、人が自分のことを、卵の殻から生まれたというのを聞き、自分でも不思議なことだ、きっと凡人ではないと思いました。そして、この世の中で天地を驚かすほどの事業をやりたいものだと考えます。僧たちは陰でかれのことを、畜生の種だとか、野良和尚だとか、鶏が孵(かえ)したとか、犬が産んだとか言うので、心中おだやかならず、寺を出て天下を雲遊したいと、いつも考えておりました。」


第十四回より:

「張鸞はある晩、月光が昼の如く輝いておりますので園中を散歩しておりました。突然、黒雲が月をおおい、一陣の怪風が西の方から吹いてまいりました。張鸞、
 「はて面妖(めんよう)な。いったいどんな神が通るのじゃろうな」
 風鎮(しず)めの印を結び、眼をすえて見ると、やがて風が過ぎたあと、雲は開け月は明るくなりましたが、にわかに物音がして空中から一人の娘が降ってきました。」
「かの娘こそは別人にあらず、まさしく胡媚児(こびじ)――かの小さな狐の妖精でありました。」



第十六回より:

「胡員外はまっすぐに書院へ来ますと、風除(よ)けの門を開(あ)けて内にはいります。当直の者に、
 「おまえたちは出て、外で控えておるように」
 と言いつけます。身をかえして風除けの門をしめてしまうと、あかりを点じます。壁炉の湯沸しの湯が煮えたぎったので、員外は上等の竜団餅をとって、湯沸しにいれます。一炉の香を焚き、二本の蠟燭を点じて、矢筈をとり画を掛けて見ますと、まったく零(こぼ)れ落ちんばかりの妖(なまめ)かしい美人です。員外は咳払いを一つして、卓を三度たたきました。たちまち卓のあたりから微(かす)かに一陣の風が起こりました。」
「風が過ぎれば、かの画中の美人はありありとひと跳(は)ねして卓の上に、またひと跳ねして地の上に降りました。」
「その女は員外の方をうかがって、丁重に、
 「ご免くださいませ」
 と挨拶します。員外はあわてて礼を返し、壁炉の湯沸しから一杯の茶を注ぐと、その女にわたし、自分も一杯注いでいっしょに飲みました。茶を飲み終えて茶碗(わん)と茶托(たく)を台の上へもどしますと、まだ何とも話をしないのに、かの女は一陣の風とともに元の如く画の中にはいってしまいました。員外はご満悦にて、
 「なるほどこの画は霊験のあるものあ。いまは最初だから、ひきとめなくてよかった。この次にゆっくり話をしても遅くはない」
 そこで画軸を自分で巻き、当直の者を呼んで道具をとりかたづけさせますと、寝室に帰って眠りました。」



第十八回より:

「さて蛋子(たんし)和尚は水を噴いて河をつくり、瘸児(かじ)は椰子(やし)の杓(ひしゃく)を投じて一葉の扁舟(へんしゅう)とし、県知事に同乗するよう勧めます。県知事がその舟を見ますと、(中略)大勢で乗れそうにもありませんので、再三ことわって、承知しません。(中略)三人は県知事に向かい手を拱(こまぬ)いて礼を述べます。張鸞が鼈甲(べっこう)のうちわを立てるとそれは帆となり、長嘯(ちょうしょう)一声、飛ぶが如くに走り去りました。またたく間に舟も水も見えなくなり、堂の下、階(きざはし)の前は元のとおりの光景にかえりました。県知事は驚きのあまり呆然として、一場の怪夢を見たかの如くです。」


第二十一回より:

「見ると永児はその広い空地で、小さな腰掛けに坐り、前には水のはいった一つの茶碗を置き、手には赤い葫蘆(ふくべ)を持っております。員外はひそかに考えました。
 ――どこを捜してもいないと思ったら、こんなところで、何をしているのだろう。
 驚かしてはいけないと思って、立ちどまったまま、何をするか見ております。すると永児はその赤い葫蘆の栓(せん)をぬき、傾けると、二百粒ばかりの赤小豆(あずき)と、ずたずたに切りきざんだわらとが地上に出ました。そして口中に呪文を唱え、水をひと口ふくんでプッと噴き、
 「カッ!」
 と叫ぶと、たちまち三尺ほどの人や馬に変わりました。ことごとく赤い兜(かぶと)・赤い鎧(よろい)・赤い袍(ほう)・赤い紐・赤い旗・赤いラッパで、赤馬が地上をぐるぐると駆けめぐり、一個の陣を布(し)きました。」
「こんどは白い葫蘆の栓をぬいてそれを傾け、二百粒ほどの白い豆と、ズタズタに切ったわらを地面にあけました。そして口中で呪文を唱え、水を含んでプッと噴き、
 「カッ!」
 と叫ぶと、みな三尺ばかりの人や馬に変じました。いずれも白い兜・白い鎧・白い袍・白い紐・白い旗・白いラッパで、白馬は銀牆(しょう)鉄壁のごとく陣を布きました。この薪置場はたいした広さでもないのに、四百あまりの人馬を収容し、二つの陣を布き、なお戦場の空地があって、少しも狭い感じがしません。員外は眼がちらついて、まるで夢の中に見る光景のような気がしました。」



第二十六回より:

「道士は懐(ふところ)から一枚の紙を取り出して、鋏(はさみ)でそれをまん丸い月の形に切り、その上に酒をたらすと、
 「昇れ!」
 と叫びます。見る見る紙の月は空へと吹き上げられていきます。三人がいっせいに、
 「すばらしい!」
 と喝采(かっさい)する間に、二つの月が空に浮かんでおりました。」
「道士、
 「拙者のあの明月の顔を立てて、どうか一杯やってくだされ」
 そこで四人はまた酒を飲みました。」
「さて鄭州におきましては、上は知事より下は庶民に至るまで、城の内外の住民は大騒ぎをいたし、みな天上の二輪の明月を眺めました。」



第二十九回より:

「ちょうどその酒宴の際、ふとその四望亭の柱の上で大きな音がしましたので、太尉から家来の者までことごとく吃驚(びっくり)しました。見れば誰か知らないが、弾丸をこの庭園に打ちこんだのです。」
「皆が騒いでおりますと、その弾丸は亭の地上をピョンピョンと何度か跳ね、糸巻きのようにクルクルと千百回も回りました。太尉、
 「どうも不思議じゃわい」
 すると、パン! と、大きな音がして、弾丸から一人の小さな人間が飛び出しました。はじめは小さかった体が、風に吹かれるとだんだんに大きくなって、身の丈六尺ばかりの和尚にかわり、身には烈火の袈裟(けさ)をまとい、耳には金の環を下げております。」

「杜七聖、
 「俺はこの東京にいるから、見物衆のうち何人かは一年のうちに見ておられる方もあろう、また見ていないお方もあろう。俺のこの法術は祖師から伝授されたもので、(中略)俺の息子を縁台に寝かせ、刀で首を斬り、この布をかぶせておけば、元どおりに首がつながる。ところでお立合いの衆、まず俺に、この百枚のお札を売らせて欲しい。それから法術をご覧に入れよう。このお札は一枚がたった五文だ」
 ドラを打ち鳴らしますと、見物人はたちまち身動きできないくらい――およそ二、三百人も集まりましたが、札は四十枚しか捌(さば)けません。杜七聖は札が売れないので腹を立て、大勢の人に向かい、
 「皆さん方の中に腕に覚えのある方があればお出合いくだされ」
 三べんたずね、さらに三べんたずねましたが、出て来る者はありません。杜七聖、
 「俺のこの法術は、子供を台の上に寝かせ、法をつかって呪文を唱えると眠ったようになってしまう」
 ちょうどいま法術を施そうとした時、残念ながら人群れの中におりました一人の和尚が、この法術に通じておりました。和尚は杜七聖の大言壮語を聞くと、先に呪文を唱えて、
 「カッ!」
 と言い、その子供の魂を取り収めて衣の袖に入れ、向かい側にある一軒のそば屋を見つけますと、
 「ちょうど腹がすいてる。まず、そばでも食って来て、それから子供の魂を返してやっても遅くはあるまい」
 和尚はそば屋の二階に上がりますと、街に面した窓ぎわに坐り、杜七聖の方を眺めております。給仕が来て箸を置き、漬(つけ)物をならべ、注文をきいて階下へ下りました。和尚は子供の魂を取り出し、小皿で蓋(ふた)をすると、食卓の片隅に置き、そばの来るのを待っておりました。」
「さて、一方、杜七聖は呪文を唱え、刀を取ると、その子供の首を斬り落としました。見物人はますます増(ふ)えてきます。杜七聖は刀を置くと、蒲団(ふとん)をかぶせ、お札をかかげて、その子供の上でぐるぐる回し、呪文を唱えますと、
 「おのおの方、気を悪くしてはいけない。俺はいつも独(ひと)り舞台だ。さあ、この舟が出たら、次の舟はないんだぜ。俺のこの秘術で、百枚のお札を売るんだ」
 両手で蒲団をあけてみると、子供の首はつながっていません。見物人はワーッと騒いで、
 「いつもは蒲団をあけると、あの子供はすぐ跳(と)び起きるのだ。きょうは首がつながらぬ。失敗したのだ」
 杜七聖はあわてて再び蒲団をしっかり覆(かぶ)せ、いい加減なことを言って見物人をごまかしながら、
 「皆さん、容易(たやす)いものです。今度はかならずつながります」
 再び歯をたたき、法を使い、呪文を唱え、蒲団をあげてみると、またもや首はつながれておりません。杜七聖はあわててしまい、見物人に向かって、口上を述べます。
 「さてこそお立合いの衆、世すぎの道はちがうとも、一家を養うつとめは同じ、と申しますのも、誰もが暮らしに追われていればこそでございます。さきほど、言葉が至りませなんだ段は、皆さん、ひとえにお許しのほどを。こんどこそ頭を接(つ)がせていただきまして、あとで一杯やらせてもらいたいものです。四海の内は、みな相識でありまする」
 杜七聖はさらに平あやまりにあやまって、
 「わたしが悪うございました。今度は接いでご覧に入れます」
 口の中でひたすら呪文を唱え、蒲団をかかげて見ますと、またもやつながっておりません。杜七聖は焦立(いらだ)って、
 「おまえは俺の子の首を、つながらないようにしている。俺はおまえに願って、何度も自分が悪かったと詫び、許しを求めた。それだのにおまえは、いつまでも、そんなに酷(ひど)いことをする」
 後ろの籠から一つの紙包みを取り出し、それを開(あ)けると、一粒のひょうたん(引用者注:「ひょうたん」に傍点、以下同)の種子をつまみ出しました。そして地面を掘って軟(やわ)らかにすると、そのひょうたんの種子を地に埋め、口の中で何やら呪文を唱え、水を吹きかけて、
 「カッ!」
 と叫びました。あら不思議、みるみる地中から一本の蔓(つる)が伸びて、次第に大きくなり、枝葉を生じ、やがて花が咲き、花が落ちて、一つの小さなひょうたんの実がなりました。大勢の人はそれを見ると、口々に喝采(かっさい)します。杜七聖はそのひょうたんを摘みとって、左手で提(さ)げ、右手に刀を持ち、
 「きさまは先刻、酷(ひど)いことをやった。俺の子供の魂を収め、首を接(つ)げないようにしたな。きさまも生かしてはおかぬぞ!」
 ひょうたん目がけて、そのくびれのあたりを一刀、まっ二つに斬り落としました。

 さてかの和尚はそば屋の二階で、どんぶりを手に持ち、食べようとしますと、不意にその和尚の首が胴体からコロコロところがり落ちましたので、二階でそばを食べていた大勢の人は吃驚(びっくり)しました。気の小さい者はそばを放(ほう)りだして階下へ駆けおりて行き、大胆な者は棒立ちになって見ております。するとその和尚はあわてて碗と箸を下におき、立ち上がると床板の上を手探りでさがします。さがし当てると両手で耳をつかまえ、その首をもちあげて胴体の上にあてがい、きちんとのせると、手で撫(な)でました。和尚、
 「わしはそばを食うのに気をとられて、あの子の魂を返してやるのを忘れていた」
 手を伸ばして小皿をあけました。こちらで小皿をあけた途端、向こうの杜七聖の子供が早くも跳び起きたので、見物人は喊(かん)声をあげました。」



第三十回より:

「さて温(おん)殿直は捕吏の一行を連れて、そば屋へ踏みこみます。そこへ和尚(おしょう)が二階から下りて来ましたので、温殿直はすぐ鉄鞭(べん)を振るい、捕(と)り手たちにその和尚を捕えさせます。和尚はつかまえに来た人を見ると、手でちょっと指さしました。不思議や、帳場の主人も、客をもてなしていた小僧も、店でそばを食べていた大勢の客も、ことごとく和尚に変じました。温殿直と捕り手たちも和尚になってしまいました。人々は顔を見合わせ呆然(ぼうぜん)としております。捕り手はあたりを見回しても誰を捕えてよいかわかりません。そば屋の中は大騒ぎになり、客はみな散ってしまいました。温殿直が、そば屋の亭主と残った人々を見ますと元どおりの顔になっています。店内を見回しても和尚の姿は見えません。温殿直はすぐに捕り手たちに手分けして追跡させます。」


第三十一回より:

「もともと相国寺には三つの不思議なものがございます。仏殿上の井戸は深さが三十丈もあり、頭髪で作った縄に黒漆のつるべを用いますが、このつるべには朱で、
 ――大相国寺公用
 と、したためられております。ある日、縄がきれて、つるべの行方(ゆくえ)がわからなくなりました。その後、航海から帰った人が相国寺にまいりまして言うには、
 ――自分が東洋の大海を航海していた時、海面に一つのつるべが浮かんでいるのを見た。水夫が拾いあげて見ると、朱で「大相国寺公用」と書いてある。それに見入っている時、風波がはげしくなり、ほとんど船が転覆しそうになったが、その場でつるべを送りとどける願をかけると、風波はすぐにおさまった。それでつるべをお返しし、願ほどきに来た、と。
 そこで初めてその井戸が、東洋の大海に通じていることがわかったのでございます。
 次に、相国寺の門前には一つの橋があり、延安橋と呼ばれます。橋の上から寺を見ますとまるで井戸の中にあるような気がいたしますが、仏殿の上からその橋を見ますと、寺の地盤よりもさらに十数丈も低いのです。またこの旗竿は銅で鋳造したもので、切ることもできず、鋸(のこぎり)でひくこともできません。これらが三不思議となっております。」




平妖伝 02



平妖伝 03



平妖伝 04



平妖伝 06



平妖伝 05



平妖伝 07









こちらもご参照ください:

『完訳 水滸伝 (一)』 吉川幸次郎・清水茂 訳 (岩波文庫)
呉承恩 作/小野忍 訳 『西遊記 (一)』 (岩波文庫)
孟元老 『東京夢華録 ― 宋代の都市と生活』 入矢義高・梅原郁 訳注
岡本綺堂 『中国怪奇小説集 新装版』 (光文社時代小説文庫)












































『完訳 水滸伝 (十)』 清水茂 訳 (岩波文庫)

「上皇、表文を御覧になり、ひどく感嘆しておられましたが、やがて、
 「そなたら百八人、上は星座に応ずるものながら、今はたった二十七人が生きのこり、その上、四人が別れて行き、まことに十のうち八は去ったな。」」

(『完訳 水滸伝 (十)』 より)


『完訳 
水滸伝 
(十)』 
清水茂 訳
 
岩波文庫 赤/32-017-0


岩波書店 
1999年6月16日 第1刷発行
406p 
文庫判 並装 カバー
定価660円+税
カバー: 中野達彦



全十冊。
本文中挿絵20点。地図2点。



水滸伝 十 01



カバーそで文:

「江南の方臘は、宋江ら官軍となった梁山泊軍団にとって最も手ごわい敵であった。義を誓い合った兄弟一〇八人の大半を失う大苦戦の末、ようやく方臘を生け捕りにして都に帰還する。しかし宋江たちを待っていたのは宋朝の廷臣たちの謀略……。(全10冊完結)」


忠義水滸伝 第十冊 目録:

巻の九十一
 張順(ちょうじゅん) 夜(よ)る金山寺(きんざんじ)に伏(ひそ)み
 宋江(そうこう) 智(ち)もて潤州城(じゅんしゅうじょう)を取る
巻の九十二
 盧俊義(ろしゅんぎ) 兵を宣州道(せんしゅうどう)に分(わか)ち
 宋公明(そうこうめい) 大いに毘陵郡(ひりょうぐん)に戦う
巻の九十三
 混江竜(こんこうりゅう)は太湖(たいこ)に小(ちい)さく義(ぎ)に結(つど)い
 宋公明(そうこうめい)は蘇州(そしゅう)に大きく会垓(かいせん)す
巻の九十四
 寧海軍(ねいかいぐん)に宋江(そうこう) 孝(も)を弔(とぶら)い
 湧金門(ゆうきんもん)に張順(ちょうじゅん) 神(かみ)に帰(き)す
巻の九十五
 張順(ちょうじゅん)は魂もて方天定(ほうてんてい)を捉(とら)え
 宋江(そうこう)は智もて寧海軍(ねいかいぐん)を取る
巻の九十六
 盧俊義(ろしゅんぎ)は兵を歙州道(せっしゅうどう)に分かち
 宋公明(そうこうめい)は大いに烏竜嶺(うりゅうれい)に戦う
巻の九十七
 睦州城(ぼくしゅうじょう)に箭(や)もて鄧元覚(とうげんかく)を射(い)
 烏竜嶺(うりゅうれい)に神は宋公明(そうこうめい)を助(たす)く
巻の九十八
 盧俊義(ろしゅんぎ)は大いに昱嶺関(いくれいかん)に戦い
 宋公明(そうこうめい)は智もて清渓洞(せいけいどう)を取る
巻の九十九
 魯智深(ろちしん)は浙江(せっこう)に坐(い)ながら化(じょうぶつ)し
 宋公明(そうこうめい)は錦を衣(き)て郷(ふるさと)に還(かえ)る
巻の一百
 宋公明(そうこうめい)は神(たましい)にて蓼児洼(りょうじわ)に聚(あつ)まり
 徽宗帝(きそうてい)は夢に梁山泊(りょうざんぱく)に遊ぶ

人物表

地図
解説 (清水茂)




水滸伝 十 02



水滸伝 十 03



◆本書より◆


「巻の九十一」より:

「宋江、「われわれ百八人は、天の星座に載せられ、上、星星に応ずるもの。はじめ梁山泊(りょうざんぱく)で願(がん)を起こし、五台山(ごだいさん)で誓いを立て、ひたすらいっしょに生きいっしょに死のうと願ったが、都へ帰ったのち、思いがけなくも、まず公孫勝(こうそんしょう)が行ってしまい、(中略)きょう長江を渡ったばかりで、又もやわたしの三人の兄弟を失った。思い起こせば、宋万というおとこは、目立った手柄を立てたことはないものの、最初、梁山泊の始まりのときは、ずいぶんこの人のおかげを受けたのに、きょうは黄泉路(よみじ)に旅立ってしまった。」」


「巻の九十二」より:

「宋江、声はりあげて泣き、
 「思いがけず、長江を渡ってから、五人の弟を失った。天の神さまがお怒りになって、宋江が方臘をとりおさえることを許されず、兵を損じ将を失うことになったのではあるまいか。」」

「宋江、又もや三人の弟を失ったと聞いて、大声でわっと一泣き、どっと倒れました。」



「巻の九十四」より:

「その夜、宋江は幕中で、午前二時ごろまで、呉用と相談しておりましたが、頭が疲れて眠気を感じたので、左右のものをさがらせて、幕中で脇息にうつ俯せになって寝ました。にわかに一陣の冷風に、宋江、起きあがって見ますと、ともしびに光無く、寒気が人に迫って来ます。眸を凝らして見れば、一人の人に似て人でなく、幽霊に似て幽霊でないものが、冷気の中に立っています。その人を見れば、からだじゅう血まみれ、そっと、
 「わたくし、にいさんに長年お供して、手厚くお目をかけていただきましたが、いまはもう身を投げ出して御恩返しをし、湧金門の下、槍と矢の中で死にました。わざわざ、にいさんにお別れにまいりました。」
 宋江、「そちらは張順君ではないか。」
 ふり返りますと、こちらには又三、四人が、みな満身まっかな血で、こまかくはわかりません。宋江、一声、大声で泣き叫ぶと、ぱっと目覚め、それは南柯(なんか)の一夢でありました。」



「巻の九十五」より:

「さて、方天定は馬に乗ると、あたりには一名の将校も見当たらず、ただ何人かの歩兵がついて来るだけで、南門を出て逃走しましたが、せかせかと宿無しの犬にも似て、ばたばたと網抜けの魚の如くでありました。五雲山(ごうんざん)のふもとまで逃げて来たとき、大川のうちから一人のおとこが駆け出して来ましたが、口に一本の刀をくわえ、まっぱだかで岸に跳びあがって来ます。方天定、馬上から勢いすさまじと見て、馬に鞭打ち走らそうとしますが、いかんせんその馬、あら不思議や、どのように打っても動かず、だれかがくつわを控えているようです。おとこ、馬の前を遮ると、方天定を馬からひきずりおろし、一刀のもと首を斬りました。こんどは方天定の馬にまたがり、片手に首をぶらさげつつ、片手に刀を持って、杭州城に馳せもどります。林冲と呼延灼、兵隊をひきいて、六和塔(ろくわとう)まで追っかけて来たとき、ちょうど折よくおとこと出あいました。二人の将軍、船火児張横(せんかじちょうおう)とわかって、あっとびっくり、呼延灼が、
 「きみ、どこから来た。」
 と呼びかけても、張横は返事もせず、ただ一騎、城内にまで駆けこみました。
 この時、宋先鋒軍の主力部隊は、もうすっかり城内にはいり、方天定の宮中にいて、それを司令部とし、将校たちはみな行宮を固めていましたが、張横がただ一騎で駆けこんで来たのを見て、ひとびとみなあっとびっくりしました。張横は宋江の面前まで来ると、鞍からころがりおり、首と刀を地べたに投げ棄て、土下座して二度、拝礼すると、わっと泣き出しました。宋江、あわてて張横を抱きとめ、
 「弟よ、きみはどこから来たのだ。阮小七(げんしょうしち)は又、どこにいる。」
 張横、「わたしは張横ではありません。」
 宋江、「きみが張横でなければ、いったい誰だ。」
 張横、「わたくしは張順です。湧金門外で槍と矢の集中攻撃に殺されてから、亡魂一つ、水中を離れず漂っていましたのを、西湖の震沢竜君(しんたくりゅうくん)が感動して、金華太保(きんかたいほう)に取り立てて下さり、水神のお屋敷、竜宮にとどまって神さまとなりました。きょう、にいさんが城を打ち破ると、わたくしの魂は方天定にまといつき、ま夜中に、あとをついて城を出て行きました。あにきの張横が大川の中にいるのを見て、あにきのからだを借り、岸に駆けあがって、五雲山のふもとまでついて行き、こいつを殺して、にいさんにあおうと一目散に駆けて来たのです。」
 いいおわると、がばと地面に倒れました。宋江、手ずから助け起こすと、張横は眼をぱちくり開(あ)け、宋江と将校たちと、刀剣は林の如く、兵隊はいっぱいなのを見て、張横、
 「わたしはあの世でにいさんにあってるのではあるまいか。」
 宋江、泣いて、「さきほど、きみの弟の張順がからだに附いて、方天定のやつを殺したのだ。きみは死んでおらぬ。われわれはみなこの世の人だ。きみ、しっかりしてくれ。」」



「巻の一百」より:

「宋江は赴任の後、しょっちゅう城内から出て遊覧しましたが、さてもこの楚州の南門の外に蓼児洼(りょうじわ)と呼ばれる場所がありました。その山の四方はすべて入江で、その中に高い山が一つあります。その山は形がすらりとして、松やひのきがこんもり茂り、地形がたいへんよくて、梁山泊とちがいはありません。小さな場所ですが、その中は山山がとりまき、竜と虎がうずくまるよう、うねうねする山なみ、坂道階段高台たたき、四方を囲む入江、前後の湖沼、まったく水滸のとりでと同じです。宋江、それを見て、心中たいへん喜び、みずから考えます。
 「わしが、もし、ここで死んだら、お墓にするのによい。」
 ひまさえあれば、しょっちゅう遊びに行って、情(じょう)を楽しませ心を晴らしています。」

「数杯飲んだばかりで、上皇は眠気を催され、つけてあるあかりや蠟燭がちらちらします。ふと室内で一しきり起こる冷たい風、上皇は一人の黄いろい上衣を着たものが目の前に立っているのを御覧になりました。上皇、びっくりして立ち上がられ、
 「きみはどういうものだ、ここまでやって来るとは。」
 とたずねられると、その黄いろい上衣を着たもの、上奏して、
 「わたくしは、梁山泊の宋江の手下、神行太保戴宗でございます。」
 上皇、「きみはどうしてここへ来た。」
 戴宗、上奏して、「わたくしの兄、宋江はほんの近くにおります。何とぞ陛下、ごいっしょにおいで下さいますように。」
 上皇、「簡単に朕に来てほしいとは、どこへ行くのか。」
 戴宗、「ちゃんとさっぱりしたよい場所がございます。何とぞ陛下、御遊覧下さいませ。」
 上皇、このことばを聞きおわると、立ちあがって戴宗につづき裏庭を出て来られますと、車馬がちゃんと準備されています。戴宗、上皇に馬に乗ってお出ましになるようお願いします。すると、雲のごとく霧のごとく、耳に風雨の声を聞くばかり、ある場所に着きました。」
「「ここはどこじゃ、朕を連れてまいったのは。」
 戴宗、山の上の関所道を指さしながら、
 「なにとぞ陛下、お進み下さいませ。あそこまでおいでになれば、すぐお分かりになります。」
 上皇、馬を存分に走らせて山を登り、三重の関所道を通り過ぎ、三番目の関所の前に着きますと、百人あまりが地面に平伏していますが、すべて、直垂(ひたたれ)を着、鎧をまとい、武装に革帯、金(きん)の盔(かぶと)に金(きん)の甲(よろい)の将校です。上皇、たいへんびっくりされ、つづけざまにたずねられます。
 「そなたたちはみな何者じゃ。」
 すると、頭(かしら)だつ一人、鳳凰の羽飾りの金(きん)の盔(かぶと)に錦の直垂、金の甲(よろい)のものが進み出て上奏します。
 「わたくしこそ梁山泊の宋江でございます。」
 上皇、「朕はもうそなたを楚州で安撫総司令官にしたのに、なぜ、ここにいる。」」
「宋江、上奏して、「わたくしども、官軍に抵抗したこともございましたが、本来、忠義を旨とし、いささかもあだし心は持ちませぬ。陛下の勅命にて招安を受けましたのち、北のかた遼兵を退け、東のかた方臘を活け捕りにし、手足ともいうべき兄弟は、十のうち八を失いました。わたくしは陛下の御命令で楚州の地方官を受け、着任以来、軍隊、住民とはっきりけじめをつけていたこと、わたくしの心は天地のもろともに知るところでございます。陛下は毒酒を賜わり、わたくしに飲ませられましたが、わたくしは死んでも恨みはございません。ただ、李逵が恨みを抱いて、あだし心を起こしはせぬかと、わたくし、わざわざ人を潤州に行かせて、李逵を呼んで来させ、手ずから毒酒を与えて毒殺しました。呉用と花栄も忠義のために来て、わたくしの塚の上で、二人とも首をくくってなくなりました。わたくしども四人は、いっしょに楚州南門外蓼児洼に埋葬され、里人はあわれんで、祠堂を墓の前に建てています。今、わたくしどもは、すでになくなったものたちとともに、あの世の魂はばらばらにならず、みなここに集(つど)って、陛下に申し上げ、以前からの心の中は、はじめからおわりまで変わらぬことを訴えました。なにとぞ、陛下、お見通しのほどを。」
 上皇、それを聞いて、びっくり仰天、
 「朕が親しく勅使を派遣して下賜した勅封の恩賜の酒、いったいだれが毒酒にとり換えてそなたに飲ませたのだ。」
 宋江、上奏して、「陛下、勅使におたずねになれば、悪だくみの出所がわかります。」
 上皇は三つの関所のとりでがりっぱなのを御覧になり、恐る恐るたずねられました。
 「ここはどこじゃ。そなたたちが集っているのは。」
 宋江、上奏して、「ここは、わたくしどもが、以前義に集いました梁山泊でございます。」」



「解説」より:

「『水滸伝』の英訳の一つ、シドニイ・シャピロの訳書は“Out laws of the Marsh”(沼地のアウトローたち)と題している(北京、外文出版社、一九八〇)。これは、ある意味で『水滸伝』の内容をもっとも簡単に示しているといえる。「水滸」とは、「水辺」のことであるが、このばあい、梁山泊という沼のほとりをいい、「伝」えられる人人は、アウトローなのであるから。
 そして、『水滸伝』の豪傑のような「義賊」は、世界的にひろがっており、そのことは、ホブズボーム『匪賊の社会史』(斎藤三郎訳、東京、みすず書房、一九七二)によって知られる。『水滸伝』の豪傑が、この書に取り上げるロビン・フッドをはじめとする貴族強盗のイメージと一致することは、こうした世界的にひろがる義賊物語の一環であることを示す。同書は、そのイメージを次の九点に要約する(同書三二―三四頁)。
 (1)貴族強盗が無法者としての経歴を開始するのは、犯罪を犯したことによってではなく、不正の犠牲者としてである。……
 (林冲は正しくそれであり、魯智深・武松や宋江もそのうちにはいろう。)
 (2)彼は「不正を匡す」。
 (梁山泊の旗印は、「天に替わって道を行なう」である。)
 (3)彼は富める者から取って貧しい者に与える。」
「(4)彼は「自己防衛か正当な復讐のばあい以外、殺さない」。
 (林冲が陸副官を殺し、宋江が閻婆惜を殺すのは自己防衛であり、武松が西門慶と潘金蓮を殺すのは、兄武大を殺されたことに対する正当な復讐である。ただし、それ以外は殺さないとまではちょっといいかねる。李逵のように、殺人を快楽視しているものもある。)
 (5)もし生き残れば、名誉ある市民および部落のメンバーとして民衆のもとへ戻る。」
「(6)彼は民衆によって賞讃され、援助され、支持される。」
「(7)彼は例外なしに死ぬ、それも裏切りのために。……」
「(8)彼らは――少なくとも理論の上では――眼にみえず不死身である。」
「(9)彼は正義の源である王や皇帝の敵ではない。ただ地方の地主(ジェントリ)、僧侶、その他の抑圧者の敵であるだけなのだ。
 (だから、徽宗皇帝には忠義を尽くし、「徽宗帝、夢に梁山泊に遊ぶ」でしめくくられるのである。)
 ホブズボームは、イワン・オルブラハトのつぎのことばで結ぶ(前掲書一五一頁)。
   人間には正義を求めて止むことのない渇望がある。自分に正義を拒んでいる社会秩序に対して、ひとは魂の中では叛逆する。……加えて、ひとの心の中には、自分の持ちえぬものを――たとえお伽噺の形でだけでも持ちたいという願望がある。おそらくはこれが、すべての時代、すべての宗教、すべての民衆、すべての階級を通ずる英雄譚の基礎なのである。
 『水滸伝』も、人のこころの奥にある正義の願望を英雄譚にしたもので、さればこそ「忠義」が冠せられるのである。」







こちらもご参照ください:

『完訳 水滸伝 (一)』 吉川幸次郎・清水茂 訳 (岩波文庫)
網野善彦 『悪党と海賊』 (叢書・歴史学研究)
高田衛 『完本 八犬伝の世界』 (ちくま学芸文庫)
野尻抱影  『大泥棒紳士館』













































『完訳 水滸伝 (九)』 清水茂 訳 (岩波文庫)

「「兄上、以前は何でも自由自在、兄弟たちもみな楽しんでいましたが、このたび招安を受けて、国家の臣子となってから、はからずもあべこべに拘束を受け、思うようにできません。兄弟たちは、みな怨みを抱いていますよ。」」
(『完訳 水滸伝 (九)』 より)


『完訳 
水滸伝 
(九)』 
清水茂 訳
 
岩波文庫 赤/32-016-9


岩波書店 
1999年6月16日 第1刷発行
279p 
文庫判 並装 カバー
定価660円+税
カバー: 中野達彦



全十冊。
本文中挿絵16点。巻末に地図1点。



水滸伝 九 01



カバーそで文:

「宋江らは梁山泊の城壁や建物をとり壊し、いよいよ、北方の大敵、遼国の征討へと出発する。最初の敵は檀州城。迎え撃つ敵将の先鋒は阿里奇、顔は白く唇赤く、鬚は黄色く眼は碧く、身の丈九尺で力は万人力……。宋朝の官軍となった梁山泊軍団の奮戦が始まる。」


忠義水滸伝 第九冊 目録:

巻の八十三
 宋公明(そうこうめい) 詔(みことのり)を奉(ほう)じて大遼(だいりょう)を破り
 陳橋駅(ちんきょうえき)に涙を滴(したた)らせて小卒(しょうそつ)を斬る
巻の八十四
 宋公明(そうこうめい) 兵(へい)もて薊州城(けいしゅうじょう)を打ち
 盧俊義(ろしゅんぎ) 大いに玉田県(ぎょくでんけん)に戦う
巻の八十五
 宋公明(そうこうめい) 夜(よ)る益津関(えきしんかん)を渡り
 呉学究(ごがっきゅう) 智もて文安県(ぶんあんけん)を取る
巻の八十六
 宋公明(そうこうめい) 大いに独鹿山(どくろくざん)に戦い
 盧俊義(ろしゅんぎ) 兵は青石谷(せいせきこく)に陥(おちい)る
巻の八十七
 宋公明(そうこうめい) 大いに幽州(ゆうしゅう)に戦い
 呼延灼(こえんしゃく) 力(ちから)もて番(とっくに)の将(しょう)を擒(いけどり)にす
巻の八十八
 顔統軍(がんとうぐん) 陣は混天(うちゅう)の像に列(つら)ね
 宋公明(そうこうめい) 夢に玄女(げんじょ)の法を授けらる
巻の八十九
 宋公明(そうこうめい) 陣を破って功(こう)を成し
 宿太尉(しゅくたいい) 恩(おん)を頒(わか)って詔(みことのり)を降(くだ)す
巻の九十
 五台山(ごだいさん)に宋江(そうこう) 参禅(さんぜん)し
 双林渡(そうりんと)に燕青(えんせい) 鴈(がん)を射る


地図




水滸伝 九 02



◆本書より◆


「巻の八十三」より:

「宋江は、相談をきめると、馬を飛ばして、みずから陳橋駅のあたりまで来て見れば、かの下士官、死体のところにじっとつっ立っています。宋江は、自分で人を宿場の建物内へやって、酒と肉を運び出させ、全軍をねぎらい、前進させると、今度は、この下士官を宿場の建物の中まで呼んで、その実情をたずねました。下士官、答えて、
 「あいつ、何かいえば、梁山泊の謀反泥棒、梁山泊の謀反泥棒、おれたちを、八つ裂きにして殺すにも殺し尽くせぬと悪態を吐きましたので、にわかにかっとなり、あいつを殺しました。ひたすら、司令官の処罰にまかせます。」
 宋江、「あれは朝廷任命の官吏、わたしはやっぱりひけめを感ずる。きみはなぜあれを殺した。われわれみなにも連帯責任がかかるだろう。われらはいま、はじめて詔勅を奉じて大遼を破りに行く。これっぽちの手がらもないうちに、あべこべにこんな事件をし出かした。いったいどうしよう。」
 下士官は、土下座して死罪を乞います。宋江、泣いて、
 「わたしは、梁山泊にはいってから、大小の兄弟分、一人だってだいなしにしたことはなかった。今日、わが身は役人となり、何事も自分のすきほうだいにできず、法律を守らねばならぬ。きみの剛毅の気質、消えうせなくとも、むかしの本性をむき出しにはできぬ。」
 下士官、「わたくしめ、ただもう甘んじて死刑を受けます。」
 宋江、その下士官、すっかり酔うまで思い切り飲ませ、木の下で縊死(いし)させてから、首を斬ってさらしものとし、町役人の死体は棺桶を準備して納め、それから公文書を出して総理府に報告しました。」



「巻の八十八」より:

「さて、宋江は陣営の中で気をくさらせ、あれこれ思いめぐらしましたが、打つ手がありません。どうすれば遼軍が打ち破れるかと、寝食ともにすておき、寝ても醒めてもおちつかず、坐っていても横になってもいらいらしています。
 その夜は、ま冬のこととて、気候はとても寒く、宋江は天幕を閉じて、蠟燭をつけてじっと坐って考えこんでいました。頃はもう午後十時ごろ、心が疲れて、衣服はそのままに脇息にもたれて横になりますと、陣営の中に怪風が急に起こり、冷気がせまって来るように思われました。宋江、身を起こしますと、黒いうわぎの女(め)の童(わらべ)が一人、前で最敬礼を一つしました。宋江、そこで、
 「あなたはどこから来ましたか。」
 とたずねますと、童(わらべ)、答えて、
 「わたくしは、お妃さまの思し召しで、閣下をお招きにまいりました。ごめんどうですがおいで下さい。」
 宋江、「お妃さまは今どちらで。」
 童、指さし示し、「ここからすぐです。」
 宋江は、かくて童のあとについて天幕から出ました。見れば、上も下も天の光は同じ色、金と碧(みどり)がいりまじり、香ぐわしい風がそよそよと、瑞(めでた)いもやがひらひらと、まるで旧暦二月三月、春のころの気候です。半里あまりも行かぬうちに、一つの大きな森が見えました。青い松が勢いよくしげり、翠(みどり)のひのきがこんもりと、紫のもくせいがすっくとそびえ、石の欄干がちらちら見え、両がわはすべてこんもりした林にすんなりとした竹、しだれ柳にわかわかしい桃、曲りくねった欄干です。石橋をめぐり過ぎれば、朱塗りの勅使門一つ、仰いで四方を見わたせば、入口の土塀は白壁、画の書かれた棟に彫刻された梁(はり)、金(きん)の釘(びょう)の朱(あけ)の戸(とびら)、碧(みどり)の瓦の重なった簷(のき)、四方は簾に蝦(えび)の鬚(ひげ)のふさを捲き、正面は窓に亀の甲が横になっています。
 女の童は宋江を案内して、左の廊下からはいり、東向きの一つの小部屋の前まで来ますと、朱の戸をおし開いて、宋江に、
 「中でしばらくお休み下さい。」
 といいます。目をあげて見まわすと、四方は雲形の窓がひっそりと、赤の彩色が階段いっぱいに、天上の花が乱れさき、珍しい香がまつわりつきます。女の童ははいって行くと、又出て来て、おことばを伝え、
 「お妃さまのお招きです。星主さま、すぐおいで下さい。」
 宋江は、坐って席も暖まらぬうちに、すぐに立ち上がりました。すると又もや外から二人の仙女がはいって来ます。頭(こうべ)には芙蓉(ふよう)の碧玉(へきぎょく)の冠を戴き、身には金(きん)の縷(いと)の絳(あか)い綃(うすぎぬ)の衣を着、顔は満月のよう、からだは軽やかで、手は春の笋(たけのこ)のよう、宋江にあいさつをします。宋江は顔をあげようともしませんのを、かの二人の仙女、
 「閣下はなぜ謙遜なさいます。お妃さまは着物を着換えられたら、すぐおいでになります。閣下を招いて国家の大事を話しあいたいとのこと。このままどうか御同行願いとうございます。」
 宋江は二つ返事で行きました。」
「聞けば、御殿では金(きん)の鐘響き、玉(ぎょく)の磬(けい)鳴って、腰元が宋江を招いて御殿に昇らせれば、二人の仙女が先に立って宋江を案内し、東の階段から登って、真珠の御簾(みす)の前まで行きますと、宋江に聞こえたのは、御簾の内で頭飾りの玉のちりちり、帯玉のちゃらちゃらという音。腰元が宋江に御簾内にはいり、香づくえの前に跪くようにいいます。目を挙げて御殿の上を見渡せば、めでたい雲がうっすらと、紫の霧がゆらゆらあがり、正面の九竜の床几の上に、九天玄女お妃さまが坐っておられます。頭(かしら)には九竜と飛ぶ鳳凰の冠を戴き、身には七宝の竜と鳳凰もようの絳(あか)い綃(うすぎぬ)の衣を着、腰には山河日月の裙(も)を繋(つ)け、足には雲霞もようの真珠の履(くつ)をはき、手には無瑕(むきず)の白玉の珪璋(けいしょう)を持ち、両がわの侍従の仙女、二、三十人ばかりおります。
 玄女お妃は、宋江にむかい、
 「わたくしがそなたに天書を伝えてより、知らぬまに又早くも数年になりました。そなたはよく忠義を堅く守り、少しも怠りませぬ。今、宋の天子はそなたに遼を打ち破らせているが、勝負はいかがですか。」
 宋江、地べたに平伏し、奏上致します。
 「わたくしめ、お妃さまより天書を賜わりましてから、軽軽しく人に漏らしたことはございませぬ。今、天子さまの勅命を承り、遼国を破ろうとしておりますが、はからずも兀顔総司令官がこの混天象の陣を敷いたがために、数度の重なる敗けいくさ。わたくしめ、手だての施しようなく、今ぞ危急存亡の時でございます。」
 玄女お妃、「そなたは混天象の陣立てをご存じか。」
 宋江、ていねいに拝礼して、奏上します。
 「わたくしめは下界の愚かもの、その陣立ては存じませぬ。何とぞ、お妃さま、お教え下さいませ。」」

「宋江はていねいに拝礼して、ねんごろにお妃さまに礼をいい、御殿を出ます。腰元が宋江を案内して御殿を降り、西の階段から出て、朱塗りの勅使門をめぐり過ぎて、又もやもとの道をたおり、石橋の松並木を過ぎたかと思うと、腰元が手で指し示し、
 「遼兵があそこにいます。あなたが破るがよい。」
 宋江が振りむくと、腰元が手で一押し、はっと目が覚めて見れば、天幕の中で夢を見ていたのでありました。」



「巻の八十九」より:

「宋江はそれを聞いて、あっと驚きましたが、黙って心に思うことあり、やがて、
 「きみ、こんな活き仏さまがあそこにいらっしゃるのなら、なぜ早くいわないのだ。われわれといっしょに行ってごあいさつし、将来のことをおたずねして見よう。」
 さっそく、ひとびと相談しますと、みな行きたいとのこと。ただ公孫勝だけが、道教なので行きません。」



「巻の九十」より:

「あくる日、公孫勝が宿営の本隊司令部まで来て、宋江らひとびとにむかい、お辞儀をすると、改まって宋江にむかい、
 「先日、お師匠さま羅真人(らしんじん)がわたくしにいいつけられ、かねて兄上に申し上げましたとおり、わたくしに兄上が都に帰るのを見送らせて、それがおわった日には、すぐ山中にもどって道を学べとのことでございました。今日、兄上は功成り名遂げ、わたくしも長く留まるわけにまいりませぬので、今、兄上にお暇乞いし、みなさまに別れを告げて、今日ただいま、山中に帰り、お師匠さまに従って道を学び、老いた母に孝養を尽くして、寿命を全う致します。」」







こちらもご参照ください:

『完訳 水滸伝 (九)』 清水茂 訳 (岩波文庫)
孟元老 『東京夢華録 ― 宋代の都市と生活』 入矢義高・梅原郁 訳注













































































『完訳 水滸伝 (八)』 清水茂 訳 (岩波文庫)

「みかど、秘書官に御命令、
 「朕のためにじきじきの招書案を書け。すぐ重臣を派遣して梁山泊の宋江らを宣撫して、帰順させよう。」」

(『完訳 水滸伝 (八)』 より)


『完訳 
水滸伝 
(八)』 
清水茂 訳
 
岩波文庫 赤/32-016-8


岩波書店 
1999年4月16日 第1刷発行
376p 
文庫判 並装 カバー
定価660円+税
カバー: 中野達彦



全十冊。
本文中挿絵22点。「注」に図版2点。



水滸伝 八 01



カバーそで文:

「梁山泊征伐軍の散々な負けっぷりに、いよいよ高大将が自ら出馬。率いるは近衛師団の精鋭一万五千を筆頭に、しめて一三万の大軍、従軍の慰みに歌舞団まで引き連れての堂々の出陣である。迎え撃つ宋江は内心穏やかならず、しかし豪傑たちは少しもあわてず……。」


忠義水滸伝 第八冊 目録:

巻の七十二
 柴進(さいしん) 花を簪(かんざし)として禁院(ごしょ)に入り
 李逵(りき) 元夜(しょうがつじゅうごや)東京(とうけい)を鬧(さわ)がす
巻の七十三
 黒旋風(こくせんぷう)は喬(いつわ)って鬼(ばけもの)を捉(とら)え
 梁山泊(りょうざんぱく)に双(ふた)つながら頭(こうべ)を献(ささ)ぐ
巻の七十四
 燕青(えんせい) 智(ち)もて擎天柱(けいてんちゅう)を撲(まか)し
 李逵(りき) 寿張(じゅちょう)にて喬(いつわ)って衙(やくしょ)に坐(すわ)る
巻の七十五
 活閻羅(かつえんら) 船を倒(くつがえ)して御酒(ぎょしゅ)を偸(ぬす)み
 黒旋風(こくせんぷう) 詔(みことのり)を扯(ひきさ)いて徽宗(きそう)を謗(そし)る
巻の七十六
 呉加亮(ごかりょう) 四斗五方(しとごほう)の旗(はた)を布(し)き
 宋公明(そうこうめい) 九宮八卦(きゅうきゅうはっか)の陣を排(なら)ぶ
巻の七十七
 梁山泊(りょうざんぱく) 十面(じゅうめん)に埋伏(まいふく)し
 宋公明(そうこうめい) 両(ふた)たび童貫(どうかん)に贏(か)つ
巻の七十八
 十節度(じゅうせつど) 梁山泊を取(と)らんことを議(ぎ)し
 宋公明(そうこうめい) 一(ひと)たび高太尉(こうたいい)を敗(やぶ)る
巻の七十九
 劉唐(りゅうとう) 火を放(はな)ちて戦船(いくさぶね)を焼き
 宋江(そうこう) 両(ふた)たび高太尉(こうたいい)を敗(やぶ)る
巻の八十
 張順(ちょうじゅん) 鑿(のみ)もて海鰍船(かいしゅうせん)を漏(も)らし
 宋江(そうこう) 三(み)たび高太尉(こうたいい)を敗(やぶ)る
巻の八十一
 燕青(えんせい) 月夜(つきよ)に道君(どうくん)に遇(あ)い
 戴宗(たいそう) 計(けい)を定(さだ)めて蕭譲(しょうじょう)を賺(あざむ)きとる
巻の八十二
 梁山泊(りょうざんぱく) 金(かね)を分(わ)かちて大いに市(いち)を買(ひら)き
 宋公明(そうこうめい) 全(すべ)ての夥(なかま)にて招安(しょうあん)を受(う)く





水滸伝 八 02



水滸伝 八 03



◆本書より◆


「巻の七十二」より:

「あくる日、柴進は、すっかり折目正しい衣服を着こみ、頭にはま新しい烏帽子、足には清潔な靴と靴下、燕青の身ごしらえも、あかぬけしています。ふたりは、宿屋を後にして、城外の人家を見れば、どの家もごったがえし、どの場所もにぎやかに、正月十五夜を祝う用意をし、それぞれに太平の世のさまをめでております。城門のところまで来ましたが、さえぎる人もありません。まことにみごとな東京開封府の地勢、そのさまいかに、
  州は汴水(べんすい)と名づけ、府は開封(かいほう)と号す。逶迤(はるばる)と呉楚(ごそ)の邦(くに)に接(つづ)き、延(の)び亙(わた)りて斉魯(せいろ)の地に連(つら)なる。周公(しゅうこう)国を建て、畢公(ひっこう)皋(こう)改めて京師(みやこ)と作す。両晋(りょうしん)は春秋(しゅんじゅう)のとき、梁(りょう)の恵王(けいおう)称して魏国(ぎこく)と為す。層(かさ)なり畳(たた)なわる臥したる牛の勢(たたずまい)は、上界(てんかい)の戊己(ぼき)の中央に按(かな)い、崔嵬(そそりた)つ伏したる虎(とら)の形は、周天(しゅうてん)の二十八宿(せいざ)に像(かたど)る。王尭(おうぎょう)は九(ここの)たび華夷(かい)を譲(ゆず)り、太宗は一たび基(もとい)の業(わざ)を遷(うつ)す。元宵(げんしょう)の景致(おもむき)は、鰲山(ほうらいざん)に万盞(まんどう)の華燈(かざりどうろう)を排(なら)べ、夜月(やげつ)の楼台(ろうだい)に、鳳輦(ほうれん)は三山瓊島(さんざんけいとう)に降(くだ)る。金明池(きんめいち)の上(ほとり)には三春(さんしゅん)の柳(やなぎ)、小苑城(しょうえんじょう)の辺(あたり)には四季の花。十万里の魚竜変化(ぎょりゅうへんか)の郷(さと)、四百座の軍州(ぐんしゅう)輻輳(ふくそう)の地。黎庶(たみくさ)は尽(ことごと)く豊稔(ほうねん)の曲を歌い、嬌(あで)なる娥(ひめ)は斉(ひと)しく太平の詞(こうた)を唱(うた)う。香(こう)の車に坐(の)るは佳人(あてびと)仕女(かおよびと)、金(こがね)の鞭(むち)を蕩(うご)かすは公子(こうし)王孫(おうそん)。天街(みやこおおじ)の上は尽(ことごと)く珠(しんじゅ)と璣(たま)とを列(つら)ね、小巷(こみち)の内は遍(あまね)く羅(きぬ)と綺(あやぎぬ)に盈(み)つ。靄靄(あいあい)たる祥(めでた)き雲は紫の閣(たかどの)に籠(こ)め、融融(ゆうゆう)たる瑞(めでた)き気は楼台(ろうだい)を罩(おお)う。」

「今はむかし宋の時、東京開封府はまこと天下第一の首都、さく花のにおうがごとく富み栄えましたは、まさに道君(どうくん)徽宗(きそう)皇帝の御代でございました。その日の夕まぐれ、満月東よりのぼれば、空にはひとかげりの雲も無く、宋江と柴進は、休職官吏、戴宗は小使い、燕青は町の若い衆のなりをし、李逵だけを留守番にのこして、四人、祭りの出しもの連にまじって、封贈門(ほうぞうもん)からぞめき入ってまいります。街街(まちまち)盛り場をぶらつきまわれば、果たして夜は暖かに風はやわらぎ、まことに遊覧日和です。博労町へまわって来ますと、どの家も、かど先に燈籠を飾り、ともしびを競いあい、まひるのように照りかがやいています。これぞ、楼台の上も下も火は火を照らし、車馬は往き来して人は人を看(み)るといったさま。」



「巻の七十三」より:

「あくる日の夜明け、東京(とうけい)開封(かいほう)城中は、何ともいやはや大騒動、高(こう)大将は軍隊をひきいて城を出て追っかけましたが、追っつかないのでひっかえし、李師師(りしし)は知らぬ存ぜぬのいってんばり、楊(よう)大将も自宅へ帰って養生しています。城内の負傷者数を調べますと、あわせて四、五百人、押し倒されてけがしたものは数知れず。高大将は、参謀本部の童貫(どうかん)ともども、いっしょに太閤屋敷へ行って相談し、いそぎ兵隊をくり出して掃蕩逮捕するよう上奏しました。
 さて、こちらは李逵と燕青のふたり、途中、四柳村(しりゅうそん)という名のところまでやって来ますと、知らぬまに日が暮れましたので、ふたり、とある庄屋屋敷へ来て、門をたたきあけ、藁ぶきの母屋まで通りました。庄屋の狄(てき)旦那、出迎えに出て来て、(中略)燕青に、
 「こちらはどちらからおいでの先生です。」
 とたずねれば、燕青、笑いながら、
 「この先生は、けったいな人で、あんたたちにはわからぬ。ありあわせでも晩飯にちっとありつけて、ひと晩宿を借りられたら、あすあさ立ちます。」
 李逵はただもうだまっているばかりです。旦那、このことばを聞くと、土下座して李逵を拝みながら申します。
 「先生、この弟子をお助け下さいませ。」
 李逵、「わしに何を助けてほしいのか、すっかりうちあけろ。」
 旦那、「わが家には百人あまりいますが、夫婦ふたりには、肉親としてむすめが一人あるだけ。年は二十あまりですが、半年ほど前から、何か物の怪(け)がつきまして、部屋で食事をするばかり。食べに出てまいりません。だれかが呼びに行きますと、れんがや石をめちゃくちゃに投げてよこします。家のものがたくさんけがさせられました。何度、修験者をお招きしましても、つかまえられません。」
 李逵、「じいさん、わしは薊州(けいしゅう)羅真人(らしんじん)の弟子、雲に乗り霧(きり)を行(や)ることができ、いちばんの得手は化物退治だ。おまえが、何か施しをしてくれたら、今夜化物退治をしてやる。いまはまずぶた一匹ひつじ一匹で神将をお祭りせねばならぬ。」
 旦那、「ぶたやひつじは、うちにいっぱいいます。酒はいうまでもありません。」
 李逵、「よくあぶらの乗ったのを選んで殺し、ぐたぐたに煮て来い。上等の酒がほかに何本かいる。それで用意はできあがり。今夜のま夜中、化物退治をしてやるぞ。」」

「李逵、「おまえ、ほんとにわしに化物退治をさせたいのなら、だれかにわしをむすめの部屋まで案内させろ。」
 旦那、「といっても、神さまが、いま、部屋かられんがや石をめちゃくちゃに投げつけ、だれも行こうとはしませぬ。」
 李逵、二ちょうのまさかりを手に抜き放ち、たいまつで遠くから照らさせながら、李逵、大股にずかずかと部屋のそばまで近づきました。見れば、部屋の中にはありありとともしびがついています。李逵、じっと見つめれば、ひとりのわかものが、ひとりのおんなを抱きながら、そこで話しているのが見えました。李逵、ぽんと部屋の戸を蹴開き、まさかりがとどいたと見るや、斬られて光がぱっと散り、かみなりが鳴りひびきます。ひとみを凝らして見定めれば、何とともしびの皿を斬りたおしたのでありました。わかもの、逃げようとするところを、李逵、大喝一声、まさかりがあがれば、もうわかものを斬りたおしています。あばずれは、寝台の下にもぐりこんでかくれましたが、李逵、おとこをまずまさかりの一打ちに、首を斬り落とし、寝台の上にぶらさげると、まさかりで寝台のふちをたたきつつ、どなります。
 「あばずれ、さっさと出て来い。首を出さねば、寝台ごとこなごなにぶった斬るぞ。」
 あばずれ、つづけさまに叫びます。
 「命だけはお助け。出ます、出ます。」
 首をそっと出したばかりのところを、李逵、髪をひっつかんで、死体のところまでひきずり寄せ、たずねます。
 「わしがばらしたこいつは誰だ。」
 あばずれ、「わたしの間夫(まぶ)、王小二(おうしょうじ)。」
 李逵、かさねて、
 「れんがや食事は、どこから手に入れた。」
 とたずねれば、あばずれ、
 「それは、わたしが金銀の髪飾りをおとこに渡し、夜なかごろ、土べいの上から運びこみました。」
 李逵、「こんなけがらわしいあばずれ、生かしておいても役に立たぬ。」
 と、寝台のそばまでひっぱって行き、まさかりでばっさり首を斬り落とし、ふたりの首を一つにくくると、こんどは、あばずれのなきがらをぶらさげて、おとこのかばねといっしょにし、李逵、
 「腹いっぱい食って、腹ごなしに困っていたところだ。」
 と、はだぬぎになるや、二ちょうのまさかりを振りあげ、ふたりの死体めがけて、上げたり下げたり、太鼓をたたくようにめちゃくちゃにひとしきり切りきざみました。李逵、笑って、
 「これでたしかにこのふたり、生きかえれないぞ。」
 と、大まさかりをたばさみ、首をぶらさげたまま、大声あげながら、母屋のおもてまで出ますと、
 「ふたりの化物、わしがどちらも退治した。」
 とどなりながら、首を投げ棄てました。」
「旦那、泣きながら、「先生、むすめはそのまま生かしておいて下すってもよかったのに。」」







こちらもご参照ください:

『完訳 水滸伝 (九)』 清水茂 訳 (岩波文庫)
孟元老 『東京夢華録 ― 宋代の都市と生活』 入矢義高・梅原郁 訳注































































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
 
うまれたときからひとでなし
なぜならわたしはねこだから
 
◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

Koro-pok-Guru
Away with the Fairies

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

すきなことば: 「だれもいない」「ギブアウェイ」「ウポポイ」「隠密」
きらいなことば: 「人と人とのつながり」「キャリアアップ」「ほぼほぼ」「三密」

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。
歴史における自閉症の役割。

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