FC2ブログ

『完訳 水滸伝 (十)』 清水茂 訳 (岩波文庫)

「上皇、表文を御覧になり、ひどく感嘆しておられましたが、やがて、
 「そなたら百八人、上は星座に応ずるものながら、今はたった二十七人が生きのこり、その上、四人が別れて行き、まことに十のうち八は去ったな。」」

(『完訳 水滸伝 (十)』 より)


『完訳 
水滸伝 
(十)』 
清水茂 訳
 
岩波文庫 赤/32-017-0


岩波書店 
1999年6月16日 第1刷発行
406p 
文庫判 並装 カバー
定価660円+税
カバー: 中野達彦



全十冊。
本文中挿絵20点。地図2点。



水滸伝 十 01



カバーそで文:

「江南の方臘は、宋江ら官軍となった梁山泊軍団にとって最も手ごわい敵であった。義を誓い合った兄弟一〇八人の大半を失う大苦戦の末、ようやく方臘を生け捕りにして都に帰還する。しかし宋江たちを待っていたのは宋朝の廷臣たちの謀略……。(全10冊完結)」


忠義水滸伝 第十冊 目録:

巻の九十一
 張順(ちょうじゅん) 夜(よ)る金山寺(きんざんじ)に伏(ひそ)み
 宋江(そうこう) 智(ち)もて潤州城(じゅんしゅうじょう)を取る
巻の九十二
 盧俊義(ろしゅんぎ) 兵を宣州道(せんしゅうどう)に分(わか)ち
 宋公明(そうこうめい) 大いに毘陵郡(ひりょうぐん)に戦う
巻の九十三
 混江竜(こんこうりゅう)は太湖(たいこ)に小(ちい)さく義(ぎ)に結(つど)い
 宋公明(そうこうめい)は蘇州(そしゅう)に大きく会垓(かいせん)す
巻の九十四
 寧海軍(ねいかいぐん)に宋江(そうこう) 孝(も)を弔(とぶら)い
 湧金門(ゆうきんもん)に張順(ちょうじゅん) 神(かみ)に帰(き)す
巻の九十五
 張順(ちょうじゅん)は魂もて方天定(ほうてんてい)を捉(とら)え
 宋江(そうこう)は智もて寧海軍(ねいかいぐん)を取る
巻の九十六
 盧俊義(ろしゅんぎ)は兵を歙州道(せっしゅうどう)に分かち
 宋公明(そうこうめい)は大いに烏竜嶺(うりゅうれい)に戦う
巻の九十七
 睦州城(ぼくしゅうじょう)に箭(や)もて鄧元覚(とうげんかく)を射(い)
 烏竜嶺(うりゅうれい)に神は宋公明(そうこうめい)を助(たす)く
巻の九十八
 盧俊義(ろしゅんぎ)は大いに昱嶺関(いくれいかん)に戦い
 宋公明(そうこうめい)は智もて清渓洞(せいけいどう)を取る
巻の九十九
 魯智深(ろちしん)は浙江(せっこう)に坐(い)ながら化(じょうぶつ)し
 宋公明(そうこうめい)は錦を衣(き)て郷(ふるさと)に還(かえ)る
巻の一百
 宋公明(そうこうめい)は神(たましい)にて蓼児洼(りょうじわ)に聚(あつ)まり
 徽宗帝(きそうてい)は夢に梁山泊(りょうざんぱく)に遊ぶ

人物表

地図
解説 (清水茂)




水滸伝 十 02



水滸伝 十 03



◆本書より◆


「巻の九十一」より:

「宋江、「われわれ百八人は、天の星座に載せられ、上、星星に応ずるもの。はじめ梁山泊(りょうざんぱく)で願(がん)を起こし、五台山(ごだいさん)で誓いを立て、ひたすらいっしょに生きいっしょに死のうと願ったが、都へ帰ったのち、思いがけなくも、まず公孫勝(こうそんしょう)が行ってしまい、(中略)きょう長江を渡ったばかりで、又もやわたしの三人の兄弟を失った。思い起こせば、宋万というおとこは、目立った手柄を立てたことはないものの、最初、梁山泊の始まりのときは、ずいぶんこの人のおかげを受けたのに、きょうは黄泉路(よみじ)に旅立ってしまった。」」


「巻の九十二」より:

「宋江、声はりあげて泣き、
 「思いがけず、長江を渡ってから、五人の弟を失った。天の神さまがお怒りになって、宋江が方臘をとりおさえることを許されず、兵を損じ将を失うことになったのではあるまいか。」」

「宋江、又もや三人の弟を失ったと聞いて、大声でわっと一泣き、どっと倒れました。」



「巻の九十四」より:

「その夜、宋江は幕中で、午前二時ごろまで、呉用と相談しておりましたが、頭が疲れて眠気を感じたので、左右のものをさがらせて、幕中で脇息にうつ俯せになって寝ました。にわかに一陣の冷風に、宋江、起きあがって見ますと、ともしびに光無く、寒気が人に迫って来ます。眸を凝らして見れば、一人の人に似て人でなく、幽霊に似て幽霊でないものが、冷気の中に立っています。その人を見れば、からだじゅう血まみれ、そっと、
 「わたくし、にいさんに長年お供して、手厚くお目をかけていただきましたが、いまはもう身を投げ出して御恩返しをし、湧金門の下、槍と矢の中で死にました。わざわざ、にいさんにお別れにまいりました。」
 宋江、「そちらは張順君ではないか。」
 ふり返りますと、こちらには又三、四人が、みな満身まっかな血で、こまかくはわかりません。宋江、一声、大声で泣き叫ぶと、ぱっと目覚め、それは南柯(なんか)の一夢でありました。」



「巻の九十五」より:

「さて、方天定は馬に乗ると、あたりには一名の将校も見当たらず、ただ何人かの歩兵がついて来るだけで、南門を出て逃走しましたが、せかせかと宿無しの犬にも似て、ばたばたと網抜けの魚の如くでありました。五雲山(ごうんざん)のふもとまで逃げて来たとき、大川のうちから一人のおとこが駆け出して来ましたが、口に一本の刀をくわえ、まっぱだかで岸に跳びあがって来ます。方天定、馬上から勢いすさまじと見て、馬に鞭打ち走らそうとしますが、いかんせんその馬、あら不思議や、どのように打っても動かず、だれかがくつわを控えているようです。おとこ、馬の前を遮ると、方天定を馬からひきずりおろし、一刀のもと首を斬りました。こんどは方天定の馬にまたがり、片手に首をぶらさげつつ、片手に刀を持って、杭州城に馳せもどります。林冲と呼延灼、兵隊をひきいて、六和塔(ろくわとう)まで追っかけて来たとき、ちょうど折よくおとこと出あいました。二人の将軍、船火児張横(せんかじちょうおう)とわかって、あっとびっくり、呼延灼が、
 「きみ、どこから来た。」
 と呼びかけても、張横は返事もせず、ただ一騎、城内にまで駆けこみました。
 この時、宋先鋒軍の主力部隊は、もうすっかり城内にはいり、方天定の宮中にいて、それを司令部とし、将校たちはみな行宮を固めていましたが、張横がただ一騎で駆けこんで来たのを見て、ひとびとみなあっとびっくりしました。張横は宋江の面前まで来ると、鞍からころがりおり、首と刀を地べたに投げ棄て、土下座して二度、拝礼すると、わっと泣き出しました。宋江、あわてて張横を抱きとめ、
 「弟よ、きみはどこから来たのだ。阮小七(げんしょうしち)は又、どこにいる。」
 張横、「わたしは張横ではありません。」
 宋江、「きみが張横でなければ、いったい誰だ。」
 張横、「わたくしは張順です。湧金門外で槍と矢の集中攻撃に殺されてから、亡魂一つ、水中を離れず漂っていましたのを、西湖の震沢竜君(しんたくりゅうくん)が感動して、金華太保(きんかたいほう)に取り立てて下さり、水神のお屋敷、竜宮にとどまって神さまとなりました。きょう、にいさんが城を打ち破ると、わたくしの魂は方天定にまといつき、ま夜中に、あとをついて城を出て行きました。あにきの張横が大川の中にいるのを見て、あにきのからだを借り、岸に駆けあがって、五雲山のふもとまでついて行き、こいつを殺して、にいさんにあおうと一目散に駆けて来たのです。」
 いいおわると、がばと地面に倒れました。宋江、手ずから助け起こすと、張横は眼をぱちくり開(あ)け、宋江と将校たちと、刀剣は林の如く、兵隊はいっぱいなのを見て、張横、
 「わたしはあの世でにいさんにあってるのではあるまいか。」
 宋江、泣いて、「さきほど、きみの弟の張順がからだに附いて、方天定のやつを殺したのだ。きみは死んでおらぬ。われわれはみなこの世の人だ。きみ、しっかりしてくれ。」」



「巻の一百」より:

「宋江は赴任の後、しょっちゅう城内から出て遊覧しましたが、さてもこの楚州の南門の外に蓼児洼(りょうじわ)と呼ばれる場所がありました。その山の四方はすべて入江で、その中に高い山が一つあります。その山は形がすらりとして、松やひのきがこんもり茂り、地形がたいへんよくて、梁山泊とちがいはありません。小さな場所ですが、その中は山山がとりまき、竜と虎がうずくまるよう、うねうねする山なみ、坂道階段高台たたき、四方を囲む入江、前後の湖沼、まったく水滸のとりでと同じです。宋江、それを見て、心中たいへん喜び、みずから考えます。
 「わしが、もし、ここで死んだら、お墓にするのによい。」
 ひまさえあれば、しょっちゅう遊びに行って、情(じょう)を楽しませ心を晴らしています。」

「数杯飲んだばかりで、上皇は眠気を催され、つけてあるあかりや蠟燭がちらちらします。ふと室内で一しきり起こる冷たい風、上皇は一人の黄いろい上衣を着たものが目の前に立っているのを御覧になりました。上皇、びっくりして立ち上がられ、
 「きみはどういうものだ、ここまでやって来るとは。」
 とたずねられると、その黄いろい上衣を着たもの、上奏して、
 「わたくしは、梁山泊の宋江の手下、神行太保戴宗でございます。」
 上皇、「きみはどうしてここへ来た。」
 戴宗、上奏して、「わたくしの兄、宋江はほんの近くにおります。何とぞ陛下、ごいっしょにおいで下さいますように。」
 上皇、「簡単に朕に来てほしいとは、どこへ行くのか。」
 戴宗、「ちゃんとさっぱりしたよい場所がございます。何とぞ陛下、御遊覧下さいませ。」
 上皇、このことばを聞きおわると、立ちあがって戴宗につづき裏庭を出て来られますと、車馬がちゃんと準備されています。戴宗、上皇に馬に乗ってお出ましになるようお願いします。すると、雲のごとく霧のごとく、耳に風雨の声を聞くばかり、ある場所に着きました。」
「「ここはどこじゃ、朕を連れてまいったのは。」
 戴宗、山の上の関所道を指さしながら、
 「なにとぞ陛下、お進み下さいませ。あそこまでおいでになれば、すぐお分かりになります。」
 上皇、馬を存分に走らせて山を登り、三重の関所道を通り過ぎ、三番目の関所の前に着きますと、百人あまりが地面に平伏していますが、すべて、直垂(ひたたれ)を着、鎧をまとい、武装に革帯、金(きん)の盔(かぶと)に金(きん)の甲(よろい)の将校です。上皇、たいへんびっくりされ、つづけざまにたずねられます。
 「そなたたちはみな何者じゃ。」
 すると、頭(かしら)だつ一人、鳳凰の羽飾りの金(きん)の盔(かぶと)に錦の直垂、金の甲(よろい)のものが進み出て上奏します。
 「わたくしこそ梁山泊の宋江でございます。」
 上皇、「朕はもうそなたを楚州で安撫総司令官にしたのに、なぜ、ここにいる。」」
「宋江、上奏して、「わたくしども、官軍に抵抗したこともございましたが、本来、忠義を旨とし、いささかもあだし心は持ちませぬ。陛下の勅命にて招安を受けましたのち、北のかた遼兵を退け、東のかた方臘を活け捕りにし、手足ともいうべき兄弟は、十のうち八を失いました。わたくしは陛下の御命令で楚州の地方官を受け、着任以来、軍隊、住民とはっきりけじめをつけていたこと、わたくしの心は天地のもろともに知るところでございます。陛下は毒酒を賜わり、わたくしに飲ませられましたが、わたくしは死んでも恨みはございません。ただ、李逵が恨みを抱いて、あだし心を起こしはせぬかと、わたくし、わざわざ人を潤州に行かせて、李逵を呼んで来させ、手ずから毒酒を与えて毒殺しました。呉用と花栄も忠義のために来て、わたくしの塚の上で、二人とも首をくくってなくなりました。わたくしども四人は、いっしょに楚州南門外蓼児洼に埋葬され、里人はあわれんで、祠堂を墓の前に建てています。今、わたくしどもは、すでになくなったものたちとともに、あの世の魂はばらばらにならず、みなここに集(つど)って、陛下に申し上げ、以前からの心の中は、はじめからおわりまで変わらぬことを訴えました。なにとぞ、陛下、お見通しのほどを。」
 上皇、それを聞いて、びっくり仰天、
 「朕が親しく勅使を派遣して下賜した勅封の恩賜の酒、いったいだれが毒酒にとり換えてそなたに飲ませたのだ。」
 宋江、上奏して、「陛下、勅使におたずねになれば、悪だくみの出所がわかります。」
 上皇は三つの関所のとりでがりっぱなのを御覧になり、恐る恐るたずねられました。
 「ここはどこじゃ。そなたたちが集っているのは。」
 宋江、上奏して、「ここは、わたくしどもが、以前義に集いました梁山泊でございます。」」



「解説」より:

「『水滸伝』の英訳の一つ、シドニイ・シャピロの訳書は“Out laws of the Marsh”(沼地のアウトローたち)と題している(北京、外文出版社、一九八〇)。これは、ある意味で『水滸伝』の内容をもっとも簡単に示しているといえる。「水滸」とは、「水辺」のことであるが、このばあい、梁山泊という沼のほとりをいい、「伝」えられる人人は、アウトローなのであるから。
 そして、『水滸伝』の豪傑のような「義賊」は、世界的にひろがっており、そのことは、ホブズボーム『匪賊の社会史』(斎藤三郎訳、東京、みすず書房、一九七二)によって知られる。『水滸伝』の豪傑が、この書に取り上げるロビン・フッドをはじめとする貴族強盗のイメージと一致することは、こうした世界的にひろがる義賊物語の一環であることを示す。同書は、そのイメージを次の九点に要約する(同書三二―三四頁)。
 (1)貴族強盗が無法者としての経歴を開始するのは、犯罪を犯したことによってではなく、不正の犠牲者としてである。……
 (林冲は正しくそれであり、魯智深・武松や宋江もそのうちにはいろう。)
 (2)彼は「不正を匡す」。
 (梁山泊の旗印は、「天に替わって道を行なう」である。)
 (3)彼は富める者から取って貧しい者に与える。」
「(4)彼は「自己防衛か正当な復讐のばあい以外、殺さない」。
 (林冲が陸副官を殺し、宋江が閻婆惜を殺すのは自己防衛であり、武松が西門慶と潘金蓮を殺すのは、兄武大を殺されたことに対する正当な復讐である。ただし、それ以外は殺さないとまではちょっといいかねる。李逵のように、殺人を快楽視しているものもある。)
 (5)もし生き残れば、名誉ある市民および部落のメンバーとして民衆のもとへ戻る。」
「(6)彼は民衆によって賞讃され、援助され、支持される。」
「(7)彼は例外なしに死ぬ、それも裏切りのために。……」
「(8)彼らは――少なくとも理論の上では――眼にみえず不死身である。」
「(9)彼は正義の源である王や皇帝の敵ではない。ただ地方の地主(ジェントリ)、僧侶、その他の抑圧者の敵であるだけなのだ。
 (だから、徽宗皇帝には忠義を尽くし、「徽宗帝、夢に梁山泊に遊ぶ」でしめくくられるのである。)
 ホブズボームは、イワン・オルブラハトのつぎのことばで結ぶ(前掲書一五一頁)。
   人間には正義を求めて止むことのない渇望がある。自分に正義を拒んでいる社会秩序に対して、ひとは魂の中では叛逆する。……加えて、ひとの心の中には、自分の持ちえぬものを――たとえお伽噺の形でだけでも持ちたいという願望がある。おそらくはこれが、すべての時代、すべての宗教、すべての民衆、すべての階級を通ずる英雄譚の基礎なのである。
 『水滸伝』も、人のこころの奥にある正義の願望を英雄譚にしたもので、さればこそ「忠義」が冠せられるのである。」







こちらもご参照ください:

『完訳 水滸伝 (一)』 吉川幸次郎・清水茂 訳 (岩波文庫)
網野善彦 『悪党と海賊』 (叢書・歴史学研究)
高田衛 『完本 八犬伝の世界』 (ちくま学芸文庫)
野尻抱影  『大泥棒紳士館』













































スポンサーサイト



『完訳 水滸伝 (九)』 清水茂 訳 (岩波文庫)

「「兄上、以前は何でも自由自在、兄弟たちもみな楽しんでいましたが、このたび招安を受けて、国家の臣子となってから、はからずもあべこべに拘束を受け、思うようにできません。兄弟たちは、みな怨みを抱いていますよ。」」
(『完訳 水滸伝 (九)』 より)


『完訳 
水滸伝 
(九)』 
清水茂 訳
 
岩波文庫 赤/32-016-9


岩波書店 
1999年6月16日 第1刷発行
279p 
文庫判 並装 カバー
定価660円+税
カバー: 中野達彦



全十冊。
本文中挿絵16点。巻末に地図1点。



水滸伝 九 01



カバーそで文:

「宋江らは梁山泊の城壁や建物をとり壊し、いよいよ、北方の大敵、遼国の征討へと出発する。最初の敵は檀州城。迎え撃つ敵将の先鋒は阿里奇、顔は白く唇赤く、鬚は黄色く眼は碧く、身の丈九尺で力は万人力……。宋朝の官軍となった梁山泊軍団の奮戦が始まる。」


忠義水滸伝 第九冊 目録:

巻の八十三
 宋公明(そうこうめい) 詔(みことのり)を奉(ほう)じて大遼(だいりょう)を破り
 陳橋駅(ちんきょうえき)に涙を滴(したた)らせて小卒(しょうそつ)を斬る
巻の八十四
 宋公明(そうこうめい) 兵(へい)もて薊州城(けいしゅうじょう)を打ち
 盧俊義(ろしゅんぎ) 大いに玉田県(ぎょくでんけん)に戦う
巻の八十五
 宋公明(そうこうめい) 夜(よ)る益津関(えきしんかん)を渡り
 呉学究(ごがっきゅう) 智もて文安県(ぶんあんけん)を取る
巻の八十六
 宋公明(そうこうめい) 大いに独鹿山(どくろくざん)に戦い
 盧俊義(ろしゅんぎ) 兵は青石谷(せいせきこく)に陥(おちい)る
巻の八十七
 宋公明(そうこうめい) 大いに幽州(ゆうしゅう)に戦い
 呼延灼(こえんしゃく) 力(ちから)もて番(とっくに)の将(しょう)を擒(いけどり)にす
巻の八十八
 顔統軍(がんとうぐん) 陣は混天(うちゅう)の像に列(つら)ね
 宋公明(そうこうめい) 夢に玄女(げんじょ)の法を授けらる
巻の八十九
 宋公明(そうこうめい) 陣を破って功(こう)を成し
 宿太尉(しゅくたいい) 恩(おん)を頒(わか)って詔(みことのり)を降(くだ)す
巻の九十
 五台山(ごだいさん)に宋江(そうこう) 参禅(さんぜん)し
 双林渡(そうりんと)に燕青(えんせい) 鴈(がん)を射る


地図




水滸伝 九 02



◆本書より◆


「巻の八十三」より:

「宋江は、相談をきめると、馬を飛ばして、みずから陳橋駅のあたりまで来て見れば、かの下士官、死体のところにじっとつっ立っています。宋江は、自分で人を宿場の建物内へやって、酒と肉を運び出させ、全軍をねぎらい、前進させると、今度は、この下士官を宿場の建物の中まで呼んで、その実情をたずねました。下士官、答えて、
 「あいつ、何かいえば、梁山泊の謀反泥棒、梁山泊の謀反泥棒、おれたちを、八つ裂きにして殺すにも殺し尽くせぬと悪態を吐きましたので、にわかにかっとなり、あいつを殺しました。ひたすら、司令官の処罰にまかせます。」
 宋江、「あれは朝廷任命の官吏、わたしはやっぱりひけめを感ずる。きみはなぜあれを殺した。われわれみなにも連帯責任がかかるだろう。われらはいま、はじめて詔勅を奉じて大遼を破りに行く。これっぽちの手がらもないうちに、あべこべにこんな事件をし出かした。いったいどうしよう。」
 下士官は、土下座して死罪を乞います。宋江、泣いて、
 「わたしは、梁山泊にはいってから、大小の兄弟分、一人だってだいなしにしたことはなかった。今日、わが身は役人となり、何事も自分のすきほうだいにできず、法律を守らねばならぬ。きみの剛毅の気質、消えうせなくとも、むかしの本性をむき出しにはできぬ。」
 下士官、「わたくしめ、ただもう甘んじて死刑を受けます。」
 宋江、その下士官、すっかり酔うまで思い切り飲ませ、木の下で縊死(いし)させてから、首を斬ってさらしものとし、町役人の死体は棺桶を準備して納め、それから公文書を出して総理府に報告しました。」



「巻の八十八」より:

「さて、宋江は陣営の中で気をくさらせ、あれこれ思いめぐらしましたが、打つ手がありません。どうすれば遼軍が打ち破れるかと、寝食ともにすておき、寝ても醒めてもおちつかず、坐っていても横になってもいらいらしています。
 その夜は、ま冬のこととて、気候はとても寒く、宋江は天幕を閉じて、蠟燭をつけてじっと坐って考えこんでいました。頃はもう午後十時ごろ、心が疲れて、衣服はそのままに脇息にもたれて横になりますと、陣営の中に怪風が急に起こり、冷気がせまって来るように思われました。宋江、身を起こしますと、黒いうわぎの女(め)の童(わらべ)が一人、前で最敬礼を一つしました。宋江、そこで、
 「あなたはどこから来ましたか。」
 とたずねますと、童(わらべ)、答えて、
 「わたくしは、お妃さまの思し召しで、閣下をお招きにまいりました。ごめんどうですがおいで下さい。」
 宋江、「お妃さまは今どちらで。」
 童、指さし示し、「ここからすぐです。」
 宋江は、かくて童のあとについて天幕から出ました。見れば、上も下も天の光は同じ色、金と碧(みどり)がいりまじり、香ぐわしい風がそよそよと、瑞(めでた)いもやがひらひらと、まるで旧暦二月三月、春のころの気候です。半里あまりも行かぬうちに、一つの大きな森が見えました。青い松が勢いよくしげり、翠(みどり)のひのきがこんもりと、紫のもくせいがすっくとそびえ、石の欄干がちらちら見え、両がわはすべてこんもりした林にすんなりとした竹、しだれ柳にわかわかしい桃、曲りくねった欄干です。石橋をめぐり過ぎれば、朱塗りの勅使門一つ、仰いで四方を見わたせば、入口の土塀は白壁、画の書かれた棟に彫刻された梁(はり)、金(きん)の釘(びょう)の朱(あけ)の戸(とびら)、碧(みどり)の瓦の重なった簷(のき)、四方は簾に蝦(えび)の鬚(ひげ)のふさを捲き、正面は窓に亀の甲が横になっています。
 女の童は宋江を案内して、左の廊下からはいり、東向きの一つの小部屋の前まで来ますと、朱の戸をおし開いて、宋江に、
 「中でしばらくお休み下さい。」
 といいます。目をあげて見まわすと、四方は雲形の窓がひっそりと、赤の彩色が階段いっぱいに、天上の花が乱れさき、珍しい香がまつわりつきます。女の童ははいって行くと、又出て来て、おことばを伝え、
 「お妃さまのお招きです。星主さま、すぐおいで下さい。」
 宋江は、坐って席も暖まらぬうちに、すぐに立ち上がりました。すると又もや外から二人の仙女がはいって来ます。頭(こうべ)には芙蓉(ふよう)の碧玉(へきぎょく)の冠を戴き、身には金(きん)の縷(いと)の絳(あか)い綃(うすぎぬ)の衣を着、顔は満月のよう、からだは軽やかで、手は春の笋(たけのこ)のよう、宋江にあいさつをします。宋江は顔をあげようともしませんのを、かの二人の仙女、
 「閣下はなぜ謙遜なさいます。お妃さまは着物を着換えられたら、すぐおいでになります。閣下を招いて国家の大事を話しあいたいとのこと。このままどうか御同行願いとうございます。」
 宋江は二つ返事で行きました。」
「聞けば、御殿では金(きん)の鐘響き、玉(ぎょく)の磬(けい)鳴って、腰元が宋江を招いて御殿に昇らせれば、二人の仙女が先に立って宋江を案内し、東の階段から登って、真珠の御簾(みす)の前まで行きますと、宋江に聞こえたのは、御簾の内で頭飾りの玉のちりちり、帯玉のちゃらちゃらという音。腰元が宋江に御簾内にはいり、香づくえの前に跪くようにいいます。目を挙げて御殿の上を見渡せば、めでたい雲がうっすらと、紫の霧がゆらゆらあがり、正面の九竜の床几の上に、九天玄女お妃さまが坐っておられます。頭(かしら)には九竜と飛ぶ鳳凰の冠を戴き、身には七宝の竜と鳳凰もようの絳(あか)い綃(うすぎぬ)の衣を着、腰には山河日月の裙(も)を繋(つ)け、足には雲霞もようの真珠の履(くつ)をはき、手には無瑕(むきず)の白玉の珪璋(けいしょう)を持ち、両がわの侍従の仙女、二、三十人ばかりおります。
 玄女お妃は、宋江にむかい、
 「わたくしがそなたに天書を伝えてより、知らぬまに又早くも数年になりました。そなたはよく忠義を堅く守り、少しも怠りませぬ。今、宋の天子はそなたに遼を打ち破らせているが、勝負はいかがですか。」
 宋江、地べたに平伏し、奏上致します。
 「わたくしめ、お妃さまより天書を賜わりましてから、軽軽しく人に漏らしたことはございませぬ。今、天子さまの勅命を承り、遼国を破ろうとしておりますが、はからずも兀顔総司令官がこの混天象の陣を敷いたがために、数度の重なる敗けいくさ。わたくしめ、手だての施しようなく、今ぞ危急存亡の時でございます。」
 玄女お妃、「そなたは混天象の陣立てをご存じか。」
 宋江、ていねいに拝礼して、奏上します。
 「わたくしめは下界の愚かもの、その陣立ては存じませぬ。何とぞ、お妃さま、お教え下さいませ。」」

「宋江はていねいに拝礼して、ねんごろにお妃さまに礼をいい、御殿を出ます。腰元が宋江を案内して御殿を降り、西の階段から出て、朱塗りの勅使門をめぐり過ぎて、又もやもとの道をたおり、石橋の松並木を過ぎたかと思うと、腰元が手で指し示し、
 「遼兵があそこにいます。あなたが破るがよい。」
 宋江が振りむくと、腰元が手で一押し、はっと目が覚めて見れば、天幕の中で夢を見ていたのでありました。」



「巻の八十九」より:

「宋江はそれを聞いて、あっと驚きましたが、黙って心に思うことあり、やがて、
 「きみ、こんな活き仏さまがあそこにいらっしゃるのなら、なぜ早くいわないのだ。われわれといっしょに行ってごあいさつし、将来のことをおたずねして見よう。」
 さっそく、ひとびと相談しますと、みな行きたいとのこと。ただ公孫勝だけが、道教なので行きません。」



「巻の九十」より:

「あくる日、公孫勝が宿営の本隊司令部まで来て、宋江らひとびとにむかい、お辞儀をすると、改まって宋江にむかい、
 「先日、お師匠さま羅真人(らしんじん)がわたくしにいいつけられ、かねて兄上に申し上げましたとおり、わたくしに兄上が都に帰るのを見送らせて、それがおわった日には、すぐ山中にもどって道を学べとのことでございました。今日、兄上は功成り名遂げ、わたくしも長く留まるわけにまいりませぬので、今、兄上にお暇乞いし、みなさまに別れを告げて、今日ただいま、山中に帰り、お師匠さまに従って道を学び、老いた母に孝養を尽くして、寿命を全う致します。」」







こちらもご参照ください:

『完訳 水滸伝 (九)』 清水茂 訳 (岩波文庫)
孟元老 『東京夢華録 ― 宋代の都市と生活』 入矢義高・梅原郁 訳注













































































『完訳 水滸伝 (八)』 清水茂 訳 (岩波文庫)

「みかど、秘書官に御命令、
 「朕のためにじきじきの招書案を書け。すぐ重臣を派遣して梁山泊の宋江らを宣撫して、帰順させよう。」」

(『完訳 水滸伝 (八)』 より)


『完訳 
水滸伝 
(八)』 
清水茂 訳
 
岩波文庫 赤/32-016-8


岩波書店 
1999年4月16日 第1刷発行
376p 
文庫判 並装 カバー
定価660円+税
カバー: 中野達彦



全十冊。
本文中挿絵22点。「注」に図版2点。



水滸伝 八 01



カバーそで文:

「梁山泊征伐軍の散々な負けっぷりに、いよいよ高大将が自ら出馬。率いるは近衛師団の精鋭一万五千を筆頭に、しめて一三万の大軍、従軍の慰みに歌舞団まで引き連れての堂々の出陣である。迎え撃つ宋江は内心穏やかならず、しかし豪傑たちは少しもあわてず……。」


忠義水滸伝 第八冊 目録:

巻の七十二
 柴進(さいしん) 花を簪(かんざし)として禁院(ごしょ)に入り
 李逵(りき) 元夜(しょうがつじゅうごや)東京(とうけい)を鬧(さわ)がす
巻の七十三
 黒旋風(こくせんぷう)は喬(いつわ)って鬼(ばけもの)を捉(とら)え
 梁山泊(りょうざんぱく)に双(ふた)つながら頭(こうべ)を献(ささ)ぐ
巻の七十四
 燕青(えんせい) 智(ち)もて擎天柱(けいてんちゅう)を撲(まか)し
 李逵(りき) 寿張(じゅちょう)にて喬(いつわ)って衙(やくしょ)に坐(すわ)る
巻の七十五
 活閻羅(かつえんら) 船を倒(くつがえ)して御酒(ぎょしゅ)を偸(ぬす)み
 黒旋風(こくせんぷう) 詔(みことのり)を扯(ひきさ)いて徽宗(きそう)を謗(そし)る
巻の七十六
 呉加亮(ごかりょう) 四斗五方(しとごほう)の旗(はた)を布(し)き
 宋公明(そうこうめい) 九宮八卦(きゅうきゅうはっか)の陣を排(なら)ぶ
巻の七十七
 梁山泊(りょうざんぱく) 十面(じゅうめん)に埋伏(まいふく)し
 宋公明(そうこうめい) 両(ふた)たび童貫(どうかん)に贏(か)つ
巻の七十八
 十節度(じゅうせつど) 梁山泊を取(と)らんことを議(ぎ)し
 宋公明(そうこうめい) 一(ひと)たび高太尉(こうたいい)を敗(やぶ)る
巻の七十九
 劉唐(りゅうとう) 火を放(はな)ちて戦船(いくさぶね)を焼き
 宋江(そうこう) 両(ふた)たび高太尉(こうたいい)を敗(やぶ)る
巻の八十
 張順(ちょうじゅん) 鑿(のみ)もて海鰍船(かいしゅうせん)を漏(も)らし
 宋江(そうこう) 三(み)たび高太尉(こうたいい)を敗(やぶ)る
巻の八十一
 燕青(えんせい) 月夜(つきよ)に道君(どうくん)に遇(あ)い
 戴宗(たいそう) 計(けい)を定(さだ)めて蕭譲(しょうじょう)を賺(あざむ)きとる
巻の八十二
 梁山泊(りょうざんぱく) 金(かね)を分(わ)かちて大いに市(いち)を買(ひら)き
 宋公明(そうこうめい) 全(すべ)ての夥(なかま)にて招安(しょうあん)を受(う)く





水滸伝 八 02



水滸伝 八 03



◆本書より◆


「巻の七十二」より:

「あくる日、柴進は、すっかり折目正しい衣服を着こみ、頭にはま新しい烏帽子、足には清潔な靴と靴下、燕青の身ごしらえも、あかぬけしています。ふたりは、宿屋を後にして、城外の人家を見れば、どの家もごったがえし、どの場所もにぎやかに、正月十五夜を祝う用意をし、それぞれに太平の世のさまをめでております。城門のところまで来ましたが、さえぎる人もありません。まことにみごとな東京開封府の地勢、そのさまいかに、
  州は汴水(べんすい)と名づけ、府は開封(かいほう)と号す。逶迤(はるばる)と呉楚(ごそ)の邦(くに)に接(つづ)き、延(の)び亙(わた)りて斉魯(せいろ)の地に連(つら)なる。周公(しゅうこう)国を建て、畢公(ひっこう)皋(こう)改めて京師(みやこ)と作す。両晋(りょうしん)は春秋(しゅんじゅう)のとき、梁(りょう)の恵王(けいおう)称して魏国(ぎこく)と為す。層(かさ)なり畳(たた)なわる臥したる牛の勢(たたずまい)は、上界(てんかい)の戊己(ぼき)の中央に按(かな)い、崔嵬(そそりた)つ伏したる虎(とら)の形は、周天(しゅうてん)の二十八宿(せいざ)に像(かたど)る。王尭(おうぎょう)は九(ここの)たび華夷(かい)を譲(ゆず)り、太宗は一たび基(もとい)の業(わざ)を遷(うつ)す。元宵(げんしょう)の景致(おもむき)は、鰲山(ほうらいざん)に万盞(まんどう)の華燈(かざりどうろう)を排(なら)べ、夜月(やげつ)の楼台(ろうだい)に、鳳輦(ほうれん)は三山瓊島(さんざんけいとう)に降(くだ)る。金明池(きんめいち)の上(ほとり)には三春(さんしゅん)の柳(やなぎ)、小苑城(しょうえんじょう)の辺(あたり)には四季の花。十万里の魚竜変化(ぎょりゅうへんか)の郷(さと)、四百座の軍州(ぐんしゅう)輻輳(ふくそう)の地。黎庶(たみくさ)は尽(ことごと)く豊稔(ほうねん)の曲を歌い、嬌(あで)なる娥(ひめ)は斉(ひと)しく太平の詞(こうた)を唱(うた)う。香(こう)の車に坐(の)るは佳人(あてびと)仕女(かおよびと)、金(こがね)の鞭(むち)を蕩(うご)かすは公子(こうし)王孫(おうそん)。天街(みやこおおじ)の上は尽(ことごと)く珠(しんじゅ)と璣(たま)とを列(つら)ね、小巷(こみち)の内は遍(あまね)く羅(きぬ)と綺(あやぎぬ)に盈(み)つ。靄靄(あいあい)たる祥(めでた)き雲は紫の閣(たかどの)に籠(こ)め、融融(ゆうゆう)たる瑞(めでた)き気は楼台(ろうだい)を罩(おお)う。」

「今はむかし宋の時、東京開封府はまこと天下第一の首都、さく花のにおうがごとく富み栄えましたは、まさに道君(どうくん)徽宗(きそう)皇帝の御代でございました。その日の夕まぐれ、満月東よりのぼれば、空にはひとかげりの雲も無く、宋江と柴進は、休職官吏、戴宗は小使い、燕青は町の若い衆のなりをし、李逵だけを留守番にのこして、四人、祭りの出しもの連にまじって、封贈門(ほうぞうもん)からぞめき入ってまいります。街街(まちまち)盛り場をぶらつきまわれば、果たして夜は暖かに風はやわらぎ、まことに遊覧日和です。博労町へまわって来ますと、どの家も、かど先に燈籠を飾り、ともしびを競いあい、まひるのように照りかがやいています。これぞ、楼台の上も下も火は火を照らし、車馬は往き来して人は人を看(み)るといったさま。」



「巻の七十三」より:

「あくる日の夜明け、東京(とうけい)開封(かいほう)城中は、何ともいやはや大騒動、高(こう)大将は軍隊をひきいて城を出て追っかけましたが、追っつかないのでひっかえし、李師師(りしし)は知らぬ存ぜぬのいってんばり、楊(よう)大将も自宅へ帰って養生しています。城内の負傷者数を調べますと、あわせて四、五百人、押し倒されてけがしたものは数知れず。高大将は、参謀本部の童貫(どうかん)ともども、いっしょに太閤屋敷へ行って相談し、いそぎ兵隊をくり出して掃蕩逮捕するよう上奏しました。
 さて、こちらは李逵と燕青のふたり、途中、四柳村(しりゅうそん)という名のところまでやって来ますと、知らぬまに日が暮れましたので、ふたり、とある庄屋屋敷へ来て、門をたたきあけ、藁ぶきの母屋まで通りました。庄屋の狄(てき)旦那、出迎えに出て来て、(中略)燕青に、
 「こちらはどちらからおいでの先生です。」
 とたずねれば、燕青、笑いながら、
 「この先生は、けったいな人で、あんたたちにはわからぬ。ありあわせでも晩飯にちっとありつけて、ひと晩宿を借りられたら、あすあさ立ちます。」
 李逵はただもうだまっているばかりです。旦那、このことばを聞くと、土下座して李逵を拝みながら申します。
 「先生、この弟子をお助け下さいませ。」
 李逵、「わしに何を助けてほしいのか、すっかりうちあけろ。」
 旦那、「わが家には百人あまりいますが、夫婦ふたりには、肉親としてむすめが一人あるだけ。年は二十あまりですが、半年ほど前から、何か物の怪(け)がつきまして、部屋で食事をするばかり。食べに出てまいりません。だれかが呼びに行きますと、れんがや石をめちゃくちゃに投げてよこします。家のものがたくさんけがさせられました。何度、修験者をお招きしましても、つかまえられません。」
 李逵、「じいさん、わしは薊州(けいしゅう)羅真人(らしんじん)の弟子、雲に乗り霧(きり)を行(や)ることができ、いちばんの得手は化物退治だ。おまえが、何か施しをしてくれたら、今夜化物退治をしてやる。いまはまずぶた一匹ひつじ一匹で神将をお祭りせねばならぬ。」
 旦那、「ぶたやひつじは、うちにいっぱいいます。酒はいうまでもありません。」
 李逵、「よくあぶらの乗ったのを選んで殺し、ぐたぐたに煮て来い。上等の酒がほかに何本かいる。それで用意はできあがり。今夜のま夜中、化物退治をしてやるぞ。」」

「李逵、「おまえ、ほんとにわしに化物退治をさせたいのなら、だれかにわしをむすめの部屋まで案内させろ。」
 旦那、「といっても、神さまが、いま、部屋かられんがや石をめちゃくちゃに投げつけ、だれも行こうとはしませぬ。」
 李逵、二ちょうのまさかりを手に抜き放ち、たいまつで遠くから照らさせながら、李逵、大股にずかずかと部屋のそばまで近づきました。見れば、部屋の中にはありありとともしびがついています。李逵、じっと見つめれば、ひとりのわかものが、ひとりのおんなを抱きながら、そこで話しているのが見えました。李逵、ぽんと部屋の戸を蹴開き、まさかりがとどいたと見るや、斬られて光がぱっと散り、かみなりが鳴りひびきます。ひとみを凝らして見定めれば、何とともしびの皿を斬りたおしたのでありました。わかもの、逃げようとするところを、李逵、大喝一声、まさかりがあがれば、もうわかものを斬りたおしています。あばずれは、寝台の下にもぐりこんでかくれましたが、李逵、おとこをまずまさかりの一打ちに、首を斬り落とし、寝台の上にぶらさげると、まさかりで寝台のふちをたたきつつ、どなります。
 「あばずれ、さっさと出て来い。首を出さねば、寝台ごとこなごなにぶった斬るぞ。」
 あばずれ、つづけさまに叫びます。
 「命だけはお助け。出ます、出ます。」
 首をそっと出したばかりのところを、李逵、髪をひっつかんで、死体のところまでひきずり寄せ、たずねます。
 「わしがばらしたこいつは誰だ。」
 あばずれ、「わたしの間夫(まぶ)、王小二(おうしょうじ)。」
 李逵、かさねて、
 「れんがや食事は、どこから手に入れた。」
 とたずねれば、あばずれ、
 「それは、わたしが金銀の髪飾りをおとこに渡し、夜なかごろ、土べいの上から運びこみました。」
 李逵、「こんなけがらわしいあばずれ、生かしておいても役に立たぬ。」
 と、寝台のそばまでひっぱって行き、まさかりでばっさり首を斬り落とし、ふたりの首を一つにくくると、こんどは、あばずれのなきがらをぶらさげて、おとこのかばねといっしょにし、李逵、
 「腹いっぱい食って、腹ごなしに困っていたところだ。」
 と、はだぬぎになるや、二ちょうのまさかりを振りあげ、ふたりの死体めがけて、上げたり下げたり、太鼓をたたくようにめちゃくちゃにひとしきり切りきざみました。李逵、笑って、
 「これでたしかにこのふたり、生きかえれないぞ。」
 と、大まさかりをたばさみ、首をぶらさげたまま、大声あげながら、母屋のおもてまで出ますと、
 「ふたりの化物、わしがどちらも退治した。」
 とどなりながら、首を投げ棄てました。」
「旦那、泣きながら、「先生、むすめはそのまま生かしておいて下すってもよかったのに。」」







こちらもご参照ください:

『完訳 水滸伝 (九)』 清水茂 訳 (岩波文庫)
孟元老 『東京夢華録 ― 宋代の都市と生活』 入矢義高・梅原郁 訳注































































『完訳 水滸伝 (七)』 清水茂 訳 (岩波文庫)

「これも天罡星(てんこうせい)のより集まるさだめ、おのずと機会が生まれ出たのでございます。」
(『完訳 水滸伝 (七)』 より)


『完訳 
水滸伝 
(七)』 
清水茂 訳
 
岩波文庫 赤/32-016-7


岩波書店 
1999年4月16日 第1刷発行
387p 
文庫判 並装 カバー
定価660円+税
カバー: 中野達彦



全十冊。
本文中挿絵22点。「注」に図版2点。



水滸伝 七 01



カバーそで文:

「梁山泊の一同、あの手この手と思案をこらして、棒をとっては天下無双の盧俊義を仲間に入れることに成功。次のターゲットは、蔡京の派遣した梁山泊平定軍の大将、人呼んで大刀関勝、あの三国志の英雄関羽直系の子孫である。一〇八人勢揃いに、あと一歩。」


忠義水滸伝 第七冊 目録:

巻の六十一
 呉用(ごよう) 智もて玉麒麟(ぎょっきりん)を賺(あざむ)き
 張順(ちょうじゅん) 夜る金沙渡(きんさと)を鬧(さわ)がす
巻の六十二
 冷箭(かくれや)を放って燕青(えんせい) 主(あるじ)を救い
 法場(しおきば)を劫(おび)やかして石秀(せきしゅう) 楼(ろう)より跳(と)ぶ
巻の六十三
 宋江(そうこう) 兵もて北京城(ほっけいじょう)を打ち
 関勝(かんしょう) 梁山泊(りょうざんぱく)を取らんことを議(ぎ)す
巻の六十四
 呼延灼(こえんしゃく) 月夜(つきよ)に関勝(かんしょう)を賺(あざむ)き
 宋公明(そうこうめい) 雪の天(ひ)に索超(さくちょう)を擒(いけど)る
巻の六十五
 托塔天王(たくとうてんおう) 夢の中に聖(ふしぎ)を顕(あら)わし
 浪裏白跳(ろうりはくちょう) 水の上に冤(うら)みを報(はら)す
巻の六十六
 時遷(じせん) 火もて翠雲楼(すいうんろう)を焼き
 呉用(ごよう) 智(ち)もて大名府(だいめいふ)を取る
巻の六十七
 宋江(そうこう) 馬歩(ばほ)三軍を賞(しょう)し
 関勝(かんしょう) 水火(すいか)二将を降(くだ)す
巻の六十八
 宋公明(そうこうめい) 曾頭市(そうとうし)を夜打(よう)ちし
 盧俊義(ろしゅんぎ) 史文恭(しぶんきょう)を活捉(いけどり)にす
巻の六十九
 東平府(とうへいふ)に誤(あやま)って九紋竜(くもんりゅう)は陥(とらわ)れ
 宋公明(そうこうめい) 義もて双槍将(そうそうしょう)を釈(ゆる)す
巻の七十
 没羽箭(ぼつうせん) 石を飛ばして英雄(えいゆう)を打ち
 宋公明(そうこうめい) 糧(かて)を棄(す)てて壮士(そうし)を擒(いけどり)にす
巻の七十一
 忠義堂(ちゅうぎどう)に石碣(せっけつ) 天の文(もじ)を受け
 梁山泊(りょうざんぱく)に英雄(えいゆう) 座(せき)の次(じゅん)を排(さだ)む

人物表




水滸伝 七 02



水滸伝 七 03



◆本書より◆


「巻の六十一」より:

「盧大尽、ひとわたり見まわすと、
 「おや、わしのあの男が見えないが。」
 といいもおわらぬうち、階段の前へやって来ましたのはひとりの男。」
「この人は、生粋(きっすい)の北京の人、こどものとき、両親をともになくしてから、盧大尽の家で養われて大きくなりました。全身雪のような白いはだのところから、盧俊義が名人上手にいいつけて、からだ一面にほりものをほらせましたが、玉のあずまやの柱に、やわらかいかわせみの羽しきつめたがごとく、錦のからだと見まがうほどで、誰であろうと、かなうものはありません。からだ一面のみごとなほりものばかりか、この人、おまけに、吹くの、弾(ひ)くの、歌うの、舞うの、なぞなぞ、しりとり、できぬものとてなく、へたなものもありません。それにまたあちこち地方の在郷ことばも話せ、さまざまの商売や芸人の符牒も心得ております。かてて加えて、身につけた腕前は、並ぶものなきありさま、一張(ひとはり)の弩(いしゆみ)を手に、三本の短い矢で、野外で生き物を射落とすのに、はずれたためしなく、矢が飛ぶや獲物が落ちて来ます。(中略)そのうえさらに、この人、目から鼻へ抜けるりこうさで、一を聞いて十を知ります。そのおとこ、名字は燕(えん)、(中略)お上へとどけた一字名は、青(せい)の字ひとつ。北京城内の人人は、いいやすいままに、みな浪子(ろうし)の燕青(えんせい)、いなせの燕青と呼んでいます。」
「さて、この燕青は、盧俊義の家の腹心の人、やはり広間のところへ来ると敬礼します。二列にわかれていずまいを正し、李固は左手に立ち、燕青は右手に立ちました。盧俊義、やおら口を切って、
 「わしは、きのう、八卦を見てもらったら、百日血光(けっこう)の災(わざわい)がわしにあり、東南百五十里以上の遠くへ避けるほかないそうだ。(中略)李固、きみは、(中略)旅支度をととのえて、わしといっしょに行くんだ。燕青小乙(しょういつ)は、家の倉庫の鍵をあずかってくれ。ただいますぐ李固と事務引きつぎをしろ。わしは、三日のうちに、出発するから。」
 李固、「ご主人、そりゃいけません。(中略)そんな易者の口から出まかせを聞いちゃいけません。じっと家にいたって、びくびくすることなどありますものか。」
 盧俊義、「わしの運命がそうきまっているんだ。逆らわないでおくれ。災難が来てからでは、後悔先に立たずだ。」
 燕青、「ご主人さま、この小乙の考えをお聞き下さい。山東の泰安州へ行くこの道は、ちょうど梁山泊のほとりを通ります。近年、梁山泊では、宋江一味のおいはぎがいて、押しこみ強盗、官軍が追捕(ついぶ)に行っても近づけません。(中略)きのうのあの易者の出まかせを信じちゃいけません。多分梁山泊のわるものが、陰陽師(おんみょうじ)に化けてそそのかし、ご主人をおびきよせて仲間入りさせようという魂胆。この小乙が、きのう、るすにしていたのはおしいこと、家にいたなら、ふたことみことで易者を問いつめ、こいつはとんだお笑い草になるところでしたのに。」」



「巻の六十五」より:

「さて、こちら宋江は、陣中の司令部の天幕に来て坐れば、早くも伏兵が索超を本部まで護送して来ます。宋江、それを見て、大喜び、兵隊たちを叱ってさがらせると、手ずから縄を解いて、幕中へ請じ入れ、酒を出してもてなし、やさしくなぐさめました。
 「ごらんなさい、われわれ兄弟たち、半分以上は朝廷の武官です。というのも、朝廷に眼力なく、欲ばり高官が政治をとりしきり、けがれた木(こ)っ葉(ぱ)役人が権力をすきほうだいにして、民草(たみくさ)をいじめるままにしておくがために、みな宋江に協力して、天に替わって道を行ないたいと願っているのです。もし将軍がお見棄てなくんば、いっしょに忠義にはげみましょう。」
 索超はもともと天罡星(てんこうせい)の数のうち、おのずと気があって、宋江に降参しました。」



「巻の七十一」より:

「その日、公孫勝と四十八名の道士たち、忠義堂で醮祭(しょうさい)を行ないます。毎日三たびの礼拝、七日めに満願となりました。宋江は上天の感応現われるようにと、わざわざ公孫勝に祝詞(のりと)をあげさせて、天帝に奏聞させ、毎日三たび礼拝します。ちょうど七日めのま夜なかごろになって、公孫勝は祭壇の一ばん上の段、道士たちは二ばんめの段、宋江ら親分衆は三ばんめの段、小頭たちと将校は壇の下にいて、みな上天に祈り、ぜひ感応を示してほしいと拝んでおりました。その夜、ま夜なかごろ、天上から絹を裂くような声が一声、ちょうど西北乾(いぬい)の方、天門のところで響きました。ひとびと、見れば、両方のはしが尖り、まんなかがひろがっている金の皿がつっ立っています。それを、天門が開く、ともいい、天眼が開く、ともいいます。なかから光線が人の眼を射、色あざやかな赤気がめぐり、中から一かたまりの火がうずまきを起こしながら出て来て、丸盆のような形になり、祭壇へころがり落ちて来ます。その火のかたまりは、祭壇をひとまわりころがると、さいごはま南の地面の下にもぐりこんでしまいました。このとき、天眼はもう閉じられ、道士たちは壇をおりて来ます。宋江、すぐさま、鉄の鋤鍬(すきくわ)で、土を掘りあげ、火のかたまりをさがさせますと、地下三尺ほども掘らぬうちに、一つの石碑が見つかりました。正面と両がわには、それぞれ天書の文字があります。」

「そのとき、何道士が天書の文字を判じて、蕭譲に書き写させましたが、読みおわりますと、ひとびとそれを見て、みな、とてもふしぎがりました。宋江、親分衆にむかい、
 「いやしき小役人のこのわたくし、さては上(かみ)、星のかしらに応ずる身であったのか。兄弟たちも、はてさてみな同じなかまの人だったか。いまこそ、上天の感応しるく、勢ぞろいすべきとき。将軍の数は満ち、上天は地位と人数とを分けて、大小二等ときめ給うた。天罡と地煞の星星、すべて順序がきまっている。親分衆はそれぞれその地位にしたがい、それぞれ意地をはるな。天のことばにさからってはならぬ。」
 ひとびと、「天地の意志、運命の定め、だれが破りましょうぞ。」」






こちらもご参照ください:

『完訳 水滸伝 (八)』 清水茂 訳 (岩波文庫)
孟元老 『東京夢華録 ― 宋代の都市と生活』 入矢義高・梅原郁 訳注


















































『完訳 水滸伝 (六)』 吉川幸次郎・清水茂 訳 (岩波文庫)

「こちらは、呼延灼、官軍の人馬をあまた失ないましたので、みやこへはもどろうとせず、ひとり、かの踢雪烏騅の馬にまたがり、(中略)落ちのびましたが、路用がありません。(中略)みちみち、思うよう、
 「はからずも、きょう、おちいったは、家はあれども帰りがたく、国はあれども身を寄せがたい境涯。はて、だれに身を寄せたものか。」」

(『完訳 水滸伝 (六)』 より)


『完訳 
水滸伝 
(六)』 
吉川幸次郎・
清水茂 訳
 
岩波文庫 赤/32-016-6


岩波書店 
1999年3月16日 第1刷発行
367p 
文庫判 並装 カバー
定価660円+税
カバー: 中野達彦



全十冊。
本文中挿絵20点。「注」に図版2点。



水滸伝 六 01



カバーそで文:

「高廉とその秘書官殷天錫は、高大将の威勢をかさに着てしたい放題。柴進のおじ柴七品はいじめ殺され、柴進も囚われの身に。梁山泊から援軍が向かうが、高廉の魔法とその配下の飛天神兵三百に散々な目にあう。彼の魔法を破れるのは、かの入雲竜公孫勝しかいない。」


忠義水滸伝 第六冊 目録:

巻の五十一
 挿翅虎(そうしこ) 枷(かせ)もて白秀英(はくしゅうえい)を打ち
 美髯公(びぜんこう) 誤って小衙内(しょうがない)を失(うし)なう
巻の五十二
 李逵(りき) 殷天錫(いんてんしゃく)を打ち死(ころ)し
 柴進(さいしん) 高唐州(こうとうしゅう)に失陥(おとしい)れらる
巻の五十三
 戴宗(たいそう) 智(ち)もて公孫勝(こうそんしょう)を取(むか)え
 李逵(りき) 斧(まさかり)もて羅真人(らしんじん)を劈(き)る
巻の五十四
 入雲竜(にゅううんりゅう) 法(じゅつ)を闘(たた)かわして高廉(こうれん)を破り
 黒旋風(こくせんぷう) 穴(あな)を探(さぐ)りて柴進(さいしん)を救(すく)う
巻の五十五
 高太尉(こうたいい) 大いに三路(さんろ)の兵を興(おこ)し
 呼延灼(こえんしゃく) 連環(れんかん)の馬を擺(ひろ)げ布(し)く
巻の五十六
 呉用(ごよう) 時遷(じせん)をして甲(よろい)を盗ましめ
 湯隆(とうりゅう) 徐寧(じょねい)を賺(あざむ)いて山に上(のぼ)らしむ
巻の五十七
 徐寧(じょねい) 鉤鎌槍(かたかまやり)を使うを教え
 宋江(そうこう) 大(おお)いに連環馬(れんかんば)を破る
巻の五十八
 三山(さんざん) 義(ぎ)に聚(あつ)まって青州(せいしゅう)を打ち
 衆虎(しゅうこ) 心(こころ)を同(おな)じゅうして水泊(すいはく)に帰(き)す
巻の五十九
 呉用(ごよう) 金鈴(きんれい)の吊掛(つりかざり)を賺(あざむ)きとり
 宋江(そうこう) 西岳華山(せいがくかざん)を鬧(さわ)がす
巻の六十
 公孫勝(こうそんしょう) 芒碭山(ぼうとうざん)にて魔(ま)を降(くだ)し
 晁天王(ちょうてんおう) 曾頭市(そうとうし)にて箭(や)に中(あた)る





水滸伝 六 02



水滸伝 六 03



◆本書より◆


「巻の五十三」より:

「公孫勝、さらばと立ち上がり、戴宗と李逵とを引きつれ、家をあとにして、二仙山へのぼるみちをたどりました。この時は、もはや、秋の末、冬の初めのころおい、日は短く夜は長く、暮れ易い時候です。山の中腹まで来れば、もう赤い夕日は西に落ちました。松の木かげのひとすじの小路を、羅真人の道観の前まで来ると、朱の額に書いた三つの金文字、紫虚観(しきょかん)と書きつけてあります。」
「ふたりの童子(どうじ)、公孫勝が人をつれてはいって来たのを見て、羅真人に知らせますと、おことばがあって、三人をお通し申せとのことですから、さっそく、公孫勝、戴宗と李逵を引きつれ、松鶴軒の中へまいります。いましも、真人はおつとめをおえたばかり、雲床(うんしょう)の上で、静坐をしておられます。」
「そのとき、戴宗、それを見て、あわてて平伏しましたが、李逵は、じろじろ見つめているばかりです。羅真人、公孫勝にたずね、
 「このおふた方は、どちらから。」
 公孫勝、「これこそ、以前いつかわたくしめが先生に申し上げました山東の義兄弟でございます。いま、高唐州の知事高廉のふるうあやしき術にあい、兄なる宋江、わざわざ二人の弟にいいつけ、ここまで呼びに来させましたが、わたくし、わがままはおそれ多いと、わざわざ先生におうかがいにまいりました。」
 羅真人、「わが弟子よ、火坑(かこう)をのがれ、長生(ちょうせい)を学びおるに、なぜ、またもそんな世界をこいしがる。自分を大切にして、ばかなまねをしてはならぬ。」
 戴宗、二度、おじぎをして、「どうか、公孫道士どのにしばらく山をおりていただけますようお願いいたします。高廉を破りしだい、お山へ送りかえします。」
 羅真人、「おふたりには、わかるまいが、これは世捨て人のとやかくかかわることではない。そなたらは、そなたらで、山をおりて相談なされ。」
 公孫勝は、やむなくふたりを引きつれ、松鶴軒をあとにして、夜もすがら山をおります。李逵、たずねて、
 「あの老仙人さんはなにをいったのかね。」
 戴宗、「きみも聞いたとおりだよ。」
 李逵、「あんなへんてこな声は分からねえよ。」
 戴宗、「つまりだな、先生は、かれに行くな、とおっしゃったのだ。」
 李逵、それを聞いて、わめき出しました。
 「おれたちふたりにこんな遠みちを歩かせて、さんざん苦労したあげく、さがしあてたら、こんな屁(へ)りくつをいいやがる。おれさまのかんにさわることはよしたがいい。片手でやつのかんむりをひねりつぶし、もう一方の手で腰をぶらさげて、あのおいぼれを山の下へつきおとしてやる。」
 戴宗、にらみつけ、
 「そら又足を釘づけにしたいのか。」
 李逵、「いやいやどうして、ちょっとじょうだんをいったまでさ。」
 三人は、もういちど公孫勝の家につき、その晩は、晩飯をととのえて食べました。」
「ふたりは、荷物をまとめ、修行部屋へ来てねむりました。ふたり、ま夜中ごろまでねむりますと、李逵、こっそりとはい起き、戴宗がぐうぐうと寝入っているのを聞きすまし、思案いたします。
 「くそ、腹が立つじゃねえか。きさまはだいたいとりでのものなのに、先生とかなんとかいうばか野郎に聞くことはあるめえ。あした、あいつ、又もや承知しなかったら、それこそ、あにきの一大事をしくじらせる。もう、かんべんならねえ。あのおいぼれ道士を殺しさえすりゃ、聞きに行くところがなくなる。しかたなくわしといっしょに出かけるだろ。」
 李逵、真人をあやめようといたします。」
「李逵、すぐさま、二ちょうの大まさかりを手さぐりでとり、こっそり部屋の戸をあけて、月、星のあかるさをたよりに、ひと足ひと足とさぐりながら山をのぼります。紫虚観の前まで来て見れば、大門(おおもん)の二まいのとびらは閉めてあります。わきの土塀が、さいわいそれほど高くはないのを、李逵、ぱっと跳びこえ、大門をあけると、ひと足ひと足とさぐりながらなかへはいって行きました。松鶴軒の前まで来ますと、窓ごしにだれかが玉枢宝経(ぎょくすうほうきょう)をとなえている声が聞こえます。李逵、背のびして、窓の紙を舌でなめて破り、のぞいて見ますと、羅真人ただひとり、雲床の上に坐って、前の机の上には、一つの香爐に名香をたきしめ、二本の画ろうそくをともし、朗朗と読経のさいちゅう。李逵、
 「このくそ道士、おだぶつじゃわい。」
 と、ぬき足さし足、戸口に近より、手でひと推しすれば、ぎいっと二まいのとびらがいっしょに開きました。李逵、ずいとおし入り、まさかりをとりあげて、羅真人の脳天めがけ、うちおろせば、雲床の上に斬りたおされて、白い血が流れ出します。李逵、それを見て、笑いながら、
 「それ、このくそ道士、おんなを知らねえにちげえねえ。精気をたくわえて、もらしたことがねえから、これっぽっちも赤みがねえ。」
 李逵、もういちど目をすえて見れば、かんむりまでも、まっぷたつに裂かれ、あたまは、くびの下まで、斬りこまれています。李逵、
 「これでまあ、一つの邪魔はかたづけた。大丈夫、公孫勝は行く。」
 と、向きを変えて松鶴軒を出ると、わきの廊下をとおって、走り出ました。そこへ、ひとりの黒いきものの童子が、李逵をさえぎって、どなりつけました。
 「きさま、先生を殺して、どこへ逃げる。」
 李逵、「やい、このくそ稚児め、おまえもわしのまさかりをくらえ。」
 と、手があがればまさかりは落ち、くびは早くも土台のあたりに斬りおとされ、ふたり、いずれも、李逵に斬られてしまいました。」
「夜明けになって、公孫勝は起き出し、あさめしを用意し、ふたりといっしょに食べます。戴宗、
 「あなた、もういちど、われわれふたりをつれて山にのぼり、真人さまに懇願して下さい。」
 といえば、李逵、それを聞いて、そっとあざ笑っています。三人、この前どおり同じ道をたどって山にのぼります。紫虚観のなかにはいり、松鶴軒であいましたのは、ふたりの童子、公孫勝、たずねて、
 「真人さまは、どこにおられる。」
 童子、答えて、
 「真人さまは雲床で、御静坐中です。」
 李逵、それを聞いて、あっとびっくり、舌を出したまま、おいそれとひっこみません。三人、すだれをあげて、はいって見れば、羅真人は雲床のまん中に坐っています。李逵、そっと、
 「ゆうべは、人ちがいをしたかな。」
 と思っていますと、羅真人、
 「そなたたち三人、又もや何しに来た。」
 戴宗、「先生のお慈悲を乞いに、わざわざやってまいりました。どうか一同を難儀から救って下さいませ。」
 羅真人、「その色黒の大おとこは、だれか。」
 戴宗、答えて、「わたくしのおとうと分にて、名字は李、名は逵と申します。」
 真人、笑って、「はじめは、公孫勝を遣わすまいと思ったが、そのおとこのかおに免じて、ひと走り行かせてやりましょう。」」
「羅真人、
 「わしは、そなたら三人をまたたくまに高唐州まで行かせよう。どうじゃ。」」
「戴宗、
 「失礼ながら、先生、どのようにして、われわれをすぐさま高唐州へ送りとどけられます。」
 といえば、羅真人、立ち上がって、
 「一同のもの、わしについて来い。」
 と、三人、あとにつづいて、道観の門外の岩の上まで出て来ました。まっさきに、一枚の赤い手拭いを手にして、岩の上に敷き、
 「わが弟子、乗れ。」
 公孫勝、両足で上に立ちますと、羅真人、そででさっとはらい、ひと声、
 「あがれ。」
 と気合いをかけます。かの手拭いは、ひとひらの赤雲とかわって、公孫勝を乗せたまま、ゆらゆらと空中めがけて飛びあがり、山から二十丈あまりのところで、羅真人、ひと声、
 「とまれ。」
 と気合いをかけますと、その赤雲は動きません。こんどは、一枚の青い手拭いを敷いて、戴宗に踏ませ、ひと声、
 「あがれ。」
 と気合いをかければ、手拭いは、ひとひらの青雲とかわって、戴宗を乗せたまま、なか空にあがって行きます。」
「羅真人、こんどは一枚の白い手拭いを岩の上に敷き、李逵を呼びよせて踏ませます。李逵、笑いながら、
 「じょうだんじゃありませんよ。もし踏みはずしたら、とても大きなたんこぶができる。」
 羅真人、「そなた、あのふたりを見たろう。」
 李逵、手拭いの上に立てば、羅真人、ひと声、
 「あがれ。」
 と気合いをかけます。かの手拭い、ひとひらの白雲にかわり、飛びあがりました。李逵、
 「おやおや、わしのはゆれるよ。おろしてくれい。」
 とどなっています。羅真人、右手でさし招けば、かの青と赤とのふたひらの雲は、しずしずとおりて来ました。」
「李逵、上の方から、
 「おれだって、くそも小便もするぞ。てめえがおろしてくれなきゃ、頭からぶっかけるぞ。」
 とどなれば、羅真人、たずねて、
 「われわれは、世捨て人、そなたをいじめたことなどないのに、そなたはなぜゆうべへいを乗り越えてはいりこみ、まさかりでわしを斬った。わしに道行(どうぎょう)がなければ、殺されているところだ。おまけにわしの童子をひとり殺したな。」
 李逵、「わしじゃねえ。人ちがいしてるんだろ。」
 羅真人、笑って、「わたしのひょうたんをふたつ斬っただけだが、その心ばえがよくない。ちっと苦しいめにあわせてやろう。」
 と、さっと手招きをして、ひと声、
 「行け。」
 と気合いをかければ、一陣のすさまじい風が、李逵を雲のなかへ吹きおくりました。見れば、ふたりの黄いろい頭巾の仁王が護送し、李逵の耳もとに聞こえるのは、風雨の声ばかり、知らぬ間に、薊州ざかいにつきました。びっくりのあまり、魂はからだからぬけ、手足はぶるぶるふるえているところへ、ふとがらがらがっちゃんというひびきが聞こえました。と見るや、それは、薊州府の府庁の屋根の上から、ごろごろところげ落ちたのでありました。」

「羅真人、笑って、「わたしは知っているが、あのおとこ、天上の天殺星として数のうち、下界の衆生の、業(ごう)が重すぎるため、罰として、このおとこを下(くだ)し、殺生させているのだ。わしも天に逆らってまでこのおとこをだめにする気はない。ちょっと苦しめてみただけだ。よびもどしてかえしてあげよう。」」







こちらもご参照ください:

『完訳 水滸伝 (七)』 清水茂 訳 (岩波文庫)
孟元老 『東京夢華録 ― 宋代の都市と生活』 入矢義高・梅原郁 訳注


























































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
 
うまれたときからひとでなし
なぜならわたしはねこだから
 
◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

Koro-pok-Guru
Away with the Fairies

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

最近の記事
カテゴリー
ブログ内検索
リンク
フリーエリア
netakiri nekotaroの最近読んだ本