『中国古典文学大系 9 世説新語 顔氏家訓』

「このような人間は、とうてい四十歳までは生きられまい」
(『世説新語』 「傷逝篇」 より)


『中国古典文学大系 9 
世説新語 
顔氏家訓』


世説新語
劉義慶 著
森三樹三郎 訳

顔氏家訓
顔之推 著
宇都宮清吉 訳

平凡社
昭和44年4月12日 初版発行
630p
菊判 丸背バクラム装上製本 
貼函
定価1,700円



二段組。本文中図版(モノクロ)50点、図・地図4点。
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世説新語


帯文:

「政情不安に明け暮れた魏晋南北朝360年間、貴族たちは絶え間ない軋轢(あつれき)の中で、自由闊達な思想と生活を楽しみ、美しき六朝文化の花を咲かせた。『世説新語(せせつしんご)』は竹林の七賢を始め、当時の貴族たちの風貌・言行・思想を、寸言を以て表現し尽くし、一方この時代の末に生きた落後貴族の顔之推(がんしすい)は、わが子孫たちが、どうぞ顔家の子らしく、学を守りつつこの乱世を平穏無事に生きてくれよと、綿々と『顔氏家訓(がんしかくん)』を書き綴る。社会史の史料としても貴重なこの2著を新たに完訳し、綿密な注・解説を付して世に送る。」


目次:

世説新語
 上巻
  徳行篇 第一
  言語篇 第二
  政事篇 第三
  文学篇 第四
 中巻
  方正篇 第五
  雅量篇 第六
  識鑒篇 第七
  賞誉篇 第八
  品藻篇 第九
  規箴篇 第十
  捷悟篇 第十一
  夙恵篇 第十二
  豪爽篇 第十三
 下巻
  容止篇 第十四
  自新篇 第十五
  企羨篇 第十六
  傷逝篇 第十七
  棲逸篇 第十八
  賢媛篇 第十九
  術解篇 第二十
  巧芸篇 第二十一
  寵礼篇 第二十二
  任誕篇 第二十三
  簡傲篇 第二十四
  排調篇 第二十五
  軽詆篇 第二十六
  仮譎篇 第二十七
  黜免篇 第二十八
  倹嗇篇 第二十九
  汰侈篇 第三十
  忿狷篇 第三十一
  讒険篇 第三十二
  尤悔篇 第三十三
  紕漏篇 第三十四
  惑溺篇 第三十五
  仇隟篇 第三十六
 世説新語 人名索引

顔氏家訓
 第一章 主旨(序致第一)
 第二章 子弟の教育(教子第二)
 第三章 兄弟論(兄弟第三)
 第四章 再婚論(後娶第四)
 第五章 家政論(治家第五)
 第六章 みだしなみ論(風操第六)
 第七章 良友・達人論(慕賢第七)
 第八章 学問論(勉学第八)
 第九章 文章論(文章第九)
 第十章 名声論(名実第十)
 第十一章 実践論(渉務第十一)
 第十二章 専心論(省事第十二)
 第十三章 八分目論(止足第十三)
 第十四章 兵事不関与論(誡兵第十四)
 第十五章 養生論(養生第十五)
 第十六章 帰依論(帰心第十六)
 第十七章 経史文字覚書集(書証第十七)
 第十八章 音韻論(音辞第十八)
 第十九 諸芸論 (雑芸第十九)
 第二十章 遺言 (終制第二十)

解題
 世説新語 (森三樹三郎)
 顔氏家訓 (宇都宮清吉)




◆本書より◆


「世説新語」より:


「傷逝篇 第十七」より:

「王仲宣(おうちゅうせん)は驢馬(ろば)の鳴き声が好きだった。葬儀が終わったあと、文帝はその喪(も)に臨席し、かれの友達だった人びとをふりかえっていった。
 「王粲(おうさん)(王仲宣)は驢馬の鳴き声が好きだった。おのおの一声ずつあげて送ろうではないか」
 弔問にきた客はみな一声ずつ驢馬の鳴き声をまねた。」



「棲逸篇 第十八」より:

「阮(げん)歩兵は嘯(うそぶ)くと(注一: 阮籍。(中略)嘯(しょう)は、口笛を吹くように、口をすぼめて長く息をはくこと。仙人のしぐさの一つ。)、その声は数百歩のあたりまで聞こえた。蘇門(そもん)山の中に不意に仙人があらわれ、樵人(きこり)たちはみなその評判を伝えた。阮籍(げんせき)(阮歩兵)が見にでかけると、その仙人が膝(ひざ)をかかえて岩のかたわらにいた。阮籍は峰によじ登って近より、向かいあって腰をおろした。阮籍は太古よりこのかたの歴史を論じ、上は黄帝や神農の幽玄な道を述べ、下は三代の盛徳の美をとりあげて質問したが、相手は厳然としたまま答えようとしない。そこで今度は人為を越えた世界のことや、精神をしずめ生気を導く術について述べ、相手の様子を見たが、やはり依然として一点に目をこらしたまま、ふり向こうともしない。
 そこで阮籍も向かいあったまま、ひとしきり長い嘯(うそぶ)きをしてみせると、仙人は始めて笑っていった。
 「もう一ぺん、やってみせるがよい」
 阮籍はもう一度、嘯きをしたあと、満足して帰途につき山の中腹あたりまでくると、ヒュッという声が聞こえて、それがまるで数組の楽団の演奏のようで、林や谷にこだまして鳴り響いた。ふりかえってみると、それはさきほどの仙人の嘯きであった。」



「術解篇 第二十」より:

「荀勗(じゅんきょく)はあるとき晋の武帝の宴会の席上で、筍(たけのこ)をたべ飯を食った。そして席上の人たちに向かっていった。
 「これは使い古した木を燃(も)やして炊(た)いたものだ」
 席にいた人びとはまだ信用せず、ひそかに人をやって問い合わせたところ、まさしく古びた車の軸脚(じくあし)を使っていたのであった。」



「任誕篇 第二十三」より:

「阮(げん)公の隣家の女房は美人で、酒樽(さかだる)をすえた台の前で酒を売っていた。阮公と王安豊(おうあんぽう)とは、いつもその女房のところで酒を飲んだ。阮公は酒に酔うと、すぐその女房のそばで眠りこんだ。亭主は始めひどく阮公を疑ったが、うかがって見ていると、ついに他意のないことがわかった。」

「阮(げん)歩兵が母を失ったとき、裴(はい)令公は弔問に出かけた。そのとき阮歩兵は酔っぱらっており、さんばら髪のまま寝台にすわり、あぐらをかいて哭泣(こくきゅう)の礼も行なわない。裴令公は到着すると、その下の地面にむしろをしき、哭泣して弔いの言葉を述べ終わると、そのまま立ち去った。
 ある人が裴令公にたずねた。
 「およそ弔問のときには、主人が哭したあとで、客が答礼をするものだ。阮歩兵が哭しないのに、あなたはなぜ哭泣の礼を行なったのか」
 すると裴令公はいった。
 「阮歩兵は方外の人(ひと)(注三: 方は区域。方外とは世俗を超越した世界。『荘子』大宗師篇に、「孔子曰(い)わく、彼は方の外に遊び、丘(きゅう)は方の内に遊ぶ者なり」とある。)だから礼の定めに従わない。わしらは俗中の人間だから、礼儀作法のうちに身をおくのだ」
 当時の人びとは、双方ともよろしきを得ていると感嘆した。」

「劉道真(りゅうどうしん)の若いころ、いつも草の生いしげった沢で魚取りをした。口笛の歌がうまかったので、聞くものはみな立ちどまって釘づけになるほどであった。一人の老女がいて、かれがただの人間ではないことを知っていたが、ひどくその口笛の歌に聞きほれ、豚を殺してかれにすすめた。劉道真は豚を食ってしまったが、いっこうに礼を言おうともしない。老女はまだ足りないのだと見て、もう一匹の豚をすすめると、半分食ったあと、残りの半分は返した。
 のち吏部郎になったとき、その老女の息子が小役人になっていたので、劉道真はこれを抜擢(てき)してやった。息子にはそのわけがわからない。母にたずねたところ、母はそのわけを話してやった。そこで牛肉と酒とをたずさえて劉道真を訪れたところ、劉道真はいった。
 「さっさとお帰り。これ以上はもう恩返しのしようがないからな」」

「劉尹(りゅういん)はいった。
 「孫承公(そんしょうこう)は変わった人物だ。どこかを訪れるたびに、毎日楽しく見つづけるかと思うと、はるか道の途中まで出かけながら引き返してくることもある」」

「王子猷(おうしゆう)が山陰(さんいん)にいたとき、夜大雪があった。眠りからさめて部屋の戸をあけ、酒を酌ませると、あたり一面の銀世界である。そのまま立ち上がってあたりをさまよいながら、左思(さし)の「招隠詩」を詠じているうちに、ふと戴く安道(たいあんどう)のことを思い出した。そのとき戴安道は剡(えん)にいた。すぐさま夜中に小舟に乗って向かい、ひと晩かかってやっと到着した。門前までくると、内に入らないで引き返した。ある人がそのわけをたずねると、王子猷はいった。
 「わしはもともと興(きょう)に乗って行き、興が尽きるとともに帰ってきたのだ。ことさらに戴安道にあう必要はあるまい」」

「郝隆(かくりゅう)は七月七日に、日なたに出て大の字になって寝ころんだ。ある人がたずねると、答ていった。
 「わしは書物の虫干しをしているのじゃ」」


































































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『中国古典文学大系 6 淮南子・説苑(抄)』

「后稷壠は、建木の西にある。そこの人は死んでまた蘇る。その半ばは魚と化してその地方に棲む。」
(『淮南子』 「地形訓」 より)


『中国古典文学大系 6 
淮南子・説苑(抄)』


淮南子
劉安 編
戸川芳郎・木山英雄・沢谷昭次 訳

説苑(抄)
劉向 著
飯倉照平 訳

平凡社
1974年12月20日 初版第1刷発行
1981年5月30日 初版第9刷発行
450p 目次6p 
菊判 丸背バクラム装上製本 貼函
定価2,500円



本書「『説苑』解説」より:

「本訳書は、『説苑』全篇約七百章のうちからおよそ五分の一にあたる百三十六章を抄訳したものである。原書は説話の内容にしたがって二十巻に分類されているが、本訳書では登場人物の時代別・国別に配列がえを試みた。」
「抄訳の基準は、なるべく『説苑』独自のもの、また説話としておもしろいものを採ることにした。他書と一致する説話は、この「中国古典文学大系」未収のもの(中略)を優先した。」



二段組。参考図版6点。『淮南子』は全訳です。

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淮南子 説苑 01


目次:

淮南子
 原道訓 第一 (木山英雄 訳)
 俶真訓 第二 (木山英雄 訳)
 天文訓 第三 (戸川芳郎 訳)
 地形訓 第四 (戸川芳郎 訳)
 時則訓 第五 (戸川芳郎 訳)
 覧冥訓 第六 (沢谷昭次 訳)
 精神訓 第七 (木山英雄 訳)
 本経訓 第八 (木山英雄 訳)
 主術訓 第九 (木山英雄 訳)
 繆称訓 第十 (戸川芳郎 訳)
 斉俗訓 第十一 (沢谷昭次 訳)
 道応訓 第十二 (木山英雄 訳)
 氾論訓 第十三 (沢谷昭次 訳)
 詮言訓 第十四 (戸川芳郎 訳)
 兵略訓 第十五 (戸川芳郎 訳)
 説山訓 第十六 (戸川芳郎 訳)
 説林訓 第十七 (戸川芳郎 訳)
 人間訓 第十八 (戸川芳郎 訳)
 脩務訓 第十九 (戸川芳郎 訳)
 泰族訓 第二十 (戸川芳郎 訳)
 要略 第二十一 (木山英雄 訳)
 淮南鴻烈解 叙 (高誘) (戸川芳郎 訳)

説苑(抄)
 一 堯・舜・禹
 二 殷
 三 周
 四 魯
 五 孔子
 六 孔門の弟子
 七 斉(一)
 八 斉(二)
 九 斉(三)
 十 晋
 十一 楚
 十二 衛・陳・蔡
 十三 呉・越
 十四 魏
 十五 秦・漢
 十六 雑語

『淮南子』解説 (戸川芳郎)
『説苑』解説 (飯倉照平)
『説苑』原書の篇次による索引



淮南子 説苑 02



◆本書より◆


『淮南子』より:


「俶真訓」より:

「始めがあり、始めの始めがあり、始めの始めの始めがある。有があり、無があり、無の無があり、無の無の無がある。
 始めとは、鬱気(うつき)がたちこめてまだはじけず、芽ぶき萌え出ようとしてまだ形体をなさず、もやもやわらわらと今にも発生しそうで、なお物類をなすに至らぬこと。始めの始めとは、まさに天気あまくだり、地気のぼりたって、陰と陽がさしちがえ、混ざり合ってくまなく宇宙に行きわたり、徳をよろい和を含んでむらがりせめぎつつ、何かを求めているが、なおきざしをもよおすに至らぬこと。始めの始めの始めとは、天地は各個に気を孕(はら)んで、互いにあまくだりのぼりたつに至らず、がらんとひろがり、しんしんとさびれ、おぼろげな気配すらなく、気はむなしく抜けわたって、ついに冥冥(めいめい)に達していること。
 有とは、万物さかんにむらがり、根となく茎となく、枝となく葉となく、青葉若葉に日の光とばかりに栄え、飛ぶ虫といい這(は)う虫といい、足で行くものといい嘴(くちばし)で息するものといい、つぶさに触れも摑(つか)みもできるように、ありていに個物をなしているさま。無とは、形は見えず、音は聞こえず、つまんでも手ごたえがなく、眺めわたしても際限がなく、あれよあれよとばかり広大であり、忖度(そんたく)計量の埓(らち)を越え、ついに光耀(こうよう)に達したさま。無の無とは、天地を包み、万物を捏(こ)ねきたえ、ついに混冥に達し、余りに広大で何物も其の外に出られず、また余りに微細で何物もその内に入れず、実地には如何(いか)なる居所も占めなくてしかも有無の根源を生むさま。無の無の無とは、天地・陰陽・四時・万物がまだ分化し発生するに至らず、水を湛(たた)えたように静まり澄みきっていて、たれにも形が見えぬさま。さていみじくも、かの光耀が無有と問答したあとで、茫(ぼう)然とうち嘆いたとおりである。「わたしは有の無に達することはできたが、無の無にはとどかぬ。無無の至妙な境地に、どうしたら行きつけるのであろう」と。
 いったい、大地は吾人を形体として上に載せ、生でくるしめ、老いでなぐさめ、死で憩(いこ)わせるのである。すなわち、わが生を堪能(たんのう)するのが、わが死を堪能するみちである。(中略)物とはまことにおおまかなものである。たまたま人の形に生まれたといっては喜んでいるが、人なるものとて、千変万化してどこにとどめをさすとも知れぬのだ。弱りきってはまた蘇(よみが)える、そこに無限の楽しみがあろうでないか。たとえば、夢で空の鳥や水底の魚になったとき、夢の中では夢に気づかず、醒(さ)めてようやく夢に気づくように、やがてはより大きな目醒めが訪れて、そのときようやく今という大きな夢に気づくだろう。かつて未生以前に、どうして生の楽しさが予知できたろう。まだ死にもせぬ今、どうして死の楽しさが予知できるだろう。むかし、公牛哀(こうぎゅうあい)は変化の病に罹(かか)って七日目に虎(とら)になり、兄が戸口から様子をのぞきに入ると、とびかかって殺してしまった。さても、模様が獣となり、爪牙(そうが)とも生えかわるに及んで、気志は心肝につれ、精神は形体につれて変化をとげたのだ。虎になれば人であったことを忘れ、人になれば虎であったことがわからない。両者つぎつぎに背馳(はいち)して、成りかわったものを楽しむばかり。狡猾(こうかつ)とか愚鈍とかの差異こそあれ、いずれが是であるか非であるかは、さだむべき端緒すらつかめない。いったい、水は冬には凝って氷となり、春には融(と)けて水となる。氷と水は互いに移り替わり、くるくる環(わ)を描き続けて、はたしていずれが苦であるか楽であるか、そもそも考えることができない。」

「いったい、人が世間にとらわれていると、必ず形体はしばられ、神気は洩れ、さて虚疾(きょしつ)(神気むなしく身体衰弱する病)を免れぬ。己れがしばられるということは、運命を外に預けることである。
 至徳の世では、あやめわかたぬ混沌の中に寝くたれて、天地万物をぶらりと放り出し、東(ひんがし)の野の陽炎(かぎろい)を日時計に見立てては、境界を絶した彼方に浮游(ゆう)したものだ。さてこそ、聖人は、陰陽の気を呼吸し、生きとし生けるものは、なびくが如くに徳を仰いでことごとく心服する。それは、如何(いか)なる管理を加えるまでもなく、暗々のうちに按排(あんばい)がきまって、おのずから円満成就する時代であった。渾々(こんこん)然として、純樸(ぼく)はまだ拡散せずにあり、壮大な一をなしつつ、万物は満ち足りていた。」
「いったい、世間が性命の自然を失うに至った次第は、順を追ってかくまでなり果てたのであって、実に久しい由来が存するのだ。さてこそ、聖人の学問は、性を原初に返し心を虚無に遊ばせようとするのである。達人の学問は、性を遼遠(りょうえん)の彼方につなぎ寂漠の境に目醒めようとするのである。しかるに俗世の学問などは、そうでない。徳や性をむしり去って、内では五臓を痛め外では耳目を労し、さて事物の末梢(しょう)をこねくり、仁義礼楽をふりかざすに至り、これ見よがしに立ちはたらき智をひけらかして、世に名声を馳せるのである。これ、吾人の羞(は)じてなさぬところである。さてこそ、天下をわがものとするよりは、心たのしむのがよい。心たのしむよりは、万物の窮極にさまよい、有と無の境に貫通するのがよい。さてこそ、世を挙げての賞美にも、はた非難にもいっこう動ぜず、死生・栄辱の分かれ目に通達し、たとい大火洪水に天下が覆(おお)われようとも、胸中に神気の欠損を来たしはしないのだ。かかる心には、天下のすべても宙に浮かぶ塵芥(ちりあくた)にすぎぬ。どうして諸物にまみれて千々(ちぢ)に乱れるいとまがあろう。」



「地形訓」より:

「孟諸(もうしょ)は、沛(はい)郡にある。少室山と太室山とは、冀(き)州にある。燭竜は、鴈門(がんもん)の北にあって、委羽(いう)山に蔽(さえぎ)られて、日が見えない。その神は、人面竜身で足がない。后稷壠(こうしょくづか)は、建木の西にある。そこの人は死んでまた蘇(よみがえ)る。その半ばは魚と化してその地方に棲む。流黄沃(りゅうこうよく)の民は、その北方三百里にいる。狗(く)国は、その東にある。雷沢には神がいて、人頭竜身で、腹つづみをうって戯(たわむ)れる。」


「説山訓」より:

「子を嫁にやる人があって、その子に教えていうよう、「お前、行くんだよ、達者でね。できるだけ善行などするんじゃありませんよ」
と。子が問う、
 「善を行なわないとすれば、それじゃ不善を行なうのですか」
と。その人こたえるのに、
 「善行すらもやっちゃいけないんだよ、不善などとんでもない」
と。これが、天器を保全することなのである。」



「説山訓」注より:

「天器 それぞれ天から賦与された本性。天性の善器。」


「説林訓」より:

「一時代の度(基準)をもちいて、天下を制治しようとするのは、譬えてみれば、舟に乗って流れの途中で、自分の剣をおとした客が、あわててその舷側(ふなばた)の板に目印(じるし)をきざんで、日ぐれに岸に近づいてから〔その目印の下を〕捜す、といったようなもの。物の関連をわきまえないこと、この上なしだ。」

「足のふんでいる範囲はわずかなもの、だが足のふまない余地があってこそ歩行できる。智の知りうる範囲はせまいもの、だが知のおよばない未知があってこそ聡明になるのだ。」

「鳥は飛んで郷(くに)(故(ふる)巣)にもどり、兎は走って窟(あな)に帰り、狐は〔巣のある〕丘に頭をむけて死に、寒将(かんしょう)(水鳥の一種)は〔空中低く〕水上を翔(か)ける。それぞれ自分の生まれた場所に愛着するのだ。」

「殤死(わかじに)する子ほど長寿なものはなく、したがって彭祖(ほうそ)は夭折(ようせつ)ということになろう。」

「葉が落とされるのは、風が揺るがすからだ。水が濁ってゆくのは、魚がかき撓(みだ)すからだ。」

「兎糸(とし)(ねなしかずら)は、根がなくて生育し、蛇は、足がなくて走行し、魚は、耳がなくて音をききわけ、蟬(せみ)は、口がなくて鳴く。そうさせる何かがあるのだ。」

「明月(めいげつ)の珠(真珠)は、蠬(あこや貝)の病巣であるが、われわれの利益。虎の爪や象牙は、動物自身の利器であるが、われわれの害となるもの。」



「人間訓」より:

「近ごろ、辺境の塞(とりで)の近くにすむ人に、占いの術にたくみな人がいた。その人の馬が、原因もないのに逃げだして胡(えびす)の地へいってしまった。人はみな慰めに見舞った。父親がいうのに、
 「なに、この災難がきっと幸福になろうよ」
と。そのまま数ヵ月たって、その逃げた馬が、胡地に産する駿馬(しゅんめ)を引きつれて帰ってきた。だれもみんな祝った。その父親は、
 「いや、これがきっと災難のたねになろうよ」
といった。家はかくて良馬にめぐまれた。子どもは馬を乗りまわすのが好きだったが、あるとき落馬して股(もも)の骨を折ってしまった。人はみなこれを見舞った、ところが父親は、
 「なに、この災難が幸運になろうとも」
といった。こうして一年たつうちに、胡(えびす)の軍が大ぜい辺塞(さい)に攻めこんできた。若者たちは弦(げん)(弓づる)を控(は)って防戦したが、塞(とりで)のほとりの人は、十人ちゅう九人まで戦死した。ところが、この股を骨折した若者だけは、跛(びっこ)だという理由で〔戦いにも加えられず〕、父子ともども生命を全うできたのだ。」



「脩務訓」より:

「その昔、晋(しん)の平公は楽官に鐘(しょう)(楽器の一つ)をつくらせた。鐘ができあがったので師曠(しこう)(音律を聴きわける盲人)にためしてもらうと、師曠は、
 「調子があっておりません」
という。平公は、
 「寡人(わたくし)から工人にためさせたところ、だれもが調子は合っているというのに、きみは合っていないと考えるのはどうしてかい」
と。師曠は、
 「後世にわたって音を聞きわける者がでなければそれまでですが、もし音を知る者がでたならば、きっとこの鐘の調子の合わないことを聞きわけるでしょう」
と。」



『説苑』より:

「堯(ぎょう)は、天下のために心をつかい、貧しい人々に関心をよせていた。人民が罪(つみ)せられることを苦痛に思い、すべての生物が生を全うできないことを悲しんだ。一人でも飢えた者がいると、『わたしが飢えさせたのだ』と言った。一人でも凍えた者がいると、『わたしが凍えさせたのだ』と言った。一人でも罪をおかした者がいると、『わたしがそこへ落とし入れたのだ』と言った。」





















































































『荘子 雑篇』 森三樹三郎 訳注 (中公文庫)

「「霊公がなくなったとき、先祖代代の古い墓に葬ろうとして占いを立てたところ、不吉という兆がでた。そこで沙丘という土地に葬ることを占ったら、吉とでた。そこで数十尺ほど掘りさげたとき、石棺があらわれた。洗ってみると、銘がきざまれていて、『わしの子はあてにならぬ。墓守りもできまい。そのうち霊公がこの墓をうばって自分の身を埋めるだろう』とあった。」」
(『荘子 雑篇』 「第二十五 則陽篇」 より)


『荘子 雑篇』 
森三樹三郎 訳注
 
中公文庫  D 11-3 

中央公論社
昭和49年8月10日 初版
昭和54年3月5日 再版
354p
文庫判 並装 カバー
定価420円
表紙・扉: 白井晟一
カバー画: 呉彬



読み下し、口語訳、注釈、内容解説。原文(漢文)は掲載されていません。


荘子 雜篇


カバー裏文:

「〈内篇〉の無為自然に始まった「荘子」は、現世享楽主義ともいうべき盗跖篇を含む〈雑篇〉に発展し、雄大に完結する。総索引付。」


目次:

荘子雑篇
 第二十三 庚桑楚篇
 第二十四 徐無鬼篇
 第二十五 則陽篇
 第二十六 外物篇
 第二十七 寓言篇
 第二十八 譲王篇
 第二十九 盗跖篇
 第三十 説剣篇
 第三十一 漁父篇
 第三十二 列御寇篇
 第三十三 天下篇

解説 (森三樹三郎)
荘子全篇索引(重要語句・人名)




◆本書より◆


「第二十三 庚桑楚篇」より:

「足切りの刑にあって不具になったものが、自分の容貌を飾ろうとしないのは、もはや世間の毀誉(きよ)の評判を気にする必要がないからである。鎖でつながれた囚人が、高いところへのぼっても恐れることがないのは、もはや生きる望みを失い、生死を忘れる心境になっているからである。このように生死の恐れを感じないものや、外聞を恥じないものであってこそ、人間であることを忘れることができるのである。人間であることを忘れることによって、天人――自然の人となることができるのである。同様に、たとえ他人が尊敬してくれても喜ぶことがなく、他人が侮っても怒らないということは、ただ自然の安らかさに同ずるものだけにできることである。」


「第二十四 徐無鬼篇」より:

「そこで魯遽(ろきょ)は二つの琴(こと)を用意して音律をととのえ、一つを堂(テラス)におき、一つを室内においた。一方の琴で宮(きゅう)の音律をならすと、他方の琴もひとりでに宮の音をたて、一方の琴で角(かく)の音律をならすと、他方の琴もひとりでに角の音をたてた。これは音律が同じだから、そうなったのである。
 魯遽はまた、一本の弦の調子を変えた。これは宮商角徴(ち)羽の五音階のどれにも相当しないものである。これをならすと、琴の二十五本の弦がいっせいに音を立てた。この一本の弦も、特別の音声をもつものではないが、このばあいは音声の主役を演じたので、そうなったまでである。」

「足で大地をふむとき、足はその幅だけのひろさをふむものである。だが足の幅だけの土地があればよいというのではなく、足のふまない周囲のあるおかげで、安心して足のふむ範囲をひろげてゆくことができるのである。
 同様に、人間の知識の範囲はせまい。だが、そのせまい知識も、その周囲にひろがる未知の範囲に助けられて、はじめて広大無辺な自然のはたらきを知ることができるのである。
 この広大無辺な世界の根原となっている「大一」――自然の道を知ること。この世界において陰の原理となっている「大陰」――あたえられた天命のままに従うという柔順の原理を知ること。差別の相によってくらまされない「大目」があるのを知ること。万物をすべて均(ひと)しいとみる「大均」の立場を知ること。あらゆる方向に開かれた「大方」の態度を知ること。ありのままの真理を忠実に守る「大信」を知ること。道を体得したものがもつ安らぎである「大定」を知ること。これらの条件をみたしたとき、人知の最高をきわめたことになろう。」





『荘子 内篇』 森三樹三郎 訳注 (中公文庫)
『荘子』 金谷治 訳注 (岩波文庫) 全四冊



こちらもご参照ください:

中野美代子 『奇景の図像学』
































































『荘子 外篇』 森三樹三郎 訳注 (中公文庫)

「あるとき、宋(そう)の元君(げんくん)は画をかかせようとしたことがあった。多くの画工が集まってきたが、命令を受けると一礼して立ちあがり、筆をなめ、墨を調合して、いまやおそしと待ちかまえ、半数のものが室外にあふれるというありさまであった。
 すると、ひとりの画工がおくれてやってきたが、ゆっくりと構えて、走り出すようすもない。命令を受けて一礼したものの、立ちあがって待つこともせず、そのまま宿舎に帰っていった。元君が人をやってようすを見させると、その画工は着物をぬぎ、両足を投げ出し、裸のままで平然としていた。
 これを聞いた元君は「なるほど、これでこそ真の画家というものだ」といった。」

(『荘子 外篇』 「第二十一 田子方篇」 より)


『荘子 外篇』 
森三樹三郎 訳注
 
中公文庫  D 11-2 

中央公論社
昭和49年4月10日 初版
昭和53年3月1日 再版
388p
文庫判 並装 カバー
定価420円
表紙・扉: 白井晟一
カバー画: 郎世寧「柳蔭八駿図」(部分)



読み下し、口語訳、注釈、内容解説。原文(漢文)は掲載されていません。


荘子 外篇


カバー裏文:

「外なる自然を運命と把える内篇の立場をこえて、人間の内なる自然――人間性のあり方を追求する外篇は、老子の思想との親近感を示している。」


目次:

荘子外篇
 第八 駢拇篇
 第九 馬蹄篇
 第十 胠篋篇
 第十一 在宥篇
 第十二 天地篇
 第十三 天道篇
 第十四 天運篇
 第十五 刻意篇
 第十六 繕性篇
 第十七 秋水篇
 第十八 至楽篇
 第十九 達生篇
 第二十 山木篇
 第二十一 田子方篇
 第二十二 知北遊篇

解説 (森三樹三郎)




◆本書より◆


「第八 駢拇篇」より:

「世の中には、常然――常に変わることのない自然の性質というものがある。その常然とは何か。たとえば曲がる本性をもつものは、鉤形(かぎがた)定規をあてるまでもなく自然に曲がり、まっすぐな性質のものは墨縄(すみなわ)をあてるまでもなく自然にまっすぐである。円(まる)くなる性質のものは規(ぶんまわし)の必要はなく、四角になる性質のものは矩(さしがね)の必要はない。自然に固着する性質のものは膠(にかわ)や漆(うるし)を必要としないし、自然にひきしまる性質のものは纆索(なわ)を必要としない。このように天下のものはすべて自然のいざないのままに生まれてくるものであり、なぜそのように生まれてきたのか、理由を知ることもない。すべてがひとしく自己の完成を得ながら、しかもなぜ得たかを意識することがない。」


「第九 馬蹄篇」より:

「太古の赫胥(かくしょ)氏の時代には、民は家にいても何の仕事をしてよいかを知らず、外出しても目的地を知らないという、無知そのもののありさまであり、ただ食物を口にほおばって楽しみ、腹鼓(はらつづみ)をうって遊ぶという生活を送っていた。民にできることといえば、これがすべてであったのである。
 ところが聖人が現われるようになって、礼楽(れいがく)にあわせて身を折りかがめ、これによって天下の民の身ぶりを正そうとしたり、仁義を行なうためにむりに背のびをし、これによって天下の民の歓心を買おうとするようになった。それからというものは、民は心力を尽くして知を追い求めるようになり、争って利におもむくようになって、もはやその勢いをとめることもできなくなった。これまた聖人の過失であるといえよう。」



「第十一 在宥篇」より:

「静かでなく、安らかでない状態は、人間の自然の徳(もちまえ)ではない。自然の徳(もちまえ)をそなえないで、長久の生命を保ちえたものは、天下にひとりとしてないのである。」

「だから、もし君子がやむをえず天下に君臨しなければならないようなことがあれば、無為の政治をするのが最もよい。無為であってこそ、民ははじめて自然の性命(もちまえ)のあるがままに安んずることができよう。」



「第十四 天運篇」より:

「北門成(ほくもんせい)が黄帝にたずねていった。
 「あなたは咸池(かんち)の音楽を、洞庭(どうてい)の野で演奏されました。私は始めて聞いたときには恐ろしさを感じ、二度目に聞いたときには、けだるい思いがし、最後に聞いたときには不思議な気分におそわれて、惑いの心がうまれ、まるで見当もつかず、ことばも出ないありさまで、自分のことがわからないような気もちになりました」
 すると黄帝は答えた。」
「「わしがこの音楽を奏するときは、人間の立場をもととし、それを天道に照応させ、礼義にしたがって演奏をすすめ、その根本を空虚の上に立てるようにしたのだ。
 およそ至高の音楽というものは、まず最初は人情に適応することから始め、次にはこれを天の法則に従わせるようにし、さらにこれを五徳によっておしすすめ、最後は自然の道に順応させるものだ。このようにして始めて四季を順調にし、万物に壮大な調和をもたらすことができるのである。
 だからこの音楽は、四季が次から次へと移るありさま、万物がそれに従って成生するありさまを描写する。あるときは盛んな夏のありさま、あるときは衰えた冬のありさま、あるときは春の恵みをしめす文、あるときは秋のきびしさをしめす武、というように自然のもつ秩序を表現する。あるときは清らかに高いしらべ、あるときは低く濁ったしらべというように、陰陽の調和をあらわし、その音声によどみのない流れと輝きとをあたえるのである。
 冬ごもりの虫が始めて地上にあらわれる春のところでは、わしは雷のひびきをとどろかせて人びとを驚かせる。その演奏を終えるときにも、どこか終わりということもなく、その始めるときも、どこが始めということがない。あるときは死の静けさ、あるときは生の躍動、あるときは地上にたおれ、あるときは立ちあがるありさまをあらわす。一定の法則といえば、変化してきわまりがないということだけで、まったく予想を許さないものである。だから、お前さんは恐ろしさを感じたのだよ」」
「黄帝は、ことばをつづけた。
 「わしはまた二度目の演奏のときには、陰陽の調和を主題にし、これを日月のかがやきで明るくしようとした。その調べは長と短、剛と柔を自在に駆使し、変化をきわめながら統一があり、ありきたりの常識にとらわれることがない。
 谷にあえば谷をみたし、穴にあえば穴をみたすというように、あまねく万物にゆきわたって残すところがないが、しかもみずからは感覚の門をとじ、その精神の安らかさを保ち、物の量をそのままわが欲望の量とする。その調べは雷声のとどろきとひろさがあり、その表現は高大明朗である。だから、この音楽の流れるところ、鬼神は幽界にとどまって人間にたたりをすることもなく、日月や星もその正しい運行をつづけて災いをもたらすことがない。
 わしは、この音楽を、時には有限の世界にとどめ、時には無限のかなたに流してゆく。お前さんは、いくらこの調べのゆくえを思いはかろうとしても、それを知ることはできまい。いくら目をやっても、見きわめることはできまい。いくらその跡を追っても追いつけないだろう。ただぼんやりと四方に果てのない道にたたずみ、あるいは古桐(ふるぎり)の机にもたれたまま、うめきにも似た声をあげるほかはあるまい。
 目による知識は、見きわめようとする努力の限界でゆきづまり、足の力は追いすがろうとする努力の限界でつきはてるであろう。もはや自分の力ではどうすることもできない、というほかはない。このように身体のうちに無力感が満ちるようになれば、すべてをなりゆきにゆだねる心境になる。お前さんは、そのなりゆきにまかせる心境になったのだ。だから、けだるい気分になったのだよ」」
「黄帝は最後にいった。
 「わしは三度目に、けだるい気分を一掃する調(しら)べを演奏するとともに、これを天地自然のもつ生命のリズムで和げることにした。すべてが入りまじって次から次へと群り生じ、あたかも林のざわめきにも似た音をたて、一定のかたちをもつことがない。あまねく万物をゆり動かしながら、しかもおのれに従わせようとせず、そのひびきは幽暗であるため、あたかも声なきかのようである。
 それはあらゆる方向に動きまわるかと思えば、また底しれぬ薄暗い世界に身をおく。あるものはこの音楽に死を感じ、あるものはこれに生を感じ、あるものはこれに充実をおぼえ、あるものはこれに形の美しさをおぼえるであろう。それは、あらゆる方向に流転し移動してやまないものであり、一定の音楽の法則に拘束されることがない。そのため、世の人はこの音楽の意味を理解することができず、聖人にうかがいを立てることになるのである。
 聖人とは、あらゆる存在の真の姿を知り、天地の命のままにしたがうものである。かれは自然からあたえられた心身の機能を人為的に増すことはせず、しかも耳目鼻口心の五官のはたらきは完全そのものである。このような状態こそ、天楽――自然がもたらす楽しみであり、自然のおりなす音楽であるといえよう。それは無言のままに心たのしむ境地である。だから上古の聖人である有焱(ゆうえん)氏も、この音楽をほめて次のように歌っている。
 『これを聞こうとしても、その声は聞えない。これを見ようとしても、その形は見えない。天地に満ちあふれ、六方をつつみかくす』
 お前さんはこの音楽を聞きとろうとしたのだが、その耳で感じとることができなかったのだ。そのために不思議な思いにとりつかれて、惑いの心が生まれたのだよ。
 音楽というものは恐れの感じから始まるものだ。恐れを感じるところから、何ものかの祟(たた)りを受けたような不安におそわれる。そこで、わしは次いで、けだるい気分をさそう調べを奏した。けだるい思いがするために、不安の思いから一往のがれることができる。そこで最後には、惑いを起こさせる調べでしめくくった。惑いは無知をさそうものであり、無知こそ自然の道である。道こそ、すべてをその上に載せて、目的の地につれてゆくことができるものである」」





『荘子 雑篇』 森三樹三郎 訳注 (中公文庫)















































































『荘子 内篇』 森三樹三郎 訳注 (中公文庫)

「死の世界に行ったものも、行ってみれば案外に楽しいので、なぜ死ぬ前にあれほど生きることばかり願っていたのだろう、と後悔しないとはかぎるまい」
(『荘子 内篇』 「第二 斉物論篇」 より)


『荘子 内篇』 
森三樹三郎 訳注
 
中公文庫  D 11 

中央公論社
昭和49年3月10日 初版
昭和61年12月25日 7版
213p
文庫判 並装 カバー
定価360円
表紙・扉: 白井晟一
カバー画: 呉杏芬「胡蝶図」(部分)



読み下し、口語訳、注釈、内容解説。原文(漢文)は掲載されていません。


荘子 内篇


カバー裏文:

「「内篇」七篇は、荘子その人の思想を確実にあらわしているとされる。その中心となる「万物斉同の説」(絶対無差別論)は、一切の価値を越えて、何ものにもとらわれない自由思想の極限を示している。」


目次:

荘子内篇
 第一 逍遙遊篇
 第二 斉物論篇
 第三 養生主篇
 第四 人間世篇
 第五 徳充符篇
 第六 大宗師篇
 第七 応帝王篇

解説 (森三樹三郎)




◆本書より◆


「第一 逍遙遊篇」より:

「地上には野馬(かげろう)がゆらぎたち、塵埃(ちり)がたちこめ、さまざまな生物が息づいているのに、空は青一色に見える。あの青々とした色は、天そのものの本来の色なのであろうか。それとも遠くはてしないために、あのように見えるのであろうか。おそらくは後者であろう。とするならば、あの大鵬(たいほう)が下界を見おろした場合にも、やはり青一色に見えていることであろう。」

「「お前さんは、せっかく大木をもちながら、役にたたないことを気にしておられるようだ。それなら、いっそのことこれを無可有(むかゆう)の郷(さと)、広漠(こうばく)としてはてしない野原に植えて、そのかたわらに彷徨(さまよ)いつつ無為にすごし、その木陰でゆうゆうと昼寝したら、どうかね。」」



「第二 斉物論篇」より:

「もしこのような自然の立場、相対差別という人為を越えた立場からみれば、是(こ)れと彼(か)れとの区別はなく、彼れと是れとは同じものになる。たとえ是非を立てるものがあったとしても、彼れは彼れの立場をもととした是非を立てているにすぎず、此(こ)れは此(こ)れの立場をもととした是非を立てているにすぎない。それに、もともと彼れと是れという絶対的な区別がはたして存在するのか、それとも彼れと是れとの区別が存在しないのか、根本的に疑問ではないか。
 このように彼れと是れとが、その対立を消失する境地を、道枢(どうすう)という。」

「世の人は、もともと一つであるはずのものを可と不可に分け、可であるものを可とし、不可であるものを不可としている。だが、それは、ちょうど道路が人の通行によってできあがるように、世間の人びとがそういっているからという理由で、習慣的にそのやり方を認めているにすぎない。
 それでは、かれらは何をそうであるとして是認するのであろうか。世の人が習慣的にそうであるとすることを、そうであるとしているまでのことである。何をそうではないとして否定するのであろうか。世の人がそうではないとすることを、そうではないとしているにすぎない。
 だが、先に述べた無差別の道枢(どうすう)の立場からみれば、あらゆる対立が無意味なものになる。したがって、この立場からすれば、どのような物にも必ずそうであるとして肯定すべきところがあり、可として認められるべきところがある。いいかえれば、いかなる物もそうであるとして肯定されないものはなく、いかなる物も可として是認されないものはない。」
「この自然の道の立場からみれば、分散し消滅することは、そのまま生成することであり、生成することは、またそのまま死滅することでもある。すべてのものは、生成と死滅との差別なく、すべて一つである。」
「自然の作用とは、すべてを通じて一である道のはたらきである。すべてに通じて一であるものを知るとは、道を体得することにほかならない。この道を体得した瞬間に、たちまち究極の境地に近づくことができるのである。
 究極の境地とは何か。是非の対立を越えた是(ぜ)に、いいかえれば自然のままの道に、ひたすら因(よ)り従うことである。ひたすら因り従うだけで、その因り従うことさえ意識しなくなること、これが道の境地である。」

「道に完全と毀損の区別ができるのは、たとえば琴(こと)の名手の昭氏(しょうし)が、琴を奏(かな)でる場合である。琴を奏でる以前の状態は、まだ道が完全な状態にあるときである。ところが昭氏が演奏をはじめるやいなや、道はそこなわれる。昭氏がいくら多くの音を奏でたとしても、それは琴に秘められた無数の音の一部分でしかない。かれは琴を奏でるという人為によって、無限であるべき自然の道に限定を加え、これをそこなっているのである。」

「このようにして、すべては一つである。一つであるとすれば、対立差別を本質とすることばを用いて表現することは不可能であるから、「一つである」ということも、さしひかえなければなるまい。」

「多の世界に向かうことをやめよ。是非の対立を越えた、自然のままの道に従うがよい。」

「いつか荘周(わたし)は、夢のなかで胡蝶(こちょう)になっていた。そのとき私は喜々として胡蝶そのものであった。ただ楽しいばかりで、心ゆくままに飛びまわっていた。そして自分が荘周(そうしゅう)であることに気づかなかった。
 ところが、突然目がさめてみると、まぎれもなく荘周そのものであった。
 いったい荘周が胡蝶の夢を見ていたのか、それとも胡蝶が荘周の夢を見ていたのか、私にはわからない。
 けれども荘周と胡蝶とでは、確かに区別があるはずである。それにもかかわらず、その区別がつかないのは、なぜだろうか。
 ほかでもない、これが物の変化というものだからである。」



「第三 養生主篇」より:

「あるとき庖丁(ほうちょう)が、文恵君(ぶんけいくん)のために牛を料理したことがあった。庖丁の手がふれるところ、肩をゆるがすところ、足のふむところ、膝(ひざ)をかがめるところ、あるいはばりばりと、あるいはざくざくと、刀がたてる音はさえわたり、どれも音楽の調べに合っている。その姿は桑林(そうりん)の舞いもこのようであるかと思わせ、その音は経首(けいしゅ)の楽章の演奏そのままである。
 これを見た文恵君は、「ああ、みごとなものだ。技術もここまでくるものかな」と嘆息した。
 すると、庖丁は刀をおいて答えた。
 「私が好きなのは道でありまして、技術以上のものです。私が牛の料理をはじめましたころは、目に映るものは牛の姿ばかりでした。ところが三年後には、牛の全体の姿がまるっきり目につかないようになりました。
 いまでは、私は心だけで牛に向かっており、目では見ておりません。感覚のはたらきは止まってしまい、ただ心の作用だけが動いているのです。ひたすら自然のすじめのままに刀を動かし、骨と肉とのあいだにある大きなすきまを切り開き、骨節にある大きな穴のところに刀を通し、牛のからだにある自然のすじめを追っておりますから、刀が骨と肉のからみあった難所にぶつかることはありませんし、まして大骨(おおぼね)にあたることはありません。
 腕のよい料理人でも、一年ごとに刀を取り替えますが、それはすじのところを切り割(さ)くことがあるためです。(中略)ところが私の刀は、いまでは十九年になり、料理した牛は数千頭にもなっていますが、まるで砥石(といし)からおろしたてのようで、刃こぼれ一つありません。
 もともと骨の節と節とのあいだにはすきまがあるのですし、刀の刃には厚みというものがありません。厚みのないものを、すきまのあるところへ入れるのですから、いくら刀の刃をふりまわしても、必ずじゅうぶんすぎるほどの余裕があります。
 とは申しますものの、骨やすじがからまり集まっているところに出あいますと、私はこれは手ごわいなとみてとり、いきおい心がひきしまって慎重になり、視線はそこにくぎづけとなって、手の動きもおそくなり、刀のさばきもたいへん微妙になります。やがて、すっかり切り終えますと、ちょうど土のかたまりが地面に落ちるように、肉の山が地上に横たわります。そこで私も刀をぶらさげたまま、あたりを見まわし、しばらくはその場を立ち去らず、少しばかり満足感にひたっている次第ですが、やがて刀をぬぐって収めることになります」」

「「あの先生が、この世に生まれてきたのは、生まれるべきときに偶然にめぐりあったまでのことであり、いまこの世を去って行くのは、たまたま去るべき運命に従うまでのことだ。めぐりあった時のままに安んじ、与えられた運命のままに従っていれば、喜びや悲しみのはいりこむすきはない。」」

「「すべて、物事のなりゆきのままに身をのせて、心を労することなく自由に遊ばせ、やむにやまれぬ必然の運命のままに身をゆだねて、自然のままの中正の道を養うようにすれば、それが最上の道である。何事かを行なって、よい結果を得ようなどと思ってはならない。ただひたすら、天命のままに従うのが、いちばんよい。」」



「第四 人間世篇」より:

「支離疏(しりそ)という男があった。ひどいせむしで、あごが垂れ下がってへそをかくし、両肩は頭のてっぺんよりも高く、頭髪のもとどりが天をさし、五臓は頭の上にあり、両股(もも)が脇腹(わきばら)をはさむ、といったありさまである。
 だが、かれは縫い物や洗たくをすることで、自分の暮らしをたてることができるし、箕(み)をゆすって米とぬかとをえりわける仕事をすれば、十人を養うこともできる。そのうえ、お上(かみ)が兵士を徴集するようなときでも、かれは不具者で徴兵免除になるから、大手をふって人なかをあるきまわることができる。また、お上が大工事のための人夫を徴発するときにも、かれは不具者であるために、仕事の割当てを受けることがない。逆に、お上が病人に食糧の施しをするときには、三鍾(しょう)の食糧と、十束の薪(たきぎ)をいただくことになる。」

「やめよ、やめよ、徳をもって人に臨むことを。
あやういかな、あやういかな、礼儀をもって人を縛ろうとすることは。」



「第六 大宗師篇」より:

「ところが突然、子輿(しよ)が病気になった。子祀(しし)が見舞いに行くと、子輿はこういった。
 「造物者というのは偉大なものだな。わしをこんな曲がりくねった身体にしてしまったよ」
 なるほど、背はひどいせむしになり、五臓は頭の上にきており、あごは垂れ下がって臍(へそ)をかくし、両肩は頭のてっぺんよりも高く、もとどりは天をさす、というありさまであった。このように身体のうちにある陰陽の気は乱れているものの、子輿の心はのんびりして平静そのものであった。よろめきながら井戸ばたに行き、水に姿を映して、つぶやいた。
 「うん、造物者のやつは、よくもここまでわしの身体をひん曲げてしまったものだわい」
 これを見た子祀がいった。
 「お前さんだって、こんなせむしになるのはいやだろう」
 すると、子輿は答えた。
 「いやいや、わしはいやだとは思わないよ。もし造化のはたらきがだんだんにひろがって、わしの左の肘(ひじ)を鶏(にわとり)に化けさせたなら、ひとつ鶏になって時を告げてみようではないか。(中略)また造化のはたらきが次第にひろがって、わしの尻を車輪に化けさせ、わしの心を馬に化けさせたなら、ひとつそれに乗ってみようではないか。馬車の世話にならなくてすむよ。
 それに、人間がこの世に生を得るというのは、生まれるべき時にめぐりあったまでのことであり、その生を失って死んでゆくのは、死すべき運命に従うまでのことだ。めぐりあった時のままに安んじて逆らわず、与えられた運命のままに従っていれば、哀楽の情がはいりこむ余地はない。このような境地を、昔の人は県解(けんかい)――生死の束縛からの解放とよんでいた。それにもかかわらず、なおこの束縛から解放されないとすれば、その心に外界の物が結びついているからだ。
 だが、その物も、天命に勝つことはできず、やがては消え去ってゆくのが昔からの定めである。その束縛は必ず解ける時がくるのだから、わしは運命を憎んだりはしないつもりだ」」

「「奇人――風変わりな人間というのは、どのような人間をいうのでしょうか」
 「奇人というのは、ふつうの人間とはちがっているが、天とひとしい人間、つまり自然のままの人間のことである。」」

「「考えてみれば、自分ではこれが変化だと思いこんでいることが、実は少しも変化していないことであったり、まだ変化していないと信じていることが、実はすでに変化してしまっていることだってあるのだ。このような話をしている私だって、お前といっしょに夢を見ていて、その夢からさめていないのかもしれない。」」



「第七 応帝王篇」より:

「「ところが泰(たい)氏は、その眠るときは安らかに眠り、目ざめるときは目を見ひらくばかりで、ものを思うことがない。自分が人間であることさえ忘れ、あるときは自分が馬であるかと思い、あるときは牛ではないかと思いまどう始末である。それゆえにこそ、泰氏の知は真実をつかみ、その徳は天真そのものである。だから舜(しゅん)のように、人の是非を区別するという境地に陥ることがなかったのだ」」

「このことがあってのち、列子は自分の学問がまったくなっていないことをさとり、そのまま家に帰った。そして三年間というものは、ひきこもったままで、一歩も外に出ることがなかった。妻のために炊事をしてやり、豚を飼うにもまるで人間を養うようにたいせつにして、差別の心を去るようにつとめ、特定のことだけに心をひかれて親しむことがないようにした。
 このようにして人為を削り去って素朴の状態にかえり、まるで心のない土くれのような姿をしたまま立ち、すべてを混沌(こんとん)にゆだね、そのまま生涯(しょうがい)を終えた。」

「南海の帝を儵(しゅく)といい、北海の帝を忽(こつ)といい、中央の帝を渾沌(こんとん)という。
 あるとき儵と忽とが、渾沌のすむ土地で出会ったことがある。主人役の渾沌は、このふたりをたいへん手厚くもてなした。感激した儵と忽とは、渾沌の厚意に報いようとして相談した。
 「人間の身体にはみな七つの穴があって、これで、見たり、聞いたり、食ったり、息をしたりしている。ところが、渾沌だけにはこれがない。ひとつ、穴をあけてあげてはどうだろうか」
 そこでふたりは、毎日一つずつ、渾沌の身体に穴をあけていったが、七日目になると渾沌は死んでしまった。」





『荘子 内篇』 森三樹三郎 訳注 (中公文庫)



◆今日の一枚◆


Yes - Going for the One (1977)




物質文明に闘いを挑むニューエイジ裸男。「さあ、今度はおれとお前の勝負だ!」。

季節の変り目や年末年始は精神的に不安定になりがちなので、ひきこもって過ごすことにしていますが、よく考えたらわたしは一年中ひきこもっているので、もうこれ以上はひきこもれない……いや、ひきこもりの限界点を超えたところでさらにひきこもることによってひきこもりの地力を上げる、それを今年の目標にしてもいいし、しなくてもよいです。精神的に不安定なので頭も混乱しています。
そんなときには子どものころに好きだったものごとに没頭するのが精神衛生上よいので、年末年始は「イエス」をきいてすごしました。YouTube にはライブ映像&音源がいっぱいあがっているし、ライノからは1972年のライブだけを集めた14枚組CDなども出ているのでたいへん有難いです。
「ピンク・フロイド」「キング・クリムゾン」「マグマ」なども好きなのですが、それらに没頭すると鬱状態が加速しそうなので、やはり「イエス」が肯定的かつ楽天的でよいのではないでしょうか。ことに『究極』(Going for the One)はタオイズムというかネオプラトニズムというかニューエイジ思想にかこつけた壮大なラブソングなので、ELPでいえば『ラブビーチ』みたいなものですが、いや、『ラブビーチ』はイエスでいえば『トーマト』ですが、しかしそれはどうでもよいです。
イエスといえばロジャー・ディーンによるSF山水画ふうイラストが呉彬(中公文庫版『荘子』雑篇のカバーに使用されています)みたいでかっこいいですが、『究極』のヒプノシス(三面見開きジャケ)もこれはこれでよいです。
ちなみにいうとわたしが好きなイエスの人はスティーヴ・ハウですが、よくきくアルバムは『イエスの世界(ファースト・アルバム)』と『時間と言葉』です。そして好きなイエスの曲は「エヴリデイズ」「アイ・シー・ユー」「おれ達にはチャンスも経験もいらない」(これは曲はそれほどでもないですがタイトルがタオイスト的ですばらしいです)それと「アメリカ」ですが、よく考えたら全部カバー曲(しかもアメリカ人の)ではありませんか。



























































































































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

Koro-pok-Guru
Away with the Fairies

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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