『唐宋伝奇集 (上)  南柯の一夢 他十一篇』  今村与志雄 訳  (岩波文庫)

「「彼女は人間ではなかった」」
(「妖女任氏の物語」 より)


『唐宋伝奇集 (上) 
南柯の一夢 
他十一篇』 
今村与志雄 訳
 
岩波文庫 赤/32-038-1 

岩波書店
1988年7月18日 第1刷発行
300p
文庫判 並装 カバー
定価500円



本書「凡例」より:

「この『唐宋伝奇集』は、中国でいう「古小説(こしょうせつ)」のうち、唐、宋の、いわゆる「伝奇」(伝奇物語)から選択して翻訳し、注をつけたものである。」
「上、下の二分冊から成る。」
「上には、唐代初期から唐代中期の、元稹(げんしん)、白居易(はくきょい)が活躍したころまでの代表的な作品を収めた。」
「訳注では、冒頭の注に、その作品の作者小伝、作品解題、版本を記し、最後の注に先行する作品との関連、後世への影響、作品の評価などを記した。」



本文中図版9点、「訳注」に参考図版6点。


唐宋伝奇集 上 01


カバー文:

「『南柯の一夢』の主人公は官僚を嘲笑する自由人である。そういう男が役人になって栄達の限りをつくし、得意と失意をたっぷりと味わう。味わったところで夢からさめ、槐の根もとを掘るとどうだろ、夢みたとおりの小さな蟻の王国があったのだ。唐代伝奇の面白さは、幻想を追っているようで実は深く現実の人間の本質をついているところにある。(全2冊)」


目次:

凡例

1 白い猿の妖怪――補江総白猿伝(ほこうそうはくえんでん) (無名氏)
2 倩娘(せんじょう)の魂――離魂記 (陳玄祐(ちんげんゆう))
3 邯鄲(かんたん)夢の枕――枕中記(ちんちゅうき) (沈既済(しんきせい))
4 妖女任(じん)氏の物語――任氏伝 (沈既済)
5 竜王の娘――柳毅(りゅうき) (李朝威(りちょうい))
6 紫玉の釵(かんざし)――霍小玉伝(かくしょうぎょくでん) (蔣防(しょうぼう))
7 南柯(なんか)の一夢――南柯太守伝 (李公佐(りこうさ))
8 敵討(かたきう)ち――謝小娥伝(しゃしょうがでん) (李公佐)
9 鳴珂曲(めいかきょく)の美女――李娃伝(りあでん) (白行簡(はくこうかん))
10 夢(ゆめ)三題――三夢記 (白行簡)
11 長恨歌(ちょうごんか)物語――長恨歌伝 (陳鴻(ちんこう))
12 鶯鶯(おうおう)との夜――鶯鶯伝 (元稹(げんしん))

訳注



唐宋伝奇集 上 02



◆本書より◆


「倩娘の魂」より:

「そのまま夫妻は同行して衡州へ帰った。
 到着すると、王宙がひとり、さきに張鎰の家に行き、勝手に結婚した事を打明けてわびた。
 だが、張は不思議がった。
 「倩娘は、この数年、部屋で病床に臥したままだ。なぜとんでもない嘘を言うのか!」
 「いま、船に乗っています」
 張は、大変驚き、急ぎ人をやってたしかめさせた。その言葉どおり、倩娘が船に乗っており、にこやかな顔をして、使者に訊ねた。
 「お父様はお変りありません?」
 使用人は不思議な事だと思って、とんで帰って張に報告した。
 部屋の中にいた娘は、その話を聞くと、うれしそうに起きあがり、化粧をして衣服をあらため、笑顔を見せたが、無言のまま、外に出て迎えた……二人の倩娘は、たちまち合体して一つの身体になったが、その衣裳は、一つにならずに二重にかさなっていた。」



































































































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『唐宋伝奇集 (下) 杜子春 他三十九篇』 今村与志雄 訳 (岩波文庫)

「「現在、道路を通行している者は、人間と鬼(き)がそれぞれ半分を占めていて、自分では見分けられないだけだ」」
(「赤い縄と月下の老人――定婚店」 より)


『唐宋伝奇集 (下) 
杜子春 他三十九篇』 
今村与志雄 訳
 
岩波文庫 赤/32-038-2 

岩波書店
1988年9月16日 第1刷発行
384p
文庫判 並装 カバー
定価550円



本書「凡例」より:

「この『唐宋伝奇集』は、中国でいう「古小説(こしょうせつ)」のうち、唐、宋の、いわゆる「伝奇」(伝奇物語)から選択して翻訳し、注をつけたものである。」
「上、下の二分冊から成る。」
「下には、唐代中期から唐代末期、五代を経て宋代までの代表的な作品を選んだ。」
「訳注では、冒頭の注に、その作品の作者小伝、作品解題、版本を記し、最後の注に先行する作品との関連、後世への影響、作品の評価などを記した。」



上田秋成「夢応の鯉魚」、森鴎外「魚玄機」、芥川龍之介「杜子春」、中島敦「山月記」等の元話をはじめ、蛇含草や自来也の元ネタやホウキにのって空を飛ぶ女の人の話など、比較文学的に興味深い話が収録されています。

本文中図版2点、「訳注」に参考図版7点。


唐宋伝奇集 下


カバー文:

「唐宋伝奇の源流は六朝時代の怪異譚に求められるが、唐代になると、意識的に奇異なものを追求して曲折に富む複雑な筋立てにし、修辞も凝るようになる。こうして文学と呼ぶにふさわしい創作ジャンルが確立する。武田泰淳は、これを、ヨーロッパの近代的短篇にも劣らぬ、常に新しさを失わぬ芸術品の結晶であるといった。」


目次:

凡例

13 杜子春(とししゅん) (牛僧孺(ぎゅうそうじゅ))
14 杵、燭台、水桶、そして釜――元無有(げんむゆう) (牛僧孺)
15 みかんの中の楽しさ――巴邛人(はきょうじん) (牛僧孺)
16 冥界からもどった女――斉饒州 (牛僧孺)
17 同宿の客――辛公平上仙 (李復言(りふくげん))
18 魚服記――薛偉(せつい) (李復言)
19 赤い縄(つな)と月下の老人――定婚店(ていこんてん) (李復言)
20 則天武后(そくてんぶこう)の宝物――蘇無名(そむめい) (牛粛(ぎゅうしゅく))
21 竜女の詩会――許漢陽(きょかんよう) (谷神子(こくしんし))
22 飛天夜叉――薛淙(せつそう) (谷神子)
23 白蛇の怪――李黄(りこう) (谷神子)
24 碁をうつ嫁と姑――王積薪(おうせきしん) (薛用弱(せつようじゃく))
25 玻璃(はり)の瓶子(へいじ)――胡媚児(こびじ) (薛漁思(せつぎょし))
26 女将(おかみ)とろば――板橋三娘子(はんきょうさんじょうし) (薛漁思)
27 山の奥の実家――申屠澄(しんとちょう) (薛漁思)
28 蒼(あお)い鶴――戸部令史妻 (戴孚(たいふ))
29 巨獣――安南猟者 (戴孚)
30 鄭四娘(ていしじょう)の話――李黁(りどん) (戴孚)
31 嘉興(かこう)の綱渡り――嘉興縄技 (皇甫(こうほ)氏)
32 都(みやこ)の儒士――京都儒士 (皇甫氏)
33 腕だめし――僧俠 (段成式(だんせいしき))
34 旁〓(ぼうい)とその弟――新羅 (段成式)
35 葉限(しょうげん)――中国のシンデレラ (段成式)
36 形見の衣――陳義郎(ちんぎろう) (温庭筠)
37 再会――楊素(ようそ) (孟棨)
38 崔護(さいご)と若い娘――崔護 (孟棨)
39 麵をとかす虫――消麵虫 (張読(ちょうどく))
40 李徴(りちょう)が虎に変身した話――李徴  (張読)
41 崑崙人(こんろんじん)の奴隷――崑崙奴 (裴鉶(はいけい)
42 空を飛ぶ俠女――聶隠娘(しょういんじょう) (裴鉶)
43 女道士魚玄機(ぎょげんき)―― 緑翹(りょくぎょう) (皇甫枚)
44 犬に吠えられた刺客――李亀寿(りきじゅ) (皇甫枚)
45 詩人の男伊達――張祜(ちょうこ) (馮翊子(ふうよくし))
46 奇譚二則――画工・番禺書生 (逸名)
47 つばめの国の冒険――王榭(おうしゃ) (逸名)
48 真珠――狄(てき)氏 (廉布)
49 日銭(ひぜに)貸しの娘――大桶張氏(だいとうちょうし) (廉布)
50 居酒屋の女――呉小員外 (洪邁(こうまい))
51 壁に書かれた字――太原意娘 (洪邁)
52 怪盗我来也(がらいや)――我来也 (沈俶(しんてき))

訳注
解説




◆本書より◆


「みかんの中の楽しさ」より:

「巴邛(はきょう)の、その姓名は知らないが、ある人の家にはみかん園があった。霜がおりたあとだから、みかんはのこらず取り入れたのに、大きなみかんが二つのこっていた。大きさは、三斗入りの鉢(はち)ほどもあった。
 巴(は)の人は不思議がって、早速、のぼって摘(と)らせた。重さはふつうのみかんと変らなかった。
 割ってみると、どちらにも二人の老人がいた。ひげも眉も真白だが、肌が赤みがかって潤いがあり、向いあって象棋(しょうぎ)をさしていた。身長は一尺あまりで、平然と談笑し、みかんを割ったあとも、驚きも恐(こわ)がりもしないで、互いに品物を賭けてさしているのである。」



「竜女の詩会」より:

「中庭には、高さ数丈あまりの珍しい樹木が植えてあり、幹(みき)は、梧桐に似ているが、葉は、芭蕉のようであった。紅い花が、樹の一面についていて、斗(ます)か盎(はち)ほどの大きさの莟が、酒宴の席の正面にあった。
 若い娘が、酒杯を執って会釈し、腰元が、鸚鵡に似た鳥を一羽、ささげて来て、酒席の前の欄杆に置いた。鳥が、一声鳴くと、樹の花が、同時に開き、芳香があたりに漂った。
 花の一つ一つに、身長一尺あまりの美女がいた。なよやかな綺麗な姿態、長くひきずった衣服が、それぞれ、いかにも似つかわしかった。
 ありとあらゆる楽器が全部そろっていた。その鳥が再拝すると、若い娘が酒杯をあげ、それぞれの楽器が一斉に鳴り出して、さえざえとして軽妙で、縹渺と神仙の世界に入ったのであった。
 酒が一まわりしたばかりなのに、もう夜で、月の色はまだ明るかった。娘たちは、人間世界にはあり得ぬことばかり語っていて、漢陽には推測できなかった。しばしば、漢陽が、人間世界の事をひきあいに出してまぜかえすと、娘たちは一言も応答しなかった。
 楽しい酒宴は、二更すぎになって、終了した。その樹の花が、ぱらぱらと池の中に落ち、人も落ちて、たちまち、どこへ行ったか判らなくなった。」



「飛天夜叉」より:

「「わしが二十歳のときだった。本土から離れた辺境の国へ旅をするのが好きでな。薬を服用して五穀を食わず、北へ、居延(きょえん)に着いた。海から四、五十里のところだ。
 その日、明るくなったころ、わしが十数里行ってから、日が出かかった。
 突然、枯れた立ち木が見えた。高さが三百丈あまり、太さは数十囲あって、幹の中は空(から)になっていた。
 わしは根の下から内部を窺(のぞ)いた。まっすぐ上へ、なかは明るく天に通じており、人が入れたね。
 さらに北へ、数里行った。遠くから女が一人、緋の裙を着、素足で二の腕までむき出したまま、頭髪はばらばらにふり乱して、走って来た。風のようにはやかった。次第に近づくと、女がこう言った。
 『生命を助けてくれる?』
 『どうしたんだ?』と聞きかえしたら、
 『あとから、人が追いかけて来るの。見なかったとだけ言ってくれたら、とってもありがたいわ』
と返辞した。
 まもなく、そのまま枯木の中に入っていった。
 わしが、そあれからさらに四、五里行くと、突然、甲(うまよろい)をつけた馬に乗り、黄金の衣を着て、弓や剣など武器を携帯した武者が現れた。稲妻のように走ってきたね。(中略)あるいは空中を、あるいは地上を走って、足なみは一様だった。わしの前に来て、こう言った。
 『これこれしかじかの風采の者を見なかったか?』
 わしは、
 『見ませんでした』
と言ったが、
 『かくしてはいけない』
といった。
 『あいつは人間ではない。飛天夜叉なのだ。仲間が数千もいて、連続して天上の各界で人を傷つけた。(中略)いまや、すでに全部捕えて仕置したが、あいつだけはもっとも手ごわくて、まだ捕えていない。(中略)老師よ、きゃつをかばわないでくれ』
 わしはそこで詳しく話してきかせた。
 まもなく、枯木のところに着いた。わしは戻って見物した。天の使者は、馬から下り、木に入り、様子をうかがった。ふたたび馬に乗るや、空に駆けのぼり、木の周囲をまわりながら上っていった。人馬が木の半分ぐらいまで行ったとき、木の上から、緋色の点が走り出るのが見えた。人と馬がそれを追いかけ、七、八丈ばかり去って、次第に高空に入り、紺碧の空の中に没した。
 しばらくたってから、三、四十滴、血が落ちてきた。多分、すでに矢にあたっていたのだろうと思う。」」



「白蛇の怪」より:

「馬に乗ると、下男は、李黄が異常になまぐさい臭いがすることに気がついた。が、そのまま屋敷に戻った。どこに幾日もかくれていたのかと訊ねられたが、ほかの話に言いまぎらわした。だが、身体がだるくて頭がぐらぐらする感じがして、夜具をかけさせて就寝した。
 かねてから、鄭(てい)家の息女を妻と定めていたが、その鄭氏が側にいて、彼に告げた。
 「あなたの任命はもう無事にすんでおり、昨日、吏部に出頭して手続をする筈でしたのに、あなたを捜しても見つかりませんでしたから、二番目の兄がかわりに出頭して、手続きをすませました」
 李黄は、感謝している旨、答えた。
 まもなく、鄭氏の兄が来て、先日からどこへ行っていたのかと詰問した。だが、李黄は、そのときは、すでに精神が朦朧としてとりとめのないことばかり口ばしった。妻に向って、
 「わたしは駄目だ」
と言った。
 口はきいていたけれども、夜具の下の身体は次第にとけてゆく感じがした。夜具をもちあげてよく視ると、空しく水がたまっているだけで、頭だけ存在していた。」



「巨獣」より:

「都護の使者が、平らな岩場のところに着くと、巨獣は、骨だけが全部のこっていた。都護は、骨を一節取って、十人がかりでかついで来させた。骨には穴があって、人が通りぬけられた。」


「鄭四娘の話」より:

「李がきいた。
 「誰だい、夜来たのは?」
 「あなたは、まさか鄭四娘(ていしじょう)を忘れたんじゃないでしょうね?」
という答えがかえってきた。
 李が、かねてから忘れられないでいる女である。その言葉を聞くなり、あわてて、喜びのあまり飛び起きて、たずねた。
 「鬼(き)かい、それとも人間かい?」
 声が答えた。
 「わたしは鬼(き)なの」
 近づこうとしたが、できなかった。」



「嘉興の綱渡り」より:

「唐の開元(かいげん)のころ、各州や各県ではしばしば勅令によって催し物が開かれた。
 嘉興(かこう)県では、監司とともに、さまざまな演芸で技(わざ)の優劣をきそい、監官はこの事に特に関心を払っていた。
 その日、当番の牢屋役人が、獄中でこう語った。
 「もし出し物が県司より劣ったなら、おれたちはきっときびしく叱られる、だが、一つでもいくらか出来栄えがよかったなら、しこたま儲けられる。ところが、残念ながら芸がない」
 そこで銘々訊ねていって、瓦をつかい、木に登る技まで、なんによらず推薦するよう求めた。
 獄中にいた囚人の一人が、笑いながら役人に言った。
 「私は拙ない技を心得ていますが、拘禁されておりますため、この技がご覧にいれられません」
 役人がびっくりして言った。
 「なにができるのだ?」
 囚人、
 「綱渡りができます」
 役人、
 「それに間違いがないなら、お前のためにそのことを話してやろう」
 そこで囚人の特技を詳しく監主に報告した。
 監主は、囚人を召し出して罪の軽重を質問した。役人が言った。
 「この囚人は、借金の未返済に連坐しただけで、そのほかは、なに事もしておりません」
 監主、
 「綱渡りは、ありふれた技だ。なにか変った趣向でもなければなあ」
 囚人、
 「私のやる芸は、人と少々違っております」
 (中略)
 「私は、ほぼ指の太さほどの、長さ五十尺の綱が一本いるだけで、端をつなぐ必要がなく、空中にほうりあげ、これによじのぼってひっくりかえったり、跳ねたり、どんなことでもやります」
 監主は、すっかり驚き、喜んだ。それで囚人の名を出演者のなかに登録させた。
 (中略)
 いろいろな芸が行われて、つぎに、その囚人を呼び、綱渡りを演じさせた。
 百尺あまりの綱を一かたまりにして持って、地面に置き、一方の端を持って、空中にほうり投げると、筆のように真直ぐ突っ立った。
 最初は、二、三丈の高さまでほうり、つぎは、四、五丈になり、人が牽いているように垂直に上へのびていったから、見物の人はびっくり仰天して不思議がった。
 その後、高さ二十余丈までほうりあげ、空中を仰ぎみると、綱の端が見えなかった。
 囚人は綱をつたってよじ登った。身体が地面からまったく離れたまま、綱を虚空(こくう)へほうりつづけた。その勢は鳥のようで、はるか彼方へ、高く遠く飛び、空を目指して去った。」














































































































































『蘇東坡詩選』 小川環樹・山本和義 選訳 (岩波文庫)

「人生識字憂患始
人生(じんせい) 字(じ)を識(し)るは 憂患(ゆうかん)の始(はじ)め」

(蘇東坡 「石蒼舒醉墨堂」 より)


『蘇東坡詩選』 
小川環樹・山本和義 選訳
 
岩波文庫 赤/32-007-1 

岩波書店
1975年1月16日 第1刷発行
1988年8月16日 第11刷発行
369p 別丁口絵(モノクロ)2p
文庫判 並装 カバー
定価550円



本書「凡例」より:

「蘇軾(そしょく)の詩百一首と賦(ふ)二篇を選んで訳注し、詩は制作順に排列し、賦を巻末に付した。」


蘇東坡詩選 01


カバー文:

「2度の流罪を頂点に波瀾を余儀なくされたその生涯にもかかわらず、もちまえの明朗闊達さを失わなかった宋代の代表的詩人蘇軾(1036―1101)の詩選。ユーモアを含む軽快で知的な初期の詩風から奥深い光を放つ晩年の精深華妙な詩境まで常に成長しつづけたこの詩人の全貌を余すところなく伝える。飄逸清雄な詩風は読者を魅了してやまない。」



目次:

口絵
 赤壁の賦(部分) 蘇軾筆跡

凡例

初(はじ)めて嘉(か)州を発す
江上 山を看(み)る
荊(けい)州 十首(其の四)
辛丑(しんちゅう)十一月十九日、既に子由(しゆう)と鄭(てい)州西門の外(そと)に別れ、馬上にて詩一篇を賦(ふ)して、之(これ)に寄す
子由(しゆう)の「澠池懐旧(べんちかいきゅう)」に和(わ)す
石鼓(せっこ)
子由(しゆう)が除日(じょじつ)に寄せられしに次韻(じいん)す
子由(しゆう)の「岐下(ぎか)」の詩に次韻(じいん)す 并(なら)びに引(いん)(荷(はす)の葉(は)、柳)
九月二十日、微雪(びせつ) 子由(しゆう)を懐(おも)う 二首(其の一)
歳晩(さいばん) 相与(あいとも)に餽歳(きさ)と為(な)し、酒食(しゅし) 相邀呼(あいようこ)するを別歳(べつさい)と為(な)し、除夜(じょや)に至り旦(あした)に達して眠(ねむ)らざるを守歳(しゅさい)と為(な)す。蜀(しょく)の風俗 是(かく)の如(ごと)し。余(よ) 岐下(きか)に官して、歳暮(さいぼ) 帰(き)を思いて而(しか)も得可(うべ)からず。故(ゆえ)に此の三詩を為(つく)りて、子由弟(しゆうてい)に寄(よ)す(其の三 守歳(しゅさい))
子由(しゆう)の「踏青(とうせい)」に和(わ)す
大秦寺(たいしんじ)
華陰(かいん)にて子由(しゆう)に寄(よ)す
石蒼舒(せきそうじょ)の酔墨堂(すいぼくどう)
穎(えい)州にて初(はじ)めて子由(しゆう)に別る 二首(其の二)
穎口(えいこう)を出(い)でて初(はじ)めて淮山(わいざん)を見る。是(こ)の日 寿(じゅ)州に至る
金山寺(きんざんじ)に遊ぶ
子由(しゆう)に戯(たわ)ぶる
除夜(じょや) 都庁に直(ちょく)す。囚繋(しゅうけい) 皆(みな)満(み)ち、日莫(にちぼ) 舎(しゃ)に返(かえ)るを得ず。因(よ)りて一詩を壁に題(だい)す
蔡準郎中(さいじゅんろうちゅう)の「邀(むか)えられて西湖(せいこ)に遊ぶ 三首」に和(わ)す(其の三)
六月二十七日、望湖楼(ぼうころう)にて酔(よ)いて書(しょ)す五絶(ぜつ)(其の一、二、五)
臨安(りんあん)の浄土寺(じょうどじ)に宿(しゅく)す
望海楼(ぼうかいろう)晩景(ばんけい) 五絶(ぜつ)(其の二、三)
法恵寺(ほうえじ)の横翠閣(おうすいかく)
湖上に飲(うたげ)せしが初(はじ)めは晴(は)れ後(のち)は雨(あめ)ふれり 二首
新城(しんじょう)の道中 二首(其の一)
病中 祖塔院(そとういん)に遊ぶ
八月十五日、看潮(かんちょう) 五絶(ぜつ)(其の三)
海会寺(かいえじ)に宿(しゅく)す
除夜(じょや) 常(じょう)州の城外に野宿(やしゅく)す 二首(其の一)
永楽(えいらく)を過(よぎ)れば、文(もん)長老 已(すで)に卒(しゅつ)せり
去年の秋、偶(たま)たま宝山(ほうざん)の上方(じょうほう)に遊び、一小院に入(い)る。閴然(げきぜん)として人(ひと)無く、僧の几(き)に隠(よ)りて頭(こうべ)を低(た)れて書を読む有り。之(これ)と語るに漠然(ばくぜん)として甚(はなは)だしくは対(こた)えず。其の隣(となり)の僧に問うに、曰(いわ)く、「此(こ)れ雲闍梨(うんじゃり)なり。出(い)でざること十五年なり」と。今年六月、常(じょう)・潤(じゅん)より還(かえ)りて、復(ま)た其の室(しつ)に至れば、則(すなわ)ち死葬して数月なり。詩を作りて其の壁に題(だい)す
雪後 北台(ほくだい)の壁に書(しょ)す 二首(其の一)
文与可(ぶんよか)の「洋川(ようせん)の園地 三十首」に和(わ)す(其の一 湖橋(こきょう))
常山(じょうざん)の絶頂(ぜっちょう) 広麗亭(こうれいてい)に登る
子由(しゆう) 将(まさ)に南都(なんと)に赴(おもむ)かんとし、余(よ)と逍遙堂(しょうようどう)に会宿(かいしゅく)して、両絶句(ぜっく)を作る。之(これ)を読むに殆(ほとん)ど懐(おもい)を為(な)す可(べ)からず。因(よ)って其の詩に和(わ)し、以て自(みずか)ら解(と)く。余(よ) 子由(しゆう)を観(み)るに、少(わか)き自(よ)り曠達(こうたつ)にして、天資(てんし) 道(みち)に近く、又(ま)た至人(しじん)の養生長年(ようせいちょうねん)の訣(けつ)を得たり。而(しか)して余(よ)も亦(ま)た窃(ひそ)かに其の一二(いちに)を聞けり。以為(おもえ)らく、今者(いま) 宦遊(かんゆう)して相別(あいわか)るる日は浅くして、異時(いじ) 退休(たいきゅう)して相従(あいしたご)うの日は長からんと。既(すで)に以て自(みずか)ら解(と)き、且(か)つ以て子由(しゆう)を慰(なぐさ)むと云(い)う
呂梁(りょりょう)の仲屯田(ちゅうとんでん)に答う
中秋(ちゅうしゅう)の月 三首(其の二)
月夜(げつや) 客(かく)と酒を杏花(きょうか)の下(もと)に飲む
徐(じょ)州を罷(や)めて南京(なんけい)に往(ゆ)かんとし、馬上に筆を走らせて子由(しゆう)に寄す 五首(其の一、四)
舟中 夜(よる)起(お)く
予(よ) 事(こと)を以て御史台(ぎょしだい)の獄(ごく)に繋(つな)がる。獄吏(ごくり) 稍(や)や侵(おか)さる。自(みずか)ら度(はか)るに 堪(た)うること能(あた)わず、獄中に死して、子由(しゆう)と一別するを得(え)じと。故(ゆえ)に二詩を作りて、獄卒(ごくそつ)の梁成(りょうせい)に授(さず)け、以て子由(しゆう)に遺(おく)る 二首
御史台(ぎょしだい)の楡(ゆ)・槐(かい)・竹(ちく)・柏(はく) 四首(其の三 竹)
十二月二十八日、恩を蒙(こうむ)りて検校水部員外郎(けんこうすいぶいんがいろう)・黄州団練副使(こうしゅうだんれんふくし)を責授(せきじゅ)せらる。復(ま)た前韻(ぜんいん)を用う 二首
梅花(ばいか) 二首
初(はじ)めて黄(こう)州に到る
正月二十日、岐亭(きてい)に往(ゆ)く。郡の人(ひと) 潘(はん)・古(こ)・郭(かく)の三人 余(よ)を女王城東(じょおうじょうとう)の禅荘院(ぜんそういん)に送る
東坡(とうば) 八首 并(なら)びに叙(じょ)
 (叙)
 (其の一)
 (其の二)
 (其の三)
 (其の四)
 (其の五)
 (其の六)
 (其の七)
 (其の八)
正月二十日、潘(はん)・郭(かく)二生と郊(こう)に出(い)でて春を尋(たず)ぬ。忽(たちま)ち 去年の是(こ)の日、同じく女王城(じょおうじょう)に至りて詩を作れるを記(き)し、乃(すなわ)ち前韻(ぜんいん)に和(わ)す
寒食(かんしょく)の雨 二首
西林(さいりん)の壁に題す
興国(こうこく)自(よ)り筠(いん)に往(ゆ)き、石田駅(せきでんえき)の南二十五里の野人(やじん)の舎(いえ)に宿(やど)る
去歳(きょさい)九月二十七日、黄(こう)州に在(あ)りて子(こ)を生(う)めり。名は遯(とん)、小名(しょうめい)は幹児(かんじ)。頎然(きぜん)として穎異(えいい)なりき。今年七月二十八日に至り、病(や)んで金陵(きんりょう)に亡(ぼう)ず。二詩を作りて之(これ)を哭(こく)す(其の二)
荊公(けいこう)の韻(いん)に次(じ)す 四絶(ぜつ)(其の二、三)
孫莘老(そんしんろう) 墨(すみ)を寄せらる 四首(其の四)
海市(かいし) 并(なら)びに叙(じょ)
文与可(ぶんよか)の墨竹(ぼくちく)に書(しょ)す 并(なら)びに叙(じょ)
恵崇(えすう)の「春江暁景(しゅんこうぎょうけい)」 二首
杜介(とかい) 魚(うお)を送らる
呂行甫司門(りょこうほしもん)の河陽(かよう)に倅(さい)となるを送る
王(おう)郎子立(しりゅう)の「風雨 感(かん)有り」に次韻(じいん)す
子由(しゆう)の契丹(きったん)に使(つかい)するを送る
袁公済(えんこうせい) 劉景文(りゅうけいぶん)の「介亭(かいてい)に登る」詩に和(わ)す。復(ま)た次韻(じいん)して之(これ)に答う
劉景文(りゅうけいぶん)に贈(おく)る
辯才(べんざい)老師 龍井(りゅうせい)に退居し、復(ま)た出入せず。軾(しょく) 往(ゆ)きて之(これ)に見(まみ)ゆれば、常に出(い)でて風篁嶺(ふうこうれい)に至る。左右(さゆう) 驚きて曰(いわ)く、「遠公(えんこう) 復(ま)た虎渓(こけい)を過ぎたり」と。辯才(べんざい) 笑いて曰(いわ)く、「杜子美(としび)云わずや、『子(し)と二老と成(な)り、来往(らいおう)亦(ま)た風流なり』と」と。因(よ)って亭(てい)を嶺上(れいじょう)に作り、名づけて「過渓(かけい)」と曰(い)う、亦(ま)た「二老(にろう)」と曰(い)う。謹(つつし)みて辯才(べんざい)の韻(いん)に次(じ)して詩一首を賦(ふ)す
又(ま)た王晉卿(おうしんけい)の画に書(しょ)す 四首(其の四 西塞(せいさい)の風雨)
東府(とうふ)の雨中に子由(しゆう)と別る
慈湖夾(じこきょう)にて風に阻(はば)まる 五首(其の二)
廉泉(れんせん)
上元(じょうげん)の夜 一首
陶(とう)の「園田(えんでん)の居(きょ)に帰る」六首に和(わ)す 并(なら)びに引(いん)(其の二)
三月二十九日 二首(其の二)
吾(われ) 海南(かいなん)に謫(たく)せられ、子由(しゆう)は雷(らい)州たり。命(めい)を被(こうむ)って即(すなわ)ち行き、了(つい)に相知(あいし)らず。梧(ご)に至りて、乃(すなわ)ち其の尚(な)お藤(とう)に在(あ)るを聞く。旦夕(たんせき) 当(まさ)に追い及ぶべし。此の詩を作りて之(これ)に示す
謫居(たくきょ)の三適(てき) 三首
 旦(あさ) 起きて髪を理(おさ)む
 午窓(ごそう)に坐睡(ざすい)す
 夜臥(やが) 足を濯(あら)う
倦夜(けんや) 一首
縦筆(じゅうひつ) 三首(其の一)
澄邁駅(ちょうまいえき)の通潮閣(つうちょうかく) 二首(其の二)
六月二十日、夜 海を渡る
雨夜(うや) 浄行院(じょうぎょういん)に宿(しゅく)す
藤(とう)州の江上、夜 起って月に対(たい)し、邵道士(しょうどうし)に贈(おく)る 一首


 前赤壁(ぜんせきへき)の賦(ふ)
 後赤壁(せきへき)の賦(ふ)

年譜
地図
解説 (山本和義)
あとがき (小川環樹)



蘇東坡詩選 02



◆本書より◆


「海市(かいし) 并(なら)びに叙(じょ)」より:

「予聞登州海市舊矣、父老云、常出於春夏、今歳晩、不復見矣、予到官五日而去、以不見爲恨、禱於海神廣德王之廟、明日見焉、乃作此詩」

「予(よ) 登州(とうしゅう)の海市(かいし)を聞(き)くこと旧(ひさ)し。父老(ふろう)云(い)う、「常(つね)に春夏(しゅんか)に出(い)づ、今(いま)、歳晩(としく)れたり、復(ま)た見(み)えじ」と。予(よ) 官(かん)に到(いた)りて五日(ごじつ)にして去(さ)る。見(み)ざるを以(もっ)て恨(うら)みと為(な)す。海神広徳王(かいじんこうとくおう)の廟(びょう)に禱(いの)りしに、明日(みょうにち) 見(み)えたり。乃(すなわ)ち此(こ)の詩(し)を作(つく)る。」

「私が登(とう)州の蜃気楼(しんきろう)の話を聞いたのは、ずっとむかしからのことだ。土地の故老たちは、「春と夏に出るのがふつうで、今は歳(とし)の晩(く)れも近いから、もう見えまい」と言う。私はここへ着任して、わずか五日で去ることになった。蜃気楼(しんきろう)が見られないのはいかにも残念だと思って、海神(竜王)のおやしろに祈願したところ、その明くる日に見ることができた。そこでこの詩を作る。」

「東方雲海空復空   東方(とうほう)の雲海(うんかい) 空(くう) 復(ま)た空(くう)
羣仙出沒空明中   群仙(ぐんせん) 出没(しゅつぼつ)す 空明(くうめい)の中(うち)
蕩搖浮世生萬象   浮世(ふせい)を蕩揺(とうよう)して 万象(ばんしょう)を生(しょう)ず
豈有貝闕藏珠宮   豈(あ)に貝闕(ばいけつ)の珠宮(しゅきゅう)を蔵(ぞう)する有(あ)らんや」

「東のかなたは雲と海がひろがるばかり、うつろ、どこまでもうつろだ。あのほの白い明るさの中に、もろもろの仙人たちが出没するのだろうか。いや、この世界はたえずゆらめき動いて、すべての現象がそこから生まれる。貝がらで飾られた楼門のかげに、わだつみの真珠の宮居(みやい)があるなんて、そんなはずはあるまいに。」

「心知所見皆幻影   心(まこと)に知(し)る 見(み)る所(ところ)の皆(みな)幻影(げんえい)なるを
敢以耳目煩神工   敢(あえ)て耳目(じもく)を以(もっ)て神工(しんこう)を煩(わずら)わす
歳寒水冷天地閉   「歳寒(としさむ)く 水冷(みずひやや)かに 天地閉(てんちと)じたれど
爲我起蟄鞭魚龍   我(わ)が為(ため)に 蟄(ちつ)を起(お)こし 魚竜(ぎょりゅう)を鞭(むち)うて」と
重樓翠阜出霜曉   重楼(ちょうろう) 翠阜(すいふ) 霜暁(そうぎょう)に出(い)で
異事驚倒百歳翁   異事(いじ) 百歳(ひゃくさい)の翁(おきな)を驚倒(きょうとう)せしむ」

「人の目にうつるものはすべて幻(まぼろし)の影だ、とは私も知りぬいてはいるが、なんとしてもこの感覚を楽しませるために神のおん手をわずらわそうと決意した。「冬が来て、水は冷たく天地の生気は衰えはてておりますが、神さま、どうか鞭をふるって冬眠さなかの魚や竜をたたきおこして下さい」と。すると、見よ、いくえにも重なりあった高楼とみどりの台地が、霜おく朝に現われ出たのだ。思いもかけぬ出来事に、百歳の故老もあきれはてるしまつ。」

「斜陽萬里孤鳥沒   斜陽(しゃよう) 万里(ばんり) 孤鳥(こちょう)没(ぼっ)す
但見碧海磨靑銅   但(た)だ見(み)る 碧海(へきかい)の青銅(せいどう)を磨(みが)けるを
新詩綺語亦安用   新詩(しんし) 綺語(きご) 亦(ま)た安(いずく)んぞ用(もち)いん
相與變滅隨東風   相与(あいとも)に変滅(へんめつ)して東風(とうふう)に随(したが)わん」

「かたぶく夕日の光の中に、万里のかなたに一羽の鳥が飛び去ったあとは、ただ青銅の磨きぬかれた鏡のように、青い海面がひろがるばかり。私のこの詩も、美しいことばをつらねはしても、何の役に立とうか。これとても東風がひとたび吹きおこれば、すぐに消えさって、万象の変滅と同じゆくえをたどろう。」
















































































































『王維』 都留春雄 注 (中國詩人選集 6)

「行到水窮處
坐看雲起時」

(王維 「終南別業」 より)


中國詩人選集 6 
『王維』 
都留春雄 注

編集・校閲: 吉川幸次郎/小川環樹

岩波書店
昭和33年6月20日 第1刷発行
昭和44年7月20日 第9刷発行
215p 口絵(モノクロ)2p 折込「略図」1葉
新書判 角背布装上製本(薄表紙) 機械函
定価220円

付録 (4p):
王維の詩(都留春雄)/長恨歌讃(井上靖)/画人王維(北川桃雄)



王維 中国詩人選集 01


目次:

解説 

五言絶句
 友人の雲母の障子に題す
 息婦人
 輞川(もうせん)の別業に別る
 班婕妤(はんしょうよ) 三首
 送別
 臨高台 黎拾遺(れいしゅうい)を送る
 孟浩然(もうこうぜん)を哭(こく)す
 皇甫岳の雲谿の雑題 五首
 雑詩 三首
 輞川集 并びに序

六言絶句
 田園楽 七首

七言絶句
 九月九日 山東の兄弟を憶う
 寒食汜上(しじょう)の作
 送別
 盧員外象と崔処士興宗(さいしょしこうそう)の林亭を過(よぎ)る
 白髪を嘆ず
 元二(げんじ)の安西に使するを送る
 沈子福(しんしふく)の江東に帰るを送る
 菩提寺の禁に、裴廸(はいてき)来りて相看るに、逆賊等、凝碧(ぎょうへき)池上に音楽を作(な)し、供奉(ぐぶ)の人等、声を挙げて便(すなわ)ち一時に涙下ると説く。私(ひそ)かに口号(こうごう)を成し、誦して裴廸に示す
 少年行 三首

五言律詩
 楊長史の果州に赴むくを送る
 張少府に酬ゆ
 輞川閒居 裴秀才廸(はいしゅうさいてき)に贈る
 使(つかい)して塞上(さいじょう)に至る
 岐王(きおう)に従い楊氏の別業を過(と)う 応教
 偶然の作
 崔員外と同じく秋の宵(よる)に寓直す
 秋夜独坐
 虞部蘇員外の藍田別業を過(よぎ)られ、留(とど)まられざるの作(さく)に報ゆ
 山居即事
 梓州(ししゅう)の李使君を送る
 香積寺(こうしゃくじ)を過(と)う
 観猟
 春中田園の作
 終南山
 山居秋瞑(めい)
 嵩(すう)山に帰りての作
 輞川に帰りての作
 前陂(ぜんひ)に汎(うか)ぶ
 新晴の晩望
 終南の別業
 劉藍田に贈る

五言排律
 秘書晁監(ひしょちょうかん)の日本国に還るを送る 并びに序

七言律詩
 積雨輞川荘の作
 御製、蓬莱宮従(よ)り興慶に向う閣道中の作に和し奉る 応制
 酒を酌みて裴廸に与う

四言詩
 諸公の過(と)わるるに酬ゆ

五言古詩
 渭川(いせん)の田家
 瓜園(かえん)の詩并びに序
 殷遙を哭す
 同題の七言絶句
 別るる者を観る
 納涼
 送別
 従軍行
 春夜、竹亭にて銭少府の藍田に帰るに贈る
 青渓
 藍田山の石門精舎

七言古詩
 老将行
 張五弟に荅(こと)う

付録
 山中より裴秀才廸に与うる書

年譜
跋 (小川環樹)
略図




◆本書より◆


「解説」より:

「以上の如く彼は詩画に卓絶していたのであるが、彼の才能はこの二者のみに止まらなかった。書家としてもすぐれており、音楽に於ても深い造詣と才能を持っていた。「旧唐書(くとうじょ)」及び「新唐書」には次のような話を載せている。
 或る人が奏楽の図を手に入れたが、その名が判らなかった。王維はそれをながめていて、此れは「霓裳羽衣(げいしょううい)曲」(玄宗皇帝の編曲になる有名な曲)の第三畳の第一拍ですよ、と言った。好事家があって楽工を集め実験してみたが、少しの違いもなかったので感服したという。」



「鹿柴(ろくさい)」:

「空山不見人   空山(くうざん) 人(ひと)を見(み)ず
但聞人語響   但(た)だ人語(じんご)の響(ひび)くを聞(き)く
返景入深林   返景(へんけい) 深林(しんりん)に入(い)り
復照靑苔上   復(ま)た青苔(せいたい)の上(うえ)を照(て)らす」

「しずもりかえった山、人かげは見えない。
ただ人声らしきものが、こだましてぼんやり聞えてくる。
夕日の光が、深い林にさしこみ、
また、まっさおな苔の上を照しだす。」



「終南(しゅうなん)の別業(べつぎょう)」:

「中歳頗好道   中歳(ちゅうさい) 頗(すこ)ぶる道(どう)を好(この)み
晩家南山陲   晩(ばん)に家(いえ)す 南山(なんざん)の陲(ほとり)
興來毎獨往   興(きょう)来(きた)れば毎(つね)に独往(どくおう)し
勝事空自知   勝事(しょうじ)は空(むな)しく自(み)ずから知(し)る
行到水窮處   行(ゆ)きて水(みず)の窮(きわ)まる処(ところ)に到(いた)り
坐看雲起時   坐(ざ)して雲(くも)の起(おこ)る時(とき)を看(み)る
偶然値林叟   偶然(ぐうぜん) 林叟(りんそう)に値(あ)い
談笑無還期   談笑(だんしょう) 還期(かんき) 無(な)し」

「三十過ぎる頃から、いささか仏道に心ひかれ、
晩年、終南山のほとりにすまいを設けた。
感興が湧くと、そこへひとりで出かけてゆく。
自然の美をば、私だけで鑑賞している。
ぶらぶらと、流れの盡きるあたりまで歩いて行く、そこで腰を下す。
塵念を離れて、雲の湧くのを無心にながめている――その時間。
偶然、きこりの老爺(おやじ)に会ったりすると、
談笑に時を過し、帰るのを忘れる。」


















































































張岱 『陶庵夢憶』 松枝茂夫 訳 (岩波文庫)

「癖(へき)のない人間とはつき合えない。彼らには深情がないからだ。疵(きず)のない人間とはつき合えない。彼らには真気がないからだ。」
(張岱 『陶庵夢憶』 より)


張岱 
『陶庵夢憶』 
松枝茂夫 訳
 
岩波文庫 青/33-217-1

岩波書店
1981年8月17日 第1刷発行
382p
文庫判 並装
定価550円



本書「まえがき」より:

「この訳書には、一巻本にあって八巻本に収められなかった四篇を補遺として加えた外、『瑯嬛文集』の中から特に張岱の面目躍如たる『五異人伝』と『自為墓誌銘』の二篇を付録とすることにした。」


張岱 陶庵夢憶


帯文:

「明末清初の文人・張岱(陶庵)が江南の飲食・風習・人物・自然・奇譚などに託して若き日の「美しかりし夢」を語った無類のエッセー集。」


目次:

まえがき

陶庵夢憶自序

巻一
 1 鍾山
 2 報恩塔
 3 天台の牡丹
 4 金乳生の草花
 5 日湖と月湖
 6 金山寺の夜芝居
 7 筠芝亭
 8 砎園
 9 葑門の蓮池
 10 紹興の墓参り風俗
 11 奔雲石
 12 木猶竜
 13 天硯
 14 蘇州の絶技
 15 濮仲謙の彫刻

巻二
 16 孔子廟の檜
 17 孔林
 18 燕子磯
 19 魯王府の花火
 20 朱雲峡の女役者
 21 紹興の琴の流派
 22 花石綱の遺石
 23 焦山
 24 表勝庵
 25 梅花書屋
 26 不二斎
 27 砂の罐と錫の銚子
 28 沈梅岡
 29 岣嶁山房
 30 三代の蔵書

巻三
 31 絲社
 32 南鎮に夢を祈る
 33 禊泉
 34 蘭雪茶
 35 白洋の高潮
 36 陽和泉
 37 閔老人の茶
 38 竜噴池
 39 朱文懿家の木犀
 40 逍遙楼
 41 天鏡園
 42 包涵所
 43 闘雞社
 44 棲霞山
 45 湖心亭の雪見
 46 陳章侯

巻四
 47 不繋園
 48 秦淮河の河房
 49 兗州の閲兵式
 50 牛首山の狩猟
 51 楊神廟の山車
 52 雪精
 53 厳助廟
 54 乳酪
 55 二十四橋の風月
 56 世美堂の灯籠
 57 寧了
 58 張氏の声伎
 59 各地のうまいもの
 60 祁止祥の癖
 61 泰安州の宿屋

巻五
 62 范長白
 63 于園
 64 いろいろの職人
 65 姚簡叔の画
 66 香炉峯の月
 67 湘湖
 68 柳敬亭の講談
 69 燓江の陳氏の蜜柑
 70 治沅堂
 71 虎邱中秋の夜
 72 麋公
 73 揚州の清明節
 74 金山の競漕
 75 劉暉吉の女優
 76 朱楚生
 77 揚州の痩馬

巻六
 78 彭天錫の芝居
 79 目連劇
 80 甘文台の香炉
 81 紹興の灯節風景
 82 韻山
 83 天童寺の僧
 84 水滸牌
 85 煙雨楼
 86 朱氏の収蔵
 87 仲叔の骨董
 88 噱社
 89 魯王府の松棚
 90 一尺雪
 91 菊の海
 92 曹山
 93 斉の景公の墓の花罇

巻七
 94 西湖の香市
 95 鹿苑寺の方柿
 96 西湖の七月十五夜
 97 及時雨
 98 山艇子
 99 懸杪亭
 100 雷殿
 101 竜山の雪
 102 龐公池
 103 品山堂の養魚池
 104 松花石
 105 閏の中秋
 106 愚公谷
 107 定海の海軍演習
 108 阿育王寺の舎利
 109 剣門の渡り
 110 冰山記

巻八
 111 竜山の灯籠飾り
 112 王月生
 113 張東谷の酒好き
 114 楼船
 115 阮円海の演劇
 116 巘花閣
 117 范与蘭
 118 蟹の会
 119 露兄
 120 閏の元宵節
 121 合釆牌
 122 瑞草谿亭
 123 瑯嬛福地

補遺
 二 魯王(仮題)
 四一 獣妖・草妖・服妖・氷妖(仮題)
 四二 草木妖(仮題)
 四三 祁世培(仮題)

付録
 五異人伝
 自為墓誌銘

あとがき




◆本書より◆


「陶庵夢憶自序」より:

「昔、西陵(せいりょう)の人足が、人のために酒をかついで行く途中、うっかり足をすべらせてその甕をこわした。どう考えても弁償するすべがないので、ぼんやり坐りこんで考えた。「これが夢だったらなあ」と。
 またある貧乏書生、郷試(きょうし)に合格して、いざ鹿鳴宴(ろくめいえん)におもむく段になり、なんだか本当ではないような気がして、われとわが腕を噛みながら、つぶやいた。「夢じゃないだろうか」と。
 同じく夢である。しかるに一人はひたすらそれが夢でないことを恐れ、一人はひたすらそれが夢であることを恐れている。その痴人たるは同じである。
 わたしは今や大夢まさに醒めんとしているのに、なおかつ筆ひねこくって物書くわざに憂身をやつしている。これまた夢であり、たわごとである。」



「三代の蔵書」より:

「わたしの家には三代にわたって積まれた蔵書が三万余巻あった。祖父(張汝霖)はわたしにいった。
 「数ある孫のなかで、おまえだけが書物好きだ。おまえが見たいと思う書物は、勝手に持ってゆくがよい」」



「天鏡園」より:

「天鏡園の浴鳧堂(よくふどう)は、高い槐(えんじゅ)の木と深い竹林で千層の暗い木蔭を成している。坐ったまま蘭の池の満々とたたえた水に向かっていると、水も木もはっきりと透きとおり、魚も鳥も、藻(も)も荇(あさざ)も、さながら空に浮かんでいるのではないかと思うほどである。
 わたしはその中で読書した。面を撲(う)ち、頭にふりそそぐ緑一色の中にどっぷりと浸(つか)って、ひっそりとした窓に向かって書巻をひらくと、一字一字が鮮かな碧(あお)に染まるのだった。」



「湖心亭の雪見」:

「崇禎五年十二月、わたしは西湖に住んでいた。大雪が三日つづいて、湖の中は人の声も鳥の音もはたと途絶えた。
 この日の夜の八時すぎ、わたしは小さな舟に乗り、毛皮にくるまり炉火を擁して、ひとりで湖心亭へ雪見にいった。いちめんの霧氷(むひょう)と立ちのぼる水蒸気で、空も、雲も、山も、水も、上下みな一様に白かった。湖上の影とては、ただ長い堤が一線、湖心亭が一点、それにわたしの舟がさらに細かい一点、舟中の人がさらに細かい二、三点にすぎなかった。
 亭に着いてみると、二人の男が毛氈を敷いて対坐し、一人の童子が七輪に酒を暖め、ちょうど燗(かん)がついたところであった。わたしを見ると大いに喜び、「湖中にまたとこんな人がありましょうか」といって、わたしを引っぱっていっしょに飲ませた。わたしは飲めぬ酒を大杯に三杯飲んで別れた。その姓をきくと、南京のもので、この地に逗留しているのだという。舟に乗ってから、船頭がしきりにぶつぶついった。
 「旦那さまはよほどの変り者だと思っていやしたが、旦那さまよりももっと変った人もいるんでございますな」」



「祁止祥(きししょう)の癖(へき)」より:

「癖(へき)のない人間とはつき合えない。彼らには深情がないからだ。疵(きず)のない人間とはつき合えない。彼らには真気がないからだ。」
「崇禎十五年、南京に行ったとき、止祥は阿宝(あほう)(孌童(らんどう)の名)を出してわたしに見せた。わたしはこんな西方浄土の迦陵頻伽(かりょうびんが)を、どこから手に入れたのだろうかと思った。阿宝は生娘(きむすめ)のように嬌(なまめ)かしかったが、我儘なあまえん坊で、ことさらに駄々をこね、決して人の言いなりにならなかった。橄欖(かんらん)を食うように、喉(のど)に渋くて味がないようでいて、しかも、言うに言われぬ後味(あとあじ)のよさがあった。(中略)骨が喉につかえて、どうにも呑み下せないようでいて、しかも、ちょっと嘗(な)めただけで酔ってしまうような軟かさがあり、初めは厭(いと)わしいようでも、過ぎての後にはしきりに懐(なつか)しまれるのであった。」
「乙酉(いつゆう)の年(明亡後二年目)、南京が陥落し、止祥は郷里に逃げ帰る途中、土匪に襲われて、刀剣を顎に当てられ、命のほども危かったが、一番大事な宝だけは守り通して、あくまで阿宝を手放さなかった。
 丙戌(へいじゅつ)の年(明亡後三年目)、監軍として台(たい)州(浙江省)に駐箚(ちゅうさつ)していたとき、乱民の掠奪に会って、止祥は金銀財宝をことごとく失い、無一文になったが、阿宝は帰郷の途々、曲(うた)をうたって金をかせぎ、主人に食べさせた。郷里に帰りついて半月たつかたたぬに、彼はまたも阿宝を連れて、どこか遠くへ行ってしまった。
 止祥は妻子を古草履でも捨てるように捨てて顧みず、孌童かげまを生命としていた。その癖は実にそのようであった。」



「劉暉吉(りゅうききつ)の女優」より:

「女優は妖(なまめ)かしさで同情され、身のこなしのたおやかさで同情され、優しいそぶりで同情される。(中略)ところが劉暉吉の場合はそれとちがう。劉暉吉は奇情と幻想をもって従来の芝居の欠陥を補おうと考えている。
 たとえば唐の玄宗皇帝が月宮に遊ぶくだりで、葉法善(しょうほうぜん)が登場すると、とたんに舞台が真暗闇になり、法善が手をあげ、剣が落ちてくるよと見るまに、霹靂(へきれき)一声、黒幕がさっと引かれて、月がポッカリ現われる。コンパスで画いたようなまん円い月である。四面の羊角灯によって五色に染められた雲気のなかに常儀(じょうぎ)が坐っており、呉剛(ごごう)は桂(かつら)の樹を斫(き)り、白兎は薬を搗(つ)いている。薄紗(うすぎぬ)の帳(とばり)の内には数本の松明(たいまつ)が、青黒い焰をあげて燃え、いましも夜が明け初(そ)めたけはいで、さっと布(ぬの)を投げると、それが梁(かけはし)となって、玄宗はついに月窟へと渡って行くのである。その境界の神奇さに、人はそれが芝居であることを忘れてしまう。」



「朱楚生(しゅそせい)」より:

「朱楚生は女役者にすぎぬ。(中略)しかしながらその科(しぐさ)・白(せりふ)の妙は、本腔の役者といえども、彼女の十分の一にも及ばぬものがある。」
「楚生は、容色こそそれほど美しくないが、絶世の美人といえども彼女のもつ風韻はあるまい。楚々として秀で、その思いつめた心は眉にある。その情(じょう)の深さは睫(まつげ)にある。その人意を解する様子は、眼を半眼に閉じてそろそろ歩くところにある。芝居に生命を打ちこみ、全力をくだしてこれを為すのである。」
「楚生は放心状態になることが多かった。そのいちずに思いつめた情は、われ知らず風に乗ってふらふらと飛び去るのだった。
 ある日、(中略)折から日暮れ方であったが、靄(もや)が立ちこめて、林の木々が薄暗くなると、楚生はうつむいたきり物も言わず、ぽろぽろと涙を流した。わたしがどうしたのかと訊ねると、彼女はさあらぬていに言葉を濁したが、うつうつとして心を痛め、ついに情に殉じて死んだのであった。」



「韻山(いんざん)」より:

「祖父は年をとってからも、決して書物を手から放さなかった。書斎に書画や瓶子(へいし)、骨董などを飾ることも好きだったが、あの書物この書物のページをめくったり、書物の山の中から書物をさがしたりするため、数日もたたぬうちに巻帙(かんちつ)は逆さまになるは、順序はめちゃくちゃになるはで、硯の表面は埃がうず高く積もってしまう。祖父はいつもそうした中で埃まみれの硯に墨をすり、紙と筆に頭と眼を突込むようにして、さっさっと書生流に蠅の頭ほどの細字を書きなぐるのだった。日が暮れて暗くなりかかると、書物を持ったまま簾(すだれ)の外に出て、外の光に近づけて読む。燭台が高くて、灯火の光が紙に届かないと、机に倚(よ)りかかったまま、書物を灯火に近づけて、光と共にうつ伏せになる。いつも真夜中までそのようにして、疲れを知らぬのであった。」


「懸杪亭(けんしょうてい)」より:

「わたしは六歳のとき、亡父のお供をして懸杪亭で読書した。」
「わたしは子供の時分に遊びに行くのを楽しみにしていたものだが、今でも夢の中でよくそこへ尋ねて行くのである。」



「龐公池(ほうこうち)」:

「龐公池には一年を通じて船は得られぬ。ましてや夜船、ましてや月を見るための船など、むろんありはしない。
 わたしが山艇子(さんていし)で読書するようになってからは、池の中に小舟を備えることにし、月の夜は毎晩池の中に漕ぎだし、城壁に沿って北海坂(ほっかいはん)までゆき、往復五里ほどの間をぐるぐる漕ぎまわった。
 山かげの家々は、門を閉ざして寝てしまっており、灯火も見えず、ひっそりとして暗く、寂寥の気はそぞろ身に沁みる。わたしは舟の中に敷いた竹むしろの上に寝ながら月を見る。小童が船首で曲(うた)を唱うのをうつらうつら夢心地で聞いているうちに、声はしだいに遠のき、月もしだいに淡くなって、とろとろと寝入ってしまう。歌が終わったとたんに、はっと眼が覚めて、むにゃむにゃと口の中で歌をほめると、ついでまた鼾(いびき)をかく。小童も欠伸(あくび)をしてごろんと横になり、たがいに重なり合って寝る。船頭は船を返して岸に着くと、篙(さお)をコトコトと叩いて、わたし達を起こして寝に就くよう促がす。このとき胸中はからりとして、芥子粒(けしつぶ)ほどの夾雑物もなく、枕につくなり、ぐっすり寝入ってしまって、日が高く昇ってからやっと起き、世の中の憂愁というものがいかなるものかも知らないのであった。」



「王月生(おうげつせい)」より:

「月生は冷淡なこと孤梅冷月のごとく、誇り高きこと冰霜を含めるがごとく、俗人と交わることを好まなかった。面と向かって同坐している時でも、まるで何も見ていないようなふうであった。ある貴公子は彼女に入れ揚げて、半月がほども寝食を共にしたのであるが、彼女に一言(ひとこと)も物を言わせることができなかった。ある日、彼女の口がもぐもぐ動いていたので、幇間(ほうかん)が驚喜して、公子のところへ走って行き、「月生が物を言っております」と注進におよんだ。すわこそ瑞祥、とばかりに色めき立ち、さっそく駆けつけて様子を伺うと、彼女は顔を赤らめ、ついでまたやめた。公子が口をすっぱくしてしきりに頼むと、もごもごと、やっと一言いった。
 「帰ります」」



「自為墓誌銘」より:

「蜀(しょく)人張岱(ちょうたい)、陶庵(とうあん)はその号である。(中略)きわめて繁華を愛した。(中略)ついにうかうかと半生を過ごし、すべては夢まぼろしとなってしまった。
 五十になった年に、国は破れ、家は滅びたので、世を逃れて山にはいった。」
「常に自分を批評して、七つの不可解ありとした。さきには布衣(ほい)のくせに公侯を気取っていたのが、今では世家(せいか)粉でござると称しあんがら、乞食同然の暮らしをしている。かくの如きは貴賤をごっちゃにしたもので、不可解の一である。産は中流階級の人にも及ばぬのに、石崇(せきすう)のような大富豪の向うを張って金谷(きんこく)の宴のような豪奢な宴を張りたがるし、世には随分と出世の抜け道も多いものを、独り頑固に株(くいぜ)を守って山に引きこもっている。かくの如きは貧富をあべこべにしたもので、不可解の二である。書生の身をもって戦場に乗り出し、将軍の身をもって文苑をひっくり返している。かくの如きは文武をとりちがえたもので、不可解の三である。上は玉皇大帝に陪(ばい)しても諂(へつら)わぬが、下は卑田院(ひでんいん)の乞食に陪しても驕(おご)ることがない。かくのごときは尊卑をごたごたにしたもので、不可解の四である。弱気のときには面に唾(つばき)を吐きかけられても乾くにまかせているが、強気のときには単騎で敵陣の中に躍りこむ。かくの如きは寛猛をあべこべにしたもので、不可解の五である。名利の争奪には甘んじて人後に居るが、物見や遊びごとには断じて人に先を譲りはせぬ。かくの如きは緩急をとりちがえたもので、不可解の六である。博奕(ばくち)やちょぼいちでは勝負の見分けさえつけきれぬのに、茶を啜(すす)り水を嘗(な)める段になると、よくその水の出所を言いあてることができる。かくのごときは智愚をまぜこぜにしたもので、不可解の七である。以上七つの不可解を有している。自分でさえ解せぬのであるから、どうして人の解するを望もうか。(中略)書を学んで成らず、文章を学んで成らず、仙を学び、仏を学び、農を学び、圃を学び、いずれも成らなかった。世人が自分を呼んで、極道(ごくどう)息子といおうと、廃物(すたれもの)といおうと、頑民といおうと、鈍秀才といおうと、居眠り男といおうと、死にぞこないの老いぼれお化けといおうと、仕方のないことである。」



























































































































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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