日影丈吉 『荘子の知恵』

「黄帝は天下を治めたとき、民の心を純一にさせた。民の中に親が死んでも哭泣しない者がいても、民衆はそれを非難しなかった。」
(日影丈吉 『荘子の知恵』 より)


日影丈吉 
『荘子の知恵』


新芸術社 平成2年2月20日第1刷発行
212p 
四六判 丸背紙装上製本 カバー 
定価1,600円(本体1,553円)
装幀: 真鍋博



本書奥付「著者紹介」より:

「一九〇八年東京に生まれる。父は片岡氏、日本橋魚河岸の大物師。大正十二年関東大震災で、通っていた旧制中学校の内装が全焼、復活が遅れているうち、学校を捜して、川端玉章氏の川端画学校洋画部に入り、午後はアテネ・フランセに通う。アテネの通学は長期に及び、ジョゼフ・コットから古典語を習う。昭和八年頃から講習会をひらき、そのうち料理人の組合で組合員のための仏語教授を担当する。昭和十八年、戦争激化のため閉校。
 戦後、日影丈吉の筆名で岩谷書店宝石誌の探偵小説募集に応募。翌年「かむなぎうた」入選と共に創作活動に入り、昭和三十一年「狐の鶏」で日本探偵作家クラブ賞を受賞。その頃から早川書房の要請で仏文翻訳をはじめる。語学の専門はフランス語で、漢語はほとんど独学である。」



日影丈吉 荘子の知恵


帯文:

「不安の世紀末をどう生きる?
孔子の仁義や人の道を越え、あるがままの自然に共感する独特の道を説く、荘子のつぶやき!
現代に直結する無限の知恵を読む。」



帯背:

「心にしみる
千古の言葉」



帯裏:

「人間がこの世界に生きて行けるには、幾つかのきまりがある。
いわば幾とおりかの型みたいなものがあって、それにはまらないと生きて行けない。われわれは、たまたまその型にはまって生きている………(本文より)」



目次:

はしがき

荘子という人
一 『荘子』を読んで驚いたこと
二 『荘子』という本

荘子読解
一 大いなる視野
二 無差別の思想
三 巫咸の話
    混沌の死
四 老子と孔子
五 道とは何か
    老子の道
    列子の道
六 河伯と北海若の対話
七 この上ない楽しさ
    古代のペシミスム
八 再び道について
九 対話の論理
十 君子と盗賊
十一 百家批判
     墨子の思想
     宗銒と尹文
     彭蒙と田駢と慎到
     関尹と老耼
     荘子の思想

荘子は何を教えてくれたか
一 死について
二 有無の論理




◆本書より◆


「『荘子』を読んでいて、びっくりしたのは、子輿(しよ)という男がひどい病気になったことが書いてあるところである。突然、背中が曲って来て、内臓は上に飛びあがり、頸(あご)が斉(へそ)の下にかくれ、肩が頭の上に突き出し、髪のもとどりは天を指し……で、つまり、からだ全体が、ひっくら返しになってしまったのである。
 だが、子輿は別に驚かなかった。私がびっくりしたのも、子輿がへんな病気になったことではなくて、子輿の次の言葉である。友人の子祀(しし)が見舞いに行くと、子輿はこういった。
 「えらいやつだ、あの造物主は、おれをこんな曲りくねったものに、しようとしている」
 これは『荘子』の内篇、大宗師篇第六に出ている話だが、私は文字どおり唖然とした。突然へんてこな病気にかかって、始末がつかないほど、からだがひん曲ってしまった者が、造物主は偉大なものだ、今度は私をこんな拘拘(こうこう)としたものに、ねじ曲げようとしている、などと暢気に感心していられるものだろうか。」
「見舞いに来た子祀が、「こうなったことを、いやだと思うか」と、きいたときも、子輿のこたえは意表を突いたものだった。
 「いや、どうして、いやなものか。もし造化のはたらきが、予(わたし)の左の臂(かいな)を弾に変えたら、予(わたし)はその弾が射落とした鳥の焼肉を食おう。予(わたし)の尻を車の輪にし、心を馬にしたら、予(わたし)はそれに乗ろう。別に馬車を用意しなくてもすむからな」
 子輿には、だいたい造化者のすることに、文句をつける気はないらしかった。造化の仕事には何かの意味があるらしいから、こちらもそれを素直に受けとって、やってみる。それは絶対だから、最低の場合でも喜んで受け入れるべきなのだ。子輿という男は、いつもぎりぎりのところで、余悠を持って生きていたようだ。(中略)子輿は適当に自分を落(お)っことしてしまっていたのかも知れない。自分を落っことしてしまえば、自分の上に起こることも、他人のことのように思えるに違いない。」
 「子輿の仲間は子祀のほかに子犁と子来と、みんなで四人だった。この四人は、いつもよくこんなことをいっていた。
 「誰が無を頭にし、生を背とし、死を尻にするだろう。誰が死と生と存と亡が一体だということを、知っているだろう。私はその者と友達になろう」
 かれらは顔を見合わして笑いあい、心からうちとけて、そのまま互いに友達になった。その、心に逆ろう莫(な)く、といういい方が、莫逆の友という表現の出典なのである。
 子輿はこういう考え方をしていたから、自分の病気も客観できたのかも知れない。ここで問題は、その自分というものなのである。この何かといえば顔を出す自分というやつを、適当に処理してしまえば、病気はもとより生も死も自分に関係がなくなってしまうだろう。
 子輿がおもしろがるばかりで、気にもかけなかった病気は、ただのお話ではなくて、実際にあるらしい。佝僂病という、骨が軟化して四肢の湾曲を起こす病気である。十七世紀のフランスに、ポール・スカロンという詩人がいて、二十七歳のとき、この病気にかかり、両足が使えなくなってしまった。」
「それ以来、曲ったままテーブルに乗っかって、そこで人と接したり、詩を書いたりしていた。諷刺詩人として名をあげ、スカロネスクと呼ばれる様式を残したのも、その後のことだ。」


「知(知識の擬人化)が北方の玄水のほとりに遊びに行き、(中略)たまたま無為謂(むいい)(為すなく謂(おも)うなし。無為自然の擬人化)に出会った。
 知は無為謂に問いかけた。「あなたにお尋ねしたいことがあるのですが、何を思い何を考えたら、道がわかるようになるでしょうか。どんな境地にいて何をしていれば、道に安定していられるでしょうか。何に従い何を拠りどころにすれば、道を自分のものにできるでしょうか」
 三度も繰返して尋ねたのだが、無為謂は答えなかった。答えないというより、答えることを知らなかったのだ。知は質問の答えをもらえず、白水の南に帰って(中略)、狂屈(きょうくつ)(世間一般の常識を越えた生き方をする人)に会った。そこで同じ言葉を使って質問すると、狂屈はいった。
 「ああ、そのことなら私は知っている。いま、きみに話してあげるよ」が、そういってるうちに、いおうと思ったことを忘れてしまった。
 知は質問の答えをもらえず、帝の宮殿に帰って黄帝にお目にかかり、おなじことをきいた。黄帝はこたえた。
 「思うことも考えることもしなければ、はじめて道がわかるだろう。どこにも身を置かず、何もしなければ、道に安定していられるだろう。何にも従わず、何も拠りどころとしなければ、道は自分のものになるだろう」
 知はまた黄帝にたずねた。「私とあなたとは、このことを知っているが、無為謂と狂屈とはこれを知りません。どちらが正しいのでしょうか」
 黄帝がこたえた。「あの無為謂はほんとうに正しい。狂屈はそれに近い。私ときみとは結局、道には遠いのだ。そもそも、ほんとうのことを知っている者は、それを喋らず、喋る者はほんとうのことを知らない。だから、聖人は不言の教え(言葉にたよらない教え)を実行する。道は招きよせられないし、徳はたどりつけない。だが、仁は仕業(しわざ)としてやれるし、義は行わないでもすむ。礼はうわべの騙(だま)し合いである。だから、道が失われたあとに徳があり、徳が失われたあとに仁があり、仁が失われたあとに義があり、義が失われたあとに礼がある。礼は道のうわべを飾る仇花(あだばな)で、乱れの起こるはじまりだといわれるのだ。」
 「知は黄帝にいった。「私が無為謂に質問したとき、無為謂は私に答えてくれませんでした。私に答えなかったのではなくて、答えることを知らなかったのです。私が狂屈に質問したとき、狂屈は私に話をする気になったのに、途中でやめてしまいました。私にいおうとしなかったのではなしに、いおうとしている途中で、それを忘れてしまったのです。いま、あなたに質問したら、あなたは知っておいででした。それなのに、何故あなたが道に遠いとおっしゃるのですか」
 黄帝がいった。「無為謂がほんとうに正しいというのは、彼が知らないということのためだ。狂屈がそれに近いというのは、彼が忘れてしまったということのためだ。私ときみが道に遠いというのは、われわれがそれを知っている、ということのためなのだ」
 狂屈がこの話を聞いて、黄帝のことを、言葉使いを知っている人だと批評した。」


































































































































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曽布川寛 『崑崙山への昇仙』 (中公新書)

「崑崙山は大地の中央に位置し、柱の如き形状をして、その高さは天にまで達する山である。大地の中央というのは、崑崙山の直上空に天帝の居があったことと関連し、天帝の居である北辰(北極)が天の中心に位置するのに対応して、地の中央に位置すると考えられたのである。」
(曽布川寛 『崑崙山への昇仙』 より)


曽布川寛 
『崑崙山への昇仙
― 古代中国人が描いた死後の世界』
 
中公新書 635

中央公論社 昭和56年12月10日印刷/同20日発行
199p 目次4p
新書判 並装 ビニールカバー
定価420円
装幀: 白井晟一



本書「あとがき」より:

「本書は、京都大学人文科学研究所の「東方学報」京都第五一冊(一九七九年)に、「崑崙山と昇仙図」と題し発表したものに基づいている。今回、「中公新書」に収録されるに当り、若干の改訂を加えたほか、「はじめに」の一部と、第二章の陳家大山楚墓出土帛画に関する部分等とを補った。」


著者は1945年生、中国美術史。
本文中図版(モノクロ)多数。

中野美代子さんの本をよんでいたら本書を推薦していたのでよんでみました。それはそれとして、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」に出てくる「天気輪の柱」というのは「崑崙山」のことかもしれないです。あの話も二人の少年カムパネルラとジョバンニが汽車(本書だと龍車)に乗って死後の世界へ「昇る途中のさま(中略)を描いたもの」でありました。


曽布川寛 崑崙山への昇仙1


帯文:

「近年出土の絵画資料を解読し古代人の精神の世界を照しだす」


帯裏:

「馬王堆漢墓はじめ、近年の中国での発掘成果はめざましい。その中の墳墓出土絵画の画面に「天帝の下都・崑崙山」を見出した著者は、図像学的解読を進め、それらの絵が、不死の願いをこめて墓主人の昇仙の有様を描いた「崑崙昇仙図」であることを立証する。そこにはまた、「楚辞」「山海経」「淮南子」等を通じて窺い知るだけだった、神話世界の英雄・霊獣が躍動していた。綿密かつ大胆な考察が、儒教支配以前の豁達な世界像を照しだす。」


目次:

はじめに
 目ざましい発掘成果
 馬王堆漢墓の帛画
 中国古代の絵画
 儒教支配以前の神話世界
 昇仙図
 図像学的方法

一 崑崙山
 崑崙伝説
 棺に描かれた崑崙山
  ■長沙砂子塘外棺漆画■
   隠された意味
   大地の中央に聳える柱
   三層・三角の山
   仙木・沙棠
   陸吾に似た神
  ■長沙馬王堆一号墓朱地彩絵棺漆画■
   三つの豪華な墓
   一号墓第三棺の図像
   弱水を渡す龍
   溺れる騶虞と吉量
   巌をのぼる羿と鶉鳥
  崑崙昇仙
   有角の龍・無角の龍
   昇仙の乗物・龍車
   憑り代としての玉
   崑崙の神々
   天帝の使・鳳凰
   祥瑞図
   砂子塘墓の年代
   昇仙の主人公

二 昇仙図
 戦国時代の昇仙図
  ■長沙子弾庫楚墓出土帛画・陳家大山楚墓出土帛画■
   人物御龍帛画
   龍舟・墓主人・鳳凰
   “晩周帛画”の場合
   龍であることの証明
   女性は誰か
   みえない糸でつながる
 神話的世界の展開
  ■長沙馬王堆一、三号墓出土帛画■
   天上・地上・地下
   龍舟と蓋
   墓主人と随従
   祭壇の璧と珩
   天上界からの使者
   鵩鳥と句芒
   崑崙の門
   天帝の歓迎
   天帝女媧
   太陽と月
   十個の太陽と扶桑の伝説
   太陽と月を運ぶ龍
   月の神・常羲
   日月の意味
   大地を支える亀
   帛画の名称と用途
 昇仙後の生活
  ■臨沂金雀山九号墓出土帛画■
   武帝期の帛画
   崑崙の三山
   崑崙での光景
   昇仙の終点・崑崙山
 神話の世界から神仙の世界へ
  ■洛陽卜千秋墓頂脊壁画■
   洛陽の壁画昇仙図
   辟邪のテーマ
   夫婦の昇仙
   西王母の登場
   雌雄の麒麟
   四種の瑞獣
   天帝の使・羽人
   日神伏羲・月神女媧
   姿を現わさぬ天帝
   現世的要素の伸長

おわりに
 昇仙の形式
 時代的変遷と地方的特色


図版出所目録
あとがき



曽布川寛 崑崙山への昇仙2



◆本書より◆


「はじめに」より:

「この論考は、これら戦国から前漢にかけての、墳墓から出土した絵画資料を主たる対象に、特にこの時代の墳墓装飾の重要なテーマの一つであった昇仙図を取上げる。ここで昇仙とは、死後、人間の霊魂が不死の理想世界へ昇ることをいい、昇仙図はその昇る途中のさま、あるいは昇った後の生活のありさまを描いたものである。中国人の伝統的な死生観は、「礼記」郊特牲に「魂気(こんき)は天に帰し、形魄(けいはく)は地に帰す」とあるように、死後、人間は精神的な魂と肉体的な魄に分解し、魂は天に帰り、魄は土に帰ると考えたが、この天に帰るという魂について、当時の人々はその永遠不死を切実に信じ、昇仙図を作ったのである。このような死者の昇仙の信仰を、文献は黙して語らず、確認することはむつかしいが、最近このテーマを扱った絵画資料が次々と発見された。これらの資料と、これまであまり顧みられなかった資料を併せ考えれば、当時盛んに信仰された昇仙の形式、つまり死者の霊魂はどのような手続きを踏んで、終極的にどこへ昇って行き、そこでどのような生活を営むのか、具体的に解き明かすことができるものと信ずる。」


「一 崑崙山」より:

「弱水というのは崑崙山のまわりをめぐる川で、その水は鳥の羽すら浮かばせる力がないほど渡るのに困難な川であった。「山海経」大荒西経は崑崙山の神について述べた後、
  其の下、弱水の淵有りて之を環(めぐ)る
といい、郭璞の注には「其の水は鴻毛も勝(た)えず」とある。つまり、すべてのものを溺れさせてしまい、弱水が一名溺水といわれた所以もここにある。また先に引用した西山経によると、崑崙山の沙棠の実は水を禦ぐ効能があり、この実を食べれば溺れる危険から免れるとあったが、ここで溺れるというのは弱水と関係があろう。すなわち、沙棠の実は弱水を溺れずに渡るための仙薬であったと考えられるのである。
 ではこの弱水を渡り崑崙山へ至るには、沙棠の実による以外、どんな方法があったかといえば、それが龍であった。「史記」大宛伝の司馬貞「索隠」注は、「括地図」を引用して、
  崑崙の弱水、龍に乗るに非ずんば、至れず
という。難所の弱水を渡り、崑崙山へ至るためには、龍が唯一の乗物であった。「楚辞」離騒において、主人公が天上界へ遠征するに際し、崑崙山の頂きへ達するのに龍の引く車を用いているのは、すでにみたとおりである。」























































































































































































干宝 『捜神記』 (竹田晃 訳/平凡社ライブラリー)

「この怪物は名を患と申しまして、憂(うれ)いから生まれ出たものでございます」
(干宝 『捜神記』 「東方朔」 より)


干宝 
『捜神記』 竹田晃 訳

平凡社ライブラリー 322/か-19-1

平凡社 2000年1月24日初版第1刷発行
614p
B6変型判 並装 カバー
定価1,600円+税
装幀: 中垣信夫
カバー画: 竜に乗って天降る仙人(漢画像石『金石索』)

「本著作は、一九六四年一月「東洋文庫」の一書として平凡社より刊行されたものである。」



干宝 捜神記


帯文:

「東洋文庫から待望の平凡社ライブラリー化
怪異は語らずにはいられない
霊妙不可思議な出来事、
集めに集めた464の小話集。」



カバー裏文:

「怪を志(しる)す〈志怪〉というジャンルが
流行した中国六朝時代は、幻術の名人、
墓から生き返る娘、冥界との交流、
千年を生きる狐の変化、といった怪異の
数々が饒舌に語られた。
東晋の歴史家干宝が記した本書は、
六朝志怪の代表作であり、
中国小説の祖といわれる。」



目次:

捜神記原序

巻一
 1 神農
 2 雨神
 3 繳父(ようほ)
 4 寧封(ねいふう)子
 5 ふしぎな松の実
 6 彭祖(ほうそ)
 7 師門(しもん)
 8 木彫りの羊
 9 王 子喬(しきょう)
 10 冠(かん)先
 11 琴高(きんこう)
 12 陶安公
 13 石を穿(うが)って仙道に入る
 14 魯少千
 15 八人の老人
 16 冥土の父母
 17 ふしぎな鴨
 18 薊子訓(けいしくん)
 19 乞食小僧
 20 平常生
 21 左慈
 22 于吉(うきつ)の復讐
 23 変幻自在
 24 徐光
 25 変化の術
 26 神符の秘法
 27 ふしぎな蚕
 28 董(とう)永とその妻
 29 鉤弋(こうよく)夫人
 30 杜蘭香
 31 成公智瓊(ちけい)

巻二
 32 にせの化物を退治した話
 33 成都の大火
 34 術くらべ
 35 趙昞の祠(ほこら)
 36 徐登と趙昞
 37 東海君
 38 流血の惨事
 39 失せた神通力
 40 謝糺(きゅう)
 41 奇術
 42 扶南王
 43 宮中の行事
 44 招魂
 45 死んだ妻をたずねた話
 46 試された男
 47 巫女(みこ)の観察
 48 夏侯弘
 
巻三
 49 七個の璧(へき)
 50 霊妙な膏薬
 51 許季山の易断
 52 出世の予言
 53 家つきの妖怪
 54 北斗星と南斗星
 55 二人の死骸
 56 井戸のなかの亡者
 57 淳于智(じゅんうち)の鼠退治
 58 桑の木に掛けた鞭
 59 狐が鳴いた時
 60 ふしぎな猿
 61 小豆(あずき)の精
 62 生き返った馬
 63 妖蛇のたたり
 64 白牛現わる
 65 三つの予言
 66 亡夫の明察
 67 ふしぎな皮袋
 68 ぶち犬の効験
 69 足にはいりこんでいた蛇
 70 のどにつまっていた蛇

巻四
 71 風神・雨神
 72 渭水の女
 73 泰山神の娘
 74 泰山府君
 75 河伯
 76 河伯の娘と結婚した男
 77 華山神の使者
 78 廬山(ろざん)の神
 79 廬山神の娘
 80 狐石廟
 81 宮亭廟
 82 驢鼠(ろそ)
 83 青洪君
 84 黄石公
 85 燓(はん)道基
 86 降(くだ)って来た神
 87 火事の予告
 88 竃(かまど)の神
 89 膏糜(あぶらがゆ)
 90 ふしぎな石
 91 神になった男

巻五
 92 神になった蒋子文
 93 蒋侯神のお召し
 94 蒋侯廟の神像
 95 神に愛された女
 96 神助
 97 嫁の神様
 98 赤い筆
 99 冥土の使者
 100 李(すもも)の種子
 101 湧き出した井戸

巻六
 102 ものの変化と吉兆・凶兆
 103 山が動けば
 104 亀に毛が、兎に角が生えれば
 105 馬が狐に化ければ
 106 いさごむしの襲来
 107 土地の異変
 108 多産
 109 竜の誕生
 110 公子の亡霊
 111 蛇が喧嘩をすれば
 112 竜が喧嘩をすれば
 113 柱にまきついた蛇
 114 馬の怪異
 115 女が男に変れば
 116 五本足の牛
 117 十二人の大男
 118 井戸のなかの竜 (その一)
 119 馬に角が生えれば (その一)
 120 犬に角が生えれば
 121 人間に角が生えれば
 122 犬が豚と交われば
 123 烏(からす)と鵲(かささぎ)が喧嘩をすれば
 124 奇形の牛 (その一)
 125 城外の蛇と城内の蛇
 126 鼠が踊れば
 127 大石が立てば (その一)
 128 木の葉に現われた文字
 129 冠をかぶった犬
 130 鶏の怪異
 131 人事のうらにひそむもの
 132 木の葉の怪異
 133 倒れた木がふたたび立てば
 134 鼠が木に巣をかければ
 135 犬の怪異
 136 鳥が巣を焼けば
 137 大魚が現われれば
 138 木の枝の怪異
 139 宮中の馬に角が生えれば
 140 燕が雀を生めば
 141 三本足の馬
 142 木が蘇生すれば
 143 泣いた胎児
 144 西王母の祭り
 145 男が女に変れば (その一)
 146 死者が蘇生すれば (その一)
 147 奇形が象徴するもの
 148 三本足の烏
 149 宮中に蛇が現われれば
 150 肉が空から降れば
 151 亡国の装(よそお)い (その一)
 152 牛から生まれた鶏
 153 霊帝の園遊
 154 長い上衣と短い袴
 155 妻が夫を食えば
 156 壁のなかの人
 157 木の怪異
 158 おんどりに変っためんどり
 159 頭が二つ (その一)
 160 白衣の大男
 161 草の怪異
 162 頭が二つ (その二)
 163 雀の首
 164 魁櫑(かいらい)と挽歌
 165 北邙(ぼう)山
 166 死者が蘇生すれば (その二)
 167 男が女に変れば (その二)
 168 娘の予言
 169 木が血を流せば
 170 鵲巣(しゃくそう) 鳩居
 171 ふしぎな馬
 172 巨大な雛
 173 大木が折れれば
 174 大風が吹けば
 175 五穀の変種
 176 大石が立てば (その二)
 177 死者が墓から出て来れば
 178 上厚下薄

巻七
 179 馬の紋様の石
 180 亡国の装い (その二)
 181 胡(えびす)の料理
 182 鼠に変った蟹
 183 井戸のなかの竜 (その二)
 184 二本足の虎
 185 もの言う死牛
 186 屋根の上の鯉
 187 靴の型
 188 縛り髻(まげ) (その一)
 189 晋世寧
 190 毛織物の服
 191 折楊柳
 192 馬に角が生えれば (その二)
 193 婦人の装飾品
 194 涙を流した鐘
 195 一人両性
 196 男に変った娘
 197 子を背負う大蛇
 198 町に血が流れれば
 199 雷神の怒り
 200 杖の流行
 201 乱痴気騒ぎ
 202 石の襲来
 203 宮中に現われた男
 204 牛がものを言えば
 205 ふしぎな草履
 206 光を放つ戟(ほこ)
 207 妾の子
 208 人間が異種の子を生めば
 209 犬がものを言えば
 210 蝘鼠(えんそ)
 211 異様な木
 212 豚が人の子を生めば
 213 生箋のひとえ物
 214 無顔こう(漢字: 巾+合)
 215 奇形の双生児
 216 冤罪に陥れたたたり
 217 奇形の牛 (その二)
 218 天変地異
 219 奇形の牛 (その三)
 220 奇形の馬
 221 異様な女
 222 ふしぎな火事
 223 縛り髻(まげ) (その二)
 224 儀仗に花が咲けば
 225 羽扇
 226 木のうろの蛇

巻八
 227 舜帝
 228 湯王の雨乞い
 229 太公望
 230 武王の威光
 231 劉邦興る (その一)
 232 劉邦興る (その二)
 233 陳宝祠
 234 四百年後の予言
 235 火星人の少年
 236 神の予言

巻九
 237 四つ児の誕生
 238 二匹の赤い蛇
 239 石に変った鳥
 240 張氏の帯留め
 241 ふしぎな老婆
 242 戸外の声
 243 ふく(漢字: 服+鳥)鳥の賦
 244 犬に噛み殺された鳥
 245 公孫淵の死
 246 諸葛恪(かく)の死
 247 豚肉を食う生首
 248 行方不明になった賈充
 249 神との約束
 250 邸内の血

巻十
 251 天にのぼった夢
 252 月の夢太陽の夢
 253 三本の禾(いね)の夢
 254 天から銭を借りた夢
 255 蟻の穴の夢
 256 ふしぎな着物
 257 さそりの夢
 258 太守の妻の夢
 259 亡帝の怒り
 260 北斗門の馬
 261 二人同夢
 262 叔父の病気

巻十一
 263 誠意は石をも貫く
 264 弓の名人
 265 あおうみがめ退治
 266 首の仇討
 267 首無し太守
 268 返された贈り物
 269 碧玉に化した血
 270 東方朔
 271 至誠天に通ず
 272 いなご退治
 273 いなごと県知事
 274 白虎の墓
 275 川の中のふしぎな木
 276 曾子の孝心
 277 周暢(ちょう)の真心
 278 真冬の鯉
 279 跳ね出た大魚
 280 楚僚(そりょう)継母を救う
 281 すくもむし
 282 にしき蛇の肝
 283 子を捨てて母を養う
 284 掘り出した粟
 285 玉田
 286 虎に噛まれた夢
 287 温かい席
 288 涙で枯れた木
 289 白鳩郎
 290 孝女のたたり
 291 孝女の奇蹟
 292 命を捨てて姑を救う
 293 病にうち勝った兄弟愛
 294 相思樹
 295 水になった子供
 296 望夫岡
 297 追い出された嫁
 298 死体と話した長官
 299 死友
 
巻十二
 300 変化の摂理
 301 賁羊(ふんよう)
 302 地中の犬
 303 山中の怪
 304 慶忌(けいき)
 305 雷神
 306 ろくろ首
 307 虎に化けた亭長
 308 〓(漢字: 犭+叚)国
 309 刀労鬼
 310 冶(や)鳥
 311 人魚
 312 不吉な泣き声
 313 山都
 314 蜮(よく)
 315 鬼弾
 316 みょうがのききめ
 317 犬蠱(こ)
 318 缸(かめ)のなかの蛇

巻十三
 319 霊泉
 320 山を裂く
 321 四つの鑊(かく)
 322 燓(はん)山

 323 洞穴の水
 324 湘江の洞穴
 325 亀化城
 326 城門の血
 327 馬の足跡
 328 劫火(ごうか)の名残り
 329 長寿の家
 330 呉王の膾余(かいよ)
 331 長卿
 332 飛び帰る銭
 333 蜾〓(漢字: 虫+羸)(から)
 334 木蠧(ぼくと)
 335 針鼠
 336 火浣布(かかんふ)
 337 陽燧(すい)と陰燧
 338 焦尾琴
 339 蔡邕(さいよう)の竹笛

巻十四
 340 蒙雙氏
 341 蛮夷の起源
 342 夫餘王東明
 343 鵠蒼(こうそう)
 344 虎に育てられた子供
 345 野猫と鸇(はやぶさ)に育てられた子供
 346 羌(きょう)族の英雄
 347 蛇の孝心
 348 城を築いた蛇
 349 羽衣(はごろも)の人
 350 馬の恋
 351 月の精
 352 媚草
 353 鶴の夫婦
 354 鳥の女房
 355 亀に変った母親 (その一)
 356 すっぽんに変った母親
 357 亀に変った母親 (その二)
 358 老人の怪

巻十五
 359 生き返った許婚(いいなずけ) (その一)
 360 生き返った許婚 (その二)
 361 冥土の縁
 362 冥界との交流
 363 速足(はやあし)の男
 364 天界の剣
 365 天の酒倉の役人
 366 「司令官殿が縛られる!」
 367 死神の手先
 368 二度死んだ男
 369 金の輪
 370 漢の官女
 371 墓から出て来た女
 372 墓に閉じこめられた女中
 373 馮(ふう)貴人
 374 豪華な墓
 375 白狐のたたり

巻十六
 376 疫病神
 377 挽歌
 378 幽霊は存在するか
 379 幽霊は実在した
 380 泰山の知事
 381 狐竹君
 382 他郷の亡骸(なきがら)
 383 水に濡れた棺
 384 幽霊の訴え
 385 曹公の船
 386 帰って来た亡者
 387 顔の黒点
 388 幽霊の襲来
 389 琴を弾く幽霊
 390 孫と化物
 391 酔った幽霊
 392 血が通った木馬
 393 幽霊を売った男
 394 夫差(ふさ)の娘
 395 墓のなかの王女 (その一)
 396 墓のなかの王女 (その二)
 397 幽婚
 398 宿場の怪
 399 死女の傷

巻十七
 400 漢直帰る
 401 大志貫徹
 402 妻の釵(かんざし)
 403 蘇家の怪
 404 盗まれていた膏薬
 405 手におえぬ化物の話
 406 夜道の怪
 407 度朔(どさく)君
 408 竹のなかの福の神
 409 白髪の化物
 410 服留鳥
 411 山頂の果実
 412 脳のなかの蛇

巻十八
 413 枕としゃもじの怪
 414 杵(きね)の怪
 415 木から出た牛
 416 樹神の助け
 417 木の怪退治
 418 煮て食べた木の精
 419 陸上を走った船
 420 客に化けた古狸
 421 千年の狐
 422 誤って父を殺した話
 423 畔道の女
 424 承塵の上の神
 425 消えた下男
 426 大胆な男
 427 頭と足をとり違えた化物
 428 狐博士
 429 鹿の前脚
 430 堤防の娘
 431 消えた羊
 432 白犬のいたずら
 433 酒屋の老犬
 434 門前の役人
 435 怪異に動じない人
 436 追って来た女
 437 鼠の予言
 438 蠍(さそり)と雄鶏(おんどり)と雌豚
 439 豚の府君と狸の部郡

巻十九
 440 大蛇を退治した娘
 441 司徒府の蛇
 442 蛇の訴訟
 443 川のなかの女
 444 亀と鰐(わに)の怪
 445 孔子と大鯰(なまず)
 446 小人の葬列
 447 千日の酒
 448 運命の神
 
巻二十
 449 竜の恩返し (その一)
 450 虎の恩返し
 451 鶴の恩返し
 452 黄雀の恩返し
 453 隋侯珠
 454 亀の恩返し
 455 竜の恩返し (その二)
 456 蟻の恩返し
 457 忠犬 (その一)
 458 忠犬 (その二)
 459 獄中の螻蛄(けら)
 460 猿のたたり
 461 鹿のたたり
 462 蛇のたたり
 463 蛇の仇討
 464 繭のたたり

解説 (竹田晃)




◆本書より◆


「8 木彫りの羊」より:

「西周の葛由(かつゆう)は、蜀(四川省)の羌(きょう)族の出身である。周の成王のころ、木を彫って羊をつくるのが好きで、それを売っていたが、ある日、自分でつくった木の羊に乗って蜀に行った。蜀の王侯貴族たちが、あとを追って行くと、かれは綏(すい)山にのぼった。綏山には桃の木がたくさんあり、峨眉山の西南に位して、頂きも知れぬほど高い山である。葛由について行った人びとはそれきり帰らずに、一人残らず仙道を会得した。」


「21 左慈」より:

「曹公は怒って、心中ひそかに元放を殺そうと考えた。そして元放が曹公の家に来たとき、逮捕しようとすると、ぱっと壁の中へ逃げこんだまま姿を消してしまう。そこで懸賞金をかけ、捜索させた。ある人が町で元放を見つけたので、つかまえようとしたが、町じゅうの人がみな元放と同じ姿になり、どれが本物やら見わけがつかなくなってしまった。
 その後、陽城山のあたりで元放を見かけた人があったというので、また追いかけた。すると羊の群の中へ逃げこんでしまう。曹公はとてもつかまえられぬとあきらめたから、羊の群に向かってこう言わせた。
 「曹公は殺そうと考えておられるのではない、あなたの術を試してみるおつもりだったのだ。もうわかったから、どうかお目にかかりたい」
 すると一匹の年とった牡羊が前足を折り曲げ、人間のように立ちあがりながら声を出した。
 「さりとはご性急な」
 そこで人びとが、
 「あの羊だぞ」
 と、われ勝ちに駆け寄ったところ、数百匹の羊が全部牡羊になってしまって、そろって前足をかがめ、人間のように立ちあがりながら声を出した。
 「さりとはご性急な」
 それで、どれをつかまえたらよいのか、ついにわからなくなってしまった。」



「22 于吉(うきつ)の復讐」より:

「孫策が揚子江を渡って許県(河南省)を攻めようとして、于吉(うきつ)を伴って行った。ちょうど、ひどいひでりの時で、どこへ行っても焼けつくような暑さである。孫策は部下の将兵をせきたてて船をいそがせ、時には朝早くから甲板に姿を見せて督励した。ところが、将軍や役人の多くが、于吉のまわりに集まっているのを見たので、ひどく腹を立てた。
 「わが輩を于吉より軽く見る気か! わしよりさきにあいつのきげんをとるとは」
 と、すぐさま于吉をとり押えて引き出させ、叱りつけた。」
「部下に命じて、于吉を縛り、床(ゆか)にころがして日にさらし、雨乞いをさせて、
 「お前の祈りが天に通じて、正午までに雨を降らせることができたら、許してやろう。さもなければ切って捨てるぞ」
 と言った。
 すると、にわかに雲が立ちのぼり、ちぎれ雲が集まって、びっしりと空に立ちこめた。そして正午に近づくころ、大雨が一時に降りそそぎ、支流の谷川には水が満ち溢れた。
 将兵たちは大喜びで、このぶんなら于吉は許されるにちがいないと、連れ立って祝いに出かけたところが、孫策は、于吉を殺してしまっていた。将兵たちは憐れみながら、于吉の骸(むくろ)を埋葬した。
 その夜、突然に、ふたたび雲が起こり、骸を覆った。翌朝近よって見ると、骸はいずこともなく消えていた。
 さて孫策は、于吉を殺してからというもの、一人でいると、きまって于吉がそばにいるような気がする。心の底からおびえきった孫策は、どうやら頭がおかしくなってしまった。
 その後、孫策は戦傷を負ったが、その傷がようやくなおりかけたころ、鏡を手にとって傷を見ようとすると、鏡の中に于吉がいるではないか。ふり向いてみたが姿はない。鏡と背後を再三見くらべた末、鏡をなぐりつけて絶叫した。同時に、傷あとが割れて口を開き、孫策はたちまち死んでしまった。」



「24 徐光」より:

「呉のころ、徐光という人があって、いつも町へ出ては術を使っていた。
 あるとき瓜を売る商人に一つくださいと頼んだが、商人はやらなかった。すると光は種子だけをもらい受け、地面を掘って埋めた。と、見る見るうちに瓜が芽を出し、蔓がのび、花が咲き、実がなった。光はそれをもぎ取って食べ、見物人にも分けてやったのである。そのとき商人が自分の売物をふり返ると、全部なくなっていた。」



「27 ふしぎな蚕」:

「園客は済陰(山東省)の人である。なかなかの美男子だったから、近所の人で、娘を嫁に、と願う者が多かった。しかし園客は一生妻を娶らなかった。
 日ごろ五色の香草の種子をまき、数十年たってからその実を食べていた。すると、突然五色のふしぎな蛾が香草にとまった。園客はそれをつかまえて、布の上にのせたところ、蛾はその上に蚕を生んだ。
 やがて養蚕の季節になった。ある晩、神女が来て、園客を手伝って養蚕の仕事をし、香草を蚕の餌として食べさせた。その結果、百二十個の繭ができたが、大きさは酒甕(がめ)ほどもあり、一つの繭から繰る糸は、六日から七日もかかってやっと尽きるほどであった。糸を全部繰り終ると、神女は園客といっしょに、天上へと舞いあがって、それきりゆくえが知れなかった。」



「80 狐石廟」:

「宮亭湖のほとりに狐石廟という廟がある。
 あるとき、一人の行商人が都へ行く途中、その廟のあたりを通りかかった。すると、二人の少女が現われて、
 「私たちに糸で編んだ靴を二足買って来ていただけませんか。お礼は十分にしますから」
 と言う。そこで商人は都に着くと、上等の糸で編んだ靴を買い、箱も買っておさめた。ついでに、自分も小刀を買い、同じ箱のなかに入れておいた。
 さて都からの帰り道、廟のなかに箱をおき、線香をたいて立ち去ったが、小刀を取り出すのは忘れてしまった。
 ところが、それから船に乗って川のなかほどまで出ると、突然一匹の鯉が船中に跳びこんで来た。その鯉の腹をさいてみると、忘れて来た小刀が出て来たのであった。」



「326 城門の血」:

「由拳県(浙江省)は、秦代の長水県である。始皇帝のとき、この地方に、

  お城のご門が血によごれ、
  お城は沈んで湖になるぞ

 という童歌(わらべうた)がはやった。一人の老婆がこれを耳にして、毎朝城門の様子をさぐりに出かけたが、門衛の隊長が怪しんで縛ろうとしたので、老婆はわけを話した。その後、隊長は犬の血を城門に塗りつけた。老婆はその血を見るなり逃げ去ったが、急に大水が出て、県城は水につかってしまいそうになった。このとき、主簿の幹という者が知事のところへ報告に行くと、知事は言った。
 「その方(ほう)はなぜ魚になってしまったのだ」
 すると幹も、
 「知事閣下も魚になっておられます」
 と言ったが、町はそのまま沈んで、湖になってしまった。」



「378 幽霊は存在するか」:

「阮瞻(げんせん)は字を千里という。日ごろから幽霊は存在しないという主張を持っており、誰も彼を言い負かすことができなかったので、この理論は、幽明の道理を正しく説明できるものだと、つねづね自信を持っていた。
 あるとき一人の男が名を名乗り、瞻の家を訪問して来た。あいさつがすむと物の道理についてすこし話しあったのだが、客はたいそう弁舌の才能がある。瞻は議論の相手になっていたが、やがて話は幽霊や神のことになり、大議論の応酬が始まった。そして客はとうとう言い負かされたと思うと、顔色を変えて言い出した。
 「幽霊とか神とかいうものは、古今の聖賢がいずれも言われていることです。それをあなただけが、どうしてないとおっしゃるのか。このわたくしが幽霊なのですぞ」
 それから異形の姿に変じ、あっというまに消え失せた。瞻は黙りこんでいたが、たいそうにがにがしげな顔色であった。そして一年あまりたったころ、病気にかかって死んだ。」



「410 服留鳥」:

「晋の恵帝の永康元年(三〇〇年)、都でふしぎな鳥を捕えたが、名前のわかる者はいなかった。趙王倫は使いの者にその鳥を持って町や村などをまわらせ、人びとに尋ねさせることにしたが、その日のうちに、宮殿の西にいた子供がこの鳥を見て、
 「服留鳥だ」
 と言った。使いの者がもどって報告すると、倫はもう一度子供を探させた。子供が見つかったので、宮殿に連れ帰り、鳥を籠に閉じ込めて、子供といっしょに部屋のなかに入れておいた。ところがあくる日行ってみると、子供も鳥も消えうせていた。」



「428 狐博士」:

「呉中(江蘇省)の地に一人の書生がいた。白髪で胡博士と呼ばれ、弟子たちに学問を教えていたが、あるとき、とつぜんいなくなった。
 九月九日に、士人たちが連れだって山に登り、遊んでいると、どこからともなく本を講義している声が聞こえて来た。そこで下男に命じて探させたところが、空(から)の墓穴のなかにたくさんの狐がずらりと並んでいて、人影を見るとすぐに逃げ出したが、そのなかの年老いた狐だけは逃げなかった。それが白髪の書生だったのである。」



「463 蛇の仇討」:

「邛都(きょうと)県(四川省)に、一人の老婆が住んでいた。貧乏で一人暮らしの女だったが、食事のたびに、頭に角のある小さな蛇が寝台のあたりへ出て来る。老婆は哀れに思って、食べものを与えていた。
 こうしているうちに蛇は次第に大きくなり、とうとう一丈あまりにもなった。ところが、この県の知事がよい馬を持っていたのを、蛇がのみこんでしまったので、知事はたいそう腹を立て、蛇を出せと老婆を責め立てた。老婆が、
 「寝台の下におります」
 と言ったので、知事はすぐにそこを掘らせたが、掘れば掘るほど穴は大きくなるばかりで、蛇の姿は見えない。知事は八つ当たりを始め、老婆を殺してしまった。すると蛇は人間にのり移って、
 「どうしてわしの母親を殺したのだ。母の仇を討ってやるぞ」
 と、知事をどなりつけたが、その後は夜な夜な雷や風のような音が聞こえるようになったのであった。
 それから四十日ばかりたって、町の人たちは顔を見あわせると、みなが驚いた顔をしながら、
 「お前の頭には、どうして魚がのっているのだ?」
 と言いあった。そしてその夜、五里四方が町ぐるみ一度に陥没して、湖となってしまったのである。
 土地の人たちはこの湖を陥湖と名づけた。ただ老婆の家だけは無事で、今でも残っている。漁師たちは魚をとりに出たとき、必ずその家へ泊まることにしているが、風が出て波が荒れたときでも、この家のそばにいれば平穏で事故がない。風がないで水のすんだ日には、城郭や櫓(やぐら)などの整然と沈んでいるさまが、今でも見えるという。
 今、水が浅くなったときには、土地の人びとは水にもぐって昔の木を拾いあげるが、堅くて光沢があり、色は漆(うるし)のように黒い。近ごろでは物ずきな人びとがそれを枕にするので、進物として用いられている。」
















































































































『抱朴子 列仙伝・神仙伝 山海経』 (中国古典文学大系)

「私は凡庸な素質のため、いつまでも下層にうろうろしている。才能は時世に合わず、行ないは当今とずれている。ものを言えば時の風俗と調子が合わず、足ふみ出せば世間の人と行きかたがちがう。」
(葛洪 『抱朴子』 より)


『抱朴子 
列仙伝・神仙伝 
山海経』

中国古典文学大系 8

平凡社 1969年9月21日初版第1刷発行/1979年10月1日初版第11刷発行
577p 目次8p
菊判 丸背バクラム装上製本 貼函
定価2,700円
装幀: 原弘



「抱朴子」内篇巻九~十三、十五~二十は概要のみ。
本文中図版(モノクロ)多数。


抱朴子 列仙伝 神仙伝 山海経1


目次:

抱朴子 (葛洪 著/本田済 訳)
 内篇 
  序
  巻一 暢玄
  巻二 論仙
  巻三 対俗
  巻四 金丹
  巻五 至理
  巻六 微旨
  巻七 塞難
  巻八 釈滞
  巻九 道意(抄)
  巻十 明本(抄)
  巻十一 仙薬(抄)
  巻十二 弁問(抄)
  巻十三 極言(抄)
  巻十四 勤求
  巻十五 雑応(抄)
  巻十六 黄白(抄)
  巻十七 登渉(抄)
  巻十八 地真(抄)
  巻十九 遐覧(抄)
  巻二十 袪惑(抄)
 外篇 
  巻一 嘉遯
  巻二 逸民
  巻三 勖学
  巻四 崇教
  巻五 君道
  巻六 臣節
  巻七 良規
  巻八 時難
  巻九 官理
  巻十 務正
  巻十一 貴賢
  巻十二 任能
  巻十三 欽士
  巻十四 用刑
  巻十五 審挙
  巻十六 交際
  巻十七 備闕
  巻十八 擢才
  巻十九 任命
  巻二十 名実
  巻二十一 清鑒
  巻二十二 行品
  巻二十三 弭訟
  巻二十四 酒誡
  巻二十五 疾謬
  巻二十六 譏惑
  巻二十七 刺驕
  巻二十八 百里
  巻二十九 接疏
  巻三十 鈞世
  巻三十一 省煩
  巻三十二 尚博
  巻三十三 漢過
  巻三十四 呉失
  巻三十五 守塉
  巻三十六 安貧
  巻三十七 仁明
  巻三十八 博喩
  巻三十九 広譬
  巻四十 辞義
  巻四十一 循本
  巻四十二 応嘲
  巻四十三 喩蔽
  巻四十四 百家
  巻四十五 文行
  巻四十六 正郭
  巻四十七 弾禰
  巻四十八 詰鮑
  巻四十九 知止
         窮達
         重言
  巻五十 自叙

列仙伝 (伝・劉向 著/沢田瑞穂 訳)
 巻上
  赤松子
  甯封子
  馬師皇
  赤将子輿
  黄帝
  偓佺
  容成公
  方回
  老子
  関令尹
  涓子
  呂尚
  嘯父
  師門
  務光
  仇生
  彭祖
  卭疏
  介子推
  馬丹
  平常生
  陸通
  葛由
  江妃二女
  范蠡
  琴高
  寇先
  王子喬
  幼伯子
  安期先生
  桂父
  瑕丘仲
  酒客
  任光
  蕭史
  祝鶏翁
  朱仲
  修羊公
  稷丘君
  崔文子
  〔補〕 羨門
  〔補〕 老莢子
 巻下
  赤須子
  東方朔
  鈎翼夫人
  犢子
  騎竜鳴
  主柱
  園客
  鹿皮公
  昌容
  谿父
  山図
  谷春
  陰生
  毛女
  子英
  服閭
  文賓
  商丘子胥
  子主
  陶安公
  赤斧
  呼子先
  負局先生
  朱璜
  黄阬丘
  女几
  陵陽子明
  邗子
  木羽
  玄俗
  〔補〕 劉安
  列仙伝叙

神仙伝 (葛洪 著/沢田瑞穂 訳)
 神仙伝序
 巻一
  広成子
  老子
  彭祖
  魏伯陽
 巻二
  白石先生
  黄初平
  王遠
  伯山甫
  馬鳴生
  李八百
  李阿
 巻三
  河上公
  劉根
  李仲甫
  李意期
  王興
  趙瞿
  王遙
  李常在
 巻四
  劉安
  陰長生
  張道陵
 巻五
  泰山老父
  巫炎
  劉憑
  欒巴
  左慈
  壺公
  薊子訓
 巻六
  李少君
  孔元方
  王烈
  焦先
  孫登
  呂文敬
  沈建
  董奉
 巻七
  太玄女
  西河少女
  程偉の妻
  麻姑
  樊夫人
  厳清
  帛和
  東陵聖母
  葛玄
 巻八
  鳳綱
  衛叔卿
  墨子
  孫博
  天門子
  玉子
  沈羲
  陳安世
  劉政
 巻九
  茅君
  孔安国
  尹軌
  介象
  蘇仙公
  成仙公
  郭璞
  尹思
 巻十
  沈文泰
  渉正
  皇化
  北極子
  李修
  柳融
  葛越
  陳永伯
  董仲君
  王仲都
  離明
  劉京
  清平吉
  黄山君
  霊寿光
  李根
  黄敬
  甘始
  平仲節
  宮嵩
  王真
  陳長
  班孟
  董子陽
  東郭延
  戴孟
  魯女生
  陳子皇
  封衡

山海経 (高馬三良 訳)
 山海経序 (郭璞)
 第一 南山経
 第二 西山経
 第三 北山経
 第四 東山経
 第五 中山経
 第六 海外南経
 第七 海外西経
 第八 海外北経
 第九 海外東経
 第十 海内南経
 第十一 海内西経
 第十二 海内北経
 第十三 海内東経
 第十四 大荒東経
 第十五 大荒南経
 第十六 大荒西経
 第十七 大荒北経
 第十八 海内経

山海経原書插図 (『山海経広注』付図(全五巻)〔康熙六年刊〕より全図収載)

『抱朴子』解説 (本田済)
『列仙伝』『神仙伝』解説 (沢田瑞穂)
『山海経』解説 (高馬三良)



抱朴子 列仙伝 神仙伝 山海経2



◆「抱朴子」より◆


「内篇 序」より:

「わたくし葛洪(かっこう)は、生まれつきとびぬけた才があるわけでもない上に、たまたま『老子』のいわゆる無為の道が好きだった。だから、たとえ青空をしのいで飛べるほどの強い翼、風を追い光に追いつくほどの速い足があったとしても、やはり鷦鷯(みそさざい)の群のなかに強い翼をたたみ、びっこの驢馬(ろば)の仲間として速い足を隠していたい。」

「そこで私は出世の道には望みを絶ち、貧窮の境涯に甘んじることにした。あかざ・豆の葉の汁にも八珍(中略)の味があり、よもぎの戸・いばらの門にも数奇をこらした美邸の安楽がある。それで権力者の家には、目と鼻の先でも行かない。道を知る士のところには、いくら遠くても必ず訪れる。」

「無作為の心境ともなれば、泰然として有り余る喜びがある。人と競争しないという立場に立てば、平然として出世も不遇も同じと観ぜられる。純粋さを保ち、生まれたままを守り、欲もなく憂いもない。天真を全うし、形骸を忘れ、恬淡(てんたん)の境におる。ガランとして広い。まるで大混沌と同じ性質。果てもなく茫々としている。造化と等しい生き方。暗いようでもあり明るいようでもある。濁っているようでもあり清いようでもある。遅いようで速く、欠けているようで満ちている。」
「世間が褒めても喜ばない。淡々として、口を揃えての非難にもめげない。外界の物質によって精神を乱すことはなく、利害によって純粋さを汚すことはない。」




◆「列仙伝」より◆


「馬師皇」:

「馬師皇(ばしこう)は黄帝のころの馬の医者であった。馬の体質や寿命の診察に妙を得ていて、治療すればきっと治った。
 その後、一匹の竜が下りてきて、師皇に向かって耳を垂れ口をあけた。師皇は、「この竜には病気があって、わしが治せることを知っているのだ」といって、その唇の下に鍼(はり)をさしてやり、口中に甘草湯(かんぞうとう)を飲ませてやったところ、病気が治った。その後も病気になるたびに、竜は波から出てきて知らせ、治療を乞うのであったが、ある朝、竜は師皇を負って姿を消した。」



「介子推」:

「介子推(かいしすい)は姓は王(おう)、名は光(こう)、晋(しん)の国の人であった。世に隠れて無名のまま、ただ趙成子(ちょうせいし)というものが気に入って、これと親交があった。夜があけると、黄雀(こうじゃく)がその門にとまる。晋の公子の重耳(じゅうじ)が、これは非凡な人物らしいと目をつけ、伴って国外に暮らすこと十年余のあいだ、いかなる辛苦をも厭(いと)わなかった。
 やがて帰国したが、介山(かいざん)の伯子常(はくしじょう)というもの、早朝に訪れて子推を呼び出し、「逃げるがよい」といった。そこで子推は封禄を辞退し、母とともに山中に入った。そして伯子常についてこれと交わった。
 のち文公が数千人を遣(つか)わし、礼物(れいもつ)をもって招いたが、山から出ようとしなかった。それより三十年たって東海のあたりに姿をあらわし、王俗(おうぞく)と名のって扇を売っていたが、数十年後、行方が知れなくなった。」



「蕭史」:

「蕭史(しょうし)は秦(しん)の穆公(ぼくこう)のころの人であった。簫(しょう)を吹くことが巧(たくみ)で、孔雀(くじゃく)や白鶴を庭に呼びよせることができた。穆公には弄玉(ろうぎょく)とよばれる姫君があって、これがお気に召したので、穆公はついに姫と結婚させてやった。
 蕭史は日々弄玉に鳳鳴(ほうめい)の調(しらべ)を教えこむうち、数年もすると鳳の声にまねて吹けるようになり、鳳凰がやってきて屋上にとまった。穆公が二人のために鳳台(ほうだい)を建ててやると、夫婦してその上に住み、数年間もそこから下りなかった。ある日、二人とも鳳凰について飛び去った。そこで秦国では雍宮(ようきゅう)に鳳女祠(ほうじょし)をつくったが、時おり簫の音が聞えるのであった。」



「修羊公」:

「修羊公(しゅうようこう)は魏(ぎ)の人であった。華陰(かいん)山上の石室の中に住んでいた。そこには突き出た石の寝床があって、その上に寝ていたので、石はすっかりくぼんでしまっていた。ほとんど食事をせず、時たま黄精(おうせい)を取って食べた。
 その後、道術をもって景帝に用いられたいと思い、出かけてゆくと、景帝はこれを礼遇して王族の邸(やしき)に住まわせた。数年たっても、どんな術があるのか、さっぱりつかめない。ご下問があって、「修羊公には、いつになれば技倆をお示しになられるのか」というと、言いも終らぬうちに、寝台の上で化して白い石の羊になってしまった。そして脇腹には「修羊公、天子に謝す」と書かれてあった。
 その後、石の羊を霊台の上に安置しておいたところ、羊はのちにどこかへ去って、所在が知れなくなった。」



「〔補〕 老萊子」:

「老萊子(ろうらいし)は楚(そ)の国の人であった。当時は乱世であったので、世を遁(のが)れて蒙山(もうざん)の南で耕作に従い、藺(い)や葭(よしず)で垣根をつくり、雑草で小屋を葺(ふ)き、木の枝で寝床をつくり、よもぎを敷物とし、漬物(つけもの)や菱(ひし)の実(み)を食し、山を開墾して五穀の種をまいた。楚の国王が門まできて迎えたが、「鳥や獣(けもの)の毛も績(つむ)げば着られるし、その食べ遺(のこ)しの穀粒(こくつぶ)を拾っても食べていけるものだ」といって、ついに江南の地に去って住んだ。
 老萊子は両親に孝養をつくし、七十歳になっても赤ん坊のように五色の華やかな着物を着てよろこんでいた。あるとき、飲み物を持って部屋に入ろうとして躓(つまず)いて転んだ。すると地面に寝て幼児の泣くまねをした。また時には親のそばで小鳥と戯れたりした。」



「子英」:

「子英(しえい)は舒郷(じょきょう)の人であった。水中に潜(もぐ)って魚を捕えるのが得意であったが、赤い鯉をつかまえてから、その色のみごとなのが気に入り、持ち帰って池に入れ、毎度米粒(こめつぶ)で飼っているうち、一年もすると生長して一丈余にもなり、終(しまい)には角(つの)が生(は)え、翼(つばさ)をもつようになった。子英は奇妙なことだと気味(きみ)わるくなって、これに拝礼をした。すると魚がいうには、「あなたをお迎えに参りました。わたしの背にお乗りください。ご一緒に天に昇りましょう」とて、たちまち大雨が降った。子英はその魚の背に乗り、空高く昇っていった。
 それからは毎年のように元(もと)の自分の家に戻ってきて、飲食をし、妻子にも会う。終ると魚がまた迎えにくる。これが七年も続いた。かくて呉中(ごちゅう)では、家々の門口に神魚をつくり、ついには子英の祠(ほこら)を立てることになったといわれている。」




◆神仙伝」より◆


「壺公(ここう)」より:

「そのころ、汝南(じょなん)に費長房(ひちょうぼう)というものがあって、町役人をやっていた。あるとき、壺公が遠いところからやってきて、市中で薬を売るのを見かけたが、誰も顔見知りはいなかった。(中略)ふだん一個の空(から)の壺を屋上に懸けておき、日が暮れると壺公は壺の中に跳びこむのだが、誰にも見えない。ただ費長房だけが楼上からそれを見ていて、凡人でないことを知ったのである。」
「壺公は長房の誠実さを認めて、「日が暮れて誰もいなくなった時に、改めてくるように」といった。長房が言われたとおりに行ってみると、壺公は、「わしが壺に跳びこむのを見て、そなたもわしに倣(なら)って跳びこめば、おのずと入れるはずじゃ」といった。長房がそのとおりやってみると、果して気がつかぬうちに中に入っており、入ってしまえば、それはもはや壺ではなく、見えるのはただ仙宮の世界で、楼閣や二重三重の門や、二階造りの長廊下など。左右には数十人の侍者がいた。
 壺公は長房に語った、「わしは仙人じゃ。むかしは天界の役人じゃったが、役目怠慢で叱責され、それで人間界に落とされたのじゃ。そなたは見込みがある。わしにめぐり遇えたのもそのためじゃ」」



「麻姑(まこ)」より:

「麻姑は鳥のような爪(つめ)をしていた。蔡経がそれを見て、背が癢(かゆ)くてたまらない時に、あんな爪で背中を掻くことができたら、さぞや良い心持ちであろうと心の中で考えていると、方平は早くも蔡経の心に思うことを察し、すぐさま蔡経を縛(しば)って鞭で打たせた。「麻姑どのは神人なるぞ。そちはなにゆえ爪で背中を掻きたいなどと考えたるか」といった。鞭が蔡経の背に当たるのが見えるだけで、鞭を持つ人の姿は見えない。方平は蔡経に向かって、「予の鞭は滅多(めった)に頂戴できるものではないぞ」といった。」


「葛玄(かつげん)」より:

「あるとき船で旅をした。道具類の容器の中には護符(ごふ)数十枚が納められてあった。そこで、この符の効験について質問し、「どんな働きをするものか、ひとつ拝見できないものでしょうか」というと、葛玄は「符が何の働きもするものか」と、すぐ一通の護符を取って河に投げこむと、符は下流の方へ流れてゆく。「どうじゃ」と葛玄がいうと、その客は、「拙者が投げこんでも同様でござろう」といった。葛玄がまた符一通を取って河に投げると、今度は逆流しだした。「どうじゃね」といえば、客は「奇妙なことで……」という。また一通の符を取って投げると、停止したまま動かない。ややあって、下流の符は上流へ、上流の符は下流へと動いて、三枚の符が一ヵ処に寄り集まったので、葛玄はそれを取りあげた。
 河岸には洗濯をする一人の女がいた。葛玄が若者たちに、「わしは諸君のためにあの女を逃げ出させてみせるが、どうじゃ」というと、「それはおもしろい」というので、符一枚を水中に投げこむと、その女は驚いて逃げ出し、十数丁も逃げてまだ止(と)まらない。葛玄が、「止めてみせよう」といって、再び符一枚を水中に投ずると、女はすぐ止まって引き返してきた。何を怖(こわ)がって逃げ出したと女に訊いてみると、「わたし自身にもさっぱりわかりません」と答えた。」

「葛玄を招待した人があった。あまり行きたくはなかったが、その主人が是非にというので、やむなく使者についていった。数百歩も歩くと、葛玄は腹痛を起こし、立ち止まって地面に横になったかと思うと、まもなく死んでしまった。頭を持ち上げると頭がきれて落ち、四肢を持ち上げると四肢がばらばらになった。おまけに腐爛(ふらん)して蛆(うじ)がわき、近寄ることもできない。呼びにきた使者が慌(あわ)てて葛玄の家に報(し)らせにゆくと、もう一人の葛玄が堂上にいるのが見えた。使者は何もいうことができず、先刻の屍体のところへ引き返してみると、葛玄の屍体はすでに消えていた。
 人と路を同行するのに、地上三、四尺のところを並んで歩かせることもできた。」



「介象(かいしょう)」より:

「介象が山に入ると、谷間に丸い石があった。紫色で緑の光沢が美しく、大きさは鶏卵くらいで、それが数限りもなくあった。その二個を手に取った。谷は深くて前へは進めないので、引き返すと、山中で一人の美女に出遇った。年のころは十五、六、非凡な美しさで、五色の服を着ていた。これぞ神仙であろうと見て、介象はこれに長生(ちょうせい)の法を訊ねた。すると女が、「そなたが手にしている物を、元の場所に戻してくるがよい。それは、そなたはまだ取ってはならない物じゃによって、ここでそなたを待ち受けていたのですぞ」といった。介象が石を返してくると、女はやはり前の場所にいた。そして、「そなたは肉食の匂いが脱けきっていない。三年のあいだ穀(こく)断ちをしてから、また改めてくるがよい。ここで待っていようほどに」といった。
 家に帰り、穀断ちをすること三年ののちに再び出かけてゆくと、その女はやはり前の場所にいた。そこで『還丹経(せんたんきょう)』の一首を介象に授けて、「これさえあれば仙人になれるであろう。もはや他(ほか)のことはせずともよろしい」といったので、礼を述べて帰ってきた。」




◆「山海経」より◆


「第六 海外南経」より:

「結匈(けっきょう)国はその西南にあり、その人となり(注一: 人となり、とはほとんどが人間のさまざまな奇怪な形相をいい、むしろ「その姿」とすべきだが、姿でも適当でない場合もあって、広義の用法で人となりとした。)胸が突出する。南山はその東南にあり、この山よりこなた虫を蛇とよび、蛇をよんで魚という。比翼鳥はその東にあり、その鳥は青赤色で、二羽で翼がそろって飛ぶ(注二: 一鳥一翼なので、二羽ではじめて飛べる。)羽民(うみん)国はその東南にあり、その人となり長い頭で身(からだ)に羽がはえている。神人(注三: 経中、神と人は区別して用いられるが、「神人」は三ヵ所あり、後人がそのいずれかの字を加えたものであろう。時代を考える大切な資料である。「全部で十六人」は後人の注が経の文となったもの。逆に本文が注になり下がった例もある。)、二八、手をくんで帝(あくき)となり、この野の夜を支配する。羽民の東にあり、その人となり小さい頬に赤い肩、全部で十六人。畢方(ひっぽう)鳥はその東、青水の西にあり、その鳥は人面で一つの脚。讙頭(かんとう)国はその南にあり、その人となり人面で翼があり、鳥の喙(くちばし)、いまし魚を捕う(注四: このような表現は、『山海経』が絵の解説であるよい証拠である。「いまし」と訳したのはみなそれである。)。厭火(えんか)国はその国の南にあり、獣身で色黒く火を口から吐(は)く。三株(しゅ)樹は厭火の北にあり、赤水のほとりに生じる。その樹は柏(はく)の如く葉はみな珠となる。三苗(びょう)国は赤水の東にあり、その人となり互いにくっついてあるく。(中略)貫匈(かんきょう)国はその東にあり、その人となり胸に竅(あな)あり。交脛(こうけい)国はその東にあり、その人となり脛(はぎ)が交叉(さ)する。不死の民はその東にあり、その人となり黒色で、不老不死である。岐舌(きぜつ)国はその東にあり、(その人となり舌が岐(わか)れている。)昆侖(こんろん)の虚(おか)はその東にあり、虚は方形。羿(げい)と鑿歯(さくし)が寿華(じゅか)の野に戦い、羿はこれを昆侖の虚の東で射殺した。羿は弓矢をもち、鑿歯は盾(たて)をもつ。三首国はその東にあり、その人となり一つの身に三つの首(かしら)。周饒(しゅうじょう)国はその東にあり、その人となり短小で冠(かんむり)と帯をつける。長臂(ちょうひ)国はその東にあり、魚を水中に捕え、両手にそれぞれ一匹をもつ。狄(てき)山は帝・堯(ぎょう)を山の南に葬(ほうむ)り帝・嚳(こく)をその北に葬る。ここには熊・羆(ひぐま)・文(あや)ある虎・蜼(い)(おながざる)・豹・離朱(木名)・視肉(注五: 肉塊で、形は牛の肝臓の如く、両眼があり、食っても尽きることなく、また再生してもとのようになる。海内経の洪水をふさぐ息壌も同じ原理で、無限にふえつづける土をいう。)・吁咽(うえつ)(未詳)あり。文王(周)もまたここに葬る。その広大な森林は方三百里。
 南方(神)は祝融(しゅくゆう)、獣身人面、双竜(そうりゅう)に乗る。」



抱朴子 列仙伝 神仙伝 山海経3



こちらもご参照下さい:

石島快隆 訳註 『抱朴子』 (岩波文庫)


























































石島快隆 訳註 『抱朴子』 (岩波文庫)

「玄(みち)は自然の始祖にして、萬殊の大宗(おほもと)なり。」
(石島快隆 訳 『抱朴子』 より)


石島快隆 訳註 
『抱朴子』
 
岩波文庫 青 33-215-1

岩波書店 1942年10月10日第1刷発行/1987年11月5日第2刷発行
558p
文庫判 並装
定価700円



本書「凡例」より:

「本書の底本は孫星衍校刊本にして、止むを得ざるものの外は他に據ることを避けたり。」
「本書は文飾多き原文の特殊性と原文を此に印行せざる都合とを考慮し、極力原書の文字を保存して訓讀するに力めたり。」
「本書は道教思想を説ける内篇のみに止め、儒家的教説の外篇を除きたり。」
「本書は著者葛洪の解説の意味を以て、外篇自叙一文を附載せり。」



抱朴子1


内容:

はしがき
凡例

抱朴子内篇を校刊するの序 (孫星衍)
新に抱朴子内篇を校正するの序 (孫星衍)

抱朴子内篇
 序
 卷之一 暢玄(ちやうげん)
 卷之二 論仙(ろんせん)
 卷之三 對俗(たいぞく)
 卷之四 金丹(きんたん)
 卷之五 至理(しり)
 卷之六 微旨(びし)
 卷之七 塞難(そくなん)
 卷之八 釋滯(しやくたい)
 卷之九 道意(だうい)
 卷之十 明本(めいほん)
 卷之十一 仙藥(せんやく)
 卷之十二 辨問(べんもん)
 卷之十三 極言(きょくげん)
 卷之十四 勤求(きんきう)
 卷之十五 雜應(ざつおう)
 卷之十六 黃白(くわうはく)
 卷之十七 登渉(とうせふ)
 卷之十八 地眞(ちしん)
 卷之十九 遐覽(からん)
 卷之二十 袪惑(けふわく)
抱朴子外篇卷之五十 自敍

校註



抱朴子6



◆本書より◆


抱朴子2


「入山符」


抱朴子3


「抱朴子曰く、上の五符は、皆老君入山の符なり。丹を以て桃の板の上に書し、其文字を大書して、板の上に彌滿(びまん)せしめ、以て門戸の上及び四方四隅及び道側の要處とする所に著(つ)け去れば、住處とする所五十歩の内、山精、鬼魅を辟く。戸内の梁柱には皆施し安(お)く可く、凡そ人の山林に居り及び暫く山に入るものも、皆用ふ可し。即ち衆(おほ)くの物敢て害せざるなり。」

「抱朴子曰く、此符も亦是(これ)老君入山の符なり。戸内の梁柱に施す可く、凡そ人の山林に居り及び暫く山に入るものも、皆宜しく之を用ふべきなり。」


抱朴子4


「抱朴子曰く、此は是(これ)仙人陳安世が授けし所の、山に入りて虎狼を避くる符なり。丹を以て絹に書し、二符各(おのおの)之を異にして常に帶び、所住の處に著くること各四枚にして、移渉(いせう)するときは、當に抜きて之を收めて以て去るべきこと、大神祕なり。開山の符は、千歳虆(あまづら)を以てす。名山の門開くるときは、寶書、古文、金玉皆見(あらは)るれば、之を祕すべし。右一法此(かく)の如く、大同小異なり。」

「抱朴子曰く、此符は是(これ)老君が戴きし所の、百鬼及び蛇蝮(まむし)虎狼の神印なり。棗(なつめ)の心木の方二寸なるものを以て之を刻し、再拜して之を帶ぶれば、甚だ神效有り。仙人陳安世が符なり。」


抱朴子5


「山に入りて佩帶するの符」

「此三符は、兼ねて同じく牛馬の屋の左右前後及び猪欄の上に著くれば、虎狼を辟くるなり。」



こちらもご参照下さい:

『抱朴子 列仙伝・神仙伝 山海経』 (中国古典文学大系 8)





























































































































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー

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