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武田雅哉 『星への筏 ― 黄河幻視行』

「だが、名もなき古代の冒険者たちが、生命を賭して向かわねばならない遠距離航海に出発するにあたって、万人がその存在を確信しうるひとつの楽園、すなわち「崑崙」を最終的な目的地として想定しなかったと、だれが断言できるだろう。いな、むしろ、そのような精神的な目的地を持たずして、人は命がけの旅に出るものであろうか。」
(武田雅哉 『星への筏』 より)


武田雅哉 
『星への筏
― 黄河幻視行』



角川春樹事務所 
1997年10月18日 第1刷発行
270p
A5判 角背紙装上製本 カバー
定価3,000円+税
造本: 鈴木一誌+後藤葉子・宗利淳一



本文中図版(モノクロ)110点。
本書はまだよんでいなかったのでヤフオクで390円(+送料185円)で落札しておいたのが届いたのでよんでみました。



武田雅哉 星への筏 01



帯文:

「「張騫伝説」、
「黄河伏流重源説」、
「崑崙(こんろん)河源説」、
「黄河源流
ひょうたん説」など、
太古から
十九世紀末までの
“黄河の源流”をめぐる
諸仮説を
多面的に考察しつつ、
中国人における
精神宇宙を究明する、
スリリングな
長篇エッセイ。

星への筏…とは、
古代中国人の
詩的想像力の
言語世界のなかで、
「宇宙船」を意味する
ことばであった。

黄河に浮かぶ筏(いかだ)は、張騫(ちょうけん)[中国、前漢の西域開拓者]を
天の河へと運んでいった…………!?」



目次:

序章 奇妙な地図に筏を浮かべて
第一章 黄河源流の実像と虚像
 黄河源流の実際
 ヨーロッパ人による河源探検
 二十世紀、中国人による調査
第二章 黄河は崑崙に発源す――河源論の経緯1
 太古の不思議な地理書たち
 大地に刻まれた十字形
 大漢帝国のかなたに
第三章 源流を“見た”人びと――河源論の経緯2
 黄河源流論争の始まり
 “元使”都実と『河源志』
 あるべき地理学のための地図
第四章 黄河源流がひょうたんであること――河源論の経緯3
 ひょうたんのある風景
 徐霞谷と長江源流
 康熙帝の時代
第五章 宇宙からの贈り物――河源論の経緯4
 阿弥達の探検
 アルタンガダスチロの秘密
 湧出する伏流重源説
第六章 中華風宇宙庭園の設計図
 西域の幻想
 地表と地底の幻想
 地底を駆ける水脈
第七章 宇宙卵クンルンの謎
 月と大河
 南海崑崙伝説
 おしゃべりなクンルンたち
終章 さかしまの地理学

あとがき
関連エッセイ初出一覧




武田雅哉 星への筏 02



◆本書より◆


第二章より:

「『山海経』や『淮南子』に見える崑崙山と、そこに発源する四条の河川のことを、みんなは記憶しているはずだ。「四河説」のモチーフである。」
「このような中国古代の伝説に見える〈四河説〉のモチーフ、すなわちひとつの世界軸(アークシス・ムンディ)から流れ出る四条の河川のモチーフは、実は中国に特有のものではない。それは、インドの須弥山(しゅみせん)説、あるいはヘブライ伝承のエデンの構造などに極似している楽園の設計図なのである。」
「マンデヴィルの旅行記によれば、楽園の中央にある井戸から、四条の河が流れ出ている。これらは一度地底に潜り、遠い国ぐにまで伏流して、初めて地上に出る。(中略)さまざまなヴァリエーションがあるとは言え、エデンの園に発源する四河川とその伏流説は、黄河伏流重源説のモチーフを、容易に想起させる。」
「人間が、みずからの肉体を宇宙の座標の原点に据えて、中心と方位とを意識し始めたとき、さらにこれを発展させて、中心を「山」というマークに、方位のヴェクトルを「河」というマークに仮託したときに萌芽した、最も簡単な宇宙の設計図としての、中心と四方位のモデル。そのようなものを、まずぼくは想定する。」
「これら四河説のモチーフは、C・G・ユングによって「時代を問わず、常に繰返し現れ、場所を問わずいずこにおいても同一の現象形態をとって現れる」と説かれたところの、十字形、あるいは四分された円を伴った「マンダラ象徴(Mandala-symbolik)」に属するものと見なしてよいだろう。」

「漢帝国の使者として月氏に赴いた張騫は、途中で匈奴に捕らえられ、十年以上ものあいだ、抑留生活を余儀なくされた。それでもついに脱走し、命がけで大月氏国にたどりついてみると、かれらはすでに匈奴への恨みも忘れ、平和な日々を送っていることがわかった。漢と結んで匈奴と戦争をしようなどという意志は、さらさらない。こうして当初の任務を果たすことには失敗しながらも、張騫が故国に帰りついたのは、国を出てから十三年後のことであった。目的は果たせなかったものの、張騫のもたらした異域の情報量は、あまりにも大きかった。ぼくらが注目すべきは、黄河の源流に関する報告であるが、『史記』の「大宛列伝」は、次のように記載している。

  于闐から西では(と張騫は言うのだ)、河はすべて西に向かって流れ、西海(せいかい)に注ぎます。于闐から東では、河は東に向かって流れ、塩沢(えんたく)に注ぎます。塩沢の水は地下を伏流し、南で地表に湧き出て、黄河の源になるのです。」

「だが、張騫伝説でもっともポピュラーなのは、黄河源流に到達したことにまつわる話であろう。(中略)これが古来の七夕伝説などと融合して、六朝時代には、(中略)筏(いかだ)(原文では「槎」)に乗って黄河をさかのぼり、天の河にまで到達するという、張騫伝説が物語られるようになるのである。」

「河源到達伝説の原型と思われる次のような話が、宋代に編まれた『太平御覧(たいへいぎょらん)』に引かれている。

  『集林』にいわく。むかしある人が河源を尋ねた。そこで紗(きぬ)を浣(あら)っている女にであった。聞いてみると、ここは天河ですと言って、石をひとつ手渡してよこした。帰ってから厳君平に尋ねてみたところ、これは織女の「支機石(しきせき)」だということであった。

 ここでは機を支える石、「支機石」は、かれが天に到達した証拠となる物件だが、同時にそれは天から地上にもたらされた、聖なる石である。」



第三章より:

「『宋史』「河渠志(かきょし)」には、「わが世祖皇帝(=フビライ)は、学士蒲察篤実(=都実)に命じ、西に向かって河源を窮めさせ、はじめてその詳細を得た」とある。その探検行の実際については、潘昂霄(はんこうしょう)という人物が、『河源志』(あるいは『河源記』とも作る)という短い文章に綴っている。」
「この記念すべき文献は、ここでもその一部を引かせていただかなくてはならない。

  河源は、吐蕃、ドォ・カムス(朶甘思)の西の隅に位置する。泉が百あまりわき出ている。泉があれば、水たまりもある。水は湿地帯の中に広く分布し、七、八十里四方にわたっていて、ほとんど泥で満たされている。ここは人跡未踏の地である。全体を見渡すことはできない。かたわらの高い山に登って眺めてみたところ、水たまりは燦然として、さながら星をちりばめたようである。そのためにホドン・ノール(火敦脳児)と名づけられている。ホドンとは、翻訳すると「星宿」の意味である。

 「星宿」を導くまでの、簡にして要を得た、また読む者のイメージを刺激してやまないであろう描写が、ここにはある。」



第四章より:

「星宿海がひょうたん形に描かれている事実は、ぼくにとって、たいへん興味深い。」


第五章より:

「さて阿弥達が帰京して数か月後、乾隆四十七年(一七八二)の七月二十二日。乾隆帝みずからが整理した調査報告とみなしてよい詔勅が下される。王先謙(おうせんけん)が編んだ年代記『東華録(とうかろく)』などに見えるその内容は、先ほどの阿弥達の報告とは、少し異なっている。

  ……星宿海の西南に河がある。その名をアルタンゴール(阿勒坦郭勒)という。モンゴル語で「アルタン」とは、漢語の「黄金」、「ゴール」は「河」のことである。この河こそは、黄河の上流なのである。その水の色は黄色で、迥旋すること三百里あまりで星宿海に注ぐ。ここより合流して貴徳堡にまで至れば、水の色はまっ黄色、そこで始めて黄河と呼ばれるようになる。また、アルタンゴールの西に、巨石がある。高さは数丈、アルタンガダスチロ(阿勒坦葛達素斉老)と呼ばれている。モンゴル語で「ガダス」とは「北極星」のこと、「チロ」とは「石」のことである。岸壁は黄赤色で、壁の上には、天池がある。池のなかからは泉が湧き出しており、百すじに分かれて流れる。いずれも黄金色を呈しており、アルタンゴールに入る。これが黄河の真の源流なのである。」

「ぼくはまず、黄河源流に設置された「北極星石」を、「水の湧き出ずる石」にまつわる物語の一種として考えたいと思う。」

「魚を閉じ込めた石の話は、宋代の石譜(ラピダリウス)、たとえば杜綰(とわん)の『雲林石譜(うんりんせきふ)』などに、その原形が見えている。

  余は一個の円く青い石を手に入れた。大きさは柿ほどである。文鎮にして、ひと晩置いておいたところが、簡冊までがびしょぬれになっていた。あとでこれを器のなかに置いてみたところ、ほどなくして水がにじみ出てきた。ある日これを床に落としてしまい、石は三つ、四つの破片に砕けてしまった。なかの空洞には、一匹の小魚がいた。わずか一寸ばかりの大きさで、跳び出してくると、すぐに死んでしまった。

 龍や魚を閉じ込めた、子宮としての聖なる石は、水気を生ずるのを特徴とするらしい。」

「さて、明の『語怪』に見える「水宝」という話柄を、ここで特に詳しく紹介しよう。
 明の弘治年間、回回(ホイホイ)(西域のイスラム教徒)が入貢するさいに、山西省のとある池の前を通りかかると、突然回回は、「あの泉を買いたい」と言いだした。かれは土地の人間や知事らと交渉し、とうとうこれを大金で買いとってしまう。回回は、のみと槌で泉を掘り、泉の源流に到達する。なんと、そこには一個の石があった。泉の水は、その石から湧き出ていたのである。回回はこの石を取り出した。土地の知事が、それはなにかとたずねると、回回はこう答えた。

  天下にはただ二宝のみ。それは火と水とでございます。もしこの二宝がなければ、人間は生きられない。二宝のうち、火宝はまだ得やすいが、水宝は得がたい。これがその水宝でございます。これを汲めば、尽きてはまた満(み)ち、三軍万衆の城邑国都といえども、供給して尽きることがございません。

 回回はそう語り終えると、水宝を抱えてうれしそうに去って行った。」

「「水宝」はじめ、ここに羅列した、水にまつわる珍宝は、機能的には、明代河源地図における黄河源流としての「ひょうたん」であり、清代における「北極星石」そのものなのである。」
「ユングは、錬金術における秘密の最たるものとされる“第一質料(プリマ・マテリア)”の遍在性を説くにあたって、十五世紀イギリスの錬金術師ジョージ・リプリーの、次のようなことばを引用している。(中略)

  人間はだれでも石(ラピス)を持っている。それはどんな場所にも、汝の内にも、われの内にも、どんな物の内にも、時空を問わずいついかなるところにも存在する。それは見かけは安っぽい卑俗な姿をしている。その中からわれらが永遠なる水(アクロ・ペルマネンス)が生ずるのである。

 時空を問わず、どこにでも存在する「永遠なる水を生ずる石」。しかしそれは、卑俗な姿をとっているがために、そのような石であることを見抜くことは難しいのだ。」



第六章より:

「黄河の伏流、このシステムの由来を考えるときに、しばしば西域起源説が提示されてきた。また、中国人がこの説を近代にいたるまで発展させてきた理由を考えたときにも、かれらの異界へのロマンチシズム、西域幻想といったようなものが重要な構成要素であろうことには、容易に想到するであろう。」
「黄河の水、それは、中原とはかくも異質な世界から、延々地中を伏流して、中原を潤すにいたるのである。」

「地底を潜流する水の通り路、あるいは水流を伴わない場合もあるが、そのような地中のトンネルを意味する、なかば空想的な中国人の地理学的概念を、かれらは「地脈」と呼んでいる。」
「地脈とは、海、湖、泉、井戸、河川など、地表にあっては互いに隔たっている水に関わる諸要素を、ひそかにあい通じさている、見えざる地中のトンネルなのである。」
「この地脈のシステムは、黄河伏流重源説を構成しているシステムと非常によく似ている。」
「黄河が地中を一千五百華里にわたって伏流する。――この壮大な仮説に、裏づけとしてのリアリティを与えてきたもののひとつが、この地脈の幻想であっただろう。」



第七章より:

「地理学のタームとしての「地穴」は、文字どおり、洞窟を含む、地底にうがたれた孔道を指す。造園学のタームとしての「地穴」は、ひとつの庭、あるいは部屋から、隣の庭や部屋に抜ける門のことである。そしてこの「地穴」は、月やひょうたんや壺の形を好んでとる。」
「ひょうたんが、たがいに次元の異なった宇宙を結ぶ転送装置としての機能を有しているらしいことは、想像に難くないだろう。中国の物語に登場する仙人たちが、この装置を用いて、こちらの世界とあちらの世界を自由に移動していたことは、すでにお話ししたとおりである。(中略)ひょうたんは転送装置であると同時に、そのなかには、ひとつの無限大宇宙を内蔵しているらしい。水や酒を無限に供給する永久機関としての機能は、すでに見たとおりだが、そのような機能は、内部にひとつの宇宙をまるごと包み込んでいるという宇宙卵的構造に由来することは、いうまでもないだろう。(中略)そして、黄河が発源する崑崙山もまた、そうであるにちがいない。」

「スウェーデンの言語学者カールグレン以降、類似した音を持ち、それゆえ類似の観念や基本義を共有する単語群を、単語家族(ワード・ファミリー)として整理することが提唱された。」
「「崑崙」や「混沌」のおびただしい兄弟たちでも、特に美味(おい)しいやつは、「餛飩(こんとん)」(hun-tun)、すなわち食べ物のワンタンであろう。」
「ぼくらがワンタンと呼んでいる食品、餛飩は、(中略)本来は(中略)、麦粉をこねて団子にしたものを煮て、スープに浮かべたものであった。」
「それにしても、スープの海に浮遊する球形の卵とは、あの渾天説そのものではないか。中国人は、かれらの宇宙論を、庭園、建築、盆景、身体など、さまざまなミニチュアに仮託した。そしてここでは、ひと碗の料理のなかにまで、現出させているのである。」

「美味(おい)しい宇宙卵ワンタンに手足が生えた場合、それは宇宙卵クンルンの人格化として現出する。その代表者は、『荘子(そうじ)』に見える、その名も渾沌(こんとん)(Hun-dun)であろう。」
「カオスの時代にこそ、渾沌は生き生きと存在しえた。ところがひとたび宇宙が秩序を尊重する方向に進化し、コスモスとして完成したとき、渾沌は、『荘子』が物語っているように死に至るか、それでもあえて生きようとするならば、(中略)コスモスの維持に不可欠であるところの「道徳」や「正義」によって、「不道徳」や「悪」のレッテルを張られずにはいられないのである。現代社会において「渾沌」たらんとする者、あるいは「渾沌」の遺伝子を受け継いだものたちは、モラルという名の怪物から、ヒステリックな攻撃を受けずには済まないこと、ここで検証を加えるまでもないであろう。いま、悪、犯罪などと呼ばれているものたちこそは、かつての「渾沌」の生き残りにほかならないのではないだろうか。ぼくらが怪物なるものと真剣につきあわねばならない理由も、まさしくここにあるのである。」
「『山海経』の「西山経」には、「天山には神がいて、それは黄色い袋のようであり、赤く輝く。六足で四翼、渾敦(こんとん)(=渾沌)として面目(=顔)がない。歌舞をよく知るが、これは、実は帝江である」と記されている。」
「渾沌たる獣たちは、生物としての官能や機能をはじめから必要としない神獣であるとともに、秩序的な生体の機能を重んずる世界では、「不具」、「奇形」と呼ばれる存在でもあろう。秩序を手にした人類のはるかなる父であり、ただいまの権力の依りどころである原初のコスモス的皇帝が、同時に、悪、不道徳、非秩序、不具、奇形などの疎まれるべき存在そのものでもあったという、昼間の権力にとってははなはだ危ういコンセプトをも、「渾沌」という語彙は抱えているのである。」

「クンルンとは、無であるがゆえに、すべてを生み出す根源である、ぼくらの宇宙そのもの、または宇宙卵のかけらであったのかもしれない。これはコントンとして、コンランしており、カラカラ音をたてながらコロコロ転がり、クルクルまわる。ときにクロく見え、その内部をつかもうとして手を伸ばしてみても、そこはカラっぽである。ときに屹立する世界山クンルンとなり、キラキラ輝く月や玉となる。(中略)ときにそれは西のかなたに置かれ、ときにそれは南の海中に浮かぶ。いずれもひとつではなく、増殖を続け、(中略)そいつは大きくなったり、小さくなったり、みずからを見るものの観念に照らして、自由自在に大きさを変えてしまうのである。」
「クンルン探しとは、クルンとした卵を復原しようとする、虚しい作業なのかもしれない。なぜならクンルンのかけらとは、ぼくらじしんにほかならず、クンルンへの旅とは、最終的には、おのれの肉体をもクラインの壺と化して裏がえし、メビウスの輪の上を駆け、みずからを出口のない時間と空間の迷宮に追い込まずには済まない行為だからである。」



終章より:

「ひょうたんに発源した黄河の水は、ふたたび、ひょうたんのなかに回帰するのである。これまで探し続けてきた宇宙卵のかけらたちは、次なる宇宙を創るべく、ふたたびコロンとした原初の卵を形成することだろう。」



武田雅哉 星への筏 03





こちらもご参照ください:

三浦国雄 『風水|中国人のトポス』 (平凡社ライブラリー)
中野美代子 『奇景の図像学』
井筒俊彦 『コスモスとアンチコスモス』 (岩波文庫)
根井浄 『観音浄土に船出した人びと ― 熊野と補陀落渡海』 (歴史文化ライブラリー)
斎藤忠 『木内石亭』 (人物叢書 新装版)
『トマス・ド・クインシー著作集 Ⅰ』



































































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武田雅哉 『桃源郷の機械学』

「かれらはタイムマシンなどという気のきかない方法を使っての旅はしない。ただ行きたいところに飄飄逸逸と移動するだけなのだ。」
(武田雅哉 『桃源郷の機械学』 より)


武田雅哉 
『桃源郷の機械学』


作品社 1995年1月10日初版第1刷印刷/同15日発行
342p 
20×15.5cm 丸背紙装上製本 カバー 
定価2,800円(本体2,718円)
造本装幀: 祖父江慎



著者は1958年生、中国文学。
子どもむけ絵本のように、ページの角が丸く削ってある造本です。本文用紙は変色しやすいのでご注意ください。


武田雅哉 桃源郷の機械学1


帯文:

「夢見る怪物たちの、もうひとつの中華帝国。
中国の途方もない機械=魔術。そのすばらしい源泉から驚異を呼びだした鉄人がいる。南方熊楠が博物学を、澁澤龍彦が欧州美術を、そして寺田寅彦が物理学をおもしろくしたように、いま、武田雅哉が中国学をおもしろくする!――荒俣宏」



帯裏:

「非常識や不条理に見える中国人の物語世界。あわてず騒がず、中国人は、ことばだけを駆使して、この不条理世界を平然とした顔で静かに織り成してゆく。書生の口から吐き出された美しい女は、さらにその口から、桃源郷を駆動させているからくりたちを、次から次へと吐き出してゆこうというけしきだ。――序文より」


目次 (初出):
 
序――口から出てきた女とともに
 
I さかしまの地理学
 宇宙卵クンルンの謎 (初出時: 「混沌――この宇宙卵を探そう!」/「別冊宝島」116号 1990年)
 黄河の源流がひょうたんであること (「響文」4号 1985年)
 不死の山〈崑崙〉への航海 (初出時: 「不老不死の造形」/「View」65号 1992年)
 地中海から来た火焰山――日沈む処の地理学 (日本文化財団『孫悟空・火焰山の巻』所収 1991年)
 
II 人工宇宙の遊び人たち
 偽りの山・懐胎の山――中国人の山中遊戯 (「is」59号 1993年)
 リゾートにいたる地図学 (初出時: 「石だたみ 踏み踏みわたる 理想土地」/「is」43号 1989年)
 見立てのある宇宙論 (INAX BOOKLET 『現代・見立て百景』所収 1994年)
 孔くぐりのルナパーク――園林の神仙遊戯装置 (「しにか」 1994年2月号)
 円明園の噴水と永久機関幻想 (「オムニ」 1986年4月号)
 金魚鉢のなかの畸形宇宙 (初出時: 「中国人は金魚蜂に地底幻想を映し見る!?」/「オムニ」 1988年五月号)
 海上蜃楼圖譜 (「夜想」12号 1984年)
 
III 怪物たちの午後
 中華風怪物の盛り合せ (書き下ろし)
 ことばと怪物――〈越境〉としての怪物現象 (書き下ろし)
 髑髏の 幻戯(トワイライト・ダンス) (書き下ろし)
 八戒、その漂白の旅――民衆本における動物図像の運命について (「文学」57号 1989年)
 猪ッちゃんが喰うわよ!――飽食の堕天使、猪八戒のダイエット法 (「夜想」23号 1988年)
 「イラ・フォルモサ!」への旅――台湾人サルマナザール “美しき島の物語” (「へるめす」23号 1990年)
 躍るテレメンテイコ――草双紙に暗躍するフェイクとしての中国人 (初出時: 「テレメンテイコというヘンな隣国人」/「別冊宝島」126号 1991年)
 
IIII 桃源郷の機械学
 近代中国における電気とエーテル――脳髄からの桃源郷 (「イマーゴ」 1990年7月号)
 中華風惑星カタログの旅 (「別冊宝島」138号 1991年)
 杞憂のゆくえ――墜ちてくる星の歴史学 (「ユリイカ」 1993年6月号)
 月を見るサイ――桃源郷の機械学 (「現代思想」 1991年1月号)

みんなで口にもどりましょう――あとがきにかえて
初出一覧・著者略歴



武田雅哉 桃源郷の機械学2



◆本書より◆


「陽羨(ようせん)というから、いまの江蘇省宜興(ぎきょう)あたりである。土地の男、許彦(きょげん)は、ある日、つがいのガチョウが入った籠(かご)を背負って山道を歩いていたと思ってください。すると、ひとりの書生が、道端で苦しがっているのにでくわした。書生は、籠のなかに入れてほしいという。許彦が冗談だろうと思っていると、書生は籠のなかに入ってしまった。籠が広がったわけでもなく、書生が小さくなったわけでもない。ガチョウは、ないごともないかのように驚かない。許彦はそのまま歩きだしたが、重いわけでもない。
 しばらく歩いた許彦が木の下で休もうとすると、書生が出てきて言った。
 「お礼になにかごちそうしましょう」
 許彦が「いいですね」と言うと、書生は口から銅の箱を取り出した。箱のなかにはいろいろなごちそうが入っていた。酒を飲み交わすと、書生は言った。
 「連れの女がいるのですが、呼んでもよろしいでしょうか」
 許彦は「いいですよ」と答えた。書生は、口からひとりの美しい若い女を吐き出した。三人で飲み食いしているうちに、書生は酔って眠ってしまった。すると女が許彦に言った。
 「このひととは夫婦なんだけど、実はあたし、好きじゃないの。ないしょで男を連れているんです。いま呼びますので、主人にはだまっていてくださいな」
 許彦が「いいですよ」と言うと、女は口からひとりの男を吐き出した。」

「男が許彦に言った。「この女は真心に欠けるところがあるのです。わたしには連れの女がいるのです。ちょっと呼びたいのですが、ないしょですよ」。
 許彦は言った。「いいですよ」。
 その男も、口からひとりの女を吐き出した。酒を酌み交わしていると、書生が起きだしそうな気配がした。 
 「ふたりが目を覚ましたようです」。男はそう言うと、女を口のなかに戻した。やがて若い女が起きてきた。
 「主人が目を覚ましそうです」。そう言うと、女は男を口にのみこんだ。しばらくすると書生が起きだしてきて、許彦に言った。
 「すっかり眠ってしまいました。日もおそいので、お別れです」
 書生は女をのみこみ、皿やら器をすべて口のなかにかたづけると、二尺ばかりの銅の盆を許彦に渡して言った。「何もありませんが、記念にどうぞ」。
 書生はそう言うと、許彦に別れを告げて去っていった。
 「陽羨鵝籠(ようせんがろう)――陽羨のガチョウの籠」という(中略)この物語は、六朝時代、梁の著名な詩人、呉均(ごきん)(四六九―五二〇)の小説集『続斉諧記(ぞくせいかいき)』に収められている。」



武田雅哉 桃源郷の機械学3

「ひょうたんのなかにある神仙世界に、俗人である費長房を招き入れる壺公。明代『列仙全伝』より。」


武田雅哉 桃源郷の機械学7

「『三才図絵』に見える「沙弼茶(茶弼沙)国」の図。手前に「太陽」が描かれている。」

「沙弼茶国は、これまで到達した人がいなかった。ただ、かつて狙葛尼(ズーガーニ)という聖人が、ここを訪れて記録を残した。この国は太陽が西に没する地である。夕方になって日が没すると、その音は雷鳴のようである。そこで国王は、毎日、城門の上に千人の兵隊を集め、ホルンを吹き、ドラを鳴らし、太鼓を打たせて、太陽の音に紛らわせるのだ。そうしなければ、子供がショック死してしまうのである。」



武田雅哉 桃源郷の機械学6

「蘇州産まれの妓女。雑誌『小説時報』より。」


武田雅哉 桃源郷の機械学8

「ご主人さまに倣ってアヘンを吸うワンちゃん。『点石斎画報』より。」


武田雅哉 桃源郷の機械学5

「李嵩『〓(漢字: 骨+古)髏幻戯図(ころうげんぎず)』」

「画面左、五里塚の前に腰をおろしている二人づれは、夫婦ものの旅芸人であろうか。赤ん坊に乳を与える母親。そして骸骨の操り人形を操るその夫が、そのまま頭巾をかぶった骸骨の姿をしている。その骸骨人形のダンスをおもしろがってか、ハイハイしながら近づいてゆく幼い子供。その後ろにいる少女は、子守りであろうか。「だめよ! そちらに行ってはいけないわよ!」と、幼な子を呼び止めているようにも見える。
 骸骨の操り人形は、当時の操り芝居で実際に使われていたもののようだ。」



武田雅哉 桃源郷の機械学9

「テレメンテイコが吉原を駆ける。首に掛けているものが、一種の物質転送装置である御守り袋だ。」

「京伝に『早道節用守(はやみちせつようのまもり)』(一七八九)という黄表紙あり。これに登場するひとりの中国人、名をテレメンテイコ」という。秦の始皇帝の命をうけ、一瞬にして何万里をも走ってしまうというお守りを首にかけて日本へ美女を捜しに飛んで行くのが、かれである。」
「「テレメンテイコ」というのは、ポルトガル語のテレピン油を意味する「テレビンテイナ」を人名にしたものらしい。たんに音がおもしろかったのか、それともテレピン油であることになにかの意味があるのかどうか、ぼくにはよくわからない。人名としては、芝全交(しばぜんこう)の黄表紙『大悲千禄本(だいひのせんろっぽん)』(一七八五)に、「てなし貸しの手代、てれめんてい兵衛」なる日本人名として使われているほか、やはり京伝の黄表紙『盧生夢魂其前日(ろせいがゆめそのぜんじつ)(一七九一)には、「唐土(もろこし)呉の丁固(ていこ)とやら、てれめんていことやらが……」と、こちらは丁固という中国人名のもじりとして使われている。フェイクとしての外国語、とくに親しくかれらが学んだオランダ語や中国語が、オランダ語に由来する名を持ったヘンな中国人“テレメンテイコ”を、十八世紀末の江戸に誕生させたのだった。」



武田雅哉 桃源郷の機械学0

「ラジオという電気機構を操作するモダンガール。鏡浦散史編『支那春怨百秘図』(金鈴社、一九二八)より。」


武田雅哉 桃源郷の機械学4

1916年に刊行された奇書『大千図説』より、宇宙人とその「宇宙言語」のカタログ。

「これらの宇宙人図鑑を眺めていてすぐさま連想されるのは、中国古代の地理書である『山海経』にもとづいて、近世に描かれた図版、あるいは明代に描かれた『三才図会』系統の図版だろう。」
「中国博物図譜の人類・生物カタログの伝統は、こうしてついに地球外生物のカタログにまで発達したのだった。」











































































































































武田雅哉 『蒼頡たちの宴』

「漢字への不満や懐疑は、近代に至って初めて生まれたものではないということだ。漢代にあって、すでに漢字への懐疑は生じていたのである。文字の発明は、少なくとも漢代には、呪われたものとしての一面をも兼ね備えていたということになる。」
(武田雅哉 『蒼頡たちの宴』 より)


武田雅哉 
『蒼頡たちの宴
― 漢字の神話と
ユートピア』


筑摩書房 
1994年8月25日 初版第1刷発行
1994年11月25日 初版第3刷発行
322p 
四六判 丸背紙装上製本 カバー
定価2,200円(本体2,136円)
装幀: 南伸坊



本書「あとがき」より:

「本書は、拙著『翔べ! 大清帝国』(中略)の一部を成す「漢字の長い午後」と、雑誌に書き散らした以下のエッセイをもとに、あらたに書きおろしたものである。
 「「イラ・フォルモサ!」への旅――台湾人サルマナザール“美しき島の物語”」(『へるめす』二十三号、一九九〇)」

「本書を書いた動機は、「ヘンテコな文字を並べた本を作りたい!」という、はなはだ不純なものに尽きるのであるが、」



本文中図版(モノクロ)多数。
本書は1998年に「ちくま学芸文庫」版が刊行されています。



武田雅哉 蒼頡たちの宴 01



帯文:

「サントリー学芸賞受賞
〈普遍文字〉の夢に憑かれた幻視者たちの
高邁な精神と奇ッ怪な成果。
漢字をめぐる愛憎の歴史が、中国人のコスモロジーを映し出す。」



帯裏:

「中国人じしんが、
どれほど漢字を嫌悪し、
これと戦ってきたか、
それでもなお現在、
漢字を使わざるをえない
でいるのはなぜなのか?
「序 眼球コンプレックス」より」



目次:

序 眼球コンプレックス
一 蒼頡の夜明け
 漢字発明者の伝説
 蒼頡のイコノロジー
 漢字の起源伝説
二 中国人のお荷物
 漢字の発音表記
 漢字のバベルと普遍中国語
三 月に映じた普遍の夢
 十六、十七世紀ヨーロッパの中国語観
 普遍言語構想と中国語
 月世界語をマスターせよ
四 円環をめぐる対話
 『西儒耳目資』の誕生
 レンズをのぞく二人
 言語を生む円環
五 中国の言語ユートピアン
 トリゴーの子供たち
 東洋の普遍言語計画
 言語ユートピアの帝王学
六 蒼頡たちの画廊
 バベルへの挑戦
 世のなかは変えねばならぬ
 大清帝国新文字の画廊
 ユートピアの言語政策
七 蒼頡たちの午後
 跳梁する記号たち
 異文字のカタログ
 あるべき記号を求めて


あとがき




武田雅哉 蒼頡たちの宴 02



◆本書より◆


「序 眼球コンプレックス」より:

「漢字を作ったといわれる伝説上の聖人は、蒼頡(そうけつ)という名を持っていた。かれの、外見上の最大の特徴は、「四つの目」を持っていることであった。蒼頡の肖像をながめてみよう。四角形の四つの隅を形成しているような、かれの目の配置は、まさに四角い文字である漢字を産み出した聖人にふさわしいものだ。」
「ところが、われわれ漢字を使用する人間ときたら、残念なことに、(中略)「目玉が二つ足りない」のである。これは、毛が三本足りないことよりも、決定的な欠陥ではあるまいか。四つ目の偉人が発明したものを、二つ目の凡人がなんとか活用しようというのであるから、発明者の意図を完全に継承するのは、しょせん無理なことであろう。それゆえにわれわれは、そしておそらくは中国人も、(中略)漢字という、本来はとてつもなく偉大なはずの発明品を、まっとうに使いこなすことができず、むしろこれを持てあまし、その管理と保全とに、多大な苦労を強いられてきたのである。」

「いっぽうヨーロッパでもまた、言語が不完全なものであるとの懐疑は、しばしば語られていた。『創世記』第二章は、最初の人、アダムが、すべての生き物に名前をつけたことを告げている。さらに第十一章第九節によれば、ただ一種類の言語を話していた人間は、ひとつの町に集まり、天に達する塔の建造を始めた。天から降りてきたヤハウェは、このありさまを見て言った。

  「御覧、彼らはみな同じ言語をもった一つの民である。そしてその始めた最初の仕事がこの有様だ。今に彼らの企てる何事も不可能なことはなくなるであろう。よし、われわれは降りていって、あそこで彼らの言葉を混乱させ、彼らの言葉がたがいに通じないようにしよう」。ヤハウェは彼らをそこから全地の面に散らされたので、彼らは町を建てることを放棄した。それゆえその町の名をバベル(Babel=混乱)と呼ぶのである。というのはそこでヤハウェが全地の言葉を乱し、またそこからヤハウェが彼らを全地の面に散らされたからである。

 ただいま話されている無数の言語は、こうして乱された言語のなれの果てにほかならない。大航海時代は、地球上のどこかに残存しているかもしれない「アダムが話していた言語」のかけらを捜すという作業を、ひそかなる目的としていた。これと同時に、アダムの言語に匹敵するような完全な言語を、科学的にデザインするという作業にも、かれらは着手し始めた。「普遍言語」や「哲学的言語」と呼ばれるものの構想である。
 十六世紀あたりから、おもにイエズス会宣教師によって陸続と紹介されつつあった東洋の大帝国の言語もまた、アダムの言語の候補者であり、同時に、新たな言語のデザインのモデルであった。つまり、中国は言語のユートピアであり、中国語はユートピアの言語として幻視されたのであった。
 十七世紀、多くの宣教師がかれらの文化を携えて中国にやってくるようになると、漢字に懐疑を抱いていた中国の言語学者たちは、ヨーロッパで用いられているラテン・アルファベットに触れ、その表音性に魂を奪われたけしきがある。かくして、東と西とのあいだに一枚の鏡が生れたといえるだろう。東は西を鏡に、西は東を鏡にして、みずからの言語の解剖と模索とを始めたからである。」




武田雅哉 蒼頡たちの宴 03







こちらもご参照ください:

ジョスリン・ゴドウィン 『キルヒャーの世界図鑑』 川島昭夫 訳
パオロ・ロッシ 『普遍の鍵』 清瀬卓 訳 (世界幻想文学大系)































































































『夜想 12 特集: 上海』

『夜想 12 
特集: 上海』

Yaso #12 SHANGHAI summer 1984

ペヨトル工房 
1984年7月30日 発行
1984年10月15日 第2刷発行
192p 
A5判 並装 
定価980円
編集発行人: 今野裕一
デザイン: ミルキィ・イソベ
主任編集: 国貞陽一



シャンハイ特集号。1984年は吉田日出子の上海バンスキングの年です。
ペヨトル工房からはカセットブック『上海星屑 Shanghai Star Dust』(夜想音像版 2)も出ていました。「1980年、上海の外国等向けホテルの夜宴に突如登場した幻のジャズ・バンド。20年代のジャズが当時のまま蘇る――この一夜を限りに再び上海からジャズは消えた」。丸尾末広のイラスト入りブックレット付、執筆は野口久光、海野弘。持っていたのですが見当らないので処分してしまったものと思われます。肝心の演奏の方はごく普通のジャズでした。
そういえば1984年にはダニエル・シュミットの『ラ・パロマ』も再上映されています。


夜想 上海 01


目次:

ぷろろーぐ
滅亡と発展が交わる市――上海と秘密結社史 (荒俣宏)
上海へ――魔都に着くまで (春名徹)
北一輝の上海 (松本健一)
一九三〇年=上海――その簡単なエスキース (尾崎秀樹)
井上紅梅――上海の変化とともに (三石善吉)
海上蜃樓圖譜 (武田雅哉)
踊る上海 (小野耕世)
李香蘭・上海のゆめ (竹中労)
上海メモランダム・上海の闇 (写真・文 中川道夫)
インタヴュウ 二重の旅 (渡辺はま子)
冒険児梅花郎の伝説 (田崎潤)
 
PANORAMA
 上海丸
 洋徑濱
 南京路の夜景
 四川路の賑わい
 醤油屋
 両替商
 ドッグレース
 ハイアライ
 アヘン採集
 競馬場
 北四川路
 日本人クラブ
 上海モダン美人
 渡辺はま子と李香蘭
 塚本誠
 影佐禎昭と梅機関
 76号と丁黙邨、李士群
 鄭蘋茹
 川島芳子



夜想 上海 03



夜想 上海 04



夜想 上海 05



夜想 上海 06



夜想 上海 07



夜想 上海 02

 
裏表紙はドクトル梅津バンド(カセット)と浅田彰(ブックレット)のカセットブック「1Q84」の広告。





































































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
 
うまれたときからひとでなし
なぜならわたしはねこだから
 
◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

Koro-pok-Guru
Away with the Fairies

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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