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大林太良 『海の道 海の民』 

「中世の百科事典『塵添壒囊抄(じんてんあいのうしょう)』には、天皇は海神の子孫だから応神天皇のときまで、竜のような尻尾(しっぽ)があったという奇怪な伝承を記している。このように天皇家には海神ないし竜神の血が流れているというのは、広くかつ後世まで民衆の間でも信じられていたのであった。」
(大林太良 『海の道 海の民』 より)


大林太良 
『海の道 
海の民』 



小学館 
1996年12月10日 初版第1刷発行
279p 索引・引用文献xxii
四六判 丸背紙装上製本 カバー
定価2,300円(本体2,233円)
装丁: 守先正
装画: 蓮見智幸



本書「あとがき」より:

「この本は『海と列島文化』に発表した論文を中心として、その他の機会に発表した海にかんする論文を加え、また加筆して、一冊としたものである。」


本文中に図版(モノクロ)52点、地図4点。
本書は もったいない本舗 さんで579円(送料無料)で売られていたのを注文しておいたのが届いたのでよんでみました。



大林太良 海の道 海の民 01



目次:

序章 まわりの海から日本文化をみる

第一部 列島と海洋文化
 第一章 日本の海洋文化とは何か
  一 海と島をみる視角
  二 漁撈と海上交易
  三 神話的宇宙論と古代における王権と海
  四 海民の社会
  五 東アジア海民の交流
 第二章 黒潮と海上移動
  一 人間と文化の移動と海流
  二 日本民族文化にみる黒潮の役割
 第三章 入れ墨の連続と不連続
  一 入れ墨習俗の変遷
  二 入れ墨他界観の分布
 第四章 日本の神話伝説における北方的要素
  一 北方からの道
  二 北方的要素の多様性

第二部 地域と海民
 第五章 合流と境界の隼人世界の島々
  一 俊寛とガイドブック
  二 隼人世界の島々の六つの特徴
  三 三つのルート
 第六章 内海の文化
  一 九州と畿内を結ぶ瀬戸内海
  二 中世の外敵伝説
  三 瀬戸内海文化領域
  四 海の豪族と水軍
  五 海の宗教
 第七章 伊勢神宮と常世の重浪
  一 遍歴と鎮座、王権と皇祖
  二 常世と豊穣
  三 海人と伊勢神宮
 第八章 若者組織の社会史――志摩桃取の場合
  一 志摩の沿海文化
  二 寝宿のもつ意味とその役割
 第九章 海と陸のヒスイの道――越と出雲
  一 階層化の進展と玉の役割
  二 神話にみる婚姻習俗

あとがき
初出一覧
引用文献
索引




◆本書より◆


第一章より:

「日本神話の体系は地上における王権の由来を説き、天皇家の先祖が天から降臨したことを語るのを主眼としている。そこでは表面に出ているのは王権の根源は天にあるという考えである。(中略)ところが、その一方で、太陽の女神(アマテラス)自身も、天で生まれたのではなく、イザナギが筑紫(つくし)の日向(ひむか)の橘小門(たちばなのおど)の阿波岐原(あわきはら)で、海水で禊(みそぎ)をしたとき生まれたと『古事記』は語っている。(中略)つまり、太陽の女神、天界の支配者そして天皇家の祖神であるアマテラスも実に海辺に生まれたのであった。さらに、天孫が地上に降臨したのちは、その息子の山幸彦(やまさちひこ)は、海神(ワタツミの神)の宮を訪ねることによってはじめて王者となることが可能となった。そして山幸彦、その子のウガヤフキアヘズは、ともに海神の女をめとり、二代つづけて海神の血が入って、はじめて初代の天皇、神武(じんむ)が生まれたのであった。
 中世の百科事典『塵添壒囊抄(じんてんあいのうしょう)』には、天皇は海神の子孫だから応神天皇のときまで、竜のような尻尾(しっぽ)があったという奇怪な伝承を記している。このように天皇家には海神ないし竜神の血が流れているというのは、広くかつ後世まで民衆の間でも信じられていたのであった。」

「ところで、このような日本古代における王権と海との密接な関係は、アジアの東部では決して孤立したものではなかった。」
「新羅(しらぎ)の脱解(だっかい)王の出現を『三国遺事(さんごくいじ)』は次のように伝えている。第二代の南解王のとき、駕洛(から)国の海上に船が停泊した。駕洛の首露(しゅろ)王は臣民とともにこれを迎え、留めようとしたが、船は鶏林(けいりん)の東下西知村阿珍(あちん)浦にいたった。「時に浦辺に一嫗(おうな)あり、阿珍義先と名づけ、すなわち赫居(かくきょ)王の海尺(かいしゃく)の母なり」とある。彼女は、この海中に岩がないのに、なぜ鵲(かささぎ)が集まって鳴くのか不審に思って舟を漕いで行ってみた。すると一艘の舟の上に鵲が集まっており、舟のなかに箱が一つあった。この舟を樹下に曳いていって開けると、端正な少年がいた。これが脱解だった。三品彰英が論じたように、
   海尺は古く海辺の漁人に対する俗称であり、脱解を拾い上げたのがそうした海尺の母であったということは、この神話と信仰が本来漁民の間の伝承であり、あるいはちょうど我が海部族の海童信仰にも比すべきものでなかったかを示唆している(三品 一九七二、三一六―三一七)。
 私はこの三品説に賛成であるが、それにつけ加えることがある。それは、新羅の建国神話においても、表面では王権の根拠は天にあることになっていながら、そのかげに、海とのつながりが見えがくれする点で、日本の場合と類似していることである。」

「その後、朝鮮では高麗(こうらい)王家の祖が海とのつながりを示す伝説をもっている。『高麗史』によると、作帝建(さくていけん)は竜王の乞いに応じて海中の岩で老狐(ろうこ)を殺し、竜王の女(むすめ)と結婚した。しかし、のちに彼女が竜に化した姿をみたため、二人は別れることになったという。この後半の部分は、わが国のトヨタマビメ神話と共通している。そして竜女の生んだ子のうち、長男の竜建の子が高麗の太祖・王建である。」
「東南アジアにおける王権と海とのつながりは、いろいろな形でみられる。第一に、カンボジアの民間伝説に、牛飼いの少年が王から命ぜられて、海底の国に竜王の女を探しに行き、彼女を連れ帰り、王を亡(ほろぼ)して自らが王となり、竜女を皇后とする筋のものがある(中略)。」
「第二の事例は『スジャラ・ムラユ』(つまり『マレー年代記』)である。インド王チュランは海中探検を志して、ガラスの籠(かご)に入って海底のデイカ国に達し、そこの王女と結婚し、三人の子をもうけたが、三人の男の子が成人したら必ず地上の国に送るように言いのこして、チュラン王は南インドに帰った。そしてこの三人の王子はのちに南スマトラのシ・ダンタンの丘に天降ることになっている。」



第五章より:

「このように隼人世界と海外との交渉においては、種子島が古くから注目すべき地位にあったが、また中世においても種子島は、(中略)倭寇(わこう)の出身の最も多い薩摩(さつま)(鹿児島県西部)・肥後(ひご)(熊本県)・長門(ながと)(山口県西北部)につぐ九か国(島々も含む)の一つとして、大隅と相並ぶ存在であったし、また高麗(こうらい)への往来もあった。」
「もちろん種子島ほど顕著な交渉の歴史はなかったが、あの俊寛の流された硫黄島もまた、唐土から漂着するところであったという。『神社啓蒙』や『下学(かがく)集』(文安元年〈一四四四〉成立)、また『和漢(わかん)三才図絵』(寺島良安編。正徳三年〈一七一三〉刊)には、次のような灯台鬼の伝説が残っている。
 むかし軽大臣(かるのおおおみ)が遣唐使として唐土に渡ったとき、唐人に不言薬をのまされた。そして、身に彩画をほどこされ、頭に灯台をいただき、灯火をともし、灯台鬼となった。その子の参議春衡(はるひら)も遣唐使となり、斉明(さいめい)天皇二年(六五六)丙辰(ひのえたつ)の年に唐の皇帝に謁(えつ)した。千夜を経て、灯鬼が出たが、灯鬼はわが子をみて、指をかんで血で漢詩と和歌をしたため、自分が父であることを知らせた。春衡は父であることを知って、灯鬼を求めたが、日本に帰る日、颯州(薩州)硫黄島で父は没し、そこに葬った。だから、そこを鬼界という。
 なんとも奇怪な話であるが、『和漢三才図絵』も、「軽大臣は何時の人なるかを知らず」と記しているように、虚構の人物であった。しかし、『薩隅日地理纂考』一二之巻では、硫黄島の徳躰(とくたい)神社の祭神を軽大臣とし、石祠(せきし)で神体は自然石であること、軽大臣が息子にともなわれて帰朝のとき、「時に硫黄嶋に漂着し、遂(つい)に此の地にて薨(こう)じ、神に崇(あが)むといふ」などと記しているように、硫黄島でも信じられていた伝説であった。」




大林太良 海の道 海の民 02



大林太良 海の道 海の民 03







こちらもご参照ください:

谷川健一 『古代海人の世界』
網野善彦 『海と列島の中世』 (講談社学術文庫)
大林太良 『邪馬台国』 (中公新書)































































































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村山修一 『日本陰陽道史話』 (朝日カルチャーブックス)

「以上みてきますと、方術士はおおむね野人として活動し、時局に批判的な人が多く、たとえ官に用いられても権力者に屈しない反骨的精神がありました。政局不安な時勢は彼らの立場にむしろ有利に働いたようでした。」
(村山修一 『日本陰陽道史話』 「後漢の陰陽家方術士たち」 より)


村山修一 
『日本陰陽道史話』
 
朝日カルチャーブックス 71 


大阪書籍
1987年2月20日 第1刷発行
4p+255p
四六判 並装 カバー
定価1,200円
装幀: 山本耕三



本書「あとがき」より:

「本書は、朝日カルチャーセンター〈大阪〉における講座「日本陰陽道の歴史」で、昭和六十一年一月から六月まで十回にわたり、お話しいたしましたものをもとにしてこれに手を加え、説明の不充分なところ、時間の関係で省略したところを補い、新しい原稿として書き下ろしたものであります。(中略)本書は易の卦や卜占の解説が目的でなく、日本の歴史がいかに陰陽道と深く結びついて今日に至ったか、いいかえれば陰陽道を通して日本の文化を主とした歴史の歩みを理解しようとしたものです。
 数年前、著者は『日本陰陽道史総説』を世に送りましたが、これは学術的な形で書かれたものでありましたので、今回の講座はその中から一般に興味あるトピックを選び出し、それらをいっそうわかりやすく叙述したばかりでなく、その後えられた新しい知見をも至るところに挿入して前著にみられない斬新味を出したつもりであります。」



本文中図(モノクロ)12点。
本書はまだよんでいなかったのでアマゾンマケプレで551円(送料込)で売られていたのを注文したおいたのが届いたのでよんでみました。本書はのちに平凡社ライブラリー版(2001年9月)として再刊されています。



村山修一 日本陰陽道史話



カバー文:

「古代中国で発生した
陰陽道すなわち易は、
神祇信仰や仏教と習合しつつ、
日本の政治・社会・学問・芸術
など多方面に影響を与え、
ひいては一般民衆の日常生活
にまで深く浸透した。
その結果、現代日本人の間に
いまなお根強い伝統的意識
となって生き続けている。
こうした陰陽道の
日本独自の発展をとおして、
日本歴史の流れを
改めて眺め直す。」




目次:

第一章 陰陽道の起源と日本への伝来
 陰陽道の発生
 中国古代の君主と革命思想
 後漢の陰陽家方術士たち
 後漢以降の陰陽道の新展開
 陰陽道の日本伝来と聖徳太子の政治的受容
 飛鳥時代の陰陽道的諸信仰
 人名と星の信仰

第二章 瑞祥と災異
 律令制の理念と陰陽道
 天武天皇と陰陽寮官制
 白鳳奈良朝期の瑞祥と改元
 平安初期における災異思想の横行
 災異改元の流行
 院政ならびに幕政下の改元
 元号に選ばれた文字

第三章 神仙と冥府
 中国の二大思想・信仰
 泰山と蓬莱山
 西嶽真人と西王母
 冥府冥官の信仰
 日本霊異記に見えた冥土観、その一
 日本霊異記に見えた冥土観、その二
 日本霊異記に見えた冥土観、その三
 日本霊異記に見えた冥土観、その四
 泰山府君の祭りと都状
 吉野金峯山地方の神仙郷
 神仙思想の日本的展開

第四章 王朝貴族と陰陽道の名人たち
 平安初期の陰陽家
 陰陽道宗家の登場
 安倍晴明にまつわる数々の奇譚
 祇園社と吉備真備
 泣不動の霊験談と名人揃
 具注暦と物忌
 様々の方忌
 白河上皇と大江匡房

第五章 易に心酔した政治家
 奈良朝の陰陽家
 藤原頼長の周易研究
 藤原通憲の学才と自己卜占
 頼長の易者的活動
 政界の推移と頼長の政治的窮迫
 保元の乱における勝敗の岐路
 平治の乱と通憲の自滅
 通憲の首にまつわる怪談

第六章 栄枯盛衰の世と予兆思想
 変革期の思想の流れ
 平清盛の信仰と陰陽道
 天文の変と蚩尤旗の出現
 安徳天皇御誕生にまつわる予兆思想
 時局急転と凶兆の連続
 平氏の没落と陰陽道
 指神子といわれた安倍泰親
 陰陽寮の鐘

第七章 山伏と陰陽道
 役小角の活動と呪禁道
 葛城山系の神仙化と一言主神の信仰
 広足の没落と小角の密教化
 熊野大峯修験の陰陽道的思想
 修験者の呪符
 修験者の方術・奇術
 山伏神楽

第八章 密教と陰陽道
 宿曜道の伝来と奈良朝の宿曜師
 空海の宿曜道経典請来
 真言密教の請雨経法
 真言密教の星曼荼羅
 真言密教の星供祭文
 六字河臨法
 牛頭天王の信仰と縁起
 簠簋内伝と日本的宿曜道の成立
 牛頭天王の形相

第九章 鎌倉武士と陰陽道
 武家の顕密仏教受容
 源頼朝の挙兵と祈願行事
 将軍実朝の時代の陰陽道
 実朝暗殺の凶兆
 承久の乱前後の陰陽師
 陰陽祭の規模の拡大
 宿曜師の活躍と将軍の方違え
 七瀬祓と疫病に対する陰陽道的呪法
 陰陽師惟宗氏
 将軍の交代と陰陽師・宿曜師の活動
 平氏出身の宿曜師
 陰陽祭の種類
 民間流布の俗信と武家故実化

第十章 宮廷陰陽道の没落と民間陰陽道の発展
 室町初頭の陰陽師の活動
 将軍義持・義教時代の陰陽道
 擢暦座の出現
 賀茂氏本流の断絶
 土御門家の没落とその所領
 近世陰陽道宗家の復興
 山科言継と民間宿曜師
 声聞師の活動と竈神信仰
 中国の竈神と日本の荒神
 中国の庚申信仰
 庚申信仰の日本伝来と平安・鎌倉期における展開
 庚申講・庚申石塔の出現
 庚申縁起の成立
 庚申講の食事と庚申信仰の神祇化
 庚申信仰の本質と日待月待の影響
 七福神信仰

あとがき




◆本書より◆


第一章より:

「後漢を滅ぼした黄巾(こうきん)の徒は、太平道と呼ばれる宗教結社の人々が黄色い頭巾をつけたためにつけられた名称で、黄色が漢王朝に代るべき色とされたのでありました。黄巾の徒の指導者張角は、黄老道すなわち黄帝と老子をまつりました。」
「後漢のあと魏・晋(しん)・南北朝の兵乱期はますます陰陽家、方術士の暗躍舞台となり、政治家は図讖にたより、卜占にふりまわされました。」
「一方、西晋より東晋に続く四世紀には、呪術的な密教経典やインドの天文に関係ある『舎頭諫太子二十八宿経』が訳出され、密教と陰陽道は呪術的な思想や方術を通じて結びつき、ここに宿曜道(すくようどう)という特殊な分野を生み出すことになりました。これが日本でも平安朝以降、密教の盛行にともなって、思想・信仰の世界を風靡(ふうび)するに至るのであります。」

「陰陽道の大陸から日本への伝来についての最も古い記録は『日本書紀』継体天皇七年(五一三)七月、百済から五経博士段楊爾(だんようじ)が学者人材として献上され、同十年九月、五経博士漢の高安茂と交代したとあるものです。五経には『易経』が含まれていますから、これはわが朝廷に正式に易が伝えられたことを意味します。欽明朝(五三九―五七一)には百済から新たに五経博士のほか、易博士・暦博士が来朝し、推古朝には十年(六〇二)、百済僧観勒(かんろく)が暦本をはじめ天文・地理書や遁甲・方術書を携えて来て朝廷に献上しました。朝廷では陽胡史(やこのふびと)の祖玉陳(たまふる)に暦法を、大友村主(すぐり)高聡に天文と遁甲を、山背臣日立(やましろのおみひたて)に方術を学ばせ、それぞれの分野の専門家になりました。これらの人々には大陸からの渡来者が多かったと思われ、大友高聡は近江国滋賀郡大友郷の帰化氏族出身であり、後世、甲賀武士五十三家の中に大友(大伴)の一族、伴氏が出たのは甲賀忍術が遁甲に発したことを物語っているのでしょう。遁甲は陰陽の変化に応じてその身を隠し、吉をとり凶を避ける方術で、軍事や政治に必要とされたものでした。
 このように僧侶が伝えたところから、陰陽道は学問・技術中心よりも著しく宗教色のかかったものとして、本来、呪術的宗教になじんできた日本人にマッチした形で受け入れられました。(中略)僧旻(みん)は聖徳太子の命をうけて直接唐に留学者として赴き、最も新しい陰陽道を学んで帰り、中臣鎌足や蘇我入鹿など知識人に伝えました。仏教信仰の受容には崇仏排仏の政治対立まで起した日本人も、陰陽道そのものには目立った抵抗を示しませんでした。」
「その後、崇仏派が勝利を得るに及んで、陰陽道は新しい政治体制の権威づけや理論づけにも積極的な役目を担うことになったのであります。聖徳太子はすぐれた仏教の理解者である反面、陰陽道でもそれに劣らぬ精通者でありまして、冠位十二階、憲法十七条の制定、国史編纂をとおして陰陽五行説・讖緯(しんい)説をわが政治理念に深く導入されました。冠位十二階の序列は儒教の徳仁義礼智信でなく、『管子』の五行説による徳仁礼信義智であり、服装類に関しても五行に配当された色をもって各階級の冠の色が定められました。(中略)これは陰陽五行を調和し、妖変を去り、祥福を招くためでありまして、十二階の十二は天帝のいる太一星をとりまく十二の衛星を意味したと思われます。妖変、すなわち不吉の予兆には服妖(ふくよう)・詩妖など様々のものがあり、服妖は衣服にあらわれた凶兆で、不吉な色彩模様や奇異な服飾の流行がそれです。詩妖は民間に流行した童謡・歌謡に不吉な意味を含めた言辞があらわれることで、これらの妖はすべて君主の背徳から生ずるのであります。奇怪な童謡は、聖徳太子の死後より大化改新の頃にかけて『日本書紀』にいくつかのせられています。三輪山の猿が歌った話もあります。服妖については、美的感覚に鋭敏な平安朝宮廷人の間でも強い関心がもたれたのでありまして、三善清行(みよしきよゆき)が深紅色の衣服の流行は火災の頻繁に関係があるとしてこの色の衣の着用禁止を朝廷に進言したほどです。」

「平安朝には北斗七星の信仰も盛んになりました。中国で偽作された『仏説北斗七星延命経』も知られていて、人は生れると七星のいずれかに所属するので、その本命の星をまつる属星祭が盛んになりました。すなわち子歳生れの人は貪狼星、丑寅生れの人は巨門(こもん)星、寅戌生れの人は禄存星、卯酉生れの人は文曲(もんごく)星、辰申生れの人は廉貞(れんじょう)星、巳未生れの人は武曲(むごく)星、午生れの人は破軍星をまつるわけです。この北斗七星は日月五星の精とされ、七曜を統(す)べ善悪を司り禍福を頒(わか)つものであり、人がこれを礼拝すれば長寿富貴が得られ、罪業を除き、一切の願望が叶えられるとされました。」



第四章より:

「暦の上で最も興味を惹(ひ)くのは物忌(ものいみ)でありましょう。物忌はわが固有の信仰としても古くからあり、一定の期間、外部との交渉を遮断して閉じ籠り、その結果、清浄な身になり、神事を勤めるもので、物忌をすることにより、新たに清浄な人間として生れ代ることを意味します。その閉じ籠るために頭からひっかぶる布団のようなものが真床襲衾(まどこおふすま)で、天孫瓊々杵尊(ににぎのみこと)が高千穂(たかちほ)峯に天降(あまくだ)られたとき、この中に入っておられたのでした。物忌中にたくさんの霊魂(spirit)を身につけて、身体の再生復活が行われます。これが鎮魂の儀であり、増殖する霊魂を「みたまのふゆ」といいました。これが冬祭りの原義とされています。かような素地があって陰陽道の物忌がとりいれられました。これには祟る霊や神の存在が考えられ、暦日や方位も祟りの条件に入ります。それらの条件によってあらかじめ物忌がきまっている場合もあり、物怪(もののけ)や夢見の前兆を知って初めて物忌がきまる場合もあります。軽き物忌、固き物忌、重き物忌と様々の程度の物忌があります。」
「物忌の期間は一日で済むこともあれば三、四日にわたることも珍しくなく、半月以上に及ぶ場合もみられます。」
「物忌中は写経・読経のほか、詩歌に興じ、法要・講会を催し、管絃を楽しむことなどに宛てられましたが、例えば内裏火事など緊急事態が発生すれば、物忌を破って外出することもありました。」



第八章より:

「陰陽道の密教への進出として、もう一つ見逃せないのは祇園社の牛頭天王信仰との習合であります。ここから生れた宿曜道は修験者の手によって民間に流布し、陰陽道の民衆化に大きく貢献したのでした。祇園社の祭神は牛頭天王とその妃婆梨采女と子の八王子で、平安中期、南都興福寺の密教僧円如がまつったものといわれ、本来はチベットの牛頭山の神で、山に生えている栴檀(せんだん)は熱病や火傷・刀傷に効ありとせられ、その神は疫神として信仰され、仏教と習合して日本にもたらされました。日本ではこれが陰陽道の影響を受け、星宿神に変り、宿曜道の中心的な神としてあがめられることになったのです。
 そもそも祇園社に平安末、中世初め頃に牛頭天王縁起が作られ、外来の疫神の日本化が試みられました。その内容のあらましを申し上げましょう。むかし北海に住む武塔天神(牛頭天王)が、南海の神の娘を妻に迎えようと出かけられました。途中日が暮れ、宿を探されました。ときに将来と呼ぶ兄弟の家が二軒あり、弟の巨旦将来は富裕で屋倉一百あり、この方に天神が宿を乞われると惜しんで断られた。つぎに兄の蘇民将来は貧しかったが快く宿を貸された。しかし貧乏なので粟柄(あわがら)を座布団とし、粟飯を御馳走しました。天神は大いに喜び、南海に赴き八人の子をもうけて帰ってこられた際、蘇民将来の家に立ち寄り宿を借りた礼がしたい。ついてはお前の家に家族はどれぐらいおるかときかれました。蘇民将来が妻と娘の二人であると答えると、天神は家族皆に、腰の上に茅輪をつけよといわれ、そのとおりすると、その夜、蘇民の家の者を除いて弟の巨旦将来その他の家の人々をことごとく殺してしまいました。そして言われるには、われは素戔嗚(すさのお)尊である。今後、疫病が流行すれば蘇民将来の子孫といって茅輪を腰の上につけた人々だけは死なずに済むだろうと。
 大体以上の筋ですが、ここでは武塔天神は素戔嗚尊と同一にされ、牛頭天王の疫病信仰を日本人になじみやすいように変化させられています。わが国古来の疫病信仰では穢れを負わせて追却し、あるいは流し去るものとして人形がつくられましたので、これを神格化した疫神は「追却される神」として信仰の対象になり、古典神話で高天原を追放された素戔嗚尊がこれにふさわしいものとして結びつけられました。茅輪はチガヤをたばねて円形の輪にしたもので、(中略)穢れを攘う呪物であります。」



第九章より:

「宿曜師の星祭りで特異なのは羅睺・計都の二星です。嘉禎元年(一二三五)大仏師康定に命じて、一尺六寸の薬師像千体、忿怒形で青牛に乗り、左右の手に日月を捧げる姿の羅睺星神像、忿怒形で竜に乗り、左手に日、右手に月を捧げる姿の計都星神像、禄在存星および本命星、薬師像各一体を造立し、陰陽師文元が計都星祭を勤めました。これは頼経の病気のため一連の祈禱行事につながるもので、羅睺・計都はいわゆる蝕神(日蝕・月蝕を起させる神)といい、災厄の神として怖れられるのであります。」

「さて、これまで各種陰陽道の祭りの名称が出てまいりましたが、ここで上記の『吾妻鏡』から何種類のものがあるか、総括的に拾い上げてみますと、およそ四十八種に上り、これをごく大まかに四つの部類分けにして示しますと、つぎのようになります。
 (一) 泰山府君祭 鬼気祭 天曹地府祭 三万六千神祭 百怪祭 呪咀祭 霊気祭 招魂祭 鷺祭 痢病祭 疫神祭
 (二) 天地災変祭 属星祭 歳星祭 太白星祭 熒惑星祭 大将軍祭 日曜祭 月曜祭 地震祭 塡星祭 代厄祭 羅睺星祭 大歳八神祭 土曜祭 木曜祭 計都星祭 北斗祭 水曜祭 夢祭
 (三) 土公祭 宅鎮祭 石鎮祭 防解火災祭 堂鎮祭 厩鎮祭 西巌真人祭 十二星祭 大鎮祭り 拝謝祭 竈祭
 (四) 四角四堺祭 七瀬祓 風伯祭 井霊祭 雷神祭 霊気道断祭 霊所祭 五竜祭
(一)は病気その他、身体に関しての祈願祭、(二)は星宿信仰に関しての天変地異の祈願祭、(三)は建物の安全祈願祭、(四)は祓いに関しての神祇の作法に近いものです。」
「しかし、陰陽道の祭りは実際には上掲の四十八種には止まりません。鎌倉時代、陰陽師賀茂在言が編集したとみられる『文肝抄』では百四十九種が挙げられています。もっともこの本は、残念ながら早く散逸(さんいつ)して後半部しか遺らず、その部分だけをみますと、約五十種だけがわかっていまして、上記四十八種以外のものとして五帝四海神祭・海若神祭・大土公祭・小土公祭・王相祭・炭鎮祭・荒神祭・八鬼祭・水神祭・和合祭・八卦諸神祭・宇賀祭などが見えます。」







こちらもご参照ください:

村山修一 『日本陰陽道史総説』






































































『コリャード 懺悔録』 大塚光信 校注 (岩波文庫)

「弟子 モルタル科を仕(つかまつ)るでは、デウスを本(ほん)に背き、その御(ご)掟に敵対(てきた)い、ガラサの御位(おんくらい)を失うて、ただ天狗(てんぐ)の奴(やつこ)になり、デウス・アンゼレス・ベアトたちの怨敵(おんでき)にあい変り奉る。」
(『コリャード 懺悔録』 より)


『コリャード 
懺悔録』 
大塚光信 校注
 
岩波文庫 青/33-814-1 


岩波書店 
1986年7月16日 第1刷発行
173p 
文庫判 並装
定価300円



本書「凡例」より:

「本『懺悔録(さんげろく)』の原典は、元和五―八年(一六一九―二二)の間日本にあって布教に従った、スペイン人神父コリャード(Diego Collado 1589?-1641)の著作であって、一六三二年ローマ布教聖省の刊行にかかる。(中略)この刊本は、見開きで左右対照できるように(中略)、左頁に日本文、右頁にそのラテン語対訳文を配置し、ヨーロッパ人読者の理解を助けるように工夫されている。本文庫本は、そのうちの、(一)日本語部分(全)の翻字(1本文 2脚注 3補注)、(二)ラテン語対訳部分の翻訳(抄)を収めるとともに、本書にもっとも関連深い資料として、(三)参考 サルワトル・ムンヂ翻刻(抄)を掲げ、(四)解説を施したものである。
 なお、ラテン語部分の翻訳に関しては長神悟氏の全面的な御協力を得た。」



図版(モノクロ)2点(「原書4-5頁」「原書の扉」)。



コリャード 懺悔録 01



帯文:

「キリシタンの語った告白を集めた書。近世日本語の貴重な口語資料であり、また当時の風俗・生活をうかがい知らせる興味深い文献。」


内容目次:

凡例

懺悔録
 扉
 出版許可状
 読者に寄する序言
 本文
  教義宣言の文
   〔十のマンダメントのこと〕
    〔一番のマンダメントに対しての科のこと〕
    二番の御掟に対しての科のこと
    三番のマンダメントについて
    四番の御掟について
    五番のマンダメントについて
    六番の御掟について
    七番のマンダメントについて
    八番の御掟について
    〔末のマンダメントについて〕
   〔七つのモルタル科について〕
    〔一番について〕
    五番について
    〔六番〕嫉妬・猜みについて
  慈悲の所作に対して
  〔キリシタンの妨げについて〕
  総括
 教えの文

ラテン語対訳文(抄)
参考 サルワトル・ムンヂ(抄)

補注
解説 (大塚光信)




コリャード 懺悔録 02



◆本書より◆


「五番のマンダメント(脚注:「「人を害すべからず」(サルワトル)」)について」より:

「弟子 また、我(わ)が夫(おっと)は意地の悪い者なれば、自(みずか)ら(脚注:「私。女が使う。」)を打っつ(脚注:「たり…たり。反覆の意を表わす。」)扣(たた)いつせらるるによって、その子を儲(もう)けぬ為に、身持ち(脚注:「妊娠すること。他に、生活の仕方、行儀に相当する意もある。」)になってから腹を捻(ねじ)って、その子を堕ろしまらした。
弟子 そのほか、我(われ)ら貧人至極(ひんにんしごく)(脚注:「この上もなく大層な貧乏人。」)でござれば、子六人を持ちまらした。それを育つる様(よう)もござらいで、懐胎(かいたい)になるまい為に、からくり(脚注:「いろいろと工夫をする。」)も致しまらする。一度(ど)も懐妊になってから、薬を用いて(脚注:「薬を飲んで。」)六月(むつき)の子を堕ろし、一度(ど)また産(さん)の時分に子を踏み殺いて、腹中(ふくちゅう)から死んで生まれたと申しまらしてござる。」



「六番の御(ご)掟(脚注:「邪淫を犯すべからず」(サルワトル)」)について」より:

「弟子 我ら不犯(ふぼん)の願(がん)(脚注:「貞潔の誓願を立てる。」)の者でござるをキリシタン衆(しゅ)皆知られて、縁辺(えんぺん)の沙汰(さた)(脚注:「婚姻の世話。」)少しもござらいで、邪(よこしま)の念が萌(きざ)す時は、身(み)を接して(脚注:「苦しめて。「接」は、修行のため、心身を苦しめることで、禅語であった。」)なりとも防ぐこともあり、またあまりきつうその妄念に犯さるる時によっては、え防ぎとどけいで(脚注:「悪念を退けてしまうこともできないで。」)、身をかき探り、あの方(かた)に指をさし入れ、男と寝ておるふりを致いて、四・五・六度(ど)その淫楽を遂げ果すように身を動(いご)き起しまらした。
 また、余(み)が願(がん)の障碍(しょうげ)(脚注:「誓願を立てていることから生じる妨げ。」)を知られた男、せめて膚(はだえ)を見しょう(脚注:「底本 mixeô を訂する。見せてください。勧誘の意。」)と善悪(脚注:「とにかく。」)程(ほど)久しゅう勧められたれば、初めはよもよも(脚注:「万一にもそんなことをしては。」)と申して偏気(へんき)したれども(脚注:「反対したが。」)、都合(つごう)(脚注:「結局のところ。」)言い詰(つ)められて(脚注:「言いまかされて。」)、それに任せまらした。その時、男も我(わ)が膚(はだえ)を見せて、私(わたくし)にとり懸(かか)って倒されたれば、膚(はだ)と膚(はだ)と合わせたところで、もう早(はや)火が燃え立って、何(なに)なりともし果そうずれども、うち割ったらば、自然(脚注:「万一。」)身持ちになって外聞を失おうと、むつかしゅう存じて(脚注:「名誉を失いはしないかと、面倒に思って。」)、本(ほん)に致させまらせいでござった。とかく皿の所はうち割らいで、ただ少し損じて残ったが、それよりほかは両方の恣(ほしいまま)に致しまらした。その上、味方から(脚注:「私の方から。」)臀(しり)よりすれば身持ちになろう気遣いがないと勧めて、若道(にゃくどう)(脚注:「男色。」)のようにそれと度々(たびたび)寝まらしてござる。語った分は四月(よつき)の間(あいだ)に繁うござったれば、その後(のち)万(よろず)に悪行(あくぎょう)に負けて、終に面目(めんぼく)(脚注:「名誉。」)までも軽(かろ)んじて、それと本(ほん)に男の科を犯しまらした(脚注:「(若道のようにでなく)普通に情交を行なった。」)これ細々(さいさい)でござったれども、最初(さいじょ)には子胤(こだね)とっと中(うち)に入(い)り、身持ちになり変らぬように(脚注:「うまく中に入って、妊娠する、そのようなことにならないように。」)様々(さまざま)に工(たく)んだれども、その後(のち)、あの人をばあまりに大切に思うによって、結句(脚注:「かえって。」)その子を儲けてよかろうと存じて、もう早(はや)そのまま置きまらする(脚注:「工んだことを止めて、自然の成行きに任せる。」)ことは三月(みつき)の間(あいだ)でござった。また、以下(いげ)の工みは(脚注:「身持ちにならないようにたくんだのは。」)一月(ひとつき)のことでおじゃった。幾度(いくたび)とは覚えまらせなんだ。」






こちらもご参照ください:

ルイス・フロイス 『ヨーロッパ文化と日本文化』 岡田章雄 訳注 (岩波文庫)
『長崎版 どちりな きりしたん』 海老沢有道 校註 (岩波文庫)































レヴィ・ブリュル 『未開社会の思惟 (下)』 山田吉彦 訳 (岩波文庫)

「死者は越えがたい深い淵によって距てられているのではない。そうではなく死者は絶えず生者と交通している。」
(レヴィ・ブリュル 『未開社会の思惟 (下)』 より)


レヴィ・ブリュル 
『未開社会の思惟 
(下)』 
山田吉彦 訳
 
岩波文庫 白/34-213-2 


岩波書店 
1953年10月5日 第1刷発行
1991年3月7日 第9刷発行
221p 総索引・引用書目30p
文庫判 並装 カバー
定価570円(本体553円)
カバー: 中野達彦



旧字・新かな。



レヴィ・ブリュル 未開社会の思惟 下



カバーそで文:

「文明人と未開人の心性を根本的に異質なものとした本書は、単に文化人類学や社会学の領域だけでなく児童心理学や精神病理学の分野にも大きな影響を与えた。」


目次:

第三部
 第六章 原始諸制度と前論理の心性
  一 狩
  二 漁
  三 戰
  四 Intichiuma 式祭儀
  五 懐胎行事
 第七章 原始諸制度と前論理の心性(續)
  一 A 病気/B 診斷/C 治療藥/D 藥物
  二 死の原因/それの傍、だからそれのため
  三 卜占/呪術
 第八章 原始諸制度と前論理の心性(終)
  一 生者と死者
  二 一番葬式
  三 死の完了
  四 死者の財物
  五 出産/幼兒殺し
  六 入門式
  七 巫醫の入社式
第四部
 第九章 上級型への過渡
  一 前論理的、神秘的型
  二 精神の個人化
  三 神話
  四 概念への發展
  五 前論理的要素の強靭性

あとがき
引用書目
總索引




◆本書より (旧字は新字に改めました)◆


「第六章」より:

「チェロキー族は、「殺された動物を慰めるための呪文を持ち、狩人は、キャムプに帰ったとき、鹿の主(ぬし)が彼の家まで、後をついて来られないように(そして、彼を病、殊にリウマチスムにかからせないように)、通り過ぎた途に火をつける。」カナダでは、「熊を殺したとき、狩人はパイプの口を、熊の歯の間に入れてがん首を吹き、その口と喉とを煙で満たし、精霊に、痛い目に合わしたからと云って怒らないように、また将来狩の首尾を害わぬように、歎願する。」――ヌートカ・サウンドの土族の間では、「殺したときには、普通熊の身体についている塵と血とをよく清めてから、首長の前に持って行って真直ぐに坐らせる。熊は、首長の帽子を被らされ、その毛は、白い柔毛で蔽われる。熊の前には食物の卓が据えられ、言葉と身振りで食物を食うように勧める。」狩で殺した動物にかかる尊敬を払うことほど一般的なことは他にない。」
「かかる儀式によって、狩人の属する社会と殺された動物の集団との間の常規の関係が改めて結ばれるのである。殺戮は帳消しにされ、もはや復讐は恐れるに及ばない。」

「漁夫は、狩人と同じように、前以て禁食したり、浄めの式をしたり、禁戒期間を守ったり、要するに、神秘的準備を受けねばならない。」



「第七章」より:

「フィジ島土民が病気を我々のように考えると信じてはならない。土人の心では、病気は液体のようなもの、病人にのしかかり、患者に取り憑く外部的な作用力である。この液体、この作用力は神からも悪霊からもまた人からも出てくる。そして寒暑のような自然原因から発することは殆どない。‥‥フィジ島民にとっては病気の自然的原因などというものはない。彼等はそれを自然の外の秘密界、即ち我々の住む世界と並んで存在する不可視の世界に求めている。」ルウヂエ神父のこの表現は注目に値するものである。実際、我々の考え方からは、この不可視の世界は我々が自然と呼んでいるものと並んで、しかも外部的に存在しているとしか考えられない。」
「病気に関してのこの神秘的表象から診断に関する諸々の習俗が直接に出てくる。病人に取りついた邪悪の力或は影響は何か、どんな呪法が彼にかけられたか、生者の誰或は死者の誰が彼の命を欲しがっているのかを見極めねばならない。この診断は後のすべてのことの基礎となるもので、これは神秘的な力や精霊と交通する資格のあるそして、それらの力や精霊と戦ってそれを追い祓えるほど強い人でなければならない。で先ず第一番の仕事は巫医――或はシャーマン、巫呪、博士、悪魔祓いだのと名前はどうでもそうした者のところへ駆けつける。かかる術師の最初の治療は、(中略)これらの力或は精霊と交通するため、彼が常に可現的に持っている力を有効にこれらのものに働きかけようと特殊な状態に自分自身を置くことである。それから五六時間、或は一夜もつづく一聯の予備的儀式が生れてくる。これには断食、酩酊、特殊の衣裳、呪術的装飾、呪唱、疲労と過度の発汗を伴う踊りが含まれ、しまいには「博士」は、意識を失うか或は、「われにもあらず」の状態になる。それから、二重人格と呼んでよいことが起る。彼は、その周囲のすべてのものに無感覚になるが、他方彼は、触れ得ぬ見得ぬ実在の世界、精霊の世界に移されたと感ずる、或は少くとも、それと交通する。このとき診断が直観的に、したがって誤謬の心配なしになされる。病人とその周囲のものは、盲目的にその診断を信ずる。」
「病気の原因が隠されているのは体内でもなければ、眼に見える器官の中でもない。病気に罹っているのは霊或は精霊である。」

「土人のポーターが非常な不承不承さを示したり、できれば出発を拒むことがある。白人旅行者は――これはミス・キングズレーの記述である――自分の使用人の心理によく通じていなければ、この場合、怠惰、不柔順、破約、仕様のない不誠実以外の何ものもを認めないであろうが、実際はそれは、全く異った或るものであることが多いのである。多分目醒めたとき、一人の黒人が自分にとって、或は一行全部にとっての悪い前兆を夢見たというようなことがあるかも知れない。そのために云うことを聞かないのである。」

「戦や、狩のときなど個人或は集団の活動が或る目的を追う場合には殆ど何時も、卜者、巫医、呪師の幸先よい意見がなければ、何事もなされない。」
「戦場にあるとき、ダイヤク族の行動はすべて、前兆で左右される。彼等は、前兆がものを云うまでは、前進も、退却も、攻撃も、位置を変えることもできない。」

「カッシングによれば、ツニ族の遊戯の多くは一種の卜占的な性質を持っている。」
「或る数の遊びは雨を降らせるための宗教的、呪術的な目的も持っている。」



「第八章」より:

「彼等の眼からは死者は越えがたい深い淵によって距てられているのではない。そうではなく死者は絶えず生者と交通している。」
「ミス・キングズレーはこんなことを述べている。一人の黒人が、彼女には見えない相手と話でもしているように独り言を云っているのを聞いた。調べて見るとその黒人は、そこに居合わせた死んだ母親と話していたのだ。原始人の知覚は物の存在を、我々が経験と呼ぶものによって確かめ得る可能性に従属させていない。それどころか、彼等には一番実在的であると思われているものは、触れ得ない見得ないものでさえある。なお死者は自己の存在を人の感覚に示さないではいない。彼等が姿を見せる夢、そして前に述べたように特権的な稀有な知覚である夢のことは云わずとも、死者は幻影、亡霊として視覚にもまた聴覚にも現われてくる。それは言葉には云えない、だが強い、それでいて質量性のない接触感を生者に与えることが多い。時には人は風の中に死者の呼び声を聞く。「それは眼に見えない、何かしら風のようなものである。実際彼等はこう云っている。棕櫚の葉の静かな戦ぎは亡霊が起すのだ。つむじ風が埃、葉、藁等を捲き上げるのは亡霊が遊んでいるからだ」と。(中略)劣等社会の人々は彼等を囲繞する生者と生活しているように、死者とも生活しているのである。死者は、多種の融即を持つ社会の成員、その集団の集団表象がそれを一員としている共存社会の成員、しかも、非常に重要な成員である。」
「原始人の心にはあの世とこの世とは、ただ一つの同じ存在、同時に表象され感ぜられ体験されるものを造っている。」
「西アフリカの黒人は、「死ぬということは、その人が単に、眼に見える身体の厄介払いをし、住居を変えるだけのことと考えている。他のことはすべて、以前のままである。」ドルセーによれば、北アメリカのシウー族の間では、「死者は、どの点からも生者と似ている。‥‥彼等は、生者に何時も見えるというわけではない。人間と一緒に小屋にいても、時には耳には聞えても、眼には見えないことがある。彼等は形体を取り、生きている。夫或は妻を娶り、飲食し喫煙し、普通の人間と同様に振舞うこともある。」――「一人の若いダコタ人が、相愛の少女と結婚するすぐ前に死んだ。少女は喪に服した。‥‥亡霊は帰って来て彼女を娶った。部族が、夜宿営するときは何時でも、その亡霊の妻は、他の人々より少し離れてテントを張り、人々が彼等のキャムプを移すときは、少女と夫とは、群から少し離れてついて行った。亡霊は何時も妻に何をせねばならぬか教えた。そして規則正しく獲物を持って来てくれた。‥‥人々は、亡霊を見ることも聞くこともできなかったが、彼等は、彼の妻が彼に話しかけるのを聞いた。彼は何時も、強い風、或は激しい雨が予想されるとき部族にそれを予報した。」イロコイ族の伝説は、自分の娘と物語りに来て忠告を与える一人の死者の話を伝えている。」
「だからして、もし我々が、死者に関する原始人の諸々の表象と習俗とを正しく理解するためには、できれば「生」とか、「死」とかの普通の概念から脱却した方がよい、また「霊魂」という概念を用いない方がよい。我々にとっては、生と死との概念は肉体的な、客観的な、そして経験的な要素によって定義しないではいられないが、原始人の間でこれに相当する表象は、本質に於て神秘的である。かくして彼等は、論理的思考が如何ともなし難いと考える一つのディレンマを感ぜずにいる。我々には人間は、生きているか、死んでいるか、何れかである。どっちつかずということはない。けれども前論理の心性にとっては一人の人間は死んでも或る状態に於ては生きている。現在生活している人間の社会に融即しながら、彼は、しかも同時に死者の社会に加わっている。もっと正確に云えば、彼はそれぞれの融即が彼にとって存在するか、しないかの程度によって、彼は生きているか或は死んでいるのである。現存している者が彼に関して取る行動の仕方は、全く、これらの融即が存続しているか、破壊されてしまったか或は破壊されんとしているかによるのである。」

「蘇生した一人の巫医からボアスは次のような非常に興味ある話を聞いた。それは彼の死後数日間に彼がどんな経験をしたかについてであった。「私が死んだとき、苦痛を少しも感じなかった。自分の屍の側に坐って私は、私の屍が埋葬の準備をされるのを、また、我々の紋章を私の顔に書かれるのを見た。‥‥四日の後、夜も昼もないように感じた。」(中略)「私は、私の身体が運び去られるのを見、家にとどまっていたかったのではあるが、どうしても一緒に行かねばならないように感じた。で私は考えた、《私は死んだに違いない、誰にも私の声は聞えないし、火に投げられた食物が私を満足させるのだから》と、私は霊魂の国へ行く決心をした。」この巫医は、彼の話を聞く人々と同様、霊魂は生者の間に住むことを欲し、実際、もし葬儀のため霊魂が屍にしたがうように強いられなければ霊魂は生者の間にとどまっている筈だと云うことを疑っていない。」

「一人の子供が生れるとき、一つの限られた個人性が再び現われて来る。或はより正確に云えば、再び形づくられてくる。一切の出産は再生である。」
「だからして出産は、死と同じように、単に一つの生活形態から他の生活形態への通過でしかない。死は少くともその直後では個人にとって生活條件と住所の変更に過ぎず、他は万事前々通りであるが、それと同じく、出生もまた両親を仲介とするこの世への場所変えでしかない。」







こちらもご参照ください:

レヴィ・ブリュル 『未開社会の思惟 (上)』 山田吉彦 訳 (岩波文庫)
小松和彦 編 『民衆宗教史双書 30 憑霊信仰』
フィリップ・アリエス 『図説 死の文化史』 福井憲彦 訳
アナトール・ル=ブラース 『ブルターニュ 死の伝承』 後平澪子 訳
















































レヴィ・ブリュル 『未開社会の思惟 (上)』 山田吉彦 訳 (岩波文庫)

「原始人は夢のうちに知覺するものは、夢であるにもかかわらず(引用者注:「かかわらず」に傍点)信ずるのであると云われている。だが私は、そう云う代りに、原始人は夢なればこそ(引用者注:「こそ」に傍点)夢を信ずるのであると云いたい。」
(レヴィ・ブリュル 『未開社会の思惟 (上)』 より)


レヴィ・ブリュル 
『未開社会の思惟 
(上)』 
山田吉彦 訳
 
岩波文庫 白/34-213-1 


岩波書店 
1953年9月25日 第1刷発行
1991年3月7日 第10刷発行
284p 引用書目20p
文庫判 並装 カバー
定価570円(本体553円)
カバー: 中野達彦



本書「凡例」より:

「本書は *Les Fonctions mentales dans les Société inférieures*. par Lévy-Bruhl. Paris, 1910 の全譯である。」


旧字・新かな。



レヴィ・ブリュル 未開社会の思惟 上



カバーそで文:

「未開社会人の人格や霊魂、自然観、宗教等いわゆる「原始心性」を多数の資料とフランス社会学派の方法によって論じた名著。(全二冊)」


目次:

凡例
日本版序 (レヴィ・ブリュル)

緒論
  一 集團表象
  二 オーギュスト・コント
  三 イギリス人類學派
  四 イギリス人類學派(續)
  五 心性の諸型
第一部
 第一章 原始人の知覺に於ける集團表象とその神秘的性格
  一 神秘的要素
  二 肖像
   姓名
   影
   夢
  三 特權的知覺
  四 經驗の不滲透
 第二章 融即の法則
  一 表象の聯繋
  二 前論理の心性
  三 個人と社會集團
  四 神秘的作用と反作用
 第三章 前論理の心性の作業
  一 論理と前論理
  二 記憶
  三 抽象
  四 普遍化
  五 原始人の分類法
第二部
 第四章 原始人の言語
  一 數の範疇
  二 具體的表現の欲求
  三 具體的表現の欲求(續)
  四 身振り言語
  五 語彙
  六 語の神秘力
 第五章 原始人の算數
  一 具體的計算
  二 纏め算え
  三 計數法
  四 數の神秘力

引用書目




◆本書より (旧字は新字に改めました)◆


「第一章」より:

「原始人を囲繞する現実界は、それ自身神秘的である。彼等の集団表象では、一つの生物、一つの品物、一つの自然現象も、我々に映る通りのものはない。(中略)彼等はそこに、我々が思い掛けもしない沢山のものを見ている。」
「原始人は何一つとして我々のようには知覚しない。彼等が生活している社会環境は、我々のものとは異っているように、また異っているというそのことのために彼等の知覚する外部世界は、我々の知覚するものと異るのである。」

「原始人は姓名を何か具体的な、実在的な、且つ屡々聖的なものと見做している。(中略)「土人たちは、自分の名を単なる符牒としてではなく、眼や歯と同格に、その個人の明瞭な一部と見做している。彼等は、その名が悪意ある使用を受けると、その軀の一部に受けた怪我と同じく、必ず苦痛を受けなければならないと信じている。この信仰は大西洋から太平洋に至るまでの諸々の部族に見られる。」アフリカ西岸では、「人と名の間には、事実的に、物理的関係が存在する。したがって、名を手段に用いて人を傷つけることもできる‥‥王の実名はそれ故秘密にされている‥‥生れたとき、授けられた名前だけが、その名の持ち主の一部を他に移す力を持っていて、通称が左様でないと信じられているのは、不思議に見えるかも知れない‥‥しかし、土人の考えでは通称はその人に本当に属しているのではないというにあるようである。」
 したがって、あらゆる種類の警戒が必要になってくる。人は自分の名、他人の名を口にしてはならない。特に死者の名は避けられる。(中略)姓名を口にする、それはその名を持つ人自身、或はその名のものに手を触れることである。それは、彼を攻撃し、その人身に暴力を加えることである。また彼の出現を求め、それを強いること、即ち非常な危険を招き得る行為である。故に、人名を口にすることはこれを避ける立派な理由があるのだ。「サンタル人は、狩猟に行って豹や虎を認めたとき、何時も猫とか、或は他の似たものの名を呼んで仲間の注意を求める。」同じくチェロキー族も誰かがガラガラ蛇に噛まれたとは決して云わないで、茨に引掻かれたと云う。儀式のダンス用に鷲を殺したとき、雪鳥が殺されたと云う。これは話を聞いているかも知れない蛇または鷲の精霊を欺くためである。」

「原始人は人の知るように、名、或は肖像に劣らず、自分の影についても心配している。万一影をなくすると、救いのない危難に陥ったと考えるであろう。影を傷つけるものは彼自身をも傷つける。影が他人の権力内に落ちると、彼は一切の危険を覚悟せねばならない。すべての国の民譚は、この種の事実を膾炙させている。(中略)フィジ島では、(中略)他人の影の上を歩くことは、致命的な侮辱である。西部アフリカでは、人の影に小刀または針を刺すことによる殺人が時々行われる。もしその現行中を抑えられた場合には、犯人は即刻死刑に処される。この事実を報告しているミス・キングズレーは、西アフリカの黒人がどの程度まで、影のなくなるのを心配しているか明かに語っている。「太陽が輝きわたっている暑い昼前、森や草地の上を全く愉し気に歩いている人が、不思議なことには森の空地や村の四角い広場へ行くと、決してそこを横切らないで迂回する。これを見て人は喫驚するがやがて彼等がそうするのは正午だけで、これは影をなくなすのを心配しているのだと解ってくる。或る日私は、このことについて特に注意深い一バクウィリ土人に出逢ったので、何故夕方になって彼等の影が周囲の暗の中に消えるときには、影をなくすことを心配しないのかと訊ねて見た。それは、と彼等は答えてくれた、差支えはない。夜すべての影は大神の影の中に憩い、そして元気を取り戻すのである。私は、人、木、または大山そのものも、朝立つ影が、いかに強く長いかを見ることがなかっただろうか。」
 デ・フロートは、シナでこれに似た用心のあることを摘記している。「棺の上に将に蓋が置かれようとするとき、近親者でない他の列席者は大部分何歩か退き、或は傍の室へ退きさえする。というのは、棺の中に影を閉じ込められることは、健康によくなく、不吉な兆であるから。」」

「如上の考察は、他の系統の事実で、原始人の心に重要な位置を占めているもの、則ち夢についても同様に云える。(中略)先ず彼等は夢に覚醒時の知覚と同じく確実な現在知覚を見ている。しかし彼等にとって、それは就中未来の予見、精、霊、神との交通、その個人的な護神と接し、それを見出す手段でさえもある。彼等が、夢を通じて知ったことの実在性については、全幅の信頼を持っている。(中略)オーストラリアでは、「一人の男が毛髪、彼の食べる物、袋鼠の皮の被布、一言で云うと彼のものの何かを、誰かに取られる夢を数回つづけて見ると、彼はもう疑うことはない。そして友人を呼び集め、余り《その男》の夢を見すぎるからきっと何か彼のものを持って行っているに違いないと語る。時によると土人は夢に見たという記憶のために徒らに自分の脂肉の細る思いをする。」
 北アメリカの土人の間では、自然に或は作為的に見る夢は、この上誇張のしようのないほどの重要性を持っている。「時にはそれは彷徨い歩く理性霊であって、そのとき感覚霊が身体を活気づけている。時にはそれは、これから起ろうとしていることについてよい考えを知らせる役神であり、時には夢にみたものの霊の来訪である。しかしながら夢はどんな風に理解されているとしても、夢は常に聖なるもの、神々がその心を人に知らせるために用いる一番普通の方法とされている。屡々夢は精霊からの命令である。」ル・ジューヌ神父の『新フランス報告』では、「夢は野蛮人の神である」と云われ、そして現代の一観察者は次のように述べている。「夢は原始人にとって、我々に対する聖書のようなもので、神の啓示の源である。――ただ彼等は夢を手段としてこの啓示を随意に持てるという重要な相違が加わっている。」それ故、土人は夢の中で命令され、または単に指し示されたことを直ちに実行しようとする。ムーネイは云っている、「チェロキー族では、一人の男が蛇に噛まれた夢を見ると、真実に蛇に噛まれた場合と同じ手当をしなければならない。何となれば、彼を噛んだのは蛇霊で、手当をしなければ数年経た後でさえも、実際の咬傷のように腫れたり膿んだりする惧れがある。」『新フランス報告』の中には次のことが読まれる、「一人の武者は戦争で捕虜になった夢を見た。こんな夢の致命的結果を避けようと、彼は目が醒めるとあるだけの友人を呼び集めてこの不幸を切り抜けるために力を貸してくれるように切願し、そして友達甲斐があるなら彼を仇敵として取り扱ってくれるようにと頼んだ。そこで友人たちは彼にとびかかり、すっかり裸にしてしまって縛りつけ、そんなときにやる罵り声をあげ、町中を引き歩いた。そしてから彼を斬首台の上に登らせた‥‥彼はこの作りごとの捕虜ごっこで真実の捕虜になる難を逃れたと信じて、友人たちに心から感謝した。‥‥も一人の男は、自分の小屋が火事になった夢を見て、その小屋が真実に焼けるまで落ちつかなかった。‥‥(中略)」
 サラワクのマレー人は夢で見た動物と血のつながりがあると信じて疑わない。「ワンの曽祖父は一匹の鰐魚と血つづきの兄弟になった。ワンは夢で五六度この鰐魚に遇った。或る時彼は夢で鰐魚の沢山いる川に落ちた。彼は一匹の鰐魚の頭に登った。それは彼に「心配することはない」と云って岸に連れてきてくれた。ワンの父は鰐魚がくれた護符を持っていた。そしてどんな場合でも、鰐魚を殺すことを承知しなかった。ワン自身も明かに鰐魚一般を近い身内と考えている。」
 簡単に、スペンサー=ギレンの、特にうまい用語で結語しておこう、「野蛮人が夢で知ったものは、覚醒時に見るものと同じく本当である。」

「原始人の知覚と我々の知覚との間の他の相違が更にこの神秘的性質から生れている。我々にとって一知覚の客観的価値を認むる基本的な標識は、知覚された存在或は現象が、同一条件の下にすべての人に等しく現われるということである。例えば、もし数人一緒にいる中の一人だけが或る声を数次聞き、或は数歩のところに物を見るとする。我々は、その人が幻想の下にあり、或は強迫観念に陥っていると考える。(中略)しかし、反対に原始人にあっては、生物または器物は、一緒にいる他の人々を差し措いて、或る人々にだけ現われるということが常に起る。そして誰もそれに驚きを感ぜず、それを極く当り前のことと考えている。例えばハウィットは、「勿論 ngarong は wirarap 巫呪を除いて誰にも見えなかった」と書いている。修業中の或る若い巫医は、入社式のことを述べて次のように云っている。「その試練の後、私は母親に見えないものを見られるようになった。お母さん、あそこにあるのは一体何でしょうか、何か歩いている人のようなものは。――母は、お前、何も無いではないか、と答えた。それは私に見えるようになった jir (亡霊)であった。」」
「東シベリアにも同じ信仰が見られる。「イクルーツク省のアラルスク県では、プリアト人はもし子供が病気で危いと、土龍、または猫の形をした小さな獣 Anokoi に頭の天辺を食われたのだと考える。‥‥巫医を除いて、誰もこの獣を見ることはできない。」
 北アメリカのオレゴン州のクラマス族の間では「kinks (巫医)は、病人の家から呼ばれると或る種の動物の精霊に相談しなくてはならない。この方面の修業に、五年間身を入れた者だけが精霊を見られる。しかも彼等には、我々が周囲の器物を見ると同じように明瞭にそれが見えるのである。」‥‥「一寸法師は、秘法を伝授された人々のほか誰にも見えない。」タラヒュマル族の間では、大蛇が山に住んでいて、それは巫医にしか見えないと信ぜられている。それ等の蛇は角が生えていて、非常に大きな眼を持っている。「偉大なる Hikuli (人格化された聖木)は、巫医と食卓を共にし、彼とその同職者だけがそれを見られる。」」

「このように劣等社会の人々は、我々が認識する属性のほか神秘的な作用力を持つ生物と器物に囲まれて生活し行動している。原始人にとっては、それらのものの感覚的属性はも一つのものと混合している。彼は把握できず殆んど常に眼に見えないで、しかも常に恐ろしい数々のもの、死者の霊とか、明かには人格の限定されていない精霊に囲まれていると感じている。少くとも大部分の観察者、人類学者からはそう云われ、彼等は霊魂説的な語句を使用している。フレーザーはこの事実が劣位の社会に普遍的であることを示す例を夥しく集めている。幾つか例を挙げる必要があるとすれば、例えば、「オラオン族土人の空想は怖(おび)えながら幽霊の世界をさ迷っている。岩、道、川、藪のうち一つでも幽霊に憑かれていないものはない。‥‥なお到るところに鬼神が棲んでいる。」サンタル族、ムンダ族及びコタ・ナグプールのオラオン族のように、「カダール族も、目に見えない沢山の力に囲まれていると信じている。そのうちの或るものは死んだ祖先の霊で、他のものは淋しい山、川、森が未開人の空想を充たしているあの漠然とした神秘感、不安感以上に定った形を持っているとは思えない。それらの名は、非常に多いが、属性は殆ど知られていない。」朝鮮では、「鬼神は遍く空に、また地の隅々まで占めている。それは、路のほとり、木の中、岩の上、山の中や谷の中、小川の中で人間を待伏せしている。昼も夜も少しの休みもなく見張っているのである。‥‥それは常に人の周囲、前後にあり頭上を飛び、地から呼びかける。人は自家にあってさえもそれから逃れることはできない。そこでも鬼神は壁の漆喰の中に塗り込められ、または梁に縛られ、壁にとりついている。その遍在性は、神の遍在性の稚拙な模倣である。」シナでも、昔時の教義によると、「宇宙には、遍く「神」と「鬼」が満ちている。‥‥存在しているあらゆる生物と物体は、「神」或は「鬼」により、またはその二つによって生命を与えられているのである。」西アフリカのファング族では、「鬼神は、到るところ、岸、木、森、小川の中にいる。実際ファング族にとっての人生とは、有形又は無形の精霊との不断の戦いである。」」



「第二章」より:

「私はこれらの表象の繋ぎ合わせ方及び既成聯繋を支配している「原始」心性特有の原理を、他により適当な言葉がないので融即律(引用者注:「融即律」に傍点)と呼ぶことにしよう。」
「私はこう云おう、「原始」心性の集団表象に於ては、器物、生物、現象は、我々に理解し難い仕方により、それ自身であると同時にまたそれ自身以外のものでもあり得る。また同じく理解し難い仕方によって、それらのものは自ら在るところに在ることを止めることなく、他に感ぜしめる神秘的な力、効果、性質、作用を発し或はそれを受ける。
 換言すれば、この心性にとっては一と多、同と異等の対立は、その一方を肯定する場合、他を否定する必然を含まない。この対立は二次的な興味しかない。時としてそれは知覚される。また知覚されないことも多い。それは我々の思考では不合理とならずしては混同できない諸存在の間の本質の神秘的共通性の前では全く消滅することが多い。例えば、「トルマイ族(北部ブラジルの土族)は、自分等は水生動物であると云っている。――ボロロ族(前者と隣れる土族)は、自分等は金剛いんこ(引用者注:「いんこ」に傍点、以下同)であると誇っている。」これは単に、死んでから彼等が金剛いんこになるとか、金剛いんこを変形したボロロ人として扱わねばならぬとかいうだけを意味するのではない。問題は全く異ったものである。フォン・デン・シュタイネンは最初はそれを信じようとはしなかったが、遂に彼等の断定的な確言にしたがわねばならなくなった。彼は言っている。「ボロロ族は彼等が現在金剛いんこであると真面目に云って聞かせる。それは、ちょうど毛虫が自分は蝶であると云うのと同様である。」それらは彼等が自身に与えた名ではない。また彼等が云っているのは親縁関係でもない。彼等がそれによって意味させようとしているのは、本質上の同一性である。彼等が同時にいま存在している通り人間であり、紅色の羽毛の小鳥であるということをフォン・デン・シュタイネンは、考えられないこととしている。しかし融即の法則に支配される心性にとっては、そこには何の困難もない。トーテムの形式を持つ社会はすべて、そのトーテム集団の個々の成員と、トーテムとの間にこれに似た同一性を含む同系の集団表象を内包している。」

「アフリカ西岸の若干例に限るとしても、エリス大佐はタイラーの定義した霊魂の観念とは、少しも一致していないと同大佐自身が特に断っている諸々の集団表象を採集している。エリス氏によると土人は kra と srahman とを区別している。kra は人の誕生以前に、多分、長い一系の個人の kra として存在し、その人の死後も独立的に存在をつづける。それは新しく生れた子供、或は動物の仔の中に入り、或は sisa 即ち住居を持たない kra の形の下に世界を漂泊する。普通に考えられているところでは sisa は常に人の身体に戻って再び kra になろうとし、自分の住居を手に入れるためには、他の kra が一時住居を空にした隙に乗ずることさえある。‥‥ kra は自分の住む身体を随意に離れられ、またそこに戻られる。普通にはそれは睡眠中に身体を離れ、そして夢はこの離れた kra の仕事と信ぜられている。srahman 或は亡霊は、肉体が死んだときやっとその生活を開始し、それは死者の国でその人の生存中に送っていた生活を単に継続しているだけである。それ故我々は、一、生きた人間、二、その中にとどまっている生霊 kra、三、亡霊または srahman (これは亡霊の形の下での一つの継続に過ぎないものであるが)を区別して考察する必要がある。
 この区別は存在しているすべてのものにあてはまる。藪が引き抜かれ、または枯れると、その藪の kra は芽生えかけた種子の中に入りそして藪の亡霊は死者の国へ行く。同じく羊の kra は、その羊が殺されると新しく生れた小羊の中に入り、その亡霊は人の亡霊に仕えるために死者の国へ行く。‥‥死者の国そのもの、その山、森、川は、以前に現世に存在していた存在の亡霊である‥‥と Tshi 語を話す黒人は信じている。」
「kra は或る点では守護の天使に似ている。しかしそうはいうもののそれはより以上のものである。それと人との密接な関係は、それが夜、身体を離れているときの仕事が、目醒めた人に記憶されていることによって証明されている。人は kra の行動の影響を肉体的に感じさえもする。(中略)‥‥それは、恐らくは亡霊のような形をしていて正確に人の形と外観とを具え、人の精神も身体もこの kra の行動によって影響され、その行動を記録する。kra がその滞留している人の身体を離れるとき、その人は、肉体的に何の損害も受けない。kra は人の睡眠中、人に気づかれずに他所に出掛けて行く。そしてもし、人が目醒めているときに離れることがあれば彼は、噴嚏か欠伸によってそれが出て行ったことを知る。しかし霊魂、「人の個々の生存の運搬器」が、もし身体を離れると、忽ちにしてその身体は、活動を停止された状態に陥る。身体は冷たくなり、脈搏は止り、明かに死の状態にある。時には、極く稀ではあるが、霊魂は再び戻り、人はただ失神の状態にあったわけになる。多くの場合それは戻って来ない、そして人は死んだのである。」
 個人とその kra ――これはエリス大佐の云っているように確かにその霊魂ではないもの――との関係はいかに理解さるべきであろうか、kra が彼自身であり、彼自身ではないということは、二つながら正しくはない。それはその個人ではない、それは彼以前に存在し、彼以後にも存在するであろうから。しかしながらそれはまた彼自身でもある。覚醒したとき、彼は夜中に kra が為したこと、受けたことを記憶しているのだから。(中略)個人は、生きている間彼の中に住んでいる kra に融即する。即ち彼は或る意味でこの kra であり、同時に kra でないのである。(中略)死の瞬間にこの融即は終るのである。」

「北アメリカでは霊魂の複数性が通則である。「彼等は、同じ一つの身体の中に幾つかの霊魂を区別する。一人の老人が我々に次のような話をしたことがあった。或る土人は二つか三つの霊を持っている。彼自身のは、二年以上も前に死んだ両親と一緒に彼を離れて行ってしまって、いまでは自分の身体の霊だけしか持っていない。これは彼と共に墓に行くべきものであると。(中略)」マンダン族は、各人は、自己の中に住んでいる数個の精を持つと考えている。その一は白色、二は褐色、三は淡い色でこれだけが、生命の主の許に帰るのである。ダコタ族は、四つの霊魂を認めている。即ち、一、身体の霊、これは身体と共に死ぬ。二、身体と共に或はその傍に常に在る精。三、身体の行為に責任のある霊、これは或る人に云わすと東に他の人に云わすと西に行ってしまう。第四の霊は常に死者の髪の小さな束とともに残る。(中略)或るシウー人は、五つの霊魂をさえ認める。イギリス領コロムビアでは、人は四つの霊を持つと信ぜられる。その主位の霊魂は極く小さい人形(じんけい)をしている。他のものはこれの影である。」

「トーテム集団の祖先は今日存在する動物と正確に同じではなく、同時に動物性及び人間性を神秘的に享有している。それらの動物には、その社会集団とそのトーテム動物との結合を構成する融即が加えられていると云ってよかろう。例えばイギリス領コロムビアで、「私は彼(いつもの報告者)から、彼等の部族は獺族の名を持っているが、彼等は獺をその血縁者として考えているか、また彼等はこの動物を崇めて、殺したり狩ったりしないかどうかを知ろうとした。この間に彼は微苦笑して頭を振った。そしてその後で次のように説明した。彼等は遠い祖先が獺であったことを、確かに信じてはいようが、その獺は、今日いるものと同種だとは考えていない。彼等の祖先の獺は獺人であって今日の獣類ではない。獺人は、男女の人形(じんけい)から獺の雌雄に変形する力を持っていた。古い時代の動物はすべてかようで、普通今日見られる動物ではなく、少しもそうではなかった。それは人間でもあって、自由自在に人の形にも動物の形にも動物の毛皮を着けたり脱いだりして変形することができた‥‥トムソン族は、これらの神秘的生物を、普通の動物と区別するため特別な用語を持っている。」

「原始人のこの表象に於て、すべては神秘的である。彼等はその人が、人でなくなって虎になり、その後で、最早虎ではなくなって人間に返るのかどうかは全く意に介していない。彼等が関心を持っているのはマルブランシュの言葉を借りると、一定条件の下でこれらの人々を、同時に虎と人間に、融即する神秘的な力である。そしてそれは人でしかない人より、また虎でしかない虎よりも、その人をはるかに畏怖すべきものとする。」



「第三章」より:

「スペンサー=ギレンは、オーストラリア土族について云っている。「多くの関係の下で彼等の記憶は神技に類する。」土人は、あらゆる鳥獣の足跡を見別けるばかりでなく、どんな穴でもそれを検査して、最後の足跡の向いている方向から推して、その動物が穴にいるか否かを当てる‥‥不思議に思われるかも知れないが、土人は、知人の一人一人の足跡を識別する。オーストラリアの初期の探険者も既にこの奇蹟的な記憶力を述べている。例えば、グレーは、三人の賊が、その足跡によって見つけられた話をしている。「私は Moyee-e-nan という怜悧な土人を雇い入れ、彼を連れて馬鈴薯を盗まれた菜園に行った。彼は三人の土人の足跡を見出し、誰が通ったかを足形から推量して当てるあの能力を働かして、三人の盗賊は一土人の二人の妻と‥‥ Dal-be-an という男の子であると、私に告げた。」エイアーは、「彼等が、自分等の住む国の隅々までも、細々と詳しく知っていて、俄雨が降ると彼等は少しばかりの水がよく採集されそうな岩、また水が一番長く保つ穴を知っている。‥‥夜、露が豊富に下りると、彼等は、水を沢山集められるような一番長い草の生えた場所を知っている」ことに、驚いている。」
「原始人の間にこのように発達した記憶の特に注目すべき一形態は、一度通った場所の形状を微細な点に至るまで覚えていることだ。このため彼等は、ヨーロッパ人を驚倒させるほどの確実さで元の道を辿って戻られる。地形のこの記憶は北アメリカ土人の間では実際に神技である。」

「ミス・アリス・フレッチャーは、wakanda と称する神秘力を叙述して、次のように彼等の生命の連続の観念を記載している。「彼等は生あるもしくは生なきすべての形、すべての現象を共通の生命――それは連続的で、彼等が意識している意志的な力に類するもの――によって滲透されたものとして考えている。この神秘的な力はすべてのものの中に存在し、彼等はそれを wakanda と呼んでいる。そしてこれを仲介としてすべてのものは人間に、またそれ相互間に結びつけられている。この連続の観念によって見えるものと見えないもの、死者と生者、また、欠片とその総体との間に、一つの聯繋関係が維持されている。」この場合、連続とは、我々が融即と呼んでいるものを意味する、」

「「黄金海岸の黒人が物霊を指すための種別的名称は wong である。これらの空想的存在は、祠、小屋に住み、供物を食い、僧侶の心に入って霊感を与え、人の間では健康、疾病の原因となり、有力な天の神の諸々の命令を遂行する。しかしそれら存在の一部或は全部は、物質的なものと結合され土人はこの川、木或は寿符の中に wong があると云っている。‥‥この地方の wong 中には、川、湖、泉、或る地域、白蟻の塔、樹木、鰐魚、猿、蛇、象、鳥等が算えられる。」タイラーがこの話を取って来たのは一宣教師の報告からである。」



「第四章」より:

「マオリ族は、ニュー・ジーランドの分布植物の驚くほど遺漏のない語彙を持っている。「彼等は木の性を知り、‥‥或る種の木の雌、雄を示す別々の名称も持っている。彼等は、成育のそれぞれの時期に葉の形の変る植物には、その時期毎に別々な名前を与えている。多くの場合彼等は樹木と草の花を別々に表わす特殊な名詞、また未だ開かない若芽、また漿果についても別々な名称を持っている。‥‥ koko 或は tui 鳥は季節にしたがって変る四つの名を持っている(うち二つは雄鳥、二つは雌鳥)。鳥の尾、獣類、魚類の尾もそれぞれ異った語を持っている。kaka (鸚鵡)の鳴き声に三つの名詞がある(怒ったとき、恐れたとき、平時)。
 南アフリカのバヴェンダ族では、「各種の雨に特殊の名称がある。‥‥地理的特徴も彼等の注意から逃れていない。彼等は各々の種類の地形、各々の種類の石、岩のそれぞれに特殊の名を持っている。あらゆる種類の木、灌木、植物の種類のどれ一つとして、彼等の言葉にその名称を持っていないものはない。彼等は草の種類の一つ一つさえ異った名称で区別する。」
「北アメリカ土人は、殆ど科学的と云ってよいくらい明確な表現を多く持っていて、雲がよく見せるさまざまな形や空の模様のいろんな特徴を指している、それは全く訳出不能である。それに当る文字をヨーロッパ語に求めても得られないであろう。例えばオヂブウェー族は二つの雲の間に輝いている太陽のためまた空の中、黒雲の間に時折見える小さい青いオアシスのため特殊の名を持っている。」
「西部オーストラリアでは、土人は、「すべて目につく星、土地の自然の形状、丘、沼、川の屈曲その他のための名を持っているが、川という普通名詞は持っていない。」」



「第五章」より:

「北アメリカ土人社会の大多数では、四は他のどんな数より勝れた神秘力を持っている。」
「シウー族の間では、力の神 Takuskanskan は、四つの風の中に住み、そして夜の四つの黒い精が、彼の命を遂行するとされている。‥‥四つの風は「動く何ものか」によって送られる。また彼等の間では、雷神が、四人のと云えなければ少くとも外部へ顕われる四つの異った形を持っている、というのはそれらの本質は一であるのだから。(中略)「一つの形は黒、も一つは黄、も一つは深紅、も一つは青である。彼等は、世界の端の高い山上に住んでいる。住居は、地の四方位に向いて開き、各々の戸口には、見張りが置かれている。東の入口には蝶、西口には熊、北口には鹿、南口には海狸。」」








こちらもご参照ください:

レヴィ・ブリュル 『未開社会の思惟 (下)』 山田吉彦 訳 (岩波文庫)
フレイザー 『金枝篇 (一)』 永橋卓介 訳 (岩波文庫)
マルセル・モース 『贈与論 他二篇』 森山工 訳 (岩波文庫)
ヴァールブルク 『蛇儀礼』 三島憲一 訳 (岩波文庫)
ル・クレジオ 『悪魔祓い』 高山鉄男 訳 (岩波文庫)






















































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
 
うまれたときからひとでなし
なぜならわたしはねこだから
 
◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

Koro-pok-Guru
Away with the Fairies

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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