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レヴィ・ブリュル 『未開社会の思惟 (下)』 山田吉彦 訳 (岩波文庫)

「死者は越えがたい深い淵によって距てられているのではない。そうではなく死者は絶えず生者と交通している。」
(レヴィ・ブリュル 『未開社会の思惟 (下)』 より)


レヴィ・ブリュル 
『未開社会の思惟 
(下)』 
山田吉彦 訳
 
岩波文庫 白/34-213-2 


岩波書店 
1953年10月5日 第1刷発行
1991年3月7日 第9刷発行
221p 総索引・引用書目30p
文庫判 並装 カバー
定価570円(本体553円)
カバー: 中野達彦



旧字・新かな。



レヴィ・ブリュル 未開社会の思惟 下



カバーそで文:

「文明人と未開人の心性を根本的に異質なものとした本書は、単に文化人類学や社会学の領域だけでなく児童心理学や精神病理学の分野にも大きな影響を与えた。」


目次:

第三部
 第六章 原始諸制度と前論理の心性
  一 狩
  二 漁
  三 戰
  四 Intichiuma 式祭儀
  五 懐胎行事
 第七章 原始諸制度と前論理の心性(續)
  一 A 病気/B 診斷/C 治療藥/D 藥物
  二 死の原因/それの傍、だからそれのため
  三 卜占/呪術
 第八章 原始諸制度と前論理の心性(終)
  一 生者と死者
  二 一番葬式
  三 死の完了
  四 死者の財物
  五 出産/幼兒殺し
  六 入門式
  七 巫醫の入社式
第四部
 第九章 上級型への過渡
  一 前論理的、神秘的型
  二 精神の個人化
  三 神話
  四 概念への發展
  五 前論理的要素の強靭性

あとがき
引用書目
總索引




◆本書より (旧字は新字に改めました)◆


「第六章」より:

「チェロキー族は、「殺された動物を慰めるための呪文を持ち、狩人は、キャムプに帰ったとき、鹿の主(ぬし)が彼の家まで、後をついて来られないように(そして、彼を病、殊にリウマチスムにかからせないように)、通り過ぎた途に火をつける。」カナダでは、「熊を殺したとき、狩人はパイプの口を、熊の歯の間に入れてがん首を吹き、その口と喉とを煙で満たし、精霊に、痛い目に合わしたからと云って怒らないように、また将来狩の首尾を害わぬように、歎願する。」――ヌートカ・サウンドの土族の間では、「殺したときには、普通熊の身体についている塵と血とをよく清めてから、首長の前に持って行って真直ぐに坐らせる。熊は、首長の帽子を被らされ、その毛は、白い柔毛で蔽われる。熊の前には食物の卓が据えられ、言葉と身振りで食物を食うように勧める。」狩で殺した動物にかかる尊敬を払うことほど一般的なことは他にない。」
「かかる儀式によって、狩人の属する社会と殺された動物の集団との間の常規の関係が改めて結ばれるのである。殺戮は帳消しにされ、もはや復讐は恐れるに及ばない。」

「漁夫は、狩人と同じように、前以て禁食したり、浄めの式をしたり、禁戒期間を守ったり、要するに、神秘的準備を受けねばならない。」



「第七章」より:

「フィジ島土民が病気を我々のように考えると信じてはならない。土人の心では、病気は液体のようなもの、病人にのしかかり、患者に取り憑く外部的な作用力である。この液体、この作用力は神からも悪霊からもまた人からも出てくる。そして寒暑のような自然原因から発することは殆どない。‥‥フィジ島民にとっては病気の自然的原因などというものはない。彼等はそれを自然の外の秘密界、即ち我々の住む世界と並んで存在する不可視の世界に求めている。」ルウヂエ神父のこの表現は注目に値するものである。実際、我々の考え方からは、この不可視の世界は我々が自然と呼んでいるものと並んで、しかも外部的に存在しているとしか考えられない。」
「病気に関してのこの神秘的表象から診断に関する諸々の習俗が直接に出てくる。病人に取りついた邪悪の力或は影響は何か、どんな呪法が彼にかけられたか、生者の誰或は死者の誰が彼の命を欲しがっているのかを見極めねばならない。この診断は後のすべてのことの基礎となるもので、これは神秘的な力や精霊と交通する資格のあるそして、それらの力や精霊と戦ってそれを追い祓えるほど強い人でなければならない。で先ず第一番の仕事は巫医――或はシャーマン、巫呪、博士、悪魔祓いだのと名前はどうでもそうした者のところへ駆けつける。かかる術師の最初の治療は、(中略)これらの力或は精霊と交通するため、彼が常に可現的に持っている力を有効にこれらのものに働きかけようと特殊な状態に自分自身を置くことである。それから五六時間、或は一夜もつづく一聯の予備的儀式が生れてくる。これには断食、酩酊、特殊の衣裳、呪術的装飾、呪唱、疲労と過度の発汗を伴う踊りが含まれ、しまいには「博士」は、意識を失うか或は、「われにもあらず」の状態になる。それから、二重人格と呼んでよいことが起る。彼は、その周囲のすべてのものに無感覚になるが、他方彼は、触れ得ぬ見得ぬ実在の世界、精霊の世界に移されたと感ずる、或は少くとも、それと交通する。このとき診断が直観的に、したがって誤謬の心配なしになされる。病人とその周囲のものは、盲目的にその診断を信ずる。」
「病気の原因が隠されているのは体内でもなければ、眼に見える器官の中でもない。病気に罹っているのは霊或は精霊である。」

「土人のポーターが非常な不承不承さを示したり、できれば出発を拒むことがある。白人旅行者は――これはミス・キングズレーの記述である――自分の使用人の心理によく通じていなければ、この場合、怠惰、不柔順、破約、仕様のない不誠実以外の何ものもを認めないであろうが、実際はそれは、全く異った或るものであることが多いのである。多分目醒めたとき、一人の黒人が自分にとって、或は一行全部にとっての悪い前兆を夢見たというようなことがあるかも知れない。そのために云うことを聞かないのである。」

「戦や、狩のときなど個人或は集団の活動が或る目的を追う場合には殆ど何時も、卜者、巫医、呪師の幸先よい意見がなければ、何事もなされない。」
「戦場にあるとき、ダイヤク族の行動はすべて、前兆で左右される。彼等は、前兆がものを云うまでは、前進も、退却も、攻撃も、位置を変えることもできない。」

「カッシングによれば、ツニ族の遊戯の多くは一種の卜占的な性質を持っている。」
「或る数の遊びは雨を降らせるための宗教的、呪術的な目的も持っている。」



「第八章」より:

「彼等の眼からは死者は越えがたい深い淵によって距てられているのではない。そうではなく死者は絶えず生者と交通している。」
「ミス・キングズレーはこんなことを述べている。一人の黒人が、彼女には見えない相手と話でもしているように独り言を云っているのを聞いた。調べて見るとその黒人は、そこに居合わせた死んだ母親と話していたのだ。原始人の知覚は物の存在を、我々が経験と呼ぶものによって確かめ得る可能性に従属させていない。それどころか、彼等には一番実在的であると思われているものは、触れ得ない見得ないものでさえある。なお死者は自己の存在を人の感覚に示さないではいない。彼等が姿を見せる夢、そして前に述べたように特権的な稀有な知覚である夢のことは云わずとも、死者は幻影、亡霊として視覚にもまた聴覚にも現われてくる。それは言葉には云えない、だが強い、それでいて質量性のない接触感を生者に与えることが多い。時には人は風の中に死者の呼び声を聞く。「それは眼に見えない、何かしら風のようなものである。実際彼等はこう云っている。棕櫚の葉の静かな戦ぎは亡霊が起すのだ。つむじ風が埃、葉、藁等を捲き上げるのは亡霊が遊んでいるからだ」と。(中略)劣等社会の人々は彼等を囲繞する生者と生活しているように、死者とも生活しているのである。死者は、多種の融即を持つ社会の成員、その集団の集団表象がそれを一員としている共存社会の成員、しかも、非常に重要な成員である。」
「原始人の心にはあの世とこの世とは、ただ一つの同じ存在、同時に表象され感ぜられ体験されるものを造っている。」
「西アフリカの黒人は、「死ぬということは、その人が単に、眼に見える身体の厄介払いをし、住居を変えるだけのことと考えている。他のことはすべて、以前のままである。」ドルセーによれば、北アメリカのシウー族の間では、「死者は、どの点からも生者と似ている。‥‥彼等は、生者に何時も見えるというわけではない。人間と一緒に小屋にいても、時には耳には聞えても、眼には見えないことがある。彼等は形体を取り、生きている。夫或は妻を娶り、飲食し喫煙し、普通の人間と同様に振舞うこともある。」――「一人の若いダコタ人が、相愛の少女と結婚するすぐ前に死んだ。少女は喪に服した。‥‥亡霊は帰って来て彼女を娶った。部族が、夜宿営するときは何時でも、その亡霊の妻は、他の人々より少し離れてテントを張り、人々が彼等のキャムプを移すときは、少女と夫とは、群から少し離れてついて行った。亡霊は何時も妻に何をせねばならぬか教えた。そして規則正しく獲物を持って来てくれた。‥‥人々は、亡霊を見ることも聞くこともできなかったが、彼等は、彼の妻が彼に話しかけるのを聞いた。彼は何時も、強い風、或は激しい雨が予想されるとき部族にそれを予報した。」イロコイ族の伝説は、自分の娘と物語りに来て忠告を与える一人の死者の話を伝えている。」
「だからして、もし我々が、死者に関する原始人の諸々の表象と習俗とを正しく理解するためには、できれば「生」とか、「死」とかの普通の概念から脱却した方がよい、また「霊魂」という概念を用いない方がよい。我々にとっては、生と死との概念は肉体的な、客観的な、そして経験的な要素によって定義しないではいられないが、原始人の間でこれに相当する表象は、本質に於て神秘的である。かくして彼等は、論理的思考が如何ともなし難いと考える一つのディレンマを感ぜずにいる。我々には人間は、生きているか、死んでいるか、何れかである。どっちつかずということはない。けれども前論理の心性にとっては一人の人間は死んでも或る状態に於ては生きている。現在生活している人間の社会に融即しながら、彼は、しかも同時に死者の社会に加わっている。もっと正確に云えば、彼はそれぞれの融即が彼にとって存在するか、しないかの程度によって、彼は生きているか或は死んでいるのである。現存している者が彼に関して取る行動の仕方は、全く、これらの融即が存続しているか、破壊されてしまったか或は破壊されんとしているかによるのである。」

「蘇生した一人の巫医からボアスは次のような非常に興味ある話を聞いた。それは彼の死後数日間に彼がどんな経験をしたかについてであった。「私が死んだとき、苦痛を少しも感じなかった。自分の屍の側に坐って私は、私の屍が埋葬の準備をされるのを、また、我々の紋章を私の顔に書かれるのを見た。‥‥四日の後、夜も昼もないように感じた。」(中略)「私は、私の身体が運び去られるのを見、家にとどまっていたかったのではあるが、どうしても一緒に行かねばならないように感じた。で私は考えた、《私は死んだに違いない、誰にも私の声は聞えないし、火に投げられた食物が私を満足させるのだから》と、私は霊魂の国へ行く決心をした。」この巫医は、彼の話を聞く人々と同様、霊魂は生者の間に住むことを欲し、実際、もし葬儀のため霊魂が屍にしたがうように強いられなければ霊魂は生者の間にとどまっている筈だと云うことを疑っていない。」

「一人の子供が生れるとき、一つの限られた個人性が再び現われて来る。或はより正確に云えば、再び形づくられてくる。一切の出産は再生である。」
「だからして出産は、死と同じように、単に一つの生活形態から他の生活形態への通過でしかない。死は少くともその直後では個人にとって生活條件と住所の変更に過ぎず、他は万事前々通りであるが、それと同じく、出生もまた両親を仲介とするこの世への場所変えでしかない。」







こちらもご参照ください:

レヴィ・ブリュル 『未開社会の思惟 (上)』 山田吉彦 訳 (岩波文庫)
小松和彦 編 『民衆宗教史双書 30 憑霊信仰』
フィリップ・アリエス 『図説 死の文化史』 福井憲彦 訳
アナトール・ル=ブラース 『ブルターニュ 死の伝承』 後平澪子 訳
















































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レヴィ・ブリュル 『未開社会の思惟 (上)』 山田吉彦 訳 (岩波文庫)

「原始人は夢のうちに知覺するものは、夢であるにもかかわらず(引用者注:「かかわらず」に傍点)信ずるのであると云われている。だが私は、そう云う代りに、原始人は夢なればこそ(引用者注:「こそ」に傍点)夢を信ずるのであると云いたい。」
(レヴィ・ブリュル 『未開社会の思惟 (上)』 より)


レヴィ・ブリュル 
『未開社会の思惟 
(上)』 
山田吉彦 訳
 
岩波文庫 白/34-213-1 


岩波書店 
1953年9月25日 第1刷発行
1991年3月7日 第10刷発行
284p 引用書目20p
文庫判 並装 カバー
定価570円(本体553円)
カバー: 中野達彦



本書「凡例」より:

「本書は *Les Fonctions mentales dans les Société inférieures*. par Lévy-Bruhl. Paris, 1910 の全譯である。」


旧字・新かな。



レヴィ・ブリュル 未開社会の思惟 上



カバーそで文:

「未開社会人の人格や霊魂、自然観、宗教等いわゆる「原始心性」を多数の資料とフランス社会学派の方法によって論じた名著。(全二冊)」


目次:

凡例
日本版序 (レヴィ・ブリュル)

緒論
  一 集團表象
  二 オーギュスト・コント
  三 イギリス人類學派
  四 イギリス人類學派(續)
  五 心性の諸型
第一部
 第一章 原始人の知覺に於ける集團表象とその神秘的性格
  一 神秘的要素
  二 肖像
   姓名
   影
   夢
  三 特權的知覺
  四 經驗の不滲透
 第二章 融即の法則
  一 表象の聯繋
  二 前論理の心性
  三 個人と社會集團
  四 神秘的作用と反作用
 第三章 前論理の心性の作業
  一 論理と前論理
  二 記憶
  三 抽象
  四 普遍化
  五 原始人の分類法
第二部
 第四章 原始人の言語
  一 數の範疇
  二 具體的表現の欲求
  三 具體的表現の欲求(續)
  四 身振り言語
  五 語彙
  六 語の神秘力
 第五章 原始人の算數
  一 具體的計算
  二 纏め算え
  三 計數法
  四 數の神秘力

引用書目




◆本書より (旧字は新字に改めました)◆


「第一章」より:

「原始人を囲繞する現実界は、それ自身神秘的である。彼等の集団表象では、一つの生物、一つの品物、一つの自然現象も、我々に映る通りのものはない。(中略)彼等はそこに、我々が思い掛けもしない沢山のものを見ている。」
「原始人は何一つとして我々のようには知覚しない。彼等が生活している社会環境は、我々のものとは異っているように、また異っているというそのことのために彼等の知覚する外部世界は、我々の知覚するものと異るのである。」

「原始人は姓名を何か具体的な、実在的な、且つ屡々聖的なものと見做している。(中略)「土人たちは、自分の名を単なる符牒としてではなく、眼や歯と同格に、その個人の明瞭な一部と見做している。彼等は、その名が悪意ある使用を受けると、その軀の一部に受けた怪我と同じく、必ず苦痛を受けなければならないと信じている。この信仰は大西洋から太平洋に至るまでの諸々の部族に見られる。」アフリカ西岸では、「人と名の間には、事実的に、物理的関係が存在する。したがって、名を手段に用いて人を傷つけることもできる‥‥王の実名はそれ故秘密にされている‥‥生れたとき、授けられた名前だけが、その名の持ち主の一部を他に移す力を持っていて、通称が左様でないと信じられているのは、不思議に見えるかも知れない‥‥しかし、土人の考えでは通称はその人に本当に属しているのではないというにあるようである。」
 したがって、あらゆる種類の警戒が必要になってくる。人は自分の名、他人の名を口にしてはならない。特に死者の名は避けられる。(中略)姓名を口にする、それはその名を持つ人自身、或はその名のものに手を触れることである。それは、彼を攻撃し、その人身に暴力を加えることである。また彼の出現を求め、それを強いること、即ち非常な危険を招き得る行為である。故に、人名を口にすることはこれを避ける立派な理由があるのだ。「サンタル人は、狩猟に行って豹や虎を認めたとき、何時も猫とか、或は他の似たものの名を呼んで仲間の注意を求める。」同じくチェロキー族も誰かがガラガラ蛇に噛まれたとは決して云わないで、茨に引掻かれたと云う。儀式のダンス用に鷲を殺したとき、雪鳥が殺されたと云う。これは話を聞いているかも知れない蛇または鷲の精霊を欺くためである。」

「原始人は人の知るように、名、或は肖像に劣らず、自分の影についても心配している。万一影をなくすると、救いのない危難に陥ったと考えるであろう。影を傷つけるものは彼自身をも傷つける。影が他人の権力内に落ちると、彼は一切の危険を覚悟せねばならない。すべての国の民譚は、この種の事実を膾炙させている。(中略)フィジ島では、(中略)他人の影の上を歩くことは、致命的な侮辱である。西部アフリカでは、人の影に小刀または針を刺すことによる殺人が時々行われる。もしその現行中を抑えられた場合には、犯人は即刻死刑に処される。この事実を報告しているミス・キングズレーは、西アフリカの黒人がどの程度まで、影のなくなるのを心配しているか明かに語っている。「太陽が輝きわたっている暑い昼前、森や草地の上を全く愉し気に歩いている人が、不思議なことには森の空地や村の四角い広場へ行くと、決してそこを横切らないで迂回する。これを見て人は喫驚するがやがて彼等がそうするのは正午だけで、これは影をなくなすのを心配しているのだと解ってくる。或る日私は、このことについて特に注意深い一バクウィリ土人に出逢ったので、何故夕方になって彼等の影が周囲の暗の中に消えるときには、影をなくすことを心配しないのかと訊ねて見た。それは、と彼等は答えてくれた、差支えはない。夜すべての影は大神の影の中に憩い、そして元気を取り戻すのである。私は、人、木、または大山そのものも、朝立つ影が、いかに強く長いかを見ることがなかっただろうか。」
 デ・フロートは、シナでこれに似た用心のあることを摘記している。「棺の上に将に蓋が置かれようとするとき、近親者でない他の列席者は大部分何歩か退き、或は傍の室へ退きさえする。というのは、棺の中に影を閉じ込められることは、健康によくなく、不吉な兆であるから。」」

「如上の考察は、他の系統の事実で、原始人の心に重要な位置を占めているもの、則ち夢についても同様に云える。(中略)先ず彼等は夢に覚醒時の知覚と同じく確実な現在知覚を見ている。しかし彼等にとって、それは就中未来の予見、精、霊、神との交通、その個人的な護神と接し、それを見出す手段でさえもある。彼等が、夢を通じて知ったことの実在性については、全幅の信頼を持っている。(中略)オーストラリアでは、「一人の男が毛髪、彼の食べる物、袋鼠の皮の被布、一言で云うと彼のものの何かを、誰かに取られる夢を数回つづけて見ると、彼はもう疑うことはない。そして友人を呼び集め、余り《その男》の夢を見すぎるからきっと何か彼のものを持って行っているに違いないと語る。時によると土人は夢に見たという記憶のために徒らに自分の脂肉の細る思いをする。」
 北アメリカの土人の間では、自然に或は作為的に見る夢は、この上誇張のしようのないほどの重要性を持っている。「時にはそれは彷徨い歩く理性霊であって、そのとき感覚霊が身体を活気づけている。時にはそれは、これから起ろうとしていることについてよい考えを知らせる役神であり、時には夢にみたものの霊の来訪である。しかしながら夢はどんな風に理解されているとしても、夢は常に聖なるもの、神々がその心を人に知らせるために用いる一番普通の方法とされている。屡々夢は精霊からの命令である。」ル・ジューヌ神父の『新フランス報告』では、「夢は野蛮人の神である」と云われ、そして現代の一観察者は次のように述べている。「夢は原始人にとって、我々に対する聖書のようなもので、神の啓示の源である。――ただ彼等は夢を手段としてこの啓示を随意に持てるという重要な相違が加わっている。」それ故、土人は夢の中で命令され、または単に指し示されたことを直ちに実行しようとする。ムーネイは云っている、「チェロキー族では、一人の男が蛇に噛まれた夢を見ると、真実に蛇に噛まれた場合と同じ手当をしなければならない。何となれば、彼を噛んだのは蛇霊で、手当をしなければ数年経た後でさえも、実際の咬傷のように腫れたり膿んだりする惧れがある。」『新フランス報告』の中には次のことが読まれる、「一人の武者は戦争で捕虜になった夢を見た。こんな夢の致命的結果を避けようと、彼は目が醒めるとあるだけの友人を呼び集めてこの不幸を切り抜けるために力を貸してくれるように切願し、そして友達甲斐があるなら彼を仇敵として取り扱ってくれるようにと頼んだ。そこで友人たちは彼にとびかかり、すっかり裸にしてしまって縛りつけ、そんなときにやる罵り声をあげ、町中を引き歩いた。そしてから彼を斬首台の上に登らせた‥‥彼はこの作りごとの捕虜ごっこで真実の捕虜になる難を逃れたと信じて、友人たちに心から感謝した。‥‥も一人の男は、自分の小屋が火事になった夢を見て、その小屋が真実に焼けるまで落ちつかなかった。‥‥(中略)」
 サラワクのマレー人は夢で見た動物と血のつながりがあると信じて疑わない。「ワンの曽祖父は一匹の鰐魚と血つづきの兄弟になった。ワンは夢で五六度この鰐魚に遇った。或る時彼は夢で鰐魚の沢山いる川に落ちた。彼は一匹の鰐魚の頭に登った。それは彼に「心配することはない」と云って岸に連れてきてくれた。ワンの父は鰐魚がくれた護符を持っていた。そしてどんな場合でも、鰐魚を殺すことを承知しなかった。ワン自身も明かに鰐魚一般を近い身内と考えている。」
 簡単に、スペンサー=ギレンの、特にうまい用語で結語しておこう、「野蛮人が夢で知ったものは、覚醒時に見るものと同じく本当である。」

「原始人の知覚と我々の知覚との間の他の相違が更にこの神秘的性質から生れている。我々にとって一知覚の客観的価値を認むる基本的な標識は、知覚された存在或は現象が、同一条件の下にすべての人に等しく現われるということである。例えば、もし数人一緒にいる中の一人だけが或る声を数次聞き、或は数歩のところに物を見るとする。我々は、その人が幻想の下にあり、或は強迫観念に陥っていると考える。(中略)しかし、反対に原始人にあっては、生物または器物は、一緒にいる他の人々を差し措いて、或る人々にだけ現われるということが常に起る。そして誰もそれに驚きを感ぜず、それを極く当り前のことと考えている。例えばハウィットは、「勿論 ngarong は wirarap 巫呪を除いて誰にも見えなかった」と書いている。修業中の或る若い巫医は、入社式のことを述べて次のように云っている。「その試練の後、私は母親に見えないものを見られるようになった。お母さん、あそこにあるのは一体何でしょうか、何か歩いている人のようなものは。――母は、お前、何も無いではないか、と答えた。それは私に見えるようになった jir (亡霊)であった。」」
「東シベリアにも同じ信仰が見られる。「イクルーツク省のアラルスク県では、プリアト人はもし子供が病気で危いと、土龍、または猫の形をした小さな獣 Anokoi に頭の天辺を食われたのだと考える。‥‥巫医を除いて、誰もこの獣を見ることはできない。」
 北アメリカのオレゴン州のクラマス族の間では「kinks (巫医)は、病人の家から呼ばれると或る種の動物の精霊に相談しなくてはならない。この方面の修業に、五年間身を入れた者だけが精霊を見られる。しかも彼等には、我々が周囲の器物を見ると同じように明瞭にそれが見えるのである。」‥‥「一寸法師は、秘法を伝授された人々のほか誰にも見えない。」タラヒュマル族の間では、大蛇が山に住んでいて、それは巫医にしか見えないと信ぜられている。それ等の蛇は角が生えていて、非常に大きな眼を持っている。「偉大なる Hikuli (人格化された聖木)は、巫医と食卓を共にし、彼とその同職者だけがそれを見られる。」」

「このように劣等社会の人々は、我々が認識する属性のほか神秘的な作用力を持つ生物と器物に囲まれて生活し行動している。原始人にとっては、それらのものの感覚的属性はも一つのものと混合している。彼は把握できず殆んど常に眼に見えないで、しかも常に恐ろしい数々のもの、死者の霊とか、明かには人格の限定されていない精霊に囲まれていると感じている。少くとも大部分の観察者、人類学者からはそう云われ、彼等は霊魂説的な語句を使用している。フレーザーはこの事実が劣位の社会に普遍的であることを示す例を夥しく集めている。幾つか例を挙げる必要があるとすれば、例えば、「オラオン族土人の空想は怖(おび)えながら幽霊の世界をさ迷っている。岩、道、川、藪のうち一つでも幽霊に憑かれていないものはない。‥‥なお到るところに鬼神が棲んでいる。」サンタル族、ムンダ族及びコタ・ナグプールのオラオン族のように、「カダール族も、目に見えない沢山の力に囲まれていると信じている。そのうちの或るものは死んだ祖先の霊で、他のものは淋しい山、川、森が未開人の空想を充たしているあの漠然とした神秘感、不安感以上に定った形を持っているとは思えない。それらの名は、非常に多いが、属性は殆ど知られていない。」朝鮮では、「鬼神は遍く空に、また地の隅々まで占めている。それは、路のほとり、木の中、岩の上、山の中や谷の中、小川の中で人間を待伏せしている。昼も夜も少しの休みもなく見張っているのである。‥‥それは常に人の周囲、前後にあり頭上を飛び、地から呼びかける。人は自家にあってさえもそれから逃れることはできない。そこでも鬼神は壁の漆喰の中に塗り込められ、または梁に縛られ、壁にとりついている。その遍在性は、神の遍在性の稚拙な模倣である。」シナでも、昔時の教義によると、「宇宙には、遍く「神」と「鬼」が満ちている。‥‥存在しているあらゆる生物と物体は、「神」或は「鬼」により、またはその二つによって生命を与えられているのである。」西アフリカのファング族では、「鬼神は、到るところ、岸、木、森、小川の中にいる。実際ファング族にとっての人生とは、有形又は無形の精霊との不断の戦いである。」」



「第二章」より:

「私はこれらの表象の繋ぎ合わせ方及び既成聯繋を支配している「原始」心性特有の原理を、他により適当な言葉がないので融即律(引用者注:「融即律」に傍点)と呼ぶことにしよう。」
「私はこう云おう、「原始」心性の集団表象に於ては、器物、生物、現象は、我々に理解し難い仕方により、それ自身であると同時にまたそれ自身以外のものでもあり得る。また同じく理解し難い仕方によって、それらのものは自ら在るところに在ることを止めることなく、他に感ぜしめる神秘的な力、効果、性質、作用を発し或はそれを受ける。
 換言すれば、この心性にとっては一と多、同と異等の対立は、その一方を肯定する場合、他を否定する必然を含まない。この対立は二次的な興味しかない。時としてそれは知覚される。また知覚されないことも多い。それは我々の思考では不合理とならずしては混同できない諸存在の間の本質の神秘的共通性の前では全く消滅することが多い。例えば、「トルマイ族(北部ブラジルの土族)は、自分等は水生動物であると云っている。――ボロロ族(前者と隣れる土族)は、自分等は金剛いんこ(引用者注:「いんこ」に傍点、以下同)であると誇っている。」これは単に、死んでから彼等が金剛いんこになるとか、金剛いんこを変形したボロロ人として扱わねばならぬとかいうだけを意味するのではない。問題は全く異ったものである。フォン・デン・シュタイネンは最初はそれを信じようとはしなかったが、遂に彼等の断定的な確言にしたがわねばならなくなった。彼は言っている。「ボロロ族は彼等が現在金剛いんこであると真面目に云って聞かせる。それは、ちょうど毛虫が自分は蝶であると云うのと同様である。」それらは彼等が自身に与えた名ではない。また彼等が云っているのは親縁関係でもない。彼等がそれによって意味させようとしているのは、本質上の同一性である。彼等が同時にいま存在している通り人間であり、紅色の羽毛の小鳥であるということをフォン・デン・シュタイネンは、考えられないこととしている。しかし融即の法則に支配される心性にとっては、そこには何の困難もない。トーテムの形式を持つ社会はすべて、そのトーテム集団の個々の成員と、トーテムとの間にこれに似た同一性を含む同系の集団表象を内包している。」

「アフリカ西岸の若干例に限るとしても、エリス大佐はタイラーの定義した霊魂の観念とは、少しも一致していないと同大佐自身が特に断っている諸々の集団表象を採集している。エリス氏によると土人は kra と srahman とを区別している。kra は人の誕生以前に、多分、長い一系の個人の kra として存在し、その人の死後も独立的に存在をつづける。それは新しく生れた子供、或は動物の仔の中に入り、或は sisa 即ち住居を持たない kra の形の下に世界を漂泊する。普通に考えられているところでは sisa は常に人の身体に戻って再び kra になろうとし、自分の住居を手に入れるためには、他の kra が一時住居を空にした隙に乗ずることさえある。‥‥ kra は自分の住む身体を随意に離れられ、またそこに戻られる。普通にはそれは睡眠中に身体を離れ、そして夢はこの離れた kra の仕事と信ぜられている。srahman 或は亡霊は、肉体が死んだときやっとその生活を開始し、それは死者の国でその人の生存中に送っていた生活を単に継続しているだけである。それ故我々は、一、生きた人間、二、その中にとどまっている生霊 kra、三、亡霊または srahman (これは亡霊の形の下での一つの継続に過ぎないものであるが)を区別して考察する必要がある。
 この区別は存在しているすべてのものにあてはまる。藪が引き抜かれ、または枯れると、その藪の kra は芽生えかけた種子の中に入りそして藪の亡霊は死者の国へ行く。同じく羊の kra は、その羊が殺されると新しく生れた小羊の中に入り、その亡霊は人の亡霊に仕えるために死者の国へ行く。‥‥死者の国そのもの、その山、森、川は、以前に現世に存在していた存在の亡霊である‥‥と Tshi 語を話す黒人は信じている。」
「kra は或る点では守護の天使に似ている。しかしそうはいうもののそれはより以上のものである。それと人との密接な関係は、それが夜、身体を離れているときの仕事が、目醒めた人に記憶されていることによって証明されている。人は kra の行動の影響を肉体的に感じさえもする。(中略)‥‥それは、恐らくは亡霊のような形をしていて正確に人の形と外観とを具え、人の精神も身体もこの kra の行動によって影響され、その行動を記録する。kra がその滞留している人の身体を離れるとき、その人は、肉体的に何の損害も受けない。kra は人の睡眠中、人に気づかれずに他所に出掛けて行く。そしてもし、人が目醒めているときに離れることがあれば彼は、噴嚏か欠伸によってそれが出て行ったことを知る。しかし霊魂、「人の個々の生存の運搬器」が、もし身体を離れると、忽ちにしてその身体は、活動を停止された状態に陥る。身体は冷たくなり、脈搏は止り、明かに死の状態にある。時には、極く稀ではあるが、霊魂は再び戻り、人はただ失神の状態にあったわけになる。多くの場合それは戻って来ない、そして人は死んだのである。」
 個人とその kra ――これはエリス大佐の云っているように確かにその霊魂ではないもの――との関係はいかに理解さるべきであろうか、kra が彼自身であり、彼自身ではないということは、二つながら正しくはない。それはその個人ではない、それは彼以前に存在し、彼以後にも存在するであろうから。しかしながらそれはまた彼自身でもある。覚醒したとき、彼は夜中に kra が為したこと、受けたことを記憶しているのだから。(中略)個人は、生きている間彼の中に住んでいる kra に融即する。即ち彼は或る意味でこの kra であり、同時に kra でないのである。(中略)死の瞬間にこの融即は終るのである。」

「北アメリカでは霊魂の複数性が通則である。「彼等は、同じ一つの身体の中に幾つかの霊魂を区別する。一人の老人が我々に次のような話をしたことがあった。或る土人は二つか三つの霊を持っている。彼自身のは、二年以上も前に死んだ両親と一緒に彼を離れて行ってしまって、いまでは自分の身体の霊だけしか持っていない。これは彼と共に墓に行くべきものであると。(中略)」マンダン族は、各人は、自己の中に住んでいる数個の精を持つと考えている。その一は白色、二は褐色、三は淡い色でこれだけが、生命の主の許に帰るのである。ダコタ族は、四つの霊魂を認めている。即ち、一、身体の霊、これは身体と共に死ぬ。二、身体と共に或はその傍に常に在る精。三、身体の行為に責任のある霊、これは或る人に云わすと東に他の人に云わすと西に行ってしまう。第四の霊は常に死者の髪の小さな束とともに残る。(中略)或るシウー人は、五つの霊魂をさえ認める。イギリス領コロムビアでは、人は四つの霊を持つと信ぜられる。その主位の霊魂は極く小さい人形(じんけい)をしている。他のものはこれの影である。」

「トーテム集団の祖先は今日存在する動物と正確に同じではなく、同時に動物性及び人間性を神秘的に享有している。それらの動物には、その社会集団とそのトーテム動物との結合を構成する融即が加えられていると云ってよかろう。例えばイギリス領コロムビアで、「私は彼(いつもの報告者)から、彼等の部族は獺族の名を持っているが、彼等は獺をその血縁者として考えているか、また彼等はこの動物を崇めて、殺したり狩ったりしないかどうかを知ろうとした。この間に彼は微苦笑して頭を振った。そしてその後で次のように説明した。彼等は遠い祖先が獺であったことを、確かに信じてはいようが、その獺は、今日いるものと同種だとは考えていない。彼等の祖先の獺は獺人であって今日の獣類ではない。獺人は、男女の人形(じんけい)から獺の雌雄に変形する力を持っていた。古い時代の動物はすべてかようで、普通今日見られる動物ではなく、少しもそうではなかった。それは人間でもあって、自由自在に人の形にも動物の形にも動物の毛皮を着けたり脱いだりして変形することができた‥‥トムソン族は、これらの神秘的生物を、普通の動物と区別するため特別な用語を持っている。」

「原始人のこの表象に於て、すべては神秘的である。彼等はその人が、人でなくなって虎になり、その後で、最早虎ではなくなって人間に返るのかどうかは全く意に介していない。彼等が関心を持っているのはマルブランシュの言葉を借りると、一定条件の下でこれらの人々を、同時に虎と人間に、融即する神秘的な力である。そしてそれは人でしかない人より、また虎でしかない虎よりも、その人をはるかに畏怖すべきものとする。」



「第三章」より:

「スペンサー=ギレンは、オーストラリア土族について云っている。「多くの関係の下で彼等の記憶は神技に類する。」土人は、あらゆる鳥獣の足跡を見別けるばかりでなく、どんな穴でもそれを検査して、最後の足跡の向いている方向から推して、その動物が穴にいるか否かを当てる‥‥不思議に思われるかも知れないが、土人は、知人の一人一人の足跡を識別する。オーストラリアの初期の探険者も既にこの奇蹟的な記憶力を述べている。例えば、グレーは、三人の賊が、その足跡によって見つけられた話をしている。「私は Moyee-e-nan という怜悧な土人を雇い入れ、彼を連れて馬鈴薯を盗まれた菜園に行った。彼は三人の土人の足跡を見出し、誰が通ったかを足形から推量して当てるあの能力を働かして、三人の盗賊は一土人の二人の妻と‥‥ Dal-be-an という男の子であると、私に告げた。」エイアーは、「彼等が、自分等の住む国の隅々までも、細々と詳しく知っていて、俄雨が降ると彼等は少しばかりの水がよく採集されそうな岩、また水が一番長く保つ穴を知っている。‥‥夜、露が豊富に下りると、彼等は、水を沢山集められるような一番長い草の生えた場所を知っている」ことに、驚いている。」
「原始人の間にこのように発達した記憶の特に注目すべき一形態は、一度通った場所の形状を微細な点に至るまで覚えていることだ。このため彼等は、ヨーロッパ人を驚倒させるほどの確実さで元の道を辿って戻られる。地形のこの記憶は北アメリカ土人の間では実際に神技である。」

「ミス・アリス・フレッチャーは、wakanda と称する神秘力を叙述して、次のように彼等の生命の連続の観念を記載している。「彼等は生あるもしくは生なきすべての形、すべての現象を共通の生命――それは連続的で、彼等が意識している意志的な力に類するもの――によって滲透されたものとして考えている。この神秘的な力はすべてのものの中に存在し、彼等はそれを wakanda と呼んでいる。そしてこれを仲介としてすべてのものは人間に、またそれ相互間に結びつけられている。この連続の観念によって見えるものと見えないもの、死者と生者、また、欠片とその総体との間に、一つの聯繋関係が維持されている。」この場合、連続とは、我々が融即と呼んでいるものを意味する、」

「「黄金海岸の黒人が物霊を指すための種別的名称は wong である。これらの空想的存在は、祠、小屋に住み、供物を食い、僧侶の心に入って霊感を与え、人の間では健康、疾病の原因となり、有力な天の神の諸々の命令を遂行する。しかしそれら存在の一部或は全部は、物質的なものと結合され土人はこの川、木或は寿符の中に wong があると云っている。‥‥この地方の wong 中には、川、湖、泉、或る地域、白蟻の塔、樹木、鰐魚、猿、蛇、象、鳥等が算えられる。」タイラーがこの話を取って来たのは一宣教師の報告からである。」



「第四章」より:

「マオリ族は、ニュー・ジーランドの分布植物の驚くほど遺漏のない語彙を持っている。「彼等は木の性を知り、‥‥或る種の木の雌、雄を示す別々の名称も持っている。彼等は、成育のそれぞれの時期に葉の形の変る植物には、その時期毎に別々な名前を与えている。多くの場合彼等は樹木と草の花を別々に表わす特殊な名詞、また未だ開かない若芽、また漿果についても別々な名称を持っている。‥‥ koko 或は tui 鳥は季節にしたがって変る四つの名を持っている(うち二つは雄鳥、二つは雌鳥)。鳥の尾、獣類、魚類の尾もそれぞれ異った語を持っている。kaka (鸚鵡)の鳴き声に三つの名詞がある(怒ったとき、恐れたとき、平時)。
 南アフリカのバヴェンダ族では、「各種の雨に特殊の名称がある。‥‥地理的特徴も彼等の注意から逃れていない。彼等は各々の種類の地形、各々の種類の石、岩のそれぞれに特殊の名を持っている。あらゆる種類の木、灌木、植物の種類のどれ一つとして、彼等の言葉にその名称を持っていないものはない。彼等は草の種類の一つ一つさえ異った名称で区別する。」
「北アメリカ土人は、殆ど科学的と云ってよいくらい明確な表現を多く持っていて、雲がよく見せるさまざまな形や空の模様のいろんな特徴を指している、それは全く訳出不能である。それに当る文字をヨーロッパ語に求めても得られないであろう。例えばオヂブウェー族は二つの雲の間に輝いている太陽のためまた空の中、黒雲の間に時折見える小さい青いオアシスのため特殊の名を持っている。」
「西部オーストラリアでは、土人は、「すべて目につく星、土地の自然の形状、丘、沼、川の屈曲その他のための名を持っているが、川という普通名詞は持っていない。」」



「第五章」より:

「北アメリカ土人社会の大多数では、四は他のどんな数より勝れた神秘力を持っている。」
「シウー族の間では、力の神 Takuskanskan は、四つの風の中に住み、そして夜の四つの黒い精が、彼の命を遂行するとされている。‥‥四つの風は「動く何ものか」によって送られる。また彼等の間では、雷神が、四人のと云えなければ少くとも外部へ顕われる四つの異った形を持っている、というのはそれらの本質は一であるのだから。(中略)「一つの形は黒、も一つは黄、も一つは深紅、も一つは青である。彼等は、世界の端の高い山上に住んでいる。住居は、地の四方位に向いて開き、各々の戸口には、見張りが置かれている。東の入口には蝶、西口には熊、北口には鹿、南口には海狸。」」








こちらもご参照ください:

レヴィ・ブリュル 『未開社会の思惟 (下)』 山田吉彦 訳 (岩波文庫)
フレイザー 『金枝篇 (一)』 永橋卓介 訳 (岩波文庫)
マルセル・モース 『贈与論 他二篇』 森山工 訳 (岩波文庫)
ヴァールブルク 『蛇儀礼』 三島憲一 訳 (岩波文庫)
ル・クレジオ 『悪魔祓い』 高山鉄男 訳 (岩波文庫)






















































吉田禎吾 『日本の憑きもの』 (中公新書)

「先代の婆さんは「犬神使い」といわれ、部落の両側を流れている川の橋の下に住んでいたイヌガミを拾って帰り、床下に飼っていたという。イヌガミは一般人には見えないが、白黒斑のイタチのような動物で、歩くときは宙を歩くので足音も聞こえないといわれる。この婆さんはイヌガミをコロコロと呼んで愛玩し、床下に無数に飼っていたそうである。」
(吉田禎吾 『日本の憑きもの』 より)


吉田禎吾 
『日本の憑きもの
― 社会人類学的考察』

中公新書 299


中央公論社 
昭和47年9月15日 印刷
昭和47年9月25日 発行
2p+202p 
新書判 並装 ビニールカバー 
定価250円
装幀: 白井晟一



本書「序章」より:

「日本の憑きものの研究は、主として民俗学の領域において行なわれてきたが、本書は民俗学的な接近をめざすのではなく、おもに社会人類学的な立場から憑きものの現象に光をあててみたい。」


本文中に表4点、図5点。章扉図版(モノクロ)4点。

でてきたのでひさしぶりによんでみました。



吉田禎吾 日本の憑きもの 01



帯文:

「キツネ・イヌガミ憑きの正体に迫る社会の深層心理への踏査」


帯裏文:

「伝統社会の解体、都市化の進行とともに、キツネ憑き・イヌガミ憑きなどのいわゆる憑きもの現象は今や確実に消失の方向にある。しかしこの現象の背後には意外にも、日本社会の家筋の問題を含む人間関係の祖型が匿されているのではなかろうか。今なお憑きもの現象の濃密に残存する村落への長年の調査と、外国の豊富な類例とを比較して考察した本書は、かつて日本民俗学が試みた領域への、社会人類学の側からの新しい照射である。」


目次:

序章 「憑きもの」に憑かれて
 憑きものの魅力
 社会の深層心理への踏査

第一章 憑きものの正体と特色
 心的分離としての憑依現象
 外国の憑きもの
 望ましい憑霊と望ましくない憑霊
 家系と結びつく日本の憑きもの
 人と動物霊
 キツネの正体
 イヌガミの正体
 蠱道との類縁
 オサキの正体
 憑きものと性
 憑きもの落とし
 憑きものの予防

第二章 憑きもの筋
 結婚のタブー
 ナマヅル
 憑きもの筋の形成
 江戸中期に発生か
 隠岐の人狐の話
 富をつくる憑きもの
 筋と階層
 筋の伝播 (山陰・四国)
 縁切り
 筋の伝播 (関東)
 憑きものの内在性と外在性
 家系・血筋をひく妖術
 筋の集団化

第三章 憑きものの社会的意味
 死霊が憑く
 祖霊と親族
 憑く憑かれるの関係
 社会的潤滑油
 憑きものと村落社会
 家単位の憑きもの現象
 イギリスの妖術との比較
 憑く人の特徴 (日本)
 憑く人の特徴 (外国)
 憑かれる人の特徴
 社会統制の機能
 不幸を説明する機能
 妬み深い憑きもの
 村落構造の維持機能
 妖術の盛んな社会の特色
 憑きものの社会的条件
 憑きもの筋の持続

あとがき




吉田禎吾 日本の憑きもの 02



◆本書より◆


「第一章」より:

「一九七〇年十二月八日朝、青森県津軽郡蟹田町で、母親(四十七歳)がイタコ(祈禱師)のお告げを信じて、頭痛を訴える長男(十八歳)に乗り移ったという悪霊を追い払おうと、長男をなぐり殺してしまった。母親は「七日夜、かわいそうなので添寝していたところ、八日午前零時ごろになって、息子に乗移った神様が、息子をとるというので息子とにらめっこした。二時ごろになって神様を追出すため息子と取っ組合いになり、主人も娘も手伝って神様を追出そうとしたが、神様にまけたため死んでしまった」と錯乱状態で述べたという。(中略)長男の頭痛は悪霊が乗り移ったためであり、叩けばこれを追い出せると信じていたために殺してしまったのである。
 一九六九年九月七日の午後、秋田県由利郡に住むある老婆(七十三歳)に憑いたキツネを追い出そうと、長男(五十二歳)ら家族や親類の者たちがなぐったり、かみついたりして、死なしてしまった。」

「このように、人に憑くと信じられている動物には、キツネ、イヌガミのほかに、ヘビ、タヌキ、ネコ、サルなどがある。人に憑くキツネには種類があり、キツネという以外に、関東ではオサキギツネ、中部地方ではクダギツネ、東海地方ではオトラギツネともいわれる。中国地方にはヒトギツネ、ゲドー(外道)という語もある。ゲドーという別の動物霊があるのではなく、キツネやイヌガミの別名である。またカッパが憑くという信仰もある。
 こういう動物霊のほかに、人間の生霊(いきりょう)や死霊が憑くという現象もある。紫式部の『源氏物語』の中に「物の怪(け)、生霊(いきすだま)などいふもの、多く出て来て、さまざまの名のりする中に……」とあり、いろいろ占(うらな)っても、葵の上に憑いた生霊が誰のものであるか分らないという叙述がある。(中略)私たちが一九六四年から翌年にかけて高知県のU部落で調べたところによると、生霊に憑かれたために精神的・身体的病気になったというケースが一七ほどあった。(中略)出雲地方の山間部においても、生霊が憑くことがしばしばある。憑かれた人は、憑いた人の言葉づかいや動作まで似てくるし、急に大食になったり、踊ったり、飛びあがったり、うわごとを言ったりする。」
「憑かれた者のしゃべる言葉は、その人に憑いた者の言葉だと信じられている。ある十五歳の娘が憑かれたとき、狂乱状態になり、うわごとの中で、フロシキ、フロシキと言っていた。これはある老婆が憑いたせいだとされた。村びとの話では、その老婆がその娘の家からカナダライを盗み、フロシキに包んで帰る途中、人に見つかったので、フロシキごと道端において帰ってしまったので、フロシキを失ったことがくやしく、娘に憑いたとき、フロシキのことが娘の口から出たというのである。
 高知県のある地方では、憑かれた人には、その人に憑いた者の動作や声が現われるといわれる。たとえば、音痴の人に芸者が憑いたことがあったが、そのとき憑かれた男は、音痴のはずなのに、その芸者と同じようないい声で上手に歌ったという。」

「讃岐の東麦に住む人が、飼イヌを首だけ出して地に埋め、イヌの好物の肉を与えて、「汝の魂をわれに与えよ」と刀を抜いてイヌの首を打ち落とした。イヌの魂をえて、仇を討とうと思っていた相手を咬み殺して本懐をとげた。これ以後、この人の家にイヌガミというものが伝えられ、婚姻を結ぶと、その家にもイヌガミが伝わるようになったという(『土佐邦淵岳誌』)。
 イヌを生き埋めにしておいて、呪文を唱えておくと、その人およびその子孫まで、人を憎いと思うと、そのイヌの念が相手の人に憑いて苦しめる、という記事もある。こうして、「犬神をもちたる人、たれにてもにくしとおもへば、件の犬神忽つきて、身心悩乱して病をうけ、もしは死する」(『醍醐随筆』寛文十年)ということになる。
 イヌの前に食物を与えずに置いておき、飢えた後にこの首を切り、イヌの念力を身につけた者がイヌガミスジの祖先だ、という話は、四国では今でも各地に伝えられている。」

「大分県速見郡豊岡町T部落にH家というイヌガミモチがあった。この家は農業兼石工師だったが、代々精神病患者を多く出し、現在子孫は死に絶えている。先代の婆さんは「犬神使い」といわれ、部落の両側を流れている川の橋の下に住んでいたイヌガミを拾って帰り、床下に飼っていたという。イヌガミは一般人には見えないが、白黒斑のイタチのような動物で、歩くときは宙を歩くので足音も聞こえないといわれる。この婆さんはイヌガミをコロコロと呼んで愛玩し、床下に無数に飼っていたそうである。イヌガミはあまり数がふえると飼主まで食い殺すので、ときには間引きをするといわれる。
 『土佐国淵岳誌』は「狗神(いぬがみ)」を「鼠ノ如キ小狗」と述べている。さらに時代を遡って、寛文六年(一六六六年)の『伽婢子』(巻十一)には、「その犬神をもっている主人が死ぬ時は、家を継ぐべき者に犬神が移るのが傍にいる人には見える。これは米粒ぐらいの大きさの犬であり、白黒の斑があり、死んだ人の身を離れて、家を継ぐ人の懐(ふところ)に飛び入る」という意味のことが書いてある。これはきわめて小さいイヌガミで、中国の「蠱(こ)」を思わせる。」
「中国・四国地方の憑きものにトウビョウというのがあり、これはヘビである。キツネをトウビョウという所もあるが、トウビョウといわれるヘビは、四国のイヌガミや山陰のキツネのように、人に憑いてわざわいをなし、一定の家系に伝えられる。中国地方のある村では、トウビョウは小さいヘビで首に黄色の環帯があり、頭は平たく、ミミズに似ている。トウビョウモチはこれに毎月晦日に粥(かゆ)を煮て与えるといわれている。山陽地方の一部のトウビョウはカツオブシのように長さが短く、中ほどが太く、首の辺に白色の輪があるヘビで、これを小さい甕(かめ)の中に入れ、土中に埋め、その上に祠(ほこら)をたてて祀っており、祟(たた)りを免れ、金持にしてもらうために、ときどき蓋を開いて酒をそそいでやらねばならない。
 四国の讃岐地方では、トウビョウのことをトンボガミといい、土瓶神の字を当てている。大きさは杉箸ぐらいのものから竹楊子ぐらいのものまでいろいろあり、色は淡黒色、腹部が薄黄色で、頭の所には黄色い環がある。このトンボガミモチは、トンボガミが人に憑くので怖れられている。こういう家は、トンボガミを甕に入れて、台所の近くの床下などに置き、ときどき食物をやり、酒をそそいでやるという。旧幕時代にある人が讃岐中部の某村に行き、ある家に宿を借りていたが、ある日家に帰ると、家の者が留守で、台所の鑵子(かんす)がぐらぐら煮えている。一杯飲もうとふと床の下を見ると甕があるので、茶甕かと思って開けてみると、トンボガミがうようよいる。これに熱湯をかけて蓋をしておいた。家の者が帰ってきてからこのことを話すと、家では大喜びで、永年の厄介物を片づけることができたと言っていたという。
 この伝承は、中国の六朝時代に干宝(かんぽう)の著わした『捜神記』(巻十二)に載っている話に非常によく似ているが、これは偶然であるとは思えない。中国の話はつぎの通りである。
 「滎陽(けいよう)(河南省)に廖(りょう)という姓の家があった。代々蠱(こ)を使うのを職業にして、それで財産を築きあげた。その後、息子に嫁を迎えたが、このことは嫁には打ちあけなかった。
 あるとき、たまたま家人が出はらって、嫁だけが留守番をしていると、ふと部屋のなかにある大きな缸(かめ)が目についた。ためしにあけてみると、大きな蛇がはいっている。そこで湯を沸かして注ぎかけ、殺してしまった。家人が帰ってからこの次第を報告したところ、家中の者はがっかりしてしまったが、それからまもなく、家族の中に伝染病がおこって、ほとんど死に絶えてしまったのである」」
「『大漢和辞典』(巻十)によると、蠱とは「まじもの。まじなひに用ひて人を毒する蟲」であり、たくさんの虫を皿に入れて互いに食い殺させ、残った虫で蠱をつくったらしい。」



「第二章」より:

「それにしても、家筋から分家し、あるいは嫁入りしても、同じ筋になる場合もあり、また、筋にならない場合もあるということはどういうことなのか。(中略)そこにはさまざまな要因が働いているようであるが、村の人たちに尋ねても、「さあ、どういうわけかね」と言われ、要領をえないことが多い。S部落からK部落に転出したHS氏や、S部落のKW氏は、人間の性格が関係しているのではないかという解釈をした。つまり、分家とか婚姻関係でオサキモチと関係しているような場合、あるいはもとオサキモチのいた家などに移り住んだとき、村の人たちから嫌われるようなタイプの人は、オサキモチと言われるようになりやすいというのである。だから、そういう性格でなければ、同様な条件においても、筋にならないということになる。
 たとえば、オサキモチとされているTK氏(六十八歳)は(中略)、人と協力しなかったり、人を畑の手伝いに頼むと、早く耕させるように、自分もそばで鍬を動かすので、頼まれた人はピッチを早めざるをえず、(中略)むかし馬を引いて細い道を通るとき、彼は、すれ違う相手が道をよけないと黙ってその人をひっぱたくようなことを平気でやったそうである。(中略)オサキモチの人は性格的に変わっているということは一般によく聞かれる。
 最近オサキモチになったようだといわれるBH氏は、明らかにもともと皆から嫌われるようなタイプの人らしい。戦後、BH氏の息子が嫁を貰ったとき、村の若い者たちがこの家の壁に穴をあけるなどして騒いだそうである。この地方では、祝儀のときには、村の青年たちに酒をふるまうのが習慣であるが、これを出さなかった。(中略)ある人は、このBH氏という人は、「木で鼻をくくったような人で、何かにつけて人に反対するような人だ」と言っている。」



「第三章」より:

「イギリスの社会人類学者メアリー・ダグラスは、アザンデ族の貴族と平民との関係は、上下にフォーマルに構成されていて、平民は貴族にさからわないし、貧者は富者と、息子は父とは争わないのであって、同じ階層の内部や、同じ夫を持つ妻同士(一夫多妻制による)の間におけるような領域において、つまり「社会のなかで、政治組織によって構造化されていない領域においてのみ、人びとは互いに妖術の非難を行なうのだ」と述べている。」
「このように、妖術の信仰が、社会の規律に反した人を罰するという、社会的制裁の機能を果たしているとともに、妖術に対する恐怖は、人びとに、伝統的な規範を確認させ、それを実践するようにしむける。アフリカのカグル族では、妖術の罪をきせられた者は死刑にされたし、妖術の嫌疑を受けたものは、毒を飲まされたり、手を熱湯の中に入れさせられ、もし何ともなければ無罪とみなされたらしい。
 日本の憑きもの信仰も、これに似た機能を持っているようである。」
「見ず知らず他人から憑かれたり、見知らぬ人に憑くことが稀であるのは、憑く、憑かれるという現象のおこる人間関係が、村落的な社会を基盤にしているということである。その人間関係は、互いに知りあい、相互にいろいろなことを期待しあい、権利と義務の関係によってしばられ、長期にわたって交誼と互助が要請されるような、そういう関係である。」
「憑きものは、このように、比較的小さい共同体的な社会において、お互いにパーソナルな、密接な関係が保たれているような社会における人間関係におこるということができる。」
「だから、ある意味で、レヴィ=ストロースの言う「地獄は他の人たちのことだ」という考え方と関連している。つまり、わざわいの原因を、部落内の憑きもの筋に帰してしまうのである。」
「日本の憑きもの現象で、女性の方が人に憑きやすいという傾向も、女性がよそから嫁入りしてきた者であり、夫の「家」や親族にとっても、部落にとっても、多少とも「周辺人」的な要素をそなえていることと関係していると思われる。(中略)その場合、村の規範にかなった人物であれば問題はないが、なかには、皆に嫌われ、つまはじきされるような人物がいることがあり、こういう婦人が人に憑いたといわれやすいのである。
 人に憑いたという人の属性をみると、(中略)一般に村の中では評判のよくない、伝統的な規範からややはずれた人の場合が多い。」
「群馬県多野郡などの村々では、憑きもの筋の者は、しばしば、風変わりな人、(中略)協調性がない、口先がうまい、嘘が上手、憂うつ症、異常者、(中略)などといわれ、評判がよくないことが多い。」
「憑きもの筋の人の特徴は、村びとの評価と本人の反応ないし反撥との相互作用の結果形成されるものである。したがって、(中略)憑きもの筋の少数派地帯におけるほうが、その多数地帯(中略)におけるよりも、筋の人の感ずる精神的圧迫もいっそう強く、その反撥もはるかに強いと思われる。そこでTK氏のように、人にくってかかる性格が助長され、あるいはYR氏のように自閉的、神経症的になるのであろう。こうして、筋の人が「変わり者」といわれやすくなるのだろう。」
「このように、人に憑きやすい人、持筋の人に対する人びとのイメージは、伝統的な規範からはずれた人間を指している。とくに、向う気が強く、気性の激しい婦人は、日本の農村では嫌われる。(中略)こうして人に憑いたとか、人に憑きやすい人だといわれないためには、できるだけ「気性が激しい」などといわれないように、愛想よく、協調的で、おとなしくふるまわなければならない。(中略)村の婦人たちも、「人に憑いたなどという噂を立てられたくありませんね」と述べていた。
 アフリカのセワ族の妖術者も、その社会で規範に反する特性をそなえているし、これはカグル族でも同様である。
 カグル族では、(中略)妖術者と疑われると、煮えたぎる湯の中の石や羊の脂身を拾わされたり、耳たぶを小枝で刺されたりして試され、手を火傷(やけど)したり、耳に痛みを感じたりすると「有罪」とされ、前には死刑に処せられた。だから、そもそも妖術者として疑われないようにつとめることになる。」
「日本の民族は、他の民族に比べて、集団の連帯性、集団への帰属意識が非常に強いことは、欧米の人類学者も、日本の学者も等しく何度も指摘しているので、ここで改めて述べるまでもない。こういう傾向の一つの原型は、日本の村落(現在の部落)にみられる。
 日本の村落の構造は、言うまでもなく、稲作というものによって強く規制されている。それはどうしても集約的な共同労働、水利などに関する共同組織を必要とする。(中略)以前には、自分の住む部落を離れての生存は困難であった。だから部落の統一というものがすべてに優先する倫理となり、(以下略)」




◆感想◆


そういうわけで、多様性を否定し個人よりも社会を優先する日本民族の(というか稲作民族の)集団への帰属意識・集団優先の倫理が差別を生み出してきたのであって、当然それが厳しく批判されるのかと思いきや、著者は「社会人類学的な立場」に立っているので、「日本の憑きもの現象も、(中略)社会的な意味ないし機能を持っており、近隣間の互助、協力に精神的支持を与えているといえる」とか「憑きもの信仰は人間関係の和を促進し、部落の連帯性を強め、伝統的な規範の維持に役立つ側面を持っている」などと差別を助長するようなことをぬけぬけと書いています。





こちらもご参照ください:

石塚尊俊 『日本の憑きもの』 (復刊)
小松和彦 『悪霊論 ― 異界からのメッセージ』
赤坂憲雄 『東西/南北考』 (岩波新書)
ノーマン・コーン 『魔女狩りの社会史 ― ヨーロッパの内なる悪霊』 山本通 訳































石塚尊俊 『日本の憑きもの』 (復刊)

「巫女が外道のものを竹や壷に納めて、これを人里離れた所へ持って行って捨てるということは、大分県の速見郡でも聞いた。かの地では、その捨てる場所を犬神藪とか犬神小路(シウジと発音する)とかいい、いずれもうら淋しい所で、犬神はそういう所にいるものとされ、したがってそこへ捨てるが、時にはそこから迎えて来るともいっている。」
(石塚尊俊 『日本の憑きもの』 より)


石塚尊俊 
『日本の憑きもの
― 俗信は
今も生きている』



未來社 
1972年8月31日 復刊第1刷発行
1989年2月20日 第7刷発行
297p 口絵(モノクロ)2p 
四六判 角背紙装上製本 カバー 
定価2,000円



本書「憑きもの概説」より:

「全体を分かって七章とし、第一章では伝承の梗概を記し、第二章ではいわゆる家筋というものをその正確な数字を求めつつ眺め、第三章ではこれによる社会緊張の実態をたずね、第四章では問題を憑くものと憑かれるものと憑けるものとに分けて、それぞれの特徴を抽出し、第五章ではこれに介入しこれを歪曲したろう行者の系統をたずね、第六章ではその最も基根である固有信仰の祖型にまでさかのぼらんとし、そして第七章ではこれを結び、同時にこの俗信の生きる社会基盤をとらえようとした次第である。」


別丁口絵図版(モノクロ)3点。本文中図版(モノクロ)11点、図10点、表8点。
初版は昭和34年。著者は柳田国男の指導を仰いでいます。

でてきたのでひさしぶりによんでみました。



石塚尊俊 日本の憑きもの 01



目次:

一 憑きもの梗概
 1 課題と研究の立場
 2 種類と分布
   A おさき
   B くだ
   C いづな
   D 人狐
   E 外道
   F とうびょう
   G 犬神
   H やこ
   I その他の動物霊
   J とりつきすじ
   K イチジャマとクチ

二 憑きもの筋の残留
 1 少数地帯と多数地帯
 2 多数地帯の実態
  A 島根県出雲地方の実態
  B 島根県隠岐島前地方の実態
  C 大分県南部Y村の実態
  D 高知県西南部T村の実態
 3 多数地帯の成立

三 憑きものによる社会緊張
 1 憑きもの筋自身の態度
 2 非憑きもの筋側の態度
 3 婚姻統計に現われた社会緊張

四 憑きもの及び憑きもの筋の特徴
 1 憑依動物の特徴
 2 憑依症状の特徴
 3 憑きもの筋の特徴
  A 島根県東部N部落の場合
  B  島根県半島部D浦の場合
  C 大分県南部O浦の場合
  D 高知県西南部G部落の場合

五 憑きものと行者
 1 憑きもの落としとその方法 その一
   A 憑きものの予防法
   B 狐憑き発見法
   C 薬物鍼灸療法
 2 憑きもの落としとその方法 その二
   A 神道加持
   B 日蓮宗中山派の加持
   C 修験加持
   D 巫女の祈祷
 3 憑きもの使いの問題 その一
   A 憑きもの使いの存在
   B 文献に現われた憑きもの使い
   C 大陸の蠱道
 4 憑きもの使いの問題 その二
   A 飯綱と荼吉尼
   B 荼吉尼信仰の本山
   C 外法・式神・護法
 5 日本蠱道史上の問題点

六 憑きものと家の神
 1 守護神としての動物霊
 2 動物霊の勧請
   A 狐託宣・蛇託宣
   B 動物の予兆力
   C 動物霊勧請の次第
 3 家の神の司祭者

七 憑きものと社会倫理

あとがき (昭和34年7月7日)




石塚尊俊 日本の憑きもの 02



◆本書より◆


「一 憑きもの概説」より:

「ところで、憑きものといっても、今日大部分の地方では、もはや遠い昔の思い出ぐらいのことにしかなっていないかも知れない。したがってそういう所では、時たま狐が憑いた、狸が憑いたというような騒ぎがあったとしても、それはどこか野原にでもいる狐が偶然に憑いたのであり、いわゆる化かされたというのに等しい現象としてあきらめ、別にそれを駆使する特定の家筋があるなどというふうには考えないであろう。したがって、そういう地方ではこれによる弊害もまた少ない。ところが、地方によっては、この家筋というものを真剣に考え、常日頃、実際にそういう動物を飼っている家があるとし、それを「狐持ち」とか「犬神持ち」とか呼び、村で「憑かれた」というような騒ぎが起こると、それはそういう家からけしかけられた結果であると信じ、したがってこれを極度に非難し、また、そういう家と縁組をすれば、その飼っている狐なり犬神なりが嫁婿と一緒にやってくる、そうすれば自分の家もその「憑きもの筋」になってしまう、だからそういう家とは絶対に縁組をしないといっている所がある。」

「では、これらの地方では、こうした状態に対して何らの手も打ってはいないかというと、もちろんそのようなことはない。すでに旧藩時代からこれが啓蒙運動はおこなわれてきた。(中略)しかしその効果は必ずしも歴然たるものではない。表面的にはいわぬようになっていても、心の中ではほとんどの者がまだこだわっているというのが、遺憾ながら実情である。」

「以前は学校の教室で児童の席をきめるというような折にも、「うちの子を狐つき(狐持ちの意味)の家の子と並ばせるな」などという親があったほどだという。縁組を嫌うのはもちろん、土地や馬を買う場合にも、やはりそれについて来るといって恐れたという。最近でもいわゆる生活改善問題としてこれがとりあげられ、それが却って逆効果に終わったというような例もあったらしい。」

「由来、クダ狐とは管に入れて持ち歩く故にこの名があるとされている。」
「愛知県一宮市では、明神森の東のうどん屋の前へ毎市日に八卦見が出るが、この八卦見がこの狐を使っていて、それは伏見の稲荷から受けて来たものだという。そして大きさは奉書につつんだ指くらいの竹であったというから、(中略)この中に入るクダ狐はよほど小さなものにならざるを得ない。かと思うと、さきにも記した横須賀市の婆さんは、マッチ箱大の箱の中へ二匹入れて飼っていたというから、こうなるといよいよその形態は現実から遠のいてくる。」
「山梨県の南巨摩郡三里村では、今から六十年くらい前頃までは、正月や祝い日などにはイチッコが廻って来たが、これが小型のラジオくらいの箱を黒木綿の風呂敷に包んで背負って歩いており、口寄せをするときにはこの箱に両肘をついて寄りかかり、また箱の上には皿か丼に水を満たして置き、この水を笹の葉でかきまわしながら神おろしの詞を唱えて諸国の神々を呼びおろす。箱の中には雌雄のクダ狐が入っていて、これをイヅナとも呼び、鼠くらいの大きさであるが、普通の人には見えない。イチッコが命ずると、これが方々をまわって来ていろいろのことを教えるという。」
「ともあれ、こうしてクダ狐は、ある特定の家に飼われているものというより、ある特定の術者に使われているものというような性格が甚だ強い。」

「犬神はイヅナとともに、この種のものの中では比較的早くから文献に現われてくる。」
「延宝三年の序のある黒川道祐の『遠碧軒記』には、これが起源に関する伝承を載せ、「田舎にある犬神と云事は、其人先代に犬を生ながら土中に埋て、咒を誦してをけば、其人子孫まで人をにくきと思ふと、その犬の念その人につき煩ふなり。それをしりてわび言をして犬を祭れば忽愈」と記しているが、本居内遠の『賤者考』には、里老の話を載せて、「猛くすぐれたる犬を多く嚙み合せて、ことごとく他を嚙み殺して、残れる一匹の犬を生きながらへしめたる上にて、魚食をあたへ食はしめて、やがてその頭を切りて筪に封じ、残れる魚食をくらへば其術成就す」とやや異なる伝承を収めている。しかし飢えた犬の首を切るという話は今も人口に膾炙しており、四国ではどこでも聞くが、九州大分県速見郡山香町では、現にその通りのことを実行している巫女がいるという。それは、かくして獲た犬の首を腐敗させ、それに湧いたウジをかわかして、それを犬神だといって、一匹千円だかで希望者に頒けているというのである。」



「三 憑きものによる社会緊張」より:

「憑きもの筋に対する非憑きもの筋側の態度にも、いろいろの段階があった。今日では、いわゆる多数地帯においてさえ、もうこれを知らぬというほどの人もあるようになったが、ひと年とった階層の間となるとそうはゆかぬ。仮りに、憑きものが恐ろしいというようなことは全く信じなくても、一つには世間体からやはりこれにこだわるのである。それが昔となると、とてもその程度のことではすまされなかった。ずっと古く、人がまだこのことを本気に信じていた時代には、このものを、それこそ災厄の根源であるとして追放し、時には焼打ちにしたような事件さえあったのである。」
「しかし、こうした殺伐な弾圧は、いくら旧藩時代でもおおむね前期までで終わっている。そしてこれ以後になると、少なくとも為政者の側としては、反対にこういうことをしようとする者を努めて鎮圧しようとする態度に変わるのである。」
「とにかく近世も後半になると、為政者としてはもっぱら保護者の立場に立つようになる。しかし、それは表面のこと、一般常民の間においてはなお依然として緊張が解けない。焼打ち等のことはないが、追放程度のことならばどこでも珍らしいことではなかった。」
「これはしかし、旧藩時代の話、今日ではもちろんこのようなことはない。しかし、正面きっての追放こそせぬが、無言の圧迫はやはり強く、とうてい堪えきれぬために、憑きもの筋の者自身、ついに所を払って他出してしまったという例ならばいくらもあるようだ。静岡地方では、前記の如くクダ屋が有名であるが、これも今では世人から忌まれ、交際もできにくいので、次第に立退き、今ではほとんどもとの土地にいないという。
 そういう悲劇が、隠岐島では近頃まで甚だしかったようだ。知夫島のF浦ではもと二戸あったが、あまりの迫害に堪えかねて、明治の終り頃逃げ出してしまった。実にかわいそうであったとは横山弥四郎氏の感慨である。西ノ島のC浦でも一戸あったが、西郷へ出、O部落の一戸はH浦へ、K浦の一戸は三十年くらい前に一家をあげてブラジルへ移民してしまった、と、これは松浦康磨氏の記憶である。」
「日常の交際ないし起居進退に関するようなことはなかなかわかりにくいが、問題の多い所ではやはり相応の苦心を払っているらしい。山梨県西山梨郡千代田村では、狐持ちの家をワンワン(覗くこと)すると狐に憑かれるという俗信があるから、覗き見もしないであろう。徳島県三好郡地方では、憑いて困るという場合には、その家の周囲に糞を撒くという伝承があるが、青森県八戸市附近では、先年それを実際にやったという事件があった。高知県幡多郡大方町では、犬神持ちの家の前を通る時には、憑かれぬ呪いとして胸に縫針をさして歩くという女学生の報告がある。
 ところが、『夕刊山陰』の昭和二十五年二月一五日版をみると、「出雲より」として次のような記事がある。
  出雲市高浜里方町農業法田静子(二二)=仮名=は、昨年暮ごろから二月初めまでに、近所の金山キンさん方ほか七戸から、毛糸、モチ、現金など空巣ねらいを働き、十三日市署員に捕ったが、近所の者もキツネ持ちの家だから仕方がないと、ほとんど盗難をあきらめて届出なかったもので、同人も嫁入り前に迷信から来る白い視線が禍いし、なかばヤケになって盗み回っていたもよう。
と、わずか数行の記事ではあるが、筋だとされている側の者の落ちてゆく一つの場合、またこれに対する周囲の者の態度を、ともによく語って余すところがないと思う。」
「憑きものによる社会緊張が、最後まで残るのが、縁組の場合である。」
「もっとも甚だしい出雲地方においても、他のことに関してはもうほとんどいわず、それどころか縁組に際しても、一応の態度としては、つまらぬことだからこだわるまい、と誰もがいうが、それでは、実際に自分の娘を狐持ちにやるかというと、ちょっと待ってくれ、もう少し考えさせてくれ、というのが遺憾ながら実情である。そのため、筋の相違を超越して一緒になるというようなことはなかなかむずかしく、それによる悲劇がなお跡を絶たぬのである。」



「四 憑きもの及び憑きもの筋の特徴」より:

「さて、かようにして、イヅナ・オサキ・クダ・人狐・ヤコ・トマッコ狸・犬神・外道などは、それぞれ、イイヅナ・オコジョ・イタチ・ヂネズミ・などであるらしいが、ここに一つ、何としても合点のいかぬ憑きものがいる。それはトウビョウである。トウビョウといっても、狐の方のトウビョウはやはり鼬の類であろうが、問題は蛇のトウビョウである。そして、これだけがあらゆる憑きものの中で哺乳類ではない。
 およその伝承についてはさきに示したが、それらを通じて見たところ、その形はいずれも小さく、せいぜい五、六寸くらいから、短かきは杉箸くらい、もっとも短かきはミミズぐらいというような表現もあるから、もしかしたらこれは蛇ではなく、ミミズの類であるかも知れぬ。色は黒く、首には黄色い輪があるというが、石見ではそれが白い輪だとなっている。しかるに広島県双三郡地方では、中太で、その形、鰹節の如しなどとあるから、こうなるといよいよわからない。
 とにかく、犬神にしても狐蠱にしても、その正体に擬せられる何らかの動物がいることは「事実」であるから、これにはやはり何らかの拠りどころはあるのかも知れない。だがそういうことよりも、ここで大きく問題にしたいことは、総じて、トビョウに限らず、犬神にしても、人狐にしても、あるいは外道・クダの場合にしても、第一には、その眷族が七十五匹もいるといわれるくらい非常に多いこと、第二には、その伝育者が女だとされ、その故に、女から女に伝わるものだという考えがあること、そして、さらに大きな問題は、既にして、その正体はイタチだとか、ヂネズミだとかいいながら、しかもなおかつそれを狐であるとか犬であるとかいっているということである。つまり、犬らしからぬものを摑まえながら犬だと呼び、狐らしからぬものを見ながらなおそれを狐だと考えているということであって、ここにわれわれは、その正体が何だということよりも、そうした信仰が何によって起こったかということの方が、より先決の問題のように思われてくる。つまり、正体がわかったというだけでは問題を解決したことにはならぬのであって、その前にまず、いうところの、狐なり、犬なり、あるいは蛇なりの信仰をたずねて見ねばならぬのである。」



「六 憑きものと家の神」より:

「こうして、憑きものには、これを鄭重に祀り込めば、位がなおって神になる、あるいは逆に神であっても、これをおろそかにすれば位が下がって憑きものになる、という伝承がある。したがって、この考えをさらに突き詰めてゆけば、憑きものとして、今は嫌われているこの俗信も、もとは家の守り神として、むしろ良いものに思われていた時代がありはしなかったかということになる。」
「一つの例は岡山県美作地方のトマッコ狸であって、トマッコとは鼬であろうが、これを飼っているといわれる家が西美作には非常に多い。その数は一戸で数百匹、数千匹もいるといわれ、(中略)飼うのはその家の主婦の仕事で、夜半に桶に粥を満たしてその端を杓子で叩くと、どこからともなく無数に出てきて食うというから、その説くところは全く通常の憑きものと変りないが、しかるにもかかわらず、これに対しては通婚を忌まず、したがって、通婚によって家筋ができるとはいわないという。
 これとは少し違うが、やや似た例が鳥取県倉吉市の在にもある。この村で狐持ちだといわれるのはこの家一軒であるが、(中略)別に縁組を嫌うというようなことはないという。
 さらにいま一つ、やはりこの近くの村で、村一番の旧家であり、もとは倉吉まで出るのによその土地は踏まぬくらいであったというが、それというのも先祖が白狐を祀ったからであって、今に方三尺くらいの邸内祠があり、守護神として粗末にしない。しかしこの家に対しては通常狐持ちといわず、したがって通婚も忌まない。
 ここまでくると、出雲の例もあげねばならぬ。ここは憑きものの中心地であるから、狐持ちだといわれぬというようなことはあり得ないが、ただその起こりについて、右と同じく白狐(野狐ともいう)の威力を説く家が一軒ある。(中略)やはりかつては郡役人を勤めたほどの豪農であるが、そうなったのも、先祖がいまださほどでもなかった頃、木綿の行商に出て道端で狐を助け、つれて帰って家の守り神に祀ったのがそもそもの始まりだという。こうなると、今はともかく、発生的にはまさしく家の守護神であり、ファミリーゴッドであって、少なくとも厄介ものではなかったということになる。」
「とにかく、狐にしても、蛇にしても、一方ではこれを神に祀り、稲荷とか、荒神とか、竜蛇とかいうことにして、その託宣を求めるというふうが今に絶えないとするならば、かかる動物を余地なく気味悪がり、これに憑かれることを恥とするようなふうは、もう少し考え直してみねばならぬと思う。少なくとも古い時代の人々は、もっとかかる動物に対しては畏敬の念をもって接していたものではないかと思えるのであるが、そのことは、『万葉集』や『伊勢物語』などに見える狐の歌や、中世の説話物に見える狐と人間との婚姻の話などから想像する場合においても同様である。」

「そこでわれわれは、最後のものとして、どうしても柳田国男先生のお考えに入ってゆかざるを得ない。」
「先生のお考えは、それまでの古くからの考えとは違って、狐というものを初めから悪い動物だとはきめてかからぬというところに特徴があった。それまでの見方によれば、たとえば寛延三年、多田義信の『南嶺子』に、「野狐を敬して稲荷の神号を潜し、福を祈、慶を求むる頑愚の匹夫世に甚多し」とあるように、狐とはとにかく悪い動物であるという観方がもっぱらであった。ところが、先生は、少なくとも古い時代には決して悪い動物ではなかった、のみならず、人に真似のできない霊力を備えた神秘な動物であって、そこからして神の使令、なかんずく田の神の使令と考えられていたから、これが田の神である稲荷神と重なってくるのは自然であったとされたのである。」




石塚尊俊 日本の憑きもの 03






こちらもご参照ください:

吉田禎吾 『日本の憑きもの』 (中公新書)
小松和彦 編 『民衆宗教史双書 30 憑霊信仰』
小松和彦 『憑霊信仰論』 (ありな書房 新装増補)
C・ブラッカー 『あずさ弓 ― 日本におけるシャーマン的行為』 秋山さと子 訳 (岩波現代選書)


































宮田登 『ケガレの民俗誌』

「気が人間の体内をめぐっている、それが渋ると、気の力が衰弱する、こういう状態は、要するに気枯れに相当するのである。」
(宮田登 『ケガレの民俗誌』 より)


宮田登 
『ケガレの民俗誌
― 差別の
文化的要因』



人文書院 
1996年2月15日 初版第1刷印刷
1996年2月25日 初版第1刷発行
270p 
四六判 丸背紙装上製本 カバー
定価2,472円(本体2,400円)



本書は2010年にちくま学芸文庫として再刊されていますが、単行本がアマゾンマケプレで850円(送料込)で売られていたので注文しておいたのが届いたのでよんでみました。



宮田登 ケガレの民俗誌



帯文:

「民俗に根づく不浄観と差別
被差別部落、性差別、非・常民の世界――日本民俗学が避けてきた穢れと差別のテーマに多方面から迫り、民俗誌作成のための基礎知識を提示。」



目次:

Ⅰ 民俗研究と被差別部落
 一 民俗学的視点
 二 “ケガレ”の設定
 三 食肉と米
 四 皮剝ぎ
 五 民話のなかの差別意識
  (一)予言
  (二)部落差別
  (三)血穢

Ⅱ 差別の生活意識
 一 非・常民の信仰
  (一)柳田国男の常民観
  (二)白山の視点
 二 力の信仰と被差別
  (一)力持のフォークロア
  (二)女性と怪力
  (三)力と信仰
 三 仏事と神事
  (一)仏教忌避の心情
  (二)仏教的盆行事の民俗化
  (三)神と仏のあいまいさ

Ⅲ 性差別の原理
 一 神霊に関わる男と女
 二 血穢の民俗
 三 成女の期待
 四 熊野の巫女
 五 血盆経
 六 血穢の否定
 七 血の霊力
  (一)経血に対する両義的な見方
  (二)聖なる血と穢れた血
  (三)女人禁制の否定

Ⅳ シラとケガレ
 一 六月朔日の雪と白山
  (一)富士塚と白雪
  (二)シラヤマの白
  (三)「長吏」の由来
 二 白と黒
  (一)河原巻物と「長吏」
  (二)喪服のフォークロア
  (三)「白と黒」不浄分化
  (四)白の中の黒
 三 シラとスジ
  (一)「シラ」=白不浄の世界
  (二)「シラ」から「スジ」へ
  (三)霊としてのスティグマ

Ⅴ ケガレの民俗文化史
 一 民俗概念としてのケガレ
  (一)ケガレの必然性
  (二)ケガレのとらえ方
  (三)ケガレの力
  (四)「エンガチョ」考
 二 穢気=ケガレの発生
  (一)神事の清浄性
  (二)腐敗と穢気不浄
  (三)出産・出血とケガレの発生
 三 祓え=ハラエの構造
  (一)大祓と延命長寿
  (二)祓えの呪ないと具
 四 ケガレ・祓え・ハレ
  (一)災厄除去と招運の祓え
  (二)ケのとらえ方
 五 呪ない儀礼とケガレ
  (一)呪うと呪なう
  (二)弘法大師の呪ない
  (三)雨乞いと供犠
  (四)天神=雷神の祭祀
  (五)民間巫者と陰陽道
  (六)巫者とケガレ

Ⅵ 今後の課題

結語
初出




◆本書より◆


「Ⅰ」より:

「ケガレは「不浄」或いは「賤」と認識する以前に「褻枯れ」を意味していた。そして二義的段階で「猥」「穢らわしい」といった漢字を用いて説明した。(中略)そこで「汚穢」の意味とは違ったものが別にあるのではないかということが、近年、主張されるようになった。
 柳田民俗学では「日本文化はハレ(晴れ)とケ(褻)から成り立つ」という前提がある。これは、例えば「聖俗二元論」というもの、つまり世界は〈聖なるもの〉と〈俗なるもの〉に弁別できるというデュルケム社会学の影響があり、〈浄・不浄〉もそうであるが、こうした二元論的な解釈によって、曖昧な文化内容が分析できるであろうという前提から進められたのである。」
「〈ハレ〉と〈ケ〉だけでは説明しきれないから、さらに両者の媒介項を入れて説明してはどうかということになり、一つのヒントになったのが、〈ケガレ〉という語だった。これは江戸時代に荒井白石や(中略)谷川士清がすでに使った言葉であるが、〈ケ〉に対して〈ケガレ〉と呼んで、前述のように「褻枯れ」という字をあてはめている。
 〈ケ〉というのは〈ハレ〉よりもはるかに日常的な語であるが、現代の日常生活は、〈ケ〉という普段の生活を送っている情況がつくりにくくなっている。日常的なリズムがつくれなくなって、だんだん生活力が落ちているのである。それをエネルギーの枯渇と単純に言えるかどうか分からないが、そういう状態に対して、〈ケガレ〉という言葉が当てはまるのではないか。谷川士清が先に「褻枯れ」と記したことの一つの根拠なのである。」
「「気」という言葉には、活力とか生命力とか、人間の生きていく根源に必要なものという意味がある。ケという状態は朝から晩までいつも順調にいくわけではなくて、何らかの条件が伴ってだんだん力が衰えていく。衰えていく時に、エネルギーを使って元のケに戻ろうとする情況が生じて、いわゆるハレという折り目を作る重要な時空間になる。〈ハレ〉と〈ケ〉の中間に〈ケガレ〉を用いることによってハレが説明される。ハレという状態はケガレを前提とするから、ハレとケガレが合体して大きなエネルギー、例えばお祭りとか行事とかの非日常的な情況をつくりだすということになる。
 これはハレとケガレの循環ということになるわけで、抽象的にいえば、例えば通過儀礼の中で、人が生まれ、やがてあの世に行くという生き死にの間に、〈ケ〉の状態が継続できず〈ケガレ〉てきて、それが〈ハレ〉になるという形が何度もくり返されることになろう。
 ケガレの問題を考えるとき、〈ケガレ〉には多義性がある。その多義性の中で、「汚らしい」ということにストレートに結びつく以前に、我々の認識の中には、ケガレていく、力が衰えていく、という共通する潜在的心意があるのではないだろうか。」



「Ⅱ」より:

「柳田民俗学に対する批判の多くは、なぜ常民以外をカットしたのかということを追究しているわけである。」
「常民に入らない人々の絶対量は少ないけれども、彼らの存在は、日本社会・文化に大きな影響を与えているにちがいないという考え方が当然ある。初期の柳田国男の仕事や、その後の宮本常一の仕事にそれは示されている。(中略)この問題は、文化人類学における異人論としてもとりあげられている。すなわち、異人は、常民に対してどういう位置づけなのだろうかということである。たとえば山民、漁民がおり、さらに職人集団のグループからも派生している。そして被差別民そのものも対象となる。こうした、主生業として農業にたずさわらない人々のグループの民俗を考えなくてはいけない、ということになるだろう。
 問題になるのは、柳田が大正の末から昭和の一〇年代に方法論を確立していく時に、農民を中心にしたわけであるが、常民ではない人々については未着手であったかというと、決してそうではなかった。明治末から大正にかけての柳田の民俗信仰論の中には、非常民の部分が絶えず含まれていたといえる。当時の柳田の用いた用語では、「特殊部落」が使われ、その沿革については、イタカ・サンカの問題を考えていたし、とくに山に住んでいる山人を研究しようという視点が用意されていた。しかし、研究対象としてそれについてエネルギーを傾注する以前に、一つの転換期を迎えた。結局現時点の民俗学では、そうした部分は未解決のまま残されてきているといえることは明らかである。」

「『譚海』十二に、次のような世間話が載っている。二人の姉妹が江戸に住んで、ひっそり暮していた。姉は尼として、妹は手習をして生計を立てていた。尼の方は時々むら気を出したり、ひとり言をブツブツ言ったりすることがあるが、日頃は物腰優しく、「うちむかひてかたらふときは、本性なる時、殊にうるはしくなつかしき人也」といわれた。ところがこの尼が思いがけず大力の持主だったというのである。ある時、頼まれた男が、台所の水がめに水を汲み入れていた。水を半分ほど入れたところで、水がめの台の位置がよくないので、どうしたらよいかと妹にたずねた。すると姉の尼が立ってきて、「水がめを持ち上げるからちゃんと直すように」といって、大きな水がめに水が入ったままのものを、左右の手で軽々と持ち上げて台を直させた。水汲みの男はその大力をみて、恐ろしくなって逃げ出してしまったという。
 この尼の素姓は、然るべき家の娘だったが、ある家へ嫁に入った。ある時、夫のふるまいに腹を立てて、夫を打ち伏せ、大釜を引き上げてかぶせたりしたので、不縁となり、頭を丸めて妹と一緒に住むようになったという。だが「折々本性のたがへる時は、妹をうちふせてさいなみける、力の強きまゝ、妹なる人も殊にめいわくして、後々わかれ/\に成ぬとぞ」という後日談となっている。」



「Ⅳ」より:

「慶長八年六月朔日(ついたち)に、江戸の本郷で雪が降ったという記録がある。」
「これによると、六月朔日に雪が降ったという故事は、富士の浅間信仰と深いかかわりがあることがわかる。六月朔日というのは、時期的には炎暑の候である。現在の真夏に近いころで、かなり暑い季節である。したがって、真夏の最中に雪が降ったという事実は、奇蹟の伝承と考えられる。これが富士の浅間信仰と関係があるという点が注目される。(中略)この事例のほかにも、同様に、関東地方一帯に、六月朔日に雪が降ったという伝説が語られていて、本郷の雪だけが特殊なのではなかった。たとえば、『新編武蔵風土記稿』巻之百九十一にのせられた「岩殿観音」の縁起をみると、この地にもやはり六月朔日に雪が降ったことが次のようにしるされている。
  坂上田村麻呂が東征した時、この観音堂の前で通夜をし、そこで悪竜を射斃したことがあった。ちょうど六月のはじめで、金をもとかす炎暑のさなかであった。ところが、突然、指をおとすほどの寒気が起こり、雪がさんさんと降ってきたので、人夫たちはかがり火をたいて雪の寒さをしのいだ。現在、六月朔日に家毎にたき火をたくというのはそのときの名残りであるとつたえている。」
「また「六月朔日」の民俗伝承として知られているものに「氷の朔日」がある。六月朔日になると、正月に搗いた氷餅を食べるという伝承は比較的多くつたえられている。(中略)ところが、中部、関東地方において、さきの雪が降ったという伝承と同じ地域には、この日をムケノツイタチあるいはキヌヌギノツイタチと称する口碑が多く語られている。たとえば新潟県十日市では、この日は、人間の皮が一皮むける日であると説明している。」
「このように、六月朔日には、新たなる正月が迎えられ、また人間が一皮むけて生まれかわるという伝承が集約されているといってよい。」
「栃木県佐野市にも同様の伝承がある。これをオベッカといっている。(中略)オベッカとは、つまり別火のことであり、(中略)精進・潔斎をして物忌みをすることと同じ意味である。」
「さて、関東、中部地方では六月朔日に白雪が積もり塚となる地点を富士浅間神社と称したが、そもそも富士山の信仰は、秀麗な山岳であるということと万年雪があるということ、つまり永遠に白雪が不滅であるということに根をおいて成り立っていると考えられる。この富士山と並び称されるのが、加賀の白山であり、同じように万年雪をいただく山として知られている。」
「周知のように、加賀白山の女神は、ケガレをはらう神格として知られる神で、この神が死のケガレでよごれきったイザナギノミコトを禊(みそぎ)させて新たにこの世に生まれかわらせたという話は、『古事記』『日本書紀』にしるされているとおりである。従来説いてきたように、白山とは、「白」そのものに多義的な面があり、その点は柳田国男が説明しているように、人の出産という意味、稲の生育という意味が含まれていて、このことは生命があらたまって生まれかわるということとかかわりがあると考えられる。」
「そこで、もうひとつ注意されることは、民間神楽、たとえば三河の花祭り、あるいは備前、備中、美作などの神楽、石見の大元(おおもと)神楽などにみられる白蓋(びゃっかい)または白蓋(びゃっけ)といわれるもので、(中略)簡単にいうと、この白蓋(びゃっかい)は神楽のシンボルであり、しかも生まれきよまることを説明する重要な意味が与えられている。」
「早川孝太郎の『花祭』の解説として折口信夫がしるした言葉できわめて印象的なものは、この白蓋の原型は白山という点であった。(中略)要するに、白山はひとつのいれものであり、しかも真っ白に彩られたいれものなのである。その白い装置のなかに人間が入り、出てくる。(中略)神事にたずさわる女が白い着物を着て、白い室に入ったということは、物忌み、あるいは精進・潔斎をすることであり、その白い部屋から出てきたということは、巫女として認められたことを意味した。つまりは、生まれかわって出てきたことを意味したのである。また天皇家の大嘗祭における真床追衾(まどこおぶすま)そのものが、やはり新たに天皇霊を身につけた天皇が、それにくるまって再び出てくるという表現にも通じていたのである。」
「安政二年以前に、愛知県北設楽(きたしだら)の奥三河で行われていた白山の儀礼はもっとストレートに表われていた。花祭りの最終段階に、浄土入りといういいかたで、六〇歳になった男女を白山のなかに入れて、その建物、つまり白山を破壊し、そのなかから新しい子どもとなった人々を誕生させるという行事であった。こうした白山のもつ意味は、生まれきよまるという意味を強くあらわすこととして注目されるものだが、(中略)このことと、被差別部落に白山権現がおかれているということの関連性が大きな問題になるのである。」
「ここで、被差別部落にのみつたえられている文書として、(中略)『長吏由来之記』をとりあげてみたい。」
「象徴的にいうと「長吏」は世界を統合する力をもつものとしてしるされていることがわかる。男女であればその両方にかかわる存在であり、白と黒ならばその両者にまたがる位置にある。すなわち常民において果たされない能力が長吏にあることを暗示している。このように世界の構成を二元に分け、長吏が、その両者にあいわたりうる力をもつ、つまり両義的な存在として描かれていることは象徴的意味として注目されるところである。」
「野辺幕布、門前竹、四本の幡棹、天蓋の竹とはどういうものかといえば、この四本の竹をつかって、竜天白山という天蓋をつくるのである。竜天白山は白山大権現と称するが、この天蓋は明らかに死者をいれるものである。野辺送りのときに、長吏が死体をこの天蓋にいれて墓までもっていき、それを埋める。いわゆる常民の方は死穢をおそれ、直接死体の遺棄にたずさわることができない。しかし長吏は、死の儀礼に直接にたずさわることができる。死の儀礼にたずさわることのできる力をもった存在が、いわゆる被差別民と称される人々であったことは、従来の指摘のとおりである。」
「かつて中世における不浄の観念において、被差別民を「きよめ」と称したのは、そうした穢れをはらい聖なるものに近づけうるという意味から出た表現であった。死の穢れの観念がどの段階で成立したかは、はっきりしていないが、死体の処理を聖なる儀礼とみるならば、それにたずさわる能力をもつものは、きわめて重要な存在なのであった。この白山のかたちをした死体をいれる道具、装置は、考えようによっては、民間神楽における白蓋ときわめて類似したかたちをもっている。つまり、(中略)それは生まれきよまるため、生まれかわるための装置であった。その装置をつかって、死者をそこから蘇らせる能力をもつものが、『長吏由来之記』からいえば、長吏の存在意義ということになる。」
「ひるがえって、被差別部落になぜ白山権現が多いのかという柳田国男の指摘にそって考えるならば、そもそも、白い塚、白い建物、白い山、いずれにせよ、そうしたものに総括される、死から生への転生を可能にする装置が想定されており、この装置を駆使できる存在があったということになるだろう。」



「Ⅴ」より:

「筆者の考えは、(中略)日常性を表現しているケの実態を前提としている。ケガレについては人間の生命力の総体というべき「気」が持続していれば日常性が順調に維持されるはずである。しかし、そういかなくなった場合、気止ミ(病気)や気絶という現象が現れ、この状態を気涸れ・気離れ・毛枯れと表現したものと想像しており、ケガレはケのサブ・カテゴリーとみている。重要な点は、ケからケガレに移行する局面と、ケガレからハレへ移行する局面であり、おそらく後者の場合衰退したケの回復のために相当量のパワーが必要とされるのであって、それは祭りなどの儀礼に現象化されているのであろう。ケ→ケガレ、ケガレ→ハレの状況をみると、ケガレが境界領域として存在していることは明らかなのである。
 こうしたケガレの本義からすれば、民俗知識化した汚穢・不浄に相当するケガレはその一面のみが拡大解釈されたのではないかと推察される。」

「メアリ・ダグラスのいうように、汚穢は孤立した現象ではなく、諸観念の体系的秩序との関連においてしか生じないのである。」




◆感想◆


社会秩序(コスモス)において「ケ」(自由エネルギー)が枯れた状態が「ケガレ」(エントロピーの増大)であり、それを無秩序(カオス)との接触によって元にもどすのが「ハレ」=祭(ネゲントロピー)である、ということなのではなかろうか。






こちらもご参照ください:

雪の聖母(ウィキペディア)
宮田登 『江戸の小さな神々』
赤坂憲雄 『東西/南北考』 (岩波新書)
メアリ・ダグラス 『汚穢と禁忌』 塚本利明 訳
井筒俊彦 『コスモスとアンチコスモス』 (岩波文庫)
湯浅泰雄 『気・修行・身体』
小松和彦 『異人論 ― 民俗社会の心性』
フレイザー 『金枝篇 (一)』 永橋卓介 訳 (岩波文庫)
































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ひとでなしの猫

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◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

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