クノー 『はまむぎ』 滝田文彦 訳 (小説のシュルレアリスム)

「「じゃあなにかね、時ってものはこんなに無なのかね? もはや歴史もないのかね」と、女王が尋ねた。
 「それがどうだって言うんだ」と、二人は答えた。
 彼女は肩をすくめた。
 そこで彼らはカランタンの前面にある林間の空地を後にして、永遠の時の流産を横切って、六月のある晩、町の門のところにたどり着いた。彼らはなにも言わずに別れた、なぜなら彼らはもはやたがいに知らず、かつて知り合ったこともなかったから。」

(クノー 『はまむぎ』 より)


クノー 
『はまむぎ』 
滝田文彦 訳
 
小説のシュルレアリスム

白水社
1976年9月16日 印刷
1976年9月28日 発行
388p 口絵(モノクロ)1葉
四六判 丸背紙装上製本 函
定価1,500円
装幀: 野中ユリ



Reymond Queneau: Le Chiendent, 1933
レーモン・クノーの『はまむぎ』は、新装版や、新訳も出ているようですが、日本の古本屋サイトで旧版の最安値(800円)のを注文しておいたのが届いたのでよんでみました(ついでにミシェル・レリス『黒人アフリカの美術』(1,000円)も注文したので、計1,800円+送料700円でした)。
解説によると「“はまむぎ”という植物名は、フランス語では、なかなか除去できない厄介な雑草として(中略)、やっかいなわずらわしいことというコノテーションを含んでいる。」ということなので、たぶん「はまむぎ」というのは、人類とか、人類の歴史とか、人間社会とか、人間関係とかのことなのではないでしょうか。
本書は結末が冒頭につながって円環をなしています。
そういうわけで、本書はフランス版ジェイムズ・ジョイスといってよいのではないでしょうか。


クノー はまむぎ 01


帯文:

「青年時代をシュルレアリスムの激動のなかに過したクノーは、処女小説『はまむぎ』によって独自の原理に基づく散文世界を構築した。数学とエロティスム、哲学と歴史、乾いたユーモアと詩の精神。奔放多彩な言語を駆使したこの小説は、今日の新しい小説形式・技法を用意した先駆的作品である。」


内容:

はまむぎ

解説 (滝田文彦)



クノー はまむぎ 02



◆本書より◆


「午後五時ごろ、北駅の前で一人の男が轢(ひ)き殺されるのを見て以来、クロシュ夫人は浮き浮きしていた。もちろんながら、彼女はあんなに恐ろしいものは見たことがないと語っていた。たしかにそうだったろう、かわいそうなポティスは一台のバスに念入りにローラーをかけられたのだから。念入りに準備された一連の偶然によって、彼女はほぼおなじ時刻、おなじ地点に面したカフェのテラスにたまたま腰を下ろしたが、そのカフェは幸運なる偶然の一致によってまさしくその場所に位置していたのである。彼女はカミルレ茶を注文し、そして辛抱強く、おなじような事件がまた起こるのを待った。彼女にとってはそれはすでにすんだことだった。彼女は毎日そこに来るだろう。事故を待ちかまえて。不条理にも、ポティスが末端まで到達できなかった歩道と歩道を結ぶ理想的な線、その線が不条理にもいまや運命、ないしは天命、ないしは宿命を招き寄せるはずだと思えたのである。そこではある身震いすることが起こったのだった。アスファルトの上に飛び散る黄色い脳味噌。そこでは無限に、説明不可能なままに恐ろしい事故が再現しなければならず、そしてクロシュ夫人は身震いすること、恐ろしいことが大好きだった。カミルレ茶はなまぬるくて、砂糖っ気がほとんどなかった。ボーイはそのことで手きびしい文句をきかされた。ひどく暑かったので彼女はケープを脱ぎ捨て、灰色の格子縞(こうしじま)のハンカチで顔をぬぐった。他の客たちはこの女客の顔を見ないようにしていた。そして彼女は待った。
 泥よけを接触させた二台のタクシーがあり、それからもう一台、くだらない理由で違反をくったタクシーがあった。だがそれだけだった。一時間というもの、何千という自動車、何千という歩行者が、なんら重大な混乱もなくそれぞれの道をたどった。潮のように二本足の動物が、そしてごくまれに四本足の動物が駅に飛び込んでいった。潮のように二、三、四輪の車が行列していった。だが、なにごとも起きなかった。
 カミルレ茶はとっくの昔に飲みほされ、クロシュ婆さんは失望していた。そのときある考えが浮かんだ。あの事故のことを考えるのをやめたら、たぶんあんな具合に別の事件が起こるのじゃないか。」



クノー はまむぎ 03
















































































































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『世界文学全集 23 ジロドウ/クノー』

「彼は目を閉じて、彼の心の奥底に横たわっている真っ黒な巨大な空虚に勇敢に立ち向かおうとした。」
(クノー 「きびしい冬」 より)


『世界文学全集 23 
ジロドウ/クノー』

中村真一郎・白井浩司・大久保輝臣 訳

集英社
昭和40年8月28日 印刷
昭和40年9月28日 発行
533p 口絵(モノクロ)1葉
四六判 丸背クロス装上製本 貼函
定価520円(特価480円)

月報 8 (8p):
ジロドウの肖像のために(諏訪正)/レイモン・クノー(三輪秀彦)/次回配本



集英社版「20世紀の文学 世界文学全集」第八回配本。二段組。ジャン・ジロドゥ「天使とのたたかい」「シュザンヌと太平洋」、レイモン・クノー「人生の日曜日」「きびしい冬」所収。栞に「天使とのたたかい」「人生の日曜日」の「主な登場人物」一覧。


ジロドウ クノー 01


帯文:

「「――小説は面白くなければいけない」
映画演劇界にも活躍する2巨匠集」



帯裏:

「人の心の純粋さを追求する「オンディーヌ」のジロドウ……
天使とのたたかい なんの苦しみも迷いもない純真な少女マレナは恋におちたとき天使(彼女自身)と戦わねばならなくなった……
シュザンヌと太平洋 田舎娘が懸賞に当選、招待旅行に出かけたが船が難破してしまった。人間のいない所で人生を学ぶ明るい幻想物語。

人生に無類のおかしみを探り出す「地下鉄のザジ」のクノー……
人生の日曜日 ブリユ君のところへオールドミスの押しかけ女房がやってくる。ところが、こんなさえない出発点が、なんとまあ…!
きびしい冬 戦争をへてなにかを失ってしまった男の恋、そして失恋。しかし既に中年の彼の胸から14才の少女の面影が消えない。」



目次:

ジロドウ
 天使とのたたかい (中村真一郎・三輪秀彦・小佐井伸二・諏訪正 訳)
 シュザンヌと太平洋 (中村真一郎 訳)

クノー
 人生の日曜日 (大久保輝臣 訳)
 きびしい冬 (白井浩司 訳)

クノーとジロドウの世界 (白井浩司)



ジロドウ クノー 02



◆本書より◆


「人生の日曜日」より:

「………人生の日曜日こそがすべてのものを平等にし、すべて邪悪なものを斥ける。これほど上きげんになれる人間が心底からの悪人であったり、下劣な人種であったりするはずはない。
ヘーゲル」

「この小説に登場する人物たちは現実に存在するので、かりに架空の人間とそっくりであるにせよ、それはすべて偶然である。」



「きびしい冬」より:

「ガス灯に照らされているデュテルトル夫人の店は、長く、うす暗いカジミール=ペリエ通りにうかび上がり、近視の眼のように弱々しく瞬いていた。遠くからみるとこの店は、汚いボンボンやノートの置いてある棚のおかげで貧弱な駄菓子屋にみえた。近よってみると、間違いなくそれは、知識や文化や文明のアジトであることがわかる。ガス灯に照らされて、デュテルトル夫人は、この地方の数少ない好事家のために古本からなるちょっとした図書館を開いていた。
 平和のときにもまばらだった顧客(とくい)は、戦時になるとほとんどいなかった。黴臭い匂いなどル・アーブル人の与(あずか)り知らぬことだった。土地の金持ちは、ベルナルダン=ド=サンピエール通りにあるゴンフルビル書店とか、町の中心部で買うのだが、そのほかの人びと、つまり一般庶民は、小金を持っている者でさえ、近代作家の著書とか、新聞雑誌類で得る知識で満足していた。
 夫人はものごとを深刻にうけとる性質(たち)ではなかった。彼女は結構たのしんでいた。セーヌ川を越え、コー川のかなたからやってきた彼女は、いつも、ル・アーブル人を馬鹿で鈍感で非常に視野の狭い見方しかできぬ、教養のない人種だと思っていた。」
「後家さんのデュテルトル夫人は、独りぼっちで暮らし、縫いものをし、洗濯をし、掃除をし、料理を作った。それから、本を読みながらきそうもない客を待った。」

「「でも、すっかりいやんなっちゃったわ。人間なんてどうしようもないものだわ」
 「そりゃそうですね」
 「わたしが人間という意味は、ブルジョワもプロレタリアもふくめてですよ。だけど、このブルジョワというのは間抜けで、ごろつきですよ。早い話が、わたしのところの家主ね。わたしが家賃を払わないからって雨もりも直してくれやしないのよ。でもどうやって払えばいいの?」
 ルアモーはなにもいわなかった。彼は銀行の支払い停止をフリーメースンの仕業(しわざ)であり、不正中の不正だと思っていた。」

「ルアモーが、デュテルトル夫人の店に入っていくと、ちょうど夫人にお気に入りの療法で風邪の治療をしているところだった。彼女はハンカチをふんだんに使い、そのハンカチにたっぷりと硫酸銅を塗っていた。この療法の講釈をし終わると、夫人は、くれぐれも今日見た一部始終をだれにも話さないでほしいといった。というのは、愚か者のお笑い種(ぐさ)になるのも、ル・アーブル人に変にとられるのも困るからというのだった。
 「わたしはすぐに気違いばあさんだと思われますからね。よほど向こうのほうが馬鹿者なのにね」
 ルアモーは、この老友の神秘主義的先入観念には軽蔑感を抱いていたが、いまの言葉には賛成した。」

「飼い主の気に入られようと努める、素直な動物のように、彼の足は自然にデュテルトル夫人の店にまできてしまった。彼はなかに入った。なんだかぼんやりしたようすで、病気のために手足が硬直し、地面に倒れるてんかん持ちのような顔つきだった。しかし、デュテルトル夫人は、そんなことに少しも気がつかなかった。
 「悪党め!」彼女は、彼を見るが早いか金切り声を上げた。「畜生! 人でなしめ! わたしの猫が殺されちゃったのよ」
 こんな罵りを聞いても、まだ自分のくりかえしている考えからぬけきれなかったので、ルアモーはたずねた。「だれが殺したんですか?」」
「「だれがですって? あなたは、それがいったいだれだとお考えです? わたしの近所の人間、あの汚ならしいル・アーブル人たち、屑のようなやつらのことですよ。わたしは、あのかわいそうな猫が、腰をやられて、即死してるのをみつけたんですよ」
 「犬かもしれないな」まだぼんやりしたままのルアモーは、そうほのめかした。
 「あの野蛮人どもが、なんだって犬なぞ飼う必要があるんです? ただ、わたしの猫を殺すために、あいつらは犬を飼うんですよ。ああ、ルアモーさん、なんてこわい世の中なんでしょう。ルアモーさん、いまの人たちって、なんて卑劣なんでしょう。ああ、ルアモーさん! 生きるってことは、悲しいことだわ。責任があるのは自然ではありませんよ、だって自然は良きものだもの。責任があるのは自然ではなくて、人間どもなんですよ。人間どもときたら、手のつけようがないんだから。どんなにすばらしい観念であれ、どんなに高潔な思想であれ、人間どもは、そんなものから何をつくりだしたっていうんです? 血なまぐさい混乱か、それとも灰燼が関の山ですよ。人間どもが、キリストをどうしたかごらんなさい。彼らは、キリストを、その真珠とともども、はりつけにしたんですよ、(中略)それから、ソクラテスはどうなんです? 人類が、ソクラテスに対してしたことといえば、彼に毒を盛ったことですからね。(中略)それから、ジャンヌ・ダルクはどう? やき殺されちゃったわ。ジョーレスは? 殺害されたじゃないの」」

「店の戸のうしろに立って、デュテルトル夫人は雪が降ってくるのを見た。溜息をつき、もどって坐るとまた読書を始めた。こんなに寒く厚みのある静けさをつき破って、常連のだれかが姿をあらわすという望みは、ほとんどなかった。彼女は身ぶるいし立ち上がると、暖炉には石炭を、もう歌わなくなった湯わかしには水を入れに行った。彼女は、もう一度雪の降ってるのを見るため、立ち止まった。もとの席にもどると、また読書を始めた。だが、サチュルネットという名の新しい猫がなにをしてるかを見るために、すぐに彼女は読書を中断した。サチュルネットは、夫人の毛皮にくるまって暖炉の蔭で眠っていた。デュテルトル夫人は、彼女のこんどの猫は、とくに利己的だと思った。彼女は溜息をついた。店のショーウィンドーにならべた古い版画越しに、雪の降るのを見るために、目を上げた。それから再び読書を始めた。
 彼女は、ほんとうに一人ぼっちだと感じていた。
 三時ごろになると、カジミール=ペリエ通りは、完全にまっ白になってしまった。」
「人間は、歴史から絶対に逃れられないんだわ、彼女は人間に絶望していた。たった三年前のことだけれど、自分たちは幸福であるだけでなく、ずっとこのままでいられるどころか良くなって行くとすら考えてる人びとがたくさんいたのだった。また、別の人びとは、平和が地上に降りてきて、これから永久にとどまるだろうと思っていたのだった。デュテルトル夫人は溜息をつき、また読書を始めた。」
「そのとき、デュテルトル夫人は、ルアモーの姿が眼に入った。
 彼は店に入る前に鼻をかみ、靴底についた凍った泥をとるために、敷居に靴をうちつけた。
 「まあおどろいた。うれしいわ」デュテルトル夫人は、よろこんで本をとじながら叫んだ。「少なくとも、六週間はお会いしてませんね。お悪かったんじゃないでしょうね。いらしてくだすって、ほんとうにうれしいわ。あなたにお会いできないので、死ぬほど寂しかったですよ。ほんとうにうれしいですよ。暖まるように、グロッグを作ってあげましょうか? あれ、湯わかしにお水入れとくのを忘れましたよ。ちょっとお待ちになって。お水入れますからね、すぐですよ」
 それで、彼女は湯わかしに水を入れた。
 「さて、ルアモーさん」彼女は言葉をついだ。「お目にかかれなかったあいだに、いったいどうしてらしたんです? あなたをわたしの手のとどかないところにひきとめて、ときどきわたしのとこにきてくださるのを邪魔だてしたのは、あなたの恋愛のせいですか?」
 ルアモーは考えた。
 「ああそうですよ」彼は微笑しながら答えた。「恋愛のためですよ」
 「話してくださいな」
 「多少は、そのためにきたんですよ。少なくとも、一つ二つあなたにお知らせしたいことがあるんでね」
 「まあ、うかがわせていただくわ!」
 「第一のニュース、デュテルトルさん、ぼくは婚約したんです」」

「「ぼくは前線にもどるので、(中略)これが二つ目のニュースですが、ぼくの恢復期は終わったんです。ずいぶん長かったですよ」
 「まあ、前線へもどるんですって。ほんとうに、なんという戦争でしょう。なんてことでしょう。」」
「「一度にニュースがありすぎだわ」彼女はつけ加えた。
 哀れな幽霊のように床にすべり降りると、彼女は軽い音を立てだしたお湯で二人分のグロッグをつくりに行った。二杯のグロッグは、黙ったままで味わわれた。雪は、もってりしたぼたん雪となって降り続いていた。
 「なんてお天気だろう! なんてお天気だろう!」デュテルトル夫人は、呟いた。
 「冬の天気ですよ」ルアモーは、明るくいった。「二月の天気ですよ。雪が冬に降らなかったら、いったいいつ降ればいいんです? 夏によりも冬に降ったほうが、まだましだとは思いませんか?」
 「そうね。人生なんて、そんなふうに受け取るべきでしょうね。なるほど。でも人生はね、(中略)人間の一生は、天気みたいなわけにいきませんよ。あるときからずっと、雪が降り続く。降って降って、もう降りやまないと、それは想像できないくらいのひどい苦しみになるんです。晴れなんぞに、もうなりっこなくて、それが確実なんですからね」
 「若いときよりも、年をとってから雪が降るほうが、まだよいと思いませんか? それに、雪はきれいですよ、ほんとうの雪は」
 「あなたはお利口さんになったのね」デュテルトル夫人は、苦々しく呟いた。」

「「では、お別れしますよ。これから、フィアンセに会いに行くので」
 デュテルトル夫人はなにもいわず、まるで凍ったように目をすえていた。
 「わたし、ほんとうに一人ぼっちだわ」と彼女は呟いた。」
「「では、奥さん、さようなら。ぼくも、皆と同じように戦争に行きます」」














































































レーモン・クノー 『地下鉄のザジ』 生田耕作 訳 (中公文庫)

「「おかしくない人間なんて」とザジ。「けつ喰らえ」」
(レーモン・クノー 『地下鉄のザジ』 より)


レーモン・クノー 
『地下鉄のザジ』 
生田耕作 訳

中公文庫 C 11

中央公論社 
昭和49年10月10日 初版
昭和57年12月15日 9版
232p
文庫判 並装 カバー
定価340円
表紙・扉: 白井晟一
カバー絵: 「一九六六年ガリマール版『地下鉄のザジ』所載のジャック・カルルマンによる挿画より。」
本文挿画: ジャック・カルルマン



Ramond Queneau: Zazie dans le métro
久しぶりに『ラフォルグ抄』をよんだらレイモン・クノーをよみたくなったので久しぶりによんでみました。ラフォルグとクノーはたいへん似ています。ラフォルグだと公園のベンチが濡れていて座れないですが、クノーだと地下鉄がストで乗れないです。
ついでにルイ・マルによる本書の映画化も久しぶりにみてみましたが、これはこれでよいですが、ザジは笑ったりせずに無表情でふてくされているほうがよいです。

本文中挿絵(モノクロ)11点。


クノー 地下鉄のザジ


カバー裏文:

「田舎からパリにやって来た少女ザジは、地下鉄に乗ることをいちばんの楽しみにしていたのに、あいにくの地下鉄ストで念願果たせず、警官か誘拐魔か奇妙な男につきまとわれたりしながら、なんともおかしな人生体験をする……。
庶民の精神風俗の鋭い観察、言葉の可能性の執拗なまでの探究から生み出された新しい小説形式の秀作(本邦初訳版)。」



内容:

地下鉄のザジ

解説 (生田耕作)



クノー 地下鉄のザジ2



◆本書より◆


「「あたし」ザジは宣言する。「六十五まで学校へいくつもりよ」
 「六十五まで?」いささか驚いてガブリエルは繰り返す。
 「そうよ」とザジ。「あたし小学校の先生になりたいの」
 「悪い商売じゃないわ」マルスリーヌがおしとやかに言う。「恩給がつくものね」
 彼女はそれを機械的につけ加えたのだ。国語に堪能だったから。
 「恩給けつ喰らえ」ザジはやり返す。「あたしはね、先生になりたいのは恩給のためなんかじゃなくってよ」
 「そうだとも」とガブリエル。「そいつはわかるよ」
 「じゃ、なんのため?」
 「それを聞かせてもらいたいのさ」
 「自分でわからないの?」
 「とにかくずるいね今日びの若者は」女房に向かってガブリエルは言う。
 それからザジのほうに向き直り、
 「さあ? どうしてなりたいんかね、学校の先生に?」
 「いじめてやれるからよ」ザジは答える。「十年さきに、二十年さきに、五十年さきに、百年さきに、千年さきにあたしの年になる女の子を。いつの時代だってシゴキ甲斐のあるガキは跡を絶たないもの」
 「なるほど」
 「女の子にめちゃくちゃ意地悪してやるの。床をなめさせてやるわ。黒板拭きを食べさせてやるの。お尻にコンパスを突き立ててやるわ。尻(けつ)の肉に突き刺さる大きな拍車のついた」
 「ねえ」ガブリエルはおだやかに言う。「新聞で読んだがね、これからの教育はまったくそういう方向には向かってないんだよ。いやむしろ逆さ。温和、寛容、親切を目指してるんだ。ちがうかね、マルスリーヌ、新聞じゃそう言ってるね?」
 「ええ」おしとやかにマルスリーヌは答える。「でもねェ、ザジ、あなた学校でひどい目にあわされたの?」
 「見せたくなかったわ」
 「それに」ガブリエルが言う。「二十年もすりゃ、もう先生なんていなくなるさ。映画や、テレビや、電子工学や、そういったものに取って代られるんだ。これもいつか新聞に書いてあったよ。そうだろう、マルスリーヌ?」
 「ええ」マルスリーヌはおしとやかに答える。
 ザジはちょっと間その未来を眺め渡す。
 「じゃ」と彼女は宣言する。「あたし宇宙飛行士になるわ」
 「なるほど」ガブリエルは賛成する。「なるほど、時代にあわさなくちゃ」
 「そうよ」ザジは続ける。「あたし宇宙飛行士になって火星人をいじめに行くんだ」」



クノー 地下鉄のザジ3


「「話し合いけつ喰らえ!」」


























































































レーモン・クノー 『イカロスの飛行』 (滝田文彦 訳/ちくま文庫)

「どうだかわかるもんですか。たぶん結局みんなおなじことです。彼らだって別種類の作者の作中人物かも知れません。」
(レーモン・クノー 『イカロスの飛行』 より)


レーモン・クノー 
『イカロスの飛行』 
滝田文彦 訳

ちくま文庫 く-9-1

筑摩書房 
1991年1月29日 第1刷発行
290p 付記1p
文庫判 並装 カバー
定価640円(本体621円)
装幀: 安野光雅
カバーデザイン: 鈴木正道
カバー装画: 竹内和也


「この作品は一九七二年七月三〇日、筑摩書房より刊行された。」



本書「文庫版あとがき」より:

「本書は Raymond Queneau: Le Vol d'Icare, Gallimard, 1968. の全訳である。」
「なお今回の文庫収録にあたっては、(中略)全面的改訳を行った。」



クノー イカロスの飛行


帯文:

「えっ、登場人物が脱走した?
書きかけの小説から、次々と登場人物が消え、世紀末のパリは大騒ぎ。奇才クノーによるファンタジーの傑作。」



カバー裏文:

「時は19世紀末。所は花の都パリで、小説家ユベール先生の書きかけ原稿から、突如として作中人物イカロスが逃げ出した。イカロスは同業の小説家に盗まれたにちがいない! ユベールは大追跡を開始する。ところがその頃、他の小説家の作中人物たちも作者の定めた運命を嫌い、いっせいに脱走をはかっていたのである…。新しい小説形式に挑み続けたクノーによるファンタジー。」


目次:

イカロスの飛行 小説

文庫版あとがき (訳者)
解説 この作品に早く出会っていたら…… (清水邦夫)




◆本書より◆


イカロス  リュベールさんはぼくを名づけ、そしてぼくはリュベールさんがぼくのために産み出してくれる運命を果すのを待ちながら、静かにその家で暮していた。ところがある日、リュベールさんは原稿を閉じるのを忘れた……
LN  原稿ですって?
イカロス  うん。すきま風がぼくをさらって行った。ぼくは文字の家に戻るのはやめてそのまま先へ進み、とうとう通りに出た。そこでぼくはどうしたらよいか、どこへ行こうか考えた、と偶然にも、今じゃあアプサントの匂いだと知っている匂いに誘われて、あなたと知り合ったあの酒場に入ったんです。
LN  いいわよ、わたしのこときみと呼んで。
イカロス  そうしたわけだからと言って、ぼくはいったいこれからどうなるのやら。きみもわかるように、ぼくはたいした人生経験がない、でも狼や嵐を避けて食べたり眠ったりしなきゃいけないことぐらい知っている、そして狼や嵐を避けて食べたり眠ったりするには、たくさんお金がいることぐらい、だのにぼくには全然というかほんの少し、もっと正確に言えばあるかなしかぐらいのお金しかないんだ。
LN 心配しなくてだいじょうぶよ、わたしが毎日食べるものをあげるわ、そしてここで、わたしの部屋で眠ればいいわ。
イカロス  でもたくさんのお金の方は?
LN  平気よ、わたしが二人分稼ぐわ。」

ジャック  主題なんてないよ。
ジャン  主題なしだって! こりゃ驚きだ。
ジャック  ぼくは薄紫色(モーヴ)の印象をあたえたいのさ。」

ユベール  (中略)作中人物を失った小説家の運命とはいかなるものか? たぶんいつの日かすべての小説家がそうなるだろう。われわれはもはや作中人物を持たなくなるだろう。作中人物を探す作者たちになるだろう。小説はたぶん滅びはしないだろうが、作中人物はもはやなくなるだろう。作中人物のない小説だなんて想像するのがむずかしい。でも進歩とは、進歩などというものがあるとすればだが、すべて想像するのがむずかしくはないだろうか? 実を言えば、進歩ってものにはただ呆れるばかりだ。(中略)どこで進歩は止るのか? どこまで行ったら落ち着くのか?」

医師  で、あなたの作中人物はなんで逃げたんです? なにか不満があったんですか?
ユベール  不満なんてあるわけがないでしょ? まだ数ページしか生きていなかったんですから。
医師  たぶん彼に不愉快な運命を予定しておられたんじゃないですか。
ユベール  わたしの意見じゃちがいますね。
医師  たぶん彼の意見じゃ。」




◆感想◆


『ラフォルグ抄』を久しぶりによんだので、クノーもよんでみました。ラフォルグとクノーはたいへん似ています。

本書のタイトル「Le vol d'Icare」は、「イカロスの飛行」と「イカロスの盗難」のダブルミーニングです。

作家ユベールは居なくなった作中人物イカロス(Icare)の捜索を探偵モルコルに依頼しますが、そこのところで、モルコルが「手帳にニック・ハリット(Nick Harwitt)と書く」とあります。ユベールが「イカロス(イカール)」と言ったのを「ニック・ハリット(フランス語ふうに発音するとニカーリ)」と、複雑に聞きまちがえたのですが、日本語訳だと聞きまちがいであることに気づかないです。

引用したジャックのせりふ「ぼくは薄紫色(モーヴ)の印象をあたえたいのさ。(Je voudrais donner l'impression de la couleur mauve.」は、フローベールのせりふ「『サランボー』で私は黄色の印象を与えたかったのだ。(dans Salammbô, j'ai voulu donner l'impression de la couleur jaune.)」のパロディですが、薄紫色はゲイのシンボルカラーです。




























































































































「風の薔薇」 5 特集: ウリポの言語遊戯

「風の薔薇」 5 
1991年秋号
特集: ウリポの言語遊戯


書肆風の薔薇 
1991年10月30日 発行
119p 
A5判 並装 カバー 
定価1,545円(本体1,500円)


「本号は、
松島征によって
編集された。」



風の薔薇 ウリポの言語遊戯


カバー文:

「一九六〇年、パリ。ルネサンス期の「大押韻派」のひそみにならい文学的言語遊戯を実践し、新機軸の文学形態を開発するという目標のもと〈潜在文学工房〉なる秘教的集団が誕生した。その略称は〈ウリポ〉。発案者は数学者のフランソワ・ル・リヨネー。呼び掛けに応じたのはシュルレアリスム運動から訣別したレーモン・クノーと、アルフレッド・ジャリを創始者にいだく〈コレージュ・ド・パタフィジック〉の面々。のちにペレック、デュシャン、カルヴィーノらも加わり、〈ウリポ〉の古今東西の言語遊戯の理論的探求と新たな文学的実験の活動は大きく発展した。……厳密な方法論のもと言語のもつ潜在的なテクスト産出の可能性を追求し、言語の自己増殖行為による文学創作を遊戯的に実践する現代フランス文学界のトリックスター、〈ウリポ〉の驚くべき成果を本邦初紹介!」


内容:

冬の旅 (ジョルジュ・ペレック/酒詰治男 訳)
「ウリポ」の遊戯的パフォーマンス (松島征)
ウリポ第一宣言・ウリポ第二宣言 (フランソワ・ル・リヨネー/松島征 訳)
ウリピック・ゲーム (ジェラール・ジュネット/松島征 訳)
レーモン・クノーとの霊界面談 (松島征)
ジョルジュ・ペレックとウリポ (酒詰治男)
リポグラムの歴史 (ジョルジュ・ペレック/酒詰治男 訳)
盛年期(!)のウリポ (ミシェール・メタイユ/松島征 訳)

ウリポ構成員
ウリポ会員の著作目録




◆本書より◆


ジョルジュ・ペレック「冬の旅」より:

「ドゥグラエルが『冬の旅』を読み終わったとき、朝の四時だった。かれはそこに三十ばかりの借用を見つけ出していた。きっと他にもあっただろう。ユゴー・ヴェルニエの本は十九世紀末の詩人たちの驚くべき盗作本、他人の作品の途方もない寄せ集め、ほとんどあらゆる断片が他人の作品から成るモザイクにほかならないものに見えた。だが、自らのテキストの素材自体に他人の作品を汲み取ることを欲したこの未知の作家のことを思い描くことに努め、そしてこの突飛な、賞賛すべき企てのほどを徹底的に想像してみようとしていたまさにその折り、ドゥグラエルはあるとんでもない疑念が湧いてくるのをおぼえるのだった。かれは思い出したのだ。書棚からその本を取りながら、書誌的なデータを調べずには著作というものを決して参照することのない若手研究者の本能に衝き動かされて、その発行年月に機械的に留意したことを。あれは思い違いだったのだろうか? かれは一八六四年という年号を確かに読んだ憶えがあった。どきどきしながら確かめてみた。読み違いではなかった。ということはつまりヴェルニエはマラルメの詩行を二年先だって「叫んで」おり、十年先だってヴェルレーヌの『忘れられた小唄』を剽窃し、四半世紀も先にギュスターヴ・カーンの作品を書いていたことになる。それはすなわちロートレアモン、ジェルマン・ヌーヴォー、ランボー、コルビエールその他の多くの者たちが、天才的かつ世に埋もれた一詩人の模倣者にほかならないことを意味するだろう。かれこそが、のちの三、四代にわたる作家たちが糧とすることになるものの精髄をたったひとつの作品に盛りこむことができたのである!
 もちろん、本に記された印刷の日付が間違ったものでない限りでの話だったが。しかしドゥグラエルはそうした仮説を立てることを拒んでいた。かれの発見はあまりにもすばらしく、あまりにも明白かつ貴重なものだったので、本当でない筈はなかったし、すでにそれがひき起こそうとしている目もくらむばかりの結末、つまりこの「先駆的詞華集」の公表がもたらすであろう途轍もないスキャンダルのことを想い描いていた。反響の大きさ、批評家や文学史家が何年も何年も前から平然と公言してきたすべてについてのおびただしい問い直しのことを。」



松島征「「ウリポ」の遊戯的パフォーマンス」より:

「パリ、一九六〇年十一月二十四日。ルネサンス期の「大押韻派」のひそみにならって文学的言語遊戯を実践しさらにはジャリ、ルッセル、クノーらを模範として新機軸の文学形態を開発せんという目標のもとに、「ポテンシャル文学工房」 Ouvroir de littérature potentielle なるグループが誕生した。その略称を「ウリポ」 Oulipo という。発案者のフランソワ・ル・リヨネーの呼びかけに賛同して集まったのは、レーモン・クノー御当人を始めとして、ジャン・クヴァル、ジャン・レスキュール、ジャック・バンス、ノエル・アルノー、ラティスといった「コレージュ・ド・パタフィジック」の面々であった。その後、新会員としてマルセル・ベナブー、ジョルジュ・ペレック、リュック・エティエンヌ、ジャック・ルーボーらが加わり、さらに外国在住の通信会員としてアンドレ・ブラヴィエ、マルセル・デュシャン、イタロ・カルヴィーノらが参加して、「ウリポ」の活動は大きく発展した。その二十年を越す活動の報告書にあたるのが、ガリマール社の「イデー叢書」の一環として刊行された『ポテンシャル文学』(一九七三年)および『ポテンシャル文学図鑑』(一九八一年)である。
 この二冊のポケット・サイズの本は、「言葉遊びと文学的実験の宝庫」と呼ぶにふさわしいものであろう。そこには〈回文〉・〈リポグラム〉のような文字遊びに始まり、韻律法的・統辞論的な変換による言葉遊び形態を経て、トポロジー・組み合わせ・集合論など、現代の数学理論に示唆を受けた実験的試みに至る、言語遊戯の多様な諸様式がちりばめられている。いくつかの愉快なマニフェスト(宣言文)、そしてユーモアにあふれる解説文が、それらの実験的な試みを彩っているのである。
 文学とは作者のなまなましい体験を作品化したものであると考える者、作品のなかに「オリジナルな思想性」を求める者にとっては、「ウリポ」のこのような試みは、文学の本質とは無縁の「お遊び」としか映らないであろう。だが、文芸作品における「オリジナリティ」とはいったい何か。テクストのなかで作家主体はオールマイティの存在なのであろうか。作家主体とテクストとを同一視するのは、むしろ十九世紀的なロマン主義的文学神話の残骸ではあるまいか。「ウリポ」の活動は、ことば自身によるテクストの再生産をめざす集団的な実践である。言語の自己増殖行為とでもいうべきものを、そばに付き添って産婆さんよろしくその出産を助けてやるのが芸術家(というよりむしろ技師)の役割だと、「ウリポ」の会員たちは考えている。」



フランソワ・ル・リヨネー「ウリポ第二宣言」より:

「どんな性質のものであれ、あるテクストを読んだとき、これに筆を加えてもっといい文章に直してやりたい、という誘惑にかられなかった者があるだろうか。このような要求から逃れられる作品はない。世界中のありとあらゆる文学が、適切な考証を経たさまざまの“整形術”の処置の対象となるのである。」
「次のような文章を書いたロートレアモンは、われわれの理想とするところからそんなに隔たっていたわけではない――「剽窃は必要だ。そこにこそ進歩がある。ある作家の文章に肉迫して、かれの表現を利用し、まちがった概念を消去し、正しい想念に置き換えるのだ」。
 そして、剽窃という問題。まったく新機軸の構造だとわれわれが思いこんでおったものが、じつはすでに過去において発見され発明されていた(それも、はるかかなたの昔に)ということを、ときどき思い知らされることがある。このような事態が生じたとき、問題のテクストを「先取りによる剽窃」と呼ぶことにしている。かくて正義は回復され、各人の功績は確証されるのである。」
















































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

Koro-pok-Guru
Away with the Fairies

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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