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レーモン・クノー・コレクション⑧  『聖グラングラン祭』  渡邊一民 訳

「だが最初の例というものはある。たとえば最初のごきぶり、最初の鳥、最初の哺乳類。どうして自分がそうであってはならないのだろうか?」
(レーモン・クノー 『聖グラングラン祭』 より)


レーモン・クノー 
『聖グラングラン祭』 
渡邊一民 訳

レーモン・クノー・コレクション⑧

水声社
2011年10月20日 第1版第1刷印刷
2011年10月30日 第1版第1刷発行
305p 「訳者について」1p
四六判 丸背紙装上製本 カバー
定価2,800円+税



本書「解説」より:

「本訳書は、最初一九七〇年に、一九四八年版 Raymond Queneau : Saint Glinglin (Paris, Gallimard) を底本として中央公論社より刊行された、『新集世界の文学43 クノー/ベケット』に収録されたものを改訳した。」

本書はまだよんでいなかったので、ヤフオクで1,800円(3,000円以上で送料無料)で出品されていたのを落札しておいたのが届いたのでよんでみました。


クノー 聖グラングラン祭


帯文:

「雲追い石に
守られた都の謎

決して雨のふらない〈ふるさとの都〉では、圧倒的な権力を誇る市長ナボニードのもと、恒例の奇祭〈聖グラングラン祭〉が行われようとしていた。一方、三人の息子たちによって、父のある陰謀が明かされることとなる……。ジョイスの手法を応用したという、クノー中期の代表作、改訳決定版!

日本ウリポ史上、
最大の新シリーズ、
第2回配本!」



帯背:

「永劫回帰する
小説世界!」



帯裏:

「ジョルジュ・バタイユが
「神話的な並外れた小説」と驚嘆した
『聖グラングラン祭』。
男たちだけしか参加できないという謎の奇祭、
雨を降らなくさせる雲追い石、化石化した元市長、
老婆の見張るあばらやの中から見つかった少女……。
モノローグ・物語・詩という三つの形式で構築し、
16年の年月をかけて完成させた
神話的作品。」



目次:

聖グラングラン祭
Ⅰ 魚
Ⅱ 春の競技(プランタニエ)
Ⅲ 石ころ
Ⅳ 田舎者
Ⅴ 観光客
Ⅵ 異国の人たち
Ⅶ 聖グラングラン祭

解説 (渡邊一民)




◆本書より◆


「魚」より:

「哺乳類の動きが提起する諸問題は、わたしにはほとんど心痛を覚えさせない。そこにもおおかれすくなかれ、ばかばかしいもの、共感をよぶもの、美しいもの、あるいは鼻もちならぬものがある。だがすべては人間の属しているあの生命系統に帰着するのにほかならない。鳥類に関しても、例外はまったくない。フクロウの神秘だって人間的な神秘だ。
 あるいはわたしは、はじめてのこころみとしてはあまりにも深く深淵のうちに身を投じてしまったのかもしれない。おそらくは時間をかけてゆっくりと降下していくのが望ましかったのだろう。猿について、そこに生き残っている人間的なものすべてをまず研究すべきだった。それから犬、猫、象、アライグマからカモノハシまで。つぎが鳥類である。すでに爬虫類のところで、最初の裂け目を予感できたはずだ。魚類はなお脊椎動物だとはいえ、不安を決定的なものとする。無脊椎動物とともに心痛がはじまるわけである。
 しかしこうした道筋はあまりにも時間のかかるものだったろう。わたしの求めているのは、種属をとおしての人間的なものの減退過程ではなく、非人間的なものの開始点なのである。」

「わたしは昆虫に立ちもどる。海老から出発した以上、それについて語るためには人間にまで遡るべきかもしれない。昆虫は人間と並行してよじのぼっていくのだから。そんなわけで、とりわけ三組の肢をもち気管で呼吸する節足動物の代表格の蟻の場合には、社会生活をいとなむという事実がその存在の非人間性を抹消してしまっている。べつの観点に立てば、そのような集団生活が耐えがたいものと見えるにせよ。だがわたしの求めているのはべつのものだ。それをわたしは海老と穴居魚のうちに発見した。つまり生命のある種の外観にたいする説明しがたい戦慄と、より上級の生物の眼にうつる文句のつけようもないその非正当性である。わたしには狼や眼状斑トカゲなら人間や鵜とおなじようによくわかるのだ。
 こうしたことを考えれば考えるほど、海老の場合あれほどわたしに衝撃をあたえながら、蟻の場合ほとんどそういうことのなかった、あの非人間性という性格を大洋に住むさまざまなものにあたえるのが、大洋そのものであるという確信をいだかざるをえない。」

「わたしはもう、原始的な形態とか海綿とか虫けらとか(みみずはいかにも神経質らしい)有鞭毛類とかにしか興味がもてない。要するに、わたしがまず選ぶべきだったのは単細胞の繊毛虫だったのではあるまいか? そして人間と海老とをわかつ深淵をとびこすより、むしろ桿菌(かんきん)とマーモセットとのあいだに口をあけている断層を一足飛びにこえてしまうべきだったのではあるまいか?」

「そのときだ、一望のもとに、水中で生きるあらゆる非人間的動物が見えだしたのは。穴居魚、深海のナマコ、アメーバ、どれもこれも盲目で黙ったまま聴覚もなく生きているのが見える。そしてわたしにはわかった。それらを近づけることのできるカテゴリーは、人間を区分けするそれではない。胎児を評定するそれなのだ。つまりそれらの生命は胎児の生命なのであって、生命には人間の生命と胎児の生命の二つがある。したがってカテゴリーも二組に分けられなければならない。」



「春の競技」より:

「あのピエールのばかが、いったいなにを言っているのだろう? 人々はよく理解できなかった。〈生命〉には二つの様相がある。どこで教わってきたんだ? (中略)〈光〉のなかの〈生命〉と〈闇〉のなかの〈生命〉である。〈光〉のなかでそれは〈苦痛〉に支配され、〈闇〉のなかで〈幸福〉に支配される。こう彼は語っている。」
「なんだって、なんだって? 〈胎児〉の〈生活〉だと? (中略)要するに、彼の思想というやつは、このように大声で言うのにはいささかお下劣だが、つまり母親の胎内にいればずっと安心できる、まあ、ざっとそんなことなのだろう。」

「ピエールは、二度、三度、口をひらいたが音が出なかった。が、ついに声をはりあげた。
 「わたしは結論として、ひとつの簡明で具体的な主題、水性空間から遊離した場合におけるあわれな魚たちの状況について、お話しするつもりだったのです」」

「なにしにここにきたのかと聞いているんだ。
 ――あなたを殺しにね。
 ――だがおまえにそんな権利はない、と、かっとなってナボニードが叫ぶ。わしはおまえの父親だ。
 ――でも殺したいんだ。」



「石ころ」より:

「「わたしの〈真実〉が勝つにちがいないから、父は死ぬことになるんです」
 「どんな〈真実〉のことなんだ?」双子の片方が質問した。
 「〈影の生命〉と〈光の生命〉、〈憩いの生命〉と〈不安の生命〉、〈過去の生命〉と〈未来の生命〉、〈胎児の生命〉と〈大人の生命〉、〈大洋の生命〉と〈大気の生命〉、きびしい〈太陽の生命〉とおちてくる〈水の生命〉があるということ」」



「観光客」より:

「「あの〈聖グラングラン祭〉はこれが最後なんです。すくなくとも乾ききった〈聖グラングラン祭〉としてはね。いまや湿った時代にはいろうとしているんですよ。」」

「「ここの河は砂ででき、河岸は泥ですよ。小川は黄色っぽくやせ、早瀬ももう小石を磨く力さえありません。いったい、いったい、どこで生きることができるっていうんですか、魚たちは、むかしの魚たちは。」」



「異国の人たち」より:

「どれもこれもみんな結婚してる。目の見えぬものさえも。ほんとうの目の見えぬものさえも。ほんとうに白っぽいものさえも。ほんとうの幼虫にすぎないものさえも。ほんとうにねばつくものさえも。どれもこれもみんな婚約して。それから結婚して。それから子供をつくって。あたいはといえば結婚なんかしなかった。あたいと同類がいないんだもの。」



◆感想◆


「聖グラングラン祭」とは、訳者の付記によると「けっしてはじまらない想像上の祭りのこと」だそうですが、この小説では「ふるさとの都」の人々が貴重な陶器を持ち寄ってそれをひたすら破壊するというポトラッチ風味の蕩尽の祝祭です。ここは「雲追い石」の力で雨が降らないので晴天続きです。
(太陽―火―父権)
市長の息子ピエールは「異国の都」に語学を学びに行かされますが、語学そっちのけで「魚」の研究をします。
(大洋―水―母権)
魚は人類の遠い祖先であるとともに、キリストのシンボルでもあります。
都に戻ったピエールは父を追い出して市長になり、魚が住めるようにするために「雲追い石」を捨てると雨が降り出して、都は雨天続きになります。
それから供犠とかいろいろあって結局元に戻って晴天続きになり、乾期と雨期が円環的に繰り返されることになるようです。
個人的には父権でも母権でもない、「同類がいない」エレーヌ(ピエールの妹)の存在が興味深いです。



















































































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レーモン・クノー・コレクション⑤ 『わが友ピエロ』 菅野昭正 訳

「もちろんだ、安らかにだ! 誰しもみんな安らかに憩う権利をもっているんだ!」
(レーモン・クノー 『わが友ピエロ』 より)


レーモン・クノー 
『わが友ピエロ』 
菅野昭正 訳

レーモン・クノー・コレクション⑤

水声社
2012年8月20日 第1版第1刷印刷
2012年8月30日 第1版第1刷発行
267p 「訳者について」1p
四六判 丸背紙装上製本 カバー
定価2,500円+税



本書「訳者あとがき」より:

「『わが友ピエロ』の拙訳が最初に刊行されたのは一九六五年である。(中略)当時、新潮社でフランスの新しい小説をまとめて翻訳紹介する企画が立てられ、(中略)十三人の作家の十三篇の作品を選んで、『現代フランス文学十三人集』(全四巻)として刊行される運びとなった。『わが友ピエロ』はその一環として第三巻に収載された。」
「今回の改訳は一九四二年刊行の初版本(ガリマール書店)を底本とし、かたわらプレイヤード叢書版『レーモン・クノー全集』(一九八九)のテクストを参照した。また訳注を作成するに当って、同全集の編纂者クロード・ドゥボン氏の注解から教示を受けたことを書きそえておきたい。」



本書はまだよんでいなかったので、ヤフオクで1,400円(3,000円以上で送料無料)で出品されていたのを落札しておいたのが届いたのでよんでみました。


クノー わが友ピエロ 01


帯文:

「陰謀? 事故?
ユニ・パークで巻き起こる謎の事件

日本ウリポ史上、最大の新シリーズ、第8回配本!

遊園地《ユニ・パーク》で働くこととなった青年ピエロ。人はいいがどじばかり踏んでいる彼は、ひっそりと《ユニ・パーク》に隣接し、謎の王国ポルデーヴの王子がまつられているという礼拝堂の主と知り合いになる。そんななか、《ユニ・パーク》では、ある事件が巻き起こり……。アルベール・カミュが称賛した、「不滅の奇蹟の物語」。」



帯背:

「愛と笑いの奇想曲」


帯裏:

「《ユニ・パークをさらに拡大しようともくろむプラドネ、
ポルデーヴの王子をまつる礼拝堂を管理するムンヌゼルグ、
元遊園地従業員=私立探偵のプティ・プース、女性の下着をのぞくことを
楽しみにする〈哲学者〉たち、ヤギの皮をかぶり葉巻をふかすサル、
テーブルについて食事するイノシシ、謎の動物飼育家ヴッソワ。
野心を持たぬのんきな主人公ピエロは、人々と出会い、
ふらふらと流れにのって、坦々と生きていく。
『ルイユから遠くはなれて』『人生の日曜日』とともに「知恵の三部作」と
呼ばれる、楽天家の主人公が印象的な、おかしなおかしな反=推理小説。」



目次:

わが友ピエロ

訳注

訳者あとがき



クノー わが友ピエロ 02



◆本書より◆


「ほっとした気分で柵に肱をもたせかけながら、ピエロはルイ十六世の死のことを考えていた。といっても、これはべつに彼が、とくに、なにかはっきりしたことを考えていた、という意味ではない。彼の心のなかでは、冬の晴れた朝の霧のように、淡くうっすらと輝きを帯びた靄がぼうっと霞んで、名もない小さな羽虫が飛びかっているにすぎなかった。自動車は激しい勢いでぶつかりあい、触輪(トロリー)は電線にスパークして火花を散らし、女たちは金切声をあげていた。そしてむこうのほう、《ユニ・パーク》の他の部分には、いたるところ、遊びに熱中する群衆のざわめきや、ぬけめなく客をだまくらかす的屋(てきや)や大道商人の叫び声や、さらには刻々と擦(す)りへっていく種々の品物の響きが溢れかえっていた。公衆の道徳感や文明の未来について、ピエロはなんら特別な見解をもってはいなかった。ひとから知的だと言われたことなど、彼には一度もなかった。むしろ頓馬(とんま)なことばかりする奴だとか、ぼんやりした人間だなどと言われつけていた。だがとにかく、ここで、いま彼は幸せな気分になっていたし、なんとはなしに満ちたりた気持だった。それにまた、心のなかの小さな羽虫のなかで、一匹だけ他の奴よりも大きくて、しかもしつこいのがいたのだ。ピエロには仕事があった、少くともシーズンのあいだだけは。十月になったら、また考えるとしよう。差しあたり、一年の三分の一にあたる期間が、給料の音をすでにジャラジャラさせながら目の前にひかえている。何日もつづく不安定な生活、何週間もつづく見込みのない生活、何カ月もつづくひどい欠乏生活を常時知りつくしている人間にとっては、幸せな気分にひたり、満ちたりた気持になれるだけのものがそこにあった。殴られてまわりに黒い痣(あざ)ができた眼がちょっと痛かったが、しかしこれまでに身体の痛みが幸福の邪魔になったことがあるだろうか?」



◆感想◆


訳者あとがきによると、コジェーヴ経由のヘーゲルの歴史観が本書の根底にあるということですが、謎の動物飼育家ヴッソワが落馬して気を失った場所が「礼拝堂」になって、死んだはずのヴッソワが生きていて、焼失した遊園地「ユニ・パーク」の廃墟に「動物愛好園」を築く、というのは、エデン(地上の楽園)の喪失に始まりイエスの死と復活そして「神の国」の到来に終るキリスト教の歴史のパロディではなかろうか。訳者は「動物愛好園」は「自然」を代表するものである、と言いますが、「頑丈な格子の檻のなかに閉じこめられて、三つ揃いの背広か、さもなければ短いズボンを着こみ、(中略)霊長類とおしゃべりをしてひとを喜ばせ」る猿を始めとする、芸を仕込まれた知的な動物たちの園とは、むしろ人類が辿り着いた文明社会の戯画に他ならないです。
反歴史(=永遠の今)的存在であり、それゆえに人間社会におけるアウトサイダーである主人公ピエロは、地上の楽園のレプリカである「ユニ・パーク」でようやく仕事にありつきます。訳者は、「空(うつ)け者」であったピエロが小説の結末で「智慧の人間」になる、と言いますが、ピエロは「道化」であり、「道化」(愚者)はタロットでは「0」すなわち「無」(空け者)であるがゆえに同時に「全」(知者)であり、最初から最後まで全く同じで、成長も変化もしないし、する必要もないです。


























































































クノー 『はまむぎ』 滝田文彦 訳 (小説のシュルレアリスム)

「「じゃあなにかね、時ってものはこんなに無なのかね? もはや歴史もないのかね」と、女王が尋ねた。
 「それがどうだって言うんだ」と、二人は答えた。
 彼女は肩をすくめた。
 そこで彼らはカランタンの前面にある林間の空地を後にして、永遠の時の流産を横切って、六月のある晩、町の門のところにたどり着いた。彼らはなにも言わずに別れた、なぜなら彼らはもはやたがいに知らず、かつて知り合ったこともなかったから。」

(クノー 『はまむぎ』 より)


クノー 
『はまむぎ』 
滝田文彦 訳
 
小説のシュルレアリスム

白水社
1976年9月16日 印刷
1976年9月28日 発行
388p 口絵(モノクロ)1葉
四六判 丸背紙装上製本 函
定価1,500円
装幀: 野中ユリ



Reymond Queneau: Le Chiendent, 1933
レーモン・クノーの『はまむぎ』は、新装版や、新訳も出ているようですが、日本の古本屋サイトで旧版の最安値(800円)のを注文しておいたのが届いたのでよんでみました(ついでにミシェル・レリス『黒人アフリカの美術』(1,000円)も注文したので、計1,800円+送料700円でした)。
解説によると「“はまむぎ”という植物名は、フランス語では、なかなか除去できない厄介な雑草として(中略)、やっかいなわずらわしいことというコノテーションを含んでいる。」ということなので、たぶん「はまむぎ」というのは、人類とか、人類の歴史とか、人間社会とか、人間関係とかのことなのではないでしょうか。
本書は結末が冒頭につながって円環をなしています。
そういうわけで、本書はフランス版ジェイムズ・ジョイスといってよいのではないでしょうか。


クノー はまむぎ 01


帯文:

「青年時代をシュルレアリスムの激動のなかに過したクノーは、処女小説『はまむぎ』によって独自の原理に基づく散文世界を構築した。数学とエロティスム、哲学と歴史、乾いたユーモアと詩の精神。奔放多彩な言語を駆使したこの小説は、今日の新しい小説形式・技法を用意した先駆的作品である。」


内容:

はまむぎ

解説 (滝田文彦)



クノー はまむぎ 02



◆本書より◆


「午後五時ごろ、北駅の前で一人の男が轢(ひ)き殺されるのを見て以来、クロシュ夫人は浮き浮きしていた。もちろんながら、彼女はあんなに恐ろしいものは見たことがないと語っていた。たしかにそうだったろう、かわいそうなポティスは一台のバスに念入りにローラーをかけられたのだから。念入りに準備された一連の偶然によって、彼女はほぼおなじ時刻、おなじ地点に面したカフェのテラスにたまたま腰を下ろしたが、そのカフェは幸運なる偶然の一致によってまさしくその場所に位置していたのである。彼女はカミルレ茶を注文し、そして辛抱強く、おなじような事件がまた起こるのを待った。彼女にとってはそれはすでにすんだことだった。彼女は毎日そこに来るだろう。事故を待ちかまえて。不条理にも、ポティスが末端まで到達できなかった歩道と歩道を結ぶ理想的な線、その線が不条理にもいまや運命、ないしは天命、ないしは宿命を招き寄せるはずだと思えたのである。そこではある身震いすることが起こったのだった。アスファルトの上に飛び散る黄色い脳味噌。そこでは無限に、説明不可能なままに恐ろしい事故が再現しなければならず、そしてクロシュ夫人は身震いすること、恐ろしいことが大好きだった。カミルレ茶はなまぬるくて、砂糖っ気がほとんどなかった。ボーイはそのことで手きびしい文句をきかされた。ひどく暑かったので彼女はケープを脱ぎ捨て、灰色の格子縞(こうしじま)のハンカチで顔をぬぐった。他の客たちはこの女客の顔を見ないようにしていた。そして彼女は待った。
 泥よけを接触させた二台のタクシーがあり、それからもう一台、くだらない理由で違反をくったタクシーがあった。だがそれだけだった。一時間というもの、何千という自動車、何千という歩行者が、なんら重大な混乱もなくそれぞれの道をたどった。潮のように二本足の動物が、そしてごくまれに四本足の動物が駅に飛び込んでいった。潮のように二、三、四輪の車が行列していった。だが、なにごとも起きなかった。
 カミルレ茶はとっくの昔に飲みほされ、クロシュ婆さんは失望していた。そのときある考えが浮かんだ。あの事故のことを考えるのをやめたら、たぶんあんな具合に別の事件が起こるのじゃないか。」



クノー はまむぎ 03
















































































































『世界文学全集 23 ジロドウ/クノー』

「彼は目を閉じて、彼の心の奥底に横たわっている真っ黒な巨大な空虚に勇敢に立ち向かおうとした。」
(クノー 「きびしい冬」 より)


『世界文学全集 23 
ジロドウ/クノー』

中村真一郎・白井浩司・大久保輝臣 訳

集英社
昭和40年8月28日 印刷
昭和40年9月28日 発行
533p 口絵(モノクロ)1葉
四六判 丸背クロス装上製本 貼函
定価520円(特価480円)

月報 8 (8p):
ジロドウの肖像のために(諏訪正)/レイモン・クノー(三輪秀彦)/次回配本



集英社版「20世紀の文学 世界文学全集」第八回配本。二段組。ジャン・ジロドゥ「天使とのたたかい」「シュザンヌと太平洋」、レイモン・クノー「人生の日曜日」「きびしい冬」所収。栞に「天使とのたたかい」「人生の日曜日」の「主な登場人物」一覧。


ジロドウ クノー 01


帯文:

「「――小説は面白くなければいけない」
映画演劇界にも活躍する2巨匠集」



帯裏:

「人の心の純粋さを追求する「オンディーヌ」のジロドウ……
天使とのたたかい なんの苦しみも迷いもない純真な少女マレナは恋におちたとき天使(彼女自身)と戦わねばならなくなった……
シュザンヌと太平洋 田舎娘が懸賞に当選、招待旅行に出かけたが船が難破してしまった。人間のいない所で人生を学ぶ明るい幻想物語。

人生に無類のおかしみを探り出す「地下鉄のザジ」のクノー……
人生の日曜日 ブリユ君のところへオールドミスの押しかけ女房がやってくる。ところが、こんなさえない出発点が、なんとまあ…!
きびしい冬 戦争をへてなにかを失ってしまった男の恋、そして失恋。しかし既に中年の彼の胸から14才の少女の面影が消えない。」



目次:

ジロドウ
 天使とのたたかい (中村真一郎・三輪秀彦・小佐井伸二・諏訪正 訳)
 シュザンヌと太平洋 (中村真一郎 訳)

クノー
 人生の日曜日 (大久保輝臣 訳)
 きびしい冬 (白井浩司 訳)

クノーとジロドウの世界 (白井浩司)



ジロドウ クノー 02



◆本書より◆


「人生の日曜日」より:

「………人生の日曜日こそがすべてのものを平等にし、すべて邪悪なものを斥ける。これほど上きげんになれる人間が心底からの悪人であったり、下劣な人種であったりするはずはない。
ヘーゲル」

「この小説に登場する人物たちは現実に存在するので、かりに架空の人間とそっくりであるにせよ、それはすべて偶然である。」



「きびしい冬」より:

「ガス灯に照らされているデュテルトル夫人の店は、長く、うす暗いカジミール=ペリエ通りにうかび上がり、近視の眼のように弱々しく瞬いていた。遠くからみるとこの店は、汚いボンボンやノートの置いてある棚のおかげで貧弱な駄菓子屋にみえた。近よってみると、間違いなくそれは、知識や文化や文明のアジトであることがわかる。ガス灯に照らされて、デュテルトル夫人は、この地方の数少ない好事家のために古本からなるちょっとした図書館を開いていた。
 平和のときにもまばらだった顧客(とくい)は、戦時になるとほとんどいなかった。黴臭い匂いなどル・アーブル人の与(あずか)り知らぬことだった。土地の金持ちは、ベルナルダン=ド=サンピエール通りにあるゴンフルビル書店とか、町の中心部で買うのだが、そのほかの人びと、つまり一般庶民は、小金を持っている者でさえ、近代作家の著書とか、新聞雑誌類で得る知識で満足していた。
 夫人はものごとを深刻にうけとる性質(たち)ではなかった。彼女は結構たのしんでいた。セーヌ川を越え、コー川のかなたからやってきた彼女は、いつも、ル・アーブル人を馬鹿で鈍感で非常に視野の狭い見方しかできぬ、教養のない人種だと思っていた。」
「後家さんのデュテルトル夫人は、独りぼっちで暮らし、縫いものをし、洗濯をし、掃除をし、料理を作った。それから、本を読みながらきそうもない客を待った。」

「「でも、すっかりいやんなっちゃったわ。人間なんてどうしようもないものだわ」
 「そりゃそうですね」
 「わたしが人間という意味は、ブルジョワもプロレタリアもふくめてですよ。だけど、このブルジョワというのは間抜けで、ごろつきですよ。早い話が、わたしのところの家主ね。わたしが家賃を払わないからって雨もりも直してくれやしないのよ。でもどうやって払えばいいの?」
 ルアモーはなにもいわなかった。彼は銀行の支払い停止をフリーメースンの仕業(しわざ)であり、不正中の不正だと思っていた。」

「ルアモーが、デュテルトル夫人の店に入っていくと、ちょうど夫人にお気に入りの療法で風邪の治療をしているところだった。彼女はハンカチをふんだんに使い、そのハンカチにたっぷりと硫酸銅を塗っていた。この療法の講釈をし終わると、夫人は、くれぐれも今日見た一部始終をだれにも話さないでほしいといった。というのは、愚か者のお笑い種(ぐさ)になるのも、ル・アーブル人に変にとられるのも困るからというのだった。
 「わたしはすぐに気違いばあさんだと思われますからね。よほど向こうのほうが馬鹿者なのにね」
 ルアモーは、この老友の神秘主義的先入観念には軽蔑感を抱いていたが、いまの言葉には賛成した。」

「飼い主の気に入られようと努める、素直な動物のように、彼の足は自然にデュテルトル夫人の店にまできてしまった。彼はなかに入った。なんだかぼんやりしたようすで、病気のために手足が硬直し、地面に倒れるてんかん持ちのような顔つきだった。しかし、デュテルトル夫人は、そんなことに少しも気がつかなかった。
 「悪党め!」彼女は、彼を見るが早いか金切り声を上げた。「畜生! 人でなしめ! わたしの猫が殺されちゃったのよ」
 こんな罵りを聞いても、まだ自分のくりかえしている考えからぬけきれなかったので、ルアモーはたずねた。「だれが殺したんですか?」」
「「だれがですって? あなたは、それがいったいだれだとお考えです? わたしの近所の人間、あの汚ならしいル・アーブル人たち、屑のようなやつらのことですよ。わたしは、あのかわいそうな猫が、腰をやられて、即死してるのをみつけたんですよ」
 「犬かもしれないな」まだぼんやりしたままのルアモーは、そうほのめかした。
 「あの野蛮人どもが、なんだって犬なぞ飼う必要があるんです? ただ、わたしの猫を殺すために、あいつらは犬を飼うんですよ。ああ、ルアモーさん、なんてこわい世の中なんでしょう。ルアモーさん、いまの人たちって、なんて卑劣なんでしょう。ああ、ルアモーさん! 生きるってことは、悲しいことだわ。責任があるのは自然ではありませんよ、だって自然は良きものだもの。責任があるのは自然ではなくて、人間どもなんですよ。人間どもときたら、手のつけようがないんだから。どんなにすばらしい観念であれ、どんなに高潔な思想であれ、人間どもは、そんなものから何をつくりだしたっていうんです? 血なまぐさい混乱か、それとも灰燼が関の山ですよ。人間どもが、キリストをどうしたかごらんなさい。彼らは、キリストを、その真珠とともども、はりつけにしたんですよ、(中略)それから、ソクラテスはどうなんです? 人類が、ソクラテスに対してしたことといえば、彼に毒を盛ったことですからね。(中略)それから、ジャンヌ・ダルクはどう? やき殺されちゃったわ。ジョーレスは? 殺害されたじゃないの」」

「店の戸のうしろに立って、デュテルトル夫人は雪が降ってくるのを見た。溜息をつき、もどって坐るとまた読書を始めた。こんなに寒く厚みのある静けさをつき破って、常連のだれかが姿をあらわすという望みは、ほとんどなかった。彼女は身ぶるいし立ち上がると、暖炉には石炭を、もう歌わなくなった湯わかしには水を入れに行った。彼女は、もう一度雪の降ってるのを見るため、立ち止まった。もとの席にもどると、また読書を始めた。だが、サチュルネットという名の新しい猫がなにをしてるかを見るために、すぐに彼女は読書を中断した。サチュルネットは、夫人の毛皮にくるまって暖炉の蔭で眠っていた。デュテルトル夫人は、彼女のこんどの猫は、とくに利己的だと思った。彼女は溜息をついた。店のショーウィンドーにならべた古い版画越しに、雪の降るのを見るために、目を上げた。それから再び読書を始めた。
 彼女は、ほんとうに一人ぼっちだと感じていた。
 三時ごろになると、カジミール=ペリエ通りは、完全にまっ白になってしまった。」
「人間は、歴史から絶対に逃れられないんだわ、彼女は人間に絶望していた。たった三年前のことだけれど、自分たちは幸福であるだけでなく、ずっとこのままでいられるどころか良くなって行くとすら考えてる人びとがたくさんいたのだった。また、別の人びとは、平和が地上に降りてきて、これから永久にとどまるだろうと思っていたのだった。デュテルトル夫人は溜息をつき、また読書を始めた。」
「そのとき、デュテルトル夫人は、ルアモーの姿が眼に入った。
 彼は店に入る前に鼻をかみ、靴底についた凍った泥をとるために、敷居に靴をうちつけた。
 「まあおどろいた。うれしいわ」デュテルトル夫人は、よろこんで本をとじながら叫んだ。「少なくとも、六週間はお会いしてませんね。お悪かったんじゃないでしょうね。いらしてくだすって、ほんとうにうれしいわ。あなたにお会いできないので、死ぬほど寂しかったですよ。ほんとうにうれしいですよ。暖まるように、グロッグを作ってあげましょうか? あれ、湯わかしにお水入れとくのを忘れましたよ。ちょっとお待ちになって。お水入れますからね、すぐですよ」
 それで、彼女は湯わかしに水を入れた。
 「さて、ルアモーさん」彼女は言葉をついだ。「お目にかかれなかったあいだに、いったいどうしてらしたんです? あなたをわたしの手のとどかないところにひきとめて、ときどきわたしのとこにきてくださるのを邪魔だてしたのは、あなたの恋愛のせいですか?」
 ルアモーは考えた。
 「ああそうですよ」彼は微笑しながら答えた。「恋愛のためですよ」
 「話してくださいな」
 「多少は、そのためにきたんですよ。少なくとも、一つ二つあなたにお知らせしたいことがあるんでね」
 「まあ、うかがわせていただくわ!」
 「第一のニュース、デュテルトルさん、ぼくは婚約したんです」」

「「ぼくは前線にもどるので、(中略)これが二つ目のニュースですが、ぼくの恢復期は終わったんです。ずいぶん長かったですよ」
 「まあ、前線へもどるんですって。ほんとうに、なんという戦争でしょう。なんてことでしょう。」」
「「一度にニュースがありすぎだわ」彼女はつけ加えた。
 哀れな幽霊のように床にすべり降りると、彼女は軽い音を立てだしたお湯で二人分のグロッグをつくりに行った。二杯のグロッグは、黙ったままで味わわれた。雪は、もってりしたぼたん雪となって降り続いていた。
 「なんてお天気だろう! なんてお天気だろう!」デュテルトル夫人は、呟いた。
 「冬の天気ですよ」ルアモーは、明るくいった。「二月の天気ですよ。雪が冬に降らなかったら、いったいいつ降ればいいんです? 夏によりも冬に降ったほうが、まだましだとは思いませんか?」
 「そうね。人生なんて、そんなふうに受け取るべきでしょうね。なるほど。でも人生はね、(中略)人間の一生は、天気みたいなわけにいきませんよ。あるときからずっと、雪が降り続く。降って降って、もう降りやまないと、それは想像できないくらいのひどい苦しみになるんです。晴れなんぞに、もうなりっこなくて、それが確実なんですからね」
 「若いときよりも、年をとってから雪が降るほうが、まだよいと思いませんか? それに、雪はきれいですよ、ほんとうの雪は」
 「あなたはお利口さんになったのね」デュテルトル夫人は、苦々しく呟いた。」

「「では、お別れしますよ。これから、フィアンセに会いに行くので」
 デュテルトル夫人はなにもいわず、まるで凍ったように目をすえていた。
 「わたし、ほんとうに一人ぼっちだわ」と彼女は呟いた。」
「「では、奥さん、さようなら。ぼくも、皆と同じように戦争に行きます」」














































































レーモン・クノー 『地下鉄のザジ』 生田耕作 訳 (中公文庫)

「「おかしくない人間なんて」とザジ。「けつ喰らえ」」
(レーモン・クノー 『地下鉄のザジ』 より)


レーモン・クノー 
『地下鉄のザジ』 
生田耕作 訳

中公文庫 C 11

中央公論社 
昭和49年10月10日 初版
昭和57年12月15日 9版
232p
文庫判 並装 カバー
定価340円
表紙・扉: 白井晟一
カバー絵: 「一九六六年ガリマール版『地下鉄のザジ』所載のジャック・カルルマンによる挿画より。」
本文挿画: ジャック・カルルマン



Ramond Queneau: Zazie dans le métro
久しぶりに『ラフォルグ抄』をよんだらレイモン・クノーをよみたくなったので久しぶりによんでみました。ラフォルグとクノーはたいへん似ています。ラフォルグだと公園のベンチが濡れていて座れないですが、クノーだと地下鉄がストで乗れないです。
ついでにルイ・マルによる本書の映画化も久しぶりにみてみましたが、これはこれでよいですが、ザジは笑ったりせずに無表情でふてくされているほうがよいです。

本文中挿絵(モノクロ)11点。


クノー 地下鉄のザジ


カバー裏文:

「田舎からパリにやって来た少女ザジは、地下鉄に乗ることをいちばんの楽しみにしていたのに、あいにくの地下鉄ストで念願果たせず、警官か誘拐魔か奇妙な男につきまとわれたりしながら、なんともおかしな人生体験をする……。
庶民の精神風俗の鋭い観察、言葉の可能性の執拗なまでの探究から生み出された新しい小説形式の秀作(本邦初訳版)。」



内容:

地下鉄のザジ

解説 (生田耕作)



クノー 地下鉄のザジ2



◆本書より◆


「「あたし」ザジは宣言する。「六十五まで学校へいくつもりよ」
 「六十五まで?」いささか驚いてガブリエルは繰り返す。
 「そうよ」とザジ。「あたし小学校の先生になりたいの」
 「悪い商売じゃないわ」マルスリーヌがおしとやかに言う。「恩給がつくものね」
 彼女はそれを機械的につけ加えたのだ。国語に堪能だったから。
 「恩給けつ喰らえ」ザジはやり返す。「あたしはね、先生になりたいのは恩給のためなんかじゃなくってよ」
 「そうだとも」とガブリエル。「そいつはわかるよ」
 「じゃ、なんのため?」
 「それを聞かせてもらいたいのさ」
 「自分でわからないの?」
 「とにかくずるいね今日びの若者は」女房に向かってガブリエルは言う。
 それからザジのほうに向き直り、
 「さあ? どうしてなりたいんかね、学校の先生に?」
 「いじめてやれるからよ」ザジは答える。「十年さきに、二十年さきに、五十年さきに、百年さきに、千年さきにあたしの年になる女の子を。いつの時代だってシゴキ甲斐のあるガキは跡を絶たないもの」
 「なるほど」
 「女の子にめちゃくちゃ意地悪してやるの。床をなめさせてやるわ。黒板拭きを食べさせてやるの。お尻にコンパスを突き立ててやるわ。尻(けつ)の肉に突き刺さる大きな拍車のついた」
 「ねえ」ガブリエルはおだやかに言う。「新聞で読んだがね、これからの教育はまったくそういう方向には向かってないんだよ。いやむしろ逆さ。温和、寛容、親切を目指してるんだ。ちがうかね、マルスリーヌ、新聞じゃそう言ってるね?」
 「ええ」おしとやかにマルスリーヌは答える。「でもねェ、ザジ、あなた学校でひどい目にあわされたの?」
 「見せたくなかったわ」
 「それに」ガブリエルが言う。「二十年もすりゃ、もう先生なんていなくなるさ。映画や、テレビや、電子工学や、そういったものに取って代られるんだ。これもいつか新聞に書いてあったよ。そうだろう、マルスリーヌ?」
 「ええ」マルスリーヌはおしとやかに答える。
 ザジはちょっと間その未来を眺め渡す。
 「じゃ」と彼女は宣言する。「あたし宇宙飛行士になるわ」
 「なるほど」ガブリエルは賛成する。「なるほど、時代にあわさなくちゃ」
 「そうよ」ザジは続ける。「あたし宇宙飛行士になって火星人をいじめに行くんだ」」



クノー 地下鉄のザジ3


「「話し合いけつ喰らえ!」」


























































































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
 
うまれたときからひとでなし
なぜならわたしはねこだから
 
◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

Koro-pok-Guru
Away with the Fairies

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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