『バルトルシャイティス著作集 3 イシス探求』 (有田忠郎 訳)

「エジプト神話の伝説は、単なる「失われた楽園」へのノルタルジーではない。それはまた非理性すれすれの厳しい論理であり、夢に奉仕する学問的知識である。その全体が、人間の思想とその錯乱との歴史の一章なのである。」
(バルトルシャイティス 『イシス探求』 より)


ユルギス・バルトルシャイティス 
『イシス探求
― ある神話の伝承をめぐる試論』 
有田忠郎 訳

バルトルシャイティス著作集 3

国書刊行会 1992年11月30日初版第1刷発行
423p 索引ix 口絵(カラー)10p
菊判 丸背紙装上製本 カバー
定価6,000円(本体5,825円)
装幀: 高麗隆彦



Jurgis Baltrušaitis "La quête d'Isis" (1985)
カラー口絵12点、本文中図版(モノクロ)139点。


バルトルシャイティス イシス探求1


カバー裏文:

「イシス――ナイル河畔に出現したこの女神は、オリエントからローマを含む地中海沿岸一帯に広まった大母神信仰の母胎であった。至高にして普遍の存在であるイシスはまた、大旅行者でもあった。革命期のパリに、モーツァルトの秘儀オペラの只中に、黄河のほとりに、メキシコのジャングルに、突如立ち現れる古代エジプトの栄光。イシス信仰の痕跡を、フランス、イングランド、ゲルマニアなどヨーロッパ各地に、そして遥か中国、インド、新大陸にまで求めた本書は、驚くべき展望、もしくは展望の逆転の中に、古代から中世、近世に至る、人間の信仰と想像力の大いなる角逐ないし協力をみる。幻想の東洋と西欧の夢想が交錯する魔術的神話学。「アベラシオン」「アナモルフォーズ」に続いて〈逸脱の遠近法〉三部作の最後を飾る名著。」



本書「緒言」より:

「『ある神話の伝承をめぐる試論。イシス探求。エジプト狂入門』は、一九六七年、「知の遊戯」叢書の一冊として、オリヴィエ・ペラン社から出版された。最近、「エジプト・リヴァイヴァル」が歴史家たちを魅了し、この問題をめぐる研究がひきもきらず公にされつつある。ここに刊行する『イシス探求』の新版では、旧版に比べて多くの点を補充した。すなわち、モーツァルト以前の歌劇におけるイシス。古銭にみられるイシス像。コロンナのエジプト系先祖。西インドのピラミッド。とりわけ、イギリスとガリア諸国およびゲルマニアのゴシックに見られるエジプト。」


訳者による「解説」より:

「私がこの翻訳を担当するに至ったのは、故澁澤龍彦氏の推輓によると聞く。前二著の訳者に倣って、私もこの書物を、生前ついにお会いする機会のなかった澁澤氏の霊前に捧げたい。」
「翻訳にあたっては多くの方々の助力を仰いだが、とりわけ中国関係の事項については中野美代子氏から、原注のラテン語文献名については渡邊昌美氏から、それぞれ懇切なご教示を賜った。またラテン語および古ドイツ語の碑文などについては、彌永信美氏を通じて友人のフランス人の方から仏語訳を頂戴した。」



目次:

緒言
序文

プロローグに代えて
第1章 フランス革命期におけるエジプトの神統系譜説
第2章 歌劇とフリーメーソンのエジプト
第3章 パリの最初の歴史家ジル・コロゼのイシスたち
第4章 フランスのイシスたちとアピス
第5章 ゲルマニアのイシス
第6章 ゲルマニア・イタリアのオシリス
第7章 東インドのエジプト
第8章 中国のエジプト
第9章 西インドとイングランドのエジプト
結論に代えて 歴史と詩学

原注
解説 (有田忠郎)
索引



バルトルシャイティス イシス探求2



◆本書より◆


訳者による「解説」より:

「ラテンの文人にして大旅行家だったアプレイウスは、『黄金の驢馬』の別名をもつ『転身物語』十一巻を書いた。その末尾で、魔法の戯れにより驢馬に変身した主人公ルキウスが、数々の苦難をなめたあげく、イシスの薔薇の恵みで人間に返る時、女神の口から次のような言葉が語られる(中略)。
 「ルキウスよ、私はお前のお祈りに大変心をうたれてここに参りました。私は万物の母、あらゆる原理の支配者、人類のそもそもの創造主、至上の女神、黄泉の女王、天界の最古参にして、世界の神々や女神の原型。そして私は輝く蒼穹と海を吹きわたる順風と地獄の恐ろしい沈黙を、意のままに統御できます。」
 こうして、イシスが宇宙にあまねく存在する最高の神格であり、自然と時間、生者と死者を共に統べる大神であることが宣言された後、イシスを祖型とする無数の神々の名が挙げられる。
 「私の至上至高の意志は、世界の至るところで、それぞれの地方の習慣から、さまざまの儀式で祭られ、いろいろの名前で呼びかけられています。最も古い人類の種族プリュギア人は、神々の母ペシヌンティアと呼び、生抜きのアッティキー人はケークロピアのミネルヴァと呼び、更に海に洗われたキュプロスの人々は、パポスのヴェヌス、箭持つクレタ島の人は、ディクチュンナのディアーナ、三ヶ国語を話すシクリー人はスチュックスのプロセルピナ、古いエレウシナの住民たちはアッティカのケレースと呼びなしています。ある地方ではユーノー、又の地方ではベッローナ、ある所ではヘカタ、またラムヌーシアとも呼ばれています。そして太陽神が朝生まれたての光線を寝床の上に輝かせるエティオピアの人々と、学問の古い伝統にかけては世界に冠たるエジプトの人々とは、いずれも私にふさわしい儀式を捧げ、私の本来の名前でもって、イーシスの女王と呼びならわし尊んでいます。」
 イシスが如何に変現自在の神格だったかは、この引用からも推察されるであろう。アプレイウスは紀元二世紀の人で、アフリカ生まれ。カルタゴとアテーナイとローマに学び、小アジアやアレクサンドリアに旅して見聞を広めたから、イシス信仰が当時地中海一帯に拡がっているありさまを、みずから体験したことであろう。
 すでに紀元前七世紀、小アジアに浸透していたイシス信仰は、古代ギリシア世界、テッサリア、マケドニアを経て、ローマ世界に流出してきたらしい。ポンペイのイシス神殿は紀元前一世紀頃建立されたというし、紀元後もカリグラ、ドミティアヌスなど、歴代の皇帝がイシス神殿を造営した。カラカラ帝に至っては、このエジプトの宗教をローマの国家宗教に統合さえしたのである(本書「序文」参照)。
 もともとナイル河流域の地方的神格だったイシスが、農耕と結びついた地母神の範囲を脱して世界化していく過程には、さまざまな要因が働いたに相違ない。兄であり夫であるオシリスとの相関で語られた死・復活の神話と宗教儀礼、子ホールスと一体になった母子神の組合せなど、そこには古代民族の神話や宗教ともキリスト教の教義とも重ね合わせることのできる、ある原型的構造が読みとれる。ともあれ、オシリス=イシス=ホールスの三幅対神は、如何なる理由でか、他地域の異神と混淆しやすい性格を具え、しだいに多様な相を帯びていったようである。このエジプトの神々は、混種の神々の中に地方的特性を解消していく過程で、変貌し、「万神」として復活した。その神殿もヨーロッパの辺境にまで行き渡った。
 この趨勢にも、しかし終わりを告げる時がくる。紀元三八三年、アレクサンドリアのセラピス神殿とピラクのイシス神殿が取り壊され、さしもの神統系譜もここに歴史的事実としては絶えたかに見える。ところが、以後、エジプトの神々は神話とフィクションの形でかえって強力に蘇り、古代とは別の道を通って世界化へと足を踏み出した。バルトルシャイティスの言葉を借りれば、彼らは「むしろその失権の時にこそ、世界制覇へと乗り出した」のである。
 本書は、リトアニア出身の著者が、この神話とフィクションを、ヨーロッパのみならずインドや中国やメキシコにまで求め、「幻想のエジプトの栄光を称えるべく打ち立てられたバロック風の一大建築」たらしめたものである。ユルギス・バルトルシャイティス――その名自体がいささか迷宮の趣をもつこの博捜の学者は、イシスとオシリスの伝承を比較神話学、美術史、歴史学、考古学、自然科学、言語学等々の諸分野にわたって追跡し、引用につぐ引用を重ねながら、エジプトの神々の足跡を拾い集めた。そこに集積されたものは、「奇妙さと背理と厳密な推論と詩的虚構のアマルガム」であった。
 著者が言うように、ここに収録された無数の材料は、「異様で奇怪で、とうてい受け入れがたい」と見えるかもしれない。だが、と続けて著者は言う、「これらはみな、ある精神状態に対応するもので、ギリシア・ローマ文明よりもっと神秘な、もっと古い世界に向けられた密かな欲求を表している。むしろ、これらの材料のとんでもない側面こそ、当の欲求の根強さを暗示しているのである」と。
 この「欲求」が、いわゆるエジプト狂(マニー)あるいはエジプト・リヴァイヴァルとして現れたことは「序文」に書かれているとおりだが、著者の独創は、この一種の偏倚(へんい)現象を知的世界の探求のための装置として用いたことにある。「事物を、それが実際には存在しない場所に如何にも存在するかの如く見せる神話の伝承」こそ、人間の精神という特殊な光の屈折を生ぜしめるレンズの作用を果たすものである。ゆえに、その屈折の状態を調べれば、知的欲求にひそむ根強い衝迫(バルトルシャイティスは、それを「隠れた形而上的真理」への欲求と呼んでいる)が明らかになるであろう。それは形態の伝説を生む「アベラシオン」や、光学上の仮構である「アナモルフォーズ」と共に三幅対をなすものである。」



「序文」より:

「たしかに、私が本書に収録した数多い材料は、異様で奇怪で、とうてい受け入れがたいと見えるかもしれない。だが、これらはみな、ある精神状態に対応するもので、ギリシア・ローマ文明よりもっと神秘な、もっと古い世界に向けられた密かな欲求を表している。むしろ、これらの材料のとんでもない側面こそ、当の欲求の根強さを示しているのである。
 エジプトは、人間の知恵と学問の揺籃と考えられた。ギリシア・ローマの復活の背後には、いつもエジプトの復活が付随し、前者の根拠となることもあれば、これを併呑してしまうこともあった。ローマにはオベリスクが幾つも建てられた。『ポリュフィルス狂恋夢』(一四九九)には、象の背に乗ったオベリスクが出てくる。(中略)エジプトの品々、象形の絵文字、ミイラなど、あらゆる種類の珍品が、王侯貴族や高位聖職者の書斎に溢れた。」
「しかし、このような研究の中心にあったのは、何と言っても古代象形文字(ヒエログリフ)である。この文字自体が、それなりの神話と言い伝えをもっていた。古代の神話(中略)は、この神聖文字から音声の観念を一切排除し、純粋な象徴にした。神話が伝承されるにつれ、この理論は新プラトン主義の後楯を得て一つの世界観となり、世界内の事物をより高き存在の徴と見るに至る。こうして強力な哲学思潮と緊密に結合したため、象形文字の神話は、以後二千年にわたって二つの方向に発展した。一つは学説として。もう一つは新しい図像の分野において。一つの事物を他の事物で置換する、すなわち絶対価値の隠喩・暗号としての象形文字は、その神秘のゆえに人々の注意を集めた。それは夢の扉を開く鍵であり、宇宙開闢(かいびゃく)の謎を解く秘法であった。文明の夜明けに創始されたエジプト象形文字は、原初の真理を蔵しており、三位一体の教義もキリスト教の象徴もそこに含まれているはずであった。このような考えを極限まで押し進めたのが、キルヒャー神父である(一六五〇―一六六六)。彼にとっては、エジプト全体、世界全体が象形文字にほかならない。秘教的な象徴思考一般の問題の根底に触れたその著『エジプト人の象徴哲学』(中略)の周囲には、広大な文学が爛漫と花開いた。」



「第1章 フランス革命期におけるエジプトの神統系譜説」より:

「キリストは、太陽=オシリスと月=イシスから生まれた日輪たるホールスであるばかりではない。それはまた、オシリスと同様光り輝く太陽なのである。キリスト教の著作家たちは、キリストの生涯と死、地獄下りと復活を、エジプトの最高神オシリスの叙事詩と常に引き較べている。」

「パリのノートル・ダムがイシス神殿なら、王家の墓のあるサン・ドニ修道院に見出されるのは、ギリシアの神ディオニューソスに化身したオシリスである。中世の教会はすべて、エジプトの信仰と象徴の印を数多く残しているのである。
 古代人は、空を一つの箱舟と見た。つまり、空は神々を乗せてエーテル空間を運ぶ舟だというわけである。教会の身廊の形も、それをネフ(nef)[舟の意がある]と呼ぶのも、そこに由来する。だからこそフランスの教会堂には、エジプトの神殿と同じ黄道十二宮図が彫刻されたり、描かれたりしたのである。」

「遠い土地からセーヌ河畔にやって来た謎の女神という眉唾物の伝説は、中世と古代の二重の富を基盤として作られ、ひろめられた。ある時は古代を織り込んだ中世、ある時は中世を織り込んだ古代という形を取ったのである。この複合的な土台の上で、中世の伝承が際立ち、生き延び、大筋がきまって、十六世紀までつづく。さらに、カロリング朝やゴシックの新たな資料が発見され、ギリシア・ローマ世界に関する知識が進むにつれて、この伝説は幾度も手直しされ、完全なものになっていく。
 フランスのイシスという神話は、もともとパリの歴史と密接に関連しながら出てきたもので、その後もこの関連は失われなかった。パリが万人周知の魅惑をもつからこそ、フランスのイシスも人々を魅了したのである。この神話が長期にわたって徐々に発展したのは、パリに関する著作を通じてであった。そのうち最も古いのがジル・コロゼの書物である。コロゼは書籍商で作詩家、そしてまたパリの建築物と歴史のすぐれた素人研究家であった。若い頃は外国人のパリ案内に熱心で、一五三二年に最初の案内書を書いて出版した時は、弱冠二十二歳であった。これは、その後大幅に書き加えられて決定版となり、一五五〇年、大部の案内書シリーズの第一巻として出ている。
 この書物の第一章では、パリという名の語源に関する三つの説が述べられる。まず、ルメール・ド・ベルジュとヴィテルボのアンニウス(ナンニ)は、パリの名を、ガリア王ロムス十八世の息子パリス Paris から出たものとする。伝承によれば、パリスはトロイの町の創建後七〇年、ノアの洪水後九〇〇年、キリスト紀元前一四四〇年に、パリを建てたという。つづいてジョヴァンニ・バッティスタ、一名マントヴァのジョヴァンニの主張が紹介される。それによれば、パリの名は、ガリアを通ってイスパニアへ行ったヘーラクレースに同行したパラシア人 Parrasiens (ギリシアのアジア側にある土地パラシアの住民)に由来するという。そして三番目が、イシスに由来するという説である。これは前の二つと違って、彫像という実在の証拠に基づいており、その主張の仕方からして格別に重要である。つまり、その源になるのは特定の著述家ではなく、一つの伝承なのである。
 この説によれば、パリのイシス神殿が建てられたのは、クール・ド・ジェブランが言うようにシテ島でもなければ、ボヌヴィルが言うように近くの丘でもなく、ル・ジャンティ・ド・ラ・ガレジエールが考えたとおりセーヌ左岸の平地である。ここにこそ、問題を解く鍵がある。

  パリという名がついた理由に関して、ある者は言う、現在サン・ジェルマン・デ・プレ教会がある場所に、かつてはイシス女神なる偶像に対する迷信のために奉献された神殿があった、と。伝承によれば、この女神は大神オシリスまたの名を正義の神ユーピテルの妻で、その彫像は今の時代にもまだ見ることができた。私もそれを覚えている。この場所はイシス神殿と呼ばれ、したがって、それに近い町という意味でパリシス Parisis (quasi juxta Isis イシス神殿近傍)の名がついたのである。

 コロゼは、この文章に言う「彫像」を、細かく活写している。昔の神殿で崇拝されたこの像は、神殿が取り壊された後に建てられた教会堂に移され、保管されてきたのである。

  女神は痩身で、丈はすっくと高く、長い時代を経てきたために黒ずみ、身は裸身、四肢のまわりに僅かな衣をまとっているのみであった。教会内での位置は、キリストの十字架がある右手北側の壁面に安置されていた。この像は「サン・ジェルマン・デ・プレの神像」と呼ばれていたが、一五一四年、モーの司教にしてサン・ジェルマン・デ・プレの修道院長たるブリソネ猊下により、撤去された……。

 コロゼは当時僅かに四歳だったから、その記憶はもっぱら耳から入った話によるはずだが、それでもこのイシスの彫像の話は現に生きていた。だからこそ彼は、王の修道院の静寂になお古代エジプトの神話を伝える、黒ずんだ、怪異にして荘重な像の姿を、数語で描破することができたのである。」



「結論に代えて 歴史と詩学」より:

「物語は終わった。ナイル河の神々と王たちは多くの大陸をへめぐり、ヨーロッパとアジアの偉大な文明や国々全体の根源にいることが分かった。彼らの世界は魔法圏で、もろもろの宗教と民族の歴史を変容させた。古代エジプトがイスラムの支配(六四一)によって、決定的に終焉を告げた。そのメッセージが封印を施されて、再び解読される(一八二二)までは眠りに入った結果、思いがけないことが起こった。想像のエジプト、普遍的で不死のエジプトが、本来の国境から遠く離れた所で誕生し、歴史上のエジプトに取って代わったのである。古代の著作と聖書の周辺にエジプト伝説が築かれ、その材料は絶えず新しくなっていった。中世から十九世紀まで、その展開は途絶えることなく、無数に枝分かれしたり、衰えてはまた再燃したりした。」

「エジプト神話の伝説は、単なる「失われた楽園」へのノルタルジーではない。それはまた非理性すれすれの厳しい論理であり、夢に奉仕する学問的知識である。その全体が、人間の思想とその錯乱との歴史の一章なのである。」


































































































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Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

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将来の夢: 石ころ。

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