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杉本秀太郎 『ピサネロ 装飾論』 (白水社アートコレクション)

「人間の顔の真横に付着している耳というものを、これは耳であると思わずに、まじまじとながめた経験のある人なら誰しもそう思うはずだが、見れば見るほど奇異な造化の持て余しものとして、作りかけのまま断念された不定形なはんぱものとして、耳は突出している。」
(杉本秀太郎 『ピサネロ 装飾論』 より)


杉本秀太郎 
『ピサネロ 装飾論』
 
白水社アートコレクション


白水社 
1986年3月31日 印刷
1986年4月10日 発行
104p 収録図版一覧2p 
A5判 角背紙装上製本 カバー
定価1,400円



図版(モノクロ)62点。



杉本秀太郎 ピサネロ装飾論



カバー文:

「ピサネロは十五世紀前半の
イタリアに生きていた。
ヴェローナに残るフレスコ画の傑作
《聖ゲオルギウスと王女》は、
ピサネロの創出になる形態の王国の観を呈しているが、
画中には十三世紀に小アジアを侵略したジンギスカンの蒙古の残響が聞かれる。
ロンドン国立絵画館蔵のテンペラ画には、
ピサネロが肖像メダルを彫り刻む鑿の音が響いている。
カンディンスキーは
「内面的必然性」の具体例を
ピサネロの絵に見つけていた。」



目次:

ピサネロの在り処――ルーヴルにて
生涯
ヴェローナのピサネロ
ロンドンのピサネロ
カンディンスキーの謀りごと

収録図版一覧




◆本書より◆


「3 ヴェローナのピサネロ」より:

「一九六八年四月当時、サン・フェルモ教会堂のピサネロのフレスコ《聖告》は、大がかりな修復のさなかだった。足場を垂れ布が壁の右半分、受胎告知に接した聖母をほとんど隠していたのは、今に残念な、私の不運だった。しかし、左半分のお告げの天使のほうは、見上げる目の前に、ほぼ全容をあらわしていた。」
「これは早朝なのだろう。今しがた、羽化したばかりのみずみずしい青い蛾を思わせる翼が、前屈みに体をまるめて跪いた天使の背に畳まれている。鯨骨の内張りをした繻子のマントのように見なれない、奇異な翼。翼は天使の腰のあたりで次第に体の輪郭から離れて軽快な反りを見せ、先端は天使の息のはずみにこまかくふるえている。青衣の長い裾にすっぽり包まれている天使の左足の裏返った足先からふくらはぎ、尻にとつながる輪郭線に沿って、草花が点々と、シルエットで浮き立っている。それは翼のマントの裏地にえがかれていた文様が、翼のこまかなふるえのために剝離してこぼれ落ちたようにみえる。この左足のひざの折れ目にできた、ゆるいV字型の、草花の落ちだまりになっている切れこみの形態は、画面の上のほう、天使の背を越えた向こうの、倉庫のつらなりに似た三つの連丘が空をうしろに浮かび立たせているV字型の切れこみと、相似形をなして照応し合っている。こういう照応は、自然そのもののなかにはけっして見出されないものであり、画家の発明に属している。ピサネロの画面をながめていて、形態配慮のもとに設けられたこの種の照応がひとつ、目にとまると、それを契機に、われわれの目は次々に照応関係に気づき、われわれの心は形態の論理に抗うことができなくなる。
 もう一つの実例、そしておそらくこの画面の発芽点になったと思われる照応の実例は、天使の翼の全縁辺にぴったり沿って、まるで翼のふるえを押しとどめ、天使のこの跪いて首うなだれた姿勢が天然宇宙の神秘に対する敬虔の姿勢であることを強調するかのように、右上方から左下方にむかって、延々と重たく垂れかかっている赤い崖が、天使の耳の形とのあいだにつくり出している照応である。真横よりも少しだけ背後からえがかれたこの天使の横顔では、耳はひどく目立つものになっている。ただの一挙止で、すばやく聖母の前に跪き、同時に首を垂れた動作のために、空中にひるがえった金髪が、耳をあらわにしてみせたのである。ピサネロの工夫は、この耳をどこまで形態処理によって、目立ちにくくするかにかかっているように思われる。しかもこの耳は、目を伏せている天使が聖母の反応をとらえるために行使することのできる唯一の感覚なのだから、目立ちにくくてかつ目立つものでなければならない。つまり、見る目がこの耳に吸い寄せられなくてはいけない。赤い崖は、天使の背を厚く隈(くま)取りすることで、天使の全形態と耳の形態とを照応させるために発明されたのである。」





杉本秀太郎 ピサネロ装飾論 02




杉本秀太郎 ピサネロ装飾論 03










こちらもご参照ください:

マルグリット・ユルスナール 『ピラネージの黒い脳髄』 多田智満子 訳 (白水社アートコレクション)
L. Syson and D. Gordon 『Pisanello : Painter to the Renaissance Court』
W. G. Sebald 『A Place in the Country』 tr. by Jo Catling




















































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『小川未明童話集』 桑原三郎 編 (岩波文庫)

「月の明るい晩のことであります。娘は、独り波の音を聞きながら、身の行く末を思うて悲しんでいました。波の音を聞いていると、なんとなく、遠くの方で、自分を呼んでいるものがあるような気がしましたので、窓から、外をのぞいてみました。けれど、ただ青い、青い海の上に月の光が、はてしなく、照らしているばかりでありました。」
(小川未明 「赤いろうそくと人魚」 より)


『小川未明童話集』 
桑原三郎 編
 
岩波文庫 緑/31-149-1 


岩波書店 
1996年7月16日 第1刷発行
357p 編集付記1p
「岩波文庫(緑帯)の表記について」1p
文庫判 並装 カバー
定価620円(本体602円)
カバーカット: 川上四郎
挿絵: 川上四郎、武井武雄、初山滋、深沢省三、三芳悌吉、村山知義



本書「〔編集付記〕」より:

「本書の底本には『定本 小川未明童話全集』 第一―七、一四巻(講談社、一九七六―七七年)を用いた。」

「岩波文庫(緑帯)の表記について」より:

「旧仮名づかいを現代仮名づかいに改める。」
「「常用漢字表」に掲げられている漢字は新字体に改める。」
「漢字語のうち代名詞・副詞・接続詞など、使用頻度の高いものを一定の枠内で平仮名に改める。」



巻頭に図版「未明自筆の色紙」、本文中に挿絵図版27点。



小川未明童話集 01



カバー文:

「童話を単に子どものためのよみものではなく、おとなにも通じる永遠の童心に訴える文学ととらえた小川未明(1882-1961)は、創作童話に新生面を開き、数多くの傑作をのこした。「眠い町」「牛女」「金の輪」「赤いろうそくと人魚」「野ばら」「殿さまの茶わん」「兄弟のやまばと」「二度と通らない旅人」等31篇を収録。挿絵多数。」


目次 (初出):

眠い町 (「日本少年」 1914年5月)
なくなった人形 (『星の世界から』 岡村書店、1918年12月)
牛女 (「おとぎの世界」 1919年5月)
金の輪 (「読売新聞」 1919年2月21・22日
野ばら (「大正日日新聞」 1920年4月12日夕刊)
殿さまの茶わん (「婦人公論」 1921年1月)
時計のない村 (同右)
赤いろうそくと人魚 (「東京朝日新聞」 1921年2月16―20日)
ちょうと三つの石 (「婦人倶楽部」 1921年5月)
港に着いた黒んぼ (「童話」 1921年6月)
幾年もたった後 (初出誌不明/『飴チョコの天使』 イデア書院、1924年3月)
はてしなき世界 (「童話」 1923年3月)
ある日の先生と子供 (「童話」 1924年1月)
駄馬と百姓 (初出誌不明/『赤い魚』 研究社、1924年9月)
村の兄弟 (同右)
さかずきの輪廻 (初出誌不明/『ある夜の星だち』 イデア書院、1924年11月)
こまどりと酒 (同右)
おおかみをだましたおじいさん (同右)
あらしの前の木と鳥の会話 (同右)
砂漠の町とサフラン酒 (「童話」 1925年6月)
負傷した線路と月 (「赤い鳥」 1925年10月)
月とあざらし (初出誌不明/『兄弟の山鳩』 アテネ書院、1926年4月)
兄弟のやまばと (同右)
ある男と無花果 (初出誌不明/『鴉の唄うたひ』 創生堂、1926年5月)
いいおじいさんの話 (初出誌不明/『蜻蛉のお爺さん』 創生堂、1926年12月)
小さい針の音 (初出誌不明/『彼等甦らば』 解放社、1927年10月)
二度と通らない旅人 (初出誌不明/『未明童話集 三』 丸善株式会社、1928年7月)
ひすいを愛された妃 (「婦人倶楽部」 1928年7月)
酒屋のワン公 (「童話文学」 1928年7月)
町のおうむ (「国民新聞」 1930年4月6日付録)
世の中のために (「少国民の友」 1947年4月)
托児所のある村 (「文学教育」第一集 1951年10月)

解説 (桑原三郎)
初出一覧




◆本書より◆


「眠い町」より:

「ケーがこの世界を旅行したことがありました。ある日、彼は不思議な町にきました。この町は「眠い町」という名がついておりました。見ると、なんとなく活気がない。また音ひとつ聞こえてこない寂然(しん)とした町であります。また建物といっては、いずれも古びていて、壊(こわ)れたところも修繕(しゅうぜん)するではなく、烟(けむり)ひとつ上がっているのが見えません。それは工場(こうば)などがひとつもないからでありました。
 町はだらだらとして、平地の上に横たわっているばかりであります。しかるに、どうしてこの町を「眠い町」というかといいますと、だれでもこの町を通ったものは、不思議なことには、しぜんと体(からだ)が疲れてきて眠くなるからでありました。」

「ケーは壊れかかった黄色な土のへいについて歩いたり、破れた戸のすきまから中のようすをのぞいたりしました。けれど、家の中には人が住んでいるのか、それともだれも住んでいないのかわからないほど静かでありました。たまたまやせた犬が、どこからきたものか、ひょろひょろとした歩(あゆ)みつきで町の中をうろついているのを見ました。」

「じいさんは、この少年の言葉を聞いて、ひじょうに喜びました。
 「やっと私は安心した。そんならおまえに話すとしよう。私は、この世界に昔から住んでいた人間である。けれど、どこからか新しい人間がやってきて、私の領土をみんな奪ってしまった。そして私の持っていた土地の上に鉄道を敷いたり汽船を走らせたり、電信をかけたりしている。こうしてゆくと、いつかこの地球の上は、一本の木も一つの花も見られなくなってしまうだろう。(中略)いまの人間はすこしの休息(やすみ)もなく、疲れということも感じなかったら、またたくまにこの地球の上は砂漠となってしまうのだ。私は疲労の砂漠から、袋にその疲労の砂を持ってきた。私は背中にその袋をしょっている。この砂をすこしばかり、どんなものの上にでも振りかけたなら、そのものは、すぐに腐れ、さび、もしくは疲れてしまう。で、おまえにこの袋の中の砂を分けてやるから、これからこの世界を歩くところは、どこにでもすこしずつ、この砂をまいていってくれい。」
と、じいさんは、ケーに頼んだのでありました。」



「金の輪」より:

「太郎は長い間、病気で臥(ふ)していましたが、ようやく床(とこ)から離れて出られるようになりました。」
「太郎は、外に出ましたけれど、往来にはちょうど、だれも友だちが遊んでいませんでした。」
「独りしょんぼりとして、太郎は家の前に立っていましたが、圃には去年取り残した野菜などが、新しく緑色の芽をふきましたので、それを見ながら細い道を歩いていました。
 すると、よい金(きん)の輪(わ)の触れ合う音がして、ちょうど鈴を鳴らすように聞えてきました。
 かなたを見ますと、往来の上を一人の少年が、輪をまわしながら走ってきました。そして、その輪は金色に光っていました。太郎は目をみはりました。かつてこんなに美しく光る輪を見なかったからであります。しかも、少年のまわしてくる金の輪は二つで、それがたがいに触れ合って、よい音色(ねいろ)をたてるのであります。太郎はかつてこんなに手際(てぎわ)よく輪をまわす少年を見たことがありません。いったいだれだろうと思って、かなたの往来を走ってゆく少年の顔をながめましたが、まったく見覚えのない少年でありました。
 この知らぬ少年は、その往来を過ぎるときに、ちょっと太郎の方を向いて微笑しました。ちょうど知った友だちに向かってするように、懐(なつ)かしげに見えました。」

「明くる日の午後、太郎はまた圃(はたけ)の中に出てみました。すると、ちょうど昨日(きのう)と同じ時刻に、輪の鳴る音が聞こえてきました。(中略)少年が二つの輪をまわして、走ってきました。その輪は金色に輝いて見えました。少年はその往来を過ぎるときに、こちらを向いて、昨日よりもいっそう懐かしげに、微笑(ほほえ)んだのであります。そして、なにかいいたげなようすをして、ちょっとくびをかしげましたが、ついそのままいってしまいました。
 太郎は、圃の中に立って、しょんぼりとして、少年の行方を見送りました。いつしかその姿は、白い路のかなたに消えてしまったのです。
 「いったい、だれだろう。」と、太郎は不思議に思えてなりませんでした。いままで一度も見たことがない少年だけれど、なんとなくいちばん親しい友だちのような気がしてならなかったのです。」

「太郎は、少年と友だちになって、(中略)往来の上を二人でどこまでも走ってゆく夢を見ました。」
「明くる日から、太郎はまた熱が出ました。そして、二、三日めに七つで亡くなりました。」



「港に着いた黒んぼ」より:

「明くる日から、姉は、狂人(きちがい)のようになって、すはだしで港の町々を歩いて、弟を探しました。
 月の光が、しっとりと絹糸のように、空の下の港の町々の屋根を照らしています。そこの、果物屋には、店頭(みせさき)に、遠くの島から船に積んで送られてきた、果物がならんでいました。それらの果物の上にも、月の光が落ちるときに、果物は、はかない香りをたてていました。また、酒場(バー)では、いろいろの人々が集まって、唄をうたったり、酒を飲んだりして笑っていました。その店頭のガラス戸にも、月の光はさしています。また、港にとまっている船の旗の揺れている、ほばしらの上にも月の光は当たっています。波は、昔からの、物憂(ものう)い調子で、浜に寄せては返していました。」
「一日、この港に外国から一そうの船が入ってきました。やがて、いろいろなふうをした人々が、港の陸(おか)へうれしそうに上がってきました。(中略)それらの群れの中に、見なれない、小人(こびと)のように脊の低い、黒んぼが一人混じっていました。
 黒んぼは、日当たりの途(みち)を歩いて、あたりを物珍しそうに、きょろきょろとながめながらやってきますと、ふと、町角のところで、うす青い着物をきた娘に出あいました。娘は黒んぼを、物珍しそうに振り返りますと、黒んぼは立ち止まって、不思議そうに、娘の顔を見つめていましたが、やがて近寄ってまいりました。
 「あなたは、南の島で、唄をうたっていた娘さんではありませんか。いつ、こちらにこられたのですか。私は、あちらの島をたつ前の日に、あなたを、島で見ましたはずですが。」と、黒んぼはいいました。
 姉は、不意に問いかけられたのでびっくりして、
 「いえ、わたしは南の島にいたことはありません。それはきっと人違いです。」と答えました。
 「いや、人違いでない。まったくあなたでした。水色の着物をきて、盲目の十ばかりになる、男の子が吹く笛の調子に合わせて、唄をうたって踊っていたのは、たしかにあなたです。」と、黒んぼは疑い深い目つきで、娘をながめながらいいました。
 姉は、これを聞くと、さらにびっくりしました。
 「十ばかりの男の子が笛を吹いている? そして、その子供は盲目なんですか?」
 「それは、島でたいした評判でした。娘さんが美しいので、島の王さまが、ある日金(きん)の輿(こし)を持って迎えにこられたけれど、娘は弟がかわいそうだといって、お断りしてゆきませんでした。その島には、白鳥がたくさんすんでいますが、二人が笛を吹いたり、踊ったりしている海岸には、ことにたくさん白鳥がいて、夕暮れ方の空に舞っているときは、それはみごとであります。」と、黒んぼは答えて、それなら、やはり、この娘は人違いかというような顔つきをしていました。
 「ああ、わたしは、どうしたらいいだろう。」と、姉は、自分の長い髪を両手でもんで悲しみました。
 「もう一人、この世の中には、自分というものがあって、その自分は、わたしよりも、もっとしんせつな、もっと善良な自分なのであろう。その自分が、弟を連れていってしまったのだ。」と、姉は胸が張り裂けそうになって、後悔しました。
 「その島というのは、どこなんですか。わたしは、どうかしていってみたい。」と、姉はいいました。」



「はてしなき世界」より:

「それから、子供はひとり、空や鳥の影ばかりでなく、花や、石や、木や、なにに対してもじっと見入って、深くものを思うようになったのであります。」


「解説」(桑原三郎)より:

「小川未明(中略)は、(中略)衰微した士族屋敷に生まれた。高い杉の森が沢山あって寺の多い所だったという。家は代々子供が育たぬというので、生まれると直ぐ、隣の蠟燭屋に預けられ、三つの頃までそこで育てられた。」
「独りっ子で可愛がられて育ったのだが、母の躾(しつけ)は厳格で、時々ぼんやりと家の庭に立って、本当の自分の母はほかに居るのではないか、と思ったという。」
「小学校時代、ある教師は、先生の言うことを聞かない未明を、西洋の悪童グリーンに似ていると言い、以来グリーンが小学校時代の未明の綽名(あだな)となったという。又、ある教師は、クラスの皆に未明の頭を殴(なぐ)らせたとも、未明は記している。成績は良かったのだが、先生の言うことを聞かないので、操行(そうこう)の点が悪かったという。だから、未明の小学校の記憶は決して楽しいものではなかった。中学に進んで、未明の学校嫌いはますます激しくなった。」

「『緑髪』の序文で、未明は、次のように記した。

  自分は何時(いつ)までも子供でありたい。たとへ子供でゐることが出来なくても、子供のやうに美しい感情と、若やかな空想とをいつまでも持つてゐたい。

 以来、五十年の作家生活を通じて、未明は生涯、内に子供心を燃し続けていたように思われる。(中略)

  私は、子供の時分を顧みて、その時分に感じたことが一番に正しかつたやうに思ふのです。そしてその時分の正しい感じをいつまでも持つてゐる人は、人間として最も懐しまれる、善い人であらうと思はれるのです。(「何うして子供の時分に感じたことは正しきか」)」









こちらもご参照ください:

『文豪怪談傑作選 小川未明集 幽霊船』 東雅夫 編 (ちくま文庫)
ホフマン/フロイト 『砂男/無気味なもの』 種村季弘 訳 (河出文庫)
佐藤春夫 『病める薔薇』 天佑社版 (複刻)














































河盛好蔵 『エスプリとユーモア』 (岩波新書)

「こんどはシャンフォール自身の逸話を紹介してみよう。
 あるとき、村の医者が鉄砲を肩にして猟に出かけるのに道で会った彼は、「病人だけではもの足りませんか」といった。」
「ある大金持が、あるとき彼に援助を申し出ると、「いや、有り難う。僕は自分に足りないものは必要がないんだ」と答えた。」

(河盛好蔵 『エスプリとユーモア』 「エスプリについて」 より)


河盛好蔵 
『エスプリとユーモア』
 
岩波新書 (青版) 730/F 85


岩波書店 
1969年10月20日 第1刷発行
1989年2月10日 第22刷発行
i 210p
新書判 並装 カバー
定価480円



本書「あとがき」より:

「ユーモアとエスプリについて小さな本を書くことは、かねてからの希望であったが、さて取りかかってみて、これほど骨の折れる、むつかしい仕事とは考えてもみなかった。」
「徒らにユーモアについての断片的な定義ばかりを並べた結果になって、恥ずかしい限りであるが、このなかに引用した数々のユーモラスな話や、エスプリの利いた言葉、とくにアンドレ・モロアの名講演に免じて、切に読者諸兄の寛恕を乞いたい。
 なお本書では、日本人のユーモアやエスプリには全く触れなかったが、それは最初から私の意図にはなかった。私の目的はまずユーモアとエスプリの本流を探ることにあったからである。
 アルフォンス・アレについての一章は、以前に雑誌『展望』(昭和四十二年三月号)に発表した文章を全く書き更めたものである。」



目次にカット1点、「あるユモリストの話」に図版(モノクロ)1点。
「エスプリとユーモア」の章はアンドレ・モロアの講演(1958年3月)の訳述です。



河盛好蔵 エスプリとユーモア



カバーそで文:

「イギリス人のユーモア、フランス人のエスプリと呼ばれるものを縦横に解剖して、笑いの二つの重要な要素であり、また生活の大切な潤滑油であるユーモアとエスプリの機能を明らかにする。東西のユーモア文学に詳しい著者は、興味深い定義や実例を豊富に引用し、黒いユーモアについても論じて、一読巻をおくことを忘れさせる。」


目次:

ユーモアの定義
イギリス人のユーモア感覚
黒いユーモア
エスプリについて
エスプリとユーモア
あるユモリストの話

あとがき




◆本書より◆


「ユーモアの定義」より:

「幸いにフランスの比較文学の大宗フェルナン・バルダンスペルジェ教授に、「ユーモアの諸定義」(Les Définitions de l'Humour)という名論文があるので、それを種本にして、話を進めてゆきたい。」

「古代、中世の医学では、人間の体質と気質は、人体に含まれた四つの主要なフモール humor (体液)、すなわち血液、粘液、黄胆汁、黒胆汁の配合の具合によって決定される。もしこれらのフモールが正しい比率で配合されているばあいには、その人の気質は完全、つまり健康であるが、そのいずれかが優位を占めるばあいには、そしてこれが普通であるが、それによって多血質、粘液質、胆汁質、憂鬱質の変化が生じると考えられていた。」

「性格や態度の独自性、すなわち社会生活によって一般に決定される思想や感情や表現の平等化に対する抵抗という意味に解されたユーモアという英語は、文学の世界のみならず、文学以外の世界でも使用されるようになった。そして十七世紀末には、会話において用いられるときにはウィット(エスプリ)よりも洗練されていないが、もっと意想外で、もっと自発的で、話者の気質そのものをより一層に示す諧謔の意味になり、文学で用いられるときには、滑稽的な思いつきよりも、もっと具体的で生気があって、より少く合理的で、普通の感覚よりも特殊な感覚を示すところの奇想を意味した。」

「十八世紀のイギリスはきわめて独創的なユーモア文学の開花した時代であることはよく知られているが、この時代の散文の大家たちに見られるものは、理性よりもむしろ気質に根ざす機知、美学理論のありふれた法則の無視、構成、判断、文章法の上で最上と見なされていたさまざまの慣習の打倒であった。そしてこれらの目ざましい新しさを示すユーモアという言葉は、いち早く大陸にも波及したのであった。」

「十八世紀も末になると、ドイツ・ローマン主義と哲学者たちの大きな努力によって、ユーモアは定義と論証の黄金時代を迎えることになる。とくにジャン・パウルは有名な『美学入門』(一八〇四)においてユーモアの精緻な分析を試みた。」

「ドイツ・ローマン派はジャン・パウルの主張するこのユーモアの主体性を一層深めることに専念し、更に重要なことには、彼らはともすればそのわざとらしい性格が暴露されやすいユーモアに自然発生性を与えることに工夫をこらした。ヴィルヘルム・シュレーゲルは初期ローマン派の機関誌『アテネーウム』で、ユーモアのなかに少しでもわざとらしさが見られたら、それは本物のユーモアではないことをいい、またノヴァーリスは「ユーモアとは人が自らに勝手に与えるところの態度であって、ユーモアにそのすべての妙味を与えるのはこの自由意志にある。想像力と判断力が出会う場所から機知が湧き出し、理性と自由な気まぐれが結合する場所にユーモアが生まれる」と書き、(中略)アイヒェンドルフは、ユーモアのなかに「心のなかで相争うものがあっても、もはやそれを和解させることができず、それらを我慢のできるものにするために、一種の絶望的な快活さをもって、それらのものと戯れるところの、近代的な感情。自己の喜びを泣き、自己の涙を笑う、自己自身を皮肉る憂鬱な能力」を眺めている。
 ローマン派の美学者の一人であるゾルガーはジャン・パウルの説を発展させて、「ユーモアのなかではすべてが入りまじって浮んでいる。日常の見せかけの世界における如く、そこでは至るところで相反するものがまざり合っている。ユーモアのなかには、生真面目なものや、潜在的な憂鬱の、ある種の分量を含んでいないような、いかなる笑いや滑稽の要素もない。自らの形態のもつ限定、更にはその凡庸さのために、卑俗や滑稽に落ち入っていないようないかなる崇高美や悲劇美もそこには見られない」と書いている。」

「こんな風にして、ドイツ・ローマン派諸家の手によってユーモアにはいくつかの新らしい価値が加えられた。この言葉は文学者や美学者に無視することを許さない存在になった。「一六〇〇年頃にイギリスに偶然に生まれたユーモアという言葉は、Laune, Geist, Witz というドイツ語では表現できないある種の特殊な精神を指示するために、われわれの術語においても、もはや欠くことのできないものになっている」とティークは書いている。」

「十九世紀を通じてドイツの美学者たちの努力は、ユーモアの内容を深め、さまざまの解釈を綜合して、その定義を作り上げることにそそがれたといってよい。」

「ユーモアについてのさまざまの研究が現われたのもこの時期である。例えばラザリュスはユーモアを「心理的現象」として分析し、美学の狭い枠のなかから引き出して、いわゆる「世界観」 Weltanschauung のなかに入れている。こんな風にして哲学者たちの努力によってユーモアの地位は著しく高まった。(中略)ユーモアはいまやある民族の独占物になった。「ゲルマン民族がラテン民族を抑えて、その権利を保有する特色」となった。天賦の優秀な性質であり、「周囲の俗衆や習俗に対する貴族的な個性の反動」となった。そしてシェイクスピアが、アリストパーネスの喜劇を別にすれば、言葉の最も高い意味におけるユモリストということになったのである。」

「「ユーモアは本質的に、ユモリストにおける思想と表現、内容と形式、霊感と手法、感情と語調、外界から与えられた印象とその表現のあいだの不適合、不均衡のなかに横たわっている」と書いたのはバルダンスペルジェ教授である。
 ユーモアというものは存在しない。あるのはさまざまのユモリストだけである、というのは、ユーモアというこの滑稽の一変種の多様な姿や、それに与えられた定義を詳細に検討したあとで、ルイ・カザミアン教授の到達した結論であった。」



「イギリス人のユーモア感覚」より:

「ユーモアと機知の本質的な相違は、機知が常に意図的であるのに対して、ユーモアは常に非意図的なことである。(中略)漱石も、ユーモアの可笑味は行雲流水の如く自然であるといったあとで、「之に反してもし人を笑はせると云ふ結果を予期して可笑味を演ずるならば、其人は如何に巧妙に道化ても、道化を自覚しつゝ遣つてゐる。意識して、尋常にはづれた行為言語を弄するならば、其行為言動は故意である。即ち不自然である。仮り物である。内から湧いたのではない。外から引つ付けたのである。私の解釈によると是がヰツトである」と書いている。」
「ところでニコルソン(引用者注:イギリスの文芸批評家ハロルド・ニコルソン)によれば、機知は目的を持っていて、批判的であり、攻撃的であり、しばしば残酷である。機知の成功の如何は、それが圧縮されており、啓示をもたらし、不意打をくわせて驚かすことにかかっている。したがって素早い、熟慮された心の働きが必要である。それはひとりでひそかに楽しみ耽けるものではなくて、聴衆を必要とする。したがって一つの社会現象である。他方、ユーモアは目的を持たず、他人を傷つけることを求めず、ただ自己を守ろうとするだけである。つまりユーモアは剣ではなくて楯なのである。(中略)それは惜しみなくひとりひそかに楽しみ耽けるものであって、聴衆を必要としない。」
「ユーモアを諷刺とアイロニーから区別するのもまたこの目的と意図の有無である。ユーモアは本質的に受動的であって能動的ではない。ユーモアは人間の弱点を寛大に眺めて、それを矯正しようと気に病んだりしない。(中略)アイロニーは批判的、悲観的で、現実と理想の相違を明らかにしようとするのに対して、ユーモアは、非批判的、楽観的であって、現実と理想の相違を無視するか、もしくはそんなものは結局大して重要なものではないというふりをする。」

「イギリス人は彼らのユーモア感覚を気持のよい、安らかさを与える、静観的な、怠惰な、上機嫌なものと考えている。しかるに外国人にとっては、イギリス人のユーモア感覚が気難しく、陰気なものに見えるのはどういうわけであろうか。(中略)あのイギリスとイギリス文学に造詣の深かったテーヌでさえ、ユーモアを、「憂鬱の山の下に埋まっていた強烈な陽気さの侵入。それに予期しない想像力の閃きが加わったもの」と説明している。また『イギリスについてのノート』のなかには次のようなぎくりとさせられる一節がある。
 「(イギリス人にとっては)フランス風の機知が欠けていることは問題ではない。彼らは自家用のために特殊な種類のものを持っているのだ。それは快いものではないが、確かに独創的で力強く、風味の舌を刺して少々にがい点では、彼らのお国風の飲物に似ている。彼らはそれを《ユーモア》と呼んでいる。(中略)時としてそれは人を道化にしたり、気取った皮肉屋にする。それは神経に強く影響を与え、記憶に永く刻みつけられることもある。それは想像力に富んだ道化の産物でもあれば、こりかたまった憤怒の産物でもある。それは人を驚かせる対照や思いがけない変装を楽しむ。狂人の風をして正気を示し、正気の振りをして狂気をあらわす。イギリスで冗談をいう人間は親切であることは稀らしいし、また決して幸福ではない。彼は人生の不平等を感じて、激しく非難しているのだ。したがってこの場合のユーモアはなんの楽しみも与えてくれない。彼は心のなかで苦しみ、苛立っているからである。」」

「しかしテーヌがイギリス人のユーモア感覚のなかにはあざけりとまじめさの特殊な組み合せがあり、それは知的な反応よりもむしろ神経的な反応を示し、思いがけない偽態を装い、イギリス土着のもので、強い想像力をもち、時として道化や子供っぽいものに堕落すると書いたのは確かに正しかったのである。
 またイギリス人のユーモア感覚の重要な構成要素であるナンセンスに対する愛好は、「狂人の風をして正気を示し、正気の振りをして狂気をあらわす」ことに等しいことを否定するものはほとんどあるまい。」
「たしかにテーヌの定義は、『パンチ』誌のページを埋めているユーモア感覚には全く当てはまらないことは事実である。しかし彼の定義はイギリスの労働者階級の痩せたタイプのユーモア、つまり時として「下町の」(コックニーの)ユーモアとか、「冷笑的な」ユーモアと呼ばれるものにはぴったりと当てはまるのである。このタイプのユーモアは確かに自己満足的でも、逃避的でも、また口あたりのよいものでもない。それは現実的で、懐疑的で、シニカルで、怒りを含み、しばしばわいせつで、時としてスカトロジカル(糞便趣味的)である。その調子も意図もどちらも辛辣で苛酷である。ニコルソンはこの種の「冷酷なユーモア」をむしろイギリスのプロレタリア階級のアイロニーと呼んだほうがよいのではないかと書いている。」



「黒いユーモア」より:

「雑誌『クラプイーヨ』第三十三号(一九五六)の『会話辞典』という特集を見ると、「黒いユーモア」というところに次のような解説が出ている。
 「攻撃であり、咬みつきであり、したがって知性やエスプリの働きで予め計画され、準備されたものであるコミックやアイロニーとは反対に、ユーモアは、危険を嗅ぎつけたときのかたつむりやはりねずみ(引用者注:「かたつむり」「はりねずみ」に傍点)の筋肉の収縮に似た自衛反応である。したがって純粋に肉体的な行為、ほとんど反射行為である。しかしこの崇高な反射行為によって自我は自らの不死身であることを主張するのである。
 《自我は、現実の側からの誘因によってみずからを傷つけること、苦悩を押しつけられることを拒み、外界からの傷(トラウマ)を絶対に近づけぬようにするばかりでなく、その傷も自分にとっては快楽のよすがとしかならないことを誇示するのである。この最後の点こそ、フモールにとってまず第一に不可欠な点である》と、フロイトはいっている。そして彼はその論拠として、月曜日に絞首台へ引かれてゆく罪人が、絞首台をながめて、《ふん、今週も幸先がいいらしいぞ》と叫んだという例をあげている。
 その罪人はそのようにいったとき、人を笑わせる意志は少しも持っていないのである。ただ彼はこれから始まり、彼の死に終ろうとする現実の行為を、フィクションであるところの冗談という別の面に移し変えようとしているだけである。彼は、言葉(なぜならそれは彼に残されたすべてであるから)に向って、自分を安心させ、自分を守り、自分の逃避を容易にしてくれることを求めているのである。しかしたとえこんな風にして彼が救われても、それを知っているのは彼だけであり、また永久にそうであろう。他の人びとにとっては、事がらは、この言葉以外はすべて予測された通りの秩序にしたがって展開されるであろう。しかしこの言葉は、その異常な性格と、その目につく軽快さと、それに劣らず目につく場面の重苦しさとの対照によって人びとを笑わせるのである。
 これこそ黒いユーモアの典型的な実例である。そしてこれは、人間の基本的な不幸であるところの苦悩、孤独、貧困、病気に対する一種の呪文であり、魔法の薬であるということができるのである。」
 ブルトンもその『選集』の序文のなかでこの解説に使われたフロイトの言葉と死刑囚の話を引用している。」

「レオン・ピエール=カンの言葉を借りれば、それは「精神の高度の反抗」であり、十分に成熟したユーモアなのである。」

「こんどは漫画家としても有名だったアメリカのユモリスト、ジェームス・サーバーのコントを一つ紹介しよう。題して「兎たちの責任」という。

 思い出せないほど遠い昔には、狼の集団の近くにいつも兎の一族が住んでいた。
 しかるに、ある日、狼たちは兎どもの生きかたが気に入らぬと宣言した。(狼たちは彼ら自身の生きかたこそ唯一の(引用者注:「唯一の」に傍点)生きかたであるといって、それに逆せ上っていた。)ある晩、幾匹かの狼が地震のために死んだことがあった。するとその責任は早速兎たちにかかってきた。それは周知のように兎というものは後脚で地面をけり、それが地震の原因になるからであった。また別の夜、一匹の狼が雷に撃たれて死んだことがあった。するとまた兎がその責任を負わされた。というのは周知のようにレタスを食べると雷を呼び起すからである。狼どもは兎たちがもし行動を改めないときには、洗脳をしなくてはならないと脅かした。そこで兎たちは無人島へ逃げ出す決心をした。ところがその島から遠いところに住んでいるほかの動物たちは兎たちを侮辱して次のようにいった。「君たちは現在の場所にとどまって勇敢に闘わねばならぬ。世界は逃亡者のために作られてはいない。もし狼どもが君たちを攻撃したら、われわれはほとんどまちがいなしに援助に駆けつけるだろう。」
 そこで兎たちは狼の近くで生きつづけることになったが、ある日、大洪水が起って多数の狼が溺れ死んだ。するとその責任はまたもや兎たちにかかってきた。というのは周知のように長い耳を持って、人参を嚙じるものは、洪水に対する責任を負わなくてはならないからである。狼どもは兎たちの幸福のためと称して彼らを攻撃し、彼らを保護するためと称して暗い洞窟に閉じこめてしまった。
 兎たちについての情報が全く知らされないうちに数週間経過したとき、ほかの動物たちは兎たちに何が起ったか知らせてほしいと調査を要求した。すると狼どもは、兎たちはみな食べられてしまった。食べられてしまった以上、事件は全く内部的問題にぞくすると返答した。しかし、ほかの動物たちは、もし狼のほうで兎たちを絶滅した理由を明らかにしないならば、自分たちは狼に向って団結する可能性が大いにありうると警告した。そこで狼側はその理由を明らかにして次のように回答した。
 ――彼らは逃亡を試みたのだ。しかし諸君も知っているように、この世界は逃亡者のために作られてはいないのである。

 教訓。できるだけ早く最も近い無人島に逃げこむこと。」



「あるユモリストの話」より:

「シャルル=アルフォンス・アレは一八五四年十月二十日にオンフルールに生まれた。同じ日に詩人のアルチュール・ランボーが生まれている。しかしこの二人のあいだには交渉はなかったようである。」
「なおオンフルールで生まれた詩人にアンリ・ド・レニエ(一八六四―一九三六)があり、また現代フランス音楽の先駆者といわれるエリック・サティ(一八六六―一九二五)もこの町の生まれである。彼はのちにアレと親交を結ぶようになる。」

「一八七五年にはリジューの町の第百十一連隊に志願兵として入隊した。この兵隊時代のアルフォンスについては、さまざまの逸話が伝わっている。身体検査の検査場に入ったとき、並んでいる将校たちに向って、裸のまま挙手の礼をして、「今日は、紳士淑女諸君」といって挨拶したとか、そのあとで年齢をきかれると、彼は困った様子で、「忘れました。始終変るものですから」と答えたとか、また別のとき軍曹の訓辞をきいている途中で、不意に口をはさんで、「軍曹どの、お話は非常に結構ですが、もっと急を要することで伺いたいことがあります。便所はどこにありますか」と尋ねたとかいうのは、すべてこの時代のアレ伝説である。」

「彼のコントに「名案」と題するものがある。一人の発明家が土葬でも火葬でもない、いわば花火葬とでも名づけるべき新形式の死体処理法を発明する話である。
 その発明家によれば、人間の肉体の八十パーセントは水分から成っている。したがって、もし人びとの崇拝しているブーランジェ将軍(いまならド・ゴール将軍と書くところであろう)の体重が八十二キロあるとしたら、将軍は約六十五キロの水を具現していることになる。その結果、もし将軍に向って、「ブーランジェ万歳!」という叫びが八十二回発せられたとしたら、そのうち六十五回はただの水に向って発せられたことになる。もっとも人によって水分の多い人と少ない人の区別はあるが、ともかく人体の大部分は水から成っていることは事実である。
 そこで、人が死ぬと、その死体を特別装置の竈のなかへ入れて徹底的に乾燥させる。焼くのではない。乾かせるのである。そうするとその容積はうんと少くなる。次にその死体を硝酸を基剤とした特殊の液体のなかに浸すと、それは綿火薬に似た一種の爆発物に変化する。それを花火にして打ち上げるのである。するとわれわれの死体は一瞬間閃光を発したあとで、一抹の白煙となって大空のなかに消えてゆく。まことに爽快で、かついさぎよい。しかし、それではあまりにあっけないという人があれば、希望によって、死体を大がかりな仕掛け花火にすることも可能である。とくに元軍人は、自分の死体を大砲の火薬に作り変えて、それを軍に遺贈することができる。自分が死んでから、十年、二十年後に、フランスの敵軍をこんな風にして再び砲撃できるとは、なんたる悦び、なんたる感激であるか!」

「アレのコントには黒いユーモアの作品も少くないが、その内容は、ブルトンのいうように、「ほとんど常に春を思わせるように澄み切っている。」そしてその与える笑いは、自然な、解放された、心を休めてくれる笑いである。人びとを彼らの本来の場所に置き直してくれる笑いである。その点でイギリス風のユモリストに近いということができよう。彼の「夜が落ちた。私は身をかがめてそれを拾い上げた」とか。「明後日にできることを明日に早める必要はない」というような言葉はフランス風のエスプリとは全くちがっている。フランスのユモリストのなかでも特別の地位を与えられる所以である。」

「彼の女運の悪かったことはすでに述べたが、生活もいつも不如意で、「僕のホームは、僕のトランクだ」という彼の言葉が示しているように、久しく安ホテルから安ホテルへボヘミアンの生活をつづけていた。部屋代を何カ月もとどこおらせて、苦しまぎれに、部屋の入口に「爆発物製造人」という貼り紙をして家主を仰天させ、家主に懇願されて一文も払わずにそこを出たこともあった。」










こちらもご参照ください:

河盛好蔵 『藤村のパリ』 (新潮文庫)
クリバンスキー/パノフスキー/ザクスル 『土星とメランコリー』 田中英道 監訳
オリヴァー・サックス 『火星の人類学者』 吉田利子 訳
アレー 『悪戯の愉しみ』 山田稔 訳 (福武文庫)


































































星新一 『ごたごた気流』 (角川文庫)

「「申しわけありませんが、わたしにはわたしなりの生き方があるのです」」
(星新一 「追究する男」 より)


星新一 
『ごたごた気流』
 
角川文庫 14842/ほ-3-9 


角川書店 
昭和60年9月25日 初版発行
平成19年9月25日 改版初版発行
268p 
文庫判 並装 カバー
定価438円(税別)
装幀: 杉浦康平
イラスト/カバーイラスト: 片山若子
カバーデザイン: 都甲玲子(角川書店装丁室)



各篇に扉イラスト(計12点)。
本書はもっていなかったのでもったいない本舗さんで「非常に良い」が277円(送料無料)で売られていたのを注文しておいたのが届いたのでよんでみました。



星新一 ごたごた気流



カバー裏文:

「青年の部屋に美女が出現した、となりの女子大生の部屋には死んだはずの父親が。触ることのできない幻があちこちで目撃される。現象は広がり、モナリザやヒットラー、さまざまな動物、怪物、札束も出現。人々の夢が幻となって現われているのだ。みんながみんな、自分の夢をつれて歩き出した。やがて、世界は夢であふれかえり、そして――。平和な日常にそっと潜む、小さな乱流の種。皮肉でユーモラスな短編12編を収録。」


目次:

なんでもない
見物の人
すなおな性格
命の恩人
重なった情景
追跡
条件
追究する男
まわれ右
品種改良
門のある家
ごたごた気流

インタビュー 星新一 戦後・私・SF




◆本書より◆


「なんでもない」より:

「「このところ、不幸の電話とでもいうべきものが、はやっているようなのです」
 「なんですか、それは」」
「「すぐに電話が切れてしまうらしいのです。ほんの短い時間。そのあいだに話がすみ、聞かされたほうはショックを受け、人が変ったようになってしまうのです」」



「見物の人」より:

「興味のある番組は、ひとつもやっていなかった。しかし、男はべつにがっかりしなかった。こういうものなのだ。与えられる番組というものは、こんな程度。やむをえないものなのだ。
 男はテレビを消さなかった。指をのばして、スイッチを切換える。いままでは〈一般放送〉だったが、それを〈有線放送〉へと。
 画面には、へいがあらわれた。コンクリートの高いへい。刑務所のへいなのだ。脱走にそなえて、監視塔にテレビカメラがすえつけられている。それのとらえている光景なのだ。」
「男は〈有線放送〉のほうのダイヤルを回した。
 デパートの内部の、ある階がうつった。」
「どのデパートにも、店内監視用テレビがそなえつけられている。」
「なにもデパートだけに限らない。いまや、企業、官庁、そのほかあらゆる方面でのテレビカメラが、この〈有線放送〉に連絡されている。情報時代のひとつの成果。
 いながらにして、たいていのところを見ることができるのだ。」



「すなおな性格」より:

「ひとりの若い男がやってきた。占い師はそれを迎えた。」
「人のよさそうな男のようすを見て、占い師はいささかあきれ顔。
 「科学にもとづく天気予報さえ疑ってかかる人が多いのに、これは珍しい人だな。あなたは、すなおな性格のようですなあ」
 「これはこれは。ぼくのそんな性格を、ずばりと指摘なさるなんて、じつにすばらしい。もしかしたら、あなたは天才的な占い師かもしれない」
 「なんとなくくすぐったいが、信用されるということは、悪くない気持ちです。で、どんな悩みごとをお持ちなのでしょうか」
 「そこなんです。まもなく大学を卒業するんですが、どんな職業をえらんだものか、それを教えていただきたいので……」
 「これはまた、なんと主体性のないこと」
 「すごい。またも、ずばりと指摘なさった。ぼくは友人たちから、いつもそう言われているんですよ」
 「もう少し、くわしくお話し下さい。とくいな学科はなんであるとか……」
 「それがねえ。ないんですよ。頭は悪くないと自分でも思っているし、成績もみな平均点以上。にが手な学科でもあればいいんでしょうが、それもない。ですから、どんな道を選んだものか、見当がつかないんです」
 「こんなお客ははじめてだ。全面的に他人まかせとは。新しい世代があらわれたというべきか、あなたが変っているというべきか。」」



「命の恩人」より:

「「やれやれ、まただ……」
 ほぼ月に一回の割で、彼をめぐってこのようなことが起るのだった。どういうわけか、若い女の危機を助けてしまう。」
「彼に助けられた女性たちは、男を会社にたずねてくる。なにしろ、命の恩人なのだ、高価なおみやげを持ってくるのもある。また、夕食への招待を申し出たりもする。感謝と尊敬にみちた熱っぽい視線。」
「かくのごとく、男は女性たちにもてた。いずれも若い美人ばかりだった。しかし、残念なことに、思う存分それを楽しむというわけにもいかないのだった。
 男には妻があった。」



「重なった情景」より:

「「きのうは眠れなくてね」
 「きみもか。じつは、ぼくもだ」
 「すると、やはり気候のせいのようだな」
 青年はほっとした。仲間がいたとなると、気が落ちつく。どうやら、ほかにも不眠だった人が何人もいるようだった。」

「となりの部屋から、女の悲鳴がした。」
「青年は廊下へ出て、隣室へ飛びこんだ。
 「どうしました」
 と聞きながら見まわすと、六十歳ぐらいの男がいた。」
「「そ、そこに……」
 女子大生は男を指さし、青ざめ、ふるえている。
 「この、見知らぬ男が、勝手に入ってきたというのですか」
 「知らない人というわけじゃないんですけど……」
 「すると、だれなんです」
 「あたしの父よ」
 「ばかばかしい。父親に訪問されて悲鳴をあげるなんて、ひとさわがせだ。親子の断絶というわけですか。しかし、それにしても大げさな」
 「断絶なんてこと、ありません。いい父なんです。でも、でも……」
 「思わせぶりだな。早く説明して下さい」
 「あたしの父は、二年前に、病気で死んでしまったのです」」
「青年はまたも腕組みし、もっともらしい表情をした。ここにも鮮明な幻が出現したというわけか。しかし、内心はさほど驚いていなかった。ふりむくと、幻の女がくっついてきていた。それを指さして言う。
 「誤解しないで下さい。ぼくが連れ込んだのではありません。勝手に出現したのです。ここにおいでの、あなたのおとうさんと、同じたぐいのようですよ」」
「女子大生は、ふしぎがりながらも少し安心した。
 「あたしのとこだけじゃ、なかったのね。だけど、どういう現象なのかしら、これ」
 「それは、ぼくだって知りたい点です」」

「べつな局では、討論会をやっていた。特別番組、この事態にいかに対処すべきか論じあっていた。」
「〈この現実を直視しなければいけません。一に共存、二に共存です。夢との共存になれて、日常生活をスムースにすることが第一でしょう〉」

「ガイコツを連れている者もあった。
 「わたしは医学者です。すみません。人骨の研究をしているのです。安心して下さい。これは昔から夢に見つづけの、北京原人(ペキンげんじん)の全身です。シナントロプス・ペキネンシス。すばらしいでしょう」
 と、しきりに弁解し、説明していた。」



「条件」より:

「「あなたはだれです」
 「だれだとは、なんです。あなたのご要望にこたえて出現した悪魔ですよ」
 「悪魔ねえ……」
 青年はしげしげと見つめた。その男は、ただものでないムードをまきちらしている。普通だったら、音もなく突然にやってこられるわけがない。
 「本物のようだな。なぜ、こうも簡単に出てきたのだ」
 「このごろは、だれもが合理的とかいう考え方をするようになってしまった。神秘趣味の人もないわけではないが、それも合理的の裏がえしにすぎない。しかし、あなたはちがう」
 「珍しいとでもいうのか」
 「そうですよ。理屈もなにもない無茶な願いを、真剣になってとなえた。そこがわたしの気に入った点です。まったく、そういう人が少なくなった。そういう人を相手にするのが、わたしの働きがいなのに。ことが不合理であればあるほど、悪魔のほうもやってて楽しいわけですよ」
 「そういうものかな」」



「まわれ右」より:

「「どんな夢です」
 「正体不明なのです。ぼんやりとはしているが、たしかに存在している。ようするに、わけがわからないものです。しかし言うことははっきりしていた」
 「なんと言ったのです」
 「まわれ右と、わたしに言ったのです。(中略)それから、目がさめ、朝になっていた。だが、なにかおかしい。そのうち、気がついたわけです」
 「なにがどうなったというのですか」
 と医者は好奇心をもって聞いた。
 「いいですか。(中略)普通ならですね、夜に眠って、目がさめて朝になると、翌日です。しかし、その、わたしの場合はちがったのです。目がさめてみると、前日になっていたのです」」



「門のある家」より:

「どうしても行かなければならない用事か。なるほど、そんなものはないのだと気づいた。会社とここの家とをくらべれば、ここのほうがどんなに魅力的なことか。自分はここにいるべきなのだ。その思いがからだのなかにひろがっていった。」
「かくして、青年はここの家の一員となった。テレビはあったが、つける気になどならなかった。この家の空気に似つかわしくないのだ。レコードをかけ、美しい音楽を聞くほうがよかった。
 書棚にはたくさんの本があった。そのなかの一冊を抜き出し、書斎のがっしりした机で読むのもよかった。(中略)頭を休めたければ、やわらかな長椅子に横になればいい。時間は静かに流れてゆく。」
「この家には、人をひきつけるものがある。世の中には、都会をのがれて海や山へ行きたがる者も多い。しかし、行った先でまた混雑というのなら、もっとべつな脱出先を考えたほうが利口というものだ。
 たとえば、ここだ。空間的な脱出でなく、時間的な、いや、それともちょっとちがう。なんというか、ここは住みごこちのいい小宇宙なのだ。」
「ここには、すばらしいやすらぎがある。新奇な流行を追って買物をすることもない。家のなかにあるものは、すべてぴったりで、買いかえる必要などない。他人への虚栄心のための出費もない。ここにいれば他人に会うこともないのだ。この家、それ以上の友人など、ないのではなかろうか。」

「あそこには秩序があった。すべてに存在の価値と、存在する必要性とがあった。建物も、庭も、庭の樹も、内部の家具にも、また、住んでいる人たちも、それぞれ、自分がどういう立場にあり、どうあるべきか、それを知っていた。だから、なにもかもうまくいっていた。」



「ごたごた気流」より:

「「これは精巧な運勢探知機でもあるのだ。各人にはそれぞれ運勢というものがある。また、場所にも運勢がある。といって、それは固定したものでなく、時間の流れとともに刻々と変化し、その複合が事件となってあらわれる。運命の霊気とでも呼ぶべきかな。その雲行きの怪しげなところを、このレーダーがキャッチし、教えてくれるというわけだ」
 「なんとなく天気予報みたいな話ですね」
 「そうだ。おまえも、なかなかいいことを言うようになったぞ。まったく、その通りだ。社会は、運命という低気圧、高気圧の作り出す気流の変化のなかにある。晴れたり曇ったり、時には台風とか集中豪雨とでもいうべき事件にも進展する。人間はそのなかでゆれ動く、木の葉のようなものさ」」



「インタビュー 星新一」より:

 子供の頃では江戸川乱歩さんの〈少年探偵団〉のシリーズが印象に残ってますね。乱歩さんがあの作品をお書きになった頃に、ぼくはちょうど小林少年と同年齢で、しかも生まれ育った東京の山の手が舞台でしょう。家の近所には実際に西洋館なんかもあったりして、まさに同時進行の感覚で読んでましたから、本当に共感するものがありましたね。昭和十年前後のことですけど。あと印象に残ってるものでは、佐藤春夫さんが中国の短篇を子供向きに書き直して一冊にまとめた本が出ていて、それなんかもかなり……だからぼくは今でも、ショート・ショートの原点は中国の怪奇談じゃないかと思ってるくらいでね。西洋のものよりはるかに異様な話が多いですよ。中国人ってのはものすごいリアリストでしょう、なにしろ神を認めないんだから。そのなかで、あえて“怪力乱神”を語ってるわけだから、本当に妙な話ばかりが集まっていて、もっと注目されていい分野だと思いますけどね。」

 それはやっぱり小松(左京)さんにしても、半村(良)さんや筒井(康隆)さんだって、言うに言われぬなにかがあったでしょうな。それをいちがいに救いを求めてとは言えないでしょうが、少なくともぼくの中には、そういう現実からの逃避としてのSFという傾向はありましたね。SFは逃避じゃないという人もいるし、事実そうかもしれませんが、ぼくの場合それがかなりの要素を占めてたのはたしかです。」




◆感想◆


巻末収録のインタビューによると、星新一はフレドリック・ブラウンの他にシェクリイ、ブラッドベリを愛読していたようですが、本書収録作だと「見物の人」(ひたすらテレビ画面を監視する人とその人をひたすらテレビ画面で監視する人の話)はディックっぽいし、「重なった情景」(夢が現実に取って代わるドタバタSF)はラファティっぽいし、「門のある家」(家がそこに入り込んだ人をその家にふさわしい人格に変えてしまう話)には明らかにフィニイの「クルーエット夫妻の家」(古い図面通りに復元したヴィクトリア朝風の家に住んだクルーエット夫妻がヴィクトリア朝人になりきってしまう話)からの影響がうかがわれます。もちろんそれは中国の「桃源郷」譚の現代版でもあるわけで(本書収録作「すなおな性格」の主人公はある意味で現代における老荘的〈無為〉の体現者であり、「追究する男」が辿り着いた場所こそ現代の〈仙境〉であるといえます)、〈中国の怪奇談〉と欧米のSFは、現実逃避によって現実批判する文学という点で共通しています。
思うに、名作「門のある家」は著者にとっても特に思い入れのある作品だったのではなかろうか、というのも主人公の名は「順一」、〈門のある家〉の一員としての名は「西真二郎」ですが、両者をミックスすると「西真一」(にししんいち)で星新一(ほししんいち)と一音ちがいであります。ついでにいうと宮部みゆきさんの『理由』(マンションの一室に集まって家族のように住む他人が殺される長編推理小説)は明らかに「門のある家」の本歌取りです。






こちらもご参照ください:

『ボードレール詩集』 佐藤朔 訳 (旺文社文庫)
ジャック・フィニイ 『ゲイルズバーグの春を愛す』 福島正実 訳 (世界の短篇)
モーリス・ルヴェル 『夜鳥』 田中早苗 訳 (創元推理文庫)
岡本綺堂 『中国怪奇小説集 新装版』 (光文社時代小説文庫)






































竹久夢二 『どんたく』 (中公文庫)

「しんからこの世(よ)がつまらない」
(竹久夢二 「断章 1」 より)


竹久夢二 
『どんたく』
 
中公文庫 た-48-1 


中央公論社 
1993年6月25日 印刷
1993年7月10日 発行
162p 
文庫判 並装 カバー
定価380円(本体369円)
カバー画: 竹久夢二


「『どんたく』 大正二年十一月 実業之日本社刊」



著者による挿絵(モノクロ)17点。

暗いドンタク。本書はヤフオクストアで200円(3,000円以上で送料無料)で出品されていたのを落札しておいたのが届いたのでよんでみました。



竹久夢二 どんたく 01



カバー裏文:

  「ドンタクがきたとてなんになろ
  子供は芝居へゆくでなし
  馬にのろにも馬はなし
  しんからこの世がつまらない。
過ぎし少年の日の追憶、絵と同じ感性で歌う
親しみやすい自由な詩。異国風と郷愁と……
夢二の世界へ誘う絵入小唄集。」



「どんたく 絵入小唄集」 目次:

TO

どんたく
 歌時計
 ゆびきり
 紡車
 人買
 六地蔵
 越後獅子
 赤い木の実
 鐘
 ゆく春
 くすり
 雀踊
 わたり鳥
 納戸の記憶
 おしのび

断章
 1
 2
 3
 4
 5
 6
 7
 8
 9
 10
 11
 12
 13
 14

少年なりし日
 人形遣
 雪
 かくれんぼ
 郵便函
 山賊
 おさなき夢
 草餅
 嘘
 どんたく
 郵便脚夫
 江戸見物
 七つの桃
 猿と蟹
 加藤清正
 禁制の果実

日本のむすめ
 宵待草
 わすれな草
 夏のたそがれ
 うしなひしもの
 芝居事
 花束
 たそがれ
 かへらぬひと
 よきもの
 見知らぬ島へ
 てまり
 たもと
 かげりゆく心
 雀の子
 異国の春
 白壁へ

解説 (赤瀬川原平)




竹久夢二 どんたく 02



◆本書より◆


「人買」:

「秋のいり日はあかあかと
蜻蛉(とんぼ)とびゆくかはたれに
塀(へい)のかげから青頭巾(あをづきん)。

「やれ人買(ひとかひ)ぢや人買(ひとかひ)ぢや
どこへにげようぞかくれうぞ」
赤い蜻蛉(とんぼ)がとびまはる。」



「断章 4」:

「この紅茸(べにたけ)のうつくしさ。
小供(こども)がたべて毒(どく)なもの
なぜ神様(かみさま)はつくつたろ。
毒(どく)なものならなんでまあ
こんなにきれいにつくつたろ。」



「宵待草」:

「まてどくらせどこぬひとを
宵待草(よひまちぐさ)のやるせなさ

こよひは月もでぬさうな。」



「うしなひしもの」:

「夏の祭(まつり)のゆふべより
うしなひしものもとめるとて
紅提燈(べにちやうちん)に灯(ひ)をつけて
きみはなくなくさまよひぬ。」



「見知らぬ島へ」:

「ふるさとの山をいでしより
旅にいくとせ
ふりさけみれば涙わりなし。

ふるさとのははこひしきか。
いないな
ふるさとのいもとこひしきか
いないないな。
うしなひしむかしのわれのかなしさに
われはなくなり。

うき旅の路(みち)はつきて
あやめもわかぬ岬(みさき)にたてり。

すべてうしなひしものは
もとめむもせんなし。
よしやよしや
みしらぬ島の
わがすがたこそは
あたらしきわがこころなれ。

いざや いざや
みしらぬ島へ。」












こちらもご参照ください:

『現代日本美人画全集 8 竹久夢二』
北原白秋 『思ひ出』 (復刻)
山田俊幸 監修 『大正イマジュリィの世界 ― デザインとイラストレーションのモダーンズ』
鈴木清順 『夢と祈祷師』 (新装版)



































































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
 
うまれたときからひとでなし
なぜならわたしはねこだから
 
◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

Koro-pok-Guru
Away with the Fairies

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。
歴史における自閉症の役割。

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