会津八一 『自註鹿鳴集』 (新潮文庫)

「もし歌は約束をもて詠(よ)むべしとならば、われ歌を詠むべからず。もし流行に順(したが)ひて詠むべしとならば、われまた歌を詠むべからず。
 吾(われ)は世に歌あることを知らず、世の人また吾に歌あるを知らず。吾またわが歌の果してよき歌なりや否やを知らず。
 たまたま今の世に巧(たくみ)なりと称せらるる人の歌を見ることあるも、巧なるがために吾これを好まず。奇なるを以て称せらるるものを見るも、奇なるがために吾これを好まず。新しといはるるもの、強しといはるるもの、吾またこれを好まず。吾が真に好める歌とては、己が歌あるのみ。」

(会津八一 「南京新唱 自序」 より)


会津八一 
『自註鹿鳴集』
 
新潮文庫 1887/B-4-1 

新潮社 
昭和44年6月30日 発行
平成6年5月20日 19刷
280p 図版(モノクロ)4p 
「文字づかいについて」1p
関係地図(折込)1葉
文庫判 並装 カバー
定価520円(本体505円)
写真: 入江泰吉



本文新字・正かな。


会津八一 自註鹿鳴集 01


カバー裏文:

「歌人、美術史家、書家としてその碩学を世に謳われた会津八一。万葉調、良寛調を昭和に蘇らせて、その歌人としての名を決定的に高めた代表作を処女歌集と併せて作者自ら注解する。美術史の教養と芸術的意図をふんだんに盛り込むことで、近代文学史上希有の存在となった最晩年の労作。」


目次:


例言

南京新唱
 南京新唱序 (山口剛)
 南京新唱序
山中高歌
放浪唫草
村荘雑事
震余
望郷
南京余唱
斑鳩
旅愁
小園
南京続唱
比叡山
観仏三昧
九官鳥
春雪
印象

鹿鳴集後記

解説 (宮川寅雄)
索引



会津八一 自註鹿鳴集 02



◆本書より◆


「序」より:

「予が家の鹿鳴集(ろくめいしゅう)は、昭和十五年創元社より世に送りたるものなるも、その中には、大正十三年春陽堂より出したる南京(なんきょう)新唱の全篇を含み、またその南京新唱の中には、明治四十一年奈良地方に一遊して得(う)るところの歌若干首を含めるが故(ゆゑ)に、今ここに収むるところは、実に二十八歳より六十歳に至る予が所作を網羅(もうら)したりといふべし。」
「予が初めて奈良の歌を詠じたる頃には、その地方の史実と美術とを知る人、世上未(いま)だ多からず。しかるにまた、予が慣用したる万葉集の語法と単語とは、予が終始固執せる総平仮名の記載と相俟(あひま)ちて、予が歌をして解し易(やす)からざらしめ、甚(はなは)だ稀(まれ)にこれに親しまんとする人ありても、その人々をすら、遂(つひ)には絶望して巻を擲(なげう)たしむることも屡(しばしば)なりしなるべく、すべてこの歌集の流布をして、ますます狭隘(きょうあい)ならしめたるべきは、想察に難(かた)からざるなり。」
「かるが故(ゆゑ)に、ここに旧稿を取出(とりい)で、新潮社の請に応じて、世に敷かんとするに当り、予が歌の美術と史蹟(しせき)とに関するもの、及び古典、古語に係(かか)はるものには、遍(あまね)く小註をその左に加へたるほか、歌詞は旧に依(よ)つて総仮名を用ゐ、品詞によりて単語を切り、以(もつ)て来者をして再び誦読(しょうどく)に誤りなからしめんことを努めたり。」



「南京新唱」より:

「  法華寺温室懐古

ししむら は ほね も あらはに とろろぎて
ながるる うみ を すひ に けらし も

からふろ の ゆげ たち まよふ ゆか の うへ に
うみ に あきたる あかき くちびる

からふる・光明皇后は仏に誓ひて大願を起し、一所の浴室を建て、千人に浴を施し、自らその垢(あか)を流して功徳を積まんとせしに、九百九十九人を経て、千人目に至りしに、全身疥癩(かいらい)を以て被(おほ)はれ、臭気近づき難きものにて、あまつさへ、口を以てその膿汁(のうじゅう)を吸ひ取らむことを乞(こ)ふ。皇后意を決してこれをなし終りし時、その者忽(たちま)ち全身に大光明を放ち、自ら阿閦(あしく)如来なるよしを告げて昇天し去りしよし、『南都巡礼記』『元亨釈書』その他にも見ゆ。
「からふろ」に往々「唐風呂」の字を充(あ)つれども、蒸風呂にて水無きを「から」といひしなるべければ、「空風呂」を正しとすべし。」

「からふろ の ゆげ のおぼろ に ししむら を
ひと に すはせし ほとけ あやし も

ししむら・肉体。「しし」といへば、本来獣肉の意味なりしを、古き頃より「ししづき」など人体のことにも用ゐらる。
あやしも・霊異なり、怪奇なり、不可思議なりといふこと。「も」は接尾語。」

「  当麻寺に役小角(えんのをづの)の木像を見て

おに ひとつ ぎやうじや の ひざ を ぬけ いでて
あられ うつ らむ ふたがみ の さと

役小角・文武(もんむ)天皇(697―707)の時に葛城山(かつらぎやま)の岩窟(がんくつ)に住みたりといはるる人。その名『続日本紀(しよくにほんぎ)』に出(い)づ。飛行自在にして常に鬼神を駆使し、奇蹟(きせき)多し。「役ノ行者」また「役ノ優婆塞(うばそく)」といふ。作者の見てこれを歌に詠(よ)みたる像は金堂の中にあり。
おにひとつ・行者の像には、常に左右に前鬼後鬼(ぜんきごき)の二像あり。作者この寺を出でて奈良に帰らんとする時、恰(あたか)も東門の前にて一としきりの急霰(きゆうさん)に逢(あ)ひ、時は晩秋にて、まだ霰(あられ)のあるべき季節にもあらざるに、さては、かの鬼のいづれかが、追ひ来(きた)りて、この戯(たはむれ)を為(な)すかと空想を馳(は)せて詠みたるなり。」






























































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會津八一 渾齋隨筆』 (中公文庫)

會津八一 
『渾齋隨筆』
 
中公文庫 あ-2-1

中央公論社 
1978年10月10日 初版
1993年3月25日 6版
190p
文庫判 並装 カバー
定価400円(本体388円)
表紙・扉: 白井晟一
カバー題字: 著者
カバー: 東大寺大仏蓮弁拓本



本書「序」より:

「『鹿鳴集』の歌は、解りにくいといふ評判を、だいぶあちこちで聞かされるので、(中略)時々筆を執つて、集の中でも一番解りにくさうなのから、一首一首を、まるで濟し崩しに、隨筆風に註釋を書いて來たものが、もう相當の紙數に及んでゐるので、まづこの邊で、一くぎりを附けて、これも世に問ふことにした。この本がそれである。」
「渾齋といふのは、私の齋號の一つで、秋艸堂とともに、割合にしばしば用ゐ慣れてゐる。」



正字・正かな。


会津八一 渾斎随筆


カバー裏文:

「自作の短歌を通して、南都の風物を描きつつ、その歴史、美術、文学、言語についての蘊蓄を披瀝する珠玉十七篇。卓抜なるエッセイスト渾齋會津八一の面目を余すところなくつたえる随想集。」


目次:



觀音の瓔珞
唐招提寺の圓柱
西大寺の邪鬼
毗樓博叉
鹿の歌二首
乘馬靴
懷古の態度
奈良の鹿
衣掛柳
歌材の佛像
斑鳩
小鳥飼
歌の言葉
譯詩小見
推敲
中村彝君と私
自作小註

解説 (松下英麿)




◆本書より◆


「西大寺の邪鬼」より:

「       西大寺四王堂にて
   まがつみ は いま の うつつ に ありこせ ど ふみし ほとけ の ゆくへ しらず も
 私の歌は、すべて難解だといふ評判を、まへまへから聞いてゐるが、これなどは、恐らく屈指の方かも知れない。」
「奈良の西郊に、大軌(だいき)電車の西大寺驛があり、そこで下車すれば、すぐ西大寺がある。天平神護元年に稱德天皇の勅願によつて建立せられ、(中略)傳説によると、天皇は創建の寺に親臨せられ、(中略)みづから熟銅を攪(か)かせられて、四天王像の鑄製に力を致されたといふ。(中略)しかるに、その後、平安時代に入つて、貞觀二年には、火災のために堂宇は燒け落ち、持國、廣目、增長の三天が失はれた。そしてこの三體は、やがて改鑄されたが、室町時代の文龜二年には、再び火災に遇ひ、この度は、さきに再鑄した三體は免れたが、これまで天平原作のままでゐた多聞天が、左脚の一部だけを殘して、壞滅してしまつた。この一體は後に補はれたが、それは木彫であつた。幸運の衰微が、おのづからその間にも窺はれる。そしてこの不揃の四天王を、今この寺の四王堂(しわうだう)の中に見るのである。
 ところが、先ず氣になることは、四天王が、脚下に踐んでゐた邪鬼(じやき)どもは、二度の業火を經ながらも、殆ど恙なく、いづれももとのまゝに逞しく、今も變らず蹲つてゐる。そもそも邪鬼としいへば、正法に敵對する外道(げだう)のシムボルである。そのともがらが、外道ながらに、古い藝術の威力を以て、今も揃つて、踞してゐるのに、その上を踐み鎭めてゐる筈の四天王は、護法の名も空しく、いつも旗色が惡く、次第に廢亡して、新作が入り代はるごとに、素質はますます貧弱になつた。私がこの歌を詠んだのは、實はこの點に容易ならぬ皮肉を感じてのことであつた。そして誰しも、實際この堂に立つて、この異樣な對照を見るものは、たやすく此の感懷を、私とともにするであらう。
 まづ、これくらゐの説明で、あの西大寺の歌は、私の氣持に近い理解を受けるであらう。しかし、その後、私が東大寺の三月堂で詠んだ一首の歌になると、これ等の邪鬼に對する私の態度は、さらに一歩を進めてゐる。その歌は
   びしやもん の おもき かかと に まろび ふす おに の もだえ も ちとせ へ に けむ
この堂の毘沙門の脚下に伏し轉(ま)ろぶ邪鬼の苦悶も久しいかなと、私は慨いてゐる。そしてこの場合、私はいつしか毘沙門よりも、その鬼の方に、より多くの同情を傾けてゐるらしい。
 日ごろ奈良の寺をめぐりながら、たまたま古美術巡禮の人たちに出遇ふごとにいつも氣にするのであるが、御堂の中で、一行の慌だしい鑑賞の眼は、本尊から脇侍、それからまだ四天王まで來ないうちに、もういい加減に疲れ果てて、うす暗い牀の上に、匍ひつくばふ鬼どもの姿にまで、行きわたることは少いらしい。それを私は、彼等のためにも、またその人たちのためにも、いつも惜んでゐる。一體四天王は、法城の警護のほかに、美術的には、如來や菩薩の温顏を、わきから引き立てるために立ち添つてゐるのであるが、その物凄く緊張した顏の、躍動した筋肉の割に、内心は殆ど無自覺らしいその表情や、聊か間伸びのした總身の姿勢などには、私は失望することが多い。そして、いつも、より多く、あの邪鬼どもに心を惹かれる。邪鬼と呼ばれるに相當な曲者だとしても、とにかく長い間を、あのありさまは、氣の毒な身の上である。自分の三四倍もある、大兵の鎧武者に、むごたらしく踐み敷かれながら、惡びれた反抗もせず、そのあひまにも、かへつて不思議な餘裕をさへ見せてゐる。」
「邪鬼といふ名は恐ろしいが、煩惱の象徴だとすれば、つまりこれが、佛教の目から見た、われわれ人間のすがたであらう。唯美の追求も、いはば一つの樂欲(げうよく)にほかならぬから、いかにそれに熱心でも、それだけで、佛陀のよき信者とは云はれない。どのみち外道の部類には違ひなからう。それであるのに、この遠い昔の邪鬼どもは、今の世の外道たちからは、見向きもされず、誰のために反省の鑑にもならず、いつまでも人知れず暗い苦惱をつづけてゐる。私はそれに同情をするのである。」























































国枝史郎 『八ケ嶽の魔神』 (大衆文学館)

「私としては、自分自身へこんなように云いたい。
 「ひどく浮世が暮らしにくくなったら、構うものか浮世を振りすて、日本アルプスへ分け上り、山窩国の中へはいって行こう。(中略)そうして小うるさい社会と人間から、すっかり逃避することによって、楽々と呼吸(いき)を吐(つ)こうではないか」と。」

(国枝史郎 『八ケ嶽の魔神』 より)


国枝史郎 
『八ケ嶽の魔神』
 
大衆文学館 く 1-2

講談社 
1996年4月20日 第1刷発行
380p 「おことわり」1p
文庫判 並装 カバー
定価820円(本体796円)
デザイン: 菊地信義



本書「人と作品」より:

「『八ケ嶽の魔神』は、大正十三年十一月から同十五年七月まで「文芸倶楽部」に連載された(中略)国枝の代表作である。」
「鏡葉之助は、母の呪詛(じゅそ)を一身に受けて育った幼少期に始まり、「水狐族」を殺戮したことによる「不死の呪い」、また母が血の中に秘めている「窩人」の怨恨など、あらゆる〈悪〉を背負った人物として造型されている。体内に〈悪〉の曼陀羅とでも呼ぶべきものを抱きながら、普段の生活では美丈夫でまっとうな武士、しかしいざ己の抱える〈悪〉が蠢動(しゅんどう)をはじめると、二の腕に「人面疽」という聖痕が刻印され、悪の限りを尽くす。」
「葉之助を〈悪〉のヒーローと位置付けた時、奇妙なことに作品の中に〈善〉玉がいないことに気付く。物語の主軸は、「窩人」と「水狐族」の闘争と、葉之助が母の仇をいかに討つかになろうが、この中で描かれるのは善―悪という二元論の対立ではなく、常に悪―悪の対立なのである。」



国枝史郎 八ケ嶽の魔神


カバー文:

「秘峰八ケ嶽を舞台に、姫をめぐる兄と弟の愛の確執と惨酷な結末が、果てもなく続く一族の血塗られた歴史の発端だった。憎悪は憎悪を呼び、復讐は復讐を生む。山窩族と水狐族に分れて争う末裔たちの呪詛と怨嗟の叫びは、時空を越え、いま大江戸の夜に凄然と谺(こだま)する! 近代劇作の手法もとりこんだ卓抜な構想力と無類の空想力で妖美幻想の世界を拓き、国枝三大伝奇長編の一つと評される豊饒な成果。」


目次:

八ケ嶽の魔神
 邪宗縁起
 高遠城下の巻
 怨念復讐の巻
 江戸市中狂乱の巻

巻末エッセイ (山内久司)
人と作品 (末國善己)




◆本書より◆


「宗介は腰の太刀を抜き、躍(おど)り上がり躍り上がり打ち振ったが、
 「栄えに栄えた城は亡び仇も恋人も等(ひと)しく死んだ! 俺は彼らに裏切られた。俺の怨恨(うらみ)は永劫(えいごう)に尽きまい。俺は一切を失った。俺には何一つ希望(のぞみ)はない! 俺はいったいどうしたらいいのだ!? ああ俺は恋を呪(のろ)う! 俺はあらゆる幸福を呪う! 俺は人間を呪ってやる! 俺は生きながら悪魔になろう! 山へ山へ八ケ嶽へ行こう! 水の上の生活(くらし)には俺は飽きた。俺は山の上の魔神になり下界の人間を呪ってやろう!」
 叫び狂い罵(ののし)る声は窓を通し湖水を渡り、闇の大空に聳(そび)えている八つの峰を持った八ケ嶽の高い高い頂上(いただき)まで響いて行くように思われた。」
「「さて」と杉右衛門は語りつづけた。「我らのご先祖宗介(むねすけ)様が正親町(おおぎまち)天皇天正(てんしょう)年間に生きながら魔界の天狗となりこの八ケ嶽へ上られてからは総(あらゆ)る下界の人間に対して災難をお下しなされたのだ。そしてご自分の生活方(くらしかた)も下界の人間とは差別を立てられ家には住まず窩(あな)に住まわれた。そのうち四方から宗介様を慕って多くの人間が登山して参ったが、それらはいずれも人界(ひとのよ)において妻を奪われ子を殺され財宝を盗まれた不幸の者どもで、下界の人間総(すべ)てに対して怨恨(うらみ)を持っている人間どもであった。」」


「五歳の猪太郎はその日以来全くの孤児(みなしご)の身の上となった。しかし彼は寂しくはなかった。猿や狼や鹿や熊が彼を慰めてくれるからである。
 こうして彼の生活は文字通り野生的のものとなり、食物(くいもの)と云えば小鳥や果実(このみ)、飲料(のみもの)と云えば谷川の水、そうして冬季餌のない時は寂しい村の人家を襲い、鶏や穀物や野菜などを巧みに盗んで来たりした。」


「諏訪湖(すわこ)にまたは天竜川に、二人の兄弟は十四年間血にまみれながら闘ったが、その間柵(しがらみ)と久田姫とは荒廃(あれ)た古城で天主教を信じ侘(わび)しい月日を送っていた。十四年目に宗介は弟夏彦の首級(くび)を持ち己(おの)が城へ帰っては来たがもうその時には柵は喉(のど)を突いて死んでいた。
 「俺はあらゆる人間を呪う。俺は浮世を呪ってやる!」こう叫んだ宗介が八ケ嶽へ走って眷族(けんぞく)を集めあらゆる悪行を働いた後、活きながら魔界の天狗となりその眷族は窩人(かじん)と称し、人界の者と交わらず一部落を造ったということは、この物語の冒頭において詳しく記したところであるが、一人残った久田姫こそ、いわゆる水狐族の祖先なのであって、父夏彦の首級を介(かか)えた憐れな孤児(みなしご)の久田姫は、その後一人城を離れ神宮寺村に住居(すまい)して、聖母マリヤと神の子イエスとを、守り本尊として生活(くら)したが、次第に同志の者も出来、窩人部落と対抗しここに一部落が出来上がり、宗教方面では天主教以外に日本古来の神道の一派中御門派(なかみかどは)の陰陽術を加味し、西洋東洋一味合体した不思議な宗教を樹立したのである。」
「彼ら部落民全体を通じて最も特色とするところは、男女を問わず巫女(みこ)をもって商売とするということと、部落以外の人間とは交際(まじわ)らないということと、窩人を終世の仇とすることと、妖術を使うということなどで、わけても彼らの長(おさ)となるものは、今日の言葉で説明すると、千里眼、千里耳、催眠術、精神分離、夢遊行(むゆうこう)、人心観破術というようなものに、恐ろしく達しているのであった。……
 「ふうむ、そうか」
 と葉之助は、写本を一通り読んでしまうと、驚いたように呟いた。」


「大正十三年の夏であった。
 私、――すなわち国枝史郎は、数人の友人と連れ立って、日本アルプスを踏破した。」
「案内の強力(ごうりき)は佐平と云って、相当老年ではあったけれお、ひどく元気のよい男であった。
 「こんな話がありますよ」
 こう云って佐平の話した話が、これまで書きつづけた「八ケ嶽の魔神」の話である。
 「ところで鏡葉之助ですがね、今でも活きているのですよ。この山の背後蒲田川の谿谷(たにあい)、二里四方もある大盆地に、立派な窩人町を建てましてね、そこに君臨しているのです。」

「私としては、自分自身へこんなように云いたい。
 「ひどく浮世が暮らしにくくなったら、構うものか浮世を振りすて、日本アルプスへ分け上り、山窩国の中へはいって行こう。そうして葉之助と協力し、その国を大いに発展させよう。そうして小うるさい社会と人間から、すっかり逃避することによって、楽々と呼吸(いき)を吐(つ)こうではないか」と。」
 





















国枝史郎 『神州纐纈城』 (大衆文学館)

「荒れた野宮の狐格子(きつねごうし)の中に、一個の生物(いきもの)が蠢(うご)めいていた。
 纐纈城主(こうけつじょうしゅ)、火柱の主、すなわち悪病の持ち主であった。」

(国枝史郎 『神州纐纈城』 より)


国枝史郎 
『神州纐纈城』
 
大衆文学館 く 1-1 

講談社 
1995年3月17日 第1刷発行
425p 「おことわり」1p
文庫判 並装 カバー
定価840円(本体816円)
デザイン: 菊地信義



本書「人と作品」より:

「『神州纐纈城』は、大正十四年一月から同十五年十月まで雑誌「苦楽」に連載された作品である。」
「大正モダニズムの時代背景を受けて、エロ・グロ・ナンセンス趣味に溢れた作品に仕上がっている。月子の行水場面に見られるエロティシズム、直江蔵人が「五臓丸」製造のために行う人体解剖場面にはグロテスク、狂言回しの甚太郎少年の台詞にはナンセンスを見ることができる。」
「本編の登場人物は、(中略)すべて流離の身の上である。流離を続ける人物が富士の裾野で邂逅・離散することで物語が展開・発展している。武士が家をすて流離するということは、封建制度の根幹を揺るがすことである。(中略)彼らは、家=封建主義といった制度を守ることより、個人の欲望に正直に生きる現代的な人物として描かれている。(中略)このような人々には、家に代表される制度などは無意味なものでしかなく、どんな危険が迫ろうと、最下層に身を落とそうと、自己の欲求に忠実であろうとする。彼らは制度に対する反逆者であり、自由人である。このような人物に制度上の観念などは意味をなさない。流離する人物たちは、制度から離れることで、制度が持つ権威からも逃れているのである。」
「頽廃文学は旧文化に対する反抗と超越を意味し、人間の暗部に秘む欲望を積極的に肯定・謳歌する思想である。『神州纐纈城』の反「権威」の思考はこの方向からも行われているのである。」



国枝史郎 神州纐纈城


カバー文:

「武田信玄の寵臣土屋庄三郎は、夜桜見物の折に老人から深紅の布を売りつけられる。これぞ纐纈布! 古く中国で人血で染めたとされる妖しの布だ。この布が発する妖気に操られ、庄三郎がさまよう富士山麓には、奇面の城主が君臨する纐纈城や神秘的な宗教団が隠れ棲み、近づく者をあやかしの世界に誘い込む。怪異と妖美のロマンを秀麗な筆致で構築し、三島由紀夫をも感嘆させた伝奇文学の金字塔。」


目次:

神州纐纈城

巻末エッセイ (半村良)
人と作品 (末國善己)




◆本書より◆


「上衣(うわぎ)に裁(た)っても下衣に裁っても十分用に足りるだけの幅も長(たけ)もあったけれど、不思議のことにはその紅布は蝉(せみ)のように薄いところから、掌(てのひら)の中へ握られるほどにまた小さくもなるのであった。しかし何よりも驚くべきはその美しい色艶(いろつや)で、燃え立つばかりに紅かったが、単に上辺(うわべ)だけの紅さではなく、底に一抹(いちまつ)の黒さを湛えた小気味の悪いような紅さであり、ちょうど人間の血の色が、日光(ひかり)の加減で碧(あお)くも見えまたある時は黄色くも見えまた黒くも見えるように、その紅布も日光の加減で様々の色に見えるのであった。
 「うむ、まるで玉虫のようだ」
 庄三郎はこう思いながら、その気味の悪い紅布に次第に愛着を覚えるようになった。」

「「大なる生命の存在を、認めることの出来た時、人は限りなく弱くなる。その弱さが極わまった時、そこに本当の強さが来る。私は聖者でもなんでもない。ただ弱さの極わまった者だ。」」

「「……戦は自衛? なるほどな。しかし今日の戦は既にその域を通り抜けている。今日の戦は侵略だ。今日の戦は貪慾だ。いやいや今日の戦はほとんど興味に堕している。圧制の快感、蹂躙(じゅうりん)の快感、戦のための戦だ!」」

「「怯(きょう)とはいったい何んだろう? 勇とはいったい何んだろう?」」
「「俺は疑いなく臆病者だ。いつも恐怖に襲われている」源之丞はフラフラと立ち上がった。しかし岩壁からは離れなかった。
 「だが権利は持っている。この世に活きる権利はな。そうして(中略)肩身を狭め、日の目を恐れ、土鼠(もぐら)のように活きることに、俺は興味さえ持っている。……活きて行く道は幾通りもある。白昼雑踏の大道を、大手を振って行く道もあれば、暗夜に露地をコソコソと、蠢(うごめ)いて行くような道もある。どっちがいいとも云われない。……暗夜に露地を歩く者は、家の雨戸の隙間から、一筋洩れる灯火(ひ)の光、そういうわずかな光明(ひかり)にさえ、うんと喜悦(よろこび)を感ずるものだ。……糜爛(びらん)した神経、磨ぎ澄まされた感覚、頽廃(たいはい)した情緒、衰え切った意志、――いわゆる浮世のすたれ者! そういう者にはそういう者だけの、享楽の世界があろうというものだ」」


























































花田清輝 『復興期の精神』 (講談社学術文庫)

「すべてが理詰めだ。論理の追及だ。何よりも首尾一貫だ。アインシュタインにしろ、ポーにしろ、コペルニクスにしろ、皆、そうだ。すでに非人間的な、これらの人間のひそかにいとなむ内面的作業のはげしさは、私に、かれらの覗(のぞ)き込む深淵(しんえん)のふかさを測らせる。」
(花田清輝 「球面三角」 より)


花田清輝 
『復興期の精神』
 
講談社学術文庫 750

講談社 
昭和61年8月10日 第1刷発行
286p
文庫判 並装 カバー
定価680円
装幀・カバーデザイン: 蟹江征治



連作エッセイ集。初版は1946年、新版は1966年。
「復興期の精神」とはいかにも古めかしいですが、これをアップデートするには「高機能自閉症の精神」と読み替えるだけでよいです。


花田清輝 復興期の精神


カバー裏文:

「大胆なレトリックと弁証法を駆使して、ヨーロッパの文芸復興期を生きたダンテ、レオナルドら二十二人の巨人の軌跡を追求した特異なルネッサンス論。衰亡した文化の復活の秘密を探る論理の展開は、執拗かつ独創的で、読む者の意表をつき、現実の変革のためには必死の抵抗以外に道はないと説く著者の批判精神は、鋭くそして重い。ルネッサンスを語りながら、戦時下の日本の現実の姿を浮彫りにし、「転形期にいかに生きるか」を示唆した名著。」


目次:

女の論理――ダンテ
鏡のなかの言葉――レオナルド
政談――マキャヴェリ
アンギアリの戦――レオナルドとマキャヴェリ
天体図――コペルニクス
歌――ジョット・ゴッホ・ゴーガン
架空の世界――コロンブス
終末観――ポー
球面三角――ポー
群論――ガロア
極大・極小――スウィフト
肖像画――ルター
汝の欲するところをなせ――アンデルセン
ユートピアの誕生――モーア
素朴と純粋――カルヴィン
ブリダンの驢馬――スピノザ
『ドン・キホーテ』註釈――セルバンテス
晩年の思想――ソフォクレス
動物記――ルイ十一世
楕円幻想――ヴィヨン
変形譚――ゲーテ
笑う男――アリストファネス

初版跋
一九五九年版跋
新版あとがき

花田清輝論 (鶴見俊輔)
年譜 (島田昭男 編)




◆本書より◆


「鏡のなかの言葉」より:

「しかし、世のつねの大人と同様に、レオナルドもまた、玩具をとるに足らぬものと考えていたかどうか。もしもかれが、獅子(しし)の玩具をよろこびをもってつくり、それにたいして、玩具以外のいかなる意味をもみいださず、「無邪気な」子供のようにふるまったにすぎないとすれば如何(いかが)なものであろうか。」

「ここから、我々は、玩具が遊戯(ゆうぎ)のための道具であり、単により楽しく遊ぶためにつくり出されるものだという、ひろく世に行われている常識的な見解にそむき、それが我々の心の危機からうまれるものだという、ひとつの新しい見解をひき出すことができよう。」

「かれらの玩具好きは、いささかもかれらの無償のたわむれを意味するものではなく、情熱のおもむくがままに振舞うことができた、うしなわれた過去のよき日にたいする、いたましいかれらの追憶にもとづくものであった。」



「アンギアリの戦」より:

「要するに、合理化とは、レオナルドのばあいであれ、マキャヴェリのばあいであれ、自然からの解放以外のなにものでもないのだ。」


「天体図」より:

「率直にいえば、私はコペルニクスの抑制を、かれの満々たる闘志のあらわれだと思うのだ。かれのおとなしさは、いわば筋金(すじがね)いりのおとなしさであり、そのおだやかな外貌(がいぼう)は、氷のようにつめたい激情を、うちに潜めていたと思うのだ。そうして、闘争の仕方にはいろいろあり、四面楚歌(そか)のなかに立つばあい、敵の陣営内における対立と矛盾の激化をしずかに待ち、さまざまな敵をお互いに闘争させ、その間を利用し、悠々とみずからの力をたくわえることのほうが――つまり、闘争しないことのほうが、時あって、最も効果的な闘争にまさるものであることを、はっきりとかれは知っていたと思うのだ。」

「いかにもかれはヒューマニストであった。しかし、なんというヒューマニストでかれはあったろう。かれはすべての人間に対立し、一歩も後へ退こうとはしなかった。かれは人間的であったが、また極端に非人間的でもあった。」
「最初のヒューマニストたちにあった、こういう頑固(がんこ)な、非人間的な一面を、決して我々は見落すべきではないのだ。」



「歌」より:

「すでに最初に述べたように、かれらは生きてもいなければ、死んでもいない人間だ。パリで自殺しようと、タヒチでのたれ死しようと、無意味なことだ。かれらの自殺や亡命を、世のつねの幸福や不幸を以って律することは間違いであり、かれらにとっては、我々の幸福が不幸で、不幸が幸福であったかも知れないことはいうまでもない。」

「かれらのひとりとして制作すること(中略)。そのためには、まず自分にたいして徹底的に苛酷(かこく)であること。人生の楽な流れにつくことを拒み、すすんでみずからに困難と障害とを課し、殆(ほと)んど制作を放棄(ほうき)するところまで自分自身を追いつめ、しかもなお制作をつづけ、ますます制作のなかへ沈みこんでゆくということ。
 底深く沈むにつれ、はじめてかれは、かれらのひとりとして感ずるであろう、すべてが暗く、そうして静かだが、いかにかれらのもつ底流のはげしいかを。馴れるにしたがって、かれらはみるであろう、シュペルヴィエルの描いた「燐光人」のように、蛍に似た光を放ちながら、いかにかれらが、このどん底で不屈(ふくつ)の意志をもって生きつづけているかを。そうして、かれは知るであろう、この寂寞(せきばく)のなかで、かすかではあるが、絶えず鳴りひびいている歌声のあることを。
 このものすごい底流も、この仄(ほの)かな光も、このあるかなきかの歌声も、すべては生の韻律(いんりつ)によってつらぬかれているのだ。かれは、色彩の韻律的な展開によって、この生の韻律を捉(とら)え、これに明瞭(めいりょう)な形をあたえなければならないのだ。(中略)表現の苦労に痩(や)せほそり、かれが、かれの肉体をすりへらしてゆけばゆくほど、反対にカンヴァスのなかでは、底流はいよいよ速く、光はめくるめくばかりになり、歌声はとどろきわたるのであった。(中略)ゴッホはいう。「我々の探求するのは、タッチの落着きよりも、むしろ、思想の強度ではないか。(中略)」と。」

「いったい、みる(引用者注: 「みる」に傍点)ということは、いかなることを指すのであろうか。それは、あらゆる先入見を排し、それのもつ意味を知ろうとせず、物を物として――いっそう正確にいうならば、運動する物として、よくもなく、わるくもなく、うつくしくもなく、みにくくもなく、虚心にすべてを受けいれることなのであろうか。それが出発点であることに疑問の余地はない。しかし、ゴッホにとっては、それらの物のなかから、殊更(ことさら)に平凡なもの、みすぼらしいもの、孤独なもの、悲しげなもの、虐(しいた)げられ、息も絶えだえに喘(あえ)いでいるもの――要するに、森閑(しんかん)とした、物音ひとつしない死の雰囲気(ふんいき)につつまれ、身じろぎもしそうもない、さまざまな物を選びだし、これを生によって韻律(いんりつ)づけ、突然、呪縛(じゅばく)がやぶれでもしたかのように、その仮死状態にあったものの内部にねむっていた生命の焰(ほのお)を、炎々と燃えあがらせることが問題であった。そうしてこれは、自己にたいして苛酷(かこく)であること――ともすると眼をそらしたくなるものから断じて視線を転じないことと、たしかに密接不離な関係があるのであった。
 また、かれは、この生の韻律を、多少ともいきいきさせるのに役だつと思うばあいには、たとえ最も不協和な音符であろうとも、これを敢然とむすびつけ、その結果、秩序正しい韻律の展開を期待している人々を悩ますことになるにしても、それは仕方がないと考えていた。」

「嘲笑(ちょうしょう)することはやさしい。いかにもこの壮大な夢は、ゴッホが、剃刀をもってゴーガンを追い、相手のつめたい一瞥(いちべつ)にあって、たじたじとなり、自分の片耳をそぎ落すことによっておわった。しかし、それがなんだというのだ。(中略)高らかに生の歌をうたい、勝ち誇っている死にたいして挑戦するためなら、失敗し、転落し、奈落(ならく)の底にあって呻吟(しんぎん)することもまた本望ではないか。生涯を賭(か)けて、ただひとつの歌を――それは、はたして愚劣(ぐれつ)なことであろうか。」



「球面三角」より:

「ルネッサンスは、私に、海鞘(ほや)の一種であるクラヴェリナという小さな動物を聯想(れんそう)させる。この動物を水盤のなかにいれ、数日の間、水をかえないで、そのままほっておくと、不思議なことに、それは次第次第にちぢかみはじめる。そうして、やがてそれのもつすべての複雑な器官は段々簡単なものになり、ついに完全な胚子(はいし)的状態に達してしまう。残っているのは、小さな、白い、不透明な球状のものだけであり、そのなかでは、あらゆる生の徴候(ちょうこう)が消え去り、心臓の鼓動(こどう)すらとまっている。クラヴェリナは死んだのだ。すくなくとも死んでしまったようにみえる。ところが、ここで水をかえると、奇妙なことに、この白い球体をした残骸(ざんがい)が、徐々に展開しはじめ、漸次透明になり、構造が複雑化し、最後には、ふたたび以前の健康なクラヴェリナの状態に戻ってしまう。再生は、死とともにはじまり、結末から発端(ほったん)にむかって帰ることによっておわる。注目すべき点は、死が――小さな、白い、不透明な球状をした死が、自らのうちに、生を展開するに足る組織的な力を、黙々とひそめていたということだ。」

「すべてが理詰めだ。論理の追及だ。何よりも首尾一貫だ。アインシュタインにしろ、ポーにしろ、コペルニクスにしろ、皆、そうだ。すでに非人間的な、これらの人間のひそかにいとなむ内面的作業のはげしさは、私に、かれらの覗(のぞ)き込む深淵(しんえん)のふかさを測らせる。精緻(せいち)な論理の展開は、かれらの経験したであろう絶望の味気なさを思わせる。そうして、反撃のすさまじさは、かれらのうちに根をはっている、調和への意志の抜きがたさを信じさせる。」



「汝の欲するところをなせ」より:

「あなたはアンデルセンのお伽噺が好きですか。――と、トルストイは思いに沈みながら、ゴーリキーに訊(たず)ねた。――私は(中略)、突然、非常な明瞭(めいりょう)さをもって、アンデルセンが非常に孤独(こどく)であったことを感じました。非常に。」

「生来、アンデルセンは不敵なのだ。その不敵さの点において――たとえば、かれの隣国の芸術家、ストリンドベリにまさるとも劣りはしないのだ。一方は謙虚(けんきょ)であり、他方は傲岸(ごうがん)である。一方は誰からでも愛されているつもりになっており、他方は誰からでも憎まれている気でいるが――しかし、底をわってみれば、両者の間に、それほどの逕庭(けいてい)はないのではなかろうか。いずれも孤独(こどく)なのだ。」

「アンデルセンはエゴイストであった。(中略)屡〃(しばしば)、エゴイストは無邪気な印象をあたえる。(中略)アンデルセンは、単に無邪気なエゴイストであったばかりではなく、また、非情冷酷(れいこく)なエゴイストでもあったのだ。」

「苛烈(かれつ)なユーモアと透明な抒情(じょじょう)と――この二つのものは、切っても切れぬ関係によってむすばれており、それは前にあげたストリンドベリにしろ、トルストイにしろ、あらゆる体あたりの生き方をした近代の芸術家の作品に、すべて共通の傾向である。アンデルセンの作品を、ことごとく否定するためには、かれらの作品をことごとく否定し去るだけの覚悟がいろう。かれらの芸術家としての信条を、粉微塵(こなみじん)に打ちくだいてしまうだけの決意がいろう。その信条とは何か。それは、テレームの僧院を支配していた次の一句に尽きる。汝(なんじ)の欲するところをなせ。」
「そこにはトーテムを信ずる気持もなければ、タブーを守ろうとする意志もないのだ。ただ自己の運命の星をたよりに、猛烈に生き、ものすごい孤独のなかにおちいって、はじめて魂にみちみちている世界を感ずる以外に手はないのだ。(中略)しかし、このように自己の欲するところを大胆に行い、苦難の道を独往邁進(まいしん)する勇気があればこそ、『みにくいあひるの子』は、ついに白鳥になるのである。」



「ブリダンの驢馬」より:

「砂漠の中のオアシスのように、乾燥したスピノザの著作のそこここにばら撒(ま)かれている比喩(ひゆ)のなかで、(中略)「ブリダンの驢馬(ろば)」というのがある。――ブリダンはいった、驢馬には自発的な選択能力がないから、水槽と秣桶(まぐさおけ)との間におかれると、どちらを先に手をつけていいものかと迷ってしまい、やがて立往生して、餓死(がし)するにいたる、と。」
「実際、驢馬をそういう生の可能性の状態においてみるがいい。一瞬の躊躇(ちゅうちょ)もなく、かれは猛然と水をのみ、秣(まぐさ)を食うであろう。或いは秣を食い、水をのむであろう。私は確信する、断じてかれは立往生することはないであろう、餓死することはないであろう、と。」



「楕円幻想」より:

「いうまでもなく楕円は、焦点の位置次第で、無限に円に近づくこともできれば、直線に近づくこともできようが、その形がいかに変化しようとも、依然として、楕円が楕円であるかぎり、それは、醒(さ)めながら眠り、眠りながら醒(さ)め、泣きながら笑い、笑いながら泣き、信じながら疑い、疑いながら信ずることを意味する。(中略)焦点こそ二つあるが、楕円は、円とおなじく、一つの中心と、明確な輪郭(りんかく)をもつ堂々たる図形であり、円は、むしろ、楕円のなかのきわめて特殊なばあい、――すなわち、その短径と長径とがひとしいばあいにすぎず、楕円のほうが、円よりも、はるかに一般的な存在であるともいえる。ギリシア人は単純な調和を愛したから、円をうつくしいと感じたでもあろうが、矛盾しているにも拘(かかわ)らず調和している、楕円の複雑な調和のほうが、我々にとっては、いっそう、うつくしい筈(はず)ではなかろうか。」

「驢馬なら、断じて立往生することはあるまいが、屡〃(しばしば)、人間は立往生する。これらの二つの焦点の一つを無視しまい。我々は、なお、楕円を描くことができるのだ。それは驢馬にはできない芸当であり、人間にだけ、――誠実な人間にだけ、可能な仕事だ。」



「変形譚」より:

「いかにもゲーテは楕円である。つねに楕円であり、徹頭徹尾(てっとうてつび)、楕円であった。
 この楕円を妥協(だきょう)といるか、折衷(せっちゅう)と解するか、慎重と感ずるかは各人の勝手だが、ゲーテは、自分自身を、内心、宇宙的であると考えていたかもしれない。かれの眼には、森羅万象(しんらばんしょう)が、ことごとく楕円を描くものとして映っていた。変形もまた、むろん、楕円運動の一種である。すなわち、植物の変形は、拡張と収縮の二つの作用を交互に繰返しつつ、葉の変化してゆく過程にすぎない。種子から始まって茎葉の最高の発展にいたるまで、まず拡張がみとめられる。続いて収縮によって蕚(がく)が生じ、次に拡張によって花弁が展開し、さらに再度の収縮によって性的部分がうまれる。やがて果実において最大の拡張があらわれ、最後に、種子における最大の収縮となって終るのである。しかもこれら六つの器官は、一見、それぞれ全くちがった外観を呈しており、なんらの連絡もなさそうにみえるが、実はすべて葉から導きだされたものだというのだ。ゲーテの周到な観察には、屡〃(しばしば)心を打たれるものがあり、殊(こと)にあまり植物に頻繁(ひんぱん)に養分を与えると却(かえ)って花が咲かず、殆(ほと)んど養分をやらないのと、却ってその器官は精妙となり、純粋無雑な液汁は益〃純粋に、益〃効果あるものとなって、変形を促し、開花を早めるという叙述の如(ごと)きは、意外にも私の変形の近きを暗示し、思わず私は、最近の食糧事情に感謝したいような気落になった。無意識のうちに、私は変形の準備をしていたわけである(中略)要するに、我々は飢(う)えればいいのだ。
 しかし、急ぐまい。いまはゲーテの認識の方法が問題であった。」











































































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

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