『林達夫著作集 1 芸術へのチチェローネ』

「内奥を閉ざすことによってしかも何かを表出しようとする積極的な芸術意欲がそこには巌として控えている。その何かは当人にもよくはわからなかったのではあるまいか。」
(林達夫 「精神史」 より)


『林達夫著作集 1 
芸術へのチチェローネ』

久野収 花田清輝 編集

平凡社
1971年5月28日 初版第1刷発行
1977年6月1日 初版第8刷発行
iii 378p 口絵(モノクロ)1葉
カラー図版1葉 モノクロ図版4p
四六判 並装(フランス表紙) 貼函
定価1,000円
装丁: 原弘

付録「研究ノート 1」(24p):
林達夫氏の再発見(中村雄二郎)/精神史家としての林達夫(生松敬三)/一高時代の林君(河野密)/若いころの林君と私(伊奈信男)/鵠沼の林さん(芥川比呂志)/林達夫著『共産主義的人間』(竹内好)/図版(モノクロ)4点



本書「解題」より:

「本第一巻では、著者が、芸術やルネサンスを素材として、西洋文化、西洋史への「案内(チチェローネ)」を書いた諸論文を、三章に分けて収録した。」


本書「校訂について」より:

「本著作集の底本には、原則として、評論集に収められたものについては、最初に出版された評論集を用いた。それ以外の論文については、初出の紙誌、書物によった。ただし、本著作集の刊行にあたって、幾つかの論文に、著者自身の手によって、若干の加筆訂正が施された。
 旧かなづかい、旧字体で書かれたものは、新かなづかい、新字体にあらためた。難解な漢字は、あるものは主として現代の慣用に従って、かな、または平易な漢字にあらため、あるものにはルビを付した。固有名詞の表記も、(中略)現代の慣用表記に統一した。」



全六巻。


林達夫著作集


目次 (初出):


歌舞伎劇に関するある考察 (「一高校友会雑誌」 第一高等学校友会 1918年2月)


ギリシア悲劇の起源 (「思想」8、9号 岩波書店 1922年5、6月号)
『みやびなる宴』 (「思想」66号 岩波書店 1927年4月号)
『タイスの饗宴』 (「東京朝日新聞」 1927年3月30日号)
『タイスの饗宴』 (『文芸復興』 小山書店 1933年11月)
文芸復興 (『岩波講座世界思潮』(第一次) 岩波書店 1928年2、5、7、11月)
発見と発明との時代 (「思想」69号 岩波書店 1927年7月号)
著者の言葉 (『文芸復興』 小山書店 1933年11月)
角川書店版『文芸復興』あとがき (『文芸復興』 角川書店 1947年10月)


ルネサンスの母胎 (『世界美術全集16 ルネサンスⅠ』 平凡社 1950年8月)
ルネサンスの偉大と頽廃 (『世界美術全集17 ルネサンスⅡ』 平凡社 1951年1月)
精神史 (『岩波講座哲学4 歴史の哲学』 岩波書店 1969年9月)

解説 (加藤周一)
解題 (林達夫著作集編集部)
図版目録




◆本書より◆


「歌舞伎劇に関するある考察」より:

「一口に言ってしまえばただ美しかったらいいのである。官能美に執する精神は徳川時代の美的生活者の根本的要求から出たこころであった。
 また例えばあの血である。歌舞伎劇においては大抵どの芝居にも「殺人」と「自害」とがついている。忠臣蔵の如きは殆ど殺人とはらきりの芝居といってもいい。鶴屋南北は脚本を書きながら、人物が不要になると大抵は殺すことにしていたそうである。しかしながら平和なおだやかな徳川時代の平民が何故に「血」の芝居を見ることを喜んだのであろうか。それは「血」が彼らの痺れかかった神経に一種のおののきを与えるからである。鈍りきった感覚に強い刺戟を与えるからである。あの『大晏寺堤』や『殿下茶屋聚』や『崇禅寺馬場』の返り討ちにおける残忍な、身の気もよだつような血の色を以て、彼らは自分のつかれた官能をぐんぐんあおり立て、そこに快楽を見出さんとしたのである。この頃は検察官が「血」をやかましく取り締まってしまったが、崇禅寺の芝居の如きは二人の兄弟が全身血みどろになって嬲り殺される凄惨な芝居である。細川血達磨、四谷怪談、伊勢音頭、五大力――「糊紅」の芝居はいくらでもある。……」



「ギリシア悲劇の起源」より:

「知られる如くディオニュソスはもとオリュンポスの神々には属していない、比較的後世に北方からギリシアに渡来した自然の生活の神、生と死の神である。彼はホメロスの神々には見ることの出来ない「人々を狂気に駆る」(ヘロドトス)力を以て人々を町々より家々より呼び出して自由なる自然の胸に、永遠なる大地、母に誘った。かくて「生命」を――山や叢や森や泉の霊を――体現していたところの多くの原始的存在たちが、この新しい霊の神にはじめから従属していたかのように人々から見なされたであろうことはおのずから解し得られよう。人々はこの釈放を与える神の招致に従ったとき、山の頂において森の中において、躁宴的乱舞の歓喜を体験しその歓喜のうちに神を見た。神は植物の冬死して春蘇るが如く、他界に姿を隠した後再び人間の前に姿を顕わすのであった。
 この神の到来(エピファニー) Epiphanie こそ彼の祝祭の根底となるところのものであり、それの動因となるところのものである。――神は、古の粗野な信仰が表象したような、牡牛、獅子、または熊として舞踏者の間にあらわれる。人々は暴れ狂う動乱のうちに彼と合一しようと努め、次第に自分の人間的な肉体性を離れてゆく。やがて恍惚のうちに内的転性の秘蹟をうけ自ら神性を有する獣的存在となるのである。この内的体験は必然に外的なるものと結びつく。人々はその効果を強調するために自ら仮装し自ら仮面して獣の姿になろうとした。ディオニュソス宗教の奉仕者がいわゆるティアソス Thiasos として自らをシレン、またはサテュルの姿に変えて神に従ったのはこの理由に基づくのである。そこにはローデの指摘したように、超人間的(ユーバーメンシュリッヘス)なるものと非人間的(ウンメンシュリッヘス)なるものとの混同があった。
 しかしギリシアに来た後のディオニュソスは次第にギリシア化され人間化されたことによって、古のトラキアの神の特性を失いつつあった。彼はついにオリュンポスの神々の間に自分の地位を獲得し、国家や町々は彼のために年毎に祭りを祝うに至った。かつてのエクシスタシス的祝祭はかくして(中略)一定の定期的祝祭に整えられ、個人的神秘的であった宗教的体験はいまや(中略)儀式や所作(ドロメノン)によって置き換えられた。かくてかつては実在であったところのものが、いまや象徴的意味を担うにすぎなくなったのである。」



「『みやびなる宴』」より:

「『みやびなる宴(うたげ)』 Fêtes Galantes と題せられた作品が絵画と詩と音楽との三つの芸術の分野に、それぞれ三人の名高い芸術家をその作者にもって存在していることは、フランス芸術史を学んだ者には知られた事柄であろう。言うまでもなく、それは第一にアントワーヌ・ワトー Antoine Watteau (1684-1721) の『みやびなる宴』、第二にその絵画の世界の詩的再現たるポール・ヴェルレーヌ Paul Verlaine (1844-1896) の同名の詩集、第三にその詩集中の幾つかの詩に節附けられたクロード・ドビュッシー Claude Debussy (1862-1918) の歌曲の一列である。」

「人々は普通これらの『みやびなる宴』物を歓楽、恋愛、幸福の讃頌と見なしている。事実、我々はこれらの画面に、「時」の無い理想郷があらわされており、そこに果てしもない歓宴が行なわれていて、うつつなく人のたのしみ、唄い、恋し、陶酔しているのを見る。しかしこの世界は果たして純一な曇りなき異教的快活の世界であろうか。このみやびなる宴に揺曳している人たちは、果たして身を忘れて歓楽し、心の底から愛と幸福とに浸っているであろうか。
 人はショパンのマズルカの軽やかな動律を聴いて、その音列の背後にひそむ苦悩の喘ぎを感じ取らなければならない。それと同じように、人はこの「幸福」と「歓楽」との讃頌のうちに、「不幸」と「諦念」との哀歌を聴かなければならない。(中略)彼は暫くこの画面を眺めているうちに、後苑にゆらめく樹々のかげにざわめき渡る華やかな歓宴の底に不思議にも「寂寥」と「孤独」との皺深い表情を見出し、集(つど)える人々の優美な物腰、美しい扮飾、あでやかな嬌態の下から、蔽い匿し難い深い「哀傷」と「憂鬱」との息づかいを聞くであろう。
 この異教的快活に包まれた抒情的厭世観――『みやびなる宴』はかかる外観とその裏底との二重性を感得する者にとって、初めてその真の全きすがたを呈露するのである。」
「しからばこの『みやびなる宴』の二重性を我々はいかに解すべきであろうか。作品の語る二重性が何等かの意味においてその作者の生活に内具する二重性の反映であるとするなら、それはワトーにおいて何であったか。
 私はこれを彼の担った運命の反語のあらわれだと解したい。彼の要求と彼の境遇との調停すべからざる背馳。疾患のため実現の可能を奪われた彼の切なる願望と、仮借するところなき痛ましい現実との間の悲しい矛盾。
 ワトーの薄倖な一生の物語を知る者は、誰しも彼が負わされた運命の悲惨に打たれるであろう。青年時代は極度の貧困と絶え間なき飢餓と寄る辺なき孤独との放浪生活の連続であった。ようやくにしてその悩みの路を辿り終えて、情深い友人と輝かしい名声と生活の安定とに恵まれた時は、更に険しい悩みの路に踏み入る第一歩であった。彼は窮迫と流浪とのあいだに受けた肺患の昂進のゆえに、多年心のうちに哺まれ愛惜せられた凡ての願望の実現を悉く断念せねばならなかったのである。無邪気な快楽児として希求し熱望した恋愛と悦楽との生活への永久の拒否が、彼にとっていかに深い痛手であり、諦めきれぬ強制であったかは、容易に察することが出来るであろう。
 しかしながら人は運命がその断念を強いたところの願望をたやすく忘れ得るものではない。少なくとも彼においては、その願望は放擲してしまわれるにはあまりにも強くあまりにも愛惜されていた。かくて願望はいまや夢想となり幻想となる。実現を拒まれた願望はいまや彼に夢を与える。そしてその夢はやがて時と共に恐らくそれが実際に提供し得たろう現実よりも一層鮮かな具象的な姿をとって彼の心に附き纏うに至ったのである。それはついに彼において一つのヴィジョンとなった。
 しかり、ヴィジョンである! 彼の芸術は、実にかかるヴィジョンの絵画的表現にほかならない。彼は彼の愛する夢を描く。『シテラの島への船出』にしろ『パストラル』にしろ『噴水』にしろそしてわが『みやびなる宴』にしろ、いずれもそれらは彼の愛し、しかも自らはその中に生くることを拒まれた願望の世界の画布の上への実現ならざるはない。されば、かかる際、彼の内なる背馳が、矛盾が、そして諦念が、おのずからにしてその詠嘆を、その哀傷を、そしてその憂鬱をしめやかにその画面に漂わすに至ることに、何の不思議があろうか。」

「いかなる意味において、ヴェルレーヌが一人のワトーであったか。――彼の性格と運命とについては、既に多くの人が熟知している。彼のうちには天国と地獄とがあった。この相容れざる両極の間を日夜彼は逐われた豚の如くに転々していた。一方には限りなき純潔、他方には限りなき汚穢――その二つが彼を交互に駆って、罪業と懺悔との繰り返しをその日課たらしめた。
 絶えざる放浪、動転、そして蹉躓(さち)。恐らく彼ほど内部の二つの対立に対して、克服の無能力を力強く示している人間は少ないであろう。ユイスマンスが彼の生涯を要約した警句は、この点において彼の悲劇的な痛ましい一生を暗示ぶかく語り得ていると思う。曰く、
 「彼は病院と牢獄とにおいてのみ、彼自身であった。」」



「文芸復興」より:

「ルネサンスとは第一義的には再生または新生を意味する。(従って我々は一応これを復興の意味にとる解釈を却けておかなければならぬ。)再生とは単に何等かの死せるもののよみがえり、例えば死せる文化の復興や滅びた世界の再興等を意味するのではない。むしろそれはそれ自らの我、それ自らの現在の生、それ自らの人間的更生、人間性の更新等に関する事柄である。即ちそれは永い間燻ぶっていた、衰弱していた、あるいは脇道に外れていた状態ののち、自らの本源的の生を再び取り上げるの謂である。」

「かくて「再生」の比喩を語る者は、古い、永遠の、しかし塞がれた生の源泉から、人間性の根源的なるものから、一つの大いなる転回や革新が来ると確信しているのでなければならぬ。」



「ルネサンスの母胎」より:

「一三四八年、黒海の奥深くからジェノヴァの船でもたらされたといわれる黒死病(ペスト)のヨーロッパ的蔓延は、フィレンツェにも会釈はしなかった。この年はこの市にとって最も暗い災厄の年で、長く降りやまぬ豪雨によって人々は病気と饑饉とに既に悩まされていたところへ、降って湧いたようなこの恐るべき伝染病の襲来で、市は殆ど恐慌状態に陥った。子供がまず倒れ、ついで大人が罹った。あまりに死亡のテンポが速いので、死骸の後始末に追いつかなかった。多くの店舗は扉を閉ざし、金持は倉皇として別荘や安全な地帯に逃げだした。遺棄されたまま救いを求める病人の声が町に充ち溢れた。サッケッティは、このとき全財産を蠅に遺贈する旨の遺言状を書く気になった一風変わった一フィレンツェ人のことを記している。蠅だけがどこまでも病人を見棄てなかったというのがその理由である。」


「精神史」より:

「ところで、ガントナーが(中略)レオナルドの手記に看取できる一つの「習癖」について語っていることは(中略)示唆的である。「手記」で度々起こる現象は、物を書く手がいわばある領域から別の領域へ逸脱してゆくこと、自然現象の熱心な記述に夢中になっているかと思うと、突然何の前触れもなしに今度は事象の自然学的説明が現われるといったあんばいである。例えば、ウィンザー宮所蔵手稿「大洪水とその絵画的証明」において、レオナルドは、今まで人間や動物の死骸が水に浮かぶ悽惨な情景を記述し、稲妻が天空を突っ走る様子を物語ってきたかと思うと、突如として今度はどうしたら画家は大気の動きを表現し得るかについて語るのである。すなわち画家はギャロップで走る馬の立てる埃の動きの要領でそれを描けばよいと書きしるす。ところが彼はその観察を略図で示し終わると、今度はすぐ調子を変えて「区分」 divisione なんて表題をつけて、せっせといろんなモチーフの分類に精を出すという有様である。一枚の画面の構想が頭に浮かんできて、その中の場面があれこれと頭の中を横ぎってゆくためであろう。
 ついでながら、わたくしはこうした気紛れというか移り気に、芸術家と科学者との分裂や芸術的意図と科学的認識との雑居といったものだけを見ようとする通俗的な意見には組することができない。そればかりでなく、研究者があの巨いなる海のように厖大な手稿を、覚書は覚書として素描や図解から切り離し、小賢しく項目毎に整理してみせている、判で捺したような、多くの編纂のやり方にも。(中略)論理的思考型の多くの研究者の心なき仕業によって、この精神的大鉱脈であり、一種の大ラビリントである、レオナルド・ダ・ヴィンチの手記の実体は著しく傷つけられ、歪曲されているのだ。彼の場合、いかに解読が困難であっても、否、解読が困難であればあるほど、先ずその手記のある限りのすべてのそのままのすがたの facsimile が刊行されねばならぬのである。彼についての数限りない「謎」は、そのあかつきに、はじめて解かれる一つの有力な手懸りを持つことになるであろう。わたくしの推測では、あの左から曰くありげにギッチョにかかれて(中略)他人の窺知することを許さなかった手記こそ、レオナルドの精神の人知れぬ複雑な明暗に富む軌跡をたどるための貴重なコードの役目をなすものである。」

「「宗教においては、卵は万物の物質的みなもと、arche geneseos (創造の始原)である。それ自身からしてすべての生をもたらし、生成と滅亡とのいずれをも包含する事物のみなもとである。それは自然の明るい側面と暗い側面とのいずれをも包む。オルフェウス教の始原的卵は半分は白く半分は黒か赤――(赤は破壊力のシンボル)――である。そしてこれらの色は、生と死、昼と夜、生成と滅亡のように間断なく流動している。それらは単に隣合せにばかりではなく、また相互のなかにも存在する。死は生の先条件であり、そして破壊が進行するのと同じ程度において創造力は効力を発揮することができるのである。」
          バッハオーフェン「三つの神秘的卵」

 宇宙的卵 L'oeuf cosmique または宇宙生成的卵 L'oeuf cosmogonique の神話的モチーフは、……世界の到るところに見られる。古代ギリシアの場合は、ハリソンが『ギリシア宗教研究序説』(「オルフェウス教のコスモゴニー」)で取りあげているから、知っている人も多かろう。
 アリストファネスの『鳥』(六九三)に、
  太初(はじめ)に混沌(カオス)があった、それに夜とくらい幽冥とそれから広い黄泉(よみ)とが。してまだ大地も下空(げくう)も蒼穹(あおぞら)もなかった。その幽冥(くらやみ)の涯しない懐ろにか黒の翼の夜が、一人でもって卵を産んだ。その中から時たち月満ちて、いとしなつかしいエロスが生れ出た。その背(せな)は金色の羽根に輝いて、疾風(はやて)の渦巻にも異ならなかった。それが濶(ひろ)やかな黄泉(よみ)でもって、暗澹として翼をもちたる混沌(カオス)に通い、われわれのやからを育(はぐ)くみ孵(かえ)し、まず最初に光明に接せしめたのだ……
         (呉茂一訳)
 「全くのオルフェウス教」だと彼女は言う。
 神々は卵から生まれたからには、人間の創造もコスモスのそれを模倣し繰り返すという鉄則に従って、世界の到るところに人間が卵から生まれたという信仰が遍く見られるわけだ。

 この生成の祖型的パターンが、自然と植物との若返り、つまり年のめぐりの儀式に結びつくことは見易い理である。方々に見られる新年の樹、「五月」の樹、聖ヨハネの樹が、卵や卵殻で飾られるという習俗や行事がそれを示している。色どった卵はペルシアの新年の贈物だし、キリスト教でも誰でも知っている復活祭や死者の供養の祭りの供物でもある。死と復活ないしは新生との深いつながりについては、今は誰知らぬものはなかろう。ボエオチアの墓地で発見されたディオニュソス像はひとりのこらず手に、生への復帰のしるしである卵を手にしていたという。(ニールソン『ギリシア宗教史』)そしてローデ(『プシケ』)やハリソンが触れているオルフェウス教における卵の食用禁止もこのことと関連がある。オルフェウス教は知られる如く、無限に続く転生、変身のサイクルからの脱出、つまり存在の周期的回帰の廃絶をはかる秘教なのであるから。」

「洞窟は先ずずばり言って住居であろう。そして住居であるということは、最初の住居であるとともに、それが最後の住居であるということでもあろう。言いかえると、それは胎であるとともに墓所であることを意味する。こうして、洞窟は母性と死とのダブル・イメージとなるのである。死――つまりそれは母なる大地が支度してくれている、自然の墓所である。」





こちらもご参照ください:

『林達夫著作集 2 精神史への探究』
J・ホイジンガ 『中世の秋』 堀越孝一 訳
ブルクハルト 『イタリア・ルネサンスの文化』 柴田治三郎 訳 (世界の名著 45)











































































































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『林達夫著作集 5 政治のフォークロア』

「人は、絶望の戦術とでも言うべきものを理解してくれるでしょうか。」
(林達夫 「反語的精神」 より)


『林達夫著作集 5 
政治のフォークロア』

久野収 花田清輝 編集

平凡社
1971年2月25日 初版第1刷発行
1977年6月1日 初版第9刷発行
v 369p 口絵(モノクロ)1葉
四六判 並装(フランス表紙) 貼函
定価1,000円
装丁: 原弘

付録「研究ノート 5」(24p):
侏儒の手紙(大江健三郎)/林達夫のフォークロア的世界(山口昌男)/林君のことども(きだみのる)/林さんの手紙(清水幾太郎)/書かない人(山口瞳)/図版(モノクロ)3点



本書「解題」より:

「本第五巻では、著者が時々の政治状況と係わるなかで公にした発言を収めた。配列はほぼ発表年代順とし、五章に分けた。」


本書「校訂について」より:

「本著作集の底本には、原則として、評論集に収められたものについては、最初に出版された評論集を用いた。それ以外の論文については、初出の紙誌、書物によった。ただし、本著作集の刊行にあたって、幾つかの論文に、著者自身の手によって、若干の加筆訂正が施された。
 旧かなづかい、旧字体で書かれたものは、新かなづかい、新字体にあらためた。難解な漢字は、あるものは主として現代の慣用に従って、かな、または平易な漢字にあらため、あるものにはルビを付した。固有名詞の表記も、(中略)現代の慣用表記に統一した。」



全六巻。


林達夫著作集


目次 (初出):


反語的精神 (「新潮」 新潮社 1946年6月号)


ブルジョア戦争理論の限界性・序 (「思想」102号 岩波書店 1930年11月号)
イタリア・ファシズムの教育政策 (「教育」14号 岩波書店 1932年11月号)
プロレタリア芸術運動 (「教育科学」第19分冊 岩波書店 1933年4月)
芸術政策論 (「東京朝日新聞」 1933年12月17―20日号)
討議について (「思想」163号 岩波書店 1935年12月号)
文学の救国性 (「東京朝日新聞」 1936年1月14日号)
読書問題の政治性 (「東京朝日新聞」 1936年10月26日号)


思想の運命 (「都新聞」 1938年4月25―28日号)
ユートピア (「思想」205号 岩波書店 1939年6月号)
支那留学生 (「展望」 筑摩書房 1946年4月号)
開店休業の必要 (初出未詳)
新スコラ時代 (「都新聞」 1940年1月13―14日号)
歴史の暮方 (「帝国大学新聞」 1940年6月3日号)
フランス文化の行方 (「都新聞」 1940年6月25―28日号)
風俗の混乱 (「図書」 岩波書店 1940年8月号)
出版の新体制について (「朝日新聞」 1940年9月7、8、10日号)
現代社会の表情 (「都新聞」 1940年11月13―16日号)
園芸雑誌と新体制 (「朝日新聞」 1941年4月23日号)
犬のダンピング (初出未詳)


拉芬陀 (「図書」 岩波書店 1942年9月号)

Ⅴ 
揺らぐ屋台の一本の鋲 (「東京新聞」 1946年1月20日号)
ちぬらざる革命 (「文藝春秋」 文藝春秋社 1949年9月号)
無人境のコスモポリタン (「人間」 目黒書店 1950年4月号)
『旅順陥落』 (「図書」 岩波書店 1950年7月号)
新しき幕明き (「群像」 講談社 1950年8月号)
無抵抗主義者 (「新潮」 新潮社 1950年10月号)
共産主義的人間 (「文藝春秋」 文藝春秋社 1951年4月号)
妄人妄語 (「文学界」 文藝春秋社 1952年2月号)
園芸案内 (「文藝春秋」 文藝春秋社 1957年1月号)
病める現代人 (『講座・現代倫理7・現代的状況における人間』 筑摩書房 1958年9月)

解説 (鶴見俊輔)
解題 (林達夫著作集編集部)




◆本書より◆


「反語的精神」より:

「私は物事の影響が心身に顕われるのに至って遅く、そしていったんそれが萌すとなかなか永引くたちです。環境の激変したときなど、その当座はそれほどでもないが、あとになってそれが骨身にこたえてあれこれと支障が出てくる。たとえば旅行ですが、京都や奈良などへ十日も出掛けて、元の住居へ戻ると、誇張でなしにあと三箇月ぐらいは何となく心の落着きを失って、ろくに仕事が手につかない。(中略)私が旅行を極度に嫌うのは、一つはそのためです。」

「私を蝕む戦争のこの分解的影響は、何か生理とか病気とかに類する、底気味の悪い、ひどく直接的でいて、そのくせへんに把握し難いものだけにたいへん始末がわるい。社会的に物言う性質のものでなく、公表できぬ病床日記にそっと書きつける性質のもののように思われる。」

「いつの場合にも私にとっては反語(イロニー)が私の思想と行動との法則であり、同時に生態だったということです。反語はいうまでもなく一種の自己表明の方法であります。それはいわば自己を伝達することなしに、自己を伝達する。隠れながら顕われる。顕われながら隠れる。(中略)それは一つの、また無限の「ふり」である。――こう書いて、今、ひょっと思い出したから(中略)マルセル・プルーストの『囚われのおんな』の中の一節を記させていただきましょう。ある人が、ムッシュ・ド・シャルリュスに「Nはあんなふりをしているが、ほんとうにそうなのか」と尋ねると、彼はすかさず答えました。「彼がそうだったら、あんなふりはしなかっただろう。」
 自由を愛する精神にとって、反語ほど魅力のあるものが又とありましょうか。何が自由だといって、敵対者の演技を演ずること、一つのことを欲しながら、それと正反対のことをなしうるほど自由なことはない。自由なる反語家は柔軟に屈伸し、しかも抵抗的に頑として自らを持ち耐える。真剣さのもつ融通の利かぬ硬直に陥らず、さりとて臆病な順応主義の示す軟弱にも堕さない。
 反語家はその本質上誤解されることを避け得ません。しかし彼はそれを平気で甘受し、否、ひそかにこれを快としているほどに悪魔的でさえあります。」



「新スコラ時代」より:

「従来、一世を風靡したような思想の創始者の多くは、もとはと言えば思想的には一種の天才的アマチュアだったに外ならぬ。」
「彼らの大部分は、その時代の職業的思想家からは白眼視され、蔑視され、敵視され、この連中との執拗な闘争によって次第にその共鳴者を獲得して勝利の道についたというのが定石である。」

「口を緘した思想運動というものも今の世には許されてよい一つの活動形態であろう。自分の分を守ってやることだけは小さいながらやっている。ところで、黙っている人間はたいへん誰かの気に障るという話を耳にしている。それが思想的自由の確保のための消極的手段であり、また時代に対する一種の抗議でもあると見られているからだろう。
 正直に単純極まる真理の数々さえ言っていけない世の中などは、何といっても変則的な、不具的なものだと言わねばなるまい。」

「私はあまりにペシミスティックなことばかりを語ったかも知れない。だが、正直のところ、哲学者ならばプラトンのようにユートピアを書くか、ボエティウスのように『哲学の慰め』を書くかする外には手がないような時代のさ中にあって、威勢のよいお祭りに、山車の片棒かつぎなどに乗り出す気などは一向に起こらぬ。絶壁の上の死の舞踊(ダンス・マカーブル)に参加するひまがあったなら、私ならばエピクロスの小さな園をせっせと耕すことに努めるであろう。これは現実逃避ではなくして生活権確保への行動第一歩なのである。」



「歴史の暮方」より:

「絶望の唄を歌うのはまだ早い、と人は言うかも知れない。しかし、私はもう三年も五年も前から何の明るい前途の曙光さえ認めることができないでいる。誰のために仕事をしているのか、何に希望をつなぐべきなのか、それがさっぱりわからなくなってしまっているのだ。(中略)私には、納得の行かぬ、目先の暗くなることだらけである。いや、実はわかりすぎるほどよくわかっているのだ。受けつけられないのだ、無理に呑み込むと嘔吐の発作が起きるのだ。私のペシミズムは聡明さから来るものではなくして、この脾弱い体質から来る。」

「私はこの頃自分の書くものに急に「私」的な調子の出て来たことに気がついている。以前にはあれほど注意して避けていた「私事」や「心境」めいた事ばっかり語っているようだ。何故だろう。社会関係を見失ってしまったからだ。私の所属していると思って、あてにしていた集団が失くなってしまったからだ。ほんとうは失くなったのではなくて、変わったのであろう。だが、私にとっては、どっちみち同じことだ。私は変わっていない。安易に変われない自分の頑固さを持て余している。しかし相手の変化から受ける反作用という点では、私の受けた打撃は大きかった。私もそのためには変わってしまったと言うことができる。時代に取り残された人間とは、私の如きものを言うのであろう。だが、それを寂しくも心残りにも思っていない。目前に見るこんな「閉ざされた社会」なんかにもはやこだわっている気持は一向にないからである。」

「私はますます自分が犬儒的(シニック)になり、つむじが曲がってゆくのをどうすることもできない。同じく心を動かされていても、人々と私とでは精神的風土がまるで違うのだ。人なかにいると、私はふと自分が間諜のような気がして来て、居たたまれなくなって席を立ちたくなることがある。何の共感もない。全く人とは別のことを感じ、また考えているのだから。
 こうして私は時代に対して完全に真正面からの関心を喪失してしまった。私には、時代に対する発言の大部分が、正直なところ空語、空語、空語! としてしか感受できないのである。私はたいがいの言葉が、それが美しく立派であればあるほど、信じられなくなっている。余りに見え透いているのだ。」

「現代のモラリストは、事の勢い上、不可避的にイモラリストとなる。残念ながら、現代日本では、イモラリスト的な風貌をしていたと思われた思想家や作家までが最近けろりと申し分ないモラリストの姿勢に扮装更えしてしまっている。」

「生きる目標を見失うということ、見失わされるということ――これは少なくとも感じ易い人間にとってはたいへんな問題である。我々は何のために生きているのか、生き甲斐ある世の中とはどんなものか――そんな問いを否応なしに突きつけられた人間は、暫くは途方に暮れて一種の眩暈(めまい)のうちによろめくものだ。「よろしくやってゆける」人間は仕合せなるかなだ。だが、そんな人間の余りにも多すぎるというそのことが、私にとってはまた何とも言えぬ苦汁を嘗めさせられる思いがして堪らなくなるのだ。」



「無人境のコスモポリタン」より:

「私は私の生き方を外に名づけようがないのでエピキュリアンと呼んでみたことがあります。これは甚だ語弊の多い言葉で、あるいは避けた方がよかったかも知りませんが、私がエピクロス流の一種古風な「庭園学徒」=生活者であることには間違いないようです。」

「人類は、現在、それを解決しなければ破局におちいる二つの深刻な問題に直面しています。これは古代や中世近世を通じて思ってもみられなかった全く新しい問題であります。一つは申すまでもなく戦争の破滅的危険を前にしての Survival の問題であり、二つは The Rape of the Earth と人口の激増とから来る世界的死滅の凶兆を前にしての Survival の問題であります。我々は前者についてはこれと真剣に取り組んでいる頼もしい多くの人々を持っているが、恵み深き「母なる大地」がいかに回復し難く荒らされてゆきつつあるかについては、実感をもってこれに怖れおののき、その解決に身を挺している人の多くあることを聞きません。」



「新しき幕明き」より:

「われに慕わしきは眠ること、更に慕わしきは石となること、
迫害と屈辱とのつづく限りは。
見ず、聞かず、なべて感ぜず、それにもまさるさいわいは今のわれにはあらじ。
されば、われを揺り起こすなかれ……物曰うなら、声低く語れ!
――ミケランジェロ」

「日本のアメリカ化は必至なものに思われた。新しき日本とはアメリカ化される日本のことであろう――そういうこれからの日本に私は何の興味も期待も持つことはできなかった。(中略)「黙秘」も文筆家の一つの語り方というものであろう。事アメリカに関する限り、私は頑強に黙秘戦術をとろうと思った。コンフォルミスムには、由来私は無縁な人間であったのだ。」



「病める現代人」より:

「わたくしは卑下でも謙遜でもなく、自分は健康であり、正気であるとは毛頭思っていない人間であると申し上げておかなければなりません。わたくしに、こんな題目に口出しするただ一つの口実といいわけとがあるとすれば、それは多分「同病相憐れむ」ということだけでありましょう。わたくしはむしろ精神病医の診療室で、自分の病歴やそれらしきものをぼそぼそ、支離滅裂に、心許なく語る患者の側に属している人間で、精神病医の方では決してないということを、くれぐれも間違わないでいただきたいと存じます。」

「わたくしがここで言いたいのは、以前には単純極まる定義で片づいたかもしれぬものが、今日では、そうでなくなったという事実であります。たとえば、わたくしはさっき引用した自分の文章の中で、「戦争と平和との区別がわからない。正義と犯罪との区別がわからない」と書いていましたが、この二十年前に口をついて出た感慨は、今日になっても依然解消しないどころか、却ってますますその切実さを増してさえいるのであります。平和こそこの現代世界が未来に生き残る唯一の道だと説かれるその口の下から未来戦争の最も恐るべき武器の実験がもっともらしい、いずれも相手の「仮想敵」にすべての罪をきせた口実のもとに次から次へと大規模に行なわれてきました。(中略)人々は平和こそ前進を可能にする唯一の道だとほんとうに信じているのでしょうか。それともいまのような状況のもとでは、武器をとって戦うのもやむを得ないし、また戦わなければ新しきよき世界はひらけてこないと内心では思っているのでしょうか。かつてわたくしはある世界平和大会で、あたかもその時ある国で行なわれていた解放戦争の一つの偉大なる勝利のニュースが入り、それに対して満場総立ちになって拍手とともにそれを心から祝福したという記事を読んで、正直なところあるショックを受けました。平和を心から願い、平和をどこまでも貫徹することを誓い合い、それを天下に声明しようと寄り集まったその人たちが、同時に戦争を心から歓迎しているのであります。大義名分のあるところ、大義名分があやうくされるところ、武器を執って戦うのもまたよしとされるのです。いつの時代にも、大衆は平和を願い、しかも戦争に駆り出されたり、またすすんでそれに参加していたのです。今日では、それが少しでも違ってきたでしょうか。今日ほど、世界の広汎な民衆が平和を強く希求するに至ったこともないが、しかし今日ほど、あっという間に、戦争が行なわれている時代もありますまい。(中略)第三次世界大戦は、既にとっくにはじまっているという見方も成り立つので、現にそのような見方をしている人たちだって決して少なくはないのであります。
 わたくしがいつも奇妙に思うことは、国際間の紛争でお互いに言い合いをしている言葉を聞くと、まるで子供だましのように威張って大言壮語したり、相手を徹底的に悪者扱いしてキメつけたりしているたわいのなさです。(中略)何という大人気ないことだと溜息がいつも出ます。しかしこんな罵り合いがどんな大事を引き起こすかもしれないと思うと、ほんとうにハラハラさせられます。戦争の構えが、軍備がその恫喝の背後にある場合……。」

「正義と犯罪とについても、ほぼ同じことが言い得られるでしょう。既成社会というか、それに満足するか、満足しないまでも順応し妥協して生きている人間と、それに深い不満を抱き、これを改革しようとか、革命によっていっそ新しい社会をその破壊の上に実現しなければならぬと信じて、その信念にもとづいて行動している人間にとっては、一方の正義が他方の犯罪に当たり、一方の犯罪が他方の正義に当たる場合だって少なくないのであります。」
「病気と正気または健康についても、われわれは同じような、途方にくれるような立場に立たされるのではないでしょうか。」

「われわれは、人の集まる社会集団を営んでいる以上、どのみちストレスから脱れることはできないのであります。」



「解説」(鶴見俊輔)より:

「こうして戦後も、この著者は戦中とかわらず書斎で本を読んだり自分の庭をつくることに主に関心をもつ静かな生活者としてくらしつづける。書斎で本を読む人間も生活者だという自負がこの著者にあることは、重要だと思う。林達夫には、本を読むものは生活者ではないという考え方がなく、その故に大衆にたいするひけ目がない。だから、そのひけめから生じる大衆崇拝とか、ひけ目をうらがえしにした指導者意識があらわれる余地がない。」




こちらもご参照ください:

『林達夫著作集 6 書籍の周囲』









































































































『林達夫著作集 3 無神論としての唯物論』

「私は率直にカトリシズムにおいて、その禁欲主義と官能主義との奇怪なしかし見事な結合を愛しております。」
(林達夫 「邪教問答」 より)


『林達夫著作集 3 
無神論としての唯物論』

久野収 花田清輝 編集

平凡社
1971年9月9日 初版第1刷発行
1976年5月20日 初版第5刷発行
iii 351p 口絵(モノクロ)1葉
四六判 並装(フランス表紙) 貼函
定価1,000円
装丁: 原弘

付録「研究ノート 3」(24p):
思想の構図(城塚登)/「転向」研究から市民運動までの間の林達夫像(高畠通敏)/旧制一高の文芸部委員の林達夫君(芹澤光治良)/私の眼に映った林さん(蘆原英了)/現代の「反語的精神」(五木寛之)/図版(モノクロ)4点



本書「解題」より:

「本第三巻では、唯物論を無神論としてとらえた著者が、その無神論に依拠して書いた歴史探究と宗教批判の諸論篇を、三章に分けて収録した。」


本書「校訂について」より:

「本著作集の底本には、原則として、評論集に収められたものについては、最初に出版された評論集を用いた。それ以外の論文については、初出の紙誌、書物によった。ただし、本著作集の刊行にあたって、幾つかの論文に、著者自身の手によって、若干の加筆訂正が施された。
 旧かなづかい、旧字体で書かれたものは、新かなづかい、新字体にあらためた。難解な漢字は、あるものは主として現代の慣用に従って、かな、または平易な漢字にあらため、あるものにはルビを付した。固有名詞の表記も、(中略)現代の慣用表記に統一した。」



全六巻。


林達夫著作集


目次 (初出):


唯物論の歴史 (『哲学講座第三巻哲学の歴史』 筑摩書房 1950年2月)


三つの指輪の話 (「思想」64、65号 岩波書店 1927年2、3月号/『文芸復興』 小山書店 1933年11月)
社会史的思想史 中世 (『岩波講座哲学』 岩波書店 1932年6月、1933年9月)
文芸の社会的基礎 (『岩波講座世界文学第二巻一般史』 岩波書店 1934年6月)


プロレタリア反宗教運動 (「教育科学」第9分冊 岩波書店 1932年6月)
宗教について (「都新聞」 1941年4月13―16日号)
邪教問答 (「婦人公論」 中央公論社 1947年4月号)
モーリアックの『イエス伝』 (「東京朝日新聞」 1937年4月5日号)
反キリスト (「都新聞」 1949年11月8日号)
ブセット『イエス』凡例 (『イエス』 岩波書店 1923年6月)
ブッセ『イエス』凡例 (『イエス』 岩波書店 1932年10月)

解説 (久野収)
解題 (林達夫著作集編集部)




◆本書より◆


「邪教問答」より:

「私の最も好きな書物が『聖書』と、中世の素朴な聖者伝たる『黄金伝説』と、そして聖フランチェスコの『小さき花』だと申し上げたら、あなたは多分びっくりなさるでしょう。かつて戦闘的無神論者と号して反宗教運動の歴史を書いたことのあるこの人間が! と。だが、人間はもともとみな混成的性質のものであります。しばしば物笑いの種になったカール・マルクスの蝙蝠傘と古典趣味、ポール・セザンヌのミサとブルジョア生活、革命の父と呼ばれた人々にしてさえもがそれなのです。」
「私は三十何年間教会の門をくぐったことがありません。私は宗教的雰囲気のまるでない二つの家庭――というのは親の家庭と他人の家庭――に育ったが、それでも十三、四の子供の時分、誰に教えられたわけでもないのに、一時せっぱつまった羽目から宗教に取り縋ろうと必死に努力して熱心に教会に通ったこともあり、(妙な話ですが、同時に禅寺へもしばらく通いました。)また中学の五年生のころあるギリシア正教会の助祭に英語を教えながらその交換に神学の講義をして貰い、ニコライ聖堂の一風変わったミサなどにも出席してみたことがあります。なぜ教会から足が遠退いたかといいますと、私は宗教のオブラートでつつまれた社交などには全く趣味がなく、これを逆にいえば、あの美しい聖堂と美しい音楽と美しい書物を壟断している人々が甚だ気に食わなかったという簡単な理由からです。(中略)審美家とでも愛好者(アマチュア)とでも何とでも名附けていただいて結構です。私のいちばん好きな音楽がグレゴリオ聖歌で、私のいちばん好きな建築がロマネスクやゴシック様式で、私のいちばん好きな書物が……これは既にもう申し上げた通りです。」
「私の仕事机は修道院机(モナステリー・テーブル)だし、横に置かれてある長椅子はゴシック寺院風だし、部屋にかかっているふたつの額は、ジョットの聖母子像とシモーネ・マルチニの聖女キアラ像と来ているから、全くお誂い向きの宗教的雰囲気のなかに私はいると申さねばなりません。
 あなたはこれを偽善的、錯覚的な光景だとおっしゃるかも知れません。しかしそれなら私は敢えて申しますが、あなた方信者仲間の大部分はもっと偽善的、錯覚的だと。私は率直にカトリシズムにおいて、その禁欲主義と官能主義との奇怪なしかし見事な結合を愛しております。」



「反キリスト」より:

「昔、キリスト教徒が初めて公の歴史の舞台にすがたをあらわしたのは、六四年のローマ大火のときだったが、その際彼らは「放火犯人」として身の毛のよだつ迫害を受けた。ローマの歴史家タキトゥスは、「彼らは火災のかどよりもむしろ人類への憎悪のために有罪と認められたのだ」といっている。事実、その時代の良俗社会では、彼らは「われわれの時代における最悪のアナーキストや革命家と同じすがたをしていたに相違ない」(ウタン)のである。キリスト教徒は良俗社会と異なる世界観や宗教習俗を有しているという理由で、「無神論者」とさえ見なされ、凶作や社会的災厄のすべては彼らの「不信心」の所為とされていた。タキトゥスが「人類への憎悪」と解したものは、実は金権者流や上流の教養人士――つまり「聖書」にいう「金の指輪をはめ、華美なる衣を着たる人」に対するキリスト教徒、すなわち「粗末なる衣を着たる貧しき者」の烈しい憎しみに外ならなかったのである。「ヤコブ書」の「汝らを虐げ、また裁判者にひくものは、富めるものにあらずや」(二ノ六―七)や「ルカ伝福音書」の「わざわいなるかな、富む者よ……」(六ノ二十四―二十五)には、今日の戦闘的社会主義者の叫びに似た弾劾の響きがとどろき渡っている。
 現代の「放火犯人」たる「無神論者」は、いまの良俗社会の世論の一致するところ、どうやら一部の戦闘的社会主義者らしい。そして彼らも「人類への憎悪」によって弾劾されているのだ。つまりここでもその「人類への憎悪」は、現代の「金の指輪をはめ、華美なる衣を着たる人」に対する「粗末なる衣を着たる貧しき者」の憎悪と反抗を現わしているのだ。頭の悪い私はそこでこんな錯覚を起こす――原始キリスト教徒の現代版は、実はカトリシズムではなくして、却って戦闘的社会主義ではないのであろうか、と。」





こちらもご参照ください:

『林達夫著作集 4 批評の弁証法』












































『林達夫著作集 6 書籍の周囲』

「それにしても、誤解の天才ってやつ、これ何でしょうね。誤解したやつほどいい仕事している。」
(林達夫 「解説対談」 より)


『林達夫著作集 6 
書籍の周囲』

久野収 花田清輝 編集

平凡社
1972年1月20日 初版第1刷発行
1977年6月1日 初版第6刷発行
ix 457p 口絵(モノクロ)1葉
四六判 並装(フランス表紙) 貼函
定価1,000円
装丁: 原弘

付録「研究ノート 6」(24p):
わが園をたがやす人(佐々木基一)/ホモ・ドラマティクス(高階秀爾)/一つの後悔(森有正)/林さんのサジェスチョン(尾崎宏次)/待つことのできる人(谷川健一)/図版(モノクロ)2点



本書「解題」より:

「本第六巻では、書籍、映画、演劇、笑いなどを素材にした文化論と、一九三〇年に『東京朝日新聞』「オベリスク」欄に執筆されたものを三章に分けて収録した。」


本書「校訂について」より:

「本著作集の底本には、原則として、評論集に収められたものについては、最初に出版された評論集を用いた。それ以外の論文については、初出の紙誌、書物によった。ただし、本著作集の刊行にあたって、幾つかの論文に、著者自身の手によって、若干の加筆訂正が施された。
 旧かなづかい、旧字体で書かれたものは、新かなづかい、新字体にあらためた。難解な漢字は、あるものは主として現代の慣用に従って、かな、または平易な漢字にあらため、あるものにはルビを付した。固有名詞の表記も、(中略)現代の慣用表記に統一した。」



全六巻。


林達夫著作集


目次 (初出):


書籍の周囲 (「思想」49、50、59号 岩波書店 1925年11、12月号、1926年9月号/「読売新聞」 1923年6月23、24、28、29、30日号)
 序に代えて
 一 文献学者 失われた天主教文化
 二 辞書について
 三 翻訳をいかに読むべきか
 四 聖者の顔
小説読者論 (「思想」200号 岩波書店 1939年1月号)
読書人のための書物の歴史 (「図書」復刊1号、3、4号 岩波書店 1949年11月号、1950年1、2月号)
本のもう一つの世界 (「展望」 筑摩書房 1966年10月号)
『思想』の思い出 (「思想」400号 岩波書店 1957年10月号)
無益な翻訳競争 (「東京朝日新聞」 1936年9月19日号)
文庫の展望 (「図書」 岩波書店 1941年1月号)
『中央公論』 (「東京朝日新聞」 1937年4月28日号)
編集者の言葉 (「表現」 角川書店 1948年10月号)
画期的な国語辞典 (「東京タイムス」 1952年7月12日号)
辞書の盲点 (「文藝春秋」 文藝春秋社 1953年12月号)
編集を終えて (『世界大百科事典31』 平凡社 1958年12月
編集長という椅子 (「国民百科」 平凡社 1964年7月号)
フランス語事始め (「新潮」 新潮社 1954年5月号)
ホグペン『コミュニケーションの歴史』あとがき (『コミュニケーションの歴史』 岩波書店 1958年9月)
恐るべき図書館『世界の名著』 (「朝日新聞」 1966年9月20日号)


Popularizer 出でよ (「図書」8号 岩波書店 1950年6月号)
十字路に立つ大学 (「日本評論」 日本評論社 1949年11月号)
ジャーナリズム (『新文学講座第四巻教養編』 新潮社 1948年6月)
子供はなぜ自殺するか (「婦人公論」 中央公論社 1937年4月号)
文学読本の流行 (「東京朝日新聞」 1936年10月15日号)
書く人読む人 (「東京朝日新聞」 1935年4月5日号)
大人の読書指導 (「朝日新聞」 1950年10月1日号)
『東陽』 (「東京朝日新聞」 1936年10月7日号)
上品な笑い 健康な笑い (「文学」 岩波書店 1958年1月号)
笑い (『講座現代倫理5・内と外の倫理』 筑摩書房 1958年8月)
ベルグソン『笑』解説 (『笑』 岩波書店 1938年2月)
映画の三つの道 (「東京タイムス」 1952年1月13日号)
映画・喰わず嫌い (「文藝春秋」 文藝春秋社 1952年4月号)
芸術形式としての漫画トーキー (「東京朝日新聞」 1931年5月22日号)
ロルカの発見 (『新人会・創立五周年記念公演・その2』 新人会 1958年5月)
『血の婚礼』上演に寄せて (『ぶどうの会第13回公演パンフレット』 ぶどうの会 1959年3月31日)
観光ということ (「群像」 講談社 1958年6月号)
一高時代の友だち (『文藝春秋・冬の増刊炉辺読本』 文藝春秋社 1953年2月)


「オベリスク」 (「週刊朝日」2000号突破記念奉仕版 朝日新聞社 1958年5月)
アンドレ・ジードの「破産」 (「東京朝日新聞」 1930年2月17日号)
三文オペラ (「東京朝日新聞」 1930年2月18日号)
マイケル・ゴールドの文学観 (「東京朝日新聞」 1930年2月19日号)
フランス民衆派の近作二つ (「東京朝日新聞」 1930年2月20日号)
最近のロマン・ロラン (「東京朝日新聞」 1930年2月22日号)
民衆主義と新即物主義 (「東京朝日新聞」 1930年2月24日号)
『感化院の暴動』その他 (「東京朝日新聞」 1930年2月26日号)
『情熱の書』その他 (「東京朝日新聞」 1930年3月3日号)
『一九〇二年組』――戦争と少年 (「東京朝日新聞」 1930年3月4日号)
イギリスのプロレタリア文学 (「東京朝日新聞」 1930年3月10日号)
フロイト、トロツキー、ストリンドベリー (「東京朝日新聞」 1930年3月11日号)
『旅路の終り』は剽窃 (「東京朝日新聞」 1930年3月17日号)
ゲーテを精神分析する (「東京朝日新聞」 1930年3月19日号)
戦争小説の一つの型――レンの『戦争』 (「東京朝日新聞」 1930年3月25日号)
戦争小説行進曲 (「東京朝日新聞」 1930年3月26日号)
ル・コルビュジエ、フランスを笑う (「東京朝日新聞」 1930年3月29日号)
新即物主義文体早わかり (「東京朝日新聞」 1930年3月31日号)
アナトール・フランスの「検死」 (「東京朝日新聞」 1930年4月1日号)
教授と戦争小説 (「東京朝日新聞」 1930年4月7日号)
これが己たちのベルリンか? (「東京朝日新聞」 1930年4月10日号)
ソルボンヌ事件 (「東京朝日新聞」 1930年4月18日号)
メイエルホリドのドイツ訪問 (「東京朝日新聞」 1930年5月12日号)
人気作家の近況――ゴーリキー、ゴールド、レン (「東京朝日新聞」 1930年5月17日号)
映画の風紀廓清 (「東京朝日新聞」 1930年5月19日号)
アンデルセン記念祭 (「東京朝日新聞」 1930年5月22日号)
グロピウス展覧会 (「東京朝日新聞」 1930年5月26日号)
「パリにおけるレーニン」 (「東京朝日新聞」 1930年5月30日号)
ヘーゲル世界連盟 (「東京朝日新聞」 1930年6月3日号)
帝国主義的(?)世界語の出現 (「東京朝日新聞」 1930年6月6日号)
『クリストファ・コロンブス』の失敗 (「東京朝日新聞」 1930年6月18日号)
マックス・ラインハルト (「東京朝日新聞」 1930年6月22日号)
鉄道百年祭 (「東京朝日新聞」 1930年6月27日号)
教育家の頭 (「東京朝日新聞」 1930年6月30日号)
クローデルとトーキー (「東京朝日新聞」 1930年7月1日号)
ハルナックの死 (「東京朝日新聞」 1930年7月7日号)
赤いウグイス (「東京朝日新聞」 1930年7月9日号)
タゴールとノアイユ夫人 (「東京朝日新聞」 1930年7月10日号)
文化ヘゲモニーのために (「東京朝日新聞」 1930年7月11日号)
ペン、万年筆、タイプライター (「東京朝日新聞」 1930年7月14日号)
アメリカでは…… (「東京朝日新聞」 1930年7月26日号)
禁止作家のブラック・リスト (「東京朝日新聞」 1930年9月9日号)
聖母被昇天祭と闘牛 (「東京朝日新聞」 1930年9月16日号)
宣伝芸術としての人形芝居 (「東京朝日新聞」 1930年10月1日号)
ギヨーム・アポリネール (「東京朝日新聞」 1930年10月3日号)
グレーザーの作家観 (「東京朝日新聞」 1930年10月15日号)
ボストン老嬢クラブ (「東京朝日新聞」 1930年11月3日号)
ギリシア独立戦争とポー (「東京朝日新聞」 1930年12月20日号)
プロレタリア探偵小説 (「東京朝日新聞」 1930年12月27日号)
署名の重大性 (「東京朝日新聞」 1930年12月29日号)


国家主義的詩人について (「読売新聞」 1923年3月24、25、27日号)

解説対談 (林達夫・久野収)
解題 (林達夫著作集編集部)

著作年譜
略年譜
目次総索引




◆本書より◆


「書籍の周囲」より:

「悲しいことに、我々は既に書籍に余りにも中毒しているから、物を考えるにも物を感ずるにも書物なしでは能わない。酒や煙草の愛用者のように、我々は習慣的に本を手にしなければ一日も暮らせないのである。その最もよい例証は、この広い世界の中には、活きた現実をよそにして、女の美しさも人の悩みも悦びも愛も憎しみも、全宇宙をさえも書物の中でしか知らないそしてまた知ろうとも欲しない極端な書物人の存在していることである。」

「ラ・ブリュイエールの『レ・カラクテール』を読んだ人は例のエルマゴラを知っているだろう。エルマゴラはパリに永らく在住しているのに、自分の近くのヴェルサイユを未だかつて見たことがない。その癖、遠い昔に消え失せたバベルの塔については、実によく精通していてそれを建てた工匠の数と名前とはもちろんのこと、その階段が幾つあるかということまで、一つとして知らざるはない。まるで見て来たようである。その彼が、心血を注いでやっている研究がある。アルタクセルクスの右の手と左の手とのうち、いずれが長かったかの問題の究明である。それが分かることなら、彼は古代のあらゆる文献を虫眼鏡でのぞいて、そのために頭の毛が白くなることをも厭わないであろう。世の中にはこのような瑣事に拘泥しているエルマゴラが沢山にいる。諷刺家や戯画家がその嘲弄の欲望を満足せしめる好個の題材をこれに獲て来るのも無理はない。
 また人は小プリニウスの伝えている例の痴人を知っているだろう。古代ローマの大事件であったヴェスヴィオの大噴火の際、その灰がポンペイをはじめとして五つの都市を埋めつつあるのを眼の前にしながら、ギリシアの雄弁家の研究に耽っていたという男である。(中略)文献学者のうちに、またこの種の人間がいないとは、誰が言い得よう。」
「けれども、もしそれらの二、三の文献学者の弱点や短所の故に、あらゆる文献学者と彼等の文献学とに尊敬と愛とを拒もうとする者があるならば、私はその人たちの軽率を咎めなければならない。」
「過去の些細な事物の詮索に耽る者と、現実の果敢ない事物に興味を持つ者と、そのいずれがばかばかしい仕事をしているかは問題である。トタンと言う語の根源と由来とを尋ねて古今東西のあらゆる国と時代との間をさまよい、発見の好望とそれを見失った落胆とにあるいは心をときめかしあるいは心を沈めるのと、相場の上り下りにあるいは心臓を轟かせあるいは肝を冷やすのと、そのいずれが生き甲斐ある生活であるかは疑問である。世の所謂現実尊重論者は客間と街頭と事務所と料理店とキネマとにその一日を暮らし、雑談と新聞雑誌とによってその所謂現代を呼吸している。かかる人間から見れば、終日薄暗い書庫の一隅に坐して一つの言葉の語源を探しているが如きは、測り知るべからざる愚行であろう。しかし――これが重大な点である――文献学者の魂の中には、これらの現実主義者の全然窺い知るを得ない珠玉が光っていて、彼等は実にその光に導かれているのである。その珠玉とは即ち真理のために真理を求める、利害を超越した純粋なる知識の愛にほかならない。そうしてこれこそ人間の本能のうち最も気高い、最も美しいものであると共に、また我々が人の世の有様を見てともすれば人間の鳥獣にも劣る生物ではなきかを疑うとき、我々に人間の尊厳と優越とを思い起こさせてくれる僅かなもののうちの一つである。射利的本能に導かれて人心と世相との機微に徹しようと学ぶ利口な相場師を、一つの言葉の根源を索めて行方も知らず踏み迷う語源学者の足許に坐せしめるものは、実にこの知識の愛にほかならない。利害に超然として真理を追及する激しい情熱を有する彼等に比べれば、現世の利欲の奴隷となって利口に立ち廻っているさかしき輩は、鳥獣にも等しき憐れむべき存在と言うべきであろう。」
「過去への愛と現在への没頭と、いずれが迂濶であるかも疑問である。過去を一概に死せるものと思いなすは、視野の狭隘な、見聞を目先の事物に限られたものの短見であるが、たといそれを考慮の外に置くとも、過去の愛が一つの敬虔であり、また一つの勝れた処世知であることは動かし難い事実である。」
「過去の愛が何故に一つの処世知であるかについては、私はここにはただ現在のうちに生きることは多くの場合退っ引きならぬ必然の運命を甘受しなければならぬことを意味するに反して、過去のうちに生きることは一つの自由なる選択を意味するものであることを注意するにとどめよう。人は現在を遁れて過去に赴き、死者とその世界に生きることを卑怯なる現実回避であると言う。我々の眼を以てすれば、それは一つの賢き処世知である。しかも過去に生きることは、現実の平凡な煩い多き生においては到底享受し得ない大いなる行動と動乱と思想と情熱とを呼吸することを意味するにおいては尚更である。もし我々が過去の偉大な人間たちと出来事とについて全然何事も知ることなく、喧騒と混濁と昏迷と猥雑との雰囲気のうちに、(妻子と友人と見知らぬ行人と新聞の報ずるその日その日の退屈な出来事とのうちに)その一日を送るのみであるなら、我々の生活はどうであろう。想うだに索然たるものがあろう。それはある人にとっては、生きるに値しない生活であろう。しかるに「過去」はこの生きるに値しない生活に多くの生きるに値するものを持ち入れて、これを殆ど生きるに堪えるものにしてくれているのである。」
「かくて文献学者は、諷刺家の嗤笑に反して、この世における最も尊敬すべきまた最も愛すべき存在の一たるを失わないのである。」



「小説読者論」より:

「アルベール・ティボーデは『小説の読者』Le Liseur de Romans, 1925. の中で liseur と lecteur とを区別している。小説のレクトゥールというのは、「事、小説に関しては、何でも構わず手当り次第に読むのみで、趣味という言葉のうちに包蔵され流通さrている内外のいかなる要素によっても導かれぬ人間」の謂であるのに対し、小説のリズールとは「文学がかりそめの気晴らしとしてではなく、ひとつの本質的な目的、ほかの人生目的と同様に深刻に全人間を捉え得べき目的として存在するような世界に応召された人間」の謂である。」

「ジードに言わせると、文学は一つの交感(コミュニヨン)を予想しているが、こうした作家たちはつまり空間の中ではすぐに獲得することのできない交感を時間の中で獲得しようと望む羽目になっているわけなのである。
 作家が単なる時代の鏡以上のものを齎そうとすると、彼はどうしても周囲の因襲、習慣、虚偽に対して批判的にならねばならず、それらと闘争しなければならず、従ってそれらのものの中に安住し、眠り込まされている民衆と何らかの形で正面衝突せざるを得なくなる。」
「ジードの「文化の擁護」は、自分の生い立った階級とも民衆とも交感することのできない不幸な作家の告白である。そして彼は「とにかく現在のところでは、未知の、未来の読者に言葉をかけるより外ない。(中略)」と述懐しているのである。
 かかる作家と読者との背馳の場合には、しかしいま戦闘状態と呼んだものの外に、なお両者のいわば絶縁状態と呼ばれ得るものも存在することを指摘しなければならぬ。自分自身のために書くという「詩人」ポール・ヴァレリーなどの場合がそれである。」

「この自己に対する忠実性が、――それがいわゆるシンセリティーという言葉の内容に外ならないが――彼の作品を親しみ薄きものに見せ、「難解」に見せ、それによって多くの読者を離反せしめる一つの原因となっていることに注意しなければならぬ。」
「かくて、そのような小説家が仮にそのほんとうの読者をたった十人しか持たないような場合が起きても、人は少しも驚くには当たらないし、いわんや決して軽蔑などしてはならないのである。」



「文庫の展望」より:

「私はどういうものか最初に手に入れ、最初に親しんだ版本に妙に執着する癖がある。それがやがて杜撰なものであるとわかっても……だからその最初のものが訳書の場合だと、それに自分勝手に訂正の朱を入れたり、重要な箇所には原文を余白に書き込んだりして使っているし、そのものが原書の場合だと、それの訳書がどんなに名訳だろうが、よほどの場合でないと全部を読み通すということはもはやない。」


「一高時代の友だち」より:

「しかしもっと本質的なことは、私には深刻な意味での親友というものがなかったという不幸な事実である。私はかなり年少のころから、あるどうにもならぬ理由により人付合いを警戒することを余儀なくされ、いつしれず交友は淡々たるを以てよしとするようになっていた。終生の腹心の友の出来ることやすぐれた人物のタマゴが集まっていることがその長所の一つとされていた一高自治寮のようなめぐまれた環境においてさえ、私はどっちかというとなるべく他人の影響と介入を拒むような、ひとり勝手な、孤立した生活を送ったものであったが、(中略)友情論がわたくしにとってはもっとも不得手な畑であることは、これだけは間違いなさそうである。」

「わたくしはいまでも匿名の状態、無名の状態がわたくし自身の精神的呼吸には最もぴったり合った精神的風土だと思っている。広場の市で人前に身をさらすと、わたくしはたちまち呼吸困難におちいるのだ。」





こちらもご参照ください:

『林達夫著作集 1 芸術へのチチェローネ』






























































『林達夫著作集 4 批評の弁証法』

「日本人が日本人に向かって日本人の優秀性を説いている風景は、よく観ると、何か不健全な、奇怪な、異様な心理風景である。」
(林達夫 「植物園」 より)


『林達夫著作集 4 
批評の弁証法』

久野収 花田清輝 編集

平凡社
1971年3月25日 初版第1刷発行
1975年5月20日 初版第6刷発行
viii 420p 口絵(モノクロ)1葉
四六判 並装(フランス表紙) 貼函
定価1,000円
装丁: 原弘

付録「研究ノート 4」(24p):
林達夫とは何か(丸谷才一)/林達夫氏著作の余白に(多田道太郎)/沈黙と微笑(福田恆存)/学に遊ぶ大隠(高橋英夫)/想いだすまま(野原一夫)/林達夫著『思想の運命』(三木清)/図版(モノクロ)2点



本書「解題」より:

「本第四巻では、著者が、批評をディアレクティークとしてとらえ、創造的批評活動を展開した諸論文を、四章に分けて収録した。」


本書「校訂について」より:

「本著作集の底本には、原則として、評論集に収められたものについては、最初に出版された評論集を用いた。それ以外の論文については、初出の紙誌、書物によった。ただし、本著作集の刊行にあたって、幾つかの論文に、著者自身の手によって、若干の加筆訂正が施された。
 旧かなづかい、旧字体で書かれたものは、新かなづかい、新字体にあらためた。難解な漢字は、あるものは主として現代の慣用に従って、かな、または平易な漢字にあらため、あるものにはルビを付した。固有名詞の表記も、(中略)現代の慣用表記に統一した。」



全六巻。


林達夫著作集


目次 (初出):


デカルトのポリティーク (「文学界」 文藝春秋社 1939年11月号)
方向指示 (「作品」 作品社 1936年9月号)
批評家棄権 (「思想」160号 岩波書店 1935年9月号)
批評の衰退 (「文学界」 文藝春秋社 1954年8月号)
『思想の運命』序 (『思想の運命』 岩波書店 1939年7月)
『思想の運命』あとがき (『思想の運命』 角川書店 1948年2月)
『歴史の暮方』序 (『歴史の暮方』 筑摩書房 1946年9月)
『共産主義的人間』あとがき (『共産主義的人間』 月曜書房 1951年5月)
『反語的精神』あとがき (『反語的精神』 筑摩書房 1954年2月)
『歴史の暮方』新版へのあとがき (『歴史の暮方』 筑摩書房 1968年11月)


父と息子との対話 (「婦人公論」 中央公論社 1938年6月号)
アマチュアの領域 (「趣味園芸」 趣味園芸社 1939年1月号)
庭園の不在地主 (「趣味園芸」 趣味園芸社 1939年2月号)
鶏を飼う (「思想」214号 岩波書店 1940年3月号)
子供の文章 (「東京朝日新聞」 1937年4月14日号)


思想の文学的形態 (「思想」168号 岩波書店 1936年5月号)
主知主義概論 (『二十世紀思想3・主知主義』 河出書房 1938年12月)
ベルグソン的苦行 (「都新聞」 1941年1月10―12日号)
アミエルと革命 (「思想」158号 岩波書店 1935年7月号)
社会主義者アミエル (「帝国大学新聞」 1936年5月4日号)
いわゆる剽窃 (「東京朝日新聞」 1933年1月22―25日号)
再生芸術家は必要 (「東京朝日新聞」 1935年4月26日号)
群盲象撫での図 (「東京朝日新聞」 1935年4月6日号)
他人行儀の座談会 (「東京朝日新聞」 1935年4月10日号)
衣裳哲学としての『日本イデオロギー論』 (「東京朝日新聞」 1935年12月8日号)
『現代哲学辞典』の現代性 (「東京朝日新聞」 1937年5月3日号)
私の植物蒐集 (「実際園芸」 誠文堂新光社 1939年11月号)
編集者の言葉 (「表現」 角川書店 1948年9月号)
ヴォルテール『哲学書簡』あとがき (『哲学書簡』 岩波書店 1951年3月)
若き世代の決意を (「明治大学新聞」 1951年4月5、15日合併号)
新聞について (「文学界」 文藝春秋社 1953年9月号)
大百科事典の時代錯誤  (「図書」79号 岩波書店 1956年4月号)
ヘンルーダ  (「文藝春秋」 文藝春秋社 1958年8月号)
文章について (「文学」 岩波書店 1936年3月号)
旅行者の文学 (「思想」159号 岩波書店 1935年8月号)
諷刺小説の三つの形態 (初出未詳)
『痩松園随筆』 (「東京朝日新聞」 1934年9月22日号)
内田百閒氏の『随筆新雨』 (「東京朝日新聞」 1938年2月7日号)
アメリカ精神を知るために (「岩波月報」30号 岩波書店 1938年7月号)
『ベルツの日記』 (「図書」41号 岩波書店 1939年6月号)
串田孫一さんの『博物誌』 (「日本読書新聞」 1956年11月5日号)
『千一夜物語』 (「季刊明治」 明治大学企画課 1960年6月号)
青年作家の問題 (「東京朝日新聞」 1936年9月8日)
『夜明け前』の本質規定 (「東京朝日新聞」 1936年1月25日号)
島崎藤村 (「文学」 岩波書店 1936年8月号)
鴎外観 (「鴎外研究」臨時号 『鴎外全集』著作篇 第二巻付録 岩波書店 1936年6月)
自己を語らなかった鴎外 (「鴎外研究」1号 『鴎外全集』著作篇 第二巻付録 岩波書店 1936年6月)
鴎外における小説の問題 (「鴎外研究」5号 『鴎外全集』著作篇 第六巻付録 岩波書店 1936年10月)
三木清の魅力 (「婦人公論」 中央公論社 1938年6月号)
三木清の思い出 (「世界」 岩波書店 1946年11月号)
純真な「夢想」の糸 (「週刊読書人」 1961年2月27日号)


随筆文学について (初出未詳)
「科学する心」 (「都新聞」 1931年7月11日号)
哲学者のコミック (「東京朝日新聞」 1935年4月11日号)
予想癖の敗北 (「東京朝日新聞」 1935年12月21日号)
予想の病理 (「東京朝日新聞」 1936年1月3日号)
国際学術会議 (「東京朝日新聞」 1938年3月21日号)
裏返しの外国崇拝 (初出未詳)
「虎の巻」全廃論 (「東京朝日新聞」 1938年4月2日号)
歴史との取引 (「帝国大学新聞」 1939年6月5日号)
映画の花 (「趣味園芸」 趣味園芸社 1939年8月号)
言語の問題 (「東京朝日新聞」 1934年7月15―19日号)
決定版『漱石全集』 (「東京朝日新聞」 1935年12月1日号)
『草野集』の不協和音 (「帝国大学新聞」 1936年10月19日号)
文学史の方法 (「東京朝日新聞」 1936年9月14日号)
作庭記 (初出未詳)
私の家 (「婦人公論」 中央公論社 1938年5月号)
植物園 (「思想」210号 岩波書店 1939年11月号)
国立植物園 (「朝日新聞」 1941年4月10日号)
不埒な昆虫記 (「東京朝日新聞」 1938年6月16日号)
『昆虫記』と『動物記』 (「東京タイムス」 1952年3月19―20日号)
『ファーブル 昆虫と暮らして』まえがき (『ファーブル 昆虫と暮らして』 岩波書店 1956年4月)
ルグロの『ファーブル伝』 (「週刊読書人」 1960年8月1日号)

解説 (花田清輝)
解題 (林達夫著作集編集部)




◆本書より◆


「父と息子との対話」より:

「世の中には見境のない人間がいるものです。そういう人間のやることは無軌道で人の意表に出て、色々面倒なことを惹き起こし勝ちですが、また時として因襲や情実に少しも囚われないために却って常識家以上に物の道理に適ったことをする場合もないではありません。私がいったいにそういう種類の人間が好きなのは、私自身どっちかというとこの無軌道的人間の種族に近いせいかもしれません。」
「親を親と思わず、目上を目上と思わず、(中略)職人を職人と思わず、対等の人間としてそれを取り扱ったために非常に苦々しい経験を重ねました。」



「いわゆる剽窃」より:

「もし(中略)一切の「剽窃」がインチキであり不徳義であるとしてこれを犯罪視せねばならぬとしたなら、今日果たして幾人の学者や文芸家がこの破廉恥罪の汚名を免れるであろうか。」
「私の推測するところでは「剽窃」から身の潔白を説明することのできる文筆の士の数は予想外に少ないのではないかと思う。(中略)私はいわゆる剽窃はわが国において決して二、三の例外的変態的現象ではなくしてむしろそれは一般的正常的現象であるとさえ断言して憚らないものである。
 否、それは単にわが国の今日の現象であるばかりではない。多少とも西洋の学問芸術を聞きかじった者であるなら、古来その独創性を以て鳴っている西洋の大文豪や大学者のうちにさえ、証拠歴然たる剽窃行為を見出すのに少しも困難はしないであろう。」
「フランス浪漫派のちょっと名のある戯曲家にピエール・ルブランという作家がいた。この男は若いときにシラーの『マリー・スチュアート』を断然剽窃して同名の戯曲を書いた男だが、さてその晩年のこと、イタリアの一名女優がパリを訪問した際、一夜その演技を見んとて某劇場に赴いた。その夜の出し物は実にほかならぬイタリア語によるシラーの『マリー・スチュアート』であったのだ。見ているうちに、八十歳の老ルブランは額に手をあてて歯のない口をもぐもぐさせながらつぶやいた。――何だか見憶えがあるぞ!
 耄碌した彼には六十年前の自作のことがなかなか思い出せなかったのだ。いわんやシラーの原作のことなどは完全に忘却していた。やがてのことにやっと自作のことを思いだした。そして叫んだ。
 ――怪しからん! こいつわしの悲劇を剽窃しよったな!
 そして彼はこの「剽窃」の仕方が実になっていないと傍の者にいい放った!」



「新聞について」より:

「原始時代から封建時代へかけての人類社会が世界のいずこにおいても呪術的宗教的世界観に支配されていたことについては、ここで指摘するまでもないでしょう。かくて叙事詩はもと何らかの呪詞だったわけで、われわれが詩と呼び、文芸と呼ぶものは、元来一種の呪文、呪詞にほかならず、また一般に芸術と呼ばれるものも呪術にほかならなかったのであります。こうして呪術からの出発――これが芸術がその後の永い展開のいかなる時代にも身を換え品を換えついてまわるいわばその宿命であるという認識が大切なのであります。
 というのは、文芸において世界文学のバイブルと言われているような偉大な古典的作品――たとえばホメロスの『イーリアス』『オデュッセイア』、ギリシア悲劇、『聖書』『ローランの歌』『トリスタンとイゾルデ』、ダンテの『神曲』、セルバンテスの『ドン・キホーテ』、シェークスピアの戯曲、ゲーテの『ファウスト』等々が例外なく呪術的世界を何かひどく深刻な形で現わしているという点で、ぼくはそれを言うのではありません。ぼくの言うのは芸術そのものの出生に必ずまつわりついているいわば冥暗としての呪術性のことであり、言語芸術家とは呪術的「かたり」の天分を一般の人よりは遙かに多分に身につけて生まれた宿命的な種族に外ならないということです。われわれはいまでも芸術のよろこびは、「かたられる」よろこび、「のせられる」よろこび、「かつがれる」よろこびであることをよく知っています。それだから、言語芸術家には、そのため多少とも言葉や文字に対する呪物崇拝があるとしても、それは少しも笑うべきことではなく、むしろ大目に見てやるべきではないでしょうか。」



「大百科事典の時代錯誤」より:

「ぼくは職業的批評家ではないから、自分の気をそそらないようなものには全然関心を向けられないし、向けようともしない。」


「ヘンルーダ」より:

「戦争前の話になるが、わたくしは一時わが庭の一隅に西洋流の薬草園(ハーブ・ガーデン)を作ろうと思って、せっせとあちこちから薬草の種子を求めて試作していたことがある。ヨーロッパでは、どこの国にも昔気質の旧家や古いしきたりを守っている農家があるが、そうした家々の裏庭に必ず植えられている、昔はやったありふれた薬草のたぐいで、――もっとも薬草とは言い条、今日言う香辛料植物が主で、狭義の薬草は現在では西洋本草とも言うべき、時代おくれの民間療法にわずかに使われている三、四のものが含まれているにすぎなかった。何十種かのうち、その主なるものをあげてみると、ローマういきょう、にわたばこ、チコリー、マヨラナ草、セージ、タイム、はっか、タラゴン、かのこ草、ヘンルーダ、にがよもぎ、ローマ・カミツレ、ラヴェンダー、ローズマリー、等々……。
 植物栽培の歴史や庭園史をひもといた人なら誰でも知っていることだが、今日純観賞用の花卉(かき)であるものが、その昔は殆ど例外なく食用または薬用植物であった。たとえば、ばら、ゆり、すみれ、しゃくやくと言ったもの。妙な話だが、しゃくやくはその種子に厄除けの魔力があると信じられていてそのため作られていたのだし、すみれは一般にサラダ用に栽培されていたのだ。」
「わたくしは西洋文化の動いてやまぬ、絢爛たる上層建築の、その広大無辺な基底に幾千年にもわたって繰り返されている昔かわらぬ民衆の生活文化のことをいろいろ知りたかったので、この植物蒐集も、実はこうした要求にもとづく草花のフォークロアの探求の一つの場合にほかならなかったのである。」



「三木清の魅力」より:

「私の書斎にはレンブラントの描いた『哲学者』と題する小品画の複製が懸かっているが、この絵は私の考えている哲学者というものをそっくり具象化している点で私の手離せぬ作品の一つになっている。窖(あなぐら)の様に薄暗い部屋にはたった一つの円窓があって、その窓際の仕事机の前に、白い顎鬚をはやした球帽を戴いた額の広い老人が心持ち俯(うつむ)き加減に首を垂れ両手を組んでじっと考え込んでいる。これは一つの世界に閉じ籠もった「考える動物」の姿であり、哲学者の沈潜と諦念というものを実によく暗示した絵であるが、しかしまたその画面全体が私の考えている哲学的精神というものを何となく象徴しているような気がして私には好きな絵なのである。つまり、哲学において重要なのは、我々の意識にはっきり映ずるその明確に概念化されている部分のみではなく、それの背景となって、それをいわば浮き出させている「冥暗」の部分でもあるが、哲学における光明に対するこの幽暗の持つ意味がこの絵におけるほどよく仄めかされている作品はないと思う。暗さがない光明は平板な物理的光線にすぎないように、闇を深く湛えている哲学的精神でなければ、決して哲学はその奥行と量感とによって人をほんとうに動かすこともないのである。」


「哲学者のコミック」より:

「古来、喜劇作者が好んで哲学者を笑いものにしたのには幾分根拠があったようだ。笑いは何らかの意味において社会の正道を外れるものに対する社会的矯正だが、不幸にして哲学者は常人の眼には「常軌を逸した人間」として映ずるような宿命的性質を有したからである。世界や人間の謎を釈こうと企てるほどの者が、その思惟熱中のあまりとはいえ日常的実践的生活においてまるで赤ん坊や白痴に近い無能力者であったり、真理のために社会的通念(常識)を平気で踏み躙って顧みなかったり……かかる反社会的疎隔、食違いから生ずるトンチンカンの種々相が「哲学者のコミック」としてアリストファネスやモリエールの抉るところとなったのである。

 今日では、人は誰でも真理の認識が哲学者の「常軌」だということを知っているから、そのために彼が井戸に落ちたとしても、また道を間違えて川を歩いたとしてもそんなことにもはや笑おうとはしない。却って彼が俗人と同じに余りに当り前のことばかりしたりすると、その合社会性を逆に柄にないと笑うくらいである。」



「植物園」より:

「結局、いちばん考えさせられるのは日本人の中にある bêtise humaine (愚昧さ)の問題である。そこを避けて通っているジャーナリズムの上の甘い日本論など、私から見ると、迂遠な自分などよりもなおもっと迂遠なものに考えられる。日本人が日本人に向かって日本人の優秀性を説いている風景は、よく観ると、何か不健全な、奇怪な、異様な心理風景である。」


「ルグロの『ファーブル伝』」より:

「ぼくはその昔、この本を読んで深い感銘を受けた。ファーブルのあの片田舎での七、八十年にわたる豊富な充実した学究生活がほとんど不遇と無名とのおかげであることを識って、「有名へのレジスタンス」を思い立ったものだ。ぼくは「不遇」でなければ、それを人為的に強引に作り出さねばならぬとさえ本気で考えたほど、「光栄のさらし台」に突如として立たされた最晩年の彼の救いのないみじめな姿に打たれたのであった。人をもみくちゃにせずにはおかぬマスコミ狂燥曲というフィナーレで終わるこの孤独な静かな田舎ものの変人の悲喜劇ほど、人の心を動かす光景はないのである。」




こちらもご参照ください:

『林達夫著作集 5 政治のフォークロア』
































































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー

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