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ウィークリー 『ことばのロマンス ― 英語の語源』 寺澤芳雄・出淵博 訳 (岩波文庫)

「読者の中には、トランプの club (クラブ)と spade (スペード)の名称の由来について、しばし疑問を抱かれた向きも少なくないに違いない。たしかにスペードのほうは鋤(すき)(spade)に多少似たところはあるが、お話に出てくるどんな巨人でも三つ頭のついた棍棒(club)など手に持ってはいない。そのわけはこうである。英国のトランプは図柄としてフランス式図柄、すなわちダイヤ(carreau)、心臓(ハート)(cœur)、矛・槍の切っ先(pique)、三つ葉のクローバー(trèfle)を採用したが、名称についてはあとの二つに対してイタリア・スペイン式、つまり矛とクローバーの代わりに剣と職杖を表わす語、イタリア語の spada と bastone にならって、spade と club を用いたのである。」


ウィークリー 
『ことばのロマンス
― 英語の語源』 
寺澤芳雄・出淵博 訳
 
岩波文庫 青/33-671-1 


岩波書店 
1987年7月16日 第1刷発行
1989年12月5日 第3刷発行
445p 索引46p
文庫判 並装 カバー
定価720円(本体699円)



本書「凡例」より:

「本訳書の原書は、英国の英語学者・フランス語学者アーネスト・ウィークリー(Ernest Weekley, 1865-1954)が英語の語源に関して著わした数多い一般的解説書中でも、とくに広く知られている *The Romance of Words* (John Murray, 1912)である。翻訳にあたっては、(中略)決定版(John Murray, 1961)を底本として、全訳した。」



ウィークリー ことばのロマンス



カバー文:

「ロミオの恋人の名 Juliet は jilt (男たらし)と同語源。skirt (スカート)はラテン語の「短い」に由来。steward (執事)はもともとは「豚小屋の番人」。――英単語の歴史をたずねると興味津々たる事実が次々とあらわれる。語源辞典編纂者であった著者が、語源探究の魅力を伝えるべく、一般読者のために蘊蓄のかぎりを傾けて成った名著。」


目次:

凡例
初版序文

第一章 英語の語彙
第二章 ことばの遍歴
第三章 民間造語
第四章 語と地名
第五章 音の変化
第六章 語と意味
第七章 意味論
第八章 隠喩
第九章 民間語源
第一〇章 二重語
第一一章 同音異義語
第一二章 姓名
第一三章 語源研究――その事実と虚構

訳注
解説 (寺澤芳雄)
人名・書名索引
語句索引




◆本書より◆


「第三章 民間造語」より:

「英語の植物名を見ると、民衆の想像力の様々なはたらき方が認められる。cowslip (桜草の一種)は古形が cowslop で、「牛の糞(slop)」という露骨な命名であり、ほかにもいろいろ口憚(はばか)るような古い名称や、sweet william (アメリカ撫子(なでしこ)、〔原義〕美わしのウィリアム)、lords and ladies (天南星(てんなんしょう)、〔原義〕貴族と貴婦人)、bachelors' buttons (矢車菊、〔原義〕独身男のボタン。花がボタン状)、dead men's [man's] fingers (青白い指状根のある蘭(らん)の一種、〔原義〕死者の指)のような奇妙な命名のある一方、forget-me-not (勿忘草(わすれなぐさ)、〔原義〕私を忘れずに)、heart's-ease (ビオラ・トリコロル、パンジーの原種、〔原義〕心の安らぎ)、love in a mist (くろたね草、〔原義〕霧に包まれた愛)、traveller's joy (仙人草、〔原義〕旅人の喜び)などのような詩的香りの高い造語が見られる。また、その薬効に基づく名称をもつ一群の花もある。例えば、feverfew (夏白菊、〔原義〕熱払い)は febrifuge (解熱剤)と同語源で互いに二重語をなし、tansy (よもぎ菊。中世に不老長寿薬として用いられた)は、「不死」を意味するギリシャ系ラテン語 athanasia をフランス語形 tanaisie を経由して借入したものである。なお比較に値するものに、雪(ゆき)の下(した)(stone-break(er))の学術名 saxifrage (〔原義〕岩(石)砕き)があり、スペイン語から入った sassafras (サッサフラス。その根皮は香料・薬用)と同語源の二重語をなしている。雪の下のドイツ語名は Steinbrech (〔原義〕岩(石)砕き)である。
 かつては、素朴な形での詩的本能がすべての民族の中に内在していた時代があったと思われるが、未開の民族や子供たちの間には今なおその傾向が残っている。しかし、西欧諸民族の間では、この本能は永久に消えてしまったらしい。今日の英国ではもはや、そのような命名を山や花に与えることはないのである。」



「第四章 語と地名」より:

「ところで、地名と産物を結びつける場合に誤解の生じることがある。例えば、赤色の染料に用いられる *brazil* wood (ブラジル蘇芳(すおう)材)は、ブラジル原産ではあるが、Brazil という国名によったのではなく、その逆である。この木材は、すでに十二世紀には染料材として知られており、その名はヨーロッパの多くの言語に借入されている。ポルトガルの航海者たちは南米にこの蘇芳の木がおびただしくあるのをみて、これを国名としたのである。彼らはまた同様な理由からアフリカ北西岸沖の島を Madeira (マデイラ島、〔原義〕木材。ラテン語形 materia)と命名した。鳥の canary (カナリア)はカナリア諸島原産だが、この名はれっきとしたラテン語である。この群島中最大の島 Canaria (カナリア島)は、この島に産した大型の犬(ラテン語で canis)を見てローマ人が名づけたものという。*guinea* gold (もとギニー金貨を鋳造するのに使った二十二カラット金)はアフリカ西岸のギニア(Guinea)原産だが、guinea-pig (天竺鼠(てんじくねずみ)、モルモット、〔原義〕ギニアの豚)はブラジル原産である。この名称は、三角航路をとるのを常とした Guinea-man すなわち Guinea との「奴隷貿易船」に由来すると思われる。この貿易船は英国の産物を積んでまずアフリカ西岸の Guinea に航海し、そこで産物と交換した奴隷を載せて、今度は西インド諸島に向かう途中、いわゆる「航海の中間地獄」(middle passage)で少なからぬ奴隷を死亡させた後、生き残りを西インド諸島で売り渡し、新世界の産物を買い入れて英国に帰った。その時船員たちが持ち帰った物の中に guinea-pig があったに違いない。そこで Guinea-man にちなんで guinea-pig とよばれたのであろう。七面鳥(turkey)も十七世紀には guinea-fowl (〔原義〕ギニアの鳥)とよばれていたが、これも同様の理由によると思われる。guinea-pig のことをドイツ語で Meerschweinchen というが、これは「海を渡ってきた小豚」が原義であろう。
 Guinea はたしかに十七世紀にはばくぜんとした地理用語だったが、India (インド)や Turkey (トルコ)の方がもっと曖昧(あいまい)である。India(n) ink (墨汁)は中国産であるし(フランス語では encre de Chine 「中国のインク」という)、Indian corn (とうもろこし)はアメリカ産である。七面鳥に付けられた名称 turkey に至っては異常といわざるをえない。アメリカ種の鳥であるから、West Indies (西インド諸島)、Red Indian (アメリカインディアン)などのように、これを India と連想してもよかったところである。Turk (トルコ人)という語は、十六、十七世紀にはばくぜんと非キリスト教徒を意味していたのである。」



「第五章 音の変化」より:

「いろいろに綴られる奇妙な語 ampersand は and per se and に由来するが、an- は後続する p の影響で m となった。ampersand というのは略記号 & のよび名だが、私はたまたま二、三日の間に二人の現代の文筆家の文章でこの語が用いられているのに出会うまでは、もう廃語になったものと思っていた。
  One of my mother's chief cares was to teach me my letters, which I learnt from big A to *Ampersand* in the old hornbook at Lantrig.
  母が私のためにとくに気を使った事の一つは、文字を教えることだったが、私は大きな A から最後の Ampersand すなわち & までの文字をラントリッグで古い文字板(ホーンブック)を使って覚えた。
          (クイラー=クーチ『死者の岩』二章)
  Tommy knew all about the work. Knew every letter in it from A to *Emperzan*.
  トミーはその作品について何もかも知っていた。その中のすべての文字、A から Emperzan すなわち & に至るまで知っていたのである。
          (W・P・リッジ『従軍記』)
昔、子供たちはアルファベットを覚えるのに、A per se A, B per se B (A はそれ自体で A, B はそれ自体で B)と言いながら最後に and per se and (& はそれ自体で &)と言い、これを繰返し唱えたのであった。」



「第九章 民間語源」より:

「民間語源という用語は、しばしば狭義に、語源・起源についての誤解に基づく語の歪曲現象を指して用いられる。教育のない人々は、なじみのない、あるいは理解できない語を何とか意味の分る形に歪曲する傾向が認められる。(中略)たとえば(a)sparagus (アスパラガス、(中略))を、雀(sparrow)の食べる草(grass)だからと sparrow-grass と言ってみたり、ディケンズの作品中で悪党ライダーフッドが affidavit (宣誓供述書)をもじって、Alfred David と言ったりする場合である。
  'Is that your name?' asked Lightwood. 'My name?' returned the man. 'No; I want to take a *Alfred David*.'
  「あんたの名前かね?」とライトウッドが訊ねた。「俺の名前だって?」と男は答えた。「いいや、『アルフレッド・デイヴィッド』てえのがほしいんで」
          (『われらが相互の友』一二章)
また、間違った連想がはたらくような場合もある。例えば、primrose (桜草)、rosemary (マンネンロウ)、tuberose (月下香)は、いずれももともと rose (ばら)とは何のゆかりもない。primrose ははじめ primerole, つまりラテン語 primula (プリムラ)に由来する古期フランス語の形であったし、rosemary はフランス語 romarin に由来し、さらにラテン語 ros marinus (海の露)にさかのぼる。tuberose はラテン語の形容詞 tuberosus (英語の tuberous 「塊茎状の」)からである。またラテン・ギリシャ語系の難しい語の言い換えが試みられることもある。例えば、ディケンズの『ピクウィック・ペーパーズ』の登場人物サム・ウェラーが Habeas Corpus (人身保護令状、〔原義〕汝自身を保つべし)のかわりに、Have his carcase (字義どおりには「死体をもらっておけ」)と言ったり、田舎者が bronchitis (気管支炎)や erysipelas (丹毒)のような病名を奇妙な名で呼んだりする場合である。次のキプリングの短篇に登場する駄洒落好きのマルヴァニー二等兵の言う locomotor ataxy (=ataxia)(歩行性運動失調症)のもじりも、この類例に数えることができよう。
  'They call ut *Locomotus attacks us,' he sez, 'bekaze,' sez he, 'it attacks us like a locomotive.'
  「『汽車にやられる(ロコモトス・アタックス・アス)』ってんだ」と彼は言った。「何せ、そいつは汽車みてえに、俺たちをやっつけちまうんだから」
          (『女たちにぞっこん』)
 英語は、そのお得意の借物上手によって、とくにこうした外国語の転訛形の宝庫に恵まれている。」

「民間語源に似たものに、混成(contamination)、つまり二つの語が一つに接合した現象がある。これは、未開人に似かよった言語本能をもつ子供たちの場合にしばしば見られる。ロンドン動物園に生まれて初めて連れていってもらった女の子が canimals (camels 「駱駝(らくだ)」+animals 「動物」)をぜひ見たいと言っているのを聞いたことがあるが、これはじつはキリンのことだった。(中略)イングランド中部地方のある学校(コレッジ)で、Turpin (ターピン)という名の学生の隣りに坐っていた Constantine (コンスタンティン)という学生が、教師から Turpentine (テレビン油(ターペンタイン))と呼ばれてびっくりしたという話がある。」

「語の真の意味が分らないために冗語法(pleonasm)に陥ることがある。例えば、greyhound (グレイハウンド)は、hound (犬)に加えて、第一要素がアイスランド語の grey (犬)を表わすので、「犬-犬」ということになってしまう。peajacket ((水夫の着る)ピージャケット)はオランダ語の pij に対する民間の解釈を示している。この pij は古形が pye で『ヘクサム蘭英』によれば、「パイ・ガウン(py-gown)すなわち兵士や水夫が着る粗い布のガウン」であるから peajacket は冗語ということになる。Greenhow Hill (グリーンハウの丘)は「緑の丘-丘」となるし、Buckhurst Hold Wood (バッカースト・ホールド森)は「橅(ぶな)の林-林-林」となるが、これは、もとの語 how (丘)や hurst (林)が廃れてしまうにつれて、あとから hill (丘)や hold (=holt 「雑木林」)さらに wood (森)が新たに説明としてつけくわえられていったのである。salt-cellar (塩壷)の後半部は、wine-cellar (葡萄酒貯蔵室)の後半部と同じ語ではない。前者の -cellar はフランス語の salière 「塩壷(salt-*seller*)」(『コトグレーヴ仏英』)に由来する語なので、salt (塩)は不要ということになる。」



「解説」より:

「一方私的生活の面では、一八九八年ノッティンガムに引きあげる直前にドイツで過した休暇の間に、アルザス・ロレーヌの知事を務めたリヒトホーフェン男爵の次女フリーダ(中略)を見初(みそ)め、翌年結婚、二人の間に一男二女をもうけた。しかし、(中略)結婚十三年で破局を迎えることになる。二人の前に現われたのは、フリーダより六歳年下で、ウィークリーのフランス語の授業に出席したこともあるローレンス(中略)、やがて『チャタレー夫人の恋人』(一九二八)などで文学の世界のみならず社会に大きな波紋を投じることになる若き日のローレンスであった。たまたまウィークリーはローレンスを昼食に招き、ローレンスは一度は辞退しながら再度の招待に応じて来訪する。そこではじめて言葉をかわした二人は、たちまち相思の仲となり、数週間後フリーダは家庭を棄てて、ローレンスとともにドイツに駈け落ちをした。二年後ウィークリーとの離婚が成立、フリーダはローレンスと正式に結婚することになる。」
「その後ウィークリーは再婚することなく、両親と三人の子供たちをかかえ、教育と著作に専念することになる。英語の語源に関する最初の著作が本書『ことばのロマンス』であり、その初版の出版は一九一二年三月、奇しくもその同じ月にウィークリー自身の招きで、ローレンスが夫人と会うことになったことは前にのべたとおりである。」
「ウィークリーは、戦災その他の事情から、いく度か転居を重ねたが、最後はロンドンのパットニーに居を構え、長女の家族と平和な生活を楽しみ、一九五四年五月七日九十歳で長逝した。」







こちらもご参照ください:

H・ブラッドリ 『英語発達小史』 寺澤芳雄 訳 (岩波文庫)
佐竹昭広 『古語雑談』 (岩波新書)






























































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H・ブラッドリ 『英語発達小史』 寺澤芳雄 訳 (岩波文庫)

「本来皮肉な用法から生じた新しい意味がもとのよい意味をすたれさせてしまった例が silly (愚かな)に見られる。この形容詞は古期英語の sǣlig に遡(さかのぼ)り、これに対応するドイツ語 selig と同様に「祝福を受けた」「幸福な」の意であった。ところが中期英語になって、ひやかし半分の羨望(せんぼう)あるいは嘆賞の口調で皮肉に用いられることが多くなったことから、今日のような侮蔑的意味が生じたのである。」
(H・ブラッドリ 『英語発達小史』 より)


H・ブラッドリ 
『英語発達小史』 
寺澤芳雄 訳
 
岩波文庫 青/33-659-1 


岩波書店 
1982年5月17日 第1刷発行
1985年5月20日 第5刷発行
337p 索引38p
文庫判 並装 カバー
定価500円



本書「凡例」より:

「本書は、英国の英語学者・辞書編纂者ヘンリ・ブラッドリ(Henry Bradley)(一八四五―一九二三)の代表的著作である原題 *The Making of English* (Macmillan & Co., 1904) をシメオン・ポッター(Simeon Potter)(一八九八―一九七八)による改訂版(Macmillan & Co., Ltd., 1968)により全訳したものである。」


本書「はしがき(初版)」(ヘンリ・ブラッドリ)より:

「現代英語を思想表現の手段と見るとき、その長所・短所はいかなる原因によって生じたのであろうか。この問題について、言語学に不案内な読者に多少の知識を与えようとするのが、本書の目的である。従って、英語の歴史も、この問題に関わる範囲内に限って扱うことにした。」


本書「はしがき(改訂版)」(シメオン・ポッター)より:

「第六章までは、時の経過が必要とした僅かな改変を別にすれば、ほとんど原著のままであるが、最後の二章と参考文献解題は私の補筆である。」



ブラッドリ 英語発達小史



カバー文:

「英語とドイツ語によく似た単語があるのはなぜかと説きおこすことから始めて、古期英語がいかなる道筋をへて今日の英語へと生成発展してきたかを平易明晰、興味つきぬ語り口で説き明かす。ブラッドリ(1845-1923)はOEDの卓越した編纂者。一般読者のために書かれた英語史として、類書中群を抜く入門書である。原題「英語の成立」の完訳。」


目次:

凡例
はしがき(改訂版) (シメオン・ポッター)
はしがき(初版)

第一章 序論
 一 ドイツ語と英語の類似点
 二 ドイツ語と英語の相違点
 三 古期英語の特徴
 四 本書の目的
第二章 英語文法組織の成立
 一 語形変化の単純化
 二 文法上の新素材
 三 言語変化に伴う得失
第三章 英語に対する外国語の影響
第四章 英語の造語法
 一 合成
 二 派生
 三 語根創造
第五章 意味の変化
第六章 英語形成の貢献者
第七章 英語の拡張
 一 ニューイングランドと合衆国
 二 カナダ
 三 南アフリカ
 四 オーストラレーシア
 五 インド
第八章 英語の現在と未来

参考書目抄

訳者註
解説
人名・地名・事項索引
語句索引




◆本書より◆


「第二章 英語文法組織の成立」より:

「-s 属格の語は、その支配する語の直前に来ること、両者の間に介在できるのは後者を修飾する形容詞とその形容詞を限定する副詞に限るという規則ができたため、現代英語では -s を事実上、他の要素から形態・意味上分離されるいわゆる自由形態素(free morpheme)として扱う習慣が生じた。そこで例えば the Duke of Devonshire's estates (デヴォンシア公爵の領地)のように、単一の観念を表わす連語全体に -s を付けることになる。とくに口語では、この語法は極端に走り、甚だ奇妙に見えることもある。That was the man I met at Birmingham's idea. (それがバーミンガムで会った男の考えだ)のような文を耳にすることがしばしばある。この場合書いて表わすことはできないが、その時の語調では the-man-I-met-at-Birmingham が一時的に一語となり、普通の名詞のようにそれに -s が付いたものと解釈できる。これがいわゆる群属格(group genitive)であるが、同義の of 属格より直截的で力強いという点で、英語の言語資源を豊かにした有用な形式である。」


「第五章 意味の変化」より:

「形容詞 sad (悲しい)は、古期英語では対応するドイツ語 satt の意味「飽き飽きした」「満腹の」「満足した」をもち、十四世紀に至るまでこの意味で使われていた。エドワード二世時代のある詩人は Seldom am I *sad* that semli for to se. (美わしきかの人を眺め飽くこと今はまれ)と歌っている。しかし快楽の欲望を満たした人は不安も興奮も感じなくなり、落ち着いた、真面目(まじめ)な態度で前よりも自分の仕事によく励むようになるものである。そこでチョーサーの作品の中では、sad は「落ち着いた」「真面目な」「信頼できる」などの意味をもつようになった。シェイクスピアでは、軽薄とか陽気の反語としてしばしば「真面目な」の意味に用いられている。この種の用法の有名な例に a jest with a sad brow (真面目くさった顔で言う冗談)、in good sadness (生真面目に、本気で)などがある。しかしすでにシェイクスピアにおいて Your sad (heart) tires in a mile-a. (悲しき胸は一哩(マイル)に倦(う)む)のように、sad は「真面目な」の意からさらに一歩進めた意味で多く用いられている。そして十七世紀になると、この語の用法は現行の「嘆き悲しむ」に限定された。また、英国の中部・北部方言では、この語の意味は奇妙な方向に派生変化している。真面目で容易に物に動じない人を形容するのに用いるところから、その類推で物体について「固い」「ぎっしりした」の意味で用いられるようになった。またヨークシア地方では、sad bread と言えばうまくふくれて(引用者注:「ふくれて」に傍点)いないパン、つまりちゃんとしたパンのように軽くふんわりしていないパンを指す。形容詞から派生した動詞 sad は、sad down では「きっちりさせるために圧しつける」を意味し、アイロンのことを金物屋の商品名で sad-iron というのはこれに由来している。」

「包括的用法を経由して新語義が発達することは、動詞の場合も名詞に劣らずよく起っている。古期英語の動詞 werian (現在の wear)の意味は単に「着ている、着る」であった。しかし、衣服を着る(引用者注:「着る」に傍点)という行為は、やがて糸が見え出したり、擦(す)り切(き)れて穴があき、着られなくなるという結果をもたらす。そこで中期英語になると、この動詞は着る行為とその結果の両方を表わす包括的意味を獲得した。さらに後代になると、結果だけについてもしばしば用いられるようになり、さらに意味の一般化作用によって、衣服以外の物にも適用されることになった。一六一一年出版の英訳聖書には The waters wear the stones. (水は石をうがつ)という言葉が見えるし、現代英語でも a face worn by troubles (悩みにやつれた顔)などと言う。このように二重の意味があると、語の意味が曖昧になることがある。a dress that is much worn は「流行している衣服」と同時に、「着古された衣服」の意にとれて曖昧であり、この wear を自動詞に使うと全く矛盾した意味さえ表わすことがある。I want a cloth that will wear. (長持ちする生地がほしい)と I want a cloth that will not wear. (すぐに擦り切れないような生地がほしい)とは、いずれも全く同じことを言っているのである。」

「deer もまた中期英語では、ドイツ語の Tier (動物)のように広い意味をもっていた。しかし、中期英語になると、この意味はフランス借入語の beast が表わすようになり、さらに後にはラテン語の animal が科学用語から一般的語彙に移った。これに対して、本来語 deer は十三世紀に至るまでその原義を保有しており、一二〇〇年ごろオルムは、Lamb is soffte and stille deor. (小羊は柔和(にゅうわ)でおとなしい動物である)と言っているし、さらに後になるとライオンについてもこの語を用いた例がある。しかし一方、すでに十三世紀においてさえ、狩猟の獲物すなわち鹿を意味する語となっていた。そして古義の方は、鼠の類を表わす small deer にのみ残ったが、この句はシェイクスピアが一三〇〇年ごろの古詩『ベヴィス卿』(Sir Bevis)の用法を映したものである。一四八一年に英国の最初の印刷者・翻訳者のキャクストン(William Caxton, ?1422-91)が deer を「動物」の意で用いた一例があるが、これはキャクストンがブルージュに長く住んでいた結果、母国語よりもフラマン語の方に慣れ親しんでいたために過ぎない。」







こちらもご参照ください:

ウィークリー 『ことばのロマンス ― 英語の語源』 寺澤芳雄・出淵博 訳 (岩波文庫)
小林章夫 『チャップ・ブック ― 近代イギリスの大衆文化』
桝井迪夫 『チョーサーの世界』 (岩波新書)
























『トマス・ド・クインシー 著作集  Ⅲ』 (全四巻)

「ケイトは常に不幸だったが、運は常に良かった。」
(トマス・ド・クインシー 「エスパニヤ尼俠伝」 より)


『トマス・ド・クインシー
著作集 
Ⅲ』


悪魔の骰子 高山宏 訳
ハイチの王 横山茂雄 訳
クロースターハイムあるいは仮面男 藤巻明 訳
タタール人の反乱 土岐恒二 訳
復讐者 土岐恒二 訳
エスパニヤ尼俠伝 南條竹則 訳


国書刊行会
2002年3月10日 初版第1刷印刷
2002年3月20日 初版第1刷発行
581p 訳者紹介1p 
A5判 丸背紙装上製本 貼函
定価8,600円+税
装幀: 高麗隆彦



第四回(最終回)配本・第三巻。
「タタール人の反乱」に地図(「タタール人の逃避行路図」)1点、ド・クインシー略伝に図版(「トマス・ド・クインシー(1850年頃)」)1点。



ド・クインシー著作集3



帯文:

「主要著作を集大成した初の作品集!!
男装の麗人の波瀾に充ちた冒険をたどる『エスパニヤ尼俠伝』。ドイツ三十年戦争を舞台に謎の仮面男が暗躍するゴシック・ロマンス『クロースターハイム』。笑いとナンセンスが渦巻くユーモア小説『ハイチの王』他、多彩な小説作品全6篇を収録。
付=ド・クインシー小伝。
全巻完結!」



目次:

悪魔の骰子 (高山宏 訳)
ハイチの王 (横山茂雄 訳)
クロースターハイムあるいは仮面男 (藤巻明 訳)
タタール人の反乱 (土岐恒二 訳)
復讐者 (土岐恒二 訳)
エスパニヤ尼俠伝 (南條竹則 訳)

訳註
霊妙なる蜘蛛の糸――トマス・ド・クインシー略伝 (藤巻明)
解説・脱線と恍惚 (横山茂雄)




◆本書より◆


「ハイチの王」より:

「グッドチャイルド氏は急に寒気を覚えた。実は、この刹那、子供の頃に聞かされた物語が記憶から蘇って氏の頭をかすめたのであった。すなわち、『ファウストゥス博士』が上演される際には、舞台に登場する悪魔たちの数が実際より一名多い事実が不意に露見し、その余分なひとりは芝居上の悪魔ではなく正真正銘本物の悪魔だと分ることがままある――そういう話である。」


「クロースターハイムあるいは仮面男」より:

「深い沈黙がかなりの間城中を支配していた。部屋に置いてある時計が四半時を告げる鐘を鳴らして一瞬その沈黙を破り、方伯が目を上げると、もう二時過ぎだった。夜の床に就こうとして立ち上がり、一瞬机に手を置いて思案に耽った。瞬間的に畏怖の感情が過(よ)ぎったのは、目を部屋の下手隅の暗がりに向けていると突然の思いに駆られたからだった――あれほど謎に満ち、しかもあれほど多くの障害を突き破ってクロースターハイムのあらゆる屋敷の内部へ入り込める人間ならば、間違いなくこの城を訪れることも十分ありうる、いやそれどころか、ほかならぬこの部屋の中へ入り込むことだって決してありえないことではなかろう、と。これまでに仮面男を撃退できた障害物などあっただろうか。そしておこがましくもその訪問時間を推定できる者などいるだろうか。ほかならぬ今夜が仮面男の選んだ時間かもしれないのだ。かくの如く考えながら、方伯は薄暗い姿が下手隅の戸から部屋に入ってくるのに突然気づいた。(中略)その人物の歩みは忍び足とはとても言えなかった。それどころか、動作、物腰、挙動はこの上なく威厳に満ち厳かだった。しかし、足音が全く聞こえないので隠れた意図の存在を窺わせた。影の動きだってこれほど音無しではない。そして、この情況のおかげで方伯の懐いた第一印象、すなわち、今やこのところ懐いている願いが叶い、あれほど畏怖の対象となり、あれほど広まった恐慌の生みの親である謎の人物にもうすぐ会えるという印象は正しかったと確認された。
 方伯は正しかった。実際それはいつものように cap-à-pié 頭の天辺から爪先まで(引用者注:「頭の天辺から爪先まで」に傍点)武装した仮面男だった。」



「タタール人の反乱」より:

「一七七一年初秋のとある晴れた朝、清国皇帝の乾隆帝は万里の長城の城外に広がる荒蕪の辺境で娯楽に興じていた。幾百平方里にもわたってその地方にはまったく住人がなかったが、いたるところに豊かな古木の森林がひろがって、狩猟のためのあらゆる珍獣が駆け回っていた。この孤独な地域の中心部に皇帝は豪華な狩猟小屋(木蘭囲場)を建て、そこへ毎年、娯楽と政務からの解放を求めて足を運んだ。猟獣を深追いするうちに猟場から二百マイルも離れた遠くまで足を踏み入れることになり、少し距離をおいて充分な護衛兵を従え、毎夜違う場所に野営の幕屋を張っているうちに、ついに中央アジアの広大な砂漠地帯の端まで到達してしまっていた。ここで皇帝がたまたま大テントの開口部に立って朝の日の光を楽しんでいたまさにそのとき、突然西の方に、巨大な雲のような蒸気が立ち昇り、それが次第に広がり、上昇し、ゆっくりと空一面に満ち広がっていくように思われた。やがて次第にこの一面の靄は地平線の近くで濃くなりまさり、大波のようにうねりつつ近づいてきた。(中略)最初はとほうもない鹿の大群か、さもなければ別の狩猟用の野生動物が、皇帝の動きか、あるいはひょっとすると餌を漁りまわる野獣のために安静を妨げられて森のねぐらから跳び出してしまったのが、もとの森のねぐらに戻ろうとして、邪魔される虞(おそれ)のないどこか遠い地点から森の中に入ろうと、遠回りをしているのかもしれないと想像された。しかしこの憶測は、ゆっくりと嵩を増してゆく砂塵と、その動きの変わらなさとによって振り払われた。それから二時間後にはこの巨大な現象はそれを見ている者たちのところから五マイル以内と判断される地点まで近づいてきていた。」


「復讐者」より:

「「あなたはなぜわたしを殺人者と呼ぶのですか。なぜわたしのことを、大地が血に汚されているときに、圧政者の足跡を追って燃えさかり、大地を清めてゆく神の怒りとは呼んでくださらないのですか」」

「私は、現在もなおそうだが、当時、事件の舞台として一躍悪名を轟かせたあの町の大学の教授であった。(中略)敢えて断言してもいいが、人知で予想できること、人間の創意でできることは、すべて手をつくした。しかし気の滅入るようなその結果はどうだろう。(中略)なんと別々の家で十件もの一家皆殺し事件がつぎつぎと起こって、そうした用心の方策がことごとく失敗に終わり、なんの役にも立たなかったとわかったときには、かえってそうした方策が恐怖心を、いや、なによりも畏怖の念を――摩訶不思議という感じを――いっそう助長することになったのである。」

「さていまやウィンダム氏の到来からすでに二ヵ月がたった。氏は当地の最上流の社交界のすべての成員に紹介され、言うまでもないことだが、誰からも好意をもって迎えられ、一目置かれていた。実際、彼の財力と貫禄、軍から授かったかずかずの栄誉、そして身のこなしのはしばしに現れる彼の性格の高貴さはあまりにも歴然としていたので、どんな社会においても彼が最高の配慮をもって遇されないということはあり得なかった。(中略)彼の性向はもともと開放的で率直、かつ人を信じやすいところがあった。人生の半分以上を野営地で過ごした放浪と冒険を好む生き方ゆえに、彼の態度には軍人以上の率直さがしみついてしまっていた。しかし彼に取りついた深い憂愁は、その原因がどこにあったにせよ、彼の物腰に生来そなわっていた自由闊達さを、固い友情か愛の力でそれをもとに復さないかぎり、いやおうなく凍結させてしまっていた。その結果、およそどんな集団にとっても彼の同席は気詰りで、当惑するようなものとなるのだった。」

「話を進める前に、ひとつには、ほとんど専らぼくひとりの所行のために無実の人が疑いをかけられることのないように、いやそれ以上に、神が、あなたがたの罪深い市を囲む城壁に、ぼくの手をして、血をもって書かせ給うた教訓と警告とが、まともな説明がなにもないためにむなしく消え去ることのないように、ぼくの臨終の告白をお聞きください、城壁に囲まれたあなたがたの市内の多くの家族を離散させ、家庭の炉辺を至聖所とせず、老齢をも保護のお墨つきとはしなかったあの一連の謀殺は、恐ろしい復讐のしもべたるぼくの、たとえ必ずしもつねに直接手を下したことではなくとも、この頭がそもそもすべて考え出したことなのです。」
「ぼくの哀れな家族にとって名誉と幸福を葬る墳墓となったあなたがたの市に近づくにつれて、ぼくの心臓は気も狂わんばかりの激しい感情に動悸がしてきます。(中略)ぼくたちが市の城門に近づいて行くと、旅券を調べていた役人は、母と妹たちがユダヤ女と書かれてあるのを見つけて――ユダヤ女であるということは(ユダヤ人が決して辱めを受けることのない地方に育った)母の耳には、つねに栄誉の称号として響いていたのでしたが――下っ端役人を呼びつけました。するとそいつは乱暴な言葉遣いで通行税を要求したのです。ぼくたちはそれを馬車と馬の道路税のことだろうと思ったのですが、すぐにその誤りに気づきました。僅かな金額ながら、妹たちと母との銘々に、同じ頭数の牛に対するのと同じ料金が請求されていたのでした。ぼくは、なにかの間違いだろうと思って、くだんの男に穏やかに話しかけました。(中略)ところが男はなにやら印刷された板紙を取りだしました。見るとそこには下等動物と並んで、ユダヤ人男女は一人あたり同額の料金となっているのでした。そのことについてぼくたちが議論している間、城門警護の役人たちはせせら笑うような薄ら笑いを浮かべていました。駅馬車の御者たちもいっしょに笑っていました。(中略)翌日やっと会えた父は、驚いたことに、まさに死に瀕しておりました。」
「父は拷問と屈辱にうちひしがれて息絶えたのです。」
「母は、いまや自分を律することができず、悲しみのあまり義憤に駆られて、公然と、また法廷においても、係官の取った行動を非難しました。」
「母は、小反逆罪に相当するなにかの罪で、あるいは高官誹謗のかどで、あるいは治安妨害の種を蒔いたことで、逮捕されました。(中略)くだんの犯罪に対して法が定めた罰は、キリスト教徒の女にとってさえ過酷なものでした。しかしユダヤ女に対しては、この迫害された民族に対して設けられた古い法律のひとつによって、ほとんどすべての犯罪に、遥かに重い、さらに屈辱的な刑罰が上乗せされていたのです。」
「そうして母はゆっくりと、明日というものを知らない永遠の眠りについたのでした。」

「いまやこの世はぼくにとっては砂漠でした。」

「さて、いまやすべては終わり、人道のための仇討ちは果たされました。それでもあなたがこの流血と恐怖とに対して苦情を訴えられるなら、ぼくにそのような権利を生じさせた非道な仕打ちを思い浮かべてください。(中略)諸侯の会議においてぼくの教訓を肝に銘じさせるためには、社会を震撼させ、社会に衝撃をあたえることの必要性を思ってください。」



「エスパニヤ尼俠伝」より:

「だが外に出て、星のきらめく夜空の下、ふたたび自由になったケイトは、どちらへ向かって行くべきであろう? 夜明け前に姿を消してしまわなければ、街全体が彼女にとっては(中略)一つの巨きな鼠取りの罠となるであろう。海だけが逃れ道だと彼女は一目で了解した。そして港へ急いだ。あたりは静まり返っていた。見張り番はいなかったので、彼女は一艘の小船に飛び乗った。櫂を使うのは危険だった。というのも、音を消す手段(てだて)がなかったからである。だが何とか帆を上げて、鉤篙(かぎざお)で舟を押し出し、たちまち港の口へ向かって水面(みなも)を渡りはじめた。風は弱いが順風だった。こうして脱出の難関を切り抜けると、彼女は横になり、いつのまにか眠りにおちた。」

「君達ははすべての女性に対すると同じく、ケイトのことを無躾(ぶしつけ)に語りすぎる。生来の懐疑的本能によって、真実の隠された深みというものをことごとく嘲弄するのだ。」
「だが、君らの(引用者注:「君らの」に傍点)背後に、わたしはもっと性質(たち)の悪い奴の姿を見る――そいつは陰気な狂信者、宗教的阿諛(あゆ)追従者で、自分自身の悪行とは全然違う種類の悪行を厳しく咎め立てることによって、己(おの)が仲間の罪を贖(あがな)おうとする。そこで筆者はケイトのために、せっかちな読者に向かって一言そいつの悪口を言っておかねばならない。
 この悪党は嘘を笠(かさ)に着て我等がケイトを攻撃する。というのも、市民社会の構造そのものに嘘がひそんでいるからである――犯罪の重大さについて我々の判断を誤らせる、必然的な(引用者注:「必然的な」に傍点)誤謬が。人は単なる“必要”に強(し)いられて多くの行為を大罪となし、重罰を課すのだ――そんなものはごく軽微な犯罪にすぎない、と理性はこっそりささやくのであるが。例えば、あの気の毒な叛兵あるいは脱走兵たちにしても、必ずしも弁解の余地がなかったとは限るまい。かれらは苛酷な扱いを受けていたかも知れぬ。しかし、戦争の緊迫した時にあっては、個々の言訳はどうであろうと、叛兵は必ず(引用者注:「必ず」に傍点)銃殺されねばならぬ。仕方がないのだ――ちょうど、皆が飢饉にあえいでいる時、一人の男が死にかけた子供たちに食べさせようとして、共同倉庫から食糧を盗むところを見つけたら、たとえその罪は神様の目にはとまらないにしても、我々は彼を(ああ! やむを得ず)撃たねばならぬ、それと同じことだ。」
「さて、ケイトを誹謗する我等が悪しき友・狂信家氏は、さような目的のために、社会があらゆる暴力に対して下す誇張された評価から己に優利な立場を引き出して、これを濫用する。身の安全という事が社会的結合の主たる目的であるから、我々はあらゆる形の暴力に対し、この結合の中心原理に敵するものとして眉を顰(ひそ)めざるを得ない。我々は暴力が全体としてもたらすところの結果から、これを評価せざるを得ない(引用者注:「せざるを得ない」に傍点)ので、それが発生した特殊な状況に基づいて考慮することは、滅多にないのだ。かくして、この種の行為に対して(哲学的に言えば)度を外れた嫌厭の念が起こり、警察の倫理が日々用いられるうち、いつの間にか宗教家の倫理にまで染み込んでしまったのである。しかしわたしは阿諛追従の狂信家に言ってやる――おまえは社会の否応(いやおう)なく歪められた偏見を笠に着て、ケイトを不当に罵っているのだ、と。」
「ケイトは多くの事に於いて高貴だった。彼女の最悪の過誤といえども、けっして利己心とか欺瞞(ぎまん)んとかの形をとらなかった。(中略)彼女は阿諛追従者や猫っかぶりを憎んだ。」
「粗暴な人間は必ずしも好きこのんで粗暴なのではなく、たぶん、状況がそうさせているのである。そして、ケイトの置かれた環境は、彼女に願いを実現する手段(てだて)をほとんど与えなかったけれども、もし可能ならば(引用者注:「可能ならば」に傍点)、彼女の願いが常に平和と脱世間的な幸福とであったことはたしかだ。」





こちらもご参照ください:

『トマス・ド・クインシー 著作集  Ⅳ』 (全四巻)
『マルセル・シュオッブ全集』
『江戸川乱歩全集 第7巻 黄金仮面』
























































































『トマス・ド・クインシー 著作集  Ⅳ』 (全四巻)

「人間全体にとって忌まわしく恥ずべきそのほかの残虐行為の数々がこの癲狂院では実行されており、それは必ずしも下男たちが与えられた権力を濫用するという形ではなく、管理者たちが揮う直接の権力によって行なわれていた。にもかかわらず、この癲狂院は患者に対する寛容な治療のために最も好ましい病院に選ばれ、実際きわめて高い評判を保ち続けたのである。」
(トマス・ド・クインシー 「湖水地方と湖畔詩人の思い出」 より)


『トマス・ド・クインシー
著作集 
Ⅳ』 


湖水地方と湖畔詩人の思い出 藤巻明 訳


国書刊行会
1997年2月10日 初版第1刷印刷
1997年2月20日 初版第1刷発行
685p 訳者紹介1p 
A5判 丸背紙装上製本 貼函
定価8,858円(本体8,600円)
装幀: 高麗隆彦



第二回配本・第四巻。
地図2点、モノクロ図版9点。



ド・クインシー著作集4



帯文:

「主要著作を集大成した初の作品集!!
コールリッジ、ワーズワス、サウジーら英国ロマン派の詩人たちや、湖水地方の思い出深き人びとの複雑深遠な肖像画。文学史上に不動の地位を保つ高名な回想録『湖水地方と湖畔詩人の思い出』を詳細な註を付して全訳。
本邦初訳!」



目次:

湖水地方と湖畔詩人の思い出 (藤巻明 訳)
 第一章 サミュエル・テイラー・コールリッジ
 第二章 ウィリアム・ワーズワス
 第三章 ウィリアム・ワーズワスとロバート・サウジー
 第四章 サウジー、ワーズワス、コールリッジ
 第五章 グラスミアの思い出
 第六章 サラセン頭
 第七章 ウェストモアランドと谷間の住人たち
 第八章 チャールズ・L――の思い出
 第九章 湖水地方の社会――エリザベス・スミス、シンプソン一家、K――氏
 第十章 湖水地方の社会
 第十一章 歩き屋ステュアート、エドワード・アーヴィング師、ウィリアム・ワーズワス

付録1 『テイツ・エディンバラ・マガジン』 一八三五年八月号掲載記事からの抜粋
付録2 ド・クインシーからワーズワスへの手紙
付録3 ワーズワスからド・クインシーへの手紙

訳註
解説・偉大なる雄弁と鑑識眼 (藤巻明)




◆本書より◆


「第一章 サミュエル・テイラー・コールリッジ」より:

「しかし、そろそろ、本当の、明白な剽窃の事例に移ろう。とはいっても、それはやはり、コールリッジほど造詣の深い人物が引き起こすとなると全く説明のつかない性質のものではある。(中略)ともかく、これから八百年か千年の後、コールリッジの『文学的自叙伝(バイオグラフィア・リテラリア)』を読んだ後に、偉大なバヴァリアの教授シェリング(中略)の哲学的評論雑録集を読むつむじ曲がりの批評家が現われないとも限らない。すると、その人は奇妙な発見をすることになるだろう。「文学的自叙伝」のなかには、Esse 実在(引用者注:「実在」に傍点)と Cogitare 思惟(引用者注:「思惟」に傍点)のあいだの相関関係に関する論述があり、議論の出発点である仮定を逆転させることによって、それぞれが、思惟可能な生成過程によって、どのようにして他方からの所産として生じうるのかを示そうと試みている。これは、フィヒテの時代以来、ドイツの形而上学者たちの心を大いに捉えてきた主題であり、何千もの論文が書かれ、そのうちの何百かは何十もの人々によって読まれている。特にこのコールリッジの論文には短い前置きが付けられていて、そこでコールリッジはシェリングとの偶然の一致に気づいて、真実に従ってそうするのが適当である限りいかなる場合にも、これほど偉大な人物に恩義を被っていることを喜んで認めようと表明しながら、特にこの場合については、proprio marte 自分固有の技能にて(引用者注:「自分固有の技能にて」に傍点)全仮説を考えついてから何年か後に初めて目にした議論を借用した可能性などあるはずがないと主張していた。これを読んだ後で、この論文全体が最初の一語から最後の一語にいたるまでシェリングからの逐語的な(引用者注:「逐語的な」に傍点)翻訳であり、議論を発展させるなり実例を変えるなりして、もとの論文を自分独自のものとする試みが一箇所としてなされていないことを発見した時、私の驚きたるやいかばかりであったろう!(中略)今挙げたものは鉄面皮な剽窃であり、思慮分別を持ち合わせていれば、わが国でドイツの文献、とりわけこの方面のドイツの文献に関する知識がないことを過度にあてにしない限り、犯せるはずのないものであった。ところで、コールリッジはシェリングから借りる必要などあったのだろうか。In forma pauperis 貧民としての権利で(引用者注:「貧民としての権利で」に傍点)借りたのだろうか。そんなことは全くなかった――だからこそ不思議だったのである。毎日毎日時を選ばず、ただ自分自身の営みが楽しいという理由だけで、己れの魔術的な頭脳という織機からもっとはるかに豪華絢爛たる理論を紡ぎ出し、しかもその理論たるや、シェリングが――これまでに生を享けたいかなるドイツ人も、ジャン・パウルでさえ――夢にも真似ようのなかった華麗で贅沢な比喩によって裏づけされていたのだった。黄金郷(エル・ドラード)の富に囲まれていながら、コールリッジは思い付けば誰の財布からでも一握りの黄金をくすねるようなはしたない真似をし、桁外れの事業主や百万長者(引用者注:「百万長者」に傍点)に取り憑くことで有名な軽窃盗罪行為に走る気違いじみた性癖を、知的な富に応用した新しい形で紛れもなく再現していた。先代のアン――公爵は、銀の匙などという取るに足らない品物に対して密かな熱狂を注ぐのを自制できなかった。そこで、父親の評判を落とさないよう気を配って、腹心の召使いに父親のポケットを探らせ、盗んだ品物の本来の持ち主を突き止めさせるのが、殊勝な娘の日々の務めとなったのである。」
「コールリッジは、自負してしかるべき重要な点のすべてにおいて、この世に生を享けたいかなる人にも劣らず独創的であり、古代ならアルキメデス、近代ならシェイクスピアにも劣らない人であったと私は心から信じている。読者は、ギリシアとローマの教父たちの著作のなかにも下らないものが含まれているというミルトンの説を目にしたことがおありだろうか。あるいは、アフリカの魔術師(オービア)が魔法にかける案山子(かかし)に詰め込む奇怪ながらくたについての話を読んだことがおありだろうか。あるいは、もっとお馴染みの例を挙げれば、子供――例えば三歳の――が夏の長い一日戸外で思う存分遊び回った後で眠りを貪っている時に、そのポケットを探って楽しい思いをしたことはおありだろうか。私にはその経験がある。そして、(中略)中身を細かく調べそのすべてについての正式な一覧表を作成した。ひょっとすると(引用者注:「ひょっとすると」に傍点)選択の法則が子供の苦心の行動を支配していたのかもしれないのだと説明を試みようとすると、哲学は途方に暮れ推測や仮説は混乱に陥る。文鎮にでもする以外これといって特徴のない石、古くて錆びついた蝶番、釘、料理女が背を向けた隙に掠め取ってきた曲がった焼き串、ぼろ布(きれ)、割れガラス、底の抜けた紅茶茶碗、そのほかどっさりある似たような宝物が、この procés verbal 議事報告書(引用者注:「議事報告書」に傍点)の主要項目であった。だが、この素晴らしい宝物を集めるために、多くの骨折りの必要が生じ、おそらくある種の危険に直面し、確信犯の泥棒が懐く不安に堪えねばならなかったことは疑いない。コールリッジの行なった強奪の値打ちはその程度であった。本人、あるいはほかの誰にとっても、その実用性はその程度であった。」

「当人を知っている者は、コールリッジがいかなる約束をしようと決してそれを当てにしてはいなかった。その意図はいつも決まって立派なものだったにもかかわらず、in re futura 未来のことに関しては(引用者注:「未来のことに関しては」に傍点)いかなる確約を与えられてもそれを真に受ける者はいなかった。午餐やそのほかの集まりにコールリッジを招いた人たちは、当然のことながら、馬車を送り、自ら出向くか代理人を派遣するかして連れて来なければならなかった。更に、手紙については、愛情の籠もった敬意を懐かせる女性の筆跡で宛名書きされていない限り、その他大勢の配達不能郵便物用抽斗(引用者注:「配達不能郵便物用抽斗」に傍点)のなかへ十把一絡げに抛り込んで、めったにと私は思うが、開封することさえなかった。」

「目は大きく、その表情は柔和だった。お目当ての人であると分かったのは、目の光に靄がかかっているというか夢見心地を湛えているような独特の様子からであった。これがコールリッジだった。私は一分かそこらこの人物をしげしげと眺めていた。すると、私自身の姿も通りにある何物もその目に映ってはいないという印象を受けた。白日夢にどっぷり浸っていたのだった。」

「一八一〇年の秋コールリッジは湖水地方から去った。しかも――私の知る限り――永遠に。(中略)様々に移り変わる美しい光景のあらゆる姿形をあれほど知り尽くしていた場所からこのように永遠の自己追放を行なった理由が何であったのか、私には推測することしかできない。おそらく、いかにももっともと思われるようなものとは正反対の理由であった。万が一にも、美しい光景の魅力に対して無関心になったからではなく、美しい光景の圧倒的な力に反応し続け、衰えることを知らぬ感受性が、余りにも苦痛に満ちた記憶と、突然思い出され照らし出される個人的な追憶の迸り――

  「十年も深く埋もれし隠し場所より
  時に飛び出してきて、」

耐え忍ぶには余りに辛く余りに痛ましい形で、現在と長く忘れられた過去とを鉢合わせさせるような追憶――と、結び付いてしまったからであった。私の友人に、海岸を―― ανηριθμον γελασμα、すなわち無数の笑顔を浮かべた波が目に入ったり、あるいはその響き渡る轟きが耳に届いたりするところを――歩くことができないという異彩を放つスコットランド人がいる。波は古くからの連想による結び付きによって、燦(きらめ)いてはいたが余りに熱烈すぎた自分の青春時代を、とても耐えきれないような形で心に呼び起こしてしまうからというのである。」



「第二章 ウィリアム・ワーズワス」より:

「その当時私は、体裁よく振る舞うことが覚束ないほど会話の能力に欠けていたのだろうか。その点に関して言えば、それは私がワーズワスと似ている(中略)特異な点であった――すなわち、ごく若い頃、私は興味を惹かれた事柄についての考えを十分に伝えようとすると、奇妙な当惑と言葉の欠乏に悩まされていたのである。また、欠乏していたのは言葉だけではなかったのであり、一つの主たる考えが幾つかの付随的な考えに拡散してゆくことがよくあるものだが、そうした付随的な考えを解きほぐすことはおろか、それらを完全な形で自分の意識に上らせることや、しかるべく整理することさえもできなかった。というか、少なくとも、そうしたことを会話に必要とされる迅速さをもって行なうことはとうていできなかったのである。私は、知性と深い感情とが結び付いて複雑に縺れ合った考えを提供するような主題を扱っているのだと気づくたびに、悲しい預言の苦しみを全身に漲らせた巫女(シビラ)のように苦しんだ。そして、一つにはこうした事情から――また一つには、夢想に耽りがちな私の抜き難い習癖のために――人生のその時期に、私は “pour le silence” 「沈黙のための」きわめて卓越した才能を備えていたのである。」

「イギリスに生を享けた女性で、これほどはっきりとエジプト人のように日焼けした顔を見たことは稀だった。その目は、ワーズワス夫人のように柔和ではなく、かといって険しくも大胆不敵でもなく、熱に浮かされていて、人をどきりとさせるようで、動きが気忙しかった。人当たりは温かく、熱烈でさえあった。感受性は生まれつき深みを帯びているようだった。そして、熱烈な知性の名状し難い焰が一見して明らかにそのなかで燃え、それは当人の気質の抗い難い本能によって前へ押し出されてはっきりと表面に表われたかと思うと、それに代わってたちまち、(中略)守るべき慎みに従って、消し止められるということを繰り返していたが、この焰のために、態度全般と会話において、当惑ばかりでなく自己矛盾の雰囲気さえも醸し出されており、時には見ていて痛ましいこともあった。発言と発音すら、しばしばというよりもむしろたいていの場合、明瞭さと落ち着きという点に関して、過剰な生来的感受性の興奮とおそらくは何か病的な神経の興奮性との影響を被っていた。時折、自己の内部で拮抗し妨害し合う様々な感情のせいで吃ることさえあり、余りに決定的な形で吃ってしまうため、もしも事情を知らぬ者がこの姿を見てその時の感情の状態のままそこから立ち去ったとしたなら、この女性は吃りという発話能力の欠陥にチャールズ・ラムその人と同じくらい痛ましく苦しめられている人なのだときっと考えたはずである。これが詩人の唯一人の妹ワーズワス嬢――詩人の大切な「ドロシー」――であり、偉大な兄が最も孤立し引き籠もって暮らしていた時に兄とのあいだで交わし生涯に渡って続くことになった交流に、当然のことながらたいへん多くのものを負っていたが、一方、兄の方でも妹に対してこの上なく深甚な恩義を被っていることを認めていた。」

「詩人は戸外に生きていた。そして、途方もない喜びを、兄と妹は自然のごくありふれた外観とその果てしない多様性とから引き出していた――その多様性たるや余りにも際限がないため、ライプニッツの原理通りに、木や灌木の葉っぱ一枚もその繊維質とその配列において正確にほかのどの葉とも決して似ていないのだとすれば、ましてやある一日がその喜ばしい要素の全体に渡って別の一日の繰り返しになることなどないというほどであった――」

「ワーズワス嬢は、威厳のために不可欠の慎み深さを保つには、余りに情熱的で激しやすい女性であった。(中略)手短にいえば、私がこの世で知り合った誰よりも、ワーズワス嬢は衝動に生きる人であった。」
「ワーズワス嬢の型破りな教養が実際に(引用者注:「実際に」に傍点)人を驚愕させた例は、その文学的な知識に関してであった。何を読むにせよ読まないにせよ、専ら自分の心の衝動だけに従ったのであり、心が導くところならそこへ(引用者注:「そこへ」に傍点)付いて行き、心が沈黙しているか無関心なところでは、著者の名が高かろうが、社交上の必要を満たすためにその著者の作品と馴染みになる必要があろうが、そんなことは一顧だにしなかった。そして、このようにして、不思議な例外的な女性が誕生したのである。すなわち、流行の範囲からはかなり外れていた幾人かの偉大な著者たちには深く精通しており、その上自分自身で目覚ましい印象を生み出すことができ、ある種の主題については、楽しく、しかも発する言葉のすべてに独創性の刻印を施して書くことができるにもかかわらず、母国語の古典的な作品について無知であり、(中略)青鞜主義(ブルーストッキンギズム)の地位と特権から直ちに追放されてしまうほど文学史には無頓着な女性であった。」



「第八章 チャールズ・L――の思い出」より:

「確かにそれは紛れもなく気違い病院から脱走してきた気の毒なL――であり、打ち解けて自分になついていると本人がしかるべき根拠に基づいてそう考えていた人物の名誉と愛情に縋って、保護を求めに身を投げ出してきたのだった。」
「とにかく私は一つのことを心に決めており、それは、この不幸な友人に対する私の態度を一定の原則に基づいたものとすること、すなわち相手を率直に扱い、いかなる場合にも身柄の自由にかかわる企ての加担者とはならないということであった。この友人が再び囚われの身となることは分かっていたが、私の手を通してそうするのは御免だった。このような場合には(すなわち、相手が私の誠実さを当てにして身を投げ出してきた場合)人殺しであろうと私は裏切りはしない。」
「人間全体にとって忌まわしく恥ずべきそのほかの残虐行為の数々がこの癲狂院では実行されており、それは必ずしも下男たちが与えられた権力を濫用するという形ではなく、管理者たちが揮う直接の権力によって行なわれていた。にもかかわらず、この癲狂院は患者に対する寛容な治療のために最も好ましい病院に選ばれ、実際きわめて高い評判を保ち続けたのである。」



「第十一章 歩き屋ステュアート、エドワード・アーヴィング師、ウィリアム・ワーズワス」より:

「歩き屋が言うには、野蛮人たちのあいだを行く文明人の旅行者は、護身のための武器を携えていない限り、謂れなき暴力に遭うものと考えた方がいいと一般に思われているけれども、武器は携行しない方がはるかに安全な備えだと分かったということである。同胞である人間がその身を相手の正義感と親切心に向かって投げ出すという形で行なわれる寛容に対する訴えかけを(中略)拒むほど見下げ果てた人間を見たことは一度もなく、それまでの十倍も広範囲に渡る旅をしたとしても決して見ることはなかったであろう(中略)ということだった。」




こちらもご参照ください:

『トマス・ド・クインシー著作集 Ⅰ』 (全四巻)
磯田光一 『イギリス・ロマン派詩人』
川崎寿彦 『森のイングランド ― ロビン・フッドからチャタレー夫人まで』
































『トマス・ド・クインシー 著作集  Ⅱ』 (全四巻)

「わたしの意見は状況次第でいかようにも変わる。そよ風吹く晴れた日の朝、わたしはふてぶてしい懐疑論者であるが、たそがれ時ともなると徐々に信じ易くなり、遂には徹底した盲信家に変貌する。」
(トマス・ド・クインシー 「ジャンヌ・ダルク」 より)


『トマス・ド・クインシー
著作集 
Ⅱ』
 

ジャンヌ・ダルク 中村健二 訳
イマーヌエル・カントの最期の日々 鈴木聡 訳
卜籤と占星術 南條竹則 訳
薔薇十字主義者とフリーメイソンの淵源に関する史的批評的研究 横山茂雄 訳
秘密結社 宮川雅 訳
イスカリオテのユダ 宮川雅 訳
異教の神託 松村伸一 訳
イギリスの郵便馬車 高松雄一・高松禎子 訳


国書刊行会
1998年2月10日 初版第1刷印刷
1998年2月20日 初版第1刷発行
564p 訳者紹介1p 
A5判 丸背紙装上製本 貼函
定価8,400円+税
装幀: 高麗隆彦



第三回配本第二巻。



ド・クインシー著作集2



帯文:

「主要著作を集大成した初の作品集!!
駅伝馬車とナポレオン戦争の思い出がド・クインシーの内面に落とした光と影をめぐる壮麗な夢のフーガ『イギリスの郵便馬車』。ボルヘスやペイターの〈想像の伝記〉の先駆的作品『イマーヌエル・カントの最期の日々』ほか8篇を収録。
本邦初訳!」



目次:

ジャンヌ・ダルク (中村健二 訳)
イマーヌエル・カントの最期の日々 (鈴木聡 訳)
卜籤と占星術 (南條竹則 訳)
薔薇十字主義者とフリーメイソンの淵源に関する史的批評的研究 (横山茂雄 訳)
秘密結社 (宮川雅 訳)
イスカリオテのユダ (宮川雅 訳)
異教の神託 (松村伸一 訳)
イギリスの郵便馬車 (高松雄一・高松禎子 訳)

訳註
解説・旋回するテクスト (鈴木聡)




◆本書より◆


「イマーヌエル・カントの最期の日々」より:

「散歩から帰って来るとカントは書斎の机のまえにすわり日暮れどきまで読書した。思索にとってはまことに好適な薄暮の時間帯、彼は、自分の読んでいる書物がそれに価するものである限り静穏な瞑想に専念するのだった。もしそれほど没頭できる本がなければ、翌日の講義のために草稿を書いたり、ちょうどそのときに執筆中の著作の一部を書いたりした。このような平穏のとき、彼は冬といわず夏といわず決まって暖炉の傍(かたわら)を定位置とし、レーベニヒト区教会の古塔を窓越しに眺めた。彼がそれを見ていたというのは適当ではない。というよりはむしろ、その塔は、はるか遠くの音楽が耳に届くような具合に、視野のはしにかかっていた――沈潜して、あるいはかろうじて半ばだけ意識されるものとして。黄昏と静謐(せいひつ)な夢想という状況のもとで眺めるとき、この古い塔からカントが得ていた充足感は、いかなる言葉をもってしても説得力豊かに説明することはできないだろう。彼の心の平安にとりその塔が果たすにいたった重要な役割りは、以下に述べるような後年の出来事を見ても明らかだ。というのは、隣家の庭の数本の白楊(ポプラ)があまりに高くそびえ立ち、ついには件(くだん)の塔を覆い隠すまでになったときのことである。これを見てカントは、不安を覚え落ち着きをなくし、やがて夕べの瞑想を行なうことがまったくできなくなってしまった。幸いにしてその庭の所有者はたいへん思慮深い親切な人物であったうえに、なによりもまず、カントのことを大いに尊敬していた。それで、事情を説明されると、この隣人は白楊(ポプラ)を伐るようにと命じてくれた。その命令が実施されて、レーベニヒト区教会の古塔はふたたび姿を現わすことになった。カントは平静さを取り戻し、もう一度、黄昏の瞑想を平安のうちに行なうことができるようになったのである。」

「昼夜を問わずカントは汗をかかなかった。しかるに、驚くべきことに、彼は書斎の室温をいつも必ずかなり高めに保ち、しかもその温度が一度でも低くなると落ち着きをなくすのだった。彼が主に生活の場とした部屋は華氏七十五度という一定温度に保たれていた。そして、もしその温度より低くなるようなことがあれば、それが一年のどの季節のことであろうとも、人為的手段を用いて通常の標準温度に達するまで温めたのである。夏の猛暑のなかで外出するときは軽装で、絹の靴下をはくことが常であった。けれども、それだけ薄着をしても活動的な鍛練に携わると発汗してしまうことが必ずしも避けられない場合、念のために用意している対処方法もあった。どこかの木蔭にはいると、彼は――耳を傾けているか、なにかを待ち受けているひとの風情と姿勢をもって――ふだんの乾燥度(引用者注:「乾燥度」に傍点)が回復するまで、じっと身動きせず立ちつくした。蒸し暑さの絶頂にある真夏の夜でさえ、ほんのかすかな汗染みでも寝巻に跡をつけるようなことがあれば、衝撃的なことこのうえもない事故について語るかのように、力をこめてその話をするのが彼の習いであった。」

「彼の生活と習慣の極度の均一性からすると、小型ナイフや鋏のようなつまらぬ品物の配置であろうとほんの些細な変更でも、心を動揺させかねなかった。それらの位置が通常より二、三インチずれていたのではもちろん、ほんの少し斜めにおかれていても駄目なのである。また、椅子のようなもっと大きな物の場合は、ふつうのおき方に手を加えたり、移動したり、数をふやしたりしたことがカントをひどく当惑させることになった。彼の視線は、配置の違っているところに不安げにとどまり、旧来の状態が回復するまで眼を離すことができなくなるのだった。」



「卜籤と占星術」より:

「私の書斎には、人が泳げるほどの大きな風呂桶がある。泳げるほどと言っても、それは泳ぎ手があまり高望みをせず、せいぜい三インチしか前に進めなくとも満足できるならば、の話だが。この風呂桶、(元来の用途については)お払い箱となったが、草稿の貯蔵庫として役に立っている。あらゆる種類、あらゆる大きさの紙が桶の縁まで一杯に詰まっている。労を払ってさがしもとめるならば、私によって(引用者注:「よって」に傍点)、私に宛てて(引用者注:「宛てて」に傍点)、私のために(引用者注:「ために」に傍点)、私に関して(引用者注:「関して」に傍点)、さて又私を詰(なじ)って(引用者注:「詰って」に傍点)書かれたあらゆる書き物をば、この巨大な貯積(ちょせき)の中に見出すことができるであろう。」


「秘密結社」より:

「秘密結社をめぐる謎に対する私自身の興味はかなり幼い頃に始まったのであった。」
「白昼ひそかに、見えざる信号で、仮に(引用者注:「仮に」に傍点)見えても自分たち以外には理解されない信号で交信する。結合の絆は、公然と是認することが危険な目的、あるいは、畏怖すべき真理という、より大きな絆であり、それを容認しようとしない時代の敵愾(てきがい)心から身を隠すために、謎の重い帳(とばり)の背後に数代にわたって引きこもることを余儀なくされる。群衆の中に隠れることは崇高(サブライム)である。遠い遥かな世代から群衆のあいだを隠れ伝わることは二重に崇高である。」

「間もなく私は他の結社について読むことになった。それらはさらに秘密に満ちたもので、東洋の寓話で王の宝を地下で守っている不眠の龍のように、公表するのが危険な、囁くことさえ危険な真理(引用者注:「真理」に傍点)を監視しているのだという。秘密と、秘密の理由の、双方が崇高だった。兄弟愛と完璧な信頼によって結び付いた人々が秘密の部屋で真夜中に会合し、体を張って包み隠し、危険を冒して、真理の孤独なランプを守る――世間の不注意と甚だしい無知(これ(引用者注:「これ」に傍点)によってランプはすぐに消されてしまうだろう)から守る――世間の憎悪(これ(引用者注:「これ」に傍点)はランプの生命をすぐに攻撃するだろう)から守るというイメージ、これは超人的に崇高だった。この人たちの不安は崇高だった。勇気は崇高だった。秘かな、盗人(ぬすっと)のような手段は崇高だった。大胆な目標――地上の王国を変えるという目標――は崇高だった。臆病者のように活動し運動していたとして、彼らは崇高だった。殉教者の大胆さで計画したとして、彼らは崇高だった。臆病者であるよりは殉教者だった。表に現われる臆病と、裏に潜む勇気は、同じ機構の二つの部分だったのだから。」

「森の中でニンフやシルフの女神たちをかいま見た者は時々望みのない情熱に捉えられた。彼らは nympholept だった――空気から生まれたニンフの天上的美しさに取り憑かれ(引用者注:「取り憑かれ」に傍点)譫妄状態に陥った人たち。エピレプシーとしても知られるこの愛は、nympholepsy と呼ばれた。」



「イスカリオテのユダ」より:

「しかし、他の使徒たちが単に師を理解し損なったのに対して、ユダは全くの憶測に基づいて自分こそはキリストを理解したと思い込み、キリスト自身よりもキリストの目的を了解したと思い込んだ。ユダの目的は甚だ大胆だったが、しかし(私の説明している説に従えば)まさにその理由で少しも不実なものではなかった。(中略)ユダは自分がキリストのまさに最も深遠な目的を遂行していると考えたが、それはキリストに特徴的な虚弱が欠いていたエネルギーによって遂行していると考えたのだった。ユダは、キリストが認めたが実現させる大胆さを欠いていた大きな政治的変化は、彼(引用者注:「彼」に傍点)の行動力によって実現されると夢想した。ユダの希望はこうだった。ユダヤ当局によって現実に逮捕されたときにキリストはもはや逡巡しない。エルサレムの民に信号を送らざるを得なくなり、すると彼らは、キリストを反乱運動の長に置くこととローマのくびきを投げ捨てることという二重の目的のために一斉に立ち上がる。この計画の世俗的な見通しとしては、イスカリオテが正しかったことは有り得ないことでは全くない。」


「イギリスの郵便馬車」より:

「闇の中からファニーの面影を思い起せば、四十年の深淵からふいに六月の薔薇が浮び上る。また、一瞬、六月の薔薇を思えば天使のようなファニーの顔が浮ぶ。聖歌の交誦のように代る代るファニーと六月の薔薇が、六月の薔薇とファニーが浮ぶ。それから二つは聖歌のように交じり合い――薔薇の花々とファニーたちが、ファニーたちと薔薇の花々が楽園の花のように幾重にも重なって果てしなく現れつづける。その次に、王室御用の真紅と金の制服を着用し十六重のケープをまとった高徳の鰐尊者が現れる。鰐はバースの郵便馬車の御者台から四頭立ての馬を駆る。その時、突然、時刻の彫像に飾られた巨大な文字盤が出現して、われわれ郵便馬車の者たちを引き止める。時刻たちは天空や天使の群と交じり合う。それから、われわれはいきなりマールバラの森に到着し、愛らしいノロ鹿の家族たちと一緒になる。鹿と仔鹿たちは露を宿す茂みに隠れる。茂みには薔薇の花々が咲きこぼれている。薔薇はまたしてもファニーの愛らしい顔を呼び起す。彼女は鰐の孫娘であるから、半ば伝説上の恐ろしげな動物たちの一群を――グリフィン、竜、バシリスク、スフィンクスを――目覚めさせ、ついには相争う幻影たちすべてが群がり合って、聳え立つ紋章の楯に入りこむ。楯には滅び去った人間の慈愛と美を表徴する広大で花やかな図柄があり、言い表しがたい魔性のものたちに四分割されている。すべての上に、あたかも一切の頂にある兜飾りのように、一人の麗わしい女性の手があり、その人差指は優しく悲しげに戒めるように天を指している。天には大地とその子らの儚さを宣告する永遠の文字が刻まれている。」

「おそらくわれわれの誰もがこの夢から逃れることはできない。たぶん人間の背負う悲しい宿命のせいであろう、この夢はあらゆる世代を通じて、われわれの一人一人にエデンの園の原初の誘惑を繰り返してみせる。この夢の中では一人一人の意志の弱味に餌が差し出される。またしても人間を誘惑して破滅の快楽に陥れる罠が仕掛けられる。またしても原初の楽園におけるように、人間は自らの選択によって堕落する。老いた大地がまたしても秘密の洞穴から天に向っておのが子の弱さを果てしなく嘆きつづける。またしても「自然はその座から全創造物を通して溜息を吐き」、またしても「すべては失われたという嘆きをしるす」。ふたたび、神への限りない反逆を悲しむ天に応じて嘆きの溜息が繰り返される。われわれの一人一人が、夢の世界の中で、自分自身に向って原初の罪を実証してみせているという可能性もなくはない。たぶん真夜中に眠る者のひそかな葛藤のもと、当座の意識に照らし出されはするが、すべてが終ればたちまち闇に呑まれて記憶から消える夢の中で、この不可思議な種族の子のそれぞれが、原初の堕落という神に対する反逆を自らのために完結させているのかもしれない。」





こちらもご参照ください:

『トマス・ド・クインシー 著作集  Ⅲ』 (全四巻)
ジェラール・ド・ネルヴァル 『阿呆の王』 篠田知和基 訳












































































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
 
うまれたときからひとでなし
なぜならわたしはねこだから
 
◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

Koro-pok-Guru
Away with the Fairies

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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