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A・ハックスリー 『知覚の扉』 河村錠一郎 訳 (エピステーメー叢書)

「知覚の扉澄みたれば、人の眼に
ものみなすべて永遠の実相を顕わさん
――ウィリアム・ブレイク」



A・ハックスリー 
『知覚の扉』 
河村錠一郎 訳
 
エピステーメー叢書


朝日出版社 
昭和53年11月25日 第1刷発行
124p 折込図版(カラー)×3
19×11.5cm 
並装(フランス表紙) カバー
定価800円
装幀: 辻修平



本書「訳者あとがき」より:

「『知覚の扉』(一九五四年出版)から二年後に補遺として続篇『天国と地獄』が書かれ、そのとき付録として八篇の覚え書き風のエッセイが合せて発表された。今回『知覚の扉』を訳すにあたってはそのうちの三篇を合せて収めることにした。」



ハックスリー 知覚の扉 01



目次:

知覚の扉

付録1
付録2
付録3

訳者あとがき




◆本書より◆


「知覚の扉」より:

「この私の世界に現実に起こった変化はいかなる意味でも革命的なものではなかった。(中略)人間や動物の顔とか姿が現われることはまったくなかった。風景も見なければ、巨大な空間も見ず、魔術のように成長したり変形したりする建築物を見ることもなく、朧げにせよなにかドラマのようなものとか寓話のようなものを見るということもなかった。メスカリンが私を招き入れたもう一つの世界なるものは幻想の世界ではなかった。そうではなく、眼の前に外在している世界――眼を開いて見ることのできる世界であった。大いなる変化は客観事実の領域に起こったのである。」
「私が薬を飲んだのは十一時である。一時間半後には、私は書斎に坐って小さなガラスの花瓶に眼を凝らしていた。花瓶には花が三本活けてあるだけであった(中略)その日の朝は、(中略)この色彩がひどく不調和だと感じたのに、いまはもうそんなことは問題ではなくなっていた。(中略)私が見ているのはアダムが創造された日の朝彼が眼にしたもの――一刻一刻の、裸身の存在という奇跡だったのである。
「気持はいいですか」誰かがそう訊いた(中略)。
「気持良くも悪くもないですよ」私は答えた――「あるがままです」。
〈イスティッヒカイト〉――これこそマイスター・エックハルトが好んで使った言葉ではなかったか。即ち、「存在性 Is-ness」。(中略)それは、無常でありながら永遠の生命であるような無常、絶えざる消滅でありながら同時に純粋な〈存在〉であるような消滅、微少な、個々の特殊の集まりでありながら何か言うにいわれぬ、だがまた自明でもある逆説によってそこに全実在の聖なる源泉が見られ得べきものとしての個物の束なのである。」
「〈神の示現〉、〈Sat Chit Ananda〉、〈存在-認識-至福〉――これらの(中略)言葉の言わんとすることを、私は、はじめて言葉の次元でではなく、(中略)正確に、完全に、理解した。そして私は鈴木大拙の書いた随筆の一節を思い出した。「〈仏陀の法〉とは何でございますか」(中略)。この問は禅寺で新米の僧が発したものである。禅師はマルクス兄弟流の意表を突いた即答でこう答える――「庭のはずれの生垣じゃ」。」
「これを読んだ当初は、意味など僅かしか含んでいないただのナンセンスだと考えていた。ところが今や陽の光のように明晰であった(中略)。もちろん、仏陀の法は庭のはずれの生垣である。同時に、それと劣らず明白に、それはまたあの一束の花であったし、私が――というよりはむしろ(中略)至福の〈非自我〉が――好んで見ようとするものすべてであった。」
「「空間関係はどうですか」(中略)実験者が聞いた。
それに答えるのは難しかった。ものの遠近はなるほどいささか奇妙に見え、部屋の壁はもはや直角に交わらないように見えた。しかし、こういったことは真に重要なことではなかった。真に重要な事実は、空間関係が大して問題と感じられなくなったということ、そして私の精神が世界を空間的範疇以外の見方で認識することを始めていたことであった。(中略)場所と距離はさして関心の的ではなくなった。」
「そして、この空間への無関心に、時間に対するさらに完璧な無関心が伴った。」
「それは、いいかえるなら、一つの絶えず変化する啓示からできている永遠の現在であった。」
「――すべてが〈内なる光〉に輝き、無限の意味に満たされている世界へ。例えばあの椅子の脚――その管状の丸みのなんと奇蹟的なことか、その磨き上げられた滑らかさのなんと超自然的なことか! 私は数分間――いや、数世紀間であったろうか――その竹製の脚を凝視していただけでなく、現実に私がその脚そのものであった――というよりは、その脚において私が私自身であった。いや、もっと正確にいうなら(中略)、私は椅子という〈非自我〉における私の〈非自我〉であった。
このときの体験を考察してみると、著名なケンブリッジ大学の哲学者C・D・ブロード博士の意見に賛同することになるようだ――「ベルグソンが記憶と感覚知覚に関して提唱したような理論をわれわれは今までの傾向を放れてもっと真剣に考慮した方がよいのではなかろうか。ベルグソンの示唆は脳や神経系それに感覚器官の機能は主として除去作用的(引用者注:「除去作用的」に傍点)であって生産作用的ではないということである。人間は誰でもまたどの瞬間においても自分の身に生じたことをすべて記憶することができるし、宇宙のすべてのところで生じることすべてを知覚することができる。脳および神経系の機能は、ほとんどが無益で無関係なこの巨大な量の知識のためにわれわれが圧し潰され混乱を生まないように守ることであり、放っておくとわれわれが時々刻々に知覚したり記憶したりしてしまうものの大部分を閉め出し、僅かな量の、日常的に有効そうなものだけを特別に選び取って残しておくのである」。このような理論によると、われわれは誰もが潜在的には〈遍在精神 Mind at Large〉なのである。しかし、(中略)生物としての生存を可能にするために、この〈遍在精神〉は脳および神経系という減量バルブを通さなければならない。このバルブを通って出てくるものは(中略)われわれが生き残るのに役立つようなほんの一滴の意識なのである。この減量された意識内容に形を与えそれを表現するために、人間は言語と名付けられている表象体系とそれに内在する哲学を創り上げ絶えず磨きをかけてきた。個人はすべて各自がそこへ生まれ落ちた言語慣習の受益者であると同時に犠牲者である――蓄積された他人の経験の記録を言語によって手に入れることができるかぎりにおいて受益者であり、減量された意識だけが意識であると言語ゆえに信じ込みリアリティ感覚が惑わされ、概念を原資料そのものと取り違え言葉を実物と取り誤るかぎりにおいて、犠牲者である。宗教の言葉でいわゆる「此岸」といわれるものは言語によって表現され言語のために、いわば、石化した、減量された意識の宇宙のことなのである。さまざまにある「彼岸」というのは、〈遍在精神〉のものである全体性としての意識が擁するさまざまの要素にほかならず、人間とこれらの世界との接触は突拍子もない形でなされるのである。たいがいの人々は、たいがいの場合、減量バルブを通ってくるものしか(中略)知ることはない。しかしながらある種の人々は減量バルブを迂回するバイ・パスのようなものを生まれつき持っている。そうでない人の場合は、一時的なバイ・パスが自然発生的もしくは意図的な「精神修行」の結果として、あるいは催眠状態によって、あるいはまた薬によって得られることがある。」

「ボッティチェルリについての本であった。私は頁をめくった。(中略)「ユデテ」――私の注意はこの絵に引き付けられ、すっかり魅了された私は殺された男の髪振り乱した首でも背景の春景色でもなく、ユデテの襞の入った胴衣と風にふくらんだ長いスカートの紫がかった絹をじっと見つめた。
それは以前にも見たことがある――ほかならないその日の朝、例の花と家具の間に、ふと私が視線を下に向け、組んだ脚をわざわざ穴のあくほど凝視し続けたときに。ズボンのあの襞――尽き果てぬほど深い意味を帯びた複雑さのまるで迷宮のような姿! そしてグレーのフラノの布地――なんと豊満で、なんと深く、その華麗さのなんと神秘なことか! それがまたここに、ボッティチェルリの絵に現われたのである。」
「明らかに芸術家は服地をつねにそれ自体のために愛してきた――というよりはむしろ自分自身のために。着衣を描いたり彫刻するとき、描いたり彫刻したりしているものは、その目的がいかに実用的なものであっても、非説明的なかたち(引用者注:「かたち」に傍点)である――いわば、(中略)囚われることなく自由に己を発揮する素材としての無条件のかたち(引用者注:「かたち」に傍点)である。」
「例えばエル・グレコの、見る者に不安を引き起こすほど感情の籠められたスカートや外套、また例えばコジモ・トゥーラの描く人物の着衣に見られる鋭い、歪んだ、炎のような襞。(中略)あるいはヴァトーを例に取ろう。(中略)これらの人物の非常なる憂鬱とこれらの人物の創造主たる画家の生ま生ましい息苦しくなるような感受性は(中略)、彼らが纏っているタフタのスカートとかサテンの肩掛けや胴着の浮彫を思わせる鮮明な輪郭とその肌理(きめ)に表現されている。ここには滑らかな表面など一インチもなく、平和や確信の時など一瞬もなく、微細な襞や皺の絹の荒野があるばかりで、一つの色調から他の色調へ、一つの定かならぬ色合いから別の定かならぬ色合いへ絶えず転調していく――これは巨匠の手の完璧な確かさで描き出された内面の不安にほかならない。」
「われわれ一般の人間がメスカリンが効いているときだけ眼にするものをいつでも見ることができる能力を芸術家は先天的に備えているのだ。芸術家の知覚は生物学的にまた社会的に有用であるものだけに限られてはいない。〈遍在精神〉だけが手にする知識が脳や自我の減量バルブから染み出て芸術家の意識の中へ入っていくのである。(中略)メスカリン服用者にとってと同様、芸術家にとって着衣は純粋存在の解き明かせぬ神秘を特殊な、表情豊かな方法で表わしている生ける象形文字である。」
「彼らは〈存在性 *Istigkeit*〉を、襞の付いた布地の〈総体 Allness〉と〈無限〉を見、それを絵具や石で表現するのに最善を尽したのである。」
「「こう見えなくちゃいけないんだ」。私は自分のズボンを見ながら、(中略)椅子の脚を見ながらいい続けた――「こう見えなくちゃいけないんだ。これこそものの真の姿なのだ」。しかし、留保すべきことがあった。というのは常にこういう見え方であったなら人間はただ見ること以外にまったく何もしようとはしなくなるであろうと考えられるからである。ただ見るだけ――花や本、椅子やフラノという聖なる〈非自我〉である以外のことは。(中略)本来あるべき形でものを見る超時間的至福と、(中略)時間内世界の義務とを人はどのようにしたら和解させることができるのであろうか。
「このズボンを無限の重要さをもったものとして見、人間をさらにそれ以上に無限の重要さをもったものとして見る、ということができなければならない」。(中略)とはいっても現実には不可能に思えた。もの(引用者注:「もの」に傍点)の煌々たる栄光へこのように参画することによって、いってみれば、人間存在の日常的なことがら、生活上必要欠くべからざる関心事、とりわけ個々人に係ることがらの入る余地がなくなってしまうのである。というのは個々人は自我であり、それに対して(中略)そのときの私は〈非自我〉であり、同時に私を取り巻くものの〈非自我〉を知覚し、またそれらの〈非自我〉そのものでもあるからである。この新生の〈非自我〉にとって、(中略)自我の行動、様態、またその自我について考えること自体、(中略)とてつもなく無関係なものに思えた。」
「(一本の花に見る〈永遠〉、四本の脚に見る〈無限〉、そしてフラノのズボンの襞に見る〈絶対〉と私とだけにして放っておいて欲しいと私はどんなに望んだことか!)」

「私の設問はいぜんとして未解答であった。この清められた知覚がどうしたら人間関係への然るべき関心と調和できるのか、(中略)メスカリンにはこの問題を解くことは絶対できない。(中略)寂静主義者に対して行動的瞑想主義者、エックハルトの言葉を借りれば、第七天国から病める兄弟のために一杯の水を持って降りてきてくれるタイプの人間、即ち聖人がいる。現象世界から身を退いて完全に超越的な涅槃に入る阿羅漢に対するに菩薩がある――菩薩にとっては〈真如〉と偶発性世界は一つのものであり、その広大無辺の慈悲の心にとって偶発的現象の一つ一つがすべて変容を生起せしめる洞察の機会となるだけでなく、きわめて現実的な慈善行為の機会ともなるのである。」
「倫理というものはすべて、少なくともその半分は消極的なもので悪を避けることにある。主の祈りは五〇語足らずの長さであるがそのうち六語はわれわれを誘惑の手から守らせ給えという神への願いに専ら使われている。一方通交の瞑想家は自分のなすべき事の多くをなさずに済ませてしまう。が、その償いに、してはならない無数の事をしないようにする。パスカルがいっているが、人が静かに自分の部屋に坐っていることができるようになりさえすれば、悪の総量はおおいに減るであろう。知覚が清く澄んでいる瞑想者は自分の部屋に籠っている必要はない。(中略)聖なる〈万象の秩序〉を眼にすること、そしてまたその一部分であることに完全に満足しているために、トラハーンが「世界の穢れた仕組」と名づけたものに誘惑されて溺れることは決してないであろう。(中略)「海がわれらの血脈に流れ込み……星々がわれらの宝石である」とき、(中略)貪欲になったり自己主張をしたり権力を追い求めたり索漠たる快楽を求めたりする動機などありえようか。」

「人間一般が〈人工楽園〉なしで済ませるようになるかどうかはきわめて疑問である。多くの男女の生活は最悪の場合であまりに苦痛に満ちたものであり最良の場合でもあまりに単調で貧弱でまた限られたものであるため、逃避したいという衝動、ほんの数分でもよいから自己を超越したいという渇望が魂の大きな欲求の一つとなるのであり、これまでも常にそうであった。芸術と宗教、謝肉祭や農神祭、(中略)これらはすべてH・G・ウェルズの言葉を借りれば〈壁のなかの扉〉(☆1)の役を果たしてきた。(中略)あらゆる種類の植物性の鎮静剤や麻酔薬、木に実るあらゆる種類の恍惚剤、草の実に熟したり根から絞り取られる幻覚剤――これらはことごとく、例外一つなく、太古の昔から人類に知られ組織的に使われてきた。」
「☆1――H. G. Wells の短篇小説 *The Door in the Wall* への言及。緑の扉の向うにこの世ならぬ別世界を発見した男の幻想的物語。」




ハックスリー 知覚の扉 02



「画家のLSD体験
岩館知義画伯と、精神科医であり、自らも絵筆を執る徳田良仁博士は、未知の幻覚世界をわがものとするため、画材を手元に用意し、LSDを服用し、経過を待った。薬が作用し始めて後、次々とものされたデッサンの数々は、貴重な実験記録として、今われわれが目にすることのできるものとなった。」










こちらもご参照ください:

ジル・ドゥルーズ 『襞 ― ライプニッツとバロック』 宇野邦一 訳
H・G・ウェルズ 『タイム・マシン 他六篇』 石川年 訳 (角川文庫)
徳田良仁 『創造と狂気』 (講談社現代新書)
















































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ギッシング 『南イタリア周遊記』 小池滋 訳 (岩波文庫)

「最後にイオニア海の方を眺めやる時、現在と現在の騒音をすべて忘れ、古代世界の静寂の中をいつまでもさまよい歩く運命に生まれればよかったのに、と願わずにはいられなかった。」
(ギッシング 『南イタリア周遊記』 より)


ギッシング 
『南イタリア周遊記』 
小池滋 訳
 
岩波文庫 赤/32-247-4 


岩波書店 
1994年2月16日 第1刷発行
1997年4月28日 第4刷発行
205p 
文庫判 並装 カバー
定価460円+税
挿絵: Leo De Littrow



本書「解説」より:

「本書は、

George Gissing, *By the Ionian Sea: Notes of a Ramble in Southern Italy* (London: Chapman & Hall, 1901)

の全訳である。底本としては、色刷り挿絵と黒白のスケッチ挿絵を収めた初版本を使い、黒白のスケッチのいくつかを本書でも挿絵として使った。」



挿絵図版12点。地図1点。



ギッシング 南イタリア周遊記 01



カバー文:

「一生を通じて現実生活の苦しみに苛まれ続けたギッシング(1857-1903)にとって、わずかな慰安は少年時代から古典文学を通して憧れていた古代文明の故郷ギリシャとイタリアであった。1897年、一ヵ月ほど滞在した南イタリアでの見聞を記したこの作品は、著者唯一の紀行文で、『ヘンリ・ライクロフトの私記』で知られる作家の本領が最もよく発揮されている。」


目次:

第一章 ナポリから
第二章 パオラ
第三章 アラリックの墓
第四章 タラント
第五章 DULCE GALÆSI FLUMEN (甘きガラエススの流れ)
第六章 パラディーニの円卓
第七章 コトローネ
第八章 道端で見かける顔
第九章 お医者さまとの交友
第十章 土から生まれた子供たち
第十一章 逃れの山
第十二章 カタンツァーロ
第十三章 爽風の山地
第十四章 スクィラーチェ
第十五章 ミゼリア
第十六章 カッシオドールス
第十七章 グロッタ
第十八章 レッジョ

訳注
解説




◆本書より◆


「第一章 ナポリから」より:

「人間誰しも知的欲求を持っているが、私の場合は、現実の生活を逃れて、少年時代の楽しい夢だった古代の世界の中へとさまよい入ることだった。ギリシャやラテンの古名は、他とは違った魅力を持っていた。その名を思い出すと私はもう一度若くなり、ギリシャ語やラテン語の本のページを繰るごとに、新しい美を発見できた時代の旺盛な印象が戻って来る。(中略)マグナ・グラエキア(*)において、二つの泉から湧き出た水が混じり合い、一緒に流れる。その水の味は何と素晴らしいことか!」

「夕食を食べている間に船はまた動き出した。デッキに戻ると、夜の帳(とばり)がおりていた。ソレント近くであろう。うしろの方にはナポリ海岸のかすかな光が長いカーブを描いている。前方にはカプリ島。星をちりばめた空の下、完全な闇(やみ)の中をカプリ島とミネルヴァ岬の間を抜けた。カプリ港はぼんやりと明るく、その上に大きな岩山が聳え、そこだけは恐ろしい暗闇、星座が欠けている。船尾に近く坐っている私からは、人の姿が全然見えない。この魔法の海の沈黙の中をたった一人で渡っているかのよう。沈黙はすべてを包み込み、汽船のエンジンの音さえ私の耳には届かず、水しぶきの音と混じり合って眠気を誘う。死の世界の静寂が生きるものすべてを金縛(かなしば)りにしている。現在は現実でなくなり、はかない無となる。現実にあるものはといえば、私の周囲のすべてに意味を与え、夜に無限の哀愁の色を帯びさせている、埋もれた遠い過去のみ。何よりも嬉しいことに、自分の存在さえ意識に感じられなくなった。精神が知覚するのは作り出した幻想の形のみで、それを見つめている間は安らかでいられるのだ。」



「訳注」より:

マグナ・グラエキア――直訳すると「大ギリシャ」の意味を持つラテン語。かつて南イタリアはギリシャ人の植民地であったため、この名がついた。西暦紀元前四〇〇年頃から次第にローマ帝国の勢力下に入り、ギリシャ文明とラテン文明が融合して栄えた。」


「第七章 コトローネ」より:

「夜の帳(とばり)が下りて、その先の景色を隠してしまった。夕闇の中で再びシバリスと呼ばれる駅を通り、海岸に沿って列車は進んだ。しばしば砕ける波の音が聞える。時どき灰色の空を背に大きな真黒の山の塊が見えたり、白い波頭がちらと見えたりした。機関車からちらと洩(も)れる火の明かりで、一瞬道なき森がまた見えたりすると、私は空想で胸がわくわくするのを覚えた。列車のガラガラいう音がして、橋を渡っているのがわかることが度々あった。その下の川はおそらく、伝説や歴史に名を留めているのだろう。風が吹きはじめ、薄明かりで見る小さな通過駅で風が呻(うめ)きぶつかり合っている音を聞くと、初めから終りまでたった一人で坐っていた客車が、いっそう居心地よく感じられた。雨が降りはじめ、十時頃コトローネ駅に降り立った時には、夜の嵐がごうごうと吹き荒れていた。」


「第九章 お医者さまとの交友」より:

「半ば意識が朦朧(もうろう)となった私は、時どき荒海に翻弄(ほんろう)される舟の上にいるような気持になった。神殿の柱が遠くに見えるが、それは見つけようと目をこらしている時だけである。陸伝いに行く路について私が本で読んだところでは、大きな断崖絶壁の側面を伝って行かねばならぬとのこと。またまた恐怖が頭にとりついて離れない。危険な道をとぼとぼ歩いている私のすぐ面前で、道が急に恐ろしい海に向かって崩れ落ちた。全身がわなわなふるえて、この不気味な夢から醒(さ)めた。すると間もなく別の夢想の中へと落ちていったが、この夢が続く間じゅう、私は正常な精神状態にある時には経験したことのないほどの、幸せな心の安らぎを覚えた。完全に目醒めて、じっと静かに横になっている私に、次から次へと素晴らしい情景が写し出されたのだ。
 まず最初にいくつもの大きな壺が見えた。いろいろなものの形の模様や装飾が豊かについている。次に見えたのは大理石の墓石である。私がこれまで見たどれよりも美しい形に彫られている。幻は次第に大きく広がり、細部がもっとはっきりして来た。間もなく古代の生活図が見えて来る――人の群がる大通り、軍隊の凱旋行進、宗教儀式の行列、大宴会場、戦闘の場。特に感激したのは、私の目に見えるすべてが、驚くほど派手だが上品な色を持っていたことだ。ものの一つ一つ、情景の一つ一つを彩っている清らかな光輝は、何とも言葉では説明できない。
 翌日これを思い返してみてもっと驚いたのは、こうした情景が細かい点まで完璧(かんぺき)だったこと。私の視線の落ちる場所がすべてはっきりしていたことだ。私の知らないもの、意識がはっきりしている時に想像力をはたらかせても、絶対に形作ることができないようなものまでが、本物そのもののように眼前に見えていた。私が本で読んだこともない不思議な衣裳、私の知らなかった建築の特徴、本からは絶対に教えられたはずのない古代世界の些細な特質などなど、考えれば考えるほど不思議に思えた。これ以上思い浮かばぬほど美しい人の顔が、次々と現われたのを思い出す。その一つ一つが消えてしまった時私が感じた無念の痛みは、いまでも憶えているし、いまなお感じられる。」



「第十二章 カタンツァーロ」より:

「特に一人の女に私の目が引かれた。際立った美人だからではない。厳しい、きつい顔をしている。その挙動のゆえにである。他の農民たちとは違って、彼女は商売しようとしているのだ。頭の上に何か装飾衣料――ショールとかそういったもの――を山と積んで、彼女は店に入ったり、家の戸口に立ち止ったりして、買手を見つけようとしている。私は彼女を長いこと観察していた。商談が成立すればいいと願ったが、結局不成功だった。ところが、それなのに彼女の態度たるや、誰にも出来そうにないほど堂々としている。商品を見せる時のやり方たるや、まるで優雅に恩恵を施してやっているかのよう。断られる度ごとに彼女は見たところ少しも騒がず、平然たる様子で悠々と去って行く。いつまでも諦(あきら)めずにいるところから、いかに金を欲しがっているかがわかるが、顔つきや口調には全然売りたがっている態度はうかがえない。あの背の高い、きつい顔立ちの女が、しっかりとした足どりで、気品のある身のこなしで、カタンツァーロの通りを歩き回っていた姿は、いつまでも忘れられない。彼女を憐れむ、などと言ったら失礼に当るだろう。彼女の労苦にみちた生活の一端を私は垣間みたわけであるが、それはどこか尊敬に値するものであった。失意落胆の苦い味をこれほどまでに黙々と、雄々しく耐えている人間の姿を、私は見たことがなかった。」


「第十八章 レッジョ」より:

「あたりは静まりかえり、私一人で波の打ち寄せる音を聞いていた。雲の冠をかぶったエトナ火山に夕闇が落ちかかり、ちかちか光る明かりがスキュラとカリブディス(*)あたりから見えて来る。最後にイオニア海の方を眺めやる時、現在と現在の騒音をすべて忘れ、古代世界の静寂の中をいつまでもさまよい歩く運命に生まれればよかったのに、と願わずにはいられなかった。」


「訳注」より:

スキュラとカリブディス――スキュラは、メッシナ海峡のイタリア本土側から突き出た岩礁で、ギリシャ神話によれば、ここに住む海の怪物が、通る船を捕えて喰ったという。カリブディスはその対岸(シチリア島)近くにある大渦巻でここも航行の難所。危険な水路なので灯台が設けられた。」



ギッシング 南イタリア周遊記 02








こちらもご参照ください:

G・R・ホッケ 『マグナ・グラエキア』 種村季弘 訳












































H・R・ハガード 『洞窟の女王』 大久保康雄 訳 (創元推理文庫)

「ほとんどの死体が、処理技術が優秀だったために、数千年の臨終の日の姿を、そのまま完璧に残していた。(中略)死体は寒暑や湿気から完全に守られており、死体に注入された香ぐわしい薬剤の効果は、かなり永続的なもののように思われた。だが、例外も、あちこちに見られた。肉体は一見完全に保存されているように見えるのだが、ちょっと触れると、たちまち崩れて、それが実は塵の堆積にすぎないことを暴露した。」
(H・R・ハガード 『洞窟の女王』 より)


H・R・ハガード 
『洞窟の女王』 
大久保康雄 訳
 
創元推理文庫 五一八-2


東京創元社 
1974年5月24日 初版
1988年10月7日 18版
404p 口絵(カラー)
文庫判 並装 カバー
定価550円(本体534円)
カバー・口絵・插絵: 山本耀也


「SHE
by
Sir Henry Rider Haggard
1886」



挿絵(モノクロ)10点、カラー口絵(見開き)1点。図版3点。



ハガード 洞窟の女王



扉文:

「二十年後に開封せよ、と指定された鉄の箱の謎。そのなかにはいっていたギリシャ文字で書かれた奇々怪々な古文書に誘われて中央アフリカの探険に向かった一行の行く手に待っていたのは! 人跡未踏のアフリカの奥地に二千年のあいだ生き長らえる絶世の美女! 不朽の恋に永遠の生命を吹きこまれた女王の支配する神秘境! 近代英国最大の物語作家ハガードが、その空想力を縦横に駆使し、読者を妖しい幻想と戦慄の世界へと魅了する大傑作である。本邦初の完訳決定版!」


目次:


1 訪問客
2 時は移りて
3 アメナルタスの壺
4 スコール
5 エチオピア人の頭
6 初期のキリスト教の儀式
7 アステーンの唄
8 饗宴、そしてその後!
9 小さな足
10 さまざまな思い
11 コールの平原
12 女王
13 アッシャの素顔
14 地獄の心
15 アッシャ、裁きをくだす
16 コールの墓所
17 均勢転換
18 「行け、女よ」
19 「黒山羊を!」
20 勝利
21 死者と生者の対面
22 ジョブの予感
23 真理の神殿
24 板橋を渡る
25 生命の精
26 私たちが見たもの
27 跳躍
28 山を越えて

解説 (生田耕作)




◆本書より◆


「1 訪問客」より:

「「そうだ」とうとう私は声に出してひとりごとを言った。「おれは、この頭の内側でなら何かができるということに望みをかけるべきだ。頭の外側で何かをするなんてことは絶対に不可能なんだから」
 この言葉は、読者には少々あいまいにきこえるだろうが、実際は、自分の肉体上の欠陥を言っていたのだ。(中略)カインのように私は烙印を押されていたのだ――自然は私に鉄のような異常な体力と、かなりの知力をめぐんでくれたが、同時に、並外れた醜さという烙印を押しつけたのだ。(中略)私が人間ぎらいになり、偏屈者になったとしても、べつに不思議はないだろう。(中略)自然は私を、ひとりぼっちで生き、自然のふところからだけ慰めを引き出すように、世間から隔離しておいたのだ。女たちは私を見るのを嫌(いや)がった。つい一週間ほど前にも、ある女が、私にきこえないと思ったのか、私のことを〈怪物〉と呼び、私のおかげで人間の先祖は猿だという意見に宗旨変えしたと言っているのを耳にした。一度だけ、ある女が私に好意をもっているようなそぶりを見せたことがある。(中略)ところが、私の手にはいるはずだった金が別の人間の手に渡ってしまうと、とたんに女は私を捨ててしまった。私は懸命に女をくどいた。(中略)なにしろ私は、女の美しい顔のとりこになって、すっかりまいっていたのだ。ところが、最後に女は、返事のかわりに私を鏡の前へつれて行き、私とならんで立ち、鏡のなかをのぞきこんで言ったものだ。
 「よく見てよ」と女は言った。「わたしを美人というなら、あなたは何といったらいいのかしら?」
 それは私がやっと二十歳のときだった。」



「4 スコール」より:

「私がこれから話そうとする場面と、私がこれまで話してきた場面とは、なんというちがいであろう! 静かな大学の研究室も、風にそよぐイギリス楡(にれ)の木も、みやま鳥の啼き声も、書棚の上の見なれた書物類も、ここにはなかった。それにかわって、アフリカの満月の明りの下に、陰影のある銀色の光に輝く静かな大洋が浮かびあがってきた。私たちが乗った船は、大きな帆にいっぱい風をはらんで、ひたひたと小気味よい音を立てて舷側をうつ波を蹴立てて進んだ。もう真夜中に近いので、たいていの人は眠っていたが、マホメッドという色の浅黒い頑丈なアラビア人だけは、船尾に立って、星をたよりに、ものうげに舵をとっていた。右舷から三マイルあまりかなたに、ぼんやりと低い海岸線が見えた。中央アフリカの東海岸だ。いま私たちは、アフリカの陸地と、この危険な沿岸を数百マイルにわたって縁(ふち)どる暗礁とのあいだを、北東の季節風が吹きはじめる前に、南へ南へと進んでいた。静かな夜だった。船首から船尾へ低い声でささやいても話がききとれるほど静かだった。遠くの陸地から、かすかな唸り声が波を越えてきこえてくるほど静かだった。
 アラビア人の舵手が手をあげて、ひとことだけ叫んだ。
 「シンバ(ライオン)だ!」
 私たちは起き直って耳をすました。また、骨の髄までふるえあがらせるような、ゆったりとした、重々しい唸り声がきこえてきた。」



「7 アステーンの唄」より:

「ところが、この国には女王というものがいた。《あのお方》というのが、この国の女王なのだ。だが女王は、ごくまれにしか姿を見せなかった。二年に一度か三年に一度、罪人に死刑を宣告するときに姿を見せるくらいのものだが、そのときでも大きなマントを頭からかぶっているので、だれも顔を見ることはできなかった。(中略)言い伝えられたところでは、古来美人とたたえられたどの女よりも美しい女だそうだ。それからまた女王は不死の人で、万物を支配する力をそなえていると言われているそうだが、そのことについてはアステーンは何も知らなかった。」


「8 饗宴、そしてその後!」より:

「その日、夜になったら私たちのために饗宴を開くという知らせをうけた。私たちは非社交的な人間で、饗宴などはあまり好まないからと言って、極力辞退したが、この辞退申入れは不愉快そうに黙殺されたので、これ以上辞退するのは賢明ではないと思いなおした。」
「その夜の焚火は、いつもよりずっと大きく、それをとりかこむ大きな輪には、三十五人ほどの男と二人の女が坐っていた。」
「私たちが腰をおろすとすぐ、酒のはいった壺がまわされた。この酒はインド黍(きび)ではなく、南アフリカ地方で知られているカフィール黍という穀物をすりつぶして発酵させたもので、飲むと胸がむかつくような感じがするが、それほどまずい味ではなかった。酒壺がまた非常に変わったもので、アマハッガー人がよく使っている他の何百種という壺に似ているので、ついでにそれについて述べておこう。これらの壺は、きわめて古い時代につくられたもので、形も大きさもさまざまだった。こういったものが、この国でつくられたということは考えられなかった。というのは、それらはみな岩でできた墓のなかで発見されたものばかりなのだ。(中略)この国の先住者は古代エジプトとなんらかの交渉をもっていて、これらの壺はエジプトの風習にしたがって死者の臓物をおさめるために用いられたものにちがいない、と私は考えた。だが、レオの考えはちがっていて、古代エトルリアの壺と同じように、死者の霊を慰めるために墓に入れられたものだろう、と言った。壺には、たいてい柄が二つついていた。大きさはまちまちで、三フィート近くもある大きなものもあるし、三インチくらいの小さなものもあった。形もさまざまだが、いずれも格好がよく、黒光りしていて、素焼きなので多少手ざわりが粗かった。この下地の上に絵が浮彫りされていたが、(中略)これらの絵のなかには、(中略)素朴で無邪気な手法で男女交合の場面を描いたものもあった。また、若い女の舞踏の場面や狩猟の図を描いたものもあった。現にいま私たちの手から手にまわされているのがそれで、片面には何人かの男たちが槍で巨象とたたかっている場面が描いてあり、裏面には、これはあまり上出来とはいえないが、一人の男が羚羊(中略)に矢を放とうとする場面が描かれていた。」
「一定の時間をおいて壺がまわってくるのと、焚火に薪をつぎたす以外、かれこれ一時間というもの、なんの動きもなかった。だれも口をきかなかった。私たちも黙りこくって、燃えあがる焰の輝きと、陶器製ランプの光がつくりだす影のゆらめきを見つめていた。ところで、私たちが坐っているところと焚火のあいだに大きな木の板がおいてあった。四方に小さな柄のついた肉屋の店にあるような爼板(まないた)だ。そして、そのそばに長いペンチがおいてあり、これは焚火の向う側にもおいてあった。私は、なんとなくこの板とペンチが気になってならなかった。焚火をかこんで押し黙っているこの凶暴な面がまえの男たちは、この板とペンチで何をするつもりだろう? 私たちの運命は、完全に彼らの手に握られていた。(中略)この饗宴にしても普通の饗宴ではなかった。第一、食べるものが全然ないのだ。まさしく『アラビアン・ナイト』に出てくるバーミサイドの見かけ倒しの饗応とまったく同じだった。
 私が催眠術にでもかかったような気分になりかけたとき、ついにある種の動きが生じた。なんの前ぶれもなしに、円陣の向う側にいた一人の男が、大きな声で叫んだのだ。
 「肉はどうしたんだ?」
 すると他の男たちが、それぞれ右手で焚火を指さして、重々しい口調で、いっせいに答えた――
 「肉はいまにくる」
 「山羊か?」と、さっきの男が言った。
 「角のない山羊で――山羊よりもいい肉だ。それを殺すのだ」男たちは、一斉(いっせい)に答えた。そして、それぞれ体をひねって、そこに立てかけてある槍の柄をつかみ、すぐにまたその手を放した。」
「「料理の用意はできたか?」と例の男が早口にたずねた。
 「用意はできた。用意はできた」
 「壺は熱くなったか?」その声は、けたたましい叫びのように洞窟のなかにこだました。
 「熱くなっている。熱くなっている」
 「大変だ!」とレオが叫んだ。「例の壺の破片に書きつけてあった。『蛮人らは、異国人(とつくにびと)のわれらの頭に壺をのせたり』」
 その言葉が終わらぬうちに、したがってその意味を考えるいとまもなく、二人の大男がぬっと立ちあがって、それぞれ長いペンチをつかんで、それを焚火のなかへ突っこんだ。」



「9 小さな足」より:

「そこで私は事件のあらましをかいつまんで話した。
 「そうだったのか」と老人は言った。「この国では、異国のものがはいりこんできたら、あの『壺』で殺して食うことになっているのだ」
 「それじゃ歓迎の方式があべこべになっているわけだ」と私は力なく言った。「私たちの国では、異国の人がくると、十分もてなして御馳走するのだが、ここでは異国人の肉を食べて、自分が御馳走にありつくわけだ」
 「習慣なのだ」と老人は肩をゆすって言った。「わしとしては、悪い習慣だと思っておるがね。ところで」老人は考えるようにちょっと躊躇してからつけ加えた。「わしは異国人の味はあまり好かんのだ。ことに沼地をうろついて、野生の肉を食ったあとではな。」」

「「日のあたるところへ出してくれないか。ここは陰気で、どうも好きになれない」
 「もっともだ」と老人は答えた。「たしかにここは陰気だ。いまでも憶えておるが、わしは子供のとき、そなたがいま寝ている台の上に、美しい女が横たわっているのを見つけた――さよう、その台の上だ。あまり美しかったので、わしは手燭をもって、そっとここへ忍んできて、女の顔をつくづく眺めた。その手が冷たくさえなかったら、いまは眠っているが、やがて目をさますだろう、と思ったにちがいない。それほど美しく安らかな寝顔だった。白い長衣を着て、肌の色も白かった。金色の髪の毛が足のあたりまで垂れておった。いまでも女王さまが住んでおられるところには、そのような墓場が、たくさんある。そこへ墓場をつくった人たちは、愛する人間の体を腐らぬようにし、死んでも死なぬようにする方法を心得ていたのだ。それがどんな方法か、わしは知らぬ。ともかく、わしは、くる日もくる日も、ここへやってきて女の寝顔を眺めた。そして、とうとう(中略)生命の火の消えたその女の死体に恋するようになったのだ。わしは女のそばへ忍びよって、その冷たい顔に接吻した。(中略)ところが、とうとうある日、めざとい母が――母は、せっかちな性分だった――わしのようすが変わったことに気がついて、わしのあとをつけた。そして、その美しい白人女を見て、わしがその女の妖術にたぶらかされているのではないかと心配した。たしかにわしはそのとおりだった。母は、半ば恐怖心から、半ば怒りに駆られて、その女の死体を、あそこの壁に立てかけ、髪に火をつけた。そのため女の死体は足のところまですっかり燃えてしまった。(中略)こんなふうに保存してある人間の体は、とてもよく燃えるものなのだ。見るがよい、その女が焼けたときの煙の煤(すす)が、まだあの天井に残っておる」」
「「その女は足まで燃えてしまった」と老人は感慨深い声で言葉をつづけた。「だが、わしはすぐ引き返してきて、足だけは救いだした。黒焦げになった骨を切りとって、麻布に包み、その石の腰掛の下に隠した。まったく昨日のことのような気がする。だれにも見つけられなければ、おそらくまだそこにあるだろう。実は、そのときから今日まで、わしはこの部屋にはいったことがないのだ。待て、ちょっと見てみよう」そう言ってビラリは膝をつき、長い腕をのばして石の腰掛の下にある穴を手探りした。やがて老人の顔は輝いた。叫び声をあげながら、なにか埃だらけのものをとり出し、岩床の上で埃を払い落とした。それを包んだ麻布は、ぼろぼろになっていた。老人が包みをほどくと、形の美しい、白人らしい女の足が出てきた。それは昨日そこにかくしたもののように生きいきして、形も崩れていなかった。」



「12 女王」より:

「この岩室は大きさが寝室にあてられた岩室の二倍もあって、もとは食堂か、僧が死者に防腐用の香料を塗るのに使用されたものだということが一目でわかった。というのは、これらの掘りぬかれた洞窟は、あきらかに地下墓地で、そこにはいまなお私たちの周囲に痕跡を残している偉大な民族の死体が比類のない技術によって完璧な姿のまま、永久に人目につかない場所に保存されていたからだ。この奇妙な岩室の両側には、これも自然のままの岩をくりぬいてつくった横三フィート、高さ六フィートばかりの頑丈な石のテーブルがあった。(中略)これらのテーブルは、そこから二フィートほど離れた壁際の岩を削ってつくられた腰掛がわりの岩棚に坐ると膝がすっぽりはまりこむように、表面を薄く削ってあった。そして、どのテーブルも、明りとりと通気用に岩を貫通してつくった管の真下にくるように配置されていた。よく調べてみると、(中略)どのテーブルも同じものではなかった。たとえば、この岩室にはいったとき左手にあったテーブルは、(中略)あきらかに死体に香料を塗るために用いられたものであることがわかった。これは、つぎのような事実から考えても、まったく疑問の余地がなかった。石のテーブルの上には、大人から子供にいたるまでいろいろな大きさの体に合うように五種類の人間の型が浅くくりぬいてあり、一定の間隔をおいて、分泌液を流すための孔がいくつも掘りぬいてあった。まだこのほかにも証拠が必要なら、洞窟の周囲の壁を見ればいいだろう。そこには、この国の王か貴族と思われる長髯の老人の埋葬の図が彫刻されていて、死ぬときから死体となって香油を塗られて葬られるまでの過程が、はっきりとわかった。
 最初の絵は男の死を描いたものだった。男は寝台に横たわっていた。寝台は音符のような形の握りのついた彎曲した四本の柱に支えられていた。あきらかに臨終の絵だ。というのは、女や子供たちが寝台のまわりに集まって泣いているからだ。(中略)つぎの絵は、死体に香油を塗る場面を描いたもので、硬直した死体が、いま私たちの前にあるテーブルと同じような凹みのあるテーブルの上に横たわっていた。たしかに同じテーブルだった。三人の男が働いていた――一人は作業を指図する親方らしかった。一人は、葡萄酒の濾過器そっくりの形をした漏斗(じょうご)を支えていた。漏斗の細い先端は死体の胸の切り口から大動脈にさしこまれていた。三人目の男は、死体の上に両脚を広げて立ち、大きな水差しを高く持上げて、そこから湯気の立つ液体を注いでいた。液体は正確に漏斗のなかへ落ちていた。この彫刻のもっとも奇妙な部分は、漏斗をもった男も、液体を流しこむ男も、鼻をつまんでいることだ。死体から立ちのぼる臭気のためかもしれないし、ことによると死人の血管に注がれる熱い液体の匂いを嗅がないように鼻をおさえているのかもしれなかった。もう一つ説明のつかない奇妙なことは、三人とも顔のまわりに目の部分だけ孔のあいた麻布をまきつけていることだった。
 三つ目の彫刻は死人の埋葬をえがいたものだった。死人は冷たく硬直して麻の長衣に包まれ、私が最初泊ったときに寝かされたような一枚岩の上に横たわっていた。死人の枕もとにはランプが燃えていた。体の横には前に述べた色とりどりの美しい壺が数個おいてあった。その壺には食べものがいっぱいつまっているらしかった。小さな岩室には死者を悼(いた)む人たちがつめかけていたが、そのなかに竪琴に似た楽器を弾く楽師がまじっていた。一人の男が白い布をもって死体の足もと近くに立ち、死体を包もうとしていた。」
「強烈に私の興味をそそったこれらの彫刻は、完全に消滅した民族のあいだでおこなわれていた死者の儀式をそのまま入念に描いたものであることはまちがいない。」
「言い忘れたが、これらの彫刻はみな浮彫りだった。以上のようなことを大急ぎで調べてから私たちは食卓についた。煮つめた山羊肉、新鮮な牛乳、乳製の菓子などを清潔な木皿に盛ったすばらしい食事だった。」



「13 アッシャの素顔」より:

「「この世には、そなたの知らぬことが、まだたくさんあるようじゃ。そなたもやはり、(中略)生あるものはすべて死ぬと信じているのか? 死というものはないのじゃ。変化と呼ばれるものはあっても、死というものはない。あれを見るがよい」そう言って女王は岩壁の彫刻を指さした。「あの浮彫りを刻んだ偉大な民族の最後の一人が疫病のために倒れてから、二千年に三倍する歳月が過ぎ去っている。だが、それらの人々は死んではおらぬ。いまもなお生きているのじゃ。おそらく彼らの霊は現在ここへ導かれてきているであろう」そう言って女王はまわりをちらと見まわした。「ときおり、わたしの目には、その姿がはっきりと見えるのじゃ」
 「しかし、その人たちにしても、現在では死んでいるのでしょう?」
 「さよう、ひとときのあいだはな。しかし、この世へ何度も生まれかわっているのじゃ。わたしは――そうじゃ、このアッシャは――いまこそそなたに言おう――わたしが愛した男が生まれかわってくるのを、ここで待っているのじゃ。わたしは、その人が、かならずここへくることを知っている。だから、ここで、その人がわたしを見つけてくれるまで待っているのじゃ。なにゆえ、とそなたは思うか? 全能のこのわたしが、(中略)この世の秘密を知り、その富を知り、(中略)そなたらが死と呼ぶ変化にもうち勝つわたしが、このようなところで獣にも劣る蛮人どもといっしょに暮らしているのは、なにゆえとそなたは思うか?」
 「わかりません」と私は謙遜して言った。
 「なにゆえか? それは、わたしが恋人を待つためじゃ。わたしの人生は、邪悪なものだったかもしれぬ――わたしは知らぬ。何が善で何が悪か、誰に区別できるというのか。恋人を待つ身ゆえ、たとえ死ぬことができても、わたしは、そのときがくるまで、死んではならぬのじゃ。死人となって、その人のありかを訪ねて行くのは、まことに頼りない。死ねば、わたしとその人のあいだに、越えることのできない壁ができてしまうかもしれぬからじゃ。それをわたしは恐れる。無数の星が永劫に飛び交うあの広大無辺の空間では、道に迷って途方に暮れることもあるからじゃ。だが、いつか、その日はくる。それは五千年もさき、小さな雲が夜のくらがりに溶けこむように時間が歳月のるつぼのなかに溶けこむときかもしれぬが、いつかは、わたしの恋人が生まれかわり、いかなる人がつくり出すどんな掟よりも強い掟にしたがって、ここでわたしを見つけだすにちがいない。」」



「14 地獄の心」より:

「「二千年のあいだ」とアッシャはうめくように言った。「二千年のあいだ、わたしはじっと耐えて待っていた。だが、年変わり、歳月は流れたが、この苦しい思い出は、すこしも薄らぐことがない。希望の光は、すこしも明るくはならぬ。おお、情熱に心をむしばまれ、消えることのない罪を背負って二千年の歳月を生きてきたとは! おお、どんなに長いあいだ生きながらえても記憶が薄れることがないとは! おお、うとましいほど長い年月が過ぎ、しかもいまだにそれが終わらず、この先いつまでも生きながらえねばならぬとは!」」


「16 コールの墓所」より:

「「時の流れのなかで、一万年――千年の十倍の歳月が何であろう? 無にひとしいではないか。朝の太陽に消え去る霧のようなものではないか。仮眠するあいだに飛び去り、冬の雪のようにはかなく消えるのじゃ。これが人間の運命なのじゃ。死は、まちがいなくわれらを捕え、われらは眠りにつく。だが、われらはまた眠りから覚め、覚めてはまた眠る。こうして、眠っては覚め、覚めては眠り、何世代も、時空を超え、世の終わりまで、同じことをくりかえすのじゃ。世界が終わるときまで。霊魂をのぞいて、すべてが死滅するまで。」」


「23 真理の神殿」より:

「月光が明るくかがやいて、円柱や、神殿や、崩れ落ちた壁や、その裂け目や、崩れた部分を銀色の衣でおおい、その荘厳さを夜の不思議な光で包んでいた。満月が、この廃墟と化した神殿を照らし出す光景は、なんともいえないほど美しかった。何千年のあいだ、空の死んだ天体と、地上の死んだ都市とは、宇宙の完全な孤独のなかで、たがいに向かい合って、ありし日の栄光を語り合っていたのであろう。月が傾くにつれて、苔むした神殿の上を、影がゆっくりと這うように横ぎった。まるで礼拝所をうろつく老いた僧たちの亡霊のように、月が傾いて、影が長くのびると、目の前の死のたたずまいからにじみ出るような厳粛さが、私たちの胸に忍びこんできた。そして、墓場にのみこまれて、いまは思い出のかけらさえ残っていない栄光の日々を、大きな声で、私たちに語りかけてくるような気がした。」



◆感想◆


本書は前作『ソロモン王の洞窟』の脇役女性のセリフ「わたしの心は愛に満ちていて、いつまでも若いままで一千年でも生きていられるような気がいたします」を中心テーマに、前作の老魔女ガグールを絶世の美女の主人公に仕立て直した、ユング博士お墨付きの「イシス」探求小説です。
語り手は自分が醜いと認識しつつも女の人の美しさに魅かれたりする矛盾した性格ですが、友人の遺児である美青年レオを、レオの祖先の仇である洞窟の女王(二千年生き続ける絶世の美女)に出会わせる冒険の旅に出ます。絶世の美女は結局最後には二千年分の老醜を一気に体現しつつ死んでしまいますが、そういう意味では本書はたいへん壮大な二重の復讐(意趣返し)小説といってもよいです。しかし美醜や善悪は同じ一つのものの多様なあらわれに他ならないので、洞窟の女王も「罪が善をもたらし、善が悪を生むこともある。(中略)人間は善(よ)かれと思い、あるいは悪(あ)しかれと思うて事を行なう。けれども、それがどのような結果をもたらすかについては何も知らぬ」と言っています。
本書に小道具的に挿入されている、洞窟の女王の伝説が記されたギリシア語やラテン語や古英語といった異質な言語、ギリシア文字やブラックレターといった異質な文字表記も、同じ一つのものの多様なあらわれに他ならないです。







こちらもご参照ください:

H・R・ハガード 『ソロモン王の洞窟』 大久保康雄 訳 (創元推理文庫)
『フエンテス短篇集 アウラ・純な魂 他四篇』 木村榮一 訳 (岩波文庫)


























































































H・R・ハガード 『ソロモン王の洞窟』 大久保康雄 訳 (創元推理文庫)

「この巨大な本洞窟を中心にして、あちこちに小さな洞窟が口を開いていた。(中略)大きな洞窟もあれば小さな洞窟もあった。これも自然の働きの驚異を示す一つの例だが、洞窟は――大きい小さいにまったく関係なく――どんな小さなものでも同じ法則でつくられていた。たとえば大きな人形の家ぐらいしかない小さな洞窟があったが、これがこの洞窟全体の模型のようなものだった。ここにも水滴が落ち、小さなつららが垂れさがり、小型ながらまったく同じ方式で円柱がつくられているのだ。」
(H・R・ハガード 『ソロモン王の洞窟』 より)


H・R・ハガード 
『ソロモン王の洞窟』 
大久保康雄 訳
 
創元推理文庫 F-ハ-2-1 


東京創元社 
1972年8月25日 初版
1992年11月6日 27版
336p 口絵(カラー)
文庫判 並装 カバー
定価550円(本体534円)
カバー・口絵・插絵: 山本耀也


「KING SOLOMON'S MINES
by
Sir Henry Rider Haggard
1885」



本文中に地図1点、挿絵(モノクロ)6点。カラー口絵(見開き)1点。



ハガード ソロモン王の洞窟



扉文:

「ソロモン王の時代から、暗黒大陸アフリカの奥地に眠り続けているという莫大な財宝。その伝説の秘宝をもとめてヘンリー・カーティス卿は、著名な探検家アラン・クォーターメンとともに出発した。三世紀も昔のぼろぼろになった一枚の地図だけがたよりの一行は、凶暴な象の群れに襲われ、一滴の水もない砂漠の焦熱地獄をさまよいながらも、ようやくソロモン街道に辿り着く。だが、そこで一行が直面したのは、無気味な魔女による大虐殺の恐るべき現場だった……しかもその老婆こそ、ソロモンの秘宝を知る唯一の人間‐‐魔法使いのガグールだった。雄渾な筆致と奔放な想像力で描く巨匠ライダー・ハガードの不滅の大冒険小説!」


目次:


1 ヘンリー・カーティス卿に会う
2 ソロモン王の洞窟の伝説
3 ウンボパ参加す
4 象狩り
5 砂漠へ
6 水だ! 水だ!
7 ソロモン街道
8 ククアナ国に入る
9 ツワラ王
10 魔女の人狩り
11 証拠を提示する
12 戦いの前
13 攻撃
14 グレイ連隊の最後の抵抗
15 グッド病床に臥(ふ)す
16 死者の住家
17 ソロモンの宝庫
18 絶望
19 イグノシとの別離
20 発見

解説 (大久保康雄)




◆本書より◆


「5 砂漠へ」より:

「「ごらんなさい」と私は言った。「あれがソロモン王の洞窟をかこむ岸壁です。だが、あそこまでたどりついて、あの山を登ることができるかどうか、それは神さまにしかわかりませんがね」
 「弟は、あそこへ行ったはずだ。弟があそこにいるのなら、なんとしてでも私は行ってみせる」とヘンリー卿は、それが特徴の静かな自信をこめた口調で言った。
 「私もそう望みたい」と私は答えて、キャンプに戻ろうとふりむいたとき、そこへきていたのは私たちだけでないことに気がついた。私たちの背後で、ズル人の大男ウンボパが、やはり私たちと同じように、かなたの山脈を、じっと眺めていたのだ。
 ズル人は、私が気づいたのを見てとると口を開いた。だが、彼が話しかけたのは私ではなく、彼が尊敬しているヘンリー卿に対してだった。
 「これから旅をしようとしているのは、あの地方かね、インクブ?」(インクブというのは、象という意味の土語で、カフィル人たちがヘンリー卿につけた名前だった)彼は、幅広い刃のついた槍で山のほうを指しながら言った。
 私は、主人に対して、そのようになれなれしく話しかけるなんてどういうつもりかと、鋭く彼をなじった。
 土人たちが仲間うちで話すときに仇名をいうのはいっこうさしつかえないが、面と向かって主人にそういう土語で呼びかけるのは礼儀にはずれている。するとウンボパは軽く声をあげて笑ったので、私は怒った。
 「私が自分の仕えている主人よりも劣っていると、どうして断言できるのかね?」と彼は行った。「もちろんこの人は高貴な家柄の生まれだ。あの体と目を見れば、すぐにわかる。だが、私だってそうかもしれない。すくなくとも私は彼に劣らぬ人間だ。マクマザーン、私の言葉を主人のインクブに伝えてもらいたい。私はあんたと彼に話したいことがあるんだ」
 私はカフィル人からこんなふうに話しかけられたことがなかったので、ひどく腹が立ってきた。しかし、彼の言葉には、なんとなく威厳があったし、彼が何を話したいのか知りたかったので、彼の言葉を通訳してヘンリー卿に伝えた。しかし、この土人が傲慢(ごうまん)な男で、彼のいうことはまことに無礼至極だということをつけ加えることも忘れなかった。
 「そうだ、ウンボパ」とヘンリー卿は答えた。「私はあそこへ行きたいと思っているのだ」
 「砂漠は広く、水はない。山は高くて雪におおわれている。太陽が沈む向こうに何があるのか、だれも知らない。あんたは、どうやって、また何のために、あそこまで行くのか?」
 私はまた通訳した。
 「彼にこう言ってくれ」とヘンリー卿は答えた。「私の血をわけた弟があそこへ行っているので、私はその弟をさがしに行くのだ、と」」
「「遠い旅だよ、インクブ」と彼は言った。私はそれを通訳した。
 「わかっている」とヘンリー卿は答えた。「遠い旅だ。しかし、ひとたび男が心をきめてかかったら、なしとげられない旅は、この世にはないはずだ。愛に憑(つ)かれ、自己の生命をかえりみず、生きるも死ぬも神の摂理にまかせるならば、登れぬ山、越えられぬ砂漠は存在しないのだよ、ウンボパ。ただ一つ、おまえの知らないあの山と砂漠を除けばな」
 私はそれを通訳した。
 「すばらしい言葉だ」と、このズル人は言った(彼は本当はズル人ではなかったが、私はいつも彼をそう呼んでいた)。「立派な偉大な言葉だ。これこそ男が口にするにふさわしい言葉だ。まったくあんたのいうとおりだ、インクブ。私のいうことも聞いてもらいたい。生命とは何か。それは羽毛だ。草の種だ。風であちらこちらに吹きとばされ、ときには子孫をふやし、ときには枯れ死に、ときには天国まで運び去られる。しかし、もしそれがいい種であれば、希望する道を、わずかながらでも進むことができるだろう。自分の行くべき道を進み、風雨にさらされるのはいいことだ。人間は死ななければならない。最悪の場合でも死ぬのが少々早くなるだけのことだ。私は途中で地に倒れることがないかぎり、砂漠を渡り山を越えて、あんたといっしょに行く」」
「「生命とは何か。教えてくれ、白人よ。世界の秘密、星の秘密、星の周囲の世界を知っている賢明な白人よ。声を出さずに遠方から一瞬のうちに言葉を送ることのできる白人よ。教えてくれ、私たちの生命の秘密を――それは、どこへ行き、どこからくるのか?
 それは、あんたがたにも答えられないだろう。あんたがたは知らないのだ。聞いてくれ、私が答えよう。私たちは闇からきて、闇のなかへ去って行くのだ。夜、嵐に吹かれて、どこからともなくやってきた小鳥のように、私たちの羽ばたきは、一瞬、灯火のなかに見えるが、それもつかの間、あっという間に、ふたたび私たちは、いずこへともなく飛び去って行く。生命は無だ。だが同時に生命はすべてだ。生命とは私たちが死を押しのけようとする手だ。生命とは、夜は光るが、朝になると黒くなる螢だ。冬に牛がはく白い息だ。草原をよぎって走りまわり、日没と共に消えうせる小さな日影だ」
 「おまえは不思議な男だな」ヘンリー卿は相手が語り終えると言った。
 ウンボパは笑った。「インクブ、あんたと私は、とても似ているようだ。私も山の向こうにいる弟をさがしに行こうとしているのかもしれないよ」」

「「では」とヘンリー卿は言った。「出発だ」
 こうして私たちは出発した。
 道しるべとしては遠くに見える山とホセ・ダ・シルヴェストラの書いた古い地図だけだった。しかも、この地図は、死にかけて頭がおかしくなった男が三百年も前に麻布の切れ端に書いたものであることを考えるなら、あまり頼りにできる代物(しろもの)ではなかった。しかし、たとえそのような代物であるにしろ、私たちにとっては、これがただ一つの手がかりだった。」



「16 死者の住家」より:

「二十歩ばかり行くと、奥行き四十フィート、幅三十フィート、高さ三十フィートほどの薄暗い部屋へ出た。これは明らかに、いつの時代か、遠い昔、人間の手で岩をくりぬいてつくられたものだった。この部屋は、あの広い鍾乳洞ほど明るくなかった。部屋へはいって最初に目に映ったのは、縦に長くおいてあるどっしりとした石のテーブルだった。テーブルの頭のところには大きな白い像が立っていて、まわりには等身大の白い像が並んでいた。つぎに私は真ん中のテーブルの上に褐色の物体が安置されていることに気づいた。やがて目が部屋の暗さに馴れてくるにつれて、それらのものが何であるかが全部わかった。それと同時に私は足にまかせてこの場を逃げ出したくなった。」
「それは、ぞっとするような眺めだった。長いテーブルの端には、高さ十五フィート余りの大きな人間の骸骨の形をした「死」そのものが、骨ばった指に白い大きな槍をしっかり握って腰かけていた。(中略)体は前かがみになっており、首の骨と、歯をむきだした、てらてら光る頭蓋骨を突き出し、うつろの眼窩は私たちを見すえていた。顎は、すこし開いていて、いまにもしゃべりだしそうだった。
 「いやはや」とうとう私は力なくつぶやいた。「これはいったい何かね?」
 「それに、あれは何だ?」とグッドはテーブルのまわりに並んでいる白い像を指さして言った。
 「それにあれだ。あれは何だろう?」ヘンリー卿はテーブルの上に坐っている褐色の物体を指さして言った。
 「イッヒ、ヒ、ヒ」とガグールは笑った。「この死者の住家へはいったものには呪いがかかるのさ、イッヒ、ヒ、ヒ。ワッハ、ハ、ハ」
 「さあ、インクブ、戦いの勇者よ、ここへきて、そなたが殺した男を見るがよい」老婆は皮ばかりの指でヘンリー卿の上衣をつかんでテーブルのところへつれて行った。(中略)やがて老婆は立ちどまってテーブルの上の褐色の物体を指さした。ヘンリー卿は、それを見ると、思わず声をあげてあとずさった。それも不思議はなかった。というのは、テーブルの上には前ククアナ国王の全裸の死体がおいてあり、死体の膝の上にはヘンリー卿が斧で切り落とした首が乗っていたからだ。(中略)死体の表面は一面に薄いガラス状の膜におおわれていて、そのために死体はいっそう無気味に見えた。ほどなく私たちは部屋の天井から水滴が絶えずポタ、ポタと死体の首の上に落ちていることに気がついたが、それまでは死体をおおっている薄い膜が何なのか、さっぱり見当がつかなかった。水滴は死体の表面にくまなく伝わり落ち、最後にテーブルの小さな穴を通って岩のなかへ流れ出ていた。それを見て私は、おおよそ推測することができた――ツワラの死体はいま鍾乳石と化しつつあるのだ。
 この無気味なテーブルのまわりの石のベンチに並んで腰かけている白い物体を見て、私の推測の正しいことがわかった。それらは人間の体なのだ。いや、むしろ体だったというべきだろう。それがいまは鍾乳石となっているのだ。ククアナ人が大昔から王の死体を保存してきた方法は、これだった。死体を石化させるのである。(中略)顔かたちがぼんやりわかる程度に石灰石の経帷子に包まれ、死そのものをホストとして、ご馳走の皿ひとつない石のテーブルのまわりに腰かけている歴代の王たちの長い行列(中略)は、想像することもできないほど凄絶な眺めだった。」



「17 ソロモンの宝庫」より:

「「それから、こう伝えてください――わたしの胸には小鳥がいて、それがある日わたしの胸から飛び立って行って、どこか他の場所でさえずっているような思いに、ときどきわたしは襲われました。手もあげられず、心臓がだんだん冷たくなってゆくいまでさえ、わたしは心まで死んでゆくような気がしないのです。わたしの心は愛に満ちていて、いつまでも若いままで一千年でも生きていられるような気がいたします。彼にこう伝えてください――もしわたしが生まれ変わったら、星の国で彼と会えるかもしれない。わたしは、あらゆる星を探してあるくつもりです。」」



ハガード ソロモン王の洞窟 02








こちらもご参照ください:

H・R・ハガード 『洞窟の女王』 大久保康雄 訳 (創元推理文庫)
































H・G・ウエルズ 『H・G・ウエルズ傑作集〔1〕 モロー博士の島』 宇野利泰 訳 (ハヤカワ文庫 SF)

「いったいやつは、人間だろうか、けものだろうか?」
(H・G・ウエルズ 「モロー博士の島」 より)


H・G・ウエルズ 
『H・G・ウエルズ
傑作集〔1〕 
モロー博士の島』 
宇野利泰 訳
 
ハヤカワ文庫 689/SF 266 


早川書房 
昭和52年11月10日 印刷
昭和52年11月15日 発行
297p 
文庫判 並装 カバー
定価340円
カバー写真: 松竹・富士映画共同配給 映画『ドクター・モローの島』より


「The Diamond Maker (in "Stolen Bacillus and Other Incidents" 1895)
The Lord of the Dynamos (in "Stolen Bacillus and Other Incidents" 1895)
The Stolen Body (in "Twelve Stories and a Dream" 1903)
The Valley of Spiders (in "Twelve Stories and a Dream" 1903)
Mr. Skelmersdale in Fairyland (in "Twelve Stories and a Dream" 1903)
The Island of Dr. Moreau (1896)」




ウエルズ モロー博士の島



カバー裏文:

「白髪の男に連れられて下船したその孤島には、夜ごと耳をつんざく不気味な動物の悲鳴がきこえた。その島奥では、獣を人間化する恐るべき実験が行なわれていたのだ! 密林の集落で人間のおきてを遵守する奇怪な獣人の群に、高度な文明社会への諷刺をこめた表題作「モロー博士の島」。その他人間の肉体から抜け出た魂がさまよう「盗まれた肉体」、妖精の国へ行ってそこの女王と恋をする「妖精の国のスケルマーズデイル君」など6短篇を収録。SFの始祖ウエルズが、奔放な空想力と当時発達しつつあった科学知識を駆使して、読者を不可思議な旅に誘う空想科学小説の古典的名作!」


目次:

ダイヤモンドをつくる男
ダイナモの神
盗まれた肉体
蜘蛛の谷
妖精の国のスケルマーズデイル君
モロー博士の島

解説 (荒俣宏)




◆本書より◆


「ダイナモの神」より:

「キャムバーウェルに、三台の発電機(ダイナモ)が設置されて、ぶんぶんがたがた、騒音を立てながら、電気鉄道を動かしているのだが、それを操作する運転主任は、ヨークシャーの出身で、名を、ジェイムズ・ホルロイドといった。」
「かれの助手は、神秘につつまれた東洋からやってきた男で、名をアズマ・ジといった。」
「キャムバーウェル発電所には、エンジンつきのダイナモが三基あった。二基は創設当初からそこにあって、比較的小型だった。大きいほうの一基は、新たに据えつけられたものである。」
「訪問者がこの場所に足を踏み入れると、エンジンのゴトン、ゴトンという音、大ホイールとボール・バルブの回転音、ときたま噴出する蒸気の音、大ダイナモの太く沈んだ、たえ間なしの波動音、そのようなさまざまな音の渦に、頭がくらくらする思いをするのだった。最後にあげたダイナモの音は、技術的な観点からすれば、当然、欠陥というべきところだが、アズマ・ジはそれを、この怪物が強大さと誇りをもっているためだと解釈した。
 諸君がもし、読書にさいして、発電所の騒音を耳にすることが平気であるなれば、ぜひこの物語は、そのような伴奏つきでお読みねがいたいと思う。
 それはたえ間ない轟音の連続であるが、鋭敏な耳は、それぞれの糸をえりわけることができる。スティーム・エンジンの間歇的に立てる音も、大小各種ある。噴出する音、あえぐ音、ヒューヒューと沸騰する音。そしてまた、上下運動をつづけるピストンの音、巨大な伝導車輪のスポークが回転するたびに、空気をたたくにぶい音、革ベルトの、あるいはきつく、あるいはゆるく、そのうごきにつれて変化する音、二基の小型ダイナモが発する、いらだつようなすさまじい音。さらに、それに重なりあうように、耳が馴れてくると、ついうっかり聞きもらすことになるが、やがてまた、いつか意識しているといった、大ダイナモのトロンボーンにも似た音があった。
 足もとの床は、しっかり落ちついて感じられることがなく、いつも、びりびりと震動をつづけていた。」
「アズマ・ジがつとめだすと、ホルロイドはかれをつかまえて、自分の大機械についての神学的講義をおこなった。」
「「あれを見ろ」と、ホルロイドはいった。「おまえたちの国の神に、あれにくらべられる力をもっているのがあるか?」
 そこで、アズマ・ジは見た。すこしのあいだ、ホルロイドのことばは聞えなかった。が、やがて、アズマ・ジの耳に相手の声がとどいた。
 「こいつだったら、百人でも殺せるんだ。だから会社はこの力で、十二パーセントの配当をしているんだ」と、ホルロイドはいった。「まあ、神さまみたいといえるじゃないか」」
「アズマ・ジは二基の小型ダイナモを、大ダイナモと比較してみて軽蔑した。そしてひそかに、大ダイナモを、《ダイナモの神》と呼んだ。(中略)かつて、ラングーンで見た仏像に感心したのであったが、これはそれよりもさらにりっぱで、落ちつきはらってもいたのだ。それでいて、動きかつ、生きているのである! 大きな黒いコイルが、ぐるぐる、ぐるぐる、回転し、リングがブラシの下を走り、コイルの荘重な音が、いっさいをひきしめている。それはアズマ・ジにたいして、奇妙な影響をあたえた。」
「ある朝、轟々と鳴り響く発電所の建物へはいって行くと、かれは、まず、《ダイナモの神》を伏し拝み、ホルロイドのすがたが見えぬと知ると、咆吼する機械にすりよって、わたしは、あなたの下僕(しもべ)でございます、とささやいた。どうか、あわれと思し召して、ホルロイドからお助けくださいと祈った。
 おりしも、鼓動する建物の、あけはなしたアーチから、あるかないかの光が射しこんで、《ダイナモの神》は回転し、咆吼をつづけながら、青白い黄金いろに光りかがやいた。そしてその瞬間、アズマ・ジは、自分の祈りが、神に聞きとどけられたことを知ったのだ。」
「そのつぎに、ホルロイドから虐待をうけたとき、アズマ・ジは、さっそく、《ダイナモの神》のもとへとんでいって、「ご照覧ください、わたしの神さま!」と、小声でいった。すると、怒ったような機械のうなりが、答えてくれたように思われた。」



「盗まれた肉体」より:

「「わたしは大きな雲になっていました――そのときの状態を、無理にでも表現すると、そうとしかいいようがないのです――そしてそのわたしが、以前の肉体につながれているのでした。最初わたしは、非常に大きな自我を発見したように思いました。頭脳のなかにある意識する自我は、わずかにその一部にすぎないように感じられたのです。オールバニー、ピカデリー、リージェント・ストリート、そのあたりの家々、部屋、道路、すべてが非常に小さく、それでいてあかるく、くっきりと、わたしの下にひろがっているのがながめられるのです。それはちょうど、軽気球の上から、小さな街のすがたを見下ろしたような光景でした。」」
「たえまない意志の努力で、氏は肉体を脱出して、この現実世界を超えた別個の世界へ入りこんでいった。夢見たこともない世界――だが、われわれの住む現実世界のすぐ間近かに存在し、しかも、われわれの世界とは、まったく異った関係にある世界。われわれをとりかこむ位置にあって、そこからは、われわれの地球の上のありとあらゆるものが、なかからでも外からでも、きわめて明瞭に見てとることができるのである。」
「氏は、現在の新らしいからだを駆使して、どのように移動したらよいかと考えはじめた。しばらくのあいだは、地上のむくろへの愛着を捨てかねてためらっていた。しばらくは、この新らしい雲状のからだが、うごきだしたいという努力につれて、ただ、浮游し、ねじれ、からまり、収縮と拡大とをくりかえしていたが、突如、氏をつないでいたリンクがぶつっと切れた。
 その瞬間、黒く渦巻く霧と思われるものが、氏の視野をおおいかくした。そして、ちらっとそこに、隙間が生じたとき、氏のもとのうなだれていた肉体が、ぐにゃりと崩折れるのが見てとれた。生命を失った頭が、よこに傾くのが見えたのだ。そしておのれ自身は、黒雲の群れが渦巻いている不思議な世界を、巨大な雲となって、飛行していくのだった。眼の下には、入りくんだロンドンの市街が、きらきらと光りかがやきながら、都市模型のようにながめられた。
 しかし、そのときになって、氏ははじめて気がついた。氏の周囲に揺れうごいている黒いものは、霧以上のなにかであるのだ。(中略)はじめのうちは、ただぼんやりと映ったにすぎなかったが、突然、きわめて明瞭に、それが形をとった。かれをとりまいていたのは、顔だった! 雲のかたまりと思っていたものの、ひとつひとつのうねりと渦巻きが、それぞれひとつの顔だったのだ。
 なんという顔の群れだ! うすい影のような顔、ガス体のように稀薄な顔。悪夢のうちにあらわれて、不気味な異様さで、眠る者をねめつける顔に似た顔。邪悪にみち、飽くことを知らぬ好奇心にうずき、貪欲な眼をぎらつかせている顔。眉をひそめ、歯をむき出し、唇にうすら笑いを浮かべている顔。
 ベセル氏が通りすぎようとすると、それが影のような手をのばして、氏をとらえようとする。そのくせ、かれらの手以外の部分は、すべて暗闇のなかに、尾を曳いて消えている、捉えどころのない黒い流れにすぎなかった。かれらはひとことも、ものをいわない。その口は、なにかぺちゃぺちゃしゃべっているようだが、音らしいものを発しない。氏をとりまいているこれらの怪物は、夢のような沈黙のうちに、押しよせてきたかと思うと、自由自在に、うすい霧に似た氏のからだを通りぬけて行く。そしてそれは、いよいよ、氏の周囲に集まってくるばかりだった。」
「それはどれも、人間ばなれのした兇悪な顔だった。悪意のこもった眼でにらみつけ、影のような腕をのばしてくる。(中略)この白痴のような妖怪、このむなしい欲望の子どもら、この生きることの恩恵を絶たれた生まれそこない……、その唯一の表情と身振りは、かれらが生きているものへの羨望と欲求とに燃えたつ餓鬼であることを示している。それだけが、かれらを、こうして存在させておく、たったひとつのクサリの輪であるにちがいないのだ。」
「かれら悪霊たちは、生きた肉体にあこがれて、機会さえあれば、これにとり憑こうとねらいつづけている。狂ったように、はげしい歓喜を望む異様な衝動、いったんその占拠に成功すれば、文字どおり狂喜乱舞するのである。」



「蜘蛛の谷」より:

「それから、しばらくすると、第一の、白く大きな球体が、つづいて第二のそれが、光りかがやきながら、近づいてくるのを見た。巨大なあざみの冠毛とでもいった球体で、風に吹かれて浮游するように、はすかいに道をよぎっていった。それらの球は空高く舞いのぼり、いったんは落下してきたが、再度、舞い上って、ちょっとの間、宙空を漂ったあげく、突如、せかせかしたうごきに変って、遠去かっていった。」
「やがて、漂うようなこの球体が、急激に、その数を増して――そして、スピードも増して、ぐんぐんと谿間を下ってきた。」



「妖精の国のスケルマーズデイル君」より:

「なんにしろ、その夜、かれが立っていた木立の下は、昼間のようにあかるかったそうだ。樹々の葉の上にも、草むらのなかにも、おびただしい数のほたるが、美しいあかりをともして、かがやいていた。スケルマーズデイル君が受けた最初の印象は、自分が小さい(引用者注:「小さい」に傍点)ということだった。そして、そのまわりには、その小さい自分よりも、もっともっと小さい人間が、幾人となく集まっているのだった。(中略)かれの周囲をかこんでいるのは、自分たちの特権を犯して、樹かげに眠りこんだ俗人をとらえて、《妖精の国》へ運びこんだ森の小妖精たちで、かれらはみな、にこにこと笑いながら立っていたのである。」


「モロー博士の島」より:

「「おちついて、わしのいうことを聞いてもらえんかな」
 モロー博士は咳ばらいをして、また叫んだ。
 「ラテン語で言おう。プレンディック君! 中学生のようにへたなラテン語だが――ヒ、ノン、スント、ホミネース、スント、アニマリア、クィ、ノス、ハベームス(人間からではない。獣類から造ったのだ)……生体解剖でな。人間化したんだよ。くわしく説明するからこちらへ来たまえ」」

「「怪物を造りあげる! とすると、あなたは――」
 「そうなんだ。きみが見ている連中は、このわしが、切ったり、つないだりして、作りあげたものさ。わしの生涯は、生活体の適応についての研究に捧げられた。むろん、動物の外形を変化させるのだって、そう簡単にいくものではない。しかし、変えようと思えば、その生理その他に、持続的な化学的変化を与えることだって、不可能なことではないんだ。たとえば種痘がそのよい例さ。
 研究の第一歩は移血法だった。わしはその研究から踏みだした。中世の外科医だって、メスの力で見世物小屋の怪物などを作りだしたんですぞ。その技術の痕跡は、いまだに軽業師仲間に残されている。買ってきた子供に、その手術をほどこすやつもある。ヴィクトル・ユーゴーが、その小説『笑う男』のなかで描写しているのがそれだ。これできみも、わしのねらっておるところが理解できたであろう。
 しかし、この特異な部門を専門に研究する近代の科学者はいなかった。おそらくわしがその最初であろう。暴君や犯罪者や、ないしは鳥や犬の飼養者のうちには、これとおなじ目的をねらっていたものもないではない。しかし、(中略)生物学的知識を身につけた男として、メスを手に握ったのは、おそらくわしが皮切りだと思うね。
 ひょっとすると、ごく秘密裡には、行われておったこともあるかもしれない。たとえばシャム兄弟という、からだがくっついた双生児だが、あれも、人為的なものがないとはいえないんだ。……それに、異端糾問所の地下に設けられた拷問室だ。もちろん、その第一の目的は、相手に肉体的苦痛を与えることにあったのだが、糾問官のうちには、科学的好奇心に燃えていた男もなかったとはいえんのさ」
 「しかし」と、わたしはいった。「あの――あの動物たちは、ものをいいますぜ!」
 「いかにもそのとおり――」と、かれは答えた。「生体解剖の力は、被術者に肉体的変化を与えるだけには止まらない。豚にだって、教育をほどこすこともできるのだ。精神的機能は、肉体のそれより、かえって絶対的なものではないのだ。
 最近、長足の発展をとげた催眠術は、われわれ本来の固定観念を、ぜんぜん新らしいものに入れ替えうることを暗示している。われわれが精神教育と称しているものは、本能を人為的に倒錯せしめるにすぎない。人類本来の闘争性を、自己犠牲のはげしさに変化せしめ、性欲を抑圧して宗教的感情とするといったたぐいなのだ。人類と猿の相違は喉頭にある。猿類では、人間みたいに微妙に音質を変化させて、思想をなめらかに表現する能力を欠いておるというが、人間との根本的差異はただそれだけのことなのだ……」」









こちらもご参照ください:

H・G・ウェルズ 『タイム・マシン 他六篇』 石川年 訳 (角川文庫)
H. G. Wells 『The War of the Worlds』 Illustrated by Edward Gorey (NYRB Classics)
マンディアルグ 『ポムレー路地』 生田耕作 訳
『オデュッセイア』 呉茂一 訳 (集英社版 世界文学全集 1)



























































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
 
うまれたときからひとでなし
なぜならわたしはねこだから
 
◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

Koro-pok-Guru
Away with the Fairies

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。
歴史における自閉症の役割。

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