パティ・スミス 『バベル』 山形浩生・中上哲夫・梅沢葉子 訳

「からだ
果てしない砂丘
輝く岩塩」

(パティ・スミス 「復活祭」 より)


パティ・スミス 
『バベル』

山形浩生・中上哲夫・梅沢葉子 訳

思潮社 
1994年1月15日 発行
318p 巻末図版(モノクロ)2葉 
四六判 並装 カバー 
定価2,600円(本体2,524円)
装訂: 芦澤泰偉



パティ・スミスの詩集『バベル』(1978年)の日本語版です。歌詞集ではないです。
著者による序文(1991年)付。巻末に原文(原書第2刷の影印の縮刷)が掲載されています。
本文中図版(モノクロ)多数。


パティスミス バベル 01


帯文:

「この本を末来に
捧げます
――パティ・スミス

幻の詩集ついに本邦刊行!
パティからの日本版への
特別メッセージ入り。原文つき。

比類なき声と詞で人々を戦慄させ、熱狂させ、人々の人生に刻印を残してきた、
パンクそしてロックの伝説パティ・スミスの詩集!
これは、ブレイク、ボードレール、ランボー、ジュネ、バロウズetc多くの文学を呼吸してきた、
パティ自身の声、パティの鼓動、パティの創る神話である。

*パティの声のように情感あふれる中上訳、ヴィジュアルな梅沢訳、原文の言葉遊びを日本語で再現する山形訳、どこからでもお好きな作品からお読み下さい。」



帯背:

「ロックの神話
パティの文学」



パティスミス バベル 03


目次:

序文(日本版へのパティ・スミスからのメッセージ) [山形浩生訳]

Ⅰ ラジオ・エチオピア [山形浩生訳]
 通告
 イタリア(ラウンド)
 樹液採集者の抽出物
 グラント
 死んだランボー
 ソール
 新少年
 犬の夢
 ランボオの夢
 ドクター愛

Ⅱ 異邦人には異邦人 [中上哲夫訳]
 ミュンヒェン
 反抗でハイになって
 不思議ね
 レイプ
 スペース・モンキー

Ⅲ シスター・モルヒネ [中上哲夫訳]
 通告2
 ジュディス
 ジョージア・オキーフ
 得体の知れない火
 イーディ・セジウィック
 マリアンヌ・フェイスフル
 シスター・モルヒネ

Ⅳ パイプ・ドリーム [梅沢葉子訳]
 パン
 本物の森
 草むら
 スカンクドッグの世にも不思議な物語
 はぐれ三太夫
 コンテ
 鳥のサバ(復讐)

Ⅴ モハメディア [山形浩生訳]
 アルジェからきた羊飼い女
 ロベール・ブレッソン
 カーニバル! カーニバル!
 k.o.d.a.k
 気狂いフワナ
 ロック救済

Ⅵ 飛行機の死骸 [山形浩生訳]
 飛行機の死骸
 ジャンヌ・ダルク
 ジェニー
 健康灯
 賛歌
 鹿の編隊
 復活祭

Ⅶ バベル [山形浩生訳]
 バベル
 コミック戦士
 バベローグ
 幽谷
 バベルの戦場
 ツーク島

訳者あとがき (中上哲夫/梅沢葉子)
英語版原文
略歴



パティスミス バベル 02



◆本書より◆


「ジョージア・オキーフ georgia o'keefe」:

「great lady painter
what she do now
she goes out with a stick
and kills snakes

georgia o'keefe
all life still
cow skull
bull skull
no bull shit
pyrite pyrite
shes no fool
started out pretty
pretty pretty girl

georgia o'keefe
until she had her fill
painted desert
flower cactus
hawk and head mule
choral water color
red coral reef
been around forever
georgia o'keefe

great lady painter
what she do now
go and beat the desert
stir dust bowl
go and beat the desert
snake skin skull
go and beat the desert
all lilfe still」

「偉大な女性画家の
彼女がいましていること
彼女はステッキを手に散歩に出ては
蛇を殺すのだ
 
ジョージア・オキーフ
静かな全生涯
牝牛の頭蓋骨
雄牛の頭蓋骨
牛の糞は見当たらない
黄鉄鉱、黄鉄鉱
彼女はばかではない
人生を始めた、美しい
美しい、美しい少女として
 
ジョージア・オキーフ
心ゆくまで
砂漠を描いた
花サボテンを
鷲とラバを
賛美歌(コーラル)のような水彩画
赤い珊瑚礁(レッド コーラル・リーフ)
たえず歩き回ってきた
ジョージア・オキーフ
 
偉大な女性画家の
彼女がいましていること
砂漠に出かけていって歩き回る
埃の鉢をかき回す
砂漠に出かけていって歩き回る
蛇の皮(スネーク スキン)、頭蓋骨(スカル)
砂漠に出かけていって歩き回る
静かな全生涯」



「シスター・モルヒネ sister morphine」より:

「one must return and retain the power of concentration. in order to reclaim the known and savored system of discipline one must focus. where there is no energy there is carcass. pure waste. nothing exists, it's a stretch of meat. the music on the radio sucks and is pulling me down through the carpet. i got to get up and put a record on but its so fucking hard to move. i do it. i like this record marianne faithfull. she sings sister marshall. once, a long time ago, i checked into the alton house with my friend, in pain. his nerve was exposed and he laid for several days on the bumpy rusting cot draining and weeping. from the room next to ours came the moans of a willow bending in rhythum to the watershed of my friend. one night, in desperation, ia called on the voice. i had never seen him but i had slept on the fire escape breathing through the morning in term with his wailing, his tolling, his haunting songs of wind.」

「ひとはもどって集中力を取りもどさなければならない。訓練という周知の味わい深いシステムを取り返すためには集中しなければならない。エネルギーのない場所にあるのは屍だ。まったくの徒労だ。そこにはなにもない。単なる肉のひろがりだ。ラジオの音楽は吸い込みカーペットじゅうわたしを押し倒している始末だ。わたしは起き上がってレコードをかけなければならなかったのだけど体を動かすのがくそつらかった。わたしはそれを行なう。わたしはこのレコード、マリアンヌ・フェイスフルが好きなのだ。彼女はシスター・マーシャルを歌う。かつて、ずうっと昔、わたしは怪我をした友だちとオールトン・ハウスに泊った。神経が露出していて彼はがたがたの錆びた折りたたみベッドに数日間血と涙を流しながら横になっていた。わたしたちの部屋の隣室から友だちの生死の分岐点にリズムを合わせて身をよじる柳の木のうめき声が聞こえてきた。ある夜、絶望的になって、わたしはその声の主を尋ねた。それまで彼を一度も見たことがなかったがわたしは彼が泣き叫びうめき風の悩ましい歌に合わせて呼吸しながら午前中ずうっと非常階段で寝た。」



「ロベール・ブレッソン robert bresson」より:

「i awoke w/new strength.
les enfants terribles was on the screen. since my illness i have installed in my sight a small screen and projection booth. there are three films running continuously - terrible children, mademoiselle and thomas the imposter. all blonde films. for awhile there was only one film - au hazard balthazar. i saw it several hundred times under mild sedation. for a time my mind was a notebook of stills, annotations and the art of this century.

specific, black and white. the enamel on canvas of pollock. we are all children of jackson pollock. we are all chaotic mutants - an extension of his action. from his mad wrist spun us. just as we manifested our own assault upon hymn via the vocal chords and kind of little richard and james brown or mick jagger.」

「新たな力強さとともに目覚める。
恐るべき子供たちがスクリーンにかかっている。病気になって以来、わたしは視界に小さなスクリーンと映写室を設置した。三本の映画が繰り返しかかっている――恐るべき子供たち、マドモワゼル、山師トマ。みんなブロンドの映画。しばらくは一本しか映画がなかった。バルタザールどこへ行く、だ。少し鎮静剤を飲まされて何百回となくこの映画を見た。一時、わたしの精神は、スチールや注釈と、今世紀の芸術のノートと化していた。

鮮明な、黒と白。ポロックのカンバスのエナメル。わたしたちはみなジャクソン・ポロックの子供だ。みんな混沌としたミュータント――かれのアクションの延長なのだ。かれの狂った手首からわたしたちが紡がれた。ちょうどわたしたちがリトル・リチャードやジェイムズ・ブラウンやミック・ジャガーの声帯なんかを経由して、自分自身の賛歌への突撃を主張したように。」

「there is oil on the road.
this oil is the cause of the car going out of control.
what we want to find out is who put the oil there
and what the motive was.」

「道にオイルが
このオイルのせいで車は制御がきかなくなった
知りたいのはだれがこのオイルをそこにまいたか
そしてその動機。」

「who put this oil here?
i did.
motive
art.
who was your teacher?
robert bresson」

「ここにオイルをまいたのは?
わたしだ。
動機
芸術。
おまえの教師は?
ロベール・ブレッソン」



「鹿の編隊 a fleet of deer」より:

「but what is one rebelled? one jagged edge pulling itself from the mire of melody up into the tube and choosing to scrape and puncture the open eye of a predictable merger. what if one refused and another and still another one until we all came to grips with this wonder of true love? of rock and roll? there is nothing but dream. nothing save the real truce with light. the flash and flood light on the root of the true interior. life is a dream? life is life. dream on the other hand is somewhere else. the state of purity on which we have once collided.」

「でも、もし反抗したら? ぎざぎざのかけらが調和のぬかるみから身をひきはがして、管のなかへと駆けのぼり、期待される合併者の開いた目を引っかき貫こうとする。もし一人が拒んでまた一人拒んでさらに一人拒んで、やがてわたしたち全員がこの真実の愛の不思議と取り組むようになったら? ロックの不思議と取り組むようになったら? 夢しかない。光との真の休戦以外は。真の内面の根元に閃光と光の洪水。人生は夢? 人生は人生。夢は一方でどこかほかにある。かつてわたしたちが遭遇した純粋な状態。」

「i am reckless. i never do anything according to the rules. there is a kink in me as regulated as the clock on the stove.」

「わたしは無謀だ。規則通りにはけっしてやらない。わたしには、暖炉の上の時計みたいに規則正しい気まぐれがある。」



「序文(日本版へのパティ・スミスからのメッセージ)」より:

「One must take in account that these writings grew from the climate of the seventies. And the fields we ran thru, in art and dream, were free of guilt and suffering. May you enter these fields in the same spirit. In art and dream may you proceed with abandon. And may you proceed in life with the clarity and courage of a soldier crossing a mine field, with balance and care. For nothing is more precious than the life force and may the love of that force guide you as you go.」

「この作品が、七〇年代という情勢下で生まれたことは考慮する必要があります。わたしたちがアートと夢において駆け抜けた戦場は、罪悪感や苦悶とは無縁のものでした。あなたも、同じ精神をもってこの戦場に足を踏みいれてくれますように。アートと夢において、献身とともに進んでくれますように。そして生においても、地雷原を横切る兵士の明晰さと勇気をもって、バランスをとりつつ慎重に進まれますように。生命力より貴重なものなどないのですから。そして進むあなたを、その生命力への愛が導いてくれますように」





こちらもご参照ください:

Robert Bresson 『Notes on the Cinematograph』 tr. by Jonathan Griffin























































































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グレイ 作/福原麟太郎 訳 『墓畔の哀歌』 (岩波文庫)

「「叡智(えいち)」は、黒い衣をまとうて
深い法悦(ほうえつ)の思いにひたり、
「憂欝(ゆううつ)」は、静かなおとめ、
鉛色(なまりいろ)の目をして、地を見つめているが、
いつもあなたのおごそかな足あとに従う。」

(トマス・グレイ 「逆境をたたえて」 より)


グレイ 作
福原麟太郎 訳 
『墓畔の哀歌』
 
岩波文庫 赤/32-210-1

岩波書店
1958年11月5日 第1刷発行
1990年10月5日 第6刷発行
203p 別丁口絵(モノクロ)2p
文庫判 並装 カバー
定価410円(本体398円)
カバー: 中野達彦



本書「はしがき」より:

「「墓畔の哀歌」という書題は、本訳詩集に「田舎の墓地で詠んだ挽歌」としてある有名な「エレヂー」に桜井鴎村(おうそん)がつけた訳名であるが、その名はグレイの詩作全体を代表するもので、グレイという詩人が誰であるかを思い出すのに便利であろうというので、グレイ詩集と名づける代りに本書の題名にした。」


本書「解説」より:

「トマス・グレイ(Thomas Gray, 1716-71)は、わが国で古くから親しまれている詩人である。しかも、その知られている詩は、唯一つに限られていたと言ってよい。それは、この訳詩集で、「田舎(いなか)の墓地で詠(よ)んだ挽歌(ばんか)」という題で訳されているもので、英米でも昔からグレイの挽歌(エレヂー)と呼ばれて有名である。」


口絵2点、「田舎の墓地で詠んだ挽歌」に図版2点。


グレイ 墓畔の哀歌 01


カバーそで文:

「ロマン主義の先駆となった叙情詩「田舎の墓地で詠んだ挽歌」「詩仙」等、十八世紀イギリスの詩人グレイの代表作21篇を収める。」


目次:

口絵
 グレイ肖像(エッカート筆)
 「田舎の墓地で詠んだ挽歌」の草稿(ペンブルック草稿)

はしがき (福原麟太郎)

愛のうた
愛猫を弔ううた
イートン学寮遠望のうた
逆境をたたえて
詩歌の進歩
詩仙
運命の魔女たち
オーディン下向
オウエンの凱歌
田舎の墓地で詠んだ挽歌
なが物語
楽曲用頌詩
ケント州マーゲイトに近きホランド卿の邸に題す

〔遺作〕
ソネット リチャード・ウェストの死に当って
季節の移り変りから起る愉快を頌えて
自画像
ホーエルの死
カラドック
コーナン
うた一
うた二


解説
 一 「挽歌」の作者として
 二 ケイムブリッヂの隠者
 三 グレイ伝
 四 イギリス文学史上のグレイ



グレイ 墓畔の哀歌 02



◆本書より◆


「愛猫を弔ううた
      金魚の鉢に溺れて死んだ猫の詩」:

「背の高いかめのふちで起ったことだ。
そのかめにはシナの豪華な芸術が
紺青の花を彩(いろど)って咲かせていた。
世にも淑(しと)やかなトラねこのやからで
もの思いがちなセリマは身を寄せて
下の湖(みずうみ)を見つめていた。

尻尾(しっぽ)が動くのは、心の喜びを現わしていた。
美しい丸い顔、雪白のあごひげ、
ビロウドのような双(そう)の前足、
三毛(みけ)にも敗(ま)けぬその毛並(けなみ)、
まっ黒な耳、緑玉の眼を
彼女は見た、そして賞嘆の喉(のど)を鳴らした。

尚(なお)も彼女は見つめていた。そのとき水中を
天使の姿が二つ辷(すべ)ってゆくのが見えた。
この湖(みずうみ)の精たちだ。
鎧(よろい)なす鱗(うろこ)の色はタイアの紅(べに)
豊麗(ほうれい)な深紅(しんく)の底に
金色のひらめきもある。

不運な美女は見ておどろいた。
先(ま)ず頬(ほほ)ひげ、それから爪(つめ)と、
胸内にあまる願いのままに、
獲物(えもの)へ伸(の)ばしてみたが届(とど)かぬ。
女心で、黄金(こがね)を、軽んじるわけがない。
猫にして、魚の嫌(きら)いなものはない。

でしゃばり娘だ。思いつめた顔をして、
また手を伸ばした。また屈(かが)んだ。
間(あいだ)の遠さを知らなんだ。
(意地悪(いじわる)な運の司(つかさ)が、そばにいて微笑(ほほえ)んだ。)
すべすべした縁(へり)に足をさらわれて、
まっさかさまに彼女は落ちた。

湖水の中から八度、頭を出して、
あらゆる水神に鳴いて訴えて
急ぎの助けを求めたのだが、
イルカも来(こ)ねば、海の精すら動かない。
手荒(てあら)なトムもスーザンも、耳が無(な)い。
お気に入りには、友達がないものだ。

そこで、美人のみなさんたちは悟(さと)られたい。
一たび足を踏み外(はず)せば、とりかえしがつかぬ、
大胆は良(よ)いが、用心ぶかくしてほしい。
戸惑(とまど)いする目を誘うものや
軽はずみの心を引く、すべてが正しい獲物でない。
輝くもの、すべてが黄金(こがね)でないという。」

「ホレス・ウォルポールが猫を飼(か)っていた。その猫が死んだのでグレイは一七四七年三月一日、この詩を草(そう)してウォルポールに送った。擬英雄詩体(ぎえいゆうしたい)である。その手紙によると、グレイはウォルポールの飼っていた猫二匹のうちのどちらが死んだのかわからず、仮(か)りにセリマのことにし、それはトラ猫であったとして歌ったもの。」



「田舎の墓地で詠んだ挽歌」:

「夕暮の鐘の音が落ちてゆく日を弔(とむら)い
鳴きつれて牛の群(むれ)は、ゆるやかに野を渡る
野の人は疲れはてて、とぼとぼと家路(いえじ)につけば
この世界には、夕暮と自分とのみが残っている。

ほの光る風景も、わが前に消えてゆき
おごそかな静寂(せいじゃく)がまわりの大気を包む
わずかに、かぶと虫が羽音も重く飛びまわり
遠くの羊の宿からは眠い鈴の音が聞えてくる。

また、向うの蔦(つた)の葉のまつわる古塔から
うらぶれて、ふくろうが月に訴え
その秘密の巣のあたりをうろついて
昔からの孤独の領域(りょういき)を冒(おか)す人を恨(うら)む。

年を経(へ)たニレの木の下、イチイの木陰(こかげ)、
芝土(しばつち)のくちくずれて、高まるところ、
めいめいの狭い室(むろ)に永久に横たわって、
この村の素朴(そぼく)な先祖たちが眠っている。

かぐわしい匂のする朝の微風(そよかぜ)、
藁屋根(わらやね)の小屋(こや)に来るつばめの囀(さえず)り、
鶏(にわとり)のするどい叫び、こだまする角笛(つのぶえ)も、
賤(しず)が屋(や)の床にねる人々の目をもう醒(さま)しはしない。

いさましい囲炉裏(いろり)の火も、もう燃えない。
忙がしい主婦の夕食の仕度(したく)もない。
子供らが父の帰りを告げて走り、
膝に匍(は)い上って口づけを競(きそ)うこともないのだ。

その鎌(かま)で、とり入れをいく度か果(はた)して来た。
畝(うね)つくりに固(かた)い土をいく度か砕(くだ)いたものだ。
喜ばしく、牛を追うて野を耕(たがや)したこともある。
その力ある斧(おの)の下に、森も頭(こうべ)を垂(た)れたものだ。

「野心(やしん)」よ、彼らの有益な労働や飾りのない喜び、
彼らの、光のない運命をあなどるな。
「栄華(えいが)」よ、貧しい人達の短くて単調な履歴(りれき)を、
高ぶった微笑をもって聞くな。

紋章の誇り、権勢の栄(さかえ)、
美の、また富の、与えたものすべてを、
避けがたい「時」が待っている。
栄誉の道はみな墓場につづいているのだ。

なんじ、誇れる者よ、この人達を咎(とが)めるな。
「記憶」が彼らの墓に記念の牌(はい)を飾らず、
長い御堂の中、格天井(ごうてんじょう)の飾られた下に
鳴りわたる讃美歌が聞えぬとしても。

碑文(ひぶみ)を書いた壺(つぼ)、生けるが如き像が、果(はた)して
そのやかたに、飛び去る息を呼び返したか。
「名誉」の声が、もの言わぬ灰を生かしたか。
「へつらい」が死神の鈍(にぶ)い冷い耳を宥(なだ)めたか。

思うに、この忘れられた場所に眠っているのは、
かつては天上の火をいだいていた胸だ。
帝国を指図(さしず)する笏(しゃく)を持ち得(え)た、または
姫琴(ひめごと)をかきならし神韻(しんいん)を与え得た手だ。

だが、「博識」は「時」の獲物に満(み)ちた
その豊かな巻物を披(ひろ)げて見せなかった。
「冷貧」は気高(けだか)い感激を抑(おさ)えて、
魂の快(こころよ)い流れを冰(こお)らせてしまった。

清らかに照る和光(わこう)の珠(たま)は数知れず、
暗い大海の量(はか)りきれぬ底にひそみ、
恥(はじ)らって人目(ひとめ)にふれず咲く花は数知れず、
色香(いろか)をば、むなしくも荒野に散らす。

村人のハムプデンは、剛毅(ごうき)な胸で、
わが里の小暴君に抗(さから)って立ったろう。
物言わず名の無いミルトンもここに横たわり、
国人の血を流さぬクロムウェルもいるであろう。

耳を澄(す)ます政客たちの喝采(かっさい)を博し、
苦痛破滅のおどかしをも目にかけず、
微笑(ほほえ)む国土にゆたかな財を散じ、
国民の目にわが歴史を詠むことは、

彼らの運命が禁じたのだ。ただに
生(お)い繁(しげ)る徳をばかりか、罪をさえ限ったのだ。
流血の河を渡って、王位をねらい、
慈悲の門を人類に閉じるさえ禁じたのだ。

良心の咎(とがめ)に悩(なや)む悶(もだ)えをかくし
正直(しょうじき)な恥(はじ)らいの色を顔に消すことも、
「奢侈(しゃし)」と「誇(ほこり)」の祠(ほこら)に詣(もう)でて香(こう)を供(そな)え
詩神の火に焚(た)くことをさえ禁じたのだ。

あさましく争い狂う群(むれ)を離れて、
彼らの願いはただ一筋(ひとすじ)につつましく、
冷たい、奥まった人生の谷に沿(そ)うて
静かな自らの道を歩くにあったのだ。

しかし、その骨には侮(あなど)りを受けぬよう、
粗末(そまつ)な墓標(ぼひょう)が傍(かたわら)に立ててあって、
おろかな詩句や、形をなさぬ彫刻で飾られ、
過ぎゆく人の、ため息の手向(たむけ)を待っている。

その名や年は、無学な詩人の手に誌(しる)され、
名聞と挽歌(ばんか)の代(かわ)りになっている。
書き散らされた聖書の文句は、
田園の善人に死の道を教えるものだ。

誰か唖(おし)の「忘却」の餌食(えじき)に甘(あま)んじて、
この楽しい心配な人生をあきらめ、
愉快な日々の暖い日だまりを去るものか。
見返る目になつかしくその名残を惜しむものだ。

去ってゆく魂は誰か愛するものの胸に倚(よ)り、
閉(と)じてゆく目は誰かの情(なさ)けの泪(なみだ)を求める。
墓の中からさえ、「自然」の声は叫ぶ。
灰の中にさえ、人間の心の火は燃えている。

こうして、死んだ名もない人達のことを思い、
このようにその飾りのない生を語るもの、お前。
ここに、誰か親切な人があって、わびしい思いに、
おまえの運命を聞くこともあろう。

すると、たまたま白髪の田舎人(いなかびと)が答える。
「たびたびお目にかかりました。朝のひきあけ
急ぎ足に露の玉を散らしながら
丘の上の芝地で太陽を迎えられる、

それから、あそこの枝を垂(た)らしたブナの木の
奇怪な古根(ふるね)が地上にわだかまったあたりで、
真昼には、ものうく、ながながと身を伸(のば)し、
ささやいて流れる小川を眺めていられる、

あちらの森の中では、嘲(あざけ)りを微笑に上(のぼ)せ、
わけもない仇言(あだごと)をつぶやきながらさまよい、
淋しい心の人らしく、うなだれて悲しく青ざめ、
煩悶(はんもん)に狂うとか、失恋に悩(なや)まれるさま。

ある朝、いつもの丘の上に姿はなく、
荒れ地にも、あの人の好きな木(こ)かげにも、
そのまたあした、小川のほとりにも、
芝地にも森にも姿は見えませんでした。

その次の日、しずしずと歌もかなしく、
教会への道を辿る葬列を見ました。
あの碑文を読んで下さい(あなたは字が読めましょう)
あそこのサンザシの老木の下の石に刻(きざ)んである。」

      墓銘(ぼめい)
このところ地の膝に枕(まくら)して憩(いこ)えるは
「幸運」も「名声」も知らざりし若者ぞ。
その生れ卑(いや)しきも「学芸」は眉寄(まゆよ)せず
「憂欝」はしるしして、わがものとなしにけり。

恵(めぐ)みしは大なりき、魂に誠(まこと)みち、
天もまた等(ひと)しなみ大いなる報(むく)いしぬ。
「悲惨」には泪(なみだ)しき、与え得(え)しすべてなり。
天よりは友を得て、その願かないたり。

いさおしを尚更(なおさら)に引き出だすことなかれ。
欠けしをばな発(あば)きそ。畏(おそ)れあるところにて
相(あい)ともに打ち震(ふる)え、望(のぞみ)もち安(やす)らえり、
父にしてみ神なるふところの中にこそ。」

















































































































































































ジョン・ダン 『エレジー・唄とソネット』 河村錠一郎 訳 (古典文庫)

ジョン・ダン 
『エレジー・唄とソネット』 
河村錠一郎 訳
 
古典文庫

現代思潮社
1977年6月30日 第1刷発行
218p 口絵(モノクロ)1葉
四六判 丸背紙装上製本 カバー
定価1,200円



本書「はじめに」より:

「この訳詩集は一六三五年版の『ジョン・ダン詩集』で「唄とソネット」及び「エレジー」として分類されているものをグリアソン版・ガードナー版・ショウクロス版の三種のテキストに基づいて訳出したものである。初版の一六三三年版には特に「唄とソネット」という分類名はつけられていない。(中略)ただし、「エレジー」の中でダンの作かどうか極めて疑わしいとされているもののうち四篇(中略)は除いた。」


John Donne: Elegies Songs and Sonnets


ダン エレジー 唄とソネット


カバーそで文:

「言語の変幻
マニエリスム詩文の傑作
醜怪な性の傷口から死を死を経巡る時間にはしる嘲罵の思想、冷酷なシニシズムに覆われた露骨な官能と人間の廃墟を打ち砕くエロティシズムの哄笑。
強靭な断定的懐疑で自己の瞬間的外面化をはかる
十七世紀イギリスの「形而上派」詩人ジョン・ダンの恋愛詩篇」



目次:

エレジー
 嫉妬
 字あそび
 心がわり
 香水
 男の姿絵
 背教者
 愛の御指南役
 比喩
 秋の女(ひと)
 あの人の姿(イメージ)は
 腕輪
 別れのうた
 恋人
 恋の道すじ
 床入り
 愛の戦争

唄とソネット
 おはようさん
 うた(流れ星を拾ってこい)
 女人の貞操
 大事業
 日の出
 破廉恥男
 愛の神の高利息
 聖列加入
 三重馬鹿
 愛の無限性
 うた(愛しいひと ぼくが旅立つのは)
 形見
 熱病
 空気と天使
 夜明け
 一周年記念
 別れ――窓ガラスのぼくの名に寄せて
 トウィックナム庭園
 別れのうた――書物によせて
 共有財産
 愛の成長――春
 愛の代償
 愛の制限
 夢
 別れのうた――涙によせ
 愛の錬金術
 蚤
 呪い
 伝言
 聖ルーシー祭のノクターン――一年で最も短い日
 肖像画による妖術
 餌
 亡霊
 砕けし心
 別れのうた――嘆くのはおよし
 恍惚
 愛の神
 愛の食養性
 遺言
 葬い
 花
 桜草
 聖なる遺物
 熱病
 解体
 贈られし黒玉の指輪
 否定的愛
 禁止
 終末
 計算
 逆説
 恋よさらば
 影の講釈
 しるし―ソネット
 自己愛

解説




◆本書より◆


「うた」:

「流れ星を拾ってこい
 恋茄子の根っこに子を孕ませろ
過去の歳月のありかを教えろ
 悪魔の足を裂いたのは誰だか教えろ
どうすりゃ人魚の唄うのを聞ける?
どうすりゃ嫉妬の毒針から免れられる?
  そして
  どんな風が吹きゃ
正直者が出世できるのか教えておくれ

お前さんが不思議なものや
 目に見えぬものを見る力があるなら
夜昼となく一万日ほどもお駈けなさい
 お前さんのおつむが真白になるまでさ
お前さんは帰ってくるなり
道中の不思議な話のくさぐさを
  語るだろうが
  貞節でしかも美しい女という
不思議ばかりは世になしと誓うだろうよ

そんな貞節な女がいたら教えておくれ
 恋の通路(かよいじ)たまらなかろう
いいや待てよ 行くものか
 逢引き場所が隣だろうと
お前さんが女に会ったとき そしてお前さんが
俺に知らせの手紙(ふみ)かくときまで
  たとえ女が貞節だろうと
  俺が着くまでにゃあ
男の二人や三人できちまっていようもの」




「「古典文庫」発刊に際して」より:

「精神のあらゆる指導原理がその基盤を失い、既成の諸思想がすべて無効性を暴露したかに見えるとき、古典は私たちに何を語るであろうか。今日の幻想の国家社会、大衆社会の思想的混迷と文化の停滞と「疲れたニヒリズム」とを、黙示録ふうな闇にとらえるならば、私たちがここに刊行せんとする古典の数々は、この闇に漂う鬼火でなければならぬであろう。鬼火が人をどこへ導くかは、しばらく問うまい。ただ、未来への方向において闇のなかに一歩を踏み出さんとする者は、さしあたって、その手に鬼火をつかむがよい。その手に火傷を負うがよい。古典の生命力は、なお私たちに火の衝撃をあたえずには措かぬであろう。
 そもそも古典の領域に、正統性(オーソドクシー)という概念が成立しうるであろうか。私たちはこれを疑うものである。いな、むしろ私たちは、この古典文庫において、従来の正統性とはいささか内容を異にした、新しき正統性なるものを提示せんとするものである。古典文庫は、古代から現代にいたる世界の文芸・哲学・思想・宗教・社会科学その他あらゆるジャンルを含むが、形骸化し自己神化に帰着した、死せる正統性をつねに警戒し排除することにおいて、よしんば世人の目に奇異に見えようとも、あえてこれを意に介さぬ所存である。ひるがえって、従来の通念においては異端の座に追いやられている作品といえども、そのラディカルな主観主義に、今日の要求に最もふさわしいものありと認められるならば、あえてこれを本文庫に採り入れる。私たちは、何よりも固定化を避けんとするものである。精神の危機にすすんで身をさらさんとするものである。未知なる古典の発掘、無視され忘却された古典の評価こそ、本文庫の使命とするところでなければならない。
 願わくは、権威を怖れぬ批評精神と知識欲に燃えた若き世代に、また真摯なる人生の思想的探究者、学問文芸の研究者愛好者に、本文庫が大いなる共感と愛情をもって迎え入れられんことを。
株式会社 現代思潮社」
























































































ウラジーミル・ナボコフ 『青白い炎』 富士川義之 訳 (ちくま文庫)

「娘はいつもささやかな狂気じみた希望をはぐくんでいたと思う。」
「I think she always nursed a small mad hope.」

(ウラジーミル・ナボコフ 『青白い炎』 より)


ウラジーミル・ナボコフ 
『青白い炎』
富士川義之 訳

ちくま文庫 な-10-2

筑摩書房
2003年11月10日 第1刷発行
542p 
文庫判 並装 カバー
定価1,400円+税
装幀: 安野光雅
カバーデザイン: 神田昇和


「この作品は一九八四年七月五日、筑摩書房より「筑摩世界文学大系 81」として刊行された。」



Vladimir Nabokov: Pale Fire, 1962


ナボコフ 青白い炎


帯文:

「20世紀実験小説の傑作
「詩」とその「注釈」が作り出す
奇想天外な文学空間」



カバー裏文:

「ジョン・フランシス・シェイドは、架空の詩人だ。その詩人の999行からなる長大な瞑想詩『青白い炎』を本文に掲げ、序文と注釈と索引を付して、研究書の体裁を整えるのは、これまた架空の人物、キンボート。彼は詩人の隣人でもあり、ロシア文学の教授でもあるのだが、実は狂人?……。彼の施す長大な注釈からはサスペンスが横溢、これは一体また何という注釈だろう!
二つの異質なエクリチュールを配することで、合わせ鏡の迷宮にも似た不思議な文学空間の現出に成功、読者を唖然とさせた、ナボコフ円熟期の実験小説の傑作。」



目次:

前書き
青白い炎 四つの詩篇より成る詩
 詩章第一篇
 詩章第二篇
 詩章第三篇
 詩章第四篇
註釈
索引

訳者あとがき




◆本書より◆


「青白い炎 四つの詩篇より成る詩」より:

「娘は奇妙な不安、奇妙な幻想、奇妙な性格的
強さを持っていた――古い納屋で
ある種の音や光を詳しく調べながら
三晩を過ごしたときのように。娘は言葉を逆さ読みした。」

「そして無表情な
眼をして 散らかり放題のベッドの上に坐って、
大根足を広げたり、乾癬(かんせん)症にかかった指の爪で
頭を掻きむしったり、一本調子で
恐ろしい言葉を呟きながら、呻くのだった。」

「娘はいつもささやかな狂気じみた希望をはぐくんでいたと思う。」



「註釈」より:

「詩人の娘ヘイゼル・シェイドは一九三四年に生れ、一九五七年に死んだ。」

「ヘイゼル・シェイドがある種の点でわたしに似ていたこともまた真実なのだ。」



「青白い炎 四つの詩篇より成る詩」より:

「難解な未完の詩への註釈としての
人間の生涯。のちのちの使用のための註。

Man's life as commentary to abstruse
Unfinished poem. Note for further use.」



「註釈」より:

「もしもわたしがこの簡潔な所見の意味を正しく理解しているとすれば、詩人がここで示唆しているのは、人間の生涯は膨大で晦渋な未完の傑作に付された一連の脚註にほかならないということである。」


「訳者あとがき」より:

「つまり『青白い炎』は、『オネーギン』の英訳と註釈という、刊行後に英語とロシア語の微妙なニュアンスの相違をめぐってエドマンド・ウイルソンとのあいだに激しい遣り取りのあった学問的労作を書き進めてゆくプロセスで着想され、少なくともその基本的構成や形式において、それから派生した作品である。(中略)学問的註釈書を巧妙に装ったこの小説は、その意味で、『オネーギン』に付されたナボコフ自身による学問的な註釈書へのパロディとしての特性をもつと見ることも可能である。」
「この小説は、架空のアメリカ詩人・大学教授のジョン・フランシス・シェイド(一八九八―一九五九)の英雄対韻句(ヒロイック・カプレット)で書かれた九百九十九行の長篇詩『青白い炎』に、その詩人の隣人で、詩人と同じ大学で教えるチャールズ・キンボートが、前書きと長文の註釈、および詳細な索引を付すという、非常に奇妙な構成となっている。(中略)しかも彼がほどこす長文の註釈は、学問的意図を再三にわたり明言しているにもかかわらず、シェイドの詩自体から大幅に逸脱・脱線し、彼の奇怪な幻想や妄想(彼は実は狂人である)によって徹底的に歪められ、改竄されたものなのだ。
 キンボートは長篇詩執筆前のシェイドに向かって、(中略)祖国ゼンブラから、革命によって追放された国王およびその国のことをぜひ新作のなかに書き込んでほしいと折にふれて懇願していた。つまりキンボートは、シェイドの手を借りて、詩人でない自分にはできないこと、つまりゼンブラの国王(これはキンボート自身である)を詩的表現に昇華させ、不滅化しようと意図していたのだが、狂人の誇大妄想に無関心な詩人はそれを果たさない。そこでキンボートは註釈という形式を用いて、シェイドの詩の一字一句のなかにゼンブラとその国王についての彼の奔放な幻想や妄想の反映を見出そうと企てるのである。」
「一言で言えば、これは文学というフィクションの世界を構築すること、すなわち小説を書くという一見虚妄な営みにどのような意味があるのか、ということを、キンボートのゼンブラ幻想を通じて探った作品ではなかろうか。注釈者が書きとめるように、「〈現実〉は真の芸術の主題でも対象でもないし、真の芸術は共同体的な眼によって知覚された月並みな〈現実〉とはまったく無関係な、それ自体の特別なリアリティを創造するのだという基本的事実」を明らかにするという特性を、この小説は深く刻み込んでいるからだ。(中略)それにしても、キンボートの長大かつ詳細な註釈が、シェイドの原詩からあれほどにも大幅に逸脱・脱線の方向へと向うのはなぜなのか。(中略)キンボートもまた癒し難い、深い喪失感を抱く男である。いったい何を喪失し、いかなる心の空洞を抱え込んで狂気にまでいたったのか、正確なところは不分明だが、(中略)執拗に自分の過去へと回帰し、それを註釈によって再構成しようとする熱烈な衝動に、彼が激しく突き動かされていることだけは確かである。そこから感じとれるのは、過去の根から切り離された亡命者の孤独と苦悩だが、彼は過去との結びつきを、(中略)誤読行為によって現在化するプロセスのうちに求めずにはいられない。註釈という作業は、実際彼にとっては、シェイドの長篇詩を素材にして、それとはほとんど別箇の、秩序立った形状とパターンを備えた「特別なリアリティを創造する」ことにほかならないのである。そうした別世界(中略)の創造を通じて得られる美的至福が、深い喪失感から生じる恐るべき孤独と苦悩の現在を少しでもやわらげ、軽減してくれるのではないかと希求する。その祈念の烈しさを直接反映する彫琢の文章の、まさにゆらめく青白い炎を思わせる異様な輝きがわれわれをとらえて放さないのである。そんなとき、彼が狂人であるなどということはほとんど問題ではなくなり、彼を通じて、われわれはしばしば創造者や芸術家の姿を垣間見ることになるのだ。言いかえれば、キンボートの幻想や妄想は明らかに文学的想像力の別名なのである。」





こちらもご参照ください:

ナボコフ 『セバスチャン・ナイトの真実の生涯』 富士川義之 訳 (講談社文芸文庫)




































































ナボコフ 『セバスチャン・ナイトの真実の生涯』 富士川義之 訳 (講談社文芸文庫)

「ついにぼくはとある暖かな窪地へと出てしまい、そこにはぼく自身の自我の自我みたいなものによく似た何かが、暗闇のなかに丸くちぢこまって坐っているのだ。」
(ナボコフ 『セバスチャン・ナイトの真実の生涯』 より)


ナボコフ 
『セバスチャン・ナイトの真実の生涯』 
富士川義之 訳
 
講談社文芸文庫 ナ A 1

講談社
1999年7月10日 第1刷発行
328p
文庫判 並装 カバー
定価1,200円(税別)
デザイン: 菊地信義



Vladimir Nabokov: The Real Life of Sebastian Knight
巻頭の「主な登場人物」と巻末の「年譜」「主要作品」は二段組です。


ナボコフ セバスチャンナイトの真実の生涯


カバー裏文:

「一八九九年ロシアの名門貴族として生まれ、米国に亡命後
『ロリータ』で世界的なセンセーションを巻き起こした
ナボコフが初めて英語で書いた前衛的小説。
早世した小説家で腹違いの兄セバスチャンの伝記を書く
ために、文学的探偵よろしく生前の兄を知る人々を尋ね
歩くうちに、次々と意外な事実が明らかになる。」



目次:

セバスチャン・ナイトの真実の生涯

解説 同一性を求めて (富士川義之)
年譜――ナボコフ (富士川義之 編)
主要作品 (富士川義之 編)




◆本書より◆


「どれほど巧妙にしかも愛想よく新しい環境が彼の昔からの夢に取り入ったにもせよ、彼自身、いやむしろ、彼自身の最も貴重な部分は、始終そうであったように、どう仕様もないほど孤独のままであるということを厭というほど自覚するのだった。セバスチャンの生涯の基調音は孤独であった。思いやり深い運命が、彼が望んでいたものを見事に偽造して彼を気楽にくつろがせようとしてみても、そうされればされるほど、より一層彼はその具現化されたもののなかに――どんなたぐいの具現化されたもののなかにも――自分が溶け込んでいけないことを意識するのだった。彼がやっとこのことを徹底的に理解し、それが稀有な才能か情熱ででもあるかのように、自意識の教化を厳しくはじめたそのときになって初めて、セバスチャンは自意識の豊かで恐るべき成長から満足を得ることができ、自分のぎこちない不適応性についてくよくよ思い悩むことに終止符を打つことができるのであった――だが、それはずっと後になってからのことなのだ。
 明らかに、彼は最初、間違いを犯したり、なおそれ以上に悪いのだが、不体裁なことを仕出かすのを、ひどく恐れていた。」

「「そう、彼は確かにゲームは苦手でした。」
 「そのことで彼は動揺しませんでしたか?」
 「ある意味ではそうでしたね。実のところ、一学期はこうしたことへの劣等感で頭が一杯で、全く台なしになっていたからです。」」

「セバスチャンの劣等感の根底にあったものは、(中略)どうしても負けたくない一心でいろいろと試行錯誤を繰り返し、しかも一度だって成功したためしがなかったということであり、そうしてやっとのことで、自分を裏切っているものはこうした外面的な事柄でも、マンネリ化した当世風のはやり言葉でもなく、幸せなことに自分自身の自我という独房に閉じこもっているよう運命づけられているというのに、他人と同じようでありたい、他人と同じように振舞いたいと一生懸命努力した事実にあるのだということを、彼が本当に自覚するようになるまで、その劣等感に苦しんでいたと指摘する彼の言葉は正しいと、ぼくには思えるのだ。」

「三学期か四学期、こんなふうにして過ごした後で、奇妙な変化がセバスチャンを訪れた。彼は自分が楽しむべきだと思っていたことを楽しむのをやめ、本当に自分の興味を惹(ひ)くことだけに静かに心を集中するようになったのである。外見的には、この変化の結果は学寮生活のリズムからの脱落となって現われた。彼はぼくの情報提供者以外には、誰ともつき合おうとはしなくなった。その友人は、たぶんセバスチャンが全く率直に、自然なままで、接することのできた生涯を通じての唯一の人間であったのだろう――」

「「講義室で彼の姿を見かけないと、ぼくはよく彼の部屋へ行き、まだベッドのなかにいる彼を見つけたものです。彼は子供みたいに身体を丸めて寝ていましたが、しわくちゃになった枕じゅうに煙草の灰を散らかし、だらっと床(ゆか)に垂れ下ったシーツの上にインクの汚れをつけて、ぼんやり煙草をふかしていました。彼はぼくの元気のいい挨拶の返事としてただ口をもぐもぐさせるだけで、姿勢を変えようともしないのです。で、ぼくはあちこちうろつき回り、彼が病気でないことを確かめてから、中食に出かけたものです。それから、もう一度彼のところへ行ってみますと、彼は寝返りを打って、スリッパを灰皿の代りに使っている始末なんですからね。」」

「「ぼくは」と、セバスチャンは『失われた財産』のなかに書いている。「非常に内気な人間なので、ぼくが何とか避けたいと思っていた過ちをどういうわけかいつも犯してしまう破目になるのだった。周囲の環境に染まるために、やりきれない思いをしながら努力するぼくは、色盲のカメレオンになぞらえることができただろう。ぼくの内気は、それがごく普通に見られる皮膚がじとじとするとか、にきびのたぐいが原因だったのなら――ぼくにとっても他人にとっても――比較的我慢しやすかったことだろう。(中略)だが、ぼくの内気は思春期の悩みなどとは全く無関係な病的な秘密の形態をとったのだった。(中略)ぼくの場合、心のあらゆる鎧戸(よろいど)や蓋や扉が四六時中すぐに開いてしまうのだ。たいていの人の頭脳には日曜日というものがあるが、ぼくの頭脳には半日の休暇さえも拒絶されているのである。この間断なくつづく不眠状態は、それ自体きわめて苦痛なばかりでなく、その直接的な結果においてもまた苦痛をもたらすのであった。当然のことながら、ぼくが実行しなければならないあらゆる日常的な行動は、非常に複雑な様相を呈し、非常に多くの観念連合をぼくの心に生じさせるのだった。そしてこれらの連想は非常に手の込んだ曖昧模糊としたものであり、現実の場においてそれを適用することなど全く不可能だったので、連想に襲われるとぼくは手近な用事を避けてしまうか、さもなくば、全くの神経的発作からそれを滅茶滅茶にしてしまうのであった。ある日の朝、ケンブリッジ時代に書いた幾編かの詩をひょっとしたら活字にしてくれるかもしれないある評論誌(レヴュー)の編集者に会いに行ったときのことだが、彼が独特な吃り声をしていて、その声が窓ガラスを通して見える屋根や煙突の様式とある角度で混じり合っていることにぼくは気づいた。一切のものが窓ガラスの割れ目のせいでかすかに歪んで見えたのだ――これと部屋のなかに漂う奇妙にかび臭い匂い(中略)が、ぼくの思考をこのように長い手の込んだ道草へと追いやったので、肝心の用件をすっかり忘れてしまい、ぼくはこの初対面の男に向って、(中略)内緒にしておいてくれと頼まれていたある共通の友人の文筆上の計画について、いきなりベラベラ喋りはじめたのであった……」
 「……ぼくの意識の危険な気まぐれさ加減を自分でも十分承知していたものだから、ぼくは人びとに会って、彼らの感情を傷つけたり、彼らの眼に自分自身を愚かに見せることを恐れていた。しかしぼくを非常に苦しめていたこれと同じ特質ないしは欠陥が、(中略)ぼくが孤独を友としている際にはいつでもそれは申し分のない快楽の道具となるのであった。」」

「「ぼくの青年時代のロンドンについての思い出は、数限りなくあてどもなく歩き回った思い出であり、青みがかった朝の霧を不意に突きぬけて太陽のまばゆい光が射す窓や、ずらりと並んで垂れ下った雨滴のついた美しい黒い電線の思い出である。ぼくは雲を掴むような足どりでぼうっとかすんだ芝生を横切り、ハワイアン・ミュージックの鼻を鳴らすような音が溢れるダンスホールを通り過ぎ、可愛らしい名前のついた愛らしいくすんだ色の小さな通りをいくつも下っているようなのだが、ついにぼくはとある暖かな窪地へと出てしまい、そこにはぼく自身の自我の自我みたいなものによく似た何かが、暗闇のなかに丸くちぢこまって坐っているのだ。」」





こちらもご参照ください:

イーヴリン・ウォー 『ブライヅヘッドふたたび』 吉田健一 訳 (ちくま文庫)
Stanislaus Joyce 『My Brother's Keeper: James Joyce's Early Years』
















































































































































































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー

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