ウラジーミル・ナボコフ 『青白い炎』 富士川義之 訳 (ちくま文庫)

「娘はいつもささやかな狂気じみた希望をはぐくんでいたと思う。」
「I think she always nursed a small mad hope.」

(ウラジーミル・ナボコフ 『青白い炎』 より)


ウラジーミル・ナボコフ 
『青白い炎』
富士川義之 訳

ちくま文庫 な-10-2

筑摩書房
2003年11月10日 第1刷発行
542p 
文庫判 並装 カバー
定価1,400円+税
装幀: 安野光雅
カバーデザイン: 神田昇和


「この作品は一九八四年七月五日、筑摩書房より「筑摩世界文学大系 81」として刊行された。」



Vladimir Nabokov: Pale Fire, 1962


ナボコフ 青白い炎


帯文:

「20世紀実験小説の傑作
「詩」とその「注釈」が作り出す
奇想天外な文学空間」



カバー裏文:

「ジョン・フランシス・シェイドは、架空の詩人だ。その詩人の999行からなる長大な瞑想詩『青白い炎』を本文に掲げ、序文と注釈と索引を付して、研究書の体裁を整えるのは、これまた架空の人物、キンボート。彼は詩人の隣人でもあり、ロシア文学の教授でもあるのだが、実は狂人?……。彼の施す長大な注釈からはサスペンスが横溢、これは一体また何という注釈だろう!
二つの異質なエクリチュールを配することで、合わせ鏡の迷宮にも似た不思議な文学空間の現出に成功、読者を唖然とさせた、ナボコフ円熟期の実験小説の傑作。」



目次:

前書き
青白い炎 四つの詩篇より成る詩
 詩章第一篇
 詩章第二篇
 詩章第三篇
 詩章第四篇
註釈
索引

訳者あとがき




◆本書より◆


「青白い炎 四つの詩篇より成る詩」より:

「娘は奇妙な不安、奇妙な幻想、奇妙な性格的
強さを持っていた――古い納屋で
ある種の音や光を詳しく調べながら
三晩を過ごしたときのように。娘は言葉を逆さ読みした。」

「そして無表情な
眼をして 散らかり放題のベッドの上に坐って、
大根足を広げたり、乾癬(かんせん)症にかかった指の爪で
頭を掻きむしったり、一本調子で
恐ろしい言葉を呟きながら、呻くのだった。」

「娘はいつもささやかな狂気じみた希望をはぐくんでいたと思う。」



「註釈」より:

「詩人の娘ヘイゼル・シェイドは一九三四年に生れ、一九五七年に死んだ。」

「ヘイゼル・シェイドがある種の点でわたしに似ていたこともまた真実なのだ。」



「青白い炎 四つの詩篇より成る詩」より:

「難解な未完の詩への註釈としての
人間の生涯。のちのちの使用のための註。

Man's life as commentary to abstruse
Unfinished poem. Note for further use.」



「註釈」より:

「もしもわたしがこの簡潔な所見の意味を正しく理解しているとすれば、詩人がここで示唆しているのは、人間の生涯は膨大で晦渋な未完の傑作に付された一連の脚註にほかならないということである。」


「訳者あとがき」より:

「つまり『青白い炎』は、『オネーギン』の英訳と註釈という、刊行後に英語とロシア語の微妙なニュアンスの相違をめぐってエドマンド・ウイルソンとのあいだに激しい遣り取りのあった学問的労作を書き進めてゆくプロセスで着想され、少なくともその基本的構成や形式において、それから派生した作品である。(中略)学問的註釈書を巧妙に装ったこの小説は、その意味で、『オネーギン』に付されたナボコフ自身による学問的な註釈書へのパロディとしての特性をもつと見ることも可能である。」
「この小説は、架空のアメリカ詩人・大学教授のジョン・フランシス・シェイド(一八九八―一九五九)の英雄対韻句(ヒロイック・カプレット)で書かれた九百九十九行の長篇詩『青白い炎』に、その詩人の隣人で、詩人と同じ大学で教えるチャールズ・キンボートが、前書きと長文の註釈、および詳細な索引を付すという、非常に奇妙な構成となっている。(中略)しかも彼がほどこす長文の註釈は、学問的意図を再三にわたり明言しているにもかかわらず、シェイドの詩自体から大幅に逸脱・脱線し、彼の奇怪な幻想や妄想(彼は実は狂人である)によって徹底的に歪められ、改竄されたものなのだ。
 キンボートは長篇詩執筆前のシェイドに向かって、(中略)祖国ゼンブラから、革命によって追放された国王およびその国のことをぜひ新作のなかに書き込んでほしいと折にふれて懇願していた。つまりキンボートは、シェイドの手を借りて、詩人でない自分にはできないこと、つまりゼンブラの国王(これはキンボート自身である)を詩的表現に昇華させ、不滅化しようと意図していたのだが、狂人の誇大妄想に無関心な詩人はそれを果たさない。そこでキンボートは註釈という形式を用いて、シェイドの詩の一字一句のなかにゼンブラとその国王についての彼の奔放な幻想や妄想の反映を見出そうと企てるのである。」
「一言で言えば、これは文学というフィクションの世界を構築すること、すなわち小説を書くという一見虚妄な営みにどのような意味があるのか、ということを、キンボートのゼンブラ幻想を通じて探った作品ではなかろうか。注釈者が書きとめるように、「〈現実〉は真の芸術の主題でも対象でもないし、真の芸術は共同体的な眼によって知覚された月並みな〈現実〉とはまったく無関係な、それ自体の特別なリアリティを創造するのだという基本的事実」を明らかにするという特性を、この小説は深く刻み込んでいるからだ。(中略)それにしても、キンボートの長大かつ詳細な註釈が、シェイドの原詩からあれほどにも大幅に逸脱・脱線の方向へと向うのはなぜなのか。(中略)キンボートもまた癒し難い、深い喪失感を抱く男である。いったい何を喪失し、いかなる心の空洞を抱え込んで狂気にまでいたったのか、正確なところは不分明だが、(中略)執拗に自分の過去へと回帰し、それを註釈によって再構成しようとする熱烈な衝動に、彼が激しく突き動かされていることだけは確かである。そこから感じとれるのは、過去の根から切り離された亡命者の孤独と苦悩だが、彼は過去との結びつきを、(中略)誤読行為によって現在化するプロセスのうちに求めずにはいられない。註釈という作業は、実際彼にとっては、シェイドの長篇詩を素材にして、それとはほとんど別箇の、秩序立った形状とパターンを備えた「特別なリアリティを創造する」ことにほかならないのである。そうした別世界(中略)の創造を通じて得られる美的至福が、深い喪失感から生じる恐るべき孤独と苦悩の現在を少しでもやわらげ、軽減してくれるのではないかと希求する。その祈念の烈しさを直接反映する彫琢の文章の、まさにゆらめく青白い炎を思わせる異様な輝きがわれわれをとらえて放さないのである。そんなとき、彼が狂人であるなどということはほとんど問題ではなくなり、彼を通じて、われわれはしばしば創造者や芸術家の姿を垣間見ることになるのだ。言いかえれば、キンボートの幻想や妄想は明らかに文学的想像力の別名なのである。」





こちらもご参照ください:

ナボコフ 『セバスチャン・ナイトの真実の生涯』 富士川義之 訳 (講談社文芸文庫)




































































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ナボコフ 『セバスチャン・ナイトの真実の生涯』 富士川義之 訳 (講談社文芸文庫)

「ついにぼくはとある暖かな窪地へと出てしまい、そこにはぼく自身の自我の自我みたいなものによく似た何かが、暗闇のなかに丸くちぢこまって坐っているのだ。」
(ナボコフ 『セバスチャン・ナイトの真実の生涯』 より)


ナボコフ 
『セバスチャン・ナイトの真実の生涯』 
富士川義之 訳
 
講談社文芸文庫 ナ A 1

講談社
1999年7月10日 第1刷発行
328p
文庫判 並装 カバー
定価1,200円(税別)
デザイン: 菊地信義



Vladimir Nabokov: The Real Life of Sebastian Knight
巻頭の「主な登場人物」と巻末の「年譜」「主要作品」は二段組です。


ナボコフ セバスチャンナイトの真実の生涯


カバー裏文:

「一八九九年ロシアの名門貴族として生まれ、米国に亡命後
『ロリータ』で世界的なセンセーションを巻き起こした
ナボコフが初めて英語で書いた前衛的小説。
早世した小説家で腹違いの兄セバスチャンの伝記を書く
ために、文学的探偵よろしく生前の兄を知る人々を尋ね
歩くうちに、次々と意外な事実が明らかになる。」



目次:

セバスチャン・ナイトの真実の生涯

解説 同一性を求めて (富士川義之)
年譜――ナボコフ (富士川義之 編)
主要作品 (富士川義之 編)




◆本書より◆


「どれほど巧妙にしかも愛想よく新しい環境が彼の昔からの夢に取り入ったにもせよ、彼自身、いやむしろ、彼自身の最も貴重な部分は、始終そうであったように、どう仕様もないほど孤独のままであるということを厭というほど自覚するのだった。セバスチャンの生涯の基調音は孤独であった。思いやり深い運命が、彼が望んでいたものを見事に偽造して彼を気楽にくつろがせようとしてみても、そうされればされるほど、より一層彼はその具現化されたもののなかに――どんなたぐいの具現化されたもののなかにも――自分が溶け込んでいけないことを意識するのだった。彼がやっとこのことを徹底的に理解し、それが稀有な才能か情熱ででもあるかのように、自意識の教化を厳しくはじめたそのときになって初めて、セバスチャンは自意識の豊かで恐るべき成長から満足を得ることができ、自分のぎこちない不適応性についてくよくよ思い悩むことに終止符を打つことができるのであった――だが、それはずっと後になってからのことなのだ。
 明らかに、彼は最初、間違いを犯したり、なおそれ以上に悪いのだが、不体裁なことを仕出かすのを、ひどく恐れていた。」

「「そう、彼は確かにゲームは苦手でした。」
 「そのことで彼は動揺しませんでしたか?」
 「ある意味ではそうでしたね。実のところ、一学期はこうしたことへの劣等感で頭が一杯で、全く台なしになっていたからです。」」

「セバスチャンの劣等感の根底にあったものは、(中略)どうしても負けたくない一心でいろいろと試行錯誤を繰り返し、しかも一度だって成功したためしがなかったということであり、そうしてやっとのことで、自分を裏切っているものはこうした外面的な事柄でも、マンネリ化した当世風のはやり言葉でもなく、幸せなことに自分自身の自我という独房に閉じこもっているよう運命づけられているというのに、他人と同じようでありたい、他人と同じように振舞いたいと一生懸命努力した事実にあるのだということを、彼が本当に自覚するようになるまで、その劣等感に苦しんでいたと指摘する彼の言葉は正しいと、ぼくには思えるのだ。」

「三学期か四学期、こんなふうにして過ごした後で、奇妙な変化がセバスチャンを訪れた。彼は自分が楽しむべきだと思っていたことを楽しむのをやめ、本当に自分の興味を惹(ひ)くことだけに静かに心を集中するようになったのである。外見的には、この変化の結果は学寮生活のリズムからの脱落となって現われた。彼はぼくの情報提供者以外には、誰ともつき合おうとはしなくなった。その友人は、たぶんセバスチャンが全く率直に、自然なままで、接することのできた生涯を通じての唯一の人間であったのだろう――」

「「講義室で彼の姿を見かけないと、ぼくはよく彼の部屋へ行き、まだベッドのなかにいる彼を見つけたものです。彼は子供みたいに身体を丸めて寝ていましたが、しわくちゃになった枕じゅうに煙草の灰を散らかし、だらっと床(ゆか)に垂れ下ったシーツの上にインクの汚れをつけて、ぼんやり煙草をふかしていました。彼はぼくの元気のいい挨拶の返事としてただ口をもぐもぐさせるだけで、姿勢を変えようともしないのです。で、ぼくはあちこちうろつき回り、彼が病気でないことを確かめてから、中食に出かけたものです。それから、もう一度彼のところへ行ってみますと、彼は寝返りを打って、スリッパを灰皿の代りに使っている始末なんですからね。」」

「「ぼくは」と、セバスチャンは『失われた財産』のなかに書いている。「非常に内気な人間なので、ぼくが何とか避けたいと思っていた過ちをどういうわけかいつも犯してしまう破目になるのだった。周囲の環境に染まるために、やりきれない思いをしながら努力するぼくは、色盲のカメレオンになぞらえることができただろう。ぼくの内気は、それがごく普通に見られる皮膚がじとじとするとか、にきびのたぐいが原因だったのなら――ぼくにとっても他人にとっても――比較的我慢しやすかったことだろう。(中略)だが、ぼくの内気は思春期の悩みなどとは全く無関係な病的な秘密の形態をとったのだった。(中略)ぼくの場合、心のあらゆる鎧戸(よろいど)や蓋や扉が四六時中すぐに開いてしまうのだ。たいていの人の頭脳には日曜日というものがあるが、ぼくの頭脳には半日の休暇さえも拒絶されているのである。この間断なくつづく不眠状態は、それ自体きわめて苦痛なばかりでなく、その直接的な結果においてもまた苦痛をもたらすのであった。当然のことながら、ぼくが実行しなければならないあらゆる日常的な行動は、非常に複雑な様相を呈し、非常に多くの観念連合をぼくの心に生じさせるのだった。そしてこれらの連想は非常に手の込んだ曖昧模糊としたものであり、現実の場においてそれを適用することなど全く不可能だったので、連想に襲われるとぼくは手近な用事を避けてしまうか、さもなくば、全くの神経的発作からそれを滅茶滅茶にしてしまうのであった。ある日の朝、ケンブリッジ時代に書いた幾編かの詩をひょっとしたら活字にしてくれるかもしれないある評論誌(レヴュー)の編集者に会いに行ったときのことだが、彼が独特な吃り声をしていて、その声が窓ガラスを通して見える屋根や煙突の様式とある角度で混じり合っていることにぼくは気づいた。一切のものが窓ガラスの割れ目のせいでかすかに歪んで見えたのだ――これと部屋のなかに漂う奇妙にかび臭い匂い(中略)が、ぼくの思考をこのように長い手の込んだ道草へと追いやったので、肝心の用件をすっかり忘れてしまい、ぼくはこの初対面の男に向って、(中略)内緒にしておいてくれと頼まれていたある共通の友人の文筆上の計画について、いきなりベラベラ喋りはじめたのであった……」
 「……ぼくの意識の危険な気まぐれさ加減を自分でも十分承知していたものだから、ぼくは人びとに会って、彼らの感情を傷つけたり、彼らの眼に自分自身を愚かに見せることを恐れていた。しかしぼくを非常に苦しめていたこれと同じ特質ないしは欠陥が、(中略)ぼくが孤独を友としている際にはいつでもそれは申し分のない快楽の道具となるのであった。」」

「「ぼくの青年時代のロンドンについての思い出は、数限りなくあてどもなく歩き回った思い出であり、青みがかった朝の霧を不意に突きぬけて太陽のまばゆい光が射す窓や、ずらりと並んで垂れ下った雨滴のついた美しい黒い電線の思い出である。ぼくは雲を掴むような足どりでぼうっとかすんだ芝生を横切り、ハワイアン・ミュージックの鼻を鳴らすような音が溢れるダンスホールを通り過ぎ、可愛らしい名前のついた愛らしいくすんだ色の小さな通りをいくつも下っているようなのだが、ついにぼくはとある暖かな窪地へと出てしまい、そこにはぼく自身の自我の自我みたいなものによく似た何かが、暗闇のなかに丸くちぢこまって坐っているのだ。」」





こちらもご参照ください:

イーヴリン・ウォー 『ブライヅヘッドふたたび』 吉田健一 訳 (ちくま文庫)
Stanislaus Joyce 『My Brother's Keeper: James Joyce's Early Years』
















































































































































































ミルトン 『失楽園 (上)』 平井正穂 訳 (岩波文庫)

「一切を粉砕するような轟然たる
騒音が、彼の耳をうっていた。」

(ミルトン 『失楽園』 より)


ミルトン 
『失楽園 (上)』 
平井正穂 訳 

岩波文庫 赤/32-206-2

岩波書店 
1981年1月16日 第1刷発酵
1985年1月21日 第7刷発行
443p
文庫判 並装 カバー
定価550円



John Milton: Paradise Lost, 1667


ミルトン 失楽園 上


カバー文:

「「一敗地に塗れたからといって、それがどうしたというのだ? すべてが失われたわけではない」 かつては神にめでられた大天使、今は反逆のとが故に暗黒の淵におとされたサタンは、麾下の堕天使の軍勢にむかってこう叱咤激励する。神への復讐はいかにして果さるべきか――。イギリス文学の最高峰に位する大長篇叙事詩の格調高く読みやすい現代語訳。」


目次:

第一巻
第二巻
第三巻
第四巻
第五巻
第六巻

訳注




◆本書より◆


「第一巻」より:

「彼は
凄じい勢いで炎々(えんえん)と燃えさかる焰(ほのお)に包まれて、奈落の底へ、
底知れぬ地獄へと、墜落していったのだ。そこには、強力無比な
鎖に縛られ業火(ごうか)に包まれて、呻吟(しんぎん)する運命(さだめ)が彼を待ちうけて
いた。この世の人々の計測によれば、まさに九日九夜、
凄惨無慙(せいさんむざん)な仲間とともに、不死の身とはいえ完全に
打ち拉(ひし)がれて、燃えたつ深淵のさなかに敗残の身を横たえ、
のたうちまわっていた。」
「失われた
幸福と果てしなく続く苦痛、この二つのものへの思いが、
今、切々と彼の心を苛(さいな)んでいるのだ……。彼は悲痛な眼差(まなざ)しを
周辺にそそぐ。が、その眼差しには、烈しい懊悩と失意の色が、
頑(かたくな)な傲慢と執拗な憎悪とに混じり合って漂っている。天使特有の
鋭い視力が達しうる限り見んものと、眼を凝(こ)らして遙か彼方(かなた)を
見てみれば、忽ち眼前に浮かび上がるのは、荒涼として
身の毛もよだつ光景、戦慄すべき一大牢獄、四方八方焰に
包まれた巨大な焦熱の鉱炉。だがその焰は光を放ってはいない。
ただ眼に見える暗黒があるのみなのだ。そして、その暗黒に
照らし出されて、悲痛な光景が、悲しみの世界が、鬼哭啾々(きこくしゅうしゅう)たる
影の世界が、展開している……。そこには、平和もなければ
安息もなく、すべての者に訪れるはずの希望も訪れないのだ。
それどころか、果てしなき責苦(せめく)と、絶えず燃えつづけ、
しかも燃え尽きることのない硫黄にかきたてられた劫火(ごうか)の
洪水が、間断なく荒れ狂っている。」

「汝、無間地獄(むげんじごく)よ、
今こそ、汝の新しき主(あるじ)を迎えよ! この主(あるじ)は、場所と時間の如何に
よって変るような心の持主ではない。心というものは、それ自身
一つの独自の世界なのだ、――地獄を天国に変え、天国を地獄に
変えうるものなのだ。だから、もしわたしが昔のままのわたし
であり、本来あるべきわたしであり、彼に比べてもほとんど
遜色(そんしょく)のないわたしである限り、どこにいようと構うことはない。」

「この大いなる空間には、
なお幾多の新しい世界が生ずる可能性がある。」



「第二巻」より:

「一切を粉砕するような轟然たる
騒音が、彼の耳をうっていた。」



「第四巻」より:

「恐怖と疑惑が千々(ちぢ)に乱れた思いを翻弄し、彼の
内なる地獄を底の底から揺り動かした。彼は自分の内部に、
自分の身の周辺に、常に地獄を持っており、たとえ
場所が変っても自分自身から抜け出せないのと同じく、
地獄からは一歩も抜け出せないからだ。」

「ああ、わたしのこの惨(みじめ)さは何とした
ことか! どこへ逃げたらこの無限の怒り、この無限の絶望から
脱することができるのか? どこへ逃げようが、そこに地獄がある!
いや、わたし自身が地獄だ!」

「もはや一切の希望は失われてしまった。そして、今、見捨てられ
追放されたわれわれの代わりに、彼の嘉(よみ)する新しく創造(つくら)れた
人間が、そしてその人間のために創造(つくら)れた世界が、あそこに
見える! さらば、希望よ! 希望とともに恐怖よ、さらばだ!
さらば、悔恨よ! すべての善はわたしには失われてしまった。
悪よ、お前がわたしの善となるのだ!」





こちらもご参照ください:

ミルトン 『失楽園 (下)』 平井正穂 訳 (岩波文庫)
Robert Burton 『The Anatomy of Melancholy』 (Everyman's University Library)
クリバンスキー/パノフスキー/ザクスル 『土星とメランコリー』 田中英道 監訳









































































































ミルトン 『失楽園 (下)』 平井正穂 訳 (岩波文庫)

「彼は暗黒の時代における唯一の光の子だ。
周囲の先例に反抗し、誘惑や慣習に反抗し、自分を敵視する
世間に反抗して敢然(かんぜん)と自らは善たろうとする人間だ。」

(ミルトン 『失楽園』 より)


ミルトン 
『失楽園 (下)』 
平井正穂 訳 

岩波文庫 赤/32-206-3

岩波書店 
1981年2月16日 第1刷発酵
1985年5月20日 第6刷発行
431p
文庫判 並装 カバー
定価600円



John Milton: Paradise Lost, 1667

冒頭の引用中の「彼」はサタンではなくてノアです。


ミルトン 失楽園 下


カバー文:

「サタンの言葉巧みな誘惑に屈したイーヴはついに禁断の木の実を口にする。アダムもまた共に亡びることを決意して木の実を食う。人類の祖をして創造主に叛かしめるというサタンの復讐はこうして成った。だが神のつかわした天使ミカエルは、犯された罪にもかかわらずなお救いの可能性のあることを彼らに説いてきかせる――。」


目次:

第七巻
第八巻
第九巻
第十巻
第十一巻
第十二巻

訳注
解説




◆本書より◆


「第九巻」より:

「ああ、
大地よ、もしわたしに喜びをどこかに見出しうるとすれば、
わたしはいかに大きな喜悦に溢れてお前の世界を歩きまわる
ことであろうか! ここには、山、谷、川、森、野原がある、いや、
陸があり、海がある、森の茂っている岸辺、岩場、洞穴、洞窟が
ある、――それらが次々に快い変化を示している! だがその
どこにも、わたしは己の住処(すみか)も隠れ家も見出すことができない。
周(まわ)りの楽しい光景を見れば見るほど、内なる苦悩に苛(さいな)まれる、――
苛立(いらだ)たしいほど自分から懸け離れたものに囲まれている感じだ。
わたしにはすべての善が悪になってしまった。たとえ天にいたと
しても、今よりさらに悪しき境遇に陥ることは必至だ。」

「だが、野心と復讐のためとあれば、どのようなものに身を
堕(おと)そうと、意に介する必要がどこにあろう? 高きを窺う者は、
その翔(か)けて行こうとする所が高ければ高いほど、それに応じて
一度は低く沈淪(ちんりん)しなければならぬ、いずれは最も卑しいものに
身を曝さなければならぬ。」



「第十一巻」より:

「忽ち、
陰惨で暗くて喧しい或る場所が、アダムの眼の前に現われた。
それは癩病院のように見えたが、とにかくそこにはあらゆる
病気に冒された者たちが、夥しく横たわっていた。凄じい痙攣(ひきつけ)や、
拷問(ごうもん)にも等しい苦痛や、心臓をしめつけるような苦しみの
発作、などを伴うあらゆる病気にかかった患者がそこにいた。
また、あらゆる種類の熱病、痙攣、癲癇(てんかん)、激烈な加答児(カタル)、
腸結石、潰瘍、疝痛(せんつう)、魔物に憑(つ)かれて生ずる精神錯乱、
怏々(おうおう)として楽しまない鬱病、月にうたれて生ずる狂気、
次第に痩せ衰えてゆく萎縮病、消耗症、蔓延(まんえん)して人口を
潰滅させる疫病(ペスト)、水腫、喘息(ぜんそく)、関節を打ち砕くような
僂麻質斯(リュウマチ)などの患者がそこにいた。病人達の七転八倒する
さまは凄絶をきわめ、その呻(うめ)き声(ごえ)は陰惨そのものであった。
「絶望」が、忙しそうに、病床から病床へと駈けずり廻って病人を
看ていた。「死」が、病人達の枕もとで意気揚々とその槍を
ふり廻していた。病人達はその一撃を何よりの贈物、最後の
望み、としてしきりに哀願し、求めたが、「死」は一向にそれに
応じようとはしなかった。」





こちらもご参照ください:

ミルトン 『失楽園 (上)』 平井正穂 訳 (岩波文庫)






































Robert Burton 『The Anatomy of Melancholy』 (Everyman's University Library)

「and if there be a hell upon earth, it is to be found in a melancholy man's heart.」
(この世に地獄があるとしたら、メランコリーマンの心の中にこそ見出されるであろう。)
(Robert Burton 『The Anatomy of Melancholy』 より)


Robert Burton 
『The Anatomy of Melancholy』

Edited with an Introduction by Holbrook Jackson

Everyman's University Library
J.M. Dent & Sons Ltd, London, 1972, reprinted 1978
xx, 523pp / v, 312pp / v, 547pp
19.6x13cm, hardcover, dust jacket
Jacket drawing by Peter Edwards

First published in Everyman's Library in 1932



本書『憂鬱(メランコリー)の解剖学』はロバート・バートン(1577―1640)による鬱病百科です。鬱病のさまざまな原因(causes)・症状(symptoms)・療法(remedies/cures)が古今の文献の引用を交えつつ論じられています。


burton - anatomy of melancholy 01


カバー裏文:

「The text follows the sixth edition (1651) collated with the fifth (1638). There are notes to the individual parts, and a glossary and index are provided.

*The Anatomy of Melancholy* has been loved and admired by readers as diverse as Johnson, Sterne, Keats and Lamb, but it takes no more than a glance at its pages to see what it was that held their interest and commanded their respect. 'Melancholy' was a term covering a wide variety of human behaviour in the early seventeenth century - anything from intense schizophrenia to the lover's temporary depression - and Burton provides many hundreds of anecdotes illustrating its sway in the life of man.

*The Anatomy of Melancholy* is at once a contribution to learning and a parody of learning. It gives us a very good idea of the state of medical science in the early seventeenth century. It shows us a man whose imagination was stirred by the great voyages of discovery of his time and by the revelation in astronomy that was then taking place. It brings together much of the traditional lore of love and its attendant difficulties; it explores with understanding the strange phenomenon of religious melancholy. It is an important document in the history of ideas, yet also a work of fancy and of the imagination. Above all, it is a monument to the discovery of the individual in the world of Renaissance England.」



内容:

Introduction by Holbrook Jackson
Select Bibliography
Note on the Text

Democritus Junior to His Book
The Argument of the Frontispiece
The Author's Abstract of melancholy
Democritus Junior to the Reader
To the Reader Who Employs His Leisure Ill

The Synopsis of the First Partition
The First Partition:
 Section 1. Of Diseases in General, and of Melancholy; with a Digression of Anatomy
 Section 2. Causes of Melancholy; with a Digression of Spirits
 Section 3. Symptoms of Melancholy
 Section 4. Prognostics of Melancholy
Author's Notes

The Synopsis of the Second Partition
The Second Partition:
 Section 1. Cure of Melancholy in General
 Section 2. Diet, etc., Rectified; with a Digression of Air
 Section 3. A Digression of Remedies against Discontents
 Section 4. Medicinal and Chirurgical Remedies
 Section 5. Particular Cures
Author's Notes

The Synopsis of the Third Partition
The Third Partition:
 Section 1. Love and its Objects
 Section 2. Love-Melancholy
 Section 3. Jealousy
 Section 4. Religious Melancholy
Author's Notes

Glossary
Index



burton - anatomy of melancholy 02



◆本書より◆


「Pt. 1 / Sec. 2 / Mem. 4 / Subs. 3
Causes of Melancholy - Terrors and Affrights」より:

「At Basil many little children in the springtime went to gather flowers in a meadow at the town's where a malefactor hung in gibbets; all gazing at it, one by chance flung a stone, and made it stir, by which accident the children affrighted ran away; one slower than the rest, looking back, and seeing the stirred carcass wag towards her, cried out it came after, and was so terribly affrighted that for many days she could not rest, eat, or sleep, she could not be pacified, but melancholy, died. In the same town another child, beyond the Rhine, saw a grave opened, and upon the sight of a carcass, was so troubled in mind that she could not be comforted, but a little after departed, and was buried by it. A gentlewoman of the same city saw a fat hog cut up; when the entrails were opened, and would not longer abide; a physician in presence told her, as that hog, so was she, full of filthy excrements, and aggravated the matter by some other loathsome instances, insomuch this nice gentlewoman apprehended it so deeply that she fell forthwith a-vomiting, was so mightily distempered in mind and body, that with all his art and persuasions, for some months after, he could not restore her to herself again; she could not forget it, or remove the object out of her sight.」

(バーゼルで子どもたちが野原に花を摘みに行くと犯罪者が絞首刑にされており、皆で見ていたが、そのうちの一人が何気なく石を投げつけると死体が揺れ動き、子どもたちは怖がって逃げ出した。逃げ遅れた一人の女の子が振り返るとこっちに向かって動いたので、死体が追いかけてくると叫んで、ひどく怯えて何日間も不安に苛まれ、食べることも眠ることもできなくなり、鬱病になって死んでしまった。同じ町で別の子どもが掘り起こされた墓の死体を見て心を病み、まもなく亡くなってその墓地に葬られた。同じ街の上流婦人が、肥えた豚が切り裂かれ、はらわたが引き出されるのを見て居たたまれなくなったところ、居合わせた医者が彼女にだって豚と同じように穢ないものが詰まっているのだと言い、悪乗りしてさらにおぞましい例をあれこれ挙げたので、上品な婦人にはひどく応えて、その場で嘔吐し、心身不調になり、その医者の数ヶ月に及ぶ手当てにもかかわらず、ついに正常に戻ることはなかった。)

「At Fuscinum in Japan "there was such an earthquake, and darkness on a sudden, that many men were offended with headache, many overwhelmed with sorrow and melancholy, At the same time, and there was such a hideous noise withal, like thunder, and filthy smell, that their hair stared for fear, and their hearts quaked, men and beasts were incredibly terrified. In Sacai, another city, the same earthquake was so terrible unto them, that many were bereft of their senses; and others by that horrible spectacle so much amazed, that they knew not what they did."」

(日本の伏見で大地震があり、多くの人々が頭痛に悩み、悲嘆に暮れ鬱状態に陥った。雷のような騒音と汚臭があふれ、人々も動物も恐慌をきたした。堺でも同じ地震で多くの人々が心神喪失し、あるいは正常な判断力を失った。)


「Pt. 1 / Sec. 4 / Mem. 1
Prognostics of Melancholy」より:

「In such sort doth the torture and extremity of his misery torment him, that he can take no pleasure in his life, but is in a manner enforced to offer violence unto himself, to be freed from his present insufferable pains. So some (saith Fracastorius) "in fury, but most in despair, sorrow, fear, and out of the anguish and vexation of their souls, offer violence to themselves: for their life is unhappy and miserable. They can take no rest in the night, nor sleep, or if they do slumber, fearful dreams astonish them." In the day-time they are affrighted still by some terrible object, and torn in pieces with suspicion, fear, sorrow, discontents, cares, shame, anguish, etc., as so many wild horses, that they cannot be quiet an hour, a minute of time, but even against their wills they are intent, and still thinking of it, they cannot forget it, it grinds their souls day and night, they are perpetually tormented, a burden to themselves, as Job was, they can neither eat, drink, nor sleep. Ps.cvii, 18: "Their soul abhorreth all meat, and the are brought to death's door," "being bound in misery and iron"; they curse their stars with Job, "and day of their birth, and wish for death" for, as Pineda and most interpreters hold, Job was even melancholy to despair, and almost madness itself; they murmur many times against the world, friends, allies, all mankind, even against God Himself in the bitterness of their passion, vivere nolunt, mori nesciunt, live they will not, die they cannot. And in the midst of these squalid, ugly, and such irksome days, they seek at last, finding no comfort, no remedy in this wretched life, to be eased of all by death.」

(ひどい悲惨に苛まれて、生きることに喜びを見出せず、耐え難い苦痛から逃れようと己れ自身に危害を加えるようになる。夜も眠れず、うたた寝すれば悪夢に襲われ、昼は昼で恐ろしいものに脅かされ、疑惑や恐怖や悲嘆や不満や気がかりや恥辱や苦悶で引き裂かれ、心休まる時もなく、魂は磨り減り、ヨブのごとき責め苦に日常生活もままならず、自分の運命を呪い、自分が生まれた日を呪い、世間や人類や神さえも罵倒し、死による安らぎを求めるようになるのだ。)

「I say of our melancholy man, he is the cream of human adversity, the quintessence, and upshot; all other diseases whatsover are but flea-bitings to melancholy in extent: 'tis the pith of them all.」

(鬱病人間(メランコリーマン)こそが人類の逆境の精髄であり、典型であり、究極であって、鬱病に比べれば他の病などどれをとっても蚤に噛まれたようなたわいのないものだ。)



Dowland - Melancholy Galliard






こちらもご参照ください:

クリバンスキー/パノフスキー/ザクスル 『土星とメランコリー』 田中英道 監訳














































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー

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