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『クエイ兄弟  ファントム・ミュージアム』

『クエイ兄弟 
ファントム・ミュージアム』

The Quay Brothers Phantom Musæums
編集: 籾山昌夫/清水恭子/柴田勢津子


求龍堂
2016年7月23日
173p+2p
26.5×19.8cm
角背紙装上製本 カバー
定価3,000円+税
装幀: 島田薫


2016年7月23日(土)―10月10日(月・祝)
神奈川県立近代美術館 葉山



本書「あとがきに代えて」より:

「本書は、「クエイ兄弟――ファントム・ミュージアム――」展の図録であるのみならず、日本ではアニメーション制作者、映像作家として語られることの多いクエイ兄弟が、今日の欧米ではより広い分野で活躍し、評価されていることを紹介する意図で編まれた。」


求龍堂オンラインストア
https://www.kyuryudo.co.jp/shopdetail/000000001281/


クエイ兄弟 01


目次:

メッセージ (クエイ兄弟 訳: 籾山昌夫/三木はるか)
虚実皮膜の間――クエイ兄弟の魔術的世界への誘い (水沢勉)

クエイ兄弟の世界 (解説: 籾山昌夫)
Ⅰ ノーリスタウンからロンドンへ
 ポーランド・ポスター
 黒の素描
 学生時代の映画
Ⅱ 映画
Ⅲ ミュージック・ヴィデオ&コマーシャル
Ⅳ 舞台芸術&サイトスペシフィック・プロジェクト
Ⅴ インスタレーション&展覧会

資料
 クエイ兄弟略年譜
 主要参考文献
 作品リスト
 あとがきに代えて (籾山昌夫)




◆本書より◆


「メッセージ」(クエイ兄弟):

「... If for the most part of some 37 years we have worked at the miniature scale of the tabletop with objects and puppets, it was in the firm belief that this realm had given the two of us a tiny door already slightly ajar but continuously opening upon the marvellous and onto a reality of unseen worlds and onto as Julio Cortazar has said: another order, more secret and less communicable; that the true study of reality did not rest on laws, but the exception to those laws. And that this position in the margins, however imperfect, was ours and is ours; and that this has given us an approach to apprehending life, even in its most fragmentary of forms. To have believed fully in Bruno Schulz's notion of what is to be done with events that have no place of their own in time; events that have occurred too late or gone unregistered; that there were branch lines of time, somewhat suspect, onto which one could shunt these illegal events. This inherently has become a credo for us; one that we have revered again and again and at different levels in the work.」

「僕たちが37年間の大半、オブジェやパペットを用いて、卓上写真のミニチュア・サイズで制作してきたのは、以下のことを強く信じていたからです。この領域が、僕たちふたりに、すでに僅かに開いていた小さな扉を与えてくれたということ。その扉は、不可思議なものや見えない世界の現実、フリオ・コルタサルが言うところの「より秘密の多い、より伝え難い、もうひとつの秩序」に対して開かれていました。また、現実を真に把握するには、法則によるのではなく、その法則の例外によるということ。そして、この周縁の立ち位置が、いかに不完全であっても僕たちのものであったし、現在も僕たちの立ち位置なのです。また、このことが、きわめて断片的なかたちであるにしても、人生を理解する手がかりを僕たちに与えてきたのです。僕たちは、ブルーノ・シュルツの概念を深く信じてきました。それは、時間のなかに自らの場をもたない出来事、遅すぎたか、あるいは、記録されることなく過ぎ去った出来事に対してなすべきことについての概念、また、やや疑わしいものの、こうした法則から外れた出来事の進路を変更できたかもしれない、枝分かれした時間の流れがあったという概念です。これが、本質的に僕たちの信条になり、作品のなかで繰り返し、多様なレベルで尊重してきました。」



クエイ兄弟 02


「In Absentia 不在」より:

「不気味な風景、ベランダと開いた窓、ベランダから垂れた両足、マクロレンズで接写した鉛筆削り、テーブルの上で跳ねる鉛筆、塗装の剥げた柱時計、反時計回りの文字盤、折れた鉛筆の芯、鬼のようなパペット、書き重ねられた細かい文字。マルレーヌ・カミンスキーが演じる女性は、書き終えた手紙を柱時計に投函する。「精神病院から夫に『あなた、来て』と書いた E. H. へ」というエンドロールの献辞から、ハイデルベルクの精神病院から手紙を出していたエンマ・ハウク(1878―1920)の物語と知れる。このテーマは1996年にヘイワード・ギャラリーで開催された、ドイツの精神科医、美術史家ハンス・プリンツホルン(1888―1933)が収集した精神病患者の芸術作品を展示した「ビヨンド・リーズン:芸術と精神病」をヒントにしている。」




Quay Brothers - Street of Crocodiles






こちらもご参照下さい:

コルタサル 『秘密の武器』 木村榮一 訳 (岩波文庫)
『ブルーノ・シュルツ全集』 【全二巻】 工藤幸雄 訳
ハンス・プリンツホルン 『精神病者はなにを創造したのか ― アウトサイダー・アート/アール・ブリュットの原点』 林晶/ティル・ファンゴア 訳
ヤン・シュヴァンクマイエル 『シュヴァンクマイエルの世界』
































































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『バルチュス展 カタログ』 (1984年)

「それと言うのも、猫は「たしかに」猫であることは決してないからである。飼い馴らされることをずっと拒否して来たその長い歴史、長い間人間の傍らで演じて来たその際立った役割、今日でもなお人が信じ続けているその神秘的な魔力等は、猫をすべての被造物のなかでも特別の動物たらしめている。それがわれわれのそばに居るということは、今でもひとつの謎なのである。」
(ジャン・クレール 「エロスの変貌」 より)


『バルチュス展 
カタログ』

監修: 高階秀爾
編集: 京都国立近代美術館/朝日新聞社
制作: 美術出版デザインセンター

朝日新聞社 
1984
125p 
27×22.8cm 並装


1984年6月17日―7月22日
京都市美術館



本文セピア色印刷。
出品作図版55点、部分拡大図15点。巻頭にバルテュス肖像(1956年、シャッシーで)1点、「エロスの変貌」に参考図版(モノクロ)42点、「年譜」に写真図版(モノクロ)2点。


バルチュス展 01


内容:

あいさつ (京都国立近代美術館/ポンピドー・センター国立近代美術館/朝日新聞社)
Remerciments
Message des organisateurs (Musée National d'Art Moderne de Kyoto / Centre national d'art et de culture Georges Pompidou, Musée national d'art moderne, Paris / Asahi Shimbun)

バルチュス、または存在の神秘 (高階秀爾)
バルチュスの教え (フェデリコ・フェリーニ/訳: 太田泰人)
エロスの変貌 (ジャン・クレール/訳: 高階秀爾)

カタログ
 1 河岸 1929年 油彩 
 2 山(夏) 1937年 油彩 
 3 白いスカート 1937 油彩
 4 子供たち 1937 油彩
 5 ホアン・ミロとその娘ドロレス 1937―38 油彩
 6 ラルシャン 1939 油彩
 7 おやつの時間 1940 油彩
 8 客間 1941―43 油彩
 9 シャンプロヴァンの風景 1941―45 油彩
 10 美しい日々 1945―46 油彩 
 11 ローランス・Bの肖像 1947 油彩 
 12 金魚 1948 油彩 
 13 「コメルス・サンタンドレ小路」のための習作 1950 油彩 
 14 コメルス・サンタンドレ小路 1952―54 油彩
 15 部屋 1952―54 油彩
 16 樹木のある大きな風景(三角の畑) 1955 油彩 
 17 パシアンス遊び 1954―55 油彩 
 18 白い部屋着の少女 1955 油彩 
 19 夢Ⅰ 1955 油彩 
 20 黄金の午後 1956 油彩 
 21 読書する少女 1957 油彩 
 22 青いバスローブの少女 1958 カゼイン・テンペラ
 23 昼寝 1958 油彩 
 24 アトリエの静物 1958 油彩 
 25 ランプのある静物 1958 油彩 
 26 シャッシーの農家の中庭 1960 油彩
 27 樹のある大きな風景 1960 油彩 
 28 蛾 1959―60 油彩 
 29 三人の姉妹 1959―64 油彩
 30 モンテ・カルヴェルロの風景 1977―80 カゼイン・テンペラ
 31 画家とモデル 1980―81 カゼイン・テンペラ
 32 スカーフを持つ裸婦 1981―82 油彩
 33 鏡を持つ裸婦 1982―83 油彩
 34 『嵐が丘』のための習作 1932―33 ペン・墨
 35 アントナン・アルトー 1935 ペン・墨
 36 『チェンチ一族』のためのエスキース 1935 ペン・墨
 37 樹の習作(シャンプロヴァン) 1939 ペン・淡彩
 38 Aの肖像 1943 鉛筆
 39 ジャネットの肖像(眠る女) 1943 鉛筆
 40 自画像 1943 鉛筆
 41 「部屋」のための習作 1949 鉛筆
 42 暖炉の前の裸婦 1954 鉛筆
 43 夢 1956 鉛筆
 44 「モルヴァン」のための習作 1955 水彩
 45 「夢Ⅰ」のための習作 1955 水彩
 46 静物(マルメロと梨) 1956頃 水彩
 47 静物(四つのリンゴ) 1956頃 水彩
 48 「海辺の少女」のための習作 1957 水彩
 49 果物のある静物 1963 水彩
 50 少女の習作 1963 鉛筆
 51 座る少女 1972 鉛筆
 52 モンテ・カルヴェルロの風景 1972 水彩
 53 ミケリーナⅠ  1973 鉛筆・木炭
 54 ふたつの薔薇 1974頃 鉛筆・木炭
 55 籠のある静物 水彩

出品作品一覧
略年譜
Expositions personnelles
Expositions collectives
Bibliographie

Les métamorphoses d'Eros (Jean Clair)



バルチュス展 02



◆本書より◆


「エロスの変貌」(ジャン・クレール)より:

「なぜなら、彼らの場合、「世界は終末を迎えるだろう」という予感は、きわめて緊急な、そして最も内面的な表現として捉えるべきだからである。特にバルチュスは、大部分の人ならずっと後になってからようやく感じるような、あるいは生涯まったく感じないですませるようなこの予感を、きわめて早くから個人の問題として感じていた。つまり、世界が終末を迎えるであろうということは、「幼年時代が終末を迎えるであろう」ということである。終末を迎えようとしているが故に、幼年時代は、永遠に未完成のままで終らざるを得ない。それは、哲学で語られているあの「未完成の投企」として永遠に人間のなかに残っているような幼年時代である。それは、人が生きている間に具体的にその傷口の痛みを感じることの出来る唯一の未完成であり、また、芸術家が作品制作の源泉とすることの出来る唯一のものである。すなわち、幼年時代が予感させるだけで終ってしまったものを、作品は現実に実現して見せる。世界が終りに近づいており、自己の内部の精神的なものが時とともに次第に失われて行くという感覚は、それ故、はかない喜びに満たされたこの無垢の楽園もやがては閉ざされて、もはやそこに立ち戻る術は何もないということを、自己の内部の奥深いところから、それも時にきわめて早い時期に予告してくれたあの個人の魂の囁きを、人類一般にまで拡げたものに他ならないのである。だがそこに立ち戻る術は何もないのだろうか? あるとすれば、芸術のもたらす幻影だけである。

 このようにして、幼年時代の無限の未完成に向けられた作品は、この未完成を郷愁をこめて自己の内部で育てること、すなわち憂鬱のなかに、単に作品としてのみならず、本質的に「芸術」作品として自己を実現するための活力を見出すことになる。つまりそれは、この芸術がわれわれにとって「過去のもの」となってしまったという事実にもかかわらず(引用者注: 「にもかかわらず」に傍点)そうなるのではなく、「芸術」がもはや「過去のもの」として以外のあり方では存在し得なくなったが故にそうならざるを得ないのであり、逆説的な言い方ながら、そこにこそ近代の条件が、そしてその悲惨と栄光が、その深淵と活力があるのである。

 このような事情から、近代の憂鬱は、ルネッサンス期の憂鬱とは違って、きわめて急進的な憂鬱であって、単に創造者の気質に関するものではなく、今や創造行為に内在する本質的なものとなったのである。」




バルチュス展 05


「美しい日々」


バルチュス展 03


「コメルス・サンタンドレ小路」


バルチュス展 04


「画家とモデル」




こちらもご参照ください:

阿部良雄・與謝野文子 編 『バルテュス』 (新装復刊)
ピエール・クロソフスキー 『ディアーナの水浴』 宮川淳・豊崎光一 訳



































































































『世界名画全集 続巻 16 ベン・シャーン』

「芸術でも、民衆でも、興味深かったのは個々の特殊性だった。人が(ドレイフュス大尉のような)傷つけられた人間に同情するのは、彼が社会の一般人だからではなく、まさしく一般人でないからである。想像したり、発明したり、創造したりできるのは個人だけだ。芸術の愛好者もことごとく個性の愛好者であって、愛好者のひとりひとりが絵画や彫刻を見にくるのは、そこで彼が、すなわち彼という個人があらゆる階級を超越し、あらゆる偏見を打破しうるということを悟ることができるからである。芸術品のなかに、彼は彼の独自性が確認されているのを知るのだ。」
(ベン・シャーン 「ある絵の伝記」 より)


『世界名画全集 
続巻 16 
ベン・シャーン』


平凡社 
昭和37年9月30日 発行
97p
B5判 角背布装上製本 
機械函
定価380円

月報(4p):
《バレエ・U・S・A》のなかのベン・シャーン(秋山邦晴)/図版(モノクロ)2点



ベンシャーン 01


帯文:

「アメリカの経済恐慌を契機として、社会的なテーマにつぎつぎと取り組んだベン・シャーンの芸術。荒野に鉄骨の鳴るようなその鋭いリリシズムは、現代アメリカの不安と孤独の歌として見るものの胸を打つ。シャーン自身が選び直送して来たカラー70余点を総原色で再現した世界最初の画集である。」


目次:

ベン・シャーン 人と芸術 (東野芳明)
 ニューヨークの裏町の表情
 ルネサンス的な統合の夢
 ユダヤ系の移民
 サッコ-ヴァンゼッティ事件
 ニュー・ディール政策と美術家
 「ニュー・ディールへの白鳥の歌」
 「サンデイ・ピクチュア」
 象徴と寓意の森
ある絵の伝記 (ベン・シャーン/佐藤明 訳編)
本巻編集者への手紙から (ベン・シャーン/東野芳明 訳)
ベン・シャーン年譜 (ベン・シャーン/東野芳明 訳)

図版
 ベン・シャーン肖像
 箱絵 寓意 部分 テンペラ
 一 解放 部分 テンペラ
 二 ロビンスのジャズ・バレーの装置 グヮッシュ
 三 サッコ-ヴァンゼッティ・シリーズ ローウェル委員会 グヮッシュ
 四 サッコ-ヴァンゼッティ・シリーズ サッコとヴァンゼッティ グヮッシュ
 五 ムーニー・シリーズ 二人の証人 グヮッシュ
 六 禁酒令シリーズ キリスト教婦人禁酒同盟の示威行進 グヮッシュ
 七 サンデイ・ペインティング テンペラ
 八 ハンド・ボール テンペラ
 九 人はパンのみにて生きるものにあらず テンペラ
 一〇 ウィリース通り橋 テンペラ
 一一 春(民主党は新平和攻勢を懸念) テンペラ
 一二 “乳しぼりのかわいい少女” テンペラ
 一三 フランスの労働者 ポスター
 一四 独立記念日の弁士 テンペラ
 一五 三人の四重奏団
 一六 繩とびをする少女 テンペラ
 一七 天使と子ども テンペラ
 一八 解放 テンペラ
 一九 イタリア風景 テンペラ
 二〇 赤い階段 テンペラ
 二一 太平洋風景 テンペラ
 二二 海辺の死 テンペラ
 二三 夢の国オハイオ テンペラ
 二四 カーニヴァル テンペラ
 二五 労働者から農民へ「ありがとう」 ポスター
 二六 すべての権利のために ポスター
 二七 われらは平和を望む ポスター
 二八 盲のアコーディオンひき テンペラ
 二九 父と子 テンペア
 三〇 春 テンペラ
 三一 母と子 テンペラ
 三二 凱旋門 テンペラ
 三三 トルーマンとデューイ グヮッシュ
 三四 ヴァイオリンをひく人 テンペラ
 三五 坑夫の未亡人 テンペラ
 三六 マルベリー・トリーズの調べ テンペラ
 三七 夏 テンペラ
 三八 ノクターン テンペラ
 三九 空気と原子の人間 テンペラ
 四〇 寓意 テンペラ
 四一 五月五日 テンペラ
 四二 アヴェ・マリアの祈り テンペラ
 四三 エポック テンペラ
 四四 恐ろしい夜の都会 テンペラ
 四五 ニコラス・C グヮッシュ
 四六 墜落 グヮッシュ
 四七 至福 テンペラ
 四八 クラリネットとティン・ホルンのためのコンポジション テンペラ
 四九 迷宮NO・2 テンペラ
 五〇 迷宮 テンペラ
 五一 寓意NO・2 テンペラ
 五二 サイバネティックス テンペラ
 五三 ミシンのある室内 テンペラ
 五四 室内 テンペラ
 五五 不滅のことば グヮッシュ
 五六 マルティン・ルーテル信条 グヮッシュ
 五七 夢魔 グヮッシュ
 五八 寓意NO・3 グヮッシュ
 五九 ウィリアム・ブレイクの“天国と地獄の結婚” グヮッシュ
 六〇 シカゴ・ジャズ グヮッシュ
 六一 ウェン・ザ・セインツ テンペラ
 六三 ラッキー・ドラゴン グヮッシュ
 六四 ジャージー・ホームステッズの公会堂の壁画 フレスコ
 六五 郵政省の壁画 フレスコ
 六六 社会保障会館の壁画 フレスコ
 六七 街の子 素描
 六八 “ヒックマン物語”のさし絵 素描
 六九 四人の子供 素描
 七〇 本のあるところには 素描
 七一 テレビのアンテナ 素描
 七二 ロバート・オペンハイマー博士 素描
 七三 シカゴ 素描
 七四 街景 素描
 七五 黒人の母子 素描
 七六 三つの頭(ティツィアーノによる) 素描
 目次頁カット 麦つむ人 素描
 年譜頁カット バッハ 素描



ベンシャーン 02



◆本書より◆


「ある絵の伝記」(ベン・シャーン)より:

「私は多年もちつづけてきていた人間を社会的にみる見方を、いまは疑問にしなければならなくなった。(中略)概括や抽象化や統計などは、いつも私には退屈なものだった。芸術でも、民衆でも、興味深かったのは個々の特殊性だった。人が(ドレイフュス大尉のような)傷つけられた人間に同情するのは、彼が社会の一般人だからではなく、まさしく一般人でないからである。想像したり、発明したり、創造したりできるのは個人だけだ。芸術の愛好者もことごとく個性の愛好者であって、愛好者のひとりひとりが絵画や彫刻を見にくるのは、そこで彼が、すなわち彼という個人があらゆる階級を超越し、あらゆる偏見を打破しうるということを悟ることができるからである。芸術品のなかに、彼は彼の独自性が確認されているのを知るのだ。
 なるほど、人は社会的不正に苦しみ、集団的改善を強く望むのだが、それはいかなる集団であれ、個人から成っているからだ。個人はたれでも、感情をもち、希望や夢をもつことができるからである。」
「このようにして、私はついに例の「社会的人間観」の境界を突破し、二度とはそこに立ちもどらないであろう。」

「以上のように私の企てたあらゆる変化を通じて、私が絵画の原則としてもちつづけた主義は、外的対象、たとえば人間の姿は、細部まで鋭敏な眼で観察されねばならないが、こういう観察のすべては、内面的な見方から形成されなければならない――いわば「主観的リアリズム」とも称すべき立場であった。」

「私が概括することがきらいなことは前に述べたとおりである。さて普遍的というのは、この概括化ということの別称ではないのか。普遍性を描くことができるのは、概括化と抽象化を行なうことなくして、いかにして可能であろうか。」
「私みずからの解決方法は、私があらゆる統計や概括化をきらうのはなぜであるかを自問することにあった。私の見いだした答えは、それが非個性的だからきらいなのだという簡単なものだった。あらゆることに平均的だということは、なにごとにも特殊的でないということだ。」
「さて、私のいう「普遍的」なものというのは、あらゆる事物の特有な性質を確証するもの、そういう独特なものでなければならない。「普遍的経験」というのは、われわれみんながその生活の大部分をそこで生きている、個人的・個性的な世界を明らかにする「個人的経験」でなければならない。こうして、芸術上において巨大な普遍性をもつ象徴(シンボル)は、われわれの意識のもっとも深い、もっとも内的な奥底から引き出してきた、ひとつの形象だということができるであろう。われわれが独自で、自由であり、しかも十分に自覚的でありうるのは、こういう意識の奥底においてであるからである。私は思うのだが、マサッチオの“楽園追放”は強く個性的だからこそ、あらゆる人を感動させるのだし、デ・キリコの長く陰を引いた寂しい町の寂しい人影は、あらゆる人間の寂しさに話しかけているのではあるまいか。一個の経験としては、この二つの作品は平均的なものは少しももってはいない。この二つの作品は感情の極限から発していて、しかも偉大な普遍性をもっているのである。」

「私が第二次大戦の末期ごろに描いた作品、たとえば“解放”とか“赤い階段”とか“太平洋(パシフィック)風景”とか“天使と子ども”とか“イタリア風景”とかいうものは、様式の上では以前の作品とはっきり区別できるようなものではなかったが、いっそう個人的なものになり、いっそう内面的なものになっていたことは確かである。かつて秘隠的で難解だと思われた象徴主義が、いまは戦争がわれわれに感じさせた「空虚」と「空費」の感じと、戦時下に生きようとする人間の無力さを表現しうる唯一の手段となったのだ。当時、私は意識的目的としての「伝達(コミュニケーション)」にはあまり関心はなかった。ひたすら作品の形成だけが問題だった。つまり、どんな隠微なものでも、少なくとも強く感じられた感情なら、それを絵具を塗った平面の視覚像に形成しようというのが目標だった。
 私自身の見解では、これらの作品は成功だった。(中略)当時もっともはっきりと知ったことは、情感ある視覚像はわれわれの感情を動かす外界の事件そのものの映像である必要はない。むしろ、多くの事件の内面的な痕跡(こんせき)といったものから組み立てられうるということだった。それは、われわれみなが所有し、恐怖感覚以外のいかなる感覚をももたない幽霊の群れのイメージでもよいし、こっけいなものや、恐ろしいほどに優美なもののイメージであってもよいし、たぶん幼時の実際の事件となんらの関係もない幼時に対する郷愁のイメージでもよく、平面上に色彩を塗りこむことからのみ引き出されうるイメージで、しかもひどく人の心を引き上げる力のあるイメージであってもよい。このようないろんなイメージこそ、感覚され、形成されるべきイメージなのである。」

「私が“ある絵の伝記”とよぶものを形成するものは、たんに口で述べられうる思想だけでもなければ、伝説でもない。単純な用途や意図でもない。むしろ、ひとりの個人の内なる思想と感情の全体であり、部分的には彼の時代と場所であり、彼の幼年時代とおとなになってからの恐れと喜びであるし、その大部分を占めるのは、彼が考えたいと思うことを考える彼の思想であるとしか考えられない。」



「本巻編集者への手紙から」より:

「「社会的活動」についてのあなたの質問にお答えするにあたって、まず、自分が軍縮の熱烈な支持者であることを表明したいと思います。そして、いかなる国によるにせよ、あらゆる原子兵器の実験に断固として反対です。(中略)どんな人間も、またどんな人間のグループも、地球のどの部分にせよ、それを生存不能の場に化する権利をもっていません。同じ論旨によって、どんなひとにも、どんなグループにも、地球の食物をだめにしたり、地球の空気をよごす権利はないのです。」
「わたしは、個人の神聖と優越を信じ、また人間のうちの最下層のものの生命と安全が、もっとも偉大で重要な人間のそれと同等な価値をもつものであることを信じます。
 国家はつねに、その国民の幸福と人間的な充実のためにあるべきものです。国家が権力や地位において国民をしのぐことは、けっして許されるべきことではありません。美術、文学、音楽の分野における個人は、その最高の感受性と能力を表現する行為そのものを通して、他のすべての個人の夢をたしかめ、導き、くりひろげてゆくのです。この考え方は社会主義的でも資本主義的でもないことをわたしは知っています。それはかんたんに人道主義(ヒューマニタリアン)的な考え方とよんでいいでしょう。」



ベンシャーン 03


「繩とびをする少女」「天使と子ども」


ベンシャーン 08


「解放」


ベンシャーン 05


「赤い階段」


ベンシャーン 06

「マルベリー・トリーズの調べ」


ベンシャーン 07


「シカゴ・ジャズ」





















































































『ヴァンタン 浮世絵大系 第2巻 春信』 解説: 小林忠 (愛蔵普及版)

『ヴァンタン 
浮世絵大系 
第2巻 
春信』 
解説: 小林忠 
(愛蔵普及版)


監修: 高橋誠一郎
編集: 座右宝刊行会


集英社 
昭和50年8月30日 初版印刷
昭和50年9月20日 初版発行
143p
28×21.5cm 丸背紙装上製本 
本体カバー 貼函 函プラカバー
定価1,300円



本書「凡例」より:

「本書では、鈴木春信を中心に、礒田湖竜斎ほかその周辺の絵師の作品を収録した。」


原色図版69点、単色図版209点。「総説」中参考図版(モノクロ)27点、「図版解説」中サムネイル図版(モノクロ)78点。


浮世絵大系 春信 01


帯文:

「初めて考案された多色刷り技法「錦絵」を用いて、夢幻的・抒情的な世界を表現し、人気を独占した鈴木春信。その傑作をはじめ、柱絵の名手・湖竜斎たちも紹介する。」


もくじ:

凡例

原色図版
 1 春信 水売り
 2 春信 丑の時参り
 3 春信 お百度参り
 4 春信 雨乞い小町
 5 春信 雨
 6 春信 耳をそばだてて
 7 春信 夜の梅
 8 春信 坐鋪八景・時計の晩鐘
 9 春信 坐鋪八景・塗桶の暮雪
 10 春信 雨夜の宮詣で
 11 春信 梅の枝折り
 12 春信 桜下の駕籠
 13 春信 素性法師(春の錦)
 14 春信 源重之(浜風)
 15 春信 柳の川岸
 16 春信 縁先美人
 17 春信 夜更け
 18 春信 藤原元真(夏は来ぬ)
 19 春信 筒井筒
 20 春信 風流六哥仙・僧正遍昭
 21 春信 螢狩り
 22 春信 藤原敏行朝臣(秋風)
 23 春信 虫籠をもつ母と子
 24 春信 縁先物語
 25 春信 野分
 26 春信 子供の相撲
 27 春信 ささやき
 28 春信 源信明朝臣(月鏡)
 29 春信 浮世美人花寄・娘風
 30 春信 茶ひき臼
 31 春信 紀友則(雪晴れ)
 32 春信 雪中相合傘
 33 春信 破魔弓
 34 春信 お仙の茶屋
 35 春信 六玉川・萩の玉川
 36 春信 六玉川・調布の玉川
 37 春信 六玉川・擣衣の玉川
 38 春信 風流四季哥仙・二月水辺梅
 39 春信 風流四季哥仙・水無月
 40 春信 白象と唐子
 41 春信 雪中白鷺
 42 春信 紅葉舞い
 43 春信 猿曳き
 44 春信 人形遣い
 45 春信 人形遣い
 46 春信 大門口
 47 春信 両国橋
 48 春信 雪月花内・品川月
 49 春信 縁台の涼み
 50 春信 楼上縁先美人
 51 春信 三曲合奏
 52 湖竜斎 風流見立坐敷八景・時計の晩鐘
 53 湖竜斎 嫖客
 54 湖竜斎 名鳥坐鋪八景・鶴の帰帆
 55 湖竜斎 今様芸婦風俗・身仕廻のてい
 56 湖竜斎 雛形若菜の初模様・大かなや内白たえ
 57 湖竜斎 雛形若菜の初模様・中近江屋内みつうら
 58 湖竜斎 雪中烏鷺図
 59 湖竜斎 東扇・扇屋花扇
 60 湖竜斎 亀井戸太鼓橋
 61 湖竜斎 雪中若衆の訪れ
 62 湖竜斎 きぬぎぬ
 63 湖竜斎 朝顔
 64 小松軒 月に雁
 65 春信 玄宗皇帝楊貴妃図
 66 春重 見立荘子胡蝶の夢
 67 湖竜斎 羽根突き
 68・69 湖竜斎 男女図

総説・春信 (小林忠)

単色図版
 70~277

図版解説 (小林忠)

年表
参考文献
収録図版リスト



浮世絵大系 春信 02



◆本書より◆


浮世絵大系 春信 03


春信「丑の時参り」


浮世絵大系 春信 09


春信「夜の梅」


浮世絵大系 春信 04


春信「坐鋪八景・塗桶の暮雪」


浮世絵大系 春信 05


春信「夜更け」


浮世絵大系 春信 06


春信「筒井筒」


浮世絵大系 春信 07


春信「縁先物語」


浮世絵大系 春信 08


春信「野分」


浮世絵大系 春信 12


春信「ささやき」


浮世絵大系 春信 10


春信「茶ひき臼」


浮世絵大系 春信 11


春信「六玉川・調布の玉川」


浮世絵大系 春信 13


春信「六玉川・擣衣の玉川」









































『ジャン・デュビュッフェ展』 (1997年)

「私の宗教は汎神論なのです」
(ジャン・デュビュッフェ)


『ジャン・デュビュッフェ展』
Jean Dubuffet 1901-1985


編集: 富山県立近代美術館/倉敷市立美術館/福島県立美術館/姫路市立美術館/(株)ブレーントラスト
制作: 印象社
発行: 「ジャン・デュビュッフェ」展カタログ実行委員会 
1997年
223p  
30×22.5cm 並装(フランス表紙)

追加作品1葉/追補・訂正1葉


富山展/富山県立近代美術館
1997年5月10日―6月15日
倉敷展/倉敷市立美術館
1997年6月21日―7月27日
東京展/伊勢丹美術館
1997年7月31日―8月31日
福島展/福島県立美術館
1997年9月6日―10月5日
姫路展/姫路市立美術館
1997年10月10日―11月16日



作品図版153点(うちカラー109点)、写真(カラー)11点、「追加作品」図版(カラー)1点。
巻頭にデュビュッフェ肖像写真(モノクロ)1点、カタログ解説中に参考図版(モノクロ)59点、「ジャン・デュビュッフェと〈生の芸術〉」中に参考図版4点。「追補・訂正」に変更作品図版(モノクロ)1点。


デュビュッフェ展 01


内容:

あいさつ (主催者)
Remerciments

デュビュッフェという真の創造者――序 (小川正隆)
自由の錬金術 (ファブリス・エルゴ)
L'alchimie de la liberté (Fabrice Hergott)

カタログ (アルマンド・ド・トランティニヤン)
 ジャン・デュビュッフェ――はじめに (1901―1942)
 Jean Dubuffet
 第一期 物質の祝福、地面の肖像 (1942―1960)
 Première période; Célébration de la matière, des Portraits aux Sols
 第二期 ウルループの“ユーモアと錯乱の祝祭” (1960―1974)
 Deuxième période; "Fêtes des humeurs et des délires" avec L'Hourloupe
 第三期 記憶の劇場から控訴棄却まで (1974―1985)
 Troisième période; Des Théâtres de mémoire aux Non-lieux

デュビュッフェの道 (大坪健二)
曖昧さと揺らぎの中で――デュビュッフェの《パリ・サーカス》シリーズについて (麻生恵子)
ジャン・デュビュッフェと〈生の芸術(アール・ブリュット)〉 (佐々木千恵)
年譜 (堀宜雄 編)
Biographie et principales expositions
主要文献 (平瀬礼太 編)
Bibliographie



デュビュッフェ展 06



◆本書より◆


「第一期」より:

「夏の間、車で急流に沿って走りながら、「私は、この生き生きとした流れの下にある、石ころだらけの川床や、石ころの上の流れの動きを題材に、絵を描きたいという激しい欲望を感じた。水を描くという考えに、私は強い関心を抱いた。(略)生きたままにこの主題をとらえようと、絵具とスケッチブックを携えてこの地方に戻ってきた」」

「「目下のところ私は、草の茂みや道端の小さな植物たちが与えるうっとりするような装飾に心を奪われている。(略)私は小さなアザミの前で一日を過ごすと、翌日はそこから2メートルばかり離れた場所で日がな一日たたずんでいる」」



「ジャン・デュビュッフェと〈生の芸術(アール・ブリュット)〉」(佐々木千恵)より:

「ところで、〈生の芸術〉だけでなく、子供の美術からも影響を受け、また“未開”美術へも関心を寄せていたデュビュッフェであったが、これらは〈生の芸術〉のカテゴリーから外されている。デュビュッフェの定義を繰り返すと、〈生の芸術〉は、美術的訓練や文化的影響を何ら受けない個人による、イメージを作り出そうという内なる激しい欲求のみによって動機づけられた自発的な創造行為である。この定義に従うと、独自の文化的伝統がある“未開”美術や、真の創造へ向かう精神的深みに欠け、観者から影響を受けやすい子供の美術、また文化的伝統をむしろ模倣しようとするいわゆるナイーヴ・アートは、〈生の芸術〉から除外される。一方、狂気を芸術創造の側面から積極的に肯定するデュビュッフェは、狂気の生み出す他者や世界からの疎外が、内なる現実を探究するよう作家を駆り立て、それが作家の独自性を生み出す点を評価している。「狂気は、慣習によって押しつけられている現実の視点に立つことの拒否を表して」おり、それが作家を独自で新たなシステムの構築へ導く。「芸術家は、自らに架された押しつけの宇宙を欲さず、それと平行する宇宙を自らの手で作り出す者である。それこそが狂気の定義なのである」。」


デュビュッフェ展 02


「急流」(1953年8月)。


デュビュッフェ展 03


「青白い顔のお嬢さん」(1958年5月)。


デュビュッフェ展 04


「導火線男」(1958年11月)。


デュビュッフェ展 05


「四人の人物」(1961年2月)。


デュビュッフェ展 08


「プチ=シャン通り(ボンバンス)」(1962年7月3日)。


デュビュッフェ展 07


追加出品「よく眠る女」(1950年5月)。




こちらもご参照ください:

服部正 『アウトサイダー・アート』 (光文社新書)




































































































































































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
 
うまれたときからひとでなし
なぜならわたしはねこだから
 
◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

Koro-pok-Guru
Away with the Fairies

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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