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斎部広成 撰/西宮一民 校注 『古語拾遺』 (岩波文庫)

斎部広成 撰 
『古語拾遺』 
西宮一民 校注
 
岩波文庫 黄/30-035-1 


岩波書店 
1985年3月18日 第1刷発行
1991年9月5日 第8刷発行
231p 
文庫判 並装 カバー
定価460円(本体447円)


本書「凡例」より:

「本書は、天理図書館蔵、嘉禄本古語拾遺(天理図書館善本叢書『古代史籍集』所収。原本の第二紙及び第十・十一・十二紙の錯簡を訂したもの)を底本とした。」
「原文の構築に当っては、できる限り、斎部広成撰の当時にせまることを試みた。」
「本書は、まず訓読文を掲げ、脚注を付し、補注を施し、次に構築された原文(中略)を掲げ、脚注を付し、補注を施し、最後に解説を置く。」



本書「解説」より:

「古語拾遺は、平城天皇の朝儀についての召問に対し、祭祀関係氏族の斎部広成が忌部氏の歴史と職掌から、その変遷の現状を憤懣として捉え、その根源を闡明しその由縁を探索し、それを「古語の遺(も)りたるを拾ふ」と題し、大同二年(八〇七)二月十三日に撰上した書である。」


「補注」は二段組。新字。


古語拾遺


カバー文:

「老翁広成には何としても言い残さなくては死ねぬと思い定めたことがあった。斎部氏と中臣氏の携わってきた祭祀がいつしか中臣氏に集中している憤懣である。幸い平城天皇の召問を機に、国史・氏族伝承に基づきそれを「古語の遺りたるを拾ふ」と題して撰上した。時に大同2(807)年。記紀にない記載も含み研究史上多くの示唆に富む。」


目次:

凡例

古語拾遺(訓読文)
 序
 天地開闢
 天中の三神と氏祖系譜
 日神と素神の約誓
 素神の天罪
 日神の石窟幽居
 日神の出現
 素神の追放
 素神の霊剣献上
 大己貴神
 吾勝尊
 天祖の神勅
 天孫の降臨
 彦火尊と彦瀲尊
 神武天皇の東征
 造殿の斎部
 造祭祀具の斎部
 神籬を建て神々を祭る
 即位大嘗祭
 斎蔵と斎部
 国家祭祀と氏族
 崇神天皇
 垂仁天皇
 景行天皇
 神功皇后
 応神天皇
 履中天皇
 雄略天皇
 推古天皇
 孝徳天皇
 天武天皇
 大宝年中
 天平年中
 歴史の回顧
 遺りたる一
 遺りたる二
 遺りたる三
 遺りたる四
 遺りたる五
 遺りたる六
 遺りたる七
 遺りたる八
 遺りたる九
 遺りたる十
 遺りたる十一
 御歳神
 跋
訓読文補注

古語拾遺(原文)
原文補注

解説




◆本書より◆


「御歳神」「訓読文」:

「一(ある)いは、昔在(むかし)神代(かみよ)に、大地主神(おほなぬしのかみ)(脚注:「偉大な、その土地の主(支配者)たる神。」)、田を営(つく)る日に、牛(うし)の宍(しし)を以て田人(たひと)(脚注:「農夫」)に食はしめき。時に、御歳神(みとしのかみ)(脚注:「年穀(稲)の神。すなわち田の神。」)の子(こ)、其の田に至りて、饗(あへ)に唾(つは)きて還り、状(さま)を以て父に告(まを)しき。御歳神怒(いかり)を発(おこ)して、蝗(おほねむし)(脚注:「和名抄による。稲の害虫の総称。」)を以て其の田に放ちき。苗(なへ)の葉忽(たちまち)に枯(か)れ損(そこな)はれて篠竹(しの)に似たり。是(ここ)に、大地主神、片巫(かたかむなぎ)〔志止々鳥(しとととり)。〕・肱巫(ひぢかむなぎ)〔今の俗(よ)の竈輪(かまわ)及(また)米占(よねうら)なり。〕をして其の由(よし)を占(うらな)ひ求めしむるに、「御歳神祟(たたり)を為す。白猪(しろゐ)・白馬(しろうま)・白鶏(しろかけ)を献りて、其の怒(いかり)を解くべし」とまをしき。教に依りて謝(の)み奉る。御歳神答へ曰(のら)ししく、「実(まこと)に吾が意(こころ)ぞ。麻柄(あさがら)(脚注:「麻の皮を除いた茎。」)を以て桛(かせひ)(脚注:「つむいだ糸を巻きつける道具。カセフの連用名詞形。」)に作りて之(これ)に桛(かせ)ひ(脚注:「桛に糸を巻くことから、蝗の自由を束縛することの呪術か。」)、乃ち其の葉を以て之を掃(はら)ひ(脚注:「麻の葉で掃うのは蝗を掃う呪術か。」)、天押草(あめのおしくさ)(脚注:「ごまのはぐさ(胡麻葉草)の古名。押草だから押出す呪術。」)を以て之を押し、烏扇(からすあふぎ)(脚注:「檜扇のこと。檜扇だから扇ぎ出す呪術。」)を以て之を扇(あふ)ぐべし。若(も)し此(かく)の如くして出で去らずは、牛の宍(しし)を以て溝の口に置きて、男茎形(をはせがた)を作りて之に加え(脚注: 男根の形のものを作り、牛肉に添える。」)、〔是(これ)、其の心を厭(まじな)ふ所以(ゆゑ)なり(脚注:「御歳神の心を和めるためだ。一種の呪術。」)。〕薏子(つすだま)(脚注:「ハトムギ。今日ジュズダマともいう。」)・蜀椒(なるはじかみ)(脚注:「山椒(さんしょう)。」)・呉桃(くるみ)の葉及(また)塩を以て、其の畔(あ)に班(あか)ち置くべし(脚注:「田の畔に散布しておけ。防虫の効を説く。」)。〔古語に、薏玉は都須玉(つすだま)といふなり。〕」とのりたまひき。仍りて、其の教に従ひしかば、苗の葉復(また)茂りて、年穀(たなつもの)豊稔(ゆたか)なり。是、今の神祇官、白猪・白馬・白鶏を以て、御歳神を祭る(脚注:「五穀豊穣を祈念して白い動物を備える。」)縁なり(脚注:「神祇官での祈年祭。」)。」


「訓読文補注」より:

「饗に唾きて」
「御歳神に豊作を祈念してもてなしの食事(アエ)を献ったが、その農夫は豊穣祈念に捧げられた犠牲の牛の肉を食っていた(犠牲の牛の肉を食する習俗のあったことがこれで分る)ので、それを穢(けが)れとして、そのアエ(饗饌)に唾液を吐きかけたのである。」

「「片巫」は未詳。注のシトト鳥(ほおじろ)によって考えると、鳥を使って占う巫女の名を「片巫」と呼んだのであろう。和名抄では「鵐鳥」をシトトと訓み、鳥の名としている。観智院本名義抄に「〓(漢字:「神」冠+鳥)〔カウナイシトヽ〕」(僧中)とあるのは、カムナギシトトの音便形であるが、巫女的な鳥との認識があったものと思われる。」

「「肱巫」は未詳。注から想像すると、竈による占いと米による占いをする巫女のことか。とは言え、「竈輪」「米占」についても正確なところは分らない。前者については、竈の灰に燼(おき)を置いて、それが消えてゆく状態によって吉凶を占うという。後者については、池辺、新註の説――三河の石巻社・信濃の諏訪神社・遠江の高天神・越後の丹生神社・河内の枚岡社・越後の弥彦神社その他で行われる管粥の神事、すなわち用意された数箇の管中に、炊爨中の粥が沸騰現象によって充填されるかどうかで、その年の豊凶を占う――が大方の承認を得るであろう。」

「牛の宍を以て溝の口に置きて」
「牛肉を灌漑(かんがい)水の排水口に置くのは、農業生産の豊穣を祈願する牛殺しの呪術である。播磨国風土記、讃容(さよ)郡の条に、鹿の腹を割(さ)いて、その血に稲を播(ま)いたら、一夜の間に苗が生えたとある。この種の説話は、賀毛郡雲潤(うるみ)の里の条にも見える。血が肥料になるというのではなく、動物の血の呪力によって豊作を願う呪術であり、フレイザーも金枝篇で多くの事例を紹介している。日本では現存の民俗の中には残存していない。」





こちらもご参照ください:

アイリアノス 『ギリシア奇談集』 松平千秋・中務哲郎 訳 (岩波文庫)
西郷信綱 『古事記注釈 第一巻』
ウォールター・ペイター 『享楽主義者マリウス』 工藤好美 訳






































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藤井貞和 『古日本文学発生論 増補新装版』

「毎回、じぶんのよくわからないことばかりを、くるしみながら書きすすめている。わかったように書いているのではない。疑問を、こじおこしているのにすぎない。」
(藤井貞和 「古日本文学発生論」 より)


藤井貞和 
『古日本文学発生論 
増補新装版』
 


思潮社 
1992年4月1日 発行
230p 索引12p
四六判 丸背紙装上製本 カバー 
定価2,400円(本体2,330円)
装幀: 芦澤泰偉



本書「あとがき」より:

「本書を構成した礎稿は、
 ① 「古日本文学発生論」(『現代詩手帖』連載、昭51・10~11、52・1、3~7、9~11、十一回)
 ② 「『亡滅の歌』――古日本文学発生論・番外――」(『現代詩手帖』、昭52・2)
 ③ 「神話のかげ――日本神話と歌謡――」(『解釈と観賞』、昭52・10)
 ④ 「南島古謡の魅力――古代歌謡と私――」(『解釈と鑑賞』、昭50・9)
 の四篇で、①を主体とし、②~④を附篇として、加筆を大幅にほどこしながらからくも長篇的な一冊にすることができた。」



本書「あとがき……増補新装版のために」より:

「本書は一九七八(昭53)年九月の初版がそののち廉価版になっていたものの増補新装版である。池宮正治氏を中心とする科研の報告書(一九八九・三)に執筆した「文学の発生論と琉球文学」を改正してここに増補し、これからの読者にむけて心をこめた発信をする。」


藤井貞和 古日本文学発生論


帯文:

「日本文学の
発生の究明、
始原への旅

日本の古代文学はどこに発生の基盤をもつか。共同体の幻想と伝承にみちた神歌・呪謡・神話など蒙々たる南島古謡の闇の中を、からだごとの実地踏査や数多くのテクスト・クリティークで具体的に探究しつつ、詩的直観による大胆な仮説と、緊密な論理考証で鮮かにあざなう。時代に先がけて展開された構造的な物語学、沖縄学の名著の増補新装版。」



目次:

滅亡の歌声
 詩と鋳型
 古代詩と近代詩
 亡滅の研究
異郷の構造
 〈思ひ〉の呪術
 世と常世
叢の底から
 サク神信仰
 大荒(サケ)大明神
 常世の蟲信仰
南のうたの方へ 神歌私注(上)
 問題の所在
 古代村落の隣
 祖神の祭り
いずみを覓めて 神歌私注(中)
 神話的空間
 村立て神話
 村立て神話・続
 神歌が並行して
シルエットの呪謡 神歌私注(中の二)
 巫者の領域
 巫者の領域・続
 叙事の部分
英雄の死 神歌私注(下)
 呪謡から儀礼へ
 宮古島の史歌
 勇者をうたう
寿と呪未分論(上)
 読歌の二首
 ヨムの原意味
 ゆんぐとぅ・ゆみぐとぅ(奄美)
 ゆんぐとぅ・ゆんぐどぅ(八重山)
寿と呪未分論(下)
 ゆんぐとぅ・続
 唱えごとからうたへ
 祭式外歌謡の発展
 更級日記の猫
原古の再現ということ 神話から物語へ(一)
 ふたたび「亡滅」について
 神話の叙事歌謡
 「昔」語りの拡がり
歌謡のゆくえ 神話から物語へ(二)
 「古こと」と新意と
 おもろの独自性、その末路
 地方のおもろ歌唱者
古代文学の誕生 神話から物語へ(三)
 神話的充実の喪失
 童謡(わざうた)の成長
 語部(かたりべ)の位置
 異郷論、ふたたび
 詩をつらぬく特徴、おわりに

附篇一 「亡滅の歌」 黒田喜夫覚え書き
附篇二 日本神話と歌謡
附篇三 南島古謡の魅力
増補新装版附篇 文学の発生論と琉球文学

引用・参考文献目録
あとがき
増補新装版あとがき
総合索引




◆本書より◆


「叢の底から」より:

「原生信仰とでもいったらいいのか、このサク神(じん)の信仰は、古代統一朝廷による中央からの支配のもとに忘れ遺(のこ)され、信濃の国を中心にひろく残存している最古の原始信仰で、上は縄文時代の石棒などの信仰につらなり、草深い部分での性信仰(性器崇拝)・田神信仰に習合、あるいはその実体としてつたえられた。
 柳田国男が先駆的に注意した石神(しゃくじん)である。」
「古い地主神や産土神の最も素朴なるもので、新来の神々にとってかわられるべき恰好のえじきとなったにちがいない。古い地主神が新来の神にとってかわられる話は『古語拾遺』中の一例が有名である。「……宜しく牛の宍(しし)を以て溝口に置きて男茎形を作りて以て之(これ)に加へよ」云々と新来の御歳神が古い大地主神に命じている。古い大地主神自身がかつてそのように祭祀されていたことをあらわしていよう。「男茎形……」とは石棒のたぐいであろう。この『古語拾遺』中の大地主神はおそらく当のサク神である。それが新来の神々によって、当然のごとくとってかわられる。古い神々はしかしそのままに放置すれば祟りをなすであろうから、土俗的段階で依然として信奉され、安産や子供の守護神として、まあ識者からみれば淫祠ということになるのだろう、草深い部分では生きつづける。
 『古代諏訪とミシャグジ祭政体の研究』はこのサク神信仰を、それを支えていたとする土着の洩矢(もりや)族(守矢(もりや)族)への考察に押しすすめ、古代祭政体とでもいうべき部族国家段階に照明をあてようとしているものらしい。」
「ともあれ守矢氏は諏訪先住の豪族として、新来の神をいただく一族と戦ってやぶれ、ついでそれに習合していった。諏訪信仰の実質をなす最も陰靡な部分が実にサク神信仰によって占められていることは習合ということの意味をよく語っている。」

「世阿弥『風姿花伝』中、秦河勝(はだのかわかつ)を、いわば申楽(さるがく)家の始祖として伝える、始祖伝承の部分は、もちろん史実ではない。大和猿楽の芸能者たちが秦氏の後裔であることを自称してふくらましていった伝承として理解されるのが至当である。」
「河勝は、どのようにして芸能民たちの始祖になっていったか。

   彼の河勝、欽明・敏達・用明・崇峻・推古・上宮太子に仕へ奉る。此芸をば子孫に伝へ、化人(けにん)跡を留めぬによりて、摂津国、難波の浦より、うつほ舟に乗りて、風に任せて西海に出づ。

 この「うつほ舟に乗りて」云々は、密室化された舟で海に入ることで、死から再生への通過を意味している。なぜ河勝は、ここでうつほ舟に乗らなければならないのだろうか。うつほ舟は、古事記あたりにも痕跡をのこしている、古い葬送儀礼であったように考えられる。死者として海に流されたのであろう。舞台はかわって――

   播磨の国坂越(しゃくし)の浦に着く。浦人、舟を上げて見れば、形、人間に変れり。諸人に憑き祟りて奇瑞をなす。

 海から迎えた荒々しい神がいた、ということが出発点をなす事実で、その神が、巫覡を通じて、自分は秦河勝の化身であることを、表明すればいいのだ。それはただちに、神未生以前、すなわち河勝の事蹟や伝説にむすびついてゆくであろう。「人間に変れり」、とは人間のものとちがった異形のかたちをした神になっていた。異郷から来たものは、鳥のかたちをしたり、蟲のかたちをしていたりするものと想像されている。「坂越(しゃくし)」に上陸した。今、赤穂市に編入さrている、坂越(さこし)。故郷の近い柳田国男が『石神問答』中で、最初に(引用者注:「最初に」に傍点)注意した地名であることはいうまでもない。荒神となって、祭祀を要求する。

  則ち、神と崇めて、国豊かなり。大いに荒るると書きて、大荒(さけ)大明神と名づく。

 なまえからすれば、まさにサク神にほかならない。地名「坂越(しゃくし)」からもそれは確言されるであろう。今、大酒神社、祭神は秦河勝であるという。サク神の一例を兵庫県に見いだすばあいである。古いサク神信仰へ、海上から寄り来た、新来の神が、習合していったという事情をかいまみさせてくれるものであろう。「今の代に霊験あらたかなり。本地、毗沙門天王にてまします」。

  上宮太子、守屋の逆臣を平らげ給ひし時も、かの河勝が神通方便の手に掛りて、守屋は失せぬ、と。 (風姿花伝第四・神儀)

 「河勝が神通方便」とは、河勝が早く、巫覡たちの信奉するところとなっていたことをあらわしているので、それが、芸能民たちを巻き込んでいったというのが習合の実態である。」
「この守屋退治の伝説は、はるかな聯合が、モリヤという語を想像力の起点として、諏訪守矢氏の敗北ということとのあいだに、行われている可能性が、無しとは言い切れないと想われる。もしそうであるとすれば、古代中世芸能民の想像力のかたちを、ひとつ明らかにすることがらであるといえよう。
 服部氏「宿神論」は古代以来中世の日本の芸能民が奉祀してきたシュクシンというものの実態にメスを加えた。いうまでもなくサク神のすえである。古代以来の芸能者がサク神~シュクシンをいつきまつっていたということには無視しえない重要なことがらが含まれている。芸能者の古い出自が先住民族にあり、その服属儀礼として芸能の発生がある、ということとそれは関係してくる。」

「秦河勝といえば、史上では、ただちに想い出すのが日本書紀・皇極三年七月条、「常世の蟲」を祭った「大生部多(おほふべのおほ)」を悪(にく)んで打った(うちほろぼしたのであろう)という記事で、左に引いておく。

   秋七月に、東国の不尽(ふじ)河の辺の人大生部多、蟲祭ることを村里の人に勧めて曰はく、「此は常世の神なり。此の神を祭る者は、富と寿(いのち)とを致す」といふ。巫覡等、遂に詐きて、神語(かむこと)に託(の)せて曰はく、「常世の神を祭らば、貧しき人は富を致し、老いたる人は還りて少(わか)ゆ」といふ。
    (中略)
   都鄙の人、常世の蟲を取りて、清座に置きて、歌ひ儛ひて、福を求めて珍財を棄捨つ。都(かつ)て益す所無くして、損(おと)り費ゆること極て甚し。是に、葛野(かどの)の秦造河勝、民の惑はさるるを悪みて、大生部多を打つ。其の巫覡等、恐りて勧め祭ることを休む。」

「この蟲は(中略)、橘の樹に生る、というのが要点で、常世から来た蟲で、常世神なのだ、というふうに考えられたのであろう。橘は、ときじくのかくの木(こ)の実(み)の生る樹で、田道間守(たじまもり)が常世から将来したとされ(記・紀)、「トコヨモノこの橘のいや照りにわご大君は今もみるごと」(万葉集、四〇六三番)などとあるとおり。
 大生部多は、人心をたぶらかそうとしたのではない。富と寿命とをねがい、村里の人々にすすめたのである。常世信仰が最も露骨にあらわれているものとして注目すべきではなかろうか。
 秦河勝は常世信仰という前代なるものを打ったのである。」
「これは史上の河勝であり、前述の大荒(さけ)大明神の祭神になってゆく「秦河勝」なるものとは、一応、無関係だ。
 しかし、サク神信仰も、常世信仰も、前代的なるものとして非常によく似た立場にあったということがいえるであろう。」



「寿と呪未分論(上)」より:

「ヨミウタは古事記(允恭条)に「読歌」として二首出ているけれどももちろん「読」字は解釈された字面であって、それにとらわれないようにしよう。ヨムの語義は、深い多層に、暗く下りていて、容易につかめない。」

「ヨムは「忌(い)む」と関係ふかい語であったであろう。」
「「いふ(言ふ)」という語の語幹「い」にもかかわっているはずで、くちに出して言いたてることは、本来的に呪的な行為ではなかったかとかんがえられる。ヨムという語と語型分化がすすむ以前のイフ・ヨム両語は近かった。
 ヨムは、もし漢字を宛てるとすれば「呪言(よ)む」とでもするのが本来的な、原初のニュアンスであったとかんがえられる。ことばに呪力をこめて発言することで、賀歌にもなりうるのであった。賀歌はその呪性によって賀歌たりえている。」



「寿と呪未分論(下)」より:

「奄美のゆんぐとぅ(呪言)は、シャーマン発生以前の段階をなす庶物の精霊の生きていた世界を髣髴とさせる。
 それを、ふつうに言いならわしているアニミズムという語でここでもあらわすことにする。それはひとつの固有の世界であり、単なる未開の一段階なのではない。だから、単純な段階論によってアニミズムの段階と、シャーマニズムの段階とを分けることをするつもりはないが、アニミズムが、シャーマン発生以前の信仰をなす、固有の世界としてあり、シャーマニズムの母胎であったということをみとめたい。
 それは唱えごとであった。唱えごとはまだうたというほどのものでない。うたとうた以前の状態との未分化な世界というものについて、充分に想像をめぐらしておくことが必要だ。」
「唱えごとからうたへ、という発展成長は、そうした呪的な唱えごとの管理者がはっきりしてきてからあとだ、と想われる。」
「呪的な唱えごとを専門的に管理するようになってきた管理者とはシャーマン、巫者であるが、その始原状態について、ほとんど知るところがない。(中略)現代にのこるシャーマニズムの諸例を併考するしかないが、おそらく原シャーマン的存在がシャーマニズムのなかのシャーマンへ成長してきた重要なきっかけは、村落共同体が、部落の内部でも、外部でも、諸矛盾をかかえ込むようになったときであった。」

「ヨムは、朗読したり、作歌することを意味した。作歌をヨムというのは声に出すからであろう。発声、ということの呪的意味はまったくうしなわれつくしてはいないはずで、発声によって良い歌を獲るという思想であり、数や月日を勘定することをヨムというのもまた、発声したことにもとづくのだと想われる。」
「物語草子は見る(引用者注:「見る」に傍点)ものだ、と前回にのべたことについて、更級日記のなかの次の有名な一文はどう解釈したらいいのか。

  五月ばかりに、夜ふくるまで、物語をよみて(引用者注:「よみて」に傍点)起きゐたれば……

 もちろん、菅原孝標(たかすえ)の娘は、物語を、声に出して(引用者注:「声に出して」に傍点)朗読していたのである。五月の夜更けにひとり起きて、物語の美しい文章を、黙読でなく、声に出して読んだ。声に出さずにはいられなかったのだ。しかし、声を出すということは呪的な行為であった。五月は、一年のうちで最も危険な月である。厳重な物忌みが課されていた不吉な月であった。孝標の娘はここで、声を出すことによって、何かを呼び出したのではないか。はたしてあやしい猫がどこからともなくあらわれる。

   ……来つらむ方も見えぬに、猫のいとなごう啼いたるを、おどろきて見れば、いみじうをかしげなる猫なり。

 もし黙読していたら、この、大納言殿の姫君の化身だという霊妙な猫は、けっしてここにあらわれなかったはずである。
 ヨムの語義の追求は、けっして古代空間に限定されるものでない。前田愛のすぐれた仕事のひとつに「近代読者の成立」を考究した一連のものがあり、近世から近代へ、音読から黙読の成立を論じた要点は、いまや定説化しつつある。しかし、「見る」という語は絵のようにそれを眺めることで、黙読を意味したとかんがえられる。古代にも、黙読はあった。問題そのものはそこにあるのでなく、むしろ、近代においてすら、読むという行為は、一種呪術的ななにものかではないかというところにある。読書とはなにか、読者とはなにか、という今日的な課題にたいして、そこに一種呪術的な空間をかんがえることができるのではないか。ヨムの追求は、そうした近代における読むことの根底をおそい、ゆるがすものとして、見えてくる。」



「古代文学の誕生」より:

「中国史書の影響のもと、日本書紀の皇極・斉明・天智紀に、「童謡」「謡歌」が一〇首あまり採録されている。これに類似したものに「時人歌」などいくつかあって、わざうたの裾野は広範囲にひろがっている。
 大毘古命(大彦命)が聞いた少女の歌は、社会不安を敏感にさきどりした歌謡で、わざうたの一類であると認定される。少女は「吾(われ)勿言(ものいは)ず。唯詠歌為耳(ただうたひつるのみ)」と答えてすがたがみえなくなった、という怪異を示しているが、古代巫覡の活躍を暗示する(『記』中、『紀』崇神十年条)。」

  「品陀の 日の御子、大雀 大雀 佩かせる大刀。本つるぎ 末ふゆ、冬木の 素幹が下木の、さやさや」

  「さゐがはよ くもたちわたり うねびやま このはさやぎぬ かぜふかむとす (狭井川よ 雲立ち渡り、畝火山 木の葉さやぎぬ(引用者注:「さやぎぬ」に傍点)。 風ふかむとす)

  うねびやま ひるはくもとゐ ゆふされば かぜふかむとそ このはさやげる (畝火山 昼は雲とゐ、夕されば 風吹かむとそ、木の葉さやげる(引用者注:「さやげる」に傍点))

 木の葉のさやぎは、夜にちかづくとともにおぞましく想い出される無秩序時代への後退であって、社会不安の原動力が、そのような無秩序のかなたに由来するものであるように感じられているとすれば、不安の予兆たりうるものであった。草木の言語をやめさせることで秩序時代がひらかれてきた、というのが当時の神話的説明にほかならなかった。
 こうしたわざうた的なるものの背後に古代巫覡の活躍がある。(中略)〈うた〉が神話ばなれしつつ、社会にたいしてちからを持つように複雑化、高度化されてゆく過程に、重大な規模で参加していったのがかれらではなかろうか。そうしたうたかずを、中国史書の眼からとらえかえせば、謡歌(わざうた)になる。
 巫覡の活躍は、しかしながら、秩序の強力な再編、回復の方向へと、結局、荷担してゆくようにはたらいた、ということもまたまぎれもなく歴史的事実がおしえるところであった。」
「古代巫覡の活躍について、さきにすこし述べたところへ、ようやく帰ってゆく。常世蟲の信仰は、古い異郷幻想の神話をベースにして、現世利益の思想化をもくろむ新興的な宗教に成長した。すでに原生的な段階ではないわけで、史上の秦河勝によってうちほろぼされた。このときの「時人歌」がつたわっている。もういちど書きあらわしておけば、

  太秦は 神とも神と 聞え来る 常世の神を 打ちきたますも (『紀』、歌番一一二)

 これは「時の人」の「作歌」とあるけれども、多田一臣もいうように、一種の童謡(わざうた)であって、「常世神を信じた人々と同一レベルの人々によって生み出されたもの」(多田)と解するのがいい。」

「さいごに、異郷幻想へと、叙述はめぐるようにして帰還する。神話の源泉にあるこの世ならぬ楽土、豊穣・生命のいっぱい詰まっている幻想上の他界を〈異郷〉としてとらえた。
 常世信仰、根の国信仰、さらに妣国とも称されるそれのこまかい区別は、いろいろと調べてみても、ついによくわからない暗面をもつ。〈異郷〉は社会観念の成長につれてどんどん進展しているのだ、ということがいえる。〈異郷〉をそのような動態においてとらえようと想う。そうでなければ、また常世信仰や根の国信仰が、古代日本において急速に、ばらけるようにして亡滅し去ったことを説明しにくくなる、と想われる。
 南島諸地方にいまなお生きている海彼の〈異郷〉の信仰が、古代の日本列島の中央部で早く亡滅したのは、いうまでもないことだろうが、海洋的性格を、古代の日本列島の中央部が、うしなっていった、あるいははじめから持ちあわせていなかったからであった。海彼の〈異郷〉が早く亡滅したことと対照的に、山中他界観は古代から近年にいたるまでよく保存せられてきた。海は古代のしょっぱなにおいて大きく後退していった。
 神話が固定的な詞章としてあり、それがふる(=古(ふる))こと(引用者注:「ふること」に傍点)であると観念されるのは、そうしたものが過去のものになりつつあることを示している。神話が過去的なものに決定的になってゆく時点で「ふること」を集大成するというたてまえの古事記は編纂せられ、詞章の固定が最終的にこころみられた。
 〈異郷〉が見うしなわれて、悲哀にみちた喪失の感情とともにそれのふたたび帰らざるものであることがひとりひとりのなかに確認されたとき、物語文学ははじまる、というふうにかんがえることができるのではないか。」
「物語文学の舞台は、神話とちがって、現世的で、人間を主人公ないしテーマにしているということが最大の特徴だ。このことについてはとりたてていうまでもない。舞台の中心が人間界にすえられている、ということとともに、注意しておかなければならないことがある。それは、物語文学の、えがかれざる舞台のそとがわに、〈異郷〉界が意識されている、という感じであって、その意味で、物語文学は、神話性をやはりかかえ込んだ文学なのだ、という一点であった。
 竹取物語の女主人公かぐや姫は、〈異郷〉月の都から来て、またそこへ帰還した。その通過する地上に舞台は限定せられ、天女かぐや姫は地上で人間生活をともにし、しだいに人間感情を理解するようになるが、時いたって天上に帰還する。〈異郷〉界との緊張関係において地上は舞台たりえている。
 物語文学は、〈異郷〉を、喪失から、はげしく奪還しようとする運動でもあると見かたをかえていうことができよう。宇津保物語や源氏物語の主人公たちが物語のなかにうちたてようとしたこの世の楽土とでもいうべき荘厳をきわめた富の集中は、〈異郷〉幻想を現世にもたらそうとする、地上の神話とでも称すべき世界であった。」





こちらもご参照ください:

吉本隆明 『初期歌謡論』
谷川健一 『南島文学発生論』
中沢新一 『精霊の王』
斎部広成 撰/西宮一民 校注 『古語拾遺』 (岩波文庫)

























































































松田修 『江戸異端文学ノート』 

「コメントなしに不具こそ神であり、畸型こそ有効であった原初的発想は、次第に民族的記憶の基層部分から浮上する。」
「彼らの奇なるがゆえに正数が持ちえぬ負数の霊能に期待されたものは何か。」

(松田修 「不具の構造・畸型の美学」 より)


松田修 
『江戸異端文学ノート』 



青土社 
1993年5月10日 第1刷印刷
1993年5月20日 第1刷発行
397p 初出一覧1p 
四六判 丸背紙装上製本 カバー
定価2,800円(本体2,718円)
装画・装幀: 三嶋典東



章扉図版5点、本文中図版4点、欄外小図版9点。


松田修 江戸異端文学ノート 01


帯文:

「これは松田修個人版江戸百科である。
江戸のすべてである。
書き溜めたエッセイの総動員である。
(著者あとがきより)」



帯背:

「もう一つの
江戸文学史」



目次 (初出):

Ⅰ 幻のルネッサンス――元禄への胎動
中世から近世へ――時空意識と文学意識 (「文学」 1973年9月号)
芭蕉・さび色の世界――風狂の超克 (「國文學」 1979年10月号)
伝統と異端――『好色一代男』、もう一つの読み方 (「国文学:解釈と鑑賞」 1973年3月号)
猫の都市学――西鶴の場合 (「國文學」 1982年9月号)

Ⅱ 江戸芸文マルチプル
敗北としての説話文学 (「國文學」 1972年9月号)
詩歌における近世 (「國文學」 1970年3月号)
民謡、ことばと表現 (「国文学:解釈と鑑賞」 1981年3月号)
川柳: 賭博詩への道 (「別冊太陽」 1976年秋号)
落語の思想 (「國文學」 1974年9月増刊号)
落首精神の黄昏 (『鑑賞・日本古典文学・31』「川柳・狂歌」 1977年11月)
歌舞伎以前の可能性――「天竺」の意味するもの (「國文學」 1975年6月増刊号)
組織論としての忠臣蔵 (「國文學」 1986年12月号)

Ⅲ 盛期メタボリズム――あるいは逃走する作家たち
『風流志道軒伝』の場合――平賀源内のS・F的手法 (「國文學」 1975年4月増刊号)
鶴羽の者よ――風土と性愛 (「ユリイカ」 1988年4月号)
逃亡の文学――上田秋成 (『図説・日本の古典』「秋成」 1981年2月)
江戸が非江戸におじぎする旅――『東海道中膝栗毛』 (「国文学:解釈と鑑賞」 1983年9月号)

Ⅳ 爛熟のエステティック
粋と伊達の美学――近世的美意識の変相 (「季刊日本思想史」 1978年11月)
若衆美と野郎美――麦の穂の青き豪奢の道 (『近世風俗図譜・10』「歌舞伎」 1983年6月)
遊女――聖と俗のデュアリズム (「國文學」 1978年3月号)
不具の構造・畸型の美学 (「夜想」 1983年12月号)
性愛の抵抗――その可能性の系譜 (「伝統と現代」 1969年11月号)

Ⅴ バロキスム――化政期から幕末へ
鶴屋南北変化相(へんげそう)――無化の極相 (「演劇界」 1976年9月号)
奇人未遂・鶴屋南北 (「別冊歴史読本」 1980年秋号)
南北と馬琴――色悪はいかに造型されたか (「國文學」 1986年2月号)
呪術師馬琴――動乱期の降霊秘儀 (『近世文学・下』 1977年3月)
裁きの責任――馬琴の一つの読み方 (「本の窓」 1978年冬号)
黙阿弥の世界 (『明治の古典・1』「怪談牡丹燈籠・天衣紛上野初花」 1982年9月)
江戸は近代を孕んだか (「國文學」 1982年6月号)

あとがき
初出一覧



松田修 江戸異端文学ノート 02



◆本書より◆


「伝統と異端」より:

「『一代男』の異端性、構想として、また内容の具体としての危険な反逆性、これは一体どこから生まれたものであろうか。作家西鶴がなぜひとり、このような危うい視座と表現に到達しえたのであろうか。」
「一般的な西鶴像――平山藤五という「有徳(うとく)ナル」町人が、なぜ「名跡ヲ手代ニユヅリテ、僧ニモナラズ世間ヲ自由ニクラシ」たのか。」
「文芸の世界に身を挺することは、平均的な大坂商人として、たしかにかなり激しい逸脱ではないだろうか。
 その逸脱を西鶴はなぜ成就したのか、成就せねばならなかったのか。
 全くの想像説であるが、私は、もう一枚西鶴の肖像画をおいてみよう。芳賀一晶筆の西鶴像――それは西鶴像中の「圧巻」(野間先生)と称せられている。「顔面の皺の画き方、着衣の賦彩にも真を写さんとする細かい筆遣ひの跡が認められる」――これは、おそらく至当な表現である。しかし、いかにしても私にはその指が気にかかってならない。左手の指五本、一見何の奇もないさりげない描かれようであるが、拇指に相当する指が、これは絵としては明らかに畸型なのである。もう一本かくれたところで拇指を持つ六本指か、それとも畸型拇指の五本指か。(中略)万が一にも西鶴の指は畸型であったのではないか。その不具者(公儀公界を勤める家長は不具者であってはならぬ)の重い意識が、ありあまる才能にかかわらず彼を隠棲においやったのではないか。秋成の文学を解く鍵の一つが、彼の肉体の不具に求められているように、西鶴がなぜ時代を超えて鋭い告発者であったか、さらに肌寒いまでに異端性を研ぎすましえたのか、その答えの何分の一かは、この一晶の絵が答えてくれるのではないだろうか。」
「犀利な青年西鶴――裕福な家庭、順調な家業、すべての将来は約束されているかにみえる。しかし、彼の秀でた眉は、いつの日にもくもっている。文芸もおそらくわざくれわざとして、たずさわりそめたものではないか。才能に輝けば輝くほど、畸型の不条理は、彼に重くのしかかる。公職務めをサボタージュし、隠居すること、決定的にアウトサイダーになること、それが西鶴の道であった――。」



「猫の都市学」より:

「先に大坂の町家が、多く本瓦を用いていることを述べたが、当時としては贅(ぜい)を極めた本瓦葺の屋根が、櫛庇し、連続し、幾重もの波のうねり(引用者注:「うねり」に傍点)となっているのは、まさしく都市的景観の精髄、その屋上空間のヒーロー、ヒロインは、いうまでもなく猫族であった。
 人間の視界にはいりつつ、人間にはついに属さぬ都市領域、そこは猫族が、昼は日南北向(ひなたぼっこう)し、夜は、その卓抜な視力によって、恋をし、情報を交換する場であった。都市の大路や小路を、敏捷に駆け抜け、独自のけもの路(引用者注:「けもの路」に傍点)を都会に作り上げた彼らの自在の姿は、軒先につながれた犬族が、人間に従って、人間の路を歩くしかなかったことに比べてみれば、より明瞭になるだろう。猫族は、あろうことか、人間の都市に重ねて、インヴィジブルの猫都市を構築していたのである。」

「西鶴の処女作『好色一代男』のヒーロー世之介十五歳の年(二の二)、京のさる後家と密通し、女は懐妊出産してしまう。処置に窮した世之介は夜、六角堂へ棄て児にゆく。文章は、事の経過のみを伝える。問題はさし絵である。置き炬燵に後家、(中略)世之介は子を抱き、下男は灯を掲げて先に立つ。手前には奉公人とおぼしい女が三人、紙障子に穴をあけて、覗き見している。構図の中心はしかし、置き炬燵の上に丸く眠る猫にある(引用者注:「ある」に傍点)。人生の深刻なドラマが今演じられつつある。召使女たちは紙に穴をあけてまでもみたい、挑発的なドラマといってよいだろう。これから赤児は夜風にさらされねばならない。しかもかわいがられている猫は今をぬくぬくと眠りつづけ、「紅旗征戎吾が事に非ず」という風情、これは強弁するわけではないが、そのままに都会居住者の独得の冷淡さであり、自閉性である。
 覗き見する女どもに比して、猫にははるかに強い自尊心が読み取れるともいえよう。この猫は、猫のうちなる都会性をみせている。さよう、大屋根をのびやかにはたしなやかに飛び歩く猫族が、外なる都市性をあらわすものならば、この炬燵の上の猫のニル・アドミラリは、内なる都市性といってよいだろう。」



「民謡、ことばと表現」より:

「賤民が、祝言の芸能を担当することは、たしかに一つのパラドックスであろう。芸能を持つということが、特殊性の証しであるという構造は記憶しておいてよいことである。さかのぼれば、賤視・敬視の彼岸としての霊性(デーモン)にまで到るだろう。」

「古代的童謡(わざうた)がいかに古代史を予告し、実現してきたか、『日本書紀』『古事記』等の諸書が、数多く記録し、報告している。はじめに歌謡あり、歴史の展開そのものである――とすれば、言語のデーモンは、歌謡の世界でこそ生きてきたのかも知れない。」



「粋と伊達の美学」より:

「原点としてのかぶきは、十六世紀を中軸とした流行語、動詞「傾(かぶ)く」の名詞形なのである。その発生はもっとさかのぼるが、社会現象的に顕在化したのはやはり天正以後であり、異常・異様な行為を指した。」
「ユンクによれば、「正常」という言葉の中にすでに平均値を価値として評価する発想が含有されている。」
「「人間が完全に健康であるのは、常軌を逸した反社会的生活をするばあいである」(「近代精神治療学の諸問題」)――もちろんユンクは相対的にいっているのだが――。
 正常・平均はしばしば伝統とつらなるだろう。異常・異様・革新・流動、それらが新しく価値的になるということは、正常・平均・伝統・固定が価値を失うということの裏返しであろう。」





こちらもご参照ください:

田中優子 『江戸の想像力』 (ちくま学芸文庫)
C・アウエハント 『鯰絵』 小松・中沢・飯島・古家 訳 (岩波文庫)
『夜想 10 特集: 怪物・畸型』
レスリー・フィードラー 『フリークス ― 秘められた自己の神話とイメージ』 伊藤俊治・旦敬介・大場正明 訳

































































板坂耀子/宗政五十緒 校注 『東路記 己巳紀行 西遊記』 (新 日本古典文学大系)

「琉球の海は貝をよく生ず。大にして厚し。天地の間に琉球を第一とす。別して大なるは水壱石弐斗までも入る貝あり。」
(橘南谿 「西遊記 巻之四」 より)


『東路記 
己巳紀行 
西遊記』
 
板坂耀子/宗政五十緒 校注 
新 日本古典文学大系 98 


岩波書店 
1991年4月19日 第1刷発行
ix 460p 索引17p
菊判 丸背クロス装上製本 貼函
定価3,600円(本体3,495円)

月報 25 (16p):
旅と長崎(吉田光邦)/竹村立義の紀行(鈴木棠三)/板本書誌学談義 第二十回(中野三敏)/〈コラム〉雄総の橋・おふさの市・虹(久保田淳)/次回配本の紹介 第六十九巻『初期俳諧集』(乾裕幸氏に聞く)/校注者紹介/編集室から



本書「凡例」より:

「底本には、『東路記』は貝原眞吉氏蔵本、『己巳紀行』は京都大学工学部建築学科蔵本、『西遊記』は龍谷大学図書館蔵本を用いた。」


地図3点、参考図版(板本『西遊記』挿絵)15点、「解説」中に図版(モノクロ)2点。


東路記 己巳紀行 西遊記


帯文:

「文人と歩く江戸の旅
近世紀行文学の代表作三編
清新な写実による優れた旅のガイドブック
 =貝原益軒の東路記・己巳紀行
新奇な各地の情報を満載したベストセラー
 =橘南谿の西遊記
〈第25回配本〉」



目次:

西遊記 章名目次
凡例

東路記
 東海道
 美濃路
 幡州高砂より室までの道里を記す
 江戸より美濃迄東山道の記
 江戸より日光へ行道の記
 日光より上州倉加野迄の路を記す
 美濃関が原より越前の敦賀へ行道
 越前敦賀より京への道
 安芸国厳嶋記事

己巳紀行
 丹波丹後若狭紀行
 南遊紀事
 嶋上紀行

西遊記
 (序)
 西遊記凡例
 巻之一
 巻之二
 巻之三
 巻之四
 巻之五
 巻之六
 巻之七
 巻之八
 巻之九
 巻之十

付録
 東路記・己巳紀行 引用紀行一覧
 板本『西遊記』挿絵一覧

解説
 貝原益軒『東路記』『己巳紀行』と江戸前期の紀行文学 (板坂耀子)
  貝原益軒略年譜
 橘南谿『西遊記』と江戸後期の紀行文学 (宗政五十緒)
  橘南谿略年譜

西遊記 県別章名一覧
地名索引




◆本書より◆


「己巳紀行 南遊紀事」より:

「是より岩船(注: 「現在、交野市私市の磐船神社。天野川の上流に位置し、高さ一二㍍の船形の巨岩を神体とする。」)へゆく 私市より卅余町有。 獅子窟寺を南に下りて天の川を上る事、三十町許(ばかり)、路(みち)なくして川中(かはなか)をゆけ共(ども)、砂川(すながは)なる故、其路(そのみち)辛労ならず。川を過(すぎ)て、左の方の山際の坂を少(すこし)行(ゆき)て、岩船にいたる。岩船ある所は両山の間、狭し。岩舟といふ大磐、方十間も有べし。谷によこたはり、其外、家のごとく、橋の如く、或(あるいは)横(よこた)はり、或側(そば)だてる大石多し。岩船石(いわふねいし)の南の面をけづり、住吉明神(すみよしみやうじん)の字を彫〈ホリ〉付て、麁〈アラ〉布の戸帳(とちやう)を掛(かけ)たり。其南の大石に不動(ふどう)を彫付(ほりつけ)たり。岩船石の下を、天川(あまのがは)、流(ながれ)通る。奇境也。凡、大石は何地(いづち)にも多けれ共、かくのごとくおびたゝしき石の一所(いつしよ)にあつまれる処をいまだ見ず。天川の源(みなもと)は生駒山(いこまやま)の北より出(いで)、田原と云広き谷を通(とほり)、岩船におち、私市村の南を経(へ)、牧方(ひらかた)の北へ出て淀川に入也。獅子窟山より天川を見おろせば、其川、東西に直(すぐ)に流れ、砂川にて水少く、其(その)川原、白く広し。恰(あたかも)、銀河(ぎんが)の如し。故に、天の川と名付(なづけ)たるならん。是よりさきは、只(ただ)、流の末(すゑ)ばかりをわたりて、其(その)水上(みなかみ)は名のみ聞て其(その)境(さかひ)にいたらざれば、古人(こじん)の名づけし意(こころ)をしらず。凡、諸国の川を見しに、かくのごとく沙白くして広く直〈スグ〉にして、あざやかによく見ゆるは未見之(いまだこれをみず)。天川と名付し事、宜(むべ)也。
 岩舟より七八町東にゆけば、頗(すこぶる)広き谷あり。其中に、天川流る。其里を、田原(たはら)(注: 「現在、四条畷市上田原、下田原。」)と云。川の東を東田原(ひがしたはら)と云、大和国也。川西(かはにし)を下田原(しもたはら)と云、河内国也。一澗〈ヒトタニ〉の中にて両国にわかれ、川を境とす。此谷、南より北にながれ、亦、西転(さいてん)して岩舟に出、天川となる。凡、田原と云所、此外(このほか)に多し。う治の南にも、奈良の東にもあり。皆、山間にある、かくれ里也。此田原も、岩船のせばき山澗(さんかん)を過(すぎ)て、其(その)おくの頗(すこぶる)広き谷也。恰(あたかも)、陶淵明(たうえんめい)が桃花源記(たうくわげんき)にかけるがごとし。是より和州(わしう)、歌姫(うたひめ)(注: 「現在、奈良市歌姫町。」)の方(かた)へ近しと云。此谷のおくに、牽牛織女(けんぎうしよくぢよ)の社(やしろ)有(あり)。星(ほし)の宮(みや)と云。星の森有。天川の上(かみ)なればなるべし。」



「西遊記 巻之一」より:

「榎〈ゑの〉木(き)ノ大蛇(だいじや)」
「肥後国求麻郡相良〈くまごほりさがら〉壱岐(いき)守殿御城下、五日町(いつかまち)といへる所に、知足軒〈ちそくけん〉といふ小庵あり。其(その)庵の裏はすなはち求麻(くま)川なり。其(その)川端に大(おほき)なる榎木あり。地より上三四間程の所二またに成りたるに、其(その)またの間うつろに成りゐて、其中に年久敷(ひさしき)大蛇すめり。時〃此(この)榎木のまたに出(いづ)るを、城下の人〃は多く見及べり。顔を見合(あは)すれば病む事ありて、此(この)木の下を通るものは頭をたれて通る、常の事なり。ふとさ弐三尺まはりにて、惣身色白く、長サは纔(わづか)に三尺余(あまり)なり。たとへば犬の足なきがごとく、又、芋虫によく似たりといふ。所の者、是を壱寸坊(いつすんぼう)蛇〈へび〉と云(いふ)。昔より人を害する事はなしと也。予も毎度其榎木(えのき)の下にいたりうかゞひ見しかど、折あしくてやついに見ざりき。」



「西遊記 巻之三」より:

「邪祟〈じやすい〉」
「深山幽谷〈ゆうこく〉僻遠〈へきえん〉の地には山精(さんせい)、木客〈もくかく〉、魑魅〈ちみ〉、魍魎〈もうりやう〉などいへる種〃の邪物有りて、人に付(つき)てわざわひをなす事多し。九州の地には水神によらるゝ者をゴシン持(もち)といふ。河太郎(かはたらう)などいふもの又よく害をなす。其(その)外、犬(いぬ)神〈がみ〉、蛇〈へび〉神(がみ)など在り、民の害をなす事なり。予が遊歴の時も折〃は種〃の奇異なる邪祟〈じやすい〉を見たり。
 肥後国求麻〈くま〉の城下、大橋の南詰(みなみづめ)に平川円蔵といへる町人有り。代〃家富(とみ)て材木など切出(いだ)し諸国に送りて家業とす。此(この)四五年前、求麻川の川上に深き淵ありて其(その)上に森あり、其(その)森の中、淵にさし出(いで)たる杉の大木殊に年ふりたるが壱本あり、此(この)木は神木なり、と所のものいひ伝へて敬〈うやま〉ひ居けるが、円蔵此(この)森の木を買ける時、宮居もなければ神木ともいふべからずとて、此(この)大杉をも切取(きりとり)けり。其(その)後程へて、円蔵女房何となく心地常ならず病(やみ)けるが、次第に物(もの)狂〈ぐる〉はしく狂人のごとくにして種〃の奇異なる事ども有(あり)ければ、狐や迷はしぬらんと、祈禱残る所なく、医療も術をつくせしかども、さらに其(その)しるしなく、後には段〃甚しくなり、仰〈あをのけ〉に臥〈ふし〉居て両手を組(くみ)て胸に置(おき)、足を踏(ふみ)のばし、うしろの方へしさり行(ゆく)に、矢を射〈い〉るがごとく壁〈かべ〉にても障子にても有る所まで足を踏付(ふみつけ)て止(とま)る。見る者、身の毛だつばかり也。其(その)外奇妙なるわざ数多し。其(その)後ふとみづから口ばしれるは、「我こそは求麻川の淵に年久敷住(としひさしくすめ)るものなり。杉の大木有(あり)て其(その)かげに安(やす)んじ居たりしが、円蔵が仕業にて我(わが)宿りの杉を切取(きりと)られ、今は住家(すみか)にある事あたわず。それゆへに此(この)家に来(きた)り住(すむ)なり。其(その)杉ももはや切(きり)くだかれ某(なにがし)の家の柱にせり、又、其(その)跡は何がしが天井板にせり、又、其残りは井筒にせり、多葉粉盆(たばこぼん)にせり」などこまかにいひのゝしれり。是(これ)を聞(きき)て円蔵も大(おほい)におどろき、其(その)杉のゆくゑ売先(うりさき)をそれぞれ吟味せしに、女房がいふに露たがわず。いそぎ代〈かは〉りの木をあたへて普請をなし、それぞれ乞ひ求めて其(その)杉を取(とり)あつめ、此(この)木を以て小(ちひさ)キ祠〈ほこら〉を造〈つく〉り、淵の上に建立して罪を謝しあわれみをねがひけり。それよりして女房少しは静(しづか)に成(なり)けれども、いまだ恨(うらみ)解(とけ)ざるにや本心にかへらず。予にも毎度診察〈しんさつ〉を乞〈こひ〉て本復の奇術や有(ある)べきとひたすらに頼(たのみ)つれど、年重なりて病(やみ)ぬる者なれば脈腹(みやくふく)ともに大(おほい)につかれて、薬治すべき体なければ辞し帰りぬ。医書には是等の類を邪祟といふ。」



「西遊記 巻之五」より:

「山童(やまわろ)」
「九州、極西南の深山に俗(ぞく)に山(やま)わろといふものあり。薩摩にても聞しに、彼(かの)国の山の寺といふ所にも山わろ多しとぞ。其形(そのかたち)大なる猿のごとくにして、常に人のごとく立(たち)て歩行〈あり〉く。毛の色甚(はなはだ)黒し。此(この)寺などには毎度来りて食物を盗みくらふ。然(しか)れども塩(しほ)ケ有ものを甚(はなはだ)嫌へり。杣人(そまびと)など山深く入りて木の大きなるを切出(きりいだ)す時に、峯を越へ谷をわたらざれば出(いだ)しがたくて、出しなやめる時には、此(この)山わろに握(にぎ)り飯(めし)をあたへて頼めば、いかなる大木といへども軽〃と引かたげて、よく谷峯をこし、杣人(そまびと)のたすけとなる。人と同じく大木を運ぶ時に、必ずうしろの方に立て人より先に立行(たちゆく)事を嫌ふ。飯をあたへて是をつかへば、日〃来り手伝ふ。先ヅつかい終りて後に飯をあたふ。はじめに少しにても飯をあたふれば、飯を食し終りて迯(にげ)去る。常には人の害をなす事なし。もし此方より是を打ち、或ひは殺さんとおもへば、不思議に祟〈たゝ〉りをなし、其人発狂し、或ひは大病に染み、或は其家俄に火もへ出など、種〃の災害(さいがい)起りて、祈禱(きたう)医薬も及(およぶ)事なし。此ゆへに人みな大(おほい)におそれうやまひて、手ざす事なし。
 此もの只(ただ)九州の辺境にのみ有りて、他国に有る事を聞(きか)ず。冬より春多く出(いづ)るといふ。冬は山にありて山操(わろ)といひ、夏は川に住みて川太郎(かはたらう)といふと、或人の語りき。然れば川太郎と同物にして、所によりて名の替れるものか。」

「五ケ村(ごかむら)」
「寿永年中、平家の人〃京都を落、須磨〈すま〉の屋形をも義経に破られ、又、讃岐の八嶋の軍(いくさ)に打負(うちまけ)、つゐに長門国赤間が関の海中に一門残らず入水〈じゆすい〉と披露して、其実(じつ)は肥後国の極山中に深く隠れ給ひぬ。世はみな源氏に帰して、平家の人〃は永く山中の土と朽果(くちはて)給ひぬ。其(その)隠れ給ひし所、今の五ケ村なり。南北凡(およそ)弐十里ばかり、東西は壱弐里より三四里ばかりもある大なる谷あり。東は豊後(ぶんご)、北は阿蘇〈あそ〉、南は求麻(くま)、西は熊本〈くまもと〉なり。何方より入るにも皆弐十里余あり。其嶮岨(けんそ)、中〃いひつくすべきにあらず。人のたやすく通ふべき道とてはさらになし。それゆへに、平家の子孫、年〃に数増して数千、万人に及び、年月は既に数百年が間、一向、人間の通路絶果(たえはて)居たりしが、足利氏の末にや、太閤の初にや当りけん、川上より椀の流れ来れるを、ふと見付けて、此(この)山奥に人住(すみ)けりと知りて、漸〃(やうやう)に尋ね入りて、はじめて此五ケ村の人、此世に通ぜり。彼方の人の世間へ出(いで)そめて、人交(まじは)りをせしは、御当代のはじめの頃とかや。」
「此地、別に君といふ者もなく、年貢を納(をさむ)るといふ事もなく、皆穀物〈こくもつ〉をば其地広きにより手柄次第に作り取(とり)なり。又、賦役〈ぶやく〉といふ事もなし。それゆへ、民すなほに、衣食余り有りて、争ひ怒る事もなく、上古の世に似たり。又、平家伝来の宝物甚(はなはだ)多し。楽器、剣の類は世に珍らしき物有(あり)といふ。他の人は一向に入る事をゆるさず。又、たとひ入ても宿るべき所もなく、難義に及べりと也。」
「予も此物語りをつくづく聞(きき)て、兼てよりも其地には至り見んとおもひし事なれば、神馳〈しんは〉せ、たましい飛(とぶ)心地せり。されど、しかと道といふもなく、殊に色〃の絶嶮(ぜつけん)の所ありて、彼(かの)所の人に同道せざれば、熊本の者だに至る事あたわずといふにぞ、力及ばずしてやみぬ。げに唐土のむかし、秦の始皇帝の虐政〈ぎやくせい〉を避〈さけ〉て桃花源〈とうくはげん〉に隠れ住(すみ)て、其子孫繁茂して、数百千年の後はじめて人間に通ぜしに異ならず。日本せましといへども、又、人跡(じんせき)通はざる地も辺土には多かりぬ。」



「西遊記 巻之九」より:

「奇器〈きき〉」
「細工の微妙〈みめう〉なる事は世界の中、阿蘭陀(おらんだ)に勝(まさ)る国なし。
 二三十年以前、ヱレキテイルといふ器物を日本に渡す。是(これ)人の身より火をとる道具なりといふ。大サ三尺斗(ばかり)の箱の中に車を仕かけ、其(その)箱の中より鉄のクサリを出(いだ)し、長サ弐三間引(ひき)て、きよくろくの手に繋〈つな〉ぎ、人を其(その)曲録(きよくろく)に乗らせ置(おき)、箱の車をめぐらす時は、其(その)気クサリを伝ひて曲録に至り、其(その)人に応ず。紙を細(こまか)に切(きり)て其(その)人の手に近付(ちかづく)れば、其(その)紙おのれと動きとぶ。又、外の人の手を此(この)人の手に近付(ちかづく)れば、油の爆〈はじ〉るがごとく音有(あり)て、火出(いづ)る心地す。其(その)奇妙なる事、まのあたり見るにあらざれば信ずる者なし。
 又、虫目鏡の至(いたつ)て細密なるは、纔(わづか)に一滴の水を針の先に付(つけ)て見るに、清浄水の中に種〃異(ことな)る異形〈いぎやう〉の虫有(あり)て、いまだ世界に見ざる所の生類遊行したり。又、潮を見れば、六角なるもの聚〈あつま〉りたる也。油は丸きものゝあつまりたる也。水は三角なるものゝ聚(あつま)りたる也。其(その)外、酒、酢などには種〃の虫おびたゝしく有(あり)て、一たび是(これ)を見る時は、酒、酢、水ともに、いづれも飲がたき程に思ふとなり。誠に華厳経〈けげんけう〉の中にかや仏の水を漉〈こし〉て飲(のむ)べしと仰出(おほせいだ)されしかど、天眼にて見る時は、いか程漉すといへども限りなきゆへに、只、俗眼の及ぶ斗(ばかり)をこし去りて飲(のめ)よと見へたり。此(この)虫目鏡は仏の天眼にもかつべし。又、一滴の清水に種〃の生類あるべしとは、誰人も信ぜざる事なれども、現在見れば余儀なし。かゝる上は又、此目鏡の及ばざる細工の所に世界をなして住(すむ)者有(あり)やしるべからず。されば細微なる事にはいかばかりといふ限りもあらず。此(この)理を押(おせ)ば、又、大なる事にも限り有(ある)べからず。此(この)、人の住(すめ)る一天地、一滴の水のごとくにて、かゝる天地幾万億重なり居て、又其(その)外より虫目鏡を以て見る者有(ある)べからずともいひがたし。されば此(この)肉眼の及ばざる所を論ずる時は、又、此(この)肉身の智恵のはかり知る所にあらざるべし。然るに蛮人〈ばんじん〉道具を作り出(いだ)して、天より此(この)身に受得(うけえ)たる分量の外に至る。誠に奇妙といふべし。」





こちらもご参照ください:

鈴木牧之 『秋山記行・夜職草』 宮栄二 校注 (東洋文庫)
『日本随筆大成 〈第一期〉 15』 北辺随筆 燕居雑話 骨董集
榊原悟 『江戸の絵を愉しむ』 (岩波新書)





























上田秋成 『胆大小心録』 重友毅 校訂 (岩波文庫)

「翁五歳の時、痘瘡の毒つよくして、右の中指短かき事第五指の如し。又左の第二指も短折にて用に足はざれば、筆とりては右の中指なきに同じく、筆力なき事患ふべし。」
(上田秋成 『胆大小心録』 より)


上田秋成  
『胆大小心録』 
重友毅 校訂
 
岩波文庫 黄/30-220-2 


岩波書店 
1938年10月15日 第1刷発行
1989年3月17日 第3刷発行
122p 
文庫判 並装 
定価250円



本書「はしがき」より:

「膽大小心録の傳本は、今日知られてゐる限りに於て、三種を數へることが出來る。そのうち分量の最も多く且最も廣く知られてゐるのは、大阪鹿田松雲堂藏の傳寫本で、上中下三卷から成り、夙く藤岡作太郎氏によつて世に紹介せられた。(中略)本書の校訂用底本として選んだのは右の傳寫本であるが、これは羽倉信光の淸書を、茸窓・松園と寫し傳へたものの某家に藏せられてゐたのを、更に松雲堂主人が書寫せしめたもので、原本そのものが既に奔放な筆致で、かなり讀み難いものであつたらしいのに、更に烏焉馬の誤を重ねたであらうことが想像されるのであるが、しかし今日これ以上原本に近いものが見出されないとすれば、その本文は出來得る限り尊重せられなければならない。しかも明治以後これの印刷に附せられたものは、いづれもその上に多少の誤を重ねてゐる。本書は努めてその誤なきを期し、俗字・略字はこれを正しきに改めたと、一部内容の穩當を缺くと認めた部分に、その字數を記して省略を施した外は、一切本文のまゝとし、能ふ限りこれが忠實なる移植を念とした。
 たゞ本文庫の性質上、一般讀者の便宜を慮つて、各段に假に番號を附し、本文には新に句讀點・濁點・分畫點・返點を施し、誤字はその左傍に註記し、また脱字と思はれるものは假に括弧〔 〕を施してこれを補つて置いた。」



旧字・旧かな。


上田秋成 胆大小心録


帯文:

「近世文学の鬼才 上田秋成の晩年の随筆。不遇孤独の境涯にあってなおその信条を曲げることのなかった秋成の真情が端的に顕れている。」


内容:

はしがき (校訂者)

上卷
中卷
下卷




◆本書より◆


上巻より:

「儒者と云人も、又一僻(癖ヵ)になりて、妖怪はなき事なりとて、翁が幽靈物語したを、終りて後に恥かしめられし也。狐つきも、癇症のさまざまに問答して、おれはどこの狐じやといふのじや。人につくことがあらふ物かといはれたり。是は道になづみて、心得たがひなり。狐も狸も人に附事、見る見る多し。又きつねでも何でも、人にまさるは汝(彼ヵ)等が天稟也。扨善惡邪正なきが性也。我によきは守り、我にあしきは崇(祟ヵ)る也。根(狼ヵ)さえよく報ぜし事、日本紀に、欽明の卷の始にしるされたり。神といふも、同じやうに思はるゝ也。よく信ずる者には幸をあたへ、怠ればたゝる所を思へ。佛と聖人は同じからず。人體なれば、人情あつて、あしき者も罪は問ざる也。此事神代語りにいひたれば、又いはず。」

「翁の京にすみつく時、軒向ひの村瀨嘉右衞門と云儒者の、京は不義國じやぞ。かくごしてといはれた。十六年すんで、又一語をくわへて、不義國の貧(ヒン)國じやと思ふ。二百年の治世の始に、富豪の家がたんとあつたれど、皆大坂江戸へ金をすいとられたが、それでも家格を云てしやちこばる事よ。貧と薄情の外にはなるべきやうなし。山河花卉鳥蟲の外は、あきやじやと思ふてすんで居。」

「河内の國の山中に一村あり。樵者あり。母一人、男子二人、女子一人、共に親につかへて孝養たる。一日村中の古き林の木をきり來たる。翌日兄狂を發して、母を斧にて打殺す。弟是を快しとして、段〃刄す。女子も又俎板をさゝげ、庖刄をもて細に割む。血一雫も見ず。大坂の牢獄につながれて、一二年をへて死す。公朝其罪なきをあわれんで刑名なし。」



中巻より:

「翁五歳の時、痘瘡の毒つよくして、右の中指短かき事第五指の如し。又左の第二指も短折にて用に足はざれば、筆とりては右の中指なきに同じく、筆力なき事患ふべし。書かく人の云、そなたは必書を習ふべからず。かたちよく似たりとも、骨法は得べからずと。此言につきて、廿三四より姓名を記すに足ねども、商戸なれば、たゞ帳面にむかひて日記の用だにつとむればとて書に心なし。故に惡書なる事は、人の見る所なり。ちか頃目くらく、老にいたりて、たゞ字とも何とも思はずして、心にまかせて筆を奔らすを、ある人見て、よめがたしと傍より云。なんぞ問事の遲きと古人も云しとわらへば、又ある時、善書の人が、翁の書はちか頃妙なる所をかゝれたるぞ。佛祖たちなどの豪放にまかせられしに似たりといふ。こたふ、佛祖は必書に豪放なるやしらず。我たゞ鳥の跡にならふと云し。大にわらひて去ぬ。」

「翁が惡筆をさへ譌(僞ヵ)して商ふと聞。是老が名利はあらねど、面目の事也。其人にあひて一禮云たし。」

「六月の大祓に、しら人・こくみとは、今も邊土の氏子が、たんと生れてはとて、うみの子の面に紙布をはりてしろくするを、しろくしてしまやつたかととむらふ也とぞ。こくみは子をくびりころす也。かゝる治世にも、まだいきとゞかぬ事があるは。」



下巻より:

「放下の語るをきけば、そちの母はいくつじや。八十三とか。大事にしや。萬人一とりないものじや。金銀では得られぬぞ。其かわりに、賣と云ても、三文にも買てはないといふた。是は奇語也。」




こちらもご参照ください:

石川淳 訳 『癇癖談』 (ちくま文庫)
川村湊 『言霊と他界』
宮負定雄 『奇談雑史』 (ちくま学芸文庫)
平田篤胤 『仙境異聞・勝五郎再生記聞』 子安宣邦 校注 (岩波文庫)
































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ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
 
うまれたときからひとでなし
なぜならわたしはねこだから
 
◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

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難破した人々の為に。

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将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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