『菅江真澄随筆集』 内田武志 編 (東洋文庫)

『菅江真澄随筆集』 
内田武志 編 

東洋文庫 143

平凡社
昭和44年7月10日 初版第1刷発行
昭和52年2月20日 初版第2刷発行
268p 凡例・目次3p
新書判 角背クロス装上製本 機械函
定価1,000円
装幀: 原弘



本書「凡例」より:

「本書は菅江真澄の随筆原文の抄録である。」


二段組。本文正字・正かな、「凡例」「解説」「あとがき」は新字・新かな。
図版(モノクロ)多数。


菅江真澄随筆集


目次:

凡例

水の面影
筆のまにまに
しののはぐさ
久保田の落穗
かたゐ袋
ひろめの具
發掘の家居
新古祝甕品類之圖

解説 (内田武志)
あとがき (同)




◆本書より◆


「筆のまにまに」より:

「母禮火
 八龍湖(コトノウミ)《近江の琵琶湖にならひて琴の湖といふ。水の姿もやや琴のさませり。又あふみの鮒を源五郎、秋田鮒を八郎といふ》に、七月十五日、十六日のころ、筑紫八代のしらぬ火の如に湖上にあり。更てはいよよ多し。浦人母利毘(モリビ)とも母禮毘(モレビ)ともいふ。亡靈火(モレビ)てふことをしかいへり。又雨の夜、湖(カタ)の邊(ホトリ)を行ヶば簑に燐火(ヒ)附くことあり。そのとき簑をうちふるへば、いよよ火の多くなりぬ。土を蹴(ケ)ても火となることあり。是をみのむしとも見なれぬ人はいといと恐れうち叫び、ねふちなど唱へ走(ハセ)て村に入れば火もけち行といへり。燐火(オニヒ)は生火(ツネノヒ)をあはすれば消るとものしなむ。越後の彌彦山の邊リに、このみのむしいと多しといへり。『倭訓栞』「のび云々、燐火をいふも義同し。北海のたこ火、湖水のしる火、東寺繩手の宗元火、伊勢阿濃の五體火など是也。惡路王の火といふも同じ。蒼鷺(アヲサキ)、朱鷺(トキ)などの羽の光も火の如く見ゆめり。こは樹上にあり」云々と見えたり。河内の姨が火、越中のふみり火、三河の魂魄野などみなおなし。おのれ、八郎湖(カタ)より火の飛揚り、また水にくだりて、いくたびとなくして水上に消えたるを見し。又松前の馬坂の北谷へ、くゑまりの大なる火の落たるを見たり。世に狐火といふものもいとあやし。近くし見れば耳の見ゆる事あり。出羽ノ雄勝郡松岡(マツヲカ)の狐火は五月四日の夜、松岡ノ白山社の齋宮に在り、更ていと多し。同國秋田ノ郡北比内大館に近き辛澤の狐火は九月廿九日の夜也。此夜、辛澤の稻荷の御位つき夜也といへり。いつこにもいつこにもありけるもの也。『江戸砂子温故名物誌』云、王子ノ稻荷社ハ金輪寺の二三町わき、金輪寺村にあり、當社は關八州の稻荷の統領なりと云ひ傳ふ。毎年十二月晦日の夜、八ヶ國の狐、此處に集まり狐火をともす、此火にしたかひて田畑のよしあしを所の民ともうらなふことありといふ。「狐火にわうじ田畑のよしあしをしらんと、ここにこんりんじかなとしことに刻限おなしからず、一時ほどのうちなり、宵にあり、あかつきにありなどして遠方より拜みに行くもの、むなしくて歸るもの多し、一夜とどまるこころなればたしかに拜ス」と見へたり。此狐火を秋田にて、きつね明松といふところあり。」

「遊巨斯理(オコシリ)の鼠
 澳志梨(おこしり)は松前の西、江指(エサシ)ノ浦の南洋(オキ)に在る大嶋也。志里は嶋てふ蝦夷語(コトバ)なり。游古(おこ)も夷言にや。また沖(オキ)を訛り云へるにや。此 澳〓(漢字: 山+奥)(オコシリ)に鼠のいと多く蛇もいと多し。蛇のいといと多かるとしは鼠をひしひしと捕り盡しぬれど、また鼠の多かるとしは蛇また鼠に喰はれぬ。そは蛇一ッに鼠七八とりすがれば、あまた群れ來て喰ひぬといふ。まして穴籠りのとき蛇みな鼠の餌(エ)となれりといへり。天明・寛政のころならむか。蝦夷洲(エゾノコタム)に鼠の大に群れて小童(ヘカチ)なンどは鼠に噛れ死(ライスルモノ)多かりしといへり。捕鼠(エリモコエキ)とて是を狩れどもつきず、なほいやまさりて、寢ればあし手耳はななンどを噛(カメ)ば、通夜い(ヨモスガラ)もやすからざりしが、冬の初めごろひとつとなくいづこにかうせしといふ。また海の色だちて鰯(いわし)にや、なににまれ大漁ならむと、ここらの舟をのり出て南部の浦々、松前のうらうら網引(アビキ)したるにみな鼠なりけり。網をぬへば某百萬(イクバク)ならむか、濱に引上ゲて山なす鼠の海に入り、山にも入りてなごりなう逃げうせたり。あやしき事也。海鼠(ウミネヅミ)なンど云ふものにやとかたり傳ふ。ある人ノ云、鼠は海に入りて海參(ナマコ)と化(な)る也。そはまだ作(なら)ざりし鼠也。海鼠と書キてなまことよむも、よしある事ならむといへり。『古今著聞集』魚蟲禽獸の件(クダリ)に、「安貞《後堀川院の御代なり》の頃、伊與(いよ)ノ國矢野保(ヤノホ)のうちに黑嶋と云ふしまあり。人里(ひとざと)より一里はなれたる所也。かしこにかつらはざまの大工といふあみ人あり。魚をひかむとてうかがひありきけるに、魚有る處よりひかりて見ゆるに、かの島のほとりの磯ことに夥(おびただ)しくひかりければ、悦(よろこび)て網をおろし引たりけるにつやつやとなくて、そこばくの鼠を引あげて侍りけり。その鼠引上られてみなちりちりに逃うせけり。大工あきれてありける。ふしぎの事也。すべてかの島には鼠みちみちて、畠のものなどおもみなくひうしなひて當時までもえつくり傳らぬとかや。くがにこそあらめ海そこまで鼠の侍らん事まことにふしぎにこそ侍れ」と見えたり。いにしへも鼠の網曳(アビキ)ありし事也。又澳嶋(オコジリ)の鼠は畑こそあらね、此島に大蕗(オホフキ)の多かれば、此蕗の根を掘りてはみ、こと草をもむれはみ、また海底の小鮑(トコブシ)、また大鰒もかつぎ上ゲてくひぬといへり。伊豫國の黑嶋におなじものがたり也。」


















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平田篤胤 『仙境異聞・勝五郎再生記聞』 子安宣邦 校注 (岩波文庫)

「我が師を始め山人となり天狗と成れる人々は、何か因縁ありて成れる物なるべく、我とても小児(こども)にてありし時よりの事を思ひつづけ、また願ひもせずして彼の境に伴はれたるなどを思へば、何か定まれる因縁ありげに思はれ、我が身で我が身の事すら知られず、(中略)かく成れるも善き事か悪しき事か分からぬから、身の毛の立つやうに恐ろしく思ふ事もあり、夢のやうにも有るが、とてもかく成れる上は天道様の御さしづ次第、また師匠の心次第と打ち任せて居るなり。」
(平田篤胤 「仙境異聞」 より)


平田篤胤 
『仙境異聞 
勝五郎再生記聞』 
子安宣邦 校注

岩波文庫 青/33-046-3 

岩波書店 
2000年1月14日 第1刷発行
432p
文庫判 並装 カバー
定価800円+税



本書「解説」より:

「本文庫は『平田篤胤全集』第八巻(内外書籍、昭和八年刊)所収のものを底本とした。全集は両者とも平田家蔵本を収めている。」


本文中図版多数。


平田篤胤 仙界異聞 01


カバー文:

「文政三年、浅草観音堂の前にふいに現れた少年寅吉。幼い頃山人(天狗)に連れ去られ、そのもとで生活・修行していたという。この「異界からの帰還者」に江戸の町は沸いた。知識人らの質問に応えて寅吉のもたらす異界情報を記録した本書は、江戸後期社会の多層的な異界関心の集大成である。生れ変り体験の記録『勝五郎再生記聞』を併収。」


目次:

仙境異聞
 仙境異聞(上)
  一之巻
  二之巻
  三之巻
 仙境異聞(下) 仙童寅吉物語
  一之巻
  二之巻
 注

勝五郎再生記聞

解説 『仙境異聞』――江戸社会と異界の乗法 (子安宣邦)



平田篤胤 仙界異聞 02



◆本書より◆


「仙境異聞上 一」より:

「文政三年十月朔日夕七ツ時なりけるが、屋代輪池翁の来まして、山崎美成(やまざきよししげ)が許(もと)に、いはゆる天狗に誘はれて年久しく、其の使者と成りたりし童子の来たり居て、彼(か)の境にて見聞きたる事どもを語れる由を聞くに、子のかねて考へ記せる説等(ことども)と、よく符合する事多かり、吾いま美成がり往(ゆ)きて、其の童子を見むとするなり、いかで同伴し給はぬかと言はるゝに、余はも常にさる者にただに相ひ見て、糺(ただ)さばやと思ふ事ども種々きゝ持ちたれば、甚(いと)嬉しくて、折ふし伴信友(ばんのぶとも)が来合ひたれど、今帰り来むと云ひて、美成が許へと伴はれ出づ。」
「さて途中にて屋代翁に言ひけらくは、神誘ひに成りたる者は、其の言おぼろおぼろとして慥(たし)かならず、殊に彼の境の事をば、秘(かく)しつゝしみて顕(あらわ)に云はざる物なるが、其の童子はいかに侍ると云へば、翁云はく、大抵世に聞こゆる神誘ひの者は然(さ)有れど、彼の童子は蘊(つつ)まず談(かた)る由にて、(中略)よく問(たず)ねて忘れず筆記せられよ、と返(かえ)す返す言はるゝに、余諾(うべな)ひてまた心に思へるは、現世の趣も昔は甚(いた)く秘したる書も事も、今は世に顕はれたるが多く、知り難かりし神世の道の隅々も、いや次々に明らかになり、外国々(とっくにぐに)の事物、くさぐさの器どもゝ、年を追ひて世に知らるゝ事と成りぬるを思ふに、此は皆神の御心にして、彼の境の事までも聞き知らるべき、所謂機運のめぐり来つるにやなど思ひ続けつゝ、間もなく美成が許になむ至りぬる。
時宜(よ)くあるじ居相ひて、彼の童子を呼び出だし、翁と余とに相ひ見せしむ。然るに彼の童子はも、二人の面をつくづく打守りて、辞儀せむとも為(せ)ざりしを、美成かたはらに居て、辞儀せよと云へば、甚(いと)ふつゝかに辞儀を為(し)たり。憎気なき尋常の童子なるが、歳は十五歳なりと云へども、十三歳ばかりに見え、眼は人相家に下三白と称(い)ふ眼にて、凡より大きく、謂(いわ)ゆる眼光人を射るといふ如く、光ありて面貌すべて異相なり。(中略)江戸下谷七軒町なる、越中屋与惣次郎といひし者の二男にて、名を寅吉といふ。」

「偖(さて)まづ神誘ひに逢ひたる始めを尋ぬるに、文化九年の七歳に成りけるとき、池ノ端茅町なる境稲荷(いなり)社の前に、貞意といふ売卜者ありしが、其の家の前に出でて日々売卜するを立寄りて見聞くに、乾の卦出でたり坤の卦出でたりなどいふを、此は卜筮といふ物は、くさぐさ獣の毛を集め置きて擬(うらな)ふ法ありて、其の毛を探り出だし、熊の毛を探り得れば、いかにとか、鹿の毛を探り出づればいかにとか、其の探り出でたる毛により判断する事なるべく思ひて、頻(しき)りに習はまほしく覚えしかば、或日卜者の傍らに人なき時を窺ひ、いかで我に卜筮のわざを教へて給はれと請ひしかば、卜者我を幼き者と思ひて、戯言(ざれごと)したるか、此は容易に教へがたき態(わざ)なれば、七日がほど掌中に油をたゝへ、火を灯す行を勤めて後に来たるべし、教へむと云ふ故に、実(げ)にも容易には伝ふまじく思ひて家に帰り、父母も誰も見ざる間を忍びて、二階に上りなどして密(ひそ)かに手灯(てあか)りの行を始めけるに、熱さ堪へがたかりしかど、強ひて勤め七日にみちて、卜者の許(もと)に到り、手の此(か)く焼け爛(ただ)るゝばかり、七日が間手灯りの行を勤めたれば、教へて給はれと云ふに、卜者ただ笑ひのみして教へざりし故に、いと口惜しくは思ひしかど、詮方なく、倍々(ますます)此のわざの知りたくて、日を送りけるに、其の年の四月ころ、東叡山の山下に遊びて、黒門前なる五条天神のあたりを見て在りけるに、歳のころ五十ばかりと見ゆる、髭長く総髪をくるくろと櫛まきの如く結びたる老翁の旅装束したるが、口のわたり四寸ばかりも有らむと思ふ小壺より、丸薬をとり出だして売りけるが、取並べたる物ども、小つづら敷物まで、悉くかの小壺に納(い)るゝに、何の事もなく納まりたり。斯(か)くてみづからも其の中に入らむとす。何として此の中に入らるべきと見居たるに、片足を蹈み入れたりと見ゆるに皆入りて、其の壺大空に飛揚りて、何処(いずこ)に行きしとも知れず。寅吉いと奇(あや)しく思ひしかば、其の後また彼処(かしこ)に行きて、夕暮まで見居たるに、前にかはる事なし。其の後にも亦行きて見るに、彼の翁言をかけて、其方(そち)もこの壺に入れ、面白き事ども見せむと云ふにぞ、いと気味わるく思ひて辞(ことわ)りければ、彼の翁かたはらの者の売る作菓子(つくりがし)など買ひ与へて、汝は卜筮の事を知りたく思ふを、それ知りたくば此の壺に入りて吾と共に行くべし、教へむと勧むるに、寅吉常に卜筮を知りたき念あれば行きて見ばやと思ふ心出で来て、其の中に入りたる様に思ふと、日もいまだ暮れざるに、とある山の頂に至りぬ。」
「又或時の事なるが、七軒町の辺を謂(いわ)ゆる、わいわい天王とて、鼻高く赤き面をかぶり袴を着し太刀をさし、赤き紙に天王と云ふ二字を搨(す)りたる小札をまき散らして子共を集め、天王様は囃(はや)すがおすき、囃せや子ども、わいわいと囃せ、天王様は喧嘩がきらひ、喧嘩をするな間(なか)よく遊べ、と囃しつゝ行くを我も面白く、大勢の中に交りて共に囃して遠く家を離るゝ事も知らず、今思へば本郷のさきなる妙義坂といふ辺まで至りけるに、日は既に暮れたれば、子共はみな帰りたるに、札を蒔きし人、路の傍らによりて面を取りたるを見れば、いつも我を伴ふ翁にぞ有りける。」

「十一日の朝早く屋代翁がり、夕方に美成が童子を伴ひ来るよし消息す。(中略)申の刻過ぎれど美成来たらねば、皆待ちあぐみけるに、屋代翁消息したゝめ、使ひを遣はさむとしける時に、童子を伴ひて美成来たりぬ。此れぞ寅吉が我が許へ来つる始めなりける。
偖(さて)童子にかねて約しつる岩笛を見せけるに、自然の状にて音の高く入るが、甚(いた)く心の応(かな)ひて悦ぶ事限りなく、吹き入るゝ音もよく入りて、止まる期(とき)なくぞ吹き鳴らしける。」
「翌十二日に岩崎吉彦を使ひにて、昨日の夜の謝を言はしめ、(中略)更にまた笛製(つく)らむ料の竹を求めて待ち居(お)らむ、近き程に童子を貸し給へと云ひ遣りけるに、間もなく童子を伴ひて走り帰りぬ。いかにと問へば吉彦云はく、大人(うし)の宣はせる如く申して侍れば、美成が母出でて、寅吉は流行子(はやりこ)にていと鬧(さわ)がしく今日も早く美成と伴ひて他へ行きたりと云ふ間に、童子は我が笛作る竹を求むといふ声を聞きて奥の間より走り出でて、笛の竹買はむとならば、我も共に行かむと云ひて、外にかけ出でたるに、美成が母は甚(いと)心苦しく思へる状(さま)に見えつれど、又しも他へ出でたりと云へるが憎さに、いざやとて伴ひ侍りと笑ひつゝ云ふに、予もをかしく、常には汝が遠慮なきを叱りたれど、今日のみは遠慮の無きが用に立ちけりと云ひて笑ひぬ。然るに童子は辞儀もせず、来るとやがて神前なる岩笛を吹き鳴らし、かばかり自然の面白き物はなしと悦びて、また止むる期(とき)なく、人の言(ことば)の耳にも入らぬ状なるを、菓子など与へ、予も共に種々の戯れ遊びなどして見合せつゝ、岩笛の成れる始めの考へ、石剣の事、矢の根石のこと、石を造る力、また石をつぐ法、月に穴ありと云へること、星を気の凝(こ)れる物と云へる事、空行の委しき事ども、人魂の行方、鳥獣の成り行きなどの事を問ひたりき。」
「然るに予が家のまた隣にて、所謂はごと云ふ猟事して、数丈なる高木の枝に鳥黐(とりもち)をつけ、媒鳥(おとり)を出だして日々に鳥を捕るを、予が妻の母なる人の、常に無益の殺生と厭(いと)ひて在りけるに、をりしも鵯(ひよどり)のかゝりければ、居合ひたる者ども立ち見て、また鳥のかゝりつると云ふを、童子聞きて今の間に其の鳥を放ち飛ばして見せ参らせむ、茶椀に水を賜はれと云ふに、与へつれば、我が書斎の椽側に立ち居て、太刀かきの真似などし、口に何やらむ唱へつゝ、茶椀なる水を指先にてはじき注ぎ、吹飛ばす状をなす。爰に己れも対馬も立ちて見るに、体も羽も多く指したる枝にひしとつきて、少しも動かず。殊に我が書斎よりかのはごの所までは三十間余りも有れば、心中に、いかに神童なりとも、彼の所までは咒(まじな)ひとどくべしとも覚えず。放ち得ざらむには、恥見する事ぞと、此を放つ事能はじと思ひて、彼の鳥を飛ばしてば、捕人の本意なく思ふべし、止めよと云へど、童子はひたすら咒ふを、人々に目合せして、傍らより然しも促さしめず、対馬と予とは、わざと知らぬ状にて在りけるに、立ちて見居たる者どもの、すわや鳥の片羽の放れたりと云ふに、予も対馬も立ちて見れば、右の羽がひ誠に放れて、見るが間に左の羽がひも体も放れて下りたるが、また中なる小枝の多く指したるはごにつきたり。甚(いと)惜しき事と見るに、童子は猶も咒へば、また下なる枝に落ち止まり、羽づくろひして飛び去りぬ。其の落ちたる状を見るに、黐は蛛の糸の如く引きたりき。然れば咒ひにて力なくうすく成れりと思はる。人々甚(いた)く感ずるに、童子は更に珍しとも思はぬ状にて、いざ竹買ひに行かむと云ふ。」

「然れどわやくに徒(いたずら)なること誠に類ひなし。そは己れ思ふ旨ありて少しも逆らはず、気儘に捨ておけば膝(ひざ)にもたれ、肩に取付きて学事を妨ぐる事は更にも云はず、机前に居ては机のふちを噛み砕き、錐もて穴をもみ、筆をとりて鋒(さき)をもみ、小刀とりて硯屏(けんぺい)におく。雲根石、孔雀石など打ちかき、筆墨をけづり、すり墨をこぼし、灰を吹きたて、傍らにあるほどのもの悉く瑕(きず)をつけ、庭に出でて枝を作れる木草を折り、庭中をば、いつも素足にてあるき、高みへ上りて下には何物あるをもかまはず飛び下りて打ちこはし、また竹馬に乗りて泥に落ちたるを洗はず、席上を泥まみれとなし、張り調へて程もなき障子ふすまを引破り、小児のもて遊ぶ竹もて作れる紙鉄炮といふ物を自ら甚(いと)強く作り、小石を拾ひ入れてふすまを打ち破り、天井板をさへにうち抜くを、其はあぶなしと制すれば畏(かしこ)まりはすれど、直に忘れては人にもうちあて、既に健雄が物書き居たる傍らより、其の耳に小石を打入れ、大きに悩ませたる事さへ有りけり。細工ずきなる故に、彼(かれ)を作る此(これ)を作るとては、鉋(かんな)鋸(のこぎり)などの類ひを再び用立たざる如く害なひ、台所むきの諸道具まで損なひ捨てたる物いと多く、家ぬちの者どもゝ稍(やや)あぐみて見ゆれど、己が愛しむ者なれば、何事も忍び居る状(さま)なり。帯も得結ばず、くるくると回して端を挟みをる故に、誰にまれ朝ごとに帯を結び遣はすを、結び果てざるに駈出すは常の事なり。またいつも寝所より帯も結ばず、かけ出ては直に誰にても取付きて角力を取らむとて、抓(つか)み掛かる。然るにわざと負けては悦ばざる故に幾度となく投付ければ、己れが負けたるかぎりは果てしなく取らむといふ。遇(たま)にも勝つときは悦ぶ事限りなし。始めて逢ひたる人をばいつも暫く其の面をうち守りてあるが、意にかなへるは、始めて逢ひたる人へも、其の肩馬に乗りなどす。世に甚(いた)くわやくなる子をば天狗の巣立ちの如しと云ふ諺のあるは、かゝる状よりは云ひ始めけむ。」

「廿七日に伴信友来たりて、夜に入るまで予と共に種々の事を探(たず)ぬる。(中略)此の日山にて、師の夜学するに用ひらるゝ器の事に及びぬ。そは山に月夜木とて、十五六町ばかり放ち見るに、光る木あり。其を細かにして硝子をかゝる形に吹きたる中に入れて、机上に置くに、夜光の玉といふ如く光る物なりといふ物語を為出して、今その器を作らむといふにぞ、然る木は現世にいまだ見たる事なし、夏になりて光木の出づるを待ちて製せよと云へど、何事にても云ひ出しては其の事のみを打ち置かず物せむとする性急ゆゑに、今はなき物と得心しつゝも、山にては夏に限らず何時にても有り、然れば此の世にも尋ねてなき事は非じとて、来る人ごとに尋ぬるにいと煩(うるさ)くぞ覚えける。さて此の事に就きて可笑しき事ありき。然るは其の十日ばかりほどは、余りに光木を欲しける故に、稲雄が戯れて、わぬしは光木をもて夜光の器を拵(こしら)へむとすれど、我は元より神の御霊によりて、この軀に夜光る物を持ちたれば、然る器は入らずと云ひしかば、其はいかなる物をか持ちたると問ふ。稲雄わざと驚きたる状して、わぬし程の人の、此を知らざるかと云へば、誠に知らず、其は何物なるぞといふ。稲雄すまひて、此は謾りに云ひがたしと云へば、強(あなが)ちに聞かむといふ故に、稲雄うべしげに容を改めて、産霊(むすび)の大神は、我が大人(うし)の常に人に説き諭(さと)さるゝ如く、上なく尊き神にて、其の産霊の徳によりて、かく人を造り成し給ひ、人体の上つ方には眼をつけて昼の用を弁へしめ、下つ方には睾丸(きんたま)をつけて夜の用を弁ぜしめ給ふ、いかに尊き御徳ならずやと云ひしかば、寅吉うち笑ひて、其は何さまにして夜の用を弁(わきま)ふぞといふ。稲雄云ひけらく、其の用ふる状は、譬へば闇なる所にて物尋ねむとする時など、褌をかゝげ睾丸を手に握りて、ゆらゆらと振るへば、小さく電光の如き光りきらめきわたる、其の光にて用を弁へらるゝ事なり、此は誰にてもしかする事ぞと云へば、寅吉云はく、そは偽りなるべし、我が睾丸のつひに光りたる事なしといふ。稲雄笑ひて然らば振りて試みたる事有るかと云へば、いまだ試みたる事はなしと云ふに、山人たちの、此の事を教へざるはいと麁略(そりゃく)なり、若しくは山人の睾丸は光なきにや、など不審(いぶか)しみつゝ、真顔にいふを、寅吉真信(まこと)にうけて、然らば夜になりて試し見むと、日のくるゝを待ちけるが、其の夜闇き所に行きてしきりに振りたれど光り無かりしかば、腹を立て稲雄に攫(つか)みかゝり、偽りする事は神の甚く悪(にく)み給ふ事なるを、能くも我をば欺きたると云ふに、稲雄なほも欺きて、其は合点行かざる事なり、人として夜に睾丸の光らざるは無きが、わぬしの睾丸のみ光り無かるべき謂(いわ)れなし、若しくはいまだ毛の生えざるには非ざるかと云ひしかば、寅吉面を和らげて、毛の生えざる程は光りなきかと問ふ。稲雄答へて睾丸の光ると云へど、実は毛にも光りある故に其の光りと互ひに映じて、光りを放つことなりと云へば、実に然も有るべし、我が睾丸にはいまだ毛の生えざる故に、光りなき物と見えたり、然は知らず子の偽りせると思へるは、我が誤りなりけりと云ひて、其の後は毛の生えるを待ち居る状なりとぞ。此は後に聞きたるが、甚(いと)愚かなる事の、よく思へば、実は己が怜悧のすぐれて、窮理に心深き故に、かくは欺かれしなり。然るは是れより前に人々集ひて、人の髪の毛より火いで、また火気つよき人は其の衣服よりも火の出づるものなる事、また黒猫の毛を闇なる所にて逆に撫づれば、火の出づる事など、語りけるを、寅吉かゝる事を聞きては、必ず試し見る性質なれば、我が家に畜(か)ひおく猫は黒き故に、そを捕へて闇き所にてかき撫でたるに、火のきらめき出しかば、甚く悦びて、常に制すれど、わざと戸をたて、屏風を引廻しなどして、猫の逃げむとするを捕へて撫でけるが、此を山人天狗などの体中より火を出すなどにも思ひ合せて居つる故に、己が心と欺かれたるなり。」

「己れは何ちふ因縁の生まれなるらむ。然るは藁の上より親の手にのみは育てられず、乳母子よ養子よと、多くの人の手々にわたり、二十歳を過ぎるまで苦の瀬に堕ちたる事は今更に云はず、江戸に出て今年の今日に至るまでも、世に憂しと云ふ事のかぎり、我が身に受けざる事は無けれど、是れぞ現世に寓居(かりずまい)の修行なれど、世の辛苦をば常の瀬と思ひ定め、志を古道に立て、書を読み、書を著はし、世に正道を説き明かさむとするに就きては、目に見えぬ幽界は更なり、鳥獣虫魚、木にも草にも心をおきて、憎まれじと力(つと)むれば、況(ま)して世の人には我が及ぶたけの、所謂陰徳をつむを常の心定めとして、人はよしいかに云ひ思ふとも、幽(ひそ)かに恥じる事はせじと、仮りにも人の為に宜(よ)からぬ事を為たりと思ふことは無きに、上の件の如く作り言(ごと)さへして、我を謗(そし)り憎む人も多かりと聞こゆるは、いかなる由ならむ。」



「仙境異聞上 二」より:

「○或日人々と種々の物語の序に、中村乗高の集めたる奇談の書に、或人の女の鉄を食ふ病を煩ひたる由を語りけるを聞きて、
寅吉云はく、鉄の出づる山に生ずる奇(あや)しき物あり。生(な)り始めは山蟻の大きさにて、虫といふべき状なるが、鉄ばかりを食ふ。始め小なる時は鉄砂を食ひ、大きく成るに従ひて釘、針、火箸何にても鉄物を食ひて育つ物なり。形は図の如く毛は針金の如し。師の此れを畜(やしな)ひ置きて試みられたるに、夥(おびただ)しく鉄を食ひ馬ほどに成りて身より自然に火出でて焼け死にたりとぞ。名は何と云ふか知らず。」



平田篤胤 仙界異聞 05


「○高橋安左衛門正雄、傍らに居て問ふて云はく、浅間山の常に火燃ゆるは如何なる由ぞ。神の御怒りにて然るか。其の由を聞かざりしか。
寅吉云はく、燃ゆる事は、彼の山に硫黄の多く有る故にて、焼ければ焼けるほど硫黄は多く出で来たる物ぞとなり。」

「○中村乗□言ひけらく、遠州□□郡□□村に□□□といふ者ありしが、其の若かりし時いと無頼にて、名主を罵りたりし尤(とがめ)にて、処を逐はれしかば、何思ひけむ其れより深山に入りて、世人と交はらず、五年ばかりは出でざりしが、或とき着物を欲しき由にて里に出でたる故に、人々いかにして深山に数年居たると問へば、今は獣らと仲よく交はりて、食物をもうけ、鐺(なべ)も無けれど飯を炊く事を知り、何も不自由と思ふ事も無しと語りて、其の後も三年に一度ほどは、里に出づるが、やゝ仙人と云ふ物の状になりたりと語りしかば、
寅吉云はく、仙人と云ふ物の状になるには、別に仙骨といふ骨なくては成りがたきには非ず。誰人にても深山に三十年も住む時は、始めの程こそ獣らも厭ひ逃れど、遂には、なれてまづ種々の食を持ち来て養ひ、後には奇術を得たる鳥獣なども使はれて、いつとなく仙人と成らるゝ物ぞと師に聞きたり。」

「○或人問ふて云はく、三十歳ばかりの男なるが、幼少の時より二十ごろまで、癲癇の病を持ち、其の頃までいと聡明なりしが、医療祈禱をもして其の病は癒えたるが、後に健忘の症の如くなりて、世事に通ぜず。然れど折々聡明なる言語所行もありて、全く痴と成れりとは思はれず。聊(いささ)かも色情なし。此を癒す法は有るまじきか。
寅吉云はく、そは癲癇の変じて、然る症と成れるなれば、癲癇の療治にて宜し。」



「仙境異聞上 三」より:

「○問ふて云はく、山住居の時に、何ぞ恐ろしき物を見たる事は無かりしか。
寅吉云はく、恐ろしき物と云ふは妖魔なり。人の透き間を伺ひて、其の道に引入れるから、此れほどに恐ろしき物はなし。此の外には然しも恐るべき物もなきが、或時一人山奥を行きけるに、足元より団子ほどの白き光り物現はれて、目前を横にひらひらと飛びたるが、漸々に大きく成りて、能く見れば人のやうにも見え、鬼の様にも見えて、見定めがたく消えたり現はれたりする故に、気味わろくて、土にうづくまり額の所にて十字を切りたれば、暫くして消えたる事あり。」

「寅吉云はく、豆つまと云ふ物は、産の時の穢物、また胞衣より出で来て、其の人の生涯に妖を為し、殊に小児の時に禍ひをなす物なり。其の状は四五寸ばかりにて、人の形に異ならず。甲冑を着し、太刀を佩(は)き、鎗、長刀など持ちて、小さき馬に乗りて、席上にいと数多(あまた)現はれて、合戦を始むるに、太刀音など聞こえ、甲冑も人間のに異(ちが)ひなく、光り輝きて甚だ見事に面白き物なり。此のほか種々のわざを現はして、小児を誑(たぶら)かし悩ましむる物なるが、何にても持ちて打払へば、座敷に血つきて消え失せる物なり。此は度々見たる事ありし故に、師に問へば、其は、豆つまといふ物なるが、産の穢物、また胞衣より成る物なり。」



「仙境異聞下 仙童寅吉物語二」より:

「○或人戯れて、寅吉に謂ひけらく、我は此の世に住み侘びたれば、山人に成りたくと思ふを、山に帰るときいかで我をも伴ひ給へと云へば、
寅吉真と思ひ、居直りて云はく、それは以ての外なる事なり。(中略)山人天狗などは自由自在がなると云ふばかり、山人には日々に種々の行ありて苦しく、天狗にも種々の苦しみあり。それ故に彼の境にても、人間といふ物は楽な物ぞと常に羨み居るなり。此方にては彼方を羨み、彼方にては此方を羨む、これ皆その道に入りて見ざる故の事なれど、(中略)我が師を始め山人となり天狗と成れる人々は、何か因縁ありて成れる物なるべく、我とても小児(こども)にてありし時よりの事を思ひつづけ、また願ひもせずして彼の境に伴はれたるなどを思へば、何か定まれる因縁ありげに思はれ、我が身で我が身の事すら知られず、(中略)かく成れるも善き事か悪しき事か分からぬから、身の毛の立つやうに恐ろしく思ふ事もあり、夢のやうにも有るが、とてもかく成れる上は天道様の御さしづ次第、また師匠の心次第と打ち任せて居るなり。然るに好みて成りたがるは、入らざる事なり。」

「寅吉云はく、我が師を始め山人の男女の交はり無き事は、山人の仕来りの法にて、此の道あるときは自在の術を得ず、長命もならぬ故に絶(た)ちたる物と云ふ人もあれば、其の故なるか。人にして人の道を絶ちたるは、かの因縁による事と見えたり。」



平田篤胤 仙界異聞 04


平田篤胤 仙界異聞 03








































































『伽婢子』 松田修・渡辺守邦・花田富二夫 校注 (新 日本古典文学大系)

「山際(ぎは)に行てみれば、峰よりおつる滝(たき)つぼにたゝえたる水みどりにて、ながれて出る川瀬のかたはらに池あり。二町四方もありなむ。その水はなはだつよくして、金銀といへ共しづまず、石をなぐれども猶水のうへに浮(うき)あがる。此故にくろがねをもつて舟をつくり、国人これにのりてこゝろをなぐさむ。水底のいさごはみな金の色なり。井出の山ぶき水にうつり、をのづから金(こがね)花咲(はなさく)よそをひ、今ぞおもひあはせらる。」
(浅井了意 「伊勢兵庫仙境に到る」 より)


『新 日本古典文学大系 75
伽婢子』 

松田修・渡辺守邦・花田富二夫 校注

岩波書店
2001年9月20日 第1刷発行
v 531p
A5判 丸背クロス装上製本 貼函
定価4,400円+税

月報 97 (16p):
『伽婢子』の幽霊女房譚 (堤邦彦)/中年牡丹灯籠(横山泰子)/本のはなし第三十三回(佐藤悟)/古典の博物誌第三十回(渡邉品)/校注者紹介/編集室から/新日本古典文学大系全書目/図版4点・表1点



本書「『伽婢子』の意義」(花田富二夫)より:

「浅井了意――古典注釈家であり、地誌作家であり、教訓小説を書き、歴史、軍書に造詣が深く、とりわけ真宗大谷派の僧侶として多くの仏書をものした多彩な顔の作家――。その半生は、いまだ明らかになっていない。
 彼が渾身の力を込めて本書『伽婢子』を世に送った。全十三巻六十八話(中略)。三話を除く六十五話すべてが中国小説、或いは朝鮮刊伝奇小説との関連を有し、彼の国の話を跡形もなく、我が国の話に再生させたものであった。その手法を翻案と呼ぶなら、本書は我が国における近世初期翻案文学の白眉である。」



本文中図版(モノクロ)多数。


伽婢子 01


帯文:

「鬼をかたれば怪いたる
動乱の世を舞台に
異界との交流を幻想的に
描く怪談咄集
〈第101回配本〉」



内容:

凡例

伽婢子
 惣目録
 序
 巻之一
  竜宮の上棟
  黄金百両
 巻之二
  十津川の仙境
  真紅撃帯
  狐の妖怪
 巻之三
  妻の夢を夫面に見る
  鬼谷に落ちて鬼となる
  牡丹灯籠
  梅花屏風
 巻之四
  地獄を見て蘇
  夢のちぎり
  一睡卅年の夢
  入棺之尸甦怪
  幽霊逢夫話
 巻之五
  和銅銭
  幽霊評諸将
  焼亡有定限
  原隼人佐鬼胎
 巻之六
  伊勢兵庫仙境に到る
  長生の道士
  遊女宮木野
  蛛の鏡
  白骨の妖怪
  死難先兆
 巻之七
  絵馬之妬
  廉直頭人死司官職
  飛加藤
  中有魂形化契
  死亦契
  菅谷九右衛門
  雪白明神
 巻之八
  長鬚国
  邪神を責殺
  歌を媒として契る
  幽霊出て僧にまみゆ
  屏風の絵の人形躍歌
 巻之九
  狐偽て人に契る
  下界の仙境
  金閣寺の幽霊に契る
  人面瘡
  人鬼
 巻之十
  守宮の妖
  妬婦水神となる
  祈て幽霊に契る
  窃の術
  鎌鼬 付 提馬風
  了仙貧窮 付 天狗道
 巻之十一
  隠里
  土佐の国狗神 付 金蚕
  易生契
  七歩蛇の妖
  魂蛻吟
  魚膾の怪
 巻之十二
  早梅花妖精
  幽霊書を父母につかはす
  厚狭応報
  邪婬の罪立身せず
  盲女を憐て報を得
  大石相戦
 巻之十三
  天狗塔中に棲
  幽鬼嬰児に乳す
  蛇癭の中より出
  伝尸攘去
  髄転力量
  蝨瘤
  山中の鬼魅
  馬人語をなす怪異
  怪を話ば怪至

付録
 剪燈新話句解 (影印)

解説
 『伽婢子』の意義 (花田富二夫)
 脚注おぼえがき (渡辺守邦)



伽婢子 02



◆本書より◆


「十津川(とづがは)の仙境(せんきやう)」より:

「長次問(とひ)けるやう、「此所はありともしらぬ村里なり。いかに住そめ給ひしやらん」といふ。あるじ眉をひそめて、「これはうき世の難(なん)をのがれし人のかくれて住ところなり。若(もし)しゐてそのかみの事をかたらば、いたづらにうれへをもよほすなかだちならん」といふ。」


「牡丹灯籠(ぼたんのとうろう)」より:

「年毎(としごと)の七月十五日より廿四日までは、聖霊(しやうりやう)のたなをかざり、家家これをまつる。又いろいろの灯籠(とうろう)をつくりて、あるひはまつりの棚(たな)にともし、あるひは町家(まちや)の軒にともし、又聖霊(しやうれう)の塚(つか)にをくりて石塔(せきとう)のまへにともす。その灯籠(とうろう)のかざり物、あるひは花鳥あるいは草木、さまざましほらしくつくりなして、その中にともしびともして夜もすがらかけをく。これを見る人、道もさりあへず。又そのあひだにをどり子どものあつまり、声よき音頭(をんどう)に頌歌(せうが)出させ、ふりよくをどる事、都の町町上下みなかくのごとし。
 天文戊申(つちのへさる)の歳(とし)、五条京極に荻原(おぎはら)新之丞といふものあり。近きころ妻にをくれて、愛執(あいしう)の涙袖にあまり、恋慕(れんぼ)のほのほむねをこがし、ひとりさびしき窓(まど)のもとに、ありし世の事共思ひつゞくるに、いとゞかなしさかぎりなし。「聖霊(しやうりやう)まつりのいとなみも、今年はとりわき此妻さへ、なき名の数に入ける事よ」と、経よみ、ゑかうしてつゐに出てもあそばず。友だちのさそひ来れども、心たゞうきたゝず、門(かど)にたゝずみ立てうかれおるより外はなし。
  いかなれば立もはなれずおもかげの身にそひながらかなしかるらむ
とうちながめ、涙をゝしぬぐふ。」



「伊勢兵庫(いせひやうご)仙境(せんきやう)に到(いた)る」より:

「その家のあり様、金をちりばめ、玉をかざり、家財(かざい)・雑具(ざうぐ)にいたるまでみな此世の物とも思はれず。床(とこ)のうへに方(はう)二尺あまりの石あり。松風石(せうふうせき)と名づく。内外透通(すきとを)りて玉のごとく、色は青(あを)く黄(き)なり。七宝(ほう)の盆(ぼん)にのせて、又七宝のいさごを敷たり。その石、谷峰の道分(わか)れ、滝の白玉とびちるかとあやしまれ、たゞ水音の落たぎらぬにぞ、石の紋(もん)とはおぼえけれ。まことに絶世(ぜつせい)の盆山(ぼんさん)也。石の腰(こし)より一本(ほん)の松生(をい)出て、高さ一尺七八寸もありなむ。年ふりたるかたち、さこそ千とせの春秋をいくかへり知(しり)ぬらんと、むかしの事もとはまほしきに、枝の間より涼しき風ふき出て座中にみち、枝かたふき、葉うごき、さつさつたるよそほひ、九夏(きうか)三伏(ぷく)の気もをのづからさめぬべし。玳瑁(たいまい)の帳台(ちやうだい)には、馬脳(めなう)の唐櫃(からひつ)あり。大さ三尺ばかり、その色茜(あかね)のごとくにして、鳥・けだ物・草木の図いろいろに彫(えり)つけたるは、更に人間(にんげん)の所為(わざ)にあらず。又かたはらにひとつの瓶(かめ)あり。大さ一石(こく)あまりを入べし。其色紫(むらさき)にして光(ひかり)かゝやき、内外透(すき)とをりて水精(すいしやう)のごとく、厚(あつさ)は一寸ばかり、軽(かろ)き事鴻(とり)の毛(け)をあぐるに似たり。内には名酒(めいしゆ)をたゝへて上清珍歓醴(しやうせいちんくはんれい)といふ簡(ふだ)を付たり。その傍(そば)に大さ二斗(とう)をうくべきつぼあり。その色白く、ひかりかゝやけり。内に名香(めいかう)をいれて竜火降真香(れうくはかうしんかう)といふ簡(ふだ)あり。又百宝(ほう)の屑(すりくづ)を擣篩(つきふるひ)て壁(かべ)にぬり、瑤(たま)の柱(はしら)こがねのとばり、銀の檻(をばしま)高く見あぐる楼(ろう)あり。降真台(かうしんだい)といふ額(がく)をかけたり。庭のおもてには目なれもせぬ草木の花咲みだれて、二三月の比のごとし。孔雀(くじやく)・鸚鵡(あふむ)のたぐひ、其外色音(ね)おもしろく名もしらぬ鳥おほく、木〃の梢(こずゑ)、草花の間に鳴さえづる。十五間(けん)の厩(むまや)に立ならべたる馬共、或は毛(け)の色碧(みどり)なる、或は紺青色(こんじやうじき)なる、その中に又連銭(れんぜん)なる、白き黒きさまざまの名馬(めいば)、(中略)みな竜馬(りうめ)のたぐひなり。(中略)碧瑠璃(へきるり)の色をあざむく棗(なつめ)、秦珊瑚(しんさんご)のひかりをうつす栗(くり)、みなその大さ梨(なし)のごとくなる、枝の間(ひま)なく生(なり)こだれたり。垣(かき)の外(そと)を見れば、金闕(きんけつ)・銀台(ぎんだい)・玉楼(ぎよくろう)・紫閣(しかく)、鳳(ほう)の甍(いらか)、虹(にじ)の梁(うつばり)雲をゝかして立ならべり。音楽(をんがく)空にひゞき、異香(いきやう)砌(みぎり)に薫(くん)ず。山際(ぎは)に行てみれば、峰よりおつる滝(たき)つぼにたゝえたる水みどりにて、ながれて出る川瀬のかたはらに池あり。二町四方もありなむ。その水はなはだつよくして、金銀といへ共しづまず、石をなぐれども猶水のうへに浮(うき)あがる。此故にくろがねをもつて舟をつくり、国人これにのりてこゝろをなぐさむ。水底のいさごはみな金の色なり。井出の山ぶき水にうつり、をのづから金(こがね)花咲(はなさく)よそをひ、今ぞおもひあはせらる。水中に魚(うを)あり。そのいろあかくしてこがねのごとく、みなをのをの四の足(あし)あり。そのあたりはひろき野辺(のべ)なり。金色の茎(くき)に紺青色(こんじやうじき)の葉ある草おほし。葉のかたちは菊(きく)に似て牡丹(ぼたん)のごとくなる花あり。花の色黄(き)にして内赤し。白き糸のごとくなる蘂(しべ)ありて糸房(いとふさ)のごとし。風すこしふけば、その花うごきめぐりて、蝶(てふ)のとぶに似たり。国中の女はこれをとりて首(かしら)のかざりとす。十日を経(ふ)れども萎(しぼ)まずといふ。」


「死難(なんにしする)先兆(せんてう)」:

「亨徳(かうとく)年中に、細川右京大夫勝元が家人磯谷(いそのや)甚七といふもの昼寝(ひるね)をいたしけり。その妻面(おもて)に出たれば、誰ともしれざる人右の手に太刀を引そばめ、左の手に磯谷が首をひつさげてはしり出て去(さり)けり。妻大(おほき)におどろきおそれて、うちに入てみれば、磯谷は前後もしらず臥(ふし)てあり。妻はむねつぶれ手足なえて、たゞ夢のごとくにおぼえたり。かくておどろかしければ、磯谷ねふりをさましおきあがり、「我夢に、ある人それがしのくびうちきりてもち去(さる)とみたり。あやしくも心にかゝる也」とて、やがて山臥(ぶし)をやとひ夢(ゆめ)ちがへの法をおこなはしむ。
 その月のすゑに主君(しゆくん)勝元(かつもと)が将軍家に御いきどをりをかうふる事ありて、これを陳(ちん)じ申さんがために科(とが)を家人(けにん)におほせて、是非(ぜひ)なく磯谷がくびをきらせ、これをもつて我身の科(とが)をのがれたり。



「土佐(とさ)の国狗神(いぬかみ)付金蚕(きんさん)」:

「土佐国畑(はた)といふ所には、その土民(どみん)数代(すだい)つたはりて、狗神といふものを持たり。狗神もちたる人もし他所に行て他人の小袖・財宝・道具すべて何にても狗神の主それを欲(ほし)く思ひ望む心あれば、狗神すなはち、その財宝・道具の主につきて、たゝりをなし、大熱(ねつ)懊悩(おうなう)せしめ胸腹をいたむ事錐(きり)にて刺(さす)がごとく、刀にてきるに似たり。此病をうけては、かの狗神の主を尋ねもとめて、何にても、そのほしがるものをあたふれば、やまひいゆる也。さもなければ久しく病(やみ)ふせりて、つゐには死(し)すとかや。中比(なかごろ)の国守(くにのかみ)此事を聞て畑(はた)一郷(がう)のめぐりに垣(かき)結(ゆい)まはし、男女一人も残さず焼ごみにして、ころしたまふ。それより狗神絶(たえ)たりしが、又この里の一族(ぞく)のこりて狗神これにつたはりて、今もこれありといふ。その狗神もちたる主、死する時は、家をつぐべきものにうつるを傍(そば)にある人は見ると也。大(おほき)さ米粒(こめつぶ)ほどの狗也。白黒あか斑(まだら)の色色あり。死(し)する人の身をはなれて、家をつぐ人のふところに飛入(とびいる)といへり。狗神もちたる人もみづから物うきことに思へども力なき持病(ぢびやう)なり。異国(いこく)にも閩広(みんくわう)といふ所には蠱(まじ)もの咀(のろひ)おとづる事おほく取あつかふといへり。国人(くにうど)に金蚕(きんさん)といふ持病(ぢびやう)もちたる人これを他人にをくりうつす事あり。黄金(わうごん)と錦(にしき)と釵(かんざし)のたぐひ、其外さまざま重宝(てうほう)のものを道の左(ひだり)にすてをく。是をひろひて家にかへれば金蚕(きんさん)の病うつりわたるといへり。その形は蚕(かいこ)にして色は黄金のごとし。人にとりつきぬれば、初は二三ばかり漸〃(ぜんぜん)におほくなり、家の内にふさがり、身をせむる。うちころしてもさらにつきず。ひろひたる黄金・錦など、ことごとく尽(つき)はてゝ後に病少(すこし)づゝ愈(いゆ)といへり。」


「怪(くわい)を話(かたれ)ば怪(くわい)至(いたる)」:

「むかしより人のいひつたへしおそろしき事、あやしき事をあつめて百話(ものがたり)すれば、かならずおそろしき事あやしき事ありといへり。百物語には法式(ほうしき)あり。月くらき夜、行灯(あんどう)に火を点(てん)じ、その行灯は青き紙にてはりたて百筋(すぢ)の灯心(とうしん)を点(てん)じ、ひとつの物語に灯心一筋づゝ引とりぬれば、座中漸〃暗(くら)くなり、青き紙の色うつろひて、何となく物すごくなり行也。それに話(かたり)つゞくれば、かならずあやしき事おそろしき事あらはるゝとかや。
 下京辺の人五人あつまり、「いざや百話(ものがたり)せん」とて、法のごとく火をともし、めんめんみなあをき小袖着(き)てなみゐてかたるに、六七十におよぶ。其時分は臘(らう)月のはじめつかた、風はげしく雪ふり、さむき事、日ごろにかはり、髪(かみ)のねしむるやうに、ぞゝとしておぼえたり。窓(まど)の外(そと)に、火のひかりちらちらとして蛍(ほたる)のおほくとぶがごとく、いく千万ともなく、つゐに座中にとび入て、まろくあつまりて、鏡(かゞみ)のごとく鞠(まり)のごとく、又わかれてくだけちり、変(へん)じて白くなりかたまりたるかたち、わたり五尺ばかりにて天井(じやう)につきて、たゝみの上にどうどをちたる。その音いかづちのごとくにしてきえうせたり。五人ながらうつふして死(し)に入けるを、家の内のともがらさまざまたすけおこしければ、よみがへりて別(べち)の事もなかりしと也。ことわざにいはく、「白日(はくじつ)に人を談(だん)ずることなかれ。人を談ずれば、害(がい)を生(しやう)ず。昏夜(こんや)に鬼(をに)を話(かた)ることなかれ。鬼を話れば怪(くわい)いたる」とは此事なるべしと。此物語百条(でう)に満(みて)ずして、筆(ふで)をこゝにとゞむ。」





こちらもご参照ください:

高田衛 編・校注 『江戸怪談集 (中)』 (岩波文庫)






























































































『日本随筆大成 〈第一期〉 15』 北辺随筆 骨董集 ほか

『日本随筆大成 
〈第一期〉 15』 
 
北辺随筆/燕居雑話/骨董集

吉川弘文館 
昭和51年1月5日 印刷
昭和51年1月20日 発行
555p 「あとがき」1p 
四六判 丸背クロス装上製本 機械函 
特価2,300円(定価2,500円) 

付録 (4p):
「骨董集」をめぐる京伝と馬琴(服部幸雄)/骨董集あれこれ(落合清彦)



新字。本文中図版多数。


日本随筆大成 骨董集ほか 01


目次:

解題 (丸山季夫)

北辺随筆 (富士谷御杖)
燕居雑話 (日尾荊山)
骨董集 (山東京伝)

あとがき (吉川弘文館編集部)



日本随筆大成 骨董集ほか 02



◆本書より◆


「北辺随筆」より:

「○葉守神
枕草紙に、「かしは木、いとおかし。葉守の神のますらんも、いとかしこし。とある。これは拾遺集に、「かしは木に葉守の神のましけるをしらでぞをりしたゝりなさるな。といふ歌よりいふなるべし。其後にも、新古今集に、雨中木繁、基俊「玉がしはしげりにけりなさみだれに葉もりの神のしめはふるまで。ともみえたり。葉もりの神といふ神は、神書にみえず。これは、かしは木の葉のおちぬるゆゑに、葉を守りたまひておとし給はぬ神の、おはしますらんとていふなるべし。されど、かしは木に、かぎれるは心えがたし。たゞいひならへるにしたがふなるべし。おほかた、かうやうの類おほき事なり。「このもかのもは、つくばねにかぎり、「心づくしは、木間にかぎれるやうに心うるも、皆古人のあとをふむなり。古人のあとをふまむは、やむことなき事なれど、古人とても、いひもらせる事あらむは、勿論なるを、しかのみ心えたるは、愚なるにちかゝるべしかし。」



「燕居雑話」より:

「○海坊主
菊岡沾凉が、本朝俗諺志に云く、大灘にあること也。先年阿州、土州の境の沖にて見る、高さ十丈許り、上ほそく裙のひろがりて、大仏のやうなるもの、頭と覚しきところもあれどもたしかならず、走船の先にゆく。その間五六町ばかりある。暫ありて次第次第に薄くなり、どこともなしに消失せたり。船頭の云、是を海坊主と云、たびたびは無きもの邂逅に見ること也。晴天凪のよき日必出るといふ。案に、生ある者とは見えず、生有て水中に入らば、一槩に消ゆべき者也。きえやうを以て考ふれば、海上の旋風ならむ、風にて地の土を巻きたるなるべしと謂はれしは、一通は理りあることながら、又たえて無かるべしとも云がたし。清柳谷王大海が、海島逸志に云、海和尚、大海中不常有也、起則有風颶之災、形如人、口濶至耳、見人暿笑、名曰海和尚、見之者知為不祥、必遭狂風巨浪立至、而舟有傾覆之患也、と見えたり。まさしくこのものにて、彼は有風颶之災といひ。此は晴天凪のよき日必出るといふは、大に異なり。」



「骨董集」より:

「竹馬(たけうま)
唐山(もろこし)の竹馬(たけうま)の戯(たはぶれ)は、後漢(ごかん)の時(とき)すでにあればいとふるし。御国(みくに)の古代(ふるきよ)の竹馬(たけうま)は、唐山(もろこし)の竹馬とは異(こと)なり、葉(は)のつきたる生竹(なまだけ)の繩(なは)を結(むす)びて手綱(てづな)とし、これにまたがりて走(はし)るを、竹馬(たけうま)の戯(たはぶれ)といふ。竹馬(ちくば)の友(とも)といへるは則(すなはち)是(これ)なり。(中略)今(いま)の世(よ)のごとく駒(こま)の頭(かしら)の形(かたち)につくりたる物にはあらず。」

「昔人(むかしひと)の質朴(しつぼく)
〔一代女〕(中略)一之巻に云、此(この)四十年跡(あと)までは、女子(をんなのこ)十八九までも竹馬(たけうま)に乗(のり)て門(かど)に遊(あそ)び、男(をとこ)の子(こ)もさだまつて廿五にて元服(げんぷく)せしに、かくもせわしく変(かは)る世(よ)や云々(しかじか)。」
 按(あんず)るに、こゝに四十年(ねん)跡(あと)といへるは正保の比(ころ)にあたれり。正保は今文化十年よりおよそ百六十七年ほど前なり。当時(そのころ)の人情(にんじやう)は、質朴(しつぼく)にて小黠(なまさかし)からざるゆゑに、かく幼気(をさなげ)なることおほかり。今十八九の女子(によし)さるあそびをすべきかは。こゝにいへる竹馬も、今(いま)のごとき竹馬とはおもはれず、古代(こだい)のごとき生竹(なまたけ)歟(か)。」



日本随筆大成 骨董集ほか 04


「火燵(こたつ)
火燵(こたつ)といふものは、近古(ちかきむかし)いできたるものなり。火燵(こたつ)のなき以前(いぜん)は、物(もの)に尻(しり)かけて火鉢(ひばち)にて足(あし)を煖(あたり)たるよし、古(ふる)き絵巻(ゑまき)に其体(そのてい)をゑがけるあり。めづらしき図(づ)なれば、左(さ)に摹出(うつしいだ)せり。」



日本随筆大成 骨董集ほか 03




こちらもご参照ください:

『日本随筆大成 〈第二期〉 6』 三養雑記 近世奇跡考 ほか




































































『日本随筆大成 〈第二期〉 6』 三養雑記 近世奇跡考 ほか

『日本随筆大成
〈第二期〉 6』 

雉岡随筆/三養雑記/清風瑣言/尤の草紙/近世奇跡考

吉川弘文館 
昭和49年2月12日 印刷 
昭和49年2月25日 発行 
377p 「あとがき」1p 
四六判 丸背クロス装上製本 機械函 
定価2,200円
 
付録 (4p):
随筆家としての上田秋成(中村幸彦)/『近世奇跡考』と戯作(水野稔)/『清風瑣言』の三つの魅力(森田喜郎)/編集室だより/次回配本



「三養雑記」「近世奇跡考」は考証随筆、「雉岡随筆」は国文学随筆、「清風瑣言」は煎茶指導書、「尤の草紙」は枕草子のパロディ(ものづくし)です。

本文中挿絵図版多数。


日本随筆大成 近世奇跡考 01


目次:

解題 (丸山季夫)

雉岡随筆 (五十嵐篤好)
三養雑記 (山崎美成)
清風瑣言 (上田秋成)
尤の草紙 (斎藤徳元)
近世奇跡考 (山東京伝)

あとがき (吉川弘文館編集部)



日本随筆大成 近世奇跡考 04



◆本書より◆


「雉岡随筆」より:

「○かはたれ時、たそがれ時
黄昏をたそがれ時といひ、暁をかはたれ時といふこと、かはたれとは、彼は誰ぞといへる也。たそかれとは、誰ぞ彼はといへるにて、いづれも人面のさだかに見えざるをいへる同詞なるを、たゝ順にいふと、逆にいふとの違にて、暁と黄昏とになれり。是は情の緩急にて、自然しかいはるゝゆゑ也。暁は明くなりゆく時ゆゑ情緩也。ゆゑに彼は誰ぞと順にゆるやかに問也。黄昏は闇くなりゆく時故情急也。故にまづ誰ぞととがめて、さて彼はと逆にいふ也。是等にても情の緩急によりて、詞に順逆ある事を知るべき也。」



「三養雑記」より:

「○へげ猫
手足顔などあかつきよごれたるを、俗にへげ猫のやうなりといふ諺あり。今昔物語に、灰毛斑なる猫といふ詞あるによれば、肌のあかつきよごれたるが、灰毛の猫のごとくなりと云意なるべし。また、猫は寒きを嫌ふ性の獣なれば、竈の中に入て灰にまぶれ、毛のよごれたるにたとへしか。慈恩伝に、外道のことを、竈を侵す猫の如しといへることも見えたり。」

「○常元虫
近江国志賀郡別保といふ里に、西念寺とて浄院あり。寺境の乾四至四町ばかりの人家の墟ありて、住む人なし。たまたまこゝに居るものは、かならずその身に禍ありとかや。俗に常元やしきといふ。蒲生家の侍南蛇井源太左衛門といふもの、天正の兵乱に無頼となり。強盗して諸州に横行せり。その徒数百人ありて害をなす。年老て別保にかへり、なほ悪行を恣にせしが、人の勧によりて薙髪して常元と称す。慶長五年、諸国の姦賊を尋ね召捕られしころ、幾年か悪行せし罪人なればとて、その宅の柿木に縛せしむる。諸人の見ごらしにし、終に斬られたり。死にのぞみてさまざま悪言を吐き、更に人の憎みをうけしが、梟首せられ骸は村の庄屋 藤吉 に下されたり。柿の木のもとに埋みしが、数日の後、墳上にあやしき虫多く生ぜり。形は人を縛したるがごとく、後蝶に化て去りし。その殻、木にのこれること毎年なり。人これを常元虫といふ。江戸にもきこえ、享保癸卯の夏、かの虫を江戸の人々も見て、めづらかなるものにいへり。面目口鼻備り。〔割註〕口のあたり黄色なり。」手はうしろへまはし、縛せられしが如し。足は縮めたるがごとく、段々にひだ続あり。蝶に化するときは、黒き糸を吐く。首より下手足を繋縛し、柿樹に粘して、中にくゝらるゝものに似たり、背に脱し穴ありと。塩尻に見えたり。
この虫を物産家にたゞすに。爾雅に出たる縊女といふ虫にて、邦俗はおきくむしといふものゝよし、おもふに、かの常元が墳上の樹に、たまたまさる虫の生じたるは偶然なれど、自ら罪業の報によりて、彼が名を虫にまで負せて、常元が悪事いひつたへて、話柄とするも因果のことわりおそるべし。」

「○水虎
水虎、俗に河太郎、またかつぱといふ。江戸にては川水に浴する童などの、時として、かのかつぱにひかるゝことありし。などいふをきけどいと稀にて、そのかつぱといふものを、たしかに見たるものなし。西国の所によりては、水辺などにて、常に見ることありとぞ。怪をなすも、狐狸とはおのづからことなり。正しくきける、ひとつふたつをいはゞ、畠の茄子に一つごとに、歯がた三四枚づゝのこらずつけたりしことありと。その畠のぬしよりきゝたり。仇をなすこと執念ことさらにふかくして、筑紫がたにての仇を、その人、江戸にきたりても、猶怪のありしことなどもきけり。かのかつぱの写真とて見しは、背腹ともに鼈の甲の如きものありて、手足首のやうす、鼈にいとよく似たり。世人のスツポンの年経たるものゝなれりといふもうべなり。越後国蠣崎のほとりにてのことゝかや。ある夏のころ、農家のわらはべ、家の内にあそび居けるに、友だちの童きたり、いざ河辺に行て水あみして遊んと、いざなひ行しに、かのさそひに来りし童の親の、ほどなくいり来りしかば、家あるじの云、今すこしまへ、そのかたの子息の遊びに来れりといひければ、いやとよ。せがれは風のこゝちにて、今朝より家に臥し居りぬ。いとあやしきことゝぞいひあへりとぞ。後にきけば、かつぱの童に化て、いざなひ出したるなりといへり。」

「○木乃伊
ミイラといふ蛮薬、一名蜜人ともいへり。この薬名、人口に膾炙して、諺にも、みいら採りのみいらになるといふことあり。ミイラは、木乃伊と書けり。輟耕録に見えたり。綱目にも出たり。しかれども、実はその性のしられぬもの故に、くさぐさの説あり。楢林雑話に、木乃伊、本名ミェウミヤアといふ。「イタリヤ」、「ハルシヤ」などより出る。これはバルサモといふ薬を、人の屍の腹の内につめおくときは、何年を歴ても、その容(かたち)、朽腐(くさる)することなし。先祖の形容をながく存せんとするものは、かくの如くして箱に入れて、その屍を貯ふ。これを多くあづかりおく寺の如き館舎あり。その中に、印記を見出し易くす。その中にも、子孫たえて入用なきは、屍を其館主、山野に埋蔵す。後これを掘出すもの、木乃伊なりといへり。おもふに、かのバルサモの薬気、屍の総身に、いく年となくしみわたりたる功能あるなるべし。」



「近世奇跡考」より:

「〔十三〕辰之助(たつのすけ)鎗踊(やりをどり)猫(ねこ)の狂言(きやうげん) 并 肖像(せうぞう)
水木辰之助は、元禄中、諸人(しよにん)にめでられし歌舞妓(かぶき)の女形なり。元禄四年、京四条より初て江戸に下り、市村竹之丞座、顔見世に、四季(しき)御所桜と云、四番つゞきの狂言を興行す。是を辰之助が土産(みやげ)狂言と云。辰之助はる姫(ひめ)の役(やく)、第二番目に鎗(やり)をどりの所作(しよさ)、第三番目にから猫(ねこ)の所作(しよさ)をせしに、江戸中こぞりて賞美(しやうび)し、此狂言を見ざるをはぢとせしよし、〔割註〕○猫の所作の意趣(いしゆ)は、はる姫のやくにて、恋したふ男、我実の兄なることしれて、夫婦と成がたきをかなしむ折ふし、兄弟のねこの恋するを見てうらやみ、つひに我身ねことなりて、胡蝶にくるふ狂言なり。これを辰之助がねこの狂言とて、むかし人の、のちのちまでもかたりぐさにせしとぞ。」



日本随筆大成 近世奇跡考 02


「三養雑記」より「円転の図」。


日本随筆大成 近世奇跡考 03


「三養雑記」より「鞘画」。




こちらもご参照ください:

種村季弘/高柳篤 『新版 遊びの百科全書② だまし絵』 (河出文庫)



































































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

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