『玉造小町子壮衰書』 杤尾武 校注 (岩波文庫)

「秋の夜は綿綿と深く、
春の日は遅遅と永い。
とめどなく流れる涙をのごって臥し憂え、
悔恨に腸(はらわた)を断つ思いして起きて嘆く。
片時も袂(たもと)乾き難くうつうつとし、
長夜に枕そばだてて寝られない。
愁の心気は胸の中にあふれ、
憤(いきどおり)の神魂は心の内にたぎる。」

(杤尾武 校注 『玉造小町子壮衰書』 より)


『玉造小町子壮衰書
― 小野小町物語』 
杤尾武 校注
 
岩波文庫 黄/30-009-1

岩波書店
1994年7月18日 第1刷発行
223p
文庫判 並装 カバー
定価570円(本体553円)
カバーカット: 「小町老衰図」



本書「凡例」より:

「本書の体裁は、原文、読み下し文、注の三段組を軸に、末尾に、補注と現代語訳及び慶応義塾大学図書館蔵『玉造小野(町)子壮衰書』を配した。(中略)付録に伝蘇軾作『九想詩』の注釈書である稲垣龍軒校輯、延宝六年(一六七八)九月、三郎右衛門板行の『九想詩』及び参考図を置いた。」
「底本は九条家旧蔵、東京大学国文研究室蔵鎌倉中期頃写本を用い、底本の欠落部分は、承久本、彰考館本等により補った。」



「とちお・たけし」校注「たまつくりこまちしそうすいしょ」。
巻頭に図版「小野小町」(モノクロ)。「現代語訳」に参考図版(モノクロ)21点。「九想詩」(九相詩)影印には挿絵9点が含まれています。


玉造小町子壮衰書 01


カバー文:

「平安中期ないし末期に成立した長文の序をもつ古詩。老いさらばえて町を徘徊する女が、往時の贅沢の限りと親兄弟の死によって零落し悲惨をきわめる老境を綿々と語る。この物語の主人公は小野小町ではないが、小町の物語として読みつがれてきており、小町像の形成に多大の影響を与えてきた。原文、読み下し文、現代語訳に詳細な注を付す。」


目次:

凡例
解説

玉造小町子壮衰書
 原文・読み下し文・注
 補注
 現代語訳

付1 玉造小町子壮衰書(影印)
付2 九想詩(影印)

あとがき




◆本書より◆


「解説」より:

「内容について
 作者が路上で、疲れ果てて町中を徘徊する老女に逢う。次いで作者と老女の問答が交される。出身地・父母兄弟のことが問われる。老女は答える。私は倡家(妓楼)の子、良室(名家)の子であると。以下老女の独白が始まる。若く壮んな時は贅沢の限りを尽し、王宮の妃を望み、凡家の妻になることは考えもしない。この間、家内の様子、贅を凝した衣食住を物尽(ものづくし)風に記述する。次いで親兄弟の死による零落の様が物尽風に語られる。老女は我が身の不幸を嘆き、仏の導きを願うようになる。これを聞いた作者も天を仰いで悲泣し、愁吟することになる。作者は世の無常を老女に説き聴かせる。
 詩は序と呼応して構成される。(中略)序と異る点は、作者が老女に代ってその心境やその置かれた状況を詠ずるところにある。」
「序と詩を比較すると、詩の内容が仏教色濃く、特に極楽浄土を微細に描いている点注目すべきであろう。」



「現代語訳」より:

「眼前の幸福はものの数ではなく、
来世の安寧をもっぱら求めよう。
ただ厭(いと)うべきものは煩悩(ぼんのう)の触(さわ)り、
また願わくは欲念を捨て無為となるを。
秋の夜は綿綿と深く、
春の日は遅遅と永い。
とめどなく流れる涙をのごって臥し憂え、
悔恨に腸(はらわた)を断つ思いして起きて嘆く。
片時も袂(たもと)乾き難くうつうつとし、
長夜に枕そばだてて寝られない。
愁の心気は胸の中にあふれ、
憤(いきどおり)の神魂は心の内にたぎる。
永久に往生の餞(はなむけ)をし、
ただちに発心の糧(かて)としよう。」

「速やかに娑婆(しゃば)の世におさらばし、
早く極楽の苑に行きたいものだ。」

「安楽の国には心にいきどおり無く、
歓喜の郷には胸によろこびがある。
天地四方を巡り歩き、
仏の天地万物皆仏法なる誠の教えを聴こう。」



玉造小町子壮衰書 02












































































































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『夢窓国師 夢中問答』 佐藤泰舜 校訂 (岩波文庫)

「つねざまになさけといへる事は、皆妄執をとゞむる因縁なり。されば人のなさけもなく世の意にかなはぬ事は、出離生死のたすけとなるべし。」
(『夢窓国師 夢中問答』 より)


『夢窓国師 
夢中問答』 
佐藤泰舜 校訂
 
岩波文庫 青/33-320-1 

岩波書店
1934年8月30日 第1刷発行
1991年10月9日 第21刷発行
207p
文庫判 並装 カバー
定価460円(本体447円)
カバー: 中野達彦



本書「校訂者のことば」より:

「夢中問答集は夢窓國師疎石(そせき)が、足利尊氏の弟直義の問に答へし法語を録したもの、全篇九十三の問答は、各獨立しながら前後脈絡を存し、(中略)懇切平明に禅の極致を談じて餘蘊なきの感がある。」
「今の出版に際しては、最も普及せる正保四年版を底本となし、貞享三年の平假名本と照合し、明治以後の活字本三種を參照し、最後に康永版と校合した。」
「校訂に關しては、先づ片假名を平假名に改め、句讀を切つて適當に改行し、各問答に番號を附して、標題を撰み加へた。」



旧字・旧かな。


夢中問答


カバーそで文:

「足利尊氏の弟直義の問いに対して答える問答体で、仏教の基礎的知識から座禅・公案など禅の諸側面について、平明な言葉で説き示す。」


目次:

校訂者のことば

上卷
 一 福を求むる心
 二 世福よりも無上道
 三 眞の福は求めずして來たる
 四 欲心を去るてだて
 五 道の爲にも福を求むべからず
 六 祈願と靈驗
 七 神佛の加護
 八 名利のための祈り
 九 祈りの心事
 一〇 國王大臣の祈願
 一一 來世の果報を祈るに就いて
 一二 人の爲に善を修する心
 一三 眞實の慈悲
 一四 眞實の慈悲(其二)
 一五 加持祈祷の眞意
 一六 非道の僧をも謗るべからず
 一七 佛法と政道
 一八 魔
 一九 内魔
 二〇 有所得心と魔
 二一 坐禅狂亂
 二二 魔の對治
 二三 魔境に入らぬ工夫
中卷
 二四 本分の大智
 二五 覺證の智を嫌ふ
 二六 學解は道の障り
 二七 智慧は船筏のみ
 二八 妄想を除けば大智現はる
 二九 妄想
 三〇 言句につくは妄想
 三一 教を捨つるも妄想
 三二 公案
 三三 本分安穩の境地
 三四 學解よりは實修
 三五 根本智と後得智
 三六 意と句
 三七 公案は意に參ずるため
 三八 解了よりも心操行儀
 三九 解よりも行
 四〇 菩提心
 四一 世情をさる工夫
 四二 世情と本分の工夫
 四三 夢幻觀も究竟にあらず
 四四 夢幻觀の眞意
 四五 放下するも亦本分にあらず
 四六 他人の是非説くよしもなし
 四七 佛法は效なきこそ效なれ
 四八 坐禅は賢愚をえらばず
 四九 眞實の修行は身口意にあづからず
 五〇 無用心の用心
 五一 無用心の工夫
 五二 禅門修行の題目
 五三 公案の疑と不疑
 五四 公案の用不用
 五五 古則に著語を附する旨趣
 五六 萬事と工夫と差別なし
 五七 萬事を放下せよと勸むる旨
 五八 放下は教門と同じからず
 五九 悟者の神通妙用
 六〇 臨終の相
下卷
 六一 本分の田地
 六二 佛性と本分の田地
 六三 本分の田地は一切を生ず
 六四 本分の田地に到る工夫
 六五 心の相
 六六 一心と神我
 六七 眞妄二心の同別
 六八 慮知分別心は虚妄なり
 六九 縁生心と法爾心
 七〇 心と性、見性
 七一 諸法の虚妄と實相
 七二 凡聖所見の別
 七三 佛眼の所見
 七四 大小權實の別なし
 七五 眞實には機根の別なし
 七六 教外の玄旨
 七七 五家の分るゝ所以
 七八 禅家に於ける褒貶の意
 七九 如來の説法は手段のみ
 八〇 教禅の區別も本來ならず
 八一 理致と機關
 八二 大乘に難易二行なし
 八三 了義大乘にあらざる念佛
 八四 了義大乘の念佛
 八五 念佛を褒貶する意趣
 八六 禅家に於ける抑揚褒貶
 八七 利根と鈍根
 八八 禅僧と持戒
 八九 禅宗の禅
 九〇 法門の勝劣邪正
 九一 教外別傳の相承
 九二 此の問答を記するに就て
 九三 眞實人に示す法門
跋 一
跋 二




◆本書より◆


「六 祈願と靈驗」より:

「中比(ごろ)一(ひとり)の老尼公ありき。淸水に詣ふでねんごろに禮拜をいたして、願はくは大悲觀世音、尼が心にいとはしき物を早く失ふてたび候へ、とくりかへし申しけり。傍に聞く人これをあやしみて、何事を祈り申し給ふぞと問ひければ、尼がわかゝりし時より枇杷をこのみ侍るに、あまりにさねのおほきことのいたはしく覺ゆる程に、年ごとに五月の比(ころ)はこれへ參りて、此の枇杷のさねをうしなふてたび候へと申せ共、いまだしるしもなしと答へけり。」

「莊子等は前世の業因によれる事をしらざるが故に、貧富貴賤はみなこれ自然なりと思へり。佛教にはしからず、前世の惡因によりて惡果を得たる人、この理をしりて今生に惡業をつくらずば、當來必ず善果を得べし。」



「八 名利のための祈り」より:

「しかれども枇杷のさねをいのる程の愚人は、たとひかやうの教訓によりて、此の祈りをとゞめたりとも、さらば佛神に參りて菩提をいのらむと思ふ心あるべからず。かやうにて一期(ご)をすごしなば、佛菩薩に參詣して値遇の縁を結び奉ることも亦やみぬべし。さればかやうの人には淸水に詣で、枇杷のさねを祈り申せかしと、わざともすゝむべし。制しとゞむる事はあるべからず。」


「二一 坐禅狂亂」より:

「坐禅する人の中に狂亂する者あればとて、坐禅をうとむ事は宿習(じふ)のつたなき故なり。よのつね世事にのみ執著して、坐禅をばせぬ人の中に狂亂する者あり。これをみる時、何ぞ世事をばうとまざるや。坐禅をする時狂亂する人のあることは、或は少分の見解の起るによりて、高慢の心を生ずる故に、魔精其の心に托して狂亂することあり。或は前業によりて、鬼魅になやまされて狂亂するもあり。或は有所得(うしよとく)の心に住して、速疾に悟を開くことを求めて、身心を勞役する故に、血脈みだれて狂亂するもあり。かやうなる種々の因縁ありて狂亂す、坐禅のとがにはあらず。狂亂は一旦のことなり、終には必ずやむ期あり。やめば則ち道心にかへるべし。(中略)然れば則ち坐禅して物狂ひになるをば怖るべからず。物狂ひを見て坐禅をうとむ心の生ずる事を怖るべし。」


※これは明恵上人の著作とされる「邪正問答鈔」と内容が重複しています。


「四三 夢幻觀も究竟にあらず」より:

「世人の諺に世の中は夢幻(ゆめまぼろし)のごとしなんど申すは無常の謂はれなり、大乘に夢幻のたとへを取るはしからず。夢の中にみゆるところの種々の物像すべて實體なし。實體なしといへども諸(もろもろ)の形相宛然たり。幻術師の巾(きん)をわがねて、或は人の形となし、或は馬の形となせども、實には人馬の相にあらず、幻のごとしといへるは是れなり。天竺に此の術をなす者多し、この故に譬とせり。かやうの謂はれを以て、萬法の實體なくしてしかも諸相歴然たるに譬へたり。水中の月、鏡中の像、なんどいへる譬も又此の意なり。」

「祖大師の云はく、夢幻空花豈に把捉することを勞せんや。得失是非一時に放放却せよと云々。」



「四六 他人の是非説くよしもなし」より:

「圓覺經に云はく、四大を認めて自身の相とし、六塵の縁影を自心の相とす。此の經の意は、凡夫の自己と思へるは眞實の自己にあらず。自己と思へる者の若しあやまりならば、他人とみるも亦あたらず。自他もし實ならずば何れの是非をかとくべきや。」

「一切の是非を放下して自他の相をみずとも、若しいまだ父母未生(みしやう)前の本來の面目を見ずば、眞實の道人といふべからず。」



「六一 本分の田地」より:

「凡聖迷悟いまだわかれざる處は、世間の名相もあづからず、出世の法門も及ばず。しかりといへ共迷人を誘引せんために、かりに語をつけて、或は本分の田地となづけ、或は一大事となづく。本來の面目、主人公なんど申すも皆同じことなり。迷悟凡聖は一念の上に假立せり。念々相續する故に、迷悟凡聖の相、妄りに生じて人を誑惑す。此の誑惑によりて本分の田地をくらませり。」


「六四 本分の田地に到る工夫」より:

「本分の田地に到ると申す事は、田舎より京へ上り、日本より唐土へわたるがごとくにはあらず。譬へば人の我が家の中に睡臥して、種々の夢を見るがごとし。或は穢惡不浄の所に居て日夜に苦惱する事もあり。或は神仙殊勝の境に入つて身心快樂なる時もあり。此の時傍にねぶらざる人ありて、夢みる人に向つてさとして云はく、汝が所見の不浄の所も殊勝の境も、皆是れ夢中の妄想なり。汝が本分の家の中にはすべてかやうなる事はなし。此の言葉をきけども、おのれが夢中の所見を正しとする者は、すべてこれを信ぜず。」
「かくのごとく夢中の所見にばかされて、すべて本分の所をばしらず。夢みる人の中にたまたま知識の教によりて、本分安穩の家あるよしを信ずれども、大夢いまださめざるが故に、猶も夢中の所見を放却することあたはず。(中略)たとひ大夢はいまださめね共、我が此の見聞の境界は皆夢中の妄見なり。其の中の去來動轉も亦夢中の妄想なりと悟る故に、(中略)取捨分別を生ぜざる人は、大夢のさめたる人とことならず。」
「佛法も亦かくのごとし、本分の田地には凡聖の相もなく、浄穢の境もなし、無明業識の一夢起るが故に、無相の中に浄穢の境界を現じ、無爲の中に凡聖の差別を見る。」



「七三 佛眼の所見」より:

「佛知見に約すれば迷悟眞俗のへだてもなく、性相事理のわけめもなし。たとへば凡夫の前には金銀・瓦石・水火・草木其の品同じからず。佛は金を石となし、火を水ともなし玉ふ故に、火に入れどもあつきことなく、水にいれどもつめたきことなし。金銀なればとて瓦石にまされることもなく、瓦石なればとて金銀よりもいやしきこともなきがごとし。」





































































































馬場あき子 『式子内親王』 (ちくま学芸文庫)

「もし、式子が待つ心の緊張を失ったなら、全く生きながらむくろと化してしまったろう。」
(馬場あき子 『式子内親王』 より)


馬場あき子 
『式子内親王』
 
ちくま学芸文庫 ハ-2-1 

筑摩書房
1992年8月6日 第1刷発行
272p 付記1p
文庫判 並装 カバー
定価780円(本体757円)
装幀: 安野光雅
カバー装画: 大柳久栄


「本書は一九六九年、紀伊国屋書店より刊行された。」



馬場あき子 式子内親王


カバー裏文:

「「玉の緒よ絶えなば絶えねながらへばしのぶることのよわりもぞする」の歌に代表されるように、式子内親王の作品には、鬱と激情の交錯する、特異な審美性にあふれた作品が多い。その個性的な詠嘆の底には、どのような憂鬱の生涯がひろがり、いかなる激情にあやなされた思慕があったのか。――歌と生涯を辿りつつ、沈鬱と激情の歌人、式子内親王の内面に鋭く迫る。」


目次:

第一部 式子内親王とその周辺
 はじめに
 四宮の第三女式子の出生
 斎院卜定前後
 み垣の花――斎院式子の青春の夢と失意
 前小斎院御百首のころ――平氏全盛のかげの哀傷
 治承四年雲間の月――以仁叛乱と式子の周辺
 贄野の池――以仁敗死とその生存説の中で
 建久五年百首のころ――後白河時代の終焉と式子の落飾
 軒端の梅よ我れを忘るな――病苦の中の正治百首
第二部 式子内親王の歌について
 宇治の大君に通う式子の心情
 式子は多量の霞を求めねばならなかった
 梅のおもかげ
 花を見送る非力者の哀しみ――作家態度としての〈詠(なが)め〉の姿勢
 式子を支配した三つの夏と時鳥
 落葉しぐれと霜の金星
 巷説「定家葛」の存在理由
 忍ぶる恋の歌
 式子と定家、ならびに宜秋門院丹後
 梁塵秘抄は作用したか

年表
あとがき

解説 (俵万智)




◆本書より◆


「第一部」より:

「ふるさとをひとり別るる夕べにも送るは月の影とこそ聞け」
「「送るは月の影とこそ聞け」の詠歎は、多くの近親者の死を見送った式子のかなしみであったとも取れる。式子は年齢も三十歳に近かった。かつて斎院退下後、「泡雪のあはれふりゆく」と詠った式子であったが、残されたかなしみは年齢を思うと共に深かったと考えられる。(中略)式子は生きながらひとり死者への親しみを感じていたのかもしれない。自分だけが、あらゆるものから取りのこされ、古り埋もってゆく、という過度の疎外感覚は式子の一生をつきまとうノイローゼ現象の一つではあるが――。」



「第二部」より:

「式子の歌には「源氏物語」が宇治大君について描写する時に、しばしば特色的な形容として使った「ほのか」という語がひじょうに多く出てくる。そして、「ほのか」であることは、式子の美意識を支配した主要素の一つであった。そしてそれはまた、「人にだにいかでしらせじ」とはぐくまれた大君のもつ美しさの象徴でもあったといえる。」
「「人にだにいかでしらせじ」という、大君ふうの引きこみがちな物づつみの反面に、ほのかな、におやかな情緒を、花の香や香(こう)のけはいに漂わせたくらし。そこには、すきのない美意識に律しられた古典的な対人意識や、誇りがあったのである。まことにはかない、滅びゆく精神生活であったともいえよう。(中略)世の中に全く不用な存在以外のなにものでもない、老いゆく内親王、老いゆく前斎院にとって、それでもなお世に存在せねばならぬとすれば、せめて美しく、存在する以外に何があったろう。生きながら形骸化してゆく、その稀薄な存在感の中で、式子が大君の生き方を切に具現しようとした努力は、むしろ悲壮で美しかったというべきかもしれぬ。」
「平氏が栄えようと、源氏の世になろうと、いつも春におくれてしまう式子は、その春の歌において、殊にしみじみした〈詠(なが)め〉の姿勢をとりやすい。そして、にもかかわらず、その深い鬱情をなぐさめ得ることにおいて、よその春をよそながらながめることを、式子は決して嫌ってはいない。よその春をながめることは、とこしえに〈魂の冬〉に棲む現実を意識することでもあったから。式子の春の歌は、ゆえに、ほのかな、ひとりぽっちの艶(えん)をたたえ、豊かな霞にとりまかれているのである。他人の春を羨むというのではないが、身の非運がしみじみと味わわれているのが、その春の歌である。」
「病気がちで、苦痛の方が多かったであろう日常の中で、式子が反芻していたものは、やはり、それ以外に生きられなかった非運な一生と、その中でほのかに心暖まる思い出をなした少数の人々との交流のことではなかったろうか。言葉少なく耐えることのみであった五十年を顧みるとき、年ごとに擬人化の度を加えてゆく梅の花にでも托する以外、誰に言いようもない思いなどが、深く積っていたことであろう。」
「〈詠め〉は式子の美意識の拠点であったと共に、強固な作歌上の姿勢であり、対象に一定の距離を保つことを条件としている。それは婉曲な拒否の姿勢とも受け取れるが、断絶を求めているのではない。そのしみじみと見つめる物思いの中には、自己をも肯定せず、見ている現実をも肯定できない式子のかなしみがあるように思う。式子もまた時代の人として若い日から仏教に関心を寄せたが、このような対象への〈詠め〉の姿勢は、ちょうど中有の世界に迷うような、あてどない孤独なものであったようだ。」
「式子における〈詠め〉の姿勢は、そうした見る人としての、頑なな非力への固執でもあった。それは「紅旗征戎非吾事」という、動揺を秘めた定家の決意より粘り強く一貫しており、しかも、定家以上に頑固な拒否の姿勢であったと思う。」

「もし、式子が待つ心の緊張を失ったなら、全く生きながらむくろと化してしまったろう。」

































































風巻景次郎 『中世の文学伝統』 (岩波文庫)

「俊成や西行の時代にはめきめきと隠者が生れていった。この時代の若い世代の人々は、僧形(そうぎょう)になるとならぬにかかわらず、つきつめた者の心情はすべて隠者的である。でない者は目先をはたらかす機会主義者(オッポチュニスト)になった。機会主義者の少数は追従と贈賄との巧みな使い方で案外な現世の幸福を得たし、隠者的な人たちは、その文学精神を鋭くすることによって、あてのない現実の生活から真珠を分泌(ぶんぴつ)させたのである。」
(風巻景次郎 『中世の文学伝統』 より)


風巻景次郎 
『中世の文学伝統』
 
岩波文庫 青/33-171-1

岩波書店
1985年7月16日 第1刷発行
1991年12月16日 第3刷発行
248p
文庫判 並装 カバー
定価520円(505円)



本書「編集付記」より:

「底本には『中世の文学伝統』(一九四七年、角川書店刊)を使用し、「ラヂオ新書」版(一九四〇年、日本放送出版協会刊)ならびに『風巻景次郎全集』第五巻(一九七〇年、桜楓社刊)を参照した。」
「表記を新字体、現代仮名づかいに改め、漢字語の一部を平仮名に変えた。」
「底本では西暦と皇紀が併用されているが、西暦に統一した。」



風巻景次郎 中世の文学伝統  01


カバー文:

「風巻景次郎(1902―60)は、日本文学史の書きかえを生涯の課題とした。本書は、上代における和歌の成立からはじめ、『新古今集』『山家集』『金槐集』など中世300年の代表的歌集とその歌人たちを通覧することで和歌こそが日本文学をつらぬく伝統だと論ずる。鮮烈な問題意識をもって日本文学の本質に迫る力作。」


目次:

改版の序

一 うたとやまとうた、漢詩と和歌、詩と歌、和歌と短歌
二 中世、和歌は中世文学の主軸、物語は文学でない性質を含んでいる、勅撰和歌集、二十一代集、『古今集』の伝統が『金葉』『詞花』で衰える、『千載集』の後また『古今集』伝統が復活する、これが中世文学の開始である、藤原時代芸術の特色、その『金葉』『詞花』への反映は和歌の危機を意味する
三 藤原俊成、隠者文芸、『千載集』、その特色、抒情性の優位、幽玄
四 西行法師、『山家集』、実人生への敗恤と交換した文学精神
五 『新古今集』、その特色、錦繡的妖艶、後鳥羽院の御趣味、『新古今』撰定前の歌界、若き定家
六 『新古今集』の撰定の経過
七 後鳥羽院、院の御製と新古今時代廷臣の歌とは別の所から生れている
八 源実朝、『金槐集』、実朝の歌の多くは風流の歌である
九 老いたる定家、歌に対する見識の変化、世間的幸運
十 『新勅撰集』、新古今調からの離脱、世襲の芸道の建立、有心、歌における「詩」の喪失の警告、「詩」を培うものとしての漢詩、漢詩と和歌との融合
十一 為家
十二 二条・京極・冷泉三家の分立、持明院統と大覚寺統、分立の意義、為世歌論の保守主義、為兼歌論の新鮮さ、『玉葉』の歌と『新後撰』『続千載』の歌と
十三 吉野朝時代の勅撰和歌集
十四 鎌倉末この方の自然観照、天象が景色の重要な要素となる、『玉葉』『風雅』の叙景歌の功績、頓阿の歌、牧渓水墨山水に触れた心
十五 宗良親王、『新葉集』
十六 室町時代に歌は芸術であることをやめ始める、今川了俊、正徹、尭孝の理論、正徹と尭孝との定家の立て方
十七 東常縁、老年の定家を立てて『新古今集』を排斥する、宗祇、古今伝授
十八 歌道はまさに消えようとしていた、結語

解説 (久保田淳)




◆本書より◆


「五」より:

「彫心鏤骨(ちょうしんるこつ)は『新古今集』の歌にふさわしい言葉である。そして欠陥も実はその点にある。しかしそのことは、実は和歌文学が「詩」をまもるために如何に超剋(ちょうこく)すべく困難な時代へ乗りかけてきていたかということを物語るものなのである。単に野放図(のほうず)や遊戯的態度からしては、『新古今集』を性格づけるような声調は彫(きざ)み出されては来ないのである。そこには意志の緊張が要(い)る。彫り出すものの像をたえず虚空に見つめ得る眼が要る。自分がはじめて浮べ得た夢想を具体的に描き出しうるために、人は永久に覚めていねばならぬ。これまで使っていた言葉が、子供のときからの仕つけによって無批判に用いていたところの、兄姉や教師や先輩やの言葉に過ぎなかったことに気附き、これまではそれらの言葉にはめ込むために、自分の感じたもののあちらこちらに鋏(はさみ)を入れて切りこまざいていた不誠実に気附いて、今度は自分の幻影をあくまで形象の上に捕えようと無限の奥所まで追及の歩を緩めないでゆくためには、無限に緊張した注意力と、冷徹闇(やみ)をも透す明眸(めいぼう)とが要るのである。定家が『詠歌大概(えいがたいがい)』で、和歌に師匠なしといったのを知ったとき、私どもは現代における創作行動への観察と批判との結果に等しいものを、彼もまた獲得していたことを感じなければならなかったのである。」
「かりに定家を今しばし例に引けば、彼は憑(つ)かれた者であった。彼の眼には、和歌文学の伝統が生れてこの方、誰もまだ捕えたことのなかった幻影が映っていた。それはつまり、彼の生理心理的な実感として感じられつつあったところの、思想や伝統や世の有様や我が家の有様やの錯綜した全体であった。新しい表現の対象は、職人的な器用さや、使いきたりの鋳型で間に合うことはない。同じように春の夜や、桜や、秋風やをとり上げても、『古今集』の人たちがとり上げたそれらとの間には越えがたい隔りがあった。」

「俊成や西行の時代にはめきめきと隠者が生れていった。この時代の若い世代の人々は、僧形(そうぎょう)になるとならぬにかかわらず、つきつめた者の心情はすべて隠者的である。でない者は目先をはたらかす機会主義者(オッポチュニスト)になった。機会主義者の少数は追従と贈賄との巧みな使い方で案外な現世の幸福を得たし、隠者的な人たちは、その文学精神を鋭くすることによって、あてのない現実の生活から真珠を分泌(ぶんぴつ)させたのである。つまりそうした精神にとって、現世の生活は創造の素材ではなくて、これまであった芸術は心をいたわりにかえる古巣として見直されたのである。
 この時代に心をやるべき古巣の最もよきものは和歌であった。人々はこの四百年来の古巣にたてこもって、自らをそれに準拠させながら、自分自身の「詩」をうたおうとしたのである。この古き革袋(かわぶくろ)を今に生かして新しい酒を盛る営みのために、彫心鏤骨は生れ出たのである。
 すでに諸君も諒解されたであろうように、そうした生活において、何か生気にみちた新時代があるだろうか。真に新しいものは自らの形を結晶させる。その意味において、『新古今集』もまた、原理的には新しいものを所有していないにちがいない。問題はただ古きを知って古き形式に愛着を感じるところの、虚無の熱情というべきものである。あれだけ美しい創作がっできれば虚無の情熱もまた文化の誇りである。それにまた、『古今集』に発した芸術伝統は、このように現実の生活を釣り換えにしなければ本当の花を開かないのだということが、日本文学史の上で証明されたも同様である。」


















































































『舞曲扇林・戯財録 附 芝居秘伝集』 守随憲治 校訂 (岩波文庫)

『舞曲扇林・戯財録 
附 芝居秘伝集』 
守随憲治 校訂
 
岩波文庫 黄/30-2601 

岩波書店
1943年6月15日 第1刷発行
1990年3月8日 第2刷発行
187p
文庫判 並装 カバー
定価310円(本体301円)
カバー: 中野達彦



本書「凡例」より:

「底本に選定した中で、戯財録の方は、終に原自筆本を發見するに至らず、現存の寫本によつたのであるが、數種何れも誤寫があつて、何れを善本と定めることも出來ぬので、出來るだけ後世に誤讀の跡を殘さぬ限度に於いて、研究の上適宜讀下しておいた。」
「戯財録と芝居秘傳集とは甚しい誤字や宛字は訂し、假名遣も大體今日普通用ゐられるのに正したが、なるべく原形を尊重する方針をとつた。舞曲扇林の方は、讀み癖宛字に特色があるので、諸本に見える錯簡を訂正した以外には殆ど手を加へなかつた。」
「挿繪はすべて收めた。」



正字・正かな。本文中図版。


舞曲扇林 戯財録


カバーそで文:

「舞曲扇林(ぶきょくせんりん)・戯財録(けざいろく) 附芝居秘伝集
歌舞伎の舞踊に関する正しい伝統、本質、性格を説いた『舞曲扇林』に、古来からの歌舞伎の脚本創作の方法、約束事を叙述した『戯財録』を収める。」



目次:

舞曲扇林 (河原崎權之助)
 序
 一 白拍子男舞の始
 二 時花(いまやう)の始 付リ 朗詠の事 並ニ 靜御前事
 三 女樂(ぢよがく)芝居の始り
 四 傾(かぶき)といひ初し事
 五 哥舞妓と書し事
 六 小野お通(つう)事 付リ 遊女に太夫と云事
 七 若衆哥舞妓始り 付リ 四條河原芝居の始
 八 町に女子の藝者有事
 九 六方とさる若の事
 十 十六番小舞の始り
 十一 都見事(けんじ)事 付リ 今やう傳(でん)〱の事
 十二 時花(いまやう)六(りく)態の事 付リ 能と今やう字割 並ニ 六態の次第
 十三 六態鏡(かゞみ)の事
 十四 夢路の花
 十五 舞の四病(びやう)の事
 十六 弓と舞の事
 十七 舞の備の事
 十八 程拍子の事 付リ 程拍子鏡の事
 十九 程拍子數用(すうようの)事 付リ 本間(ほんま)今やう拍子割 並ニ 脉(みやく)ひやうしの事
 二十 過不及の事 付リ 同鏡
 二十一 舞の心業(げう)の事 付リ 戀 並ニ 狂亂
 二十二 今やう異見の事
 二十三 物眞似藝の事 付リ 後者鏡
 二十四 古今の若衆方 同若女方
 二十五 江戸狂言作者
 二十六 今樣藝古來の事知 並ニ 狂言所作爲(つくり)
 二十七 江戸・京・大坂芝居座元の始り 並ニ 今樣萬事の根元
 二十八 伊勢踊始 付リ 作男(だておとこ)五哥仙
 
戯財録 (入我亭我入)
 序
 一 作者之名差別之事
 一 假名物語作者連名之事
 一 浄瑠璃作者連名之事
 一 歌舞妓作者連名之事
 一 作者大悟法式秘傳之事
 一 看板文字數口傳之事
 一 割藝題場數口傳之事
 一 附幷双方對句之事
 一 東西段書曲文之事
 一 三都狂言替り有る事
 一 狂言縱横之筋有る事
 一 四季見物人情差別之事
 一 狂言場所工合之事
 一 古人上手作者金言之事
 一 作者請取役場心得之事
 一 役者出工合役場心得之事
 一 役者出合甲乙附方之事
 一 役割番附位上下之事
 一 表八枚看板古今替り有る事
 一 作者支配心得之事
 一 作者番附居所善惡之事
 一 江戸番附居所荒增之事
 一 藝題繪看板書樣之事
 一 一夜附狂言書樣之事
 一 役者甲乙納樣口傳之事
 一 作者出勤仕樣口傳之事
 
芝居秘傳集 (三升屋二三治)
 序
 一 三津五郎梅の由兵衞
 二 木戸の呼もの
 三 火繩の聲番
 四 頭取河東節の口上
 五 東棧敷屋根階子掛ける事
 六 角力の太鼓
 七 角力の狂言
 八 操り座より歌舞妓出勤
 九 受領豐後掾
 十 作者本讀の密傳
 十一 即席わたり法
 十二 半四郎妻
 十三 竹之丞寺
 十四 菊屋何文
 十五 紀州の姫君助六見物
 十六 帳元榮屋甚兵衞板圍
 十七 門之助座敷道成寺
 十八 提灯の幽靈
 十九 團十郎給金の手付
 二十 半太夫河東
 二十一 十寸見蘭州
 二十二 棟梁長谷川
 二十三 中藏日記
 二十四 河竹名文
 二十五 白猿勝手の空せりふ
 二十六 荒事素足
 二十七 團藏葱賣
 二十八 正本の紙員
 二十九 名題看板
 三十 仲藏の替紋
 三十一 同關兵衞の拵へ
 三十二 揚卷三人へ傳授
 三十三 菊之丞老年の早替り
 三十四 三津五郎釣看板
 三十五 市川荒五郎初名題
 三十六 並木五瓶が魂
 三十七 五大力
 三十八 近頃怪談の元祖
 三十九 松助袴着用
 四十 勘亭一流
 四十一 道成寺傳授
 四十二 虚無僧の掟
 四十三 暫の柿の素袍
 四十四 三日月おせん
 四十五 團十郎鎌○ぬ
 四十六 夜雨庵白猿
 四十七 八代目自殺
 四十八 先祖祭り
 四十九 芝居人別
 五十 女形大坂より登り下り
 五十一 新下りの書状
 五十二 助六吉原廻り

解説



舞曲扇林 戯財録 02



◆本書より◆


「舞曲扇林」より:


「舞の心業」:

「○今やうの所作世上の事もるゝ事なし。中にも十が七ツは戀のしよさなり。うかうかと聲雅に任せ舞たらんは所作に移るまじ。戀の聲雅、みな心業の事なれば、曲つけにくきものなり。さればこそ常に伊勢物語などの戀哥吟じ、よく知る人に其深理を尋、其意(こゝろばせ)を知、其道をよくうつしなば、天然と其意所作に移りておもひゐれ外にあらはるべし。おもはゆきことも心からこそなすべけれ。うはの空にすべからず。おのづから常の風俗(ならはし)も優(やさ)ならんに。」

「狂亂」:

「○妻をしたふあり、子をかなしむあり。よくよくおもひゐれずは、狂亂にはみへまじき事也。見ゆる所のふりは聲雅に依て有べし。妻の事我子の事おもふゆへに狂亂になりたる事なれば、月花をみるとても妻子の事忘る事なく、目にするがごとく所作せば心ぞ外にあらはれてよく移るもの也。今は古來より上手あまた有べけれども、萬事不吟味に成きたり、藝のたしなみ無之ゆへ、古來のものゝごとく名をしとふものなし。右にいふゑびす屋吉郎兵衞狂亂ごと上手にて、中にも關寺得ものにて有しが、拍子をつよく踏、かるがると所作をなせり。有人の云。「百とせの狂女がかほど達者には有まじ、狂らんなればこゝろはさも有べし、五躰はこれほど達者には有まじき」と申されき、勿論也。工夫たらぬなるべし。近き比、中村傳九郎狂亂のしよさ有しが、こゝろ外にあらはれ、見物も移りてほめたりし。藝者は万に心つくべき事也。」


「戯財録」より:


「作者金言之事」:

「一、狂言は何を目當に作るぞと尋ねし者あり。答へていふ。狂言はつれづれの文にある白うるりを目當にするといひ終つて歸る。問ふ人感心せしとなり。白うるりといふものは、あつたらこんな物であらうと推量してゐるところが作者なり。天子・將軍の行跡見たこともなし、乞食・盗賊につきあひたることはなけれども、こんなものであらうと、人情を推量して作るが白うるりなり。今世にいひ傳へ聞き傳へすること、戯場より出たること多し。これ作者の大丈夫白うるりより定め出せしものなり。この心持にて萬事仕組む時は、趣向古くても見ざめのせぬやうに鎌を入れ衣をかけて新狂言にすることなり。そうじて机にゐる時、三千世界はわがものと思ひ、向ふ敵なしと心得、役者はわがものにして遣ふべし。さもなくば筆すくみ氣がねばかりが心に浮み、見物の人氣を動かす事あたはず。一通り筋立てたる跡にて、役者の甲乙にしたがひ加筆すべし。(中略)大座には立者多く、めいめい當てんと先陣を爭ひ、すれ合ひの味方討あるものなり。小座は立者の勇士少く、すれ合ひなく、互に端役までも出て力をつけ合ひ、外芝居の大座に負けまいときしむ故、いちづに狂言もはづみがつきて、仕生けて大座に勝つこと毎度ためし多し。我意を挾み、依怙贔屓に役者の例を亂すべからず、甲乙により役をみるべし。君子は重からざれば位なし。ずいぶん身持よろしく内兜をみられぬやう、諸卒を心にて案じ、場に籠城して狂言の計略を工夫すべし。」



「芝居秘傳集」より:


「十八 提灯の幽靈」:

「菊五郎お岩にて提灯の内より初めて出たるは、南北・梅幸が工風に非ず、長谷川勘兵衞工風にて菊五郎へすすめる。同人はどうして出らるるやら更に呑込めず、勘兵衞、盆提灯の二番を買つて來り、眞中糸の骨のかかり二間切つて捨てたり。切りたる糸のつなぎへ張金にてくくり付け、紙をはり、尤も前と後、通り抜けに切りたり。梅幸細工場へ來て見て、「是では小さからう。一番の提灯が宜からう。」といへば、勘兵衞笑うて、「大きい中より出るは誰でも出られます。小さい内から如何して出られると思はせねば面白くなし。」といふ。「顏が出たら前へからだずつと張つて出、前へ下より撞木突上ぐれば此の撞木に手をかけ、撞木の棹には足の懸民ついてあれば自由にて、其の儘撞木舞臺の下へ引下ぐる。提灯の後より八樋を突出す。是にて出らるる道理。」といふ。梅幸感心して其の通りにやり評判よく、世の中では梅幸が工風と今にいひ傳ふ。」

「三十八 近頃怪談の元祖

「昔、怪談事初めたる役者ありしが、尾上松助松綠が元祖といふべし。此松助は、初代菊五郎の門弟にて、大坂より娘形にて下り、後、元服して立役と成る。松助、元來細工に妙を得たり。「忠孝兩國織」とて忠臣藏の書替を狂言に、師直を勤めしが、自分の首を自作にて彫り、舞臺にて之を遣ひ、松助の首の有る所へ松助が出て來る趣向。見物目を驚かし、誰が見ても正眞の松助の首に相違なし。殊の外評判よく、是、似顏の首の元祖といふ。後に、人形町の鼠屋五兵衞の息子福藏といふ者、幸四郎・半四郎、其の外似顏の首をほりてはやらせたり。
 松助は、怪談物早替りの仕懸等、皆自分の考にて至極手輕くやつたり。累の幽靈にて、蓮池の蓮の葉の上を渡りたる事あり。是は、蓮の葉の下へ黑き臺を拵へ、上にしたし、此の葉の上を渡りしなれば、雜作もなき事なれど、見物の見た目では不思議だというて肝を潰したり。
 後、提灯より出る幽靈も、伜菊五郎と長谷川道具方との相談にて拵へたり。此の外、工風あまたあり。又お岩と小佛小兵衞の戸板返し、累、唐瓜に眼鼻などのつく仕懸は、鐵炮町人形屋政・福井町の勘治と云ふ者の作なりと。」





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守随憲治 校訂 『役者論語』 (岩波文庫)































































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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