FC2ブログ

『日本随筆大成 新装版 〈第一期〉 8 半日閑話』

「○神奈川の鯨  此頃鯨の片身なるが神奈川海より上る。肉爛れて臭気甚し。見分に参候者皆熱を煩ひしとかや。」
(大田南畝 『半日閑話』 「巻十二」 より)


『日本随筆大成 
新装版 
〈第一期〉 8 
半日閑話』



吉川弘文館 
昭和50年8月10日 新版第1刷発行
平成5年9月1日 新装版第1刷発行
4p+580p
四六判 丸背紙装上製本 カバー
定価2,900円(本体2,816円)
装幀: 三谷靱彦



本書「解題」より:

「半日閑話 二十五巻 大田南畝 著/後人 追補
 本書は、著者の見聞手録で明和五年から文政五年に至る迄の記録である。南畝二十歳の時から七十四歳に至る間の市井の雑事を記したもので、二十二冊、「街談録」と名づけられていた。南畝のこの種の随筆の中では『一話一言』に次ぐ大著である。南畝は文政六年四月六日に脳溢血で七十五歳の長寿で歿するが、歿後誰人かが『街談録』以外の南畝の文を増補し、更に全然他人の文をも添えて、「半日閑話」なる題号をつけて二十五巻本にしたのが本書である。『半日閑話』はかくして文政十二年や、天保元年などの記事も見える事となって、南畝著としての純粋さは失われたとしても、南畝自筆の『街談録』の所在が不明とされている今日、やはり『半日閑話』に拠って其の内容を知るのが一番容易である。(中略)『半日閑話』は写本としては、国会図書館、内閣文庫を初として、案外諸所の図書館に蔵されている。未だ完全なる写本は知られていないようである。本書再刊に当っては国会図書館蔵写本、内閣文庫蔵写本及び無窮会文庫蔵の写本等を閲して、校合を試みたが、無窮会文庫本も十七巻至ニ十巻までよりなく、二十一巻以後は旧刊の誤植訂正をする程度に止めるのやむなきに至った。(中略)なお今度、内閣文庫写本により、「朝鮮人漂着」の一項を加えた。」



本文中に図65点。巻末に「日本随筆大成」書目一覧7p。



大田南畝 半日閑話 01



内容:

解題 (丸山季夫)
目次
凡例

半日閑話
 半日閑話 目次
 巻一~巻二十五




◆本書より◆


「巻一」より:

「○坊主白仙  近頃〔割註〕天明寛政ノ頃。」白仙といへる者年六拾に近き坊主也き。出羽国秋田に猫の宮あり、願の事有て猫と虎とを画て筆を持て、都下をうかれありき猫書ふ/\と云しなり。呼入れて画しむれば、わづかの価をとりて画く。其猫は鼠を避しと云。上野山下の茶屋の壁に虎を画したり。人も能知れり。近頃はみえず。」


「巻二」より:

「○天狗かくし  近年麻布井上志摩守家来の仕ひし仲間、何月幾日に暇を取り賜るべしと云。何方へ行ぞと問へば日本橋辺なりと云。あやしみて其日人を付て見せしむるに、日本橋辺にて見失ひしといふ。三年を経て書簡を送れり。恙なく居るゆへ案じ給ふべからず。帰る事は成難しといへり。天狗にてもあるべきやなど人々怪しみおもへり。〔割註〕文化四五年なり。」」


「巻五」より:

「○上槇町珍事  上槇町儀兵衛申上候。先月廿九日私地面に漆喰のかたまり候様に相見へ候者有之候に付、召仕民三郎儀まき割にて打候得共、われ不申候間、げんのうにて強く打候得ば割れ候て、右の石の中より手鞠ほども有之候鼠色にて肌至て宜敷石出候由にて、民三郎持帰、私妻むらへ申聞候処、見馴不申石に付仕廻置、翌朔日夕方取出し見候へば、色替り茶色に成申候。右之儀近所にて追々見物に参り候間此段御届申上候。
 大さ壱尺二寸三分廻り竪横同断、正月廿九日歟
  寛政四子年壬二月十二日写(瀬貞蔵)
  多紀安元云、是鮓礜也。蛮語ヘイサラバサラ。」



「巻六」より:

「○天女降て男に戯るゝ事  松平陸奥守忠宗の家来番味孫右衛門と云者、おのれが宅にて、座席に昼寝して居る処へ、天女天降りて孫右衛門が口を吸と見て、其儘辺りを見れども人気もなし、去迚は思ひも寄らぬ夢を見る物哉と思ひ、人に語らんもいと恥敷てぞ居けるが、其後よりして彼孫右衛門が物をいふ度に、口中異香薫じける程に、側に居ける人々是を不審に思へり。其身も不思議に思ふ処に、心安き傍輩の申様には、足下には怠ず深き嗜み哉、いつ迚も口中香しき事、唯々匂の玉を含るが如し、是奇特千万なりといへば、其時孫右衛門さりし時の有増事を語り、夫よりして如此といへば、彼友も奇異の思ひをなしけるとなん。扨孫右衛門美男といふにもあらず、又は何のしほらしき事もなき男振なるに、いか成思ひ入有てか、天女はかゝる情をかけつらん、其源計難し。去れば其香一生身終る迄消ずしてかほりけるとなん。是田村隠岐守宗良の家来佐藤助右衛門重友が語る処如此。」


「巻十」より:

「○大河の心中  文化元子年五月六日の夜、拾六七の小娘、廿年余の男子と大河に身を投て死す。みな桔梗島の浴衣を着たり。緋縮緬の帯にて足と足をくゝり付たりと云。七日の日船にて見し人多し。小梅村の名主の娘、男は百姓也とも云。又は八丁堀辺の者共云。或人の咄し、高輪引手茶屋鈴木といへる者の娘なり。男は近所のかんな台やの息子也。妻子持にて妻臨月也と云。高輪しがらきと云茶屋に書置有之よし、四五日過て、元船の船頭力を合て検使をうけ、霊巌寺へ葬りしと、其雑費金弐拾両余懸しといふ。」

「○ヨイ/\病  世俗にヨイ/\と云病有。俄に中風の様になるを云。是も蘭書に有。東方百年来有奇病、ペリ/\と云由、玄厚の説、〔割註〕内科選余痱病部。」

「○婢髪切  文化七庚午年四月廿日の朝、下谷小島氏〔割註〕富五郎。」家の婢〔割註〕小女なり。」朝起て、玄関の戸を開んとせしに、頻りに頭重く成様に覚しが、忽然として髪落たり。外々の髪切れたるはねばりけあり、臭気有ものなれども、左にはあらずと云。〔割註〕去年小日向七軒屋敷間宮氏の婢切られしは、宵よりしきりにねむけ有て切られしと云。」」

「○神田藍染川の怪犬  同年四月廿三日の朝、神田藍染川に犬有て一つの箱を喰ひ破れり。中に藁人形有。蛇をまとひ、蛇の頭より大なる針を打付たり。あやしければ、公聴に訴しとなん。〔割註〕室町雪の屋にて其夜所聞なり。」」

「○屋根に溺死人落つ  浅草堀田原堀筑後守屋敷に怪異の事あり。庚申四月七日の昼の事成りしが、屋根の上に物を投し音あり。あやしみて見せしむれば、日を経たる溺死人にて、臭気甚し、漸々に取て寺に葬しとなん。屋敷にても至て秘して人に語られずといふ。火車と云ものゝ取てすてしにや、支体糜爛して分知難しと云。〔割註〕四月廿二日府中にて小嶋に聞けり。」奥方の居間の屋根なりとも云。」

「○上野山下両士刃傷  文化七庚午年五月四日朝、上野山下にて両士刃傷に及び、一人の左の腕を切て落す。未だ近辺の屋敷も戸をさしたれば、亀屋といふ茶飯売る者の家にて、豆腐を買に出んとて戸を明しを幸に、内に入て倒れぬ。連の者は向ひの水茶屋に至り、呼で来れと云に、驚きて亀屋の人水茶屋に至り見れば、此士自分咽喉を突んとして、誤て腮を切苦しむ体を見て、おそれて帰りて告、彼士是を聞て刀を持出て、右の手にて片手打に其首を打落し、自分も倒れて死す。其日の夕暮に親類の者にや来りて、双方共に死がいをおさむ。双方共に死しものなれば事ゆへなく、遊所よりの帰りと見へたり。いづれも衣服相応にて袴を着たり。いか成耻しめを請てかゝる事をせしにや。〔割註〕或説に水道橋内松平壱岐守殿家来なりといふ。」」

「○中万字屋の幽霊  文化七庚午年旦畝(タンホ)印 中万字屋妓を葬る。
十月末の事なり。此妓病気にて引込居たりしを、遣り手仮初なりとて、折檻を加へしに、ある日小鍋に食を入て煮て喰んとせしを見咎め、其鍋を首にかけさせ、柱に縛り付て置しかば終に死しけり。其幽霊首に小鍋をかけて廊下に出るよし沙汰あり。」



「巻十二」より:

「○新吉原焼失並火竜骨  明和五年四月五日夜丑三刻、新吉原五丁町より出火して、廓中残らず焼る。火元は四つ目やとかや。焼灰の中よりあやしき骨出たり。火竜といふ。」

「○髪切  四五月の間髪切り流行。〔割註〕人々の髪自然と脱落す。是を髪切といふ。」



「巻十五」より:

「○小日向辺の怪異  此頃弓の稽古場の咄しにて承り候処、去年十二月(文化十一戌年)の事とよ。小日向辺の御旗本其頃小普請なり。一両年已前養子に来り当時家督なり。或日ふと近所へ夜話に罷越候処、一体彼仁少々は酒を呑候処、此頃は禁酒童謡に有之、其夜は殊の外酒を飲て深更に及び、帰る道にて跡より其名を呼掛候者有之、依て振返り見候得ば、縞の衣服を着したる色青ざめたる坊主にておそろしき様体なり。依て当人は顔をにらめ早足に歩む処、此度は又先へ廻り跡ずさり下り来るゆへ、甚だ恐怖の思をなし、早々に帰り入口へ入らんと思ひしに、其者も倶に入る様子なり。夫より風と当人狂乱と相成、養父の前へ出て養父の已前の悪を速にしやべるゆへ、家内も肝を消し、是は乱心にやとて、早々に休ませ夜着をかけ男共押へ居候得共、夫をはねのけ高らかに色々の事をしやべりしゆへ、叱り/\に漸々押付候処、暁過より追々鎮まりすや/\休みけり。其翌日は平生の体にて何も替り候事も無之。依之て養父余りの不審に遠くより物を申かくるに何の替りし事も無之、昨夜の始末を尋しに不存由答へけり。然るに彼実母実家より此頃泊りに参り候ゆへ相尋ければ、其時当人答には、誰へも咄し申間敷候得共、右様御尋なれば無拠とて咄しけるは、昨夜の途中の奇事、夫より門を入るに一向騒ぎ悪口の始末不覚すや/\休し頃、又彼坊主枕元へ参り申聞候は、今夜家内中を其方に切せ度思ひしが力に不及、斯成上は我命日十二月二日なり。依之一向問ひ吊ひ今になさゞるゆへ、品々此事を取行呉候へ、又我名げんじんといふ迚、かき消すやうに失ける由申ゆへ、実母此事を養父に咄す処一々承知之、已前其父むごく取計遂に出奔に及びしなり。彼出奔の日を命日と致すといへども、一向尋も不致石碑も不立、勿論法事を不致、夫なりに捨置しゆへ、右の人やと養父おどろきける。殊に其名乗をうち返し見れば申聞る名なりとて、早々法事致し吊ひけり。此近年毎歳十二月の月に至れば、兎角奇事止事なき所当年より其事止む。其年に至り当人大御番へ御番入致すと云々、咄す人甚密して名を不語とかや。乍去此説実説にて同道人も此由語る後も名を知らず。」

「○信州浅間嶽下奇談  九月頃承りしに、夏頃信州浅間ケ嶽辺にて郷家の百姓井戸を掘りしに、二丈余も深く掘けれども水不出、さん瓦を二三枚掘出しけるゆへ、かゝる深き所に瓦あるべき様なしとて、又々掘ければ、屋根を掘当けるゆへ、其屋根を崩し見れば、奥居間暗く物の目不知、去れ共洞穴の如く内に人間のやうなる者居る様子ゆへ、松明を以て段々見れば、年の頃五六十の人二人有之、依之此者に一々問ひければ彼者申やうは、夫より幾年か知れざれども、先年浅間焼の節土蔵に住居なし、六人今度に山崩れ出る事不出来、依之四人は種々に横へ穴を明などしけれども、中々不及して遂に歿す。私二人は蔵に積置し米三千俵、酒三千樽を飲ほし、其上にて天命をまたんと欲せしに、今日各々へ面会する事生涯の大慶なりと云けるゆへ、段々数へ見れば、三十三年に当るゆへ、其節の者を呼合ければ、是は久し振り哉、何屋の誰が蘇生しけるとて、直に代官所へ訴へ上へ上んと言けれども、数年地の内にて暮しける故、直に上へあがらば、風に中り死ん事をいとひ、段々に天を見、そろり/\と上らんと言けるゆへ、先穴を大きく致し日の照る如くに致し、食物を当がへ置し由、専らの汰沙なり。此二人先年は余程の豪家にてありしとなり。其咄し承りしゆへ御代官を聞合せけれ共不知、私領などや、又は巷説哉も不知。」

「○盗賊の奇談  此頃の事にや。御先手の加役に松下河内守といふ人あり。其手先にて此頃捕り候盗賊穢多なりしよし、与力吟味に及びし時、彼盗賊申は、私は元穢多なりしが、たま/\に世に生れ出ながら、人の交りも出来ぬといふは甚以残念なり。依之五十年の寿譬三十年に縮るとも、人間の交り致さばやとぞんじ、風と金銀衣服を盗取家出致し、夫より所々え盗人に入、色々盗取しゆへ、最早栄花を尽せし上おもひ置事あらず、夫のみならず、磔柱の御料は最早ありしゆへ、速に被仰付可被下と、明白に言上せしかば、与力をはじめ加役の者も責るに力なく、扨々すさまじき者なりと云ひしとかや。程経て御仕置極りしが、其前夜以前捕はれし時の与力に逢申は、私もそなた様の御手にて捕れ、最早罪極りし上はおもひ残す事も無之、何卒御慈悲の為に忌日には線香一本御立可被下候よし、与力え歎きしゆへ、与力も愛心増して承知せしかば、其上にて右の御恩によき盗人を御手に捕らせ申さんと言しかば、与力申は夫は不入事、聞に不及と申せしとかや。其翌日御仕置に相成しが、其夜与力の夢に盗人申は、明日本所辺何所へ御出可有、能盗人御手に入らんと申せしゆへ、翌日夢覚て後余りの事におもひ、同心を召連れ彼おしへし所へ参りしかば、はたして詮議致し居りし盗人に出合、忽召盗りしよし、余り珍事と与力に語りしが(引用者注:「与力語りしが」カ)、以前彼の盗人を捕し節、同心も参けれども、同心には夢は扨置何も申さゞりしゆへ、同心思ひけるは、与力は(引用者注:「与力には」カ)色々願望を申、其時能盗人もおしへ申に、我等に教へざりしは我等には深き恨み残るらんと思ひける夜より、ふるへ付おこりと成し由、松下聞て其同心を呼寄大に叱り、気の弱き人物と言しが、漸々此頃は平癒せしとぞ。誠に珍敷事なりと、松下坊主衆に直物語なり。」

「○敵討  此頃の事かとよ。相州藤川共いふ。又は江戸内共いふ。鍛冶屋の息子年十三歳、或時其父とおなじくでば庖丁を拵候処、むすこ申様、此庖丁は切れ可申哉之由申候得ば、親父申すは随分是にては首も切可申と申候へば、むすこ右の庖丁を取立上り親父の首を切落し候由、依之家内大騒に相成、早々名主へ訴へ申候処、名主も驚き罷越候共、息子少しも騒がず、私事は親殺しに相違無之間、早々奉行所へ訴へ親殺の罪に被仰付可被下候由申候に付、早々奉行所へ訴へければ、捕手参り召連行き子細尋申候処、前書之次第有の儘に申ゆへ、与力牢へ下げ候へば、付居候者に申様、何卒与力衆へ今一応申上度段申聞候に付、早速与力え訴へければ、与力呼寄及面談候処、一体親を殺候子細は外之儀にても無之、私三歳の時当時の親父私母と密通致し実父を殺し候由、去年私叔父舎家に有之、去る年迄一向舎家に叔父有之事を不存候処、母申候は舎家の御叔父様大病之由申来る間、見舞に参り可申旨申聞候ゆへ参り候処、末期に及び、実父を当時の親殺し候事を委敷物語致候ゆへ、右之訳を以て此度敵と存じ相殺候由申、乍去当時の親父も私幼年より世話にも相成養育にも預りし事ゆへ、罪は私遁れ難く候。いづれにも親殺の罪に行はれ候様申候由、依之与力も詮方なく直に母を呼出し、或は近辺の老人を呼、子細を糺し可申旨申候由、是等実説に候はゞ御咎はいかゞ哉相知兼申候。」



「巻十六」より:

「○青山の男女お琴  七月中旬の頃の事とかや。青山千駄谷辺に、男女のよしにてお琴と呼金主あり。平生女の形にて往来致し、専ら金の口入を致し、右にて勝手よく住居も殊の外立派にて、世間の人目を驚したるが、大御番矢藤源左衛門の娘となれ染、貰ひ請んと申込みしに、矢藤も甚当惑して、叔父の方へ右娘を預けし処、又候叔父の方え男女参り、是非に貰ひ請んと強く申ゆへ、叔父如何なる故にや左様にもらひ度といへば、只今男の形になり参り候はゞ遣し可申段申候処、直に宿に帰り長髪をそり野郎となり参りしゆへ、無余義遣すとかや。然るに此男女唯今迄女となり、大名の大奥え立入寝泊り迄も致せし事、右のさわぎにて露顕いたし、此頃捕はれ牢舎致せしよし沙汰有之。」

「○小女変死  六月十四日、山王夜宮の節、さる御旗本右祭礼に娘を連れ見物せんと、むすめに衣服を着かへさせ置、自分も着替て出んとせし処、右娘一向に不見ゆへ、所々を尋けれども一向に不見。夫よりして大さわぎと相成、人をたのみ迷ひ子を尋るやうに探しけれども、更に不見ゆへ、大かた神隠しにてもやとて、実母の歎き大方ならず、狂乱の如くにて有之とぞ。然れども詮方なければ段々あきらめ居る処、七月二日に至り、隣家は明屋敷にて草芒々と茂りしを、草刈り参り苅取る処、新しき子供の雪駄片々有之、草かり不思議に思ひ帰り掛に持帰り、今日草を刈る処、一向に子供など不参処に、此雪駄捨ありしは甚不思議と咄せし処、隣の亭主申様、夫は此頃御隣の娘子不見よし沙汰ありしが、若や右の娘のせきだにては無之哉、明日にも参られなば為見べしと申ゆへ、翌日草刈の序に隣に持行見せければ、まがふ方なき娘の雪駄なるよし申。夫より右草芒々と致せし所へ参り、段々草を刈せし処、古井有之、若哉此内へ這入はせじやとて、井戸掘を俄に呼に遣り探させければ、其内より死がい上り、袂にほうづき五つ六つ入ありしとぞ。是は察する処、右古井の脇にほうづきありしを取らん迚参り、過て落しものなるべし。草茂り居りしゆへ炎天と申せども、形も其儘にてかんざしなども指し髪も結ひありしとぞ。誠に無惨といふも愚か也。是を見るより又々母親狂乱と相成しとぞ。其上此母親此頃少々恨みしは、当春まで遣ひし侍なり。此侍に右娘殊の外なじみ町などへ出る時は抱き参り、至て子ぼんのふなりければ、若哉此侍たぶらかしつれ出売しやと、此頃中恨み居し処、右一条ゆへ人を疑しとて猶更悔みしとかや。」

「○下谷小児喰殺
同年其頃、下谷辺にても武家屋敷にて四歳に相成候子供と隣の赤子、二階にて昼寐致候を、腹を喰破り臓腑をたべ候由、右の母下に洗たく致居処、赤子泣候ゆへ直に参り見候処、右の始末の由。」

「○一つ木の蛇
一つ木にても此頃三四才の子を蛇呑候ゆへ、其父跡を追参り候処、程近に相成候と悪風を吹かけ、目塞り夫切りに致し候よしの風聞有之。」




「巻二十一」より:

「○大なる歌
太閤秀吉公或時紹巴を召て天下無上の大なる歌を詠吟なされ、是より上の歌ありやと仰せて、
   須弥山に腰打かけて大空をぐつと呑めども咽にさわらず
いかに/\と仰せられければ、紹巴言下に、
   須弥山に腰打かけてのむ人をまつげの先きでつきこかしけり」

「○秀吉の難題、紹巴の即吟
秀吉公紹巴を召て歌一首を詠ぜり、下の句を続けよとて歌に、
   奥山に紅葉ふみわけなく螢
紹巴言下に、
   しかとは見へぬひかりなりけり
と申上ければ御感なされけり。」



「巻二十五」より:

「○尾州奇人  尾州殿内渡辺飛騨守百姓愛知郡米之木村内鳶がす(名古屋ヨリ一里余東北ノ方)と申所、八右衛門むすめやよ事、当午年(寛政十年)廿二歳に成し、当二月上旬より男すがたになり、鍬かたげて田打に参り、力つよく候得ば、人並よりはよけいに仕事をしてかへりし、八右衛門ふしぎに存じ、となり友達にありしむすめをひそかにまねき、やよしんていをたづねさせ候処に、右やよ申候様は、只今迄は友達に候へども、私事は今よりは男になり申候へば、それよりとなりのむすめ、まへをまくりてあらため候へば、只今迄の女の物ふさがり、人なみより大なる男のものはへ申候。それより私共仲間倉地定助(飛騨守部屋)なる者あらためておもてへ達し候。水野御役所(代官所)よりは御国方(御勘定奉行ノコト)へ御達し御座候。名を久八とあらためやろうになり、若イ者入いたし候。あまり/\めづらしき事に候へば、あら/\申上候。
 右温故堂書生喜左衛門方へ尾州知音のものより申来る写し也。」




大田南畝 半日閑話 02


























































スポンサーサイト



『竹取物語』 阪倉篤義 校訂 (岩波文庫)

「かぐや姫答(こた)へていはく、「もはら、さやうの宮仕(づか)へ仕(つか)うまつらじと思ふを、しゐて仕(つか)うまつらせ給はゞ、消(き)え失(う)せなんず。御官冠(みつかさかうぶり)つかうまつりて、死(し)ぬばかり也」。翁(おきな)いらふるやう、「なし給。官冠(つかさかうぶり)も、わが子を見(み)たてまつらでは、何(なに)にかはせむ。さはありとも、などか宮仕(づか)へをしたまはざらむ。死(し)に給べきやうやあるべき」と言(い)ふ。「猶そら事かと、仕(つか)うまつらせて、死(し)なずやあると見給へ。あまたの人の、心ざしおろかならざりしを、空(むな)しくしなしてしこそあれ。(中略)」と言(い)へば、翁、答(こた)へていはく、「天下(てんか)の事は、とありとも、かゝりとも、み命(いのち)の危(あやう)さこそ、大(おほ)きなる障(さは)りなれば、猶仕(つか)うまつるまじき事を、まいりて申さん」とて、まいりて申やう、「仰の事のかしこさに、かの童(わらは)を、まいらせむとて仕(つか)うまつれば、「宮仕(づか)へに出し立(た)てば死(し)ぬべし」と申。宮つこまろが手に生(う)ませたる子にもあらず。昔(むかし)、山にて見(み)つけたる。かゝれば、心ばせも世の人に似(に)ず侍」と奏(そう)せさす。」
(『竹取物語』 より)


『竹取物語』 
阪倉篤義 校訂
 
岩波文庫 黄/30-007-1 


岩波書店 
1970年8月17日 第1刷発行 
1979年5月20日 第12刷発行 
94p 
文庫判 並装 
定価☆(100円)



本書「凡例」より:

「本書の底本には、流布本系統に属し、現存の伝本のうち書写年代の明らかな最古の完本と目される「武藤本」を採り、その書入訂正をも参看して本文を定め、これに可能な限り従うことに努めた。」
「句読点や、会話文を示す「  」(中略)を施し、濁点を付したが、これらはすべて、いちいち注しない。」
「見だしはすべて校注者の付したものである。」




竹取物語



帯文:

「我が国最古といわれるこの物語には、我々の祖先が描いた美しい空想の世界と、貴族社会への諷刺とが見事に融合統一されている。」


目次:

凡例

一 かぐや姫の生ひ立ち
二 貴公子たちの求婚
三 仏の御石の鉢(石つくりの皇子の話)
四 蓬莱の玉の枝(くらもちの皇子の話)
五 火鼠の皮衣(あべの右大臣の話)
六 龍の頸の玉(大伴の大納言の話)
七 燕の子安貝(いそのかみの中納言の話)
八 御門の求婚
九 かぐや姫の昇天
十 ふじの山(むすび)

補注

付録
 『今昔物語集』巻三十一所載「竹取翁、見付けし女の児を養へる語」
 『海道記』所載「竹取説話」

解説




◆本書より◆


「一 かぐや姫の生ひ立ち」より:

「その竹の中に、もと光(ひか)る竹なむ一筋(ひとすぢ)ありける。あやしがりて寄りて見るに、筒(つゝ)の中光(ひか)りたり。それを見(み)れば、三寸(ずん)ばかりなるひといとうつくしうてゐたり。(中略)うつくしき事かぎりなし。いとおさなければ籠(こ)に入(い)れて養(やしな)ふ。」

「二 貴公子たちの求婚」より:

「かぐや姫(ひめ)「石(いし)つくりの皇子(みこ)には、佛の御石(いし)の鉢(はち)といふ物あり。それをとりてたまへ」と言(い)ふ。「くらもちの皇子(みこ)には、東の海に蓬莱(ほうらい)といふ山あるなり。それに銀(しろかね)を根(ね)とし、金(こがね)を莖(くき)とし、白(しろ)き玉を實(み)として立(た)てる木あり。それ一枝おりて給はらん」と言(い)ふ。「今ひとりには、唐土(もろこし)にある火鼠(ねずみ)のかはぎぬを給へ。大伴の大納言には、龍(たつ)の頸(くび)に五色に光(ひか)る玉あり、それをとりて給へ。いそのかみの中納言には、燕(つばくらめ)の持(も)たる子安(こやす)のかいひとつとりて給(たま)へ」と言(い)ふ。」


「四 蓬莱の玉の枝(くらもちの皇子の話)」より:

「かゝる程に、門(かど)をたゝきて、「くらもちの皇子(みこ)おはしたり」と告(つ)ぐ。「旅(たび)の御姿(すがた)ながらおはしたり」と言(い)へば、會(あ)ひたてまつる。御子のたまはく、「命をすてゝ、かの玉の枝持(も)ちてきたる、とて、かぐや姫に見(み)せたてまつり給へ」と言(い)へば、翁持(も)ちて入(い)りたり。この玉の枝に文(ふみ)ぞつきたりける。
  いたづらに身はなしつとも玉の枝を手おらでたゞに歸らざらまし」

「翁(おきな)、皇子(みこ)に申やう、「いかなる所にか、この木はさぶらひけん、あやしく、うるはしく、めでたき物にも」と申。皇子(みこ)答(こた)へてのたまはく、
 「さをとゝしの、二月(きさらぎ)の十日ごろに、難波より船に乘(の)りて、海(うみ)の中に出(い)でゝ、行(ゆ)かん方(かた)も知(し)らず覺(おぼ)えしかど、思(おも)ふこと成(な)らでは世中に生(い)きてなにかせん、と思(おも)ひしかば、たゞ空(むな)しき風にまかせてありく。命死(し)なばいかゞはせん、生(い)きてあらむかぎりは、かくありて、蓬莱といふらむ山に逢(あ)ふやと、浪(なみ)に漕(こ)ぎたゞよひありきて、わが國(くに)のうちをはなれて、ありきまかりしに、ある時は、浪に荒(あ)れつゝ海の底(そこ)にも入(い)りぬべく、ある時(とき)は、風につけて知(し)らぬ國に吹(ふ)き寄(よ)せられて、鬼(おに)のやうなるもの出來(き)て殺(ころ)さんとしき。ある時には、來(き)し方(かた)行末(すゑ)も知(し)らず、海(うみ)にまぎれんとしき。ある時(とき)にはかてつきて草の根をくひものとしき。ある時は、言(い)はん方(かた)なくむくつけげなるもの來(き)て、食(く)ひかゝらんとしき。ある時には、海(うみ)の貝(かひ)をとりて命をつぐ。旅(たび)の空に助(たす)け給べき人もなき所に、いろ/\の病(やまひ)をして、行(ゆ)く方(かた)そらもおぼえず。舟(ふね)の行にまかせて海(うみ)にたゞよひて、五百日といふ辰(たつ)の時ばかりに、海の中に、はつかに山見(み)ゆ。舟のうちをなむせめて見る。海(うみ)の上(うへ)にたゞよへる山、いと大(おほ)きにてあり。その山のさま、高(たか)くうるはし。これやわが求(もと)むる山(やま)ならんと思(おも)ひて、さすがに恐(おそ)ろしくおぼえて、山のめぐりをさしめぐらして、二三日ばかり見(み)ありくに、天人の裝(よそほ)ひしたる女、山の中より出來(き)て、銀(しろかね)のかなまりを持(も)ちて、水を汲(く)みありく。これを見て、舟より下(お)りて、「山の名を何(なに)とか申」と問(と)ふ。女、答(こた)へていはく、「これは蓬莱(ほうらい)の山なり」と答(こた)ふ。これを聞(き)くに、うれしき事かぎりなし。この女、「かくのたまふは誰(たれ)ぞ」と問(と)ふ、「わが名はうかんるり」と言(い)ひて、ふと山の中に入(い)りぬ。
 その山見(み)るに、さらに登(のぼ)るべきやうなし。その山のそばひらを巡(めぐ)れば、世中になき花の木どもたてり。黄金(こがね)・銀(しろかね)・瑠璃(るり)色の水、山(やま)より流(なが)れ出(い)でたり。それには色々の玉の橋(はし)渡(わた)せり。そのあたりに、照(て)りかゝやく木どもたてり。その中に、このとりてまうできたりしは、いと惡(わろ)かりしかども、「の給しに違(たが)はましかば」と、この花をおりてまうできたるなり。」」

「かゝる程に、おとこども六人つらねて庭に出きたり。一人の男、文挾(ふみはさ)みに文をはさみて申、「くもん司(づかさ)の匠(たくみ)、あやべのうち麿(まろ)申さく、玉の木を作(つく)り仕(つか)ふまつりし事、五穀(こく)斷(た)ちて、千餘日に力を盡(つく)したること少(すく)なからず。しかるに禄(ろく)いまだ給はらず。これを給て、けこに給せん」と言(い)ひて、捧(さゝ)げたり。竹取(とり)の翁、「この匠(たくみ)が申ことはなに事ぞ」と傾(かたぶ)きをり。御子は我(われ)にもあらぬ氣色(けしき)にて、肝(きも)消(き)えゐ給へり。これをかぐや姫(ひめ)聞(き)きて、「この奉(たてまつ)る文をとれ」と言(い)ひて、見れば、文に申けるやう、
 「皇子(みこ)の君、千日いやしき匠(たくみ)らともろともに同(おな)じ所に隱(かく)れゐたまひて、かしこき玉の枝(えだ)作(つく)らせ給て、官(つかさ)も給はんとおほせ給き。これを此頃(ころ)按(あん)ずるに、「御つかひとおはしますべきかぐや姫(ひめ)の要(えう)じ給べきなりけり」と、うけたまはりて、此宮より給はらん」と申て、「給はるべきなり」と言(い)ふを聞(き)きて、かぐや姫の、暮(く)るゝまゝに思ひわびつる心地(こゝち)、わらひさかへて、翁(おきな)を呼(よ)びとりて言(い)ふやう、「まことに蓬莱(ほうらい)の木かとこそ思(おも)ひつれ。かくあさましき空(そら)ごとにてありければ、はやとく返し給へ」と言(い)へば、翁答(こた)ふ、「さだかに作(つく)らせたる物と聞(き)きつれば、返さむ事いとやすし」と、うなづきてをりけり。かぐや姫の心ゆきはてゝ、ありつる歌の返し、
  まことかと聞(き)きて見つれば言のはを飾(かざ)れる玉の枝にぞありける
と言(い)ひて、玉の枝も返しつ。」

「かのうれへをしたる匠(たくみ)をば、かぐや姫呼(よ)びすへて、「うれしき人どもなり」と言(い)ひて、禄(ろく)いと多(おほ)くとらせ給。匠(たくみ)らいみじく喜(よろこ)び、「思(おも)ひいつるやうにもあるかな」と言(い)ひて、歸(かへ)る道にて、くらもちの皇子(みこ)、血(ち)の流(なが)るゝまで調ぜさせ給。禄(ろく)得(え)しかひもなく、皆(みな)とり捨(す)てさせ給てければ、逃(に)げうせにけり。かくてこの皇子(みこ)は、「一生(しやう)の恥(はぢ)、これに過(す)ぐるはあらじ。女を得(え)ず成ぬるのみにあらず、天下の人の、見思(おも)はん事の恥(は)づかしき事」とのたまひて、たゞ一ところ、深(ふか)き山へ入給ぬ。宮司(づかさ)、候(さぶら)ふ人々、みな手を分(わか)ちて求(もと)めたてまつれども、御死(し)にもやしたまひけん、え見つけたてまつらずなりぬ。(中略)これをなむ「玉さかる」とは言(い)ひはじめける。」



「八 御門の求婚」より:

「さて、かぐや姫、かたちの世に似(に)ずめでたきことを、御門きこしめして、内侍なかとみのふさこにのたまふ、「多(おほ)くの人の身をいたづらになしてあはざなるかぐや姫は、いかばかりの女ぞと、まかりて見てまいれ」との給ふ。ふさこ、うけたまはりてまかれり。」
「かぐや姫(ひめ)に、「はや、かの御使(つかひ)に對面(たいめん)し給へ」と言(い)へば、かぐや姫、「よきかたちにもあらず。いかでか見ゆべき」と言(い)へば、「うたても、の給ふかな。御門の御使(つかひ)をば、いかでかおろかにせむ」と言(い)へば、かぐや姫答(こた)ふるやう、「御門(かど)の召(め)してのたまはん事、かしこしとも思(おも)はず」と言(い)ひて、さらに見(み)ゆべくもあらず。産(う)める子のやうにあれど、いと心恥(は)づかしげに、をろそかなるやうに言(い)ひければ、心(こゝろ)のまゝにもえ責(せ)めず。女、内侍のもとに歸(かへ)り出て、「くちおしく、このおさなきものは、こはくはべるものにて、對面(たいめん)すまじき」と申。内侍「必(かなら)ず見(み)たてまつりてまいれ、と仰(おほせ)事ありつるものを、見たてまつらでは、いかでか歸(かへ)りまいらむ。國王の仰ごとを、まさに世(よ)に住(す)み給はん人の、うけたまはり給はで有なむや。いはれぬ事なし給ひそ」と、言(こと)葉恥(は)づかしく言(い)ひければ、これを聞(き)きて、ましてかぐや姫、聞(き)くべくもあらず。「國王の仰(おほせ)ごとを背(そむ)かば、はや殺(ころ)し給ひてよかし」と言(い)ふ。」

「かぐや姫答(こた)へていはく、「もはら、さやうの宮仕(づか)へ仕(つか)うまつらじと思ふを、しゐて仕(つか)うまつらせ給はゞ、消(き)え失(う)せなんず。御官冠(みつかさかうぶり)つかうまつりて、死(し)ぬばかり也」。翁(おきな)いらふるやう、「なし給。官冠(つかさかうぶり)も、わが子を見(み)たてまつらでは、何(なに)にかはせむ。さはありとも、などか宮仕(づか)へをしたまはざらむ。死(し)に給べきやうやあるべき」と言(い)ふ。「猶そら事かと、仕(つか)うまつらせて、死(し)なずやあると見給へ。あまたの人の、心ざしおろかならざりしを、空(むな)しくしなしてしこそあれ。昨日今日(けふ)御門(かど)のの給はんことにつかん、人聞(ぎゝ)やさし」と言(い)へば、翁、答(こた)へていはく、「天下(てんか)の事は、とありとも、かゝりとも、み命(いのち)の危(あやう)さこそ、大(おほ)きなる障(さは)りなれば、猶仕(つか)うまつるまじき事を、まいりて申さん」とて、まいりて申やう、「仰の事のかしこさに、かの童(わらは)を、まいらせむとて仕(つか)うまつれば、「宮仕(づか)へに出し立(た)てば死(し)ぬべし」と申。宮つこまろが手に生(う)ませたる子にもあらず。昔(むかし)、山にて見(み)つけたる。かゝれば、心ばせも世の人に似(に)ず侍」と奏(そう)せさす。」



「九 かぐや姫の昇天」より:

「「をのが身はこの國の人にもあらず。月の都(みやこ)の人なり。それを、昔の契(ちぎり)ありけるによりなん、この世界(せかい)にはまうで來(きた)りける。いまは歸(かへ)るべきになりにければ、この月の十五日に、かのもとの國より、迎(むか)へに人々まうで來(こ)んず。」」

「かゝる程に、宵(よひ)うち過(す)ぎて、子(ね)の時ばかりに、家のあたり晝(ひる)の明(あか)さにも過(す)ぎて光(ひか)りわたり、望(もち)月の明(あか)さを十あはせたるばかりにて、ある火との毛(け)の穴(あな)さへ見(み)ゆるほどなり。大空(ぞら)より人、雲に乘(の)りて下(お)り來(き)て、土(つち)より五尺ばかり上(あが)りたる程に、立ち列(つら)ねたり。これを見(み)て、内外(うちと)なる人の心ども、物におそはるゝやうにて、あひ戰(たゝか)はん心もなかりけり。からうじて思(おも)ひ起(おこ)して、弓矢をとり立(た)てんとすれども、手に力(ちから)もなくなりて、萎(な)えかゝりたり。中に心さかしき者(もの)、念(ねん)じて射(い)んとすれども、外(ほか)ざまへ行(い)きければ、あれも戰(たゝか)はで、心地(ち)たゞ痴(し)れに痴(し)れて、まもり合(あ)へり。」



「付録 『今昔物語集』卷三十一所載「竹取翁、見付けし女の兒(ちご)を養へる語」」より:

「而る間、其の時の諸(もろもろ)の上達部・殿上人、消息を遣(や)りて假借(けさう)しけるに、女、更に聞かざりければ、皆心を盡して云はせけるに、女、初には、「空に鳴る雷(いかづち)を捕へて將來(もちきた)れ。其の時に會はむ」と云ひけり。次には、「優曇花と云ふ花有りけり。其れを取りて持來れ。然らむ時に會はむ」と云ひけり。後には、「打たぬに鳴る鼓と云ふ物有り。其れを取りて得させたらむ折に、自ら聞えむ」など云ひて難堪(たへがた)き事なれども、舊(ふる)く物知りたる人に此等を可求(もとむべ)き事を問ひ聞きて、或いは家を出でて海の邊(ほとり)に行き、或いは世を弃(す)てて山の中に入り、此樣(かくやう)にして求めける程に、或いは命を亡ぼし、或いは返り來らぬ輩(ともがら)も有りけり。
 而る間、天皇此の女の有樣を聞し食(め)して、「此の女、世に並無く微妙(めでた)しと聞く。我れ行きて見て、實に端正の姿ならば、速に后とせむ」と思して、忽に大臣・百官を引將(ひきゐ)て、彼の翁の家に行幸(みゆき)有りけり。既に御(おはし)まし着きたるに、家の有樣微妙なる事、王の宮に異らず。女を召出るに、即ち參れり。天皇此れを見給ふに、實に世に可譬(たとふべ)き者无く微妙(めでた)かりければ、「此れは我が后と成らむとて、人には近付かざりけるなめり」と喜(うれし)く思し食して、「やがて具して宮に返りて、后に立てむ」と宣ふに、女の申さく、「我れ后と成らむに无限き喜び也と云へども、實には、己れ、人には非(あら)ぬ身にて候ふ也」と。天皇の宣はく、「汝、然(さ)は何者ぞ。鬼か神か」と。女の云はく、「己れ鬼にも非ず、神にも非ず。但し己をば只今空より人來りて可迎(むかふべ)き也。天皇速に返らせ給ひね」と。
 天皇此れを聞き給ひて、「此(こ)は何(いか)に云ふ事にか有らむ。只今空より人來りて可迎きに非ず。此れは只、我が云ふ事を辭(いな)びむとて云ふなめり」と思し給ひける程に、暫許(しばしばかり)有りて、空より多くの人來りて、輿(みこし)を持(もて)來りて、此の女を乘せて空に昇りにけり。其の迎へに來れる人の姿、此の世の人に似ざりけり。其の時に天皇、「實に此の女は只人には无き者にぞ有けれ」と思して、宮に返り給ひにけり。」



「解説」より:

「「竹取り」とよばれる仕事に従事する人々は、もと、各地をわたりあるく、まずしい職業集団であった。それが、かぐや姫を得て「勢猛の者」になるというのは、この人々にとっての一つの夢をかたるものでもあったのである。」






こちらもご参照ください:

ハンス・ヨナス 『グノーシスの宗教』 秋山さと子/入江良平 訳










































曲亭馬琴 編/藍亭青藍 補 『増補 俳諧歳時記栞草』 堀切実 校注 (岩波文庫) 〔全二冊〕

猿酒(さるざけ) 猴(さる)、菓(このみ)を取て山中樹木の虚(うろ)、或は岩腹(がんぷく)の凹(くぼか)なる所に貯(たくは)へ置き、数日の後、熟して酒の如く、味(あぢ)甚甘美(かんび)也。これを猿酒といふ。猟者(れふしや)、往々見て竊(ぬす)み食す。」
(『増補 俳諧歳時記栞草』 「秋之部」 より)


曲亭馬琴 編 
藍亭青藍 補 
『増補 
俳諧歳時記栞草 
(上)』 
堀切実 校注
 
岩波文庫 黄/30-225-5


岩波書店 
2000年8月17日 第1刷発行
563p 
文庫判 並装 カバー
定価940円+税
カバー: 中野達彦



曲亭馬琴 編 
藍亭青藍 補 
『増補 
俳諧歳時記栞草 
(下)』 
堀切実 校注
 
岩波文庫 黄/30-225-6


岩波書店 
2000年10月16日 第1刷発行
599p 
文庫判 並装 カバー
定価1,000円+税
カバー: 中野達彦



上巻「凡例」より:

「翻刻に当っては、嘉永四年版『増補改正 俳諧歳時記栞草』(横本五冊、堀切実架蔵本)を用いたが、他に吉川ツタヱ架蔵本・横本一冊本(堀切実架蔵本)・明治期刊本数点を参照し、さらに古川久校訂『増補 俳諧歳時記栞草』上・下(生活の古典双書9・10 八坂書房刊)を参考にした。」
「本文の作成に当っては通行の字体を採用したが、用事や文字の音訓ならびに仮名遣い等はできるだけ原本のままに従った。その際、読みやすくするために、句読点を加えたり、訓み仮名を補ったりした。また底本に濁点を欠く場合は、今日の通行の訓みに従って濁点を施した。」
「底本にはない目次と総索引を新たに付し、読者の便をはかった。」
「脚注は本文引用歌・引用句の出典を示すことを中心に、参考となるべき資料・例句・解説などを補った。」
「本文校訂は吉川ツタヱが担当し、堀切実が点検を加えた。」
「脚注は堀切実が担当し、吉川ツタヱが点検を加えた。」
「解説および出典一覧(和・漢)の解題は堀切実が担当した。」



「はいかいさいじきしおりぐさ」。全二冊。



俳諧歳時記栞草 01



上巻 カバーそで文:

「増補 俳諧歳時記栞草(上) 春・夏之部
長く俳諧季寄せの最高峰とされてきた本書は、俳号「馬琴」の筆名で、後に読本作者として活躍する曲亭馬琴がまとめた『俳諧歳時記』をもとに、藍亭青藍が季語および解説・例句を増やし、四季別・いろは順に改編したもの。全巻で季語三千四百余を収録する。(全二冊)」




俳諧歳時記栞草 02



下巻 カバーそで文:

「増補 俳諧歳時記栞草(下) 秋・冬・雑之部
本巻は、季語千六百六十余の秋・冬之部と、句作のきまりごとなどを記した雑之部から成る。俳諧の季語は芭蕉以降、急速に増加した。その後馬琴から青藍へと受け継がれ、嘉永四年(一八五一)に刊行された『栞草』は、近世期の歳時記の決定版と評される。季語索引付き。」



上巻 目次:

凡例

増補 俳諧歳時記栞草
  序
  俳諧の字義
  俳諧之連歌権輿(はじめ)
  俳諧の大意
  凡例
 春之部
 夏之部

補注
出典一覧



下巻 目次:

増補 俳諧歳時記栞草
 秋之部
 冬之部
 雑之部

補注
解説
季語索引




◆本書より◆


「春之部」より:

「正月
居籠(ゐごもり) 九日 夷祭(えびすまつり) 十日 摂州(せつしう)西の宮太神宮の祭也。村民、九日の朝より夜に至り戸を閉(とぢ)て出(いで)ず。これを居籠と云(いふ)。一説に、女は神前にこもり男は家に居るといへり。[雍州府志]に云、居籠祭は正月初の申日より四日の間也。柞(はゝそ)の森に有。申日より亥日に至りて神事(じんじ)畢(をは)る。伝云(つたへいふ)、此間(このあひだ)悪鬼遊行(ゆうかう)す。これにふるゝもの祟(たた)りあり。故(ゆえ)に児女及(および)六畜を他村につかはし、男子(なんし)家に有て門戸開闔(かいかふ)の音を禁じ声を揚(あげ)ず。民間居籠(ゐこもり)と云。亥日旅所(たびしよ)に神事あり。社司片帛(かたぎぬ)を以て口鼻を覆ひ、人気(じんき)をして神輿に触(ふれ)しめず、榊を持(もち)て徒行す。又五穀の雑種を各(おの/\)一器(き)に盛り、又、農具を村民相携(たづさへ)て供奉(ぐぶ)す。神輿旅所(たびしよ)に遷(うつ)りて後(のち)、諸民大きにいこみよ/\(引用者注:「いこみよ」に傍線)と呼ぶ。是(これ)居籠の義歟。○[摂陽群談]に云、毎年正月九日蛭児尊(ひるこのみこと)広田(ひろた)の社に臨幸あり。神の容相(ようさう)異なるを以(もつて)人倫の見んことを恥(はぢ)たまふの諺となりて、村民戸を閉(とぢ)て外へ出(いで)ず門松を逆(さかしま)にさして居籠と云。明旦、諸家各(おの/\)戸(と)を開(ひらき)て参詣す。世俗十日夷(とをかえびす)といふ。○諺に云、十日に参詣するを十日夷(えびす)と云。此神は聾(みゝしひ)にてましますとて、参詣の人社(やしろ)の後(うしろ)の羽目板(はめいた)を敲(たゝ)く也。街(ちまた)にて米花袋(はぜぶくろ)・蜈蚣小判(むかでこばん)などすべてめでたき物を売る。下向(げかう)の人これをかひて笹のうらへ結(ゆひ)つけ、又売る処の烏帽子(えばうし)を買(かひ)て頭(かしら)に戴き、往来(わうらい)の人を笑はせ興ずること有。○商家も此日(このひ)大きに宴を設け、客をむかへて饗応す。江戸にてはこの月廿日、夷祭をなす。」

土竜打(うごろもちうち) 畿内(きない)、正月十四日に此事(このこと)あり。貝原先生の歳時記にも、西国もまた此日薄暮(ゆふぐれ)より明暁に至るまで、土竜(うごろもち)を打(うつ)とて、藁を束(つか)ねて、地を打(うつ)こと有(あり)といへり。浪花(なには)にては、此日地上を海鼠(なまこ)を縄にてくゝり曳(ひき)ありく也。鉦・太鼓を打(うち)て拍(はや)す所もあり。[和漢三才図会]鼹鼠(うごろもち)、海鼠(なまこ)を畏(おそ)る。串海鼠(くしこ)の柱を以て、花園をおひうてば、鼹(うごろもち)あへて入らず、云々。」

寄居虫(がうな) [和漢三才図会]文蛤(はまぐり)・鳥蛤(とりがひ)等の殻の間に寓生(ぐうせい)す。形、小き蟹に似て白色、碁石より小にして身柔軟(やはらか)也。蓋し寄生木(やどりぎ)と相類す。[長明方丈記]がうなは、ちひさき貝をこのむ、云々。」


脚注より:

寄居虫(がうな)=寄居虫(やどかり)。
▽それ/゛\におのが世を経る寄居虫かな  芥舟(氷餅集)」



「夏之部」より:

時計草(とけいさう) かつらに似て細き蔓(つる)出、竹木にとりつきてのぼる。葉、切込(きれこみ)ありて、もみぢ葉のごとし。花形てつせん風車に似たり。朝四ツすぎに花開き、暮(くれ)六時萎(しぼ)む。その次の莟(つぼみ)、又明日ひらく。花は一日なれども相続(あひつぎ)て盛久し。花ひらくときの様子、傀儡(でくのばう)を操(あやつ)るが如く回(まは)るしべあり、熨蘂(のすしべ)あり、上下へかへる蘂もあり。其さま、時計の機(からくり)のごとし。○享保八年、長崎より初(はじめ)て来る。」

脚注より:

時計草=ぼろんかづら・西蕃蓮。
▽鐘撞の窓に開くや時計草  花晩(類題発句集)」


雲(くも)の峯(みね) [杜詩]奇峯突兀トシテ火雲昇ル。[陶潜詩]夏雲奇峯多シ。[夫木]六月(みなづき)になりぬとみえて大ぞらにあやしき峯の雲のいろかな  衣笠内大臣」

脚注より:

「▽雲の峰幾つ崩れて月の山  芭蕉(おくのほそ道)
▽雲の峰きのふに似たるけふもあり  白雄(白雄句集)」

天蓼(またゝび) [和漢三才図会]藤天蓼(引用者注:「藤天蓼」に傍線)、按るに、山中にあり。今人家にてこれを植(うゝ)。其蔓(つる)蒼黒く、柘(やまぐは)及び桜桃(ゆすら)の葉に似て皺あり。三四月、小白花を開く。状(かたち)、梅花(うめのはな)に似て小(ちひさ)し。実(み)を結ぶ。但し雌雄(めを)あり。人、その嫩葉(わかば)を取て酸味醬(すみそ)に合和(あへ)てこれを食ふ。猫、常に喜びて食ふ。」


脚注より:

天蓼=木天蓼(きまたたび)の花(はな)・わたたび・夏梅(なつうめ)。
▽天蓼に花見顔なる小猫かな  存義(俳諧新選)」

鹿(しか)の袋角(ふくろづの) [和漢三才図会]鹿茸(ろくじよう)、俗にいふ、袋角。茸(じよう)字、草の生る皃(かたち)。俗に以て蕈菌(しんきん)の字とす。鹿の角(つの)初て生ず、未(いまだ)開かざる蕈(きのこ)に相似たり。故に然り。長さ二三寸、尖(とが)らず堅(かた)からず。本草云、鼻(はな)にて嗅(かぐ)べからず。小白虫あり。これを視(み)れども見えず、人の鼻に入て顙(ひたひ)を虫くふ。薬も及ばず。」



「秋之部」より:

犬殺梨(いぬころしなし) [和漢三才図会]北国最多し。奥羽、津軽(つがる)、秋田の産、他国に倍(ばい)して大なり。周(めぐ)り一尺四五寸、俗呼(よん)で犬殺と名づく。狗子(いぬ)、樹下に有(ある)とき、梨落(おつ)れば撲(うた)れて死す、故に名(なづ)く。」

月(つき)の蝕(はえ/しよく) [天経或問]星(ほし)・月(つき)、皆日の光を借(かる)。日は月天(げつてん)の上にあり、月は日天の下にあり。朔日月行(ゆく)こと日天(につてん)の下に在(あり)て、日の光を掩(おほ)ふ。人、地面の上に在てこれを仰(あふ)ぎ視(みる)ときは、其月の日を掩(おほ)ふをみる。こゝにおいて日光なきが如し。然(しか)も寔(まこと)に常を失はざる也。人、其光をみざる故に、これを日蝕(につしよく)といふ。月蝕は朔より望月(もちづき)に至る。一向八十度にして日月望む。中間に正対(せいたい)するとき、地球障隔(しやうかく)す。月、地影(ちえい)の上にあり、日、地球の下にありて、日光これを〓(漢字:「火」+「零」)(かゞやか)さず。故に月其(その)光なし。是を月食と云。」


脚注より:

「▽練絹の色もうるむや月の蝕  汶村(韻塞)」


「冬之部」より:

「十二月
星仏売(ほしほとけうり) 十三日 [紀事]此月十三日、大仏師、来年の属星(ぞくしやう)の形(かたち)を彫(ゑり)て禁裡に献ず。民間にも亦この事をなす。故に人家、各星仏を買(かひ)て、帰依(きえ)の僧を請(まね)きてこれを祭る。故に市中、星を売(うる)者あり。所謂(いはゆる)日曜、月曜、木曜、水曜、火曜、羅喉(らこう)、計都(けいと)の像(かたち)なり。」


脚注より:

星仏売 『毛吹草』以下には「星仏売る」として、十二月に所出。『俳諧四季名寄』など十二月十三日とする。」

王子(わうじ)の狐火(きつねび) 江戸近郷、王子村稲荷の社辺に、装束榎(さうぞくえのき)といふ榎あり。毎年十二月晦日の夜半、この木の下にて群狐(ぐんこ)、火をともすなり。その狐火を以て農民、明年の豊凶を卜(ぼく)す。今夜、社内に参籠多し。
[続虚栗]年一夜王子の狐みにゆかん  素堂」

冬(ふゆ)の月(つき) [源氏朝顔の巻]冬の夜のすめる月に、雪のひかりあひたる空こそ、あやしう色なきものゝ身にしみて、此世の外のことまでおもひながされ、おもしろさも、あはれさも残らぬをりなれ。すさまじきためしにいひおきけん人のこゝろあさゝよ、とて、みす巻(まき)あげさせたまふ。[河海抄]篁日記云、しはすの望(もち)のころ、月いとあかきに、ものがたりしける人みて、あなすさまじの師走(しはす)の月にもあるかな、といへりければ、云々。[枕草紙]すさまじきもの、おうなのけさう、しはすの月、云々。
冬(ふゆ)の日(ひ) 冬の日のしぐれ/\て暮(くれ)にけり  孚石
冬(ふゆ)の夜(よ) 行燈で水菜そろへる冬夜かな  許六
冬田(ふゆた) 近よれば鷺(さぎ)さへ逃(にげ)て冬田哉  百明
冬椿(ふゆつばき) 早咲(はやざき)の椿なり。
冬枯(ふゆがれ) 草木の枯(かれ)たるをいふ。
冬(ふゆ)の草(くさ) 枯(かれ)たるをもいひ、枯残(かれのこ)りたるをもいふべし。
冬(ふゆ)の山(やま) 草木枯(かれ)て淋しきさまをいふ。
冬(ふゆ)の川(かは) 水の涸(かれ)たるさまをいふ。
冬(ふゆ)の雨(あめ) おもしろし雪にやならん冬の雨  はせを」




俳諧歳時記栞草 03









こちらもご参照ください:

『毛吹草』 新村出 校閲/竹内若 校訂 (岩波文庫)
『物類称呼』 東條操 校訂 (岩波文庫)
加藤郁乎 『江戸俳諧歳時記』




























『毛吹草』 新村出 校閲/竹内若 校訂 (岩波文庫)

「冬
月のもと淸(きよ)しといへは冬の夜の
夕ばへいとしよき友の來つ」

(「毛吹草追加 下 廻文之狂歌」 より)


『毛吹草』 
新村出 校閲 
竹内若 校訂
 
岩波文庫 30-200-1 


岩波書店 
1943年12月10日 第1刷発行
1988年2月4日 第5刷発行
505p 
文庫判 並装
定価700円



本書「凡例」より:

「毛吹草の板本は管見に入つたもののみでも數本あるが、本校訂本はそのうち最も初板に近いものと推定せられる無刊記本毛吹草を底本とし、新板 毛吹草(明暦元年板) 新板 毛吹草(萬治二年板) 新板增補 毛吹草(寛文十二年板)の三本をもつて校合した。」
「校異は一々擧げず、底本の誤脱と認められる箇所、及び疑はしい箇所にのみ註記を施した。」
「漢字の異體字、略字及び俗字の多くは普通のものに改め、その用法の誤り又は不穏當と思はれるものはこれを正したのもあるが、當時の用字法を知る參考のため多くはそのまゝにした。なほ變體假名は普通のものに改めたが、假名遣、送假名はすべてもとのまゝにした。」
「難讀のものには振假名を施したが、底本の振假名と區別するため片假名を用ひた。たゞし卷第四の振假名は底本のまゝである。」
「散文の部分には句讀點を附し、濁點を加へたが、振假名の濁點は底本のまゝにした。」
「毛吹草追加(正保四年刊)は稀覯であるから附録とした。」



旧字・旧かな。
岩波文庫創刊60年記念・リクエスト復刊(第2回)。



毛吹草 01



目次:

解説 (新村出)
凡例


毛吹草卷第一
 句躰 指合
毛吹草卷第二
 誹諧四季之詞/非季詞
 連歌四季之詞
 誹諧戀之詞
 連歌戀之詞
 世話 付 古語
毛吹草卷第三
 付合
毛吹草卷第四
 名物
毛吹草卷第五
 發句 春/夏
毛吹草卷第六
 發句 秋/冬
 廻文之發句
 句數之事
毛吹草卷第七
 付句

附録
 毛吹草追加 上
  發句 春/夏
 毛吹草追加 中
  發句 秋/冬
  句數之事
 毛吹草追加 下
  一夏之發句
  廻文之誹諧
  廻文之發句
  賦物之廻文字
  廻文之狂歌
  廻文之短歌

毛吹草の刊年及び諸本考略 (竹内若)




◆本書より◆


「解説」(新村出)より:

「毛吹草七卷は、貞德門下の異端者松江重賴の編輯した貞門俳諧の方式の書で、同派俳風の興隆時代に方つては、異端の書ながらも、盛に利用參考せられた當代の名著であつた。」
「著者松江維舟重賴は、京都の旅宿業者として通稱を大文字屋治右衞門といつた。(中略)慶長七年の生れ、延寶八年に歿し、七十九歳であつた。誕生の年には、舊師松永貞德は三十二歳、相爭ひて共に師の勘當を受けた野々口立圃は八歳、山本西武よりは四年上、(中略)貞門の正系を繼いだ安原貞室は、(中略)八歳も年下であり、(中略)同流異色の北村季吟は彼よりも二十二年も遙か後に生れた。」
「重賴は、性剛直、才俊敏、師匠には破門を受け、先輩の立圃とは全く相容れず、(中略)後には西武とも違ひ、遂に貞室とも背くやうになつた。」
「重賴の著書は十數部存するが、(中略)犬子集と毛吹草とが最も重要なる二大著であることは古來異議もないが、その他、俳諧集中にては、彼れが寛文四年(六十三歳)所刊の佐夜中山集のうちに芭蕉の現存最古の二俳句が載せられてゐる事柄を指摘したい。
 本書は、卷一に連歌付と俳諧付との附句の差別より説起し、發句連句の句體の良否をそれぞれ幾多の分類を施しつゝ、一々句例を擧げて品隲し、式目十三ケ條を附記したる後、卷二には俳諧と連歌との兩方に亙つて四季の季題等を掲げて、世話(俚諺)と古語(成語成句)とを附載し、卷三には伊呂波別で附合の語彙を編纂し、卷四には本邦古今の名物(物産)を五畿七道の國別に排列して、松前や琉球や高麗やの異域の産物をも附載した。卷五卷六は春夏秋冬の發句、卷七は附句、を夫々彙輯した。」



「卷第一」より:

「一 見たて
  川岸の洞(ほら)は螢の瓦燈(くはとう)かな
  波たては輪違(わちがひ)なれや水の月
  ふりましる雪に霰(あられ)やさねき綿
  水かねかあられたはしる氷面(ひも)鏡
   おなしやうなる岩ほ岩かね
  苔むしろ色やさなから靑疊(たゝみ)
   六月よりも思ふ正月
  ふり/\のなりにむきたる眞桑(まくは)瓜
   寒き事正直なれや冬の空
  軒のつらゝは更にさげ針」

「一 廻文(くはいぶん)
  しつつらしさいて果(はて)いさしらつゝし
  丸くさかは名こそそこなは風車
  きつの火よしらけにけらし宵の月」



「卷第二 世話 付 古語」より:

「天人の五すい
人間(にんけん)の八く
 天にあらはひよくのとり
ちにあらはれんりのえだ
 せんたんは二ばよりかうばし
しやは一すんより大かいをしる
 ゑみのうちのかたな
わたにはりをつゝむ心
 はなはねにかへる
とりはふるすにかへる
 天しる地(ぢ)しるわれしる人しる
きりはふくろをとをす
 よろこひのまゆをひらく
けだものくもにほゆる
 ときにあへはねすみもとらになる
いちもつのたかもはなさねはとらす
 たまみがかざれはひかりなし
かはらもみがけはたまとなる
 こゝろの師とはなれ
こゝろをしとせざれ
 どろのうちのはちす
いちのなかの隱者(いんじや)
 かうじもんをいです
あくじ千里をはしる」
「天子(てんし)に父母(ふぼ)なし
聖人(せいじん)に夢(ゆめ)なし
和哥(わか)に師匠(ししやう)なし
 人は一代(だい)な(な)は末代(まつだい)
 侍(さふらひ)と金(こがね)は朽(くち)て朽せぬ
 鷹(たか)はしぬれと穗(ほ)をつまぬ
美目(みめ)は果報(くはほう)のもとひ
女(をんな)は氏(うぢ)なうて玉(たま)の輿(こし)に乘(のる)
哥人(かじん)は貴(たつと)からすして高位(かうゐ)に交(まじる)
 仁者(じんしや)愁(うれへ)す
 智者(ちしや)はまどはす
 勇者(ようしや)はおそれず
落花(らつくは)枝(えだ)にかへらす
破鏡(はきやう)二たひてらさす
倫言(りんげん)汗(あせ)のことし
善惡(ぜんあく)は友(とも)による
麻(あさ)につるゝ蓬(よもき)
水(みづ)は方圓(はうゑん)の器(うつはもの)にしたかふ
 見るをみまね
 ならはんよりなれよ
 手功(こう)より目功(めこう)
寺(てら)のほとりの童(わらんべ)はならはぬ經(きやう)をよむ
鄭家(ていか)のやつこは詩(し)をうたふ
勸學院(くはんがくゐん)の雀(すゞめ)は蒙求(もうきう)を囀(さへづる)
 みづとりくがにまどふ
 うをの木にのぼることし
 すなみちありくことし
渇(かつ)にのぞみて俄(にはか)に井(ゐ)を堀(ほる)
飢(うへ)にのそみて苗(なへ)をうふることし
日くれてみちをいそぐ
 いひがち高名(かうみやう)
 一揆(き)のよりあひ
 船頭(せんどう)がおほうてふねが山へのぼる
さゝやき八町(ちやう)
人ごといはゞ莚(むしろ)しけ
まなこは天をはしる」



「卷第三 付合」より:

「ひ
日  暦(こゆみ) 舞扇(まひあふき) 天岩戸(あまのいはと)
日南北向(ひなんぼつかう)  猫(ねこ) 石龜(いしがめ) 非人
火  矢 石 天 墓(はか) 柘榴(ざくろ) 龍腦(りうなう) 生腦(しやうなう) 花
檜葉(ひば)  垣(かき) 折(おり) 岩(いは)
琵琶(びわ)  湖(みづうみ) 法會(ほふゑ) 馬上(ばしやう) 天人 賀茂(かも)
屏風(びやうぶ)  爐(ろ)の先(さき) 勝手口(かつてぐち) 病所(びやうしよ) 山 巖(いはほ) 雛遊(ひなあそび) 草
櫃(ひつ)  鎖細工(ぜうざいく) 節供(せつく) 飯(いひ) 物本(ものゝほん) 刀ノ鞘(さや)
樋(ひ)  機(はた) 刀 鑄物(いもの)
膝(ひざ) 綠子(みどりこ) 猫(ねこ) 談合
鬚(ひげ)  海老(ゑび) 鯲(どぢやう) 鯰(なまづ) 鯨(くじら) 鼠(ねずみ) 虫 莓(こけ) 野老(ところ) 人參(にんじん) 大根(こん) 夷(ゑびす) 天神 唐人(たうじん)
額(ひたい)  山 岸(きし) 甲(かぶと) 人を見る
肘(ひぢ)  輪懸金(わかけがね) 蒔網(まきあみ) 綿
晝寐(ひるね)  海馬(あじか) 狐(きつね) 梟(ふくろふ) 夜鷹(よたか) 蝙蝠(かうふり) 宰予(さいよ) 猫(ねこ) 盗(ぬす)人
引  網(あみ) 舟 鋸(のこぎり) 車(くるま) 石 草 注連(しめ) 屏風(びやうぶ) 枕(まくら) 首(くび) 陣(ぢん) 手 袖(そで) 津(つ) 心 目 風(かぜ) 一文字(いちもんじ) 茶(ちや) 塩(しほ)」

「せ
關(せき)  咳氣(がいき) 相撲(すまひ) 水 花
雪隱(せつゐん)  蕨箒(わらびはゝき) 路地(ろぢ) 沈丁花(ぢんちやうけ) 蠅(はい) 聲(こは)つくろひ 思案(しあん)
瀨(せ)  馬 牛 畠(はたけ)
錢  神佛參 瘡(かさ) 堤(つゝみ) 楊弓(やうきう) ひようそく 鼠戸 嘉祥(かじやう)
蟬(せみ)  耳(みゝ)の煩(わづらひ) 帆柱(ほばしら)
洗濯(せんたく)  川邊 灰汁(あく) しやぼん 日和(ひより) 病あかり
責(せむる)  馬 科人(とがにん) 念佛(ねんぶつ) 碁(ご) 皷(つゞみ) 城(しろ) 戀(こひ)」



「卷第四 名物」より:

「山城  畿内
○洛陽典藥頭屠蘇白散(ラクヤウテンヤクノカミトソビヤクサン)  半井龍腦丸(ナカラヰノリウナウグハン)  延壽院延齡丹(ヱンジユヰンノヱンレイタン)  施薬院牛黄淸心圓(セヤクヰンノゴワウセイシンヱン)  盛方院鳳髓丹(セイハウヰンノホウズイタン)  竹田牛黄圓(タケダノゴワウヱン)  上智院蘇香圓(シヤウチヰンノソカウヱン)  兼康元康齒藥(カネヤスモトヤスノハグスリ)  慶祐太乙膏(ケイユウノタイチカウ)  慶雲意德萬應膏(ケイウンイトクノマンオウカウ)  同茄子膏藥(ナスビガウヤク)  大蛇亮産藥(ダイジヤノスケノサングスリ)  道正解毒(ダウシヤウノゲドク)  外郎透頂香(ウイラウノトウチンカウ)」



「卷第五 發句 夏」より:

「白雨
夕たちの手がらは水のきれめ哉  重方
夕たちの目きゝは雲をしるし哉  道二
夕たちは道外(だうけ)ぶりたる天氣哉  貞盛
夕たちや三日が内のでかし物  宗治
夕たちやふる村雲の劔(けん)の先  德元
鳴神や夕立雲のはらつゝみ  望一
夕たちのさやなりなれや雷(らい)の聲  一木
夕立のなかるゝといや水はじき  重雄
夕立の足やいつくも達者(たつしや)ぶり  作者不知
夕立の切(きり)物なれやのほり龍(れう)  炭伽
夕たちははかてはきぬる木履(ほくり)哉  光有
夕立の雲につまづく日足かな  政公
   望一勾當出世の悦に
夕立の雲や涼しき水衣  重賴
夕立を請なかしたる木立哉  元綱」



「毛吹草追加 下 廻文之誹諧」より:

「正保二年九月六日
     廻文
   春日何
交野(かたの)見つ鳥と小鳥とつみの鷹  重賴
冷(ひえ)の氣(け)さむく酌(くむ)酒(さけ)の醉(ゑひ)  重方
照(てり)て來(き)つ西に眞(ま)西に月てりて  重貞
友はよき人問(とひ)き夜はもと  重供
瓜琴(つまごと)をむかひてひかん男松  方
巣(す)ひくうかけた竹か鶯  賴
日の南雪や早(はや)きゆ南の日 供
ねふりつ乘(のる)は春の釣舟  貞
比もなふ下水みたし鮒(ふな)もろこ  賴
すは花は蓮(はす)すは花は蓮  方
ひとりのみ悲(かな)しき品(しな)か御法(みのり)とひ  貞
たが髪(かみ)きるややる君か方  供
りんきいひ泣(なく)なよ泣なひいきむり  方
つたなき中ははかなき名たつ  賴
狐(きつ)にとひ何度(なんど)もどんな人につき  供
いなやまひでぞ袖隙やない  貞
躰(てい)も見よ哥今いたう讀(よみ)も居て  賴
しろ霜をきつ月おもしろし  方
池の北山やさ山や瀧(たき)の景(けい)  供
葉にりくつなは花つくり庭  貞
松の木ののびる春日の軒(のき)の妻(つま)  方
霞に見ずよ四角(よすみ)に御簾(みす)か  賴
君の代ともれ誰/\も豐(とよ)の三寸(みき)  貞
友の來つる夜よる月のもと  供
鹿が出(で)たかなたは田中たてかゞし  賴
しら露つらややら露つらし  方
村雨や晴じとしればやめざらん  供
すきととぼけななけ郭公  貞
淀(よど)そ爰(こゝ)初旅(たび)だつは爰ぞとよ  方
ねふりたくして出(で)し下り舟  賴
着(き)よきるかきよきかきよきかるきよぎ  貞
つゝめども先(まづ)妻(つま)もとめつゝ  供
ちと難(なん)をたしなみなした女どち  賴
見かけさばきててぎはさげがみ  方
咲(さく)におし馬(むま)はやはまんしおに草  供
名は野の尾花(おばな)名は小野の花  貞
月を嵯峨(さが)霧(きり)ふり/\き笠(かさ)を着(き)つ  方
川からしもが賀茂白川か  方
寄よ皆堤(つゝみ)に見つゝ波よるよ  賴
紫竹(しちく)根(ね)くちし/\  貞」

「正保三年二月中旬
     廻文
   南何
樂(らく)までぞ花見て皆は袖まくら  直久
友の來つるは春月のもと  重賴
出(で)し野をば鴈(がん)が歸鴈が羽をのして  重方
雪とく/\ととく/\ときゆ  同
木かきつう切とり取き卯木垣(うつぎかき)  賴
山家(が)は賤(しづ)も持柴鎌(がま)や  同
むらの馬子(まご)もどり成共駒(こま)のらん  方
水底(みなそこ)きよき淸(きよ)きこそ波  同
照(てり)は見ゆ月の輪(わ)のきつ弓張(はり)て  同
むしの音しるししるし音のしむ  賴
宜野(むべの)とや草花はさく宿の邊  同
さゝもるもれややれ盛(もる)もさゝ  方
しらぬ身よ哥がらかたう讀(よみ)ぬらし  賴
今朝(けさ)何事を男(おとこ)になさけ  同
世の名たつくやむは無益(むやく)つたなの世  方
形見(かたみ)を見たかかたみを見たか  同
むつみ來(き)し人と跡とひ樒(しきみ)摘(つ)む  賴
身の品(しな)はたゞ只はなしのみ  同
賴みつゝ民のたのみた堤(つゝみ)の田  方
淀路(よどぢ)どちとよ/\  同
牛見なば車は丸(まる)く花見衆  賴
桃(もゝ)さく早桃(さもゝ)もゝ咲さもゝ  同
友の來(き)た春寄(より)よるは瀧(たき)のもと  方
鴨(かも)か小鴨かかもか小鴨か  同
皆筏(いかだ)出(で)し竿(さほ)さして高い波  賴
きつき夜風が風がよき月  同
葉のきなやたれたしだれた柳のは  方
しらはぎ萩は萩(はぎ)は氣ばらし  同
狩(かる)時はおかしき鹿をはぎ取か  賴
弓鑓(やり)や見ゆ弓鑓やみゆ  同
名高きと作(つく)りはりくつとぎ刀  方
聟(むこ)がねが來んむこかねがこん  同
手からはやたしなみなしたやはらかで  賴
嶋(しま)は糸よき着(き)よといはまし  同
今朝のめか春初春は瓶(かめ)の酒  方
梅かと花は花はとがめん  同
彌(いや)かるく鶯ひくうくるかやい  賴
子規(しき)猶なきし/\  同
出(で)ていきつ山や葉山や月出て  方
寒さよしるくくるし夜寒さ  同
眠(ねふ)りしは白露つらし走(はしり)船  賴
岸(きし)かさがしき岸か嶮(さかし)き  同
藻(も)をのけい玉藻(も)をも又池の面(おも)  方
飼(かふ)時なりと鳥なき飛ぶか  同
もいのとやよし寢(ね)し寢し夜門(かど)の妹(いも)  賴
なみだかたみな涙互(かたみ)な  同
世中はむなしく死(し)なんはかなの世  同
敵(てき)時よきと時よきと來て  方
咲いなばもどれどれ共花軍(いくさ)  同
かいるの類(るい)かかいるのるいか  賴
井のもとぞ見すかす霞外面(そとも)の井  方
たつたや春は春はや立た  同
山や野を雪花(ばな)はきゆ小野山や  賴
炭(すみ)くろくたゞ只くろくみす  同
灸(やいと)いやもぐさくさくも灸いや  方
小猫(ねこ)の藝(げい)よよい毛(け)の小猫  同
咲三株(みかぶ)花畑(ばた)花はふかみ草  賴
霖(ながめ)やとくととくと止(やめ)がな  同
妻戸(つまど)によ問(とひ)よれよ人夜にと待  方
此燒香仕(かくたくかし)ぬ主(ぬし)かくたくか  同
慈悲(じひ)よきと寺で御(み)寺て齋(とき)よ非時(ひじ)  賴
彼岸(ひがん)に花は花葉にむかひ  同
木はつらし月かげ欠(かき)つ白椿(つばき)  同
やく山燒(やく)よよく山やくや  方
のかず聞(きゝ)狩取(かりとる)鳥か雉子(きゞす)かの  同
春日(かすが)は神事(じんじ)神事は春日  賴
笛(ふえ)は今朝皷(つゞみ)も見つゝ酒はえふ  方
しばしはまふ間まふ間はしばし  同
田鶴(たづ)たつか羽(はね)早(はや)はねは且(かつ)たつた  賴
むらあし有か苅芦(かるあし)あらん  同
白波な船ばたはなふ波ならし  方
風川西に西には風か  同
病沙汰(やむさた)は果(はた)さぬ沙汰は肌(はだ)寒や  賴
夜着(よぎ)がな着たききたき永夜  同
出(で)てみよと告(つげ)い名月(めいげつ)とよみ出(で)て  方
ぬりとはおちた太刀(たち)をば取ぬ  同
かたきとぞ聞にもにくきそと來たか  賴
いざたゝ女難(なん)を糺(たゞ)さい  同
紐(ひも)をのみよろこぶ比よ身の思ひ  方
そちに契るは春吉日ぞ  同
蝶(てふ)まふて長閑な門の蝶舞て  賴
問(とひ)ぬらし花の名はしらぬ人  方
眞砂地(まさごぢ)をかるくもくるかお兒樣(ちごさま)  同
宮は火きえた絶(たえ)き火は闇(やみ)  賴
鈴(すゞ)のみが音をし音を神の鈴  同
太皷(たいこ)をしばししはしおこいた  方
稚(おさな)さをすかすよすかすおさなさを  同
柿(かき)ある屋にて手に遣(やる)秋か  賴
生(なり)けりと折來(く)る栗を取けりな  同
よき月月夜/\  同
かきし間や羽はとはねば山鴫(しぎ)か  方
さあ霧たちた立たりき朝  同
しろ霜は篠のしのざゝ葉も白し  賴
鐘(かね)なりけりな鳴(なり)けりな音が  同
つれなきをかなしひし中起馴(おきなれ)つ  同
まつ夜來(こ)よ妻(つま)待夜こよ妻  方
詩(し)の錦(にしき)つゞりやりつゝ錦の詩  賴
をいかはか魚をいかはか魚  同
比も經(へ)ば流(ながれ)よれがなはへもろこ  方
蕪(かぶら)あらふ子こぶらあらふか  同」








こちらもご参照ください:

安楽庵策伝 『醒睡笑』 鈴木棠三 校注 (岩波文庫) 〔全二冊〕
鈴木棠三 『ことば遊び』 (中公新書)
































『物類称呼』 東條操 校訂 (岩波文庫)

「陰  へへ つび 〇奧羽及越路又尾張邊にて〇べゞといふ〔關西關東ともにべゞといふは小兒の衣服の事なり〕 上總下總にて〇そゝといふ 此外男女の陰名國々異名多し 略す 〔江戸にて物のそゝけたつなどいふ詞有 和泉及遠江邊にてはぼゞけたつと云 江戸にてはさはいはれぬことばなり〕」
(『物類称呼』 より)


『物類称呼』 
東條操 校訂
 
岩波文庫 2875-2876 


岩波書店 
1941年11月15日 第1刷発行
1977年9月10日 第3刷発行
189p 
文庫判 並装
定価☆☆(200円)



本書「序」より:

「物類稱呼五冊は日本諸國の方言を類聚した最初の著書である。」
「本文庫本は須原屋本を本文とし大坂屋本を以て對校した。」
「校訂には出來るだけ忠實に刊本の原形を再現するに努めた。刊本は誤字、脱字、假名違が多く、送假名、句讀、行の排列等も極めて不統一で亂雜なものであるが、すべてそのままに保存した、たゞ句讀點があまり少いので語句間を離して幾分讀み易い形に改めておいた。」



旧字・旧かな。



物類称呼



帯文:

「わが国最初の全国方言辞典。天地・人倫から動植物の呼び名、器物や衣食、言語等々よく分類整理され、俳諧や本草学とも関係の深い書。
岩波文庫 創刊50年記念復刊 7」



内容:

序 (校訂者)

物類稱呼
 物類稱呼(諸國方言)序
 物類稱呼凡例
 物類稱呼卷之一
  天地
  人倫
 物類稱呼卷之二
  動物
 物類稱呼卷之三
  生植
 物類稱呼卷之四
  器用
  衣食
 物類稱呼卷之五
  言語
 物類稱呼 目次

解説




◆本書より◆


「卷之一 天地」より:

「夏雲
なつのくも○江戸にて○坂東太郎と云〔坂東太郎といふ大河あり〕 大阪にて○丹波太郎と云 播磨にて○岩ぐもといふ 九州にて○比古(ひこ)太郎と云〔比古ノ山ハ西國の大山なり〕 近江及越前にて○信濃太郎と云 加賀にて○いたちぐもといふ。安房にて○岸雲と云
 今案に これらの異名(いめう)夏雲のたつ方角をさしていひ又其形によりてなづく
  夫木 水無月になりぬと見へぬおほそらにあやしき峯の雲の色かな
 と詠し給ふ[古文前集]四時ノ詩云ニ 春‐水四澤ニ滿ツ夏雲奇‐峯多シとあり この詩より 今俳諧に雲の峯と句作なす歟」



「卷之二 動物」より:

「猫
ねこ○上總の國にて○山ねこと云〔これは家に飼ざるねこなり〕 關西東武ともに○のらねことよぶ 東國にて○ぬすびとねこ○いたりねこともいふ
  夫木集 まくす原下はひありくのら猫のなつけかたきは妹かこゝろか 仲正
 この歌人家にやしなはざる猫を詠ぜるなり 又飼猫を東國にて○とらと云○こまといひ又○かなと名づく
 今按に 猫を とら とよぶは其形虎ににたる故に とら となづくる成べし [和名]ねこま 下略して ねこ といふ 又 こま とは ねこま の上略なり  かな といふ事はむかしむさしの國金澤の文庫に、唐より書籍(しよじやく)をとりよせて納めしに 船中の鼠ふせぎにねこを乘(のせ)て來る 其猫を金澤の唐(から)ねこと稱す 金澤を略して かな とぞ云ならはしける [鎌倉志]に云 金澤文庫の舊跡(きうせき)は稱名寺(せうめうじ)の境内(けいだい)阿彌陀院(あみだいん)のうしろの切通 その前の畠文庫の跡(あと)也 北條越後守平顯時このところに文庫を建て和漢(わかん)の群書(ぐんしよ)を納め 儒書(じゆしよ)には黑印(こくゐん)佛書には朱印を押(をす)と有 又[鎌倉大草紙]に武州金澤の學校(がくかう)は北條九代繁昌(はんぜう)のむかし學問(がくもん)ありし舊跡(きうせき)なり と見へたり 今も藤澤の驛わたりにて猫兒(ねこのこ)を囉(もら)ふに 其人何所(どこ)猫にてござると問へば 猫のぬし是は金澤猫なり と答るを常語とす
 花山院御製歌に
 夫木集 敷しまややまとにはあらぬ唐猫を君か爲にと求め出たり
 又尾のみじかきを土佐國にては○かぶねこと稱す 關西にては○牛(ごん)房と呼ふ 東國にては○牛房尻(ごぼうじり)といふ [東鑑]五分尻(ごぶじり)とあり」

「鬼蟹
をにがに○攝津にて○嶋むらがにといふ 兵庫及播州にて○武文(たけふん)かにと云 讃州にて○平家蟹と云 加賀越前にて○長田(をさだ)かにと云 これ元弘の亂に秦(はだ)の武文 攝州兵庫の海に死す 享禄四年細川高國と三好(よし)と攝州に戰ふ 細川の家臣島村何某敵二人を挾(さしはさ)んで尼崎(あまかさき)浦に沒す故にこれ等の説を後人附會(ふくわい)する所也といふ」

「髯蟲
けむし〔一名かはむし〕 ○京にて○ほうじやうむし 出雲にて其色黄成を○はげむし 其色黑を○とげむしと云 奧の津輕にて○がいだかと云 今按に 泉州堺にて六月大暑の頃 人家の屋根の裏(うら)に毛虫生ず 此虫の名を○じこうぼうと云 毒虫也 家々にて じこうがり とて笠深く着 顏を包ミ雨具などに身をまとひて 竹竿(さを)の先に黐(もち)をぬりてかのむしをとる事有又武州の内にて毛蟲の異名○信濃太郎といふ所多し 其心は六月信濃の方に出る雲を しなの太郎 と云 此虫の黑き形 其雲に似たる故に名つくとぞ」



「卷之三 生植」より:

「石蒜
しびとばな○伊勢にて○せそび 中國及武州にて○しびとはな又 ひがんばな又 きつねのかみそり○上總或は美作にて○いうれいばな又 ひがんはな 越後信濃にて○やくびうばな 京にて○かみそりばな 大和にて○したこじけ 出雲にて○きつねばな 尾州にて○したまがり 駿河にて○かはかんじ 西國にて○すてごばな○肥ノ唐津にて○どくずみた 土佐にて○しれい又 しびと花又 すゞかけと云又○まんじゆしやけと云有 種類なり」



「解説」より:

「物類稱呼は越谷吾山の手によつて編纂され安永四年に江戸の大坂屋平三郎、伊南甚助の兩名によつて出版された(中略)。
 物類稱呼が當時どれほどの評判を得たかは知る由もないが、方言といふものが案外大衆性のあるものでもあり、また本書の書き振りが學究的のものでなくやゝ俳人の漫筆といふ趣もあつて相當諸國の好事家に讀まれたのではないかと思はれる。」
「本書の著者、越谷吾山は天明に歿した俳人で、曲亭馬琴の俳諧の師にあたる人である。」
「實家はかなりの豪家で藏書もあつたらしく、「もとより家とめりければからやまとの文の卷々多に藏め貯へざるはなし」(朱紫)と記されてゐるが、吾山は幼い時から學問的で博く書物を讀んだらしい、物類稱呼に色々な引書を擧げてあるのも彼の好學の半面を映じてゐると考へられる、文學へもそんな所から入つたのだらう。」
「物類稱呼を著した動機の中には、當時方言研究の勃興しつゝあつた事、彼が俳人として方言に興味を持つてゐた事、辭書編纂の才のあつた事などを數へてよいと思ふ。なほその他に彼が讀んだ本草の書物の暗示もあつたかも知れない、大田榮太郎氏は物類稱呼の名が平賀源内の物類品隲に類似がある點から兩書を比較して十語ばかりの記事の一致を發見した(中略)例へば卷三(中略)羊乳の條に「つるにんじん○江戸にて○つりがねかづらといふ木曾山中にて○ちうぶと呼」は物類品隲の「和名ツルニンジン又キキヤウカラクサ江戸方言ツリガネカツラ木曾山中方言チソブト云」とあるのに符合してゐる。(物類稱呼の ちうぶ は ちそぶ の誤刻?)」
「物類稱呼が出版されて後、方言を論ずるもので本書を利用しないものは殆どないと言つて過言でない。方言を採録した辭書の類も多くは本書を材料としてゐる。俚言集覽は書名を擧げて再録してゐるが、倭訓栞後編の方言などにも本書に依つたものが頗る多い。例へば
倭訓栞は石蒜について
 しびとばな 天蓋花又曼珠沙花ともいふ石蒜なりといへり、よく墓ばらに生ずるをもて也、花の黄なるもあり、中國に彼岸花、美作に幽靈花、越後信濃に疫病花、西國に棄子花といへりと記してゐるが、これは本書卷之三(中略)の石蒜の條から方言を取捨したものであらう。時には引用を誤つたと思はれる例もある、いちじくの方言として倭訓栞のあげた「柿葉うつぎ」は本書(中略)の天仙花の「かきのほうづき」の誤認であらう。
 本草綱目啓蒙には方言の記載極めて多く、よく學者に引用されるものであるが、これも物類稱呼と一致する例が多く、恐らくは本書を原據として補訂を加へたものかと思ふ。」



































































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
 
うまれたときからひとでなし
なぜならわたしはねこだから
 
◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

Koro-pok-Guru
Away with the Fairies

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。
歴史における自閉症の役割。

最近の記事
カテゴリー
ブログ内検索
リンク
フリーエリア
netakiri nekotaroの最近読んだ本