山本ひろ子 『中世神話』 (岩波新書)

「観念上の神が、現実性を獲得していく――。」
(山本ひろ子 『中世神話』 より)


山本ひろ子 
『中世神話』
 
岩波新書 新赤版 593 

岩波書店 
1998年12月21日 第1刷発行
iii 216p
新書判 並装 カバー
定価640円+税



本文中図版(モノクロ)12点。


山本ひろ子 中世神話


カバーそで文:

「中世に日本神話が創造されていた。律令体制後の社会において、神仏習合とともに思想的変動を物語るおびただしい神道書、寺社縁起、本地物語などが著わされた。そこには、記紀神話とは別の神話的世界がある。「天地開闢」「国生み」などの物語が、未知の神々をキャスティングしてどのように変奏されたのか。中世びとが構想した神話空間への誘い。」


目次:

序章 中世神話への招待

第一章 屹立する水の神
 Ⅰ 中世の開闢神話
 Ⅱ 御饌の神から開闢神へ
 Ⅲ 水徳の神=豊受大神の成立

第二章 天の瓊矛と葦の葉
 Ⅰ 大日如来の印文神話
 Ⅱ 天の瓊矛のシンボリズム
 Ⅲ 葦の老王の物語
 Ⅳ 地主の神と今来の神

第三章 降臨する杵の王
 Ⅰ 稲の王から杵の王へ
 Ⅱ 天の瓊矛とその行方
 Ⅲ 猿田彦大神と大田命

終章 伝世されなかった神器

あとがき
基本文献一覧




◆本書より◆


「序章」より:

「ここに、記紀神話でもなく、南島の歌謡でもない、いわば第三の神話群として中世神話を招聘(しょうへい)することにしよう。だが、はたして中世に、神話が誕生したといえるのか。神話を、太古における出来事を一回性として語るものと定義するならば、「中世」神話は、それ自体が矛盾ではなかろうか。
 もちろん中世神話は、いわゆる起源神話と同じ位相に位置しているわけではない。中世に作成された、おびただしい注釈書・神道(しんとう)書・寺社縁起(えんぎ)・本地(ほんじ)物語などに含まれる、宇宙の創世や神々の物語・言説を、「中世神話」と呼ぶまでのことである。
 しかもそのほとんどは、自立した作品ではなく、断片的記事にすぎない。にもかかわらず中世神話と命名しうるのは、記紀神話や仏教神話などの、先行する神話物語に取材し、すべからくそこから出発していること、またその営み=神話的思考が、神道書や縁起・物語という作品世界を根底で支えており、中世の宗教思想の一大潮流と考えられるからだ。
 つまり中世神話とは、すぐれて方法意識的なカテゴリーということになろう。大事なのは、中世神話とは何かという定義であるよりは、中世神話という視座であり、それによって照らしだされる信仰世界の内実にある。
 これまで、あまり人々が覗き見たことのない、謎に満ちたカオスの海。もしかしたらその海底には、思いがけず豊かな、神話の鉱脈が眠っているかもしれない。」

「中世神話のテクスト群を、試みに三つのジャンルに分けてみることにしよう。
 その第一は、中世日本紀である。中世の文献を見ると、「日本紀に云う」という形で、しばしば『日本書紀』が引文されているが、その内容は、『日本書紀』の原文とは大きくかけ離れている。それが「中世日本紀」と呼ばれるもので、中世の学問の一大領野というべき「注釈」の場で形成されてきた。」
「そんな中世日本紀のひとつの達成を、鎌倉中期成立の卜部兼文(うらべのかねふみ)・兼方(かねかた)親子による『釈日本紀(しゃくにほんぎ)』や兼方本『日本書紀神代巻』に求めることができよう。」
「このような中世日本紀成立の一大源泉となったのが、中世神道であることは容易に想像できよう。(中略)中世神話第二のジャンルは、この中世神道が紡ぎだした神話世界にほかならない。
 周知のように、中世は本地垂迹(ほんじすいじゃく)説を旗印とする神仏習合の時代であった。本地としての仏・菩薩が、神となってこの世に迹(あと)を垂れて衆生(しゅじょう)を救うという思潮で、平安末から鎌倉にかけて、それぞれの神々に仏・菩薩が配当されていく。たとえば天照大神(あまてらすおおみかみ)は、観音の化現(けげん)で大日如来の垂迹であるというように。」
「多彩な神道の潮流と厖大な神道書は、そうした神々の変貌や、新しい宗教観を引き受け、またはそれを強力に牽引するべく成立・展開された。有力寺社や山岳寺院の僧侶・神官たちを主要な担い手として。
 神々の変貌を旗印とする神信仰の刷新は、宇宙や神々の始原・その意味相を捉え返し、再創造するという、ロゴスの運動なしには成り立たない。そこに記紀神話の秩序を大きく逸脱した、新しい神話的な思考が醸成される。それゆえに神道書の多くは、世界の創世=天地開闢(かいびゃく)から語り起こされていったのである。」
「第三のジャンルは、本地物語の世界である。神々の本地や前生を物語るもので、(中略)十四世紀に成立した『神道集(しんとうしゅう)』というテクストを代表的なものとみなすことができる。
 本地物語は地方郷村社会を基盤とし、廻国の宗教者たちによって運ばれ、唱導(しょうどう)文芸として発達しつつ、やがてはお伽(とぎ)草子のような室町小説にまで発展していく。
 「光を和(やわ)らげ、塵(ちり)に同じうす」。本地垂迹説は、この「和光同塵(わこうどうじん)」という標語に集約させることができよう。もとは『老子』を出処とするこの言葉は、中世では、仏菩薩がその威光を和らげ、汚辱にまみれたこの世に神として化現し、衆生を救うという意味を担って流通した。
 本地物語は、まさしくその「和光同塵」を身をもって実践する、悩める神々を主人公としていた。人と生まれて苦しみ、愛し、受難の旅を経て、神として転生する――。」

「中世日本紀、中世神道、本地物語。このような三つのジャンルを往還しつつ形成されていった中世神話は、注釈活動から唱導までという広がりと質をもっている。
 本書はそのなかで、中世神道にスポットライトを当て、神道界の中に生成した中世神話を考察していく。換言するなら、難解で混沌とした中世の神道書を、中世神話として読もうとする試みといえるだろう。」
「近世の国学者たちは、中世神道の言説を、〈さかしら〉による、過剰な作為の産物とみなした。そうしたレッテルから、まだ中世神道は、完全には解放されないでいる。」
「本書は、これまでの神道史観の枠組みから自由になって、中世びとが構想した神話のスペースに読者をいざなってみたいと思う。封印され、埋もれてきた中世宗教世界の豊かな像を提示することで、可能体としての中世思想を拓く試みでもある。
 素材としては、よく知られている「天地開闢」「国生み」「天孫降臨(てんそんこうりん)」の三つの神話を取り上げる。そこで遭遇する宇宙誕生の秘密や神々の変貌は、中世神話が、古代神話からのスリリングな超出であり、〈神話学〉という範疇(はんちゅう)を踏み破る、新しい宗教思想・信仰実践にほかならないことを告知してくれるにちがいない。」



「第1章」より:

「思うに神学者たちが開闢神話の神々に惹(ひ)きつけられたのは、これらの神々がそのあと神話の世界から消失してしまったからにちがいない。たしかに、はなばなしく活躍する英雄的な神々に負けず劣らず、「隠退神」には魅了してやまぬものがある。隠退するほど創造の事業をして疲労したわけでもないのに、神は忽然と身を隠した。なぜか。中世神話はその謎を、神の現象学によって解決しようとしていく。」




こちらもご参照下さい:

山本ひろ子 『異神 ― 中世日本の秘教的世界』

































































































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山本ひろ子 『異神 ― 中世日本の秘教的世界』

「思えば彼らが強大なパワーを誇り、抗しがたい魅力を放って中世信仰世界の一角に棲息しえたのは、越境者というメンタリティ、すなわち非伝統ゆえの新奇性、非日本的な出自ゆえの覇王的性格にあったといえるだろう。」
(山本ひろ子 『異神』 より)


山本ひろ子 
『異神
― 中世日本の秘教的世界』


平凡社 
1998年3月23日 初版第1刷発行
1999年8月6日 初版第3刷発行
ix 673p 著者紹介1p 口絵16p
A5判 丸背紙装上製本 カバー
定価7,000円(税別)
装丁: 中垣信夫



口絵図版34点(うちカラー31点)、本文中図版(モノクロ)多数。
本書はのちに「ちくま学芸文庫」版として再刊されています。


山本ひろ子 異神 01


目次:

プロローグ――異神たちの「顕夜」へ

第一章 異神と王権――頼豪説話をめぐって
 Ⅰ 『平家物語』頼豪説話の構成とモティーフ
  ⅰ 頼豪怨霊譚の位相
  ⅱ 史実と虚構のあいだ
 Ⅱ 呪殺された王――後三条天皇崩御譚
  ⅰ 神は「鳴動」した
  ⅱ 王家と山門・寺門
 Ⅲ 頼豪説話の成立
 Ⅳ 鼠の秀倉譚
  ⅰ 頼豪ねずみと日吉社・鼠の秀倉
  ⅱ 護因と後三条天皇(1)
  ⅲ 護因と後三条天皇(2)
 付論Ⅰ 赤衣と老翁・赤山明神
 付論Ⅱ 新羅明神来臨考――縁起と秘法をめぐって
  ⅰ 智証大師伝と新羅明神の渡来
  ⅱ 新羅明神と尊星王法――「三ヶ条の御本意」をめぐって
 付論Ⅲ 新羅明神の幻像を追って
  ⅰ 「御本国」での四つの本名――嵩山王・朱山王・松菘王・四天夫人
  ⅱ 「素髪の老翁」とスサノオ――疫神としての新羅明神

第二章 摩多羅神の姿態変換――修行・芸能・秘儀
 序 謎の神・摩多羅神
 Ⅰ 叡山常行堂と摩多羅神
  ⅰ 常行堂と引声念仏
  ⅱ 秘法「天狗怖し」
  ⅲ 摩多羅神のトポロジー――常行堂を超えて
 Ⅱ 秘儀と摩多羅神――摩怛利神法と玄旨灌頂の世界
  ⅰ 摩怛利神法――七母天供養法と七鬼の呪言
  ⅱ 玄旨灌頂と摩多羅神――「ふるまい」の本尊
 Ⅲ 修正会のなかの摩多羅神――秘法相伝と摩多羅神の「顕夜」
  はじめに――まぼろしの修正会から
  ⅰ 摩多羅神相伝と「天の祭」――多武峰の場合
  ⅱ 摩多羅神相伝と秘密の奥殿――毛越寺の場合
  ⅲ 摩多羅神の顕夜――日光山の場合
  終わりに――「神申し」の翁へ
 付論 日光山の延年舞と常行堂
  はじめに――日光山常行堂と摩多羅神
  ⅰ 倶舎舞と修正会――「延年舞」の源流を求めて
  ⅱ 教城院と光樹院――摩多羅神の奉斎者たち
  終わりに――甦った摩多羅神法

第三章 宇賀神――異貌の弁才天女
 はじめに――『渓嵐拾葉集』と二種の弁才天
 Ⅰ 宇賀神経と荒神祭文
  ⅰ 弁才天三部経の物語相
  ⅱ 荒神祭文と十禅師=宇賀神説
 Ⅱ 『弁才天修儀』の儀礼宇宙――行法と口伝をめぐって
  ⅰ 弁才天修儀への誘い
  ⅱ 『弁才天修儀』の行法と口伝
  ⅲ 表白の段
  ⅳ 結願作法
 Ⅲ 弁才天灌頂――戒家相承の弁才天と如意宝珠をめぐって
  ⅰ 弁才天五箇の灌頂
  ⅱ 生身弁才天灌頂
 終わりに――「如意宝珠王」の彼方に
 付論 戒家と大黒天――大黒天法と戒灌頂をめぐって
  ⅰ 弁才天修儀と大黒天法
  ⅱ 戒灌頂の儀礼世界
  ⅲ 合掌印の授与――「三重合掌」と師資冥合
  ⅳ 「三種法華」と大黒天
 資料
  Ⅰ 弁才天三部経
  Ⅱ 最勝護国宇賀耶頓得如意宝珠王修儀
  Ⅲ 弁才天修儀私

第四章 行疫神・牛頭天王――祭文と送却儀礼をめぐって
 はじめに――「牛頭天王島渡り」祭文と祇園縁起
 Ⅰ 「牛頭天王島渡り」祭文の世界
  ⅰ 牛頭天王の出生と龍宮行き
  ⅱ 蛇毒気神の物語
  ⅲ 津島への鎮座と疫病の造立―本復
  ⅳ 古端一族の殲滅
  ⅴ 釈迦との問答譚
  ⅵ 護符の授与と天王祭
 Ⅱ 津島の牛頭天王信仰と御葦流し
  ⅰ ふたつの護符――柳簡と立符
  ⅱ 津島の牛頭天王縁起――「牛頭天王講式」を読む
  ⅲ 流される疫神たち――御葦放流神事
 終わりに――「みさきたなびく牛頭天王……」

エピローグ――越境する異神たち

引用資料所収一覧
あとがき
人名・書名索引
事項索引




◆本書より◆


「プロローグ――異神たちの「顕夜」へ」より:

「新羅(しんら)明神、赤山(せきざん)明神、摩多羅(またら)神、宇賀(うが)神、牛頭(ごず)天王……。不思議な名前をもつ神々がいる。
 〈神〉と呼ばれてはいるのだが、はたして神なのか、仏なのか、その出自も来歴も不明の謎めいた霊格たちだ。彼らは一人として記紀や風土記、延喜式神名帳などに登場していないし、なれ親しんだ神々の物語をももってはいない。それもそのはず、記紀編纂の遙かな古代には、彼らはまだこの世に存在していなかったのだから。
 彼らは何者なのか、どこから来たのか。遠い日のたしかな足跡は杳として窺いしれない。しかし異風なその形姿や耳慣れぬ名前の響きが発揮する強烈なエグゾティシズムは、彼らが日本生え抜きの神でもなく、経典中の仏菩薩でもないことを告知している。
 どうやら彼らの始祖たちは、異国から海を渡ってきた越境者だったらしい。しかしそれはことの発端にすぎない。彼らは日本という国と風土を舞台に、一個の神格として豊かに自己形成を遂げていき、懐かしい原郷を忘れ去るほどに日本の神としてしたたかに君臨していく。
 神話の神でも、仏菩薩でもない、新しい第三の尊格。彼らを「異神」と命名することにしよう。
 日本中世こそ、彼ら異神たちがもっともダイナミックに活動した時代であった。とはいえ彼らのほとんどは、「深秘(じんぴ)」というタブーを外被に身を隠し続けていたのだが。
 異神の一人、日光山常行堂の隅に祀られていた摩多羅神という神は、年に一度、修正会の夜に御殿から出御した。この聖なる夜を摩多羅神の「顕夜」と称したが、神は己れの真容を決して晒しはしなかった。いや、霊異があまりに強大なため、僧徒たちは像容を仰ぐのさえ憚ったのである。
 重要なのは造像ではなく、秘儀や行法という劇的な場面に「顕現」した秘神の霊性そのものというべきだ。もちろんそこには、中世という時代の、大いなる儀礼的想像力が宿っている。
 よりグローバルな視界に立てば、摩多羅神の「顕夜」を、そのまま異神たちの「顕夜」に拡大させることができようか。異なる運命・来歴を身に纏ってはいたが、彼らは視えない時空で互いに信号を出し合い、エネルギーを交換しながらひとつの信仰の系を形造っていった。
 異神たちが同時多発的に誕生・成熟し、連携、時には対立しあって暗躍した中世の「顕夜」が、本書の舞台だ。日本の信仰史のなかで特異な光彩を放ちながら、綾なす異神たちの系譜。その脈動に耳を傾け、活動の軌跡を辿るとき、浮かびあがってくる中世の「顕夜」は、闇にかかる壮大な星宮図(ホロスコープ)となろう。」



「第一章 異神と王権――頼豪説話をめぐって」より:

「「異神」はいかにして日本へとやってきたのか。渡来人が日本へ持ち込んだ場合を別とすれば、考えられる状況は高僧(と弟子たち)の入唐求法である。(中略)ようやく訪れた異国・唐土における求法と巡礼の日々。その中で、それまで名前を聞いたこともない在地の神々との邂逅もあったろう。とすれば帰朝に際し、多くの聖教・仏像類に混じって、異神とその信仰が運び込まれたとしてもおかしくはない。」


「第二章 摩多羅神の姿態変換――修行・芸能・秘儀」より:

「さて摩多羅神は猿楽の鼓打ちに似た格好をし、二童子も笹と茗荷を持って舞う姿をとることから、そこに歌舞に関わる神、芸能神としての性格を窺うことができよう。」
「だが摩多羅神は最初から芸能神であったわけではない。」

「天狗とは「一念妄心」の僧が形を変えたものという観念は、中世に広く流通した。「通力をえたる畜類」(『源平盛衰記』)で、左右の羽根を生やし飛行するという造型を、その代表的なものとみなすことができよう。(中略)この天狗がしばしば常行堂に出没し、行者の修行を妨害したわけだが、天狗調伏の秘法「天狗怖(おど)し」が摩多羅神の神通力を仰ぐものであるならば、摩多羅神という尊格は修行そのものと不可分であることに気づかされる。
 『渓嵐拾葉集』巻二十二の虚空蔵菩薩求聞持(ぐもんじ)法を述べた「行者用意の事」によれば、この法を修行中の行者は「種々の異相」を感じて障礙されることが多々あった。その「異相」とは、道場の中に海水が押し寄せたり、「明星拝見ノ窓」から死人の首が現われたあげく、その首が巨大になって道場内に充満したり、乳器の上に馬の脛(すね)がのしかかり、異臭が立ちこめるといったシュルレアリスティックな奇怪なイメージである。」
「「執心著相アレバ、必ズ魔ノ為ニ障礙セラルナリ」「外ヨリ障礙ノ来ルニハ非ズ。只一念ノ妄心ニ依ルナリ」と、光宗は「行者用心」の心得を説いている。これらの幻視体験は、自己の内に兆す三毒・煩悩などの「内魔」、また天狗などの「外魔」との葛藤・超克こそが修行の核心をなすものであることを示していよう。」
「さて仏道修行の妨害者天狗を調伏するという「怖魔」の機能こそ、常行堂・摩多羅神の存在理由であった。それははからずもこの神が、天魔・天狗と同じ障礙神であることを如実に物語る。摩多羅神も一箇の障礙神なのだ。つまり障礙という負のエネルギーを誘引し、天狗の除障へと転換・集中させることによって「天狗怖し」ははじめて「怖魔」の行法たりうるのである。
 それにしても興味を惹くのは、後戸で跳ね踊り、前後の見さかいなく経を読むという振舞である。「仮りに魔縁に屈服する形か」と光宗がコメントしたように、堂衆らは、撃退すべき対象である天狗が憑依したかのごとき狂態を演じることで彼らを畏怖せしめるわけだ。床板を踏みならす激しい音の轟きと、口々に発する経文の妖しいざわめきとの増幅・相乗。狭い密閉空間に反響する音と声の洪水の中を僧らが躍如する光景は、さながら異界での天狗の饗宴を思わせる。
 常軌を逸したごとき所作(パフォーマンス)と音響・経文の呪的パワーによって後の暗がりにひそむ摩多羅神を驚発し、障礙神としての力を覚醒させ、天狗を威嚇するのが「天狗怖し」であった。」

「中世ではスサノオは牛頭天王と習合し、行疫神(転じて除厄神)として畏れられていたが、ここで注目したいのは、新羅明神も「疫気ヲ消シ災難ヲ攘(はら)フ」(『園城寺伝記』)神であった点である。」
「しかしその除厄の功能も、いったん神の瞋恚(しんい)に触れた時には、強烈な咎懲(きゅうちょう)の力として発揮される。三井寺の頼豪が戒壇建立の願いを聞き入れなかった白河天皇を恨んで皇子・敦文親王を祟り殺したとの、『平家物語』などが伝える頼豪怨霊譚は、実はその背後に新羅明神の報復というモティーフを隠し持つものであった。また中世ではしばしば、疫病は新羅国から来ると信じられていたが、こうした行疫の働きと異神という存在性が共振しあうとき、王権への敵対という構図が説話の深層から浮上してくる。
 ここで摩多羅神=スサノオ説に立ち戻ると、異国出自の新奇な神という異神性はもちろんのこと、摩多羅神にも疫神的性格がありはしないか、という想像が脳裡をかすめる。」



「第三章 宇賀神――異貌の弁才天女」より:

「ところが日本にはこの妙音弁才天のほかに、もう一種の弁才天が存在した。こちらの弁才天は頭の上に「宇賀神(うがじん)」という奇妙な神を乗せており、そのために「宇賀弁才天」と呼ばれた。では、宇賀神とはどのような像容であったのか。江戸期の学者天野信景の語るところを聞こう。

  宇賀神とて頭は老人の顔にし、体は蛇体に作り、蛙をおさへたるさまして神社に安置し、祭る時には一器に水を盛り彼の像を入れ、天の真名井の水なんいふ文を唱へて其の像を浴す。像、或は金銅、または磁器也。
 (『塩尻』巻四十九)

顔は「老人」で体は「蛇体」、そして「蛙」を押えつけている。しかも祀る時には、水を湛えた器に神像を入れ、唱文を誦しながら像を浴すという。」

「宇賀神。異貌の弁才天女。記紀はもちろんのこと、『延喜式』神名帳にも登場しない「人頭蛇身」のこの尊は十世紀中葉にはその名を現わすが、おそらく院政期頃から成熟し、中世を通じて独特の形貌と活躍を信仰宗教史の上に刻みつけていったのだった。」

「経典中の妙音弁才天を尻目に、いな、その本性をも収奪しつつ、龍蛇と稀有なる合体を果たした異貌の弁才天女。かかる宇賀弁才天もまた「異神」たちの系譜に連なり、中世信仰世界の底知れぬダイナミズムをこの今に突きつけている。」



「エピローグ――越境する異神たち」:

「王権に鋭く対峙した新羅明神に始まる異神たちの系譜は、はからずも、神話の神アマテラスによって牛頭天王が追放される場面で終わることになった。「疫病王」として恐怖の権力を欲しいままにした天王一族が、威光を失って彷徨(さまよ)う姿は実に印象的だ。院政期という異神の爛熟期と、近代前夜という終息期のあざやかな対比を象徴するかのごとくに。
 出自の不明な異神は、しばしば正統を任じる仏教や神道から排撃される運命にあった。もしも、古さと由緒正しい出自こそを日本人の神信仰の原点とみなすならば、異神たちはあらかじめ日本宗教思想史の枠組みから排除されてしまう。また儀礼を最高の舞台とした彼らの様態を、神仏習合という思潮で括ってしまうのはあまりにも空しい。
 異神を〈発見〉し、その系譜と運動論を構想し、異神たちの「顕夜」を再現する本書の試みは、新仏教や宗派別の教義史に傾斜しがちな既成の中世宗教史に異議申し立てをする営みでもあった。
 院政期から中世を通じて、神々のありようは、飛躍的な展開を遂げていく。記紀神話という統辞法の締めつけも束の間のものでしかなかった。神々は、氏族・部族や土地との結び付きからも自由になり、奉斎者集団や修行者個人との交渉を通して、分離・融合・闘争・系列組み替え、変身といっためまぐるしい動きを見せる。海や国境を越えたボーダーレスな交流さえ生まれるようになった。そのもっとも先鋭的なニューウェイヴこそ、「異神」たちであったということができる。
 彼ら越境者たちは、原郷での古代的な装いを脱ぎ捨て、天台密教のロゴスで武装し、日本という新たな土壌であざやかに変身を遂げた。時には恐るべき行疫神として猛威を振るい、また渡来した仏教と協働してその護法神となり、あるいは奉斎集団との盟約によって富と力の招来者を任じ、さらに修行者個人の守護神ともなり、ひいては秘密結社の本尊という役割をも演じ……。
 思えば彼らが強大なパワーを誇り、抗しがたい魅力を放って中世信仰世界の一角に棲息しえたのは、越境者というメンタリティ、すなわち非伝統ゆえの新奇性、非日本的な出自ゆえの覇王的性格にあったといえるだろう。
 自生的、伝統的な神信仰は、否定の契機を孕みにくいがゆえに、〈正統〉を脅かす〈異端〉の覇者たりえない。異神たちが神々のヒエラルヒーや既成の秩序に組み込まれ、吸収されてしまったなら、かくも大きな新勢力たりえなかったことはたしかだ。
 異神たちがドラスティックに躍動した日本中世の「顕夜」――。その漆黒の帳(とばり)から時空を超えて、近代の貧しい霊性を覚醒させる光がわずかでも甦ってくるなら、この国土のどこかにまだ眠っている異神たちも、ふたたび哄笑を取り戻すかもしれない。」



山本ひろ子 異神 02


「摩多羅神像
像高およそ19cm、鼓を打ちながら歌う姿である。」



山本ひろ子 異神 03


「弁財天像
鳥居の向こうに浮き上がっているのは、宇賀神の顔。」















































































堀一郎 『日本のシャーマニズム』 (講談社現代新書)

「子どもの時からいんきないんきなもの」
「人よりの中へはちょっとも出る気にならなんだ」

(中山美伎)


堀一郎 
『日本のシャーマニズム』

講談社現代新書 256

講談社 
昭和46年7月16日 第1刷発行
昭和49年2月20日 第2刷発行
228p 
新書判 並装 カバー 
定価310円



著者は1910年生、宗教民族学。


堀一郎 日本のシャーマニズム


カバー文:

「天界から死者の霊を呼ぶ〈口寄せ〉、
神のお告げを人間に伝える〈ミコ〉……。
エクスタシーの中に超理性の声をきく
シャーマン現象は、古代から日本にも数多い。
本書は、高等宗教の強い影響を受けつつも、
いまなお日本人の宗教心のなかに生きつづける
シャーマニズムの本質をさぐる。」



カバーそで文:

「文化としてのシャーマニズム――シャーマニズムは、
たんに古代的、博物館的な存在ではない。
その上限は先史時代の靄(もや)のなかにかくれており、
狩猟、牧畜、農耕の各文化層をつらぬいて、
その下限はこんにちに至っている。
つまり常民とともにその存在意義を主張しつづけてきたのである。
人類のもつ最古の文化であり、そして歴史をこえて
それぞれの民族、その社会構造、風土、歴史的環境などに
応じて種々の文化や習合をとげてきた、最も長い生命力をほこる
文化所産と見るべきである。――本書より」



目次:

まえがき

1 ミコの系譜
 1 君主から神楽ミコまで
    さまざまなミコ
    宗教的君主としての女性
    カンカカリ
    朝鮮のミコ
    アイヌのツスとイム
 2 北方系と南方系
    死者に語らせる
    真正巫と擬制巫に大別
    中山美伎の神秘体験

2 聖の領域に入る――シャーマニズムとは何か
 1 エクスタシー
    根強い生命力
    シャーマンということばの由来
    女のシャーマンと男のシャーマン
    エクスタシーに対する見方
    シャーマンの一般的特色
 2 シャーマンの資格
    世襲と召命
    人格聖化
    真正シャーマンの優秀な能力
 3 社会の不安とシャーマニズム
    アノミーの状態
    宗教が発生するとき
    近代日本の宗教運動
    生き神としてふるまう
    教祖的人格

3 燃える人――呪的カリスマとしてのシャーマン
 1 この世のきずなの外に立つ
    カリスマ的英雄
    現世的価値の拒否
    「楯なくして進撃する」
    燃えるシャーマン
    天界飛翔
    天界の扉をひらく樺の木
    鳥への変身
 2 イニシエーション
    シャーマンの受ける試練
    自己否定と自己変革
 3 狂熱のオージー
    生命のエネルギーをかきたてる秘密祭
    民衆の人格を混沌に導く
    近代に見られるシャーマン
    大衆の社会離脱行為

4 山伏の神秘体験――密教のシャーマニズム 
 1 民衆と結びつく
    タントラ仏教
    火焔を背負う明王たち
    真言宗を受けいれた基盤
    鎌倉新仏教と密教との関係
    日本的カリスマ
    日本神道の根強さ
 2 山伏、修験者の足跡
    役行者の伝説
    葛城の一言主神
    「山伏」の本義
    死と再生の儀式――羽黒山の入峰(にゅうぶ)修行
    修行のクライマックス
 3 山嶽に他界を求めて
    山嶽信仰
    冥界歴程の説話
    道賢上人冥途記
    共通するモチーフ

5 人の姿で現れる神――古代日本のシャーマニズム
 1 アラヒトガミ
    「氏神型」と「人神型」
    「氏神型」の特色
    「人神型」信仰の特徴
    神々のはたらき方
    道真の怨魂
    若狭彦神
    「たたり」をもって出現する神
 2 神の妻たち
    その資格
    姫命たちの呪力
    呪的カリスマとしての卑弥呼
    神功皇后紀の政治形態
    女帝と執政者の組み合わせ
    天皇の権威獲得の秘儀
 3 神と人との交流
    ミコということば
    巫覡交替
    生き神さま

6 たたりにおびえた時代――密教の全盛期 
 1 たたり
    社会不安とわざうたの流行
    民間巫覡の活躍
    神の怒り
    個人のたたり
    人間の怨魂
    民衆の攻撃性のはけ口
 2 加持祈祷
    怨魂のいっせい蜂起
    「よりまし」
    政敵をふるえあがらせる
    擬制シャーマン

7 死者の霊をよぶ――口寄せミコの系譜
 1 「口寄せ」とは
    十一世紀に発生
    あるきミコ
    巫女集団
 2 口寄せ巫女はシャーマンか?
    フェアチャイルドの批判に答えて
    口寄せ巫女と真正シャーマンの違い
    イラタカの数珠
    「九重の守り」
    梓弓
    くどき
    横死者の霊を呼ぶ
    トランスにならないらしいこと
    「ひとりがたり」と「問い口」
    「くどき」から芸能へ
    卑賤視

8 踊り念仏と念仏踊り――日本シャーマニズムの芸能化
 1 「狂燥エクスタシア」
    持経者と念仏ひじり
    源信と空也
    阿弥陀のひじり
    突如踊りだした一遍上人
 2 なぜ踊り狂うか
    空也の生きた不安の時代
    タマシズメ呪術の復活
    狩猟民との結びつき
 3 うかれ女、くぐつ女
    遊女たちの神
    熊野比丘尼

9 現代日本とシャーマニズム――呪的カリスマへのノスタルジア
 1 人間神化の傾向
    人を神に祀る条件
    怨霊を統御する神
    秀吉、家康の場合の人間神化
    生きながら祀りあげられた例
    苦しむ神の説話
    無限に神をつくりあげる
 2 ねぜ女性シャーマンが多い?
    女か子どもに神がつく
    日本女性の強い被暗示性
 3 日本人のあきらめと熱狂
    「ええじゃないか」
    個別的カリスマを持つ
    マス・エクスタシーとナショナリズム

参考文献




◆本書より◆


「ミコの系譜」より:

「現代の新宗教運動の基をひらき、そのモデルケースの一つとなった天理教教祖中山美伎(みき)(一七九八―一八八七)は、「子どもの時からいんきないんきなもの」、「人よりの中へはちょっとも出る気にならなんだ」と述懐しているように、内向的な性格であった。」
「中山美伎のトランス、エクスタシーにおける神秘体験は、そののちの「みかぐら歌」、「お筆先」、「泥海古記(どろうみこうき)」などのなかからうかがえる。そしてこうした教祖型人格のなかに、母系社会から父系社会への移行、神聖王権の形骸化の歴史過程のなかに全く民間に埋没し去った真正シャーマンの遺伝的要素を見のがすことはできない。とくに徳川幕藩体制下では、宗教統制はきびしく、多くのシャーマンはすぐれた組織者を得て教祖となる機会も全く失われていたといえる。従って巫女はわずかに歌舞賽神の業と、口寄せの業とにその形態的命脈を保ってきたともいえそうである。そしてまたこのことが、巫女を社会の底辺にうごめく迷信邪宗の徒とするいわれなき偏見を導き出した。(中略)そうした偏見を解くためにも、まずシャーマニズムとは何か、シャーマンとは何かを説明する必要がある。」



「聖の領域に入る」より:

「シャーマニズムについては、すでに多くの学者の定義があるが、ここでいちおう作業仮説的な定義づけをしておこう。それはシャーマン(巫覡(ふげき))というエクスタシー(脱魂・忘我)技術を身につけた特殊な呪術宗教者を中心に、これをとりまく信者群によって形成される宗教現象であり、呪術的であるとともに、多分に神秘主義的で、かつ密儀的な性格をもつもの、と規定することができよう。」

「一般にシャーマンの資質としては、神経質で気むずかしく、興奮しやすく、夢みがちであり、幻覚や意識喪失、失神やてんかん性発作をおこしやすい性格をもっているといわれる。」

「教祖的人格には、次のような共通の特色がある。
 (一) 先天的に異常体質の持ち主であったということ。入巫以前には病弱で、孤独を愛する内向的性格がいちじるしく、しばしば幻覚や幻聴になやまされた経験を有している。
 (二) 強烈な個人的危機意識、社会不安、熱病などにともなって、イニシエーション的な精神違和(いわ)、すなわち職業的シャーマンになる前段階に見られる精神的違和――極度の偏食、不眠、高熱、突発的なてんかん性発作、肉体の衰弱にともなう異常な精神興奮、夢幻、狂踏(きょうとう)や彷徨(ほうこう)の発作的衝動、内的灼熱感(しゃくねつかん)――を体験している。
 (三) その結果として脱魂、意識喪失の状態のもとで、天界や地下界の他界遍歴、神々や精霊、魔的存在との出会い、降霊、降神などの神秘体験と試練を経ている。
 (中略)
 (五) お筆先、神伝歌(しんでんか)、みかぐら歌、神界物語、特有の神話など、イニシエーション的なエクスタシー、意識喪失のさいの神秘体験やそののちのトランス体験から得た教理書や啓示文学を創作している。
 そしてこうした特徴は、また中央および北アジアから満洲、朝鮮、北海道のシャーマンに見られる典型的なものということができる。
 つまり、シャーマンとは、「聖」の領域にかかわり得ない凡人、教祖的人格資質を持たない俗的な無資格者にとっては、まさに異常な、「誰でも真似のできるというわけにはいかぬ、特殊な、超自然的とも考えられる肉体的、精神的資質の所有者」なのである(ウェーバー)。」




こちらもご参照ください:

C・ブラッカー 『あずさ弓 ― 日本におけるシャーマン的行為』 秋山さと子 訳 (岩波現代選書)
佐々木宏幹 『シャーマニズム』 (中公新書)
『ミシェル・レリスの作品 4 日常生活の中の聖なるもの』 岡谷公二 訳































































大林太良 『葬制の起源』 (中公文庫)

「人間は元来は死ななかった。また若くなったのである。もしも古い褐色の皮膚が醜くなり皺(しわ)が寄ってくると、人々は水中に身を沈めて水浴中に皮を脱いだ。その古い皮膚の下には、新しく若々しい白い皮膚が現われるのであった。」
(大林太良 『葬制の起源』 より)


大林太良 
『葬制の起源』
 
中公文庫 お-57-1

中央公論社 
1997年9月3日 印刷
1997年9月18日 発行
323p 
文庫判 並装 カバー 
定価743円+税
カバー画: 北ボルネオ、ロンキプツ族の墓
レイアウト: 丸山邦彦



本書「文庫版あとがき」より:

「『葬制の起源』が最初、角川新書として出版されたのが、一九六五年九月、増補して角川選書に入ったのが一九七七年八月であった。」
「中公文庫として再び公けにするに当たり、誤記、誤植の訂正、(中略)海外の地名を現行のものにするとか、少数の語句を改めたりしたが、基本的には角川選書版と変わりはない。」



本文中図版(モノクロ)多数。


大林太良 葬制の起源 01


カバー裏文:

「死は人類にとって永遠の課題であり、死に直面した人類は、さまざまな習俗や他界観を発達させてきた。本書では世界各地の葬法の諸相を概観し、さらに日本の葬制の文化史を、日本文化の形成に参与したと考えられるいくつかの文化複合との関連において検討する。人類の精神史の重要問題=葬制をテーマに、日本民族文化の源流を探る画期的論考。」


目次:

第一章 死と人間
 死の起源
 葬制と社会

第二章 先史時代の葬制
 葬制のはじめ
 洞窟や岩かげに
 農耕とともに

第三章 民族学的研究の歩み
 葬制と民族学
 葬制の文化圏説
 地域研究の進展
 葬制と流行
 葬制流行説批判

第四章 葬制の諸形式
 死者に対する二つの態度
 死者への恐れと尊敬
 死体放棄
 死体破壊 ― 鳥葬
 沈黙の塔
 火葬
 燃える未亡人
 サティとインド神話
 殉死
 台上葬と樹上葬
 死者の家
 洞窟葬
 埋葬
 屈葬
 ひっくり返しの原則
 坐葬
 埋めない埋葬
 墳丘
 墓小屋
 死体の方位と民族移動の方向
 方位の不一致
 舟葬
 死体保存と頭蓋骨崇拝
 ミイラと火葬の結合
 族内食人俗
 複葬
 複葬と他界観
 霊魂の表象と複葬
 葬制・他界・男女

第五章 死後の幸福
 死後の応報は普遍的か
 産女の怪
 葬儀の有無
 祖先崇拝と死者の幸福
 文身は他界のパスポート
 首狩りと勲功祭宴
 身分と他界
 二つの共通点

第六章 日本の葬制
 骨掛けの木
 火葬との結びつきで
 朝鮮の樹上葬
 北アジアの樹上葬
 日本の樹上葬
 死者の山
 山上他界
 死と生としての山
 山中他界と焼畑耕作文化
 複葬と両墓制
 沖縄の洗骨
 沖縄の風葬
 洗骨と風葬はどちらが先行か
 内地の改葬
 改葬と両墓制
 朝鮮の複葬
 中国古代の葬礼
 東南アジアの複葬と民族移動
 ティワー
 死者の舟と霊魂
 ティワーの段階
 テムポン・テロンの役割
 舟葬と太陽信仰
 根の国と海上他界
 海上他界観念の分布
 天鳥船
 ドンソン文化と「天鳥船」
 珍敷塚の壁画と文化移動
 天鳥船と複葬
 天鳥船のにない手はだれか
 黄泉国と地下他界
 哀悼傷身の系譜
 葬礼競技

第七章 エピローグ――ヴェラの挽歌

あとがき
増補版あとがき
文庫版あとがき
参考文献
解説 (小林達雄)



大林太良 葬制の起源 02



◆本書より◆


「葬制の諸形式」より:

「モンゴルの死体放棄の凄惨(せいさん)な光景を描き出したのは、ロシアの旅行家プルシェヴァルスキーである。

   「ウルガ(現、ウランバートル)のモンゴル人地区の外観は嘔吐を催すほど汚(きたな)い。ありとあらゆる汚物が街路にほうり出される。……市場の広場では、おまけに大ぜいの飢えた乞食がいる。乞食のうちの何人か、ことに貧乏な年老いた女乞食は、ここに定住さえしている。(中略)一人の衰えた体の不自由な女が市場のまん中に腰をおろす。……目撃者の語ったところによると、もしもこの不幸な女に最後の瞬間が近づいてくると、彼女のまわりに腹の減った犬どもがあつまってくる。犬どもは円を描いて、死の苦悶(くもん)が終わるのを待っている。それから女の顔やからだの匂(にお)いをかいで、不幸な老女がほんとうに死んだのかどうか、確信するために、ただちにそばに跳(と)んでくる。しかし、(中略)彼女がふたたび呼吸をしたり身動きを始めると、犬どもはまた彼女から遠ざかって、前の位置にもどり、辛抱づよく待つのである。しかし、最後の呼吸が彼女の生命の終わったのを告げるやいなや、空腹な犬どもは死体を食べつくし、あいた場所はまもなく同じような老人によって占められる。しかし、これはこの神聖な都市における人生の全体像ではまだない。(中略)ウルガのすぐほとりの墓場(中略)では死体は土葬されず、直接犬や猛鳥が食べるように投げ出される。(中略)ここは骨の山でおおわれており、その上を影のように犬どもが歩きまわっている。この犬どもはもっぱら人間の肉を食べて生きているのだ。新鮮な死体が投げ出されるやいなや、もうこの犬どもは、カラスや大鷹といっしょになって死体を引っぱりはじめる。だから、一時間か、せいぜい二時間もしたら、何ものこっていないのである。……ウルガの犬どもはこのごちそうにすっかりなじんでいるので、死体が市街を運ばれて行くときにも、必ず遺族とともに死体のおともをするのである。死者のユルテ(テント)から犬どもが来ることすらしばしばである」

 このような死体放棄の、特殊な形態がイラン文化のなかに生まれた。《沈黙の塔》である。これは先に述べた分類でいくと死体破壊の部にはいる。」

「さてポンペイには有名な《沈黙の塔》がある。これは一〇世紀に拝火教(ゾロアスター)を信ずるゆえに故郷イランを捨てて逃げてきたパルシー族の墓である。マラバール丘陵の上たかく、この塔の上でパルシー族の死体はハゲタカの食うにゆだねられる。ハゲタカは信じられないほど短い時間のあいだに骨から肉を引きちぎって食べ、骨はそのあとで雨によって塔のなかで洗われる。一九世紀末のオットー・エーラースの旅行記には、このような塔は五つあって、それぞれの塔は七二人の男の死体、七二人の女の死体、七二人の子供の死体を収容できるとでている。塔の内部はじょうご形になっていて、同心円状に、中心は子供、そのつぎは女、いちばん外側に男の死体をおくようになっている。「死体を食べるのが役目のハゲタカは、静観的な生活をおくっており、大きな群をなして塔の囲壁の上にかがみこんで食後の休憩をしたり、新しい死体を待っている」。古代イランでは、死者はたんに野原に放棄されるだけであって、そこで猛獣によって、バクトリア人の場合には、神聖と考えられた特別の犬によって食べられたのであった。このことは、《沈黙の塔》も、じつは単純な死体放棄から発達したものであることをよく示している。」

「ところで、自殺してみずからを犠牲としてささげるという観念は南インドでは顕著である。つまり、未亡人がサティ女神の手本にならって夫のために自殺するように、かつては王も星辰の運行に従って、自殺したのであった。昔は王が即位するにあたっては、彼の妻妾や、廷臣たちは、新たに即位した王とともに死ぬことを誓ったのである。もしこの王が死ねば、王の護衛兵、王の妻妾、年とった兵士たち、召使いたちは自殺したのである。」
「ところで、このような南インドの一連の習俗や伝承は、ここだけに孤立してあるものではない。驚くほどよく似た伝承は、アフリカのローデシア地方にも、また古代西アジアにも存在するのである。」
「ローデシア地方のジンバブウェの遺跡は、一八世紀の初めごろにほろんだモノモタパ王国の遺跡である。そして、この地方の住民のあいだには、今もなおジンバブウェ王国について数多くの伝説が伝えられている。そのなかにはかつて行なわれていた神聖な王殺しを物語るものもある。また他の一つによれば、昔、兄が妹に恋をしたという。兄は妹を妻とするように両親に要求した。しかし両親は彼の要求をはねつけた。兄は持ち物をいっさいもって湖のなかに入った。湖の底から兄は彼の悲しい死の歌をうたった。両親はこのことを聞いて、彼をもどらせようとした。両親は一人の美しい少女をつれて湖に行き、おまえの妹をつれてきたよと、いつわって彼を呼び返した。兄は少女に、水の下の彼のところに来るように要求した。しかしその少女はびっくりして村に逃げ帰った。もう一度、同じことを試みたが、同様に失敗した。どんなことがあっても自分の息子を救いたいと思った両親は、ついに娘をつれて湖に行き、息子に妻として与えた。兄はうたいながら、少女に、水の下の彼のところに来るように要求した。少女は着物を脱ぎ、足輪をはずし、腕輪をはずし、髪につけた真珠の飾りをはずす。彼女は湖のなかに歩んで行く。すると兄は水中から出てきた。岸べで彼女は真珠の飾り、腕輪、足輪をまた身につけ、そして着物をまとった。兄妹は村に帰り、結婚し、彼はこの国の最初の王となった。
 この伝承は、葬儀とも大幅な一致をみせている。伝説によると、昔、王が死んで彼の二番目の妹の王妃が彼のあとを追って死ななくてはならなかったとき、彼女から、あらゆる衣服と装飾品が一つまた一つと取り去られたのであった。死ぬときに彼女は裸になり、そして死体が墓穴に入るときになってふたたび衣服を着せられ、装飾品がつけられたのである。つまり、前の伝説は、王が死ぬと、妹の王妃が殉死して、それによって二人は救われることを物語っているわけで、インドのシヴァとサティの場合と同様である。
 こういう神話は古代バビロニアにもすでに存在していた。バビロニアの男神タムムズは、春に成長し、夏には女神イシュタルへの熱烈な恋のなかに死の芽をやどし、秋には死ぬ神であった。タムムズは死んで、死者の国は彼をうけいれた。女神イシュタルは愛人をさがし求めた。彼女は生命の門にやってきて、門番に、死者の国への入国許可を求めた。彼女は地下界への入国をむりに行なおうとしたが、昔からの規則に従って彼女はとりあつかわれた。彼女は八つの門を通らねばならなかった。そして、それぞれの門で彼女は身にまとっていたものを一片ずつおいていかなくてはならなかった。宝冠、耳飾り、首飾り、胸飾り、帯、腕輪、足輪、そして腰布。地下界では身体の八つの部分が病気に冒された。二つの目、身体の両側、二本の足、心臓、そして頭。イシュタルが立ち去ったために、地上では、すべての性行為はやみ、不毛となった。そこで大神たちは使者たちをつかわした。使いは笛を吹いて地下界の神々を征服した。タムムズは地下界からあがってきた。生命の水をかけられたイシュタルは彼のあとについてきた。帰途、イシュタルは、八片の衣服や装身具をふたたび身につけた。
 ここでは私はフロベニウスに従って記述した。ただ、(中略)ふつうこの神話では八つの門、八つの部分でなく、七つの門、七つの部分になっていることをつけ加えておこう。」



「日本の葬制」より:

「日本にも樹上葬がかつて存在したのではないかという問題を提出したのは、(中略)民俗学者中山太郎氏であった。彼は、「日本民俗源流考」という論文のなかで、日本における北方系と思われるさまざまの習俗を論じたことがあるが、そのなかにこの樹上葬の問題もあった。
 筑前糟屋(かすや)郡香椎(かしい)村(現、福岡市)の香椎宮の由来は、伝説によると、仲哀天皇の遺骸を黄金の棺に納めて椎の木の枝に掛けておいたところが、そこから霊香を発したので香椎と称するようになったという。また京都嵯峨(さが)の清涼寺に近い八宗論池のそばに棺掛け桜というのがある。土地の伝えに、嵯峨上皇の崩御(ほうぎょ)のとき、遺詔によって御棺をこの木に掛けたのでそう呼ばれる。岩代国耶麻郡熱塩村(現、福島県熱塩加納村)の互峰山慈眼寺は、僧空海が開いた名刹(めいさつ)という。境内に人掛け松というのがあるが、死人を掛けたものである。」





こちらもご参照ください:

金関丈夫 『発掘から推理する』 (岩波現代文庫)




























































































グリオール+ディテルラン 『青い狐 ― ドゴンの宇宙哲学』 坂井信三 訳

「狐は完全にできあがるずっと前に、不従順な性質を現わしアンマの計画に従うのを拒んだ。彼はしくじる運命を荷なって生まれて来た。彼の役割とつとめはそれ自体、彼自身の個別性を強化することにあった。彼は宇宙の秩序の破壊に手をつけたのと同じように、自分も未完成のままにとどまった。宇宙的な次元での〈記号〉すなわち ことば の追求と、人格の次元での双児の妹あるいは女性の魂の追求という、彼の二つの追求は、つねに必要なものである。彼は宇宙の混乱のもとになったと同時に、心理的な個別性の発揮に道を拓き、そうやって心理と宇宙の双方の領域に、対立関係という望ましい要因をもたらしたのである。」
(グリオール+ディテルラン 『青い狐』 より)


マルセル・グリオール
ジェルメーヌ・ディテルラン 
『青い狐
― ドゴンの宇宙哲学』 
坂井信三 訳


せりか書房 
1986年9月22日 発行
577p xvii 口絵36p(うちカラー6p)
A5判 丸背紙装上製本 カバー
定価6,800円
装幀: 工藤強勝



本書「訳者あとがき」より:

「本書は Marcel GRIAULE et Germaine DIETERLEN, "Le Renard Pâle" (Travaux et Mémoires de l'Institut d'Ethnologie LXXII, 1965) の全訳である。」
「ドゴン族という人々は西アフリカのサバンナの一画、現在のマリ共和国とブルキナファソ共和国にまたがる一帯に生活する農耕民で、本書はそのうちバンジャガラ断崖地方の主としてサンガ地域の人々に伝承されている秘儀的な創世神話を記述したものである。」
「この研究は(中略)グリオールが一九五六年に急逝したために、ディテルランがその後を受け継いで完成させたものである。したがって、本書はグリオールとディテルランの共著の形をとっているが、事実上の執筆者はディテルランひとりである。」
「本書には多数の図版が収録されている。原著は全巻アート紙で、図版もほとんどが色刷りになっているが、それをそのまま再現するのはかなり困難なことであった。そこで本訳書では、口絵部分に重要と思われる多色刷りの図版をほとんどすべて再録し、単色の図版は、そのうちいくつかを選んで原著のとおりに再現したものを口絵に収め、残りは白黒の図版にして本文中に織りこむことにした。原図は大半がベージュの地に白ぬきで図像を描き出している。これは土の上に穀物のかゆで描かれた図の印象を再現しようとしているものと思われ、配色自体には重要な意味はない。(中略)写真は原著にあるものをそのまま生かした。」



グリオール 青い狐 01


カバーそで文:

「西アフリカ、ニジェール河
大彎曲部の断崖地帯に
住むドゴン族の
なかへミッシェル・レリスらと
ともに分け入った
民族学者M・グリオールは、
彼らからドゴン族最高の
秘儀体系を伝授されることとなった。
それは、内部生命が
螺旋運動の形で生成発展して
いくものとして
世界を捉え、人間精神の
内奥への洞察をエレガントに
解明した、西欧ともアジアとも
まったく異なる
独自のアフリカ的世界観の極限を
開示するものであった。
本書はこのドゴン族の
秘教をたぐい稀な精密さで描き、
ドゥールーズ=ガタリを
始めとして世界に
衝撃を与えた民族誌の
全訳である。」



グリオール 青い狐 02


目次:

図版/写真/地図

凡例

はじめに

序論
 歴史
 言語
 衣食住
 社会
 人格の概念
 ドゴン族の思惟
 付記
 音声表記について
 地図・図・写真について

第一章 アンマ
 1 アンマ
  記号の創造と形態論
  記号の分類と増加
  記号から絵へ
  諸表象
  記号の役割
 2 一回目の創造
  アカシアの創造
  〈最初の世界〉の創造
  〈最初の世界〉の崩壊
 3 アンマの卵
  二回目の創造
  〈アンマの卵〉の最初のヤラ
  〈アンマの目〉が開く、〈アンマの卵〉の第二のヤラ
  諸表象
 4 フォニオの創造
  フォニオの創造
  八種の種子の創造
  ひょうたんとオクラ
  発酵
 5 ノンモ・アナゴンノの創造
  アンマの二重の胎盤
  ノンモ・アナゴンノの卵
  ノンモ・アナゴンノの形成
  魚の増加
 6 アンマの業
  アンマの業
  〈第二の世界〉の仕上げ

第二章 オゴ
 オゴの反抗
 オゴの一回目の降下
 大地の形成
 オゴの最初の箱舟の表象
 異伝
 オゴが再び天に昇る
 異伝
 太陽と亀の創造
 オゴがアンマの種子を盗む
 異伝
 創造の諸要素が白いフォニオの中に戻される
 オゴが再び降下する
 オゴの第二の箱舟
 オゴの種子播き
 ノンモ・ティティヤイネが胎盤を踏みつぶす
 アカシアとくもの働き

第三章 ノンモの供犠と再生
 1 ノンモの去勢
  アンマによる供犠執行者と犠牲者の選定
  犠牲者の魂の分割
  ノンモの去勢
 2 オゴの割礼
  オゴが再び天に昇る
  オゴの割礼
  最後の三度目のオゴの降下
  オゴが青い狐に変えられる
  狐の占いの図表
 3 ノンモの供犠
  犠牲者の喉を切る
  犠牲者の体の分割
  体の諸部分を空間に投げる
 4 ノンモの再生
  ノンモの再生
  供犠と再生の図――レベ・ダラの祭壇と血の線の祭壇
  諸表象
  ノンモの供犠と再生の価値と機能
 5 人間の創造
  鎖骨
  アナゴンノ・ビレとアナゴンノ・サラ
  霊的原理
  鍛治師、語り部、ヤシギ
  死――アナゴンノ・アラガラ
  再生したノンモの胎盤と亀

第四章 白いフォニオの仕事
 創造の諸要素と女性の白いフォニオ
 ノンモが男性の白いフォニオを呑みこむ
 女性の白いフォニオの中にあった諸要素の分類
 諸表象

第五章 ノンモの箱舟
 箱舟に積まれていたもの
 箱舟の降下
 大地に降りた箱舟
 ノンモの箱舟の諸表象
 水の中に入った再生したノンモ
 天体と暦

第六章 アンマの鎖骨の閉鎖
 ひょうたんとオクラの降下
 アンマの鎖骨の中の記号
 アンマは閉じる

原注
付録
神話の概要

訳者あとがき

図版一覧
ドゴン語の動物、植物、星の名称一覧表
参考文献



グリオール 青い狐 03



◆本書より◆


「アンマ」より:

「はじめに、すべてのものに先立って、アンマ(Amma)すなわち神があった。彼は空無の上にいた。〈アンマの丸い卵〉は閉じていた。だがその卵は〈鎖骨〉とよばれる四つの部分からなっていて、それ自体も卵型をした四つの部分は互いに癒着したようなかたちでひとつになっていた。アンマとは接合した四つの鎖骨であり、アンマはこの四つの鎖骨に他ならない。〈アンマのつながった(くっついた)四つの鎖骨は、ひとつの玉をなしていた(玉である)〉といわれる。〈そのあとには何もない〉、つまりそれ以外には何も存在しなかった。
 この卵は全体として、いくつもの角を出した白蟻塚になぞらえられる。それは単一性と多様性を同時に思いおこさせるのである。」
「これらの鎖骨は、原初的なかたちで四つの元素を先取りするものであった。四つの元素すなわち〈四つのもの〉とは、水、気、火、土である。同時に、これらの鎖骨を二等分する線が、後に東南、西南、西北、東北といった中間方位を指示することになる。これが(中略)すなわち空間である。このように、原初の〈卵〉の中には根元的な四つの元素と将来の空間とが存在していたわけである。」
「〈アンマの鎖骨はひえの形に似ている〉といわれる。それは〈アンマが生命、つまりひえを支えている〉からであり、ひえの実が白いのは、〈アンマは真白だ〉からである。
 アンマという語は、しっかりとつかむ、強く抱く、同じところに保つ、といった意味をもっている。」

「アンマは、世界と世界の展開についての見取図を自分自身の上に書き記していたので、創造の総体を保持していた。というのもアンマは、世界を創造するまえにまず描いたからである。絵の材料は水で、それを用いてアンマは空間に図を描いたのである。
 アンマの卵は楕円形の図表で示され、記号(ブンモン)が書きこまれている。これは〈世界の一切の記号の胎〉とよばれる。その中心は臍である。二本の軸の交点からは二等分線にあたる交叉した記号が出ていて、これが四つの方角を印していた。こうしてできた四つの区画は、最初の八つの記号を含んでおり、その各々がまた八つの記号を生み出した。かくして卵は4×8×8、つまり二五六のしるしを含んでいた。それに軸を半分に区切って、一本に二つずつとして八つ、中央の分として二つを加えた二六六の〈アンマの記号〉があった。
 各々の区画にはひとつの元素が割りふられている。(中略)中央の軸の交点にある二つの記号は〈先導-記号〉、四つの区画に置かれた四対の記号は〈主-記号〉といわれ、あとの二五六の記号は〈世界の完全な記号〉という。またこれらの記号の全体は〈目に見えないアンマ〉ともいわれる。
 中心的な図表を構成するこれらの図の組織は、世界の〈降下と展開〉の過程と一致していて、〈降下する世界の分節化した(組織立った)記号〉という名をもっている。」
「ということは、記号、つまり創造の意志の表現がすべてに先立って存在し、それが一切を規定しているということである。〈ドゴンのことば(〈思想〉)では、すべてのものは考えをとおして現われるのであって、ものは自分自身を知らないのだ(それ自体では存在しない)〉。
 図像による創造というメカニズムは、したがって一〇の不動の記号が、動いていく記号に生命を与え、それが物を存在させるのだ、ということになる。」
「(1) 二つの〈先導-記号〉の第一のものは〈概念の出現〉といわれる。」
「(2) 次の〈先導-記号〉は〈脱けがらの記号〉とよばれ、存在の脱けがらを表わす簡単な縦の線からなる。」
「脱けがらは実在する物の証拠としてアンマの内部にとどまり、原初に、アンマが自分自身の双児つまり宇宙そのものをまず創造したことを思いおこさせるものとなる。宇宙がアンマの似姿であり、アンマを内に含んでいると同じように、宇宙もまた記号のかたちでアンマの中に含まれ、とどまるのである。」



「オゴ」より:

「オゴの形成がどうやって遂行されたか、そして彼が存在しはじめてから何がおこったかについては、多くの異伝がある。それらのもつ意味は深いところでは一致しているが、ひとつひとつの異伝の表現は個性的である。しかしどの異伝も、オゴという最初の存在、アンマに逆らいつつ個性を発展させていき、そうすることで宇宙における心性を多様化させたオゴの性格を描写している以上、価値のないものではない。」

「オゴの反抗
 オゴは、その双児兄弟たちと同様に、四元素のしるしである四つの〈体の魂〉をそなえ、完璧な存在としてつくられた胎盤につながっていた。だが彼はまだ単独だった。(中略)オゴはこの時期すでに落ち着きのなさとこらえ性のなさを示したのである。アンマは双児の妹をつくって、オゴとその他のノンモたちに授けてやろうと思っていたのに、オゴは不安と所有欲にかられて、自分には妹が授けられないに違いないと思いこみ、いても立ってもいられず動きまわった。(中略)アンマはオゴに対して、彼が生まれるとき、つまり〈胎から出る〉ときに、ちゃんと双児の妹を受け取るだろうと言いきかせた。だがオゴはそれを信じないで、今すぐくれと要求して反抗し、アンマが雌のノンモを作りあげるのを待たずに自分で探し始めた。」

「充たされないオゴは、すべての規則をひっくり返しながら、今度は形成途上にある宇宙の秘密を見破ろうとして動きはじめた。」
「彼は進行中のアンマの作品のまわりじゅうを行ったり来たりした。」
「ところで宇宙は、アンマの胎の中にあって、未だに非時間的・非空間的であった。(中略)オゴが、その行為によってはじめてひとつの連続というものを規定したのである。つまりその連続こそが、長さ(彼が測るのに利用した〈歩幅〉)と同時に、時間(彼がその〈歩み〉をした期間)を、現実的な形で予示したのである。」

「さてオゴはこうして創造界の限界を〈見る〉ために宇宙を一周した。この旅を実行してからアンマの胎の中央にもどったオゴは、自分が〈アンマのように賢く〉、自分にも世界を創ることができると公言した。彼は〈アンマよ、私はあなたの創った世界を見た〉といった。アンマは答えていった。〈私が創造したように、(おまえはおまえでひとつのものを)太陽の下でもなく陰の中でもなく創れ。おまえはそこに残るがいい。私はまたあとで来よう〉。アンマは不可能なことを実現するよう命じてオゴを困らせるためにこういったのである。
 オゴは、アンマに命じられて中央を去り、西の方へ行ってアンマの〈神経〉つまり卵の中の細い筋を盗んだ。これはあとで四つの鎖骨として開くことになっていたものである。オゴは広がっていこうとしていた筋を手に取って、縁なし帽のような形の器を編み上げた。彼はそれを作るとき、まず上の方から始めて、下の方で編み終った。その結果、編み終ってみると、オゴはちょうどアンマが原初の卵の中に納まっていたように、器の中に閉じこめられたような形になった。この器は丸く、〈アンマの空〉を象って卵の形をしていた。」
「オゴはこのざるをアンマの創造にならって作った。すなわちそこには、アンマが原初の種子と世界に授けた螺旋運動と振動という二つの運動が、ざるを編むときのぐるぐる回る動きと、中心から放射状に出た芯とで示されている。オゴはこのようにアンマの螺旋-振動運動を反復したわけである。したがってこの作業はアンマに対する挑戦状であった。アンマは〈これは私の創った世界の姿に似ているではないか。私と競うのはやめろ〉といった。というのも、アンマはそれを見て、自分が世界を作っているように、オゴも世界を作りはしまいかと恐れたからである。
 しかしオゴは、たるんだ編み方のために〈陰でも光でもない〉場所になった、伏せたざるの下に隠れて、アンマをせせら笑った。オゴの仕事の首尾にいら立ったアンマが、オゴの舌の一部を、正確にいうと〈舌の静脈〉を切ったのはこのときである。このためにオゴは、それまでは出せた声の張りを奪われてしまった。」

「さて、オゴは土の中で、自分に欠けているものを見つけようとした。彼は土に変わった胎盤のかけらの中に、自分の双児の妹と失くしてしまった魂を探し求めたのである。」
「ところで、オゴは自分の胎盤を素材とする土の中に入りこんだのだから、自分の母と交わったことになる。またある面からいえば、自分の胎盤の中に入りこむ探求は、自分の双児の妹を失って霊的原理を一部分しかもっていない単独の存在が、自分のつくられた胎の中を探しまわる、ということでもある。オゴは〈母〉である大地の口から入って性器から出たといわれるが、こうしてとてつもなく重大な近親相姦の罪を構成したのである。この最初の試みにつづいて、オゴは何度もやり直すことになる。彼は将来の世界において、霊的完全性と失われた存在を永遠に追い求めて努力することになるのである。」

「オゴが青い狐に変えられる
 大地についたオゴは、仕事を続けようと思った。しかしアンマは、〈彼を動物のしるしの中に置いて〉変身させ、倒して地面にはわせ、四足動物のように動くよう強制した。彼はオゴという名を失って、ユルグという名を取った。彼は学名で Vulpes pallidus すなわち〈青い狐〉とよばれる狐になったのである。」
「こうして変身させられ、霊的原理の一部を失くしてしまった狐は、主として虫を食べて生き、ちょうど胎盤の中に入るように、洞穴の岩の裂け目に隠れ住むようになる。」
「このとき以来、狐は別の世界で流浪の身になった。この追放の理由は彼の不浄性である。孤独で、不完全で、つねに反抗的でかつ活動的な彼は、しかしながら、大地の上での生命の展開に必要な仲介者となる。なぜなら、アンマは形成途上の宇宙を試すためにオゴの行為を唆したのだといわれるからである。〈アンマは、世界の中で狐を試すためにこれらすべてのことを狐にやらせたのだ〉。」

「狐は完全にできあがるずっと前に、不従順な性質を現わしアンマの計画に従うのを拒んだ。彼はしくじる運命を荷なって生まれて来た。彼の役割とつとめはそれ自体、彼自身の個別性を強化することにあった。彼は宇宙の秩序の破壊に手をつけたのと同じように、自分も未完成のままにとどまった。宇宙的な次元での〈記号〉すなわち ことば の追求と、人格の次元での双児の妹あるいは女性の魂の追求という、彼の二つの追求は、つねに必要なものである。彼は宇宙の混乱のもとになったと同時に、心理的な個別性の発揮に道を拓き、そうやって心理と宇宙の双方の領域に、対立関係という望ましい要因をもたらしたのである。なぜならアンマは、すべてを見通していたので、原初の胎盤を二つの部分に分けることで、宇宙の二元的組織化を予示してもいたからである。この分割、ノンモ・アナゴンノの創造、そしてオゴの行為については、〈アンマがノンモと狐を創ったことの理由は、彼が世界を混乱させ、彼がそれを組織することである〉と説明される。なぜならアンマは、ノンモ・アナゴンノを宇宙の主人にするために創造したのであり、彼らは対立しているが補い合うものであって、オゴが無秩序を助長し、その〈双児の兄弟たち〉がオゴと戦って、宇宙の管理と働きにたずさわるものになるからである。」

「狐の占いの図表
 言語では話せなくなったが、狐は〈ことば〉をもっており、歩くことによって地面に残す〈跡〉を用いて、人間にそれを開示することになる。」



グリオール 青い狐 04



こちらもご参照下さい:

ラディン/ケレーニイ/ユング 『トリックスター』 皆河宗一 他 訳 (晶文全書)































































































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

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