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大澤正佳 『ジョイスのための長い通夜』

「「なにからなにまで語呂合わせ」のこの道化芝居について語るジョイスの様子はあたかも遙かな虚空への最初の跳躍を敢行するヒロイックな探険者のようであった、と彼の友人は回想している。語り終えたジョイスは言った。

 わたしは狂っているのだろうか。

「その言葉に衒いはなかった」とその友人、ルイ・ジレは記録している。」

(大澤正佳 「ジョイス語のドラウマ」 より)


大澤正佳 
『ジョイスのための
長い通夜』



青土社 
1988年10月31日 第1刷印刷
1988年11月10日 第1刷発行
413p 
四六判 丸背紙装上製本 カバー
定価2,600円
装幀: 高麗隆彦



「ジョイス随想」は二段組、「ジョイスの生涯と作品」は横組。本文中に図版(モノクロ)76点。



大沢正佳 ジョイスのための長い通夜 01



目次 (初出):

序 『フィネガンズ・ウェイク』への誘い (中央大学文学部英米文学会・公開講演会草稿 1987年6月30日)

 Ⅰ
ジョイスのアルカディア (世界文学全集 『ジョイス/ウルフ』 講談社 1974年9月 解説)
「アポファニプスの夜祭」への序章 (世界文学大系 『ジョイスⅠ』 筑摩書房 1976年7月 解説)
歌手と道化――ジョイス詩抄 (「現代詩手帖」 1987年5月)
底なき坑への鍵 (「英語青年」 1983年6月)

 ジョイス随想 1
翻訳のにがい味 (「文学界」 1970年6月)
かろやかに歩むバック・マリガン (「英語文学世界」 1976年9月)

 Ⅱ
「進行中の作業(ワーク・イン・プログレス)」のための覚書(ウェイクブック) (「パイデイア」 1969年8月)
水の言葉 (「海」 1982年12月)
夢言語のチャプリン的身振り (「文学界」 1974年3月)
ジョイス語のドラウマ (高橋康也編 『言語遊戯』 日本ブリタニカ 1979年10月)
三聖唱の怨念 (「不死鳥」 1974年5月)
『フィネガンズ・ウェイク』の一夜 (中央大学紀要 1971年12月)

 ジョイス随想 2
ジョイスとビートルズ (「ユリイカ」 1976年9月)
ライト・ヴァースとしてのブルーム (「現代詩手帖」 1979年5月)
肝を食った男のSOS (「ユリイカ」 1981年5月)

 Ⅲ
両断された過去――アイルランド文学* (「文学界」 190年10月)
トンネルで酒浸り――アイルランド文学** (「ちくま」 1971年5月)
ターラへゆく道――亡命者ジョイス (「ユリイカ」 1975年6月)
ワイルド・グース・ジョイス――オスカー・ワイルド (「ユリイカ」 1976年5月)
狂気の森の二人――ジョナサン・スウィフト (「ユリイカ」 1977年6月)
緑色のパスポート――サミュエル・ベケット (世界文学大系 月報 筑摩書房 1982年7月/「ユリイカ」 1982年11月)
ジョイスに倣って翔んだ詩人――シェイマス・ヒーニー (「学鐙」 1987年11月)
「恐ろしい美」は生まれたか――アイルランド演劇 (「中央評論」 1987年6月)

 ジョイス随想 3
ジョイスのダブリン (新集・世界の文学 月報 中央公論社 1972年1月)
トリエステのジョイス (講座英米文学史 月報 大修館 1973年7月)
吉田健一さんと『フィネガンのお通夜』 (「ユリイカ」 1977年12月)

 Ⅳ
遠くの音楽――オーブリー・ビアズリー (「カイエ」 1978年10月)
大いなる神のミュージカル――リヒャルト・ワーグナー (「中央評論」 1981年6月)
凍りついた音楽――ズヴェーヴォと『ジアコモ・ジョイス』 (世界の文学Ⅰ 『ジョイス/ズヴェーヴォ』 集英社 197年6月 解説)
コナンの夢――シャーロック・ホームズ (「ユリイカ」 1980年11月)
遅れて来た男の話――ルイス・キャロル (別冊「現代詩手帖」 1972年6月)
ウィンダム・ルイス・キャロルとジョイス (「ユリイカ」 1978年12月)
かくてこのわれらが追放ののち――T・S・エリオット (「無限」 1965年11月)
シェム・ジョイスとショーン・エリオット (「現代詩手帖」 1987年10月)
スワンの途を求めて――マルセル・プルースト (「ユリイカ」 1987年12月増刊)
ブアジョイス・バージェス序曲――アントニー・バージェス (「学鐙」 1984年11月)

 ジョイス随想 4
ザ・ノラ・バーナクル (Joycean Japan 1987年6月)
ジョイスがラヴレターを書くとき (「ちくま」 1987年3月)
さあ きみの調べを (Joycean Japan 1988年6月)

ジョイスの生涯と作品 (「英語青年」 1983年6月)
 沈黙・亡命・狡智
 ジョイスの主要居住地
 汚ない愛すべきダブリン
 A Select Chronology of JJ's Writings

あとがき、あるいは通夜のあと
初出一覧




大沢正佳 ジョイスのための長い通夜 02



◆本書より◆


「序 『フィネガンズ・ウェイク』への誘い」より:

「作者不詳の伝承バラッド「フィネガンの通夜」は八行五連からなり、それぞれのスタンザに四行のコーラス、リフレインが付きます。そこで展開するストーリーは単純素朴なもので、要約するとこんな工合です――
 (Ⅰ) ウォーク街の住人、煉瓦運びのティム・フィネガンは酒が大好き。
 (Ⅱ) 酔っぱらったティム、梯子から落っこち頭を割って、家に運ばれ、始まるお通夜。
 (Ⅲ) 通夜は盛大、集まる友だち、「こんなきれいな死体、見たことある?」
 (Ⅳ) 通夜の客たちやがて戦争、組んずほぐれつ大乱闘。
 (Ⅴ) 飛びかう酒杯、ティムに降りそそぐウィスキーの飛沫。こいつはどうだ、息吹きかえすティム・フィネガン、すっくと立って言うことにゃ、「どんどんやれよ、酒振りかけろ、えい糞ったれ、おいらがおっちんだとでも思ってるんか?」」
「ジョイスはこの伝承バラッドのタイトル「フィネガンの通夜(Finnegan's Wake)」からアポストロフィーをはずし、最後の大作のタイトル『フィネガンズ・ウェイク(Finnegans Wake)としたのです。」

「梯子から落ちて死んだはずのティム・フィネガンはウィスキーを浴びて息を吹きかえします。御存知かと思いますが、ウィスキーは語源的にみると「生命の水」の意のアイルランド語に由来するのです。この滑稽なバラッドに、ジョイスは彼自身の基本的主題「死と再生」のヴァリエイションを見ました。『ウェイク』の主人公HCE(中略)は、旧約のアダムが堕ちたように、また童謡集のハムプティ・ダムプティが墜ちたように、たえず堕ち(あるいは墜ち)、そして甦り、立ちあがるのです。滑稽でまことに人間的な復活譚の主人公ティム・フィネガンは、『ウェイク』において直ちに伝説的な巨人(中略)フィン・マクールの姿と重なり合う。フィンは再び(アゲイン)現れてフィナゲインとなるのです。したがって『ウェイク』という題名は「フィネガン(たち)の通夜」、「フィネガン(たち)の目覚め」、さらには「フィネガンたちよ、甦れ」とも読みとれます。(中略)フィネガンという名称は神話的連想を離れて、語自体としても面白い働きを示します。フランス語ファン(fin)あるいはイタリア語フィーネ(fine)と英語アゲイン(again)の結合によって完了と更新という対立概念の同時的共存が仕組まれているのです。さらにウェイクには航跡の意も読みとれます。死と再生、墜落と上昇という循環運動を「航跡」として、『ウェイク』はアダムとイヴ以来の人類の歴史の流れを一夜の夢のなかに凝縮しているのです。」



「「アポファニプスの夜祭」への序章」より:

「その頃たまたま訪ねてきた作家志望のアイルランド青年に向って、ジョイスは彼としては珍しく率直な助言を与えている――「きみはアイルランド人なのだから、きみ自身の伝統に従って物を書かなくてはなりません。借りもののスタイルなど役に立ちはしない。頭の中にあるものではなくて、きみの血の中にあるものを書くべきなのです」。民族的なものにはうんざりしています、偉大な作家たちの例にならって国際的な線を狙っているのですが、と不満げに言い返す眼の前のアイルランド青年に、(中略)彼はきめつけるように言う――「偉大な作家というものはまず第一に民族的なのです。民族性が強烈であってはじめて、その結果、国際的になる……わたし自身はと言えば、書くものはいつでもダブリンについてなのです。ダブリンの核心に迫りうるということは、つまるところ世界のあらゆる都市の核心に達しうるということにほかならないのですから。個別の中にこそ普遍が含まれているのです」。
 一九〇四年にノラを伴って彼のいわゆる「自発的亡命」を敢行したジョイスは、一九〇九年から翌年にかけて短期間ながら再度アイルランドを訪れたものの、一九一二年『ダブリンの人びと』出版交渉のため帰郷したのを最後として、二度とアイルランドの土を踏んでいない。しかし自発的亡命者ジョイスの眼は常にアイルランドに注がれていた。彼の作品の舞台はダブリンにかぎられているし、彼にとっての終生変わらぬ主題はまさにダブリンそのものであった。故国を去ってすでに四半世紀を経た一九三七年、帰国するようにとの旧友のすすめを断ったジョイスはこう言い添えている――「しかし毎日毎日あらゆる方法でわたしはダブリンの町並を、そしてあの岸辺を歩きつづけているのです」。そして同じ頃、どうして帰郷しないのかという質問に彼はこう切り返した――「これまでわたしはいちどだってあそこを離れたことがあるだろうか?」」

「ジョイスは『フィネガンズ・ウェイク』のなかにこの作品自体を示唆するさまざまな表現を散在させているが、その一つに「アポファニプスの夜祭(the night of the Apophanypes)」というのがある。魔王と魔女たちが酒宴を張る「ワルプルギスの夜祭(Walpurgis Night)」に「黙示(apocalypse)」の「顕現(epiphany)」をみるとき、ジョイスは『フィネガンズ・ウェイク』という「聖書外典(Apocryphas)」を書き記すことになる。」



「ジョイス語のドラウマ」より:

「さまざまな概念のるつぼであるジョイス語においては、流動と溶解が反復する多義性をその本質とする。すべてが衝突と逃走を重ねる万華鏡(collideorscape. *FW* 143)のイメージは、この作品全体のすがたを表すとともに、そこで駆使されるジョイス語のありようを暗示する。「戦いは言葉のなかにある」という夢の世界を具現するに際して、語呂合わせの機能が最大限に発揮される。」

「微妙な言語的操作によって連想の環をひろげるのはジョイスの得意とするところである。その例として、where oranges have been laid to rust upon the green (*FW* 3)という一節を考えてみよう。文章の流れからみて読者が当然 rest という動詞を期待する位置に、ジョイスはさりげなく rust という単語をすべりこませる。「オレンジが緑の野に静かに横たわるところ」という牧歌的風景は、一つの単語の母音 e を u に変えただけで様相が急変する。ラストは鉄などがさびるの意であり、赤さび色を喚起する。この赤さび色に反応してオレンジとグリーンがうごめきだし、新たな連想を呼びおこす。すなわち、オレンジ公ウィリアム三世および彼を支持するプロテスタント系アイルランドと、グリーンによって象徴されるカトリック系アイルランドとの確執である。オレンジ・ウィリアム三世とグリーン・ジェイムズ二世とが対決したボインの戦い――現在のアイルランドの不幸の原点ともなったオレンジとグリーンの血なまぐさい対立、戦場に朽ち果てる戦士たちの赤さびた甲冑。緑の野のオレンジという田園風景の背後から、つわものどもが夢のあとをとどめる古戦場が二重写しとなって浮かびあがる。一つの母音が変えられただけで、『フィネガンズ・ウェイク』の主題にかかわる歴史の一章がこの一節に二重焼きされたのだ。しかも読者が最初に期待したレストという動詞は半ば姿を隠したまま、いぜんとしてその喚起力を失ってはいないのである。」

「ジョイスは言葉遊びの awethorrorty (*FW* 516)である。北欧神話の雷神 Thor を思わせる畏怖(awe)と恐怖(horror)を備えた権威(authority)ある作家(author)なのである。意味の過充電を放射するジョイス語は、あたかも雷神の火打ち槌のように、われわれ読者を撃つ。ジョイスの狙いはそこにあったのだ。彼は因襲的な言語の安全軌道からわれわれを強引に振るい落とす。彼はまさに言語における aboleshqvick (*FW* 302)なのである。過激主義者(bolshevik)さながらに、彼は旧秩序を速やかに抹殺せよ(abolish quick)と命ずる。彼の根幹語(root language. *FW* 424)は、旧来の文学趣味を規準とすれば、まことに粗野な言語(rude language)であり非難さるべき(de-praised)言葉、すなわち deepraised words (*FW* 536)であった。しかしジョイス語において破壊と創造は表裏一体をなしている。彼の根幹語が粗野と思えるのは、彼が言葉の根源(root)すなわち語源にまで探りを入れ、歴史の暗い深淵から言葉の生命を甦らせる(deep-raised)からにほかならない。」



「トンネルで酒浸り」より:

「この頑固な詩人(引用者注:パトリック・キャヴァナ)は嘗てこう言ってのけた。「ジョイスはまっとうな男で、正気そのものだ。狂っているのは彼の研究者たちなんだ」。どの国でも似通った事情はあるのだろうが、よそものに分ってたまるかという気風はこの国ではことさら強いように思われる。オックスフォードの歴史学者マイケル・ハーストは『パーネルとアイルランド・ナショナリズム』の序文で嘆いている。「頑固な偏屈者が支配する数多くの不幸な国々に見られる如く、アイルランドの歴史を語る資格があるのはアイルランド人のみという風潮がこの国全般に拡がっている」。最初にダブリンを訪れた頃のぼくはハースト氏の憮然たる口調に全く同感であったが、今はむしろジョイスをまず「まっとうなもの」としてさらりと受けとめるキャヴァナの無愛想な語り口に加担したい気持の方が強い。とは言え、「アイルランドでまともな人間とはわたしたちから見れば奇人と同義語です」というこれもまたオックスフォードのエルマン教授の見解もあるわけで、あくまでも「アイルランドの文脈においてまっとうな」受けとり方ということである。」



The Clancy Brothers - Tim Finnegan's Wake





James Joyce - Anna Livia Plurabelle



















































































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Stanislaus Joyce 『My Brother's Keeper: James Joyce's Early Years』

「- But you must not forget that he was a terrible heretic.
- Yes, said Jim, I'll remember, and also that he was terribly burnt.」



Stanislaus Joyce 
『My Brother's Keeper:
James Joyce's Early Years』

Edited with Notes by Richard Ellmann
Preface by T.S. Eliot

Da Capo Press, 2003
xxii, plates ii, 266pp, 21.6x14cm, paperback



ジェイムズ・ジョイスの弟スタニスロースによる回想録。1958年著者没後にジョイス研究家リチャード・エルマンの校訂により、T・S・エリオットの序文付きで刊行されました。本書はその新装版です。みすず書房より邦訳(『兄の番人 若き日のジェイムズ・ジョイス』宮田恭子訳、1993年10月)が出ています。


stanislaus joyce - my brothers keeper 01


Contents:

Preface by T.S. Eliot
Introduction by Richard Ellmann

Two Portraits of Stanislaus Joyce (plates)

Chapter I - The Soil
Chapter II - The Bud
Chapter III - Raw Spring
Chapter IV - Ripening
Chapter V - First Blossom

Index



stanislaus joyce - my brothers keeper 02



◆本書より◆


「I - The Soil」より:

「The only real weakness my brother showed as a boy was a terror of thunderstorms - a terror excessive even for his years.」
「Until he was twelve or thirteen, my brother was always beside himself with fear during thunderstorms. He would run upstairs to our room, while my mother tried to calm him. She would close the shutters hastily, pull down the blinds, and draw the curtains together. But even that was not enough. He would take refuge in the cupboard until the storm was over.」


(大意: 少年時の兄の弱点は雷雨恐怖症で、雷雨がくると我を忘れて、母がなだめるのもきかず、雨戸を閉じカーテンを締めてもだめで、嵐がおさまるまで戸棚に隠れているのだった。)


「V - First Blossom」より:

「My brother stopped over in London for a day or so, and Yeats introduced him to many people, including Arthur Symons.」
「Yeats has evidently been speaking to Symons about my brother. When they called on Symons at his flat, furnished with studiously decadent elegance, he was hospitable and sympathetic. He offered to submit some of my brother's poems to various editors, and said that as soon as my brother had a volume of poems ready, he would try to find a publisher for it. Then and later he kept both promises. It was Symons who, in the end, persuaded Elkin Mathews to publish *Chamber Music* and, when it came out, wrote the first criticism (and a very good one) of my brother's work to appear in any paper. During this meeting, the only one my brother had with him, I think, Symons told stories of the poets and artists he had known, of Verlaine and Dowson, of Lionel Johnson and Beardsley, and, hearing that my brother was interested in music, he sat down at the piano and played the Good Friday music from *Parsifal*.
- When I play Wagner, he murmured, closing the piano and standing up, I am in another world.
Meanwhile Yeats, who, like Russell, was almost tone-deaf, listened patiently, but when he was coming away with my brother, he said wittily:
- Symons has always had a longing to commit great sin, but he has never been able to get beyond ballet girls.」


(大意: ロンドンで、イェーツが兄をアーサー・シモンズのところへ連れていった。シモンズは兄の詩を出版社に紹介すると約束してくれ、のちにそれは実行された。兄がシモンズに会ったのはこの一回きりだと思うが、シモンズはヴェルレーヌやドーソン、ビアズリーの噂話をし、兄が音楽好きだとわかるとピアノを弾いて、「ワグナーを演奏するとき、わたしは別世界にいるのです」とつぶやいた。音楽に理解がないイェーツは我慢してきいていたが、帰り道で「シモンズは罪悪にあこがれているんだけれど、じっさいにできることといえばバレーの踊り子に手を出すことくらいなのさ」と警句を弄した。)










































































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
 
うまれたときからひとでなし
なぜならわたしはねこだから
 
◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

Koro-pok-Guru
Away with the Fairies

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

すきなことば: 「だれもいない」「ギブアウェイ」「ウポポイ」「隠密」
きらいなことば: 「人と人とのつながり」「キャリアアップ」「ほぼほぼ」「三密」

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。
歴史における自閉症の役割。

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