伊藤俊治 『唐草抄 ― 装飾文様生命誌』

「いずれにせよ唐草には共有され、積み重ねられ、生きられてゆく美の記憶層を揺れ騒がす特別な魔力が秘められている。その力は常に現在という新たな視点から繰り返し、検証を加えてゆかなければならない記憶の鎖のようなものといえるだろう。本書はその鎖をたぐりよせるひとつの試みである。」
(伊藤俊治 『唐草抄』 より)


伊藤俊治 
『唐草抄
― 装飾文様生命誌』


発行所: 牛若丸
発売所: 星雲社
2005年12月15日 初版発行
258p(うちカラー図版32p)
22.2×15cm 
角背紙装上製本 貼函
定価2,800円+税
造本: 松田行正
本文デザイン: 中村晋平



本文二段組。図版(カラー/モノクロ)多数。
本書はヤフオクで1,601円(+送料400円)で出品されていたのを落札しておいたのが届いたのでよんでみました。唐草文様は人類文化の遺伝子であるという壮大な観点に基いた、エジプトからCGに至る世界唐草文様史でありますが、資生堂のPR(?)もありました。
序文とあとがきは灰色の紙に黒インク、本文は三つのセクションに分れていて、それぞれ青・赤・緑のインクで印刷されています。


伊藤俊治 唐草抄 01


内容説明:

「自然と形象の共振。人類の美の記憶を運ぶ文化の遺伝子=唐草、その長い旅の軌跡を多重なイメージと共に鮮明に描き出す文様携帯概論。」


伊藤俊治 唐草抄 02


目次:

序文 美の生命力と唐草

世界の唐草
 第一章 唐草、その起源の旅
  古代・エジプトの造形原理と唐草
  リーグルの様式論とロータス・パルメット
  ギリシャのパルメット唐草
  ギリシャの特異なモチーフ
  アカンサスとローマ装飾
 第二章 シルクロードと〈生命の樹〉
  〈生命の樹〉の軌跡
  葡萄唐草とシルクロード
  アラベスクの変遷
  インドでの展開
  異端と先端
 第三章 龍唐草と雲唐草
  中国の曲線
  青銅器と雷文
  北方からの文様
  龍の変容
  雲文と神仙思想
 第四章 空想の花、陶酔の花
  宝相華唐草の始まり
  シルクロードのルートとルーツ
  宝相華のヴァリアント
  中国のアラベスク
  中国唐草の変遷
 
唐草ワールドマップ

日本の唐草
 第五章 花喰鳥と鳳凰
  縄文のエネルギー
  日本最古の唐草
  唐文化の流入と唐草
  鳳凰のゆくえ
  花喰鳥の和様化
 第六章 日本の植物、日本の記憶
  平安の唐草
  日本の宝相華唐草
  日本の植物と唐草
  鎌倉の唐草と技術革新
  有職文様とデザイン・パターン
 第七章 日本の自然感情
  室町・桃山の唐草
  風景と歌の文様
  秋草のメタモルフォーゼ
  自然現象と流水
  波のアルケオロジー
 第八章 日本の技巧
  江戸の唐草
  寄せと組合せ
  亀甲と変形
  立涌と唐草
  結びとつなぎ

日本唐草年表

近現代の唐草
 第九章 織りこめられ染めあげられる時
  ルネッサンスの美
  マニエリスムと唐草
  バロックからベルサイユへ
  ロココとビザールの時代
  装飾と自然原理の再考
 第十章 植物曲線と女性
  美と形態の造形原理
  モリスと生命美
  アール・ヌーヴォーと植物曲線
  シノワズリーとジャポニズム
  ウィーン分離派からモダニズムへ
 第十一章 西洋と東洋の美の融合
  資生堂唐草の始まり
  日本美の浸透
  女性美と唐草
  未来の資生堂唐草
 最終章 四次元の唐草、新たな展開
  生命・遺伝子・唐草
  唐草の進化と発生
  人工生命の文様
  変種と変異、そのメカニズム
  電子の唐草

あとがき
主要参考文献



伊藤俊治 唐草抄 03



◆本書より◆


序文より:

「唐草は古代エジプト時代に始まるといわれる数千年もの歴史を持つ人類の普遍的なイメージである。
 その流麗な文様は曲線を蛇行させた茎を中心に、そこから派生し絡み合う枝、葉、花がひとつの単位となり、反復し、連続し、変形し、増殖しながら生命そのもののリズムとパターンを生みだしてきた。
 唐草は草花文様の一種と考えられるが、重要なのは文様そのものというより縦横無尽に空間を埋め尽くしてゆくかのようなその潜在的なエネルギーだろう。先端をどこまでも伸ばしてゆく蔓性の植物がモチーフとして多用されるのも唐草の中心テーマが潜在的な生命力であることのあらわれである。」
「唐草は人間が装飾ということを意識し、文様をつくりだした当初から存在していたといえるだろう。唐草はいわば人間の創造力や美への限りない欲望が織り込まれた遺伝子であり、長い間、時間と空間の旅をし続けているのだ。
 それゆえ唐草は一種の記憶装置となる。唐草は時代や場所により多様に変容してゆく一過性の要素と、あらかじめ定められ、計画された要素、さらに想像的な要素や未知の偶発的な要素との密接な関係の上に生成してくる。だからこそひとつの唐草は他の唐草とは異質な独自性と輝きを帯びるのだ。」
「唐草は持続的な変化を義務づけられている。それは安定せず、画一化しない、生きた情報なのである。だから唐草は場を、表現を、形式を次から次へと変えてゆくことを宿命づけられた生命の“型”ともいえるだろう。
 生命のかたちは情報として遺伝子に書き込まれ、複製され、伝達されてゆく。」
「遺伝子の本質はクローンのような正確な複製物をつくることではない。その本質は変化を次につなげてゆくことであり、起こった変化を消してしまわないことなのだ。だから遺伝子は二重らせんをつくる時に相手をまちがえたり、外的要因により一部が破損したりする変化をたびたび起こす。それはエラーやトラブルというよりも生命の宿命のようなものだ。生命はそうした変化や変異にもともと対応できるものであり、実はそうした間違いが新しい生命を生みだす原動力となってゆく。
 遺伝子は変化しうるから遺伝子であり、しかもその変化を伝えてゆくことができる。それゆえ遺伝子は生命の基本物質でありえた。また変化とはある意味で時間の経過、あるいは関係と流れである。遺伝子とはこの関係と流れを蓄積し、封じ込めるものであり、だからこそ、そこから生命の歴史と物語を読み解いてゆくことができる。
 唐草の歴史と展開もそのような生命の視点から読み解いてゆくことができるかもしれない。」



第二章より:

「枝葉を四方八方に伸ばし、繁栄してゆく様を表す樹は生命のシンボルだった。〈生命の樹〉は豊穣の象徴であり、無数の花や葉や実をつけ、また次の生命を生み出してゆく。こうした生命連鎖の根本に樹があるとする思想は、世界各地の原始的な信仰に見られる。また生命体の根源である〈生命の樹〉は、霊力が宿り、神が降臨する場所でもあった。」
「古代から病気の時には薬として草や木の根が重要な働きを果たしてきた。植物には人に生気を与え、人を癒す力が孕まれていた。」

「ケルトは人種的なまとまりというより言語と宗教のまとまりを示す部族の総称で、アルプス北部からヨーロッパ一帯に広がっていた。」
「ケルトは九世紀には多くの石彫の十字架を残し、ケルト美術の代表作『ケルズの書』を生みだした。(中略)ページ全体に及ぶイニシャル装飾(装飾文字)が特徴で、余白はすべて螺旋文、組紐文、巴文などケルト独特の唐草状の装飾文様により埋めつくされている。」
「その文字と文様がわかちがたく組み合わされたスタイルは唐草の異端と先端として記憶されておくべきだろう。」



第五章より:

「縄文という言葉は字義どおり表面を縄状のもので整え縄目を残していった土器からとられたもので、その土器は人間の生命力を謳歌するかのような流動的で自由な曲線を特徴としていた。(中略)こうした土着的で、原始的な文様の精神が土壌として広がっていた日本に、古墳時代から飛鳥時代にかけて中国、朝鮮経由で新鮮な感覚を秘めた唐草が流入してくることで日本独特の唐草が芽生える土台が作られてゆく。それらの唐草は当時の日本人にとっては異国からもたらされた目も醒めるような美しい文様だったのだろう。」


最終章より:

「生命科学者リチャード・ドーキンスは(中略)遺伝的進化と文化的進化の類似性に注目し、進化を生命界に限定せず、自己複製子を抽象概念化して人間社会の文化的進化を射程に入れた文化的遺伝子(ミーム)の存在を仮定する。」

「生命のかたちを追求し続けたかのゲーテは原型的形態の変形過程として植物の形態をとらえようとした。ゲーテの形態学とは生きた形態としての生物を考えることだった。(中略)あくまでも他との連関を保ち続けながら全体を生きてゆく秩序こそがつかみだされなければならない。そして生命ある形成物をあるがままに認識し全体をわしづかみにするためには我々自身もまた動的でのびやかな状況に身を置いてゆかねばならないのだ。
 唐草は、形の類似ではなく、ひとつの生命態という世界の全体性のなかで事象をとらえる方法を教えてくれる。ひとつのコスモスに参入するためのものの見方を“未来の唐草”は指し示しているのかもしれない。」



伊藤俊治 唐草抄 04


伊藤俊治 唐草抄 05




こちらもご参照ください:

鶴岡真弓 『装飾する魂 ― 日本の文様芸術』


















































































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谷川渥 編 『廃墟大全』 (中公文庫)

谷川渥 編 
『廃墟大全』
 
中公文庫 た-67-1 

中央公論社 
2003年3月15日 初版印刷
2003年3月25日 初版発行
301p 
文庫判 カバー 
定価895円+税
カバー図: フリードリヒ《樫の森の修道院》(1809-10年)
カバーデザイン: 柴田淳 デザイン事務所


「本書は1997年3月、トレヴィルから刊行された『廃墟大全』を一部、加筆、修正し、再構成した。」



本文中図版(モノクロ)107点。


谷川渥編 廃墟大全


帯文:

「悟りの果ての無常観か? 栄光の過去への郷愁か?
いま惑溺の迷宮の扉が開く
文学、美術、建築、映画、写真、アニメーションに登場する無数の廃墟群を気鋭の研究者たちが、脱領域的に横断し、徹底検証する異色の評論集。」



カバー裏文:

「戦争、災害、バブル崩壊に続くデフレ不況…。全世界に廃墟が再生産される一方で、郷愁や無常観を誘う対象として注目を集めている。無定形(アモルフ)な時代が続く現在、文学、美術、建築、映画、写真、アニメに登場する無数の廃墟群を16人の気鋭の研究者が脱領域的に横断、徹底検証する。時空を超えて妖しい魅力を放って已(や)まない廃墟の本質に迫った異色の評論集。」


目次:

はじめに (谷川渥)
ケープ・コッドの渚で 生物と人工物の巨大廃墟を擦り抜けるネットランナーたち――ソロー以後のレッカー文学史 (巽孝之)
瞼の裏の宮殿――ポール・パークの記憶の聖墓 (小谷真理)
建築の「廃墟」、人体の「廃墟」――A・タルコフスキー『ノスタルジア』からD・フィンチャー『セブン』へ (滝本誠)
死せる視線――写真の廃墟解剖学 1廃墟への憧れ 2戦争と廃墟 3デッド・テック 4死とエロス 5廃墟への融合 (飯沢耕太郎)
廃墟のメタモルフォーズ――パリ、サン・ジノサン墓地 レ・アールの噴水の下に潜む、あらゆる死体を食らい尽くしてきた廃墟 (小池寿子)
十八世紀ローマの廃墟をめぐる覚書――ピラネージの時代 (岡田哲史)
サー・ジョン・ソーンズ・ミュージアム――廃墟趣味と断片の美学 (谷川渥)
「ザ・ピクチャレスク」としての廃墟――十八世紀英国の美意識と人工廃墟 (森利夫)
「廃墟」とロマン主義 断片が生い育つ――ティーク、ノヴァーリスに見るロマン派の廃墟のモティーフ (今泉文子)
フリードリヒ、ブレッヒェンにみる廃墟のテーマ (岡林洋)
真新しい廃墟――ノイエ・ザハリヒカイト廃墟画 (種村季弘)
ピラネージなき中国――紙上の楼閣から廃屋まで―― (中野美代子)
廃墟を前にした少年――七生報国の大楠公碑と、紅衛兵の拠点「円明園」 (四方田犬彦)
リアルな廃墟――ウィーン、神戸 (飯島洋一)
喪失の荒野『新世紀エヴァンゲリオン』――そしてアイ(ぼく)だけが残った (永瀬唯)
廃墟――鉱物と意識が触れ合う場所 (日野啓三)
廃墟総論 あとがきにかえて (谷川渥)

執筆者紹介




◆本書より◆


「ケープ・コッドの渚で」(巽孝之)より:

「ソローは岬を必ずしも美化せず、『ケープ・コッド』第一章「難破船」を無数の人間の溺死体のエピソードで切り出し、同書全体を通じて、浜辺へ漂着し腐乱する難破船とクジラとをあえて区別しないで描くという戦略を選んだ。感性の歴史学を探究するアラン・コルバンは一九八八年の『浜辺の誕生――海と人間の系譜学」(中略)の中で、一八一五年から一八四〇年にかけ、坐礁物語が流行すると同時に海洋小説が形成される共振を分析しているが(第四章)、その意味でも、メルヴィルが大海の捕鯨へ向けた関心とソローが浜辺の難破船へ向けた関心とは、相互に補い合う関係を切り結ぶ。コルバンがいうように、今日、わたしたちが浜辺として捉えるリゾートのイメージは、近代資本主義の発展とともに作られた言説にすぎないが、ソロー自身もあらかじめそうした衛生化=観光化の視線を内部から脱臼するかのように、ずばり悪臭ふんぷんたる廃墟としての浜辺のイメージを強調してみせる。廃墟はふつう一定の文明が崩壊したのちの時空間を指すはずだが、しかしソローがあぶりだす浜辺の廃墟は、生物と人工物がそろって漂着する不気味な中間地帯だ。」
「浜辺が天然のジャンクヤードであるならば、そこに生息して再利用できる断片群を巧みに拾い出す連中「漂着物拾い(レッカー)」こそは、ソロー自身が「ウミハマグリ(シー・クラム)」にたとえる「正真正銘の浜辺の王」(第四章「浜辺」)にほかならない。そしてソローは、そうしたアウトロー・テクノロジストの所業のなかに、彼自身にとっての世界の真理を見出す。」
「ソローの見たケープ・コッドの浜辺自体こそはすでにして巨大な電脳廃墟、それを写し取るソローの文学こそは壮大なハイパーテクストであり、すでにそこでは無数の盗用芸術家(レッカー)たちが快適なネット・サーフィンをこころゆくまで楽しんでいたのである。」



「建築の「廃墟」、人体の「廃墟」」(滝本誠)より:

「八〇年代初頭はパンク系ミュージック・ビデオのクリエーターたちを中心に「廃墟」への耽溺がきわまった時代といっていい。(中略)この場合の「廃墟」は、都市の、しかも工場建築物の鉄系のイメージを中心にした「錆びついた廃墟」なのだ。タルコフスキー的な自然に奪回された「癒し」としての「廃墟」ではなく、ただエントロピーをきわめた、埃と錆の「打ち捨てられた空間」である。ただ、あたらしい感性には、この種の人工的エントロピーこそ「癒し」かもしれない。」

「「白色人種の場合、皮膚の色は白から黄色に、ついで黄緑色に、そして黒へと変わってゆく。暑熱の下に長く放置されると、肉の色は、とりわけパックリ口をあけたり引き裂けたりしている箇所など、コールタールに似てくる。それは虹(にじ)のように光って見えるタール色だ」(高見浩訳「死者の博物誌」新潮文庫)。
 人がどのような「廃墟」にも、耽溺しうる様がヘミングウェイの描写の恍惚から窺える。タルコフスキーの「廃墟」愛も、「死体」という人間「廃墟」愛(?)も、さほどへだたりがない、ということか?
 考えてみれば、タルコフスキーが映画学校在学中に撮った作品は、ヘミングウェイ原作『殺し屋』だった。生きながら「死体」的諦念に達した男の感情をタルコフスキーはロシアン・ハードボイルド的タッチで丁寧に描いたものだった。」



「死せる視線」(飯沢耕太郎)より:

「3 デッド・テック
 近代産業の発展は、不可避的に新しい廃墟を生み出していく。新しい製品や建築物の登場によって、次々に打ち棄てられていく産業廃棄物の集積(デッド・テック)である。これら見捨てられ、到るところに堆積していくゴミの山は、静まりかえった、不思議な安らぎさえ感じさせる眺めを作り出す。」

「5 廃墟への融合
 現代写真家の中にはある種のオブセッションとして、廃墟への同化の欲望があるような気がしてならない。それは特にセルフポートレイトに集中的にあらわれてくる。ここで取りあげるディーター・アペルト、シンディ・シャーマン、フェラ・レーンドルフらの作品に共通しているのは、自らの身体を廃墟の中に溶けこませ、融合させようとする身振りである。廃墟はここでは、われわれが最後に回帰していく場所――母親の胎内を思わせる――として意識されている。」



「「ザ・ピクチャレスク」としての廃墟」(森利夫)より:

「ヴァザーリの伝えるところによると、十六世紀初頭のイタリアにはすでに人工のにせ廃墟(シャム・ルーイン)が存在していたらしい。(中略)これはそれから二世紀のちに全ヨーロッパを席巻した人工廃墟の、文献に記された最初の例である。」

「完璧な廃墟であるための条件を以下に列挙するとこうなる。まず、ツタがからまり、フクロウがいること(ホーホーと鳴き声をたてるのが好ましい)。塔にはカラスと数羽のコウモリ、壊れた門、コケが生え、ゴシック式の窓からは木々が突き出ていなければならない。ヒキガエル、毒蛇、キツネは必須アイテム。「幽霊」はいてもいなくてもかまわないが、「隠者」が住み着いている場合は、雨が降り込むほど屋根を廃墟化してはならない、とされたのである。」



「「廃墟」とロマン主義」(今泉文子)より:

「ところで真の恐怖、真の妄念とはなにか。わたしたちが『フランケンシュタイン』のなかに見るのは、自分が誰やらもわからず、コミュニケーションも拒否され、作り主にも疎まれて無限の氷海をさまよう絶対の孤独者の姿である。そしてこれこそがロマン主義が発見した自分=近代人の姿なのであり、そう認識したとき、真の恐怖がぬきがたくつきまといはじめる。だが、一八一八年の『フランケンシュタイン』をまつまでもなく、すでに十八世紀の終わりにドイツ・ロマン派は、そういった自分=近代人の特性をいち早く見抜いていた。一七九六年にティークが発表した『金髪のエックベルト』は、(中略)涯てしない孤独を意識した主人公の狂気に終わる。」
「肝心なのは、ロマン主義者が廃墟、断片をこそ、自分の姿、近代人そのものの姿と捉えた点である。」
「『カール・フォン・ベルネック』という戯曲(中略)はフランケン地方のベルネックの城砦の廃墟にヒントをえたもので、このシェイクスピアの愛読者は、この城に『ハムレット』のような筋書きの物語を構想した。だが、主人公カールは、自分を「世界の不要物」と感じ、「この世界で生きていくのに不安を覚えている」憂鬱で不機嫌な人間とされる。つまり、典型的なロマン主義的人間像、あるいは、ロマン主義が捉えた自分=近代人となった。」
「要するにドイツ・ロマン派は、感傷主義者のように廃墟に詠嘆せず、自分たちの存在と作品が、それ自体として廃墟であり、断片であると哲学的・美学的に捉えかえすのである。シュレーゲルは言う――「古代人の多くの作品は断片になってしまった。近代人の多くの作品は成立と同時に断片である」。とはいえ、(中略)かれらは、あえてその断片から出発し、断片を生きようとする。断片こそがロマン派の本来的形式であり、思考の材質なのだと言って。だからかれらは「フラグメント(断章)」という形式をあえて選びとり、夥しいフラグメントを書いた。が、それだけではない。一つの完成された作品であれ、そもそも作品とは「断片」という性格をもつのだと、いち早く看破したのもかれらだったのだ。」
「断片が新たな生命へと生い育つというテーゼを、よりヴィジュアルに提出したのがノヴァーリスだった。かれは断片は花粉であり、胚珠であって、本来、生い育つ芽をもつと言う。それを生い立たせ、花と咲かせることこそ芸術の仕事だと。それには、ひたすら断片を生きるしかない。」



「真新しい廃墟」(種村季弘)より:

「世界没落を全体として描き上げるパノラミックな廃墟画の主調は、いうまでもなく、帰りこぬ在りし日を偲んで悲歌的(エレジアック)である。これに対して、部分から全体を喚起するミニアチュレスクな静物画は、崩壊の後を提示しつつもかならずしも悲劇的ではない。(中略)画家のアトリエの片隅に転がっているありふれた物体が、みるからに荒涼たる廃墟のひろがりよりはるかに雄弁に世界の荒廃を物語ることがあるのである。」

「しかし仔細に見るなら、ある種の廃墟画家は、廃墟にノスタルジーよりは、むしろ廃墟それ自体が喚び起こす愉悦を描き込もうとしているようだ。
 一例が一貫して廃墟を描き続けた画家モンス・デジデリオの場合である。モンス・デジデリオの月光に濡れた廃墟は、かならずしも過ぎ去った黄金時代へのノスタルジーに涙してはいない。黄金時代の再帰、古代復帰を憧憬するどころか、明らかに廃墟の現在それ自体に恍惚としている。廃墟はむしろ太陽中心的な黄金時代の規範(カノン)の崩壊の後の、いわば月光症的な夜想に陶酔しているのである。
 デジデリオの廃墟建築の列柱の間には、生きている人間ではなく、死者と夜の妖怪たちが巣くう。人間中心的世界が崩壊し、人間がこの世から撤退した後に、人間の側からの呼称にすぎない「廃墟」であるところの彼らなりの住まいに、嬉々として跳梁している何ものかが現れるのである。」
「事物や野生動物、どうかすると死者や霊魂が、それらのものに固有の領域として我が物顔に跳梁する世界がある。彼らは別に、人間的あまりにも人間的な黄金時代の夢やノスタルジーにもわずらわされることはない。廃墟の今現在をあるがままに生き、ときとしてエグゾティックな旅行を楽しみ、性的夢想にふけるかと思うと、SF的奇想を楽しんだりしさえする。」



「ピラネージなき中国」(中野美代子)より:

「中国の都市には、かくして廃墟などありようがなかった。戦乱で破壊された宮殿はただちにとりのぞかれ、新たに建造される。木造なればこそであろう。」
「そういえば、わが伊勢神宮が持統天皇のとき以来、二十年ごとに式年遷宮をくりかえしているのも、木造建築の老朽化をふせぐためであろうが、中国の木造建築が必ず塗料で塗りこめられ、装飾と防腐を兼ねているのに反し、白木造の伊勢神宮は、白木が古色を帯びることさえゆるさない。」





こちらもご参照ください:

谷川渥 『廃墟の美学』 (集英社新書)
クリストファー・ウッドワード 『廃墟論』 森夏樹 訳
ヘンリー・デイヴィッド・ソロー 『コッド岬』 飯田実 訳

















































































































谷川渥 『廃墟の美学』 (集英社新書)

谷川渥 
『廃墟の美学』
 
集英社新書 0186F

集英社
2003年3月19日 第1刷発行
213p
新書判 並装 カバー
定価660円+税
装幀: 原研哉



本書「あとがき」より:

「本書は、(中略)私の廃墟論の集大成である。第Ⅱ章が『モンス・デジデリオ画集』の「解説」、第Ⅴ章が『廃墟大全』の「サー・ジョン・ソーンズ・ミュージアム」をもとに書かれているが、特に後者については大幅に加筆してある。
 西洋における廃墟の表象史が、これ一冊でほぼ通観できるように、広く目配りを心がけたことはいうまでもない。」



本文中図版(モノクロ)109点。図版はやや小さめです。


谷川渥 廃墟の美学


カバーそで文:

「「廃墟」とは何だろうか? その独特な雰囲気や美は、どこから生じるのだろうか――。
 本書は、廃墟が歴史的にどのように登場し、時代と場所の違いに応じてどのような変容をかさね、いかなる人物が廃墟概念の成立にかかわってきたのかを、詳細に考察していく。廃墟の視覚的表象を中心に、関連するさまざまな言説を分析しながら、廃墟の本質を明らかにする。
 著者の廃墟論の集大成であり、知的刺激にみちた「廃墟の表象史」、廃墟学入門である。」



目次:

はじめに

Ⅰ 没落のヴィジョン
 動態としての廃墟・静態としての廃墟
 大洪水
 バベルの塔
 世界風景
 ロマーノの「巨人の間」

Ⅱ モンス・デジデリオあるいは建築の狂気
 シェイクスピア時代のシュルレアリスト
 二人の画家
 共同性の幸福な瞬間
 マニエリスム的奇想?
 「ヴァニタス」的寓意?
 虚無を呼びこむ建築

Ⅲ ピクチャレスクの円環
 絵画体験としての自然体験
 ピクチャレスクという言葉
 ピクチャレスク・ツアーとクロード・グラス
 クロード・ロランの「理想的風景」
 「様式化的変容」論
 廃墟とピクチャレスク美学
 庭は絵のごとく、絵は庭のごとく

Ⅳ ピラネーjいの世紀
 「語りかける廃墟の精神」
 「牢獄のピラネージ」
 「廃墟のピラネージ」
 ローマの荒廃
 壮大なローマ
 廃墟画と解剖学
 パンニーニのローマ
 ユベール・ロベールと「廃墟の詩学」
 廃墟化したルーヴル

Ⅴ 廃墟趣味と断片の美学――サー・ジョン・ソーンズ・ミュージアム
 空間恐怖に満ちた博物館に入る
 ソーンとピラネージ
 コレクションの開始
 増改築を続けて
 ベックフォードとフォントヒル・アベイ
 「イギリスのピラネージ」
 「建築は芸術の女王である」
 死と戯れる「建築の詩想」

Ⅵ 廃墟のトポス
 「没落のヴィジョン」のロマン派的復活
 ハドソン・リヴァー派
 無人風景の登場
 二十世紀の無人幻想
 第三帝国の「廃墟の法則」
 廃墟と写真
 廃墟の紳士たち
 本という廃墟
 二〇〇一年九月十一日

Ⅶ 補論としての私的文献案内

あとがき




◆本書より◆


「はじめに」より:

「わが国における「廃墟」論の歴史を考えようとするとき、真先に思い浮かぶのは、立原道造の「方法論」(一九三六年)という論文である。」
「「私は今や、私たちの本質として、『死』或は『壊れ易さ』に結びつけられた場所に於て『建築』なるものを見ようとする」というのだ。
 「空間のなかに於ける『建築』なるもの」ではなく、「時間のなかに於ける『建築』なるもの」を見ようというわけだが、ここで立原が依拠しているのは、ドイツの哲学者オスカー・ベッカーの「美のはかなさと芸術家の冒険性」(一九二九年)とゲオルク・ジンメルの「廃墟」(一九一一年)という二篇の美学的論考である。立原は前者から、「建築体験なるものは極端に傷つき易い、『瞬間的な』体験のうちにあること」を、後者からは、「廃墟が完璧以上の力で私たちを引きつけること、生母としての自然へ、人間労作のつくりあげた形のふたたび帰り行く、そこに廃墟のまさに崩れかける瞬間が美しさである」ことを引き出し、それら二様の論点を(中略)結びつけようとする。「ただたえまなくくづれ行くために作られたもの」としての建築、「すべての果敢(はか)なさ、虚無性を身にしてゐるもの」としての建築が、こうして提示される(中略)のである。
 立原道造の論文に最初に触れたのは、それがなによりもまず西欧近代の「廃墟」をめぐる言説をほぼ要約しているものとして読めるからである。」
「しかし、立原の卓抜な点は、いずれにせよ「廃墟」なるものを、ほかならぬ建築家の「方法」のうちに内在化しようとしたところにある。」
「その意味では、立原道造は磯崎新(あらた)にはるかに先駆するといってもいい。」
「もっとも、空襲による「一面の焼野原」を経験してしまった建築家には、「廃墟」はなによりもまず「すべての物理的実体を吸いこみ無化してしまうような空虚」として、「闇」であり同時に「青空」であるものとして現前するほかはなかった。」
「「建築家としての仕事のなかに、廃墟がまず立ち現われたのだ」と。こうして建築家は、「それが構想されたときから、既に廃墟をみずからのうちに包含している」ものとして廃墟をとらえる。「当然ながら、それは未完でありつづけるし、壊れつづけることになろう」。
 半世紀を隔てる日本の二人の建築家の言説のなんと似ていることだろう。」



「Ⅲ ピクチャレスクの円環」より:

「十八世紀から十九世紀にかけてのイギリス人のピクチャレスク・ツアーあるいはピクチャレスク・トラヴェルは、そうしたグランド・ツアーの国内版として、各地にローザやロランやデュゲばりの風景を探す旅としてもくろまれた。どんなに人の手の触れていない自然を探勝しようとしても、彼らはそれらの十七世紀絵画やウェルギリウスやホラティウスのローマ田園詩を意識的あるいは無意識的に喚起することなしには、そうした風景の〈native〉な、つまり「生(き)のままの、土着の」美を称讃することはできなかった。大いなる逆説だといわなければなるまい。
 この逆説を端的に象徴するのが、「クロード・グラス」と呼ばれる鏡である。人々は、ピクチャレスク・ツアーの際、ポケット・ブックほどのこの鏡を持参した。それらしい風景を発見すると、人々はくるりと背を向けて鏡を掲げ、鏡面に映し出された風景を「まるでクロード・ロランの絵のようだ」と観照したのである。凸面鏡になっているために、広大な風景が枠の内部に縮約されて収まり、しかも多くは黄色くコーティングされていたから、まさしく古画さながらに映像が理想化された。」
「いずれにせよ、ピクチャレスク・ツアーでは、なにを措(お)いてもクロード・ロランの絵が主要なモデルとなった。そういうことだろう。詩人たちが好んで謳ったのも、ロラン風の風景である。」



「Ⅳ ピラネージの世紀」より:

「バーバラ・マリア・スタフォードは、その『ボディ・クリティシズム』(一九九一年)において、廃墟画と解剖図との類似性に注意をうながしている。崩壊した建物、剝落した壁、柱などの残闕が、解剖された屍体、皮剝ぎされた人体、あるいは骸骨を思わせるというのだ。」
「廃墟画と解剖学、あるいは廃墟画と解剖図とは、同じ感性に支えられて成立したといってもいいような側面がある。人々は、廃墟画を解剖図のように眺め、また解剖図を廃墟画のように眺めたともいえるだろう。」

「ユベール・ロベール(中略)の廃墟画に触発されて、特異な思考を展開させているのは、ドニ・ディドロである。『一七六七年のサロン』のなかに、こんな文章がある。

 私たちは、凱旋門、ポルティコ、ピラミッド、神殿、宮殿の残骸を凝視し、そしてわが身に立ちかえる。私たちは時間のもたらす荒廃を先取りし、私たちの想像力は、いま住んでいる建造物そのものを大地に発散させる。その瞬間、孤独と沈黙が私たちを支配する。私たちはもはや存在しないひとつの国全体からひとり取り残される。まさにそこから廃墟の詩学の第一行が始まる。」
「ディドロは、またこんなふうに書いている。

 廃墟が私のうちに目覚めさせる想念は雄大である。すべてが無に帰し、すべてが滅び、すべてが過ぎ去る。世界だけが残る。時間だけが続く。この世界はなんと古いことか。私は二つの永遠のあいだを歩む。どこに目をやっても、私を取り囲む事物は終焉を予告し、私を待ちうける終焉を諦観させる。崩れ落ちたこの岩、穿たれたこの谷、いまにも倒れんばかりのこの森、頭上に覆いかぶさって揺れているこの塊りといった存在に比べれば、私の束の間の存在とはいったいなんだろう。私は墓の大理石が崩れ落ちて塵と化すのを見る。それでも私は死にたくない!……一本の奔流がいくつもの民族を次々と同じ深淵の底に引きずりこむ。私は、この私だけはふちにふみとどまり、波濤を真二つに裂いて両わきを流れさせてやりたいのだ!

 崩れ落ち、いずれは無と化す廃墟と、死を避けることができない己れの存在とを、ディドロは重ね合わせている。廃墟画は、ここではクロード・ロランのそれのように過去の黄金時代に意識を向かわせるわけではない。悠久の過去に思いを馳せながらも、しかしディドロは滅びへと向かう未来の悠久の時間へといやおうなく意識を振り向け、そうした「二つの永遠」のあいだに立つみずからの存在のはかなさを感じている。」
「ディドロはさらにこう書いている。「廃墟は、朝方よりも黄昏時(たそがれどき)のほうがいっそう美しい。朝は、世界の舞台が騒々しくなろうとする時であるのに、夜は、それが静謐になろうとする時だからである」。一日の終末へと傾きかけた黄昏時は、時間のなかになおその存在をもちこたえている廃墟の姿を鮮明に浮かびあがらせながら、その不可避的な滅びを暗示するだろう。」



「Ⅵ 廃墟のトポス」より:

「動態としての廃墟が静態への廃墟へと移行し、そして廃墟が断片化してコレクションと化すにいたる歴史的経緯を大急ぎで見てきた。(中略)ここではロマン主義以降、現代までの廃墟の主題(トポス)を断片的に追っていくことにしよう。」
「というわけで、まず採り上げるべきは、イギリス・ロマン主義の画家ジョン・マーティンである。」
「その作品は、いずれも破局、終末、天変地異をテーマとし、極端な遠近法を用いて驚くべきスケールの空間を現出することに成功している。まさに「没落のヴィジョン」のロマン派的復活である。」
「ここには、あの「世界風景」の新たな変奏があるといってもいい。エドマンド・バークの崇高論――恐怖を根源とし、力、朦朧性、広大、壮麗、空虚、暗黒などを必須の要素とする「崇高」を高らかに謳った「暗黒の美学」――と、サルヴァトール・ローザに端を発するピクチャレスク美学と、死都(ネクロポリス)としての古代都市のイメージとをドラマティックに混合し、それを誇張した遠近法によって「世界風景」化すれば、マーティンの作品ができあがるといえようか。」
「動態としての廃墟画といってもいいが、ここで廃墟とは、個々の建物が廃墟になっているというよりは、地球そのものが廃墟化しているという意味である。その点で、《神の大いなる怒りの日》(一八五二年)は、究極の作品であろう。」

「ところで、視覚芸術のうちに無人風景が登場してきたのはいつなのかと問いを発してみよう。」
「アンリ・ベルクソンが、その主著『創造的進化』(一九〇七年)において展開した「無」をめぐる議論がこの点でヒントを与えてくれそうだ。」
「ベルクソンは、要するに、「無」は「存在」よりも内容が乏しいどころか内容が多いと主張しているわけだが、重要なのは、ここで彼が記憶の能力なしには無あるいは空虚という観念ないし表象は成立しえないと指摘していることである。言葉を換えれば、想い出と期待の能力をもつ存在者にとってしか不在は成立しないのだ。私たちが「無」や「空虚」を表象するのも、あるものとあったもの、あるものとありえたであろうものとの対照をなしうるかぎりにおいてだからである。
 ベルクソンのこうした議論を私たちの廃墟論に引き寄せるならば、十七、八世紀に廃墟画が成立した事情が推察されよう。なぜなら、それは歴史的記憶の存在を前提としてはじめて成立しうるものだからだ。lこう述べている。廃墟の表象は、あらためて整理すれば、遠い過去の文明の記憶を保持しつつ、その過去と現在とを隔てる時間的距離を意識すると同時に、また現在をひとつの遠い過去とするであろう遠い未来との間に横たわる時間的距離をも意識し、さらに過去と未来とのあわいに存在するこの自己なるものを相対化しうるような時間意識の成熟によってはじめて可能になるのだ。」

「私たちはフリードリヒにおいて、いかなる意味においてもアルカディア的ギリシアや古代ローマに無縁な、そして完璧に無人の廃墟風景を目にすることになるわけである。」
「「無人」の視覚的表象は、しかしやはり二十世紀になってから一挙にその圏域を広げたと見ることができるように思う。」
「現代フランスの「廃墟の画家」、ロラン・キャット(引用者注: Roland Cat)は、その画面のなかにしばしば動物を描きこむ。人間が消滅し、人間が残したその所産と動物との並存は、私たちに「無人」の感をいっそう強く与えずにはいない。」
「同じフランスのジャン=マリー・プメロル(引用者注: Jean-Marie Poumeyrol)は、部屋の片隅、地下室、工場内部、橋の下、公園、街角など、理由もなく人間が消失したがゆえの日常世界の荒廃の風景を見せてくれる。」
「もう一人のフランス人、ジェラール・トリニャック(引用者注: Gérard Trignac)の版画(中略)は、失われた王国の繁茂する植物にとりかこまれた巨大な城の寒々とした無人風景を垣間見させてくれる。」

「ここで一枚の写真を御覧いただきたい。」
「一九四〇年十月二十三日に撮影されたロンドンの「オランダ・ハウス」の図書館の「廃墟」の姿である。九月七日から始まったドイツ空軍の空襲は九月二十七日まで続いた。その二十数日後の映像ということになる。
 それにしても紳士たちの泰然自若とした様子はどうだろう。彼らは戦争の惨害に無頓着のように見える。まるで何事も起こらなかったかのように書棚を眺める紳士たち。」
「この写真の背後には、イギリスとナチス・ドイツとの戦争があるばかりではない。そこにはまた秩序と暴力、日常と非常の対立が、空間と時間との特異な関係がある。しかし、なによりもそこに存在するのは、まぎれもなく持続する時間であり、そしてそうした時間性への、あるいは文明というものを支える蓄積された記憶への揺るぎない信頼なのではあるまいか。
 これをたとえば磯崎新のテクスト「廃墟論」における「青空の下での虚脱感」という記述と比べてみれば、彼我の差はいささか歴然としている。戦争を契機とする「空虚」をみずからの「始原」とせざるをえない磯崎の「廃墟体験」とは明らかに異質の体験が、この写真には示されているのだ。」




フリードリヒ『氷海』
「オランダ・ハウス」の図書館の廃墟」




こちらもご参照ください:

谷川渥 編 『廃墟大全』 (中公文庫)
『モンス・デジデリオ画集』 (ピナコテーカ・トレヴィル・シリーズ 1)
マルグリット・ユルスナール 『ピラネージの黒い脳髄』 多田智満子 訳 (白水社アートコレクション)









































































クリストファー・ウッドワード 『廃墟論』 森夏樹 訳

「廃墟の中ではいっさいの動きが停止し、時間も一時停止したままだ。」
(クリストファー・ウッドワード 『廃墟論』 より)


クリストファー・ウッドワード 
『廃墟論』 
森夏樹 訳


青土社
2003年12月20日 第1刷印刷
2004年1月10日 第1刷発行
383p 索引xiii 
四六判 丸背紙装上製本 カバー
定価3,200円(税別)
装幀: 高麗隆彦



本書「訳者あとがき」より:

「この本は Christopher Woodward, In Ruins (Pantheon Books, New York, 2001) の全訳である。」


本文中図版(モノクロ)35点。
廃墟をめぐる長編エッセイ。2016年に新装版が刊行されています。ヤフオクで700円(+送料230円)で出品されていたのを落札しておいたのが届いたのでよんでみました。


ウッドワード 廃墟論


帯文:

「荒廃と
追想に
魅せられし
文明の肖像

荒れはてたローマのコロセウム、十八世紀西欧を席巻した「ピクチュアレスク」・模造廃墟・人工廃墟、「アッシャー家の崩壊」、廃墟の博物館、そして核がもたらす黙示録的廃墟まで。古今の芸術家・文学者は、廃墟からいかに多くのインスピレーションをさずかってきたか。」



帯背:

「美

源泉
としての
荒廃」



目次:

1 だれがデイジー・ミラーを殺したのか
 『猿の惑星』
 オランダ画家ミヒール・スヴェールス
 ローマの円形競技場(コロセウム)
 公共広場フォーラム
 一八世紀の聖地巡礼
 グランド・ツアー(ヨーロッパ大陸巡遊旅行)
 ポーの「永遠の大渦巻き」
 ヘンリー・ジェイムズ『デイジー・ミラー』
 『コロセウムの植物』
 ヒトラーの千年王国
2 つむじ曲がりの楽しみ
 古い都市アヴィラ
 地主クレヴァドン一族の屋敷
 メリダの水道橋
 アッピア街道
 フェリーニの『カビリアの夜』
 見捨てられたカンパーニャ地方
 チェチリア・メテッラの墓廟
3 忘れられない廃家
 ザンジバル島の王女
 オズバート・ランカスターの家
 ジョン・チーヴァーの『水泳者』
 『大いなる遺産』のサティス館
 ポーの『アッシャー家の崩壊』
 バイロン卿のニューステッド修道院
 『チャイルド・ハロルドの遍歴』
4 傘も差さずにエフェソスで
 エフェソスの廃墟
 カラカラ浴場
 シェリーの『鎖を解かれたプロメテウス』
 ジョン・キーツの墓
 フローベルとメムノンの巨像
 ゴッホの『ヌエネンの教会の塔』
 ジェフリーの『その後のロンドン』
 失われた都市ニンファ
 ギベリナの廃墟
 アントニオーニの『情事』
5 模範とすべきはかなさ
 ミドル級チャンピオンのマーヴィン・ハグラー
 人間の死すべき運命と建物の崩壊とのアナロジー
 フランシス・ベーコンの称号「ヴェルラム」
 ゴシック風廃墟の評価
 自然詩人ジョン・クレア
 ウォルター・スコット卿の恋人
 風景画家コンスターブルが描いたハドレー城
 トマス・ハーディの『ダーバヴィル家のテス』
6 時の難破船
 修道院解散法
 古物研究家の登場
 画家と「ピクチャレスク」
 「ゴシック・リバイバル」
 「ウッドストック館」の廃墟
 ピクチャレスクと「連想の哲学」
 「崇高なもの」と「美なるもの」
 ウェールズの詩人ジョン・ダイアー
 人工廃墟
7 大まじめに作られた模造廃墟
 レプティス・マグナの廃墟
 偽古典的な模造廃墟
 クレリソーのトロンプ・ルイユ(だまし絵)
 キュー庭園のアーチ道
 オーランドの自然現象博物館
 ラジェンスキー宮殿庭園の劇場
 ジラルダン侯爵のエルムノンヴィル
 廃墟の画家ロベール・ユベール
 『廃墟と化したルーヴルのグランド・ギャラリー想像図』
8 廃墟となった自画像
 ジョン・ソウン卿ミュージアム
 地下聖堂(カタコンベ)
 助手のジョセフ・ガンディ
 「署名建築」
 ピッツハンガー館の廃墟
 ソウンの息子たち
 「ありのままの手がかり」
 ソウンの胸像
9 オジマンディアス・コンプレックス
 ロンドンの終末
 ギボンの『ローマ帝国衰亡史』
 千年至福説
 メアリー・シェリーの『最後の人』
 「ヨーロッパの老いぼれ」
 若い「新世界」人の登場
 風景画家トマス・コール
 パスキーノ像
 オジマンディアス
10 宙に浮遊する埃
 トレドのモスカルド大佐
 ドレスデンの聖母マリア教会
 オラドゥール・スュル・グラーヌの廃墟
 ロンドン大空襲
 戦争画家諮問委員会
 ジョン・パイパー
 コヴェントリーの大聖堂
 オーフォードネスの廃墟
11 小説家、漁師、そして公爵
 ローズ・マコーレーの『世界・私の荒野』
 『廃墟の快楽』
 ジョン・ハリスの田舎屋敷探索
 パレルモの公爵
 ランペドゥーサの『山猫』
 シチリアの精神性
 『私が幼年時代を過ごした場所』

謝辞
原注
訳者あとがき
索引




◆本書より◆


「だれがデイジー・ミラーを殺したのか」より:

「イギリスの植物学者リチャード・ディーキンが書いた『コロセウムの植物』(一八五五)には美しい描写がある。(中略)ディーキンはそこで、六エーカー(中略)ほどの広さのコロセウムに群生する、四二〇種もの植物をリストアップし、それに詳細な説明を施している。(中略)コロセウムの北側は湿気が強いのに対して、南のスロープは暑く乾燥している。競技場内には糸杉やモチノキが生い茂り、五六種もの草や四一種のマメ類が生えている。しかしディーキンがもっとも好んだのは、野に咲くたくさんの花々だった。低いアーケードのところにかたまって咲いているナデシコ。春になると石の上のあちらこちらで顔を出す星のようなアネモネ。コロセウムには、西ヨーロッパでほとんど見かけない花も咲いていた。こんな花々の存在を説明する理由としてかろうじて考えられるのは、二〇〇〇年前、アリーナの砂上に花の種がばらまかれたという説である。それなら、その種はどこからやってきたのかというと、ペルシアの山々やナイル川の岸辺からきた、それも、剣闘士と闘わせるために運び込まれた動物の体に付着してきたという。」

「ディーキンが『コロセウムの植物』を書いてから一五年ほど経つと、廃墟を覆っていた木々はことごとく切り倒され、花や草は一本残らず引き抜かれてしまった。それを実行したのは冷徹な考古学者たちである。一八七〇年、廃墟の統括・管理はイタリア再統一を果たした新政府によって、考古学者たちの手に一任された。」
「ローマは何としても、この新しいイタリアの首都にならなくてはいけなかった。モダンで民主的な首都、宗教的な束縛から解き放たれた新しいイタリアの首都に。そこにはネクタイと(中略)スーツを着込んだ議員がいて、テヴェレ川沿いには、輝くほどに新しい庁舎が立ち並んでいる。建物の中ではエレベーターやタイプライターが終日音を立てていた。」
「都市の城壁内にあった牧草地や廃墟、それにブドウ畑はことごとく消えてしまった。そして(中略)、「パリやニューヨークをまねて新たに作られた醜い道路」がそれに取って替わった。」
「都市が被った変化を(中略)考古学者ロドルフォ・ランチアーニが伝えている。(中略)当初手紙の文面が伝えたのは、中世の瓦礫を取り除けて、ローマ時代の遺跡が次々と発見されたときの興奮だった。しかし一八八七年頃になると、発掘の代償が文面に歴然と現われるようになる。ローマはもはや、

  われわれが夢見たローマではない。濃い緑の塊に囲まれ、美しい褐色の色合いをもった、あのローマではない。それは差し渡し六マイル(中略)ほどの広さの、めくるめくばかりに白茶けた土地となってしまった。そしてこの土地は、じかにカンパーニャの荒野と境を接していた。……今さらながら、あのモチノキの古木が懐かしい。それは深い緑の葉を茂らせ、あたかも絵の額縁のような働きをしていた。モチノキは南方の風土の中で、いきいきとした活力と輝きを投げかけながら、年古りた廃墟が放つ黄金色の色彩とみごとなコントラストを作り上げていた。……われわれはまた、あの風景全体を満たしていた感覚、静謐で、穏やかな喜びに満ちた感覚が今はすでにないことに気づいている。それにしても、都市を取り巻いて作られた新しい居住区ほど凡庸で、調和とほど遠く、しかもむさ苦しく、味気のないものはない。」

「今日、コロセウムはもちろん、ヨーロッパ中でもっとも甘美な感傷を誘う記念建造物ではある。しかしもはやそこには、影がひとつとしてなく、砂粒もなければ、こだまも返ってこない。たまたま割れ目から花が一本咲き出たとしても、またたく間にそれは、除草剤のひと吹きによってしぼんでしまうだろう。現在コロセウムは、朝の九時三〇分から午後六時まで一般に公開されている。夕方は六時になると門に鍵が掛けられる。一八二〇年代のある日のこと、すでに夜の帳は下りている。スタンダールはイギリス人がひとり、馬に乗ってアリーナをゆっくりと横切っていく姿をじっと眺めていたという。私もいつかこんな情景に出くわしてみたいとつくづく思った。」



「つむじ曲がりの楽しみ」より:

「私が生まれたのはイギリスのウェリンガーデンシティ(中略)の郊外である。(中略)ハートフォードシャー州(中略)にはいくつかのニュータウンがあった。(中略)私は自分の住んでいる村が古い村だということを、だいぶ前から知っていた。しかし村民はみんな豊かで、生活力もあり、きわめて健康だった。道路にはBMWや子供たちの自転車が走り、そこここで、アスレチック・ウェアを着込んだ人たちがジョギングをしていた。となり近所の人々は都会へ働きに出て、保険業やコンピュータ関連の仕事に従事している。こんな日当たりのよい、青々とした水平線をもつ土地だが、その線上に一点だけ、崩壊の小さな斑点を落としているものがあった。それが地主クレヴァドン一族の家である。家長のクレヴァドンが乗っていた車は、なぜだか村で一番古ぼけていた。若い頃、私はその理由がわからなかった。(中略)三〇もの窓をもつ豪邸に住みながら、なぜ彼はいつも穴だらけのセーターを着ているのか。それが理解できなかった。われわれの親たち(中略)の考える富はといえば、毎月の給料や投資の額、それに保険料、学校の授業料、年金の積立金などによって推し量ることができた。それは都市へ向かう列車の時刻表と同じように、正確な数字で表わしうるものだ。しかし、クレヴァドン一族の富に対する考え方は、それとはまったく逆で、とても理解しがたいものだった。彼らにとって富といえば、それは取り散らかした屋根裏部屋のようなもの。美術品競売商のクリスティーズから電話があったときに、サイドテーブルの埃を吹き払い、それを売りさえすればよかった。それでいつでも、彼らは何がしかのお金を手に入れることができたのである。
 クレヴァドン家の敷地は村と境を接していた。塀の壁は苔むしていて、新しく建てられた村の明るい家々(まるでレゴ・ブロックで作ったようだ)の敷地が醸し出す、けばけばしい輝きを、完全に無視しているかのようだった。塀はところどころで、壁が崩れていた。子供の頃、塀をよじ登り、敷地の中へ入り込んではよく遊んだ。(中略)そんなことをしていても、だれひとりわれわれを追い払いにくる者などいない。(中略)建物正面の長くて灰色の窓は、すべて鎧戸が閉まっている。ただ一度だけだったが、家の中で生活が営まれている証拠を垣間見たことがあった。ツツジの木の下からはい出て、正面の扉の前へ立ったときだった。たまたま開いていた表のドアから家の中の様子が見えた。居間の暖炉の火影が樫の羽目板に映っていた。さらに、壁に一列に掛けられた鹿の角も見えた。私はこうして、クレヴァドン家の敷地に滑り込むたびに、なぜだかほっとした気分になれる自分に気づいていた。友達の家の居間にいるより、クレヴァドン家の庭の崩れかけた東屋にいる方が、ずっと落ち着いた気分でいられた。」
「廃墟の中ではいっさいの動きが停止し、時間も一時停止したままだ。」
「クレヴァドン家の敷地を取り巻く壁の外側には、今もなおひとつの世界があり、その世界では、より豊かで、より居心地のいい、よりきれいな、そしておそらくはより幸せな世界へ向かって、たえず前進していく日々があった。そしてクレヴァドン家に漂う崩壊の気配は、そんな郊外特有のタイムレコーダーから逃れる避難所の雰囲気を漂わせていたのである。」

「ストレスを感じたり、不幸な思いにとらわれたりしたとき、私は迷わず目を閉じるだろう。そしてきっと、廃墟に包まれたこの平和そのものの瞬間を思い起こすにちがいない。そうすればかならずや、(中略)子供の頃の幸せな気分をもちきたってくれるだろう。ひどく興奮した夏の日のあとに訪れる、あの物憂い夢見るような気分を。」



「忘れられない廃家」より:

「廃墟はとりわけ子供に大きな影響を与える。ポーが小説の中で思い描いた子供時代を、バイロン卿(中略)は中世の修道院という廃墟の中で現実に過ごした。」
「バイロンは孤独な少年だった。その彼が好んでおこなったことといえば、鬱蒼とした森の中を、悪い足を引きずりながら歩いたり、お気に入りの犬といっしょに泥の混じった池で泳いだり、廃墟となった修道院内を探険したり、そこに埋葬された修道士たちや悪名高いバイロン家の祖先たちに思いを馳せたりすることだった。彼の心中では、バイロン家に生まれたことの誇りが、つねに、一族の衰退という意識と、彼の言葉でいえば、自分が「家系の難船(落ちこぼれ)」となるのではないかという恐れとに分かちがたく結びついていた。」

「多くの月日が流れたあとだった。バイロンに友人が質問を投げかけた。ヴェネツィアのような陰欝な冬を、よくあなたはがまんできますねと。「私は廃墟というものに慣れてしまったんです。あんまり慣れすぎて、もはや荒涼としたものを毛嫌いすることができなくなってしまったんです」と詩人は答えた。」
「晩年の彼は、一見とらえどころのない、わかりにくい人物になってしまった。皮肉や欲望やへつらいによって、バイロンの実像が隠されていった。そのことにあきあきし、うんざりした彼は、とんでもない行動に出たこともある。ヴェネツィアでは、うら若い少女のいたバルコニーへ登っていくところを捕まえられた。バイロンはそのとき、少女の父親に銃で撃たれても、あるいは少女と結婚しても、どちらでもよかったと語っている。
 バイロンを理解するためにわれわれは、つねにニューステッドへ戻らなくてはならない。(中略)バイロンを詩人にしたのは暖かい南方ではない。あきらかにそれは、崩れかかったイギリスの修道院にたゆとう陰欝な霧である。彼の天才は、年古りたものの崩壊が作り出す湿った蔭の中で醸成された。」



「傘も差さずにエフェソスで」より:

「私は彼らに、廃墟にはふたつの価値があることを知らせてやりたい。ひとつはレンガと石の集合体としての価値、つまりものとしての客観的な価値である。そしてもうひとつ。それは芸術家に対してインスピレーションとして現われる主観的な価値だ。」

「考古学者たちは、廃墟に咲く花々や根を張るキヅタをただ単につまらないもの、画家の鉛筆を楽しませる渦巻き状の飾りくらいにしか考えていないだろう。しかしシェリーの体験が示しているのは、廃墟に生え出る草木が直接、われわれの意識の深奥へ訴えかけてくるということだった。それはいってみれば、植物が「時」の手を表わしているからであり、人間と宇宙との戦いそのものを示しているからでもあった。」

「われわれの想像力をかき立てるのは、まさしくシェリーの墓の控え目さである。足元にある素朴な大理石の表面を見ると、それはまるできらきらと輝く水のようだ。そこには空の雲や日の光が映し出されていた。」
「ここには今なおすばらしい空間がある。青々と草が生い茂り、閑として静まり返っている。木々のまわりでは小鳥たちが羽音を立てて飛び、草の上では虫たちがはい回る。ここで永遠の持続を約束してくれるものは、天使やケルビムや十字架ではないだろう。それは自然の豊饒さであり、ノミで刻まれた名前をぬぐい去るキヅタであろう。実際われわれは、草木が一本もないような墓地に、一瞬たりともとどまっていることなどはたしてできるのだろうか。ギュスターヴ・フローベル(中略)が一八四六年に、友人へ宛てて手紙を書いている。」
「昨日……僕は廃墟をいくつか見たよ。それは若い頃から大好きだった、すでによく知っている廃墟なんだ。……僕はまた廃墟のことを思ったよ。けっして知り合うことのない死者たち、僕が足下に踏みつけにしてきた死者たちのことを思った。とりわけ僕が大好きなのは、古い廃墟に草木が生い茂っている風景なんだ。この自然の抱擁とでもいうべきものが、僕を深い喜びでいっぱいにしてくれる。それは自然が人間の仕事をまたたく間に埋めつくしてしまうからなんだ。人間の手がもはやそれを防御しきれなくなった瞬間から。」

「私がはじめてニンファを訪れたのは春の季節だった。写真ではただ、種々雑多な石の破片が草木とまだら模様を作っている様子しかわからない。が、果樹の花の豊富さ、草木の花々のおびただしさ、そしてやわらかな土壌の豊饒さをどのように表現すればよいのか。大地は六世紀の間、木々の根を除いては、一度たりとも掘り起こされたことがなかったし、安眠を妨げられたこともなかった。虐殺された一族たち、それに焼かれた彼らの家々、これらはすべて土の中で解体され、この上ない肥沃な土壌を作り上げる源となった。水の流れる音も、同時にあらゆる方向から聞こえる。」
「私は橋の下で泳いでみた。」
「私が息を切らせ、震えながら水から上がると(季節はまだ三月である)、川の土手にはイタリア人の一団がいた。(中略)彼らは口をぽかんと開けて、私を見つめていた。「イギリス人だ」とひとりがいった。他の者たちもうなずいた。「ああ、イギリス人だ」。案内人がそれにつけ加えた。「彼らはなかなかやっかいな人たちです。いつもグループから離れて、自分の好きなことをしたがる」。」



「時の難破船」より:

「こうしてピクチャレスクは、一八世紀のイギリスに多大な影響を及ぼしたのだが、この運動はまた新しい「連想の哲学」を芸術的に表現したものでもあった。一八世紀のはじめ、美は古典的な規準によって判断されていた。建築ノデザインも、いくつかの数学的なプロポーションに基づいて決められていた。完全な美とは客観的な性質をもつ幾何学的な配列の中にあり、それは審美眼をもつ人物によってのみ識別することができた。音楽のハーモニーが、特別の教養を受けた耳によってのみ聞き分けることができたのと同じである。そのような情況に登場したピクチャレスクは、美が主観的なものであることを示唆した最初の美学だった。それはジョン・ロックが『人間の知性について』(中略)で展開した理論を、視覚芸術に応用したものでもあった。人間の心は集積された記憶を連想させることにより働くという論である。たとえばわれわれは、小屋の煙突から出る煙を見て炉辺の暖かさを思い、城の小塔を見て騎士道のロマンスを思う。またウッドストックの館を見て人は、「フェア・ロザモンド」のバラードを連想するのである。
 このような主観的な連想にはそれなりの論理があった。それはエドマンド・バーク(中略)が『崇高と美の観念の淵源に関する哲学的考察』(一七五六)の中で主張した通りである。あるもの(おどろおどろしいもの)との遭遇はそれを見た者の思考を「自己保存」の方向へと向かわせる。それは地下牢であったり、暗い洞窟、黒い岩の亀裂、ヴェズヴィオ山であったりする。これをバークは「崇高なもの」と呼んだ。その一方で、蛇行する川、なめらかな芝のやさしい斜面、糸杉の森の中にたたずむ古典的な僧院などが暗示するのは「自己延長」の概念である。このような場面を「美なるもの」と呼んだ。
 しかしバークがおこなったことは、ピクチャレスクの庭をデザインした者たちが、この数十年の間、庭園を作る際に理解したことや利用した考えを、体系的にまとめたものにすぎなかったのかもしれない。」



「宙に浮遊する埃」より:

「戦争の廃墟に対する対応という点では、イギリスはヨーロッパの他の国々とは少しちがっていた。ロンドン大空襲(一九四〇―四一)のまっただ中、ケネス・クラーク(中略)は「爆撃のダメージはそれ自身がピクチャレスクだ」といった。これはイギリスだからこそ聞ける言葉で、他の国ではとても聞ける言葉ではない。(中略)クラークは空襲に際して、ジョン・パイパーやグレアム・サザーランド(中略)などの画家たちに、被爆地までいって、まっ赤に燃えている残り火を描いてきてほしいと依頼した。」

「被爆した教会は大空襲時の気分をとどめるモニュメントである。」
「教会は、小鳥たちが集い、緑があふれた優しい庭園としての廃墟、子供たちが胸をときめかせて探険できる遊び場としての廃墟として再生することになる。」




◆感想◆


文明は文明によって滅び廃墟となり、さらに廃墟は植物に覆われて自然に戻り、ヒトは人目を気にせず川で思うさま泳ぐことができるようになる、そういうことだとおもいます。














































































































ニコラウス・ペヴスナー 『モダン・デザインの源泉』 小野二郎 訳

「そしてこの極端な個人主義という点で、今一度ガウディはアール・ヌーヴォーの一部であったのだ。なぜなら、アール・ヌーヴォーはなにをおいても個人主義の反乱であったからである。」
(ニコラウス・ペヴスナー 『モダン・デザインの源泉』 より)


ニコラウス・ペヴスナー 
『モダン・デザインの源泉
― モリス|
アール・ヌーヴォー|
20世紀』 
小野二郎 訳


美術出版社
1976年8月20日 初版
1984年6月20日 4版
228p
A5判 角背布装上製本 カバー
定価2,800円



本書「訳者あとがき」より:

「本書は、Nikolaus Pevsner, The Sources of Modern Architecture and Design, Thames and Hudson (London), 1968 の全訳である。この書物は、1960年から61年にかけてパリの国立近代美術館で開かれた『20世紀の源泉』と題する展覧会を機に、英独仏3ヵ国語で刊行された Cassou, J., Langui, E., Pevsner, N., Les Sources du Vingtieme Siecle, 1961. (English edition, The Sources of Modern Art, 1962.) のうち、ペヴスナー担当の建築・デザイン部分が、改訂をほどこされ、分離してテムズ・アンド・ハドスン社より出版されたものである。」


横組。本文中図版198点(うちカラー14点)。


ペヴスナー モダンデザインの源泉 01


カバー文:

「一九世紀の終りは、建築とデザインの創造活動がめざましい開花への転回を見せる時である。古典様式、ゴシック様式等歴史主義の模倣の桎梏が終りを告げ、アール・ヌーヴォーと、そしてさらに後にはもっと重要な意味を担うべき国際様式(インタナショナル・スタイル)という二つの、対照的だが同時に非常に豊かな新しい様式が生まれて来たのである。その結果は当時かなりの混乱があったし、現在もなお、この混流をはっきりと識別し評価認識するためには、厳しい眼が必要とされる。イギリスの美術史家、建築史界の最高権威であるペヴスナー教授こそは、その仕事の最適任者といえる。この本で(もともとは「現代美術の源泉」という大きな企画の一部であるが)ペヴスナー教授は、近代建築とデザインにおける思想の源泉を、ウィリアム・モリスにまでさかのぼることで跡付け、またウェッブやショウ、ヴォイジィの仕事に近代建築思想がどのようなあらわれ方をしているかを示し、さらにそれがヨーロッパ全体にいかなる影響を与えたかを説き明かしている。アール・ヌーヴォーはその最も華やかで幻想的な盛期をベルギー・スペインで迎えることになったがイギリスに生れた。しかし装飾としてのアール・ヌーヴォー・スタイルは機械時代の大量生産方式に相応しいものではなかった。一九〇〇年代初めすでにこれは国際様式に道をゆずることになる。国際様式――ドイツ工作連盟やロースやグロピウスのような建築家たちによって展開された建築と工業デザインの新しく純粋な概念に、である。さらに近年、合理主義の再検討のもとに注目をあびたアール・ヌーヴォーに対する分析は、今ふたたび重要な意味をもつものといわねばならない。本書の図版は、その間のデザインの仕事の、ほぼ全領域を通して――クリスタル・パレスからスカイ・スクレイパーまでの建築作品、家具、ガラス作品、宝石デザイン、テキスタイル、グラフィック、ブック・デザインに至るまで――を網羅した魅力あふれたものである。」


目次:

序言
第1章――時代の様式
第2章――アール・ヌーヴォー
第3章――イギリスに生れた新しい推進力
第4章――芸術と工業
第5章――国際様式(インタナショナル・スタイル)に向って

原註
人名解説
参考文献
索引
訳者あとがき



ペヴスナー モダンデザインの源泉 02



◆本書より◆


「アール・ヌーヴォー」より:

「ガウディの椅子がアール・ヌーヴォーだというのは、それらが直線を避け、過去とのあらゆる関係を避け、そしてまたそれらが狂熱的に個人的であるという点に存在する。骨のような諸要素の構成はすべてガウディのものである。ガウディのもっとも驚くべき家具は、彼が1898年から1914年まで働いたサンタ・コロマ・デ・セルベロのコロニア・グエル礼拝堂のためのものである。ここにはデザインで、絵画が同時期になそうとしていたことをなそうと試みるという数少ない例、すなわち芸術の是認されているすべてを捨て去るという数少ない例の一つがある。これらのベンチの鉄の台、特に座部そのもののブルータルな性質は、実際アール・ヌーヴォーを超えてしまっている。
 ガウディの建築は、分析可能で有用な意味をもつ用語としてのアール・ヌーヴォーが、いったいどこまで拡大使用されうるかという問題を、もう抜き差しならぬこととして提起している。ガウディが何をおいても先ずガウディであることに疑問の余地はあり得ない。カサ・ビセンスの鉄細工とパラウ・グエルの門はすでにそれを証明している。しかし、彼のものの見方とアール・ヌーヴォーのそれとは多くの点で一致することは明らかなのである。」

「ガウディは、19世紀にその地位を確立し、20世紀にも通用するようになった専門職業(プロフェッション)としての建築家という意味では、建築家ではなかった。彼はオフィスで仕事をする専門職業人(プロフェッショナル・マン)ではない。本質的に今なお中世の職人であった。つまり、おそらく紙の上にだいたいの見取り図は書くが、決して最終案とはしないでおいて、その実施にあたってよく観察し、始めて最終決定を下すことができるという職人であったのだ。ガウディにおいて、ウィリアム・モリスの理想の一つは、真に具体的な形をとったのである。彼が建てたものは、「民衆による民衆のための」ものであり、疑いもなく「製作者(つまり実際の石工であったから)にとってのよろこび」でもあったのである。」
「しかし、新しい形態と材料の分野ではたしかに未来を先取りしていたが、歪力と応力を試すような複雑なガウディの用い方は、今日の技術家(エンジニア)=建築家(アーキテクト)のそれとはまったく異なる。逆に、それは個人主義的職人であり、アウトサイダーであり、孤独な何でも自分で作る発明者のそれでやはりある。
 そしてこの極端な個人主義という点で、今一度ガウディはアール・ヌーヴォーの一部であったのだ。なぜなら、アール・ヌーヴォーはなにをおいても個人主義の反乱であったからである。」



ペヴスナー モダンデザインの源泉 03













































































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

Koro-pok-Guru
Away with the Fairies

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。


うまれたときからひとでなし、
なぜならわたしはねこだから。

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