谷川渥 『鏡と皮膚 ― 芸術のミュトロギア』

「鏡は人影を映してはいない。そこには皮膚が、繊細で感じやすい皮膚があるのだ。」
(ミシェル・セール)


谷川渥 
『鏡と皮膚
― 芸術のミュトロギア』

is の本

ポーラ文化研究所 
1994年4月10日 第1刷発行
214p 図版(カラー)1葉 
A5判 丸背紙装上製本 カバー
定価2,700円(本体2,621円)
デザイン: 鈴木成一



カラー図版(ベラスケス「侍女たち」)1点、本文中モノクロ図版多数。


谷川渥 鏡と皮膚


帯文:

「表層の
快楽

神話を通して、
鏡と皮膚という
「表層」の物語を
読み解く。

新しい
芸術論の
試み」



目次:

序 表層のバロック的遁走

Ⅰ オルペウスの鏡
Ⅱ ナルキッソス変幻
Ⅲ メドゥーサの首

Intermezzo 間奏 可能性の謎――ベラスケス「侍女たち」をめぐって

Ⅳ マルシュアスの皮剥ぎ
Ⅴ ヴェロニカの布
Ⅵ 真理のヴェール

結び 皮膚論的な想像力のために

参考文献一覧
あとがき




◆本書より◆


「ヴェロニカの布」より:

「ヴェロニカ伝説がわれわれになによりも示唆しているのは、ギリシア的なミメーシス論とは原理的に異なるそのイメージ産出の方法である。ギリシア的なミメーシス論は距離を前提としていた。イメージの定着される素材と対象そのものとの間に不可避的に距離が介在せざるをえないのが、伝統的ミメーシス論の特徴である。ところが、ヴェロニカ伝説では、イエスが直接に顔を布に押しあてる。文字どおり顔がうつしとられるのだ。これで思い出されるのが、シュルレアリスムにおいて開発されたデカルコマニーとフロッタージュという技法である。オスカー・ドミンゲスやマックス・エルンストの名と結びついたこれらの技法は、ヴェロニカの聖顔布の現代版の様相を帯びているといえるのではあるまいか。デカルコマニーとは、ガラス板やアート紙などに絵具を塗り、これに紙などを当てて上から押さえるか、こするかして色彩的図柄を現出させる方法である。フロッタージュとは、木片や石や木の葉や麻布など凹凸のある表面に紙を当て、木炭や鉛筆などで上からこすって、そこに見慣れぬ図柄を現出させる方法である。ともに表層の技法であるといっていい。
 シュルレアリスムの問題を考えるとき、人は夢や無意識について語りすぎるのではあるまいか。(中略)シュルレアリスムの真の意味とは、いささか乱暴に聞こえるかもしれないが、深さよりもむしろ浅さに、深層よりもむしろ表層にあるといったほうが妥当であるように思うのだ。」



「真理のヴェール」より:

「内臓ですらひとつの表面=ヴェールとなる。それがバロックというものであろう。ヴェールを剥ぎ、皮膚を剥いでも、そこにはまた新たなヴェール、新たな皮膚が現われるだけである。「主体」のありかを突きとめることなどできない。」




こちらもご参照下さい:

多田智満子 『鏡のテオーリア』
宮川淳 『鏡・空間・イマージュ』
川崎寿彦 『鏡のマニエリスム』 (研究社選書)
由水常雄 『鏡の魔術』 (中公文庫)
ミッシェル・セール 『五感 ― 混合体の哲学』 米山親能 訳 (叢書・ウニベルシタス)
谷川渥 『図説 だまし絵 ― もうひとつの美術史』 (ふくろうの本)
































































































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由水常雄 『鏡の魔術』 (中公文庫)

由水常雄 
『鏡の魔術』
 
中公文庫 よ-12-4 

中央公論社 
1991年10月25日 印刷
1991年11月10日 発行
224p 口絵(モノクロ)8p
文庫判 並装 カバー
定価520円(本体505円)



口絵モノクロ図版8点、本文中モノクロ図版136点。
本書の親本は鹿島出版会「SD選書」の一冊として1978年に刊行された『鏡――虚構の空間』であります。


由水常雄 鏡の魔術


カバー裏文:

「鏡は本来、呪力を具えた神器であり、富と権力を象徴する宝物であった。古代の金属鏡に始まる鏡の歴史を、豊富な図版によって分り易く紹介しあんがら、文学、美術、建築等において重要な要素として扱われてきた鏡の妖しく不思議な魅力を探る。」


目次:

まえがき

一 鏡の起源
 ナルキッソスの神話
 鏡の語源
 金属鏡の起源とその展開
 凸面鏡と円鏡の発明
 中国の金属鏡

二 ガラス鏡のはじまり
 ガラス鏡の誕生
 ローマ時代のガラス鏡の実用性
 古代東洋に伝えられたガラス鏡

三 ヴェネチアの鏡
 中世からルネッサンスへ
 ヴェネチアの鏡
 鏡の値段は名画の三倍
 天正少年使節の持ち帰ったヴェネチア鏡

四 鏡の製造
 コルベールの国策鏡工場の設立
 板ガラス工場の乱立と倒産
 鏡用板ガラスの製造法

五 ガラス鏡の展開
 手鏡からはじまる
 鏡の枠の変遷
 ルイ十四世の贈りもの
 ロココ鏡
 各国の鏡師たち

六 建築と鏡
 空間イメージの変革
 東大寺三月堂の鏡の天井
 古代中国の鏡殿
 イメージの展開
 ヴェルサイユ宮殿の鏡の回廊
 鏡の間の流行
 ヴュルテンブルグのラ・ファヴォリット邸
 ルドウィッヒスブルグ宮殿の鏡の間
 バイロイト離宮の鏡の間
 鏡張りの浴室
 鏡の聖堂
 鏡の宮殿・クェレス王宮
 西ヨーロッパに現存する鏡の間

七 芸術と鏡
 レオナルド・ダ・ヴィンチの『絵画論』とヴェネチアの鏡
 人と鏡と絵画
 近代絵画の中の鏡
 鏡の中の別世界

文庫版あとがき




◆本書より◆


「六 建築と鏡」より:

「カテリーナ・デ・メディッチによって、豪奢を誇示するために室内の壁面一杯に飾りつけられた壁鏡は、意外にも空間の変容を生みだすことになり、建築空間の認識に、従来になかったまったく新しい要素をつけ加えることになった。四角い部屋の向かい合った壁に張りこまれた壁面鏡は、永遠にその映像を反響し合って、夢幻的な世界を現出する。四面の鏡は、たがいにその境界を消しあって、どこまでもどこまでも拡がってゆく不思議な非現実の空間を作りだしてゆく。しかしそれは、非現実でありながら、現実の人間の肉眼によって、はっきり認識することができる世界である。一個の花瓶はこだまし合って、幾百、幾千もの映像を生みだし、一灯の燭台は、永遠の深奥にまで、その輝きをともしてゆく。
 現存する鏡の間のもっとも古い例は、あのヴェルサイユの鏡の回廊を設計したマンサールが、それに先だつこと二十数年前に完成したセーヌ・エ・トワズのルネ・ロンゲイユ邸の鏡の間である。ちょうど、ヴェルサイユの鏡の回廊に似た、半円アーチの高い一種の偽窓式の鏡壁が、円形のホールを囲むように張りめぐらされている。それぞれに角度を変えたその鏡壁は、いくつもの反対面の鏡壁と反響しあって、窓と柱の原生林を構成してゆく。
 十七世紀に大型鏡の製造に成功したフランスには、次々に鏡工場が誕生して、大量に需要を満たしていったが、その消費の大半は、こうした鏡の間に使われたのであった。」





こちらもご参照下さい:

ラフカディオ・ヘルン 『東の国から』 平井呈一 訳 (岩波文庫) 全二冊
多田智満子 『鏡のテオーリア』
宮川淳 『鏡・空間・イマージュ』
川崎寿彦 『鏡のマニエリスム』 (研究社選書)
谷川渥 『鏡と皮膚 ― 芸術のミュトロギア』

















































































































高山宏 『カステロフィリア』 (叢書メラヴィリア)

高山宏 
『カステロフィリア
― 記憶・建築・ピラネージ』
 
叢書メラヴィリア 1 

作品社 
1996年5月5日 初版第1刷印刷
1996年5月10日 初版第1刷発行
287p
A5判 丸背紙装上製本 カバー
定価3,600円(本体3,495円)
造本・装幀: 阿部聡



巻頭にカラー図版4p、本文中モノクロ図版多数。折込ページもあります。


高山宏 カステロフィリア 01


帯文:

「理性を通じて狂気にいたるほど危ういことはない――。
――コルネリウス・アグリッパ」



帯裏:

「開巻驚奇!
「紙の上」だけの空想建築を描き続ける情熱にとり憑かれた奇想家たち――ペイパー・アーキテクト、またの名を紙上建築家。平面図や断面図の[視]が与える快感、合理と幻想が鋭く交叉する[紙上建築]という看すごされた一領野の確かな存在を知らしめる、待望の書き下ろし!」



目次:

エピグラフ 秘密の手帖 (阿部日奈子)

序 プレーナーなもの
1 世界劇場、記憶という名の
2 「正しい」作画術
3 ルーイニスタ、廃墟の設計者たち
結び

アルキテクトゥーラ・レクリアティオーニス あとがきにかえて
ビブリオグラフィ



高山宏 カステロフィリア 02



◆本書より◆


「序」より:

「ペイパー・アーキテクチャーのことを気ままに書いてみたいと長く考えていた。紙の上の建築、紙の上の城砦、というわけである。」
「とにかく紙の上に存在して、たとえば平面図(プラン)となっているプレーナーな「建築」で面白そうなものをとりあげてみたい。
 平面図(プラン)という何気ない一語にしてからがいきなり面白い。ラテン語の「プラーヌス」から来た語で、すぐ見当がつくように同根からの派生語に「平面」を意味する「プレーン」があり、もうひとつすぐ見当がつくように「平易な」「わかりやすい」という意味の「プレーン」という語も、同根の「プラーヌス」から出て来ている。」

「世界に対する不安と、それゆえに生じるとめどない探究欲――知――は結局、神という謎の建築者がその構想をつまびらかにする図面を示してくれないというところに発している。われわれの目の前に広がる世界が巨大なブラック・ボックスであるために、美しい詩と終りない不安が生まれる。このもの言わぬ三次元の時空間(コンティヌム)のうむ不安と対抗するために平面図が誇らしげに次々と公開され、紙の上の建築をいやが上にもプレーナーにするために遠近法という術(テクネー)がひねりだされた。」

「見えないものを見えるものとして呈示するイメージングの意志と技術を「近代」とひとまず呼んでおこう。神のつくりたもうた巨大な謎を一個のミニチュアとして再創造してみせながら、しかし神とは異なりその謎の構造を同時にあばいてみせるアーキテクトたちの天をも怖れぬ行為こそ、十八世紀解剖学者たちのそれと同様、まさしく合理・理性の別名に他ならぬヴィジュアル知のこの上ない象徴であろう。」

「建築体そのものはもはや一個の立派な謎であるわけだが、そして謎たることを以て制圧しようとする権力のこの上ない象徴であるわけだが、ともかくその内部の構造をわれわれは図面(プラン)によって知ることができる(と感じる)。」
「「プラン」とは別に「セクション」という図面が描かれるようになった。現在ならクロスセクションという。断面図である。」
「たとえば一人の人間の解剖断面のイコンは、当の本人そのものの死が前提になっている。「知ることは殺すこと」とミッシェル・セールはいったが、このことだ。(中略)荒俣宏『想像力博物館』(作品社)の「切り裂く視角」という項の中に出てくる「あらゆる視角のうち、最も凶暴なものこそ、断面図である」というすばらしい一句は、まさしくこのことをいっているのである。」




高山宏 カステロフィリア 03


高山宏 カステロフィリア 04


























































































































David Sylvester 『Interviews with Francis Bacon』

「I think that one of the things is that, if you are going to decide to be a painter, you have got to decide that you are not going to be afraid of making a fool of yourself.」
(Francis Bacon)


David Sylvester 
『Interviews with
Francis Bacon』

with 146 illustrations

Thames & Hudson, New York, 1981
Enlarged edition 1987
Reprinted 2012
208pp, 23.2x16.6cm, paperback
Printed and bound in Singapore

Previously published as *The Brutality of Fact: Interviews with Francis Bacon*



本文中図版(モノクロ)146点。

フランシス・ベーコンの「磔刑図のための三つの習作」は、ベケットの「名づけえぬもの」、デヴィッド・リンチの「イレイザーヘッド」、キング・クリムゾンの「21世紀のスキッツォイド・マン」とならんで、20世紀アートの四大フリークスであるといってよいのではないでしょうか。
芸術(アート)は本来、反社会的かつ非生産的なものであり、思いあがった日常生活を脅かすおぞましい呪術(アート)であるべきです。
ロベール・ブレッソンは映画をシネマとシネマトグラフに分けましたが、ベーコンは絵画をイラスト的絵画と非イラスト的絵画に分けています。美術史家や美術評論家は美術作品を時代や社会のイラストレーション(絵解き)として理解したり、あるいはテクニックや画材に還元することで悪魔祓いしているのでしょうが、芸術作品は理性ではなく感性によって作られ感性によって理解されるものでなければならないです。そうでなければ芸術など意味がないです。


interviews with francis bacon 01


Contents:

Preface (November 1992)

Interview 1 (dates from 1962)
Itnerview 2 (dates from 1966)
Itnerview 3 (dates from 1971-73)
Interview 4 (dates from 1974)
Interview 5 (dates from 1975)
Interview 6 (dates from 1979)
Interview 7 (dates from 1979)
Interview 8 (dates from 1982-84)
Interview 9 (dates from 1984-86)

Editorial Note
Acknowledgments
List of Illustrations




◆本書より◆


「Interview 2」より:

「DS One very personal recurrent configuration in your work is the interlocking of Crucifixion imagery with that of the butcher's shop. The connexion with meat must mean a great deal to you.
FB Well, it does. If you go to some of those great stores, where you just go through those great halls of death, you can see meat and fish and birds and everything else all lying dead there. And, of course, one has got to remember as a painter that there is this great beauty of the colour of meat.
DS The conjunction of the meat with the Crucifixion seems to happen in two ways - through the presensce on the scene of sides of meat and through the transformation of the crucified figure itself into a hanging carcass of meat.
FB Well, of course, we are meat, we are potential carcasses. If I go into a butcher's shop I always think it's surprising that I wasn't there instead of the animal.」


(DS あなたの作品に繰り返し現れる磔刑図と肉屋のイメージの連結にはあなたにとって重要な意味があるはずです。
FB 大きな精肉店は死んだ生き物でいっぱいの死の殿堂です。それに肉の色彩は画家にとってたいへん美しいものです。
DS 磔刑図と食肉の結合には二通りありますね。肉片が画面に描かれるのと、十字架上の人物が吊り下げられた肉に変容するのと。
FB 私たちは肉であり、潜在的な死体なのです。精肉店で動物たちの代わりに並べられていてもおかしくないのです。)

「DS Could you try and define the difference between an illustrational and a non-illustrational form?
FB Well, I think that the difference is that an illustrational form tells you through the intelligence immediately what the form is about, whereas a non-illustrational form works fist upon sensation and then slowly leaks back into the fact.」


(DS イラスト的絵画と非イラスト的絵画の違いを説明してくれませんか。
FB イラスト的絵画は何が描かれているのかを理性を通して直接的に伝達するのですが、非イラスト的絵画はまず感覚に働きかけてそれから事実に戻ってゆくのです。)

「FB After all, one is always hoping that one will be able to do something nearer one's instinctive desire.」

(FB 結局のところ、人は己れの本能的欲望の達成に近づこうと望むものなのです。)


「Interview 3」より:

「FB I'm just trying to make images as accurately off my nervous system as I can. I don't even know what half of them mean. I'm not saying anything.」

(FB わたしは自分の神経系からできるだけ正確なイメージを取り出そうとしているだけなのです。それが何を意味しているのかは自分でもほとんどわからないし、何かを主張しているのでもありません。)


「Interview 5」より:

「DS At what age did you come to realize that death was going to happen to you too?
FB I realised when I was seventeen. I remember it very very clearly. I remember looking at a dog-shit on the pavement and I suddenly realized, there it is - this is what life is like. Strangely enough, it tormented me for months, till I came to, as it were, accept that here you are, existing for a second, brushed off like flies on the wall.」


(DS 何歳ぐらいで死を実感したのですか。
FB 十七歳の時でした。道端の犬のうんこを見つめていて突然実感したのです、これがそうなんだ、これが生きるということなのだと。結局わたしは、人間というのはいまここにいて、ほんの一瞬だけ存在して、壁にとまった蝿のように払い落とされてしまうものだということを受け入れたのです。)


「Interview 9」より:

「FB I think that one of the things is that, if you are going to decide to be a painter, you have got to decide that you are not going to be afraid of making a fool of yourself.」

(FB 画家になろうと決心したなら、笑いものになるのを恐れてはならないのです。)


interviews with francis bacon 02




Francis Bacon Fragments of a Portrait - interview by David Sylvester





























高階秀爾 『ルネッサンスの光と闇 ― 芸術と精神風土』 (中公文庫)

「それにしても、自分が「最も望ましからぬ気質」で、「最も悪い星」の下に生まれたというのは、もちろん面白いことではない。そこでフィチーノは、この「最も悪いもの」を「最も良いもの」に変える大きな価値転換をやってのけたのである。ちょうどトランプでスペードのマイナス点を全部集めた者はいっきょにすべてがプラスに転換し得るように、諸性の中で悪いところばかり集めている憂鬱質も、まさにその故に、時に優れた存在になり得るということを説いたのである。」
(高階秀爾 『ルネッサンスの光と闇』 より)


高階秀爾 
『ルネッサンスの光と闇
― 芸術と精神風土』
 
中公文庫 M335

中央公論社
昭和62年3月25日 印刷
昭和62年4月10日 発行
416p
文庫判 並装 カバー
定価560円
カバー画: ボッティチェルリ《ヴィーナスの誕生》


「『ルネッサンスの光と闇』昭和四十六年四月 三彩社刊」



本文中図版(モノクロ)172点。


高階秀爾 ルネッサンスの光と闇 01


カバー裏文:

「人間性の開放と現実世界の肯定という明るい光の部分の裏側に、世界の終りに対する恐れ、死の執念、混乱と破壊への衝動、破滅へのひそかな憧れ、非合理的幻想世界への陶酔といった別の一面を持つルネッサンス……。ボッティチェルリの《春》や、ヴァティカン宮殿の署名の間、メディチ家の礼拝堂といった傑作を輩出したその精神的風土と芸術のからみあいを、多数の挿図とともに明快に説き明かす好著。」


目次:

序文

第一部 サヴォナローラ
 第一章 虚飾の焼却
 第二章 偽預言者
 第三章 世界の終り
 第四章 神秘の降誕
 第五章 最後の聖体拝受

第二部 メランコリア
 第六章 華麗なる保護者
 第七章 カレッジのアカデミア
 第八章 パンの饗宴
 第九章 四性論
 第十章 考える人

第三部 愛と美
 第十一章 三美神
 第十二章 貞節・愛・美
 第十三章 キューピッド
 第十四章 宇宙的オクターブ
 第十五章 西風との出会い
 第十六章 生命復活の祭儀

第四部 二人のヴィーナス
 第十七章 ヴィーナスの誕生
 第十八章 聖愛と俗愛
 第十九章 騎士の夢
 第二十章 女神と娼婦

第五部 神々の祝祭
 第二十一章 パルナッソス
 第二十二章 純潔と愛欲の争い
 第二十三章 婚姻記念画
 第二十四章 神々の祝祭
 第二十五章 バッカナーレ
 第二十六章 ヴィーナスの礼拝

あとがき
文庫版あとがき
参考文献
図版目録
人名索引



高階秀爾 ルネッサンスの光と闇 02



◆本書より◆


「第九章」より:

「四性論というのは、あらためて説明するまでもなく、人間の体内を流れる四種の液体のバランスによって人間の気質が定まると考えるもので、それは同時に、アリストテレスによって確立された物質の本性である冷と熱、乾と湿の四つの組合わせである四大(大地、水、火、空気)や、春夏秋冬の四季や、東西南北の四方や、夜明け、昼、夕暮、夜の一日の四つの時や、少年、青年、壮年、老年の人間の一生や、その他さまざまなものと結びついて、当時の人間観、世界観の根本を形づくっていたものである。」
「中世末期からルネッサンスにかけて、広く流行したこの四性論の挿絵の中で、きわだった特徴は、憂鬱質の人間はほとんどつねに片手を頬にあてて、物想いにふける恰好を示していることである。例えば、ごく通俗的なものとして、十五世紀後半に作られた「四性」をあらわす木版画を見てみると、ちょうど日本の花札を思わせるような縦長の四つの画面にそれぞれ四人の人物がいて四性をあらわし、その下の方に、それぞれの気質の特徴を述べた説明がつけられている。そして、四人ともそれぞれの気質にふさわしいポーズや、動作や、附属品を示している。」
「一番左の端の鷹狩りをしている若者は、「サングィネウス」、すなわち多血質で、したがってこの気質にふさわしく、若々しく、行動的である。彼の足許に雲と星が見えるのは、空、つまり四元素のうちの空気に対応することをあらわす。
 二番目の、大きな青竜刀のようなものをふり上げているのは、「コレリクス」、すなわち胆汁質で、服装も多血質の若者よりやや大人びており、足許には火を踏まえている。胆汁質は、(中略)すぐかっとして逆上し易い性質を持っている。ここで彼が刀を振り上げているのはそのためであるし、その上御丁寧に腰にはもう一本、別の短剣をぶらさげている。」
「第三番目の気質は、珠数のようなものを持って「水」の中に立っている「フレンマティクス」、すなわち粘液質である。粘液質と水との結びつきはきわめて深く、普通粘液質の人は酒飲みだということになっている。
 そして最後に、「メランコリクス」、すなわち憂鬱質が来る。彼は大地の上に立って、片手を頬にあて、もう一方の手に財布をしっかりと握っている。(中略)というのは、「冷たくて乾いている」憂鬱質は、その性質上、しばしば守銭奴としてあらわされるからである。そして、最初のふたつの「暖い」気質が若々しく行動的であるのに対し、あとのふたつの冷たい気質は、年老いて非活動的であり、その中でも憂鬱質は、頬杖をついてぼんやりしていることから明らかなように、最も怠け者なのである。
 頬杖をついた憂鬱質というこのポーズは、ルネッサンス盛期にいたっても、ずっと利用されている。おそらく誰しもがただちに思い浮かべるのは、一五一四年に作られたデューラーの有名な銅版画《メレンコリア・Ⅰ》であろう。」
「差当ってここでは、この「メランコリア」もまた、何もしないで座ったまま、じっと頬に手をあてて沈思黙考していることを指摘すれば足りる。」
「もともと古代ギリシアから伝えられた四性論の考え方では、憂鬱質は四性の中では最も悪い性質である。すでに見たように、四性は冷熱(または寒暖)と乾湿の四つの組合わせに対応する。このうち、熱と湿とは生命の活動にとって都合のよい状況であり、したがって望ましいものである(このような考え方の背後には、明らかに、植物の生育に必要な高温多湿の気候を望む農耕社会特有の価値観が働いているが、詳しいことはここでは触れない)。したがって、温かくて湿っている多血質が人間にとって最も望ましい気質であり、(中略)冷たくて乾いている憂鬱質というのは、逆に最も良くない状態ということになる。(中略)憂鬱質ばかりは悪いところばかりを集めた救い難い存在というわけである。事実、十五世紀中葉までの四性論では、そのような価値づけが当然のことであった。それなればこそ、先に例に引いた木版画やその他の例に見るように、憂鬱質は何ら生産的な仕事をしない「怠け者」であり、冷酷な「守銭奴」としてあらわされるのが普通だったのである。
 このように悪いことずくめの憂鬱質に、逆に積極的な価値づけを与えたのは、ここでもマルシリオ・フィチーノであった。
 フィチーノは、彼自身もともと生まれつき身体が弱く、したがって多くのルネッサンス人のように自由奔放に行動することができず、しかも、気質から言ってはっきりと憂鬱質であった。フィチーノが生まれたのは、彼自身友人に宛てた手紙で語っているところによると、

  「一四三三年の十月十九日のことで、医者であった父親は時刻を記録するのを忘れたが、父や母の言うところから考えて、宵の二十一時のことであった……」

という。この日付け(秋)と時刻(宵の口)は明らかに憂鬱質のものであり、しかも後にフィチーノ自身が占星術によって占ったところによると、この日時は星辰すべてがサテュルヌス(土星)の支配のもとに最も望ましからぬ結びつきを示した時であって、この「星の下に生まれた」人の子は、きわめて不幸な運命を背負っているのだそうである。」
「フィチーノ自身認めているように、彼はサテュルヌスの星(土星)の支配下にあるわけだが、この土星は、当時知られていた惑星の中では最も太陽から遠く、したがって「冷たくて乾いている」星であった。つまり、土星の神であるサテュルヌスは、同時に四元素の中の大地を支配する神であり、四性の中の憂鬱質と結びつく神であった。」
「以上見たところから明らかなように、サテュルヌスの支配する憂鬱質は、どう考えても良いところのない気質で、フィチーノもそれを自覚して、しきりと音楽や読書で自己の「悪しき性質」を改めようとした。孤独で非活動的な音楽や読書が憂鬱質の治療法として有効であることは、古くから知られていたからである。しかし、それにしても、自分が「最も望ましからぬ気質」で、「最も悪い星」の下に生まれたというのは、もちろん面白いことではない。そこでフィチーノは、この「最も悪いもの」を「最も良いもの」に変える大きな価値転換をやってのけたのである。ちょうどトランプでスペードのマイナス点を全部集めた者はいっきょにすべてがプラスに転換し得るように、諸性の中で悪いところばかり集めている憂鬱質も、まさにその故に、時に優れた存在になり得るということを説いたのである。
 フィチーノにとってその手がかりとなったものは、アリストテレスの『プロブレマータ』の中の一節である。(中略)アリストテレスは、生まれながらの憂鬱質は、正常なバランスを欠いた存在である故にしばしば狂気や愚行に走るが、しかし「まさにその故に」、時に正常の人間の水準をはるかに越える存在にもなり得ると説いて、その異常さをうまく働かせることに成功すれば、常人のとても及ばない偉大なことを成就し得ると考えたのである。

  「すべて真に衆に抜きん出た人々は、それが哲学においてであろうと、(中略)詩や芸術においてであろうと、いずれも憂鬱質の人間である――そして彼らのある者は、その程度があまりにひどいので、黒胆汁の作用による病疾に悩むことも珍しくない……」

というアリストテレスの一節は、フィチーノにとって、大きな慰めであった。すなわち、憂鬱質は、正常なバランスを欠いた気質の持主である故に、とんでもないことも仕でかすかわりに、常人ではできない創造的事業も果すことができる。それ故に、それは創造的才能と結びつき得るものなのである。
 デューラーの《メレンコリア・Ⅰ》には、すでにそのような価値転換がはっきりと見られる。なるほど、憂鬱質を象徴する女性は、頬杖をついてはいるが、それはもはや眼を閉じた怠け者の姿ではなく、きらきら輝くその眼差しに明瞭にあらわれているように、その頭脳は厳しい思索に耽っている。すなわち、彼女は強い知的活動に従事しているのである。(中略)彼女は自己の思索に没頭して、地上の富のような俗世間のことはすっかり忘れている。そしてそのことが、彼女を平常の人間の水準以上に高めるものであることは、彼女がただの人間ではないしるしとして翼をつけていることからも、明らかと言える。つまりここでは「メランコリア」は、その知的、創造的活動故に、人間を越える存在にまで高められているのである。」





こちらもご参照ください:

クリバンスキー/パノフスキー/ザクスル 『土星とメランコリー』 田中英道 監訳
若桑みどり 『イメージを読む ― 美術史入門』 (ちくまプリマーブックス)












































































































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

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