清水徹 『書物について ― その形而下学と形而上学』

「シュレーゲルの考える断章は「小さな芸術作品」のようではあるが、それはけっして完成を意味しない。「はりねずみ」のように刺々しく、あるまとまりでありながら、完結性、全体性というものから切りはなされているばかり、ほとんどそういうものを排除するような孤絶性をそれは示している。だからこそ彼らは、そういう自分たちの表現形式を命名するために、(中略)「アフォリスム」とか「マキシム」という語を用いず、語源的に「細かく砕かれたもの」を意味する「断章=断片」“Fragment”という語を選んだ。「断章=断片」という語のもつ否定性をそのまま維持しながら、積極性へと逆転させようと考えたのである。」
(清水徹 『書物について』 より)


清水徹 
『書物について
― その形而下学と形而上学』


岩波書店 
2001年7月25日 第1刷発行
vii 382p 口絵(カラー)ii 
20.5×15.5cm 
角背紙装上製本 プラカバー 
定価4,600円+税 
装丁: 中島かほる 
表紙絵: ボッティチェルリ「マグニフィカトの聖母」ウフィツィ美術館



本書「はじめに」より:

「わたしがここで試みようとしているのは、まず書物を物体として捉えたうえで、これまでのさまざまな書物論や書物史や書物文化史、そしてまたいろいろな文学作品を踏まえながら、わたしたちが、テクストではなく《書物》という物体に、どのような夢とどのような機能とを託してきたかという問題を、《書物》をめぐる《想像的なもの》のありよう、《書物》のもつ神話的価値の変遷、そして、《書物》の形而上学(テクストの志向するものを含む)などの視座から探ることである。」
「わたしがここで探ろうとしているのは、書物の物質性と書物の発信する情報とを不可分のものとした上で、いわゆる書物の「内容」なり「主題」なりと、すくなくともその基礎において溶けこんでいるもの、長い歴史のあいだに書物という物体そのものにあたえられた価値だ、と言いかえてもいいかもしれない。」
「なお、以下においてはヨーロッパにおける《書物》が中心となるだろう。それはわたしがフランス文学専攻の徒であり、書物の形而下学と形而上学という問題に関心をもつようになったのも、ステファヌ・マラルメの撰文集『彷徨妄語(ディヴァガシオン)』と、ミシェル・ビュトールのいくつかの作品を読んだことがきっかけとなったからである。本来なら、ヨーロッパにおける《書物》といろいろな意味で対照的な日本における《書物》についても論じるべきであろうが、わたしにはそのための充分な準備がなかった。」



カラー口絵は「ベリー公のいとも美しき聖母時祷書」、「USA 76 アメリカ合衆国建国200年記念キット」(ジャック・モノリ)。
本文中図版(モノクロ)多数。


清水徹 書物について 01


帯文:

「書物/本とは……、
ほんとうに
ただものではない!」



帯背:

「もの
としての本」



帯裏:

「いつも手元にあって慣れ親しんでいる本/書物。書物とは何だろうか? 「もの」としての書物が世に現れて、現代に至るまでその身につけてきた特質とそのありよう。書物という物体とその内容をなすものがひとつに溶けこんだ相において自在に語られる「書物への夢 夢の書物」。
その考察はおのずとヨーロッパ精神史を飾る多くの詩人、作家、思想家たち――マラルメ、ユゴー、ダンテ、プラトン、ビュトールら――の書物との関わり、文人たちの測り知れない書物への想いへと及んでゆく。……そして今!」



目次:

Ⅰ 書物の考古学
 書物の誕生から確立へ
  書物の起源
  ページの成立
  口頭言語から書物へ
  図書館の誕生
  神話としてのアレクサンドリア図書館
 象徴としての書物
  古代オリエント世界、あるいは書物と死
  旧約聖書の世界における書物
  聖書による戴冠
 コデックス革命
 《書物》の達成
  『神曲』における《書物》の達成
  美しい書物

Ⅱ 近代性と書物
 グーテンベルク革命
  グーテンベルク革命
  ユゴーの幻視
  「毒」としての活字印刷
 図書館をめぐる想像界(イマジネール)――バベルの影――
 《書物》と文学的絶対――『アテネーウム』誌グループ――
 バベルの影のもとに
  第二の印刷革命
  シャルル・ノディエと《書物》へのアイロニー
  古書ブームとノディエ
  ヴィクトル・ユゴーと書物幻想

Ⅲ マラルメと《書物》
  書物の物体性への関心
  活字と版画
  襞・折り目
  挿絵入り豪華本をめぐって
  《書物》の神話
  ふたたび、襞、折り目
  公衆への呼びかけ
  書物としての劇場
  書物における音楽
  書物とバレエ
  『賽の一振り』について
  断章性・未完結・多義性
  《究極の書物》

Ⅳ バベルのあと
  新たな地殻変動
  ミシェル・ビュトールの位置
  書物における非連続
  《文庫本》論争
  《リーヴル・ダルチスト》、或は書物の物質性と視覚性
  そして、いま


あとがき



清水徹 書物について 03



◆本書より◆


「象徴としての書物」より:

「こうした「ピラミッド・テクスト」や「死者の書」を書いた古代エジプトの書記と、ずっとあとの近世以後における作家とは、ともに、死とエクリチュールとの深い関係において、同じ位置にいると言えるだろう。古代エジプトの書記は、生と死とをへだてる境界を超えて、生を死へと連続させるために「死者の書」を書いた。それは、死を断絶とは見ず、死を押しのけようとする試みであると同時に、生のなかに死を導きいれようとする試みとも見える。死を生へと転位させるのか、生を死へと転位させるのか。いずれにせよ、そこには何か奇妙にねじれた二重性のようなものがある。というか、この「転位」は治療なのか殺害なのか、そこに介入するのは毒なのか薬なのか?
 この奇妙な二重性は、デリダが精妙な手つきで分析した、エジプト王にトート神のささげる文字の、「パルマコン」としての奇怪な多義性と、あざやかに照応する。文字は「薬、毒、媚薬、魔力、治療法」という役割を演じる。文字は記憶の助け、記憶への薬の役割を果たすと同時に、記憶力にとっての毒、記憶力を殺すものでもある。
 古代エジプトにおけるような冥界への信仰が薄れ、死を生からへだてる境界の厳然たる乗り越え不可能性がつよく意識されてゆくようになっても、文字は「パルマコン」としての対立する性質を変わらずに保ちつづけてゆく。死の世界へと去った人びとの残した囁き、嘆き、喜びを、消えてゆくままにまかせず、のちに来る者たちに伝えようとする意志、そうやって生と死とをへだてる境界を無くそうとする希望が、著述家に託されるだろう。生を死からへだてる境界にこだわり、生と死とをへだてる境界を「書く」という行為で乗りこえようとする意志は、ふつうの個人の地平においても認められるものだ。何か大切だと思うことを死後につたえるため、自分の個体としての限界のそとに残すために、ものを書く。いまそれを書かなければ、明日は自分が死んでいるかもしれず、あるいは生きていても忘れてしまうかもしれないから、いま書いておく。そんなふうに、自分のなかに、あるいは自分のまわりに、たえず死の脅威を感じながら、それに抵抗し、それを押しのけるために書く。
 よく言われるように、作家はあの『千一夜物語』の語り手シャハラザードに似ている。夜のあいだシャハリヤール王に物語を語るシャハラザードは、もしかしたら(中略)夜明けとともに殺されるかもしれない。そういう夜の闇の時間の恐怖のなかに生きながら、語りつづけることで、死を遠のけてゆき、そのことがもしかしたら語り手のまわりの世界にもいくばくかの明るさをもたらすことになる。いや、ただたんに死から束の間のあいだ逃れるというだけではなく、より本質的には、闇のなかで語りつづけること、死の空間のなかで書くことが、語られたもの、書かれたものそれ自体のなかに、何らかの変質をもたらさずにはおかないだろう。モーリス・ブランショははっきりとそういう変質に、「文学の誕生」を見る。このように死とエクリチュールとの関係は、自覚的な作家の意識の基底部をなしているはずであり、こうして《書物》はその誕生のときから、死に浸されていると言ってもいいのである。」



「《書物》と文学的絶対」より:

「もしも神的な秩序への信頼にひびがはいり、中世風の調和に安住できなくなったという意識が《近代》であるならば、シュレーゲルはまぎれもない《文学的近代》を明確にしるしづけた。そして、そのようにして神的なものとのあいだに否応なしに内的距離を生じさせてしまった意識が、なお《絶対》を希求するとき、それは、けっして到達されることのない探索、無限なる道程、ついに未完結としてある作品というかたちをとるだろう。」

「ドイツ文学に昏いわたしがあえてシュレーゲルと《イエナ・ロマン派》をもちだしたのは、とりわけシュレーゲルとノヴァーリスによって輪郭づけられた理論布置のなかで、《書物論》のもっとも重要な要素である《至高の書物》ないしは《象徴としての書物》の観念が、改めて《近代》の光をあびて大きく浮かびあがっているからである。《書物論》という視野のなかに置きなおしてみると、キリスト教の聖書からダンテの『神曲』に到るまでのあいだで確立された《至高の書物》という考え方が、十八世紀末~十九世紀始めというヨーロッパ史のいわば分水嶺をなす時点で、シュレーゲルとノヴァーリスとによって《近代》へと転位され、はっきりと新しい意味づけがなされた。
 シュレーゲル-ノヴァーリスの《書物論》の主軸のひとつは《断章》の観念である。」
「《イエナ・ロマン派》の人びと、とりわけシュレーゲルとノヴァーリスは、表現の凝縮性、文体の鋭利、表出される思考の辛辣などを超えて、断章に独自の価値をあたえた。

   私は、私自身の全体、全体的な私に関して、断章の体系以外のいかなる標本もあたえることはできない。なぜかというと、私自身が断章の体系そのものなのだから。
   〔一八九七年十二月十八日付、兄アウグスト宛の手紙〕

 実際、彼らの著作のなかには断章という独特な形式が、(中略)かなり多くの量を占めている。だがそれらの断章は、いろいろなところで発掘されたり発見されたりする古代の作品のかけらのように、ある作品が崩壊して切れ切れの部分が断片として残ったというのでもなく、またパスカルの『パンセ』のように、何かある巨大な制作意図が途中で作家の死などの理由から完成に到らず、断片的なかたちで残ったものというのともちがって、言説としての展開と発展をはじめから拒否し、いわば凝縮した思弁として放りだされたような言語表現形式なのである。」
「シュレーゲルはこんなふうに言う。

   古代人のいくつもの作品が、いまでは断片と化してしまった。近代人の多くの作品は、誕生においてすでに断片である。
   〔『アテネーウム断章』二四〕

 言説が有機的な展開をへて完成へと到るという可能力をはじめからもたず、あるいはそれを否定するような何ものかをみずからのうちに含んでいるために、はじめから断章というかたちをとる。――そういう性格をもっともたくみに喚起しているとして、しばしば引用される断章。

   ひとつの断章とは、ちょうどひとつの小さな芸術作品のようなもので、周囲の世界から完全に切りはなされていて、しかもそれ自身として、はりねずみさながらのかたちで完全なものでなければならぬ。
   〔『アテネーウム断章』二〇六〕」

「シュレーゲルの考える断章は「小さな芸術作品」のようではあるが、それはけっして完成を意味しない。「はりねずみ」のように刺々しく、あるまとまりでありながら、完結性、全体性というものから切りはなされているばかり、ほとんどそういうものを排除するような孤絶性をそれは示している。だからこそ彼らは、そういう自分たちの表現形式を命名するために、この種の簡潔な言語表現を指示する言葉としてその当時すでにあった「アフォリスム」とか「マキシム」という語を用いず、語源的に「細かく砕かれたもの」を意味する「断章=断片」“Fragment”という語を選んだ。「断章=断片」という語のもつ否定性をそのまま維持しながら、積極性へと逆転させようと考えたのである。」



「あとがき」より:

「こどものころから本を読むことはまあ好きだったが、よく考えてみると、本を読むことより本を買うことのほうがもっと好きだったような気がする。本についてのもっとも鮮明でもっとも早い記憶のひとつは、たぶん十歳前後のころ、はじめてひとりで電車にのって本を買いにいったときのことである。そのころ東京の下町に住んでいたわたしは、家の近くから当時の市電にのって、(中略)駿河台下の三省堂書店まで行って、あれこれと眺めてから握りしめていったお小遣いで何か一冊を買った。お目当ての本、読みたい本を買うという行為それ自体もうれしかったが、それにもまして本を自分の所有物として手にもって帰ってくるという快感はたとえようもないものであった。そうやって買った本はいろいろと記憶に残っているが、なかでも忘れられない本、もっとも愛読した本は、澤田謙というひとが書いた『プルターク英雄伝』である。焦げ茶色のクロース装の表紙の手触りまで覚えている。いったい何度読み返したことだろう。とうとう最後にはばらばらになり、消滅してしまった。
 もちろん、《書物論》というようなものを考えるようになったのは、ずっとあと、フランス文学の勉強をはじめ、マラルメやビュトールを読みだしてからのことである。(中略)あるときビュトールが『物体としての書物』という評論を寄稿していたので興味をそそられてページを開いて愕然とした。この雑誌では各論文の冒頭に、そこで対象とされている書物名が列挙されている。ビュトールの評論で対象として掲げられているのは、何と、いわく――テオクリトス『田園詩』、『ラブレー全集』、バルザック《人間喜劇》プレイアード版第四巻、『ルイス・キャロル全集』、『マラルメ全集』、そしてディラン・トマス『全詩集』というものである。(中略)彼としては、書物の物体性、ページのうえの活字配置など、ほとんどだれも論じない主題を扱おうとして、その問題を考えさせる著作をずらりと並べたのだった。
 愛読し翻訳もしていたビュトールがマラルメを論じているというので早速読みだした。するとまたも驚くべきことに、本来一本の線である文章を適当な長さに切って並べたのがページの始まりだとか、名辞を列挙するときにはラブレーがやっているように、叙述のなかにつづけて書くのではなく、その名辞だけを縦に並べるのが読みやすいばかりか、それが列挙であることが明瞭になるとか、もっぱら書物の形而下的面ばかりを論じていた。はじめてわたしは、書物の物体性を考え直さねばならぬことを教えられたのだった。これがこの本の起源である。」















































































































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平島正郎 訳 『ドビュッシー音楽論集』 (岩波文庫)

「何世紀ものあいだ知られずにいた、偶然がその秘密をあかすような男への感動以上に、あなたは、美しい感動を知っておいでか? ――そうした男のひとりであったこと……そこにこそ栄光にあたいする唯一の在りよう(フォルム)がある」
(ドビュッシー 「反好事家八分音符氏」 より)


平島正郎 訳 
『ドビュッシー音楽論集』

反好事家八分音符氏(ムッシュー・クロッシュ・アンティディレッタント) 
岩波文庫 青 33-509-1

岩波書店 
1996年1月16日 第1刷発行
324p 
文庫判 並装 カバー 
定価570円(本体553円)



本書「あとがき」より:

「本書は、クロード・ドビュッシーの Monsieur Croche Antidilettante (反好事家八分音符氏)――Gallimard, 一九二一年版――の翻訳である。
 雑誌「季刊芸術」に一九七二年秋二三号から一九七四年三〇号まで連載した拙訳であり、それらを今回まとめて一冊とし、岩波文庫より出版していただく運びとなった。」



ドビュッシー音楽論集


カバー文:

「『牧神の午後への前奏曲』、歌劇『ペレアスとメリザンド』など数多くの香気高い作品を残したドビュッシー(1862-1918)。彼はマラルメ、ルイスら象徴派詩人と親しく交わり、自らもまたすぐれた音楽評論を書いた。本書はその自選評論集で、実作者ならではのするどい見解が随所に光る。訳者の覚え書、注が加わりさらに奥行きある一冊となった。」


目次:

1 クロッシュ氏・アンティディレッタント
2 ローマ賞とサン=サーンスをめぐる対話
3 交響曲
4 ムソルクスキイ
5 ポール・デュカース氏のソナタ
6 名演奏家
7 オペラ座
8 アルトゥル・ニキシュ
9 マスネ
10 野外の音楽
11 喚起
12 ジャン・フィリップ・ラモー
13 ベートーヴェン
14 民衆劇場
15 リヒャルト・シュトラウス
16 リヒャルト・ヴァーグナー
17 ジークフリート・ヴァーグナー
18 セザール・フランク
19 忘却
20 グリーグ
21 ヴァンサン・ダンディ
22 リヒター博士
23 ベルリオーズ
24 グノー
25 公開状

訳者覚書 (平島正郎)
あとがき (平島正郎)




◆本書より◆


「クロッシュ氏・アンティディレッタント」より:

「あなたがもしそんなに熱狂をしめされたのでしたら、それはいつの日かあなたも同じ栄誉を受けたいと、ひそかにのぞんでいらっしゃったからです! 美の真実な感銘が沈黙以外の結果を生むはずがないのは、よく御存知でしょうに……? やれやれ、なんてこった! たとえばです、日没という、あのうっとりするような日々の魔法を前にして、喝采しようという気をおこされたことが、あなたには一度だってありますか? (中略)あなたがたは、自分があまりにもとるに足りない者であるよに感じて、そこにあなたがたの魂を合体させることがおできにならない。だのにいわゆる芸術作品のまえでは、自分をとりもどし、たっぷりそれについて話すことができるあなたがたの社会の古典的な用語を、持っていらっしゃる」

「専門家は好きませんな、あなた。私にとって専門にやるというのは、それだけ自分の世界をせばめることです。(中略)彼らは、一度成功したとなると、何度でもそれを執拗にくりかえすのです。そんな連中の巧妙さなんて、私にはどうでもよいことですがね。(中略)要するに私は、音楽を忘れようとやってみるんです。私が知らない音楽、というか〈明日〉知るだろう音楽を、聴くさまたげになるからね……」

「私は、批評よりも、誠実にいだかれた飾り気のない正直な印象のほうに、興味をもってます。批評というのは、〈私のようにやらぬからには、あなたは間違っている〉とか、さもなきゃ〈あなたには才能がある。私にといえばまるでない、とすれば話はこれ以上つづけられない〉といった一節(ひとふし)の輝かしい変奏に似てることが、どうもちょくちょくありすぎますな……私はね、作品をとおして、それらを生みださせたさまざまな衝動や、それらが秘めている内的な生命を見ようとするんです。」

「私は、エジプトの羊飼いの笛がひびかせるいくつかの音符のほうが、好きだな。彼らは風景にその音(ね)を合わせ、あなたがたの理論書が知らない和声を聴くんです……音楽家たちは、器用な手で書かれた音楽しかききません。自然の中に書きこまれた音楽を、決して聴かない。」
「非常に美しい構想というものは、かたちづくられつつある過程では、ばかものたちにとって滑稽に見える部分をふくんでいるのです……嘲笑(わら)いものにされているほうに、(中略)ずっとたしかな美の希望があることを、かたくお信じなさい。
独自(ユニーク)なままでいることです……世間ずれしないでね……――周囲の熱狂は、私に言わせれば芸術家を甘やかすことさ。彼がやがて周囲の表現でしかなくなるのではないかと、私はおそれてさえいるくらいです。」

「自由のうちに、みずからを律する基準をもとめなければいけない。誰の忠告もきかぬことです。」



「セザール・フランク」より:

「フランクの天才をめぐって多くのことが語られながら、彼だけがもつユニークなもの、つまり天真爛漫(らんまん)さには、かつて触れられたためしがなかった。不幸であり不遇だったこの人は、小児のたましいをもっていた。それがなにしろ底抜けに善良だったので、いちどだろうと恨みがましい想いを抱かずに、彼は、人びとの邪悪さや事の齟齬(そご)を凝視できたくらいだった。」
「セザール・フランクにあっては、不断の信仰が音楽に献げられる。そしてすべてをとるか、とらぬかだ。この世のどんな権力も、彼が正当で必要とみた楽節を中断するように命じることはできなかった。」















































千足伸行 『ロマン主義芸術 ― フリードリヒとその系譜』 (美術選書)

「私にとって自然なものは、他人にとって不自然である」
(フローベール)


千足伸行 
『ロマン主義芸術
― フリードリヒとその系譜』
 
美術選書

美術出版社
1978年6月30日 発行
178p xxi 図版(モノクロ)32p
20.4×15cm 
並装(フランス表紙) 函
定価2,000円



本書「あとがき」より:

「本書は、英、独、仏三国の中でも従来特に知られること少なかったドイツ・ロマン主義絵画を中心にすえながら、同時にロマン主義に伴う若干の問題点をも併せ見ようとしたものであり、ロマン主義総説あるいは概観といった性格のものではない。」
「本書はフリードリヒに対する筆者の関心を軸として生れたもので、内容的なまとまりという点からすればフリードリヒとその周辺ないしドイツ・ロマン派のみに焦点をしぼるべきであったかも知れないが、ロマン主義そのものの成り立ちや性格についての議論もこの際必要であろうとの考えから、ここに見るような構成をとった。」



千足伸行 ロマン主義芸術 01


目次:

1 はじめに――ロマン主義瞥見
2 自由なる芸術
3 自然の魂――フリードリヒとその周辺
4 無限の芸術
5 光、花、幼な子――ルンゲの世界
6 牧歌――ビーダーマイヤーの世界
7 マニエリスム―ロマン主義―現代

あとがき

年表
主要文献目録
索引




◆本書より◆


「はじめに」より:

「かつてボードレールは一八四六年のサロン評で、「今日この語(ロマン主義)に現実的な、実際的な意味を与えようと思う人はほとんどあるまい」と観じ、ポール・ヴァレリーは「ロマン主義を正確に定義しようと試みることの愚かしさ」について語り、現代フランスの批評家ガエタン・ポコンはあれこれ案じた挙句に、ロマン主義とは要するに「各人がなにものであってもよい(引用者注: 「なにものであってもよい」に傍点)という許可である。“なにをしてもよい”という芸術なのである」(傍点原著者)と、やや苦しまぎれの感はあるが、しかし示唆に富んだ断を下している。」

「しばしば言われるようにロマン主義とは元来、ある種の精神運動、あるいは心的傾向である。それは、たとえば印象主義、キュビスム、といった意味での様式概念ではないし、また一貫した“イズム”につらぬかれたエコールとしての運動でもなかった。(無論、たとえばユゴーを中心とするプチ・セナクルのようなロマン主義者たちのグループや相互的な交流はいくつかあったが、彼らは必ずしも――ロマン主義がまさに「“何をしてもよい”という芸術」であるがゆえに――鮮明な旗印のもとに大同団結したわけではなかった。)」

「彼らの多くは、たとえばグロ、ジェリコー、ネルヴァル、クライストのように、天賦の才能をほしいままにしながらも、シェイクスピアのマクベスのいうあの「人生の小止みない熱病」との闘いに憔悴し切って夭折し、あるいは自ら命を絶つか、あるいはバイロン、ルソー、ゴーチエのように、日常の狭隘な生活の軛を潔(いさぎよ)しとせず、いわば鎖をはなれたプロメテウスとして、市民生活のアウトサイダーとして、「異端児」の名に甘んじながら、あるいはそれを誇りとしながら生きるかのいずれかであった。」



「自由なる芸術」より:

「新しい時代の芸術家は、いわばかつてのこうした地縁的、共同体的紐帯が失われた時点からその歩みを始める。(中略)芸術家はここに初めて真の意味での「私」を、「自由なる私」を獲得した。これまでの芸術を何らかの意味で他者を必要とする芸術、他者に語りかける芸術とすれば、芸術はここに至って極めて私的な言語となる。芸術家は思い思いに自己の様式を語り始める。巧みに、手際よく、あるいは時代の好尚に投じ、世の喝采を博するようにではなく、「他人とは全く違ったように」語ることが新しい芸術家の命題となる。前の章で見たような、牢固としたアカデミスムに対する一部の芸術家の反抗も、この種の私的な自由のための、あるいはこうした自由に裏付けられた自由なる芸術のための戦いであった。」
「新しい芸術はもはやかつての芸術のように、何らかの意味で他者を必要とすることもなく、他者の存在を予定することもない。しかしまた反面、それは他者の求めない芸術、他者の欲しない芸術であるかも知れない。芸術家は、芸術作品は自律化すると同時にまた孤立化もする。それと同時に、いわゆる“わからない芸術”という問題も、(中略)すでにここにその端を発している。ただしここでいう“わからない”という意味は、抽象絵画を前にした時にしばしばもらされる“何を描いたのか分らない”という単純な不満ではなく、なるほど描いてある対象が何であるかはわかるが、それをなぜこう描かなければならないのか、といった種類の不満である。」
「自分の作品が世に理解されない、という認識はおそらくロマン派以前の芸術家にはほとんどなかった。」
「後にクレーがもらした「しかしながら民衆は我々(芸術家)にくみしない」というつぶやきは、このような観点からみた近代の芸術家の孤独な悲劇的状況を浮彫りにしているが、こうした状況はすでにロマン派の芸術家たちの十分に自覚するところでもあった。
 「(芸術家にとって)多くの支持者を得ることはたしかに大きな名誉ではあろう。しかしたとえわずかでも選ばれた支持者をもつことは確実にさらに大きな名誉である」(フリードリヒ)。とはいえここにはまだ、自分の作品が理解されることに対するつつましやかな期待がともかくもうかがえる。しかしルンゲにあってはこの種の期待はあとかたもなく消えうせている。「いずれにしても僕は、多くの人が僕の芸術を決して理解しないだろうということ、僕を馬鹿だと思うだろうことには覚悟ができている。僕はこれに甘んじて耐えなければならない」(兄ダニエルへの手紙)。
 画家ばかりでなく、たとえばすでにルソーも、その「夢想」を「自分のためにのみ書きつづる」のであってみれば、もはや「人々からもっとよく理解してもらいたいという願いは心の内からすっかりなくなっている」と達観し、フリードリヒ・シュレーゲルはその機関誌「アテネーウム」が高踏的すぎてわからない、という世評にこたえ、同誌に「わかりにくさについて」というエセーを自らよせて、「わかりにくさ」を弁護すると同時にまたその効用をも説き、さらに同じく一七九八年の「アテネーウム」に発表され、難解のきこえ高かった彼の「断片」も、世紀が替ればやがて人々に理解されるであろう、とむしろ後世の読者に期待をよせている。また周知のようにスタンダールもその『赤と黒』を同世代および後世の「少数の幸福な人々へ」(to the happy few)の捧げ物とし、本来のロマン派には数えられないとしても、フローベールも自分のまわりにうごめく有象無象よりはまだ見ぬ「知られざる朋友のために」書いた。」
「フリードリヒはすでに、「万人の喝采を博そうとすることは、卑しいものの喝采を博することに他ならない。卑しいもののみが万人のものである」と語って、芸術家の大衆への迎合をいましめているが、こうしたある種の大衆不信が、ここではこの種の感情にしばしば伴いがちな貴族的、高踏的な特権意識によるのではなく、芸術家として純粋に自己に徹し切ろうとする意識によるものであることに注意すべきである。もっとも、フリードリヒにしろルンゲにしろ、周囲の社会に対する不信感や異和感はいまだ個人的な枠の中にとどまり、自ら孤高を持することによって社会との摩擦をやわらげているが、フランス、つまりブルジョワジーの膝元にあっては、こうした感情はより先鋭的、攻撃的な色彩をおびてくる。一八三〇年のいわゆる「エルナニ事件」は、ユゴーを囲むこの“恐るべき子供たち(アンファン・テリブル)”の勝利を飾るものであり、以後ロマン派とは、少なくとも一時期は、芸術においてはもち論、日常の生活様式、行動様式あるいは服装などの外観に至るまで、反社会的、反ブルジョワ的な集団の総称となる。長髪や派手で“悪趣味”な服装がこれら若き反抗集団のトレードマークとなる。」

「“キッチュ”の出現にはいわばある種の社会的立地条件が必要とされる。すなわち、口当りのいい芸術を求める大衆の存在と、その大衆の平均化された趣味ないし要求、古代ローマにおけるいわゆる“panem et circenses”(パンとサーカス)に応えようとする努力である。」
「十九世紀の、フランスを中心とするいわゆるサロン芸術には、こうしたキッチュまがいの作品も少なくなく、大向うの喝采を博したこれらの作者こそ、当時の人々にとっては“大家”であり、“画壇の大御所”であった。
 一方、この種のキッチュまがいの芸術から遠くはなれ、大衆の(中略)声に耳もかさず、孤高を保って内なる自己を守り通した芸術家も無論少なくはなかった。そしてまさにそれゆえに、彼らの多くは社会的なドロップ・アウトであり、アウトサイダーであり、疎外された人間であり、芸術の殉教者であった。」



「自然の魂」より:

「これまでにもしばしば指摘してきたが、古い芸術と新しい芸術とを隔てる最大の壁は、前者がいわば「我々の芸術」であったのに対し、後者が「私の芸術」であることにある。」
「近代芸術にあっては、その主観主義的傾向ゆえに、画家の視と我々の視との間にしばしば不幸な、埋めがたい溝が生じてくる。」
「ブレッヘンの、フリードリヒの、その他多くの近代の誤解された芸術家たちの悲劇の少なくとも一因は、こうした「私の理解するところ」と「彼らが理解するところ」との間の越え難い溝に求められよう。」



「光、花、幼な子」より:

「ノヴァーリスにとっても幼な子はしばしば楽園の、失われた黄金時代の象徴であり、(中略)クライスト、シュレーゲル兄弟、シュライエルマッハー等も一様に啓蒙主義的な教育思想に反撥を示し、子供独自の想像力、個性、あるいは意志を尊重し、これをのばすことを説いている。
 ボードレールもまた、しばしば引用されるように「天才とは要するに意のままにとり戻される幼年期に他ならない」と見、さらに「子供はすべてを新しいものとして見る。子供はいつも陶酔している。色や形をむさぼり吸い込む子供の悦びほど、いわゆる霊感に似たものはない」(『現代生活の画家』)と語って、創造の原点としての幼年時代を高く評価しているが、この種の考え方はこれ以後も今世紀初頭のプリミティヴィスムやダダイスム、シュールレアリスム、あるいはクレー、シャガールなど、多くの芸術運動ないし芸術家に見ることができよう。(中略)その背景にあるのは、おそらく、失われた時代、失われた伝統、失われた世界に対する(中略)苦渋にみちたノスタルジーであった。」



「牧歌」より:

「ビーダーマイヤーの世界にあっては、こうした本来のロマン主義精神が孕んでいた危機的、破局的なものへの傾斜、悲劇的な生のパトス、巨大な自然を前にした時の人間の無力感、人為の空しさといったものはすべて一応括弧の中にくくられて、一件落着の観を呈している。」
「遙かなものへ、無限なものへ、絶対的なものへ、その極限としての神へ、神的なものに向おうとするロマン主義精神に対し、ビーダーマイヤーの世界はむしろ有限なもの、閉ざされたもの、日常的なものを志向する。文字通り“ビーダー”(善良)な小市民たちの狭く、つつましやかな、しかしまたそれなりに心地よく、みち足りた昨日、今日、明日にビーダーマイヤーはその夢を托している。すでに見たリヒター、シュヴィントもそうであるが、とりわけカール・シュピッツヴェーク(一八〇八―八五)は、こうしたビーダーマイヤー的な世界の中に生れおち、絵筆によってそこに生きる人々の人情の機微をあますところなくうがちえた画家であった。ミュンヘンの商家に生れ、父の意向にそって薬剤師となるべくミュンヘン大学に学び、ここを優秀な成績で卒業したシュピッツヴェークには、元来は画家になる気配など全く見えなかった。しかし一八三三年、病をえてミュンヘンの近くに転地療養し、ここで知りあったある画家に絵を描く楽しみを教えられるに及んで、薬剤師シュピッツヴェークは画家シュピッツヴェークへと急転換した。ただし彼はアカデミーに学ぶこともなく、もっぱら独学を通した。(中略)これはむしろ彼にとっては幸いなことであった。画家としての彼のユニークなヴィジョンと技法とは、彼がいわゆる画壇をはなれた独学者、“独り者”――市井人としても彼は生涯独身を通した――であったことに多くを負っているからである。
 一八三九年(シュピッツヴェーク三一歳)の『貧しき詩人』は、今日でこそ彼の門出を飾る作品としてあまねく知られているが、当時は(中略)酷評を浴びた。(中略)ここにはすでにシュピッツヴェーク的な巧まざるユーモアとメールヘン的な性格がよく現われている。立てば頭がつかえる屋根裏部屋のベッドに身をよこたえて、およそ売れそうもない自作の詩の韻律を指おり数える老詩人。その頭上には雨もり対策のこうもり傘が、そのまわりの、わざわざ身を起こさなくとも手をのばせば届く床の上には古色蒼然たる詩法の書が雑然とおかれ、かたわらのストーブには反古になった詩稿がくべられ、その前では残りの詩稿が同じ運命を待っている。白いナイト・キャップをかぶり、鼻までメガネのずり落ちたこの老詩人の風采といい、彼をとりまくおよそ“詩的”とは言いかねる生活空間といい、ここにはもはや、ロマンティックな“霊感”の神話のひとかけらもない。」
「この『貧しき詩人』にしろ、その後の多くの作品にしろ、シュピッツヴェークはドイツ美術史の中にあって最も愛すべきユーモリストの一人である。ただし彼のユーモアは、たとえば後のヴィルヘルム・ブッシュに見るような戯画的、漫画的なものに由来するのではない。それはユーモラスではあってもコミックとは違う。ヘルマン・ベエエンケンによれば、シュピッツヴェークのユーモアの本質は、「彼が人間の世界と、広大で自由な自然の世界とを対照している所にある」。つまり「彼の作品の主人公たちが後生大事にしているものこそ、(自然の中では)些細な特殊なものであり、しかもこのように後生大事にすることにより彼らは、(絵を見る)我々には与えられている全体への視野を欠いているのである」。
 かくて鉢植のサボテンや花の栽培に心を奪われた彼らは、その関心をもっぱら広大な自然から切りとられたこの小さな一点に集中させ、彼らを包む晴朗な喜ばしい春の芳香には一向に頓着しない。あるいは図書室の一隅で、高い踏み台の上に立ち、腋の下や膝の間に分厚い本を挟みながら、なおあき足らず、埃っぽい“形而上学(メタフィジカ)”(と書棚の上に記されている)の世界を渉猟する『本の虫』。狭い図書室の黴くさい本の世界に沈潜している彼にとっては、天窓を通してさし込んでくる明るい太陽の光、あるいはそれによって暗示される晴やかな外部の世界は全くの異郷と変らない。」
「シュピッツヴェーク自身も「私の小部屋」と題する詩の一節で、「この世での私の大きな喜びは、夜ふけの私の小部屋。そこで読書する時、昼の煩らいと疲れとを忘れさせてくれるから」と語り、さらに、“Sie”(敬称)で呼び合うより“Du”(親称)で呼び合うような世界こそ彼の願いであると歌っているが、(中略)こうした限られた世界の身近なもの(中略)への傾斜こそ、(中略)ビーダーマイヤーの根底をなすものであった。日々是好日、といった感情にひたりながら、自己満足的なこぢんまりとした世界に閉じこもり、(中略)春の日の陽だまりの中に何心なく生きることに、ビーダーマイヤーはその夢を托した。フリードリヒの作品に、あるいは彼のアトリエに張りつめていた、あの厳冬のようなきびしい孤独感は、ビーダーマイヤーのもはや求めるところではない。」

「シュピッツヴェークが創造したのは“ビーダーマイヤー”という名の“古き良き時代”の、“ベル・エポック”の愛すべき仮象の世界であった。(中略)身近な現実の世界を描きながら、ここにあるのは童話的な面影をたたえたほほえましくも、またどこか異郷的な世界であった。それは、すでに失われたかのようで、しかもなおその存在に夢を托したくなるようなささやかな“地上の楽園”であった。同じく市民的芸術でありながら、シュピッツヴェークのそれは、印象派的な晴朗な底抜けの“生きるよろこび”というよりは、そこはかとないメランコリーとイロニーをたたえたノスタルジックな昨日と今日の間の世界であった。」




こちらもご参照下さい:

ヘルベルト・フォン・アイネム 『風景画家フリードリヒ』 藤縄千艸 訳
池内紀 『姿の消し方 ― 幻想人物コレクション』










































































































寿岳文章 『和紙落葉抄』

壽岳文章 
『和紙落葉抄』


湯川書房 
昭和51年12月20日 初版発行
257p 
四六判 丸背紙装上製本 貼函 
定価2,000円
印刷: 精興社 
製本: 三水舎



和紙をめぐる随筆集。当然のことながら和紙で装幀されています。


寿岳文章 和紙落葉抄 01


帯文:

「著者が長年深い愛情を抱きつづけてきた和紙の抄造が日に日に衰退していく現況を慨嘆しつつもその変らぬ美しさ楽しさを語りかける待望の随筆集。」


寿岳文章 和紙落葉抄 02


目次:

和紙おちぼひろい
 一 播磨紙のふるさと
 二 横紙破り
 三 白紙の賛
 四 紙をひねる
 五 和紙と世相
 六 猿と紙漉き
 七 和紙と北原白秋
 八 技術の秘密
 九 『一壺亭茶話』の背景
 十 『譬喩尽』の中から
 十一 紙名を考える―諸口の場合―
 十二 紙漉歌をめぐる諸問題
 十三 檀紙今昔談
 十四 神曲と紙
和紙の歴史をたどる
民芸運動と和紙
文化財との関連における和紙
禅と紙
紙漉村今昔――幻想風に
九州の和紙
東北の紙
泉貨今昔談
和紙の将来
和紙歴史事典の構想



寿岳文章 和紙落葉抄 03



◆本書より◆


「「白紙の賛」について」より:

「何の変哲もないすき立ての白紙を、これにむかう者が何かの絵、何かの形に見立て、詩なり、歌なり、あるいは俳句なり標語なりを書きつけたのが、白紙の賛である。賛を読む者は自分自身の想像力を働かして、空白の世界に何とでもすきなように(中略)こころの筆でえがく。」
「小堀遠州の子と伝えられる大徳寺第八十四世江雲和尚の白紙賛に
  看々普賢銀世界
というのがある。白紙を一面の銀世界に見立て、花下、四頭の白象に乗る普賢菩薩を拈(ねん)じたイメージであろう。(中略)白紙は語らず、無碍自在な世界なのである。白紙を一条の滝と見立てて、「涼しさはたくひも更に夏山の峯よりおつる音無しの滝」と賛した大綱和尚その他、さすがに禅家には白紙の賛が多い。」



「和紙歴史事典の構想」より:

「一九二二年に発表されたT・S・エリオットの「荒地」を、日本の詩人や批評家が問題にし始めるのは、昭和となってからであるが、いまふりかえると、私自身のものの見方も考え方も、つねにこの詩の大きな投影のもとにあったことを、強く感ずる。「荒地」は、第一次世界戦争を一つの山とする二十世紀西欧文明の退廃が、主要なテーマとなっているけれども、そのまま大正・昭和期の日本にもあてはまったし、第二次世界戦争を経験した現在では、かけがえのないこの地球上のあらゆる地域に、エリオットのいう荒地化が認められるであろう。荒地化とは、物心の二つにわたり、伝統的な文化遺産が破壊され、それに代わる価値ある文化の創造されない状態をいう。」
「もともと私の和紙研究は、書物を構成する最も重要な素材としての紙への関心から始まった。」
「日中戦争の始まったのは昭和十二年の七月であるが、その年の十月から、昭和十五年の三月にかけて、秋・冬・春の三季に、私たち夫婦は、周到なプランにもとづき、紙をすく全国の村々へ旅した。農閑期を利用する製紙の実態調査と、その歴史的な背景のあとづけが主目的である。
 明治二十七年ごろには六万三千を数えたといわれるこれら半農半工的製紙戸数は、すでに三分の一以下に減ってはいたが、それでも、交通の便のわるい山村の片ほとりに、先祖からうけついだ昔ながらの技法で、(中略)黙々とていねいに紙をすく姿を見、天日に干しあげられたばりばりのすばらしい紙に接したときは、いつも私の心は躍った。退廃していない伝統の力のたくましさとたのもしさに打たれたからである。
 しかし、退廃が全く見られなかったわけではない。質よりも量に重きをおく能率万能主義の役人たちの、あやまった指導が浸透しているところでは、必ずといってよいほど、生産された紙は貧しく、力無く、みすぼらしかった。しかも正直な生産者たちは、これがよい紙だと信じ、少しも疑っていない。私は政治という名の悪に対し、腹の中がにえくりかえるような憤りを覚えた。
 戦前のこのあやまった指導方針を、何千倍にも増幅したのが、戦後の高度経済成長政策であろう。日本にかつてない豊かさがもたらされたと、この政策を推進する為政者たちは誇らしげにいう。私はそう思わぬ。エリオットの荒地的観点に立てば、精神にも自然にもかつて知らぬほどはなはだしい荒廃と貧困をもたらしたのが、この政策である。少なくとも和紙の伝統は、これの毒気をもろに受けて、いやしがたい損傷を被り、生産戸数も今や八百台を割ろうとする。」
「しかし、平均日本人のすべてが、今の為政者の言うままになるほどおろかであるとは信じたくないし、また信じられない。高度経済成長の虚像に魅せられている人びとも、おろかな夢からさめ、何が最も人間的なのかを悟り、価値ある伝統のよみがえる日もいつか来よう。」



寿岳文章 和紙落葉抄 04


























































ヘルベルト・フォン・アイネム 『風景画家フリードリヒ』 藤縄千艸 訳

「芸術のただ一つの真実の源泉はわれわれの心である」
(フリードリヒ)


ヘルベルト・フォン・アイネム 
『風景画家フリードリヒ』 
藤縄千艸 訳


高科書店
1991年10月30日 初版第1刷発行
205p xiii
A5判 丸背紙装上製本 カバー
定価2,800円+税84円



本書「訳者あとがき」より:

「本書は Herbert von Einem ; Caspar David Friedrich. 3. Auflage. Berlin 1950. の全訳である。」
「この翻訳は、(中略)フォン・アイネム先生から直接お勧めを受け、訳業は終えたものの、なかなか出版の機会が得られず、二十年近くが過ぎてしまった。」



アイネム 風景画家フリードリヒ 01


帯文:

「肉体の目を閉じよ。
ここに風景の悲劇を発見した男がいる…」



帯背:

「ドイツ・ ロマン派の最高峰」


帯裏:

「風景にひそむ
生と死

フリードリヒの芸術の中心には死の問題がある。死の経験に対して彼は永遠への宗教的確信を対照させる。この確信は彼に自然との対話を教えた。
しかしフリードリヒの絵では、廃墟は単なる無常の象徴より以上のもの、明確な過去の象徴である。古い信仰に対する反対、古い信仰を再び確立しようとするシュレーゲルやナザレ派の試みに対する拒否を、この絵以上に明確に示すものはあるまい。
――本文より

第1章 歴史的状況
第2章 生涯
第3章 作品
第4章 結語
図版解説
年譜

カラー図版8点
モノクロ図版107点」



カバーそで文:

「中世以来のキリスト教的世界が崩壊した後の荒野に忽然とあらわれた孤高の画家フリードリヒ。それはまた、近代は獲得したのではない喪失したのだという深い諦念から出発し、芸術の蘇生を夢見て試行錯誤をくり返したロマン主義者たちの時代でもあった。
北ヨーロッパの厳しい風土に育まれたフリードリヒは、ロマン主義運動の喧噪から一歩離れ、自然との孤独な対話のなかから、木々や岩や廃墟がひっそりと佇む、信仰告白ともいうべき独特の作品を生み出した。
ドイツの美術史研究の碩学フォン・アイネムは、深い学識と作品への確かなまなざしによってフリードリヒのもつ神秘をとき明かす。
本書は20世紀に始まったフリードリヒ再評価の代表作であり、また、ナチス勃興期の1938年という困難な時代に書かれたにもかかわらず、第2次世界大戦後も信頼性を失うことなく、戦後新たに起きたフリードリヒ再評価の出発点となった。」



目次:

日本語版への序 (1977年3月)

第一章 歴史的状況
第二章 生涯
第三章 作品
第四章 結語

図版解説
年譜
訳者解説
訳者あとがき

主要参考文献
収録図版一覧
人名・地名索引



アイネム 風景画家フリードリヒ 02



◆本書より◆


「日本語版への序」より:

「ロマン主義者、カスパール・ダーヴィト・フリードリヒにとっては、このような客観的な所与の世界は、前提ではあるが、もはや表現目的ではない。彼を風景詩に導いたものは、人間の内面における外的自然の反響である。彼がまず忠実に写生した自然と風景は、彼においては人間感情の比喩となる。感動、憂愁、憧憬が彼の芸術の本来的なテーマである。
 彼の絵のモチーフは全く異例のものである。眺望図的風景画や南欧的な理想的風景画の代わりに、フリードリヒは、比喩的な象徴や十字架やゴシック建築の廃墟や墓碑などを伴った北方的風景画を、およそ人間の住む所ではない原自然のような孤独な淋しい自然を、登場させた。彼の好みは原初的なもの、海や山、北方的な暗さに向けられている。彼は好んで個々のモチーフを、対象として認められる範囲を越えて、不滅化し、絶対化している。朝の絵は、彼にとっては、世界の誕生、生命の夜明けの比喩となり、冬景色の絵は、孤独と死の比喩となる。人間、木、建物、石は、それらの限定された対象物としての存在を越えて、無限な普遍的な意味へと成長する。しかも、あらゆる対象物は、この芸術家の体験を反映した一つの総体的気分に包まれているのである。
 このようなモチーフの世界に、彼の絵の形式は合致している。例えば、枠のない広がり、とりなしようのない対立、広く遠い遠景に対して極度に近く見られた近景、有限と無限の対立からその静かな力を引き出す装飾的な線、感覚的な魅惑を除外して素描の象徴的発言を強めている薄い鋭く塗られた色。特に特徴的なのは、いろいろな階調の灰色がかったヴァイオレットである。それは対象を非物体化して、掴み難いものにしている。しかし個々の色彩は、必ず色調の統一によって支えられているのである。
 この本は、フリードリヒのモチーフの世界と形式の世界を個々に解き明かし、それらをドイツ・ロマン主義の世界観との関係において解明しようとする試みである。」



「第一章 歴史的状況」より:

「フリードリヒの風景画の中では、ルンゲが予言的に語ったあの新しい芸術が具体化されている。そこでは風景というものが、ルンゲが風景画に賦与した意味、つまり人物芸術の代わりに宗教的表現の担い手になること、にまで達している。もちろんルンゲが共同体芸術として新しい風景画を切望したのだとするならば、この点ではフリードリヒはルンゲの道から離れていた。確かにフリードリヒにおいても共同体思想はまだある役割を演じてはいるが、しかし彼の表現形態には、共同体思想は何の影響も与えなかった。フリードリヒにおいては、連帯の絆たるべき象形文字の代わりに自然の形象が、無限なものとの孤独な対話の中で姿をあらわし、登場してくる。つまり、神話的なものの代わりに象徴的なものが登場するのである。フリードリヒは、ルンゲがなお固く保持していた共同体への志向を犠牲にすることによって、最初の、徹底的に主観的な芸術の創造者となった。」


「第三章 作品」より:

「すでに一八〇七年に、ある批評家が次のように書いている。「フリードリヒのファンタジーは、南方の明るい暖かい空によって、また草木の繁茂した豊かな楽しい地方によって形成されたものではない。詩人や芸術家の気分を悲しみにまで、否、メランコリックな憂鬱にまで容易に導いていく、北方的な崇高さや偉大さが彼に影響していたのであった。フリードリヒはファンタジーによって、例えば個々の岩、山、水面など、一般の芸術家がそれら全体で風景として表現するものを、特に好んで孤立させてあつかっている。また深く感動する感性によって、墓、十字架上のキリスト、聖像に特別な愛着をもって没頭し、それらを常に驚くべき方法で、すばらしい風景画の中に織り込んだ。」」

「フリードリヒの絵の中に使われている人物像は、たいてい一人ぽっちである。」
「しかし時折フリードリヒも数人の人物を描いている。その場合にはもちろん、複数の人がただ無意味に並んでいるのでは決してない。むしろそれらの人間は無限性の同じ体験で結ばれている。孤独の経験に、同じ運命による結合の経験が呼応している。フリードリヒは極めてこまやかな感情によって、計り知れないものの秘密を前にした自己発見を暗示している。」



「第四章 結語」より:

「ルンゲは共同体芸術としての未来の芸術を追求した。フリードリヒの芸術は自然との孤独な対話以外の何ものでもあり得ない。」
「フリードリヒの芸術の中心には死の問題がある。彼は言う。
  「問いがしばしば私に向けられる、
  なぜ君は絵画の対象に
  かくもしばしば死、無常、墓を選ぶのかと。
  いつか永遠に生きるために、
  人はしばしば死に身を委ねなければならないのだ。」
 フリードリヒは単にキリスト教的基盤を前提にしているだけでなく、常にそれと結びついている。彼の創作は、被造物同士の親愛感、個別化の悩み、内面的同族性の予感、万有との一体化、帰郷の切望などのキリスト教的経験に根ざしている。彼の芸術の象徴は後ろ向きの人物像であって、この人物像は無限なものに向かって憧れながら、しかし有限性に囚われつづけている。ロマン派の詩人の中ではノヴァーリスに比較される。
 ルンゲとフリードリヒの、かかる根本的経験の対照は、彼らの性格の対照に反映している。ルンゲは偉大な芸術家のあらゆる活動にたずさわり、ロマン主義の常として、あらゆる深淵に魅了されてはいたが、世間に対してあけっぴろげで、明るく、素朴であった。フリードリヒは仲間たちの描写では一致して人間嫌いのメランコリックな人間であった。しかしこの人間嫌いは自然との親密な交流の裏面にすぎない。これについても彼自身が打ち明けている。
  「君たちは私を人間嫌いだと言う、
  私が社会を避けているから。
  君たちはまちがっている。
  私は社会を愛しているのだ。
  人間を憎まないためにこそ、
  私は交際を思いとどまらねばならないのだ。」」

「「私は自然を完全に見つめ、感ずるために、一人でとどまり、自分が一人であることを知らねばならないのです。私は、私があるところのものであるために、私をとり囲むものに献身し、私の雲や岩と一つにならねばならないのです。」」



アイネム 風景画家フリードリヒ 03























































































































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー

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