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高階秀爾 『十二人の芸術家』 (講談社現代新書)

「われわれが子供でなくなった時、われわれは死んだも同然だ」
(ブランクーシ)


高階秀爾 
『十二人の芸術家
― 現代を拓いた人々』
 
講談社現代新書 339 


講談社 
昭和49年1月20日 第1刷発行
昭和54年4月12日 第5刷発行
204p 
新書判 並装 カバー
定価390円
装幀: 杉浦康平+辻修平  
カバー写真: ルネ・マグリット・勝利〈部分〉



本書「あとがき」より:

「本書に集められた十二の文章は、十二人の芸術家の作品それぞれ一点ずつを選んで、その作品をいわば軸として芸術家を論じたものである。それらは、最初は、「現代への道標」というタイトルのもとに、『美術手帖』誌昭和四十四年一月号から十二月号まで連載された。今回一冊に纏(まと)めるにあたって、若干の補訂は加えたが、主要な部分はほとんどそのままである。」


本文中図版(モノクロ)38点。


高階秀爾 十二人の芸術家 01


カバー文:

「ピカソ・ノルデ・キリコ・
ピカビア・マグリット・
マティス・クレー……。
彼らは〈現代〉に何を見、
何を求め、そして、
何を表現しようと
したのか。本書は、
現代芸術の旗手十二人を選んで、その代表作を主軸にすえ、テーマ、問題意識、
表現方法、さらには生涯や思想的背景、時代相にも筆をすすめながら、作品の示す豊饒な美的世界を明快犀利に描き出し、現代芸術の
見方・本質を教えてくれるユニークな〈美〉への誘いの書である。」



カバーそで文:

「一点の作品と芸術家の全体――芸術を語るにあたって、
何よりもまず作品が出発点となることは言うまでもない。
作品は芸術家によって作られるものであるが、同時に芸術家は、
作品によってはじめて自己の本質を明らかにする。
一本の野の花にも大宇宙の神秘がひめられているように、
一点の作品にも、その芸術家の内面の世界が隠されているはずである。
ただ一点の作品を中心に、芸術家の全体を論じてみたいというのは、
かねてからの私の欲求であった。……本書に登場する芸術家も作品も
おそらく誰にでも親しまれている有名な人々あるいは作品であるばかりでなく、
現代美術の歴史で大きな意味をもつ存在であることは確かである。
――著者のことば」



目次:

Ⅰ セザンヌ 〈水浴図〉をめぐって――見たまえ、あの青を
Ⅱ マティス 〈モロッコ人たち〉をめぐって――光は東方より
Ⅲ ボッチオーニ 〈空間のなかのユニークな連続の形態〉をめぐって――動きそのもの
Ⅳ ノルデ 〈トリオ〉をめぐって――幻想と現実のあいだ
Ⅴ ピカソ 〈ゲルニカ〉をめぐって――女たちよ子供たちよ
Ⅵ ブランクーシ 〈空間のなかの鳥〉をめぐって――飛翔への讃歌
Ⅶ キリコ 〈占師の償い〉をめぐって――地中海の白昼夢
Ⅷ シュヴィッタース 〈メルツ19〉をめぐって――予言された現代
Ⅸ ピカビア 〈ウッドニー〉をめぐって――色と形のオルフェウス
Ⅹ カンディンスキー 〈縞〉をめぐって――二十年後の抽象
Ⅺ マグリット 〈六つの要素〉をめぐって――火の洗礼
Ⅻ クレー 〈美しき女庭師〉をめぐって――天使と悪魔と

参考文献
あとがき



高階秀爾 十二人の芸術家 02



◆本書より◆


「セザンヌ」より:

「だが、いずれにしても、さしあたりセザンヌにはモデルになってもらう女性がいないことは確かだった。職業モデルの大勢いるパリならともかく、エクスの町では、セザンヌは気狂いではないとしても偏屈で気味の悪い老人と考えられていた。セザンヌのためにわざわざモデルを引き受けるような物好きは誰もいなかった。仕方なくセザンヌは、昔若い頃に描いたスケッチを引っ張り出して利用したり、近くに駐屯する兵隊がエクスの町のなかを流れるアルコ河のほとりで休憩中に水浴びをしているのを遠くから眺めているというぐらいなものであった。ある時は、友人に裸婦の写真を頼んだりまでしている。「大水浴図」について言えば、結局モデルはいなかったのである。」

「セザンヌの特に晩年の作品において支配的となる「青」は、「空気の印象」を与えるためのものであり、空気の印象によって「奥行」を表現するためのものであった。「私はただ色彩だけによって遠近法を表現したい」と言った時、セザンヌがそのための武器として考えていた色彩は、何よりも「青」だったのである。」
「彼は、仲間の画家たち、特にモネに対しては、いつも深い尊敬の念を抱いていた。「モネはひとつの眼に過ぎない」というセザンヌの批評はよく引かれるが、しかし彼はその後ですぐ、「だが何という眼だろう」と讃辞を捧げているのである。セザンヌはまた、「われわれのうちで一番偉いのはモネだ」とも言っているが、さらに後には、アンドレ・リヴィエールに向かってこうも語っている。
 「見給え、空は青い。そうだろう。そしてそれを見つけたのはモネなんだ……」
 モネに教えられ、セザンヌもまた「空は青い」ということを知った。晩年、「大水浴図」に熱中していた頃、午前中アトリエでこの大作と取り組むと、いったん昼食に家に帰って、午後には雇いの四輪馬車で写生に出かけるのが日課であった。馬車の馭者(ぎょしゃ)は、毎日のことなので、言われなくても行先はわかっていた。シャトー・ノワールの近く、サント・ヴィクトワール山がその堂々たる威容を惜しげもなく示す場所である。そこまで行く途中の道筋でも、セザンヌの眼は「モティーフ」を見逃しはしない。彼は突然馭者に語りかける。
 「ああ、あの青を見給え。松の樹の下のあの青を……」
 馭者はなるほどというようにゆっくりうなずくが、心の中では、また始まったと思っていた。彼の眼には、どこにも青など見えはしないのである。普通人の眼には、空気は見えないのは当然である。しかしセザンヌは、その空気の深みのなかに、はっきりと自分の「青」を見ていたのである。(なお余談ながら、セザンヌはこの従順な馭者が大変お気に入りで、自分の作品を一点与えたことがあった。「彼は大変喜んで丁寧にお礼を言ったんだけど、帰りがけにそれを持って行くのを忘れてしまったんだ」とセザンヌはヴォラールに語っている。)
 「水浴」のシリーズと並んで晩年のセザンヌが心血を注いだ「サント・ヴィクトワール山」のシリーズも、彼にとっては、山との闘いというよりも、山を取りまく空気と光、彼と山とのあいだに拡がる距離、そしてそれらすべてをすっぽりと包む空間との闘いであった。後に彼はこう述懐する。
 「長いあいだ私は、サント・ヴィクトワール山を描くことができなかった。それは、見ることを知らない多くの人びとと同じように私は影の部分はひっこんでいると思いこんでいたからだ。ところが影の部分は実はとび出しているのだ。影は中心から遠くへ逃れようとする。影はかたまりになる代わりに、気体となってまわりに流れ出す。それは、青に染められて、周囲の空気の息づかいに参加するのだ……。私はそれを描かなければいけない」
 事実、セザンヌの筆の下で、サント・ヴィクトワール山は、次第に周囲の空気のなかに融けこんで、輝かしい青の交響楽に同化するように思われる。時には、山のかたちすらさだかには見えないほどになるのである。
 「私の眼は私の見る場所にあまりにぴったりとくっついて離れないので、おしまいには血が流れ出るんじゃないかと思うほどだ。ねえ君、私は少し気狂いなんじゃないだろうか。自分でも時々そう思うことがあるよ」
 彼はガスケに向かってこう告白している。
 彼はそれほどまでして、自分の見た「青」を画面に「実現」しようとした。」



「ノルデ」より:

「ノルデがこのような幻想的主題を好んだのは、もちろん彼自身異常な幻想力を備えていたからである。彼は、悪魔とか妖精のような非現実的存在でも、はっきりと自分の眼で見ることができた。ノルデの母親は今でいう千里眼の能力の持ち主で、いろいろ未来のことを予告したと伝えられているが、その真偽はともかくとして、ノルデ自身語っているところでは、ノルデが母親の超能力に信頼を置いていたことはたしかである。また彼自身も、しばしば幻覚に襲われる時があり、そのような場合には、悪魔のような姿を現実の人間のようにありありと見ることができたという。」
「つまりノルデにとっては、現実の世界と幻想の世界は、それほど明確に区別されたものではなかった。現実の花もいつか幻想の世界のものとなり、白昼の幻覚もいつか現実の存在となる。ノルデは一九〇九年ごろ、
 「次の新しい時代には、現実と幻想とのいわば中間にある芸術を作らなければならない。つまり、例えていえばベックリンの『楽園』ときわめて写実的に描かれた牛とのちょうど中間にあるような芸術が必要なのだ」
 と述べているが、それはまさしく彼自身の芸術のことを語っていたといってよいのである。ノルデがしばしばマスク(仮面)を主題に取り上げるのも、マスクがまさしく「現実と幻想の中間にあるもの」にほかならなかったからであろう。」

「孤独な幻想家で、しばしば自己の夢の世界にとじこもりがちであったノルデは、それだけにいっそう、華やかな色彩の乱舞を見せる激しくダイナミックな動きに惹かれたもののようである。フェールの思い出によれば、ノルデはキャバレーやダンスホールを訪れてその華麗な動きをスケッチするのを好んだという。ある時などは、あまりじろじろ踊る人を見て描いたので、若者たちに因縁をつけられて、描くのを諦めなければならなかったほどである。」
「ノルデがそれほどまで舞踊に惹かれたのは、その華麗多彩なアラベスクの魅力の虜となったこともひとつの理由だが、それと同時に、あらゆる想念を拒否してただひたすら熱狂的に踊り続けるそれら踊り子たちの姿に、人間の生命の根源的なものの姿を見たからである。例えばオーストラリアの踊り子サハレットの舞踊について、彼は次のように語っている。
 「黒い髪をふり乱しながら、激しく野性的に動き廻るその旋回運動のなかで、彼女は、ある幻想的な、原世界的な存在にまで高められていった……」
 この「原世界的存在」という言葉が、ノルデの作品を解く鍵であることは、坂崎乙郎氏がその著書『夜の画家たち』のなかで指摘しているとおりである。つまりノルデは、決して単に風俗的興味からそのような多彩な踊りに惹かれたのではなく、その奥にはもっと根源的なものへの衝動があった。それなればこそ、彼の宗教的主題の作品のなかでも、人物たちはしばしば似たような激しい動きを示すのである。その意味では、幻想と現実との区別がつかなくなるほどの幻想家であったノルデと、激しく捩れる踊り子の姿を描き出すノルデとは、本質的にひとつのものといってよい。」
「むしろノルデは、踊り子たちのポーズのなかに、騒がしい現実を離れて永遠の存在に結びつくものを求める。彼がいみじくも「原世界的存在」と呼んだものは、そのような永遠性にほかなるまい。激しく捩れるノルデの踊り子の姿は、そのまま祈りの姿に通じるのである。」



「ブランクーシ」より:

「事実ブランクーシは、(中略)生涯「無心な子供の眼」を保ち続けた。子供たちの世界は、つねになまなましい現実と結びついている。それは、われわれ大人の知っている冷たく形骸化した現実ではなく、不思議な生命の息吹きに満ちた現実である。ボードレールは、「天才とは意志によって取り戻された子供の魂だ」といったが、ブランクーシも、「子供の魂」を死ぬまで保ち続けた天才であった。彼自身も、
 「われわれが子供でなくなった時、われわれは死んだも同然だ」
 と語っている。」

「ブランクーシにとっては、彫刻作品とは、決してただ眺めるだけのものではなかった。
 「彫刻作品はただ出来がよいというだけでは不十分である。それは手で触れてここちよく、近づきやすく、しかもいっしょに住んで気持のよいものでなければならない」
 ブランクーシは、かねがねこう語っていたが、そこには、手仕事によって自己の作品を作り上げた職人の愛情と自負とがこめられている。それだけに、彼が「見る」彫刻ではなく、「触る」彫刻を作ろうとしたことも、十分に納得がゆく。一九〇八年頃から構想された「眠れるミューズ」連作、一九一五年の「新生児」、一九一一年の「プロメテウス」等を経て、一九二四年の「世界の始まり」(盲人のための彫刻)にいたる一連の作品がそうである。この最後のものは、はっきりと「盲人のための彫刻」と題がつけられているが、それ以外の作品も、やはり同じように「触覚的効果」を意図しているものといってよいであろう。その意味で、これらの作品が、(中略)いずれも視覚を奪われた、眼のない存在であることは暗示的である。事実、「眠れるミューズ」は瞼を閉じているし、「新生児」はまだ眼を開いていない。「プロメテウス」や「世界の始まり」になると最初から抽象的な卵型だけになっている。」

「「私の彫刻を尊敬してはいけない。それを愛して、それと遊びたいと思わなければいけない。私は人びとに喜びを与えるかたちを創り出そうとしたのだ……」」



「シュヴィッタース」より:

「同じくダダの仲間といいながらシュヴィッタースが歴史のなかでこのように独自の地位を占めることができるようになったのは、(中略)彼がダダの破壊運動をそのまま自己の創造に利用することができたからである。というよりも、シュヴィッタースの場合は、自己の内部の詩を作品を通して歌い上げるために、それまでの芸術観の枠を打ち破ることが必要だったのである。つまりシュヴィッタースは、「ものを創り出す人」という最も原初的な意味での詩人であった。電車の古切符や、新聞の切れ端や、破れた包装紙など、要するに屑籠の中身にふさわしい材料で作り上げた彼のコラージュ作品が、もともとはキュビスムの美学を受け継いだものであり、そしてその後も多くの追随者を生んでいるにもかかわらず、ほかの作家たちの作品とはっきりと異なった独自の詩情をたたえており、決して見紛うことがないという事実は、この間の事情を雄弁に物語るものといってよいであろう。」

「したがって、シュヴィッタースの「メルツ」作品は、他の多くのダダの作家たちの作品のように、それまで卑しいものとして顧みられなかった廃物や屑を材料として利用したという「反逆性」ないしは「反伝統性」のゆえに意味があるのではなく、そのような材料を、彼が自己の詩を歌うためにどのように利用したかという点にこそ意味があるのである。もちろん、シュヴィッタース自身そう認めているように、ベルリンやチューリッヒのダダの運動は、彼にとって大きな意味を持っていた。それは、彼に「完全な自由と解放」とを与えてくれたからである。当時の前衛芸術家としては珍しく長いアカデミックな修業期間を経験したシュヴィッタースにとっては、そのアカデミスムを克服するために、ダダの仲間たちの強力な破壊力が必要だったのである。
 しかし、いったん必要な自由を手に入れてからは、その自由を利用して心のままに自己の詩を表現することだけがシュヴィッタースの求めたところであった。」

「彼こそは、もしかしたら、現代には珍しい永遠の抒情詩人であるのかもしれないのである。」





こちらもご参照ください:

『エミール・ノルデ展』 (1981年)
『シュヴィッタース展』 (1983年)
坂崎乙郎 『夜の画家たち』 (講談社現代新書)




































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阿部良雄・與謝野文子 編 『バルテュス』 (新装復刊)

「まどろみと夢のなかに萎えながら後退してゆく少女。彼女が、のみならずバルテュスの睡眠や夢遊歩行の硬い甲殻に封じ込まれた人物たちが、棲(すま)うのは、響きと怒りの外界から隔絶して、目を開きながら眠り、聞き語りながら聾啞者のように何ひとつ聞かず語らない、透明なカプセルの世界なのだ。」
(種村季弘 「永遠に通過する画家」 より)


阿部良雄
・與謝野文子 編 
『バルテュス』 
(新装復刊)



白水社 
2001年4月25日 印刷
2001年5月15日 発行
239p 略年譜・作品便覧7p 
19×15.7cm 角背紙装上製本 カバー 
定価2,800円+税
装幀: 柳川貴代


「本書は1986年6月に小社より刊行された」



本文中モノクロ図版(バルテュス作品及参考図版)56点。


バルテュス 01


帯文:

「アントナン・アルトー:
バルテュスの描く裸像は人を夢へと誘うが、
その危険を隠していない。
この危険な夢に魅せられて語られた、詩人・文学者たちの
バルテュスへの証言(オマージュ)を集めて、巨匠の全貌に迫る!」



目次 (初出):

まえがき 與謝野文子


危険な伝統主義者 澁澤龍彦 (「みずゑ」 1968年12月号/『幻想の彼方へ』 1976年)
バルテュス譚詩 酒井忠康 (「gq」 1974年6月)
ヴェネツィア滅ぶべし 阿部良雄 (『西欧との対話』 1972年)
バルテュスとクールベ 阿部良雄 (「みずゑ」 930号 1984年春)
伝統のしずかなる挑発 與謝野文子 (「みずゑ」 930号 1984年春)
バルテュス、あるいは視覚の劇場 渡辺守章 (「みずゑ」 930号 1984年春)
バルテュス、通りの向こう側の風景 森口陽 (「アール・ヴィヴァン」 12号 1984年4月)
表皮―眼差し―光―表皮 峯村敏明 (「アール・ヴィヴァン」 12号 1984年4月)
普遍的で、いびつなかたち 岡田隆彦 (「アート '84」 108号 1984年10月)
永遠に通過する画家 種村季弘 (「アート '84」 108号 1984年10月)
《街路》のディアーナとアクタイオーン 金井美恵子 (「ふらんす」 1984年8月号)
バルテュスの絵を観にゆく、夏 吉岡実 (「麒麟」 7号 1985年6月)


ピエール画廊におけるバルテュス展 アントナン・アルトー/渡辺守章 訳
バルテュスに ピエール・ジャン・ジューヴ/豊崎光一 訳
ラルシャンの記憶 ピエール・ジャン・ジューヴ/豊崎光一 訳
《街路》 ピエール・ロエブ/與謝野文子 訳
バルテュスに ポール・エリュアール/田中淳一 訳
忍耐強い泳ぎ手 アルベール・カミュ/田中淳一 訳
バルテュスの絵画における活人画 ピエール・クロソフスキー/小林康夫 訳
バルテュスの発明 イヴ・ボヌフォワ/阿部良雄 訳
ヴェネツィアの石畳 ガエタン・ピコン/横張誠 訳
バルテュス、あるいは輪廻 ジャン・クレール/與謝野文子 訳
見ること、さわること オクタビオ・パス/飯島耕一 訳
《コメルス・サン・タンドレ小路》をめぐって アンドレ・ベッチェン/阿部良雄 訳

あとがき 阿部良雄
バルテュス略年譜
バルテュス作品便覧



バルテュス 02



◆本書より◆


「危険な伝統主義者」(澁澤龍彦)より:

「いずれにせよ、この人気のない、ブラインドを下ろし鎧扉を閉め切った、日曜日の商店街の閑散とした雰囲気には、妙に物悲しい情緒がただよっていて、判じもののように謎めいた登場人物たちの挙動にも、孤独と不安の影が色濃く滲み出ていることに、たぶん、読者も気づかれたことであろう。カフカの文学を別として、現代の疎外感というものを、これほど見事に形象化した作品を、私はついぞ知らないのである。
 詩的幻想というよりも、散文的幻想といったほうが、バルテュスの場合、より真実に近いような気が私にはする。それは《コメルス・サン・タンドレ小路》だけでなく、すべての彼の作品についても、同様にいいうるようである。
 詩人イヴ・ボヌフォワがいうように、どうやらバルテュスは「たとえ暗示するにすぎないとしても、ある不治の情熱の最も危険な暴力を表現する画家の一人」であるようだ。彼にはどこか危険な伝統主義者といった面影がある。」



「永遠に通過する画家」(種村季弘)より:

「まどろみと夢のなかに萎えながら後退してゆく少女。彼女が、のみならずバルテュスの睡眠や夢遊歩行の硬い甲殻に封じ込まれた人物たちが、棲(すま)うのは、響きと怒りの外界から隔絶して、目を開きながら眠り、聞き語りながら聾啞者のように何ひとつ聞かず語らない、透明なカプセルの世界なのだ。」

「ジョルジュ・バタイユやルネ・ジラールのいけにえ理論を援用して、バルテュスを解釈する作業はそれなりの功徳もないではない。しかし注意しなければならないだろう。(中略)供犠、サディズム、復讐劇的残虐性。目立ちすぎる仮面としてその背後で午后の一刻(ひととき)をまどろみ過ごすには、あまりにもうってつけの口実ではないか。」



「《街路》」(ピエール・ロエブ)より:

「構図をつつみ込む暖かな小麦色の光のなかで、人物たちは行き交う。この場面はどこで起きているかは知らないが、この通りは、画家の住んでいたフュルステンベルグ広場からジャコブ街へぬける道であるようだ。」
「白づくめのこの石工が、画面の主軸をなす。お化けのように画面を通過してゆく。ほかの人物たちは互いに相手の姿を見ずに接近し合い、出会うのだ。別のところに想いをはせている。パン屋の小僧の眼の前で起きるこの不思議なやりとりの当事者たちでさえそうなのだ。まりで遊びながら内省を続ける年齢不詳の子供の想いも、やはり別のところに在る。
 一人の少年が進んでゆく。彼の視線は夢のなかに迷い込む。彼の腕の振りが、自動人形の仕草さながら停止するかたわら、その夢をこわしてはならないと無意識に遠ざかる少女は、自らの夢を追ってゆく。
 女がひとり、落ちつかぬ眠りにおちいった子供を抱きながら、ゆく。
 役者たちがみな夢遊病者であるような、そんな不思議な夢を見ている気がする。造型的な平衡とリズムが、着想と完全に合致するこの完全な構図からは、不安を引きおこす雰囲気がかもしだされる。」






こちらもご参照ください:

『バルチュス展 カタログ』 (1984年)
阿部良雄 『群衆の中の芸術家』 (中公文庫)





















































































































































伊藤俊治 『バリ島芸術をつくった男』 (平凡社新書)

「現実に生きる人間は、いつも別世界への想像力を必要としている。あるいは現実といわれるものに陶酔によって亀裂を入れ、その価値や体系を揺るがす力を必要としている。本来、人間とその別世界の間を埋める営みが芸術の一つの役割だったのだが、シュピースは絵画によって再びその役割をよみがえらせようとしたのだ。」
(伊藤俊治 『バリ島芸術をつくった男』 より)


伊藤俊治 
『バリ島芸術をつくった男
― ヴァルター・シュピースの
魔術的人生』
 
平凡社新書 126 

平凡社 
2002年1月23日 初版第1刷発行
210p 口絵(カラー)2p
新書判 並装 カバー
定価780円(税別)
装幀: 菊地信義



本文中図版(モノクロ)34点。


伊藤俊治 バリ島芸術をつくった男 01


カバーそで文:

「バリを訪れた人びとを惹きつけるバリ絵画、ケチャ・ダンス、
バロンとランダの闘争を中心にした呪術劇チャロナラン……。
これらはロシア生まれのドイツ人がバリ人と共につくったものだった。
彼は自ら絵を描き、写真を撮り、チャーリー・チャップリン、
コバルビアス、ミード、ベイトソンらの案内役をも務めている。
そして、日本軍の爆撃により四十七歳で不思議な生涯を閉じた。
最良のものをバリに捧げた男の人生をたどり、
“美と祝祭の島”“陶酔の島”の秘密に迫る。」



目次:

序章 プロローグ――陶酔の島へ

第一章 世界を魅了する島
 1 バリの自然と宇宙
  熱帯の楽園
  ヒンズー文化の影響
  祝祭の島
  ドラゴンの上に乗る島
 2 都市のなかの熱帯の夢
  アムステルダムの王立熱帯博物館
  ヨーロッパのデッドエンド
 3 アンリ・ルソーとシュピース
  ルソーの密林画
  “空想の熱帯”
  ルソーの後継者・シュピース
 4 異邦人たちの交通
  小説『バリ島物語』
  チャップリン、コバルビアス、ベイトソン
  バリの理解者

第二章 シュピースとバリ・ルネッサンス
 1 ヨーロッパからアジアへ
  シュピースの少年時代
  ウラルでの抑留生活
  “十一月グループ”への参加
  ヨーロッパからの脱出願望
 2 ジャワからバリへ
  ガムランに魅せられる
  初めてのバリ
  バリにアトリエを借りる
 3 伝統から冒険へ、バリ絵画の展開
  誰もが芸術家の島
  ワヤン様式の伝統絵画
  バリ絵画の新しい波
 4 大いなる生命の力
  ピタ・マハ画家協会とバリ人画家
  バリ絵画の反パノラマ性

第三章 バロンとランダの永遠の闘争
 1 チャロナラン劇の起源
  呪術劇チャロナラン
  バロンとランダの闘争
 2 バロン・ダンスと劇場国家
  バロン・ダンスの再創造
  スペクタクルを目指す国家
  自死と植民者の神話
 3 サンギャンとケチャの誕生
  映画『悪魔の島』とケチャの考案
  トランス儀礼、サンギャン
  光と影のスペクタクル、ケチャ
 4 植民地博覧会とアルトーの残酷演劇
  バリ舞踊団のヨーロッパ公演
  チャロナラン劇の衝撃
  演出家アルトーが感じ取ったもの

第四章 創造の新しい方法と錬金術
 1 “空想の美術館”としてのバリ
  植民地化・観光化とシュピースの戦略
  バリと外部世界の媒介者
 2 アートとサイエンスのはざまで
  ベイトソンとミードの来訪
  シュピースの感化力
  方法論の違いと感情的対立
 3 写真家シュピースの錬金術
  写真で発揮された才能
  シュピースの撮ったケチャ
  映画と写真=ノスフェラトゥとランダ
 4 感覚の動く表象/『バリの舞踊と演劇』
  観光写真に抗して
  バリ島内部者の撮った写真
  『バリの舞踊と演劇』出版の意味

第五章 シュピースの死と再生
 1 抑留と移送、夢の連なり
  新しいアトリエへ
  戦争の影と“魔女狩り”
  シュピースの逮捕
 2 「風景とその子供たち」
  収容所で心のバリを描く
  母なる自然とその子供たち
 3 「金属楽器のためのスケルツォ」
  シュピースの総決算的な作品
  音楽と絵画の交差点
  ガムラン音楽との類似性
  陶酔の絵画
 4 エピローグ――死と再生の旅へ
  シュピースの死
  朽ちてゆく絵画
  どこから来て、どこへゆくのか
  永遠の輪廻

あとがき

引用文献・主要参考文献
ヴァルター・シュピース年譜



伊藤俊治 バリ島芸術をつくった男 02」



◆本書より◆


序章より:

「山も川も、木も花も、虫も獣も、人も精霊も、すべてのものがこの島を舞台に自らの生命を揺り動かし、大いなる劇を演じている。しかもその役割を刻々と変化させて。人々はごく自然に神々や祖霊と交感し、踊りや音楽のなかで動物に変身し、花々はその生と死の循環のなかで精緻な美しい織物を生み出してゆく。
 マディ・クルトネゴロが『スピリット・ジャーニー――バリの大地からのメッセージ』(中略)で言うように、我々の目は太陽と月と草から、鼻は山々から、耳は谷から、血は川から、筋肉は土から、脂肪は泥土から、骨は樹木から、髪の毛は木の根や霊や霧から、呼吸は風からの借りものにすぎない。つまり我々自身のものなど本当はないのだということが、この島では明らかになる。」
「だからこの島で繰り返されるおびただしい数の儀礼や芸能は、人と人とのコミュニケーションというより人と世界のコミュニケーションのためのものだ。それらはこの世界とあの世界を緊密に結びつける交信の手法となり、この世界とあの世界をつなげ、その通路を我々の心が行き来できるようにする営みとなる。本当は人はそうした道が見えなければ生きてゆくことができないのではないかと思う。この島で日々、途方もないエネルギーを費(つい)やし繰り返される儀礼や芸能は、日常のなかでは把握することが困難なもの、聖なる、つかみがたいものをつかまえる方法である。そしてかつて芸術とは、審美的なものでも、現実の模倣でもなく、人間の認識ではとうてい把握できない、こうしたつかみがたいものとの関係に入ることだった。その真実が、まだこの島では生きている。」
「ヨーロッパでの画家や音楽家としてのさまざまな可能性を捨ててジャワへ渡り、一九二五年、とうとう憧れの島バリへたどりついたシュピースは、村人全員が絵描きと言われる“絵画の村”ウブドに到着した夜、暗闇から聞こえてくる呪術的な合唱とともに、陶酔状態に陥る少女たちの妖しくもせつなく、麗しい踊りを目撃する。
 彼女たちの体はまるで夢でつくられているかのようだった。世界で最も美しく、はかない舞踊とシュピースが形容するサンギャン・ドゥダリである。
 シュピースはその踊りを見たとたん、魔法をかけられたかのようになり、自分もその輪舞に加わりたいという激しい衝動を抑えきれなくなってしまう。
 「いっそ、僕も、叫び、一緒になって、踊りたかった。ああ、この神の宿った人々よ」(シュピースの手紙より)
 この後、シュピースはジャワに一度戻るが、バリへの思いは抑えがたく、とうとう二年後、永住を決意してこの島へ帰ってくる。そう、まさにシュピースは自分の家へ戻るように帰ってきたのだ。」
「このように強く激しくシュピースを魅了したバリとはいったいどんな島なのだろうか。そしてシュピースはこの島とどのように関わり、この島からどんなインスピレーションを受け、それを自らの創造に生かしていったのだろうか。またシュピースの表現や思想はこの島でどのような変容をとげ、彼の生はどんな軌跡を描いていったのか。本書はそうしたシュピースとバリ島との出会いから起こった多彩な出来事をひもときながら、創造と陶酔の新しい次元を考えてみようとする試みである。」



第一章より:

「バリはイスラム教国インドネシアのなかで唯一ヒンズー教が勢力を持つ場所である。」
「しかしバリのヒンズーは単なるヒンズーではない。バリ特有のアニミズム(原始宗教)の影響を強く受け、さらにこの島に伝わる古来からの伝承や習慣とも結びつき、多様な要素が渾然一体となった“アガマ・ヒンズー”と呼ばれる、独自の完成された宇宙観や宗教性を形造っているのだ。
 バリをより深く理解するためには、この宇宙的なヴィジョンに触れなくてはならないだろう。それは簡単に言えば、この世には善なる神々とともに、悪しき神々や悪霊たちも存在し、それら相互の混沌としたバランスの上に世界は生成してくるのであり、すべての自然は光闇、善悪、生死というように対になり、それらが複雑な波動を発し、濃密な場を生みだしているということなのだ。
 バリではどこでも、白と黒の格子模様の布が彫像に巻かれているのを見かけるが、これはそうしたバリの宇宙観を反映したものであり、未来永劫終わることのない二極間の闘争をシンボライズしている。バリの人々にとって、人間とはそうした極の間を彷徨(さまよ)い続ける小さな舟なのである。だから彼らは善なる神々に祈ると同時に、悪しき神々にも同じように祈りを捧げ続ける。」



第二章より:

「「小さい頃のことはあまり多くを語ることはない。僕はロシアの壮大な自然のなかで暮らした。母によれば、僕が魅きつけられたただひとつのものは動物だったという。そしてそれは僕の絵の唯一の題材にもなった。いつも生きた蛙やトカゲ、蛇をポケットに入れて走りまわり、夕食の時、それをテーブルの上に出し、両親やお客をびっくりさせていたことを今でも思い出す。大きなものも小さなものも、すべての生物を僕は集めようとした。蝶、カブト虫、トンボ……、(中略)そしてこの自然への愛着や自然科学への興味は、僕の生涯を通じて続くことになる。僕はたぶん、本当は動物学者や植物学者になるべきだったのかもしれない」(シュピースの話、記述より)」

「「ウラルの山々で三年間の抑留生活を過ごし、そこで本当の生活とは何なのかを知り、感じ、見てきた僕にとって、ヨーロッパで寛(くつろ)ぐことは不可能なことでした。ここにいるべきだという感覚を得るためには、自分を成立させているすべてのものを譲り渡さねばならなかったからです。自分自身を売り渡さなくてはならなかった。けれどそれはできませんでした。そのかわり、僕はすべての友人たちと別れを告げ、自分自身を見つけることのできる新しい家を探しに出ねばならなかったのです」(シュピースの手紙より)」

「バリには実は、「芸術」や「芸術家」にあたる言葉はそれまでなかった。絵画や彫刻や音楽や舞踊はそれ自体を独立して目的とした芸術とみなされたことはなかった。それらは決して美的鑑賞のためにつくられたものではなく、みな神々の島に捧げられる生活儀礼の要素だったし、それらをつくりだすのもすべて島民であり、誰もがみな芸術家だったのである。そもそも「芸術」や「芸術家」という概念は世界中どこにでもあるわけではなく、むしろ西欧文化特有のものだと言っていいかもしれない。シュピースはかつてこう語ったことがある。
 「バリの人々はみな畑で働いたり、豚に餌をやったりするのと同じように詠歌を歌ったり、奉納の踊りを踊ったりする。そしてバリの女たちは子供を生んだり、料理をしたりするのと同じように幻想的な芸術作品のような神への供物や細工をつくったり、素晴らしい金や銀の錦を織ったりする。すべてが一つである。それが生きることであり、神聖なことなのだ」(シュピースの手紙より)」

「バリの人々は世界が示すものを描く。木の葉の茂み、樹皮の模様、動物の皮斑、川の流れ、太陽の炎、足跡と影……、そこでは人は、他のものから超越して存在することはない。人間の思考や想像力は、その他の自然の力と結びついた自然な行為である。(中略)彼らは形やイメージを超えたものを大いなる畏れとともに、絵のなかへ呼び込もうとする。そして“描く”という行為のなかで、自分のなかにもその見えないものが入り込んでくる。バリの絵に魔術的な力や神性のようなものがのりうつっているように見えるのは、そのためなのだ。」



第五章より:

「「私はバリが西欧化することを望まない。ツーリストたちはバリを愛してなんかいない。私はそんな人々と関わりたくないのだ」(シュピースの記述より)
 シュピースはいつのまにか自ら観光産業の一部となり、そのイメージを推し進めていたことに深く苦しみ、悔いた。」

「現実に生きる人間は、いつも別世界への想像力を必要としている。あるいは現実といわれるものに陶酔によって亀裂を入れ、その価値や体系を揺るがす力を必要としている。本来、人間とその別世界の間を埋める営みが芸術の一つの役割だったのだが、シュピースは絵画によって再びその役割をよみがえらせようとしたのだ。」

「シュピースは十数年もの歳月をバリで暮らし、精力的にこの島の宇宙と風景を描いた。その作品は数百点ともいわれるが、今、この島には「チャロナラン」一枚しか残されてはいない。シュピースの絵の多くは、今も行方が知れないものがほとんどだ。バリの森のなかに消え去ってしまったかのように。バリの土や水と化していったかのように。」

「バリの人々にとって死は終わりではない。死者は必ず生まれ代わるし、死は生と死の繰り返しのためにある。世界で唯一という公開火葬のおこなわれるこの島の葬儀は、人の魂が天へ昇るための、そして輪廻(りんね)の巨大な流れに参入するための不可欠な行事である。」





こちらもご参照ください:

吉田禎吾 監修 『神々の島 バリ』
伊藤俊治 『唐草抄 ― 装飾文様生命誌』
種村季弘 『魔術的リアリズム』 (PARCO PICTURE BACKS)
アンドレ・ブルトン 『魔術的芸術 普及版』 巖谷國士 監修
岡谷公二 『南海漂蕩 ― ミクロネシアに魅せられた土方久功・杉浦佐助・中島敦』






































































































榊原悟 『江戸の絵を愉しむ』 (岩波新書)

榊原悟 
『江戸の絵を愉しむ
― 視覚のトリック』
 
岩波新書 (新赤版) 843 

岩波書店 
2003年6月20日 第1刷発行
iii 213p 口絵(カラー)4p
新書判 並装 カバー 
定価780円+税



口絵カラー図版5点、本文中モノクロ図版76点。


榊原悟 江戸の絵を愉しむ 01


カバーそで文:

「襖を閉めると飛び出す虎! 江戸時代、絵画の世界はアッと驚く遊び心にあふれていた。視覚のトリック、かたちの意外性、「大きさ」の効果――。絵師たちの好奇心と想像力が生みだした、思いもよらない仕掛けを凝らした作品を浮世絵・戯作絵本から絵巻・掛軸・襖絵にいたるまで紹介し、新しい絵画の愉しみかたを伝える。図版多数。」


目次:

Ⅰ 生活のなかの遊び――動く画面
 日本の絵はどこで見る
 「ひらいて」見る――絵巻「大蛇に化ける女」
 動く壁――襖絵の隠現効果
 紙芝居効果――芦雪の「虎」
 縦に「ひらく」演出
 「大きいこと」への関心――巨人標本図
 「実物大」の驚き

Ⅱ 視点の遊び
 日本の絵の魅力とは?
 意外のかたち
 合成された顔――国芳の「寄せ絵」
 見立(みたて)のおもしろさ――影絵・絵文字
 拡がる視覚――鏡・望遠鏡・顕微鏡
 虫の視点・鳥の視点
 「小口」のかたち

Ⅲ 「かたち」の遊び――猿の図像学
 擬人化された猿
 「猿」と「猴」
 猿猴捉月――長い手の魅力
 江戸の猿猴たち

「眼の極楽」――あとがきにかえて



榊原悟 江戸の絵を愉しむ 02



◆本書より◆


「Ⅱ 視点の遊び」より:

「思えば「鞘絵」が江戸で流行した寛政年間は、その前後――年号でいえば明和・安永・天明から文化・文政あたり――をふくめて、我々の先祖たちの眼(視線)が何に向けられていたか、その視覚の歴史を画期する時代であった。それというのも、先祖たちの眼に、光学的現象や影像に対して本格的な関心が生まれたのが、まさしくこの時期だったと考えられるからである。」
「その意味で十八世紀後半から十九世紀初頭にかけては、我々の先祖たちの視覚がいっきに拡がった時代ということも可能だろう。すでに述べた「鞘絵」「影絵」の流行や、水面に浮かぶ歪んだ「かたち」のおもしろさに気がついたことなど、そうした時代の傾向をあらわしている。
 くわえて、いかにもこの時代らしいのは、それらの光学的現象については、さっそく、見世物小屋に掛けられていることだ。(中略)「大衆化」、これも一種の「拡がる視覚」というべきだろう。」
「こうした鏡の見世物は、(中略)人びとの映像に対する興味を、いやが上にもかき立てたことは疑いない。
 だが大江戸人士の見る力――視覚を高めたというならば、顕微鏡、望遠鏡なども忘れてはなるまい。前述した「七面鏡」や、覗眼鏡(のぞきめがね)(遠近感を誇張した名所風景画(浮絵(うきえ))を覗き見るための器具)もふくめて、すべてこの時代オランダ船が舶載したものだ。それら舶来の珍しい光学機器のレンズの向こうに現れる天体の姿や微小の世界は、通常の視覚ではとらえることができないはずだ。その「かたち」が意外であったことはいうまでもない。」
「その舶来の光学機器「顕微鏡(むしめがね)」について、森島中良(もりしまなかよし)(一七五四~一八〇八)の『紅毛雑話(こうもうざつわ)』(天明四年〈一七八四〉刊)巻三は、

  近比舶来(もちわたる)「ミコラスコーピュム」といふ顕微鏡(むしめがね)あり。形チ図の如し。程々のものをうつし見るに。その微細(みさい)なる事凡慮(ぼんりょ)の外なり(後略)。

という。
 くわえてこの顕微鏡は、見世物にもかけられたようで、(中略)猿猴庵の『金明録」文政三年(一八二〇)四月の条に、

  〇大須門前にて、阿蘭陀目鏡を見せる 小虫の類を大きう見せる虫めがねなり。

とある。(中略)その際、人びとに見せたのは、文字どおり小さな虫たちであった。森島中良がこの目鏡で観察したのも虱(しらみ)であったようで、同じく『紅毛雑話』巻三に、

  (前略)虱の古く成たるが、脇腹(そばはら)やぶれて鰯(いわし)の骨の如き肋骨(あばらぼね)あらはれ、腐爛(くされただれ)たる腸(はらわた)に、茶たて蟲の如き蛆(うじ)たかりたり、目鏡をはづして見ればいさゝか色のかはりたるやうに見ゆれども、肋ぼねも蛆も見えず、誠に希代の珍器なり。蚊の睫(まつげ)に巣をくふ蟭螟(しやうめい)、蝸牛(かたつぶり)の角の上なる蛮氏觸氏(ばんしぞくし)の二国をも、此器をもつてうつさば、明らかに見分つべし。(後略)

とある。」



榊原悟 江戸の絵を愉しむ 03



◆感想◆


本書はウー・ホン『屏風のなかの壺中天』で訳者の中野美代子さんが推奨されていたのでよもうとおもってわすれていたのですが今回よんでみました。
本書の第一章では絵がどのような形態で描かれているか(巻物、襖絵、掛軸等)によって絵の見方が変わる、ということが懇々と説かれています。クリストファー・デ・ハメルの近著『Meetings with Remarkable Manuscripts』(注目すべき写本との出会い)なども「写本」という形態を重視していましたが、そういう物質主義が21世紀の美術評論の一般的な傾向なのでしょうか。
第二部では江戸絵画における「遊び」の要素――影絵や、アルチンボルドを思わせる国芳の「寄せ絵」とか、アナモルフォーズの日本版である「鞘絵」など――を取り上げています。『下界頭会(げかいずえ)』の、真上から見た「臼と杵で米を搗く男の姿」「梨に竹輪の「小口切り」」に見える図などは、ロジャー・プライスのドルードル(droodles)の百年先を行っています。遊びとかトリックアートとか、そういうエンターテインメント性の重視が21世紀美術評論の一般的な傾向なのでしょうか。
第三章はサル(テナガザル)の図像学です。テナガザルはかわいいです。


本書は興味深い本ですが、ちょっと気になったのは、p. 100~101 で、

「だが日本絵画は、基本的には、

  絵に書(かか)ぬ真向きの美女と横仏(よこほとけ) (『誹風柳多留』一五九篇)

というように、人間の肉体を描くのが不得手であった。正面向きの美女と横たわる釈迦(あるいは人間)の肉体。描きにくいものの代表として、この二つを挙げているのも納得できるだろう。」


とあるのですが、この川柳は、正面から見た美女・側面から見た仏を描いた絵は見たことがない(「描けない」のではなくて「描かない」)ということを言っていると思うので、「人間の肉体を描くのが不得手であった」例としてあげるのはどうかと思います。それに「横たわる釈迦」なら「横仏」(よこほとけ)でなく「寝仏」(ねぼとけ)(寝釈迦、涅槃仏)です。
それと、p. 131 掲載の「歪んだ顔(『国芳雑画集』より)」について、「「鞘絵」におそらく触発されたにちがいない図」であるとして、「「鞘絵」が鞘に映したら、ちゃんとした像がえられるというのなら、ちゃんとした「かたち」を鞘に映したら、こんなに歪んでしまった、というわけだ。」とあるのも変です。制作年代の前後を重視したためにそうした記述になったのだと思いますが、発想の順序としてはもちろん逆で、「ちゃんとした「かたち」を鞘に映したら」「歪んでしまった」ので、「鞘に映し」ても「ちゃんとした像がえられる」ようにと工夫されたのが「鞘絵」です。
それと、時間的推移にそって物語が展開する絵巻を「ひらいて」見ることによって得られる効果についてはともかく、襖絵を「ひらく」効果とか細長い掛軸に描かれた竹の絵を少しずつ「ひらく」ことによる「視覚的効果」を画家が狙っていたとする主張もちょっと首肯しかねます。




こちらもご参照ください:

田中優子 『江戸百夢 ― 近世図像学の楽しみ』
『バルトルシャイティス著作集 2 アナモルフォーズ』 高山宏 訳
タイモン・スクリーチ 『江戸の身体を開く』 高山宏 訳 (叢書メラヴィリア)
辻惟雄 『奇想の系譜』 (ちくま学芸文庫)
ウー・ホン 『屏風のなかの壺中天』 中野美代子・中島健 訳












































































矢代幸雄 『水墨画』 (岩波新書)

「さて、このように、壁上の滲じみに画の妙所を見出す、とは、如何なることを意味するか。それは、人間の作意をもって写し得るもの、つくり得るもの、には限度がある。しかるに、水の滲じみがおのずからにして成したところのあら壁(かべ)の上のむらむらには、小なりとはいえ、そこには、人為のおよばざる天然の創造というものが、働いている。そこには、人間の空想のあらゆる飛躍を許容するところの、量るべからざる可能性の世界が、あらわれているのである。それを感得し、それに霊感されることは、客観的描写の束繋の下に精神の生動を阻害されやすい芸術にとりて、一つの覚醒を促す――そういう大きな意味を持つのである。」
(矢代幸雄 『水墨画』 より)


矢代幸雄 
『水墨画』
 
岩波新書 (青版) 736/E 70 

岩波書店 
1969年12月20日 第1刷発行
1991年12月18日 第13刷発行
i 204p 口絵(モノクロ)1葉
新書判 並装 カバー
定価550円



本書「あとがき」より:

「本書に収録した論文のうち、「心境と表現」は、昭和四十一年七月二十三日、鎌倉円覚寺の夏期講座において、私が講演した論旨を、後に私が要約して纏めた新稿である。その他は、いずれも私が前に発表したことのある論文で、このたび岩波新書の一冊として、ここに水墨画関係のものを一括して纏めるに際し、必要に応じて全面的に筆を加え、また稿を改めたのである。「水墨画の心理」は、雑誌『世界』昭和二十三年一月号のおおお誌上に発表したもの。また「滲じみの感覚」は雑誌『座右宝』の三号、および四、五合併号の二回にわたって、昭和二十一年六月と九月に発表したものである。両編は、昭和三十六年、講談社刊「日本美術大系」第十一巻『日本美術総説』へも収録した。
 「荊浩の筆法記を読む」は、昭和二十二年に、八雲書店発行の雑誌『芸術』第五号に発表したのち、再三にわたって所々に訂正を試み、さらに昭和四十二年一月、雑誌『大和文華』第四十六号に掲載した際、再び読み直し、多少の変更を加えた(中略)ものである。」



本文中図版(モノクロ)28点。


矢代幸雄 水墨画 01


カバーそで文:

「墨一色でつくり出された美の世界。水墨画は東洋絵画の精粋であり、東洋の材料・技術および東洋人独自の感覚と心境から生まれた美術である。数百年にわたって日本人がなじんできたこの水墨画の本質を、表現の心理と技術および禅宗思想との関係において明らかにする。著者長年にわたる東西美術への幅広い蘊蓄を背景に綴られた東洋画論。」


目次:

水墨画の心理
滲じみの感覚
心境と表現
荊浩の『筆法記』を読む

あとがき



矢代幸雄 水墨画 02



◆本書より◆


「水墨画の心理」より:

「事実、世界は色とりどりの美しき絵画に、充(み)ち溢れている。それらの間にあって、しかもこのほとんど色彩を拒絶したる墨色の世界が、わが東洋にあったということは、いかに幽深にして且つ沈痛なる心緒の展開であろう。それは、あたかも紅緑相交わる現実世界を取囲むところの人生の壁面に、突如として、一つの窓が開かれ、その窓を透して、私の心眼には、はなやか(引用者注: 「はなやか」に傍点)なる自然美の世界よりもう(引用者注: 「もう」に傍点)一つ奥の世界、すなわち精神の世界、とでもいうようなものが、まったく思いがけなく、覗き出しているような気がした。そこには、華麗なる感覚の躍動のかわりに、湛然たる澄心(ちょうしん)の支配があった。日光のかわりに、月色と雲翳(うんえい)とがあった。
 もちろん、私は、熙(き)々として太陽の光輝く色彩世界を厭うものでもなく、燦然たる自然美の讃歌であるところの芸術を、決して拒否するつもりもない。しかしながら、人間の心は、けっきょく、物質の形似と現実の魅惑のみによって、すっかり満足し切れるようなものではなく、或いは宗教的信仰となり、或いは芸術上の憧憬となって、自然以上の、或いは自然よりも、もう一つ奥の、精神的存在を、慕いてやまざるは、否定すべからざる人生の事実であった。この精神的憧憬に対して、東洋の水墨画ほど適切なる表現を与えるものは、他に何処にある、というのか。」

「まず水墨画とは何であるか。絵画は色彩、線、および明暗濃淡の調子(引用者注: 「色彩」「線」「調子」に傍点)、という三要素より成り立っている。水墨画とは、それら、絵画の三要素のうち、色彩から離脱し、線と明暗の調子とを大いに発達させて、それらにすべての精神的含蓄を託したところの、特殊なる絵画形式――それをいうのである。」

「そういう水墨画なるものの特殊なる趣致とは、何であるか、といえば、それは、文字通り皮相を破って、内面的に精神を集中する観照、ということであった。しかして、この内面的ということは、まずは、絵画の最初の任務であるところの、自然の事物を描写するにあたって、あまり形似にとらわれることなく、また表面の華やかさに迷わされずして、いわば、もっと深入りして、実在の本質を摑まんとすることを意味し、さらに進んでは、そこに宿る精神的意義を感じ取り、端的にこれを表現しようとすることであった。またさらに、その上、もう一段と進んでは、その描写されたる物象に、画者の感興や感激、その他の精神的の動きまでをも投入して、表現する、ということであった。換言すれば、描写、表現、いずれの面においても、截然たる精神的意義を帯びさせる、ということであった。これこそ、水墨画が他に比類なき芸術的形式を組成するにいたる、根本的理由をなすものであった。
 かくして、水墨画の発達における心理的第一階段をなすところの、色彩よりの離脱、ということを、まずもって勘(かんが)うるに、水墨画が独自なる画境を開拓する上に、これこそ最も重要なる作用をなすが故に、これについて、いっそう突込んだ考察を試みなければならない。
 色彩というものは、事物の最も顕著なる外観をなし、人間はこれを眼球内の網膜の上に直接に感覚する。されば、色彩感覚は最も原始的なる感覚として、自然の表面に染着し、絢爛華麗であり、人間の心を動かすに、眩惑的にして最も有力である。しかしながら、同時にまた、それだけに、人間の認識や感興までを、観察および描写の対象たる自然の事物の外観、すなわちその文字通りなる皮相、に滞らせ、興味を官能の陶酔に沈溺せしめて、より(引用者注: 「より」に傍点)深きものを求むるに、遑(いとま)なからしめる。色彩の受持つところの、かくのごとき表面的、且つ直接に感覚刺戟的なる性質は、仏教でいうところの色(引用者注: 「色」に傍点)の意義によりて、極めて適切に説明されている。
 すなわち仏教においては、人間の生死往来する世界を欲界、色界、無色界、の三界に分けて解釈する。そのうち欲界は、色界の最も低劣なる段階と見られるものであるから、最も重要なる区別は、色の有無を境として、色界と無色界との間にあり、といえよう。色は物質を代表し、物質および人間の身体に関する諸欲、それらに拘泥して精神の自由を障碍するところの、一切の感覚的、肉体的、物質的なるもの、を意味する。物質的のものは、すべて殊妙精妙なれば、これを色界と名づく。無色界は物質を超越したる空の世界、そこには識心のみ存して、深妙なる禅定(ぜんじょう)に住す、という。すなわち精神の世界である。」
「――水墨画とは、人生においてかくのごとく重要意義を有する色彩なるものを、離脱したる芸術形式であるが故に、それは、色相を超越したる無色界というものの表現を目ざして、純粋に発達して行こうとするのであった。」

「実にそれは秀潤にして変幻極まりなく、散じては微茫滲淡、凝っては、最も深奥にして底が知れない、――とでもいうより仕方がないのではあるまいか。
 すなわち東洋の水墨画の水暈墨章は、直ちに精神の陰影を憑(のりうつ)らせて、画者はそのうちに胸中の雲煙を吐露し、看者の心眼はその翳影(えいえい)を被って、或いは愁然(しゅうぜん)と憂い、或いは熙々として歓ぶ。もしも精神に色というものがあったとするならば、東洋の墨色こそそれであろう、と私などは、満腔の驚異をもって、受取るほかはないと考えるのである。(中略)東洋水墨画は墨色の神秘なるものを十分に発揮しているが故に、自然描写の内面化を奥底まで浸透せしめ、それによって、はじめて、心境画というものの領域を建設し得ている、とでも考え得るのではなかろうか。
 換言すれば、客観画より主観画への転換である。(中略)水墨画においていち早く完成したところの心境画なるものは、東洋精神に内在する主観的傾向が、純化結晶したところのあらわれであって、爾後の東洋絵画の流れの上に一つの大なる指針を与え、最も意味深き一分野を形成するとともに、世界の諸美術の間に置いて見ても、東洋のために燦然たる一異光を放って輝やいていることになり、われわれ東洋人としては、またあらためて驚歎させられるというほかはないのである。」



「滲じみの感覚」より:

「ほとんど東洋特有なる美感にして、ことに日本人の愛好深きものに、滲じみ(引用者注: 「滲じみ」に傍点)に対する感覚がある。」
「水の滲(に)じみが暈成するところの、おのずからなるむらむら(引用者注: 「むらむら」に傍点)に対して、東洋の識者たちの敏感が、いかに微妙に発動し、それを単に美感とよぶには、あまりに深き幽趣をそれから感じ取っていたかは、中国乃至日本の古文献のうちに、種々興味深く窺われる。
 北宋において詩画ともに優れ、中国における多くの湖沼風景の代表であるところの、瀟湘八景(しょうしょうはっけい)図の創始者として有名であった宋廸(そうてき)はいう。」
「すなわち描写に詳密にして技巧に練達なる陳用之に、工では芸術を成さない、趣が無ければならない、趣、すなわち精神的のおもむき(引用者注: 「おもむき」に傍点)を得んがためには、敗牆を絹素(けんそ)を透かして熟視し、その朦朧として捕捉し難きうちに、想像の世界のおもしろさや意味の深さを看取せよ、と教えたのであった。

 それに似た話が、わが国の『本阿弥行状記』に、松花堂昭乗すなわち惺々翁(しょうじょうおう)と、本阿弥光悦との間の対話のうちに、意味深く伝えられている。」
「寛永三筆の二偉人、光悦と松花堂とが、あら壁のむらむらなる斑紋を前にして、芸術の妙境について問答した面目、躍如たるものがある。(中略)光悦は「古来よりあら壁に絵の姿あり、と申事聞伝ふ」といえば、上述の宋廸が陳用之に与えたという、中国の達人たちによる敗牆の教訓も、すでに日本に伝わってきていて、この両翁の問答の、基礎をなしていたのであったろう。しかしこの際重要なるは、その伝来に非ずして、この両翁が壁に水分の滲じみが成したる斑紋に、これほどの興味を切実に感じ、そのうちに、芸術的空想のとめどなき発動を刺戟された、という両翁の東洋的美感覚そのものの、すばらしさにあり、といえよう。松花堂と光悦とが、いずれも墨色に敏感なる大芸術家であったごとく、中国の宋廸もまた、雲煙多き瀟湘八景図を創めたといわれたほどの大才であったから、濃淡に精しく、墨法に通じた画家であったことは疑いなく、さればこそ、単なる敗牆のむらむら(引用者注: 「むらむら」に傍点)において、無尽蔵なる芸術的暗示を、感得していたのであったろう。

  ここに興味深く思い出さるるは、あら壁にあらわれたる滲じみについて、イタリア文芸復興期の画家ボティチェリ Sandro Botticelli (西暦一四四四―一五一〇)が、同じような感想を述べ、これにたいして、大思想家にして且つ大画家であったレオナルド・ダ・ヴィンチ Leonardo da Vinci (西暦一四五二―一五一九)が、はなはだ手きびしい批評を加えている、ということである。レオナルドは、その『絵画論(トラッタート)』の一節においていう。
  「画家というものは、絵画に関して、あらゆる問題を、同じく喜んで研究しなければ、決して偉大になることは出来ない。たとえば、われらの画家ボティチェリのごときは、その例に洩れない。彼は、風景のごときは、軽い簡単な研究をもって充分であると考え、はなはだ重んずるに足らずとなした。彼は常に言っていた、“風景研究などはくだらない、何となれば、試みに一塊の海綿に種々なる絵具を浸み込ませ、それを壁に投げつけて見よ、それは壁土の上に一つの汚点(よごれ)を残すが、その中には、立派な風景が見出されるであろう”と。余は言う、それはたしかに本当である。その汚点(よごれ)の中には、人が若し見出そうと願うならば、あらゆる想像、すなわち人間のいろいろな顔でも、雑多な動物でも、或いは戦争、或いは巌石、或いは波浪、或いは雲煙、或いは森林、等々をも、見出すことが出来る。すなわちその汚点(よごれ)は、見ようによっては、それぞれの物の感じを出していること、ちょうど、諸君が一つの鐘の音を聴いて、しかもその鐘の音のうちに、諸君が各々自分に言いかけていると想像する、いろいろの声を、聴き取り得ると、同様である。しかしながら、これらの壁上の汚点(よごれ)は、諸君に想像を与えるけれども、一つの物象の正格なる描写を教えるものではない。されば、かくのごとき壁上の汚点(よごれ)を手本にしていては、かような画家は、貧弱なる風景画を作り得るに過ぎない。」
 ここにレオナルド・ダ・ヴィンチは、風景研究を粗略に考えていた画家ボティチェリを、手きびしく非難しているけれども、それは、レオナルドが厳格なる写実の立場に立った西洋美術の正統派理論家として、当然加えなければならなかった非難に相違なく、この際、われわれがさらに深き興味をもって感ずることは、レオナルドがボティチェリの見方に対して、かくのごとき理論的非難を加えつつあるにもかかわらず、レオナルド自身の持って生れた欺くべからざる芸術的本能としては、すなわち彼の実感としては、かえって、すこぶるボティチェリのいったことに共鳴し、壁上にあらわれたる水浸のむらむら(引用者注: 「むらむら」に傍点、以下同)なる汚点(よごれ)のうちに、想像の世界を憧憬して、大いに楽しんでいた、ということである。そのむらむらのうちに、己が希(こいねが)うところの面影を追って行きたい、というような気持を、レオナルドは、心耳を澄ませて鐘声を聴く複雑なる幽趣に喩(たと)えていることは、実にすばらしい。(中略)私はこれをもって、ボティチェリおよびレオナルドが、ともに、ある程度まで、東洋的性格と共通するところの想像性とでもよびたいものを、生来豊富に心に備えて持っていたためであろう、と解釈するのである。(中略)東西にかかわらず、人間の心なるものには、しばしば互いに共通するところがある、という芸術心理の問題を重要視して、観察を進めようとするのである。東西文化の対立といったところで、畢竟は、自然と人間性との相関より生ずるところの芸術において、東洋において意外に西洋的性格の人が生れ出ない限りではないと同様、西洋においても、例外的に東洋的性格の天才が出現し得ない、とは決まらない。ボティチェリおよびレオナルドの芸術のうちに仄見して、時々われわれを驚かすところの東洋的感覚乃至思想傾向について、私はかくのごとき東西心理の偶然の一致、或いはむしろ当然(引用者注: 「当然」に傍点)なる一致、さらに或いは東西の区別にかかわらず、人間心理なるものにおける大きい一致、と解釈し、かくのごとき解釈をもって、わずかばかりの交通関係をたどって立証しようとする、歴史上の相関関係的解釈よりも、もっと意味深いのではないか、としばしば考えさせられるのである。
 さて、このように、壁上の滲じみに画の妙所を見出す、とは、如何なることを意味するか。それは、人間の作意をもって写し得るもの、つくり得るもの、には限度がある。しかるに、水の滲じみがおのずからにして成したところのあら壁(かべ)の上のむらむらには、小なりとはいえ、そこには、人為のおよばざる天然の創造というものが、働いている。そこには、人間の空想のあらゆる飛躍を許容するところの、量るべからざる可能性の世界が、あらわれているのである。それを感得し、それに霊感されることは、客観的描写の束繋の下に精神の生動を阻害されやすい芸術にとりて、一つの覚醒を促す――そういう大きな意味を持つのである。」



「心境と表現」より:

「禅宗は中国の梁の武帝のとき、すなわちその普通七年(西暦五二六年)、天竺より達磨(だるま)大師が中国へきてこれを伝えた、といわれる新宗派で、大師は嵩山の少林寺において面壁九年、すなわち壁の前に座禅して、これを発明したといわれる。(中略)これは従来の仏教とははなはだ違った態度を、仏道の修業に対して取ったのである。従来仏教修業のために最も大切と考えられていた、経文を学習したり、修法儀式に従ったり、仏像を礼拝することなどは、あまりに役に立たないとして、もっぱら座禅修業により、信仰を直接に自証体得することを、教えたのであった。これはいわゆる自力宗であって、自ら悟りを開こうとするのであるから、その他の仏教の、他力本願なる考え方とは、非常に違うわけである。この心境を一つの著例によって示すならば、禅宗に有名な丹霞焼仏(たんかしょうぶつ)という話がある。丹霞禅師という唐代の禅宗の偉い坊さんが、寒夜、焚きものがないので、寒くて仕様がない。そこでその寺にあった木仏を焼いて暖を取っていたところ、他の僧がきて、これを責めた。丹霞禅師は木仏を焼いて舎利(すなわち尊重すべき仏骨)を取っている、と答えた。そこで責めた僧はいっそう怒って、木仏には舎利なんかあるものか、となおも責めたところ、それならば焼いてもよいではないか、と答えられて、一言もなかった、という話である。木仏には舎利はない。すなわち仏性はない。それならば、焼いても構わないではないか、とやりこめたという辛辣なる禅僧の真面目、まさに躍如たるを示す話である。
 そういうわけであるから、禅宗というものは、他の仏教諸流派とは、はなはだ異なった態度を持った宗派であって、それはことに、ここに主なる問題としている美術との関連において、非常に違った考え方に従っている。」

「ことに禅宗で大いに尊敬された維摩居士(ゆいまこじ)というのは、これは仏道に帰依しているが、僧侶にはならない、気難かしい老人で、釈迦がよんでも容易にやってこないという、なかなか偏屈な人のようである。それで釈迦は雄弁第一の文殊菩薩(もんじゅぼさつ)を迎えにやると、文殊菩薩は非常な雄弁をもって維摩にやってくるようにするめるけれども、維摩は一言も答えない。その時の維摩居士の沈黙が非常に印象深きもので、「一黙雷の如し」と伝わって有名になっている。かくのごとき維摩居士は、禅宗では非常に高く尊敬されている。
 或いは禅宗で尊敬されている寒山(かんざん)、拾得(じっとく)、という不思議なる二人物があるが、この二人は天台山国清寺というお寺にいて、台所で働いていた。馬鹿だか、気がへんなのだか、わからないような人物であって、その浮世離れのした無拘束の生活をしていることが、浮世を離れた生活にあくがれる禅宗の理想に近いとされた。仏教では、未来の世の中で人間を救って下さる弥勒菩薩(みろくぼさつ)というのがあるが、その未来仏を、禅宗では布袋(ほてい)という不思議な人物の姿において尊敬した。布袋は四明山の僧であって、これが弥勒の化身と信ぜられ、大きな袋一つを肩にかついで、一切の必要品をそのなかへ入れており、そして常にニコニコ笑って、子どもなどと遊んでいる。布袋は仏教上の人物であるが、その自由にして無邪気な風格は、いつのまにか道教の人物に近いようにも見える。
 仏教美術としては、禅宗が出てくるまでは、お釈迦様にしろ、阿弥陀様にしろ、みな立派なお姿であって、いわば栄養もよく、幸福そうであって、仏様というものは、そのまま美しい理想的存在であり、また仏弟子たちもみな立派な人々で、美しいきものを着て、瓔珞(ようらく)をさげている幸福そうな人々であった。ところが禅宗の信仰が到着して以来は、信仰の模範になる人々は、そういう美や幸福を得ている理想像ではなく、(中略)むしろ苦悶努力の醜が尊ばれるに至ったのであった。」

「すなわち禅宗は同じ仏教の一分派ではあったが、こと美術に関する限り、他の仏教諸宗派とは大層異なった考え方を持っていた。それで、禅宗への帰依者は、まず信仰と精神の鍛練とをもって、自らの悟りを開き、自分の心を立派なしっかりした心に育て上げることに努めたのであった。従って、自分自らの心境を、いかにしてその純粋さをもって表現し得るか、ということが、芸術上においても、最も重要なる課題になったのである。
 そういう主旨をもって当時育った仏教美術、すなわち禅宗美術なるものは、いかなる形をもって発達したかといえば、それは、かくのごとき禅宗思想とともに当時の中国より日本に輸入された水墨画なるものによって、最も適切に表現されたのであった。であるから、それは、その頃までに日本に輸入された仏教美術とは、はなはだしく様子の違ったものにならざるを得ないのであった。それまでに見られた仏教美術の目標は何であったか。すなわち、何人も死後に往生して安楽に暮したいと願うところの極楽世界を描き出すとか、或いはまた未来仏である弥勒菩薩が出現して憐れむべき世の中の人々を救ってくださるのを待つ、とか、すなわち仏様の慈悲におすがりして救われるのを待つ、といういわゆる他力本願の仏教信仰であった。ところが、禅宗においては、何よりも先におのれ自身を清浄な澄んだものになし、且つそれをしっかりさせ、それによって、自分自身の救いの道を自力をもって切り開いて行こう、というのであったから、当時勃興した禅宗の宗教意識、ならびにそれに応じて各人が心中に建設せんとした精神的の心構えというものは、また同じ線に沿った目標を持ち、純粋な信仰を心に護って、自力をもって自分自身を救おうというものであった。(中略)中国では宋から元にかけては、仏教として禅宗が隆盛し、それとともに水墨画というものが大いに発達してきた。この水墨画というものが、ちょうど、きびしい自己鍛錬の禅宗精神にぴったりしたものであったから、中国では宋元の時代、日本ではそれを受けて鎌倉足利の時代において、禅宗の流行とともに、芸術として水墨画が主流をなし、隆盛に向ったのであった。」

「東洋絵画は――そのうちには、もちろん、水墨画も含まれているが、とにかく東洋絵画というものは、筆に墨をつけて、板とか絹とか紙の上に描くものであるが、その表現をできるだけ心の純粋さをもって行おうとすると、よけい(引用者注: 「よけい」に傍点)なことをやらないということが、最も肝要になる。すなわち筆を略す、すなわち略筆、あるいは筆を省く、すなわち省筆、あるいは筆を減ずる、すなわち減筆、というようなことを、禅に達した人々は、おのずからやろう、ということになる。つまり、ものを描くにしても、できるだけよけいな筆数を使わず、肝腎のところにただ数筆を加えることによって、全体の要領を得させるとか、あるいは、それを生かし出すとか、ということに帰着する。」

「墨を使う人は、よほど心を締めてかからないと、これを真に適切には、使えない。墨痕淋漓(ぼっこんりんり)などといって、墨をやたらに使って、ただまっ黒に塗抹することによって、痛快なる精神味が出る、というわけのものではない。それで禅に徹した坊さんなどは、逆に惜墨、すなわち墨を惜しむ、ということをきびしく心に守っていたようであった。つまり墨の乱用を防ぐための心構えに、非常に厳格なものがなくてはならなかったのである。それで世に禅宗水墨画の一種として「微茫画(びぼうが)」とよばれたものすらあったのである。これは禅宗水墨画が、ややもすると、乱暴狼藉に筆を振って、単にまっ黒なものをつくり、ついに画を成さざるを戒めるために、その反対極である微茫滲淡たる一種の画風、つまりほとんど眼には見えないほどかすかな(引用者注: 「かすかな」に傍点)調子の画風まで、逆に奨励されるようになったのであった。すなわち微茫画というものは、墨色があまりにかすかであって、ほとんど眼に見えない、という意味、それだからまた、それは一名、魍魎画(もうりょうが)ともよばれていた。魍魎画とは、いわゆる魑魅(ちみ)魍魎の魍魎で、その画面はただぼうっと霞んでいて、そこに何か描いてあるようではあるが、はっきりとはわからない、しかしどうもそこに何かがわだかまっているかのような感じを与える、そういう画を意味したのであった。それくらいに墨をほとんど使わないほど薄く使って、しかもそこに何かが隠されているかのような気を起させるものをつくるのであった。」

「そういうわけで、表現が乱れないように、またよけいなことをしないように、きびしく自分を監視しなければならないことになるが、その慎重さが時に極端に走って、表現の節約から否定に近いところまで行ってしまう場合も、出てき得るのである。そういう表現に対するきびしい態度は、尊いものに相違ないが、それが行き過ぎれば、最後には、芸術などできなくなってしまうということにもなる。つまり、それが最後の行きつく先であって、白紙、白い紙それ自身が、いちばんに貴い、いちばんの名画である、ということにもならざるを得ないのである。実に古来の己れにきびしい名人達も、最後には、そういう心境に突き当らざるを得なかったようであって、そのつきつめた心境は、世にいわゆる白紙賛なるものによって、興味深く示されているように思われる。白紙賛というのは、白い紙だけで、それには何の画も描かれず、白紙のままの上に、賛だけが加えられてある、というものである。その白紙賛なるものは、徳川前期の学者であり茶人であった藤村庸軒(ふじむらようけん)が、唱え出したと伝えられているが、白い紙だけが、いちばんの名画である、それで白い紙の上に賛だけをする、というのである。」
「中国の大詩人で、また書画ともに偉かった蘇東坡(そとうば)は、こういう問題についても、すこぶる傾聴すべき名言を発している。」
「つまりなにもないところが、いちばん無尽蔵なんだ。そこには花もあり、月もあり、楼台もあるんだ。そういう意味の蘇東坡の詩である。これが模範にとられたわけである。白紙ならば、空想が自由自在にいくらでも、活躍することができる。つまりそういうことになるわけで、それで白紙賛というものが、いろいろつくられるようになったのである。
 それであるから、また画についていえば、描いたところより、むしろ描いてないところの方が、もっと大事だ、ということにもなってくる。」

「西洋にも、そういう気持がないわけではなく、イギリスの大詩人キーツに「ギリシャの壺の絵について」という有名な短詩があって “Heard melodies are sweet: but those unheard are sweeter” 「耳に聞こえたメロディーは美しい。しかし聞こえないメロディーはもっと美しい」、といっているところがある。そういうこと、つまり空想の世界は、表現の世界よりも、もっと素敵だ、というようなことは、世界のどこにも実感されていたのであろう。中国の大詩人五柳先生、すなわち陶淵明(とうえんめい)は、いつでも無弦の琴を持って歩いていた、ということになっている。」



「荊浩の『筆法記』を読む」より:

「山中に逍遙(しょうよう)し静思する者は、時に突然眼が開けたような気がして、おやと思うことがある。見廻すと木がおのおの生きている。おのおのがその性格と境遇とに従って、行動し表情していると感ずることがある。われわれの近代意識の底に眠りかけた遠い昔の汎神的なる原始心理が急に甦ったのである。かくのごとき原始心理の直感こそ、知識や理論に煩わされぬ本能的認識をもって、物象の本質を正解し、ただちに芸術を養う源泉になるのである。」
「松林に静観沈思してかくのごとき原始的直感に到達した者が、それでこそ松の真相を知り、真相を知ったが故に、はじめて松が画けるのかも知れない。」


































































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
 
うまれたときからひとでなし
なぜならわたしはねこだから
 
◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

Koro-pok-Guru
Away with the Fairies

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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