ユズキカズ 『枇杷の樹の下で』 (青林工藝舎)

「おまえは悪い奴だな
何でわしの言いつけを守らんのか」

(ユズキカズ 「みずほと林子」 より)


ユズキカズ 
『枇杷の樹の下で』


青林工藝舎 
2001年9月25日 初版第1刷発行
200p 
A5判 並装 カバー 
定価1,400円+税
装丁: 原口健一郎


「本書は一九八六年三月に日本文芸社より出版されたものの改訂版である。」



本書「後書き」より:

「「庭と植物が出てくるマンガを集めて一冊の本を作りましょう」と持ちかけられて、この作品集ができました。
 「枇杷の樹の下で」という本のタイトルで、ぼくは1986年に日本文芸社から生まれて初めて作品集を出しました。その作品集に載せていた「シカゴパレス」という古い映画館を描いたマンガと「昼下がりのルパン」という床屋さんを描いたマンガをはずして、かわりに「みずほと林子」と「夏の庭」を入れました。」
「きれいだな美しいなと花を愛でる心情は、ぼくには希薄で、元々は人間の手によって植えられた庭木が、いつしか人間の意志や心情に関係なく身勝手に繁茂している様が凶凶しくもあったし、エロティックでもあると思いました。」
「庭と植物と縁側に少女、これだけあれば、絶対おもしろいマンガが描ける筈と思い込んで、これらのマンガを描いていました。
 縁側でゴロリと横たわって無為、無償の時間を過している少女の眼前に迫る、おびただしい植物の繁茂している庭というイメージがまず初めにありました。(中略)ぼくの思い描く庭は、ひとことで言えば管理されていない庭、あるいは管理をはるかに上まわるスピードで繁茂する庭で、縁側ぎりぎりまで植物が迫ってきているし、時には縁側をのり越えて、部屋の中まで侵入してきてしまうというものでした。」



ユズキカズ 枇杷の木の下で


「入手困難な2冊の作品集から、〈少女〉〈縁側〉〈庭と植物〉をテーマにベスト作品をセレクト。単行本未収録作品「夏の庭‐ヘチマ娘危機一髪」を加えた決定版!」
http://www.seirinkogeisha.com/book/090-8.html


目次 (初出):

枇杷の樹の下で (「COMICばく」5号 1985年6月)
八月の妹 (原題「やわらかい場所」 「COMICばく」3号 1984年12月)
沖の小娘 (「COMICばく」6号 1985年9月)
黄金時代Ⅰ (「劇画パニック」 1984年4月)
黄金時代Ⅱ (「劇画パニック」 1984年5月)
まゆこ理科室 (「ガロ」 1982年5月)
火喰鳥の庭 (「COMICばく」8号 1986年3月)
みずほと林子 (「COMICばく」15号 1987年12月)
夏の庭 (「ガロ」 1995年3月)

あとがき (2001年8月10日)



ユズキカズ 枇杷の木の下で 02


まゆこは先生から身に覚えのない疑いをかけられ、罰として理科室の掃除を命令されます。理科室には妖怪じみたオブジェが繁茂しています。双子にからかわれたり新田君にいじめられたりしているうちに人体模型の頭がとれてしまいます。お説教好きな女教師にケンキョになりなさいとお説教されても、まゆこにはどうしようもないです。


ユズキカズ 枇杷の樹の下で 03


「黄金時代Ⅱ」の扉絵はミレイの「オフェリア」です。図書館という「文明」が子どもたちという「野蛮」によって蹂躙されます。図書館の棚には「操行ゼロ」とか「若い娘」とか「世界の全ての記憶」とかいうタイトルの本がならんでいます。作者は映画好きなのでありましょう。そういえば本作のさいごのほうのシーンはブニュエルの「小間使いの日記」のかたつむりのシーンを連想させます。初出誌が自販機本なのでやや「エロ」要素があります。

ユズキカズ氏の作風は、一見してわかるとおり、「つげ義春」ですが、南方志向が強いのと、女の子の目線で描かれている作品が多い点に特徴があります。片山健氏の影響(画集『美しい日々』そのほか)もあるように思います。逆柱いみり氏の初期作品(『象魚』)につながっていくような要素もあります。作者による「あとがき」には、当時、若冲と田中一村の絵に惹かれていたとあります。妖怪じみた植物や鳥、海、そんなものたちがはびこる世界が縁側の向こうに広がっています。

「南は特権的な方角である。(中略)強烈な太陽の輝き、変わることのない永遠の青空、植物の豊かな繁茂、幻想的な色彩の花々や蝶や小鳥、束縛されることのない本能のままの生活、謎と神秘と陶酔……、北が合理と秩序と勤勉であるならば、南は、夢とアナーキーと放恣だ。」(岡谷公二『ピエル・ロティの館』より)

若冲ふうの妖怪じみたニワトリが出てくる「火喰鳥の庭」は、純然たる傑作であって、登校拒否の女の子が縁側でごろごろ、だらだらし、遊びに来た友だちと上の空の会話を交したり、自堕落なことをしたりするだけの話ですが、それだけの話だからこそすばらしいのではないでしょうか。

「夏の庭――ヘチマ娘危機一髪」は、魔術的リアリズムというか、女の子がヘチマになってしまう話で、そこからファンタジーなイニシエーション物語が展開するわけでもなく、ただヘチマになって元に戻るだけの話であり、そしてやはり、それだからこそすばらしいです。


ユズキカズ 枇杷の樹の下で 04


「火喰鳥の庭」より。ズル休みの葉子ちゃんのお見舞いに来たソウウツ病の久子ちゃんは、タツユキ君からまきあげたモデルガンをみせびらかします。銃をかまえた姿がかっこいいです。




こちらもご参照下さい:

『田中一村 新たなる全貌』 (千葉市美術館ほか 2010年)

























































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徳南晴一郎 『怪談 人間時計』

徳南晴一郎 
『怪談 人間時計』


太田出版 
1996年11月20日 印刷
1996年12月29日 第2刷発行
229p 
A5判 並装 カバー 
定価1,442円


「本書は、『人間時計』(曙出版)一九六二年八月初版発行、『猫の喪服』(曙出版)一九六二年七月初版発行、を復刻・掲載したものです。」



伝説の貸本漫画家・徳南晴一郎の幻の名作ニ篇を復刻。スラップスティック・サイケ怪談です(エロはありません)。
この復刻版は出たときに知人の家で見せてもらって、借りようと思ってうっかり忘れていたのですが、いつのまにか絶版になっていました。今回、駿河屋で半額で売られていたので買ってよんでみました。

体調がいちじるしくわるいので、五分以上作業することができません。不本意ではございますが、駆け足で紹介したいと思います。


人間時計1


興味深いのは、つげ義春の「ねじ式」以前に、本書のような、いわば「ゲージュツ」的な方法を積極的に取り入れて、独特な言語感覚を積極的に駆使した、しかも読んで面白い(かどうかは、人によるかもしれませんが)まんが作品が描かれていたことです。作風は、貸本まんが界のE・T・A・ホフマンと呼びたくなるような感じです。
あるいは貸本まんが界のフランシス・ベーコンです。


「電燈をけされては困る
蠅先生 思わず冷汗を
かいた」

(「猫の喪服」より)

「へんだな
時計屋の
むすこが
時計を
プレゼント
されるなん
て!」

(「人間時計」より)


人間時計2


カバーを外してみた。
カバーに穴がくりぬかれていて、そこから本体表紙の一部がのぞいて見えるようになっています。
天地、小口が赤く着色されています。


目次:

怪談 人間時計
猫の喪服

解説
 『人間時計』を出版する意味とは何か? (竹熊健太郎)
 こうしてボクが『人間時計』を紹介した (山崎春美)
 『人間時計』はリアルな時を刻む (椹木野衣)
 徳南作品をもっと知りたい人へ (宇田川岳夫)



人間時計3


「人間時計」は、冒頭の八頁分がカラーで再現されています(「猫の喪服」の方はモノクロ処理されています)。

ここで、約八行ほど、あらすじというか「ネタバレ」をしたいと思うので、みたくない人は次の画像まで飛ばしてくれるとありがたいです。

「人間時計」は、ある日突然、信念を持って引きこもるようになった、からくり時計(無用の機械)を愛する人間嫌いの少年「声タダシ」が、見るからに時計っぽい家庭教師に鍛えられて、高校に合格し、みずからも時計人間になって、最後はネズミに食われてしまう話です。

「猫の喪服」は、ヒロシマの原爆で「吸血鬼」になってしまった尼僧「キリコ」の話ですが、主人公の「指地図夫」は、せっかくのキリコの父親(蠅)の忠告に耳をかさずに蠅タタキで殺してしまったため、キリコの餌食となってしまうのです。黒猫はキリコが変身した姿なのです。

「声タダシ」とか「指地図夫」とか、名前の付け方が面白いです。「首猛夫」(埴谷雄高『死霊』の登場人物)もびっくりです。


人間時計4


「村小山の
幽霊玉
うてたら
コワイ」


(「猫の喪服」より)


人間時計5


「猫の喪服」より、蠅の幽霊(なぜか片眼)。


人間時計6


左は国吉康雄「彼女は廃墟を歩く(She walks among the ruins)」(1946年)。
右は本書「猫の喪服」より。


ちなみに、「人間時計」で言及されている「クリフォード・B・シマッタ」ことクリフォード・D・シマックの作品は、「Amazing Stories」1950年12月号に発表された短篇「Bathe Your Bearings in Blood!」(別題「Skirmish」)で、このサイトによると日本語訳は「SFマガジン」1962年8月号(「特集 機械が支配する?」)に「前哨戦」の邦題で掲載されていたようなので(峯岸久訳)、執筆時の最新情報だったわけです。




こちらもご参照ください:

リンド・ウォード  『狂人の太鼓』
Frankenstein - The Lynd Ward Illustrated Edition
Jim Woodring - The Frank Book
マックス・エルンスト 『百頭女』







































































高野文子 『るきさん』 (ちくま文庫)

「あたし最近目が悪くなっちゃったのかしら
ありもしないものが見えんのよね」

(高野文子 『るきさん』 より)


高野文子 
『るきさん』

ちくま文庫 た-31-1

筑摩書房 
1996年12月5日 第1刷発行
2007年2月15日 第10刷発行
126p 
文庫判 並装 カバー 
定価580円+税
装幀: 安野光雅
カバー装画: 高野文子
カバーデザイン: 藤井進


「マガジンハウス刊『Hanako』1988年6月2日号~1992年12月17日号掲載に加筆」
「本書は1993年6月、筑摩書房より刊行された。」



1988年~1992年と言えば「フリッパーズ・ギター」に「やっぱり猫が好き」の時代だ。変わり者文化を一般大衆が取り入れてオシャレな折衷主義が蔓延した時代だ。そんな時代に連載開始された高野文子の『るきさん』だが、サブキャラの「えっちゃん」が必死で時代色を出そうと奮闘するのを尻目に、「るきさん」は超越的に別の時間を生きる。そんな「るきさん」は、在宅で「お医者の保険の請求」の仕事をしているが、一ヵ月の仕事を一週間で片付けてしまう。人目を気にする必要はないし、要らないものを買う必要もない。空気なんか読まなくても支障がない。そういうふうにやれた時代だったということなのかもしれないが、いまだってやってやれないことはなかろう。


高野文子 るきさん 01


「るきさんは電車に乗るとき
よくドアにはさまれる」



まんがの本は10年ほど前にまとめて処分してしまったので、高野氏の『絶対安全剃刀』も手元に無い。それにしても「安全剃刀」に「絶対」と付けるだけでとたんに安全性が疑わしくなるのは面白い。カミソリなのに安全、しかも「絶対」。高度経済成長期の管理教育システムに押しつぶされそうになっている少年少女たちの姿が思い浮かぼうというものだ。そういえばあの本にもいってみれば小林秀雄ふう自意識が残存していたような気もする。見開きで描かれた俯瞰の街並みや、夏の海の描写があったような記憶があるが、他者を意識すればするほど自意識に囲い込まれる状況にあっては、いかにして空間を広げるかというのは重要な問題だ。あるいは「テレメンテイコ」のような越境する不在の他者になるか。
『るきさん』では空間は主人公の「るきさん」の内面にどこまででも広がっている。外に空間を求める必要がない。「るきさん」には自意識が無い。ということは社会意識がない。「るきさん」と「るきさん」の興味の対象の間には流行とか他人の目とか目的意識とかの挟雑物がない。子供の興味の持ち方とそれは等しい。つまるところ、「るきさん」においては、他人にわからせるために内面世界を描写してみせる必要がない。
子供には大地に根づいたブリコラージュ的生活感覚がある。子供を理解するには子供と一緒に遊んでみるに限る。しかしそれが大人には難しい。だから子供に遊びをやめさせて大人の仕事をさせようということになる。そうなれば世の中よい子ちゃんばかりになって、「るきさん」のような人種は絶滅するだろう。そうするとバブルの時代というのは世の中が浮かれて我を忘れて、子供を自由に遊ばせておいた時代であるということになるかもしれない。だから「るきさん」も月々安定した収入を得て、そこそこハッピーに生きることができた。
しかしながら、連載終了時に景気が悪くなった世の中を横目に、仕事をやめて貧乏生活をすると言い出す「るきさん」ならば、ホームレスになってもハッピーに生きていけるかもしれない。「会社行かない競争」を早々におりてしまう常識的社会人である「えっちゃん」に「永らくお世話になりました」の一言とともに距離を置いて、妄想の「ナポリ生活」ごっこ(※)にいそしんでいることであろう。

※文庫本の解説の人は、「るきさん」が実際にイタリアに行ったように解釈しているが、それはどうか。本書の前の方に、お風呂でコーヒーを飲んでみた「るきさん」が、「まる一日お風呂場ですごすなんてのも案外いけるかもしれない」と妄想する、J・P・トゥーサンの『浴室』(1985年)を思わせるエピソードがあるが(といっても映画版でみただけですが、『浴室』の主人公は実際に浴室にこもって生活したり、ヴェネツィアに行ったりします)、「るきさん」は実行しない(※)。妄想するだけである。

※「るきさんは「大人」だから実行しない」とネームで説明されているが、あくまでもゴミ袋をウサギと見間違えたり、電車のドアに挟まれたり、子供相手に図書館の本の取り合いをしたりするような「大人」である。見間違えたり、電車のドアにはさまれたり、子供の本を好んだりするのは、外界からの情報のインプットを常に最小限に設定しているからであろう。日本人の考える「大人」のイメージは、所用で慌しく東奔西走したり、目的意識をもって情報を収集しまくったり、幅広くうわべの社交をこなしたりするイメージだと思うが、むしろ一日中ひとりで公園のベンチに座って水面をながめてぼーっとすごすことができるのが、成熟した「大人」というものであるように思える。源氏物語の英訳者アーサー・ウェイリーの本に、中国の賢人は旅行をする必要が無い、想像力の世界でいくらでも旅行できるからであると書かれていると、最近よんだ二冊の本(エドワード・ゴーリー論とジョゼフ・コーネル論)に引用されていた。るきさんもまた、そういう意味での「大人」なのであろう。


高野文子 るきさん 02


本文は全ページカラーです。


「るきさん」は多分、「サザエさん」のパロディだとおもいます。髪形が似ているからです。
ということは、多かれ少なかれ、ゆかいな変わり者の「るきさん」をみんなが笑っている、というスタンスになってしまっているということです。
それは、読者が「えっちゃん」の視点から「るきさん」をみるからです。
しかしわたしは「えっちゃん」抜きの「るきさん」をよみたいです。
あと、文庫判だといろいろ小さくてよみにくいので大きいサイズでよみなおしたいです。

それにしてもなんで「るきさん」なのかな。「るきの・びすこんてぃ」の「るき」かな。




高野文子ジャケCD:

Warehouse - Endless Game of Cat and Mouse (2002) & Patrol Girl (2004)















































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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