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ライプニッツ 『モナドロジー 他二篇』 谷川多佳子・岡部英男 訳 (岩波文庫)

「物質の各部分は、植物が一面に生えている庭や、魚がいっぱいいる池のようなものと考えることができる。とはいえ、その植物の枝や、動物の肢体や、その体液の滴(しずく)の一つ一つが、やはりそのような庭であり池なのである。」
(ライプニッツ 「モナドロジー」 より)


ライプニッツ 
『モナドロジー 他二篇』 
谷川多佳子・岡部英男 訳
 
岩波文庫 青/33-616-1 


岩波書店 
2019年4月16日 第1刷発行
248p 
文庫判 並装 カバー
定価780円+税
カバー図版: ゲルハルト版『ライプニッツ哲学著作集』第一巻(一八七五年)掲載の肖像とサイン



本書「凡例」より:

「本書はライプニッツの『モナドロジー』(*Monadologie*, 1714)、『理性に基づく自然と恩寵の原理』(*Principes de la nature et de la grâce fondés en raison*, 1714)(中略)、『実体の本性と実体間の交渉ならびに魂と身体のあいだにある結合についての新説』(*Système nouveau de la nature et de la communication des substances, aussi bien que de l'union qu'il y a entre l'âme et le corps*, 1695)(中略)の全訳である。」
「付録として、一六九〇年代後半以降の論文一篇(『物体と原動力の本性について』)の抄訳と、書簡六篇(『ゾフィー宛』『ゾフィー・シャルロッテ宛』『生命の原理と形成的自然についての考察』『コスト宛』『ブルゲ宛』『ダンジクール宛』)を収載する。」




ライプニッツ モナドロジー



カバ―文:

「「モナドには窓がない」という言葉で知られる単純な実体モナド。その定義に始まり、モナドの行う表象、その織りなす予定調和、神の存在と最善な可能世界の創造、物体の有機的構造、神と精神の関係まで、広範な領域を扱うライプニッツの代表作。「理性に基づく自然と恩寵の原理」ほか、関連する論文と書簡などを併収。新訳。」


目次:

凡例

モナドロジー
理性に基づく自然と恩寵の原理
実体の本性と実体間の交渉ならびに魂と身体のあいだにある結合についての新説

付録
 物体と原動力の本性について(抄訳)(一七〇二年五月)
 ゾフィー宛書簡(一六九六年一一月四日)
 ゾフィー・シャルロッテ宛書簡(一七〇四年五月八日)
 生命の原理と形成的自然についての考察、予定調和の説の著者による(一七〇五年五月)
 コスト宛書簡(一七〇七年一二月一九日)
 ブルゲ宛書簡(一七一四年一二月)
 ダンジクール宛書簡(一七一六年九月一一日)

訳注
訳者あとがき
 一 ライプニッツの生涯と『モナドロジー』
 二 『モナドロジー』誕生のきっかけとその名称の由来
 三 本訳書の構成
 四 学者たち、諸学問との交流
 五 モナド、あるいはモナドロジー
 六 ライプニッツの読まれ方と「精神の共和国」

 


◆本書より◆


「モナドロジー」より:

「13 この細部は、一なるもの、すなわち単純なもののなかに、多を含んでいるはずだ。じっさいすべての自然的変化は徐々になされるから、どこかが変化してもどこかは変わらないままである。したがって、単純な実体のなかには、部分はないけれども、いろいろな変状〔変化する状態〕や関係があるにちがいない。」

「22 そして単純な実体の現在の状態はすべて、それに先立つ状態から自然的に出てきた帰結であり、したがってそこでは現在が未来をはらんでいる。」

「56 さて、創造されたすべてのものがその各々と、また各々が他のものすべてと、連結し適応しあっているので、単純な実体はどれも、他のすべての実体を表出する連関をもち、それゆえ宇宙の生きた永続の鏡となっている。」

「57 同じ都市でも、異なる方面から眺めるとまったく別のものに見え、眺望としては幾重にもなったように見える。これと同じように、単純な実体が無限に多くあるために、その数だけの異なる宇宙があることになる。けれどもそれらは、各々のモナドの異なる視点から見る唯一の宇宙のさまざまな眺望に他ならない。」

「61 そうしてこの点で、複合体は単純体と符合する。というのも、すべてが充実しているのであらゆる物質が結びつきあっているし、充実空間ではすべての運動は隔たった物体にも距離に応じて効果を及ぼすのであり、どの物体もそれに接触する物体から影響を受け、そこに起こるすべてのことを何らかの仕方で感知するばかりか、それを介して、直接に接触している物体とさらにこれに接触している物体のことを感じるからだ。その結果、このような交渉はどんな遠いところにも及んでいく。したがって、すべての物体は宇宙のなかに起こるすべてのことを感知するから、すべてを見る者は、時間的にも場所的にも遠く離れていることを現在のなかに認めて、どの物体のなかにも、あらゆるところでいま起こっていること、さらにはいままでに起こったことやこれから起こるであろうことまでも読み取ることができる。〈すべてが共に呼吸している〉〔万物同気〕とヒポクラテスは言っていたのである。けれども魂は、自分自身のなかには、そこに判明に表現されていることしか読み取ることができない。魂は自分の襞(ひだ)を一挙にすっかり展開することはできない。その襞は無限に及んでいるからだ。」

「65 そうして自然の創作者は、この神的で無限に精妙な技巧を働かすことができた。なぜなら、物質のどの部分も、古代の人たちが認めたように無限に分割できるばかりでなく、各部分は現実的にさらに細かい部分へと際限なく分かたれて、しかもその部分のどれもが何らかの固有の運動をしているからだ。そうでなければ、物質の各部分が宇宙全体を表出しうる、と言うのは不可能である。」

「66 それによって、物質の最も小さな部分にも、被造物、生物、動物、エンテレケイア、魂の入っている世界があることがわかる。」

「67 物質の各部分は、植物が一面に生えている庭や、魚がいっぱいいる池のようなものと考えることができる。とはいえ、その植物の枝や、動物の肢体や、その体液の滴(しずく)の一つ一つが、やはりそのような庭であり池なのである。」



「理性に基づく自然と恩寵の原理」より:

「かくして、魂だけでなく動物もまた不生不滅である。動物はただ、展開されたり、包蔵されたり、着物を着せられたり、脱がされたり、変形されたりするだけなのだ。魂は決して自分の身体全体から離れてしまうことはなく、一つの身体から別の、自分にとってまったく新しい身体に移ることもない。だから、輪廻(引用者注:「輪廻」に傍点)はなく、変態(引用者注:「変態」に傍点)がある。動物は部分だけを変え、取り、捨てる。このことは栄養摂取においては、少しずつ、感じられないほど小さな部分を通して、しかし絶えず起こっている。受精や死においては、それが突然、顕著に、しかしごく稀に起こり、それによって動物は多くのものを一度に得たり失ったりする。」


「実体の本性と……についての新説」より:

「7 しかし、そうした魂もしくは形相が動物の死によって、すなわち有機的実体である個体の破壊によってどうなるのか、という最大の問題がまだ残っていた。これは、最も困惑させる問題である。というのもとりわけ、魂が混乱した物質の混沌のなかに無益にとどまっているなどということは、あまり合理的とは思われないからだ。ここから私はついに、取るべき合理的な立場はただ一つしかないと思い至った。それは、魂だけが保存されるのではなく、動物そのもの、およびその有機的機械〔身体器官〕も保存されるという立場である。もっとも、大きく粗い部分が破壊されると動物は小さなものになってしまい、それが生まれる前に小さかったときと同様に、私たちの感覚では捉えられない。だから、死滅の本当の時間を正しく特定できる人はいない。死は長いあいだ、気づかれる働きの単なる中断と見なされており、じっさい単なる動物において死はこれ以外のことではない。その証拠に、溺れた蠅(はえ)をチョークの粉の下に埋めておくと蘇生する(引用者注:「蘇生する」に傍点)例があり、他にも蘇生があることを十分に示す、類似した例がいくつもある。人間が機械〔身体器官〕を修理できるようになれば、さらに進んだ蘇生の例も出てくるだろう。まさにこれに類似したことを、偉大なデモクリトスは、彼は完全な原子論者であったとはいえ、論じていたようである。もっとも、プリニウスはデモクリトスを嘲笑することになるのだが。したがって、動物は、(深い洞察力をもった人たちが認め始めているように)これまでずっと生きた有機体であったのだから、これからもずっとそうあり続けることが自然である。かくして、動物には最初の誕生も、まったく新しい発生もないのだから、終局的な消滅も、厳密な形而上学的意味での完全な死滅もないということになる。したがって、魂の転生(引用者注:「転生」に傍点)などはなく、同一の動物の変形(引用者注:「変形」に傍点)だけがあるということになる。その変形は、動物の諸器官が違った仕方で畳み込まれていたり、より多くあるいはより少なく展開していたりすることに応じて行われるのである。」























































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八杉竜一 『進化論の歴史』 (岩波新書)

「自然物の階段ないし梯子(中略)の語はスイスのボネー(中略)によって普及したのだが、(中略)かれによれば、自然物は人間を頂点とする系列的な階段として配列される。(中略)その系列は、つぎのようになっている。
  人間 オランウータン サル 四足獣 ムササビ コウモリ ダチョウ 鳥 水鳥 両生鳥類 トビウオ 魚 匍匐魚類 ウナギ 海ヘビ ヘビ ナメクジ カタツムリ 貝 管虫 イガ 昆虫 フシムシ サナダムシ ポリプ クラゲ ネムリグサ 植物 コケ カビ キノコ サンゴ 植石類 アスベスト 石膏 スレート 石 形のある石 結晶 塩礬類 金属 半金属 硫黄 瀝青 土 純土 水 空気 火 微元素
 この系列には若干の側枝があって、トカゲやカエルはそこにおかれている。」

(八杉竜一 『進化論の歴史』 より)


八杉竜一 
『進化論の歴史』
 
岩波新書 (青版) 727/G 53 


岩波書店 
1969年9月20日 第1刷発行
1984年9月20日 第18刷発行
vii 192p 
新書判 並装 カバー
定価430円



本書「まえがき」より:

「本書はギリシア時代から現代まで、進化論のその歴史を略述したものである。近代になってからの進化論の起原はふつう一八世紀におかれており、本書でもその時代以降をおもに取扱ってある。(中略)ダーウィンによる進化論の確立以後における社会思想との交渉には、できるだけひろく目をむけるようにしたが、なお不十分な点は多くあると思う。」



八杉竜一 進化論の歴史



カバーそで文:

「神の創造か、自然的な進化か。これは古代以来、自然観・世界観上の大問題であった。十八世紀以降、社会思想との関連の下で多くの論争が行われたが、ダーウィンによる進化論の確立は人間観や社会観に深刻な衝撃を与え、新たな思想潮流の成立を促した。進化論成立の歴史を探り、その深く広い思想的意味を、今日の観点から掘り下げる。」


目次:

まえがき

一 進化論前史
 1 アリストテレス以前
 2 アリストテレス
 3 創世記の解釈
 4 科学革命と生命観
 5 生物学の発達
 6 地質学と古生物学

二 一八世紀の進化論
 1 この世紀における科学の特質
 2 連続性の原理と進化論
 3 フランスにうまれた進化論
 4 ドイツ哲学と進化論
 5 エラズマス・ダーウィン

三 ラマルクの進化論
 1 ラマルクの生涯
 2 ラマルクにおける進化の観念
 3 サンチレールとキュヴィエ

四 ダーウィンによる進化論の確立
 1 ダーウィンの生涯の素描
 2 『種の起原』の基盤と背景
 3 『種の起原』への反響

五 進化論の思想的影響
 1 進化論と社会観
 2 プラグマティズムと進化論

六 『種の起原』一〇〇年




◆本書より◆


「一 進化論前史」より:

「進化論史のうえで最初にでてくる名まえは、タレスの門弟の一人アナクシマンドロス(Anaximandros 前六一一―前五四六以後)である。このミレトスの自然哲学者によれば、地表をおおう泥のなかに原始的な生物が生じ、それがしだいに発達して植物と動物になった。最後に、ながい年月かかって人間ができた。人間ははじめ、水中に住む魚形のものであったが、のちに魚の皮をぬいで陸上に住むようになった。ノルデンショルトの『生物学史』(E. Nordenskiöld : The Hisory of Biology, 1928)では、それは民間伝承による考えかたであると、のべられている。(中略)なお、前六世紀のクセノファネス(Xenophanes)は生物の起原にかんしてアナクシマンドロスの説をほぼ継承し、また山上に海生動物の化石を発見してそこがかつて海底であったことを推論したという。」
「エンペドクレスは、火、水、気、土をもって四元素とし、愛と憎(争い)がこれらの元素に運動をあたえると説いた。この愛と憎とは生理学的見地によっているものであるという。愛と憎を動力としておこる世界の循環の過程で、生物が地中から生じる。エンペドクレスによれば、「たくさんの首なしの頭や、肩のつかない腕が、地中から生じて、さまよっていた。目だけが、ひたいだけが、ぶらついていた。からだの部分は結合をもとめて、放浪した。だが、一方の神が他方の神と〔愛と憎とが〕あちらこちらでつかみあいをはじめると、これらの部分はたがいに寄りあい、くっつきあい、そしてまた他のものどものが生じてきた。……こうして、二つの顔や二つの胸をもったもの、前方は人間で後方はウシになった生きもの、また反対に胴は人間でウシの頭をもったもの、男と女の混合した人間が生じて、その姿をあらわした。」
 このように混合して成りたった生物(中略)のうちで、奇形のものはやがてほろびる。むかしは、現在よりもっと多数の生物が地上に生じていたと、エンペドクレスは考える。ところで、ばらばらに生じたからだの部分の結合は偶然的であり、そうして生じたもののうち生存不能のものがほろびるというのだから、これはダーウィン(Ch. Darwin 一八〇九―一八八二)の最適者生存の原理に一致すると、多くの哲学史や科学史の書物にはかかれている。だが、のちにのべるように、ダーウィンの最適者生存は同種の個体における変異の選択を主とするものであるから、エンペドクレスの思想をその先駆とみてよいかどうかは疑問であると思われる。
 多くの進化論史では無視されているようだが、ツィンメルマン(W. Zimmermann : Evolution, 1953)は古代の有力な進化論者としてスペウシッポス(Speusippos 前四〇〇ごろ―前三三九)をあげている。プラトンの甥で、アカデメイアの学頭になった人である。かれは生物が単純から複雑に進み、最後に人間に到達したとしており、その過程は「真に歴史的なもの」と考えられていたようだという。スペウシッポスは動植物の相当な研究者であった。」

「アリストテレスの哲学ぜんたいについてそうであるように、かれの生物学においても目的論はつねに問題である。たとえばアリストテレスによれば動物の発生は、その過程の結果として成体の構造が成りたつというよりも、できあがりの構造をゴールとして目ざして進む過程、つまり定められた目的に規制され、それに向かうところの歩みである。質料にあたえられる形相という基本的な思想が、その支柱になっている。ところで、進化論は生物が無目的な自然法則の支配下で生成し発展するという考えなのであるから、それは生物現象の目的論的解釈とは対立するものである。当然、アリストテレスには進化の考えはありえない。」
「では、なぜアリストテレスは、進化論の歴史のなかに登場しなければならないのであろうか。それは、かれの生物学思想の一つが、後代の進化論と関係をもつためである。アリストテレスは、自然に存在する諸物が連続的な系列として配列されることを説いた。植物から動物へ、そして体制の単純な動物から複雑な動物へというようにである。このような自然の秩序的配列は、のちに自然の階段(梯子) scala naturae とよばれるようになった。アリストテレス自身の言葉でそれをのべれば、つぎのとおりである。
 「このように自然界は無生物から動物にいたるまでわずかずつ移り変わって行くので、この連続性の故に両者の境界もはっきりしないし、両者の中間のものがそのどちらに属するのか分からなくなる。すなわち、無性物の類の次にはまず植物の類が続き、植物の中の各々は生命を分与されていると思われる程度の差によって互いに異なるが、植物の類全体としては他の〔生命のない〕物体に対してはほとんど生物のようであり、動物の類に対しては無生物のように見えるのである。いま述べたように、植物から動物への移り変わりは連続的である。(中略)或るものは、たとえばホヤと称するものやイソギンチャクの類のように、身体の構成が肉質であるが、カイメンとなると植物にそっくりである。また、動物間では一つ一つがわずかの差異をもって段々に生命と運動性を増して行く。」(『動物誌』島崎三郎訳、アリストテレス全集8、岩波書店、四ページ)」

「周知のように、創世記によれば宇宙の万物は六日のあいだにつくられ、動植物の個々の種もそれで生じた。いらい種は変化していないということを聖書の記述のまま信じるのを、特殊創造説とよんでいる。いうまでもなく、特殊創造説という語は、進化の観念が生じてからのちに使われるようになったものである。」
「キリスト教の神学者たちが最初から創世記の記述をそのまま信じるように強制したのかというと、そうではなかった。(中略)著名の神学者たちが、創世記の記述の字義どおりでない、ある程度まで比喩的な解釈を許容する立場をとった。ニュッサのグレゴリウス(Gregorius 三三一ごろ―三九六)、アウグスチヌス(Augustinus 三五四―四三〇)、ずっとくだってトマス・アクイナス(Thomas Aquinas 一二二五―一二七四)は、そうであった。たとえばアウグスチヌスは、創世の六日を太陽日の六日と考えなくてもよいこと、また神による天地の創造とは神が天と地の種子をつくったという意味であって、このものはまだ混沌たる素材の状態にあったと考えてもよいことを、のべた。(中略)こうしたことは、中世の教会によって権威とされたアリストテレスの自然科学が聖書の記述と異なっているような場合に、その矛盾をすくうためでもあったといわれる。」

「人間をふくめ成体のひな形が最初からできあがっていて、個体発生はそれの展開と発育の過程にほかならないというのが前成説であり、これまた古くから人びとの信念のようなものであった。」
「卵や胚からしだいに形態が変化し器官ができて成体になると考えるのを、後成説という。一七世紀にハーヴィーは、『動物の発生についての研究』(一六五一)で後成説をとなえた。かれは「すべての生物は卵から」という言葉を、この著作のある版のとびら絵のなかにかきこんでいる。かれが卵とみたのはじつは胚であったが、動物の胚であればそれは成体になるまでに大きな変化をする。ハーヴィーの説はでても、そのずっとあとまで前成説はなお支配的であった。
 自然発生説と同様に、前成説もまた教会によって支持されていた。すでに古くアウグスチヌスにおいて前成の観念は神学と結合していた。イヴの胎内に多数の人間のもと(引用者注:「もと」に傍点)つまり微小な人間(ホムンクルスという)が入れ子になっていて、入れ子の箱を順にひらいていくように子孫が順次にうまれてくるのだという観念も、多くの人たちによってもたれた。それで前成説は、入れ子説ともよばれる。人体の寄生虫のもと(引用者注:「もと」に傍点)もイヴの胎内にあったという考えをのべた学者もある。すべては天地の創造のときにつくられていたと考えなければ、おさまりがつかなかったのであろう。」
「では前成説と後成説との対立は、進化論にとってどんな意味をもつのであろうか。前成説を概観すれば、それには発展の観念が含まれていない。すべては最初からできあがっており、新たな形態形成はみとめられないのである。それにたいして後成説は真の発展説であり、その点で進化論と共通した生物現象への見かたに立っているといえるであろう。しかも前成説と特殊創造説とは、ながく教会の支持をえて権威づけられてきており、おそらくそのことは両者に含まれる非発展的観念と無縁ではなかったであろう。」

「むかしアリストテレスは、地中で自然発生をして地表まで出てこられなかったものや、地中に深くもぐって発生した卵や種子が、化石のもとであると考えた。これは、とにかく生物が自然的に化石になることをみとめた説である。しかしそのほか、さまざまな説明が化石にたいして与えられた。キリスト教時代になってからは、天地創造のさいの万物のできそこないが地中にうめられたのであるともいわれた。
 化石の本体をはじめて明らかにした人として知られるのは、レオナルド・ダ・ヴィンチ(Leonardo da Vinci 一四五二―一五一九)である。レオナルドは若い時代に、技術者として北イタリアの運河の工事に従事し、そのとき掘りだされた貝や甲殻類の化石を見て興味をもったのである。かれは、むかし北イタリアの山々は海面下にあったのだと結論した。そののち医師フラカストロ(G. Fracastoro 一四八三―一五五三)がヴェロナのサン・フェリチェの築城のさいにでた化石について、また陶工パリッシ(B. Palissy 一五一〇ごろ―一五八九)が陶土中の化石について、それらは過去の生物の遺骸であるという見解をうちたてた。」
「しかし、古来の誤った化石の見かたがあとをたったわけではなかった。一八世紀の学界にも、それは根づよくのこっていた。ヴュルツブルクの教授であったベリンガー(J. Beringer)は、真の化石のほか太陽、月、星、エジプト古文書などの化石の図をのせた書物を一七二六年に出版した。かれの学生たちが、そうした「化石」を粘土でやいて、かれが発掘しそうな場所にうめておいたのである。その著作の出版をやめるように忠告した者もあったが、ベリンガーは翻意しなかった。ところがその出版の直後に、かれは自分の名まえのかかれた「化石」を発掘した。さすがにベリンガーもこれら化石の正体に気づいて、全財産をはたいてすでにでた書物を買いもどした。ベリンガーのこの悲劇とおなじ一七二六年にショイヒツァー(J. J. Scheuchzer)は、ノアの洪水でおぼれた人間の骨をみつけたと発表した。(中略)ショイヒツァーが発見した化石骨は、じつは魚竜のものであった。
 魚竜やマストドンの化石骨はしばしばむかしの人間の遺骸とされたので、かつて巨人がこの地上に存在したという想像もなりたった。アダムの身長は一二三フィート九インチ、イヴは一一八フィート九インチだったという計算をした者もある。」



「二 一八世紀の進化論」より:

「ロスタンは『種の進化』(J. Rostand : L'évolution des espèces, 1932)のなかに、ライプニッツの『人間悟性新論』(一七〇四)からつぎの言葉を引用し、かれにおいて種の変化の考えがかなり明確であるとしている。「おそらく宇宙のある時、ある場所で、動物の諸種は、現在われわれがみるのとはちがっているであろうし、ちがっていたであろうし、また変化するであろう。ライオン、トラ、ヤマネコのような、ネコと共通の性質をもつ若干の動物は、かつておなじ種族のものであって、現在では太古のネコの種の新しい分種となっているのかもしれない。それで私は、すでに私が一度ならずいったこと、すなわち自然界の種の決定は暫時的のもので、われわれの知識と相対的なものだということに、いつもたちもどるのである。」
 数学そのほかいろいろの学問におけると同様にライプニッツが進化論においても真に先駆者であったとみなされるべきかどうかは、かれが種の変化をどの範囲までみとめていたかによって判定されることになろう。自然界ぜんたいの連続性を考えていたということからすれば、かれがひろく生物界の進化をみていたという見かたも成りたつ。しかし、その見かたを決定的にするほどのものはないようである。」
「自然界の連続性は、直接的または間接的に、進化論の誕生や発展をうながしたに相違ない。しかし、近代科学の時代であっても、それについての観念がすぐに進化論に到達したのでないことも、注意しておかねばならない。自然物の階段ないし梯子(échelle des êtres naturels)の語はスイスのボネー(Ch. Bonnet 一七二〇―一七九三)によって普及したのだが、このボネーはその例にあげられる。かれによれば、自然物は人間を頂点とする系列的な階段として配列される。元素、鉱物、植物、動物のどれのあいだにも切れ目はない。その系列は、つぎのようになっている。
  人間 オランウータン サル 四足獣 ムササビ コウモリ ダチョウ 鳥 水鳥 両生鳥類 トビウオ 魚 匍匐魚類 ウナギ 海ヘビ ヘビ ナメクジ カタツムリ 貝 管虫 イガ 昆虫 フシムシ サナダムシ ポリプ クラゲ ネムリグサ 植物 コケ カビ キノコ サンゴ 植石類 アスベスト 石膏 スレート 石 形のある石 結晶 塩礬類 金属 半金属 硫黄 瀝青 土 純土 水 空気 火 微元素
 この系列には若干の側枝があって、トカゲやカエルはそこにおかれている。」
「ボネーに、自然物が変化し発展するという観念はあったというが、それには石がやがて生命をもつとか天体では人間が天使になっているとかいう考えがふくまれていたし、また上記の系列を一歩ずつのぼる発達ということでもなかった。かれを進化論者の列にくわえるのは妥当でないようである。ボネーは信仰ふかい人であり、(中略)胚種の観念も顕著であり、ノアの洪水のような大変動で全生物が絶滅したとき、胚種は生きつづけてまたいろいろの生物を生じたというようなことものべた。」

「ロビネ(J. B. Robinet 一七三五―一八二〇)は神学的哲学者としてかなり知られた人だが、自然の階段の考えを極端化し、無機界と生物界との境界を消去してしまった。その点ではボネーに似ている。かれにはまた原型の考えもあり、しかもこの原型は胚種と同一視された。胚種は発達していくが、その各段階は原型の変形であり、原初的な普遍的プランの新たな結合であるのだという。石、カシの木、ウマ、サル、人間は原型の漸次の変形である。かくてロビネにあっては、全自然界が動物界であるにひとしくなる。」

「生物学上のゲーテの仕事として著名なのは、人間の間顎骨の発見(一七八四)、植物変態説(一七九〇)、頭蓋脊椎説(一七九五)である。」
「植物変態説は、葉、萼、花弁、雌しべと雄しべが、みな原葉の変形であるというものである。」
「頭蓋脊椎説というのは、哺乳類の頭骨が六個の椎骨の変形で成りたっているという考えである。」
「植物変態説も頭蓋脊椎説も、型の概念を支柱としている。」
「ゲーテの「型」はやがて他の学者たちにより「原型」の語でおきかえられることが多くなったが、自然哲学的生物学では型ないし原型は宇宙の深奥にある絶対理念と比較され、あるいは神の設計のプランとみなされるようになった。
 ゲーテはスピノーザ(B. de Spinoza)、ヘルダーから哲学的影響をうけ、カント哲学に傾倒した時期もあったが、「神すなわち自然」(Deus sive Natura)というスピノーザの言葉はゲーテの自然観における基調であるといわれている。もちろんこの場合の神は通常いわれる造物主のような意味ではないが、ゲーテにおいては、神は自然のなかにあり、自然は神のはたらきであるとされる。かれはニュートン的すなわち機械論的自然観には反撥を感じており、自然をもっと渾然とした、生気をもって流動するものとして、とらえようとした。」
「ロマンチシズム的自然哲学の傾向は、ゲーテにもあった。だが、かれよりもっと若い生物学者たちは、その影響をいちじるしく受けた。生物学は、自然科学の全分野のなかで、この哲学の活動の場をもっとも提供しやすい分野であった。とくに比較解剖学における型あるいは原型の概念と現実の生物種との関係は、絶対理念と目に見える自然との関係を代表するもののように考えられた。そのこと自体はまだよいのだが、その観念から出発して、さまざまな奇怪な思いつきが生物学に導入されたのは残念であった。人間のからだの頭部と胴部におなじ構造が反復されていて、上顎は腕に、下顎は下肢にあたり、歯は四肢の先につく爪であるというような考えである。」



「三 ラマルクの進化論」より:

「しかし、ふたたびひるがえっていえば、生物の現象にも雲の動きにもつねに神秘を感じ、宇宙の奥ふかくにあるなにかの根本原理に到達することをめざしたラマルクの学問のしかたは、かれから神秘観が完全にぬぐわれてはいなかったことを示すものとも受けとれる。」









































文: 斎藤文一/写真: 武田康男 『空の色と光の図鑑』

「じつは虹については距離は問題にならない。というのは、光っている相手は空間のどこかきまった距離にある(中略)のではなく、観測者の眼から見て、きまった視線方向にある“すべての水滴”が、そろって同じ方向に向けて光を出しているのである。」
(斎藤文一 『空の色と光の図鑑』 より)


文: 斎藤文一 
写真: 武田康男 
『空の色と光の図鑑』


草思社 
1995年10月11日 第1刷発行
1997年5月20日 第6刷発行
180p 索引2p 参考文献1p
A5判 丸背紙装上製本 カバー
定価2,900円+税
装丁: 吉冨浩



図版(カラー)多数。


空の色と光の図鑑 01


帯文:

「虹や稲妻やオーロラなど
空を彩る不思議な色と光の現象(大気光学現象)を
美しい写真で解説した初めての図鑑。
虹、稲妻、オーロラ、青空、薄明、火映、光茫、グリーン・フラッシュ、
光冠、ブロッケンの妖怪、彩雲、幻日、太陽柱、ダイヤモンド・ダストなど
41項目、写真99枚。」



カバーそで文:

「空は美しく、不思議である

 空には私たちの心をひきつけてやまないものがある。大空の美しさは格別なもので、地上のほかのなにをもってしても比べることができないほどだし、そこに多くの不思議も秘めている。その素材は空気と水蒸気と太陽の光だけだというのに、空はその表情を微妙に変え、また劇的にその光と色を変えるのである。空はなぜあのように青いのか。また空はなぜあのように赤くなるのか。そして空は、美しい虹や蜃気楼の舞台でもあるが、こういうものも一つとして同じものがない。そういう微妙な違いの背後で、科学的にいったいどういうことが起こっているのだろうか。本書は、そういう空の美しさや多くの「なぜ」について、新しい知識や解釈を含めて、一般の読者のために解説したものである。(斎藤文一/まえがきより)」



目次:

まえがき (斎藤/武田)

1 空はなぜさまざまな色をあらわすのか
 青空
 【基礎知識 1】 空気分子による光の散乱(レイリー散乱)
 朝の薄明(東の空)
 【コラム 1】 人麿が見た「かぎろひ」とは何か
 薄明(西の空)と地球影
 夕の薄明(西の空)
 火山噴火後の朝焼けと夕焼け
 雲の色
 【基礎知識 2】 水滴や塵などの粒子による光の散乱
 朝焼け雲と夕焼け雲
 さまざまな霧の色
 火映
 【観測ガイド 1】 (武田)

2 太陽の光はどのように変わるのか
 朝日と夕日
 光芒(放射状の光線)
 山影
 日の入り
 つぶれた形の太陽
 【基礎知識 3】 大気差とは何か
 ワイングラス型の太陽
 【コラム 2】 日本列島でいちばん初日の出が早いのはどこか
 グリーン・フラッシュ
 【観測ガイド 2】 (武田)

3 さまざまな蜃気楼はどのようにしてできるのか
 下に映る蜃気楼(上冷下暖の蜃気楼)
 【基礎知識 4】 蜃気楼とはどういうものか 1 「上冷下暖」の場合
 上にのびる蜃気楼(上暖下冷の蜃気楼)
 【基礎知識 5】 蜃気楼とはどういうものか 2 「上暖下冷」とファタ・モルガナ
 浮島現象と二つの太陽
 【コラム 3】 「狐火」とはどういうものか
 【観測ガイド 3】 (武田)

4 虹はなぜあのような形と色をあらわすのか
 主虹
 副虹
 【基礎知識 6】 水滴の中で光はどのように進むのか
 過剰虹
 【コラム 4】 虹はかつて竜や蛇だと信じられていた
 時雨虹
 いろいろな虹
 【コラム 5】 「白虹(はっこう)日を貫く」とはどういうことか
 【観測ガイド 4】 (武田)

5 なぜ太陽や月のまわりに光の輪や暈があらわれるのか
 光環(光冠、コロナ)
 【基礎知識 7】 粒子による光の回折と「ビショップの環」
 光輪(グローリー)
 ブロッケンの妖怪
 【コラム 8】 ゲーテはブロッケン山で何を見たか
 暈(ハロ)
 【基礎知識 8】 氷の結晶のなかで光はどのように進むか
 幻日
 環天頂アーク
 太陽柱
 彩雲
 ダイヤモンド・ダスト
 【観測ガイド 5】 (武田)

6 さまざまな稲妻はどのようにつくられるか
 落雷
 【基礎知識 8】 雷の電気はどうしてできるか
 空を走る稲妻
 【コラム 8】 「セント・エルモの火」とはどういうものか
 幕電
 【コラム 9】 「火の玉」とはどういうものか
 【コラム 10】 「地震発光」とは何か
 【観測ガイド 6】 (武田)

7 オーロラや大気光はどのように光るのか
 縞状のオーロラ
 カーテン状や帯状のオーロラ
 コロナ状とその他のオーロラ
 【基礎知識 10】 オーロラはどうしてできるか
 低緯度オーロラ
 大気光
 黄道光
 【基礎知識 11】 大気光とはどういうものか
 【観測ガイド 7】 (武田)

付章 夜空の色や光のスカイ・ショウを楽しもう
 太陽コロナ/太陽プロミネンス
 皆既日食時の空の色
 満月/皆既月食/地球照と惑星
 星の見え方(カノープス)
 星の色/天の川
 流星/人工衛星
 光害
 薄明と夜景と星

索引
参考文献



空の色と光の図鑑 02



◆本書より◆


「主虹」より:

「虹は、空中に浮かんでいる多くの雨粒(水滴)に太陽光があたり、その内部で屈折と反射をすることによって生じる。虹の出る方向は、太陽を背にして、ちょうどその反対方向(対日点という)を中心に半径約42°のもの(「主虹」という)と約51°のもの(「副虹」という)とがある。」

「いま空中に浮かんでいる水滴に太陽光があたっているとしよう。太陽光線はさまざまな角度で水滴の中に入って屈折し、内面で一回反射したあと出ていく。主虹の場合、この出ていく方向も当然さまざまであるが、われわれが対日点とよぶ方向に対して42°という方向の光は、他の方向の光よりもとくに集中していることが証明されている。そして、42°の方向にある空中のすべての水滴からの光が寄せ集まって一つの主虹をつくるのである。つまり虹は空間のどこかに位置がきまった1個の物体が出す光ではなく、空中に広く分布している無数の水滴の出す光を見ているのである。」



空の色と光の図鑑 03






































































































































アーレニウス 著 『史的に見たる科学的宇宙観の変遷』 寺田寅彦 訳 (岩波文庫)

アーレニウス 
『史的に見たる
科学的宇宙観の
変遷』 
寺田寅彦 訳

岩波文庫 青 33-930-1

岩波書店 
1951年12月15日 第1刷発行
1987年4月8日 第17刷発行
270p 索引21p 
文庫判 並装 
定価500円



Svante August Arrhenius: Die Vorstellung vom Weltgebaeude im Wandel der Welten, neue Folge, 1908
正字・正かな。図版(モノクロ)27点。


アーレニウス 史的に見たる科学的宇宙観の変遷 01


帯文:

「宇宙の創造・生成・進化に関する考え方の変遷をのべる。ここには諸民族の天文神話から近代の宇宙理論まで豊かな筆で描かれている。」


目次:

序 (一九〇七年八月/一九一〇年十月)

Ⅰ 宇宙の生成に関する自然民の伝説
最程度の自然民には宇宙成立に関する伝説がない。原始物質は通例宇宙創造者より前からあると考へられた。多くの場合に水が原始物質と考へられた。印度の創造神話。渾沌。卵の神話。フィンランドの創造伝説。洪水伝説。創造期と破壊期。アメリカの創造伝説。オーストラリアの創造神話。科学の先駆者としての神話。伝説中の外国的分子。

Ⅱ 古代文化的国民の宇宙創造に関する諸伝説
カルデア人の創造伝説。其暦と占星術。ユダヤ人の創造説話、天と地に対する彼等の考。エヂプト人の観念。ヘシオドに拠るギリシア人の開闢論と、オヴィドのメタモルフォセスに拠るローマ人の開闢論。

Ⅲ 最も美しき又最も深き考察より成れる天地創造の諸伝説
アメンホテプ王第四世。太陽礼拝。ツァラトゥストラの考へ方。ペルシア宗派の色々の見方。宇宙進化の週期に関する印度人の考。「虚無」からの創造。スカンディナヴィアの創造に関する詩。

Ⅳ 最古の天文観測
時間算定の実用価値。時の計測器としての太陽。時間計測の目的に他の天体使用。長い時間の諸週期。カルデア人の観測と測定。エヂプト天文学者の地位。ピラミッドの計量。支那人の宇宙観。道教。列子の見方。孔子の教。

Ⅴ ギリシアの哲学者と中世に於けるその後継者
泰西の科学は特権僧侶階級の私有物。ギリシアの自然哲学者達。タレース、アナキシメネス、アナキシマンドロス、ピタゴラス派。ヘラクリトス、エムペドクレス、アナキサゴラス、デモクリトス。自然科学に対するアテン人の嫌忌。プラトー、アリストテレス、ヒケタス、アルキメデス。アレキサンドリア学派。ユードキソス、エラトステネス、アリスタルコス、ヒッパルコス、ポセイドニオス。プトレマイオス。ローマ人。ルクレチウス。アラビア人の科学上の位置。科学に対する東洋人の冷淡。アルハーゼンの言明。

Ⅵ 新時代の曙光。生物を宿す世界の多様性
ラバヌス・マウルス。ロジャー・ベーコン。ニコラウス・クサヌス。レオナルド・ダ・ヴィンチ。コペルニクス。ジョルダノ・ブルノ。ティコ・ブラーヘ。占星術。ケプレル。ガリレー。天文学に望遠鏡の導入。教会の迫害。デカルトの宇宙開闢説。渦動説。遊星の形成。地球の進化に関するライプニッツとステノ。デカルト及ニュートンに対するスウェデンボルクの地位。銀河の問題。他の世界の可能性に関する諸説。ピタゴラス、ブルノ。スウェデンボルクとカントの空想。

Ⅶ ニュートンからラプラスまで。太陽系の力学と其創造に関する学説
ニュートンの重力の法則。彗星の行動。天体運動の起源に関するニュートンの意見に対しライプニッツの抗議。ビュッフォンの衝突説。冷却に関する彼の実験。ラプラスの批評。カントの宇宙開闢論。其弱点。土星環形成に関するカントの説。「地球環」の空想。銀河の問題に就いてカント及ライト。太陽の最期に関するカントの説。カントとラプラスとの宇宙開闢論の差異。ノルデンスキェルドとロッキャー並にジー・エッチ・ダーウィンの微塵説。ラプラスの宇宙系。其れに関する批評。星雲に関するハーシェルの研究。太陽系の安定度に就てラプラス及ラグランジュ。

Ⅷ 天文学上に於ける其後の重要なる諸発見。恒星の世界
恒星の固有運動。ハリー、ブラドリー、ハーシェルの研究。カプタインの仕事。恒星の視差。ベッセル。分光器による恒星速度の測定。太陽と他の太陽又は恒星星雲との衝突。星団及星雲の銀河に対する関係。天体の成分と吾々の太陽の成分との合致。マクスウェルの説。輻射圧の意義。隕石。彗星。スキアパレリの仕事。ステファン及ウィーンの輻射の方則。雰囲気の意義。地球並に太陽系中諸体の比重。光の速度。小遊星。二重星。シーの仕事。恒星の大さ。恒星の流れ。恒星光度に関するカプタインの推算。二重星の離心的軌道。其の説明。恒星の温度。太陽系に於ける潮汐の作用。ジー・エッチ・ダーウィンの研究。遊星の廻転方向。ピッケリングの説。天体に関する吾々の観念の正しさの蓋然性。

Ⅸ 宇宙開闢説に於けるエネルギー観念の導入
太陽並に恒星の輻射の原因に関する古代の諸説。マイヤー及ヘルムホルツの考。リッターの研究。瓦斯状天体の温度。雰囲気の高さ。太陽の温度。エネルギー源としての太陽の収縮。天体が其雰囲気中の瓦斯を保留し得る能力。ストーネー及ブライアンの仕事。天体間の衝突の結果に関するリッターの説。銀河の問題。星雲。恒星の進化期。太陽の消燼と其輻射の復活に関するカントの考。デュ・プレルの叙述。

Ⅹ 開闢論に於ける無限の観念
空間は無限で時は永久である。空間の無限性に関してリーマン及ヘルムホルツ。恒星の数は無限か。暗黒な天体や星雲が天空一面に輝くことを沮止する。物質の不滅。スピノザ及スペンサーの説。ランドルトの実験。エネルギーの不滅。器械的熱学理論。此説の創設者等の説は哲学的基礎の上に立つものである。「熱的死」に関するクラウジウスの考。死んだ太陽の覚醒に関するカント及クロルの説。ハーバート・スペンサーの説。化学作用の意義、太陽内部の放射性物質と爆発性物質。天体内のヘリウム。地球の年齢。クラウジウスの説に於ける誤謬。クラウジウスの学説に代はるもの。時間観念の進化。地球上に生命の成立。原始生成か、外からの移住か。難点。此問題に対する哲学者の態度。キューヴィエーの大変動説。此れに関するフレッヒの意見。生物雑種の生成に関するロェブの研究。声明の消失に及ぼす音頭の影響に関する新研究。原始生成説と萌芽汎在説との融和の可能性。無限の観念に関する哲学上並に科学上の原理の比較。観念の自然淘汰。

図版

訳者附記 (昭和六年八月)
人名索引
事項索引



図版ページに関する注:

「一九八七年四月八日、第十七刷重版にさいし、これまで別刷で挿入されてゐた図版をここに一括かかげることにした。ただし、文中に組込まれてゐた図版はそのままとした。
――岩波文庫編集部」



アーレニウス 史的に見たる科学的宇宙観の変遷 02



◆本書より◆


寺田寅彦による「訳者附記」より:

「スワンテ・アウグスト・アーレニウスは一八五九年にウプザラの近くの或土地管理人の息子として生れた。ウプザラ大学で物理学を学び、後にストックホルム大学に移って其処で溶液の電気伝導度、並に其の化学作用との関係に就て立入つた研究をした。」
「溶液の研究は云はゞ彼の本筋の研究であつて彼の世界的の地位を確保したのも亦この研究であつたことは疑もないことであるが、併し彼の研究的の趣味は実に広く色々の方面に亙つて居た。この訳書の原書に示された宇宙開闢論に関しては遊星雰囲気の問題、太陽系生成の問題、輻射圧による生命萌芽移動の問題、又地球物理学方面では北光の成因、気温に及ぼす炭酸瓦斯の影響、其他各種自然現象の週期性等が彼の興味を引いた。其外にも生理学方面に於ける定量的物理化学の応用、血清療法の理論及実験的研究などもある。想ふに彼は学界に於ける一つの彗星のやうなものであつた。」

「訳者は一九一〇年夏ストックホルムに行つた序をもつて同市郊外電車のエキスペリメンタル・フェルデット停留場に近いノーベル研究所にこの非凡な学者を訪ねた。めつたに人通りもない閑静な田舎の試作農場の畑には、珍らしいことに、どうも煙草らしいものが作つてあつたりした。その緑の園を美しい北国の夏の日が照らして居た。畑の草を取つて居る農夫と手まねで押問答した末に、やつとのことで此世界に有名な研究所の在所を捜しあてて訪問すると、すぐプロフェッサー自身で出迎へて、さうして所内を案内してくれた。西洋人にしては短躯で童顔鶴髪、しかし肉つき豊で、温乎として親しむべき好紳士であると思はれた。住宅が研究所と全く一つの同じ建物の中にあつて、さうして家庭とラボラトリーとが完全に融合して居るのが何よりも羨ましく思はれた。別刷など色々貰つて、御茶に呼ばれてから、階上の露台へ出ると、其処には小口径の望遠鏡やトランシットなどが並べてあつた。「これで a little astronomy も出来るのです」と云つて、にこやかな微笑を其童顔に泛ばせて見せた。真に学問を楽しむ人の標本をこゝに眼のあたりに見る心持がしたのであつた。
 この現在の飜訳をするやうに勧められたときに訳者が喜んで引受ける気になつたのも、一つにはこの短時間の会見の今はなつかしい想出が一つの動力としてはたらいた為である。訳しながらも時々この二十年の昔に見た童顔に泛ぶ温雅な微笑を思ひ浮べるのであつた。
 此書の飜訳としては先に亡友一戸直藏君の「宇宙開闢論史」がある。これは久しく絶版となつて居るのであるが、それにしても兎も角も現在の訳が色々な点でなるべくこの先駆者とちがつた特色をもつやうにして、さうして両々相扶けて原著の全豹を伝へ得るやうにしたいと思つて、さういふ意識をもつて此仕事に取りかゝつた。」









































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
 
うまれたときからひとでなし
なぜならわたしはねこだから
 
◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

Koro-pok-Guru
Away with the Fairies

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。
歴史における自閉症の役割。

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