『ブルーノ・シュルツ全集』 【全二巻】 工藤幸雄 訳

「なぜなら、(中略)ぼくの心情にぴたりとくる種類の藝術は、まさしく後退であり、幼年期への復帰だからです。もしも発達を逆行させ、なにか遠回りの道を通って二度目の幼年期に達することが可能なら、もう一度、あの充実性と無限性を取り戻せるなら、それはすべての神話を通じてぼくらに約束され誓約された“天才的な時代”、“メシアの時代”の再現となるでしょう。ぼくの理想は、幼年期へ向けて“成熟”することです。それこそが真の成熟となるでしょう。」
(ブルーノ・シュルツ)


『ブルーノ・シュルツ全集』 
【全二巻】 
工藤幸雄 訳


新潮社
1998年9月20日 発行
1999年2月15日 2刷
Ⅰ: 614p 口絵(モノクロ)8p
Ⅱ: 710p
四六判 
角背紙装(背クロス)上製本 

定価17,000円(税別)
装画: ブルーノ・シュルツ
装幀: 新潮社装幀室



本書「緒言」より:

「本全集は二十世紀ポーランドを代表する特異な作家ブルーノ・シュルツ(一八九二~一九四二)の創作、評論、書簡のすべてを収めた。」
「本全集はⅠ巻[創作篇]および[評論篇]、Ⅱ巻[書簡篇]および[解説篇]とから成り、シュルツの文業を遍く翻訳、編集、解説した。」
「本全集は文学にもっぱら重点を置くため、美術家シュルツについては画業等の紹介を避け、掲載写真は最小限度に止めた。」



だいぶまえに古書店で買っておいたシュルツ全集が出てきたのでよんでみました。本書は書名等を印刷した紙が貼られた薄いダンボール製の函にハードカバーの本が二冊入っています。本文用紙もたいへんよいです。ペソア、ヴァルザー、尾形亀之助、粕谷栄市がすきな人はシュルツ全集もよむとよいです。


シュルツ全集 01


帯文:

「20世紀の悲劇を背負った
ヨーロッパ辺境が生んだ
一抹の光の文学
シュルツの一生とその仕事の全貌を伝える世界で最初の全集。訳者解説500枚。
読売文学賞受賞」



シュルツ全集 02


帯裏:

「多芸多才な芥川が自殺した1927年、芥川と同年生れのシュルツは短篇を手がけ始めた田舎町の高校教師に過ぎない。狂者を抱える貧窮のなか、カフカ、リルケに傾倒した彼はポーランド語で書きドイツ語で読むオーストリア生れのユダヤ人だ。38年、文学賞を得た彼は細々と独自の小説世界を切り拓く……4年後、ナチスの銃弾に倒れるまで。」


シュルツ全集 05


「Ⅰ」目次:

緒言
  *
[創作篇]
 [創作篇]について
 肉桂色(にっけいいろ)の店(第一短篇集)
  八月
  憑(つ)き物
  鳥
  マネキン人形
  マネキン人形論あるいは創世記第二の書
  マネキン人形論(続)
  マネキン人形論(完)
  ネムロド
  牧羊神
  カロル叔父さん
  肉桂色(にっけいいろ)の店
  大鰐(おおわに)通り
  あぶら虫
  疾風
  大いなる季節の一夜
   *
 砂時計(クレプスィドラ)サナトリウム(第二短篇集)
  書物
  天才的な時代
  春
  七月の夜
  父の消防入り
  第二の秋
  死んだ季節
  砂時計(クレプスィドラ)サナトリウム
  ドド
  エジオ
  年金暮らし
  孤独
  父の最後の逃亡
   *
  秋
  夢の共和国
  彗星
  祖国

[評論篇]
 [評論篇]について
  (1) (評論) 伝説は生まれる
  (2) (エッセイ) 現実の神話化
  (3) (書評) クンツェヴィチョヴァの新作
  (4) (エッセイ) 懐疑論者の散策
  (5) (書評) アラゴン作『バーゼルの鐘』
  (6) (評論) 潜在意識の併合
  (7) (書評) 家父長的なアメリカ
  (8) (あとがき) カフカ『審判』論
  (9) (書評) 『悲劇的な自由』
  (10) (書評) 『ベルヴェデルの辺(あたり)』
  (11) (書評) 『アカシアは花咲く』
  (12) (詩論) 新しい詩人
  (13) (書評) 『皇帝(カイゼル)の裏方』
  (14) (書評) 友情の物語
  (15) (書評) 『母と息子』
  (16) (書評) 三篇の翻訳小説 ボイエル作『放浪の女』
  (17) (書評) 三篇の翻訳小説 アンメルス=キュラー作『お忍びの王子』
  (18) (書評) 三篇の翻訳小説 エバーマイヤー作『クラーゼン事件』
  (19) (書評) 愛の書
  (20) (書評) ジオノ作『オタワ』
  (21) (書評) 幼いドゥニーズの苦難の生
  (22) (書評) 『三文小説』
  (23) (書評) 村の教区司祭の小説
  (24) (書評) モーリアックの『黒い天使たち』
  (25) (書評) 『夢の道連れたち』
  (26) (書評) ヨー・ヴァン・アンメルス=キュラーの長篇
  (27) (書評) カナダの荒野にて
  (28) (書評) 亡命の叙事詩
  (29) (書評) 共通の目標のもとで
  (30) (書評) 翻訳書から ロシア亡命者の不幸と倖せ
  (31) (書評) 翻訳書から 新しい女性について
  (32) (書評) 翻訳書から 歴史の悲しさを読む
  (33) (エッセイ) エッガ・ヴァン・ハールト
  (34) (評論) 『フェルディドゥルケ』論
  (35) (評論) ゾフィア・ナウコフスカ論 新作長篇を背景として



「Ⅱ」目次:

[書簡篇]
 [書簡篇]について
  宛名 オスタプ・オルトフィン (計二通)
  宛名 ステファン・シューマン (計三通)
  宛名 アルノルド・シュペート (計三通)
  宛名 ユリアン・トゥーヴィム (計一通)
  宛名 マリア・カスプロヴィチョヴァ (計一通)
  宛名 ルドルフ・オッテンブライト (計二通)
  宛名 タデウシュ・ブレザまたはゾフィア同夫人 (計十通)
  宛名 ゼノン・ヴァシニエフスキ (計二十五通)
  宛名 「スィグナウィ」誌編集部 (計六通)
  宛名 ヴァツワフ・チャルスキ (計二通)
  宛名 ヴワディスワフ・ザヴィストフスキ (計二通)
  宛名 ヤロスワフ・イヴァシュキエヴィチ (計一通)
  宛名 エリオ・ガンセルロ (計一通)
  宛名 ルドヴィク・リール (計三通)
  宛名 スタニスワフ・イグナツィ・ヴィトキエヴィチ (計二通)
  宛名 カジミェシュ・トルハノフスキ (計三通)
  宛名 ヴィトルド・ゴンブローヴィチ (計一通)
  宛名 「ティゴドニク・イルストロヴァニ」誌編集部 (計一通)
  宛名 アンジェイ・プレシニエヴィチ (計三通)
  宛名 メンデル・ノイグレシュル (計一通)
  宛名 ミェチスワフ・グリゼフスキ (計一通)
  宛名 ジョルジュ・ローゼンベルグ (計一通)
  宛名 ロマーナ・ハルペルン (計三十九通)
  宛名 マリアン・ヤヒモヴィチ (計五通)
  宛名 タデウシュ・ヴォイチェホフスキ (計二通)
  宛名 アンナ・プウォツキェル (計十八通)
  「付録」 申請書十八通
  参考 手紙の帰属権を巡る怪奇譚(フィツォフスキ vs. サンダウエル)
  資料
  補遺Ⅰ シュルツの生涯――恋愛
   (1) デボラ・フォーゲル
   (2) ユゼフィーナ・シェリンスカ
   (3) ゾフィア・ナウコフスカ
  補遺Ⅱ シュルツの生涯――家族
   (1) 父と母。そして少年時代のブルーノ
   (2) 兄、身内およびドロホビチの家
   (3) シュルツ終焉の報告書

[解説篇]
 解説 Ⅰ
 解説 Ⅱ (シュルツ試論序説)
   *
ブルーノ・シュルツ年譜
ポーランドにおけるシュルツ作品等刊行書目
   *
訳者あとがき



シュルツ全集 03



◆本書より◆


「八月」より:

「だが、柵の反対側、気違いじみた雑草のはびこるに任せた夏の隠れ処(が)の向うには、ごみ捨て場があって、あざみばかりがむやみと生えていた。(中略)そのごみ捨て場には、庭仕切りに支えられ、野生のライラックが大きく枝を広げている下に白痴の娘トウーヤのベッドが置かれていた。(中略)掃き屑(くず)、切り屑、穴のあいた鍋、使い古した部屋履(ばき)、がらくたなどの散らばる上に据えたベッドは緑に塗られ、一本だけ欠けた足代りには古煉瓦(れんが)が二つ重ねてあった。」


「憑き物」より:

「そのころ私たちだれもが気づいたのは、父が殻の内側から干からびてゆく胡桃(くるみ)の実のように、日いちにちにちいさくなり始めたということだった。」
「また父はカーテンの上の棚のように突き出た桟によじ登り、窓とは反対側の壁に飾られた大きな剥製(はくせい)の禿鷹(はげたか)をまね、動かないポーズをとることもあった。」
「父は何週間ものあいだ何を食べるでなく、だれも理解できない手の混んだ奇妙な仕事のなかに、日を追って没頭していった。家の者たちから何を言われても耳に入れず、父独特の心のなかのモノローグを断片的に口に出してはそれに応じたが、そういう父の心の動きは外からの力ではどうにもならぬものだった。」
「そのころになると、父は時に幾日も姿を隠すことがよくあり、家のどこか引っ込んだ隅に入ったきり、いくら捜しても見つからなかった。」
「父は人事、世事の一切からそれほど遠く離れた存在になっていた。父は一結び一結びずつ私たちから離れ、人間社会と自分とを結ぶ繋がりを、一本一本と失っていった。」



「マネキン人形」より:

「くる週もくる週も奇妙な睡(ねむ)たさのなかに過ぎていった。
 ベッドは、終日、片づけられもせず、シーツも掛ぶとんも重苦しい夢に乱れ捲(まく)れ上がったまま、深い小舟のように並び、星のない暗黒のベネツィアのどこか湿っぽい入り組んだ迷路のなかへ漕(こ)ぎ出そうとするかのようであった。」



「マネキン人形論あるいは創世記第二の書」より:

「生命のない物質は存在しない(中略)生命がないのはただの見かけであり、その向うには生命の未知の形が隠されている。」

「われわれは粗悪品に対して最優先を与える。材料の安さ、粗末さ、安っぽさ、われわれはこいつに有頂天になり、現(うつつ)を抜かす。分かるかな――と父は訊いた――色紙、紙粘土、安ペンキ、麻屑、おが屑、そういうものに弱くて、夢中になってしまうことのほんとうの意味が? それはつまり――父は痛々しい微笑を浮かべて言った――物質そのものに寄せるわれわれの愛情だ、物質が産毛(うぶげ)に蔽われ、細かな毛穴をもつこと、独特の神秘な手応えをもつこと、それが好きで堪(たま)らないのだ。造物主、あの巨匠、藝術家は、物質を目立たぬものにし、生命の戯れの陰にそれをひそめさせる。われわれは逆だ、われわれは彼女の不協和音を、抵抗を、不恰好ぶりを愛する。」
「要するに――と父は結論した――われわれはもう一度人間を創りたいのだ、マネキン人形を手本としてあれに似せたものを。」



「マネキン人形論(続)」より:

「人形の苦痛が、あんたたちには予感できるだろうか、自分がなぜそうなっているのか、むりやり押しつけられたパロディーの形のままでなぜいなければならないのか、人形はその理由を知らない、そういう声のない苦悩、物質のなかに囚われ、閉じ込められている苦悩、それが感じとれるか。」


「マネキン人形論(完)」より:

「父はそう言って、彼が空想のなかで編み出した《generatio aequivoca》(曖昧(あいまい)な世代)の姿を、私たちの目の前に描き始めた、それは半ばしか有機体でないある世代、物質の幻想的な醗酵の結果として生まれるある種の擬似植物、擬似動物のことであった。
 それらは見かけのうえでは、動物――脊椎(せきつい)動物、甲殻類(こうかくるい)、節足動物に似た存在であるが、そういう外見はまやかしにすぎない。実際にはそれは無定形(アモルフィ)な、内部構造を欠いた存在であり、物質の模倣性向の所産なのだ、物質は記憶力を付与されていて、ひとたび採用した形態を習慣によって反覆する。」

「父を幻惑するのは、局限すれすれの形、問題を含んだ疑わしい形、たとえば夢遊病者の心霊体(エクトプラズム)、大脳の擬似物質やまた蠟屈症的(カタレプティック)な放散物であった。それはある場合には、眠っている人の口から出て、食卓の上いっぱいに広がり、増殖をつづける不思議な組織、肉と霊の境目(さかいめ)の霊体となって部屋全体を満たすのである。」

「その昔、ある神秘的な種族には死者をミイラにする風習があった。彼らの家の壁には死体や死人の顔が嵌め込まれ塗り込まれた。客間(サロン)には父親が立っていた――剥製なのだ、そして死んだその妻の皮膚は鞣(なめ)され、テーブルの下に絨緞となって敷かれていた。わしはある船長を知っていた、彼の船室には人魚の形をしたランプが飾られていたが、それはマラヤのミイラ師に頼んで、殺された彼の情人を材料に作ったものだった。その頭の上には、大きな鹿の角がついていた。」

「隠しておくまでもないと思うが――と父は声をひそめて言った――私の従兄弟(いとこ)の一人は長い不治の病のすえ、姿が変わり、次第次第に一巻きのゴムの管(くだ)になってしまった。かわいそうな従姉は、昼も夜も彼をクッションの上に載せて運び、その不幸せな人間に冬の夜のいつ果てるとない子守唄を聞かせてやったものだった。」



「肉桂色の店」より:

「こんな夜、ポドヴァウ通りと呼ばれる土手下の道、あるいは、広場の四辺のいわば裏地のようなどの暗い裏道を歩いても、きっと思い出さずにはいられないことがある、それは、ふだんの日にはつい忘れているのだが、あの個性的で魅力のある店々のうちのいくつかは、こんな遅い時間にもまだ時には開(ひら)いているはずだという考えである。私はそれらを肉桂色の店と呼ぶ、そこに滲(し)みついた底光りのする沈んだ木肌の色合いからそのように名づけるのだ。
 夜遅くまで開いているそれらの気品のある店は、私のなかでずっとくすぶる夢の対象でありつづけた。
 照明の乏しい暗くいかめしげな店々のなかは、顔料、漆(うるし)、香料の底深い匂い、遠い地方や珍しい品々の香気がした。ここへくればベンガル花火、魔法の小匣(こばこ)、遠い昔に滅びた国々の切手、支那の写し絵、藍玉(あいだま)、マラバルのコロフォニウム油、おうむ、犀鳥(さいちょう)など異境の鳥類の卵、生きている山椒魚や背びれ蜥蜴(とかげ)、マンドラゴラの根、ニュールンベルク産のからくり玩具、ガラス管入りの一寸法師(ホモンクルス)、顕微鏡や天眼鏡、そして何よりも、稀覯本(きこうぼん)や特製本、奇妙な銅版画や気も遠くなる物語でいっぱいの古い二つ折り判が見つかるのだった。」



「大鰐通り」より:

「父は大きな書類机の下の抽出(ひきだ)しに私たちの街の美しい古地図をいつもしまっておいた。」
「壁に掛けると、地図はほとんど部屋いっぱいの空間を占めてしまい、くすんだ金色のリボンとなって蛇行するティシミェニーツァ川の全流域や、沼や池の点在する湖沼地帯、そしてまた山襞(やまひだ)を見せながら南へ伸びる裾野(すその)が、手前の方では稀だが奥へいくほど群がるような連山となり、丸い山々の市松模様を描きながら、次第にちいさく次第におぼろになり、やがて黄金(おうごん)にけぶる地平線の靄(もや)のなかへ溶け込む遠望を展開した。」
「バロック風の遠近法の様式で描かれたこの地図の上で、大鰐通りの界隈は、ふつう地図で極地や存在の不確かな未踏査地方を示す空白のまま残されていた。そこにはわずかに数本の通りが黒い線で描かれ、その脇には飾らない文字で町名が書き入れてあり、ほかの文字がどれも上品な古い書体であるのとは画然と区別されていた。一見したところ、地図の製作者はこの界隈を街の一部として公認することを憚(はばか)ったため、そうしたがらりと異なるぞんざいな描き方によって敬遠の意を表明したのだと思われた。」

「この街に元から住みついている人たちは、人間の屑、愚民、無性格な厚みのない人間、道徳的な粗悪品、その日かぎりの環境のなかで生まれる安っぽい人間の変種の住むその界隈には寄りつかなかった。しかし失意の日々、卑しい誘惑の時間には、市民のうちのだれかれとなく、なかば偶然にその怪しげな地区へと迷い込んだ。最良の人々でさえ時には自発的な堕落の、また身分・階級の平等化の誘惑に負け、気安い交際と汚れっぽい雑居を求めて社会の浅いぬかるみに転げ込んだ。この地域は、そのような道徳的逃亡者たち、個人の尊厳の旗の下(もと)から逃げ出す人たちの黄金国(エルドラド)であった。」

「住民たちは大鰐通りの鼻をつく頽廃の悪臭を誇りとしている。躊躇(ちゅうちょ)することはない、われわれもまた大都会の真の放逸を味わうのだ、と彼らは誇らかに思う。」



「あぶら虫」より:

「まともな、世俗的な死でさえ父には似つかわしくなかった――と私は考えた――父においてはすべてが奇矯であやふやでなければならなかった。」


「春」より:

「突き詰めて言えば、私たちが一生のあいだに見るはずの風景のすべては見ぬ先からすべて知っているものではないのか。いったい、完全に新しい何かが起こり得るものなのか、私たちの心の奥底で以前から予感の芽生えているものの他に?」


「七月の夜」より:

「七月の夜! 闇の秘密の流体! 生きている敏感な流動する暗黒の物質! それは混沌(カオス)のなかから絶えず何かを形づくってはすぐさまその形を次々に捨ててゆく! (中略)夜気――あの黒いプロテウスは興に応じてビロードのような凝縮体となるかと思えば、ジャスミンの香気、オゾンの瀑布(ばくふ)となり、にわかに真空の寂莫の地を形づくり、それが無限のなかで黒い球形のように数と大きさを増し、暗い果汁に膨らむ巨大な闇のぶどうの房をつくる。」
「ようやく街の尽きるところで、夜はいたずらを諦め、仮面を投げ捨てまじめな永遠の顔を見せる。もはや幻覚と妄想の幻の迷路に私たちを閉じ込めるではなく、私たちの前に星の永遠性を繰りひろげるのだ。夜空は無辺際のなかへ伸びひろがり、星座たちは古代そのままの配置を守って美しく焰(ほのお)を上げ、その恐ろしい沈黙によって何かを予告し、何やら究極的なことを告知しようと欲するかのように魔法の図形を天上に描き出している。それら数々の遠い世界の煌(きらめ)きから、しきり鳴く蛙(かえる)の声、星々の銀色の声高(こわだか)な話し声が流れてくる。七月の夜空が音もなく流星の芥子粒を振り撒くと、それは静かに宇宙に吸い込まれてゆく。」



「砂時計サナトリウム」より:

「「父は生きていますね」私は彼の微笑している顔に不安の目を当てながら尋ねた。
 「生きておいでですとも」彼は私の熱い視線を静かに受けとめながら答えた。「もちろん状況の許す限界はありますが」彼は目を細めて言い足した。「ご承知のように、あなたのご家庭、それにあなたのお国の観点からすれば、あの方(かた)は亡くなりました。こればかりはどうにも取り返しはつきません。こちらでの生活でも、あの死は多少の影を落としていますよ」
 「でも本人は知らないし、思い当たらない?」私は呟くように質問した。医者は深い確信を込めて首を振った。「ご安心ください」彼は声を落として言った。「うちの患者さん方はだれも気がつきません、気がつくはずはないのです……」
 「これがその仕掛けで」医者は彼の器械を説明してみせようと、さっきからそんな手つきになっていた。「時間を後退させたわけです。一定期間だけ時間を後(おく)らせる、それがどれぐらいと申し上げるわけにはいきませんが。要するに簡単な相対性理論の応用です。つまり、お父上の死にしても、ここではまだ結果に行き着いていないのです、あなたのお国では、すでに行き着いたことですけれども」
 「すると、父は瀕死というか、死に近いというか……」
 「お分かりにならないようですね」もどかしいが、それも仕方ないという調子で医者は言った。「こちらでは、過去の時間をそのあらゆる可能性ごと生き返らせ、次に恢復の可能性に手を着けるのです」
 彼は顎ひげを握りながら、私に微笑を向けた。」



「ドド」より:

「ずっと昔、まだ子どものころ、ドドは何やら重い脳の病を患ったことがある、そのときは何ヵ月ものあいだ意識を失った状態のまま寝かされていて、生より死に近かったのだが、とにもかくにも丈夫になれたときには、もはや世に通用しない体となり、頭の働く人々の仲間入りはできなくなっていた。」
「彼の周りには奇妙な特典の領界のごときものができあがり、その保護区域、中立地帯が彼を実生活の圧迫や要求から守っていた。この領域のそとにいる者はみんな生活の大波にまともに襲われ、じたばたと無我夢中でその波の寄せるなかを渉(わた)り、波に攫(さら)われ、玩(もてあそ)ばれ、拐(かどわか)されたが、安全地帯のなかにいれば、そんな大騒ぎから隔離されて一息つける平穏があった。
 こうして彼はおとなとなり、彼の運命の番外扱いもそれにつれて成長し、当たり前として受け取られ、どこからも文句は出なかった。
 ドドは新調の服を着たことが一度もない。いつも兄のお古を着る。同い年の人たちの人生がいくつかに区切られて、ある段階、時期、境目(さかいめ)を付ける出来事に分かれ、「名の日の祝い」、試験、婚約、昇進など――厳粛で象徴的な折々があるのに引き替え、彼の人生は細かな区分のない単調さのなかに流れ、苦楽の波風もない。同様に未来にしても、まるで起伏のないのっぺらぼうの街道が延びるばかりで、出来事や意外性の影もなかった。
 こういうありようにドドが心のうちに抵抗感を抱いていたと見ては誤りである。彼はこれこそが自分にふさわしい生き方だと単純に受け入れ、違和感もなく、すなおに同意し、楽観に徹し、無事泰平の凡々たる暮らしの限界のなかで日常の細部を工夫した。」
「彼の風貌(ふうぼう)は早くから成熟し始めた。奇妙なことに、人生の経過や衝撃は生活の入口で止まり、彼の空っぽの不可侵性、番外待遇までは干渉されずに残ったのに、顔つきの方は、彼を素通りしたそれらの経験を元に形成され、ある実現されない一代記を前もって暗示した。その伝記が可能な範囲で漠とながら描出し、成形し、刻み出した容貌は、偉大な悲劇役者の幻想のマスク、すべての時代の知恵と悲しみを満面に湛えた面(おもて)であった。」



「エジオ」より:

「具合が悪いといっても、一見してエジオの脚のどこがどうなのかは分からない。膝から始まって踝(くるぶし)で終わるあいだに余計な関節があるように見える、関節は普通の脚よりも二つは多い。この多すぎる関節を使って歩くのだから、ぎくしゃくする、それは傍目(はため)にも胸が詰まるほどだ、それも左右と限らず、前後にも、いやあらゆる方向に揺れ動く。」
「エジオは定職もないし、仕事もない、宿命は彼に障害という重荷を負わせた代りにアダムの子らにかけられるそうした呪いを解いてくれたのだ。」



「年金暮らし」より:

「われわれ年金暮らしにとって、秋は概して危険な季節である。われわれの在り方において何かしら安定を得るのがいかに困難であり、自分の手を離れて自身がばらばらに四散したり、迷い出たりするのを避けることが、年寄りにはいかにむずかしいか――その点に理解ある人なら、秋が、秋の疾風が、この季節の気象上の変動と乱れとが、そうでなくても危ういわれわれの存在に不利な事情はご承知のはずである。
 とは言え、秋の日にも、平穏と瞑想とに満たされ、われわれに親しい別の日々がある。太陽は出ていないが暖かく、遠い周辺には靄(もや)がかかって琥珀(こはく)色に見える日がときたまある。建物のあいだの切れ目には遠方の光景が忽然(こつぜん)としてひらけ、低く垂れた天空の一部がますます低まり、はるか遠い涯(はて)の地平に展開する極限の黄色に達する様子が眺望されるのだ。」

「そうするうちにも、秋の大風の季節がやがてやってきた。その日、朝のうちから空は夕暮れの黄色に染まった、空はそれを背景として空想の風景画の――あるいは霧のただなかの大いなる荒地(あれち)の――濁った灰色の線で描かれていた。それは遠近法に従ってちいさく遠ざかる丘や襞(ひだ)であり、密集化と微小化の度を増して遠く東へ達すると、そこで舞台幕の波立つ裾(すそ)のようにとつぜん風に断ち切られ、いちだんと奥の遠景、より深い空、恐怖の蒼白の隙間、さらにその先の遠景の蒼白と恐怖の光を露呈した――地平線はここで終り閉ざすのだが、この最後の遠景は水のように澄んだ明るい無色の驚愕による究極の茫然自失なのだった。(中略)このころになると、その光の筋の下に顕微鏡で見るような遠い辺境がくっきりと見られた(中略)。その辺境はあの空の明るい切れ目の下の地平の向うからパニックめく蒼ざめた光に注がれて高まっていたが、それは別の時代、別の時間からひょっこりと出現した憧れる人々の目にほんの一瞬だけ姿を見せる約束された国のようであった。そのミニアチュア風の明るい風景のなかに、うねくねとうねる軌道に沿って、肉眼に映るか映らぬほどかすかな遠方を鉄道列車が動いていった――汽車の吐き出す銀白の煙の細い筋が明るい無の世界にひろがった。
 だが、強風が巻き起こったのはその直後である。」



「彗星」より:

「「Panta rei!」父は呼ばわり、両腕の動きで物質の永劫の回帰を表した。以前から父が夢見たのは、物質中に巡っている隠れた力を動員すること、物質の固さを液体に変えること、相互浸透へ、転換へ、物質の唯一の本性である万物循環への道を切りひらくことであった。」

「私たちは昼も夜も休みなしに眠り、失われた睡眠を取り戻した。いまは明かりを消した居宅で、私たちは枕を並べて横たわり、睡(ねむ)けに圧倒され、星のない夢想の行きづまりの走路を自分の呼吸に乗って走った。こうして流れながら、私たちは波打ち(中略)歌うような鼾(いびき)で、いまは星のない閉ざされた夜のあらゆる悪路と闘っていた。エドヴァルド叔父は永久に沈黙した。まだ空中には叔父の怒号する絶望の残響があったが、叔父自身はもう生きていなかった。生命はあの喚き声を挙げる発作(バロクシズム)と共に叔父から脱け出た、回路が開かれ、そして叔父本人はいよいよ高い不死の段階へと妨害なしに昇っていったのだ。暗い家のなかでは父ひとりが、眠りの合唱に満ちた部屋部屋を静かに歩きながら寝ずにいた。時々、父は煖炉の通風口をひらき、薄笑いを浮かべながら、どす黒い深淵の奥を覗いた、そこには永遠に微笑する精子微人(ホムンクルス)が明るい眠りを眠っていた、それはガラスの試験管に封じ込まれ、ネオンに似た光をいっぱいに浴び、すでに裁決を終り、抹消され、処理済みとなっていた――それは天の宏大な文書館に収められた一件の保管物なのである。」



「宛名 スタニスワフ・イグナツィ・ヴィトキエヴィチ」より:

「この本〔『肉桂色の店』〕の破壊的傾向がうんぬん〔批判〕されました。ある定着された諸価値という観点からは、確かにそのとおりかもしれない。しかし、藝術が活動するのは道徳以前の深み、まさに価値の in statu nascendi (発生の状態。ラテン語)の地点においてである。
 藝術は、生命の自然発生的な発言として、倫理に向けて課題を提出するものであり、その逆ではない。藝術が、すでにどこかで定着されたものを確認するだけであるなら、それは不必要となるだろう。藝術の役割は、名のないもののなかへ投げこまれたゾンデ(測深機)となることです。」
「破壊? そういう内容が藝術作品となったという事実――その意味するところは、われわれが破壊を肯定していることだし、われわれの自然発生的な深部がそれに賛意を表明したと言うことだ。
 『肉桂色の店』は、どのようなジャンルに属するのか。いかに組み分けすべきか。私の見るところでは、『肉桂色の店』は自伝的な小説です。その理由は、一人称で書かれていること、また作者の幼年時の事件や経験がそこに見てとれることばかりではない。この作品は、自叙伝、あるいはむしろ精神の系譜です、kat' exochen (言葉の完全な意味における。ギリシャ語)の系譜です、なぜなら物語は精神の系図を奥の奥まで、系図が神話にまで入りこんでしまう場所、神話的な幻覚へ迷いこむところまで示しているからです。」



「宛名 カジミェシュ・トルハノフスキ」より:

「二通もお手紙いただきながら返事せず、失礼しました。罪はぼくの持病である長期の鬱のせいです。」


「宛名 アンジェイ・プレシニエヴィチ」より:

「なぜなら、ぼく思うに、ぼくの心情にぴたりとくる種類の藝術は、まさしく後退であり、幼年期への復帰だからです。もしも発達を逆行させ、なにか遠回りの道を通って二度目の幼年期に達することが可能なら、もう一度、あの充実性と無限性を取り戻せるなら、それはすべての神話を通じてぼくらに約束され誓約された“天才的な時代”、“メシアの時代”の再現となるでしょう。ぼくの理想は、幼年期へ向けて“成熟”することです。それこそが真の成熟となるでしょう。」


シュルツ全集 04



◆感想◆


本書はたいへん興味深い、よい本でありまして、翻訳もたいへんすばらしいですが、訳者による解説にはちょっととんちんかんなところがあるような気がします。たとえば、以下のような文章です。

「「年金暮らし」の末尾、秋の突風にさらわれて空中高く舞い上がり、子どもらに見守られながら消えてゆく老人――あれが、生地ビテプスクの街を見下ろして空中飛行するシャガールの画面からの借用とは、恐らくだれしも感じるところだろう。五歳年上のベラルーシ出身のユダヤ人画家の作風を画家シュルツが知らないはずはない。」

「年金暮らし」は、ある老人が退職して子どもに返って(「幼年期」に「復帰」して)、小学校に入り直してイタズラ小僧になる話です。つまり、老人(というか老人が「後退」した子ども)が突風にさらわれて消えてしまうのは、〈立派な社会人〉でないことへの〈罰〉としてでありまして、つまりこれはハインリッヒ・ホフマンの絵本『もじゃもじゃペーター』最終話「空飛ぶロベルトの話」の借用であることは、恐らく欧米の読者のだれしもが感じるところなのではないでしょうか。

しかし立派な社会人なんかになるよりは突風にさらわれて消えたほうがましです。


struwwelpeter.jpg

『もじゃもじゃペーター』より。


Marc Chagall - Over Vitebsk

シャガール。




















































































































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ヤコブセン 『ここに薔薇ありせば 他五篇』 矢崎源九郎 訳 (岩波文庫)

「「作者は誰ですか?」
 「作者はありません。こういった本にはいつもないんです。」」

(ヤコブセン 「モーゲンス」 より)


ヤコブセン 
『ここに薔薇ありせば 
他五篇』 
矢崎源九郎 訳
 
岩波文庫 赤/32-742-1 

岩波書店
1953年7月25日 第1刷発行
1993年9月22日 第8刷発行
148p
文庫判 並装 カバー
定価410円(本体398円)
カバー: 中野達彦
装画: 内澤旬子



カバーそで文:

「北欧の詩人ヤコブセン(一八四七―八五)の短篇集。清新な印象主義的タッチで衝撃を与えた「モーゲンス」など、繊細にして色彩豊かな六篇を収める。」


リクエスト復刊。正字・新かな。


ヤコブセン ここに薔薇ありせば


目次:

モーゲンス
霧の中の銃聲
二つの世界
ここに薔薇ありせば
ベルガモのペスト
フェンス夫人

解説




◆本書より◆


「モーゲンス」より:


「法律顧問官は自然の友であった。自然はまったく獨特なもので、存在の最も美しい裝飾の一つであった。法律顧問官は自然を保護し、人工的なものに對して自然を辯護した。庭園はそこなわれた自然にほかならない。樣式を持った庭園は氣の狂った自然である。自然には樣式などはない。神樣は賢明に自然を自然のままに、まさしく自然のままにおつくりになった。自然は束縛されざるもの、そこなわれざるものであった。ところが、アダムとイヴの罪によって文明が人類の上に訪れた。いまや文明は一つの要求にまでなっている。だが、もしそうでなかったら、もっとよかったにちがいない。自然の状態は何かまったく別のもの、まったく異ったものであった。」

「「あなたはきっと自然がお好きじゃないんでしょう?」
 「ところが、その反對です!」
 「そうですか、あたしが言っているのは、見晴し用のベンチや上り段のある丘から眺めるような、立派にしつらえられている自然ではありませんのよ。毎日毎日の、いつものままの自然なんです。あなたはそういう自然がお好きですか?」」

「重苦しく暑い日だった。空氣は熱できらきら輝いていた。そして實に靜かであった。葉は樹々の枝に垂れて眠っていた。(中略)落葉は日光を受けて身悶えするかのように、不意に小さく動いてくるくると丸まった。
 それから、檞の下のあの男。彼は寢ころんで、喘ぎながら、悲しげに絶望的に空を見上げていた。彼はなにか歌の節を口ずさみはじめたが、まもなくそれをやめ、こんどは口笛を吹いた。が、それもすぐにやめてしまった。そうして幾度も寢返りを打ってから、乾ききってすっかり明るい灰色になっている古い もぐら の盛土の上に眼をとめた。とつぜん、その明るい灰色の地面の上に小さな丸い黑い斑點が、一つ、また一つ、三つ、四つと、つぎつぎにたくさん落ちて來て、その盛土全體がまったく暗い灰色になってしまった。空氣は幾筋もの長い黑い線でみたされ、葉はうなずき、搖れはじめた。あたりはざわざわとざわめいて、やがてたぎり立つしぶきとなり、ついには雨が篠つくように降りだした。
 一切のものがきらめき、火花を散らし、しぶきをあげた。葉も、枝も、幹も、すべてが濡れて光った。地面や草や生籬の上り段や、その他ありとあらゆる物の上に落ちる小さな水の滴は、幾千の美しい眞珠となって飛び散った。小さな見ずの滴はしばらくここに引っかかっているっかと思うと、たちまち大きな滴となって、そこに滴り落ち、他の滴と合して小さな流れとなり、小さな溝の中に消え、大きな穴の中に流れ込んだり、小さな穴から出て來たりして、塵や木屑や木の葉を浮べては流れて行き、それを地の上に置いたり、浮べたり、ぐるぐると廻しては、また地の上に置いたりした。芽の中にいたとき以来離れ離れになっていた葉は、濡れたために一緒になった。乾ききって生色を失っていた苔はいきいきと蘇って、軟かく縮れ、綠色を帶びて水氣たっぷりになった。ほとんど嗅煙草のようになっていた灰色の地衣類は、優しい耳をなして擴がり、緞子のようにはちきれそうになって、絹のような光を發した。晝顏は白い花冠を縁まで溢らせて、互にまたたき合っては、いらくさ の頭の上に水を注いだ。肥った黑い蝸牛は嬉しそうに匍い出して、感謝しつつ空を仰いだ。ところで、あの男は? 男は帽子もかぶらずに雨の中に立って、髪や眉や眼や鼻や口に雨の滴が流れるにまかせ、雨に向って指を鳴らし、踊ろうとでもするように、ときおり足を輕く持ち上げた。髪に水がたまるとそのたびに頭をゆすりながら、聲を張りあげて歌った。雨にすっかり氣をとられて、何を歌っているのかも分らずに歌うのだった。」

「「でも、じゃあ貴方は學生さんじゃないんですの?」
 「學生ですって! どうしてぼくが學生でなくちゃいけないんでしょう! いや、ぼくは何でもないんです。」
 「でも、何かでなくてはいけないわ。何かなさらなければいけないでしょう?」
 「なぜ?」」

「起ってしまったことを考えるのは耐えがたいことであった。あんなことがほんとうに起ったんだろうか。彼は膝まずいて、天に向って兩手をもみ合せながら、起ったことをもう一度元に戻して下さいと願った。」



「霧の中の銃聲」より:

「彼はこうしたすべての思いに疲れていた。希望することに疲れ、憎しむことに疲れ、夢みることに惱んでいた。じっと靜かにすわって、力なげにぼんやりと前方を見つめながら、世界を何か遙か遠くにあるもののように想い、また何か打ち負かされたもののように想いつつ、ここにじっと靜かにすわって、時間を一時間また一時間と死なせて行く、それは平和であり、ほとんど至福でもあった。そのとき霧をついて、喜ばしげに歡呼ある歌聲がひびいてきた。」


「ここに薔薇ありせば」より:

「「きみの見出す愛、それは二つの白い腕に抱かれて、二つの瞳を間近の空と見、二つの唇のたしかな祝福を受けはするけれども、あまりにこの俗世と塵に近すぎて、夢の自由な永遠性を、時間ではかられ、時間とともに衰える幸福と取り換えたものなんだよ。」




こちらもご参照下さい:

リルケ 『若き詩人への手紙 若き女性への手紙』 高安国世 訳 (新潮文庫)
川崎寿彦 『薔薇をして語らしめよ』

























































































































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

Koro-pok-Guru
Away with the Fairies

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。


うまれたときからひとでなし、
なぜならわたしはねこだから。

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