ヤコブセン 『ここに薔薇ありせば 他五篇』 矢崎源九郎 訳 (岩波文庫)

「「作者は誰ですか?」
 「作者はありません。こういった本にはいつもないんです。」」

(ヤコブセン 「モーゲンス」 より)


ヤコブセン 
『ここに薔薇ありせば 
他五篇』 
矢崎源九郎 訳
 
岩波文庫 赤/32-742-1 

岩波書店
1953年7月25日 第1刷発行
1993年9月22日 第8刷発行
148p
文庫判 並装 カバー
定価410円(本体398円)
カバー: 中野達彦
装画: 内澤旬子



カバーそで文:

「北欧の詩人ヤコブセン(一八四七―八五)の短篇集。清新な印象主義的タッチで衝撃を与えた「モーゲンス」など、繊細にして色彩豊かな六篇を収める。」


リクエスト復刊。正字・新かな。


ヤコブセン ここに薔薇ありせば


目次:

モーゲンス
霧の中の銃聲
二つの世界
ここに薔薇ありせば
ベルガモのペスト
フェンス夫人

解説




◆本書より◆


「モーゲンス」より:


「法律顧問官は自然の友であった。自然はまったく獨特なもので、存在の最も美しい裝飾の一つであった。法律顧問官は自然を保護し、人工的なものに對して自然を辯護した。庭園はそこなわれた自然にほかならない。樣式を持った庭園は氣の狂った自然である。自然には樣式などはない。神樣は賢明に自然を自然のままに、まさしく自然のままにおつくりになった。自然は束縛されざるもの、そこなわれざるものであった。ところが、アダムとイヴの罪によって文明が人類の上に訪れた。いまや文明は一つの要求にまでなっている。だが、もしそうでなかったら、もっとよかったにちがいない。自然の状態は何かまったく別のもの、まったく異ったものであった。」

「「あなたはきっと自然がお好きじゃないんでしょう?」
 「ところが、その反對です!」
 「そうですか、あたしが言っているのは、見晴し用のベンチや上り段のある丘から眺めるような、立派にしつらえられている自然ではありませんのよ。毎日毎日の、いつものままの自然なんです。あなたはそういう自然がお好きですか?」」

「重苦しく暑い日だった。空氣は熱できらきら輝いていた。そして實に靜かであった。葉は樹々の枝に垂れて眠っていた。(中略)落葉は日光を受けて身悶えするかのように、不意に小さく動いてくるくると丸まった。
 それから、檞の下のあの男。彼は寢ころんで、喘ぎながら、悲しげに絶望的に空を見上げていた。彼はなにか歌の節を口ずさみはじめたが、まもなくそれをやめ、こんどは口笛を吹いた。が、それもすぐにやめてしまった。そうして幾度も寢返りを打ってから、乾ききってすっかり明るい灰色になっている古い もぐら の盛土の上に眼をとめた。とつぜん、その明るい灰色の地面の上に小さな丸い黑い斑點が、一つ、また一つ、三つ、四つと、つぎつぎにたくさん落ちて來て、その盛土全體がまったく暗い灰色になってしまった。空氣は幾筋もの長い黑い線でみたされ、葉はうなずき、搖れはじめた。あたりはざわざわとざわめいて、やがてたぎり立つしぶきとなり、ついには雨が篠つくように降りだした。
 一切のものがきらめき、火花を散らし、しぶきをあげた。葉も、枝も、幹も、すべてが濡れて光った。地面や草や生籬の上り段や、その他ありとあらゆる物の上に落ちる小さな水の滴は、幾千の美しい眞珠となって飛び散った。小さな見ずの滴はしばらくここに引っかかっているっかと思うと、たちまち大きな滴となって、そこに滴り落ち、他の滴と合して小さな流れとなり、小さな溝の中に消え、大きな穴の中に流れ込んだり、小さな穴から出て來たりして、塵や木屑や木の葉を浮べては流れて行き、それを地の上に置いたり、浮べたり、ぐるぐると廻しては、また地の上に置いたりした。芽の中にいたとき以来離れ離れになっていた葉は、濡れたために一緒になった。乾ききって生色を失っていた苔はいきいきと蘇って、軟かく縮れ、綠色を帶びて水氣たっぷりになった。ほとんど嗅煙草のようになっていた灰色の地衣類は、優しい耳をなして擴がり、緞子のようにはちきれそうになって、絹のような光を發した。晝顏は白い花冠を縁まで溢らせて、互にまたたき合っては、いらくさ の頭の上に水を注いだ。肥った黑い蝸牛は嬉しそうに匍い出して、感謝しつつ空を仰いだ。ところで、あの男は? 男は帽子もかぶらずに雨の中に立って、髪や眉や眼や鼻や口に雨の滴が流れるにまかせ、雨に向って指を鳴らし、踊ろうとでもするように、ときおり足を輕く持ち上げた。髪に水がたまるとそのたびに頭をゆすりながら、聲を張りあげて歌った。雨にすっかり氣をとられて、何を歌っているのかも分らずに歌うのだった。」

「「でも、じゃあ貴方は學生さんじゃないんですの?」
 「學生ですって! どうしてぼくが學生でなくちゃいけないんでしょう! いや、ぼくは何でもないんです。」
 「でも、何かでなくてはいけないわ。何かなさらなければいけないでしょう?」
 「なぜ?」」

「起ってしまったことを考えるのは耐えがたいことであった。あんなことがほんとうに起ったんだろうか。彼は膝まずいて、天に向って兩手をもみ合せながら、起ったことをもう一度元に戻して下さいと願った。」



「霧の中の銃聲」より:

「彼はこうしたすべての思いに疲れていた。希望することに疲れ、憎しむことに疲れ、夢みることに惱んでいた。じっと靜かにすわって、力なげにぼんやりと前方を見つめながら、世界を何か遙か遠くにあるもののように想い、また何か打ち負かされたもののように想いつつ、ここにじっと靜かにすわって、時間を一時間また一時間と死なせて行く、それは平和であり、ほとんど至福でもあった。そのとき霧をついて、喜ばしげに歡呼ある歌聲がひびいてきた。」


「ここに薔薇ありせば」より:

「「きみの見出す愛、それは二つの白い腕に抱かれて、二つの瞳を間近の空と見、二つの唇のたしかな祝福を受けはするけれども、あまりにこの俗世と塵に近すぎて、夢の自由な永遠性を、時間ではかられ、時間とともに衰える幸福と取り換えたものなんだよ。」




こちらもご参照下さい:

リルケ 『若き詩人への手紙 若き女性への手紙』 高安国世 訳 (新潮文庫)
川崎寿彦 『薔薇をして語らしめよ』

























































































































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ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
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