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Stephen Skinner &c. 『Splendor Solis』

「The alchemists believed that if they could bring the *prima materia* to perfection through the correct sequence of actions by the Elements, it would become gold. The presence of gold in the mines made it seem that the process of transmutation was possible, as nature had apparently already partly completed it. The alchemists, however, thought that they could speed up nature's work and arrive at gold many aeons before nature.」
(『Splendor Solis』 より)


Stephen Skinner, Rafał T. Prinke, Georgiana Hedesan and Joscelyn Godwin
『Splendor Solis』
The World's Most Famous Alchemical Manuscript


Watkins, London, 2019
175pp, 26.7x18.7cm, hardcover

Cover design: Georgina Hewitt
Typeset in Carre Noir
Colour reproduction by XY Digital
Printed in China



アマゾンでいろいろとみていたら本書が出ていたのでマケプレのブックデポジトリーさんで新品を注文しておいたのが届いたのでよんでみました。新品といえども洋書ゆえ小スレ・小イタミがありました。角背紙装上製本、カバー(ダストジャケット)は元から無いタイプです。
カラー図版22点、モノクロ図版1点。



splendor solis 01



Contents:

An Introduction to *Splendor Solis* (Stephen Skinner)
History and Authorship of *Splendor Solis* (Rafał T. Prinke)
Inventing an Alchemical Adept: *Splendor Solis* and the Paracelsian Movement (Georgiana Hedesan)
Commentary on the Text and Plates of *Splendor Solis* (Stephen Skinner)
Translation of the Harley Manuscript (Joscelyn Godwin)
Glossary of Alchemical Philosophers and Works referred to in *Splendor Solis* (Georgiana Hedesan)
Index




splendor solis 02



◆本書について◆


本書は16世紀の著名な錬金術文書『Splendor Solis』(太陽の光輝)の研究書で、大英図書館所蔵ハーレー写本の彩飾画全22点のカラー図版とジョスリン・ゴドウィンによる本文英訳、三人の研究者による論文および図版解説によって構成されています。
スティーヴン・スキナーによる序文では、本書は錬金術の「大いなる業」(the Great Work)すなわち原物質(prima materia)から賢者の石(Philosphers' Stone)を生成する術(卑金属を土中で黄金に育成する自然の業をスピードアップして模倣する術)の物理的な過程をシンボリックに記述したものであり、またそのようなものとして読まれるべきであって、ユング派学者による心理学的解釈や、22という数からタロットとの関連を示唆するような魔術的(「黄金の夜明け団」的)解釈は退けるべきであると示唆されています。
ラファル・プリンケ「『スプレンダー・ソリス』の歴史とその著者」では、本書は錬金術の中世的伝統からバロック的伝統への過渡期に位置するものであるとして、その著者と画家がどのような人物であったかが推定されています。
ジョージアーナ・ヘデサン「アデプト(熟達者)の捏造: 『スプレンダー・ソリス』とパラケルスス運動」では、パラケルスス主義者たちによる改革運動の一環として、本書の著者とみなされてきたサロモン・トリスモジン(Salomon Trismosin)が、東方(エジプト)由来の「古代の知恵」(prisca sapientia)をパラケルススに伝授したアデプトとして捏造されるようすが、トリスモジンの自伝(と称するもの)等も紹介しつつ検証されています。



◆本書より◆



splendor solis 03


図1 
大いなる術(the Work)の原理。



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図10 
四大元素からの第五元素の分離。



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図21
「大いなる業」は料理や洗濯など女性の仕事に擬せられます。
図20では「凝固」(coagulation)の過程に先んじてさまざまな色があらわれるようすが子どもの遊びに擬せられています。ここでいう「遊び」はあらかじめ定められたルールに従う「遊び」ではなくて、すべてをめちゃくちゃにひっくり返してしまうような(英語では「topsy-turvy」と表現されています)自発的な「遊び」です。



splendor solis 07


図19
腐敗した黒い太陽=地中に匿され錬金術の作業を待つ黄金。



splendor solis 08


図22
赤い太陽=錬金術師によって地中から引き上げられた黄金。







こちらもご参照ください:

セルジュ・ユタン 『錬金術』 有田忠郎 訳 (文庫クセジュ)
スタニスラス・クロソウスキー・ド・ローラ 『錬金術図像大全』 磯田富夫・松本夏樹 訳
Alexander Roob 『Alchemy & Mysticism』 (Taschen)
C・G・ユング 『心理学と錬金術』 池田紘一・鎌田道生 訳 全二冊
種村季弘 『黒い錬金術』







Art Bears - Winter Songs
































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ルネ・ゲノン 『世界の王』 田中義廣 訳

「アガルタはいつでも地下にあったわけではなく、いつまでも地下にとどまるのでもない、と言われる。オッセンドフスキーが伝える言葉によれば、「アガルタの人々が洞窟から外に出て、地上に姿を現す」ときが来るだろう。」
(ルネ・ゲノン 『世界の王』 より)


ルネ・ゲノン 
『世界の王』 
田中義廣 訳



平河出版社 
1987年10月25日 第1刷発行
252p 著者・訳者略歴1p 
四六判 丸背紙装上製本 カバー
定価2,300円
表紙: トマス・コール タイタンの酒杯(部分)



本書「訳者解説」より:

「本書は、世界の中心に関するシンボリズムを扱ったゲノンの著作の中でも、とりわけ興味深く重要な作品である。」
「ポーランド生まれのオッセンドフスキーは(中略)、赤軍の追及を逃れるためにアジアの各地を転々とし、その体験を『獣、人間、神々』という旅行記として発表した。この書物の最終部分(中略)には、「世界の王」が支配するアガルタの風聞が記載されている。」
「しかしアガルタについて語ったのはオッセンドフスキーが最初ではない。すでにサン=チーヴ・ダルヴェードルが『インドの使命』の中で詳しく記している。(中略)本書ではゲノンはオッセンドフスキーだけではなく、サン=チーヴ・ダルヴェードルの記述にもしばしば言及している。(中略)そこで本訳書では、フランス十九世紀オカルティズムの最大の奇書のひとつでもある『インドの使命』のアガルタ論の部分(全体の約半分)を収録した。」
「『世界の王』は一九二七年にボサール社から出版されたが、本訳書では一九五八年のガリマール社版を底本とした。」




ゲノン 世界の王 01



帯文:

「幻の奇書、
René Guénon
の『世界の王』
ついに刊行!!

アガルタ、カバラ、
聖杯伝説の
象徴学的解読!!
合せて
サン=ティーヴ・
ダルヴェードルの
『インドの使命』を
収録。」



帯裏:

「中央アジアに存在するといわれる秘密の理想郷=アガルタ。
そこは精神的権威と政治的権力が分化することのない
始原の原理の発するところ、世界の中心である。
この地を統べる者は=世界の王=と呼ばれる。
至高の中心=を探求するルネ・ゲノンによる伝承の象徴学的解明」



カバーそで文:

「中央アジアに存在するといわれる秘密の理想郷〈アガルタ〉。
そこは、精神的権威と政治的権力が分化することのない
始原の原理の発するところ、世界の中心である。
この地を統べる者は〈世界の王〉と呼ばれる。
ルネ・ゲノンは、アガルタ伝承を中心にカバラ、インド思想、キリスト教、
聖杯伝説等に伝えられる〈世界の中心〉について考察を試み、
その象徴学的意味を明らかにする。
本書は、反近代の思想を貫いたゲノンの主著『世界の王』と、アガルタの
消息を伝え、数奇な運命をたどった奇書、サン=ティーヴ・ダルヴェードルの
『インドの使命』を収録する。」



目次:

Ⅰ 世界の王 (ルネ・ゲノン)
Le Roi du Monde|Rene Guenon
 1 西洋における「アガルタ」の概念
 2 王位と教皇位
 3 「シェキナー」と「メタトロン」
 4 三つの至高の役割
 5 聖杯の象徴学
 6 メルキ・ツェデク
 7 ルズあるいは不死の住処
 8 カリ・ユガの間隠れる至高の中心
 9 「オンファロス」と霊石
 10 精神的中心の名称と象徴的表象
 11 精神的中心の所在地
 12 若干の結論

Ⅱ 東洋の使命 (サン=チーヴ・ダルヴェードル)
 Mission de l'Inde|Saint-Yves d'Alveydre

訳者解説 『世界の王』とルネ・ゲノンの象徴学
ルネ・ゲノン著作一覧
ルネ・ゲノン略年譜




ゲノン 世界の王 02



◆本書より◆


「世界の王」より:

「一九一〇年に出版されたサン=チーヴ・ダルヴェードルの遺作『インドの使命』には、アガルタという名で呼ばれる、神秘的なイニシエーションの「中心」についての記述が含まれている。」
「一方、それ以前に、アガルタとその首長ブラフマトマについて言及した者といえば、ほとんど信頼できない作家ルイ・ジャコリオだけであった。(中略)しかし、一九二四年に新たな、そしていささか思いがけない事実が生じた。それはフェルディナンド・オッセンドフスキーの『獣、人間、神々』と題した書物である。彼はこの書物の中で、一九二〇年から一九二一年にかけて中央アジアで行った波瀾に富んだ旅行のいきさつを語っているが、とりわけその最終部分で、サン=チーヴとほとんど同一の話が収録されているのである。」
「当然のごとく、懐疑家や意地の悪い者たちは、オッセンドフスキーがたんにサン=チーヴを剽窃しただけだと非難するのを忘れなかった。(中略)実際、細部にいたるまで驚くほどの相似を示している記述は少なくない。第一に、サン=チーヴにおいて最も信じがたく思えること、すなわち、大陸や大洋の下を通じて世界中のいたるところに支部を拡げている地下世界、世界各地に不可視の連絡網を確立している地下世界の実在の断言がある。」
「さらには、(中略)先任者の墓の前に立つ「世界の王」の記述、あるいはボヘミアン(ジプシー)の起源の問題、すなわちボヘミアンはかつてアガルタの住人であったらしい……等々いくらでもある。サン=チーヴによれば、「宇宙的秘儀」が地下において執り行われている期間に、砂漠を旅する旅人が立ち止まり、獣たちでさえ沈黙する瞬間があるという。」
「ここまで両者の類似点ばかりを強調してきたが、これは剽窃が実際に行われた証拠であると言うつもりはいささかもない。それに、(中略)われわれは他の情報源から、この種の話がモンゴルおよび全中央アジアに流布していることを知っている。さらに付け加えておけば、ほとんどすべての民族の伝統にも、同種の話が存在するのである。」

「「世界の王」という称号、最も高く最も完全であると同時に最も厳密な意味でのこの称号は、本来、原初の普遍的な立法者マヌに与えられるものである。マヌの名は、さまざまな形で多くの古代民族の間に見られる。(中略)そもそもこの名は、多少なりとも伝説的な歴史上の人物を示すのではまったくない。これが本当に示しているのはひとつの原理であり、純粋な霊的光を反射し、われわれの世界とわれわれの存在のサイクルに適合した法(ダルマ)を定める宇宙的知性である。」
「実のところ、ここで問題になっているのは、同時に教権的であり王権的であるような二重の権力なのである。」
「祭司であると同時に王である人物という観念は、西洋ではあまり馴染みのない観念である。(中略)中世においてすら、至上権は(中略)教皇権と皇帝権に分割されていた。」
「反対に東洋では、ヒエラルキーの頂点でこのような分離が保たれることはかなり例外的であり、(中略)せいぜいある種の仏教の概念の中でしか見られない。たとえばブッダの役割とチャクラヴァルティン(転輪王――訳註)すなわち「世界の帝王」の役割の非両立性が明言されていることである。シャカ・ムニはある時期にこの両者のどちらか一方を選ばねばならなかったと言われているように。
 さらに付け加えておくべきだろう。チャクラヴァルティンという語は、(中略)ヒンドゥーの伝統の教えによれば、マヌとその代表者の役割にも適用できる。それは文字通りの意味では「車輪を回転させる者」であり、あらゆる事物の中心に位置し、その運動に自らは加わらずに運動を導く者、あるいはアリストテレスの表現を借りれば「不動の起動者」である。」
「とりわけつぎのことに注意をうながしておこう。いま述べた中心とは、あらゆる伝統が一致して象徴的に「極」と名づけているものである。というのも、ケルト、カルデア、ヒンドゥーにおいて一般に車輪で表象される世界の回転が実行されるのは、この中心を巡ってであるからだ。これがスヴァスティカの真の意味である。極東から極西までいたるところで流布しているこの象徴は、本質的に「極の象徴」なのである。(中略)これがしばしば太陽の象徴となっているとしても、それはたまたま偶然に、しかも婉曲な形でそうなったにすぎない。スヴァスティカを運動の象徴と考えた者は、より真実に近かった。しかし、この解釈は間違いではないが、きわめて不十分である。というのも、ここで問題になっている運動は、不特定の運動ではなく、ある不動の中心、不動の軸をめぐって実現される回転運動だからである。くり返しになるが、件(くだん)の象徴が直接関連する本質的要素は、あくまでも固定した点なのだ。」

「臆病な精神の持ち主なら、「世界の王」という呼称を聞いただけで、直ちに福音書に出てくる「この世のプリンス」(悪魔のこと――訳註)を連想し、恐ろしくなるだろう。(中略)われわれとしては、そのような同一視を避けるために、つぎのことだけを指摘するにとどめておくこともできる。この「世界の王」という称号は、(中略)普通は神自身に適用されるのだ。(中略)ここでユダヤ・カバラの「天界の仲介者」に関する理論を取り上げることにする。」
「ここで問題になる「天界の仲介者」とは、シェキナーとメタトロンである。(中略)シェキナーは最も一般的な意味では「神の実在的臨在」である。シェキナーにとくに言及している聖書の章句が、とりわけ精神的(霊的)中心の設立に関する章句であることに注目しなければならない。たとえば幕屋の建設、ソロモンやゾロベベルの神殿の建立である。正式に定められた条件に従って建設されたこのような中心は、実際に、つねに「光」で表象される神の顕現の場であったにちがいない。」
「「カバラはシェキナーにひとつの付属神を与えているが、この付属神はシェキナーと一致するいくつもの名前をもち、それゆえ同じ諸性格をもっている」。そして、当然のことながら、シェキナー自身と同じくらいさまざまな側面をもっている。この付属神の名はメタトロンであり、この名は数的にはシャダイすなわち「全能の神」(中略)と等価である。」
「メタトロンという言葉は、守護者、主、仲介者、このすべての意味内容を含んでいる」。それは「感覚世界における神の顕現(テオファニー)の実行者である」。それは「顔の天使」であり、「世界のプリンス」(サル・ハオラム)でもある。(中略)入社式的(イニシアティック)なヒエラルキーの長が「地上の極」であるように、メタトロンは「天界の極」であると言うことができよう。そして、後者は前者のうちに自分を反映し、「世界の軸」を通じて直接的な関係を保っている。」

「先ほど「円卓の騎士」に触れたが、ケルト起源の伝説において円卓の騎士たちの主要な任務とされている「聖杯探究」が何を意味しているか、ここで指摘しておくのがよかろう。どの伝統においても、ある一定の時期から失われた、もしくは隠されてしまったらしい何ものかに関する示唆が存在する。」
「聖杯は地上楽園でアダムに与えられたが、アダムもまた堕罪の際にそれを失ってしまった。(中略)原初の中心から離脱した人間は、それ以後地上的・時間的領域に閉じ込められてしまったのだ。すべての事物が永遠の相において観照できる唯一の地点に、もはや戻ることはできない。別な言い方をすれば、「永遠性の感覚」の所有は、(中略)あらゆる伝統が「原初の状態」と名づけるものと結びついているのである。そして、この原初の状態の回復が真のイニシエーションの第一段階となる。これは「超・人間的」状態の実効的獲得のための前提条件であるからだ。そもそも地上楽園は本来、「世界の中心」を表象しているのである。」

「「地下世界」に関する伝承は多くの民族の間に見られる。(中略)一般論として、つぎのことは言えるだろう。「洞窟の崇拝」は大なり小なり「内的な場所」や「中心的な場所」の観念と結びついており、この点で、洞窟のシンボルと心臓のシンボルはかなり近いのだ。一方では、(中略)何世紀にもわたってある種のイニシエーションの中心が維持されてきた洞窟や地下世界が存在することはまぎれもない事実である。」
「先ほど触れた伝承のうち、とくに興味深いものがひとつある。それはユダヤ教に見出されるもので、ルズと呼ばれる不思議な都市に関する伝承である。」
「ルズの近くには一本のアーモンドの樹――ヘブライ語でやはりルズ――が立っており、その根元に穴が開いていて、そこから地下道に降りることができるという。この地下道はルズの町に通じており、町そのものは完全に隠れている。」
「原註 北アメリカのいくつかの民族の伝承にも、もともと地中に住んでいた人間がそれを通って地表に出てきたという樹が登場する。そして同じ種族の残りの人間は地下世界にとどまっているらしい。」

「ヘブライ語のルズという単語に戻ることにしよう。(中略)この語は普通は「アーモンド」(中略)、あるいは「核」という意味である。ところで核は最も内部にあり、最も隠れたものである。そして核は完全に閉じている。ここから「不可侵性」という観念が由来する(アガルタという名前にもこの観念が見られる)。ルズという語はまた、破壊できない肉体的粒子を示す名詞でもある。この粒子はきわめて硬い骨として象徴的に表象されるが、魂は死後も復活にいたるまでこの粒子と結びついたままでいる。(中略)この復活は、ひからびた骨格を再生させる「天の露」の影響のもとに実現される。(中略)「天の露」はシェキナーと密接な関係があるのだ。ルズは滅びることのないものであるから、人間存在においては「不死の核」である。(中略)「死の天使」の力はそこでは停止する。それはある意味では不死の卵、あるいは不死の胚子である。それはまた、蝶が出てくる蛹に譬えることもできる。」

「アガルタはいつでも地下にあったわけではなく、いつまでも地下にとどまるのでもない、と言われる。オッセンドフスキーが伝える言葉によれば、「アガルタの人々が洞窟から外に出て、地上に姿を現す」ときが来るだろう。(中略)オッセンドフスキーは「六千年以上前に」この中心は地下に潜った、と説明している。そしてこの年代は、(中略)カリ・ユガの始めに相当するのである。(中略)アガルタの再登場は、カリ・ユガの終末に一致するにちがいない。」
「前述のように、あらゆる伝統は、失われた、もしくは隠れた何ものかについて暗示しており、それをさまざまな象徴のもとに表象している。このことを一般的な意味でとらえれば、地上の人類全体に関して失われ、もしくは隠された何ものかは、まさしくカリ・ユガの諸条件に関係しているのである。それゆえ現代は暗黒化と混乱の時代ということができる。」
「だからすでに述べたように、真に失われた何ものか、というよりむしろ隠された何ものか、と言わねばならない。なぜなら、それは万人にとって失われたわけではなく、それをまだ全面的に保持している者もあるからだ。(中略)しかし、カリ・ユガの時代が進行するにつれ、しだいに閉鎖的になり隠れていくこの中心との結合はますます困難になり、同時にこの中心を外部で代表する二次的中心はますます稀有になっていく。しかしながら、この時代が終わるとき、伝統は再び全面的に姿を現すにちがいない。(中略)それは必然的に地上の人類に「原初の状態」への回帰をもたらすはずである。」

「「至高の地域」を示す別の名前、たぶんパラデーシャよりもずっと古い別の名前が存在する。それはトゥーラ Tula であり、そこからギリシアのトゥーレ thulè が由来している。」
「トゥーラはまた「白い島」とも呼ばれる。前に述べたように、この色は精神的権威(教権)を表す色であった。(中略)このような表象はなによりもまず極北のトゥーラに、「極地の山」に当てはまるものである。」
「「聖なる山」を含めて、島など精神的中心の表象については、もうひとつ指摘すべきことがある。(中略)島は、波の絶えざる変動のただなかにあって不変のままでいる。この波の変動は外部世界の変動の像である。そして「救済の山」に、「平和の聖域」に到達するためには、「情念の海」を渡りきらねばならないのだ。」

原註 サン=チーヴがタロットの象徴体系から借用した表現を用いれば、至高の中心は他の諸中心に対して、「二十二のアルカナの閉じたゼロ」のようなものである。」



「訳者解説」より:

「あらゆる伝統は根本では同一であり、唯一無二の原初の伝統に遡るというのが、ゲノンの基本的立場である。だから、各伝統はその公教的(エグゾテリック)部分においては、実情に応じてさまざまに異なり、対立するように見えるかもしれないが、純粋形而上学に携わる秘教的(エゾテリック)部分において対立はありえない。またその公教的部分にしたところで、儀礼等により、秘教的認識にあずかれる能力のある者ない者を含めて、万人に霊的影響を授けることをその役割としている。それにより、人間は学問、芸術、職業等を通じて、何らかの形で原初の伝統に参与できるのである。これが正常な文明のあるべき形態であり、伝統的文明の姿である。
 ところが、近代以降の西洋文明だけが、伝統的文明から逸脱偏向した異常な文明に変じ、それがいまや世界全体に対する脅威となろうとしている。ゲノンの問題意識の出発点はこの危機感にあったらしく、彼の初期の著作は現代西洋文明批判の書が比較的多い。」







こちらもご参照ください:

アンリ・マスペロ 『道教』 川勝義雄 訳 (東洋文庫)
ルドルフ・ベルヌーリ/種村季弘 訳論 『錬金術とタロット』 (河出文庫)
リュック・ブノワ 『秘儀伝授』 有田忠郎 訳 (文庫クセジュ)
丸山圭三郎 『言葉と無意識』 (講談社現代新書)






Miles Davis - Agharta





ZAO - Shekina





Richard Pinhas - Metatron





Tangerine Dream - Ultima Thule





T. Rex - Dandy in the Underworld




































湯浅泰雄 『気・修行・身体』

「つまり経絡系は、心と身体、精神と物質の双方に密接に関係し、その双方に作用を及ぼす中間的システムなのである。したがってそれは、デカルトの物心二分法では説明できない第三の存在であり、物と心を結びつける媒介となるシステムである。」
(湯浅泰雄 「気と身体」 より)


湯浅泰雄 
『気・修行・身体』



平河出版社 
1986年11月25日 第1刷発行
1995年8月30日 第9刷発行
347p 「初出一覧」1p 「著者略歴」1p
四六判 丸背紙装上製本 カバー
定価2,369円(本体2,300円)
装丁: 中垣信夫



本書「あとがき」より:

「第一章「東洋的心身論と現代」は、日本武道学会の第十四回大会(一九八一年秋)が筑波大学で開かれ、ゲスト講演を依頼されたときに準備した草稿がもとになっている。」
「第二章「気と身体」は、新しく書き下ろしたものである。
 後半の二章は既発表の文章に加筆した。前半の二章が主に修行の身体面をとりあげているのに対して、後半はどちらかというと修行の心理面を中心にとりあげている。
 本書の全体を通じて流れている筆者の関心は、三つのテーマから成っている。一つは日本を中心にした東洋の精神史。一つはユングを中心にした深層心理学や精神医学に関連した問題。そしてもう一つは、心身論を中心にした哲学的諸問題である。」



本文中に図・図版28点。対談・書評・エッセイは二段組。



湯浅泰雄 気・修行・身体



帯文:

「東洋的心身論の可能性!
気・瞑想法・武術 東洋の思想的伝統は、
「修行」を核とする独自の心身論を生んだ。
本書は、深層心理学・心身医学・大脳生理学等
さまざまな角度から、日本を中心とする
東洋的心身論の現代的意味とその可能性を明らかにする。」



帯背:

「東洋的心身論
の新たな視点」



カバー裏文:

「仏教・道教の瞑想法、芸道、武道、
さらには「気」の問題等、東洋の思想的伝統は
「修行」を核とする独自の心身論を生んだ。
本書は、深層心理学・心身医学・大脳生理学等
さまざまな角度から、日本を中心とする
東洋的心身論の現代的意味とその可能性を
明らかにする。」



目次 (初出):

はじめに からだとこころ 〈対談〉 湯浅泰雄+石川中 (『精神世界の本』 1981 平河出版社)

第一章 東洋的心身論と現代
 1 東洋の修行の伝統と西洋の心身二元論的思考様式
 2 静止的瞑想と運動的瞑想
 3 瞑想の深層心理学的意味と心理療法
 4 瞑想と心身一如
 5 修行と芸道
 6 日本武道の特質
 7 心身分離的二元論から心身相関的二元論へ
 8 身体の三つの情報システム
 9 条件反射と自律系コントロール
 10 方法論的反省

書評 H・マスペロ 『道教の養性術』 (「日本読書新聞」 1983・5・23 日本出版協会)
書評 坂本百大 『人間機械論の哲学――心身問題と自由のゆくえ』 (「週刊読書人」 1981・1・12 読書人)

第二章 気と身体――武術・瞑想法・東洋医学
 1 心・気の一致ということ
 2 瞑想の訓練は気を変容させる
 3 気の変容
 4 気の変容に伴う内的イメージ体験の諸相
 5 東洋思想における認識の意味――方法論的中間考察
 6 東洋医学の身体観の基本的特質
 7 経絡における気と情動の関係
 8 無意識的準身体における外界志向作用
 9 記憶と生ける身体
 10 客観的科学と主観的科学
 11 気と外界の関係
 12 心・生命・物質

書評 黙示の時代――G・アードラー 『生きている象徴』 (「朝日ジャーナル」 1979・10・26 朝日新聞社)
書評 樋口和彦 『ユング心理学の世界』 (「日本の神学」 20号 1981 日本基督教学会)

第三章 浄土の瞑想の心理学 (「現代思想」 1982・9月号 特集・日本人の心の歴史 青土社)
 1 はじめに
 2 精神医学と宗教経験
 3 インド的伝統にみられる思想表現と芸術表現の関係
 4 中国と日本における浄土の念仏
 5 定善観の心理学的解釈
 6 死の問題

エッセイ シャルトルと長谷寺 (「創文」 1976・9月号 創文社)
エッセイ 三輪山の夢 (「ユリイカ」 1985・1月号 青土社)

第四章 密教の修行論とマンダラの心理学――身体の宇宙性 (『講座日本思想』 1・自然 1983 東京大学出版会)
 1 歴史的背景――山の仏教
 2 密教の深層心理学的背景
 3 『即身成仏義』の修行観と宇宙観
 4 イメージとしてのマンダラ
 5 マンダラの深層心理学的考察
  (1) 胎蔵生マンダラ
  (2) 金剛界マンダラ

あとがき




◆本書より◆


「東洋的心身論と現代」より:

「ご承知のように、禅の瞑想の場合はよく「無念無想」といいます。眼を半ば閉じて鼻の先を見つめ、何も考えないで長い間じっと坐り、湧き出してくる雑念や妄想がしだいになくなっていくように努力するわけです。(中略)ところが平安仏教の修行法はもっと複雑で、いろんな方法を使います。特に多いには、一定のイメージを心に念じつづけるやり方です。たとえば阿字観という瞑想法では、梵字(サンスクリット)の「A」という文字を心に思い浮かべます。また月輪観という瞑想法は、月を心に思い浮かべ、それが三日月からしだいに満月になっていく状態を想像します。
 こういう方法は、インドでサーダナ sāhdana (成就法(じょうじゅほう))と総称されているもので、悟りを達成(成就)する技法という意味です。たとえば、不動明王(お不動さん)のサーダナの場合ですと、修行者は、心の中で自分自身が不動明王になったと思って、その身体の様子を想像します。」
「密教の寺院には、多くの仏や菩薩や天人などを極彩色で描いたマンダラを飾り、仏像も光り輝く金色に塗ってあります。(中略)こういうマンダラや仏像は、元来、僧侶たちが瞑想し、修行するための道具(引用者注:「道具」に傍点)(ヤントラ)だったのです。(中略)そしてそういう仏像やマンダラを礼拝し、讃美する言葉を唱え、心を仏のイメージに集中して、深いエクスタシーの状態に入っていくことによって、現実に、目覚めたままで天上界に住む仏たちの光景を経験するように訓練するわけです。心理学的にいえば、一種の幻覚として、仏の姿を見るようになるわけです。」
「深層心理学の立場からみると、こういう瞑想法は、意識の表面にはたらいている抑制力を弱め、その下にかくれている無意識のエネルギーを活発にする訓練です。ふつう目覚めている状態では、意識の作用は外界の対象を感覚し、それに反応しています。ところが瞑想に入って、外からくる刺戟を遮断すると、外へ向かう心のエネルギーが弱まるので、訓練を続けていくにつれて、意識下に潜在している心のエネルギーが活発になってくるわけです。これは、夢を見るのと同じ心理的メカニズムです。眠っているときは、意識のはたらきが停止してしまいますから、その下に抑えこまれ、かくれている無意識のエネルギーが表面に昇ってきて、夢のイメージになって現れます。瞑想は、こういう状態を、目覚めたままで自由に経験できるようにする訓練です。」
「ユングは、彼の工夫した瞑想法を「能動的想像」 active imagination と名づけていますが、(中略)彼は、道教の瞑想法からヒントを得たようです。」
「心理療法と瞑想法は、このように共通した点がありますが、基本的な考え方は少しちがいます。心理学的メカニズムそのものは同じですが、その出発点と目的がちがっています。心理療法はもともと、ノイローゼの治療法として工夫されたものですから、心の中に生じた意識と無意識の葛藤や分裂をもとへ戻して正常な状態を回復するためのものです。」
「これに対して修行法としての瞑想法の場合は、病人を治療することを目的とするわけではありません。出発点は、われわれの日常生活における正常な心の状態です。そこから出発して、より高い変容した意識状態にまで達することが目的です。心身医学や精神医学などでは「変成意識状態」 Altered State of Consciousness (略称ASC)という言葉を使うことがありますが、これは、催眠、幻覚、祈禱や瞑想に伴うエクスタシー状態など、日常ふつうの意識の状態とはちがった心理状態を総称したものです。」
「心理療法は、神経症の患者、つまり病的異常状態に陥った人を、正常なレベルまで回復させる方法です。これに対して瞑想による修行は、(中略)心のはたらきを現在よりもつよめ、もっと向上させていく訓練法であるといえるでしょう。いいかえれば、心理療法は、意識と無意識の間に生じたズレをもとへ戻す方法であるといえますが、修行は、意識のはたらきと無意識のはたらきを統合する力(引用者注:「統合する力」に傍点)をだんだんと強め、自分特有の情動のパターン(心のくせ)やコンプレックスをコントロールし、さらにより高く変化させていくことを目的にしているといえるでしょう。」
「ただ、その訓練の途中では、一種の人工的ノイローゼ状態になる場合があり、下手をすると、ほんとうのノイローゼになったりします。(中略)たとえていえば、種痘をすることによって軽い人工的病気の状態をつくり出せば身体に免疫体質がつくり出されるようなもので、人工的ノイローゼ状態を突破していけば、精神の力はだんだんと強くなっていくわけです。」
「では、このような訓練によって、心と身体の関係はどのように変化していくのでしょうか。
 禅でよく使われる「心身一如」という言葉があります。日本の文献では、古くは栄西〈1141―1215〉の『興禅護国論」に出てきます。彼は瞑想が深まって三昧に入った状態を「諸縁を放下し、万事を休息し、心身一如、動静すべてなし」といっています。(中略)諸縁を放下するとか万事を休息するというのは、日常生活にみられるような、外界のできごとに心を使う態度を捨ててしまうということです。つまり、瞑想するときには、外の世界とのつながり(諸縁)を一切捨て去り、忘れ去って、ただひたすら自分自身の内から湧き出してくる心の動きだけに注意します。われわれはふつう、毎日の日常生活の場面では、外界の事象に注意を奪われ、心のエネルギーはいつも外に向かって流れています。したがって他人の言動に対しても、善と悪の区別を立てて、あれは良いとかこれは悪いといった判断をします。瞑想は、そういう意識の判断をすべて止めてしまう(中略)ことによって、ひたすら魂の内なる世界に入りこむことです。心理学的にみれば、それは外界からの刺戟に反応する意識の作用を抑え、心のエネルギーの流れを内へと向けかえることによって、無意識の作用を活発にし、さらにそれをコントロールしていくことです。そういう訓練を長年続けていくと、さまざまな雑念が消えていって、心が空っぽになり、いわば自分という意識がなくなった三昧の状態を体験できる、というわけです。」
「字に即していえば、「心身一如」は、心と身体が分かれず一つになったような状態という意味であり、(中略)心の雑多な動きがまったく消えてしまい、心の状態と身体の状態が一つになったということでしょう。また道元は、彼が中国で参禅していたときの見性の体験を「身心脱落」とよんでいます。身体と心の区別がなくなってしまったという感じだろうと思います。」
「ここで興味があるのは、運動的瞑想の場合です。運動的瞑想は、身体運動をたえずくり返すことによって、静止的瞑想の場合と同じようなエクスタシー体験に達する方法です。わかりやすい例としては、たとえば、一遍〈1239―89〉が始めた念仏踊りなどがあげられます。(中略)運動的瞑想は、身体器官(特に手足)の運動の訓練を通じて、高い変成意識状態に達しようとするわけです。」
「哲学用語を使っていえば、日常ふつうの状態では、心と身体は主体 subject と客体 object という関係にある、とみることができます。客体の最も代表的なものは外界に見出されるさまざまの物体、つまり「物」です。われわれの身体も、そいう物体の一種つまり客体として、この世界(空間)の中に存在しています。これに対して主体というのは、客体になりえないもの、客体を認識したり動かしたりする意識作用の持ち主ということです。心はその意味で、主体(正しくいえば主体のはたらき)です。要するに、主体である心が客体である身体を支配し動かすことが、意識的な身体運動であるわけです。
 ところが、右にいったような「心身一如」の境地では、心は、無意識のままに身体と一つになって動いています。つまり、主体としての心と客体としての身体の区別はもはや感じられなくなり、主体は同時に客体であり、客体は同時に主体であるという状態になります。身体という客体の動きは、そのまま主体としての心の動きそのものになりきっています。逆にいえば、主体としての心は、われを忘れ、客体としての身体の動きそのものになっています。哲学者の西田幾多郎が「純粋経験」とか「行為的直観」とよんでいるのは、こういう状態であると思います。」

「西洋の近代的な考え方と東洋の古い考え方の基本的なちがいは、いったいどういう点にあるのでしょうか。心身のはたらきについていうと、西洋の近代医学は、大多数の人たちの正常(ノーマル)な状態、つまり不特定多数の例(引用者注:「不特定多数の例」に傍点)を基準にして考えていきます。たとえば、ふつうの人の場合、この器官はこういうはたらきをしているとか、この薬はこういう作用がある、といったことを観察して、そこから経験的な法則をひき出すわけです。近代の経験科学というものは一般に、こういうやり方をとっているといっていいでしょう。近代科学の法則が一般的な妥当性をもっているのもそのためです。ただ、こういう考え方をとる場合には、ふつうの人とちがった例外的ケースは、無視ないし軽視される傾向を生じがちになります。
 これに対して東洋医学では、たとえば薬の処方は患者一人一人によってちがうという原則に立っていて、一見同じようにみえる病気でも、患者によって処方が変わることも少なくありません。」
「近代的な考え方が陥りやすい一つの欠点は、不特定多数の場合を「正常」と考え、その基準に合わないものはすべて「異常」とみなす傾向を生みがちなところにあります。(中略)精神医学は神経症や精神病という病的異常状態を研究対象にしていますが、この場合、「異常(アブノーマル)」といういい方は「病的」という悪い意味をもっています。(中略)医学というものは、(中略)ともすると「異常」ということと「病的」ということが同一視されやすいのです。」
「西洋近代のやり方では、一般に人間の心と身体の関係はこう考えられるという理論的な枠組みをまずきめてかかることになるので、それに合わない状態は例外とか異常として無視される傾向になりやすいのです。しかし東洋の考え方では、心と身体のほんとうの関係は日常ふつうの状態では未知なものであるという考え方から出発して、実践を通じてそれを探求していく態度をとります。」
「東洋哲学の伝統的心身観では、修行を通じて心身の関係が日常ふつうの状態からどう変化するか、そしてそのときどういう心理状態が体験されるかという経験に即して、ふつうではわからない両者の奥深い未知な関係を認識していくのです。」



「気と身体」より:

「気は(中略)もともと心理的(引用者注:「心理的」に傍点)であるとともに生理的(引用者注:「生理的」に傍点)な性質を示す生体特有のエネルギーであって、心と身体の両方(引用者注:「両方」に傍点)に関係するのである。先にのべたように、気の流れは瞑想の訓練と深く関連したものであり、その点からいえば心理的性質(引用者注:「心理的性質」に傍点)を帯びている。しかし鍼灸的治療の観点からみると、気の流れは生理的機能の活性化(引用者注:「生理的機能の活性化」に傍点)に効果がある。つまり皮膚の内側として感じられる身体(自分の「からだ」の感覚)は心理的存在であり、外側からみた皮膚に包まれた身体は、その内部から生理的機能が外に発現してくる場である。気の流れはこの内と外を媒介する通路である。
 気のエネルギーはさらに、身体内部を循環しながら、手足の末端を通じて外界の気の流れとつながっている。われわれは自分の「からだ」の感覚、いわゆるセネステーシス(全身内部感覚)の状態全体を「自分」としてとらえているわけであるが、その自分は、皮膚を境界として外界と交流しているわけである。要するに皮膚は、心理作用と生理作用、つまり心と身体が――気の流れを介して――物質的外界と接する独特な交流の「場」なのである。」

「皮膚電流の現象は、元来東洋医学とは無関係に、心理学や生理学の立場から研究されてきたものである。皮膚に回路をつくって弱い電流を流すと、電位の変化が起こって伝播していき、その波がグラフとして記録される。これがいわゆるGSR(Galvanic Skin Reflex)である。(中略)GSRは情動作用と関係が深いため、心理学のテストに応用されている。いわゆる嘘発見器 lie detector はこの原理を応用したもので、質問が被験者の感情をつよく刺戟したときにはGSRにつよい反応が現れる。この現象は今世紀初めに明らかにされており、ユングはその初期の実験を見て、皮膚は無意識をのぞく窓だな、という感想をもらしたという。」






こちらもご参照ください:

C・G・ユング/R・ヴィルヘルム 『黄金の華の秘密』 湯浅泰雄・定方昭夫 訳
湯浅泰雄 『ユングとヨーロッパ精神』
湯浅泰雄 『ユングとキリスト教』 (講談社学術文庫)
高橋巌+荒俣宏 『神秘学オデッセイ』 (新装版)





































セルジュ・ユタン 『錬金術』 有田忠郎 訳 (文庫クセジュ)

セルジュ・ユタン 
『錬金術』 
有田忠郎 訳
 
文庫クセジュ 525 

白水社
1972年12月5日 第1刷発行
1983年1月20日 第12刷発行
158p 主要文献v
新書判 並装 カバー
定価650円
装幀: 真鍋博



Serge Hutin: L'Alchimie. (Collection QUE SAIS-JE? No 506)
本文中「図」8点。


ユタン 錬金術 01


目次:

序言
第一章 錬金術とは何か
 1 語源
 2 ヘルメス哲学
 3 錬金術の理論
 4 実際的錬金術、その目的
 5 神秘的錬金術
 6 《アルス・マグナ(大いなる秘法)》
第二章 錬金術師とその象徴体系
 一 錬金術師
  1 中世社会における錬金術師
  2 正統教会と錬金術
  3 錬金術師の専門的養成
  4 大いなる秘儀に達した人々
 二 錬金術文学
  1 秘教
  2 文字で書かれた作品
  3 寓意的象徴図
  4 タロット
  5 錬金術的彫刻
 三 錬金術の象徴体系
  1 記号(シーニュ)
  2 象徴
  3 寓意と神話
  4 暗号
  5 錬金術と宗教
第三章 錬金術の起源
 一 伝説的源泉
  1 呪われた術
  2 ヘルメス・トリスメギストス
 二 心理的源泉
 三 歴史的起源
  1 東洋の錬金術とギリシアの錬金術
  2 エジプト
  3 カルデアとイラン
  4 ヘブライおよびギリシア起源
  5 異教およびキリスト教系のグノーシス諸派
第四章 錬金術発展の諸段階
 一 アレクサンドリアとビザンチウム
  1 ギリシアの錬金術文献
  2 アレクサンドリアの錬金術師
  3 ギリシアの錬金術の収支決算
  4 ビザンチン
 二 アラビア人
  1 アラビアの錬金術
  2 回教徒の錬金術師たち
 三 ヨーロッパの錬金術
  1 アラビア人から西欧への推移
  2 中世のヘルメス思想、『エメラルド板』
  3 十三世紀の錬金術師
  4 十四世紀
  5 ニコラ・フラメルと「王者の術」
  6 十五世紀
  7 バシリウス・ヴァレンティヌス
  8 ルネサンス
  9 パラケルスス
  10 十七世紀前期、薔薇十字団
 四 ヘルメス哲学
  一 概論
   1 その形成と一般的性格
   2 宇宙
   3 神と世界
   4 宇宙の全一性(ユニテ)
   5 「宇宙(コスモス)」の生命
   6 太陽の神学
   7 性的二元論
   8 三つの世界
   9 大宇宙(マクロコスモス)と小宇宙(ミクロコスモス)
   10 堕落と救済
   11 「自然」と「術(アルス)」の平行説
  二 ヘルメス学の宇宙発生論
   1 ヘルメス学の宇宙発生論の特徴
   2 パラケルススの詩想
第六章 錬金術の理論
 1 物質の原一性(ユニテ)
 2 三原質、硫黄・水銀・塩
 3 四元素(四大)
 4 七つの金属
 5 錬金術と化学
第七章 実際的錬金術
 一 「大いなる作業」
  1 予備作業
  2 「大いなる作業」の材料の準備過程
  3 「哲学の卵」の中での材料の加熱
  4 「石」の仕上げ過程
  5 「賢者の石」とその諸性質
 二 ホムンクルス(人造小人)
第八章 神秘的錬金術
 1 錬金術は隠れた意味を持っていたか
 2 禁欲と天啓
 3 錬金術とフリーメーソン
第九章 《アルス・マグナ》
 1 超人
 2 「宇宙(コスモス)」の再生
 3 錬金術の誤った諸形態
 4 錬金術とタントラ教
第十章 錬金術の影響
 1 芸術と文学に対する影響
 2 技術と科学に対する影響
 3 哲学と宗教思想に対する影響
結論
補遺
 一 「大いなる作業」に関する補足
  (a) フィラレテスの《過程》
  (b) 乾いた道
 二 錬金術と占星術
 三 薔薇十字団と薔薇十字会派
 四 化学の歴史に関する覚え書
 五 《達人》なる語のいろいろな意味

訳者あとがき
主要文献



ユタン 錬金術 02



◆本書より◆


「第一章」より:

「その土台となるのは、寓意文学や啓示によって伝えられた古い秘密である。したがって錬金術師は何か新しいものを発見する必要はなく、秘密を再発見(引用者注: 「再発見」に傍点)すればよい。だからこそ錬金術は、幾世紀もの長期にわたってかくも変化せずにすんだのである。(中略)――錬金術は隠秘の術だと私は言ったが、それは同時に呪われた(引用者注: 「呪われた」に傍点)術でもあり、神学者(それ以前には遅ればせのローマ法)によって罪ありとされ、知識の公認の枠外で、ときには公認の枠に敵対して発展したのである。」

「錬金術の最も壮大な概念は「アルス・マグナ」 Ars Magna (大いなる秘法)であった。これはときとして「王者の術」とも呼ばれ、ヨーロッパではとりわけ十五世紀およびそれ以後の著作家たちの中で展開されている。現代におけるその解説者の一人A・サヴォレは「アルス・マグナ」について次のような定義を下している。《真の錬金術、秘伝的錬金術は、人間と自然のうちにある生命の諸法則を認識することであり、また、アダムの失墜によって現世で劣化し、その純潔と輝きと充実と原初の特性とを失った生命がふたたびそれらを取りもどす、その一連の過程を再現することである。要するにそれは、人間の精神に関してはいわゆる贖罪ないし新生、肉体に関してはその再組織、自然に関しては純化と完成、そして最後に、固有な意味での鉱物界に関しては精髄化 quintessenciation (中略)と変成なのである)》。かくて錬金術の狙いは、自然万物の失墜(引用者注: 「失墜」に傍点)・堕落の確認に根拠を置いていた。至高の「変成術」(「神秘の作業」、「絶対への道」、「不死鳥の作業」)とは、人間をその原初の尊厳にかえすことであった。(中略)賢者の石を見いだすことは、すなわち「絶対」を、神羅万象の真の存在理由を発見し、「完全なる知」(グノーシス(引用者注: 「グノーシス」に傍点))を所有することであった。」



「第二章」より:

「錬金術師は、観念をさらにうまく隠すため、字謎(アナグラム)、なぞ、折句(アクロスチッシュ)を用いる。たとえば賢者の石は「アゾート」 Azoth という語で示されるが、これは、どのアルファベットでも等しく最初にくる文字(A)に、ラテン語・ギリシア語・ヘブライ語のそれぞれ最後の文字を加えて作られたものである――その意味するところは、賢者の石があらゆる物体のはじめであり終わりである、ということである。」


「第四章」より:

「十二世紀以来、西欧ではヘルメスの手になるとされる一連の著作があらわれたが、そのうち最もひろく知られているのが、かの有名な『エメラルド板』 la Table d'Emeraude (ラテン語では Tabula smaragdina)で、中世このかた、あらゆる錬金術師がこえに注釈を加えて倦まなかった。本文はごく短く、次はその訳である。
 《こは真実にして偽りなく、確実にしてきわめて真正なり。唯一なるものの奇蹟の成就にあたりては、下なるものは上なるもののごとく、上なるものは下なるもののごとし。》
 《万物が「一者」より来たり存するがごとく、万物はこの唯一なるものより適応によりて生ぜしなり。》
 《「太陽」はその父にして「月」はその母、風はそを己が胎内に宿し、「大地」はその乳母。万象の「テレーム」(テレスマ(引用者注: 「テレスマ」に傍点) Telesma 《意志》)はそこにあり。》
 《その力は「大地」の上に限りなし。》
 《汝は「大地」と「火」を、精妙なるものと粗大なるものを、ゆっくりと巧みに分離すべし。》
 《そは「大地」より「天」へのぼり、たちまちまたくだり、まされるものと劣れるものの力を取り集む。かくて汝は全世界の栄光を我がものとし、ゆえに暗きものはすべて汝より離れ去らん。》
 《そは万物のうち最強のもの。何となれば、そはあらゆる精妙なるものに打ち勝ち、あらゆる固体に滲透せん。》
 《かくて世界は創造されたるなり。》
 《かくのごときが、ここに指摘されし驚くべき適応の源なり。》
 《かくてわれは、「世界智」の三部分を有するがゆえに、ヘルメス・トリスメギストスと呼ばれたり。「太陽」の働きにつきてわが述べしことに、欠けたるところなし。》」



「第五章」より:

「かくて、存在するものは唯一つの「存在者」であり、それが限りなく多様な形を取ってわれわれの前にあらわれるわけである。そして賢者の石が、この宇宙の全一性の象徴そのものとなる。《「哲学者たちの石」は、また植物の石、動物の石、鉱物の石とも呼ばれる。なぜなら、実体としても存在としても、植物・動物・鉱物が誕生したのは「哲学者たちの石」そのものからだからである》。物質の原一性(ユニテ)の理論は、あらゆるヘルメス学の著述家のいわばライトモチーフ(引用者注: 「ライトモチーフ」に傍点)なのである。《「一」は「全」なり、「一」によりて「全」、「一」のために「全」、「一」において「全」》とゾシモスは書いている。」

































































































リュック・ブノワ 『秘儀伝授』 有田忠郎 訳 (文庫クセジュ)

リュック・ブノワ 
『秘儀伝授
― エゾテリスムの世界』 
有田忠郎 訳
 
文庫クセジュ 592

白水社
1976年2月5日 第1刷発行
2003年9月10日 第7刷発行
147p 主要参考文献iii
新書判 並装 カバー
定価951円+税
装丁: 田淵裕一
欧文デザイン: 牧かほり



本書「訳者まえがき」より:

「翻訳ははじめ一九六三年の初版によったが、訳了後一九七五年出版の改訂四版が送られてきたので、それに従って修正を施した。別に著者から(中略)若干の訂正が指示されていたので、これもすべて取り入れた。」
「エゾテリスム(ésotérisme)という語は、ギリシア語の esôterikos (内側の)を語源とし、(中略)門外不出の教理の総体をさすもので、一般に「秘教」という訳語があてられるが、かならずしも熟していないため、表題としては、密儀的典礼を伴う知識の授受をあらわす initiation の訳語の一つ「秘儀伝授」を用い、副題中に「エゾテリスム」の語を入れた。」
「内容は御覧のとおり、エゾテリスムの一般概念と個々の歴史的形態を述べたもので、通論として行きとどいた書物と言えよう。」



Luc Benoist, L'ésotérisme (Collection QUE SAIS-JE? No1031)


ブノワ 秘儀伝授


カバー裏文:

「エゾテリスムとは、ごく限られた人びとにのみ伝授される門外不出の教理の総体をさす。それは仏教、原始キリスト教、ヒンズー教、老荘思想、さらにはユダヤ神秘学、ヘルメス学、錬金術のなかに、暗黙の象徴大系として秘められている。本書は、その一般概念と個々の歴史的形態を述べ、未知の世界を探索する。」


目次:

訳者まえがき

序論
第一部 概観
  一 公教と秘教
  二 三つの世界
  三 直観、理性、知性
  四 伝統
  五 象徴主義
  六 儀礼、律動、身振り
  七 秘儀伝授
  八 中心と心臓
  九 大密儀と小密儀
  一〇 三つの道、カーストと職業
  一一 民話
  一二 中間的な世界
  一三 神秘主義と呪術
  一四 行為、愛、美
  一五 大いなる平安、心の祈り
  一六 場所と状態
  一七 特性を帯びた時間、循環期
  一八 至高の同一者、永遠の《化身》
第二部 歴史的形態
 第一章 東洋
  一 ヒンズー教の伝統
  二 仏教
  三 中国の老荘思想
  四 禅宗
  五 ヘブライの伝統
  六 イスラムの伝統
 第二章 西洋
  一 キリスト教の秘教
  二 ギリシア正教の神秘的静寂派
  三 神殿騎士団、愛の信徒団、薔薇十字団
  四 ヘルメス学の宇宙論
  五 同業組合、フリーメーソン
  六 マイスター・エックハルトとニコラウス・クサヌス
  七 神智学者たち
  八 ロマン派の伝統重視
  九 東方ルネサンス
結論

主要参考文献




◆本書より◆


「序論」より:

「宇宙的均衡の法則からすれば、現在一般化しているような唯物論の埋め合わせとして、同等の自由が精神の極点にあたえられなければならない。秘教は、この均衡の働きを最もよく満たすことのできる学問の基礎となるものである。その役割は、第一に、洋の東西を問わず古代文明の聖典を理解させることにある。これらの聖典は、従来不可解な秘密とみられがちであったが、じつはある不滅の実在世界に照応するもので、ただその表現が古風にみえ、現実味を覆い隠しがちだったにすぎない。秘教の力を借りて、われわれは自分の固有の伝承の本質と、それがいかなる内的憧憬にこたえるものであるかを悟るのである。」
「本書の第一部では、ルネ・ゲノンの著書を手引きとした。」
「ゲノンの思想的見地は、いっさいの体系や教義から解放され、種族や言語の偏見から免れた論理的普遍性をそなえているので、私はこれを採用するのが至当と考えたわけである。」



「第一部」より:

「精神・魂・肉体というこの三分法は、今の習慣には合わないが、伝統的教説にはすべてつきものであった。(中略)インドの伝統にも中国の伝統にも、この三分法は等しく見られるのである。(中略)プラトンも同じ三分法を採用し、その後ローマの哲学者たちは、ヌース(noûs)、プシュケー(psyché)、ソーマ(soma)というギリシア語を、それに対応する三つのラテン語、スピリトゥス(spiritus=精神)、アニマ(anima=魂)、コルプス(corpus=肉体)であらわしている。」
「聖イレナエウスは『復活論』の中で同じ区分法をはっきりと認めた。「完全な人間には三つの構成要素がある。すなわち肉体と魂と精神である。人間を救い形成するもの、それが精神である。統一をあたえられ形成されるもの、それが肉体である。そしてこの両者の間にあって仲介となるもの、それが魂である。魂は、ときとして精神に従い、精神によって高められる。またそれは、ときとして肉体の声に耳を貸し、地上の欲望に身を委ねる。」ただキリスト教神学者たちは、プラトンの轍を踏んで魂に微妙な肉体的要素をあたえる危険を避けようと、魂を精神に近づけすぎたため、ついには両者を混同してしまった。かくてこれが、一方では魂と肉体をめぐるかの有名なデカルト式二元論となり、他方では心魂的なものと精神的なものとの現代風な混同になった。」

「秘儀伝授には異なったいくつかの段階的階層があり、それに関しては古代密儀宗教の用語を借用するのが便利である。(中略)かくてわれわれは、「小密儀」「大密儀」「奥儀」(エポプテイア)の三つを区別できる。」
「小密儀の目的は、それに通暁した者に、宇宙論を貫く万物生成の法則を示し、太初の状態を再現してみせることにあった。(中略)小密儀を受けた者は、子供のそれにも比せられる単純さ、錬金術でいう第一質料のような純粋さに戻るのだった。(中略)最初の試煉によって、小密儀を受けた入門者は感覚界を脱することができたが、だからといって自然そのものを離脱したわけではない。イスラムから借りた幾何学的象徴体系によれば、この第一段階の解放は、人間を《広さ》という水平的方向で解き放つもので、その結果、「原初人間」の状態が回復されるが、これは老荘の道でいう「真人」と同じものである。個人は依然として一人の人間のままだが、精神的にはすでに時間と多様性のくびきから解放されているのである。
 本来の意味での霊的な目標に到達し、形を越えた、被制約的および無制約的な高度の状態を実現するのは大密儀の役割で、それは、この世からの解脱と、「根源」との合一にまでいたるものであった。(中略)この第二段階は《高揚》という垂直的方向で進展し、回教で《普遍的人間》、老荘の道で《超越的人間》と呼ばれるものの状態にまで達する。」

「秘儀志願者はまず厳しい断食の行に耐え、しかるのち、自然の諸元素による浄化の過程に入って、裸で、沈黙のうちにこの試煉を受けねばならなかった。これは、地下、水上、最後に天上登高による大気という具合に、さまざまな元素の中をつぎつぎとくぐりぬける旅の形をとっていた。地下の探求は、「冥府」くだり、すなわち存在の下位の状態への下降をかたどるものであった。この下降(引用者注: 「下降」に傍点)(katabasis)の意味は周知のとおりで、それは人間の状態に先立つ諸状態を要約し、小密儀入門者がなお高い境地へ近づいて行く前に、自分の中に残っている低次元の可能性を絶やすことを目的としていた。秘儀伝授は第二の誕生とみなされたから、この地獄くだりは、俗界でひとたび死ぬことを意味していた。状態の変化は、あらゆる変容(メタモルフォーズ)がそうであるように、暗黒の中で行なわれ、同時に入門者は彼の新たな本質をあらわす新しい名前を授かるのだった。死と再生とは、同じ一つの状態変化を相反する二つの側から見たもので、相互補完的な関係にあった。
 第二の誕生はすなわち心的な意味での再生であるから、秘儀伝授の初期段階は心的次元で行なわれた。この心的次元から霊的次元への移行を実現するのが大密儀だが、この移行の時期に当たるのが、最も重要な段階たる連接点の状態であった。これがつまり宇宙(コスモス)の外への解放をあらわす第三の誕生で、洞窟から外界へ出る行為によって象徴された。」

「ルネ・ゲノンは、人間存在の悟達の中に二つの局面というか、二つの段階を区別している。一は右にその様相をたどってきた上昇過程で、これは原則として、この段階を実現しうる人びとすべてに開かれた道である。他は下降過程で、これはきわめて例外的なものである。非=現象界にとどまる人間は、おのれの道を自己自身のために実現したのに対し、《ふたたび下降する》人は、遣わされし者、化身(アヴァタラ)として予定された務めを果たす。」
「下降の道は世界顕現そのものと同じであり、この観点よりすれば、秘儀伝授は、循環過程の中で永遠の化身(引用者注: 「化身」に傍点)となって出現する同一原理が人間の中で実現されることとみなしうる。」



「第二部」より:

「エゾテリスムこそまさしくあらゆる宗教の心であり、精神なのである。それは、宗教がすべて同一の伝統から生まれた子であることを証明する。(中略)違った名前のもとに同じ一つの真理が存在することが、誰にも認められる。」












































































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
 
うまれたときからひとでなし
なぜならわたしはねこだから
 
◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

Koro-pok-Guru
Away with the Fairies

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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