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E・H・ゴンブリッチ 『【増補完訳】 棒馬考』 二見史郎・谷川渥・横山勝彦 訳

E・H・ゴンブリッチ 
『【増補完訳】 
棒馬考
― イメージの読解』
 
二見史郎・谷川渥・横山勝彦 訳

勁草書房
1988年6月15日 第1版第1刷発行
1994年1月10日 完訳版第1刷発行
393p 目次4p 索引vi
四六判 丸背紙装上製本 
カバー ビニールカバー
定価3,605円(本体3,500円)



「あとがき」より:

「この訳書の底本は Ernst H. Gombrich, Meditations on a Hobby Horse and Other Essays on the Theory of Art, Phaidon Press, London, 1963. である。」


「増補完訳版のためのあとがき」より:

「今回、版を改めるにあたり、一部訳文を修正し、また先の版で割愛されていた三篇の論文をすべて収録することにした。(中略)今回新しく付加された三篇は一括して本書の最後に収めざるをえなかった。」


本文中図版(モノクロ)130点。


ゴンブリッチ 棒馬考 01


帯文:

「棒馬、漫画、壺絵からエッシャーまで、視覚芸術の表現と意味に迫る!
◆3篇(中世美術、芸術の社会史、抽象芸術)を加えた……増補完訳版!」



目次:

序文 (二見訳)

棒馬 あるいは芸術形式の根源についての考察 (二見訳)
芸術上の価値の視覚的隠喩 (二見訳)
精神分析と美術史 (横山訳)
相貌的知覚について (横山訳)
表現と伝達 (谷川訳)
アンドレ・マルローと表現主義の危機 (谷川訳)
西欧の静物画における伝統と表現 (二見訳)
芸術と学問 (二見訳)
ロマン主義時代における図像表現(イミジャリ)と芸術 (谷川訳)
風刺漫画家の兵器庫 (二見訳)
イリュージョンと視覚の袋小路 (横山訳)
中世美術における達成の問題 (谷川訳)
芸術の社会史 (谷川訳)
抽象芸術の流行 (横山訳)

あとがき (訳者/1988年3月)
増補完訳版のためのあとがき (訳者/1993年8月)

索引



ゴンブリッチ 棒馬考 02



◆本書より◆


訳者による「あとがき」より:

「本書では棒馬から漫画まで、あるいはギリシャの壺絵からエッシャーに至るまで論点の内容は多岐にわたっている。しかも、それらは専門分野の枠を越えて多方面に論議が及ぶことを意識して論ぜられている。これらの問題の多様性にもかかわらず、著者は二十世紀の主要な争点、抽象と表現(イクスプレッション)という問題を捉えている。
 「棒馬あるいは芸術形式の根源についての考察」では「抽象」と「具象」の誤った議論の土俵を立て直すために representation の意味を多面的に追いつめ、表現のルーツとしての substitution 代替の機能を重視する。
 著者はドイツ表現主義や抽象表現主義を支える表現主義理論に批判を加える。芸術を感情のコミュニケーションと見る理論、自己表現としての芸術という見方に対する批判はことに「表現と伝達」、「アンドレ・マルローと表現主義の危機」に色濃く示されている。」
「さらに著者が批判するのはヘーゲル流の歴史主義であり、(中略)「芸術と学問」で著者は時代精神や国家と民族の「精神」で満たされる歴史主義の神話がわれわれを判断停止に陥れる危険を指摘する。」
「「絵のなかには目に触れるものよりいかに多くの隠されたものが存在するか」――これはアルバースの抽象画を例にして、コードの乱れによって生ずる衝撃を問題にした文章であるが、ゴンブリッチのすぐれた業績はもっと広い意味で「多くの隠されたもの」を解明してきた営みであると言えよう。」



「序文」より:

「さまざまな時期に、いろいろな目的で書かれた研究論文、講演、論説ではあるものの、こうして一巻に集めてみると、初出のとき以上に共通した面があるように思われる。これらの文章はすべて、己れの時代の芸術によって引き起こされた諸問題に対する一人の歴史家の反応を表現している。二十世紀の批評は二つの主な争点、つまり、抽象と表現(イクスプレッション)という問題に集中している。前者は普通具象描写(レプリゼンテイション)との関係において論ぜられ、後者は自己表出(セルフ・イクスプレッション)と時代の表現というその一対の様相において論ぜられている。これらは本論集のなかに取っ換え引っ換え立ち現れてくるテーマである。」
「こうした研究は多くの科学の協力が必要であり、人類学、宗教史、古典文学などと「緊密に縒り合わされ」、かつまた「多くの点で心理学と密接な係わりをもった」ものでなければならない、と彼(引用者注: ロジャー・フライ)が強調したのもこれまた正しいことであった。(中略)こうした研究者が望むのは単に、自分の成果が多少ともその特殊性と秘教的性格を捨ててほかの分野の研究者たちにも近づき易いものとなる(中略)ようにそれらの成果を明確に表現することである。
 そこで、本書に収められた論文ではこうした知的協力の目標に沿うよう努力が払われている。」



「表現と伝達」より:

「大分ゲームとモデルを論じてきたので、私はしめくくりとして伝達の領域の範囲内でロジャー・フライの類比に代わるべきものを示したいと思う。彼の送信機の譬えの代わりに、六ペンスという現在の郵便料金で海外へ定期的に手紙を書く人のことを考えてみよう。ある日、心が感じやすい状態になっているとき、彼は六ペニー切手のありふれた紫色に心打たれて、いたずら気分で、自分の気持をもっと適切に表現するような別の組み合わせを求めてあれこれと思いめぐらす。言うまでもなく、手紙を受けとる人は、この新しい芸術形式について教えられていなかったなら、規範からのこの逸脱に決して気づかないであろう。しかしひとたび舞台が設けられれば、わがプレイヤーたちはゲームを始めることができよう。彼らの媒体は以下の十種類の切手から成る。すなわち二分の一ペニー・オレンジ色、一ペニー・青、一と二分の一ペニー・緑、二ペンス・茶色、二と二分の一ペンス・赤、三ペンス・紫、四ペンス・淡青色、四と二分の一ペンス・淡紅色、五ペンス・薄茶色、六ペンス・薄紫色。金銭的計算と形式感覚との両方によって、正しい額の切手を貼る規則が決まってくる。とはいえ、この制限的規則のなかでさえ、さまざまな気分(ムード)をすっかり反映しているかもしれぬ一様な色の選択が六通り(オレンジ色十二枚、青六枚、緑四枚、茶三枚、紫二枚、薄紫一枚)もある。「反映」というのは、つまり、三枚の茶色の切手のメッセージを、選択可能なもののなかで最もくすんだものと認めるであろう相手方に対しての話である。そのような相手がいれば、彼はたとえば一枚はオレンジ色、一枚は青、一枚は赤、一枚は緑、そしてもう一枚はまたオレンジ色といった具合に最大限に対照を際立たせている、このうえなく多様性に富んだ装飾を施された封筒を見たとき、必ずや紛うことなくあるすばらしい知らせを期待することだろう。二つのオレンジ色を結びつけ、それから赤へ、次いで青から緑へと進めば、緊張は静まってしまうが、それでも気分はなお非常に明るい。もちろん、左側の切手を主だった気持をあらわす「分類辞」とし、右側の切手が引き続いてそれを明確化するというふうに、読みの方向について双方が同意することができる。おそらく大きな怒りと何がしかの悲しみは、二枚の赤と一枚の青の切手であらわすことになるだろう。とはいえ、ちょっとした突発的な激情に駆られると、規則をすっかり破り、そして一と二分の一ペニーという無用の出費をして三枚の赤い切手を貼ることにもなろう。しかしそのような極端な表現主義的奔放さに一時的にでも駆られるなら、わが通信者は自分の媒体をこれを最後に台なしにしてしまう恐れがある。いったん規則が破られると、封筒の全面を色で塗りたくってはいけないという正当な根拠はなくなる。しかも規則に戻ることはいよいよむずかしくなる。というのも、そのことはいまや彼が示したいと思っている以上に彼の感情が静まってしまったことを暗に意味することになるだろうからである。それゆえ本物の芸術家としては、わが通信者は、少なくとも自分がその可能性をすべて尽くしてしまうまでは、こうした「形式を破る」誘惑に屈することはないだろう。彼の想像力を挑発するのは、むしろゲームそのもの、読む者が調べるように促される、合計六ペンスになる組み合わせの豊かさなのである。ゲームに本当に打ち込む人なら、メッセージを自分の気分に合わせるよりは、たぶん気分のほうを興味深い組み合わせに合わせようとするだろう。そうする人だけが、思うに、真の芸術的気質をもっているのかもしれない――しかしそれはまた別の話である。」
































































































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E・H・ゴンブリッチ 『アビ・ヴァールブルク伝』 鈴木杜幾子 訳

「壁はすべて床から天井まで本で覆われ、食料貯蔵室も書庫になり、重い書棚が扉の上にまで吊されて危険極まりない。ビリヤード室も研究室になり、広間、踊り場、家族の応接室などのいたる所に本、本、また本である。しかも毎日のように新しい本が届いてくる。」
(フリッツ・ザクスル 「ヴァールブルク文庫の歴史」 より)


E・H・ゴンブリッチ 
『アビ・ヴァールブルク伝
― ある知的生涯』 
鈴木杜幾子 訳


晶文社
1986年8月30日 発行
410p 索引・文献目録xxiii
口絵(モノクロ)1葉
別丁図版(モノクロ)65p
菊判 丸背紙装上製本
本体カバー 機械函
定価6,200円
ブックデザイン: 平野甲賀



Ernst H. Gombrich: Aby Warburg, An Intellectual Biography, 1970
二段組。


ゴンブリッチ ヴァールブルク伝 01


函文:

「彼は、"Warburg redux" (帰ってきたヴァールブルク)と手紙に署名したことがあった。戦いに勝って祖国に帰還した兵士のように、彼は自分を感じていた。それは闇と地獄にたいする戦いだった。彼は学者というものは自分の職業を選ぶのではなくて、ただ高いところからの命令に従っているだけだという信念のもとに生き、仕事をしたのだ。この年月、彼とともに仕事をした人は誰ひとり、その魅惑に抵抗できなかった。
フリッツ・ザクスル」



帯文:

「20世紀の知的宇宙を
一変させながら
これほど謎にみちた
人物はいなかった。

ヴァールブルク学派の
巨星が
敬愛の念をこめて描く
その創始者の全体像。
待望の翻訳!」



帯背:

「二十世紀の知的
渕源を解明する
伝記作品の白眉」



ゴンブリッチ ヴァールブルク伝 02


目次:

1 序
2 前奏曲(一八六六~一八八六)
3 青年期の教師たちと勉学(一八八六~一八八八)
   文化の心理学
   考古学と美術史
   ミュンヘン、フィレンツェ、ボンからの出発
4 ボッティチェルリに関する学位論文(一八八八~一八九一)
5 美術史を超えて(一八九一~一八九七)
   哲学に関する読書と美学に関する断片
   ページェントリーの研究
   アメリカへの旅行
   現代芸術
6 フィレンツェ研究への回帰(一八九七~一九〇四)
   ルネサンス美術=レオナルド
   ニンファについての断片
7 成果と後退(一九〇〇~一九〇四)
8 心理学的な問題としての様式間の葛藤(一九〇四~一九〇七)
   障害としてのゴシックのレアリズム
   現代との照応
   触媒としてのゴシック
   味方としてのゴシック
   対立するものの調和
   古典古代の情念とその危険
9 星々(一九〇八~一九一四)
   神々と魔神たち
   魔術と論理の間で
10 魔に憑かれた宗教改革時代(一九一四~一九一八)
11 回復と総合(一九一八~一九二三)
   蛇儀礼についての講演
12 研究生活への復帰(一九二四~一九二六)
   レンブラントについての講演
13 社会的記憶の理論
14 象徴の生命(一九二六~一九二九)
15 最晩年のプロジェクト――ムネモシュネ
16 美術史学におけるヴァールブルクの位置
17 ヴァールブルク文庫の歴史(一八八六~一九四四) (フリッツ・ザクスル)


訳者解説・ヴァールブルクの美術史学
文献目録
 1 ヴァールブルクの刊行著作目録
 2 ヴァールブルクの未刊行著作目録
 3 ヴァールブルクに関する文献
索引



ゴンブリッチ ヴァールブルク伝 03



◆本書より◆


「序」より:

「ヴァールブルクは明らかに一片の紙きれも捨てなかったようである。彼は非常な労苦を費して書き、決して書くことをやめなかった。彼の遺した文章の多くの部分が下書き、走り書き、公式化の試み、著述としての完成途中で放棄された断片であることが判ってきた。しばしば一冊の分厚なノート・ブックのほとんど全体が、一つのタイトルのもとに、多様な組み合わせや入れ替えによって書きとめられた多くの試験的な公式で埋められているのが発見された。覚え書きの多くは、ヴァールブルクが呈示しようとする何らかのイメージや事例を示す見出しの形で記されており、その中の多数は万華鏡のようにくりかえして現われてくるのである。」

「あらゆる面から見て、彼に会った人々にヴァールブルクが与えた印象が極めて並外れた人物のそれであったことは疑い得ない。彼は背の低い男であったが、「偉大な人物」のイメージに合致するものをもっていた。彼を知っていた人で、その暗色の眼の激しい眼差、かつて彼が克服した精神病の恐怖を想起させる深い憂愁、話しぶりの思いがけないほどの生気、ハンブルク風のユーモア、鋭い機智、(中略)ものまねの能力などについて語らない人はいない。」

「しかし、ヴァールブルクがこうした巧みな話術だけに頼って同時代の人々に印象を与えたのではないことはいうまでもない。仲間内における彼の評価は、まず何よりも、彼の確かな学識、フィレンツェの古文書に関する知識、書誌学に通じていることなどについてのものであった。(中略)彼はフィレンツェ研究と神話芸術と占星学についての並ぶ者のない専門家とみなされていた。」

「全体的に見て、彼はこうして研究材料や図書を収集しているときが一番幸福であり、そのような集中的活動の魅力にとらえられている間は、彼はほとんど日記帳やノートに向おうとはしなかった。彼は日記やノートを悩み事やさまざまな問題を記すためのものにしていたので、それらから浮び上ってくるこの学者の人格が、現にそうであったよりも幾分か苦渋に満ちたものに見えてしまうことも大いにあり得ることである。」

「記録自体はその完全さという点で極めて特異なものである。事実、その豊富さ自体が問題を孕んでいた。ヴァールブルクが大西洋を横断した時の船客リストや食事のメニューが、散髪代に及ぶまでの彼の出費の詳細な記録と同様にすべて保存されている。彼はいつも本の余白にしるしをつけていたから、彼がいつ一冊の本を買い、それをどの位読んだかを知ることは、ほとんど常に可能である。」

「彼は憂鬱、苦悩、強迫観念にとりつかれやすく、そしてこれらのデーモンとの不断の争闘が彼の精神の中では、不合理と原始的衝動に対する人類の戦いと一つのものと感じられていたのであった。」

「彼はルネサンスを理性と非理性の葛藤の場とみなしていたにもかかわらず、自分では完全に理性の側に立っていた。彼にとって自分が収集し後継者たちにわたそうとしていた図書は、啓蒙の道具であり、理性が漸くのことでなしとげたことをいとも簡単に圧し去ってしまう可能性のある暗黒の力に対する戦いの武器なのであった。」

「この本好きの少年の姿は彼の弟が書き遺した次のような回想によっても伝えられている。
 「書棚には鍵がかけられていたが、彼はどんな禁令も受け容れようとはせずに読みたい本は全部読んだ。六歳から十二歳までの彼が本を持たずにいる姿を私は思い出せない。彼は百科辞典をAからZまで皆読んでしまったのである。」
 ヴァールブルクについての伝説の一部になっている事件が起きたのはこの時期の終り頃、アビが十三歳の時であった。これについてマックス・ヴァールブルクは一九二九年十二月五日の追悼講演の中で次のように語っている。

  「アビは十三歳の時、彼の家督権を私に譲る提案を致しました。長子だった彼は、家業に従事することに決められていました。私はやっと十二歳で、そうしたことを考えるには幼なすぎましたが、彼から家督権を譲り受けるのに同意しました。けれど彼が代償として希望したのは(中略)将来彼の欲しいと思うすべての本を私が買い与えるという約束でした。ほんの僅かの間黙って考えた後で、私は承知しました。(中略)そして私はまったく疑うことをせずに、今打ち明けて申すならば、極めて多額の白紙小切手を彼に与えたのでした。読書や書物への愛は……彼の若い時からの情熱でした。」」





こちらもご参照ください: 

ヴァールブルク 『蛇儀礼』 三島憲一 訳 (岩波文庫)






































































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ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
 
うまれたときからひとでなし
なぜならわたしはねこだから
 
◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

Koro-pok-Guru
Away with the Fairies

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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