FC2ブログ

武井武雄 『ラムラム王』

「「君は王様だとか旅人だとかいう者の眼からだけしか地上を見てはいないのだ。今度はラムラム王などという名前も捨てて、ただ一匹の獣(けもの)となってこの地球の上を、頭を低く垂れて這(は)ってみるがいい。」」
(武井武雄 『ラムラム王』 より)


武井武雄
『ラムラム王』 


発行: 銀貨社
発売: 星雲社
編集・制作: 九月館
1997年12月26日 第1刷発行
1998年11月10日 第2刷発行
162p
四六判 丸背紙装上製本 カバー
定価1,500円+税
カバー・デザイン: 竹川公一



本書「「ラムラム王」について」より:

「「ラムラム王」は大正十三年に「フンヌエスト、ガーマネスト、エコエコ、ズンダラーラム王」というタイトルで児童雑誌「金の星」(大正十三年三月号)に掲載されました。この時は一話完結の物語(本書の第一章の部分です)になっていましたが、(中略)大正十三年五月号から十一月号まで七回にわたって、「ラム王の一生」というタイトルで連載されました(本書の第二章から第八章の部分です)。もちろん、挿し絵は武井武雄氏本人によるものです。
 そして、大正十五年四月にそれらをまとめたものが叢文閣から「ラムラム王」という題名で単行本化されました。単行本化にあたって、挿し絵を新たに書き下ろし、テキストも若干変更されています。」
「その後、昭和三十九年九月に刊本作品の五十五番目として、再び刊行されますが、この時にもテキストの一部に加筆・訂正が行われています。また、挿し絵も(中略)新たに書き下ろされています。」
「本書で使用したテキストは(中略)刊本作品のテキストを使用しています。ただし、(中略)用字用語を中心に一部を(中略)変更しました。
 挿し絵は(中略)叢文閣版のものを使用しており、本書のカバーの折り返しにある絵は叢文閣版では口絵として使用されたものです。」



武井武雄 ラムラム王 01


帯文:

「【おとぎの国の王様、武井武雄のナンセンス・ワールド】
ほんとうの“生まれがい”ってなんだろう………………
不思議で奇想な物語
日本児童文学大正ルネッサンス期に生まれた幻のおはなし」



帯背:

「幻の
ナンセンス文学」



帯裏:

「――うちのラムラム王はいつの間にか魔物に食べられてしまったんだよまあ――
ラムラム王のお母さん
――たとえゴム人形でも命のある奴ならいい拾いものだ。今蠟燭のところへ持って行ってジイジイと焼き殺してそのお代の代わりに泥棒を一匹こしらえてやろう――
六萍の精の牝
――僕はマジックの方を少しばかりやるしね。それから花のかげで蟋蟀にタランテラを踊らせて、旅人からいくらかのお金をもらっているんだ――
お星様
――時というものが昔の方へほどけていくんだ。お前のような奴がこの島に来るからこそ、時の機械がさかさまに廻り出したんだ――
時計屋のチックタック
(本文より)」



武井武雄 ラムラム王 02


内容:

ラムラム王 (文・絵: 武井武雄)
 1~8

「ラムラム王」について
武井武雄(たけい たけお)



武井武雄 ラムラム王 03



◆本書より◆


「1」より:

「空の西の方に不思議な星があらわれました。この時、東京から九万マイル、ロンドンから九万マイルのエッペ国という国の貧乏な珊瑚削(さんごけず)りの仕事場の隅のぼろの中で一人の赤ん坊が生まれたのです。」
「赤ん坊は男の子、お父さんはさっそく名前をつけました。その名前というのがフンヌエスト・ガーマネスト・エコエコ・ズンダラー・ラムラム王というのです。(中略)王と言っても決して王様なのではありません。王は名前の中にはいっているだけで、やっぱり貧乏人の赤ん坊に過ぎませんでした。
 この不思議な星を見たことから、村の人たちは第二のキリストが生まれた、と言って騒ぎました。それからフンヌエスト・ガーマネスト・エコエコ・ズンダラー・ラムラム王などといちいち呼んでいた日には、どうもこめかみのところが痛くなってくるので、誰言うとなくただラムラム王と呼ばれるようになりました。」



「6」より:

「するとちょうどそれから十二晩目に、湖水(こすい)のへりを向こうの方からトボトボと歩いてくる一人のお星様に出くわしました。お星様は無愛想(ぶあいそう)にたずねました。
 「君は今までよく方々で出逢(であ)う男だが、一体どこへ行く気でぶらぶらしているんだい」
 「西の方へ行くんだ」
 これを聞いてお星様は鈴のような声を出して笑いました。
 「西って、君、馬鹿だなア、地球というものは円(まる)いんだから折角(せっかく)西へばかり行っていると、またもとのところへ戻ってしまうよ」」
「それから間もなく二人はホテルの一等室へ泊り込みました。ホテルの入口には――くらげの面ホテル――と書いてありました。
 ラムラム王は星なんかというものは一体どんなものを食べるのかしらと思っていると、お星様は食堂で『とろろ』と蛍草(ほたるぐさ)と角砂糖とを注文しました。やがてお星様は小指と拇指(おやゆび)とで巧(たく)みにスプーンを持ってうまそうにとろろをすすりながら、「僕は流れ星だからね」と言ってニヤリと笑いました。」

「「君は王様だとか旅人だとかいう者の眼からだけしか地上を見てはいないのだ。今度はラムラム王などという名前も捨てて、ただ一匹の獣(けもの)となってこの地球の上を、頭を低く垂れて這(は)ってみるがいい。」」

「獣の世界には強いものと弱いものとはありましたが、王様もなければ家来も兵隊もありませんでした。その代わり神様がいつも一緒にこの獣たちと遊んでおいでになりました。人間の眼にはとてもこの神様のお姿は偉過(えらす)ぎて見ることができないので、いろいろの命だとか、お釈迦(しゃか)さまだとか、エス様だとか、そういう人たちのお姿を透(とお)して拝(おが)んでいるのに、獣たちは本当にのんきに神様になついて遊んでいました。なるほど獣の中には一匹だって心配そうな顔をしたのがいないのは神様と始終(しじゅう)一緒にいるからだな、と思いました。」



「8」より:

「釣針は三センチ四方くらいの象牙(ぞうげ)の板に変わっていました。それをよくよく見ると、蟻(あり)の足で書いたような細かい文字がありました。

  ・神様のいらっしゃる所、番地
 
 まずこういうみだしのようなものがあって、
 
  たとえば花の雄(お)しべと雌(め)しべとの根もとを割ってごらん、
    そこにいらっしゃらなかったら虫眼鏡(むしめがね)で覗(のぞ)いてごらん。
 
 ははア、学問でいろいろの不思議を調べることだな、と思いました。
 
   美しいものや感じたものがあったら、しるしてごらんなさい。
 
 絵をかいたり歌を作ったりしてもまた神様に近づけるというわけかしら、と思いました。
  
   またえらい聖人の教えに手を合わせていると、
     いつかお姿が見えることがあるかもしれない。
  
 これで板の両面がおしまいになりました。ラムラム王は、だがいつかなんの知恵もない獣の世界にも神様が遊んでいらっしゃるのを見たが、あすこのことは落としているな、と思いました。」



「「ラムラム王」について」より:

「最後に、挿し絵の各所に入っている「RRR」のサインについて、刊本作品にある著者の「あとがき」から一部を引用します。
 『私はこの話を書いた時から昭和十三年までの間RRRというサインで絵を描いたが、それは Roi Ram Ram から出たラムラム王の紋章を襲用したのがその始まりである。この人物の生れ変りが、もし自分だとすれば盗用にはならないと考えたからである。』」


 
武井武雄 ラムラム王 04



◆感想◆


ラムラム王の特技は変身の術で、七歳の時に珊瑚削りのロクロに変身してお父さんを驚かせ、干葡萄や耳くそに変身してお母さんに魔物だと疑われ、家を追い出されてしまいます。
磁石国の大磁石に吸いつけられていた馬車の中から助け出したギニビヤ姫と結婚したものの、生きがいを見つける役に立つという黒曜石の釣針を探して西の方へ旅をする途中で、脚のひょろ長い鬼になった人間がたくさん棲んでいる毒藻の海や、時間が逆行する国などを経巡ります。魚に変身してようやく釣針を見つけたと思ったら煙突掃除人に釣られて奴隷にされたりしますが、最終的にはめでたしめでたしです。
釣針(が変化した象牙の板)に書かれている言葉についてのくだりは、科学と芸術と宗教の(人間中心的でない)統合という点で、宮沢賢治に通じるものがあって興味深いです。


武井武雄 ラムラム王 05

























































































































































スポンサーサイト



スズキコージ 『サルビルサ』

スズキコージ 
『サルビルサ』
Suzuky Cohji
Salubilusa


架空社
1996年8月 初刷
2004年10月 4刷
32p
29.8×23cm
角背紙装上製本 カバー
定価1,500円+税



国書刊行会からでている定本夢野久作全集を買おうかどうしようかと思ひつゝタツタ一人でしりとりしている今日この頃、あまり悩みすぎてわけがわからなくなってディスクユニオンでほぼ15,000円もする「YBO2 5タイトルまとめ買い特典DVD付きセット」を注文してしまいました。お金ないのにどうしよう。ドグラマグラとかYBO²とかスズキコージさんとか、マンダラとか縄文土器とか洗濯機のぐるぐるとかの世界観はたいへんしっくりくるので寝食もわすれるほどなのでしょうがないです。


スズキコージ サルビルサ 01


スズキコージ サルビルサ 02



◆感想◆


馬にのった西洋ふうの人と駱駝にのった東洋ふうの人が背中にとげとげのある謎の獲物をめぐって戦争になります。西洋ふうの人が「モジ」といえば東洋ふうの人は「ジモ」といい、西洋ふうの人が「サルビ」といえば東洋ふうの人は「ビルサ」といいます。ここからがネタバレですが、というか何がネタバレなのかスズキコージさんの絵本の場合、よくわかりませんが、王様たちは相打、両軍とも敗走、一部始終を空から見ていたハゲワシと鯨のハイブリッドのような鳥の王さまが「サルビルサ」と鳴きつつ獲物を拾って帰り、鳥たちはおいしいごちそうにありつくのでした。というわけで、いろいろ教訓とかもありそうで、たいへん哲学的でもあり、人類の歴史の縮図のようでもありますが、わたしなどは結局どっちにしても食べられちゃうとげとげの獲物に感情移入してしまうので困りものです。


それはそれとしてこのインタビューはたいへんすばらしいのでよむとよいです。

福音館書店 こどものとも60
長谷川摂子さんと絵本作家【第6回】スズキコージさん|ぼくの場合、そういうエクスタシーを撒き散らすっていうのをやってんのかなあ……

























































































スズキコージ 『すいしょうだま』

スズキコージ 
『すいしょうだま
― グリム童話より』


ブッキング
2005年2月28日 初版発行
34p
30.4×22.6cm
角背紙装上製本 カバー
定価1,800円+税


「※本書は「復刊ドット・コム」へ寄せられた、読者のリクエスト投票により復刊いたしました。(初版は1981年、リブロポートより刊行)」



スズキコージ すいしょうだま 01


帯文:

「お姫様を救え!
スズキコージ流、グリム童話。待望の復刊!」



スズキコージ すいしょうだま 02


帯裏:

「コージズキンのグリム!
あらすじ
魔法使いの女には三人の息子がいた。魔法使いは息子たちが自分の魔法の力を盗もうとしていると思い込んで長男を大鷲に、次男を鯨にしてしまった。それを見てすたこら逃げ出した三男は、ある村で、かわいそうなお姫様のうわさを聞いた。魔法使いに魔法をかけられて「きんきらきんのお日さまの城」に閉じ込められているのだという。三男はお姫様を助けようと、魔法を解くために必要な「すいしょうだま」を探しにでかける。」



スズキコージ すいしょうだま 04


スズキコージ すいしょうだま 03


スズキコージ すいしょうだま 05




































































スズキコージ 『Black card White card (ブラックカード ホワイトカード)』

スズキコージ 
『Black card 
White card
(ブラックカード 
ホワイトカード)』


架空社
2000年9月 初刷
ポストカード21枚
18.5×12.3cm
定価1,000円+税


「カードで使用する時は定形外のサイズです。」



スズキコージ画伯のポストカードブックが honto で売られていたので注文しておいたのが届いたので鑑賞してみました。


スズキコージ black card white card 01


表紙です。


スズキコージ black card white card 04


表紙裏にもイラスト(小)があります。


スズキコージ black card white card 02


裏表紙です。


内容:

ギターマン
ラッパ娘
ハモニカ
メキシコの少年
コンビ
ウサギバイオリン
お茶会
CIRCUS
GYPSY ROM
恋人同志
キコリ
惑星女
トナカイ
爆発DANCE
GYPSY
オンボロバス
ユーゴスラビア
宴会
カヌーこぎ
ベトナム
DANCE



スズキコージ black card white card 03


「ラッパ娘」


スズキコージ black card white card 05


切手を貼る場所にもそれぞれ違ったイラストが描かれています。


スズキコージ black card white card 06


「ユーゴスラビア」
















































































北原白秋 訳 『まざあ・ぐうす』 (角川文庫)

「掛け算はしちめんどう、
割り算は因業(いんごう)、
比例は人なかせ、
応用問題気がちがう。」

(北原白秋 訳 『まざあ・ぐうす』 より 「数学」)


北原白秋 訳 
『まざあ・ぐうす』

角川文庫 3665/緑 一二〇 4

角川書店
昭和51年5月30日 初版発行
昭和59年8月30日 14版発行
243p 『まざあ・ぐうす』原詩54p 
文庫判 並装 カバー 
定価340円
装幀: 杉浦康平
カバー/さし絵: 鈴木康司



本書「解説」より:

「初版単行本の『まざあ・ぐうす』(大正十年刊)とその後に出たアルス版全集本(昭和五年刊)や春陽堂少年文庫版(昭和八年刊)の『まざあ・ぐうす』との間には若干の字句の異同や改訂がある。」
「この角川文庫版は、アルス版全集本を底本とし、その中の明らかに誤植と思われるものを初版単行本によって訂正して、さらにかなづかいや漢字等を現代表記に改めたものである。」



本文庫版の特色は、原詩(英語)が巻末に収録されていること、本邦におけるマザーグース研究の泰斗・平野敬一による簡にして要を得た解説、そしてスズキコージ画伯によるたいへんすばらしい挿絵&カット81点が掲載されていることであります。


北原白秋 まざあぐうす 01


カバーそで文:

「ナンセンス、なぞなぞ、レジスタンス、諷刺などさまざまな要素を軽やかなリズムのうちに包み、英語圏で大切にはぐくまれてきた伝承童謡、まざあ・ぐうす。
 残忍で陽気で、奔放でとりとめがなく、そのおもしろさは不思議な魅力を秘め、暮らしの中に、文学の世界に深く息づいている。
 言葉の魔術師白秋が、愛をこめて子供たちのために訳出した幻の名著に、斬新なさし絵を多数挿入して復刊。」



北原白秋 まざあぐうす 02


目次:

日本の子供たちに はしがき

序詩 マザア・グウスの歌
まざあ・ぐうす
 こまどりのお葬式
 お月夜
 天竺ねずみのちびすけ
 木のぼりのおさる
 くるみ
 ボンベイのふとっちょ
 六ペンスの歌
 一時
 卵
 朝焼け夕焼け
 風がふきゃ
 文なし
 ファウスト国手
 とことこ床屋さん
 おくつの中に
 一つの石に
 コオル老王
 雨、雨、いっちまえ
 花壇にぶた
 日の照り雨
 いばらのかげに
 セント・クレメンツの鐘
 おうまのり
 小径にむすめ
 月の中の人
 十人のくろんぼの子供
 お月さまの中のおひとが
 クリスマスがきますわい
 べああ、べああ、ブラック・シイプ
 ろうそく
 ちっちゃなテイ・ウイ
 三月、風よ
 お面もち
 ししと一角獣
 くつやさん
 きれいなくびまき
 何人何びき何ぶくろ
 のむもの
 ちびねこ さんねこ
 雨もよう
 ポウリイ、やかんを
 南瓜ずき
 ぼう、うぉう、うぉう
 三百屋
 お釘がへれば
 二十四人の仕立屋
 ででむし角だせ
 お針みつけたら
 風よ、ふけ、ふけ
 気軽な粉屋
 いなかっぺえ
 おかごのばあさん
 すっとんきょうな南京さん
 鼻まがり
 あの丘のふもとに
 あたいのめうし
 ゆりかごうた
 こびっちょの子供は
 ねんねこうた
 はしっこいジャック
 ででむし、でむし
 一列こぞって
 ででむし
 おりこうさん
 おしゃべり
 ハアトのクイン
 コケコッコおどり
 でんでんむしむし
 おばあさんとむすこ
 てんとうむし
 あったかいパン
 ゴットハムの三りこう
 気ちがい家族
 ちっちゃなだんなさま
 一つのたるに
 ジャックとジル
 トムトムぼうず
 いぬはぼうおう
 ちいさなおじょっちゃん
 やぶ医者
 きれいずきのおかみさん
 御婚礼
 タッフィ
 ばばァ牛
 とっぴょくりん
 卵うりましょうと
 かささぎが一羽よ
 これ、これ、こいきな
 市場へ、市場へ
 数学
 眼
 五月のみつばち
 朝のかすみ
 かっこ鳥
 豆こぞう
 ソロモン・グランディ
 かえるの殿御
 一切空
 ロンドン橋
 世界じゅうの海が
 空はじめじめ
 アアサア王
 がぶがぶ、むしゃむしゃ
 天竺ねずみは
 ジャック・スプラットと
 背骨まがり
 おらがお父は
 ねこと王さま
 がァがァ、がちょう
 火の中に
 火ばしの一対
 お月さま光る
 おもちゃのうま
 なけなけ
 北風ふけば
 めくら鬼
 お山の大将
 上へいった
 みんなして森へ
 このぶた、ちびすけ
 おくつをはかしょ
 ながい尾のぶたに
 あァがった、あがった
 ワン、ツウ、スリイ、フォア、ファイブ
 顔あそび
 このベル
 足
 一番目のお床
 おしまい

巻末に 

解説 (平野敬一)
 一 成立
 二 「はしがき」と「巻末に」について
 三 翻訳としての『まざあ・ぐうす』
 四 『まざあ・ぐうす』のテキスト
 五 参考文献

『まざあ・ぐうす』原詩



北原白秋 まざあぐうす 03



◆本書より◆


「雨もよう」:
 
「いぬとねことがお友達にあいに、
ちょいと、街(まち)からつれだってまいる。
ねこがもうします。
「お天気はどうでしょね」
いぬがもうします。
「さようさ、おくさんえ、雨がふりそでござんすが、
御心配はいりません、てまえがこうもり傘(がさ)もってますでな。
そのときゃごいっしょに、相合傘(あいあいがさ)とはいかがでしょ」



「A DOG AND A CAT.」:

「A dog and a cat went out together,
To see some friends just out of the town;
Said the cat to the dog,
"What d'ye think of the weather ?"
"I think, m'am, the rain will come down -
But don't be alarmed, for I've an umbrella
That will shelter us both," said this amiable fellow.」



「気ちがい家族」:

「気ちがいの御亭主に、
気ちがいのおかみさん、
気ちがい小路(こうじ)に住んで、
三つ児をうんで、
どの児もどの児も気がちごた。
 お父さんが気ちがい、
 お母さんが気ちがい、
 みんな子供が気ちがい。
気ちがいうまにのって
いっしょくたに、みんなのって、
まっくら三宝(さんぽう)に、かけてった。」



「THERE WAS A MAD MAN.」:

「There was a mad man,
And he had a mad wife,
And they lived all in a mad lane!
They had three children all at a birth,
And they too were mad every one.
 The father was mad,
 The mother was mad,
The children all mad beside;
And upon a mad horse they all of them got,
And madly away did ride.」



北原白秋 まざあぐうす 04


「文なし」:

「一文なしの文三郎(もんさぶろう)、文三郎をさらおうと
どろぼうどもがやってきた。
にげた、にげた、烟突(えんとつ)の素頂辺(すてっぺん)へ攀(よ)じてった。
しめた、しめたとどろぼうどもがおっかけた。
それをみて文三郎、そろっとむこうへにげおりた。
こうなりゃみつかるまい。
かけた、かけた、十五日(じゅうごんち)に十四(じゅうし)マイル、
それで、ふりむいたが、もうだァれもみえなんだ。」



北原白秋 まざあぐうす 05


「セント・クレメンツの鐘」:

「のぼれいそいそ、またおりなされ、
鐘はロンドン、つけば数ござる。

「オレンジにレモン」
セント・クレメンツの鐘がなる。

「標的(まと)と、標的(まと)の星」
セント・マアガレッツの鐘がなる。

「煉瓦(れんが)に瓦(かわら)」
セント・ギルスの鐘がなる。

「半(ハアフ)ペンスにファシング *」
セント・マアルチンスの鐘がなる。

「パン菓子におせんべい」
セント・ピイタアスの鐘がなる。

「二本の枝、一つのりんご」
ホワイト・チャペルの鐘がなる。

「灰かき、火ばし」
セント・ジョンスの鐘がなる。

「湯わかし、おなべ」
セント・アンヌスの鐘がなる。

「バルドペエトじいさんよう」
オルトゲエドののろい鐘。

「おまえに十シルリング貸しがある」
セント・ヘレンズの鐘がなる。

「いィつはろうてくれるんじゃ」
ふるいベエレエの鐘がなる。

「おいらが金持ちになったらな」
ショルジッチの鐘がなる。

「そしたらたのむよ、そのときは」
ステプニイの鐘がなる。

「おれんしったこっかい」と
ボウの大きな鐘の声。

さあきた、手燭(てしょく)がお床(とこ)へおまえをてらしにきた。
さあきた、首切り役人がおまえのそっ首ちょんぎりに。

  * ファシングは一ペンニイの四分の一。」



北原白秋 まざあぐうす 06


「解説」(平野敬一)より:

「翻訳として白秋の『まざあ・ぐうす』は、どのように評価できるのだろうか。(中略)白秋の訳業は、語学力のいささかの心もとなさをその天才的な詩人の直観で補っている、というふうに評価して差し支えないかと思われるが、「補って余りある」とまで言いきれるかどうか。」
「また白秋が『まざあ・ぐうす』の訳に用いた語彙(ごい)の特性も、読者や研究者にとって、気になる興味深い問題の一つであろう。ほぼ同時代の松原至大(みちとも)訳や竹友藻風(そうふう)訳(いずれも大正十四年)と比べてみると、白秋訳は、なにか異質的というか、はるかに個性が強いことに気がつく。アクが強い、あるいは凝りすぎている、というふうに受けとる人もいよう。当時の広告文には白秋訳の「純然たる民謡調」とか「原作をしのぐ民謡調」という表現がみられるし、白秋自身「わが日本の民謡語であたう限り生かしきろうとつとめた」といっている。つまり、白秋訳は、厳密にいうと、必ずしも当時の現代語訳ではなかったのである。大正期の日本語訳というより、白秋あるいはその同時代人がとらえていた日本の「民謡調」訳だったのである。もっとサラッとした至大や藻風の訳しかたに比べると、そういうところに白秋訳のきわだった特色があったといえる。しかし、「民謡調」というだけで、たとえば「ソロモン・グランディ」の訳に出てくる「おっ死(ち)ぬ」とか「ずんと重(おも)って」といった表現の説明がつくのだろうか。私はなんとなく江戸期の洒落本や滑稽本の語彙を連想したりするのだが、こういう特異な語彙は、白秋の詩業総体の中で考察して位置づけてみる必要があるように思われる。」





こちらもご参照ください:

平野敬一 『マザー・グースの唄』 (中公新書)






















































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
 
うまれたときからひとでなし
なぜならわたしはねこだから
 
◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

Koro-pok-Guru
Away with the Fairies

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

最近の記事
カテゴリー
ブログ内検索
リンク
フリーエリア
netakiri nekotaroの最近読んだ本