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E・パノフスキー 『イデア』 伊藤博明・富松保文 訳 (平凡社ライブラリー)

「主観と客観との幸福な均衡関係が、いまや取り返しのつかないほどに壊されてしまったのだ。」
(E・パノフスキー 『イデア』 より)


E・パノフスキー 
『イデア
― 美と芸術の理論のために』 
伊藤博明・富松保文 訳

平凡社ライブラリー 504/は-22-1

平凡社 
2004年6月9日 初版第1刷発行
420p 訳者紹介1p 
B6変型判(16.0cm) 並装 カバー 
定価1,500円+税
装幀: 中垣信夫
カバー・マーブル制作: 製本工房リーブル
カバー図版: ミケランジェロ・ブオナローティ「預言者ザカリア」システィナ礼拝堂、ヴァチカン



本書「訳者あとがき」より:

「本書、エルヴィン・パノフスキー『イデア』は、以下の全訳である。
Erwin Panofsky, Idea: Ein Beitrag zur Begriffsgeschichte der älteren Kunsttheorie, 2. Aufl., Berlin: Verlag Bruno Hessling, 1960.
 初版は一九二四年にライプツィヒとベルリンにおいて、「ヴァールブルク文庫研究叢書」(Studien der Bibliothek Warburg)の第五巻として刊行され、一九六〇年に第二版が新たな「序文」を伴って現れた。(中略)なお、副題を直訳すれば「古い芸術理論の概念史への寄与」となるが、本書では「美と芸術の理論のために」とした。」
「本文は富松保文、註と付録は伊藤が担当し、全体の統一には伊藤があたった。」



扉図版(モノクロ)7点。


パノフスキー イデア


帯文:

「真理と美をめぐるドラマ
芸術を否定したプラトンのイデア概念が
ヨーロッパの芸術理念に発展する過程を描く
パノフスキー初期の傑作の新訳」



カバー裏文:

「芸術を否定した
プラトンの「イデア」概念が、
中世・ルネサンス・マニエリスム・
古典主義と、様々に姿を変えながら、
ヨーロッパの芸術理念の中心を
占めるに至る芸術思想のドラマを描く。」



目次:

凡例

第二版へのまえがき
まえがき

序論
一 古代
二 中世
三 ルネサンス
四 マニエリスム
五 古典主義
六 ミケランジェロとデューラー
付録
 一 ジョヴァンニ・パオロ・ロマッツォによる美の均衡に関する章、およびマルシリオ・フィチーノの『プラトン「饗宴l註解』
 二 ジョヴァンニ・ピエトロ・ベッローリ『画家、彫刻家、建築家のイデア――自然より優れた自然的美の選択』



訳者あとがき (伊藤博明)
人名・書名索引




◆本書より◆


「序論」より:

「プラトンが、いかなる時代にも通用するやり方で美の形而上学的意味と価値を基礎づけたというのはたしかにその通りだし、造形芸術の美学にとってもまた、彼のイデア論はますます大きな意義を担うようになってきた。しかし、彼自身の考え方という点から見れば、プラトンはけっして造形芸術に対する公正な審判者ではありえなかった。もちろん、プラトン哲学を「芸術に敵対するもの」と決めつけ、プラトン哲学は、画家や彫刻家にはイデアを観る能力がまったくないとして、彼らを非難してきたとまで主張するのは行きすぎだろう。なぜならプラトンは、哲学はもちろん、生のあらゆる領域において、本物の仕事と偽りの仕事、正しい仕事と不正な仕事を区別しており、造形芸術が話題にのぼるさいにも、やはり同じような区別を折にふれて行っているからである。すなわち、一方では「模倣術」(mimetike techne)の使い手たちを槍玉にあげ、彼らには物質世界の感覚的な現れを模倣するだけの能しかないと、繰り返し罵りの言葉を浴びせかけているが、これに対してはしかし、経験的現実のなかでその成果を発揮する活動全般について言えるように、自らの作品のなかでイデア(引用者注: 「イデア」に傍点)を際立たせようと努め、いわば立法者の仕事の「模範」となるような仕事を行う芸術家たちを対置しているのである。」
「しかし、(中略)プラトン哲学はやはり、芸術に敵対する(引用者注: 「敵対する」に傍点)とは言わないまでも、芸術に疎遠なもの(引用者注: 「疎遠なもの」に傍点)と呼ばれるにふさわしいものであった。それにまた、プロティノスを筆頭に、ほとんどすべての後継者たちが「模倣的」芸術に対するプラトン哲学の数々の攻撃のうちに、造形芸術そのものに対する全面的な呪詛を読みとってきたのも当然と言えるだろう。プラトンは彫刻や絵画作品の価値をはかる尺度として、それらとは異質な認識上の真理という概念、すなわちイデアとの合致という概念をもちだしてくる。そのために、彼の哲学体系のなかには造形芸術の美学を「独自の」(sui generis)精神領域として受け容れる余地はありえなかったのである(一般的に言っても、美学的領域が理論的および倫理的領域から原理的に分離されることになったのは、一八世紀以降のことである)。」



「古代」より:

「芸術にかぎって言えば、ちょうど後代のルネサンス期と同じように、古代においてもまったく素朴なかたちで、最初から相容れない二つの考え方が対立したまま併存していた。一方では、芸術作品は自然よりも劣っており、それはせいぜい自然を模写する(引用者注: 「模写する」に傍点)だけで、最良の場合でも錯覚を生むにすぎないという考えがあった。それと同時に他方では、芸術作品は自然よりも優れたものであり、自然が生みだした個々のものの欠点を補いつつ、新しく創造された美の像を、自然に対して独自に対峙させる(引用者注: 「対峙させる」に傍点)ものだという考えがあった。絵に描かれた葡萄の房に雀がおびき寄せられたとか、馬の絵を見て実際の馬がいななきかけたとか、カーテンの絵に芸術家の目でさえ欺かれたという逸話が、さまざまに形を変えながら語り継がれる一方で、そしてまた、ミュロンの雌牛がいかに本物そっくりであったかを伝える数え切れないほどの警句がある一方で、他方では、ポリュクレイトスの作品が人間の見かけに「本物以上の優美さを与えた」ことを心ならず認めた告白や、あまりにも本物そっくりに造りすぎ、美しさよりも似ていることを優先しすぎたとして、かのデメトリウスを非難した言葉、そしてまた、ほとんど自然を超えたかのような人間の美しさを、彫像や絵画になぞらえて讃えあげた詩文が数かぎりなく伝えられている。すでにソクラテスも、絵画そのものは「目に見えるものの影」(eikasia ton horomenon)であるにせよ、「あらゆる点で非の打ちどころのないにg年に出会うのは容易ではないのだから」、多くの肉体からもっとも美しい各部分を集めることで、描きだされた肉体を美しく見せるようにすることが絵画の務めでもあり力でもあるということを当然のことと考えていたし、雀を欺く葡萄の絵を描いたと言われるゼクシウスについても、彼がヘレネを描くためにクロトンの町のもっとも美しい五人の乙女に頼んで、各人のもっとも美しい部分を絵に使ったという話が、うんざりするほど繰り返し(とりわけルネサンス期には)語られてきた。」
「したがって、一方で「模倣」という概念を堅持しながら、他方で、芸術家をたんに自然の従順な複製家と考えるだけでなく、自然のうちにある避けがたい不完全性をその自由な創造能力によって改良する独立した自然の敵手と考えることは、古代ギリシアにおいてもけっして奇妙なことではなかった。また、ストア派の語録に見られる神話の寓意的解釈を考えてみただけで分かるように、後期ギリシア哲学の展開を特徴づけている直感的認識から知性認識への方向転換が勢いを増すにつれ、最高の芸術は感覚される手本がまったくなくても可能であるし、それは現実に知覚されるものの印象から完全に解放されうるものであるという確信さえ広まってきた。」
「こうしてわれわれは、キケロにおいて成し遂げられたプラトン的イデアと画家や彫刻家の精神に内在する「芸術的表象」との同一視を、ようやく理解できる地点に辿り着いた。一方では芸術批評が、すでに異教的古代のうちに生じていた像敵視の傾向に激しく抵抗し、いわば芸術批評に固有の精神主義を論拠としてその傾向と戦うことで、表現の対象を外的に知覚される現実世界の地位から、内的で精神的な表象の地位へと格上げするにいたる。と同時に、他方では逆に、哲学が自ら進んで、認識の原理であるイデアを形而上学的「真実在」(usia)の地位から、純然たる「観念」(ennoema)の地位へと格下げする。芸術における対象が経験的現実の領域から浮上するのと同じ程度に、哲学におけるイデアは「天上界」(hyperuranios topos)からすべり落ち、それとともに両者の住まいには、いまだ心理学的意味における意識ではないにせよ、人間の意識が割り当てられることになり、そのなかで両者は一つに溶け合うことができるようになったのである。」
「しかしキケロのこの調停策は、たとえ問題として明確に意識されることはないにせよ、それが一つの調停策であるかぎり、解答を差し迫る固有の問題を孕んでいた。もし芸術作品の本来の対象である内的な像というものが、芸術家の精神のうちに住まう表象、つまり「思念的形象」(cogitata species)にほかならないとすれば、いったい何がその内的な像に、現実の現象よりも優れたものであるための完全性を保証してくれるというのだろうか。そしてまた逆に、もしその内的な像が実際にこのような完全性をもっているならば、それは純然たる「思念的形象」とはまったく別の何かであるべきではないだろうか。この二者択一を前に、取るべき道は結局のところ二つしかありえなかった。いまや「芸術的表象」に同化されたイデアに、よりいっそう高い完全性を認めることを拒む(引用者注: 「拒む」に傍点)か、それとも、このよりいっそう高い完全性を形而上学的に正当化する(引用者注: 「正当化する」に傍点)か、そのどちらか(引用者注: 「どちらか」に傍点)しかない。第一の道はセネカによって、第二の道は新プラトン主義において選び取られることになる。」

「プロティノスが認めようとしたような、造形芸術を本質的に「制作的」もしくは「発見的」なものと見る捉え方は、プラトンによってとくに強調されたような、造形芸術を「模倣的」なものと見る捉え方に劣らず、造形芸術の地位を脅かすことになる。(中略)芸術とはたんに感覚世界の模倣にすぎないと見る「模倣的」立場は、芸術の目的が努力に値しないことを明らかにすることによって、芸術に対してその正当性(引用者注: 「正当性」に傍点)を認めることを拒む。他方、芸術には、抵抗する質料のなかに「エイドス」を「送り込む」という高尚な任務があると見る「発見的」立場は、その目的が到達不可能であることを示すことによって、その成功(引用者注: 「成功」に傍点)の可能性を否定するのである。もちろん、彫刻家が生のままの石を「切り取り、削り、磨き、きれいにし、彫像に美しい容姿を与えた」なら、そこにはたしかに美が生じる。しかし、イデアが素材の世界への堕落を最初から免れている場所には、それよりもいっそう高い美があるのである。他方また、形相が質料に打ち勝つことはたしかに美しい。しかし、けっして完全なものでありえないそうした勝利がまったく必要ないときのほうが、よりいっそう美しいのである。」
「したがって、「美が素材のうちへはいって拡散すればするほど、それだけそれは、一つのもののうちに留まっている美に比して、より弱くなる」のだから、結局は「手のないラファエッロ」が抱く思惟の方が、現実のラファエッロが描いた絵画よりも、より高い価値をもつことになるのである。」

































































































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パノフスキー 『ルネサンスの春』 中森義宗・清水忠 訳

パノフスキー 
『ルネサンスの春』 
中森義宗・清水忠 訳


思索社
昭和48年6月25日 第1刷発行
昭和55年9月30日 第4刷発行
305p xxxviii 
A5判 丸背紙装上製本 カバー
定価2,800円



本書「訳者後記」より:

「本書は Erwin Panofsky, Renaissance and Renascences in Western Art, Stockholm, 1960 を底本に訳出したものである。」
「本書は一九五二年夏スエーデンのウプサラ大学主催のゴッツマン夏期ゼミナールの講師として招かれたパノフスキーが、自身の終生のテーマ「美術史におけるルネサンスの問題」をとりあげて一週間にわたる講義をもとにまとめたものである。第一章では文芸復興というルネサンス解釈に対して、建築における古代復帰と、絵画における自然への復帰と、彫刻における両者への復帰を論じ、それがヴァザーリによって総合される経過を述べる。第二章ではイタリア・ルネサンスに先行する二つの古代復興が、カロリング朝と十二世紀のリナスンシズであるといい、前者は異教的古代とキリスト教的古代を分別できず、比較的短期であったのに対して、後者は視覚芸術上の「早期ルネサンス」の中心は南仏、イタリア、スペインであったが、文学上の「早期ヒューマニズム」は北仏、ドイツ、イギリスに栄えたとする。そして古典の形式と内容の結合が初めて可能となったのが、イタリア・ルネサンスであることを解明する。第三章ではジョットとドゥッチョによるイタリア絵画の革新運動がヨーロッパにみとめられたこと、一方建築と彫刻では北方諸国がイタリアへ影響していることを述べ、最終章で視覚芸術全般にわたって古典主義と自然主義への傾向が強まり、イタリアとネーデルラント美術との関係が深まることを述べる。」



本文中図版(モノクロ)157点。


パノフスキー ルネサンスの春


目次:

編集者序文 (グレゴール・ポールソン)
著者序文

第一章 ルネサンス――自己限定か、自己欺瞞か
第二章 ルネサンスとリナスンシズ
第三章 最初の光明――イタリア十四世紀絵画とヨーロッパ諸国に対するその影響
第四章 古代の復活――十五世紀

原注
訳者後記

参考文献
索引




◆本書より◆


「第一章」より:

「人間の問題を扱う歴史においては、千人の行動の効果は、一人の行動を千倍した効果と同等のものではない。そしてさらに重要なことは、人間の行為だけが価値を有するだけではなく、人間が考え、感じ、信ずることを忘れてはならない。「質」と「量」を切り離すことができないように、主観的な情感や信念と、客観的な行為や業績を切り離すことはできない。預言者の布教に対する回教徒の信仰、教父たちが解釈した福音書に対するキリスト教徒の信仰、自由な企業・科学・教育に対する現代アメリカ人の信仰――これらすべての信仰が、回教徒、キリスト教徒、現代アメリカ人の現実を決定しており、少なくともその決定に貢献しているのであり、彼らが信ずるものが「真理」であると証明できるか否かは別の問題である。
 ある人がいうように、「祖母が十八歳のときに着ていた衣服を十八歳の孫娘に着せると、現在の祖母から想像するよりも、ずっと往時の祖母の姿を彷彿させる。しかし孫娘には、半世紀前の祖母と同じように感じたり行動することはできない。」しかしながら、もしこの孫娘が祖母の衣服をいつまでも離さず常時身につけ、そのほうが以前着ていたものより似合うし、自分にふさわしいと信ずるならば、その孫娘は、身のこなし、礼儀作法、言葉使い、感情などをこの改めた姿に合わせてゆくことができないことはないであろう。彼女は内面的な変身をとげるのであり、それは、彼女を祖母の複製に仕立てあげることではなく(中略)、彼女が自分に合うのはスラックスとポロシャツ姿だと信じていたときとはまったく別なふうに「感じたり、行動したり」するようになるであろう。彼女の服装の変化から生ずるのは――そして後にはそれが永続的になるのだが――心情の変化である。
 しかしながら、「変身」に対するルネサンス人の考えは、心情の変化以上のものであった。それは、内容的には知的・情感的体験であるが、性格的にはほとんど宗教的な体験でもあったといえよう。われわれも知るように、「新しい時代」と中世的過去を区別するのは、「暗黒」と「光明」、「眠り」と「目覚め」、「盲目」と「明察」という対照であり、それが聖書と教父たちの言葉から出ていることはすでに述べたとおりである。そして、復活する(レヴィヴェーレ)・蘇生する(レヴィヴィシェーレ)、そしてことに再生する(レナシ)などという言葉が宗教的起源と含みをもっていることは、同様にまぎれもないことである。それには、ヨハネ福音書からの一節を引用するだけで十分であろう。“nisi prius renascitur denuo, non potest videre regnum Dei”(「人あらたに生まれずば、神の国を見るあたわず」、すなわちィリアム・ジェイムズが、「二度生まれし」人の体験として述べたことを表わすのに最高の文章(ロクス・クラシクス)である。
 このような借用は、独創性もしくは誠実性の欠如を意味するものと解釈すべきではないと思う。もっとも偉大な美術家でさえ、流用や、さらには引用を頼りにし、それを徹底した創案として押し通してきた。十字架を背負って難儀するキリストの苦悩を表現するために、デューラーは、マイナデスに殺されるオルペウスの姿態を採用した。『われらに平和を与えませ(ドナ・ノビス・パーチェム』にこの上ない確信を、『われら、いましに謝す(グラティアス・アギムス・ティビ)』にこの上ない荘厳さを与えるため、バッハはこれら二つの遁走曲(フーガ)のテーマをグレゴリオ聖歌から流用した。『魔笛』のフィナーレに適切な雰囲気を盛り上げるために、モーツァルトは、古い讃美歌(コラール)(「神よ、照覧あれ」“Herr Gott, vom Himmel sieh darein”)を定旋律(カントゥス・フィルムス)「この道を苦しみもて歩むもの」“Der, welcher wandelt diese Strasse voll Beschwerde”に変えてしまった。そして、オーケストラの伴奏をつけて、バッハの『マタイ受難曲』中の「血に塗れ(ブルーテ・ヌル)」というアリアから借用したヴァイオリンによる音型を繰り返し用いている。ルネサンスの人々が、新しい美術と文学の開花を単なる刷新と述べる代わりに、再生、啓示、覚醒などという宗教的な比喩(シミリ)に頼ったとき、彼らも同じような衝動からそうしたといえるかもしれない。彼らが体験した新生の感じが、あまりにも急激で強烈であったために、聖書の言葉による以外、それを表現できなかったのである。
 こうしてルネサンスに対する自意識は、たとえそれが一種の自己欺瞞であったと証明できるにせよ、客観的で独特な「革新」として認めなければならないであろう。しかしながら、事実は少々ちがっている。ルネサンスは、両親にそむいて祖父母に援助を求める反抗的な若者に似て、結局は両親である中世から譲り受けたものを否定し、もしくは忘れようとする傾向があった。この負債額を査定することが、歴史家の本務である。」

「美術史家は、(中略)つぎのような基本的事実を認めないわけにはゆかないであろう。すなわち、可視世界を線と色とによって描写しようという中世の原理に対する最初の根本的断絶は、十三世紀の転換期に、イタリアで行なわれたということ。絵画よりはむしろ建築と彫刻から始まり、あくことなき古典古代への傾倒をともなう第二の基本的変革は、十五世紀の初頭に始まったということ。ついには三美術を時間的に一致させ、一時的にせよ、自然主義的立場と古典主義的立場との分裂を消滅させた、全発展段階のうちで第三の、最高潮の段階は、十六世紀の当初に開始されたということである。」



「第三章」より:

「シエナとフィレンツェの差は、グィド・ダ・シエナとコッポ・ディ・マルコヴァルドの差によって、予示されてはいるが、ドゥッチョとジョットにおいてはっきりし、明確に二分された。(中略)ドゥッチョの芸術は叙情詩的であるといえよう。彼の描く人物像は、音楽的な情感のようなもので像を結びつける情緒に揺り動かされている。ジョットの芸術は叙事詩的もしくは演劇的であるといえよう。彼の描く人物像はそれぞれ相互に反応し合う別個のものとして扱われている。」
「しかしながら、ドゥッチョとジョットが相容れない手法でそれぞれの問題を解決しようとしたことは、二人の問題が実は同じものであったという事実をぼかすものではなく、逆にその事実を解明するものである。つまり、われわれがよく「絵画空間」とよんでいるものを創造しようとする問題である。そしてこの問題は、きわめて新しく――あるいはむしろ、何世紀ものあいだ西欧世界から完全に姿を消していたので――それを最初に再興しようとした人々は、やはり「近代絵画の父」とよばれるだけの価値がある。
 絵画空間を定義すれば、いくつかの物体(もしくは雲のような擬物体)とすき間から成る外見上は三次元的な広がりで、それは、客観的には二次元的な画面の背後に、必ずしも無限とはいえないが、どこまでもつづいているように見える。ということは、この画面は、中世盛期の美術では所有していた具体性を失ってしまったことを意味する。それは(中略)不透明で不通性の現実面ではなくなり、われわれが可視界の一部分をのぞき見る窓になった。レオネ・バッティスタ・アルベルティはつぎのようにいっている。「画家は線を使って平面上に描き、そのように限定された範囲を色彩でみたす場合、画家が完成しようとする唯一のことは、目で見た事物の形式が、透明なガラスからできているかのようなこの平面上に現われることである、と自覚しなければならない。」さらにはっきりとつぎのようにいっている。「私は好きな大きさの長方形を描き、それを開いた窓に見立て、それを通してそこに描写されるべきあらゆるものを眺める。」
 このようにして、絵画を窓にたとえることは、視覚を通して直接現実に接することを画家の仕事であるとし、それを要請している。」



「第四章」より:

「この画家とは、愉快で風変わりなピエロ・ディ・コジモであった。彼は「善良な熱血漢」であったけれども、臨終の際には司祭の訪問を拒否した。聖歌を詠唱する修道士と同じくらい医者や看護婦も嫌いだったが、すさまじい豪雨の音を聴くのが好きであった。動物たちを「溺愛し」、自然が「気まぐれか偶然に」造り出したものに対しては讃嘆を惜しまなかった。長時間にわたる孤独な逍遙に歓びを見出していた。「自然の世話は自然にまかせるべきだ」という理由で、自宅の庭園の樹木を手入れさせなかった。
 ピエロ・ディ・コジモは場違いの原始人だったといえるが、人類の原始的状態を――ヘシオドスの黄金時代の意味でも、聖書の「けがれを知らぬ状態」の意味においても――平穏な至福の状態と考えていたのではなかった。彼が自分の生きている時代が腐敗していると考えたのは、満ち足りていた太古の状態から故意に訣別したからでもなく、まして神の恩寵の喪失によるのではなく、それはとどまる所を知らぬ文明の発達の思い上がりだけが理由であると考えた。」





こちらもご参照ください:

J・ホイジンガ 『中世の秋』 堀越孝一 訳



























































































クリバンスキー/パノフスキー/ザクスル 『土星とメランコリー』 田中英道 監訳

「世間から離れた、とある深い谷間で、
あなたは、頬杖をついて、
最後の微かな光の輝きを眺めて座っている」

(ジョン・ホワイトハウス)


レイモンド・クリバンスキー
アーウィン・パノフスキー
フリッツ・ザクスル
『土星とメランコリー 
― 自然哲学、宗教、
芸術の歴史における研究
田中英道 監訳

榎本武文/尾崎彰宏/加藤雅之 訳

晶文社 
1991年4月30日 初版
1991年9月15日 2刷
605p lxix 図版(モノクロ)84p 
「著者・訳者について」1p
菊判 丸背紙装上製本 
本体カバー 函
定価9,800円(本体9,515円)
ブックデザイン: 日下潤一



本書「凡例」より:

「本書は Raymond Klibansky, Erwin Panofsky and Fritz Saxl, Saturn and Melancholy: Studies in the History of Natural Philosophy, Religion and Art (London: Thomas Nelson and Sons Ltd, 1964) の全訳である。」
「翻訳分担は下記の通り。第一部―加藤、第二部・第三部―榎本、第四部―尾崎」



二段組。
別丁図版146点、本文中挿絵5点、「訳者解説」中図版3点。


クリバンスキー他 土星とメランコリー 01


帯文:

「古代ギリシアにおける
その起源から、
それに最高の表現を
あたえたとされる
デューラーまで、
土星の下に
生まれた者の
運命をたどり、
人間の根源的
状態としての
メランコリー像を
発掘した古典的大著。」



帯背:

「二〇世紀を代表する
三人の碩学が精魂を
傾けた古典的大著!」



クリバンスキー他 土星とメランコリー 02


目次:

凡例

はしがき
謝辞

第一部 メランコリーの概念と歴史的発展
 第一章 古代生理学におけるメランコリー
  一 四体液の理論
  二 逍遙学派がメランコリーの概念を一新する――『問題集』三〇・一
  三 逍遙学派以降のメランコリー概念の展開
   a 病としてのメランコリー
    i ストア派の見解
    ii アスクレピアデス、アルキゲネス、ソラノス
    iii エフェソスのルフス
   b 四気質の体系におけるメランコリー
 第二章 中世の医学、科学、哲学におけるメランコリー
  一 中世に息づくアリストテレス学派のメランコリー概念
  二 病としてのメランコリー
   a 神学および倫理哲学におけるメランコリー
   b スコラ学の医学におけるメランコリー
    i 初期のアラビア医学、および西洋への翻訳
         ――コンスタンティヌス・アフリカヌス
    ii 体液病理学に基づく体系化の試み
         ――アヴィケンナの四形態説
    iii 心理学に基づく分類の試み
         ――アヴェロエスとスコラ哲学
  三 四気質の理論体系におけるメランコリー
   a ガレノス医学の伝統、とりわけアラビア学者とコンスタンティヌス・アフリカヌスの場合
   b 十二世紀前半の西洋自然哲学における体液=性格決定説の復活
   c 中世後期における庶民の気質理論とその影響

第二部 土星、メランコリーの星
 第一章 文学的伝統における土星-サトゥルヌス
  一 アラビア占星術における土星-サトゥルヌスの観念
  二 古代文学における土星-サトゥルヌス
   a 神話的存在としてのクロノス-サトゥルヌス
   b 惑星としてのクロノス-サトゥルヌス
    i 古代天体物理学におけるクロノス-サトゥルヌス
    ii 古代占星術におけるクロノス-サトゥルヌス
    iii ネオプラトニズムにおけるクロノス-サトゥルヌス
  三 中世文学における土星-サトゥルヌス
   a 教父たちの論争におけるサトゥルヌス
   b 後期中世思想におけるサトゥルヌス
    i 道徳神学におけるサトゥルヌス
    ii 中世神話学におけるサトゥルヌス
    iii 中世占星術におけるサトゥルヌス
         ――スコラ自然哲学が採用した占星術の教説
 第二章 図像的伝統における土星-サトゥルヌス
  一 古代美術におけるサトゥルヌス、および中世美術に継承されたその伝統的姿像
  二 写本の挿絵と東方からの影響
  三 土星とその子供たちの肖像
  四 中世後期の神話学の挿絵におけるサトゥルヌス
  五 人文主義におけるサトゥルヌス

第三部 「詩的メランコリー」と「高邁なるメランコリア」
 第一章 中世以後の詩歌における「詩的メランコリー」
  一 中世後期の詩における主観的な気分としてのメランコリー
  二 「貴婦人メランコリー」
  三 強められた自己意識としてのメランコリー
 第二章 「高邁なるメランコリア」
        フィレンツェ・ネオプラトニズムのメランコリア・土星-サトゥルヌス礼讃、
        および近代における天才という観念の誕生
  一 新しい教説の知的背景
  二 マルシリオ・フィチーノ

第四部 デューラー
 第一章 コンラート・ツェルテスにおけるメランコリー
        ツェルテス著『愛の四書』の扉絵のデューラーの木版画
        デューラーの著作に見る四気質についての理論
 第二章 銅版画『メレンコリアⅠ』
  一 『メレンコリアⅠ』の歴史的背景
   a 伝統的モチーフ
    i 財布と鍵
    ii 頬杖をつくモチーフ
    iii 握り拳と黒ずんだ顔
   b デューラーの銅版画に含まれた伝統的な画像
    i 病気をあらわす挿絵
    ii 四気質の絵の連作
     Ⅰ 記述的な単身像(四気質と人間の四期)
     Ⅱ 演劇的グループ、すなわち四気質と悪徳
    iii 自由学芸の擬人像
  二 『メレンコリアⅠ』の新しい意味
   a 新しい表現形式 
   b 新しい概念的な内容
    i サトゥルヌスあるいは〈メランコリー〉のシンボル
    ii 〈幾何学〉のシンボル
    iii 〈幾何学〉のシンボルと結びついたサトゥルヌスあるいは〈メランコリー〉のシンボル、すなわち〈神話〉と〈占星術〉の関係――認識論と心理学について
    iv 芸術と実践
   c 『メレンコリアⅠ』の意味
   d 『四人の使徒』
 第三章 『メレンコリアⅠ』の芸術的な遺産
  一 デューラー風に女性の単身像で表現された〈メランコリー〉の擬人像
  二 中世後期の暦に見られる〈メランコリー〉の典型的な擬人像
  三 サトゥルヌスやその子供たちの絵におけるメランコリー
  補遺1 『メレンコリアⅠ』にある多面体
  補遺2 銅版画(B70)の意味



訳者解説 (田中英道)
訳者あとがき (田中英道)

略称・原典一覧
図版目次
写本索引
索引



クリバンスキー他 土星とメランコリー 03



◆本書より◆


「はしがき」より:

「本書では様々な制約から、エリザベス朝とジェームズ朝のメランコリーという複雑で魅力的な主題が見送られた。ロバート・バートンの豊かな文学領域を探索するのは心そそられる仕事だが、われわれはそれを断念し、代わりに本書の扉にかの「偉大な憂鬱症学者」本人の肖像を掲げて敬意を表するにとどめざるを得なかった。」


「第一部」より:

「現代の会話で「メランコリー」と言う場合、それは異なったいくつかの意味で使われている。それはたとえば主に不安の発作や重い鬱屈、疲労からくる心の病を意味する。もっとも最近の研究ではそうした医学上の概念は厳密に固定的なものではなくなってきている。また一般に体型の種類と連動した性格類型を意味することもある。それは多血質、胆汁質、粘液質と共に、古くは「四体液」とか「四気質」とか呼ばれた体系を形成している。さらにそれは一時的な心の状態を意味する。すなわち心に痛みを感じ落ち込んでいたり、単に少しばかり物思いにふけっているとか、望郷の念にかられたりしている時の心の状態である。こういう場合のメランコリーは完全に主観的な心の状態でありながら、転移作用によって客観的事物にも適用できる。「夕暮れのメランコリー」とか「秋のメランコリー」とかさらにシェイクスピアに出てくるハル王子のように「どぶ水のメランコリー」などと使うことができるのである。」

「この『問題集』三〇・一は「黒胆汁論」と呼ばれているが、その中で議論されているのは黒胆汁はどの人間にも存在しており、必ずしもそれがあるからといって体の調子が悪くなるとか特別変わった性格の人間になるというわけではないという点である。体の不調とか変わった性格とかを引き起こす原因は黒胆汁の存在そのものではなくむしろそれが一時的に変質するため(中略)であったり、黒胆汁が構造的、量的に他の体液よりも優位になるためである。黒胆汁の変質は「メランコリー性の病気」を引き起こす。(たとえば癲癇、麻痺、鬱病、恐怖症などがある。また、極端に熱せられる場合には無思慮になったり潰瘍を発生させたり狂乱状態を招来したりする。)量的な変化は人の性質をメランコリックなもの(メランコリコス・ディア・ピュシン)に変える。」
「メランコリックな気質の持ち主が特にメランコリー性の病気にかかりやすい、それも悪性のものにかかりやすくなるというのは当然であった。その逆に、生まれつき正常な体液の割合を持つもの――大多数の者――は元来の性質上、憂鬱質者(メランコリクス)が持つような特徴を獲得することはありえなかった。たしかに正常な人間でもメランコリー性の病気にかかることはあるがそれは一時的な体の不調にとどまり、精神上の問題に及ぶことはない。それによって彼の性質が一生影響され続けるようなことはなかったのである。しかし生まれつきメランコリックな人間の場合には、体調が最高の時であっても、ある特殊な「エスト」を抱えており、それがいかなる現れをしたとしてもその人間を根本的かつ普遍的に「常態」とは異なるものにしてしまう。いわばこの人間は常態として異常なのである。」

「『問題集』三〇・一の作者は(それが誰であれ)人並み外れた人間を理解し、ある程度まで正当化しようとしている。その理由はそうした人間の情熱が普通の人々よりも激しく、そうであるにもかかわらず彼は過度の能力をバランスよく用いることができるからである。アイアスやベレロフォンのみならずプラトンやソクラテスが属していたのもこのタイプである。」

「狂乱の概念を高次の創造的才能の土台と捉えるのはプラトニズムである。次に、プラトンが神話の中でしか述べていない天才と狂気の間の広く認められた神秘的関係を理性の明るい光の下に引きずりだしたのはアリストテレスの功績である。(中略)二人の結びつきにより価値観の変動が起こり、「多数」は「人並み」とみなされるようになり、倫理的な「徳をもて!」に代わり心情的な「個性的であれ!」というスローガンが強調されるようになった。この主観主義がヘレニズム時代の特徴であり、ヘレニズムにどこか現代風の香りがあるとすればそれはおそらくここに起因する。(中略)結果的に『問題集』三〇・一で提示された観念はテオフラストスにつながる。この哲学者は、初めてメランコリーに関するまとまった本を書き、ヘラクレイトスに関してメランコリーゆえに著作の大部分を未完で終えたのだとか、矛盾に陥る議論を展開したのだとかと述べている。
 ここで初めて天才を生み出す暗い源が――その暗さはすでに「メランコリー」という言葉の中に暗示されてはいたが――明らかになった。」



「第二部」より:

「中世後期・ルネサンスのほぼすべての作者は、それが病であれ、体質のひとつであれ、メランコリアが土星(サトゥルヌス)と特別な関係にあること、そして、土星こそが、メランコリア体質の人間の不幸な性格と宿命をもたらす真の原因であることを、疑いのない事実と考えていた。今日でもなお、暗く陰鬱な気質は「土星的」(“Saturninr”)と言われている。また、(中略)十六世紀の画家にとって、メランコリア体質の人間を描くことは、土星の子供を描くことに等しかったのである。」


「第三部 第一章」より:

「ミルトンの二篇の詩においては、「喜び」“Mirth”と「メランコリー」“Melancholy”が、それぞれ「快活な人」と「沈思の人」に呼びかけられている。」
「「メランコリー」の代弁者につけられた、「沈思の人」“Penseroso”という名前(中略)は、「メランコリー」が持つ肯定的な、いわば霊的な価値を表わしており、また、二篇の詩の順序は、「最後に語るものが勝利を得る」という、古くからの詩的論争の規則に従って――「メランコリー」が快活な生の享受にまさることを示しているのである。フランス語ロマンスに現われる「貴婦人メランコリー」が、リーパの「マリンコニア」と同じように、その祖先にあたる「悲しみ(トリステス)」と比べてさえ、さらに大きな恐怖と嫌悪を読者に与える一種の悪夢だったのに対して、ミルトンの「メランコリー」は、「この上なく神々しい」と呼ばれ、「賢明にして神聖なる女神」として、また「敬虔で清らかな、沈思する尼僧」として賛美されている。(中略)かつての「メランコリー」を取り巻いていたのは、「陰鬱な女たち、『疑念』、『怒り』、『絶望』」だったが、いまや彼女は「平和」、「静寂」、「閑暇」、「沈黙」に囲まれ、「観想の智天使」に導かれている。」
「「メランコリックな人」は、孤独の塔で、
 
  ……しばしば、三重にも偉大なるヘルメスとともに、
  大熊座が姿を消すまで見守り、
  あるいは、プラトンの霊魂を天上から招く……
  また、火、空気、水のなかや大地の下に棲む、
  あれらの霊を呼び出す……

しかし、この詩のなかには、もうひとつの世界からの反響を聞き取ることができる。つまり、(中略)強められた感受性の世界、優しい調べや甘い香り、夢や風景が、暗闇や孤独、苦悩そのものと混じり合い、苦くて甘い対立によって、自己の意識を高めている世界である。」

「すでに十五世紀初めのある作家が、死、メランコリー、自己意識という三つの観念の関係を、奇妙な表現で明らかにしていた。ジャック・ルグランは、「死と最後の審判の日についての見解」で次のように言っている。「意識が強くなるにつれて、不安が増す。そして、人は自己の状態について、真の、完全な意識を持つに従って、ますますメランコリックになる。」このような意識は、およそ百年後には、自己意識の重要な一部分となったために、およそ傑出した人間は例外なく、真にメランコリックであるか、少なくとも自他ともにそのように認められるようになった。われわれがまず澄明で幸福な人間であると考えがちなラファエルロでさえ、ある同時代人によって、「並外れた才能の持ち主の常として、メランコリーの傾向がある」と言われている。一方、ミケランジェロにおいては、この感情は、苦々しくはあるが喜ばしいある種の自己意識となるまでに、深められ、強められた。「私の快活さは、メランコリーなのだ」。“La mia allegrezz' è la malinconia.”」



「第三部 第二章」より:

「こうしてフィチーノの体系は、――おそらくこのことが、その最大の成果だったかもしれない――土星(サトゥルヌス)の「内的矛盾」に、ある救済の能力を付け加えることに成功した。天性豊かなメランコリア体質の人間は、――身体および下位の能力を、悲しみ、恐怖、陰鬱さで苛まれるという点では、土星から害悪を受けているが――同じ土星に自ら進んで向かおうとすることによって、自己を救済することができるのである。別の言い方をするならば、メランコリア体質の人は、この崇高な思索の星に固有の領域であり、この惑星が通常の心身機能を害するのと同じくらい大きな援助を与える、あの活動、すなわち、「精神」だけに可能な創造的観想に、自発的に没頭すべきなのである。現世に従属するあらゆる生に敵対し、これを抑圧するものとしての土星は、メランコリアを生み出す。しかし、より高い、純粋に知的な生に好意を送り保護するものとして、土星は、メランコリアを癒すことができるのである。」

「こうして、フィチーノには、この古代の邪悪な霊鬼に対する恐れが絶えずつきまとって離れなかったにもかかわらず、彼の著作は、最後に土星礼讃を謳い上げるにいたった。この年老いた神、世界の支配権を手放して叡智を求め、オリュンポスを去って最高位の天球と地底の最下部での分裂した生活へと向かったサトゥルヌスは、ついに、フィレンツェのプラトン・アカデミーを祝福する第一の守護神となる。この「プラトン一族」が、その名を戴いた英雄をサトゥルヌスの子と考えたように、そのなかには、「サトゥルヌスの子供たち」と称するさらに少数の集団があって、自分たちが神々しいプラトンに対して、またお互いに、特別な絆で結ばれていると感じていたのである。」



クリバンスキー他 土星とメランコリー 04




こちらもご参照ください:

若桑みどり 『イメージを読む ― 美術史入門』 (ちくまプリマーブックス)
アーウィン・パノフスキー 『アルブレヒト・デューラー 生涯と芸術』 中森義宗・清水忠 訳
Robert Burton 『The Anatomy of Melancholy』 (Everyman's University Library)




















































































































アーウィン・パノフスキー 『ゴシック建築とスコラ学』 前川道郎 訳 (ちくま学芸文庫)

アーウィン・パノフスキー 
『ゴシック建築とスコラ学』 
前川道郎 訳

ちくま学芸文庫 ハ-19-1

筑摩書房 
2001年9月10日 第1刷発行
227p 付記1p 
文庫判 並装 カバー 
定価1,000円+税
装幀: 安野光雅
カバーデザイン: 神田昇和
カバー写真: ソールズベリ大聖堂参事会堂天井


「本書は一九八七年八月二五日、平凡社より刊行された。」



本書「訳者あとがき」より:

「本書の原著はアーウィン(エルヴィーン)・パノフスキー(Erwin Panofsky)の中期の著作 Gothic Architecture and Scholasticism である。原著は最初一九五一年に Archabbey Press から出版されたあと、五七年に Meridian Books から再刊されている。」


モノクロ図版60点、日本語版への付図9点。学芸文庫版では「訳者あとがき」に「編集部註」としてその後に刊行されたパノフスキー翻訳書についての書誌データが追加されている他は、おそらく平凡社版(ヴァールブルク・コレクション)と同一内容だとおもわれます。


パノフスキー ゴシック建築とスコラ学 01


帯文:

「ゴシックは石造りの大全である
中世の技芸と学知に通底する思考様式を明らかにした図像学的精神史の傑作」



カバー裏文:

「ゴシック建築とスコラ学は中世ヨーロッパ文化の双璧である。飽くなき全体性と明晰への意志、理性と想像力、超越と内在の媒介の仕方、つまりは世界を分節するスタイル……両者には不思議な類似と平行性がある。一見相異なる文化領域を支える共通の論理とは何か。細部に宿る理念と文化史的コンテクストの発見術たるヴァールブルク的イコノロジーの最良の実践であるとともに、ヨーロッパ精神史を貫流するテクネーとロゴスの構築性という問題にも新たな視点をもたらす画期的論考。待望の文庫化。」


目次:

ゴシック建築とスコラ学
 Ⅰ
 Ⅱ
 Ⅲ
 Ⅳ
 Ⅴ
 図録

訳者付論――ゴシック建築論の森の中へ (前川道郎)
訳者あとがき (前川道郎)




◆本書より◆


「盛期スコラ学が〈マニフェスタティオ〉(顕示)という原理によって治められていたのと同様に、盛期ゴシック建築は(中略)「透明性(トランスペアランシー)の原理」とでもよびうるようなものによって支配された。ロマネスクの建造物は、われわれが建物の内部にいようと外部にいようと、明確に限定されて貫入できない空間という印象を与えるが、それと全く同様に、前スコラ学は透過することのできない障害物によって信仰を理性から隔離した。神秘主義は理性を信仰のなかに溺れさせることになり、唯名論は両者の結びつきを完全に断ち切ることになった。そして、これら二つの態度は後期ゴシックのホール式教会堂に表現を見いだしたといってよかろう。その納屋風の外被(シェル)は、しばしばやたらに(ワイルドリ)絵画的で、かつ、いつでも見かけ上は限界のないように見える堂内を囲っており、このようにして外部からは明確に限定されて貫入できないが内部からは明確に限定されず貫入可能な空間をつくり出している。しかしながら、盛期スコラ学は信仰という聖域と合理的知識の領域との間をきびしく限ったが、しかしこの聖域の内容は明瞭に識別できることを主張した。同様に、盛期ゴシック建築も室内のヴォリュームを外部の空間から限ったが、しかしいわばそれがとり巻く構造体を通して自らを投射するのだと主張した。だから、たとえば身廊の横断面を正面(ファサード)から読みとりうるのである。
 盛期スコラ学の〈大全(スンマ)〉と同様に、盛期ゴシックの大聖堂は何よりも「全体性(トータリティ)」を目指し、それゆえ、削除と綜合によって一つの完全で最終的な解決に近づいていった。それゆえわれわれは、他の時代においてなしうるよりもはるかに確信をもって、盛期ゴシックの平面というものとか盛期ゴシックの体系というものについて話すことができよう。その彫像群においては盛期ゴシックの大聖堂は、キリスト教の神学的な、道徳的な、自然的な、そして歴史的な知識の全体を具現することを求め、その際、それぞれをそれぞれの場所におき、もはやその場所を見いださないものは削除した。建物のデザインにおいても同様に、それは別々の経路によって伝えられた主要なモティーフのすべてを綜合することを求め、ついには、バシリカと有心式平面型の間に比類のない均衡を達成した。そしてその際、クリプトや階上廊(ギャラリー)や正面の二塔以外の塔といったこの平衡を危うくするような要素はすべて削除してしまった。
 スコラ学の著作の第二の要件「相同な(ホモロガス)部分と部分との、一つの体系に従った配列」は全構造の一様な分割と細分割においてきわめて図示的(グラフィカリ)に表現されている。ロマネスクではしばしば同じ一つの建物で西と東のヴォールト形式が多様(中略)なのに対し、ここではもっぱら、新しく発展したリブ・ヴォールトだけが用いられており、そこで、アプスや祭室や周廊のヴォールトでさえも、もはや身廊や袖廊のヴォールトと違った種類のものではない。」
「理論的には際限のない建物の細分化は、スコラ学の著作の第三の要件すなわち「明確性と演繹的説得性」に対応するものによって限られる。古典的盛期ゴシックの基準によれば、個々の要素は解体不能な全体を形成しながらも、互いに――小柱は壁や大柱のコアから、リブは隣りのリブから、すべての垂直材はそれの受けるアーチから――はっきりと分離されていることによってそのアイデンティティを主張しなければならないのであり、それらの間に明白な相互関係が存在しなければならないのである。どの要素がどれに属しているのかを言うことができなければならない。そこから「相互推論可能性という基本原理」――古典建築の場合のように寸法においてではなく、形態構成において――とでもよびうるであろうものが生じてくる。」
「われわれは純粋な意味における「合理主義」と対面しているのでも、近代の〈芸術のための芸術》(l'art pour l'art)という美学の意味における「幻影(イリュージョン)」と対面しているのでもない。われわれはトマス・アクイナスの〈感覚もまた一種の理性である〉(nam et sensum ratio quaedam est)を図解する「視覚論理(ヴィジュアル・ロジック)」とでもよびうるようなものと対面しているのである。スコラ学的習慣に染まった人間は、文字による表現の様態を考える場合と全く同様に、建築的表現の様態を〈マニフェスタティオ〉(顕示)という観点から考えたのであろう。彼は、〈スンマ〉を構成する多数の要素の第一の目的が当然妥当性を確かなものにすることであると考えたのと全く同様に、大聖堂を構成する多数の要素の第一の目的が当然堅固性を確かなものにすることであると考えたであろう。
 しかし〈スンマ〉の構成要素化(メンブリフィケイション)が思考作用の過程そのものの再=経験を可能にするのと全く同様に、建物の構成要素化(部材化)(メンブリフィケイション)が建築的構成の家庭そのものの再=経験を可能にするのでなければ、彼は満足しなかったであろう。部(parts)、区分(distinctions)、問題(questions)、項(articles)という慣例的な道具立てが彼にとっては理性の自己分析と自己説明であったのと同様に、小柱とリブと控え壁とトレーサリーとピナクルとクロケットという具足揃いは、彼にとっては建築の自己分析と自己説明であった。人文主義(ヒューマニズム)の精神が最高度の「調和」(中略)を要求したところに、スコラ学の精神は最高度の明示性(エクスプリシットネス)を要求した。それは、それが言語を通しての思想のむやみな明瞭化(クラリフィケイション)を容認し、かつ主張したのと全く同様に、形を通しての機能のむやみな明瞭化を容認し、かつ主張したのである。」



パノフスキー ゴシック建築とスコラ学 02


「ソワソン大聖堂。第1次世界大戦で被災した身廊北壁面の断面。」






















































E・パノフスキー 『〈象徴形式〉としての遠近法』 木田元 監訳

E・パノフスキー 
『〈象徴形式〉としての遠近法』
 
木田元・川戸れい子・上村清雄 訳

哲学書房 
1993年10月10日 初版発行
232p(うち図版24p) 著者・訳者紹介1p 
A5判 角背紙装上製本 カバー
定価3,398円+税



本書「訳者あとがき」より:

「本書は Erwin Panofsky : Die Perspektive als "symbolische Form" の翻訳である。この論文は、はじめ Vortraege der Bibliothek Warburg 1924-25 に発表されたが、その後論文集 Aufsaetze zu Grundfragen der Kunstwissenschaft, Verlag Bruno Hessling, Berlin, 1964 に再録された。」
「この翻訳は、本文を木田が担当し、上村の協力を得て仕上げ、注は川戸と上村が協力して訳したものを木田が原文と照合しながら検討して成ったものであり、本文・注ともに翻訳の最終的責任は木田が負っている。」
「彼がこのイコノロジー的美術史研究の方法を理論化するのは、一九三〇年代後半、アメリカ移住後のことである。本書『〈象徴(シンボル)形式〉としての遠近法』はそれに十年以上も先立つ一九二〇年代、まだ三十代前半のパノフスキーによってハンブルクで書かれたものである。だが、ここでも彼は、古代から中世を経て近代にいたる遠近法の技法の展開を広い精神史のうちでとらえ、古代の曲面遠近法、中世におけるその解体、ルネサンス期の平面遠近法の成立、近代におけるその多様な展開を精細に跡づけた上、それをそれぞれの時代の空間観、ひいては世界観とみごとに対応させてみせる。パノフスキーがカッシーラーから借りた〈象徴(シンボル)形式〉とは、「精神的意味内容が具体的感性的記号に結びつけられ、この記号に同化されることになる」その形式のことであり、彼は遠近法をそうした〈象徴(シンボル)形式〉の一つとしてとらえてみせるのである。」



パノフスキー 象徴形式としての遠近法 01


帯文:

「遠近法は、
人間を、
神的なもの
の容器
にまで拡げた。」



帯背:

「〈現勢的無限〉
の発見」



帯裏:

「本書の展開の指標
第Ⅰ章 問題としての遠近法、視野は球面状をなす、視像の彎曲、角度の公理
第Ⅱ章 消失軸原理、古代空間感情は体系空間を要求しない、世界は非連続
第Ⅲ章 遠近法へ、世界は連続体、平面への還元、再び物体の解放、現勢的無限の発見
第Ⅳ章 遠近法の両価性、外界の体系化と自我領域の拡張と、古代神権政治の終りと近代人間の政治を印づける
注 厖大なテキスト群へのレファランス

知覚の現実に逆って、無限・等質な空間構造を作りあげる、
精神史のダイナミズムを骨太にかつ精緻に描く名著。」



目次:

〈象徴(シンボル)形式〉としての遠近法
 第Ⅰ章
 第Ⅱ章
 第Ⅲ章
 第Ⅳ章


図版

訳者あとがき (木田元)




◆本書より◆


「特定の芸術的諸問題に向けられた労苦が一定限度まで推し進められ、――かつて採択された諸前提からしては――もはやそれ以上同じ方向に進んでみても無効だと思われるようになると、通常大きな逆転ないし――もっと適切な言い方をしてみれば――方向転換が起こり、たいていのばあい主導的役割が新たな芸術領域なり新たな芸術ジャンルなりに移行するのとあいまって、まさしくすでに獲得されたものが放棄されることによって、ということはつまり、見たところ「もっと単純(プリミティヴ)な」表現形式に逆もどりすることによって、古い建造物の廃材が新しい建造物の構築のために利用される可能性が生じることになる――つまり、まさしくある距離を置くことによって、以前すでに着手されたことのある諸問題の創造的な採り上げなおしが準備されることになる――のである。だからこそ(中略)古代と近代の中間に、そうした「逆転」のうちでも最大の逆転を示す中世が介在しなければならなかったのである。この中世の美術史的使命は、古代においては(中略)多数の個物として描かれていたものをたがいに融け合わせて、現実的な統一へもたらすというところにこそあったのだ。だが、こうした新たな統一への途は――逆説的にも、といっても、それは見かけの上のことでしかないのだが――さしあたり存立している統一性の破壊を経由することになる。」


パノフスキー 象徴形式としての遠近法 02


「「主観的」な(曲面)遠近法(左)と型どおりの(平面)遠近法(右)によって作図された柱廊広間。グイド・ハウクによる。」


「視像のこうした彎曲は、近代になってからも二度考察されている。一度は、十九世紀末の偉大な心理学者や物理学者たちによってであり、もう一度は――このことは気づかれずにきたようだが――十七世紀初頭の偉大な天文学者たちと数学者たちによってであるが、彼らのうち誰にもまして忘れてならないのは、周知のヴュルテンベルクの建築家にしてイタリア旅行家のハインリッヒ・シックハルトの従兄弟で、たいへんな変わり者だったヴィルヘルム・シックハルトである。「私に言わせれば、すべての線は、たとえどれほどまっすぐな線でさえも、〈瞳の真正面に(ディレクテ・コントラ・プピラム)〉、眼に対してまっすぐ置かれているのでなければ、……必ずやいくらか曲がって見えるものである。それにもかかわらず画家たちは一人としてこのことを信じない。そのために彼らは建物のまっすぐな側面を直線で描くのだが、これは真の遠近法技法に照らせばほんとうは正しくないと言わねばならない。」」
















































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
 
うまれたときからひとでなし
なぜならわたしはねこだから
 
◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

Koro-pok-Guru
Away with the Fairies

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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