FC2ブログ

小海永二 『ガルシーア・ロルカ評伝』 (原点叢書)

小海永二 
『ガルシーア・
ロルカ
評伝』
 
原点叢書


ファラオ企画
1992年5月15日 初版第1刷発行
411p 口絵(モノクロ)8p
四六判 丸背紙装上製本 函
定価2,980円(本体2,893円)
装幀: 菊地信義



底本は1981年に読売新聞社から刊行された『ガルシーア・ロルカ評伝――スペインの吟遊詩人』。


小海永二 ロルカ評伝 01


函裏文:

「わたしは、わが国のスペイン文学者たちの中に、ロルカの非政治性を強調する余り、彼を芸術至上主義者のように見る傾向が一部あるのを誤りだと思う。わたしは、ことさらにロルカの社会性ばかりを強調して書いたつもりはないし、また確かにロルカは特定のイデオロギーの持主ではなかったが、彼は、全くの非政治的人間でもなかった。そうだったら、ロルカが殺されることはなかっただろう。このことも、本書の中で明らかにしておきたかったことの一つである。
 この本はいわゆる専門書ではない。読み物として、一般の人々に読んでもらうこと、それがわたしの執筆の基本的な姿勢であった。ただし、それは、記述にフィクションをまじえているということではない。事実、もしくは各種の伝記類によって、ここまでは事実であろうと考えられることに基づいている。(あとがきより)」



目次:

第一章 出生・両親・幼少年期
第二章 グラナダ――詩人の誕生
第三章 マドリードへ――文壇への登場
第四章 〈カンテ・ホンド祭り〉と『カンテ・ホンドの詩』
第五章 一九二七年――「マリアナ・ピネーダ」・『歌集』・素描展
第六章 ダリ兄妹
第七章 『ジプシー歌集』と雑誌『雄鶏(ガリヨ)』のこと
第八章 アメリカ体験と『ニュー・ヨークにおける詩人』
第九章 劇作家ロルカと「バルラカ」の運動
第十章 三大悲劇――「血の婚礼」・「イェルマ」・「ベルナルダ・アルバの家」
第十一章 『イグナシオ・サンチェス・メヒーアスへの哀悼歌』・『タマリット詩集』・「老嬢ドニャ・ローシタ」
第十二章 スペイン内乱とロルカの死

あとがき

《巻末資料》
 フェデリコ・ガルシーア・ロルカ略年譜 (小海永二 編)
 参考文献解題 (小海永二・清水憲男 編)
 人名索引

小海永二 著訳書目録

解説――永遠を夢みるための夭折 (松永伍一)



小海永二 ロルカ評伝 02



◆本書より◆


「第一章 出生・両親・幼少年期」より:

「幼年時代のロルカは、(中略)村の子供たちと遊ぶよりは、ひとりポプラのざわめきを聞き、庭の昆虫たちと話を交わし、また大人たちの言葉つきや歩き方を真似したりして遊んだ。〈わたしは幼年時代をずっと村で過ごしました。牧人たち、野原、空、孤独(引用者注: 「孤独」に傍点)、要するに素朴そのものです〉」
「〈子供の頃、わたしは自然に取り囲まれて暮らしました。すべての子供たちと同様に、わたしは、どんなものにでも、家具にも、品物にも、木にも、石にも、その人格を認めていたのです。そしてわたしはそれらと語り合い、それらを愛していたのです。わたしの家の中庭(パティオ)に数本の黒やなぎの木がありました。ある晩わたしは、その黒やなぎの木々が歌っているような気がしたのです。風が、枝の間を吹き通る時に、さまざまな音色の音を立て、その音がわたしには音楽のように思われたのでした。そしてわたしは、しばしば、黒やなぎの歌にわたしの声を合わせながら何時間も過ごしたものです……また別のある日、わたしは驚いて立ち止まりました。誰かがわたしの名前をシラブルに分けながら発音していたのです。まるで一文字ずつ区切って読んでいるように、《フェ…デ…リ…コ》と。わたしは四方に視線を向けましたが、誰の姿も見えませんでした。にも拘わらず、わたしの耳の中ではわたしの名前が鳴り続けていたのです。長い間じっと耳を傾けた後で、わたしはその理由に思いあたりました。それは、古い黒やなぎの木の枝々が、互いにこすれ合う時に単調なあわれっぽい音を立てていたのであり、その音がわたしには自分の名前を呼んでいるように思われたのでした〉」
 ロルカは後年このように語っている。右に、あらゆるものと〈語り合い〉〈それらを愛していた〉とあったけれども、幼いロルカにとっての親しい話し相手は、とりわけ、人格化された昆虫たちであり、植物たちであり、天体たちであり、また水音を立てる小川や泉であった。」

「幼いフェデリコは、教会での儀式や聖週間の宗教行列に強い興味を示し、それらに心を奪われるが、この時期における彼の最もお気に入りの遊びは司祭の役を演じてミサを唱えることであった。」
「やや長じて、七、八歳頃、フェデリコは、さらにあやつり人形に興味を持った。ある日、村にジプシーたちの一座がやって来て、本当の人形芝居を上演したことがあった。このあたりでは、この種の見世物がやって来ることはごく稀だった。母といっしょに教会から戻ってきたフェデリコは、ジプシーたちが村の広場で小屋掛けしているのを見ると、もうそこから離れようとしなかった。夕食もそこそこに芝居を見に出かけたフェデリコは、異常な興奮状態で家に戻ってきた。その翌日、庭の壁の上の祭壇は芝居小屋に作り変えられ、いつものミサの儀式は世俗的な見世物にとって代わられた。」



「第二章 グラナダ――詩人の誕生」より:

「ロルカが青少年期を送ったグラナダ市は、ローマ時代からイリベリという名で知られ、八世紀にモーロ人によって城塞が築かれて以来、一五世紀末に至るまで、アラブ回教徒のイベリア支配のための拠点として、長く繁栄を誇った古都である。サラセン建築の粋を集めたと言われる有名なアルハンブラ宮殿を初めとして、大聖堂や修道院などの旧蹟が多く、緑と水の豊かな、美しい、だがどことなく神秘的なけだるさのただよう町である。
 〈グラナダは無為の町であり、瞑想と空想のための町であり、恋する者が、他のどんな場所よりも上手に、恋人の名を地面に書き記す町である。そこでは、スペインの他のどんな町よりも、時間がはるかに長く、心地よい。絶えず世に知られぬ光のまじり合う黄昏は、決して終わることがないように思われる。
 われわれは通りの真中で、友人たちと長い会話を続ける。
 この町は空想で生きている。創意にあふれてはいるけれども、行動力に欠けている。このグラナダがそうであるように、ただ無為と静けさの町だけが、水の、気候の、そして黄昏の、絶妙な鑑定人を持つことができるのである〉
 ロルカは一九二六年頃に行なった講演「グラナダ(多くの人々にとって閉ざされた楽園)」の中で、この町の特質を右のように述べている。
 青年ロルカは、光と影がくっきりとした対照を見せるこの町を愛し、中世のモーロ人たちの居住区であった坂の多いアルバイシン地区の細い路地を友人たちと散策し、グラナダの歴史を刻むアルハンブラ宮殿の美しい庭にひとり憩い、ジプシーたちの住むサクロモンテの丘にしばしば出没するのを好んだ。」





こちらもご参照ください:

小海永二 訳編 『ロルカ詩集』 (世界現代詩集)


















































































スポンサーサイト



小海永二 訳編 『ロルカ詩集』 (世界現代詩集)

 「わたしは井戸に降りて降りて行きたい、
一口ずつゆっくりとわたしの死を死んで行きたい、」

(ロルカ 「水に傷ついた子供のカシーダ」 より)


小海永二 訳編 
『ロルカ詩集』 
世界現代詩集Ⅴ


飯塚書店
1975年8月25日 発行
189p
B6判 丸背布装上製本 機械函
定価1,300円



本書「解説」より:

「ロルカの詩集は全部で九冊ある。そのすべてから内容の量と価値とに応じて適当な篇数を抜き、初期から後期へと(中略)並べた。ロルカのあらゆる傾向の作品が一通りは採られたはずである。」
「わたしのロルカ詩の翻訳三度目の機会であるが、今回はスペイン語原典に拠り、仏訳・英訳を参考にした。」



ロルカ詩集 01


目次:

詩の本
 夏の恋歌(マドリガル)
 老とかげ
 月と死神
 恋歌
 夜想曲
 もう一つの歌

カンテ・ホンドの詩
 三つの河の小譚詩(バラーディリャ)
 通行(パソ)
 露台
 舞い
 ローラ
 アンパーロ
 まじない
 踊り
 カスタネット

初めの歌々
 小さな淀み
 淀み、終りの歌
 半月

歌集
 窓の夜想曲(ノクトゥルノ)
 セビーリャ小唄
 ほら貝
 騎手の歌(一八六〇年)
 騎手の歌
 〔木立よ 木立〕
 ヴェルレーヌ
 マリキータの歌
 啞の街
 夕暮の二つの月
 小夜曲(セレナータ)
 別れ
 自殺
 こだま
 岸辺の二人の水夫

ジプシー歌集
 喧嘩
 夢遊病者のロマンセ
 ジプシー尼僧
 不貞なる人妻
 黒い苦しみのロマンセ
 聖ガブリエル(セビーリャ)
 スペイン警察兵のロマンセ
 馬上のドン・ペドロのあざ笑い

ニュー・ヨークでの詩人
 黒人たちの基準(ノルマ)と楽園
 嘔吐する群衆の風景
 眠りのない町
 牝牛
 小さなウイーン・ワルツ
 キューバの黒人の楽の調べ

イグナシオ・サンチェス・メヒーアスへの哀歌
 イグナシオ・サンチェス・メヒーアスへの哀歌
  1 負傷と死
  2 流れた血
  3 存在する肉体
  4 不在の魂

ガリシアの六つの詩篇
 サンティアーゴの町への恋歌(マドリガル)
 小舟に乗った聖母マリアのロマンセ
 
タマリットの詩集
 死んだ子供のガセーラ
 百年の愛のガセーラ
 朝の市場のガセーラ
 水に傷ついた子供のカシーダ
 金色の娘のカシーダ

解説・略年譜
 解説
 略年譜



ロルカ詩集 02



◆本書より◆


「老とかげ」より:

「夏の日射しに焼けた小道で
すてきなとかげと わたしは出会った、
(一滴の鰐)
しきりと考えふけっている。
悪魔の僧侶が着るような
緑のフロック・コートを身につけて、
身なりは端正、
糊のついたハイ・カラー、
老教授とでも言いたげな
ひどく愁わしげなその様子。
失意の底の芸術家の
ひどく疲れきったまなざしで
光うすれた夕闇を
なんと見つめていることだろう!」



「窓の夜想曲(ノクトゥルノ)」より:

 「夜の腕が
わたしの窓からはいってくる。」

 「時計に傷つけられた
幾瞬間が 過ぎ去った。」



「セビーリャ小唄」より:

「オレンジの木に
夜が明けた。」



「夕暮の二つの月」より:

「お月さまが死んでいる、死んでいる。
けれども 春にはよみがえる。」

 「わたしの小さな妹が歌ってる、
地球は一つのオレンジなのよ と。」



「別れ」:

「わたしが死んだら、
露台(バルコーン)を開けたままにしておいて。

 子供がオレンジの実を食べる。
(露台(バルコーン)から わたしはそれを見るのです。)

 刈り取り人が小麦を刈る。
(露台(バルコーン)から わたしはその音を聞くのです。)

 わたしが死んだら、
露台(バルコーン)を開けたままにしておいて!」



「自殺」:

「その若者は 自身の記憶を失なっていた。
朝の十時になっていた。

 彼の心は 徐々に満たされて行った
破れた翼とぼろ布れの花とで。

 彼は気づいた、口にはもはや
一つの言葉しか残っていない と。

 そして 彼が手袋を脱ぐと、両手から
やわらかな灰がこぼれ落ちた。

 露台(バルコーン)からは 塔が一つ見えていた。
彼は 自分を 露台(バルコーン)で且つ塔なのだと感じていた。

 確かに彼は知っていたのだ、ケースのなかで止まった時計が
どのように彼を見つめていたかを。

 絹の白い長椅子の上に、彼は見ていた
静かに横たわる自分の影を。

 そこで こわばった幾何学的な若者は、
斧の一撃で鏡を砕いた。

 鏡を砕くと、影の巨大な奔流が
空想の寝室を水びたしにした。」





こちらもご参照ください:

小海永二 『ロルカ『ジプシー歌集』注釈』 (イスパニア叢書)
嶋岡晨 訳編 『プレヴェール詩集』 (世界現代詩集)







































































































小海永二 『ロルカ『ジプシー歌集』注釈』 (イスパニア叢書)

「おお ジプシーたちの苦しみよ!
清らかな いつも独りの苦しみよ。」
「¡ Oh pena de los gitanos !
Pena limpia y siempre sola.」

(ロルカ 「黒い苦しみのロマンセ」 より)


小海永二 
『ロルカ『ジプシー歌集』注釈』
 
イスパニア叢書  3

行路社
1998年8月10日 第1刷印刷
1998年8月20日 第1刷発行
315p
A5判 丸背紙装上製本 カバー
定価6,000円
装丁: 倉本修



訳詩・原詩・注釈・鑑賞。カバー&扉カットはロルカによるドローイングです。
初版は1996年、有精堂刊。


ロルカ ジプシー歌集 01


カバー裏文:

「現代スペインの吟遊詩人ロルカ。
その悲劇の死によって伝説の人となったロルカの『ジプシー歌集』。
そこには
彼自身を本源的に衝き動かしてきた愛と生命と神秘、
自在に飛翔するインスピレーション、機知に富む緊張感、
華麗なるメタファーを豊かにはらんで、
汲めども尽きぬ原初のポエジーがある。」



目次:

注釈および鑑賞
 1 月よ、月よのロマンセ
 2 プレシオーサと風
 3 喧嘩
 4 夢遊病者のロマンセ
 5 ジプシー尼僧
 6 不貞なる人妻
 7 黒い苦しみのロマンセ
 8 聖ミカエル(グラナダ)
 9 聖ラファエル(コルドバ)
 10 聖ガブリエル(セビーリャ)
 11 セビーリャへの路上での アントニート・エル・カンボリオの捕縛
 12 アントニート・エル・カンボリオの死
 13 愛に死せる者
 14 神に召された者のロマンセ
 15 スペイン警察兵のロマンセ
 16 聖女オラーリャの殉教
 17 馬に乗ったドン・ペドロのあざ笑い
 18 タマルとアムノン

『ジプシー歌集』解説
〈付録〉 ロルカ 「ジプシー歌集」(講演)
参考書目一覧
後書き(1995年10月)



ロルカ ジプシー歌集 02



◆本書より◆


「月よ、月よのロマンセ」より:

「甘松のポリソンを腰につけ
月が鍛冶場にやって来た。
子供が月をじっと見る じっと見る。
子供が月をじっと見ている。」

「La luna vino a la fragua
con su polisón de nardos.
El niño la mira mira.
El niño la está mirando.」

「月が 子供の手を引いて
空を行く。」

「Por el cielo va la luna
con un niño de la mano.」



「夢遊病者のロマンセ」より:

「腰の周りに影をつけ
彼女は手すりで夢みている、
緑の肉体、緑の髪、
冷たい銀の眼(まなこ)して。」

「Con la sombra en la cintura
ella sueña en su baranda,
verde carne, pelo verde,
con ojos de fría plata.」

「彼女は手すりに居続ける、
緑の肉体、緑の髪、
ほろ苦い海を夢みながら。」

「Ella sigue en su baranda,
verde carne, pelo verde,
soñando en la mar amarga.」



「ジプシー尼僧」より:

「麦わら色の布の上に、
尼僧はできれば刺繍したいと思う
彼女の幻想の 花々を。
それらは 何という向日葵(ひまわり)だろう! スパンコールと
リボンとの、何という木蓮(マグノリア)だろう!」

「Sobre la tela pajiza,
ella quisiera bordar
flores de su fantasía.
¡ Qué girasol ! ¡ Qué magnolia
de lentejuelas y cintas !」



「黒い苦しみのロマンセ」より:

「おお ジプシーたちの苦しみよ!
清らかな いつも独りの苦しみよ。」

「¡ Oh pena de los gitanos !
Pena limpia y siempre sola.」



「愛に死せる者」より:

「濡れた葦のそよ風と
昔の声たちのざわめきが、
真夜中の こわれたアーチに
反響していた。
牡牛たちとバラたちが眠っていた。」

「Brisas de caña mojada
y rumor de viejas voces,
resonaban por el arco
roto de la media noche.
Bueyes y rosas dormían.」



「神に召された者のロマンセ」より:

「安らぎのないわが孤独よ!」

「¡ Mi soledad sin descanso !」

「人々が街の通りを降りてきた
神に召された者を見るために、
おのれの孤独に安らぎを得て
壁の上を凝視しているその男を見に。」

「Hombres bajaban la calle
para ver al emplazado,
que fijaba sobre el muro
su soledad con descanso.」



「馬に乗ったドン・ペドロのあざ笑い」より:

「水の上では
丸い月が
浴(ゆあみ)して、
もう一つの月をうらやんでいる
あんなに空中高くいるので!
岸には、
子供が一人いて、
二つの月を見て呼びかける、
――夜よ、シンバルを打ち鳴らせ!」

「Sobre el agua
una luna redonda
se baña,
dando envidia a la otra
¡ tan alta !
En la orilla,
un niño,
ve las lunas y dice:
¡ Noche ; toca los platillos !」



付録「ジプシー歌集(講演)」(ロルカ)より:

「全体として、この本は、ジプシーの(ヒターノ)と名づけられてはいますけれども、アンダルシーアの詩篇(ポエマ)なのです。そしてわたしがジプシーの(ヒターノ)と呼んだのは、ジプシーがわが地方において最も気高く最も深遠な最も貴族的な存在であり、その流儀によって最も代表的なもの、アンダルシーア的でかつ普遍的な真実の燠火(おきび)と血とアルファベットとを保持する者、だからです。
 そんなわけで、この本は、ジプシーと馬と大天使と惑星とを伴い、そのユダヤの微風と、そのローマの微風と、川と、犯罪とを伴い、密輸業者の卑俗な調子と聖ラファエルをからかうコルドバの裸の少年たちの天上的な調子とを伴う、アンダルシーアの祭壇画(レターブロ)なのであります。そしてこの本の中には、目に見えるアンダルシーアはほとんど表現されていませんが、目に見えないアンダルシーアが震えているのです。今こそわたしは申しましょう、反絵画的な本、反民俗的な本、反フラメンコ的な本であると。(中略)そこには、夏の空のような大きく暗いただ一人の登場人物、骨の髄の中と樹々の樹液との中に滲(し)みこみ、メランコリーともノスタルジアとも何らかの悲嘆とも、あるいは魂の病気とも全く関係なく、地上的なというよりはずっと天上的な一つの感情である「苦しみ(ラ・ペーナ)」というただ一人の登場人物しか、存在しておりません。彼女を取り巻く、彼女自身にも理解できない神秘と、愛の知能との戦いに他ならない、アンダルシーアの苦しみ(ラ・ペーナ)です。」





Federico García Lorca - Romance de la Pena Negra






こちらもご参照ください:

小海永二 『ガルシーア・ロルカ評伝』 (原点叢書)




















































































ロルカ 『ニューヨークの詩人』 鼓直 訳 (福武文庫)

「アイ 哀れなぼく アイ 哀れなぼく アイ 哀れなぼくよ!」
「両腕をもがれた詩人であり へど吐く
群集に囲まれて途方に暮れているぼく」

(ロルカ 「へど吐く群集のいる情景」 より)


ロルカ 
『ニューヨークの詩人』 
鼓直 訳
 
福武文庫 ロ0201

福武書店
1990年8月6日 第1刷印刷
1990年8月13日 第1刷発行
180p
文庫判 並装 カバー
定価420円(本体408円)
装丁: 菊地信義
カバー写真: 瀬尾明男



本書「解説」より:

「『ニューヨークの詩人』の至るところから噴きでる非倍音的な響き――人種や老幼の別なくあげる痛ましい挫折と絶望の呻き、現代文明の象徴である大都会の貪欲な生のリズムと同調した死の足音、人間疎外の状況に対する予言者的な憤りの声――は、窮極的には人間と自然とが調和していたコスモスから、運命の偶然によって、それらが文明の過剰な排出物によって穢され乖離されたカオスのなかへ投じられた、ロルカという詩人の口から発した悲嘆と哀泣の声にほかならないと言ってよいのでしょう。」
「この訳詩集は、もともと、惜しまれながら消えていった牧神社がかつて刊行した三巻の『ロルカ全集』に収録されていたものです。」



ロルカ ニューヨークの詩人


帯文:

「ハーレムの雑踏に
ブルックリンの孤独
摩天楼の物憂い神秘……
イメージに満ちた
ニューヨーク詩篇」



カバー裏文:

「「その夜もハーレムの王様は/ひどく硬い一本のスプーンで/鰐の眼をえぐり/猿の尻をぶっていた(「ハーレムの王様に捧げるオード」より)。」ブロンクス、ウォール街、ハーレムなど、ニューヨークの喧騒の中から描き出された、多彩なイメージに満ちたロルカの世界。」


目次:

Ⅰ コロンビア大学における孤独の詩
 散歩の帰り道
 一九一〇年(幕間)
 三人の友の寓話と輪舞
 マントンのきみの幼い日々
Ⅱ 黒人たち
 黒人たちの掟と楽園
 ハーレムの王様に捧げるオード
 見捨てられた教会(大戦のバラード)
Ⅲ 街路と夢と
 死の舞踏
 へど吐く群集のいる情景(コニー・アイランドの夕暮れ)
 小便垂れる群集のいる情景(バッテリー・プレイスの夜想曲)
 殺人(リヴァーサイド・ドライヴの朝の二つの声)
 ハドソン河のクリスマス
 眠りのない教会(ブルックリン・ブリッジ夜想曲)
 ニューヨークの盲目のパノラマ
 キリスト降誕
 夜明け
Ⅳ イーデン・ミルズ湖畔の詩
 イーデン湖の二重の詩
 生きている空
Ⅴ 農夫(ファーマー)の小屋で(ニューバーグの畑)
 スタントン少年
 牡牛
 井戸で溺れた少女(グラナダとニューバーグ)
Ⅵ 死の序章――ヴァーモントの孤独の詩
 死
 空虚のノクターン
 二つの墓と一匹のアッシリア犬の風景
 廃墟
 月と虫のいる風景(愛の詩)
Ⅶ 都会へ帰る
 ニューヨーク――事務所と告発
 ユダヤ人の墓地
Ⅷ オード二篇
 ローマへの叫び(クライスラー・ビルの塔屋から)
 ウォルト・ホイットマンに捧げるオード
Ⅸ ニューヨークからの逃亡――文明に捧げるワルツ二曲
 短いウイーン・ワルツ
 茂みのワルツ
Ⅹ 詩人ハバナを訪れる
 キューバの黒人たちのソン
 短い無限の詩
 〈月はやっと止まることができた〉

解説




◆本書より◆


「一九一〇年(幕間)」:

「一九一〇年の あのぼくの眼は
知らなかった 死者の埋葬も
暁のために泣く者の灰色の市も
たつのおとしごに似て 片隅にうずくまり慄える心臓も

一九一〇年の あのぼくの眼が
知っていたのは 女の子がおしっこをする白壁
闘牛の鼻面 毒茸
あちこちの隅で 酒瓶の冷たい黒の下敷きとなった
レモンの干からびた切れっぱしを照らす 謎めいた月

あのぼくの眼のなかの 小馬の首筋
眠っている聖女ローザ(*)の悲しい胸
呻きと臆面もない手の 恋の屋根
猫たちが蛙を貪っていた庭

年をへた塵が彫像と苔を一つのものにする屋根裏
夢が現実とぶつかり合うところで
食い荒された蟹の沈黙をまもる箱
そこに注がれたぼくの細い眼

いや何も訊かないでくれ ぼくは知ったのだ
道を求めて物が見出すのは ただ空虚だということを
人間のいない空気には隙間の哀しさが漂い
服を着た 裸を知らない人間たちがぼくの眼に映っている
     一九二九年八月、ニューヨークにて」



ロルカの講演(1931年3月、マドリード)の抜粋より:

「《……わたしはあなた方に、外から見たニューヨークを語ろうとは思わない……また、旅行談をするつもりもない。詩人として感じたことを、ただ誠実に、素朴に伝えたいのだ。知識人にはきわめて困難だが、詩人にとっては容易な誠実さと素朴さで。旅行者があの大都会で直感する二つの要素は、超人間的な構造と凄まじいリズムである。幾何学と苦悩。一見、そのリズムは陽気に思われるが、社会生活のメカニズムや、人間と機械の双方を支配する痛ましい隷属的な関係などに気づくとき、犯罪やギャングでさえも逃避の道として許されるべき、あの空虚で悲劇的な苦悩が理解される。稜線は雲となる意志もなく、また栄光を希うこともなく、空へと上昇する。ゴチック的な稜線は埋葬された古い死者たちの心臓から発するのだ。それらは、根もなく窮極の渇望も持たない美しさを見せながら、冷たく上昇する。精神的構築物の場合と同じように、建築家のつねに低次な意図を克服し超越することができない、おぼつかなげな様子で。摩天楼と、それを蔽う空との戦いほど詩的で、戦慄的なものはない。雲と雨と霧が巨大な塔を強調し、湿らせ、蓋をする。しかし塔は、すべての戯れには眼もくれず、神秘を斥けるその冷静な意図を表現し、雨の髪を刈りあげる。あるいは静かな白鳥の霧を透して、三千本のサーベルをちらつかせる。あの広い世界には根がないという印象は、到着後日ならずしてあなた方を捉える。そして、あなた方ははっきりと、なぜ幻視者エドガー・ポーが神秘に、あの世界の中での陶酔という狂熱にとり憑かれざるを得なかったか、その理由を知るだろう。》」


注より:

「* 聖女ローザ
ヴィテルボ生まれのイタリアの聖女(一二三三?―一二五一?)。多くの奇蹟を行なったと伝えられており、祝日は九月四日。」




◆感想◆


「眠っている聖女ローザの悲しい胸」は「en el seno traspasado de Santa Rosa dormida,」で、「穴のあいた胸」です。穴があいているというのは、心にぽっかり穴があいたように悲しいというふうに訳者は解釈したのだとおもいますが、これは実際に胸に穴があいています。

「カンボリオ家の娘ローサは、
切り落とされた二つの乳房を
盆に載せ
戸口に座って呻いている。」
(小海永二訳『ジプシー歌集』「スペイン警察兵のロマンセ」より)

「執政官(コンスル)が盆を一枚要求する
オラーリャの乳房を載せるため。」
「両の乳房のついていた
紅(くれない)の穴を通して
とてもちっちゃな空たちと
白い乳の小川とが見える。」
(同「聖女オラーリャの殉教」より)

聖女オラーリャ(バルセロナのエウラリア)は、聖アガタ同様、ローマ人から胸を切り取られるなどの拷問を受けて殉教しました。
小海永二訳『ジプシー歌集』に引用されているロルカの手紙(1926年)には、

「この国は「警察兵」に支配されている。(中略)この前の復活祭に、カニャールで十四歳のジプシーの女の子が、村長から五羽の雌鶏を盗んだことがあった。「警察兵」は彼女の両腕を丸太に縛りつけ、革のベルトで強くひっぱたきながら、大声で歌をうたわせながら、村の通りという通りを全部引っぱりまわした。」

とあります。

そういうわけで、この詩には、幼年時代の無時間と、初期キリスト教徒から同時代のジプシーに至る人間による人間に対するの迫害の歴史的時間と、超人間的なものによって人間が疎外されている大都会ニューヨークの加速した時間と、三つの時間が重ね合わされているのではないでしょうか。



















































































『セルバンテス短篇集』 牛島信明 編訳 (岩波文庫)


『セルバンテス
短篇集』 
牛島信明 編訳
 
岩波文庫 赤/32-721-7 


岩波書店 
1988年6月16日 第1刷発行
375p
文庫判 並装 カバー
定価550円


「カバー・カットはセルバンテス家の紋章」



挿絵図版(モノクロ)4点。


セルバンテス短篇集 01


カバー文:

「愛する妻の貞節を信じ切れない夫は試しに妻を誘惑してみてくれと親友に頼みこむが…。突飛な話の発端から、読む者をぐいぐいと作者の仕掛けた物語の網の目の中に引きずりこんでゆくこの「愚かな物好きの話」など4篇を精選。『ドン・キホーテ』の作者(1547―1616)がまた並々ならぬ短篇の名手であることを如実にあかす傑作集。」


目次:

やきもちやきのエストレマドゥーラ人
愚かな物好きの話
ガラスの学士
麗しき皿洗い娘

解説



セルバンテス短篇集 02



◆本書より◆


「ガラスの学士」より:

「その奇妙な狂気とは自分の体がガラスでできているという妄想に他ならず、このあわれな男はこうした妄想ゆえ、誰かが自分の方にやってこようものなら、とたんに恐慌をきたして大声でわめきたて、触(さわ)るとこわれてしまうから、どうか近寄らないでくれ、自分は本当に普通の人間と違って足の先から頭のてっぺんまでガラスでできているのだから、といった意味のことを、なかなか筋のとおった言葉づかいで訴え、嘆願するのであった。
 彼のこのおかしな幻覚から救い出してやろうと、多くの者が、相手の叫び声や懇願などものともせず、彼にとびかかって抱きしめ、ほらよく見るがいい、べつに壊れはしないじゃないかと説得してみたが、そうした努力も結局はすべて水泡に帰した。抱きつかれた学士は、けたたましい金切り声をあげながら地面に身を投げ出すと、そのまま失神してしまい、ほとんど四時間もしなければ正気に戻らなかったし、おまけに正気に戻れば、またぞろ、頼むから近寄らないでくれという例の嘆願を繰り返したからである。そして彼は、近寄らずに遠くからであれば、なんなりと好きなことを質問してもらいたい、自分はガラスの人間であって肉体をそなえた人間ではないから、どんな質問に対しても、より思慮深い返答を与えられるはずだ、なんとなれば、ガラスというのは繊細にして緻密な物質ゆえ、それに包まれた精神が、重苦しくも俗臭紛々たる肉体に包まれたそれより機敏に、しかも的確にはたらくのは明らかなのだから、などと口走った。
 すると、彼の言うことが本当かどうか試してみようとする者も現われて、多くの難問をやつぎはやに吹っかけたが、彼はいささかもとどこおることなく、明快な答えを並べて、驚くべき才知のひらめきを見せつけるのであった。」








































































































































































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
 
うまれたときからひとでなし
なぜならわたしはねこだから
 
◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

Koro-pok-Guru
Away with the Fairies

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

最近の記事
カテゴリー
ブログ内検索
リンク
フリーエリア
netakiri nekotaroの最近読んだ本