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エドワード・W・サイード 『オリエンタリズム』 今沢紀子 訳 (平凡社ライブラリー) 全二冊

「人間社会というものは、(中略)「異」文化を扱うための手段として、ほとんど例外なく、帝国主義・人種差別主義・自民族中心主義のみを個々人に提供してきたという事実を思い起こすならば、」
(エドワード・W・サイード 『オリエンタリズム』 より)


エドワード・W・サイード 
『オリエンタリズム 上』 
板垣雄三・杉田英明 監修
今沢紀子 訳
 
平凡社ライブラリー 11


平凡社 
1993年6月30日 初版第1刷
2011年4月5日 初版第23刷
456p
B6変型判(16.0cm)
並装 カバー
定価1,553円(税別)
装幀: 中垣信夫
カバー図版: ドラクロワ〈アルジェの女たち〉(部分)
カバー・マーブル制作: 製本工房リーブル




サイード オリエンタリズム 01



エドワード・W・サイード 
『オリエンタリズム 下』 
板垣雄三・杉田英明 監修
今沢紀子 訳
 
平凡社ライブラリー 12/さ-2-2


平凡社 
1993年6月30日 初版第1刷
2012年11月15日 初版第21刷
474p
B6変型判(16.0cm)
並装 カバー
定価1,553円(税別)
装幀: 中垣信夫
カバー図版: デオダンク〈モロッコの賑やかな街角(マラケシュ)〉(部分)
カバー・マーブル制作: 製本工房リーブル


「本著作は一九八六年十月、平凡社より刊行されたものです。」



本書「凡例」より:

「本書は、Edward W. Said, *Orientalism* (Georges Borchardt Inc., New York, 1978) の全訳である。また本書には Samih Farsoun (ed.), *Arab Society, Continuity and Change* (London, Croom Helm, 1985) 所収のサイードの論文 Orientalism Reconsidered をも訳載した。」



サイード オリエンタリズム 02



上巻 カバー文:

「オリエントはヨーロッパの対話者ではなく、
そのもの言わぬ他者であった。」



下巻 カバー文:

「我々は異文化をいかにして表象することができるのか。
異文化とは何なのか。」



上巻 目次:

凡例
謝辞

序説
第一章 オリエンタリズムの領域
 一 東洋人を知る
 二 心象地理とその諸表象――オリエントのオリエント化
 三 プロジェクト
 四 危機
第二章 オリエンタリズムの構成と再構成
 一 再設定された境界線・再定義された問題・世俗化された宗教
 二 シルヴェストル・ド・サシとエルネスト・ルナン――合理主義的人類学と文献学実験室
 三 オリエント在住とオリエントに関する学識――語彙記述と想像力とが必要とするもの
 四 巡礼者と巡礼行――イギリス人とフランス人



下巻 目次:

第三章 今日のオリエンタリズム
 一 潜在的オリエンタリズムと顕在的オリエンタリズム
 二 様式、専門知識、ヴィジョン――オリエンタリズムの世俗性
 三 現代英仏オリエンタリズムの最盛期
 四 最新の局面

オリエンタリズム再考

『オリエンタリズム』と私たち (杉田英明)
平凡社ライブラリー版補論――『オリエンタリズム』の波紋 (杉田英明)
訳者あとがき (今沢紀子)
原注
索引




◆本書より◆


「序説」より:

「一九七五―七六年の激しい内戦のさなか、ベイルートを訪れたあるフランス人ジャーナリストは、その繁華街が廃墟と化してしまったのを見て、「かつてはここも、シャトーブリアンやネルヴァル描くところのオリエントさながらであったのに」と書き、その惨状を嘆き悲しんだ。たしかにヨーロッパ人の側からみるかぎり、彼がこの場所について語ったことは正しかった。オリエントとは、むしろヨーロッパ人の頭のなかでつくり出されたものであり、古来、ロマンスやエキゾチックな生きもの、纏綿(てんめん)たる心象や風景、珍しい体験談などの舞台であった。フランス人ジャーナリストの目の前でいま消滅しようとしていたのは、そうしたオリエントなのであった。(中略)おそらく彼にとっては、オリエントの人たちがそうした現実のなかでみずから身を賭して闘っているのだということも、またシャトーブリアンやネルヴァルの時代にだってオリエントにはオリエントの人たちが生活していたのだということも、さらにまた現に苦しんでいるのはほかならぬオリエントの人たちなのだということも、大した意味をもたぬことのように思われたのだろう。」

「オリエントは、ヨーロッパにただ隣接しているというだけではなく、ヨーロッパの植民地のなかでも一番に広大で豊かで古い植民地のあった土地であり、ヨーロッパの文明と言語の淵源であり、(中略)またヨーロッパ人の心のもっとも奥深いところから繰り返したち現われる他者イメージでもあった。」

「ごく大雑把に、オリエンタリズムの出発点を十八世紀末とするならば、オリエンタリズムとは、オリエントを扱うための――オリエントについて何かを述べたり、オリエントに関する見解を権威づけたり、オリエントを描写したり、教授したり、またそこに植民したり、統治したりするための――同業組合的制度とみなすことができる。簡単に言えば、オリエンタリズムとは、オリエントを支配し再構成し威圧するための西洋の様式(スタイル)なのである。」
「私の見るところでは、オリエンタリズムがそれほどまで権威ある地位を獲得した結果、人は誰でも、オリエントについてものを書いたり考えたり行動したりするさいに、オリエンタリズムが思考と行動に加える制限を受け入れざるをえなかった。つまりオリエンタリズムのゆえに、何人も、オリエントをみずからの自由な思考と行動の対象とすることができなかったし、今もってなおできないでいるのである。(中略)オリエンタリズムとは、「オリエント」なる独特の存在が問題となる場合にはいつでも、不可避的にそこに照準が合わせられる(したがってまたつねにそれに組み込まれることとなる)関心の網の目(ネットワーク)の総体なのである。」

「オリエントはつくられた――あるいは私の言葉で言うと「オリエント化された」――ものだと考える場合、それは、もっぱら想像力がそれを必要とするからこそ起こることだと考えたりするのは、事実を偽るものである。西洋(オクシデント)と東洋(オリエント)とのあいだの関係は、権力関係、支配関係、そしてさまざまな度合いの複雑なヘゲモニー関係にほかならない。(中略)オリエントがオリエント化されたのは、(中略)オリエントがオリエント的なものに仕立て上げられることが可能だった(引用者注:「仕立て上げられる~」に傍点)――つまりオリエントはそうなることを甘受した――からでもある。しかしそこには、ほとんど合意というものが見出されない。」
「私自身は、オリエンタリズムの独特の価値は、オリエントについて真実を語る言説(ディスクール)(学問的形態をとったオリエンタリズムはそのようなものとしてみずからを主張する)としての一面よりも、オリエントを支配するヨーロッパ的=大西洋的権力の標識としての一面においていっそう大きいと考えている。(中略)結局一八四〇年代後半のエルネスト・ルナンの時代からアメリカ合衆国の現在に至るまで、あるひとつの観念体系が(アカデミー、書物、会議、大学、外交官研修機関において)変わることなく教授可能な知識でありえている以上、それは単なる作り話の寄せ集めであるよりはもっと手強(ごわ)いものであるに違いない。」

「オリエンタリズムは、かつてデニス・ヘイがヨーロッパ観念と呼んだところの集団概念からかけ離れたものではない。この集団概念は、「我ら」ヨーロッパ人を「彼ら」非ヨーロッパ人のすべてに対置されるものとして同定する。(中略)かてて加えて、ヨーロッパのオリエント観がもつヘゲモニーというものがある。それは東洋人(オリエンタル)の後進性に対するヨーロッパ人の優越を繰り返し主張し、より自律的に、より懐疑的に物事を考えようとする人物が異なる見解をとる可能性を踏みにじってしまうのが常である。」

「「真の」知識が基本的に非政治的であるとする(中略)一般的でリベラルな多数意見というものは、知識の生みだされる時点でその環境としてある、たとい目には見えずとも高度に組織化された政治的諸条件を、いかにして覆い隠すものとなっているのか。本書が明らかにしようとしているのはその点である。」
「たとえば「十九世紀末、インドやエジプト在住のイギリス人がこれらの国々に関心を示す場合、その関心はつねに、彼らが心のなかで抱くこれらの国々の英国植民地としての位置づけと結びついていた」などと私が言っても、これに異議を唱える人がいるとは思われない。そしてこのように言うことと、「インドやエジプトに関するあらゆる学問的知識は、総体としての政治的事実によって何らかの意味で色付けされ刻印を押され侵害されているのだ」ということとは、まったく別なことのようにみえるかもしれない。ところがこの後者の言明こそが、本書でオリエンタリズムに関して私の言わんとするところなのである(引用者注:「言わんとする~」に傍点)。」
「私の考えるところ、ヨーロッパ人、ついでアメリカ人がオリエントに抱いた関心は、すでに述べた明白な歴史的評価の若干によって判断するかぎり政治的なものであった。しかし、その関心を創造したものは文化であり、またむき出しの政治的・経済的・軍事的原理と相携えてオリエントを、私がオリエンタリズムと名付ける分野にまさしく存在するがごとき異様で複雑な場所へとつくりあげるべく、ダイナミックに作用したのも文化だったのである。」
「私の切なる希望は、文化的支配の恐るべき構造を明らかにすること、そしてとくに旧植民地の人々に対しては、この構造を自分自身や他人の上に適用することの危険と誘惑とについて明らかにすることなのである。」



「第一章 オリエンタリズムの領域」より:

「クローマーとバルフォアの言葉は、東洋人(オリエンタル)をば、あたかも(法廷で)裁かれるような存在として、(中略)あたかも(学校や監獄で)訓練を施されるような存在として、またあたかも(動物図鑑において)図解されるような存在として描出するものであった。要するに、東洋人(オリエンタル)は、いずれの場合にも、支配を体現する枠組のなかに封じ込められ(引用者注:「封じ込められ」に傍点)、またそのような枠組のもとで表象される(引用者注:「表象される」に傍点)存在なのである。では何ゆえにそうなるのであろうか。
 文化の力(ストレングス)について論じるのは、容易なことではない。――だが同時に、本書の目的のひとつは、オリエンタリズムを、文化的な力の行使の一形態として説明し、分析し、考察しようとするところにある。(中略)十九世紀と二十世紀の西洋に関するかぎり、東洋(オリエント)および東洋(オリエント)に属する一切のものが、(中略)西洋の研究によって矯正を受けるべき存在だと仮定されていた、ということだけは、はじめに認めておいてよかろう。オリエントは、まさしく、教室や刑事裁判所や監獄や図鑑というような枠組によって規定される存在として眺められた。つまりオリエンタリズムとは、オリエント的事物を、詮索、研究、判決、訓練、統治の対象として、教室、法廷、監獄、図鑑のなかに配置するようなオリエント知識のことなのである。」

「ヨーロッパとオリエント、とくにイスラムとの遭遇の結果、こうしたオリエントの表象システムは強化され、(中略)イスラムは局外者(アウトサイダー)の典型となった。中世以降、全ヨーロッパ文明はこれに対抗する形で築かれていったのである。」

「オリエンタリズムとは、西洋が東洋(オリエント)の上に投げかけた一種の投影図であり、東洋(オリエント)を支配しようとする西洋の意志表明であるということを、ひとたび考え始めれば、我々は大概のことに驚かなくなるであろう。」



「第二章 オリエンタリズムの構成と再構成」より:

「近代のオリエンタリストは、オリエントのもつ曖昧性、疎遠感、奇異性などを巧妙に嗅ぎ分け、それらからオリエントを救い出してやる英雄(ヒーロー)だと自認していた。」

「十九世紀になって、ヨーロッパがオリエントを侵食すればするほど、オリエンタリズムはますます大きな大衆的信用をかちえていった。」



「第三章 今日のオリエンタリズム」より:

「すべてのヨーロッパ人は、彼がオリエントについて言いうることに関して、必然的に人種差別主義者であり、帝国主義者であり、ほぼ全面的に自民族中心主義者であった、と言ってさしつかえない。(中略)オリエンタリズムとは、オリエントが西洋より弱かったためにオリエントの上におしつけられた、本質的に政治的な教義(ドクトリン)なのであり、それはオリエントのもつ異質性をその弱さにつけこんで無視しようとするものであった。これが私の主張の要点なのである。」

「東洋人(オリエンタルズ)は、後進的、退行的、非文明的、停滞的などさまざまな呼称で呼ばれる他の民族とともに、生物学的決定論と倫理的=政治的教訓からなる枠組のなかに置かれてながめられた。かくて東洋人は嘆かわしい異邦人という表現がもっともふさわしいようなアイデンティティーを共有する、西洋社会のなかの諸要素(犯罪者、狂人、女、貧乏人)と結びつけられたのである。(中略)彼らは市民としてでも、人間としてでさえもなく、解決されるべき、限定されるべき、あるいは――植民地主義的諸勢力が公然と彼らの領土を欲する場合には――接収されるべき問題として、看破され、分析された。要するに、対象をオリエンタルと呼ぶこと自体、すでにはっきりした評価的価値判断を含んでおり、(中略)東洋人は従属人種の一員であったがゆえに、従属させられなければならなかった。それはかくも単純なことだったのだ。」

「我々は、十九世紀ヨーロッパにおいて、学問と文化の壮大な殿堂が、いわば現実の局外者(アウトサイダー)たち(植民地、貧乏人、犯罪者)を閉め出すことによって築き上げられていったのだという事実を忘れてはならないのである。」

「だがオリエンタリズムは、その種々の欠陥や嘆かわしい専門用語、ほとんどむき出しの人種差別主義、薄っぺらな知的道具立てなどにもかかわらず、私がこれまで叙述しようと努めてきたような形態をとって、現に今日の繁栄を誇っている。その影響力が「オリエント」そのものにまでひろがっているという事実には、たしかに我々を慄然とさせざるをえないものがある。」

「要するに、現代のオリエントは、みずからをオリエント化するのに一役買っているのである。」




◆感想◆


国際的な政治経済問題はどうでもいいですが、自分は自閉症なので「オリエント」を「自閉症」、ヨーロッパを「ふつうの人」、「オリエンタリスト」を「サイコセラピスト」「戸塚ヨットスクール」と読み替えると他人事でないです。





















































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マルセル・モース 『贈与論 他二篇』 森山工 訳 (岩波文庫)

「実際ポトラッチは、それを与えなければ与えないで危険であり、それを受け取ったら受け取ったで危険でもあって、いずれにせよ危険なものである。」
(マルセル・モース 「贈与論」 より)


マルセル・モース 
『贈与論 
他二篇』 
森山工 訳
 
岩波文庫 白/34-228-1 

岩波書店 
2014年7月16日 第1刷発行
2017年11月6日 第4刷発行
489p 
文庫判 並装 カバー
定価1,200円+税
カバー写真: マルセル・モース(一九三〇年頃)


Marcel MAUSS
Une forme ancienne de contrat chez les Thraces, 1921
Gift, Gift, 1924
Essai sur le don, 1923-24



アマゾンで注文しておいたのが届いたのでよんでみました。


モース 贈与論


カバー文:

「贈与や交換は、社会の中でどのような意味を担っているのか? モース(1872―1950)は、ポリネシア、メラネシア、北米から古代のローマ、ヒンドゥー世界等、古今東西の贈与体系を比較し、すべてを贈与し蕩尽する「ポトラッチ」など、その全体的社会的性格に迫る。「トラキア人における古代的な契約形態」「ギフト、ギフト」の二篇と、詳しい注を付す。」


目次:

凡例

トラキア人における古代的な契約形態
 Ⅰ
 Ⅱ

ギフト、ギフト

贈与論――アルカイックな社会における交換の形態と理由
 序論 贈与について、とりわけ、贈り物に対してお返しをする義務について
  エピグラフ
  プログラム
  方法
  給付。贈与とポトラッチ
 第一章 贈り物を交換すること、および、贈り物に対してお返しをする義務(ポリネシア)
  一 全体的給付、女の財-対-男の財(サモア)
  二 与えられた物の霊(マオリ)
  三 その他の主題。与える義務、受け取る義務
  四 備考――人への贈り物と神々への贈り物
      さらなる備考――施しについて
 第二章 この体系の広がり。気前の良さ、名誉、貨幣
  一 寛大さに関する諸規則。アンダマン諸島
  二 贈り物の交換の原理と理由と強度(メラネシア)
   ニューカレドニア
   トロブリアンド諸島
   このほかのメラネシア諸社会
  三 アメリカ北西部
   名誉と信用
   三つの義務――与えること、受け取ること、お返しをすること
   物の力
   「名声のお金」
   第一の結論
 第三章 こうした諸原理の古代法および古代経済における残存
  一 人の法と物の法(非常に古拙なローマ法)
   注解
   インド=ヨーロッパ語系の他の諸法
  二 古典ヒンドゥー法
   贈与の理論
  三 ゲルマン法(担保と贈り物)
   ケルト法
   中国法
 第四章 結論
  一 倫理に関する結論
  二 経済社会学ならびに政治経済学上の結論
  三 一般社会学ならびに倫理上の結論

訳注
訳者解説――マルセル・モースという「場所」




◆本書より◆


「トラキア人における古代的な契約形態」より:

「集合的な交換にはこのように通常さまざまな形態があるけれども、そのなかでひときわ注目すべき形態が一つ存在している。それは(中略)、アメリカ北西部とメラネシアにとくに分布しているもので、アメリカの民族誌学者たちはこれを一般に「ポトラッチ(potlatch)」と呼んでいる。(中略)それは二つの点から特徴づけることができる。まず、これらの交換は極度に複雑であることがしばしばで、実際のところそこでは、ありとあらゆる種類の給付が山のように取り交わされるのであるけれども、そのはじまりはというと、ほとんどすべての場合、プレゼントを純粋に無償で贈与するという装いをまとっていること。にもかかわらず、その贈与の恩恵に浴した人には、もらったものと等価のものに、さらに何かを上乗せしてお返しすることが義務づけられるようになること。これが第一の特徴である。したがって、およそどんな取引でも蕩尽と真の濫費の様相を呈することになる。(中略)そして、この性格がどんどん激化することによって、ポトラッチというこの制度に第二の特徴が付与されることになる。(中略)競覇的な性格がそれだ。(中略)それは一種の恒常的な競合関係であり、ときとして戦闘や殺害や、名前やら武器やらの喪失へといたることさえある。いずれにしても、これによって家族間のヒエラルキーや、クラン間のヒエラルキーが確立されることになるのだ。」


「贈与論」より:

「それはハウ(hau)、つまり、さまざまな物の霊、とりわけ森の霊、および森に棲息する狩猟対象となる鳥獣の霊についてである。エルスドン・ベスト(Elsdon Best)氏に情報を提供したマオリのなかでも最良のインフォーマントの一人にタマティ・ラナイピリ(Tamati Ranaipiri)がいるが、その彼がまったく偶然の成り行きで、何の先入見もなしに、この問題に関する鍵を与えてくれている。
  ハウ(hau)についてお話ししましょう……。(中略)あなたが、ある特定の品物(タオンガ taonga)をもっているとしましょう。そして、その品物をわたしにくれるとしましょう。あなたはわたしに、あらかじめ値段を取り決めることなどなしに、それをくれるのです。わたしたちはこれに関して取引などしないのです。さて、わたしがこの品物を第三の人物にあげます。この三人目は、ある一定の時間が過ぎたあとで、支払い(ウトゥ utu)として何かを返すことに決め、わたしに何か(タオンガ)を贈り物として寄越すのです。このとき、この人がわたしにくれるこのタオンガは、わたしがあなたから受け取り、次いで彼へとあげたタオンガの霊(ハウ)なのです。後者のタオンガ(あなたがくれたほうのタオンガ)のかわりにわたしが受け取ったタオンガですが、こちらのタオンガを、わたしはあなたに返さなくてはなりません。このようなタオンガを自分のものとしてとっておくのは、それがわたしの欲しいもの(ラウェ rawe)であっても、嫌いなもの(キノ kino)であっても、わたしのふるまいとして正しい(ティカ tika)ことではないのです。わたしはこれをあなたにあげなくてはなりません。なぜならこれは、あなたがわたしにくれたタオンガのハウであるからなのです。もしもわたしが、この二つ目のタオンガを自分のためにとっておいたとするなら、そこからわたしに災厄がふりかかることになるかもしれません。本当です。死ぬことさえあるかもしれないのです。以上がハウです。」

「こうした観念体系にあっては、他人に何かをお返しする場合、じつはその相手の本質であり実体であるものの一部を返さなくてはならないということ、このことが明瞭に、かつ論理的に理解されるのである。というのも、誰かから何かを受け取るということは、その人の霊的な本質の何ものか、その人の魂の何ものかを受け取ることにほかならないからである。このようなものをずっと手元にとどめておくのは危険であろうし、命にかかわることになるかもしれない。倫理的な意味でのみならず、物理的にも霊的にも人を出所とするこの物が、受け手に対して呪術的で宗教的な影響力をふるうからである。」

「このような慣行の発達は自然のものであった。人間が契約関係を取り結ばねばならなかった存在者たち、したがって、ことの定義からして、そもそも人間と契約関係を取り結ぶためにそこに存在していた存在者たち、このような存在者が最初はどのような範疇の存在者であったかと言えば、それは何よりもまず死者の霊であり、神々であった。実際のところ、この世にある物や財の真の所有者は彼らなのである。したがって、交換をおこなうことがもっとも必要である相手、そして、交換せずにいることがもっとも危険である相手、それは彼らなのであった。だが、それとは反対に、交換をおこなうことがもっとも容易であり、もっとも確実である相手、それもまた彼らだったのである。供犠における犠牲の破壊は、まさしく贈与を、必ずやお返しがなされるという想定の上での贈与を、目的としている。そして、(中略)どんな形態であれポトラッチには、この破壊という主題が備わっている。だが、ポトラッチで奴隷たちを殺したり、貴重な油脂を燃やしたり、銅製品を海に捨てたり、果ては首長の家に火を放ちさえしたりするのは、力と富と我欲のなさを誇示するためだけではないのだ。それはまた、霊と神々に対する供犠でもあるのである。」

「結局のところ、それは混ざり合いなのだ。物に霊魂を混ぜ合わせ、霊魂に物を混ぜ合わせるのだ。さまざまな生を混ぜ合わせ、そうすると、混ぜ合わされるべき人や物は、その一つひとつがそれぞれの領分の外に出て、互いに混ざり合うのである。それこそがまさしく契約であり交換なのである。」

「ポトラッチにおけるこの破壊の慣行には、さらに二つの動機がかかわっている。一つ目は戦争というテーマである。ポトラッチは戦争なのだ。トリンギットでは、ポトラッチは「戦争ダンス」という名で呼ばれている。戦争では、仮面や名前や特権の所有者を殺すことにより、それらを奪い取ることができる。それと同じように、財の戦争では、財を殺すのだ。一方では、自分の財産を自分で殺し、他人がそれを獲得できないようにする。他方では、他人に財を贈与して、お返しをするように相手を仕向けるか、あるいは相手がお返ししきれないほどの財を贈与することで、この相手の財産を殺すのである。
 二つ目のテーマは供犠である。(中略)財を殺すのは、それに生命が備わっているからである。」
「けれども原理的に言うなら、ここでも通常の供犠の場合と同じく、重要なのは物を破壊して、それを霊に引渡すことである。」

「贈り物というのは、したがって、与えなくてはならないものであり、受け取らなくてはならないものであり、しかもそうでありながら、もらうと危険なものなのである。それというのも、与えられる物それ自体が双方的なつながりをつくりだすからであり、このつながりは取り消すことができないからである。」

「物が与えられたり渡されたりするときに、その物が体現している危険性を、非常に古いゲルマン法や非常に古いゲルマン諸語ほどはっきりと感じさせてくれるものは、おそらくほかにない。ゲルマン諸語の全体においてギフト(gift)という語が二つの意味を有しているということは、これによって説明できる。すなわち、贈与という意味と、毒という意味の二つである。(中略)贈与が不幸をもたらし、贈り物や財が毒に転化するというこのテーマは、ゲルマンの伝承において基本的なものである。ラインの黄金はそれを征服した者に破滅をもたらし、ハーゲンの盃はそこから酒を飲む勇者を死に導くのだから。」

「以上で考察してきたことは、わたしたち自身の諸社会にも広げて適用することが可能である。
 わたしたちの倫理にしても、そして、わたしたちの生活そのものにしてからが、そのきわめて大きな部分が以上に見たのと同じ雰囲気、すなわち、贈与と義務と自由とが混ざり合った雰囲気のなかに、相変わらずとどまっている。」
「贈り物を受け取ったにもかかわらずお返しをしないでいれば、その人が劣位に置かれるということは昔とかわりない。とくに、あげる側がはなからお返しなど期待しておらず、受け取る側がもらいっぱなしで終わるような場合には。(中略)施しが、それを受け取る者を傷つけるというのは、今もかわらないのだ。」










































































セルジュ・ユタン 『改訂新版 秘密結社』 小関藤一郎 訳 (文庫クセジュ)

セルジュ・ユタン 
『改訂新版 
秘密結社』 
小関藤一郎 訳
 
文庫クセジュ 199 

白水社
1972年12月5日 第1刷発行
1987年4月20日 第9刷発行
160p 参考文献viii
新書判 並装 カバー
定価750円
装幀: 真鍋博



本書「訳者まえがき」より:

「この書は秘密結社の歴史、とくに西欧社会におけるそれの歴史についての概説である。」
「この翻訳の第一版が刊行されたのは一九五六年で、今から十六年前のことである。しばらく絶版のままであったが最近再版が出されることになったので、これを機会に原著も七版を重ねて改訂されているので、それによってすっかり全体に筆をいれた。」



Serge Hutin: Les sociétés secrètes (Collection QUE SAIS-JE? No 515)
本文中「図」11点。


ユタン 秘密結社 01


目次:

訳者まえがき

緒言
 用語の乱用
 政治的秘密団体と入社的秘密団体
 入社式、その特長と目的
 入社式と秘伝主義
 未開民族における入社式と秘密団体
 本書の計画

第一部
 第一章 古代における密儀の宗教
  一 エジプト
   エジプトの宗教、秘伝的宗教
   入社式の儀式、オシリスの神話
   象徴体系と教義
  二 ギリシア
   ディオニュソス
   エレウシスの密儀
   オルフェウス密儀とピタゴラス派教団
  三 ローマ帝国
   古代の密儀の発達
   ミトラ神
   キリスト教の秘伝教義、グノーシス派とマニ教
 第二章 イスラム教の秘儀
  正統派の組織
  イスマイレー派と関連諸団体
 第三章 中世における入社式
  一般的状況
  同業組合
  グラールの伝説
  カタール派
  聖堂騎士団
  ダンテと秘伝教義
  錬金術師とカバラ派
  妖術
 第四章 薔薇十字団
  起源、伝説と歴史
  薔薇十字団運動の発展
  薔薇十字団とフリーメーソン
  入社式の儀礼
  教義とその目的
 第五章 フリーメーソン
  一 沿革
   行動的メーソンから思弁的メーソンへ
   十八世紀におけるフランスのフリーメーソンと高位の位階の発達
   メーソンの発展
  二 メーソンの入社式
   分派と位階
   ロッジ
   メーソンの象徴
   メーソン入社式の原理
   「反省の部屋」と精神的錬金術
   三つの問題と宣誓
   ヒラムの伝説
  三 教義
   メーソンの目的、「建設至上主義」
   メーソンの入社式の目的
   メーソンの非公開主義

第二部 政治的秘密結社
 第一章 概説
  入社的組織と政治的結社との関係および両者の差異
  政治的結社の一般的性質、分類の試み
 第二章 聖フェーメ団
  起源
  フェーメ団の組織と訴訟手続き
 第三章 バヴァリアの啓明結社
  ヴァイスハウプト
  位階
  啓明結社の究極の目的
  解散
 第四章 カルボナリ党(炭焼党)
  起源
  イタリアのカルボナリ
  フランスのカルボナリ
  カルボナリの組織と位階制度
 第五章 アイルランドの秘密結社
  統一アイルランド党
  シン・フェイン
  アルスター問題と《I・R・A》
 第六章 ク・クラックス・クラン
  起源と創立
  クランの復活
 第七章 マフィア
 第八章 犯罪的結社

結論

参考文献



ユタン 秘密結社 02



◆本書より◆


「緒言」より:

「一般的にいって入社式(イニシアシヨン)とはつぎのように定義することができる。個人のうちに存在の低次と見られる状態から高次の状態への心理的移行を実現することを目的とした過程(プロセス)、すなわち世俗的な「門外者(プロファヌ)」から「奥義の伝授をうけた者」への変化を意味するものであると。つまり一連の象徴的な行為や精神的でかつ物的な試練(引用者注: 「試練」に傍点)によって個人に対して、一度は「死んで(引用者注: 「死んで」に傍点)」それから新しい生活(引用者注: 「新しい生活」に傍点)に「再生する(引用者注: 「再生する」に傍点)」という感動を与えることが眼目なのである(中略)。もっと厳密にいえば入社式には相互に補完的である三つの要素を区別することができる。
 (一) 第一の要素は本来の意味での「入社式」(引用者注: 「本来の~」以下に傍点)である。つまり「高次」の世界への導入、世俗的状態から「一層完全な」心的状態への導入である。だから入社式は究極的には真の「神と化す」状態にもなることがある。それゆえ入社式の目的は人間存在を「あらゆる制約された状態をこえた彼岸」に導くこととなるのである。(この意味でルネ・ゲノンはつぎのようにのべている。「入社式において大切なことは他の人間と意思の伝達をはかることではなく、自ら超個人的状態を実現することである。しかしそれはもちろんのこと個人的人間としてではない。(中略)そうではなくある一定の状態においては個人的人間として自己をあらわす存在がまたそれ自身のうちに他のあらゆる状態への可能性を含有するものとしてなのである」)。だからそれは人間存在の純然たる内面的実現(引用者注: 「実現」に傍点)であり、個人がそのうちに潜在的に有する可能性を実現(引用者注: 「実現」に傍点)することである。」
「(二) 入社式の儀礼(引用者注: 「入社式の儀礼」に傍点)は本質的には個人の心的作用にはたらきかけることを目的とする物的、精神的「試練」なのである。」
「(三) 入社式の階級的位階制(引用者注: 「入社式の~」以下に傍点)――神秘主義者は一挙に完全な直覚にまで到達することはできるが、入社者のほうは漸進的にしか十全な認識に達することができない。(中略)このためすべての入社的組織には階級的位階制(引用者注: 「位階制」に傍点)が存在する。」



「第三章」より:

「アルビ派に対してなされた十字軍についてはすでにあまりにもよく知られているから、ここではそれには触れない。ただカタール派の教義はその聖職者たちが虐殺されたにもかかわらず存続してきたということは注意しなければならない。事実、吟遊詩人(トルーバドール)たちはこの異端アルビ派の熱烈な献身的な支持者であったことは明らかであるが、彼らはその「楽しい知識」の中で異端糺問によって禁じられていた思想をひろめつづけたのであった。」


「第四章」より:

「フラッドによって体系化された宗教哲学に関する薔薇十字団の教義はその大要だけでも要約することはきわめて困難である。それは一つの巨大な神智論的体系であり、一種の秘伝的キリスト教ともいうべきであるが、また秘伝的教義、ユダヤ的カバラ派、新プラトン主義およびグノーシス派の強い影響もうけていた。それは混成的綜合で、中世全期とルネッサンス期にわたって地下にかくれてきた多少秘密的色彩のあるあらゆる伝統の残存を全部綜合したものである。だからそこには秘伝主義のあらゆる古典的問題が展開されている(とくに性的宇宙開闢説は宇宙の起源を男性的火と女性的物質の結合に基づくものとしていた)。あらゆる存在はいろいろの段階において顕示する唯一の存在、モナドの種々の発展であるにすぎず、それはけっきょく根源的統一に還元する運命をもっている。原始時代以来存続している古代の秘密哲学を保持する同志たちは、近く黄金時代が復帰することを予言している。」
「人は反抗によって神の国から追放されたが、法悦によって神の世界に再び戻らなければならない。人間は再び神となることができるし、またそうならなければならない。」



「第八章」より:

「ヨーロッパ各国社会の底辺には多数の犯罪者の秘密結社、悪党の結社が存在しており、多くの文学作品はそれらについての記憶を伝えている。フランスではとくに百年戦争(一三三六―一四五二)およびその結果生じた大混乱ののち無法者の秘密結社の数がましていた。ヴィクトル・ユゴーの『パリのノートルダム』によって、人々は浮浪者、乞食、「宿なし」どもの王国である有名な「奇蹟の中庭(クール・ド・ミラクル)」の存在を知っている。フランソワ・ヴィヨンもこの宿なしどもの仲間であったが、彼らは特有の階級制度、政府、加入の儀礼、団員相互の認識符号および秘密の言語をもった真の教団的組織をつくっていた(フランソワ・ヴィヨンは浮浪者たちの隠語または乞食仲間の隠語でバラードを書いたのであった)。これら浮浪者たちの前身は種々さまざまで、本物の悪党、仕事にあふれた労働者、脱走兵、街のゆすり、香具師(やし)、占師、破産した商人、浮浪者、あらゆる種類の落伍者、常軌を逸したものたち、ジプシー、売笑婦などいろいろあったが、大体五つの「種族」にわかれていた。その五つの種族とは「兵隊」、ヴィヨンもこの仲間であった「行商人」、乞食すなわち「五銭玉の住民」(グラン・コエスル国住民(訳注: グラン・コエスルとは香具師仲間の親分が仲間からつけてもらった称号で「乞食大王」の意。))、「ジプシー」、「盗賊」であった。
 だいたいこれと同じ時代(十五世紀)イギリスにも類似の結社が発達した。それはエリザベス王朝時代には公の秩序に対する真の脅威にまでなったが、他の結社と同じく多くの「職分」をともなった階級制度をもち、また特別の隠語や入社式の儀式をもっていた。スペインやイタリアでも同じように、無法者たちはちょっとのことがあっても警察とことをかまえる乞食、浮浪者、脱走兵などをあつめた特別の結社をつくっていた。現代ではこういう悪党の結社は昔日のような絵画的美しさの多くを失ってしまったが、今日でも依然として存在し、特別の「環境」をつくっている。
 最も風変わりな犯罪的秘密結社の一つはインドのサッグズ(Thugs)であるが、イギリス当局はこれを国外に追放するのに成功した。これらの「暗殺者たち」は金銭的理由からも宗教的理由からも活動していた。この風変わりな結社は犯罪的秘密結社ともあるいは一つの宗教的分派とも見ることができる。サッグズ団はその結社の起源を物語る一つの伝説をもっている。彼らは、古典的なヒンズー教の教義をもととして、世界のはじめには「一つは創造、もう一つは破壊の二つの力があり、両者はともに至高の存在からの流出であった。この二つの力はたえず闘争を続けていた。ところが、創造の力は非常に速かに地上に人口を繁殖せしめたため、破壊の力はこれに抗していくことができず、何か援助をうける方法はないかと捜し求めた。このため破壊の力の配偶者カーリ(Kâli)は人間の形をした存在をこしらえ、これに生命を与えた。ついでカーリは自分に対する熱烈な支持者を相当数糾合し、彼らにサッグズの名を与えた。そしてカーリはサッグズに対して暗殺の技術を教え、それによって彼女の製作した存在の破壊にあたらせた。それ以来サッグズ団はこの暗殺術を用いてきたのである」と主張している。」


























































































ヴラスタ・チハーコヴァー 『新版 プラハ幻影 ― 東欧古都物語』

「パリでどんなすばらしい発見をなさったか興味があるが、あなたはたぶん何の発見もできなかったことでしょう。おひとりでパリに行かないからです。発見者というのは、いつも一人で動かなければならないのです」
(カレル・チャペク)


ヴラスタ・チハーコヴァー 
『新版 
プラハ幻影
― 東欧古都物語』


新宿書房
1993年6月30日 第1刷発行
2003年9月30日 第4刷発行
250p 「著者について」1p 
地図(折込)1葉
19.2×15.4cm 
丸背紙装上製本 カバー
定価3,107円(税別)
造本: 中垣信夫



本書「ハヴェル大統領のプラハ」より:

「本書は一九八七年に発行されて以来版を重ね、(中略)チェコとスロヴァキアが分離・独立したのを機に新版として再発行することになったが、これまでの本文には手を加えず、革命後のプラハについて私なりに書き綴り、補遺とすることにした。」


本文中図版(モノクロ)多数。カバーそでに松本清張による推薦文。
本書はアマゾンマケプレでよさそうなのを注文しておいたのが届いたのでよんでみました。著者はプラハの人ですが日本語で書いています。


チハーコヴァー プラハ幻景 01


目次:

Ⅰ プラハはなぜ美しい
 リブシェ王妃の予言
 プラハの二つの城
 街の誕生と都市づくり
Ⅱ 歴史をものがたる場所
 聖者が立ちならぶカレル橋
 「黄金の礼拝堂」国民劇場
 飢えの壁
 壁時計のある市庁舎
Ⅲ 街と人間のたたずまい
 プラハの都市的性格
 一九世紀プラハとユダヤ人街
 一五世紀プラハへの旅
 城下町、マラー・ストラナの個性
 人間的空間のある街
Ⅳ 古い物の美学
 紋章のある家
 ドアと鍵
 石畳の歴史散策
Ⅴ 生活のなかの芸術
 家のなかの美
 ボヘミアン・ガラス
 室内と野外の音楽
 広場と遊び
Ⅵ 涙と笑い
 地の精霊、プラハのお化けたち
 ブラック・ユーモア
 道化と人形劇
 パタフィジックの空想科学
Ⅶ ヒロインとヒーロー
 古代ボヘミアの性のデモクラシー
 中世のやさしいヒーローたち
 近代の国際人ヒーローたち
 妻たちの話したこと
わたしのプラハ幻景――後書にかえて

ハヴェル大統領のプラハ――革命、分離と古都の変貌
チェコ年表
索引



チハーコヴァー プラハ幻景 03



◆本書より◆


「聖者が立ちならぶカレル橋」より:

「橋の建造に関連して次のようなエピソードが伝わっている。一六本もの橋脚をしっかりと接合させるため、モルタルを練る時に、石灰に水を加える代わりに卵の白身を使うことになった。しかし当時のプラハには必要なだけの卵がなかった。そこでカレル四世の特命により、卵がボヘミア中から集められることになった。ヴェルヴァリーというプラハ近辺の町の人々も、馬車で卵を運んできたが、考えすぎて卵を固くゆでてしまった(!)。」


「パタフィジックの空想科学」より:

「一九六六年、チェコの音楽評論家エヴジェン・ヘドヴァーブヌイーが田舎の別荘を建て直す際に、ある一つの箱を見つけた。その中には、自ら詩人・パタフィジシャンと称するヤーラ・ダ・ツィメルマンという人物のデッサンや原稿、記録写真や書簡などが入っていた。」
「このような経緯をもって人々に知られるようになったツィメルマンという人物は、一九世紀の後半にオーストリアの女優の母と、チェコの裁縫師の父のもとに生まれたということになっている。」
「ツィメルマンは、一時ウクライナのフトル村で教師をしていたそうだ。」
「ツィメルマンは、生徒の記憶に残った知識と残らなかった知識とを整理して、“忘れてはいけないもの”と“忘れてもよいもの”とに分けて教えるというユニークな教授法をあみ出した。そして時々この二つを置き換えることによって、生徒は“忘れてはいけない”ものを“忘れてもよい”ものとして覚えていったというのである。
 ツィメルマンはあらゆることにすぐれた才能をもち、さまざまな職業を経験した人物だったようだ。フランスのヴィシー市立精神病院で医師をやっていた頃は、精神分裂病を研究していたらしい。彼は患者を観察した結果、精神分裂病の原因となっていると思われる患者の固定観念や妄想を、現実の世界で実現してやれば病気は治るという結論に達し、独自の「ツィメルマン精神調和治療法」を考案した。それは成功したかどうかはわからないが、残された一枚の写真では、彼は“私は鶏である”という患者の妄想を体現し、自ら鶏のコスチュームをつけて治療に当たっている。」
「哲学者としてのツィメルマンは、「外的な世界だけが存在し、私は存在していない」と主張した。
「ともあれ、パタフィジックは完全に自由な個の科学であり、また絶対を認めず、世界の永遠なる状態は誤解であると主張する。」
「ツィメルマン自身も、はたして実在の人物であったのか、あるいはどの程度までチェコ国民のユーモア精神と想像力がつくり上げたのか、明らかではないということにもなるのである。」














































































Isabel Fonseca 『Bury Me Standing: The Gypsies and Their Journey』

「On the road, Vesh offered me my first Albanian cigarette. It was a Victory. On the brown packet, under a "V" and in the place where it usually says "Smoking causes fatal diseases," was written: "Keep Spirit High."」
(Isabel Fonseca 『Bury Me Standing』 より)


Isabel Fonseca 
『Bury Me Standing:
The Gypsies
and Their Journey』


Vintage Books, London, 2006
viii, 337pp, 19.7x12.8cm, paperback
First published in Great Britain by Chatto & Windus Ltd 1995



本書はイザベル・フォンセーカ『立ったまま埋めてくれ――ジプシーの旅と暮らし』として翻訳が出ていますが、アマゾンマケプレで原書が最安値だったので注文しておいたのが届いたのでよんでみました。ジプシー(ロマ)の生活と歴史(と未来)について、ジプシーの家族と共に暮らした体験なども交えつつ書かれています。
本文中図版(モノクロ)多数。


fonseca - bury me standing


Contents:

Out of the Mouth of Papusza: A Cautionary Tale

ONE:
The Dukas of Albania
Kinostudio
Everybody Sees Only His Own Dish
Women's Work
Learning to Speak
Into Town
The Zoo
To Mrostar

TWO:
Hindupen

THREE:

Antoinette, Emilia, and Elena

FOUR:
The Least Obedient People in the World
Emilian of Bolintin Deal
A Social Problem
Slavery
No Place to Go

FIVE:
The Other Side

SIX:
Zigeuner Chips

SEVEN:
The Devouring

EIGHT:
The Temptation to Exist

Afterword
Selected and Annotated Bibliography
Index




◆本書より◆


「The Dukas of Albania」より:

「Also like black Americans, they suffered a common and slanderous stereotyping. They were supposed to be shiftless and work-shy. In fact, Gypsies everywhere are more energetic, if not always more industrious, than their neighbors; ( . . . ) Sure enough, they have mainly shunned regimented wage labor in favor of more independent and flexible kinds of work.」

(アメリカ黒人同様、ジプシーもまた、仕事嫌いの怠け者だという悪意あるレッテルを貼られてきた。実際には、ジプシーはたいてい、同僚たちより一生懸命に働く、より勤勉であるとはいえないとしても。ほんとうのところ、管理の厳しい賃労働はやりたがらないが、それは一人でやれる融通のきく仕事の方が性に合っているからだ。)

「Disinforming inquisitive *gadje* has a long tradition. It is a serious self-preserving code among Gypsies that their customs, and even particular words, should not be made known to outsiders.」

(詮索好きな非ジプシーに対してウソをいって攪乱するというジプシーの態度には長い伝統がある。じぶんたちの習慣やある種のことばなどを部外者に知らせないというのは自衛のための慣例なのだ。)

「There were no newspapers, no radio, and of course no books; the television was usually on, but was hardly ever watched; images flickered by like scenery out of a car window. ( . . . ) Unlike most of the Albanians among whom they lived, the Gypsies knew nothing about what was going on in the world, and ( . . . ) showed no curiosity.」

(新聞もなければラジオもないし、もちろん本もない。テレビはたいていつけっぱなしだが、だれも見ない。車窓の景色のように映像が明滅するだけだ。ジプシーたちは世界でおこっていることを何も知らないし、知ろうともしない。)


「The Devouring」より:

「Visits to the famous scenes of the Nazi crimes do little to evoke the experience of those who lived and died there. ( . . . ) Writers have begun to say what most visitors to death camps have kept as a guilty secret: that they felt very little here, in Auschwitz, for example; that their strongest feeling may be ambivalence about their own visit to such a terrible and sacred site now somehow a museum and a tourist destination, littered with children and Coke cans. In Kraków, bright posters and brochures offer day trips to holidaymakers: to the Tatra mountains, to a salt mine, to Auschwitz. On my last trip to the camp, the postmodern "Auschwitz experience" was complete when the taxi driver ( . . . ) boasted that he had been Steven Spielberg's driver during the filming of *Schindler's List*, and pressed the photographic evidence into my hand.」
「Compared with the vivid photo library of Nazi imagery that we helplessly house in our heads, the live tour mainly obfuscates (inside the camp there is a tourist hostel and a cafeteria, racked with ham-and-cheese sandwiches). In the case of the Gypsies, this sense of distance has a further dimension: one could easily imagine that these particular people had not been here at all. The Polish guide ( . . . ) never once mentioned the Gypsies ( . . . ). When, following the tour, the Swedes had repaired to the cafeteria, I asked her about the Gypsies, "Even here in Oswiecim the Gypsies didn't work." That was all she had to say about the twenty-one thousand Gypsies murdered at Auschwitz-Birkenau.」


(ナチによる犯罪の現場を訪れても、そこで生きそこで死んだ人々の体験を喚起することはほとんどない。死の収容所への訪問者たちが後ろめたい思いで秘密にしてきたこと――そこでは心を動かされることがほとんどなく、たとえばアウシュヴィッツで最も強く感じるのは、そのような恐ろしくも神聖な場所が今や博物館や、コーラの空き缶が転がっていて子どもたちが走り回る観光地のようになってしまっていることに対する両義的感情であること――を作家たちは表明しはじめている。クラクフでは色鮮やかなポスターやパンフレットが、行楽客にタトラ山脈やヴィエリチカ岩塩坑やアウシュヴィッツへの日帰り旅行を呼びかけている。こうしたポストモダンな「アウシュヴィッツ体験」は、このまえ収容所へ行った時に、タクシー運転手が「シンドラーのリスト」撮影中のスピルバーグを載せたといって証拠の写真を押しつけてきたことで極まった。
頭に否応なく詰め込まれてしまうなまなましいナチの写真資料にくらべると、現場めぐりはあいまいな印象を与える(収容所内には宿泊所やカフェテリアがある)。ジプシーに関しては、こうしたよそよそしさがさらに増大する。まるでそんな人たちなどいなかったかのようだ。ポーランド人のガイドはジプシーについて一言も言及しなかった。後でジプシーについて訊ねると、「ここオシフィエンチムでさえジプシーについては誰も関心を示さないのです」、それがアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所で虐殺された二万一千人のジプシーについてガイドが言うべきことの全てだった。)



◆感想◆


本書によると、ジプシーはネコがきらいです。なぜきらいなのかというと、ネコはじぶんの体をなめてじぶんの体についた外部の汚いものをじぶんの体の中に取り入れてしまうからで、この、外部の汚いものが内部に入り込むのを極度にきらうというのがジプシーの特徴で、レストランで他人が使ったナイフやフォークを使うのをきらって、いつもマイナイフを持ち歩くジプシーの話が出てきます。ジプシーは馬がすきですが、それは馬はじぶんの体をなめないからです。このような内と外、「Us against the world」、ジプシー対非ジプシー(gadje)という考え方はたいへん根強いので、本書の冒頭のエピソードに出てくる、ポーランドの詩人フィツォフスキ(Jerzy Ficowski)に見出されたジプシーの女性詩人パプーシャ(Papusza)は、非ジプシーとコラボしたという理由で、汚いものとしてジプシー社会から追放されてしまいます。著者はジプシーの家庭に入り込んで取材していますが、かれらは非ジプシーである著者をもてなすけれども、じぶんたちの仲間だとはみなさないので、著者が家事を手伝おうとすると拒絶されてしまいます。このような外部に対する拒絶は、ジプシーが受けてきた迫害の歴史ゆえであり、行く先々で排斥され、奴隷として売り買いされ、強制収容所で虐殺され、共産主義体制下では同化を強いられ、民主主義になったらなったで暴徒に襲撃され家を焼き払われ、といった迫害の実態についても、本書に詳しく書かれています。

そういうわけで、「立ったままで埋めてくれ」というタイトルに興味をもったので、「弁慶の立往生」ではないけれど、生きているあいだはずっと闘い続けてきたし、死んでからも闘うぞ、という決意表明かと思ったら、「Bury me standing, I've been on my knees all my life.」(ずっと跪いて生きてきたんだからせめて死んだら立った姿で埋めてくれ)ということだったので、予想外でした。これはマヌシュ・ロマノフ(Manush Romanov)というジプシー活動家のことばだということですが、ジプシーは社会による同化政策に抵抗し続けた「The Least obedient people in the world」(世界一不服従な人々)だという本書の章題にもなっているイメージ(これは本文によると反ジプシーのルーマニア人の言葉ですが)とは相容れないです。しかしジプシーは行く先々での迫害やそれによって強いられた放浪や奴隷としての売買等々を運命として受け入れ、それを広く世に訴えるということをしないできたわけで、そうした現状から抜け出すためには、ロマノフやハンコック(Ian Hancock)のようなインテリの「career Gypsies」こそがロマ(ジプシー)にとっての唯一の希望(only hope)でありリーダーなのだと著者は主張し、「anti-intellectual」(インテリ嫌い)のジプシーたちが活動家のハンコックよりもネズミ捕りで生計を立てていたマルコおじいさん(grandfather Marko)やワゴンで生まれたベンチおばあちゃん(Granny Bench)に共感する(=役割モデルにする)ことを嘆いて、「教育」(education)の必要性を訴えています。本書の「Hindupen」の章で著者はジプシーのインド起源説(ハンコックらによって定説とされている)を支持していますが、その章の掉尾でジプシーのヒーローとしてふさわしいのは「新しいスタートの守護神」(patron saint of beginnings)であるインドのゾウの神様ガネーシャだろうと書いています。ガネーシャは現世利益の神様であり、学問の神様です。

それはそれとして、本書の「Bibliography」で、著者はコンラッド・ベルコヴィシ(Konrad Bercovici、ルーマニア生まれのユダヤ系アメリカ人作家、シナリオライター)の『The Story of the Gypsies』(1929年)を、「興味深い伝説を含む」と評価しながらも、その、「ジプシーたちはどこから来るのか? ツバメはどこから来るのか?」といった「バカげたロマン主義的語り口」(A ludicrously romantic account)を非難していますが、わたしなどはそういう「バカげたロマン主義」が大好物なので困ったものです。ベルコヴィシの本は開巻草々「ジプシーの辞書に「義務」と「所有」の文字はない」などと書かれていてわくわくします。「余の辞書に「不可能」の文字はない」とかいわれると、それこそ「バカバカしい」と思ってしまうのですが。

ちなみに本書最終章のタイトル「The Temptation to Exist」はシオランの『実存の誘惑』から取られています。






















































































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
 
うまれたときからひとでなし
なぜならわたしはねこだから
 
◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

Koro-pok-Guru
Away with the Fairies

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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