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ルドルフ・シュタイナー 『神秘学概論』 高橋巖 訳 (ちくま学芸文庫)

「睡眠中、アストラル体は、(中略)大宇宙の中に留まっている。」
(ルドルフ・シュタイナー 『神秘学概論』 より)


ルドルフ・シュタイナー 
『神秘学概論』 
高橋巖 訳
 
ちくま学芸文庫 シ-8-1 

筑摩書房
1998年1月9日 第1刷発行
2003年7月30日 第6刷発行
462p 付記1p
文庫判 並装 カバー
定価1,300円+税
装幀: 安野光雅
カバーデザイン: 安井みさき


「本書は「ちくま学芸文庫」のために新たに訳出されたものである。」



Die Geheimwissenschaft im Umriß


シュタイナー 神秘学概論


カバー裏文:

「本書は、シュタイナーの四大主著の一冊であり、その思想の根幹が綴られている。肉体、エーテル体、アストラル体、自我という人間存在のヒエラルキアを解明し、宇宙論、人間論の中で、めくるめくような宇宙史の壮大な展望の下にマクロコスモス(宇宙)とミクロコスモス(人間)との関わりをあとづけ、進化の法則と意識の発達史、古代秘儀の本質、輪廻転生論、悪魔論、霊的認識の方法などを記し、過去と現在と未来についての常識をくつがえした前代未聞の神秘学大系が展開される。」


目次:

初版のまえがき(一九〇九年)
四版のまえがき(一九一三年)
七版から十五版までの序言(一九二〇年)
十六版から二十版までの序言(一九二五年)

神秘学の性格
人間性の本質
眠りと死
宇宙の進化と人間
 土星紀
 太陽紀
 月紀
 地球紀
高次の諸世界の認識(秘儀参入またはイニシエーションについて)
宇宙の進化と人類の進化との現在と未来
霊学で用いられる諸概念
 人間のエーテル体
 アストラル界
 死後の人間の生活について
 人間の経歴
 霊界の高次の諸領域
 人間の存在部分
 夢の状態
 超感覚的認識を獲得するために
 霊界の事象や存在を個別的に観察する

著者註
訳者あとがき
解説 新しい宇宙の創造へ (笠井叡)




◆本書より◆


「人間性の本質」より:

「言語の中には、その本質上、他のすべての言葉から区別されうるような言葉が、ひとつだけ存在する。それは「私」(自我)という言葉である。他のどんな言葉も、対応する存在に対して、いつでも使うことができる。しかし「私」という言葉をある存在に対して使うことができるのは、この存在がこの言葉を自分に向けるときだけである。外から「私」という言葉が、ある人の耳に、その人の呼び名として聞こえてくることは、決してない。その人だけが、この言葉を自分に向けて使うことができる。「私は、私にとってのみ、一個の『私』である。すべての他者にとって、私は一個の『汝』である。そしてすべての他者は、私にとって一個の『汝』である」
 この言葉は、深い真実を表している。「私」なる本来の存在は、外なる一切から独立している。それゆえ(引用者注: 「それゆえ」に傍点)、この言葉は、外にあるどんなものからも、私に向けて用いられることはない。超感覚的直観との関連を、意識的な仕方で保持してきたユダヤ教の立場は、「私」という呼び名を、「神の言い表し難き名前」であると述べている。(中略)どんな外的な事柄も、今問題にしている魂のこの部分に通じる道をもたない。この部分は、魂の隠された聖域なのであり、ただ同じ種類の魂を持った存在だけが、そこへ参入することができる。「人間の内なる神は、魂がみずからを『私』と認識するとき、語りはじめる」」



「眠りと死」より:

「人間は常に目覚めているわけにはいかない。現実生活にとっても、超感覚的な事実の提供するものなしに済ませることはできない。人生は睡眠中も継続している。そして覚醒時の生活は、睡眠の中からその活力を汲み上げている。(中略)人間が可視的な世界の中で認識する事柄は、不可視的な世界について知ることのできる事柄によって、補充されなければならない(引用者注: 「なければならない」に傍点)。疲労を睡眠によって恢復しなければ、生活は破滅してしまう。同様に、隠された事柄の認識によって豊かにされていなければ、世界考察は荒廃したものにならざるをえない。」
 「超感覚的なものへの洞察なしには、可視的世界の真の認識も存在しえない。可視的なものを認識するには、繰り返して不可視的なものの中へ沈潜して、認識能力を進化させなければならない。超感覚的なものについての科学こそが、可視的世界についての知識を可能にする。」

「さて、肉体が物質世界に組み込まれているように、アストラル体はアストラル界に従属している。ただ覚醒時の生活におけるアストラル体は、アストラル界から引き離されている。その事情は、次のような類比によって暗示できる。
 水の入っている容器を考えてみよう。その水中の一滴は単独では存在していない。けれども海綿を手にして、その水の中から、一滴の水をそれに浸み込ませることはできる。人間のアストラル体も、目覚めるときに、同じような経過を示している。睡眠中のアストラル体は、自分と同質の世界の中にいる。目覚めるとき、肉体とエーテル体がアストラル体を吸い込み、みずからをアストラル体で充たす。それらはアストラル体のために、外界を知覚する諸器官を提供する。しかし、アストラル体は、外界を知覚するために、自分の世界から切り離されねばならない。ただ、自分の世界からは、エーテル体のために必要となる手本だけを受けとる。
 たとえば環境から養分が肉体に供給されるように、睡眠中のアストラル体に自分を取り巻く世界の形象(引用者注: 「形象」に傍点)が供給される。アストラル体はそのとき、宇宙の中で、肉体、エーテル体の外で、生きている。人間全体がそこから生まれてきた、あの宇宙の中で生きている。この宇宙の中には、人間形姿の源泉がある。人間はこの宇宙に調和的に組み込まれている。そして目覚めると、外界を知覚するために、この調和した状態から引き離される。眠ると、人間のアストラル体は、この宇宙調和の中へ戻る。そして目覚めると、しばらくこの調和の中に留まらないでいられるように、力を自分の体内へ流し込む。睡眠中、アストラル体は自分の故郷へ戻り、そして目が覚めると、新たに強化された力で生活をいとなむ。」
「アストラル体の故郷は、物質環境よりも、もっと広大である。なぜなら、物質存在としての人間は、地球の一部分であるにすぎないが、人間のアストラル体は、地球以外の諸天体も含めた宇宙に属しているのだから。睡眠中、アストラル体は、(中略)大宇宙の中に留まっている。」



「宇宙の進化と人間」より:

「土星紀からの発展過程の中で、すでに多くの霊的本性たちが、進化からとり残されてきた。太陽紀になってもまだ人類段階に達していない「人格霊」がいる一方で、その頃にやっと人類段階への進化に追いついた「人格霊」もいた。また、太陽紀に人間となるべきであった「火の霊」のうち、多くのものがあとにとり残された。以前、太陽進化の過程でとり残された特定の「人格霊」たちが、太陽体から抜け出て、特殊な宇宙体として、再び土星を生じさせたように、月の進化の過程でも、前述の本性たちは、特殊な宇宙体の上で独立するようになった。
 これまでは、太陽と月の分離について先ず語ったが、別の宇宙体も、上述した諸理由により、大休息期の後に現れた月体から切り離され、そのようにして、ひとつの星体系列が生じるようになる。そしてその諸星体のうち、新しい太陽がもっとも進化していたことは、容易に理解できるであろう。すでに述べたように、太陽紀における、とり残された土星領域と、新しい土星上の人格霊たちとの間には、結びつきが存在していたが、そのきずなは、宇宙体のそれぞれと、それに対応する月の居住者たちとの間にも形成される。」



「高次の諸世界の認識」より:

「思考と感情を結びつけるためには、「積極性」と名づけうるような、肯定的な態度を身につける必要がある。弟子たちと一緒に、死んだ犬のそばを通りかかったイエス・キリストの美しい物語りがある。他の人たちは、その醜い姿から眼をそむけただけだったが、イエス・キリストは、犬の美しい歯に感銘を受けて、賞讃の言葉を語った。
 この物語りが述べている魂の在りようで世界に向き合うとき、ひとつの修行の道がひらける。誤謬、悪、醜があるからといって、真、善、美をそこに見出そうとする態度をあきらめてはならない。この肯定的な態度を、無批判的な態度と混同してはならない。悪や偽や、人の不幸に対して安易に眼を閉ざすことを求めているのではない。死んだ動物の「美しい歯」を賞讃する人は、腐敗したその死骸をも(引用者注: 「をも」に傍点)見ている。しかし死骸が美しい歯を見る妨げになってはいない。悪を善と見、偽を真と見ることは許されない。しかし善と真を見る眼を悪と偽によって曇らされてはならない。」



































































































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R・シュタイナー 『アカシャ年代記より』 高橋巌 訳  (世界幻想文学大系)

「彼らはいわば特定の関係においてのみ、人類の一員であった。(中略)彼らにとって、本来の故郷は地球の上にはなかった。」
(R・シュタイナー 『アカシャ年代記より』 より)


R・シュタイナー 
『アカシャ年代記より』 
高橋巌 訳
 
世界幻想文学大系 26
責任編集: 紀田順一郎+荒俣宏

国書刊行会 
昭和56年9月10日 印刷
昭和56年9月150日 初版第1刷発行
257p 口絵(折込)1葉
四六判 丸背紙装上製本 
貼函 函カバー
定価2,400円
造本: 杉浦康平+鈴木一誌
本文挿画(縁飾): 渡辺冨士雄



本書「あとがき」より:

「本書の内容をなすものは、一九〇四年から八年まで、(中略)雑誌「ルツィフェル=グノーシス」誌上に同じ表題の下に二十一回に亙って連載された諸論文である。シュタイナーの死後、マリー・シュタイナー夫人が、(中略)それを単行本にまとめた際に、彼女はこの単行本(初版、一九三九年)のために、同じ誌上に発表された二つの論文を更にその巻頭と巻末につけ加えた。しかし、訳者は(中略)学術論文的性格をもったこの二篇を、マリー・シュタイナー夫人のまえがきと共に、巻末におくことにした。」


Aus der Akasha-Chronik
スピン(栞紐)付。口絵図版(モノクロ)7点。


シュタイナー アカシャ年代記より 01


本書はだいぶまえに古書店で購入しました。函カバー・月報欠でした。


目次:

アカシャ年代記より
 まえがき
 第一章 われわれの祖先であるアトランティス人
 第二章 第四根幹人類から第五根幹人類へ
 第三章 レムリア時代の人類
 第四章 男女両性の分離
 第五章 両性分離に先行する時期
 第六章 ヒュペルボレイオス期とポラール期
 第七章 現在の地球のはじまり――太陽の分離
 第八章 月の分離
 第九章 若干の必要な補足
 第十章 地球の由来について
 第十一章 地球とその未来
 第十二章 土星紀の生活
 第十三章 太陽紀の生活
 第十四章 月紀の生活
 第十五章 地球紀の生活
 第十六章 四重の存在としての地球紀の人間
 質疑応答

付録1 編集者のまえがき (マリー・シュタイナー)
付録2 霊学の鏡に映した現代の文化 (ルドルフ・シュタイナー)
付録3 自称「科学」の諸偏見 (ルドルフ・シュタイナー)

『アカシャ年代記より』あとがき (高橋巌)



シュタイナー アカシャ年代記より 02



◆本書より◆


「まえがき」より:

「――けれども時間の中で生じる事柄はすべて、永遠の中にその起源をもっている。ただ永遠なるものが感覚的な知覚の手には及ばないだけにすぎない。しかし永遠なるものを知覚する道は万人の前に開かれているのである。自分の中に微睡んでいる力を開発できれば、誰でもこの永遠なるものを認識できるようになる。(中略)このようにして自分の認識能力を拡大した人は、過去の事柄を知るのにもはや外的な証拠に頼る必要がなくなる。(中略)過去の歴史から不滅の歴史へと、その人は進んでいく。勿論不滅の歴史は通常の歴史とは異なる文字で書かれている。グノーシスや神智学はこの不滅の歴史を「アカシャ年代記」と呼んでいる。」
「――霊界を知覚する能力を得た人は過去の諸事象をその永遠の相において認識する。それらの事象は生命を失った歴史資料としてではなく、生命の横溢(引用者注: 「生命の横溢」に傍点)の中で、その人の前に現れてくる。過去においてすでに生起してしまった事柄が今あらためてその人の眼前で、特定の仕方で展開しはじめる――。この生きた書物(引用者注: 「生きた書物」に傍点)を読むことが許された人たちは、外的な歴史が扱う時代よりも遙かに遠い過去にまで眼を向けることができる。」
「あらかじめ以上の前置きを記したあとで、これからいくつかの章に分けてアカシャ年代記の内容を述べていくつもりである。」



「第一章 われわれの祖先であるアトランティス人」より:

「われわれの祖先に当るアトランティス人は、もっぱら感覚世界の認識だけに頼っている人には想像できないほど、現在の人間とは異なっていた。この大きな相違は外見のみならず、精神能力にまで及んでいた。彼らの認識内容、彼らの技術、否彼らの文化全体が今日の時代とはまったく異なっていた。(中略)今日の文化を産み出した論理の力や計算の能力は初期のアトランティス人にはまったく欠けていた。しかしその代り彼らは高度に発達した記憶力(引用者注: 「記憶力」に傍点)の持ち主だった。(中略)一般に、新しい能力を獲得するとき、人はその度毎に別の古い能力の力と鋭さとを失う。(中略)今日の人間はアトランティス人よりも論理的な悟性、つまり規則に従って観念を互に結合させる能力には優れているが、その代り記憶力を減退させてしまった。今日の人間は概念によって考える。アトランティスの人間は形象(イメージ)によって考えた。そして或る新しい形象を心に抱いたときには、これまで体験してきたさまざまな形象の中から、これによく似た形象をできるだけ数多く思い出しながら、その意味を考えた。」
「神智学の文献の中では、アトランティス人の最初の亜人類はルモアハルス人と呼ばれている。この亜人類の人びとが発達させた記憶力は、主として感覚の生き生きとした印象と結びついていた。一度見た色、一度聞いた音が長い間心の中で生き続けた結果、ルモアハルス人は祖先であるレムリア人がまだ所有しえなかった程にまで感情(引用者注: 「感情」に傍点)を発達させることができた。」
「さてこの最初期のアトランティス人の場合、その魂の中には自然力に似た力が働いていた。彼らは後代の人びとよりも一層周囲の自然存在と調和していたのだ、ともいえる。彼らの魂の力は現代人の魂の力に較べればはるかに自然的であり、発する言葉のひびきもまた非常に自然的、根源的であった。(中略)ルモアハルス人の発する言葉には意味(引用者注: 「意味」に傍点)と共に力(引用者注: 「力」に傍点)もまた具わっていた。言葉の魔力という言い方は、現代人の場合とは比較にならぬほど、当時の人間にとって実際的な意味を持っていた。ルモアハルス人が言葉を発するとき、その言葉にはそれが指示する対象そのもののもつ効力同様の何かが生み出された。従って当時の言葉には、病気を治癒し、植物を成長させ、狂暴な動物を鎮める力があったし、それ以外にも類似した諸効力があった。」



「第二章 第四根幹人類から第五根幹人類へ」より:

「神々が秘儀において彼らの「使い」たちと交わした言葉はこの世の言語ではなく、その際顕現した神々の形姿もまたこの世の形姿ではなかった。「焰の雲」の中に高次の神霊が現れて、どのようにして人類を指導すべきかを「使い」たちに伝えた。人間だけが人間の姿で現れることができる。人間をはるかに超えた能力をもつ霊的存在たちは地上の現実界の中には見出せぬ形姿をとって顕現せざるをえない。
そのような啓示を「神の使い」が受け取れたのは、「使い」たち自身も人類同胞の中ではもっとも完全な存在だったからである。大多数の人間がこれから通過せねばならぬ長い道程を、彼らはすでに通過していた。彼らはいわば特定の関係においてのみ、人類の一員であった。彼らは人間の姿をしてはいたが、その魂と霊とは超人間的な特質を具えていた。それ故彼らは神と人間との二重存在であり、(中略)地上に受肉してきた高級霊たちであったのだといえる。彼らにとって、本来の故郷は地球の上にはなかった。――このような存在が人類を導いてきたのである。」



「第三章 レムリア時代の人類」より:

「この人類の場合、記憶力(引用者注: 「記憶力」に傍点)は、全体としてまだ形成されていなかった。人びとは事物や出来事について表象(引用者注: 「表象」に傍点)を作ることはできた。しかしそれらの表象を記憶に保持することはできなかった。(中略)――しかし彼らの表象力は後世の人間のそれとはまったく異なる力を有していた。彼らはこの力を通して、環境に働きかけた。他の人びと、動物、植物、更には生命をもたぬ対象でさえもがこの作用を受け、単なる表象だけによって影響された。だからレムリア人は、言語を用いなくても、他の人びとと意思の疎通を計ることができた。その情報伝達の仕方は一種の「読心術」のようであった。レムリア人は表象のこの力を周囲の事物から直接汲みとった。その力は植物の生長力や動物の生活力から、レムリア人の方へ流れてきた。このようにしてレムリア人は植物や動物の内なる生命のいとなみを理解(引用者注: 「理解」に傍点)した。それどころか、生命のない事物の物理的化学的な諸力も理解していた。家を建てるとき、レムリア人にとって木材の支持力や石材の荷重力を計算する必要はなかった。木材を見(引用者注: 「見」に傍点)れば、それがどのくらいの重さを支えることができるか、石材を見(引用者注: 「見」に傍点)れば、それがどこに置けるか、どこに置けないか、知ることができた。このようにレムリア人は、建築技術なしにも、一種の本能の確かさから、表象の力だけで家を建てた。」

「レムリア時代の女たちが達成した進歩は、次にアトランティス根幹人類が出現したとき、或る重要な役割を女たちが受け持つ原因となった。」
「記憶力、想像力並びにそれらに関連のあるすべての能力は女たちが所有していた。」
「もし自然の徴候を読み取ろうと思うなら、女に相談しなければならなかった。(中略)自然の秘密は或る種の霊夢の中で女たちに開示された。(中略)女たちにとってはすべての中に魂が働いていた。すべてが魂の力であり、魂の姿をとっていた。(中略)彼女たちを行動に駆り立てたのは「内なる声」であり、植物、動物、石、風、雲、木々のざわめきなどの語る言葉であった。
人間の宗教と呼ばれるものはこのような魂の在り方から生じた。」
「次第にこのような女たちは心の内部に生きて働いているものを、一種の自然言語に置き換えることができるようになった。実際言語は歌のような表現から始まった。想念の力が音声の力に置き換えられた。自然の内なるリズムが「賢い」女たちの唇から音声となって流れ出た。人びとはこのような女たちの周りに集まり、彼女たちの歌うような言葉の響きの中に、高次の力が直接語りかけるのを感じ取った。人間の神礼拝がこうして始まったのである。――語られた言葉の「意味」は、まだ問題にならなかった。人びとは響き、音、リズムを知覚した。しかしそれ以上、それについて思いめぐらすことはせず、聴いた言葉の響きを力として魂の中に吸収した。」
「「アカシャ年代記」は以上の点に関して美しい情景を示している。われわれは森の中の巨大な樹木のそばにいる。日が今、東の空を昇りはじめる。棕櫚のようなその巨木は、周囲の場所が切り開かれているので、巨大な影を地面におとしている。恍惚とした表情を東の空に向け、女祭司が珍しい自然石と植物で整えられた座に着いている。彼女の唇からはゆっくりと、リズムをともなって、一定のこの世のものとも思われぬ音声が繰り返し繰り返し流れてくる。その彼女を円く取り巻くように、男女の群れが坐っている。それぞれ顔に夢見るような表情を浮べ、彼女の声に聞き入り、その声の内なる生命を吸い込んでいる。――別の情景も霊視することができる。同じようにしつらえられた場所で、女祭司が同じように「歌って」いる。しかし彼女の音声はもっと力強く響いている。そして彼女を取巻く人びとは、リズミカルに動き、踊っている。これも「魂」が人びとの心の中に宿るときの在り方のひとつなのである。自然の中にひそむ不思議なリズムに耳を傾け、それを自分の肢体の動きで写し取ろうとしたとき、人びとは自然の内部を支配する諸力とひとつ(引用者注: 「ひとつ」に傍点)になった自分を感じたのである。」



「第七章 現在の地球のはじまり」より:

「現在の地球の状態が出現する以前に、一種の地球胚種を考えねばならない。(中略)但しこの地球胚種を、植物の胚種のように、固い素材でできたものであるかのように考えてはならない(引用者注: 「ならない」に傍点)。むしろそれは魂的性質の胚種であった。それは神秘学が「アストラル的」と名づけているあの精妙で、可塑的で、動的な素材から成っていた。――地球のこのアストラル胚種の中には、はじめはただ人間の萌芽だけ(引用者注: 「だけ」に傍点)しか存在していなかった。後の人間の魂の萌芽だけがあった。鉱物、植物、動物として以前の諸状態の中ですでに存在していたそれ以外のものはすべて、この人間萌芽の中に吸収され、融合されていた。(中略)人間はこのような存在として、地球に移動してきた。その地球は、神秘学がもっとも精妙なエーテル(引用者注: 「もっとも精妙なエーテル」に傍点)と呼ぶこの上なく精妙な成分から成っていた。(中略)人間はこのエーエルと結びつき、自分のアストラル的本性をこのエーテルにいわば刻印づけたので、このエーテルそのものがアストラル的人間本性の模像となった。このようにして地球太初の状態である地球エーテルは、本来、このようなエーテル人間からのみ成り立っていた。それはエーテル人間の一大集合体として存在していた。人間のアストラル体(もしくは魂)の大部分は、まだエーテル体の外(引用者注: 「外」に傍点)にあって、外からエーテル体を統禦していた。この時期の地球は、神秘学者の眼から見ると、次のような様相を呈している。それは球体をなし、その球はさらに無数の小さなエーテル球(すなわちエーテル人間)の集合体であった。そして丁度現在の地球が大気に包まれているように、アストラル(引用者注: 「アストラル」に傍点)の外皮に覆われていた。このアストラル外皮(アストラル圏)の中には人間のアストラル体が生きて、そこから自分たちのエーテル模像に働きかけていた。アストラル人間の魂はエーテル模像の中に諸器官を形成し、この諸器官の中に人間のエーテル生命を生ぜしめていた。地球全体はひとつ(引用者注: 「ひとつ」に傍点)の素材状態、つまり精妙なる生きたエーテルとしてしか存在していなかった。神智学の文献の中では、この太初の人類は第一(ポラール)根幹人類と呼ばれている。」

「地球の物質空間の中に、今、次のような光景が展開される。二様の存在が出現する。第一は空気状の形体を示す存在であり、この形体に外から、この存在のアストラル本性が働きかけている。動物的性質をもったこの存在たち、地上に最初の動物界をもたらしたこの動物たちの姿を、具体的に描いたならば、その姿は今日の人間の眼にはかなり奇怪なものに映ったであろう。気体だけから成り立っているその姿は、現存するどの動物の姿にも似ていない。せいぜい貝や蝸牛の殻にどこか似たところがある、といえる程度である。さてこの動物形態と並んで、人体もまた形成されていく。今や一層高次の進化を遂げたアストラル人間が、自分の本性の模像を身体として造り上げる。(中略)この人間模像は、(中略)特定の素材を環境の中から引き寄せて自分の中に摂取し、その後で反発力を通して再び排泄する。この人間模像が摂取し、排泄する成分は、すでに述べた動物界と人間界そのものから取り出されている。(中略)この最初の人間模像は、それ故肉食者であるどころか、人喰いでもあった。」



「第八章 月の分離」より:

「今日の人間が体(からだ)とよんでいる濃縮成分は、ずっと後になって、しかも極くゆっくりと形成されたということである。今問題の発展段階における人体について、ひとつの観念を得ようと思うならば、水蒸気か、空中を浮遊する雲に似たものを想像するのが一番適当であろう。」
「この人間の魂はまだ微睡んでおり、その意識はまだまったく薄暗く、知性、悟性、理性等とよばれるものはすべて、まだこの人間には欠けていた。歩むというよりはむしろ漂いながら、四肢に似た器官を用いて、この人間は前、横、後へと、好きな方向へ移動した。」
「その行動を指導する力である知性は、この存在そのものの内にではなく、むしろその外にあった。この存在よりも一層高次の、一層成熟した存在たちがいわば周囲にいて、彼らを指導していたのである。」




シュタイナー アカシャ年代記より 03


































































『ルドルフ・シュタイナー選集 第2巻 いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』 高橋巖 訳

「何ものにも乱されぬ不動心、すべてに対して曇らされぬ感覚、それを彼は保持し続けなければならない。」
(ルドルフ・シュタイナー 『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』 より)


『ルドルフ
・シュタイナー選集 
第2巻 
いかにして
超感覚的世界の
認識を
獲得するか』 
高橋巖 訳
 

イザラ書房 
1988年4月30日 第1刷発行
247p
A5判 丸背布装上製本 
貼函 本体カバー
定価3,500円
造本: 横尾忠則



Wie erlangt man Erkenntnisse der höheren Welten?
スピン(栞紐)二本付。


シュタイナー いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか 01


目次:

第三版のまえがき
第五版のまえがき
第八版のまえがき

条件
内的平静
霊界参入の三段階
 一 準備
 二 開悟/開悟の段階における感情の制禦
 三 霊界参入
実践的観点
神秘修行の諸条件
霊界参入が与える諸影響
神秘修行者の夢に現れる変化
意識の持続性の獲得
神秘修行における人格の分裂
境閾の守護霊
生と死――境閾の大守護霊

第八版のあとがき

訳者の解説とあとがき



シュタイナー いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか 02



◆本書より◆


「条件」より:

「誰かと出会い、その人の弱点を非難するとき、私は自分で自分の中の高次の認識能力を奪っている。愛をもってその人の長所に心を向けようと努めるとき、私はこの能力を貯える。神秘学徒は常にこの点に留意し、この指針に従うことを忘れてはならない。繰り返し、繰り返し、あらゆる事柄の中の優れた部分に注意を向けること、そして批判的な判断をひかえること、このような態度がどれ程大きな力を与えてくれるか、このことを熟達した神秘学者はすべてよくわきまえている。しかしそれが外的な生活規則に留まっているのでは、何の意味もない。それはわれわれの魂のもっとも内なる部分で有効に働いていなければならない。人間の自己変革は内なる思想生活の深みの中で遂行されなければならない。(中略)まず第一に畏敬の念を思想生活の中に受け容れること、それが神秘学徒の出発点である。」
「世界と人生とについて判断する際に、軽蔑したり裁いたり批判したりしようとする自分の態度の中に何がひそんでいるのか。それに注目しようとする瞬間は常にわれわれを高次の認識へ近づけてくれる。」

「畏敬によって惹起された能力に或る別の種類の感情が結びつくと、この能力はさらに一層活発になる。このことは人間が外界の印象に没頭する代りに、内面生活のいとなみをますます充実させていくことによって得られる。(中略)神秘学徒は外界に対して鈍感になるべきだ、というのではない。常に豊かな内面生活(引用者注: 「豊かな内面生活」に傍点)が、外から印象を受け取る際に、主導権を持ち続けるべきだというのである。(中略)外界との関係を豊かな内容あるものにしようと思うなら、自分の感情や表象を大切に育てなければならない。外界における万象のことごとくが壮麗な神性の輝きに充たされている。しかしこの輝きを体験するには、まず自分の魂の中に神性を見出さねばならない。――だから神秘学徒はひっそりと孤独に自己沈潜する時間を生活の中に確保する必要がある。(中略)このような瞬間には(中略)、自己の体験した事柄、外界が開示してくれた事柄の余韻をまったくの孤独の静けさの中で思い出としてひびかせるべきなのである。どの花も、どの動物も、どの行為もこのような沈黙の瞬間には、予期せざる秘密を打ち明ける。神秘学徒は以前とはまったく違った眼で外界の新しい印象を見るようになる。」



「霊界参入の三段階」より:

「宇宙の力は破壊的であり建設的である。外界のすべての事物は生成し死滅する。事物のこの運命、宇宙のこの作用を認識しなければならない。通常の生活のために視界を遮っていたヴェールは取り払われねばならない。一方人間自身もまたこのような力や運命の中に織り込まれている。彼自身の本性の中に破壊と建設の力が共存している。霊視力を得た人間の前に、外なる事物があらわな本性を開示する一方で、彼自身の魂もその本性を隠さずに露呈する。このような自己認識に際して神秘学徒が勇気を失わぬためには、あらかじめ勇気を、いわば過剰に、貯えておく必要がある。そのためにこそ、困難な生活状況の中で不動の内的平静を保持し続ける努力が必要なのである。そして善なる力を信頼すること、それを人生の中で学び取らねばならない。これまでの彼に指針を与えてきたさまざまの動機が彼を導いてくれることはもはやない、と覚悟をきめる必要がある。(中略)さまざまの根拠が一挙に失われる。彼が行ってきた多くのことは虚栄心から発していた。しかし虚栄がどんなに無価値なものか、今彼はあらためて悟らされる。彼は多くのことを貪欲から行ってきた。貪欲がどんなに有害なものか、今彼は理解する。今後の思考と行為のために彼はまったく新しい動機を自分で作り出さねばならない。そのためにこそ勇気と大胆さが必要なのである。
 特に、思想生活のもっとも深い部分にこの勇気と大胆さがなければならない。そして失敗をおそれてはならない。「また失敗してしまった。しかしそれを忘れてしまおう。そして何事もなかったように、新しい試みを始めよう」。――神秘学徒はそう考えることが常にできなければならない。そのようにして、世界の中から汲み取ることのできる力の源泉が枯渇することは決してないという確信に到達するようになる。彼の地上的な部分がどれ程力を失い、弱さを示すようなことになっても、彼は何度でも自分を支え、そして高めてくれる霊的な部分を求めて闘う。」



「訳者の解説とあとがき」より:

「表題の遂語訳は「いかにしてより高次の諸世界の諸認識を獲得するか」であるが、「より高次の」というのは「感覚的世界よりも高次」の意味であって、社会道徳的な意味で「より高次」なのではない。本書はいかなる意味でも、社会道徳的により高次の世界を求めてはいない。むしろ社会道徳的には「高い」方向へ上昇するのではなく、「深い」方向へ下降していかなければならない。(中略)オカルティズムにおける上昇衝動と、社会道徳における下降衝動との統一が本書の性格を決定しているのである。先に引用した神秘学の黄金律――「真理へ向って汝の認識を一歩進めようとするなら、同時に善へ向けて汝の性格を三歩進めなければならない」という言葉も、自分だけがより高い、善良な性格によって救われるというのではなく、進んで時代の世界苦の中へ入っていくこと、誤解を恐れずに、シュタイナーと共に語れば、「悪しき同胞と共に悪しき人にさえなりうる能力」(一九一九年二月二一日の講演)を求めて述べられている。」




















































































































































『ルドルフ・シュタイナー選集 第1巻 神智学』 高橋巖 訳

「しかし自然体験には、もっと高次の、霊的性格のものがある。それは自然の事物やそのいとなみの中に顕現する霊を体験しようとする場合である。このような自然感情は、その人の霊性を開発し、魂の中に永続的部分を築き上げる。」
(ルドルフ・シュタイナー 『神智学』 より)


『ルドルフ・
シュタイナー選集 
第1巻 
神智学』 
高橋巖 訳
 

イザラ書房 
1988年6月20日 第1刷発行
1992年3月30日 第3刷発行
245p
A5判 丸背布装上製本 
貼函 本体カバー
定価3,610円(本体3,505円)
造本: 横尾忠則



Theosophie
スピン(栞紐)二本付。


シュタイナー 神智学


帯文:

「超感覚的世界の認識と人間の本質への導き
時代に対する危機意識に駆られ、6千に及ぶ講演を残したシュタイナーの根本思想のすべて。訳者念願の新訳による全面新装改訂版。」



帯裏:

「本書の中で超感覚的世界の若干の部分を叙述するつもりである。感覚的世界だけを通用させようとする意図は、この叙述を空疎な想像の産物と見做すだろう。しかし感覚界を越えていく道を求める人なら、もうひとつの世界を洞察することによってのみ、人間生活の価値と意味が見出せるという本書の観点をただちに理解してくれるだろう。……この洞察は人生の諸原因(引用者注: 「諸原因」に傍点)を認識することを教える。この洞察がない場合は、盲人のように、人生の諸結果(引用者注: 「諸結果」に傍点)の中を手さぐりで歩んでいくしかない。
シュタイナー」



目次:

第三版のまえがき
第六版のまえがき
第九版のまえがき
この書の新版のために

序論
人間の本質
 一 人間の体の本性
 二 人間の魂の本性
 三 人間の霊の本性
 四 体、魂、霊
霊の再生と運命
三つの世界
 一 魂の世界
 二 魂の世界における死後の魂
 三 霊界
 四 死後の霊界における霊
 五 物質界、並びに魂界、霊界とこの物質界との結びつき
 六 思考形態と人間のオーラ
認識の小道

補遺

付録
 一
 二

訳者の解説とあとがき




◆本書より◆


「霊の再生と運命」より:

「しかし魂はまた、現在と持続との仲介(引用者注: 「仲介」に傍点)もする。今あるものを記憶(引用者注: 「記憶」に傍点)に保持する。このことを通して、魂は今あるものをその無常性から切り離し、魂の霊的部分の持続の中に取り込む。魂はまた時間的、無常的な存在に永遠の刻印を押すが、それが魂にできるのは、魂が一時の刺戟の中に埋没することなく、自分の方から積極的に事物に働きかけ、その行為の中で事物と自分の本質とをひとつに結び合わせるからである。」
「もし薔薇の花の赤い色を記憶の中に保持しえないなら、私の魂は常に新たにそれを知覚しなおさなければならないであろう。外から印象を受けとった後でもまだ残り続けるもの、魂によって保持されうるものは、単なる外的印象に留まらず、それから独立して、さらに表象(引用者注: 「表象」に傍点)となることができる。この表象能力のおかげで、魂は外界を自分の内界にし、次いでこの内界を記憶力(引用者注: 「記憶力」に傍点)によって――思い出すことができるように――保持し、受けとった印象に左右されることなく、この内界とともに自分独自の生活をいとなみ続けることができるようになるのである。魂の生活はかくして、外界の無常なる印象の持続的な成果(引用者注: 「持続的な成果」に傍点)となる。」

「霊我は、「私」に霊界から真と善の永遠の法則をもたらす。この法則は意識魂を通して、魂の独自の体験内容と結びつく。これらの体験そのものは過ぎ去っていく。しかしその成果は残る。すなわち、霊我はこれらの体験と結びついたことによって、そこから持続的な印象を受けとる。前に一度結びついたことのある体験とよく似た、或る別の体験に人間の霊が結びつきをもちはじめるとき、この霊はその体験の中に何か既知のものを見、そしてはじめてのものに対する場合とは異なる態度でそれに対することができる。すべての学習はこのことに基づいている。」
「このようにして永遠の霊に移ろいゆく生活の成果が刻印づけられる。」
「霊的人間の特性として今述べた素質は何に基づいているのか。地上の生活を始めたときに、すでにもっていたあれこれの能力にであろう。」
「この能力は霊我に刻印づけられているのである。そしてもしそれが生存中に刻印づけられたのでないとしたら、前世においてでしかない。ひとりの人間はそれ自身でひとつの類である。そして人間の体的類存在がその特徴を類の中に遺伝するように、霊(引用者注: 「霊」に傍点)は霊の(引用者注: 「霊の」に傍点)類の中に、つまり自分自身の中に、その特徴を伝えるのである。或る人生の中で、人間の霊は自分自身の繰り返しとして、前世の諸体験の成果を担って現れる(引用者注: 「或る人生の中で~」以下に傍点)。この人生は以前の人生の繰り返しなのであり、霊我が前世において学び取ったものを必然的に伴っている。霊我は、成果となりうるものを自分の中に摂取するとき、生命霊に自分を浸透させる。生命体が種から種へその形態を繰り返すように、生命霊は魂を個人的存在から個人的存在へと反復させるのである。」



「三つの世界」より:

「人間の霊は、死後から新たに再生するまでの途上で、「魂界」を遍歴した後「霊界」に入り、新しい肉体を受けるための機が熟すまで、そこに留まっている。この「霊界」滞在の意味を理解するには、輪廻転生の意味が正しく解釈できなければならない。この世に生をうけた人間は、物質界で創造活動を行う。彼は物質界の霊的存在(引用者注: 「霊的存在」に傍点)として創造活動を行う。人間は自分の霊が考案し形成するものを、物質の形態に、物体の素材と力とに刻印づける。彼は霊界の使者として、霊を物体界に同化させる。人間は肉体をもつことによってのみ、物体界に働きかけることができる。彼は肉体を道具として使用しなければならない。そうすれば物体的なものを通して物体的なものに働きかけることができるし、物体的なものが彼に働きかけることもできる。けれども人間の体的本性を貫いて働きかけているものは霊(引用者注: 「霊」に傍点)に他ならず、物体界で作用するための意図(引用者注: 「意図」に傍点)、方向は霊から来ている。」

「人間は物質の性質や力をこの世の舞台で学ぶ。この舞台の上で創造活動を行いながら、物質界がそこで働く自分に何を要求するのかについて、経験を蓄積する。そして自分の思想、理念を具体化するための素材の性質を知ることを学ぶ。(中略)このようにして、地上世界は創造の場であると同時に、学習(引用者注: 「学習」に傍点)の場でもある。「霊界」では、この学習の成果が霊の活発な能力に変化させられる。」



「認識の小道」より:

「はじめから、これまでの人生経験から得た判断の規準だけで、世界内の現実に相対する者は、この判断の故に、現実が彼に及ぼすことのできる静かな多面的作用から自分を閉ざしている。学ぶ者はいかなる瞬間も、異質の世界を容れることのできる、まったく空の容器になることができなければならない。われわれ自身に発する判断や批判のすべてが沈黙する瞬間だけが、認識の瞬間なのである。たとえば或る人と出会ったとき、その人よりわれわれの方がもっと賢明であるかどうか、ということは、全然重要なことではない。極く無分別な幼児といえども、偉大な賢者に対して開示すべき何かをもっている。そしてこの賢者がどんなに彼らしい賢明さで幼児を批判したとしても、そう批判することで、その賢明さは曇りガラスとなって、幼児が彼に開示しようとする事柄の前に立ち塞がる。自分とは違う世界の示す事柄に帰依することができるためには、完全な内的帰依の状態が必要である。そしてこのような帰依を自分がどこまでやれるか試して見ようとするなら、彼は自分自身について驚くべき諸発見をするだろう。或る人が高次の認識の小道を歩もうとするなら、自分自身のもつすべての偏見をどのような瞬間にも消し去ることができなければならない。自分を消し去るときにだけ、他のものが彼の内に流れ込む。自分を無にして、対象への帰依を高度に所有することだけが、いたるところで人間をとりまいている高次の霊的諸現実を受け容れさせる。人は自分自身だけで、この目標に向ってこの能力を意識的に育成することができる。たとえば、周囲の人間に対してどのような判断も下さぬように試みることができるであろう。好きとか嫌いとか、愚かだとか賢いとか、人が日常下す判断の規準を、自分の中から消し去るのである。そしてこのような尺度なしに、人間を純粋にその人間そのものから理解することを試みるのである。最上の修行は、嫌悪を感じている人間について、このことを行う場合である。あらゆる力をふるって嫌悪の念を抑え、その人間の行うすべてのことを、心を開いて自分に影響させるのである。
 あるいは、何か判断を下したくなるような状況にあるとき、判断するのを我慢して、とらわれず印象に心をゆだねるのである。」
「人間はこの行を通して、自分の周囲のすべての事物を受容することができるようになる。」
「学ぼうとする人は、事物や人間の中のどんな些細な価値や意味をも肯定できるような性質を自分の中に育て上げなければならない。共感と反感、快と不快はまったく新しい役割を果せるようにならなければならない。これらを押し殺して、自分を無感動な人間にすることが良いというのではない。反対である。すぐには共感、反感から判断と行動を引き出そうとしない能力を養えば養う程、人間はますます繊細な感受性を自分の中に育て上げるであろう。自分の中にすでにある性質を統禦できたとき、共感と反感がより高い在り方をとりはじめるのを彼は経験するであろう。はじめこの上なく不愉快に思えるような事柄にさえ、隠れた長所がいくつもある。利己的な感情に従おうとする態度をやめたとき、そのような隠された長所が現れてくるのである。自分をこの方向に育て上げた人は、あらゆるものに対して、他の人より、より繊細な感じ方をする。なぜなら自分の主観によって感受性を曇らされることがないからである。」

「一片の紙切れも一匹の昆虫も、眼(引用者注: 「眼」に傍点)をそれに向けるだけでなく、眼を通して(引用者注: 「眼を通して」に傍点)霊をそれに向けるとき、数知れぬ秘密をわれわれに打ち明けてくれるだろう。一瞬の火花、微妙な色合い、声の抑揚を、感覚は生きいきと感じ続けるだろう。」

「個人と普遍的霊性との(中略)一体化は、個性を破滅させる「万有霊」の中へ個人が自己を解消させることを意味してはいない。(中略)個人が霊界と結ぶ関係においても、個人は個人であり続ける。個性の克服ではなく、個性の向上が問題なのである。もし個々の霊と普遍的な霊とのこの合一を比喩的にいうなら、さまざまの円がひとつの円と合同になり、その円の中に自己を解消させてしまうという図ではなく、各々がそれぞれ特定の色合いを保っている数多くの円の図を選ぶべきである。その多彩な色環は重なり合う場合にも、色合いの各々は全体の中でその特質を失うことなく、存在を保っている。どの色合いもその独自の色彩価値の豊かさを失うことがない。」



「付録 一」より:

「事実、一切のドイツ哲学、一切のドイツ文化の成果を含めても、ヘッケルの系統発生思想は一九世紀後半におけるドイツ精神史上のもっとも重要な業績である。そしてこのヘッケルの教義以上に優れたオカルティズムの科学的な基礎づけは存在しない。ヘッケルのこの教義はまことに偉大であるが、ヘッケル自身はこの教義の最悪の註釈者である。だから文化の発展に必要なわれわれの為すべき行為は、ヘッケルの思想の欠陥を世間に指摘して見せることではなく、ヘッケルの系統発生思想の偉大さを明らかにすることである。」




















































































































『ルドルフ・シュタイナー選集 第7巻 オカルト生理学』 高橋巖 訳

「しかし世界には切り離されたものなどどこにもないのです。」
(ルドルフ・シュタイナー 『オカルト生理学』 より)


『ルドルフ・
シュタイナー選集 
第7巻 
オカルト生理学』 
高橋巖 訳
 

イザラ書房 
1987年3月30日 第1刷発行
1991年3月20日 第2刷発行
206p
A5判 丸背布装上製本 
貼函 本体カバー
定価2,987円(本体2,900円)
造本: 横尾忠則



Eine okkulte Physiologie
スピン(栞紐)二本付。


シュタイナー オカルト生理学


帯文:

「人体に秘められた宇宙の謎
いにしえよりしばしば「神殿」にたとえられ、驚くべき高度の完成をとげた人間のからだを大胆に解剖、人間存在の真の意味に迫る。」



帯裏:

「個人が死を通過するとき、地球の中で新しい受肉に向かって歩みを進めるように、地球死体が崩壊したとき、個の魂の総体は新しい遊星的存在段階へ向かって歩みを進めます。宇宙の中では何ひとつ失われるものがありません。私たちの生体の最後に生じた熱作用の精華は、永遠へ向かう道の途上の新しい、高次の段階での素材となるのです。宇宙の中では何ひとつ失われません。人間の魂によって地球が生み出すものは、人間の魂によって永遠の中に運ばれていくのです。
シュタイナー」



目次:

第一講 (プラハ 一九一一年三月二〇日)
 人間認識に不可欠な人間への畏敬
 なぜ霊学の観点から生理学を研究するのか
 人間存在の二重性
 骨の内側と外側
 脳と脊髄
 オーケンとゲーテによる頭骨理論
 脳は変化した脊髄である
 脳-目覚めた思考
 脊髄-夢見る思考
 脳と脊髄のオーラ
第二講 (プラハ 一九一一年三月二一日)
 もう一つの二重性
 栄養過程―消化器系とリンパ系と血液系
 血液の大循環と小循環
 感覚印象による血液の変化と脾臓、肝臓、胆汁による血液の変化
 内宇宙系としての脾臓=土星、肝臓=木星、胆汁=火星
 神経はアストラル体の道具であり、血液は自我の道具である
 神経は分化し、血液は統合する
 神経と自我
 内的集中の行による神経と血液の分離
第三講 (プラハ 一九一一年三月二二日)
 内的集中の行の成果
 血液に作用する内部器官系と感覚印象
 内界を仲介する交感神経系
 外界を仲介する脳=脊髄神経系
 内部への神秘的沈潜は血液と交感神経系との結びつきを強める
 脾臓は体内に固有のリズムをつくる
 土星作用
 体内リズムと宇宙リズムの一致
 クロノス神話
 神話像の生理的意味
第四講 (プラハ 一九一一年三月二三日)
 手術の意味
 身体器官の霊的作用
 脾臓、胆汁による栄養リズムの変化
 呼吸と血液による外界との関係
 心臓における二つの活力組織の出会い
 腎臓による生体の調和化
 生体の中心に位置する心臓=血液系
 内宇宙系
 自我の道具としての血液
 自我と呼吸との関係
 心と物質の相互関係
 魂をエーテル体に作用させる
 記憶の過程
 松果腺と脳下垂体
第五講 (プラハ 一九一一年三月二四日)
 生体の本質と概念
 人間有機体におけるエーテル体、アストラル体、自我の働き
 活力組織と人体形式
 自己知覚の誘因としての抵抗
 排泄の意味
 皮膚
 内から外への形成力
 外から内への形成力
 エーテル体の外的生活と内的生活
第六講 (プラハ 一九一一年三月二六日)
 皮膚は自我を表現している
 血液は自我を生体全体へ導く
 生命過程と代謝過程
 成分を体内に排出することによる自己知覚
 血液循環と活力組織
 自我体験の影響をもっとも受けやすい血液ともっと受けにくい骨格
 最古の栄養過程から生じた骨格
 骨相学と輪廻転生
第七講 (プラハ 一九一一年三月二七日)
 自我の道具としての血液
 脳=脊髄神経系は意識を生じ、交感神経系は内宇宙系から意識を遮断する
 骨格は自我生活を支える人体形式
 外界から生体を独立させる血温
 思考、感情、意志から生じる物質経過
 骨格と自我
 内宇宙系とアストラル体
 思考と塩分沈殿
 感情と膨化経過
 意志と熱過程
 もっとも独立した器官である血液
第八講 (プラハ 一九一一年三月二八日)
 超感覚的な活力組織である人体形式
 内宇宙系による栄養素の変化
 器官形成の根底にある植物過程
 リンパ系への排出が暗い意識を生む
 外へ開かれた自我意識
 胆汁形成の意味
 太陽系と内宇宙系
 金属と器官の対応
 塩分の影響
 植物性と動物性の食物の影響
 生体の上昇過程と下降過程
 男性と女性配偶子
 生理学と地上における人間の宇宙的使命

訳者あとがき




◆本書より◆


第一講より:

「さて、私たちが脊髄と脳の両方を考察いたしますと、百年以上も前から優れた自然科学者たちが注目してきた事柄が、或る種の真実を物語っている、と思えてきます。つまり脳を考察するとそれが変形した脊髄であるように思えてくるのです。――特にゲーテ、オーケンその他の洞察力を持った自然研究者が頭蓋骨と脊椎骨とに形態上の相似性が見られる、と考えたことを思い合わせれば、このことは一層容易に納得できます。諸器官の形態上の類似に眼を向けたゲーテは非常に早くから、個々の椎骨の形を変えて、平らにし、突出させれば、そこから頭蓋骨がつくり出せる、と考えました。」

「外的な知覚では把握できない秘密に満ちた脊髄が、覚醒時の表象生活の器官である脳の中に潜んでいるのです。私はまず仮説として、この脳の中の古い脊髄は人が眠り、そして夢見るときに活動を始める、と述べようと思います。(中略)しかし脳の中に押し込められているので、行動を促すことはできず、単なる像を生ぜしめます。(中略)実際、私たちは夢の中では像として行動しています。夢の独特な、そして奇妙に混沌とした生活からも、覚醒時の器官である脳の根底に、秘密に満ちた器官が存在していることが理解できるでしょう。この器官はおそらく脳の旧組織なのです。そして脳は新組織として、そこから発達したのです。この新組織が沈黙するときには、現在でもこの古い部分がその働きを現します。それはかつての脳の姿を示しています。この旧脊髄は、閉じ込められたままで為し得る夢の生活を、つまり行動ではなく、像を生ぜしめるのです。
 このようにして、生活そのものの考察は脳をも二つの段階に区別します。夢があるということは、脳が脊髄の段階を通過して、覚醒時の生活にまで進化した、ということを示しています。けれども、覚醒時の生活が沈黙すると、この旧器官が依然として夢となって働きを現すのです。」



第二講より:

「三つの内臓器官を通って血液が流れる際に、最初に血液に自らを差し出す器官は脾臓であり、第二は肝臓であり、第三は胆汁であると言えます。この胆汁は血液系全体に対して非常に複雑な関係を示しています。胆汁は、養分に混じってその消化を助けるので、それを特別の器官の一つに数えることができるのです。このような理由から、あらゆる時代のオカルト主義者たちは、これらの器官に特別の名称を与えてきました。(中略)脾臓は最初に血液の働きを受けるので、昔のオカルト主義者によって、土星的器官、または人間の内なる土星と呼ばれました。土星は昔のオカルト主義者にとって、太陽系内で最初に宇宙空間に自らを差し出すものと思われていたのです。同様に肝臓は内なる木星、胆汁は内なる火星と呼ばれました。今私たちがこれらの名称を考えるときには、仮説として次のように説明しておきたいと思います。われわれの眼に映る宇宙がこれらの器官の内に凝縮され、いわば内なる遊星となって現れている、と。つまり外なる宇宙が外から私たちの感覚と血液に働きかけているように、内なる宇宙も私たちの血液に働きかけ、影響を及ぼしているのです。」


第三講より:

「誰かが朝八時に朝食をとり、一時か二時に昼食をとるのが生活のリズムになっていたとします。ところが仲のよい友人を訪ねて、朝食と昼食の間に何かを出されたとしますと、彼の食生活のリズムは崩れてしまいます。それによって生体に大きな影響が生じます。これまで規則的に養分を摂取していた生体はこの変化に対抗して、一層強く働きながら、不規則に摂取したことの悪影響を解消しなければなりません。そのためには、養分が血液の中に取り込まれる際に、この養分摂取の不規則を正常なリズムに移し変えて、血液が必要な規則的なリズムを維持できるようにするための器官がなければならないのです。そして、この器官こそが脾臓なのです。脾臓は一種の制御装置であり、消化過程の不規則を調整して、養分が血液循環の中に規則的に取り込まれるようにする役割を果たしているのです。」

「脾臓は消化管との関連で言えば、外からの養分の摂取に依存した器官ですが、他方、血液との関係言えば、そのような外的事情にかかわりなく、その養分が規則的なリズムに従って人間本性に相応しい仕方で人体を形成することができるようにする器官なのです。実際、人体が人間本性に相応しく形成されるためには、人体の中心である血液が正しい仕方で本来のリズムを保ち続けねばならないのです。血液循環の営みは、養分として体内に取り込まれる外界の事物に固有のリズムから切り離されていなければなりません。人間本来のいとなみは、外界から独立し、孤立しているのです。オカルティズムでは、或る本性が個別化し、独立して存在することを土星的である、または土星作用の結果である、と呼んでいます。そもそも土星的であるとは、何かが宇宙から孤立し、個体化して存在している、ということなのです。自分自身を通して自分が規則的になる、ということなのです。(中略)宇宙全体の中で、太陽系そのものを他の宇宙から切り離し、個体化させる力はすべて、オカルト主義者にとっては、土星の力なのです。ですから太陽系全体を考えますと、土星の軌道の内側に全太陽系が存在しており、太陽系自身の諸法則はこの軌道の内部でしか働いていません。その意味で太陽系は外宇宙の空間から、または外宇宙の形成力からは切り離されている、と言えるのです。ですからあらゆる時代のオカルト主義者たちは土星作用の中に、太陽系を完結した存在にし、太陽系外の宇宙のリズムとは異なる独自のリズムを持つことを可能にする働きを認めているのです。」



「訳者あとがき」より:

「かつて、秘儀の伝統は人間のからだを「神殿」にたとえ、そして地上に建てられたどんな大伽藍よりも、ひとりの人間の肉体の方が、神の宮居としては、無限に優れている、と見做していた。本書に即して言えば、「活力組織」を内蔵した「自体形式」は最高の神殿形式であり、「人間の進化の全過程は、人間のために存在しているのではなく、全宇宙の神霊の働きを開示するために存在している」(本書一〇頁)、と考えていた。けれども一般社会は、ひとりひとりの人間の中に神霊が宿っているという、この当然すぎるくらい当然の事実を長らく無視し続けてきた結果、「人間は自分の本性から遠く離れてしまい、自分を理解するためには非常に遠い道のりを歩かねばならなくなった」(本書一〇頁)。
 一九一一年三月二〇日から二八日まで、プラハで行われたこの連続講義『オカルト生理学』の中で、ルドルフ・シュタイナーは彼自身が辿ったこの「非常に遠い道のり」を、はじめて一般社会のために包括的に記述している。」
「本書はシュタイナーの医学、治療教育学、さらにはマクロコスモス(大宇宙)とミクロコスモス(人間)との照応という神秘学の基本問題を研究する上で、不可欠な基本文献であるとも言える。」




















































































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
 
うまれたときからひとでなし
なぜならわたしはねこだから
 
◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

Koro-pok-Guru
Away with the Fairies

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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