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吉本隆明 『初期歌謡論』

「ブレイクの〈有心〉の彼方に、浄界か練獄かを意味する〈無心〉がふたたびある。そのふたたびの〈無心〉の直前にある境位が、「有心様」の世界であった。「有心様」の例歌はいずれも生々しい感性が直体で歌いくだされているが、歌そのものとしては破たんをかえりみない風体に占められているのはそのためだとおもえる。」
(吉本隆明 『初期歌謡論』 より)


吉本隆明 
『初期歌謡論』


河出書房新社 
昭和52年6月20日 初版印刷
昭和52年6月25日 初版発行
491p
四六判 丸背布装上製本 貼函
定価1,800円
装幀: 菊池薫



本書「あとがき」より:

「本書は雑誌「文藝」の昭和四十九年十月号から五十年四月号にわたって本書の見出し通りの形で、各章ごとに連載された文章に、補筆と訂正を加えて成ったものである。」


吉本隆明 初期歌謡論


帯文:

「〈あはれ〉〈かなしみ〉に象徴される“日本的感性”はいかに定着したか。古代歌謡から万葉集を経て古今・新古今にいたる詩意識の変容と和歌の成立過程を包括的に解明し、言語の共同性への著者の独創的な構想力の展開と深化を示す大著」


帯背:

「和歌成立史へ
の画期的論究」



目次:

Ⅰ 歌の発生
Ⅱ 歌謡の祖形
Ⅲ 枕詞論
Ⅳ 続枕詞論
Ⅴ 歌体論
Ⅵ 続歌体論
Ⅶ 和歌成立論

あとがき




◆本書より◆


「Ⅰ 歌の発生」より:

「神話の物語や歌謡には、物語ることと歌うことが、実際の行為と区別できなかった時代が埋もれている。それを探すには、伝えられた物語や歌謡から、後につけくわえられたもの、編者の意図が強調されすぎた個所、また、編集のさい新しく創りあげられたものを削りおとしてゆかなくてはならない。」

「その未明のころの和語は、あることをより微細にあらわしたければそれをさす言葉を、ただ畳み重ねればよかった。〈今日〉という日が生き生きとした、満ちあふれるような日であったなら「今日の生(いく)日の足(た)る日」といえばよかった。」

「この〈畳み重ね〉は、(中略)和語の本質に根ざした普遍的な意義をもっていたと推定される。そして〈枕詞的なもの〉の初原でもあった。では、なにが和語にとって普遍的な意義をもっていたのか。すくなくとも、この時期までは、和語は大陸の漢語にくらべて遙かに地を這うような未開の言語であった。いいかえれば具体的な〈物〉を離れてあまり抽象的な概念をあらわすことができなかった。その代りに、語の〈畳み重ね〉によって、それに近傍(あるいは同一対象についての異った言葉)の概念を〈重ね〉て、わりに自在で、ひろい対象の〈空間〉を指す語をつくりうる言葉であった。そこで、ひとつの対象を指す表現を途中で懸垂させ、ふたたびおなじ対象をべつの視角から指すという屈折と反覆の仕方に、律化の最初の契機をみてもよかったのである。」



「Ⅱ 歌謡の祖形」より:

「時間を遠く遡行していったどこかに、(中略)断絶も文化的な背景のちがいもない場所があり、そこでは詩歌はただ詩歌として存在した。詩歌はただ神話的行為のあいだに、ふと吐きだされる吐息や合図の声であった。神話もまた、部族ごとに時間の無いころの象徴の行為であった。言葉の重さは、ただトーテムとおなじ重さであったし、言葉の時間は胎内をかけめぐっているだけであった。そのとき詩歌はどういう形で存在しており、どういう統一した感性をはらんでいたか、それはいつの時代か? 不可能な夢でも、こういう課題へ接近したいという欲求には、切実な現在の思いがこめられている。すべての編集され記録された神話は、白けはてた作為と、堕落した荘厳化の作業におおわれている。物語が荒唐無稽だから虚偽なのではない。露骨につじつまがあっているために虚偽なのだ。神話的行為に、夢の時間と空間の展開様式をみたいのに、しばしばあさはかな作為に、夢は中断させられてしまう。言葉もまた作為を負わされていて、文字の形象でさえ意味有り気にとりかえられている。ほんとうの〈神話〉は『神話』の記述を削りおとして組みかえなければ、ほりおこせない。おなじように〈歌謡〉の原型も『歌謡』を削りおとさなければ、ほんとうの姿をあらわさない。」

「真淵の考え方をつづめてみれば、いくつかに要約することができる。ひとつは、歌の初めの形は、言葉もかざらず、また短かかったにちがいないということである。」
「もうひとつは、古くからの歌は、おおむね四言であり、これを言葉を長くしてうたえば、声を引くところでととのえられて、音声の上では五拍七拍になるかもしれないが、「やくもたつ」のような歌は、音声をまたずに五・七の言葉が調っており、これは歌の心も五七五七七にととのっていたことを意味するので、書かれた歌の始めとはいえても、歌の始めとはいいいがたいというものであった。真淵によってはじめて、歌われたとき五拍音、七拍音に律が近づいてゆくということと、書かれたときに五音数や七音数であるということとは、まったく別だということが識知された。音声によって拍音は引きのばしたり縮めたりすることができる。書かれるばあい意味にならない音数を挿入することはできない。そうだとすれば、書かれた歌が「八雲たつ」のように、すでに五・七の音数律をもって、しかも定型を保っているということは、新しいものとみなすほかはない。ただ、強いていえば詩句の繰返しがある(「八重垣」のような詩句)ことに、ある程度の古さをみとめられるだけである。真淵のいうように、「詞もかざらず、句もみな三句のみにして、しかも詞の數も定まらざる」大久米命と伊須気余理比売の応答歌のような歌が、はるかに古層を保存していることは、はっきりしている。」
「この真淵の見解ではじめて、詩歌の起源の問題が、神話や伝承からも解放され、また、〈書かれたもの〉と〈音声でうたわれたもの〉との区別の意識のうえに、おかれたといってよい。」
「歌の起源にかぎらなくても、在満にはじまる近世初頭の歌をめぐる論議のうち、現在もなお意義を失わないのは、真淵の見解だけであった。(中略)かれは堂上歌学によって大事に守られてきた神話や古伝承の囲いからじぶんを解き放つことができていた。その意味で画期的なものであった。」
「わたしの知っている限りでは、真淵の見解とほぼおなじところから発して、さらに歌の起源の問題を遠くまでひっぱっているのは、折口信夫ひとりである。折口の方法もまた「推し量り」によるものだが、方法的な一貫性と学殖と想像力によって、遡りうる極限のところまで、歌の起源をひっぱいっていった。」
「ところで、歌謡の起源の形をもとめることは、それほど魅力的であろうか。わたしはうまい言葉でいうことができないが、魅力があるとすれば、〈詩〉は神話の編成時代にはるかに先行するというモチーフを充たすことである。また、それを確めるために神話の地の文ときりはなすとき、意外にもきわめて平凡なそれでいて思いがけない古歌謡がすがたをあらわす。それは、とうてい名跡あるものの作ではなかった。村落や海や山あたりに住む何でもない人々が、いつの間にか時間に淘汰された歌謡をもったというべきである。」

「わたしたちもまた空想しようとしている。(中略)現在の『記』『紀』歌謡に、尾びれ背びれがあればこれを削りおとし、ぜい肉があれば切りとり、ほんとうに基層の歌謡の姿が出土するとすれば、それだけが遠い時間への遡行にたえるものと思ってきた。わたしたちの根拠は、『記』『紀』の神話的な物語や歌謡は、そんなに古い形のものではないし、そこで使われている言葉も基層の時間に話されていた言葉から変貌しているにちがいないという認識だけである。よほど巧みな排除をほどこさないと、たぶんわたしたちは、自身の神話や歌にゆきつかないし、ほんとうは自身の言葉にさえゆきつかないかもしれない。そういう危惧がわたしたちの方法である。」



「Ⅳ 続枕詞論」より:

「枕詞が枕詞として独立するためには、(中略)ある地域的な共同体の内部で、枕詞自体が共同幻想の象徴(中略)になり得なければならない。すくなくとも、枕詞が成立した初原の時期ではそうであった。」


「Ⅵ 続歌体論」より:

「たとえば『金葉集』には

    八月ばかりに月あかゝりける夜 あみだの聖のとほり
    けるをよびよせさせてさとなる女房にいひ遺しける
  あみだ佛ととなふる聲に夢さめて西へかたふく月をこそみれ

 これは〈八月の頃、月が明るく照っている夜に、浄土門の巡行僧がとおりかかったのを、屋敷に呼び入れるようにと云いつけた折、里に帰った侍女に云ってやった〉という歌である。そういうことが風習として貴族や王族たちのあいだであったとすれば、すでに天台教義いがいになかった法華経の理解を、浄土門的によみかえる風潮は社会的な上層にまで滲透しつつあったと解してよかった。空也上人のような存在は数多くいて、念仏をとなえながら巡行していた。きっと普通の門付けをしていたにちがいないが、貴族や王族たちも後生を願うためにこういう僧侶を、屋敷内に招じて読経や念仏の一遍を乞うということもあったのである。あるいは門前で念仏を称えさせていくばくかの金品を喜捨するということだったかもしれない。定家の〈有心〉(的なもの)は、こういう浄土門の興隆を大衆的な背景として、はじめて成立したメタフィジィクであった。「定家十体」が「有心様」を他の歌体のうえにおいたとき、その背後をささえたメタフィジィクは天台教義の解体と、新興の浄土教的な感性によって象徴される生々しい〈こころ〉―〈在る〉の思想であった。「あみだの聖」たちが説いてあるいたのは、現世が厭離すべき欲念や不善にみちているからに、念仏して急ぎ浄土を求むべきことであった。「有心」という意味をメタフィジカルに解するかぎり、現世のいとうべき欲念の諍いや利害にあざなわれたあさましい姿をうけとめる〈心〉をもつことを意味した。そしてもっとつきつめていえば、そういう穢汚にみちた現世の姿を、〈はかなさ〉や〈あわれさ〉や〈いとわしさ〉として知る〈心〉をさしている。さらにそこから浄土をすすんで求める〈心〉をも意味していた。西行が「心なき身にもあはれは知られけり」と詠んだときの〈無心〉は、すでに現世の欲念と汚辱のあさましさをそれとしてうけとめて、生きながら来世に〈心〉を置いた生きざまのことをさしている。あたかもウイリアム・ブレイクが〈無心〉の詩というときは、現世を明るい肯定的な表象でとらえた詩、〈有心〉の詩というときは現世を悲しみや暗い心のひだでとらえた詩をさしているのとにていた。

  子供らの声声が 緑の野原で聞かれ
  高らかな笑いが 丘の上で聞かれるとき
  わたしの心は わたしの胸にやすらぎ
  ほかのものはみな しずまっている
       (「乳母の歌(無心)」寿岳文章訳)

  子供らの声声が 緑の野原で聞かれ
  ささやきが 谷のそこここにあるとき
  青春の日が わたしの心に むらむらよみがえり
  わたしの顔は 生気を失い 色あおざめる
       (「乳母の歌(有心)」寿岳文章訳)

 ブレイクの〈有心〉の彼方に、浄界か練獄かを意味する〈無心〉がふたたびある。そのふたたびの〈無心〉の直前にある境位が、「有心様」の世界であった。「有心様」の例歌はいずれも生々しい感性が直体で歌いくだされているが、歌そのものとしては破たんをかえりみない風体に占められているのはそのためだとおもえる。」



「Ⅶ 和歌成立論」より:

「〈古今的なもの〉の世界では、すでに修辞的な虚構が自在になっていた。あるひとつの叙すべき〈心〉があれば、その中心にむかって修辞をあつめることができた。言葉だけしかなくても〈心〉の真実性だけが詩的な真実であるというところまで歌は到達していた。」
「わすれては夢かとぞ思ふ思ひきや雪ふみわけてきみを見むとは
       (『古今集』巻十八・九七〇)」
「もうここでは歌枕のような共同の幻想にかかわる地名や景物はまったく登場しない。いきなり「わすれては夢かとぞ思ふ」という心の告白が下句に懸けられている。これを保証しているのは心的なリアリティだけである。(中略)歌枕のような共同の景物ではないありふれた自然物が仮構され、そのリアリティを保証しているのは、だれでもどこでも日常眼にふれる対象が択ばれているということだけである。だれでもが体験するなにげない慣れきった対象が択ばれているという意味で、共同の現実(引用者注: 「現実」に傍点)が実在している。歌枕のように共同の幻想(引用者注: 「幻想」に傍点)が呼びこまれてはいない。これは歌のうえでは画期的なことだった。(中略)感性的な自然だけは、すべての歌の風姿を貫いて『古今集』の成立を本来的な〈和歌〉の成立にまで導いたのである。」











































































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吉本隆明 『共同幻想論』

「うとまれた〈子〉は〈父〉のもっている政治権力に反抗してこれを奪いとるかあるいは〈父〉の宣命をうけいれて〈父〉の権力を代行しながら、個体としては野垂れ死をするかの二者択一の道しかのこされていない。そこにはじめて〈倫理〉の問題があらわれてくる。」
(吉本隆明 『共同幻想論』 より)


吉本隆明 
『共同幻想論』


河出書房新社 
昭和43年12月5日 初版発行
昭和49年4月30日 32版発行
257p 
四六判 角背布装上製本 貼函
定価950円
題字撰: 芝本善彦



本書「後記」より:

「本書の前半の部分は、昭和41年11月号から42年4月号までの「文芸」に掲載されたものに加筆訂正をくわえたものである。本書の後半の部分は、そのあとあたらしく書きくわえられたものである。
 わたしはここで拠るべき原典をはじめからおわりまで『遠野物語』と『古事記』の二つに限って論をすすめた。もちろん(中略)、当りうる資料はおおければおおいほど正確な理解にちかづくという考えかたがありうるのをしっている。しかし、わたしがえらんだ方法はこの逆であった。方法的な考察にとっては、もっとも典型的な資料をはじめにえらんで、どこまで多角的にそれだけをふかくほりさげうるかということのほうがはるかに重要だとおもわれたのである。そこで『遠野物語』は、原始的あるいは未開的な幻想の現代的な修正(その幻想が現代に伝承されていることからくる必然的な修正)の資料の一典型としてよみ、『古事記』は種族の最古の神話的な資料の典型とみなし、この二つだけに徹底して対象をせばめることにした。」



でてきたのでよんでみました。


吉本隆明 共同幻想論


帯文:

「既成左翼の低迷のなかで自立思想の歩みを進める著者が、人間が個体としてでなく何らかの共同性としてこの世界と関係する観念世界を“共同幻想”という観点でとらえ、政治から国家に至るまで包括的に解明した雄大な論考」


帯背:

「国家論への論究」


目次:



禁制論
憑人論
巫覡論
巫女論
他界論
祭儀論
母制論
対幻想論
罪責論
規範論
起源論

後記




◆本書より◆


「序」より:

「現在さまざまな形で国家論の試みがなされている。この試みもそのなかのひとつとかんがえられていいわけである。ただ、ほかの論者たちとちがって、わたしは国家を国家そのものとして扱おうとしなかった。共同幻想のひとつの様態としてのみ国家は扱われている。それにはわけがある。わたしの思想的な情況認識では、国家をたんに国家として扱う論者たちの態度からは現在はもちろん未来の情況に適合するどんな試みもうみだされるはずがないのである。つまり、かれらは破産した神話のうえに建物をたてようとしているのだが、わたしは地面に土台をつくり建物をたてようとしているのである。このちがいは決定的なものであると信じている。」


「禁制論」より:

「長者の娘があるときから急に神かくしにあったように行方不明になった。猟師が幾年もたったのち山に入るとその娘に出遇った。驚いてどうしてこんなところにいるのだと猟師が問うと、じつはいまはおそろしい山人の妻になっている。逃げようにもどうすることもできない。(これはもっと徹底すると一生涯ここいいるつもりだとなる)。子供も生れたが食べられるか殺されるかしていない。ここは怖ろしいところだから、どうかじぶんのことはそのままそっとして逃げてくれと、娘は猟師に語る。『遠野物語』のなかのこの種の話は、いわば村落共同体から〈出離〉することの心的な体験という意味でアリアリティをもっている。」
「そしてこの種の山人譚で重要なことは、村落共同体から離れたものは、恐ろしい目にであい、きっと不幸になるという〈恐怖の共同性〉が象徴されていることである。村落共同体から〈出離〉することへの禁制(タブー)がこの種の山人譚の根にひそむ〈恐怖の共同性〉である。
 タイラーの『原始文化』やフレーザーの『金枝篇』をまつまでもなく、未明の時代や場所の住民にとって、共同の禁制でむすばれた共同体以外の土地や異族は、いわばなにかわからぬ未知の恐怖がつきまとう異空間であった。心の体験としてみればほとんど他界にひとしいものであった。それが『遠野物語』の山人のように巨人に象徴されても、小人や有尾人に象徴されても、住民の世界感覚にとって村落の共同性からへだてられた他郷は、異空間にひとしかったであろう。それにもかかわらず、心の禁制をやぶって出奔するものも、そういう事情も現実にあったのだとこの種の山人譚は暗示しているようにおもわれる。
 山人にさらわれて妻にされた女は、村の猟師に山人の恐ろしさを訴えるが、じぶんは帰ろうとしない。女はじぶんを禁制をやぶったよそもの(引用者注: 「よそもの」に傍点)としてかんがえ、ふたたび村に戻れないのだというたてまえで、いつも距離をおいて村の猟師に対する。さらわれた山人の妻と、出遇った村の猟師のあいだのこの異邦人感覚にも似た距離感が、この種の山人譚にリアリティをあたえている。」

「柳田国男が、この種の山人譚からひき出したのは〈恐怖の共同性〉ではなかった。山は人間の霊があつまり宿るところだという高所崇拝の信仰に民俗学的な類型と血肉をつけてさしだすことであった。」



「憑人論」より:

  「うたて此世はをぐらきを
  何しにわれはさめつらむ、
  いざ今いち度かへらばや、
  うつくしかりし夢の世に、
     (松岡国男「夕ぐれに眠のさめし時」)

 柳田国男は、まだ新体詩人であったとき一篇の詩としてこれをかきとめている。雑誌「国民之友」に拠るこの年少詩人は、日夏耿之介の評言をかりれば国木田独歩に推称される詩才をもちながら「その後の精進の迹を見せずに自分の学問的本道へ進んでしまった。」人物であった。
 しかし柳田の学的な体系は、はたしてこういう詩からの転進だったのかどうかわからない。
 「夕ぐれに眠のさめし時」とは柳田国男の心性を象徴するかのようにおもえる。かれの心性は民俗学にはいっても晨に〈眠〉がさめて真昼の日なかで活動するというようなものではなかった。夕ぐれに〈眠〉からさめたときの薄暮のなかを、くりかえし徴候をもとめてさ迷い歩くのににていた。〈眠〉からさめたときはあたりがもう薄暗かったので、ふたたび〈眠〉に入りたいという少年の願望のようなものが、かれの民俗学への没入の仕方をよく象徴している。
 柳田の民俗学は「いざ今いち度かへらばや、うつくしかりし夢の世に、」という情念の流れのままに探索をひろげていったようである。夕べの〈眠〉から身を起して薄暗い民譚に論理的な解析をくわえるために立ちどまることはなかった。その学的な体系は、ちょうど夕ぐれの薄暗がりに覚醒とも睡眠ともつかぬ入眠幻覚がたどる流れににていた。そして、じじつ、柳田が最初に『遠野物語』によって強く執着したのは、村民のあいだを流れる薄暮の感性がつくりだした共同幻想であった。わたしは、この共同幻想の位相がなにかをかんがえるまえに、柳田が少年時のじぶんの資質にくわえた回想的な挿話に立ちどまってみたい。
 柳田は『山の人生』のなかで少年時の二、三の体験をあげて空想性の強い資質の世界を描いている。そのなかの一つ、

   それから又三四年の後、母と弟二人と茸狩に行つたことがある。遠くから常に見て居る小山であつたが、山の向ふの谷に暗い淋しい池があつて、暫く其岸へ下りて休んだ。夕日になつてから再び茸をさがしながら、同じ山を越えて元登つた方の山の口へ来たと思つたら、どんな風にあるいたものか、又々同じ淋しい池の岸へ戻つて来てしまつたのである。其時も茫としたやうな気がしたが、えらい声で母親がどなるので忽ち普通の心持になつた。此時の私がもし一人であつたら、恐らくは亦一つの神隠しの例を残したことと思つて居る。
    (「九 神隠しに遭ひ易き気質あるかと思ふ事」より)

 ここで「それから又三四年の後」というのは、筋向いの家にもらい湯にいった帰りに屈強な男に引抱えられてさらわれそうな恐怖の体験をしてから三、四年後ということである。これは三つほどあげてある柳田の少年時の入眠幻覚の体験のひとつだが、柳田がもっていたこの資質の世界はかれの学にとって重要なものであった。このつよい少年時の入眠幻覚の体験者が『遠野物語』の語り手であるおなじ資質の佐々木鏡石と共鳴したとき日本民俗学の発祥の拠典である『遠野物語』ができあがったといえるからである。」



「祭儀論」より:

「人間の自己幻想は、ある期間を過程的にとおって徐々に周囲の共同幻想をはねのけながら自覚的なものとして形成されるために、いったん形成されたあかつきにはたんなる共同幻想からの疎外を意味するだけでなく、共同幻想と〈逆立〉するほかはないのである。」


「対幻想論」より:

「〈性〉としての人間はすべて男であるか女であるかのいずれかである。しかしこの分化の起源は、おおくの学者がかんがえるようにけっして動物生の時期にあるのではない。あらゆる〈性〉的な現実の行為が〈対なる幻想〉をうみだしたとき、はじめて人間は〈性〉としての人間という範疇をもつようになったのであるといえる。〈対なる幻想〉がうみだされたことは、人間の〈性〉を社会の共同性と個人性のはざまに投げだす作用をおよぼすことになった。そのために、人間は〈性〉としては男か女であるにもかかわらず、夫婦とか、親子とか、兄弟姉妹とか親族とかよばれる系列のなかにおかれることになった。いいかえれば〈家族〉がうみだされたのである。だから〈家族〉は時代によってどんな形態上の変化をこうむり、地域や種族によってどんな異なった現実関係におかれたとしても、人間の〈対なる幻想〉にもとづく関係であるという点では共通性をかんがえることができる。そしてまたこれだけがとりだすことのできる唯一の共通性でもある。わたしたちはさしあたって〈対なる幻想〉という概念を、社会の共同幻想とも個人のもつ幻想ともちがって、つねに異性の意識をともなってしか存在しえない幻想性の領域をさすものとかんがえておこう。
 〈家族〉のなかで〈対〉幻想の根幹をなすのは、ヘーゲルがただしくいいあてているように一対の男女としての夫婦である。そしてこの関係にもっとも如実に〈対〉幻想の本質があらわれるものとすれば、ヘーゲルのいうように自然的な〈性〉関係にもとづきながら、けっして「自己還帰」しえないで、「一方の意識が他方の意識のうちに、自分を直接認める」幻想関係であるといえる。もちろん親子の関係も根幹的な〈対〉幻想につつみこまれる。ただこの場合は、〈親〉は自己の死滅によってはじめて〈対〉幻想の対象になってゆくものを〈子〉にみているし、〈子〉は〈親〉のなかに自己の生成と逆比例して死滅してゆく〈対〉幻想の対象をみているというちがいをもっている。いわば〈時間〉が導入された〈対〉幻想をさして親子とよぶべきである。そして、兄弟や姉妹は〈親〉が死滅したとき同時に死滅する〈対〉幻想を意味している。最後にヘーゲルがするどく指摘しているように兄弟と姉妹との関係は、はじめから仮構の異性という基盤にたちながら、かえって(あるいはそのために)永続する〈対〉幻想の関係をもっているということができる。」

「〈性〉としての人間、いいかえれば男または女としての人間という範疇は、人間としての人間、いいかえれば〈自由〉な個人としての人間という範疇とも、共同社会の成員としての人間という範疇とも矛盾するものであることは申すまでもない。この矛盾は人間の共同幻想と個人幻想のはざまに〈対〉幻想というかんがえを導くことなしには救抜されないのである。」

「わたしたちは人間としての人間という概念のなかでは、どんな差別をも個々の人間のあいだに想定することもできない。つぎに、〈性〉としての人間という概念、いいかえれば男・女としての人間という概念のなかでは、エンゲルスのいわゆる〈性〉的分業ということ以外には、現実の部族社会の経済的な分業と人間の存在とを直接むすびつけるどんな根拠も想定することはできないのだ。それゆえ、ライツェンシュタインのいう、狩猟や戦闘は男性の分担であり農耕は女性の分担であったというような問題は、いつも反対の例を未開種族にみつけだすことができるような恣意的な理解にしかすぎない。たかだか数の問題としてそういいうるだけである。これにたいして共同性としての人間、いいかえれば集団生活をいとなみ、社会組織をつくって存在している人間という概念のなかでは、人間はつねに架空の存在、いいかえれば共同幻想としての人間であり、どんな社会的な現実とも直接むすびつかない幻想性としての人間でしかありえない。」
「『古事記』は周知のように冒頭に天地初発の事跡を記している。」
「ここで別格あつかいの「独神」というのは、いわば無〈性〉の神ということであり、男神または女神であったのに〈対〉になる相手がいなかったという意味ではない。わたしのかんがえではこの「独神」の概念は原始農耕社会以前における幻想性を語るものである。かれらが海岸や海上での魚獲や山野における鳥獣や自生植物の収集によって生活していたにしろ、穀物を栽培し、手がけ、その実りを収穫して生活する以前の社会に流通した観念にもとづいている。そこでは鳥獣や魚や自生植物は自然そのものが生成させたもので、その採取は自然の偶然に依存していた。このような自然は先験的に存在するものでなければならなかった。それは人間にとってすでに与えられて眼の前にあったのである。」
「だから『古事記』の「独神」は〈現在〉を構成するためにだけ必要な〈時間〉概念の象徴にほかならないといえる。」
「男・女神が想定されるようになったとき、〈性〉的な幻想のなかにはじめて〈時間〉性が導入され、〈対〉幻想もまた時間の流れによって生成するものであることが意識されはじめたことを意味している。そしてこの意識がきざしたのは、かれらが意図して穀物を栽培し、意図して食用の鳥獣や魚を育てることを知ってからである。かれらは実りの果てに枯死する植物が残してくれる実を、また地中に埋めることによってふたたびおなじ植物が生成することに習熟したとき、自然のなかに生成して流れる時間の意味を意識した。(中略)人間もまた自然とおなじように時間の生成にしたがうことを知ったのである。」
「それゆえ〈時間〉の観念は、自然においては穀物が育ち、実り、枯死し、種を播かれて芽生える四季としてかんがえられたように、人間にあっては子を産むことのできる女性に根源がもとめられ穀母神的な観念が育ったのである。この時期では、自然時間(引用者注: 「自然時間」に傍点)の観念を媒介にして部族の共同幻想と〈対〉幻想とは同一視された。」
「けれどこの時期はやがて別の観念の発生によってとって代られる。人間はやがて穀物の生成や枯死や種播きによって導入される時間の観念が、女性が子を妊娠し、生育し、子が成人するという時間性とちがうということに気づきはじめる。」
「このように穀物の栽培と収穫の時間性と、女性が子を妊娠し、分娩し、(中略)育て、成人させるという時間性がちがうことを意識したとき、人間は部族の共同幻想と男女の〈対〉幻想とのちがいを意識し、また獲得していったのである。(中略)つまり〈性〉そのものが時間性の根源となった。」
「人間の〈対〉幻想に固有な時間性が自覚されるようになったとき、すくなくともかれらは〈世代〉という概念を手に入れた。親と子の相姦がタブー化されたのはそれからである。」



「罪責論」より:

「そしてあらゆる種族がのこしている〈神話〉のうち普遍的な共通性をとりだしうるとすれば、おそらくただひとつのことである。
 それをいま、〈神話〉はその種族の〈共同幻想〉の構成(ゲシュタルト)を語るとかんがえておこう。そして〈共同幻想〉の構成を語っているという点をのぞけば、どんなことも神話のなかで恣意的であるといえる。登場人物も物語の進行も、プロットの接合の仕方も、時間的な空間的な矛盾も、他の種族の〈神話〉からの盗作やよせあつめもすべて恣意的にゆるされているとかんがえることができる。」
「わたしたちの種族の神話としてのこされている『古事記』のなかで、〈共同幻想〉の構成を語る時間的にもっともプリミティヴな挿話は、アマテラスとスサノオの関係にはじめてあらわれている。」
「スサノオは『古事記』の神話のなかで国つ神の始祖とかんがえられている。いいかえれば農耕土民の祖形である。「高天が原」を統治するアマテラスというのは神の託宣の世界を支配する〈姉〉という象徴であり、スサノオは農耕社会を現実的に支配する〈弟〉という象徴である。そしてこの形態は、おそらく神権の優位のもとで〈姉妹〉と〈兄弟〉が宗教的な権力と政治的な権力とを分治するという氏族(または前氏族)的な段階における〈共同幻想〉の政治的な形態を語っている。」
「ニーチェ―折口信夫的な見解によれば、高天が原を「追放」されるスサノオの挿話は、いわば共同体の〈原罪〉の発生を象徴していることになる。
 ニーチェは『道徳の系譜』のなかで、原始的な種族共同体の内部では、現存の世代は先行の世代にたいし、とりわけ種族を草創した最初の世代にたいして不可解な義務をおうものとかんがえられており、種族の社会は徹頭徹尾祖先の犠牲と功業のおかげで存立するという観念が支配するものである旨をのべている。
 折口信夫はおそらくニーチェとは独立に(あるいはニーチェの影響下に)「道徳の発生」のなかでほぼおなじことを結論している。」
「しかしここで農耕土民の祖形であるとともにアマテラスの〈弟〉に擬定されているスサノオの背負わされた〈原罪〉なるものは、〈共同幻想〉の問題としてみれば、ニーチェのいうほど不可解なものではない。この〈原罪〉が農耕土民の集落的な社会の〈共同幻想〉と、大和朝廷勢力によって統一されてしまったのちの部族的な社会の〈共同幻想〉とのあいだにうみだした矛盾やあつれき(引用者注: 「あつれき」に傍点)に発祥していることはたしかである。それはもとをただせば、大和朝廷勢力が背負うべき〈原罪〉であったにもかかわらず、農耕土民が背負わされたものか、あるいは農耕土民が大和朝廷権力に従属させられたときにじぶんたちが土俗神信仰にたいしていだいた負い目に発祥したかいずれかひとつであるにすぎない。しかしここに作為的にかあるいは無作為にか混融がおこり、農耕土民たちの〈共同幻想〉は大和朝廷勢力の支配下における統一的な部族社会の〈共同幻想〉であるかのように装われてしまったとかんがえることができる。
 その結果この挿話からわたしたちが〈共同幻想〉の構成(ゲシュタルト)をとりだそうとすれば天上界を支配する〈姉〉(アマテラス)と現実の農耕社会を支配する〈弟〉(スサノオ)という統治形態である。
 そしてこの挿話ではスサノオは父イザナギから農耕社会を統治せよとは命ぜられずに、海辺(漁撈)を統治するよう命ぜられるために、それを肯んぜず青山を泣き枯らすほどに哭きわめいて〈妣の国〉へゆきたいと願望して追放されるのである。スサノオが願望している〈妣の国〉あるいは〈夜見の国〉は、共同性として理解するかぎり母のいる他界というよりも母系制の根幹としての農耕社会であることは、いわゆる出雲系土民の神話と古典学者たちがかんがえている大国主の神話に接続されることからも推測することができる。そこでわたしたちはこの挿話から神権を支配する〈姉〉(あるいは妹)と現世的な政治権力を支配する〈弟〉(あるいは兄)という氏族制以前の政治形態の原型をおもいえがくのである。
 この挿話で個体としてのスサノオは原始父系制的な世界(「河海」)の相続を否定して母系制的な世界(農耕社会)の相続を願望して哭きやまないために追放される。スサノオの個体としての〈罪〉の観念はただそれだけのために発生するのである。そしてスサノオの〈倫理〉は青山を泣き枯らし、河海を泣きほすという行為のなかに象徴的にあらわれている。これをもしわが神話的な世界における個体の〈倫理〉の発生のプリミティヴな形態とかんがえるならば、その根源はただ農耕社会の〈共同幻想〉を肯定するか否定するかという点にだけあらわれている。いいかえればスサノオが父系制的な世界の構造を否定して母系制的な農耕世界を肯定したとき、〈倫理〉の問題がはじめてあらわれるのである。もしも人間の個体の〈倫理〉が社会的欠如意識の軋みからうまれるものとするならば、スサノオの欠如意識は父系制そのものの欠如に発祥している。『古事記』神話を統合したものが、水田耕作民の支配者となった大和朝廷勢力によるものとすれば、かれらは雑穀の半自然的な栽培と漁撈とわずかの狩猟によって生活していた前農耕的段階の社会を否定し変革し席捲したとき、はじめてかれらの〈倫理〉意識を獲得したのである。いいかえれば良心の疚しさに当面したのである。そこでかれらはさまざまの農耕祭儀をうみだしてこの〈倫理〉意識を補償せざるをえなかった。
 スサノオはのちにアマテラスと契約を結んで和解し、いわば神の託宣によって農耕社会を支配する出雲系の始祖という典型に転化するが、このことは巫女組織の頂点に位する同母の〈姉〉と農耕社会の政治的な頂点に位する同母の〈弟〉によって、現世的な前氏族制の〈共同幻想〉の構成が成立したことを象徴しているとおもえる。
 アマテラスとスサノオの挿話にわらわれるのは〈倫理〉の原型、いいかえれば〈神権〉が〈政権〉よりも優位なものとかんがえられていた段階における〈共同幻想〉にたいする軋みが、個体の問題および共同性の問題としてあらわれている。スサノオがイザナギの宣命にそむいてまでゆきたいと願望する〈妣(はは)の国〉を空間的に農耕社会とかんがえずに時間的に他界(〈夜見の国〉)とかんがえれば個体としての現世からの逃亡を、いいかえれば自死の願望を語っていることになる。個体としてのスサノオは神権優位の〈共同幻想〉を意識し、これに抗命したときはじめて〈倫理〉を獲得したということもできる。〈内なる道徳律〉というカント的な概念はここには存在しないが、〈共同幻想〉にそむくかいなかが個体の〈倫理〉を決定するという問題はあらわれている。」

「ニーチェは『道徳の系譜』のなかで、〈道徳〉の発生の起源を、原始社会における個人と個人のあいだの物件的な債権者と債務者の関係にもとめた。ニーチェによれば、共同体においてもこの関係はかわらず、共同体とその成員のあいだにも債権者と債務者という根本関係が本質として存在するとかんがえた。ニーチェはいかにもニーチェ流の皮肉をこめて、「人はみな一つの共同体のなかで生活し、共同体の利便を享受している(中略)。人は保護され、いたわられて、外部の(引用者注: 「外部の」に傍点)人間すなわち〈平和なき者〉が曝されている或る種の危害や敵意に心悩まされることもなしに、平和と信頼のうちに住んでいる。――ドイツ人は、〈悲惨 Elend〉(êlend)という語の原義の何たるかを、よく知っている――。つまり、そうした危害や敵意を顧慮すればこそ人は自分自身を共同体に抵当に入れ、共同体にたいして義務を負ったのである。」とのべている。」
「個人における〈倫理〉は個体に所属している。しかし、個人と個人との対他的な関係のばあいニーチェの考察とちがって、男性または女性としての人間の関係、いいかえれば男女の〈性〉的な関係が起源として存在している。いいかえれば〈家族〉の形態が存在するのだ。もし、あらゆる政治的な統一権力が存在する社会をもっともプリミティヴな形態までさかのぼってかんがえるとすれば、そこでの〈倫理〉は一対の男女の〈性〉的な関係のあいだに発生の起源をもとめるほかはない。
 そして不都合なことに、この男女の〈性〉的関係という問題は、エンゲルスがかんがえたほど単純ではない。〈性〉的な関係というのは、自然的な〈性〉関係(性交)にとどまるのではなく、かならず〈幻想〉性を〈対〉として自己疎外するからだ。そこでこの〈性〉的関係という概念は、たとえ自然的な性行為を禁制されたり、ともなわなかったりするときでも〈家族〉のあいだに成り立つとかんがえられる。内なる道徳律というカント的な概念が〈倫理〉の起源としてもっともおくれて人類にやってくるのは、それが個体的な概念であるためである。
 『古事記』のヤマトタケルの挿話は、わが統一国家(部族国家)が成立した時期のもっともプリミティヴな〈倫理〉のかたちをかたっている。なぜならば〈父〉と〈子〉のあいだの〈対幻想〉のあつれき(引用者注: 「あつれき」に傍点、以下同)が政治権力の問題としてあらわれているからである。
 〈父〉と〈子〉(男子)のあいだのあつれきや矛盾は、ふつうかんがえられているほど〈家族〉内の父権の絶対性からやってくるわけではない。〈家族〉内の女性(母あるいは姉妹)にたいする〈対なる幻想〉が〈父〉と〈子〉とのあいだで相矛盾するところからやってくる。〈父〉はじぶんが自然的に衰えることによってしか〈子〉の〈家族〉内における存在の独立性をみとめることができないし、〈子〉は〈父〉が衰えることによってしか〈性〉的にじぶんを成熟させることができない存在である。このような〈父〉と〈子〉の関係は絶対に相容れることができない〈対幻想〉をむすぶほかありえないのである。」
「うとまれた〈子〉は〈父〉のもっている政治権力に反抗してこれを奪いとるかあるいは〈父〉の宣命をうけいれて〈父〉の権力を代行しながら、個体としては野垂れ死をするかの二者択一の道しかのこされていない。そこにはじめて〈倫理〉の問題があらわれてくる。いいかえればもともと〈家族〉内の〈対幻想〉の問題であるはずのものが、部族国家の〈共同幻想〉内のあつれきにのりうつったとき、〈倫理〉の本質があらわれる。」
「『古事記』のヤマトタケルは土着の勢力を平定する途中で、まさに『古事記』の編者たちが希望するとおりに病死するのである。ヤマトタケルが死の最初の予兆としてかかった幻覚について『古事記』はつぎのように記している。

   そこで申すには「この山(いぶき山――註)の神は徒手でじかに退治してやろう」といって、その山に登ってゆくと、山のほとりで白猪に出あった。その大きさは牛ほどもあった。そこで揚言して申すには「この白猪になっているのは、その山の神の使者である。今殺さずとも、帰りがけに殺してかえろう」といって山に登っていった。そこで大氷雨が降ってきてヤマトタケルを惑わした。この白猪に化けていたのは、山の神の使者ではなくて、その山の神自身だったが、揚言したので惑わされたのである。そして山を降り帰ってきて、玉倉部の清泉にたどりついて休息したとき、気持がすこし正気にかえった。

 しかし、ヤマトタケルはほどなく罹病して野垂れ死にする。そして本質的には予定にしたがって野垂れ死にするためにこそ土着の異族を〈白猪〉と幻覚したのである。」




































































吉本隆明 『増補 最後の親鸞』

「目もみえず候。なにごともみなわすれて候うへに、ひとにあきらかにまふすべき身にもあらず候。」
(『末燈鈔』)


吉本隆明 
『増補 
最後の親鸞』


春秋社 
昭和51年10月31日 初版第1刷発行
昭和56年7月25日 増補第1刷発行
8p+227p 「初出誌」1p 
口絵(カラー)1葉
20×15cm 並装(フランス表紙) 
本体カバー 貼函
定価1,900円
装幀: 安達史人

別冊付録「『最後の親鸞』ノート」
1981年7月25日
56p 目次1p 「初出メモ」1p
B6判 並装



別冊付録(本文二段組)に図版(モノクロ)7点。


吉本隆明 最後の親鸞


帯文:

「『歎異鈔』の親鸞と、『教行信証』の
親鸞――この巨大な思想家の矛盾した実像に、
著者の全思想を結集して肉迫する、
吉本・親鸞像の決定版!
増補――「教理上の親鸞」(80枚)
別冊付録『最後の親鸞』ノート」



帯裏:

「親鸞は同時代に、ほとんどじっさいに接した人々のあいだにしか知られなかったし、知られないように振舞った非僧非俗の風態をとった念仏者だった。だがかれが人格的な雰囲気と口調によって伝えたものは、比類のないほど巨大な独自な思想であった。この矛盾したかれの実像が、たしかな姿で得られたならば、親鸞の思想家としての姿はとり出せたことになる。わたしは最後の親鸞と名づけて、じぶんなりの親鸞の実像を描こうとした。
いまわたしに補充すべきことがあるとすれば、大乗教浄土門の教理を整序し、その集大成を志した親鸞の教理像でった。教理として振舞おうとした親鸞は、たぶん、じぶんが望まなかったため、存命中に書きすすめられていることすら、周囲の人々に知られていなかったとおもえる。親鸞はじぶんがやっていた教理上の膨大な著述をおくびにも出さなかったとしかかんがえられない。ここでもまたわたしたちは、親鸞という存在の矛盾につきあたる。
「序」より」



目次 (初出):


最後の親鸞 (「春秋」 昭和49年1月~2、3月合併号)
和讃 (「春秋」 昭和50年8、9月合併号)
ある親鸞 (「伝統と現代」 昭和51年5月・第39号)
親鸞伝説 (「春秋」 昭和51年7月号)
教理上の親鸞 (書下し 昭和56年7月)
あとがき



「『最後の親鸞』ノート」目次 (初出):

ノートⅠ 親鸞思想と日本の知識人
ノートⅡ 『歎異鈔』の現代的意味
ノートⅢ 『教行信証』について
ノートⅣ 『教行信証』と『浄土三部経』
ノートⅤ 親鸞固有の思想――『書簡集』から
初出メモ




◆本書より◆


「最後の親鸞」より:

「〈知識〉にとって最後の課題は、頂きを極め、その頂きに人々を誘って蒙をひらくことではない。頂きを極め、その頂きから世界を見おろすことでもない。頂きを極め、そのまま(引用者注: 「そのまま」に傍点、以下同)寂かに〈非知〉に向って着地することができればというのが、おおよそ、どんな種類の〈知〉にとっても最後の課題である。この「そのまま」というのは、わたしたちには不可能にちかいので、いわば自覚的に〈非知〉に向って還流するよりほか仕方がない。しかし最後の親鸞は、この「そのまま」というのをやってのけているようにおもわれる。横超(横ざまに超える)などという概念を釈義している親鸞が、「そのまま」〈非知〉に向うじぶんの思想を、『教行信証』のような知識によって〈知〉に語りかける著書にこめたとは信じられない。
 どんな自力の計(はから)いをもすてよ、〈知〉よりも〈愚〉の方が、〈善〉よりも〈悪〉の方が弥陀の本願に近づきやすいのだ、と説いた親鸞にとって、じぶんがかぎりなく〈愚〉に近づくことは願いであった。」
「親鸞は〈知〉の頂きを極めたところで、かぎりなく〈非知〉に近づいてゆく還相の〈知〉をしきりに説いているようにみえる。しかし〈非知〉は、どんなに「そのまま」寂かに着地しても〈無智〉と合一できない。〈知〉にとって〈無智〉と合一することは最後の課題だが、どうしても〈非知〉と〈無智〉とのあいだには紙一重の、だが深い淵が横たわっている。なぜならば〈無智〉を荷っている人々は、それ自体の存在であり、浄土の理念に理念によって近づこうとする存在からもっとも遠いから、じぶんではどんな〈はからい〉ももたない。かれは浄土に近づくために、絶対の他力を媒介として信ずるよりほかどんな手段ももっていない。これこそ本願他力の思想にとって、究極の境涯でなければならない。しかし〈無智〉を荷った人々は、宗教がかんがえるほど宗教的な存在ではない。かれは本願他力の思想にとって、それ自体で究極のところに立っているかもしれないが、宗教に無縁な存在でもありうる。そのとき〈無智〉を荷った人たちは、浄土教の形成する世界像の外へはみ出してしまう。そうならば宗教をはみ出した人々に肉迫するのに、念仏一宗もまたその思想を、宗教の外にまで解体させなければならない。最後の親鸞はその課題を強いられたようにおもわれる。」

「真に弁証法的な〈契機〉は、(中略)ただそうするよりほかすべがなかったという〈不可避〉的なものからしかやってこない。一見するとこの考え方は、受身にしかすぎないとみえるかもしれない。しかし、人が勝手に選択できるようにみえるのは、ただかれが観念的に行為しているときだけだ。ほんとうに観念と生身とをあげて行為するところでは、世界はただ〈不可避〉の一本道しか、わたしたちにあかしはしない。そして、その道を辛うじてたどるのである。このことを洞察しえたところに、親鸞の〈契機〉(「業縁」)は成立しているようにみえる。
 ここまできて、この現世的な世界は、たんに中心のない漂った世界ではなく、〈契機〉(「業縁」)を中心に展開される〈不可避〉の世界に転化する。理由もなく飢え、理由もなく死に、理由もなく殺人し、偶発する事件にぶつかりながら流れてゆく相対的な世界ではなく、〈不可避〉の一筋道だけしか、生の前にひらけていない必然の構造をもつ世界がみえてくる。一切の客観的なあるいは主観的な恣意性が、〈契機〉を媒介として消滅することは、〈自由〉が消滅することを意味しているのではない。現世的な歴史的な制約、物的関係の約束にうちひしがれながら、〈不可避〉の細い一本道ではあるが〈自由〉へとひらかれた世界が開示される。」

「親鸞の理解によれば、本願他力なるものは絶対他力にまでゆくよりほかない。そして、絶対他力にゆくためには、〈知〉と〈愚〉とが本願のまえに平等であり、〈善〉と〈悪〉もまた平等であるというところから、〈愚〉と〈悪〉こそが逆に本願成就の〈正機〉であるというところまで歩むほかなかった。」

「親鸞にとっては、たぶん念仏一宗の興廃はどうでもよかった。称名念仏によって、浄土へゆくか地獄へゆくかはどちらでも、人間の計(はから)いに属さない。こういう境涯に到達した親鸞にとって、念仏一宗の命運が問題であったはずがない。まして他宗派が問題となりえようか。」
「ここで親鸞がいやおうなしに表現しているのは、他力往生を本旨とする浄土真宗そのものの解体であり、同時に他宗派の無化である。他宗派と争うなという意味は、念仏のあいだで諍論するな、あらゆる計(はから)いは如来の本願の方にあって、じぶんたち人間の方にはただ絶対に自力をたのまない態度しかない、という考え方の延長線上にやってくる。だから、他の宗派をも受け入れよというのではなく、他力の絶対性をさらに解体したため、宗派的信仰そのものを拒否する視点があらわれたのだ、とみるほかはない。
 最後の親鸞を訪れた幻は、〈知〉を放棄し、称名念仏の結果にたいする計(はから)いと成仏への期待を放棄し、まったくの愚者となって老いたじぶんの姿だったかもしれない。」



「ある親鸞」より:

「親鸞は、ついに京洛の法然のもとにかえらず、赦免のあとその足で常陸へと赴いた。このことは親鸞が〈非僧非俗〉の境涯からけっして〈僧〉の世界へもどろうとしなかったことを意味している。(中略)妻帯して子をまじえて営んだ生活は、形から〈非僧〉だったばかりではない。このあたりで親鸞は易行道によって〈衆生〉を教化するという理念を放棄したとおもえる。かれ自身が〈衆生〉そのものになりきれないことは自明だったが、(中略)親鸞にできたのは、ただ還相に下降する眼をもって〈衆生〉のあいだに入りこんでゆくことであった。」

「〈衆生〉にたいする〈教化〉、〈救済〉、〈同化〉といったやくざな概念は徹底的に放棄しなければならない。なぜならばこういう概念は、じぶんの観念の上昇過程からしか生れてこないからだ。観念の上昇過程は、それ自体なんら知的でも思想的でもない。ただ知識が欲望する〈自然〉過程にしかすぎないから、ほんとうは〈他者〉の根源にかかわることができない。往相、方便の世界である。〈他者〉とのかかわりで〈教化〉、〈救済〉、〈同化〉のような概念を放棄して、なお且つ〈他者〉そのものではありえない存在の仕方を根拠づけるものは、ただ〈非僧〉がそのまま〈俗〉ではなく〈非俗〉そのものであるという道以外にはありえない。ここではじめて親鸞は、法然の思想から離脱したのである。」
「このとき親鸞の胸中に、幾度も去来したのは(中略)賀古の教信沙弥の姿であったろうことは疑われない。」
「教信は、はじめは興福寺の碩学で、法相宗のすぐれた学匠であった。ある時期から回心するところがあり、西方浄土を願うようになり、興福寺を捨てて西海を志し、播州賀古郡西の野口に草庵をつくって住んだ。この地は西方が遠く晴れて、極楽浄土を願うものにふさわしい土地であった。教信は妻帯し子供が一人あった。髪も剃らず爪も切らず、衣も着ず、袈裟もかけなかった。昼夜に称名念仏をおこたらず、夢中でも名号をとなえた。村人たちは阿弥陀丸(まろ)と呼んだ。
 教信は勧進もせず、喜捨も乞わなかった。農家に雇われて田を上畠を耕して工銭をもらい、また、旅人の荷を担ぐ手伝いをしては食糧をわけてもらって、生活の資に供していた。けれども念仏のほか全てのことは忘れはてているようであった。」
「この教信像には、当時の遁世者流にくらべていくつかの特徴が認められる。教信は、当時の典型的な捨て聖といえるが、髪を剃った僧体をとらず、妻子と同居していた。かれは経文を勧進して喜捨を乞う流行をふまず、(中略)また、本尊の仏像・仏画のたぐいを飾るとか、経典を執持することをしなかった。そして死後は、じぶんの屍体を鳥獣に喰わせた。
 当時の捨て聖の一般的な像からいえば、これらは、驚くべき特徴であったといえる。」
「このことは教信の思想に〈衆生〉への〈教化〉という概念がなく、また〈僧〉という意識を放棄していたことを意味している。また教信が、本尊を飾らず経文も読まなかったのは、宗教を否定した宗教者という境地にあったともいえよう。」
「教信の幻を抱いて常陸の国をめざした親鸞の相貌は、法然にも、法然門下のたれにも似ていなかった。僧にあらず俗にあらず、どんな背光も袈裟も背負っていなかった。(中略)そこでは親鸞の像は徹底した放棄の姿をみせている。」






































































































吉本隆明 『宮沢賢治』 (近代日本詩人選)

「未開のこころのうごきがそうだったように、この詩人はすぐにじぶんとまわりの自然との境界をとっぱらって、じぶんを虫や木や花や獣みたいな生き物や、岩石みたいな無機物とおなじにおいて、言葉をつくりだすことができた。」
(吉本隆明 『宮沢賢治』 より)


吉本隆明 
『宮沢賢治』
 
近代日本詩人選 13 

筑摩書房
1989年7月30日 初版第1刷発行
2p+370p 口絵(モノクロ)1葉
B6判 丸背布装上製本 機械函
定価2,160円(本体2,097円)
函装画: 加納光於《作品》(1979 部分)



本書「あとがき」より:

「きつい生活や仕事のあいだをぬって、思春期から断続的に、関心をもちこたえてきた宮沢賢治の人や作品について、感じ、思いをめぐらす時間は、眼のまえに鬱積した雑事を片づけては、心せきながらはいり込んでゆく解放感にあふれた時間だった。そこではいつも愛着もあり、また全力をあげてぶつかっても倒れない相手に出あえた。精神がどれだけなごみ、沈潜され、真剣にさせられたかはかりしれない。」


吉本隆明 宮沢賢治


帯文:

「書き下し
宮沢賢治は詩と童話で、さめた現実と眠りのなかの夢と死後の他界とを、いかにスムーズに手にとるようにつなげたか? そして作品に繰りかえしあらわれる「ほんたう」とは何を意味するのか? 生涯を決定した法華経信仰の理念が、独特な自然の把握や倫理に変換された無償の資質と融合する地点に、すべての賢治像の基礎を画定する。」



目次:

第Ⅰ章 手紙で書かれた自伝
第Ⅱ章 父のいない物語・妻のいる物語
第Ⅲ章 さまざまな視線
第Ⅳ章 「銀河鉄道の夜」の方へ
第Ⅴ章 喩法・段階・原型
第Ⅵ章 擬音論・造語論
 付 擬音表・造語表

年譜
テキストおよび参考文献
あとがき




◆本書より◆


「第Ⅰ章 手紙で書かれた自伝」より:

「宮沢賢治の生涯は、ひとなみにじぶんを公けに意味をもった存在に仕上げたいという思春期のはげしい願望からはじまって、いくつかの挫折を経たあと、じぶんが公けに意味をもつひととして振舞うのを透明に否定しきるような場所へ超人的な意志でたどっていった過程であった。」


「第Ⅳ章 「銀河鉄道の夜」の方へ」より:

「「あらゆるひとのいちばんの幸福」をどうやってもとめたらいいのかというジョバンニの問いにたいして、「わたしもそれをもとめてゐる」途次だとことわって、ブルカニロ博士はすくなくともふたつの大切なことを答えている。
 ひとつは、すべてのひとはみんな、めいめいがじぶんの神さまが「ほんたうの神さま」だという。でもほかの神さまを信じている人たちのしたことでも、涙がこぼれて同感することができるし、それはありうることだ。またわたしたちはみんなじぶんのこころがいいとみなして、おまえのこころはよくないといい合ったりして議論することがある。だがいいわるいはめいめいの信じている神さまを基準にしているために、勝負はつかない。だがもしおまえが「ほんたう」に勉強して実験でちゃんと「ほんたう」の考えと「うそ」の考えとを分けてしまえば、その実験の方法がきまってくれば、信仰も化学とおなじようになる、ということだ。
 もうひとつある。博士の考えでは、じぶんというこの身体も、じぶんの考えも、汽車や博士や天の川やすべてのひとたちとおなじように、ただそう感じているからそう存在しているだけだ。べつなように感じればべつなように存在するし、そうかんがえてゆくと地理も歴史もそう感じられるからそうだというだけだ。だからおまえが「あらゆるひとのいちばんの幸福」をかんがえるばあい、ただそう感じているからそう存在している諸々のきれはしの「はじめから終りすべて」にわたるようでなくてはならない。でもそれは難かしいことだから、すべてにわたらなくても、そのときだけの解決でもいい。博士はジョバンニにそう語る。」
「信仰者としての宮沢賢治は、この「ほんたう」や「いちばん」を法華経に帰依し、それが開示している真理にはいって、それを実行することだとじぶんに言いきかせたように、ひとにじかに説きたかったのかもしれない。(中略)だがなぜそれを「ほんたう」や「いちばん」の幸福、神、倫理だと直指できないで、同義語を解明するために同義語をつかうという循環を出ようとしなかったのか。その理由のひとつは「ほんたう」や「いちばん」が可能になる必須の前提が「ほんたう」や「いちばん」が「ほんたう」でないもの「いちばん」でないものよりも、下位にあることを認識していることだ。そんな背理を、賢治がじっさいに知りつくしていたからだとおもえる。実態をあいまいにしたかったのでもなければ、直指を避けたわけでもなかった。それが賢治の信をほかのすべての宗教者からわけたものだった。それはかれの願いの有償性を包みこんでゆく無償性の核心だった。」

「ジョバンニはどうして北海の冬のあれた海で漁船にのって働いている人たちに、「ほんたうに気の毒ですまないやうな気がする」のだろうか。一生けんめい働いても働いた分を搾りとられているのに、それに気がつかない人たちだからではない。一生けんめいに働いていて、働いているそのことに何でもない人たちだからだ。働くことでお金を稼いで生活を養おうとしているからではなく(中略)、働くことに無意識な何でもない人たちだからだ。もっとつづめてしまえば何でもない人たちだからだ。(中略)宮沢賢治もたとえば蟹工船で働いている漁夫や労働者の存在をしっていた。それを近代の社会思想がどう位置づけ、どうかんがえるかもしっていた。しかし宮沢賢治の理念はすこしそれとはちがうところを固執していた。何でもない人を、善を行うことにおいて、逆境にあることにおいて、無意識な人としてみていた。何でもないということは大切なことで、無限の報酬に値する。いいかえれば菩薩に値する、というのは宮沢賢治の大切な理念であった。」
「こんなふうに「何でもない人」は、じぶんが無意識に何でもなくやっている無償や善や生活を、何かの光線や視線から照射されてかがやきをもったときは、そこから光源や視線のはじめにたいしひとりでに意識された光線や視線をおくりかえさなくてはならない。また自然にそうなるはずだ。たぶん宮沢賢治は、この「何でもない人」から照射された光線や視線を、光源や視線のはじめに照らしかえす行為が〈信仰〉のあり方であり、また〈信仰〉と一致できるばあいの芸術のあり方とみなしていた。」
「「マリヴロンと少女」と「めくらぶだうと虹」は、同原異稿の枝わかれ作品だ。そのもとのところは、ここで重複しているモチーフにある。「めくらぶだうと虹」では、地をはう低く動けないめくらぶだうと、空の高みにかかるきれいな虹のあいだにうらやましさが交換される。束の間のいのちしかない虹が、めくらぶどうのいのちの永さをあげ、ひくく地面をはうめくらぶどうは高く空にかがやき、草や花や鳥がたたえる虹の姿をうらやみ、いっしょにいきたいとうったえる。だが虹はそれにこたえないうちに消えかかる。この等価という理念は「マリヴロンと少女」では、虹は声楽家のマリヴロンに、それをあこがれ尊敬する少女がめくらぶどうに移されて、おなじ構造になっている。
 「マリヴロンと少女」の少女は、あすアフリカへ行く牧師の娘で、「祭の晩」の山男や「銀河鉄道の夜」の鳥捕りとおなじ系列の「何でもない人」に属している。そして「マリヴロン」は至上の尊敬を「何でもない人」たちからうけている声楽家(芸術家)である。もっと話をつきつめて凝固してしまえば、衆生と菩薩のすがたになぞらえられる。ここでは「何でもない人」のほうから、信仰の対象にも値するような菩薩の化身にたいしてささげられる無上で、また無償なうやまいの在り方が描かれている。(中略)マリヴロンはじぶんと少女のような「何でもない人」とはおなじだと少女にいう。なぜならば「正しく清くはたらくひとは」だれでも「ひとつの大きな芸術を時間のうしろにつくる」ものだからだ。ただ「何でもない人」は、もしかするとそれをみないし、みえないかもしれないが、じぶんはそれをみるし、みえる。マリヴロンが何かであり、少女が「何でもない人」のひとりだとすれば、その差異はたったそれだけだ。「おんなじやうにわたくしどもはみなそのあとにひとつの世界をつくって来ます。それがあらゆる人々のいちばん高い芸術」なのだ。
 少女はマリヴロンの考えを納得しない。「あなたは、高く光のそらにかゝり」「すべて草や花や鳥は、みなあなたをほめて歌」う。だが「わたくしはたれにも知られず巨きな森のなかで朽ちてしまふ」と少女はマリヴロンにいう。現に眼にみえる世界で、マリヴロンは人に目指される高みにいるし、じぶんは人の眼のふれないところで生涯をおえてしまう。それだけ差異があるのではないか。マリヴロンのほうはこういう少女の考えを逆に肯定しない。眼にみえる世界で、うわべだけでは差異とみえるものには、「ほんたう」は差異としての意味がない。ひとつの光源が世界にあって、そこから照射される光線でみれば「すべて私に来て、私をかゞやかすものは、あなたをもきらめか」すし、「私に与へられたすべてのほめことばは、そのまゝあなたに贈られ」るものだ。少女はそれでもマリヴロンの言葉を納得しない。たしかにマリヴロンをとりまく視線や光線は、にぎやかでかがやかしくみえるし、じぶんの周辺には乏しい視線や光線しかないようにみえるからだ。そこで少女はマリヴロンに「私を教へて下さい。私を連れて行ってつかって下さい。私はどんなことでもいたします。」と訴える。
 ここでマリヴロンにはもうひとつたいせつな考えがあらわれる。それは「いゝえ私はどこへも行きません。いつでもあなたが考へるそこに居ります。すべてまことのひかりのなかに、いっしょにすんでいっしょにすゝむ人人は、いつでもいっしょにゐるのです。」という理念だ。よく気をつけて読むとこの言葉でマリヴロンは、作者によってスムーズに芸術から宗教のほうへ、芸術家(声楽家)から宗教者のほうへ、また「何でもない人」から作者のかんがえる菩薩像のほうへ移っている。現身のマリヴロンは「わたくしは、もう帰らなければなりません。お日様があまり遠くなりました。もずが飛び立ちます。」といって、歩みさらなければならない。だが菩薩像としてのマリヴロンは、どこへも行かないし、いつでもひとびとがかんがえるそこに存在しているのだ。「うつくしくけだかい」姿に変貌したマリヴロンは、なおつれていってくれ、教えてくれという少女にかすかにわらうか、当惑してかしらをふるという存在に昇華されていく。そしてここが作者がかんがえ、追いつめた差異の自然的秩序だといえる。ここにはあと何がのこされているのだろうか。あるひとつの差異の状態は、往きの視線と還りの視線とでは、あたかもおなじようにそのものの状態はそのものの状態としてみえながら、しかも異ってみえるということだ。往きの視線は、じぶんが不完全な未完の状態からより完全でより完成された状態へむかう視線であり、還りの視線とは極限でいえば完全な、完成された状態から、不完全な未完の状態へ解体しながら近づく視線のことだ。マリヴロンと少女とのちがいは、芸術や生活の見方からするちがいにしかすぎない。マリヴロン自身は、じぶんの状態と少女の状態とはおなじであり、じぶんにやってくる光線は少女にもやってくるとかんがえている。それにもかかわらずマリヴロンと少女との視線は還りと往きとだけ異っているのだ。」














































































吉本隆明 『甦えるヴェイユ』

「ヴェイユはもう何もすることはいらないし、何かしてやれば良くなる対象などこの地上にはなかったはずだ。そしてそのことがとりもなおさずヴェイユの思想の偉大さだった。」
(吉本隆明 『甦えるヴェイユ』 より)


吉本隆明 
『甦えるヴェイユ』


JICC出版局
1992年2月1日 初版発行
1992年3月20日 第3刷
210p
四六判 丸背紙装上製本 カバー
定価1,400円(本体1,359円)
装幀: 菊地信義



本書「あとがき」より:

「この本のもとになったのは大和書房版の『全集撰』の月報のかたちで書きついだシモーヌ・ヴェイユについての覚書だった。それに空白な時期について新しい補稿をつけくわえた。それといっしょに覚書ふうの文体を全体に批評の文体らしく改訂した。」
「宮沢賢治といっしょにわたしをつよい関心でひきつけてきたこの思想に、わたしなりの眺望をつくりおえて、ほっとしている。」



吉本隆明 甦えるヴェイユ


帯文:

「思想の可能性と
資質のドラマのゆくえ!
同時代のいちばん硬度の大きい壁にいつも挑みかかり、ごまかしや回避を忌みきらったシモーヌ・ヴェイユ。初期の「革命」から後期の「神」の考察に至る、その思想の現在性を明らかにする。著者自身を、宮沢賢治とともに最もつよい関心で惹きつけてやまないヴェイユ思想の核心に迫る問題作。待望の刊行。」



帯背:

「シモーヌ・
ヴェイユ像の
全的転回を迫る
問題作!」



帯裏:

「わたしは初期ヴェイユのかんがえを説明しながら、できるだけわからないようにじぶんのかんがえをブレンドするよう試みた。これが『甦えるヴェイユ』という総題にした理由のひとつだといえる。ヴェイユの思想は初期の「革命」の考察から後期の「神」の考察にいたるまで、ひろい振幅をもっている。これは革命の思想をすてて神学にかえっていったという意味を必然ということ以外にはもっていない。革命思想を内在化し、内攻させていった資質の方向に掘りすすんで、神の考察にどうしてもぶつかったといった方があっているとおもう。そこからみれば『甦えるヴェイユ』は『いたましいヴェイユ』といってもおなじだ。シモーヌ・ヴェイユのこのふたつの表情が、ひとつの貌の陰影のちがいだということが素描できていたら、もって瞑すべきだとおもっている。
――あとがきより」



目次:

Ⅰ 初期ヴェイユ
Ⅱ 革命と戦争について
Ⅲ 工場体験論
Ⅳ 痛みの神学・心理・病理
Ⅴ 労働・死・神
Ⅵ 最後のヴェイユ

あとがき




◆本書より◆


「Ⅲ 工場体験論」より:

「ヴェイユの工場体験は、はたからみれば無意味におもえる。だから苦痛も告白も工場システムにたいする批判もおおげさで過大に感じすぎているともいえよう。だがヴェイユにいわせれば義務もないのに苦しみから逃げださないのは、じぶんが受けている苦痛が労働者一般の苦しみと重なっていると信じたからだった。たしかにこれだけの知能が工場を体験した報告にはそれなりの意味があるにちがいない。たとえ普遍性がなくてもそうだ。ヴェイユは泣き言をいっているだけではなくてみるべきものはみているからだ。たとえばおなじ工場でもちょっと場所がかわっただけで地獄と極楽のようにちがうことも、きちっとみているし、同僚や上司にめぐまれただけで職場が地獄と極楽ほどにもちがってしまうことも洞察している。」
「支配と被支配、あるいは管理と被管理がもたらす苦痛と、人格の善や悪が人間関係にもたらす苦痛とはおなじではない。
 ヴェイユはそれをよく知っていたとおもえる。またこれを知っていることは、ヴェイユを神学に近づけた契機をはらんでいたといえなくはない。「ひとつのほほ笑み」「一言の善意」「一瞬の人間的接触」が特権的な人々との献身的な友情にまさる価値をもつことがあるとヴェイユはいっている。」
「ふとしたやさしい行為、たんなる微笑、作業に手をすけてやること、こんなことが疲労や、給料へのおもわくや、圧迫や従属にうちかつことをおしえてくれる。そんなふうにのべている。これらのことはわずかの工場体験だがヴェイユが痛ましさと一緒にうけとったものだから、見掛けのうえで、主観的な思いこみにみえればみえるほど、重大だというべきだ。ここからえた人間の社会的なあり方への認識を、かつては観念のうえでだけやってきた信条と結びつけることができるようになる。
 人間はふたつの範疇にわかれる。「何ものかである」とみられているものと、「何ものでもない」と評価されているもの。そしてあとの者はだんだんそれも当然のように受けいれるようになる。じぶんは「人間を足下に踏みつける社会制度のもとで何ものかと思われているとひとりでに思ってきたが、それを恥ずかしいとおもって抵抗してきた。いまは何ものかであるともおもわないところに同一化できるようになった」というのがヴェイユの工場体験の核心だった。
 ヴェイユの工場体験にはもうひとつ別の面があらわれた。それは自身のからだのこなしの不器用さが、工場の作業場面でぶつかった負い目のようなものだ。病弱な体質、不器用な動作は、すくなくとも肉体労働の場面で屈辱的なおもいを経験する。スピードがおそい、すぐ疲れる。ひとが六〇〇個仕上げるとき五〇〇個しかできない。この体験はふたつにゆきつく。ひとつは「自然的な不平等」、いいかえればうまれながらの肉体の格差はたしかにあるが、この不平等を弱めようとするのは「よい社会組織」であり、不平等を深刻にするようなのは「悪い社会組織」だということだった。」
「ヴェイユの女生徒への手紙は、とてもいいものだ。スポーツをして、機敏な身体のこなしや、筋肉の動きや、体力を獲得すべきだ。(中略)それで健全で明るくなったり、他人を残酷に扱ったり、圧伏したりするためではなく、そんなことはほんとは身体の不器用さや、体力の弱さにくらべて、誇るべきものでも何でもないことを体得するためにだ。(中略)知識をあくことなく獲得すべきだ。それで他人や知的不器用や知的でない大衆を圧伏したり、侮辱したりするためではなく、知識は〈富〉とおなじようにあっても決して恥ではないが、誇るべきほどのものでもないことを、ほんとに体得するためにだ。」



「Ⅴ 労働・死・神」より:

「また「神の体験をもたない二人の人間のうち、神を否定するほうがおそらく神により近いところにいる」というとき、ヴェイユは「善人なほもて往生を遂ぐ、況んや悪人をや」(『歎異鈔』)と説いた親鸞といちばんちかいところにいる。
 「神を否定する人」とは全能の善を否定する人と同義をなすからだ。
 またヴェイユにたびたびあらわれる「すべての意志だけではなく、すべて自分の存在を失いたい」という自己消去の言表は「生きながら死して、静かに来迎を待つべし」(「門人伝説」)といい、「浄土門は身心を放下して、三界・六道の中に希望する所ひとつもなくして、往生を願ずるなり。此界の中に、一物も要事あるべからず。」(「門人伝説」)と説いた一遍のま近にあるといっていい。
 西欧的な信仰のなかにじぶんを消去する伝統があるのかどうか、わたしにはよくわからない。ヴェイユのなかにある古代オリエント思想への傾斜が、ヴェイユの死の思想を、わたしたち遠東人にみえるところまで、ちかづけているような気がする。」

「スピノザは「神」から出発して、人間の理性や情感のさまざまなあらわれの世界をかんがえるが、ヴェイユは人間がかかわれる世界の外側に、人間の能力のとどかない領域をかんがえ、それを「神」の実在性の領域だとみなしている。およそ人間の能力をこえた大規模の善、真理、義があるとすれば、その実在性は、その「神」の領域から舞いおりてくるものだとヴェイユはいう。
 では、この「神」の領域との対比のうえで人間とはなにか、人間的領有とはなにか?

  人間だれでも、なんらかの聖なるものがある。しかし、それはその人の人格ではない。それはまた、その人の人間的固有性(ペルソンヌ・ユメーヌ)でもない。きわめて単純に、それは、かれ、その人なのである。(ヴェイユ『ロンドン論集とさいごの手紙』「人格と聖なるもの」杉山毅訳)

  人格の表出のさまざまの形式であるにすぎない科学、芸術、文学、哲学は、華やかな、輝かしい結果が実を結び、それによっていくつかの名前が数千年にわたって生きのびる、というある領域を構成している。しかし、この領域を越えて、はるかかなたに、この領域とはひとつの深淵でもって距てられた、もうひとつ別の領域があり、そこには第一級のものがおかれている。それらのものは本質的に名をもたない。
  その領域にわけ入った人びとの名前が記録されているか、それとも消失しているかは偶然による。たとえ、その名前が記録されているとしても、それらの人びとは匿名へ入りこんでしまったのである。(ヴェイユ『ロンドン論集とさいごの手紙』「人格と聖なるもの」杉山毅訳)

 これは「人間」にたいするヴェイユの究極の理解と、じぶんの願い、望み、羨ましさを複合した表現にあたっている。もしかするとじぶんの写像とみなしたかったかもしれない。ヴェイユが科学、芸術、文学、哲学といった人間の最高の所産だとみなされてきたものの彼方に、ひとつのべつの領域を暗示しているのは、はじめての、とてもこころよい感じだ。そして人間がそこへ到達できるのは、人格でもなく、人間的固有性でもなく「かれ・その人」であるような存在、直接の自己同等そのものである〈その人間〉だといっていることに驚かされる。そして〈その人間〉はヴェイユのいう「神」と人間との融合同等でもある存在にほかならない。この直接的な自己同等がたどりつく、匿名の世界は、なにも人倫にかかわる意味をもっていない。直接な自己同等の存在としての人間というほかの意味をもたない。」































































































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
 
うまれたときからひとでなし
なぜならわたしはねこだから
 
◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

Koro-pok-Guru
Away with the Fairies

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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