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横井清 『下剋上の文化』

横井清 
『下剋上の文化』


東京大学出版会
1980年5月20日 初版
1999年5月26日 第3刷
iv 218p 口絵(モノクロ)2p
四六判 丸背布装上製本 カバー
定価3,200円+税



本書「あとがき」より:

「これは、さきの小文集(『中世民衆の生活文化』)に相前後して人眼に触れた十一篇に拙い新稿二篇を添えてみたものである。新稿の他は、そのほとんどがいずれも各方面から需められるままにごく気楽にしたためたものであり、その上、(中略)記述内容に重複する点が少なからず、内心忸怩たるところがあるのだが、前著のいくつかの論点に関わる饒舌な「補注」とでもみていただくこととし、敢えてお眼こぼしを請う次第である。」


「復刊 あとがき」より:

「一八二頁所引の横川景三の詩「菖蒲茶 端午」の意味に関する著者の(中略)言説は(中略)誤っており、「重九」は重陽(九月九日)、「五」は端午のことと素直に解すれば済んだことでした。」


口絵図版2点、本文中図版11点。


横井清 下剋上の文化


カバーそで文:

「武悪――ブアク。これは、下剋上の時代を生き抜いた反逆の衆庶の一代表である。狡猾俊敏にして健康、奔放さを支えとおす人情、いやなににもまして血のかよう人間としての面白さ、近しさ。往古には『武悪』の舞台に躍動して観衆の腹をよじらせたはずのこの面は、やがて鬼神面に転用された。さて、これにヒトを見るか、地獄のオニを観じるか――。
(増田正造氏撮影・提供)」



目次 (初出):

第一 民衆文化の形成 (岩波講座『日本歴史』中世3、1976年、岩波書店)
     *
第二 “下剋上”の思想――研究のあしどりと課題 (「歴史公論」3―4、1977年4月、雄山閣)
第三 狂言のなかの民衆像 (『鑑賞日本古典文学22 謡曲・狂言』 1977年、角川書店)
第四 お伽草子のこと (「文学」44―9、1976年9月、岩波書店)
第五 「狂気」のこと――中世民衆史研究の余白 (「伝統と現代」44、1977年3月、伝統と現代社)
     *
第六 清浄と汚穢 (「禅文化」90、1978年9月、財団法人禅文化研究所)
第七 中世賤民の生活――研究史にふれながら (「歴史公論」3―6、1977年6月、雄山閣)
     *
第八 中世民衆生活の断面 (「高校通信 東書(日本史・世界史)」48、1979年7月7、東京書籍株式会社)
第九 町衆の生活文化 (『地方文化の日本史』4、1977年、文一総合出版)
第十 錦繍・合戦・菖蒲茶・戦国 (「風俗」14―12、1975年12月、風俗史研究会)
第十一 「都」文化と「地方」文化 (「地方史研究」28―4、1978年8月、地方史研究協議会)
     *
第十二 料理と味覚――生活文化史の一課題 (新稿)
第十三 いろはと算数 (新稿)

あとがき (1980年春)
復刊 あとがき (1999年4月)
初出一覧




◆本書より◆


「下剋上の思想」より:

「しかしながら、さらに重い課題がたしかにある。「下剋上の思想」を、すでに亡きもの(引用者注: 「亡きもの」に傍点)とみるか否かということだ。「下剋上」の語と、その語を現実に支えとおした意識とか行動とかは、たしかに一三世紀末から一六世紀末にかけての約三〇〇年の「時代」に生き、「時代」を動かしていた。その“意味”を、権力支配への反抗、反逆、反乱と受けとれば、「下剋上」の思想はそののちの「時代」をも底流として貫きとおし、あたかも地下水脈のように湧き上がっては沈み、沈んではまた噴き上げたのだった。いつも弾圧されたとはいえ。
 その地下水脈は、こんにちも私たちの足下の底ふかく、ほんとうに(引用者注: 「ほんとうに」に傍点)流れているのであろうか。かすかな水音はきこえるのであろうか。」



「「狂気」のこと」より:

「さて、ふだん中世の文芸や記録類をみていると、ときおり矢のように眼にとびこんでくるのが「狂者」とか「物狂い」の語である。それは特定の個人のことでもあれば、名もなき衆庶の群れでもあるのだが、いずれにもせよ「狂者」「物狂い」のことは「狂乱」「狂気」のことともどこかでしっかりとむすびつきながら、日本中世の社会や文化の特質を考えようとするさいに、また中世に生きた「人間」をわかろうとするさいに、これまで私たちが馴れ親しんできた発想法とか処理の仕方をはるかに超えたやり方でしか開拓できないような未開の沃野の存在を暗示している。(中略)「狂」と評価されるような事態が日本中世ではいったいどのような形であり、またどのように受けとられていたのか、という点について、これまでの他分野の研究成果に学びつつ考えなおしてゆくことは、日本中世史の研究に、小さくても確かな新視角をもたらすことだろう。」

「精神医学者の小田晋氏による「日本文化史における狂気の概念と実体―〈狂気誌〉の試み」(荻野恒一編『分裂病の精神病理4』東京大学出版会、一九七六年、所収)がある。小田氏は「〈狂気〉の概念が文化的・社会的にいかに形成されてきたかを検討すること」の重要性を主張されて、「日本における民俗学的資料、歴史及び具体的判例等を通じて、本邦における〈狂気観〉がいかなる現象を対象にどのように形成されてきたか、それに対する社会的対応はいかなるものであったかを検討し、その中でいわゆる分裂病的なるものがいかように浮び上り、または浮び上らないかを検討」しようとされている。
 そこで氏がまず注目されたのは「タブレ」という古語であった。タブレの訓を付された文字は「狂」であり、「狂気」に関する用語例のうちもっとも古いこれは『古事記』『日本書紀』にみえている。氏はここから「日本人の心性の古層における狂気観を象徴的に示している」と発想されて「ハレ」と「ケ」に論及し、
 ケ(日常)―労働―素面―現実―平地農耕民―正気(俗)
 ハレ(祭)―芸能―陶酔―山民(漂泊民)―狂気(聖)
という「二極構造」を想定した上で、「この国での〈狂〉のもっとも古い用例がタワムレとの関係をすぐ想定させるタブレであることは、この〈ハレ〉の時空間と、〈ケ〉の時空間の境界の崩壊、そのケジメのつかなさが個人にタブレビトのレッテルを貼ったことを暗示している」と推察されているのである。
 これにつづいて氏は、「憑依と信仰の時代」としての中古・中世へと視点を移し、宗教妄想についてのミシェル・フーコーの所説にも論及しつつ、「本邦において、宗教が素朴なアニミズム、シャーマニズム的段階から、外来の高等宗教である仏教の段階へ変遷する時期と、狂気が〈タブレ〉から〈モノグルイ〉へと変遷し、超自然的存在(もの)の憑依が精神障害(のみならず多くの身体病)の本質であると語義的に(引用者注: 「語義的に」に傍点)表示される時期とが重なっていることは、注意しておく必要があろう。すなわち、信仰に対する素朴な自然的態度の喪失が中世における〈病い〉としての宗教妄想の析出に貢献しているのではなかろうか」(傍点=原文のまま)として、「中世においては、超自然的他者の憑依が、心身両面への侵襲として、モノツキ→モノグルイ→クルヒヤミを生み出すものと考えられた」と指摘されている。」
「ただ一つ、氏が「現実認識の歪み」である「幻覚、妄想」と並ぶ「もうひとつの狂気の重要な徴候」としての「社会的生産への参加の意欲の低下(無為)」にも注目して、「中世末期のお伽草紙、説話の『物臭太郎』『三年寝太郎』などはムラ共同体の厄介ものとして社会的労働に参加せず、無為の生活を送っている者たちが、結局、幸運と機智に恵まれて〈長者になる〉ことを述べ一種の無為の賛歌を奏で」たものとみ、「彼らは日常性と労働の中に埋没しないがゆえに、事態を鳥瞰し〈先を見る〉まなざし(引用者注: 「まなざし」に傍点)を獲得したと考えられたのである」(傍点=原文のまま)と述べていられる点に、とくに注意をうながしておきたいと思う。
 「タブレ」から「モノグルイ」へと、古代→中世をおってきた小田氏は、近世(引用者注: 「近世」に傍点)に対応する「狂気」の用語例として「キチガイ」「乱心」「畸人」をとりあげられている。氏は、精神病者をさす主要な用語としてこの「キチガイ」の語が「選択」されたのは中世末~近世にかけての段階であったと推定し、「気」を心にとめて「宋学(理気の学)が南北朝以後一般に影響を及ぼしはじめた後」に「キチガイ」の用例が一般化したのではないかと指摘されている。」
「小田氏の「狂気」論は、けっきょくのところつぎのような形で集約されている。
 〔狂気の認知の移り変わり〕
 古代~ 「タブレ」――共同体における時空間の構造、あるいはシステムとの関係において析出している。
 中世~ 「モノグルイ」――超自然的他者との連関において認知されている。
 近世~ 「キチガイ」――もっぱら個別対人関係において生じ、疎外・排除の過程が進行。
 近代~ 「神経病」「脳病」――近代精神医学の移入、診断による認知と隔離・監置。」
「なおさらに付言すれば、とくに近世についての考察にあたっては「狂気・乱心」の者に対する疎外・排除が進行した背景として、貨幣経済の浸透、後期封建制的管理社会化、町人社会の成立、都市生活の拡大といった顕著な現象をみようとされている点、また「キチガイ」という蔑称と、「畸人」という「半ば畏敬の念をもった呼称(引用者注: 「半ば~」に傍点)がこの時代には並存した」(傍点=横井)ことを指摘されている点とをあげておきたいと思う。」

「国文学者北川忠彦氏の「狂言の忘我性」(天理大学国文学研究室『山辺道』第二〇号、一九七六年、所載)があって、狂言の「狂」の字に示される世界について興味ぶかい所説を展開されている。北川氏の基本視点は「中世」を「『狂』―忘我―という観点から」根本的に見なおすところにあり、それが「幽玄」というもので割り切られやすい中世文学の世界の内にあえて「非幽玄」の要素を明らかにして行く意欲につながっているのである。氏の考察では、「狂」の訓の一つに「ウカレ」(“うかれる”のウカレ)というのもあり、「狂」のなかには狂言綺語=こっけいなことばの芸につうじる要素のほかに、舞などで表現されるような「我を忘れてうかれ狂う」要素があった。この要素は演劇のなかだけではなくて「中世庶民に通ずる時代風潮のようなものであったらしい」。能においても物狂いとして表現されたが、「我を忘れて物に狂う忘我境」が「面白づく」のものとして喜こばれた。その物狂いの状態を示すのに「遊び戯れ舞ひ歌ふ」という詞句がみえ、同じことばが音曲歌舞を表わすものとして『平家物語』や『太平記』にもみえているが、「ひとへに狂人のごと」しといわれた一遍の踊念仏が同時代のものであったことも考えあわせると、「遊び戯れ舞ひ歌ふ」=物狂いの境地は室町時代の時代風潮的なものともいいうるのではなかったか。
 おおよそ以上のとおりである。」

「「狂気」のことをめぐって思いめぐらしてきたあと、けっきょく最後のところは自分も深くかかわる(中世の)民衆史研究と「狂気」のことに言いおよばねばならない。たしかに中世の記録類を繰っていると、いくども「狂気」としか表現しようのない現象が姿をみせ、思わず固唾を呑むことがある。とりわけても中世民衆の動勢をおってゆくさい、個人の行動であろうと集団的行動であろうと、いくつもの型と質の「狂気」の沙汰が出現し、しかもそれが事態の局面の打開にむけて軽視しがたい現実的な役割、力量を発揮していたらしいことを知る。闘争に祭礼日に、そして印地(いんじ)の合戦に妻敵討(めがたきう)ちにと、おりにふれては噴出する「狂気」の沙汰の数々は、あらゆる“合理”的解釈はすべてこれを排除しかねぬ勢いで、数百年後の「現代」へと迫り直してくるのである。そうした「狂気」の沙汰がその「時代」においてもっていた意味とか重みとかを、まともにこちら側が受けとめえなく(引用者注: 「えなく」に傍点)なってしまっているのは、あらためていうまでもないが、結局は「個」たると「集団」たるとを問わず、「狂気」に身をゆだねた中世の衆庶の“心”にできるだけ深入りしてゆく試みなくしては、中世「民衆」像も「人民」像も完結せぬままに終わるだろう。」
「確実なことだけをいえば、それは原始・古代いらいのこの列島における「狂気」のありようをさらにくわしく、歴史的におい直すことであろうし、またその作業のなかで、フーコーが「一七世紀半ばに、突然、変化がおこった。狂気の世界は疎外の世界となる」(神谷美恵子訳『精神疾患と心理学』みすず書房、一九七〇年、一一九頁)といい、小田氏が「近世日本」では「狂気・乱心の者が疎外・排除されてゆく……」(前掲)と説かれたことの意味を「史料」にそくして具体的に明らかにしてゆく作業がたいせつとなろう。だが、中世民衆史研究にとっては、むろん「差別」「疎外」の存否、ありていということもけっして見すごせないことながら、中世の民衆世界がたしかに保持していたきわめて野性的な素質とも関わりつつ、いわゆる集団的狂気=マス・ヒステリアの具体的状況を、これまでとはちがった新鮮な眼でとらえようと努めるのが重要ではあるまいか。」





こちらもご参照ください:

横井清 『中世民衆の生活文化』 (講談社学術文庫) 全三冊
横井清 『室町時代の一皇族の生涯 ― 『看聞日記』の世界』 (講談社学術文庫)
横井清 『的と胞衣 ― 中世人の生と死』
横井清 『中世日本文化史論考』

佐竹昭広 『下剋上の文学』 (新装版)
守屋毅 『中世芸能の幻像』





































































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横井清 『的と胞衣 ― 中世人の生と死』

「「遊びの歴史」は「芸能史」がそうであるように、「被差別民衆史」と深くかかわらずにはおれません。このこともまた、既往の日本遊戯史が正当に「直視」しえぬことであったのです。」
(横井清 「歴史のなかの「あそび」」 より)


横井清 
『的と胞衣
― 中世人の
生と死』


平凡社 
1988年8月25日 初版第1刷
247p 
20×15.4cm 
角背紙装上製本 カバー 
定価2,200円
装幀: 中島かほる



本文中図版(モノクロ)多数。
本書は平凡社ライブラリー版(1998年)が刊行されています。


横井清 的と胞衣 01


帯文:

「生と死をめぐって
豊かな意味に満ち満ちた
中世の民衆文化
〈毎日出版文化賞〉受賞」



目次 (初出):

一 的と胞衣――中世文化史研究への提言 (日本エディタースクール出版部 「社会史研究」 第3号 1983年11月)
 はじめに
 「的」をめぐって
 いのちのやりとり
 犬追物の蔭に
 胞衣をめぐる隠喩の世界

二 『靭猿』という宇宙――狂言『靭猿』小考 (平凡社 「月刊百科」 第297号 1987年7月/原題 「狂言『靭猿』――中世生活文化史のなかの」)
 主題としての「賤民」対「武士」
 「サル」と「サルヒキ」
 『靭猿』の原像
 「ウツボ」を包む小宇宙

付説 1 皮革と皮的の話 (平凡社 『大百科事典 3』 1987年7月 所収「皮」項に補筆)
 皮革のこと
 「皮製造人」と死刑の業務
 皮的のこと

三 歴史のなかの「あそび」 (山川出版社 「歴史と地理」 第357・358号 1985年5・6月/原題 「遊びの歴史――古代・中世における『遊び』の問題」)
 はじめに
 「あそび」ということば、その意味
 ふたつの世界の架け橋
 「笹の葉、さらさら……」
 竹馬のこと
 的射の周辺

付説 2 「あそびごころ」のこと――中世遊戯史への一視点 (ポーラ文化研究所 「is」 22 1982年9月)
 〈遊戯〉と〈芸能〉の接点
 「あそびごころ」の発現
 〈揶揄〉と〈暗号〉
 〈方法〉の摸索へ

付説 3 「狂人」 (岩波書店 「文学」 第52巻第6号 1984年6月)

四 殺生の愉悦――謡曲『鵜飼』小考 (平凡社 「月刊百科」 第304号 1988年2月)
 主題としての「鵜飼」
 「万劫年経る亀殺し……」
 「面白の有様や……」

付説 4 「不殺生戒」をめぐって (新稿)

五 「鎌」をめぐる連環――狂言・発心入道説話・常陸 (新稿)

六 夢と現の「小法師」たち――『病草紙』断想 (新稿)
 「小法師」のこと
 小法師の「棒」と「頭」のこと

七 説話と差別――中世生活文化史の立場から (桜楓社 『説話と思想・社会』 1986年4月/原題 「中世生活文化史の立場から――説話と差別」 注記を補充)
 考えるのが“しんどい”問題について
 民話のなかの被差別部落と「癩者」
 「糞便」観をめぐって
 おわりに

八 尿乞う人びとと河原者のこと――民衆生活文化史料としての『天狗草紙』伝三井寺巻 (中央公論社 『続日本絵巻大成 19 土蜘蛛草紙・天狗草紙・大江山絵詞』 月報18 1984年4月)

付説 5 「カワラ」 (岩波書店 「文学」 第52巻第5号 1984年5月)

九 触穢思想と中世――部落差別意識との関連において (解放出版社 『宗教と部落問題(続)』 1985年9月)
 はじめに
 ケガレの理解をめぐって
 キヨメ・エタをめぐって
 おわりに

付説 6 中世史研究と部落問題 (京都部落史研究所 「こぺる」 第90号 1985年6月/原題 「中世に生きる人びと――連載の完結に寄せて」)
 長い道程
 被差別部落史と「呪術」の問題

十 庶民の知恵――中世教育史研究への提言 (第一法規出版株式会社 『講座・日本教育史 1 古代/中世』 1984年4月/新たに副題を付加)
 問題の所在
 「故事」と「謎」
 「知恵」の体得

付説 7 中世人の心 (角川書店 『増谷文雄著作集 第9巻』 月報 1982年6月)

付説 8 烏の声、弓弦の音――「音声」への関心に寄せて (平凡社 「月刊百科」 第310号 1988年8月)

後記

初出一覧



横井清 的と胞衣 02



◆本書より◆


「的と胞衣」より:

「民俗の流れの中には産育にかかわるしきたり・行事が多岐にわたって存し、(中略)この胞衣のあと始末の仕方は、それ自体が私たちの祖先の“生命”に対する態度の一環でもありました。「胞衣納(おさめ)」と総称されるものがそれなのです。」
「随行者の列には河原者数名が加わっていて、穴を掘り、胞衣を納めた胞衣桶の入った壺を土中に埋め、小さい松を上に植える作業に従事していたのでした。」
「では、なぜ「河原者」だったのか。「胞衣」を汚物とのみ見、それを捨て去る営みだったとのみ観じてしまうことは、いくら鈍感な私にも最早不可能事となりました。この一点は、私の中の河原者史に重要な一石を投じてくれるのです。「松」を植え込んでいるあの河原者たちの姿にも、山水(庭)に慣れた山水河原者の面影を見てとりやすいのは私の癖(へき)によることでしょうが、それはともあれ、汚穢の始末、斃牛馬の処理――その解体(腑分け)から皮革生産にまでいたる作業、さらには山水の造築、そしてこの「胞衣納」の儀礼行為における注目すべき役割をも含み込んでの河原者たちの世界が、あきらかに一つの完結した円をなしつつ実在していたのです。その世界は、おそらくこれまで私が考えてきた以上に多くの隠喩を含有していると思うのです。その隠喩は、日本中世の人びとが共有していた「生命」についての、ある種の認識の仕方にも通底していることでありましょう。」



「歴史のなかの「あそび」」より:

「「あそび」の時と、それから離れた時と、私たちは明らかに“ふたつの世界”を渡り歩いています。(中略)「あそび」という名の架け橋を媒体にしながら、“小さな世界と大きな世界”とを行き来しているように思います。(中略)ここで、“小さな世界”というのは、目に見えた、日常の、なまの世界であり、“大きな世界”というのは、目に見えない、非日常の、観念の世界として広がっている世界なのです。「あそんでいる時」、人の心は、まるごと後者の世界に住んでいるのです。そして、その世界は確実に実在しています。」
「「遊びの歴史」は「芸能史」がそうであるように、「被差別民衆史」と深くかかわらずにはおれません。このこともまた、既往の日本遊戯史が正当に「直視」しえぬことであったのです。」



「触穢思想と中世」より:

「そして、このキヨメの語は、汚穢・不浄の物の清掃に従事した特定の身分の人々の呼称として、遅くとも平安時代末期の京都では用いられだしていたようである。キヨメルこと、それじたいは、がんらいはキヨメの理念がきわめて重んじられていたのに対応して重視され、その仕事にたずさわる人とて、けっして格別の卑賤視をこうむるものではなかったのが、時代を経るにつれて、身分的に極度の卑賤視をこうむった人びとの専業と化していったらしい。」
「この「穢多」すなわち「清目」が、ケガレの払拭の営みに直接的に関与し続け、それを主たる生業の一としていたことは言を重ねるまでもないが、研究上の一つの大きい問題点としては、彼等とその仕事とのつながりを、本質的にどのようなものとして理解しうるのか、また理解すべきなのかということが、しだいに明確に浮上してきているように感じられる。(中略)いささか強引に筆者なりにいってしまえば、そのようなケガレ・不浄・汚穢等々を一身に吸収しながらもなお立ち、神仏の威力を背に負って清浄の回復を現実の社会にもたらしうる呪術力・異能力を体現する、いわば“破格の存在”として、支配―被支配の政治・社会・文化的諸関係のなかに確固たる位置を占めていたのに、少なくとも十三世紀半ば以降にはケガレの多き者というふうに貴族・寺社社会から見なされることによって、明らかな身分的差別の対象となり、近世初頭を迎えたということになるのであろう。しかし、その間も彼等の保持していた特殊な諸技能は、一面においてはきわめて濃厚な呪術性・異能性を持つものとして眺められたと推察しうるのである。」











































横井清 『室町時代の一皇族の生涯 ― 『看聞日記』の世界』 (講談社学術文庫)

横井清 
『室町時代の一皇族の生涯
― 『看聞日記』の世界』
 
講談社学術文庫 1572

講談社 
2002年11月10日 第1刷発行
2002年12月6日 第2刷発行
418p 
文庫判 並装 カバー 
定価1,400円(税別)
カバーデザイン: 蟹江征治
カバー写真: 『年中行事絵巻』巻三「鶏合」


「本書は、一九七九年十二月、(株)そしえて発行の『看聞御記――「王者」と「衆庶」のはざまにて』を底本としました。」



本書「学術文庫版の刊行に当たって」より:

「今回、学術文庫出版部より刊行されるに当たり、苦吟の末に面映(おもは)ゆいばかりの新しい書名を付したが、中世史料としての『看聞日記(かんもんにっき)』それ自体の分析・研究よりも、日記の筆者である伏見宮貞成親王(ふしみのみやさだふさしんのう)の心性と一期(いちご)とに焦点を合わせきろうと試みた小著には、新しい名のほうが近しいと言えるかも知れない。ただ、旧版に付していた副題(「王者」と「衆庶」のはざまにて)は、私が貞成という人物を自分に引き寄せつつイメージしつづけた際の「鍵」でもあったので、記憶にとどめておいてくださればありがたい。」


本文中図版(モノクロ)多数。


横井清 室町時代の一皇族の生涯


カバー裏文:

「後崇光院伏見宮貞成(ごすこういんふしみのみやさだふさ)親王が綴った『看聞日記(かんもんにっき)』は、室町前期の息づまる政局の脈動をありありと伝える。皇位継承をめぐる皇族間の確執、将軍義教(よしのり)の粛清政治、巷(ちまた)の風聞、宮廷の四季を彩る祭礼・行事・遊びの数々や猿楽・茶の湯・連歌など新しく興隆した芸能文化の様子。波瀾と珍奇に富む多彩な日記の世界を披露しながら嫡男を皇位に即ける念願を果たした筆者の生涯を追う。」


目次:

学術文庫版の刊行に当たって
凡例

伏見の里――序幕
 伏見
  貞成親王と『看聞日記』


 一 薄明のなかの青春
  誕生
  持明院統と大覚寺統
  崇光院と後光厳院
  父と子
  五人の母
  所領と伏見御所のこと
  松の下草・埋木の心境
  三度の瑞夢
 二 義満時代から義持時代へ――「王者」の時代像
  「日本国王」
  後小松天皇の北山殿行幸
  後小松天皇と義満の間柄
  栄仁親王の活躍
  伏見庄の返還と栄仁の帰住
  義持時代へ
 三 同時代の文化人たち
  文化の花々
  『比登理言』
  「無双の上手」の横顔
  世阿弥のこと


 四 宮家嗣立
  元服
  歌に浮かぶ「伏見」
  「武将」への憤りと恐怖
  『看聞日記』の出発
  老いたる父
  名笛「柯亭」
  なごりの法楽
  骨肉の情
  兄と弟と
  治仁王の急逝
  疑惑
  「近臣」の影
  庭田と田向
  我がよのもち月
 五 薙髪への道
  新内侍の懐妊一件
  彦仁誕生の頃
  義円のこと
  「江南隠士」の心境
  「四絃の道」
  宮家興隆の祈願
  大通院建立の頃
  皇室と将軍家の変動
  恵明房夢想のこと
  垣根争いの一件
  親王宣下
  薙髪
 六 遊興の席
  伏見の村々と寺社
  四季の伏見
  花と茶のこと
  伏見御所の連歌会
  御香宮猿楽のこと


 七 『椿葉記』の世界
  彦仁王の浮上
  足利義持の死
  日次記の清書
  『本朝皇胤紹運録』のこと
  彦仁王の践祚
  義教との交渉
  石清水立願
  『正統廃興記』のこと
  後小松上皇の遺詔
  彦仁への訓誡
  『椿葉記』の本意
 八 一庄同心
  湯起請
  伏見の殿原と百姓
  中央の儀
  一揆と弾圧
 九 太上天皇
  京中の伏見御所
  東御方の一件
  太上天皇


 十 日記の終焉
  尊号辞退前後
  幸子の死
 十一 薄暮のなかの余生
  余生
  旅立ち
 十二 好奇の人
  『看聞日記』の特性
  「好奇」の根


後記
伏見宮貞成関係略年譜
『看聞日記』の人びと――人名小辞典
京都・伏見方面略図




◆本書より◆


「すでに述べてきたかぎりででも多少は察せられるように、この貞成という人物は(中略)概して引っ込み思案型で、積極的に事態を開拓していくタイプの人ではなく、「心理」構造も至って重層的であり、自尊心の強いわりには常に直線的言動をあと廻しにしがちであって、何かというと、ぐるぐると渦巻き状に内へ内へと向かう性質であったらしい。それの良し悪しをここでとやかく言い立てようとするのではない。「貞成とは、いったい誰か?」という私と読者とに共通する本書の一課題を提起しておくのにすぎない。その問いは「私は、いったい誰か?」という、人間一人びとりの自己への根本的な問いかけにも相通うものなのだ。」

「たしかに遊び好きの人ではあったが、若年の頃のことはいざ知らず、およそ『看聞日記』に見えるかぎりでは、貞成はほとんど旅らしい旅をしなかった。時たま日記が飛び飛びになる場合があり、すわ、いずくぞへお出かけか!と思い込んでみるが、そうではなくて期待が外れる。せめて一度くらい熊野詣(くまのもうで)でもやってくれていたら……と、旅をしなかった主人公に怨み言の一つも言い立てたくなるのだ。」
「どうもこの人は概して“出不精”な人であったらしい。御所近辺の寺社や草庵を訪れたり、あたりの林野を散策したり、漁を見物したりするか、まれに大決心をして石清水八幡宮に詣でるか、それとも引くに引けぬくらいによほどの必要があって京や嵯峨に足を延ばすか、という程度で、行動半径は広くない。なにしろ、六十歳の年に石山寺へ参詣したのが「壮年」時以来二度目で、琵琶湖を見おろしたら指月庵からの眺望とそっくりだと知り、びっくりしているのだから恐れ入る。しかも日帰りなのだ。」

「たしかにこの日記の有する重大な特性の一つとして、筆者貞成自身の聞(き)き耳(みみ)の鋭さと、記録する精神力とでもいうべきものがあり、その特性は、巷説風聞の類を記しているあたりに際立って躍動していたかに思われる。」




























































横井清 『中世民衆の生活文化』 全三冊 (講談社学術文庫)

横井清 
『中世民衆の
生活文化 
(上)』
 
講談社学術文庫 1848

講談社 
2007年11月10日 第1刷発行
176p 付記1p 
文庫判 並装 カバー 
定価700円(税別)
カバーデザイン: 蟹江征治
カバー図版: 「洛中洛外図屏風」部分
 


横井清 
『中世民衆の
生活文化 
(中)』
 
講談社学術文庫 1849

講談社 
2007年12月10日 第1刷発行
192p 付記1p 
文庫判 並装 カバー 
定価760円(税別)
カバーデザイン: 蟹江征治
カバー図版: 「洛中洛外図屏風」部分



横井清 
『中世民衆の
生活文化 
(下)』 

講談社学術文庫 1850

講談社 
2008年1月10日 第1刷発行
258p 付記1p 
文庫判 並装 カバー 
定価900円(税別)
カバーデザイン: 蟹江征治
カバー図版: 「洛中洛外図屏風」部分
 


「本書は一九七五年に東京大学出版会から刊行された同名の書の第十四刷(一九九九年刊)を底本とした。文庫化にあたり三分冊にした。」


本文中図版(モノクロ)多数。


横井清 中世民衆の生活文化


上巻カバー裏文:

「荘園領主・寺社などの権力による抑圧、「業罰」による病いの恐怖、社会通念としての穢れ、河原者の存在、補陀落渡海による自死……。中世民衆の心象風景である。
のしかかる重圧のなかで、一揆で逞しく抵抗した人々。団結する民衆、公家と武士、そして共同体の間に生きた人々が織りなす下剋上の世を活写し、深く考察する論考。」



中巻カバー裏文:

「検注帳類に見える「除田」とは何か。そこからは荘園領主に対する手工業者の製品寄与、芸能の専門化など分業体制の姿が浮かび上がる。また、軒を並べた都の町の構造と、住居にふりかかる災厄とはどんなものだったのか。あるいは、自然災害や権力に対抗して生きるための戦いはいかなるものだったのか。激動の時代、町と農村に生きる民衆の実相を追う。」


下巻カバー裏文:

「中世封建社会が確立するにつれ、乞食(こつじき)非人・河原者などと呼ばれる人々が卑賤視の対象となってゆく歴史的条件とは何か。農耕を中心的生業とする共同体は外来者への警戒、内部規律の徹底によって結束を強めてゆく。また穢れの観念、物忌み意識の深化が生み出す同一階層内での排除。やがて近世的身分制度に組み込まれてゆく賤視された人々の実相を読む。」


上巻目次:

学術文庫版『中世民衆の生活文化(上)』に寄せて (2007年)
はしがき (1974年)

Ⅰ 民衆文化の振幅
 第一 心象の中世民衆
   一 序に代えて
   二 民衆の心をどう捉えるか
   三 呪縛と触穢・吉凶
   四 河原者のあり方をどう見るか
   五 補陀落渡海のこと
   六 結びに代えて
 第二 下剋上の文化――民衆思想の底流を求めて
   一 下剋上の理――序に代えて
   二 寄合の精神
   三 落書の世界
   四 解脱の渇仰
   五 現世の寿祝――結びに代えて
 第三 庶民の遊戯――あそび・生活・社会
   一 四季おりおりの戯れ
   二 印地ごのみの精神的風土
   三 数とり遊びの社会的背景
   四 賽目に浮かぶ庶民の相貌
   おわりに
 付論1 中世文化研究の動向寸見
   一 北山・東山文化研究の現状
   二 民衆文化研究の問題点
   三 芸能史研究における「寄合」の観点
 付論2 遊戯と浄土――『梁塵秘抄』を素材として
   一 森羅万象はただ遊戯
   二 ゆげ(遊戯)
   三 調和と野性と
   四 花の園には蝶小鳥
 付論3 無頼の装い、風流の意匠

成稿一覧



中巻目次:

学術文庫版『中世民衆の生活文化(中)』に寄せて (2007年)

Ⅱ 民衆生活の起伏
 第四 荘園体制下の分業形態と手工業
   一 検注帳記載様式の一特質
   二 給免田と荘園体制
   三 在地手工業の一、二の問題
   四 浮遊労働力をめぐって
 第五 室町時代の京都における町屋支配について――中世民衆思想史への試みとして
   序
   一 京都の景観認識の再検討
   二 町屋・町区画ならびに町屋処分をめぐる住民の意識
   結
 第六 生きるためのたたかいと規律――中世末~近世初頭民衆史の断面
   一 生きるためのたたかい
   二 共同体の規律
 付論4 中世民衆史における「十五歳」の意味について
   一 転形期の認識
   二 「署名能力」ということ・「責任能力者」ということ
   三 室町幕府・戦国大名の見解一斑
   四 村落イメージの“若がえり”を
 付論5 角倉了以――民衆史のなかの豪商
   一 角倉
   二 角倉船
   三 高瀬舟
   四 最期

成稿一覧



下巻目次:

学術文庫版『中世民衆の生活文化(下)』に寄せて (2007年)

Ⅲ 差別と触穢思想
 第七 中世における卑賤観の展開とその条件
   一 はじめに
   二 卑賤観の状況的考察――乞食非人をめぐって
   三 卑賤観の史的推移――穢多・河原者を中心に
   四 卑賤観の条件
   五 卑賤観の定着――結びに代えて
 第八 中世の触穢思想――民衆史からみた
   一 触穢ということ――序に代えて
   二 社と内裏
   三 穢土と穢身
   四 屠家の苦悩
   五 清浄の回復
   六 支配と触穢
   七 結びに代えて
 第九 中世民衆史における「癩者」と「不具」の問題――下剋上の文化・再考
   一 差別――序に代えて
   二 中世社会における「癩者」と「不具」の位置
   三 「癩者」と「不具」とに対する差別観念の一源泉としての仏教思想
   四 民衆文化の研究と「癩者」「不具」の問題――下剋上文化論の“壁”
 付論6 「河原者」の定義と「散所」研究の動向
   一 「河原者」の定義
   二 「散所」研究の動向
 付論7 鈴木良一著『応仁の乱』にみる「人民」「よけいもの」観についての感想
 付論8 河原者又四郎と赤――民衆史のなかの賤民
   一 「又四郎」の名をめぐって
   二 延徳二年の北野社炎上一件
   三 「赤」のおもかげ

あとがき (1975年)

成稿一覧
索引




◆本書より◆


「庶民の遊戯」より:

「印地というのは石合戦(いしがっせん)、つまり「飛礫」の戯れであった。」
「印地という一つの「遊戯」をめぐって表現された「狂気」の状況は、いったいどのような歴史的意味を含んでいたのであろうか。考えてみれば、印地というのは、それを得意とした隷属民たちによって担われていたにせよ、また町人や農民を包括していたにせよ、それ自体が中世庶民の大らかさ、たくましさの表現であったといえるだろう。敏捷に身を運び、腕をふるっていた庶民たちの心には、激しい闘争意欲とともに、烈日のもとでの大らかな解放の喜びが唸(うな)りを立てて炸裂する。民衆が二つに分かれて傷つけ合う「野性」がその本領だったが、散開するまでは、矢を射かけてでも侍所の軍勢の介入をはばむに値する、彼ら自身の世界がそこに開けていた。たった数刻のことだったけれど、「権力」の立ち入ることのできない世界が成立していたのだといってよい。敵の礫をかわしつつ、敵中に礫を打ち込む時、おそらくは彼らの精神の内から、ある何かが打ち払われていったに相違ない。傷つき倒れても行うに値する行為であった。」



「生きるためのたたかいと規律」より:

「ところで、民衆の共同体規律をつらぬく一つの特徴に、外来者への警戒があったことはすでに説かれている。親類・縁者・知己の類ではなく、乞食・非人など浮浪の民への警戒心の働きである。中世末期の村落について、閉鎖性をのみ強調するのは必ずしも当をえないであろうが、そのような外来者への警戒心が共同体成員個々のなかに発しざるをえない社会情勢であったことはじゅうぶんに理解される。社会の動きは共同体の結束の強化を要請していたし、強化された結束の力は「領主」権力への“反抗”に発現するとともに、見知らぬ外来者の疎外となっても現われたのである。」
「そのような漂泊・流亡の民は、天災・飢饉・戦乱の連環と、領主の誅求・追放―欠落などでつねに大量に生みだされていたであろう。彼らをさすらいの生活へと追いこむについては、固い自律性をもって機能していた民衆の「共同体」も、大いにあずかって力があった。」



「中世における卑賤観の展開とその条件」より:

「近世初期においてすでに存在の確認される数多くの農村部落の源流は、一つには惣的結合の一般的展開期における、村落共同体からの被疎外者たちの集住化=全く別個の村落共同体の形成という傾向に求めることができるとみて、大過ないのではあるまいか。」
「そして、一般民衆のなかにまで浸透した卑賤の観念もまた、その段階において、これまでのように常に浮動しているさまざまな隷属民・浮浪人たちに漠然と向けられていたのとは異なり、明確に一定の地域的認識を伴って、急速度に集中してゆくように思われる。ここにおいて、民間における差別観念、とくに卑賤観ともいうべき特殊な身分的差別の観念は、人々の脳裡に一定の、極めて明確な“対象集団”のイメージを伴いつつ定着したのであった。しかも忘れてならないことには、その観念は前代からのさまざまな形態の卑賤観を承けつぎながら、あくまで中世農村における村落共同体的諸関係の中で育まれ鍛えられたのであり、また定着したその時から、差別と被差別の問題は封建的村落共同体間の問題として働きはじめたのである。」



「中世の触穢思想」より:

「まことに、「神」「天皇」を結んで古代に完成したはずの触穢の思想は、「服忌によっても禊祓によっても払拭できない穢」という認識と融合し、現実社会、身分秩序の中に「えた」を位置づけてゆくことで、またそれを穢の一大発源母胎であるかのごとくに人びとに認識させてゆくことで、一つの「円」を完結したのであろう。「濫僧(らんそう)」とあわせて「屠者(としゃ)」が神域を遠ざけられたことは「古代」にさかのぼるが、その群を穢にみちたる者と認識する差別思想が確立したのは「中世」でのことであった。私はその歴史的な要因の一つに、浄土思想の浸透ということを置いてみたいと思うのである。」
「浄土思想が彼らの「救済」の道をはっきりとさし示して希望の光明を灯しつつ、同時に「屠家(屠者)」自身に「内なる穢」を深く自覚せしめた、と考えられるとすれば、そのことの意味は、民衆すべてが統一政権によってがんじがらめにされる「近世」への見通しの上でもたしかに重い。「屠者」に独自の「内なる穢」、などというものがあったはずもないのに、「屠者」自身の思いすらもがそこに至らざるをえなくするような歴史的路線は、たしかに「中世」が固めたものである。」



「中世民衆史における「癩者」と「不具」の問題」より:

「「癩者」と「不具」とは、ながい歴史のなかで、「五体健全」者たちが差別の視線で四六時中包囲しつづけることによって、差別の極地にしばりつけたものである。「癩者」には困難な病因と病状とがはっきりとあったし、「不具」もまた「五体健全」者たちの視線の渦から身を解き放つことはできなかった。そして、そういう差別からの、ほんとうの意味での解放は実現できていない。」

「今更ながらの言ではあろうけれど、「片輪者」を嘲笑し、翻弄する狂言の世界も、差別観念の有力な「回路」の一環であった。」

「民衆の「一体性」幻想は、ながらくこの方面の研究の深化を“抑制”した。民衆内部の矛盾・対立・分裂の実相、とりわけて「差別」の「問題」に深く関わっての実相を丸づかみに日ざらしにすることは、よくいえば「差別を万一にも助長することがあってはならない」という良識(中略)の上に立って、あるいは、皮肉まじりにいえば「やっかいなことになりやすいから避けるが無難」という如才なさの上に立って、いずれにせよ“抑制”されたのである。民衆がつねに一体だという幻想を(現実はそうではなかったし、そうではないとはっきり知っていながら)、研究者がたがいに分かち合うことで「無難」な道が保証されたといっていい。「生きぬくこと」をめぐって、「差別」に深く関わりつつ実在した血みどろの「内部対立」を直視すれば、たんに村と村との境相論や水論などという、さしずめ研究者じしんが人間として手傷を蒙ることもない程度の「民衆内部の対立」の分析・評価に足をとどめることが、いかばかり優雅であり、気安いことであるかをあらためて知る。
さらにこの点について注目すべきものとして、永原慶二「富裕な乞食」(中略)の一文があり、『今昔物語集』の二、三の説話を素材としながら「民衆社会内部にしみわたった差別意識の根深さ」を指摘するとともに、「民衆意識の底にひそむ差別観の本質を見きわめてみることは、さしあたりぜひともとりくんでゆく必要のある一問題ではなかろうか」としているのが重要である。」





こちらもご参照下さい:

網野善彦 『中世の非人と遊女』 (講談社学術文庫)






























































横井清 『中世日本文化史論考』

横井清 
『中世日本
文化史論考』


平凡社 
2001年6月25日 初版第1刷発行
302p 
A5判 丸背紙装上製本 カバー 
定価4,000円(税別)
装幀: 小泉弘
カバー図版: 『西行物語絵巻』(萬野美術館蔵)より



本書「はしがき」より:

「一九七四年末から近年までに人目に触れた十六篇に新稿六篇を添えて、三部に分けた。」
「Ⅰ部には、かねてより日本中世の人びとの心の動静にかかわる問題に関心を寄せる中で、好機を得ては産まれていたものを収める。」
「Ⅱ部には、『平家物語』研究史料に関する旧稿をはじめとして、『太平記』研究関係のものも収めるが、いずれも、いわゆる文学・文学史研究であるはずもなく、その周縁部に立つ微細な仕事にすぎない。(中略)ともあれ、己の関心を離れぬ些末事に拘泥してみる作業もいつの日にかは学問の大道へと繋がる小径を得るのだと自らを励まして、それらを思い切って再録した。」
「Ⅲ部には、自分好みの話題幾つかに加えて、ご生前に由縁を得た方々のお仕事に関する発言を長短問わずに併収した。」



本文中図版(モノクロ)21点。


横井清 中世日本文化史論考


帯文:

「〈文化史〉を照らし出す試み
望遠鏡のようにはるか遠くまで歴史を見通し、顕微鏡のようにこまやかに
史料を読み抜く言葉が、〈文化史〉とは何かを問いかける。
日本史研究に独自な領域を開拓した著者の長年にわたる
打ち込みを記録する論考22篇を編む。
亡き同学諸氏への追悼批評を交えた、深みのある一書。」



帯背:

「〈文化史〉
探究の試み」



目次:

はしがき

Ⅰ 中世びとの心を訪ねて
 第一 中世の民衆文化――古代からの継承と近世への伝達
   はじめに
   1 彼岸と此岸
   2 境界の認識
   3 乞食の所行
   4 浄穢と豊凶
   5 福神と打算――結びに代えて
  補説1 「説経語り」に寄り添う心の旅――岩崎武夫著『さんせう太夫考』解説
  補説2 「をかし」の世界を照らす鏡――戸井田道三著『狂言――落魄した神々の変貌』解説
 第二 夢
   1 夢告と参籠
   2 夢の力
 第三 慈円の夢想をめぐって――中世史研究と夢
   はじめに
   1 赤松俊秀氏の考説について
   2 名波弘彰氏の提言について
 第四 夢と涙と――明恵上人の『夢記』にふれて
   1 中世びとの夢
   2 明恵の夢
   3 夢と流涕
 第五 『実隆公記』の伝える「境談」をめぐって
   1 「郷談」
   2 「京へ」か「京に」か
 第六 邦訳『コリャード 懺悔録』の書名の訓について――「さんげろく」か「ざんげろく」か

Ⅱ 軍記物語研究の足跡を追って
 第七 「平家物語」成立過程の一考察――八帖本の存在を示す一史料
   はじめに
   1 僧深賢書状について
   2 僧深賢および関係の人脈について
   3 「後書候事ハ散々なる様」について
   4 「本六帖」と「後二帖」の理解
   おわりに
  補説3 深賢書状紹介後の動向寸見、並びに「普賢延命鈔」紙背消息の補遺
 第八 赤松俊秀遺著『平家物語の研究』について――孤高の金字塔
 第九 「小嶋法師」と「外嶋」について――『興福寺年代記』記事の復権
   要旨
   1 問題の所在
   2 「外嶋は小嶋法師」説の創出と流布
   3 『興福寺年代記』の原本について
   4 『興福寺年代記』では「外嶋」が正解
   5 おわりに――究明を待つ『興福寺年代記』
  補説4 「小嶋法師」「外嶋」の問題をめぐって
 第十 永和三年の『太平記』関係史料の検討――法勝寺執事法眼慶承書状について
   はじめに
   1 「慶承書状」について
   2 「慶承書状」の全容
   3 「花厳院御房」と「慶承」のこと
   4 「不思懸御籌策」をめぐって
   5 「宝荘厳院」および「宝荘厳院差図」のこと
   おわりに
  補説5 再び、法勝寺執事法眼慶承書状について
 第十一 楠正成の自害を報じた「僧朝舜書状」の文言・日付について――豊田武「湊川合戦の一史料」寸考

Ⅲ 歴史の小径、遠い声
 第十二 「一期(いちご)」の認識について――日本思想史学会・平成八年度大会シンポジウムにおいて
 第十三 「供花」にたずさわった人びと――中世東寺の場合
   はじめに
   1 東寺夏衆加入希望者の一件
   2 永享五年供花衆中法度の内容
   おわりに
 第十四 天正遣欧使節と「日本人奴隷」のこと
   1 事実の歪曲
   2 釣魚の巧者たち
   3 在外日本人奴隷のこと
 第十五 守屋毅著『中世芸能の幻像』を読んで
 第十六 宮田登著『ケガレの民俗誌』について
 第十七 林屋辰三郎著『歌舞伎以前』のこと

あとがき
成稿・初出一覧
図版一覧




◆本書より◆


「Ⅰ 中世びとの心を訪ねて」より:

「もともと、やれ夢の、やれ霊告・夢告のなどという類の「問題」は、おおかたの中世史研究者にとってはそれ自体としてはいわば第二義的、第三義的な問題にしか過ぎず、中世仏教思想・信仰史であるとか仏教者の思想であるとかに特に関心を寄せてきていた研究者ならばともかく、それ以外の研究者にとっては、取り立てて論議の俎上にのぼすほどのこともなかった、というのが実相であった。「夢」はとうてい中世史研究上の主要な問題の一つたりえず、研究発展のために取り組みが必要とされる主たる問題は、常に政治史や社会経済史の取り扱う範域の内から見出されたのであって、「夢」を考察の主対象に据えることなどはおおむね文芸・芸能研究の領域での専業と見なされ、その「夢」が時に「政治」「社会経済」に深く連動しつつそれすらをも動かして行く可能性が皆無ではなかったということなど、たとえ赤子の耳垢ほどにも思いやらなかったのである。顧みれば、その点においても至らなかったばかりに、日本中世は何故に中世なのかという根本的な「自問」に対する「自答」を、いっそう遠い処に置き続けてきたのではあるまいか。」
「およそこの「夢」という一語で表わされる現象が、中世の各層の人々の心象にいかばかり濃い影を落としていたか、また、彼らの意志決定や行動様式にもいかばかり強く働いていたか、さらには中世の各種文芸・芸能の世界においてもその「実在感」「役割」をいかばかり生き生きと示すものか――ということになると、専攻分野はそれぞれ異にするとはいえ中世史研究者の誰しもが、いつかは、何かで、そのことに直面し、気に掛かる「体験」をしたはずなのである。筆者とて同列であり、「夢見ること」の意味を中世文化史、中世人の生活文化史の中に問い直して行く作業が、単なる好事家的な関心の域を超え、たしかな手法に支えられつつ進展すれば、中世文化の構造的特質の理解にも少なからず寄与するのではないかと感じてはいたものの、対象(夢)の、いかにも茫漠とした様子、「夢」という一語自体が有する掴み所のない余りもの多義性にたじろぎがちであり、底知れぬ泥沼に首まで呑み込まれ、蘇生の叶わぬ羽目に陥るのではないかと怖れざるを得なかった。別の言い方でいえば、中世史研究者における「夢」の問題認識の必要性――一般的にいえば歴史学界で「夢」などというと、一見、とりとめもないよしなし事か、川面に立ち消えする泡沫のように見られやすいとは今以て思うが、実はそれが歴史学の課題としても軽視しえなかったのではないかという認識の必要性――ということであり、同時に一歴史研究者としての至らなさへの自省なのであった。」

















































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
 
うまれたときからひとでなし
なぜならわたしはねこだから
 
◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

Koro-pok-Guru
Away with the Fairies

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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