ねこぢるy 『ねこぢるyうどん』 (全三冊)

「 《幻想が向ふから迫つてくるときは
   もうにんげんの壊れるときだ》
わたくしははつきり眼をあいてあるいてゐるのだ
ユリア ペムペル わたくしの遠いともだちよ
わたくしはずゐぶんしばらくぶりで
きみたちの巨きなまつ白なすあしを見た
どんなにわたくしはきみたちの昔の足あとを
白堊系の頁岩の古い海岸にもとめただらう
  あんまりひどい幻想だ
わたくしはなにをびくびくしてゐるのだ
どうしてもどうしてもさびしくてたまらないときは
ひとはみんなきつと斯ういふことになる
きみたちとけふあふことができたので
わたくしはこの巨きな旅のなかの一つづりから
血みどろになつて遁げなくてもいいのです」

(宮沢賢治「小岩井農場」より)



ねこぢるy 『ねこぢるyうどん①』

青林堂 2000年11月20日初版発行
122p A5判 角背紙装上製本 カバー 定価1,200円+税
あとがき: 根本敬
挿画・装幀: ねこぢるy



ねこぢるy 『ねこぢるyうどん②』

青林堂 2001年3月23日初版発行/同年4月25日第2刷発行
110p A5判 角背紙装上製本 カバー 定価1,200円+税
挿画・装幀: ねこぢるy



ねこぢるy 『ねこぢるyうどん③』

青林堂 2002年1月30日初版発行
133p A5判 角背紙装上製本 カバー 定価1,200円+税
挿画・装幀: ねこぢるy



駿河屋に全巻セットがあったので、買うつもりではなかったのですが、買ってみました。というか、気付いたら買っていました。
さいきんは、赤信号で渡りそうになったり、ついつい屋上の手すりをのりこえていたり、お釣りだけもらって商品を持たずに店を出そうになったり、逆に商品だけ持ってお金を払わずに店を出そうになったりと、突っ込みどころ満載の日々を送っています。こうなるとあとはもう神さまとか仏さまだけが頼りです。なぜなら人は見て見ぬふりをするからです。

えーっと、なにをしようとしていたんだっけ。


ねこぢるyうどん1


「ねこぢるy」は、山野一氏が、今は亡き「ねこぢる」の画風で描くときの名前です。『ねこぢるyうどん』には、長編まんが一本と、短篇二十八本が収録されています。
本家「ねこぢる」の元祖『ねこぢるうどん』と、まぎらわしいので、気をつけてください。


ねこぢるyうどん4


オールカラーCGまんがです。ねこぢる作品の名場面や、名キャラクターが再登場して、永劫回帰/endless knot の夢のトリップ曼荼羅を繰り広げます。
中心としての「ねこぢる」を探しての、内向的な(そして危険な)螺旋運動の旅です。


ねこぢるyうどん2


本書で活躍する「コロぺた号」というのは、元祖「ねこぢるうどん」では、人がされるとイヤだなと思っていることをあえてする(人が無意識のうちに望んでいることをする)、フロイト心理学的な無意識の形象化でしたが、本書「ねこぢるyうどん」には、「コロぺた号」の「中(なか)」の世界というのがでてきて、それは「やまのかみさま」の説明によると、「あらゆるものは深いとこでつながってる」ということなのだそうで、よくわかりませんが、ユンギアンな集合的無意識というか、チベッタンというか、よりいっそうスケールが大きくなっているようです。

ここで大雑把に「ねこぢる」と「ねこぢるy」との相違ということでいえば、フロイト的(ねこぢる)とユング的(ねこぢるy)ということになるのではないかと思います。あまりテキトーなことをいうのもどうかと思うので、分析とかはしませんが、ねこぢるがフロイト的なファミリー・ロマンス(じつは私は猫の子なのだ)だとすると、ねこぢるyは、「汝はそれなり Tat Tvam Asi」(自己 the self とはすなわち超越的実在 ultimate reality なのである)の境地をめざしているようです。

それはそれとして、フロイトは論文「無気味なもの」で、アンハイムリッヒ(無気味なもの)とはハイムリッヒ(親しいもの)に他ならないと喝破して、女性性器は、人がそこからこの世に出てきたという意味でハイムリッヒだが、それゆえにアンハイムリッヒなものとして認識されるのだといっています。そこから出てきたのに、そこに戻ることは禁止されている、そこに戻ることの禁止によって文明というものが成立している、そういう意味で「ヴァギナ・デンタータ」(歯のある女性性器)の民間伝承は、胎内回帰願望の抑圧の表象であり、原始的・無知蒙昧であるというよりは、高度な文明意識の所産であるといえます。ところが、ユング心理学はそのような「ヴァギナ・デンタータ」の向こう側に、あえて潜り込んでいこうとする、これは文明的に度し難い行為です。
ところで、「コロぺた号」こそまさに「ヴァギナ・デンタータ」ではないでしょうか。そして本書でにゃーことにゃっ太は、こともあろうに、「コロぺた号」の「中」に入ってしまうのです。

そして光速を超え、時間と空間と物質が崩壊した先で(そのように本書には説明されています)、にゃーことにゃっ太は、白度母(White Tara 白ターラー菩薩)に会うのです。

それは「救済」なのです。


ねこぢるyうどん3

ねこまんだら。


内容:

『ねこぢるyうどん①』

「ねこぢるうどん/コロぺたが町にやってくる」
第1回 (「ガロ」 2000年2月号)
第2回 (「ガロ」 2000年3月号)
第3回 (「ガロ」 2000年4月号)
第4回 (「ガロ」 2000年5月号)

ちょーねこ神さま (「ねこぢる通信」 第9号)
ねこ神さまGTR (「ねこぢる通信」 第13号)
ねこ神さま(半ライス) (「ねこぢる通信」 第14号)
偽ねこ神さま・人工ライス (「ねこぢる通信」 第16号)
ねこ神さま/ママライス(かーちゃんごはん) (「ねこぢる通信」 第17号)

「ねこぢるどんぶり」
ロボ工員 (「ラクダス」 1999年5月号)
はたらくおとーちゃんの巻 (「ラクダス」 1999年6月号)
たねうおの巻 (「ラクダス」 1999年7月号)
はやいライダーの巻 (「ラクダス」 1999年8月号)
ライスの巻 (「ラクダス」 1999年9月号)
ホースの巻 (「ラクダス」 1999年10月号)
わかんないの巻 (「ラクダス」 1999年11月号)
クリスマスの巻 (「ラクダス」 1999年12月号)
ヤングの巻 (「ラクダス」 2000年1月号)
おりこうおやこの巻 (「ラクダス」 2000年2月号)

「ねこぢるうどん」
老人の巻 (「ガロ」 2000年1月号)



『ねこぢるyうどん②』

「ねこぢるうどん/コロぺたが町にやってくる」
第5回 (「ガロ」 2000年6月号)
第6回 (「ガロ」 2000年7月号)
第7回 (「ガロ」 2000年11月号)
第8回 (「ガロ」 2000年12月号)
第9回 (「ガロ」 2001年1月号)
第10回 (「ガロ」 2001年2月号)
第11回 (「ガロ」 2001年3月号)
第12回 (「ガロ」 2001年4月号)

にゃんごどん (「ねこぢる通信」 第3号)
にゃんごさま (「ねこぢる通信」 第4号)
にゃんごちゃん (「ねこぢる通信」 第5号)
にゃんごさん (「ねこぢる通信」 第6号)
直子さまと啓一どの (「ねこぢる通信」 第7号)
ねこぢるたまご (「ねこぢる通信」 第10号)
ねこぢるらーめん (「ねこぢる通信」 第11号)
はやいごうかねこ (「ねこぢる通信」 第12号)
パねこンぢVIIラるイス (「ねこぢる通信」 第18号)
アメリカ人のかんさつ (「ねこぢる通信」 第19号)
つるつるうろん (「ねこぢる通信」 第23号)

ねこぢるどんぶり (「ラクダス」 1999年4月号)



『ねこぢるyうどん③』

「ねこぢるうどん/コロぺたが町にやってくる」
第13回 (「ガロ」 2001年5月号)
第14回 (「ガロ」 2001年6月号)
第15回 (「ガロ」 2001年8月号)
第16回 (「ガロ」 2001年10月号)
第17回 (「ガロ」 2001年12月号)
第18回 (「ガロ」 2002年2月号) および描き下ろし



かくのごとく「ねこぢる」世界が継承されていくのはすばらしいことだとおもいます。が、「ねこ神さま」シリーズはもういらないです。つまらないからです。






















































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ねこぢる研究ノート③ 「とうめい」とバートルビー・コンプレックス

「でも自分はやめなかった」 
(ねこぢる)


本日のねこぢる名場面(「たましいの巻」より):

nekojiru tamashii

たましいが半分だけになってしまったにゃーこです。寝ても覚めてもぼーっとしています。非常にいとおしいです。しっこちっこぴゅーしゅー。
きたないうたうたうな。

『ねこぢるうどん』収録「たましいの巻」は、死後の世界に連れていかれそうになったにゃーこを、にゃっ太が助ける話ですが、これと「ひるねの巻」「かぶとむしの巻」はたいへん素晴しいです。ねこぢるのベスト3だと思います。
トラウマまんが「ダメおやじ」(※)を思わせる「かぶとむしの巻」はねこぢるyさんのサイトで読めます。これを読んでびっくりした私は『ねこぢる大全』を買ってしまったのでした。
※ 個人的には、ナンセンス加虐まんがであった「ダメおやじ」が、一転してほのぼの家庭まんがになってしまうことが一番のトラウマでした。
 
さて、
『ねこぢる大全』、いま下巻を読んでいますが、『ねこ神さま』、ギャグが全く面白くないです。ねこぢるにはギャグまんがのセンス(読者の裏をかく、というような)は無かったと思います。社会問題とか男女関係とかが扱われていますが、おそらくそういうことに興味が無かったのでしょう。わざわざねこぢるが書かなくても、この程度の漫画なら掃いて捨てるほどありました。

そういうわけで、今回は、ねこぢる作品にみられる「バートルビー・コンプレックス」という演目でやるつもりだったのですが、なんかめんどくさくなったのでやめます。バートルビー・コンプレックスというのは、なにもしないことを自分の存在理由と感じている人の心の状態のことです。自分の存在をだんだん希薄化していって、最終的には人知れず自分を消すことがバートルビーさんたちの密かな願いです。
みなさんの身近にも、必ずやバートルビーさんが一人くらいは居ることと思います。バートルビーさんたちは現在確実に増え続けています。社会に特に害を与えるわけではないので、みかけたらどうか罵倒の言葉を浴びせたりせずに、温かく見守ってあげてください。

『ねこぢる大全』下巻収録『ぢるぢる旅行記』(インド/ネパール旅行記)は、興味深い作品でした。漫画家のインド旅行記というと、さそうあきら氏の最初の作品集に入っていたのが名作だと思いますが、まあ、名作だとか言っておきながらタイトルすら忘れているわけですが、それはともかく、『ぢるぢる旅行記』は、日本人論だとか、宗教や文化に関する議論とか、人物評とか、同行者との対話が書き込まれていますが、そういうのは凡庸だし要らないと思います。ずっとガンジャやってラリってるだけでもよかったと思います。
「日本もインドみたいな/もっとデタラメな国になっちゃえばいーのにな」
というような放言はいいなと思いました。ある意味ではインドよりも日本のほうがよっぽどデタラメな国だと思いますが。

『ぢるぢる旅行記』にすてきなエピソードが語られていたので、引用しておきたいと思います(引用者の一存で句読点を適宜施しました)。

「このバラナシに、ある日本人夫婦が滞在していたが、ある時、男の方がひどい熱病にかかって死んでしまった。女は毎日泣いていたが、そのうち/頭がおかしくなった。やがて金はつき、パスポートもなくして女は/物乞いになった。インド人にバカにされ、他の同業者にいじめられたが…それでもどうにか生きていた。見かねたある旅行者が日本大使館に連絡したが、見て見ぬふりだった。まあこのよーな状態になった人をなだめたりすかしたりしながら国に送り返すのはやっかいな事なのだろう…/で、それからその日本人がどーなったかというと…誰も知らない…/どこか、よその町に流れて行ったか…/死んだんだろうと思う。その人の望みどおりに…」

なんというか、身につまされます。

下巻は、そういうわけで、さっきのねこ神さまとか、『ぢるぢる見聞録』とか、内容的に荒れている作品が多いように見受けられました。ねこぢるは「強烈に人見知りをされる人だった」と、サエキけんぞう氏は本書収録エッセイ「黒目の透視力」で回想されていますが、そんな人が、急激に不特定多数の注目に晒されるようになれば、心が荒れて当然です。

そんな中で、ねこぢるの夢の記述を元に遺族の山野一氏が描いた「とうめい」という作品が印象に残りました。

にゃーこがある日目覚めると、家の前に橋が架かっていた。どうしても向う岸に行きたくなって、渡っていると、うしろから橋の上を歩いてくる自分と出会う。もうひとりの自分は自分を通り抜け、消えてしまった。
こわくなったにゃーこが来たほうに戻ると、ピエロが現れ、透明になる方法を教えてくれる。ピエロはにゃーこが透明になれるよう励ましてくれるが、友達のにゃすおくんはやめさせようとする。「でも自分はやめなかった…」。ピエロは透明になった男の子を連れてきて、にゃーこも早くそうなれるようにと、オルゴールを演奏してくれた。

橋をわたる、というのは、異界、あるいは死の国へ行くことです。

その橋は「今まで人が通るのを見たことがない」と「夢のメモ」にあるので、カフカの「掟の門」のように、にゃーこ専用の橋なのでしょう。

にゃーこは橋をわたろうと思うが、もうひとりの自分に会う。もうひとりの自分とは何なのか。

もうひとりの自分にあう、というのは、死の予兆である、ということになっていて、芥川龍之介もそのように言っています。

ここでは、にゃーこが橋を渡っていると、うしろからもうひとりの自分がきて、自分を通り抜けて行ってしまう。にゃーこは恐くなって戻ってくる。

橋を渡る、というのを、自殺と考えれば、戻ってくるというのは、自殺未遂です。自殺は未遂におわったが、もうひとりの自分は橋をわたって行ってしまった。

恐くなってこっち側に戻ってきた自分は、社会化された自分、責任感や倫理観にしばられた自分、後から作られた自分であろう。もうひとりの、本来の自分、はじめからこの世にも人間社会にも属してなどいなかった自分は、さっさと向う側にわたってしまった。

周囲の人々からは自分勝手で世間知らずであると思われていたフシのあるねこぢるですが、それなりに社会的な人格を作り上げていたのであろう。ねこぢるは意外と責任感があった、というのは、そのへんの消息をあらわす評言であると思います。そのようにして、自分が、本来の自分と、社会的な自分の、ふたつの自分に分裂した状態で生きてきたので、橋を渡ろうとした時に、社会化された自分は戻ってきて、本来の自分だけが向う側に渡ってしまった。

すると、残された自分はたましいの無い抜け殻だ。そこにピエロ(※1)があらわれて知恵をさずけてくれる。自殺しそこなったのなら、「とうめい」になればいい。人でない人になればいい。いるのにいない人になればいい。

「さっき、自分と逢ったでしょ。そうしたら、あなたは透明人間になれるよ。毎日人のいるところでじっとしていてごらん、自分の体の色が段々うすくなって、次第に、透明になる、それをくり返す内に、この世の人でなくなるからね。ぼくの様にね」
(ねこぢるのメモより)

「自分と逢う」とは、本来の自分を認識することであろう。自分はもともと「この世」になど属していなかったのだから、「この世」に執着する必要はない。「とうめい」になればいい。(※2)

「たましいの巻」では、にゃーこと一心同体であるにゃっ太がいたから、にゃーこには再びこの世に戻ってくる理由があったが、「とうめい」にはにゃっ太はいない。ねこぢるのメモでは「近所の友人らしい人」が「そういうことはいけない」と止めさせようとするが、「友人らしい人」にはにゃーこをこの世に留める力はない。「でも自分はやめなかった」。
「友人らしい人」は、山野氏によるまんが化では「にゃすおくん」になっている。「にゃすおくん」は山野氏自身であろう。


※1 ピエロはアウトサイダーであり、ルナティックであり、この世の人ではない存在です。
※2 あるいはインド哲学ふうに、というか、エリアーデふうにいえば、「とうめい」になるとは、「解脱」した人間がこの世でおのれの「潜在力」を破壊する過程であるともいえます。
「知が人を「目ざめ」の入口に導くとき、解脱はほとんど自動的に得られる。この自己-啓示が実現されるや否や、プルシャに誤って帰属せしめられている知と、すべての他の心理精神的(したがって物質的)諸要素とは、「主人の希望を満たして退く踊り子」のように、プラクリティに再吸収されるために、引き下がり精神から離れる。これが「この世において解脱した者」〈生前解脱者〉の状態である。つまり、その賢者はまだ生きている。なぜならば、彼の業の残りが費されるべくまだあるから(ちょうどつぼが作り終えられても、つぼ作りのろくろの輪はそれまでに得た慣性によってまわり続けるように)。」
「すべてこれらの「潜在力」が破壊されたとき、解脱は絶対的で最終のものである。「目ざめ」の後は彼は私心なく行動し、最後の心的分子が彼より離れるとき、彼は、絶対であるが故に死ぬべきものにとっては未知の存在様態――仏教徒の涅槃のようなもの――を明確に知るであろう。」
(エリアーデ 『ヨーガ①』 立川武蔵訳、せりか書房)
「何らかの形で神秘的修練が進むと、単子(モナド)に育成された者はまず変容し、後になるとめったに肉眼では識別できなくなる。(中略)この眼にみえなくなるという特性が(中略)われわれの単子論に認められていることである。」
(ジョン・ディー 「象形文字の単子」、ピーター・フレンチ 『ジョン・ディー』 高橋誠訳、平凡社)


nekojiru taizen toumei 1
 
nekojiru taizen toumei 2
 
nekojiru taizen toumei 3


このとうめいになる方法は、じつはわたしもやってみたことがあります。三年間続けたら誰からも声をかけられなくなりました。


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E・M・シオラン 『オマージュの試み』
エリアーデ 『ホーニヒベルガー博士の秘密』 (直野敦・住谷春也 共訳/福武文庫) 














































ねこぢる研究ノート⑧ 「ねこぢるうどん(デビュー作)」

ねこぢる研究ノート⑧ 
「ねこぢるうどん(デビュー作)」



子どものころ、「人の目を見て話しなさい」といわれたので、目をそらさずにじーっと見続けていたら気持悪がられたよ。それから人の目を見るのはやめたよ。人と話をするのもやめたよ。
そーいうわけで、ども久しぶり、あたしだよ。夏休みにねこぢる読書感想文を書いたので発表するよ。「研究ノート」とかもったいぶってるけど、よーするにネタバレするから気をつけてねという意味だよ。内実はねこぢるをだしにして自分の書きたいことを書いてるだけだよ。


ねこぢるうどん(デビュー作)


ねこぢる 「ねこぢるうどん(デビュー作)」
初出: 月刊ガロ、1990年6月号、青林堂。


あらすじ:

ねこのうどん屋にねこのお母さんがこねこをくわえてやってきて「一日中うるさくてじっとしてないから去勢しりつをしてください」と言う。こねこは「にゃーにゃーにょーにゅー」と鳴き続けている。うどん屋は「うちは医者じゃないようどん屋だよ」と断わるがねこのお母さんは同じことを繰り返す。双方沈黙のうちに時間が流れる。うどん屋は「ああわかったわかった去勢すればいいんだね」「よーするに金玉を取り出せばいーわけだね」と、まないたに括りつけたこねこの局部に庖丁を突き刺し睾丸を摘出するが、こねこは死ぬ。ねこのお母さんは「先生金玉とれたけど死にましたよ」と繰り返し、うどん屋に詰め寄る。そこに客が入ってきて「ねこぢるうどん」を注文する。うどん屋はねこのお母さんを無視してねこぢるうどんを作りはじめる。


作画について:

雑な絵であるが、心を惹きつけるものがある、いわゆる「へたうま」である。
うどん屋は地平線にうかぶ雲を背景に一軒だけぽつんと描かれているのが「シュール」である。店外には「プロパン」と書かれたボンベが置かれている。店内の時計には「シチズン」と書かれている。客が首にさげたお守りには「水天宮」と書かれている。
ねこのおしりには米印が描かれている。
店内の品書きに、最後の「る」だけ見えてあとはフキダシに隠れているのがあるが、これは「ねこぢる」の「る」であろう。オチへの巧妙な伏線なのかもしれない。


鑑賞:

無責任な母親である。が、それ以上に無責任なうどん屋である。こねこはたまったものではない。


時代背景:

「一日中うるさくてじっとして」いられない子供がいれば、なぜそうなのかを相互理解的に解明し問題を理性的に解決しようと努めるのが理想的な大人社会というものであろうが(現在であれば「発達障害」の可能性を考慮に入れることもできよう)、「うるさくてじっとして」いられない子供すなわち「問題児」は厳しく鍛えて「更生」させよ、という、「よーするに金玉を取り出」して去勢すればよいという考え方が、かつては世間であたりまえのように通用していて(今では考えられない事だが、と、言うことができればよいのだが、今でも似たようなものだろう。多数者が少数者をいじめるという、陰湿な「いじめ」の構造をこそ見据えるべきなのに、いじめ問題は「問題児」のつるし上げにすりかえられつつある)、そうした社会通念のひとつのあらわれが1983年の「戸塚ヨットスクール事件」であった。当時は、「発達障害」者に関していえば、その自然な言動が、あたかも意志による「反抗」であり「反社会的行動」であるとみなされ、集団生活におけるストレス下の一方的な暴力行為(体罰)によって「矯正」することが可能なハシカのようなものであると思い込まれていた時代であり(一般的には「自閉症」が、なったり治ったりするものであると誤認されていた時代である)、一方では困ったことに発達障害者自身が、自分が「反抗的」で「治らない」のは自分がダメだからであり、死んだほうがよいのだという間違った思い込みから自殺(の形をとった他殺)へと追いやられていった。そうしたなかで、発達障害の当事者たちが、いわゆる「プロ」としての没個性的な技術や職業知識を身につけることによって一般に受け入れられようとする形ではなく、生身の、「生のまま」の芸術として、積極的に音楽やアートの分野での自己表現活動を活発化していったのが、ハンス・アスペルガーの研究を引き継いだローナ・ウィングが論文「アスペルガー症候群: 臨床報告」を発表した1981年前後であるということは象徴的である。ローナ・ウィングの前掲論文が強い反響を呼び起こしたのも、世界的な規模での発達障害者に対する迫害が頂点に達していた時期であったゆえであろうと推測できる。1980年代半ば以降、ねこぢるが活躍した1990年代にかけては、そうした表現活動はインディーズ・レーベルやミニコミ誌のみならず、メジャーなメディアにも取り込まれていった。


総合評価:

筒井康隆作品や、赤塚不二夫作品の影響がうかがえる。とりたてて優れた作品であるとはいえないが、作品としての自律性は確立している。
ねこぢる作品のいちばんはじめに、無意味に惨殺されたこねこの存在があるのは興味深いことである。受動的に親と世間によって殺されてしまったこねこは、にゃーことにゃっ太に転生し、積極奇異的に暴れまくることになるのである。






































































ねこぢる 『ねこぢる大全』 (全二冊)

ねこぢる 『ねこぢる大全 上』
The Complete Works of NEKOJIRU

文藝春秋 2008年10月30日第1刷発行
799p 四六判 並装 カバー 定価2,381+税
装幀: 大久保明子



曲がりなりにもねこぢるの全作品を読める点ではありがたい本。曲がりなりにもというのは、青林堂版『ねこぢるうどん2』収録の「□ぬごろしの巻」が本「大全」には収録されていないからですが、それはそれでよいです。しかしながら、根本敬・山野一両氏の対談は別として、諸家の寄稿だのインタビューだのは無い方がすっきりしてよかった。
くだらない作品も多い。「ねこ神さま」なんかにかまけたりしなければよかったのに。ちょっとした余裕さえあれば、たとえば「ぢるぢる見聞録」なんか、武田百合子のエッセイのようにユニークで透徹した作品になっていたかもしれないのに、と残念に思う。


ねこぢる大全01


目次:

ねこぢるうどん
 デビュー作
 かぶとむしの巻
 じでんしゃでゴーの巻
 さばの天ぷらの巻
 いいさかなの巻
 のぐちひでよの巻
 へんなももの巻
 しっこちっこぴゅーしゅーの巻
 大魔道師の巻
 がの巻
 かたつむりの巻
 たんこぶ屋の巻
 川ぞいの家の巻
 ねこさいばんの巻
 たましいの巻
 クリスマスの巻
 かわらのこの巻
 じじいの巻
 やまのかみさまの巻①
 やまのかみさまの巻②
 やまのかみさまの巻③
 ひるねの巻
 やまでらの巻
 こっきょうの巻
 西友の巻
 クンブメーラの巻
 FBI捜査官の巻
 たなばたまつりの巻
 すごいやつの巻
 プリンセスの巻

ねこちゃん
 くそじじいの巻
 ねこちゃん
 やだ虫はの巻

ぢるぢる日記

ぢるぢる御近所日記
  隔離病棟の巻
  団地ファミリーの休日の巻
  七夕祭りの巻

ねこぢるだんご
 のらじじいの巻
 ドライブの巻
 けんかの巻
 あざらしの巻
 たぬきがりの巻
 ぶたじじいの巻

半魚人
かちく
つなみ

ねこぢるせんべい
 かくれんぼの巻
 ジャムパンじじいの巻
 にわとりの巻
 じじいのねがいの巻
 らくえんの巻
 おばけやしきの巻
 おとしものの巻
 けんかの巻
 おつかいの巻
 れいぞうこの巻
 あかしんごうの巻
 ナタデココの巻
 がっこうの巻
 たんかの巻
 ねこざる戦争1
 ねこざる戦争2
 ねこざる戦争3
 ねこざる戦争4
 まんびきの巻
 どろぼうの巻
 100 の巻
 百連発の巻
 おまつりの巻
 ないぞうの巻
 カキの巻
 となりのババアの巻
 ワニの巻
 コンクリの巻
 ガソリンの巻
 超常現象の巻
 バカの巻
 すべり台の巻
 古井戸の巻
 もぐらの巻
 ビンのフタの巻
 きつねの巻
 まむしの巻
 くるまの巻
 スーパーの巻
 さっちゃんの巻
 ロケットの巻
 ガンマンの巻
 ざんぱんの巻
 にゃーことにゃっ太の夏休み 前編
 にゃーことにゃっ太の夏休み 後編

ぢるぢる恐怖体験
ぢるぢるばなし
ぢるぢる新入社員
日記
お正月
もち
ばばあの習性
ぢるぢる4コママンガ

寄稿: 唐沢俊一/福満しげゆき/松尾スズキ
インタビュー: hyde




ねこぢる 『ねこぢる大全 下』
The Complete Works of NEKOJIRU

文藝春秋 2008年10月30日第1刷発行
799p 四六判 並装 カバー 定価2,381+税
装幀: 大久保明子



ねこぢる大全02


目次:

ぢるぢる旅行記
インド編
 第1話 ツンドラ
 第2話 夜行列車
 第3話 バラナシ
 第4話 バング
 第5話 聖地
 第6話 クレイジー
 第7話 盗賊
 第8話 火葬
 第9話 サドゥー・前編
 第10話 サドゥー・後編
 第11話 音
 第12話 ホーリー
 第13話 カースト
 第14話 シンクロ
 第15話 となりの日本人
 第16話 ガネーシャ
 第17話 波長
 第18話 自由
 第19話 とんび
ネパール編
 第1話 ネパール
 第2話 寺院
 第3話 カトマンズ
 第4話 イージーターゲット
 第5話 フリークストリート
 第6話 スワヤンプナート

ねこぢるまんじゅう
 第1話 しろ太とくろ太
 第2話 お金の巻
 第3話 悪い人?
 第4話 お母さん
 第5話 妖怪
 第6話 サーカス
 第7話 いも天
 第8話 いたち地蔵
 第9話 飲んべえ熊
 第10話 きのこ

ぢるぢる昔ばなし
 うらしまにゃ太郎の巻
 シンデレラの巻
 和風ヘンゼルとグレーテルの巻
 養老の滝の巻
 バカずきんの巻
 がぐや゛姫の巻

ねこ神さま

ねこぢるごはん
 ねこぢるごはん
 COMPUTER TUNED
 おつかいの巻
 なまず沼
 おばけ
 にわとり

ねこぢる食堂

ぢるぢる見聞録
 ねこたまの巻
 目黒寄生虫館の巻
 釣りぼりの巻
 サンシャイン・ナンジャタウンの巻
 ミラクル世界猛獣ショー&木下大サーカスの巻
 東京都薬用植物園の巻
 東京タワー蝋人形館の巻
 宝くじドリーム館の巻
 オーラリーディングカメラの巻
 町田リス園の巻
 恵比寿麦酒記念館の巻
 円谷プロダクションの巻
 たばこと塩の博物館の巻
 サンシャイン国際水族館の巻
 めがねの博物館の巻
 ヨーロッパ拷問展の巻
 いぬたま DOG'S TOWN の巻
 多摩動物公園(アフリカ園・昆虫園)の巻
 多摩動物公園(オーストラリア園・アジア園)の巻
 引越しの巻
 明治神宮で初詣の巻
 五島プラネタリウムの巻
 切手の博物館の巻
 原宿ニャンコ村の巻

ねこぢる汁
 知らない人
 マジックマッシュルーム
 ガラス窓

ぢるぢる4コママンガ
ぢるぢるおまけばなし
ぢるぢるねこばなし
ぢるぢるページ

とうめい (作・ねこぢる/画・山野一)
へんないえ (作・ねこぢる/画・山野一)
探偵 (作・ねこぢる/画・山野一)

夢のメモ

寄稿: 中川翔子/香山リカ/サエキけんぞう/しりあがり寿
対談: 根本敬×山野一

主要作品年表 



ねこぢる大全03

カバーを外してみた。





















































































ねこぢる研究ノート⑥ 青林堂版 『ねこぢるうどん2』

ねこぢる 『ねこぢるうどん2』
青林堂 1995年7月20日初版発行/1997年7月25日第6版発行 
146p 四六判 角背紙装上製本 ビニールカバー 本体971円+税


本書には、文藝春秋版『ねこぢるうどん』および『ねこぢる大全』には収録されたなかった「□ぬごろしの巻」が収録されている。


ねこぢるうどん2 1

表紙は見返りにゃっ太。

扉ページは「やまでらの巻」。


「のぐちひでよの巻」
「さばの天ぷらの巻」
「かわらのこの巻」
「がの巻」
「□ぬごろしの巻」
「じでんしゃでゴーの巻」
「ひるねの巻」
「へんなももの巻」
「やまでらの巻」
「やまのかみさまの巻①」
「やまのかみさまの巻②」
「やまのかみさまの巻③」
特別編「かぶとむしの巻」


『ねこぢる大全』版は、作者の死後に出版された文藝春秋 BiNGO COMICS 版を踏襲していると思われる。
青林堂版の伏字(■)は重版以降に施されたようだ。

『ねこぢる大全』 ← 『ねこぢるうどん』青林堂版
p.225 宝石 スミス屋 ← 宝石 湯田屋
p.228 ダイヤマークが描かれたポスター DIAMOND ← ダビデの星(六芒星)が描かれたポスター DEIMO30A
p.229 俺はもっとずっと上等な神を信じてるんだ ← 俺は全知全能唯一絶対の神エ■バのしもべなんだ
p.229 ブタめ ← ユ■ヤのブタめ
p.230 外人めが いつまでも敗戦国だと思うなよ ← 劣等民族が あのとき根絶やしにされておればよかったのじゃ
pp.239-241 メアリー/マーガレット/ジミー/マイケル ← アンネ/エリザベート/ヤコブ/シャミル
p.241 我らは ← 正しいユ■ヤ教徒は
p.241 汚れた豚の肉/汚れた豚肉 ← お祓いしてない豚肉
pp.242-243 炭巣家 ← 油はむ家

なお、青林堂版では宝石商のもみあげが長い。








































































































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

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