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海野弘 『モダン都市東京』 (中公文庫 改版)

「都市文学とは、バルザックの『人間喜劇』の世界であり、さまざまなものが、同時的に、モザイク的に示される。その主題は個人ではなく、人間の群であり、社会である。さらに一九二〇年代の都市文学の特徴は、都市のなにげない断片、そのガラクタや地下的なものをまなざしの舞台に登場させたことである。」
(海野弘 『モダン都市東京』 より)


海野弘 
『モダン都市東京
― 日本の
一九二〇年代』
 
中公文庫 う-17-8 


中央公論新社 
1988年4月10日 初版発行
2007年5月25日 改版発行
351p 付記1p 
文庫判 並装 カバー
定価1,238円+税
カバーデザイン: 菊地信義
カバー画: 川辺昌久 作品B 1925年頃


「『モダン都市東京』 昭和五十八年十月 中央公論社刊」



本文中図版(モノクロ)53点。


海野弘 モダン都市東京 01


カバー裏文:

「大正、昭和初期のモダン都市「東京」。同時代の文学作品を手がかりに、都市生活者が闊歩しはじめた近代都市の情景を、スリリングに描きだす。」


目次:

1 都市と文学
2 川端康成『浅草紅団』
3 ベルリンから東京へ
4 萩原恭次郎『死刑宣告』
5 群司次郎正『ミスター・ニッポン』
6 上司小剣『東京』と貴司山治『ゴー・ストップ』
7 龍胆寺雄『放浪時代』と吉行エイスケ『女百貨店』
8 林芙美子『放浪記』
9 江戸川乱歩『D坂の殺人事件』
10 徳永直『太陽のない街』
11 『中野重治詩集』
12 都市へのわかれ

あとがき
関連地図

解説 (川本三郎/1988年3月)

文庫の新版へのあとがき (2007年5月)




◆本書より◆


「2 川端康成『浅草紅団』」より:

「一九二〇年ごろまでに、欧米では現代都市空間が成立してくる。日本でも都市への人口集中、モータリゼーション、都市生活者のための住居、食料、娯楽の需要といった同時代的な状況のうちに、現代都市生活がはじまる。それが浅草に集約されていたのであった。一九一七年には浅草日本館で「東京歌劇座」が結成され、浅草オペラがはじまっている。」
「一九二〇年には上野で第一回メーデーがおこなわれた。労働問題、社会問題がさまざまな論議を呼ぶようになった。」
「一九一九年に『改造』、一九二〇年に『新青年』(博文館)といった雑誌が出た。これらの題名の選び方を見ても、一九二〇年代という新しい状況をあらわしていることがわかる。」
「都市文学とは、バルザックの『人間喜劇』の世界であり、さまざまなものが、同時的に、モザイク的に示される。その主題は個人ではなく、人間の群であり、社会である。さらに一九二〇年代の都市文学の特徴は、都市のなにげない断片、そのガラクタや地下的なものをまなざしの舞台に登場させたことである。」

「なぜ『浅草紅団』は未完に終ったのだろうか。そして川端はなぜ、都市遊歩者としての〈私〉を放棄してしまったのだろうか。おそらくそれは、新感覚派から新興芸術派にいたる日本のモダニズム文学が、一九三〇年に華々しく燃え上りながら、その直後にあっけなく消滅してしまったことに関連しているだろう。一九三一年に満州事変が起り、プロレタリア芸術が圧迫されてゆくなかで、二〇年代のアヴァンギャルド芸術も断絶してしまうのである。」
「日本のモダニズムにおける一九二〇年代と三〇年代の間の断絶の問題は、今後さらに調べてみなければならない。都市文学としてのモダニズムは、三〇年代には挫折してしまうのである。」



「3 ベルリンから東京へ」より:

「私が〈二〇年代〉というコンセプトを強調しているのは、世界的な同時代性のうちに日本の近代を考えたいからである。たとえば東京という都市も孤立しているわけではなく、同時代のベルリンや上海を通して見えるものとなってきたのではないだろうか。」


「9 江戸川乱歩『D坂の殺人事件』より:

「乱歩のつくりだした明智小五郎は、都市遊歩者に他ならない。彼はただぶらぶらしているだけであり、喫茶店でひまつぶしをしている。しかしこの都市遊歩者の目は、街路のディテイルのかくされた暗号を解読することができるのである。明智は、喫茶店のウェートレスが、銭湯で会う、古本屋の女房の身体に生傷が絶えないこと、近くのソバ屋の旭屋の女房も傷だらけであるといううわさを聞く。それから、旭屋が犯人であると推理する。」
「彼らはひそかに密会し、首をしめて互いの欲望を満足させているうちに、いきすぎて、殺してしまったのだというわけである。女に抵抗のあとがなかったのは、合意の上だったからなのだ。ここでは、古本屋の女房やソバ屋の主人といった、ごく平凡な様子の人間が、きわめて異常な欲望を抱えていることがあからさまにされる。一般の人間と異常な犯罪者がいるわけではない。一般の人間にも犯罪者がひそんでいるのだ。都市において、私たちのまわりの、平凡な隣人たちは、一挙に謎めいた不気味な、不透明な存在となるのである。」

「都市において、人々はばらばらに、他人の中でくらしている。だがそのことは、まったくの他人との関係が生まれる可能性でもあるのだ。ストリート・ガールは、そのような都市的関係の極限ともいえるだろう。」

「二〇年代には、犯罪は都市の記号として読まれるものとなる。新聞が犯罪についてセンセーショナルに書きたてるだけでなく、『犯罪科学』『犯罪公論』『探偵小説』といった雑誌が出され、犯罪ジャーナリズムが成立してくる。つまり都市生活者は、犯罪についての記事や小説を読むことを欲していたのである。都市は犯罪を生みだすだけではない。それをことばとイメージによって都市生活者に提供し、彼らの好奇心を満足させたのであった。江戸川乱歩は、その先端的な表現者であったと思われる。」

「さまざまな、互いに無縁な人生が一カ所にまとめられ、私たちが特権的な視点から、それらを縦断的に、モザイク的に眺めるという、オムニバス的、またはグランド・ホテル・スタイルの表現は、一九二〇年代の都市空間のうちに意識化されてくるスタイルである。乱歩において、それは屋根裏からの眺めとしてあらわされる。この、鳥瞰的な、パノラマ的な視角こそ、一九二〇年代のものであることに注目しなければならない。」
「一九二〇年代のカメラ・アイは、路上の紙くずのようなものを、都市の記号としてとりだし、さらに、真上や真下からという思いがけない角度からのショッキングなショットを提供した。乱歩もまた、このカメラ・アイの同時代性のうちにある。屋根裏からの、真上からの視角によって、日常的な視点とはちがう、思いがけない眺めが発見されるのである。」

「乱歩の初期の小説では、しばしば二人の男があらわれる。(中略)二人の一方は明智であることが多い。もう一方は、聞き手である時も、犯人である時もある。しかもこの二人の男はどちらもしばしば都市遊民である下宿人である。(中略)つまり明智と犯人はきわめて似ているのである。二人とも都市遊歩者なのである。そして犯罪の空想の愛好者なのだ。『D坂の殺人事件』では、〈私〉は、一時、明智こそ犯人ではないかと疑うほどだ。明智と犯人の差はそれほど遠くはないのだ。明智が犯罪を推理し得るのは、自らも屋根裏の散歩者であるからに他ならない。江戸川乱歩は、一九二〇年代の都市において、探偵と犯罪者が同質であり、両者の差は紙一重であって、いつ逆転するかわからないことを、私たちに示してくれるのである。」



「12 都市へのわかれ」より:

「ここでヨーロッパとの同時代性のうちに、〈二〇年代〉を考えてみると、ヨーロッパでは、二〇年代と三〇年代は対照的ではあるが、連続的でもある。二〇年代のアヴァンギャルドの都市表現は、三〇年代へと引き継がれてゆくのである。しかし日本においては、〈二〇年代〉の実験は未成熟のまま埋もれてしまう。堀辰雄のように、三〇年代の「四季」派の抒情のうちに〈二〇年代〉は切り捨てられる。
 未成熟に終って失われていった〈二〇年代〉の都市表現を、私たちは未成熟として、無視すべきだろうか。たしかに完成した作品は、豊富とはいえないかもしれない。しかし断片においては、日本の〈二〇年代〉は同時代的に存在している。その都市表現を私たちが再発見するためには、詩や小説だけに限定するのではなく、二〇年代の都市表現として忘れることのできない川柳や、ルポルタージュ、旅行記、盛り場案内記、犯罪実話雑誌、さらに二〇年代のアンダーワールドの出版物である相対会報告などのおびただしいポルノグラフィーなどから都市の断片をひろいださなければならない。
 日本の〈二〇年代〉は失われている。それはまるで、存在しなかったかのように、切りとられ、前後がそれをはずして縫い合わされてしまっている。」



海野弘 モダン都市東京 02




こちらもご参照ください:

海野弘 『久生十蘭 ― 『魔都』『十字街』解読』
松山巖 『乱歩と東京』 (PARCO PICTURE BACKS)
桑原甲子雄 『東京下町 1930』
堀切直人 『浅草』
巖谷國士 『フランスの不思議な町』
千葉文夫 『ファントマ幻想 ― 30年代パリのメディアと芸術家たち』











































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海野弘 『スパイの世界史』 (文春文庫)

「おそらく本当に大きな変革というのは、スパイの理解を超えていて、その彼方の新しい世界を見ることはできないのだ。情報活動というのは、それまでの知識の延長として世界をとらえるのだが、パラダイム(知の構造)が変わると対応できないのである。」
(海野弘 『スパイの世界史』 より)


海野弘 
『スパイの世界史』
 
文春文庫 う-18-2 

文藝春秋 
2007年7月10日 第1刷
664p
文庫判 並装 カバー
定価857円+税
デザイン: 坂田政則
カバー写真: ©ADRIANO A BIONDO


「単行本 二〇〇三年十一月 文藝春秋刊」



章扉に写真図版(モノクロ)10点。


海野弘 スパイの世界史


帯文:

「マタ・ハリ、T・E・ロレンス、ゾルゲ、キム・フィルビー……
世界史の闇で繰り広げられた
驚愕のインテリジェンス戦!」



カバー裏文:

「外交の裏にスパイあり。アラビアのロレンスの智謀、美貌の踊り子マタ・ハリの色仕掛け、酒飲みで女好きなゾルゲの二重スパイ疑惑、超エリート集団ケンブリッジ・スパイ・リングの売国……。第一次世界大戦から湾岸戦争まで、歴史の行方を決した熾烈なインテリジェンス戦の全貌を明らかにする。大興奮の裏世界史決定版!」


目次:

プロローグ 
 スパイとはなにか
 スパイの種類
 インテリジェンス

第一部 スパイ前史
 モーゼからエリザベス女王のスパイまで
 ダニエル・デフォー
 ナポレオンとフーシェ機関
 ドレフュス事件
 マタ・ハリ

第二部 第一次世界大戦
 大戦まで
 美少年を愛したスパイ アルフレート・リドル
 ベーデン=パウエルと少年斥候隊
 第一次世界大戦の原因
 サラエヴォの謎
 カール・ロディ、あるドイツのスパイ
 戦時謀略宣伝
 死の商人ザハロフ
 レーニンの封印列車
 アラビアのロレンス

第三部 二つの大戦の幕間
 情報戦争はつづく
 一九三〇年代
 ヒトラーのスパイ
 スターリンのスパイ
 クリヴィツキー、ライス、トロツキー
 トロツキー暗殺
 トハチェフスキー事件

第四部 第二次世界大戦
 情報は大戦を防げなかった
 奇妙な戦争
 チャーチルのスパイ
 ルーズヴェルトへの密使
 シンシア
 カナリスとハイドリッヒ
 SSインテリジェント
 キケロ
 パール・ハーバーと謀略
 OSS
 メアリ・バンクロフト
 バルバロッサ作戦
 〈赤いオーケストラ〉(ローテ・カペレ)
 暗号名ルーシー
 ゾルゲ
 ノルマンディ上陸作戦

第五部 冷戦
 冷戦のはじまり
 原爆スパイ
 ケンブリッジ・スパイ・リング

第六部 一九五〇年代
 CIA
 KGB 
 ポートランド・スパイ・リング
 朝鮮戦争
 ハンガリー動乱、一九五六
 寒い国から帰ってきたスパイ
 ベルリン・トンネル
 ジョージ・ブレイク
 イランのクーデタ

第七部 一九六〇年代
 U2機スパイ飛行
 キューバのスラップスティック
 ペンコフスキー事件
 裸のスパイ――プロフューモ事件
 モサド――第四の、そして最強の情報機関
 六日戦争と二人のスパイ
 ヴェトナム戦争Ⅰ ゴ・ジン・ジエム暗殺
 ヴェトナム戦争Ⅱ フェニックス作戦
 プラハの春

第八部 一九七〇年代
 ウォーターゲート茶番劇
 ミュンヘン・オリンピックの惨劇
 ヨム・キップル戦争
 チリ――アジェンデとCIA
 アンゴラ――キッシンジャーの失敗
 ブラント首相のスパイ・スキャンダル
 テロの時代へ

第九部 一九八〇年代
 フォークランドの勝利と敗北
 大韓航空機撃墜の謎
 人質救出作戦
 イラン・コントラ事件
 ユダヤのスパイ、ポラード

第十部 一九九〇年代
 ソ連崩壊
 サダムと湾岸戦争
 ノリエガをつかまえて
 冷戦にとり残されたスパイ
 アフガニスタンから9・11まで

エピローグ
 ヒューミント、シギント、イミント
 軍産複合体のスパイ
 スパイとテロリストの間
 窃視症エイジ
 〈スパイ〉からのぞいた世界
 スパイ・ロマネスク
 スパイは世界を変えるか
 ヒューマン・ファクター

あとがき
参考文献
索引




◆本書より◆


「プロローグ」より:

「スパイは古くからあった。しかし、近代的な意味でのスパイは〈外交〉とともにはじまるのだ。スパイと〈外交〉はセットなのである。」

「スパイは間に生きる。間とは、いくつかに分かれた世界のすき間にあらわれる。分断し分裂し、その境界に壁があるからこそ、その壁に穴をあけてのぞく企みがなされる。つまり、世界が分裂し、対立しているほどスパイが繁昌するのだ。」

「スパイは歴史で二番目に古い職業だ、といわれる(一番目は売春である)。したがってスパイの世界史は、有史以来の数千年の歴史を語らなければならないのだが、過去のスパイたちの物語は、断片的でエピソード的であり、ロマンティックである。
 スパイが最も必要とされるのは戦時である。(中略)ところが現代というのは絶えず戦争の危機を含んだ緊張状態にある。かくて常にスパイが必要となる。常備、常駐、常勤の、制度化され、組織化され、つまり公務員(?)的なスパイが登場してくるのが二十世紀である。
 ということは、スパイは例外的で特別なものでなく、現代社会で当然必要な要素になってきたことを意味する。スパイ活動はより一般的なインテリジェンスということばで示されるようになる。知能とか知性を示すインテリジェンスが情報機関をも意味するようになったことは、知識人とスパイとが接していて、区別しがたいグレーゾーンを共有しているといった状況を浮かび上がらせる。スパイは決して例外的で異常な存在ではない。知識や情報の中にスパイ性が含まれているとすると、極端にいえば、すべての人はスパイと無縁ではなく、自分の中にスパイを抱えているのだ。」

「ここでスパイを書くことについて考えてみよう。〈私〉はスパイをどのように見て、どのようなスパイについて書くのか。
 意外に思えるが、〈私〉が書くのは、失敗したスパイである。なぜならスパイは陰の、秘密の活動なのだから、本来は見えないはずである。見えないものは書きようがない。失敗して姿をあらわしたスパイについてだけ書くことができる。」

「したがってスパイの物語は、間違いをし、失敗したスパイの物語なのであり、それ故に人間的興味をそそるのだ。」



「スパイ前史」より:

「ウォルシンガムの暗号解読述がヨーロッパ一とおそれられたのは、やはりジョン・ディーの魔術のおかげだったかもしれない。(中略)オカルト(秘密の知)はスパイの世界と接しているのだ。ディーが解明した神秘的な謎のことばは、ウォルシンガムによって政治的軍事的情報の暗号文へと実用化されたのであった。
 ディーは水晶玉をのぞき、天使と話をすることができるといわれた。彼はプラハのルドルフ二世などオカルト好きな君主たちに引張り凧の魔術師であった。彼は天使との会話を記した謎めいた記録を残している。実はそれは、スペインの情報を伝える暗号文なのだ、といわれ、後世の人々はその解読を試みている。
 ともかくディーはヨーロッパをめぐりながら、スペインの情報をウォルシンガムに伝えていたようだ。(中略)それはマディミという天使との会話として暗号で書かれていた。魔術的予言と情報は、当時ははっきり分かれてはいなかった。もしかしたら、今でもそうなのかもしれない。」



「エピローグ」より:

「「世界を変えたスパイ」といった本がいくつかある。もし、あの秘密情報がなかったら、歴史はちがっていたかもしれない、と想像するのは楽しい。私も実はそんな興味からスパイについて調べはじめた。けれどやがて、スパイは世界を変えないのではないだろうか、と思うようになった。」
「なぜそう思うようになったかというと、現代史の大きな変わり目、ロシア革命、世界大戦、ソ連崩壊、9・11などは、ほとんど情報機関が予測できなかった、思いがけない出来事であったからだ。
 おそらく本当に大きな変革というのは、スパイの理解を超えていて、その彼方の新しい世界を見ることはできないのだ。情報活動というのは、それまでの知識の延長として世界をとらえるのだが、パラダイム(知の構造)が変わると対応できないのである。
 ロシア革命が起きた時、西欧は、ソ連邦という新しい体制を理解できなかった。イスラムのジハードがはじまった時も、アメリカは〈イスラム〉を理解できなかった。
 既成の知識によって世界をのぞこうとするスパイは変革をとらえることができない。」
「しかしある意味ではスパイは世界の変革に関わっている。ただし、それをとらえることができなかった、という失敗によって、逆説的に、否定的に関わるのだ。それまでの情報でとらえられず、理解できなかったことで、その変革がそれまでになかった新しいものであることを指し示すのである。
 スパイとは、そのような人間的限界、卑小さを教えてくれるのではないだろうか。スパイは変革をとらえることに失敗する。だがその失敗によって、背後で彼を操っている権力が腐敗し、変革に対応できなくなっていることを暴露するのだ。」
「スパイは世界を変えはしない。変革は彼の彼方にあり、彼は失敗し、挫折する。だがそれ故に、彼の物語は不滅なのだ。変革に成功していたら、彼は見えなかったろう。失敗したから、彼は見えるものとなる。いや、成功していたら、〈変革〉とはいえず、これまでの体制の延長にすぎなかったろう。
 成功の物語は一度読めばいい。だが失敗の物語を私たちはくりかえし読む。なぜならそれは未完だからだ。完結すれば、そこでおしまいである。」
「スパイの歴史はスパイの失敗の歴史であり、スパイのつまずき、スパイの墓標の列なのだ。それだからスパイは面白い。」





こちらもご参照ください:

海野弘 『久生十蘭 ― 『魔都』『十字街』解読』







































































































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
 
うまれたときからひとでなし
なぜならわたしはねこだから
 
◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

Koro-pok-Guru
Away with the Fairies

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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